#まだ��ってくれるのは、それ程までに飢えているか、変わり者なのかも。
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moshimoshi2 · 25 days ago
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キビネナゴは怪物だ。食物でなく、人の認識を喰らって生きている。記憶を食べ散らかして生きている。
仮に生き物のヒエラルキーの中に組み込むとしよう。するとそれは人の上に立つ。しかし、奴らのピラミッドを想定するならば概ね中層下部か下層の存在でしかない。ただの小魚にすぎないのだ。
神格は殆ど放棄されている。人間が技術でそれの存在の根拠たる現象を克服出来ると思っているからだ。神というかたちを与えて、どうにもならない事象として恐れる必要が無くなったからだ。
それは今、小さな願いと幾つもの恐怖と積極的な認識によって存在している。かたちを与えられて存在させられている。
ふと目を逸らした時、目を瞑る事が出来た時、それは何処かへ消えてしまうだろう。元から何も無かったかのように。
しかし目を開いた時、それを認識してしまった時、それはそこに居るだろう。いつもそこにあったかのように。
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simamamoru · 1 year ago
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から���って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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kennak · 8 months ago
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ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。 長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。 私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。 自己紹介もそこそこに性癖の話で恐縮です。 くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、 男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。 小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。 ただし、現実世界のくしゃみにはあまり惹かれません。 早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。 後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。 くしゃみは一般的に見て、エロくもなんともない生理現象です。 「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。 かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。 ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。 特殊性癖のめざめ 話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。 しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。 まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。 悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。 トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、 くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。 そもそも私はくしゃみの何に興奮するのか。 おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。 異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。 私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。 私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。 つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。 後に書きますが、供給の少なさで飢餓状態となった私は、 そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。 それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、 これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。 とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。 自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。 この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。 静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、 本人にとってトラウマになるほどではありませんからね。 軌跡と苦悩 幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、 中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。 しかし、気がついたところで何の解決にもなりません。 当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。 高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。 若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。 (ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました) 「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」 共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、 Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。 孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。 成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。 ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。 エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。 私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。 しかし、やはり代わりは代わり。 欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。 やはり私はくしゃみでしか興奮できない人間なのです。 筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。 お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。 以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。 (幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました) 20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。 救済 蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。 世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。 「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、 「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。 アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。 「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」 この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。 生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です) 「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。 すぐに��裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。 もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……? 興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。 善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。 ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。 今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。 しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。 普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。 「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。 その点生成AIは素晴らしかった。 私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。 それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。 ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。 作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。 その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。 なんという感動、なんという興奮。 この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。 これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。 身体が軽い。それは単に「性欲を発散した」以上の体験でした。 私は人知れず「ありがとう……」と呟いていました。 近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。 それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。 今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。 今はただただ、技術をここまで進歩させた人類の歩みと、生成AIに対する感謝でいっぱいです。 ありがとう、ChatGPT。 ありがとう、OpenAI。
特殊性癖持ち、文章生成AIに救いを見る
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ari0921 · 2 years ago
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桜林美佐の「美佐日記」(237)
ハマスとイスラエルの紛争ー現代風の価値観は通用
しないー
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、237回目となりま
す。
私は数年前に少しだけクラヴマガを習っていました。
クラヴマガは、ハンガリーで生まれたユダヤ人武道
家イミ・リヒテンフェルドが完成させた護身術です。
イミ・リヒテンフェルドは警察官の父の指導により
ボクシングなどで活躍するアスリートでしたが、1
930年代から始まったユダヤ人迫害により、実際
に暴漢たち相手に誰もが身を守らなくてはならない
状況になったことから、このテクニックを編み出し
たといいます。
その後、ナチスの迫害から逃れるためパレスチナに
脱出し、ユダヤ人による軍事組織ハガナーの一員と
して近接戦闘術を指導。1948年に設立されたイ
スラエル国防軍は、ハガナーが中核になっています。
 軍でも必須であるクラヴマガではありますが、始
まりはどんな人でもとっさに身を守れるように、と
いうことからでしたので、女性にも適しているとい
うことで、日本でもいくつかジムができているので
す。
 私は本当に少しかじった程度ですが、何か道具を
借りたり試験を受ける時はTシャツを買う必要があ
るとか細かい出費があるのが大変だと、イスラエル
通の知人に話したら「それはイスラエル的ですね~」
と笑っていたのを思い出します。
 習い事は、だいたい入ってみたら色々お金がかか
るものなのかもしれませんが、この時の知人の反応
がふと頭によぎったのは「反ユダヤ主義」が世界で
広がった理由として、彼ら(の一部)が、成功して
お金持ちになっているということがよく言われるこ
とです。
 前回までに書いたように、ローマ帝国に聖地エル
サレムを奪われたユダヤの人々は世界各地に散らば
りました。しかしそこでも何かと差別され、教育を
充実させ、識字率が高くても、就ける職業は限られ
ていました。
 そこで、多くのユダヤ人が金融業に携わるように
なったと言われます。そして結果的に大きな資産を
築く人々が出てきたわけです。
 道ばたで暴行しても強くなって抵抗してくる、そ
してそれさえ商売にしている、迫害しても金持ちに
なってしまう、という具合で、いじめる側はますま
す面白くない、こうしたことも「反ユダヤ主義」を
エスカレートさせているのかもしれません。
 いずれにせよ、ハマスなどイスラム組織は「反ユ
ダヤ主義」を今改めて世界の人々に植え付けること、
そしてそれを利用しようとしていることが分かりま
す。それもガザの無辜の人々を人間の盾にして、で
す。
イスラム教の目的は、世界をイスラム教に塗り替え
ることですので、この出発点は私たちも念頭に置く
必要があると思います。
 ハマスはイスラム教で世界征服をすることを最終
目標にし、手始めにイスラエルを絶滅させると明言
しているわけですから、もしイスラエルで成功した
ら、次のターゲットに向かうことになります。日本
も標的になるのです。
 この出発点という概念が、日本では不足している
ような気がします。イスラエルの人々にとっての出
発点は、アブラハムやモーセです。
 私たちの多くの固定概念というのは、何千年以上
も前のことを信じているのか?とか、命は地球より
重いとか、話し合いや停戦こそみんなを幸せにする
とか、そういう現代的な思考形態から始まっていま
す。
 しかし、こうした私たちの「ものさし」が通用す
るようになった歴史はまだ浅く、しかもあくまでも
理想(幻想)であるということが暗黙了承されてい
ると言えます。
 それが証拠に、米国であれ、自国民がテロで殺害
されれば、テロの首謀者を殺害し「停戦」に向けて
話し合ったりしていません。
 私たちは今、戦争やめろ犠牲を増やすなと騒ぐだ
けでは平和が戻らないという厳しい現実を目の当た
りにしているのです。日本にハマスが存在するよう
なことになれば、もっとリアリティを持つことにな
るのでしょう。
 もちろん、犠牲者が増えることは何とかして阻止
できないかという気持ですが、多くの日本メディア
が言うほど単純構造ではないということです。
 話が飛ぶようですが、イスラエルにはエチオピア
から移住した黒人のユダヤ人も多数存在します。
 なぜ、エチオピアなのか?そのルーツは、ソロモ
ン王の時代にさかのぼります。ソロモン王とシバ王
国の女王が恋に落ち、ふたりの間に生まれた子供の
子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」です。
 1970年代以降、エチオピアの政情不安や飢饉
により、同国で暮らしていたユダヤ系エチオピア人
が殺害されたり、餓死するという事態になった時、
イスラエルは大規模な救出作戦を遂行したのです。
 「モーセ作戦」「ヨシュア作戦」「ソロモン作戦」
と名付けられたミッションにより、旅客機をフル回
転させ、4万人ものユダヤ人をエチオピアから救出し、
イスラエルに移住させました。
 彼らにとって「出エジプト」は、伝説でも��話で
もなく、まさにまだ続いている現実なのです。
驚くのは、イスラエルの最高裁がエチオピアからの
移住は完了したと、この作戦の完了を宣言したのは
2022年2月、つまりつい最近のことです。
 そして、まだ移住していない人もいると、依然と
して今年も数百人規模でイスラエルに移ってきてい
るそうです。
 ユダヤ人である限り決して見捨てない、とにかく
これが、イスラエルの人々なのです。このエチオピ
アから来た人たち、トイレも使ったことがなかった
地から来て、イスラエルでは差別を受けたりして、
人間社会らしくここでまた揉めるのですが、とにか
く彼らは、人間としての好むと好まざるという感情
は関係なく、同胞を救い「約束の地」を共有するの
です。
 こうした事例からも、よくハマスとイスラエルの
紛争は「憎しみの連鎖だ」とか解説されますが、軽
さを感じざるを得ません。彼らは一個人として、よ
りも民族としての使命を帯びて生きている、そのよ
うに思えます。
 現代風の、ぽっと出の価値観で、この問題を評す
ることなどできない、とにかくそのように強く思い
ます。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって良い1週間でありますように!困難の中
にいる全ての人のために祈り、あらゆる紛争の犠牲
者を悼みながら。
(さくらばやし・みさ)
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crydayz · 1 year ago
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240224 土
昨日、アルコールを珍しくふつうに摂取してしまった割には意識は冴えている
贅沢とはなんなのか?
