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夜のファミチキ
近頃、ぼくは頭が悪くなったような気がする。以前から、頭は悪かったが、さらに悪くなったようだ。 ぼくは、電車の窓に映っている自分を見た。外は夜で、電車の窓は半分鏡のようになっていた。それで自分が老けてきていることを改めて確認した。 電車のなかにいる人たちは、みんな、コートやマフラーを身に着けてもこもこしていた。ぼくも古着屋で買ったもこもこのジャンパーを着て、灰色のマフラーを巻いていた。そこにいるのは、現実の、リアルな、みすぼらしい人々だった。ぼくもそのうちのひとりだ。 頭が悪くなったことを実感としてかんじるために、ぼくはあえて顔から表情を消した。ぼんやりしているような表情になった。心のなかの声を消した。それは、簡単なことだった。心のなかからしばらく声が消えた。そのまま、二分くらい経った。 電車の窓に映っていた自分がどんどん老け込んでいくのを、ぼくは見た。三十二歳のいまの自分がいっきに四十五歳になって、五十六歳くらいのおっさんになって、六十五歳になった。六十五歳の未来の自分が見えた。 「おっ」とおもわずちいさな声が漏れた。近くの席に座っていた女子高生がちらっとこちらを見て、嫌そうな顔をした。その女子高生はまだ若いはずなのに、汚らしくて、ババアみたいだった。次の瞬間、暗い夜を走っていた電車は、明るい駅のなかに入った。ホームに人間が数人いるのが、窓越しに見えた。貧相な灰色の顔をしている。それで、ぼくは電車から降りることにした。 そのとき起こったことは、すぐに忘れてしまった。いまも、忘れたままなのだ。でも、そのとき、ぼくは、何か、人生において大切なことを悟ったのだという気がする。つまり、自分の人生には何の意味もなくて、ただ悲惨なだけだというような、そういうようなことだった。 ぼくは東京の田舎に住んでいる。ぼくは、相変わらず、顔の表情を消したままファミリーマートに入った。カップ焼きそばとカップ酒をかごに入れて、レジに並んだ。レジの店員は女で、死んだ魚のような眼をしていた。ぼくはおもいついて、「ファミチキください」と言ってみた。店員の女は死んだ魚の眼のままでファミチキを袋に包んでくれた。 帰宅して、ぼくは、暖房をつけてから部屋着に着替えた。お湯を沸かして、カップ焼きそばをつくった。カップ焼きそばのうえにファミチキを載せた。その間にマグカップに移した日本酒をレンジで温めておいた。それらのものをテーブルのうえに載せて、ぼくはその前の椅子に座った。「きょうも、いろんなことがあったね」とぼくは声に出して、ひとりごとを言った。それから、マヨネーズを忘れていることに気がついて、冷蔵庫に向かった。 そのとき、冷蔵庫を開けて、マヨネーズを取り出す自分が、冷蔵庫のなかからの視点で脳内に浮かんだ。こんなことをしていてはいけない、とかんじた。 その夜、ぼくは死体だったとおもう。カップ酒を飲んで、すこしあたたかくなった。それから、お風呂に入ってさらにあたたかくなった。 それで、身体を清潔にした。意識して、隅々まで洗った。その間、ずっと、自分のなかに入っている本来の自分の意識とはべつに、頭のうえの方から自分を見下ろしているもうひとりの自分の存在をかんじていた。ぼくは、耳の裏から、へそ、尻の穴から、足の指の間に至るまで、丁寧に洗った。風呂から出て、濡れた身体をバスタオルで拭った。その間は、鏡に映っている自分をあんまり見ないようにした。パンツを履いて、白いパジャマを着た。 おもいつきで、元恋人に電話してみた。彼女は電話に出なかった。しばらく電話を鳴らした後、ぼくは、耳からスマートフォンを離した。液晶に触れ、ツイッターを開いた。 ツイッターでは、今夜もいろんな人が、「死にたい」とか「消えたい」と言っていた。でも、彼らはほんとうに存在するのだろうか。そのなかで、「今夜は満月だ」と言うツイートがいくつかあったので、ぼくはカーテンをずらして、外を見た。