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エミリーに薔薇を

エミリー・グリアソン(Emily Grierson)
ウィリアム・フォークナー著『エミリーに薔薇を』の登場人物
愛を知らない少女。
エミリー・グリアソンがこの世から去ったとき、町じゅうのひとたちがその弔いの宴に参加した。男たちはかつて憧れていた高嶺の花を見るために、女たちはいまだ誰も見たことのない家のなかを見たいがために。
彼女はジェファーソンという町に残された、最後の偶像だった。 「街」ではなく「町」。その些細でありながら重大な違いは、皮膚感覚の違いでもある。
町は彼女を見逃してはくれない。「かつて」と「いまだ」を同時に貼りつけた存在である彼女を、閉塞的に監視している。視線の糸は蜘蛛の巣のように絡みあい、その透明な糸で彼女を縛る。彼女は身動きを封じられる。
絹みたいに光る肉に、真綿のようにくるまれた幼子だったころ、彼女は世界の祝福の乳をのむ幸福な子どもに過ぎなかった。
世界中を「目」で歩いた。
見ることは触れること。
浮かびあがるもののかたち、知らない輪郭。観ることは覚えること。はじめて出逢った景色、鮮やかな色彩。
視ることは捉えること。
わたしのいる場所、あなたの好きなもの。たくさんの「みる」をめであるいた。歩きながら心のなかで旅をして、時間の呼吸の音を聴き、あふれる未知を数えあげていたころ、すべてが尊く、生まれたての目線で生まれたての世界をみていた。
そうよ、わたしのちいさな世界。隔絶された領域。あのまだ見ぬ闇の、やさしい時間。
いつからでしょう。
わたしはそのちいさな世界のなかに疎外されてしまったのです。幼子のままで。
いつまでも子どもでいることはできないように、「闇」を知らずに大人にはなれない。
そのとおり、そのとおり。
わたしは「闇」を知りました。それにもかかわらず、わたしは「大人」にはなれませんでした。世界はもう、わたしに白い祝福をあたえてはくれなかった。その乳からあふれるのは、黒い呪詛でした。
「見る」ことも「視られること」も、わたしにはもう呪いになってしまった。
愛なんて知らない。でもわたしはあのひとと結ばれることを望んだ。あのひとはわたしをごまかしつづけた。
あのひとはわたしのなかに巡る呪詛を浴びました。わたしもまた眠ろうと思います。この呪いにくるまって。
愛なんて知らない。そんなものはいらないから、わたしに花嫁衣裳を着せて。あなたの屍を抱いてあげるわ。
おやすみなさいをいうかわりに、わたしに薔薇をちょうだい。愛のように、真っ赤な薔薇を。
—―そうして、偶像は崩壊した。
画・ダリ/瞑想する薔薇
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八重垣のお姫さまがくるよ

わたしがこの世に誕生したときに親戚の方が贈ってくださった八重垣姫の日本人形は、生まれたばかりの赤子くらいの大きさで、わたしが物心のついたときからずっと透明な箱のなかに佇んでいた。
わたしはその人形が大好きだった。
八重垣姫は浄瑠璃や歌舞伎に登場する上杉謙信の架空の娘で、武田勝頼の許嫁ということになっていて、勝頼のいのちを救うために白狐の力を借りて氷の諏訪湖をわたり、愛するひとの危機に駆けつける威徳の舞姫だというお話を耳にした幼いわたしは、八重垣姫の少し俯いたやさしいお顔も、艶やかな着物も、長い御髪も、頭上の冠も、片手に兜をかかげた勇ましい姿も好きだったけれど、凍った冬の湖も青い炎で燃えるような彼女の情熱の逸話を聞いて、ますますそのお姫さまの虜になった。
そう。わたしは八重垣姫が好きだった。 しかし同時に、とても恐ろしくもあった。
わたしがなにか悪いことをしたとき、泣きだして涙がとまらなかったとき、なぜだかその罰のように「八重垣のお姫さまがくるよ」という声が投げかけられたから。
彼女がわたしのところにきたとしても、きてどうするか、わたしになにをするか、わたしはどうなるのか。その声はそういうことについてなにもいわないし、わたしもその種の果てしなくつづきそうな質問の系列を口のなかにとどめ、ただじっと待つことしかできなかった。
銀色の全身を疾走する風のようになびかせて、白狐の化身となった八重垣姫が閃光が瞬くように空間を割って自分のまえに現れることを。そのときなにが起こるのか。滲む不安のなかに、一滴の期待が混ざっていた。それは幼な子がほとんど無意識に感じた、甘い死の観念のようなものだったのだろうか。
「八重垣のお姫さまがくるよ」という言葉は、わたしにとって世界との境界線だった。そしていまとなっては、誰がそんなことをいったのかも覚えていないのだ。わたしの頭がつくりだした言葉だったのかもしれない。
谷川俊太郎の『なおみ』という絵本を読んだとき、わたしがまっさきに思い浮かべたのはその八重垣姫の人形のことだった。
ある家につたわる「なおみ」と名づけられた古い日本人形を、その家の幼い娘はおのれの姉妹のように思っている。離れがたい存在。ふたりだけの世界で、少女たちは遊びに興じる。
彼女は息をしない、だけど自分だけの軌道を呼吸する。 彼女はものをいわない、だけど雄弁な沈黙を語っている。 彼女はなにも見ない、だけどその目に無限大を映している。 彼女は所有できない、だけど何者をも受け入れる。
彼女の名は、なおみ。「わたし」の半身。 わたしが嬉しいと彼女は笑い、彼女が悲しいとわたしは泣く。 鏡合わせのあちらとこちら。
一瞬の交感。 そのあとの喪失。
わたしが女になるとき、彼女は少女のまま葬られる。棺のなかに彼女とともに横たわる、少女のわたし。彼女は眠るように死ぬ。だけどいつか目覚めて、また「わたし」のまえに現れる。
娘にとってものいわぬ人形が不要になりつつあるとき、なおみは病気を患う。女の子なら誰でも避けて通れない死の象徴として、人形は娘の通過儀礼を暗示するように「棺」のなかに埋葬され、家の奥深くにしまいこまれる。
しかし時が流れて、娘が母になり女の子が生まれたとき、その子は「棺」のなかで死の眠りに就いていた人形を見つけだし、ふたたびなおみを生き返らせる。
その家では、代々母から娘へとそれを繰り返しながら、なおみを受け継いでいた。そういうお話。
絵本のなかに映しだされた写真の、静謐な美しさにため息を吐きながら、わたしにとってのなおみは、あの八重垣のお姫さまだったのではないかと、そんなことを考えた。
子どもにとって人形とは、ときに世界のあちらとこちらの境界線となることもある。だから愛おしく、また恐ろしい存在として、幼いひとたちに「死」とはどういうものであるかということを、無言で語りかけているのかもしれない。
