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wncnr · 11 hours
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2023.9.23
家族旅行、楽しいけどいつも「無力旅行…」と思ってしまう、車を運転したがってもさせてもらえないし、大抵要望は通らないし、今日何をするのか教えて貰えない、まるで滑車に乗せられて運ばれているみたい、景色は平面的にしか見えなくて、ただその都度眼前に現れるだけでくるくると形を変えたりしない
おまえは何もできないと言われてるような
家に帰ってすぐ洗濯を回す、イヤホンで耳を塞いで夜の静かな寒さの中を歩く、食べたい食材を買ってご飯をつくる
これは儀式だなあ、自分に戻るための
私は自分で全部家事ができるし自分で全て選べる、歩いて好きな場所にいける
今自分が大人で、ゆるやかな檻から助かる術を知っていて良かったと思う
自分で立って歩く大人として家族に関わっていくってどういうことだろう、母とはそれができるのに父とはできないのは
"レディと花売りの違いはどう振る舞うかじゃない、どう扱われるかよ"
映画のワンシーンを思い出す、うん、私もそう思うんだよなあ。ケアは過保護にすることじゃない。
うちの家族は皆お喋りでふざけてばっかだから逆にこんなこと言えないなあ、一見近く見えるような仲の人と今更腹割って話すことは難しいし、私もあんまり自分を見せたくないと思ってる。家族って変な人間関係だなあ、自分の内側にいるようで全然違くて。
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wncnr · 8 days
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(街の細部に宿る)天使
"よくある話なのに、当の本人にとっては辛いこと""ありきたりなことしか言えないのが、いちばんのほんとうだなんて"そんな言説を9月だけで3度見た、何かアンテナに引っかかってる、私に今必要なことばなんだろうか。
『下町サイキック』で、でも1番心を掴んだのは、人を大丈夫にする瞬間の描写だった。
どん底の気持ちで家に帰り着くと、母がおせんべいを食べながらNetflixで韓流ドラマを見ていた。こんなに和むことはないな、と私は思った。
うーんわかる、私、そういうお母さんになりたいなあ、お母さんにならなかったとしても、そういう近所のおばさんになりたい。生活の流れをつくって、空気をきちんと流れさせる人。
凹んでる時、私は話すともっと落ち込む子どもだった。一度、試しにと思ってスクールカウンセリングを受けたことがある。カウンセラーの人が私の話を傾聴しようと務めてくれ��、"それで?"と問う度に、こんなに気持ちが重いのに、まだ私が話さなくちゃいけないんだ、"あ、私、話したくないんだ"と思った。逆にそういう時に、どうでもいいことをぺらぺら喋ってくれる大人が好きだった。
鍵っ子じゃなかった私は、学童保育(がくどー、と発音で認識していた)に通っていた。その学童でいじめられていた。ありきたりな話で、別にドラマチックでも派手でもなく、単に無視されたり、バイ菌がどうこうと言われる嫌がらせレベルのものだったけど、小学校低学年の私にとっては地獄だった。女の子は怖くて、男の子はムカついた。背の低い男の子と取っ組み合いの喧嘩になったことがある。もうひとりの男の子に羽交い締めにされて、まわりで女の子が、男の子のことを応援していた。ムカついて、くやしくて、近くにあった座布団を男の子にぶん投げた。先生は見て見ぬふりだった。
それなのに夜まで私はそこにいなければならなかった。だけど週に1度、金曜だけはおじいちゃんが夕方に迎えに来てくれることになっていて、私は金曜が好きだった。金曜は、「学童についたらもうおじいちゃんが迎えに来ていますように」と願って、ちびちび、とぼとぼ、歩幅1cmくらいで歩いたものだった。ついて「はなちゃん、おじいちゃんがお迎えに来てるよ」と先生が言うと、パッと気持ちが軽くなった。おじいちゃんのワゴンはタバコ臭くて、クッションが固くて、ずり落ちるように座って窓を見ていると、空を電線が流れていって気持ちが晴れた。それで大体、おじいちゃんの所属している組合の、プレハブのようなところに連れていかれて、私は談笑している沢山のおじいちゃんおばあちゃんの声を聞きながらすごく安心した。茶色く汚れたテーブルクロスがかかっていて、飴色のお皿の中にジャリジャリするゼリーがバラバラ入れられていた気がする。ここもすごくタバコ臭かった。安心の匂いだった。
