Tumgik
yiyishi · 4 years
Text
漫ろに、積み重なっていくもの
 「『漫(すずろ)』って名前はね、伊勢物語の『むかし、男、陸奥の国に漫ろに(すずろに)ゆきいたりにけり』から取ってるのよ。『なんとなく、気の向くままに』って意味よね。そういう風にふら~っとうちのお店にも入ってきてほしいと思って、付けたのよ。」
  
 東京は新宿区、大正時代は芸者街、明治時代は文人街として知られた街の裏手のまた裏手に、「漫」(すずろ)はある。82歳になる肝っ玉江戸っ子おかあさんが一人でやっている、カウンター7席ばかりの小さな飲み屋だ。
  
 漫はわたしの家から最も近いお店の一つで、うちからも歩いて3分くらい。しかしこの街に住みはじめて8年、わたしはつい3ヶ月前まで、漫に足を踏み入れたことがなかった。通る度に「いい名前だな~入ってみたいな~」と思っていたのだが、隙間から覗き見てもカウンター席しかないのはわかっていたので、一見さんとしてはちょっと入りづらい。「まぁそのうち・・・」と思っている内に、月日は流れた。
  
 だが昨年のとある秋の日、ふと漫に行ってみようと思い立った。この時期はコロナが少し落ち着いていたとはいえ、以前のように頻繁には遠方に出向かなくなった2020年。家と拠点、近所のカフェという半径1.5km圏内で大抵のことが事足りる生活に変わり、だから一層、近所のお店に対する思い入れも以前と少し変わったのかもしれない。そんな背景もあって、8年の帳を破って(?)、ついにわたしは漫に赴いたわけである。
Tumblr media
 お店ののれんの前でちょっと一呼吸置いてからガラッと引き戸を開けると、カウンターの奥の席に、おばあちゃんが一人で座ってテレビを観ている。 「こんばんは~」とそぞろに言うわたしの声でおばあちゃんは振り返って、「いらっしゃい」と張りある声で招き入れてくれると、こちらに向かって歩いてきた。わたしと入れ違いに一度外に出て、わたしが入ってきた扉の隣の扉から再び入ると、カウンターの向こう側に立った。お店は細長い形で、出入り口は一つしかないのである。
  
 「お嬢、初めてよね?」とおばあちゃんに言われた瞬間、わたしは「お嬢」と呼ぶそのカラッとした威勢の良さに、一発で心を打ち落とされてしまった。 お嬢と呼ばれれば気分は美空ひばり、その響きに時代の奥行きを感じたりもして、ホクホクする。 「そうなんです、近所に住んでて、すごい素敵な名前で前から気になってたので、今日ついに来てみようと思って」と言うと、おかあさん ―そのカラッとした威勢の良さは、82歳と言えどまだまだ「おばあちゃん」ではない。わたしは親しみを込めて「おかあさん」と呼んでいる― は、冒頭のお店の名前の由来を話してくれたのである。  
 まさしくわたしはおかあさんの願い通り、「漫ろに」、漫に足を踏み入れた一人になったわけだ。それから、特に忙しくなければ週に1回くらい、忙しい時は、仕事が落ち着いたその日か次の日には、おかあさんへの挨拶も兼ねて漫に足を運んでいる。
  
 漫はわたしにとってお店というより、「おばあちゃん家(ち)」という感じだ。お店に決まったメニューはなく、おかあさんが買い出しに行った先で見初めた食材や気分で、その日のメニューが決まる。それも、こちらが選んで注文するのではなく、おかあさんが作ってはどんどん出してくれる方式。 だからわたしは、「今日は何が出るんだろう?」とワクワクしながら待つことになる。お腹を空かせながら、今日の夕飯は何だろう?と待ちわびるこの感覚―まるで実家、あるいはまさに、おばあちゃん家ではないか。
 
