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週刊リバティ
94 posts
右翼自由主義の記事と文献を和訳します。詳しくは左上のMENUからどうぞ。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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地図化:カタルーニャは独りじゃない―これらの地域はEUを脅かす独立を冀っている
カタルーニャのスペインからの独立の追及は自治権を冀う大陸中の別地域を露にして欧州連合を危機に陥れるドミノ効果を引き起こすかもしれない。 
LAURA MOWAT,  “MAPPED: Catalonia is NOT alone - the regions desperate for independence threatening the EU,” Express (16:28, Sun, Oct 29, 2017 | UPDATED: 16:52, Sun, Oct 29, 2017) [https://www.express.co.uk/news/world/872311/Catalonia-referendum-Spain-independence-European-Union-map-autonomy]
カタルーニャは昨日、賛否両論の国民投票に続く独立宣言の後、スペインを憲政危機に投げ込んだ。
しかし独立を望む地域は一つではない。カタルーニャ危機の余波は、自治復活を望み支配権を回復するために自分たちで戦う数十の地区をもって、EUをさらに割るかもしれない。
そしてこの地図は、大なる自治または脱退主義運動を求める非常に多くの地区を示しており、EUの主の気を揉ませる。
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欧州委員会委員長ジャン=クロード・ユンケルは「カタルーニャがスペインからの独立を宣言した後EUにヒビが生じていると認めた。
この地図は国民主義者が十九世紀以来スペインとフランスでのバスク語話者全員の政治的統一を求めてきたバスク州を際立たせる。
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カタルーニャの成功はバスク州にスペイン中央政府からの独立のための闘争を再び始める理由を与えるかもしれない。
マドリッドに無視されていると感じる若いバスク人の新世代はETA(バスク祖国と自由)の一方的な二〇一〇年停戦を考え直そうと決心するかもしれない。
この集団は独立国家を求める五十年間のキャンペーンで八百人以上を殺害した。
この地図が示すのはオークニー諸島であり、ブレグジットに続いてスコットランドとUKからの独立を探っている。
欧州連合を去る投票の後、この地方の政治家の半分以上が「一層の自治か自決」の研究を要求してきた。
オークニーは伝統的にはスコットランド独立に反対しており、ホリールードよりウェストミンスター政府を選好する。
ガリシア独立運動は政治運動であり、地域独立を支持する。
また、幾つかの集団はポルトガルとの統合を提案しており、その軍事組織は「ガリシア・レジスタンス」(Resistência Galega)と呼ばれる。
この地図ではマン島とコーンウォール、シチリアも際立っている。
もしもカタルーニャがサクセス・ストーリであると判明するならば、バレアレス諸島とバレンシアのような羨ましがるカタルーニャ語話者テロリストも隣に加わりたがるかもしれない。
また、ジブラルタル集団の自決も国の憲政上の身分を決定する目的で立ち上がるかもしれない。
二〇一四年、イタリアのベネチア人の89パーセントがオンラインの嘆願で独立に投票し、「ヴェネト・シ」(「ベネチア、是」)という党を結党することになった。
第一次世界大戦の前、イタリアの南チロルはオーストリアに属していたが、紛争が終わった後はイタリアの部分になった。
多くの人々がオーストリア人の方にもっと親しみを感じており、独立の強い声がある。
また、この地図はスコットランド国民党(SNP)が一九三四年の結党以来完全独立キャンペーンを行ってきたスコットランドを示している。
SNP指導者ニコラ・スタージョンはブレグジット投票からもう一度国民投票がありそうだと言った。
ウェールズ国民党は一九二五年の結党以来独立キャンペーンを行ってきた。
近年の世論調査によれば、ウェールズ投票者の40パーセントが議会での一層の権力を支持し、25パーセントが完全独立に賛成している。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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レポート:ペドは「ホモ」の間でもっとありふれている―リサーチは同性愛文化の「暗黒面」を暴露したと主張。
Jon Dougherty, REPORT: PEDOPHILIA MORE COMMON AMONG ‘GAYS’: Research purports to reveal ‘dark side’ of homosexual culture
Published: 04/29/2002 at 1:00 AM
Jon E. Dougherty is a Missouri-based political science major, author, writer and columnist.
http://www.wnd.com/2002/04/13722/
 児童性的虐待(チャイルド・モレステーション)と小児性愛(ペドフィリア)は一人当たり異性愛者(ヘテロセクシャル)より同性愛者(ホモセクシャル)の間ではるかにありふれて起こる、と新しい研究は示す。
「同性愛は性的倒錯であり、我々の文化に恐ろしい帰結を生じてきたところの障害をしばしば伴う、という信念は圧倒的な証拠に支持されている」と、スティーヴン・ボールドウィンSteven Baldwinは「児童性虐待と同性愛運動」“Child Molestation and the Homosexual Movement”に記し、これはすぐに『リージェント大学ロー・レビュー』Regent University Law Reviewに掲載された。
ボールドウィンはワシントンDC国民政策委員会のエグゼキュティブ・ディレクターである。彼は記す。「同性愛文化の暗黒面を不快に見せずに伝えるのは難しい。しかしながら、同性愛行動が西洋文化の根底を――核家族を脅かしていると認めるときが来ている」。
同性愛共同体と多数メディアがそのような非難を嘲笑うけれども、ボールドウィン――彼はカリフォルニア州下院の教育委員会の議長を務め、そこにおいて州立学校での同性愛アジェンダ支持に抗して戦った――は、その報告書で、同性愛活動家の「彼ら自身の性感のため及び同性愛運動の拡大のために児童を標的にする試み」が「家族単位」への「紛うことなき」攻撃を構成すると言う。
ボールドウィンの研究はジュディス・リースマンJudith Reisman[1]が著した近年完成の大作で実証されている。リースマンは『キンゼイ、その犯罪と帰結』Kinsey, Crime & Consequencesなど、性的神話の誤りを暴く多数の権威的著書の著者である。
彼女のテーゼ――これもまた『リージェント大学ロー・レビュー』に著された――において、リースマンは心理学者ユージーン・アベルEugene Abelを引用する。アベルの研究は同性愛者が「……少女性虐待の五倍の発生率で青少年を性虐待する」ことを発見した。
また、アベルは非収監「児童性虐待者は犯罪者一人あたり23.4から281.7まで行為を認めた……その標的は男性であった」。
「児童性的虐待での同性愛者対異性愛者の比率は衝撃的である」とリースマンは言う。彼女は児童ポルノと暴力の研究を許された80万ドルの司法省の主任調査員(PI)であった。「男性同性愛犯罪者一人あたり150.2の少年虐待というアベルのデータは異性愛犯罪者の少女19.8とは比較にならない」。
レズビアンとゲイの親と家、友(Parents, Families and Friends of Lesbians and Gays)[2]のスポークスマン、ジェイ・ヘヴナーJay Heavenerは、同性愛者が異性愛者より高い犯罪率で児童を虐待しているという主張は連邦犯罪データに反証されていると反論する。
「連邦捜査局(FBI)のデータによれば、この主張は虚偽です」と、彼はWNDに電子メールで告げた。「ゲイ・レズビアン共同体は我々自身の経験に真っ向から歯向かう疑わしい研究のいずれに対しても疑問を呈します」。
二十八年間聖職者虐待を診断し治療してきた臨床心理士ゲイリー・シェーナーがSalon.comに告げるには、「同性愛者より異性愛者の事件の方がはるかに多いです」。
純粋な数について言えば、それが正しいかもしれない。しかし犯罪者一人あたりの虐待された児童の数について言えば、同性愛者ははるか大なる頻度で虐待する。そして研究が示すには、大いに選好されるのは少年である。
ボールドウィンが言っているのは、彼が調査した証拠は児童性虐待が異性愛者の間で蔓延しているという断言の誤りを証明している、ということである。彼とリースマンはともに、���ディアの成人同性愛者の未成年者虐待の報道もまた歪曲されていると考える。
リースマンは記すには、「国民レズビアン・ゲイ・ジャーナリスト協会(NLGJA)は、同性愛者は人口の二パーセントに満たないけれども、ニューヨーク・タイムズのフロントページの内容を決定する人々の四分の三が同性愛者であると自慢した」。
専門家が指摘するには、この事実はアメリカのカトリック教会内で発生している近年の児童セックス・スキャンダルを考え合わせたらとりわけ興味深い。
ワールドネットデイリー(WorldNetDaily)による最近のニュース・レポートの調査が発見したところでは、
メディアが聖職者の性的虐待を「同性愛」や「ゲイ」活動と記述することはまれである――たとえ最悪の事例が男性対男性接触を含んでいるとしても、そして、調査報告はバチカンが世界中の新学校での同性愛者の急上昇を懸念していると明らかにしたにもかかわらず。
ゲイ・プレス、児童とのセックスを奨励
ボールドウィンいわく、彼の研究は「確証する」だけではなく、「主流派同性愛文化」が「児童とのセックスを奨励することはありふれている」と発見した。
彼は記す。「指導的な小児性愛学術誌『パイディカ』Paidikaの編集委員会はサンフランシスコ州大学教授ジョン・ディチェコJohn DeCeccoのような著名な同性愛者学者が支配しており、彼が『同性愛ジャーナル』Journal of Homosexualityを編集することも起こった」。
彼が研究機関に発見した他のことはこうだ。
l  近年、『同性愛ジャーナル』は特別二号を出版した。それは「男性世代間親交」(Male Intergenerational Intimacy)と題され、成人と未成年者のセックスを愛の関係として描写する多くの記事を含んでいる〔訳注:Intimacyは性的な親交を仄めかす〕。或る記事が言うには、親たちは親たち自身の子供を愛するペドを「ライバルや競争者ではなく、彼らの財産の泥棒でもなく、少年の養育に際してのパートナーとして、彼らの家に招き入れるべき誰かとして」見守るべきであるらしい。
l  一九九五年、同性愛雑誌『ガイド』Guideが言うには、「ゲイ運動は子供たちが自然と性的であると大声で言う勇気をもつ少数派の声のホームになったことを、我々は誇ることができる」。「彼らは誰とであれ自分で選んだ相手との性的表現の権利に値する……」。この記事は遠くへ進む。いわく、「小児性愛者とレッテル張りされることを恐れるかわりに、我々はセックスが良いものであると、子供たちのセクシャリティーも含めて……誇り高く宣言しなければならない……我々は子供たちのためにこれを行うべきである」。
l  著名な同性愛活動団体ACT-UPの創始者ラリー・クレイマーLarry Kramerがその本『ホロコーストからのレポート―エイズ活動家の元』Report from the Holocaust: The Making of an AIDS Activistに記すには、「わたしとしては、教師であれ他の誰かであれ、年上の同性愛者と児童が性交するこれらの事例において、頻りに、実に頻りに、児童がその活動を望み、おそらくせがんですらいるという意見を述べる」。
l  影響力のある同性愛新聞『アドボケート』The Advocateの広告の研究において、リースマンは「三つの挑発的な体位で使用可能な……貫通可能な少年人形Penetrable Boy Doll」のアドを発見した。また、彼女は『アドボケート』の各号での数々の扇情的な少年イメージが平均して14であることを発見した。
l  同性愛者の新聞と旅行出版物は主としてビルマとフィリピン、スリランカ、タイのような少年売春が活発な国を広告する。
同性愛、「青年向け」?
「同性愛生活様式の研究は、それがほとんど専ら青年向け文化であることを確証する」とボールドウィンは記す。「年上の男性への選好を示すゲイはきわめて少ない」。
いわく、「幾人かは十代の少年への注目を認める。幾人かは思春期前の少年を。そして多くの者がカテゴリー間を跨る」。
ボールドウィンの報告書で詳述された一九八八年の研究は、小児性愛者のほぼ全員が自分を「ゲイ」とさえ見なしていると発見した。研究『性的行動アーカイブ』によれば、小児性愛者の86パーセントが自分を同性愛者や両性愛者と記述した。また、同性愛者と自己同定する十代男性売春者の数はこの十五年で10パーセントから60パーセントまで上昇した。
彼の研究の誤りを指摘しようと試みる批評家について、彼が思っていることを問われるとき、ボールドウィンは言う。その結果が彼ら自身のことを語っていると。
彼は言う。「彼らにとって、この理論が虚偽であると言うことは、同性愛運動の指導者の多数を嘘つきと呼ぶことに等しい。わたしの証拠のほとんどすべてはゲイ共同体から来ている」。
ボールドウィンはワールドネットデイリーに宛てて、「わたしは自分のテーゼ――自動性虐待が同性愛運動の統合的部分である――が妥当なテーゼであることの証拠を十分に発見しました」と告げた。
また、他の専門家も児童性虐待者と同性愛範囲率の独特のパターンを発見してきた。
「心理学者はこの暗黒面の有意をいつまで否認できるでしょうか。それが同性愛の条件について含意するところをいつまで無視できるでしょうか。心理学者は性的に混乱した十代の青年に対していつまで熱心にゲイ・ライフへのドアを開いているのでしょうか」、とNARTHを代表してジョゼフ・ニコロージ博士[3]は記す。NARTH――同性愛の研究と治療のための国民協会――は「市民的公論の境界内において、同性愛に関わる原因と治療、行動様式の心理学的理解を提供する」ために存在すると言う。
北アメリカ・マン・ボーイ・ラブ協会、あるいはNAMBLAは「少年未成年者との性交を公然と奨励し、少年愛を彼らが愛する少年のニーズに対する反応であると主張する団体です」。
この集団はしばしば「多数の同性愛運動の最も著名な指導者たち」により是認されている、と彼は言う。
圧力団体、学校に移る
「ゲイ・レズビアン生活様式」の奨励は国立学校で増加している。WNDは同性愛志向ウェブサイト研究で、ほとんどすべての団体が教育者と学校運営者、その他被雇用者に同性愛生活様式を「教育する」何らかの種類のプログラムをもっていることを発見した。
l  GLSEN――ゲイ・レズビアン・ストレート教育ネットワーク――は特に「K-12〔幼稚園から高校までの十三年間の〕学校での性的志向とジェンダー・アイデンティティー/表現に基づく差別」の終わらせるために形成された「保護者と生徒、教育者その他の人々の最大の国民的ネットワーク」を謳う。近年発表された二つのプレスはフロリダ州ブロワード郡学校委員会が「GLSENスポンサード教師向けトレーニングを承認した」[4]と誇った。
l  近年、GLSEN事務で働く学生活動家はカリフォルニアの学校で「ゲイとレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーの学生」に「声を与え」おおせた。[5]
l  PFLAGは「わたしたちの家から学校の家まで」という国民キャンペーンを作り出し、『性的志向と若さに関しての単なる事実―校長、教員及び学校人事のためのプライマー』Just the Facts About Sexual Orientation and Youth: A Primer For Principals, Educators, & School Personnel[6]と題された冊子を――他の資料とともに――学校職員に配布した。
学校関連のプログラムのほとんどすべては単純に同性愛者とレズビアンの迫害を終わらせるためのプログラムとして運営者と保護者に売り込まれるけれども、同性愛は児童に対して有害であるというボールドウィンの有無を言わせない証拠を曝け出すものはない。
「……同性愛と児童性虐待の関係について学会の文献は何を言っているか? 本当に、ほとんど何もないんです」。ファミリー・リサーチ研究所の編集したデータを引用しながらいわく、「科学的研究は同性愛者の強い小児性愛性向を確証します」。
この研究所は一九八五年『心理学報告』Psychological Reportsの記事における十九件以上の研究とピアレビュー報告をレビューした後、同性愛者が全児童性虐待の25~40パーセントを占めることを発見した。
ボールドウィンは言う。「しかし、児童性虐待者が同性愛者であるとき、多くの報告者はたとえがそれが事実であると知っていてもそれを報告しないという事実のせいで、この数は少なくなっています」。
[1] http://drjudithreisman.org/
[2] http://www.pflag.org/
[3] http://www.narth.com/docs/whyreveal.html
[4] http://www.glsen.org/templates/news/record.html?section=12&record=1309
[5] http://www.glsen.org/templates/news/record.html?section=12&record=1271
[6] http://www.pflag.org/education/schools/docs/justthefacts.pdf〔編集者注:このファイルを開いて読むにはAdobe PDF readerを必要とする〕
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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異議に答える:『コレクト、ただしポリコレにあらず――なぜ同姓婚は万人を害するのか』(フランク・チュレック)からの抜粋
Extract from Frank Turek, Correct, but not Politically Correct: Why Same-Sex Marriage Hurts Everyone, http://archive.is/6wJsG
「同姓婚を妨害する差別は偏狭だ」
「いいや、それは同姓婚が有害である一方で自然婚は健全かつ有益であるという証拠に基づいた健全な判断である」
「でも同性愛者カップルは異性愛者カップルと同じだけ養育できるぞ」
「研究は平均的には同性愛者カップルがはるかに拙い安全を子供たちに提供すると示す。 児童発達にとって家構造は最も重要な要素であり、父と母は最善の構造を構成すると証明されている」
一.平等権はどうなる?
1       同性愛者はすでに「結婚」できる。私的な結婚式で忠誠を誓い合える、いつでもできる。しかしその関係性を国家に承認される権利をもたない。
2       万人が同じ規則に従っている。我々はみな異性と結婚する同じ権利をもち、政府にそれを認識させる権利をもつが、同性愛者はその選択を好まないから特別な権利を要求する。
3       もしも我々が同性愛者に特権を授けるならば、複婚や近親婚のような社会的に不健全で破壊的な願望を互いに合意する成人に対し、いかなる根拠でそれを否定できるのか。
二.憲法に差別を入れるな
1       遅すぎる――すでにそうなっている。事実、すべての法律が差別するが、人格(person)にではなく行動に対しての差別であり、正当な理由があってのことである。たとえば、
1.1      第一修正条項は彼らの宗教を我々に押し付けようとするイスラム教徒(行動)を差別するが、人格としてのイスラム教徒に対しては差別しない。
1.2      第十三修正条項は奴隷を取る事業家(行動)を差別するが、人格としての事業家に対しては差別しない。
2       同様に、現行の婚姻法は我々の間の同性愛者と複婚者、重婚者、姦通者、近親婚者の行動を差別するが、人格としての彼らを差別してはいない。
3       法律は市民を有害な行動から、その動機にかかわらず、保護しなければならない(すなわち、性感は有害な性行動を弁明しない)。
三.でも同性愛者は黒人と同じ少数派階級だ
1       同性愛者は人々の階級ではないし、異性愛者も違う。我々は男性か女性かであり、同性愛者か異性愛者かではない。
2       あなたは元同性愛者を幾らでも見つけらる。元アフリカ系アメリカ人を発見することはない。
3       同性愛行為を犯すことは肌の色やジェンダーと同じではない。同性愛行為は有害である。肌の色やジェンダーは違う。(願望は選択されないにせよ)性行動はつねに選択される。
4       この論点は人々に対する差別ではなく人々の潜在的に有害な行動に対しての差別である。すべての法律が行動を差別する(第三を見よ。)
四.同性愛者はそう生まれたんだよ
1       それは設計に訴える議論で、逆火を起こす。同性愛者は男性か女性かにも設計されている(「生まれる」)からだ。ではなぜ、彼らは身体の設計ではなく願望に従うべきなのやら。願望に従い損ねるのは不快かもしれないが、身体の設計に従うのを怠るのは致命的でありうる。
2       同性愛願望の源泉は決着していない。しかし、たとえ遺伝的要素があったとしても、(とはいえ同性愛者は生殖しないのにその遺伝的要素がどう受け継がれるのか訝しいが、)願望は行動を弁明しない。
3       同性愛志向は行動を道徳的に正しくするわけではない、ちょうど子供志向が小児性愛を道徳的に正しくしないのと同じである。暴力志向はゲイバッシングをOKとするのかね?
4       我々はみな悪性行動志向に生まれた。願望は、その源泉が何であれ、その行動を弁明しない。人間はその抱きうる全願望に従って行為すべきなのか? もちろん、否。事実、破壊的行動の原理的制約こそが文明と呼ばれるのである!
五.お前だって異性愛者に生まれたんだぞ
1       いいや。わたしは男性に生まれた。
2       わたしの性行動は選択された。ちょうどあなたのと同じように。
六.でも同性愛者は変わらない
1       人々自身の告白によれば、数千人がその志向を変えたし、ゲイ活動家のチャンピョン、ロバート・スピッツァー博士に行われた研究はそれを確証する。たとえ彼らがその志向を変えないとしても、他の全員と同じように、彼らは性行動を支配できる。
2       なぜ我々は、小児性愛者と姦通者、ゲイバッシャーには支配を期待するが、同性愛者には期待しないのかね。
七.でも動物だって同性愛行動を行う
1       ああ、或る動物はときに同性愛行動を行うし、或る動物は若い個体を食う。我々もそうするか?
2       同性愛活動家はその道徳性の例として動物を持ち上げるとき、自分たちの行動について何を言っているんだ?
八.同性婚に反対するのは人種間婚姻に反対するのと同じだ[i]
1 ��     いいや、民族性(ethnicity)はカップリングには関係ない。ジェンダーが本質である。(たった一つの種族しかない――人間種族だ――しかし、ジェンダーは二つある。)
2       人種間(民族間)婚姻への反対はメリットがない。男女は相互に設計されているので、民族間カップリングも有益である。しかし同性愛カップリングは自然の設計に逆らっており、ゆえに有害である。
九.同姓婚を妨害する差別は不公平だ
1       誰も不公平に扱われてはいない。みな同じ規則に従っている。我々はみな異性と結婚する同じ権利をもつ。
2       配偶者としての資格をもつ者ともたぬ者を定義することは不公平ではない。国家は父と娘の結婚や兄と妹の結婚の認知を拒絶するとき不公平に差別しはいない。それは不健全で社会的に破壊的な関係の不認可を選択することで、社会を賢明に保護している――同性愛関係を認知すべきでない理由も同じである。
3       婚姻とは、設計ゆえ、親類以外の男女間である。国家は端的に自然な婚姻設計を認知すべきであり、婚姻を再定義すべきではない。
一〇.同姓婚を妨害する差別は偏狭だ
1       いいや、それは同姓婚が有害である一方で自然婚は健全かつ有益であるという証拠に基づいた健全な判断である。
2       その議論は他の議論と同じく、道徳的標準を予め前提している。(同性愛活動家は偏狭が道徳法を破ると認めている――なぜ同性愛行動については同じことを認めないのか。)
一一.だが同姓婚は愛の問題だ
1       かりにそうだったとして、それがどうした。結婚はその社会的利益ゆえに国家認可なのであり、「愛」の認知ゆえではない。
2       医学的に危険な行動について愛するとは何のことやら。愛とは愛される者の究極の善を求める。同性愛行動は逆を成す。それは人々を害する。
3       我々の愛の関係性はほとんどすべて非性愛的であるけれども、それらを結婚で認知しはしない。
一二.健全で長期的な同性愛カップルがいる
1       データはそれらが規則ではなく例外であることを示す。例外を言い放つことは規則が存在することを反証しない。逆だ。例外は規則を証明する。
2       法律は規則に基づき、例外には基づかない。もしも法律を例外に基づけるならば、以下のとおりになるだろう。
2.1      喫煙の承認。なぜならば非喫煙者より長生きな喫煙者がいるから。
2.2      飲酒運転の承認。なぜならば誰も害さない飲酒運転者がいるから。
一三.お前は結婚が出産に関わるべきだと言うが、子供のない自然婚もあるぞ
1       再び、それらは規則ではなく例外である。しかし規則では、同性愛ユニオンは出産しない(例外なし)。
2       子供なき自然婚は夫婦に養子を与えることができるし、以前の関係からの子供もある。
3       子供なき自然婚はそれでもなお一般的には生殖力ある関係であることを肯定する。
一四.なんでお前は離婚で婚姻を貶めながら同姓婚に反対してるんだ?
1       確かに、我々は自由化の離婚法で婚姻を貶めているが、それは同姓婚に反対する議論ではない。実際には、それは反対派側の議論だ!
2       自由化離婚法での婚姻の弱体化からの膨大な社会問題は、法律にとって家の保護がいかに重要であるかを示す。なぜ同姓婚の承認でさらに婚姻を弱めなければならないのか。
3       同姓婚と離婚には大きな違いが一つある。離婚は容認可能になってしまったが、それを良いと信じたりそれを子供たちに結婚と同じだけ良いと教えることを求めたりする者はわずかである。かたわら、同姓婚を提唱する者たちは、それを我々の子供たちに承認させ、称賛させて、教育したがるのである。
一五.なんで国家は同姓婚ではなく自然婚を承認すべきなんだよ
1       なぜならば、国家は自然婚を承認すべき切実な理由をもつからである――自然婚は我々の国民的免疫系なのだ。それは我々を病気と社会的費用から保護する。我々の結婚が強いほど、我々の社会は強い。我々の結婚が弱いほど、我々の社会は弱い。
2       自然婚は:
2.1      男女の健康と寿命を改善する。
2.2      女性を未婚の男性から保護する。
2.3      社会に対する福祉費用を軽減する。
2.4      犯罪率を軽減する(結婚は男性を洗練させ、生産的追及に集中させる)。
2.5      出産させ、十分補充出産率を奨励する。
3       自然婚家庭の子供たちは:
3.1      貧困の内に生活する見込みが七倍低い。
3.2      自殺する見込みが六倍低い。
3.3      罪を犯す見込みが半分以下である。
3.4      未婚で妊娠する見込みが半分以下である。
3.5      成人するとき身体的かつ情緒的にもっと健康である。
3.6      学歴的かつ社会的に優れている。
4       父なき家の子供たちは次のとおり計上される。
4.1      アメリカの強姦者の60%。
4.2      アメリカの青年自殺者の63%。
4.3      アメリカの受刑者の70%。
4.4      アメリカの感化院出席者の70%。
4.5      アメリカの十代妊娠者の71%。
4.6      アメリカの高校中退者の70%。
4.7      アメリカの若年殺害者の72%。
4.8      アメリカの青年囚人の85%。
4.9      アメリカの青年行動障害者の85%。
4.10    アメリカの家出者の90%。
5       同姓婚は更なる父なき家を生むだろう。
一六.でも同性愛者カップルは異性愛者カップルと同じだけ養育できるぞ
1       研究は平均的には同性愛者カップルがはるかに拙い安全を子供たちに提供すると示す。
2       児童発達にとって家構造は最も重要な要素であり、父と母は最善の構造を構成すると証明されている。
3       同性愛関係はつねに子供たちに対し父と母を否定する。
4       児童にとって父と母は同性愛者が主張するような交換可能な存在ではない。父と母はそれぞれ子供たちの厚生に対して独特の貢献を行う。
5       同性愛活動家がその性欲を満たそうとするとき、彼らは男性と女性の明らかな違いに気づいている。彼らが男女を交換可能と言うのは養育に関わるときだけでしかない。同性愛者は性愛上の欲望を満たすが、子供たちは同性愛的「親」が与えるものに我慢するしかない。これが示すとおり、同性愛者は子供たちにとって最善であることよりも自分たちの性欲を気にする傾向があり、これも彼らの関係を結婚と同一視するわけにはいかない理由の一つである。
一七.どうして同姓婚の許可が結婚と子供、社会を害するかもなどと
道徳的論点に中立性は存在しない。同姓婚を合法化することで、国家はそれらを承認し、ゆえにそれらを推進するだろう。法律は態度を変化させ、良い(か悪い)行動を奨励する助けになる。言い換えれば、法律は偉大な教師なのである。多くの人々は何であれ合法的であることを道徳的であると信じ、非合法であることを不道徳であると信じる。同姓婚は次のとおり働くだろう。
1       非嫡子と社会的費用を増加させながら、結婚の重要性を矮小化する。
1.1      同性ユニオンを自然婚と同じ水準に称揚することで、我々の文化での婚姻の知覚上の重要性を貶める。結婚は出産よりはむしろ単なるカップリングであると看做されるだろう。
1.2      それは人々がもはや結婚を子作りと結びつけなくなったせいで非嫡子が爆発的に増加したスカンジナビア諸国の実態である。
1.3      国際調査が示すとおり、同性関係を認可する国々ではしないところよりはるか多くの人々がそれらを容認可能であると考える。
1.4      非嫡子は犯罪率と社会福祉費用を増大することで万人を害する。
2       医療費と健康保険費っを増加させる。
2.1      我々は、ロー対ウェイド事件〔堕胎禁止の無効化〕に続く劇的な堕胎増加を見るのと同じ目で、同姓婚の是認に続く同性愛行動の増加を見るだろう。
2.2      同性愛行動は、単婚的であれ否であれ、極度に不健全であると知られており、そのようなものの台頭は高い医療健康保険費を介して共同体を害するだろう(同性愛行動の健康効果について次の第十八条を見よ)。
一八.でも同姓婚は同性愛者に献身的な関係に入るよう奨励することで彼らの健康を改善するんじゃないか?
