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1年目の振り返り
留学中の更新から時は経ち、卒業してついに社会人一年目が終わろうとしています。
最近はギャップのみんなの嬉しい報告があってとってもホクホク。何より今でもこうしてお互いのニュースをときどき共有できるような関係性でいれていることがとっても貴重で愛しいですね。
この1年間で新しく始めたこと何があったかな。
1.就職 幸運なことに良いなと思ってた会社に就職できまして、なんとか1年仕事を続けられました。みんなとても優しくて優秀で私は色々と要領が悪いのですが見放さずにいてくれています。上司は私が生意気にも北海道でワーケーションしたいといっても許してくれて、部内で体験の発表をすることまで提案してくれる寛容な方です。4月からは先輩が異動することになり今は引き継ぎクライマックス。大学よりも少ない同期もみんな良い人で出社はしてないけど同期のおかげで寂しさは感じずにやっていけています。
2.一人暮らし 初めてのちゃんとした一人暮らしをはじめました。大学時代も一人部屋に住んでいたことはあったけどみんなすぐ近くにいたからね。一人暮らしとはいっても実家のあるところの隣町で馴染みあるところです。窓を開けると海のキラキラが見えて船の汽笛が聞こえてくる港町なのですが、海の側に住むのは初めてで楽しいです。けど今までずっと山に住んでたからか実はちょっと緑が恋しい。将来は丘の上で緑に囲まれてバルコニーから海の見えるお家に住みたい。
3.歯の矯正 10歳の誕生日にアメリカでホームステイするか歯の矯正をするか親から聞かれて私はアメリカに行きました。妹は歯の矯正をしました。そのアメリカでできた友達に八重歯がバンパイアみたいでかっこいいと言われて割と気に入っていたのですが、やっぱりマダムになったときにも美味しい物を食べ続けたいし健康でいたいという思いとやっと自分の収入が持てたことからついに始めました。毎月3万円歯に出費してます。来年終わったらその分積み立てNISAにしよう。
4.日本語チューター HelloTalkという言語を学ぶ目的専用のSNS(言語交換、訂正機能、ラジオとかある)を始めて中国語を勉強しはじめたのですが、日本人の会員が少なかったらしく業務委託でチューターを募集していたのでなんとなく始めることになりました。1日15分とかで会話練習したり、ゲーム好きな人は日本語のロールプレイングゲーム遊んであるところを一緒に見て解説したり、古典好きな人に百人一首を紹介したりいろんな方法で日本語を勉強するサポートをしています。やっぱり人と話すの好きだしとても楽しい。特に百人一首は小学生の時何も考えずに音だけ暗記していたのですが、今ちゃんとよみなおしてみるとクゥゥって来るのがたくさんあります。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ
→これとか情景がめっちゃ綺麗。まだ寒いのに好きな人の為に頑張って摘んだのかなとか考えるとキュンとしますね。
いつも使わせてもらってるお煎餅やさんの百人一首ページ
ちなみに中国語は自分で勉強する根気がなかったので教室にも通い始めました。今は毎週華金を中国語に捧げています。
ああとても長くなってしまいましたが振り返ると割と色んな変化のあった1年だったかもしれません。最後に私の新社会人テーマソングで締めます。竹内まりやさんの明日の私という歌です。ほんまは地方から東京に就職する人とかにドンピシャな歌なのでこの歌を聞きながら東京で一人暮らししてみたかった。良い歌です。
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伝統ってなんダイ
こちまきとまこの宗教と歴史の話面白いね~私もそんなことかけるようになりたい(笑)
というか、いつもはあってなったときにふとこのブログを訪ねることが多くて、そしたらだれかなんか書いていて、なんだかパワーをもらえます。
最近時々考えること、伝統ってなんだー。
こんなことがあって考えるきっかけになりました
①大学のタイイベント
学部で(全部タイ語だからあんまりコンセプト分からん)けど、タイの伝統イベントみたいなんがあって、伝統衣装のファッションショーに出させてもらいました。伝統服のファッションブランドデザイナーの人が直接来てて、メイクや髪形もしてもらえたしめちゃくちゃ楽しかった!のだけどショックだったのが、他に服を着た学生達が全く興味を示してない感じが強い。特に男の子とか、ダサい恥ずかしいーみたいな感じで。聞いてみたら、その場にいた6人のタイ人学生は誰も一度も伝統服を着たことがないみたいで、若い人にとってはそれが普通らしい。手が込んでて本当にきれいやのに。
一緒に留学生枠で参加したフランスの子は、フランスではこれといった伝統着はないからうらやましいっていってたけど、日本人の私からするとすごく不思議やった。日本は七五三、成人式、結婚式の機会で着る人がいっぱいおるやろし、(私はどれも着てへんけど笑)せめて夏祭りで浴衣着るとか、京都とか観光した時にレンタルするとか、めっちゃカジュアルなものもあるけど簡単に触れることが出来る。それって今までそこまで評価してなかったけど、すごいことなんやなあと。あと、タイで遺跡の観光スポットとかでレンタル衣装屋とかやったら儲からへんのかなあとか思う。タイ人写真撮るの好きやし。んーもったいない!
