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HAVE A GOOD SLEEPWALK
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walking-asleep · 8 years ago
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Lab trimester
The lab trimester is over. 
Here is what I made for it.
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walking-asleep · 9 years ago
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いや、しかし自分の名前がわかりやすく入っていないとダメらしい。仕方ない、新しくアカウント開設することにする。
Design Academy - Lab 2
久しぶりにTumblrを開いて、文章を書いている。というのも、学校の授業で「進捗をTumblrに記して報告せよ」というのが出たからだ(Lab 2というのが授業の名前だ)。はじめは、その授業専用のアカウントを新たに開設しようと思っていた。量は多くないがこれまでの投稿内容もあるし、この場で書くのが適当でないこと、書きたくないことも出てくるかもしれない。だが、各種サービスや会員制サイトでアカウントやパスワードは増える一方で、管理にもかなりの面倒がかかる。なので、今回の課題についても、この場を使っていくことにする。今後は、日英で書くことになります。ただし、同内容の併記ではない。
Lab 2, First class / Jan. 12th.
The MU space is located right next to the workshop and it is pretty convenient to go back and forth through the back door of the workshop. But the instructors at the workshop don’t like it because they believe it increases the traffic in the workshop. It sure does, but we are not walking through the workshop. We are working in the workshop and walking back to the MU space from time to time to check if certain parts fit the rest of the model, grab materials, talk with teachers/fellow students, etc. Blocking the back door only forces the students to walk a few extra minutes and makes no sense.
I have been playing the guitar since I was a kid. I like watching different kinds of musical instruments (or simply, just instruments) and see how they work, but somehow never built one of my own. During the Lab 2 class, I think I would like to do something related with sound or music.
The Lab students are encouraged to share everything they have in their minds on the tumblr posts. The teachers say that is how they come to know how the student works are coming along, students’ interest, or any troubles they have. But at the same time, many of them might be feeling not willing to share all the ideas they have. They usually want to keep their projects hidden until the moment they present them. They all want to surprise or outsmart everybody else.
Now, what would happen if all the students are encouraged to steel ideas from their peer students? It is basically OK to steel (or get inspired by) the ideas by outside designers or artists, but you don’t want to do it in your own class. Or your friends will stop eating lunch with you. But again, what will happen if they dare to steel from one another? Wouldn’t it be able to achieve higher results collectively? And, since all the students can witness how ideas develop from one thing to something better, isn’t it good also for the educational purpose, as well?
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walking-asleep · 9 years ago
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Design Academy - Lab 2
久しぶりにTumblrを開いて、文章を書いている。というのも、学校の授業で「進捗をTumblrに記して報告せよ」というのが出たからだ(Lab 2というのが授業の名前だ)。はじめは、その授業専用のアカウントを新たに開設しようと思っていた。量は多くないがこれまでの投稿内容もあるし、この場で書くのが適当でないこと、書きたくないことも出てくるかもしれない。だが、各種サービスや会員制サイトでアカウントやパスワードは増える一方で、管理にもかなりの面倒がかかる。なので、今回の課題についても、この場を使っていくことにする。今後は、日英で書くことになります。ただし、同内容の併記ではない。
Lab 2, First class / Jan. 12th.
The MU space is located right next to the workshop and it is pretty convenient to go back and forth through the back door of the workshop. But the instructors at the workshop don’t like it because they believe it increases the traffic in the workshop. It sure does, but we are not walking through the workshop. We are working in the workshop and walking back to the MU space from time to time to check if certain parts fit the rest of the model, grab materials, talk with teachers/fellow students, etc. Blocking the back door only forces the students to walk a few extra minutes and makes no sense.
I have been playing the guitar since I was a kid. I like watching different kinds of musical instruments (or simply, just instruments) and see how they work, but somehow never built one of my own. During the Lab 2 class, I think I would like to do something related with sound or music.
The Lab students are encouraged to share everything they have in their minds on the tumblr posts. The teachers say that is how they come to know how the student works are coming along, students’ interest, or any troubles they have. But at the same time, many of them might be feeling not willing to share all the ideas they have. They usually want to keep their projects hidden until the moment they present them. They all want to surprise or outsmart everybody else.
