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はち
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説明ベタなので文章を書く練習をしています
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wssincloud-blog · 8 years ago
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在るかなきか
しばし混乱
たくさんの人のいる場所で話すのが苦手だ。苦手って言っても尋常じゃない苦手だ。
発言するのが苦手。
幼い頃、よく母親の職場の飲み会に連れていかれた。5歳とか6歳とかで、確かDSを持っていった。自分以外に子供はいなくて、まあ退屈で、話に混じろうにも大人の話す内容が分からないし、あんまり大人に絡んでもまあ大人が楽しくないだろう。と、子どもなりに考えた結果、隅っこでちまちまとどうぶつの森をやっていた。
そういう幼少期だったからか、大人数で集まったら、私は関係ないのだと自然に思ってしまう。その場にいてもいなくてもいい。周りもそう振る舞う。それが当然だと思っていた。
そして今、なんとまあ、私は飲み会に参加する大人の方になってしまっていた。やっべー、なんも分かんないよ~。
何話したらいいか分かんないし、会話への入り方分かんないし。あああばばば。
人と接する時、根底に「私はいてもいなくてもいい、大人しくその場をやり過ごせば生きていられる」という考えがある。このごろそれが仇になり始めた。昔は美徳だったかもしれないけど、今は罪にさえなる習慣とは正にこのこと。いざ生きめやも。
役割を得ることは存在することと同義で、これまで存在しないことを美徳としていた私には余りにも荷が勝つ。そして今も混乱をきたしてグラグラと頭が沸くようで、不安定が怖くて静かなところに来ている。でも今日やることあるからそろそろ出なきゃなあ。あららら。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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めっちゃ説教臭い文
「自分を振ったあの人に似ているから」って理由でぜんぜん別の人に告白する人ぜんぜん信じられない。どういう原理!? 好きな人の代わりがきくってそれ本当に好きだったの?ウソでしょ?好きな人に振られた時点でその人を好きだった自分は死ぬくらいの覚悟で好きになるのが恋愛じゃないの?いや、一個人の意見ですけどね??ほんとこれだけは言わせてくれ、人間で人間をジェネリックするんじゃない。
あったまおかしい……。
しかも同じコミュニティでやってたら更に頭がおかしい。同じサークルの別の人て。やば。それokされても振られてもどっちにしろ波乱になるの確定やん。どっちに転んでも不穏かよ。うける……うけへんわ!やめろ。高校時代のTくんを思い出すからやめろ。「雰囲気が似てる」って理由で本命のMさんを諦めてこっちに来たTくんの話はもうやめろ!まあ一番の愚か者は半年そう言われて絆された私自身だけどね!あ、泣きそう!(めんどくさいからここでやめる)
だいたいそういう奴、後で「思ってたのと違った」って言って相手を振りがち。はい👏(・_・)。はいはい👏(´・_・`)。しね。お前やんか思ってたのと別の人と付き合ってる奴。脳内アップデートできてないやんけ。それで一人の人間と対峙しようってんだからちゃんちゃらおかしいよ。
やーね、もーね、これだからメンヘラを恋愛で治療しようとする人あかんのですわ。生理的に無理。メンヘラは恋愛では治らない!穴が埋まって一時的にしあわせになるだけ!根本的治療は自分が自分を好きになれるかどうかだから誰に好かれようと関係ない!大事なのは愛されることより愛すること!ってガンジーが言ってた。嘘。
好きな人はいても滅多に近寄れん。自分は近寄るにふさわしい人間かめっちゃかんがえちゃう。だいたい答えはNo。発展しねえ~~~。
ま、いいやいいや。好きなだけで幸せだもの。尊敬できる人がいるって幸せだし楽しい。できれば性欲より人生そのものを満たすような恋がしたいと思うよ、わたしは。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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生きとし生けるものの呼吸
高校の時のクラスメイトのpixivのプロフィール欄を見たらなぜか中高生時代の嫌な思い出がブワッと蘇って闇に飲まれそうになった。
