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uji-cha · 6 years
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辻俊宏さん(後編) 株式会社辻利一本店
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革新的な姿勢が代々受け継がれている「辻利一本店」。五代目当主の辻俊宏さんもまた、伝統産業の中で「守破離」な活躍を見せている。
ナショナルブランドを目指して
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物心がついた頃から辻利一本店の跡取りを意識していた俊宏さんが、大学卒業後に選んだ最初の修行先は、鹿児島県のお茶産地だった。宇治茶に携わる子息の多くが、消費地の小売店で茶の商いを勉強するなかで、辻さんの修行先は珍しい選択だ。
「鹿児島は静岡に続く、日本第2位の茶産地です。そして、後発産地ということもあり、先進的なお茶の栽培方法を取り入れやすい。農家で半年ほど、三番茶の摘み取りまでお世話になりました」
その後、実家の向上で半年を過ごし、翌年は京都府茶業研究所に1年間。その後、2年間の期限付きで、食品商社の社員となった。
「大阪の営業部に配属され、主にスーパーを回っていました。そこで痛感したことは、茶問屋とスーパーでは感覚が違うのだな、ということでした。
例えば、茶問屋は一つの町に何店舗もお得意先を持てないんです。小さな町にはひとつ。大きな町でも2~3店舗といったところでしょう。なぜかというと、お茶の小売店は、問屋からお茶を仕入れて売っているので、どの店にも同じ味のお茶があると差別化ができないのです。
ところがスーパーに行くと、マヨネーズならA社が、紅茶ならB社が、どの店舗でも売っているんですね。全然違うやん!と思いました。
小売店さんはどの茶問屋から仕入れるかで差別化している。商売の仕方は、伸びしろとしては少ないんですけれども、食い合いが少ないので長く続くという良さもあります。でも日本茶は、スーパーの中ですら、棚には伊藤園さんが置いてあるだけで、あとはテナントで地元のお茶屋さんが入っているというところで、この仕組みを変えなくては、と思いました。辻利も日本茶のナショナルブランドととして成長したいという目標を持ったきっかけがこの点にあります。
代替わりをしたのは1998年。俊宏さんが37歳の頃だ。その頃から、加工用抹茶の需要が徐々に増え、積極的に取り組むようになる。
「こうしたコラボレーションを積極的にするようになった背景にも、辻利の名前をアイスクリームやお菓子で覚えてもらって、『じゃあ辻利のお茶はないんかい』と、消費者に言って欲しかった。でも、最初は逆に、辻利がアイス屋と間違われてまして(笑)、あの時は悔しかったですね。でも徐々に宇治の茶問屋ということがマスのマーケットに広がっていきました」
お茶の味で勝負したい
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2016年9月、宇治川にほど近い、古い建物の並ぶ通りに「辻利一本店」は新店舗を構えた。ここでの主な商材はお茶。スイーツは奥の一角でひっそりと売られている。
「消費者から見た場合、辻利の特徴はスイーツやと思います。しかし『辻利一本店』はあくまで、お茶をメインに扱う茶問屋ということを知っていただきたい。この店にはそんな思いを込めました」
確かに辻利と聞くと小売やスイーツの印象が強いが、それは暖簾分けした茶舗や、コラボレーションした食品メーカーの努力によるものだと辻さんは言う。辻利一本店は、これまで売上の99%をお茶の卸が占めてきた。
以前は本社の1階で細々とお茶を販売していたというが、来客には不人気、「老舗感がない」と取引先からも指摘された。
「今回、新しく茶舗を開いた場所は、実はかつてうちが茶工場を構えていた創業の地のごく近くなんです。一度手放してしまった土地でしたが、ずっと、ここに戻ってきたいと思っていました」
店内には抹茶をはじめ、煎茶など数種類のお茶を味わえる茶房も。中庭には茶の木が植えられ、茶の木や葉がどのようなものか見ることもできる。
「メニューはお茶が中心です。抹茶は立礼式(椅子に座ってお点前を行うこと)で、注文があったら見えるようなコーナーで点てます。袱紗捌きやら、そんな難しいお点前はなしに、お茶の体験をしてほしいと思っています。抹茶パフェやら、出せば売れるんやろなあというのはわかりますが、それだけはしたくなかった。そこは意地張っているんです」
そう言って、辻さんは実に嬉しそうに「ははは」と笑った。その柔らかな笑顔の裏には、辻家に連綿と受け継がれてきた「守破離」の信念がある。「お茶屋はお茶を売るのが仕事」。その基本に立ち戻った覚悟が見えた。
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uji-cha · 6 years
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辻俊宏さん(前編) 株式会社辻利一本店
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コンビニやスーパーで「辻利」の名前がついたアイスやお菓子を見かけることは多い。その原料となる抹茶を供給している茶問屋が辻利一本店だ。
暖簾分けをした京都や北九州の「辻利」など、全国の「辻利」ブランドの茶舗とは分家型、看板貸与型、共同出資型など、様々な形でゆるやかに繋がっていて、その本家にあたるのが宇治の辻利一本店である。
茶箱を考案した創業者
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辻利一本店が創業したのは1860年。「桜田門外の変」が起きた年だ。幕末の動乱期の中、日本全体でドラスティックな変化が起きていた。
「江戸時代、日本一のお茶産地といえば宇治で他にはありません。ほとんどのお茶は抹茶で、将軍や大名家が買っていたんですね。宇治にはお茶を生産・製造をして幕府に献上する“茶師”(御用茶師)が10人いたんです。ところが維新を経て、新政府や大名からの保護もなくなってしまい、茶師は徐々にいなくなりました。
私どもはその頃、餅屋だったんです。お茶がうれなくなって、宇治地域の茶農家や茶師は茶園を手放していました。その時、創業者の辻利右衛門は私財を投じて茶園を買取、そして茶商を始めたのです」
そう教えてくれたのは、五代目当主の辻俊宏さんだ。
当時、茶業で問題だったのは、一つは上記の消費者不足。創業者は、当時未完成であった玉露をさらに揉み込み、一文字状に整えることで玉露製法を完成。この新商品で新しい顧客の創造に成功する。さらに利右衛門は、もうひとつの課題である流通でも新境地を開拓する。
「それまでの輸送手段は茶壺でした。茶壺は割れるし、重たい。その問題を解決するために初代が考案したのが茶箱です。木箱の内側に薄手のブリキ板を貼ることで湿気も遮断できる。コストをかけず、軽い。それで遠方への輸送が可能になりました。当時から見ると、鮮烈な流通革命・技術革新やったと思います」
茶箱の開発により、東京まで玉露が速く、そして容易に運ばれるようになり、それを東京の大手老舗茶屋が気に入り取引が始まった。そこから辻利の名は全国に知られるようになる。
「初代から、うちはずっとイノベーティブな気質のある茶屋なんです。違う業界から入って改革する、その前向きな姿勢が昔からあります。それを一言で示し、代々受け継いできたのが『守破離(しゅはり)』という言葉。基本は守り、でも他のええとこも参考にしましょと。その結果、新しい発見に辿り着きましょうというのが私どもの姿勢です」
戦後の雇用確保が暖簾分けにつながった
第二次世界大戦のときには、日本軍に従いて行く形で、海外に支店を構えていたという。その跡地の一つは台北にあり、現在「台湾で最も美しいスターバックス」と言われている。
「釜山や大連にも支店がありました。しかし終戦で引き上げなければならなくなり、そこで働いていた人の雇用確保のために国内に支店を作りました。国内にある辻利の一部はこれが起源となります」
そうして全国に広がった「辻利」の茶小売店は、各店が商才を伸ばし地域の一番店となっていき、ブランド名もまた、全国で定着することとなる。
抹茶アイスがきっかけ
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元々は煎茶や玉露を多く扱い、抹茶はかつて全体の20%程度の取り扱いしかなかったという辻利一本店。しかしお茶の消費の減少と共に、自社で加工用抹茶を使ったお菓子作りも研究していたという。
「その頃、ちらほらと『どうやら抹茶が売れるらしい』という話が聞こえてきていました。いろいろな食材と合わせられるので加工品として可能性が高いぞ、と。それで自社の抹茶製品を作るようになりました。
切り口としては、いわゆる抹茶フレーバーのチョコレートやアイスクリームはお菓子屋さんに任せて、我々はその“逆”をしようという発送でした。つまり、チョコレート味の抹茶、アイスクリーム味の抹茶であり、チョコもアイスもフレーバーでしかないという商品です。主軸を抹茶に置いた商品づくりですね」
売りたいのはあくまでお茶という商品。「お菓子屋ではない」という自負があった。しかしそこに目を留めたのは食品メーカーだった。
「基本的には茶問屋は黒子なんですよね。茶小売店にお茶を卸すことがメインですから、小売店に入った時点で“辻利”の名前ではなく、先方のお店のブランド名で売られることもあります。その意味でも、辻利の名前が商品についたのは画期的でした。