Now, what would happen if all the students are encouraged to steel ideas from their peer students? It is basically OK to steel (or get inspired by) the ideas by outside designers or artists, but you don’t want to do it in your own class. Or your friends will stop eating lunch with you. But again, what will happen if they dare to steel from one another? Wouldn’t it be able to achieve higher results collectively? And, since all the students can witness how ideas develop from one thing to something better, isn’t it good also for the educational purpose, as well?
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walking-asleep · 9 years ago
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地中海ラーメン
 先月バルセロナに行った折に、ラーメンを食べた。泊まっていたホステルの2-3件先が、たまたまラーメン屋だったのである。「Ramen-Ya Hiro」という、ヒロさんという日本人が腕をふるっているラーメン屋であろうことが容易に推測できる店名だ。人気店らしく、ホステルへの出入りのたびに、店内に入りきれずに行列している客の横を通って歩いた。
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 僕は食に対するこだわりはそれほど強い方ではない。なので、食事のために行列に並ぶことなど滅多にしないし、ラーメンなど日本で食べた方が美味しいに決まっているので、スペインまで来てラーメン屋に並ぶことなど1秒も考えなかったが、連れの若者たちが、どうも興味があるという。「お前ら勝手に好きなもの食ってろ。俺は別行動だ」と拒絶するのも良くないので、おとなしく彼らに従うことにした。
 開店する8時半の15分ほど前に店についたが、すでに20から30人は並んでいる。「やっぱり・・・」という気にも少しなったが、すでに「バルセロナのラーメン屋」というものに対する興味の方が優っていたので、並んで待つことにした。連れと会話したり他の客を観察したりして時間を潰したが、実に1時間も待たされた。
 通されたのは厨房がよく見えるカウンター席だった。働いていたのは、日本人と思しき人2名、他にスペイン系、南米系らしい人が2名ほどずつ。店内には、壁に手書き風のアニメキャラが見えたり、また食玩のオマケがカウンターに並んでいたりして、押さえるところを押さえた日本アピールがしてある。僕は醤油ラーメンを注文して、出てくるのを待つ間、カウンターの中、ちょうど目の前で忙しくしていた日本人に声をかけてみることにした。指示を出す様子などから判断して、どうもこの人がヒロさんらしい。僕は以前、ロサンゼルスで日系雑誌の広告営業をしていたことがあって、「外国で働く日本人」というテーマには興味がある。曰く、「バルセロナには8年近く住んでますよ。店を始めたのは3年前。当時はラーメン屋なんて一軒もなかったけど、今は5-6軒はありますね」云々。「毎日行列じゃないですか。儲かってますね」と言ったら、「いやあ、それほどでも」というような返事だった。これほど、毎晩夜中まで行列の途切れることのないほど客がいて(ホステルの窓から見えるのだ)、儲かってないはずがない。これで利益が出ていないというなら、よほど商才がないのだろう。
 ラーメンは、スープを口に含んでちょっと驚いた。パエリアみたいな味がしたのだ。「地中海の青が眼の前に広がって・・・」などと言いたくなってしまうような、スペイン料理の豊かな風味だ。同じシーフードでも、日本の煮干し系ラーメンなどとは全く違う。ヒロさんに尋ねたら、やはりエビなどを多く使っているらしい。麺や他の具材もちゃんとしていて、地中海スープとの予想外のハーモニーを奏でていて、なかなか美味しかった。いいもの食べた、という気になった。
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ラーメン屋の前で行列する人々。スペインで商売するならラーメン屋ですよ、みなさん。
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walking-asleep · 9 years ago
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オランダのニシン
 オランダ人は、けっこう魚を食べるのである。もともと国土の小さい国で海沿いに位置しているため、必然的に古くから魚食の文化があったのだろう。
 僕がよく食べるのは、キベリングという揚げ物だ。白身魚に衣をつけて、かなりしっかり揚げて、タルタルソースやカレーソースなどで食べるのだ。市が立つ日には魚を売る店も多く出て、その場でキベリング���揚げて食べさせるのである。揚げ物なのでボリュームもあり、またソースもたっぷり盛り付けられるので、なかなか腹にたまる。短く言うと、おいしくて不健康なストリートフードなのである。
 もう一つは、生のニシンを酢や塩で漬けたものだ。これがその写真である。
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 見ての通り、食べやすいサイズに切ってあるわけでも、フォークやナイフと一緒に出されるわけでもない。なので客は、尻尾をつまんで持ち上げて、口を上に向けて大きく開け、上からぶら下げるようにして食べやすい分だけを噛み切りながら食べるのである。こんな風にして食べるものは、他にはちょっと知らない。食事の光景としては、なかなか見かけないものだろう。パン食い競争に少し似ているかもしれない。
 で、それを今日初めて口にしてみたわけである。市場の屋台で、1.60ユーロのものと1.85ユーロのものをそれぞれ一尾ずつ買ってみた。違いは、「太って脂がのっている方が高い方」とのこと。味は、双方ともかなり脂がのっていて、生の魚を漬けただけということでシメサバのような味を想像していたが、もっと脂ぎっていた。上に乗っている白いものは玉ねぎだ。もう少しさっぱりしていて、味が濃い目だったらよかったかもしれない。
 などと言っているが、僕には、基本的には、オランダの食べ物に関してそれほど発言する資格はない。外食することは少なく(節約のため���)、オランダ人の友達も一人住まいの若者が多いため、郷土料理や伝統料理に触れる機会が少ないのである。
 市場では、他にパクチー、ナス、キュウリなどを買った。そしてその足でアジア食材店に行き豆腐、ごま油とめんつゆを買って帰った。
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walking-asleep · 9 years ago
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スペイン旅行(で買った消しゴム)
 休みを利用して、スペインに旅行に行ってきた。唯一のお土産は自分に買ったもののみで、これがその写真だ。
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 無印良品バルセロナ店で購入した消しゴムである。商品の側面には日本円の価格が表示されたままで、「税込 79円」となっている。ところが、バルセロナの店頭での購入価格は、1.5ユーロだった。今日の為替レートが1ユーロ123円ほどなので、日本でなら79円で買えるものを、倍以上の180円以上出して買ったことになる。無駄といえば無駄だが、ヨーロッパで一般的に購入できる他の消しゴムのクオリティが非常に低いので(アメリカもそうだった)、日本製の消しゴムというだけで買いの強力な理由になり、さらに色が黒くてちょっと変わって見えるということと、せっかくのスペイン旅行で買い物の一つもしていないということも重なって、購入に踏み切った。
 アジア諸国の事情など詳しくないのだが、欧米の消しゴムはいいものが少ない。うっかり安いものを買うと、鉛筆の粒子を紙の表面ごとヤスリで削り取るような乱暴な消し方をするので、紙がボロボロになってしまうのだ。消しゴム選びには多少の注意が必要なのである。そして大きめの予算だ。
 無印良品は、僕の通うのがデザインの学校であるということもあろうが、友人の間でもファンが多い。ペンやノートなど��文具は、友人のカバンから覗いているのを頻繁に目にする。西ヨーロッパの大きな都市では、出店も進んでいるようで、いま同社のサイトで見たら、パリやロンドンなどには、市内だけで8-9店舗もあるようだ。しかし、アイントホーフェンのような田舎町はもちろんのこと、オランダには一店舗もない。少し面白いのは、無印良品がおしゃれなデザイン文具ブランドのように認識されている点である。日本国内だと、「それなりに使いやすくて、安くも高くもなくて、たまに少し変わったものも作っている」というような感じではなかろうか。前述の強気の価格設定の影響もあるのだろうか。しかし、どのような形であれ、日本のものが評価されているのは悪い気はしない。
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walking-asleep · 9 years ago
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2学期終了
 デザインアカデミーの一年めは3期制なのだが、つい先週、2学期の授業がすべて終わった。1月から3月までである。学校に顔を出す用事は3月末まであるのだが、授業はもうお終いだ。先週いっぱいは講評にあてられていた。学期中に作ったものを、講師が一週間かけてじっくり見定め、成績をつけるのだ。なので、先々週までが、期末の追い込み制作期間だった。ずいぶん忙しかった。
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作品の一部。庭付き一戸建て。
 寝食を惜しんでの作業にかかりきりだったので、生活リズムも乱れ部屋も荒れ放題になっていたが、やっと昨日、掃除をすることができた。以前も書いたかもしれないが、僕の部屋は必要以上に広いので、片付けも時間がかかった。で、しばらく自炊ができていなかったので、冷蔵庫の食べ物も古くなってしまっており、買い出しに出かけることにした。
 行く先は、毎週土曜に開かれる市場である。市の中心部からほど近い広場に、地場野菜(誰かに確認したわけではないが、おそらく地場のものであろう)の露天が並ぶのである。また、野菜以外にも、種々雑多な物売りや、いわゆるストリートフードの屋台も多く出て、なかなか楽しいのである。
