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この世界の片隅に
История о девушке, которая жила обычной жизнью, но столкнулась с войной. За счет правильно поставленной драмы, зритель начинает жить в этом мире и соперживать героям, именно поэтому это аниме на столько хорошее. Это пример того, как из простой истории сделать шедевр. Итог: если вы хотите посмотреть дейсвительно хорошее аниме, то смотрите менно его.
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ミュージカル『この世界の片隅に』感想
最近初めて御園座に足を運んだ。赤で統一された内装はゴージャスで気分が高揚した。劇場内に売店が複数あって賑わっているって、いいですよね。
そこで上演されていたのは、ミュージカル版『この世界の片隅に』である。こうの史代の同名漫画を原作に、脚本・演出は上田一豪で、音楽はアンジェラ・アキが手がけた。主人公すずと夫の周作、両者と因縁ある女性・白木リンはダブルキャストで、私が見た時は昆夏美・村井良太・平野綾という布陣だった。
『この世界の片隅に』は、2016年に公開されたアニメ映画の印象が強いだろう。私自身は、二度製作されたドラマ版は未見で、アニメ映画を見てから原作漫画を読んだ口である。
そこに今回製作されたミュージカル版であるが、正直に書くと、大きな問題をいくつも抱えていると感じた。
まず、ミュージカル版は時系列に沿って進んでいた漫画から大胆にエピソードを組み替えているのだが、少女期・成長後の結婚前・結婚後の戦況がまだ過酷でない時期・過酷になっていった時期が、頻繁に行ったり来たりするため、原作なり翻案なりにあらかじめ接していないと置いていかれるのではという懸念が生じた。
上田一豪が手がけたオリジナル・ミュージカル『フリーダ・カーロ』では、カーロの死後から彼女の人生をプライベートとキャリアの両側面から辿り直すという構成で、時系列が行ったり来たりと錯綜としていた。また、元が漫画で、絵を描く人物が主人公で、主人公にとって衝撃的な出来事がすでに起きてしまった状態から振り返られるという構成のミュージカルというと、忘れてはならないのは『ファン・ホーム』である。『ファン・ホーム』も、40代の中年の漫画家アリソンが、クローゼッテッド・ゲイだった父との関係を辿り直すべく、10歳の幼少期と19歳の青年期を交互に回想していった。
これら二作品に加えると、『この世界の片隅に』は時系列のシャッフルが作品のためにさほど寄与しているようには思われなかった。それは、『フリーダ・カーロ』にしても『ファン・ホーム』にしても時系列が錯綜させなければ描き得ないという説得力ある問題意識が的確に掲げられ、常にそれによってドライブされていたのに対して、『この世界の片隅に』はそうでなかったからだと考えられる。『フリーダ・カーロ』の場合は「人物として、アーティストとして、フリーダ・カーロは何者だったのか?」という問いが掲げられ、一貫していた。『ファン・ホーム』は、「父の自殺の原因はなんだったのか?父の自殺はレズビアンだと自分がカミングアウトしたことと関わっているのでは?」という切実な問いに突き動かされていた。
『この世界の片隅に』は、オープニング・ナンバーが終わった瞬間にすずが姪の晴美と自身の右手を失った昭和20年7月の空襲まで一気に飛躍し、すずが心身共に参っている状態が描かれる。広島から見舞いにきた妹すみの発言がすずに回想を促すという展開を有している。ここから、『この世界の片隅に』の回想は、「なぜこうなってしまったのか?」という強烈な問いに促されている訳ではなく、他者とのふとした邂逅やそこでの些細な一言がきっかけとなるものであり、思わずといった風に生じる考えの飛躍が時系列の錯綜に結びついていると言える。あっちこっちに飛ぶ思考に観客も振り回されることがポジティブに作用する場合も少なからずあるだろうが、『この世界の片隅に』の場合はあっちこっちに振り回すこと自体が目的化しているように見えてしまった。もう少し高次の統括する位相、たとえば、右手を失ったすずの療養の場面へと回帰があるだけで、印象が大きく異なるだろうと思われた。
二つ目の問題は、時間と空間の射程がぼやけていることである。
そもそも、二幕仕立て三時間は長いし、周作を巡る「女の争い」がすずとリンの間で起こることが予感される形で一幕が終わったことは大問題だと感じている。前半を終わらせるにあたって、二幕以降に起こる大騒動の始まりを予感させて終わるというのは作劇のセオリーである。だがそれは、『この世界の片隅に』では、すずとリンの関係に走る緊張だったのだろうか???それだったら、一幕仕立てにして連綿と場面を続けていく方が、『この世界の片隅に』の主旨に合っていそうなのに…と感じた。なお二幕の幕開けで、すずとリンは対峙するフォーメーションのまま立ち尽くしていたのを見た時には、「幕間の間、ずっと二人は睨み続けていたんだろうか…」と想像して不覚にも笑ってしまった。
時間の長さは、音楽が基本的に間のびしていることにも起因しているだろう。音楽については後述するとして、とにかく長く、長く感じた。