最初は京都の菓子店に協力してもらって抹茶チョコレートや抹茶のカップアイスを開発して販売していたんです。その後に食品メーカーさんとアイスバーを作りました。メーカーの担当者さんがうちに来られた時、自社のアイスクリームを食べてもらったら『ああ、これはお茶を食べているようですね』『いわばお濃茶だ』という話がきっかけになって、いまの商品につながりました。
これはロングセラーですね。移り変わりの激しい業界ですから、2~3年持つやろかと当初は思っていました(笑)。でもここまで長く続いたのは、お互いの役割を持てたからではないでしょうか。こちらはお茶の濃��味を提供する。向こうはクリームや他原料との調和を考える。その違う切り口を持って、一緒に作れたのがよかったのかもしれません」
その後、大手飲料メーカーから辻利の名を関したペットボトル飲料が発売され、スイーツと縁遠い男性顧客にもその名が広がった(現在は終売)。現在、自社で扱うお茶の販売額は、抹茶が約6割。その中の7割近くがお菓子などへの加工用だという。
「一昨年、自社での菓子販売はやめました。自店で売るアイスクリーム以外は全て、食品メーカーさんとのコラボです。自社ブランドをつけた加工用食品は全て、味の確認をさせてもらっています。常にお伝えしていることは『香料はなるべく使わないでください』ということですね。うちとこの商品で、お茶そのものの香りや味わいを楽しんでもらいたいと、そう思っています」
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uji-cha · 6 years
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吉田利一さん(後編) 丸利吉田銘茶園
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吉田利一さんの家は、祖父の代から高品質の茶作りには定評がある生産家だ。
利一さんが生まれた年の1947年に、祖父は第1回全国茶品評会で農林大臣賞(現・農林水産大臣賞)を受賞した。その後も農林水産大臣賞を数多く受賞している。
「跡取りやというのは子供心にもわかっていたけれど、大学だけは行きたかった。うちの親父は『だいがくなど行く必要はない』とね、なかなか認めてもらえなかったけれども、なんとか頼み込んで、国公立ならよしと譲歩してもらって静岡大学に行きました」
大学卒業後は、実家に戻り、盆暮れには、問屋に見習い修行に出た。
「足掛け4、5年行きました。自分とこだけでなく色んな茶園の茶葉が見られて勉強になるし、問屋さんとのつながりも深くなるしね。茶農家の跡継ぎがお付き合いの深い問屋さんで修行させてもらうのは、そんなに珍しいことではなかったですね」
しかし利一さんの父親は、1977年、利一さんが30歳のときに早逝してしまう。
「親父が亡くなって、最初の数年間は5月が来るのが怖かった。新芽が出る4月になると、霜にやられないかしらと怖くなる。霜がおりたら、一晩で茶葉が真っ黒に変色してしまうんです。
次に新芽が摘み頃になると、お茶摘みさんがちゃんと来てくれるかしらと怖くなる。いくら我々が一年間一所懸命に茶葉を育てても、摘んでもらえなかったらお茶にならない。茶摘みの1か月程は50人も60人も人手が必要になりますが、世間が景気のいいときは人が集まらないんです。
そして、お茶摘みがおわったら、今度は機械が気にかかる。機械がひとつ故障しても、お茶が加工できない。お茶は待ったなしの加工です。放っておくと発酵が始まってしまいます。
お茶ができたら、今度は問屋さんがええ値段で買ってくれるかしらと悩みは尽きません。だから5月が来るのが怖かった。
茶農家の数も年々減っていって、弱気になったこともあります。でもそのたびに、ここでへこたれたらあかん、あとに残ったもの勝ちやと思っていました。宇治茶の量は減るかもしれないけれど、なくなることはないと。私はこれでしか生きていかれへん、今更ほかのことをしようと思ってもできないぞと歯をくいしばりました」
お茶栽培で最も大事なことは何かと聞くと、「作業としては肥培管理なんだけど」と話した後、少し考えて、利一さんはこう答えた。
「今自分がしていることは、なんのための作業かを考えることやね。最終的にはいい芽をとること。そのためには茶の木を大切にしなくてはいけません。どうしたらいいお茶ができるのかと、よく聞かれます。そのときにもこう答えます。使う芽が悪ければ、いいお茶はできないと。
100の力をもつ芽を100の技術で加工する。90のものを100には上げられません。まずはいい芽をこしらえないと。そのために何ができるかを考えるんです」
品質だけでなく安全性にも気を配る。BSE問題を機に、京都府茶生産協議会の会長として、農薬の使用に基準を設け、生産履歴への記帳を徹底した。この履歴がついていない茶葉は、府内の問屋でも市場でも取引はされない。こうした努力もまた、宇治茶のブランド力の強みになっている。
「なんにせよ、茶、茶作りが好きなんやね」という利一さん。その思いは息子二人にも受け継がれているようだ。
「新芽が出る頃になると、息子たちが茶畑の畝にわらを敷いている。確かにそれをすると草抑えになるし、地面から冷気が上がらず茶摘み子さんたちが作業しやすいんやけど、まあ、ようやるなあというほど、丁寧にやりますわ」と、利一さんは目を細めた。
手のひらでお茶を見る
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抹茶の原料となる碾茶と違い、玉露や煎茶は「揉み」という作業が入る。蒸した茶葉を揉みながら乾燥させることで、細く縒(よ)っていくのだ。昔は手で行っていた「揉み」の作業を、今ではほぼ機械で行っているが、利一さんは昔ながらの「手揉み」技術の保存にも尽力している。
「うちでは30キロの生葉が加工できる機械を使っています。これは一番小さいほうで、よそでは100キロとか150キロの機械があるはずです。手の揉み方を応用しているもので、よくできている。でも毎日、湿度や温度が変わる中で、乾き具合を確認しながら進めないといけないわけです。
その辺の加減は、手揉みをやっていると、手のひらが乾き具合を覚えているわけですね。機械の脇に、茶葉の状態を確かめられる除き口がついているのですが、いちいち目で見なくても、手を入れて茶葉を触っただけで、もう出さなあかんとか、もう少しとかが分かる。そういう意味でも、若い人に手揉みを覚えろよ、と教えているわけです」
話している間、利一さんは何度も湯を注ぎ、自慢の茶を淹れてくれた。
「お茶の葉はけちらずに多い目に入れること。お湯はひたひた。2分以上待ってから注ぎます。一煎目のお湯は体温くらいの温度で入れて、二煎目、三煎目と徐々に温度を上げていく。最後はポットから熱い湯をそのまま入れるくらいで構いません。
宇治のお茶は、こうして主人が直接、お客さんのために淹れるお茶なんです。お茶が入るのを待つ間にもおしゃべりできるでしょう。いいお茶の定義は人によって違うでしょうけれど、私にとっては『煎のきくお茶』がいいお茶です。私は生産者だから、何煎も出るお茶が嬉しいなあと思う。最初はお菓子のいらない濃厚なうまみを楽しみ、温度を上げるに従って、すっきりした味に変わっていくという変遷も楽しんでもらいたいですね」
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uji-cha · 6 years
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吉田利一さん(前編) 丸利吉田銘茶園
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宇治市小倉町にある「丸利吉田銘茶園」は高品質の茶作りで知られる生産家だ。当主は16代目の吉田利一さん(68歳)。
お茶の品評会では毎年高く評価され、数多くの農林水産大臣賞を獲得。2013年には黄綬褒章も受賞した。現在は全国茶生産団体連合会の会長も務めるなど、茶業界のけん引役としても活躍する。
伝統を見直すことで革新が生まれる
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宇治茶葉鎌倉時代、栄西禅師が中国(宋)から茶の種を持ち帰り、それを高山寺の僧侶・明恵上人(みょうえしょうにん)に渡し、高山寺に植えた後、宇治へもたらしたことが始まりといわれている。
「日本最古之茶園」の碑が建つ高山寺には現在も茶園があり、その茶畑管理も利一さんらが行う。
「高山寺とは縁が深くて、私の叔父さんも私も、高校3年生のひと夏を高山寺に篭って、受験勉強させてもらったことがあります」
かたやうじしないの萬福寺には、「駒蹄影園址碑(こまのあしかげえんあとひ)」という、宇治に茶をまいたことを刻む碑がある。初めて見る茶の種を前にしてどう種をまいていいか分からない里人に、明恵上人が馬で畑に乗り入れ、「この馬の蹄の後にまいたらよろしい」と言ったという伝えがこの碑の由来だ。
あらに安土桃山時代には、新芽が伸び始めた頃の茶園に丸太と竹で骨組みを作り、ヨシという植物を編んで作った葦簀(よしず)で屋根を作り、その上にわらをふって遮光する栽培方法である「本簀(ほんず)栽培」が宇治で始まっている。この栽培方法により、品質が格段に向上し、以来、宇治茶ブランドは揺るがぬものになっていく。
琵琶湖のヨシや竹が手に入りにくくなる中、現在は日よけ用に「寒冷紗(かんれいしゃ)」という黒い布で被覆して栽培されることが多い。これを京都府茶業研究所とともに開発・普及した一人が、利一さんの父・利喜三さんだ。
「私が大学を卒業した年に、京都府茶業研究所と、うちの親父らが、もっと簡単に覆いをできる方法はないやろかということで、我が家の茶畑で実験をしておりました。まず葦簀と同じくらいの遮光の網目の幕を張って、それからわらをふったときの遮光率に近いものを張って。
幕の色も、黒色だけでなく色々と試していました。わらと似た黄色っぽい色はどうかとか、光を反射したいのだからと銀色の幕でしてみたり。素材もあれこれと実験して。
