#カメラ毎日
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anamon-book · 1 year ago
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カメラ毎日 1971年11月号 毎日新聞社 表紙写真=「wrap」鋤田正義
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pudknocker · 9 days ago
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ターミネーター2のT-1000 液体金属の滑らかな動き 精密な体の変形 無機質な歩行 これらは全てパンツ一丁で 格子柄に塗られたロバート・パトリックが 足にマメを作りながら 裸足で死ぬほど走らされた 映像から作られたことを知る 技術の進歩は だいたいこういう地獄から生まれている モーションキャプチャが存在しなかった1990年当時、T-1000の動きはカメラ2台で撮ったこの“グリッド人間”の映像を、アニメーターが手作業でロトスコープして再現していたらしい
Xユーザーの毎日映画トリビア🎙podcast 深めるシネマさん
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kyokocanary777 · 10 months ago
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横浜山手の末日聖徒イエス・キリスト教会 山手ワード前に、ピンクの花が咲いてました。
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夏頃の写真になりますが💦
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教会には、ピンクの花が似合うような気がします。カメラを構えた時、絵になるなぁと思うことが多かったです。
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例えばこの近くのカトリック山手教会には、春になると桜が咲いて、とってもきれいです。
この辺に住んでいた頃は、春になると毎年写真を撮っていました。
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そして、カトリック山手教会近くの代官坂辺にも桜がいっぱい咲いて、山手本通りの風景が華やかになります。
秋ならば、ピンクのコスモスと教会の風景も絵になるかも。
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秋といえば、銀杏並木も美しい。
少し歩いたところにある山下公園通りの銀杏並木の風景、今から楽しみにしています。
マリンタワーの近くですね。
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kyoto4 · 2 months ago
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20250525 あたらしいカメラ
毎月第四日曜日が手づくり市だけど、25日なので、天神さんの市とかぶることがたまにある。そのせいか、いつもよりすいている気がする。
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lica1023 · 1 year ago
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今年は本当に桜を撮ることも
花見的なことをすることも出来ずに
終わった。
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カメラを始めてから多分、はじめての
ことなんじゃなかと思う。
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毎日、なんとなく
日々に追われる感じがあって
気づくと1ヶ月が過ぎていく…
そんなことの繰り返しだ。
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2024.5.9
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winterain66 · 5 days ago
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25-7-18
