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英国やシンガポールなど世界の複数当局は10日、暗号資産(仮想通貨)取引における脱税を防ぐために、各国で情報交換を行う枠組みに48カ国が参加すると発表した。 日本も含め、米国、英国、シンガポール、オーストラリア、ブラジル、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、メキシコ、オランダ、ノルウェー、南アフリカ、スペイン、ケイマン諸島やその他様々な国や地域がこの枠組みに署名している。
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外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号。以下「外為法」という。)では、日本と外国との間又は居住者と非居住者との間で3,000万円相当額を超える支払又は支払の受領をした場合には、財務大臣への報告が必要と定めています。 当該支払又は支払の受領には、日本円や米国ドル等の法定通貨を用いたものだけでなく、暗号資産(仮想通貨)を用いて行った場合も含みます。
https://support.zaif.jp/hc/ja/articles/900006365003
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1970年頃からアメリカでは経済成長しているのに資源の消費量が減少しはじめた
30年前(1991年)の家電量販店ラジオシャックの広告には15種類の携帯端末型の電子機器が並んでいた。ところがいまや、計算機、ビデオカメラ、クロックラジオ、携帯電話、テープレコーダーなど13種類がポケットサイズの1台のスマホに収まっている。そればかりか、コンパス、カメラ、気圧計、高度計、加速度計、GPS機能、あるいは大量の地図帳やCDまで、広告に出ていなかった多くのものが加わっている。
産業革命から1970年代まで、工業化にともなって、エネルギーや資源(鉄、アルミニウム、肥料など)の消費量は一貫して経済成長のペースを上回っていた。ひとびとがよりゆたかになろうとすれば、より多くの資源を消費することになるのだから、いずれは地球の有限の資源を使い尽くしてしまうだろう。こうして1970年に第1回アースデイが開かれ、72年にローマクラブが「人間は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」として「成長の限界」を警告し、リサイクルや環境保護運動(「大地に帰れ」)がブームになった。
ところが奇妙なことに、1970年頃を境にして、アメリカでは経済成長は続いているのに資源の消費量が減りはじめた。のちに他の先進国や、中国のような新興国でも同じことが起きていることがわかった。
最初にこのことに気づいたのは経済学者のジュリアン・サイモンで、1981年の著書で「私たちは『窮乏時代に突入』したのだろうか? 水晶玉の占いなら、なんとでも言えるだろう。だが最高水準のデータは、ほぼ例外なく……その正反対を示している」として、稀少であればあるほど価格が上がるという経済の基本的な事実を指摘した。価格の急騰は創意工夫をかきたて、より多くの資源を探すか、代替できる新たな資源を見つけようとするだろう。利潤を最大化しようとするこうした努力によって、稀少性が緩和されて価格が下がる。資源価格は上昇と下落を繰り返すだけで、枯渇するようなことにはならないのだ。
次いで環境科学の専門家ジェシー・オースベルが、資源の「価格」ではなく「量」に注目した。1987年のある晩、仕事仲間の物理学者から「建物は軽くなっているだろうか?」と尋ねられたことをきっかけ調査を始めたオースベルは、建物の重量だけでなく多くのものの「物質集約度」が高まっていることを発見し、これを「脱物質化(dematerialization)」と呼んだ。
建築家で発明家のバックミンスター・フラーは1968年の著書で、「多くの計算を重ねた末に、私は確信を抱くようになった。ごくごく少量で非常に多くの目的を果たせるようになり、すべての人のニーズを満たせる可能性がある。1921年、私はこれを『エフェメラリゼーション』と名づけた」と記している。これは「より少ない物的資源を――より少ない分子を――取り出して、人類の欲求を満たせる」ことで、「脱物質化」の発見とされる。
オースベルはその後も調査を重ね、2015年の論文「自然の復活――テクノロジーはいかに環境を解放するか」で、アメリカ人がより少ない資源��消費するようになったことと、スチール、アルミニウム、銅、肥料、スズ、紙などの消費量が減少していることを、じゅうぶんな証拠をあげて明らかにした。「それ以外のすべてをひっくるめたアメリカの年間総消費量は、1970年の第1回アースデイ以前は年々急増していたが、それ以降はいったんピークに達し、それから減少に転じていた」というのだ。
その後、イギリスの研究者が同様の傾向を確認し、「経済活動で使われるものの重量と最終的に廃棄される重量はどちらも、2001年から2003年にかけて、どこかの時点で減少に転じた」と指摘した。
オースベルの論文を読んだとき、マカフィーは「まさか、これが正しいはずがない」と思った。経済が成長すれば資源消費量が増えるに決まっているからだ。だがこれをきっかけに自分の思い込みに疑問を抱くようになり、「結局きっぱりと考えを改めた」のだという。
環境保護活動家に評判のいい「大地に帰れ」運動は、実際には環境にやさしくない
本書にはMORE from LESSの実例がたくさん出てくるが、たとえば、1982年にはアメリカの農地の合計は約3億8000万エーカーに達したものの、その後の10年で農地は減少の一途を辿っている。1982年から2015年までに自然に戻った農地は4500万エーカーで、ワシントン州に匹敵する広さになるが、それにもかかわらず作物の総重量は35%あまり増えた。より多くの肥料を投入したからだと思うかもしれないが、同じ時期、三大肥料のカリウム、リン酸、窒素はいずれも絶対的な使用量が減少している。
同じ広さの土地、同じ量の肥料と殺虫剤、同じ量の水からより多くの作物が得られるという“奇跡”をもたらしたのは、遺伝子組み換え作物の普及だ。マカフィーは、環境保護派の主張(思い込み)に反して、遺伝子組み換えのテクノロジーは地球環境の保全に大きな貢献をしていると述べる。
その一方で、環境保護活動家やネイチャリスト(自然主義者)に評判のいい「大地に帰れ」運動は、実際には環境にやさしくない。小規模農業は産業化・機械化した大規模農業に比べ資源を効率的に使えないし、田舎に移り住んで昔ながらの方法で石炭や薪を家の暖房や炊事に使えば、さらに環境に害を及ぼすことになる。田舎暮らしよりも都市や都市近郊での暮らしのほうが、環境に与える負荷はずっと少ないのだ。
遺伝子組み換え作物の安全性については、強力な科学的コンセンサスがある。2016年、米国科学アカデミー委員会は、およそ1000の研究を精査したうえで、「こうした(遺伝子組み換え)作物は、従来作物と比べて健康被害のリスクが高いとは認められないと判断した」と結論づけた。イギリス王立協会、フランスやドイツの科学アカデミーなどの組織も同様の調査を行ない、いずれも同じ結論に達している。
「遺伝子組み換え作物はウイルスや害虫への耐性が高く、日照りと暑さに耐え、肥料は少量ですむなど、さまざまな特徴がそなわるように開発されてきた。緑の革命を継続するために大いに役立ち、近年の農業の脱物質化――より少ない土地、水、肥料、除草剤からより多くの収穫を得る――を進めるためにも力を発揮する」
それにもかかわらず、EU加盟国を筆頭に38カ国もが、農家が遺伝子組み換え作物を栽培することを許可していない。ゴールデンライス(ビタミンA前駆体のβ-カロテンをつくるよう遺伝子操作されたコメ)は新興国で普及せず、毎年約50万人の子どもがビタミンA不足から失明し、失明から1年以内に半数が亡くなっているという。
地球温暖化対策にも同じような矛盾がある。ドイツは国をあげて「エナギーヴェンデ(エネルギー転換)」に取り組み、日本が目指す理想とされるが、「2000年以降、消費者に請求される電気代は倍増し、二酸化炭素排出量は横ばい、むしろ近年は増えている」という。高額な費用を必要とする風力発電と太陽光発電に多大な投資をする一方、原子力発電を着実に減らしてきているためで、風力や太陽光による発電量が足りない分を石炭発電所に頼らざるを得なくなり、その結果、電気代が上がって二酸化炭素排出量が増えるという悪循環に陥っているのだ。
こうした事情は日本も同じで、風力発電は北ヨーロッパの北海沿岸部など強い偏西風が吹くところでないと安定した発電はできないが、この条件に該当するのは北海道最北部だけだ。太陽光発電は日照時間が長いスペインなど地中海沿岸に適しているが、それより北に位置するドイツでは費用対効果が落ちる。日本は緯度は同じだがモンスーン気候のため曇天や雨天が多く日照率は低い。代替エネルギーのなかで日本にもっとも豊富にあるのは地熱だが、これは温泉観光地と利害が対立するため開発が困難になっている。政策的に風力や太陽光にシフトさせようとすれば、ドイツと同様に、電気料金が上がるだけになりそうだ。
