#とにかく明るい安村
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douganow · 1 year ago
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とにかく明るい安村 が出演する 明治 きのこの山のジクココア風味 のCM「ビーチでエンジョイ」篇「HOTでエンジョイ」篇「暑すぎてエンジョイ」篇
https://www.meiji.co.jp/products/brand/kinotake/ Continue reading とにかく明るい安村 が出演する 明治 きのこの山のジクココア風味 のCM「ビーチでエンジョイ」篇「HOTでエンジョイ」篇「暑すぎてエンジョイ」篇
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osasater · 1 year ago
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とにかく明るい安村、今度はアメリカで大ウケ オーディション番組で喝采を浴びる「この男を好きにならずにいられない」
無事予選を突破。
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payo2 · 1 year ago
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SNSで話題になる前から握手や抱擁で喜びあってますね。広い意味では早合点もそうなので昔からある事ではあるのですが、前後の脈絡を見ずに一連の流れの中の一瞬一面を取り上げてそれがすべてのように見る事は今の流行りなのかもしれませんね。
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sekasu2007 · 2 years ago
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有吉弘行、『サンドリ』にインポッシブルがゲスト出演すると伝えたところとにかく明るい安村が驚きの一言を言っていたと明かす
有吉弘行、『サンドリ』にインポッシブルがゲスト出演すると伝えたところとにかく明るい安村が驚きの一言を言っていたと明かす #有吉弘行 #とにかく明るい安村 3インポッシブル #snd
2023年7月30日放送のJFN系列のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(毎週日…
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osuminorio · 9 months ago
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koch-snowflake-blog · 7 months ago
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傳谷 英里香は、日本の女優。千葉県出身。KON-RUSH所属。女性アイドルグループ「ベイビーレイズJAPAN」のリーダーであった。 ウィキペディア
生まれ: 1995年11月2日 (年齢 29歳), 千葉県
映画: なれたら
身長: 158 cm
事務所: レプロエンタテインメント(-2022年7月); KON-RUSH(2022年11月-)
血液型: B
日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた。洗礼名はアンジェラ(Angela:イタリア語で天使の意味)。日本語の語順ではアンジェラ傳谷英里香となる。
スポーツ全般が得意。公式プロフィール記載の特技であるバスケットボールは小中の7年間部活に入部しており、中学生時代には副キャプテンを務めていた。同じ時期、水泳部、陸上部も掛け持ちしていた。スキューバダイビングは2017年夏に日帰りで資格を取得。
運動能力反射神経ともにメンバーの中ではずば抜けており、ベイビーレイズのメンバーと運動で争う企画では独壇場であった。
ピアノも幼少時より習っており、���第17回Japan Expo」のため渡仏した折には撮影で訪れたモンマルトルの丘にて両親の思い出の曲であるサザンオールスターズの「TSUNAMI」を演奏し、居合わせた現地の人や観光客の注目を集めた。
ベイビーレイズJAPAN結成以前はモデルまたはソロアーティスト志望であり、黒木メイサや安室奈美恵を目標としていた。このため結成当初はアイドル活動に全く乗り気では無く、自身のTwitterやブログなどで「元々アイドルというものが苦手でやりたくなかった。」とも語っていた。しかし、ベイビーレイズJAPANのメンバーとして活動していくにつれて「今は(アイドルが)好きです。ちゃんと言えます。」「前の自分に会ったら引っぱたきたいくらい全然違う世界だった。」と思うようになり、アイドルに対する考え方も変わっていったという。
ベイビーレイズ時代は「やるならとことん」を座右の銘としてことあるごとに明言しており、キャッチフレーズにもなり実際の行動規範ともしていた。
10代の間に体験しておきたいと、20歳の誕生日前に群馬県のみなかみバンジーでバンジージャンプを体験した。
ベイビーレイズ(JAPAN)時代はハーフと言うこともあり漢字が苦手キャラであったが、読書家であり実際はそれほど苦手ではない。自身の苗字の「傳」の字もバランスよく書きこなし、客観的には達筆の部類に入る。
『世界ふしぎ発見!』(TBS)の解答者として初めて出演した回を含め合計3度{2019年5月時点}もの全問正解のパーフェクト賞を獲得し、推理力・考察力に秀でた才女ぶりも披露している。
ロック音楽が好き。2017年1月に名古屋で共演してからSUPER BEAVERの大ファンとなり、1人でワンマンライブに参戦するほどである。女性シンガーでは阿部真央やあいみょんが好き で、ファンクラブイベントで彼女らの曲を歌唱披露したこともある。
読書好きであり、仕事の合間を縫って様々な本を読んでいる。哲学書や自己啓発本も好んで読む。小説も幅広く読むが、川村元気や住野よるの作品に造詣が深い。漫画はほとんど読まないが、ファッション関係の仕事に関心が強いこともあり、『ランウェイで笑って』は好きな作品であると表明している。
映画も非常に好きで、オフや仕事の空き時間を縫ってよく鑑賞する。幅広いジャンルを鑑賞するが、ドキュメンタリー物が好み。ファンイベントでは、おススメの映画として『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、『湯を沸かすほどの熱い愛』、『ワンダー 君は太陽』、『ルーム』、『君が生きた証』を挙げ、作品に対する熱い想いを大いに語った。
  
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chikuri · 11 days ago
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2025.6.15千葉県浦安市 「明治、様々な外国人が日本に訪れた。動物学者のモースさんが隅田川の川開きを見た。ものすごい船と大量の人が行き交っているのにどこからも怒声は聞こえない。聞こえるのは「ありがとう」「ごめんなさい」だけ。そういう国を無くしてはいけない」北村晴男
Xユーザーの🎌ちびまめこさん: 「2025.6.15千葉県浦安市 「明治、様々な外国人が日本に訪れた。動物学者のモースさんが隅田川の川開きを見た。ものすごい船と大量の人が行き交っているのにどこからも怒声は聞こえない。聞こえるのは「ありがとう」「ごめんなさい」だけ。そういう国を無くしてはいけない」北村晴男 #日本保守党 https://t.co/sCuWyXzLIG」 / X
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wankohouse · 10 days ago
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三社祭 中村会 刺青 和彫り
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三社祭 西浅三北(西浅草三丁目北部) 中村会
刺青 和彫り ふんどし
中村会 - Search / X Photo by YUMA YAMASHITA on May 23, 2024. 写真の説明はありません。
【中村会】1950年頃、抗争事件で長期服役した中村利宣が、多数の舎弟や若衆を引き連れて浅草に事務所を構え、中村会を発足。300人近いグループを形成していた。時代背景もあり、浅草周辺では影響力の大きい組織であった。三社祭りに於いて、太平洋戦争終結以降の古くから、浅草一帯を事故や神輿でのトラブル防止の為、浅草高橋組と同様、商店街商工会の指導に従い、それぞれが法被を統一し、催しを笛や掛け声で安全に仕切る「祭りごと」に必要な老舗組織でもある。
