waseda-kyotob-2018
waseda-kyotob-2018
早稲田大学建築史旅行B 2018
62 posts
Don't wanna be here? Send us removal request.
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
島田陽さんがイサムノグチの彫刻を見て、私達と同じこと(CCTV)言っていたので、
なんだか安心しました。
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
旅行の感想
今回の旅のテーマに「石」があった。
そのため、見学中は石に敏感であった。
たとえば、徳島で訪れた、田中家住宅。
洪水が来ることを予想し、川の方向の石積みには固い石を用い高く積み上げたりと、石の積み方や使用する石に
重い蔵を支える硬い青石の石積みの積み方やその美しい色に感動した。
また、栗林公園では
庭に置かれた石が表現する、空間の意味がとても興味深かった。
石の大きさからは、どうやってこの石を運んできたのかと想像を膨らませ、建てられ方や職人の技術、周辺環境にも注目するきっかけともなった。
1つのテーマを持ち、旅をする醍醐味を感じられだのではないかと思う。
旅では、建築をみるだけでなく、その建築を見ている人にと注目していたように思う。どこで立ち止まり、どこから写真をとり、どこについて話しているか、、
さまざまな人の建築のみかたがとても、面白かった。
ありもり
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
京都旅行
建築に関しての感想はだいたい旅途中で誰かと意見交換したので、ここではなるべく非建築、建築周辺の感想を中心に語りたい。
眠気を我慢しながら書いたものなので、文法の間違い、意味わかめなどのところがあったら、聞かないでください。
0日目
 塩田ではないが、事前旅で訪れた福永家住宅はおそらくこの田んぼ(写真)のような景色から生まれたのではないかと思う。日本の民家のみならず、世界のどこに行ってもやはり民家はそこの地理環境から生まれたに間違いない。ある民家は自然の形を真似た、ある民家はその自然の形に沿って造られた。最初は機能を果たすために造られたかもしれなかったが、やがて技術の進歩によってその機能上の意味を失って、時間を経って文化と芸術に昇華していった。それが日本において現代建築での権現と言ったら、「大屋根」と考えもしないまますぐ頭の中から浮かんできた。
 しかし、このように符号として、形で過��と現在を繋がることはどこまで意味あるのか。旧暦の諸祝日と同じ、古代建築はあくまで農業社会に依存してデザインされたものであった。産業革命以後、祝日も古代建築のデザインも必要ではなくなってしまった。必要としないものをどのくらい文化として伝承するかという質問に対して、もう少し考えてもいいかもしれない。
1日目
 前学期にとった英語の授業でどうすればプリツカー賞が取れるをテーマ今までの受賞者を対象にデータを分析してレポートを書いた。もう一度香川県庁舎を見たところ、そのレポートの続きとして受賞者の代表作の分析もやってみてもいいかもと思った。やるかどうかとは別に、プリツカー賞が取れるレベルの建築の特徴と聞かれたら、1つは「情報量」の豊かさと一貫性だと答えたい。
 大学入ってから毎年生きている受賞者の作品を見に行っている。一昨年はPETER ZUMTHOR、昨年はWANG SHU、今年はRCR。それぞれの方の建築と丹下建築の共通点といったら、それはディテールの豊かさとその裏、設計原理の一貫性だと思う。香川県庁においてその一貫性はル・コルビジェの近代建築像と日本伝統建築設計の転用、しかし、やっぱりその見えるところまで全部設計するところが丹下建築一番すごいところである。そういう意味で、RCRもWANG SHUも全然足りないかもしれない。PETER ZUMTHORだけは僕の中に丹下建築より上に位置付けている。しかし設計にかかる時間で比べると、PETER ZUMTHORはコスパ悪すぎるしか言えなくなる。丹下さんの短時間でそこまで考えられる力はどこから来ただろう。
(三枚目の写真は庁舎からみえる114銀行です。日建設計の作品であり、マイコレクションである)
 栗林公園の男子トイレの窓のデザインは、将来わたしのお家にも活用したいと思う。(四枚目の写真)
2日目
 緑黛殿の写真は公開できないので、形の上の話しましょう。そのお題は「建築家はどこまでやるか」である。中谷先生のご紹介で緑黛殿の屋根は平安時代のものを徹底的に研究した上でできた素晴らしいものであるが、緑黛殿の地下空間に行って地面に戻ってきたら、すごい思ったのは「この屋根、いらないかも」である。一日目の感想にも少しかかわるが、緑黛殿全体の設計スタイルを考えると、その屋根はかなり異質で異常なものだと思っている。谷口吉生に少し近い機械工学志向で間接照明多用の建築なら、真っ白箱とH型鋼の柱のみのほうが絶対格好いいではないか。しかも、その屋根があっても特に古代建築との連続性は感じなかった。そこで考えたのは、恐らくそういう屋根のない建築を提案しても、神社のほうはオッケーといってくれないのでは。仮に屋根はほんとに妥協案だとしたら、鈴木先生はほんまにすごいと思う。建築という手段で、できる最大限に伝統を刷新するのはそういう意味で建築家の役目かもしれない。