*『なおみ』 文・谷川俊太郎/写真・沢渡朔
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内田善美『ひぐらしの森』




清羅な孤独をもつ少女。
慎ましい彼女。必要最低限の言葉だけを声にのせ、感情は氷山みたいに彼女の胸の内側に沈んでいる。人を傷つけることをなにより恐れ、疵つけられることを畏れている。
たくさんの友人たちが「じゃあね」といいながら、彼女の傍らをとおりすぎた。「またね」といって別れるたびに、離れてゆくひとたち。それをとくべつかなしいとは思わない。彼女はひとりで充たされていた。心のなかに「居心地のいい部屋」をもち、誰にも邪魔されないその場所で、すきなようにくつろいでいられるなら、それでいい。
彼女の肉体は、その半分が夢のなかに埋没していた。うつつとはその「ゆめ」のためにこなさなくてはいけない儀式みたいなもので、日常とは無限に遠い外界であり、そこで自らの「心」を打明けようなどとは、考えたこともなかった。誰も近づけず、誰にも本音をいわない彼女。
あのこに出逢った。
天使の白い翼のかけらが空から降る雪のなかで、女神の磨きぬかれた爪のような薄紅色がほどけるリボンみたいに風に舞うなかで。
“夢みていた そのままに 美しい少女と なって 私が そこにいるような 気がした…”
あのこはわたしの「夢」だった。まるでシャボンのように虹色に透明な光沢をもつ「ゆめ」。近づきすぎてはいけない。触れたら壊れてしまう、儚い泡なのだから。
ふりそそぐ緑の光がやわらかくやさしくわたしを射した夏の森。わたしはなぜだかはじめて、おのれが生きているのは夢ではなくこの現実であることを意識した。わたしは孤独であることを知った。だからこそ、大勢でいることが淋しくて我慢できず、いつもひとりでいるのだと、わたしは《わたし》を理解しはじめた。わたしの「孤独」を。あのふりしきる、ひぐらしの声のなかで。
わたしはわたしを知り、だからあのこを知った。混乱と当惑のなかで。
わたしの「部屋」にはじめて足を踏み入れた他者である、あのこ。
お互いの瞳のなかになにかを見て、言葉のない声をかわしたあのこを、想いだす。春に���が散るかぎり、冬に雪が降るかぎり。そして緑の闇にひぐらしの声がきこえるかぎり。
***
綺羅の孤独をもつ少女。
美しい彼女。どんなときも華やかなひとたちに囲まれて、その中心で薔薇の花びらのように赤いくちびるを綻ばせる。
わらう、笑う、嗤う。彼女は自分自身を嗤っている。なにによっても満たされることのない、枯渇したおのれを。
欲しいものは欲しいと、主張する。手に入れたいものは手をのばして捕獲する。そして「これはわたしのもの」と宣言してしまってから気づく。こんなもの、ほんとうはちっとも望んではないかったのだと。ほんとうに願っているのは「これ」じゃない、と彼女は掌中におさめるまえから、漠然と理解している。そしてそれはけっして自分の手に、星のようには落ちてはこないと。いまのままではだめなのよ。
けれどもわたしは《わたし》であることから逃れられない。
誰といても何をもらっても、ひとりぼっち。独りで膝を抱えて憂いているのに、あなたのようになりたいと、みんなは羨む。「ほんとう」のわたしを、わかってくれるひとなんていない。
まるでこの都市は喧騒の砂漠みたいで、ひどく心が渇く。だから彼女は「水」がほしいと訴えている。自分を潤し、満たしてくれる水を。
その水をみつけた。ようやくわかった。わたしの望んでいたもの。それはあなただって。あなたにわたしを理解してほしい。わたしもあなたを理解したい。「おともだちになって」なんて、そんな無粋な言葉は口がさけてもいわない。「言語」なんて必要ない。わたしとあなたは胸の内側にある「小部屋」で通信できるはずだから。
わたしたち、いつもおなじ場所にいるのよ。雪が白い蝶の死骸のように舞うなかで、桜が乙女の純潔のように散るなかで。
そして緑の光線が槍みたいにわたしたちの影を貫いた、あの夏の森で。
わたしたち、おなじひぐらしの声に耳を澄ませて目を閉じた。そのとき、一瞬だけ、わたしは孤独を忘れたわ。
わたしは独り。この「渇き」が消えることは、生涯ないのかもしれない。でもそんな気持ちになったとき、ひとりで膝を抱えていたわたしの隣に、あなたの気配と温度を感じる。あなたはわたしの肩に頭をのせる。そしていうの。「わたしたち、ふたりぼっちよ」。
あの瞬間から時間と距離を遠く隔てられても、あのひぐらしの声を忘れることは、けっしてない。それは言葉のない約束みたいなものだから。
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花園【白百合】
「月が百合の花びらのように白い夜は、��っときみを想いだすよ」といつかあなたがいってくださったその言葉を、胸の内側に大切にしまいながら、わたしはお月さまを眺めていました。今宵の月は、まるで白百合の花みたいな曲線で、両腕をひろげてたったひとりのひとを求めているように、わたしの目には映りました。眠りを誘うがごとき甘い蜜のひかりを澄んだ夜のなかに零すその麗しさに、わたしは翅を針でつなぎとめられた蝶のように、窓辺から永いこと身動きできませんでした。
百合の花のようなその月は、神話の女神さまの弓矢のようでもありました。それを手にして狩猟に翔けまわる美しいアルテミスはどんなお姿をしていらっしゃるのかしらと考えたとき、わたしの頭のなかには、やはり百合のように白銀の長い髪が見えました。それをひとつに束ね、まあるい月みたいな瞳でじっと眼差しをそそいでいる純潔の乙女。その視線からこぼれる光の矢で、見つめた者を殺してしまいかねない危険な目。彼女は誰を、何を見ていらっしゃるのかしらね。
わたしはこう思うのです。彼女が見ているのは太陽だと。
遠い昔、アポロという宇宙船が月面着陸したという、いまとなってはおとぎ話か伝説か、それこそ神話のように語り継がれているお話に、わたしは思いを巡らせます。幼いころはその計画の名前にまで考えがおよびませんでした。けれども。いまならわかります。それが神話の太陽神のお名前であること。たしかに聖なる未踏の地であった月――アルテミスを穢す(という言葉をあえてつかいます)相手がいるのだとしたら、それはかれしかいないのかもしれませんね。なんて美しく、そして残酷な命名なのでしょうか。
わたしはなぜだかこの月の女神に、とても共鳴するものを感じるのです。
どうしてでしょうね。わたしとはまったく異なる女のひとなのに。