ありきたりで、取り留めもなく、でも当の本人にとっては辛いこと。「今の私は、小学生の時の私もちゃんと心の隅につれていて、大事にしてるよ」と、今の場所から言うことが、この小さな私の救いになっていたらいいなと思う。
取り留めのない会話をするおじさんおばさんは、私を救おうとか、そんな大層なことを思ってないのが良かった。意図のない、小さなケア。こういうものが街を、人の心の宇宙を守っている。小さなケアに出会う度、私は、「天使を見た…」と思うのだ。
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wncnr · 8 days
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2024.9.15
マウスピースをつけただけで、滑舌がすこぶる悪くなった。
こんな数ミリで変わるんだから、ドラマみたいに人と身体が入れ替わってしまうことがあったら、絶対まず発声練習から入るだろうなあ。本来ある位置に歯がない、舌を置く場所が変わる、地面が遠かったり近かったり、新しい身体に慣れるのに時間がかかるだろう。自分の身体は自分にとても慣らされているんだと気がつく。
器具をつけてもらったあと、東京交通会館の本屋で下町サイキックとセンス・オブ・ワンダーを買って、ほくほくしながら2階下まで階段を軽快に降りて、ローヤルという喫茶店に入った。ビルの楽しさはこういう気軽さにある。
時計を見ないで休日を過ごすのと、地元のイオンみたいな雰囲気の商業施設。壁はパッチワーク、床は絨毯。どこかの誰かの絵と習字が飾ってあって、それを見ている人が沢山いる。
朝は静かだけど冷たくなく、エレベーターの前の不揃いな椅子でみんなが休んでいる。昼になるとガヤガヤしはじめる、だけど耳を塞ぎたくなるような騒がしさじゃない。
ランチセットのカレーが売り切れで、パスタを注文した。くるくる巻く、コーヒーを飲む、またくるくる巻いて口に運ぶ。止まらず楽しい。
下町サイキックを「ドライヤー」の最後まで一気に読んだ。これ、大切な人におすすめしたいタイプのおもしろさ。
空気のキラキラ、逆に淀んでいるのとか、キヨカちゃんほどじゃないけど私にもわかる。名前をつけるのは無粋かもだけどあえて身近でわかりやすい事象に置き換えるなら、HSPの気質が少しでもある人に見えてるものを言語化して、もっと魔法的にしたような話だ。
一緒にいて別のことをすること、会話の内容なんてどうでもよく、ただ気楽に生きている人の声を聞かせることが人を大丈夫にすること、母とご飯を食べるのを楽しみにすること、その人がいるだけで空気がシャンとする瞬間、空と木を見ること、人が立てる音を聞くこと。
ホラーとかサスペンスを見た後、現実の気合いのなさにホッとするのも、空気がモヤモヤしていたところに、窓を開けて新鮮な空気が入ってくるような感覚がある。
心が揺れた箇所に表紙と同じ青い付箋を貼っていたら、付箋だらけになってしまった。読む、付箋を貼る、感じたことの��モをとる、こんな風に読むから、私は読むのが遅い。
キヨカちゃんの世界の見方と、理由のない勘みたいなものが、すごくわかる。私は絶対、こっちに行くべき。私は、これをしたら自分の人生から離れる。そういうのが、動物的にわかる瞬間がある。
だからこそ私はこの、武器とも言えないような小さな光だけを持って、たとえどんな穴ぐらに入ってしまったとしても、それだけを頼りに出てこなくてはいけない、そう強く思った。
比べてもいけない、論破するのでもない、どういうことをしたら自分が自分の好きなものを手放さなくちゃいけなくなるのか、なにがそこにつながるのか、匂いをかぎわけ、この身体がいるべき場所にいるということ。それよりも重要なことはこの世にないと、私の本能は語っていた。
"この身体がいるべき場所にいるということ"
うんうんと頷いてくれそうなAちゃんに、「これ読んでね」ってラインする、こんなに嬉しい時、分けたくて連絡できる人がいる親密さが好きだ。元気でいて、余力があったら私に教えたいことも沢山ためてくれてたらいいなあ
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wncnr · 12 days
