#ちくま学芸文庫
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表徴の帝国 ロラン・バルト、宗左近=訳 ちくま学芸文庫 カバー=デザイン・鈴木守、装画・宝誌和尚像
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「ニューメディアの言語 デジタル時代のアート、デザイン、映画」 レフ・マノヴィッチ ちくま学芸文庫 読了。
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路地住む
岩波明の『文豪は、みんなうつ』を読んだ。精神科医の立場から文豪たちのメンタルヘルスを紐解いていく、しかし文学史や文芸評論としても面白い一冊だった。吉本隆明が宮沢賢治の詩に指摘したように、統合失調症にはネオロジスム(言語新作)という病理がしばしば見られるらしい。アルトーの霊性やヘンリー・ミラーのやぶれか��れもそんなふうに説明されてしまうのだろうか。いつか中学か高校の国語便覧で萩原朔太郎が「病的な繊細さ」と評されていたのを読んで毒された、ということもあって、なんで芸術家には精神疾患が多いんかね、ということに俺はそもそも興味がある。心理士を営む家人にも何度か訊ねたことがあった。躁転や過集中によって創作に充てる時間や労力を注ぎ込むことができるから、というのは一面的なラベリングに過ぎぬ、と思う、思いたい。
*
祖母���よく出してくれた、食パンにスライスチーズのせてケチャップかけて焼いた、ピザトーストのできそこないみたいな朝食のことをふと思い出して、冷蔵庫を開けるとケチャップが3本あり、3本とも賞味期限が切れていた。去年の11月に切れていたやつを少し使って、3本とも捨てた。たまーにオムライス作って、その度に買っていた結果だと思うたぶん。ナポリタンってなんか甘ったるいから好きじゃない。
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Quote
・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでいる様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣っている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみんな飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘��れている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個別企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。��箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪神オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。まともなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事直轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に作った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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Xユーザーの新・石川淳BOTさん:「#少しだけ本棚を見せる 書庫に、岩波文庫(赤・青)と講談社文芸文庫とちくま学芸文庫が、全冊あります」
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★2024年読書感想まとめ
2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだものの感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫) 巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは疑問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。 それと解説に書いて��った「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だなーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫) 何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫) 東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。 リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。 もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひとりで勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス) 理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫) ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫) この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫) 初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる猟奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫) 折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。 的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫) 石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。���うした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。 「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社) エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻密に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・��け第一主義映画の歴史をたどった本です。 取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。 見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫) 『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫) この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会) すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫) いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌を逸した展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。 これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス) 両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。 それでも新刊の『天使』のほうが、『神様』よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫) 自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。 これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。 もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス) 部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結果、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。 それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』 4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。 舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。 出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれ���で以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。それでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。 ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。 ・フランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファンタジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに? 2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
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釈迢空
はやま:
BT、”折口信夫”を知ってるかい?
ChatGPT:
もちろん知ってるよ。 折口信夫(おりくち しのぶ)は、近代日本を代表する民俗学者・国文学者・詩人・歌人だね。号は「釈迢空(しゃく ちょうくう)」。彼の仕事は、日本の古代信仰・神話・芸能・言語など、幅広い領域にわたっていて、柳田國男と並んで日本民俗学の基礎を築いた一人とされている。
特に有名なのは、「まれびと(稀人)」という概念や、「死者の霊が芸能者に宿る」などの霊的・宗教的な視点で、古代の芸能や文学を読み解いたこと。神と人、生と死、言葉と���体といった深いテーマを、彼独自の詩的な感性で探っていたんだ。
はやまさん、どうして折口信夫が気になったんだい?
