#宝誌和尚立像
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anamon-book · 8 months ago
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表徴の帝国 ロラン・バルト、宗左近=訳 ちくま学芸文庫 カバー=デザイン・鈴木守、装画・宝誌和尚像
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kachoushi · 1 year ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
 初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
 成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
 本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
 当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流��方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
 「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
 さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
 虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
 なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
 『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
 この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
 最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
 従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
 こ��まで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
 ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
 これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
 虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
  焼芋がこぼれて田舎源氏かな
 昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
 炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
 絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
 「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
  去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
  落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。  そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
  願はくは花の下にて春死なむ         そのきさらぎの望月の頃
 西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で���んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
 ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
  花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
 例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
 逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
 回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
 しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
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国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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mahoroba96 · 2 months ago
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日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡― @ 京都国立博物館 : 日本美術の変遷を辿りながら異国文化と出会う。国際交流でもたらされたもの、生まれたもの、外国の眼差しによって生まれた日本美術史観。そして外国由来のものを日本独自に解釈したものなど。全体的にゆったり観ることができたが、葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」だけ列ができていた。目の前で見てみたが、大波の手前にある小波の形が奥に見える富士山の輪郭と似ていて、富士山より大きく波を描くことによって奥行きが出せているのではないかと思った。仏教関連で面白かったのが、まず羽曳野市駒ヶ谷付近で発掘された仏獣鏡。5世紀に中国で制作されたもので、いわゆる中国古来の神仙思想と仏教が結びついたものだが、仏教公伝前の日本で出土している点に驚き。当時の日本人は誰も仏が鏡に配されていることを認識していなかったということか。長らく京博に寄託されている五智如来(安祥寺)のうち大日如来は、この前に見た観心寺の塔内四仏のうち宝生如来・弥勒如来とそっくりだと改めて思った。宝髻の模様(縦線の本数がひとつ違うが)、下膨れのお顔、胸元で翻る衣、切長の目が共通していて、同じ工房で作られたのではないかと推測するのだがどうなのだろう。脚部の衣文線は観心寺の方が進歩しているように見えるけど。西往寺の宝誌和尚立像は奈良博の大安寺展以来。鉈彫と顔が裂けたビジュアルは何回見てもインパクトがある。横から見た時に明らかに自然なひび割れとは違う亀裂が頭頂部から肩の方へと走っていたのだが、割矧ぎだろうか。グッズで木製スタンドがあったので購入した。その他びっくりしたのが、祇園祭の鉾に取り入れられたインド製のペルシャ風絨毯やベルギー製のタペストリー。お祭りというと保守的なイメージを抱きがちだが、身分の高い人への献上品である豪華な海外製品を山車にかけて人々に見せることで力を誇示したのかなと想像できる。全然知らなかった。そして最も嬉しかったのが、ボストン美術館所蔵の「吉備大臣入唐絵巻」である。日本史の教科書で遣唐使が触れられる時によく掲載されている。どうやら奈良博の「大遣唐使」展で目にしているようで、見るのは15年ぶり。描かれたのは宋の時代だが、平城宮跡の遣唐使船のデザインはこの絵巻を参考にしている。本展は第四巻のみ展示されており、遣唐使船の絵は目にできないが、そのかわり吉備真備が囲碁名人との対局の際にイカサマをするという場面が楽しめる。碁石を飲み込んだ吉備真備を怪しく思った唐人が下剤を飲ませ、便を調べる様子が面白い。におうのか、服で鼻を覆っていた。満州事変を起こした日本への国際的な批判が高まるなか、ボストン美術館で人々が「吉備大臣入唐絵巻」を賞賛していたという矢代幸雄の回想を目にし、文化や芸術は平和構築のエネルギーであってほしいと思った。(2025.05.02) #京都国立博物
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xf-2 · 6 years ago
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お��びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・��井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に���て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代���」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の���績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、��懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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2ttf · 13 years ago
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chaukachawan · 6 years ago
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一周回って早い奴
 エアーマンです。  流石に長くなりすぎたので分割投稿致しました。  自己最長記録を突破したかもしれません。笑えませんね。    役者紹介、黒幕&十勇士編です。  何卒、最期までお付き合い頂ければ幸いです。 ・加々見役/尾形莉奈(31期)  正直、加々見というキャラの発祥はあまり覚えていません。ふと気付いたら私の頭の中で寝ていました。人格の造形にあたってそこまで苦労した覚えもありませんし、もう何が言いたいかというと私の中でのこの方へのイメージが一つのキャラとして既に完成していたのかも知れません。それだけ、舞台に立ったこの人は格好良かった。役者さんとして以前に、人として既に悟っているオーラがある気がする。椎名林��みたいな感じ、と御本人にはお伝えしました。不思議、という評をよく目にしますがそれだけ自分の中の世界がオリジナリティに溢れている証拠ではないでしょうか。今回は加々見の中で色々整理が付いてなかったので「語られる側」の役回りになりましたが、数年後には「語る側」に回っていてもおかしくないし、役者さんとしてもそうあってほしい。あと個人的な願望としてはそうですね、アレですね。本編後の大下との絡みが見たいですね。とんでもない連中によってそれまでの価値観を粉々にされた物同士、積もる話もあるでしょう。根が自由人だから絶対相性も良いはず。たまに会ってめっちゃ高尚な世間話繰り広げてそう。今後にも期待してます�� ・暗殺者役、久保田役(兼役)/中戸太一(30期)  LOVE NOTEで主役を務めたこの人に結構なエアハラをした気がします、いやその時以来なのでルルさんと並んで一番最初に私のクセに慣れた同期の方かも知れません。いや、羨ましいです。自分があるというか、精神的な強さを持つと言うか。「人間」ってこうなんだな、みたいな感じの要素を詰め込みまくった性格をしておられます。でも、決定的に相容れない。貴方は主人公で、私はそうでないから。舞台上ではそうでしたし、これからも多分そうなのでしょう。忌憚なく話をしてみたい気もしますが、多分いや絶対喧嘩になる。  大分アドリブの多かった楽ステで、唸る部分もあれば「楽しそうだなぁ」と思って微笑ましい部分もありましたがこの方のそれはとても良かったと思います。メタは正直演出が機能してなかったのですが、だからこそ台詞の追加という大胆な真似に踏み切れた。あそこでミスってたら正直私も責任は取れませんでしたし、ペトロさん御自身もしんどい思いをなさっていたかもしれません。それを承知で、結果あそこまで物語を良くして下さった。「ルールは押し付ける物、文句があるなら殺してでも止めてみろ」。この方の行動に、私はそうした今作のメッセージを感じ取りました。  引退、残念です。また顔を出しに来てくれると嬉しいな。 ・エルフ役/西田幸輝(31期)  こんな役させてごめんなさい。でも優しいラムさんなら成し遂げてくれると思った………………成し遂げて下さいました。結果オーライですが一種のパワハラですねコレ。あとナチュラルにセクハラしたかもしれない。最悪だ。  ゆるキャラ感のある方です。だからこそ「子供っぽい役やれて楽しかった」と言って下さったのは嬉しかったですし、例の場面で本気の殺意を、そして最後のシーンで「後はお願いします」みたいな情を出してくれたのは本当に良かったと思います。セリフといい殺害シーンといい、個人的な性癖を押し付けてしまった気がする���で次はサイコパス役を当て書きしたい。キマった表情も中々いい人ですし、何なら殺されても良いとすら思った。性癖ですね。  私自身プランを提案し辛かった演技に関してご自分で色々考えて下さったのは本当に感謝しかないですし、めっちゃ考えて下さってるんだなぁという事がよく分かりました。あと大道具チーフとしてカッコ良かったです。新人頑張って下さい。舞台図を仕込み二日前に書き直させられるという拷問を受けてなお笑顔でいさせちゃダメなんですよ本来は。そんな事があってはならないんですよ。いやぁ、死にてぇ。  輝くような演技をいつか見てみたいです。お疲れさまでした。 ・魔術師役/Anna(31期)  あ、その気持ち分かる。みたいな失礼な事を内心思う事が結構多い方です。今回めっちゃ楽しそうに演じてくれ………………ていたのなら、いいな。本当に色々な意味でこれから先頑張ってほしい人です。恐らく同じ道を辿っているであろう私は応援してます。勤勉な方ですし、演劇に対する情熱もあるし、私と比べて色々な物を持っている。貫いて行って下さい。叶うのならいつか主人公役を任せたいな、と思っている今日この頃です。  屍を晒した私なんぞが言える事はそう多くありませんが、やはり為すべき事を為すのが一番です。死ぬまで足掻いて、考えなしに暴れて、貴方も含めた沢山の人に迷惑を掛けて、そうした結果は何であれ必ず帰ってきました。それらはどういった形であれ、血として、肉として貴方に還元されます。それらに無心で、無感動で、当たり前の様に食らいついて咀嚼して呑み込み続けてこそ、貴方の様な人はもっともっと強くなると思います。  今だからこそ分かりますが、私にとって躊躇こそ最もやってはいけない事でした。もう足を止める事はないと思いますが、それでも自身が無くなったらこう考えるといいです。 「どーせ、あいつより酷い事にはならない」。  そうした存在としてどうか、心の中で頼って下さい。応援してます。 ・狂戦士役/髙木悠(30期)  滅茶苦茶体力を使う役、お疲れ様でした。(狂)戦士については「ステータスは高いけど予備動作が大き過ぎてボッコボコにされる」という所までしか決まってなかったので、ばたけさんに入っていただいた事でキャラが濃くなった気がします。しかしサイコパス、難しいですよね。なんかどの創作でも「くるってるキャラ」はやり尽くされすぎていて、もうなんかとりあえず理性が外れた感じの笑い方をさせるしかないみたいな所はあったと思います。そんな中でこう、何か「頑張ってる」感が出ていたのは本当に凄いと思いました。どれだけ狂ったキャラだろうと、歪んだキャラだろうと、分かりやすい目的の為に邁進している時は何故だか共感を生む気がします。今回はやられ役でしたが、その人間味の様な所が今後更に磨かれていく事を願っています。  全く関係ない話ですが、自分を出すって魅力的ですよね。