あと、また自分の話に戻ると、私成人式出てへんし、お金もったいないと思ってたから振袖も着てないねんけど、三つ下の妹が着る振袖を帰ってから着させてもらえることになった!身長10cmちがうねんけど、妹の腕が長かったおかげで可能なそう。それ母親に言われたときに、嬉しくて涙出てきてやっぱりちょっと着たかったのかなとか、考えてつくってくれた母親と妹にありがたいなあって気持ちになった。話しずれた。
➁正月とは
まこも最近言うてるけどもうすぐタイでは旧正月のソンクラン!五連休ぐらいの長いお休みになります。タイの伝統的なお正月楽しみたいな~!って色んなタイ人の友達にい聞いてるんやけど、同年代の子でバンコクに残る子たちは、水着ギャルが水鉄砲で攻撃し合ってきゃあきゃあいうパーティーイベントの情報しかしらない、あとクラブのイベントとか。都会だからそうなのかな?実家帰ってる組はもっと特別なことするんかな?日本のお正月やってなんも考えずに適当に神社行って初詣しておみくじに一喜一憂し林檎飴でも食うんやろといわれたら、たしかにほんまの正月の意味とかお参りの意味とか私も詳しく知らないし、ほとんどの若い人たちがそうかもしれんと、何も言い返せないんですが、違和感。
➂相撲
実は先週用事があって謎タイミングで一時帰国しまして、実家に二泊させてもらいました。みんなテレビ大好きなんで割とずっとテレビついてるんですけど、ホットなニュースやったのが京都舞鶴の土俵で、市長が挨拶中に倒れて、市長の経営する病院の看護師が見にきてたか���、土俵にあがって心臓マッサージしてたら、相撲は女人禁制のルールがあるから、女性は降りてくださいってアナウンスがあったやつ。で、たまたま時期がかぶって、兵庫宝塚市の相撲試合でも、女性の市長が土俵上で挨拶をさせてほしいと協会に伝えたみたい。(過去に断られて土俵外で挨拶、男性の市長は土俵上OK)結局あかんかってんけど。相撲協会はとりあえず心臓マッサージのほうに対して謝罪はしてるみたいやねんけど、どうなんやろうね~ルールが変わるのかなという感じ。まあそもそもVIPが倒れたときに駆け付けた男性のスタッフたちがすぐに心臓マッサージできないのもおかしいし、その管理が甘いのが一番問題なのかなとも思うんやけど、伝統って何だろうという感じ。竿燈の二人とか特に思うことあるのかな。
変わっていく伝統と変わらない伝統良いことと悪いことのとらえようは人それぞれやし、その場やその人の立場によって都合よい解釈が多すぎる気がする。私もきっと自分に都合よい解釈になりがちだし、気を付けなあかんな~と思います。というとりとめのない内容でした。
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10月13日
一昨日は10月13日、日本人とか他の国の人のSNSでは13日の金曜日だ~なんてハロウィンのコスプレしてる人の投稿がちらほらあったぐらいで、どうってことのない日。だけどタイでは特別な日でした。
2016年10月13日はラーマ9世プミポン前国王が亡くなった日です。そして国は約一年間の喪服期間を定めています。崩御がタイ人の生活の生活に与える影響やその大きさの理由について私が気付いた範囲、わかる範囲で書いていこうと思います。
元々タイは王家や王国への尊敬の念を国民に向けさせる工夫が多くされていて、
・毎日午前8時と午後6時に公共の場所やラジオで国歌が流れて、それを耳にした人は流れ終わるまで30秒ほど立ち止まる
・映画上映前に2,3分の前国王現国王のスライドショーを見ながら国王賛歌を起立して聞く
・SNS含め、王国、王家のことを侮辱してはいけない不敬罪
などなどの日本では考えられないルールがあります。
それに加えて、喪服期間だということで、大学の門や講義棟の一階、ショッピングモールには大きな(数m規模) 故プミポン前国王の絵や写真と黄色いお花(お誕生日が月曜日で、月曜日の色が黄色のため)や、モノクロのリボンの装飾があります。
人を見ていて分かりやすいのが服の色。大学職員など公的な仕事についている人は職務中黒い服を着ることが義務づけられていて、一般人もできるだけ落ち着いたトーンの色を身に着けることが推奨されています。今月に入ってからは学部の講義棟一階にこんなポスターが貼られていました。

左上期間がお葬式の日程で、その間は特に右下の色の服を着たほうが良いという案内です。また、違う色の服を着るときや、さらなる悲しみの念を表したい人のためにピン付きの黒いリボンが金色の器に入ってこの下に置いてありました。制服は白黒なのでピンをつけなくてもよいのですが、ちらほらと肩にリボンを付けている学生を見ます。この説明もリボンを付けていた友達に教えてもらいました。
他に気づいたことといえば、地下鉄やスカイトレイン内で流れているテレビ広告が10月に入った途端に一切なくなって、故プミポン前国王の映像や関係者のインタビューらしきものに切り替わったり、銀行で流れるプロモーションビデオの色が白黒になっていたり。盛大に祝うことで有名なタイの大学の卒業式でも、お花と風船のプレゼントは禁止されていて、美術館では二階分規模の大きい展示がされていました。言いだしたらきりがないほど、あちらこちらで国民全体が喪に服している場面が見られます。

昨年の今頃、Facebookでたくさんのタイ人の友達がプロフィールを真っ黒にしていて、何があったんだろうと不思議に思っていたことを思い出します。今年もたくさんの友達がSNSに故プミポン前国王の写真やイラストを載せて、悲しみを表しています。
もちろん、国王が亡くなるってすごく大きなショックではあるけど、なんでそこまで?そう思う人も多いかと思います。
故プミポン前国王が国民からこれほど尊敬されているのにはいくつか特別な理由があります。
まず、国王であった期間が歴代の王の中一番長かった。その期間なんと1946年から2016年の70年間。即位された年齢が19歳の若さだったことも驚き。
次に、タイ国内での反乱やカンボジアとの不和などで国民が争いを起こしていた時に、何度も国民の心に響く言葉をかけて沈めていること。今では日本に好印象を持ってくれているタイですが、70年代には学生の日本製品不買運動がありました。だけどその時に学生が使っている拡声器や車が日本製品だと指摘して運動をやめさせたなど、頭がきれる方だったんだなと思うような記録があります。
そして、弱者を救うために行動していたこと。タイは農業従事者が多いけれど、農家の収入が減っていて、農家の貧困が問題として挙げられています。その問題に対して立ち上げられた王室プロジェクトでは地方の農家が生産した農作物を使った100%ジュースやドライフルーツ、ハーブシャンプーなどの商品を高品質かつ手ごろな価格で販売しています。立ち上げ当初は国王が悪天候の中でも実際にタイ全土各地を視察し、その土地にあった作物、製造加工方法、販売の指導なども手掛けたそうです。
弱者への思いやりという部分はタイで生活するにおいて、言語、情報、機会の弱者になりがちな私を助けてくれるたくさんの人との関わりでひしひしと感じています。国民の象徴というより、国民のロールモデルであった故プミポン前国王が亡くなり、喪服期間も終わろうとしている今、新しい国王はどのようなお気持ちでいらっしゃるのか、少し気掛かりなところです。きっと日本にいたらへぇ、そうなんだ。で終わっていた国王崩御一連のニュースも、今では私や私の身の回りの大切な人々と大きく関連していて、知らなくちゃ。に変わってきています。授業ではタイの歴史や政治について学ぶことはないけれど、自分で調べたり、人から話を聞いてもっとこの国のことを知って、残り期間国の変化を感じたり、そこから何かを学び取れるようにならなくちゃな。
