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芸術をわたしたちが愛するのは、それがひとりにしてくれるからである。数百人、数千人が一堂に会する演奏会、何時間も行列待ちをしなければ中に入れない美術展……どんなに多くの人が集う場所であっても、ほんとうにすぐれた芸術作品は、聴いた途端、観た途端にわたしたちを〈孤独〉へと連れ去ってくれる。痛いほどの孤独を心に感じながら、わたしたちは同時に、周囲の、自分と同じように孤独を感じているであろう多くの人々と共にある。(25ページより)
木村 元 (2020) . 音楽が本になるとき 聴くこと・読むこと・語らうこと 木立の文庫

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ニューヨークを拠点に活動する写真家、ピーター・ガリタノによる「デジタル時代の孤独」を浮かび上がらせる、人々の孤独を写したポートレート。

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山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye・2011年10月21日
排泄によって人は、一定時間ごとにひとりになる。社交的な人もひとときの孤独を取り戻し、機械のように働く人も生き物であることを思い出す。怒っていても泣いていても、冷たい便器に座れば頭が冷える。そう考えると、自分を見つめる装置「鏡」がトイレにあるのは、実に正しい。
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若い頃から私は世渡りが下手だった。 もともと田舎ののんびりした空気を愛していたのだ。
どこで間違ったのか上京して塵にまみれた網のような俗世間に入り込み、 以来、三十年もの月日が流れてしまった。
渡り鳥は以前いた林を思い、 池の魚は昔すんでいた淵を慕うものだ。
私も故郷の南の際にある荒地を開墾しよう。 世渡り下手のこの性格は、そのままでいいじゃないか。 故郷の田園に帰るのだ。
宅地は十畝ちょっと。 住居は八九室ある。
楡や柳がうしろの庇を覆い、 桃や李が門の前に連なっている。
遠くの村はおぼろにかすみ、 里で飯を炊く煙が絶え間なく立ち昇っている。
狗は奥まった路地で鳴き、鶏は桑の木の頂で鳴いている。
わが家の庭には塵ひとつ無く、 空いている部屋も多く空間には余裕がある。
長い間籠の小鳥の生活を続けてきたが、 ようやくまた自然に帰ることができた。
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