それは「充足と不足の落差の実感」の事である
わかりやすく言えば「自分は満ち足りている」と感じた瞬間、もうその人は誰がなんと言おうと主観的には「贅沢」を満喫しているのである
例えば僕は「結婚し子供がいること」を人としての究極の贅沢として定義している。それより上の次元は「ないこと」にして心の平穏維持してる
しかし「結婚するのは当たり前だし子供を作るのも当たり前、その上でさらに上を目指し より優れたパートナーに乗り換えながら立場や子孫のクオリティを向上させてゆく」という世界観で生きている人からすれば、自分などは「スタート地点で何の検証も努力もチャレンジもせず満足しきってるアホ」という認識になるだろう
「自分はまだスタート地点にすら立っていない、ゴールだと思っていた場所は次のゲームのスタート地点に過ぎなかった」と認識する事自体が「不足感」の呼び水なのだ
人は寿命(タイムオーバー)を意識するようになると「不足を不足として認識する事のメリット」を失う
認識したところで自分の成長や幸せに結びつかない「飢餓」を感じてもQOL下がるだけで自分と周囲に「得」がないのである
無論、弱者や諦観抱えた臆病者を嫌う人々への「媚び」として「飢えたフリ」するメリットはあるかもだが、そんな連中に媚びたところで搾取されバカにされ捨てられるのがオチだ
だって彼らからしたら弱者は存在しているだけで世界のキャパを無駄に消費する「お荷物」であり「害悪」なんだから
強者に限らず「強者に憧れる人々」も押し並べてそういう弱者への見下し / 差別感情を持っている。無論、歳を取る前の僕だってそうだった
けど、もはやそんな意識を維持するメリットがない。だから差別意識捨てて「非・無益」な人間になる努力をしているのである。
有害ではあるが決して無益ではない。世界を牽引する強者にとっても多少の利用価値がある都合のいい悪。その程度の「有用性」は担保しとかなきゃさすがに殺処分食らってしまう
ほい、パージ。なんか、認知が毒でコーティングされてるからこれ以上の「素直さ」の開示はダメ。
あー毒。毒まみれ・・・
とりあえず僕の役割。圧倒的な魅力と将来性持つ中華トイに束の間抵抗し得る「変態コンセプト・国内トイ」の開発に関与し続ける
敗けたら敗けたで大人しく中華トイの開発にでも携わる。でも暫くは「日本人選手」として国内チーム内で悪あがきする
一応日本人だしなーというペラいプライドを礼に―
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manganjiiji · 2 years ago
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税���除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用��関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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hikitsukamaro · 2 days ago
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鳴釜(鏡紋の夜叉外伝〜その4)
女は湯気を立てて沸いている釜があげる唸りを聴いている。釜の上には米を入れた甑が載せられ、ほのかに甘やかな香りが漂い始めた。夜闇は深いが、釜を包む炎が女の横顔を赤々と照らし出している。女は巫であった。神託を受ける器である。しかし生まれ出た時からの片割れを喪った今、声なき女の受けた神託を他の者に伝える術がない。女の眉が微かに下がる。釜の唸りが高らかに響いている。女は甑を取り上げ、中で程良く蒸された飯を高坏に高く盛り、恭しく掲げて神殿に供えた。「吉兆……なのだな?」と問う男に女は深々と頭を垂れて肯った。
王とその腹心を喪った山の民は散り散りになり、ある者は別の山にその鍛冶の術を持って移り、ある者は海へ出て海賊に、またある者は剣も農具も捨てて別のなりわいを見つけた。王を惑わせその血を吸った魔剣は社深くに祀られ、その凄惨で哀切極まるいきさつを知るのは今や限られた者たちだけだった。
闇に囚われ狂った帝はその座を追われ、世は暫し乱れるかと思われたが、争いを好まない新帝は豊かな実りを上げる吉備の地を、むしろ友好的に支配するのが得策と吉備の名を冠した男に委ねた。
かつて吉備の中でも特に豊かな里の長を務めた男がその右腕となり、歳の割に幼く思える吉備の新しい冠者に世の理と人の心を説き、戦以外の国の舵取りの術を教えた。空虚な器として成長した故に無垢であり、人との交わりに飢えていた青年は瞬く間にそれらを吸収し、吉備は大いに栄えていた。
その一方で冠者は悩んでいた。鬼となり死んだ男を葬った塚からは何年もの間遠吠えのような恐ろし気な声が聞こえ続けていた。「語り継げ、道を誤り鬼となった男の物語を」彼の末期の言葉が夜毎男の耳に響く。鬼の怨嗟の声だと噂される唸りの響み���土地の者たちを懼れさせている中で、新しい支配者となった青年が民の信を得るためには「物語」は絶対に必要なものであった。そしてその禍々しい唸りを鎮める手立てはあるのだろうか。
女はふたごであった。片や春の日差しのように朗らかで多弁で社交的な姉に対して、寡黙にして孤独を好み、人よりも花鳥と親しく交わる秋空の月のような質であった。対照的な二人だが、言葉を介さずともその思いは余すところなく理解できた。だから花鳥の声を聴き、神の言葉を戴く巫となった妹はその分人の言葉は失ったが、姉が代わって里の皆に神託を伝えることができた。種を蒔くべき時期、日照りや大雨大風の続く時、縁を結ぶべき男女、人々は迷った時悩んだ時、この祈り女を頼った。
祈り女の名は幽(かすみ)と言った。過去と未来を視る鏡となったその瞳には、このたびの悲劇も映し出されてはいたのだが、かといってそれを避ける術までは示されはしなかった。次々と訪れる殯に捧げる祈りを務めながら、それを止める力も防ぐ知恵もないことに幽は絶望しつつあった。それさえあれば自らの半身を捥がれるに等しい出来事もなかったのに。
そんな思いを抱えながらも時は流れ、幽の姉と山の民の王との祝言の時に植えられた苗木は大きく育ち、実をつけるまでになった。
幽の姉が祝言を挙げて間もなくその夫が囚えられ、長い別離の間に生まれた子がいた。その子の誕生をその父は知ることなく世を去ったが、その面影は間違いなく受け継がれていた。幽の姉も亡くなった今、鬼となった男の血を引くその子は、一族の中でも扱いをめぐって対立が起きた。散り散りになった山の民が、その再興を願って奉じようと取り返しに来るかもしれない。その子自身も長じてその好戦的な資質を発揮するかもしれない。そもそも長年の友好を破り略奪を働いた山の民が傷つけた者の家族の恨みはまだ収まってはいなかった。和と安寧を重んじる里の民にとって、そのみどりごは新たな争いの元になる可能性を秘めていた。
幾度とない話し合いの末、その子は小さな舟に乗せられ、里の者たちが見守るなか川に流されることになった。翌日になって下流で舟は回収されたが、その中に赤子の姿は無かった。そうして里から災いの種は除かれたと思われた。
しかし実は里のはずれに一人で住む幽が、流される直前に赤子を救い出していた。幽は兄である里長とはかって里の者たちの目を避け、自らの甥にあたる子を育てることにしたのだった。里長の妻が密かに幽の住まいに通い、赤子に乳を与え、幽は言葉こそ教えられはしないが愛情込めて世話をした。丸々と肥え健やかに笑う赤子は幽の喪失感を大いに慰め埋めていった。
とはいえ幽が赤子を匿う生活はそう長くは続かなかった。いくら里のはずれと言えど、独り住まいの祈り女の家に頻々と通う里長の妻の姿、赤子の泣き声は誤魔化しきれなかった。幽の抗弁も虚しく、再び赤子は川に流されることになった。涙ながらに幽は赤子を大きな盥に乗せ、姉の形見の勾玉を赤子の衣類に縫いつけた。そしてあの祝言に植えた桃の木がつけた大きな実を持たせた。邪気を払い永遠の生命を齎す桃が赤子を守るよう願いを込めて。盥が流れの奥に消えてもなお、幽は呆然と立ち尽くし、促されてもその場から立ち去ることができなかった。
それ以来幽は涙も枯れ、何も喉を通らず憔悴しきって儀式を行うどころではなくなり、里の者たちも祈り女に占問うことはなくなった。殯も幽が出向くことはなくなり、簡素になった。守り神とされた蛍もめっきり数を減らし、そうして民心は少しずつ荒廃していった。
兄である里長は幽を含む家族を連れて里を離れる決心をした。長として里が大和だけでなく白霧に蹂躙された時も、何ら手を打つことができなかった責めを負うというのが表向きの理由だった。実際はこのまま里にいてももう彼も彼の家族も心の安寧を保つのが難しかったからだ。
里を離れた一家は国境に近い静かな村に居を構え、わずかな田畑を耕し、細々と暮らし始めた。清らかな小さな川があり、長閑に牛馬が草を食む穏やかな環境で、夏の夜には多くの蛍が飛び交った。そこで数年を過ごすうち、弱り切っていた幽もようやく健康を取り戻した。
その頃吉備の国の司から新しく建てた社に仕える祝の娘を召し出すとの触れが出た。そこにはあの鬼となった男の首が祭られていて、恐ろし気な唸り声が響き渡り皆を気味悪がらせているという。彼らは里を離れる際に妹の遺骨も持ち出していたから、せめて近くに葬ってやりたいと思った。それで幽たちは国の司へ出向くことにした。
