xamdneverforget
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140字では癪なので
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生活。
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xamdneverforget · 3 years ago
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抱負
ポップパンクの空気を感じたいと思って、N夙川ボーイズを久々に聴いていたら、なんだかモテキを久々に見たくなったので、Netflixで観ていたんだけれど、激しい共感性羞恥に襲われものの15分で観るのを辞めてしまった。あんな正しい童貞像みたいな人間いるのだろうか。童貞がファンタジーを描くのと同じくらい、藤本幸夫もファンタジーだ。それに加えて藤本幸夫の生活はやたら覚えのあ��くらい生々しいから、ファンタジーと現実にキリキリと挟まれて頭が痛くなった。長澤まさみが現れたとき、物語はちと不安定が流れたのだけ良かった。
他人と比較して凹んだり、ムカついたり、良い時は刺激を受けて真似したりってのをずっとしてきた。ただそのせいでおれの手元にもなく肉にもなってないことを考えさせられたり、やってみようとしたりして、その度に疲弊していた。今年は他人と比較するのをいい塩梅くらいにやめてみようと思った。それよりおれの中で自然に浮かんだことだったり、おれの好きなものや嫌いなものだったり、あるいはおれが今感じてるムードだったり、そういうものと今年は向き合っていきたい。いまは、おれの身体に染みてないものから何か産みたいと思わない。生活したい。生活の景色をもう少し強く感じたい。友達との自然な会話とか、風呂に入って歯磨くとか、今日はおいしいカレー食べた、とかそういう一場面をきちんと覚えられたらな、と思う。映画はもっと観たいし本ももっと読みたいけど、それとは別にインプットするところをもう少しスライドさせるというか。つらつらと書いたけれど、これが多分一年の抱負になる。他にも豊富にしたいようなことはもっとあるかもしれないけれど、それは思いついた時にまた書けばいいか。
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xamdneverforget · 3 years ago
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2022
ジョゼと虎と魚たちは良い映画だと思った。
おそらく恒夫が体験するであろう喪失が旅行の写真やジョゼの朗読に用意されていて、映画は最初から喪失の記録になっていた。くわえて2003年の映画だし、ガラケーとか、ネットで水族館の休館日も調べられないとか、もう帰ってこない00年代の風景がより喪失感に満ちていた。だから延々とうるっときていた。夢の中で故人と会うようなものだと思う。
今年の11月に祖母が死んだ。父方の祖父はもう生まれた頃には死んでいて、その祖母は震災の後ぽっくり平和に亡くなった。母方の祖父は肺炎を患ってその5年後くらいに死んで、最後に残ったのが母方の祖母だったけれど、穏やかに母と叔母との昼食をとったあと、急な頭痛に襲われてそのままポックリ、とらしい。祖母を見届け、家に帰ってきた母が「もっと色んなことを教えて欲しかった」と泣いていた。父も母も親を失った。その事実で家の地下室が失われたような気分になった。子供の頃よく遊んだ秘密の地下室。それは充分におれをぐらつかせる。
祖母は事あるごとにおれを「素晴らしい」と言っていたらしい。何を思ってそんなことを言っていたのだろう。おれはずっと無責任な暮らしをしていて、今年にいたってはあまりに酷い年だったのに?うつ病で床に伏せっていたのに?今年は音楽も聴かずずっとYoutubeを見ていたのに?健康診断で8つも再検査を受けたのに?ひどく体調を崩して友達の家で気絶して、そのまま雪崩れ込んで机の脚を折ってしまったというのに?それでもおれは素晴らしかったのかな。
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それでもおれは素晴らしいと言うほかはないんだろうな。それは祖母に対するイヤミとかじゃなくて、おれがおれを素晴らしいと言わなきゃいけない。それを祖母が言ったより先に、おれが言えたらよかった。そのことが祖母に面目立たない。結局、おれはおれのことをまだ愛せてないから苦しんでるような気がする。自己否定を繰り返したところでどんどんと足腰が重くなるだけだ。だから、それでもおれは素晴らしいと認めなきゃいけない。自分を嫌って嫌い尽くした先で、おれはおれを愛する旅をこれからするのだ。そのために曲を作ったり、遊んだり、働いたり、たまにめんどくさくなって休んだりする。2022年の抱負はセルフラブ。ちょっとでも自分を好きになれたら、他人のことももっと好きになれるかも。来年はそういう年にしたい。できれば3ヶ月先の来年じゃなくて、1月1日から。
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xamdneverforget · 5 years ago
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関係ないことを考える
性懲りも無くミックステープを作っている。
8月某日。
おそらく8年ほど会っていなかった友達と駅のホームで出会った。
SNSでは繋がっていたが、おれが当時何も言わず失踪して、音信不通にしてしまったのもあって、後ろめたさか、何となく意識的に会うことを避けていたような気がする。目が合った瞬間はギョッとしたし、バレちゃったか、という気分になった。
おれたちは電車に揺られながら、いま中学の同級生がどれだけ結婚しているか、現状にどれだけ満足していないか、そんな話をした。おれがいる場所は結婚していない人間が多いだけで、中学という様々な出自、学力、家庭、嗜好が存在するミニマルでよりフラットな社会では、多くの人にとって、やっぱり結婚はスタンダードな経験だったりする。
自己実現とは難しく、ある考え方、ある経験を通してこんな自分になれました、遂に何者かになれました、というものでもなく、迎えることのない出口に向かっているような気になって、淡々と日々が過ぎていく。結婚しようが、子供を持とうが、億万長者になろうが、こういう懈怠は晴��ないような気がしている。
最近は恐らくもう立場や考え方も違ってしまった同級生たちと、学生時代という瞬間は交差していたという事実について考えていた。同時に交差しなくなってしまったことについても考えていた。実際のところ、どれだけ交差しなくなってしまったのだろう。仮に交差するとすれば、こうやって偶々友達と会って、現状を報告し合うことなのだろうか。教室にいたという体験と思い出を通して。
A. G. cook - Gold Leaf
10月某日
昨日が知り合いの誕生日であったことと、いまチーズ燻製が食べたいと思っていたことに何の関わりもなかった、と友人が言う。風が吹けば桶屋が儲かる。遠くのもの同士が、どこか自分の中で結びつく時がある。たとえばモンゴルのゲルとチャンスザラッパーとか。でも本当のところ、チャンスとゲルにはきっと何の関係もないのだ。そういう分断を関係づけようとする何かが働いて、それがある時は些細な気掛かりになり、ほんの時折文学になったりする。
ここしばらく文章が書けなかった。頼まれて書いているわけでもないし、書きたくなったら書くか、という気持ちで生活をしていたら2ヶ月が過ぎていた。文章を書けなかったのはおれがおれを見る距離感を失っていたからだ。元気じゃなかったというとそういうわけではなく、単に概観するほど冷静じゃなかっただけだ。ここ数ヶ月ほど、頭の中がどうにもささくれだっていた。9月に入ると、どんどんと茹だった頭は冷めていったし、単に何度も落ち込んだ。今も多少、浮上のきっかけを掴めていない。
あらかた聴きたい音楽は聴き終えてしまった気でいる。莫大な時間があったので、いま産まれている音楽は大抵聴いたんじゃないか。何か新しい音楽に出会うのはそこそこ先になるだろうし、いまは不定期連載の次回更新を待つような気持ちだ。色んな音楽を聴いて思ったのが、いまのUSシーンにあまり興味を抱けないということ。特別良い音楽は砂の礫程度にしかないということ。トレンドばかり追いかけたところで自分はその後塵を拝すしかなくなるということ。
生活は単調で日々は鈍色だ。どこに行っても退屈さを拭えない。知り合いの誕生日と、いまチーズ燻製が食べたいことが本当に関係あったらいいな、と思う。分断が結びつく瞬間にハッとできれば、この懈怠も少しはマシになるかもしれない。
galen tipton - That was for luck
10月某日。
また京都行きのバスに揺られる。
サウナに入った後なので、バスではいくらか寝ることができた。前回は一睡もできなかったことを考えると、大きな前進だと思う。
最近はサウナにばかり行っている。友達の影響ですっかりハマってしまった。じわじわと焼けるようなサウナ室での8分間は永遠のようだし、水風呂からあがり、ジンジンとした頭で迎える外気浴も永遠のようだ。おれという人格がその瞬間は溶けきって、時たま禅の境地にいたったような気持ちになる。
サウナから帰ると、交代浴によって整えられた自律神経のおかげなのか、とびきり上等の抗うつ薬を飲んだようで、何の不安も抱えずにいられる。これを求めているのかもしれない。快楽と抗うつ。サウナなんて、しっかりと日々の充足を感じている人間にきっと必要のないものだ。これは合法のトリップで、もし重大な健康被害を与えることが発覚したら、簡単に薬物と同じ扱いになる。寂しい人間のためのもの、寂しい人間が孤独を幸せに過ごすためのものだ。
おれはきっと日々に不満を抱えている。きっと人の成功や失敗を見て、自覚してないなりに大きく心は動かされている。有名になりたいと思う。崇めたて祀られる必要はないが、有名であることがいまのおれには必要だ。いつかこ��寂しさも解消されるように、おれは多分有名になる必要がある。
Matt Elliot - The Kursk
10月某日。
集中。
一人の作曲は本当に孤独だ。静かな部屋でひたすらに才能のないおれに気が滅入りながら、面倒な打ち込みを続けている。いくら凝ったところで、曲に力が無ければ大した曲じゃあない。技量すべて使ってもそれはまったく本質的でないし、音楽はかくも難しいのかと思い知らされる。たまに映画を観たり、床に臥せてみたり、散歩してみたり、サウナに出かけたりして自分の機嫌をとってみるが、結局作ってみればウンザリしてしまう。東京に出て、適当なパーティーに出かけたくなる。人間関係の中でおれの至らなさから疲弊してしまうことが多いのに、わざわざ疲れに行くというのは業だな、と思う。最近は特に何もしてないはずなのに、どこか磨耗しているような気がする。理由はわからない。先のことを考えて、その時くる苦労を想像して疲れているのかもしれない。
ロウはロウなりに何かやることは大事だと思う。何かやったことがちっぽけな肯定感に繋がって、一応低空での飛行は続けられる。風を待つしかない。ぐるぐるぐると回りながら、のらりくらりと暮らす。至らなさを自覚しながら。もっと気の回る人間だったら、と思う。
風。砂塵のような風に当たりたい。それはとびきり素晴らしい物語なのかもしれないし、血が沸くようなレイヴパーティーなのかもしれないし、痺れるような恋なのかもしれない。七味唐辛子を全て頭に振りかけたような刺激を求めている。猛烈。背中が灼け焦げて戦慄するスピードを。脳味噌をぶち撒けちまうような衝動を。鉄砲で撃たれてしまいたいとすら思う。最近はやっぱり、退屈なの��。
筋肉少女隊 - 日本の米
10月某日。
気持ちの大しけを経た。
この一年で一番の大しけ。とある一日にいたっては、身体を起こせなく、埋まることしかできなかった。こういう時はぼんやりとした頭で色んなことを呪っている。例えば日本に500発の核兵器が落ちて、何の痛みも熱さも感じることなく全員が消えてしまえ、とか。あるいは突然宇宙の時間が巻き戻って、全てが小さな原子に収束していって遂には何にもなくなる、とか。呪怨こそ悪い気なれ。ここ数日、部屋はそういうものに溢れ、これでおれが死んでしまっていたなら、しっかりと怨念の残った瑕疵物件になったかもしれない。
人と会う元気はないが人と電話越しに話すことでほんの少しだけ元気になった。それから中国の草原のことばかり考えている。高原のどこかで、漢民族や騎馬民族が移住のため、交易のため、戦のため、青空のもと馬を走らせている光景を想像する。馬に乗る人々は武勲、富、家族、乳酒、何頭かの羊を夢見て草原を走っていたはずだ。あまりに時代遅れで、しかしその時、活きいきと色めいた観念があった。ideaは時代とともに変わりゆくが人間の精神構造は人種の差別なく数千年変わっていない。馬を走らせた一人物とおれの心の器は、大方変わりなく、あとは状況で器の中に何が入るかが決まっていくだけだ。それは勇ましく残酷なテムジンにもなるし、大しけで身体も動かせないおれにもなる。
おれの頭の中でのみおれと結びつけられる風景を外に出したとして、他人はおれと結びつけることができるのだろうか。何にも関係ないことを、勝手に紐づけてただの気がかりにしているだけ、という気もする。ただ、そうしたぼんやりとした画が、ぼんやりと頭の中で寓話へと形成されていってる。
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xamdneverforget · 5 years ago
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World Map リリースに寄せて
自粛期間の最初のうちは多くの人と同じように、めちゃくちゃに沈んでいた。
何がショックか分からなかったのが辛かった。日常が失われてしまったこと、もう2019年には戻れないこと、そういうことが辛いようで、本当はそうじゃない気がしている。自粛に入っても、切り替えて継続的に努力する友達が羨ましかった。おれは自粛を理由に、1ヶ月サボりたかっただけかもしれない。