1       同性愛行動は単婚的であれ否であれ本質的に有害である。直腸は一方通行だ。表現を許されたいが、直腸は下水道なのである。それはそうデザインされている。その乱用を「愛」の行為とラベリングしても事実は変わらない。
2       単婚制は健康改善に役立つにせよ、そのような効果は同性愛者には見込めない。なぜならば「献身的」関係の同性愛者の約60%以上がとにかく今では単婚的ではないからである。そして献身的関係の同性愛者は「熱々」〔滑稽なほどのめり込んでいるの意〕で、そのような実践を侮辱と感じるから、相手とのセーフ・セックスを諦める傾向がある。
3       互いを釣り合わせる男女以上に、むしろ同一者のペアリングこそが強制的性愛行動を促進する。同性愛男性の21–43%もが数百の性交相手をもっていた。
4       レズビアンは同性愛女性より健康上の問題を多く抱えている。
5       たとえ健康が改善されるとしても、見込みのない可能性では同姓婚を自然婚と法的同等とすることを正当化できない。子供たちを出産し養育する固有の諸能力が、我々の社会で唯一法律的かつ社会的に奨励される性的関係として自然婚をつねに保つべきである。
一九.政府後援の同姓婚がどうしてお前を害するんだよ
1       高い医療保険費。
2       同性愛者に対して結婚の財政的利益を支払うための高い税率と、増加する非嫡子(犯罪と福祉含む)から生じる高い社会的費用。
3       それら同性愛カップルに対して支払うための、従業員利益の削減。
4       職場での思想洗脳。
5       児童に対しての学校での同性愛「正常性」の思想洗脳(親の健康関心と道徳的異論にもかかかわらず)。
6       異性愛者夫婦の犠牲における同性愛者への優先的養子縁組(子供たちは賞品として扱われる!)。
7       礼拝所は同性愛者を雇うよう強制される。
8       自由な言論/宗教の権利の喪失(スウェーデンとカナダではこれが実情である。)
9       あなたとあなたの子供たち、あなたの教会に対して新しいポリコレ道徳を押し付けるための、もっと浸透性で制限的な政府規制。
二〇.同姓婚がどうして同性愛者を害するんだよ
1       同性愛行動は:
1.1      エイズなどの性感染症と大腸癌、肝炎の増加を含め、それを実践する人々の膨大な健康問題に帰結する。アメリカ疾病予防管理センター(Cetner for Disease Control)によれば、既知の性感染エイズの全事例のうち82%がMtM〔男性対男性〕接触の結果である。
1.2      同性愛者の寿命を最大二十年短縮する。(CDCいわく、喫煙は平均でたった七年しか寿命を減らさない。喫煙を抑止すべきであるならば、なぜ同性愛を是認することを考えているんだ?)
2       もしも同姓婚が合法化されるならば、政府はそれを推進する同性愛を許可しに取り掛かるだろう。なので、政府は単に人々に自滅を許可するだけではなく、���たそれを促進しもするだろう。政府が存在するのは害を妨げるためであり、それを推進するためではない。
二一.証拠はあるのか?
1       わたしが言ったことの大部分はすでに同姓婚諸国で起こっていることである。ノルウェーでは非嫡子は国民規模で50%へ、最もリベラル〔ラディカル〕な県では70%まで達している。スウェーデンとカナダのような国々では、同性愛に反対する人々の自由言論と宗教的表現が規制されている。牧師たちは投獄された。
2       国際調査が示すとおり、どこであれ同性婚が合法であるところでは自然婚が最も弱く、非嫡子が最も強い。
3       事実、わたしが言ったことの大部分はすでに我々の国でも起こっている。それは政府後援同性婚で加速してゆく一方であろう。こういうわけで、同姓婚主唱者アンドリュー・サリヴァンはこう記した。「ゲイの婚姻が合法化されれば、他に何一つ行わなくてもゲイ・レズビアン平等を達するために必要な政治的仕事は90%達成されているだろう。これこそが問題となる究極的に唯一の改革である」。サリヴァンは法律が態度と行動を変えることを確実に理解している。
二二.お前は法律を偉大な教師と言う。同姓婚を肯定する法も何かを教えるんだろう?
さて、政府後援の同姓婚を作る法律が教える偽りの考えはこうだ。
1       同性愛行動はちょうど異性愛行動と同じだけ道徳的で健全である。
2       同性婚はちょうど自然婚と同じだけ道徳的で健全である。
3       父と母は児童のケアと発達に対して彼ら固有の有益なものごとを何も提供しない(同性愛カップルはつねにその子供たちに対して父と母の概念を否定する)。
4       婚姻は子作りではなく、単なるカップリングにすぎない。したがって、子供が欲しいからって結婚する理由はない。
二三.寛容になれよ
1       同性愛者はすでに寛容に扱われている。今では、彼らが要求しているのは承認である。
2       我々は愛すべき寛容を超えようとしている。邪悪の寛容は愛すべきではない。なぜならばそれは人々が害されることを許すからである。
3       同性愛者は寛容ではない。彼らは人々に対して法廷を通して合意なく同姓婚とその結果を押し付けようとしている。
二四.お前が判断するな!
1       では、わたしが判断を下すことについて、あなたが判断を下しているのはなぜか。
2       イエスは決して人々に対し、判断するなとは命じなかった。彼はどう判断すべきかを示した。
3       判断を避けることは不可能である。同性愛活動家は同姓婚が承認されるべきであるという破滅的判断を下している。
二五.教会と国家の分離は?
1       宗教ではなく道徳が立法されているのであり、すべての法律は道徳を立法する。政府後援同姓婚を合法化する法律でさえ、道徳の立法である。
2       自然婚を肯定する道徳は正当な理由と根拠に基づいて立法されている。
3       ちょうど多くの教会が同姓婚��反対しているからといって、我々はそれに反対する法律をもてないわけではない。ほとんどの教会は殺人と強姦、窃盗にも反対するが、それでもなお我々はそれらの行動に反対する法律をもつ。
4       もしもそれが妥当な異議であったとしたら、幾つかの教会は同姓婚を承認しているのだから、我々は政府後援同姓婚を合法化することができまい。
二六.シビル・ユニオンはどうなる?
1       関係性の名前の変更は問題を解決しない。国家はなお破壊的行動の承認にハンコを捺しているだろう。
2       社会が許可すべき破壊的行動が一つある。それはそのような行動を実際に推進する法律を通すこととはまったく異なっている。政府後援のシビル・ユニオンや同姓婚は破壊的行動を承認し推進するだろう。
[i] 訳注:人種否認主義(八.1)とハパの有益性(八.2)に対しては強い反証がある。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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先天性虚言者ヒラリー・クリントンについて、四篇
先天性虚言者ヒラリー・クリントンについて、四篇
ルー・ロックウェル・コム(LewRockwell.com)論集
  ヒラリーの本当の問題について、ディロレンツォ
ヒラリー・クリントンの大統領候補としての問題は彼女の批評家が非難するとおりに彼女が腐敗した不誠実な政治家であることではない。違う。ヒラリーの問題は彼女がバーニー・サンダーズと同じだけ酷い社会主義者であることにある。彼女は二〇〇四年、サンフランシスコの聴衆に次のとおり告知した。『共産党宣言』を踏襲していわく、「わたしたちは、各人の能力に応じて働き、各人の必要に応じて受け取る共通善のため、あなたから物を取り上げます」。かつてファーストレディーとして「わたしたちは個人のことを考えるのを止めて、社会にとって最善であることを考え始めなければなりません」と宣言した。そのような生命は社会主義哲学の定義的特徴である。すなわち――「社会」の「共通善」の名において個人主義を攻撃する――「社会」の「共通善」はつねに社会全体ではなく政治家により定義され執行される。そしてサンダーズと同じように「金持ち」を脅迫するのだが、彼女は労働階級(彼女のテレビ広告でのネオ・マルクス主義語でいう「労働家庭」(“working families”))に助成金を出すためにもっと酷い税金をかける
ヒラリー・クリントンは民主党時代に誇り高い社会主義自認者バーニー・サンダーズとの討論でその社会主義者の資格を実証してみせた。いつであれ、サンダーズがサンタクロースじみた「フリー」なヘルスケアと教育、住宅、福祉支給などの約束で民主党員の聴衆者を沸かせるとき、ヒラリーの反応は次の十年で連邦歳出を1兆ドル以上増加させることを約束しながら彼に同意することであった。社会主義の原理をめぐる不同意はなく、詳細が違うだけだ。
ヨーロッパ社会主義者間の現行のプチブームは或る種の「ベーシック」政府定義インカムを全住民に約束することである。ちょうどスイスはこの最新のマネー・フォー・ナッシング(見返りなしの金)スキームを票決した。自ずと、ヒラリーはこれに全力で乗っかった。アメリカで生まれたすべてのベビーに対し、十八歳の選挙権年齢に達するまで投資され与えられるであろう5000ドルを約束しながらである。ジョージ・マクゴヴァーンも同様に、一九七二年に1000ドルの「デモグラント」(「保証所得」)を提案したが、これは社会主義的であると片付けられ嘲笑されて、選挙でリチャード・ニクソンに負ける原因となった。
言い換えれば、ヒラリーはバーニー・サンダーズと同じだけ酷い社会主義者であり、ただマーケティングが理由で「社」語を使わないだけなのである。彼女は代わりに「進歩的民主党員」(“progressive Democrat”)を好むが、これは彼女に支持者の多くにとってさえ大変説得力をもつわけではない。クリス・マシューズとのテレヴィ・インタビュー[1]で、彼女は民主党員と社会主義者の違いは何かと繰り返し質問された。おそらく有意な違いはないと彼女自身も信じていることを多くの人々に仄めかしながら、彼女はこの疑問に答えることを拒絶した
一九九〇年前半において、ヒラリー・クリントンは「ヒラリーケア」として知られるようになったものの主な創設者だった――ソビエト式の中央計画をア��リカ健康管理部門に押し付けるクリントン政権の計画である。ここからは経済での政府の役割に関する彼女のビジョンと彼女がこれからアメリカ諸産業をどうしていくかについての大いなる洞察が得られる――史上最大の増税で支払われ、国家の重ったるい手で執行される、匿名官僚数千人に発せられる命令だ。
社会主義中央計画はつねに、そのようなものとして、小さな政治的支配階級エリートに金を集めて権力を与えながら同時に社会全体を貧窮させるために完全レシピであった。他のどんな手段を使えば、ウゴ・チャベスの三十五歳若い娘、ベネズエラのかつての社会主義指導者が、純資産40億ドルと報告される、国で最も豊かな人物になれたのやら。
ヒラリーケアはほぼすべてのアメリカ人に健康保険の中止を強要させ、保険のために政府官僚に諂わせる官僚制の悪夢であった。それは万人を強いて一揃いの政府定義利益を購入させた。それは七人の大統領指名者と数千人の官僚の委員会によりワシントンから管理されてしまい、医師へのアクセスは患者ではなく官僚に制約され支配されてしまい、外部保険計画はすべて非合法とされてしまった。
医者の給料からMRI装置まですべてを曲げる価格統制が浸透性の不足を引き起こした。その計画は概して低・中流階級にかかる大規模増税を要し、大規模失職を引き起こした(当時のクリントン政権自体の報告でも初年だけで六十万件に及ぶ)。五十九の新連邦官僚制が創設され、他の二十は拡大した。健康管理提供者に対して数百件の新規制命令が押し付けられた。保険業者は年齢や健康状態にかかわらず万人に同率の価格を請求するよう要求された――「保険」という概念それ自体が嘲笑われたのである。費用がかかる事業者委託については賃金を下げるか労働者を解雇するよう雇用者に強制した。州政府は連邦官僚制中央計画スキームの「購入同盟」になるよう強制されてしまった。
しかしながら、議会と全連邦雇用者メンバーがヒラリーケアから免除された。ほんのわずかな人々(すなわち、他の全員)だけが社会主義医療へと生け捕りにされなければならなかった。
「ヒラリーケア」の奇っ怪なところはソビエト帝国で社会主義が最終崩壊してからたった三年後にクリントンたちに推進された不条理な官僚制ソビエト式中央計画だったことである。その崩壊の原因は市場ではなく政府の「計画」により経済を集権的に計画する試みの不毛さであった――まさに「ヒラリーケア」である。
おそらく、「ヒラリーケア」の一部を墓から掘り出した「オバマケア」がアメリカ公衆に押し付けられたのはその大部分――概して若い世代――が二十世紀社会主義のグロテスクな大失敗に気づいていないからである。彼らは重要な教訓を学ぶため、現ベネズエラ――最新の左翼「社会主義楽園」――の経済的内破に目を向けるべきである。
ヒラリーの「政権パートナー」について、ディロレンツォ
ヒラリー・クリントンは合衆国上院議員として、ロウアー・マンハッタに建てるゴールドマン・サックスの輝く新本社の建設に助成金を出すための低利子連邦保証「リバティー・ボンド」での16億5000万ドル(想定の上では9/11後のニューヨーク市再建に使われているらしい)の手配に協力した。二〇〇五年の起工式で、彼女はこの会社を愛情たっぷりに自分の「政権パートナー」(“partner in government”)と呼んだ。彼女は三年後、投獄するには大きすぎの「パートナー」に対する100億ドル連邦準備ベイルアウトを支持した。見返りに、ゴールドマンは少なくとも、彼女の演説に67万5000ドルを支払い、彼女の選挙演説に巨費を寄付し、近年では自分のところの従業員に対してトランプ・キャンペーンにびた一文寄付してはならないとお触れを出した。彼女の婿はゴールドマン・サックスのCEOが経営するヘッジファンドを譲られた(報告ではその資産価値は90%が失われた)。
なので連邦準備委員会のほぼゼロ金利「金融緩和」〔あぶく銭〕政策に対するドナルド・トランプの近年の批判がヒラリーの感情を害したのも不思議ではない。彼女の憤然たる宣言いわく、「大統領に立候補したり大統領を務めたりしているときに連銀の活動にコメントすべきではない」。
ヒラリー・クリントンはどうやら政府には四つの府があると信じている。三つではなく四つ――決して他の三つから批判されてはまかりならない、聖なる連銀だ。オバマ大統領が一般教書演説で最高裁判所を批判するのはオッケー、議会と行政府が常習的に口先で言い争ってもオッケー。だが大統領(ましてや卑しい平議員)が聖なる連銀に否定的なコメントを付すなど、ヒラリー・ドクトリンによれば、決してすべきではない。
アメリカ政治に対するこの新クリントン主義理論は安い信用と政府ベイルアウトでゴールドマン・サックスのような会社に致富する腐敗した連銀出資縁故資本主義体制に対するまたもう一つの擁護でしかない。見返りに、縁故資本家はクリントンのような途方もなく大金持ちな政治家のキャリアとライフスタイルへ融資する。連銀はこのラケットの主な財政装置であり、こういうわけでヒラリーはそれを批判から絶縁したがる。言い換えれば、聖なる連銀への批判はいずれも、ああ、ディプロラブル(deplorable)なのである。
デイヴィッド・ストックマンがThe Great Deformation(『大奇形』)に著したとおり、「国家の中央銀行部門は、かんしゃくでの投売りを脅迫するウォールストリート投機家たちにとって、自分たちが繰り返し絞り上げられるのでないかぎりは、抵当のままである。かくて、金融政策は逆ロビンフッド再分配のエンジンになる。それはウォールストリート・カジノでの投機的利得のために……終わりなき機会を創造しながら大通り(実体経済)の貯蓄家と労働者、事業主を〔ほぼゼロ金利で〕処罰する学説」を信奉する。
ストックマンが二〇〇八年早期に指摘するには、崩壊したのは「経済」というほどのものではなく、ゴールドマン・サックスのような会社の株価であった。この会社は「申し立て上の消滅から救われるために〔連銀から〕1000億ドルを渡された。けれどもそれは急旋回して」、その一年でゴールドマン・サックスの経営者に「給料と賞与の160億ドル」を出す「290億ドルの黒字を生み出した」。また、連銀は1000億ドル以上の基本的に無価値な毒性の非流動資産をゴールドマン・サックスから購入した。
ストックマンが記すには、この会社の資産の90%が支払い能力をもっていたから、保険企業AIGの1800億ドル・ベイルアウトは「短期収益と当年度経営者・貿易業者ボーナスを保護することがすべて」だった。(また、ゴールドマン・サックスはAIGに対する請求で180億ドルも使ったが、それはこのベイルアウトのおかげで集められた)。
ヒラリー・クリントンの「絶対に連邦を批判するな」理論とは対照的にも、大統領たちと議員たちはつねに当然のこととして連銀政策にコメントしてきた。経済学者ロバート・ワイントローブは一九七八年に学会誌Journal of Monetary Economics『金融経済学誌』で、公的声明で連銀に影響してきた大統領のいかに多いことかを説明した。アイゼンハワー大統領がインフレーションを恐れて通貨膨張を控える願いを表明したとき、連銀は十年間ほど最も干満な通貨膨張で応じた。それからケネディー大統領はもっと速い通貨膨張を提唱し、連銀は彼にも応じた。
ジョンソン大統領は福祉国家拡張とベトナム戦争を融資するためさらに急速な通貨膨張を求め、連銀は通貨供給増加率を二倍以上にすることで応じた。ニクソン大統領再選は連銀の活動で確保されたも同然であり、一九七二年は第二次世界大戦終結以来最速で通貨供給を膨張した。ニクソンの継承者フォード大統領はインフレーション反対キャンペーンを行い、連銀はその仄めかしに気づいて通貨膨張を抑えた。再び速めたのはカーター大統領がもっと早い膨張の願いを表明してからである。
このすべてが意味するのは、連銀が政治的腐敗と経済的不安定のエンジンであることだ。それはインフレを制御するよりむしろそれを創造してきた(ドルの価値は連銀が設立された一九一三年の5%にも満たない)。二〇〇八年の不動産市場崩壊のような終わりのない景気循環を引き起こしてきた。政府の真の費用、わけても通貨戦争をごまかす。ロバート・ワイントローブの研究で記述されたとおり、経済学者が「政治的景気循環」(“political business cycle”)と呼ぶものを生成する。
ドナルド・トランプは――元議員ロン・ポールと同じように――、連銀を批判するにあたって彼自身の関心においてもアメリカ史との一致においても正しいだけではなく、まさにそう批判するという死に物狂いなほど必要とされる公務を遂行してもいる。彼は事業家であり経済学者ではないが、連銀に対する彼の経済的本能はドンピシャである。彼はそれを「バブル経済」、わけても株式市場バブル創造のかどで批判してきた。彼の最新の批判は本質的には、価格統制はいつでもどこでも悪く破壊的なアイディアであり、連銀「金利ターゲット」政策は自惚れた経済的述語でおめかしした価格統制でしかない、という経済的に健全な観念である。彼はフェッドのエンドを求めていないが、それはおそらくヒラリーにもう一手取られるのを恐れてであろう。
ヒラリー・クリントンと個人的誠意について、ナポリターノ
先週、FBI長官ジェームズ・コミーが、前国務長官ヒラリー・クリントンをスパイ容疑で起訴するべきではないという勧告を司法庁に公然と示したとき、事件を大陪審に委ねるべきか否か決定する際の基準がクリントンと他の人々で違っていると信じる人々からの批判の嵐が起きた。
FBI調査は奇怪な終わり方をした。この事例と同じように、FBI勧告は決して公開されない。コミーの公表に先立つちょうど一週間前、司法長官ロレッタ・リンチは政治的には不吉だが法的には重大な会合で、ビル・クリントンと妥協させられていた。彼らが討論したことが何であれ、圧倒的な公的印象では、リンチは事実上FBIに最終決定権を委ねて彼女自身と先輩をこの事件から除外したというものであった。これはフーバー以降のFBIでは前代未聞である。
けれども、コミーはその公表それ自体で不起訴を勧告する理由を二つ示した。一つは裁判沙汰にするための「合理的な起訴者がいない」ことである。これはFBIが給料を貰って下す判断ではない。FBIの仕事は事実と証拠を集め、提出して評価することであり、起訴者がどうのこうのと予言することではない。不起訴を勧告するもう一つの理由は、クリントンは国家機密を取り扱う際「きわめて不注意」であったかもしれないが、スパイ法が要求する標準である「まったくの怠慢」というわけではなかったことである。
けれどもコミーは、クリントンが国家機密情報取り扱い許可を欠いた非政府同僚に国家機密を送ったこと、これらの人々が敵性諜報機関にハックされたこと、それら適性政府の領土内で彼女が多数のノンセキュアな移動端末を考えなしに使用したことは認める。このすべてがきわめて不注意だがまったくの怠慢ではないならば、クリントンよりははるかにマシだった――起訴されて有罪判決を受けた――多くの人々が起訴されたのは誤りだった。
コミーの先週の公表以降、幾つもの新要素が脚光を浴びた。一つは、司法省は大陪審に対していかなる証拠も提出しなかったことである。決して大陪審に召喚状を求めなかった。召喚状を発行するには大陪審を必要とするから、これは大犯罪の調査としては前代未聞である。
また、大陪審の欠如のせいで、司法省がクリントンのインターネット・テクノロジー・アドバイザー、ブライアン・パリアーノのための免責を取得した状況と目的は訝しくなる。彼女は彼に対し、政府のセキュア・サーバーから自分のノンセキュア・サーバーに国務長官の公私電子メールを移す仕事で5000ドル支払った。刑事免責は本質的には起訴前の永久的な犯罪行為恩赦であるが、軽々しく与えてはならず、証言と引き換えでしか与えてはならない――普通は大陪審か小陪審への証言である。奇妙なことに、それはここでは実情ではなかった。
にもかかわらず、クリントンの繰り返し起こる個人的誠意の問題は三件のもっと犯罪的な調査に突き当たった。一つ目は公的汚職について。二つ目は偽証について。三つ目は議会での不当ミスリーディングについて。
公的汚職調査は数ヶ月の間進行してきた。その申し立ては、彼女が自分自身の自分の夫に金を回すために国務長官としての公職の権力を行使したというものである、その証拠はここにはたっぷりある。外国の諸政府と諸個人が国務省から有利な取り扱い――普通の場合、アメリカの法律や規制へのコンプライアンスの免除――を受け、ついで、クリントン財団が登録済みの法的慈善団体ではなかったとき同基金に宛てて集団的に何億ドルも与えたと文書で記録される事例が数ダースある。
クリントンが直面する第二の調査は偽証である。これは彼女が「偽証の罰の下」という成句を引用しながら仕事関連の電子メールをすべて国務省に提出すると宣誓したころ、情報公開法の民事訴訟で生じた。彼女が国務省を去ったとき、その電子メールすべてを事実上持ち出した。それから情報公開法訴訟が始まったとき、持ち出したうちの半分を返して、他の半分は私用であると主張した。
FBIの発見によれば、彼女は仕事関連の電子メール数千件の返却を懈怠しており、その幾つかは彼女とその法律家が破壊を試みたもので、幾つかは彼らが破壊に成功したものであった。誰が破壊を命令した?
最後に、クリントンは十中八九、議会ミスリーディングの非難に直面するだろう。議会ミスリーディング(misleading Congress)は議会の実質的質問に対して偽りの印象を意図的に創造することから構成される。彼女がこれを行ったのは国家機密を含む自宅サーバーを介して電子メールを送受信したことを院ベンガジ特別委員会(House Select Committee on Benghazi)に対して否定したときである。
FBIは110件の電子メールがこのカテゴリーに入ること、その少なくとも2ダースは政府が最高保護水準の機密とするものであることを発見した。また、彼女は同委員会に対し、仕事関連の電子メールをすべて国務省に提出したと述べた。
元ヤンキースの偉大なピッチャー、ロジャー・クレメンスは、野球プレイヤーとして血と尿の内容物につき院委員会に語るよう強いられたとき、(陪審が不一致で終わった後、彼は最終的には黙認したが)二回ほど議会ミスリーディングを試みた。クリントンは国務長官としてその法的義務につき議会をミスリードしたが、自由にスケートを楽しんでいる。
ビルとヒラリー・クリントン両者の常習的かつ生得的な嘘吐きの性癖が初めてメディアと公衆に対して露わとなったホワイトウォーター〔事件〕の日々において、後の偉大なニューヨーク・タイムズ・コラムニスト、ウィリアム・サフィアは夫が激怒するようなクリントン夫人をあだ名で呼んだ。彼は真理を恐れ、サフィアの鼻を殴ると公然と脅迫するほどサフィアに怒り狂った。
サフィアはヒラリー・クリントンを先天性虚言者であると述べた。彼は正しかった。二十年前のことだった。一部の人々は決して変わらない。
ウィキリークスからヒラリー・クリントンについての二十一件……主流派メディアは言わないが、あなたは言える!