だったらどうすればいいのか。ここでもマカフィーの答えはテクノロジーで、二酸化炭素を減らす最良の政策は「核エネルギーの活用・促進」だという。これは奇矯な意見というわけではなく、最近では熱心な環境活動家のなかからも、「風力や太陽光では温暖化問題は解決できないから原子力発電にシフトすべきだ」との主張が出てくるようになった。
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沖縄へ来た観光客の域内での消費活動。 宿泊費(30%)インターナショナルや本土チェーンのホテルに宿泊 飲食費(22%)食材の県産品使用率は5割以下 土産買物費(22%)県産品売上比率は6割以下、外国人観光客の主な買物は本土チェーンのコンビニやドラッグストアで域内移動費(14%)観光客の6割がレンタカー利用、レンタカー会社の多くは本土チェーン ※参照:沖縄県観光産業実態調査
https://president.jp/articles/-/32510
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デリヘル嬢した経験を盛らずに書く。
https://anond.hatelabo.jp/20200120133956 但し、もう十数年前の話で、しかも短期間(2ヶ月半くらいかな)しかしていない。
当時の私のスペック 22歳大学四年生。 低身長痩せ形(しかしピル飲んだら短期間のうちに急激に太ったが、都会で徒歩行動していたお陰で引き締まってもいた) 家族構成は、父リストラされかかりの会社員、母リストラされかかりのパートタイマー、非正規社員(失業しがち)の弟、やたら金のかかる部活をしてた妹、認知症の祖母。 容姿レベルは、お客さんに「ブスが来なくてよかったー」と、ほんのり喜ばれる程度。お目々ぱっちり、美肌、貧乳。 通っていた地方大学の近所に一人暮らししていたが、デリヘルをやっていた時だけは東京23区内の家賃6万3000円の部屋に住んでた。 デリヘルをした動機 切実にお金がなかった。 引っ越したかったから。 月経困難症の治療費を稼ぐため。 デリヘルという職業への単純な興味。 外見のイメージでやたら潔白だと思われがちだったこと。 そんなイメージを押し付けてくる親や友達や(元)彼氏が知ったら嫌がりそうなことをしたかった。(けど、嫌がられるだろうなと想像するだけで充分満足だった。)
要はお金と自分の精神衛生上の問題。
給料、待遇、客の払う料金など 給料一本8000円。 お客の払う料金は一本(60分)17000円。指名料1000円。当時としては格安。 客の払った料金から、衛生費1000円、プール分1000円を引かれて、8000円が嬢の取り分で残り7000円が店の取り分。 プール分は月末にまとめて貰える。 指名料とチップはそのまま嬢の取り分。 オプション無料。いくらこなしても嬢には一文の特にもならない。その代わり拒否権強い。 給料前借りOK、社保完備をうたっている店だったが、そんなの利用する人、いたのだろうか……? 入店時に店長から「お年玉あげる~」って5000円貰ったけど、これは私があまりにもみすぼらしい格好をしていたからかもしれない。 店長のパソコンの前にドライバーさんのお給料をメモった紙が置いてあったのをチラ見したけど、独身がごくごく質素な生活出来るほどには貰えるっぽかった。 プレイに必要な衛生品の支給。バスタオル、イソジン、消毒ソープ、ローション。ローションは使えたものではなかった。コンドームは、本番無しの建前上、支給出来ないということだった。 シフトは基本自由。週1時間~OK、平日のみ、週末のみOK。 の筈なんだけど、私だけ週5勤務強いられていた……。ドライバーさん達に聞いたら、そんなの私だけだし、どうして店長が私にだけやけに厳しかったのかは、謎だという。 年に数回しか働かない嬢、しばらく音沙汰がないと思ったら唐突に電話をかけて来て、「今から働くから迎えに来て」っていう嬢がほとんどだったそうだ。 面接、入店の手続き、面接 風俗求人サイトから面接の申し込み→店長から電話がきて、面接の日時を予約→当日、電話で店長の指示通りの道順を辿って事務所へ行く。ゴールが中々見えない。 面接。一目で「はい合格」。人手不足ゆえに。 書類二枚書かされる。 一枚目は個人情報。住所氏名電話番号、非常時の連絡先。身分証明書も見せなければならないし、嘘は書けない。 二枚目は、お店のサイトに載せるプロフィール、自己アピール、可能プレイなど。 可能プレイはあまり少ないと客がつかないという理由で、ほとんどOKにすることに。SM、スカトロ、AFはNGにした。しかし店自体がソフトなサービスしかしない方針なので、全部OKにしてもそんなに過激なことはさせられないらしい。建前かな。 書類書き終わったらすぐ研修。生理中なんですけど後日じゃダメですか?別に気にしないので今からやりましょう!という、こっちに熟慮する隙を与えないスタイル。 研修内容は、かなり最低限のプレイだけ。礼儀的なことはちっとも教えてくれなかった。そこらへん詳しく教えて欲しかったんだが……。 研修の流れから、店長の趣味のお時間にそのまま移行した(お察しください)
仕事内容について
事務所に出勤するか、自宅にドライバーさんが直接迎えにくる。どちらになるかは、嬢の都合と予約状況と交通アクセスによる。 事務所から車で30分圏内のホテル(ラブホ、ビジホ、シティーホテル)か客の自宅に派遣されてプレイする。 たまに、どこか待合せ場所を指定されて一緒にホテルに入ることもあった。その場合、ホテルまではドライバーさんが着いてくる。 一本60分だけど、10分前にはドライバーさんがお迎えに来てて、早く帰ってこいと電話で急かしてくる。そのため開始40分でいそいそと帰り支度を始めることになる。 延長は店長と相談の上。 プレイ内容は普通としか言いようがない。本番は禁止。 大抵は一日二本くらいしか仕事がないし、0時過ぎまで働きたい嬢はそんなにいないらしい。 にも関わらず、私は毎日4本くらいこなして朝帰りだった。 仕事のない時間は、車内かファミレスか事務所か自宅で待機。車内待機の場合は、待機ポイントが指定されていた。
仕事仲間達
大体お金の為に働いていた(当たり前。
私は他の嬢とあまり顔を会わせないようにされていたので、他の嬢に会ったのはほんの数回だけだったが、こんな人達がいた。
27歳ベテラン。19歳の頃から店を替えつつデリヘル一本で食い繋いでいた人。可愛い。23歳設定で働いていたが、二十歳にしか見えなかった。店長とは映画友達。いつも薄くてセクシーなワンピース。 21歳強者。当店最強の女と言われていた。すごく美人。いつもお洒落なスーツを着てた。客から本番を強要されると、客に蹴りを入れて帰ってくる。何か欲しい物があるときしか出勤しない。 21歳可愛い系。フェミニンだった。こんなに女の子女の子した振る舞いを普通にする女の子を私は初めて見たのでびっくりした。お客さんには全力でサービスするけど彼氏の前ではマグロでいたいと言っていた。欲しい物があるときしか出勤しない。 25歳トリリンガル。空き時間にやたら電話がかかってくる。それに英語かフランス語で対応していた。電話に出るとき、席を外さない。三日で辞めた。 二十代後半伝説のナンバーワン。私が入店する半年前に辞めていった人。プロ中のプロで、人柄も良かったそうだ。昼間は普通の勤め人だったらしい。婚約者が名古屋の人で、結婚するには持参金1000万円用意しなければならなかったというのが、デリヘル嬢をしていた理由で、入店時の約束通り1000万稼いで辞めた。一年半かかったという。 店長とドライバーさん達 店長は中卒で数々のバイトを経てデリヘル経営者になった人。女子を押し倒すのが得意。気がついたら天井が見えて床に転がされているしどこも痛くない、すごい。そこだけは感心した。
ドライバーさん達は大抵昼は何か別の仕事をしている、普通の人達。皆車持ってる。ワゴンかミニバン。
こんな人達。
推定三十代。顔面傷だらけで不死身そうだった。嬢に何かあった時に客のお仕置きに動向する係(立ってるだけだけらしい)。顔恐いけど優しい。店長がいない時に店を切り盛りする人その①。 四十代会社員。睡眠時間1時間半で生きているといっていた。常に半袖でほかほかに放熱している。店長がいない時に店を切り盛りする人その②。 三十代職業不明。昼間働いていたのは確か。チーマーのような、ラッパーのようなスタイルの人。 三十代後半プロのミュージシャン。ミュージシャンだけど立ち居振る舞いが最も会社員っぽい。低姿勢で店長の自尊心を満タンにしていた。輝いていた若い頃の話をしながら、今の境遇とのギャップを思い出してテンションが下がってしまうという特性があった。 27歳食いしん坊。嬢を待つ間にラーメンを食べて時間を潰すのを日に4回やってもまだお腹が空くと言っていた。凄く痩せていた。食費の為に働いていた。 推定34歳チャラ男。本当にチャラい。女の子大好き。常に嬢とのワンチャンを狙っていた。