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共感しタイ
また未完成のやつ投稿してもうた...でもやっとパソコンからはいれた~!キーボードってめっちゃ打ちやすくてハッピー。法被着て盆踊りできそうなぐらいハッピー。ほんで今���の記事、前回仕事の話の続きで留学中にどうなりたいか書こうと思ってたけど…他に書きたいことがあるから延期!有言実行できないタイプで���ね。
実は昨日の朝、タイに来て初めてってぐらい凄く落ち込むことがあって。特別留学に関することではないんですけど、人間関係で困って、怒りと情けなさと焦りと、あらゆる嫌な気持ちを心臓に閉じ込めて、無理やり蓋したみたいな。なのに解決策が見つからなくてひたすら胸が苦しい。(って昨日は思ってたけど今考えたらそこまででもないかも。中間試験で焦ってたからかな。笑)
そこでふと気づいたのが、あれ、この胸焼けみたいなのなんか懐かしいなって。そういえば小中学生の時、頻繁に、肺が汚い空気で濁ってるのに吸っても吐いてもキレイな空気にならないよ〜みたいな胸焼けがして、お母さんに体をさすってもらってました。木がもこもこ生えてる自然いっぱいの場所だったから空気はきれいなはずなんやけど、念のため病院行って、もちろん何も異常がなくて逆に悲しかったりして。
当時は全く気がつかなかったのだけど、ぶんぶん、ブルーな気持ち(めちゃイケも懐かしい)に些細なことでなっていて、その度にほれいまブルーやぞと頭で処理しきれない自分の状態を体がなんとなしに伝えていたのだろうな、と今は思います。
ちょっと思いだしたのが、タイ来る前に最後に読んだ、重松清さんの”きみのともだち”という本。社交的で友達の多かった女の子が交通事故で脚が動きづらくなったことをきっかけに、周りの人との関わり方ががらりと変わって、たった一人のともだち(日本語おかしいけど)を大事にして生きていく話。彼女が小学生のころから結婚するまでが取り上げられていて、その成長過程どの段階でも起こる、ややこしい人間関係がすごくリアルに描かれています。

私が初めてこの本を読んだのがまさに主人公が事故に遭って今までの友達関係を信じられなくなる小学校高学年の時で、あぁ人間関係で悩んでいるのは私だけでないのかもしれない。可愛くなくて、運動神経悪くて、トーク力ないからってらって無理やり努力して、薄っぺらい友達なんてもたなくてもいいのか。なんて心が救われて、真面目キャラとのギャップで売り出して、好きでもない変顔を披露する毎日に終止符を打ちました。
不思議なことに10年ぶりぐらいに同じ本を読んでみると、そんなに気にしなくてもいいのになぁ、大学に入ったらもっと気楽になるからもうちょっとだよ、でも確かに友達関係がすべてって本気に思うほどに、自分の大きな部分を占めているよね。なんて主人公や昔の自分に、そこまで気を張らないで、なんとかなるよ、マイペンライよ(タイ語でなんくるないさ的な言葉)と声をかけたくなるほどでした。
何年もずっと胸がむかむかすることがなかったのは、きっとおかれるようになった環境が自分に取ってストレスレス(言いにくいな)に変わっていったのと同時に、自分が前よりも気にしない性格に変化していて、前より生きやすく感じているから。一方で昔持っていたような不安だとか悩みを忘れてしまっていて、他の人のつらい気持ちに共感することが難しくなっている気もします。だれかの相談を聞いて、何かこうその人を救う言葉をかけたいのに、ありきたりな文句しか浮かばなくて、薄っぺらくて、もどかしいと。だからこうやって久々にしんどいなぁと感じてるのも他の人のしんどいなぁにそうやんなぁと共感できるチャンスなのかなと捉えたいですね。
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プチショック受けタイ
タイについて一ヶ月すぎました。早いなぁ。バンコクの地下鉄エスカレーターぐらいはやい。はやすぎて降りるタイミング難しくて最後足絡まりそうになる。お年寄りとか子どもどないやねんっていつも周り見渡すけどまだ見てへん。って何の話やねん。
今日は嬉しい日曜日❤なはずなんですけど、大学では土日にも授業あって、私は残念ながら日曜の授業も取ってます。今日のはSocioeconomics in Oriental Healthcare っていうやつ、のはずやけどまだヘルスケア系はかじってなくて、来週から東洋医学(アーユルヴェーダとかカイロプラクティックやら)と西洋医学の話に入るみたい。オーガニックとかアロマとかそっち系の横文字に興味あるし、なんかタイっぽいな〜って感じなのでとってます。
そうそれで私は今回物申したいことがあるわけです。
【タイの大学生(と教授笑)の授業態度について】
ズバリいいます。授業の態度がひどい。笑 お前授業爆睡してたやつがなにいうとんねんって?それはごめんなさいまこパイセン。でもあなたも近いうちに経験するはずなので聞いてください。
初めて出た2年生ビジネスのマクロの授業で衝撃だった教授の第一声。
「ルール3つ作るよ。
水以外の飲食物を机に置くな
ケータイ触るな
私語すんな
ルール破ったらテスト難しくするよ。」
えっとここは中学校かな?って感じじゃないですか。でも他の授業も受けてみてわかったのがみんなけっこうだらつく。
いやどんだけ膀胱ちっちゃい?ってぐらいトイレ行く。スルメイカとか揚げかまぼこみたいな匂いキツめのものを食べ始める。誰得なインスタライブ撮る。極めつけは
消しゴムちぎって投げる
中学のときクラスに一人はそんな男子いませんでした?すごくノスタルジック
休み時間とかもなんか人のもの隠してじゃれとるやつがおるんです。いや一個下とかのはずやのに、外車乗り回して、ブランドの財布持って、将来起業するって言ってる子達だと思えないキュートさ。精神年齢がキュート。とりあえずキュート。お母さんみたいな気持ちで見守ってる。
あとは教授もリラクシング。今日の授業のアーチャン(タイ語で先生)は特にそうで、一時からのはずなのに一時半ぐらいに来る。来てるのに二時前ぐらいまでなんかパソコン触ってる。で四時終わりのはずやのに三時半に終わる。そんな感じでした。
みんなすごくいい人で優しくて寛容なんでけど、その寛容さはもちろん自分にも持ってるのかなぁなんて。
ちなみにお店なんかもそうで、寮の下のセブンは22時半閉店なんだけど、お客さん少ないと21時とかにもう閉店の看板出して、もう入んなって言うてる。
でも意外と中覗いたらニコってして入れてくれたりする。
いやそのツンデレいらん♡
まあ日本人はきちきちせこせこしすぎてて、働き方が問題になってたりするのかなぁなんて思ったりもします。海外出ると日本のことを他の国の目から見れるってのを少しわかりつつある気がします。もっと色んなプチカルチャーショック受けて色々悩みたいな〜
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優しくなりタイ人