ウィキリークスの話をしよう。
まず初めに、この組織は二〇〇六年にジュリアン・アサンジに設立された。彼らのウェブサイトは彼らが何者であるかを説明する。[2]
ウィキリークスは戦争とスパイ、腐敗に関する、検閲されたか制限された公式資料の大データセットの分析と公表に特化する。それはまた、公表された一千万件以上の文書と関連分析をも有する。
彼らは文書を公表してきた十一年において、たったの一度も反証されていない。彼らの信憑性は完全である。(We Steal Secrets: The Story of WikiLeaksとJulian Assange - A Modern Day Hero? Inside The World Of WikiLeaksを見よ。)
なので、ヒラリー・クリントンと民主党、クリントン財団、そのマキャベリたちの顔に泥を塗る政治的な悪ふざけについての情報の領域で何かを無視することは実に馬鹿げているだろう。
ここにあるのはヒダリー・クリントンについて明らかになった二十一件の最も重要な事柄であり、残念ながら主流派ではその一つも報道されていない。簡潔さのため、それぞれのトピックはリークのもっと深いところに進む記事へのリンクを含んでいる。(順不同。)
1       クリントン選挙キャンペーンの議長ジョン・ポデスタは司法庁高官ピーター・カドサイク(Peter Kadzik)と快適な食事を取った……ベンガジ・ヒアリングの翌日にだ。また、カドサイクの息子もクリントン選挙キャンペーンでの仕事を求めた。それと、汚職のカップケーキのアイシングもだろうか? カドサイクが指導したのはロレッタ・リンチを指名するための努力であり、彼女がヒラリーの電子メールゲート〔ウォーターゲート事件との類比〕尋問の直前にビジネスジェットでビル・クリントンと出会っていたのは有名である。(source)
2       我々はみなクリントン財団が単なるクリントン朝の資金洗浄の道であることを知っているが、今や証拠もある。Zero Hedgeが記すには、「今日のウィキリークスのごみためには、クリントン財団とバンド氏の会社Teneo Consulting、クリントン家の私的事業の間の正確な財政フローを暴露するメモが含まれている」[3]。或る識者はこのリークを「クリントン基金のロゼッタ・ストーン」と呼び、それはこの文書を使えば彼らの如何わしい財政取引すべてが解明され理解されうることを意味している。(source)
3       クリントンは寄りかかる演説台がなければ長く話すことができない。リークされた膨大な電子メールはどうして演説台がないとインタビューが短くなることのいかに確実かに言及している。この記事はなぜそうなのかについて非常に興味深い理由を参照する――驚くことに、その理由は彼女の健康ではない。(source)
4       また、リークスはクリントンが第二修正条項の制限に最善を尽くすつもりでいることを示す。クリントン選挙キャンペーンの国民報道官 ブライアン・ファロンが記したところでは、「フライデーの朝の討論からしばらくおいて、今日のショーでは、彼らが銃についてのきっと質問するつもりであることが分かりました。以前の銃討論より一層報道価値のある討論を行うつもりでしょう。我々は今夜、彼女が大統領として支持するであろう特定の提案について、リポーターに予備知識を与えます――普通身元調査はもちろん、大統領令でのガン・ショー〔銃器展覧会〕の抜け穴の閉鎖、そして製造者責任の押し付けについてです。」。The Daily Sheepleの分析によれば、「製造者責任の押し付けが意味するのは、サンディーフック〔小学校銃乱射事件〕の後、合法的に販売された銃火器が子供たちや学校スタッフの殺人犯の手にあったという口実でブッシュマスター社とレミントン・アームズ社が迫害されてきたということである」。(source)
5       キャンペーンはビル・クリントンの性的逸脱行為がもう一人の不面目なセレブリティー、ビル・コズビーのそれと結びつくことに懸念を示している。政治の手練ロン・クレインはヒラリーが次のような疑問を予想しておくべきだという緊急の電子メールを送った。「ビル・クリントンはビル・コズビーと何か違うのですか? 彼の品行はあなたのキャンペーンに関わりがあるんですか? あなたはすべての女性を信じなければならないと言いました。なぜ彼を非難する女性のことは信じないのですか? あなたの夫と彼の仲間によって誤って中傷された女性たちに対して謝罪するつもりはありますか?」(source)
6       クリントンの選挙キャンペーンはこれこそバーニー・サンダーズがウォールストリートに買収されていたという証拠であると皮肉気に仄めかしながら彼の恥ずかしい水着姿の写真を故意にリークした。ペレス・ヒルトンが記すには、「バーニー・サンダーズはウォールストリート・ロビイストから金を工面するのを助けた後の二〇一五年夏、マーサズ・ヴィニヤードのプールでぶらぶらしている」。(source)
7       二〇一四年ゴールドマン・ブラック・ロックのスピーチで、クリントンは中流階級の実態を把握していないと認めた。「そして、わたしは政治についてはどんな立場も取りませんが、このゲームは仕組まれているという思いをめぐって、この国には増大中の不安はおろか、怒りの感覚さえあると考えています。わたしは成人したときそのような思いを決して抱きませんでした。決してです。つまり、本当に豊かな人々はいました。もちろんいました。わたしの父は大企業と大政府に不満を言うのが好きでしたが、わたしたちは根っからの中流階級の育ちでした。わたしたちは良い公立学校に通いました。わたしたちには利用しやすいヘルスケアがありました。わたしたちは小さな、そう、一軒家を持っていました。彼はお金を貯めましたし、抵当を信じませんでした。そうしてわたしは生きています。そして今、わたしが生きてきた人生とわたしの夫とわたしが享受する経済的な資産のせいでちょっと排除されていますが、わたしはそのことを忘れません」。(source)
8       彼女は二〇一三年にブラジルのイタウ銀行の有償演説で、このかなりNOW〔新世界秩序〕じみた所見を述べた――「わたしの夢は、半球共通市場、オープン・トレードとオープン・ボーダー付き、将来のいつの日か、わたしたちにできるかぎりグリーンで持続可能なエネルギー、半球のすべての人々に成長と機会に力を与えるそれです」。(source)
9       またもう一つ、今度は二〇一三年Jewish United Fund of Metropolitan Chicago(ユダヤ連合基金)の有償演説のリークでは、クリントンはヨルダンとトルコが「難民全員を審査することはできないので、彼らはジハーディストが合法的難民の列に紛れているか知らない」と言った。その一方で、クリントンが我を張るならば、我々は一年で六万五千人の難民を暖かく歓迎することになり、オバマの一年あたり一万人もちっぽけに見える。(source)
10    北朝鮮の攻撃に対して支配力を及ぼさないならばアメリカがその地域にミサイルの基地を置くと言って、クリントンは中国人を恐喝した。噂では、彼女は二〇一三年六月のゴールドマン・サックス・カンファレンスで「ほら、中国。あなたがたが彼らを支配するか、我々が彼らに対して防衛しなければならないかです」と述べた。(source)
11    二〇一五年五月、クリントンはもはや国務長官ではなく、モロッコのサミットへの出席を招待されていたとき、大統領選出馬を公表する用意ができていた。リークされた電子メールの含意では、モロッコ王からの1200万ドルの「寄付」が依存したのはクリントンのサミット出席であった。いつもな彼女の上司に忠実だったフーマ・アベディンが懸念を呈していた。アベディンはロビー・ムック宛の二〇一四年十一月の電子メールで「HRCがその一部ではないなら、ミーティングは成功の見込みがありませんでした。彼女はこの困った状態を作り出した上でそれを知っています。彼女のプレゼンスはモロッコ人にとってはことを続けるための条件だったのでそれを破りようがなかったんです」と記した。ついでながら、クリントンは出席しなかった。その代わりにビルとチェルシーが行って、1200万ドルの寄付は起こらなかった。(source)
12    ポデスタはクリントンの主な政敵バーニー・サンダーズをパリ気候変動協定の批判者のかどで攻撃した。「能無しバーニー(doofus Bernie)はこれを攻撃したんです。信じられますか?」とポデスタは言う。(source)
13    クリントンはゴールドマン・サックス・カンファレンスでシリアにこっそり干渉したいと語った。「アメリカ人が干渉する際にできるだけこっそりするように、あなたがたはこっそりと干渉する、というのがわたしの見解でした。これについて、わたしたちは今よりかなり得意だったものです。今は誰も我慢ができませんね。彼らはでしゃばって仲の良いレポーターと他の誰かに話してしまいます。〔ひるがえって、〕わたしたちがしていることを見てください、それを褒めてほしいものです。」彼女が語った相手はサウス・カロライナの銀行の従業員であり、その人は彼女に22万5000ドルの講演料を支払っていた。(source)
14    実際、かたやクリントンのキャンペーン、かたやMSMが言ってもいいことの間には明確な繋がりがある。キャンペーンはWho’s Who in American Media〔アメリカ・メディア紳士録〕のようなものを読むメディア・スポークスパーソンたちと直接共謀していた。CNNからはダン・メリカ(Dan Merica)、ユニヴィジョンのハイム・サバン(Haim Saban)、CNBCとNYタイムズのジョン・ハーウッド(John Harwood)、NYタイムズとポリティコのマギー・ハーバーマン(Maggie Haberman)、元CNNのドンナ・ブレイジル(Donna Brazile)、TV-Oneのローランド・マーティン(Roland Martin)、ボストン・グローブのマージョリー・プリッチャード(Marjorie Pritchard)、ヒート・ストリートのルイーズ・メンシュ(Louise Mensch)。(source)
15    みなご存知とおり、民主党全国委員会はバーニー・サンダーズを騙して指名を奪い取った。[4](おまけ:ウィキリースはこのトピックでDNCのボイスメールの幾つか[5]をもリリースした。)
16    HRCの繰り糸を手繰り人形遣いがジョージ・ソロス[6]であると証明する電子メールがある。影の政府は単なる陰謀論ではない――それは実際には存在し、ヒラリーの仕事はジョージ・ソロスをハッピーに保つことである。(source)
17    彼女のウォールストリートでの諸演説の抜粋は二面性の裏切りのように読める。それらにおいて、彼女はときに嘘を吐く「必要」を明白に指摘している。「もしもみなが監視しているなら、ええ、バックルームの討論と取引をすべてですよ、ええ、そしたら人々は控えめに言ってもちょっとナーバスになるでしょう。なので、あなたは公的な立場と私的な立場をどちらも必要としています」。(source)
18    ウィキリークス電子メールは、かつてドンナ・ブレイジルがCNNのために働いており、クリントン選挙キャンペーンの被用者になる前、「即興」CNNタウンホール・クエスチョンに先んじて予めヒラリーに疑問を伝えていたことを示す。(source)
19    HRCの底知れぬ酷さの立候補から気を散らすためにしつこく無慈悲にトランプを追い立ててきた主流派メディアの大規模な共謀を示しながら、NYタイムズとハフポスト、CNN、NBC、CBS、NYT、MSNBC、ポリティコのような有力出版物の記事を、キャンペーンは「承認」することができた。(source)
20    ウィキリークスの電子メールのあちこちで、ヒラリーが我々を本当はどう感じていたかの正確な描写を得ることができる。(ネタばれ:かご一杯の浅ましい方々(basket of deplorables)、最底辺の住民たち(basement dwellers)、右翼陰謀論者(right wing conspirators))(source)
21    オバマ大統領は彼女の電子メールが安全な国務省のサーバーからは送られてこないことを終始承知していた。シェリル・ミルズがジョン・ポデスタに宛てて記すには、「わたしたちはこれを片付ける必要があります――彼は彼女からのメールを持っています――それらはstate.govと言っていないんです」。ご存知のとおり、オバマの電子メールはすべて「ホワイトリスト」アドレスから送られなければならない。なので、誰かがどこかで彼のホワイトリストに彼女の無保護の電子メールを加えたのである。(source)
そして最後になるが、ほら、これこそあの陰険なガミガミババアが政治に関わる真の理由である。言わせてもらおう。彼女は他の誰でもなく彼女自身の暮らしを良くすることを渇望しているのだ。(強調は私)
ゴールドマン・サックス・ビルダーズ・アンド・イノベイターズ・サミットで、クリントンは、君は「一財産築く」ために「ワシントンに行く」と軽口を叩く最高経営者ロイド・ブランクファインからの質問に応じた。クリントンはそのコメントに同意しつつ、政府に入る前に一定資産を除くよう役員に要求する倫理規定に不満を述べた。クリントンいわく、「成功者や複雑な生き方してきた人々に対してそんなバイアスがかかっています」。(source)
集まれ、我々は無視されてはならない。
わたしは現在と十一月八日の大統領選の間に任務を負っている。あなたにわたしの仲間へ加わってほしい。
わたしは主流派メディアがカバーしないところを提供するために日夜働いている。この選挙だけではなく、この体制一般におけるスキャンダル、八百長、腐敗は、わたしたちの声すべてを組み合わせることで初めて人々が聞けるようにすることができる。どうか、この言葉を好み、分かち合い、広めることで、あたなの声をわたしたちに加えてほしい。
集まれ、我々は無視されてはならない。集まれ、我々は軍である。
原典
Thomas DiLorenzo, “The Problem With Hillary,” (July 8, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/07/thomas-dilorenzo/real-problem-hillary/]
Thomas DiLorenzo, “Hillary’s “Partner in Government,” (September 17, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/09/thomas-dilorenzo/hillarys-sicko-relationship/]
Andrew P. Napolitano, “Hillary Clinton and Personal Honesty,” (July 14, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/07/andrew-p-napolitano/hillary-congenital-liar/]
Daisy Luther, “21 Things We’ve Learned About Hillary Clinton from Wikileaks That the MSM Won’t Share…But YOU Can!” (October 28, 2016) LewRockwell.com, [https://www.lewrockwell.com/2016/10/daisy-luther/21-things-weve-learned-hillary/] reprinted from Diasy Luther.com.
[1] https://www.youtube.com/watch?v=aqq5q11uK0M
[2] https://wikileaks.org/What-is-Wikileaks.html
[3] https://wikileaks.org/podesta-emails/emailid/32240
[4] http://www.zerohedge.com/news/2016-07-23/leaked-dnc-emails-confirm-democrats-rigged-primary-reveal-extensive-media-collusion
[5] http://fortune.com/2016/07/28/wikileaks-dnc-clinton/
[6] http://daisyluther.com/quick-shoot-messenger-not-evil-mastermind/
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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左、右、ル・ペン
https://archive.lewrockwell.com/dmccarthy/dmccarthy31.html
by Daniel McCarthy
 ジャン=マリー・ル・ペンは従来の政治的スペクトルには当てはまらないフランス愛国者を自称する。彼は社会的に左翼で経済的に右翼であると言うが、アメリカの用語では彼は失読症になる。とりわけ、ル・ペンは堕胎と同姓「婚」に反対するが、経済的には保護主義者である。我々の基準によれば、彼は社会的に「右翼」で経済的に「左翼」なのである。
ル・ペンの今年のフランス大統領選での第一回戦の勝利は左右スペクトルの衰退について何人かの学者先生さまをぺちゃくちゃ喚かせた。アラン・ド・ブノワはドイツの保守的週刊誌『ユンゲ・フライハイト』で筆を執って、選挙前の数ヶ月の間に行われた世論調査からデータを引用しつつ、最善の分析の一つを差し出した。
フランス人の75パーセントはシラクとジョスパンの政治綱領にほとんど違いを見出さなかった。56パーセントは大統領選にほとんどかまったく関心をもっていなかった。フランス人の十人のうち六人は右と左の区別が過去のものであるという意見であった。一九九五年以降、自分を「右でも左でもない」とするフランス人の割合は19パーセントから45パーセントまで膨れ上がった。
ブノワはル・ペンの政治運動とはほとんど関わりのない知的運動、ヌーヴェル・ドロワ――フランス「新右翼」――の指導者である。ル・ペンの成功についてのブノワの意見はフランス新右翼の左右時代遅れの信念を反映している。ブノワは他のところでは中央対周辺という新しい政治の枠組みを提唱していた。ヌーヴェル・ドロワ自体は特徴付けるのが容易ではないが、一般的には反アメリカ的で反資本主義的、分権主義的、共同体主義的である。
インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)のもっと退屈な左翼自由主義者もル・ペンについて似たイデオロギッシュな意義を認めている。IHT香港記者リフィップ・ブラウニングが記すには、
市場先導型の大部分が私営的なグローバル資本主義の優勢は圧倒的である。なので候補者間の相違は曖昧になり、フィリピンでジョゼフ・エストラーダを、タイでタクシン・チナワットを、イギリスでトニー・ブレアを、イタリアでシルヴィオ・ベルルスコーニを選出するようなパーソナリティー政治が大きくなる。
カリスマ政治家は風采で劣るライバルよりつねに有利であったから、何も新しいことはない。それでもなお、ブラウニング氏は確かに主流派立候補者間――ジョスパンとシラク、あるいは共和党員と民主党員――の相違が曖昧になったという点で正しい。しかしその責任は「……グローバル資本主義の優勢」にあるのか?
あるが、一部でしかない。ソビエト共産主義の崩壊と旧式社会主義の失墜は実際には世界中の左翼政党に、少なくとも皮相的には新しいプラットフォームとアイデンティティーを採用するよう強いた。しかし右翼はどうか。シラクのゴール主義的な共和国連合(RPR)からアメリカ共和党員までの「保守」政党は彼ら自身のアイデンティティー危機を患っている。というのもこれらの政党は長期的な傾向において、その起源が福祉国家以外の何も「保守」しない政党だからである。
ブノワの哲学についてアメリカ保守主義者が不同意しなければならない点は多いが、「中央」と「周辺」の区別を強調する点においては確かに彼が正しい。「中央」とは国家それ自体であり、国家は従来の右と左をそれ自体の本体に取り込んできた。この過程は冷戦終結以前に十分に進行しており、その後は加速したにすぎない。六十年以上の過程をかけて生じた社会民主主義の勝利と比べれば、かの共産主義の崩壊には二次的なイデオロギッシュな意義しかない。
半文明的世界での今日の主流派政党の間には非常に微妙な知的綱領的相違しかないが、これは左右軸が消滅したせいではない。むしろ二十世紀の非共産主義左翼の勝利は真の右翼の価値をほとんど絶無に貶めるほど、「周辺」の立場に追いやるほど絶対的であった。右翼を共産主義者のままであるのと同じだけほとんど取るに足らないものにしたのはこれだが、だからといって、今の右翼と共産左翼が何か同じものを持っているというわけではない。周辺右翼は、周辺的な共産左翼と名目上は「保守的」な政党も含む巨大な中道左翼の両方に対して戦わなければならない。
ル・ペンの立場のうち幾つか、最も有名なところで彼の第三世界からの移民の規制の望みは、中道左派を脅かす。これこそは彼の立場が決して討論されず、排外主義、人種主義、反ユダヤ主義、原住民主義と愚弄されるばかりだった理由である。大量移民は膨大な量の騙されやすい投票者を創造し、文化的に共同体を分割すること、この両方で社会民主主義に奉仕する。それは分断統治戦略なのである。
彼の理念は危険かもしれないが、ル・ペン自身と国民戦線は選挙では無害である。同じことが他のところの「大衆主義」運動――到底大衆的ではないけれども――にも当てはまる。というのも、彼は政治的エリートから平民の疎外について語るとき、いつもは彼らに投票するからである。あらゆる形の社会民主左翼が理念(と名声)の戦いで勝利を収めたから、。選挙の結果は結果論にすぎない。
ル・ペンが社会的に右翼で経済的に左翼であるか、経済的に右翼で社会的に左翼であるか、或る種の「第三の立場」であるかは彼の政治的運命に関わらない。彼は、メディアと体制派によって周辺的傍流とみなされるほど、移民の見解の形にかけて真正の右翼である。大衆の好意を勝ち取る真剣な機会を得るためには、彼は、すでに快く応じているであろう社会民主主義の経済学のみならず、その世界観全体を受け入れざるをえないだろう。ちょうどジャック・シラクのような男たちと同じように、彼は全面的に左翼の男にならざるをえないだろう。
 April 30, 2002
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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「社会の最悪分子」―アメリカのボリシェヴィク・ワナビー
DiLorenzo, T., “‘The Worst Elements of Society’: America’s Bolshevik Wannabes” August 24, 2017
 彼らはトランプ・フォー・プレジデント集会に出席しようと試みる老齢の人々を攻撃し、殴り倒した。硬い鉄製の自転車ロックで、自転車スタンドで、棍棒で、石で、メースで、野球バットで、糞尿を満たした瓶で攻撃した。彼らはDCでの就任式の日に資本主義への抗議と称してコンクリートブロックを店頭へ投げつけた。彼らは保守派のキャンパス・スピーチを妨害するためにパトロールカー、民間車、建物へ火を放った。彼らは保守派の政治科学者チャールズ・マリーをミドルバリー大学での講演に招待するという「犯罪」のかどで女性の大学教授を入院させた。
彼らは、コンサバやリバタリアンが大学での講演に招待される(学生によって。学部は決して招待しない)とき、いつも暴動を組織する。彼らは、政治と政府に関わる論点での不同意が疑われる者に対し、数百人でFワードを叫ぶために集まる。彼らは共和党のオフィスに火炎瓶を打ち込む。大学キャンパスを閉鎖する。トランプの支持者に卵をぶつけ、唾を吐く。トランプ・バンパー・ステッカーを貼った車に対して銃撃し、またそのタイアをパンクさせる。そのうちの一人はDCで野球の練習をしていた議員を撃った。もう一人は、政治的動機での憎悪のずば抜けた仕出し業者、南部貧困法センターにより、DCのファミリー・リサーチ評議会のようなプロ・ファミリー(家肯定派)組織がコンサバとリバタリアンの諸組織と同様に「ヘイト・グループ」であると教唆された後、同評議会本部で複数人の人々を撃った。彼らはしばしば顔をマスクで覆い、ヘルメットを被って、棍棒と野球バット、銃で武装し公共イベントに姿を現す。
彼らは伝統的な道徳の逆を、目的が手段を正当化するを信じている。なぜならば、彼らは社会主義者と共産主義者を自称するからである。彼らは自らを社会主義インターナショナルとアメリカ民主社会主義者(Democratic Socialists of America)他、極左共産主義集団に自己同定するサインを身に付ける。彼らはバルティモアのクリストファー・コロンブス二二五年記念碑を破壊したとき、アメリカに「ヨーロッパ資本主義」をもたらすという、あらゆる犯罪のうち最大の罪のかどで、コロンブスを非難するメッセージとともにそのシーンをビデオテープに記録した。
彼らはワシントン記念塔とジェファーソン記念碑、ラシュモア山の解体を叫ぶ。数百の宗教的記念物を破壊したタリバンのように、彼らは西洋文明の記念物すべてを破壊したがる。彼らが教えられたそれらはあらゆる世界的邪悪の元凶であった。彼らはCNNのイデオロギッシュな兄弟に擁護されており、CNNはオーウェル流に、それらの暴力的犯罪者を「暴力で平和を追求する」と宣言した。
彼らの多くは極端な頑迷家と無学者であり、白人はみなその性格と行動にかかわらず「ナチス」だの「白人至上主義者」だのと大声で主張する。彼らは「白人ヨーロッパ文明」の下の再度を求めているも同然である。過去数十年間、彼らはその指導哲学を「インクルージョン」の哲学と主張してきた。もちろん、彼ら全体主義志向の専業暴動家にとって、「インクルージョン」とは彼ら自身の意志を社会全体に押し付けるための実力と暴力の行使を意味する。テレビとネットのイメージでは、彼らの大多数は二十歳ほどの若者か「ミレニアル」であるように見える。
彼らはノーベル賞経済学者F・A・ハイエクが彼の古典『隷属への道』の章「なぜ最悪の者がトップに登るのか」で「社会の最悪分子」と呼んだ者どもの完全な例である。その章はますます全体主義的になる社会が最も不道徳な者により不可避的に指導され、「社会の最悪分子」たる大群集により不可避的に追随される過程を議論する。
ハイエクの全体主義群集レシピ
科学者全員の主な目標は、人々が彼ら自身の生活のために用いる個々の計画すべてを、或る種の社会「計画」や社会全体への諸計画と取り替えて、これを強制するために国家権力を行使することである。それは全体主義支配に関するものである。その問題は、ハイエクが記すには、全体主義スキームの裏方設計者の見解を強制できるだけ大きな群集を組織する方法である。一例は左翼億万長者ジョージ・ソロスであり、報道によれば、彼は上述の犯罪活動の大部分に資金提供している。また、プロジェクト・ヴェリタス(Project Veritas)調査レポーターにより、民主党国民委員会(The Democratic National Committee)は二〇一六年大統領選時のトランプ支持者に対する殺し屋じみた暴力への資金提供と組織化の媒体であると暴露された。
群集選択の「原理」の一つは、ハイエクいわく、最大の群集が「最も非独創的で非独立的」な者から成り立つことである。言い換えれば、道徳と知能の観点での「最小公分母」だ。
第二の「否定的選択原理」は「自分自身に強い確信をもたず、出来合いの価値観を十分に大声で頻繁にがなりたてられたらそれだけでそれを受け入れる構えでいる、御しやすく担ぎやすい者全員の支持」(p. 160)である。「全体主義政党の数を増やすのは彼らである」。これはもちろん数千人の若い「抗議者」に非常に似ており、彼らは現場でレポーターにインタビューされ、まさしく何に抗議しているのかと問われるとき、わけがわかっていないように見える。彼らは「ナチス!」「白人至上主義者!!」などのほんの幾つかのスローガンを叫ぶことしかできないようだ。
第三に、「巧みなデマゴーグ」は「人々はどんな積極的綱領よりも消極的綱領――敵への憎悪、良い暮らしの者への憎悪――に同意しやすい」と理解するだろう。もしも現在のアメリカの左翼ボリシェヴィキ「抗議者」が何かに関わっているならば、それはアメリカ(とおヨーロッパ)のすべてに対しての単なる精神病的な憎悪に関わっている。彼らは小学校から彼ら自身の社会を「レイシスト、セクシスト、ホモフォブ」への憎悪に満ちていると教わってきた。
ハイエクが『隷属への道』を著したとき、「資本主義の代表者と看做されることになった」ので、ヨーロッパでの社会主義全体主義(ナチス)の激しい憎悪の標的になったのはのは「ユダヤ人」であった。現在のアメリカではそれは「ワンパーセント」、資本主義一般、白人異性愛男性であり、彼らは他の万人を「抑圧」すると言われる。
ハイエクの全体主義群集の特徴はアメリカのボリシェヴィキ・ワナビーにピッタリ当てはまる。自称社会主義者に関する近頃の調査では、その95%は三十歳以下であり、48%が失業者であり、61%がいまだ親元で暮らしており、69%が「無学」であり、ほんの14%しか自由言論を支持せず、その三倍の46%が暴動を彼ら自身の大義の前進手段として支持した。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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陰謀論、再考
Rothbard, M., The Conspiracy Theory of History Revisited
[This article originally appeared in Reason, April 1977, pp. 39–40.]
