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uniudonuni · 4 years
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日記 2020611
・思ったこと書いてたら1時間経ってた。適当な文かせたらピカイチだな!
・やりたいことってなんだろな、最近よくぼんやり考えるよ。嬉しいこと楽しいこと面白いことたくさんあるけど、役者になったのはなんでかな。短い人生、なんだかんだでお芝居が一番長く続いていて、まぁ将来の夢!職業!っていうより本当に役者っていう生き方を選んだわけだけど、よく自分でもなんでなのか分からなくなる。
・音楽とか絵とか文章とか写真とか、創作のアウトプットって色々あるじゃん?全部傍から見るのもやるのも好きなんだけど、自分がなんで役者をにしたのか。目立ちたかったのかな…カッコよかったし憧れだったから?でも「いや〜あれはテレビの向こうの人達とかがやるもので自分とは関係ないっしょw」って思ってたけど、なんで俺がやろうとしちゃダメなんだよ!俺の可能性を否定しやがって!って感じで始めた気がする(多分違う)
・よく言われるけど始めるきっかけなんてなんでもいいんだよな。もしかしたらちょっとやりたいかも…くらいでも1回やってみないと分かんないよね。おじさん既にもう新しいことを始めようとするとしり込みしちゃうけどその度に は??なんでやりたいかもしれないこと最初から諦めるんだ!って自分にキレてる。おかげさまで22歳で大学2年生です(今年23)。
・芝居を始めてよかったなってとても思う。この先どうなろうとも、始めた時から今まで好きだなぁって思えることを続けられてるのってすっごく素敵なんだ。環境に感謝。昔の話だけどでも好きなことしてんのに精神的にボロボロになるのってどうなんだろうね?結果的には今はいいからいいし一回経験しといてよかったって思うけど。でもどうなんだろうね!?
・同じところに定住していられない人間だから、色んな場所を転々としてその度に色んな人に迷惑をかけた気がする、ごめんなさい。さすがにちゃんとひとつは根っこを作ろうと思って入れてもらった劇団がやっぱり好きで、自分が芝居をする、したい理由の大半を占めてるかもしれない。実は金曜の夜の集会がなかったら俺はお芝居続けてない、マジで(マジで(マジで))。あー、なんで始めたかはやっぱりぼんやりしてるけど、今は好きな物のために頑張りたいのかな?もちろん自分が芝居するのが好きだから、お芝居とか演劇に関わっていることが好きだからっていうのもとってもある。でも、自分の好きなものを おら!見てくれ!いいだろこれ!って人に見てもらいたい、えーいいじゃんって言って欲しくてやってるとこあるかもな。ちがうかな?いやそう。のし上がるんだわこれから、幸い顔面と脳みその能力がそこそこ高いから擦り切れるまで使いたい。
・顔面がいいってよく言われるからよく言われますってよく言うんだけど、正直こんなん人によって好みの分かれる顔面だし硫酸かけられたら終わりだしそんなものより大切なものは確実にある。持ってるものに感謝はしてるしめちゃくちゃ便利に使うけど、やっぱり知識や教養から来る人間性とか感受性(感受性って実は人間性じゃね?)も大事にしなきゃただのポンコツ。自分の頭でしっかり考えること。まぁのらりくらり生きるだけなら全然いらないんだけど。
・身体とか滑舌とか喋り方とか外見とか服装とか動きとか運動能力とか、自分の身体に関する鍛えられるパラメーターはなんでも鍛えたいし、鍛えるのめちゃくちゃ楽しい。できることを増やす、昨日出来なかったことを今日できるように、×や△をどれだけ〇変えられるかが人生だ。
生きてると、本当にただ生きてるだけのつもりなのに悲しくなることがあるよね。なんでタピオカもスタバも飲まずに捨てるんだろうね、なんでゴミをそこに置いていくんだろうね、なんで一人をずっと愛せる人とそうじゃない人がいるんだろうね、なんで月を見なくても生きれる人がいるんだろう、なんでリアルを架空の世界と勘違いしちゃうんだろうね。
なんで朝寝て夜起きる人がいるんだろうね!!!!!チクショー!
俺は正直みんな自由に生きればいいし争いも無くなんなくていいよ〜って思ってて、感謝も謝罪もしなくていいし夜中だからって赤信号で渡ってもタピオカ捨ててもいいよ。でも自分の頭で考えることだけはやめちゃダメだと思うんだよね。あなたが今抱いてる怒りは本当にあなた自身のもの?誰かの怒りを勝手に借りて勝手に使ってない?って本当によく思う。それぞれがそれぞれの個人的な美意識とか哲学とかは、あった方がいい。それがないせいで、今を生きることは絶望が前提になりすぎている。
タピオカは捨てるな!うまいだろうが!
タピオカで思い出したんだけど最近はよく食っていけなきゃいけねぇよなぁ…って考えるようになっ(てしまっ)た。残念ながら食っていけねぇんだわ今は。まぁちゃんとのし上がったら食えるだろ。自分の頭でちゃんと考えろって言った自分はもう死んだ。
好きなことしてられるっていっても、やっぱり外に出るにつれて制限が増えていくなって思う。別にそれならそれで生き方はあるし、なんでもやんなきゃ分かんないんだけど、基本ビビりでめんどくさがりだから制限に慣れようとしちゃうところがある。世の中こんなご時世だからよく思う(よく思う事が多い)けど、ルールは作る人が一番強くて、ルールを知ってる人が次に強い。一番弱いのはルールを把握してない人だよなぁ。これ当たり前だけど本当にそう、文句言うのもルールを把握してない人。だからさ、自分のルールは自分でつくれるから、やれる範囲でやりたいことやろうぜ。やりたいことしてる君が好き。もちろん自分が好き。
なおあきくんは寝坊は時々しちゃうけどちゃんとお礼も言えるし謝れる子だし赤信号で渡らないしタピオカもよく飲むから許して欲しい。許して…。
今年の私は、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科2年生、金曜の夜の集会の俳優、マウスプロモーション附属俳優養成所2年生です。これに加えてバイト2つと創作とチャイルドラインとプライベートの事してってしてたら本当に忙しいね。忙しいね…??残念ながら忙しいが俺は全力で遊ぶし全力で推しを応援するぜ、友達はみんな推しだし推してるやつはだいたいともだち(?)お金とかじゃなくてバイトもう一個増やしたいんだよね。人工のフッ軽だからほんと気を抜くと引きこもるけどなるべく頑張る。
実は本当に推せる人がいるってスゲーなって思うんだよね。思うって使いすぎわろた。自分がファンになれるってすごいありがたい事だしやる事だいたい肯定しちゃうし自分も頑張ろう!ってなれるのすごい。今はまだ数少ないファンの方には感謝です。ここまで読んでたらもう俺のファンだからこれからも推してください。よろしくお願いいたします。敬具。
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uniudonuni · 5 years
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2019年11月1日(金)/『JOKER』を観た
今日は朝からジョーカー観た。やっと観た。
前々から人から言われて気になってたのもあって、この1ヶ月前情報を極力入れないようにしてから観た。結論からシンプルに言えば好き、だけど好きと言えない、この物語を観て、「好き」だと言ってしまうほど愚かにはなるべきではないのかなと思う。アーサー自身はめちゃくちゃに好きだけど、言ってはいけないの方が近いかも。
感想なのでもちろんネタバレもする。
まずアーサー自身の悪としての行動が受身的なきっかけが多いのに対して(不良が絡んできたから、恨んでた相手が家に来たから、たまたまTVに呼ばれたから、ジョーカーという名前さえも)、それを受けた勝手に扇動される側の人間(世間というほぼ全ての我々)は積極的に行動に起こし、加担し、広げる。盛り上げ、手に負えないところまで行く、自分たちの象徴として1人を掲げてその後ろにいる形でめちゃくちゃにする。っていうところは世間と個人の対比だなと思うし、他人を使うことによってアーサー自身の内面が映画的にさらに分かりやすく伝わってくるのがうまかったと思う。この映画を観てアメリカで厳重に警戒されたって言うのもわかる気がするし、だからこそ日本では起きえないんじゃないかなって思う、悪い意味で。
全体的に、アーサーというか、転がり落とされ負担を強いられ、病気にも環境にも苦しんでいる、その人間の内面の描写が主だった。
絶対的に言えるのは、アーサー/ジョーカーは壊れてる訳でも壊れた訳でもない、彼の感じ方も価値観も行動も、そうするしかない それ以外にない そうせざるを得なかったものだし、選択肢も、選択肢を選ぶための思考も削られていく、倫理的に見れば正しくない事も、そんな綺麗事でまとめられる程人間個人個人は簡単なものでは無いな。正常な思考で正常な判断ができれば変わったのか?とも一瞬思ったけど、あれは別に異常なものでもなんでもない。正常↔異常で比べられるようなものでは無い。あれが、人間としての思考回路の一つだと言うしかない。「正常な思考回路を持っている」と勝手に思っている我々が、彼らを「異常だ」と決め付けてしまっているだけだ。