คนใจดี コンジャイディー คน(コン)=人 ใจ(ジャイ)=心 ดี(ディー)=良い 優しい人って言う意味です。 留学先タイがいいなぁって思った一つの理由が人でした。 去年の8月末、大学のレジデントアシスタント(寮に住む学生をサポートする仕事)のために早く秋田に戻っていた私は、できるだけ自分の管轄エリアの住民の事を知って、知ってほしいな〜と思い、名刺とおせんべいを配って挨拶周りをしてました。100室以上の部屋を周るんですが、暑い中何人とも話してるとだんだん笑顔引きつってくるし、迷惑がられるような顔をされてちょっと落ち込んでしまったり。まあ疲れていくわけです。 そんな中あるタイ人留学生のお部屋を訪問した時に、めちゃくちゃ喜んでくれて、タイから持ってきていた紫のゾウのマスコットをくれたんです。それが嬉しくて嬉しくて、そこからきっかけに仲良くなりまして。ガパオライスとかトムヤムクン一緒につくって、辛い言うて泣くタイ人おるんやってびっくりしたり、仙台に泊まりで旅行しに行って、せっかく荒川静香と羽生結弦が練習してたリンク行ったけどビビって滑らずに帰ってきたりしました。 ほんで実際に来てみて、タイ人はやっぱ優しい。 忘れもしない初日、寮に到着してすることあらへんし、寮出たとこの広場でドイツ人の男の子二人と話してたんですよ。けど話続かへんし、こいつ何って思われてそうやしどっかいったほうがええかなって思ってたときにですね、同じ世代の女の子が近くのベンチに座ってて、あの子も留学生かなーって話しかけたら、タイ人だったんです。英語私でけへん、しかもここの大学生ちゃうねんマジごめん的な感じのレスポンスで、あ、そっかこちらこそごめんね。ってまたドイツ人のテーブルに戻ってショボン。 そしたら5分後ぐらいにタイ人の男の子が来て、話しかけてくれたんです。どうやらさっきの女の子が英語できる友達呼んでくれたと。しかも同じ大学の子で、めっちゃ気さくに話してくれました。そこからね、連絡先聞いてくれて、2日後に三人で鍋食べに行ってくれて、3日後にはお寺に連れてってくれました。ちなみに女の子はモデル並み美女なキャリアウーマン、男の子はラグビーやってるマッチョイケメンです。二人共明るくてよく笑う。笑顔が素敵すぎる。眩しすぎてサングラスかけたくなるぐらい。そしてもちろん恋人はいる。(一瞬ロマンスを期待した自分を殴りたい) とりあえず、この二人が身元も知らない、言���も完全には伝わらない私にこんなに良くしたくれたことが泣けるぐらい嬉しすぎて、ここに書きました。 授業ではラッキーかアンラッキーか留学生が私だけのことが多いんですが、話しかけるとみんなすごくフレンドリーにしてくれて、一緒にご飯食べてくれたり、他の友達に紹介して遊びに連れてっていってくれたり、ほんまに優しい。 なんでこんなに優しいのかなって考えてたら、Intercultural Communicationの授業でタイの国民性調べてた時に知った【タンブン】を思い出しました。タンブンは「徳を積む」って言う意味で上座部仏教の輪廻転生の考えの1つなんです。要は良いことしたら自分にかえってくるよっていう考え方。タイは9割の人が仏教信者で、お坊さんは3万人もいます。実際歩いててよく会います。お寺に行ったときもタンブンの1つとしてお坊さんにお水とかお菓子をお供えするんですよ。その考えが意識してかせずともか、タイ人の国民性として根付いているのかな〜なんて思いました。 タイは優しさで溢れる素敵な国です。 私ももっと優しくなりタイ!
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たくましくなりタイ
สวัสดี ค่ะ サワディーカー🇨🇷 26日に期末試験3つを終わらせた翌日に、実家帰る間もなくタイに来ました、みどりです。来年の6月頃までカセサート大学の経済学部とビジネス学部で勉強する予定です。 いや〜来る前は本当に不安がいっぱいで、ギャップのみんなに見送ってもらってから空港でうるうるしてましたが(笑)来てみてから割といけるんじゃね?って感じでそこそこ楽しんでます。 たらたら書きがちなのでこっちに来て一週間で体験した、衝撃エピソード1,2,3いきましょうドン! 【1.控えめパクチー】 タイ料理屋さんでやたら入ってて、好きな人は好き、嫌いな人は亀虫っていうあのパクチー。KALDIでフェアやってるパクチー、全然入ってへん(笑)寮にキッチンなくて、というかタイ人はあんまり自炊しないので屋台とかカフェ(1食100円ぐらい)で食べるんですが、まだ2つぐらいの料理しか入ってませんでした。しかも入っててもスープの最後に散らしといたで、ってぐらい。 【2.持ち運びペーパー&ガチウォシュレット】 アジアでトイレットペーパー流せない国が多いのは、知ってる人もいるかもしれませんが、タイでは結構トイレットペーパーおいてないことがあります。自分で持ち運ぶスタイルですね。(きれいなデパートとかはあったりする)あとはトイレに必ずと言っていいほどシャワーがあるんです。これ何に使うかって言うとウォシュレットなんですね。でもどう頑張っても服に水かかるし便座濡れるんでティッシュ余計使うんですよ。まだこれは慣れてないです。 【3.多い早い安いバイタク】 大学広いからかもしれないですけど、みんなあんまり歩かないんですよ。で役に立つのがバイクタクシー。おじちゃんのバイクの後ろに乗って行きたいとこまで連れてってもらいます。気分にもよるけど大体5分ぐらい乗って30円ぐらい。もちろんヘルメットなんてないですね。あと友達と2人で乗って3人で乗ったりするとなかなかお尻がキツイ。たまに4人で1つのバイク(ほんまに普通のバイクですよ)のってたりするから落ちひんのかな〜事故らんのかな〜って思う。とりあえず便利 とこんなかんじです。 まだ全然授業始まってないのでわりと暇です笑 つぎはタイ人の優しさについて書こうと思います〜 読んでくれてありがとうございました〜 ขอบคุณ ค่ะ コップンカー😄
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一人として関わる
いやー今日から4月ですね。
先々週から大学のほうに戻ってるんですが、春の気配はしません。
ガンガン暖房入れちゃう。チョイチョイ雪降っちゃう。
M子は14時間睡眠とか書いてたけど、私は不規則な生活を送ってまして、
午前3時ナウです。
というのも、春休みの間に参加した日韓訪韓団っていう
韓国に10日間行ってツアーしたり、ホームステイしたりするプログラムの
課題感想文をだらっだらかいてたせいで、なかなか終わらず
期日ぎりぎりになってたら集中しすぎたんですね~(ただの後回し)
で書いてみたからせっかくなのであまり投稿していないブログに投稿します(笑)
慣れないかしこまり系の文章なので変です。