この1週間はなんだかとても幸せで、幸せではいられない人々のことが理解できないくらいだった。毎日頭を使って自分のしたい事をして楽しんでいた。だから忘れていたのだ、薄暗い過去のことなんて。
箱が窮屈ならば
中高は信じられないくらい息苦しかった。どうしてあんなに毎日がギスギスしていたのだろう、今から考えると冗談みたいにみんながみんなを監視しあっていた。主に男女交際の話題にみんな敏感だった。おかしいの。彼氏彼女だのセックスだの、性的な事柄は全て、あと3年もしたら手に入れられるのに。そして振り返ってみれば、その3年に大した違いはないのに。それなのにどうして私達は、あの狭い匣に入れられている間だけ、共産主義者のような腹の探り合いをするのかしら。
男子が女子をランキング付けする。女子は男子を品定めする。女子更衣室は本音の飛び交う場所、でもうかうかしてられない。うっかり失言しようものなら、その言葉は誰かの切り札になって、電波に乗ったり風に乗ったりして、あっという間に情報通たちの格好のトレード商品と化す。まな板に載せるか載せられるかなんて、昨日今日であっという間にひっくり返る。強い倫理のない密室は、独裁者の格好の住処だ。そこで弱者に出来ることといえば、とっととゲームを降りることだった。
どうして平和に暮らせなかったのかし���。どうして毎日音楽と食事と趣味の話だけして暮らしていけなかったのかしら。答えは簡単、毎日毎日うんざりするほど顔を合わせていて、もはや小さな刺激では満足出来なくなっていたから。箱詰めにされた私達は箱の中の誰かが一人や二人はダメになることを本能的に悟っていて、早くから上層に上がって下層をクッションとすることで安全地帯を確保することに躍起になっていた。
息を吸えば教室の酸素が減って、誰かが苦しむ様な生活を毎日毎日送っていた。いい加減疲れていた。そろそろ限界だった。息をする人が少なくなればきっと残った人は楽だろうになって考えていた。それから、息をするだけで誰かを苦しめるなら、もう息をするのはやだな、とも思った。誰も苦しめずに息をすることはできない不器用な自分を呪った。のろわずにはいられなかった。
箱が窮屈ならば
なんというか負け惜しみかもしれないけど、それ以上にあの大学に行くのは嫌だった。なんだか汚染されていそうな気がした。ケチがついた。なんて、妄想。
出るべきなのは、誰だったのか
生きるために他人を壊さなければならないことを認めなければいけないのに耐えられなかった。いっそ自分はそうした高潔(だと自分では思っているよう)な精神を抱えたまま退場した方がマシだとさえ思った、精神衛生的に。生きているだけで誰かに恨まれる人生なんて、楽しいかしら?
もう誰も覚えていない記憶、幸せな生活の影に忘れられてしまった記憶、それらが二度と出てこないように封をしたい。口封じ、二番煎じ、封印。そしてさようならしたい。林檎が閉じ込められた匣を燃やしてしまうように。誰かが吸うはずだった酸素を消費して。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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tancos体温計
婦人体温計を買おうと思います。いや、避妊に使うとかそういうんじゃないです。彼氏いないし。この話やめましょう。とりあえず、婦人体温計。大学の授業に必要なんです。
寝起きの舌の下に体温計を挟んで待つこと5分、それで基礎体温が得られるそうな。面白くないですか?寝るってすごく死に近い行為な気がするんですけど、というか能動的な死の代替行為なんじゃないかとまで思ってるんですけど、その延長線上に自分の基礎体温があるんですよ。黄泉の国の入口付近に本当の自分のあり方がある、みたいな感じじゃないですか。おもしろっ。
んで、これが大学の授業に必要なんです。論文指導の授業、女性生徒は自分の基礎体温表を提出すればよいらしいのです。すごい。自分の基礎体温が単位になって返ってくる。やばい。
この授業、なかなか面白いんですよね。基礎体温について最初に解説してもらったんですけど、一ヶ月の間に規則正しく乱高下するんですよ。例えるならそう、心電図みたいに。そしてその心電図の中に赤ペンでチェックをつけて、このへんが排卵日、ここは黄体ホルモンが出た時、このへんでLHサージが起きてる……などなど。まるで同一人物の体とは思えませんでしたね。基礎体温ですら一ヶ月の間にころころ変わってしまう生き物って、確実に機械の対義語ですよね。
まあ、必要なくなっちゃったんですけどね、婦人体温計。履修登録忘れたので。履修登録忘れたので…………っ!!!