 また、「日本うなぎが絶滅するまでひつまぶしを存分楽しもう」のは本日最大の感想である。
 以上。
3日目
 閑谷学校に行って、すごい面白いとおもったのは「他人が思っている自分」のことである。この閑谷学校において、それは「日本人が思っている中国儒教思想」である。「中華料理」と同じく、原産地は中国だが、中国料理とは言えない。しかし、中華は日本料理ともいえない。つまり、これは中間領域でうまれた第三者のものである。近代ヨーロッパが思っている日本か中国文化を基づいて作られた芸術品のように、幻想の国のものである。建築ではないが、このテーマで論文書いてもよいかも。
(一回10枚写真しかアップロッドできないので、閑谷学校の写真は用意してない)
4日目
 修学院離宮を一人で行ってきた。地方から上洛したことを意識しながら見たところ、この修学院離宮は単純明快に借景を極めた桂離宮よりも良い場所かもしれないと思い始めた。京都人が使う狭い用地で景色をたくさん作る手法がこの広い用地でバランス良く使われている点のほか、やはり王室のためのものは少し遊び心に関する大胆さが足りないとも思った。
 勉強不足かつ日本語わからないので中川先生の話はなんも頭に入ってないので、待庵についてはノーコメント。
(写真は用意してない)
全体
 他人と建築旅に行くとき、一番楽しいのは「どう思う」と聞いた瞬間だと思う。それだけで全てが意味あるようになる。4(5)日間、お疲れ様でした。幹事たちに感謝の気持ちを。あああああああああ(
おう き/王 琦
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
京都旅行感想
私は今回の京都旅行で、感じたことや思ったことを外に発信することの大切さを学んだ。いまま��は基本的に建築見学に限らずひとりで旅行をしたりするのが好きで、あまり他人と意見を共有する機会はなかった。しかし、意見を述べようとすることでその見学対象をさらにじっくり見ようとする��、五感を研ぎ澄ませて建築をみることができた。見るだけではなく、意見を述べるために建築について考えることが観光と見学の大きな違いであるように思った。吸収するときに発信もともに考えることは純粋な吸収の妨げになる場合もあるだろうが、自分の感じたことのさらに深いところまで考えたりするためには大切なように思えた。
旅行内容から興味深かった点をあげるとすれば、自然の操りかたである。
多くあるのが建築を見せるための自然と建築から見るための自然、そして建築を築くための建材としての自然であるが、イサム・ノグチでは芸術としてちがった自然の操りかたをすることで空間をつくっていた。
また、芸術作品とする石たちはその土地でとれるものではないという点で他の自然の用い方と大きく異なっていた。何が言いたいかというと、その土地にある建築はその特有の大地をもととした自然からできるから統一感があるとよく言われるが、その操る自然の対象と土地について深い知識や愛着、センスがあれば、馴染むものがつくれるのではないかということである。
今回の京都旅行では、田舎から京都にむかっていったが、見せる自然が山を含めた大規模なものから小さな凝縮された庭園へ移る過程を体感することができてよかった。自然を人工で作ったものが本当の自然に勝ることはないなかで、庭に凝縮させる文化を成功させた日本はすごいと思った。
石田
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
京都旅行2018
そもそも、私は建築自体ではなく、それを取り巻く環境や、人々の生活が生み出す文化に興味があって中谷班に同行させていただいたが、期待通り、地質や風土から建築を読み解くような旅となった。このような旅は建築言語を理解するのに非常に効果的であると感じている。というのも、私は常々建築批評で使われる、軽やかであったり、空間の緊張感といったような表現について、いまいち理解を得ていなかった。しかし、実際に空間には、そういった軽い重いの概念だったり、感情に訴えかけるようなシーンが存在するのではないかと考えられるようになった。それは、空間が建築の背景によって定められていることが実感できたからではないだろうか。そして、この旅行で、約20人が同じ空間体験をし、その建築言語を紐解こうとした行為が一番の収穫なのではないかと思う。今後、議論する上でも、この20人においては、感想は人それぞれだが、空間体験として、共有していることはとても素晴らしいと感じている。
