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進軍するシステムエン��ニアの記
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wbogey · 2 years ago
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Y2K対応はパッケージに業務を合わせるという呪文の記
2000問題の対応をすべく、意気揚々と出向してきた自分であるが、なにから手を付けるべきか。。。 出向先企業では先人がゼロから現場要望を聞いて作り上げたシステムが稼働していた。 現場要望が忠実に再現されているため、利用者からの支持は強い。
親会社では海外のERPパッケージを導入すべく進めている。 いくつかのグループ企業はそのパッケージに乗ることが出来た。 しかし、出向先企業は取引額の低さから対象から除外されていた。。。 関係各方面に聞き取りをし、独自にパッケージシステムを導入する方針に至った。
そこからは怒涛の連日連夜、ベンダーや社内調整に追われた。 要件定義は、キーマンを別会議に引っ張られないように、会社から離れた場所に会議室を借り、缶詰め状態で行った。 夏の真っ盛りだった。 昼休みに定食屋に行くと、平成の怪物と呼ばれた「松坂大輔」投手が夏の甲子園を沸かしていた頃である。
「パッケージはカスタマイズせずに、業務をパッケージに合わせるのがポイントである」 コンサルタントからはこんな言葉を聞いた。 確かにそれであれば、世界標準のグルーバルな会計処理に追随出来るのかもしれない。 要件定義は、パッケージと業務とのFIT&GAPを確認するものであった。 しかし、スーツに例えるならフルオーダーで作ったものから、吊るしのスーツに自分の体を合わせろと言っているようなもの。 抵抗勢力からは激しいバッシングを受けたものだった。
非常に苦しい思いをしたが、結果的には無事にパッケージを導入することは出来た。 達成感というよりは安堵感だったように思う。 ITの仕事は日進月歩。色んな考え方・技術が次々と出てくるが、何が正しいか本質を見抜く眼力が必要なんだろうなぁ、と思う時代だった。
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wbogey · 2 years ago
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陸の孤島にやってきたの記
時は1997年。 世間では2000年問題を一刻も早く対応することが叫ばれていた。 最近はY2K問題などとも言うようである。
2000年問題とは、簡単に言うと西暦を下2桁で管理していたために2000年になったとき「00(1900)」に戻ってしまい、システムが誤作動するといわれていた問題である。 メモリなどのリソースを少しでも節約しようとしたことに起因していると言われる。 それ以外に閏年の計算などにも影響があると考えられている。
そんな中、自分は2000問題への対応を行うためにグループ会社への出向を言い渡された。 実際には自分からネットワークも含め色んなシステムに携われる部署へ異動したいと願い出ていたのだが・・・ 出向先のグループ会社では情報システム部門の要員は1人だった。 その方が本社に帰任するのに伴い、自分が代わりに出向することになったわけである。
出向して驚いたのは、まだWindows3.0を載せたモノクロのラップトップマシンがメインマシンだったことである。 さらにカラーモニタのWindows3.1デスクトップは複数人で共有使用であった。 そうかと思えばある人はAppleのマッキントッシュを使っている人もいた。 そして、ネットワークにはNetwareを利用してプリンターに印刷といった状況であった。 その印刷もライセンスの関係で50人しか同時接続できず、ログアウトしないままの人がいると51人目はプリンターが使えなかった。
もはや陸の孤島ともいえる場所で自分は環境を変えなければならないと強く思った。 そして、同時に2000年問題へも対応を進めていくことになるのだ。 今日はここまで!
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wbogey · 2 years ago
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ダウンサイジングがやってきた、そしてFreeBSDの記
入社したころはメイン���レームの専用端末を利用していたが、時代は加速的に進んでいっていた時代。 部署にはWindows3.1のPCが置かれるようになり、やがてWindows95へ。 メインフレームの運用コストを削減するためにダウンサイジングが叫ばれ始めていた。 標準でTCP/IPが使えたWindows95に端末ソフトを導入して接続することで、専用端末は消えていった。 そして、WindowsServerが導入されサーバー・クライアント型での試用が行われていく。 部署の中ではVisualCを使った開発を行う課もあり、いまだにCOBOLで開発している自分が妙に遅れてきているのではという焦りも感じていた。
一方で、Unixによるシステム開発を行う課もあり、部署内にUnixマシンも置かれるようになってきていた。 同期の中にUnixで別のメンバーとメッセージを送りあって楽しんでいる者がいた。 ネットワークを介して色々なコマンドが使えるUnixにとても興味を持ったものだった。
自分の席にはWindows95の端末が置かれたが、使うのはメインフレームに接続するクライアントソフト。 端末は変わってもやることは変わらない。 モヤモヤした気持ちの中で、書店にいったときに一冊の本に目が留まった。 「FreeBSD」の本である。 CD付きの本を購入し、会社のPCの540MBほどのHDDのパーティションを分割しインストールしてみた。 見事に動いたときはとても嬉しかったものである。 それからは業務の合間にFreeBSDに切り替えてコマンドを叩いては操作を覚えていった。
そうそう、FreeBSDとは別にLinuxの存在も知っていたのだが、FreeBSDの書籍の方がそのときは多かったと思う。 そんな単純な理由でFreeBSDをインストールしてみたのだ。 このUnix系コマンドを覚えることは、実は後々活きてくるのであるが、当時はLinuxが本流になるとは考えていなかった。 先を展望するのは本当に難しい~。。。💦
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wbogey · 2 years ago
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プログラムが動いた時に感動した記
みなさん五月病、なってないですか? 大丈夫ですか?