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wssincloud-blog · 8 years ago
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あめんぼ革命
ハチミツをそのまま舐めるやつ、プーさんかよ。
甘味を欲する生理前の深夜0時、しかし自宅に甘いものは何もない。あるのは喉のために買ったハチミツだけ………ここでハチミツだけ食って満足するやつは果たして文明人と言えるのだろうか。個人的な意見を言わせてもらうと否だし、というかそれは本当にプーさんでしか見たことないんだけど、とにかくその夜の私は文明人としての最後の一線を超えた。ティースプーンに乗せただけのハチミツは美味かった。自然の甘みってすごい。ハチミツだけを食するような人間はプーさんみたいに赤いシャツだけを着て下半身を露出しなければならない法律とかないかなってちょっと怯えてたけどそんなものはなさそうだから今のところは安心、安心。
プーさんになったらポーランドに行けなくなっちゃうからね。
まあそれはいい。それは。ポーランド行く予定、特にないし。こっちは今ちょっと落ち込んでるんだから。大学の抽選科目の申込みしてなくて履修できなくなったんだから。さよなら楽単。まじ凹むわ。楽単じゃなくても普通に受けたかったやつだけに、余計にね。
しかも保管期限が明日までだと思ってた郵便物が7日までだという事実が発覚。きっと今頃返送されていることでしょう。再配達の連絡、申し訳なさ過ぎてつらい。
こんなに自業自得なことで苦しみまくるの本当にジレンマティック。自分で自分を不幸にするなんて、世界で最も愚かなことだよ。
とはいえ悪いことばっかじゃなかったんだよ。今日は劇を見に行ったんだよ。フライヤーに強姦という文字が踊る劇でさ。内容も重くてキャラクターも精神崩壊してる人ばっかりのなかなか激しくイカれた劇。内容的には見てて辛い劇だったけど、それを力強く演じ切った役者さんたちには感激した。パンツになったりスク水になったりタンクトップを見せたりして露出の多い劇だったんだけど、役者さんたちが一切動じてなかったのが格好よかった。声は時々聞き取りづらかったところもあった。でも動きはかなり良かった。舞台装置も凝ってたし、オペも腕のいい人が担当していて流石だった。
求めれば求めるほど、楽しいことはやって来てくれる。意義あることも。そういうのが最近わかってきて、毎日が楽しい。
今日もいい日だった。明日はもっといい日になりますように。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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終劇、その続き
汗が引いたら、途端に汗をかきたくなった
昨日まで参加していた劇の公演が終わった。夏休みはほとんど毎日稽古して、毎日色んな人と過ごして、100分の劇の台本を何度も何度も読み返した。
稽古に行っている間は、演技のことがよく分からなかったり、演出の考えをうまく反映できなかったりして、割と毎日落ち込んでたけど、それも終わってみるとかけがいのない時間だった。朝日を恨みながら起きて、水を憎みながらシャワーを浴びて、社会生活を恐れながら服を選んで稽古場に向かう日々だったけど、今はそんな日々が何よりも輝いていたように思える。
私の参加した劇には、役者が13人もいた。これはちょっと多い。主人公を中心として、人生で出会った人々の話を交えて進行する伝記のような劇だったからなんだけど。��演する人が12人もいると、役者さんごとの劇へのスタンスがいろいろ見えて面白かった。常に面白いものを作ろうと思っていて、自分にも他人にも厳しい人。日常ではおとなしいし楽屋では緊張しまくるのに、舞台に上るととても堂々と振る舞う人。学生演劇と社会人演劇の違いをはっきり認識していて、若い役者たちをきっちりまとめる人。劇当日に彼女の浮気が発覚してめちゃくちゃ落ち込んでた人。周りによく気がついて、緊張しがちな舞台裏の空気をゆるめる人。脚本や先輩とよく相談しながら、自分の個性とキャラクターの性格をすり合わせていく人。複雑な感情を出すシーンを、先輩が演じた動画に沿って練習する人。そうしたいろんな人の努力と、その結果が見えて、とっても有意義だった。
役者は劇の一番のファンになりうる。特に今回は役として舞台上で他の役者さんの演技を見ている時間の長い劇だったので、余計にそう思った。公演の度、一つ一つのセリフを噛み締めて、やはりいい劇だとつくづく思った。脚本の根底に一貫した哲学があって、それが劇全体を通して伝えられている。その上その哲学はとてもあたたかい。