他方空間については、はっきりいって御園座だと広すぎると感じた。東京公演で使用された日生劇場でも広く感じただろう。空襲場面など、空間の広さが活きる場面も多少あるが、基本的に本作は少人数でのやり取りが中心であり、広い空間に対して狭くまとまり過ぎている。とはいえシアター・クリエくらいの規模での上演だとしたら、私はおそらく劇場が狭いと感じであろう。
『この世界の片隅に』は、すずを中心に繰り広げられる家庭やご近所、学区、街角レベルのミクロな人間関係の機微が描かれる一方、生活すること自体が戦争というマクロな暴力の応酬への避けがたい加担であることも同時に提示される。こじんまりとした人間関係を描きながらも背後に聳える巨大な事態を描かなければならず、空襲や原爆投下、降伏といった甚大な出来事の足元には日々の営みがあることを描かねればならない点で、ミュージカルとしてどのようなスケールで描き出すか、その調整はかなり難しいことは想像に難くない。今回の初演では、小さすぎると同時に大きすぎるという、あまりよろしくない地点に帰着していたように感じた。
三つ目の問題は、音楽が間のびしていたことである。すずのキャラクター性を考えると、キビキビとした音作りにはなり得ないことは理解できるが、オープニング・ナンバーがフィナーレかのような壮大さとゆったりとした音で作られていたのは、個人的には好みではなかった。また、すずのまったりしたキャラクターを音の伸びでもっぱら表現されており、かといってモティーフという程には統一性はなく、中途半端だと感じた。
四つ目の問題、そして最大の問題は、戦争の描き方が「被害者」の側面のみを強調していた点である。原作の漫画では、終戦の詔勅を聞いて激しい怒りを覚えるすずは、近所に太極旗が掲げられているのを見たことで「正義だと信じていたけれど暴力にすぎず、また別の暴力が自分達を支配する」ことを自覚し、泣き崩れるという非常に印象的な場面がある。
空襲や原爆投下、食糧不足に物資不足などの苦難に日常の穏やかさが徐々に食い破られていき、それでも健気に生きるすずの姿を見ていた読者こと私は、ここで初めて、激しい怒りと共に露わになったすずの思想的基盤や、見えないものとして扱われてきた植民地支配に事後的に触れ、ひどく動揺すると同時に加害者・支配者としの側面も描かれていることに安堵したのを覚えている。しかしミュージカル版では太極旗は掲げられることはなく、すずはそれを見ることもなく、一連のすずの動揺は全て��玉音放送を聞いた直後の反応」にまとめられてしまっている。ミュージカル版の描き方には失望した。
ミュージカル版『この世界の片隅に』は、基本的に「ご近所同士お互い様の助け合い」として、隣組は微笑ましくコミカルに描かれており、それもあって監視共同体であることは後景に退いているし、「犠牲者ナショナリズム」が色濃く現れる危うさを常に帯びた状態で作品は展開していく。だからこそ、すずの怒りが何を表しているか、日和らずに真正面から描いて欲しかった。
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Mt.Fuji,Yamanashi pref,Japan
camera : Panasonic DMC-L10
lens : Panasonic LEICA D Vario-Elmar 14-50mm
Aperture : F8.0
Focal length : 50mm
ISO : 250
Exposure : 1/30sec
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2時間47分の長さを感じさせない、とても、とてもいい作品でした。
いつまでも後世に、残したい、伝えていきたい、と感じる人が多いんじゃないでしょうか。
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noteに投稿したものです(^^)/
posted on note(^^)/
https://note.com/hajime_shinsei
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童心にかえる(あとがき)
2024年12月22日(日)
足元には黄色から土色に染まる枯れ葉が散り、冬の寒さは感じるものの見上げれば常緑樹が多いのか緑の清涼感がそこにはあった。歩みを進めるにつれ滝音が聞こえてくる。さて、目を閉じて自然の空気を肺いっぱいに巡らせ、頭の中の車を運転する部屋に施錠し、写真を撮る部屋の鍵を開ける。
リュックを下ろして、滝を色んな角度から眺めて構図をイメージしていく。画家ならばとカンバスを前に筆を立てている様子を思い浮かべる。自分の想像に応じたレンズに付け替える。カメラを三脚に取付け、センターポールを外すのに少しまごつく。三脚の3本の足を1番低くできるよう角度を変える。思った構図の位置へ設置し雲台の3点を操作し調整する。フィルターの有無を決め、木や岩のてかりを確認し調整していくが、ある程度残す事にした。ディスプレイと、にらめっこ。頭の片隅で急に言葉が踊りだす(カメラから生み出される絵から言葉へ変換する作業)。・・・童心、無邪気、笑み、公園の遊具、泥遊び、絵本、神話の世界、グングニル、巨人の腰掛け、枯れ葉踏み、苔苔、孤独、侘しさ、キリが無いのでetc・・・。色んな思いを詰め込んでいると、滝の飛沫が何滴か顔を叩き、我に返る。僕自身はあまりお喋りな方ではないが、頭は反してよく喋る。一旦、変換を止めて景色と向き合うことに集中する。水の流れの強さを目で確認する。水量はさほど多く無い。流れは規則正しく動いているようで、同じ動きはしてくれない、一度きり。だからこそ丁寧に撮りたいと思う。シャッタースピードを軸に感度と絞りを再調整を数回繰り返しシャッターを切る(2秒タイマーで)・・・よしよしまずまずだ。