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 目当ては、白菜と米だ。実家の母がしばらく前に、鍋用の固形スープを送ってよこしてくれていたので、それを消費するのである。白菜は近所のスーパーマーケットでも買えるのだが、割高だろうと思って、市場で買おうと思っていたのである。また、米も、しばらく前に切らしていたのだが、買う時間がなかった。
 市場を一回りしてみたが、白菜は、高かった。また米は、予想はしていたが、この市場では見当たらなかった。なので、アジア食材を扱うスーパーマーケットまで足を延ばすことにした。中華食材を中心に扱う店だが、日本のものも多少、手に入る店で、重宝している。この店なら白菜も米も、通常は、揃えている。行ってみると、予想通り、どちらも手頃な値段で購入することができた。以下、このAmazing Orientalと云うスーパーマーケットの商品について少し書いてみる。
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こちらが、僕が通常買う米だ。”Shinode”とプリントされているが、日本語表記は「日の出」だ。Sは何なのか。Superなどのような修辞語を略してあるのだろうか。いや、SunriseのSか。そして読みは、「エス・ヒノデ」か、あるいは「シノデ」が正しいのか。イタリア産である。
このスーパーでは、米は、銘柄も値段も幅広く取り揃えてあるのだが、オランダ在住歴の長い友人がこの銘柄が一番うまいと言うので、僕もそれにならっている。自分で他のものを試すつもりもない。10キロで16.95ユーロ。
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豆腐も買った。450グラムで0.95ユーロ。ベルギーで作っているらしい。アメリカのLake Tahoeとは、おそらく何の関係もないだろう。このパッケージは、東洋的というか中東っぽいというか、ヨーロッパらしくない。移民向けの食品を製造する移民が興した会社なのだろうか。いまグーグル検索したら、Singhという言葉はサンスクリットが語源で、ヒンズー文化圏でライオンを意味する言葉らしい。どおりで。
 上の写真にある米と豆腐の他には、目当てだった白菜と、春菊やカレールーを購入。これ以降の写真は、未購入だが気になったもの。
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森永の豆腐も売っていた。こちらはメイド・イン・ジャパンを輸入したもので、その輸送を可能にしているのがこの”revolutionary package”らしい。光、酸素と微生物をシャットアウトする革命的包装。森永は、アメリカでは現地生産しているが、ヨーロッパはまだのようだ。
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日本のタイ料理屋でも見ることができる辛いソース。こちらは、アメリカで製造したものを輸入販売。
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即席麺のコーナーには、おなじみの辛ラーメン。麺類は、そばやうどんから見たことのないものまで、豊富に揃えている。アジア人は麺を食べるのである。
 広場の近所に住むロシア人の友人に、たまたま会った。市場の日に彼女に会うのは、二度目だ。買い物袋からはネギが飛び出ていて、他にはイノシシ肉やアーティチョークを買ったという。珍しいものを買うと思って、どう料理するか尋ねたら、「肉屋の親父とはなじみで、その親父が『買ってみろ』とうるさく言うから。シェフの友達がイノシシのレシピを教えてくれたから」云々。どうやら、イノシシを常食としているわけではないようだ。
 非常に天気が良く、また気温も10℃を超えていたので、とても春らしい日だね、という話をした。ロシア人らしいファーの分厚いコートを着て、「こんなに暖かくなるなんてね」と暑がっていた。
 彼女と別れてから思い至ったが、「僕だってカムチャッカで熊のスープを食べたよ」という話をしてやればよかった。
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walking-asleep · 10 years ago
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自転車の話
 自転車の国、オランダで経験した話をいくつか。
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選曲は、当然これだ。
 アイントホーフェン市で最も大きい大学はアイントホーフェン工科大学で、どうも名門らしく、学生数もデザインアカデミーの10倍ほどある。広大な敷地に立派な建物がいくつも並び、設備も充実しているのである。特に重要なのは、プリンターの使用料がデザインアカデミーよりも格段に安いことだ。なので、印刷の機会が増える学期末は、工科大学のプリンタールームがデザインアカデミーの学生で満杯となるのである。工科大学の学生バイトが、印刷料金の会計やサポートスタッフとして常駐しているのだが、この時期は非常に迷惑そうな顔をしている。数名の学生がシフトを組んであたっているようで、当然ながらスタッフごとに対応は異なる。一人、漢字の書かれたティシャツを着た親日家がおり、僕のお気に入りだ。
 それで、僕も工科大学のプリンターを使用することがある。その日も、工科大学で印刷を終えて駐輪場に戻るってみると、自転車の前輪部分に、何やら折りたたんだ紙が挟んである。広げると、オランダ語で書かれた手書きの手紙だった。罫線の入ったノートから破り取った紙にボールペンで書いてある。手書きで、しかもこのようにあり合わせのもので書かれているということは、印刷された文字だけの社交辞令的な年賀状などに比べて、何かしら本当に伝えたいことがあったということであり、なんだか嬉しいような気分になる。しかし、オランダ語のため、何が書いてあるか全くわからない。
 翌日、オランダ人の友達に内容を読んでもらった。送り主は女性で、以下のようなことらしい。僕の乗っている自転車が、その女性が以前乗っていた自転車に酷似している。汚れのつき方などから判断して、おそらくそのものであろうと。非常に気に入っていたが2年ほど前に盗難にあってしまい、残念に思っていたところ(自転車の盗難が多いこと、そして僕の自転車がナイスバイクであることは、以前に述べた通りだ)、駐輪場で偶然見かけた。ついては、差し支えなければ、彼女が今乗っている自転車と交換してもらいたいという。
 様々な妄想が膨らむ。場所が工科大学の駐輪場なので、そこの学生である確率が高い。異国の地の理系女子大生である。これはなんというか、是非、お友達になりたいケースだ。それで、手紙にあった電話番号に、交換はやぶさかではない旨の返事を送った。するとしばらくして返事があり、やり取りをしているうちに、どうも、彼女が今乗っている自転車は、実はコンディションがそれほど良くないということがわかってきた。それで、少し考えて、僕もこの自転車を気に入っており、100ユーロ近い金額を払っているので、交換するか否かの最終的な決断は、あなたの自転車を見てからにしたい、と書いて送信したのである。最初の好意的な返事と比較すると、少し嫌な奴と思われたかもしれない。しかし僕だって、交換した自転車が、すぐに壊れたり修理が必要になったりしたら困る。そうしたら、返事がこなくなった。
 友達になれず、顔も見ることができず、残念ではあるが、正しい判断をしたと思っている。
 件の自転車を買って3ヶ月目あたりの頃から、停車した状態から走り始めるときなどに、「カクン」という振動が足に伝わるようになった。「よくないなー」と思っていたら、ある日、チェーンが切れた。学校に向かっている朝のことで、学校まではまだ1/3程度の距離が残っており、授業には遅れるだろうが、仕方がないので引いて歩くことにした。パンクであれば、ホイールは傷んでしまうのだろうが、多少の距離ならそのまま走ってしまうこともできる。しかしチェーンが切れてしまっては、どれだけペダルをこいでも空回りするだけだ。
 それで、自転車を押していると、5分も歩かないうちに、後ろから声をかけられた。50歳前後と思われるおっさんが、自転車にまたがって立っていた。髪は短く整えられ、動きやすそうなジャージを着ている。自転車は、実にスピードが出そうなモデルだ。で、ことが起こった通りに事情を説明したら、「同じ方向だから、途中まで後ろから押してやろうか」という。そんなことは言われたことがないし、自転車に押される自転車など見たこともない。僕も、瘦せ型だが大人の男なので、体重はそれなりにはある。だが、押せば動くに決まっているので、感謝の意を伝えて、お願いすることにした。
 道道話をしていると、おっさんは、DAFというトラックを製造する会社に勤務しており、トライアスロンが趣味で(これで、おっさんの早そうな自転車と体力の説明がつく)、息子は大学時代に日本語を習っていたという。
 「すごく難しい言語らしいね。」
 「そう言う人が多いですね。でも僕は日本人なのでわかりません。」
 おっさんの職場と僕の学校の方向が分かれるところまで来たので、おっさんに礼を言って、僕はまた自転車をおりて、押して歩き始めた。
 一学期が終わる前に、学校に置いてる荷物を全て持ち帰らなければならないということだった。なので僕も、画用紙の入ったケースや絵の具などを詰め込んだ袋を抱えて自転車に乗り、片手運転で自宅に向かっていた。風が強い日で、しっかり抱えていないと、大きな画用紙ケースが持っていかれそうになる。また、片手運転で不安定なのだ。それで、風と戦いながらふらふらと自転車を進めていたら、自転車道が車道の下をくぐるあたりで、上の方から呼びかけられた。減速するとバランスが崩れるので、自分を呼んだのではないと思おうとしたが、まわりには僕以外誰の姿も見えない。仕方がないので上の方を仰ぎ見たら、ベールを被った可愛らしいムスリムの女の子だった。そうしたら、前輪が変な方に曲がって、転んでしまった。
 自転車で転ぶのなど、何年ぶりかわからない。決まり悪い感じで立ち上がって、荷物を抱え直して見上げると、女の子が申し訳なさそうな顔で「ソーリー」。で、「図書館はどちらの方向ですか?」と尋ねてきた。僕は気恥ずかしさで、またなんだか腹が立ってしまってもいて、多少ぶっきらぼうになってしまい「あっちです」と方向だけを示した。後になって、もっと丁寧に教えてやればよかったと思った。また、膝を��りむいて、ズボンも破いてしまっていた。
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walking-asleep · 10 years ago