国の司にいた男は、確かにいつぞや彼らの里をその圧倒的武力で制圧しようとした男だった。しかし今やあの傀儡のような光の消えた目ではなく、笑みさえたたえて幽たちを迎え入れた。
「温羅の夢を見たのだ。『阿曽の祝の娘に神饌を炊かしめよ』と。だからあの里に使いを出したのだが、そなたたちは里を離れた後だった。代わりに他の者にあれこれやらせてみたのだが、どれも効かずでな。それで国じゅうに触れを出したのだ。よく来てくれた」
一行はまず首塚に参じて祈りを捧げた。噂通り恐ろしい唸り声が一帯に響き渡っている。幽はその塚の前に亡き姉の骨を納めた壺を捧げ、深く額づいた。するとそれまで響いていた唸り声がすうっと鎮まり、久しぶりの静寂が訪れた。
吉備の冠者をはじめその場に居た者は皆顔を見合わせ、やがて歓声をあげた。
次いで吉備の冠者が夢で見た通り、吉凶を占うための設えが始まった。塚の前に大きな釜が据えられ、グラグラと湯が沸かされた。
「佳きことならば釜は高らかに鳴り、悪しきことならば荒々しく鳴る、というのだ。先ごろ来、夏に限らず急に蛍が増えたという知らせが吉備の国のあちこちから来るのだが、これは吉兆なのだろうか?それとも…。」
そこで幽が甑に米を入れて釜の上に据えて祈りを捧げると、釜の鳴る音が僅かに変化した。他の者たちには判別が難しかったが、幽にははっきりとその違いがわかり、未来を視る目にはありありと悦ばしい光景が映っていた。幽の嬉し涙を見て一同が吉兆と察すると、冠者はこう皆に宣した。「これよりはこの祈り女をこの社の神官となし、吉凶を問うこととする」
吉兆と聞いて国の司が蛍の増えた里や村へ使いを出し、詳しく調べてみると、いずれの土地にも共通したことがあった。それは小さな子どもを連れた三人組が滞在していた、ということだった。しかし彼らはひとところに長くは逗留せず、点々と移動していて行方はなかなかつかめなかった。
そこでまた祈り女に占問うことになった。釜を火にかけ、グラグラと湯が煮立つと、幽はその上に桃の枝をかざし、あちらこちらと指して釜の音を聞き分けた。彼女が西の方向へ枝を向けると釜が高らかに鳴った。そこで吉備の冠者は街道の入り口に人を配して待ち受けることにした。
数日後その西の方角から現われた三人組は、国の司から差し向けられた迎えの者たちに連れられて吉備の冠者の元へやってきた。
「あ、あなたはもしや吉備津彦…?」
「イヌ、サル、キジであったか!」
久しぶりの再会で互いの変貌ぶりに驚く四人であった。
そして子連れの経緯を聞くまでもなく、幽は駆け出して、すっかり大きくなった少年に縋りついた。少年は事情が飲み込めず戸惑って立ち尽くしていたが、里長であった男が子どもの身に着けている勾玉を認めて全てを理解し、皆に説明した。
こうして桃の実とともに川へ流された赤子と三人のお供の旅が目的を遂げ、彼らの数年にわたる経験がいわゆる鬼退治の伝説として語り継がれる元になった……かどうかはまた別の話。
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kanglo · 3 days ago
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「食糧の作り方」令和の大飢饉にあなたは生き残れるか?/第73回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年8月5日) from KANGLO CORPORATION on Vimeo.
「食糧の作り方」令和の大飢饉にあなたは生き残れるか?/第73回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年8月5日) チケット kanglo-sdgs250805.peatix.com/view facebook.com/events/1047168847597155
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに10年が経とうとしています。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、��の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2025年8月5日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/9/2、10/7、11/4、12/2 ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 kanglo-sdgs250805.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 kanglo-sdgs250805.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学修学中、茨城県農業大学校営農塾卒業。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立(どんぐりヴィレッジ・ケアファーム)準備中。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます: 「2025年7月5日午前4時18分」大災害は来るのか?/第72回(2025年7月1日)準備中
「シン・ケイザイ学のすゝめ」お金とは何か?新しい経済の在り方を模索しよう/第71回(2025年6月3日)準備中
「トランプ関税の行方」敵か味方か、それとも救世主?破壊者?あなたはどう考える?/第70回Aniv.(2025年5月6日)準備中
「新・幸福論」Metaの世界が来る。あなたはどうする?/第69回(2025年4月1日)準備中
「貧困」貧困化が進む日本。これからどうなる?あなたはどうする?/第68回(2025年3月4日)準備中
「食」の真実~あなたは、生きるために食べる?食べるために生きる?/第67回(2025年2月4日) 準備中
2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回(2025年1月7日) 準備中
オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回(2024年12月3日) youtu.be/LXil99Y3QS4
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト for-good.net/project/1001029
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uchu-household-blue · 7 days ago
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ありがたい。ありがたい現象を掘り下げて多角化や相対化して、掴めるというか見えるもの。上手く描けないほど有難いわ
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便宜上なのか通常運転トーンなのか、まとめ出すの小学校の先生みたいだな〜懐かしさ来た ←これ、そう共通項目を掬う今だからだよ!ほんとに。子供のようにだなと感じて納得。〜でない事例、を導くのも改めてそんなアナロジカルに腑に落ち方。動物は感じる感じない、人間は感じるの比較もプリミティブだなぁと思いつつ、自由の積極消極もある、過酷なものも、有難いも。戸惑わなくて良いのはそりゃ楽、変われないし変わりたくない幸福も。どうでも良くなれたら有り難さも孤独も距離にならざるを得ない事とひとりでいるけどね、何重かに嫌悪だし、幸福はシンプル。腹立ち合うのも頷けるほど億劫
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アレッ🍯あのキャラ演出が酷なおじさん...飢えはそのくらい施し頼みだけど忍ばないと人間もないか 人間としての幸福を実感する知覚は。。振り返って、思い出して実感する。思い出て、思い知る。ひとりじゃなくを群衆でなく個々人が問う時に、それだとは私も思うってばよ 異論を明らかにすべく'そうじゃない方'を任せていくしかなくなってしまったけど、そうじゃない時空間が要るから、思い出せなくさせられると自由もないし繋がりもない 生き延びたくないよ潜在的には私も
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価値のほう特にほらぁぁってなるビジョンそのもののやつ。組織論...!何のための?の広さが支えてくれたりするのにね...。他人を下げて価値になりたいのなんか良く無いと私も思うし、受け入れられない苦手なものは苦手だから避けたい日々だったわけだよ。しかしそんなに憎むなら憎んどけとも思うし悩んでも切り離すしかないから。場に宿る責任や権力の限界なんてそんなリアリティとか実感でさ。善悪それぞれ感情も深くで両立してないと私とても行けないなら、悩んで、行けないから。悩みたくないなら恨んでろよってことです。自分を誇れよとは別に進んで言いたくないような事または弱みを見せなよと言ったってゴールまで見えてないのだろうし、分断「おのれを誇らせておいて〜」ホモソしか収まる皿がない公に混同されてくメニューだから。尊敬されたとて祭り上げられて終わるその、後や前の他者とこそ、''第三者の実感ある"はなしじゃん。弾かれ合ってなお何を人間とするのかを仕上げる、充実を野放しにしない、連帯や繋がりの方をより見ろ!に恐怖など含めつつ言い張りたいことや聞き入って貰えないと無いものは、より傾いたわけです。全然届かないけど、言い張っても弱者だとしても、そんなことだからより大事 表面的なパズルだけしたいレベルならそれもそのまま、と願いつつ震えてしまう、ある意味何なら今ここから見送っていいかに理念が要るから何が互いにペンディングでいいか、また戻してやる作業。