ひたすらにYoutubeを見ていた。お笑いとか、都市伝説系の動画とか。ゲーム実況も見た。ちょうど緊急事態宣言が出たあたりの4/10に、FF7のリメイクがPS4が出て、実況動画はそれかどうぶつの森か、という盛り上がり。そういう動画を見ていた。FF7はやったことがなかったし、クラウドという主人公がいるぐらいしか知らなかったけれど、リメイクでも見てみると面白いもので、どうせ何も真面目なことに対してやる気は起きなかったし、惰性でiOSに移植されているFF7のオリジナルをやり始めた。
70時間はやっていたんじゃないか。SNSは見たくなかったし、とにかく一人でいたかったから、ひたすらにプレイし続けた。自己矛盾を抱えながらも、何度も何度も感動してしまった。それこそ泣くような気持ちでやっていた。終わってみれば、どこかスッキリとした気持ちになったし、それなりの高揚を覚えていた。特に序盤のミッドガルから脱出した時、現れたワールドマップに心から感動した。要塞のように構築されたミッドガルも、世界の中ではちっぽけな都市で、地図上で世界は広大に広がっていて、期待感と高揚を一人狭い自室で感じたりしたのだ。プレイ後の高揚をとにかくおれは残したかったし、それなりに前向きな気持ちで曲も作りたかった。面倒な気持ちを抱えながらも、細かく音を作り、入れて、構成し、出来上がったのがWorld Mapだ。
個人的には会心の出来だと思っている。kyazmも褒めてくれたし、とにかく納得のいった曲になった。中間の落ちたところにしかボーカルを入れない予定だったが、kyazmの家に行った時、彼がその前のセクション、または後のセクションにもボーカルを入れていて、それが本当に良い意味で���眉だった。こういうのを一緒に作るというのだな、と感触を得たのを覚えている。
MVは別の曲で撮る予定だったが、無理を言ってリョウマくんにはWorld Mapに替えてもらった。ただ、リョウマくんもこの自粛期間、同じようにFF7のリメイク動画を観ていて、そのままFF7のオリジナルをプレイしていた。なんだか運命的だと思ったし、目指す場所は一緒なんじゃないか、と思って、嬉しい気持ちになった。飛んでいるモデルの羽は、どこかライフストリームのようで美しい。多忙の中、合間を縫ってCGという新しい挑戦をしてくれた彼には感謝しても感謝しきれない。
エアリスは古代種の神殿で「がまんがまん。こんな苦労話、いつか笑って 話せる時が来るよ!」と言ったのをよく覚えている。ティファは「エアリスは未来について いつも話していた」と言う。色々なことが全て悪い方向に転んで、人類が滅亡する未来に辿り着くとしても、おれたちがいま未来を語ることの価値は失われはしない。でも、面を切って話すのはまだ恥ずかしいから、せめて曲の中で、未来を語らせてほしい。
Kazutaka Sawa
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xamdneverforget · 5 years ago
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スタミナ
長い梅雨を空けて夏になった。
7月某日。
ずいぶんと文章が書けなかった。
とにかく凹んだり、ハイエナジーだったりした。路頭に迷うような気持ちになったし、確信めいた気持ちにもなった。リリースでバタバタしていたのも文章が書けなかった一つの要因かもしれない。
7月はそうだな、DJを沢山した。おれの中で心変わりがあって、ライブハウスでのパーティー的なDJを当分やらないことにした。いまは変わろうとしていて苦労している。おれの土俵でどれだけお客さんに刺さるのか、を毎日考えながら音楽を探していて、新しいことを始めるのは大変だな、と当たり前のことを考える。
週末は友達の家に泊まりっぱなしで、ゆっくりと話す夜もあれば、エクレアを食べながらソファーに沈み込んだ夜もあった。だから月曜日はとかく疲労していて、何もできないまま一日を過ごすことが多かった気がする。今日だってそうだ。
やってやるぞ、という気持ちが最近はかなり強くて、気持ちに身体や脳が追いつかず潰れてしまわないように、バランスをとろうとしている。サウナに通おうかな、なんて考える。サウナに通うにしてもお金がないので、明日は市役所に手当��を申請するつもりだし、持続化給付金も申し込もうと思う。それなりに来月は就労する気があるので、真っ当な理由で貰いに行こうとはしている。
やることは尽きない。リリースする前以上にいまはいろんなことを思いつく。それは「すべき」ことだし、「やりたい」ことでもある。前向きすぎやしないか、と不安になる。おれはおれの発想に期待をしているが、おれ自身には期待をしていない。でも、いま突っ走るタイミングがきたと思っていて、その体力を維持するために、いまは手当てを貰いに行ったり、家から出ない日を作ってバランスをとっている。泥臭く何かをしていくためにはある程度の無理が必要で、無理を通すために、無理なく済むところは無理をしないようにしている。要はコンディション作りだと思う。
身体を上手く休めるために、本当は早く寝れたらいいんだけど。日中に消化する予定だったタスクをもう少し終えたら寝よう。おれは今サイドバックのような気持ちでいる。ダイアゴナルランをし続けて、後半20分、センターフォワードに綺麗なカーブを描いたクロスが届く。そんな場面が頭をよぎる。
Dylan Brady - 7/11 drone
8月某日。
禁煙をしようかと考え始める。
そんなことを考えたのは4年ぶりぐらいかもしれない。彼女が煙草を嫌がってたから、その時は禁煙をした。ほどなく彼女と別れたので、2ヶ月しか続かなかった。
今週は酷い頭痛で、作業の進みも悪く、辛い時は寝込んでしまっていた。偏頭痛だ。本当に、こめかみがグイッと常に押さえられている感じなんだな。ここまでくっきりと感じる頭痛は初めてかもしれない。身体の不調は心に影響する。未だ気持ちは前向きだが、作業に影響するとなるとストレスだ。友達は詰めた銀歯の銀が溶けて、何を食べても煙草を吸っても、銀の味がして苦痛だったと言っていた。わかるよ。こういうの気持ちを萎えさせるのに十分な要因だ。
身体の調子に左右されたくなくなってきたので、禁煙したくなった。いまはとにかく作業しなきゃだし、色んなことを考えられる頭じゃないと、フォームを保てない。酒も減らした方が本当はいいんだろう。そうした決断になんとも踏み切れないおれがちょっとだけ嫌になる。酒も煙草も、それなりの楽しみなのだと思い知らされる。
特にこのコロナ下では、おれを含め全ての人間がより一層体調を気にしなきゃいけないわけで、それは何よりのようだし、息苦しさもある。もう2019年には戻れないが、それでも普通の日を迎えたいと思う。また営業時間が短縮する。梅雨が明けて空も晴れ晴れとしているというのに、未だジクジクとした想いは続く。
筋肉少女帯 - いくじなし
八月某日。
ふと、おれの生活圏や出入りするコミュニティの外に出て、全く違うそういう場所に出入りすると、不思議な気持ちにな���。
その人たちは、おれとは違うやり方で人と仲良くなったり、仲が悪くなったり、あるいは仲良くなれなかったりするわけだ。おれたちが話すのとは違う話題で盛り上がったりする。そういうコミュニティに居心地の良さを感じたり、孤独を感じたりしている。そう考えると、世界はとても豊かだと思えるし、一方でそういう場所に投げ込まれた時、クラスでチャートミュージックの話題についていけず、ART-SCHOOLを一人聴いてた頃のような気分にもなる。実際、ART-SCHOOLというワードに、違った共同体の人たちはどれだけ反応するのだろうか。
おれは心の奥底で、おれの好きじゃないものを排他しようとする節がある。でも一方で、例えばあるコミュニティ内で性暴力が横行していてたとしたら、それは排除すべきだが、そうでない限りは全てに対して寛容でありたいとも思っている。信条と情動が対立していて、よくある頭の中の天使と悪魔、あんな感じの葛藤を抱いて、家の中に引きこもっている。
電車で同じ車両に乗り合わせた見知らぬ他人たちを見ながら、時々打ちのめされそうになる。この人たちはおれのように生存し、食事をし、見て、聴いて、感じて、でもおれとは違うやり方で何かを感じて、見て、仕事をし、育ってきたのだと考えたとき、その車両にいる人たちの莫大な人生の量に圧倒され、脳みそが壊れそうになる。
他人、他人とはなんと巨大なんだろう。全く知らない他人なら尚更だ。時々、想像力がショートしそうになる。見知らぬ人たちに想いを馳せるということは、なんと途方もない行いなのだろう。
Wonder the boy - It's so sad
8月某日。
精神のスタミナが切れたのを感じた。
最近頭の中がバリッバリで、常に先のことを考えていた。思考をいつもより働かせていたせいか、急に何もしたくなった。疲労だ。スタミナが切れたんだろう。やりたいことは沢山あるのに心が追いつかなくなった。
大抵、こういうのは脳の炎症だ。気分が落ちてる時のすべて、脳の炎症に還元できるんじゃないだろうか。おれたちは生理学によって生かされている。人間機械論は本質を捉えてないかもしれないが、応急処置的に有効でもある。というわけで、2日間ずっと寝続けた。飯を食ったら寝る、を何度も繰り返す。焦る気持ちはありつつも、勇気を持って寝る。出かける予定はこなしつつ、あとは寝る。ずっと寝続けていた。どんな夢を見たかも今になっては思い出せない。けれど、2日も寝ると気持ちは回復してくる。病み上がりのようなもので、まだ本調子じゃあないが、少なくともスタミナ切れって感じじゃない。また、日々に戻っていくのだ。きっとこれの繰り返しを、いまは経なければならない。
今を生きる。これはとても難しい。意識すると尚更。常に頭を働かせないと、今を生きることは難しい。今を生きることは、ある意味では正しい選択をすることだ。そして、その選択肢を間違ってしまったことが、正しくあることだ。まるで禅のように言語化できない。それがきっと今を生きるということ。おれは世界に根��して、世界に働きかけようと努め続けたいし、そうしなければならない。だからこそ、スタミナが切れた時の処置も、より正しい必要があるのだ。
Jimi Somewhwere - 1st Place
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xamdneverforget · 5 years ago
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シャワー
遊びっぱなしで帰ったら惰眠を貪る。
6月某日。
どことなく頭が痛い。
自粛も緩やかになり、金土日は出かけて遊びっぱなしだ。もちろんDJという真っ当な用事もあるが、基本は食べて飲んで遊んで。給付金も吹っ飛びそうな勢いだ。
夢について考える。夢なんて言葉は意識していなかったが、立ちたいステージとかなりたい自分はあったりするので、ああ、これが夢かなんて思うと、叶えなきゃなという気持ちになる。夢を叶える上でやらなきゃいけないことは多い。上澄みとしてやらなきゃいけないことはまだいい。働いて金を稼ぐとかミックステープを完成させるとか。でも、捨てなきゃいけないことは中々辛い。現状、それが上手く行ってないわけでもないのがまたね。それでも、明らかに捨てた方がいいと思うし、どうしても捨てられないものだという気もしない。捨てる時が辛いだけだ。これは別れ話に近い。そういえば今年は一度、別れ話があった。あんまり良い別れ方ができなかったな。心残りはあったが、別れるべきだったと今は思う。
とはいえ覚悟がいる。どう人に伝えたものか、と眉間に皺が寄る。
Shygirl - MSRY
6月某日。
全くピリッとしない一週間だった。
6月ももう終わろうとしているし、おれの年齢はいつの間にか30に差し掛かろうとしている。もうおじさんとして生きなきゃいかんのか、とうなだれる。こんなに何もない社会貢献度で。せめてミックステープが出来るまで待ってくれ、と言��たいところだが、制作に必要な時間を今週は見事に浪費してしまった。まず第一に酒を辞めたい。酒がたたって、その後の数日動く体力が無くなっている気がしてならない。ついでに財布だってスカンピンだ。浪費に浪費を重ねているのに、時間や金の余裕はない。
作った楽曲を聞き返しながら、もっともっとという気持ちになる。20曲以上作ったが、おれ自身が聴いて吹き飛ぶ曲は数曲程度だ。ライブでやるのはいいが、世に出すほどでもないのが大抵。phaiでの制作がここ最近あまりに上手く行ってたから、落差に落ち込んだりする。phaiに負けてはならないのだ。そしてphaiも、おれには負けてはならない。そういう循環を上手くいくように整えなければいけない。
行きたかった渋谷のクラブにも行けなかった。ここ最近は下北沢ばかり行っていたし、明日も明後日も行くのだけれど、渋谷の華々しい空気がそろそろ恋しい。そこで酒を飲まず、朝まで踊れたらどれだけいいだろうか。
Ken truths - laid back
6月某日。
もう7時か。
28時間も起きている。
特に忙しいわけでもなく、なんとなくそれくらい起きている。友達の家で寝そべりながら、手持ち無沙汰だから文章を書いている。アルコールで火照った身体が気持ち悪い。今なら眠れる気がする、って28時間のうちに何度繰り返したろう。網戸を開けてタバコを吸う。��達の曲を口ずさむ。先週食べたラーメンのことを思い出すと、ラーメンを食べたくなる。一昨日、禁酒しようと思ったのにまた酒を飲んでいる。28歳。どこに向かっているか考えると、どこにも向かってないな、と思う。友達と釣りをしようと話した。竿釣りはミミズを切って餌にしなきゃいけないと聞いて、ゾッとした。でも、夏の海釣りのことを思うとワクワクもする。寝静まった部屋は雨の音だけがする。ふと、この家にいる友達2人が急に死んだら悲しいな、と思う。きっと、とても悲しいと思う。
少し眠くなる。火照りも収まってきた。叶うなら、健やかな生活と眠りを。
S亜TOH,Lil soft tennis - oh no
https://www.youtube.com/watch?v=c_5uILF5rgM
7月某日。
終電で帰ってからシャワーを浴びた後に当たる扇風機はなんとも素晴らしい。
今日は楽しくDJができた。有名な曲はほとんどかけず、四つ打ちをひたすら流し続けた。割に合わせるDJばかりしてきたので、普段のパーティーと違った論理でプレイするのは新鮮で楽しかったし、今はそういう機会をどんどんと増やしたい、と思う。