そしてそこをある意味で正しく理解できない人間たちが、ジョーカーを作り出す。彼の頭の中で考え起こったことはあるにせよ、彼自身はただ彼として生きていただけだ。でも理解できないことが悪いとも、間違っているとも言い切れない世界の構造は明確に存在する。それこそ、「善悪の判断は人の主観でしかない。」/「自分の人生は悲劇だと思っていたが違った、これは喜劇だ。」
母親 ペニーフレックの抱えていた妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害は、その名前が出た瞬間から彼女の象徴(逆か?障害の象徴としての彼女)になり、アーサーは彼女を殺す事で自分の中にある彼女/障害と決別したように思えた。そしてそれ以降、悪になる気も染まる気も自発的にはなかった彼が、ジョーカーとなり迷いながらも表面的には迷いを捨て、自分に正直な行動をするようになる。
ジョーカーは善悪で見れば悪だろうし、悪役としての行動も、魅力も、カリスマ性も持ち合わせていると思う。でもアーサーは、そんなもんじゃない。
あぁ、さっき障害と決別したって書いたけど、ここまで来てもしかしたら障害を受け入れたのかもしれないな。自己愛性パーソナリティ障害については個人的にこの1年間で調べてたから読めるところではあるんけど、彼の中で誇大的自己(ジョーカー)と無能的自己(アーサー)に分裂していたのかもしれないな。自己愛性人格障害は、別に切り替えるつもりも演じてるつもりもなくただ自分が分裂している状態で、だからこそ終盤まではずっとアーサーが行動し、彼女と決別か受け入れた瞬間��、彼がジョーカーでいられるようになったのかも。そこにアーサーとしての迷いはあっても、ジョーカーとしての迷いはない、彼は彼自身が本当に思うように行動していたんだな。
アーサーはずっと泣いていた。診療を受けている時も、子連れの母親に拒絶された時も、ウェイン社の人間に絡まれた時も、仕事をクビになった時も、彼は一度も笑ってなんていなかった。そして母親の診断書を見た時に一瞬泣き、障害を受け入れた。そこからは、ジョーカーを受け入れてからは泣くことはなくなった。
感想を書いていてもやっぱりアーサーとジョーカーに関することが多くなるな。
音楽に関しても、あんなにわざと重くて怖いような音を使わなくてもいいというのもあったけど、現代に作り世に出すからこそ、あれでよかったんじゃないかと思う。音楽くらい場面やアーサーを多少説明した方が、現代に生きる人間に分かりやすく届けられる可能が増やせると思うので。
もう一回観たいな、彼の生き方には悪魔的な、それこそカリスマや魅力がある。自分に当てはめるなんて事はできないししないけど、だから手放しに好きと言ってはいけない、アーサーが望んで手に入れたジョーカーでは無いからこそ、それを望むことだけは出来ない。
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uniudonuni · 5 years
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積ん読リスト/2019.8.29
読んだことあっても読み直したい本(めちゃくちゃ)含む。チェックつけてく。
文庫
・恩田陸 蒲公英草紙
・恩田陸 エンドゲーム
・江戸川乱歩 江戸川乱歩傑作選
・川端康成 雪国
・菊池寛 恩讐の彼方に
・太宰治 人間失格
・太宰治 晩秋
・太宰治 斜陽
・谷川俊太郎 二十億光年の孤独
・中井英夫 虚無への供物(上・下)
・夏目漱石 草枕
・夏目漱石 こころ
・夏目漱石 夢十夜
・三島由紀夫 花ざかりの森・憂国
・三島由紀夫 金閣寺
・三島由紀夫 近代能楽集
・村上春樹 海辺のカフカ
・村上春樹 風の歌を聴け
・燃え殻 僕たちはみんな大人になれなかった
・森鴎外 阿部一族・舞姫
・森博嗣 すべてがFになる
・柳広司 ジョーカー・ゲーム
・柳広司 ダブル・ジョーカー
・柳広司 パラダイス・ロスト
・柳広司 ラスト・ワルツ
・夢野久作 少女地獄
・万葉集
・竹取物語
・平家物語
・徒然草
・おくのほそ道
・伊勢物語
・義経千本桜
・アンネ・フランク アンネの日記
・セリーヌ 夜の果てへの旅
・ウェブスター あしながおじさん
・オールコット 若草物語
・カフカ 変身
・サン・テグジュペリ 夜間飛行
・サン・テグジュペリ 人間の土地
・アンドレ・ジッド 狭き門
・ヘッセ 春の嵐
・ヘッセ デミアン
・ヘッセ クヌルプ
・ヘッセ 郷愁
・ヘッセ シッダールタ
・ヘッセ メルヒェン
・ヘッセ ヘッセ詩集
・スヌーピーコミックセレクション50's~90's
・アリストテレス 詩学
・ホラーティウス 詩論
・デカルト 方法序説
・プラトン パイドロス
・ショウペンハウエル 自殺について
・ラッセル 幸福論
・ルソー 人間不平等起源論
・マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
・ソポクレス オイディプス王
・マーク・トウェイン 王子と乞食
・プルースト 失われた時を求めて(1)
・トルストイ イワンのばか
・カート・ヴォネガット タイタンの妖女
・ウィリアムギブスン ニューロマンサー
・フィリップ・K・ディック アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
・レイ・ブラッドベリ 華氏451度
・ウィリアムサローヤン 我が高原に
・アンソニーホープ ゼンダ城の虜
・ジュール・ヴェルヌ 海底二万里
・スティーブンタニー 100%月世界少年
・ケストナー 飛ぶ教室
・ニーチェ 善悪の彼岸
・ブレヒト 母アンナの子連れ従軍記
単行本、新書
・16歳の教科書1.2
・篠原さなえ 「魅せる声」のつくり方
・篠原さなえ 声がよくなる「舌力」のつくり方
・高井ホアン 戦前不敬発言大全
・高井ホアン 戦前反戦発言大全
・野田秀樹 20世紀最後の戯曲集
・村上春樹 カンガルー日和
・村上春樹ノルウェイの森
・村上春樹 ねじまき鳥クロニクル
・村上春樹 騎士団長殺し(1.2)
・VEフランクル 夜と霧
・シェリーケーガン 「死」とはなにか
・初期俳優教育システムのステイタスとメソッド
ラノベ
︎︎︎︎︎︎︎︎☑︎カゲロウデイズ2~8
・人生リセットボタン
・インビジブル
・六兆年と一夜物語
・イカサマライフゲイム
・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている12.13
・絶対ナル孤独者1~3
・涼宮ハルヒの憂鬱
・狼と香辛料
・神様のメモ帳
・幼女戦記
マンガ
・火の鳥 6~13
・テガミバチ 1~4
・世界文学全集(河出書房)
1 シェイクスピア ハムレット オセロー ロミオとジュリエット 他
2 ゲーテ ファウスト 若いウェルテルの悩み
3 スタンダール 赤と黒
4 バルザック 谷間のゆり ウジェニーグランデ
5 ディケンズ 二都物語 クリスマス・キャロル
6 Cブロンテ ジェインエア
7 Eブロンテ 嵐が丘 詩
8 ボー 黒猫 モルグ街の殺人 アッシャー家の崩壊 他
9 フローベール ボヴァリー夫人/モーパッサン 女の一生
10 ドストエフスキー 罪と罰
11 トルストイ アンナ・カレーニナ
12 チェーホフ 三人姉妹 桜の園 他/イプセン 人形の家 ヘッダガブラー
13 ロマン・ロラン ジャンクリストフ1
14 ロマン・ロラン ジャンクリストフ2
15 プルースト 花咲く乙女のかげに
16 ヘッセ 郷愁 車輪の下 知と愛
17 ロレンス 息子と恋人
18 モーム 月と六ペンス 雨 赤毛 手紙 他
19 魯迅 阿Q正伝 狂人日記 他
20 パールバック 大地
21 ミッチェル 風と共に去りぬ1
22 ミッチェル 風と共に去りぬ2
23 ヘミングウェイ 誰がために鐘は鳴る
24 ショーロホフ 静かなるドン1
25 ショーロホフ 静かなるドン2
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uniudonuni · 5 years
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さいきんのにっき/2019.7.12
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さいきんのにっき。ただのにっき。
・6月の末に舞台が終わって、それまでは4月からバタバタと本当に忙しく楽しく暮らせていたんだけど、7月に入って時間はたくさんあるはずなのにやるべき事が終わらない日々を送ってる。
・人間を疲れさせるのはやった事よりもこれからやる事だとは言うけれど、だからなのかじわじわと疲労が溜まってるなぁと思う。
・なんで終わらないかって言ったらやらないから終わらないんだけど、じゃあなんでやらないのかなぁと考えて、色んなものが整理されてないんだなと思った。
・自分の身の回りで、特に生活がシステム化できるところできてたところがおざなりになってるな。物理的には物が多すぎる。
・自分の部屋が安心出来すぎてしまうのも問題だなと思う。まずは片付けからなんだけどやるべき事をやれる環境づくりはやっぱり大切だな。
・やる事、やりたい事、やるべき事。やった事ややってない事の反省。スケジュールに関してはこれをまとめれば8割がたいい気がしてきた。
・やっぱり文章化してみるっていうのは大事だな!