問題だぞと間違いだぞと背中から指さされ、従属を履き違えるそれの中を育むなら,怒ってでも逸れていく広さのための構造です。分け合えない問いならそういう価値です。  本音か...辛辣な批判ではない本音か...。だとしたら望まれたいような。だって一緒にやってるんだから。テレビだから'振り出され'てるようなものもあるのかなと思うんだよ、ゆるすぎる生放送とかもあるし。リアクションだけが一人歩きでき合っちゃう隔壁あるし...。でも生きてる人がやってることだから何かは積み重なって当然だからな。気にしないことを分け合えるなら良かったけどかなり無理だろうな、せめて作ろうとしてく。 または......辛辣というより痛烈に共通事項,のようなスピリット、自分の愛するものを殺すの感覚が滲みる。とにかく響き渡ってもいる。浴びてしまう。致死量なの?って感じてしまう後のことまでは個人にしか背負えずになのだろうね。見えているものだけ見ていつか隠居していくなら、今すぐでもほんとに変わらないのではと思うくらいには社会的に悲しみが悪者だったから。何を喋っても仕方ない、とすれば幸福のことを深くでも考えとけばいいわけだったな? 何をそんなに互いに他人に自分に許せない、行動の中に諦めていくことはきっと出来ても、別に愛せない、期待している。かなりかなり成れの果てまで悲しいが、成れの果てにしか手触りもない中での事。共通項目として残りつづけたい慣習や伝承は高度なものにも多分なるのだろう。。多分...。 ふと、オンリーワン世代以降でも自己肯定感という言葉に振り回されるのだから、段差もだし日本的なというか、。だからこそ知覚、感覚を分け合うというものは適用しやすくあって欲しい。念じ直すしかぬぬぬ。体力が終わっても精神力は源泉に辿り着く... それさえ分け合えない大体に囲まれてしまいやすい世の中、無理難題にしかならないけど、問いが対立を超えたり脇道が充実したりしないと耐えられない強度というかしなやかさというか、なんかやっぱり。景色に上塗りされてしまうばかりでも死守したくて出会いたく切実。もし気持ちの貯金や蓄えみたいなものが対話であるならば余計に。慎まやかに見送るしかない'諦める'のならその確かな内側からの声に届け先の景色を。逆に人の声に耳をやるなならば'分断覚悟で'程度にしか期待も出来ないストッパーなのだろうかと思いながら、それでいい作り方を無理強いて、想像するなをやってやるさとでも言えば適うやつなのかなと思わせて、毎度振り出しのようなところから何に誰に見えなくてもやっている。そういうことがいくらでも。同時多発。綺麗に虚しさを越えられるのは多分魂の話だけだ。美醜とはそれほど虚なものに成り下がっちゃえて、ここの実感もまた分け合いにくいものだということ。滲みる。
伊 「学校で、いい先生ってどんな先生?🧑‍🏫って(いうテーマ)
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なにかとてつもない、先生の思わなかったこともかが出てきそうですよね。」
ほんとだ!!と腑に落ち方。学校じゃないからとか子供じゃないからみたいな場の収め方顔する人を、殴りたいほどのあほらしさは、意気地のなささえ欺きたいそれだったのか...と。 私の小学校高学年の時の先生はこれに近い勇気と少年性(少女性でもいい)を持ってた若手の人ではあった。まるで試すようにスネて、結果的にはまぁ生徒に気を遣われていた(男子からも)。何重かにはしらじらしかったかもしれないけど、一方的でない見つけ合った関係性に仕立てるというべきか、相互的な認め合いや呆れ合いを持つというか。今しか居られないという感覚を根強く感じた時間だったが、先生もまた 高学年〜卒業の時期を受け持つ際の、過去の子供達の話も僅かにしてくれてた人だったけど意図的なものだったろう、追いつき方も別に無かったが個人的に内面では学びの多すぎる時期だったからな。ので私的には場所ごと開いて用意してくれた度量をあの日以降も、評価する。しているんだよ元気かな。 お互い様になれるようにという子供心の夢は持ち直そう傲慢にでよいから
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practiceposts2 · 24 days ago
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中井久夫『いじめの政治学』まとめ
① いじめはその時その場かぎりのものではなく生涯にわたって被害者の行動に影響を与える。
② 子どもたちのやっているからかいや悪ふざけやたわむれの一切がいじめというわけではない。いじめかいじめでないかを見分ける一つの規準は、そこに「相互性」があるかどうかだ。
鬼ごっこで言えば、ルールに従って鬼が次々に交替していくのであればそこに相互性はある。しかし、もし鬼が誰それと最初から決まっているならばそこに相互性はなく、ゲームはかぎりなくいじめに等しくなる。使い走りや荷物の持ち合いなどもそこに相互性があればよいが、なければいじめだ。
特定の誰かがつねに劣位に置かれるようでは、ゲームとしては面白くなくなってしまうはずだが、その代わり増大するのが一部の者にとっての権力感、そして犠牲にならなかった多数の者にとっての安心感である。
③ 子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家庭や社会の中では権力を持てないだけにいっそう権力に飢えている。
権力欲とはどういうものだろうか。人間にはさまざまな欲望がある。しかし権力欲は他の欲望(睡眠欲、食欲、性欲)とは比較にならないほど多くの人間を、実際上無際限に多数の人を巻き込んで上限がない。
おそらく、権力欲には真の満足というものがない。権力欲の快感は思いどおりにならないものを思いどおりにできるところにあるが、現状思いどおりにならないことも、より大きい権力を獲得してからであれば解決できるはずだと思い込めれば、現在の葛藤はさらなる権力の追求というかたちで先延べされる。
つまり、人が自己のなかの葛藤との直面を避けつづけるかぎりで、権力欲の追求は無際限につづく。
むろん権力欲自体を完全に消滅させることはできない。その制御が問題なわけだが、個人、家庭から国家、国際社会まで、人類はいまだ権力欲を制御する道筋を見い出しているとはいいがたい。
④ 非常に多くのものが権力欲の道具になりうるだろう。差別は、純粋に権力欲の問題だ。
より劣位の者がいることを確認することは自分が支配の階梯を登るよりもはるかに容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。そこに、差別されている者がしばしば差別者になってしまう機微の一つがありもする。
⑤ 子どものいじめが権力に関係しているからには、必ず政治学がある。子ども社会は実に政治化された社会だ。すべての大人は政治的社会をまず子どもとして子ども時代に経験すると言っていい。
⑥ いじめの進行はその集団の外側からは分かりにくい。なぜか。それは、いじめが或る一定の順序をもって進行するからだ。私はいじめの過程をかりそめに「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階に分けてみた。これは人間を政治的奴隷にするための手順のモデルでもある。
⑦ まず、「孤立化」。標的を持続的にいくらでもいじめの対象にするためには、孤立させなければならない。だからいじめの主眼は最初「孤立化作戦」におかれる。
それは誰かがマークされたということの周知からはじまる。そうすると、マークされなかった者はほっとして、標的から距離を置く。それでも距離を置かない者にはそれが損であり、まかり間違うと身の破滅だよということがちらちら示される。
ついで、いじめられる者がいかにいじめられるに値するかというPR作戦がはじまる。標的になった者の何ということはないちょっと変わったところや癖といったものが、ことさら照明を当てられ、問題とされる。これは周囲の差別意識や安全保障感に訴える力がある。その集団内に何の意味であっても「自分より下」の者がいることに多数の傍観者が快楽を感じる。
そしてこのPR作戦は、被害者にも自分はいじめられても仕方がないという劣等感を次第にしみ通らせる。
被害者は、はじめは自分の行ないを正すとか、弁明するとかしてその状態から抜け出そうとする。そのことは時には成功する。しかしそれによって世論が何も変わらないと悟ってしまうと、かえって被害者は自分がいじめられてしかるべき、魅力のない、好かれない、生きる値打ちのない、ひとりぼっちの存在であるというふうに次第に思い込むようになる。
被害者のこの思い込みは、被害者自身の自律神経系や内分泌系に悪影響を与え、実際に被害者をそういう見掛けに仕立てあげてゆく。その状態は、周囲の人を遠ざける。また、加害者を勇気づける。