 いつであれ、我々の支配者は誰であるか、その政治的経済的利害関心がどう絡み合っているかの鼻っ柱の強い分析が提示されるとき、いつも体制派のリベラル〔モダン・リベラルズ〕と保守主義者により、(そして多くのリバタリアンにさえ、)「陰謀史観」や「パラノイド」、「経済決定論者」、ましてや「マルクス主義者」と非難される。それらの現実主義的な分析はジョン・バーチ協会から共産党までありとあらゆる経済的スペクトルから差し出されうるし、差し出されてきたにせよ、これらの侮辱的レッテルは間切りを跨いで貼り付けられる。最もありふれたレッテルは「陰謀論者」であり、ほとんどつねに、「陰謀論者」自身に採用されるレッテルより敵意に満ちた罵倒語として浴びせられる。
これらの現実主義的な分析を書き出してきたのが普通は体制派コンセンサスの外側にいる「過激派」であることは不思議ではない。というのも、公衆の目から見て正統性はおろか神聖さをもつことが国家機構の継続的支配にとっては決死だからであり、我々の政治家と官僚は専ら「公共財」にのみ献身する精神、肉体を離れた精神であると見なされるような神聖さが決死だからである。これらの精神はみな国家の行使で経済的関心の集合を推し進めるギチギチの世事に基づいていることあまりに頻りであると秘密を漏らしてしまうや否や、政府の基本的な神秘感は崩れ始める。
易しい例を挙げよう。議会は鉄鋼関税増加や鉄鋼輸入割当賦課の法案を可決したとしよう。 この関税や割当が可決されたのは効率的な外国競争者を締め出そうと切望する国内鉄鋼産業ロビーストの要請であると気づき損ねるのは軽愚だけであろう。そのような結論に対して「陰謀論」の非難を浴びせるものはいまい。しかし、陰謀論者がすることとは単純に、彼の分析を政府のもっと複雑な措置に拡張することにすぎない。そう、公共事業、ICC〔州際通商委員会〕の設立、連邦準備制度の創造、アメリカ合衆国の参戦に。これらのそれぞれの事例で、陰謀論者は自問する。Cui bono?(誰のため?) この措置で誰が得するか? 彼は、措置AがXとYを利すると発見するならば、次はその仮説を調査する。XとYは実際に措置Aの可決をロビーしたか、あるいは圧力をかけたか? 要するに、XとYはその利益に気づき、それに応じて行為したか。
パラノイドや決定論者とは程遠く、陰謀分析は人間行為学者(プラクシオロジスト)である。すなわち、彼が信じることは、人々は目的をもって行為し、その目標を達する手段を使用するために意識的な選択を下すことである。したがって、もしも鉄鋼関税が可決されるならば、彼は鉄鋼産業がロビーしたと想定する。公共事業が創造されるならば、それは箱物作りを享受した建設会社と組合、及び仕事と収入を増加した官僚の同盟が促進したと仮説を立てる。あらゆる出来事――少なくとも政府の出来事――がランダムで無計画であり、ゆえに人々は合目的な選択と計画に携わらないという信念を告白するのが「陰謀」分析の敵対者である。
もちろん、良い陰謀分析者と悪い陰謀分析者がいる。それはちょうどどんな科目にも歴史家と実践者に良し悪しがあるのと同じである。悪い陰謀分析者は二種類の間違いを犯しがちであり、これが彼らを体制派の「パラノイド」非難に晒す。第一に、彼はcui bono(誰のため)で止まる。彼は、もしも措置AがXとYを利するならば、それゆえにXとYが責任を負う、と端的に結論する。彼は、それが単なる仮説であり、XとYは本当にそうしたか発見することでの検証を要することに気づかない。(おそらくその最もイカれた例はイギリス人ジャーナリスト、���グラス・リードであり、彼はヒトラーの政策の結果がドイツの破壊であったことから更なる証拠もなしで、それゆえにヒトラーは故意にドイツを潰そうとした外国勢力の意識的エージェントであったと結論した。)第二に、悪い陰謀分析者はすべての陰謀、すべての悪人パワーブロックを一大陰謀に包み上げようとする脅迫的な衝動をもっている。彼は、政府の支配権を得ようとしてときに紛争しときに連携する幾つものパワーブロックが存在するのを直視する代わりに、人々の小集団がすべてを支配しており、紛争しているかのように見えるにすぎないと――またしても証拠なしで――決めてかからなければならない。
さて、これらの省察を誘発しているのは事実上、カーターとモンデールから下までの新カルテル政権の最高指導部全体がアメリカ合衆国と西ヨーロッパ、日本の政策を提言するため一九七三年デイヴィッド・ロックフェラー創設の半ば秘密の小さな三極委員会のメンバー、あるいはロックフェラー基金委員会のメンバーであるというほとんど見え透いた事実である――メジャーな週刊誌にも述べられるほど見え透いている。あとは、アトランタ企業の利害関心、特にコカコーラ株式会社と、ジョージアの大企業に紐付いている。
さて、我々はこのすべてをどう見る? デイヴィッド・ロックフェラーの一定の国家主義公共政策のための膨大な努力は単なる無焦点な利他主義の反映か? それとも複雑に入り組んだ経済的利害関心の追求があったのか? ジミー・カーターが三極委員会メンバーをそれが設立されるや否やすぐ指名したのはデイヴィッド・ロックフェラーらが無名のジョージア州知事の英知を拝聴したかったからか? それとも、彼は無名のうちにドカンと現れて彼らの支持で大統領になったのか? ジミー・カーターの早期支持者、コカコーラの社長J・ポール・オースティンは、単に共通善への関心から? 三極派とロックフェラー基金とコカコーラ人の全員がカーターに選ばれたのは、彼が彼らを最もデキる人々だと感じたからか? それはぶったまげるような偶然だな。それとも、もっと不吉な政治経済的利害関心が絡み合っていた。わたしとしては、政府の政治的経済的利害関心の相互作用の調査を頑迷に拒絶する無邪気君は我々が生きる世界を分析するための本質的道具をほったらかしていると具申する。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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文化的マルクス主義は撞着語法である
Gary North, “Cultural Marxism Is an Oxymoron,” July 01, 2014, Gary North’s Specific Answers, https://www.garynorth.com/public/12623.cfm
 一匹の妖怪がアメリカ保守主義を徘徊している。文化的マルクス主義という妖怪が。
妖怪(Specter)[1]
一。可視的無体精神、特に恐ろしい性質のもの。幽霊、幻影、亡霊。(1. a visible incorporeal spirit, especially one of a terrifying nature; ghost; phantom; apparition.)
二。恐怖や心配の対象や源泉。―病気や飢饉の妖怪。(2. some object or source of terror or dread: the specter of disease or famine.)
告白、浸透と分離
一つの筋書きから始めよう。プロテスタント宗派内の理論家集団が教えを説き始める。いわく、キリスト教は真理である。二つの教理を除いて。その一つ目は、イエスはとにかく神聖ではなかった。二つ目は、聖書は文字通りの真理ではない、と。〔彼らはキリスト教からこれら二つの教理を除く。〕さて、これらの人々の正説について、君は何と言う?
西洋は一八〇〇年代早期に国家資金ドイツ諸大学でこれらの議論を耳にし始めたが、このキリスト教と聖書の解釈の基本的アプローチは十七世紀中葉にイギリスで始まった。チュー・サークル(Tew Circle)でだ。これは一般的には学会で認識されていないが、歴史的にはこれが事実だった。その歴史的背景は三十年前にH・G・レーヴェントローH. G. Reventlowの『聖書の権威』The Authority of the Bible[2]という題の本で包括的な形で提出された。この本とその著者は事実上学者には知られていないが、この本は見事な専門書である。
この考え方は一八七五年頃のアメリカ・プロテスタント学会界隈でもっと広く受け入れられ始めた。とても速く広がった。それは神学的モダニズムとして知られ始め、一九三〇年までにはメイソン=ディクス線以北の最本流のアメリカ・プロテスタント教会で受け入れられていた。その主な例外はミズーリ教会会議ルター派であり、そこで戦いが続いた。
非本流教会のメンバーであった人々はこの考え方を反キリスト教とみなした。反対派の最も有名な宣言はJ・グレサム・メイチェンJ. Gresham Machenの本、『キリスト教と自由主義』Christianity and Liberalism(1923)であった。彼は正しかった。
非本流教会は成長し始めた。非本流宗派の成長は一九二五年以降に遅くなった。それらはジョン・D・ロックフェラー二世が死んだ年、一九六〇年頃、縮み始めた。我々がシェンケルの本『金持ちと王国』The Rich Man and the Kingdom(1996)を読むとおり、ロックフェラーは一九二〇年以降、他の誰より神学的モダニズムに融資していた。この縮小過程は続いている。
似たような浸透/分離過程が、マルクス主義内部で発生した。
文化的マルクス主義
一九六〇年ソビエト社会共和連邦のマルクス主義者が文化的マルクス主義として知られる運動をどう見ていたかは、聖書信仰キリスト教徒が神学的モダニズムを疑っていたのと同じ程度の懐疑をもってのことであった。言い換えれば、彼らはそれがちょっとでもマルクス主義であることを否定したのである。
お前が特定のイデオロギーの根本教理を放棄してなおそのイデオロギーの名を持ち続けようとするとき、そのイデオロギーの信奉者の一群がいるからには、お前は本来のイデオロギーの擁護者から侵略者として見なされるだろう。
文化的マルクス主義とはマルクス主義にとって、モダニズムがキリスト教にとってそうであるところのものである。文化的マルクス主義をマルクス主義と見なす者はみなマルクス主義を理解していなかったのだ。けれども、保守界隈ではそれが有り触れている。それは概念的な間違いであるから戦略的な間違いである。
正統派マルクス社会主義の胸と心、魂はこうだ。経済的決定論の概念である。マルクスの論ずらく、生産様式の不可避的変形ゆえ社会主義が歴史的に不可避である。彼いわく、生産手段が社会の下部構造であり文化一般は上部構造である。彼いわく、人々は特定の生産様式への関与ゆえに社会の法律と倫理、政治の特定見解をもつ。一八五〇年代の優勢な生産様式は資本主義であった。マルクスはこの生産様式を命名した。本来のマルクス主義が文化的に死んでなお、その名前が張り付いている。
まさしくこれが純粋に経済的/物質主義的であったからこそ、マルクスはこの立場で支持を得た。それは理念が社会変形の根本であるという理念に基づいた歴史的説明の痕跡をすべて切り捨てた。マルクスは、階級闘争の決戦場は生産様式であり、理念の場ではないと信じた。彼は理念を生産様式の二次的副産物とみた。彼の見解はこうだ。理念は有意な帰結をもたぬ。この理念をマルクス主義から取り除いてみよ、それはもはやマルクス主義ではない。
こういうわけで、わたしとしては保守主義分析家が文化的マルクス主義の理念を容認するのが驚きなのである。彼らはこの理念を支持する挿話のためにフランクフルト学派の著作物に取り掛かる。鋭利な分析家はアントニオ・グラムシの一九三〇年代の獄中著作物に遡る。彼は公式に共産党員だった。彼はイタリア人だった。彼は一九〇〇年代をソビエト連合で過ごしレーニン主義伝統は間違っていると信じた。西洋はまさにキリスト教であったからこそ共産主義の肥沃な土壌であることを証明しなかった。彼は西洋の主たる献身としてのキリスト教が敗れるまでそこにプロレタリア革命なしと明瞭に認識した。歴史は確かに彼を裏書きした。革命は起きなかった。
グラムシの論じ、フランクフルト学派が彼に倣わくは、マルクス主義者にとって西洋を変形する道は文化革命を経てのことであった。文化的相対主義の理念である。その議論は正しかった。しかしその議論はマルクス主義ではなかった。その議論はヘーゲル主義であった。それはマルクス主義をひっくり返した、ちょうどマルクスがヘーゲルをひっくり返したが如し。マルクス主義の最初期の理念はヘーゲル主義の精神的側面の拒絶に基づいていた。それは資本主義文化分析の核心に生産様式を置いた。
わたしは一九六八年ほどの前にマルクス主義の本を書いたが、そのとき対抗文化���急成長していた。わたしは『マルクスの革命宗教』Marx's Religion of Revolutionと題した。一九八八年版をダウンロードここ[3]でできる。マルクス主義が革命の宗教であり、古代ギリシアのクロニア祭りに遡るという見解は、わたしとしては一九六八年において明らかであった。マルクス主義は経済含む社会に限定された分析ではなかった。わたしは文化的マルクス主義に時間を費やさなかった。文化的マルクス主義者に時間を費やすことでマルクス主義の宗教的側面を示すのはもっと簡単であっただろう。彼らはこれらの文化的論点が西洋文化の宗教に関わること、それがキリスト教の副産物であることを明瞭に見ていた、しかしこれはわたしの本の目的を破っていただろう。わたしは本来のマルクス主義が宗教であったと示したのである。文化的マルクス主義にせがみたてたら読者を戸惑わせていただろう。文化的マルクス主義者はもっと手軽な標的であっただろうが、彼らを論じることはわたしの本の議論を弱めていただろう。
文化的マルクス主義者はマルクス主義陣営を分断した。彼らの文化攻撃は戦術的であるとプレゼンされてきたかもしれないが、それは戦術以上であった。それは戦略だった。それは本来のマルクス主義の放棄に基づく戦略だったのである。わたしはこれを記録文書批判『アジェンダ―誤解を招く、あるべからざる根本主義ビデオ』Agenda: //www.garynorth.com/public/10256.cfm[4]での議論として用いた。
我々はこのマルクス主義分裂を或る家族の観点で議論することができる。一九四〇年代と五〇年代のアメリカ合衆国で最も著名なスターリン主義の知的擁護者はハーバート・アプティカーHerbert Apthekerであった。彼の娘ベティーナは自由言論運動の指導者の一人であり、それはバークリーのカリフォルニア大学で一九六四年秋に始まった。彼女はスターリン主義の父よりはるかに有名になった。そのキャンパス・イベントは学生反乱と対抗文化運動を打ち出した。しかし「対抗文化」という用語それ自体がそれは決してマルクス主義ではなかったことを示唆している。それは優勢文化を投げ打つ試みであったが、マルクスはそのような概念に時間を無駄遣いしなかっただろう。マルクスはヘーゲル主義者ではなかった。マルクス主義者だった。
彼女と彼女の父は一九六八年に分裂した。ソビエト社会共和連邦がチェコスロバキアを侵略したとき、彼女はこれに反対した。彼女の父が主要人物だった合衆国の主流派共産党はソ社連を後押しした。
後年、彼女は父が自分を三歳から十三歳までの間性的に虐待したと記した。彼女の父は、彼の世界観の奥底では、彼自身のグラムシ主義アジェンダで身を処していた。彼は彼自身の家の西洋文化を攻撃していた。しかしそれは彼の正統派マルクス主義には及ばなかった。それは彼の娘のそれに及んだのである。
ベティーナ・アプティカーは今ではカリフォルニア大学に雇われており、文化研究を、フェミニズムを教えている。彼女がバークリーでマリオ・サヴィオとともに始めた運動は一九七〇年代早期に死に絶えた。彼女は今なお資本主義の批評家であるが、彼女の批判はマール・マルクスの著作物には基づいていない。どちらも対抗文化ではなかった。
対抗文化
一言で言おう。マルクスは間違っていた。グラムシが正しかった。しかしマルクス主義は対抗文化の主な大義ではなかった。対抗文化は文化に基づいていた。一八八〇年代中葉に始まり一九〇〇年頃にピークを迎えた理論的モダニズムと進歩主義運動の同盟は狂騒の二十年代の神学的土台であった。それから大恐慌が来た。それから第二次世界大戦が来た。一九一八年以後、男の子たちがあそこから帰ってきたとき、彼らはもはや正統派キリスト教のような何かに献身してはいなかった。彼らの子の男の子たちが第二次世界大戦から帰ってきたとき、第一次世界大戦後に始まった文化的腐食はほとんど完成していた。これはマルクス主義とは何の関わりもない。マルクス主義は生産様式の変化に基づく文化的変化の擁護に献身した。しかし一九四五年には、第二次大戦時に生じた現代的管理の台頭を除けば、生産様式の根本的変化はなかった。それは資本主義を強固にしたが、資本主義を弱めはしなかった。
問題はこうだ。保守主義者は文化的マルクス主義者の主張をまじめに取りすぎているが、彼らは実際にはマルクス主義者ではなかったのだ。彼らは基本的には進歩主義者と社会主義者であった。彼らは一八五〇年のマルクスの標的であっただろう。彼は生涯のほぼすべてをこの種の人々を攻撃することに費やしていたし、アダム・スミスや古典派経済学者を攻撃することにはちっとも時間を費やさなかった。彼は一八七〇年代早期に出現した新古典派経済学者とオーストリア学派経済学者に対して一言も答えなかった。マルクスはこれらの人々に応答するだけの時間をたっぷりともっていたが、決して答えなかった。彼はその人生のほぼすべてを、今文化的マスクす主義者と呼ばれているような人々を攻撃することに費やした。彼は彼らを社会主義陣営の敵を見なしていた。彼が彼らを攻撃したのは、彼らがその資本主義攻撃を彼の科学的社会主義の用語に依拠しなかったからであり、科学的社会主義は生産様式の概念に基づいていた。
グラムシは一九二〇年代において、自分はソビエト連合に留まっていたらソビエト強制収容所に行き着くだろうと明瞭に理解していた。彼は処刑すらされていたかもしれない。彼はスターリンがおそらく彼を殺していただろうと気づいていた。なので彼はイタリアに帰った。それでイタリアの強制収容所に行き着くだろうと全面的に知っていながらであり、行き着いたのだった。ファシストは読ませてくれた。書かせてくれた。そうすることで、彼らはマルクス主義的共産主義を掘り崩した。
フランクフルト学派の歴史的影響を辿るのは難しい。ちっぽけなセクトから文化一般への運動することは複雑な因果関係の研究を要する。文化的相対主義への基本的運動は一八八〇年代後半に始まっていたし、その兆候は神学的モダニズムと進歩主義運動であった。フロイト主義心理学は一九二五年までにはその一部となった。フロイトが相対主義の正当化であって、フランクフルト学派は後から来た。神学的モダニズムはフランクフルト学派以前にそれ以上の転向者を獲得していた。
ケネディー暗殺の直後に始まった対抗文化はフランクフルト学派の産物であるよりはるかにローリング・ストーンズのものであった。一九六〇年代中葉のセックス・ドラッグ・ロックンロールは一九五〇年代後半のセックス・ビール・ロックンロールに取って代わった。それは強力な発酵だった。対抗文化をフランクフルト学派に遡及するな。それがもっと良く遡るのは第一次世界大戦であり、これが西洋の諸制度を根こそぎにした。一九一八年以降モデルTの後部座席に乗って進んでいったのはフランクフルト学派の著作物以上に対抗文化に関わっていた。
結論
マルクスがこう論じたであろう。アメリカ文化を作り直したのは、他の何よりモデルTに代表される生産様式であった、と。わたしの議論はこうである。一八七五年に始まるメイソン=ディクソン線以北プロテスタント神学校の一握りの者たちとともに進んでいったものが、モデルTやフランクフルト学派よりも対抗文化に関わっていた。これは文化の論点をそれが属するところに、つまり神学に帰す。こういうわけでわたしはこの議論を神学から始めた。人々が地獄の教理を信じることは、彼らが生産様式とプロレタリア革命の関係を信じることよりも、彼らの行動に深く関わっている。
西洋は決してプロレタリア革命に近づかなかった。左翼は近づいていたと信じたかった。彼らは「フランクリン・ルーズベルトが資本主義をそれ自体から救った」と論じたかった。これはジョン・メイナード・ケインズが資本主義をそれ自体から救ったと言うののもう一つの言い方である。どちらの議論も間違っている。ルーズベルトとケインズは一度しか会わなかった。ルーズベルトはケインズを経済学者ではなく数学者であると評価した。これは正しかった。ケインズは経済学ではなく数学で学位を取った。ルーズベルトは我々がケインジアニズム1933-36と呼ぶものの源泉であって、それはケインズではなく、彼の一九三六年に出版された『一般理論』ではなかった。しかし学者は学会の議論が世界を形作ると信じたがる。彼らは作らない。彼らは一般公衆の思考と実践にすでに根付き始めていたものに順応するのである。
人々は「汝盗むなかれ」が「汝盗むなかれ、多数派の票による場合を除き」を意味すると決定したとき、ケインジアン世界観が生まれた。この世界観が今優勢である。マルクス主義は死んでいる。ゆえに文化的マルクス主義も死んでいる。
我々はこの戦いに勝つために、「汝盗むなかれ」の意味するところは汝盗むなかれ、多数派の票あれどなかれど、と説得しなければならない。
これは生産様式とは何の関わりもない。
[1] http://dictionary.reference.com/browse/specter
[2] http://www.amazon.com/Authority-Bible-Rise-Modern-World/dp/0800602889
[3] http://bit.ly/gnmror
[4] https://www.garynorth.com/public/10256.cfm
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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ファシスト国家を扱う対抗戦略
Gary North, “Rival Strategies for Dealing With the Fascist State” August 04, 2017, Gary North’s Specific Answers.
 ミルトン・フリードマンはつねに福祉国家をわずかばかり聞き分け良くしようとしたかった。
彼は教育をわずかばかり非国家主義にしようとしたかった。彼はバウチャーを提言した。想定の上では、これは親の選択を広げるものだった。そのスキームは初めからイカレていた。そんなものを採用する学区はなかった。それは、政治的に言えば、ファンタジー経済学だった。それはこのファシスト・システムの効率性をわずかばかり増やし、その威圧感をわずかばかり減らすように設計されていた。それは決して教育の自由を復古するための真剣な提言ではなかった。
それはつねに、納税者から教育官僚に金を移転するために金を盗むことを含んでいた。そのシステムを正当とすることはできない。それは初日から窃盗である。窃盗に基づくシステムを自由に好意的な何かにすることはできない。
わたしは初めからこう言っていた。わたしはこれを一九七六年に記した。フリードマンは一九九三年まで反応しなかった。しかしわたしは彼に答えさせた。それはここ〔ロン・ポール・カリキュラム〕[1]に投稿されている。
我々は教育システムを直すためにバウチャーを必要としない。我々は利潤追求教育やフリー・オンライン教育を必要とする。我々は教育の連邦ローンを必要としない。我々はこの化け物を破産のタールピットに沈めなければならない。
フリードマンがその全生涯を、ファシスト国家をわずかばかり効率的にするスキームの考案に費やした。
彼は所得税額控除の大推進者だった。それは単にまたもう一つの福祉の形だった。
我々は決して福祉国家をわずかばかり効率的にしようと試みるべきではない。我々はの目標はこの化け物を全公衆の見地において死なせてやること、貶めることでなければならない。
我々はこのメディケアをもっと効率的にする必要がない。我々はこれを全公衆の見地で破産させてやる必要がある。我々はそれが破産してゆく理由を人々に告げるべきである。我々はそれが改革できないことを示すべきである。我々は彼らがそれに依存しなくなることを伝えるべきである。とりわけ、我々はそれを直すべきではない。それを直すためにできることはいずれもただファシスト国家を延命しているにすぎない。
我々はフリードマンのアプローチを持て余している。彼が推薦したものを政治家が採用するのはいつもこのシステムを悪化させるときでしかなかった。
変動相場制はこのシステムを悪化させた。金本位制の廃止はこのシステムを悪化させた。
フリードマンがファシスト国家をもっと軽い重荷にする方法を推薦するとき、彼は悉く自由を裏切った。彼は全生涯をこれに費やした。彼は所得税を気安くしたかったので、彼は所得税の源泉徴収に正当化を与えた。結果、源泉徴収が始まる前と比べて、公衆は政府に四倍支払うことになった。
ファシスト国家と戦う方法は、それがそもそも道徳的に腐敗していると示すことであり、その腐敗をわずかばかり軽くする試みはいずれもこの化け物に生命維持を施しているにすぎない。できるだけ早くくたばらせてやろう。
その財源を殺ぐのはすべて良い考えである。それを辱めるのはすべて良い考えである。
ロスバードは正しかった。福祉国家は改革できない。それをちょっとばかりうまくやるための勧告はいずれも自由に逆らって働く。彼のフリードマン査定はこうだ。
しかし、フリードマンが最も有害な影響を及ぼしているのは、六十年経ってもルートヴィヒ・フォン・ミーゼスのミクロとマクロを統合する業績に無知なままの経済学者によって浅はかにもマクロから分け隔てられたミクロの領域である。我々は、フリードマンは迫り来る破滅的な最低所得保障と源泉徴収制度の両方に深い責任があることを知った。同時に、フリードマンが貨幣供給――市場経済の枢要部――に対する国家の絶対的統制を要求していることを知った。政府がほとんど偶然から発作的に貨幣供給の増加を停止したとき(ニクソンが一九六九年後半に数ヶ月したときのように)、ミルトン・フリードマンはいつでもそこで、インフレーションの旗印を掲げてきた。我々が彼を見るとき、ミルトン・フリードマンはいつでも、自由のための法案でなければリバイアサン国家を削るための計画でもなく、国家の権力をもっと効率的にし、根っこのところでは、もっと恐ろしいものにするための方策を提案していることを知る。
リバタリアン運動はあまりにも長い間、自分はその仲間か盟友であると主張する者たちの見解について、区別を怠り、あるいは差別せず、真理を錯誤から判別するための厳密な研究を行わない、知的に怠惰な道を流してきた。それはまるで、一言二言「フリーダム」のことを呟くジョーカーが回ってきたら、そのどれもが自動的に、一つの、おっきな、リバタリアン・ファミリーの一員として抱き入れられてしまうかのようなものだ。我々の運動が影響力を増すにつれて、この知的怠惰という贅沢に耽る余裕はなくなってゆく。ミルトン・フリードマンをありのままに同定するときが来ているのだ。歯に衣着せず、国家主義者を国家主義者と呼べ。[2]
[1] https://www.ronpaulcurriculum.com/public/9097.cfm
[2] https://www.lewrockwell.com/2016/02/murray-n-rothbard/total-demolition-milton-friedman
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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クーデタの後、どうなる? (パトリック・ブキャナン著)
Patrick J. Buchanan, “After the Coup, What Then?” (August 8, 2017) LewRockwell.com.
トランプ大統領任期が悪魔に取り付かれていることは否めない。
さて、特別弁護士ロバート・ミュラー三世が大陪審を選び、トランプの家族とキャンペーンの関係者に召喚状が発送されていたという。
陪審員はヒラリー・クリントンが91パーセントの票を舐める市の貧困市民から集められる。トランプは4パーセントだ。
ミュラーがどんな起訴を求めるにせよ、ミュラーは勝つ。
絶えず彼に噛み付くメディアのおかげで、トランプはクイニピアック大学世論調査では33パーセント、他のほとんどでも40以下の是認に落ち込んでいる。
トランプがワシントンDCを去る前、ワシントン・ポストはメキシコとオーストラリアの指導者たちとの彼の会話の記録を流した。
オバマ政権のベテランでさえ唖然とした。
なので、こう問うときが来ている。もしもこの市がトランプを蹴落としたら、アメリカの他の人々は喜ぶだろうか?
我々の戦争を戦うための兵士たちを生産する「ディプロラブルズ」が居住する地、フライオーバー・カントリー〔アメリカ東西沿岸間の国々〕では、どんな反動が起こるだろうか? 彼らは自分たちが選出してあれほど希望を託した大統領を蹴落とす「自由出版」に乾杯するだろうか?
わたしの予想では――その反動は苦々しさと冷笑、絶望、八百長の感覚、俺たちが何しても無駄で、あいつらは俺たちを勝たせないという感覚のものになるだろう。もしもトランプが蹴落とされたら、アメリカ民主主義は完敗するだろう。それは詐欺と見られるだろう。そしてバックラッシュは我々の政治をただ外国からの攻撃だけが俺たちを纏めてくれるというところまで汚染するだろう。
我々のメディアは真実に献身して我々をぶっ通しで暴政から保護してやる民主主義の擁護者気取りで得意がっている。しかし国民の半分はすでにメディアのことを、人々が繰り返し繰り返し拒絶してきたはずのリベラル〔左翼リベラル〕体制派のプロパガンダ兵器として見ている。
トランプのメキシコ大統領とオーストラリア首相との電話記録がPostに公表されたことを考えてみよ。
報道者グレッグ・ミラーがそれらの記録を入手したとき、彼の編集者はそれがトランプを傷つけると知ってそれらを1ページ目に貼っつけた。
Postは不忠でおそらく犯罪的な職権乱用を行った漏洩者に利用されてしまった。けれども、Postは守秘を誓ってトランプ・ヘイターの身元を隠すと同意した。
これこそ我々の仕事だ、とPostは言う。トランプ大統領が壁造りのためにメキシコとの集まりのことを言ったりメキシコの大統領のことを言ったりしていたら、人々はそれを知る権利がある、と。これがネタだ。
しかしそこにはこのポストの一記事が単なる証拠物件にすぎないようなもっと大きなネタがある。それは反トランプがFBIとCIA、NSA、NSCからの漏洩を、犯罪的な漏洩ですらあるが公表した、ベルトウェー・メディアとその国家内国家(deep state)協力者の両者が嫌悪して破壊したがっている大統領を蹴落とすための、一致団結キャンペーンのネタである。
ちょうどベルトウェー・メディアが国家内国家犯罪者どもとアメリカ合衆国大統領を蹴落とすために共謀しているのと同じように、トランプはクリントンを倒すためプーチンと共謀したのだと知れ、とベルトウェー・メディアが要求する。
そして、アメリカ人が二〇一六年に否認した政権により――選挙の結果を覆すために特別弁護士の機密漏洩と致死性兵器を使っての――次々と繰り広げられる静かなクーデタが存在するならば、それはトランプがペーニャ・ニエトに言ったことと同じだけカバーするに値するネタではないのか?