あなたもご存じかもしれませんが、わたしはよく「女神のようだ」といわれます。自らそんなことをいいだすなんて、なんて傲慢だと、そんなふうには思わないでくださいね。やさしいだとかきよらかだとか、たしかにそれはあるひとたちが見た、わたしの一面ではあるのでしょう。でもね、それだけだとは思ってほしくないのです。百合の花びらがときに、近づきがたいほどにひんやりとした冷やかさを見せるほどに高潔であるように。美しい微笑みがときに、相手を遠ざけてやまないように。
髪ながき少女とうまれしろ百合に額<ぬか>は伏せつつ君をこそ思へ
そんな歌があります。「少女」と書いて「をとめ」と読むこの愛おしいひとへと捧げられた祈りは、いま月を見ているわたしの気持ちでもあります。
わたしは何者でもありません。選ばれた女の子ではない。
この花園に咲く数多の花のように、この少女期を蕾のまま埋葬するさだめに生まれているのかもしれない。でも、思うのです。あなたのために一輪の花になりたいと。わたしに授けられた名前のように��気高く清らに優しく、あなただけに微笑んでいたいと。いまお空で花ひらくお月さまのように。
あなたはわたしのアポロです。
これはそれを告白するための手紙でした。
わたしはあなたのアルテミスになりたい。そしてわたしに授けられた名前のようにあなたのための花になりたい。
百合。わたしの名前。
*
星のかけらさん(@hoshinokakela_N)の花園ブレスレットシリーズからわたしが勝手に連想した小説です。
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アメジスト――高貴
「あのね、水晶って、お城みたいだと思わない?」
ある日のティータイム、《少女》と《乙女》が野苺の紅茶とスコーンを口に運びながら小鳥が囁きをかわすようにおしゃべりしているとき、《乙女》がおもむろにそう切りだしました。
《少女》も《乙女》も、このお茶の時間が大好きです。
いつもは季節ごとに移りかわる花々を臨むお庭で柔らかな木洩れ日を浴びながら、白く虹がふる時間のなかでこのお茶会は過ぎてゆくのですが、ときどき、ピクニックにも行きました。春は人魚の鱗のように光る海の水面を眺められる砂浜で、あるいは幽霊の衣のように有毒ガスのように、どこか不吉な美しさを宿した桜のしたで、夏は蜜の陽射しが残酷に照り輝く強すぎるひかりから守ってくれる木陰で葉脈が白い骨のように透けるのを仰ぎながら、秋は黄色く燃えたつ炎のような樹から響く金管楽器の音色に耳を傾けるような気持ちで、冬は世界が灰色をおびて廃園へと変貌してゆくことに歓喜しながら、ふたりはバスケットにサンドイッチとスコーンと《希望》をいっぱいに詰めこんで、ピクニックへと繰りだすのです。
けれどもこの日は、そんな「冒険」はまたつぎの機会にしましょうと微笑みあいながら、彼女たちはお庭で楽しく語らっていました。菫の花の咲く季節でした。
「わかるわ。水晶はお城よ」
《少女》もそう同意しました。
「あなたなら、わかってくれると思っていたの」といいながら、《乙女》は顔をかがやかせました。「水晶を見ているとね、あの美しい石の永遠のなかで、茨姫が眠りに就いているのかしら、雪の女王が毅然な孤独のなかにいるのかしら、などと考えてしまうの。でも恥ずかしくて口にはだせないの。だけどあなたならわかってくれるかしらと思ったの」
「ええ、あなたは紫水晶の《乙女》ね……」
「アメジストは誕生石だわ」
「紫水晶の《お城》は、あなたの美しい繭なのよ、《乙女》���でもあなたはその安寧から脱出することを祈っている。うつくしい場所にいつづけることは、《美しさ》から遠ざかることであると気づいて。長い髪を高い窓からラプンツェルみたいにたらして、そこから飛びたとうとしている」
「そうかもしれない。それはあなたもきっとおなじね」
「そうよ、だからわたしたち、これからもいっしょにいられるわね。いっしょにいたいわ。お約束ではなく、わたしたちの《希望》として」
「《希望》として。どのようなときにも誇りを忘れず、心を静かに思慮深く、高���に微笑んでいましょうね。高貴さこそもっとも尊く、わたしに必要なものだから。ありがとう、《少女》」
そういいかわして《少女》と《乙女》は、小指を絡めるかわりに微笑みあいました。
*青い蝶の翅で空を飛ぶことを祈る、おなじ小鳥の囀りに振り返るあなたへ。
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オパール――潔白
「オパールは少女なのよ」
突然そんなことをいいだしたきみが、夜をまあるく切り抜いた瞳でぼくを見つめながら、そんなことをいう。きみの双眸にまだ発見されていない星が潜んでいるような気がして、目を逸らすことなくぼくはその宇宙を覗きこむ。まだ見ぬ《星》になんと名づけようか。そんなでたらめなことを考えながら。
「少女はみんな、そうだろう? 多面体の宝石みたいなものだ、女の子は誰だって。ひとつの面だけ見て、この子はこういうひとだね、などということはできない。それで彼女たちを理解したつもりになることは、愚かで傲慢なことだよ」
「そうね。昨日はデメルのチョコレイトが食べたかったけれど、今日はラデュレのマカロンが欲しい。つまりそういうことよ。あなたのいうとおりだわ。女の子は誰だって、宝石なの。そのたったひと粒の極上は、彼女たちの胸の内側の《扉》のさきで、睡蓮のようにまどろんでいる。固く施錠して、自分以外の何者をも侵入をゆるすことのない、その扉のむこうの《部屋》でね。そこから宝石のステンドグラスの窓越しに空をみて、いつかはそこに飛びたちたいと願う。宝石の花越しに夢をみて、かつてをそこに植えておこうと祈る。それが《少女》という生き物に生まれたもののさだめよ。子供と女のはざまの季節。この煉獄にいるもののね」
「煉獄?」
「煉獄――楽園という意味よ。そしてあたしもそんな刻限のなかで、身を灼かれている。あたしは自分の《扉》のさきに、あの宝石が眠っていてほしいの」
「オパール」
「そうよ、そのオパール。無邪気な彩雲の輝き。甘い幸福な時代。この煉獄の楽園のこと。世界に対する潔白さだけを希望に、あたしは生きているのだから。いずれあたしのなかでまどろんでいるこの宝石が花ひらいたとき、あたしは《女》になるさだめに生まれてきた��」
「煉獄で楽園のさきにあるのは、希望じゃないのか?」
「そのさきに《天国》なんて、あると思う? もしあるとしてもあたしの希望のさきにあるのは白骨の絶望だけよ。そう決まっているの。それでもいいわ。あたしはあたしを亡骸にして、木乃伊に希望を託して、悪意の唾も死の棘も殻のなかで眠るこのやさしい世界から目覚めるわ――いつか」