今回の公演には1年目役者が4人も参加した。私もその1人だったが、正直他の役者がすごすぎて霞む。演劇経験はないながらも主役に抜擢された役者は、シーンごとに役の年齢が変わるという難しそうな演技を立派にやってみせていたし、たくさんの感情を演じ分けていた。主人公が出会う青年を演じた役者は、持ち前の体幹を使って動きのある演技をたくさん披露してくれた。主人公の息子を演じた役者は、赤ん坊のうちに死んで怪物になった存在という難しい役回りを、色々と模索しながら見事形にしていた。わたしはその横で延々と四足歩行を研究していた。しかも結局お披露目することはなかった。いや、この3人には深く敬意を評する。すごいぞ。
何はともあれ劇は終わった。劇場を出た時、もう二度とその役を演じることはないという事実に気づいて、なんとも悲しい気持ちになった。でも、あの劇を見てくれた人たちの心に、劇由来のなんらかの感情がずっと残って、これから先の人生における一滴のエッセンスになっているのだとしたら嬉しい。そうすれば劇は、夢でも風でも波間の泡沫でもない、意義あるものとして残り続ける。
甘いはちみつ味の時間ばかりではなかったけれど、いまやあの劇のために過ごした時間は、黄金色の思い出になってこの胸に留まっている。これこそが人生の意義なのかもしれない。そんなあたたかな希望と共に。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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ひみみみみつ
先輩の胸ぐらをガッと掴んで、噛み付くようなキスをしたくなる。そんなことしたら、あのどこか女性的な先輩はどんな顔をするんだろう。呆然とするのか、顔を顰めるのか、無表情で私を押しのけるのか、はたまた赤面したりする?結果はどうあれ楽しそう。
ま、所詮は妄想なんですけど。
こういう腐った内面を持ち合わせているので、長く付き合っていくうちに好きになってもらう戦法が取れるとは思っていない。そこまで自分を信じちゃいない。どういう訳か好きになると虐めたくなるのが大人になっても治らなかった。そんなん子供のやることでしょ、って頭の中の理性的なところが提唱しまくってるんだけど、どうも行動には反映されてないみたい。リンクしない意思と肉体。
他人と関係を築くにはまだまだ未完成すぎるのは自覚してるんだけど、だからといって孤独に生きるわけにも行かず、引き摺られるようにして日々を過ごしている。はー、わたしはあの先輩に馬乗りになって鎖骨のくぼみからおへそまでを指先でなぞりたい、なぞり倒したいと思ってるだけなのに、どうしてこんなに余計な人間関係がたくさん出てくるんだ。…あーもう見て、この考えが腐ってる。だけどこれが本心だよ。
昔から性的関心のわかない関係性は全部わりとどうでもよかった。けど、そういう関係性なしには社会生活って送れないじゃない?だからまあ適度にね適度に…って思いつつ、その小さな関係性の維持にすら体力のほとんどを使い果たして寝込んでしまう有様。人間としての設計がミスってる。
笑顔で写真に写っている私はたぶん四六時中セックスについて考えてるとは思われなさそうな顔をしてるので笑える。顔からわかることってそんなにないよね。だから私は人を見る時は香りを参考にしてるよ。香りが良ければ好きになるよ。だからあの先輩は最高なんだよねぇ。あー押し倒したい。
その先輩は多趣味で多才なので色々な顔を持っている。そして、エッセイを書く時にいろいろな一人称を使い分ける。ときに私でときに僕でときに俺のその先輩は、本当はどの一人称で自分を表したいのだろう?背中に耳を当てて先輩の鼓動を聞きながら何かを質問したら、先輩はどの一人称で答えてくれるんだろう。そういったことが今非常に気になる。
フランス語で絶頂のことを「小さな死」と言うらしいのだけど、そういう意味で先輩を何度も何度も死なせてみたい。何度も何度も小さく死なせて、死んだところから私の成分に置き換えていきたい。小さく死んで、目覚める度に、体の奥底に私が積もっていって、やがて別れてもずっと私を覚えていてほしい。
こういう偏執的な恋愛観を持ってることはまず同級生には内緒。教えらんない。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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やばいぞこの19歳ってのはぁ
あーセックスしたい。
大学一年生、秋。脳内は春真っ盛り。年中発情期。ボサノバを聞いただけでムラムラくるお年頃。
19歳。それは18禁が解放されていながらまだ成人でもない微妙な年齢。とっくに成熟した体を持て余しつつも、心から信頼できる異性を同級生に見つけられない微妙な年齢。童貞と非童貞、処女と非処女が入り混じって、どっちが正義だとか多数派だとか分かんないけど、進むにも立ち止まるにも居心地の悪いこの年齢。
好きな人なんて簡単に出来る。彼氏だって、きっと好き嫌いしなきゃ簡単に出来る。だけど、一度切ったら2度と使えない���めてのカード。時に身分証明書になるかもしれない「処女」のカードを、そこらの男性にはなかなか差し出せない自分がいる。