さらに言うと、このPR作戦は年長者にも向けられる。うかうかしていると教師といえども巻き込まれる。「そういえばあいつにそんなところがあるよなあ」などといつの間にか加害者に同意を与えてしまっていることもあるかもしれない。家庭への連絡帳に、お子さんの欠点として、まさに加害者のPR作戦の内容をなぞったことを書いてしまうことさえあるかもしれない。
⑧ しかし「孤立化」の過程ではまだ被害者は精神的に屈伏していない。ひそかに反撃の機会を狙っているかもしれない。そこで、次に加害者は相手の「無力化」を試みる。
「無力化」の目的は、要するに被害者に反撃は一切無効であることを教え、被害者を観念させることだ。そのために「懲罰」が用いられる。
被害者の反抗のかすかな兆候に対しても過大な懲罰を与えること。さらには「反抗を内心思っただろう、そのはずだ」という言いがかりをつけて懲罰することも有効だ。
被害者には現状から脱け出したい気持ちがあるから加害者の当て推量は当たって当然だが、被害者は内心動揺する。被害者は加害者に自分の心がすっかり見すかされていると誤って思い込み、やがて、加害者の懲罰よりも先に自分で自分の振る舞いと内心の動きを気に掛けるようになる。被害者は絶えず警戒して気を配っていなければならなくなる。
それに対して加害者は攻撃の焦点も方法も場所も時間も自由に選べるのだから、圧倒的に有利だ。この彼我の格差が長くつづくと、被害者は加害者に比べて自分が情けない、劣った人間だと信じ込んでしまう。このようにして被害者は飼い馴らされる。
被害者が大人に訴え出ることには、特に懲罰が与えられなければならない。それは大人の介入を締め出すためというより(そもそもあまりにも多くの事例で大人は有効な介入ができていない)、「大人に話すことは卑怯である」「醜いことである」という道徳を被害者に内面化させるためである。
被害者が自分でも大人に訴えるのを醜いことと思うようになれば、孤立化はもはや強いられたものでなく、被害者の自発的な選択となる。ここで暴力をしっかり揮っておけば、あとは暴力を揮うぞというおどしだけで十分になる。
⑨ いじめの最終段階として「透明化」が起こる。
この段階になると、「孤立化作戦」によって被害者は孤立無援であり、また「無力化作戦」によって反撃あるいは脱出のための力を奪われ、ほとんど自尊心というものを失っている。
そして被害者の世界は狭まってゆき、加害者との対人関係だけが彼にとって内容のある唯一の関係となり、大人も他の級友たちも非常に遠い存在になってゆく。
被害者はいつも加害者の眼を逃れられないと感じる。加害者の眼は次第に偏在するようになる。たとえ海外旅行に連れ出されたとしても、加害者はその場に臨在している。独裁国の人民がつねに独裁者の眼をいたるところに感じるのと同じ心理的メカニズムだ。
すると、被害者は次第に、「さほどいじめられない」ことを恩寵だと思うようになってゆく。加害者に会ってもいじめられなかった時など、その幸運をまるで加害者から授かった実にありがたい恩恵であると感じはじめる。
そして被害者は加害者の気分や些細な表情や仕種に非常に敏感になり、それに従って卑屈に行動するようになってゆく。加害者もそれを分かっていて、この「恩恵」を強調するために、しばしば自分の気まぐれを誇張して表現し、被害者が予測できないようにする。予測というのは圧倒的な敵に対した時の最後の主体的行為であるが、これを封じ込められると、被害者はいよいよ自己信頼を失い加害者に感情的にも隷属してゆくようになる。
こうなると、加害者は些細な恩恵、今日だけは勘弁してやるといった「恩恵」によって、いじめの構造の維持のために当の被害者から協力さえ得られるようになる。
被害者は、加害者との仲の良さを周囲に誇示するようになる。楽しそうに遊んでみせることもある。加害者の末席に連なることもある(ただしこうした被害者の献身的行為は、加害者からはまるで無価値なもののように扱われる。それによって被害者はますます打ちのめされる)。
それを加害者は世論に──とくに大人たちの眼に──目撃させるようにはからう。このことによって被害者は「被害者」というアイデンティティすら奪われ、いじめは傍観者には見えないものとなってゆく。
いや、よく見れば仲良しの誇示のなかでも眼が笑っておらず、加害者の仲間内でその子だけが緊張を解いていない。しかしそれも傍観者には「選択的非注意」という人間の心理的メカニズムによって、いつもの光景の一部としか映らなくなる。いじめの「透明化」の完成である。
⑩ 傍観者たち──とくに大人──は「見ない」ためのさまざまな言い訳を用意している。
「子どもの世界には大人がうっかり容喙してはならない」「自分もいじめられて大きくなった」「子どものためになるだろう」等々。
それどころかこの段階にいたると、大人が「きみはいじめられているのではないか」と尋ねても、被害者は激しく否定し、しばしば怒り出す。そこには「何をいまさら」「もう遅い」という恨みと、自分のことは自分で始末をつけるという最後のイニシアティヴを大人の介入によって明け渡したくないという、絶体絶命のプライドがある。
このプライドは多くの大人にとって理解しがたいものであるが、ぜひ理解しなければならない。
⑪ なるほど、子どもの世界には法の適用が猶予されている。しかし、それは裏を返せば無法地帯でもあるということだ。子どもを守ってくれる「子ども警察」も訴え出ることのできる「子ども裁判所」も、ない。
⑫ 子どもの世界は成人の世界に比べてはるかにむきだしの、出口なしの暴力社会だという一面を持っている。子ども社会のそういう暗黒面に閉じ込められてしまった者の絶望感は、ほとんど強制収容所なみではないだろうか。それも絶滅収容所の。
もちろん子どものいじめにおいては直接生命を奪われるということはない。また、被害者にも家庭という避難所があるではないかといわれるだろう。
しかしいじめの場合、直接間接の暴力だけが辛いのではなく、特に「透明化」の段階で辛いのは、加害者がいかに巨大で、自分がいかにちっぽけでとるに足りないかという「自己の無価値化」を身に染みて味わうことである。
⑬ 不思議なことに、道徳的劣等感はいじめられっ子の方が持ってもいじめっ子の方は持たない。
強制収容所においては、この状態からさらに一歩を出れば、自尊心も自己決定も何もない、殴打の痛みも拷問の痛みも感じない生ける屍となり果てるという。
いじめの構造の壁は透明であるが、しかし眼に見える鉄条網よりも強固だ。
結語 以上はほとんどは私自身が体験した状況である。ひょっとするとこの一文は、誰よりも、いじめられっ子にこそよく理解してもらえるのではないだろうか。敢えて私ごとを記した所以である。さらに「透明化」の理由がわからなくて戸惑っている親や教師にも多少の参考になれば幸いである。
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moko1590m · 1 month ago
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日本で犬が食用として消費されていた歴史については、考古学的証拠や文献資料からある程度の概要がわかっていますが、詳細な時期や範囲については情報が限定的で、断片的な証拠に基づく推測が多いです。以下に、質問に対する情報を整理して説明します。
1. 犬が食べられていた時期
縄文時代(紀元前14,000年頃~紀元前300年頃):
考古学的な発掘調査から、縄文時代の遺跡(例:青森県の三内丸山遺跡など)で犬の骨が出土しており、一部に調理や解体の痕跡(刃物の傷や焼け跡)が確認されています。この時期、犬は狩猟の補助動物として飼育されつつ、食料としても利用されていた可能性があります。ただし、犬が主食だったわけではなく、鹿やイノシシなどの野生動物が主要な食肉でした。
弥生時代~古墳時代(紀元前300年頃~6世紀):
弥生時代以降、農耕文化が発展し、食生活が多様化しましたが、犬の骨に解体痕が見られる遺跡が引き続き存在します。この時期も、犬は食用として限定的に消費されていたと考えられます。
中世~近世(12世紀~19世紀初頭):
江戸時代(1603年~1868年)以前の中世から近世にかけて、特に武家屋敷や城下町の遺跡(例:鎌倉や江戸の遺跡)で、刃物の傷がついた犬の骨が数多く出土しています。これらの骨は、犬が食用として処理された証拠とされています。文献では、松井章の「日本の食犬文化」(『週刊朝日百科 動物たちの地球128』)がこの点を指摘しており、犬食が一定の範囲で行われていたことを示唆しています。
特に、戦乱期や飢饉時には、食料不足から犬が非常食として利用されるケースもあったと推測されます。
2. 犬食の範囲と文化的背景
地域的な範囲:
犬食の風習は日本全国で一律に行われていたわけではなく、地域や社会階層によって異なっていたようです。都市部や武家屋敷、農村部の一部で犬の骨が出土していることから、特定の地域や集団で消費されていたと考えられます。
例えば、近畿地方や関東地方の遺跡で犬の骨が多く見つかっており、これらの地域では犬食が比較的一般的だった可能性があります。一方、北海道や東北の一部では、アイヌ文化や異なる食文化の影響で犬食の痕跡が少ない場合もあります。
社会階層と目的:
武士階級や農民階級など、幅広い層で犬が食べられていた可能性がありますが、武家屋敷の遺跡から犬の骨が出土することから、武士階級でも犬食が行われていたことがわかります。
