Text
“「まとまった時間」は永遠にやってこない、とすれば、私たちができることは、大きな仕事を小さく分割して、日々のルーチンに埋め込むしかないのです。これが大きな仕事につながっていることを忘れるくらいに小さなルーチンに分割して埋め込むのです。”
— 優先度が低いから、まとまった時間を作らないのです - Nothing ventured, nothing gained. (via otuzak)
2K notes
·
View notes
Text
“カレーにカツを載せるような、人類初の冒険を、することができるだろうか。オレのこれからの人生で。” - twwp (via gkojax, takaakik)
2 notes
·
View notes
Text
hormuz island | elhamgholami on ig
1K notes
·
View notes
Text
学生の時、社会学の先生に言われたことがある。「苦しい顔をするのは勝手。だけど腐ったみかんは誰もほしくないですよ。誰かに必要とされる人間になるためには、自分が魅力的になる以外に方法はない。このみかんは不味いですが、お願いします買ってくださいと言って買う様な人に、まともな人はいない」
Xユーザーのyuzuka@新刊発売中さん
797 notes
·
View notes
Text
先日会社のイベントがあり、東京タワーの離れにある5階のラウンジでジンギスカンを焼いて食べた。わたしの席の周りには常務をはじめ、ずらりと偉いおじさんが並んでいた。19時をまわり辺りが暗くなると東京タワーに灯りがついた。
「おや、灯りがついた」
「日が暮れるのがすっかり遅くなったなぁ」
「東京タワーもこうして見ると、きれいなもんですなぁ」
「わたしらが働いているこんな近くの、東京タワーで、こんな宴が夜な夜な繰り広げられていたなんて。夢にも思わなんだ」
横一列に並んだ偉いおじさんたちが、いかにも感慨深げに抑揚たっぷりに言うのがおもしろかった。みな一様に、間近の東京タワーを首が痛くなりそうなくらいに見上げていた。ト書きを読んでいるような台詞回しや視線が交じらないことが、どこか小津安二郎の映画を思わせた。
のりの効いたシャツを恰幅よく着こなす一番偉いおじさんが訥々と話し始めた。
「わたしはね、料理作る人になりたかったんだよ。だから18ん時にね、親父に『おれは料理人になる』って言ったの。そしたら親父なんて言ったと思う?」
皆、わからないでいた。一番偉いおじさんは構わず口を開いた。
「『作るより食うほうがいいだろ』って言ったんだよ。それで今ウチの会社にいるんだよなぁ」
そう言って一番偉いおじさんは口いっぱいにラムを頬張った。わたしは笑った。なんだかよくわからないが、いい話だなと思った。そして笑って、とても偉い人の幸せそうなエビス顔を見ていた時、ふと、ああ、わたしの人生はこうしている間に過ぎ去っていくんだなと思った。あっという間なんだ���うなと思った。目の前にいる一番偉いおじさんは、料理人になるかならないか決断をして、作るより食べることを選んだ。そうして偉い人になった。でもわたしは道を選ばず、毎日をやり過ごしている。なんとなくお金を稼ぎなんとなく暮らし、たまに会社のイベントでジンギスカンを食べたりする。そうこうしているうちにもう25歳だなと思った。そうして30歳になるだろう。40歳になるだろう。50歳、60歳、70歳、80歳、どこまで長生きできるかわからないが、やがて死ぬので人生は終わるだろう。
***
会社の別の人の話である。その人はわたしとそれほど歳が変わらないように見えるがそろそろ不惑だと言う。若さの秘訣を尋ねると、戸惑いがちにこう言った。
「朝起きるじゃないですか。息を吸って吐く。顔を洗ったら朝ごはんを食べて、歯を磨いて会社に行く。会社から帰ってきたら晩ごはんを食べて、お風呂にはいって寝る。その繰り返しをしていたら、今の年ですね」
ぞっとした。悲しかった。恐ろしかったが、でもきっとそういうことなのだろうな、と思った。その人は、だから若く見えるのだ。
***
わたしはなんとなく、まだ人生の助走期間にいるような気がしていた。どこかで人生の本番がはじまるので、そうしたら全力ダッシュすればいいんだろうなと思っていた。毎日が生きがいに満ちた本番の人生。いつか始まるはずの輝かしい本番。
だがいつまでも本番は来ない。そうして気付いた。ダラダラ走っているこの毎日が、人生の本番なのだ。助走期間なんてなかった。ずっと本番だった。
もし充実している人生をしか本番の人生と呼ばないのだとしたら、何も選ばない怠惰な人間にはいつまでも人生の本番は来ない。
ここから先はすごく言いたくないことだ。でも言う。わたしは、本当は、文章で食っていく人になりたかったのだった。どこかでそれを選んだと思っていたのだが全く選んでいなかった。苦労をしてはいった大学は、わたしと同じような人だらけだった。皆、文章で何かできると思って、でも何かできているのは一握りだった。大した努力もせず、ダラダラ道草を食っていた。
そうして大学を卒業した今のわたしは、就職活動に失敗し、明らかに向いていない職業についた。今もなお、本当は待ち望んでなどいない本番を期待し、怠惰にダラダラ走っている。
***
昨日は酷かった。湿気がひどいと理由をつけ、なんにもしたくなかったので家事もせずベッドに寝転んで、無料でダウンロードしたオセロのゲームをしていた。無料なのですぐ勝てる。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、win! カチ、カチ、カチ、カチ、win! そうしている間にわたしの人生の本番は過ぎ去っていった。なんて無駄で贅沢な時間の使い方であったことか。
でも考えてみれば人生なんてそんな重きを置くものでもないのかなと思う。昔は毒キノコを食べて死んだり崖から落ちたり辻斬りにあったり、とかく簡単に人が死んだんだろう。彼らに意味付けなんてなかったはずだ。
先日家の近くで子猫が生まれた。とにかくかわいかったのだがいなくなってしまった。あの子らももしかしたら、飢えたり車に轢かれたりすぐ死んでしまうのかなと思う。子猫たちの本番はもうない。しかし親猫はまた次の春には発情して、すぐに新しい子猫が生まれるだろう。人間の生も所詮そんなものなのかもしれない。本気になる必要なんてないのかもしれない。
でもどうせならわたしは、本番の全力ダッシュをしてみたい。わたしにとってわたしの本番はわたしだけに与えられたわたしだけの一回こっきりのものである。わたしにとっては世界に等しいものだ。その気持ちを捨てきれない。
わたしは選ぶ。今から全力ダッシュをする。そうしていつか、満足しきったエビス顔で、ラムを口いっぱいに頬張るのだ。
0 notes
Text