サークルの先輩、好きだな。話面白いし、優しいし、いい匂いするし、尊敬できるし。あーー、でもサークル内で恋愛するの勇気いるわ。どこまでいったか~とかバレバレになるだろうし、別れた時がキツすぎる。好きなんだけどなー、なんなら一回セックスしてくれるだけでいいんだけどなー、一回やっちゃったらそれじゃ済まなくなりそうだしなー、そうなると面倒だよなあ~~~ああ~~~。ってなる今日このごろ。
いや、性行為なんて贅沢な事は言わないんで、乳揉んでください乳。左手で乳揉んでる間に右手でお腹とか脇腹とか撫でてもらえたらもう最高です。それだけでご飯3杯いけます。3杯食べきったらまたやってもらえるとさらに良いです。完璧です。至福です。
あ、いや、脚は、脚は結構です。脚はかなり直接的な、あああいや、大丈夫、だいじょうぶです間に合ってます。え、先輩、脚好きなんですか。はーなるほど…あーなら、まあ乳も揉んでもらったことですしお礼にね、はい、ええ、はあい…ああああの、あのちょっと、手つきが、手つきだいぶ本気ですよね、さっきまでとノリがぜんぜん、っとー、そのお、んふふ、ふっ……ぁぁあそれ、それちょっとぉ、だめです、あははは、あはっ、んふふっ、ふっ、はあっ、はぁー、………ぁー、………っ、………………………。
……お風呂入りましょうよ。
ふぁーーー!また妄想しちゃったー!!これだからこれだから19歳ってやつは困るんですよぉ
もう毎日こんなんですっかり困難ですよぉ。早く終わんないかなー19歳
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wssincloud-blog · 8 years ago
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ぱしゅた
我が家の近所には何軒かスーパーがある。その中でも特に安いところに今日行ってきた。めちゃくちゃ安い、ただし19時に閉まるし本当に食品しか置いてないところ。トイレットペーパーもクッキングペーパーもないんだけど、豚肉が100g98円とかで売ってて感動する。
で、僕は18時32分に家を出た。とてもギリギリだったけど、どうしてもそこで買い物がしたかった。買いたかったのは長いこと保存のきく食品が多かったから、買いだめするんだったら安いところがいいなーって気持ちで。
道中特に何事もなく着いて、買いたいものを片っ端からカゴに入れた。そしてパスタコーナーに向かった。
パスタ、そうパスタが欲しかった。マ・マーのパスタよりさらに安い外国産の緑のパッケージのパスタが結構美味しかったからまた買って帰りたかった。ところがその日はその緑のパスタの一束ごとに分けられてるのがなかった。300gと1kg分の麺がただ袋に入ってるだけのやつしかなかった。
うわーって思った。けど、その時ある知識が頭に浮かんだ。曰く、パスタ一人前は「臨戦態勢に入った男性器を握ったくらい」が適量らしい。なんかのアメリカンジョークで聞いた。アレな内容だけど役に立った。嬉しくなって1kgのやつをカゴに入れた。
余談だけど米も一緒に買ったからカゴが主食でいっぱいだった。
で、家に帰って着替えてさー茹でるかって段になって気づいたんだよね。
僕、男性器なかった。
……
女性でも簡単に一人前の量が計れる方法をネットで検索しました。大人しくそうすればよかったんだね。そしたら出てきた。
2リットルペットボトルの口から出てきた分が一人前。
そうすると三段論法が使えるわけ、ここで。
臨戦態勢になったちんちん≒ペットボトルの口
ちょっとこれは世紀の発見じゃない?いやダジャレじゃないけどさ
ときどきペットボトルから抜けなくなったって事件が起こるらしい。たしかに太さがほぼ同じで、しかも男性器の方は大きさが変わるじゃん。だから入れた後に大きくなったらそりゃ抜けないよなーって。
何の話だったっけ。あ、そうですパスタの話でしたね。
そう、だからとりあえず、彼氏を作る時はパスタを作ってもらおうと思いました。
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wssincloud-blog · 8 years ago
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No title
The weather is comfortable in summer in Hokkaido. In Hokkaido, you can readily buy a variety of things such as RISHIRI Kelp and YUBARI Meron Soda from supermarket. In Sapporo, the capital city of Hokkaido, they collect different kind of trash on different days, so please sort your trush before you put it out. I walk around campus looking for squirrel every morning.