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『ジェフ・クーンズの展示に現れた3人のアーティスト、「CEOとしてのアーティスト」、および芸術における技術について』の和訳
 Huffington Postで読んだ”So These Three Artists Walk Into a Jeff Koons Show... The Artist as CEO... and Why Skill in Art is No Joke”という記事が面白かったので、勝手に和訳しました。ニューヨークのガゴーシアンギャラリーで昨年の12月まで行われていたジェフ・クーンズの展示について説明し、「アシスタントを大勢抱えて実際の制作をやらせ、自身は絵を描くこともできず指示を出すだけ」というジェフ・クーンズを「アメリカの大企業のCEOのようだ」と例え、「ポストコンテポラリー」美術の盛り上がりについて触れ、アーティストにとっての「技術」というテーマにつなげていきます。
 全体の論調は、クーンズのようなCEOアーティストに対して否定的で、技術あるアーティストがもっと注目されるべき、といった内容です。「技術」という言葉は原文の「Skill」を訳したものですが、この言葉についても、「伝統的な技術(いわゆるアカデミックな技術)」と、それぞれのアーティストが追求しなければならない「特異な技術」に分けて論じていきます。制作に大して関与しない大物アーティストのブランド名ばかりを追いかけるのではなく、本当に技術を持ったアーティストが評価されるべき、という部分は概ね頷けるのですが、「特異な技術」などが説明不十分で「?」となったりします。
 ジェフ・クーンズの「Gazing Ball」という作品は、記事中で触れられているのは絵画ですが、もともとは彫刻作品から始まったようですね。絵画、彫刻ともに、過去の巨匠による名作のコピーに青いガラス玉をくっ付けた(だけの)ものです。クーンズ本人の言葉も多く引用した記事をThe Guardianで見つけましたが、「ガラス玉を加えることによって、作品の力が増しているのです」などと言っているのですが、なんだかなあ、という感じでした。Wikipediaで知ったのですが、クーンズは若い頃、ウォールストリートのブローカーだったことがあるんですね。マーケットの動きなどを熟知した上で作品を発表してるんでしょうね。僕は、現代美術は、意味が解らないものもけっこう多いのですが、その中でもクーンズの評価は例外的なんでしょうかね。
 記事を書いたのは、John Seedというアメリカの美術史の大学教授です。自身も絵を描くようで、「絵を描かないで指示だけ出すクーンズ」に批判的になっている部分もあるんでしょうか。
 記事は、ルイス・ニザーという著名らしい弁護士の引用から始まっています。
元記事:http://www.huffingtonpost.com/john-seed/so-these-three-artists-wa_b_8873906.html
筆者:http://www.johnseed.com/
 
「手を使って働く者は労働者である。その手と頭を使って働く者は職人である。その手と頭と心で働く者は芸術家である。」
- ルイス・ニザー
 スティーブン・アサエル(左)とマイケル・グラス(右)という2人のアーティストが、ニューヨークのガゴーシアンギャラリーで、展示されているジェフ・クーンズの「Gazing Ball」の絵画作品について議論しています。写真はF・スコット・ヘスによるものです。
 「Gazing Ball」は、名作絵画の緻密なコピーにアルミニウムの棚をボルトで固定し、そこに表面が反射するガラス玉を乗せてあるという作品なのですが、ガゴーシアンギャラリーの下のようなプレスリリースを読むと、絵画を制作したのはジェフ・クーンズだという印象を受けるでしょう:
 「ガゴーシアンギャラリーでは、ジェフ・クーンズによる新作の絵画シリーズ『Gazing Ball』をご覧いただけます。」
 その通り。クーンズが絵を描かないことは、誰でも知っています。2012年のニューヨークタイムズマガジンで、「私はジェフ・クーンズのスタジオの奴隷だった」という記事にあった、この引用が明らかにしています。
基本的に、アイディアを出すのが私の役割です』とクーンズはインタビュアーに言いました。『実際の作業に私が関わることはありません。私にはその技術がないのです。なので、トップクラスのアーティストに依頼するのです。
 ジェフ・クーンズについては、こう言っておきましょう。その正直さは評価に値するものであり、また、アーティストのために雇用を生み出してもいるのです。
 「Gazing Ball」に使用された絵画を制作した「トップクラスのアーティスト」は18ドルの時給を手にしていたのです。ファストフード店よりはいいですが、エアコンの修理工よりはずっと薄給でしょう。スティーブン・アサエルは、ニューヨークでも最も尊敬を集める、才能に恵まれた具象派画家の一人です。アーティストの友人二人とともにガゴーシアンの展示にやってきましたが、「クーンズの」絵画の多くが、実際は彼の知人のアーティスト、あるいは彼の教え子が制作していることは、彼もよく承知しているのです。
これらの絵画を制作したアーティストは、彼ら自身がすでに非常に優れたアーティストである場合も多い。しかしながら、私の知る限りクレジットを与えられてはいない。多くはスクール・オブ・ビジュアルアーツとニューヨーク・アカデミーの卒業生で・・・。
 今日、自分以外のアーティストに制作をやらせているなどということでは、トップ・コレクターの誰一人も驚かすことはできません。これは、2007年から2008年のサブプライム危機の責任をとって、トップの銀行家は罰を受けるべき、と言うようなものです。すでに言い古されたことなのであり、特にニューヨークのような場所では、誰も聞く耳持たないのです。アーティストが自分の絵画を自身の手で制作していないなどと、あえてあげつらうような真似をすれば、返ってくる反論の内容も、大方は目に見えています。「何百年も昔からあったことですよ。ピーテル・パウル・ルーベンスもアシスタントを大勢抱えていたでしょう?」などと言われるのが関の山なのです。
 これに対する答えは、「ルーベンスは、確かにそうでした」となりますが、それでも、そこには大きな違いがあるのです。ルーベンスは、自らの手で完璧に絵画を製作することができていたのであり、あらゆる意味において自身の工房の「主」だったのです。ケヒンデ・ワイリーもまた人気のある現代作家ですが、自らの手で作品を描き上げる技術を持っています。しかし彼の場合、特に背景の製作で、中国から助けを得ています。クーンズこそは、真の意味での「CEOとしてのアーティスト」なのであり、むしろ、技術をほしいままにするだけの金があることを見せびらかしているようにさえ見えます。これは、現代流の、アメリカの企業モデルそのものなのではないでしょうか?ピラミッドの頂上まで登りつめたら、あとは、力のある手下を雇って製造を任せ、利益を吸い上げるのです。
 いま一度、スティーブン・アサエルがルーベンスにちなんだ「Gazing Ball」の絵画作品を前にして立つ写真を見ると、「CEOとしてのアーティスト」というものについての、珍妙でまごう事なき、文化・経済的逆転現象に気付かされます。
巧みにして熟練のアーティスト、スティーブン・アサエルは、緻密に再現されたルーベンスの「虎狩り」を前にして立っています。バロックの巨匠ルーベンスは、多くの助手を抱えて製作していました。アサエルは、このルーベンスのコピーが、自分の友人や教え子たちの手によって描かれたことを見てとりますが、クレジットは全て、アメリカで最も商業的成功を手にしているアーティストのものとなるのであり(ジェフ・クーンズの推定純資産は5億ドルです)、さらにそのアーティスト本人も、自分では絵は描けないと認めているのです。ついでに言うならば、絵の細部をあらためたくても、スティーブンは2フィートより近づくことができません。ギャラリーの守衛が、その超高額な作品に近づかせてくれないのです。 
 一体全体、これは何たる事態なのでしょうか?
 おそらく、おそらくですが、スティーブン・アサエルの友人や教え子たちの持つ精緻な技巧がガゴーシアンギャラリーで展示されるに至ったということだけでも、良いことなのかもしれ��せん。おそらく、彼ら自身の作品が展示され(巨匠のコピーではなく)、彼ら自身の名前がクレジットされる日も、来るかもしれません。おそらく、ついに、空を描く天空の弧が正義の方向に向かうこともあるのかもしれません・・・。
 私のまわりの画家たちの間で、技術というのは、いま話題のトピックになっているのです。それが何なのかは、皆、直感的にわかっているようですが(絵を実際に目の前にして見れば、わかるものなのです)、技術の有無が意味するものについては活発に議論が行われ、様々な意見が文章にあらわされているのです。
 昨年の7月、アーティスト、および教育者であるスコット・ヘス(「Gazing Ball」の展示をスティーブン・アサエルとともに訪れています)が、「不技術化は美術教育にとって害悪か?」と題した、神経に触れるような記事をブログに掲載しました。記事はすぐに注目され、フェイスブックでは3万の「いいね!」を集めました。今日見られる「教育の場での技術に対する偏見」について不安をあらわにし、「職業に関する伝統的な技術の訓練が、組織だって、そしてしばしば制度的に軽視されるのは、ビジュアルアーツのみだ」と主張したのです。ヘスの信じるところでは、戦後に抽象表現主義が優勢に出たこと、そしてその後、コンセプチュアリズムとポストモダニズムが力を持ったことが、芸術制作の場での技術の地位を貶めることになり、現在広まっているネガティブな流れを作り出してしまった、ということなのです。
 さらに直近では、ライターのダニエル・メイドマンがブログに「ポストコンテンポラリー」美術の盛り上がりについて、内容の濃く思慮に富んだ記事を掲載しました。美術の再構築をもって自ら任じる絵画の新しい潮流のなかで、「技術」はそれを支える「三本柱」の第一であるというのです(他の二つは創造性と共感)。「技術のない天才にも直観は訪れるかもしれない」とメイドマンは考えを述べます。「しかし、まず技術の能弁を身につけなければ、結実することはない。」
 ダニエル・メイドマンの文章を読んでいると、特に(私のように)モダニストに由来する絵画と抽象絵画の愛好家なら、気が落ち着かなかったり腹が立ってきたりするかもしれません。伝統的な技術を、アカデミック美術の名の下に硬直化してしまっているとして疑い、新しい表現を阻害するものとして避けるようになった、それがモダニズムの時代ではなかったのでしょうか?「技術」とは、今の私達からすると政治的に非難されるような美術、あるいは精神面で空虚な美術を推し進め、正当化するためのものとして、過去に使われていたものなのではなかったのでしょうか?