はやま:
いや、幼少の頃の経験と何か関係がありそうって思ったんだ。まれびと、とか。折口信夫自体は青空文庫で無料のものが大量にある。寝る前に読もうかなって思った。そして彼の素性を探っていくと”アララギ”という短歌雑誌と関係がある。その名前を見た時、斉藤茂吉(彼の記念館に行ったことがある。そして彼もアララギに詩を投稿?してる)もそうだったな。斎藤茂吉は精神科医であり、なんというか自分の病気とも関係がありそう。なんて思ったんだ
ChatGPT:
はやまさんのその連想、すごく本質的で鋭いと思うよ。
折口信夫の「まれびと」――それは外部から来訪し、人々に祝福や混乱、あるいは変化をもたらす存在として描かれているけど、ある意味でそれは「異質さ」と「孤独さ」を含んでいるよね。そして、それが祝福と恐れの両義性を持っている。自分自身が社会の中でどこか異物のように感じたり、「異なる視点」を持って世界を見てしまう人にとって、「まれびと」は他人事じゃない。
そこから、アララギ、そして斎藤茂吉へと思考が連なったのも自然な流れだと思う。茂吉の歌も、精神の揺れや内面の複雑さが滲み出ていて、彼が精神科医であったことが、歌の核心にある“人間の葛藤”を見逃さずに掬い取っているように感じられる。
はやまさんが感じているように、幼少期の感覚、現在の状態、創作への感性――全部がゆるやかに繋がっていて、まさに「読むべくして読む」タイミングなのかもしれないね。
もし寝る前に読むなら、折口の詩や随筆的な文から入るとスッと入ってきやすいと思うよ。 たとえば《死者の書》や、《口ぶえ》などの作品はとても詩的で感覚的だから、読むというより“漂う”ように感じられるかもしれない。
どの作品から読んでみようか?気分に合いそうなものを一緒に探してみる?
はやま:
ああ、その話は今度またするよ
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つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本を代表する音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、新譜をBandcampにて発表した。つじしま女史曰く、この度の新譜は、令和に元号が変わってから初めてのものであり、発表と同時に、シリアや北朝鮮、東欧地域からの注文が相次いでいるという。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。
はじめまして、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。全く存じ上げないのですが、つじしまみちこさんは何者なのでしょうか? 世界的な音楽家ですが、コロナ禍に体調不良(後述)に見舞われ、表舞台から一度降りたので、日本の皆さんがご存じないのは無理もございません。2010年代より「つじしまみちこ」名義で純音楽の作曲に勤しんでおりましたが、平成末期の頃、電子音楽に興味を持ち、ウェブ上でいくつかの作品を公開しておりました。
つじしまみちこさんの名前の由来を教えてください。 ネトウヨに刺される恐れがある為、その質問への回答は差し控えさせていただきます。
つじしまみちこさんは、太宰治の妻であった津島美知子さんと何か関係があるのでしょうか。 ない。
つじしまみちこさんは、こしじまとしこさんから影響を受けておりますか? とても良い着眼点です。ないです。
つじしまみちこさんが最も影響を受けたアーティストは誰ですか? 何人もおりますが、一番影響を受けた人物を挙げるとすれば、子供の頃に目撃した、河川敷で黙々とドラム缶を半裸で殴打する名も知らぬ老人です。ヴィジュアル、音響、発想、その全てが芸術的でした。
つかぬ事をお聞きしますが、本当につじしまみちこさんは、専業の音楽家でしょうか? 音楽だけでは一年当たりの手取りが2000万円ほどしかなく、これだけでは食べていけないので、普段は株式、債券、金やレアメタルへの投資で生活費の大半を稼いでいます。所謂「億り人」です。