お客さん達 大量の靴を所持している人が多かった。 本、何かよくわからんがらくた、爬虫類etc.を溜め込んでいる人もいた。 部屋をお洒落にしている人が多かった。 寝床を変な場所に隠すように設置している人もよくいた。動物の巣かな?みたいな。 8割普通の人。 真の変態には一度当たった。 真の危険人物には幸い当たらなかった。 むしろこっちが料金を支払うべきでは?という気がしてくるような攻め好きな人に一度当たった。 凄いイケメンにも一度当たったけど、かなり恐い人だった。 物凄く世を僻んでいる人に一度当たった。 写真撮りたがった人は、二人。 仕事での困りごと 礼儀面でのことをさっぱり教えて貰えなかったので、着ていく服装や挨拶の仕方を自分で考えなければいけなかったので困った。 他の嬢との接触をほぼ断たれていたので、相談する相手がいなかった。 三回利用すれば本番出来るの当然でしょ?という客が半数くらいだった。 客が嬢をレイプした場合、警察に言っても無駄だというので店長がドライバーさんを連れてお仕置きに行く。そのお仕置きが、暴力は振るわないものの結構派手なので、逆に怖くてレイプされても言い出しづらくなった。 コンドームが支給されないので、コンドームを使ってプレイしたい場合(←本番ではない)は、客に用意してもらわなければならない。 ということは、うっかりレイプされた場合、しかも生でやられることになってしまう。 本番禁止と店長からは強く言われているものの、よくいわれる「自由恋愛」というやつで、その場の裁量に任されている感じだった。 なのでお客さん達は当然出来るものと思っている。 オプション拒否られてもへこたれない癖に、本番に関してはすごく執拗にねだってくる。 客を蹴りあげてまで本番を拒否ってしかも無傷で帰ってくるしクレームもつかない、という嬢もいたけど、皆が皆そうではないのか、私の場合は拒否ると客が豹変したりクレームを入れられたりしがちな方だった。 本番強要してくる客は脅しも暴力もしてこない。隙を狙ってやってくる。しかもやった後ご機嫌だし、こちらのご機嫌をやたら取ってくる。だから余計に店長に報告しづらい。ドライバーさんに言うと詳細は店長に報告せずに客をブラックリストに入れた。 よくわからないと思ったこと。 皆、デリヘルではそんなに本番やるものなのだろうか。ほんと、ダメなんだって!と言い過ぎて疲れた。
気付き 性行為する相手の年齢容姿を私はわりと気にしないということを知った。 禁止と言われていることを破られる、破らざるを得ないということの精神負担が想像よりも重かった。
結論 すごく、気疲れした。
追記
当時の私のお財布事情を書くのを忘れていた。大体、一日に2~4万稼いだ。多い時で5万ちょっと。指名料とチップ含んで。 給料は日払い手渡しだったので、帰りがけに貰ったお給料をコンビニで全額預金してた。 金銭感覚があまりにも変わらなさすぎて、自分に絶望した!もっとパーッとどうでもいいことに散財出来るかと思ったけど、勤めてる間に買った余分なものといえば、CD二枚くらい。 服も必要最低限しか買わなかったのだが、お洒落着なので使う度にクリーニングに出していた。クリーニング代がかかったというのも散財といえば散財のようだが、必要経費のような気がしなくもない。 下着はとにかく沢山買った。ただし調達先はもっぱらドンキ。 引っ越し関連でどんどんお金が飛んでったので怖くて無駄金使う気になれなかった。 よく店長やドライバーさんから、「今は新人だから優先的に仕事つけてあげてるし、素人っぽいから人気もあるけど、そのうち慣れて油断するとお客さんが離れちゃうから気を付けてね」って釘を刺されていたので、いつ仕事がなくなるかビクビクしながらやっていた。なのでお金は貯める一方になりがちだった。 私は根がケチに出来ているんだと思う。同じ状況でも散財する人はするだろう。
本番強要の件は本当に相談出来る人がいなくて困った。 実のところ、客の言うことを大人しく聞いている方が安全なのでは?と思う事がよくあった。 乱暴な指挿れで大怪我させられるよりは、不意討ちで押さえ込まれて生でやられるよりは、最初からゴム付きでされていた方がマシじゃないかなあ、とか。 コンドームの用意がある客はやる気満々な訳だし。 サービスは受けたいけど風俗の女に素で触られたり舐められたりするのはばっちいから俺はコンドームをつけるぜ!なんて客はいなかった。 衛生上の対策として、自分でコンドームやオモチャを持参するという手は、やってる人がいたかどうか知らないけど、私はリスキーだと思ってやらなかった。 デリヘル車めちゃめちゃ職質に遇いまくりなので。ドライバーさんが、「友達と待合せ中です!助手席の娘は彼女です!」と言い張って切り抜けてくれたけど、もしも手荷物調べられてコンドーム見つけられたらまずいよなと思って。
朝、仕事から帰って、寝て昼に目が覚めたら、シーツのあちこちに血が着いていて驚く毎日だった。ただプレイしているだけで、全身の至るところに擦り傷が出来ていて、そこから血が出ている。 下着を脱いだら生理でもないのに鮮血に染まっている。指挿れされて知らないうちに傷が着いている。 なんか痛痒いなと思ったら乳首にざっくりと歯形がついていて、しかも結構深かったのは怖かった。ただプレイしただけで薬を盛られた訳でもお酒を飲んだ訳でもないのに、プレイの最中は必死なので、怪我しても気付かないみたいだった。 お客さんの背中一面にひつじ雲みたいな赤い湿疹が浮いていて、これ梅毒じゃないかな?って思ったことが一度ある。その時は、流石にプレイ拒否して帰った。
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年金
年金官僚による乱脈���使い込み、政治家によるバラ撒きと大規模リゾート施設の建設、そして5000万件の消えた年金記録――2000万円の老後資金不足を招いた政治家と官僚による「年金破壊」は、この国に年金制度が誕生した時から計画され、80年かけて実行されてきた壮大な収奪劇であった――。ジャーナリストの武冨薫氏が、この80年の自民党や官僚のあまりにも杜撰な歴史をリポートする。
「せっせと使ってしまえ」
戦時色強まる昭和15年(1940年)の秋、厚生年金(当時は労働者年金保険)の創設を発表する記者会見で厚生省の年金官僚・花澤武夫氏はこう演説した。
「労働者の皆さんが軍需生産に励んでこの戦争を勝ち抜けば、老後の生活が年金で保証されるだけでなく、いろんな福利厚生施設によって老後の楽しみを満たすことができる。年金の積立金の一部で1万トン級の豪華客船を数隻つくり、南方共栄圏を訪問して壮大な海の旅を満喫いたしましょう」
翌日の朝刊各紙は社会面に5段ぶち抜きで報じ、労働者年金は“夢の年金”を求める国民の声を背景に昭和17年(1942年)に創設。2年後に厚生年金と名称を変えた。
日本の年金制度は戦費調達が目的だったとされるが、正確ではない。年金官僚は年金資金でアウトバーンや労働者住宅を建設した同盟国・ドイツのヒトラーの手法に倣い、創設当初から流用を考えていた。
冒頭の「豪華客船演説」を行なった花澤氏は初代厚生年金保険課長を務め、引退後、『厚生年金保険制度回顧録』(昭和63年刊)でこう語っている。
〈法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。(中略)この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、(中略)基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと〉
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当時の厚生年金は保険料を20年支払えば55歳から受給できる積立方式で、花澤氏の計算では年金資金は60年間の総額が450億円(現在価値で350兆円)に上ると弾いていた。
〈二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課方式(*注)にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。それで昭和十八年十一月に厚生団を作ったのです〉
【*注/現在の高齢者の年金を、次の世代が納める保険料で払う仕組み。「世代間扶養」と呼ばれる現在の日本の制度】
厚生団は厚生年金病院や厚生年金施設を運営する財団法人だ。初代理事長は厚生省保険局長。年金制度ができたときから“天下り利権”がセットで用意されたのである。
〈この戦争で勝てばいいけれども、もし敗けて、大インフレでも起こったら、でももうその時はその時だと。外国をみても、どこの国も積立金はパーになってしまった〉(同前)
すさまじい証言である。徴収した保険料は最初から使い果たすつもりだったことがうかがえる。
敗戦後のインフレで年金は実質「パー」になり、戦後の混乱の中で、軍需工場で働いていた人々の保険料納付記録が散逸し、現在に続く最初の「消えた年金」が発生した。
票を買え、ハコ物を建てろ