最近はアンビエントばかり聴いている。特に90年代後半から00年代前半にかけての。高校生の頃聴いたものを聴き返している。数年前までは、好きだけれど、どことなく古い化石のような音楽だった。今は違うと思う。ようやくサイクルが回ってきた。おれにとってこうい��た音楽はしっかりと刷り込まれているし、ポップミュージックやダンスミュージックを作りながらも、時折そうした音楽の影響下にあるな、と感じる。
アンビエントをやる、ということ。商業音楽や伝統的な音楽に対して、ある種ハードなスタイルだと思う。だってビートレスだし、歌もほとんどない。ヒーリングミュージックのようで、ああいったコンピレーションに含めてもらいたくてやってるわけでもない。聴く側にもある程度の我慢をしてもらう必要があるし、非商業的な音楽の典型だ。少なくともチャートインはしないだろう。チルのようで精神性はむしろポストハードコアやIDMに通ずるものがある。だから、意識下にしろ無意識下にしろカウンターが前提にあり、アンビエントをやるということには勇気も必要なのだ。Aphex TwinのSelected Ambient Works #2が分かりやすい。ダンスミュージックを極限までスローにして、ビートレスで長い時間ループし続ける、ということは明らかなカウンターであり、その分非常な我慢を強いられる。このアルバムを聴ききったことは今までない。
アンビエント。良いものを作ろうとすると、途端に難しくなる音楽だ。簡単に作れるようで、ビートレスで良い、という場所には中々届かせにくい。ここ2週間の間に、何度も作ろうとしては失敗している。胸を打つようなアンビエントが作りたいものだ。明日こそは作れればいいと思う。
Aphex Twin - #3
https://youtu.be/VAoTsU7JlSI
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xamdneverforget · 5 years ago
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ハイアンドロウゲーム
蒸し暑くなってきた。
6月某日。
最近みんなと喋っていて、先を見据えているなと感じさせられることが多い。
いずれなりたい自分の像がみんなにはあるのだ。それはなりたいアーティスト像だけではなく、年収だったり結婚だったり。それなりにみんななりたい自分から逆算して考えていたりする。それを目の当たりにして自分が恥ずかしくなる。最近考えていることは明日の朝飲むコーヒーのこと、次に作りたい曲のこと、digしてみようと思うシーンのこと、制作中のビデオのこと、職がない不安、毎日17時にアップロードされるお気に入りのYoutuberの動画、そんなものだ。大体先のことを考えていたって1ヶ月先のことくらい。あとはなにも考えていない。だから、考えている人に出会うと、熱意もなければ能もないという気持ちになる。
なりたい自分。中学生の頃は公認会計士になりたい、と言っていたような。何をするか何も知らなかったけれど、アンケートにそう書いた気がする。高校の頃は音楽で食っていきたい、それか批評家になりたいと思っていた。大学に入ると色んなことが有耶無耶になった。一度だけ研究職に就きたいと思ったことはあったな。その時は神学がやりたかった。
今は、今はなんだろう。これほどなりたいものがないと、ちょっとだけ不安になる。蓄えのような気分でなりたい自分を設定した方がいいのだろうか。今はそれがなくとも困っていないけれど、将来のことを考えて持っていた方がいいのかな。それからうーむ、と悩んでいるうちに寝てしまって、気がついたら誕生日を迎えていた。おめでとう、おれ。
Jan flu - raclloss
6月某日。
自粛期間中、いくつかゲームをプレイしたし、沢山のプレイ動画を見た。学生時代はゲームに全く触れてこなかったので、なかなかに新鮮だった。プログラムを前提としていて、時間的制約を持たない物語というのはこうも面白いのかと感心する。学生の時にハマっていたら逆に時間を大量に溶かしてしまったかもしれない。その意味で、今まで触れてこなくて良かったのかな。
最近は別の意味合いで「ゲーム」という言葉が使われているのをよく見る。たとえば、アフリカン系アメリカ人はアメリカ大陸に渡ってから今まで、多��れ少なかれ差別に晒されていて、アンフェアな構造の中でアメリカ社会というゲームに参加させられている、など。生まれで差別を受け、さらに社会的な不利益、あるいは生存の危機に直面してしまうのは明らかに正義でない。それはアフリカ系だけでなく、ヒスパニック系も、アジア系もそうだろう。日本におけるアイヌ民族、在日の人たちもきっとそうだ。この不当なゲームは是正されるべきだとは勿論思う。
今、#BlackLivesMatterで世間は賑やかだ。賑やかすぎるほどだ。BlackLivesMatterには不当さの是正という疑いのない正義があるし、修正はされるべきだとおれも思う。けれどこれはGTAみたいなもので、大筋の正義はBlackLivesMatterという運動、いやこれもゲームと言っていい、このゲームに存在するものの、大筋に対してあまりにオープンな世界が用意されていて、このゲームに則った実際の行動に制約がない。しかもSNSという高速回転するツールやコロナによる全体のバランスの崩壊で、結果的に怒りや暴走を喚起するように出来ている。物理的な暴力であったり、誹謗中傷であったり、あるいは善意による同調圧力的な言論であったり。仮にそれが修正から��遠い行いだとしても、その行為が大筋に沿ったものだと、プレイヤーは奇妙に了解していたりする。了解できない人たちは異議を唱えることで結局プレイヤーとして巻き込まれてしまうし、参加しないという選択肢をとると沈黙に行き着く。正直にいえば、良い結末にならない予感がなんとなくする。上手く纏まるならいいが、それでも経過の中で犠牲になることが多いような気がするし、誤った判断を引き起こしやすいゲームのような気もする。
ツールであるところのSNSもそうだ。特にコロナ以降に言えることだが、情報の回転があまりにも速すぎる。1週間程度のスパンで何度も未知の状況に陥ったし、そういう状況であると知らされるニュースに日々晒されている。その時発された言論や芸術的な表現を瞬情報の高速回転が瞬く間も無く強度を失わせる。そこに大量のユーザーの意見も情報として流れ込んでくると、もう取っ散らかるだけだ。これは結構やっていられない。
音楽もそう。これはコロナ以前からそうだけれど、ストリーミングが登場した時点でもう相当な消費とトレンドの高速回転が始まっていて、digで仕入れた音はすぐに広がり飽きられる。音楽はプラットフォームや社会に最適化されるのは当たり前の話だけれど、それにしてもアップデートのスピードが速い。コロナ以降はさらに加速していっている。4月にzoomの映像とグラフィックを使用したMVを撮ろうという話を友達としていたが、ものの1ヶ月半でやり尽くされた。もはや加速主義的な世界観で、行き着く先は進歩ではなくそれの善悪をもう測ることのできない特異点なのでは、とすら思う。だけど、ストリーミング以前の生活には戻ることは明らかに出来ないので、もうこのゲームにプレイヤーとして参加せざるえない。
あっちこっち考えるうちに、おいちょっと待てよ、このゲームって良いゲームなのか?と常に問おうと決めた。勿論、あらゆるゲームに参加しないことは不可能だし、参加せざるえないゲームは参加し続けなきゃいけない。でも、知らず知らずに乗せられて判断を誤るのは避けたい。発売初週の商品をあえて買わないのと同じで、最初のバグのあるうちは様子を見たい。何がこのゲームのバグなのか、どんな修正が必要なのか、あるいは買うに足らないのか、それはのめり込みそうな時ほど距離をとって判断した方がいい。消極的だと思われても構わない。意見するのが不得手だから、こういう考えに行き着いてしまったような気もする。ただ、どうにも反射神経で物申すことに抵抗を覚える。反射神経で物申している有様を見ると余計に。混乱や停滞を引き起こしているような気がしてならないのだ。
Danny Brown - Dip
6月某日。
ピリッとしない日々を送っている。
あれだけ丁寧な生活を心がけたのに、最近はどうも惰眠を貪ったり、夜が明けるまで酒を飲んで遊んだり、地に足のついていない生活を送っている。現にいまは朝の5時だ。以前はこの時刻に起きていたのに、今はこの時間まで眠れずにいる。まどろみと覚醒の間にいる感じが気持ち悪い。身体は妙に火照っているし、ところどころ痒みを感じる。
ここのところ性について考えている。友達が性被害にあったことがある。それは後で知ったことだ。東京新聞にその体験が彼女の実名を載せて書かれている。彼女は薬を盛られて家に連れてかれ、目が覚めると暴行された後だった。酷いショックで坊主にしてしまったし、靴を履くことすら一人では出来なくなってしまった。今は社会人として働いているが、未だに性被害、性犯罪者を憎み続け、苦しんでいる。おれが性について、強烈に再考するきっかけになった話だ。
ライブハウスでセクハラはやはり見かける。過剰なボディタッチだったり、太ももを触るとか、よく見る。物理的なセクハラもそうだが、言葉のセクハラはさらによく見る。性的なマウントだと思う。突き詰めれば相手が抗議さえしなければ、性的な領域を犯しても良いという下卑た考えから起きている出来事だと、おれは勝手に決めつけている。堅苦しいとは思うが、性的なマウントを認めてしまうと、アンフェアな構造が産まれることを認めてしまうことになるので、そういう行動や言動はおれからしないようにしている。本当なら、そういう現場を目の当たりにした時に止められるといいんだけれど。それを止められてないのは心の弱さ故なんだろうな。申し訳ない気持ちになる。
そも、男性的/女性的という二分法がナンセンスな気がしてきた。おれの行いを「男らしくない」という尺度で測られたら、なんとなく息苦しい。おれは生物学的にはオスだが、いわゆる「男らしく」ある必要があるのだろうか。男性的な魅力だけに拘る必要って何だろう。あえて二分法を使うけれど、別に髪型は男性的な魅力に溢れていて、服装は女性的な魅力に溢れていてもいいじゃないか。これは政治的な思想にも言えるけれど、しいて言えば女性的、しいて言えば男性的、というグラデーションで個人の性は構成されてると思うし、そうあって欲しい。もちろん、生物学的な性差は避けられないことは承知の上だ。でも、それが個人の行動を制限したり、社会の構造をアンフェアに決定づけてしまうことが、どうにもしっくりこない。
まだ考えはまとまりきらないが、性に無頓着ではいられなくなってきた。無頓着なことで世界が悪くなって欲しくない。個人の行動が社会の構造を作っていくし、最適化されていない構造がゲームバランスを崩す。何より嫌なのは、構造について揉めている人たちを目の当たりにすることだ。毎日、脳が腐りそうな気分にさせられる。
Eartheater - Supersoaker
*前述した友達の記事です。実名も公開されていますが、本人たっての希望です。その勇気に敬意を表したいです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17446
6月某日。
おれは気分の波が激しすぎる。
大体、1ヶ月周期でめちゃくちゃ落ち込んだり、ハイになっていたりする。ハイになった状態で何か提案したり行動しようとして、ダウナーに入って全部ダメになる、の繰り返し。それで何人に迷惑をかけてきたことか。ついこの前も二度やってしまって、今ではもう合わす顔がなくて途方に暮れている。
高校2年ごろから、こういう事が起きるようになってきた。そう考えるともう10年これなんだな。いまだに付き合い方が分からないし、鬱陶しくて仕方がない。あれこれやったが、改善されることはなかった。勘弁して欲しい。おれは常に真っ当でいたいし、誰にも嫌われたくない。それなりの自己成長も望んでいるんだ。毎日しっかり成果をあげて、誰からも信用される人間。ハイの時は少しはなれてるかも。でも、それを台無しにしてしまっては意味がない。もう何も台無しにしたくはないと思っても、きっとどこかで台無しにするんだろうな、と思うとやり切れなくなる。丁寧な生活は一応それへの対抗だ。不味いコーヒーも踏ん張って飲む価値がある。だけど、それでも生活はいつか崩れまた沈むと思うと、暗曇とした気持ちになる。
衆生の苦しみとはこれいかに。何故これがデフォルトなんだ。いまは社会よりおれへの怒りが強い。迷惑をかけた人たちに、合わす顔もないから直接言うことも躊躇ってしまう。本当にごめん。本当にごめん。
戸川純ユニット-家畜海峡
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xamdneverforget · 5 years ago
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適切な距離
道に毛虫のいる季節。
5月某日。
久しぶりに歌詞を書く。
フルで書ききったのは久しぶりかもしれない。おれは必要に迫られないと中々書かないな。しかし、随分と希望めいた歌詞を書いたものだ。仮想の人物を立てて、言いそうなことを書いた歌詞だが、こうも希望めいてるとおれは希望を求めるんじゃないかという気がする。
最近はクオリティとセンスをとにかく重視していて、そうじゃないもの全てにもの申したくなってきてしまう。ツイッターを立ち上げてはムクムクと人を不穏な気持ちにさせるようなツイートを書いては消している。良くない。おれはいつもそうだ。手応えを感じているライブができたり楽曲が作れたりすると、すぐに人の反応を伺い、人を見下してイキってしまう。大体1ヶ月もすると後悔している。本当に心の狭い人間だ。全て分かったような口ぶりで喋ってしまう。本当のところ、おれ自身の山があるとしたらまだ五合目がいいところだと思う。山も登りきってないやつが偉そうなことを言うもんじゃない。時におれはおれを否定しすぎるが、一方でおれはおれを肯定しすぎることもある。極端なのだ。バランスよくおれを眺めていたいし、いつだって特別な夜から生活へとスムーズに戻りたい。
今のおれにとって重要なのは生活を営むことで、人との適切な距離感が必要だったりする。外でも踊り、内でも踊るスペースを。そして今はこの山を黙々と登っていたい。