グリップ付きの長靴を履いてきていたため、滝から駐車場まで水の流れを追っていくことにする。自分の動きと同時に小気味よく熊鈴が凛と鳴り、歩くことを楽しくさせる反面、水面の光の照り返しが眩しく、水深を確認しながら用心深く進む。人とすれ違う度、あいさつを交わす(確か6名だった)。相手側は木陰の遊歩道、僕は渓流の凹凸道で妙なコントラストだ。目的が違えば辿る道も違う。曇り空の中から晴れ間が差し、水面が青くなったり白くなったりする。水中には木の葉や木の実が落ちていて、幼い頃のどんぐり拾いを思い出す。形の丸い木の実や、どんぐりの帽子ばかり探す子どもだったような気がする。相変わらず頭の中で踊り続ける言葉たちを手懐けながら写真を撮ったり、休憩したり、のんびりと過ごす。
結果的に駐車場から滝までは数分なのに2時間も滞在していた。それだけ雰囲気が心地良かったのだ。身体中に目に見えない青や緑を纏わせて帰る。思考し続けたせいか、運転は車間距離だけ取りほぼオートパイロットモードだった。帰宅後、キッチンで湯を沸かし3種類ある豆から深煎のを選びじっくり挽いて、熱いコーヒーを淹れる。あったかい。
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。蝉と、夏の太陽。波立つ海、燃え盛る炎。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。大好きなみんなへ 怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかった。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしなが��呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。カメラのレンズを見つめると、まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光��る若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢おうね。
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翌日、信也は午前八時に起きた。神輿の宮出しは大抵五時半頃で、恐らく浅草界隈は賑やかだろうなと思った。
結局、裕美は昨夜は帰って来ず、今朝になってラインが来て、仕事場の方で寝ていると入ってきた。香織や大輔も一緒らしく、何処まで飲み歩いていたのかと、信也は内心呆れていた。二十代前半でありながら、二人の中年女の面倒をみている大輔もスゴいなとも思った。
朝食を摂り、シャワーを浴び、腰にバスタオルを巻いて寝室の姿見の前に立つと、信也は着物ハンガーから浴衣を取った。まずはVネックのシャツを着て、それから通販で買った赤い「豆しぼり」の六尺褌を締め始めた。股間に褌の布地を当て、それから腰の部分からねじっていく。一周巻いたら今度は反対側をねじり、腰のあたりで解けない様に締めた。グッと尻の谷間に食い込み、信也は言葉で言い表しにくい感覚に襲われた。
姿見には、最近減量の為に入谷の方までジョギングをしていたからか、若干引っ込んだ腹に六尺褌の豆しぼりが冴える。このヴィジュアルにゲイは「萌える」のかと、信也は思った。トランクスからブリーフに替えてから、彼は所謂「ビキニライン」に生える陰毛を整える様になった。たまにハミ出ているとカッコ悪く感じた。最近は尻の谷間に生える体毛も気にし始めた。自分の外見を気にかけることは愛することにも通ずるのだなと、彼は悟る様になっていた。
信也はズボン下を穿き、浴衣を着付けた。帯は「貝の口」に締めたが、何故か一度で決まった。これでいつ脱ぐことになっても戸惑うことはあるまいと、彼は安堵した。
合財袋を片手に取り、出掛けようとした時、ラインの着信音が聞こえた。携帯を出し確認すると、憲一からだった。玄関のドアを施錠しながら読んだが、
『おはよう。元気? しばらく音沙汰なしだったから淋しかったよォ〜! 今、浅草寺の境内にいるけど、超混雑してて大変! 今、相方待ちだから片手に缶チューハイ持ってマス。早く来て、待ってるわ 』
と文末にはハートマークが付いていた。「音沙汰なし」といっても一昨日、六尺褌が届いたのを写メ付きで送信したばかりだが…。余程、思いが募っているのだろう。彼は、恐らく地下鉄は入口が混み合うだろうと、大した距離でもないので徒歩で浅草へ向かった。
国際通りに出ると、すでに神輿を担ぐ男衆やお囃子を披露する女性や子どもがあちこちに見られた。外国人観光客も、日本独特の文化の一つである祭りに皆関心を持ち、携帯電話で写真や動画を撮っていた。この雰囲気が信也は好きだった。彼が今の稲荷町にマンションを買ったのも、それが理由だった。彼も複合ビル「R」の周辺を散策しつつ、伝法院通りを仲見世方面に歩いて行った。
インバウンドの影響か、伝法院通りも食べ歩きができる飲食店が増え、特定のところでは行列ができるほど繁盛している。一方、ビルの老朽化で昔ながらの喫茶店が一時閉店するなど、変化もみられる。たまにコーヒーを飲みに行っていた「R珈琲店」も、建て替えの為にビルが取り壊されていた。信也は多少淋しさを感じながら、ようやく浅草寺の境内にたどり着いた。早くも神輿を担ぐ男衆や女性の声があちこちで聞こえ、勢いがあった。観光客は一斉に携帯電話を向け、その一部始終を撮影していた。信也は浅草寺の中に入り、まずは浅草観音に日頃の安寧に対し感謝する為、人混みで賽銭を投げる様に入れ、合掌した。お詣りが終わると、彼は浅草神社の方へ行こうと東門に向かった。階段を下りようとしたその時、浴衣姿の男に声をかけられた。憲一だった。彼は、白地に紺色の吉原つなぎをあしらった浴衣を着ていた。なかなか似合っている。