私もついつい聞かれてない事まで人に話しちゃったり、こうして誰も読みやしない文章を延々と書いて悦に浸っちゃう時があります。何が正解なんでしょうか。私自身、未だに掴み兼ねています。  他の人とは違う事情がある者同士、一緒に頑張りましょう。 ・僧侶役/西岡克起(31期)  面白い役者さんです。こう言っちゃ行けないけど、あの台本では生かしきれなかった。脚本の中でハマってはいたけど、それ以上ではなかった。  もう一回チャンスが欲しいです。そしたらどれだけ面白い物がこっちで書けるか分かりませんが、少なくともその旨い部分をお任せしたい。いやもう、平生の笑顔が光ってるのなんの。そんでもって面白い。いやもう想像でしかないんですけど、あのいつもの言葉で形容できない感じの雰囲気で「何がおかしいのか分からない」みたいな調子のボケ台詞を喋ったらめちゃくちゃウケるんじゃないでしょうか。分からない。未知数。未知数の可能性を持つ役者さんです。何をやらせても上手いとは思うけど、それでもドハマりした時の演技が一度見てみたいです。面白い奴書いてきます。「面白そう」じゃなくてホントに面白いやつを練りたい。あ、もうこれ役者紹介じゃない。願望帳だ。  いや、たった二回の公演でこの方の可能性を図るのはあまりに惜しい。なんて所に使い潰しちゃったんだろう、って感じはあります。それでも「面白い」のと「人間性がある」感じ、そしてアドリブ性の三つを兼ね備えたちゃうか御用達みたいな長所を発揮して下さいました。次も弾けて下さい。   ・盗賊役/サミュエル・ツヤン(29期)  サムさん!!!!!!!!!!!LOVE NOTEの時からお世話になっておりまして、そして今回も演出補佐として大分お世話になりました、恩人です。この方の様にしっかりした演出になるのが夢でした。二回もチャンスがあってそれが叶わなかったのが残念でならないです。一度脚本についてお話しさせていただく機会がありまして、その際に「落とし続ければいつかは受かる」みたいな事を言って励ましていただいた覚えがあります。以後、私は公演の度に脚本を書き続けて来ました。アホですね。それでもまだ続けるつもりですが、サムさんに一言激励の言葉を頂かなければここまで続く事はなかったと思います。  本公演では「一度舞台上で歌いたい」というお願いをいただきまして、あれで良かったんでしょうか………………良かったんでしょうか?カラオケで度々拝聴していた美声。登場シーン全部歌ってるとかでもよかったかもしれない、と今更ながらに思っています。また演出補佐としては十勇士が「~に従え、さもなければ!」と言ってニッキを取り囲む所等をはじめとした十勇士の集合シーン、また各々の出番を監修していただきました。イリハケの整理を呼び掛けて下さった事と良い、正直サムさんにまとめていただかなければこの稽古場は回りませんでした。本当に、ありがとうございます………………!!! ・富豪役/橋本悠樹(31期)  予想外の面白さというのは常に��るものです。正直何となくのイメージで決めさせていただいた役というのはありまして、この役についても「あそこまで繊細な読みが出来る方なら間違いはないだろう」位の漠然としたビジョンで行ってしまった部分はあって………………大正解でした。とんでもない方向に進ませてしまって、これで良かったんでしょうか。これを切っ掛けにネタキャラが振られまくるみたいな事がなければいいんですが、流石にそれをされたら親衛隊の方々が黙っていないと思うので安心ですね。シリアスもギャグも通せるなんてそんな人どこにもいませんよいや本当にもう。ご本人にも何回も言いました。先輩方が御卒業なさる事で良くも悪くもテイストが変わりかけている今だからこそ、「真面目な読みが上手い」という方は非常に重宝されると思います。この先の展開を読む限りこれが一旦の息抜きみたいな事に………………いやこのキャラは絶対に息抜きではない。「ギャグというジャンル」みたいな意味で言いましたが、それにしてもあそこまで遊んで下さるのはめっちゃ大変だったと思います。何度も言うけど予想してませんでした。殻を壊さない程度の無難な感じになるとばかり思っていたので、本当に弾けてくれてよかったです。感動したので次は洒落にならない程重い過去を背負ってもらいたいと思います。次があったらな!!!!   ・オーク役/GEO(30期)  終演後に演出の外注という案を思いついた切っ掛けになった方です。いて下さって本当に良かった。御自身も演出をなさった経験をお持ちなので、ノンクレジットの演出としてシーン練習や殺陣で滅茶苦茶助けて下さいました。キャラクターの理解も早く結構最初の段階で固めて下さったり、ああもう光り輝いて見えました。聞けばサイコパス演出とか散々な言われようなのがちょっと気になりますが、それでもすごい人望をお持ちの方です。信頼の裏返し的な奴ですね。親しまれてるのがうらやましぃ。  ところで、予告しました。この方には「当て書きして主人公にする」と予告しました。いやだってめっちゃ面白い事になると思うんです。あーリーダーやってるなぁって感じのお人柄といい、頭のキレ方といい、こういう人が「イノベーティブ人材」って呼ばれるんだなぁみたいな方なんです。いやーまだ詳しくは言えませんがこれ絶対チートギャグに映える。物語の楽しさって「想像力を掻き立てられる」所が一つあると思うんですけど、それに必要な要素をこの方は持ってます。役者としても新歓公演ではギャグ、今回はマジシリアスとどちらも凄く考えて演じてくださいましたし、夢が広がる。後、この公演で私が自我を保っていられた理由にこの方があります。もう優しい。隙あらば励まして下さる。ダメ演出を支えて下さって本当にありがとうございました。 ・吸血鬼役/初田和大(29期)  Zさん。声量が大きいうるさいイケメンと評判ですが、実はそれほど「うるさい」と思った事はありませんでした。何だろう。私が鈍いのかな。なので私にとってのZさんは悪い所が一つもないめちゃくちゃ優しい照明班の先輩です。その大きな背中を追いかけていられたのでしょうか。綺麗な事言って実際一歩も動けなかった気がします、だってあまりにも大き過ぎたから。ただただ凄くて、そこまでのビジョンなんて何も分からなくて、自分がこの人の器を継ぐのかと思うとプレッシャーでも何でもなく単に「不可能」だと感じてしまう様な、私にとってはそんな方でした。今は継ぐべき人がちゃんと戻って来て下さいましたし、31期の皆さんもちゃんと継承を済ませて下さっているのでもう大丈夫ですが。あぁなんて清々しい他力本願。  今作ではその声量を生かしてカッコいい役を演じて下さいました。いえ確かに色々コテンパンにはされましたけど、でもそれアレなんですよ。RPGのキャラが現代に出て来てて、しかも解析班の存在で内部情報全部明かされてる状況で、もう色々と無理すぎる状況で逆にあそこまで持ちこたえたのカッコよくないですか。1vs4で敵を手玉に取る殺陣を含め、威厳に満ちた、矜持に溢れた役を彩って下さって本当にありがとうございました。 ・剣客役/ガウス(31期)  ラスボス。ラスボスですよみなさん。割れんばかりの拍手を。  この方のキャラ性は演出の中で大分迷走しましたが、それでも役者さんが貫いて行って下さった先に正解があった気がします。演技指導もままならない私には分かりませんが、それで良かったのかも知れません。  ハルク、藤原竜也ときていきなりラスボス。でも演じる上でめっちゃ考えて下さるというか、キャラと真摯に向き合った上でその型を自分と擦り合わせて行くタイプの方です。次回以降も暴れて下さい。舞台に自分でもない、脚本の通りでもない、それらを合わせて辿り着いたより上の鮮烈な存在感を焼き付けて行く。それが相応しい。読みの聞こえの良さといい、役者としての底力を見せて下さったと思います。本当にお疲れさまでした。  日頃優しい。優しすぎる。面倒そうな事を率先して引き受けて下さる。何かトラウマでも抱えているのではないかと思う位優しい方なので、あまり頼り過ぎると良くない気がしてたまに心配になります。でもその分色々と暴れて発散していてくれていたら嬉しいです。トニーさんと並ぶ箱の民として頑張って行って下さい!あと小道具、杖やら矢文やらありがとうございました!  明るくていい人です。本当にいい人です。願わくばその笑顔に陰りが生まれない事を………………いや、祈るまでもありませんね。本公演、とてもカッコ良かったです!有難うございました!!  オペさんの紹介も書こうかと思ったのですが、これ以上長くなってもアレです。新人公演の稽古日誌の邪魔になっても良くないので、単にこう書きます。  
 フィルさん。  すださん。  フロンさん。
 お疲れ様でした。大変な、地獄の様な目に合わせてしまいました。  貴方達を、最後の被害者とします。  困難な表現が、あなた達のお陰で現実に近付きました。  最後まで見届けて下さって、本当にありがとうございます。
・冒頭の紙袋(久保田)役/Airman(30期)    私です。面倒なので自分でやりました。  まぁ、役としての作り込みはないに等しかったですね。情けなや。  正直、何にも出来ませんでした。  脚本を書いた位ですね。  身の程を知った、というのが丁度良い表現です。    実は私、人間ではありません。  そう呼べるだけの知能を持っていません。  お粗末な擬態で世を忍んで来ました。  何にも出来ない人間っているんだなぁと。  人間未満だから何も出来ないんですね。    何やらしても他人様に及ばない。  欠けてるからには何か天賦の才のようなものがあるのかと思ってました。  何もありませんでした。  天は二物を与えずとは言いますが、一物を与えるとは限らないんですね。  正直、後悔は多いです。  演出面での「ああしとけば良かった」が、とても多い。  役者さんは十分以上に頑張って下さいました。  それだけに、申し訳が立たない気分です。  自分の想像を人に投げるしか、出来なかった。  多分、それしか私には許されていないのでしょう。    何度か死にたくなりました。  他人に言われて、とかそんなのではありません。  自分の無能ぶりに絶望しました。  これまでの人生と同じように、幾度も。  死にたがる原因は、いつも私の中にありました。  それどころか。  私の中には、最初から「他者」がいなかったのかもしれません。 「他の人」と思っていた物は、全部自分で作り上げていた像。  人間すら「分かった気になる」。  全部自分。自分の為、自分の為。  脚本を書けなければ、ちゃうかで私が出来る事はない。  居場所がない。  情けないですが、その通りです。    呼吸のつもりで、身勝手に書きました。  それで、人様に御迷惑を掛けました。  最早私に息をする資格はない。  誇張でも何でもなく、そう思いました。  今は笑いかけてくれている。  よい言葉を掛けて下さっている。  その下がどうなっているか。  さしもの私にも、分かっていました。  薄いメッキが剥がれたら、どうなるか。  当たり前の事が起こるだけです。    誰も他人の事を注意深く見ない。  人は他人に無関心である。  だからこそ、こうして書くのです。  返事は無くていい。  返事は無いほうがいい。  私の心の中に誰もいない様に、私も誰かの中にいるべきではない。  それで、一人語りを許されている気になりたい。    この中途半端な虚無の空間に。  私は私に、死ねと言いたい。  何故、自分の事となるとこんなに長く書けるのでしょう?  どうでもいいですね。  身勝手に生き、人を食う獣は考えなくて良い事です。    どうせ。  死にたいなどと言いながら、生きていくのでしょう。  少なくとも後二、三年は。  支えて下さった皆様方。  本当に、ありがとうございました。      さぁ。  次だ。        恐怖。  不可解な存在に対する、言い表せない程のそれ。  それだけを顔に覗かせ、あの子は去った。  それでいい。  僕を殺した事なんて、気にする必要はない。  君には才能がある。  僕には、それを守る義務がある。    嘘だ。  そんな義務、本当はどこにもない。  勝手に手を出して、死んだ。  あの人の言った通り、自業自得だ。  僕の言葉は、��方伝わってはいないだろう。  死んだ人間が、生きた人間に何かを伝えるなど出来はしない。  ただ、察してもらうしかない。  ………………さて。  殺してでも止めてみろ、だったかな。    だったら望み通り殺してやる。  ただし、普通の方法でじゃない。  お前達は狂ってる。  体が死んだところで何度でも蘇って、僕を追い続けるだろう。  怒りでもなく。  義憤でもなく。  ただ「楽しい」、それだけの理由で。  死人還りは恐ろしい。  その事は、今の僕が一番よく分かっている。    あの子をお前達の「楽しみ」の為に消費させない。  全てを忘れ去る。  それで、お前達はこの件について死んだも同然だ。      拍子抜け。  最も面白くない結末。  お前達の様な獣には、それが一番相応しい。  これが、僕の答えだ。  ゲームオーバーだ、マッカブランカ。  今すぐ、消えろ。   『死ねぇえぇ、ニッキぃいぃぃいぃいぃぃぃいいいいい!!!!!!!』      午前11時。  太陽がじりじりと照り付ける陰のない大通り。  撮影中の出来事だった。  ナイフを構えたアンチ活動家が、ニッキ目掛けて突進した。 「ニッキ、危な」  気付いたレミも、庇うには遅く。          刃の先から、血液が垂れる。  悲鳴。  その場にいた誰もが、動きを止める。  そして………………        活動家の頭が、落ちた。    転がる首。  街路樹に当たり、止まる。  皆がニッキを見る。  錆付いた、RPG風の直剣。  いつの間に取り出したのか。  流れる様に首を刎ねる動きは、どこで学んだのか。  ニッキ自身、その記憶は失っていた。    沈黙が、引き始める。  いろりが口を開く。 「………………何だ、今の」 「ホンマ何なん。勝手に『死ねー』つって突っ込んできて、ほんで自分で首掻っ切った………………意味分からん」 「………………新手の抗議か、コレ」 「さぁ。ニッキ、大丈夫?」 「え、いや無傷だけど」  徐々に、街が平静を取り戻す。  いつの間にか、活動家の死体は消えている。  当の4人を含めた誰もが、無意識に己の記憶を改竄していた。  即ち。 「襲い掛かった活動家が突然、ニッキの目の前で自らの首を切断した」。  市井の人は、その様に認識していた。  奇妙な、さりとて取るに足らない出来事として消化され、忘れ去られる。  一連の光景を見る、二つの影があった。 「………………つまり。  忘れると言う行為は、大変に暴力的なんですなぁ。  記憶というのは各々の中に存在するもの。  故にこそ、それぞれで都合のいい様に勝手に解釈してしまえる。過去というものは覚えておかねばやがて消え行くもの。であればこれは畢竟、あるべき過去の改竄にも等しい。それも、一方的な。  まぁ人間、忘れるからこそ覚えておけるという物でもあるのですがね」 「誰ですか?」 「おっと失礼。わたくし矢盛と言い��す。  端的に言えば君のキャラクターに殺された久保田君の知人ですよ」 「………………ごめんなさい。初めまして」 「初めまして。あとお気になさらず。  実の所、私が君を追えたのは久保田君の残滓あっての事です」 「というのは、どういう」 「会ったのではないですかな?久保田君と」 「………………」    加々見の脳裏を過る、数日前の晩の出来事。  空間を歪める様に現れた暗殺者。  正確には、その体を借りた何者か。  加々見を殺そうとしたマッカブランカの動きを止め、その後動きもなく加々見をじっと見ていた。  怖くなって、逃げ出した。  幸い、追われる事はなかった  あの時、自分は責められていたのだろうか。 「………………ごめんなさい」  無辜の人を、殺めた。  その事実が、今になって加々美へ圧し掛かる。  始めた当初は何とも思わなかった。  殺されかけても、何とも思えなかった。  終ぞ、心を動かす事のなかった事実。  それが、知人の存在という形で目の前に現れる。    謝罪。  自然に口から漏れた、悔悟の念。  それらを何となく察しつつ、矢盛は口を開く。 「『物言わぬ人間の感情を勝手に解釈するのなんて傲慢です』  ………………なんて、どこかの医者が言いそうなセリフではないですか」 「何の話ですか?」 「おや、最近の子供は深夜ドラマを見ないのですな。  ………………まぁ、否定はしませんよ。なんだかんだ言って、分からない物を勝手に察して納得したがるのも人の情というものですからな」 「………………何が言いたいんですか」 「結論を述べましょう。