Dogleg - Ender
5月某日。
2回目の配信ライブを終えた。配信ライブというのはやけにあっさりしている。観客がいないまま勝手に盛り上がって、どんな反応があるのかも知らないまま終わる。手応えがあるような気がするし、全くないような気もする。とにかく、そうやってあっさりLOUNGE NEOでの最後のライブは終わった。それから沢山アルコールを入れた。いつも通りだ。イベントが終わってもフロアにダラダラと残り続けた。それだっていつも通りだ。大体気持ち悪くなるあたりで帰るのもいつも通りだ。LOUNGE NEOの白い壁も天蓋も、そこにいる人たちもいつも通りだった。いつも通りだったというのに、もう来れないのか。出口に近づくたび悲しさより怒りがこみ上げる。誰が悪いわけでもないのだけれど、潰れることはないじゃないか。不条理だ。おれたちは幸運にもライブができたが、お客さんは第八矢澤ビルにもう行くこともなくなる。どうかしてる。おれたちにLOUNGE NEOという日常を返してくれ。
友達の家に泊まって配信を見返した。まだまだ改善点はあるが、概ね悪くないライブをしていた。何よりコメントが多くて嬉しかった。いつものみんな、初めましてのみなさん、およそ400~500人が見ていたらしい。そんな沢山の人たちの前で演奏したのは初めてだったけれど、その前で恥ずかしくないライブが出来たことは嬉しいし、何よりありがたく思う。満足して停滞してしまいそうで嫌になるほど。
土曜日は人とお店で久し振りに飲んで、えら��酔っ払ってしまった。終電も失くして、下北沢の駅前で寝てようかとも思ったが、友達が介抱して別の友達の家に連れ帰ってくれた。頭が上がらない思いだ。あとで下書きを見たら、その時えらく物騒なことをツイートしようとしていた。手応えを感じているときほどイキりたくなる。自然とそんな想いも湧いてこなくるなるくらいまで自己批判を繰り返したくなった。
とにかく曲を作ろう。悪かった夜も良かった夜も、これからは生活に戻ったら頭の片隅だ。引きずられるな。時間の大半は淡白な生活で占められているのだから。おれはもっともっと説得力を持たなければならない。というか説得力のない作品を産み出さなきゃ無意味だ。その前提が無ければ何をしようとも何にもならない。気が触れて余計なことを言ってしまった時も、説得力というセーフティネットは使えるかもしれない。説教がましい人間が好きじゃない。そういう人間で、今のところ説得力を持ったヤツに会ったことが殆どないから。分かった気になるな。むしろまだまだ何も分からないんだ、音楽も、社会も、人間も。
Arca - Time
5月某日。
心を豊かにしたい。
ここ数日は集中力の無さに悩んでいる。同じことの繰り返しに気が滅入ってきたのだろうか。作業をしてもすぐやめてしまう。もう2曲ほど没にして、ようやく1曲ハマってきたかな、というところだ。それにしたって次のアレンジを考えるのが面倒で仕方ない。そろそろ職だって見つけなきゃいけないし、フリーランス向けの手当てについても調べなきゃだ。リリースに向けての連絡もしなきゃ。カフェで作業でもしたいところだが、4月から家の近くのカフェは全面禁煙。クソったれ。部屋の湿度も6月に近づくにつれ上がってきた。何か心の収まりがない。映画を観ようと「パターソン」を見返していたが、すぐに飽きてしまった。
外に出たい。大手を振って外に出たい。新緑の空気を味わいたいし、大きな音で音楽だって聴きたい。街を散策してたまたま見つけた喫茶店に入りたい。そこでたまたま古本屋で見つけた本を読んで、いつのまにか夜を迎えていたい。だけど一番は、恥ずかしいけれど君に会いたい。胸を張って会いに行く身じゃあないが、それでも一目見れたらなんて思う。この自粛期間中、ずっと考えている。結局、この時間で作った曲すべて、基にあるのはそういうことなんじゃないか。なんとも腑に落ちるのだ。この日常を抜けた先が、君のいる日常でありますように。
TOKiMONSTA - Dusty Stars
5月某日。
久しぶりに寝付けない。
適切な距離。社会や世間、インターネットとの適切な距離。ライブ配信や自粛解禁で少し距離感を捉え損なっている気がする。寝ようとしても貧乏ゆすりが止まらないし、今日作っていた曲が頭で流れ続けている。身体は疲れているんだけれど。
適切な距離が何かは分からない。だけど、適切な距離をとれてない時は大抵興奮している。その結果、何度も何度もネットを見てしまう。過剰に人との繋がりを求めているのだ。誰かと電話したいとすら思っている。こういう時ほど視野が狭くなって、突っ走って、無意味に考え過ぎて、そのあとは急にガス欠みたいに惰眠を貪る。
丁寧な生活を失いたくないからこそ焦る。そして焦ることで眠れない。睡眠薬は持っていない。気圧のせいか頭まで痛くなってきた。寝る前のひとときぐらい停滞させて欲しい。凪のような時間を沈むように過ごして眠りに落ちたいのだ。波なんて持ちたくないと常に思う。願わくば一枚岩でいたい。波に打ち付けられても厳しく立ち尽くしたい。立派で安穏とした人間になりたい。生活は難しい。
Charli XCX - claws
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xamdneverforget · 5 years ago
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ループ
蚊が飛び始めた。
5月某日。
音楽を聴く機会が増えた。
家にこもりっぱなしなので、曲を聴く機会が増える。新譜をチェックする回数も増えて、4月は相当数の曲を掘ったと思う。アンテナを張ってる訳でなく、単純に暇なだけだ。
特にBPM100-110くらいの歌モノかBPM135以上のナンセンスなポップ���にハマっていて、大抵の場合はCharlie XCXがその需要に応えてくれたりする。イギリスのポップシーンが今おれにとってホットだ。FlumeやSOPHIEでよく聴くようなキンキンの歪みが入ってると、すぐにプレイリストへ入れてしまう。
ミックステープ用の楽曲を大体作り終えた。全部インストだ。今までで一番ハードかもしれない。ともすればかなり聴き辛く、人前に出すには結構不安だったりする。暗い曲を沢山作ったので、そろそろアッパーというか、メロディアスな作品に挑戦したくなった。緊急事態宣言も伸びそうだし、もう一丁ミックステープでも作ろうかと思い始めている。最近、ある程度流れを決めずに単曲を作るのがおれは苦手だということ気づいた。つまりアルバムでいうと、最初にコンセプトと大まかな流れを決めないと、アイデアが出てこないということだ。シングル用の曲を書くのが苦手なのだ。だからミックステープを作ると決めて���そのコンセプトに沿った流れで一つ一つ曲を作っていかないと、あまり上手くいかない。昔はもう少し柔軟だった気はするけど、今はカチカチに固めてしまう。その利点は感じているが。
せっかく家にいる機会が多いので、強制的に与えられた制作期間として、有効に使うしかない。めざせ1ヶ月に10曲と丁寧な生活。
Haim - The Steps
5月某日。
ルーティンは難しい。
ルーティンは飽きる。同じことの繰り返しにウンザリしてくる。特におれは人より飽きっぽい自信があるので尚更である。しかしルーティンという儀式を経ることで、やらないより遥かに良いパフォーマンスが出来るのも事実で、こなせるならこなしといた方がいいのも分かっている。マイペースな癖にこういうところは変に頑固で、故にマイペースなのかもしれない、と思う。
とかく風呂場というものが好きで、何時間でも入りたいと思うし、何回でも入りたいと思える。暖かくなってきた時期のシャワーなんかたまらない。シャワーを浴び終えて、シャキッとした頭で自室の網戸から微かに入る涼やかな空気を感じるのが好きだ。時々、頭を洗うのが面倒になるが、なるたけシャワーを浴びれるなら浴びといたほうが生活は健やかになる、と思う。
最近は希望に関して不安を感じる。
希望を持ちたくない、というわけではないし、希望を持つなと言いたいわけでもなく、ただおれのように希望をエネルギーに変えることのできない人間は取り残されてしまうのではないか、と不安を感じている。世間がどうあれ、おれはやっぱり絶望に還ってきてしまう人間だというのは繰り返しの中で分かっていて、もし希望を持つことが今は最善解だとするなら、おれは相応しくないのである。常に不安や絶望感に突き動かされていることと、不安や絶望感で身動きがとれなくなることは、時代の要請にそぐわないのかもしれない。それでも、そう動くしかないのか。今さら変えることはできないし、職人のように絶望を蒔にして打つしかないのか。
この時期の早朝が好きだ。常に変わらないことは飽きてしまうけれど、この気候は変わらないで欲しい、とも思う。昼下がりも好きだ。最近は、昼下がりのぶら下がった時間をちょっとだけ楽しみにしている。学生時代と今が統合されているような気がして。ベランダでコーヒーを飲みながらそう思う。
Big Thief - Love In Mine
5月某日。
食事制限をする。
珍しく2日持っている。断食ぐらいの覚悟で野菜ジュースを飲み続けている。どうしても我慢できない時は食べているが、なるたけ摂取する塩分を野菜ジュースで補い続けている。おかげで一日一食程度にこの2日は収まった。
食事制限をすると疲労は感じるものの、頭が妙に冴えたような心持ちになる。実際のところ、充分かあるいは過度に越えた食事が気を滅いらせていたのかもしれない。食べない分が逆に氣を生み出しているというか。各宗教が食事に厳格なのがなんとなく分かるような気がする。
ここ数日、サウンドの追求に努めていた。無調で暗い曲ばかり作っていたので、気分を変えたくてポップとエクスペリメンタルのバランスを探っていた。食事制限が功を奏して集中しながら研究できたので、数曲は没にしたものの手応えのある曲は産まれた。友達の凄い曲を聴くと、アレンジメントでサボってはいけない気がして、なんとなし妥協の少ない作品にはなった。妥協をより少なくしていくと、求めていたサウンドにむしろ短時間で近づいていって、月並みだが精査していくことの重要性を改めて思い知らされる。
ミッドガルの街を脱出した時の、ワールドマップが現れた感動をテーマにした。97年のゲームであれだけ作り込まれた背景の街が、世界の中ではただのちっぽけな一都市に過ぎないと目の当たりにした時の高揚は忘れられない。想像の外に際限なく世界は広がっていて、しばしばそのことにウンザリもするのだが、それでも広がりの無限さはいまだ見ない期待を抱かせる。ワクワクするって大事だ。常にそうありたいと思うが、なかなかどうして難しい。
このまま食事制限と作業が継続していくといいが、なにぶん明日の風に明日吹かれる人間なものだから、自信を持つことはやっぱりまだない。この自信の無さはいつまで続くのだろうか。その道は無限に続いているのか。広大さは時に喜ばしく、時に堪え難い。
JFDR - Journey
5月某日。
東京に行く。
また1ヶ月ぶりに東京へ行く。友達とDJの練習がてら、スタジオでゆっくり配信でもしようと話した。その時の思いつきで行ったのだ。しかし、大きい音で音楽が聴けるのはなんと贅沢なのだろう。聴かないような音楽ですら心地よく感じる。おれたちは現場をロスしていたおかげで心底楽しめたし、愉快な気持ちになれたのだ。スタジオ後のラーメンを食べたあとも色々とあった。ここでは書ききれないぐらい楽しいことが。
食事制限はもう5日も続いている。大体いつも食事制限をしようと思い立っても、半日もせずにぐうの音をあげてしまうのだが、今回は珍しく上手くいっている。丁寧な生活のおかげだろうか。また、丁寧な生活にランニングも加わった。3,4年前、痩せていた時は毎日10kmも走っていたので、なんとなく今走って���そこそこ走れるのではないかとタカをくくっていたが、100kg超の巨体で走るの壮絶と言っていいほど苦しかった。地面から膝が上がるたびに「ゴウン」という音が聞こえる気がしてくるし、足をつくたび全身に衝撃が走る。ものの200mで事故に遭ったような息切れ。身体が崩落してしまうほどの筋肉痛を感じる。2km走る道中、毎秒足を止めてしまいたいと思った。今年で一番キツかった時間かもしれない。
とはいえ壮絶な疲労と汗に、はっきりと効果を感じるのも事実だ。だって死ぬような思いだ。減量に繋がる確信を持たせる。これを続けていけば、もう入らなくなった服をまた着れるかもしれない。そうしたらお金を使わず服が増えるし、夏服の数に不安を覚えないで済む。体力がつけばライブ中に息切れすることだってない。
丁寧な生活。丁寧な生活に執着しつつある。いつだって24時前には寝たい。いっぱいに張った風呂で汗を流したい。ああ、麗しきかな自粛生活。このループの中へどっぷりと浸かっている。
Count Baldor - This is One DJ you don't want to
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xamdneverforget · 5 years ago
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丁寧な日々
ジャケットはもういらなそうだ。
4月某日。
毎日は停滞し、いかがお過ごしかと言われると、何もかもどう��もいいという気持ちでマイペースに日々を進めている。東京から隔たれてしまうと、孤独をしんと感じる。友人と再会したとき、きっとおれは不器用な愛想笑いをするだろう。
自堕落な気持ちでFF7を始めた。ひたすらストーリーを進め、探索を進め、コマンドを打ち続けた。Twitterアプリも消して、まったく独りでゲームをし続け、シナリオかその停滞のせいかは分からないが、しばし泣いた。終えてみた時は虚無感に泣かされた。
ミッドガルのスチームパンク的な様相、登場人物たちの苦悩と悲壮な闘い、それからセフィロスとクラウドというどうしようもなく矛盾した存在を目の当たりにするたび、陰鬱でいて浮かれてもいる90年台後半に想いを馳せていた。ギラギラとしたVHSの極彩色の時代。おれが思春期、あるいは青年期に体験したかった時代。