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私はこれまで韓国について正直全くと言っていいほど、勉強したことはなかった。学校の歴史の授業は適当に受け流していたし、韓国語もアニョハセヨとカムサハムニダしか知らない。そんな私が韓国に興味を持ち始めたのは、昨年大学のアパートで一緒に住んでいたギョンヒに出会ったからだ。彼女は時々一緒にチヂミやプルコギを食べながら、熱心に政治の話をしてくれた。朴槿恵元大統領に怒りを表した多くの大学生がデモに参加していたことを聞き、韓国の大学生は日本の大学生よりも社会へ参加しているという印象を受けた。ギョンヒは韓国の経済があまり良い状態ではなく、日本への就職も検討していることも教えてくれた。訪韓団への応募課題であった韓国で日本ブームを起こすアイディアとして「韓国人大学生対象日本での就活観光ツアー」を考えたのは彼女の話がきっかけとなっている。
第1団のメンバーの中には韓国語が流暢に話せる学生がいれば、日韓関係についての知識と意見を持つ学生、韓国のポップカルチャーに詳しい学生、みんな韓国の何かを知っていた。そんな中私は韓国について何も知らない。私には何ができるのだろう。そう考えた時に、韓国を知らない私だからこそ、学生代表をしたいという気持ちが湧き上がった。代表挨拶では、「十人十色の人間交流」を掲げた。日本の大学生だけでも一人一人違う人間で、変わった色をしている。だからこそ、韓国人だから、日本人だからという障壁を壊して、国際交流を超えた人間交流をしようと誓った。

人間交流が出来たと特に記憶に残っている場面はホームステイである。私の受け入れ家族はソウル神学大学に入学したばかりのイェウンと彼女の祖父母の3名。イェウンは1年生だとはいえ、既に東野圭吾の本を数冊日本語で読み終えていて、日本語が堪能である。年は1つしか変わらなかったので、共通の話題が多くあり、話が途切れることが無かった。しかし、日本語も英語も通じない人生の大先輩2人とは、どのように関われば良いだろうか。渡韓前に受け入れ家族の情報を知った時から、不安を感じていた。そんな心配をよそに、2人は太陽のような眩しい笑顔で私を迎え入れてくれた。そして、日本語の名前で自己紹介をしたのだった。
団長による韓国に関する講義や、予め読んでいた本から、ハルモニとハラボジの2人は日本の統治時代を生きていたかもしれないとの想像はしていたが、いざ歴史の足跡を目の前の人から感じた時の衝撃は大きかった。ハラボジ手作りのキムチとハルモニ特製のご馳走で彩られた食卓を囲みながら、イェウンの通訳を通して、朝鮮時代に関する質問を投げかけた。私を驚かせたのは、ハラボジが占領下当時13歳のことを鮮明に覚えていたことである。学校では朝鮮語は禁じられていて、うっかり話してしまうと先生から竹刀で叩かれたこと。信仰に関わらず神社へ参拝し、頭を下げなければなかったこと。撤収、気をつけ、天照大神、君が代、そんな如何にも日本の統一時代と関係する単語が次々と口から飛び出た。
ホームステイ一日目の夕食を終えると、ハラボジとイェウンは家から近くの教会へと私を連れていってくれた。私は無宗教かつ、韓国語は理解できないため、司教のお話や教会で人々が歌っている歌詞の意味はつかめなかった。しかしながらハラボジが歌う姿を目にし、聖歌の旋律に耳を傾けていると、朝鮮時代のことが胸に浮かんだ。自分が信じるものを曲げられなければならない時。誕生から寄り添っている名前を知らない言葉で塗り替えられる時。どんな気持ちになるのだろう。そしてそのような経験をしながらも、解放後初めて関わる日本人である私を受け入れ、温かい手で私の手を包みながら、満面の笑みで話しかけてくれる彼らの心と向き合うことができた。簡単には言い表せられないが、贖罪と感謝が混ざり合わさったような想いで心が溢れ、目いっぱいにたまった涙が流れた。
翌朝も、4人そろって食卓を囲んだ。昨晩の気持ちを、2人を楽しませるエネルギーに替えようと心に決めた私は、共通の話題を模索した。料理が好きな私はハルモニにレシピを聞き、似ている日本料理をスマートフォンから紹介した。食後のシッケという白濁した飲み物は、日本の甘酒と似ているが、麦の汁に米が加えられていて、米や酒粕のみで作られる甘酒とは違いがある。ハラボジと音楽の話をしてみると、彼は”アリラン”を歌ってくれたので、私も好きな”空と君のあいだに”を歌った。最後の最後に歌詞が飛んでしまったことが可笑しくて笑いだすと、家族の皆も手を叩いて笑ってくれた。国籍、言語、世代、文化、何もかも違っているように見えても、同じ人間。こんな小さなことに、あんなにも大きな笑い声をあげてみんなが笑顔になっている。なんて幸せなのだろうと心が温かくなった。

知らないものに触れる時、多くの人は少なからず恐怖を感じると思う。訪韓前に参加学生の名簿を受け取った際には、自分と違う専攻で、離れた出身地の学生と気が合うかどうか心配をしていたし、ホームステイ先の情報を見た時は、年の離れた家族との接し方に不安になっていた。しかし実際に顔を合わせて言葉を交わし、心を通い合わせることによって、相手を知り、自分と重ね、共通点を見つけて親近感を持ち、相違点を見つけて興味を抱く。団員やホストファミリーを大切な存在だと思えるようになった。過激で恐ろしいという漠然としたイメージしか持っていなかった北朝鮮であったが、非武装地帯のDMZへ向かうバスの中で、印象ががらりと変わった。ガイドをしてくれた学生さんが離散家族の話をしてくれて、私と何ら変わらない一般人が、戦争のために大切な家族と引き離されてしまった心苦しい出来事に胸を打たれ、彼女が脱北者に対して抱く、平等で平和的な見方を知って感動したからである。ただ知らないという理由で表面だけを見て、相手を異質なものだと判断してしまうと、関係性は良くなるどころか、悪くなるばかり。せめて自分と同じ人間だという一番簡単な共通点を意識し始めることによって、相手のことを、見つめて、知って、受け入れて、自分のことをさらけ出して、そんな努力ができるのではないかと思う。
日韓における慰安婦問題をはじめとして、世界中に国や地域同士の隔たりができている。残念ながら、今の私にはそれらの国交問題の直接的な解決方法は浮かばない。しかし今回の訪韓団を通して、改めて、他国と、他人と、自分と同じ仲間であるという前提を基に関わり合うことが、二国間、二者間の関係性を構築するはじめの第一歩になるということを確認することができた。まずは普段の生活で関わる人を一人一人尊重することを大事にしたい。そしていつか私の姿勢が周りの人々の姿勢や、属する団体の姿勢に影響し、人と人、国と国がお互いを認め合うことが出来るような社会へ近づけていけたらと心から願う。

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己を知る
先週14期ギャップイヤー生のプレゼン聞いて、なんか初初しい。うぅぅがんばれっっっ!ってまるで幼稚園のお遊戯会で、自分の娘が10人いるベル(美女と野獣)の1人を演じているのを応援しているかのようでした。(私の幼少期です。幼稚園のお遊戯会ってプリンセスがいっぱいいます。)
そしたらやっぱみんなそうだったのね。ギャップイヤーブログの更新が結構されてて、私もやらねばと。そういや後半の活動の振り返りもしてねぇじゃないかと。 ということで、もう2年経つのですが振り返ろうと思います笑

【インターン先概要】
ギャップイヤー後半はNPOカタリバのインターンをしました。高校生の自己肯定感を上げるために、大学生を高校に派遣して、紙芝居を使って人生を語るみたいなワークショップ?がメインの事業のNPOです。ただカタリバは震災の復興事業もしていて、私はその一つの岩手県大槌町にあるコラボスクール大槌臨学舎で先生をしていました。