犬は主に非常食や栄養補給の手段として消費されたと考えられますが、特定の地域や集団では儀式的な意味合いや薬効を期待して食べられることもあったとされています(例:滋養強壮や病気の治療目的)。
文化的背景:
仏教の影響で肉食自体がタブー視される時期(特に奈良時代~平安時代)もあったが、実際には庶民や武士の間で肉食(犬を含む)が細々と続けられていました。犬は飼育が容易で、身近な動物だったため、食料として利用される機会が多かったと考えられます。
3. 犬食が衰退した理由:生類憐みの令の影響
徳川綱吉の「生類憐みの令」(1685年頃~):
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が発布した「生類憐みの令」は、動物(特に犬)の殺生を禁じる政策で、犬の保護を強く推し進めました。この法令は、綱吉の仏教思想(特に浄土宗の影響)や、自身の生まれ年(戌年)に関連する個人的な信念に基づくものでした。
この令により、犬を殺したり食べたりする行為が厳しく取り締まられ、違反者には罰則が科されました。江戸市中では犬の保護施設(「犬小屋」)が設けられ、野犬や飼い犬が保護されるようになりました。
生類憐みの令は、当初は極端な政策として批判されたものの、犬に対する社会的な認識を変えるきっかけとなり、犬を「食用の動物」から「伴侶動物」や「守護動物」として見る文化が徐々に広まりました。
その他の要因:
江戸時代中期以降、食文化の多様化や経済の発展により、牛や豚、鶴などの他の肉類が一部で利用されるようになり、犬を食べる必要性が減った可能性があります。
都市化とともに、犬が番犬やペットとしての役割を強め、食用としての価値が低下したことも影響したと考えられます。
4. 文献と証拠の限界
犬食に関する文献は少なく、松井章の研究や考古学的発掘が主な情報源です。『日本書紀』や『万葉集』などの古代文献には犬食の直接的な記述はほとんどなく、間接的な証拠(例:犬の骨の出土)に頼る部分が多いです。
江戸時代の文献では、生類憐みの令に関連する記述や、犬の保護政策に関する記録が残っていますが、犬食の具体的な頻度や規模については詳細が不明です。
5. まとめ
時期:縄文時代から江戸時代初期まで、犬は日本で断続的に食用として消費されていた。特に中世~近世の武家屋敷や都市部の遺跡でその証拠が顕著。
範囲:全国一律ではなく、関東や近畿などの一部地域や、武士・農民などの特定階層で一般的だった。非常食や滋養目的が主。
衰退の理由:徳川綱吉の「生類憐みの令」(1685年頃~)が犬の殺生を禁じ、犬を食用から伴侶動物へと位置づけを変えたことが大きい。その他、食文化の変化や都市化も影響。
より詳細な情報が必要な場合や、特定の時代・地域に絞った質問があれば、ぜひお知らせください!
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takahashicleaning · 3 months ago
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TEDにて
トム・シューラー:コンクリートによる二酸化炭素排出量をマイナスにする方法とは
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
COP27では、1.5度目標についての文言は削除され、化石燃料の段階的廃止も消えた。
COP27では、1.5度目標についての文言は削除され、化石燃料の段階的廃止も消えた。
コンクリートはそこらじゅうにあり道路、建物、橋などの建設に使われていますが、過去2千年間、セメントを使いコンクリートを固める技術は大きく進歩せず、世界最大の炭素排出源の1つとなっています。
起業家のトム・シューラーは、コンクリートを建材でありながら大気中のCO2を閉じ込める炭素吸収源に変えられる可能性がある革新的製法をいち早く紹介します。
コンクリートはそこらじゅうにありますが、ほとんどの人はそれに気づきません。
コンクリートは道路、建物、橋、空港などの建設に使われどこにでもあるのです。コンクリートより多く使われている資源は、水くらいしかありません。そして、人口増加や都市化に伴いコンクリートの需要は、かつてない程に高まっています。
しかし、問題があります。
セメントは、コンクリートをくっつける糊のようなものですが、セメントをつくるには、石灰石とその他の原料を窯に入れてとても高い温度で燃やします。
この過程でできる副産物のひとつが、CO2。つまり、温室効果ガスのひとつである二酸化炭素です。セメントを1トンつくると1トン近い量のCO2が大気中に排出されます。
その結果、セメント産業は、産業界で2番目に多くのCO2を排出しており、世界の総排出量の8%を占めています。地球温暖化の解決を目指すのであれば、セメント製造とCO2再利用の両方で技術革新が必ず必要となります。
さて、コンクリートをつくるには、セメントと石、砂、その他の原料を混ぜて大量の水を加えて養生させ硬くなるまで待ちます。
舗石やブロックのような成形された製品をつくる場合は、蒸気を養生室に吹き込むことでプロセスを加速させることもあります。建物、道路、橋の場合は、いわゆる生コンクリートを作業現場で型に流し入れ、固まるまで待ちます。
50年以上前から科学者の間では、水の代わりにCO2でコンクリートを硬化させることができれば、より頑丈になると考えられていましたが、ポルトランドセメントの化学的性質がネックでした。
セメントは、水とCO2の両方に反応しますが、両者の相反する化学的な性質により良質のコンクリートが作れないのです。
そこでセメントの新たな化学的製法を考えだしました。
同じ設備と原材料を使用しますが、石灰石の使用量が少なく窯の温度も低くて済み、結果としてCO2排出量が最大30%削減できます。
私たちのセメントは水と反応しません。コンクリートをCO2で硬化させますが、そのCO2は、アンモニア工場やエタノール工場などの産業施設の排ガスから回収したもので回収しなければ、大気中に排出されていたものです。
硬化中。セメントとの化学反応によりCO2が分解され、捕捉された炭素で石灰石が生成されてその石灰石によりコンクリートが固まります。
私たちのコンクリートで作られた橋が、取り壊されても中にCO2はもう存在しないため排出される心配はありません。
セメント製造時のCO2排出削減量にコンクリート硬化時に取り込まれるCO2の量を合わせると私たちのセメントは二酸化炭素排出量を最大70%削減します。
また、水を消費しないので何兆リットルという水の節約にもなります。
2千年の歴史があり、過去2百年間に大きな進歩のない業界を説得することは一筋縄ではいきませんが、その課題に取り組んでいる新旧の業者がいます。
私たちの戦略は、持続可能性だけにとどまらない解決策の模索による導入の容易さです。
コンクリートを製造するプロセス、原材料、設備は、従来と変わりませんが、CO2で硬化させる新しいセメントでコンクリートを作ると強度と耐久性が優れ、色合いが薄く硬化には、28日間ではなく24時間しかかかりません。
生コンクリート用の新しい技術は、テスト中でインフラへの応用も開始しています。またさらなる研究も推進し、二酸化炭素吸収源となり得るコンクリートの開発を目指しています。
セメント製造中に排出されるよりも多くのCO2を取り込もうというのです。工事現場では気体のCO2を使用できず、固体または液体の形で届けなければならないため排出されたCO2を捕捉して有用な化学物質に変換する企業と提携しています。
たとえば、シュウ酸やオレンジジュースにも含まれるクエン酸に変えます。そういう酸が私たちのセメントと反応するとコンクリートに4倍多くの炭素を詰め込めて二酸化炭素収支をマイナスにできます。
それは、つまり、道路1kmあたり10万本の木が1年に摂取するくらいのCO2を取り込むことになります。
化学技術とCO2再利用により私たちは、コンクリート産業を変革し、地球上で2番目に多く使用されている原料を炭素吸収源へと転換しようとしているのです。
ありがとうございました。
災害に日照りという異常気象。100年前なら歴史的に見ると大飢饉のレベルかもしれません。違いは政治以外のテクノロジーによる大量生産が可能になった、インターネット、金融工学の発展などが貢献してる!‬
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SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
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bailonglee · 5 months ago
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聖職者たちの、勘違い
東京喰種。
それだけでは、無い。
寄生獣然り。
鬼滅の刃、然り。
地球を代表する聖職者たち全員が、勘違いをしている。
我々人類が、新しい能力を持った種類に、滅ぼされると。
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©スタジオぴえろ
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かわいそうな、勘違いであるw🤣✨
もう既に、融合は終わってるのが、現実の世界です。
それは何か?