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shoji · 1 year ago
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大使館でとにかく明るい安村さんの表敬訪問をお受けしました。 私からは、ジョージアでは全裸は公然わいせつ罪に当たる可能性があるとして、強い懸念を示したところ、とにかく明るい安村さんからは「安心してください、はいていますよ」と説明がありました。 私からは、一定程度の理解を示した上で、とにかく明るい安村さんのジョージア訪問を歓迎すると激励の気持ちをお伝えしました。
((2) Xユーザーのティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使さん: 「大使館でとにかく明るい安村さんの表敬訪問をお受けしました。 私からは、ジョージアでは全裸は公然わいせつ罪に当たる可能性があるとして、強い懸念を示したところ、とにかく明るい安村さんからは「安心してください、はいていますよ」と説明がありました。… https://t.co/mMZccZfp7H」 / Xから)
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simamamoru · 1 year ago
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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作  島 守
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新隊員の便所はノリだらけ
 朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、��なりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
 それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
 でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
 それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
 そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
 前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
 まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
 それは3ヶ月前
 桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
 なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
 それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
 俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
 この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
 勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
 入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
 そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。 
 両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
 苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
 
 四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
 消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
 思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
 ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
 なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
 すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
 畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
 知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
 淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
 彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
 俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。 
 たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。 
 地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
 一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。
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 すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
 銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
 3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だから��と数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
 営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
 その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
 うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
 なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
 今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
 午前中に寝泊まりするテントを設営する。
 午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
 1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
 もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
 野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
 二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、そ��でも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
 三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
 今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
 隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
 ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
 畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
 すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は��身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
 自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
 俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
 日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
 そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
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<前期教育終了4日前>
 パンツの隙間から半立ちのものが…
 教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
 やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
 バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
 いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
 突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」 
 奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
 そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
 再会をめざして頑張ろう
 とうとう、今日という日が来てしまった。
 俺���奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
 遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
 新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
 俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
 そして後日談…2024年
 題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
 原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
 勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
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 その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
 もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
 その後俺も2等陸曹で��願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
 2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
 俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
 読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
 職務上死の覚悟を要求される世界。
 その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
 べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
 文中漢数字が多いのは縦書きの影響。
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「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。
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douganow · 21 days ago
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浜田雅功 小野花梨 とにかく明るい安村 らが出演する プロミス のCM プロミス号!あんしんがいいね!「プロミスの想い」篇「ご返済方法を選べる&デジタル取引での手数料無料」篇
https://cyber.promise.co.jp/APA01X/APA01X01 Continue reading 浜田雅功 小野花梨 とにかく明るい安村 らが出演する プロミス のCM プロミス号!あんしんがいいね!「プロミスの想い」篇「ご返済方法を選べる&デジタル取引での手数料無料」篇
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moment-japan · 6 months ago
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1978年 赤穂城断絶
監督:深作欣二
撮影:東映(東映太秦映画村)
出演:萬屋錦之介、千葉真一、松方秀樹、若林豪、三田佳子、岡田茉莉子、西郷輝彦、渡瀬恒彦、芦田伸介、藤岡琢也、金子信夫、近藤正臣、原田美枝子、森田健作、田村亮、峰岸徹、夏樹陽子、寺田農、宮内洋、藤巻潤、福本清三、島英津夫、佐藤佑介、中村光輝、和崎俊哉、島田歌穂、橘真紀、江波杏子、三船敏郎、丹波哲郎 ほか
今日は赤穂事件のあった日なので、昨日BSで放送していた赤穂城断絶を本日鑑賞。
今年は物凄い数の忠臣蔵の映画をBSでやっているので非常に嬉しい。
製作費がいくらかかったか心配になるほど出演者が凄すぎる東映のオールスターキャストによる作品で、昭和53年度文化庁芸術祭参加作品。
浅野内匠頭役の西郷輝彦が以外にも良く似合っている。
吉良上野介役の金子信夫の独特な嫌味感も最高。
不破数右衛門役の千葉真一が面白い演出で彼の演技部分を見るだけでも価値がある。
堀部安兵衛役の峰岸徹がかっこよすぎる。
吉良の家臣・小林平八郎役の渡瀬恒彦と千葉真一との殺陣シーンが、今まで見た忠臣蔵映画の中でも尋常じゃない激しさ。
小林(渡瀬恒彦)を倒した後の不破(千葉真一)の激しい息遣いは間違いなく本物。
(本当に凄いぞ、見ていて呼吸困難になりそうだった)
「目指すは吉良上野介一人。白髪首ただひとつ」
大石内蔵助役の萬屋錦之介の��々とした演技が、現代のリーダー像にも通じる信頼感万全な風格に満ちている。
そして、この映画のロケ地は以外にも兵庫ではなく、ほぼ滋賀と京都。
二条城北大手門、二の丸御殿、本丸西虎口、彦根城、相国寺、大覚寺、金戒光明寺、永観堂、南禅寺僧堂坂、知恩院・・。
キャストだけではなく、京都のお寺もオールスター出演でした。
(京都好きの人は間違いなくニンマリ)
アスペクト比が2.35:1シネマスコープで撮影されているので、江戸城での刃傷シーンや討ち入りのシーンでは非常に迫力があります。
本作で渡瀬恒彦がキネマ旬報賞助演男優賞と第21回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。
エキストラの数、セットや衣装の出来が今まで見た忠臣蔵の中でも最高レベル。
赤穂城断絶は忠臣蔵映画の中でも間違いなく最高傑作の1本です。
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konjaku · 10 days ago
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木天蓼[Matatabi] Actinidia polygama
A woody vine, it grows in slightly moist areas of the forest. It can be found because some of its leaves turn white in the blooming period. It produces ellipsoid shaped fruits about two centimeters long in late autumn. The fruit is edible, but I have never eaten it.