いまきっと求められているのはヘヴィネスとスピードだ。一番瑞々しくて、また高速消費の対象になる表現だと思う。だが、これは再帰した暗い時代の景色ではなく、90年台後半から00年台前半にかけてのレイヴカルチャーやファッション、あるいは全体に漂っていた憂鬱と暴力の亡霊と現在の融合体なのだ。たびたびクラウドたちの前に立ちふさがったセフィロスが、ジェノバによる擬態だったように。しかしそれがセフィロスコピーという強大な敵であるならば、いずれは克服しなければならない。しかもハピネスではなく、悲壮かつ自己批判的なやり方によって。自���の悪性と矛盾を自覚する。それを踏まえた上で次にどこへ行くか決める。孤独を拭い去ることはできなくとも、人に助けを求める。これらがそもそも正しいか分からない、それすらも自覚する。そんなことが必要だと思う。
時代に突きつけられている。ただ、時代に突きつけられたクラウド達を見届けた時、それがフィクションであっても救いを感じたのだ。
L'arc~en~ciel - The Fourth Avenue Caffe
4月某日。
「ありがとう」より前に「すいません」が出てくる自分が嫌いだ。
他人の厚意を感謝する前に自分の非を認めるのは、どこか卑屈な気がする。駅前のたこ焼屋でたこ焼きを買ったとき、店主が「すいません」と言ったのがなんともみずぼらしく感じた。きっとおれもみずぼらしくて弱々しく見えるんだろう。見栄っ張りのおれとしては、そう見えてしまうのは癪なのに、中々この悪癖が治らない。
久々に東京に出た。友達とサシで会って、ちょっとだけ遊んだ。2019年では正常だったことが、この瞬間とても懐かしく思われて、嬉しさと切なさを覚えた。同時にこの状況でおれたちが一緒に行動していることに違和感を感じる予定だったのに、違和感を感じることはなかった。それに違和感を覚えた。非日常に日常が急に浮かび上がって、また突然非日常に戻る感覚。世界はおれが正常だと思っていた世界��ら変化してしまったのに、変化する前に時折戻ったような錯覚にこれからも襲われるのだろうか。現在と過去の記憶をこれからも往来しなければならないのだろうか。
ともあれ東京から戻ったあとの、いっぱいに張った風呂に浸かるのは何より気持ちがいい。これだけで東京に行く気になるし、家に帰る気にもなる。風呂と寝床は外に出てこそ、ありがたみがある。
Julia Jacklin - Turn Me Down
4月某日。
最近はらしくない生活をしている。
早い時は22時、越えても2時までには寝て、朝の4時~7時には起きている。起床してすぐにコーヒーを飲んで、JavaScriptの教本の問題を復習して頭を覚ます。それから小一時間音楽を聴ききながら散歩して、帰ってきたら新譜のチェック。ベランダで一服を終えたら、作曲かデザインとプログラミングの勉強、あるいはコーディングを始める。前述の作業をローテーションしながら回して、たまにDJをする。そして時たま作業に飽きて「龍が如く」のゲーム実況を見たり。らしくない丁寧な生活をしている。
一人でいることに適応してきた。予定がない、というのはモチベーションにおける最大の難点だったが、一度浮上してみると予定がないことでむしろ自分のペースを崩さずルーティンをこなせるメリットにも気づいた。もちろんこの生活がいつまで続くかは分からないが、文化的かつ健康的な生活を送るというのは実に気持ちが充実する。特にプログラミングの技術はまだまだ浅いので、知らないこと、できなかったことを身につけていく喜びを一層感じている。これでたまに人と会話できれば実に完成された一日のはずだ。
今は前向きだ。おれはあまり自粛したくない方だ。もしかしたら自粛しない過激派かもしれない。緊急事態宣言が予定までに終わる気はしてないし、終わったところで依然ライブハウス自体に自粛要請はされるのではないかと思っている。しかし、もしおれの出演する予定のイベントが開催されるなら絶対に出ようと思うし、酒だっていっばい飲もうと思う。一日のペースを崩さず自室にこもって生活をしていることにもようやく活路を感じ始めたが、その活路の行き先は自室の外にある。最終的には外に出ないと行けなくて、端的にいえばおれはビビってはいけないと思っている。ビビる気持ちもロジックも分かるけど。「龍が如く」の影響なのだろうか。
とにかくおれはこの生活をいまは守っていく一方で、いずれその外に出なければならない。きわめて文化的な生活を送るために。最近は6曲作ろうと思って、3.5曲ほど出来た。6曲のミックス・マスタリングを終えたところで、まだ折り返し、というプランなのだが。まずはこの期間内に感じ、体験した想念を、特に絶望していた期間の想念をどうにか形にしようと考えている。また何か良い作品ができたらいい。そしてそれを近いうちに何とかリリースすることを望んでいる。
Rod Stewart - Maggie May
4月某日
我ながら器の小さい人間だと思う。
些細なことで傷ついたり、ムカついたりしているし、ちょっと何かするだけですぐ���ボったり、引きこもろうとする。ヘラヘラしながら他人を許しているようで、腹の底じゃどこか許していない。おれは弱さを乗り越えられると四半世紀近く信じ続けていたが、四半世紀も同じままだと気づいてからもう乗り越えることは諦めて、弱さとの共生を消極的に採ることにした。
だから一時の感情、それも何か心を揺さぶれるような出来事が起きて、浪漫小説のように決意に満ち溢れることがあったとしても、どうせその決意が続くほどの忍耐力も器もないとも気づいている。時間は約束を反故にする。物語の主人公になれるほど特別な人間ではない。革命を起こせるような、逆境をひっくり返すような、悲しい出来事を打ち砕くような、自分にとって大事だった思い出や場所を守れるような、そういう器はないのだ。
残す曲はあと2曲。関数についても少しつかめてきた。買ってみたデザインの本はとても良い。ベランダで吸うタバコの量が増えてきた気がする。器がないなりに、日々を丁寧に。毎日は無理でも、そういう日々が少しでも増えて、いつか浪漫ある物語に一役買えたら、と祈る。
Rico Nasty - Why Oh Why
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xamdneverforget · 5 years ago
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欲望の管理
桜が咲いている。
4月某日。
朝食を食べながら、父が流し見をしている朝ドラを観る。
古関裕而がモデルのドラマだそうだ。古関裕而といえば「六甲おろし」「闘魂こめて」「スポーツマンショー」と野球ファンとしては馴染み深い。昨シーズンが終わってから、来年のベイスターズについてずっと考えていた。オープン戦では獲得したオースティンが目覚ましい活躍をしていて、抜けた筒香の穴も埋まりそうだと喜んでいたが、今では今シーズンの開幕も危ぶ��れてしまって、何処と無く喪失感を覚えている。
歌の練習とギターの練習をした。ただの気まぐれだが、身体を使って音楽すると今は気が晴れる。周りのみんなは思っている以上に歌や楽器が上手いのだな。一夕一朝ではたどり着けない努力に敬服する。おれは頰を掻きながら、毎日練習できたらいい、なんて思う。運動もできたら尚良し。
10年代は終わった。もうはっきりとコロナ、あるいはコロナ以降の世界で、次の大事件まできっとそのままだ。おれたちは生活も文化も、あるいは科学も変更を余儀なくされて、急なパラダイムシフトに乗車してしまった。死なない限りは行き先のない電車に揺られるほかない。ライブハウスの店員も、百貨店の店員も、市役所の福祉課職員も、プロ野球選手も。
20年代を生きねばならないのは元々分かっていたことだが、いつか、いや今年か来年に、喪失してしまった10年代を思い返すようなアルバムを作りたい。昔のことを思い出そうとすると、世界史の資料集を読んでいる気分だ。あの頃の生活と街並み、それから気分が「あの頃」として刻まれて、それは写真や映像でもう確認するしかなくなる。その喪失と現在を往来できればいい。その時に歌を歌えるように、歌を練習している。
Frank Ocean - Caenydo
4月某日。
最後に東京へ行ってから2週間が経った。時々、友達と通話しながら酒を飲んだりする。それでも、友達と会わないで生きていくというのはそれなりに辛いものがある。
歴史のことを考えながら曲を作る。おれは歴史の本が好きだ。中世ヨーロッパの荘園制などの解説を読むとなんとも堪らない気持ちになる。きっとそこには人々の生活があった。子供が道端で遊んだり、厳しい労働のあと悔し涙を流した農夫がいたり、収穫祭で夕陽を見上げて人生に納得した母親がいたり、村の外れ者の悪口を言い合う寄り合いがあったり。その時代にしかない気分があって、普遍的な人間の行いもあったのだろう。過去に思いを馳せながらも、馳せた思いは連綿と現在に続くことになる。そのことが胸に落ちた瞬間、おれはいま長い長い滝の上流にいながら、遥か下の滝壺を眺めてるような気持ちになる。いずれおれもその滝壺に流れていき、その上流にいる他人がまた滝壺を眺めるのだろう。そのことを考えるとなんとも美しく思えるし、切なくもなるのだ。
Fer Isella - Historia
4月某日。
いまこの窮状を脱したとき、おれたちはどうなるだろう。
日々はどんどん塞ぎ込まれていき、いよいよ自室の白い壁にも飽きてきた。2019年のことを思い出す。あの時はまだシャンパンを回し飲みできたし、誰が飲んだと知らない、そこらへんに置いてある飲みかけのウーロンハイを飲むこともできた。中年の過剰な女子へのボディタッチに憤ってた頃が懐かしい。おれはいまきっと2020年の日本人の顔をしているだろう。そして、同じような顔をしている人がたくさんいるだろう。「死の舞踏」のことを思い出しながら、虚無にも似た気持ちになる。2019年は幸せな顔をしていた。それはおれも、おれ以外の人間も。
この窮状を脱して、それは幸せであれ不幸であれ、2020年以降の表情をみんなが浮かべていたとしたら、2019年に取り残された日本人の顔はどんなに恍惚にみえるだろう。嫌味ではなく、本当にその幸せな表情がおれの胸を梳くことになるだろうし、きっとそれで気恥ずかしくもなるだろうからだ。
Saint-Saens - Danse Macabre
4月某日。
夢を見た。
中学の頃のいじめっ子から電話があった。彼らしからぬ喉を締め上げたような声で「欲望の管理の仕方が分からない」と言われた。彼がいじめをやめられないのは、彼がいじめたいと思った瞬間に、彼が周りの人間を虐げてきた成果として、誰も何も言うことなくいじめることに成功し続けているから、だと言った。いや、いじめ以外にも何も言われなくなってしまったから、欲望は常に叶えられるものとなってしまい、欲望の管理の仕方を忘れてしまったと。なに、なんでも叶うならそれでいいじゃないか、と思ったが、彼は相当に悩んでいるようだった。彼がまだ欲望を管理していた頃や、いま欲望を管理している人々をたいそう羨んでいるように聞こえた。それ自体が欲望だと言うのに。
なんとも哀れな話だと思えたし、暴虐を振りかざしていた人間の悄気ている声を聞くと、いくばくか痛快な気持ちになった。この瞬間、彼は弱々しい存在であり、おれはその弱さを包むことのできる上位の存在だった。だから、彼の狼狽に対して、慈愛をもった優しい声で相打ちを打つことができたし、君は悪くない、悪いのは君の欲望を止めようとしなかった周りだ、と何度も何度も、ねっとりと労いの言葉をかけ続けることができた。その時どんなにおれは傲慢で、蕩けた顔をしていただろう。
夢はそこで覚めた。飲みかけのまま置いていたりんごジュースを飲みながらシャワーを浴びに向かう時、少し父が離れたところでおれを見ていた。訝しげで、軽蔑すら感じるようなまなざしだった。
おれは明らかに欲望の管理を覚えることのないまま、この歳になってしまった。そしておれもまた、欲望を管理している人間を羨んでいるのだ。
Floating Points - Bias
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xamdneverforget · 5 years ago
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春よ
今年も春風が強く。
3月某日。
金はないが時間だけは余りあるほどあるので、人の曲のアレンジを進めている。日曜日を終え、ソロもphaiの曲も出揃っているので、しばらくは自分主体の曲作りはやめて、今請け負っているアレンジ作業に専念することにした。こうした空白を暇にしないことは大事な気がする。
対照的に、雑務面で色々と自分の活動は動き出した。ここからはタスクとスケジュールの管理だ。実にこうした作業は苦手なので戦々恐々としている。穏やかではない世間と、穏やかではない日常がしばらく続いていく。
久しぶりにコーディングも始めようかと思っている。最近はずっとネットワーク関係につきっきりで、ろくにコーディングしてなかった。ソロのサイトが作りたいので、デプロイに向けてああだ、こうだと考えている。デザイン重視で、導線の分かりにくいサイトを作ろうとしている。何かアイデアはないかと色んなサイトをめぐり、モックをいまから作るところだ。
日曜日が何かの分かれ目だったように感じる。2018年からの2年間の一区切りがあそこだった。ここからおれと世界は別のうねりへと移動し、いまだ訪れなかったシビアさを体験することになる。不安だし金はないし全く気が滅入るが、やりたくない、というわけでもない。むしろそれなりにワクワクしている。ここからは予想のできない未来だ。
友達が始めたソロ活動の初ライブが今日ある。おれはDJとして出る。めでたいし、何より曲が好きだ。この門出も新しい何かが始まる象徴な気がする。今までの文脈から、何か別の分岐があるといい。こんな日々や街に連なった何かが、また違う場所へとおれたちを流していく。
POINT HOPE - 文脈
3月某日。
何か矛盾を抱えながら、ここのところは生活をしている。
ろくに仕事もせず、同じ音楽を聴きながらベランダで煙草を吸い続けている。たまに人と会いたくなるが、交通費のことを考えると頭が痛くなる。毎日飛び込んでくるニュースは最悪だ。去年の11月に「危機」というワードが頭の中でリフレインし続けていて、いつか「危機」が来ると思っていたら、まさか半年もしないうちにそれが来た。「危機」はいずれ表象する予定で、疫病という科学的偶然であったとしても、それが起こる必然的な物語が世界の地下に隠れて脈々と紡がれていったように感じる。