人々は国家の長を蹴落とすためにネバー・トランプ出版と共謀する蛇が誰なのか知る権利をもってはいないのか。国家内国家の重犯罪人の身元を発見することは調査報道者がのめり込むべきところのネタではなかったのか。
もしもグレッグ・ミラーが漏洩源を秘匿する義務を負うならば、よかろう。しかしなぜ他のジャーナリストはそいつの身元を暴露しないのやら。
それは自白している。これは万人が同一の目標を――トランプ・ダンピングを――持っているから万人が他の万人の情報源を秘匿する共同企画なのだ。それが犯罪者との共謀を要するなら、勝手にしろ。
司法省は今では漏洩を追跡しており、ACLUのベン・ウィズナーは卒倒しそうである。「すべてのアメリカ人は告発者とジャーナリストに対するトランプ政権の増大中の脅威に関心をもたなければならばい。漏洩の締め付けは自由出版と民主主義の締め付けである」。
それは言い方の一つではある。もう一つの言い方として、それら「密告者」の幾人かは二〇一六年度アメリカ大統領選の評言を拒絶してそれを転覆せんとする政治的犯罪者である。そして前述の「ジャーナリスト」はそのイネイブラー兼共謀者である。
そして、もしもウィズナーが断言するとおり、機密を保護することが「自由出版と民主主義の締め付け」も同然であるならば、自由出版と民主主義が世界中で不人気に陥っているのも不思議ではない。
共謀することで、主流派メディアと国家内国家、特別起訴者のボタンマン(button men)は、また一人、また一人と大統領を蹴落としてゆくかもしれない。そうすることで、彼らはジョン・アダムズの洞察を立証するだろう――いわく、
民主制は決して長続きしない。それはすぐに疲弊し消耗して自滅する。自殺しなかった民主制など決して存在しなかった。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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ミルトン・フリードマン、暴露さる……軽量経済学者によって
ジョゼフ・サレルノ
https://mises.org/blog/milton-friedman-debunked-%E2%80%94-econometricians
https://lewrockwell.com/2017/05/joseph-salerno/milton-friedman-debunked/
 オーストリア派は経験的現実、わけても生の統計データが、ユニークであると気づいている。そのデータを揉み解して、平均して、季節性を取り除いて、などとさせてみよう。そしたらそのデータは必ず現実を反証する。―Murray Rothbard, Making Economic Sense[1]
[1] https://fee.org/articles/austrian-inflation-austrian-money-and-federal-reserve-policy/p. 246
長年にわたり、わたし――たちオーストリア派――はマリー・ロスバードが一九二〇年代をインフレ期間と描写するためにその間の貨幣成長率増加のデータをはぐらかしているというマネタリストの攻撃に耐えなければならなかった。わたしが著名なマネタリスト歴史家リチャード・ティンバーレイクとのやり取り[2]に際して(ここ[3]で)論じたとおり、これらの申し立ては事実無根である。なので、ミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツ(FS)の経験的主張を徹底的に解体する三人の軽量経済学者の一触即発の記事に君の注意[4]を向けるのはおいしい皮肉である。いわく、アメリカ合衆国の貨幣速度は一九七五年に至るまで一世紀以上にわたり長期的安定性を呈していたのである。
[2] https://fee.org/articles/money-in-the-1920s-and-1930s/; https://fee.org/articles/austrian-inflation-austrian-money-and-federal-reserve-policy/; https://fee.org/articles/austrian-inflation-austrian-money-and-federal-reserve-policy/
[3] https://fee.org/articles/money-and-gold-in-the-1920s-and-1930s-an-austrian-view/; https://fee.org/articles/inflation-and-money-a-reply-to-timberlake/
[4] http://voxeu.org/article/milton-friedman-and-data-adjustment
ニール・エリクソンとデイヴィッド・ヘンドリー、ステッドマン・フードはFS〔フリードマン・シュワルツ〕の経験的モデルの如何わしい「データ調整」が「貨幣流通速度の明白な運動を減少させ、……推定上の貨幣需要モデルの恒常性と一致に対し逆に影響した」と論じた。言い換えれば、貨幣需要(速度の逆数)が定数であるという、FSが一九六三年から一九八二年までに出版した統計学的鈍器で骨折って推敲しマネタリズムの要にした経験的主張は、統計的詐術であると暴露されてきたのである。
FSは生のデータを次の二点の説明用に調整した。第一に、アメリカ経済のイギリス経済に比しての金融商品と金融制度の急成長の突発。第二に、景気循環に関連する速度の短期的変動だ。エリクソンらが指摘するには、FSは「金融洗練の変化」に調整する際、一九〇三年に先立つ貨幣供給観察に2.5%の線形動向を加えたが、その年以降のデータにはまったく動向調整を行わなかった。この過程で、彼らは一八六七年の貨幣ストックをその生の未調整な価値12.8億ドルから31.5億ドルに「調整」した。この観察された貨幣ストックからの246%の幻の増加! この動向調整の結果は、研究された全期間(1867-1975)の可変性のうち、一八七〇年代前半から一九〇三年までの観察速度の50%以上の急降下効果を実質的に隠蔽することであった。かくて、その調整は研究された期間のたった30%にしか適用されず、それは速度の全分散のほぼ75%を説明するものである。(以下のグラフを見よ。)
エリクソンたちはFSの調整手続きの理論根拠に関して彼らが無視する一連の恥ずかしい疑問を投げかける。なぜアメリカの金融洗練の欠如が他でもなくイギリスのそれと比べて判断されるんだ? なぜ2.5%の恒常的年間上昇率が適切とみなされるのか? 一九〇〇年台を通じてドルの国際的役割がスターリングに対して向上し続けていたにせよ、アメリカがイギリスに追いついたのがまさに一九〇三年であったということに何の証拠がある? そして最後に、金融洗練により潜在的に影響された他の経済変数、たとえば利子率と所得などは、なぜ調整されなかったのやら。
また、FSは景気循環の諸相(インフレも後退も)にわたる年間データすべてを平均あるいは「滑らかにした」。この手続きは主として一八七〇年代以降半‐一八八〇年代前半と大恐慌及び第二次世界大戦期の速度の短期変動を有意に減少させた。こういうわけでFSは、年間未調整データを推定するランダムウォーク・モデルに比べて、彼らの貨幣需要の「相平均」モデルが計量経済学的に速度の年間変動をもっと多く予言あるいは「説明」する、と論じられたのである。エリクソンたちが反論するに、FSは、そのモデルによっては説明されない速度変化、つまり「残余標準誤差」を計算するとき生データの相平均化を説明するという基本的な誤りを犯した。FSの相平均モデルの標準誤差はそれぞれのモデル及び未調整データで推定されたモデルと比較できるように調整あるいは「リスケール」されなければならない。エリクソンたちが示すとおり、ひとたびこの矯正がなされるや、未調整年間データのランダムウォーク・モデルは残余標準誤差を低減し、「FSモデルが説明しないところの30%以上」を説明する。この結果はFSの「アメリカ合衆国の速度が無理なく一定であるという主張」を却下する。これは、FSの調整された速度でさえ一八七〇年代から一九四〇年代までに50%も低下するという事実により補強される。(以下のグラフを見よ。)
著者たちはFSの経験モデルの更なる技術的批判を提出し、結論に取り掛かる。いわく、
金融ソフィスティケーションに託けたフリードマンの米国マネーストック観察の調整は速度の事実上明白な非一定性を減少させたが、その結果計測された速度は、速度が無理なく一定であるというフリードマンの主張とは対照的にも、まだ高度に非一定である。……調整されない相平均速度は3.9の倍率で変動するし、調整された速度でさえ2.2倍で変動する。ゆえに、速度を定数とする仮定に基づけく政策分析は経験的に見当違いであろう。
そんな風にして、データを恣意的に調整し、平均し、滑らかにしても、つまり、データをはぐらかしても、フリードマンはノーベル賞委員会に引用された[5]「貨幣需要は実は非常に安定している」というライフワークの中心的主張の一つを支持できないのであった。
[5] http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/1976/press.html
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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このトランプ潰しの陰謀の裏にはジョージ・ソロスがいる?
Nick Giambruno, “Is George Soros Behind This Plot to Topple Trump?” LewRockwell.com, (July 31, 2017) https://lewrockwell.com/2017/07/nick-giambruno/plot-topple-trump/
 体制派がドナルド・トランプをはめている。
主流派メディアが彼を憎悪する。ハリウッドが彼を憎悪する。「知的だが白痴」な学界階級が彼を憎悪する。
最も致命的なこととして、CIAが彼を憎悪する。そして、国家内国家(Deep State)のその他の者たち、あるいは塹壕に立て篭もる終身の「国家安全保障」官僚も。彼らはトランプを政権から遠ざけるためにできることなら何でもやった。そのどれもうまくいかなかった。
わたしが思うに、CIAがトランプを憎悪するのは実に単純な理由である。彼は彼らの生活費を取り除くよう脅かしているからだ。
トランプはプーチンとロシア人に愛想よく振舞いたい。しかし、いわゆる「ロシアの脅威」に反撃することが数千人もの国家内国家官僚の生計の立て方である。
これらの人々は1兆ドルプラス軍事/安全保障予算のお鉢から糧を得る。ロシア人との愛想の良さは彼らの仕事を潰すだろう――彼らの生き方を絶つだろう。
トランプは言った。
わたしたちはついに、過去の過ちから学ぶ新外交政策を追求します。〔他所の〕政権を潰して〔他所〕の政府を転覆するのは止めましょう。
政権潰しはCIAのパンとバターである。彼らが彼を憎むのも不思議ではない。
もちろん、感情は相持ちである。トランプは「インテリジェンス・コミュニティー」を記述するためにたくさんの厳しい言葉を使ってきた。報道によれば、彼はCIAの抜本的リストラクチャを狙っている。
ジョン・F・ケネディーのCIAとの戦い
ドナルド・トランプはCIAに公然と取り組んだことにかけてジョン・F・ケネディー以来初の大統領である。キューバのピッグス湾での大失敗へと担がれたあと、JFKは「CIAをばらばらに引き裂いて窓から撒き散らして」やりたいと述べた。
ケネディーはCIA長官アレン・ダレスを首にした。しかしそれが彼の精一杯だった。
もちろん、JFKは国家内国家の権力掌握を破ることに失敗した。皮肉にも、アレン・ダレスは後にケネディー暗殺のウォーレン調査委員会に指名された。
CIAは世界中のクーデタを指揮する、異論の余地なき前代未聞のチャンピョンである。そのレーダーは今まさに、トランプを真ん中に捉えている……。
国家内国家はドナルド・トランプをどう降ろすか
わたしのみるところでは、国家内国家はトランプに対して切る三枚の主なカードをもっている。一つがうまくいかなかったら、次のを切りに移るだろう。
1       脱正統化カード
2       ハーバート・フーバー・カード
3       ジョン・F・ケネディー・カード
脱正統化カード
このようなジョークがある。
問い:なんでアメリカじゃあ「色の革命」が起こらないんだ?
答え:アメリカにはアメリカ大使館がないからだよ。
このジョークで笑うには、過去十七年間アメリカ合衆国が――アメリカ大使館を拠点とするCIA職員により――多用な色コードの革命を、実はクーデタを、指揮する際に果たした役割を理解しなければならない。
l  セルビアのブルドーザー革命(2000)
l  グルジア(ジョージア)のバラ革命(2003)
l  ウクライナのオレンジ革命とユーロマイダン革命(2004と2014)
l  キルギスタンのチューリップ革命(2005)
l  レバノンのシーダー革命(2005)
l  ベラルーシのジーンズ革命(2006)
l  ミャンマーのサフラン革命(2007)
l  イランの緑革命(2009)……しかしこれはうまくいかなかった。
l  モルドバのグレープ革命(2009)
l  マケドニアのカラフル革命(2016)
これらすべての人工芝革命は一点で共通する。どの事例でも、ジョージ・ソロスのNGOが標的政府の脱正統化を促していた。
もちろん、それらの政府に対する妥当な苦情はあった。しかしアメリカ国家内国家はそれらの状況を地政学的アジェンダの前進のために操作したのである。
さあ、これがそのやり口だ――ソロスのNGOが「職業抗議者」に資金提供してこれを組織する。ついで、彼らは他人をその大義の下に集めるために色特定的なブランド統一を用いる。
ソロスは色付き諸革命を科学に変えた。その様式は予言可能である。
CIAとジョージ・ソロスのNGOは「色の革命」を、ちょうど多数の外国で行ってきたように、アメリカでも始めようとしている臭いがする。
アメリカの色の革命はすでに色付いている。それは赤と青(すなわち、赤い州と青い州)の混ぜ物、紫だ。
近年、ヒラリー・クリントンは紫好きを伸ばしてきた。彼女は選挙以来ほぼすべての公的露出で紫を着る。
Tumblr media
――ヒラリー・クリントンの敗北演説。彼女の紫のブラウスとビルの紫のタイに注目せよ。
また、紫色をポストするソーシャルメディアの洪水がある。このように、ブランド統一はすでに済んでいる。もちろん、ジョージ・ソロスに援助され組織された職業抗議者はすでにいる。
またも、トランプに対する妥当な不満はある。しかしユージュアル・サスペクツ〔いつもの容疑者。敷衍して、いつも特殊な文脈で現れる者たち〕は好きじゃない政府を除去するためにいつものトリックを使っている。今回は、標的政府が東ヨーロッパや中東ではなくワシントンDCにあって起こるだけのことだ。
わたしは国家内国家がトランプを脱正統化カードだけで取り除けるとは思わない。なので彼らは次の手立てへとエスカレートするだろう。
ハーバート・フーバー・カード
人々は、フーバー大統領を考えるとき、概して大恐慌のことを考える。
一九二〇年代を通して、連邦準備の緩和通貨〔あぶく銭〕政策は膨大な株式市場バブルを創造した。
一九二九年八月、FEDは利子率を上げて事実上緩和信用を終わらせた。ほんの数ヵ月後、バブルは弾け、一九二九年十月、ブラックチューズデーと相成った――フーバーが政権に就いてからたった七ヶ月である。その日、ダウは12%以上失われた。
それは今日に至るまでアメリカ合衆国の最も破滅的な株式市場崩壊であった。また、それは大恐慌の始まりを合図した。
これはフーバーの番のときに起きた。そしてそれゆえ、人々は彼に罪を擦り付けた。どこに責任があるかなんて関係ない。
フーバーは、――FEDのあぶく銭政策が煽り立てた――株式市場バブルがそのピークのときに受け継いだ。
わたしが思うに、トランプも同じである。そして彼はそれを知っている。ここ数ヶ月、彼は株式市場を「でかく、太く、醜いバブル」(big, fat, ugly bubble)と呼んでいた。
このバブルがトランプの番で弾けたら素晴らしい。そして民主党員は彼に罪を擦り付ける。ちょうどフーバーのときに同じように。
この手がダメでも、国家内国家は奥の国家はもう一手残している。
ジョン・F・ケネディー・カード
豪腕の民主党員上院議員にして典型的なスワンプ・モンスタ(アメリカの河童)であるチャック・シューマーは近年、テレビでトランプとインテリジェンス・コミュニティーとの戦争について討論した。
シューマーは言う。「あなたがインテリジェンス・コミュニティーを引き受けたら、彼らは日曜日から六つの方法であなたに仕返しできます」。
彼が仄めかしていることを理解するにはそれほど大それた想像力を必要としない。
もちろん、国家内国家はトランプを暗殺しようとするだろう。その可能性が彼の頭をよぎっているのは明白である。彼はシークレット・サービスのプロテクションを忠実なプライベート・セクリティーで増補するという並々ならぬステップを取っている。
国家内国家の対トランプ戦争は可能な結末がたった三つしかない。
l  トランプが国家内国家を打ち破るか。
l  国家内国家がトランプを取り込むか。
l  国家内国家がトランプを打ち捨てるか。
現状では、トランプが国家内国家を打ち破ることはありそうにないと思われる。そrは数十年間立て篭もっていた。大統領よりはるかに強力である。
また、国家内国家がトランプを取り込むこともありそうにない。屈服して腹を見せることは彼のパーソナリティーではない。彼は単なるもう一着の空っぽなスーツではなく、大統領になるために掛けた手を一つも覆しはしなかった。
国家内国家は次のハーバート・フーバー・カードを切るだろう。しかしそれが効かなかったら――あるいは、国家内国家がそわそわし始めたら――彼を打ち捨てるためにありとあらゆる手段を取りにかかるだろう。
国家内国家はトランプの公職最初の百日間ですべてを唐突かつ予想外の方向へ変えるような動きを計画している。『ニューヨークタイムズ』ベストセラー著者・ダグ・ケイシーとわたしは、これがすべてどう落ちていくか説明する時間期限付きのビデオ[1]をまとめた。
[1] http://www.caseyresearch.com/go/tqasg-2/MAN
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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ロスバード~彼には最良のリバタリアン教育者たちがいた
This article is part of a series of occasional posts which will explore the immense treasure trove of unpublished papers, lectures, memos, correspondence, and notes in the Rothbard Archives at the Mises Institute.
Joseph T. Salerno, Rothbard: There Are the Best Libertarian Educators, [https://mises.org/blog/rothbard-these-are-best-libertarian-educators] [https://lewrockwell.com/2017/05/joseph-salerno/best-libertarian-educators/]
 一九六一年、ウィリアム・ヴォルカー基金、後のヒューメイン・スタディーズ研究所の創立者兼所長、F・A・ハーパーは、「わたしたちの時代の傑出したリバタリアン教育者」をリストにするよう頼んだ。ロスバードは一九六一年七月九日付けの手紙で答えた。
ロスバードは「教育」(“education”)という用語で「公式の学校教育はもちろん非公式の影響」(“informal influences as well as formal schooling”)を意味するよう解釈し、他の著名な候補を却下しつつ、傑出した七人と「限界的」な二人の教育者を同定した。ロスバードのリストを理解するためには、彼らの「リバタリアン」の定義はもちろん、ロスバードが「教育者」という用語で意味したことをしっかりと念頭に置かなければならない。ハーパーが要求しロスバードが編集したのは、偉大な作品で自由の科学的基盤に寄与した経済学者の、あるいはもっと広く、社会科学者のリストではなかった。彼はむしろ、自由の科学を研究すべくその出版物、教え、活動で他人を鼓吹した人々を同定しようとしたのである。しかも、ハーパーとロスバードはアナルコ資本主義の主唱者だったのに、ロスバードのリストはその望みが無国家社会であるか否かにかかわらず、古めかしいアドホックな古典的レッセフェール処方箋を超えて自由に基づいた社会を厳格かつ整合的に追求する方向に動いていった人々に開かれていた。
ロスバードは彼にとっての重要性の順に議論を進めていったように思われる。彼は初めにF・A・ハーパー自身を挙げ、彼を「わたしの知り合いの断然最も重要なリバタリアン教育者」と特徴付けた。ロスバードはハーパーがコーネルでポール・ポイロット(Paul Poirot)とアイヴァン・ビアリー(Ivan Bierly)、W・M・カーティス(W. M. Curtiss)らを教育しながら「リバタリアン生徒たちの印象深い中核」を開発する際の影響力を引用した。また、ハーパーがリバタリアンな若者を経済教育基金(FEE)に結びつけることで開発する際に特に効率的であったことを書き留めた。ロスバードにとって最も重要だったのは、いわく、ハーパが「FEEにおいて昔ながらのレッセフェールから純粋な100%リバタリアニズムへの運動、リバタリアン思想全史において最も重要なものになるよう確実に運命付けられている運動の、指導者であったこと」だ。
ロスバードのリストではフランク・チョドロフが次に来る。なぜならば彼もまた「その純金の小さな雑誌『アナリシス』の毎ページを通してリバタリアンで個人主義者な見解を若い人々に熱心に解説」していたからだ。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、彼の両著作、特に『ヒューマン・アクション』と、彼のニューヨーク・セミナーの影響力ゆえ、ロスバードが選んだ三番目の人物である。ロスバードにとって、「ミーゼスの『ヒューマン・アクション』……は整合的で統合された経済思想の、経済を超えた思想のシステムの比類なき啓示でした」。ミーゼスはセミナーで、「丸々とした知性システムと長い経験」を生徒たちに分け与え、彼らが示した学術的生産性のあらゆる兆候を励ました。ロスバードは「この国のリバタリアンのほぼ全員がハーパーかミーゼスの弟子であると言っても差し支えない」と考えた。
ロスバードはアルバート・ジェイ・ノックをリストに挙げた。彼がチョドロフ含む「右翼ジョージストの弟子集団」を設けたからだけではなく、「彼の著作物(『我々の敵、国家』、『余計者の記憶』)はフランク・ナイトらの五十冊に匹敵する壮大なリバタリアン作品です。というのも、それらは国家の本性を核心へと率直に切り込んでいますから」。ノックの作品に並んで、H・L・メンケンの作品も「歯に政府の衣着せぬ『ユニークな自由化の』影響」を及ぼした。
早期リバタリアン活動家ローレン・「レッド」・ミラーはウィリアム・ヴォルカー(William Volker)とピア・グッドリッチ(Pierre Goodrich)、ヘンリー・ウィーヴァー(Henry Weaver)、ハーバート・C・コーネル(Herbert C. Cornuelle)のようなビジネス界の大物をリバタリアン大義へと実に上出来に転向させた。ロスバードはローズ・ライン・ワイルダーとイザベル・パターソンをその影響力ある著作物、特に後者の『機械の神』ゆえにリストした。ジェームズ・M・ロジャーズは「世評によれば彼がリバタリアン理念の産業人員教育で多大な個人的成功を収めたことと、イリノイ州ロックフォードをリバタリアン理念が充満した共同体に変えたこと」ゆえリストに挙がった。
さて、我々はロスバードのリスト上の「限界包含」、F・A・ハイエクとミルトン・フリードマンに及ぶ。ハイエクは限界的とリストされた。「最善の諸大学で三十年間教育に携わりながら、彼は一人も――そう、一人も――ハイエク派といえる人物を開発しなかったという、ハイエクへの実に厳しい告発」をもって見られるからである。また、ロスバードはハイエクを「彼をちょっとでもリストに入れるべきか疑わしいと思われるほど純粋派リバタリアニズムからは程遠い」と考えていた。ロスバードは「彼の生徒への冷淡さと無関心に沿った強硬さの欠如が彼の弟子開発の失敗を説明する」という興味深い憶測を加えた。結局、ロスバードはハイエクをして、「確かにわたしたちの時代の準リバタリアン(quasi-libertarian)なベストセラーである『隷属への道』で幅広い公衆に与えた大きな影響ゆえ、「二軍」、あるいは「限界」リスト」に含めた。
さて、ロスバードがハイエクを限界に格下げしたことは文脈を抑えなければならない。ロスバードが構成していたのが上述の意味での傑出したリバタリアン教育者のリストであったことを思い出そう。ロスバードは『人間、経済、及び国家』で、ハイエクが一九三〇年代の経済著述で敷いた基礎の上に資本と景気循環の理論を開発しながら、ハイエクを経済学者として大いに尊敬した。実際、ハイエクのノーベル賞受賞の祝いの記事では、ロスバードはハイエクを「偉大なオーストリア派自由市場経済学者」と言及し、彼を「世界で最も著名な自由市場経済学者、自由社会の提唱者」に格付けた。
ロスバード・リスト上の第二の、最後の「限界包含」はミルトン・フリードマンである。ロスバードいわく、フリードマンは「その知能の力と生徒への鋭い関心により『若い方のシカゴ学派』の長老になっており、この学派は立派な団結心があって、今なされている最善の経済著述を有している」。にもかかわらず、フリードマンは「傑出した」リバタリアン教育者には格付けされない。なぜならば、シカゴ学派とフリードマンは狭く定義された領域でしかリバタリアンではないからである。一九六一年のノートでは、シカゴ学派経済学の多くの部分とは相当の不同意があったとはいえ、ロスバードはフリードマンを経済学者として、広い解釈でのリバタリアン運動の効果的な教育者としては尊敬していた。一九六三年、ロスバードのフリードマン査定は後のポストで議論されるであろう理由により変化し始めた。
かくてロスバードはハーパーに「八人〔ママ。九人〕の『一軍』(‘first stringers’)と二人の限界教育者のリスト」を提出した。ロスバードは幾人かの傑出した名の包含の不足を説明しにかかった。ロスバードはルフェーヴルのフリーダム・スクールがどんな影響をもっていたか判断できなかったから、アナルコ=リバタリアン、ロバート・ルフェーヴルを含めなかった。「純粋派リバタリアン」新聞『フリーダム・ニュースペーパーズ』チェーンの所有者兼出版者R・C・ホイルズを含める「誘惑に駆られました」が、かかる新聞の影響力を知らなかった。また、フランク・ナイトも含まれない。なぜならばロスバードにとって、ナイトは「我々の境内の外に座らなければならないほどあまりにもリバタリアンから遠く離れています(フリードマンやハイエクよりかなり程遠い)」からである。影響力の強いシカゴ学派経済学者ヘンリー・サイモンズは、ミーゼスの元生徒フリッツ・マハループとゴットフリート・ハーバラーが「〔相当の極〕左に傾いていた」のと同じように「ナイトよりリバタリアンではない」と拒絶に尽きた。アイン・ランドは「とても影響力がある」にせよ、その影響は「専ら無知で狂信的なカルトを築く方に」向いていたから却下された。
ロスバードは手紙を締め括るにあたって傑出したリバタリアン教育者リストの全員かほぼ全員を判別する「諸要素」を考えた。三重だった。ロスバードは第一に、面白おかしくもコメントもせず、「知能」を挙げる。第二の要素はやや驚かしい。「生徒への愛と主題への情熱を含む、最も広い〔意味での〕愛」だ。傑出したリバタリアン教育者の第三属性は、ロスバードいわく、「その立場が『過激』であることへの本意」であった。彼は過激派の定義的特徴をもっと愛しい「穏健派」と比較することで同定する。ロスバードいわく、「『穏健派』、非過激主義者はほぼつねに、真に影響力がある『実際的』な人物であるとみなされる、という事実にもかかわらず、……まさにどんな真の影響力もないからこそ、真理に向けて人々を解放するよりむしろ、愛おしい誤りで人々を慰めるばかりだからこそ、『穏健派』は万人に歓迎されるにすぎません」。
彼のリバタリアンなメンター、ハーパー宛のこの手紙と同じように、ロスバードの数千の覚書と手紙の最もカジュアルなものでさえ、新しく刺激的な理念と洞察に満ちたきらめくスタイルで書かれている。我々はこのシリーズの後のポストで、ロスバードのウィットと洞察、比類なき学説をもっと多くシェアすることを楽しみにしている。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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西洋価値観は優れている。ウォルター・E・ウィリアムズ
Walter E. Williams “Western Values Are Superior,” LewRockwell.com, (July 26, 2017) https://lewrockwell.com/2017/07/walter-e-williams/western-values-superior/
 さあ、これがドナルド・トランプ大統領のポーランドでの演説だ――「我々の時代の根本的な問題は西洋が生き残る意志をもつか否かです。我々はいかなる犠牲を払ってでも〔我々自身の価値観〕を守るよう、我々自身の価値観を信じていますか? 我々は、〔我々自身の文明〕を転覆し破壊しようとする者を前にして、我々自身の文明を維持しようとする願いと勇気をもっていますか?」
ポーランド人には暖かく受け入れられたこの演説の後、大統領は予想どおりの批判にぶつかった。批判のほぼすべては批判者側の酷い無知と不誠実を反映している。
その無知の一例は、編集者でありニューヨーク市大学ジャーナリズムと政治科学の准教授であるピーター・バイナートPeter Beinartにより、『アトランティック』で執筆された。バイナートは言う。「ドナルド・トランプは『西洋』に十回、『我々の文明』に五回言及した。彼の白人国民主義支持者は彼が意味するところを正確に理解するだろう」。彼は語り続ける。「西洋とは人種的宗教的用語である。西洋であるとみなされるためには、国土は概してキリスト教徒(プロテスタントかカトリックが望ましい)及び概して白人でなければならない」。
知識人エリートは異なる諸文化と彼��の価値観が道徳的に同等であると論じる。馬鹿馬鹿しい。西洋文化と価値観は他のすべてより優れている。わたしはそのような言明は非真実であるか人種主義とヨーロッパ中心主義の臭いがすると主張してきた者に対してささやかな疑問を抱く。サブサハラ・アフリカと中東の約三十国で実践されている強制的女性器切除は、道徳的に同等なる文化的価値なのか。モーリタニアとマリ、ニジェール、チャド、スーダンで実践されている奴隷制は道徳的に同等なのか。中東のほぼ全域には、女性を縛る、運転と雇用、教育の禁止のような膨大な制限がある。イスラム法の下、幾つかの国では女性姦通者は投石〔訳注:stoning。石やコンクリなどを叩きつけること〕で殴られて死に臨む。泥棒はその手に厳しい罰を受ける。幾つかの国では、同性愛は死で処罰可能な罪である。文化的価値観は道徳的に道徳なのか、西洋価値観より優れているか、それとも劣っているか?
