#ねこ凪の写真置き場
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zdlmlq · 8 months ago
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携帯電話の画面が終わっています。
終わり方を説明すると、画面の上半分に無数の細かな横縞が入っており縦にも黒い不吉な滴りが描かれている。そしてカラーバーを連想するカラーの縦線がその滴りに並ぶようにしてひかれていて総じて全ての人がねむってしまったような夜に思える時間のテレビを思い出す。いまも深夜にカラーバーって表示されますか?子どもの頃ねむれなくて喋り続けてそれでも誰にも聞いてもらえなくなる時間、世界中の人がねむっているように思っていてこわかったけどいまはどんな時間にも誰かが起きていることを知っている。大人になったから。まぁとにかくわたしのiPhoneは液晶それ自体は割れていない。これを入力している現在、右側の文字いくつかは黒い滴りで隠れていて誤字脱字の確認ができません。バーコードでPayPay支払いをしようとしたら横縞がバーコードの表示を邪魔して何をどうやっても読み取れず、ということもありました。現金で支払いました。
幸いなのかキーボードが表示される下半分にはほぼ問題がないのだけどこちらも時々心霊現象かと思うようなバグが起き触れてもいないさ行だけが勝手に入力されてしまうようなことが起きる。LINEをひらきメッセージを返そうとすると勝手にビデオ通話をかけてしまうので最近はLINEをあまりひらかなくなりました。店の業務連絡がslackで、大体の人とは何かしらのSNSのDMでやりとりできるのでさほど支障はなくそれらの繋がりのない友人(川とか前回の日記に書いた182cmなど)とやりとりする際はメッセージを送りながらものすごい勢いで誤作動によるビデオ通話をかけそれを中断しを繰り返しながら連絡している。どちらにしてもかなりセックス中であることが多そうな人たちなので誤作動を止める時のわたしの俊敏さはすさまじいものがあるけどわたしだけ俊敏であってもiPhoneには効かず、いつか何か恐ろしい事故が起きうる気がする。最善はともかくLINEをひらかないこと。
でも秋なのです。
わたしと付き合いの長い方はご存知の通り秋のわたしの情緒は冬の日本海より荒ぶるのでそういう時にありがたいのが比較的いつでも連絡がとれてかつ近隣に住む川や182cm(数字で彼を表記するのはものすごく嫌な感じですがその嫌な感じが面白いのでしばらく続けま���)であり、この人たちとやりとりできないのはけっこう心細くもある。
早く携帯電話を直せばよろしい、という話なのだけど、iPhoneの修理って正規ではどえらい値段がすると聞くしそうではない変な雑居ビルに入っているような所に行くのは秋だから難しい。秋はこころの距離が遠い場所へ行く足が鉄球をつけられているかの如く重くなるので。あと正直わりと慣れてしまったので画面が終わっているiPhoneに対して「もうこいつはそういう端末」という意識が芽生えてしまった。わたしはずっとそう。壊れたものに対して「壊れた=使えない」と思えず、かといって直し直しで丁寧に使っていく、ということもできず「壊れたまま使う」という選択をしてしまう。これは育ちに関係している気がして、精神を病んだ母はいわば壊れている人だったのだけど治すことも見限ることもできず家族のわれわれは彼女を壊れたまま使っていた。壊れているので時々は馬乗りで娘の寝込みを襲い刃物などを向けるし、壊れているので時々は強盗のそれかと思うほど部屋を荒らし壁に穴を開ける。わたしが最初に遭遇した壊れているものは母だった。そしてそれは容易に治せるものではなかったからなんとなくそちらに順応していく方が早く、彼女がかなり重たい何かをぶん投げたことによってあいた壁の穴にパテなどを埋め込んでいた。わたしの図工の成績は相当悪かったので「パテを埋めている壁の穴」にしか見えない仕上がりになった。でもまぁ結論としてわたしは死ななかったし、不便はあったけど母は母として機能していた。
まぁ携帯電話が終わっている話も母の話も今日の主題ではないです。
 
この終わっている携帯はついーとの入力中に勝手にポストするというバグを頻発させるのでなんとなく発信から遠ざかっているんだけど、その間にバイト先の本屋で新たな展示がはじまった。
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30歳のまなざし、という、93年度生まれの方々のポートレイトと直筆アンケートみたいなものをまとめた書籍の発売に関するもので書籍に掲載されている写真を壁に貼っている。
30歳という節目を最近迎えたばかりの人々が現状を記録しているというメモリアルな書籍で、わたしは学校教育をまともに受けていないせいか同い年ということで持ち得ることがあるらしい仲間意識というか親近感が全く芽生えないし理解できないのですがそういう話はまぁおいてこれは次の店のポッドキャストでしゃべってるんだけど30歳くらいになると身体にだいぶ生き方がのってくる人は多いよなと思う。顔の造形による美醜とは別軸のいい顔が生まれてくる起点。
それで、というか、この写真の中に例の182cmに本当によく似た顔があり、確か彼の齢も30を少しすぎたあたりだったのでもしかして、と変な汗をかきながら書籍をめくりその写真が彼ではないかの確認をした所、直筆で生年月日、名前や職業の描かれたそのページがその人のものだけもはや文字を超えたイラストのような描き込みになっていて別のたまげ方をしたけど職業の欄に"音楽家"と描かれていたのはわかった。
ということはおそらく違う、名前はまぁ偽名の可能性をいまだに払拭できていないので気にしないとしてもおそらく違いますね、と思いながらしかしあまりにも似ているので一体この人はどのような音楽をやっているのかと名前で検索したらMONO NO AWAREという名前だけは知っているバンドの人だった。
10月が11月に変わる時間のこと。
そこから11月10日のいまに至るまでずっとMONO NO AWAREとそのボーカルで写真の���である玉置周啓という人がDos MonosのTaiTanとやっているポッドキャストの奇奇怪怪を聞いていて、なんというかこれが本当に疲れなくてすごい。音楽というものはこんなふうに聴こ��ることがあるんだ、というよくわからない感動がずっとある。
少し前にあるアーティストの日記などが読める有料会員みたいなものを少なくとも秋の間は読まない方がいいと判断してやめたのだけどその代わりみたいに"品品団地"という奇奇怪怪の有料コミュニティというか入ると奇奇怪怪の二人が書いているコラムだったりどこかに行ったvlogみたいなものが読んだり観たりできるよ、みたいなやつに入っていまずっとそれ読んだり観たりしている。あとあんまり人にも会ってない。
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これは最後に外で友だちと会った時に入った桉田餃子の壁にかけてあった写真の写真。餃子はおいしくて食べることに集中した結果撮り損ねていました。
ちなみにこの写���は桉田餃子のオーナー二人の桉田さんじゃない方が撮ったものらしいです(お店の方にそう説明されました)。
秋というより冬に近づいて来てだいぶ調子が戻って来た気がしていたんだけど子どもが流し観ていたニュースを耳に入れた途端に全てがままならなくなっているので単に奇奇怪怪効果だった気がする。あとMONO NO AWARE効果。玉置周啓という人の精神に凪を運んできてくれる力はすさまじく、それは例えば長谷川白紙がシー・チェンジでしてくれる傷に手を当てるような態度や君島大空が傷口を治癒も美化もせずにうたいあげてくれることで得る効果とは全然違う。人が何かを体験/目撃した時に持ってしまう感想を一生保留にするような態度。雑な分類をすればそれはceroのたかぎくんやVIDEOTAPEMUSICに通じるんだろうけど、たかぎくん��ビデオくんもなんというかあの人たちの善性を近くで目の当たりにしているのでその感想の保留という態度に神性というか、聖なるものによる受容みたいな大きな懐の深さを感じてしまって穢れの塊のようなわたしは時々その受容の態度に畏れを感じてしまうことがあるから、そういう意味で玉置周啓という人のこのちょうどよさはすごい。なんせ"そこにあったから"だから。"そこにあったから"って。ともすればやばいスピリチュアルさや全ての説明を放棄するような投げやりさにも結びつきかねないでかい言葉をちょうどいい感じに留めたままうたっている。奇奇怪怪の中でもそう。タイタンがぶん投げる解釈や論のそれぞれ一つ一つを受け流すでもなく返すでもなくただ留めている。全部寸止めで終わらせる空手みたいだ。それが物足らなさに繋がらないのはわたしがいま本当に疲れているだけの話で、元気な時なら全然別の感想になるのかもしれない。でもいまは本当にありがたい。とにかく音楽もポッドキャストも聴き続けることができる。わからない、そういう音楽って別に珍しいものじゃないのかもしれないけど自ら能動的にそういう音楽を聴いたことが全然なかったので本当に奇妙な感じです。まだしばらく聴きます。
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一番、似てるなーと思った動画 鮭から中華まで。
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yurikamata · 1 year ago
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そしてほんとうに今更、
きみたちはどういきるかのこと
ごくシンプルに
ヒーリング効果が凄くてかなりの回数観た
わたしがくるってるだけかもしれないけれど
とくに難しくなかった
単音のミニマムな音楽に痺れた
物凄くすきなのが数曲あった
とにかくでかいインコにはしゃぎ
絵のうつくしさにふるえ
現実離れしていない台詞や
声の近さにほれぼれした
シュナの旅がとてもすきなので、
ストーリーもすんなりはいってきたし
その後ラピュタがずっと観たい
ひやりとするのは
ヒミがあそこをあいしていたことだ
奪いあったりころしあったりする世から
離れることが出来るなら
わたしもそうするだろうか
人間はきらいだけど地球はすきだな
でもそう一人でいるのはさみしい
この人がいるなら戻ろうと思ったのは凄い
ヒミがとてもすきだった
ぜんぶわかっていて受けとめるのは凄い
この世にいる限り
生命のいとなみや時間や
生の鮮やかさにわたしたちはさからえない
まいにちの朝焼けや夕焼けが
悲惨な戦場でも息を呑むほどきれいだろう
悲しみに濃く色を刻むだろう
そうなったらわたしは雄大な風景も
憎むようになるんだろうか
わたしはどんなことも忘れ
あたらしいことをのみこんでいく
生きていたら目の前で起こることを
受容れるしかないのではないか
きっと誰かが日々まもっていた積み木を
次々と心無い力が崩していく
その度にあんなふうに
みえないものが壊れて
気づかれない内に大きく失われ
世界は外殻だけの脆いものになっていく
約束も無になる
人の深層心理はどこよりも広く自由に
澄んで
ゆたかで
まもられるべきだ
誰も穢したり、踏み入ったりしてはいけない
人は境界線をわからなくなった
思慮深さや想像力を欠いている
きっと恥じたほうがいい
ひとは、
衝動をおさえることが出来ないのだろうか
禍々しさや激昂をみずから鎮められないのか
弱さだ
非をならべても
わたし自身に返ってくる
それでも怒りは湧くし
悲しみは傍にある
外にもとめても、みつからない
みえない深淵を理解しないと
勝手にからっぽのからだが人を傷つける
心は置いてけぼりだから
自分のしていることにも
もう気づかないかもしれない
それを生きているって呼べるのかな
誰かが偉そうに何かをひけらかして
虐げられている誰かを気にしない
同じ世界で賭け事みたいに差がひらく
その差は埋まらないような絶望がある
つくることで還せるものがあると
信じているし
人の心が育てばいつか
平穏が
静かな湖面や
凪いだきもちのその先
たとえば
誰でも生まれた土地をあいして
平等に呼吸して
声を発せる
ただ生まれてしんでいくこと
その時間が歓びで
それを謳歌できる
そのぜんぶが当然自分だけのもので
誰にも奪われない
神さまはそれをつまらないとおもったのかな
人がおもったのかな
繰り返して生まれるものもあるのでは
それはみたことのないかたちをしているかも
そういうもののほうが
わたしはみてみたい
現実でみられることを願う
難しいとおもっても祈っている
駿は先にしんじゃうんだろうな
置いていかれるのは心細い
ホドロフスキーもねこと写真に写っていて
あ、まだこの世にいるとほっとした
でもこの間
ずっと昔に亡くなったマティスの
軌跡を辿って
同じ暮らしがあったんだ、と感じた
同じ1人の人が
ただ最善を選んでかたちになったものが
ここにあるんだとおもったら
そこに希望があった
世界にはまだうつくしいものが
沢山残っている
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shareyourpear-blog · 1 year ago
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12.29.2023 "Perfect Days" 観た。 淡々とした日常の繰り返しを構図の切り取り方を変えてお客さんを飽きさせないように、かといって大きな変化は感じさせないように作られているように思った。何度も主人公・平山のデイリールーティンを見せられるから、映画の終盤の頃には自然と彼の生活を「学習」していて、テンポが弛まないように、くどくならないようにカットしたりしても説明がつくようになっている。 途中途中で流れるカセットテープの音楽は小説や本の中でいう新しい章の扉絵のようで、物静かな主人公の単調な日々に微妙な感情や温度の変化、機敏を感じさせるようだった。 クレッシェンドのように少しずつ大きくなっていく変化は漣から始まり、終盤にかけて平山の心の中で大きな波が立つようになる。彼の背景は少しずつ明らかになっていくが、基本的に役所さんの台詞はなく(特に前半)彼の生活に関わるちょっとした周りの人間たちによって語られたり、街の人間と関わる彼の背中や横顔から伝わってくるものが多い。凪のように穏やかな彼から映し出される���さな「いつもと違うこと」は、静かな部屋でコインを落とした時みたいにいやに大きく響く。そして時には「いつもと変わらない挨拶」だったりが、変化の起きた日にはひとしお心に染みたりするのだ。面白い。 「音楽がこの映画の一つ一つの章を表しているようだ」という私の感覚の話をもう少しすると、最後の曲を聞いた時すぐに 「エピローグだ」と思った。そしてあの役所さんのドアップの長回し。咽び泣くわけじゃない、悲しいンじゃないけど哀しくて、怒っているわけじゃないけどどこか腹立たしくて。可笑しくて。寂しくて、清々して。人生っていろんな瞬間のまぜこぜで、それが役所さんの皺の一つ一つに刻み込まれていて、何にも知らないはずの他人の人生に思いを馳せたくなった、あのシーン。あの長回しでお客さんを飽きさせない、味のある演技は実物だったしとても魅力的だった。
主人公の全貌が分かりすぎないままだったのもよかった。全部をわかってしまったら物語(フィクション)のキャラクターになってしまうけれど、私自身が毎日すれ違う人たちのすべてを理解することはあり得ないように、 「平山」 という人物もドキュメンタリーっぽく捉えられていて 「もしかしたらこんな過去があるのかな」 「こんな家族がいるのかな」 なんて 「想像する余地」 を残してくれたからこそ伝わってくるものがある。
人は映画を見る時どこか自分を重ね合わせていることが多いと思うのだけど、共感できる感情や価値観が多いほど見終わった頃にはすっかり主人公気分で、自分をまるごと受け止めてもらえたような、または、自分は選ばない選択肢をした主人公を見て追体験することで、主人公の体にそっくりそのまま入ってしまうような、そういう充実感。
それと比べると 「平山」 はあくまでも 「他人」 として私たち観客と一定の距離感を保っているような表し方をしていて、対面する形で私たちに問いかけていたように思う。これは階級というか貧富の差という観点からも言えることだと思うのだけど、共感できるかというと 「トイレ掃除のおじさんやおばさん(あとそれからホームレス)は、決して自分ではない」 と思っている自分がいる。そんなことを思う自分に対して、迷子で泣いていた子の手を引っ張るあのシーンの、礼もなく立ち去るあの母親の顔を思い出す。映画代2000円を支払った観客の中に果たして何人、いないとは言わないけれど、実際トイレ掃除をしている人がいるのか。必ず人生のどこかではすれ違うけれど、いるようでいない、「ありがとうございます」の一言はかけたことはあっても、ほぼ自分と関係ないと思っていた私にこの映画は私を立ち止まらせて、今改めてこの 「主人公の影と私の影」 を重ね合わせさせる。トイレ掃除の主人公にことごとく無関心なサラリー��ン、女子高生、親など登場する街の人々は、「繋がらない世界」 の私だ。お金持ちの妹は私で、ホームレスのおじいさんもトイレ掃除の人は 「繋がらない世界」 の人たち。「私はどっち?」と言った平山の姪っ子の台詞に、彼は何も答えなかった。私は、どっち?