最終的に遮光の加減がよく耐久性もある黒の寒冷紗がええということになってね。私が24歳だか25歳のときに、静岡でお茶の品評会があって、なぜか私がそこで研究発表させられたんですわ」
寒冷紗でできた茶葉は、本簀で栽培したものと全く変わりがないと、素人目には見える。それよりも肥培管理や品種が、茶の味に大きく影響するからだ。実際に取引される際には、どちらの栽培方法でも値段に影響はしない。
だが数名、茶利きの人で栽培方法を飲んで当てられるひともいるというから驚きだ。販売用には寒冷紗、品評会用には本簀で栽培すると使い分ける農家もある。
2ヘクタールある茶園では、様々なバリエーションの栽培方法で茶葉が育てられている。自宅の前の茶園は、毎年、丸太と竹で棚を組み、その上で葦簀を張るもっとも古い覆いの仕方である。寒冷紗の畑もあり、1枚だけ寒冷紗を張る茶園、2枚の寒冷紗を張る茶園などがある。吉田家には竹林も田んぼもあるため、自然素材のほとんどは自給自足できるのが強みだ。
「わらを作るのも手作業で大変。息子2人と嫁さんたちも総出で取り組みます、そやけど、それが家族のコミュニケーションにもなるし、仲良くなるコツやろと思っています」と利一さんは笑う。
茶の木の植え方も、1列で植えた「一条植え」の茶園と、2列で植えた「二条植え」の茶園があるなど、これまでの試行錯誤の歴史が茶園から窺える。
産地ごとの茶園の特徴にも詳しい。
「うちの茶園は茶の木の列が伸びているけれど、和束町は等高線に沿って植えていくんです。高低に(茶の木の列が)伸びるところもあり、茶の植え方を見ると、ああ、この土地やなあとわかる」と話す。
また、栽培方法についても、茶の木の株元を掘り出して溝を切って施肥し(元出し)、掘り出した土と混ぜて戻す(元入れ)という施肥方法を続けている。
「春と秋、20~30センチも掘って、何回にも渡って肥料をやるんです。終わったら土をかける。肥料は昔から変わらず、ほとんど有機肥料です。化成肥料とちがって、じわりじわりと効くからです。人間と同じで、一気にたくさんの量の栄養を消化できないんでしょう」
伝統に対するたゆまぬ研究が、茶栽培の革新につながっているのだ。
 自分で作ったものに、自分で価値をつけること
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丸利吉田銘茶園で育てている茶の品種は、現在7品種。玉露や碾茶をメインに作っており、もっとも多い品種は「さみどり」だという。
「さみどりは積みやすくて、柔らかい。水分が多いんですね。生の葉から製品にするとき、通常の歩留まりは1割8分程度なのですが、さみどりは1割6分くらい。10キロの茶葉を積んでも、最終的には1.6キロ程度にしかなりません。ただ、柔らかいから葉は細くよれて、色よくいい茶葉になります」
「荒茶」といわれる仕上げ手前の状態(製品)までを加工し、茶問屋に卸すまでが大多数の茶農家の行う仕事だが、利一さんは仕上げまでの加工を自家で行い、販売も行っている。現在は、三軒の���問屋に卸すほか、法人化した茶の販売部門を持っている。これは宇治の生産家のなかでは非常に珍しいことだ。
「私が30歳のとき、販売部門を法人化しました。ちょうど父が他界する直前のことです。駅前にショッピングセンターができることになったのですが、そこにテナント出店ができるようになったのです。とはいえ、販売のほうは私の弟に任せて、私と息子2人は茶栽培・加工に専念しています」
小売までを農家が行う何よりの動機は「自分で価値をつけられる」喜びだと利一さんは話す。
「前提として、取引させてもらっている茶問屋さんがいることは、本当にありがたいことです。ブレンドをしたり、選別したりして安定した品質に仕上げる問屋さんの役割は、自身で販売まで始めて改めて凄いことだと感じてもいます。
ただ、農業をしている人は、みな自分で作ったものに自分で値段をつけて、売ってみたいという気持ちがある。問屋さんに持って行って、値を入れてもらうとき、未だにこの歳になっても子供が通信簿をもらう気持ちでドキドキします。自分が5点やと思っていても、4点がついて帰ってきてもうけいれるしかない。でも5点だと自分が思うものは5点として売ってみたいんですね。
ありがたいことに、テレビなどでよく自分とこの茶園を紹介してもらえて、欲しいと連絡してくれるお客さんが増えてきたので、思い切って販売部門を法人化しました。今の6次産業化のはしりやね」
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uji-cha · 6 years
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もっと美味しいお茶を広めたい!新しいお茶の品評会「日本茶アワード」
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毎年12月に開催される「日本茶アワード」。全国津々浦々の美味しくて香り高いお茶が一堂に会する、まだできて間もないお茶の品評会です。出品申請から最終審査まで、約6ヶ月間に渡って行われる「日本茶アワード」の魅力についてご紹介します。
新しい審査の形が新しいお茶を選ぶ
これまでの品評会では、日本のお茶、特に緑茶は需要拡大による生産レベルの底上げが目標で、品質の個性よりも安定性を評価する審査でした。「日本茶アワード」では、細かく部門分けされて新しく様々なお茶の出品が可能です。審査は専門の審査員の目利きだけでは行われません。「TOKYO TEA PARTY」というイベントの中で、一般の消費者が試飲し、お気に入りのお茶に投票する三次審査も取り入れられました。
まず、「うまいお茶部門(普通煎茶・深蒸し煎茶・玉露・蒸し製玉緑茶)」「香りのお茶部門(煎茶・ほうじ茶・釜炒り茶・紅茶・後発酵茶・紅茶以外の発酵系のお茶)」では一次・二次審査会が行われます。この審査結果が上位のお茶にはプラチナ賞が送られ、後に行われるTOKYO TEA PARTYで「日本茶大賞」が決定されるのです。
この他に、参考出品になるのでプラチナ賞の受賞はできませんが、「ナチュラル・フレーバー部門」「抹茶部門」「粉末茶部門」「水出し茶部門」があります。この中で高い評価を得たお茶はTOKYO TEA PARTYで紹介される予定です。
個性溢れるお茶を評価する場として
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奈良・平安時代にその文化が持ち込まれ、貴族や武士のたしなみから庶民の飲み物として広まりを見せた日本のお茶。江戸・明治時代に”煎茶の祖”と言われる永田宗円の編み出した「宇治製法」が全国的に主流となりました。「日本茶と言えばあの味」と思いがちですが、栽培や摘採時期、製法によって味や香りは違います。また、文化の流入や生活の変化によって日本茶の在り方は、歴史とともに多様化してきました。このように、日本茶と一言で言ってもそれぞれが魅力ある個性を持っているのです。古くから親しまれてきた歴史ある日本茶が新しく進化し続け、世界中の人々が美味しくいただける日本茶の浸透を目指し、「日本茶アワード」は2014年より開催されるようになりました。なお、出品茶には「出品茶ロゴマーク」、賞を受賞したお茶には「受賞茶ロゴマーク」が付与されます。お茶を購入する際には、パッケージをよく見てみるのもいいかもしれません。
一般の消費者が審査する「TOKYO TEA PARTY」とは?
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一次・二次審査を経てプラチナ賞を受賞したお茶はTOKYO TEA PARTYにて、事前にテイスティングのお申し込みをした一般消費者によって試飲・投票を行い、グランプリである「日本茶大賞」を決めます。どのお茶が大賞かを決めるのも大切ですが、純粋になかなかお目にかかることのできないお茶を美味しい淹れ方で楽しめるというのも、このイベントの醍醐味かもしれません。参考出品で優秀とされたお茶も表彰され、お披露目会にて紹介されます。また、一次審査で残余した出品茶も含め、会場内ではお茶の販売も行われ、テイスティングに参加できなかった人も出品茶を楽しめるでしょう。2014・2015年には、お茶をモチーフとしたアーティストと職人のコラボレーションや、外国人向けに英語で行われる日本茶セミナーなどのワークショップが開催されました。南北朝時代から室町時代に貴族の間で流行した「茶歌舞伎」というお茶の飲み当て競技も開催されており、まさに楽しくお茶を飲み、深みを知ることのできるイベントです。
「TOKYO TEA PARTY」2016年のイベントは2016年12月2日〜12月4日まで、渋谷ヒカリエにて開催が予定されています。
日本茶の未来
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現代ではペットボトルのお茶など誰でも簡単に手に入れることのできる日本茶ですが、茶葉を育て上げ製品となり、私たちの手元に届くまで並々ならぬ労力が費やされています。日本茶の普及にも、様々なアプローチを使って一般的に浸透させてきたのです。ペットボトルのものですら高価な日本茶が売り出されるほど、その技術の発展には目覚しいものがあります。また、地域によって多く飲まれる日本茶は違いますし、味や香りの個性も違うでしょう。生まれたばかりの品評会である「日本茶アワード」では、そんな地域色豊かな全国の日本茶を一度に楽しめるイベントです。日本茶が好きな方もペットボトルのお茶しか飲まない方も、機会があれば是非参加して、日本茶の素晴らしさを感じてみてください。
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uji-cha · 6 years
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お茶を捧げる「献茶祭」とは?