だからね、ときみはいう。
「あたしは目覚めて、歩いてゆくわ。血と涙のまじる、醜い混沌の現を。でもあなたには、美しい夢だけみていてほしい。宝石が花ひらいたとき、その蜜を養分にして飛びたつ蝶のように。うつくしい蝶のように。あたしは世界とあなたに潔白でありたいの。――あたしの言葉の意味が、わかるかしら?」
わかるよ、とぼくは胸の内側でつぶやき、返事のかわりにくちびるに微笑を浮かべた。すこし歪んだ、冷やかに苦い、いつもの微笑を。
*志田良枝さんに捧げます。
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蝶のうたた寝

わたしの少女時代を一冊の書物にするなら、その本の題名は『蝶のうたた寝』と名づけられる。
十七歳になるまで、わたしには夢のなかで逢うことのできる男の子がいた。
わたしが睡蓮の蕾のようにまぶたを閉じたそのさきにひろがる世界でしか、かれとの逢瀬は叶わなかった。
かれが眠りの果てからわたしを呼ぶとき、かならず意識がまどろむそのときに、鈴の音がした。それが合図だった。なにかを清めているようにわたしのちいさな世界に鳴り響く音色は、かれに逢えることを意味していた。かれには毎夜、逢えるわけではなかった。むしろ逢えない夜のほうが、圧倒的におおかった。
鈴の音。透きとおる銀色の音。
こんな話を、誰が信じてくれるかしら。十代のピラミッドの頂点のころから数年間、わたしたちは夢という甘い蜜のなかで、世界にむかってほころぶのを拒む花みたいに閉ざされていた。夢はわたしとかれにとって、睫毛を伏せたさきの固い蕾のなかの世界であり、がらくたで築いた有刺鉄線であり、そしておもちゃ箱のなかのような聖堂だった。わたしはかれがいればよかったし、夢こそがわたしにとって、現実以上に現実だった。
かれは端整な顔をしたシニカルな少年で、わたしがなにか戯言を口走るたびに、うつくしい唇に皮肉気な微笑を浮かべていた。
誰かに打ち明けようなどとは思いも寄らないこと��、かれにならなんでもいえた。
たとえば、こんなこと。
「わたしはね、一日に書物を百ページ以上読んで活字を摂取しないと、精神にたちまち栄養失調を起こすの。それってとても後ろめたくて、不健康なことだと思わない? 狂った羊のように書物を食べても、そこから生まれるのは暗闇だけ。それが宇宙空間みたいに少しずつ広がってゆくの。いつかその《無》に支配されるとき、わたしは発狂してしまうんじゃないかと、そんな気がすることがあるの」
かれはなにもいわず、うすい唇を閉じあわせて、歪んだ微笑を浮かべていた。それがわたしには心地よかった。どんな返事も求めてなど、いなかったから。
かれはどこにでもいた。
桜吹雪の白い闇のなかに、蛍が漂う夜の河原に、金色の音楽を銀杏が奏でる並木道に、雪が蝶のように舞う下に、どこにでも。
そしてわたしは十七歳になった。ある夜を境に、かれは永遠にわたしから去っていった。わたしはおのれのなかに棲む「ぼく」とさよならし、「わたし」になった。『蝶のうたた寝』と名づけたその本は、きっとわたしのなかのかれとの別離の物語になるだろう。
それはわかっていた。なぜならその物語を綴ろうとしたわたしは、もうかれを喪失してしまったあとのわたしだからだ。あの美しい白い少年と、夢のなかで生きてゆくことはできない。わたしがそれを「選ばない」少女だったからこそ、かれはわたしのまえに現れたことを、そのためにわたしはかれに愛されたことを、わたしは知っていた。
その物語の主人公に「茉莉花」と名づけたのは、ウニカ・チュルンというひとが自身の体験を綴られた『ジャスミンおとこ』という本のなかに、わたしの似姿を見つけたからだ。
ジャスミンの花の香り。皮膚に染みついたその香りが、ウニカ・チュルンの生涯を決めてしまった。まるで恋人とさよならしたばかりの夜明けのベッドのように、彼女の人生に消えない窪みをつくった男。ジャスミンおとこ。幼いころ、その花の甘やかな匂いが充満する庭で出逢ったそのひとの影が、脳裏に棲みついて、彼女から去っていかない。
あの花のように白いそのひとと、彼女は白い婚���を結んだ。彼女はそのひとのちいさな花嫁だった。それは夢だったのか幻視だったのか。
目を醒ましながら見る夢。白い夢、白い人、白い恋。
少女と呼ばれる年齢を過ぎても、誰を愛しても、あのひとの影が彼女に纏わりついてくる。白い影のように。かれは歩けないから、けっして彼女から離れてはいかないのだ。記憶の彼方のあの庭で、かれはじっと眼差しを注いでいる。彼女だけに。
そう、わたしはウニカのなかに自分とおなじものを視た。だからおのれの半身としての茉莉花に、ジャスミンの意味をもつ名を授けたのだ。
この物語を綴ったことは、ある意味でわたしにとって《運命》だった。
わたしに幸福な出逢いを数多くもたらした。
そのなかのおひとりである画家の志田良枝さんに、このお話から連想されたジャスミンの花の絵を描いていただくという僥倖に恵まれたとき、感動で胸が震えた。このように美しく、儚く、砂糖���子のように甘く溶けてゆく白。これはわたしを魔へと誘う花だ。わたしがあの淡い夢のなかに置いてきたもの、少女だったわたしの亡骸を養分とし、固く閉じた蕾の季節は埋葬されて、花はひらいた。あんなにも蕾のまま枯れてしまいたいと祈っていたわたしは、いまもわたしのままここにいて、あの魔のなかで永遠の眠りに就いた少女に、鎮魂歌をささげている。
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『標本』に寄せて。




文通――つまりお手紙をかわしあうおともだちのおひとりから、彼女の製本が届いた。
女王の切手をモチーフにした包み紙にリボンをかけて閉じこめられていたのは、『標本』という題名の御本、幼いころに願っていた宝箱のなかに眠っていてほしいと夢みた煌めくものたち。青い鳥の羽、お月さまの栞、オフィーリアの絵葉書、蝋で封をされたお手紙。meeさんから届けられた美しき小宇宙が、わたしの目のまえに広がる。なんて美しい、とわたしはしばらくそれらを眺めていた。そこには予感があった。予感とは現実から一歩隔てられて、紗がかかった空気のなかに包まれることだ。だからこの本には予感があった。
彼女の言葉は唯一だと、わたしはいつも思っている。誰にでも綴れる文章ではないと。すなわち彼女にしか書けない文章だと。文字が正しく配置され、それが列をなして整頓されている。すべてがあるべきところにおさまる。だから『標本』と名づけらたこの本も、そういう言葉の《標本》から構築された書物だった。