労働。終業後、岡山駅で明日の切符を買う。今年の4月から精神障碍者保健福祉手帳でも100kmを越える乗車券に限って障がい者割引が適応されるので、助かる。 買い物をして一度帰宅して、明日の神戸行きの準備。荷造りを一通り終えて、行くかどうか迷ったけれど、結果的に、ながいひるのガザ支援のイベントへ出掛ける。日記の売上を寄付していたり、藤井さんのポストカードを預かったりする以上、やはり、行ける物なら行っておかねばならないと思ったので。到着すると店内はひとで溢れかえっていて、案内されたのは唯一空いていた一番前の席。50cmの距離でにないたさんの歌を聞いて、ジャーナリストの藤原さんの話を聞く。画面の向こうの情報だけでは伝わってこない、確かに実感や様々複雑な感情をともなった語りを目の前で聞くことができてよかった、というのも変だけれど、良かったと思う。改めて、遠くの私と関係のない出来事ではないと同時に、自分に何かができる、と思う事のナルシシズムを突きつけられた。実際に足を運ぶことはできないし、その目でみてきた人の前で、「何をすればよい?」という問いそのものが無力にすぎる。せめて目をそらし続けないでいること。二十一時過ぎに一旦休憩になって、さすがに体力的に限界で、そっと店を出て帰宅をした。恋人がすでに仕事��ら帰っていて、私が行く先も告げずに出掛けていたのでかなり心配をかけてしまった。心苦しい。 25-7-19 夜はうまく眠れず。中途覚醒が三回ほど。六時にセットしたアラームが鳴る前にはベッドから身を起こして、身支度をする。なにか大事なものを荷物に詰め忘れているような感覚が常に背中に張り付きながら、ソファで寝ていた恋人にいってきますと告げて、六時半過ぎに最寄り駅から電車に乗る。電車の中、特に何をするでもなくただ揺られていた。姫路駅で乗り換えて、九時過ぎに神戸駅着。コンビニでおにぎりと飲み物を購入。地下鉄に乗り換え、駒ヶ林で下車。商店街を抜けて、ふたば学舎へ到着。かつて学校だった建物、と聞いて思い浮かべていたイメージとは随分違うけれど、とても素敵な建築で、それだけでなにかとても嬉しくなる。
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自分のブースのスペースに辿り着き、おにぎりで腹ごしらえをしてから設営を始める。と、詩人の四塚さんが来てくださって、恐縮しながら挨拶をする。お菓子までいただいてしまった。こういう時にお返しになるものを用意していない自分の未熟さが恥ずかしい。始まる前にあちこちを探検しようと二階に上がろうとした階段にて、岡山で小説を書いている岡村さんに遭遇して挨拶をする。そうこうしているうちに、十一時を過ぎて、イベントがはじまった。3フロアに分散しているからか、ゆったりとした雰囲気で、立ち止まって詩と写真のカードを見てくださる人も多かった。こういうイベントの時には毎回、無料配布の詩と写真のカードを用意することが自分にとっての楽��みで、今回も気合を入れて数種類のカードを印刷会社に発注していたのだけれど、その甲斐はあった、と思う。本当は自宅のプリンターでする方がこだわれるし、経費も安く済むのだけれど。製本が間に合っていなかった日記本を糸綴じしながら接客をしつつ、気合を入れて今まで作ってきた本をすべて持ってきたのは失敗だったかもしれない、とかいろいろ考える。例えば、表紙だけ見ても何の本なのかわかりにくいだろう、手に取ってみていいものかどうか、お客としては迷う所だろうし。一通り製本を終えてからは、立ち止まってくださった方には少し声を掛ける方針に切り替えて、それによって何人かの方と印象的な会話をすることができて、嬉しかった。十五時過ぎ、お腹が空いてきて、昼食をとるついでに他のフロアを周る。2階の本屋のフロアは少し人が少ない印象、3階のzineメイン会場の講堂は流石に人が多く賑わっていた。四塚さんの詩集をもとめていったside Aエリアが中々見つけられなくて、迷った末に発見。詩集「スパーク」を購入。手作りのビーズの指輪をいただいて、うれしくて早速身につけた。昼食にピザとコーヒーを持って自分のブースに戻る。食べ終わってしばらくして、となりのブースの好青年がピザ片手に戻ってきたのが何か可笑しかった。ふらふらになりながら、終了時間の18時をむかえ、予定表に書かれていた交流会はどこで行われるのだろうとうろうろしていると二階の見本誌コーナーで風馬書店の三谷さんに遭遇。岡山で話せば良いだろうにとも思うのだけど、地元から離れたからこそか、何故か話が弾み、普段だとなかなか踏み込めない話をできた事が嬉しく思った。主催の沖さんにもお会いできた。満身創痍な様子で少し心配にもなったが、ありがたいことだと思う。誰もいなくなったので鍵を閉められてしまった多目的室の鍵を開けてもらって荷物を救出し、ホテルへ向かう。地下鉄に乗ったところで三谷さんから長田の美味しそうなお好み焼き屋の情報が送られてきた。もう少し電車に乗るのが遅ければ食べられたのに。残念。 ホテルについて、チェックイン。禁煙の部屋をとっていたはずが、オーバーブッキングで喫煙室しかないとのこと、ごねるのも面倒で、代わりの大浴場の入場券を素直に受け取って、客室へ。浴室でシャワーを浴びた瞬間にはふわっと父親の匂いが漂っていたものの、それ以外のスペースの臭いはそれほどでも無くて助かった。夕食をどこかに食べに行くつもりにしていたものの、その気力もなく、近くのスーパーでカップ麺を購入して食べる。恋人と電話で話す。普段は日常から外に出たいと思う事が多いのだけれど、今はそのいつもの生活が恋しい。
25-7-20
8時に起床。ポストカードを無料配布している旨の案内をスマホで作成して、ネットワークプリントに登録し、コンビニのプリンターで印刷。おにぎりと飲み物と差し入れ用にグミを購入。ふたば学舎へむかう。 四塚さんと三谷さんに差し入れのグミを渡して、偶然、あまりにふらふらしている沖さんを見つけたので自分用に買ったグミを差し入れした。肩にかけていたカメラを誉めてもらった。