 メイドマンが忠告するように、「技術のない」アーティストが大成することはないというのならば、「技術の能弁」を持たなかったジャクソン・ポロックは天才ではなかったということになるのでしょうか?「技術」とは、写実主義においてのみ意味をなすものなのでしょうか?もしそうならば、「技術」という概念は極端に幅の狭いものになってしまわないでしょうか?このような、痛いところを突くような質問をされれば、回答も割れてしまうのではないでしょうか?技術の意味について議論するならば、このような疑問がおびただしい数で、次から次と私の頭の中に押し寄せてくるのです。
 まだ一つ、重要な疑問について話をしていません。ひとまず一歩下がって、これについて考えたいと思います。
何をもって絵画における技術とするのか?
 私の考えるところでは満足のいく唯一の回答というのはなく、また、分けて考えることも必要です。ここで私は、現代絵画について関する技術(あるいは一連の技術)には二つ主要なものがあるといいましょう。
伝統的な技術(いわゆるアカデミックな技術)
特異の技術
 これらについては、注釈を加えるようなかたちで定義を示しながら、すぐに展開させていきます。ですがその前に、双方をつなぐ点について触れたいと思います。
 技術とは、いかなるかたちであれ、身に付けるのには訓練をつみ発展させていく必要があります。つまり、練習が必要なのです。マルコム・グラッドウェルが「Outliers」で言う、どのような分野であれ何かをマスターするためには10,000時間の練習が必要である、という主張が好きで、また私は、何らかの技術とそれをマスターすることは、互いに関連しあっていると考えています。技術というものは脳の中にあるものですが、身体を通して外に出てくるのです。つまり、身体の空間的な運動感覚を伴うものなのであり、また、精神とのつながりを失ったテクニックとしての技術は単なる手先の器用さとなってしまうのです。
 最後に、私がここでいう技術、あるいは一連の技術とは、互いに重なり合うものなのであり、現代絵画においては��々混ざり合って発展しています。私は技術という言葉の意味を柔軟に捉えており、何世紀も昔に定まってしまったものだけを指すのではないと考えているのです。
伝統的な技術:
 伝統的な技術とは、説得力あるかたちで正確に、そして美しくかたちを表現するために必要なあらゆる要素や方法をマスターすることを指します。これは、主題となるものと構図を考え出しデザインするだけの知性はもちろん、描く能力をも含んだ、ルネサンス期の「designo」の理想に根ざしています。
 伝統的な表現の技術はより具体的で教えやすいもので、科学的なパース、線と影によるかたちの描写、および絵画制作で用いる道具と材料の習熟を意味しています(16世紀以降、主として油画を指しています)。想像と発明の技術は、教えることはほぼ不可能です。想像を大きく膨らませる能力を持つものもいれば、生まれつき精彩を欠くものもいるのです。ですが、designoという概念が発展したのは、天才と結びつく想像力のレベルを確かめ、正当に評価するためだったということもあります。ルネサンス期には、これはまだ比較的新しい考え方だったのです。
 伝統的な技術をもって描かれた絵画の見え方と印象は、決して立ち止まることはありませんでした。例えば新しい顔料の導入など、材料の進歩に従って進化し姿を変えていたためです。そして、様々な分野の巨匠たちが、時間をかけて、技術という概念そのものを新たな地平に導いてきたのでした。伝統的な技術とは、一部の非凡なアーティストがその卓抜した技術を持って使いこなすことができた、匠のための一式の道具箱のようなものだったのです。その匠の道具箱も、へぼ絵描きの手に渡ってしまえば、二流以下の作品しか生み出すことはできませんでした。
 19世紀半ばの写真の発明で、絵画制作がそれまでのように人を魅了するということはなくなり、図像を捉える手段としての技巧的な写実主義は、人々の心を捉えることはできなくなっていくのです。その結果として生まれた写実主義に対するバイアスは、今日でも色濃く残っています。
特異の技術:
 特異の技術とは、私が独自に考案したカテゴリーですが、アーティスト個人に関する技術のことを指します。伝統的技術にもとづいている場合もありますし、そうでない場合もあります。アーティスト個人の成長に呼応しながら、目指す美のゴールや興味対象と関連して進化します。一般的に伝統的技術に基づいていると思われているアーティストの作品にも、特異の技術は見て取れます。ティツィアーノの後期作品の重い筆致が良い例です。
 多くの現代アーティストは伝統的技術のアカデミックな訓練を積んでおり、それを、様式を覆すような実験的な作風の土台としています。例えば、ピカソの歪められたキュービズムはかたちを知り尽くした上で成り立っているのであり、デ・クーニングの力強い抽象表現には、disegnoのひらめきを顕著に見ることができます。伝統的技術は、現代絵画としばしば融合し、アーティスト固有の特異の技術に姿を変え、現在もそのプロセスが続いているのです。
 技術は今日の現代絵画にも頻繁に見てとることができますが、多くの場合は、主要な教育機関やアトリエが蘇らせようとしている「伝統的技術」とは大きくかけ離れたものとなっています。現代絵画における技術は客観化しにくいもので、「特異の技術」が妥当なカテゴリーであると同意してもらえないことも多いと思います。同意してもらえない人には、私は、「作品を目の前にしてみれば判る」と言いましょう。力強い現代絵画であれば、その筆致、情熱、うちから溢れるビジョン、仕上げられた作品のうちに、見てとることができるのです。これこそが、「ゾンビのような」作品に痛ましいほど欠けている要素なのです。どのような作品に技術が欠けているかを見つけることは、それぞれの眼に任せておきたいと思います。
 芸術における技術という課題を、見つめ直さなければなりません。伝統的な技術を好もうと特異の技術を好もうと、あるいはその双方を取ろうと(私は双方を取ります)、私が言いたいのは、技術というものはそれ相応に報いられるべきで、「CEOとしてのアーティスト」というモデルは、後にすべき時が来ているということです。そしてまた、ポストコンテンポラリー絵画、特異の技術を持った絵画がもたらせられなければならないと、私は言いたいのです。ブランドばかりを見るのではなく、個々のアーティストの技術に目を向けなければならないのです。今、ジェフ・クーンズのために仕事をしているアーティストは、緻密なコピーの製作のための「職人」として雇われています。CEOアーティストの世界では、技術とは金で買ってしまえるものであり、それぞれが持つ特異性は押しつぶされてシステムに取り込まれ、アーティストとしての未来は囚われ、身動きが取れなくなってしまうのです。
 私には、スティーブン・アサエルのようなアーティスト(そしてその友人や教え子たち)が、日に日に輝きを増して見えます。そして、バーニー・サンダースも実に魅力的に映るのです。
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walking-asleep · 10 years ago
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ミニマルな男性用便器とアールデコな男性用便器。
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walking-asleep · 10 years ago
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ヨーロッパ貴族っぽい気分