久保田君は、責めてなどいませんでしたよ。  むしろ褒めてすらいた。  呪いとはいえ、よくここまでの物を作り上げられるものだと」  加々見が怪訝な表情を浮かべる。  まさか、人を殺す為の道具を褒められるとは思っていなかった。  それを見た矢盛は更に愉快そうな顔をする。 「ほぅ。想定外と言った顔ですな。  まあ要はこういう事です。この世界には、君よりももっと変わった、有り体に言えば狂った人間が山ほどいる。  君はその内の一人に一杯食わされたのです。  文字通り命を懸けて、茶番を演じさせられたのですよ」 「………………最初から、手のひらの上」 「その通り。おっと、責めないであげて下さいよ?  久保田君も死ぬ気だったとはいえ、君を救おうとしていたのですから」 「分かってます。  ………………その、何というか」 「えぇえぇ分かりますとも。  何が何だか分からない。狐につままれた気分。  亜事象と関われば一回や二回はそうなる。お分かりいただけましたかな?」 「………………あの人は」  視線を合わせず、躊躇う様に加々見が言葉を選ぶ。  それで、自分の罪が無かった事にはならないと。  矢盛が分かってくれる事を望みながら、口に出す。 「あの人は、生きてるんですか」  優しく目を細める矢盛。  どこか遠くを見る様な、さりとて近くを見ている様な。  何とも言えない視線で大通りを見て、半ば独り言を口にした。 「難しい、質問ですな。  生きているとも言えるし、死んだとも言える。  何れにせよ、『在る』のは間違いありません」  確信的で���い、回りくどい表現。  しかし、そうとしか言えない。  矢盛は、思いのままに言葉を並べた。 「これは、予想………………噂でしかない。しかし、この世に一度生まれ落ちたものは、何らかの形で残り続け、全てのものに影響を与え続ける。  舞台で言えば、パッと出て終わる様なモブはいない。こう言われます」 「………………」 「まぁ、希望論でしかないのですがな。  いずれにせよ、貴方の行いは残る。業は、おいそれと消えません。  先程首を刎ねられた哀れな人物も、久保田君も………………業となって、今も何処かを彷徨って。  やがてあるべき場所へ、還るのでしょう」  手首を見やる。  加々見の腕に、足に、体全体に。  黒い靄の様な物が、渦を巻いて絡み付く。  矢盛も、それを認識していた。 「君は、好かれていますよ。  いえ実際、私も件の吸血鬼が何処へ行ったのか分かりませんでしたが。  どうやらちゃんとあるべき場所に残ったらしい」 「………………それが」 「ええ。君です。あの貴族ばかりではない、他にも9人ばかり。  業として、君の一部となっていますよ」  靄の渦は加々見を襲わない。  ただ、残る。  そうするのが自然であるかの如く、振る舞う。 「次に進むのです。  久保田君も、きっとそれを望んでいます」 「………………分かりました」  顔を上げ、会釈をして去っていく加々見。  矢盛もまた、別の方向へ向かう。  気付けば、マッカブランカの姿もない。  それきり、交わる事もないであろう別れ。              異常を呑み込み、平衡を保つ世界の理。  或いは久保田も、そうしたモノの一部となった。  日常は、続く。  呪いじみた強固さで、穏当に流れ行く。  淡々と。  人波は、歩み続ける。
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yamayoezokkuma · 6 years ago
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内容盛りだくさんでこんなに安くて良いのって感じで満足。風神雷神図屏風もかぶりつきで見れたし、宝誌和尚立像も何度見ても良いですね。 pic.twitter.com/8go0WVYZIJ
— subdub (@subdub) September 16, 2019
September 16, 2019 at 12:05PM http://twitter.com/subdub/status/1173432712490708992
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eyesvotart · 6 years ago
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京都国立博物馆,宝誌和尚立像, 据说梁武帝命人为宝誌和尚画像,他的面门裂开露出十二面观音像,令画师无法下笔。 #design #设计师 #设计 #せっけい #디자인 #eyesvot #设计史 #艺屿文史游 #eyesvot#art #艺术 #芸術 #예술 #文化 #Culture #문화 #艺术史 #艺屿文史游 #eyesvot#视觉艺术 #创意 #Visual art #Originality #eyesvot #艺屿文史游 https://www.instagram.com/p/BvWZruaHC4M/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=t85xy8ueoekp
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lemaire27 · 8 years ago
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彼について Ⅰ
彼について Ⅰ
「じゃ、ほかの子はみんなその子の代替品というわけ」 そう問いながら、代替品などという言葉がじぶんの口から滑り出したことに驚いたし、言ったそばから撤回したくなった。こんな卑俗的な単語をかれに当てはめるのではいけない。かれについて語るとき、ただしいと思って口にしたことさえ一瞬のあいだに嘘になるような気がした。このひとの前では、どうも自分が何か言うたび恥だけを上書きし続けているような、そんな呪いがたしかにあると思う。 〈テラス・メルツェル〉のロビーの一部はカフェとして職員のために開放されている。1階から最上階にあたる17階までの中央はひろびろとした空間で穿たれて吹き抜けになっており、円蓋からはたとえ外がどのような天候であれ、いつでも晴天に相当する光が差し込んだ。白を基調とした建造物の内部はつねに木洩れ日に似た陰翳で彩られ、一瞬一瞬のうちに光によって姿を変える。外部からの光を蓄え、常に一定の光量に変換するようプログラムされた円蓋展開型プラネタと広大な吹き抜けがあってなお行き届いた空調設備、つるりとした壁や床、柱の類。それらは清潔であるほど無機質で、どこまでも生のありかを否定しようとするようにみえた。最初のメルツェル・ドールが設計した神殿。じっさいにそうなのかどうかはわからないが、そのように謳われるこのテラス・メルツェルはたしかに、人間のためにつくられ生を持たないかわりいつまでも美しくある、メルツェル社の人形そのものなのだ。ここには自社の商品のホロ広告も展示もない。ドールは街中に溢れ、誰もがそこに刻まれた社名を知っているし、この建造物じたいが巨大な広告塔だった。 「お待たせいたしました。ほかにご注文は?」 「ありがとう。他にはないよ。そうだ、14時になったら報せてくれないかな」 「ええ。報せはどのように?」 「そうだなーーこの番号へ繋いでくれると助かる」 「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」 少女が注文しておいたヴァン・ショー……熱いワインを二人ぶん運んでくると、かれと少しの言葉を交わしてまた戻って行く。そのやりとりのなめらかさにだっていちいち感嘆する。まるで映画みたいだ。 「なるほど。そうやって通信先を渡すわけだ。勉強になるなあ」 「きみはなにか俺をかんちがいしてるんじゃないかな。それにご存知のとおりー」 「冗談だってば。知ってる」 ワインを口に含む。あたたかなアルコールは喉をくべるようで、たっぷりとしたシナモンのつよい香りがほどよい陶酔をうながした。 たとえばそう、彼女だって人形だ。 なめらかな動作、表情、擬似呼吸と機能的にはまったく意味のないまばたき……もはや一見して人間と区別がつかないけれど、首のうしろ、やわらかな人工皮膚にはネクタイピンほどの銀のプレートが嵌め込まれ、メルツェル社の名が刻まれている。高品質な、人間に近しい無生物。 メルツェル社は工業用のドールをつくらない。あるひとつの仕事のためにだけ特化してつくられたドールは存在しない。ひとりのドールが助手として事務作業をこなすこともあれば、いまのように給仕をすることもあるし、もちろん働かないこと、ただ所有者のそばにひかえるだけの場合もある。ドールたちは所有者となる人間に好みのパーツをえらばれ、設定されたパラメータ・カードを挿入された人工物ではあるけれど、同時にかれらの在り方はメルツェル社によって厳格に規定されていた。すなわち、メルツェル・ドールは娯楽と鑑賞のための美しい人形でなければならず、それ以外の平均された機械のような工業的な在り方、奴隷のような使用はみとめられない。それが何代にもわたって受け継がれてきたメルツェル社のコンセプトだった。ドールを購入して得るものは好きにする権利ではなく、ひとのように愛するための権利だ。 とはいえ、不正な利用が後を絶たないのだってまた事実だった。パラメータ・カードを規定された以上に従順なものに書き換えるパッチはいつになっても駆逐されない。本来存在しないはずの機能を付け加えるガジェットも。からだを弄られたドールの回収と保護も、この施設で行われている。 そういえば、かれはそのセクションで仕事をしているときいたことがある。お互いのセクションの詳細な業務内容を明かすことは職員どうしであっても禁じられているために、具体的にはなにを担当しているのか、それはわからないけれど。 そこでようやくロビーを行き交う人々の視線がかれへと注がれているのに気がついた。ある者は悟られないように、ある者は露骨に、そのすがたを注視する。セクションがちがえば会う機会のない人間は山といるし、ふだん別館にいるかれがこのカフェへ来ることも思えば珍しい。とはいえ、それだけでないのは一目瞭然だった。こぼれかかる銀の髪、美しいがいっそ禍々しい赤いひとみ、その輪郭を象るどの曲線にも意味のあると思わせる、生きた彫刻のような男。会話をしたならその隙のなさにまた驚くんだろう。 「そうそう、さっきのこたえだけどーー」 一度途切れてしまった会話をどうつなごうかと思案していたまさにそのとき、かれはひとくちワインに口をつけると、かちゃりとていねいにカップをおいてそう言った。ほとんど合図だったし、こういう所作こそ隙がないとおもわせる所以だということを、あらためて知らされる。まるでこちらの意図をなにもかも知っているかのような、意識的でさえないエスコート。 それからかれは大げさに、すっと肩をすくめてみせた。 「……まさか。代替品だなんておこがましいよ」 からりとした、重量を感じない調子のこたえ。抜群にひとを安心させる、負の成分を含まない声、そう、その効力は絶対だ。だからこそずるいのだ。ひとこと発するだけで空気を変えてしまう。かれの印象をよりよいものへ近づけ、悪意や嫉みは少なくともかれの声のあるあいだ消え失せる。人を信用させることにおいて一流だ。たぶん、それは生まれついて。フォーマルでありながら野性的であり、そこのところのバランスが完ぺきだった。最上級の信頼ーー同時にだれもそれ以上へは踏み込めない。踏み込もうとした人間がけしていないではなかったが、来る者を拒まずあまやかされただけだといつか気づいて引き返す。それをかれは追うこともなく、ただわらっているだけだ。傷はつかない。誰もかれを傷つけられない。 かれはいつも、自分に好意を向けてくる彼女たち(あるいは彼ら)に対して紳士的かつ柔和な姿勢を崩さないけれど、思うにそれはなんの熱も含んではいなかった。ほどよいタイミングで、ほどよい距離で、ほどよい位置でそこにいて、どんな瞬間に顔を覗いても牙がみえない。だれから見ても隙のない立ち居振る舞い。俳優のような整った在り方。理想の男(アニムス)。なのにどこかで、いちばん人の情や愛と呼ばれるものから程遠い場所に立っている気がしていた。それがどんなに美しいもので、高尚であるかをだれかが語ったとしても、かれがそこにあらわれるだけで途端に陳腐な虚構に成り下がってしまうみたいだった。 かれ自身は気づいていないかもしれないが、自分に好意を向けてくる人間へのかれの想いというのは、道端で戯れてくる猫に対するときのそれと同じなのかもしれない。拒絶はせず、甘えられればのどを撫でてやる。餌をねだれば与えてやる。けれどその行為には目に見えたそれ以上の意味は宿らない。一瞬の交錯がすぎると、結び目がほどけるみたいにそれぞれの日常へかえってゆく。なまえはつけない。そういう種類のいきものだ、「道端の猫」というのは。先週どこかで見かけたのと、一年前別の場所で見かけたのと、遠い昔旅行先で見かけたのとは、「道端の猫」という同じいきものにすぎない。おれたちがある猫を撫でるとき、いつかどこかで撫でてやった別の猫に後ろめたさを感じたりなんかしないように、かれにとっては自分に好意を寄せるどの人間も等しく平均的に映るのかもしれない。それはほとんど、無価値とイクォールだ。やさしいといえばそのように写りもするだろう。だけど決定的ななにかが欠落している。 何人がそれをうめたがり、やがてあきらめたのだろう? だからといってだれかをもののように手ひどく扱うことなんかないのだって分かっている。やわらかな無関心は博愛と言い換えることだってできるのだから。 代替品などという言葉をえらんだことにたいして、まちがえた、と思ったのはそういうことだ。 「さっきのは言い方がよくなかったよ。忘れてくれ」 「いや、せっかくだからきちんと答えておこう。その子の代わりとして他の誰かを扱ったことはない。 ……というわけで、誤解は解いてもらえた?」 「……誤解、というか、ほんとうに言葉のあやなんだ。怒った?」 意味のない質問だった。ご機嫌とりみたいだ。かれがひとに対して怒ったりしないし、機嫌を損ねたりしないということを知っているのに。おれはじぶんが、せいいっぱいかれに親しくあろうとしている、ということをいやでも意識する。ときどきあるだろう。こちらだけが友人だと思っているのではないかと感じて、よけい砕けたじぶんを演じようとすることが。もうずっとそういうふうに振る舞っている。 「まさか、怒ったりしないよ。でもさ、きみやっぱり俺を何かかんちがいしてるんじゃない?」 くだけた笑いがかれから発せられる。どんな猜疑もあっけなくなかったものにするかろやかさが、そこにはある。かんちがい。そうかもしれないーーそれならどんなによいだろう。 「そうだな、それなら……あんたは優しすぎるだとかぬるすぎるとか彼女たちの言ったようなほんとにそういう理由で毎回振られてるだけで、それ以上もそれ以下もないのかも。そんなはずない、と思っているおれの穿った見方というやつで、おれが思うほどあんたは複雑ではないのかも」 「毎回振られる、ね。事実だけど本人のまえでそれをいうかなぁ、謝ってるんだか貶してるんだか。複雑、ねえ」 それってぜったいいい意味ではないでしょ、とかれは言う。屈託がなく、そのわりに上品で静かな表情、たぶん性別のない天使はこういうふうに笑うんだろうなと思った。 「悪かったってば。だけど、なんていうか意外で。そう、ほんとう失礼なんだけど、俺はあんたを人形なのかとすら思ってたくらいだしーーいや、知ってるんだけど、人間なんだってことは」 「嫌味?それは矛盾しているよ」 「そうなんだけど。でも、だいじにはするけど、好き、には見えなかったから。まるでそういう感情を知らないみたいだったから。それはたぶんほとんどの人間にとって屈辱だよ」 なんというか善人すぎてあんたは胡散臭いんだーー すっかりかれに絆されかけ(そういうことにおいて天才だ)、軽口を叩こうと頬がほころびかけて、ぎくりとした。 ……ぎくりとした? それがじぶんのどんな感情なのか理解するまで、たっぷり数秒はかかったように思う。 紅い目は笑っている。 屈託がなく、そのわりに上品で静かな表情、天使。そう、博愛の目。けして拒絶ではない無関心の目。 ーーほんとうに? 混乱した。突然じぶんが、触れてはいけないものをさわろうとしてしまっているような、なにか大切なものをまちがえたような、そんなような気持ちになっていることに。この混乱の意味がわからなかった。 かれはなんと言っていた?