If asked what plants associated with cats, many would say Matatabi. This is because they respond well to it and are considered their favorite.
Now, there is this old tale about cats from Akita Prefecture.
猫山 (猫又) 或人が尾去澤から山越して、毛馬内に行かうと思つて新田に出たが、迷つて山の中に來てしまつた。向ふに明るい大きな家が見えたので、泊めて貰ひに行つた。臺所に大勢の女や子供が居て、泊めて下さいと賴むと常居に通󠄁され、やがて後の襖が開いて年寄つた婆樣が出て來た。そして挨拶して云ふには 「私は貴女の祖父樣に永年育てられた三毛猫ですが、此處は猫又と云つて村の餘り猫の集る所で、いまみんなあなたの夜具をとりに行つたが、此處に居ると食はれるから早く逃󠄂 げて下さい。この床の間の隅に穴があつて、それをくぐると緣に出る。門を出ると川があるが、その川を渡りさへすればもう猫は行けないから安心です。早くして下さい」 と云つた。男はなるほど祖父の時代に、年寄つた三毛猫が居なくなつた事があつたが此猫だつたかと思つた。云はれた通󠄁りに屋敷の外に出て川を渡りかけたら、猫どもが後から大勢でがやがやと追かけて來たので、夢中で川を渡つて向岸に着いた。夜が明けてあたりを見ると、思ひがけない山の中だつた。やつと道をみつけて家にかへる事が出來た。
[Nekoyama (Nekomata) Aru hito ga osarizawa kara yamagoe shite, kemanai ni ikou to omotte shinden ni deta ga, mayotte yama no naka ni kite shimatta. Mukō ni akarui ookina ie ga mieta node, tomete morai ni itta. Daidokoro ni oozei no onna ya kodomo ga ite, "Tomete kudasai" to tanomu to, jōi ni toosare, yagate ushiro no fusuma ga hiraite toshiyotta baasama ga dete kita. Soshite aisatsu shite iu niwa "Watasi wa anata no jiisama ni naganen sodate rareta mikeneko desuga, koko wa nekomata to itte, mura no amari-neko no atsumaru tokoro de, ima minna anata no yagu wo tori ni itta ga, koko ni iru to kuwareru kara hayaku nigete kudasai. Kono tokonoma no sumi ni ana ga atte, sore wo kuguru to en ni deru. Mon wo deru to kawa ga aru ga, sono kawa wo watari sae sureba mō neko wa ikenai kara anshin desu. Hayaku shite kduasai" to itta. Otoko wa "Naruhodo sofu no jidai ni, tosiyotta mikeneko ga inaku natta koto ga atta ga kono neko dattaka" to omotta. Iwareta toori ni yashiki no soto ni dete kawa wo watari kaketara, neko-domo ga ushiro kara oozei de gayagaya to oikakete kita node, muchū de kawa wo watatte mukōgishi ni tsuita. Yo ga akete atari wo miru to, omoigakenai yama no naka datta. Yatto michi wo mitsukete ie ni kaeru koto ga dekita.]