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二日目、昨日に比べて熱のある来場者が多いような印象。写真のポストカードや靑生さんの絵を入り口にして、詩集を手にとってくださる方も多かった。あと、何度か「フィルムで撮っているんですよね」と声をかけてもらうことがあって、不思議な質問だと思った。その度に、「古いデジカメとかトイカメラです」と返すのだけれど、それも何か質問に対する回答として求められているものと違うような気がして、あの質問の意図ってなんなのでしょう、素朴な疑問。終盤に近づいて、周囲のブースの気になっていたzineを買わせてもらう。着ていた服を誉めてもらった。今の仕事をはじめてから決まった服装をすることに窮屈さを感じていて、最近今までと違った服装を試していることもありとても嬉しかった十五時になって、名残惜しく思いながら撤収。会場を出た後で、知り合った人々に挨拶をしておけばよかったとも思ったのだけれど、もう遅い。またどこかで会えるでしょう。
地下鉄に乗り込んで、神戸駅でロッカーに荷物を置いて、三宮へ。弟の進学に伴う引越しの手伝いで5~6年に数日滞在した頃の記憶と今現実の街並みが中々一致しなくって、知っている筈の場所に出会うまで少しの時間がかかったけれど、北野坂へ通じる道の角に位置するドトールとなか卯をみつけて、なんだか懐かしくなる。空腹だったので、なか卯で冷やしうどんをいただいてから、三宮センター街へ向かう。学生の頃に神戸に来るといつも辿っていた三宮から元町の古本屋巡りをしようと思って。あかつき書房、木目が印象的な看板も、何も変わらない佇まい。ステンドグラスなどを懐かしく思いながらアーケードを進み、記憶を頼りにセンタープラザの2階へ上がったところ、あったはずの古本屋は跡形もなく、ガチャガチャとアニメのショップになってしまっていた。少し寂しく思いながら、向かいのビルの5階のブックオフを冷かして、元町へむけて歩き出す。街並み、変わってしまっている所も多いのだろうけれど、私の記憶もだいぶおぼろげになってしまっていて、かえって懐かしい所ばかりが目につく。
商店街から少し離れて、今度はグーグルマップを頼りに1003へ。ビルの入り口の地面に1003と書かれたちいさな看板を見つけて、ああ、そうだ、こんな風だった、と思いながら階段を上がって、5階のドアを開くとあの時の空間がそのままに広くなったような店内。すさまじい数のリトルプレスやzineに圧倒されつつ、知っている作家の名前をみつけては嬉しくなった。本を買った後に店番の方と話していると、センタープラザ2階にあった古本屋は元町の商店街に移転しているらしいと教えてもらう。
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南京町を抜けて、途中、うみねこ堂書林の前を通ったがシャッターが下りていた。元町商店街に戻って、しばらく進むと、見覚えのある看板。清泉堂書店に辿り着く。学生の頃、「リルケ美術書簡」やロラン・バルトの書籍をみつけて嬉しくなって買いすぎてしまった記憶がよみがえる。気になる本を買って、満足したところで店を出たところ、店頭のワゴンによさげな「レ・ミゼラブル」をみつけてしまって、再びレジへ。
買った本で重たくなった両手をぶら下げて、商店街から少し外れて、小さな路地で「花森書林」を発見。こちらも���トンカ書店」だった頃に行こうとしたけれど、たしか当時はお休みされていた時��で叶わず、岡山でお世話になっているながいひるの店主の日記を通じてその後の経緯も聞いて、ようやく訪れることが出来たという思い。閉店時間の間際にお邪魔させてもらったので、ゆっくりとお店をみる事は叶わなかったのだけれど、なんだか懐かしい空間だった。今度はこの為だけに神戸に来たい、来ようという気持ちで、JR元町駅へ向かう。
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神戸駅で荷物を回収して、恋人へのお土産を買って帰りの電車で揺られながら、ふたばzineフェス主催の方の投稿を拝見する。SNS上でオープンになっているやり取りや現場の空気から私自身嫌な感じを薄々感じてはいたのだけれど、やはり色々とあった様子で、そういった事を表に出さないほうが賢明なのかもしれないけれど、それがもれでてしまうことは嫌じゃないなと思った。それはイベント中体感していた“場所と時間は用意した、ここをどう使うかはそれぞれにゆだねます”といった精神に通じるような気持ちよさで会ったのかもしれない。(こんなふうに適当に書けるのは外側の人間だからだろうけど)二十三時過ぎに家に到着。インスタント麺と冷凍食品で夕食を取って、シャワーを浴びて服薬、就寝。泥のように眠る。
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what-iam-today · 15 days ago
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夏休み頂いております。
2月ぶりのハワイです、こんにちは。
飛行機からの空は最高に美しく、
テンション爆上がりで写真撮ってました。
前の席の方とカメラ構えるタイミングが
毎回同じで親近感を勝手に感じてました。
なんだか嬉しかった。
数秒目を離しただけでも、表情が変わる空達。
美しすぎた、、、朝日。久しぶりにじっくり
と拝ませて頂きました。ありがとー朝日。
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diarytheroomoffuji · 1 month ago
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エモいってなんだ?