“「みんなちがってみんないい」や「ナンバーワンになれなくてもいい、オンリーワンであればいい」みたいな言葉を聞くたびにレイ・ロックの言葉の存在感が大きくなる。 『やり遂げろ!この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う。才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う。恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世界にいる。教育も違う。世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である』 みんな違う、それぞれがオンリーワンであるからこそ、信念と継続だけが全能なのである。”
— https://www.shortnote.jp/view/notes/ADny9lDX (via koke-musumade)
902 notes
·
View notes
Text
“何度もつぶやいてるけど少しでもストレス感じたらまず手を洗う、顔を洗う、着替える、床を掃除する、髪をきる。どれかやってみる。自分の身の回り1cmのインターフェイスを少し変えるだけでかなり変わる。”
—
Twitter / Joey__Jones
(via
spindrift64
)
おぉっ!
(via shinjihi)
6K notes
·
View notes
Text
“食事をすると体温が上がることからも分かるように、食物を消化するにはエネルギーが必要だ。だが『火の賜物』によればヒトの代謝率の増加分は最大で二五%に過ぎない。なお魚は一三六%、ヘビでは六八七%だという。 ヒトが他の種よりも抜きん出て消化にエネルギーを使っていないのは、料理したものを食べているからである。加熱された澱粉はゲル化し、より吸収されやすくなる。 料理によってヒトは食料からより大きなエネルギーを摂取できるようになり、エネルギー摂取そのもの、すなわち「消化」に費やしていたエネルギーを、脳の発達など、別のことに回せるようになった。ヒトの基礎代謝率が他の霊長類と変わらないのに、燃費の悪い脳を支えることを可能にしている秘密は、料理にあるのだという。 料理によって消化に要する時間だけでなく食事に要する時間も短くなり、違うことができるようになって生態学的にも優位に立った。そして体は料理に適応した。 おそらく二〇〇万年前、火を手に入れて料理するようになったときからヒトは他の種とは違う道を歩むようになった。変化は、社会や生活史にも及んだ。料理された食物は価値が高い。だが料理は社会的な営みであり時間もかかる。しかしながら料理された食事に適応したヒトは、食物を得るために経済や家庭、そして共同体社会を必要としたのではないかと著者は推測している。”
— 書評 『火の賜物 ヒトは料理で進化した』 at サイエンスライター 森山和道 (via abuu2go)
2K notes
·
View notes
Text
“「燃えよドラゴン」の「don’t think, feel」という有名なセリフは「直感を信じよ」という意味ではない。本編を見れば、「目標設定を誤るな」「修練そのものに囚われるな」という意味だとわかる。(以前も書きましたけど) もともとは、弟弟子と組手をする際、打ち出す手に注目してしまう弟弟子に、 「Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon.」と言って、 「月を指差す時は指でなく月を見るだろ? 目的を間違うな」という意味で言った言葉です。 (割とこの言葉は人生訓のひとつなんで)”
— Twitter / @mnishi41
2K notes
·
View notes
Text
“Q. 好きな人に告白する言葉を教えて (小6・女の子) A. 永先生:言葉は一番大切です。でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。 例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミ��僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。 「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。 だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。 自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。”
—
全国こども電話相談室[その他] (via jinakanishi)
素晴らしいなあこれ。
そして12歳でこんな言葉を聞けるのも幸せなことだとおもう。
(via wrigley, moriyak) 2008-12-11 (via gkojay)
(via isitose) (via hetaremozu) (via to-fuya) (via sryuuki) (via sw0oord) (via tsukaman)
(via otsune)
すばらしいなーこれ。自分が情けなくなってきた……こういうのもっとだいじにしよう。。
(via mkk39) (via yellowblog) (via phase-dance) (via usaginobike) (via kagit) (via usaginobike)
(via rokuroku)
(via s-hsmt)
(via hsmt) (via lllamnesiaclll)
(via backy3723, moriyak-deactivated20120609)
(via quote-over100notes-jp)
12K notes
·
View notes
Text
「察して貰えると思うな」 「鬱陶しいまでに情報共有せよ」 「受け身禁止」 「プロジェクトの財布はひとつ」 「勝利条件を明確に」 「嫌われることを恐れない」 「ひとりはみんなのために、みんなは勝利のために」 有能リーダーから自分が学んだのは大体これ。 僕らはニュータイプじゃない。
— 高瀬奈緒文@悠久のユーフォリア委託中 (@naofumi_takase) September 12, 2016
from http://twitter.com/naofumi_takase via IFTTT
1K notes
·
View notes
Text
口で勝たない。目で負けない。
「いつも感じがいい人」が誰かと話す時に守るようにした、シンプルなルール
714 notes
·
View notes