このような、貴重な体験を企画してくださった幹部の方々と先輩方、また解説いただいた中谷先生に感謝し、京都旅行の感想とさせていただきます。
小田切寛樹
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
旅行の感想
今回の建築史旅行を終え、ディテールを観察する楽しさやそこにこそ当時の想いや技術、思考が表れているという事を学んだ。そして、疑問点を見つけて、なぜだろう、とあれこれ悩んだ後に答えを知ると脳への刺激や感動が大きい。当時の設計への想いへ脅威さえ感じた。今までは建築旅行といっても表面上だけしか見られていなかったのではない��と思う。だからこそ今回の旅行は有意義であった。
また、実際に訪れる前に資料を読んで予備知識を入れておくと訪れた時の見る視点などが変わり、より理解が深まると感じた。今後、どこかへ訪れる際にはしっかり予備知識を入れてから行こうと思った。
今回、旅行日程や資料などを揃え運営してくれた幹事さんにはとても感謝しています。ありがとうございました。
河合七海
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
<旅行の感想>
以前にも建築を見学するための旅行をしたことはあったが、今回の京都旅行を通して、いかに今まで自分が何も考えずぼうっと建築を見ていたかが分かった。
20名以上の学生が同じ建築を見学し、所見を述べ合うという貴重な機会を通して、自分に足りない視点や考え方に気付かされた。今回の旅行では特に地形や地質と建築との関係に着目したが、ランドスケープの視点、つまり大局的な視野に立つことの重要性を知った。それと同時に、日本建築に不可欠な存在である、建具を丁寧に見るなど、ディテールにも注意を払う場面も見受けられ、多面的に考察することが必要なのではないかと考えた。
図面と実物を照らし合わせながら動線を考えたり、古い建物ならば当時の人々の視点になってその���代に見えていたと思われる景色を想像したりと、建築見学の真の醍醐味を味わえた気がした。
個人の旅行ではなかなか経験できないであろう瀬戸内海の島での宿泊など、非常に楽しい旅行となった。
大庭 檀
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
今回の旅ではオプション日程も含め、住宅から神社まで4府県の10以上の建築を巡った。旅とは、訪れた場所、あるいら建築や遺構や文化が生まれた時代に触れ、もし自分自身がその場その時に生まれていたのならどういう生活をしていたか、どういう目をもっていたかを想像し、実際に見えるものとifとを繋ぎ合わせて巡ることである。自分の目で見るということは1つの視点しか持たないということではない。どちらかというとこれは以前から感じていたことだが、今回特に建築に焦点を当てて集中的に4日間の旅を過ごしたことでより強く感じた。
旅行中、中谷先生が「仏像などがある寺院と違って、神社は見せるものがないから大変」というようなことを仰ったのが気になっていた。確かに「御神体」と呼ばれるものは鏡だったり石だったりして、豪華絢爛な仏像や阿弥陀像とは趣が異なる。今回見たような名だたる神社は別として、地方の小さな神社に行けばその鏡とて大きな謂れがあるものでもない。建築の基本的な素材や構造においても、神社は倉庫や住居と決定的な差があるわけではない。
自然信仰から成立した日本の古来の価値観においては、むしろ自然と、日常の建築や生活と、神殿などの高貴な建物とをいかに相互の間合いを保ちながら通じさせるかという逆説的な哲学が重要だったのかもしれないと気付いた。「畏怖」「斎み」といった両義性。既にある自然に寄り添うこと、あるいは日常的なものの取り込み、借りること。流店の二階から見えたであろう田植えや稲刈り。自然を凝縮し再現すること、特定のアイコンを以ってある景観を想起させること。待庵の庭。流店の水音。
また、それを基盤として、その地域で手に入る素材の中で最も上等なもの、質が良いものを使うという贅沢が生まれ根付いた。閑谷学校の講堂に用いられていた、能舞台のように重厚な木材。イサム・ノグチのアトリエを囲う石垣。これらの上質さは、それが大樹や大岩といった畏怖すべき自然の姿を想起させ、なおかつあくまで庶民的な日常の延長線上にあるというところに美点があると感じた。日常の延長にある信仰という意味で、緑黛殿に鋼鉄が使われるのは、鉄材のありふれる(特に日本の物流の拠点たる瀬戸内海を望む地の)21世紀の建築としてはある意味正統な進化であったようにも感じた。鈴木了二氏の手腕あってこそというのは勿論だが、まったく奇抜という雰囲気ではなく、それでいながら重厚な存在感があった。
オプション日程の2つの住宅・屋敷から、集落大名庭園、寺社仏閣と多種多様な建築を巡り、東京に戻ってから最後の見学先とばかりに自宅をゆっくり眺め直した。自宅の梁の木組みを見て、遠く西国の建築に思いを馳せることもできる。日本建築のひとつの特権だと感じた。