Cat Mountain (Nekomata) A person went out from Osarizawa to Shinden thinking to go over the mountain to Kemanai, but got lost and came into the mountain. He saw a large brightly lit house ahead, went there to ask to stay the night. There were many women and children in the kitchen, and when he asked "Please let me stay", he was shown into a usual living room, where fusuma(sliding screens) opened behind him to reveal an old woman. Then she greeted him and said, "I am a calico cat raised by your grandfather for many years. This is called Nekomata, a gathering place for cats made redundant in the village. Now they have all gone to get your bedding, but if you stay here you will be eaten, so please run away quickly. There is a hole in the corner of this tokonoma(alcove). When you go through the hole, you can go out onto the engawa (edge of veranda). Once you go out of the gate, there is a river. Once you cross the river, the cats can't go any further, so you will be safe. Please hurry." The man thought, "I remember when my grandfather lost an old calico cat, so that was this cat." He did as he was told and went out of the house and started to cross the river. The cats chased after him, making a lot of noise, so he crossed the selflessly and arrived at the other side. When dawn broke, he looked around and saw that he was in the middle of an unexpected mountainous area. Finally, he found the way home. From 日本昔話名彙[Nippon mukashi-banashi meii](Glossary of folktales of Japan) edited by 日本放送協会[Nippon Hōsō Kyōkai] and supervised by 柳田 国男[Yanagita Kunio] Source: https://dl.ndl.go.jp/pid/9586421/1/74 Osarizawa: https://maps.app.goo.gl/9oSw87Aa1TFRRWx66 Kemanai: https://maps.app.goo.gl/PT2wMK4dudnsBFVu7
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quotejungle · 13 days ago
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1347年から1351年の間に、ペストはヨーロッパの人口の推定30~60%を死に至らしめました。村々は壊滅し、地域によっては死者数が80%に達したところもありました。しかし、ペストは無差別に人々を殺したわけではなく、過密で不衛生な環境で暮らす貧しい人々に不釣り合いなほど大きな影響を与えました。 突然、豊富にあった安価な労働力が一夜にして消えてしまった。 何世紀にもわたって農民の労働を当然のこととしてきた地主たちは、広大な領地を抱えながらも、それを働かせる者がいないことに気づいた。畑では作物が腐り、これまで身分の低い者と交渉する必要のなかった有力貴族たちは、突如として労働者を切実に必要とするようになった。 そして生き残った農民たちは?ついに彼らは、それまでになかった力を手に入れた。 何世代にもわたって初めて、農民たちは要求を表明できるようになった。ある領主のもとを離れ、より良い条件を提示する別の領主のもとで仕事を見つけることができた。より高い賃金、より多くの食料、より良い待遇を交渉することができた。ペスト流行前はかろうじて生かしていた仕事が、今や高額の報酬を要求していたのだ。 変革は急速かつ劇的でした。一世代のうちに、多くの元農奴が自らの土地を購入できるほどの富を蓄えました。中には政治的影響力を持つ地位にまで上り詰めた者もいました。何世紀にもわたってヨーロッパ社会を特徴づけてきた厳格な階層構造は、あっけなく崩壊したのです。
あなたの仕事はかつて人々に感銘を与えるものでした。その時代は終わったのです。
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sekasu2007 · 2 years ago
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ケンドーコバヤシ、とにかく明るい安村が「ブリテンズ・ゴット・タレント」で大活躍した後に凱旋でルミネの舞台に立ったところ思わぬ展開であったと明かす
ケンドーコバヤシ、とにかく明るい安村が「ブリテンズ・ゴット・タレント」で大活躍した後に凱旋でルミネの舞台に立ったところ思わぬ展開であったと明かす #ケンドーコバヤシ #とにかく明るい安村 #アッパレ水
2023年6月28日放送のMBSラジオ系のラジオ番組『アッパレやってまーす!水曜日』(毎週水…
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ari0921 · 16 days ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)6月12日(木曜日)弐
     通巻第8821号 
 
 “疲れを知らない暴走老人”は「LAを解放する」と宣言 
  戒厳令はLA市長、ニューサム知事は“反トランプ”を鮮明にして次を狙う
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 トランプ大統領は明後日(6月14日)に79歳になる。
首都ワシントンで軍事パレードを開催する予定で、「米陸軍創設250周年」の式典とし、戦車や装甲車などが兵士とともに行進する。
 まさに「つかれを知らない暴走老人」は、ゴルフ大好き、ビフテキをコーラで食し、ハンバーガーも好むが酒を飲まない。トランプはアメリカのソフトパワーを廃棄処分とする。ハーバード大學などへの措置がそのことを端的に物語っている。
 クルーグマン(ノーベル経済学賞)は「トランプは完全に狂っている」と発言したが、狂っているのはどちらだ?