年金官僚と政治家たちは戦後復興とともに本格的な“年金共栄圏”づくりに走り出す。
昭和29年(1954年)に厚生年金法を全面改正し、支給開始年齢を55歳から60歳支給に引き上げた。さらに安倍首相の祖父、岸信介氏が首相に就任すると国民年金法(65歳支給。25年加入)を成立(1959年)させ、厚生年金と合わせた「国民皆年金制度」をつくって会社員以外にも保険料徴収の網をかけた。
岸氏は戦前、東条内閣の商工大臣として労働者年金制度の発足に深くかかわっている。厚生年金の支給を5年遅らせ、新たな年金を創設すれば保険料だけがじゃんじゃん入ってくる仕組みを十分わかっていたはずだ。
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折しも高度成長期が始まり、保険料収入が潤沢になると、自民党は選挙で老人票を“買収”するため今度は年金大盤振る舞いを始めた。
国民年金に加入できない高齢者に保険料負担ゼロでもらえる「福祉年金」を創設、さらに保険料を10年払えばもらえる「10年年金」、5年でもらえる「5年年金」を次々に創設した。田中角栄首相が登場すると「福祉元年」を掲げ、福祉年金の支給額を月5000円から1万円へと倍増させた。
政治家が湯水のように金を使うのを年金官僚たちが指をくわえて見ているはずがない。こちらは年金保険料で厚生年金会館という名のホテル、プール、スケート場などの年金施設を全国265か所に建設し、天下り財団に運営させた。
その中核の「厚生年金事業振興団」(厚生団から改称)は病院、看護学校を含めて100以上の施設を運営し、職員約5400人、天下り官僚120人という巨大財団に成長した。年金から投じられた金額は建設費・運営費合わせて約1兆5000億円にのぼる。官僚OBの給料や退職金まで年金丸抱えだった。
年金利権で味を占めた政治家と官僚がガッチリ手を組んで次に進めたのが悪名高い大規模年金保養基地「グリーンピア」事業だ。
総額2000億円をかけて1980年代までに全国13か所のリゾートホテルを建設、候補地選びや業者選定に厚労族議員が幅をきかせ、年金官僚は新たな施設運営法人「年金福祉事業団」をつくって天下り先を増やした。
1か所の予算が200億円で計画されたグリーンピアは、政治家にとって垂涎の巨大公共事業だった。
有力な厚労族議員の数だけ事業が増やされ、13か所のうち9か所が歴代の厚生大臣経験者の地元に誘致された。だが、どの施設も大赤字で閉鎖後に二束三文で売却され、建設費の97.5%が損失となっている。
建設費2000億円をはじめ、借入利息や管理費など総額3800億円を政治家や天下り役人たちが食い散らしたのである
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霞が関で“満腹事業団”と呼ばれた年金福祉事業団は、グリーンピアの他に年金積立金の運用や住宅融資を手がけ、トータルでなんと4兆円を超える損失を出している。
上は「袖の下」、下は「サボリ」
年金危機が表面化してもシロアリ官僚たちの年金蚕食は止まらず、“袖の下”や年金着服が横行した。
関東の年金施設建設工事の入札をライバル企業と争った設備会社の役員は、厚労族の大物議員の勉強会で紹介された厚労省の課長に口を利いてもらって受注に成功した。
後日、“お礼”として2万円入りの商品券を50箱、菓子折と一緒に紙の手提げ袋に詰めて厚労省本庁舎を訪ねた。
「そこに置いておいて」。挨拶すると課長は中身を確認もせずにアゴで自分の席の後方を指したという。
「こちらは非常に緊張したが、課長は慣れているようにみえた」。2000年代の初め頃、筆者が設備会社役員から聞いた証言である。
上が袖の下なら、下はサボりと着服だ。年金業務を行なう旧社会保険庁(現在は日本年金機構に改組)では、労使間で「働かない協定」が結ばれていた。
〈1人1日のキータッチは5000回以内〉〈窓口装置を連続操作する場合(中略)操作時間45分ごとに15分の操作しない時間を設ける〉――など87項目におよぶ。端末のキータッチ5000回で打てる文字はA4判で2枚程度。かかる時間は30分ほど。それで1日の主な仕事が終わる。役人の間で「楽園」と呼ばれていたが、職員約1万7000人の給料は年金会計から支払われてきた。
そのうえ、年金窓口では、職員が現金で納付された年金保険料を着服する事件が何度も起きた。
1985年の基礎年金制度の導入の際、厚労省から全国の市区町村に対して「年金台帳廃棄命令」が出され、その後撤回されたものの、推定5億件の膨大な資料が処分されたとみられている。後に大問題となる「消えた年金記録」の解明を阻む最大の原因となった。
この廃棄命令は悪徳官僚による保険料ネコババを一斉に“証拠隠滅”するためだったという見方が強い。
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香典や事故の賠償金まで
そして年金財源が枯渇するダメ押しとなったのは、1997年から始まった新たな手口の年金流用だった。
年金官僚は「財政構造改革の推進に関する特別措置法」の改正で年金財源を「事務費」に使える規定を巧妙に盛り込むと、それまで以上に大手を振って年金の金を使い始めた。
社保庁長官の交際費や香典の支出、公用車(247台)の購入、職員の海外出張費から、職員が起こした交通事故の賠償金、職員用宿舎の建設費(新宿区の3LDKで家賃約6万円)などに年金の金が湯水のように使われた。
それだけではない。「職員の福利厚生」の名目で、社保庁職員専用のゴルフ練習場の建設やクラブの購入費、テニスコート建設、マッサージ器(395台)購入などに総額1兆円近い金が消えたのである。
年金官僚には国民の「老後資金」を預かっているという責任感が完全に欠けていた。
「年金100年安心プラン」という国民騙しのスローガンで大改悪が進められた2004年の小泉年金改革の際に一連の年金官僚たちの乱脈ぶりが発覚し、社保庁や厚生年金事業振興団などの廃止論が高まると、天下り団体側はよりにもよって年金のカネで自民党の厚労族議員に献金攻勢をかけ、政官一体となって抵抗したのである。
そしてついに、年金官僚たちのサボタージュで「消えた年金」記録が5000万件に上り、年金未払いになっていることが突き止められると、時の第1次安倍政権が倒れた。
消えた年金は10年以上かけて現在までに3000万件の照合が行なわれ、それだけで未支給額が2兆7000億円だったことがわかったが、まだ照合できない記録が2000万件近く残っている。年金制度の歴史に詳しい社会保険労務士・北村庄吾氏が語る。
「政府は年金危機を少子高齢化のせいにしているが、それだけではない。政治家と官僚が年金積立金を長年にわたって使い込み、制度の根幹を滅茶苦茶にしてしまったことが最大の原因の一つです」
国民の老後資金は、こうして「消えていった」のである。
※週刊ポスト2019年7月5日号
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離婚した、もしくは離婚しそうな別居状態のクズ男性に朗報です。 生活費や養育費、慰謝料などは払う必要はありません。 踏み倒したほうが得です。 その理由を説明します。 まず上記費用を一切払わなかった場合、相手女性は生活費を要求するでしょう。 払いたくない場合、これは無視していいです。 そうすると次に相手は数十万円払って弁護士に依頼します。 そしてその弁護士から支払いの要求がきますが、これも無視して大丈夫です。 その後、家庭裁判所から裁判所にくるように連絡がきます。 ここで多くの男性は対応するでしょう。 しかし数回は行くという返事だけして行かなくてもデメリットはありません。 相手と相手弁護士に負担がかかるだけで、何の罰則もありません。 風邪ひいたとか仕事がどうとか、適当に理由をつけてバックレましょう。 3回目くらいになると勝手に判決的なものが決まってしまうかと思います。 ここで初めて裁判所に出向き適当に話しましょう。 多くの場合は、生活費や養育費を払うよう決定されるでしょう。 しかし支払いを無視してもたいした問題にはなりません。 相手弁護士や裁判所から払えよという連絡はくるでしょうが、無視しましょう。 次に相手がとる行動は差し押さえです。 月10万円で1年間滞納すると120万円になります。 差し押さえを防ぐために貯金や給与振込の口座は変更しておきましょう。 一緒に生活していたころと違う口座を使えば多くの場合は相手にばれません。 都道府県によっては興信所に依頼されるとバレますが、こちらのデメリットは少ないです。 せいぜい相手が手間と興信所への数十万円の費用を払うくらいです。 現金にして手元に置いておくのもいいと思います。 また可能なら転職をするとまた相手が興信所に依頼したりしないと給与振り込み元すらわからなくなるのでおすすめです。 ここでまた相手に数十万円の出費をさせることができます。 実は差し押さえを妨害する行為は違法です、刑事事件になります。 でも安心してください。 100万円そこそこの被害では警察はろくに動いてくれません。 相手女性が警察に相談しにいっても、自分でなんとかした方がいいと言われるのがオチです。 さらに警察が捜査に失敗し、本当に払えないという結論になった場合、今後の差し押さえや支払いも無効になるみたいです。 上記の理由と事案の小ささから警察はろくに対応してくれないので安心です。 少なくとも神奈川県警はそんな感じですが、どこも同じようなものだと思います。 一生懸命相手の生活費を払うより、一時的に休職する方がお得ですね。 仮に差し押さえをくらうなり、支払わなければいけない状況に追い込まれても、今まで踏み倒そうとしてきた罰則はほとんどありません。 ここまでで相手に生活費や慰謝料と同等程度のダメージを与えつつ、こちらのデメリットはかなり少ないです。 踏み倒しのデメリットはかなり少ないのがわかっていただけたでしょうか。 ここに書ききれていないことも多々あるのですが、だいたいは伝えられたかと思います。 全ての人に離婚の可能性がある以上、専業主婦になるのは多大なリスクが伴います。 法律上は結婚している間に稼いだお金は平等にわけられるはずですが、実際は稼いでるいる人の方が圧倒的に有利です。 警察は守ってくれません。 裁判所って何のためにあるんだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20180216231257