空には何も見えなかった。たしか、家に帰ってくる間も、空には何も見えなかったはずだった。 「すべてはぼくの見ている幻想なのかも」とぼくはツイートした。それから、電気を消して布団を被って、寝た。 深夜、不思議なことが起こった。電車の窓で見た六十五歳の自分が、白いパジャマを着て眠っているのが見える。三十二歳のぼくは、それを天井から見ていた。三十二歳のぼくは言った。 「おまえはいつもそうなんだ」 六十五歳の自分は身体を動かそうとしていたが、指一本、動かなかった。眼も開かなかった。彼は金縛りにあっているように見えた。 「おまえはずっと変わっていない」とぼくは怒りを込めて言った。心がどす黒い炎になって、自分自身を燃やし尽くしてしまいそうだった。 「そうやって、ひとりで寂しく死んでいけばいいんだ」と、ぼくは言った。 朝が来た。目覚ましの耳障りな音で、ぼくは目を覚ました。何か変な夢を見た気がした。でも、それは、感触として残っているだけで、何もおもいだせない。「何だっけな」とぼくは声に出して言った。それから、枕元のスマートフォンを手に取って、ツイッターを開いてみた。 「ハッピーと書いて、幸せ、と読みます」という自分のツイートに2つ「いいね」がついていた。そんなツイートをした覚えはなかった。 最近、もの忘れが酷い。ぼくは、ほんとうに頭が悪くなってきているようだ。
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普通以下の日々
ぼくはダメなときにはハードルを下げることにしていた。ハードルを下げる、というのは、つまり、自分への期待をちいさくすることだ。できない自分を責めない。それがいちばん大事なことだった。 最近のぼくのハードルは日々、下がり続けていた。いまでは、生きていて、呼吸をしていればいい、ということになっていた。その他のことはどうでもいいことだ。恋人にフラれたことや、会社を辞めたこと、趣味である絵を描くことができなくなったこと、家事が出来ないこと。すべてを自分に許していた。 もしかすると、ぼくは鬱なのかもしれない。 でも、インターネットでうつ病診断をしても、そんなに点数が高くなることはなくて、「鬱かもしれない」程度の結果なので、ちょっと悔しい。まあ、そういうふうな思考回路をしている自分なのだから、たぶん、鬱ではないのだろう。わざわざ病院に行く気にもなれない。
無職になっても、欠かさないことは歯磨きだった。 ぼくの父親は歯科医だったので、ぼくは比較的、経済的に恵まれた家庭で育った。いまだって、実家に帰ろうとおもえば帰れるのだけれど、それは何となく嫌だった。かっこ悪い気がする。かっこ悪いのは嫌だ。 ぼくは、歯科医の父親から直に歯磨きを教わったので歯を磨くのが上手い。それで、虫歯がない。でも、考えてみれば、ぼくの母親は虫歯がない人なので、虫歯がないのは母親からの遺伝なのかも、という気もする。 ぼくに虫歯がないのは父親から教わった正しい歯磨きの技術のお陰なのか、それとも、母親の頑丈な歯が遺伝したのか、どちらともいえない。もしかすると、両方なのかもしれない。 そんなことを考えながら、歯を磨いた。だいたい、歯を磨くときは、自分が��科医の息子であることをおもいだす。 ぼくはウガイをして、口のなかをきれいにゆすいだ。歯磨き粉の匂いが残るのが嫌なので、何回も丁寧にゆすいだ。それから、古着屋で買ったもこもこしたジャンパーを着て、マフラーを巻いてから外に出た。
冬の午前中はとても空気が冷たい。「自分はこんなふうに無職のおじさんになってしまった」とぼくは口のなかでつぶやいた。息が白い。踏切が閉まりかけていたので、ぼくはすこし走った。腹が揺れる。おじさんになった自分をかんじた。そうして、踏切の向こう側に渡った。 さっき、ぼくはダメなときにはハードルを下げることにしている、と書いた。でも、実は、一つだけ、自分に課していることがあった。無職になってから、一つだけ、自分はこれを守ろう、ということを決めた。ハードルを下げるのも大事なことだけれど、何かを守ることも同じくらい大事なことだ。いまから、それをやりにいくのだ。