「今、この瞬間」 というのが全体のテーマであると思うのだけど、手から砂がこぼれるようなどんどん忘れていく夢のような儚さがあって、あの映画も過ぎ去っていく記憶のようだ。毎日は一瞬の連続。
平山は物静かで多くを語らないけれど、彼の部屋に置かれた数多くの本や写真や音楽に全てが現われているようで、声の大きな部屋だと思った。小説の中に自分を見つけるように、私はちょっとだけ本のキャラクターで、歌の中に名前のない気持ちの置き場を見つけさせてもらって、ちょっとだけ怒ってて、ちょっとだけ悲しくて、ちょっと思い出し笑いをする。人生はちょっとずつの全部。
追伸:銭湯のシーンで後から入ってきたおじいちゃんコンビ、よかったなあ。お風呂の腰掛けがお尻に引っ付いちゃってコーンッて音させてンの大好きだった(笑)ハッピーアクシデントなのかな、脚本かなあ。
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nekonagi-photo · 3 years ago
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2021. 11.14
撮ってくれた方 架空荘 夏子さん
被写体 私
・これは細かい虫を払ってる瞬間です笑笑
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lolowv0 · 4 years ago
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スーパーダンガンロンパ2 感想
それはネタバレと言います
先日クリアしました。おまけモード等は未プレイ 本編のみの感想と考察
難易度はいつも通りイジワルでプレイ タイトル画面からキャラクターのみならずUIデザインもドット絵でなんだかゲーム調でとても良い
横スクロール日向クン関節キモくてわろた
通信簿イベントは基本気になったキャラのみでやり直し等は無しだが、狛枝だけは2章以降どうしても気になりすぎて一度だけ時を戻して1章で1つ回収した(2章以降は日向から見た狛枝の人格が変わるため、システムの都合上イベント1は1章で見ないとテキストに矛盾が生じる…)
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最終的に通信簿の進捗はこんな感じ
先ず一つ言えることがあるとすれば、俺は澪田が好きだった
CHAPTER1 絶望トロピカル
十神白夜は十神白夜だと思っていたためプレイ前は生き残るだろうと予想してたが、話しかける暇もないまま死亡 かなりショックだった
しかしそれ以上に衝撃だったのはこの殺人を扇動したのが狛枝凪斗だったことだろう 狛枝の考えは序盤では到底理解に及ばんが、最後までやるとある程度は理解できるし納得もできる 己の価値観で物事を考えるのは危険だと十神(本物)も言っていた
‣殺人の計画
超高校級のみんなのために奮闘していた十神が、家族のために外へ出ようとした花村に殺されたというのは皮肉なものだ
しかし花村は十神を狙ったわけではなく、よからぬことを企んでいた狛枝を止めよう(殺そう)として、それを防ぐために十神が身を挺した結果、今回の事件の犠牲者となった
これは狛枝の”幸運”の才能が働いたのだ 前段階として狛枝の殺人の計画が十神によって妨害され”失敗”に終わるという不運がある その後、花村がその計画を利用して殺人を起こすことで狛枝の望み通り”コロシアイが始まる”のである
‣花村と狛枝の会話
狛枝の殺人計画に気づいた際の花村との会話では、狛枝の”希望”に対する絶対的な信頼と、”絶対的な希望”を証明するためならコロシアイでもなんでも出来る、という常軌を逸した考えが語られる それに対し花村は「訳が分からない、どうかしてる」と言い、狛枝の価値観を否定する
‣十神のリーダーシップ
コロシアイ修学旅行において危険視すべきなのは「疑いあうこと」�� それを防ぐためには皆で協力し合う事が大切だが、その解決策として十神は”秩序を持った統率”を取るため自らリーダーを名乗り出た
モノクマの狙いが疑心暗鬼を引き起こすことであれば、そうさせないことは正しく生き残るための道である 十神には人の上に立つ素質もあったし、実際に反発した人間は九頭竜くらいだったので、もし殺人が起きなければ皆をまとめることも可能だったろう
また、十神は仲間を妄信するのではなくむしろ疑ってかかっている 同じく上に立つ立場の人間としてソニアが居るが、ソニアは皆をひたすらに信じるスタンスだ この場合リーダーに最も相応しいのは十神ということになる(「疑いもするけど、それでも信じたいという気持ちが本当に信じるという事」という七海のスタンスとも一致している)
CHAPTER2 海と罰。罪とココナッツ
ヒヨコと小泉の風呂イベントがあったり、水着CGがあったりと、裏で狛枝が拘束されていることなど忘れるくらい和気藹々としててよかった 七海、どうしてそんなところにほくろがあるんだ?
2章は狛枝の語りから入る ここの笑顔で口めっちゃパクパクするの面白い
「価値ある人間とそうでない人間って、生まれた瞬間から明確にわかれているんだ。」
「才能ある人間は“なる”もんじゃない…最初からそれだけの器を持って生まれてくるものなんだ。」
ここでは狛枝が生きてきた中で構築されてきた、”絶対的な希望”の価値と己の無価値さを説いている
「これは憧れなんかとは違うからね。憧れって…自分がそうなりたいと願い気持ちでしょ?ボクのはそんな図々しい気持ちとは違うんだ。ボクのはなんて言うか…もっと純粋で、無償の愛みたいなものなんだよ…」
「ボクは…どちらにも頑張って欲しいだけなんだ。ボクは…その先にある“絶対的な希望”をこの目で見たいだけなんだ。」
狛枝は『才能を持って生まれた人間』に憧れているのではない 希望同士がぶつかり合って残ったより強い希望、すなわち”絶対的な希望”に究極の価値を見出している(=無償の愛)
‣狛枝の監禁
旧館で拘束されて行動制限を設けられていたが、これが逆に小泉を”動機”に向かわせる原因になる 狛枝の様子を見に行った小泉は、そこで『トワイライトシンドローム殺人事件』についての話をし、ゲームをプレイしに行ってしまう
このころから七海は「コロシアイなんて絶対にさせない」という強い意志表明をしはじめる そして日向に『トワイライトシンドローム殺人事件』をクリアするように誘い、学級裁判でも相棒として積極的に手伝ってくれるようになる
1章序盤で相棒役となってくれていた狛枝が拘束されたところで、新たに日向の支え��なってくれた 可愛い
‣事件について
九頭竜とペコ山の通信簿イベ等はノータッチだったので犯人までは分かっても動機は推測できなかったが、記憶が消された期間より前から関係があったことは盲点だった これに関しては本編中、ダイナーに居る九頭竜に話しかけると「新しい島について教えてきたヤツがいた」との話を聞くことができる これがペコ山である
ペコ山は自分を”道具”だと言い張っていたが、九頭竜はそうは思っていなかったし、周りも認めなかったため自分に投票させたペコ山の思惑は失敗に終わる ペコ山と九頭竜は互いを想いあってはいたが、互いの価値観を共有することが出来ていなかったのだ
九頭竜はトワイライトシンドローム殺人事件の真相を探るため話を持ち掛けただけだったが、小泉の反論を受けて衝動的に手にかけようとしてしまった ペコ山の動機は九頭竜を守るため(生かすため)
「他人の罪を裁くなんて…そんな権利なんて誰にもないんだよ!復讐なんて…間違ってるよ!!」
小泉の「他人を裁く権利などない」という考えは正論かもしれないが、しかし極道の世界で生きてきた九頭竜にはオトシマエをつけさせなければならないという使命感があった これは単なる復讐ではなく、九頭竜にしか分からない仁義である 二人の価値観が決定的に違っており、それを受け入れられるだけの器がまだ育っていなかったために起きた事件だった
‣ソニアに関して
海水浴を企画しみんなを集めたことで”小泉が自分の罪について相談する機会”を失くしてしまったことは、事件の引き金になっている
また、図書館で『キラキラちゃん』について話したりシリアルキラーに関心を持っている事がわかるが、これは今回の裁判において重要なヒントであり、ミスリードでもある
しかしここで注目したいのはソニアがシリアルキラーなどの異文化に関心を持つ理由だ
「自分と違う価値観と触れ合うのは、とても大切な事なのですよ。」
‣この世界の謎について
ジャバウォック島が人工島である事を匂わせる描写があったり、無数の監視カメラなどであたかも前作のダンガンロンパ同様、「世界に放映されている」と思わせるミスリードがある
実際は1章冒頭の扉の場面やチャプター演出等でこの世界が現実ではなく、前作同様に閉鎖空間であることを予想できる
未来機関については、モノクマの言う事を信じる気はなかったので完全に敵だとは思っていなかったし、この時点で”裏切り者”とモノミへのヘイトが尋常じゃなかったのでおそらく未来機関は味方で、あってモノクマ・未来機関・日向たちの3すくみだろうと考えていた
モノミについても敵ではないが権限持ちを意味するステッキを盗られている以上役に立たない置物程度に思っておいた(ちゃんとモノケモノを倒してくれていました)
CHAPTER3 磯の香りのデッドエンド
追悼ライブや花火の打ち上げなどこれまで以上に澪田が積極的に行動を起こしてきたため、このあたりで退場かと怯えながらも覚悟を決めてプレイしていた
九頭竜とヒヨコはどちらも大切な仲間を失っているが、九頭竜はこの章で自分なりの”ケジメ”をつけ、回復後は協力的になり、日向たちと行動を共にすることを拒まない
一方で、ヒヨコはまだ九頭竜の罪を許せておらず、前へ進もうとしている途中の段階だった そして絶望病の発覚後はモーテルの自室に閉じこもり、モノクマの罠である絶望病に怯えてしまう おそらくこの差が生存できるか否かの分かれ目だろう
‣左右田の才能発揮
病院とモーテル間の連絡を取り合うため通信機を発明しているが、ここでの発明は「みんなのため・コロシアイを防ぐため」のものであり、左右田の才能がコロシアイの道具ではなく「皆と生きるため」に使われている(罪木の見立て殺人の道具としても使われたが、これを日向が観測していたことにより結果的に日向にしか辿り着けない”真実”に繋がっている)
‣絶望病について
モノクマが自由に罹患・治療することができる謎の病気 この非現実的な病気はこの世界が現実ではないことを分かりやすく示唆している
‣狛枝のウソつき病に関して
病名の通り狛枝は嘘をついている 狛枝の様態が悪化した翌日、起き上がれるようになった狛枝の病室を訪ねると
「日向クンと一緒なんてボクには耐えられないよ。」 「さっさと行っちゃって、もう顔も見たくないからさ。」
というような台詞を言う
これは嘘であるから、本音としては「一緒にいたい」ということになる
しかし普段の狛枝は「自分なんかが超高校級の皆と並び立つなんておこがましい」と自分を卑下するような発言が目立つ 更に己の才能が分からないにも関わらずみんなと仲良くする日向に対して”羨ましい”と言っている これらもすべて本当であり、「一緒に居たい」と言う本心を隠しつつ「自分なんかが一緒に居ていい訳ない」という本音を喋っているのである
狛枝は皆を”希望の象徴”とする一方で自分は”希望の踏み台”としてしか見ておらず、それらはすべて自信の無さから出る発言であり、彼の”希望の象徴”としての基準を己は満たしていない(生まれ持ったものなのだから、努力したって価値のある人間にはなれない)という考えのもとで構成された自己肯定感の低さの表れである
‣事件について
犯人の決定的な証拠は無かったが、現場の状況からして罪木以外はあり得ないという状況 しかし動機も分からない以上罪木にボロを出して貰うしかない… 七海の協力もあり罪木から論破できる言葉を引き出すことに成功
狛枝が捜査段階から罪木に疑いの目を向けていたのは、看病された際に絶望病に罹っている事に気づいたからだろう 事実、狛枝の様態が回復する頃にちょうど罪木は高熱を出していた(抱き着かれながら目覚めた日向はそれに気が付いた)
そして”あいするひと”のために殺人を計画したという罪木の告白
「あなたに会えるという希望を持って死ぬ私を、どうか許してください。」
ここで言う”あいするひと”とは江ノ島盾子であり、彼女は皆の記憶が消された期間より以前に既に死んでいるという事実が証明される
狛枝に指摘された通り、現在の罪木は過去を思い出したことによって”絶望”に堕ちており、「あなたに会える希望を持って死ぬ事を許してほしい」という台詞は”絶望”に相応しくない”希望”を抱くことに対する懺悔である
更に罪木の病気は”思い出す病気”であること、「私がこんな人間になったのはみんなのせい」であることから、罪木は誰かの影響を受けて”こんな人間(絶望側の人間)”になったことがわかる
裁判後、罪木は”島で過ごした仲間たち”とのことを「ただの過去」と言い切る これは島に来てからの罪木は”学園生活の記憶”を失った過去の罪木、つまり”絶望に堕ちる前の罪木”であり、絶望に染まってしまった現在の罪木にとっては価値のない過去でしかない
豹変した罪木は正直好き
‣ソニア
ちなみに今回もソニアの言動が事件の引き金になっている(帯が結べないヒヨコに対して「ライブハウスの鏡を使ったらどうか」という助言をしている) これは善意からのミスリードである
猫丸が再登場するときロボ化フラグか?とか思ったらガチロボットでまじでわらった
CHAPTER4 超高校級のロボは時計仕掛けの夢を見るか?
ロボットに命があるのならAIにも命はあるのだろうか
猫丸がロボ化して復活した後のこのタイトル、早くも死亡フラグか…と思いつつ 冒頭から思ってたけど1やV3と違って開けた場所で色彩も鮮やかで全体的に明るい雰囲気だ 南国だの遊園地だの
ジェットコースターでなんやかんやした後ドッキリハウスとかいう完全な閉鎖空間に誘拐される この章をプレイした時二徹明けの夜とかだったから思考も推理もグシャグシャで正直あんまり覚えてないが結構難易度の高いトリックだった気がする
タワーを通じて繋がる二つの空間が単純に横並びでないことはすぐにわかったが、振動のないエレベーターがあくまでその挙動を隠すためのものであることに気づかず実際動いてないんじゃないか?みたいなことを考えて 動いてるのは建物の方(非現実的だがこの世界なら起こるだろ)、のような推理をしてた気がする
どうしてそこに八角形があるのかな?