「信ちゃん! 会いたかったァ〜!」
と彼は喜んだ。なかなか男前である。二人は階段を下り、浅草神社へ歩いて行った。
浅草神社は、境内の右側に「一ノ宮」「二ノ宮」「三ノ宮」の神輿が収められているのが、この日は浅草界隈を担がされているので何もなかった。三社様にお詣りをすると二人は藤棚の方へ向かい、空いているベンチに並んで座った。憲一は微かに浴衣の裾をめくってみせた。ズボン下は穿いておらず、真っ白な六尺褌だけが覗く。信也は、
「何も穿かないと裾さばき、悪くないの?」
と聞いた。すると、
「ズボン下なんて穿けないよ〜。こっちの方がエッチでしょ?」
と憲一は言った。三社祭と隅田川花火大会の時しか浴衣は着ないが、ズボン下や肌着は身に付けないとの事。どうせゲイバーのパーティーでは脱ぐんだからと、あっけらかんとしていた。
信也は、憲一の浴衣から覗かせた六尺褌に生唾を飲み、下半身が熱くなるのを感じた。合財袋をのせた股間あたりが隆起し、内腿を力ま��た。嗚呼、オレもすっかり「ゲイ」の一人になってしまったと、彼は思いがけない「チラリズム」に興奮してしまった。
憲一は、もう少しで相方が来ると言った。藤棚の下は、巷の食べ歩きの飲食店で買ったのか、観光客がペットボトルのお茶を片手に飲み食いしていた。イチゴの甘く、また台湾風唐揚げの香ばしい、色んな匂いが漂っている。この匂いだけで信也はお腹いっぱいになった。一方、憲一は相方にラインを入れているのか携帯電話の方に目を向けていた。数分後、浅草寺の方から紺色の小千谷縮の単衣を着た男が憲一に手を振って向かってきた。信也はどこかで会ったことがあるなと思ったが、なんと真純だったのだ。真純は信也を見るや、
「嘘ッ、憲ちゃんの知り合いって信ちゃんなの!?」
と驚きの表情を見せた。憲一は、
「えッ、知り合い?」
と聞いた。
まさか、出逢った場所は違えど肉体同士の交流だけでこんなかたちでめぐり逢うとは、信也は「現実は小説より奇なり」と思った。三人は仲見世やその他の界隈を練り歩く神輿を見物しては、憲一と真純は恰幅のよい男衆をさりげなく携帯電話で撮影した。そんな二人に対し、
「それって『盗撮』じゃ…」
と思った。半纏の裾から覗く尻とその谷間に食い込む六尺褌、その褌の柄も多種多様だった。また、神輿を担ぐ合間に談笑する彼らが無防御に内腿を開き、褌だけで隠した股間も、二人には堪らなかった。嗚呼、ゲイがこの時期になると全国各地から集まってくる理由が、これなンだなと信也は思った。
こうして「目の保養」を飽くほど満喫した二人は、
「さて、飲みに行きますか!」
と雷門を抜け、Kバーへ向かって行った。
Kバーは、昼時でもあり満席だったが流石に三人は常連客だったからか、すぐに空いている席を見つけ、食券を買い求めた。デンキブランをカラフェで注文し、賑やかに乾杯した。真純は、何気に信也の太腿に触れ、
「信ちゃん、浴衣似合うね!」
と上機嫌だった。真純の長襦袢から時折、うっすらと胸毛が覗いた。襟止めは使っていないらしかった。やっぱり誂えだろうか? 信也は密かにそう思った。テーブルには、もつ煮込みやミックスピザなどが並んだ。憲一は二杯目からは日本酒を頼み、真純も信也もグラスを傾けた。
店内に六尺褌の男衆も数人来店し始めた。一人、奥さんと思しき女性を連れた中年の男もおり、流石に直接生尻のまま椅子に座るのは憚れると思ったのか手拭いを敷き、腰を下ろした。そんな思慮のある男の様子に憲一は感動し、
「あんなジェントルな男(ひと)と一緒だったら、惚れっちゃうなァ〜」
と言った。真純も、
「まァ、たまにドカッと座る男(ひと)もいるけど、ちょっと幻滅だよね〜」
と共感した。このやり取りに、信也はただベッドの中で戯れればイイ訳ではないンだなァと、二人の共通した意外性を見出した。
そのまま三人は「ホッピー通り」に繰り出した。真純は途中、ショウウィンドウの前で襟の開いた襦袢や長着を整えた。その���子が何気に、信也にはカッコよく思えた。一方、憲一は酔いが回っているのか信也に必要以上に絡み、浴衣の襟も乱れていた。それを見ると真純がさりげなく直し、
「ほらッ、ダメよ! きちんと着こなせてこそ、和装は素敵なのよ!」
と何故か女言葉だった。
こうして三人はホッピー通りでも三軒をはしごし、憲一は呂律が回っていなかった。意外と酒は弱いらしい。一方、真純は主にレモンサワーやウーロンハイなど、アルコール度数が弱いものに途中で切り替えていた。それでも女言葉が直ることはなかった。彼は、
「いッつもそうなの! 憲ちゃん、酒弱いのに場の雰囲気でグイグイ飲んで『へべるけ』になっちゃうのよォ〜。これから『Z』でパーティーなのにどうするンだろ!?」
と言い放った。
信也は、元々酒に飲まれない性質だったので、平然としていた。途中、六区ブロードウェイから外に出たところにあるコンビニでペットボトルの水を買い、憲一に勧めた。三人はそのままゲイバー『Z』を目指した。
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確かなもの、正しいものなんてこの世界にはなくて。ちいさな王子さまが言っていたことは本当で、大切なものは目には見えないことだと信じている。ただ、目に見えるものが全てな世界だと思ってしまう。
生き急いでいる。私がかっこいいと思う大人たちで若くから成功している人は少ないが、彼/彼女たちは 今「輝いている」 という事実がある。彼らに共通している普遍的なものを頭の片隅で探しているのだが、そんなものなどないのこともわかっている。彼らは個人の意志をもって人生を歩み、今の場所で立っている。
私の意志は?