→部屋の片付け、日常生活の整理。
→スケジュール管理。
・ここまで書いたけど本当に書きたかったのはそんな事じゃなくて、ただのさいきんのにっきを書きたかっただけなのだ。
・さいきんのにっき①トマトに実がついた。1つ目がついてから嬉しくてずっとつけておいたら熟れて割れちゃった。2つ目がついたし花も咲いてるからこれからもっとつくのかと思うと楽しみ。
・②アサガオが成長した。藍も成長してる。他の植物とかで枯らしてしまったのとかもあったんだけどこの3つはちゃんと成長してくれた。植物を見てると、育てるというこの一点だけは間違ってないんだって矯正してもらえてる気分になる。
・③今日からポケモンスタンプラリーが始まりましたね!!!去年は6つ集めると貰える定期入れをずっと首から下げていたなぁ。今年こそは全部回ってみたいなぁ。
・④ポケモンで思い出したんだけど最近うちのホワイトボードにいるピカとモケ。やっぱりモケはかわいいなぁ。
・さいきんのにっきとは言ったけど、この4つは全部今日のことです。過去の事を思い出してなにかを書こうとする事が少し億劫。やっぱり思った事はすぐに言っちゃうのが一番精神にいいんだな。行動と発言も。
・こんな事を一度書いて投稿したと思ったのに写真だけ投稿されて文章が消えてしまって悲しかった。よくもう一度書こうと思えたなと思う。
・でも一度目に書いた時は本当にそう思って書いてたけど、二度目に書こうと思うとこんな感じだったっけって少しなぞった書き方をしてしまう。これは本当に今俺が思ってることなのか?正しくないとは思うけどまぁ久しぶりだし仕方ないかなとも思う。
・逆に↑で書いたこの一文だけは本当に今思った事だな。これだけが今の真実。本当の本当。
・さいきんのにっき。書いた事は見直さないよ、今日も。
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uniudonuni · 5 years
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8.夜について
夜が好きです、夜が好きです。
季節だったら夏が好き、同じくらい冬も好き。自然の中では空と雨も好き。正直太陽はあんまり好きじゃないけど、好きになりたいなとは思ってる。後述。
夜の色が好きです。
日暮れ時、太陽とは反対側から夜が来る。今まではその空のてっぺんのグラデーションの青が一番好きな色だった。
去年くらいによく夜更かしをしてた頃に、夜明け前の空のグラデーションは、日暮れ時の空のグラデーションとは違うことに気がついて、両方の空が好きになった。
同じ青でも、色自体の質感や流れる時間、漂う空気が全然違う。色には味がある。
夜の在り方が好きです。
人間が必ず朝が来ることに救われてきたように、必ず夜が来ることに救われてきたと思う。必ず雨が上がることに安心するように、必ず雨が降ることに安心してきた。
神様がいるとすればそれは太陽だと思う。
お天道様はお見通しらしいし、お天道様が全てを見てるなら、お月様は全てを見ないふりをしていてくれるよう。
お天道様の下をなんの苦悩も煩いも恥も持たず歩けたらどんなに楽に生きれるか、でも本当の意味でそんな自由を望んでいる訳では無い堂々巡り。お天道様はそんな束縛のてっぺんに昇ってる、だから直視出来ない。
でも、ターザンが車に乗ってYouTuberになる時代に自由になるってどういうこと?野生に帰ったらどうなるの。ホームレスだって社会的動物、じゃあ死ぬ以外に自由なんて見つけられないじゃないのか。
それと比べるからではないけど、あえてだから夜が好きです。夜も月もただそこにいてくれる。自由も不自由も選ばせてくれる。見上げれば、気まぐれで光を与えてくれる。
それを私の北極星にして、まぁ明日の夜までくらいは息してもいいかなと、今日も想って眠りにつくだろう。
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uniudonuni · 5 years
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さいきんのにっき/2019.5.7
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さいきんのにっきです。
最近、生活の豊かさは食事の豊かさだなぁと思いました。
「人と食べるご飯は味とか関係なくおいしい」が持論だったけど、シンプルに味のおいしい食事はおいしい。食事がおいしいとうれしいし楽しい。忙しいと体力的にも精神的にもしんどくなってくるけど、そのしんどさを少しでも緩和するために食生活を豊かにしようと考えたわけです。自分のご機嫌とりですね。
でも食生活を豊かにって具体的に何をすればいいんだろう、と考えた結果ちょい足しだなと思いました。以前お芝居の話をしてる時に「新しいことっていうのは何かひとつを足すだけでいい」みたいな話をして、結局それって色んなことに置き換えられるのではないかなぁと。
例えば定食屋に行った時にピッチャーに水と一緒に入ってるレモン。あれは確かにちょい足しだし簡単でとり入れやすくて、見た目も綺麗でうれしいしおいしい。ほんの少しだけ最初に手間をかけるだけで、そのあとの生活が豊かになる。準備って大事だよね。
まぁほんの少しだけをやってみるとそこで終わらずに、もうちょっと、もうちょっとって色んなことをやってみたくなってしまうのが人の性で。
まず最初は水道水からペットボトルの水、ペットボトルの水を買うのが手間だなと感じるようになって浄水器を買った(米炊くのも飲み水も水筒も浄水使えるしめっちゃ楽になった)。最近は浄水をポットに入れて、カットレモンを入れるようになった。そして今、カットレモンを入れるならレモンのはちみつ漬け入れたらもっと美味しいのでは?と思い作って冷凍した。入れるのが楽しみだなぁと、今既にうれしい(うれしい)。
お花を飾ったり育てたりするのが好きなんだけど、それならやっぱり食べられる野菜とか葉っぱを自分で育てられたら、それはうれしいだろうなぁとも思った。GW中に思いたって園芸店に行ってトマトとバジルと、元々あったカレープラントっていうハーブの鉢を買ったりした。
本当は生き物も育てたいんだけど、今の生活で簡単にほかの命に責任を持てないなと思って飼ってはいない。そのうちちゃんと自分の生活ができるようになったら犬か猫を飼いたいな、あとフクロウ。
今育ててるのはシクラメンと梅の盆栽と桜の盆栽とローズマリー、あとはアサガオの種をまいた。小学生のときを少し思い出したけど、夏やすみにアサガオの水やり当番があった記憶はあるのに水を上げた記憶はないなぁ。そういうとこある。
あと3月にほぼ日手帳を買いにTOBICHIに行った時に藍の種を貰って、それも埋めようと思ったんだけど、どうやら無くしてしまったみたいで悲しくなった。ので、通販で買った。今日発送されたみたいで届くのも植えるのも育てるのも楽しみ。
生きているだけじゃもう足りないなと思うことが増えた。豊かさとか本当は口にするのは少し恥ずかしいんだけど、どうせ生きるなら楽しくて嬉しいことがいっぱいあった方がいいし、それは自分自身でつくることもできるんだから、できる限りのことはしよう。さいきんのにっき。
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uniudonuni · 5 years
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7.書くことについて
GWに入り平成が終わり令和が始まり、それ以前からなんだけどTumblrとかTwitterとか使うのがついついめんどくさくなってしまった。
正直この辺のSNSの運用も結論でいえば宣伝、広報の為だし(Tumblrは期限を決めて何かをするという事の練習でもある。4月してないけど。)、じゃあそれはしないという事は自分自身の宣伝を怠っているということなんですよね。GW中大変怠慢に過ごしておりました、反省しております。
※最後まで書いてから気づいたけど今回はただの日記です。
ここで改めて自分が何かを書く意味について再確認しておきます、基本的には全てが自己満足ですが。
Tumblrに関して
自分の考えていることを言語化し、発信する(思考の言語化、発信)
いつまでに何本等、期限を決めて何かをするという事の練習(期限を守る)。
SNS慣れ(SNS慣れ)。
Twitterに関しては一点、手軽な広報による自己の認知。
私のTumblrは普段の生活で考えていることの言語化、観た作品の感想、最近思ったこと、が主たるコンテンツで、今後俳優を続けていく上で色んなものをTumblrにブチ込んで行けたらなと思う。
『書くことについて』とか言っといてただの日記みたいになってきたけど、最近思ってるのは花についてなにか書いたり描いたり創ったりしたいなということ。お花好きなのよね。4月の終わり頃渋谷にナショナルシアターライブのリア王を観に行ったんだけど(まず感想を書け)、その時に劇中に出てきた花がちょうど自宅に飾ってあったりして、そういうことが分かるのって嬉しいし楽しくなる。あと昨日二子玉川にある園芸店に行ってきたんだけど、トマトとかアジサイとか新しいプランターとか買ってウキウキだからそういう事も書きたいのだ。これは創作関係なしに。アジサイの観察日記とか小学生ぶりにやりたくて買っちゃったよね。話がそれたけどそういった自分が好きで普段やっている事を、なるたけ無理のない範囲で自分自身が専門とした仕事や創作に盛り込んでいけたら、もっと人生は生きることが楽になるんじゃないかと、そう思ったんだよね。お花のアクセサリーとかかわいいよね。うんうん。