この章でソニアと田中が何やら仲良くなる ここについては詳細を知らないが、二人は互いに励ましあい協力しようとしていたらしい
‣ファイナルデッドルーム
狛枝操作 急に脱出ゲームが始まって動いてない脳みそが更に固まるが、優しい狛枝とウサミのヒント(答え)��なんとかクリア ちゃんと起きた状態でやりたかった
狛枝は”6発中5発が弾丸入りのロシアンルーレット”をするが、見事に成功させてクリア特典を受けとる ここでの狛枝は意識的に”超高校級の幸運”の才能を利用しており、自分の才能に絶対的な信頼を置いていることがわかる
‣クリア特典
未来機関のファイルと希望ヶ峰学園のプロフィール
狛枝は自分たちの過去と日向の才能について知ることになる 予備学科差別には大変笑ったが日向からしたら途方もない絶望だろう 読む前は「才能が分かれば日向クンも喜ぶだろうな」ってウキウキだったのが面白い
日向が何の才能も持たないただの”予備学科”であることを知った狛枝は、日向に対し「キミもボクもただの”踏み台”でしかないんだ」と、それまで以上に日向のことを同類視している
元々”希望ヶ峰学園に憧れる存在”として意識していたようだが、才能が無いことを知った彼の中では完全に自分と同じ価値の無い人間に成り下がってしまったのだ
‣事件の真相
田中は閉鎖空間にいる間も生きることを諦めず、生きるために戦う事を選んだ それは猫丸も同様で、彼は田中の殺気を感じ取った瞬間に自分も戦う事を決意していた
ソニアや終里は田中たちの考えに納得できないと言うが、その信念は決して間違っておらず、自己の正当化でもない 自分の価値観を押し付ける気は毛頭ないし理解されようとも思わず、ただ己の信念を貫いたことで世界を変えた彼の功績は大きい
「俺様の価値観を押し付けるつもりなど毛頭ないからな…だが、あえて言わせて貰うとすればッ!ただ死ぬのを待つだけの生など…そこに一体どんな意味がある?」 「生を諦めるなど…そんなものは“生に対する侮辱”でしかない!」
生を諦めることを生への冒涜、生物としての歪みだという彼の信念が今回の事件の”動機”になり、それによって日向たちの「仲間同士で殺しあうくらいなら死んだ方がマシ」という諦観の価値観を変えた
田中がファイナルデッドルームに行くに至った動機は、”停滞”した現状を打破するため つまりは全員で緩やかに死んでいくことを防ぐためであり、みんなを前に進ませることが目的である そのために「弐大との戦いに比べれば児戯に等しい」ロシアンルーレットも越えてみせたのだ(自分一人の生死よりもみんなを含めた生死の方が重要ということ)
彼の命に対する価値観が”超高校級の飼育委員”によって培われたものだとすると、彼もコロシアイにおいて己の才能を発揮していたと言える
狛枝にはこれを”希望のための殺人”と思えなかったが、実際にはみんなに希望を与える結果となっている
‣ソニア
4章では男女で別れてそれぞれの階の客室を使うことになるが、ストロベリーハウスの部屋数に対してあぶれてしまいラウンジで寝泊まりするはずだった日向を、女子が使うマスカットハウスの余った部屋に泊まるよう誘導する
ここでもし日向がラウンジで寝泊まりしていたら、その後起きる事件は実行不可能だったのである(犯人は気づかれずラウンジを通る必要があるため)
今回もソニアは事件が起こる一端ともいえる、善意からのミスリードをしている
また、この章の最後で狛枝がモノクマを呼び出すシーンがある
そこで「この島の絶望を排除することが出来れば、ボクは本物の希望になれるはずだ」と、自分の持つ”超高校級の希望”になりたいという欲望を吐露している
CHAPTER5 君は絶望という名の希望に微笑む
この時点で七海と狛枝の通信簿は回収済み
‣詐欺師
捜査パートで十神が偽物だったことが判明する 意味が分からなかったが、意味などないらしい 十神の正体を引っ張ったのは『コロシアイ学園生活の生き残り』や『裏切り者』のミスリードでしかなかったのだ
七海は自分たちを騙していた十神に対し仕方ないと言う
「才能を持つっていう事は、その才能に縛られるって事でもあるんだよ。」
本人の望む望まないは別として、才能に頼らざるを得なくなる状況もある 狛枝はその生き様からして上記の事を体現しているだろう
そしてこれは才能を持たない人の方が良いのかもしれないという考えであり、狛枝とは真逆の価値観である
‣自殺に見せかけたトリック
自分の命を懸けて”絶対的な希望は絶望に打ち勝つ”ことを証明したかった狛枝は、今回の”犯人不明のトリック”に及んだ
自殺(狛枝が仕組んだ殺人)であることは裁判中早い段階で判明したが、その動機について「狛枝は俺達を皆殺しにする為に自殺したのか?」と日向が疑問を抱く
そして消化弾の細工に気づき、この事件の犯人が”特定不可能”であることに辿りつくが、ここで重要なのがモノクマには犯人が分かっている点である(プログラム世界である以上、監視カメラなどの小細工を必要とせず、監視者として全てを把握できる)
‣ソニア
倉庫で火災が発生した時、ソニアが「消化弾を使いましょう」と言わなければ狛枝の罠に嵌ることは無かった 善意からのミスリード
また、軍事施設で怪しい動きをしていたり、狛枝が用意した大量の爆薬がただの花火であることを教えにギリギリになって倉庫へやってくる等”裏切り者”のミスリード
”絶望を排除しようとする”狛枝と、”希望を守ろうとする”七海
‣七海千秋
七海の推理の根幹は「信じる」ことだ
「疑いもするけど…それでも信じたい。その先にあるのが『信じる』って気持ちなんだよ。」
狛枝は自分の幸運を信じて「裏切り者に自分を殺させる」計画を決行した その幸運を信じるのであればこの事件の犯人は”裏切り者”である七海だ そう推理した七海は、日向なら真実に辿りついてくれると信じて”裏切り者”の推理を託したのだ
日向が七海を”裏切り者”として指摘することは狛枝の運を信じることではなく、七海を疑うことでもなく、七海を信じることである この選択は非常に心苦しいが、七海の選択を裏切らないためでもある
未来機関を裏切��ないからと、これまで直接的な干渉は控えていた七海だが、この章をもってそれを卒業することになる
七海はひな祭りも乳絞りも知らない 生まれたばかりで色々なことを学習している途中だ
「人の感情とかを推測して考慮して、選択しなきゃいけないようなのはちょっと難しい。」 「できるだけ、傍観者でいた方がいいって。」
そう言っていた七海が狛枝の”希望”に対する感情を推測して考慮した推理を披露し、自分の意思で”本来の役割”を降り、未来のために日向たちの背中を押したことは彼女が正しく成長していることの証明だろう
‣超高校級の幸運
狛枝の目的は「裏切り者以外の全滅」、さらに言えば「希望が絶望に打ち勝つ事」である 前者が今回の計画の主目的であり、これは日向たちの推理によって”失敗”に終わった しかしこの失敗という不運は6章で覆ることになる
‣七海とウサミのおしおき
ウサミはおしおきの直前こんな話をする
「英雄になる必要なんてないんでちゅよ。無理に誰かに認められなくてもいいんだからね。」 「他人に認められなくても、自分に胸を張れる自分になればいいんでちゅ。」
これは権限をモノクマに奪われたウサミ本人にも、才能を持たずそれに強い憧れを抱く日向にも向けられた言葉であり、同時に 確かな才能を持つ者に憧れ、自分を卑下していた狛枝にも刺さる言葉だ
‣バグり始めた世界
画面にノイズが走りテキストが文字化けすることでこの世界がプログラムであることが表面化してきた それだけでなく、死んだはずの仲間が出てきたりと心臓への負担が大きい演出となっている
その後レストランで狛枝の最期のメッセージを聞くことに
バグりながらも話を紡ぐ狛枝が残したものは『11037』のパスワードと、彼の願望をあらわにした言葉だった
「ボクの行動が世界の希望の礎になると信じている」 もし本当にそうなったら「ボクを…超高校級の希望と呼んでくれ。」と、今まで隠していた「”超高校級の希望”になりたい」という願望を明確に口にする
CHAPTER0 修学旅行へと向かう乗り物の中のような
船の中でカムクラと話している狛枝
カムクラの視点で語られるが、両者の語り口からは”あいつ”(江ノ島)に対する殺意や憎しみが垣間見える (狛枝の「大嫌いなあいつを殺せるのかな?」 等)
”絶望”になった生徒たちは皆が皆罪木のように江ノ島のことを純粋に敬愛してるわけではなく、彼らの様に否定的な感情を抱く者もいるのだろうか
‣カムクラの目的
「僕は持っています。あいつが遺したモノを…」
江ノ島が遺した江ノ島アルターエゴのことだが、それを持ち込んだ理由は単に江ノ島を復活させるためではなく、江ノ島を利用してツマラナイ世界に何かを残そうとしている
『予想がつかない』出来事を期待している
‣狛枝が腕を移植した理由
「最大の敵である”超高校級の絶望”を取り込むことに成功した」 「大嫌いだからこそあいつの力を取り込む」
���言っているが、直後に「大嫌い…なのかな?なんだろ…おかしいな…」などと錯乱する様子も見られる
6章裁判での苗木(偽物)の「江ノ島と一体化する事で、自分の中で彼女を生かそうと考えたんだろうね。」と言う発言は江ノ島アルターエゴの推理であるから狛枝の真意は分からない
CHAPTER6 This is the end 〜さよなら絶望学園〜
序盤は希望ヶ峰学園の探索 愛着のある景色が壊れていく様は面白かった 前作をアニメで済ませずちゃんとゲームプレイしててよかった
未来機関のメールの痕跡などから苗木たちが”超高校級の絶望”を匿っていること、それが未来機関の意思と反することなどが伺える
‣ちーたんアルターエゴ
監視者の二人についてや、監視者の権限を乗っ取ったウイルスも”ルール”に縛られていることを教えてくれた ここで何者かがこの世界にウイルスを持ち込んだことがわかる
‣苗木誠
苗木クン生きてるしめっちゃ喋るしなんなら普通に登場してわろた
『11037』のパスワードを「ある人が窮地に陥った自分を救うために残してくれた数字」と言っていて、なんだかすごく嬉しくなった 舞園さんが好きなので 苗木にとって舞園さんは今でも恩人であり忘れられない思い出なんだ
以下裁判パート
‣苗木?登場
めちゃくちゃ格好良い登場の仕方だったけど偽物だった
ここで狛枝が先に辿りついた真実の一つ、自分たちが”超高校級の絶望”であることを突き付けられる
モノクマから卒業プログラムで卒業を選ぶことで”超高校級の絶望”の記憶はなくなり、現在の日向たちのまま卒業できるという説明を受ける
死んだみんなは生き返らないが、ここで外に出ない意味はないので当然卒業の流れに 七海が残してくれた未来ならそんなの選ばざるをえない…
しかし、日向たちが卒業する方へ誘導しているモノクマに違和感を抱き、この苗木を信用して良いのか?と言う流れに 結果、この苗木はモノクマの自作自演だということがバレる ここで苗木である証明のために『11037』の意味を問うところがまた良い
‣江ノ島アルターエゴ
死ぬ前に江ノ島本人がちーたんの技術を盗んで作った…らしい カムクラが持ち込んだウイルス
江ノ島は卒業プログラムについて「死んだみんなは生き返る」と条件変更 あからさまに都合が良すぎるが
ジャバウォック公園にあったカウントダウンは「コロシアイ修学旅行のタイムリミット?」→「モノクマの言う”あいつ”が来るまでの時間?」→「江ノ島がプログラムを改ざんするまでにかかる時間?」のように次々とミスリードされていったが、結局意味など無いらしい
ここにきて卒業を押すのか…?と思ったら
‣苗木(本物)登場
主人公か?
苗木は新しい方法として”強制シャットダウン”を提示する しかし現状では人数が足りない…まさかとは思ったが、そのまさかだった
‣霧切・十神登場
激アツカットインからのクールな二人 苗木含めたこの三人好き
十神が「いいから強制シャットダウンだ」しか言わない こいつ前は自分の価値観で物事を考えるのは危険とか言ってなかったか?
苗木とその希望を信じてプログラム世界に身を投じた二人だったが、彼らの説得も虚しく江ノ島が突きつける残酷な真実に日向たちは絶望してしまう
苗木たちがこの世界に来るタイミングは、江ノ島に操作されたものである
‣希望更生プログラムから絶望復元プログラムへ
”強制シャットダウン”を選ぶと「この島での記憶が消える」 それはつまり七海の記憶も消えるという事だ それはみんなが絶望に戻ってしまうことや死んだみんなが生き返らない事よりも重大に思えてしまった
しかし”卒業”という選択肢は世界に”絶望”を放つことである それは江ノ島の”絶望”が勝つことを意味するため選ぶことは絶対にできない
(”留年”はどう考えてもメリットが無いため考慮しない)
江ノ島は日向たちに卒業を選ばせたがる(=苗木たち三人を永遠に留年させ、生き返ったみんなを江ノ島アルターエゴで上書きする(のちの人類総江ノ島化計画)ことを目論んでいる) ここで重要視すべきなのは人類総江ノ島化計画ではなく、苗木たちを永遠にこの世界に留まらせる事である
そして強制シャットダウンをさせないために江ノ島はさらなる残酷な真実を突き付けてくる
‣カムクライズル
日向創が希望ヶ峰に憧れるあまり付け込まれロボトミー手術を施されて生まれた”超高校級の希望”と呼ばれる天才 あらゆる才能を人工的に植え付けられた結果、人生を「ツマラナイ」ものだと思っている模様 カムクラの存在は5章のウサミの台詞と真逆であり、狛枝の「才能は生まれ持ったもの」という理念に反するもの
強制シャットダウンすれば日向は”絶望”状態のカムクライズルになり、日向創という存在は消えるのだと言う こんなにも残酷な真実があっていいのだろうか、まさに絶対的な絶望だ
そしてどちらも選べず立ちすくむ日向たちに対し、江ノ島は「予想通り」だと言う すべてが予定調和で、すべてをコントロールできるゲームの世界だから こうして事態は膠着したまま苗木たちもなすすべなく日向は絶望に堕ちてしまう…
江ノ島アルターエゴの真の狙いは”停滞”であり、南国の島でずっとずっとずっと…みんなを未来に進ませない事にある そこに動機は存在せず、ただ純粋に絶望を追い求めているだけ
‣七海千秋
救いの手を差し伸べてくれるのはやはり七海だった
「キミ達はゲームなんかじゃないんだよ?”選ぶ”だけじゃなくって…”創る”事だってできるはずだよ。」 「たとえ”存在”がなくなったとしても、私とみんなで作った未来をみんなが進み続ける限りは…私は消えてなくなったりしない。」
と意識の底から日向の背中を押して励ましてくれる そうして才能を持つ事がゴールじゃない、自分を信じてあげる事が大切だと言うのだ
これは七海がコロシアイ修学旅行を経て学習したことであり、日向が欲していた”希望”の言葉だろう
「キミなら”未来だって創れる”はずだよ。」
七海の言葉を借りて絶望に染まったカムクラを論破していく 日向創、いい名前だ
‣スーパーサイヤ日向
江ノ島は七海の後押しにより覚醒した日向を見て完全に予想外だという反応を見せる 「ま、まさか・・・カムクラ?ちょっとどうなってんの!?こ、これって・・・マジもんのバグとか!?」という台詞から推察すると、現在の日向はカムクラと同等の力を持っており、”超高校級の絶望”に対抗できるものだとしたら、日向は”超高校級の希望”として目覚めたのである
そうして日向は自分たちで”未来を創る”ために強制シャットダウンをする決意をみんなに示した
‣江ノ島の敗北
江ノ島アルターエゴはウサミにおしおきされ、今度こそ影響力を失う
”超高校級の希望”が”超高校級の絶望”に打ち勝ったという事は、狛枝の望みが成就したという事でもある 5章での狛枝の計画が”失敗”して七海が未来機関としての役割を放棄し処刑されるという”不運”を覆すのが、6章での七海が日向の”意識の中”で彼を励ますという役割を担う”幸運”に繋がる
つまり狛枝の行動が起因となってどんな絶望にも打ち勝つ絶対的な希望を日向に与えている
これは狛枝が意図していたことではなく、本人が望んだ結果とは別の形での幸運の成就という、これまで発揮されてきた才能の法則性と違わぬものになっている
また、”幸運”という才能が単なる偶然の産物ではないことはカムクラがその才能を持っている(=移植できるレベルで定義が存在する)ことが証明となっている
EPILOGUE 未来の前の日
スーツ着た霧切さんがとても可愛かった 腐川が十神の帰りを待っている事を思わせる台詞もあったし前作の生き残り組はこの世界でちゃんと生きてるんだなと思うと感慨深かった
苗木たちの創った未来も存在している事実が嬉しい
同時に日向たちが創った都合の良い未来も存在していることを願う
今作が一貫して言っていたことは、「多様な価値観があること」
己の価値観のみで形成された世界では起こりえない予測不可能なことでも、行動を起こせば”奇跡”は起きる
他に考えたい点
・日向(カムクラ)達はなぜ超高校級の絶望になったのか
・希望ヶ峰学園のした事
・カムクラの目的 等
キャラ評などは通信簿埋めてから改めて書くと思う
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これは一番好きな日向創の表情
4 notes · View notes
deisticpaper · 2 years ago
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蜃気楼の境界 編(一二三四)
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「渦とチェリー新聞」寄稿小説
連載中のシリーズ、第一話からの公開、第七話まで。第八話以降、朗読版に繋がり、最新話に辿り着けます。
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蜃気楼の境界 編(一)
序��
 赤に黄を混ぜると橙になるとか、分子だとか原子だとか、決まりごとで世界を理解した気になれるとしている人達の視た光景が世界の基準になっていることがそもそも気に食わないと、二〇一六年春、高校一年生になったばかりの渡邉咲は思っている。彼女はやがてクラスに、背が高く視力の悪い市川忍という一見平凡な男子生徒がいることに気づくだろう。麗らかな新大久保、韓国料理店をはじめとした多国籍渦巻く通り、彼女よりも背の高い通行人達の隙間を縫いながら気分よく和楽器専門店へ向かう道すがら、迷いのない機敏さですれ違った、いつだったか見たような気のする少女に勘が働き、あとを追うと、二人の男が対立していたのだ。さっぱりとした面立ちの男が軽やかに束感ショートの若い警部補に、これは高橋さんお久しぶりです、と話しかけるが、その警部補は、探偵に用はないよ、と軽くあしらう。少女は、この探偵と警部補の間を通り過ぎ、可憐に立ち止まり、一、三、三十、千五百と口にしたのだ。新規上場企業連続殺人事件の際はな仲本慧きみのお世話になったが、警部補がいう、本当に高くついたよ闇のポケットマネーだった、今回の捜査はもう済んでいる高知県岡内村の淵に発見された男の水死体はここのホステスとの恋の縺れで半グレが実行したと調べがついている。ところが、探偵仲本慧は、隠れて話を聞いていた渡邉咲が耳を疑うようなことを坦々と喋りだしたのだ。少女崔凪が口にした数から推理するに、彼女の身長百五十センチが百五十万μm(マイクロメートル)だね、目視可能な基準五十μmより小さい花粉が三十μmで飛沫や通常マスクの捕獲サイズが三μmで細菌は一μm、零点三μmはN95マスク捕集サイズ、零点一μmはインフルエンザやコロナのウイルスサイズつまり著名なウイルスは人間の千五百万分の一の小ささでその一回り大きい細菌が百五十万倍の少女を視れば頭は火星にあり地球からの距離十三光分だね月までなら一点三光分、符号、十三、仲本慧が楕円を描くようにぐるぐる歩く、火星は周期七百八十日で地球に近づき月との接近を天上で愉しめるわけだが今年はそれに当たる、七百八十と十三に関係する郵便番号が高知市青柳町で、そこに住む犯人は七百八十日周期で男を殺しに東京を訪れる。
 雑居ビルの階段下で警部補は少女崔凪を見、腰を低くし、初めまして警部補の高橋定蔵だ、二年前はお世話になったがきみは知ってるのかな、という。崔凪は強い瞳のまま無言。警部補は探偵に、依頼はしてないから助言と受け取るがどうして事件を追ってる。陰で話を聞きながら、渡邉咲は胸を熱くしている。着信音がする。それを無視した仲本慧、曰く、単なる不倫調査で慧探偵事務所の探偵チームはターゲットの男がある女とホテルへ入るところを写真に収めたが依頼の追加でその女のプロファイルを求められたという。追加依頼を探偵チームに投げようとしたとき事務所に遊びにきた崔凪が、一、三、三十、千五百と自ら口にしたのだ。推理から、と仲本慧はいう、写真に収めた女は、蜃気楼だと気づいた、真の不倫相手の女、つまり犯人が、虚の像を追わせたのさ、ここのホステスは事件の蜃気楼、無関係だね。渡邉咲は、どういうこと、と驚くが、何度か鳴っていた事務所からの着信を仲本慧が受けて、崔凪に、さぁ行こう、と告げ、去り際、ふと足元を見、ツバキの花は境界に咲くというが、現世と魔界の境界にも咲くんだね、と笑みを浮かべる。警部補は二人を追わず高知警察署へ連絡しているらしい。数日後、高知の青柳町に住む女、宮地散花が連続殺人容疑で逮捕されたことを渡邉咲はニュースで知り、午前の授業中はずっと雑居ビルの階段下でのやりとりの記憶に捕らわれ、探偵仲本慧の絡んだ事件の真相って境界の狭間に咲く花のよう、と夢見心地になるが、少女崔凪による真相は、甲乙ムの三文字の一体である鬼を抱く宮地散花が千五百年つまり明応九年に践祚した後柏原天皇の詠んだ歌、心だに西に向はば身の罪を写すかがみはさもあらばあれ、に心打たれるも意味を取り違え、三十人の男の供養を願ったことに始まる。その鬼の念、情景を歪ます程に強く、探偵や警察を巻き込み、一高校生渡邉咲さえ巻き込んだが、彼女は探偵仲本慧による更なる次元さえ加わった渦の中でときめいている。その様は、クラスメイトの市川忍の何かを揺るがしたのだ。窓の下、体育館でのバスケの授業をずっと眺めていた市川忍は、突然渡邉咲の存在に気づき、それは彼のもう一つの人格、仟燕色馨の方が先だったかもしれない。胸騒ぎだ。
蜃気楼の境界 編(二)
書乱
 春の夕、上海汽車メーカーの黒い車が高田馬場駅は西、高校の校門を通過し、停車する。奇妙な車がよぎった、脳裏より声。授業も聞かず窓の下、体育館でのバスケの授業をぼんやりと眺めていたが、脳裏に響く声に高校一年生の市川忍、カジョウシキカ唐突に何だよ、と聞く。一昨年にきみを冗談交じりに犯人と疑��てみせた探偵がいたのを覚えてないか。そう問われたものの市川忍は思いだせず、それがどうかしたのと内側へ声を。すると、微かなタイヤの摩擦音と停車音の比較から目的地はすぐ側の一軒家だろうちらと見えた、運転手がその探偵だ、という。この七年前は二〇〇九年五月、関西の高校生から広く流行した新型インフルエンザ以降雨の日以外つねに窓が少し開けられている。空気は生ぬるい。チョークの音。市川忍、幾つか机の離れた席に座る渡邉咲に視線を送る。チャイムの音が鳴り、放課後、別のクラスの生徒、石川原郎がやってきて無造作に横の机に座り、市川おまえ高校はバスケ部入らないの。まあね。受け応えしながら机の中の教科書類を鞄にしまっていく。渡邉咲立ち上がり、教室の外へ。一書に曰く(あるふみにいわく)と仟燕色馨の声が響く、混沌のなか天が生まれ地が固まり神世七代最初の神、国常立尊が生まれたが日本書紀に現れない五柱の別天津神がそれより前にいて独神として身を隠したというのが古事記の始まりということは教科書にも書かれていたが先程の古文の教師はイザナギとイザナミの二神から説明した、これもまた一書に曰く、数多の異神生まれし中世ではアマテラスは男神ですらあり中世日本とは鎌倉時代からつまり末法の世まさに混乱した世の後で超自然思想は流行り無限の一書織り成す神話に鎮座し人々は何を視ているのか、きみが気にしている渡邉咲、退屈そうに探偵読本を机の中に置いていった、大方、探偵に夢を見、探偵業に失望したのだろう、数分の場所に探偵がいる。市川忍は脳裏に響くその声をきっかけにし会話一つ交わしたことがない渡邉咲のあとを必死で追う。走りながら、どう呼びかけるのかさえ決めていない。仟燕色馨のいう一軒家は平成に建てられた軽量鉄骨造で、渡邉咲が通り過ぎた頃合いで咄嗟にスマホを耳に当て、探偵が入っていった、と強く言う。驚き、振り返る渡邉咲。
 目黒にて桜まじ、遊歩す影二つ。吹く風に逸れ、冷たし。怪異から死者が幾人、立入禁止とされた日本家屋をちら見し、一つの影、あァお兄様さらなる怪奇物件作りどういたしましょうと口元を手で隠し囁く明智珠子に兄、佐野豊房が陽炎のごとき声で私達はね共同幻想の虚空を幽霊のように漂っているんです、井戸の中で蛙は鬼神となりたむろする魍魎密集す地獄絵図の如き三千大千の井戸が各々の有限世界を��象限マトリクス等で語る似非仏陀の掌の架空認識から垂れ下がる糸に飛びつき課金ならぬ課魂する者達が世を牛耳りリードする妄想基盤の上で生活せざるを得ないならば、宇宙に地球あり水と大地と振動する生命しかない他のことは全て虚仮であるにもかかわらず。明智珠子がその美貌にして鼻息荒く、あの探偵とだけは決着を付けなければいけませんわ、家鳴の狂った解釈で恐怖させる等では物足りません残酷な形で五臓六腑ぶちまけさせなければ気が済みません。佐野豊房は、だがただ凍風を浴びるがままである。翌週は春暑し、件の探偵仲本慧はそれでも長袖で、奇妙な失踪調査依頼で外出している。我が探偵チームが二日で炙りだしたターゲットの潜伏ポイントは男人結界つまり男子禁制の聖域だからねと探偵事務所二番窓口女性職員橋本冷夏にいう、琉球神道ルーツの新興宗教だそうだ。いつも思うんですが年中長袖で暑くないんですか。東京中華街構想があった年と探偵仲本慧プロファイルを口にする、同士と約束したんだねハッタリ理由に青龍を肌に翔ばす気がなかったから年中長袖を着る決着にしたわけだ。えっ、一体何が。その会話を引き裂かんとついてきていた少女崔凪、突飛な言葉を口にする、卑弥呼は、自由じゃない。ハッとし振り返った仲本慧問いかける、今回の件、どう思う。崔凪、気分良さげにいう、男子禁制だから教えられない。生暖かい風が東京湾から。晴海アイランドトリトンスクエアをぐるっと回ってみたわけだが、と元の駐車場に踏み入った仲本慧、あれはかつて晴海団地があった土地だね、我が探偵チームが弾き出した潜入ポイントにも寄った方がいいかもしれないね。そうして訪ねた一軒家の門の外、仟燕色馨を秘める二重人格者は市川忍と、探偵仲本慧を気にする渡邉咲、二人の高校生が現れたのだ。
蜃気楼の境界 編(三)
朔密
 白雨あったか地が陽を返す。探偵との声に驚き振り返る渡邉咲の前に市川忍。彼をクラスメイトと理解する迄に数秒。バスケ部上がりの忍は別世界の男子生徒に見えたし圧も弱く視野外にあったのだ。水溜りを踏んで市川忍は彼のもう一つの人格仟燕色馨と心の内側で会話をしている。探偵が入っていったとスマホを片手に口にしたが通話はしていない。咲に向け、ここで事件が起こっているから静かに、俺には知り合いに探偵カジョウシキカがいて今彼と話していると囁くように言い、表札にある「朔密教」と火と雫の紋章、白い香炉を模った像をちらと見、呼び鈴を鳴らす。片や探偵仲本慧はその軽量鉄骨造の一軒家の門の斜め向かい、車中にいる。突然現れた高校生の男女がターゲットの家の呼び鈴を鳴らしたことで注目する。ガチャと鳴り玄関から高齢の女、倉町桃江が姿を見せ咲を見ると、何か用ですか、と聞く。戸惑う咲の前に出、忍、朔密教の見学に来たのですが、というと、男子禁制ですから、そちらのお嬢さんだけでしたら。運転席の仲本慧とともに慧探偵事務所窓口職員橋本冷夏が後部座席から降りるが助手席に座る少女崔凪は出てこない。通り雨は天気予報になかったねと口にしながら歩み寄る仲本慧を間近に見た咲が紅潮する。仲本慧が高校生二人を一瞥し、倉町桃江をじっと見つめ、貴女がここの教主ですか、こちらの橋本冷夏が見学に来たのですが。ぬるい風に織り混ざる卦体。そうですか。倉町桃江は表情一つ変えず、弥古様はおられませんが、さ、どうぞ、屋内へ消える。門前に探偵と忍と咲が残る。脳裏の声に促されて忍、何か事件でもあったんですか、と慧に。素性を見抜かれた質問を受けた慧はほんの僅か忍を見、ああきみは以前事件のときに少し話かけた学生だね、とにっこり笑いながら名刺を差し出し、慧探偵事務所の仲本慧だ、困ったことがあればいつでも訪ねてくるといい金額は安くはないけどね、そう話を逸らす。スマホを耳にあてた忍は仲本慧の目をじっと見て、知り合いの探偵と連絡を取りあってるところでもしかしたら同じ事件を追ってるのかも、弥古様を、と挑発する。ここに、咲の目前で、二人の探偵の戦いの火蓋が切られたのだ。咲の気をひく為に市川忍によって仟燕色馨が探偵とされた顛末である。
 門と玄関の境界の片隅、雨露に濡れるツバキの花に気づくのは、仲本慧のスマートフォンに朔密教内部に潜入した橋本冷夏から失踪調査対象は石文弥古の姿見当たらずとのメッセージが届き、車内の崔凪に視線を送った直後、片や、市川忍の視界には、はらはら雪が舞い、脳裏に津軽三味線の旋律流れ、声響く、曰く、表札に火と雫の紋章があったがイザナミが命を落とすきっかけ火の神カグツチを当てれば雫はその死悲しむイザナギの涙から生まれしナキサワメであり白と香炉を模った像から琉球の民族信仰にある火の神ヒヌカンを合わせれば朔密教の朔は月齢のゼロを意味し死と生と二極の火の神を炙り出せるだろう男子禁制からヒヌカンによる竈でのゼロの月の交信を弥古様は隠れて行い目的はイザナミの復活か、次元異なる宗教織り成す辺りの新宗教らしさから朔密の密を埋没神と見るなら竈は台所更には死した大いなる食物の神オホゲツヒメの復活とも関連し故に弥古様は台所を秘めたる住処、家としている。この象徴的絵解きのごとき推理の意味が市川忍は何も分からなかったが解が台所であることのみ理解しスマホへ向け成程仟燕色馨、君の言う通りだ敢行するしかないねと言い渡邉咲を見、ねぇ仟燕色馨から君にお願いがある、この中は男子禁制、だから、と耳元に。咲はこのとき、心を奪われたのだ、市川忍ではなく��仟燕色馨の方に。現場��男子禁制ゆえに崔凪の手助けが得られず動揺して仲本慧は自力で推理する。ここへ来る前に出向いたかつての晴海団地はダイニングキッチンが初導入されそれを一般家庭に普及させた歴史的土地で朔密教が琉球神道ルーツの新興宗教であることは調査班の報告で分かっているから潜入した橋本冷夏は台所へ案内されている筈、儀式は日々そこで行われるが石文弥古の姿はないという、ならどこに。その事務的に戸惑った様子が渡邉咲には探偵読本にもあった只の組織である商売人の探偵にしか見えなかったのだ。咲は仲本慧を背にして走り、玄関をくぐり、朔密教内部に潜入する。だが、濡れた車、助手席から出てきた少女崔凪が数字の羅列を呟き、仲本慧は、そうか分かったぞ、と声をあげて橋本冷夏に通話する。崔凪が、涼しい顔でのびのびと呟く、負けるくらいなら今だけ男子禁制じゃなくてもいいかな。
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蜃気楼の境界 編(四)
你蜃
 燻銀の月が空に二人の高校生公園で座る。笙の天音が鳴り、お母さんだ、とラインの返信をしながら渡邉咲、探偵カジョウシキカは推理で勝っていた、と市川忍を見、探偵仲本慧に出会ったきっかけはそもそもあの少女崔凪だったと思いだす。一昨年にこの公園で鼻歌交じりハーブの栽培をしてた子だ、だから見覚えがあったんだ、と。軽量鉄骨造一軒家、朔密教本部から出てきた探偵職員橋本冷夏に、今宵は重慶三巴湯と青島ビールで宴会だね、と上海汽車メーカーの黒い車へ去る仲本慧の側にいた少女崔凪が高校生の二人をちらと見ふっと笑う。市川忍は悔しがるだけで、だがその内側に潜むもう一つの人格仟燕色馨は市川忍の瞳を通し崔凪をじっと見つめる、夜の公園で仟燕色馨、只の勝負なら勝敗などは所詮遊戯それに君も渡邉咲と親しくなり目的は果たしているだろうしかし慧探偵事務所は現世と魔界裏返りし境界ありこれは魔族の矜持に触れるゆえ既に仕掛けをしている君も再戦を覚悟してほしい、と。その脳裏からの声の本意を掴めない市川忍に、咲、貴方のお知り合いの探偵さんはどう���ってるの。その輝く瞳妖しく、市川忍はときめく反面恐怖を覚え、無意識にポケットから作業用の黒ゴム手袋をとりだす。刹那、何故か海峡で波を荒らげる雪景色に鳴り響く津軽三味線の調べが聞こえ、再戦を望んでると伝えると、只ならぬ興奮を見せて咲は喜ぶのだ。先刻、朔密教内部へ駆けていった咲は、仟燕色馨の伝言、台所の真下に女の住居有り、を忍から受け儀式行われし白い炊事場を目指したとき、倉町桃江の脇で動揺する橋本冷夏の姿を見たが、その元に着信が入り中国語で会話を始め、瞳に青龍の華が光れば、香炉、水、塩、生花を払い除け床下収納庫の先に階段を見つけると、独房のような地下室で失踪調査対象である石文弥古を発見、最早咲は事の成り行きを見届けるのみ、異変の只中で、少女崔凪の存在が頭によぎったのだ、確かに探偵仲本慧は推理が届かず動揺していた、何か得体の知れない事が起きたのだ。それにしても、咲は思う、探偵仟燕色馨どのような人なのかな、市川忍という同級生がどうして魅力的な探偵さんとお知り合いなの、ふふ、取りだしたその黒ゴム手袋は何、月がきれい、まるで、私の住む世界のよう。
 朔密教、明治に明日香良安が琉球神道系から分離し設立した新宗教である。分離したわけはスサノオに斬り殺されたとされるオホゲツヒメの復活を教義の核に据えた故で、同時期に大本で聖師とされる出口王仁三郎が日本書紀のみ一書から一度だけ名が述べられるイヅノメ神の復活を、同様に一書から一度だけ名が述べられるククリヒメの復活を八十八次元の塾から平成に得た明正昭平という内科医が朔密教に持ち込み妻の倉町桃江を二代教主に推薦し本部への男子禁制を導入、女埋没神の全復活によりイザナミ復活へ至る妻のお導きを深核とし今の形となる。女埋没神はイヅノメ神、オホゲツヒメ、ククリヒメの他に助かったクシナダヒメを除くヤマタノオロチの生贄とされた八稚女らがあり、更には、皆既日食により魔力が衰え殺されたとされる卑弥呼を天照大神と見定めての復活とも融合している。それらを依頼主に説明しながら仲本慧は殺風景な部屋で分厚い捜査費用を懐に入れ、他の探偵にも依頼してないかな、と冷えた目を向ける。依頼主である小さな芸プロのマネージャーは、業界に知られたくない件だから貴方を紹介して貰ったんだ、深入りはしない彼女どういう様子でしたと聞く。調査ではと仲本慧、社会にある数多の既存の道筋を歩めないという認識から石文弥古は芸能に道がないか訪ね、今は朔密教を訪ねているのだろうね、弟以外の人の来訪を絶ち鬼道を続けたとされる卑弥呼の形式で、倉町桃江の最低限の関わり以外を完全に断って地下で儀式を八十八日間続ける任務を受け入れた石文弥古は、我が優秀な女子社員いわく、自らの意志とのことだ。屋外へ出、仲本慧、通話し、高校生市川忍を調査して、という。崔凪の口にした数は、四四八、二四七、一三七。仲本慧はタワマン供給実績数を推理し晴海団地へ出向いたわけだがその推測は二〇二一年の上位三都府県に予知のごとく一致し、崔凪はのちに数列に隠していた八十八を付け足し、慧の推理は台所の地下へと変化したが、二四七が卑弥呼の日食の年を指すように、海とされるワタツミ三神がたとえ人智の蜃気楼であってもなくても推理と崔凪の真意とが違っても。仲本慧は思う、人々は、この街は大地は、紀元前、胡蝶の夢は一介の虚無主義ではない知が、華が、騒いでいる。
by _underline
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small-spring · 6 years ago
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お出掛けしてきました!