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収奪は限界まで行って破綻するものなんだな。利益を上げるために、若者を安く使えば、少子化を招き、長期的に人的資源が不足して、経営が持続できなくなる。でも、限界まで行ってしまうのが人間だ。「健全な危機感」といった生易しいものでは済まない。乳幼児への大規模な再分配が必要だと自覚するのに、あと何年かかるのか。
http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/1ed11fa3d1d6d4995395deb101637928
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【EUのタックスヘイブンリストに載った国・地域】 米領サモア、バーレーン、バルバドス、グレナダ、米領グアム、韓国、マカオ、マーシャル諸島、モンゴル、ナミビア、パラオ、パナマ、セントルシア、サモア、トリニダード・トバゴ、チュニジア、アラブ首長国連邦
http://www.asahi.com/articles/ASKD533ZKKD5UHBI00G.html
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■後悔したこと 自分で自由に動ける交通手段を持つとにかく自分の意志で好きなように動ける手段を用意する。自動車でも自転車でもランニングシューズでもいい。住んでいる場所に合わせて用意する。若いうちから身体や感覚を慣らしておかないと、必要になったときに全然思うように動かせなくてビビる。行動範囲が制約されることは家から離れられない赤子でいるのと同じ。 たくさん手に入れて思い入れられるものだけ残す安��からって買ったものがたくさんあっても身体は一つしかないから使えないまま終わる。とはいえ、失敗しなきゃわからないこともたくさんある。もしそれが買取価格のつくものだったらためらわずに買ってダメだったら売ればいい。ショーケースの前でうんうんうなり続けてるよりはマシ。 日々の記録を残す日記でもインスタでもなんでもいい。完全に同じ毎日を過ごしてきてしまったという後悔を抱かずに済む。 好きなものを見つけて一つに絞る好きなものがたくさんあってもどれも中途半端に終わるだけ。お前は努力ができない凡人なんだからせめて一つのことに集中しろ。熱意や情熱がないともうなにもかもダメ。思考は劣化する。あとになってからでは遅い。 おいしいものをたくさん食べる食べられなくなってからでは遅い。これから先「あれはもう食べられない」と思いながら暮らしていくのはつらいぞ。 定期的に歯医者へ通う失った歯は絶対に取り返しがつかない。 旅は身体がまともなうちにまともに電車やバスに乗れなくなってからでは遅い。動悸も吐き気もないうちに多少の無茶な移動を楽しんでおこう。人間関係を大事にお前の思考や行動は狂ってる。自分から進んで誰かを不快にして縁を切られるようなことをしないように。そういうアタリマエのことに気をつけなきゃ痛い目を見る。 失うな今が一番若くて豊かなタイミングなんだ。肉体や精神を壊してしまったらもう取り返しはつかない。二度と楽しいことはできない。だから頼む。
後悔したこと
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離婚しよう、と言われた。 1年間の単身赴任の後、赴任先に妻子が合流した。合流後、そろそろ2年になる。妻は5時台に早起きして朝食と弁当を作り、洗濯のあとパートに出かける。よくやってくれている。 増田40代、妻30代、子ども3人。一番上の子の高校受験の関係で、夏までに妻の実家近くに戻ることにした。増田は単身赴任を続ける。ここまでは双方合意。 離婚の理由を聞くと、「働きたくないでござる」 詳しい聞き取りの結果はこうだ。戸籍上離婚する世帯を分離して妻子の世帯を作る子ども手当、児童扶養手当、児童育成手当をもらう増田からの婚費もダブル取り年金、健康保険、住民税が免除または減額医療費が無料(子どもは元から無料)親戚の持ち家に格安で入居子どもは私学をやめて全員、公立に運動部は服が汚れるからやらせたくないひとり親はPTA役員が回ってこないから、楽ちん親や親戚には言わない学校や同級生には離婚家庭であると説明近所にばれると肩身が狭いから、帰宅は年1回くらいにしてほしい まあ、つまり、あれだ。偽装離婚を持ちかけられているわけだ。 目下の悩みは、こんな思考の人と添い遂げられる自信がなくなったので、本気で離婚したいと思っていることだ。養育費はそれなりに払う。 その場合、どちらを選択すべきか、、、本当の離婚であることを速やかに告げ、離婚協議書を作成しておく。偽装離婚に同意したフリをして、もしも次のパートナーが出来たら正式な離婚であることを告げる。正直めんどくさい。 参考までに、偽装離婚後の生活費を詳しく計算するとこうなる。 収入の部婚費(家賃込) 200,000円子ども手当 35,000円児童扶養手当 58,330円児童育成手当 40,500円 支出の部学校・幼稚園 0円年金 0円健康保険 0円住民税 1000円/月(もっと低いかも)医療費 無料食費・被服費・雑費 それなり (確かに働かなくてもやっていけそうだ。。。)http://anond.hatelabo.jp/20170110145726
妻がバカで辛い
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家には77歳の年寄りがいるんだけど、iPadでもやはり難しいようでまったく手にとらない。Androidは論外だった。アプリにはだいたい主要な画面が4つか5つほどあり、簡単にいうとその画面を行き来しながら利用する物が多い。年寄りにとって一番利用しやすいのは画面がリニアに進むということだ。アプリをタップしたら常に最初にメニュー画面、メニューからボタンを押したら目的の画面のように進まなければ、そこで理解がむずかしくなる。アプリによってはアプリタップ後、最後の画面を表示してくれる物も多い。そういうのは年寄りには難しい。まずは元に戻りたいと思うようだ。スタート画面が設定されているのもあればない物もある。アプリによってはしばらく時間があると普段とは違うメッセージが出る物もある。タップでボタンが表示される奴は論外だ。タップの仕方によりボタンが出ない・出るで教える最中に喧嘩になる。タップでボタンが出る画面・出ない画面があり、そういうクソ仕様によっても喧嘩になるし年寄りはアプリの中で迷子になる。ずっと見てて思ったのは、年寄りに必要なのはハンバーガーメニューが一番だと思った。ハンバーガーアイコンはつねに左上にあって、ハンバーガーメニューを押せば各画面へのリンクメニューが表示されて、希望する機能が使えるようになる。これなら教える側もすごく助かる。家の年寄りには各画面を手書きで描いて相互関係を覚えさそうと思ったけど、無理だった。各画面への移動トリガーがいろんなとこにありすぎるし、いろんなとこのリンク先をいちいち説明しても年寄りにはそこまで記憶する能力がもう無い。でもハンバーガーアイコンを押したら使いたい機能があるよって言うだけなら簡単だ。そして機能は画面ごとに1つか、多くても2つまでが望ましい。2つの場合はメニューにそう書いてくれるとありがたい。例えば「目的地を探す・保存する」とか。あと習慣的に老眼鏡を持ち歩いてる年寄りも少ないので、文字での誘導は難しい。たいてい書かれている文字は読まない。絵文字やアイコンはなんとなく識別しようとしてる。俺たちももうすぐ老人になるわけだし、老人の方がはるかに多い国になるわけだし、そのあたりのことも少しは気にかけてデザインしてくれるととても嬉しい。
家には77歳の年寄りがいるんだけど、iPadでもやはり難しいようでまったく手..