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お茶を神仏に献上する「献茶祭」という行事をご存知でしょうか?全国各地で執り行われており、特に、お茶の生産が盛んな地域では様々な場所で行われています。今回は、献茶祭でどのようなことが行われているのかご紹介します。
献茶祭では何が行われているのか
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全国各地で行われる献茶祭は、お茶の収穫を神様などに報告し、栽培や商売の繁盛を祈願するために行われる、という内容が一般的です。
献茶祭では、まず、茶道家元や神主さんが献茶式典にてお茶を神仏に献上します。次に、来賓客や茶業に携わる人々、献茶祭に参加した地域住民にもお茶が振る舞われます。地域によっては、お茶と一緒に和菓子を食べて楽しんだり、お茶にまつわるトークイベントが行ったりするなど、私たちでも楽しむことのできるイベントになっている献茶祭もあるようです。
お茶どころでは献茶祭も多く行われる
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茶業の盛んな地域では昔から献茶祭も多く行われています。800年近いお茶づくりの歴史を誇る宇治市だけでも、一年を通じてこれほど多くの献茶祭が行われています。
世界遺産・宇治上神社で開催される献茶祭
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宇治市内で開催される献茶祭のなかでも、特に盛大に開催されるのが「縣(あがた)神社」の献茶祭と、「宇治上(うじがみ)神社」の献茶祭です。
毎年6月1日に開催される宇治上神社献茶祭では、お茶が無事に収穫できたことに感謝をし、茶業界のさらなる発展を祈願します。境内に湧いている「桐原水(きりはらすい)」を使って、煎茶道の家元によって御点前が披露されたのち、新茶が神前に供えられます。
宇治上神社の建築物はとても古く、本殿は現存する日本最古の神社建築と言われています。1994年には「古都京都の文化財」の構成遺産として世界遺産にも登録されています。
一子相伝の儀式が披露される縣神社の献茶祭
宇治上神社の献茶祭は新茶から煎茶を淹れて神前に供える儀式でしたが、11月に行われる縣(あがた)神社の献茶祭は、ひと夏寝かせた茶葉の封を開けて、抹茶を奉納する儀式になっています。
縣神社の献茶祭で行われる茶壷口切式は、古来「宇治茶師」に一子相伝で伝えられてきたとされる歴史のある式法で、約800年の歴史を誇る宇治茶の更なる発展となるように、現在でも執り行われています。また、当日は家元により茶席が催され、一般の来賓客にも神前から撤下された抹茶が振る舞われています。
神事ということを忘れずに参加してみよう
献茶祭は、お茶を収穫・販売できたことへの感謝と、さらなる繁栄を願う神事です。この記事で紹介した2つの献茶祭以外にも、私たちが参加できる献茶祭が他にもあるので、お茶のことをより深く知るきっかけとして、訪れてみてはいかがでしょうか。
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uji-cha · 6 years
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宇治に行ったら立寄りたい宇治茶の老舗(源氏タウン編)
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お茶の街として知られる宇治市ですが、平安時代に紫式部によって書かれた長編小説「源氏物語」の舞台になった地でもあり、源氏物語ゆかりの名所が今なお残されています。
歴史をめぐる旅と一緒にぜひ立ち寄りたいのが宇治茶を販売・試飲できるお店です。宇治には、長い歴史をもつ宇治茶の販売店が軒を連ね、本場ならではのおいしい宇治茶が店頭に並べられています。
この記事では、宇治市内にひしめく宇治茶のお店のなかでも、京阪宇治駅にほど近い「源氏タウン銘店会」にあるお店をピックアップしてご紹介します。
通圓 宇治本店(つうえん-うじほんてん)
京阪電車宇治駅のすぐ近く、宇治橋の東詰にある「通圓 宇治本店」は、創業が平安時代末期の1160年と、老舗の多い宇治の茶店のなかでも、特に長い歴史を持つお店です。現在の店舗は江戸時代初期の1672年に建てられた建物で、店内には古来から伝わる茶壷や茶道具などが随所に配置されています。
昔から、京や大和路を行き来する人々ののどを潤してきたという通圓には、足利義政や徳川家康や豊臣秀吉といった歴史上の大人物も訪れたことがあり、店内には一休和尚から贈られたという「初代通円」の木像も祀られています。現在はお茶だけでなく、抹茶ソフトクリームやパフェなどの甘味、茶そばなどの軽食まで、充実したメニューが取り揃えられています。
住所 京都府宇治市宇治東内1
電話番号 0774-21-2243
営業時間 10:00~17:30、年中無休
ホームページ http://www.tsuentea.com/index.php
宇治茶道場「匠の館」(たくみのやかた)
京阪電車の宇治駅から朝霧通りを宇治川上流に向かって歩いて5分ほどのところにある「匠の館」は、京都でお茶づくりに携わる人々で結成された団体が経営喫茶店です。
匠の館の最大の特徴は、日本茶の深い知識があることを示す「日本茶インストラクター」の有資格者が、懇切丁寧にお茶の美味しい淹れ方を一から教えてくれるところにあります。良質な茶葉を使って、最大限に美味しさを引き出して飲むお茶の味は格別です。1煎目、2煎目、3煎目…と、温度を変えて何度も楽しむことができ、温度の違いによって変わる味や風味を体験できるのは、宇治茶道場「匠の館」ならではです。
また、匠の館では、予約制で「茶香服」と呼ばれるきき茶ゲームや、お茶についてさらに詳しく学べる「お茶の淹れ方教室」も開催されています。
住所 京都府宇治市宇治又振17-1
電話番号 0774-23-0888
営業時間  11:00~17:00(ラストオーダー16:30)
定休日:水曜、年末年始
ホームページ http://www.ujicha.or.jp/%e5%8c%a0%e3%81%ae%e9%a4%a8/
福寿園 宇治工房(ふくじゅえん-うじこうぼう)
京阪電車の宇治駅から朝霧通りを歩いて10分ほど、平等院の対岸にある「福寿園 宇治茶工房」は、「伊右衛門」で知られる福寿園が作った、宇治茶文化を体験する施設です。
宇治茶の伝統的な製茶法である手もみ茶づくりや、熱した陶板を使った煎茶やほうじ茶作り、石臼での抹茶づくりなどを体験できるほか、お茶を淹れる茶器を作ることもできます。また、美味しい煎茶の淹れ方が学べる煎茶道教室やマナー講座なども開催されています。
店内にはお茶や茶器が買える売店や、お茶やスイーツ・料理が堪能できる喫茶も併設されているなど、お茶に関する様々な体験が一堂に会した空間となっています。
住所 京都府宇治市宇治山田10
電話番号 0774-20-1100
営業時間 10:00~17:00
定休日月曜日(祝日の場合は翌日)
ホームページ http://www.ujikoubou.com/index.cgi
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uji-cha · 6 years
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宇治に行ったら立寄りたい宇治茶の老舗(平等院表参道編)
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宇治市の観光名所である平等院の表門から北に続く平等院表参道商店街には、宇治茶を販売しているお店が数多くあります。JR宇治駅、京阪宇治駅から徒歩約15分。お茶の香りがただよう平等院表参道は、環境省の「かおり風景100選」にも選ばれています。
この記事では、宇治市内にひしめく宇治茶のお店のなかでも、平等院の門前町「平等院表参道」にあるお店をピックアップしてご紹介します。
寺島屋弥兵衛商店(てらしまや-やへい-しょうてん)
文政10年(1827年)創業の寺島屋弥兵衛商店は、抹茶・玉露・煎茶といった宇治茶をはじめとして、抹茶を使ったスイーツやおせんべいを味わえるお店です。店内にはレトロなお茶の木箱やお茶の袋がずらりと並んでいます。茶葉や茶菓子などの販売のほか、お茶や茶菓子を楽しめるテラス席もあります。
住所 京都府宇治市宇治蓮華40-1
電話番号 0774-22-3816
営業時間 火曜日を除く毎日10:00~18:00(※祝日・新茶期は無休)
ホームページ http://terashimaya.com/
中村藤吉(なかむらとうきち) 平等院店
安政元年(1854年)創業の中村藤吉の平等院店は、江戸時代元禄年間(1688年~1704年)に創業された料亭旅館菊屋の建物を改装したものです。カフェでは宇治川を眺めながら、宇治茶をはじめ、スイーツや茶そばを味わうことができます。
中村藤吉には、他の店では販売されていないオリジナルブレンド「中村茶」が販売されています。玉露や煎茶など7種類の茶葉を秘伝の割合と方法でブレンドした「中村茶」は、お茶を淹れるお湯の温度を変えることで、異なる風味を楽しむことができます。
住所 京都府宇治市宇治蓮華5-1
電話番号 0774-22-9500
営業時間
 銘茶売場 平日10:30~17:00、土・日・祝日10:30~17:30
 テイクアウト 10:30~16:30(月曜日~16:00)
 カフェ 平日10:30~17:00、土・日・祝日10:30~17:30(LO16:30)
ホームページ http://www.tokichi.jp/stores/index.html
伊藤久右衛門(いとうきゅうえもん) 平等院店
江戸時代からの伝統を大切にしながら、お茶の新しい価値を発信・提供する伊藤久右衛門の平等院店では、昔ながらの宇治茶だけではなく、抹茶スイーツやリキュール、季節限定商品など宇治茶と抹茶にまつわる様々な商品を扱っています。
住所 京都府宇治市表参道
電話番号 0774-23-2321
営業時間 季節により異なります
ホームページ http://www.itohkyuemon.co.jp/site/byoudouin.htm
高村三光園(たかむらさんこうえん)
高村三光園は「香り」と「味わい」を追求するお茶屋です。店内では茶葉を抹茶に挽く機械が常時稼働しており、店内には抹茶の香りが満ちています。さらに、店内には歴史を感じさせるお茶の木箱がずらりと並んでいます。抹茶や玉露からほうじ茶や茶菓子まで、色々とそろっているお店です。
住所 京都府宇治市宇治蓮華30
電話番号 0774-21-2540
営業時間 9:00~18:00 年中無休
ホームページ http://b-omotesando.com/shop/sankoen/
山田園(やまだえん)
山田園は明治42年(1909年)に平等院表参道で創業し、100年以上の歴史を持つ老舗の茶販売店です。お茶を中心とした品ぞろえを行う店内には、店独自の加工が施された各種のお茶が扱われています。
また、山田園で提供する抹茶は、常に新鮮なものを提供するために、店内に石臼を設置し、常に引き立ての抹茶が提供されています。
住所 京都府宇治市宇治蓮華29
電話番号 0774-21-2232
営業時間 9:00~18:00 年中無休
ホームページ http://www.yamadaen.jp/
お茶のかんばやし 平等院通り店
江戸幕府の御用茶師を勤めた上林家の流れを汲むお店です。宇治市内に3つのお店を構え、百貨店などでは販売を行わないこだわりを今に貫いています。平等院店では宇治抹茶や宇治玉露といった定番から、ほうじ番茶やグリーンティーまで、さまざまなお茶をそろえています。