知らない言葉
英語も大してできないオヤジですけど、日本語も知らない言葉が随分増えました。日本へ行く用事はないけどさ、日本へ行くのが怖い(笑)
ネットのニュースで若い世代にフイルム写真やカメラが人気再燃だとか・・・実際はどうなのか??ですけどね。このような話題って企業案件も多いですし。このニュースも臭いですな~(笑)
20年くらい前だったかな?異国でもLomoやDianaの人気が出て出回った事がありました。私は子供の頃に使っていたショボいカメラのトラウマか?(笑)プラスティックレンズから脱却したい派だったから(世代的に)Lomo写真とかには惹かれませんでした。毎度ジジイってことだね(笑)
今ではフイルム写真ってお金かかるから、若い人達も大変だ。だから富士からなんちゃってハーフカメラとか出したんだろうけど、やっぱりデジタルとアナログって違うから、 ” なんちゃって ” は " なんちゃって "、エモさもなんちゃって。
本日の写真は、撮れるか撮れないか??のフイルム第1コマ目を子供に撮らせてあげた一枚。
懐かしい家
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kou-f · 3 months ago
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もう使わないかなと思って40mmF2.5を手放した。
売れるうちに売らないとね。
新しいレンズは暫くは要らないかな。
カメラは毎日通勤鞄に入れて持ち出してるけど、
そんなに撮りたいと思うものには出会わない。
まぁそんなものよね。
終末の運動会では久しぶりに望遠ズームを出してこないと。
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cctrain0722 · 1 year ago
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Xtrail&ATB1000で行く、青森サクラ旅!~前編 サクラまつり~
北海道でエゾヤマサクラを毎年撮っていますが、久しぶりに本州のサクラが見たいな…もしかしてXtrailにMTB積み込んで車中泊すれば、短い休みでも青森に行けるのでは? ということでXtrailを移動基地としたMTB探索旅へ行ってきました!
青森のサクラといえば、弘前城が思い浮かぶ… MTBでも入れるのか調べてみると、祭り期間中でもある時期のわずかな時間帯だけOKとのこと!
お花見客に気を付けながら、カメラとお団子セットを携えてまったりポタリング。
満開まであと少し…なコンディションでしたが、流石日本有数のサクラの聖地。規模が桁違い!圧倒的なサクラの世界に心打たれました。
はじめての地という事もあり、巡っているうちに制限の時間に…名残惜しい気持ちも胸に、さらなる青森MTB旅へ向かいました。
一枚目【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/500【F値】/1.8 二段目左【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/320【F値】/1.8 二段目中【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/320【F値】/1.8 二段目右【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/800【F値】/1.8 五枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/640【F値】/4 四段目左【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/125【F値】/4 四段目右【焦点距離】135mm【ISO】64【SS���1/200【F値】/1.8 八枚目【焦点距離】40mm【ISO】64【SS】1/800【F値】/2 九枚目【焦点距離】135mm【ISO】64【SS】1/1600【F値】/1.8
…春から夏にかけてアクティビティばっかりで、ちゃんと振り返りができていませんでした。 撮ったまま終えるのは勿体無い!写真を現像しながら思い出に浸ります。来年のサクラ時季がもう楽しみすぎる!
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anamon-book · 1 year ago
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カメラ毎日 1977年8月号 毎日新聞社 表紙写真=立木義浩 特集:「東京を撮る」荒木経惟、森山大道
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cosmicanger · 3 months ago
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カメラ毎日 1971年11月号 お中道 森山大道
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kennak · 1 year ago
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていま��ん。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年���希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん���天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運び��した。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているの��もしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
24 notes · View notes
sarahalainn · 2 years ago
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
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サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
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今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up
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海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄
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今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
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アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。
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Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇‍♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。
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1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
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2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典���んのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
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5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さ���とカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。
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7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
76 notes · View notes
hs999 · 1 year ago
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昨日を忠実に。
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昨日もいつもの光前寺。
いつ雨が降ってもおかしくないような曇り空の下、α7CⅡに50mm F1.4GMをつけてスナップ。
曇りだからなんとかNDなくてもいけた。
参道入口の仁王門潜ったらまず撮っちゃうんだよなぁ、この風景。
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あと玉ボケまみれの写真撮りたくてここも毎回。
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今日は曇りのおかげでシャドーのところが落ちないなぁ。
最近曇りも好きなんだよなぁ。
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しかし F1.4はこれだけ引いてもいい感じのボケ量。
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人も少ない今日は池の鯉もなんだか寂しげに見える。
せめて周りを映り込ませて華やかにしてあげようか。
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ここはいつも素通りするんだけど、光の当たり方が良くて雰囲気出てるから撮ろう。
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木の下の紫陽花。
光の当たり方とシャドーの落ち方がエモいなぁ。
蜘蛛の巣についた水滴もまたきれい。
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今日は曇りで、しかも時間も遅い。
暗くて明暗差がキツくないから独特の雰囲気があって好きだなぁ。
この感じを伝えるためにどう撮ろうかな?