「標本のような本をつくりたかった。」
そう綴られた言葉の下に、題目が書かれてある。
【展示物一】 焼肉定食
《君》が死にゆくのをただ眺めている男の話。
《愛》という言葉は、ひとことも綴られていない。そのうえで痛切な愛としかいいようのないものが目に刺さり潤んで、でも泣��てはいけないと堪えた。わたしの涙なんて、この物語をまえに塵にひとしい。祈りを捧げることしかできず、その祈りさえ諦めに変わる。だから、「いただきます」
【展示物二】 Mement/mori
たとえば朝目覚めて、歯を磨いて、食事をして、それってなんのため? なんて小娘のころは思っていた。だってまた夜がやってきて、食事をして歯を磨いて、就寝する。おなじことを繰り返すだけなのに、どうして寝床から抜けださなくてはいけないの? おなじことを人生にあてはめたら、どうせいずれ死ぬのに、なぜ生きなくてはいけないの? ということで、そんな疑問になんの意味もないのだ。すべてはリズムであり、そのリズムのなかで踊るために、わたしたちはここにいる。文章を綴ることも、絵を描くことも、歌を唄うことも、そして生きることも。すべてはリズムだ。あなたのリズムを聴かせて。それはあなたの心臓の音だから。
【展示物三】 カメレオンの恋愛手法
カメレオンって偉いよね。純粋にそう思う。生きるためにからだの色を変えるなんて。そうまでして生きたいと願っているなんて、ほんとうに尊敬する。「生きる」ことはかれらにとって、絶対条件なのだ。そのうえで「生きる」ということに、自分の一生を賭けている。賽の目がどう転ぶかはわからない。でもそれでも明日は来て、「生きる」のだ。そのために自分にあたえられたサイコロにあわせて色を変えて、なにが悪い? なにも悪いことなんてないわ。すべては「生きる」ためなのだから。
【展示物四】 散文詩「感覚」
「降り続いていた雨をただただ見つめていた。いつまでも止まなければいいのにと思った。止んでもどうせ次の雨が降ることを知っていた」—―わたしはなぜだかこの《雨》の部分を《愛》に置き換えて読んでいた。愛が雨のようにわたしのなかに降りそそぎ、水溜まりをつくる。空から誰かがわたしの感情を呼び起こす《雨》を降らせている。やまないで。つぎの《雨》なんて知りたくないの。どうしてかそんなふうに行間のなかで祈っていた。それがわたしの《感覚》。
【展示物五】 sposiamoci
ほんとうに切なかった。突然ですが、わたしは幼いころから自分のことを「土星びと」だと思ってきました。誰かとのあいだでどうしても理解しあえない齟齬が生じたとき、「なぜかといえばそれはわたしが土星びとだから」と胸のなかで唱え、それを自身の呪文としてきました。ところでわたしにはある友人がいます。かれはご両親に、「金星人」といわれて育ったのだそうです。土星びとと金星人の会話は、ひらがなと漢字のように差異があるかもしれない。わたしにとってかれは、異星のひと。あらゆるものが、理解できない。「――とはいえども」、理解できなくても愛することはできる。理解できないからこそ、愛することもある。
【展示物六】 読書論ノート
美しい無駄こそが人生を豊かにする、といったりする。わたしは無駄なことが呆れるほどに好きで、だから毎日無駄な時間を過ごしている。わたしはそれを「濾過の時間」と呼んだりする。吸収したものを吐きだし、自分のなかになにを残すのかを決めている時間ということで、ものはいいようといえばそのとおりだけれど、ただぼんやりしているあいだも、わたしの脳はなにごとかを考えているし、血は巡っているし、その生存のあかし��無駄を生きることは、けっして無駄ではないと思うわけです。なにをいいたいのか、よくわからなくなってきました。
【展示物七】 古典的。
あなたはわたしを敗北させたいというけれど、わたしはもう敗けている。とっくに、あなたに負けている。でもそんなこと、知らなくていいよ。できれば一生。そしていつまでもわたしに敗北していると悔しがって。わたしのために悔しがって。そうしてわたしを見つめていて。視線が刃物になるのなら、それでわたしを刺し殺せそうなほどに強く、その目のなかに閉じこめて。まぶたの裏に刻みつけ、まなざしに熱をこめて。ほら、こんなことを考えている時点で、わたしはやっぱり負けている。
【展示物八】 詩
すべて覚えているよ。きみにとっては些末事だったに違いない、忘却の墓場に葬られたすべて。それがたったひとつのあかしだから。わたしがきみの御影石みたいな瞳のなかで生きていたことのあかしだから。そうしてわたしたちはその双眸のなかで、ふたつの墓碑をたてた。ひとつはわたしの、ひとつはきみの。そこに過去と名づけて、あのころのわたしたちを土のなかに埋めたとき、きみはすべてを忘れて羽ばたいてしまったね。もうけっして振り返らない頑なな背中も見えない未来で、わたしはきみの、記憶の片隅にもいない。
—―というわけで、感想を好き勝手に書き散らしてしまいました。
ひとついえることは、わたしはこれからさき、何度でもこの本の頁を繰る。きっと、ではなく、絶対に。
meeさん(@particle30 )の御本、『標本』に捧ぐ。
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「ダイヤモンド——変わらぬ愛」2017.05.11
「わたしのなかには氷があるんです」
そう彼女はいった。
アルトの声は凪のようで、不思議な憂愁の翳りをおびていた。 流砂のようにさらさらとした蜂蜜色の髪は、彼女の気性を物語っているように思えた。まっすぐで、自分の信念にむかって直進する。そんな彼女自身を。
「氷、ですか」
「はい。氷です。それをいかに研ぎ澄ませるかということ。それがわたしの意味なんです」
「意味、ですか。どのような?」
「生きることの」
「私にはその氷の尖端を自分に刺しながら、あなたが泣いているように見える」
「それなら嬉しい。わたしはその尖端を、けっして他人にむけたくはないのです。ただ自分自身だけに。その痛みはわたしの痛み。誰のものではなくわたしだけの」
「あなたは痛みがほしいのですか?」
「そうです。痛みを知らないひとに、愛を知ることはできない。自分の痛みを救えな��れば、誰かの心に真に寄り添うことなんてできない」
だからわたしは痛みがほしいのです、とそう彼女はいった。
彼女のなかにある「氷」が私の瞼の裏に浮かんだ。
透明だ。そして虹色だ。どこまでも澄んで、不純物の一点もなく清廉であろうとするそのさまは、氷でありながらダイヤモンドでもあるように思えた。