住所 京都府宇治市宇治蓮華28
電話番号 0774-21-2555
営業時間 9:00~17:00(※年始と6/8は定休)
ホームページ http://otya.co.jp/
泉園銘茶本舗(いずみえん-めいちゃ-ほんぽ)
寛永元年(1624年)創業の泉園銘茶本舗は、ローマ法王にお茶を献上したこともある老舗です。宇治茶を中心として、抹茶菓子や茶そば、各種茶器などを取り扱っています。
住所 京都府宇治市宇治蓮華24
電話番号 0774-21-2258
営業時間 9:00~17:00(原則として年中無休)
ホームページ http://www.izumien.com/
三星園上林三入本店(みつぼしえん-かんばやしさんにゅう-ほんてん)
三星園上林三入本店は、天正年間(1573年~1593年)に創業した歴史のある茶販売店です。宇治茶の販売だけでなく、「三休庵・宇治茶資料室」を併設しており、代々伝えられてきた貴重な資料が展示・紹介されているほか、石うすでお茶を抹茶に挽いてお茶とお菓子をいただく「抹茶づくり体験」(要予約)や、お茶と茶菓子を楽しめる喫茶室も併設されています。
住所 京都府宇治市宇治蓮華27-2
電話番号 0774-21-2636
営業時間
 店舗 9:00~18:00(三休庵・宇治茶資料室9:00~17:00)、年中無休
ホームページ http://www.ujicha-kanbayashi.co.jp/
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uji-cha · 6 years
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宇治に行ったら立寄りたい宇治茶の老舗(宇治橋通り編)
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宇治茶発祥の地・宇治市には、10円玉のモチーフにもなっている「平等院鳳凰堂」や、世界遺産にも選ばれた「宇治上神社」など、一年を通じて多くの見所があります。
そんな宇治へ観光に行ったら、ぜひ立ち寄りたいのが宇治茶を販売・試飲できるお店です。宇治には、長い歴史をもつ宇治茶の販売店が軒を連ね、本場ならではのおいしい宇治茶が店頭に並べられています。
この記事では、宇治市内にひしめく宇治茶のお店のなかでも、JR宇治駅にほど近い「宇治橋商店街」にあるお店をピックアップしてご紹介します。
中村藤吉本店(なかむらとうきち-ほんてん)
安政元年(1854年)に創業された歴史あるお茶の販売店です。JR宇治駅からすぐの場所に位置し、風格のあるたたずまいは2009年に国の「重要文化的景観」にも選ばれています。
店内には銘茶売場のほか、カフェが併設され、お茶だけでなく、お茶を使ったスイーツも気軽に楽しむことができるようになっています。また、抹茶の原料であるてん茶を石臼で挽いて抹茶にする「挽き茶体験」や自分で挽いた抹茶を茶室で楽しむ「お茶席体験」もできます。
住所 京都府宇治市宇治壱番10
電話番号 0774-22-7800
営業時間 平日・土日祝
 銘茶売場:10:00~17:30
 カフェ:11:00~17:30 (L.O.17:00)
ホームページ http://www.tokichi.jp/
京都宇治茶房 山本甚次郎(やまもと-じんじろう)
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宇治市内で代々茶を栽培する茶農家が、自ら育てた茶葉を販売しているお店です。国の「重要文化的景観」にも選ばれた店舗は、嘉永元年(1848年)に建てられ、当時の茶農家建築を今に残すものとなっています。
店内で販売される茶葉はすべて自社栽培されたものであり、栽培方法も、茶の木に藁で覆いを掛ける「本ず茶園」と呼ばれる、宇治でも数少なくなった伝統的な技法で栽培されたものにこだわって生産・販売を行っています。1年かけて手塩にかけて育てたお茶の新芽を一葉一葉手摘みで収穫して製造された抹茶は濃厚な旨味と甘味が楽しめます。金・土・日限定でオープンしているお店のため、立寄る際には一度確認することがおススメです。
住所 京都府宇治市宇治妙楽36
営業時間 金・土・日の11:00~18:00(※月~木曜日は定休日)
ホームページ http://jinjiro.jp/
上林春松本店(かんばやし-しゅんしょう-ほんてん)
江戸幕府の御用茶師を勤めた上林家の流れを汲むお店です。宇治橋通りに位置する直営小売店には呈茶席が設けられており、落ち着いた雰囲気のなかで抹茶を楽しむことができます。
また、店の隣には「宇治・上林記念館」が設けられており、上林春松家に伝わる歴史資料が公開・展示されています。
住所 京都府宇治市宇治妙楽38
電話番号 0774-22-2509
営業時間 9:00~日暮れまで
ホームページ http://www.shunsho.co.jp/
辻利宇治本店(つじ-うじ-ほんてん)
高級茶の代名詞「玉露」の製法を確立し、近代茶業の発展にも貢献した「辻利右衛門」を初代とする、宇治茶の老舗です。日本各地にある「辻利」店舗は、宇治の辻利からのれん分けや分家として広まっていったものです。
宇治本店では、「こだわりのお茶づくし」をテーマに、飲むためのお茶にこだわった商品が並べられているほか、庭を見渡しながら抹茶や煎茶を楽しむことができるテラス席も設けられています。
住所 京都府宇治市宇治妙楽156
電話番号 0774-21-2121
営業時間
 店舗:10:00~18:00
 茶房:11:00~17:00(LO16:30)
定休日 4月~11月水曜日 / 12月~3月火曜日・水曜日
ホームページ http://www.kataoka.com/tsujiri-ujihonten/shop/
お茶のかんばやし 宇治橋通り本店
江戸幕府の御用茶師を勤めた上林家の流れを汲むお店です。宇治市内に3つのお店を構え、百貨店などでは販売を行わないこだわりを今に貫いています。
1階の売り場では量よりも質にこだわった商品を扱い、宇治市内産の茶葉にこだわった商品も販売されています。2階は喫茶スペースとなっており、落ち着いた雰囲気のなかで抹茶や煎茶を楽しむことができます。
まとめ
観光シーズンになると、宇治市内には多数の観光客が訪れます。今回ご紹介したお店は、観光客の喧噪のなかでも凛とした雰囲気を保つ、風格のあるお店ばかりです。宇治観光は徒歩移動がメインとなるので、一息つくための候補としてもおススメです。
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uji-cha · 6 years
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個性派ぞろい?宇治市ゆかりのゆるキャラたち
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今や全国各地に存在する「ゆるキャラ」ですが、宇治茶で有名な宇治市でも、3匹(?)のゆるキャラが活動しています。可愛らしい見た目や性格も含め、キャラクター設定がゆるすぎる宇治市のゆるキャラたち。この記事では、健気に一生懸命、宇治市のPRに奮闘している彼らについてご紹介します。
お茶の味にうるさい赤ん坊「チャチャ王国のおうじちゃま」
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チャチャ王国(京都府宇治市)88代目王子である「おうじちゃま」は、宇治商工会議所公認のゆるキャラです。茶筅(ちゃせん)のような冠、「茶」と書かれたマント、抹茶味のするおしゃぶり(おちゃぶり?)という赤ちゃんのような出で立ち。そんな可愛い見た目とは裏腹に抹茶を好み、お茶ききができるなど、乳幼児らしくない設定も背負っています。
そんな「おうじちゃま」ですが、「ゆるキャラグランプリ2014」では全国で第5位に選ばれるなど、強豪ひしめくゆるキャラ界のなかでもそれなりの地位を確保しています。「おうじちゃま」が統べるチャチャ王国には、他にも「うじまる」「抹茶っ。(マッチョ。)」などの仲間キャラクターが多数おり、ゆるキャラにしては奥行きのある世界観が特徴です。また、「おうじちゃま」のテーマソングは、Berryz工房の熊井友理奈さんと℃-uteの鈴木愛理さんのユニット「抹茶ーず」が歌うなど、力の入れようが伺えます。
サバサバ系の宣伝大使「ちはや姫」
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「ちはや姫」は、宇治市より宇治市宣伝大使として任命されたゆるキャラです。名前の由来は、和歌の枕詞(まくらことば)である「ちはやぶる(勢いのある様子の意)」から命名されており、名前のように、宇治市が活気ある街になって欲しいという願いが込められています。
宇治市が”宇治茶と源氏物語のまち”と謳っているためか、ちはや姫の衣装は十二単風で、顔立ちは貴族的です。手には巻物を持ち、知的なお姉さんのような雰囲気が醸し出されています。物事をハッキリ言うサバサバした性格、楽天的で自信家というキャラ設定がなされており、平安時代版の「意識高い系女子」と言えそうです。
また、宇治市長から直々に任命を受けて活動を行っているため、市長とのミーティングを頻繁に行っているのが特徴です。ゆるキャラといえども市の大使、教育から若者の雇用、果ては中小企業振興まで、宇治市が抱える様々な課題に日々立ち向かっています。
そんなちはや姫ですが、子どもたちにも優しく、多忙な仕事の合間を縫って、市役所見学の際には必ずと言っていいほど出現しています。
実在するゆるキャラ?「うみうのウッティー」
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「おうじちゃま」や「ちはや姫」は、ゆるキャラ界から現世に舞い降り日々活動を行っていますが、最後に紹介する「うみうのウッティー」は厳密にはキャラクターではなく、実在する生き物です。
宇治の夏の風物詩と言えば、6月〜9月頃に行われる「宇治川の鵜飼」です。鵜飼では、川魚を捕まえるためにウミウという野生の渡り鳥を飼い慣らしてのですが、宇治では2014年6月に、日本で初めてウミウの卵の人工ふ化に成功したのです。
人工ふ化を記念して、孵化したウミウのヒナの名前が宇治観光協会から一般募集され、その際、名前とともにイメージキャラクターも発表されました。その結果、「うみうのウッティー」という名前が与えられ、今後、宇治で生まれたウミウは全てウッティーという名前を引きついで活動していくそうです。
実在する生き物としてのウッティーは、すっかり大人に成長して、2015年9月には鵜飼デビューを果たしました。ゆるキャラとしてのウッティーは、黄色いくちばしとまんまるな目、黒い体に魚を抱えており、なんとも可愛らしい見た目ですが、実際のウッティーは、割と鋭いくちばしとつぶらな瞳、スリムな黒光りしたボディで堂々とした姿をしています。ウッティーと触れ合えるイベントも開催されているので、機会があれば是非、鵜飼の時期に宇治を訪れてみてください。
PRで多忙な宇治市のゆるキャラたち
全国各地では今も、続々と新しいゆるキャラが誕生してはPRのためにしのぎを削っています。ゆるキャラ戦国時代とも言える近年、生き残るためにはしっかりと地域密着を図り、人々の心を掴まなくてはいけません。可愛らしい姿の裏には、宇治市のPRに取り組みつつ、ゆるキャラとしての独り立ちも求められるシビアな事情がある・・・のかもしれません。
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uji-cha · 6 years
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夏の宇治で伝統漁法「鵜飼」を体験!