昨日はとっても、とっっってもいいお天気でした!(≧▽≦) それはそれはもう、このまま夏になるんじゃないかと思うくらい!←…いや、さすがにちょっと大げさか(笑)
お出掛け日和になりましたので、上越までのお出掛け、楽しんできましたよ♪
まずは朝のうちに、ようやくそらちゃんの写真を撮りに行きました! お誕生日から3日過ぎてしまいましたが、やっと「おめでとう!」を言えてよかったよかった(^^)
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ちゃんとこっちに目線を向けてくれるそらちゃん(o´∀`o) とうちゃんから朝ごはんをもらってるところです。 8歳になって、さすがに我が家に来た頃のようなハツラツ感みたいなものは薄れてきてますが、でもかわいいよ♪ まだまだ元気でいてほしいです!
朝9時過ぎに出発して、上越に向かいました☆
まずはお買い物。 近々閉店してしまうという、上越に住んでいた頃からお世話になってたイトーヨーカドーへGO! 入学にあたって必要になる、さきちゃんの細々したものを購入。 それから、はるちゃんさきちゃんの春服も、少し購入。
それから、イトーヨーカドーに寄り添ってお店を構えているパン屋さんへ。 ランチ用のパンをGETしたよ☆
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パン屋さんの外に、ちょっとしたテーブルと椅子が置いてあるのです。 ご満悦で椅子に座って、本人曰く「かれーぱんまんのマネ」をしているゆめちゃん(笑)
ランチは、佐渡汽船のターミナルにある展望室で食べました。 ここ、展望室なんだから当たり前だけどもの��ごく見晴らしが良くて、海の方を向いた備え付けのでっかい双眼鏡があって、港のジオラマなんかもあって、こどもたちもけっこう楽しめます。 しかもちゃんとテーブルと椅子が用意されてて、そんなに混まない場所なので、ゆっくりランチもOK☆ 有り難いところです(^^)
ランチの後は、糸魚川に向かいました! 「フェルエッグ」さんに行くために!(≧▽≦) よっぽど思い立った時じゃないと、なかなか行けないところなので、今回はそこまで足を伸ばすことにしました!
行ってみると、やっぱり混んでる! そして、並んでいるお菓子がもう、どれもこれも全部おいしそう! 実際おいしいのが分かってるので、どれを選ぶか非常に悩むんですよねぇ、毎回。 店主さんにも久し振りにお会いすることができて、とっても嬉しかったです! ありがとうございました☆
フェルエッグさんでお買い物の後は、海に寄ってみました。
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佇むはるちゃん。 お天気がよかったので、海もすごくきれいでした。 凪というわけでもなく、でも波が高くもなく、ちょうどいい感じの波が繰り返し繰り返し打ち付けてきて、何とも言えず癒されました(^^)
海を見た後は、温泉に立ち寄って、一風呂浴びてからのおやつタイム♪ フェルエッグさんのシュークリームとプリンをいただきました!
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ゆめちゃんがチョイスしたのがこちら。 ふわっふわでとろっとろのプリン(o´∀`o) 「しあわせ」をお菓子にしたらこうなるんじゃないかと思うような、それはそれはおいしいプリンなのです!
もちろんシュークリームもしあわせなお味(o´∀`o) はぁ…おいしかったよぅ。 本当にごちそうさまでした。
今回はいつにも増して、いろんなところに行って、いろんなことをした1日になりました♪ はるちゃんもさきちゃんもゆめちゃんも、それぞれ楽しんでくれたみたいです(^^)
お天気が本当によかったなぁ。 この時期には珍しいくらいのいいお天気。 お天気にも感謝したいです☆
さ、今日からまたお仕事頑張ろう! もうすぐ2月もおしまいなんですねぇ。
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captainjonnkara · 3 years ago
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アオリイカ好調
今年の越前海岸アオリイカは非常に好調。
最近は雨も降っていないので墨跡の濃さで実感できると思います。
それぐらい釣れているわけなので、もっと釣りたいので沖からアプローチするんですけど、沖から見た陸はものすごい人の数です。
海なのでかなりの人数が入っても大丈夫なんですけど、こんなところにも!?みたいな場所にも人がいます。
ぶっちゃけ立ち入り禁止の看板だけじゃなくて、施設侵入で捕まってもおかしくない場所にもいます😅
そういう事は控えて欲しいですね。
ごみ問題や深夜の話し声による騒音問題もあります。
迷惑駐車もそうですね。
先日、山の神と息子殿連れてあちこち回ったんですけど、ひさびさの場所がゲート設置されてるなんてのがざらでした。
漁港なんで船の航行に邪魔にならないように、また周辺住民に気を使いながら楽しんで欲しいです。
永遠の課題です。
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さて、わたしの釣果はというと写真に撮っていないだけでけっこう釣ってます。
沖の離れた障害物周りは天国ですね。
ほんとにフルロック号に縁があって感謝してます。
また台風明けに海が凪いだら行くつもり。
いいですよ、今年の越前😎
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ykfanzine · 3 years ago
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Silence / Sacredness / Sacrifice
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【Silence / Sacredness / Sacrifice = S(Satoru)・S(Shoko)・S(Suguru)】 引用した曲:Taylor Swift "New Year's Day" https://www.youtube.com/watch?v=KkvTYrFIxNM
 投げ出された五条の右手は割れるように冷たい。  端正な爪に真新しい傷がついているその手はぬるい室温の中でたったひとつ異質だ。溶けこむことも硬直することもなく世界から区切られている。さっき抱かれた身体が火照って熱かったからこそ、その感覚は確信に変わる。捲れたカーテンと結露してくもった窓ガラスの向こうにまだ世界が広がっていることが今日だけは信じられなかった。ラジオから、掠れた音が響く。  You squeeze my hand three times in the back of the taxi  タクシーの後部座席で私��手を三度握る君  I can tell that it's going to be a long road  これは長い道のりになるだろうね  I'll be there if you're the toast of the town babe  君が街の有名人になっても私はずっと一緒にいる  Or if you strike out and you're crawling home  たとえ君がくたくたで這うように家に帰って来ても  背中の向こうで布が擦れる音がして振り向くのをやめる。バネが軋む音も、ラジオから流れ続ける女の声も、調子の悪い空調の音も、遠い。寝ないのか、一番近くでそう訊いた五条の声すら遠かった。 「眠れないんだ」  クリスマス。何の関係もないと思っていた記念日の名前。感情のありかを押し付けられるようで好きになれなかった記念日の名前。深い冬の闇に溢れる光の中で私たちは手をつないだまま道に迷っていた。道に迷っていることを忘れてその場でしゃがみ込んでみたけれど、やっぱり広がるのは暗闇だけで、目も口も塞がれたような息苦しさのまま始めた身体の関係。その間中私たちは無言だった。どれだけ強く手を握っても、腰を動かしても、傷口を開いていくだけの馬鹿馬鹿しい行為に思えた。快楽から一番遠い国に残された最後の人類のような気持ちだった。そして、それがお互い共であることを、お互いに理解していた。  夏油傑。昨日、私たちの親友が死んだ。  どこかにいるはずの彼へのかすかな期待すら断って。  押し花のように私たちの手で丁寧に潰して。  私たちの青い春は本当に終わった。 「眠れないならこっちに来れば」  サイドテーブルに乗っていたキャンディを口に放り込みながら五条は言った。左手で包み紙を握りつぶしてまたサイドテーブルに置く。ランタンが赤い包み紙をオレンジ色に染めて、甘い匂いと包み紙の開いていくシャクという音が穏やかに消えていく。ふれることのできる熱が苦しい。偽物の温かさと偽物の感情で傷を舐め合っていられたら良かった。それが出来ないくらいには私たちはもう大人で、それが出来ないくらいには私たちまだ子どもだった。 「……そうしよう」  ふれることのできる熱が苦しい。肌と肌の間に何もないからこそ、そこに存在しているという実感が苦しい。生き残って二人だけがあるという実感が。  百鬼夜行の後、何事もなかったかのように生徒たちに笑いかける五条を見て安心してしまった自分がいた。"彼は私に救えない"というどこまでもシンプルな事実を叩きつけられたこと。まだ救えると思っていた傲慢な自分がいたこと、全部可笑しかった。だから部屋に入った五条が目隠しもサングラスもしていなかった時、何も言わずに唇を重ねた時、泣きながら触れた時、いつもより乱暴な行為だった時、驚くほど心は凪いでいた。共に知っている死者を媒介にした性の衝動に笑いが込み上げてきたくらいには。  たった一人の親友を亡くしても地球は廻っていて、たった一人の親友を亡くしても性欲はそこにある。寂しさを埋めるための交わりは何もかもを消費して、それでも希死念慮を飼いならして虚空を見上げているよりはずっと良かった。一人ぼっちのまま二人のふりをするほうが間違っていたんじゃないのかなんて、野暮なことは言わない。  カラン、とキャンディが歯に当たる音。 「硝子」  唇を濡らしてから、ん、と答える。  分かっていたから怖くなかった。 「……別れよう」  分かっていたから、痛かった。  笑いにも似たため息をつきながら細い肩に頭をのせる。夏油が腕を回していた肩。重すぎるものを載せていた肩。これからも、最強であるが故に、全てを抱えていくだろう肩。救えないまま、祓えないまま、この肩は遠ざかっていく。私が五条を見るたびに夏油を思い出すように、五条も私を見るたびに夏油を思い出す。人間が集まったなら、誰かが強く存在感を放つのが失われた時だなんて皮肉な話だ。 「付き合ってないけどね」  この関係が終わっても、どうせ逃げられない。私たちの全てが染みついたこの高専で最期の瞬間まで生きることしかできない。酷いなぁと浅く呟いた五条の声に、振り向く。部屋の隅に、私たちの間に広がっていく、ピアノから打ち出された和音。 「硝……」 「言うな」  まだ何も言ってないって、と呆れた息だけの声がする。 「言わなくても分かるさ」  謝らないでほしい。ごめんという言葉が出てくることも、それが何を意味しているのかも分かっている。分かっていることを確かめ合うほど余裕のある世界じゃない。誰かを許すことができるほど大きな存在にはなれない。世界は残酷に続いていくから、残酷に"最強"を強制し続けるから。 「これからも、宜しく」  私も残酷になろう。  応えようとする五条の唇を塞ぎながら私は笑う。いちごの香りの唾液、指が触れる筋肉の厚さ、私を吸い込んで、世界を吸い込んで輝く六眼。彼がそこにいて、そこで苦しんで、そこで私を理解できずに、そこで私に理解されずにいることを舌で確かめていく。三人が二人になって、一人になっても、永遠のふりを続けていく。夏油傑という拠り所だけを共有して、救われないまま堕ちていくだけ。  クリスマス。静謐な夜に、この神聖な夜に、君を犠牲にして世界は廻っていく。  ラジオから、掠れた音が響く。    You squeeze my hand three times in the back of the taxi  タクシーの後部座席で私の手を三度握る君  I can tell that it's going to be a long road  これは長い道のりになるだろうね  I'll be there if you're the toast of the town babe  君が街の有名人になっても私はずっと一緒にいる  Or if you strike out and you're crawling home  たとえ君がくたくたで這うように家に帰って来ても  There's glitter on the floor after the party  パーティーの後のキラキラの床  Girls carrying their shoes down in the lobby  靴を持ってロビーへ下りる女の子たち  Candle wax and Polaroids on the hardwood floor  フローリングに垂れたロウとポラロイドの写真  You and me forevermore  君と私は永遠に 〈了〉
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odorugogo · 3 years ago
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あんステ旅記録|神戸編
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[3/4]
ステ行く前にフォロワーと映画見に行って凪砂を手に入れる。かわいい。強お姉ちゃん。
その流れで一緒に映画行ってたフォロワーをステ初日に誘う。すごい誘ったら来てくれてhappy~になった久しぶりのあんステにとにかくはしゃぐむらちゃん。
日和→真のせっかくかわいいかおしてるんだから~のセリフのくだり真の顎掴んだあとみやこが突然笑いだして ふふ ふふふってツボりだし、その後のセリフ言えずやったんやけど北斗がすかさず「さすが巴先輩だ…!なぜ突然笑いだしたのかはイマイチ分からないが…!!!」と言うてくれてアドリブで助けて貰ってて良かった
[3/5]
友達の家に泊まったあとそのままマチネ観劇したんやが後ろの席の人が舞台オタク人生で一番悪のマナーで精神が終わりになりマチネ途中退室して神戸観光に勤しんだ(悲し……🥲)
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📍北野異人館 ムーア邸
これはムーア邸のいちごのミルフィーユ!本当に食べに行きたかったから嬉しい。しかし、並ぶお店なので並んでたんやが私以外みんな2~3人で待ってて挟まれ、切なかった。異人館まわり大好きだからお散歩できたし結果お~らいか!?いや、やっぱマチネ抜けるの悲しいから駄目です。
この日は何故かチケット2枚とってて開演1時間前にそれに気づきオタクにただで良いからこん!?をしまくってたらオタクが来てくれて良かった。ダイレクト宣伝みたいになったね……
いつもの茨ちゃん「この世の地獄は自分の天国!」
~ビーストの音が流れ始める~
3/5ソワレの茨ちゃん「この世の自分は地獄の天国 !」
客「????????????」
↑これめっちゃ好き
この日の日替わりは天才
[3/6]
このあたりから神戸、上手側にしか座ってないことに気づき死ぬほど上手に愛着を感じ始める。
マチネのアンコールでほら飛んでった~はるかなそらへ~のくだりあたりで岸本がペンラを誤って飛ばして空中を舞うペンラ眺めてたけど岸本がペンラどこ…⁉️ってキョドっててよかった みやこが岸本に→岳さんがみやこに→岸本がみやこにペンラあげて何故かみやこがペンラ二刀流してておもろくて死んだ。みやこが岸本のペンライト奪って2階に駆け上がって岸本が後から追っかけて返してください!やってたら曲始まって慌ててハンドストラップ付けずに岸本がペンラ振って空中に飛ばしてたから全部みやこのせいなんよな。だから責任感じてペンライトあげたんやろし…(?)最高だったな…
日替わりのアドリブが出てこなくてパニックになるみやこのマネします。 「シェッ……シェフ!?!シェフ…?!ぇ…ッシェ、えッシェフ…!?!?!?!しぇっ……!まって…!!!理解が追いつかない!!!シェ、シェフ!?!?!?!?!?!」
(↑一慶さんが後日放送でこれ返ってきて焦ったって言ってたの好き)
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神戸にはカニがいる。
[3/7]
休演日。
ここで大阪↔神戸を毎日往復4時間半程度、フェリーで行き来するのが大変だるいという事に気づき急いで10日からのホテルをとる(遅すぎ)
このあたりから腰の痛さを感じ始め、明日から大丈夫なんだろうか?と一抹の不安を抱き始める。
[3/8]
フォロワーが卒業式から直行でTtMを見に来る
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これは他人の岸本
[3/9]
眼鏡を自宅に置き忘れてきて急遽三ノ宮で眼鏡を買う羽目になる。なんと無駄な出費。いうて3年ぶりくらいにメガネを手に入れた。それにしても眼鏡って30分以内に出来るんだね……(学び)
フォロワーが神戸→東京→神戸→東京を僅か2日間のあいだで行ってて怖かった
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そうですか
[3/10]
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そういえば���一とってた。
関空→神戸間はフェリーで30分で行けるのでオススメです。私は三半規管が弱いので毎度死んでました。ぬいが楽しそうだからええか
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📍南京町
神戸観光もちゃんとした!この日、初めてちゃんと観光らしい観光をした。揚げ小籠包がいちばん美味いって話。あと途中変なところでシティーループ(バス)降りてしまって地獄の坂登りをした。神戸行く人はヒールじゃない方が賢い気がする。
連番したフォロワーがジュンのうちわを持ってたことから岸本にTFY~サマライ終わりまでめっちゃちょっかいかけられてて怖くて泣いた。うちわを見てニヤ…と笑いそれ以降構い出す岸本ジュン、怖すぎる 。
[3/11]
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📍EKIZO神戸三宮 野乃鳥
ステ初日の三ノ宮で見かけてからず~っと行きたかったお店に念願来店した日。卵かけご飯二杯おかわり無料でめちゃくちゃ美味しかった🥹🫶🥚
この日から神戸に泊まることに(遅すぎ)大体片道二千円が抑えられるのはいい事です。よく耐えてきたな……。ということで朝からチェックイン。
📍グリーンヒルホテルアーバン
(忙しくて写真撮ってなかった)神戸アイア会場から徒歩5分の好立地で周辺地域だと一番安かった!し、寝に帰るだけなら全然支障がなく良かった。あと朝ごはんめっちゃ美味しそう。早起き出来んくて食べて無いんですが……
この日アイア傍のセブイレさんが閉店したということで悲しみにくれた。店員さんが今日も観劇ですか~?とニコニコ毎日話しかけてくれていいお店だった…毎日ワッフルと揚げ鶏買う客ですみません…ありがとうございました………そして同時刻、月スタにて特攻が日和かもしれない説が突如浮上し、眠れなくなる
[3/12]
仙台のフォロワーが何故か同じホテルに泊まりに来てくれる。でもあんステは見ないとのこと(本当に謎すぎる)フォロワーと遊びつつ観劇。
土曜ということもあって客席が3階まで満席。満席なの初めて見た。繁盛しとる……!と思ってたらみやこも嬉しそうでずっとこの日は3階の方にファンサしてた。上まで気が回ってえらいじゃん!(上から!?)