解糖系細胞と、ミトコンドリア細胞です。
そう…、人類全員が持っている、細胞ですね。
解糖系細胞とは、酸素を苦手とする、細胞。
グルコースを、ピルビン酸と尿酸に分解し、ATP エネルギーを生成する。
ミトコンドリア細胞は、クエン酸回路を使い、ATPエネルギーを生成する。
解糖系細胞が、まるでミトコンドリア細胞を食べるような形で、解糖系細胞の中にいる。
それが、哺乳類の凄いところなんだ。
人間は、食事以外でも、エネルギーを生成出来る。
ミトコンドリア細胞とは、どう考えても、最初からいた存在ではない。
46億年前の地球生成の頃、地球には酸素は無かった。
生命に、“死”は無かった。
植物が生まれ、地球に酸素が増えると、解糖系細胞は生き残る手段を必要とした。
それが、ミトコンドリア細胞だ。
それはきっと、大きな変化だったんだろう。
酸素により死滅してしまう解糖系細胞、一方、酸素を使いクエン酸回路を働かせる、ミトコンドリア細胞。
解糖系細胞は、ミトコンドリア細胞を受け入れた。
だから、今がある。
現代文明は、問題がある。
老化だ。
元来あり得ない、老化。
それをさせるのもまた、ミトコンドリア細胞だ。
人間のメカニズムは、複雑だ。
ゴミが溜まりやすい、運動や、捕食により。
解糖系のATP生成は、生成が早いが、排出が追いつかない。
しかしクエン酸回路は、100倍の時間はかかるが、むしろゴミ掃除をしてくれる。
現代文明の間違いとは、
過食
だ。
はっきりわかっている。
つまり、飢えで苦しむなんて話が、大嘘であるのが、真実。
そんな恐怖が、鬼滅の刃、寄生獣、東京喰種を、生んだ。
そして鬼滅の刃大ブームとは、ぜんじろうが進化を望まず、今の人間として生きる、不便でも、という、
昭和の浪花節みたいな、めちゃくちゃオールドスタイルの、“みんな同じ、同期の桜!”的な、強力な共産主義思考を、再インプリメントした訳だ、馬鹿馬鹿しいw🤣✨
人間の進化は、既に始まった。
断食だ、ファスティングですね。
これにより、老化を止める。
次考えられるのが、
アカシックへのアクセス。
これもまた、一部少数が、達成している。
つまり、聖職者、支配層が恐怖した、侵略者による、超進化、そんなもんは既に46億年前に、終了しているという事w🤣
私達はやっと、ミトコンドリア細胞の使い方を、わかってきたw🤣
遅いよねw🤣🤣🤣✨👍
ま、だから、東京喰種が、面白い。
鬼滅みたいな、共産浪花節ではないw🤣
進化したっていい、それが、善とか悪ではない。
未知のものにただ恐怖する痴呆原住民が鬼滅の刃だとすれば、善や悪ではなく、“ただ起きた”という精神段階に、一般大衆も、進む時が来たという、素晴らしい証ではなかろうか?
金木研の苦悩は、善も、悪も、無い。
リゼの言葉には、善も、悪も、無い。
喰いたいから、喰った、という事実だけだw🤣✨👍😎🎵
勿論、
東京喰種は、ミスリードだw🤣
ただし、鬼滅みたいなクソ作品とは、まるで違う。
金木研は、罪や善悪ではなく、金木研は、自分を受け入れた、異質となった自分を。
鬼を“否定”したぜんじろうと、真反対。
罪や罰なんかじゃ、真実は永久に捻じ曲げられるという、素晴らしいテーマが流れている。
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人は、強くなろうとしたんだ。
誰しも、最初は、そう。
幼いうちは、皆が、そう。
私も、そう。
強くなり、強くなったと思い込んでいる。
でも結局、強くなっていなかった。
優しい自分を、弱い自分を否定し、ひたすら隠していただけ。
私達は、まず、恐怖を捨てる事。
生きる過程で、色々ある。
戦う事が、最も弱いと、世界から消える時、悟るんだ…
だから、無駄な繰り返しを、止めるのが、未来なの。
つまり、あらゆる怨念を払い、一番大事なのは、
あらゆる事を、許す事。
解糖系細胞の中に、一体となり存在するミトコンドリア細胞。
精子は解糖系の塊、卵子はミトコンドリア細胞の塊。
融合。
そして“成長”は、解糖系が担い、“抑制”は、ミトコンドリア細胞が担う。
あらゆる治癒は、ミトコンドリア細胞が担当する。
生きるとはつまり、
バランス
なんだ。
分裂、それが原初の、エネルギー獲得手段。
グルコースを、ピルビン酸と尿酸に、分裂させる。
解糖系細胞の、最強状態とは何であるか?