大人数で熱海旅行に先週行った。宿泊先で大騒ぎした翌日、おれたちは秘宝館に行った。秘宝館の思い出は薄らとしている。胸部を露わにした人形の出来は良かったと思う。秘宝館から駅に向かうバスから降りる時、乗客が料金を払うたびに「ご利用あ���がとうございました」とアナウンスが流れる。あまりにアナウンスが繰り返されるものだから、まるで悪夢の中にいるような気分になった。実際、悪夢の中にいるのかもしれない。世界とおれのギャップが現実感を失わせている。2019年に身体を取り残してしまったみたいだ。
おれはおれの身体を現実に繫ぎ止めるために、ヘヴィネスに満ちた音楽ばかり聴いてきたんじゃないか。この事態を正しく眺められるように、さっき牛丼を食べた記憶を牛丼を食べた記憶として留められるように。
Linkin Park - Somewhere I belong
4月1日。
エイプリルフールに便乗した、とある企業のツイートがあまりにつまらなくて身震いする。
あっという間に4月。塞ぎ込んで一日中布団にくるまるか、決意に満ち溢れて全く眠れないか、そのどちらかでしかない日々を送る。そろそろネットを見たくなくなってきた。2011年を思い出す。おれは実家にいて、いまや東京に出ることもためらい、ヴァーチャル上でしか友達の存在を感じれず、いよいよ現実感が希薄になってきた。近頃は天気も悪くて散歩に出ることも叶わず、あいもかわらずベランダで煙草を吸い続けている。3月31日から4月1日にかけておれは眠ることができず、意識は3月から4月を跨いでしまった。体調はすこぶる良い。ただ、ビートのある音楽を今は聴きたくない。怒りより悲しみが優ってしまって。何か笑えることが起きたらいい。怒りや悲しみが今はひどく辛い。だけど笑おうと思っても会いに行ける友達が遠い。外国のように遠い。また会えるだろうか。せめて電話でもしたい。オンラインでUNOでもやりたい。やりきれなくて肥え太った身体も萎んでいく。募る日々。雨はしとしと。悲しくて寂しくてやり切れない。
Clark - Black Stone
4月某日。
急に元気になった。身体も心もすこぶる健康。
簡単な話で、友達と電話で喋ったからだと思う。もう1週間も人と話していなくて、気が触れそうになって急に電話をかけた。それからビデオ通話で何人も呼んで、何時間も酒を飲みながら喋っていた。今の愚痴をこぼしたり、下らない話をして心から笑ったり、そういうことが嬉しかった。友達がいて本当に良かった。
その翌日から色々なアイデアが浮かんできて、色々な人に連絡した。今できることが思いつく。逆に今だからできることもあると思えている。明日はどんな気持ちでいるかは分からないけれど、手を動かしている生活が心地よい。収束するまではこのままの生活を続けられたらと思う。心から。
喋るべき時に喋る、ということは余計なことを喋らないというだけではなく、喋れない状況で喋ろうとすることも指すのかもしれない。おれはそれに救われた。きっとみんなに会えて喋れたら今はもっと救われるはずだ。収束したところで2019年のようには戻らないだろう。だけど、あの時の楽しさは帰ってくるといい。
Frank Ocean - Dear April
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xamdneverforget · 5 years ago
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深刻さ
世間が忙しない。
3月某日。
文章が書けなくなる。
精神のバランスが乱れた。
追われるように書くことはないので、書かないことにした。仕事ももう辞めようと思う。
ソロセットにずっとキリキリマイになっている。準備もそうだが、自信がなくなってきた。自分を全てさらけ出したとして、誰にも受け入れられなかった時の恐怖に襲われた。その瞬間、ひどい倦怠感と吐き気がやって来て、まるでコロナの症状のようだった。実際のところ、コロナなのかもしれない。興奮と絶望に振り回されて、心だけが疲弊している。やろうなんて思わなきゃよかった、なんて思う。
でもやるしかないんだ。
それは出演が決まっている、ということに以上に、このクソみたいな状況に対してちゃんと怒りをぶつけなきゃいけないってことだ。コロナも、政治や経済、ノイズやリテラシー、さらに言えばシステムに、おれはクソだと言わなきゃいけない。そう考えた時に、緊張してるとかバッド入ってるとか、そんな事してる場合じゃないって思った。おれは怒っている。確かに。それを明日ぶつけるのだ。そのために11月から用意して来たじゃないか。全方位にクソって言うために。誰にも刺さらないとしても、おれはそれをやらなきゃいけない。
Igloogohst - Lockli
3/8 行きの電車にて。
思えば絶望してきたばかりの人生だ。
些細なことばかりに絶望してきた。人と意見が合わないとか、課題の提出が間に合わないとか。絶望を見つけるのが上手いと思う。
おれは普段怒らない。怒ると何かが壊れて、壊れた時の気まずさに耐え切れないような気がするからだ。怒るべき瞬間をいままで見逃してきた。
怒りを向けるということは、自分にとって、それについて絶望している、と同義なのかもしれない。どうしようもなく絶望して、堪え切れず叫んでしまうことが怒りだ。ずっとみっともないと思っていた。生活の中では、今でも刷り込まれた意識が、恥じらいを覚えさせている。そこに正当さがないように思えるのだ。
アートに正当性がないと知ったのは半年前のことだった。最後に希望がなくとも、アートは人に届くのだ。その救いのなさが、ある種の起点になる時がある。それはビジネスではきっと真っ先に跳ね除��られてしまうだろう。この正当でないことを、アートは守ることができる。人間という領域を狭まないように、アートは生まれたようにも思えてきた。疚しさや悪意をも、アートは肯定してくれる。
その怒りに正当性がなくとも、論理的な整合性がとれなくとも、アートはそれを認めてくれるならば、その場では怒ってもいいのではないか。おれの飲み込み流してきた怒りを、今日は流さないで済むのではないか。それを受け入れない人々や、痛々しく思う人もいるだろう。むしろ大多数がそうかもしれない。だけど、ほかにおれは怒る場所を知らない。どうしても強壮でないおれは、ここに逃げ場を求めている。今日は怒ろう。おれがいままで眺めてきた絶望と怒りの一つの終着点として、今日おれは怒るのだ。
umru, osno1 & Laura Les - Popular
3月某日。
サイバーパンクが好きだ。
攻殻機動隊に出会ってというもの、すっかりディストピア的なSFにハマってしまって、それ以来自分の想像力のベースになっている。出来ることなら押井守のような存在になりたい、なんて思う。
今日は疲れもあって一日まるっと休みだ。前日の午前2時から翌日の7時まで起きていたのだ。流石にいいだろう。
目が覚めてから、ゴロリと布団で横にながら、あるいはベランダでタバコを吸いながら、今まで聴いてきた曲を聴いた。何年かの空白から戻ってきて、phaiを始めながら聴いてきた曲。色んなものに影響を受けた。その前も含めると、本当に色んな音楽や体験を経ていて、文脈めいたものを感じざる得なくなる。
ライブで"APOCALYPS"という曲をやった。7,8年前に組んでいたバンドのボーカルを立てて、その7,8年前の曲を3曲、それから彼があとに始めたバンドの曲を1曲、それらを盛り込んでひとつにまとめた曲をやった。このクソみたいな状況が世界の終末にように思えたのと、昔やっていたバンドがもう完全に終わってしまったことを重ね合わせた。現在の文脈と個人的な過去の文脈が重複していて、それが終末であるというのはなんとも皮肉な結末だと思う。だけど、その落日の中で何かアクションを起こさないといけない、という義務感に駆られた。それは今回のセット全てに言える。
クソみたいな状況に対して、何らその改善に有効な手立てはとれないが、少なくとも怒りを表明することは悪くないんじゃないか。ただ、それがノイズになってしまわぬよう、しっかりと媒介を用意して伝えなければならない。
Tzusing - 日出東方、唯我不敗
3月某日。
せわしない一週間を終えて、反動でポップソングを聴いている。
なんとなく余韻に浸ってるせいか、行く予定じゃなかったライブに行ったり、逃す予定じゃなかった終電を逃したりしていた。終電を逃してから、友達とファミレスで話し続けた。珍しい組み合わせだったのもあって、おれがあまりしないような話題を楽しめたし、良い余韻の浸り方をしたような気がする。
それからは頭痛に苦しんでいる。咳もなければ熱もないのだが、1日寝込むほどには頭痛が酷い。頭の中に砂が入っていて、少し��も動くとそれがシェイカーのように揺れている感じがする。ネットで調べたら、どうやら緊張性頭痛というものらしい。肩こりや首こりだ。サウナか銭湯にでも行かなければと思う。
1日寝込んでみると頭が痛い以外は体調もすこぶる良くて、ほぼ無職のようなものだから返す気にならなかった返信でもして、溜まった曲のアレンジをして、ソロ用のサイトでもデプロイしようかという気分になる。日曜日の余韻と疲れをようやく断ち切れたような気がする。沢山褒められて、何もやりたくなくなるくらいには気分が良かったのだ。褒められる予定でもなかったし。
けれども、日曜日を終えても世界はクソみたいな状況で、未だにおれの中の怒りは絶えなかった。また、ライブをしなければ、と駆られる。サウンドやパフォーマンスじゃなくて、次は意図も皆に伝わるといい。また何か機会があれば、と思う。
SPENSR - Navy Slumbers
高校時代
たまたま、通っていた高校の今年の進学実績を見た。
結果は散々だった。昔は学区制が敷かれていて、県北の地域出身者は県南の高校に通えなかったのもあり、県北の優秀な生徒が全員目指すような高校で、県内でも一番、二番手を争う進学校だった。けれども、おれが入学する頃にはとっくに学区制はなくなっていて、当然のように都市部の県南に学生が流れ、既に自称進学校へと落ちぶれていた。そして、今日日の進学実績はおれが通っていた頃よりも酷いものだった。
全国では珍しい旧制中学のままの公立の男子校で、私服・染髪も許可されている自由な校風だ。おれは中学時代みたいに舐められないようにと、入学してすぐに髪を染めた。悪びれて、授業中にゲームをしたり、軽音部の部室で授業をふけたりもした。イキっていたと思う。
イキり倒して、人から尊敬を集めようとした結果、他人と距離ができて、どんどん友達は少なくなっていった。白ジャージにロン毛に茶髪のパーマ。所属は評判の悪い軽音部。高2、クラスメイトは数人しかおれに喋りかけない。おれはずっと休み時間、机に突っ伏しながら、スマッシング・パンプキンスとレディオヘッドを聴く始末。はっきり言って最悪だった。暇なので音楽を聴くか、勉強するほかなかった。
音楽をディグり続けていたら誰とも音楽の趣味が合わなくなった。合わせることしかできなくなった。おれはエイフェックスツインの話をしたかったのに。どこまでも続く閉塞感に苛まれ、より学校に行かなくなったし、ずっと家でエヴァンゲリオンを観ていた。あの頃から暗い作品に気持ちを浸らせるようになったと思う。喋るのもどんどん下手になった。
高3になっても上手く人間関係を築けず、学校行くのを1学期のうちに辞めた。むこう3ヶ月は学校に行かなかった。ずっと家でアニメか映画を見るか、漫画か本を読むだけの毎日。受動的にダラダラと、しかし病的な中毒のようにコンテンツを貪っていた。そのせいか、随分カルチャーに詳しくなった。勝手に色んな作品を覚えていった。今考えれば、守られている義務教育のうちにそうした作品を知れて良かったような気がする。そのせいで社会的な利益を生産しない人間にもなってしまったが。
退学するかどうか迷ったが、秋学期になって学校に行くことにした。何で行くことにしたか、もう思い出せない。気が向いたのか、社会のレールから外れたくなかったのか、それは分からない。ただ復学して気づいたが、うちのクラスはいわゆるオタクが多くて、引きこもってる間に沢山アニメを観た甲斐もあって、そういう話を皆と出来るようになった。それから友達がクラスに沢山出来て、カラオケに行くか、ファミレスに行くか、それだけの半年間だけれど、楽しい高校生活を送ることができた。
無事大学も合格して、ギリギリの出席日数でなんとか卒業することもできた。終わりよければ全て良し、なんて思った。良し、というのは結局友達に支えられての良しだ。友達がいなければどうにもならなかった。それは今でも同じで、結局おれは孤独のままでは何もできない凡才だ。友達に支えられてやっと何かできている。逆に友達が少ない時は、いつでも最悪だった。そういう最悪の経験が、音楽に活きたりもするのだが。
もう高校の友達とは数人しか最近は会っていない。大学に入ってすぐは度々集まって、雀荘にでも行っていたが、もうそんなこともなくなった。社会人を全うしていて、結婚したヤツも少なくない。そんなドライさが母校らしさという気もする。復学したおれが馴染むことができたのは、引きこもりだろうと別に気にしない寛容さと、他人に踏み込まない関心のなさだった。いずれ死ぬまでに何度か会うだろう。その時にまた近況でも聞いて、懐かしい話をすればいい。大したことのない普通の高校で、大したことのない経験をした。今でもきっと大したことのない高校だ。深刻だったのはおれだけで、みんなはさほど深刻じゃなかった。そんな母校の軽さが、おれは好きだったりする。
Anderson Paak. - Off The Ground
https://youtu.be/h9oq3z_aKhE
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xamdneverforget · 5 years ago
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頭がぼんやりする。
2月某日。
仕事をしたりphaiの曲を作ったりしている隙を見て、ソロの曲を作っている。1時間セットを組まなければならないので、コツコツ作っておいてよかった。出来てきている曲には相変わらず納得がいっている。