あの宝石は愛の誓いのあかしとして、たびたび用いられる。
その約束は永遠であり、だから不変のもの。おのれの一生を賭して、成しとげたい「想い」をあの石のなかに形あるものとして閉じこめ、その願いと祈りが、あのジュエルのように輝いて、おのれのなかの結晶化されること、その祈りと願いが、どんな石よりも硬く強固であるあの宝石のように揺るぎない「愛」となること。
あれは愛の石だ。
あなたはあなたを愛するために生まれてきたのよ。
彼女のなかの氷――ダイヤモンドは彼女にそう囁いている。私にはそんなふうに思われた。
変わらぬ美と変わらぬ愛の形、それを想いに変えた石。みなその「想い」をおのれの人生を添い遂げたいと祈る誰かのために、この石を捧げたいと願う。永久の輝き。彼女がこの宝石を捧げる相手は、おそらく彼女自身だろうと私は思った。きっと彼女は心から想うひとに、変らぬ美も変わらぬ愛も求めはしない。永遠なんてどこにもなく、ただここにある一瞬こそが、その言葉の意味であることを誰よりも知っている。彼女の笑いには、そんな諦観があった。それでいて希望があった。
「あなたは変わらぬ愛のために生きたいのですね」
私がそういうと、彼女はその微笑をくちびるに刻んだ。その目は太陽を見るときのように眩しく細められた。世界に対する潔癖さをもつ者だけが浮かべる笑いだった。
*
藤波透子ちゃんへ捧げます。「ダイヤモンド――変わらぬ愛」
2017.05.11
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志田良枝展 「水彩庭園」




先日、吉祥寺のギャラリーイロで開催されていた志田良枝さんの個展、「水彩庭園」におうかがいしました。
この展覧会のご案内のお葉書を偶然目にする機会があり、そのときわたしの胸を襲った胸騒ぎが、このひとの描いた絵を見なければいけないと命じました。まるで一種の催眠術のようなものです。わたしはある暗示にかかり、スケジュールを確認して、四月二十二日にしるしをつけました。
この日にかならず訪ねさせていただこうと、固く決意しました。こんないいかたは大袈裟でしょうか。けれどもあまり自由をきく肉体をもっていないわたしは、ほんとうに愛するもの、魅いられたもの、この目に映したいと感じたもののためにしか、足を運んで出向くということを、あまりしないようにしています。そうしたものにさえも時間をつかうことができなくて、かなしい気持ちになることもあるけれど、しかしわたしがこの目で見たいとつよく願った絵画たちは、わたしをいつも、至福の慈愛で包んでくれます。
「水彩庭園」も、まさにそんな展覧会でした。
夢のなかに咲くように、あわく燃えたち、煙る花びら。まるで少女の、乙女の、そして女の恋のようだと思った。恋の苦しみと哀しみを、美しく昇華しようとする彼女たちの心臓のような花たちが、いろとりどりに咲いていた。
この現実の扉につうじていながら夢の世界で幻を見せてくれるもの、たとえばうつつのなかでは醜さでしかない感情を、あるいは美しいのではないかと思わせてくれるのが芸術ならば、わたしの目に映したものは、そういうものでした。
展示されていた作品とはべつに、画家はギャラリーブックを見せてくれました。「この展覧会の趣旨とはすこし違うので、展示には選ばなかった絵なんですよ」とそのようなことをおっしゃっていた。そのなかのひとつから、わたしは目が離せなくなりました。
red rose like flame
「薔薇が燃えている」と、わたしは胸の内側で呪文のように繰り返しました。「恋が燃えている」
あまりにも美しくて怖くて息を吞んでしまった。この絵はまさしく「恋」だとわたしは思った。自分自身のなかに芽生えたうつくしいとばかりもいえない感情に苦悩し、身もちぎれるような女の想いが、薔薇を炎でつつむ。花を焔でもやす。
なんてうつくしくて、そしておそろしいのだろう。
気がつくとわたしは、その作品をお迎えしたいと申し出ていました。 こんなに幸運でいいのでしょうか。この絵をわたしが所有させていただくなんて。この僥倖に感謝を。
そして結びに、わたしが画家に捧げた拙文を。
あなたのその繊細な手が紡ぎだすものを、ひと目見た瞬間から、わたしは恋をしてしまいました。美しさのなかには、かならず怖さが潜伏していること、どこかに毒があるものだけが、それに魅入られた者に慄きをあたえることができる。そして戦慄こそが、ただひとつのあかし。それが「美しい」のだということのあかし。わたしは怖さのないものに、魅力を感じることはありません。シューベルトの『野ばら』のなかの、「手折りて往かん野なかの薔薇 手折らば手折れ思出ぐさに 君を刺さん 紅におう野なかの薔薇」というゲーテの詩のように、これからもわたしの心をあなたの美しさで刺し、わたしに切ない痛みを教えてください。
*画像はすべて、使用の許可を得ています。
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17.03.26
わたしは文章を綴ることに淫することはできる。でも、圧倒的に覚悟が足りない。その覚悟がないことに、《才能》という言葉をつかった。自分に才能があるとは思えない。才能を授かって生まれてない。「だから」覚悟ができない。それがわたしの卑劣なところだ。あの子は少なくとも、才能がないから覚悟ができないなんて、そんなことはいわない。そんな言い訳は、口が裂けてもしない。ただ文章を書くことが好きだから、その「好き」という気持ちに正直にむきあい、自分自身を捧げたいと祈っている。わたしはそんなあの子を、眩しいと思う。
わたしはあの子はかならず、夢を現実にすると思う。そんなふうにいったら、あの子は訂正するかもしれない。《夢》なんて言葉を使わないで、と。夢はいつか醒めてしまうもの、叶えられないものにこそあてはめられるのだから。そういうかもしれない。だからわたしはこういいつづけるしかない。応援してるわ。あなたのうつつが現実になりますようにと、かならずなると、そう思っている。
正直に告白します。
わたしはあなたのことが大好きだけど、ときどきあなたが怖いと感じることがある。問題はあなたにではなく、わたしにあるの。あなたのその澄んだ目は、おつきさまみたいなその瞳は、きっとわたしの醜さを見抜いてしまっている。そう感じるから。わたしがはりぼての贋物であることを知っているはずだと。きっとあなたの美しさが怖いのね。美しいものしか赦せないあなたが。そしてあなたにとって、「美しさ」とは「強さ」なの。わたしは自分が弱い人間であることを、よくよく自覚している。だからあなたが怖いと感じてしまうことがある。なにが怖いのかといわれれば、嫌われるのが怖いという、かなり自分本位な結論にたどりつくこの恐怖と畏怖のために、またわたしはわたしに呆れてしまう。