癌細胞じゃないよw🤣✨
わかりきっている。
男根主義、略奪主義、競争主義、戦争主義、その最たる形が、癌細胞だ。
強力な細胞。
酸素を必要としない。
凄い増殖力。
奪い、大喰い、だがしかし、元来の細胞からは、かけはなれた、異型の細胞…
その癌細胞が体を蝕み、命尽きてしまう…
はっきり、わかる。
細胞の中に、細胞がある、ミトコンドリア細胞、その融合こそ、完全な融合こそ、私達の未来を作る。
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lemonpeel-portfolio · 5 months ago
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虚構コラム:「貧困の定義は移り変わる」
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 時代を経ても、違う国へと渡っても、変わらない貧困がある。生きるか死ぬかの瀬戸際、つまり人の生死に直結する貧困だ。
 それは食べ物を買う金や、医者にかかる金がないことであるかもしれないし、戦争や災害による飢餓かもしれない。
 しかしそれとは別に、時代や国、環境によって、絶えず形を変えていく貧困もある。
 アダム・スミスは自身の著書『国富論』の中で、リネンのシャツを引き合いに出し、これを説明した。服は人間が生き物として生きていく上で、必ずしも必要であるとは言いがたい。しかし当時の労働者であれば、皆当たり前に着ているのがリネンのシャツである。それをなしに人前に出ることを人々は恥ずかしく思うはずだ。
リネンシャツは、厳密に言えば生きていくために必要ではない。ギリシャ人やローマ人は、私が思うに、リネンを持ってはいなかったが非常に快適に生活していた。しかし現代においてはヨーロッパの大部分において、ちゃんとした日雇労働者であればリネンシャツなしに公衆の面前に現れるのを恥ずかしく思うはずであって、それを持っていないということは、極端に劣悪な行動をしない限りは誰も容易には陥らないような恥じ入る程の貧困を示していると思われるだろう。 ――アダム・スミス『国富論』
 昭和以前の家電が普及していない時代では、洗濯物を手洗いすることも、家に冷蔵庫がないことも、ごく当たり前だった。しかし昭和40年代以降、洗濯機・冷蔵庫・テレビが並び立って三種の神器として普及してからはどうだろう。好んでそれらを持たない暮らしを選んだのではなく、金銭的な理由から家電を持つことができない人間は、世間一般からは貧しいとされるのではないだろうか。
 スマートフォンもまたそうだ。学校から生徒へのお知らせがメールやアプリで配信され、就職活動をするにも採用の可否がメールや電話で行われる。さらに地震などの災害の速報もスマートフォンに届く――今やスマートフォンがなければ、社会との繋がりを保つことの難しい世の中だ。そんな中、金銭的な理由からこれを持つことのできない人間がいたとして、あなたはそんな人間を「スマホが無くても生きていけるよ」と明るく励ますことができるだろうか。
 このように貧困には、生命維持に関わる貧困と、生きていく上で必ずしも必要なわけではないが、社会生活を営む上で必要不可欠なものが欠けてしまう貧困の二つがある。
 十年後、五十年後には、今の我々からすれば贅沢品であるものが生活の必需品として扱われ、それが欠けた生活を貧しいものとして捉えられるようになるのかもしれない。
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lifeandeatclub · 2 years ago
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「発酵、熟成、タイムマシン」   会田大也(アーティスティック・ディレクター) 
こんにちは!
昨年9月の岡江真一郎さんを迎えてのLive「eat shin」、こちらのテキストを会田さんが執筆してくださいました。 テキストぜひ読んでくださいね〜。
「発酵、熟成、タイムマシン」   会田大也(アーティスティック・ディレクター)
私の勤めるアートセンターでは、作品保管は行わないが、活動の記録や動態保存といったアーカイブを充実させる取り組みを行っている。一般的に美術館と呼ばれる施設においては、来場者へ作品を見せるということの他に、保管は重要なミッションの一つであり、多くの美術館がそれなりの設備費をかけた保管庫を備えている。作品を未来に届ける使命は、人間の不完全性と関係がある。今ある作品の価値を現代において完全に把握するのは不可能だから、未来の人々へなるべく良い状態で保存し届けることで、将来その価値が拓く可能性を担保するという訳だ。きちんと保管されていなければ、ヴィンセント·ファン·ゴッホの「ひまわり」も伊藤若冲の「群鶏図」も現代には遺されていない。もし人間の知能が完璧であり、価値を余すところなく消費し尽くすことができたなら、作品を保管する必要は無かったのかもしれない。しかし歴史から伺えるのは、作品について同時代的指標から人類にとっての文化的価値を理解し尽くすというのは、かなり難しいことである。
ところで、あまり機会があるわけではないが、熟成寿司なるものを食べたことがある。魚を熟成させ寿司にする、というものだ。店の大将曰く、毎日ちょっとずつ味見をしながら、腐り始める直前まで熟成させて寿司ネタに用いることで、他で味わえないような美味しさを引きだしているとのことだ。1ヶ月近く熟成させたと言われ出されたネタは、新鮮な魚介類とは一線を画してねっとりとした舌触りで、うま味が高まりそれまで食べたことのない味わいであったことが印象深い。魚だけでなく肉についても「エイジング」と呼ばれる熟成方法が流行のようである。風を当てるドライエイジングや真空パック中で熟成させるウェットエイジングなど色々な方法があるようだ。
発酵や熟成と呼ばれる技法は、微生物や酵素の働きによって肉の質を変化させてうま味を高めるやり方であるが、肉からみれば時間が経過して腐る過程であり、人間にとって都合の良い部分を発酵や熟成と呼んでいる訳である。人間の進化の過程で大きくなった脳、そしてそれを保護する頭蓋骨が重たくなったことが先なのか、それとも結果的に脳を大きくせざるを得なくなったのか、どちらとも言えるだろうがとにかく、一日に1回以上食事をすることを前提とした内蔵の構造があり、それに従った生活サイクルが形成された。逆に言えば、人の体は一度の食事で数日活動できるようには出来ておらず、大きな獲物を獲得できた時や大量の作物を手に入れた時でも、それを胃の中に全て放り込むことはせず、何とか数日後の食事へと変換させる必要が出てきたのだ。
数日後まで食料を保存するというのは、冷蔵庫を持つ現代の日本では当たり前のことに感じるが、もし食料の保存ができないと想像するとそれなりに恐ろしい。また、穀物のように貯蔵が容易ではない食料を主食とする生活もちょっと想像が難しいかも知れない。例えば魚を主なカロリー源とする電気の無い孤島での生活は、安定的な漁が出来なければすぐに飢えてしまうだろう。食料を熟成させたり発酵させたりすることで保存することは、食べる時間を未来に先延ばしするという意味でタイムマシン的である。今手元にある食料を、タイムマシンに載せて未来に届ける行為とも言えないだろうか。
現代美術は同時代的に今を生きているアーティストが生み出している作品を取り扱うジャンルだ。歴史の検証を経て価値が確定した作品と異なり、もしかしたらただのゴミかも知れないし、もしかしたら未来の傑作かもしれない。そのことは現代のモノサシだけで測り切れるものでもない。故にタイムマシンに載せて未来へ届ける必要も出てくる。届けかたは一様ではないが、美術館以外の場所でも色んな形で試されるべきだろう。文化の発酵を標榜するcotも、その重要な一端を担う存在と言える。                 (2023.2.25)
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crydayz · 3 months ago
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【23:45】
走れば走るほど走れる
怒れば怒るほど自分が一番護りたいものが突き詰まる
苦しめば苦しむほど「あ、俺いま昔負ったツケを清算できてる」と錯覚できる。自分をクズと見下す習慣をぶち壊せる
いま、私を脅迫してくれる飢えた子供(妻)や父親的な存在(シャチョー)はいない
だから自分がそれになるしかない
絵や漫画やアニメやゲームやおもちゃと中途半端に向き合ったところで報いなどない
血反吐吐くほどひとつの何かに執着し生活破綻し兼ねないコスト払うことでようやく物作りの「意義」めいたものが自分の中で結実する
身に余る大荷物を背負い、それを身体を壊さず知的に持ち運び運用する方法を死ぬ気で考える(必要とあらばフォークリフト免許も無線免許も取る)
その過程で実際死にかけたとしても後悔はない
なぜならそこには既に前へ進もうとした決意があるんだから
「もうどうなってもいい、最期までやりきるんだ」という決意は必ず人の心を揺らす
これを複数名で共有できた時、アスリートはキラキラの向こう側を覗き観れる
あいつと同じことは一生できない
だが今の自分は3年前の自分が3回死んでも辿り着けない地平に立ってる
その前進にこそ価値があるし悦びがある
罪なきバカを戯れに憎んで踏み台にしろ
生きとし生けるもの誰も悪くないが身勝手にライバル オア敵扱いしてハイジャンプしろ
全ては己のエゴを研ぎ澄ますため
不細工ゴブリン枠の東アジア人としての矜持を美麗コーカソイド達に見せ付ける為(ここは国外出たことない日本人には意味わからんコンプ)
「変な生き物だ、だがとても強い」と支配者気取りの標準人類どもに認めさせるため! 日本国内で仲違いすんのやめろバカ
差別を差別とすら認識しない「美しい敵」は国外にウジャウジャいるぞ、持って生まれた基礎フレームの差に圧倒されてる場合じゃねぇ、エテゴリラとしての誇りを持て。凶器を隠し持つピエロになれ。我々は猿だ。プロブチギレヤー猿だ!
家畜人ヤプーを読め。戸川純の唄を聴け
ああ、アジアを丸出しにして臓腑全部晒して果てたい
これがアジアの純真ッ‼︎
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