暴力映画を作っているような気分だ。ライブセットを作ってる感覚ではない。「コクソン」のような空気が終始漂っている気がする。事実、おれはエログロバイオレンスホラーサスペンスの類が大好きなのである。この前、友達と高校生のように怖い話をし合ったが、友達が怖い話を披露してくれるたびにゾッとして、もっと、もっと、もっと怖い話をくれ、とおれを煽った。安全圏にいながら、肝を冷たい手で掴まれているような感覚が、生きていることを実感させてくれるのかもしれない。
このエログロバイオレンスホラーサスペンスセットを披露して、みんながゾッとしたら嬉しいと思いながら、ソロセットをこっそり作っている。来月、お楽しみに。
Flume - Wall Fuck
2月某日。
良いDJをした。
DJを始めてというもの、そんなに自分がセンス悪いと思ったことはない。ダメな日もいくつかあれど、良い時は中々良いDJをしたんじゃないかと思ってる。
フロアの空気が緩んでしまうのがいつも怖い。中学の時、自分が子分のようにくっついていたボス猿にハブられないように、とんちの効いたジョークをヤツにいつも言っていた。フロアの空気を読んでDJする時は、ボスの顔色を伺って冗談を言う時と同じ気持ちになる。それがフロアに刺さると尚更だ。何かがおれの中で歪んでいる気がする。
今でもおれをいじり抜いた奴らの夢を見る。時々、下手なパンチを夢の中であいつらにかましながら起きる朝もある。おれはいつになったらあいつらの呪縛から逃れるのだろう。ずっと怖がっている。
MGMT - Kids
2月某日。
結局また2月に負けてしまった。
2月の寒波と憂鬱に負けながらライブハウスへ向かった。それなりにライブは良かったと思う。2年もライブをやっていると、こういう状況でもステージをこなせるのだな、と思った。平均値はある程度保証されるようになってきたので、あとはプラスアルファを増やしていきたいな、と欲が出てきた。やっぱり楽器を練習しなきゃな。
憂鬱に襲われた時に、人と喋ると快復することが多い。憂鬱の理由は大抵人でもあるのだが。人を嫌いになって、自分で完結しようと思っても、結局おれは社会の中で生まれて、人々の暮らす社会の約束の中でそういった思いに至ったわけだから、やっぱり人との関わりに戻っていくのだ。躁鬱とはそんなサイクルな気がする。人を嫌いになったり、好きになったりすることの繰り返しが、幸福と憂鬱の振り子運動だ。できるだけ幸福でいたいとは思うし、その方がみんなに迷惑もかけないで済むんだろうな。でも、そうした揺り戻しが、時々おれと人、そして社会との結びつきを自覚させるのである。
THE NOVEMBERS - Rapsody in beauty
2月某日。
歯が欠けた。
前歯が欠けた。喫煙の習慣が祟ったのだろうか。多分、虫歯なんだろう。痛みはないが、欠けた分の隙間が何だか気持ちが悪い。歯が欠けてというもの、ずっと生活に違和感を覚えている。
コロナ云々で遊びたい気持ちを抑えて、今週はずっと家で作業をしていた気がする。仕事とザッと1曲と半分くらい。悪くない。欠けた歯と感染病で気もそぞろだが、かえって調子は良い。どうしたものか。
曲が出来上がると、いつも最高傑作なんじゃないかと思う。その時は自分の才能を確信するが、2日も経たないうちにボツなることもよくあることで、そうなると浮かれていたな、と平静に戻るか、少し落ち込む。今回も最高傑作を作ったつもりだが、1週間、1ヶ月と経たないと、本当のところ最高傑作なのか分からない。
そうだ。1週間、1ヶ月、あるいはもっと経たないと分からないのだ。曲の出来も、自分が感染しているかどうかも、社会の決定の正しさも。とかく結論をおれも、みんなも急ぎすぎてしまう。それで待っているのはきっと水の掛け合いだ。結論より先に、やるべきことを粛々と済ませる外ない。その方が何も考えずにいられるのだから。
S亜TOH - DARK
2月某日。
他人を気にしている。
みんな友達だ。もし彼らが音楽をやっていなかったとしても、仲良くなれたと思う。だが、寝首を掻きたいとも思ってる。みんな良い音楽を作るから。そんな感情をなるべく持たないように心がけているが、しかし何かと理由をつけて彼らを心の中でやっかんでいる。たまに口に出してしまって酷く後悔する。みんな良いところが沢山あるのにね。
この前、出演したパーティーはそんな雰囲気に溢れていた。和気藹々という風に見えて、その実おれも含め、みんなが出し抜いてやろうという眼をしていた。その緊張感がライブ前におれを体調不良にさせたし、ライブが終わった瞬間におれはコロリと快復した。おれだけでなく、出演前にナーバスなっていた連中も少なくない。あのヒリついた空気はなんだろうか。おれは闘いなんてできればしたくないし、そういう気持ちはおれを生きづらくしてきた。だけど、あの空気は独特の心地よさがあった。おれたちはむしろ否定し合うことで繋がっていて、そうした運動を経て、無意識のうちにコアに到達しようとしているのかもしれない。
これが良いことなのかは分からない。この渦から退こうとすることも、大事な作業の一つだと思う。だが、渦に飲み込まれてしまったからには、そこに到達しなければならないと何かに急かされるのだ。
gato - throughout
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xamdneverforget · 5 years ago
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吠えないのか
帰宅して寝転がる敷布団はいつだって心地よい
1月某日。
欲が出る。
リリースでそこそこ再生されると欲が出る。もっと再生されたい、とか、シンクロニシティ出たい、とか。前のリリースの時もそうだった。その時はプレイリストに入って再生数を稼げる曲を作らなきゃ、なんて思ってた。その後できた曲は本当にダメだった。変にトリッキーでごちゃごちゃしていて、全然素直じゃなかった。
おれは売れるタチじゃないのかもしれない。売れようと考えると、いつも苦しくなる。出来た曲も、日々の生活も。生き苦しくなってしまう。そんなことでは良くないような気がするのだけれど、どうしても辛くなってしまう。逆にあまり考えないようにしたら、自然と曲が作れたりする。そういう曲は、意外とポップな曲だったりもする。精神的な健康と音楽は関連があるみたいだ。
プロとしては間違ってるのだろう。いい歳になってくると、自分の不器用さを変えることは難しくなってくる。こういう口上も甘えか。でも苦しい。本当に苦しい。何も考えず直感で行動していたい。そうやって上手くいったことの方が多い。でも、現状を打破するためには、甘えは許されないのかもしれない。分からない。
リリースするたびに、自分の欲や甘さと対峙するのだろう。これからも大変だなあ。
Four Tet - Ocoras
1月某日。
仕事でのストレスが爆発して、ガバを作ってしまった。マジでどこにも公開しないだろう。BPM185は自分が作った曲の中で最速だ。次はラップでもしようかな。
何もない日がある。
それは予定がなくて暇だ、ということではなく、むしろ何か予定がたくさんあったはずなのに、思うところのなかった日がある。今日はその日だった。仕事をして、友達のライブを観に行って、それからDJイベントを2つハシゴしたはずなのに、特筆すべきことは何もなかった。単にその日入っていた予定を全部遂行して、仕事以外はそこそこに楽しかった日というだけだ。
文章を書くようになると、今まで目に付かなかったことが気になってくる。
雑誌のコラム連載持ちになった気分で、何となく文章に起こせそうな出来事を探してしまって、これだと思った���書き出しや構成を考えてしまう。要はネタ探しだ。まったくコンテンツにするつもりはなかったし、今でもそのつもりなんだけれど、読む人が多少なりともいるみたいなので、少しは他人を意識したりするようになる。なので、無意識に書いたら面白そうなネタを探していたりする。そのうちネタ切れて、蝿について書くかもしれない。作家の書くエッセイが、なんとも妙な切り口から書かれるのは、きっと彼らが文章を書いてく中で、後天的に得られた視点なのだろう。今まで持つことのなかった視点を持てるようになったのは、純粋に楽しかったりする。みんなも文章を書いた方がいいと思う。おれが単に読みたいというだけでもあるが。
川上未映子のエッセイを読んでいると、この人の文章は何なんだろうな、と思う。頭の中で思い浮かばれた言葉が怒濤に押し寄せてくる感じ。おれとそう歳も変わらない頃に書いた文章なのも白眉だ。上手く書ける人を羨ましく思う。
Anchorsong - Kajo
1月某日。
ライブ終える。
終電はいつも混んでいる。ギリギリまで仕事を粘ったり飲み会を楽しむ気持ちが、終電の混雑を引き起こしているのだろうか。とにかくコロナウイルスが怖いし、人混みを避けてグリーン車に乗った。
新宿から乗って浦和に差しかかると、まだ最寄駅まで30分はかかるのに「もう浦和か」と思った。東京への往来に平均1時間強もかかると、30分なんてほんの半分で、随分と近くのように感じる。東京に住んでいた時は、ほんの20分でも遠さを感じていたのに。
逆に最寄駅に着くと、家路がやけに遠く感じた。駅から5分くらいなのに、永遠のように遠い。砂漠から脱けようと歩くとき、このぐらい長く感じるのだろうか。途中、道にへたり込みそうになった。「遠い!」と独りごちてしまいもした。曲作りの時もそうだ。最後の16小節がやけに遠く感じる。終わりが見えると、その終わりは果てしなく遠い。死の間際は時間の経過が急に遅くなるという。物事の終わりはそういうのもかもしれない。
とはいえ、いずれ家にはたどり着くし、実際たどり着いた。相変わらず風呂は気持ちいいし、布団は心地よい。十分ぐらいの動画をYoutubeで見て、今日も眠りに落ちていく。
Chelsea Cutler & Alexander - Lucky
1月某日。
コロナウイルスが怖い。
東京へ出かけることを躊躇してしまう程度にはビビっている。毎日、頭の片隅にコロナがよぎる。自分が感染する分にはいい。年齢的にも重症化するような年齢ではないみたいだし、仮に重症になったところでそれはそれだ。最悪、死ぬのだって受けいれられそうだ。
ただ、祖母と両親が怖い。
祖母は九十近いし、両親も還暦を越えている。特に父は糖尿病を患っている。いわゆる重症化しやすい疾患持ちだ。なので彼らが感染するとやばい。実家暮らしのリスクをまさかここで感じるとは。おれがうつして、彼らを死に至らせることを想像すると、本当にぞっとしない気持ちになる。死なないとしても、重症化��れば一生肺炎を再発し続けるという。ある人の親戚は肺炎に苦しみ、身体中は管で巻かれて寝たきりのままらしい。恐ろしい。一人暮らしをやめるんじゃなかったとさえ思う。最悪のシナリオを考えれば考えるほど、おれは電車に乗りたくなくなる。
心配しすぎなのだろうか。ニュースが伝える報道は毎日深刻になっていっている。近頃は潔癖症のように、うがいと手洗いをしている。
Oraful Arnards - 0040
1月末。
自分は何者にもなれないのではないか、と急に不安に襲われる。
調子の良い友達や結婚していく友達、憧れのラッパー、テレビの向こうの成功した人々。他人と自分を比べることは虚しい。それは分かっているし、近頃はそんな気分で生きていた。だけど、急に不安は猛烈に襲ってきた。ツイッターで不安を書き殴りたくなった。誰かに電話したくなった。でも誰にも会いたくもない。存在の矮小さに潰されそうになる。こんなことを書いてるおれがおれは恥ずかしい。おれは結局、何にもなれず終わっていくのか。吠えないままなのか。こんなおれを下に見てみんな安心すればいいんじゃないかなんて思う。
深夜0時を越えた夜が長く感じる。喉がカラカラだ。おれは一人で飲むことはないのに、今日はアルコールを求めてコンビニに向かおうとしている。吠えないのか。背中も喉も灼けそうだ。おれは誰もいない道路の真ん中に立って膝を曲げる。何かになりたいと咽び泣きそうになる。
sassya- 吠えないのか
鬼の2月某日。
体感だが、日曜日に人身事故という話をあまり聞いたことがない。大抵の人身事故が平日に起きているような気がする。どのような状態であっても、やっぱり日曜日は何かするよりゆっくりしたいものなのだろうか。確かに日曜日は、いつもより緩やかな時間の流れを感じる。
久しぶりに金曜日は朝まで遊ばず家に帰った。10時間は寝ただろう。朝食を食べてすぐに、マスクをしっかりとつけて14時集合の制作に向かった。
2ヶ月ほど苦しんでいた曲がようやくまとまりを見せてきた。幾度となく意見が飛び交い、ちょっと不安な気持ちにもさせる曲だったが、この日はたまたま良い具合にアレンジが進んでいった。ここから何かまた大幅な変更が無ければいいが、どうなるだろう。
ともあれ、苦しかったアレンジ作業に光が見えたので、そこで作業をおれたちはやめて、買ってきた2kgの鶏肉をに唐揚げにし始めた。大体100gが一人前なので、二十人前平らげなければいけないことになる。業務用としか思えない量の鶏肉を、家庭用の鍋で揚げていかなければならなかった。ちびちびと唐揚げは揚げられていたが、最終的に100個ほどあったかもしれない。あんな量の唐揚げは初めて見たし、おれたち5人はそれを食べなければならなかった。食べ始めの最初は結構いけた。美味しかったし、意外とこれぐらいでもいけるのかも、と思った。だが案の定、胃もたれも胸やけもどんどんと重くなっていったし、途中友達が屠殺や家畜、そ���から菜食主義の話をし始めて、まったくそうだな、この胸焼けと胃もたれでおれは肉のことを恨むことができるし、今からなら菜食主義になれるかもしれない、と思った。
唐揚げにおれたちは苦しんで、1時間遅れでスタジオへDJの練習をしに三人向かった。機材の使い方をおれは教えただけだが、二人は楽しんでるようで良かった。DJは楽しい。おれはいつのまにかやめられなくなっていた。
終電を逃してAir BnBで部屋を借りて飲んでいる友達の集まりへ行った。久しぶりにマリオカートをやったり、VRのゲームを持ってきた人のコミカルなゲームプレイを見て、笑ったりしていた。疲労と酔いで半分くらいはうとうとしていた。ただ、文章を書いた友達にあれは良かったよ、と直接伝えられたことに満足している。