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wssincloud-blog · 8 years ago
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無題
私の一番の願いは「他の人と仲良くなること」だった。ところが何年生になっても綺麗にならない我が家、ふざけた教科書置き場、逃げ場も居場所もない部屋、暑い室温、その全てが安全欲求を加速させた。安全、安心感さえ感じられなかった子どもが他人を信頼できるわけなかった。他人と友好関係を築けなかった。読んだ本も良くなかった。他人からは基本的に搾取するかされるかしかないなんて悲しい本を随分早い時期に読んで、すっかり感化された気がする。そしてやらかして友達を失い、また友達がいなければいけないという学校の空気に完全に押しつぶされていた。  いや、小学生の時は押し潰されていなかった。異常な勉強漬けにも気づかず、自分の非情さにも気づかず、ただ自分が毎日楽しく暮らすことだけに気を配っていればよかったから……。一緒にご飯を食べる友達がいない?仕方ない、だって話が合わないんだもの(知能が違いすぎて!でもこれは口には出さない)。  全てが変わってしまったのは中学に入ってからだった。ありとあらゆる言い訳を奪われた気がした。というのも、中学に入ってできた友達の話を聞いてると、塾の宿題が多いからって学校の宿題を蔑ろにしている人はいなかったし、塾が忙しいからって小学校の友達がいなかったという人もいなかった。やっぱり話が合わないのは感じていたみたいだけど、それでも完全に無視なんてそうなかった。そこで気付いたのだ、自分が欠陥品だったってことに。  それを全部、家の事情のせいにしたかった。だけど許してもらえなかった。どうして何もわかってない教師なんかに罪を裁かれなければならないのかと涙を流したけれど、学校では教師が法なのは百年以上前からの真実なのだ。もうどうしたらいいか分からなかった。怒られて泣いて謝るのは簡単だ、でもそれで家が綺麗になることはなくて、根本的解決は訪れないので、結局教師が満足するような改善は見込めない。謝り損だなあ、この人も怒り損だよ、本当に怒るべきなのはうちの親なのに。冷えた気持ちで俯いていると、悔しさとも怒りとも悲しさとも違う涙が出てきた。それは諦め。わたしのことばで誰かが何かを理解してくれることは無い。それは私の技量が足りないからかもしれないし、状況が悪いからかもしれない。だけど昔から私が悪者にされてきた事件のほとんどは私の力の及ばないもっと大きな存在の為すところだったのだ。そしてそれを誰にも分かってもらえずに今も無力に涙を流すだけの自分。  どうして生まれてきたのだろうか。  生きている中に喜びがあった。そしてそれ以上の諦めがあった。諦めはほとんど目上の人との中にあった。教師や親、生徒であり子どもである人間がまともに太刀打ちできない相手。何回も何回も負け戦を繰り返した……そうしないといけなかったから。間違っているのは、勘違いしているのは向こうだったから。家が汚いのも、その家で教科書や宿題の進捗が管理できないのも、昨日と今日の状況が違いすぎて未来に向けて頑張れないのも、全部私のせいじゃなくて、片付けやゴミ出しができないしさせてもくれない親と、その状況を分かってもないし理解しようともしない教師のせいじゃないか。私になんの非があるの。生まれてこのかたずっと責められて、状況を改善しようとしてできなくて、できないことに対してずっと恥をかかされて謝らせられている私に、一体なんの非があるんですか!?  虚しい人生だった。生まれるところを間違った。ある点では恵まれていた。でも、大事なところが欠けすぎていた。常識的な家庭環境がなかった。味方をしてくれる大人もいなかった。子ども時代はずっと大人と闘っていた。心が粉々に砕けて、自分への自信がバキバキに崩れてしまう迄闘わされた。ようやく解放されたのは、大人でも子どもでもない大学生という身分を手に入れてからだった。でも、もう自分の力で立ち上がれない。行きたい場所もない。すっかり疲れてしまった。  好きなものがないことに気付いた。昨日ここに置いてあったものが今日はもうなくなっている、そんな家では、1日で完成させられないものは永遠に完成しないのだ。しかし、1日で完成するようなものに大したものはない。だから人は計画する。計画して、何日も何週間も何ヶ月もかけて、大きな素晴らしいものを作る。わたしにはそうできる環境がなかった。15歳まで。習慣を身につけるのに大切な人生の最初の15年を、何も成し遂げられない環境で過ごしてしまった。わたしには何かを生み出す力はない。何か流れを作る力もない。いつも人の尻馬に乗って笑ってつまらない時間をやり過ごすだけだ。無力で無気力。それがすべて。  わたしがもし自殺をするとしたら、それはこの世から消えたかったというよりは、「わたしの住んでいた環境は人を一人殺すほど酷いところだったんですよ���というアピールをしたいというのが大きいと思う。ゴミ屋敷が子どもにどれほどストレスを与えるかなんて、現代の人々にはまだ理解されないと思う。もし誰かがそのせいで死を選んで、それをきっかけに色んなゴミ屋敷出身の人々が声を上げて社会問題になれば、きっとそのしんどさも広く伝わるのだろうけど。その第一声になってもいいと思う。  ずっと誰かに許されたかった。ずっと、あなたのせいではないと声をかけてもらいたかった。理解されたかった。私ひとりでは処理しきれない体験を誰かと共有したかった。なぜか、ずっとそれができなかった。そして今もできていないと思う。素直に自然にそうする能力がもとから低いのだと思う。  人のせいにするな親のせいにするなという声がずっと響いている。あなたに何がわかるんですか、見たこともないくせに、住んだこともないくせに!あの日言えなかった言葉もグルグルしている。人のせいにして何が悪いんですか、人のせいなのに。あなたこそ私のせいにしないでください!私のせいにしたって何も解決しないのに!