ぼくは、カラオケ屋に入った。毎週、月曜日、カラオケ屋に来て、ひとりカラオケをすることにしている。歌う曲は決まっている。エレファントカシマシの「普通の日々」という歌だ。この文章を読んでいる人には、この歌を知っている人もいれば、知らない人もいるだろう。 雑に説明すると、この曲はエレファントカシマシのフロントマンの宮本浩次の作詞、作曲した曲で、「Baby 幕が上がり 街や人や色んなもの~」ではじまり、「Baby 幕が上がる 俺はきっと普通の日々から あなたを想って うたをうたおう~」で終わる。 簡単に言うと、普通の日々を毎日、勤勉に生きている人々への応援歌だ。ちなみに、ぼくがとくに好きな部分は「胸の奥にしまってばかりの 臆病な俺は~」という歌詞。宮本浩次のやさしさがかんじられるし、ぼくもまさに、「胸の奥にしまってばかり」だから共感してしまう。 休日明けの、月曜日の朝に「普通の日々」を、学校や会社に行って、いろんなストレスを抱えつつがんばっているみんなに向かって、ぼくは歌う。いまのぼくには、それくらいしかできることはないのだ。
歌っていたら、スマホの画面がパッと明るくなって、母親からLINEが来たのがわかった。それで、ぼくの上がっていた気分はガクリと下がった。どうせ、またつまらないことでLINEをしてきたのだろう。 自分の母親のいいところは虫歯がないことだけだ、とぼくはおもう。ぼくの母親はよく笑う図々しくてコロコロとしたおばちゃんで、赤い縁のメガネをかけている。趣味は生け花だ。 「俺はきっと普通の日々から あなたを想ってうたをうたおう~」と、ぼくは歌い終わった。画面に出た点数は五十五点だった。まあ、そんなものだろう。ぼくは絵を描くのはうまいけれど、音痴なのだ。ハードルを下げていこう。 いつもは同じ曲を三回は歌うことにしている。いま、二回、歌ったので、あと一回は「普通の日々」を歌おうとおもうが、母親からのLINEが気になった。「オレオレ詐欺にでも、引っかかったか?」とぼくは小声で言って、スマホを手に取った。
LINEは、母親が活けた花の画像だった。宇宙船みたいな水色と銀色の三角形の花器に、紫色の奇妙は花が活けてあった。茎の長い、頭でっかちの丸いボンボンみたいな花だ。その花の根本には、シダ植物のような陰気臭い葉っぱがあちこちに飛び出している。 「何だこれは」とぼくはおもった。「相変わらず趣味が悪いな」。そして、その通りにLINEした。「何だこれは。相変わらず趣味が悪いな」。
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糸電話でしか話せないこと
1 朝の洗顔
わたしは両のてのひらに 何のへんてつもない水道水を受けた それがきょう 二番目の驚き
最初の驚きは 目を覚まして はじめてカーテンをめくった その瞬間
2 糸電話
わたしはこんなふうに 実に心細い方法でしか あなたに伝えることができない
だって こんなことは 他の誰も 言わないことだから
「いま 生きているのが嬉しいよ ……風が……」
3 バケツリレー
わたしたちは原始的で しかも 時間のかかる方法でしか それを持ち運ぶことが出来ない
だってこれは あらゆる知恵の源だから
わたしはたしかに 受け取った だから 次は あなたに渡そう
4 夜の文体
寝る前に あなたに短いメッセージを送る その瞬間が 静かで やさしくて 壊れやすい水色をしている
(それは誰にも解けない 暗号だった)
5 燃える夢
身体がこんなふうに 夜の糸杉のようになっていて 永遠に みかん畑が続いているのに
わたしたちは みんな 忘れてしまうし 忘れられてしまう ひとり残らず
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2018/05/16