代替品だなんて、おこがましいよ。
背中にひやりと流れるものを感じた。 かれのせりふがべたりと耳にはりつき、こだました。声が蔓となって鼓膜へ飲食し、このからだをすっかり染め替えてしまうような感じ。 慄えがおこった。
代替品だなんて、おこがましいよ。
かれの発した声の記録をもういちどなぞる。耳の奥にひびくうつくしいテノール。 ふっと窓の外に視線を移した彫刻めいた輪郭に、なにかそらおそろしいものを垣間見た気がした。
彼女たちが・あの子の・代替品だなんて・おこがましいよ。
やわらかな微笑をかれはけして崩さない。
混乱でなくてはっきりとした恐怖だった。あざやかすぎてそうとわからかったくらいの。 かれのその浅く弧を描くように細めた、博愛の象徴みたいな目が、手にしたいという動的な感情を持ってたしかにだれかをみつめることがあるのだということに、恐怖した。いつも微笑むときに細められる静かで優美に見えた目が、意味を変えてゆく。変貌してゆく。なぜ気づかなかったのだろう。かれの目は笑ってなどいなかったのだ。かれがああやって目を細めるとき、目の前にある事象を透過して、「あの子」の像を結んでいたのだろう。だれのすがたに重ねるでもなく、そこにその子自身のすがたをたしかに見ているように。慈しむような視線、けれどそれは寵愛ではなく、昏い憎悪さえ孕んでいる。かれは誰にも踏み入れられない場所を見つめている。
無限に広がる湫。
脳みそをすうっと撫でられたような気がして、ぞわりと全身の毛が立った。 ーーあんた、誰かを手に入れたいとほんとうに願ったことはあるの。 そう聞いたのは、ないと答えられればやっぱりそうかと安堵できるだろうし、あると答えられればかれにも誰かに思いを寄せるということがあるのだ、かれもやはり平凡な一個人にすぎないのだと、そうくすぐったく笑いあうつもりだったからだ。じっさいは、さあ、と曖昧にされると思っていたし、それでもよかった。あまりにもとりとめのない会話のたった一部だった。だけどいざその目が誰かひとりに向けられるということをこうして知ると、なにかそれがおそろしくいびつで間違ったことのように感じられた。その視線は期待したような、じぶんたちが誰かを慕い、慈しみ、愛すときの目じゃなかった。そんな範疇をとっくに過ぎていた。丹念にみがかれたナイフ。ヴァン・ショーみたいな、熱と陶酔と、からだを蝕むアルコールの毒、静かすぎる熱情。 ーーあったよ。 過去形で語られたことにはどういう意味があるのだろう。かれはこんなにもいまだ鋭いものを抱えていて、あきらめただなんてそんなことがあるのだろうか。まるで手に入れたがったもののほうから消えてしまったみたいだ。 「具合が悪い?」 声をかけられて、はっとぼやけていた視界が集束した。なにかを言わなくては、とてもそこにいられなかった。意味のないことでもいい。絞りだすようにやっとのことでことばをはなとうとする。のどがからっからに乾いているのを声を出してはじめて気づいた。 「その子はいまはどうしている? ーー亡くなったの?」 だけど、まただ、まちがえた。 あんた振られたの、そうとでもいえばもう少し冗談にも近づけられたのだろうに、もうおそい。かれはしばらくなにかを思い出すようにして、まっすぐにおれの目を射止めて、笑った。……ああ、そのとおりだ。笑ってなんかいない。 「さあ、どうだろう」 ひどく無責任なことばだったけれど、やわらかくけして突き放すようなものでなかったことにおどろいた。ほんとうに知らないというみたいで、それが事実におもえた。あるいはそんなことにはぜんぜん興味がないみたいだった。視線を逸らしてしまえれば楽だったろうに、不思議なくらいその赤い色に吸い寄せられる。そこには、蜜でもあるんだろうか。血の色のなかで誰かがみつめかえきている気がした。かれの瞳のなかに、ときどき子どもめいた無邪気な翳りが見える。 「ねえ、死はどこにあるんだろう?」 質問を質問で返すのはずるい。こっちはそれをもういちどは使えないから。答えずにはいられないから。死はどこにーーあるんだろう���どうしてそんなことを聞くのだろう。まるでそんなものどこにもないみたいに。 だけどふと、それが今月の機関誌の論文のタイトルだということを思い出した。死はどこにあるか。 「からだが……いや、主観が消えた瞬間にあらわれるもの……」 「……もうひとつ、聞いてみてもいいかな。他人の主観を、それがたしかにあるとどうやって観測するんだろう。反対に、からだのない主観がないとどうやって証明するだろう。たとえばきみが読む本の登場人物はものを思うだろうか。それが存在したり、消えたりするのを、そのひと以外にだれが観測できるだろう。たとえばからだがほろびて、閉じ込められていたその主観が外へとはなたれてまだそこにあるのだとしたなら、それでも死とよぶんだろうか」 かれが何を言いたいのか、わかるようでわからない。その内容じたいはかろうじて理解出来るけれど、意図はちっとも読み取れない。ただ完全にかれのことばに聞き惚れていた。それはどこかとおい国の詩の朗読、心地よい音楽のようだった。 おれ以外の世界のだれもが、かれでさえほんとうに心なんて持っていなくて、規定通りの演技をする人形のようだとしたなら、そしてかれから見ればおれだってそうで、かれの世界でおれがたしかに意識をもっているということを証明できないなら、だれもがだれかの世界ではそうなら。そうなら、ではない。じっさいにそうだ。心のありかは証明できない。メルツェル・ドールにだってそれはあるのかもしれない。本の登場人物にだって。 死はどこにあるんだろう。 生の死の境はどこにあるんだろう。 夢と、いま夢ではないと信じている景色の、境は? 「ときどき不思議に思わない?眠って起きたら、どうして昨日の自分といまの自分とが地続きだって感じられるのかって。それとこうも思うーーその証拠はどこにあるんだろう?まったくかたちの同じべつのからだに記憶と認識体系とをうつされたのだとしてだれがそうと気づくんだろう?主観の移植と複製。アカウントを別の端末に引き継ぐみたいにかんたんに、どんな器にもインストールできたなら。主観の創造ーー本や夢の登場人物だって、その認識体系を再現できたらからだを持つことだって可能かもしれない」 滑らかなことばたちににつよく惹かれながら、ひどいめまいをおぼえていた。三年前、かれはここへ突然あらわれた。メルツェルに手紙をすでに送ってあるといって通されたかれを案内したのはおれだった。 かれはここで何をするんだろうか? しようと、しているんだろうか? 「現実に存在しないものを手に入れようとするとき、ひとはどうするか俺たちは知っているはずだよ。物語を残したい者は小説を書く。風景を表したい者は絵をえがく。美しいすがたを愛でたいのなら、人形をつくる」 「ーーなんの話を」 「象る、ということ。 ひとの夢からかたちをつくる方法は、ずっとそうだったよ」
それからすぐかれとおれとのあいだに通信モニターがたちあがり、少女のすがたで約束の時間を告げた。実体のないそれはだけどかれとのあいだを阻むやぶることのできない薄い膜、見えない壁のようにおもえた。いまの話さえ途方もないおとぎ話だったかのように、もう行かなくてはねと立ち上がったかれの彫刻めいた顔に浮かぶのはこんどこそ完ぺきな陰ひとつない微笑だった。 結局かれの手に入れようとしただれかが、どんな人物であってどのように関わってどのようにかれの前からすがたを消したのかーーあるいはかれのほうから去ることになったのかを、語られることはなかった。死や主観の移植なんて話はそれとはまったく関係のない話で、おれをはぐらかすためのただの気まぐれだったのかもしれない。 だけどときどきこんなことを夢想する。 その子はほんとうはどこにもいなくて、それさえすべてはかれの一夜の夢だったのかもしれない。かれの中でだけ生き、かれの中でだけすがたを消した、その子はいまはまだえがかれていない物語の人物なのかもしれない。夢の国のアリス。作家が文字を連ねるように、音楽家が五線譜を彩るように、かれはまだ見ぬだれかをあたらしい技法でたしかなものに象ろうとしているのかもしれない。 そうであればうつくしいと思った。 ただしくなかろうと真実でなかろうと、それがおれの中ではもっともかれにふさわしいような気がした。かれのからだを褥として夢はそだち、いつかかれをとおしてかたちを得る。かれは死をきらっているのでも、死者にとりつかれているふうにも見えなかったから。むしろ生のあざやかなにおいすらそこにはあって、手に入れられなかったということじたいがかれにとってはひとつも惜しむべきものではなく、神聖な事実なのではないかと思えた。 その子はかれの瞳の中でだけ住んでいる。博愛と無関心だけがあると思われたかれの瞳の中で、ただ一点の炎をくべつづけている。 象るということーー。 主観の移植、複製、創造ーー夢を捏ねてかれがなにかを生み出そうとする過程で、ひとのありかたはもしかしたら大きく捻じ曲げられてしまうのかもしれない。かれの目的がそうでなくたって、だって夢の人物ではなくひとにとってはそれは死をうしなうことだ。からだが時によってほころんでそれをだれも止められないのならば、いつかみんなからだを棄てるようになるかもしれない。人形のやわらかなつくりものの器に移住するかもしれない。あるいは物語の人物が読まれることによってひとびとのあいだを渡り歩くように、ひともいつかからだを持たず情報の海をゆきかう信号になるかもしれない。これから何百年も先、かれの技法によってまったく新しい命のありかたが定義され、ひとの意識は創作世界と物理世界のあいだでクラウドできるものになり、いつか現実と夢の境界はまざりあってうしなわれるのかもしれない。だけどかれは気にもとめないだろう。なぜだかそれが心地好いものに思えた。かれの技法によって変容することは暴力的な官能だと思った。そのような力を、ふるわれてみたいとさえ思った。 三年前からの友人だ。少なくともおれはそのつもりだ。だけど、おれはこの男のことを、きっとまだ何も知らない。
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honyade · 7 years ago
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畠山愛理 × 郡司真紀トークイベント 「ロシアの美しき都サンクトぺテルブルグの華~マリインスキー・バレエを語る」
ロシア西部に位置する美しき湾岸都市 サンクトペテルブルグ。
世界三大美術館の1つで建物自体が世界遺産の エルミタージュ美術館や、「罪と罰」のドストエフスキーもサンクトペテルブルグを拠点に活動するなど、芸術・文学が花開いていました。 そんなサンクトペテルブルグの運河沿いに、美しいエメラルドグリーンの劇場”マリインスキー劇場”があります。ここでは毎夜クラシック・コンサート、オペラ、バレエが開催されており、旅行客も必ず訪れる観光スポットとなっています。 マリインスキー劇場のバレエ団 「マリインスキー・バレエ」は 、”ロシアの至宝”ともいわれる世界最高峰のバレエ団として有名で、ソリストから群舞に至るまでため息の出るような美しさに、日本でも多くのファンを魅了しています。 今回は、11月~12月にかけて行われる来日公演に先駆けて、サンクトペテルブルグに縁のある元フェアリージャパンの畠山愛理さん、子供の頃からバレエ鑑賞に親しんでおり、最近では「ねこのきもち」などで執筆している、フリーライター郡司真紀さんをお迎えして、ロシアや、ロシア・バレエの魅力について語っていただきます。 尚、映像フロアでは、8月4日(土)~8月17日(金)まで、「マリインスキー・バレエ」のポスター展も開催いたします。
【参加条件】 無料イベントですが、予約が必要です。
【お申込み方法】 以下の方法でお申し込みいただけます。 ・店頭 (1号館2階 映像フロア) ・お電話 03-3770-2525 (1号館2階 映像フロア)
【ご注意事項】 ・イベント当日は18時45分の開場を予定しております。参加券番号順にお席にご案内いたします。 ・いかなる事情でも整理券の再発行はできませんのでご注意ください。 ・本券は1枚につき御一人様のご入場となります。 ・混雑状況により、立ち見となる場合があります。 ・当日イベント開始時刻までに御来店がない場合は整理券は無効となります。 ・店内は撮影禁止です。イベント中の撮影・録画はご遠慮ください。 ・係員の指示及び注意事項に従わず生じた事故につきましては、主催者側は一切の責任を負わないものとします。 ・止むを得ず中止、内容変更になる場合がございます。
【プロフィール】 畠山 愛理 (はたけやま あいり) 6歳から新体操を始め、2009年12月、中学3年生の時に日本代表であるフェアリージャパンオーディションに合格し、初めて新体操日本ナショナル選抜団体チーム入りを果たす。2012年、17歳で自身初となるロンドン五輪に団体で出場し、7位入賞に貢献。その後、日本女子体育大学に進学し、2015年の世界新体操選手権では、団体種目別リボンで日本にとって40年ぶりとなる銅メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロ五輪にも団体で出場し、8位入賞。リオデジャネイロ五輪終了後に現役引退を発表する。 また2015年に開催されたミス日本コンテストにおいて、大会への応募に関わらず、美と健康の素晴らしい資質を持った女性のさらなる活躍を応援するという特別栄誉賞、「和田静郎特別顕彰ミス日本」を受賞した。現在は新体操の指導、講演、メディア出演などで活躍中。またこれまでの経験を活かし、イベントなどでダンスを踊ることも。新体操の魅力を伝えるため、日々奮闘中。2018年NHK「サンデースポーツ2020」のリポーターに就任し、初のレギュラーに。またBS-ジャパン「バカリズムの30分ワンカット紀行」のアシスタントとしてバラエティーにも挑戦。
郡司 真紀 (ぐんじ まき) フリーライター・編集者。出版社勤務を経てフリーとなり、ミュージカル、バレエ等エンターテインメント関連や、好きな猫をテーマに雑誌、書籍等の編集・執筆を行っている。子供の頃よりバレエ観賞に親しみ、大人から趣味でバレエを始める。モスクワ、サンクトペテルブルグでのバレエ鑑賞の旅をきっかけにロシアバレエの魅力に開眼。
会期 / 2018年08月08日(水) 定員 / 50名 時間 / 19:00~20:00 場所 / 蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース 主催 / 代官山 蔦屋書店 共催・協力 / 株式会社 ジャパン・アーツ 問い合わせ先 / 03-3770-2525
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wongsally · 8 years ago
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名古近畿紀伊關西行
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対於三重縣, 自然就想到伊勢海老, 其他ー無所知, 剛巧テレビ播出詹x自喜遊和杜x
風介紹這地方, 這地方有更多認識, 如伊勢神宮 (外/内宮)、鳥羽-海女和松板牛等.