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川に船を浮かべ、鳥を操りながら川魚を捕獲する伝統的な漁法「鵜飼」。かつてはヨーロッパや中国でも行われていたと言われていますが、現在でも、岐阜県の長良川や京都の宇治川では、毎年夏になるとおこなわれています。
この記事では、宇治の鵜飼の歴史と、私たちの鵜飼の楽しみ方をご紹介します。
宇治の鵜飼は千年前に始まった
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宇治の鵜飼の歴史は古く、平安時代にはすでに宇治川で鵜飼が行われていたと記録があります。
平安時代中期の公卿である藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母が残した、平安時代の生活を綴った「蜻蛉(かげろう)日記」には、かがり火を焚いた数え切れぬ数の鵜舟が宇治川の川幅いっぱいに出ていたと記されています。鵜舟は夜通し鮎漁を行っていたとされており、平安時代には鵜飼によって捕らえられた鮎を、平安貴族が好んで食していたことが伺えます。
現在の鵜飼は約100年前に復活したもの
しかし、平安時代後期になると、殺傷を禁じる仏教の影響から、宇治川での殺生が全面禁止になりました。その後は宇治川で鵜飼は行われていませんでしたが、大正時代になり、数百年の時を経て宇治川での鵜飼が復活。現在に続く、宇治川の夏の風物詩となりました。
現在の宇治川の鵜飼
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鵜飼で使用されるのはウミウという種類の渡り鳥で、鵜飼を行う鵜匠(うしょう/うじょう)は、野生のウミウを捕獲し鵜飼の訓練を行います。野生のウミウは獲物を口に入れるとスグに飲んでしまうため、吐き出させるためには入念な訓練が必要で、宇治川では新しく加入したウミウには初心者マークが。
鵜匠は、追い綱という紐でウミウを操ることで鵜飼を行います。6月後半から~9月ごろまでは、ほぼ休み無しで鵜飼が行われており、多くの観光客の目を楽しませてくれます。冬場になると鵜飼はお休みになりますが、鵜匠にはウミウの世話や訓練などの仕事があり、年間を通して一緒に過ごすことで、鵜匠とウミウは信頼関係を築いています。
2016年時点で宇治川には3名の鵜匠がおり、内2名は全国的にも珍しい女性の鵜匠です。2014年には彼女たちをモデルにしたドラマが放映されたり、警戒心が強く難しいとされていたウミウの人工ふ化に日本で初めて成功したりと、宇治川の鵜飼への注目は徐々に高まっています。
宇治川で鵜飼を楽しむ方法
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宇治川では、夏のシーズンになると夕方から夜に掛けて多くの人が鵜飼舟に乗り込み、伝統的な鵜飼を間近で観賞しています。
宇治市観光協会が出す鵜飼舟は安価に鵜飼を楽しむことができます。週末には早い段階で満席になることが多いので、週末に鵜飼を楽しみたい場合は早めに出かけることをおすすめします。また、料理屋などが出す鵜飼舟では、ゆったりと鵜飼を眺めながら懐石料理を味わう贅沢を楽しむこともできます。
いずれの鵜飼舟でも、単身もしくは少人数で乗り込める「待合舟」と他の方を気にせずにゆったりと楽しむことができる「貸切舟」が用意されていますので、人数に応じて適した船を選ぶことがおススメです。また、鵜飼のシーズンには、鵜飼舟を出しているお店だけではなく、周辺の飲食店やお土産店、旅館なども鵜飼観賞に合わせたお弁当や軽食、スイーツ、お土産などを提供しており、これらも鵜飼の楽しみの一つとなっています。
宇治川の鵜飼は夏になると平日・週末問わずほぼ毎日行われていますが、荒天などで宇治川が増水した際には中地となります。また、鵜飼シーズンの始まりと終わりは毎年日��が違うので、予約時に必ず確認しましょう。
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uji-cha · 6 years
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なんでこんなに値段が違うの?抹茶のグレードとは
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アイスクリームやチョコレートなど、点てて飲むだけではなく様々なシーンで使われるようになった抹茶。買いに行くと気付くのですが、同じお店のなかで、値段がぜんぜん違う抹茶が並べられています。時には、値段が3~5倍違うことも・・・同じ抹茶のはずなのに、どうしてこれほど値段が異なるのでしょうか。この記事では、抹茶の世界に存在するグレードの違いと、その特徴についてご紹介します。
値段が違うのは、手間の掛け方が違うから
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安い抹茶と高級な抹茶の一番の違いは、栽培方法にあります。抹茶の原料となる葉っぱ(碾茶。てんちゃと読みます)は、茶の樹を日光からさえぎって栽培する「覆下(おおいした)栽培」という方法で育てられるのですが、安い抹茶の場合、光を遮る黒い布を1枚、茶の樹に直接被せるのに対して、高級な抹茶の場合、柱を立てて、茶園全体を黒いテントの中に入れてしまうように育てます。そして、光をしっかり遮るために、黒い布も2枚使います。茶の樹に直接布を被せてしまうと、葉っぱは頭から押さえつけられるように育ってしまいますし、葉っぱと布がこすれ合って傷がついてしまいます。一方、茶園をテントのように覆うと、葉っぱはのびのびと育ち、布とこすれて傷つくこともありません。
栽培方法だけではなく、収穫方法も大きく異なります。安い抹茶はバリカンのような機械で刈り取られてしまいますが、高級な抹茶は、葉っぱを1枚ずつ手で摘んで収穫します。機械で刈り取ると、枝やゴミなど余計なものも巻き込まれてしまいますが、手摘みで収穫すると、質の良い茶葉だけを集めることができるのです。
そして、高級な抹茶は収穫する時期にもこだわりが表れています。お茶は1年に2~3回収穫することができ、一番最初に収穫する葉を一番茶と呼び、その後、二番茶、三番茶、と収穫時期が遅くなるにつれ、茶葉の質は落ちていくと言われています。
安い抹茶に使われる葉は、夏から秋にかけて収穫されるものであることがほとんどです。一方、高級な抹茶の葉は、一番茶だけにこだわっていることがほとんどです。
安い抹茶と高級な抹茶の違い
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安い抹茶と高級な抹茶で値段が大きく違ってくるのは、栽培に掛ける手間の違いだということをご紹介しました。では、こうした手間によって、味や色はどう変わってくるのでしょうか。品質の違いを具体的にご紹介します。
香り・・・安い抹茶は香ばしく、高級な抹茶は甘い
安い抹茶の特徴は、仕上げ加工の際に生じる香ばしい香りです。お茶の世界では、お茶を報じることで生まれる香りを火香(ひか)と呼び、番茶などでは好ましい香りとされていますが、抹茶に火かの場合は、お茶そのものの香りを楽しむことが大切にされるので、火香は邪魔になってしまいます。高い抹茶は、上品で深みがあり、奥ゆかしい甘美な香りになってくるのが特徴です。
色・・・安い抹茶は赤っぽく、高級な抹茶は鮮やかな青緑色
誰の目にも明らかな違いは、抹茶の色です。高級な抹茶では、本当に鮮やかな青緑色になるのですが、安い抹茶では赤色や黄色が強くなり、全体的にくすんだ色になってしまいます。
味・・・安い抹茶は渋くて苦い、高級な抹茶にはコクと強いうまみ
味の違いも歴然です。抹茶の特徴は奥ゆかしい渋みですが、安い抹茶になると渋いだけで、苦い味が先行します。一方、高級なあっちゃは渋みがほとんどなく、深いコクが感じられます。抹茶というと渋みをイメージしてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、高級抹茶には豊かな甘みがあります。これは、日光をしっかり覆うことで、うまみ成分である「テアニン」が豊富になることで生まれる味なのです。
安い抹茶は食品加工に、高級な抹茶は茶道に
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栽培方法の違いが味の違いになることをご紹介しましたが、その結果、安い抹茶と高級な抹茶では使われ方も大きく変わってきます。
一番安い抹茶(3,000円/kg~)は、抹茶チョコレートや抹茶ラテなど、食品加工に使用されることが特徴です。こうした業務用の安い抹茶になると、産地や生産者が明記されていないことも少なくありません。
中程度の抹茶(5,000円/kg~13,000円/kg)は、一缶(50g)あたり300~650円ほどの抹茶になります。こうした抹茶は、一番茶からひとつグレードを落とした茶葉から作られることが多く、スイーツの仕上げに振りかけられたり、茶道のお稽古で使われることが多くなります。
上等な抹茶は一番茶で作られたものが多く、主に茶道用として用いられます。茶道で出されるお茶には薄茶と濃茶がありますが、薄茶で使われる抹茶は50,000円/kg~、濃茶で使われる抹茶は150,000円/kg~ほどと、他の抹茶と比べて別格の存在です。
用途によって選ぶ抹茶は様々です。自宅でお抹茶を楽しみたいときには、中程度以上のものを、抹茶を使ったお菓子やドリンクを作りたい場合は、もう少しカジュアルなものを選ぶことがおススメです。
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uji-cha · 6 years
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趣味からスキルアップまで。日本茶に関する資格あれこれ
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800年近く歴史のある日本茶は、味や種類もさることながら、文化や伝統の面でもとても奥深く、魅力に取りつかれてしまった人も多いのではないでしょうか。
そんな日本茶の知識を学ぶよいきっかけになるのが、「日本茶検定」や「日本茶インストラクター」などの資格試験です。日本にはお茶に関する試験は複数あり、仕事でのスキルアップから知識の探求まで、受験の目的によってさまざまな選択肢があります。この記事では、日本茶に関する資格とその特徴をご紹介します。
日本茶好きならまずはこれ。「日本茶検定」
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日本茶検定は、NPO法人日本茶インストラクター協会が認定する検定試験です。幅広い人々に日本茶の奥深さや魅力をもっと知ってもらうきっかけとして、2009年からスタートしました。この記事で紹介する3つ資格のなかではもっともビギナー向けの資格で、試験は年に3回開催され、インターネットで受検することができます。日本語と簡単なパソコン操作ができれば受験可能であることが大きな特徴です。
出題は日本茶検定の公式テキストである『日本茶のすべてがわかる本』から100問出題され、○か×の2択で答えます。回答は1問1点で採点され、60~74点だと3級、75点~89点は2級、90点以上だと1級と認定されます。また、それぞれの級ごとに合格証が発行されます(3級はブルーカード、2級はシルバーカード、1級はゴールドカード)。
実務にも役立つ「日本茶インストラクター」
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日本茶インストラクターは、NPO法人日本茶インストラクター協会が認定する資格で、日本茶に関する専門的な知識を有することを示すための資格です。日本茶インストラクターにはカフェのプロデュースやカルチャースクール等の講師など、人を指導する役割を期待されているため、知識を確かめる日本茶検定よりも、より実務資格としての側面が強くなります。
試験は年に1回行われ、筆記試験の合格者のみ実技試験が行われます。筆記と実技両方の試験合格者が日本茶インストラクターと認められ、最終的な合格率は約35%となっています。また、日本茶インストラクターよりも一段階初級の資格として「日本茶アドバイザー」という資格もあり、こちらの合格率は約80%となっています。
日本茶の伝道師。「日本茶鑑定士」
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日本茶に関する資格の中でも最も高難易度なのが、日本茶鑑定士です。日本茶鑑定士とは日本茶鑑定士協会が認定している資格で、初めて認定されたのは2009年、認定者は39名でした。別名「日本茶の伝道師」とも呼ばれ、日本茶を次の世代や世界へと伝えることや、業界を盛り上げていくことを期待されています。
日本茶鑑定士には、日本茶に関する幅広い知識だけでなく、茶葉の品質を見極めるための技術や経験が問われます。そのため、認定のための条件も非常に厳しくなっています。
日本茶鑑定士になるには、まず、全国茶審査技術競技大会で、上位入賞及び5段以上の段位の取得が必須となります。そしてその後、2年以上の研修を受けることで、はじめて日本茶鑑定士と名乗る資格が与えられるのです。2年間の研修期間には、日本茶のことだけでなく、同じ嗜好品であるコーヒーなどの研究プログラムも含まれていて、飲む嗜好品に関する幅広い知識が求められます。
日本茶鑑定士の登竜門となる全国茶審査技術競技大会とは、全国茶業連合青年団が主催する競技会です。大会では、味だけではなく、茶葉の見た目や香りから産地や品種を審査・鑑別する技術が求められ、計4つの審査が行われます。各技術10点ずつ、40点満点の総合得点で競われ、得点により段位が授与されます。
まとめ
日本茶に関する資格は複数ありますが、試験で求められるスキルや知識は様々。仕事のためだけでなく、趣味で受験することも可能です。また、資格によっては、協会が取得のための通信講座を行っているものもあり、初心者でもどこから手を付けて良いのかと迷うことなく勉強を始めることができます。
初心者の方でも難易度の易しいものから少しずつ挑戦していくことができるようになっているので。興味がある方はテキストや協会のホームページなどを調べてみてはいかがでしょうか。
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uji-cha · 6 years
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お茶に浮かぶホコリの正体は?実は上質なお茶の証!