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吹いたら飛ぶような命で、この場で身体と声を持ち音を鳴らしていることが、視線を合わせていることが不思議で心からカランコロンて音がした
圧倒的な大きさの中にいると自分の小ささがよくわかる、何を残しても、残さなくても
あゆちゃんの足の組み方かっこよ過ぎ
ただもうシャイすぎて、
急なひとり参戦で抉られ、
人混み歩いて抉られ、
人が増え始めてからのライブハウスの雰囲気で抉られた
他が顔見知りの場ってなんであんなに居心地悪いんだろう
candlelightさんの空間づくりも晴れ豆の雰囲気も好きなのに守りに徹してしまう私のせい
無防備でなんか全然いられないし、"心でハグ"なんて全然できなーいと毎回思う、守らなきゃ抉られるもの、信じて預けられない、あゆちゃんは信じてる、私は信じてない
友人の結婚式で、"結婚生活で大事なことは?"に色のついた判子で答える色紙があった、私は"信頼"の判子を押した
同じテーブルでその話題になって、信頼を押すなんて大人!って言われたけど、むしろ信頼は子どもの心だよなあ、だから難しいよと思う
忘却することで何度でも試せる、ホントにそうだなあと思った、忘れてるようでいくつもの場面を私は覚えていて、想像してしまう、転んで怪我した後のこと
こういう特性が、familiar hellにい続けさせるんだろうなあ
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wncnr · 13 days
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ローラースケートパーク
車輪がいちばん早いってみんな知ってるのに、足に車輪をつけるローラースケートはなんで娯楽止まりなんだろ。危険ていったって、車も危険じゃんね。やっぱ歩くのが好きだからかなあ
効率を突き詰めた先で、スーツ着たくたびれた顔の大人がみんなローラースケート履いてる未来があったら、バカバカしくて面白いなと思う
大人はコンクリートをローラースケートで滑る、そんな世界を私たちは裸足で歩く
今見てるものだって、他の時代の人から見たらヘンテコなものなんだろう
歩きながら、世界を違う見方で見る遊びをする
棒が交互に倒れた自転車置き場、あれは沢山のシーソー
こんな風に空想して歩くばっかり、この前田んぼで会ったIさんは、道端の植物が何か知って歩くのが楽しいと言っていた
農とか食とかの具体に興味がある人と、哲学みたいな空想や思考の世界に興味がある人って、脳の仕組みがちがうんだろうか
私はたぶん後者だけど、言葉や空想に溺れた時に、目の前の具体に心ほどけるような瞬間もある
完全にどっちかだけなんて人は多分いなくて、みんなそれぞれにバランスを取りながら両方の世界に浸っている
いわゆる"ゾーン"に入ってる時は、具体と抽象が、ミクロとマクロがいちばん近いなあと思う(わが星みたいな)
台所は毎日の礼拝、リリースいつするんだろう
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wncnr · 13 days
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世界がひとつになりませんように
多分この世には、悪性を持って生まれた人と善性を持って生まれた人がいる
なんでそんなこと言うの…と思う瞬間が沢山あるけど、悪性を持って生まれてしまった人は、自ずから湧いてしまう感情を、備わってるものを否定されると苦しいんだろう
一緒にいると、善性の人は傷ついて、悪性の人は苦しい
名前を忘れてしまったけど、シンガーのあの人、"あるものを無いことにするのは無理"って言ってた、暴力性はみんなが持っているもので、ないことにされたら苦しい、そうじゃなくてどうやって制御するかだって、性悪説の人だなあと思った
性善説を信じられるような小沢健二の歌も好きだし、悪い部分を隠さない銀杏の歌も好き
世界がひとつになるなんてのは無理で、適度な距離を保つしかできないのかもしれない
世界がひとつになりませんように
偽善でも、戦争反対だと言える人が増えたらいい
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wncnr · 14 days
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大停電の夜に
初めてラジオに送ったリクエストが読まれた!
