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yincqow · 1 year ago
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それでも、世界をなお
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精神障害の認定を受けたとき、深い安堵とともに、諦めのような、悲しみのような思いが胸の中に生まれた。
心から望んでいたことのはずだった。
認定を受ければ、福祉的なサービスや生活の援助も受けられるため、精神的に少しでも楽になれるはず、ずっとそれを求めてきた、のに。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。
新宿・歌舞伎町の「立ちんぼ(体を売るために客を待つこと)」の記事を食い入るように読んでいた。
立っている女性は、最近では10~20代の"普通の"女の子が殆どだという。
全く他人事と思えなかった。
10年ほど前に発病してからずっと、私はきっと犯罪者になるか、体を売って生計を立てるしか最終的に生きるすべがないんだろう、と思い続けてきた。
心の病と付き合いながら生きていて、働いても調子を崩して、駄目になって、また仕事を探して、を繰り返す中で、必然的に勤務がフレキシブルで(調子が悪くなったら直前でも休める)、出来るだけ短時間で収入を得られる、夜の仕事の求人を見ることが多くなった。
20代前半の頃、ヨーガを伝え始めていた頃、生きていくお金のため、祇園のラウンジで働いていたことがある。
お酒、着飾った女の子、煌びやかな表の裏で、キャストとして一緒に働いていた女の子たちは、会社に勤めていたが苛めにあい精神疾患を患ってしまったり、生きづらさを抱えている人も少なくなかった。
お店に立って男性の横で見せている明るい笑顔の底に、どんな苦しみを抱えてここにいるんだろう、とぼんやり考えていた。
客に「ええ大学出たのになんでこんなところにおるん?」と馬鹿にしたように���われることもあった。
「こんなところ」と蔑みながらそれでも繁々と足を運ぶ彼らにへらへらと笑顔を見せ続けることが私にはどうしても出来なかった。
経済的にどうしようもなくなり、いわゆるパパ活にも手を出そうとした。
初めて会った男性はとても良い人だった(お茶をご馳走になるだけで、それ以外に金銭のやり取りはしなかった)が、2人目に会った男性で本当に酷い目に遭い、体も心も傷ついて怖くなった。
結局、私にはしたたかさが足りなかった。自分の感情や体の拒否反応に素直過ぎた。これから、どうしようもなくなって身を売ってお金を稼ぐことになったら、それは自分の素直さを捨て、感情や感覚を消して生きるということで、それは遅かれ早かれ死へ向かうことを意味するだろうと思った。
自分でも信じられないけれど、今は支えてくれるパートナーがいて、支援も受けられることになり、そのような選択肢が頭をもたげることはなくなった。
でも、それはたまたま、本当にたまたまの積み重ねで行き着いた分岐にすぎなくて、たまたまそうならなかった先の自分の存在も、今なお近くに感じる。
認定はすなわち、「あなたは働けません」という宣告であり、それは赦されることでありながら、社会との間に隔たりができるということでもある。
認定されたり、手帳を持ったからといって私の存在のなにかが変化するわけではない、のに。
今までは社会的に障害を持っているとも言えない、でも普通に働くことが難しい、「グレーゾーン」にいると思っていて、認定されれば何かが変わるのだろうと思っていたけれど、宙に浮いた感覚は変わらなかった。
結局のところ私自身の存在が、とても宙ぶらりんなのだと思う。
ずっと私の中にあった、人が心安らげるような場を持ちたい、そのために修行したい、という思いがなんとか私を生かしてくれていた。
それでも、あんなに目標としていた場を持つこと、心からこの場所で、と思った場所にいてすら、1年と心身が持たず、悔しくも離れる選択をした。
祝での最後の2ヶ月間の私は、本当に酷いものだった。
自分がどこにいるのか分からなくなって、一人になれば自分を殺めてしまいそうで、ずっと気が狂いそうだった。とてもじゃないけれど「自分が生きていることを祝福する」なんて出来なかった。
だけれど、大切なひとたちにはそれをどうしても伝えたかった。心身共にぎりぎりの状態だったけど、最後に祈りと呼吸の時間を共に過ごしてくださった方たちには、伝える私の方が大きな光を頂いて、その光に包まれ、そのとき限りはぼろぼろだったことなんてすっかり忘れてしまった。
あの光は、まだ私の中に灯っている。ずっとずっと、灯っている。
昨年からパレスチナのことを追い続けていて、こんなにひとつのところに苦しみや悲しみが渦巻き溢れているのはいったいどういうことなのだろう、とずっと考えている。
ことばにならない。でも、声を上げないと。でも… を繰り返す。
このような状況に、自分が生ぬるい言葉など発してはいけないような気がしていた。
大切にしていた祝福、という言葉も、こんな地獄のような世界では意味を成さないように思った。
1ヶ月ほど前から、出来る限り毎晩祈る時間を持つようになった。
祈りの中で、ずっと苦しんでいる人たちの怒りや悲しみに寄り添うイメージを続けた。大きな羽根で包み込むように。
跳ねのけられても、羽根が折られても、寄り添わせてほしい、と願って。
生きていてほしい、どうか、どうか。
ふと読み返したくなり手に取った西加奈子さんの『 i 』で、次の一節に何かを溶かされた気がした。
(文中に出てくるアイランは、密航途��に亡くなった難民の3歳の男の子で、5歳の彼の兄も、同じくして亡くなった。)
ーでも、もし、水中を漂い、苦しみながら死んでいったアイランに、その兄に、死んでいったすべての人にもう一度会うことが出来たのなら、私はこう叫ぶだろう。
 「生まれてきてくれてありがとう。」
 私は全力で、全身全霊で、彼らの誕生を祝福するだろう。
 それが世界に踏みにじられるものであっても、それでも私は祝福するだろう。
 「生まれてきてくれてありがとう。」
 何がありがとうだ、自分のこの惨めでおぞましい人生は何のためにあったのだと叫ばれても、唾を吐かれても、殴られても、それでも私は彼らを祝福するだろう。
 生まれてきてくれてありがとう。ー