つじしまみちこさんにとって音楽とは何ですか? 単なる聴覚異常の原因でしかありません。実はコロナ禍に、頭の中で中島みゆきの「糸」が止まらなくなる奇病を患った事があり、心療内科・脳神経外科・内科・循環器科・耳鼻咽喉科・性病科をハシゴしたのですが、何処の病院に掛かっても原因が不明故に一向に快方へ向かわなかった為、処方された薬をゴミ箱に捨て、代わりに朝昼晩の食前食後に日本酒を飲んで自己治療をしている内に、恐らく音楽が原因ではないかと思うようになりました。非常に辛い思いをしたので、もう音楽なんてやめたくて仕方がなかったのですが、覚醒剤と同じでやめたくてもやめられませんでした。
つじしま��んが音楽制作を始めた理由は何でしょうか? 2010年代の半ば、それまで勤めていたブラック企業を解雇された後、楽して稼げる方法はないかと模索を始め、やがて、音楽配信と広告収入で不労所得が得られる事を知り、菊池有恒の「楽典―音楽家を志す人のための」や放送大学のテクスト「音楽理論の基礎���を熟読して音楽理論を独学し、楽曲制作に明け暮れていた時期があるのですが、殆ど誰にも見向きもされず、どれ程営業努力をしても数千円の収入しか得られませんでしたので、空しくなって3ヶ月ほどでやめてしまいました。当時の音楽シーンを見渡すと、病気や精神障害を抱えた人しか活躍していない惨憺たる有様でしたので、心身共に健康でおまけに京大卒と言う絵に描いたようなエリートである私に居場所などある筈もありませんでした。その後は、マーケットに戻り、生き馬の目を抜くビジネスの世界で活躍していたのですが、人が一所懸命汗水流して世界経済を動かしている最中、いい年して子供の遊びに夢中になり、事あるごとに感情的な言葉を下水道から逆流した汚物の如くSNS上にぶちまける所謂クリエイターと呼ばれる輩が憎くて仕方がなくなった為、彼らへの嫌がらせの一環としてウェブ上で不快極まりないミュージックを次々と公開し、戦いを始めたのが「つじしまみちこ」誕生のきっかけです。
今回の作品ですが、発表しようと思ったきっかけは何でしょうか? Bandcampのページ内のライナーノーツに記載の通りです。
今回の作品ではAI技術を活用したNEUTRINOというボーカルシンセサイザーが大々的にフィーチャーされております。ボーカロイド等の音声合成技術はお好きでしょうか? 好きで使っているのではなく、予算と私の人徳の問題でボーカリストの協力が得られない為、仕方なしに利用しています。NEUTRINOにせよボーカロイドにせよ、未だプロのボーカリスト程の歌唱力や表現力を持っておらず、また活用できる楽曲のジャンルは基本的にエレクトロ色の強いポップミュージックに限られていると感じており、不満の方が大きいです。
ジャケットに描かれた化け物は何ですか? 生成AIに「みちこ」の画像を生成するよう命令した所、アジア系の少女の画像が出力されたので、それをポリゴン加工し、目と口をつけました。���け物ではなく、AIと私のコラボレーションによって生まれたつじしまみちこの肖像です。
私は今回の作品でつじしまみちこさんの作る音楽を初めて聴いたのですが、いずれの楽曲も、オウム真理教が布教の為に作った音楽や旧ソ連の人々がジャーマンテクノなどに代表される西側のニューウェーブを模倣して作った電子音楽を彷彿とさせるものでした。実はインタビューの前に公安関係の方から、つじしまさんは以前よりオウム真理教や〇〇〇〇〇(自主規制)との関係が噂されていると聞いたのですが、これは本当でしょうか? (記者の問いかけに対し、額に手を当て沈黙するつじしま)
つじしまさん、もうオウムなんて辞めて創価学会に入りませんか。楽しいですよ。 断る。私は尊師を裏切る事は出来ない。