あとはゲームかな。ポケ森とかポケGOとか配信開始からやってるし、FGOも2年くらいはやってるのかしら。3月からツムツム、4月からマイクラに触れ始めたり、つい先日実況見て我慢できなくてスマブラ買ったり最近は友達と暇さえあればスプラトゥーンやってるの。本当は新しいゲームに手出したりしたいんだけど、とりあえず今やっているゲームもTwitterのアカウントを更新するという事には使っていいのではと思ってきた。難しく考えすぎだなこれは。
プラスして、スプラトゥーンとスマブラに関しては配信しても良いのかなと思ってきた。ふつーにクソザコナメクジだけど、なかなか手が出ないくらいなら自分の普段やっている事で試しにやってみれば良いのではないかなぁと思った次第です。その為には色々調べなきゃいけないし時間も区切らなきゃだけどね。これは単純に趣味のゲームで上手い人の意見が欲しいというのがあるけど、マジで自己満足だな。
そういう感じ。読んだ本とか観た映画とかの感想はホントすぐ書けって感じだし、音楽とか絵とか文とか写真とか、創作に関して自分がやっているものは特に使っていくべきだなと反省してる。更新します。
いやてゆーかTumblrを更新する事に対して気張り過ぎなんだよな。自己満足(n回目)なんだから日記みたいなのでいいし、あんまり人に見られてると思わない方がいい気がする。なにか難しいことを考えてますよーってしたい訳でもないし、大層な思想や経験がある訳でもないんだからね。
という事で本日5月5日(日)(こどもの日じゃん!)から
Twitterは1日1回
Tumblrは週に2~3回
配信は夏までに挑戦する
最優先は役者と生活
をします。マネージャー欲しくなってきた。
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uniudonuni · 5 years
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6.休みについて
最近身体的にも精神的にも、「休む」ということについてよく考える。というか休むことによるパフォーマンスの変動について。
例によってまず初めにGoogleで調べる。
やす・む【休む】
[動マ五(四)]
1 仕事・活動を中断して、心身を楽にする。休息する。「食後に一時間―・む」
2 動きや働きが止まる。
「河水の、…―・まずに、流れ流れ流れて」〈蘆花・自然と人生〉
3 眠るために床に就く。寝る。「夕食後早めに―・んだ」
4 欠席・欠勤する。「風邪で会社を―・む」
5 日ごろ続けてきたことをしばらくせずにいる。「植木に水をやるのを―・む」
6 病気が治る。
「七年を逕(わた)る間に、医薬方療して猶(なほ)―・まず」〈霊異記・中〉
今回は調べることについてあんまり意味は無さそうだからとりあえず。一般的というか、大きい意味で1~4はよく使われる意味だと思う。6は省く。
だいたい全部同じ意味に取れてしまうのだけど、5番、日頃続けてきたことをしばらくせずにいるということの、意味に伴う行動について。
まず、「生きている」ということは何かしら身体は活動している。仕事をしていようがしていまいが、外に出ようが出まいが、寝ていようがご飯を食べていようが遊んでいようが、生きている限り身体が完全に停止することはない。それは正。
次に、活動はしているが身体を休めている状態。例えば睡眠、食事、入浴だったり、瞑想、あとは目を瞑るだけでも休息にはなっているのでこれも。これらは、人間が生きていくにあたってだいたいの人が取るであろう、身体への負担を抑えるために必要な行動。その点で7割がたは正。人によっては他の休息方法があったり、全く疲れを感じなかったりするので。
そしてここからが本題。
一番最初に精神的にもと書いたけど、実は書きたいのは精神の休め方とはなにか?もちろん身体を休めることによってある程度精神状態も回復するだろうし、事実自分は夜勤を週2~3でやって朝から大学行っていた頃より遥かに精神状態はいい。そして記憶力もいい。ただしそれはアルバイトという、自分でやるかやらないかを簡単に選択できる状況、なおかつその選択があまり人生に関わらない状況だったから今改善できているものである。現時点で好きなことをやる為に時間が足りないだったり、どうしてもしたい事をする為には無理をするしかない状況の人も沢山いると思う(もちろんその他の理由でも)。そういう場合の精神の休め方として、最近意識するべき(した方がいい)と感じているのは
普段無意識にしてしまっている事をやめる
ということ。当たり前かしら?
本当はここからは人によって休める方法が細かく変わってきてしまうので、自分にどんな方法が合うのかはそれぞれで考えて欲しいのだけど、俺が自分自身に当てはまる2つのことは書く。この2つの問題は色んな人を掠めると思うし。
まず
1.人に気を遣いすぎてしまうこと
これは絶対に感じている人いる。今までの短い人生でも何人も見てきた。例えば人が何を考えているのか思っているのかを気にしすぎてしまう、そのあまり場のエンターテイナーになりすぎたり空気を読もうとしすぎてしまう人。でもその本質のだいたいは、自分が他人からどう思われているか、評価を気にしすぎる、嫌われたくない、自己評価を保ちたい、失敗したところを見せたくない、見せられない、綺麗に見せたくて上手くやろうとする、結局は人に気を遣うのも自分の為、(もちろんそういう人で無理に思ってない人もいるだろうし、俺もすべてに当てはまる訳では無い)そういった人。
この問題は、ゴールとして一応は
��人からの評価に関わらず自分を認められること
なのかなと思う。重ねるが一応は。
話が少しそれてしまうのだけど、ただ自分はそういう人に気を遣いすぎてしまうのが悪いことだとはまっっったく思わないし、むしろ俺くらいの年齢(つまり思春期を過ぎた頃)までにその能力が身についてない人は、一生身につかない能力だと思う。一番多感だからね。だから気を遣いすぎてしまう人というのはある意味稀有な存在であるし、またそういった人は周りの自分と同じような人に対して理解を示すことが出来る。これは少数派にとってかけがえのないものだと思う。
話を戻すが、この問題のちょっとした休み方は
・『今日は何もしない日』をつくる。
当たり前かな?俺は気づかなかった。これは一日じゃなくても、1時間でも30分でもいい。例えばとにかくこの飲み会ではサラダも鍋も取り分けない、注文も頼んでもらっちゃう、お会計もお金を払ってお任せしちゃう、みたいな。これは短すぎると効果薄いし、個人よりは大人数の方が紛れて練習しやすい。家族とでも友達とでも先輩後輩上司とご飯でもなんでもいい、とにかくなにもしない。ただ会話とお礼だけ言ってればいい。とにかく自分に「やらない」ということを経験させる、それがこの方法では一番大事だと思う。やらない��ともやらないと分からないのよね、意外と。
ここまで長くなったけどあと少し。
次は
2.普段から常になにかを考え続けていること
いるかな?俺は常になにか考えてる、今日自分がしたこと、昨日したこと明日することについて、これからのこと目の前のこと色んなことを考えてる。俺はこの『考え続けていること』も悪いことだとは思わないし、ここまで来ると一種自分の武器だし、普段から考え続けていることを言語化する楽しみもある。あの勅使川原三郎先生も「人間、考えすぎなんてことは絶対にない。考え続けることには価値がある」と仰っていたし、本当にそうだと思う(聞いた時泣いた)。でもこれも1に通じるところがあって、常に自分がなにをしていたか考えてしまう、他人からの評価を気にしてしまうことと似ている。この問題の休み方は、
考えることをやめる。
うーーん当たり前!これは例えば歩いてる時にあっ今色々考えちゃってるなーとか思ったら、その時点で考えるのをやめるということ。自分の思考を一時でもシャットアウトする事が出来るというのは、結構色んなところで使える能力だと思うし、そういう点でも実利がある。俺がやってるのは、歩いてる時は歩くリズムでトントントンって言ったり周りの景色をただただ見たり右足上げた、右足着いた、とかどうでもいいことを考える、ご飯を食べてる時だったら同じ要領で目の前のご飯を食べること、味覚に意識を割く(割き過ぎない)。本当に同じ人がいるかは分からないけど、初めてこれを意識した時にご飯が美味しすぎてラーメン屋のトイレで泣いた。人間ってこんな小さなことにも楽しみを見いだせるんだ、見いだしてもいいんだと。自分を楽しませてあげられるのも楽させてあげられるのも、苦しませるのも自分の意識だから、そういう細かいところで自分を守って、ケアしてあげれたらいいな。人生せっかく生きるなら、楽しく生きたい。
もちろん身体を休められるのならそれが一番手っ取り早い。おいしいご飯を食べる、好きな人に会う、とにかく寝る。あとは物理的な話だけど甘酒はマジで効果ある。
長くなった…突発的に書きたくなってしまったので見返さない。テストも終わったあと見直さないタイプだった、輝け俺のポテンシャル。
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uniudonuni · 5 years
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5.運命について