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お茶を淹れた際に、表面に白いホコリのようなものが浮かんでいたという経験はありませんか?これは空気中に漂うホコリがお茶の上に落ちたもの・・・ではなく、「毛茸(もうじ)」と呼ばれる新芽特有の産毛なのです。これは、緑茶のなかでも上質なお茶ほどよく見られるもので、実はお茶の品質を私たちでも見極められる目安にもなるのです。そこで今回は、お茶に浮かぶ白いホコリの正体、「毛茸」についてご紹介します。
毛茸は、茶葉の新芽を守るためのもの
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茶葉の新芽は、裏側が細かい産毛で覆われており、周囲の環境から茶葉の成長を守る役割を果たしています。この柔らかい産毛のことを「毛茸(もうじ)」といいます。茶葉の品種によって毛茸の密度に違いはありますが、摘み取られた新芽の裏側を見ると、肉眼でも確認することができます。新芽特有の特徴である毛茸は、茶葉の成長とともにだんだん薄くなり、やがて消滅してしまいます。
お茶を淹れた際に、お茶の表面にホコリのようなものが見えてしまうのは、茶葉に付着してわずかに残っていた毛茸が表面に浮かびあがったからなのです。したがって、毛茸が浮いているお茶は新芽の時に収穫されたお茶の証であり、上質なお茶の条件を満たしていると言えるでしょう。
上質なお茶の条件とは?
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日本国内では数多くの緑茶が生産されています。お茶は植物なので、収穫直後の葉っぱは多くの水分を含んでいます。水分を含んだままにしておくと味や香りが変化してしまうので、新鮮なうちに熱処理を施し乾燥させて水分を極限まで下げることが、緑茶の製造工程で重要です。
大量生産されたお茶の場合、茶葉を機械的に処理してしまうため、熱処理や乾燥などの製造過程でそのほとんどが取り除かれてしまい、産毛である毛茸が茶葉に付着して残ることは稀だと言われています。一方、新鮮なうちに摘み取られた新芽を一枚一枚手摘みで収穫し、人の手で少量ずつ丁寧に加工された新茶では、茶葉の扱いがやさしいため毛茸が残ったままお茶として製品化されることになります。つまり、ホコリが浮かぶお茶は、煎茶や玉露などのお茶の種類に関わらず、生産量もわずかで希少価値の高いお茶なのです。
毛茸は中国茶でも高級茶の証
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お茶の起源とされる中国茶には、白くて長い毛茸を独自の製法でわざわざ残した「白毫銀芯(はくごうぎんしん)」と呼ばれる高級茶があります。幻のお茶ともいわれ、毛茸が密生している白い芯の部分のみを使ったお茶として知られています。この白い芯のことを、中国語で「白亳(パイオウ)」と呼び、中国の人々の間では古くから珍重されてきました。毛茸は、日本で親しまれている緑茶だけでなく、中国茶においても希少性が高い高級なお茶の証なのです。
まとめ
この記事では、お茶に浮かぶホコリの正体「毛茸」についてご紹介しました。新茶を淹れたら、明るい場所で水面をそっと揺らしてみてください。きらきら光る白いホコリのようなものが浮かんでいたら、それが新芽の産毛である毛茸です。そのまま味わってみると、高級な新茶独特の深いうま味と甘味を堪能することができるでしょう。
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uji-cha · 6 years
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緑茶だけじゃない!おいしい「ご当地茶」3選
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日本国内で生産されるお茶といえば緑茶が一般的ですが、全国には茶葉の特性をいかした美味しいご当地茶が数多くあることをご存知でしょうか。独自の製造法によって作られるご当地茶は、緑茶とはまったく異なる味わいをみせてくれます。そこで今回は、美味しいご当地茶のなかでも特におすすめの3選をご紹介します。
どんなお茶も、同じ「茶の樹」から作られる
ツバキ科の常緑樹である茶の樹は、品種の違いによって緑茶や紅茶、烏龍茶に加工されます。緑茶は、烏龍茶と同じ中国種の茶の樹から作られ、紅茶は発酵しやすいアッサム種が適しているそうです。現在、日本で栽培されている茶の樹のほとんどが、緑茶として加工され出荷されています。
また、お茶は、加工工程の違いにより「不発酵茶」「後発酵茶」「発酵茶」の3種類に分類されます。緑茶は、茶葉を新鮮なうちに熱処理をほどこし加工する不発酵茶です。烏龍茶は、半発酵させた後加工する後発酵茶であり、紅茶は茶葉を充分に発酵させたのち加工する発酵茶です。
つまり、緑茶や紅茶、烏龍茶などを分けるのは、茶葉の加工方法の違いであり、元をたどると、同じ「茶の樹」の葉っぱを使って作られているのです。そして、今回ご紹介するご当地茶は、紅茶や烏龍茶のように、発酵させたお茶となります。
高知県の発酵茶「碁石茶」
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高知県大豊町で���られている発酵茶「碁石茶」は、全国のご当地茶のなかでもと特に早い段階から有名になったお茶です。日本国内で製造される唯一の発酵茶であり、中国の山岳民族が好んで飲んでいた「酸茶」がルーツとされています。独特の酸味と香りが特徴で、黒い茶葉が重なった姿が碁石に似ていることから「碁石茶」と呼ばれるようになったそうです。
碁石茶の原料となるのは、山茶と呼ばれる茶の樹です。碁石茶の特徴は、新芽だけでなく枝も含めて全てを刈り取り使うことが特徴のひとつ。また、碁石茶の製法は複雑で、蒸した後に2度の強制的な発酵過程を経てカビ菌の発生と乳酸菌の発酵を促します。新鮮なうちに摘み取り発酵を抑制する緑茶とは、大きな違いがみられます。さらに、時間が経過するほど味がよいとされる碁石茶は、新茶ではなく1年物や2年物が特に好まれます。
徳島県の後発酵茶「阿波番茶」
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阿波番茶は、徳島県内の限られた地域で生産されているご当地茶です。一般的な緑茶は、5月初旬から収穫が始まり、特に早い段階に収穫される茶葉を一番茶として珍重しますが、阿波番茶で用いられる茶葉は、わざわざ7月下旬まで待って摘み取り加工を行います。また、阿波番茶は乳酸菌発酵を促した後発酵茶というお茶であり、日本国内でも珍しいタイプのお茶になっています。
阿波番茶の製造法は、摘み取った茶葉を釜茹でした後、手押し茶擦り器でじっくりと揉みます。揉まれた茶葉を専用の桶に敷き込み、漬け物と同じように重しをして漬けこむのです。そのまま2~3週間経過すると、桶のなかでは乳酸菌の発酵がすすんでいきます。晴天の日を選んで取り出し、筵の上に広げて乾燥させると阿波番茶の完成です。
阿波番茶は、黄金色に輝く透き通った色合いと独特の甘みが魅力のお茶です。アミノ酸が豊富に含まれている一方で、緑茶に多いカテキンやカフェインが少ないことも特徴のひとつ。緑茶独特の渋みが苦手な方には、おすすめのご当地茶といえます。
富山県の後発酵茶「朝日茶(バタバタ茶)」
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朝日茶は、富山県で生産されているご当地茶です。バタバタ茶とも呼ばれ、独特の風味が特徴である後発酵素に分類されます。
朝日茶の製造には、春先の新芽ではなく7月下旬から8月にかけて成長した茶葉を使用します。枝ごと収穫した茶葉を黄色くなるまで茹であげた後、筵に広げて日陰で乾燥させます。その後、「むろ」と呼ばれる箱のなかに敷き込み、人の足によって踏み固めます。そして、一定の温度を保つために板で囲い発酵を促しながら、4日おきに切りかえしを行う作業工程を繰り返すことで徐々に熟成してさせていきます。最後に天日干しで乾燥させると、朝日茶の完成となります。
朝日茶は、お茶の製法だけでなく飲み方も特徴的です。煮出したお茶に塩をひとつまみ入れ、茶筅で泡だてて飲むのですが、あわただしく茶筅を振る動作から、「バタバタ茶」という別名が付いたと言われています。
まとめ
ご紹介したご当地茶は、限られた地域で生産されており、独自の製法が受け継がれてきた希少なお茶です。健康志向が高まるなか、時間と手間をかけて熟成された発酵茶が注目を集めています。この機会に、是非ご当地茶を味わってみてはいかがでしょう。
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uji-cha · 6 years
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あなたの飲んでるお茶は何茶?「茶香服」の楽しみ方
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私たちの身の回りには、緑茶だけではなく、烏龍茶、紅茶、ジャスミン茶、麦茶など、味も香りも違うお茶がたくさんあります。これらのお茶を目隠しして飲んだら、あなたは違いを全部当てることはできますか?