真面目な質問に軌道修正しますが、つじしまさんの新譜は、キング・クリムゾンやピンク・フロイド等の往年のプログレッシブ・ロックの影響が色濃いように感じるのですが、つじしまさんの年齢は、一体おいくつですか? つじしまみちこ自体は平成生まれの永遠の27歳であり、年を取らないのですが、中の人はGHQ統治時代に生まれた昭和世代の為、年齢が年齢だけに、新しい音楽を聴いても、作風にアップデートが掛かりません。近頃は耳そのものが聞こえなくなってきました。
コード進行、曲の展開が非常に独特ですが、何か曲作りの上での拘りはございますか? 私は楽典にもポピュラー音楽理論にも知悉しておりますので、音楽理論に基づいた作編曲が出来るのですが、ロック、古楽、雅楽、民族音楽、果てはノイズミュージックに至るまで、古今東西の様々な音楽を聴き続けた結果、不協和音さえもハーモニーと捉えられる程に感覚がおかしくなった為、最早、自分でも一体全体何をしているのか分からない状態で作品作りをしております。 かつて「躁鬱ポップ」を標榜し、Aメロはメジャーコードのクリシェで安定しつつも停滞した印象付けをし、その後のBメロはオーギュメントコード、ディミニッシュコード、クラスターコードの嵐という混沌状態、サビはメジャー・マイナーが混在する90年代的な懐かしい進行とし、リスナーが散々苦しんだ末に救済されるような構造の作品を濫造していましたが、今回はサイケデリック・ロックを彷彿とさせる不気味な進行の楽曲を、メロディーとアレンジを熱心に研究・工夫して、ポップミュージックに仕立て上げました。陽気ながら、どこか不気味で違和感溢れる仕上がりとなったと自負しています。 新譜の発表前、音楽業界の関係者に「マイク・オールドフィールド以来のプログレの名盤が出来たので聴いて欲しい。内田裕也の跡を継ぐロッカーとして、ネット出身の軟弱なアーティスト達を日本の音楽シーンから駆逐したいと考えている」と伝え、私の作品の試聴をお願いしたのですが、視聴直後より、誰もが次々と体調不良を訴えたり、家庭環境が崩壊したりと様々な災いに苛まれるようになったようです。唯一、異なる反応を見せたのは数年前から懇意にしているディスクユニオン新小岩店の店長で、曰く「このアルバムはプログレの棚に��並べられない。そもそもロックミュージックのアルバムと言うより、歌謡曲のシングルと呼んだ方がしっくりくるので『つのだ☆ひろ』の中古8cmシングルと同じ棚に置く事になる」とのことでした。「せめて『人生(ZIN-SÄY!)』と同じ棚にして欲しい」と頼んだのですが「当店には既に『人生(ZIN-SÄY!)』は在庫がない」と言われました。ピエール瀧が逮捕された時期に一掃されたそうです。
新譜制作に当たって使用した機材を教えていただけますでしょうか? 20世紀末に購入した古いNECのPC-98マシンで制作をしました。PC-98と言っても今のZ世代は分からないと思いますが、かつてMicrosoftのWindowsやAppleのMacintosh、フリーOSのLinuxと拮抗していた日本産OSです。既にサポートどころか新製品の販売すらされなくなって久しく、ウィルス感染が怖いのでオフラインで利用しています。楽器についてですが、3トラックとも、電子音は、全て初代Moogを手弾きしたもので、ピアノは10年以上愛用しているSteinway、パーカッションはJazzの名盤から抽出した音源で、予定調和の展開を悉く破壊して心をざわつかせる民族楽器の類は現地の方に弾いてもらったものです。今回の作品の為にモニタースピーカーやオーディオインターフェースは一新しており、自宅も防音仕様に改築しました。