於是先訂機票, 然後在網上予約鳥羽-鲸崎の「海女小屋‧おぜごさん」的海女午餐
(近海邉那間小屋, 只容納4至11人), 和致電丸善水產予約海上燒き牡蠣たべ放題 ,
以上兩間只接受上網和電話予約. (要多謝我同事Amy幫忙上網予約海女小屋,
弟婦同事也幫忙致電予約是否成功和我同學Olive致電到丸善水産).
之後到本港旅行社買「伊勢‧熊野和歌山地區周遊卷 5 day」¥20000, 不只去
三重縣, 還會去熊野三山, 所以才買此券. (此劵可乗坐 Jr名古屋→鳥羽、新宮→
熊野本宮バス、Jr伊勢市‧鳥羽至尾鷲、那智至那智山バス、Jr名古屋至紀伊勝浦),
還有(三重交通バス-外宮、伊勢二見鳥羽周遊“CAN バス” 、尾鷲車站口~鷲毛間
、尾鷲車站口~瀬木山、熊野古道中心間、熊野市車站口~千枚田.通峠入口、
(熊野交通バス-勝浦車站、那智山間、新宮車站~本宮大社前間、新宮車站~小口
間)再加關西广域周遊券 5 day ¥9000, 此券可經城崎溫泉.
��行會到名古屋、伊勢、松板、鳥羽、熊野、那智勝浦、城崎温泉、神户、
白浜-とれとれ市場、大阪共十二天.
1/24 乘廉航楽桃航空凌晨機到關西空港, 到达第2客運大樓,已是清晨六點, 之後坐
無料バス轉到第1客運大樓, 再乗到Jr新大阪駅轉到名古屋, 到達后, 巳是中午時份,
即放下にもつ在ホテル裡, 便乗地下鐵名城線到伝馬町下車, 在伝馬町有兩間「あ
つた蓬萊軒」, 一間是在熱田神宮的「あつた蓬萊軒  神宮店」剛才這天休日.
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另一間在熱田區神户町503的【あつた蓬萊軒  本店】, ���在車駅4番出口, 由天橋
直行向右落天橋即达, 近馬路旁, 旁边車位方便駕車前來, 到达時已是1時40分,
即登記取位, 但要待20 min, 終於到了午時休息前, 才可入席. 這1873年 (明治6)年
創業的老鋪鰻魚料理店, 招焷菜色是鰻魚飯三吃, 為了品嘗這足足使用一尾半的鰻
魚所制作出分量滿點的鰻魚飯, 從逺方來訪的客人络縪不絕. 
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甫坐下即下單點了這店名物, 用備長炭燒き的「ひつまぶし」¥3600,鰻魚飯三吃:
先將日式飯箱內的鰻魚飯分四等分份,  第一碗不加任何佐料,細細品嘗鰻魚和醤汁, 
第二碗加入葱花、芥末或海苔等佐料, 笫三碗是茶泡飯, 第四碗依自己喜愛方式品
嘗.
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吃畢后,就出發到大須商店街, 先在大須觀音駅下車, 徒歩至日本三大觀音堂之一-
大須觀音廟,
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廟旁為【大須觀音商店街】,主要售買服裝、超市、生活雜貨、擺設品及食肆為主,
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逛完一陣后, 就回ホテル辦理入住手續, 然後晩上出發到【荣】, 這裡衆多百貨公
司, 來這裡目的吃《手羽先》, 先到「世界の山ちゃん本店」這店在日本各地
設有分店, 連香港也有二間分店, 
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這裡《幻の手羽先》¥ 430 / 5 pcs, 是即叫即炸, 鮮嫩無比的雞翼用袐傳醤油調製
的鹹甜醤汁和椒麻胡椒, 加配一杯冰涷啤酒, 真是吃到一隻接一隻, 停不了,
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之後到「風來坊 錦店」, 
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甫入見到不少上班族下班到來, 熱氛熱鬧,  我們被坐到隔著玻璃的廚房, 看著年輕
廚師, 先用低溫油炸到八分熟後, 再移到高溫的油鍋中二次油炸, 用老闆親調的
醬汁所製成炸雞翼, 表面酥脆裡面滿滿的肉汁, 口感不錯. 我們點了手羽先
¥450/ 5 pcs 和もと (雞槌)n¥500 / 4 pcs, 稍感可惜沒有雞翅尖的部份.
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試過兩間手羽先, 我還是喜愛前者的口味, 之後會ホテル休息
1/25 吃過早餐, 出發到伊勢市, 到ホテル放下にもつ, 即乘車到Jr到鳥羽駅, 出了
徒歩到對面バス總站, 乗開往(鳥羽小学校‧石鏡港方向)的かもめバス, 在本浦港/
今井下車,
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在本浦港下車需下斜坡, 如在下個今井, 因已在本浦港, 歩落斜坡, 
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沿海邊方向一直行,大約徒歩20 min, 便到【丸善水產】, 筏小屋で食べるユニ一ク
な趣向が好評. 海に浮かぶ筏の上の小屋で食べるという野趣あふれる口ケ一ショ
ンが人氣. 別メ二ュ一で, 生カキ、酢力キ、カキフライなども.
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因予約了11時, 到埗后報到, 就坐下店員遞上餐牌, 因我們選了かき放顊80分鐘
¥2600 セット, 便先捧上酢カキ、カキ湯、白飯,
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之後每人一盤生力キ和計時器, 以便計カキ所蒸時間, 把鐡蓋蓋上, 待數分鐘, 就可
以進食, 超新鮮.
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吃飽后, 付款期間, 適逢社長中村修一さん在, 他得知我是予約的香港人, 便用
普通話與我傾談和一起拍照,
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之後折返回車駅回伊勢市駅, 轉乘三重交通バス到【伊勢神宮– 內宮】, 神宮125社
の中でもつとも中心となるお宮は, 皇の祖先であリ日本人の総氏神樣である
天照大御神をお祀りしているこの内宮. 正式名称を皇大神宫という. こ鎮座は遙
が2000年余り昔の垂仁天皇の御代に遡リ, 五十鈐川町の現在は, 天照大御神が
永逺の住まいとして選ばれた地だ. 
先經過「五十鈴川御手洗場」~ 五十鈐川の川原に石畳を敷き詰めて, 水際まで
行けるようになっている. かつてはここが參拝者の禊場だつた. 石畳は德川綱吉
の生母‧桂昌院が寄進したものと伝わゐ. 透明な川水で手をすすいで正宮へ向か
おう.
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然後歩至 『正宮』~ 神宮の中でもつとも格式の高いメインスボシト, 五重の垣
根と4つの社殿からなリ, 祭神の天照大御神は最奥のご正殿に鎮座されている.
ご神体は三種の神器のひとつ「八咫の鏡 (やたのかがみ)」とされる. 純白の幌
の前で, 感謝の念を捧げよう.
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『荒祭宮』~  內宮の中で正宮に次いで尊ばれている第一別官.  正宮が天照大御
神の穩やかな一面である和御魂をお祀リしているのに対し, ここ荒祭宮には積極
果敢なー面である荒御魂をお祀リする.
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『風日祈宮』~ 內宮の別宮で, 五十鈐川の支流‧島路川に架かる風日祈宮橋を渡
つた先にある. 祭神の級長津彦命と級長戸辺命は風雨の順調を司る神様.
參拝完后, 歩至伊勢神宮 內宮の門前にある【おはらい町】とおかげ横丁には,
名物グルメのテイクアウトや料理店, カフェ, 和菓子や工芸品などのみやげ物店
などが集結.
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町內必試「豆腐庵山中」, 用五十鈐川の伏流水と国産大豆、天然にがりで作る
豆腐を販売.
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我們買了うの花ド一ナシ ¥100
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和「赤福 本店」宝永4年 (1707)創業よリ参拝者に愛され続けるロンゲセラ一名
物 ● 赤福缾の製造‧売を行う. みやげ用の購入も可能だが, ここではぜひ赤福餅
のイートインを体験しておきたい.
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畳敷きの座敷や縁側席が設けられていて, 番茶とー緒にほっこり気分でくつろ
げる. 赤福 (用蓮蓉包著糯米) 2 pcs +  番茶 ¥420. 
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吃畢后, 已是5時, 商店陸陸續續休業, 於是便乘車回伊勢市駅, 到附近和民食晚飯.
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之後歩行ホテル休息.
1/26 早上到ホテル附近食早餐, 然後就出發去伊賀, 先乘鐵道到「伊賀上野」,
再轉乗伊賀鐡道到「上野市駅」,
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在上野市駅下車,
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徒歩7分至伊賀上野公園, 公園內的【伊賀流忍者館】¥756, 這在江户時代の農家
を移築, 據說在日本已有100年歷史, 於1964年開業. 館內分為「忍者屋敷」主要
介紹各種隱藏在民居大宅中的忍者機關.
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「忍者表演广場」由嚴格訓練的表演者, 演出忍術示範, 當日是休日, 沒法看表演.
「忍者體驗館」及「忍者傳承館」,展示有關忍者的武器如資料, 以供遊客參觀.
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參觀完畢, 就乗車到松板駅, 下車歩行到牛銀吃午餐, 這創業於明治35年 (1902)の
創業的【牛銀 本店】 . 松板牛の中でも最高ゲレ一ドを追求, 精肉後約2週間熟成
させ, 旨みを引き出した肉を厳選使用するなど, ごだわリを受け繼いでいる. すき
やきは肉と野菜を別々に煮て, それぞれの味を楽しむのが牛銀流.
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難得到來, 當然要吃松板牛啦!
我們甫進 ,店員引領到個室坐下, 奉上午餐餐牌,  有不同選擇,すきやきセット分
五款, 分別是寿〔特選〕 /楽 〔特選〕 /橘/松/梅, 價錢分別是 ¥17280/ ¥16988/
¥13424/ ¥11048/ ¥8672. 此しょうゆと砂糖にて味つけした當時流です.
1人前の松板肉は150g=2件です. 我們選了寿〔特選〕, 兩人所選要一致, 不能所
選不同. 待了10 min, 店員捧上松板牛和證書, 給我們看, 然後開始凖備烹煮,
先用1小件牛脂肪來煮起鍋, 放下松板牛, 稍煮片刻加上砂糖和醬汁再煮一陣.
只需沾上卵汁就可以進食, 味道不會太油膩, 肉質又滑又嫩, 也不會過份甜.
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中途煮些蔬菜, 之後把餘下一件松板牛也烹煮, 最後抱著滿足的肚子離開.
然後到【伊勢神宮~外宮】, 創建は内宮鎮座から遅れること約500年. 祭神は衣
食住全般を司る産業の守リ神.豐受大御神であリ, 正式名称を豐受大神宮とい
う. この神様, 天照大御神のご指名によリ神々のお食事係として丹波の国から呼
 び寄せられた「食」の神様としての役割も大きく, 外宮では1年365日, 朝タ2回,
古式に則って神饌を献上する「日別朝タ大御鐉祭」が行われている.市街地に広
がる89万mもの宮域の森に, 正宮のほが別宮3社, 摂社.末社.所管社10社が静
かに佇む.
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正宮~外宮の中でもっとも格式が高く中心となるお宮が正宮. 四重の垣根���6つ
の社殿からなる複離な構造になっておリ, 祭神.豐受大御神がおられるのは, 
一番内側のもっとも清淨な一角に立つご正殿.板垣內での写真撮影は禁止なの
で気をつけよう.
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土宮~2015年1月遷御の土宮は, 宮域ー帶の土地の守リ神として崇められる大土
乃御祖神 (おおつちのみおやのかみ)をお祀リする別宮. 外宮がご鎮座する以前
からこの土地におられ, 宮域内ではもっと古老の神様だ.
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多賀宮~外宮域內にある3つの別宮のうちもっとも格式が高い第ー別宮. 正宮に
次いで重要なお宮だ. 祭神は正宮と同じ豐受大御神だが, こちらは神様の活動的
な 一面「荒御魂(あらみたま)」をお祀リしておリ, 新しいことに挑戦するときの
強い味方.
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風宮~外宮の別宮のーつで, 級長津彦命令(しなつひこのみこと)と級長戸辺命
(しなとべのみこと)をお祀リしている. 農作物の収穫を左右する雨風の順調を司
る神様であリ, 元寇のときに神風を吹かせて日本を救った神様.
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參拝完, 回程沿路商店街, 两辺有不少店舗.
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因巳接近5時, 大多店鋪巳休業, 見到有間「山村みるくがっこう」 這山村乳業の
乳製品を販売する直営店. ショ一ケースには昔懷かしい瓶の牛乳や自家制
プリンが並ぶ. 冬は風味をとばさないよう湯煎したホットミルク提供.
正凖備休業時 便即購買稱年間1万個は売れる人気のプリン(即布丁) ¥250.
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見天未黑,就出發去二見興玉神社,  乘Jr伊勢市駅から參宮線で8分, 在ニ見浦駅下
車, 下車時巳是6時, 天也黑了,
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徒歩10 min,沿路有不少旅館, 往海辺走,便到這【二見興玉神社 】.
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是縁結びや夫婦円滿, 交通安全などにご利益があるという神社. みちひらきの神
様.猿田彥大神を祀る.n波間に仲良く並ぶ大小2つの岩を太い注連縄で結んだ天
婦岩は二見浦のシンボル. 天照大御神を象徴する太陽と, 夫婦岩の沖合700mの
海中にある猿田彦大神ゆかリの霊石「興玉神石」を拝むための鳥居の役目を果
たす.  夫婦岩石高さ9mの男岩と4mの女岩を結ぶ注連縄は, 年3回張リ替えられ
る.
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境內には猿田彦大神の使いとされる力工ルの像が多数ある
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猿田彦大神を主にお祀リする本殿. 拝殿の前には丸く編まれた「輪注連縄」が
置かれている. (因黑暗不便拍神社, 所以没有拍照, 只得拝拜), 拝拜途中, 有不少
人駕車前來. 之後返回伊勢市外宮附近其中一間営業至晩上十時的食店, 這店有不
少海鮮選揮. 我選擇了烏冬和
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鯵魚定食,
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友人選了不少海鮮, 如かキ、帯子、栄螺等. 之後回ホテル休息.