・まず運命とはなにか。
Googleで調べて1番最初に出てくるのは、
『人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。』
・次に運命と並んで比較される言葉である宿命とはなにか、
『前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの。』
調べてからとにかく書こうと思ったけどイマイチよくわからんな。結局運命的とか書いてあるし。よく簡単な言葉で言われるのは宿命は生まれた時から決まっている変えられない将来、運命は自分の選択次第で変えられる将来かな。
・ここから自分自身の運命について。まず自分はこの世の中に偶然は存在しないと思ってる。運命という言葉自体が、そもそも自分で選択して変えられるものではなく、運命=宿命という感覚。
自分の選択したと思っている物事は、結局はあらかじめ全て結果が決まっている。人生は選択の連続とは言っても、その選択のどれを選ぶかもその結果でさえ決まっていて、そういう意味でも人生は一面的に無意味なものであると思う。
うん、人生は無意味だと思う。ただしかし、矛盾するようだがその基本的な無意味の中でも、どうせ全部決まっているからと投げ出さず、自分で考えて行動を選択することが出来る(と思っている)、そこに人間という存在の価値があると思う。
重ねるが、あらかじめ決まっているとしても、人間は自分の意志で物事を選択し、行動するからこそ価値がある。そこに人間の本質がある。
・そういう意味では、偶然は永遠に似ているなと思う。
話がそれてしまうが、永遠とはなにかについて書きたい。例えば、駅にいる時に快速電車を見送って次にくる各駅停車に乗る。椅子に座って窓の外の風景を眺めながら、わざと乗り過ごした急行電車について考える。その時自分が存在している時間の曖昧さ、同じ時間を生きているはずなのにほんの少しだけゆったりとした時間を感じることが出来る。『永遠』というのは、この一瞬の時間のことを言うのだと思う。だから概念としての永遠は存在するが、『永遠』が永遠に続くことは決してない、と思っている。
同じように概念としての偶然は存在するが本当の意味での偶然は、やっぱり存在しない。
・この世に偶然も永遠も本質的に存在せず、美しい花は枯れ、桜も散り、物体は朽ちて、命は果てていく、それは全ての存在するものの宿命であり運命だ。俯瞰した時の流れはやっぱり残酷で、人生の意味を見失う。
その中でも、今自分の感じることの出来る最大限の幸福がなにかを追って、それに没頭し(錯覚だとしても)自分の意志を持って行動に移すことによってのみ、人間は人間としての価値を見出すことが出来ると思う。ちなみに、価値を見いだせなくなった時、人は一番死に近くなる。
おしまい。頭が回らないな、そのうち追記改訂案件。
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uniudonuni · 5 years
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4.好きな物について
まず初めに、今回は割と当たり前のことしか書きません。最近は結構よく言われていることだし見つめ直したりメモするにはちょうどいい話題だなと思った。
好きな物について。
自分が好きな物を聞かれた時にでも自己紹介の時にでも、周りの人に主張するのは大事なことです。よく言われるのは、これは好き、これは苦手です、と発信することによって同じように好きな人は話が通じるし、苦手な人はわざわざ関わってくるようなことが少なくなる(一定数いるので無くなりはしない)。そうやって自分の居心地のいい環境を作っていくことは精神的にも大事なことです(2回目)。
昔知り合いの女の子で、いちごが好きだけど自分はそんなキャラじゃないしそういうかわいい感じのは言いづらい…って話をする人がいました。いいじゃん、俺もめちゃくちゃいちご好きだよ。なんならうさぎも好きだしピンクも好きだよ、いや人並みに。自分が好きなものくらい自信もって言える世の中じゃないと、どんどん周りの人間や環境に圧迫されて、いつの間にかなんでこんな事してるんだ…?という自己否定に繋がってしまう。ちょっと飛躍だけど。
私が好きな物はスキウサギというキャラクターです。このキャラクターは、
世間にネガティブな事件が多くて、ネガティブな発言も増えているなと感じていた時期だったので、とにかくなんでもかんでも「好き!」と言ってしまうウサギを4コママンガにしたのが最初です。
という出自を持つキャラクターです。(引用:https://www.1101.com/store/techo/ja/magazine/2019/sp_yokoku/qrais/2019-01-29.html)
だからスキウサギの漫画にはネガティブな要素がかなり削ぎ落とされていて、とにかくウザかわいいウサギが色々やり散らかす。好きな物についてしかほとんど話さない、だってスキウサギだから。
そういうものが世の中には必要だと思うし、私自身も、ほかの人々にも一種必要な気持ちの持ち方だと思っていて、最近は新元号が出たり新年度が始まったり世間的に結構いい流れだけど、だからこそこの空気は保ち続けて行きたい。多分そのうち下がってくるから、その時にこれを思い出して欲しい。好きな物の話をしよう。
嫌いなものを嫌いと言う必要は必ずしもない、でも好きな物を好きだというのは、単純に気分がいいよね。スキウサギのはなしにもなっちゃった、でもそういうこと。
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uniudonuni · 5 years
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3.宣伝、広告について
俳優をやるにおいて、今まで何回か舞台をやってきても集客に関してはずっと問題としてあった。そしてこれからもずっとあるだろう。毎回数でいえば30人程度は呼んでいたけど、とはいえそれは周りと比べれば多いというだけで全体で見ればめちゃくちゃ少ない。しかもほとんど身内でしか呼べていない、これはどうにかしなくてはいけないなとやっと危機感を持ち始めた。
まずはGoogleで調べる。やはり
・役者同士のコミュニティを作って来てもらう、公演時以外の友人との関わり方をちゃんと考えて宣伝する人にならない
というのが出てきたけど、そもそもこれから増やさなくてはいけないのは知り合いではなくファンだな、というのがあるのであんまり関係ない。ただ人によってはこれも重要になってくるかな?そもそもちゃんと正しい人間関係を保とうってことだし、これは芝居に関する宣伝以前の話でもある気がする。
次に
・個人で100人動員するのは「当たり前」の世界が普通にある
というような記事を見つける。本気で目標を決めて考えて行動すればできる、とも。そこに具体的な方法はなく、やはり本気で自分で考えることに意味があるのだろうし、確かにとにかく考えてればできるような気もしてくる。切符がさばける俳優はやはりある程度重宝されるよな。
・100人集客できる俳優仲間を身近に置く
というのは、環境に関してのことだけど、自分がいる場所に満足していないのならとにかく外に出て、人と関わり自分の本当にいたいと思える場所を見つけることだな。「人間が変わるためには関わる人を変えるか、時間を変えるか、場所を変えるか」(引用)しかなく、そのすべてを変えられるのが場所を変えることである。場所が変われば人は変わる。周りの環境を自分の居心地のいいものにするのは、仕事でもプライベートでも、効率的にも精神的にも大事なことだよなぁ。
次からは調べて思ったこと
リピーター、ファンを獲得する。その為にできることを考える。目標を決めて行動する。
案内に関しては、失礼のないようにが1番。これは人間関係だし、お客さんは20人とか30人とか、数ではなく1人1人であることは絶対に忘れてはいけない。そこが無い宣伝は先がなくなると思う。
現場に足を運ぶこと、先輩について行くでも、先生について行くでも、憧れている劇団や俳優に頼み込むでもいい。とにかく行動して失敗するのはいい。それは反省という経験を作ることになる。
またSNSの使い方に関しては、やっぱり俳優もそうだけどインフルエンサーの人を見るのが勉強にはなるなと思った。
Client(顧客):誰に情報を届けるか、どんな情報が欲しいのか
Competitor(競合):他の人とのコンテンツの差別化
Company(自社):自分の発信する情報
3Cだそうです。これは割と意識して試すことは試してみようかな。
また、過去の自分に対するアドバイス、自身の課題等の情報にも価値がある。
・SNSの使い方に関してはプロフィールの充実、これは店舗における宣伝でも言ったけど、自分がどんな店でどんな商品を置いているのか、身近なSNSを通してすぐ分かるようになっていることは見た人の自分を知ってもらうハードルをひとつ下げることに繋がる。
これはこの前新宿南口で路上ライブをしていた不感症ヘビ苺さん(のマネージャーさん)につい言ってしまったことなんだけど(何回もこの話題出してしまって本当に申し訳ない、これで最後にします)、
1.歌ってる時とMCの時のスピーカーの音量が一緒なのに出してる声量が違うから1番遠くで見てた自分のところまで声が届いてないこと、おそらく少し前で見てた人にも聞こえてない。