どこにある。東京という場所、混沌のせいにしてはいけない。東京に来て迷子になる人が多いが、私もそのひとり。
正解を探してはいけない。惑わされるな。自分で開いていきたい。
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性犯罪加害者として警察にお世話になった者です。 被害者や同様の事案の被害に遭われた方を不安にさせるので犯罪の時期、内容等は伏せます。 ある1事案で逮捕されて、証拠諸々から余罪も見つかり…という感じです。 いまは社会復帰しています。 自分のケースもレアかなとは思いますが思考の変遷について書き留めたいので、ざっくばらんに書いてく。思いつきで書いてるのでわかりにくいかも。 まずは逮捕後、母親は俺を見捨てて勘当するつもりだったらしい(父親はすでに病気で他界していて兄弟もいない)。 ただ、偶然おれが捕まった頃にテレビか雑誌の記事かなにかで性犯罪被害に遭った方の記事を読んだのか番組?ドキュメンタリー?を見たかしたのと、再犯率が高いとか、俺もそうだったけど1人で複数回犯罪を重ねていたりするケースがままあることを知って、このまま勘当して見捨てたらさらに被害者を増やす可能性があると思ったらしく、成人してる子とはいえ親として再犯させないためにも関わり続けることを決めたらしい。(これは後述するカウンセリング等の��に聞いた) 母親が見捨てなかったというのが俺にとってはすごく大きかった。 警察でのあれこれは割愛するが、 結論、更生プログラム的なのやカウンセリングを受けた。 カウンセリングについては今でも続けている。 逮捕時の俺の感想は「しくったな」しかなかった。 被害者に対して申し訳ないとかではなく、どこをどうすればバレなかったか、とかもっとうまくやってればとか、自分が下手こいたという認識しかなかった。 警察に行った被害者に対してめんどくせー女がよ…みたいに考えていた。 カウンセリングを通じて被害を自分事として考える試みがあったが、 例えば当事者意識を持つために自分に近しい人(近所のお姉さんとか、親戚の女の子とか)が被害に遭った場合にどう感じるか、みたいな。 俺にとっては正直ただのオカズだった。 ズリネタでしかなかった。 「認知の歪み」なんて言うけどまさしくそうだった。 知ってる女の人が性被害に遭ってひどい目にあわされて絶望してるの考えただけで抜けると思ってた。 さすがにそのまま言いはしなかったし、知ってる人が被害に遭ってたら辛いです悲しいですとか言ったかもしれないけど(当時どう答えたか覚えてない)、カウンセラーの先生にはたぶんそこも見透かされてた。 そのため、そもそも俺がどうしてそういう認識を持ってしまったか?を探ることになる。 両親は本や漫画が好きで家にはたくさんあった。そして父親のエロ本が当たり前にその辺に転がってた。 父親は家の中で強権的だった。 酒に酔うと、暴力は振るわないが、テレビに出てる女性タレントやグラドルの見た目を揶揄する発言をよくしてた。 「脳みそに行く栄養がぜんぶおっぱいに回っただけのバカ女」みたいな感じの発言。露出の多い服の女性芸能人は男に媚を売りたがっているアバズレだとか。 俺は小さい頃から男児らしく乗り物好きだったのだが、車が趣味で車に関わる仕事をしていた父親は知識が豊富で乗り物にとても詳しかった。乗り物のことをなんでも教えてくれる父は俺にとって一番すごい人で、乗り物以外でも父親の言うことが正しいのだと思っていた。 また、父親が酒に酔って他人を揶揄したり、自分を大きく見せる発言をしたときも母親は父の機嫌を損ねないように何も言わなかったので、その発言や態度をそのまま俺は学習し、内面化していった。 酔ってる時の父はリビングに転がってるエロ本を俺に渡してこういうの読みてえんだろとか言ってた。 このあたりはカウンセラーの人と話しながら父親や父親との関わりを見直す作業をしたので割といまでは冷静に書ける。 この話を始めた当時はカウンセラーやたまに同席する母親に対しても自分を大きく見せようとしていたと思う。 こうした両親の態度や状況は性的な、または心理的な虐待の一形態であった可能性が高いとわかった。 そう言われたことで俺は被害者意識を持ってしまった。 俺は父親と母親にまともな環境で育ててもらえなかったせいで性犯罪者になってしまった。なのになんで犯罪者としてこんなに責められなきゃいけないんだ、みたいな。 悪いことしたかもしれないけど俺だって被害者だし、みたいな。 俺が犯した罪と、俺の生育環境の悪さを切り離して考えることができなかった。 母親は何度かカウンセリングに同席したりしていた。 俺は記憶にないが、父親は酔うと暴力を振るったこともあったらしく、母親はどうしてもそれだけはやめてくれと言ってやめさせた。だけどまたいつ暴力を振るうか分からなくて事なかれ主義で父親の態度を容認・放置してしまった、申し訳ないことをしたと言っていた。 母が認めて謝ったことは後々受け入れるけど、このときは被害者意識を膨らませる動機にしかなっていなかったと思う。 ここから被害者意識を抑えながら罪に向き合う、 女性や他人を尊厳ある人として認識してコミュニケーションをとる、関わり方を覚える、みたいな方向に行くんだけど、ほんとに分からなかった。 被害者意識を持て余してうまく行かなかった。すごく時間がかかった。 ただこの意識が少し変わったきっかけがあった。 ツイッターだと思うけど、あるラジオ番組?でモーニング娘。のあるメンバーが水着の写真集は出さない、100億くらいもらわないとやらない、みたいな話をしていたらしい。それに対して明石家さんまが「お前は自分のカラダにそこまでの価値があると思っているのか?」みたいな返しをするとその子は 「私にもさんまさんにも誰にだってそれだけの価値があります」というようなことを言っていたと。 それを称賛する内容のツイートかなにかを目にした。 そのとき、 「ってことは俺にも100億とかの価値があるのか〜」 と、綺麗事でそういう誰の命も大切、みたいな台詞はごまんとあると思うんだけどなぜかこのときはすごく響いた気がする。 