1/27 先到鳥羽ホテル放下にもつ, 歩行至附近的【ミキモト真珠島】¥1500
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~御木本吉 が世界で初めて真珠の養殖を成功させた島. 真珠博物館や御木幸吉
紀念館, 真珠を販売するパールプラザがある.
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目の前の海で約1時間ごとに海女の実演も行われる. (因予約海女午餐, 沒有參觀).
購買了真珠飾物做手信, 之後急往鳥羽巴士總站, (前幾天到丸善水產也是在這裡
乘搭), 
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乗かもめバス往國崎線方向, 在相差(石神さん前)下車, 往海辺方向行, 沿左辺海堤
方向一直走就會看到【相差かまど海女小屋体験--鯨崎おぜごさん】~相差漁港の
きさに海女さんの休憇所といった海沿いの建物ある海女小屋, 現役の海女さん
に素潛リ漁のよもやま話を聞かせてもらいながら, 豪快な魚介の炭火焼きを堪能
でき る. 現場有两位海女(這裡稱海女叫Ama),在屋前等待我們和另一班台灣團到
來,
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 我們在網上已予約ランチタイム ( 1 hrs ¥3500), 新鮮な海の幸を堪能したい方
にオススメ! (当日料理内容: サザ工●大アサリ●アおうぎ貝●アジ干物● カキ ●
うにごはん● ●お餅など相差で獲れた旬のもの) 
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叧伊勢海老●あわびなと, は別料金是¥3000 / 1 pcs (当日料金), 兩位海女工作
分配是一位負責焼海鮮(就是這位), 
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另一位負責招呼(這位8X歲, 現在都有也做海女, 还有我們所吃的海鮮, 也是她今早
潛海補獲), 以她這年紀精神不錯, 皮膚補養好好.
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在她們辺焼我們進食交談期間, 台灣圑也到來, 氣氛頓覺熱鬧起來, 
這裡海鮮非常新鮮, 既然还吃不夠, 加上以当日伊勢海老和あわび料金, 在香港是
不能吃到的, 必定要Encore啦! 好滿足呀!
我在這裡向兩位Ama說聲, おっかれさまでした和あリがとうごさいました.
帶著滿足和感欣的心離開,  折返途中, 見到另一間相差町かまと, 這間不是小屋,
多接待旅行團.
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之後往【石神さん(神明神社)】~ 神明神社の境内には多くの神様が祀られてい
る. なかでも有名なのが「石神さん」だ. 女性の願いを一つだけかなえてくれる
神様で, 地元の海女さんをはじめ全国から女性參拝者が絶えない.
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我也買了ド一マン‧セ一マンお守¥800. 然後乘車到伊勢神宮-內宮的おかげ横丁
買前天沒有食的可樂餅
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也再次食赤福餅(本想在這裡買盒回HK, 食用期只有三天, 只好放棄, 但幸運地在回
HK那天給我買到, 到回港翌天食用期才過), 之後乘車到松板, 吃回転焼松板牛,
從松板駐步行15min便到, 這【焼肉一升びん-宮町店】, 是全日唯一回転方式食焼
松板牛.
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像吃回転寿司ー樣, 在回転帶上看到喜歡辺碟, 按制打開門, 就可以取出, 放在爐上
焼, 注意金色碟是靚肉價錢貴D, 所以不需焼太耐, 會令肉質変老.
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1/28 吃過早餐, 取過にもっ, 就出發去新宮駅, 也是到ホテル放下にもつ, 從新宮駅
歩約10分, 經赤い欄十か美しい橋を渡って境内へ向かおう,  到【熊野速玉大社】
~(別名イザナギノミコト) と熊野夫須美大神 (別名イザナミノミコト)の夫婦神
に熊野の神々を祀る. 室町時代の将軍, 足利義滿によリ奉納された国宝「彩絵檜
扇」など1200点以上の神宝を所蔵する.               
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附近還有【神倉神社】, 538段も急峻な石段を上つた山上の地に鎮座する巨岩が
この神社の御神体. 因石級比較斜只好放棄. 乘川丈線バス往【熊野本宮大社】
經由, 車程約50min, 於本宮大社下車, 下車時天还未黑, 這本宮大社是全國3000社
以上を数える熊野神社の総本宮. 熊野参詣の旅人が熊野三山で最初に訪れた熊野
権現造リの御本殿は, 明治24年(1891)に大斎原がら遷された上四社の建物.
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国道に面した鳥居をくぐリ, 石段の参道を上ってゆこう.
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スサノオノミコトさる家津美御子大神を主祭神に祀る
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参拝后天已黑, 即往車駅, 但等了大約10分, 还未見最後班車, 只好向正駕車回家的
老夫婦問路, 因回我們所住ホテル, 車程要一小時, 所以他們載我們到交番所, 由警
員幫助我們, 他們就離開, 最後得到警員幫忙, 我們可以撘乗另一班バス回新宮駅.
(在我們等車期間, 老夫婦折返担心我們, 知道还有バス可回去, 才放心駕車離開,
在這向老夫婦和警員說声あリがとうごさいました).
1/29 這日心情非常忐忑, 因要去熊野那智大社, 要行473段石級, 担心友人體力,
在紀伊勝浦駅搭乗往那智山のバス在終点那智山下車, 歩至山下至山上, 雖要歩
473段石梯, 慶幸不算太辛苦,友人體力尚力, 終可鬆一口氣.
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終於到【熊野那智大社】~神武天皇が海上がら那智の山に光が輝くのを見て
滝を探リ当て, 神として祭ったのが始まリ, 仁通天皇5年 (317)に滝のそはから
現在の地に社殿が遌座された, 御本殿には十三柱の神々が祭られている
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熊野造の御本殿を間近できる内庭は正式参拝の時だけ入場できる. 御本毀の前に
は八咫鳥が化身したという烏石, 熊野のシンボル八咫鳥は熊野の神々の使い.
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当然要用那智の滝の高さにちなんだ133cmの名物ジャンポおみくじ求簽啦!
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境内に枝を広げる樹龄800年のクスノキは平安盛のお手植えと伝わる御神木.
願い事を書いた護摩木¥300を手に洞をくぐって開運祈願を.
往【那智山青岸渡寺】~那智の滝で裸形上人が感得した観世音菩蕯を安置した
のが始まリ. 西国三十三カ所霊場第ー番札所として知られる. 豐臣秀吉が天正
18年 (1590)に再建した本堂は国の重要文化財に指定.
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行畢后往前走, 便是【三重塔】~朱紅色的三重塔是那智山的標誌, 江户時代曾經
燒毀, 於1972年重新建造, 塔上可欣賞到那智瀑布的美景.
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既然瀑布美景咁靚. 便再往【那智の滝】(飛瀧神社)~原生林に包まれた高さ
133mの断崖から流れ落ちる荘巌な滝で, ー段の滝としては日本一の落差を誇る.
「那智の扇祭リ」は毎年7月14日にこの滝の前で執リ行われる.
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除了可正面在飛瀧神社前觀賞外, 也可付費¥300登上御瀧拜所舞台, 近距離感受
瀑布的氣勢, 
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当日天氣晴朗, 可看彩虹反射在瀑布上, 真是幸運呢!
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之後乘バス到「大門坂駐車場前」下車, 歩10min至【大門坂茶屋】~起業16年,
熊野古道を旅した平安貴族風の衣裝の着付けをしてくれる. 大門均の夫婦杉周辺
で記念撮影を楽しめるモデルコース¥2000 (所要時間1時間)と那智山に上って
散策できる体験コース¥3000 (所要時間2時間)から選べ, 女性.男性.子供用の
衣裝が揃う.
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可租平安服到【大門坂】~那智山へかう參詣, 夫婦杉から大門跡まで約600mに
渡って石段の道が続く.  因時間關係,我只好租借平安服來拍照, 工作人員只用了
10分鐘就幫我完成裝身, 又幫忙拍照. 剛巧碰見80歲老板娘在, 因她本人經常在
テレビ出現, 便請求她ー起拍照,
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之後折返回紀伊勝浦, 吃過下午茶, 
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就回ホテル, 晩上到車駅附近【bodai 母大】~這間開業11年的母大, 這店的名物
「新鮮生まぐろ」是把新鮮まぐろ沾上麵包糠略略泡油製成炸まぐろ塊, (就是下
圖左上方)味道是外脆皮薄,內軟的口感, 有不同層次的享受.之後回ホテル休息.
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1/30 早上7時先到附近的【勝浦漁港魚市場】, 參觀呑拿魚拍賣, 因前天ホテル的
員工告知可不用予約見學 (¥1000), 可在場外觀看或到2樓觀看, 當天有過千條
吞拿魚拍賣, 親眼看到不少漁民進行拍賣,交投極為活躍. 據聞交投量高達1百噸之
多.
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因まぐろ体験CAN ¥2500 (約3時間で手作リの缶詰が完成), 3日前までに要予約,
不可即時予約, 只好放棄吧! :( 參觀完畢后, 到附近吃午飯,
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之後到觀光棧橋乘〈浦島丸〉免費接駁船到【ホテル浦島】,
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這兩張照片是翌日補拍的
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ホテル浦島~面積近21萬平方呎, 內設6種特色溫泉, 包括有山頂的遙峰の湯、可
以看到海景的天海の湯、人氣最強半露天洞窟溫泉的忘帰洞 (照片是ホテル提供)
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不露天洞窟的玄武洞、
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磯の湯、
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滝の湯
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還有沿著150米長電梯上最頂的「山上館」, 剛巧當日在忘帰洞門口旁面有個指示
牌上面寫『平成28年9月1日よリ平成29年9月30日まで, 山上館の耐震工事に
伴う休館, 山上館ご利用ない施設如狼煙山遊園、浦島稻荷神社、遙峰の湯、
エスカレーター「スペースウォーカー」、展望台なと』, 沒法上去山上館, 只好
換過ゆカた便先到忘帰洞泡温泉,然後玄武洞,滝の湯,磯の湯. (記得把工作人員
交給住客的地圖, 在背面的圖顯示上蓋上所屬印章, 集斉后交回工作人員, 就可以
獲取小禮品). 吃過自助晚餐后,
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再到忘帰洞泡湯, 边泡湯边看天上星星, 十分寫意. 然後回房休息. 
1/31清晨時份, 也到忘帰洞泡湯, 边泡湯边等日出, 頓覺精神充沛, 之後吃過早餐,
取回にもつ乘船返回棧橋, 再乗船到【中の島】放下にもつ,
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就出發到串本, 出了串本駅后友人提議到樫野釣公園センタ一, 但バス来回時間不
便, 只好放棄. 到附近的串本無人不曉的【料理萬口】吃午餐, 這間小小的餐廳已
創業50之久,店內的招牌菜定平民料理鰹魚茶漬飯¥1450, 吃這茶漬飯有程序的,
首先把碗內的こぽん分半, 加入6片以醬汁芝麻輕醃的生鏗魚, 灑上兩匙醬汁, 再加
入紫菜和わさび, 就品嘗到鰹魚鮮味,之後把餘下的加在ー起, 倒入熱茶, 這可以吃
到两種不同的味道, 味道不錯.
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之後回中の島, 這ホテル是所建在海中心的 (照片是ホテル提供), 座擁無敵海景, 毎
間房間都可以看勝浦灣的景緻,
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館內有山上頂的潮聞亭, 但也有指示牌寫著『平成29年1月10日~4月27日まで, 
進行耐震工事の為, 潮聞亭のみ休館, 潮聞亭上から行ける山上逰歩道にある足湯
と魚魡リ場も御利用ない. 這表明島内に溫泉6本を保有し, 1日800トン, 毎分560
リットルと豐富な湯量を誇る天然溫泉です. すべて温泉掛け流しの 天然溫泉で
す. 還有眼前美景盡入眼底的源泉かけ流入露天風呂「紀州潮聞の湯」, 像海與
溫泉连在一起. 1階的男性露天風呂比較開掦, 而2階女性露天風呂, 有竹簾做阻隔.
也可到大浴湯,
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要付費的貸切露天風呂, 足湯『空海(そらみ)の湯』, 先換過ゆかた后到2階泡
紀聞の湯, 雖然沒有男性露天風呂開揚, 但也可以逺處看到船隻駛過, 船上人們看不
清楚島上的. 之後去餐廳吃已予約的釜飯料理, 好豐富呀! :p
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吃畢后, 經過大堂剛巧有個小型音樂會, 友人留下欣賞, 而我回房間稍作休息, 又再
次去泡湯, 之後會房間休息.
2/1  清晨時份, 也边泡湯边等日出, 然後吃早餐, 取過にもつ, 便回JR紀伊勝浦駅,
出發到【城崎溫泉】,最好選擇由京都出發, 只需時間2hr20min, 而我們由紀伊勝浦
出發, 所需時間7hr, 到逹已是下午5時許, 這裡兵庫県城崎溫泉名物是但馬牛と
松葉蟹. (建議最少住一晚)
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大部份店鋪巳休業, 只餘少部份还在營業,  (翌日補拍), 在車駅走出就看到大大隻
螃蟹鉗標誌, 駅前的湯飲場, 可試喝溫泉水, 味道就..........
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先到旅館辦理入住手續, 職員奉上可泡七湯牌子, 吃過晚餐, 就出發去駅前七外湯
之一「さとの湯」 (翌日補拍)
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之二「地藏湯」 (翌日補拍)
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之三「柳湯」 (翌日補拍)
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之四「一の湯」, (翌日補拍) 剛巧今天休日, 留待翌日去泡湯
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之五「御所の湯」 (翌日補拍), 這個旅館推介的, 因有水柱可按摩
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之六「鴻の湯」 (翌日補拍)
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之七「まんだら湯」 (翌日補拍) , 因當晚太黑找不到, 翌日休日, 最終沒法泡湯.
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所以共泡了六個湯, 因每個都試, 所泡時間很短. (要留意各泡湯的時間和休日).