ジュンくんが 新曲前に階段でこけたんやけど 日和「ジュンくん、大丈夫!?」 ジュン「…大丈夫!!!!!!」 (ジュンがじーっと階段みてる) 日和「ジュンくん階段気になる!?」 ジュン「だ、大丈夫!!!」 ↑可愛い
念願の久しぶり牛角を食べた。にっこり。Edenさんメンバーでのインスタライブで更ににっこり。
夜寝る前に明日で千秋楽という事実を思い出して寝れなくなる。
[3/13]
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📍HARBS 神戸クレフィ三宮店
マチネ前からHARBSに行くオタクたち。結果、開演5分前に到着するというギリギリさで前楽の緊張+三ノ宮をダッシュで駆け抜けたことによりダブルで吐きそうになる。
公演中、みやこがいつになくアクシデントに見舞われ更に吐きそうになるも特攻が日和じゃなかったので体調がうれしさから回復しまくる。
千秋楽泣くかも……とフォロワーと別れるもみやこがアクシデントに見舞われ汗が止まらない。汗が止まらないものの結果として最高のあんステ千秋楽を迎え感極まるオタクに成り果てる。
みやこ「痛みにも意思はあるよぉ……?」
↑ほんとうに言ってるんだ。。
Eden全キャスト続投のムービーを見て泣き出し笑顔でアイアを出た。
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ありがとう……また秋に会おう……
(アイアの感想)______________
・アクセスが良い。三ノ宮から徒歩で来れる。駅直結だから雨の日も楽ちんだしマチソワ間に異人館エリアにすぐ行ける。10分くらい。
・腰が痛すぎる。椅子が映画館の椅子で日本青年館よりも辛かった。
・日本青年館よりもステージまでの距離が近め、ステージ自体が高い感覚がある。
・段差がついてる列が決まってる為見やすさがガラッと変わる。前でも見にくいことがあるし後ろでも見やすいことがある。
・晩御飯食べる場所に困らない。三ノ宮だったら21時以降も飯屋がバンバンあいてる。助かる~~!
________________________
以上
↑東京編
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iafshop · 4 years ago
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突っぱね、ひょう、ままに
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3人展 『突っぱね、ひょう、ままに』
作家名:岩本夏月/桐原里奈/小島凪紗 会期:2021年12月23日(木)~12月26日(日) 時間:木~日曜日15:00‐23:00 料金:入場無料 場所:IAF SHOP*福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
〇展覧会内容 佐賀大学・芸術地域デザイン学部の学生3人による展示です。 普段はそれぞれ窯業や染色を学んでいる私たちが、各々の今やってみたいこと、気になっていることをこの IAF SHOP*の空間で試みます。三者三様の探究をぜひお楽しみください。 〇出品作家 岩本 夏月(イワモト ナツキ) 1999年福岡市生まれ育ち。 絶対的な時空や記憶感、此岸と彼岸の滲むところを目指して制作しています。上手く言えませんが、その3.5次元の表現は、現実(+α)への反応、確認であったり、それに影響も受けるイメージ界の再現であったり、それらが浮遊して突き抜けてしまえば、突き放されながらも大きなものにつながるような、ある意味、いい意味でのどうでも良さのようなものを目指している感じでもあります。自分に根を張った手法、素材、制作の態度、でやろうというのも私の方針で、染色、布、裁縫が特にベースになってきています。これは前述の此岸彼岸のこととも関連しています。 実はIAF SHOP*のある薬院・平尾は私の地元です。今回は生まれ育った街で展示するということで感じたさまざまな戸惑いがネタになってくるのではないかと思っています。 小島 凪紗(コジマ ナギサ) 1999年鹿児島県日置市出身。 私の今回の作品は、ただ焼き物でただきれいで楽しくて素敵なもの作りがしたいという気持ちから生まれました。 絵画や壺などの作品を作るよりは山や川、町並みなどの風景を作る意識で向き合ったので、見る人にもそう認識して貰えたら嬉しいです。 桐原 里奈(キリハラ リナ) 1999年宮崎県高原町生まれ都城育ち。 今までなるべく評価されるものを考えて制作をしてきた。出来のいい自分であるために、こうあるべきという思考でものを決め、作品を作ってきた。 そんな下心から作り出された作品と本当の意味での素の自分との間では乖離が生まれる。出来上がった作品は愛せるものもあれどどこかぶりっ子で、ふと冷静に見直した時居心地の悪さを感じるのである。 今回の展示は下心抜きで、自分の気の向くままにボヤく作品を作ることを目的にしている。家の壁にメモを貼るという行為を元に、紙や写真、言葉をつかった壁面への作品の展示を行う。
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nekonagi-photo · 3 years ago
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神々しい光。2021 11.14
撮ってくれた方 架空荘 夏子さん
被写体 私
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shimartmistletoe-blog · 7 years ago
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中村恩恵さん 振付家|舞踊家 ー 3 ー 撮影  長島有里枝さん
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港 
近日、引越しをすることになりました。 
50年近い人生の中の18回目の引越しになります。これまで、モナコ、ハーグ、横浜と港のある街で暮らしてきましたが、今回、初めて海から離れて内陸部に住む事になります。
この春ごろから、「港」をメタファーとする新しい活動拠点の設立の思いを温めてきました。舞踊人生は未知の世界を旅する航海の様です。自分の内面のコンパスを頼りに大海原に乗り出せば、そこには様々な冒険があり新しい出会いがあります。順風に吹かれて意気揚々と進む日もあれば、凪いだ風に焦りを募らせる日々もあり、また嵐の大波に揉まれ苦汁を嘗める日もあります。そのような舞踊の旅路の中、これまで幾度となく「港」のような場に立ち寄ってきました。魂を潤す水に浴し、大地に心身を休ませ、そして次の出立ちに臨む勇気をもらってきました。
これからは、こうした「港」のような役割を自分も担って行きたいなと感じ始めたのです。多くの人にとっての母港のような存在となれたらと思うのです。
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ちょうど、実生活で海から遠ざかる時に、自分の内面に「港」が宿ったように感じています。プロデュースチームとで協力して
Nakamura Megumi Choreographic Center
と称する拠点を始動する計画です。「港」をメタファー として温めた拠点が、しっかりと大地に根を張り、やがて滋養に満ちた果実を結ぶように育って行くことを願いつつ、新しい住まいを構えていこうと思います。  中村恩恵  
ここからは泉イネより
sadogaSHIMARTMISTLETOE 最後の投稿となります。
このサイトを一緒に始めてくれた、佐渡で出会った写真家:僧侶の梶井さんも、 佐渡島に実家のお寺があった編集者の上條桂子さんもますます忙しそうに各地 を飛び回られていて、お二人から最後の投稿を...は、すこし難しい状況でした。でも、約3年間この場所を通してお二人や、他にもいろんな方々と話ができたこと、ほんとうに感謝しています。
2013年に体調を崩してから、しばらく制作どころではない状態でした。いま大分に居ながら様々な世代の、異なるジャンルの作り手たちと話しながら、ほんとうによくここまで治ったな...というか、あの頃以前よりタフになったと思い返しては、これまでに向き合ってくれた方々の存在一人一人を時々に、大分の道を歩きながら想います。体調を崩してなければ話を聴くこともできず、佐渡や真鶴にも行っていなかったし、大分にも来ていなかった。
いろんな土地で出会えた風景や、その声。
風景は言葉を話さないけれど、ありありと黙って語る。絵描きは妄想することも仕事で、視えないところを想像して描く。荒れた土地、にぎわっていただろう商店街、人気のない離れた場所に無機質な建物。ひとつの地域だけでなく、別の地域にも同じような風景がある。過ぎた時代の物語を知れば、みえてくる風景もまた変わる。土地だけが知っている栄枯盛衰。そしていまを生きる人々の色んな想いや営み。紙に描かなくても、すこしずつつながる線や色。
中村恩恵さんに出会ったのは2010年。それから8年。一緒に絵と言葉のセッ ションをしてから、恩恵さんは振付家・舞踊家として活動の幅を拡げて様々な賞をとられ、ますます立ち位置が離れていくような心地もするけれど、そのことを楽しんでいる自分もいます。私は、間に居たい。定まらないで、間に。
恩恵さんが港になるのなら、私はそこで気ままに吹く風ぐらいがいいかな。風の力で、船や飛行機や鳥や種が移動したり、発電したり。波や木々がざわめいたり、涼んだりもできるような。(ときどき暴風にもなったり)。心動かされる人や場所の間でふらふらと風のように居る。それで、もし少しでもここの文化が潤ったり、アートという名のもとに、未だにここでの作り手、書き手、踊り手…の多くが大変である土壌を耕すことができるのであれば。みんな忙しすぎて手がつけられないところの隙間風でも。
何かをつくることや、他の場所や昔の物事を知っておくことは、生きる力になると願う。
例えば、私が佐渡へ渡るきっかけのひとつ「能」はその昔、同性への寵愛が育んだ伝統文化のひとつであることとか。佐渡で見た古い地図は、電車ができる前、船が移動手段だった時代に日本海側の航路をメインとして描かれたもので、その海はもっと昔はおおきな湖で、南北は大小の島々で大陸と地続きとなり、人類はゆっくり移動していたのだろうこととか。
武器ではない力。なにかを作り、なにかを知る力が、誰かとの豊かな関係を生み出すと願いたい。それは時間がかかるかもしれないし、分かりやすい行為を生み出すことよりさらに骨が折れることかもしれないけれど。願いたい。
ふと、佐渡島の北端に「願」(ねがい)という集落があることを思い出します。
今年の秋、中村恩恵さんと佐渡島を訪れようと話しています。これまでに佐渡へ世阿弥が流されたことや、昔は罪人も多く辿りついた地であったことを話したりしてきた中で、罪とは何か?そんなやりとりもしました。時代の権力者によって流されることもある罪(それぞれの理由による、むずかしいパワーバランス)。それとも、誰かを言葉やちょっとした行為で傷つける罪。人や何かを強く愛する、守ろうとすることで、相手や他の誰か何かを傷つけているかもしれない罪も。生きる間に、誰も傷つけたことのない人なんてたぶんいない。いろんな罪。それに気づいた先の願い。
そんな話も時々してきた今年、佐渡へ...行けるといいなぁ。
そして、その行程を映像作家の佐々木友輔さん、編集者の上條桂子さんとも共有して今年〜来年以降の制作へつなげる企画も温めています。
3年を通して sadogaSHIMARTMISTLETOE を読んでくれた方々へ。長々と、ときに私の主観の多い文を読んでいただき、ありがとうございました。
つづけて、これからの新しい試みへも興味を持ってもらえたら幸いです。新たに大分の地から発信する、これまで出会った方々から届く各地の風景shimaRTMISTLETOE は気が向いたときに読んでみてください。
また、佐渡へ行ってみたいと話していたトヨダヒトシさんのインタビューは、恩恵さんとの佐渡行きの過程と一緒に、来年、冊子にまとめられたらと話しています。ここで出会った真鶴出版発行の元に。
みなさんの健康と
その生に敵った制作を願って
 sadogaSHIMARTMISTLETOEを終わりにします。
    
      2018.7.23  泉イネ                   
         
【中村恩恵】
第17 回ローザンヌ国際バレエコンクールにてプロフェッショナル賞を受賞後渡欧。
フランス・ユース・バレエ、モンテカルロバレエ団等を経て、’91~’99年イリ・キリアン率いるネザーランド・ダンス・シアターに所属。イリ・キリアン、マッツ・エック、オハッド・ナハリン、ナッチョ・デュアットなど現代を代表する振付作家達の創作に携わる。退団後は、オランダを拠点に振り付け活動を展開する。2000年、自作自演ソロ「Dream Window」にてオランダGolden Theater Prizeを受賞。’01年彩の国さいたま芸術劇場にて、キリアン振付「Black Bird」主演、ニムラ舞踊賞受賞。 ’07年日本へ活動の拠点を移す。Noism07委嘱作品「Waltz」にて舞踊批評家協会新人賞受賞。新国立劇場プロデュース作品「Shakespeare THE SONNET」「小さな家」「ベートーベン・ソナタ」等の代表作の他、さまざな場にて実験的なプロダクションを手がける。第61回芸術選奨文部科学大臣賞、第62回横浜文化賞、第31回服部智恵子賞、2018年 春の紫綬褒賞 等の受賞歴を持つ。
現在、新国立劇場バレエ団の2019年ニューイヤーガラ上演「火の鳥」(ストラビンスキー)の振り付けを手がける。
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                     Photo:Yurie Nagashima | 長島有里枝
最後に、快く撮影に応じてくれた長島有里枝さんへ
心よりのお礼を
ありがとうございました
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aijitmch · 4 years ago
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詩情の日だまり
こんなにも世界は詩情に満ちている。
眠れない夜、いざ起き出してみると、ベッドのなかでうだうだしていたことが馬鹿らしくなる。今夜、というか今朝は、本を三冊持って階下に降りた。かんたんなストレッチをし、湯を沸かし、キャンドルが見つからなかったのでお香をつけた。よい香りの紅茶を淹れるとき、わたしはかならず、缶の茶葉の香りを存分に吸い込む。凄烈ですずやかな香りだ。あたためたポットで紅茶を淹れ、買ったばかりのガラスのカップにもついでに湯を注ぎ、あたためておく。茶葉がひらくのを待つ間に、机の上を片付け、本と、���の枝を挿した花瓶だけを置いた。視界がすっきりすると、なんだか気分がいい。ひやっとしたこたつの電源を入れると、次第にじんわりとあたたかくなってくる。つまさきだけが冷たいことを、それで知った。紅茶をカップに注ぐと、淡い琥珀色が充たされていった。こんなにもうつくしかったのかと、改めておどろく。注ぐときの水音、そして衝撃で上がってゆく泡たち。この瞬間、透明なガラスのカップは、それらを閉じ込めた宝石のようだ。人差し指を取っ手にひっかけて顔を近づけると、さっきの茶葉のときとは違う、まろやかでやさしい香りがそっと鼻腔をくすぐる。しあわせだ。口をつけると、熱いというよりはすこしやわらいだ温度が流れ込み、香りが強いわけではないが、追いかけたいような余韻が残る。くちびるがその温度にあたためられ、じんと痺れるようになるのすらも快い。深緑色の栞紐をたどって本を開き、文字を追っていく。紹介されている詩の、なんとうつくしいこと。そして、世界のどこかの口笛言語のことを考える。口笛は吹けないけれど、そこに暮らす少年だったらどんなだろうと想像をめぐらしてみる。島と書いてあったので、銀と青のあいだのような色の凪いだ海と、潮風の香り、白砂のような家々の色、翳ると海の色にも見えるであろう、島に多く生える木々の葉の硬い色が浮かんでくる。息継ぎをするように本から顔を上げ、紅茶を啜り、目の前に置いた桃の枝を眺める。数日前は数輪咲いていただけだったのに、いまはほとんどの蕾がほころび、まどろんでいる。梅とも桜とも違うような開き方だ。なんともやわらかく、恥じらうように咲いている。蕾すらも、ふっくらと、生まれてきたよろこびを抑えきれないかのように、その瞬間を待ち望んでいる。花が落ちた節では、もう若芽が春の息吹の色をして、ちらりとこちらをみている。桃の枝をこうして眺めたのは、たぶんはじめてだ。枝の表情も、梅や桜とはまったく違うということが、やっとわかった。桃は、それらよりもずっとうれしそうな気がする。この世のすべての歓びを、ひそやかに信じ切っている顔だ。存在を世界に委ね、みずからを開くことをおのれの悦びとしている。なのにその姿はいじらしく愛らしい。梅のように決然とでもなく、桜のように開けっぴろげでもなく、桃は、まわりの鳥や花、風を誘うように、そして声を合わせて歌いたいのだというように咲く。柔らかさと軽やかさを備え、そして静かで控えめではあるが、たしかな歓びを内に秘めている。
こんなにも、目の前にあるものたちがうつくしくて、うれしい。それに目を向けられること、気づけることも。心のなかでそれらと対話できるのが、しあわせだ。過去の嫌なことが写真や数秒の映像になって繰り返し繰り返しわたしを引きずり込もうとしても、ひとたび裸足で階段を降り、あたたかい紅茶を飲めば、わたしはもう大丈夫なのだ。過去は、いまのわたしとまったく関係がないのだということがわかる。あんなことを味わいたくなかった、わたしの一生に傷がついたと思わなくていい。わたしの心の中にいるおばあちゃんに、こんなことを経験させて、見せてごめんと言ったけど、そんなに気に病まなくていい。いまこの瞬間、カップにはいった紅茶の色がどんなにうつくしいか、一枝の桃の花がどんなによろこびに溢れているか、わたしはそれを知ることができるのだから。そうやってわたしはすこしずつ過去のことを赦せるようになってゆくだろうし、分かり合えずともすべての人間の幸せを願えるようになるだろう。すべての人間の人生に、うつくしい瞬間があるように、と。すべてというのは、すべてだ。すべての人間たちに、今朝のこのわたしに訪れたような、うつくしく光る一瞬があり、それが日だまりのように心をなぐさめるよう。日だまりがずっと同じ場所には留まらないとしても。
2021.3.5.