2.路上ライブで何を一番広報したいかと言ったら歌かグループ名なのに、グループ名がMC(音)でも看板とか(目)でも入ってこない。
ことについて。私が見た時はこの状態で、曲と曲の合間に見てくれていた人とかその時に通りがかった人にフライヤーを配っていたのだけど、「人から貰う」という行為には人と関わることに伴うハードルが一段階あって、そのハードルがなく通りがかった人が一人で出来る「ただ見る」や「ただ聞く」ことに対してアプローチをするべきだなと思った。
例えば、踊っている後ろにあるグループ名の書いてある紙。これが横断幕のような大きいものが道路と歩道の間の手すりに付けられてたら、通りがかる人は否が応でも目につくし、そこにTwitterの@やQRコードももし印刷できるなら(楽曲のでもいい)さらに見てる人のハードルは下がる。
まぁMCに関してはその時にスピーカーの音量上げればいいだけだな。ここで色々言っても法律系とかスピーカー実は音量MAXだったとかそういう問題がもしかしたらあったのかも知れないし、あとは想像するしかないのでここで終了。アイドルのコンセプト自体は本人とマネージャーさんとかが考えることだし宣伝だけね。(ちなみに1週間くらい経ってTwitterで見たら高いところに貼る、ハッシュタグを書く、ライブの情報を書く等改善されてた。字の癖が違ったからメンバーで分担して書いたんだろうなぁ。このくらい行動力があるのは自分も言うだけ考えるだけでなく行動しなければなと、勝手に励みになる。あとダンス上手い。)
そしてこれから自分に還元できる宣伝は
・見た人が自分を知るために払う労力を最低限にする
こと。Twitterだったらさっきも出たプロフィール、アイコン、ヘッダー、トップツイートは重要になってくるし、ツイートの内容も検索の結果ヒットする対象になるので考えるといいかもしれない。これは完全に宣伝用Twitterの考え方だし個人用アカウントでそこまでするかは自由。
ちなみに単純に路上演劇ライブ面白そうだなと思った。定期的にやってみたい、誰かやりましょう。
また、役者の配信に関して。私自身は今までツイキャスやshowroom等の配信をする事を敬遠してきたところがある。でも調べるうちに場合によっては、ひとつの発信するツールとしてありなんだなと思った。しばらく(いつになるかは分からない)したら何回か挑戦して、有用性があるかどうか確認すると思う。併せてポートレート等外見としての自分が分かりやすくなるアプローチもありだと思う。もちろん本業は役者であるのは忘れずに。
また、今回は宣伝することによるファンの獲得を主にしているので、ワークショップやオーディションによる人との繋がりはあまり考えていない。もちろんそこによる集客はありえる。
話が前後するが、路上ライブのような巡業はありだな。少なくともフライヤー等を持って劇場近くはもちろん、都心各所を回っての宣伝はする価値はあるなと思う。6月に向けてはやろう。
また、その公演をする為に、その作品を作る為にどれだけの人間が関わってどれだけのお金がかかっているのか。そこに自分の役者としての責任、作品を作るのはもちろん集客という責任を持つこと。
私がこれからやっていこうと思ってることについては
・宣伝方法について色々考えてるとはいえ、一番重要なのは自分が魅力的な役者であること。だからそうなる為に努力し、それを発信するのが一番なのではないかな。
・自分の強み/セールスポイントを明確にし、メディア化、発信、プロモーションする。
→思想や感想、意思等、情熱を出すこと。+外見 +身体の強さ、自分の出来ること。
宣伝についてはとりあえずここで。
あとは魅力的な役者であることについて、とにかく考えなければいけないと思う。素直な身体や言葉を持つこと、大事にしたい。
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uniudonuni · 5 years
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2.店舗における宣伝との比較について
一昨日JR新宿駅の、東口からTOHOシネマの前までの道(はなまるうどんがあるとこ)を歩いている時
・演劇における宣伝と街道に面している店舗における宣伝で、結構近いところがあるのではないかな
と思った。そこに、入口から道に面してる壁までガラスで中の様子や人や商品が見やすく、入口も開けっ放しで中から音楽が流れてくる店があった。これって宣伝や広報に、少なくとも演劇、広げればすべてのことにあてはめられることなのではないかな。
例えば今の時代であればSNSは発達していて自分たちの情報はいくらでも外に出せるし、それによって顧客(言い方)がこちらに何を求めているのか、こちらはなにを提供できるのか、どんな活動をしているのかをやり方に気をつければ効果的に外に出すことも出来る。四方を壁におおって一見さんお断り(その気はなくとも)で身内で集まり、メニューも何があるか分からない、味も想像ができない、そんな店より見知ったチェーン店やいつも行く店を選びがちになるのは割と広告的に当たり前のことだよなぁ。
という点から、演劇でいえば何ができるかと言ったらSNSやHPの使い方、劇団なら劇団員の活動や思考がわかりやすいことや、自分たちの今までの活動、どんな作品か(あらすじでも戯曲公開でも公演動画の公開でもいい、他にあるとも思う。)、個人だったら外見や思考ややってきたこと、所属がすぐ分かるようなメディアの張り方���他にももっとあると思うし、それを全てあげるのは不可能だな。
総括。
今回は店舗との比較だったけど、宣伝や広報において参考になるものはそこら中にある。
そこからどれくらいのテイストを自分に食わせるかは、その人のさじ加減になってくる。芸事で生きていくなら、自分自身の売り込み方は考えていかなければいけないし、逆に考えてやって失敗してを繰り返していればある程度食えるようにはなると思う。これからやります…。
ちょっとあとから追記するかも。
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uniudonuni · 5 years
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1.雨について
私は雨が好きです。
先週雨が降ったとき小学生の時理科でやった雲量について思い出した。
確か空に対しての雲の割合が1割以下が快晴、2~8割(9だっけ?)が晴れ、それ以上は曇り。
天気的には快晴も晴れも「晴れ」だし、雲量的に晴れでも曇りでも、雨が降る時は降るんだけど、それでも普段の生活における「曇り」の範囲はこんなにも狭い。
ということは、私たちの普段の生活で一番基本となる天気は「晴れ」と解釈できる。
でも、それでも雪とかみぞれとか台風とかたつまきとか、そういう自然現象に比べたら雨が降る確率は高いし、天気の中で雨は「私たちの基本の生活である晴れ」に1番近い異なる現象である。
しかも雨は強制的に周りの空気を変化させる。加えて花とか木とか自然の、四季の移り変わりと比べても、自分に直接的に物理的(重複)な影響も与えてくる湿気だったり、暗さだったりがある。何より大きいのは濡れること。みんな濡れたくないから傘をさしたりレインコートを着る、それだけ強制的に自分に影響を与えてくる、一番身近な環境の変化(重複)、それが雨だと考えた。
前置きが長くなったけど、言いたかったのは雨が好きなこと。音が好きとか空気が好きとかよくあるけど、音を消してくれてひとりぼっちな感じが好き。
2年前に相模原で一人暮らししていた時に、めちゃくちゃに大雨でどうしても外に出たくない日があった。ソファベッドの上で布団にくるまりながらずっとどうでもいいことを考えていて、その時に車の音も、隣の家の音も、家の中の音さえも雨はすべて消してくれた。住んでるところが駅まで40分、エアコンは効かず冬は常に部屋内5℃、夏は外の方が涼しい環境という絶海の孤島というのもあって、自分が世の中でひとりぼっちのような気持ちにさせてくれた。
それはある意味で人と関わらなくても生きていていいんだって、強制的に自分に言ってくるような感覚で、本当はどう頑張ったって他人がいる世界でしか生きられないけど、雨が降ったときくらい、たまには一人になってもいいんだって、そう思えた。
だから私は雨が好きです。
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uniudonuni · 5 years
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3年分 ざっくりまとめ
2016年4月~2019年3月
18歳から30歳まで、自分の好きなことをしようと思い芝居を始めてから今年でちょうど3年(だった)。12年のうちクォーターで分けた一区切りにあたるので3年分振り返る、ちょうどいいってそういうこと。
・1年目
浪人生時代、日ナレ基礎科に入って基礎を学ぶ。声優の養成所とはいえ、まず始めにやるのは自分の身体を使う舞台や、それ以前の人との関わり方、発声、滑舌といった基礎。ここで声優=声だけ、ではなく演じるということの延長線に声優があること。その為にはコンテンツが好きなだけでは足りず、芝居に対する真摯さがないと続けられないなと知る。