朝帰って寝た。夢を見た。友達が体育館でライブをしている夢。一人挑発的な客が居て、それにキレたボーカルがそいつに文句を言ったら、そいつが銃をぶっ放してボーカルを殺した。こいつはやばいと思っておれは逃げて、電話のある職員室に向かって警察に通報しようとしたが、そいつは恐ろしいスピードでおれを含めた逃げた客を追いかけて、次々に射殺していった。おれはたまたま死角の非常階段を見つけ駆け上がり、息を切らせながら階段を走っていった。なんで、なんでこんなことになったんだ。そこで目が覚めた。起きたとき、部屋のカレンダーが目に入った。ああ、もう2月じゃないか。おれの嫌いな、2月になったのか。
Squirrel Flower - Headlights
https://youtu.be/JuMgMoF_vf8
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xamdneverforget · 5 years ago
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喋るべき時に喋る
そろそろ痩せねば、と切に思う。
1月某日。
京都へライブをしに行く。
初めての遠征だ。昂ぶったのか、たまたまなのか、前日から一睡もできないまま車に乗って向かった。10人乗りの車はまるで修学旅行のバスのようだった。皆がリラックスして楽しんでいる姿を見て、なんだかホッとする。
漫画喫茶で寝てから、スタジオの時間までおれは一人で京都の街を歩いた。思ったよりも街並みは退屈で、地元を歩くのとそう大差ない気がした。だけど、碁盤状に区切られた街並みは平安京の頃からの名残で、1000年から200年前までの碁盤状の街並みを想像しながら歩くと、コンクリートじゃない昔日の硬い砂道が思い起こされる。きっと何千何万のドラマを抱えて、人々はその砂を踏んできたのだろう。
スタジオでの練習が終わり、なんとなくオープンの時間になる。オールナイトイベントだったが、東京のオールナイトとは少し空気が違う。高校生の頃出入りしていたライブハウスの空気を思い出す。いくらかいつもより酸素が濃い。そんな酸素を吸い込んでライブをする。ちょっとミスが多かったな。少し凹むけど、それでも楽しかった。
ライブを終えて東京に帰らず、京都の友達の家に泊まった。17時まで寝てから、オススメの中華料理を食べたり、ゴールデン街にあるような路地の小さなバーで飲んだりした。音楽の話はあまりせず、自分たちの趣味の話をした。みなそれぞれに好きな映画があったりする。それは京都の人間だって同じだ。
翌日もフルで楽しもうと思ったが、体調があまり優れず、新幹線で昼ごろに帰った。どうにもこういう運がない。寺社仏閣を訪れて、初詣でもしようと思ったのだが。
リリースやDJが立て込み、まだそわそわとする日々の中にいる。ひとまずそれらを終えて、週末の新年会を楽しく迎えたい。
the Mcfaddin - N.E.O.N
1月某日。
なんとなくうまくいかない。
自分の目論見からどうも外れることがこの新年多い。そういうことが積み重なると気持ちが萎えてくる。新年早々は調子よく感じたが、それは年末の余韻がそうさせていただけであって、本当はあまり良い年ではないのかもしれない。そう考えると、2019年は良い年だったなと思えてくる。
2月によく落ち込む。
毎年そうだ。2月は気候のせいか、これでもかというくらい落ち込む。1年の鬱憤がそこに集結するように気を滅入らせる。いつだって2月には来て欲しくない。思い通りにいかない1月は、2月の兆しなのかもしれない。嫌だ。そうならないように自分をコントロールしなければならない。怠くてしゃあない。
Sigur Ros - Gobbledigook
1月某日。
仕事をする。
何社も取り次いで打ち合わせをする。やって欲しいことを、各社に何度も何度も説明する。まったくウンザリしてくる。しなくてもいい苦労をしている気がする。
打ち合わせの合間を見て、散歩したり曲を作ったりした。ソロ用の曲は作るたびに手応えがある。自分の意図通りの作品が作れたと思う。破壊的で、滅茶苦茶な作品が。
夜は友達とスタジオに入ってDJをした。友達はターンテーブルを触るのは2度目だったが、感覚はなんとなく掴んだみたいだ。最後の方は良い選曲をしていた。おれより成長が早いと思う。
別の友達の家へ泊まりに行く。
次の日の予定がそこそこ早かったので泊めさせてもらった。おれ以外にも二人来て、彼らは隣の部屋でラップをレックしていた。それを傍目に、残りの友人達で笑い話に興じて、深夜のカップラーメンを食い、血糖値が上がったところで寝た。
2時間ほどで目が覚めてしまった。
二人はまだラップを録っていた。邪魔したら悪いので、二人のもとには行かず携帯を眺めていたが、30分ほど経つとラップをレックしている様子もなくなったので、二人のいる部屋へ行った。ラップをしている人間は悪く見える。それがサグいトラックなら尚更だ。二人はいつもより悪く見えて、クールだった。その二人と一緒にいることで、またおれもクールなワルのような気分になった。そういう気分を抱いたあと少しして、自分が恥ずかしく思えてきた。おれはワルではないので、ワルぶるのは何ともダサく思えた。
二人はそのまま家へ帰り、ひとり目を覚ましているおれはみんなが寝ている寝室に戻って、横になって音楽を聴き始めた。しばらくして、プリペアードピアノ主体で作られたアルバムを聴きたくなったので、それを探して再生した。ランダムに響くプリペアードピアノの音を聴きながら目を瞑ると、世界と歴史から取り残された、蔓の生えた石像になったような気がした。もう誰も居なくなった都市でひっそりと、溝の底に埋まってしまった石像のような。
うとうととしてきた。微睡みの中で、おれは段々とひとりになっていく。
Kelly Moran - Helix
1月某日。
久々に映画を観た。
ホラー映画以外の映画は久しぶりだ。昨日友達と飲んでいて、みんなで「今年は映画を沢山観よう」と話した。その帰りすがら、ツイッターで流れてきた「ハングズマン・ノット」のワンシーンが面白そうで、帰ってNetflixで観ることにした。
震えるぐらい面白かった。多分、この映画を嫌いな人は多いのだろうな、と思う。とにかく暴力的だし、単純に胸糞の悪いシーンが多い。ただ、映画全体のドライブ感や行ききった暴力描写は悔しくなるくらい良かった。恐さをいつまでも感じ続けられた。ヤンキーたちの会話なんか本当に生き生きとしていて、おれにはこれは今描けないと思って、どこまでも悔しい気持ちになった。阪本裕悟は大天才だと思う。完成度ではなくドラスティックさで、アイデアがどんな場所にも飛び回っている。限りなく自由なマジカルバナナが延々と続けられているみたいだ。おれはガッチリと考えてしまうから、そういう自由さと生々しさは本当に羨ましく思う。おれもナイフを相手に突き刺しまくるような作品を作りたい。マジで作りたい。
自分の作品を作り始めたら、時折見返そう。名作は何度も観れるから、おれの軸になっていく。
Black midi - bmbmbm(Dos Monos Remix)
1月某日。
久しぶりに気分が沈む。
みんな色んな考えを持っているのが気持ち悪い。多様性を認めたいのに認められない。外に出たくなくなるし、誰にも会いたくなくなる。そうやってベッドに突っ伏している間は、左心房のあたりに心地よさを感じる。しかし、その心地よさがダウナーも引き起こしてしまって、うまく起き上がることができなくなる。身につけている衣服も気持ち悪い。生地の感触がいつもより過敏で、痒さを覚える。ああ、痒い。気持ち悪い。身体など失って概念になってしまいたい。
Yung Hurn - Eisblock
1月某日。
新年会に行く。
昼寝をしてしまって、起きるともう集合の時間だった。やっちまった、と思いながらいそいそと支度する。約2時間遅れで到着した。
だいたい15人くらいが集まっていて、きっちり男女の席が別れていた。半分は華やかな女子会、もう半分はむさい男子会という風で、やけに健全な新年会だった。普段喋らない人と喋ろうと思っていたが、大幅に遅刻してきたものだから全然喋ることができなかった。昼寝したことをひどく後悔した。喋りたい人と喋りたい時に喋ることはとても重要で、それができないのは不幸なことだ。自ら不幸を招いてしまったのは全く良くない。この反省を次回に活かしたい。
昼寝もたくさんしたし、喋り足りなかったので、バーとライブハウスの間のような箱に、新年会組でぞろぞろ向かった。そのうち多くはすぐに帰ったが、数人ほどそこに残った。DJ機材があることを知っていたので、友達の店員にDJさせてくれないかと無理に頼み、小さな音でDJをさせてもらえた。先日、出させてもらったイベントでやりたかったけど出来なかったDJが、その時出来た気がする。場を見ているけど、ドラスティックに展開していくDJが。
1時間半ほどDJをして、流石に疲れてしまったのでやめた。その後はダラダラと飲んでいたが、急にウトウトとしてきて、最後は数台の椅子の上に寝転がっていた。「閉めるよー!」と友達の店員に言われたので、深夜の3時半に数人の新年会組とともに店を出た。
外は寒かった。本当に眠くて、すぐにでも帰りたかったが、始発がまだない。おれたちは駅の前でコーヒーを飲みながら話していた。家族の話をした。父や兄弟の話。思う所のない人なんていないような話。うまくいっていたり、うまくいかなかったりするのが家族の話だ。そういう話をした。
駅のシャッターがガラガラと開き、おれたちは改札へと向かった。友達とおれ二人が新宿行きの電車に乗った。そこで話した話はとりとめもなかったけど、ワクワクするような話だった気がする。とりとめがなかったので断片しか覚えていない。でもきっと、大事な話だった。
喋るべき時におれたちは喋らなければならない。逆に、喋らなくていいときは喋らなくていい。言葉を無駄にせず、然るべき時におれたちは喋りたい人に喋るのだ。
Bon Iver - Skinny Love
https://youtu.be/ssdgFoHLwnk
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xamdneverforget · 5 years ago
Text
New Shoes リリースに寄せて
ライナーノーツ。
New Shoes(feat.Shun Murakami)
ちゃんとしたラブソングを作ったことがなかった。
当時はなんとなく片想いをしていて、ふとそれを曲にしようと思った。大学をサボって曲を作り始めてから小一時間もしない内に、Suseddのシュンくんにボーカルを頼もうと思った。彼は素晴らしいボーカリストだ。もう少し注目されてもいい。メンバーのミックスとギターも冴えている。個人的には特に気に入っている。ジョン・レノンの「Jealous Guy」のような曲だと思っている。
歌詞は小っ恥ずかしいので、載せない。ただ、自分は何かすることもなく片想いを片想いのまま終わらすことが多い。年齢を重ねたり太ったりして、恋に臆病になってしまったといえばそれまでだが、黙して片想いをする美しさはあると思う。それが聴いた人に伝わるといい。
https://open.spotify.com/track/7Bh4dzYrbYtXbbuvK8M8yE?si=mwDGB1xCRqCO-kgs2uq6VA
2020
去年の6月、音楽制作の仕事が舞い込んだ。どうやら渋谷の街頭ビジョンで公開されるらしい。仕事も忙しかったが、面白そうな仕事なので引き受けた。
最後の最後まで、何テイクもデモを作り続けた。ギリギリのところで音源は完成したが、その途中でたくさんのアイデアを没にした。その中、メンバーの作ったギターリフで、めちゃくちゃにかっこいいフレーズがあった。残念ながら没とはなったが、これを活かす手はないと思ったので、そのリフを使ってフル尺の音源にすることにした。
肉体的なリフだったので、トライバル系のパーカスを足しながら再構築していくうちに、なんだかスポーツ中継のハイライトで流れてそうな曲だな、と思った。なのでタイトルが2020。オリンピックで水泳選手の浮き沈みする背筋が目に浮かぶ。そんな成り行きの中でこの曲はできた。当時は4ヶ月もフル尺の曲が作れないスランプに陥っていたので、完成した時の喜びもひとしおだった。五輪の時期は各局こぞってこの曲を流して欲しい。自然発生的に完成した曲はピュアで良い。
https://open.spotify.com/track/3KpKR8jSaoWy7W75rqMbch?si=_NI9e5JCSQeqyIPwhRDBug
Alcohol Attack
ライブ中に腰を痛めた。
腰をいわしたのは初めてだったが、爆発しそうなほど痛かった。楽屋までの階段の登り降りは地獄で、観たいライブも見れないくらいには弱っていた。
それでも友達のDJがどうしても観たくて、なんとかフロアに降りた。DJブースは小さな柵で仕切られていたので、そこに肘を乗せて寄りかかり、身体を揺らさないように微動だにせず、彼のプレイをジッと観ていた。その間に、明らかに酔っ払った友達が脇に構えて登場。その友達に自分が腰を痛めていることは伝えていなかった。彼女はおれを見つけるやいなや、おれの背後へと回り、なんとも恐ろしいことだが、柵に寄りかかって傾斜したおれの背中目掛けてジャンプ。ドゴーンッ。腰に10,000のダメージ。核弾頭。世界が終わったみたいな衝撃が走った。おれは頭の中が真っ白になった。微かな意識の中、思う。彼女は悪くない。酒が悪い。酒が彼女という存在を侵して、酒を擬人化した存在にしてしまったのだ。だから、これは酒そのものによる攻撃だ。Alcohol Attack。その時にタイトルを思いついた。
その時はもう歩けなくなるんじゃないか、と思ったが、幸い湿布を貼るだけで一週間も経たないうちに概ね回復した。ただ、腰を当てられた衝撃は忘れられない。思いついたタイトルもバカらしくて気に入っていたので、それを着想に曲を作ることにした。我ながらヘンテコな曲を作ったと思う。正直これを作っている最中は笑いながら作っていた。メンバーによると、曲中に三回転調をしているらしい。おれは知らなかった。そういうこともある。
作って丁度1ヶ月くらいでリリースされた。高速だ。是非、酔っ払っている時に聴いて欲しい。個人的に、後半部のメンバーによる往年のJ-POPを思い起こさせるカッティングが気に入っている。
https://open.spotify.com/track/1Q1uhorPABfBnzLeeDZafh?si=5G3iGYfCSZex9nrRtiH4dA
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