つねに過激なブラフ、他人を面罵し、その即席の比喩が面白い。石原慎太郎のような文学的レトリックを欠くが、アメリカの大衆には受ける。
野球、ブットボール、ラグビー、ボクシング愛好人口はインテリの人工よりはるかに多く、かれらは左翼議論に耳を貸さない。
だからトランプはブルーカラー層に絶大な人気がある。選挙の勝敗を決めるのは彼らだ。
 さてハーバード大学、コロンビア大学に難題を突きつけ、研究補助を削減し、外国からの留学生を33%から15%程度に抑える。窮極の狙いは中国の学生スパイの駆除、左翼インテリへの挑戦である。グローバリズムなぞ「糞の役にも立たない」と考えているからだ。
 フト考えて見た。そうした糞の役にも立たない学問を学びに日本人留学生はせっせとアメリカの大學に留学したのか。たしかに留学帰りの新進気鋭が日本に帰国後、斯界をリードした。だがテレビでコメントする米国留学帰りのセンセイたちは、アメリカ流リベラルの伝道者でしかなく、日本の国益を重点として、新しい学問を活用するという志を感じますか。 
鳩山も小泉も赤沢大臣もアメリカ留学ですゾ。
 経済をみても、戦後はサミュエルソン、フリードマンなど颯爽とアメリカの学説を留学帰りが権柄づくにのたまわっていたが、竹中平蔵は日本経済の基盤を壊したのではないのか。社会学にしてもアメリカのリベラル亜流ばかり。例外はドラッカー、ハイエクくらいだろう。
 翻って遣隋使、遣唐使を思いだそう。
皇帝側近にまで登りつめた阿部仲麻呂を筆頭に吉備真備は万巻の書、新兵器、宗教書を持ち帰りながらも、けっして唐には染まらなかった。
 空海も最澄も道元も唐へ行ったが、学んできたものを咀嚼して日本流に置き換えて昇華させたという学問的成果を挙げた。
留学しなかった藤原仲麻呂は、むしろ唐にかぶれて位階から役所の名前まで唐風に変更し、ハイカラと唾棄された。彼の反乱が失敗するや、すべて国風に戻された。
 遣唐使、遣隋使は600年から838年間で合計20回ほど派遣された。初回大使は小野妹子、答礼で日本にきたのが裴世清だった。
 西暦894年に、大使に任命されていた菅原道真が中止を建言し、沙汰止みとなった。
航海の安全とか、費用とかを理由にに挙げたが、本音は「学ぶべきものがない」からだ。「唐への憧憬の根底にある唐の学芸・技能を凌駕したとする認識の生成」(森公章『遣唐使と古代日本の対外政策』)による。
応神天皇期に学問の輸入が旺盛だったのは「文字」の流入が主眼だった。敏達天皇期の仏教輸入は数十年間、排斥された。遣唐使の絶頂期は唐王朝も絶頂だった。文物、とりわけ文献と兵器、薬事、楽器などの祭器には魅力があったことは確かだろう。つまり日本はアメリカの自動車、造船、鉄鋼技術で凌駕した。学ぶべき分野は軍事技術、医療、薬学、AIなど、この方面への留学は続けざるを得ない。
 一方で、遣隋使、遣唐使よりシナから派遣される遣日使のほうが人数が多く、しかも彼らの多く��帰国しなかった。鑑真は日本に事実上の亡命を果たした。
 白村江海戦で敗北を喫したため、百済の顕官ら2400名近くを、阿倍比羅��が連れ帰った。海軍を率いた安曇比羅夫は、敗戦の責任をとらされ。信濃の山奥へ配置換えになった。長野県安曇野はワサビ、林檎の産地となった。
 天智天皇は敗戦後、筑紫に水城などを築城し防戦に備える一方で、百済の高官、匠らの事実上の亡命を認めた。通説とは事実は逆である。古代史の価値観をそろそろひっくり返す必要がある。同時にアメリカ留学の本来の意義を、もっと真摯に考え直すべきであろう。
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