地獄のような世界だから意味を成さないのではなく、だからこそ、存在そのものを祝うということ。
現実に起こっていることと、まだ折り合いはうまくつかないけれど、祝うということを忘れたくない。そして、どんな人にも寄り添い続けたい。
今は、精神的にも少し追い詰められていて、具体的に何かをしたい、という気持ちが湧いてこない。
毎年のはじめに手帳にその年にしたいことやイメージを書き込んでいたが、今年は一言も浮かばなかった。
それでも、ただひとつ、闇の中の灯になりたい、という思いがずっと駆け巡っている。
2024.2.6
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yincqow · 7 years ago
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戻る 巡ること
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4か月。
あんなにこわかった場所が、いつしか日常の一部になっていた。
苦しみも、その中に自分から溶け込んでしまえば、だんだん慣れてゆく。でも、こんどは決して麻痺したわけではなく。
冬は、景色の彩度が落ちて、心を無理やりに持ち上げなくてもいい気がして、とても好きだった。
寒さに耐えていれば、それだけで許される季節。
でも、今年の冬は、うまくことばではあらわせないけれど、いつもとはどこか違っていたように思う。
ひとつ言えるのは、彩度が低いと、色彩がないという印象が薄れたということ。
夕暮れ、海と空の境目が桃に染まっている風景、冬の朝の薄青い空気、そんな色の記憶が残っている。
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そして、冬のまっただ中でも、幾度も春の匂いを感じたということ。
冬の終わりは、春のはじまりで、それはいつもなにかを決断しなければならないということだった。
巡ることは、取り残されることだった。
でも、今は、
今のところは、それすらも良かったと思える。
取り残されることでしか、見つけられなかったものや、ひとや、言葉があった。
今はきっと、決断すら、巡りの中に委ねるということができる。
いつもとは違った春の肌触りに出会えるように、少しずつ冬を終える支度をしたい。
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yincqow · 7 years ago
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年の瀬に、なにかを綴るなんておおげさなことはあまりしないでおこうと思っていたのだけれど、言葉が溢れてきたので、きっと残しておくべきなのだろうと思う
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わたしが今年のはじめに立てた目標は、
「しなないでいること」だった
小さい頃から極端に死が怖くて遠ざけようとしてきたそれを反転させるように、この2〜3年間は、死と薄皮を隔てた場に立っているようなときを過ごすことも多かったように思う
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今年のはじめに、愛しい人の死に直面した
その言葉の響きはとても重く感じるけれど、その人のお葬式では���皆が笑顔で思い出話に花を咲かせ、笑いすぎて涙している人もいたくらいだった
私も、それをみて笑って、そして少し泣いた
おじいちゃんは、仕事がだいすきで、それとおなじくらいにお酒と遊びがだいすきで、いくつになってもすけべ心を忘れない可愛いひとだった
おじいちゃんと若い頃に駈落ちし、ほんとうに長い間連れ添ってきたおばあちゃんが、
「お葬式なんやから!そんなに笑ったらあかん」
と母や叔母さんに言っていた、そのおばあちゃんすら涙を浮かべながら大笑いしていた
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存在しなくなるということ、
一方でその人の存在を色濃くうつしたような皆の笑顔が生まれている
この数年間、病は違えど同じように上り下りを繰り返していたひと
その人の死は、不謹慎かもしれないけれど、
「もう全部持っていってやるから、心配せんでも大丈夫や」
と言って、背中を押してくれているように感じた
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「わたしがおばあちゃんになったらぜんぶ不幸のお返しがきてもええから、みんなが病気にならんと、死なんと、ずっと元気に生きられるようにって、いっつも神さまにお願いしてるねん」
いつもは無愛想で、可愛げのないことばかり言う妹は、おじいちゃんが亡くなったとき、泣きながらそう言った
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しなないままで迎えた年の瀬
存在を願われていたひとは姿を消し、かわりにあたたかな灯を残してくれていた
どうしてわたしでないのか、と否定し続けた心は、誰かの願いや祈りで、いつのまにか緩やかにかたちを変え始めている
かけがえのない柔らかな瞬間に照らされて、愛おしい人たちのまなざしを感じられる、あたたかな場所にわたしはたしかにいて
その人たちに、わたしは同じようなまなざしをおくることができているだろうか
きっと、わたしの祈りは 自分のための祈りにすぎない
でも、強くなりたい、と思う
鋼のような、折れない強さではなく
流れるように他者とかかわり、かたちを変え、たいせつにしてくれる人たちのかたちを守れるような強さ
生きている時間を共にしてくれる人たち
遠くから祈ってくれる人たち
そうして わたしをわたしとして在らしめてくれる人たち
来年は、ただ愛おしい人の幸せを祈る人に
愛おしい人たちを通して、世界を愛せるように
そしてなにより、自分自身を愛せるように
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yincqow · 7 years ago
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