トランプは幾つもの決死の疑問を立てた。「我々の時代の根本的な問題は西洋が生き残る意志をもつか否かです。我々はいかなる犠牲を払ってでも〔我々自身の価値観〕を守るよう、我々自身の価値観を信じていますか? 我々は、我々自身の国境を保護するため、我々自身の市民に十分な尊敬を抱いていますか? 我々は、〔我々自身の文明〕を転覆し破壊しようとする者を前にして、我々自身の文明を維持しようとする願いと勇気をもっていますか?」西洋が自らを保護するための軍事力をもっていることには疑問の余地がない。問題は、我々が攻撃を認識する知能と我々自身を全滅から防衛する意志をもつか否かである。
イスラム教世界の大部分は西洋文明に対して交戦中である。イスラミストは西洋とキリスト教の価値観を攻撃するためのフットインザドアとして多文化主義を使う。その攻撃の大部分は我々の若者たちを思想教化する知識人エリートの大学キャンパスに根を付けている。多文化主義は西ヨーロッパ諸国――イギリスとフランス、ドイツ――でなした害をまだアメリカでは成し遂げていない――が、その途上である。
わたしの同僚トーマス・ソウル博士は問題の幾つかを暴露する。彼は言う。「イスラム世界の者たちは数世紀の間、自分たちは西洋の「不信心者」より優れていると看做すよう教わってきたが、彼らが自分たちの目で見るものは悉くさにあらずと告げる」。彼は続けて言う。「イスラム世界の人々より状況の逆転を人民全体で可視的かつ悲痛に感じるところはない」。かつて文明の頂にいたペルシア人とアラブ人のような人々で、幸運の逆転を潔く受け入れる人々はわずかである。そのうえ、彼らは彼ら自身と彼ら自身の文化を非難しない。彼らは西洋を非難する。
ところで、西洋価値観を保持するために西洋人である必要はない。他のすべてに勝る個人の高潔さを受け入れるだけでいい。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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「ナチズム」対ファシズム、前者の見地での二篇
訳序
世界大戦以降、世界は徹底的な脱ナチ化を経験したが、それに匹敵するような冷戦後の脱ボル化は決して起こらなかった。いわゆる「文化的マルクス主義」(田中英道『日本にリベラリズムは必要ない』を見よ)に活力を与えているのがこの反枢軸思想である。したがって、いかなる右翼にとっても国民社会主義の再評価は一定の意義がある。
しかし、「ナチズム」――国民社会主義の蔑称――及びファシズムという言葉を乱用する人間が後を絶たない。特に左翼は約百年前にイタリア簒奪を阻まれた恨みで、敵がみなファシストに見える精神病を患っている。そして、彼ら左翼こそが歴史を語る。
我々は国民社会主義とファシズムを正しく理解しなければならない。なぜならば、それは現世界秩序の起源たる第二次世界大戦に関わるからである。その唯一正しい方法は、後付けと外様のレッテル張りをすべて懐疑し、その概念を当時の当事者の言語に即して再建することであろう。その手間を嫌うにせよ、おそらく最善の手がかりは現代の国民社会主義者やファシスト自身の言葉に��を傾けることで得られる。
本稿では隔絶した二人の国社主義者が同じ主張に達する事例を目にすることができる。
戦中・戦後の自由主義者の大きな誤りは、「蹄鉄」や「共産ファシズム」、「赤褐色」に託けて、政敵を適切に格付けせず、すべて同一視してしまう怠惰さにあった。もはやこの知性の放蕩に耽る余裕はない。国民社会主義・ネオ国民主義(*)は現行社民体制の共産主義(「文化的マルクス主義」)政策よりはるかにマシであると、すべての右翼が認めるべきときが来ている。
*ネオ国民主義(neo-nationalism):二〇一〇年中葉の欧米の移民受け入れ政策を機に発生した反移民イデオロギーの総称。
第一篇 ウィリアム・ピアス博士、国民社会主義とファシズムの違いについて
アドルフ・ヒトラーの国民社会主義はもっと一般的に定義される「ファシズム」の類型や変種であるという観念はマルクス主義のプロパガンダと分析の主要生産物である。実際、マルクス主義者はこの虚偽の主張する際、国社を自認する者の思考を汚染するほどカン高くしつこかった。(事例:ベニート・ムッソリーニとアドルフ・ヒトラー、一九四一年において)
一九七〇年の頃、ウィリアム・L・ピアス博士は「国民社会主義者のための一問一答」というコラムでこの論点に取り組んだ。このコラムが掲載されたのは『ホワイト・パワー:白い革命のニュースペーパー』であり、これは国民社会主義白人党の大量流通タブロイドであった。(ピアス博士はこの号の「共同編集者」としてリストに載っている。)
問:リベラル〔左翼リベラル〕はしばしば国民社会主義者を「ファシスト」と呼びます。彼らのこの習慣は正しいのですか?
答:リベラルは「ファシスト」というレッテルを、彼らが嫌悪したり危険とみなしたりする理念の誰に対しても――保守主義者に対してさえ――貼り付けます。特定のイデオロギーの信奉者に限らず、彼らはこの用語を侮辱語として使う傾向があります。そうして、どんな政敵に対しても「ファシスト」というレッテルで侮辱することに正当性を感じているのでしょう。
問:えっ、では国民社会主義者が「ファシスト」を自称するのは適切ですか?
答:決して適切ではありません。我々がこの用語を使うときは、事実上つねに、ベニート・ムッソリーニがイタリアで創始した統治システムに関する特定の社会政治学説の信奉者――大文字のFでのファシスト(Fascist)――を指しています。
リベラルにとって重要には見えないようですが、国民社会主義とファシズムには深い違いがあります。
問:しかしわたしはファシズムも国民社会主義も高度に集権化した権威主義的で強度に国民主義的な形態の政府であり、活動の仕方にはわずかな違いしかないと思っていましたが。
答:あなたはリベラルが著した教科書を多く読みすぎました。確かにファシスト国家と国民社会主義運動は権威主義的ですし、どちらも強い社会的基盤をもちます。しかも、アドフル・ヒトラーの国民社会主義政府とムッソリーニのファシスト政府はどちらも集権化した全国的な基盤において国民的社会的刷新の綱領のほぼすべてを経営しました。どちらの政府も計り知れないほど大衆的な熱狂を生み、これが公共の膨大なデモンストレーションとセレブレーションに現れました。これらすべてが見かけ上の類似に寄与しました。しかし二つのシステムの違いは決してわずかではありません!
問:それらの違いの幾つかは何ですか?
答:本当に根本的な違いは両システムの下での国家と人種の役割にあります。
ムッソリーニの言葉では、
ファシストの国家の着想は総括的である。その外には人間的または精神的な価値は存在できない、いわんやどんな実質的価値をや。かく理解され、ファシズムとは全体主義的であり、ファシスト国家――全価値の総合兼単位――は人民の全生命を解釈し、開発し、強化する……。それは国家を生成する国民ではない……それはむしろ、人民に意志を、ゆえに実質的生命を授けながら、国民を生成する国家である……。ファシストの着想では、国家は絶対者であり、その前では諸個人と諸集団は相対者である……。
かたわら国民社会主義者にとっては、最も重要なのは我々の人種であり、国家ではありません。アドルフ・ヒトラーが『我が闘争』に記すとおり、
国家は目的への手段である。その目的は物理的及び精神的に類似した被造物の共同体の維持と前進にある……。この目的に尽くさぬ国家は出来損ないの怪奇体である。(II:2)
この態度の基本的な違いには多くの重要な帰結があります。たとえば、ファシズムの下では国家の責任を受け入れるかぎり、人種的素性にかかわらず誰もが市民でありえます。かたわら、国民社会主義の下では人種的共同体のメンバーシップが市民の第一���件です。(WHITE POWER: The Newspaper of White Revolution, number 11, January-February 1970, p. 5)
ジェームズ・ハーティングのコメント
ピアス博士が討論した理論的考察を別としても、ファシズムは歴史的には人種とユダヤ問題の枢要な論点で悪名高いほど弱腰だった。これはムッソリーニの原典とオズワルド・モズレーのもののような盗品の両方に当てはまる。
一九一四年から一九三五年まで、ムッソリーニの愛人兼腹心、政治的顧問は裕福なイタリア系ユダヤ人知識人マルゲリータ・サルファッティであった。彼女はこの期間に疑問の余地なくファシスト学説と政策へ影響しており、おそらく国民社会主義とヒトラー運動に対するドゥーチェの初期の敵意の原因である。
ファシスト政策のもっと公的な例はイタリア人による一九三五年のエチオピア侵入と征服である。この行為は国民社会主義の立場からは絶対的に正当化不可能である。他の批判をすべて措いても、数千万人のエチオピア人をムッソリーニのネオ・ローマ帝国に持ち帰ることの結末はイタリア人の血筋の破滅的な人種汚染であっただろう。最も強行な反混血法を定めても、ネグロ遺伝子は時経るほどイタリア人の遺伝子プールに流れ込み、そこからアーリア人ヨーロッパ全土に迷い込むだろう。
わたしは人種とユダヤ人に対する態度と政策がファシズムの第二次受肉の期間に、一九四四年~四五年のイタリア社会共和国で、顕著に良くなったことには気づいている。ファシストはドイツ人からの直接間接の圧力の下で、ヒトラー派新秩序に与するよう努力した。しかしそれは少なすぎたし遅すぎた。
ファシスト運動の外縁で、ユリウス・エヴォラ男爵(1898-1974)はファシズムに人種のイデオロギッシュな基盤を設けようと努めたが、彼の努力は要件を満たさなかった。エヴォラの理論は国民社会主義の科学的生物学的レイシャリズムとは相容れない「精神的」レイシャリズムに基づいていた。エヴォラの理論はハインリヒ・ヒムラーの指示でSSにより調査され、非国社であるとして公式に拒絶された。
ファシズムをもっと広く定義して一九三〇年代と四〇年代の平行諸運動をすべて「小文字のf」ファシスト(fascists)に包含したがる運動が幾つかあることは知っている。スペインのファランヘ主義者、ハンガリーの矢十字運動、ルーマニアの大天使ミカエル軍、ノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングの国民連合。その皮相的な類似にもかかわらず、これらの運動はそれぞれイデオロギー上では互いに判明であった――そして、ヒトラーの運動とは程遠かった。各国は各自の国民復興を、各国の独特の歴史的経験と当座の政治的必要に基づいて生産した。それらの運動が一九四五年以前の世界で存在するためにどんな正当化をもっていたにせよ、それらは二十一世紀においては無である。というのも、二十一世紀に我々の運動が前進する道を敷いたのはただ国際的汎アーリア人ヒトラー運動だけだからである。
ピアス博士の運動キャリアについての注記――ウィリアム・ピアスの運動キャリアは三つの期間に分けられる。
前期:一九六〇年代初期から一九六七年のリンカーン・ロックウェル暗殺まで。この期間において、彼はロックウェル司令官の顧問として尽くし、『国民社会主義世界』の初めの複数号を生産したが、それ以外の彼の活動関与は最小限度であった。
中期:一九六八年から一九七〇年まで、ピアス博士は自ら党員であり指導的な幹部であった国民社会主義白人党と書記長を務めた国民社会主義者世界同盟で活発な役割を演じた。
後期:一九七〇年の国社白人党と世界国社同盟からの離脱についで、彼は『国民青年同盟』を引き継いで作り直し、後に『国民同盟』と名付け直した。この長く生産的な運動関与の期間において、四冊の作品を著し、長大な『アメリカ反体制派の声』を放送し、数えきれない演説をうって、無数の記事と詳論、社説を書いた。
彼はアメリカ・ナチ党と国社白人党を支持した初めの二つの期間において、自らを国民社会主義者であると公然と同定しており、彼の著作物は明示的に国社であった。第三の期間においてはもはや公然とは自らを国社に同定しなかったが、彼の書くこと、彼の言うこと、彼の成すことはすべて、明示的にではなくとも、暗に国民社会主義者であった。
ピアスが一九六六年に『国民社会主義世界』で著した内容と二〇〇二年に『アメリカ反体制派の声』で放送した内容にイデオロギー上の不連続性はない。むしろ、彼の言葉はアメリカ・ナチ党への関与の始まりから彼の生涯の終わりまで継ぎ目のない全体を構成している。わたしはウィリアム・ピアスが生産したすべてを、いつ生産されたかにかかわらず、アメリカ国民社会主義の重要な統合的部分であると考えている。
第二篇 国民社会主義とファシズム
「ヒトラーは精神の船、半神であり、もっとうまく言えば、神話である……ムッソリーニは人だ」―カール・ユング
国民社会主義とファシズムの唯一の関係はどちらも資本主義共産主義二分論への対抗であることにすぎなかったし、これが彼らの政治的同盟を説明するのだが、国民社会主義ドイツとファシスト・イタリアの枢軸側の繋がりは(ヒトラーの思考への主な影響源はムッソリーニであったと笑止千万にも主張するイタリア人プロパガンダとともに)国民社会主義とはファシズムの分家、あるいはファシズムの特殊なブランドであるという通俗的な誤着想に至った。反シオニズムは本来はファシスト・イデオロギーの部分ではなく、国民社会主義ドイツの台頭の後で同盟を固めるために付け加えられたにすぎなかったことは注目に値する。また、第二次世界大戦が終盤に向かうにつれて、国社ド労党(国民社会主義ドイツ労働者党)はファ国党(ファシスト国民党)に対し、後者がシオニスト連合と手を取って彼らの敗戦に寄与していたと考えて明確に感情を害していたことも注目した方がいい。
「根はファシズムの過剰評価に遡る。ヒトラーは第一次世界大戦の全く幻滅ものの経験に気づかず、少なくとも一九四三年まで、ムッソリーニの意志はイタリア人民を仕立て直すこと、人民を新たな水準に引き上げることであろうと確信していたようであった」―アルフレート・ローゼンベルク
にもかかわらず、国民社会主義をリバタリアンなど小さな政府提唱者により容易に却下可能な総称的ファシスト藁人形に調整するため、シオニスト・エージェントはこの合成を第二次世界大戦後にも押し付けてきた(国民社会主義者を「ファシスト」と侮辱しながら。我々はこれをまったく受け入れない)。現在のファシストがかった陣営とリバタリアンがかった陣営の間に新しい敵対的二分法を形成することで、国民社会主義はこの討論からは政治的に離れており、イデオロギー上でははるか上を行っていると気づくことが重要である。
権力への意志(対)自由への意志
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「かくも多くの憎悪者が考えていそうなこととは対照的にも、ファシズム自体は国民社会主義ではなかった。それは政治的――及び経済的――システムであり、政治以上の信条ではなかった。それは実践的な当座の――期限付きの――意義の運動を鼓吹したのであり、宇宙的な範囲のものではなかった」―サヴィトリ・デヴィ
我々はファシズムで、社会を団結させエネルギーを加えるために、経済とメディアその他の国民的機構に対し公然と国家主義を使用する独裁制を意味する。それは棒の束は一本の棒よりはるかに壊れにくいという意味での結束での強さの原理を寿ぐ古代ローマのファスケスに象徴される。実際、ファシズムの好例はムッソリーニのイタリアではなく古代ローマ自体であるに違いないという、ルドルフ・ヘスが触れたとおりの強い議論が提出されうる。いわく「辛いとき、ローマ人は若く有能な指導者に全権力を与えた――ローマ人は統治するとは何かを知っていたのだ! 彼らは『人が歴史を作る』ことを知っていた」。ムッソリーニのイタリアはムッソリーニ以前には深く分断されていた社会を急速に纏め上げるこのローマの象徴の復活というわけで現代世界でのファシズムの良い例である。とはいえ、「ファシズムは民主制への道中の独裁制である」という彼の言葉を考え合わせるに、ムッソリーニは根本的な水準では民主制に反対しなかったことが注目されねばならない。北朝鮮のチュチェ(「主体」、統合主義の意)は自称こそせざれ現在実行中のファシスト体制の好例である。それでもやはり、ファシスト(特にそう自称する者)は定義ゆえその考え方において本質的にローマ的である。
かくて、アンティファ/主流派メディアのレッテル張りとは対照的にも、統一ではなく民族的か宗教的かの線に沿って社会の分断を創造する人種主義極右諸集団は、ちっとも正真正銘のファシストではなく、むしろその真逆である。それらは棒を多くの束に分けて、すべての棒が壊れるまで一方の束で他方の束を叩き付ける。我々は彼らを擬似ファシストであると、真正ファシストとは逆であると言う方がいい、ちょうどネオナチ主義が真正国民社会主義とは逆であるがごとし。ムッソリーニが言ったことを――「生物学的に純粋な人種が今日まで存在を現しているとわたしに信じさせるものはないだろう……人種の譫妄は国民の誇りには必要ない」と言う極右はいない。ローマ人の考え方に共鳴するのがムッソリーニの見解である。かたわら、極右の見解はローマ文明ではなく西洋文明から来るのであり、ゆえに、極右としてはアラゴンのフェルナンド二世とカスティーリャのイサベル二世の人種主義者/イスラム嫌悪者の紋章学に因んでファランヘ主義者を自称する方がまだ正確であろう。(ファランヘ主義はフランシスコ・フランコ(ユダヤ人)治世下のスペインのイデオロギーであった。公然たる親ユダヤ人だったフランコと初めて会ったあと、ヒトラーはもう一度フランコと会うくらいなら同じ量の時間を歯医者に歯を引っこ抜かれるために費やした方がまだマシだろうとムッソリーニに語った。ムッソリーニはちっともイスラム嫌悪者ではなかった。彼はイスラム教徒をファ国党に加えるのみならず、参加を促すため特別にAML(リクトルのイスラム教徒協会)を設けた。そのようなものとして、我々は擬似ファシストからファスケス――統合の象徴――を取り戻すための真正(すなわち、非人種主義的、非イスラム嫌悪的)ファシストのありとあらゆる努力を支持する。それはちょうど、我々真正国民社会主義者がネオナチからスワスティカ――高貴の象徴――を取り戻しているのと同じ在り方である。
ローマ人は人種主義者ではなかった、ゆえにファシストも人種主義者ではないはずだ。
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ファシスト国民党は決して人種主義者ではなかった。事実、軍役の見返りの市民権はアウグストゥスが始めて実施したローマ政策であり、ムッソリーニはコピーしたにすぎない。
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これがファシズムである。この理念を嫌う者は「ファシスト」ではなくファランヒストを自称した方がいい。
かたわら、国民社会主義をファシズムの一種と言うのは菜食主義を料理の一種と言うのも同然である。その言明は技術的には間違いではないが、原因より結果に焦点を当てることで知性的には治安妨害の罪である。ファシズムと国民社会主義の鍵たる相違を理解する最も単純な仕方はそのレトリックの本質を検分することである。
ファシズム:我々が一丸となれば、望むがままにどんな目標でも達成する権力を得るだろう。(「他人が歴史を書いている間、我々が手を拱くままなのは屈辱的である。誰が勝つかは大した問題ではない。人民を偉大にするには彼らを戦闘に送る必要がある。たとえそれが酷い仕打ちであってもだ。これこそわたしがすることである」――ベニート・ムッソリーニ)
国民社会主義:これが我々の目標である。これを達成する唯一の方法は一丸となることだ。(「彼らは果たすべき使命があるという感情に鼓吹されるのであり、我々は彼らをあまり扇動しない方がいい」――アドルフ・ヒトラー)
ファシズムは最初に目標を特定しない。そうせず、――恣意的な目標を成し遂げるための国民権力の形での――参加の見返りを個人に約束する。ムッソリーニの最も有名なスローガン、「国家の中にすべてあり、国家の外に何もなし、国家に抗する者はなし」は、他のすべてを国家への積極的か消極的な影響により測定するが、国家それ自体の価値を測定できるような固定的な目標を何も差し出さない。言い換えれば、権力それ自体がファシズムの精神的動機付けであり、ファシスト国民の業績はつねにその権力を自分や他人に誇示する単なる軽率さとなる。かたわら、国民社会主義は権力とは厳密には目標――搾取の終わり――を成し遂げるための手段であると言い張りこれが最初に具体化され、しかる後に他のすべてが収束する焦点を設ける。たとえば、ファシストは政治一般と戦争特殊を性格作りの最善の方法の一つであると考え、ゆえにその経験上の価値のためにそれらに参加することに喜びを感じる。かたわら、国民社会主義者はそれらを不幸な負担であると考え、ゆえにそれらに対して純粋に義務感から、純粋に敵を倒す目的からアプローチする。ヒトラーいわく、「戦争指導者とはわたしがわたし自身の意志に反することである。わたしの心を軍事問題に適用するとしたら、それは差し当たりわたしよりうまくそれをやれる者が誰もいないと知るからである」。国民社会主義は個人的参加を栄光ではなく義務として動機付ける。国民社会主義は熟達ではなく高貴を価値付ける。我々の効能(効果)は統一での強さであるかもしれないが、我々の大義(原因)は高貴での統一である。
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鍵十字が肝であり、武器は道具にすぎない。
ファシズムは、その指導者が国民を強く保つかぎり、その国民が存在する目的について実際には(指導者含め)誰も知らないか気にしないでも、完全に成功であることができる。これは国民社会主義には当てはまらず、目的への忠誠が最優先である。したがって実践的にはファシストは単なる国家主義者な栄光漁りであり、かたわら国民社会主義者は真正のイデオロギー戦士である。幾人かのファシストは間違って国民社会主義者を自称する。それらが起こる理由は普通、ファシストのパースペクティブで、彼らが国民社会主義ドイツの秩序と効率性に感銘を受けるからである(ヒトラーが記述したとおり、「新帝国にはたった一つの軍、一つのSS、一つの行政しかないという事実は並々ならぬ権力効果を生み出すだろう」)。逆は起こらない。真正国民社会主義者をファシストと呼ぶことは、我々が単なる道具としてではなく目標としての強さに動機付けられていると示唆することであり、侮辱である。
「『時の』人はまったくイデオロギーをもたないか、まったくもっていないふりをする、あるいは彼らは『時を越え』るか『時に逆ら』う信仰に仕えるふりをして、彼ら自身の目的のために後者を食い物にする(神の名において自分のために戦う偽者クリスチャン全員と同じであり、自分を権力へと動かすつもりでしかないのにスワスティカの旗の下で戦う偽者国民社会主義者全員と同じである)」―サヴィトリ・デヴィ
混乱の一部はファシストと国民社会主義者の両者が「物質主義」を批判するところを、この言葉が各陣営で異なる使い方をされていることに気づかぬまま、傍観者が見ることから生じている。ファシスト(と多くの正統派ユダヤ人)は「物質主義」で単に消費者生産物を意味するにすぎず、これが行き過ぎると諸個人の権力動機を散らしてしまう。国民社会主義者は「物質主義」で、単なる消費者生産物ではなく、ファシスト(と多くのユダヤ人)が崇拝する権力動機それ自体を言っている! 我々の眼では、国民権力のために消費者生産物を手放すファシストは消費主義者であると同様に物質主義者であり、単なる集団主義者にすぎない。
そのイデオロギー上の劣等性にもかかわらず、その独裁的政府形態の優位のためであれ、ファシスト国民はもっと有意義な何かへと急速に発達する可能性をもっている。たとえば、宗教が外的目的を埋め合わせ、国民がその宗教を真剣に追求するに足るものと受け取る(ベルギーのための「キリスト教社会主義」イデオロギーとされるレクシスム実験に導いた、レオン・ドグレルのクリストゥス・レークス〔キリスト王〕概念のような)場合や、あるいはその指導者が時を経るごとに国民社会主義に転向する場合である。これを念頭におけば、我々は一般的にはいかなる国においても随時のファシスト指導部の政治的見解に同意しないときでさえ民主主義国家よりファシスト国家を選好すべきである。それは少なくとも問題を――大衆のためよりはむしろ――指導者のための勝利に、我々のイデオロギーに単純化する。
「文化が政府下の要素であったと言えるのはローマ帝国だけである」―アドルフ・ヒトラー
我々は国民社会主義者として共通の実践的目標のために、ファシスト指導が合理的で尊敬に足るパーソナリティーであるかぎりは真正ファシストとの同盟に心を開かなければならない(すなわち、反シオニズムのために。「考えてみよ、ローマ人はユダヤ人が所持する最も神聖な物をあえて没収した。彼らの神殿に積み上げられた黄金を!」―アドルフ・ヒトラー)。かたわら、人を腐敗させる権力と壮大さの誘惑は決して過小評価されてはならないので、国民社会主義者は自身がファシストに堕落することを警戒しなければならない。これは国民社会主義ドイツが十分に直視し続けられなかった一つの挑戦である。我々は反シオニストとして、シオニスト・エージェントがどこであれ国民社会主義に対する可能ファシズムを、ファシズムに対する擬似ファシズムを促進し、彼らが「ファシズム」と呼ぶが実際には擬似ファシズムである広い旗の下で互いの区別を混乱させて、そのような運動を支配しシオニスト・アジェンダに仕える目的で、独裁制運動に浸透するためにありとあらゆることを成してくるだろうと予想する。
超人(対)敵破壊者
「快楽」といわゆる「栄光」への欲望……は野蛮人の印である」―デイヴィッド・マイアット
想定の上でのニーチェとヒトラーのイデオロギッシュな結合は一九三三年のニーチェ文庫でのヒトラーの紛らわしい写真以外に根拠をもたないが、彼はそこに率先して訪れたわけではなく、エリザベート・フェルスター(国社ド労党の資金提供者)の強要で尋ねたのだった。ヒトラーが国民社会主義をニーチェに鼓吹されたものと考えた証拠はない。対照的にも、彼はハンス・シェムのような人たちとの私的な会話で、国民社会主義をニーチェ起源と仄めかそうと試みたトゥーレ協会の会員を非難した。ヒトラー自身の言葉で、「わたしはこういうことを繰り返しはっきりと禁じてきた! すべてのくだらない『こと』が起こった。至祭だのヨルムンガルドだの、ドイツの先史から掘り返してきた、くだらないものが! それから彼らは十五歳の少年たちと一緒にニーチェを読んで、支離滅裂な引用句を使いながら、超人の図を描いて少年を言い含める――『これがお前だ……あるいは、これこそお前が成りつつあるものだ』と」。事実、ヒトラーの主な哲学的影響源は疑いなくショーペンハウアーであり、彼はその本を第一次世界大戦期の兵士として自ら研究したし、後に自称ショーペンハウアーの弟子なるディートリヒ・エッカートの下で再び研究を行った。アルフレート・ローゼンベルクは彼らの私的研究集団の日々を振り返る。「わたしがときどき彼に会いに朝訪ねると、彼は階段でわたしに会うや、その場でわたしに彼の最近の努力を語っていた……また、エッカートは彼の愛しのショーペンハウアーのまたもう一つの美しい一節に出くわしたのだろう、その場でわたしに読むよう言ってきた」。ヒトラーの他の大影響源はワーグナー(彼自身、偶然ではなしに、ショーペンハウアーの弟子)であり、彼は次のとおり言うほどであった。「国民社会主義を理解したい者は誰であれまずワーグナーを知るべきだ」。対照的にも、ニーチェのワーグナーとショーペンハウアーの両者についての意見は否定的であった。(「精神病の一種としてワーグナーとショーペンハウアーを見る無駄な努力が成されてきた。もっと科学的に、両者が代表するものを一種の退廃であるとすることで、計り知れぬほど本質的な洞察が得られるだろう」―フリードリヒ・ニーチェ)したがって、国民社会主義にとりニーチェ主義であることは不可能である。ニーチェ主義な政治的イデオロギーがあるとすれば、それはファシズムである。
ファシズムは内的には超人の概念とよく適合するし、ファシストがその政治的見解に加えてこの理念に魅了されることはありふれている。対照的にも(そしてシオニスト学会の主張にかかわらず)、国民社会主義は、一貫してアーリア人ミュトスに付き合うものであり、敵破壊者(アルハット……阿羅漢)の古代概念ともっと適合する。この二つの違いは、超人は(字義的には「人」の条件を「超える」ことでの)期待上の条件への前進であり、それをトランスヒューマニズムの精神的形態とするのに対して、敵破壊者は(字義的にはこの条件を腐敗させた「敵」を「破壊する」ことでの)本源的条件への復帰である。それゆえ前者は非アーリア人の無限増加の精神性に基づき、かたや後者はアーリア人の本来的高貴さの精神性に基づく。
「名声は勝ち取るべき何かである。名誉は失ってはならぬ何かである」―アルトゥル・ショーペンハウアー
ファシストは主な人間的二分法を主人と奴隷と見て、彼らは主人たらんと欲する。対照的にも、国民社会主義者は主人と奴隷を同じものの二つの側面であると考える。すなわち、野蛮人の二面であると。国民社会主義者は異なる人的二分法をみる――野蛮人と騎士だ。彼らは騎士たらんと欲する――虐げられる者みなの擁護者、虐げる者みなを破滅させる者。野蛮人は精神的奴隷であり、いかに強かろうと��人になってのける者はいない。なぜならば彼は高貴さ[1]を欠くからである。ただ騎士だけが真に自由[2]である。
「ニーチェのツァラトゥストラ。わたしはすぐに作品全体を吸収しようとしたが、何かわたしとは相容れないものが突っかかった。後で気づいたが、それは完全であるよちはむしろ頑迷であるように思われる、極度に病的な、芝居じみてすらいる要素であった」―アルフレート・ローゼンベルク
パリの判断
「組織は必要悪にすぎない。それはせいぜい一定の目的に達するための手段にすぎない。それが目的それ自体になるとき、最悪の事態が起こる」―アドルフ・ヒトラー
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神話学において、女神ヘーラーとアテーナー、アプロディーテーはパリの至上美の評言をめぐって争い、アプロディーテーが判定を受けた。ここでの要点はパリが間違った選択を行ったことではない。我々は政治的革命家としてすでにアプロディーテー――純粋に私的な性質の満足感を表象する――が間違った選択であったことを知っている。三者間コンテストの要点は、間違った選択肢が二つあることを我々に警告する。