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コンサルタントの50代男性が開いたパスポートは、かつて訪れた国のスタンプで埋まっていた。英領ケイマン諸島にバミューダなど、タックスヘイブン(租税回避地)が並ぶ。 6月、東京都内で男性と会った。日本以外にタイにマンションを持ち、冬は現地で過ごす。つい最近も一週間ほど滞在し、夫婦でゴルフを楽しんだという。大学を出た後、日本の金融機関で働き、40代でロンドンのコンサルティング会社に転職。今は日本の会社に籍を置く。タックスヘイブンで会社設立や資産運用に携わって30年近くが経つ。 タックスヘイブンのひとつ、英領ガーンジー島で信託の仕組みを使って資産運用し、1億円近い所得を得たことがある。国税庁はこれに所得税を課したが、当時の日本の税法には「抜け穴」があると事前に分かっていた。課税できないとする男性の主張が後で認められた。税務調査にも進んで協力したという。 節税意識が芽生えたのは20代だった。結婚してすぐ、妻を社長に自らの資産管理会社を登記した。法人をつくれば経費が多く認められるなど、節税に有利だ。この会社を使って国内外の不動産に投資し、10億円規模の資産を築いた。 相続対策もぬかりない。不動産取引に使うお金は個人名義で銀行から借り、資産管理会社に貸し付ける。その貸し付け債権を毎年約100万円分ずつ、妻や2人の子に生前贈与する。年110万円までなら贈与を受ける側は贈与税が課されない。会社は妻や子にもお金を返すことになる。 ただ、同額を継続的に贈与すると一括贈与するつもりと判断されかねない。そこで贈与する日付を毎年、ランダムにする。子どもが結婚して贈与先が増え、自分が亡くなるころには課税されずに財産を家族に移せるはずだという。 子育てには惜しみなくお金をつぎ込んだ。学歴、資格、キャリアの三つがそろわなければ、社会で上位の人間になれない。子どもにそう言い聞かせてきた。 英語塾や海外留学に早くから行かせた。多くの学生が学費や生活費を稼ぐ間に勉強すれば、差をつけられる。アルバイトは一度もさせなかった。本人たちの努力もあり、2人はいま弁護士と米国公認会計士だ。 「格差を利用させてもらった。ずるいと思われるかもしれないが、親が子にできる最大限のことをする。当然じゃないですか」 「節税して財産を築いた非国民だ」。会社の元同僚に言われたことがある。しかし、サラリーマン時代から人並み以上に税を払ってきたつもりだ。税と真剣に向き合い、勉強してきた自負もある。 日本では富裕層への課税が強まりそうだが、商品ごとに税率や税額などを記す「インボイス」を導入して消費税の税率を高めたほうが、富裕層も国内にとどまり、税収も増える。そう考える男性は消費増税の延期が決まったいま、割り切れない思いでいる。 いきすぎたケースもある。「東南アジアであれば1千万円ぐらいなら、まずバレずに持ち出せる」。東京都内の40代の男性サービス業経営者はこう話す。 その手口はこうだ。 「札束は本の間に挟むとエックス線では区別がつきにくいので、本をたくさん持って行く。ジャケットの胸ポケットにも200万円ずつ入れる」。持ち出した現金は、出国先の土地に投資し、一部はそこの銀行に預けている。本格的な不動産投資をはじめる予定だ。 土地は、元の所有者の名義のまま変えていない。それでも「権利書は預かっているので、勝手に処分されることはない」。銀行預金は自分名義でも税務当局に把握されていないと言い、「いまでも5%の金利がつきますよ」。 お金の流れを把握されないよう、日本の仕事では、できるだけ現金で決済する。お金は銀行に預けずにもっぱらタンス預金だ。「商売相手が法人ならごまかせないが、個人相手なら領収書が必要ない人もいる。利益も、取引にかかる消費税もどうにでもなる」(松浦新) ■弱まる「所得の再分配」 海外に散らばる富裕層の資産。税務当局もその実態をつかもうと力を入れるが、課題は尽きない。対策の目玉として国税庁が2年前に始めたのが、海外資産が5千万円超の人に「国外財産調書」提出を義務づける制度だ。うそを書くなどした場合に罰則がある。 2014年分の届け出は約8千人だったが、届け出ていない富裕層の存在も指摘されている。野村総研の推計によると、国内分を含めた純金融資産が1億円以上の日本の富裕層は13年時点で約101万世帯。国税庁OBで税理士法人山田&パートナーズ顧問の川田剛氏は「意図的に届け出ない人が数万人単位でいる可能性が極めて高い」と話す。 調書制度を始めた14年、国税庁は「超富裕層プロジェクトチーム」もつくった。東京、大阪、名古屋の国税局に専属のスタッフを配置。特定の富裕層にターゲットをしぼり、長期にわたって家族や経営する会社なども含めた投資活動、海外銀行への送金などをチェックする。
節税駆使し財産、「非国民」の非難…「勉強しただけだ」:朝日新聞デジタル
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お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢80歳。叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。【家族構成】私の実家は富山県隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。富山県の実家には現在私の母親がひとり暮らし。父は数年前に他界しています。祖父母も他界。老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。叔母の兄弟は3人。上から順に姉(他界)、私の父(他界)、叔母。他界した姉さんには女1人と男4人の子供がいます。叔母さんから見て、その5人は私と同じく姪とか甥にあたるわけですが、今も健在。 姪とか甥は全部で6人居てそのうち1人が私というわけです(私が最年少)。叔母は旦那の他界後に体調を崩して富山県内の老人ホームに入所しましたが、その時に保証人となっていたのが私の父でした。父の他界後は母が時々面会に行っていましたが、母は高齢で運転免許もないので、私が父の後を引き継ぐ形で叔母の保証人になっていました。入所後は月に1回くらい母と私で施設に面会に行く程度。そんな叔母さんが「食事を充分に摂れなくなった」と施設から連絡を受けたのが今月の初め。施設に行くと、「食事が自分で摂れなくなったので"胃ろう"にしますか?それとも"点滴処置"を希望されますか?またはこのまま看取り介護に移行しますか?」と選択を迫られることに。"胃ろう"なんて造っちゃったらまた数年生存してしまうかもしれません。それで元気になるのであればいいのですけど、既に認知症が悪化していて先はありません。点滴したとしても数週間生存が延びるだけです。施設の順番待ちの方も沢山いますし、これ以上税金が叔母さんに使われるのはかなり躊躇われます。「看取り介護にしてください」と、迷わず伝えました。この時点で全て自分の責任と判断で進めることにします。さて、ここで叔母さんの余命はあと2週間程度であろうと推測。そうなると近いうちに葬儀の準備が必要となります。以前私の父が亡くなったときには普通に葬儀を行いましたので150万円ほどかかりましたが、叔母さんは長く施設に入っていましたし、面会者も私と母以外に全くいませんでしたから家族葬で充分です。まずはネットで検索してみます。業者を使うと直葬(火葬のみ)で10.8万円とかのプランもありましたが、叔母さんが檀家であるお寺が存在していることを聞いていましたし、せめてそちらのお坊さんにお経だけは読んでもらおうと考えました。(激安のプランって結局「霊安室別レンタル時間料金」とか、「搬送は10km以内でそれ以上は激割り増し料金」だとか、「エンゼルケアは完全別料金」とかどんどん高額にならざるを得ないシステムなので要注意です)次にネット検索で棺を購入します。直葬セット6点セット(棺(折りたたみ式)、白布団、仏衣、骨壷6寸、骨箱、顔あて布)というものが送料込み27,600円。早速注文して実家に送ってもらいました。amazonでも18,000円とかで棺が売っていましたが(笑)、実家に大きな棺をそのまま何日も置いておくのも嫌でしたのでそちらの折りたたみ式のものを選択。その後は私も普通に職場で仕事をしていましたが、「叔母さんが亡くなったら自分が喪主となる予定ですのでその時はすぐに休暇ください!」と職場ではアピールをしておきました。そして、3月14日17時すぎ、施設から「亡くなられました」と電話がかかってきました。私のスイッチが入ります。すぐに実家近くのレンタカー屋さんに電話し、ハイエースバンを予約。死亡から24時間は火葬することが出来ないため、その翌日17時ではすでに火葬場は時間外となります。ですので、火葬はさらに次の日になるはずだと判断して48時間借りることにしました。車で帰宅途中にレンタカー屋さんに直行、実家に帰ったときはすでに21時を廻っていました。