ジャス��ン茶や麦茶は、味にハッキリした特徴があるので分かりやすいかもしれません。では、煎茶と玉露ではどうでしょうか。あるいは、宇治茶と静岡茶では・・・ここまでくると、相当難しいかもしれません。
日本ではかつて、お茶の銘柄や産地を言い当てる「茶香服(ちゃかぶき)」というゲームが貴族や僧侶の間で盛んに行われてきました。今でも、宇治や静岡といったお茶どころでは、お茶づくりに携わる人たちが味のセンスを磨くために取り組んだり、「きき茶」という名前で楽しまれたりしています。今回は、そんな「茶香服」についてご紹介します。
元々は中国で始まった遊び
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茶香服の起源は、古代中国の唐時代まで遡るとされています。お茶文化の発祥の地である中国では、お茶の銘柄や産地だけでなく、煎じるために使った水までを言い当てる「闘茶」と呼ばれる遊びが盛んに行われていました。
私たちが飲むお茶の原型は、今から800年ほど前(鎌倉時代)に中国から日本に伝えられたと言われていますが、そのとき、お茶の製造法とともに、闘茶の風習が日本にも持ち込まれ、現在の茶香服になったようです。当時は、京都・栂尾(とがのお)で作られたお茶を「本茶」、それ以外の産地で作られたお茶を「非茶」と呼んでいましたが、本茶と非茶を飲み分ける遊びとして楽しまれていたようです。
室町時代になると、お茶文化の広がりにあわせるように、茶香服が武家の間で盛んに開催されるようになります。そのあまりの過熱ぶりに、当時の室町幕府は「茶香服禁止令」を出すほどだったそうです。幕府のお触れによっていったんは沈静化したかにみえた茶香服ですが、江戸時代になると茶道の鍛錬の一環として見直されるようになり、現在に伝わるスタイルに定着したといわれています。
茶香服のルール
茶香服では、産地や銘柄の異なる5銘柄の茶葉を用意します。基本的な茶葉は、玉露2種と煎茶3種が一般的です。それぞれのお茶の銘柄に対して、「花」「鳥」「風」「月」「客」と仮の名前を付けて、参加者には飲んでいるお茶の銘柄がわからぬように順不同で煎じて出されます。参加者は、一煎ごとに飲んだお茶が「花」「鳥」「風」「月」「客」のどれかを判定します。
5種類のお茶を全ての参加者が飲み、参加者全員が判定した時点で1回目の終了となります。この手順を5回繰り返し、より多くの銘柄を当てることができた人が勝ちとなります。このルールは5種の銘柄を5回見極めることから「5種5煎法」と呼ばれていますが、飲む回数を3回に減らした「5種3煎法」を行うこともあります。
採点方法は、煎じられた順に煎じ手から発表され、自分の選んだ銘柄が正解ならば1点となります。ちなみに、5種全て正解した5点の場合は「皆点」と呼ばれ、逆に全て不正解の0点は「チョット」と呼ばれます。合計点を競う単純なゲームですが、お茶に対する繊細な味覚を試される奥深い遊びです。
準備は簡単!気軽に始める茶香服
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茶香服は、お茶のイベント会場や専門店などで定期的に開催されています。茶香服には決まった作法もなく、誰でも遊びを楽しめることが魅力のひとつ。自宅でも、準備を整えれば茶香服を開催することができます。
自宅で茶香服を行う場合、まずは、5種類の茶葉を用意します。玉露や煎茶が一般的ですが、お茶の味が分かりやすい玄米茶やほうじ茶を加えてもよいでしょう。
茶香服をするときのポイントは、参加者が飲むお茶の味や色をなるべく揃えてあげることです。また、お茶の繊細な香りや味を飲み分けるゲームなので、味が混じらないように、参加人数にあわせて充分な数の急須と湯呑みを準備する必要があります。
正式な茶香服では、名称が記された茶銘札や投札箱が用いられますが、自宅で行う際には、簡単な解答用紙さえあればよいでしょう。煎じ手の発表に一喜一憂しながら、お茶の味わいや香りの違いを楽しんでみてはいかがでしょう。
宇治市内で茶香服体験ができる場所3選
お茶文化が盛んな宇治市内には、気軽に茶香服体験ができるおすすめの場所があります。
  1.公益社団法人 京都府茶業会議所
「5種5煎競技」は参加費用2,000円で約2時間、「5種3煎競技」は参加費用1,500円で約1時間半の開催となります。完全予約制で、参加人数には限りがありますので、早めに申し込むことをおすすめします。他にも、お茶の淹れ方教室が開催されています。
住所 〒611-0023京都府宇治市宇治折居25番地2 宇治茶会館
電話 0774-23-7713
2.宇治茶道場「匠の館」          
「5種5煎競技」は、参加費用1,500円で約2時間、「5種3煎競技」は参加費用1,000円で約1時間半の開催となります。こちらも予約制ですので、まずはお問い合わせください。
住所 〒611-0021宇治市宇治又振17-1
電話 0774-23-0888
3.福寿園宇治茶工房          
参加費用は1,620円(税込)で、専門の講師によるお茶の知識も併せて学ぶことができます。予約制で受け付けており、各回10名の定員になり次第、締切となります。
住所 〒611-0021京都府宇治市宇治山田10
電話 0774-20-1100
いかがでしたか?この記事では、お茶の味わいや香りの違いを楽しめる茶香服についてご紹介しました。茶香服の「かぶき」とは、遊びのこと。お茶を気軽に楽しみたい庶民の気持ちのあらわれともいわれています。
また、茶香服は、お茶の品質向上や普及を願うお茶業者によって全国各地で現在でも行われています。この機会に、茶香服に参加してお茶の真髄を味わってみてはいかがでしょう。
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uji-cha · 6 years
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日本各地の様々な茶園の風景
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新茶の季節、お茶の新芽の萌黄色は目にまぶしく、その茶園の風景を楽しみに茶園を訪れる人もいます。茶園と聞いて私たちが思い浮かべる景色は、かまぼこ型に整えられた茶畑が山並みのように連なる風景ですが、日本には、萌黄色の茶園とは反対に、茶園を黒く覆ったり、大量の藁を茶園に敷いたり、古くから受け継がれてきた独特の茶農法を行う地域もあります。この記事では、特に特徴的な3つの茶園の風景をご紹介します。
京都・宇治でみられる「自然仕立て、覆下栽培」
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新茶の頃、京都・宇治の茶畑を訪れると、真っ黒なテントのようなものがたくさん建てられていることに気づきます。実はこのテントの中でお茶が栽培されているのです。
茶の樹に黒色の覆いを被せて、日光を遮りながら育てるこの方法は「覆下(おおいした)栽培」と呼ばれる農法です。3月に新芽が出た後、収穫までの約1か月間、茶畑全体を覆うことで葉に届く日光の量を制限します。こうすることで、お茶の渋みを抑えると同時に、うま味の強いお茶になるのです。
もともとは、春の冷え込みで新芽が霜焼けしてしまうことを防ぐために始められたと言われていますが、覆いを被せることでお茶の風味が良くなることが分かり、宇治を中心に広く行われるようになりました。日光を遮ることで葉緑素が増加し、お茶の色は黄緑色から色鮮やかな深緑色に変化します。また、お茶の葉っぱにアミノ酸が蓄積されることで、うま味や甘みが多いお茶になります。このように育てられたお茶の葉は、抹茶の原料である碾茶(てんちゃ)や、玉露として出荷されていきます。
また、茶畑というと、きれいに剪定されたかまぼこ型のイメージを持つ人も多いかと思いますが、宇治の茶園では、枝が太陽の方向に向かって真っすぐと、自由に伸びています。これは自然仕立てと呼ばれるもので、茶樹本来の力を生かし、茶葉を手摘みで収穫するときの方法で、通常は一番茶だけを摘んで、高級茶の茶葉になっていきます。
静岡の世界農業遺産「茶草場農法」
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お茶の生産量日本一の静岡県では、茶畑の周囲に原っぱが点在しています。これはただの空き地ではなく、静岡の茶畑に独特の「茶草場」といわれる草刈り場なのです。
秋から冬にかけて、静岡のお茶畑では茶草場の草を刈って畑の畝間に敷く作業が行われます。夏には草木が自然に茂っているように見える茶草場ですが、この時期にはきれいに刈り込まれ、束ねられて干してある風景が見られます。茶草場で刈られたススキやササなどを畑に敷くことで、有機物としてお茶の樹に栄養をもたらし、お茶の味や香りが良くなるといわれています。
茶畑に草を敷くこの農法は、2013年に「世界農業遺産」に認定されました。現在では静岡県の中西部(掛川市・菊川市・島田市・牧之原市・川根本町)で行われており、総面積は約300ヘクタールほどと推計されています。
まるで外国?鹿児島の茶畑は地平線まで続く
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鹿児島のお茶の生産量は静岡に次ぐ第2位。温暖な気候を生かし、3月末ごろから出荷が始まる新茶は日本一早い新茶として知られています。
鹿児島県の茶園の特徴は、平坦な土地に地平線まで広がるスケールの大きさです。宇治や静岡といった昔からの茶産地では、山がちな土地を切り拓いて茶畑を作りましたが、鹿児島では機械作業のしやすさを考えた茶畑が作られてきました。
また、鹿児島は他の茶産地よりも気候が温暖で、一番茶、二番茶だけでなく、三番、四番茶、秋冬番茶まで生産され、お茶の生産量増加につながっています。摘採期間が長く、低コストで栽培される鹿児島のお茶は、私たちが気軽にお茶を飲める縁の下の力持ちとなっているのです。
まとめ
新茶の季節になると、テレビなどではお揃いの格好をしてお茶摘みをしている人の姿がよく映し出されます。しかし、お茶の栽培方法は手摘み以外にも様々であり、茶園の様子も地域ごとに異なっています。お茶は先人たちの知恵でもあり、あるいは現代のテクノロジーの賜物でもあります。各地の農法や摘み取りの様子を知ることは、お茶の味わいを知る良い機会になるかもしれません。
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