学校が始まっている。一年生は9月1日の始業なので、もうしばらく前の話になってしまった。それで、ばたばた忙しくしているかと言うと、そうでもない。始業初日に与えられた課題(アイントホーフェンの町にまつわる諸処のキーワードをテーマに映像を作れ、というもの)をこなしてからは、学校全体の始業式と始業パーティに丸一日費やしたり、「学生全員がお国柄のでる料理を作って来て、みんなで食べましょう」という日があったり(授業はなかった)、なんだかのらくらと過ごしている。例えば、今日は9月12日の土曜日なのだが、一学期の時間割が確定したのが、やっと9日の水曜日である。その時間割が始まるのが来週の月曜日からなので、今週中は7日(月)、10日(木)、11日(金)と3日も休みだった。 こんな調子なので、学生もヤキモキして、「早く時間割が欲しい」とか「次の予定が知りたい」とか、当然のように言い始める。ある日の集まりで、講師がこう言っていた。曰く、「授業の大枠をもっと知りたいという声がみなさんから出てますが、当校はこういう学校なんです。みなさん自身で進む道を探して下さい」とかなんとか。言い訳がましく聞こえないこともない。また、「まだ引っ越ししてから落ち着いてない学生もいるでしょう。部屋の整理などしっかりして、授業に備えて下さい」とも。 こんなふうに過ごしていると、みなやることがなくなってくるのか、「今晩何してる?飲もうよ」というようなお誘いもちょくちょくいただく。ありがたいことである。また、Facebook上に一年生のグループがあるのだが、パーティの告知がしょっちゅう掲載されている。みなパーティが大好きだ。だが、ここではパーティという言葉のさす内容に、多少注意が必要なのである。クラブなどの会場を借りてズンドコズンドコ音楽をかけて行う、いわゆるパーティらしいパーティはもちろんあるのだが、個人宅で持ち寄りで行うパーティも多いのである。日本語で言うところの「宅飲み」や「家飲み」の感覚なのだろう。「鍋パーティ」と言うときのあれだ。
Macの内蔵カメラの調子が悪い。FaceTimeなど起動しても認識されず、「カメラを接続して下さい」のようなメッセージが出るのである。幸いなことに、AppleCareの保証期間が今年の11月までなので、無償修理が効く。AppleCareって、世界中どこのアップルストアでも使えるのね。保険を買っていい思いをしたことはあまりないが、たまにはいいこともある。修理には2週間ほどかかるとのこと。
iPhone 6を買った。カリフォルニアで使っていたiPhone 5が日本帰国直前に故障し、それから2ヶ月ほどスマホレスで生活していたのである(帰国&引っ越しが佳境に差し掛かっているときに壊れやがったのである。おかげで散々な目にあった)。だが、やっと、役所に登録できる住所も手に入れ、電話会社との契約も結べるようになり、晴れてのスマホ入手だ。慣れない土地でグーグルマップの発揮するパワーは、計り知れないだろう。
オランダの鉄道にもSuicaのようなIC乗車券が導入されている。それの顔写真入りのもの(顔写真が入っていると、運賃割引に使用できるのである)をオンラインで注文していたのだが、それが今日、郵送で届いていた。その宛名を見て、ひっくり返りそうになった。僕の名前「Ken」が、一文字ずつピリオドで区切って、「K. E. N.」となっていたのである。申請時は間違いなく「Ken」だったはずだが、いったい何なのか。ものすごく名前の長い、ヨーロッパ貴族か何かのフルネームが、オンライン申請フォームに入りきらなくて、イニシャルだけ残したような感じにも見える。「3文字とは短すぎるから、きっと何かの省略なんだろう」とでも思われたのだろうか。こんなふうに書かれると、なんだか自分もローヤルなお家柄に生まれたような気もしてくるから、不思議だ。思い出したのでついでに書くが、昔勤めていた会社で、海外からのDHLの宛名が、「Mr. K. T. Sundoa」だったこともあった。 懸念しているのは、IC乗車券の券面にも「K. E. N.」とプリントされていることで、他の身分証との名前の不一致などでいちゃもんを付けられ、トラブルにならないかということだ。
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walking-asleep · 10 years ago
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New neighborhood. 目がやられるくらいさわやかな朝。
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walking-asleep · 10 years ago
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オランダの豆腐
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夕暮れ時の、近所の公園。街頭に取り付けられた標識に”ZONE”と書いているが、何をするゾーンなのか見当がつかない。
店頭で気に入って買おうと思っていた自転車に対して、その店の店員に「イケてない」という趣旨の発言をされたことは、前回書いた。別に、それで購買意欲が減退したわけでも、自分の審美眼に自信がないわけでもないので、そのまま購入して、毎日乗っている。そしたら今度は、別の人に「その自転車すごくカッコいい。イントロキャンプにきてる自転車で一番」と言われた。自転車屋で働いていたことがあって、客の好みに合わせて組み立てもやっていたという青年で、このように人に言われたら、こちらも嬉しくなってしまうというものだ。センスのいい若者もいたものである。
学校が始まるのに先立って、「イントロキャンプ」というものに参加してきたのである。アイントホーフェン市近郊の町に自転車で行って、2泊3日で泊まり込んで講義内容や学生生活の手ほどきを受ける、というのが僕の解釈だったが、実際は、運動会と宴会を合わせたような催し物だった。
開催地はディーセンという町で、泊まるのは、実際はキャンプサイトではなく、農場を改装したと思われる宿泊施設だ。そこに、100人以上が、自転車をこいでちんたらと向かうのである。100人が100人一度に移動するわけではなく、途切れ途切れではあったが、それでも、なかなか見ない光景だろう。そういえば、僕がアイントホーフェンに到着してからも、市街地のそこここで、揃いのティシャツを着て自転車に乗る若者のグループを見かけていた。あれもおそらく、他のさまざまな学校が、新入生のオリエンテーションみたいなものに出かけていたのだろう。オランダでは、こうやって新入生を歓迎するものらしい。加えて、僕の学校の生徒は、皆、仮装に身を包んでいる。100人を超える仮装自転車行列は、他の通行人や自動車の運転手から見れば、 目障りなものだったかもしれない。翻って、自分が東京で大学に入学した当時はどうだったか、どんなオリエンテーションがあっただろうか。思い���そうとしたが、明確に蘇ってこない。そりゃそうだ、15年も前のことだもの。戦慄する。
このように、前回も触れたが、オランダ人はかくも多く自転車に乗る。道道、同期の若者たちと言葉を交わしたのだが、その中でも自転車にまつわるものがあったので、紹介する。一つ目は、ドイツからの留学生に教えてもらった、「オランダ人から自転車を盗むのは、エスキモーから雪を盗むようなものだ」というフレーズだ。そこらじゅうにあるので、盗まれても痛くもかゆくもないということだろうか。オランダ人と自転車の関係を、端的に表しているだろう。もう一つは、自転車の手当に関するものだ。アイントホーフェンの中心部、駅の近くに大きな広場があるのだが、自転車が欲しかったら、夜中にこの広場で立っているといいらしい。「50ユーロでどう?」のように、売り手側からアプローチが来るらしい。闇夜に紛れて、自転車トレードが行われているのだ。売り手からのアプローチには、「いやー手持ちが10ユーロしかなくて」と返すのが定石らしい。しかし、なぜ夜中に行うのか。日中は人通りの邪魔になるということか。または、盗難自転車ということなのだろうか。
イントロキャンプそのものの内容はというと、昼は交流のためのゲーム(水風船の奪い合いとか、クイズに答えられないとビール浴びせられるとか、そんな類のものだ)を行い、夜はDJが出てきて大音量の音楽を流し、朝まで飲み、踊る。付き合いきれないので、二晩とも1時前後には床についていた。
キャンプそのものは、このように内容のないものだったが、新しい同期生たちと話ができたのは、良いことだろう。キャンプについてその他に特筆すべきは、食事である。毎食、実に手の込んだ、食べたことのない食事がテーブルに並んだのである。というのも、僕の通う学校には”FOOD NON FOOD”という、食物をテーマにした課があり、そこの学生が食事の準備をしたからだ。全てベジタリアン・ミールだった。何を食べたか一つ一つ覚えているわけではないが、記憶に浮かんだ順番にいくつかならべると、暖かいスイカの何か、スパイシーなキヌアの何か、ナッツとチョコレートを散らした茶色いペースト状できゅうり風味の何か、といった感じである。どれも、肉を使っていない。だが、肉を使っていないということ以外は、何を食べているのか、よく判らなかった。キヌアは美味しかった。キヌアは、他の学生にもおおむね評判が良かったようだ。それ以外は、目新しくはあるが、毎日の食卓で好んで食べるかというと、そうでもないように感じる。「ベーコンとポテトが食べたい」とこぼす学生もいた。