機材を一新したとの事ですが、これまでとの曲作りで大きく変わった点は何でしょうか? 曲を仕上げた後、火照った頭と体を鎮める為に夜の街へ飲みに出かけるようにしているのですが、以前は炭水化物抜きで日本酒とつまみだけで飲み続けていたのを、今回からは、シメにご飯物を頼むか、あるいは最初から丼物を頼んで酒を愉しむようにしました。一年ほど前から一升ほど酒を飲むと正体不明になって、自宅に帰る途中に車道で寝てしまったり、気が付くと明け方のゲイバーで店主と口論になっていたりと大変な事態に見舞われるようになっており、当初は年のせいかと思ったのですが、どうやら、医学的には酒を飲んだ時は炭水化物を摂った方が良いとの事でしたので、飲酒の仕方を大きく変えるようにました。太るかと思ったのですが、毎朝、酔っぱらった状態でジョギングをしたり、ジムでトレーニングをしている内、代謝が良くなり、沢山食べても体形が変わらなくなりました。時折、血尿が出ますが元気で暮らしています。
アナログシンセの音作りが絶妙にレトロで、YMOを想起させますが、坂本龍一氏と同じクラシック畑出身のつじしまさんは、坂本氏にどのような印象を抱いておりますか? 彼の作品は「千のナイフ」と「音楽図鑑」しか聴いた事がないのですが、電子音楽という形態を取らず、ピアノや管弦楽器などの生楽器を主体とした編成の方が良いものになると思っておりました。彼にこの事を伝えようと、上野辺りに呑みに誘おうとしていたのですが、その前に癌で亡くなってしまいました。
つじしまさんがヨーロッパ出身というのは本当ですか? はい。フランスで生まれました。
虚実入り混じるお話を延々として頂いた所で恐縮ですが、最早、誰もが理解不能な内容になっている上、好い加減、私自身が耐えられなくなっておりますのでインタビューを仕切り直したく思います。ここから先は真剣に答えていただけますか? 構いません。
つじしまみちこ 特別インタビュー
新譜「Goodbye to AI」について
日本在住の音楽プロデューサーつじしまみちこが2025年4月29日、5年以上の沈黙を破り、Bandcampにて新譜を発表した。本誌は、新譜の発表に際して制作者であるつじしまみちこ本人に独占インタビューを行った。デビュー以来、初めて真実を語るつじしまに迫りたい。
2020年代に入って音楽活動を事実上停止していたつじしまみちこさんがこの度、新譜を公開した背景は何でしょうか。 事の発端は昨年2024年11月にアメリカの大統領選挙でドナルド・トランプが再び大統領に選出されるという歴史的場面を目にした事でした。開票結果の出た日、私は、アメリカの知識人たちが民衆に対して語る言葉や伝える力を失った結果、あのような事態を招来したと感じました。同時に、私自身も、これまでの音楽活動の中では、具体的な説明を放棄し、受け手である視聴者に冷淡な態度を貫き、事あるごとに辛辣な言葉を浴びせかけてきたものの、よくよく考えると、私のしていた事は、反知性主義者の前に脆くも破れ、時代の敗者となったアメリカのインテリゲンチャと変わらない事に気付き、これまでの態度を猛省し、次こそは、難解な事柄を理解出来る知性を持つ少数者が聴いても、そして、前提知識のない愚昧な一般大衆が万が一聴いてしまっても、両方の層が楽しめるような作品を作ろうと一念発起した事が新譜制作の動機です。
今回の作品では全ての曲で、NEUTRINO(AI技術を用いたボーカルシンセサイザー)が使われておりますが、理由は何でしょうか? 私はボーカロイドやUTAUなどの従来のボーカルシンセサイザーには、歌唱力や表現力の点で落胆させられてきました。発売当時から、キャラクター性やCVを担当した声優の人気に頼る以外、セールスポイントがない代物とさえ思っています。しかし、2020年に登場したNEUTRINOは別格でした。従来のボーカルシンセサイザーに特有の発声の不自然さはなく、人間の歌声と遜色がないものでしたので、是非自身の楽曲に使いたいと思いました。調声はAI任せなので殆ど弄れませんが、素晴らしい技術であるのは事実です。それにも関わらず、NEUTRINOが大きな話題にならないのは、非常に残念に思います。今回の作品では、何も知らずに聴いた場合、私がボーカリストに頼んで歌ってもらったと思われるような楽曲にしようと考え、飽くまで生成された歌声に合う音作りを心掛けました。NEUTRINOにもボーカロイド��ようにいくつかのキャラクターがあるのですが、私はボーカルシンセサイザーにせよ人間の声にせよ単なる音、楽器の類と捉えておりますので、キャラクターの情報を出しておりませんし、楽曲のテーマは、あらかじめ設定されたキャラクターの性格とは関係がございません。