「ここでは彼自身の名前でさえ正しいのがよく分かる。ユングいわくドイツ語の『フロイト』は快楽を意味する。そしてフロイトは彼の理論を性的快楽に集中した。『アドラー』はドイツ語では猛禽類であり、彼の心理学説はその基盤を権力本能に置いた。『ユング』は若さであり、この偉大な学者はその教えの中心に永遠の若さの船首を立てて、再誕を据えた。彼の家では銘板を読むことができる――『我々は若かった。我々は永遠の若さを象徴化する』彼はこれを知っていた」―ミゲル・セラノ
我々としてはファシズムを国民社会主義と混同する者はまさにヘーラー(パリの支配者を世界で最も強力な王国にする者)の贈り物とアテーナー(パリを戦いで不敗にする者)のそれの違いを理解しない者であると思う。月並みな解釈はそれを軍事的覇業の保証が政治的覇業の保証で時代後れになることと推論させるが、これは国民の生存をかけて戦う国民の兵士が存在することを決め込んでいる。国民は超越的目的のために戦うのでないかぎり生存する理由をもたないと理解することでしかアテーナーの贈り物は実際には意味をなさない。
明らかに、ヘーラーの贈り物とアテーナーの贈り物は異なる種類の人々を魅了するだろう。我々はこの分裂がファシストと国民社会主義者の分裂に対して見事に相関すると予想する。偶然にも、アレースとヘーパイストス(ヘーラーの息子)が技術にかけてアテーナーと重なりながら高貴な性格の完全に欠如していることは先に討論されたファシズムと国民社会主義の皮相的な類似と直接繋がっており、願わくはこの二つを混同することの大なる危険をさらに強調したいものである。
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選ぶべき第二の機会は近い将来に近づいているだろう。もしも我々が過ちを繰り返すならば、我々が第三の機会を得るまでどれほど待たねばならないか見当もつなかい。
原典
James Harting, “William Pierce on the Difference between National Socialism and Fascism,” National Vanguard, http://nationalvanguard.org/2015/06/dr-william-pierce-on-the-difference-between-national-socialism-and-fascism/ white biocentrism, http://whitebiocentrism.com/viewtopic.php?f=25&t=525
“National Socialism and Fascism,” Aryainism: United through Nobility, http://aryanism.net/politics/national-socialism-and-fascism/,
[1] http://aryanism.net/philosophy/what-is-nobility/
[2] http://aryanism.net/philosophy/what-is-freedom/
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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健康管理解決の四歩
Hans-Hermann Hoppe, A Four-Step Health-Care Solution, https://lewrockwell.com/2017/06/hans-hermann-hoppe/4-step-health-care-solution/
アメリカ合衆国のヘルスケア制度がめちゃくちゃなのは事実だが、これが証明するのは市場ではなく政府の失敗である。利己的な政治家は問題を解決するのには政府の規制と官僚制を変える必要はないだの強化する必要があるだのと信じさせたがるが、必要なのは政府の既存統制の全廃である。
ヘルスケア改革に真剣に取り組むときが来た。タックス・クレジット(税額控除)、バウチャー(利用券)、民営化は、システムを分権化しビジネスから不要な負担を除去するのに大いに役立つだろう。しかしまた、四つの更なる歩みを進めなければならない。
ただこれらの四歩だけが、劇的ながら、医療支給の完全自由市場を復古するだろう。これらが採用されるまで、この産業は深刻な問題を抱え続けるだろう。ひいては、我々消費者も。
1       医療学校と病院、薬局、医師、その他ヘルスケア人事についての認可要件を全廃せよ。市場においては、その供給がほぼ即座に増加し、価格は低下し、大なる多様性のヘルスケア・サービスが発生するだろう。 競争する自発的な資格認可機関が強制的政府認可の場所に収まるだろう――もしもヘルスケア支給者が、そのような資格認定で彼ら自身の評判が上がるだろうと信じ、彼らの消費者が評判を気にし、そのために支払うのも本意であるならば。 消費者はもはや、そのようなものをヘルスケアの「国民的標準」と信じるよう欺かれていないだろうから、彼らは研究費用を上げ、もっと差別的なヘルスケア選択を行うだろう。
2       医薬製品と医療機器についての政府規制を全廃せよ。これはアメリカ食品医薬品局はもう要らないを意味する。現在、この局が発明を妨げ費用を増加させている。〔その全廃により〕市場において、費用と価格が低下し、もっと良い生産物のもっと広い多様性が速やかに達せられるだろう。市場は消費者に対し、――政府ではなく――彼ら自身のリスク査定に応じて行為するよう強いる。競争する医薬品と機器の製造者と販売者は、消費者を魅了するためと同じだけ製造物責任訴訟から身を守るため、ますます良い製品記述と品質保証を提供するだろう。
3       健康保険産業を脱規制化せよ。私企業が保険を提供できる出来事とは、被保険者が結果に支配力を及ぼさない出来事である。たとえば、自殺や破産に保険をかけることはできない。それらの出来事は彼らの手中にあるからだ。人の健康、あるいはその欠如が、まずます彼自身の支配下に納まるならば、健康リスクのほぼすべてではなくとも多くが実際には保険不可能である。個人がその可能性に対し体系的に影響力を及ぼせるリスクについての「保険」は一身上の責任の内に収まる。そのうえ、すべての保��は個人的リスクのプーリングに携わる。これが含意するのは、保険業者は一方の人々に多く支払い、他方に少なく支払うことである。しかし、誰が「勝つ」か誰が「負ける」か予め確実に知ることはできない。「勝ち手」と「負け手」はランダムに分布し、その結果としての所得再分配は非体系的である。もしも「勝ち手」や「負け手」が体系的に予言できるならば、保険費用を下げるため、「負け手」は「勝ち手」とではなく「負け手」とリスクをプールするのを望むだろう。費用を下げるため、たとえば、わたしは自分の個人的な事故リスクをフットボール選手ではなく、私自身に似た状況の人々としかプールしたくない。健康保険業者の拒否権――いかなる個人的リスクにせよ保険不可能であると排除する権利――への法規制のせいで、現在の健康保険制度は保険には部分的にしか関心をもたない。この産業は異集団リスクを自由に差別することができない。結果として、健康保険業者は多数の保険不可能なリスクを正真正銘の保険リスクとともに填補しプールする。彼らは有意に異なる保険リスクを負った多様な集団を差別しない。かくて、この産業は所得再分配のシステムを営んでいる――責任ある諸個人と低リスクな集団の義性で、無責任な行為者と高リスクな集団を、利しながらである。したがって、産業の価格は高く、膨らんでいる。この産業を脱規制化するとは、そこに無規制な契約自由を復古することである。すなわち、健康保険業者はリスクを包括するか排除するため、そしていかなる諸個人の集団をも差別するための、とにかくどんな契約を提供��てもいい。保険不可能なリスクは填補を失い、残った填補のための保険政策の多様性が増し、価格差は真正の保険リスクを反映するだろう。平均すれば、価格は劇的に下がるだろう。そしてこの改革はヘルスケアの個人的責任を復古するだろう。
4       病人や非健康者への助成金を全廃せよ。助成金は何であれ助成されるものを増やす。我々は、そのような助成金を全廃するならば、健康な生活を送り生活のために働く意思を強めるだろう。それは第一に、メディケアとヘルスケアの廃止を意味する。
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weeklyliberty-blog · 8 years ago
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なぜミロウスキーはネオリベラリズムとオーストリア学派のことを間違えているのか
Philipp Bagus “Why Mirowski Is Wrong About Neoliberlaism and the Austrian School,” idem, 12/18/2015, [https://mises.org/library/why-mirowski-wrong-about-neoliberalism-and-austrian-school]
自然科学の方法を採用しているかどで新古典派経済学を批判した本『光より熱い―社会物理学としての経済学、自然の経済学としての物理学』で知られるフィリップ・ミロウスキーは近頃、金融危機時のネオ自由主義と経済学業界についての本を出版した。『深刻な危機を無駄にするな―新自由主義は金融危機をいかに生き延びたか』での彼の主なテーゼは、経済学業界は金融危機の予言と説明に完全に失敗したことである。にもかかわらず、主流派経済学者はいかなる否定的帰結も蒙らずに、相変わらず仕事を続けている。
ミロウスキーの見解では、新古典派経済学とネオ自由主義、政治的右翼は、モンペルラン協会による精妙なプロパガンダの努力と交錯したロビーイングの機構のおかげで、危機を抜け出してもっと強くなった。ミロウスキーによれば、モンペルラン協会は政治を支配する保守派と自由市場派のシンクタンクとネオ自由主義学界の複雑な網の核心として機能する。
ミロウスキーの分析は極左平等主義の見地から来ているとはいえ興味深い。特にしっくりくるのは彼の新古典派経済学の分析と批判である。この書評論文は三部で構成される。第一に、私はミロウスキーが正しいところの論点にコメントする。第二に、私はオーストリア経済学(とリバタリアニズム)と新古典派経済学(とネオ自由主義)の明瞭な違いに関するミロウスキーの根本的な間違いを議論する。最後に、私はミロウスキーら典型的な社会主義者が市場経済に関して抱いている神話と誤りに応答する。
主流派経済学職の嘆かわしい状況
新古典派の主流派業界は景気大後退を予言できなかった。新古典派経済学者は、中央銀行が厳しい後退を基本的には消滅させたというマクロ経済安定の新時代、大沈静(Great Moderation)を信じていたから、二〇〇八年に経験され始めた金融システムと世界経済の大問題に不意打ちを食らった。
ミロウスキーはこの失敗を方法論的な袋小路の結果と説明する。新古典派業界はその恥ずべき動学的確率的均衡モデル(DSGE)のような方法論的道具立てでは大後退を予言できなかった。DSGEには基本的に危機の余地がないから、新古典派経済学者は金融危機を予言できないばかりか、振り返って説明することもできない。
ミロウスキーは新古典派陣営の認知的不協和を診断する。新古典派理論は金融危機を説明できない。容認理論と現実の間に溝がある。この溝を架け橋するために、新古典派は経験的証拠を彼らの理論にどうにか合わせようと調整(歪曲)するよう反応する。主流派の経済学はパラダイムの変化が必要だと認知する代わりに、経済学業界は意固地になって数理モデルに固執するのである。
ミロウスキーは主流派の正説の惰性を正確に記述する。新古典派経済学への知的資本投資のサンクコストは膨大だ。業界は志もビジョンもないままよろよろ歩き、凡庸に停滞する。思想教化が正説をプロパガンダする。学生は諸理論の支離滅裂な雑録を使って経済学の教科書と仲良くする。彼らは主流派方法論を使う高名なジャーナルに掲載された短命な記事を読まされる。この文脈で、ミロウスキーはジャーナル一般が数理的統計的記事に好意的な方法論と経済史の記事の掲載をやめたという事実を指摘する。ミロウスキーはいみじくも数理化を自然科学者の経済学への合併と結びつけ、この発達を金融危機の理由の一つとみなす。
方法論的批判
ミロウスキーは経済学者が物理科学に嫉妬していると論じながら新古典派の方法論を批判する。この嫉妬のせいで、経済学者は物理学の方法とモデルを模倣し始めた。新古典派経済学者が危機を予見できなかったのは物理学で使われる数理的アプローチのせいだった。ミロウスキーの批判は左翼新古典派経済学者に対しても萎縮しなかった。彼は彼自身のアプローチを一貫させて、グリーンスパンとバーナンキのみならず、スティグリッツとクルーグマンをも窘めた。彼らにはイデオロギッシュな違いがあるけれども、彼らはみな、代表的エージェントが効用関数を最大化するDSGEモデルを利用する。[1]ミロウスキーによると、ミクロ経済学がケインズ革命のせいでマクロ経済学と分離した後再び経済学の統一を許したのはDSGEモデルだった。DSGEモデルは効用最大化エージェントと高度の集計を導入することでミクロ経済学の数理的アプローチをマクロの領域で利用させてくれる。ミロウスキーはDSGEなしでは新古典派経済学は消滅すると言うところまでいく。
ミロウスキーは経済学のやり直しと新古典派パラダイムの終わりを求めるが、代案を差し出しかねており、オーストリア学派の行為学的アプローチに気づいていないようだ。ミロウスキーが求める現実主義的代案はすでに存在している。彼はまた、オーストリア経済学者がその現実主義アプローチのおかげで彼らの予言済みの金融危機にちっとも驚かなかったことも知らない。残念ながら、ミロウスキーのハイエク解釈と、当代オーストリア学徒の無視はいわずもがな、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとマレー・ロスバードの作品への完全な無知を見るにつけ、彼のオーストリア学派への無知は計り知れない。
金融業界と学界の不吉な結合
ミロウスキーは記入業界と学界のコネクションを記述するときが最高潮だった。彼は、元ハーバード大学学長にして数年間オバマのチーフアドバイザーだったローレンス・サマーズのような著名な主流派経済学者を大金融会社が雇ったことの証拠文書を提出する。サマーズは二〇〇九年に純資産1700万~3900万ドルを申告しました。彼は会議の演説一回でゴールドマン・サックスから13万5千ドルを受け取ったほか、他の金融会社からも膨大な後援者謝礼を得ている。
他にも金融業界でうまい仕事を請けた大物の主流派経済学者でいる。有名な新古典派経済学者マーティン・フェルドシュタインは二十年間AIGの監査役会に所属することで、彼らの破滅的な事業も出るに直接関与していた。失敗企業の政策決定に一層責任があったのはAIGに利用された金融モデル担当のエール経済学者ゲイリー・ゴートンである。MITの金融経済学教授アンドリュー・ローは金融業界のために量的モデルを開発したもう一人の新古典派経済学者の例として引用される。奇妙なことに、彼らの欠陥持ちの理論に基づいて危険な金融慣行が発達していた際に新古典派経済学者が関与していたにもかかわらず、彼らの名声は着手をされていない。失敗したAIGのモデルに責任を負う主要人物ゴートンは『二〇〇七年のパニック』の説明で有名にさえなっており、『見えざる手のビンタ』という題名の本を出版し��。
ミロウスキーに示されたとおり、金融業界の台頭と平行して、大学教授全体を占める経済学者の割合が増加した。ミロウスキーは学界市場が占拠されたと示唆する。経済学者は金融業買いの特権を指示する理論の開発と引き換えに金を払われる。残念ながら、著者は金融業会を自由市場の部分であると描写し続けて、かかる部門が民間ではなく半官であることに気づき損ねている。
ミロウスキーは金融経済学の出版物の大部分が直接間接に連邦準備(FED)にスポンサーされていると示すローレンス・ホワイトの重要な作品を引用しながら実にうまく金融業界と学界のコネクションを記述する。金融経済学者の四十パーセントがFEDに雇用されている。FEDからの助成金を受け取っていない正統派金融経済学者はほとんどいないようだ。加えて、FEDが雇用する経済学者はDSGEモデルを開発した。経済学者の業界は財政的に攻略されたのである。
ミロウスキーは巧みに主流派経済学業界と金融部門の制度的連結を示す。あいにく、ミロウスキーは経済学業界と政府のコネクションを調査する際には体系的ではなかった。たとえば、彼はバーナンキが公共部門で、すなわち中央銀行の総裁として職を得た学界人の好例であるとは指摘しない。ミロウスキーはサマーズの事例でのコネクションに言及するが、金融業界に特権を創造し、この特権を正当化する経済学者にどっさり支払っているが政府であることには気づき損ねる。
新古典正統派と金融業界の私事的な連結を描写したあとは、主流派の惰性と、かくのとおり欠陥理論を維持するインセンティブ、パラダイムの変化に対する抵抗が、さもともらしくなる。けれども、ミロウスキーは枢要な一面で間違える。彼は金融制度が規制なき自由市場秩序を正当化するために学界を買収することに成功したと示唆するのである。ミロウスキーは金融業界が経済の最も規制された部門の一つであることに気づいていない。ミロウスキーが金融市場を束縛なき自由市場の好例と考えていることには度肝を抜かせられる。彼は、金融市場が自由市場より中央計画に近いと気づくことなく、金融市場が失敗したと記す。明示的暗黙的な財政援助保証と、部分準備銀行の合法化のような法的特権、最後の頼みに法定不換紙幣を発行する金貸しは、金融業界の地位を私ではなく、むしろ公共にする。
ミロウスキーの解釈のこの誤りにもかかわらず、彼が指摘する政府と金融部門、学界のコネクションは非常に役に立つ。かかるコネクションは主流派学界と(半官銀行部門含む)政府の間に共通する利害関心を示しており、ゴールドマン・サックスと財務省の間の回転ドアを説明する。それらはまた、ミロウスキーがニューヨークの部分準備銀行の総裁ウィリアム・ダドリーの話をするとき適切に批判するとおりの「富者のための社会主義」を説明する。ダドリーは納税者の金でAIGとゼネラル・エレクトリックに財政援助しながら個人的にも投資していた。[2]
この点でのミロウスキーの主な失敗は政府と金融業界に共通の利害関心を軽視している。金融業界と政府は、主流派の部分準備銀行と法定不換紙幣の見解、デフレーション、金融政策の見解や、安定的金融システムには最後の頼みで法定紙幣を発行する金貸しが必要だとする学説で、彼らの存在を正当化し、彼らの特権を擁護する理論から利益を得ている。学界は金になるこれらの理論に報酬を与える。干渉主義を正当化する誤った理論の惰性は政府活動のせいであり、何よりも関わっているのは教育システムとメディア、金融システムへの政府の干渉のせいである。
コック兄弟の残念な役割
ミロウスキー申し立ての、事業による政治の征服に抗して、彼の十字軍はコック兄弟の名を挙げる。億万長者コック兄弟は自由市場の主張を支持するために金を寄付する。どういうわけか、ミロウスキーはこの行動が気に障る。しかし、世の中をよくするための理念への支持に、なぜ自分の金を使ってはならないんだ? なぜ、政府賛成の理念を支持するために、政府が他人の金を使う方が良いんだろうか? どうやら、ミロウスキー自身も彼が価値ありとみた理念を促進するための本に彼の時間と資源を使っているようだが。
興味深いことに、ミロウスキーはコックの活動を批判するとき一人っきりではない。コック兄弟が用いた戦略は幾人かのオーストリア経済学者にも攻撃されており、この世界はミロウスキーが考えているより複雑であると示している。マレー・ロスバードはコック兄弟が好んだ漸進主義戦略と彼らのリバタリアン原理に対する裏切りのせいでコック財源のケイトー研究所およびコクトパス一般と仲違いした。コック兄弟は、ロスバードによれば、政治的影響力を得るために原理を妥協したのである。[3]
根本的混同
ミロウスキーの主な問題はオーストリア学派とリバタリアニズムに達したときの彼の混乱である。ミロウスキーはほとんどの新古典派経済学者を(スティルチックやクルーグマンのような幾人かの左翼を例外に)ネオ自由主義者と見なす。彼は暗黙裡にオーストリア学派をネオ自由主義陣営に編入する。[4]彼は「ハイエキアン新自由主義者」のことさえ記している。[5]けれども、オーストリア学徒は新古典派ではないし、オーストリア学徒の多くはネオ自由主義と見なすことができない。[6]
ミロウスキーが彼の本のところどころでネオ自由主義対リバタリアン、新古典派対オーストリア派を区別しているのは確かだが、彼は自分の区別を整合的に適用しはしない。この整合性の欠如が奇妙な結果を生む。
たとえば、彼はシカゴ学派の効率的市場仮説(EMH)がハイエクの知識論を形式化していると論じた。これはハイエクらオーストリア学徒が新古典派経済学者の方法を共有しており、同じネオ自由主義陣営に所属するとでも仄めかしているようだ。[7]
これ以上に真相から程遠いものはありえない。ハイエクの主観的知識理論は知識を暗黙で主観的な分散したものと論じる。ハイエクの主観的知識の論じ方は情報の数理的な、または形式化された論じ方とは根本的に異なっている。もっと具体的に言えば、オーストリアの伝統での企業家的知識の創造的本性はEMHの客観的で所与なるタイプの情報とは対照的なものなのである。[8]
EMHは市場価格が関連情報をすべて組み込んでいるから効率的であると述べ、市場で売り買いできる客観的な種類の情報を仮定する。けれども重要なのはやはり客観的所与情報ではなく、むしろ動態的過程での企業家的新知識の主観的な解釈と創造なのである。過去の価格は市場参加者が新情報を創造するために尽くすだけの歴史的交換関係にすぎない。ハイエクによれば市場は我々が知る必要のある知識を転送する、と述べることでミロウスキーはハイエクを歪める。しかしそうではなく、ハイエクは市場価格が他の市場参加者の主観的知識を使わせてくれる、と指摘したのである。市場は我々が知る必要のある知識を自動的に転送したりはせず、むしろ市場参加者が彼ら自身の目的を達成するために必要なものを、彼ら自身が発見し創造する必要があるのである。
主観主義とハイエクの知識論をEMH、CAPM、ブラック‐ショールズ・モデルと混同するミロウスキーには追加的な問題がある。EMH、CAPM、ブラック‐ショールズ・モデルのような均衡構成物には主観的なものは何もない。これらのすべての数理モデルでは、すでにすべての関連情報が所与である。静的なのだ。ミロウスキーは競争的市場過程での企業家っが新情報を発見するというハイエクの趣旨を単純に見逃している。市場は過程だから、市場は決して完全ではない。[9]市場参加者は誤りを犯すかもしれないし、幻想の犠牲になるかもしれない。ミロウスキーの本全体がその好例である。
ミロウスキーがオーストリア学派とネオ自由主義の明瞭な区別に失敗したことのもう一つの奇妙な結果は、彼が構成主義を扱うときに現れる。ミロウスキーはネオ自由主義者を構成主義者と見なす。同時に、ミロウスキーはハイエクをネオ自由主義者のグループに振り込み(オーストリア学派全体のことはどうするのだろうか)、ハイエクの構成主義批判をネオ自由主義と和解させようと試みる。しかし二十世紀史上最も精力的に科学主義と構成主義に反対して戦ったハイエクが、どうして構成主義者になるのやら。
オーストリアとシカゴの学派の暗黙裡の混同は特に問題である。ミロウスキーはネオ自由主義者が自生的秩序の概念に賛同したと主張する。けれども、自生的秩序は主にハイエクらオーストリア学徒に利用した概念である。対照的にも、シカゴ学派のネオ自由主義者は分析的道具として均衡構成物を使用する。けれど、均衡分析はオーストリア学派の動態的市場過程分析とは根本的に真逆である。要するに、シカゴ学派のネオ自由主義者は自生的秩序の概念を一貫して使用してはいないのである。
マーク・スカウセンMark Skousen (2006) はシカゴ学派とオーストリア学派の溝を埋めようと試みた。しかしこの努力は不可能の請負である。両学派の主要で根本的な違いは彼らの方法論的なアプローチにある。ミーゼスの伝統におけるオーストリア学派は人間行為の公理から幾つかの一般的前提の助けでアプリオリ経済法則を論理的に導出する。彼らは実験して外界を調べるのではなく、真理を発見するために内観で内側を調べる。
対照的にも、ミルトン・フリードマンMilton Friedman (1953) に従うシカゴ学派の経済学者は実証主義方法論を利用する。オーストリア学徒は歴史を理解するためにはまず理論が必要であると主張するが、シカゴ学派の信奉者は、ときに軽量経済分析を適用しながら、歴史から経済法則を導出しようと試みる。オーストリア学派の伝統の学者は現実を人間の相互行為の動態的過程と見るが、シカゴ学徒は企業家精神と創造性が定義上欠如しており動態的市場過程が凍結した均衡モデルを利用する。オーストリア経済学者は経済学者の目的を、動態的市場過程を統治する法則の理解と説明と見なしているが、フリードマンの目的は正しい予言を行うことである。[10]オーストリア経済学者は市場過程の現実主義的説明を目指しているが、フリードマンにとって仮説の現実性はどうでもいい。理論の予言力だけが考慮される。
ミロウスキーは彼の本で、予言のモデル・ビルディングは破滅的な失敗だったと、多くのオーストリア学徒が共有する判断を述べながらフリードマンのアプローチを批判する。残念ながら、ミロウスキーはオーストリア方法論に言及するのを怠っており、「新自由主義」モンペルラン協会の多くのメンバーに擁護されたこの代案に気づいていないようだ。
ウィーンとシカゴの方法論的な違いに直接関連するのは競争に関する彼らの対照的な見解である。シカゴ学徒は現実を彼らの完全競争も出るに近づけるために独禁法を支持し考案する傾向があるが、オーストリア学徒は動態的市場過程に対する政府の独禁法の形での干渉に反対する。[11]
モデル・ビルディングと数理化に要求される高度な集計は両学派の資本に関する対照的な見解に直接関係する。資本、シカゴ・モデルではKの文字で表現されるものは、同時的かつ自動的に所得を生産する同質的で永久的な資金と見なされる。[12]資本は同質的資金であり、生産は即時的である、というこの見解は、シカゴ学派の数理化と形式化の直接の帰結である。
オーストリアの資本観は新古典派とは根本的に異なる。実際、シカゴとウィーンの間には資本の概念をめぐる激しい討論があった。フリードリヒ・ハイエクFriedrich Hayek (1936) とフリッツ・マハループFritz Machlup (1935) はフランク・ナイトを、同質的で自動的、自己維持的な資金としての資本の概念の無意味さのかどで批判した。オーストリアの時間消費的な過程としての資本論と生産観のおかげで、オーストリア経済学者は生産構造が実質貯蓄の裏付けなき信用拡張に誘発されて異時的に歪曲するという理論を発達させることができた。新古典派経済学者の方法論的アプローチでは発達させることのできない道具、必要な理論的道具が彼らには欠けているから、オーストリア景気循環理論は普通シカゴ学派には理解されない。
したがって、オーストリア学徒とシカゴ学徒の大恐慌(と大後退)の解釈は酷く異なっている。ミルトン・フリードマンとアンア・J・シュワーツMilton Friedman and Ana J. Schwartz (1963) に追随するシカゴ学派が主張するには、大恐慌の深刻さは連邦準備が犯した誤りのせいである。もっと正確に言えば、フリードマンとシュワーツによると、連邦準備が一九三〇年代前半に十分な速さでマネタリーベースを拡張しなかったせいである。シカゴの解釈に従って、ベン・バーナンキBen Bernanke (2002) はミルトン・フリードマンに、同じ過ちを繰り返さないと約束した。これが大後退での量的緩和の形での連邦準備の反応を説明する。
対照的にも、オーストリア景気循環理論は大恐慌を一九二〇年代の異常な信用拡張で説明する。[13]オーストリアの見解では、貨幣供給のリフレは、古い誤投資を人為的に安定化させ、追加的な誤投資を刺激するから、必要な再調整を歪曲する。オーストリア学徒は大恐慌の深刻さについて、スムート‐ホーリー関税法やニューディール一般のような一九三〇年代に導入された政府干渉はもちろん、一九二〇年代の信用拡張の規模とこれに伴う誤投資の規模で説明する。[14]
オーストリア経済学者は二〇〇〇年代早期の明白な価格安定性で盲目になってはいなかった。実際、ミーゼスMises (1949) とハイエクHayek (1925) はフィッシャーらマネタリストが喝采した一般的価格水準安定化の諸政策について警告を発していた。そのような政策は経済成長のとき異時的歪曲の元凶となる新通貨の継続的注入を要求する。オーストリア学徒はその景気循環理論のおかげで、シカゴ経済学者とは対照的にも、金融危機に驚かなかった。景気代交代に至る年月についても同じことが当てはまる。かくてミロウスキーの、経済学業界(全体)が金融危機を予想していなかった、という大雑把な言明はすっかり間違っている。新古典派経済学者がその方法論的アプローチのせいで二〇〇〇年代早期の進行中の信用拡張の問題を理解するのに必要な理論的道具を開発できなかったのは真実である。対照的に、オーストリア経済学者は道具を開発したのだった。
驚くことではないが、ミロウスキーが説明しないシカゴとウィーンの不同意の主な領域のもう一つは通貨政策にある。ほとんどのオーストリア学徒は中央銀行の廃止と百パーセント金本位制のような自由市場貨幣の導入に賛成する。[15]シカゴ学派経済学者は一般的には市場に貨幣供給を任せたがらず、法定不換紙幣を発行する中央銀行に賛成する。シカゴ学派の擁護者によって、貨幣の中央計画は問題ではなく、銀行部門の危機の解決とみなされる。
ミロウスキーはこれらの根本的な相違のすべてに触れない。彼は中央銀行をネオ自由主義制度と指摘するとき正しい。けれども、彼はまたアメリカのティーパーティーが基本的にはネオ自由主義集団であるとも主張する。本の後ろの方で、彼はロン・ポールが連邦準備を廃止したがっていると言及する。ミロウスキーはまたロン・ポールが自由銀行賛成派のハイエクの伝統に連なるとも言及する。しかしながら、ロン・ポールはティーパーティーに近しいとみなされる。読者は混乱したままだ。なぜネオ自由主義集団(ティーパーティー)の英雄(ロン・ポール)がネオ自由主義制度(連邦準備)を廃止したがるんだ?