今日は五月病とは関係なく、自分が作ったプログラムが動いた時に感動した話を少々。
情報システム部門に配属されて初めて業務で作ったプログラムは、ファイルを読んで帳票に書き出すというものでした。 当時はメインフレームでCOBOLという言語を利用した開発が中心でした。 ただ、それ以外に帳票出力用の簡易言語を導入しており、その簡易言語を使った開発でした。 マニュアルを見ながら関数を使ってプログラムを作ったんですが、実体の無いファイルというものがなんともモヤモヤ感じたものです。 まぁこれは動いたんですが、開発した達成感も感じず「こんなものなのか」と思っていました。
しばらくは似たような内容の開発ばかりしてましたが、いよいよ新システム構築にプログラマーとして本格的に携わる事となりました。 仕様書は先輩方が紙に記載し、それを見て端末にCOBOLでコードを書いていくといった流れです。 データベースは階層型のものを使っており、テーブルを読んで計算した結果で更新するバッチ処理を開発しました。 今思えば本当に単純なロジックですが、テストして想定通りの結果を得たときには言いようのない感動を覚えました。 きっとその頃には、自分が「こういうアルゴリズムでコードを書く」という理解が出来た中で開発出来ていたからだと思います。
モノづくりといったら大袈裟かもしれないが、それからも自分が作成したプログラムが思い通りに動いたときにはズ~っと達成感を感じている。 ある時期は早く続きの開発がしたくて、「早く月曜日が来ないかなぁ」なんて考えることもしばしば✌ 五月病なんて考えられないくらいでした。 システムエンジニアって素晴らしい仕事だなって思います❢
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wbogey · 2 years ago
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新人の頃にやらかしてしまった失敗談の記
Spring has come.
春ですね~
新入学・新入社の季節ですね。街にはスーツを着たフレッシュな若者が闊歩していることでしょう。
自分にも随分昔にそんなフレッシュな時がありました。
入社式が終わり、入社後はビジネスマナーなどについて新人研修があり、その後に情報システム部門に配属されました。
希望に満ちていたなぁと思います。
今日は自分が新人だった頃の失敗談を書いてみたいと思う。
配属後は基本的にはOJTという形で仕事を覚えていくのだが、一番最初は新人数人で練習用のBasicのプログラムの改変を行う課題をやったと思う。
当時は8インチや5インチ(5.25インチと呼ぶ場合も)のフロッピーディスクが使われており、これらのフロッピーディスクは紙製のジャケットに磁気ディスクが納められており、真ん中は駆動用の穴がある形状をしていた。
練習用に5インチのフロッピーディスクがあり、そこにプログラムが保存されていた。
確か、そこから各自端末にロードしプログラムの改修を行い、再びフロッピーディスクに保存する流れで課題を進めていたと思う。
ある日、前日の課題の続きをしようと端末の前に行くと、なにやらざわついている。
「やっぱりデータが消えてる。。。」
教育係の先輩が神妙な面持ちで端末の画面を見ている。
自分はなんのことやら分からず、手持ち無沙汰から近くにあった予備の5インチフロッピーディスクの穴に指を入れて、ディスクをくるくる回しながら様子を見ていた。
「データ消えたんすか?」
何気なく言った自分の方を見た先輩が顔色を変えた。
「お前、なにやってんだ?」
「はい?」と自分。
「お前、昨日もフロッピーディスクに指入れて回したろ!原因はそれだよ!」
自分がフロッピーディスクをくるくる回したことで磁性が変わり、データが消えてしまったようだ。
先輩からは叱責され、同期からは文句を言われ、散々な思いをした新人の頃の失敗談でした。。。(笑)
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wbogey · 2 years ago
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コンピュータ関連の仕事に就くことを決めた記
大学を卒業して、IT関連の仕事に就いて早いもので30年が過ぎた。
自分が就職したのはちょうどバブルがはじけた頃だったと思う。
それでも売り手市場で、自分が入社した会社の入社式にはグループ全体で800人くらいいたと思う。
同期には専門学校卒生もおり、今の国公立・一流私大卒生ばかりの採用状況をみると、とても考えられない事だと思う。
自分が就職するより以前はバイオテクノロジー企業に入れば将来安泰だと言われていた。
ただ、自分は文系なのでとてもそのような職種や企業には入れないと考えていた。
バイオテクノロジー以外となると、コンピュータ関連がホットだった。
「これからはコンピュータの時代。コンピュータが使えない社会人は使いものにならなくなる。」などとセンセーショナルな言葉をよく耳にした記憶がある。
日本ではNECの98シリーズを使ってゲームをしたり、Basicでプログラミングをしていた人もいるだろう。
ただ自分はまったくそういったものに興味が無く触れてこなかった。
せいぜい大学でコンピュータ基礎のような講義をとった程度である。
逆にそれが将来の不安材料となり、コンピュータ関連の仕事に就こうと思ったわけである。
就職が決まってから本を読んで勉強してみようと思ったが、どんな本を買って良いかも分からない。
一太郎? 花子?
コンピュータ関連書籍の前で「?」マークだけが頭を駆け巡った。。。
そのときは、一太郎や花子がコンピュータの名前だと思っていた。
結果的に本は購入しなかった💦
これから、知識ゼロでIT業務に飛び込んでしまった自分の珍道中を綴っていきたいと思う。
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