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yugeki432 · 5 years ago
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感想:アサルトリリィアームズ
https://432web.net/2020/10/33054/
感想:アサルトリリィアームズ
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アゾネット | 商品詳細 | 『アサルトリリィ』アサルトリリィ アームズ
小説続刊ないのかーと思ってたら(ほぼ)アゾン公式ショップ限定で2巻出ていることを知ったので買った。
電ホビでWeb連載してたものを書き下ろし入れて書籍化したものだとか。
概要
外伝っぽい全然雰囲気違うタイトルだし(というか外伝という触れ込みが本書中にある)、中身も主役チームである一柳隊以外の視点が多いが、シナリオ上は「アサルトリリィ~一柳隊、出撃します!~」の続刊に相当する内容。
1巻は一柳隊の面々を主軸にした全体のプロローグ的構成に対し、2巻は工廠科、つまりメカニック分野をテーマに様々なキャラをオムニバス形式でピックアップする構成。
アニメでは眼鏡の子、真島百由ちゃんが1~4話まで毎話出ていて準レギュラーだが、彼女が2巻全体での主役という扱い。 一柳隊からは梨璃と、工廠科のミリアムのみ毎章登場する。一柳隊自体がメインの章もあるのでそこは安心。
特記事項
真島百由
表紙の人物1。工廠科2年の赤縁メガネ。2巻全体の主役。アニメではレギュラー枠で毎話出ているが、小説1巻では影も形もなかった。
夢結が所属したアールヴヘイムの解散に関わる事故を起こしており、夢結と不仲。別件でまた洒落にならない事件を起こしているため、他の工廠科生からも評判が悪い。
しかしアニメだとどっちの描写もない。夢結に至っては不仲どころか夢結の方から個人的な相談をしに百由の工房を訪問している。大体なかったことになってる?夢結に関しては答えが出るが、���廠科内で毛嫌いされているという設定は、この2巻とアニメ5話までの比較では不明なままだ。
第1世代CHARM
旧型CHARM。梨璃達が使っているグングニルとかダインスレイフとかは第2世代。百合ヶ丘は先進エリート校なので第2の普及率が高い。
世代を分かつ基準は変形機構の有無。第1世代は変形しない。つまり剣型は剣として、銃型は銃としてしか運用できない。 使い分けたい場合は両方運搬して、更に起動状態と休止状態(再起動は待ち時間あり)を適宜切り替える必要がある。
ただ、変形しないということは可動部が少ないわけであり、その分強度限界は第2より高い。また持ち替えの手間を除けば起動の隙も第1のほうが短い。 また、あくまで変形の違いによる世代差なので、火力に関しては普通に現役。
第1世代型の新作はもういずれのメーカーからも出ない状態だが、サードパーティ製のオプションはまだ出ていたり、ガーデンによっては未だ主力CHARMになっているくらいには根強い支持があるようだ。
学費
学費事情がここで明かされた。リリィは学生であると同時に軍人なので、学費どころか給料出てるらしい。一方で百由は生徒の権利を訴える際に「学費払ってる」と主張しているので、学費を差し引いた分の給与が支払われている、というのが正確なのだろう。
まあ当たり前である。娘を最前線に送り出しつつ、学費も払うなんて普通の神経した親には無理だ…。実力者の早期引退は許されないが、なることに関しては徴兵レベルで強制されてるわけでも無いみたいだし。
吉阪凪沙
アニメでは5話時点で一切出てこず、恐らくもう登場しない様子だが、小説では1巻からそれなりに登場している主要人物の一人。梨璃のクラス、1年椿組の担任だもの。 やはりというか元リリィで、彼女の現役時代の戦いがこの巻で語られる。
石川精鋭
小説だとモブ除けば初めて実際登場した男キャラ。ヒゲのおっさん。国防軍ヒュージ対策総司令。なんとも判断しづらい肩書だが、まあこの世界の軍はヒュージに全リソースを割く組織だと思われるので、トップと捉えて差し支えないだろう。彼の娘、葵が他校に在籍しているが、アームズでは名前のみの登場。
「CHARM使いとしてはそこまで優秀ではなかった」と書かれているが、単にリリィと比べたら話にならないだけなのか、無適性の男の中でも更に微妙だったのかは定かでない。 凪沙の師匠だったから恐らく前者だとは思うが。
なお、CHARMの使用に関しては、別に男でも問題ない。マギを攻撃力に転化する武器であり、若年女性とそれ以外はマギ量がまるで違うという点を除いては。 アニメだと指輪つけて、初回起動になんか契約めいたことまでしてたから、「使えるには使える」という点もなんだか怪しくなってる気はするが。
六角汐里
1巻でもサブキャラとして度々登場した梨璃のクラスメイト、今回はメインの章が用意されている。
二刀流スキル「円環の御手」により高い戦闘力を持つが、CHARMを盾の代わりにして突進するなど、CHARMを酷使するような戦闘スタイルにも繋がっており、リリィとしては評価される一方でアーセナル(担当メカニック)からのウケが悪い。今回の壊しぶりだと修理工数が他のリリィ5人分くらい掛かるんだと…そりゃ愛想も悪くされるわ。
戦法を直すべきかもしれないが、CHARMが頑丈になってくれれば一番いいのだが…?というのが彼女の章のテーマ。…まあ、癖もいくらかは直したほうが良さそうだ。ちょっとデストロイヤー過ぎる。
谷口聖
1巻において、巻頭カラーページの集合絵に名前付き��いたけど、肝心の本編で一切名前が出なかった謎の二年生。 消去法で夢結様チラシ剥がした先輩が設定上こいつなのかと筆者は疑っていたが、どうやら全然違ったようだ。1巻本編に聖はマジでいなくて、チラシ先輩は普通にモブだった。 正体は汐里のシュッツエンゲル。そして学内でもトップクラスの知名度を誇る実力者の一人。人当たりも良いのでチラシ破りそうにはない。
聖は塩水が好物だったわよね
もてなしの紅茶の代わりに聖だけ塩水出されそうになるギャグ。1巻でも4コマの夢結様が2度もやってるけど、塩対応が上級生間で流行ってんのか…?敵に塩を送るってそうじゃないぞ。
楓・J・ヌーベル
2章中盤で登場し、登場したページで梨璃にセクハラを行う。書き下ろしエピソードでは罪を犯したり妄想で犯したりする。今回彼女の戦闘描写は無いが、すべきことはした感があってひどい。
梨璃に執着する理由が小説内ではここで初めて明言されるが、「一目惚れですわ」の一言で終わり。まあ楓の方の都合で考えるとそれしか無いんだよな…。梨璃やその周囲にとっても謎とされているが、梨璃のカリスマを抜きにしたらマジでそれしか。 梨璃を誰か別の人間と重ねてるみたいな、ありがちな線はほぼ無いし。「あの人と似ている…!」で欲情してたら更にヤバいものな。
番匠谷依奈
表紙の人物2。夢結がかつて所属したアールヴヘイムのメンバーの一人。気が強いようで非常に打たれ弱く、アールヴヘイムの解散以降スランプに。今は壱盤隊にいるが、アールヴヘイムは伝説級のレギオンで、依奈もまた超人とされていたため、現状の体たらくに幻滅されて益々不調に陥っている。実力こそ落とさなかったが、協調性を失った夢結とは違う形で苦しみ続けていた人物。
「円環の御手」で最新機種の第3世代CHARMを二刀流するという、かなり豪華な戦闘スタイルを取るが、百由と共に過去を乗り越えるために更に上の次元を目指す。復活か廃人かの賭けができるのは流石リリィか。
第3世代CHARM
まだ百合ヶ丘でもそうは普及していない最新世代CHARM。第2世代の変形に加えて、分離合体で更に多様に変化する。 まあ、まんまな進化。第1→第2と同じく、基本性能が劇的に上がったわけではないので、全てのCHARMを過去にするわけではない。
ノインベルト戦術
「ノインヴェルト」「ノインベルト」で表記ゆれしている戦術。小説では1,2巻共に「ベ」だが、公式ツイッター等の最近の文字情報は「ヴェ」。というわけで今ではノインヴェルトが正だと思う。ノインベルトって言ってる人は小説などの過去のコンテンツを知っているのかも知れない。
今回は「9人フルではなく、少人数で複数回周回してマギスフィアを溜める」という戦法が出てくる。アリなんだそれ。 ただしヒュージはかなり的確に阻止を狙ってくるので、バリアの端っこでバレずに溜めきるみたいなことはできない。パスを多人数で回す場合と比べて、他のメンバーでの足止めがかなり重要になる。
高出力砲
百由の秘密兵器。携行を一切想定していない、ちょっとした大砲並に大型の射撃型CHARM。変形しないため定義上は第1世代。 長距離狙撃でラージ級(本来ギガント級以降で使うノインヴェルト戦術を持ち出すほど硬い特殊個体)を葬るほどの活躍を見せたが、想定外の消費電力で百合ヶ丘女学院を停電させて説教されることに。 ここまでだと半分くらいギャグだが、ほんの一時とはいえ防衛施設である百合ヶ丘を機能不全にした事実や、過去には攻撃範囲の方が想定外で多数の民間人を負傷させてしまい、アールヴヘイムの解散という形で責任を取ることになった問題の兵器だったということでやたら重い話になっていく。夢結が百由を避けてるのはこれのせい。
アニメ・ノベルにおける夢結とアールヴヘイム
しかしアールヴヘイムって、名前を引き継いでるレギオンがあったり、アニメ版では解散の経緯が違ってるみたいで、どれがどうなってるのかよくわかんなくなった…。 夢結の視点で整理してみるか。
ノベル夢結のキャリアは「初代アールヴヘイム→(高出力砲の民間被害不祥事で解散)→川添隊→(川添美鈴死亡で解散)→フリーランス→一柳隊」ということらしい。
一方で夢結はアニメ3話から「初代アールヴヘイム→(甲州撤退戦で川添美鈴死亡)→(初代アールヴヘイム分裂)→フリーランス→一柳隊」と分かる。
つまり、アニメだと高出力砲の不祥事と、それにより結成される川添隊が存在しない。だから夢結と百由の間にわだかまりがない。
そして初代アールヴヘイムは潰れ方こそ双方で違うが、二代目として壱盤隊が結成されるのは共通と。
第4世代CHARM
各企業��水面下で、百合ヶ丘では百由が研究を進めている次世代CHARM。「マギビットコア」などと呼ばれる数個の浮遊装置がリリィに随伴し、脳波に呼応して攻撃を仕掛ける。本体は手ぶら。理想的なクオリティに達すれば単独で1レギオン分の働きをこなせるとされており、全てのCHARMを過去にしかねない。 ただし研究は難航どころか、百由は人体実験に失敗して彼女の親友「長谷部冬佳」が廃人になっている。工廠科内で避けられているのはこれのせい。だから重すぎるってば。
最終的に実用ギリギリの段階で実戦投入される。確かな戦果はあげるものの課題は山積み(脳負担による頭痛がヤバい)。かつ脳波を使う関係上、使用者ごとに特注のチューニングをする必要があり、量産化には程遠いという形で締めくくられた。
おまけ1:熱海編
単行本書き下ろしエピソード。リリィたちの休暇を描く話。一柳隊がメインだが、アームズの主要人物が大体出てくる構成。出てこないのはおっさんの石川精鋭くらい。一部他校リリィもチラ見せ程度に登場する(単行本特典のエピソードなので、本筋レベルの展開はない)。 世界観的に平和ボケた話は期待できるのか…?とは作品に対して思っていたが、どうやらその気になれば不可能では無いようだ。大人数でまとまった休みが取れるし、防衛がしっかりしている慰安施設はいくらか維持されているらしい。勿論、なんでも出来るとはいかず、例えば学年全部空けることになる修学旅行は不可能で、過去のものになっていることが言及されているが。
おまけ2:鎌倉編
アームズ本編だと、シナリオ終盤のメインチームである壱盤隊のエースでありながら、構成上出番が殆どなかった遠藤亜羅椰がメインの話。熱海編でハブられた石川精鋭もちょっと登場する。 彼女は楓と同じ手合いの人間だが、楓と違って一途ではなく食い散らかすタイプ。壱盤隊に籍をおいたのも、性的に気になるリリィが2名いたのが決め手。アニメでは梨璃をもターゲットに加えている。小説版では今の所梨璃は狙っていない(可愛い子だったことはしっかり記憶している)。
ついでに、ドール製品としての「アサルトリリィ」がここで登場する。作中世界でもリリィにはアイドル的な側面があり、こういったグッズ類がリリィたちの活動資金源の一つになっているらしい。
おまけ4コママンガ:大川ぶくぶ
ポプテピピックの作者。当然作家の持ち味を出す前提の人選であり、おかげで1巻のおまけ4コマより更にノリが酷いことになっている。作中人物が作中人物に対して「アサルトリリィの原作読んだのか…?」と言い出すくらいには原作無視。まあその分強烈だからこれはこれで良いと思った。
商品仕様について
価格は定価1500円+税にアゾネットの送料880円で2530円と、技術書レベルの値段になる。 書き下ろしがあるとはいえ、Web連載版読んでて大半既読だったら正直手を出さなかったかも知れない。まあ連載はアニメ以前の話で、筆者は何も知らなかったのでその辺は平気だった。価格分のボリュームは確実にある。実際技術書並みに分厚く、設定にこだわっている作品なので情報量も非常に濃い。
最大のネックは電子版が無いこと。筆者はガチガチの電子派で、対するこれはよりにもよって厚さ3センチ400ページ超の大ボリュームだからマジで読みづらかった。 えらく限定的な流通形態からして、結構無理して書籍化した感じがあるから、あまり強くも責められんが…1巻のKindle版が恐ろしく快適だったから辛い話だ。 まだ続刊あるなら次は電子ありで頼みたい。
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blacksupersonic · 5 years ago
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アルコール依存症に苦しんだ過去から復活、フランス漫画界から高い評価を受ける高浜寛。今年は、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。自分の仕事を「過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと」という。天草島の緑深い山あいの家で、話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:宮井正樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
異色の作家の受賞
今年4月、『ニュクスの角灯(ランタン)』(リイド社、全6巻)で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した。年間通じて最も優れたマンガ作品に贈られる賞で、最終候補作にはベストセラー作品『鬼滅の刃』も挙がっていた。