100億の具体的な価値はわからないがものすごい希少なダイヤモンドくらいの金額なのかな、とか考えたんだと思う。 この後もカウンセリングは続けていくんだけど、頭の片隅にずっとあの話があって、いつ何がきっかけか覚えてないけど、しばらくしてからすべての人をダイヤモンドだと思うことを始めた。 尊厳が、とか、人を尊重するとか大事にするとか、そういうことを言われると俺だって尊重されたい、大事にしてくれ、そっちが俺を大事にしないのになんで俺が、みたいな被害者意識の暴走があったけど、 人として見ることを諦めて眼の前の人間は100億のダイヤモンドだ、ダイヤモンドにこの態度は良いのか、この言葉は良いのか、勝手に触れてはいけないのではないか、みたいな 相手をダイヤモンドにすることで相手と距離をおいて考えられるようになった。 「尊厳のある1個人として尊重する」ためにはたぶん相手との間に少し心の距離?をとる必要があって、俺の場合は自分の被害者意識に振り回されがちで相手の状況や考えを推し量れなくなってたけど、いっそ相手を無機物(ダイヤモンド)とすることで距離を測れるようになった気がする。 ただこれのお陰で人との関わり方や、���性や子どもや弱い立場の人との関わり方や認識が百発百中うまくいってるわけではないので、カウンセリングを続けて自分の抱いた気持ちや認識を言葉にすることを続けている。 女性がひどい性被害を受けた事実をズリネタと認識してしまうのは環境要因によって刷り込まれてしまったというか、頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない(一度でもそのコマンドを使うと使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう、再犯のきっかけにもなるかも)ので、抜きたいときもラブラブエッチものに限定。エッチなのを見てはいけないわけではない、ただ他人の尊厳を守るという前提でのコミュニケーションや他人への認識というのがうまくいってない俺にとっては、露悪的な内容はよくない結果しか産まないというのを俺自身も納得したのでそうしている。 主語でかいかもだけどAVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎなのではないかと思う。ラブラブエッチものは羨ましくなったり妬ましいときはあるけど普通に抜けます。 まだまだ道半ばではあるが、 俺は多くのダイヤモンドを傷つけておきながら、しくったな〜しか考えていなかった。 傷つけたダイヤモンドのことを考えられなかった。 今でも考えようとすることは俺の負のコマンドに触れる可能性がある(やばいスイッチに触れそうだなと言う感覚がくるからやめる)のでうまくできない。 傷つけてしまったことに正面から向き合えない代わりに、再犯しないための努力を続けていこうと思う。
性犯罪者の更生過程
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ご観劇くださった皆様、お心寄せてくださった皆様、ありがとうございました (Updated: 2024.07.29)
-------- 以下の公演は終了しました --------
〔4/26更新〕 伽藍琳は北條サン役で、全日程出演いたします(シングルキャスト) 文末に稽古場リポートも加筆しました→スクロールしてご覧ください
ミュージカル『この世界の片隅に』
>チケットお取次について(G+のサイトへ) 〔4/26現在〕先行予約はすべて終了しておりますが、引き続き随時お申込受付中です。チケットお取次は、伽藍琳とこれまでに交流またはお取引のある方、その方からのご紹介の方のみとさせていただきます。「G+」サイトのパスワードや���申込方法は、お問合せください。
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※各公演地の開演日時等、詳細は上記 東宝の公式サイトをご覧ください
【東京】日生劇場 5月9日(木)-30日(木)
【北海道】札幌文化芸術劇場hitaru 6月6日(木)-9日(日)
【岩手】トーサイクラシックホール岩手 大ホール(岩手県民会館) 6月15日(土)-16日(日)
【新潟】新潟県民会館 大ホール 6月22日(土)-23日(日)
【愛知】御園座 6月28日(金)-30日(日)
【長野】まつもと市民芸術館 7月6日(土)-7日(日)
【茨城】水戸市民会館 グロービズホール 7月13日(土)-14日(日)
【大阪】SkyシアターMBS 7月18日(木)-21日(日)
【広島】呉信用金庫ホール(呉市文化ホール) 7月27日(土)-28日(日)
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原作:こうの史代『この世界の片隅に』 (ゼノンコミックス/コアミックス) 音楽:アンジェラ・アキ 脚本・演出:上田一豪
■キャスト 浦野すず(Wキャスト):昆夏美/大原櫻子 北條周作(Wキャスト):海宝直人/村井良大 白木りん(Wキャスト):平野綾/桜井玲香 水原哲(Wキャスト):小野塚勇人/小林唯 浦野すみ:小向なる 黒村径子:音月桂
白木美貴子 川口竜也 加藤潤一 飯野めぐみ 家塚敦子 伽藍琳 小林遼介 小林諒音 鈴木結加里 高瀬雄史 丹宗立峰 中山昇 般若愛実 東倫太郎 舩山智香子 古川隼大 麦嶋真帆
桑原宏佳 澤田杏菜 嶋瀬晴 大村つばき 鞆琉那 増田梨沙
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▼(Updated: 2024.04.26) ミュージカル『この世界の片隅に』稽古ラストスパート!
作曲家アンジェラ・アキさんも立ち会いのもと、通し稽古→オケ合わせ→オケ付通し稽古と、最後の仕上げに入ります。
稽古ピアノ1本でも心揺さぶられる楽曲の数々。バンド編成ではどんなサウンドになるのか、本当に楽しみです!