そろそろ寝ようかなと思いながら、うとうと待っているところに声が飛び込んでくる、"東京都から頂いています、23歳女性"、全部の感覚が耳に集中してベッドに駆け寄る、DJのこまきさんが文章を読み上げる
"先月からミッドナイトガレージを聞き始めて、初めてリ��タイしています
あらまあはじめまして、ありがとうございます!
こんな時間に同じラジオを聞いている人がいると思うと、一人暮らしでもわくわくしますね
今聞きたい音楽、リクエストさせてくださいという風に頂きました"
"それではリクエストにお答えしましょう、cero、大停電の夜に"
大停電の夜に 君は手紙書く手をとめ
窓をあけて 目を閉じ
街のざわざわに聞き入る
この曲を今どこかで誰かも聞いている
ひとりひとりの想像の世界を繋ぐ
視点は宙に浮かび上がって、空から私を、みんなを見下ろす
同じようにふわふわ飛んできた人と笑い合うような時間
「大停電の夜に」という、同名の映画があることを知る
クリスマスイブの話かあ、12月に見るかあ
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wncnr · 21 days
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記憶のとるスペース
同じものを見聞きしていても、知識を重んじる時、見聞きしたという事実を重んじる時は何もかも早く摂取しようとするだろうし、体験を重んじる時は今をゆっくり味わおうとするんだろうな
どっちのモードもあるなあ
知識は溜まっていくものだけど、体験って今にしかない
質量的に考えたら、知識の方が圧倒的に大きなスペースをとってるんよな、その大きさに押しつぶされそうになる時がある
子どもは溜め込んだものが少ない分、目の前のものに新鮮に驚ける
覚えていたいと思うのに、忘れることの健やかさにも気がつく
日記を書きたいと思うのに、ことばはどうしようもなく今と自分を切り離すもので、言語優位の世界にも疲れる
お喋り大好きなのに、何も語らず景色を眺めると癒されるのも確かで
私はこういう人ですって、端的に説明することできないんだよ、でもそんな感覚を人と共有するのによろこぶ、曖昧な生き物
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wncnr · 21 days
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雑感
漫画家さんとかお医者さんのことを知識人として先生って呼ぶの令和っぽくなくてめっちゃいいな
悪役とか死んだ人がアフタートークでにこにこ喋ってるの種明かし感あってめちゃくちゃ好き
神秘学者って名前カッコよすぎる、
学者になりたい
去り際、言葉の尺合わせるのムズすぎる
中学生のとき、ツイッターのbioってみんな好きなもの書いてて、全然思いつかなくて「ドラム」と「チーズ」を並べて書いてたな
並べられるのなんか初めてだったろうな
今好きなものいっぱいあってうれしい
好きなものって自分を生かすエネルギーだ
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wncnr · 21 days
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金井ちゃんの好きなラジオ
良すぎて、1回止めて深呼吸する時間あった
本気で人に伝えようとする言葉、好きだなあ
ここでしてるのって個別具体的な恋愛の話ではなくて、"今同棲している彼とお付き合いしてる彼女の話"ではなくて、相談者さんの人への態度、人への愛全体の話なんだよね
エーリッヒフロムと『愛するということ』の名前も出てきて、"なんかスーさんのことばが好き"の答え合わせまでされて、完全にパズルが完成した