もとも��「地味な作風」(本人談)で、高い画力と物語作りのセンスから玄人筋では評価が高かったものの、一般的な知名度が高かったわけではない。選考委員の一人で仏文学者の中条省平もこの作品を、「高浜寛という作家を、知る人ぞ知る異色の存在から、もっと大きなスケールの、普遍的な物語の面白さと感動とをあたえてくれるマンガ家へと脱皮させ」たと評した(2020年5月20日付「朝日新聞」夕刊より)。
「40歳をすぎて、私も中堅の自覚ができてきました。自分のことばかりではなく、全体のことを考えていく責任が出てきていると思います。その世代なりにあげていかなければいけない成果があるとも思いますし」
たかはま・かん/熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデリック・ボワレとの共著)、『泡日』『凪渡り――及びその他の短篇』『トゥー・エスプレッソ』『蝶のみちゆき』『SAD GiRL』『エマは星の夢を見る』『ニュクスの角灯』『愛人 ラマン』など。ほぼ全ての作品がフランス語訳され、イタリア、スペイン、ドイツでも多くの作品が出版されている。今月28日に、『扇島歳時記』第1巻が発売される
主な舞台は、19世紀末の長崎とパリ。西南戦争で親を亡くした美世は、「私なんか」が口癖で、自分の意見を言うことに慣れていない。長崎の輸入道具屋で働き始めた美世が店主の百年(ももとし)をはじめ、まわりの大人たちの導きで、人生を切り開いていく。随所に、豊かな線で表現される当時の衣装や習俗が挿話として登場する。
しかしこれが単に美世の成長物語にとどまらないのは、百年の恋人、ジュディットの存在だ。パリの高級娼婦であるジュディットは社交界の花形だが、生活は荒れていて、アルコールに依存している。物語の終盤、美世との出会いによって、ジュディットが「光の方へ」歩き出す勇気を得るシーンが美しい。
作家性が強く、扱う題材も地味だった初期作品群と比べて、この作品は娯楽としてのマンガの楽しさにあふれている。
「エンターテインメントですよね。みんなに『少女マンガだ』って言われます。ラストのドタバタも少女マンガらしい。若い人を励ますような気持ちで描いたかな」
その気持ちの裏側には、アルコール依存に苦しんだ、若いころの経験がある。
「若いころは家族と離れて、北関東の学園都市で生活していたので、問題を相談できるような年上の女性が少なくて、健康なほうにいけなかった。幸いにしてサポートしてくれる人たちと出会うことができたし、考え方も成熟してきて、かつての自分がなぜ生きづらかったのかがいまはわかる。そうすると、同じように苦しんでる若い人たちのことが見えるようになってきて」
フランス漫画界との出会い
もともとマンガ家になろうとは思っていなかった。大学2年生のとき、飲み会でさらっと描いたマンガを面白がった友人が、あるメジャー青年誌に持ち込んだ。
「私の知らない間に見せにいく約束を取り付けてきた。面白いけど上質紙に描いてあるから、ケント紙に描き直して持ってきませんかと言ってもらって、持っていったら賞を取ったんですよね」
担当編集者がつき、デビューを目指して準備を始めるが、途中で編集長が代わり、作品が採用されなくなった。
「私は、老人を主人公にしたりして、なにげない日常のストーリーを描いていた。でも、編集部から売れるものを描いたほうがいいと言われて。売れるものってなんだって聞いたら、若者が主人公でとか、恋愛要素があったりとか、ひと夏の成長物語だったりとか。当時はそういうものにあまり興味がなかったんですよね」
「対極のところに行ってみよう」と、青年誌「ガロ」に持ち込むと一発で賞を取り、掲載が決まった。大学卒業目前の冬のことだ。
マンガアシスタントの経験はない。そのころ、フランス人マンガ家フレデリック・ボワレが「ヌーベルまんが」を提唱し、バンドデシネ(フランス語圏のコミック)とマンガの中間のような作品を発表していた。高浜は、日本に住んでいたボワレにメールを送った。
「『ヌーベルまんが』は、『日常を描く』という活動だったんですよね。SFとか、非日常的なものではなく。そのときの私はそうだそうだと思って、私もマンガ家だし、チャンスがあったら誘ってくださいって言ったんです。そうしたら、何か一緒にやりませんかという話になって」
「海外でも評価されるマンガ家」と形容されることがあるが、より正確には、日本とフランスのハイブリッド。フランス語圏ではバンドデシネ作家として受け入れられている
高浜は、ボワレとの合作『まり子パラード』を描き上げる。そして、出版社を探すためにフランスの国際的なマンガマーケットであるアングレーム国際マンガ祭に持ち込んだ。大手出版社カステルマンが興味を持ち、ボワレとの共著だけでなく、高浜自身に描くチャンスを与えてくれた。
「あとはずっとカステルマンで描いてて、気心の知れた人が別の出版社に移籍するとそっちでもまた仕事をくれるようになって。常に何か仕事をしているような感じになりました」
アルコール依存症に
若くて才能のある作家の登場にフランスのメディアも注目し、渡仏するたびにいくつもの雑誌やテレビの取材を受けた。その中には、ファッション誌の「ELLE」など、高浜自身が憧れて読んでいたような有名な雑誌もあった。
「がんばったらその先にあるような世界がいきなりやってきて、しかも思っていたのと違ったから、パニックになってしまったんですよね。長旅で疲れた頭で、同じような質問に何度も答えて。知らない人ばかりで気も使うし、通訳をはさんで何日も何日も、テレビやって雑誌やってラジオやって。そのたびにお酒を飲んでた。そうしないとこなせなくて」
日本でも、「ガロ」で描いた短編が高く評価された。「ガロ」が休刊したあとは、「マンガ・エロティクス・エフ」などのオルタナティブなマンガ雑誌で連載を持ち、締め切りに追われて徹夜が続く。
お酒を手放せなくなっていたころ、あるアート誌の取材を受けた。いつものように徹夜明けで、アルコールをキメてから出かけていった。掲載号が発売されたとき、自分の写真にショックを受けた。
「1ページまるまるの写真は、すごいむくんだ顔をしてて。適当に着ていった服の胸元がけっこう深く開いてて、こんな服着ていかなきゃよかったとか、いろいろ思ったりしましたね。別のときは、頭がハゲかけたこともあったし。20代の女性としては『これは厳しい』と思いました(笑)」
不眠にも悩まされ、睡眠導入剤を服用するようになった。だるくてだるくて、起き上がれない。1日に2時間ぐらい仕事ができればいいほうで、連載が続けられなくなった。
「まだ準備ができていないうちに、過大な評価をされてしまったんですね。少女時代が終わって、女性としての人生が始まったばかりのころに」
崩れていく自分を観察
お酒と薬をやめることができたのは、32〜33歳のときだ。何年も深い底をただよう間には、発作的に薬を過剰摂取して救急車で運ばれ、一命を取り留めたこともあった。いっぺんにやめられたわけではなく、当初は薬をやめてもお酒はやめられず、むしろ増えたときもあった。
「最終的にはちょっと幻覚みたいなのを見たときに、もうこれは浮上しなければまずいと思って。そこからパタッとやめて上がってきたんですけど」
自立への第一歩として、親元を離れ、熊本市内に家賃1万2000円の激安アパートを借りた。自助グループと病院に通い、うなぎ屋でアルバイトをしながら、『四谷区花園町』という作品を描き上げた。
2013年に『四谷区花園町』を刊行。翌年に『蝶のみちゆき』を描き上げ、さらに翌年、『ニュクスの角灯』の連載をスタートさせた
「(アルコール依存から回復する前とあとでは)180度変わりましたね。その前は一人では立てない状態、そのあとは一人でちゃんと立ってる状態。以前は、何かに依存しないと立てなかった」
高浜は、「お酒を飲んだ自分」を観察したことがある。
水底で暮らした長い年月を経て、断酒に成功したのが2011年ごろ。それからお酒は一滴も口にしていなかったが、2016年の熊本地震に遭い、古いアパートは全壊。翌月に住む場所は見つかったが、しばらくして半年ほどスリップ(再飲酒)した。
「どんなふうに崩れていくのかを、興味を持って観察している自分がいたんですよね。最初の1、2カ月は仕事ができていたけど、3カ月、4カ月と経つうちに、長編の構成を頭の中でキープすることが困難になってくるんです。パースがゆがんで絵もうまく描けなくなる」
『愛人 ラマン』執筆へ
スリップから抜け出したころ、大きな仕事が高浜のもとに舞い込んできた。フランスの作家マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン』の漫画化だった。
旧知のフランス人のエージェントから「小説の漫画化をやってみない?」と提案された。「『愛人 ラマン』はどうかという話になったとき、私も『それしかないよね』という感じだったんですよね」
デュラスの『愛人 ラマン』が日本でベストセラーになったのは、1992年のことだ。ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイの主演で映画化もされている。デュラスが仏領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代を振り返る。貧困家庭の白人の少女と裕福な中国人青年との性愛は、センセーショナルだと話題を呼んだ。
デュラスは1996年に亡くなったが、フランス文学に詳しい野村昌代(アンスティチュ・フランセ東京メディアテーク主任)によれば、「フランスでは現在も評価が高く、その恐るべき才能、作品のクオリティーの高さから、よく読まれている」という。
高浜は高校生のころ、デュラスにはまってよく読んでいた。
「(小説の)少女とあまり変わらない年齢で読んだんですね。面白かった。『自分たちのことが書かれている』と思って読んでいました。『少女が年をとるとこうなるんだ』というのを見せられたような気がして。なんとなく自分もその呪いにかかったような感じがしました」
40歳をすぎて読み返すと、違う感想を持った。
「あの少女のことを、自分よりも経験があって、大人の世界を知っていて、しらけた感じで生きてるんだと思ってたけど、ほんとうは絶望的な状況に置かれていて、そのせいであんなにはすっぱでつっぱってたんだってことが、いまわかったという感じでしたね。当時はよくわからなかった」
高浜版『愛人 ラマン』は今年1月にフランスで発売された。翌月日本語版を刊行。高浜が描く少女はやせていて目の下にクマがあり、とても美少女には見えない。映画でジェーン・マーチが演じた、未成熟な色気がただよう少女ともまた違うキャラクターだ。最初から最後まで、登場人物のほとんど誰も笑顔を見せず、うだるような暑さの中で、行き場のない思いと苛立ちが沈殿していくさまが、オールカラーの独特な色彩で表現されていく。
「つらい状況って、どうやって耐えるか、どのくらい耐えればいいのかがわからないから、怖い。人が亡くなったときは心の痛みはこれぐらい続くんだ、でも耐えていれば絶対に薄れていくんだとか、そういうことを教えてくれる人を見つけるのが難しい。昔だったら、母親がいて父親がいて、祖父母がいて、両親が機能しなくてもおじさんおばさんとか、いろんな大人が身近にいたからなんとかなったけれども、いまはそういう環境のほうが珍しくなっている」
「単純に希望を持つことって大きいですよね。で、希望を持ってる人のそばにいるっていうことも大きいかもしれない。誰か牽引力のある人がそばにいれば、その人に引っ張られてみんないいほうにいくってこともあるだろうし。でも都会ではなかなかそうなりにくい気がします」
山あいの仙人のような暮らし
昨年、仕事場を熊本市内から天草に移した。山あいの一軒家に夫と二人で住み、マンガを描く。犬2匹と猫3匹、山羊2匹を飼い、井戸の水を飲む。
「(コロナの影響は)ここにいる分にはあまり感じないですね。もともと週に1、2回、町へ買い物に出るくらいで。DVDを借りに行ったりはしますけど」
「山に住まないといけない」と思った理由をこんなふうに話す。
「このあたりは植林された山じゃなくて、原生林が残っているんです。過去に健康を害して仕事ができなくなった経��があり、それを元どおりに修復するのにとても時間がかかったので、最初から害になる要素の少ないところで暮らしたいと思いました。それに、町にいると絶対必要なわけではない、細かな予定が入りすぎてしまう。仙人みたいな人は必ず山に住むでしょ?」
月の半分は、「月刊コミック乱」と「トーチweb」に連載中の新作「扇島歳時記」の執筆に集中する。主に使うのはシャープペンシル。基本的にペン入れはせず、黒鉛の芯の硬軟を自在に操って、ニュアンスに富んだ線を描く。
連載中の「扇島歳時記」の舞台は、『ニュクスの角灯』から10年ほどさかのぼった長崎。共通する人物も登場する
もともと、描きたいことはどんどん浮かぶほうだ。アルコール依存から回復してからは、生まれ故郷の天草と、自身のルーツがある長崎を、歴史をさかのぼって丹念に取材している。
「扇島歳時記」のために長崎・出島の詳細な見取り図を作成し、『ニュクスの角灯』では大浦慶という実在した女性実業家を登場させるなど、フィクションの中に綿密に取材したノンフィクションを巧みに織り交ぜる。
「最近はもう、マンガ家といっても歴史マンガ家なので。歴史マンガ家のすることは、過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと。歴史を調べていると、向こうから飛び込んでくるんです。人知れず亡くなった人とかが、描いてほしいとメッセージを送っているのかもしれない」
「扇島歳時記」のノートの1ページ。絵や演出のうまさに定評があるが、本人は「取材してシナリオをつくる作業が好き。絵を描くのは2番目」と言う
次回作の構想を楽しそうに話す姿を見ていると、描けない時期があったとは思えない。「描けないことは苦しかったですか」と聞くと、少し考えて、「待たせていることがしんどかったですね」と答えた。カステルマン社が「描き下ろしで」と依頼してくれた中編は、描き上げるのに5年かかった。
どの時代を描いていても、高浜の作品には「いま」がにじむ。『愛人 ラマン』で描かれた少女の絶望は「いまもあまり変わらないと思う」と言う。
「20年前よりも状況が悪くなっているかもしれません。どこか依存症みたいな子がたくさんいますよね。ツイッターを見ていると、いろんな人の不安定な情緒がぽんぽんぽんぽん目に入ってくる」
ただ、そこで感受するつらさや病みを、そのまま作品にしようとは思わない。
「そういうのを描けばいまの人たちの共感を得られるのかもしれないけれども、私はそれが必ずしも良いことだとは思わないんです。それより、過去に生きていた人たちがどういうふうに健康的な暮らしをしていたかとか、どういう考え方をしていたかとか、そういうことを描いたほうが、読んでくれた人が本当の意味で前向きになれるんじゃないかと思っています」
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