最後に改めて、この旅を指導してくださった中谷先生、助手の皆様、参加してくださった先輩方、3年生の皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
原田佳典
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media
《旅の感想》
京都旅行からもうすぐで半月経つが、早くも自分にとってのこの旅の意義をひしひしと感じている。
例えば、昨日、大阪南部にある安藤忠雄氏設計の近つ飛鳥博物館に訪れた。もちろん建築そのものの外環境や地表に対するランドスケープ的手法も素晴らしかったが、ここで紹介したいのは展示物の棺である。
写真で分か���ように、場所が石質の変化をもたらし、棺の形態を決定していることが分かる。
直感的にだが建築の始まりは棺なのでは無いかと思った。
鈴木新
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
3日目 吉備津神社
中世では数学が発達していないが故の、この鋭い反った屋根なのだそう。自由曲線(面)が関数に勝つヒントがあるだろう。
こたぎり
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2日目 本島の海岸線を歩く
自然は今まで見てきた建築をひと蹴りにするような造形がある気がしました。友人と歩き、本島の港の場所はあるべき場所に位置していると実感します。一連の旅行の中で、地形のみならず地質と建築の関係にも頭がまわるようになりました。
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
2日目金刀比羅宮緑黛殿
清めの場として、目の届く範囲全てが整頓された地下空間と対比的に見える中庭は、大地がねじれるような力を持っているようです。これを庭にとどめて良いのでしょうか。
こたぎり
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
旧閑谷学校。
校門から中に入り、そのまままっすぐ登ったところに儒学の祖、孔子を祀る聖廟があり、学問をする施設であることを再確認させられた。パンフレットには、校門は石橋と聖廟の中間地点にあるとの記載があった。配置がランドスケープの規模で考えられていると感じた。
また、校門以外にも、講堂に入るための公門や飲室に近い位置にある飲室門など、それぞれの施設にすぐたどり着けるように設置された門があることが印象的だった。
おおば
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
旅行2日目は本島に渡った。
笠島集落は、下調べのときから訪れるのが楽しみだった場所だ。去年、同じく瀬戸内海に浮かぶ島、直島を訪れたばかりだった。直島は現代アートの島で、人も多く活気があったので、笠島の静けさに驚いた。聞けば空き家も多いという。笠島では海が都市だというお話を聞いて、笠島の少し怖いくらいの静けさがやっと腑に落ちた。
この集落は、三方を山に囲われ、海に面しているが、鎌倉幕府も同じような立地にある。源頼��は敵に攻め込まれにくいという理由で鎌倉の地形を選んだといわれているが、笠島集落も同じような理由で発生したのだろうか。独立した島なので敵が攻めるときは必ず海から船でやって来るのだから、山に囲まれる必要はない気がするが、どうなのだろう。
おおば
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media
田中家住宅。藍商の家だ。
1枚目が外から中庭を見た写真、2枚目は中庭から外を見た写真。この景色を見たとき、フレームという言葉が頭に浮かんだ。2つの建物に挟まれた小さな門が、景色を切り抜いている。非常に美しいと思った。
他にも、田中家住宅には美しいと思うパースがあり、藍染の作業のためや洪水の被害を最小限に抑えるための極めて実用的な造形にも関わらず、デザインの面でも完成度の高い住宅だった。
おおば
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Photo
Tumblr media
流店。障子が入るとどんな雰囲気になるのでしょうか。
原田
0 notes
waseda-kyotob-2018 · 7 years ago
Text
Tumblr media
福永家住宅。海水を貯める地下プール空間の上に、24時間人が作業できるように寝泊まりできる空間があった。機能を満たすために作られたものかもしれないが、結果できた空間は今の塩の作り方や生活からは生まれることのない唯一のものになっている。下を見ると深く真っ暗で怖かったけど、わくわくした。
いしだ
0 notes