借りたハイエースバンに届いていた棺一式を載せ、母と一緒に老人ホームに向かいます。ところで、以前父が亡くなったときに家族の前で葬儀屋さんが身体を拭いたり仏衣を着せたりするのを私は見ていたのですが、当時その行為にものすごく違和感を感じていましたので、次に自分が執り行う葬儀の場合は全部自分ひとりでエンゼルケア(死後の処置・湯灌)や納棺を行おうと心に決めていました。22時頃に施設に到着。職員の方に「私がエンゼルケアをしますので部屋は私一人にしてください!」と宣言し、「葬儀屋さんは呼ばれないのですかっ?!」と職員さんに驚かれつつ、エンゼルケア中は母にも外で待機してもらいます。叔母さんはずっと食べていなかったので排泄物はほとんどないはず。身体を拭き、準備しておいた紙おむつを履かせました。あとは購入した白装束を着せて手を組み、数珠を持たせます。お化粧もしてあげました。アイラインを引き、チークを入れてリップも塗ります。叔母さん、とても可愛くなりました。お化粧なんて施設入所してからしていないもんね。亡くなってはいますが、ちゃんとお話をしながらお世話出来たことが私にはとても満足でした。痩せて小さな方なのでなんとかお姫様抱っこで棺に収めます。「終わりました!」施設職員の方々に手伝ってもらい、棺をハイエースバンに載せます。法的には死亡診断書があれば車に載せたままどこに移動してもOK。荷物は後日取りに行くことを伝えて実家に帰宅。ホントは棺を一時家に入れてあげたいところですが、私一人の力で棺を移動させることは到底無理なので、そのまま毛布を棺に被せてハイエースバンを霊安室の代わりとさせてもらいます(汗)。寒い時期だからよかったのですが、夏だったらドライアイスの購入が必要ですね。翌日、朝一で市役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を発行してもらいます。次の日の午前10時に火葬予約が取れました。早速、叔母さん本人が檀家だというお寺に行って、お坊さんにお経を読んで頂くためのお願いをします。「叔母さんが昨日亡くなられました。明日10時から火葬します。お骨になったらこちらのお寺に持ってきますので、その時にお経を読んでいただけますか?大変失礼かもしれませんが、お布施の予算は3万円です!」あらかじめお布施の予算をお坊さんに宣言してしまう私も私だと思いますけども、どこまでやってもらえるのかが全く解りませんし、あとで揉めないためにも仕方がありません。住職のお坊さん、その唐突なお願いと内容に大変驚き、しばらく唸って考えていましたが、「わかりました。それでは、直接火葬場に出向きますので、お葬式としてのお経をそこで読ませて頂きます。お骨になったら、骨壺を持ってもう一度お寺に来てください。」と提案していただきました。これでお坊さんの手配ができました。本来、枕お経(?)と言って火葬前にお経を読むこともあるようですが、お葬式としてそこで読むのは初めてとのこと。ここまでで、この日に行う調整は全て終了です。老人ホームに挨拶に行くと、施設長さん(高齢の女性です)が応接室に通してくれました。昨日からのお話をしたところこれまた大変驚かれ、「私もそうやって家族にやってもらいたいわ!」と感動されました。何でも、今の人達は全部業者(要は他人ってことです)にお金を払ってやってもらうのが普通で、「昔はそういうことは全部家族でやったのよ・・」と全てお金で解決して他人事のように進めてしまう現状を嘆いていらっしゃったのが凄く印象的でした。帰宅して翌日の葬儀のための喪服を母と準備。ここで叔母さんは亡くなってから2日目ですけども、ハイエースバン霊安室にはあと1晩活躍してもらうことにします(汗)。翌日、母と一緒に棺を載せたハイエースバンで火葬場に行きます。寒い時期なので、ドライアイスがなくとも車内に全く臭いはしませんでした。火葬場の玄関に車を横付けし、火葬場の職員さんを見つけて「棺を降ろすのを手伝って頂けますか?」とお願いします。職員さん、承諾はしていただいたものの、何か怪訝な表情。「葬儀業者の方?」と聞かれて「いいえ。家族です。自分で持ち込みました」と言ったところまた大層驚かれて「経験があるのですか?」「いえ、全くありません。何事も初めてですから教えてください」と答えるとさらに周囲の職員皆驚いている様子(←なぜそこまで毎回毎回皆さん驚くのか未だに全く解っていない私)。そういうやりとりをしているうちに、お坊さんが15分前に到着。棺の前でお葬式(告別式)としてのお経を読んで頂きました。お経がめちゃ早口です(笑)。内容はわかりませんけど、それなりのお経だったのだと思います。10時ピッタリに読経終了。さすがプロですね。火葬が終了するのは11時50分とのことだったので、それまでの時間を利用して、棺を降ろして空になったハイエースバンで老人ホームに向かい、残っていた荷物を引き取りに行きました。お礼やら挨拶をして11時30分に火葬場に戻ると、職員さんが既に玄関先で待っていて「もう終わりましたので収骨に来てください」とのこと。収骨は別室で行なわれます。通販で購入した6寸の骨壺は全骨収骨にはピッタリの大きさでした。骨箱に壺を収めてお寺に向かいます。お寺に着くと、そのまま壇上に上げてお経を読んで頂きました。15分くらいでしょうか。檀家ってことで、壺に戒名?を書いて頂き、そのままお骨は預かってもらうことになりました。もしも拒否されたら散骨でもしようかと考えていましたけども。「これで全部終わりました」とお茶を出されて母と一緒に一安心。住職に「今までこのような葬式をされたことはありますか?」と聞いてみると、「以前1回だけ、身よりの無い人に対してお経だけというのはしたことがありますが、こういうのは初めてです」とのこと。うん、そうなのですね。よほど珍しいのですね・・、まあいっか。お約束どおり3万円の入ったお布施の袋を渡し、お礼を言って今度は近くのリサイクルショップに先ほど施設から回収した大量の衣服やキャビネット家具等の荷物を持ち込みます。「全部置いて行きますが、お金要りませんので処分もいいでしょうか?」との条件で交渉成立。そのまま帰りにレンタカー屋さんに寄ってハイエースバンを返却。母と歩いて実家に帰ります。途中でお昼ご飯。さて、火葬の手続きで前日に市役所に行ったとき、年金手帳や国民健康保険証等の返却等は除籍謄本が出来る1週間後でないと事務処理は無理だと聞いていましたので、私はここで一旦仕事のために岐阜の自宅に戻ります。葬儀を執り行った連絡を先の5人の従兄弟に通知します。以下の内容でハガキを送付しました。……………………………………………………………………………………………叔母 ○○ ○○儀 かねてから特別養護老人ホームにて療養中でございましたが去る平成二十八年三月十四日に永眠いたしましたここに謹んでご通知申し上げます葬儀におきましては 故人の生前の意志により 誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申しあげます平成二十八年三月十八日〒○○ ○○-○○○○ ○○喪主 ○○ ○○……………………………………………………………………………………………一週間後、休暇をとって実家に戻り、市役所と年金事務所に行きます。この年金の手続きを行うため、あらかじめ私の居住地で自分の住民票(家族全員)、戸籍抄本を取得しておきます(これがないと叔母との関係を証明できない)。また、生計同一関係に関する申立書(遺族年金・未支給・一時金)※配偶者・子以外が請求するとき っていう書式が必要となります。直系家族ではないので、関係があったということを第3者が証明するためです。理由は「毎月面会して日用品などを援助していました」とかでいいみたい。証明には老人ホームの施設長さんの名前と印が必要だったので、FAXしてあらかじめ返送をお願いしておきました。市役所で取得するのが叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、私の父の除籍謄本。返還するのが叔母の後期高齢者医療被保険者証(国民健康保険証)。これを返すと葬儀費用として3万円が支給されますので、棺とレンタカーの領収証を提出します。あとは介護保険の保険証や障害者手帳、印鑑登録証なども返却。自分の預金口座を通知します。次いで年金事務所に行き、叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、父の除籍謄本、私の住民票(全員)、私の戸籍抄本と準備しておいた生計同一関係に関する申立書を提出。これだけ揃わないと、叔母との関係を証明できないとのこと(謄本等に祖父母の名前が書いてあることで関係を確認)。ここでも自分の預金口座を通知します。叔母が亡くなるまでの1ヶ月程度の年金が支給されるのですが、凍結されてしまった叔母の口座では入金できないため、私の預金口座にしないといけないのです。ちなみに、こんなこともあるだろうと以前叔母の口座はネットから操作できるようにしておいたので、残っていたわずかな預金は凍結前に私の口座に振り替え済みなのでした(笑)。これで叔母さんの葬儀と様々な手続き全てが終了しました。実際に私が動いたのは亡くなった日の夕方から葬儀終了までの2.5日間の間と、1週間後に市役所等の手続きに使った1日間の計3.5日間のみ。【葬儀等費用】直葬セット6点セット 27,600円お坊さん葬式お布施 30.000円レンタカー(ハイエースバン)48時間 14,500円葬儀を行った旨の親戚への通知はがき代 52×5=260円合計 72,360円、市から葬儀費用30.000円が支給されるので、葬儀支出総費用は 42,360円 ←後日支払われる日割りの年金支給分で完全に相殺される予定お疲れ様、お母さん、そして自分。そして最後に 叔母さんのご冥福を心からお祈りして終了させていただきます。合掌