施設の概要はというと、2015年当時まだ仮設校舎(去年新校舎が建てられました!)の学校であったり、仮設住宅に住む人が多くいたりと、勉強をする環境が整っていない子どもたちの学びの場を提供する施設です。小学生から高校生が安い月謝を払って通うことが出来て、小学生は国語、英語、算数、中学生は英語と数学、高校生はSkypeを使いフィリピンの先生と英会話をできる機会を持てる、いわゆる塾って感じですね。あとは自習室や夏期講習なんかは誰でも利用できる仕組みでした。 そしてここにはカタリバのメイン事業にも繋がる、子どもの自己肯定感を上げるという部分も大きく意識されていたように思います。時々インターンしている大学生(私もしました!)や様々なフィールドで活動している大人(かのゴールキーパー川島選手等!)がするコラボゼミと呼ばれる講演会があって、子どもたちが元気や希望をもらい、勉強を頑張るきっかけを持つ工夫がなされています。
【仕事内容】
私はここで主に小学3、4年生の国語と算数授業担当、英語の授業補助、自習補助、中学生の英語と数学の授業補助、自習室全般担当を任せて頂いていました。生徒と関わる時間外には出席管理などの事務仕事も担当していました。 また、3ヶ月のインターン中は近くのシェアハウス(初めてVOUGUETONG便所経験)に他の先生と一緒に住んでいて、休日には、ご近所さんとのバーベキューやお祭りなど(写真は砂の芸術祭というイベントに参加した際体験したパドルアップサーフィンです)地域の催しに参加することが多かったです。
【きっかけと目的】
実はここでのインターンは元々計画書に微塵も入っていなくて(計画書と計画が変わってもノープロですよ!)あとから変更したものなのです。というのも、大学合格後、高校卒業直前に参加した、NPOカタリバのマイプロジェクトアワードという高校生の活動を応援する大会への参加をきっかけに、このNPOの活動を知り、コラボスクールの存在を知りました。
阪神淡路大震災1年後に阪神地域で生まれて、震災と言葉を耳にすることが多い私なのに、東日本大地震が起きた後、何も行動を起こしていない。というもやもやが胸の片隅になんとなくずっと留まっていました。そして、私自身中高で奨学金を頂いて学校へ通えていたことから、経済面や環境面で恵まれない子どもの教育支援をしたいという気持ちも持っていました。
もちろんたった3ヵ月インターンをするだけでその二つが完全に達成できるとは全く思っていなかったのですが、何もしないよりも少しだけ関わりたいという想いから、参加を決めました。
【結果何を得たのか】
被災地の現状と課題を知ったとか、実践的な教育に触れたとか、テーマに関することはもちろんあったのですが、実は実はそれよりも一番ズドンドンドンドン小西と重く心に響いたのが、いかに自分が出来ない奴かと気付いたことでした。 え笑 なんなんそれ笑 ワロタwww ふぎゃー(☝ ՞ਊ ՞)☝ って感じですよねすみません。でもね、一番自分が大きく学んだことが何かっていうと自分のことだったんです。
私高校卒業するまでは、いやもっというとギャップイヤー前半までは割と調子に乗っていました。まこが確か最近のブログに書いてたみたいに、秋入は運が強い人が多い?だっけ?だと思うんですが、私もこれまで運が多分結構よくて、対した実力はなく、努力もしていないのに、環境や人、あとはタイミングなど色々な外的要素に恵まれてここまで楽しくルンルン生きてきました。なのに何かそれを履き違えて、自分が割とできるやつだと思い込んでいたのであります。
ですがこのインターンを通して、いかに自分が仕事をすることが遅いのか、意見を伝えることが下手なのか、強情で見栄っ張りなプライドと意識だけ高い奴だったのか、気づくことが出来ました。もっと謙虚になろう。分からないことは分からないと言って教えてもらう勇気を持とう。そんな風に当たり前なのですが、気付いていなかったことに気づくことができました。復興や教育関連期待してたらほんとごめんなさい笑 いないとは思いますがもしこの記事読んでくれていて私の話聞きたいと言ってくださるエンジェルがいらっしゃいましたらめっちゃお礼したあとにお話ししますので連絡ください笑
【大学入学後の変化】
でも人間そう簡単には変わることなんてできなくて(ケッ←ひねくれるの早っ)入学後も私のウザさでたくさんの人を困らせてしまいました。 でも良く一緒にいてかつ距離の近いかつ思いを割とズッキュンストレートに伝えてくれるギャップ始めとする秋入のみんなのおかげで少しは、自分のいたらなさを理解していて、ツンケンしたカドがちょっとは丸くなったのかなと...思いたいです笑 (特にギャップのMMさんにはオウグッっていう声が出そうな程核心をついていただいては、反省するという機会を頂いていて感謝しています。)
そんな私への優しい理解を示してくれている秋入ともあと半年で一旦別れを告げる(夏からコップンカーの国に留学します)ことを思うと、さらに謙虚さと向上心を持ち備えた人へ近づかなければと思っています。 って結局なんか秋入の話みたいになっちゃった最後。疲れたので終わります。14期ギャップイヤー生も色んなことを感じるギャップイヤーになることを願います。

大好きな秋入唯一全員そろってる写真
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ただいま秋田ただいまブログ!みどり
ただいま秋田ただいまブログ!
こんばんは。お久しぶりです。みどりです。
なんと1年以上書いておりませんでした。
と、いうのも理由を話しますと、もともと私は今朝何食べたっけ~とか、あれ、いまなにしに二階あがってきたんやっけ~のような勢いで、あメアドどれ登録したんやっけ、パスワードなんやっけ、が頻繁に起きます。
そのためにいつもせめてメアドだけはスマホのメモに書いてあります。
タンブラーのメアドとパスワードもメモに書いておりました。
だがしかし!今でも忘れることはありません。
最後のブログ更新した数日後、(私は岩手県大槌町のシェアハウスにおりました)トイレにiphone6ちゃんを落っことしてしまったのです。
しかもそれはVOUGUE TON(おしゃれな雑誌みたいにいうな!)
もちろんぼっとんトイレですのですぐに消えてしまい、当日の朝新しくボランティアでその家に住み始めていたきれいなアメリカ帰りのお姉さんと掃除機等々で奮闘しましたが結局救済できませんでした。
ということでせっかくつくったこのブログのメアドさえも忘れてしまい、というよりはそれどころではなく、かけておりませんでした。
そのVOUGUE TON事件から一年余り。
先月7/29に最後の授業があり、そこからお祭り巡りしたり実家蹴ったり(なんで蹴るねん打ち間違えやけどおもろいから残す)今日秋田にもどりました。
明日からRA(Residence Assistant)のお仕事があるためです。簡単に言うと寮長てきな?
え?ほんまにこれ飛行機なんちっちゃ という声を横耳にしながら着陸し、タクシーでAIUに戻り引っ越し前でぐっっちゃぐっちゃにくじゃがみっくじゃがーな部屋でボーっとしているとなぜかこのブログを思い出しまして。
そして今まで試していなかったグーグルのメアドを思い出したのです!