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wssincloud-blog · 8 years ago
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その人の話
私が浪人していた頃、ある男友達から連絡が来た。その子は私が小学校3年生の時に好きになって、中学校2年生で告白したが振られ、高校3年生の時に向こうからLINEの友達申請が来たヤツだった。高校3年生、ちょうど受験の時に突然連絡が来て、勉強の進み具合や受験先を話し合ったりした。そいつはとても頭がいいので、受験先を理IIIか京医か迷っているなんてぶっ飛んだことを言っていた。私が京大文学部を目指していると言うと応援してくれた。そして彼は京医に受かって、私は落ちたのだった。 彼、もしかして私に合わせて京大受験したのかな?だとしたら落ちたの申し訳なさすぎる……いや待って、別に私に合わせる必要はなくない?なんだこいつ。ううん。不思議なやつ。 などと考えながらもう1年受験勉強することにした。向こうは一足先に大学生になるから、連絡ももうこれっきりかな…と思っていたら、6月の駿台の模試がある頃、また連絡が来た。 内容は、模試の手応えとか、今年の受験先とか、見込みはあるかとか、そういう真面目な話で、人の受験先にそこまで関心を持ってるそいつが不思議でならなかった。一瞬は自分に好意を持ってるかどうかも疑ったけど、そもそも相手は大学生できっと出会いの場はたくさんあるはずだし、可愛い女の子もいっぱいいると思う。そんな中で久しく会っていない、会っていてもそんなに可愛くもない女子のことがそんなに気になるのか…いや気になってるみたいだけど。と悩みだすといよいよ相手の気持ちがわからない。でもこちらとしては、初恋の相手から勉強についてちょくちょく気にかけてもらえるとやる気が出るのでありがたかった。好きになりそうだな、でも好きになっても私が合格する頃にはもう彼女とかいるかもしれないし…ちょっと気にかけてもらったくらいで好きになるのは重たすぎるよなあ…と思うとなかなか素直に好きとは言えなかった。自覚するのも怖かった。でも好きだった。 受験が終わった今年の3月に会った。高校3年生の時にも一度会っていて、一年ぶりのデート……デート?だった。やっぱり格好よかった。すこし可愛い系の顔立ちをしていて、小学生の時はほんとうに可愛い!って感じの顔立ちだったんだけど、成長してすこしワイルドな感じも出ているような。まつ毛のあたりの繊細さは霧に光の粒を混ぜたような輝きがあって直視できない。残念ながら写真写りが悪くてあまり世の中には理解してもらえないけど。 カフェでおしゃべりして西宮ガーデンズをうろうろして帰った。いや、映画を見た。何見たっけな。ララランドだ。もう受験とかで失敗続きだった私にはすごい胸に来るいい映画だった。隣の人生順風満帆男にはもしかしたらちょっと分かんない映画だったんじゃないか…と思いもしつつ。映画を見ている最中、一度目をこすっていたから、やばい、退屈かな眠いのかな、と思って、映画館を出た後で聞いたら、コンタクトがズレてたらしい。へええ、コンタクトしてるんだ、大人や、メガネかけてるとこも見てみたいなあ、とかとか、色んな欲が出てくるのを心に感じながら、クスクス笑って「コンタクトしたいんだけど怖い。目をカリってやっちゃわない?カリって」「カリってなんやねんwww」みたいな下らない話をした。 夢見心地でショッピングモールを歩き続けた。かつて好きで、1回振られて、もう1度好きになってもいいと許されたような相手と隣合って歩くのが現実とは思えないくらい幸せだった。向こうから歩いてきた人を避けるために身をかわしたら、ちょっとあいつの手と私の手がぶつかるくらいの距離。9年前はそんな距離で歩けると思っていなかった。あいつの男友達がいる場所を自分が独占できるとは思ってもみなかった。一秒一秒、1歩1歩歩く度に、しあわせ、しあわせと何かに囁かれるような、私が囁いているような、不思議なフワフワした感覚で歩き続ける。 一方でどこか冷えて彼を観察する目が、いつまでもだんまりを決めて歩いているのでは退屈しているように思われるよ、と昂る私に釘をさす。