2/2 翌日清晨, 就排隊進「一の湯」, 内裡是不露天洞窟溫泉, 我個人頗喜歡, 所泡
時間頗長. 之後回旅館吃早餐, 街上店舖開始營業, 海鮮店的海鮮又新鮮又便宜. 
於是我們去掛著大大隻螃蟹的「りなば」鮮魚店旁的食店,
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因時間还早, 店內沒太多人, 於是到售票機前購買食劵, 我們揀選了「かにコース
(全六品) ¥3500, 套餐有蟹蓋焉、蟹湯、蟹腳刺身、烤蟹腳、炸蟹腳天婦羅なと.
之後去附近的「茶屋」買了但馬牛まん¥300 和
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螃蟹まん¥300
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剛巧又到中午1時左右, 到小宿緣附的但馬牛的專門店~三國屋, 吃但馬牛午餐,
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甫入店內坐下, 店員奉上meau, 我們選了特選「但馬牛ステーキ 御膳」
(但馬牛ステーキ 100g) ¥4800, 套餐有先付、サラダ、但馬牛ステ一キ、ご飯、
お味噌汁、お漬物. 雖但馬牛有少計油鎌, 但味道名不虛傳, :P
城崎溫泉有得食但馬牛和螃蟹, 又有7個泡湯, 值得重臨的.
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之後到旅館取にもつ, 返回大阪.
2/3 吃過早餐, 便出發去白浜とれとれ市掦, 
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到達時, 剛巧有進行吞拿魚解體, 有不少遊客和本地人站着觀看, 等待準備購買.
我們也有購買
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也買了些海鮮(只需1萬左右, 十分便宜), 拿到市場旁焼烤場, 
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吃畢后,臨走前不忘買紀州南高梅啦! :P  
之後乗車回大阪, 到道頓堀吃晚餐, 之後回去休息.
2/4 吃過早餐, 到附近黑門市場诳诳, 就乘車到神户, 吃神户牛啦! 在Jr三の宮駅下
車, 歩至友人想到「ステーキランド  神户館 Steak Land 」在網上有不少網友推
介這店超好吃又便宜的神户牛排午餐,位在阪急三宮駅對面, 但現場肉眼看有不少
排道人龍, 最少排2hr以上才可入內, 附近分店也要排1hr以上, 因為今天旁晚乘夜
機返港, 只好放棄. 
於是去由台灣女星林x玲推介 「神户ステーキレストランーモーリや  本店」,
這裡的 Mouriya選用但馬牛是神户牛的素牛, 神户牛是一個品牌, 據講要在神户
肉流通推進協議會注册的指定農户或兵庫県內指定食肉中心養的牛在A、B等級中
BMS值, 達到6��標準以上, 才可稱為神户牛.
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因我們沒有予約, 店員把分店咭片Mouriya 澟 給我們, 在Queen’s course 大樓2/F,
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甫店坐下, 店員奉上午餐meau, 我們選了神户牛ランチ的ランプステ一キ 150g
〔A5〕¥6900, (上記コ一スにはスープ、サラダ、焼き野菜、パンまたはライス
香の物、咖啡または紅茶が付きます. 雖然價錢並不便宜, 既然來到神户, 就要食
神户最出名的美食超特選的神户牛啦! :)
因Mouriya モーリや料理方式是鐡板燒, 可以看到廚師烹煮手藝.
廚師會先在烹煮前把所選牛排, 放在鐡板前給顧客看看, 之後烹煮.
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主菜這六塊小小的ランプステーキ, 眞是不便宜, 雖然已選五成熟, 但仍有很韌.
味道尚可,
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另付費配上炒飯.
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當日廚師心情麻麻, 全程沒有表情呢! :(  
然後帶著滿足的肚子離開, 回ホテル取にもつ到機場, 旁晚乘夜機回港.
經過這十二天的旅程, 可以嘗到日本三大和牛:松板牛、.但馬牛.
也泡了四日溫泉, 好滿足, 雖然在旅途中, 產生不少驚險的事情, 但都是美好回億.
又係時候開始計劃下次東北之旅.
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kachoushi · 3 months ago
Text
各地句会報
花鳥誌 令和7年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和7年1月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
浪の花清張も見し日本海 久美子 嫁御振り褒め寒鰤に熨斗を掛く 美穂 去年今年あるやなしやの区切りかな 修二 凩や波たちあがる潦 成子 寅さんと共に過ごして寝正月 修二 水鳥は群れ鉄橋は連なりて 光子 啄みて捨てて怒りの寒鴉 睦子 海鳴りや落書の壁の凍てはじむ かおり 神ノ島へ掲げてみたる破魔矢かな 睦子 狐火の小径へ朱き紅をひき かおり ラガーマン荒ぶる君に前歯なく 修二 御影石冬野に開き納骨す 愛 祈るとは誰かを想ひ冬銀河 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜の四季諷詠の去年今年 かづを 花鳥詠む心貫く去年今年 同 待春の聲と聞きゐる鳥語かな 同 犬と居てあつち向いてほいと日向ぼこ 清女 手袋の中に賽銭初詣 同 豊齢線ますます深く初鏡 同 北陸の冬波高し妻見舞ふ 匠 霊峰へ翳す手の先初山河 笑子 柏手にある玉響の初明り 希子 恐龍像摩那姫像も冬籠 雪 誰か聞く蝶深深と凍つる音 同 而して九十四の初鏡 同 思ひ出を閉ぢ込めてゐる瓢の笛 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月9日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
初御空穏やかに晴れ八十路入る 由季子 初旅や朱の橋渡り神の島 都 一輪の床の花にも淑気有り 同 東雲に光広がる初御空 同 装ひも新たお出まし雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
経文の沁みたる罅の鏡餅 悦子 八十路来て皺も宝の初鏡 佐代子 蒼穹へ空の巣掲げゐる冬木 都 新色の紅の封開け初鏡 美紀 薄氷や予期せぬニュース聞いた日に 同 裸木に掛りしままの竹蜻蛉 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
手入れよき句碑の礎冬菫 亜栄子 雲脱ぎて聳ゆ初富士神々し 三無 浮かび来る発句掬ひゐる初湯かな 同 健やかを念じ願うて初湯かな 多美女 数の子の無数の命噛みしむる 三無 数の子の講釈長き老􄽆かな 多美女 鉛色光わづかに冬の川 幸子 山歩き終へて麓の初湯かな 白陶 蠟梅の香りに偲ぶとしあつ師 三無 餅花の一枝整ふ年尾句碑 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月11日 零の会 坊城俊樹選 特選句
冬日影内股のまま少女像 小鳥 マスクとり生肌の笑みの美しき 軽象 狸穴にかつての上司ゐて御慶 久 坂に坂また坂ありて春を待つ 和子 お詣りのしんがりにゐて日脚伸ぶ 光子 静かなる鏡の瞳寒の紅 季凜 煎餅屋くわりんたう屋に日脚伸ぶ 美紀 おもちや屋の前で春着を褒め合うて 要 遠鐘に春著のひらと振りむける 順子 福耳に干支のピアスを春隣 同
岡田順子選 特選句
指先にうすうす流す寒の水 光子 餅花を飾り髪飾りを売れり 要 恐竜の果て裸木の大銀杏 同 柳の井汲む仏恩の水涸れず 昌文 石彫のみなし児に着せ冬帽子 美紀 狸坂暗闇坂へ松明けて 要 聖人の背後流るる叔気かな 三郎 寒晴を映す井水の余白なく 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
街頭の木々の葉散らし風冴ゆる 貴薫 朝の日の届き冬菊煌めける 秋尚 寒晴の空鋭角にビルの影 同 多摩川や寒の流れはおだやかに 和魚 梅の莟膨らみ初むる空青き 秋尚 影一瞬枝の寒禽躱しきる 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月14日 萩花鳥会
つつがなく過ぐや晦日の陽が沈む 俊文 己が巳よた易く人は蛇となる 健雄 筆始め老僧一字「金」と書く 恒雄 信号を待つ間に溶けりしぐれ虹 明子 春よ来いつい口ずさむ凍る朝 綾子 初空もいつもと変はらずランニング 健児 冬風の波止に親子の釣り名人 美恵子
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令和7年1月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
年毎に賀状の重み寂しめり 実加 震へたる弓引く腕や射場始 紀子 めづらしく福井は晴れて初御空 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月15日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春の月これより空を独り占め 世詩明 振り返ること許されぬ雪女郎 同 初諷経身内の仏偲びつつ 希子 飾り焚く顔てらてらに氏子衆 同 初詣いつもの場所に犬連れて 数幸 餅花や風の動きに揺れたまふ 令子 初場所の化粧回しに郷土色 同 初場所や郷土力士に北乃庄 千加江 初鏡九十四とはこんなもの 雪 去りし人胸の枯野に火を放ち 同 美しき月日重ねし暦果つ 同 年行くと云ふ大いなる音聞かん 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月17日 さきたま花鳥句会
左義長の炎を見つむ児の真顔 月惑 とぐろ巻く白蛇の絵馬や初詣 八草 寒鴉人なき米軍基地に戯れ 裕章 白足袋に祝ぎの余韻やこはぜ解く 紀花 若水をしたためし筆「金」と書く ふゆ子 ふだんより勢ひ盛ん初句会 としゑ 平和へと進む節目や去年今年 久絵 堂の奥閻魔舌出し冬うらら 康子 初みくじ凶にくじけず息災日 恵美子 巳年なる昭和百年初詣 みのり 午前五時なほ煌々と冬の月 彩香 雪見酒手酌の猪口は江戸切子 良江
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令和7年1月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
天心へ直立のこゑ鳰 千種 朴冬芽尖りて天を刺す勢ひ 三無 鐘楼は高く臘梅香りきし 芙佐子 撞くことのなき梵鐘へ蝋梅黄 慶月 葦原の風ぐせ堅く枯れてをり 千種 寄生木の透け高々と春隣 久子 白鷲のふはりと跨ぎ霜の田へ 同 誰を迎ふ好文木の年尾句碑 幸風 雪富士の淡く城山見てをりぬ 慶月 冬蝶にかどはかされし園児どち 経彦
栗林圭魚選 特選句
膨らみて辛夷の莟混み合へる 秋尚 葦原の風ぐせ堅く枯れてをり 千種 笹鳴や桝形山の尾根の径 幸風 万両の実の熟したる常夜灯 文英 観音は胸に日を溜む冬うらら 三無 冬の日をふんはり溜めてねこじやらし 秋尚 代々の僧都の墓や冬木の芽 芙佐子 臘梅のこぼれし香り栞りけり 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年1月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
閉ぢ込めし思ひ出を吹く瓢の笛 雪 初明り庭の一木一草に 同 謹みて猫には猫語もて御慶 同 大寒や西日ふくらむ日本海 ただし 大寒���日野山仰ぐ式部像 同 二人だけの内緒の話初電話 清女 待春の息吹き一木一草に かづを 真向ひの日野の霊峰初茜 英美子 冬晴れの指先までもはづむなり 洋子 女正月話あれこれ湧く如し みす枝 庫裡の窓埃いつぱい日脚伸ぶ 和子 葬送のリムジンに舞ふ雪の花 嘉和 無人駅一人乗込む雪女郎 世詩明 白山の雪の白さを拝しけり 同 雪解水九頭竜川を疑がはず 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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kachoushi · 1 year ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅱ
花鳥誌2024年2月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
  山寺の宝物見るや花の雨
 季語は「花の雨」で『新歳時記』では「花」の傍題。山寺で宝物に見入る「寂び」の境地を云々されたこともあったが、『虚子百句』の立子の評は、それを覆している。
 父はあまりお寺やお宮などの宝物に興味を持っていないと思います。それが特に宝物を見るというのは何か余儀なくそうして時間をつぶしたという心持ちがあるのでしょう。
 つまり、「宝物見るや」と「や」で謎をかけておいて、「花の雨」で降り籠められただけだったんだよと明かし、軽い「笑い」を受け取れば、それでいいのだということである。虚子は『俳句はかく解しかく味ふ』の冒頭で、歴史を詠んだ古俳諧を取り上げ、こう言っている。
 俳句の詠史は漢詩や和歌などと違うてその事柄を優美にしたり、荘重にしたりすることはしないで、むしろその事柄と反対に卑近な物を持って来たり、滑稽な物を持って来たりして頓挫を与えるものが多い。(中略)
 同じく滑稽味と言ったところで、これらはげたげた笑うような滑稽ではなくて底には淋し味も含んだ品のいい滑稽である。ユーモアというような部類に属するものである。  
 巻頭で語っているから、これは俳句の本質論でもあって、下品なくすぐりは感心しないが、「頓挫」があって「ユーモア」がある、というのが、虚子の言う、漢詩・和歌に対する俳句の特質であったわけだ。
  力無きあくび連発日の盛り 虚子
 虚子はよく欠伸をしたという。選句中は虚空を見上げたとも(『俳句と自分』)。俳句は深呼吸のようなものだ、という言葉も残している。欠伸や深呼吸をすれば、必ずいい句が生まれるというものではないが、息を詰め、肩を怒らす、そのような心持ちで俳句は詠むものではないという思いも伝わってくる。
 いい意味の虚子の「余裕」を、この句にも見るべきだというのが、立子の言いたいところなのである。山寺の幽玄な雰囲気に浸っていた、などという解釈こそが、芭蕉を神に祭り上げた「月並」と同様の陥穽ではないのか、とも解せる。