いいよね…私何度も読んでるバイブルだよ
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wncnr · 21 days
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ひとを数字に変えること
人を元気づけたい時、本当に伝えたい言葉と共感もしくは自虐を同時に渡すと、大抵共感と自虐だけが受け取られてしまう
ただ慰めて欲しい時って沢山あるけど、そうなると本音って不要なのかな、私を同等もしくは下に見て傷を癒したいだけなのかな
正論は暴力だってずっと思ってきたけど、欲しい言葉を求めてる側にも暴力性があるのかなあなんて思ったり
傷ついている人に、無意識に傷つけられてる
それとは全然違う話で、自分のことを上手に伝えるのも苦手
自分のことは好きだけど、"でももっとこうできるのに"とばっかり思ってるから、人に上手く伝えられない、それで下に見られてることが沢山あるんだろうな
「私ってでも、優しいでしょ」って言ったら「でも伝わんないと意味ないですけどね」って言われたのを思い出した、対人関係でも自分に何ができるかとか、自分の魅力を宣伝しなきゃいけないのかあ、そんなのもう、疲れちゃうな
こういうことを思う時、いつも鷲田さんの言葉を思い出す
「あなたには何ができますか」とたがいに「値踏み」しあうようないまの社会では、その意味で、ひとは気づかぬうちにたがいに深いダメージを与えあっている。子どもの資質を問い、伸ばす前に、子どもたちがいる空間を丹念に造った大人たちは、そのことを知っていたからか、子どもたちをいまよりはずいぶん大事にしていたようにおもう。
何ができるのか、どんな魅力があるのか、そんなことは対人関係の基本にあっちゃいけない、そんな風に人を値踏みする時、人は人じゃなくモノになる、数字で価値を表せるモノに
何かを残さなきゃ生きてるイミがないなんて、そんなバカな話あるもんか
生きててくれればいい、一緒にいられればいい
晴れた日に日なたぼっこしながらハチクロ読みたいなー
⟡.·
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wncnr · 22 days
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過ぎてゆく夏を洗い流す雨
"足りない"を原動力に動いてる人って、満ち足りてる時はやる気をなくしてしまうんだと思う。でも世界と繋がりたいとか、内的なエネルギーの発露として動いてる人は、満ち足りてる時こそものを作ったりする
私は今の段階では"足りない"を原動力に動きがちで、広末の真似して髪切ったりとか、読んでない本、見てない映画を見ようとか、埋めようとして何かをしてる
「いつも何かになりたいんだね」友人に言われた言葉を時々思い出す、いや、私は自分でいたいけどそれじゃ客観視できなくて怖いから、好きなものの真似をして確かめて(確かなものに+して)るんだと思う
ただ今日は雨が降ってて、時間がゆっくりに感じられて、ずっと立てかけてあっただけのウクレレを持ってきて「過ぎていく夏を洗い流す雨が〜」なんて歌ったら、自分が世界に溶けたようですごい幸せになった
声に出して歌うのは礼拝みたい
書写するのも礼拝みたい
言葉に出すことで自分に馴染んで癒される
高校の時は礼拝も祈りも、同じ制服を着た人たちで毎週やってて、ほとんどウトウトしてて、意味も考えなかったな
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wncnr · 29 days
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コーヒーマシン
朝起きたら、とりあえずコーヒーマシンに水と豆をセットだけしてスイッチを入れる