顔や姿を直視出来なくて、すこし早足になっているのも、相手を嫌っているように受け取られてしまうよと警告する。 そんなのは彼の右手を取って私の心臓の上に当てれば1発で杞憂だと伝えられるのになあ、でもそんなことする勇気もないし、よしんばやったら脳みそが破裂して死んでしまうなあ、ああでも私の感情を全て伝えることが出来たらこの上ない幸せと安らぎなのになあ、ああ、溶けそうな、解離しそうな、でもそれは独りよがりの幸せであって、せっかく勇気を出して誘ってくれた彼のためにも、ちゃんと今の時間が楽しいことを、彼に興味があることを、なんとかして伝えなければなあ。ああ、幸せすぎて涙が出そう。うう、それでもちゃんと、なにか話さなきゃ。 そういう葛藤があって、なにか話のネタはないかと彼の方をチラと見ると、黒いパーカーを少しまくって前腕が見えているところに目が止まって、そこに色気を感じてまた息が詰まる。思わず触れたいような、でも嫌われるのが怖くて触れられないようなそこを思って頭がいっぱいになる。手を繋ぎたいなあと思って、でも手を繋いだりしたら自分がどうなるか分からないという怖さがあって、その怖さの先に行ってみたいという期待もあって、しかしそもそも今の私たちの関係では手を繋ぐのも早すぎるという理性の制止があって、爆発しそうな葛藤を永久機関としてグルグル回している。 いっそ抱えているのが辛くなって、泣きながら吐露したいくらい感情でいっぱいになる。そこに冷えた理性がまた滑り込んできて、そうなる前に感情を小出しに伝えろと命じてくる。だけど現実問題、そう伝えること自体が上手くないんだ。さりげなく好意を伝えるなんてほんとうに上級の技だと思わないかね。 しかし自分の感情を外に出せずに、内に篭っているのをなんとかしようとして、相手を気遣う余裕もない自分がやはり嫌になる。ああ、もう少し正直で素直であなたのことを受け入れられるようになったらなあ。 何を話したかは覚えていないけど、何かをポツポツ話して、もう1度カフェに入って、グダグダ話をして帰った。(帰りたくないという気持ちが伝わっているかな、いないかな、分からないな、相手もそう思ってくれてたらいいな、ぎゃくに鬱陶しいとは思われていないかな、相手の気持ちが分からないのがこういう時ほんとうに嫌になるな、私ばっかり幸せ感じてたって上手くいくはずないのよ、でも今すっごく幸せ。飲んでるココアがすごく美味しい。) 帰りの電車に乗りながら、ずっとその日の会話を反芻していた。ドイツ語をしていること、ドイツ語を同期に教えることでご飯を奢ってもらっていること(すごい頭脳プレー)、塾講のバイトをしていること、それがめちゃくちゃ忙しいこと、でも稼ぎがいいのと辞めるのも忍びないので頑張っていること、部活が楽しいこと、大学生になると金遣いが荒くなること、家に友達を呼ぶのが多いこと、などなど。 忘れかけていたけど、そいつは弟のいる兄なのだ。きっとお兄ちゃんだから面倒見がいいんだなぁと合点する。 (阪急のホームは白白と蛍光灯の光で満ちている。私の駅は終着駅で、少し近代的なホームに降り立つ。春の夜気の中を歩いても歩いても、脳の芯を震わせる熱が冷めない。感情が沢山あって、空気が甘くて、世界がいつもより優しく見える。) 結局、やっぱり京大には入学できず、今はだいぶ離れた場所に暮らしている。彼としても不満な結果になってしまったかもしれない。話す要件もなく、要件なく話せる性分でもないので、あれきりあまり連絡していない。一度いきおいでメッセージを送ったきりだ。 サークルで二個上の先輩に好意を寄せられた時に、ふと彼のことを思い出した。人を好きになるという感覚、それも激情に身を任せるような恋の感覚ではなく、ずっとそばにいて温かな感情を育みたいと願うような愛の感覚は、いつも彼と対する時に与えられると気づいた。そうして目の前の、2ヶ月少しでもう相手を恋愛対象と見なして強引に距離を詰めてこようとする恋愛依存っぽい男性をすこし気色悪く感じた。この人は一体誰のことが好きなんだろう? ……話がそれたけど、今の私にとって(異性で)一番大切な人と言えば、それは彼なのである。
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