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あれ?雨降ってきた…。
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さぁカメラをしまってダッシュで戻ろう。
参道出口はもうすぐ。
今日も楽しかった!
camera : SONY α7CⅡ
lens : FE 50mm F1.4 GM
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midare-482 · 7 months ago
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2024
今年もお疲れ様でした。
皆さんにとって2024はどんな年でしたか?
私は、
1月は初週からライブがあって、龍になってみたりして。わりとライブしてたね。
2月は大阪行った。名古屋行った。名古屋は人生初〜 味仙食べられなかったので味仙食べてみたい。また行くね。
3月はムラタ生誕やった。ムラタの誕生日2月なのに。毎回お祭りみたいで楽しいよね〜 来年なにやるのかな。
4月はアスミ生誕やった。アスミの誕生日11月なのに。この日のために黒黄衣装の白バージョン作ってたのすごい、スーパークリエイターだ。
5月は初めて野外でライブした、栃木で。広くて開放的だったね、ブロッコリーリフトされてたな。
6月は私の生誕やった。好きなアイドルさん達に出演してもらって、ブルマ履いてランウェイしてもらった。みんなカメラ構えててすごい光景だった、絶句。いい写真をありがとう。ファンのみんなもたくさん準備してくれて飾り付けもケーキもお花も嬉しかった。愛ってこういうことだな。あと家族からもフラスタ出てた。ちょっと恥ずかしかったけどありがとう。
あと北海道も行った。私北海道大好きご飯美味しい 待っててくれてる人もいて、また会いに行くよ。
7月はライブ少なかった。前半が全然なくて、後半はライブやりつつ、たるちゃんとカフェイベしたりした。深夜イベを除いたら初めてのカフェイベだったな、またやりたい。
8月は私の怒りがピークに達していて(暑さで)、記憶が薄いね。あ、深夜ライブした。人生2度目?深夜のトークイベはやるのに、深夜ライブは主催しない始発待ちアンダーグラウンド。来年はやりたいね。
9月は大阪行った。(2月ぶり、2回目)1年のうちで何度も来させてもらえるの嬉しいなって思ってる。ましてや味園ユニバース立たせてもらえて。嬉しかった。ありがたい。私大阪も大好き みんなおしゃべりいっぱいしてくれてお話好きの私はとっても嬉しい。
10月はデビュー2周年を迎えた。モナ・ミダレ2歳。正直まだ2年しか経ってないことに驚きではあるのだけど。そう思えるくらい濃い2年を過ごさせてもらってるんだなあと。
11月は修学旅行ぶりの沖縄。暑かった。6月に北海道行ったのに11月には沖縄ってすごい。始発待ちアンダーグラウンドになる前の私では考えられない移動距離と頻度。現地で待っててくれた人とも一緒についてきてくれた人ともたくさんの時間を共にできて楽しかった。行けてよかったな。
そしてワンマンライブ『IN THE BLACK』 を club asiaでやらせてもらった。平日だったけど、人がたくさんいて、遠方なのに駆けつけてくれた人がいて、嬉しさでいっぱいだった。ただ大満足かって言われたら、色んな意味でそんなことなくて。もっと頑張りたいなって思った。この日もファンのみんながたくさんの飾りやお花を準備してくれたりしてて、みんなのことが愛おしくなった。
12月は1日から山形に行かせてもらって、トークして、芋煮させてもらったりして。楽しかったなあ。珍しく自分から行��たいなって思ってライブに行ったりもしたよ。30日にはライブ納めして、無事年が越せそう。
今年も今日で終わりだね。大晦日。私は実家に帰る電車でこの文章書いてるよ。
みんなはどんな1年だった?楽しかった、思い出に残ったライブはある?なんてお決まりなことを聞いてしまうけど。
振り返った中に始発待ちアンダーグラウンドは、モナ・ミダレはいますか?
片隅にでもいてくれたらいいなと口では言いつつ、欲を言えばど真ん中にいてほしいと思うよ。
何となく年の瀬は寂しくなってしまったり、浮かれてしまったりするけど、まあただ時が過ぎて2024年が2025年に変わるだけなのでね。私は変わらず生きていきます。
どうぞこれからも末永く始発待ちアンダーグラウンドを、モナ・ミダレをよろしくお願いいたします。
私はファンのみんなが大好きだよ。
みんなが無事年を越せますように。また来年。
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