グーグル様本当に有難うございます。
っということでだいぶだいぶだいぶつぶつ前ではありますが、ギャップイヤーの振り返りをしたいと思います。読み返したら全然かいてへん(笑) まことたくやに申し訳ない。
まずは前半の三か月やったこと。
活動として挙げていたことはオルタナティブスクールでのボランティアでした。
大阪府箕面市にある箕面こどもの森学園というNPO法の学校の小学部で週にボランティアをしていました。フランスの教育学者セレスタン・フレネさんの理念にそった自由な校風の学校です。ここで私が大きく学んだことは学びの方法はたくさんあり、それには子どもに自由を与えることが必要であるということです。
例えばこの学校では毎朝ハッピータイムと呼ばれる時間があります。この時間にはスタッフと子ども達が一つのテーブルを囲んでみんなの顔が見えるように座り、小さなぬいぐるみを回していきます。自分の手元にぬいぐるみがまわってきたら、前の日、週末、またはその日の朝におこった嬉しかったことや記憶に残ったこと、なんでもいいからみんなに話したいなと思うことを共有します。特にない場合はパスをしても大丈夫です。こどもの森では他にも自分の話をしたり、意見伝える場面が多くあります。ですが強制されることは絶対にありませんし、大人のスタッフも同じ立場で参加します。このため子ども達はコミュニケーション能力に長けていくのではないかと思いました。
また、私がボランティアにいっていた木曜日にはしぜんの日というイベントがありました。この日には近くの山や公園に行って自由に自然の中で遊びます。虫を追いかける子、花を見つめる子、ひたすら原っぱでごろごろする子。自然の中で新発見が沢山あり、何かを学ぶ機会になれば、心と体を楽にしてリラックスすることもできます。他にもテーマやプロジェクトといった授業の中では子ども達が関心を抱いた事柄について探求したり、何かを成し遂げたりします。これは問題意識の醸成や人格の形成と安定などにもつながってくるのではと思います。
教育は子どもの可能性を信じ、その可能性をより大きく広げ、子どもの成長を促す機会であるべきだと思っています。箕面こどもの森学園はまさに子どもと大人の信頼関係を大事にして、成長することに温かいエネルギー注いでいる場所だと思いました。
では夜中にブラウニー食べながら書いてるなんて相当皮下脂肪がせい���ょうしてしまいそうなのでこのへんで!

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こんばんは。 月1ペースで更新しております。ごめんなさいサボってました。実は先週岩手に来ました。その話はまた今度。
今回は私の1つ目のギャップイヤー活動の"つながるプロジェクト"について書きたいと思いまっす。いや、あなたの文やたらと長いから読みたくないっす。無理っす。っていう方は画像を見てもらったら簡単に分かるんでそれ見て欲しいっす。
〜つながるプロジェクトラかるーく始動の巻〜
そう。あれは高校3年生になる前の春休み。高校の近くの国際なんちゃらセンターでクラスメイトと勉強会という名目でおしゃべりしていました。
彼女は1年間ニュージーランドの高校に留学したのちに私のクラスに入ってきた1つ年上の人でした。留学する前には他県の高校に通っていたりと色々な環境で生活をしてきた経験を持っていました。私はほぼ、ずっと兵庫に住んでいましたが、学校以外でミュージカルをしていたり、短期留学をしたりと色んな同世代の友達がいました。
「なんかさ、10代の世界が学校だけってもったいないと思わん?もっと他のコミュニティーで新しい出会いとか発見があるかもしれんやん?」
それぞれの経験が重なり合ってこんな話になりーの
「それやったらうちらで他校の人とか他の地域の同世代と関われる機会を作ろうや!」
こういう結論になりーの
つながるプロジェクトを始めることになりーのなのです。
その日になにをやるかもきめていないのになんとなーくFacebookページをつくり、とりあえず色んな友達にいいね!の招待を送りまくり、
「みどりなにこれ!」 「超おもしろそう!」 「がんばってね!」 「マジ尊敬!」 「マジリスペクト!」
とここまでは言われませんでしたが、笑 ある程度の注目をあつめて一気にfacebookのページのいいねが100ぐらいまでいってしまったみどりちゃんは少し焦りました。
「あれこれ結構軽い気持ちではじめちゃったけどこれなにやるか決めてねーしそもそももうすぐ高3ってことは受験生だし国際教養大いきたいけど模試の判定Eだし数学クラスでビリだし今便秘だしこれこんなことしてる場合じゃないんじゃないけど注目集めちゃったし引き下がれないんじゃない」
〜始めたはいいが何をするのだの巻〜
「高校とか中学の友達ってそういえば何もやりたいことがないっていう人が多いかもしれん。けどうちが留学とか習い事でできた友達って何かに夢中になってたり夢も持ってたりした。」
「やっぱ頑張ってる人ってかっこいいよな。顔がイマイチでも一生懸命な人は3割り増しに見えるよな。」
「せやったら頑張ってる人の話を色んな人に共有してえっと。。その。。イン。。。スパイス?イン。。。スパイダー?あ!インパルズ!」
「それ芸人やん。インスパイアな」
ここまで馬鹿ではありませんでしたがこんな感じでFacebookで頑張る10代の記事を書き始めました。
〜つながるつながるプロジェクトの巻〜
「なんかさ。2人ってショボくない?てかネタ探しのためにもメンバー増やさん?」
ということで運営メンバーを集め始めると、知り合いを中心にみるみる集まって、今は7人で運営しております。このブログを見てくれてる方はグローバルっていう言葉が好きそうですが、私どもメンバーは結構グローバルです。7人全員が留学したことがあってその内3人はアメリカの大学に通っています。まあこのためskypeでミーティングするときは時差でちょーっと大変ですが向こうの生活に関する投稿とかしてもらえるとめっちゃ面白いです。
そんなこんなで今は記事作成者、チェック担当者に分かれて毎週金曜日に記事を更新しています。
〜調子に乗り始めた奴は色んなことに手を出すの巻〜 「記事を書くだけやと間接的に10代が関わるというか一方的な感じやな。」
「それならなんかイベントやろうぜ。」
という感じで去年の6月の音楽の得意な3人の10代をゲストに大阪の公民館でコンサート兼交流会的なものをやりました。
がしかしこの時来てくれた10代のほとんどが運営メンバーの1人の友達という結果に終わってしまったのです。甘かった。ココアにマシュマロとかして上に生クリーム絞ってチョコスプレーかけちゃうぐらい甘かった。けどこれ結構うまそう。
このころから私と当時の代表だったクラスメイトが本格的に受験に焦り始めたのもあり、ありあり、モハメドアリ。活動は週一のがんばる10代の記事と不定期の10代おすすめイベント紹介やブログ更新だけに留まりました。
〜ちょっと頑張り始めるの巻〜
12月無事にAIUに合格し、クラスメイトも滑り止めに合格して余裕が出てきた私たちは色々新しいことに挑戦し始めました。まずは教育系のNPOカタリバが主催するマイプロジェクトアワードというプレゼンコンテストに応募し、東京での大会に参加することができました。決勝には進めませんでしたが、色んなことを頑張っている高校生たちに出会って刺激されました。プレゼンを作るにあたってこれまでの活動を振り返ったり、コンセプトを考え直せたのも良かったです。今回のブログに添付している画像はその時のスライドの一部ですね。 マイプロジェクトアワード ⇨http://www.myprojects.jp
「記事作ると時間かかるし紹介される側も結構すごいことしてる人みたいになりがちやんな。」
「ほんなら、もっと簡単にがんばる10代もしくはこれから何かを頑張りたい10代の紹介しよ!」
ということで"10代まちなかインタビュー"を始めました。4月、5月と大阪神戸でいきなり道端で出会う10代らしき人(何回か20代に声かけちゃった)に声をかけ、ボードに頑張りたいことや頑張ったことを書いてもらいました。
。。。と結構長く、なってしまいましたが ようは見てもらいたいです!笑 ⇨https://www.facebook.com/tsunagaru.teenagers
はい!これを見ていただけたらつながるプロジェクトが何しているかちゃっかりやっぱりはっきりわかります!