あなたはいつも戦っている。あなたが戦っているのは世界であり他者であり時間であるように見えながら、いつだって自分自身という不確かで確かなものと戦っている。あなたは誰のことも傷つけないひと。傷つけないことを望むひと。あなたが傷つけるのはいつだっておのれであり、そして傷つくたびに、あなたは美しくなる。清らかになる。
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ただ去るものだけが美しい
少女とはこんな生き物だということを語れるほど、わたしは少女に精通していない。憧れるばかりで少女だったことなど一度としてないわたしだ。けれどもひとつだけ確信していることがあって、それは《少女》はおのれの美しさを知らないひとたちであるということ。それどころか自らを醜悪だとさえ思い、そのみにくさをもてあましているということ。わが身の美しさを知らないからこそ、あなたたちはうつくしい。
むかし、ある詩人がこんなことをいっていた。 「あるがままのわが身を美とみなす不遜のわざだけは、さいごまで自分には無縁のままに とどめたい。美意識とはおそらくそういうものではないだろうか」
少女たちは「美意識」によって、つねに自分自身を憎んでいる。その憎悪のおおきさはひとによって異なるだろう。けれどもわたしが《わたし》であることから逃れたい。そう思わない少女がいるだろうか。いや、少女にかぎらず、そう思わない人間はひとりとしていないのかもしれない。
彼女は《運命》に出逢った。運命とはひとりの少女の姿をしていた。わたしがわたし自身に祈っていた少女そのままに、あの子はわたしのまえに現れた。わたしはあの子ではない。あの子にはなれない。だから怖い。あの子のあの目が恐ろしい。それはわたしの偽りを暴いてしまう瞳なのだから。わたしの醜さを知っている眸なのだから。
想い出を溶かしたら海になる。骨を埋めたら花が咲く。
あなたにとって未来とは、白骨の色をしていたのですか。 わたしにとって未来とは、あなたの濃密な不在のことです。
ただ去りゆく者だけがうつくしい。わたしはいつだって去ってしまいたかった。誰かのまえから、世界の殻から、この現実というお墓のなかから。でも、永遠に去っていったのはあなたのほうでした。だからあなたは美しいまま時間をとめる。
あなたは生きている。 死んでいるのはわたしたちのほうだ。
――凍村冬子著『海の中、花の園 』(http://chilly.hacca.jp/futari/1.html)に寄せて。17.02.27
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17.02.28
天の星を夢みていたころ、わたしの背には翅があった。空に翔けていくことさえ叶わぬ祈りではなかったころ、あのひとを愛した。二文字の母音の重みで羽ばたくことをやめたわたしの重力を振り切るように、かれは白い蝶となって飛んでいった。あのひとを喪い、天から失墜したわたしは女になった。
神を失くしたわたしに命じることができるのは、自分だけ。太陽のように想っていたひとはわたしのなかに溶け、わたし自身となった。わたしは大地の色をした目のひとを探した。あのひとが天の夢だったならば、つ��にわたしのまえに出現する誰かは、地の現を教えてくれるひとだと思った。
もうわたしには翅がないことを教えてくれるひとだと思った。奇跡のような少女時代は終わったよ。十二時の鐘が鳴り魔法は解けて、きみは人間の女になった。穢れないままではいられない。土を知り、醜さを知り、感情を知り、それらを濾過して美しく昇華すればいい。そう教えてくれるひとだと思った。
以上はわたしが2月26日の日蝕の日のあさに綴った文章。そしてその太陽の弔いの儀式についてはこう書いている。
「きょうは日蝕。わたしのなかの潮が音を立てている。影が満ち、月が太陽を食べ、そこにひとつの弔いがある。いまわたしに射しかかる白い光は明るく、眩しすぎる。なにもかもが自明になるこの空間に、死のにおいが充ちている。黒い葬いのさきに、祝福はあるのかしら。」
「永い夢を見ていたようです。夢はもう醒めてしまったようです。目が覚めたら、あなたは消えてしまいました。」とわたしはあのひとにいった。けれどもそれは勘違いというものだ。わたしに《夢》をみせてくれたひとは、白い蝶となった《かれ》だけだった。かれとは異なるひとに、夢をみせてもらうことを願っていたのなら、それはわたしの甘えにほかならない。人生でただ一度だけでも夢をみることができたわたしは幸せだった。
あのひとと出逢ったことの意味は、夢をみるためではない。ふたたびおなじことを繰り返すためではない。あのひとはわたしに地の現を教えてくれるためにわたしのまえに出現したひとだった。
それを唐突に悟ったのだ。
日蝕のまえは悲しくてしかたなかった。わたしのなかにある《空白》が、わたしを苦しめた。これはわたしだけの《空白》であることを失念して混乱していたわたしは、わたしのものであるはずの苦しみと悲しみを、自分以外の人間に解決してもらおうとしていた。信じがたいほどに甘えていた。わたしはこの《空白》を自身の手で抱きしめてあげなければならない。そこにしか未来はない。あしたが白骨の色をしていたとしても、《空白》が埋まらなかったとしても、わたしはわたしでしかない。
わたしはわたし自身にならなければいけない。
甘えは棄てなさい。おのれのことは己で解決しなさい。
日蝕のあとで訪れた気持ち。いまは驚くほど心がやすらか。
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17.02.26
「ある寄宿舎のビター・スヰート」という名の花霞堂さんの個展が、点滴堂でひらかれていた。
時は2月15日。わたしとTはその《寄宿舎》の午后にいちばんにたどり着いた《生徒》だった。気の早いわたしたちは、合図の《鐘》が鳴るよりもさきに、あの《図書館》に到着した。
そう、あの場所は女学校の寄宿舎���いう甘美な舞台をまえに白い図書館へと姿を変えていた。みずからの《秘密》を箱のなかに収めて、名前をなくした少女たちが集う舞台に。泣くし、啼くし、哭くし、失くす、亡くす、無くす。彼女たちが喪ったものはなんだろう? わたしが《なくした》ものはなんだろう?