そのままだと大抵落ちてこないから、手のひらを自分に向けて軽く握って、中指の関節でコンコン2回ノックする、ぶくぶく、音を立ててコーヒーが落ちる。落ちる間に他のことをすればいいのに、私はそれをただ見てる
引っ越してから、ちゃんと時間をとってハンドドリップなんか全然してない
時間は全然あるのに、ただやらないだけ
便利じゃないものは面倒だけど、今私たちは便利なものに生活の主導権を握られてるんだと思う、取り返すために、1つずつゆっくりやる時間を持ちたい
1つずつを早くしてかき集めた時間で何かをやる、そういう風にしないといけない時もあるけど、生活からは追い出されて、健やかさは削がれる気がする
「あなたが小さい時ね、ママに"急かさないで!"って言ったの、それでママ反省した���だよ、大人のペースに合わさせるなんて」
ママに言われたことを思い出す、私は全然覚えてなかったけど、そんなことを覚えていてくれるんだ
私が忘れても誰かが覚えてて、誰かが忘れても私が覚えてる瞬間って沢山ある
全然早くできなくても、私は私が元気でいられるやり方で全部やりたいな
自分を元気にする方法、だんだん分かってくる
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wncnr · 1 month
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悪夢
飼ってる犬の餌やりを数日間忘れていることに気がついて、慌てて餌皿にドッグフードをジャラジャラ開けていると、そんな時に限って玄関(となぜかこの世界ではベランダも)でチャイムが鳴る。私はそれを無視する。すると怒号が飛ぶ、「どこにいる?!」
そこでハッと汗をかいて目が覚める。悪夢。文字に起こすとバカバカしいような悪夢。
私の悪夢は、怠惰で人に怒られる夢が多い(情けな〜)夢では私は現実よりももっとめちゃくちゃで、餌やりを忘れて飼い犬に噛まれ、昼の待ち合わせや仕事にずるずる遅刻して夕方になり結局行かないし、宅急便には居留守を使う。
実際犬は飼ってないし(ぬいぐるみが2匹)、待ち合わせには大抵間に合うし、遅刻しても15分以上は遅れない(遅れないよね?…遅れてる?)、家にいたら宅急便のチャイムには出て玄関前に置いてもらう。でも夢の世界の私はそれができない。必死に走っても進むのが遅い、溺れているような感覚。
塵として積もったような自分への嫌悪感がこんな夢を見せる。「すいませーんすいませーん♪」と誰にでもなく唱えるパパの癖、「過去の自分の過ちに対して急に恥ずかしくなって謝ってるらしいよ」とママに言われた。えー普段陽気で、失言ばっかで妹によく怒られてるのに繊細なところがあるんだなあ、と思った。それ、私にうつってるなあ。
生きているだけで知覚されすぎてしまうことに疲れる。しかも大抵、尊大な人間としてうつっているんじゃないかと辟易する。ストレスなく、無防備に自己を開示できる人に憧れてこんなことしてるけど、やっぱり私には出来ないのかなあ
みうらじゅんさんの本読んでて、好きな箇所があった
"僕はもっと謙虚で他人のことを思いやれる、そんなキャラでいたいとねがっている。いや、そうじゃないと僕が困るのだ。
親しい人の中には実は僕がそういう人間ではないと素早く見抜いて、それでも仕方ないとあきれて笑ってくれる人がいるが、それでは困るのだ。
先ほども言ったように僕はもう、自分などどーでもいいと思い込もうとしているわけで、僕が僕であることなんて重いテーマはこれっぽっちも考えたくないわけだ。
それにはできる限り人に会わず、当然酒など飲まず、ひとりぼっちでも夢中になれることを探さなければならない。そんなことを思って、あの頃、一心にファミコンをしていた(気がする)。
―――こんなことを続けていて、一体これが先、なんの役に立つというのだ?