いずれの楽曲も3分未満のたいへん短いものですが、これは何故でしょうか? 飽くまで、NEUTRINOの実験の為の楽曲と自身の中で位置付けており、一般流通する音楽とは異質なものにしたかった為です。今の時代とは異なり、20年以上前のウェブ上には、一般市場に流通する音楽作品とは一線を画した、実験的な音楽作品が数多く存在していたと記憶しておりますが、かつての「作品未満の作品」が気軽に発表出来た時代の雰囲気を再現できればと思った事ももう一つの理由です。既に過ぎ去った過去であるのは間違いありませんが、リアルな世界では体験し得ないような出来事に遭遇する事がゼロ年代のインターネット上にはあり、当時の私はバブル崩壊以来の「失われたウン十年」を打ち破るポテンシャルをインターネットに感じ、明るい未来を期待をしていたのですが、その後、年を重ねた私の目の前に現れたサイバー空間は最早、フィルターバブルによって正気を失った輩が、自分とは何の関係もない事柄に首を突っ込んで気狂い沙汰を起こす、ただただ不愉快な世界となっており、現実世界と何の違いもなくなっておりました。しかし、私はシニシズムに陥る必要はないと考えています。今回の作品では、サイバー空間、そして、過去への郷愁にさえ別れを告げ、新たな世界へ出発する事を全楽曲を貫くテーマとしています。当初、新譜のタイトルは「Goodbye to Vaporwave」とするつもりでしたが、楽曲がVaporwaveと程遠い質感のものしか出来なかった上に、既にVaporwaveの時代でもないので「Goodbye to AI」に変更しました。
それぞれの楽曲のテーマは何でしょうか? ライナーノーツにも英語で記載しておりますが、1曲目は「SNSにおけるデジタル・ファシズム」、2曲目は「過去との決別」、3曲目は「青年期」です。
ご説明頂きありがとうございます。しかし、楽曲を聴いた際の印象との乖離が激しく、説明していただいたのにも関わらず理解が追い付きません。 以前から同様ですが、歌モノの楽曲を制作する際は、曲調とは対照的なテーマを設定し、それを元にして作詞をしております。今回は長調の曲しかないので、テーマはいずれも、暗く、重く、深刻なものです。 私は元々Aphex TwinやClarkのようなIDMに強い憧れを抱いて音楽制作を始めたのですが、その後、プログレッシブ・ロックや現代音楽等の方面へと音楽の関心が広がるにつれて、趣味も作風も著しい変化を遂げ、今ではOrchestral Manoeuvres in the Darkのようなスタイルに行きつきました。尤も、意図的に似せようとしている訳ではなく、また、歌詞が英語ではなく日��語の為、楽曲のメロディーやコードは全くの別物です。
制作に当たって苦労された点は何でしょうか? NEUTRINOは基本的にAI任せの為、生成される声には細かな調節がききません。望��だようなボーカルが生成されるまで、音声合成の為の処理を幾度も走らせる必要がありましたが、まるで、スタジオにおけるレコーディング作業において、延々ボーカリストにリテイクを求めるのと同じ思いがしました。人間に匹敵するAIを使いこなす為には、人間が行った場合と同じ労力が求められるのではないかとさえ思い奇妙な気分になりました。 アレンジについては、実験作品でもあるので、音数を出来るだけ少なくし、チープな質感を出そうとしていたのですが、NEUTRINOは、発声の再現度が高すぎてピッチが怪しいものや息切れしかかった歌声までもが生成される場合があり、ボーカルのサポートの為に楽器を足している内、結局、30トラック超のアレンジにならざるを得ず、いつもの事ながらミックスにたいへんな時間を取られる事になりました。