我々はオーストリアとシカゴやネオ自由主義とリバタリアンを区別しないせいで引き起こされるもう一つの明白な矛盾に直面している。もしもミロウスキーがロン・ポールをオーストリア学派の信奉者であると説明していたら、彼が連邦準備に反対したことは読者を驚かせなかっただろう。しかしミロウスキーは単に、バーナンキがミルトン・フリードマンのネオ自由主義の立場の側に就いていることしか述べない。彼は、シカゴ学徒とオーストリア学徒が根本的な疑問で対角線的に反対し合っていることと、彼らのイデオロギーと方法論を近しいと考えるのが誤謬であることを、端的に理解し損ねているのである。
ミロウスキーの混同の起源
ミロウスキーの混同はどこから来たのか? なぜ彼はシカゴ学派とオーストリア学派に明瞭な違いを設けなかったのか?
この混同に寄与しただろうものは基本的には三つの理由である。
第一に、オーストリア学派とシカゴ学派は多くの自由市場理念を共有している。両学派のメンバーは一般的には価格統制と生産物規制、公教育サービスの支給に反対する。けれども、我々がすでに指摘したとおり、違いがある。シカゴ学派は中央銀行と独禁法を支持するが、オーストリア学派はしない。[16]ミロウスキーは、多くのオーストリア学徒が取るリバタリアンな立場を調べていたら、ほとんどのオーストリア学徒がシカゴのネオ自由主義的な立場とは遠く離れていることを認識していただろう。
第二に、ハイエクは一九五〇年にシカゴ大学の教授となった。けれども、ハイエクがシカゴに所属したことは彼がシカゴ学派の理念に親しかったことを含意しない。実は、ハイエクがシカゴの社会思想委員会で教授になったのは、彼の経済学科への指名にシカゴ経済学者が反対したからなのである。これはハイエクがシカゴ経済学者の実証主義アプローチに対して非常に批判的だったことから理解できる。
第三に、最もありそうな混同の原因は、オーストリア学徒とシカゴ学徒がしばしば一緒に集まっていたモンペルラン協会についてのミロウスキーの論じ方から生じている。[17]モンペルラン協会創立会を始めた一九四七年の初っ端から、オーストリア学派、オルド自由主義、シカゴ学派に代表される、三つの主な思想学派が存在した。[18]オーストリア学派からはミーゼスとハイエクが、オルド自由主義からはヴァルター・エオイケンとヴィルヘルム・レプケが、シカゴ学派からはジョージ・スティグラーとフランク・ナイト、ミルトン・フリードマンが来た。
シカゴ学派とオルド学派はネオ自由主義に分類されることができる。彼らは社会主義には反対するが、マンチェスター主義にも反対する。すなわち、彼らは古典的自由主義のレッセフェール・アプローチに反対するのである。[19]主としてドイツ語圏に集まったオルド自由主義者とシカゴ学派はどちらも、市場の枠組みを設定し経済生活を一定の方向に指導するための強い国家を好む。彼らはまた同じ社会保障を国家に提供させたがる。
モンペルラン協会でのオーストリア学徒とネオ自由主義者の緊張はその始まりも始まりから生じていた。ミーゼスが一九五〇年代に記したとおり、「私はモンペルラン協会でオルド干渉主義者と協調できるか、いよいよ疑わしいと思うようになりました」。[20]
実際、オーストリア学派の見地から振り返ってみると、モンペルラン協会内でのシカゴ学派と他のネオ自由主義者の同盟に資金を出すのは戦略的な誤りだったと見なされていい。オーストリア学徒とネオ自由主義者がモンペルラン協会で団結したせいで、ミロウスキーのような著者はネオ自由主義とリバタリアニズムを、そしてシカゴとオーストリアの立場を、混同する傾向がある。オーストリア学徒は、ネオ自由主義者を同じ大義の友と取り成すのではなく、敵の敵と、つまり、一人前の社会主義と見なすことでもっとよくやれていたかもしれない。オーストリア学徒は、シカゴ派などのネオ自由主義者を排除しながら自分たちが優勢なモンペルラン協会で、その方法論的でイデオロギッシュな違いをもっとはっきりとさせることができただろう。ミロウスキーの経済学業界それ自体や自由主義への攻撃のほとんどは信頼性を失っていただろう。そしたら、ミロウスキーはシカゴ学派とネオ自由主義のみへの直接批判を行っていたことだろう。
追加的な誤り
ときどき、ミロウスキーは粗雑な反資本主義プロパガンダに陥る。たとえば、彼はフェイスブックを邪悪の縮図とみなす。どういうわけか、人々はネオ自由主義によって皮相的な自己マーケティングへと唆される。デジタルの時代はすべてのものが、自分さえもが市場である。そうして、人々は本当のアイデンティティーを失う。市場の必要に応じて新技術が獲得されるから、すべてのものが曲がりやすくなるミロウスキーにとって、人々は曲がりやすいネオ自由主義の企業家的アイデンティティーを構成するように強いられおり、彼はこれを本当のパーソナリティーの終わりと考えている。
誰もファースブックのサービスを使うよう強いられてはいないと言えば十分だ。彼らの使用は完全に自発的である。人間関係がもっと皮相的になるだの、深い友人関係や家族関係が衰退するだの、精神的で非報酬的な活動の時間がないだのと、文化的発達を残念がるかもしれない。これらの発達を助長したのは資本主義ではなく、法定不換紙幣に融資された福祉国家の拡張のせいである。福祉国家は市民社会の責任を引き受けることで伝統的紐帯、すなわち深い友人関係や家族関係を弱める。法定不換紙幣とそれに伴う負債文化は我々の生活をもっと早く、我々のストレスをもっと強く、我々をもっと依存的にする。高い負債は金稼ぎ活動に焦点をあてることになるのである。
そのうえ、ミロウスキーはパーソナリティーを発達させてくれるのが自由市場と私有財産であることを忘れる。私有財産は身体の拡張に等しく、パーソナリティーを具体化する。著者はペンを、サッカー・プレイヤーは靴を、医者は器具を、音楽家はバイオリンを所有する。私有財産が我々のパーソナリティーを我々に発達させてくれる。私有財産がなければパーソナリティーを発達し強化することができる者はいない。私有財産が人々に成長と変化のチャンスを与えるのである。市場はパーソナリティーを発達させるための多くの機会を提供する。それらは人々をもっと柔軟にさせて、新技術を獲得させてくれるのだが、それは彼らの自発的な選択なのである。
ミロウスキーはまた、子供のお誕生日会のためにアニメーターを雇うだの、家族の支出と所得を均質化するのを助けるアドバイザーだの、栄養士だのと、彼が奇妙なニーズとみなすものを市場が満足させてしまうことをも批判する。
多くの人々は、多数派のニーズだけでなく少数派のニーズをも満足させる可能性を、市場経済の偉大な特色にして利点であるとみなすだろう。市場経済は多数派が奇妙と思うようなニーズを差別しない。財産権を犯さない他人のニーズまで判断しているが、ミロウスキーは何様のつもりだ? それにミロウスキー自身はどうなのやら。古い反資本主義プロパガンダに新しい衣を着せることで、自由で自発的な交換の理念を潰そうとする大衆迎合的な本を書くのは奇妙ではないのか? 政府の干渉を、すなわち私有財産権の侵害を提唱してから、本を売るために市場を使おうとする誰かさんは、本当に奇妙ではないとでも? 市場のおかげで、諸個人は実際に彼の本を買い、自由に対する彼らの偏見を満足させることができるのである。
ミロウスキーは読者にもう一つの誤謬を差し出しつつ、市場はモンペルラン協会と関連制度を通してそれをロビーイングするプレイヤー数人の自己利益のものであると論じる。彼は市場が強要的でないと考えるのは不条理とも思い至り、市場過程には敗者がいると記す。彼が気づき損ねたことはこうだ。私有財産に基づく自発的交換、つまり自由市場は定義からして市場参加者全員の自己利益のものである、というのも彼らはそのような交換から事前に利益を期待するからだ。自発的交換はウィン・ウィン・シチュエーションである。損失が実現するのは自発的交換の事後でしかない。
ミロウスキーはまたマーケティングが消費者を操る、操作するという学説の信奉者でもある。彼にとっては、消費者が生産物を欲求するのは幻想でしかない。この幻想は自己利益的な企業の広告キャンペーンで人為的に消費者に押し付けられている。もちろん、マーケティングは消費者が生産物を買うように影響を及ぼして納得させようと試みる。マーケティングはときに成功し、ときに失敗する。
消費者は、できない約束をした生産物を試したら、もうそれを試さないだろう。市場は実験を許す。消費者ニーズを適切な価格で満足させない生産物は市場から追い出され、広告に支払うための収入を生み出さないだろう。したがって、長期的には良い生産物だけが広告される。申し立て上の幻想に関するかぎり、我々はつねに、「洗脳」の産物としての欲望を退けて差し支えない。[21]しかしその証拠はありえない。人々が自発的に自分に知識を与えて、生産物を実験し、比較しているという証拠を認めないんだ? なぜ人々がマーケティングの影響力に抵抗できることを認めないんだ? それでは、ミロウスキー自身の意見が洗脳の結果であって、社会主義プロパガンダによって彼の頭に植え付けられた幻想を表しており、彼の本全体が無価値であると、少なくとも同じ重みで主張できないのだろうか? 最後に、ミロウスキー自身は暗示的言語と反資本主義プロパガンダで自分を操っていないのか?
ミロウスキーは自由を民主的参加とみなし、市場を人民支配の実体とみなす。彼にとって、ハイエクらネオ自由主義者たちはフューラーの全体主義を、真の民主的権利なき市場の企業家の全体主義に置き換えた。ミロウスキーが犯した概念的歪曲はほとんど滑稽である。自由とは私有財産権侵犯の欠如だ。他人の財産権の使用法への投票、つまり民主的参加とは自由の対極である。市場とは人民をどうにかして支配する実体ではない。自発的に相互行為し交換する人間が市場の結末を決定する。企業家は消費者に何も押し付けない。彼らは将来消費者のニーズを予期しようとする。���る意味、彼らは将来消費者の願いを代理しているのである。
ネオ自由主義の三つの矛盾
ミロウスキーはネオ自由主義の三つの矛盾を発見したと主張する。
第一に、彼はモンペルラン協会会員が自由主義社会に賛成を論じたが、MPS自体は閉鎖的秘密結社であると論じる。社会主義者を会員に認めず、討論は公共には閉ざされている、と。ミロウスキーは私有財産の概念を理解し損ねているようだ。私有財産は排除を許容するものであり、排除がその目的である。ミロウスキーが自宅への余所者の入場を否定でき、社会主義者な友達を夕食会に招待でき、討論できるのと同様に、他の人々も彼らが自発的に決定した規則をもつ協会を創設し、この協会で理念を討議し、これらの理念を後に公共で擁護していい。私有財産の理念を擁護し私有財産権を行使する協会に矛盾はない。
第二に、ミロウスキーはMPSのような計画的に創造された協会が同時に「自生的秩序」を擁護できることを理解しない。さて、市場が優れているのならば、なぜ市場(社会の創造)への「干渉」のようなものが必要だろうか。ここで、市場過程の自生的秩序の内部に特定の企業や協会のような小さい計画的秩序があっていいことがミロウスキーには分からない。モンペルラン協会は自由を擁護し政府の市場への干渉と戦う市場秩序内の私的組織である。矛盾はない。
第三に、ミロウスキーは美徳としての無知を擁護するモンペルラン協会が合理主義者の協会であると主張する。ミロウスキーによると、ハイエクは社会にとって良くて大衆が知らないことを市場が最善に知っていると考える。このハイエク解釈もまたもう一つの歪曲だ。ハイエクは市場で自生的に進化する制度に埋め込まれた大量の情報を理解することは不可能だからこれらの制度を計画的に改良することは不可能だと論じたのである。ミロウスキーは実践的知識と理論的知識を区別し損ねる。市場参加者各自の実践的知識は中央化できず、社会を改良したがる一人の者が知ることはできない。けれども市場過程の働きの理論的知識はアクセス可能であり把握できる。人は社会に存在する大量の実践的知識には無知で、中央計画で社会を改良することはできないが、国家干渉に対する市場経済の優位についての理論的知識を導出し擁護することはできる。またもミロウスキーはない矛盾をあると言う。
ときおりミロウスキーは藁人形を叩く。たとえば、彼はネオ自由主義者が「企業は悪事を何も働かない」と考えていると記す。ここで彼はシカゴとオーストリアの両方の立場を歪曲する。シカゴ学派はアンチトラスト立法に署名する。企業は合併して市場支配的地位を獲得し、消費者を搾取するかもしれない。なのでシカゴ学派はこれらの合併企業が何か悪事を働くから規制されなければならないと考える。オーストリア学徒とシカゴ学派経済学者はまたコーポラティズムを批判する。企業は特権や公序を得ようとしながら政府に影響を及ぼすことでの利潤を求める。
また、ミロウスキーはシカゴ学派の見かけ上の市場解決愛についても混乱している。彼は、ネオ自由主義者が市場問題に「教育バウチャー」やCO2排出許可の形での「市場解決」を提案していると論じる。けれども、オーストリア学派の見地では教育バウチャーは市場解決とは何も関わりがない。バウチャー・プログラムでは税収が再分配され、親は政府に選別された適任の学校にバウチャーを支払うことができる。例えるなら、所得税を増税して、政府承認の装置に支出できる「技術バウチャー」を人々に与えるための受領書を使うことであろう。どうやら、政府はまず人々から金を奪って、それから政府が望むところへと人々に金を使わせているようだ。自由市場では何かがまったく違っている。自由市場では所得が費やされるところは政府が決定せず、人々自身が決定する。同じことが教育にも当てはまる。自由市場は消費者が需要する教育を提供する。ミロウスキーが望む教育を万人が受けないからといって、これを「市場問題」と称するのは恣意的であり、問題である。
何か似たことがCO2排出許可にも当てはまる。同定可能な犯人による私有財産権への違反がないかぎり、問題はない。地震による破壊のような、同定可能な犯人なしでの私有財産権の破壊は神さまの業や自然の業と考えなければならない。同定可能な犯人がいるとき、犯人を告発できる。もしも彼は有罪とされるならば、彼は彼の活動をやめ、生じた被害に保障を支払うよう強いられる。市場、もっと具体的に言えば、司法制度は、そのような問題を扱う。政府の排出許可は中央計画の一形態であり、最適汚染量が中央的に決定される。同じように、政府はアルコール消費を規制でき、それから人々の交換を許すアルコール許可を発行する。アルコール許可を「市場解決」と呼ぶのはミスリーディングだ。
結論
ミロウスキーは市場経済についての擁護不可能な主張を擁護し、標準的な反資本主義プロパガンダを提出したが、そうだとしても、彼は新古典派経済学についての正当な批判を提出した。彼はいみじくも、新古典派経済学者にとっては完全な驚きとして金融危機が生じたことと、新古典派経済学者が彼らの標準的な理論的道具ではかの危機を説明できないことを指摘する。
著者はまた、かかる業界の深刻な方法論的欠陥と、かの危機を予言し説明することの失敗についての業界の否認をも指摘する。ミロウスキーは業界の知的破産を証言し、経済学のパラダイム変化に賛成を論じる。あいにく彼は、そのような代替的パラダイム、現実的で、金融危機を説明するものが、すでに存在することを知らないか、これに言及しない。これぞオーストリア経済学派である。
彼は数名のオーストリア学徒に言及するが、オーストリア経済学を新古典派経済学から分離し損ねる。また、彼はリバタリアンと古典的自由主義者をネオ自由主義者から正確に分離することもしない。この失敗の理由の一つは、オーストリア学徒とシカゴ学派メンバーが、彼らの違いにかまわず、モンペルラン協会で団結していることかもしれない。このせいでミロウスキーは両学派を混同し、少数派のオーストリア派の立場を無視する。この印象の下では、オーストリア学徒がシカゴ学派と一緒の協会を作ったのは戦略的な誤りだったと思われる。
参考文献
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Free Banking in Britain: Theory, Experience and Debate 1800-
[1] ミロウスキーが指摘するとおり、あらゆる中央銀行がDSGEモデルを使用する。
[2] ゼネラル・エレクトリックは暫定流動性保証プログラムの下で発行を許された。この連邦預金保険公社のプログラムへの参加によって、この企業は究極的には納税者に裏付けされる政府保証を享受させてもらっていた。
[3] Gordon (2011) を見よ。
[4] たとえば、ミロウスキーはネオ自由主義イデオロギーを金融危機の原因とみなしたから、かかる危機はネオ自由主義の敗北を象徴した。彼はかくて、エオ自由主義のこの明白な失敗にもかかわらず、どうしてハイエクとランドの本の売り上げが高まったのか訝しむ。彼は、金融危機は市場が機能しないことの明瞭な証明であると考える。この謎についての彼の説明は、陰謀的なモンペルラン協会に率いられたネオ自由主義プロパガンダが投票者に市場の邪悪さの理解を許さなかった、というものだ。ミロウスキーは金融危機の原因が金融市場の干渉主義であることと、ハイエクとランドが干渉主義の批判家であることに、気づき損ねている。彼らの人気が高まったのも道理である。そのうえ、これらの著者たちは新古典派経済学者ではない。ミロウスキーが信じさせようとしているような不調和は端的に存在しない。
[5] ミロウスキーは或るときは、アナルコ資本主義とネオ自由主義が対角線的に対立していると認める。しかしながら、アナルコ資本主義者や古典的自由主義者がモンペルラン協会の会員であるにもかかわらず、彼はかの協会をネオ自由主義機関と考える。
[6] フルスマンHülsmann (2007, p. 869) はハイエクがネオ自由主義者であったと論じる。しかしこの査定は討論の余地がある(ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto 2012, p. 477を見よ)。実際、「ハイエクは一九八一年にチリ訪問中のインタビューで、彼はネオ自由主義者ではなかったし、彼は古典的自由主義の公準を改善するのは本意だが根本的に変更するのは本意ではなかったと、曖昧さなく述べた(El Mercurio April 18, 1981)」(Boas and Gans-Morse 2009, fn. 21)。
ハイエクがマンチェスター主義や完全レッセフェールに署名しなかったのは事実である。しかし、たとえ我々がハイエクをネオ自由主義者と受け取っても、やはりオーストリア学派を信奉しつつも同時に古典的自由主義(やアナルコ資本主義)の頑強な擁護者たり続ける多くのモンペルラン協会会員がいたし、いる。創設会議のミーゼスとハイエクは、ミロウスキーが致命的にも無視するこの範疇に入る。
[7] 「あらゆる党派の社会主義者」に捧げられたハイエクの『隷属への道』を偲ばせながら、ミロウスキーは彼の本を「あらゆる党派のネオ自由主義者」に捧げる。この類比は完全には一致しない。ハイエクのあらゆる党派の社会主義者は国家主義の支持にかけて或る程度異なっている。或る党は他より国家主義を支持するが、いずれの党派も支持するのである。対照的にも、ミロウスキーは少なくともときどきネオ自由主義者にオーストロ=リバタリアンを含めるから、彼のネオ自由主義の範疇内の部類には違いがある。実際、ほとんどの「ネオ自由主義者」はロスバード派の見地では社会主義者とみなすことができる。対照的にも、オーストリア学派のアナルコ資本主義追随者はあらゆる国家活動に対して完全に反対する。
[8] オーストリアの見地からのEMH批判のために、ホーデンHowden (2009) を見よ。
[9] ハイエクHayek (1945; 2002) を見よ。
[10] ミロウスキー自身の認識論的な立場は不明瞭である。彼は普遍的経済法則が存在しないことを信じているようだ。実際、政治的左翼は時間が変える事柄(経済法則)を討論で強調すべきと彼は述べる。
[11] アルメンターノArmentano (1990) を見よ。
[12] ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto (2009, pp. 517–18) を見よ。
[13] ロスバードRothbard (2000a) を見よ。
[14] ロスバードRothbard (2002) を見よ。この記事でロスバードはオーストリア学派の感知からフリードマンの見解を攻撃する。
[15] たとえばロスバードRothbard (2000b) を見よ。奇妙にも、ミロウスキーが例示するには、大恐慌に応じた政策はオーストリア派の洞察に基づいていたが、リフレーションと干渉主義は正確にはオーストリア派の洞察ではない。彼はまた、ミーゼスとハイエク含むモンペルラン協会創立集団がケインズとルーズベルト、およびオスカー・ランゲとヤコプ・マルシャックのような市場社会主義者に負けたと主張する。ケインズの政策処方がルーズベルトやどこそこで従われたのは事実である。しかしオーストリア学徒が理論てこ討論で負けたと示唆するのは間違っている。社会主義計算論争について、ウエルタ・デ・ソトHuerta de Soto (2010) を見よ。
[16] ロスバードRothbard (2002) を見よ。
[17] 基本的に、ミロウスキーはMPSを、ミロウスキーの関係では社会の善に不可欠な福祉国家を除去するための設立された、よく組織された特別利益団体とみなす。
[18] 後に公共選択学派が第四の学派とみなせるようになった。
[19] ミロウスキーでさえネオ自由主義者は概してレッセフェールを信じないと認める。ミロウスキーはレッセフェールの立場を「滑稽」と称するところまでいく。
[20] フルスマンHülsmann (2007, p. 880) を見よ。
[21] 「洗脳」論の「操作的無意味」について、ロスバードRothbard (2000, p. 162) を見よ。
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