今はまだ、Airbnbを利用した仮の住まいだ。なので、毎日の料理には家主のキッチンを使っているが、自分のものでないから汚れなどに気を使うし(この家主が、特に神経質なのである)、すぐに新しい部屋に移動するのがわかっているので、食材や調味料を大量に買い込むべきではないだろう。とはいえ、やはり貧乏な学生身分ゆえ、外食はなるべく控えるようにしている。では、毎日何を作って食べているのかというと、大まかに二通りに分類される。ジャガイモとパスタだ。
ジャガイモは、皮を剥かれてスライスされたものが袋に入ってスーパーマーケットの棚に並んでいる。これがなかなか便利なのである。あらかじめ少し加熱してあるのか、火の通りも速いようだ。肉や冷凍野菜などと一緒に適当に加熱して食べている。日本のスーパーマーケットに、このようなものは置いていただろうか?アメリカでも見なかったように思う。やはり、ジャガイモはオランダ人にとって重要な主食なのだろう。主食であることと手軽さを鑑みると、日本人にとってのサトウのごはんみたいな位置づけだろうか。いや、サトウのごはんのほうが手軽か。
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パスタは、これまた適当に茹でて、適当な肉と野菜と一緒に、適当な瓶詰めパスタソースで食べている。もともと食事にこだわる方の人間ではないので、こういうときは便利だ。
また先日、豆腐を見つけた。JUMBOと大書きされた黄色い看板を良く見かける、大手スーパーマーケットの店頭でだ。日系食料品店でもない、このようなチェーン店で見かけたのが少し嬉しく、また値段も安かったので、早速一つ買って食べてみた。薬味も醤油もないので、塩だけふって、冷奴で食べたのだが、非常に固い。日本の一般的な木綿豆腐を、さらに固く固く絞ったようなイメージである。その質感を他のもので例えようと考えてみたが、うまく置き換えられるものが見つからない。肉に近いというのか、とにかく固い。ナイフを刺し入れただけで、固さが手に伝わってわかるのだ。カリフォルニアでも、豆腐はよく買って食べていたが、あれは日本のものに近く、木綿、絹ごしなど種類も豊富だった(実際、ハウス食品のアメリカ法人からも出ていて、”Firm”や”Soft”のように硬さを表記してあるのである)。オランダ人は、どうやって食べるのだろうか。やはり、肉の代わりのようにするのか。で、その固い豆腐を一丁というべきかワンパッケージというべきか、とにかく一つ食べたら、なんだか胃がもたれているような気分になった。胃もたれする豆腐など、聞いたことがない。
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料理しながら酒を飲むのが好きだ。何より酒はうまいし、料理も、出来上がった頃には酔っ払っていて、大抵のものはうまく感じられる。そしたら先日、皿に盛り付けてしまっていた後で(パスタだったかジャガイモだったかは、忘れた)、塩も胡椒も一切使っていなかったのに気付いた。
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walking-asleep · 10 years ago
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アイントホーフェンにはカモメが飛んでいる。
どうも、現時点ではやれることが多くは残っていないらしい。なので、ブログでもつけてみることにする。
と考えたことは過去に何度もあって、何年も昔の投稿や、下書きのまま保存されていた文章を見ると、自分が過去に考えていたことに一人で赤面したり、自分の継続力のなさに呆れたりする。
しかし、少なくとも今のところは、「今回こそは」という気になっているので、気持ちも新たに、始めてみたいと思う。飽きたら、また放ったらかしにしておけば良い。
日記的な自分向けの備忘録とともに、誰か読んでくれる方がいるのなら、せっかくなのでその人にとっても面白い内容にしたい。しかし他者の視点を過度に意識すると脚色が過ぎたり、事実を捻じ曲げたりしてしまうかもしれない。また、ブログを書くことがプレッシャーになってしまっては、こちらが面白くない。なので、やはり自分向けであることを基調にしていこう思う。
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アイントホーフェン市に到着したのが8月15日(土)だったので、土日の間はほぼ身動きが取れなかったが、それからすでに一週間がたった。8月17日(月)から少しずつ身の回りを整え、昨日までで一段落ついた感がある。これまでにやったことは、主に以下の5点だ。
1. 移民局で顔写真と指紋の登録
月曜日の朝は、時差ぼけで4時くらいに目が覚めて、そのまま起きていた。2時や3時なら豆腐屋かパン屋かという感じだが、4時なら「早起きの普通の人」の範疇に��れていいと思う。また、このまま朝型人間になれれば、いいことも多いんではないかと思う。
移民局(Immigration & NeutralisationService���には、朝9:30位に到着した。すでに数人が座って順番を待っている。当然ながら移民局は移民を相手にするわけであって、待っているのはアジア系、中東系、アフリカ系などなど。白人の母親が幼い子供二人を連れているのは、英語のアクセントから見るにアメリカ人らしい。
移民局を訪れた目的は、滞在許可(Residence Permit)の受領だ。7月中に、1年分の生活費を学費と合わせて学校に送金してあり、学校が、その生活費を根拠に、移民局に対して「この人は留学目的で、滞在中の生活費も十分持ってますよ」という風に滞在許可を申請してくれていたのである。
窓口でその旨を告げパスポートを差し出す。感じのいい女性がパソコンに向かって、僕の氏名などを検索してくれるが、次第に表情が曇ってくる。僕のデータが見当たらないらしい。
「受領に来たのよね?」
「そのつもりです。」
「見つからないの。写真と指紋は取った?」
「......何ですかそれ?」
どうも、滞在許可は下りているが、滞在許可証の正式な発行には、顔写真と指紋の登録が必要となるようだ。できあがった滞在許可証を受け取るだけだと思っていたので、話が違うじゃないかという気がする。
で、ソファに戻って待っていると、今度は、証明写真の撮影と指紋の採取を一台で行える、見たことのない機械のある部屋に通された。大柄なETのような形をした、背の高い機械である。ETの頭部にあたる部分にカメラがついていて、これで顔写真を撮影する。細長い首の下にはボディが続き、ボディ半ばから庇のように斜めに突き出た部分には、10cm四方ほどのパネルがついている。ここに指を置き、指紋をスキャンするのだ。僕の場合、顔写真はすぐに撮り終わったが、指紋の登録に時間がかかった。昔から手に湿疹があって、そのせいで像がきれいに取れなかったのだ。何度も撮り直し、左手の親指以外の4本、右手の親指以外の4本、そして両手の親指のみ2本と、結局、両手の指全ての指紋を取られてしまった。足の指まで出せと言われるんじゃないかと思っていたが、手指だけでなんとか間に合ったようである。2週間後には、正式な滞在許可の発行通知が学校宛てに届くという。そしたら、今度こそ、受領に行ける。
2. 不動産屋めぐり
差し当たっての課題の中で一番重要だったのが部屋探しで、これの目処がついたのが、木曜日だった。顔を出していた不動産屋で、たまたま目の前で新しい空き物件が出て、その日のうちに内見し、頭金を払ってしまうことができたのである。それまで、毎日、市内の不動産屋を何軒も足で回って、出物があるか聞いて回っていたので、一応、努力が実った形である。
オランダの大学は9月始業で、この時期は、学生向けの安めの物件は早いうちから埋まってしまう。僕も、回る先から「(希望に見合う物件は)一件もないよ」と言われ続け、名前と連絡先を残してはいたものの、実際に連絡をくれる業者は一軒もなかった。それでも、ある不動産屋で「大家の返事待ち」という物件を一つ見つけることができた。条件もいい。で、二日後に改めて「あの物件は?」と聞きに行ったら、その前日に決まってしまったという。大家と連絡がついた直後に来店した客があって、すぐに決められてしまったらしい。