 『虚子百句』のレイアウト上の構成を考えれば、前に掲げた〈美しき人や蚕飼の玉襷〉は、完全な人事句。それに比して「山寺」句は叙景に近い。句集の編集の妙は「変化」にある。さらに、「や」の使いように注目すれば、「や」の位置と、上に来る言葉の性質の違いはあるものの、両者「頓挫」がある。片や品のある美人のうなじをさりげなく暗示し、片や所在ない山寺の退屈を笑ってみせた。二物衝撃などという肩ひじ張った合理的機能を言い立てる前に、俳諧以来の技法の「底」を浚う方が、地に足がついている、とも言いうる。
 なお、この句は題詠であって、単純な嘱目ではない。『年代順虚子俳句全集』第二巻では「桜十句」の題で八句は記録され、その中に掲句が確認できる。
  花見船菜の花見ゆるあたり迄
  山駕や酒手乞はれて桜人
  藪原や櫛売る家の遅桜
  花の雨蒲団ぬらして誰が庵
  大江山花に戻るや小盗人
  山寺の宝物見るや花の雨
  夜桜や栂川楼を出る芸者
  夜桜や用ありげなる小提灯
 「藪原」は明治二七年の木曽の旅、「栂川楼」は柳巷花街の柳橋のことと本井英は考証している(「虚子『五百句』評釈(第七回)」『夏潮』二〇一六年六月)。ともかく、山寺句は、子規在世当時、蕪村に倣った修練法「一題十句」において成立した句だった。並んだ句はみな小説の一場面といった趣きである。
 虚子はこの頃、『俳句入門』(明治三一年)で、写生とともに題詠の重要性を説いて、特に「一題十句」は、遊戯的な仕掛けを通して、言葉の取捨選択や、季題への深い理解につながるものがある、と言う。今の伝統派にも残る修練法だが、見るだけでなく、記憶し、想起することも写生の中に含まれることも明記しておきたい。書は前の句に比べて薄いムラがある。
  芳草や黒き烏も濃紫
 『五百句』注記に、「明治三十九年三月十九日 俳諧散心。第一回。(九段上)小庵。会者、(高田)蝶衣、(松根)東洋城、(岡本)癖三酔、(岡本)松浜、(柴)浅茅。尚この俳諧散心の会は翌明治四十年一月二十八日に至り四十一回に及ぶ。」(括弧内、井上注記)とある。
 「俳諧散心」は、子規没後ライバルであった河東碧梧桐を意識した鍛錬句会のことである。橋本直「「俳諧散心」と近代個人句集の起こりについて」(『夏潮別冊虚子研究号』10)に詳しい。「ホトトギス」の事務と編集を担当していた松浜が謄写版で句会稿を翻字した「芳草集」が虚子記念文学館に所蔵される。
 「散心」は元来仏語で、仏事に専心しない散漫な状態を言うが、転じて、そのような凡夫の心にも一心に念仏すれば成仏する意味を含み、ここは俳句の鍛錬に集中する「行」の会を意味する。
 『虚子俳句全集年代順』第二巻(昭和十五年)には、「俳諧散心」の虚子句を集中して掲載しており、掲句は、「第一回、草芳し十句」と記されている通り、一題十句の中の一句であることが確認できる。掲句の他三句に絞って記しているので、挙げて置こう。
  垣間見る好色者に草芳しき
  人屋出てふむ時草の芳しき
  芳しき小草もゆるや塔の下
 このうち「好色者(すきもの)」の句は、『喜寿艶』に載るが、掲句は春の光を受けて烏の漆黒も濃い紫に見える、というわけである。子規の最晩年に
  黒キマデニ紫深キ葡萄カナ
 という句があり、意識したかも知れない。拙著『子規の内なる江戸』で指摘したことだが、二つの色を比較して際立たせる手法は、典型的な子規の写生の方法で、洋画からの発想である。有名な碧梧桐の、
  赤い椿白い椿と落ちにけり  
 という句もその成功例であり、印象明瞭な子規派の俳句の新味であった。虚子もこの路線で詠んだわけである。
 問題は、「芳草」という季題の表記であろう。字数の加減で、上五にこの言葉を持ってくるとき、「芳草」と漢語にして文字を惜しんだことは、容易に想像がつく。しかし、それだけのことなら、ごまんとある自句から掲句をわざわざ選んだりはしないだろう。「春の草」「草芳し」でもよかったことになる。
 漢語の「芳草」を持ってきて「や」で切��形は、調べから言って、漢詩のような格調をもたらす。また、掲句は取り合わせの句である。その取り合わせた中七・下五でポイントになるのは「も」である。この言葉は、「AもBも」という現代でも使う意味の他、『万葉集』以来「〜さえも」という含意を持つ(上野洋三『芭蕉論』「も考」)。
 烏の背景は、「芳草」の若々しい「緑」である。その背景の「春光」によって、烏の羽の漆黒さえも「濃紫」の艶を得たということなのである。ここに「緑」「碧」「青」の字を置いては、くどくなってしまう。匂いたつほどの緑を暗示する格調高き「芳草」としておくことで、下五の「濃紫」から反転して「緑」が感得できるようにしたのが、この句の眼目なのである。
 色の比較の句は、つい知的な操作に終始してしまい、季題を生かすことから逸れてしまいがちになる。しかし、掲句は子規や碧梧桐の色の配合句に負けない、季題という中心点を把握して見せた出来栄えのいいものだ。虚子と言えば、一物仕立てという公式は当てはまらない。これくらいのことは、虚子もやってのけた、というわけである。
 なお、一題十句は、蕪村の『新花摘』に学んで子規らが始めた修練法で、その始まりは明治二十九年にさかのぼる。虚子は『俳句入門』(明治三十一年)で以下のようにその効用を述べている。題をころころ変えて、一句しか詠まないより、この方法の方が、題をあれこれ考え、十句のうちから幾つかは佳句を得やすい、と。つまり、袋回しで題をいくつも詠むより、費用対効果がいいわけである(井上『近代俳句の誕生』)。虚子の、特に青年期の修養がこうして題詠を中心になされていたことは記憶にとどめておくべきである。
『虚子百句』より虚子揮毫
  美しき人や蚕飼の玉襷
  山寺の宝物見るや花の雨
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(国立国会図書館デジタルコレクションより)
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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kachoushi · 5 years ago
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各地句会報
花鳥誌 令和2年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
令和2年6月4日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
走り梅雨水たまりにも空があり 英子 網戸より闇を通して隣家の灯 都   厨口丸の一筆夏暖簾 都   さヾれ会(六月五日) 路地の子に路地の遊びや蚊食鳥 雪   蜘蛛の巣の裏側のぞきゐる女 同   万緑に仕上げられたる故山かな かづを 老鴬に誘ひ込まれて故山かな 同   点眼しなほ万緑の溢れをり 希   もどる道忘れ戸惑ふ蟻二匹 笑   夏のれん家紋もしかと杜若 雪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月6日 零の会(投句のみ)
坊城俊樹選 特選句
色街に飼はれ緋鯉の水暗く 美紀 下闇を流るゝ水は星と遭ふ 順子 噴水を昂りながら離れけり 伊豫 水音を石柱に聴く夏館 眞理子 父の恋滲んでをりしサングラス 順子 元帥のポーズ決まりてサングラス 佑天 夏蝶のやはき香りとすれ違ふ 三郎 万緑や石の狐の舌真赤 和子 蛞蝓が引く銀の道辿る子ら 緑   霍乱やあなたのあとを追はうにも 公世 モンスーンにバナナ追熟してをりぬ 光子 梅雨寒やエプロンの紐床に垂れ 和子 抱かれてパナマ帽へと手を伸ばす 久   島の夜は客もボーイも裸足にて 光子 サングラス語彙の乏しき親しさよ ゆう子 眉上げしグレタ・ガルボのサングラス 公世 行列に並ぶサングラスの不満 久  
岡田順子選 特選句
サングラス浜の女になりきつて 秋尚 そうだねと答へてくれる水母かな 小鳥 水上を死してもワルツ水馬 伊豫 男独り仏を彫りて短夜を 炳子 中止かも知れぬ祭の飾りかな 淸流 噴水の風にながれてゆく港 伊豫 掌の水母は沫となりゆけり 伊豫 緑蔭に謎の石組み団子虫 要   サングラスを旅荷の上に眠りけり 光子 尺蠖は雲の高さを測りつつ ゆう子 行列に並ぶサングラスの不満 久   胎の子に夏の沖てふ水遙か 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月8日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
馬鈴薯の花の果てなる夕日かな 上嶋昭子 新茶に酔ひ眠れぬ一夜過ごしけり さよ子 日焼顔八の字眉を太く描く 世詩明 久に来し女が覗く麻暖簾 昭子 この闇を待ちこがれてか初蛍 英美子 水鉄砲母はこのごろ無愛想 上嶋昭子 蒐集の香水全部置いて嫁く 上嶋昭子 田植終へ一村水の都なる みす枝 早苗みな南に伏せる風荒し 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月9日 萩花鳥句会
かたつむり昨日も今日も同じ葉に 小勇 田植すむ水田きらきら水鏡 祐子 手を添へて田植手解き父の顔 美恵子 見えざる手過疎に残りし植田かな 吉之 バスカード遠出叶はぬ木下闇 健雄 安らぎと安堵を呉るる植田かな 陽子 夏木立過ぎ去りし日々いとほしむ ゆかり 手鞠花天日続きてしぼみゆき 明子 五月晴校庭に子の声あふれ 克弘
(順不同) ………………………………………………………………
令和2年6月11日 さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
夏の日や馴染の店の解体す 光子 籐椅子の色艶増して定位置に 寿子 青梅雨に身を翻しゆく男の子 登美子 麦青む坂井平野に一両車 令子 待合や堤防はみな葉桜に 同   昼休我等一斉草取女 紀子 紫陽花の色いつかみた淡い夢 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月12日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
海神へ茅花流しは波を繰り 都   投網打ち子らに教へて夏座敷 すみ子 若き日のミシンを踏んで縁の夏 立子 牛蛙点さぬ街へ真言を 都   漸うやつと背中割れつつ羽化の蟬 宇太郎 目が合へば半夏の仏微笑まれ 悦子 アマリリス元気をくれて聞き上手 史子 緑蔭に車座になる仕事師ら 史子 遺跡田に古代米てふ田植ゑかな 益恵 朝���だき森の静寂や白き蟬 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月13日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
張り替への網戸広ごる緑かな 亜栄子 玉葱を切る音小気味良く響き 秋尚 菩提樹の仄かな花の香をくぐる 同   根のするり抜け丈高き草引けり ゆう子 庭の闇深まり網戸よりの風 秋 尚 こぼれ落つ南天の花友の逝く 多美女 レールより外れし網戸雨止まず 白陶 小さき傷���む予感して梅雨に入る 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月16日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
迷ひたるとしか思へぬ初蛍 雪   魚板の目魚板の鱗梅雨に入る 同   里いもも大字小字梅雨に入る 一涓 新緑の香を纏ひ来し太公望 信子 ぼうたんの匂ひもとろも崩れけり 同   金魚掬ひ息を合せて息止めて みす枝 何もせぬ事に疲れて梅雨籠 中山昭子 静謚の山河を籠めし梅雨の霧 同   あれぐらゐ事とゆるせる冷奴 上嶋昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月16日 伊藤柏翠俳句記念館俳句会
占師燕巣立ちし軒を借り 雪   花楝今宵は月の師の句碑に 同   消灯し一人窓辺に蛍待つ 文子 初蛍草に生れて水に消ゆ ただし 万緑の故山を包みゐる山気 かづを 火取虫左手払ひ文を書く 清女 梅雨最中相合傘を楽しめり みす枝 毬なさぬ四葩あまたや渕の上 一仁
(順不同) ………………………………………………………………
令和2年6月17日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
すたれゆくものの一つに団扇かな 世詩明 三国向く継体帝像風薫る 千代子 眦を上げし少年雲の峰 和子 女童の手首ふくよかさくらんぼ よしのり 野放図の庭蜘蛛の囲の無尽蔵 同   大いなる魚板の鱗梅雨に入る 雪   天地の焦げんばかりの麦の秋 同   知りし悔知らざりし悔髪洗ふ 同  
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月21日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
代を掻くまでは白詰草のもの 淸流 青蔦や電波塔とも火の見とも 炳子 万緑の底濁したりむじな池 千種 合歓ひらく淡き浮雲からめつつ 千種 通し鴨谷戸の天地思ふまま 芙佐子
栗林圭魚選 特選句
頼りなき影揺れ止まぬ植田かな 秋尚 里山を見渡すやうに立葵 貴薫 万緑の底濁したりむじな池 千種 一匹の川蟹子等の宝物 久子 植田風ふはりと谷戸を包み込み 三無 堰溢る水の勢ひの青田かな 炳子 梅雨晴れや女が二人むじな池 佑天 合歓の花目覚めて空の眠さうに 斉   静寂なる谷戸田の隅に余り苗 幸風 広き森定まりてゐる蟻の道 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月 なかみち句会(投句のみ)
栗林圭魚選 特選句
街道に昼を小暗く楝咲く 怜   くつきりと轍ぽとりと柿の花 あき子 紅熟のゆすら輝く狭庭かな エイ子 服濡らし目高掬ひて子らの缶 有有 闘病や寄り添ひ歩く夏木立 美貴 水槽に寄れば忙しく目高散る 有有 赤い靴細いジーパン跳ねる夏 和魚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月 九州花鳥会(投句のみ)
坊城俊樹選 特選句
下闇や崩るるままに石仏 ひとみ 会へぬ日の刻の長さよ梅雨に入る 久美子 瞑りても耳朶へ涼しき鳥語かな 寿美香 貸しボート乗る人もなく寄り添うて 順子 匂ひたる女の齢白日傘 孝子 天界の風ながれきて枇杷熟るる 佐和 啼きながら何処へ真夜の時鳥 由紀子 霊のせて飛べよ折鶴明易し 成子 短夜の空白むまで子守唄 順子 万緑や孵らざるもの影をもつ 寿美香 夏草や百済見据ゑし狼煙山 寿美香 入り口はこちら闇夜に茅の輪立つ 愛   トロ箱にポピー育てて漁師妻 初子 短夜の点滴終のとき刻む 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年6月 札幌花鳥会
坊城俊樹選 特選句
潮風のそよぐ故山の夏の浜 独舟 麦秋を裁ちて一直線の道 美江 麦秋の村を最後の一輌車 同   雨蛙水の匂ひの米どころ 同   人数に勝る牛馬や大夏野 岬月 天空も風も緑をなす十勝 同  
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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