 おかあさんは「あたし、和食しか作れないからさ」と言って、煮込みやおでん、胡麻和えなどの家庭料理を出してくれる。野菜が多いので、不摂生なわたしにとっては、おばあちゃん家に栄養あるご飯を食べに行くような気分になる(というか、実際そうなりつつあるのだが)。 食材は、買い出し先のスーパーなどでなるべく質のいい野菜などを仕入れる。刺し身や焼売、餃子などは、出来合いのものを買ってくる。こういう良い意味での拘泥のなさも、まさにおばあちゃんが日々の料理を作っている感じだ。
 お酒は、カウンターの後ろの棚に、ウィスキーや焼酎などの瓶がたくさん置かれている。そこから好きなものを勝手に取っていって飲む方式だ。おかあさんが漬けたゆず酒やあんず酒などもある。
 素朴な手作りと既製品の絶妙なバランス―これもまた、まるで実家、あるいはまさに、おばあちゃん家ではないか。
  
 おかあさんは、ご飯を残すのは許さない。なので帰り際、お腹いっぱいになって食べきれなかった料理は、持ち帰らせてもらう。タッパーに余裕があるのを見ると、「もっと持っていきなよ」と言って、ポテサラなどを詰めてくれる。わたしはそれを次の日のお昼ご飯に食べる。
Tumblr media
(↑とある日のメニューの一部。「今日は大きい良いマッシュルームがあったから」と言って作ってくれたのが、右下の料理。右上は、「山椒効いてるわよ~」という麻婆豆腐。和食以外も全然イケるやん、おかあさん!)
  
 食べつつ呑みつつ、おかあさんと世間話などもする。「コロナ困っちゃうよね~」とか、「オリンピックどうするんだろうね~」とか。 お店に行くのが久しぶりになると、「あら久しぶり。仕事忙しかったんでしょ?良いことじゃない、有り難いことだよ」と言ってくれる。 流れっぱなしになっているテレビを観ながら、「このお店美味しそうだね」とか、クイズ番組の問題に一緒に答えたりなどもする。
 とある金曜の夜には、21時からの金曜ロードショーを一緒に観た。ちょうどハリーポッターだったか、ファンタスティック・ビーストだったかが放映されていて、その時一人で来ていた常連さんのおじいちゃんと3人で一緒に観たのだ。その図は傍から見れば、まさにおじいちゃん、おばあちゃん、孫、だったかもしれない。ちょびちょび呑んだりつまみながら、なんとなくテレビを観ていると、おばあちゃん家の居間にいるような感覚に陥る。
  
 もっと若い時分、わたしは「人といかに深い話をできるか」がすごく大事なことだと思っていた。そういうまとまった対話の時間を経てこそ、人と親密になれると思っていた。もちろん今も、そういう関係性や時間を素晴らしいと思っている。しかし少し歳を重ねてきて、断片的だったり、 一見 何気ない大したことのない話題からでも、垣間見えるその人の深みや、共有できる親密さがあるのだ、とも感じるようになってきた。
  
 漫のおかあさんにも、勝手ながらそういう感覚を抱いている。おかあさんの子どもの頃の疎開の話や、以前やっていたカラオケスナックの話なども時々聞くけれど、それらはちゃんと話そうと思えば膨大になり、いつだって断片的にならざるを得ない。
 しかし、それでいいよな、と最近思う。おかあさんの口からふと出る重厚な言葉、他のお客さんと一緒になった時の絶妙な気遣い、お客さんからもらうお土産やアルバムなどから、おかあさんという存在の愛と深みの一片に、触れられる。その一片だけでも、すでにとても尊いものなのだ。
  