当公演の企画発端は、10年ほど前に遡るそうです。その後、アンジェラさん作曲で『この世界の片隅に』ミュージカル化が決まり、脚本・演出の上田一豪さんと、どれだけの時間と労力、情熱をかけてディスカッションを繰り返し土台を作ってくださったか、美術や衣裳ほか各セクションのスタッフも加わって、私たち俳優が参加する稽古の前にどれだけの準備をしてくださったかを、通し稽古の映像を客観的に見てひしひしと感じています。 (劇場で販売される公演プログラムに、読み応えたっぷりの前日譚が載っています)
伽藍は今回、主人公すずが嫁いでくる北條周作の母、北條サンを演じます。
俳優が担う部分は氷山の一角ですが、原作者こうの史代さんが描き、スタッフの皆さんが世界観を作ってくれたこの作品に、実体として息吹を吹き込む役目をしっかり果たせるよう、まだまだ探求します!
皆様のお越しを劇場でお待ちしています。
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▼(Updated: 2024.04.24) 『この世界の片隅に』の楽曲をアンジェラ・アキさんが歌うnewアルバム、リリース!
稽古場では隅々まで目を配り、誰に対しても笑顔できさくに話しかけてくれるアンジェラさんの素敵なお人柄が、煌めく歌声に溢れています。
全曲FLASHには稽古場の映像もあります。ぜひ!
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▼(Updated: 2024.02.09) ミュージカル『この世界の片隅に』に出演いたします。
こうの史代さんの不朽の名作、同名のコミックスを原作に、ミュージカル化。
昨年1月に行われた、作曲のアンジェラ・アキさんと脚本・演出の上田一豪さんによる土台創りのワークショップに参加させていただき、出演の運びとなりました。
戦時下という非常時でも、日常の生活の中の悲喜交々に心揺らし生きた市井の人々を描く、そんな作品に関わりたいと、ずっと以前から願��ていました。
3巻ある原作に時系列の巧みなアレンジを施した、一豪さんによる舞台版上演台本。 たおやかでいて力強く心の襞に語りかけてくる、アンジェラさんの楽曲の数々。
精一杯努めます。お誘い合わせてご観劇いただけましたら幸いです。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)3月5日(水曜日)
通巻第8681号
日本のメディアは片隅にしか報じていないが
ビッグニュースはTSMCの対米1000億ドル投資だ
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3月3日、トランプ大統領、ラトニック商務長官と一緒にホワイトハウスの記者会見場に現れたのはTSMCの魏哲家CEO兼董事長だった。「何事か?」と記者団に緊張がはしった。世界一の半導体ファンドリー=TSMC(台湾積体電路製造)が米国に「新たに」、五つの半導体製造工場(開発研究センターを開設を含む)を設立し、総額1000億ドル(15兆円)を投資すると発表した。
日本のメディアは中国とカナダが報復関税をかけてトランプに応酬した、株式市場が下落した等を大きく報じたものの、TSMCの米国投資に関する記事は片隅である。しかし世界のビッグニュースはTSMCの対米1000億ドル投資だ。
世界最先端の半導体製造工場をTSMCは台湾ではなく、新たに、しかも最大で五つも建設すると言い出したのだから、最大のショックを受けたのは台湾、ついで韓国である。
馬英九(元総統)が口火を切った。『みかじめ料を支払ったのだ』。野党からは「台湾の産業が空洞化する」と批判一色である。
なにしろTSMCは台湾で「護国神山」といわれるほどに世界一のハイテク半導体を生み出した台湾の誇りであり、それが米国へ比重を移し、しかも米国政府の補助金がつかないプロジェクトになるというのだから「台湾TSMC」は「米国TSMC」となるのではないか、とする懸念が台湾全島に拡がった。
トランプvsゼレンスキー会談の決裂直後の発表というタイミングも重なって、「ウクライナと同様に台湾も見捨てられるのか」とする懸念を表明する台湾の批評家まで目立ち、首相、外交部長が総出となって、「これは米台双方のウィンウィンとなり、むしろ台湾の安全は保障される」と力説した。
ともかく台湾は上から下まで蜂の巣を突ついたような大騒ぎなのである。「投資投資」を唱えるトランプにとっては米国へ投資を運んでくれるプロジェクトなら何でも歓迎、他方、日鉄のUSスチール買収のような、米国のハイテク企業の買収は許さないと徹底して経済ナショナリズムに立脚している。
先にもオラクル、オープンAI、孫正義が500億ドル投資をホワイトハウスでトランプとともに打ち上げたが、TSMCの投資額はその二倍の規模である。しかも政府補助金はつかないのだ。
日本が官民挙げてのラピダスは2027年に2ナノ半導体製造を目標としている。ラピダスには日本政府は合計2兆円強の補助金をつける
台湾のいきおいに負けて工場投資計画をばっさり縮小したインテルとは対照的である。
トランプは先にも「スターゲート構想」を喧伝し、総投資額が史上空前の5000億ドルになるとしたばかり。トランプ政権が重視しているのは外国ではなく米国での生産強化だ。次世代半導体はEVのみならず内燃機関の従来型、ハイブリッド車や人工知能(AI)に使われ、21世紀の経済を支える重要な戦略物資と指定している。
▼トランプ一流のブラフは効き過ぎた?