よし!次は6月中に更新します!笑
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おおまかな計画 みどり
超お久しぶりの更新になってしまいましたみどりです!前回は私がなぜギャップイヤーをとることにしたかの理由を長々と書きました。今回は(実はもうギャップイヤーが開始してしまっているのですが笑) 私が何をするのか(しているのか)お話しします!半年の間で私は主に3つのことをします。
❶つながるプロジェクトの運営 ❷箕面こどもの森でのボランティア ❸NPOカタリバ コラボスクール大槌臨学舎でのインターンシップ
❶まずつながるプロジェクトとは何なのか?これは私が昨年の3月に高校のクラスメイトと立ち上げた団体です。10代が学校や地域という「枠」を越えてインスパイアしあい、可能性を広げる ということを目的に活動しています。これまでは主に毎週金曜日に何かをがんばっている10代のインタビュー記事をfacebookで公開してきました。私は最近この団体の副代表から代表に変わったのですが、ギャップイヤーを通して新しいことに挑戦したり、これまでの課題を解決していきたいと思っています。詳しくは次の記事で書きます!
❷前回の記事で触れましたが私はこれまで学校に通ってきて不満に思��点がたくさんありました。そして自分が理想とする生徒の自主性を重んじる教育を調べていたところ大阪の箕面こどもの森学園という学校を見つけました。この学校ではセレスタン・フレネというフランスの学者の理念を基盤にした教育を小・中学生に受けさせています。学校の特徴としては、教壇に立って教える先生がいなく、子どもたちの勉強をサポートするスタッフがいること。子どもたちが学習計画を自ら作成しそれに沿って学んでいくこと。少人数で小学生は低学年が1クラス、高学年が1クラスで年齢が混同した環境で学んでいることなどが挙げられます。この学校には4月からボランティアのスタッフとして毎週木曜日に通わせていただいています。私がどのように関わらせていただいているのかなど詳しくはまた次の投稿で書きます!
❸様々な教育支援を行うNPOカタリバが2011年12月に岩手県の大槌町に放課後の教育支援施設のコラボスクールをつくりました。ここでは中高生の学習支援や心のケアなどを行っています。私は不登校や経済的な教育格差などの教育課題に興味を持っていました。また、3.11が起こってから被災地に何も関わってこなかったので何かの形で関わりたいという思いを持っていました。コラボスクールでは被災して不登校になった学生の支援をしたり、経済的に学費を払えない学生のための奨学金制度も用意しています。ギャップイヤー後半にはこちらでインターンシップをし、中高生の勉強の手伝いをしたり、話し相手になったりする予定です。インターンシップ開始時期になったら詳しく書こうと思います!
今回は本当にざっくりと私がギャップイヤーですることの内容を書きました。次の投稿で❶のつながるプロジェクトについて詳しく書き、他の活動についてもこれから少しずつ詳細を書いていきます!
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ギャップを選んだ理由 みどり
おはようございます☀️ 実は今高2で参加したhsdという留学プログラムの総会で東京に来ています!一昨日神戸でギャップメンバーのまこ(現在一人旅中)と同じくAIUフレンドのみらんと遊び、一瞬帰宅し荷物を大慌てで詰めて夜行バスで東京にやってきました。朝空いている店がほぼ無く、東京駅から皇居の方に歩いていたら駅に戻れなくなり、皇居の周りを一周していました笑 夜はまたまたAIUフレンドのりこのお家にお泊まりで、今からギャップメンバーのたくやにあいます!!入学前なのにAIUの友達がたくさんいて楽しいです♡ ほんとはもーっともっとほっともっと東京での楽しいお話をしたいのですがそろそろギャップの話をします笑 私のギャップイヤーの目的は、自分の将来進む方向をもうちょっとクリアにすることです。私ね、昔からシャンプーとか柔軟剤とかそういういい香りのする日用品が大好きなんですよ。想像されると引かれるかもですが、昔は暇な時ドラッグストアに行っては新商品のテスター使ったり香りサンプルをクンクン嗅いではニヤニヤしていましたね。ごめんなさい正直言うと今でもしています。ドラッグストアLOVEです♡あとは英語を使って仕事がしたかったので外資系の日用品会社で働きたいなーってずっと思っていました。 ですが高校2年生の冬に参加した兵庫県の英語ディベート大会がきっかけで他の職業も考え始めます。この時の議題が「すべての小学校は外国語教育を廃止すべき」みたいな感じだったので、いろんな国の教育制度とか教育問題を調べていたんです。そしたらなんか日本の教育ってやっぱりあんまりだなーってすごい不満に感じてきたんですね。私家庭があんまり裕福ではなくて高校も奨学金をもらって通っていたし塾も行ったことないんです。日本って給付型の奨学金はほとんど無いし、(そうそう!ギャップ生は入学時期のために奨学金もらったり借りるのできないです泣)学費も高校からは払わないといけないし貧しい人にあんまり優しくないなって思います。実は日本で1/6の子供は貧困状態にあるんですよー!意外ですよね。 後はね、この話すると超長くなりそうなんですが笑、これまで私が学校に通ってきて感じたことで、日本って先生が講演するみたいな授業体系であんまり生徒が参加型の授業体系じゃないなと思うんです。これが好きじゃなかったので、小中学生の時は学校に通うメリットが分からなくて「勉強なら図書館行ってできるし、人付き合いなら近所の人とできるから行きたくない!中学卒業したら伝統工芸に弟子入りする!」とか言ってました笑 まあ結局は大学進学までしましたが笑 ディベートを通して教育についてちょっと知り、今まで感じてきた不満と重なって日本の教育を変えたい!みたいに感じ始めました。ただ、今でもドラッグストア愛。ではなく日用品会社の夢もまだもっていて迷い中です。それでギャップイヤーを使って将来のことを考えたいなと思いました! あー長かった!笑 文章まとめるのが下手でごめんなさい笑 長くなりすぎたので、次のブログで活動計画について書きます。ばいばーい
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