 思えばわたしは祖父母や両親とも、こういう接し方をしてきたように思う。彼ら彼女らとまとまって深い話をしたことは、一度もない。しかし大小様々な出来事があり、その中で交わしてきた会話から、彼ら彼女らのそのような断片に接してきた。まだまだ彼ら彼女らの全体像を掴めているわけではなく ―そして彼ら彼女らのうち、わたしがその全体像を掴めずにこの世を去った人もいるし、そういう存在はこれから増えていくのだが― 、いずれにせよどんなに近しい間柄だとしても、人間一人という深遠な全体像を他人が掴むことなんて、所詮かなわないのだろう。
 それでも日々絶え間なく生じる出来事の中で、一からわかりやすく順序を重ねていくわけでもなく、あっちに行ったりこっちに行ったりして会話や時間を重ね、関係を築きながら、 「漫ろに」 できあがっていく形があり、見えてくる物語がある。それが多少ないびつな形だとしても、いいではないか。それが、他でもない自分と、他でもない相手との間だからできる唯一無二の形であり、自分にとって、あるいは相手にとって、“ふるさと”に近い場所になっていくかもしれないのだから。
Tumblr media
(↑料理をするおかあさん。調味料や道具などでごちゃごちゃしたキッチンも、もはやおばあちゃん家感が半端ない)
1 note · View note
yiyishi · 4 years
Text
日々に”ふるさと”を見つける旅
「ふるさとは遠きにありて思ふ��の」という言葉がある。
昔の人々は、一度故郷を離れれば、次にいつ、かの地の土を踏めるのだろうか、と思ったのだろう。
今みたいに、新幹線や飛行機ですぐに帰れるわけでもない-そんな時代において、望郷の念というものは、今と全く違った強さや切なさを含んだ想いだったのだろうと想像する。
 だがもちろん、現代に生きるわたしもまた、望郷の念を抱いている。
それは、わたしが中国の上海出身で、母国から離れて暮らしている、というのはまずあるかもしれない。
加えて、日本で生まれ育った千葉の野田にも、もう両親は住んでおらず、繋がりがない、というのもあるだろう。
両親はもう上海に帰っているが、わたしの生家、毎年夏休みに帰っていたあの上海の家、薄暗く涼しい石の階段を昇っていったあの家にはもう見知らぬ家族が住んでおり、両親は別の家に住んでいる。それが今の、わたしの「実家」だ。
3歳から6歳を過ごした、中国・合肥の父方の祖父母の家も同じだ。朝早くから網戸だけ締めてドアを開け放して座っていた小さな家、近所の人々や鶏がたむろしていた、凸凹した石の道-あの懐かしい家がどこにあったのかすら、もうわたしの記憶はあやふやだ。
 それが突如、とても哀しく思える時がある。
時は流れていくし、上海も東京も、どの土地土地も、開発や環境の変化などによってどんどん景色が変わっていく。
それが、とても哀しい。変化も美しいものだけれど、それによって消えていったものもまた、わたしにとっては美しく、時々取り出してはその温もりを確かめたいものなのだ。
 だからわたしは、今生きている日本で、東京で、望郷の念をしばし癒せるような場所や事柄を、無意識に見出そうとしてきたように思う。
自分の日々の足元を見れば、全く繋がりのなかった場所や人に、ふと懐かしさや温もりを感じられる。
自分でまた新たな「ふるさと」をつくり出していけるのだ、と勇気をもらえる。
人知れずそういう感情を誰かに与えている人の存在や場所の偉大さに感嘆する。
そしてそれこそが人間の素晴らしさであり、あらゆる境界線を超えて人間が根本的な部分で繋がることができる、ということの証明であるように思う。
 そのような、自分にとって大切な「新たなふるさと」のような人の存在や場所を、文章に記し残すことで、感謝を表し、そして自分の気持ちも昇華させられたらと思って、筆を取りはじめた。
もしも読んでくださる方がいて、その人が今とは遠く離れた昔のことに想いを馳せて感じ入ることがある時、これから綴る文章が時に共感や癒やしになることがあれば、これ以上嬉しいことはない。
Tumblr media
(今住んでいる東京のアパートのベランダの眼の前の小道。もう使われなくなって、庭のようになっている。これもまた、東京に住むわたしにとっての、今のふるさと。 雪が降るとなお綺麗。今年も降らないかな~と思っている)
3 notes · View notes