1年目を教えて貰った講師陣には本当に感謝していて、芝居をする という楽しさと、楽しくやっていてもやる時はやらなければいけないこと、は学んだと思う。今思えばもっとできたとも思うけど、初めて1年目にしては及第点だったのではないかなぁ。ここで1年やってきたことがあったからこそ多摩美の入試をやり切れたし、入試の日に、この日の為に1年間やってきたんだなと思えた。
1年目の失敗は
自分に甘かったこと。始めて間もないとはいえさすがにもっとできた。レッスンを受ける中でプライベートでのストレスを溜めてしまったし、それがその後にも繋がってしまった。ただし、レッスンでやった事、ワークショップや外郎売、各課題と初舞台、その他基礎とミュージカル課題 等、たくさんの積み重ねは出来た。
・2年目
多摩美に入学。授業の質がとてもいいと思った。前期中は日ナレの本科で『華々しき一族』須貝役を演じることができ、今でも反省はあれどあれはいい経験だったなと思う。いいかどうかは別だけど主役級ばっかだな。年間通して演大連でも強い役者と一緒にできた(1年生から外部に飛び込む人は度胸がある人が多かったのかなと。演大連はやってる事の難易度を上げたとしても1年生限定にした方が質上がると今は感じる。)
養成所の方は人間関係の問題が自分の中で大きくなり、本当に後悔してる。事務局の方や講師の方にも目をかけて貰っていた(と自分は思っている)し、やり方自体は間違っていなかったのかな。途中からの変化のストレス、もっと揉まれて成長することができたなという後悔、あぁ〜〜人のこと気にしすぎたなぁ〜もっと自分本意でもよかったなぁ、周りを気にしすぎた。これは本当に後悔だし失敗だな。
後期からは人間関係、養成所、大学の課題の多さ 等のストレスから第一期崩壊。
また、大学というシステム内で演劇を教える、学ぶということに無理があるなと気づいたのもこの辺、11月くらい。���業という形をとる以上講師一人あたり週1~2の3時間、30人弱を見てなにかを教えるのは難しく、たなりんも言っていたけど新幹線みたいにトバして教えるしか無い。そんな中で学生側もなにかを吸収しよう、学ぼうとする姿勢がないと成り立たないのにだんだんと大学という庇護下にあって学生であることからその姿勢が減っていく、気が抜ける。出席しとけばいい、とりあえず課題をやればいい、また馴れ合いが多くなり、それが壊れることを受け入れない。
ただ大学に関してはよく乗り切った方だと思う。及第点は超えている(養成所は赤点)
この時に思ったのは
コミュニティは、自分のキャパ内ではあるが2個以上持つべき(演劇内のみで)。
人のやっていることに左右され過ぎない。
柔軟 素直、勤勉であること
人の名前を覚える(その人がどんな発言したか、何を考えてるのか、周りをよく見て知る。目上の人に対しては特に。)
身体的、頭脳的なスキルアップ
外に出る。外に出ないとイベントは起きない。
年度末には劇団森の『いちいち』に誘ってもらえて、初めて外の舞台に出ることができた。一番最初が早稲田の地の能力が高い人達で、ある程度自由な環境でできたのは大きかったと思う。集客に関しては30人近く呼んだとはいえ知り合いばっかりだし、宣伝方法に関してはこの頃からぼんやり考え始めていた。
2年目は全体を通して、ギリギリ及第点。やっぱり自分に甘い。
・3年目
大きな転換期だったと思う。
三本の舞台に出たこと
大学を出たこと
半年間近くなにもしなかったこと
人間関係の大きな変化
たくさん失敗したけど、なんとか次に繋げることができた。まず4月から日ナレ無し、多摩美2年目。ぶっちゃけ授業はあんまり記憶にない。真面目に受けようにも、そういう環境ではなくなってしまった。
6月の金曜の夜の集会『ブレス』はよかった。憧れていた金夜の芝居だったし主役だったし、自信にもなった。周りが強い役者ばかりでとても刺激になったし、これからの課題もたくさん見つけられた(自分に厳しく、勉強する、身体づくり、滑舌、相手と関わる)。
そのあとの7~9月は失敗が多かった。ストレスマッハ。第二期崩壊。自分がなんの為に役者をしているのか分からなかった。他人からの伝聞のみで自分を判断する人間が多く、自分の意見を言う以前にコミュニケーションをとる事ができないこと。作品を作る上で話が通じないのがこんなにも苦痛なのかと痛感した。本当に自分の意見を言う時は相手の意見もしっかり聞く、言いやすい環境を作ってあげることが大事だなと思った。さすがに本番控えてるのに死ぬのはめちゃくちゃに迷惑だし(まだそこまでの分別はあった)東京学生演劇祭が終わったらその日に死のうと思ってた。この時期一番面白かったのは心療内科に行ったら飲んだら元気になるお薬出しておきますね〜って言われたこと。
3月の『トリツクシマ』ではその分の7割は取り戻せた。それにどちらにせよ大学にはいられなかったと思うし、一緒になにかを作るには限界があった。もちろん役者に関しては粒ぞろいだったし、今までのどこよりも役者の強度は高かったのは事実。これももちろん全員ではなく、ただ子供すぎる印象。これを言ったとして、まず反発しないで本当にそうか?→確かにな/いやそれは違う と考えられる人間であって欲しい。
半年弱、休んでいた間に色んなことを考え、観たり読んだりしていたのは無駄ではなかった。もちろん行動するのは大事だけど、休んでいても成長することはいくらでもできる、デメリットはイベントが起きないこと。
頭で理解する とにかくやり散らかす 人と共演できる
芝居の作り方が変化してきたし、そのやり方用の練習の仕方、課題をこれから見つけていくべき(さっき書いた)。
3年目は
自分に甘い。3年間通してこれ。
準備を念入りに
他人を妬まない。比較は別にいい、それは自分の秀でているところを見つけることに繋がる。
身体づくり、滑舌の強化/必要な筋肉を知る。
知識を増やす。オールジャンル勉強する。
コミュニティを1~2増やす。
以上。今年は
自分に厳しく、具体的には別で考える。
コミュニティを移動しすぎない、定住する。
役者としての在り方を探す。
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uniudonuni · 5 years
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「MMJ 石橋夕帆監督WS」反省
2019年3/30(土)12:00~17:00、3/31(日)12:00~19:00
時間にして12時間、映像系のWSは初めて。自己紹介からのエチュードで、初対面でのコミュニケーションって本当に大事だよなぁ。いつでもどこでもどんな場所でも自分はできるようにしておくのはもちろん、一緒にやる人に対する身構えがあると上手くいかない印象。心を開いて、相手を信用すること。今日(4月3日)もトリツクシマでも同じようなことを思った。
以下箇条書き。
自己紹介での感想。都心のドーナツ化現象によって都会でも学年8人がありうる、って結構面白かった。あと空間認識能力が無いって言葉強い、空間認識能力はないとダメだろう。
どこに行っても思ってたけど、印象に残る芝居をしてる人ほどそんなに大っぴらにせずに内に熱を持っている気がした。そしてそれはどこに行っても3分の1から半分くらいの印象、絶対に全員が強い熱を持っている、という場所は短い経験の中でもなかなか無い。
ただ芝居に対する熱自体はみんな強かったと思う。それに対して空振り?とは違うな、マジなのか?という感覚は少しあった。それはやりたい気持ちも熱もあるのに方向が間違っている感覚。自分自身に対して常に向けなければいけない目線だな、客観性とはよく言うけど、自分が言っていることは正しいのか考えないと。
自分の思考や行動は正しいのか?自分が正しいと思ってできたこと(と思ったこと)も含めて、正しい他人からの見え方は把握できた方がいい。もちろん自己評価を正しく持つことも大事だし、卑下しすぎる必要はない。それを客観視する能力は必要だからこそ見直し、調べるべき。
他人との関わり方、中にいて見えるものと外にいて見えるものの違いがあって、それを両方の立場から見えるような立ち振る舞い、時には必要だな。
演出家や主催者や監督等、自分とは違う立場の人間の話は貴重だし優先度が高い。
1つ要素として、セリフを覚える早さについて。1日経てば、寝れば覚えられるという状況を、台本の整理の仕方を変えることで変えていく。戯曲の理解に加えた演技プランの構築。スピードの速さ、稽古場に持っていく自分の解釈=レスポンスの早さ、これは役者全員に求められることで、外に出るにあたって必須の能力だと思った。
またセリフを一音一句違わず覚え、崩すのもスキル(必要?分からん)
今回20人近くいて、自分がこれでも下から4番目(成人では一番若い)という事について。自分がこれからやっていく時、意識しておくべきこと。柔軟であるべきだし、すべての意見に対して自分の気持ちを持つこと。それをあまり無駄には外に出さない(?考えて出す)
簡潔にまとめて話す能力。今の自分は長くて要領を得ない。
感想少なくね?思い出したら追加。
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uniudonuni · 5 years
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しあわせ学級崩壊
「環境から劇を立ち上げるWS」感想
(2019年3/30(土)18:00~21:00)
まずは音響(音)に興味があったのでちょうどいい機会と思い応募。WSハシゴはさすがに疲労したけど意外といける、自分の中で緊張状態が続いてたからかな?