韓国の反応はどうか。
台湾のTSMC、エヌビディアと並んで世界最高峰の2ナノ半導体製造を誇るサムソンとSKハイニックスはどうするのか。韓国産業界は「米国進出か、それとも25%関税か」で揺れる。
じつは韓国も米国への工場進出はかねてからの政治課題であり、サムソンは370億ドル投資を提示し、米国政府は「CHIPS法」によって、サムソン新規投資に47億5000万ドルの補助金支出を約束した。
SKハイニックスも同様に38億7000万ドルのプロジェクト計画を提示し、米国政府は4億5800万ドルの補助金を約束している。だが、この二つの案件は「韓国が考慮中」ということで正式発表には至っていない。
トランプの戦略では、これら次世代重要技術が中国に奪われてはいけないと安全保障上の観点から「米国で製造できるようにすべきだ」と強調してきた。
「中国が台湾を侵攻し、TSMC工場をあんぐりとのみ込む」という恐怖のシナリオにも裏打ちされている。したがってTSMCの新規大型投資は、トランプの構想に呼応するかたちであり、TSMCが現在最先端とされる2ナノ半導体は台湾で製造するとしてきたTSMCの従来方針にも変更がせまられる。
すでにTSMCはアリゾナ州で半導体製造のため三つの工場を建設しており、投資額は650億ドル、このうち66億ドルが米国政府からの補助金である。TSMCは、アリゾナ州工場では「2ナノ半導体にくわえて1・6ナノの製造も視野にいれている。これらのプロジェクトに加えて複数の新工場建設となれば、合計1650億ドルに膨らむ(人材が足りるのか?)。
それもこれもトランプが外国製半導体に最大で100%関税をかけると言い出してブラフをかけ、「台湾が半導体産業を米国から奪った」という間違った考えを持ち、ほかから指摘されても改めないことも要因のひとつだろう。
▼ディープシーク・ショックが潜在的な動機となった
しかし水面下の動きがある。潜在的な、しかも最大の理由は“ディープシーク・ショック”である。
3月3日、シンガポールのシャンムガム内務法務大臣は、「米国からシンガポールに輸送された人工知能(AI)用エヌビディア社のチップ内蔵の可能性のあるサーバーが最終的にマレーシアに到着した」とし、だが「最終目的地は依然として謎のままである」と述べた。
中国のディープシーク(深度求索)が米国の輸出規制を回避し、シンガポールの第三者を通じてエヌビデイアのGPU(画像処理半導体)H800を購入したかどうかについて米国当局が調査中だ。
くだんのシンガポール内相は二月下旬に、虚偽の説明による詐欺罪で起訴された3人の男性に対する捜査の過程で巧妙の迂回輸出ルートが明らかになったと述べた。迂回輸出による中国へのハイテク供与は国家安全保障上の脅威であり、したがって最先端製品は米国内で生産せよということなのである。
こうした文脈から言えばトランプが次に攻撃しそうなのはエヌビデイアである。
なぜなら米国籍のエヌビディアもCEOは台湾人であるばかりか、最先端ラボと工場は台湾にあるからだ。
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Hammer Girl lyr + TL
another one dropped!! i haven't got an interpretation for this song in itself, but i think it fits the theme of 'fictions' quite well
ハンマーガール 斉藤壮馬 hanma gaaru - saitou souma Hammer girl - Souma Saitou
たとえばページを tatoeba peeji wo For instance, if
めくったその先には mekutta sono saki ni ha the page was turned, beyond that
続きがあるみたいな tsuzuki ga aru mitai na it seems like there’s a continuation
予定調和 そんな日々だわ youteichouwa sonna hibi da wa This simple plot[1] is that kind of everyday.
わたしだけのものには watashi dake no mono ni ha It won’t become only mine
ならないこのほしなら naranai kono hoshi nara if it’s this star[2]
くだいてしまうだけよ kudaiteshimau dake yo I’ll just ruin it.
遊星の上 ハンマー持って yuusei no ue hanmaa motte On this planet, with a hammer
大胆不敵に笑うきみは daitanfuteki ni warau kimi ha You, who smiles fearlessly
こんな世界を壊しに来たのかい? konna sekai wo kowashi ni kita no kai? Have you come to destroy this world?
安寧脳じゃ物足んないや annei nou ja mono tannai ya A peaceful mind isn’t enough
堂々巡りの因果を断て doudou meguri no inga wo tate Break the cycle of cause and effect
すべてを敵に回したとしても oh subete wo teki ni mawashite toshite mo oh Even if everything becomes your enemy, oh
どこかで誰かないている dokoka de dareka naiteiru Somewhere, someone is crying
宇宙の片隅からの波動 uchuu no katasumi kara no hadou A wave from the corner of the universe
どこかで誰かないている dokoka de dareka naiteiru Somewhere, someone is crying
子供の呼び声のようなハロー kodomo no yobi goe no you na haroo Like a child calling, a ‘hello’
わたしだけのものには watashi dake no mono ni ha It won’t become only mine
ならないこのほしなら naranai kono hoshi nara if it’s this star[2]
くだけちるほどあいそう kudakechiru hodo aisou Love me to pieces[3]
遊星の上 ハンマー持って yuusei no ue hanmaa motte On this planet, with a hammer
にやりと笑うきみならさ niyari to warau kimi nara sa You, who’s grinning
こんな世界を壊せるはずだろ? konna sekai wo kowaseru hazu daro? should be able to destroy this world, right?
そんなんもうね まるで魔王 sonnan mou ne marude maou It’s already like that, as if it’s the devil
創造どおりの銀河を断て souzou doori no ginga wo tate Cut off the galaxy as we know it
全部まるごと抱きしめてみせるよ zenbu maru goto dakishimete miseru yo You’ll embrace everything in its entirety!
[1] 予定調和 lit. ‘schedule harmony’, a simple storyline progressing as expected. Also can be used to describe the philosophical term ‘pre-established harmony’, aka harmonie préétablie: the mind and the body are separate in their actions but are coordinated together by some force, such as God.
[2] thought this was a little weird. could be translated as ‘if you want this’, but it’s ほし / hoshi (=star), not ほしい / hoshii (=want), so I left it as is.
[3] in the volitional form, ie making a polite request, despite being such an intense action.
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東京の水元公園にある紫陽花畑にて
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