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
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シャッター商店街が深刻な問題として指摘されて久しい。その理由は自治体も専門家も「後継者がいない」の一言で片づけています。その理由は表面的には間違っていないが「シャッター商店街の本質は節税」にあることを留意すべきです。 節税は固定資産税と相続税の双方で可能ですが、ここでは本質を具体的に説明できる相続税の話をします。事業用宅地(店舗兼住宅)を事業承継する場合の相続税は、事業用宅地400㎡までが評価額を20%に減額して優遇されます。例えば、評価額3億円の土地400㎡を相続人1人が相続する場合、他の相続案件や借入金が無いと仮定して、事業用宅地とそれ以外の相続税額を比較してみましょう。 事業用宅地の場合は、3億円を20%に減額した6千万円は基礎控除内となり相続税が免除されます。一方、青空駐車場など更地や賃貸オフィス等の優遇措置が無い土地の場合は、7900万円の相続税が課せられます。両者にこれだけ大きな差があると、商店主が「子供が跡を継いでくれない(後継者がいない)」ことを理由に、商いを放棄する時、投資を行って不動産オーナーになるか、節税目的でシャッター商店主のどちらが得かを天秤にかけます。 「攻めの投資」か「守りの節税」を選択する際に、最も重視される事項は「自分の余命年数と、不動産価値の上昇」です。投資を回収するには、一定の時間と価値上昇が必要だからです。 商店主が高齢者の場合や、地方都市など高い賃料を期待できない立地の場合、賃貸用店舗等への建て替え投資の意欲は湧かず、必然的にシャッター商店が選ばれます。 高齢化と地方経済停滞が進むなか、シャッター商店街が増え続ける本当の理由は「商店街が節税対策に使われる金融商品」という特性にあるのです。 (中略) そういう観点から前著『地域再生の罠』では3つの提言の3番目に、次の理念と施策を提唱しています。 まちづくりは土地所有者(不動産オーナー)次第だから、土地の課税率は、用途の公益性に連動させる。自治体の公的支援は、市民の交流を促す公益空間に集中する。
久繁哲之介の地域力向上塾
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覚せい剤がやめれない件でマジレスすると 脳内麻薬の原産がドパミンなんやけど、これを黒質ってとこで生産するんやね このドパミンがアドレナリンとか興奮とか快楽を司るホルモンに変化していくんやけど 覚せい剤はドパミンに似せた構成になっとるのよ、んでめっちゃ気持ちよくなったりするんやね そうするとな、黒質が「お?俺必要ないんじゃね?」っていってドパミンを出さなくなるのね 変性、簡単にいうと壊死、死んでしまうわけな、脳みそって一度死ぬと再生しないのね そうなってしまうともうクスリなしじゃ生きられない、クスリ打ってないとなにしても気持ちよくない クスリを打つと更にドパミンが出なくなる、クスリを止めようとしてもドパミンでないとなにも楽しくないからクスリを使う の無限ループ 最終的にドパミンが出なくなる、ドパミンはアセチルコリンっていう体を動かす神経伝達物質にもなるから体も動かなくなる 涎だらだらの廃人の出来上がり、クスリやったら終わりってのはこういうこと 一度だけでも手出したら終わり、ダメ、絶対。
なんJに降臨した「覚せい剤の危険性を説く人物」の説明がマジで分かりやすい : 無題のドキュメント
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まずはおめでとう。7億は人生を買えるお金で、あなたは賢く立ち回れば一生労働しなくて良い身分になった。しかし、今までは無縁だった危険と隣り合わせになった事も自覚しなければならない。まず、当選した事を10年は隠し続けなくてはならない。誰にも言ってはいけない。例え親兄弟恋人だろうが例外は無い。身近な人がお金に困っていても、絶対に出してはいけない。例え親や嫁や旦那が借金取りに追われようが出してはいけない。(債務整理が得意な弁護士を紹介してあげるのは良い)この2つを破ると、あなたは破産への道を歩み出す事になる。そして使い方について。まず奨学金だが、月々普通に返していけば良い。奨学金の利子は低額なので、借りている方が得なのだ。真っ先に不動産に手を出すのは愚策。まずは今の所の1.5倍くらいの家賃の家を探せ。都内なら2倍でも良い。そして自分の中で心地よい住まいのイメージを固めてから、ローンを組んでマンションを買え。定期に1億も放り込んでおくか、あるいはローンと同額の国債を担保に入れれば、低金利で金を貸してくれる銀行はいくらでもある。何故借りるかと言えば、住宅ローン減税を使うためだ。銀行に相談したらなんぼでも教えてくれる。両親に仕送りは絶対やめろ。そこから足がつく。7億は大金だが、身内にバレれば一瞬で消える程度の端金でもある。お前の親が老人ホームに入る時、年金暮らしで生活がキツくなる時まで仕送りはするな。良かれと思って親に仕送りを始めると、親がもらえるのが当然と思いだす。その後はバレ→身内総出タカリのコンボが決まるぞ。家電、円盤、お絵かきは好きにしろ。自己消費の分はよほど派手に使わないかぎり問題無い。ただし、友人にバレると最悪命の危機まで有るから気をつけろ。億の金を○してでも奪いたい奴はこの世にいくらでも居る。定期預金はおすすめしない。住宅ローン組むまでは不要。普通預金に7億入れると営業電話がクソうるさいが、絶対にかけてくるな営業するなやったら別の銀行に預金を移すと言え。あ、地方銀行や信金は万が一が有るので、メガバンクに入れとけよ。お金を増やしたいなら、まずはNISAと確定拠出年金を勉強しろ。ファンド大賞に常時入っているファンドに毎年放り込め。同人誌を書いて暮らしたいのなら、小規模企業共済も調べろ。最終的には優遇措置使いながら1.5億ずつ投資信託、固い株式、REIT、外貨建MMFに分散出来る知識が欲しい所。難しく考える事は無い。あなたには時間もお金も十分有るのだから、10年かけて学ぶつもりでやればいい。分散投資が出来るようになれば、あなたは同人誌を書きながら手取り1200万(年収換算コミコミで2000万くらい)の生活が出来るようになる。元手を崩さずにこの生活が出来るようになるのを、向こう10年での目標とすれば良いのではないかと思う。まずは、使い方がわからないなら口座に預けて落ち着け。大金が入った直後は一番危ない。それは口座に入っただけで、ほんとうの意味でのあなたのお金にはなっていないのだ。金が自分に定着するには10年かかる。逆に言えば、10年後6億数千万残っていれば、それは本当のあなたのお金だ。多少金持ってるオッサンからのアドバイスだ。たぶん金持ちに聞けば同じような答えが返ってくる事しか言ってない。まずは落ち着け、そして自分以外に使うな。これだけは絶対に守れよ。追記社債とか言ってる奴が居るが、このご時世会社なんていつ潰れるかわからん。「卵を一つのカゴに盛るな」は投資の大原則。分散投資を理解するまで社債に手を出してはいけない。追記の2仕事から帰ったらホッテントリ入りしてて吹いたwそういや年末ジャンボの季節か。色々な意見が寄せられているね。個別に返せないので総論を。基本的な考え方だが、あなたのポケットにお金を入れてくれる物は資産、ポケットからお金を持っていく物は負債。額の多寡は全く関係無い。7億も有るのに~の意見には全てこれが返事になる。分割して死ぬまで細く長く使うのも無理。金は使い出すと止まらない。特に自分で稼いでいない金はね。資本主義社会だから、資本を持つ者は勉強せざるを得ないのです。金持ちって楽そうに見えるだろ?違うから、面倒くさいか���。金が本当に自分に定着するまでは、常に振り回されている感覚だよ。定着した後は、世の中を一歩引いて見ている感じだ。なってみればわかるよ。
まずはおめでとう。7億は人生を買えるお金で、あなたは賢く立ち回れば一生..
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