Tumgik
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数多くの人が数を数えている
数はお金になってリターンを生んで生活を保証してくれる正義の味方、らしい。
まあ、理解できる。理解できるぞ頭の中では。
現状僕の音楽は誰から見ても数は足りてなく到底お金になっていない。アンダーグラウンドという有名なジャンルに分類されるオーバーグラウンドなアーティスト達と比べるとアンダーグラウンドにさえなっていない代物、らしい。
誰に言われたっけな。何故いまさらそんなわかり切ったことを言われないといけないのか分からなくなってしまった。それとは真逆で感動しました、と面と向かって言われた日もあった。単純な人間だからそんな言葉に救われてしまう、どうしようもなく救われてしまう。
僕が気づかない間に心を踏んでしまった人たちとはもう遠く離れてしまってそれは仕方ないことであって、僕もまた同じく踏まれて然るべきだと。
理解、理解、と口にはだしてみるものの、そんなものとうの昔に失っている。
そんな中で本当の意味で分かり合える人のこころだけは絶対に踏まずに続けていきたい。踏まないために、数を数えない。当たり前のように数多くの人が数を数えている、じゃあ、僕にはもう無縁だ、多分僕が数を数え出したら君のこころを確実に踏んでしまうだろう。
そうなる前に長い隙間を作らないといけないな、俺は悔しい、ずっと悔しい。でも好きだから続ける、好きだから救われることもある。
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yobit-fishing-music · 2 years
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知床の事故が頭から離れない
タイトルの通り。
数年前に亡くなった祖母は旅行好きで国内、沖縄はもちろん中国、イタリア、様々な場所に弟と従兄弟をつれて行っていた。そして北海道にも。俺は中学にあがって部活動が忙しく1度もタイミングが合わずついていけたことはなかったがその分出来のいい弟がいたので安心していた記憶がある。そしてその旅行好きの血を受け継いだのかは知らないが父もまた旅行好きで小学生の頃はフェリーや飛行機、ヘリコプターやボートにも乗らさせてもらった。今年のGWも家族旅行を計画していたり旅行終わり翌日に親戚交えた潮干狩りなどを考えているみたいだ。
だから今回のこの事故が"遠く離れた北海での赤の他人の死"という考え方が俺にはできない。
関連のニュースはできる限りチェックした、社長の会見もリアルタイムで見た、そしてさっき無粋なマスコミが入手した被害者家族への説明会の録音音声を聴いた。桂田社長のしどろもどろな説明、被害者家族の怒り、悲しみ、虚しさ、もちろん来ることの出来ない方々もおられるだろう。
想像する、もし俺の家族がその遊覧船に乗っていたら?もし俺の友達や後輩や先輩がその遊覧船に乗っていたら?想像する。当たり前のように湧き出てくる感情とは別に、もうこれはどれだけ怒ろうが悲しもうが時間が巻き戻ることなど一生ないのだろう、漠然としているが"命の終わり"を目の当たりにしている、でも目の前にいる諸悪の権化たる社長に罵詈雑言を浴びせるしか現実を現実として処理できない。どうしたらいいのかわからない。箇条書きになってしまう。
社長はもちろん悪だ、ただ船長も同じくらいに悪だ。ただ船長は死を持って償った、ほんとうにそうなのか?船長の死は悲しまれるべきだ、だが行動は社長と同じく厳しく批難されるべきだ。
社長は全ての責任と賠償を完うした上で知床の岬で割腹し命を以って詫びるしかないのではないか。でもそれは結局結末に死者が1人増えるだけでなんの解決にも至らない。被害者家族の心情は計り知れない。こう見ると死は救済ではない、絶望であり逃亡であり虚無だ。
見つかっていない被害者の生存も絶望的だ。悲しいが、生きているほうが不思議だと思わざろうえない。家族の方々もそれをわかっているのだろう。
答えは浮かばない。ただひとつ、俺は車に誰かを乗せる時、絶対にもう無茶なことはしないと心に思う。そう思うと先月右折禁止で警察に止められたの恥ずかしくなってくる。
祈ります。どうかその身体だけでも家に帰れますように。見つかっていない人が1人でも、生きていますようにと、ただただ祈ります。
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yobit-fishing-music · 3 years
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続けるということ
9/30、本日で渓流シーズンが終わった。来年の3月が来るまで僕の渓流竿は埃をかぶるだろう。シーズン計42回の釣行を経てなお飽きることなく未だ渓流への情熱は尽きることがない。ふと考える。何故続けるのか。
多分僕はやめたいんだと思う。厳密に言えばやめる瞬間何をもってやめるのか、その時どんなことを思ってやめるのか、それが気になって仕方がないんだと思う。尺越えのイワナ、アマゴ、ヤマメ、九頭竜川の桜鱒、本流の五月鱒、北海道のアメマス、オショロコマ、メーター越えのイトウ、琵琶湖のビワマス、桂川のスチールヘッド、ブラウントラウト、コロンビアのキングサーモン、大鳥池のタキタロウ、それらを釣るまではやめられない、というより書いてて思うが当分やめられそうにない。
子供の頃は自由に行けなかった釣りが今は大人になって好きな曲を車でかけながらまだ見ぬ渓魚に思いを馳せ早朝の川に降りる。こんな幸せなことがほかにあるだろうか?
釣り人の夢は尽きることがないのだ。
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