そうしたら、とある不動産屋への2度目の訪問のときに、入居時期が10月のやつなら一件あったと思うから、大家にもう一度聞いてやると言われた。で、目の前で電話をかけてもらって、内見のアポを入れてもらうことができた。内見は、どうも僕が一人目らしい。
内見に行った部屋は、3階建ての一戸建ての3階部分だった。広めの屋根裏という風にも見える。他に住人が3人おり、キッチンなどは彼らと共有することになる。皆、勤め人だという。なかなか広々しており、庭も自由に使っていいというし、共有部分も大変きれいに片付いている(後で大家に聞いたら、「共有部分に汚れたものなどが出しっぱなしにしてあったら、全部捨てているから」とのことなので、注意が必要だ)。不動産屋の事務所に戻って、すぐに頭金を払ってきた。また、事務所から再度大家に電話をかけてもらって尋ねたら、入居時期も9月15日にできるそうだ。
オランダでは、4ヶ月以上住む予定の者は、市役所に住所を届け出る必要がある。そして、この届け出が、ホテルや友人宅のような住所では受け付けてもらえないようになっているのである。届け出には賃貸契約書を提示する必要があるのだが、おそらく、家賃収入を得て税金を納めている「登録大家」のような大家との契約書でないと、受理されないのだろう。僕も、9月15日まではAirbnbで見つけた部屋に間借りしているのだが、こういった物件で住所の届け出をすることはできないのである。
さらに、この住所の届け出が、「オランダ到着後、5営業日以内に届け出ること」と締め切りが定められているのである。今のような不動産物件が足りなくなる時期では、5営業日以内というのは現実的ではない。僕も、三日目くらいで「無理そうだな・・・」と思い始め、念のため市役所に電話して聞いてみることにした。尽力しているが無理そうである旨を正直に伝えると、電話の向こうの女性が「そうよね・・・」と、同情ともとれる返事をしてきた。時期によっては無理なこともあるわよね、とのことなので、「5日以内」は、努力目標と理解することにした。
だが、やっと住所も決まった。正式な契約は来週の月曜日で、そしたら住所の届け出ができるのだ。
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3. 携帯電話の購入
そして重要なことは、この住所の届け出がないと、生活の様々な面で不便が出ることだ。例えば、プリペイド以外の携帯電話に加入できない。月次で支払う契約を、電話会社と結べないのだ。そして、プリペイドでスマートホンのようなデータ通信が多い電話機を持つことになると、料金が大きくかさむことになる。
僕は、スマートホンを持ちたかったので、住所届け出が済むまでは、携帯電話は購入しないつもりでいた。だが、不動産屋をめぐっている間も、実は携帯電話を持っていないという話をすると、「こいつやる気あるのか」という顔をされることがしばしばあったのである。ごもっともな話だ。せっかくの出物があっても、どうやって伝えれば良いのか。Eメールはあるが、それだって、Wifi環境でラップトップを起動しなければチェックできない。新しい物件は泡のように次々と現れ、消えていくのだ。「メールチェックは朝夕2回」というのであれば、これは圧倒的に不利だ。そして、「携帯電話が買えない→家探しで不利→家が決まらない→住所届け出ができない→携帯電話が買えない」という出口のない円環にはまってしまっている自分に気がついたのである。これでは、いつまでたってもどこにも辿り着けない。で、スマートホンにこだわるのをやめて、通話だけできる機種を買ってプリペイドで始めることにした。そしたら、電話機本体の安いことに驚いてしまった。僕の買った電話機は、たったの17ユーロだ。ウェブや地図を見ることはできないが(新しい土地では非常に有用なものではあるが)、通話とテキストだけならこの機種で十分だろう。もっと早く買えばよかった。
4. 銀行口座の開設
到着から数日の間は、何年も前に両替して手元に残っていたユーロの現金とクレジットカードで生活していたが、火曜日に銀行口座を開くことができた。ここでも、口座開設には住所届け出が済んでいることが求められることが多いのだが、ING Bankという銀行では、パスポートと、学校への入学を証明する書類があれば、口座を開いてくれる。入学証明は、月曜日に発行を依頼してあったので、火曜日の朝にピックアップし、そのまま銀行に赴いたのである。
無事に口座開設できたので、今度は学校に行って、1.で述べた滞在中の生活費の返金を依頼した。移民局への滞在許可の申請のために、生活費をあらかじめ学校に送金してあったが、オランダの銀行に口座開設できたら、そこに払い戻されることになっていたのだ。新しい口座の番号を伝えたら、こちらも、木曜日には口座に入金していた。
5. 自転車の購入
オランダの人は自転車に乗る。「日常の主な交通手段として自転車をあげる人は全体の31%にのぼる」とは、Wikipediaによる情報だ。自動車道と歩道の間には広々とした自転車用の道が整備してあって、歩道と区別するために舗装の色が変えてあったりする。街中の各所に駐輪用のポストが設けてあり、また、横断歩道には自転車用の信号があったりもする。
自転車の種類は、割とフレームの太い、しっかりした作りのものが好まれるようだ。荷台にはたっぷりとした物入れが取り付けられ、皆、何物かを運んで走っている。日本のオシャレな若者が好きそうな、すらりとしたロードバイクの類も走っていることはいるが、それほど多くはない印象だ。老いも若きも、乗りやすそうな、いまゆるママチャリっぽいものを選んでいる場合が多いように思う。やはり自転車は生活の足、という捉え方なのだろうか。
で、僕も中古自転車を買った。ネットでもいくつか目ぼしいものはあったが、不動産屋を回っているときにたまたま目にしたものが気に入ってしまって、それに決めた。ブレーキが、ハンドルを握りしめるタイプではなく、ペダルを逆回転させることでブレーキがかかる方式になっており、多少慣れが必要かと思われるが、まず、色や形がいい。価格も手頃だ。店の青年に聞くと、「よく知らないけど80年代製じゃないっすかね」とのこと。一緒に、停めるときに駐輪ポストに繋ぎとめるチェーンも買った。このチェーンが、細いのと太いのと2種類あって、青年に「盗られたらいやだから太いほうがいいかな?」と聞いたら、「そんな人気ある型じゃないから、細い方で心配いらないと思いますよ」などとぬかしやがった。人がこれから買おうとしているものを指して、暗に「イケてない」ともとれることを言うとは何事か。店員としていかがなものか。
“SPARTA”と強面らしい字面が読み取れるが(オランダの老舗自転車メーカーらしい)、ここは先代から襲名して、プリ江と呼ぶことにする。
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自転車を手に入れた日の帰り、それまではバスで通っていた道を、当然ながら自転車で帰らなければならなくなった。そしたら、方角も所用時間も大まかに掴んではいたのだが、あちこち寄り道���たり景色を見たりしているうちに、道がわからなくなってしまった。大きな公園の横を通っているときに、中を抜ける遊歩道みたいなものを見つけてしまい、そこはやはり入っていかざるを得ないので、ぐんぐん進んでいったら右に左に大きくうねりだして、それで方向がわからなくなってしまったのである。進むにつれ、ガチョウの群れが見えたり、沼に釣り糸を垂れる人が現れたり、路肩には野うさぎが顔を出したりと、どえらいところに来てしまったという感が増してくる。市内から自転車で20分も離れていない場所に、こんな、まさにヨーロッパの片田舎みたいな景色が広がっているのである。それで、あ、ヨーロッパの片田舎なんだろうなと思い直す。
ガチョウや野うさぎにも驚いたが、アイントホーフェンにはカモメが飛んでいる。海からはかなり距離があるはずだ。それが、ハトやカラスにまじって、土をほじくったりしているのである。どこから飛んでくるのか。あるいは、カモメによく似た別の鳥なのか。
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walking-asleep · 12 years ago
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