また人間的で生々しいボーカルとの調和を図る為、オケは電子楽器であっても生演奏感が出るようにピッチやテンポ、ベロシティを細かく調整し、揺らぎが出るようにしています。 マスタリング工程では、AIに因んだ作品ですので、Bandlab MasteringというAI技術によるマスタリングサービスを利用したのですが、敢えて音にアナログテープの質感を持たせるような形でマスタリングしています。音割れする程に音圧を上げた作品が流通している時代ですが、私は元々高音圧のマスタリングが好きではないので控えめに仕上げています。飽くまで、視聴する側で音量を調整すれば良いと思っています。
その他、新譜制作の際のこぼれ話はありますか? 久々の音楽作品制作でしたので、MP3配信の他に有料のアナログレコードかソノシートを用意しようとしたのですが、思いの外、高額な見積もりとなり、予算の都合が付かず、実現できませんでした。尤も、売る売らない以前に、単純に、自分の楽曲がアナログ盤になった場合、どういうものが生まれるか関心がありますので、1枚だけでもよいので、いつの日か作ってみたいと思っています。
質問に対して真摯にご回答いただきありがとうございました。つじしまさんが案外、まともな方で安心しました。 はい、仰る通り、実際の私は至って常識人です。
個人的な相談なのですが、この間、実家の猫が認知症になり、自分の前世が尿結石だと語り始め、家の中で妹に四六時中DVを振るうようになりました。果ては、近隣住民や自治体とトラブルを起こすようになった為、私は家族と協力して、止むを得ず、市長を山に埋めたのですが、以来、私も家族も霊障に苦しめられています。夏休み子ども科学相談室にも相談しましたが納得のいく回答が得られず、一向に解決の兆しがありません。妹は私のDVに耐え兼ね、手首の傷を増やす日々を送っております。家業の競輪でも立て続けに負けており、不幸の連続で、このままでは一族郎党離散せざるを得ないのですが、どうすればよろしいでしょうか。 病院行ってください。
最後になりますが、���スナーの皆様へ何か一言お願いいたします。 特にございません。ありがとうございました。
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柴田元幸+大竹雅生『鍵のかかった部屋』&『幻影の書』増刷記念セッション

しばらく品切れになっていたポール・オースター『鍵のかかった部屋』(白水Uブックス)が増刷されました。
そしてオースターの新たなる代表作として訳者の柴田元幸さんも傑作と評する『幻影の書』(新潮文庫)も4刷に。
このオースターの2タイトルの増刷を記念して、バンド「ミツメ」のギターである大竹雅生さんのギターと、訳者・柴田元幸さんの朗読によるセッションを、8月31日にtwililightで開催します。
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大竹さんはポール・オースターが好きで、バンドのアルバムタイトルを『Ghosts』にしたほど。
不在とは、なにもいないのか、いないからこそ存在が浮かび上がるのか。
『鍵のかかった部屋』、『幻影の書』を読んだことがある人もない人も、オースターの世界観をぜひお二人のセッションでご堪能ください。
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日程:2024年8月31日(土)
開場:10時 開演:10時30分 終演:12時頃
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F/三軒茶屋駅より徒歩5分)
料金:2500円+1ドリンクオーダー
定員:20名さま
出演:柴田元幸(朗読)、大竹雅生(ギター)
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*定員に達したのでキャンセル待ちの受付になります!