白い図書館には虹がふりそそいでいた。わたしとTはチョコレートケーキを頬張り、アイスカフェオレを口にふくみながら、書架を眺めていた。
わたしたちは遊戯をはじめる。
この本棚のなかに、隠された薄紅色の栞があるのだ。なんのために隠された栞なのか、わたしたちは知らない。それを探すことは、誰かの《秘密》を捜すこと。そしてその誰かとは自分自身にほかならない。
わたしたちはわたしたちの《秘密》を書物のなかにさがした。
わたしが発見した秘めごとは、矢川澄子の『アナイス・ニンの少女時代』のなかに収められていた。この本は箱だ、と思った。少女たちの秘められた想いとため息を収めた箱。そしてわたしはまたあたらしい《箱》のなかに、あたらしいわたしの秘密を隠した。
誰かの掌のひらのうえでその栞がこぼれてきたとき、きっとそこからわたしの囁きが聴こえるであろうことを想像しながら、わたしは《箱》を閉じた。 「あなたもこの本を愛しているのね、わたしもよ」 そんな声が、あなたからわたしへ。寄宿舎の鐘のなかに閉ざされた《秘密》結社風の甘美な輪はつながって、またわたしからあなたへ。
もうすぐ消灯の鐘が鳴る。 これが最後の鐘だ。あすになれば《寄宿舎》の魔法はおわる。点滴堂は白い図書館ではなく、優雅に統御された美意識とデリケートな空間はそのままに、もとの存在にもどる。
もう一度《生徒》としてあの場所を来訪することを切に願っていたのに、体調の不良によって叶わなかったことがかなしい。『ある寄宿舎のビター・スヰート』という個展と同名の小説を、いつか読めますようにと、いまはわたしのなかの鐘の音に耳を澄ませながら、そのことをお祈りしている。
最後に。
わたしが手に入れた《栞》には、こんな言葉が記されていた。
「天鵞絨にレースのリボンで縫いとめられた靴は、まるで可憐な標本のようで、胸が騒いだ」
あの白い図書館はおそらく、わたしの記憶のなかで標本になる。
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17.02.25

エドワード・ロバート・ヒューズ「夏の夜の妖精たち」
“この森から逃げだそうなどと、そんな気を起こしにならないで。けっしてここを去ってはなりません。それがお望みであろうと、なかろうとあたしは妖精、それもただものとは違う、どこへ行こうとつねに夏の日がわが身に寄り添うてくれる、そのあたしが愛���るのです、だからいつまでもあたしのそばに……”
ウィリアム・シェイクスピア 『夏の夜の夢』 新書文庫
冬が溶けてゆこうとしている。わたしは巡りくる春の喜びの乱舞を跳びこえて、永遠の夏を夢みている。夏の野に鈴のように生きる妖精のことを考えている。鈴の音色はいつまでも余韻をひいて、ひとつの夢のように果てなく儚い。
わたしは深いくらい闇の森のなかで光を探している。
その「光」とは、ヒューズが描いたこの絵のような、美しい灯なのかしら。
幼いころのことです。
蛍狩りに行ったとき、わたしは暗闇のなかにひかりを見ました。それはわたしが探し求めていた光のように見えました。和泉式部の歌が、わたしの頭のなかに虹色のシャボンのように浮かんできました。
物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる
蛍という生き物は、あの碧い光によってみずからの身の内に宿った、二文字の母音を放出している。その《愛》が飛びかうさまを眺めて河原で放心していると、宙を漂っているそれが、まるでおのれのからだから抜けだした霊魂のように感じられて、空間を彷徨っているそれが、いとしいひとのもとに辿りつくことができたなら、というあの歌へのあこがれがわたしのなかで結晶化し、辿りつきたいいとしいひともいなかったにも関わらず魂を飛ばそうとしたことがありました。
心をダイヤモンドのように無色透明にして、瞑想するように目を閉じたなら、魂だって飛ばせるのではないかと、幼心にわたしは考えた。しかしいくら待ってみても、わたしはわたしのまま、肉体という器に精神という枷は残されたままだった。
肉体というものをもっている人間の身ならば、この地に根ざして生きていかなければならない。わたしは透ける翅をもつ妖精ではないのだから、天の生き物ではないのだから、いくら憧れても、魂を発光させて飛ばすことなどできない。
わたしはただ、自分の足で歩いてゆくだけ。この森のなかを。それが光だと、自分の信じるもののほうへ。どこへ行こうとつねに《夏》の日のわたしでありながら。
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17.02.24
祈りはささやかなほうがいい。
金子千佳の詩集、『婚約』に目で触れていると、なぜだろう、そんな想いが脳裏に浮かんでくる。
わたしの心にある「くぼみ」を、彼女の言葉は刺激するのだ。
「くぼみ」とは、恋人が去ったあとの明けがたのベッドに残った、巻貝のようなかたちかもしれない。
いいえ、それは目に見える形ではないかもしれない。もしかしたら、記憶の果ての夏の日に、ココア色の陽射しを浴びながら、海辺におとして流れていってしまった、どこまでも遠くに揺蕩っていった、あの麦わら帽子の空洞が、わたしに「くぼみ」をつくったのかもしれない。
どこかにいってしまったものたち。かつてあったもの。いまはもうないもの。
わたしたちはみんな、それぞれ��心にある「くぼみ」をさがして、この世界を流離っているようなものだということを、彼女の詩はわたしに囁いてくる。それは祈りにも似た、やさしい凪のような声。
「くぼみ」には「かけら」が必要だ。必要なかけらは、もちろんひとによって異なる。愛、夢、あるいは美、あるいは心。
いつか巡りあうもの。彼方からやってくるもの。―—『婚約』���
わたしの「くぼみ」とは、その「かけら」を迎えるために、その日のためだけに、わたしのなかにあった「不在」だった。
あなたとわたしは、くぼみとかけらは、『婚約』して、そして結ばれるのです。《永遠》に。
その喜びの予感とともに、わたしは「不在」を撫でています。猫の仔の背を撫でるように。この鮮烈に咲きほこる花に、わたしは《希望》と名づけましょう。その祝福の花びらが両腕からこぼれ、嬉しさのあまり、わたしは耳鳴りがします。
卵の殻を破らなければ、ひな鳥は生まれずに死んでしまう。
わたしはいま、卵の殻を破りました。美しい鳥となって、空へと羽ばたいていきます。
けれども怖い。あの白い太陽が、あまりにも強く輝かしく見えるので、それが暗黒にさえ感じられるのが。
わたしを待っているのは、ほんとうに白い《未来》なのでしょうか? それを信じていいのでしょうか?
*
わたしのなかにある「くぼみ」。そこにぴったりのかけらが嵌る日は、けっしてこないのだと思う。こなくていい。ささやかでいいのだ。祈りも願いも。わたしには白くても黒くても、太陽を抱きとめる勇気などないのだから。
金子千佳は『婚約』を残して忽然と消えてしまった。《呼ばれたまま 帰ってこなかったものたちが住む 閉じられた庭園》に。 彼女は《太陽》をその手に抱きしめることができたのだろうか。
素晴らしい詩集だと思う。まだ版元の思潮社さんに在庫があるはずなので、ぜひ。
*
それは次の季節への支度だったか やがてわたしたちは たがいの影をおしいだいたまま 口をつぐむ花の瞼に 永い睡りを たくすのかもしれない
「水上散歩」より抜粋
呼ばれたまま 帰ってこなかったものたちが住む 閉じられた庭園
咲きほこる宝石のあかるみに こすれる影の砂丘の岩蔭に 冷えた白い足が ちらちらとうつろい、
(いま、わたしたちが坂のように消えてゆくのを見た)
「月光浴」より抜粋
金子千佳『金子千佳詩集 婚約』 思潮社
(2016.11.01)
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17.01.15
バンビと小鳥/樋上公実子/ポプラ社
もう戻れない日々の記憶を幸福なまま胸に閉じこめて、愛の形見とする淋しさに微笑む夜をいくつも数え、おなじ小鳥の囀りに振り返るあなたを想った。運命に翻弄された恋にのみ、自然の慈悲がはたらく。そうしてもう残り香になってしまったかつての愛の、その強い絆を確認するだけで、充分にさいわいを享受できたのだと、わたしは信じる。別離を条件に再会を叶えた恋にだけ、奇跡はおこる。その一瞬の光明のあとでふたたび愛を焚きなおそうとすることを、誰がゆるしても、天はゆるさない。さようなら、あなた。わたしが誰を想っても誰を愛しても、わたしはあなたのものです。
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