随分前に書き始めた小説をなかなか進められない。Googleドライブに保存しているのだけれど、該当するファイルを開いて、テレビ見たり別のタブでYouTube見たり……というのが続いて、そのまま忘れる……ということが増えている。書き始めてもなんだか進まなくてすぐにやめてしまう。どうしても「なんでこんなに幼稚で陳腐な表現しか使えないのだろう……」みたいなこと考えちゃって嫌になる。プロじゃないし趣味なんでそんなこと考えなくてもいいはずなんだけども。
それよりも咳が良くなったりひどくなったりの繰り返しで体力消耗してる。あ、やる気出ないのは咳のせいかもしれないな。
そういうときは何もせずにポケ森を無心でやるか、Apple Musicで音楽を漁るに限りますね。最近はおやすみホログラム、チャットモンチー、BiSH、平沢進、ナンバーガール、ROSSO、絶景クジラ、フジファブリックあたりを行ったり来たりしている。
チバユウスケのバンドだと、ぶっちぎりでROSSO(もしくはミッシェル後期からROSSOの過渡期)が好きなんですけど、熱狂的なファンでもそういう人はなかなかいなくてさみしい。歌詞の美しさとメロディの透明さ、その裏に晴れない闇みたいのが渦巻いていて、複雑な魅力を放っていると思う。「シャロン」や「バニラ」より美しい曲は誰も作れないと思う。アルバム単位では『BIRD』が好きだけど、邦楽ロック全体で先に挙げた2曲より美しい曲、未だにないと思う。
だいぶ遅い時間になってしまったのて寝ます。

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2018/05/13

近所の喫茶店に、黄色いバラが咲いた。
眠れなくて、冷蔵庫とベッドを行き来していた明け方、転がっているのにも飽いてソファーでぼんやりしていたら、外は雨になった。もったりとした湿度の高い風と、アスファルトからたちのぼる、におい。いつも、既視感だ。
通っていた小学校は、築120年のおんぼろ校舎だった。木造で、どこもかしこも古くて、教室の床はぎしぎしうるさかった。端から端までものすごく長い(子どもの頃は長く感じた)廊下のそのつきあたりに、大きな鏡があって、それをこわごわ覗いていると友だちにおどろかされたものだ。
音楽室がお気に入りだった。
音楽室は、絵に描いたような「おんがくしつ」で、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リスト、それから滝蓮太郎の肖像画が額縁で飾られていて、調子っぱずれでこれまたおんぼろな、ヤマハのグランドピアノが置いてある。ピアノを磨くのと肖像画の埃を落とすのが「おんがくしつとうばん」の仕事で、わたしは好んで、「おんがくしつとうばん」をやった。
ピアノを布で磨いて、肖像画にはたきをかけ、それからピアノの中を注意ぶかく、かんさつする。かんさつと言っても、白と黒の鍵盤をはしから順に、数えてみるだけ。88本、ていねいに、いつも無くなっていないか、しんちょうに。
図書室(江戸川乱歩にハマって片はしから読んだけれど、それ以降推理小説は1冊だって読まなかった、ふしぎ)とか、裏の森(池があって、カメがいた。タイムカプセルを埋めようと友だちと穴を掘ったら何年も前のタイムカプセルがでてきた)とか、うさぎ小屋(うさぎとうばん、が女の子たちには1番人気だった。わたしはうさぎを飼っていたので、これ以上のお世話はごめんだった)とか、小学校は思い出の宝庫であるのに、1番に思い出せるのが音楽室だったのは、友だちからの遊びの誘いを「今日はおんがくしつとうばんなの」と断って、ひとりきりで仕事をする──あののうみつな時間が、とくべつで、おとなになったように感じられたからかもしれない。
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