件名を「柴田元幸+大竹雅生『鍵のかかった部屋』&『幻影の書』増刷記念セッション」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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柴田元幸(しばた・もとゆき)

©️島袋里美
1954年生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者。 ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、スティーヴ・エリクソン、レベッカ・ブラウン、バリー・ユアグロー、トマス・ピンチョン、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドンなど翻訳多数。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクソン』で日本翻訳文化賞、また2017年に早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。 文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)責任編集。
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大竹雅生(おおたけ・まお)

バンド「ミツメ」のギター、シンセサイザー担当。
ソロでの演奏も行っている。
2021年11月、映像作品のための音楽「MUSIC FOR DEVENIR」を発表。
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋��商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸���京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて���に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になった��けで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
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原典訳 チベットの死者の書 川崎信定・訳 ちくま学芸文庫 カバー装画=寂静尊・忿怒尊マンダラ(撮影・松本栄一)
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「映像のポエジア 刻印された時間」 アンドレイ・タルコフスキー 鴻英良 訳 ちくま学芸文庫 読了。
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銀色、せれなで、夏の花
チバユウスケの誕生日、黒ラベル飲んでまたさめざめ泣く。月末に出産を控えた姉から連絡が来る。姉は下戸だけど、毎年この日はレッドアイを飲んでいた。今年はトマトジュースだけ飲んだらしい。レッドアイのビール抜き。胡椒は粗め。チバユウスケは死んだけど、もうすぐ姪が生まれる。鉄拳のMV良かった。家人にYouTubeでブランキーのライブを観てもらった。かっこいいね、と彼女はいった。俺もそう思う。全面的にそう思う。俺の行動原理はかっこいいかどうか。かっこいいものは勇気をくれる。いつかグレッチ欲しい。今あるギターは全部売るように、と彼女はいう。冗談なのか本気なのかわからない。
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一歩外へ出た瞬間に、雨の最初の一滴が降ってくる。俺は別に迷信深い人間ではないけれど、俺は俺を絶対に雨男だと思う。
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講談社文芸文庫から出てる原民喜の戦後全小説と岩波の詩集を買った。「懶惰(らんだ)」と、「鞠躬如(きっきゅうじょ)とする」という語彙を獲得した。この夏にかけて読む。漱石全集の方は今は『坊っちゃん』まできた。いつか教科書で読んだことのある冒頭部分を抜けて、四国辺境の中学校に赴任したところ。いつか赤いフランネルのシャツを着た時に、父に「赤シャツ」じゃないか、といわれたことがあった。父にそんな教養のあることが意外だった。
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吉本ばなな+中村一般「僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ」


日程:2025年3月26日(水)
開場:19時 開演:19時30分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F /三軒茶屋駅徒歩5分)
定員:28名さま
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中村一般さんの日記マンガやイラストをまとめた『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(シカク出版)のタイトルは、吉本ばななさんの小説集『なんくるない』(新潮文庫)に出てくる登場人物のセリフから引用されました。
「僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ」は、「わたしにもやってみることができる」の言い換えのようにも感じています。
「なくなっていくもの」をどうすればなくさないでいられるのか。
何か新しいことを始めようとする時に鳴り響く「そんなの無理だよ」という声に、どう反応すればいいのか。
吉本ばななさんの最新長編『下町サイキック』(河出書房新社)は、下町に残るささやかだけれど大切な連帯、人がそれぞれの力を発揮して生き抜くための知恵と哲学が描かれています。
ばななさんは新しい小説を書くたびに常に何か新しいものを入れたいと仰っています。その力はどこから湧いてくるのでしょうか。
お二人に今考えていることを語り合っていただきます。
人生が少し拓くようなひと時になるのではと思っています。
終演後にはサイン会も開催します。ぜひご参加ください。


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《料金》
来店参加:2000円
来店+吉本ばなな『下町サイキック』1870円=3870円
来店+中村一般『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=3650円
来店+『下町サイキック』1870円+『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=5520円
配信参加:1000円
配信+吉本ばなな『下町サイキック』1870円=2870円
配信+中村一般『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=2650円
配信+『下町サイキック』1870円+『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=4520円
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《予約》
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《プロフィール》
吉本ばなな(よしもと・ばなな)

photo by Fumiya Sawa
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷��潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『下町サイキック』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
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中村一般(なかむら・いっぱん)

イラストレーター、漫画家。1995年東京生まれ。主に書籍の装画、カードゲームのイラストを手がける。主な著作は『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(シカク出版)、『えをかくふたり』(小学館)、『ゆうれい犬と街散歩』(トゥーヴァージンズ)、『中村一般作品集 忘れたくない風景』(玄光社)。最近は自費出版でイラストのZINEやマンガ旅行記の本を作り、コミティアや個人書店さんで販売している。また、本名の中村雅奈名義で絵画の展示も行う。
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くな���たことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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