音に対しての自分の感覚の言語化(テンポ、明るさ、軽さ、音色、感情、風景、状況、関係性、色)、まずはWSの進行として、質問をお互いに明確になったと納得するまで形を変えてすることが印象にある。相互理解を大きな目的にしているのかなと。役者同士のコミュニケーションでも同じことが言えるけど、自分が考えていることを言語化→相手(役者や演出家等)に伝える、この作業は当たり前のようで問題が自分側でも相手側でもなかなか出来なくなることがある。それに当たってのハザードになっているものに対して真摯に向き合う姿勢、共に質問の形の変え方が上手いなと思った。
他の人に与えられた音を聴いていても、同じイメージだったり、似ていても俺だったらこうだなぁとか色々浮かんできて純粋に楽しかった。それがあっているかは別として。
イメージと少しの材料で考えずにまず動いてみる。「まず動く」ってやっぱり少しだけハードルがある。でもだからこそ、今日はできたな!とかいう日があると成長してるのかな?っていう実感に繋がる→難しいと思っていてもとりあえずやり続ける、ってこういう点でも効果があるな。そして成長の実感はモチベーションにも繋がる。
今回は「音」だったけど、台本はもちろん環境から受け取る情報についてもっとひとつずつ、すべてを熟慮する必要があるなと思う。感覚の拡張、外に広げ、感じる情報を言語化する。
言語化って何度も使ってるけど、要は自覚することだな。
自覚って何度も使ってるけど、要はそれに対して自分の意見を持っていて、説明できるってことか????
音からイメージを作る時に、自分はゲームや他作品のこれっぽいなぁ(MOTHERとか)っていうのが多かった。やっぱり経験的なインプットは大事だし、音楽の勉強も趣味での音楽も増やそう。
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uniudonuni · 5 years
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『トリツクシマ』反省
(2019年3/8(金)〜3/10(日))
まず稽古中の反省から、これは自分だけの問題ではないと思うし基本になってくることだな。
芝居に取り組むにあたって、もちろん台本を読んで戯曲解釈をしたりセリフを覚える作業は大事になってくるけど、それ以前に自分自身の身体・精神の問題を整えること。稽古の中でこれが上手くいかないあれができないとかそういうのはいい。でも友人関係が〜恋人が〜生活が〜とかプライベートの問題が稽古に持ち込まれるべきでは無いし、昨日飲みすぎた〜風邪引いた〜とか体調管理の甘さも持ち込むべきではない。芝居に入る以前に自分を整える段階がまず第一段階にある。
次に、自分がやりずらいのは芝居中における役やセリフ、動きのやり方の問題なのか。当たり前のことだけど、まずは何が問題なのか考える。その場面だけのセリフの言いづらさなのか全体なのか、それは役の感情と行動の整理で、解決にはトライアンドエラー、別パターンで動きだけやる、声だけでやるとにかくやり散らかしてみる等。これは役へのも場面へのも、チューニングというかピントを合わせる作業で、自分と役の割合をどの程度にするのか決める作業でもある。
結局は考えるか、行動するか?やるか、考えるかならちょっと考えてやる方がいい。
1個目に関して、脳と身体のバランスが大事だなと思う。今回やってる時に疲労もあったし神経過敏になって全然寝れなかったりとかしたけど、それを次の日の稽古に持ち込むべきではない。ではその問題をどう解決するか。自分の身体の状態って目に見えづらいし数値化されてる訳でもないから分からないこともあるけど、だからこそ一番大事にするべき。役者は体調が悪くても普段と変わらないように見せるべきって1年目に言われたんだけど、まず体調悪くないのが一番だしね。だから自分の調節にかかる労力を惜しんではいけない。風呂に入って自律神経を整える。バランスのいい食事をする。便が出ないなら整腸剤を飲むなり下剤を飲むなり病院に行く。まず寝てる時に体を冷やさないための環境を作る。加湿や空調や寝���を惜しまない。(ルナルナは男性にも効果があるらしい)
稽古とはなんとなくを潰していく作業という言葉が出た(議長から)、出来ないなら出来るように、出来たのならなぜ出来たのか、自分自身の自覚は大事だな。Twitterで出来ないことを意識すれば出来るように、意識すれば出来ることを無意識に出来るように、というのを見たことがあるけど無意識に出来るようになった事に対する自覚は忘れては行けないし、それは他人との比較で生まれることだと思う。イメージではなく実証。
次に全体に関して、二人芝居で55分間、多分50分位は舞台出っぱなしで半分くらいはセリフ喋ってたけど、終わった心証としては二人芝居って共演することさえ出来ればめちゃくちゃ楽なんだなぁということ。楽しかった。自分自身の役者としての状態が3年やってて今までで1番よかったのだけど、それはセリフを覚える早さに1番出てて、3ページくらいの一人の台詞を渡された次の日には8割入ってるって今までの自分だったら考えられない事だった。(3月末の話だけどそれでも当日に覚えられるような人もいる、そこを目指すべき)それは台本を読んで、一つ一つの場面や感情の流れ、行動とか相手との関係性を明確にして行く作業の副産物だと思うんだけど、俺が最後に芝居をした2018年の9月までではそこまで過剰に考えてはいなかったから、ある意味で芝居の作り方やアプローチが変化してしまっていて、自分でも意識せずに新しいことをしていて戸惑いが大きく、出来ないと感じた時にじゃあこうしよう!というのがすぐ出てこなくなってしまった。これは完全に何回もやって慣れていくしかないなとも思うし、このやり方でとりあえずいいかなとも思う。また変化する時期が来たら変化すると思うし、練習の仕方や課題はこれから見つけていくべき。
全体としておおむね良かったし、自分のやるべきこと、出来ることの7割くらいは出来たのではと思う。でも共演相手の問題にしっかりと向き合わなかった、自分なら解決できたかもしれない問題を一時見過ごしてしまったのは大きな間違いだった。減点。それは作品を作る上で必須であることだし、人と自分を比べすぎた。
相手がどんな努力をしているのか、どんな生き方をしてどんな人と関わってどんなことを考えて生きてきたのか。その全てを知らないし知れるはずもないのに、それを見ないで人の能力を羨むのは筋違いだ。大切なことはいつも忘れる。自分だって理不尽に妬まれることもされてきたのだから、自分が他人にそれをしてはいけない。曇った景色を見ているつもりが、雲をまとっているのは自分の眼だったりする。
他人と自分を比べるのはいい。他人は自分を写す鏡だし、他人がいることで自分自身を知ることは沢山ある(これは別で書く)。でもそれがストレスになってはいけない。例えばオーディションで落ちたとして、よく言われるけどその作品が合わなかったか、自分の準備不足の点が大きい(準備については別で書くか…?)。
ほか細々。
癖として気がついたら口開いてる。なんでやねん。(稽古でも動画で何回か確認するべきだな)
連絡遮断しない。マジでしない。反省してます。
集客に関して、身内以外の集客を増やす(これは3月中にずっと考えてたので別で書く)。
今回俺がやった事って結構正しい面が強かったし、このやり方、目線を常に自分に向けられるようになりたい、自分に厳しく。
人に話せない何かがある時、それを打ち破るのはすごく勇気と労力がいるし怖いけど、やることでしか解決しない。
本番中に観てくれている人を見る。自信を持つ。自分を見せる意識、隠れない、表情、身体を使った表現。自分の身体を扱えるようにする(お客さん見すぎてトチった、見すぎも良くない。)。
遅刻、寝坊、連絡。ホントこれ。
人より何かを知っているということは、全てのことに繋がる。自分の中にある×や△をどれだけ〇に変えられるか、それでしか成長はない。
声、身長、顔、頭等そこそこいい条件は揃ってる。自分に厳しく。
一番好きで一番楽しいことが一番大変。
色々これはやる、これはダメ、こうしてみようかなはあるけど、それでも一度バラバラになることを恐れない。バラバラになるのめっちゃ怖いけど。
今後学んでいくものとして、テクニカルは知識として持っておくべきだなと。それは個人的には明かりよりも音響に。音=声の側面が強いから。
まだ死ぬ時期じゃないな、生きる為にやってるんじゃない、生きてるから好きなことをしてるんだ。
勤勉さ、柔軟さ、素直さを忘れない。吸収。
ちなみに夏休みの宿題は8月31日に終わらなくて始業式を休むタイプ。そういうとこ。
連絡遮断しない。
以上、金曜の夜の集会 番外集会 『トリツクシマ』反省。
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