少しでも不穏な考えが頭によぎると、たちまち判断が鈍り、痛い目に会う。せっかく溜め込んだ大好物のチクワが道に散らばっては消えてしまう。"
"ある日突然、糸井さんから電話が入った。
「"アイデン&ティティ"読んだ。やればできんじゃん」
初めて漫画をほめてもらった。涙が出そうになるくらいうれかった。"
みうらさんが涙が出そうになった箇所で、私も泣いた。
大好きなみんなに会いたいな。
どんな休日があっても平日会社のみんなに会えることに、どんなに平日に疲れても休日大好きな友人たちに会えることに、忙しくても泊まりに来てくれるAちゃんに、私はとても助けられている。
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wncnr · 1 month
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水のような心
自分の目線や語気や身体を思うように操れないことが怖く感じる
勝手に何も喋らないで
私の低くコントラストの強い声が、猫背が、強い視線が、濃い眉毛が、誰も傷つけなかったらいいのに
心を知ってもらうために、私たちは表現しなければいけない
高い声で、女性らしい服装で、立ち振る舞いで、な行で終わるやさしい語尾で
私でさえそれを辛く思うのに、トランスジェンダーのgoさんはどんな気持ちでずっと表現しているのかな
切実な言葉に、
涙が出る、癒される、同時に傷つく
あなたがこの場所で、私たちの水辺に近づこうと語りかけてくれたことを忘れない
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wncnr · 1 month
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とらつばの「はて」と哲学対話
やっぱりどうしたって人は「わかる」を大事にしちゃうものだし、自分が興味持てる範囲でしか世界のこと知れない、認知の限界
たまたま自分が教育の機会に恵まれていたからって、誰かの誤った認識に「そうじゃないよ!」って声を荒らげるんじゃなく、一緒に考えられる人でありたい、自分が正しいと思ってる時の人の態度は、本人が思う以上にこわい
「自分は差別しない」と思い込んでるところには差別が起こる、なんにもわかってない、と思ってないとダメなんだよね、これからも多分何回もまちがえる
「わかる」に引っ張られるけど、「はて」でもっと見れるものを広げたい。とらつばは多様な題材を扱ってるようで、芯はここ(疑問をもって、考えて、溝を埋めること)にある、哲学対話が心地よい理由もここにある
「何を言っちゃダメなのかわかりやすくまとめてくれよ」ってすぐにマニュアル求めるのは全然ダメ、「娘にしないことはしない」なんて簡単にまとめるのも全然ダメ、答えじゃなくて、考えることに意味があるから
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wncnr · 1 month
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踊り、心と体を一致させる
日々に引きずられるばかりで乗りこなせていないと感じる、友人の踊りを見て、肉体はこんな風に世界と関われるんだと思う
せめて心地よく踊るように生活できたら、繰り返しの毎日から抜け出したいんじゃない、寧ろ、リズミカルに生活したい
毎日帰って、ものをあった場所にかえして、ご飯��つくり、食べて、お風呂に入り、寝ることがこんなに難しいとは
そんなことを書き連ねていたら、乗り換えを間違えて元いた駅に戻っていた。何をしてるんだ?
大人っぽいにも子どもっぽいにもモヤッとしてしまうのは、イメージを押し付けられる気がするからだろうな、解像度の低い「◯◯っぽい」にはいつも濁った気持ちになる
誰もが高解像度で見てくれる訳じゃないし、というか自分も他人にそこまでの興味無いけど、知りもしないで決めつける気持ち悪さがある
20代なのにまだこんなことでふてくされちゃうな
小学生のころ、いじめを乗り越えるためにクラスの陽気な人を観察して「ああこう振る舞うと好かれるんだ」と納得して外向的な仮面を身につけたし、身につけることで内在化もしていったけど、大学受験に伴って「ごめん受験で、って言うだけで全部の誘いを断れるのか、サイコー」と思ったあたりから、また内気な人間に戻っていった気がするな
外向的になって、また内気になって、その上で会いたい人ってすごく特別
大学受験と、大会の演出と、卒論執筆が人生で1番高揚したかもしれない、他のこと犠牲にしてインプットとアウトプットだけに集中するのはビリビリ痺れるような高揚がある
乾いて熱くなった喉に冷たい水を流し込んだら、ビリビリと舌が痺れた、この感じ
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