#ザ・お巡りさん-世界の警察直撃取材
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ザ・お巡りさん-世界の警察直撃取材 水野晴郎 渓声社出版 デザイン=武内隆
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いつも共感シアターを応援していただきありがとうございます! 毎週火曜日21時より生放送をしている「共感シアターナビ」では、"俺たち共感族!!“という視聴者の皆さまと戯れるコーナーがあります!視聴者の皆さまに「お題」を投げかけ、ご投稿いただいたお答えの中から抽選で10名の方の投稿をご紹介します。そして、その10名の中からさらに抽選で1名の方にどんな映画でも使える「ムビチケGIFT」をプレゼントします!そんな、3月1日のお題は「面白かった"2"(続編)映画」です。以下の投稿は抽選の結果、読み切れなかった方の投稿を掲載しています。他の方の投稿も気になりますよね、ぜひ、ご覧ください!
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きゃわぐちさん:『エクスペンダブルズ〝2〟』
皆さんこんばんは。先日��朝風呂をしていたら、給湯器のメーカーが「パロマ」だと気づいてほんのりテンションが上がった僕です。さて続編ですけども、これは先週の放送のときす��に思いついたのを書きます。ズバリ「エクスペンダブルズ〝2〟」!1作目の時点ですでに、レジェンドである〝3人のジョン〟、すなわちジョン・ランボー、ジョン・マクレーン、ジョン・メイトリックスが顔を合わせたのに、2ではそれが横一線で揃い踏み、銃をぶちかますんだから最高すぎる!しかも敵がヴァン・ダム!なんなんだもう!そしてこちら、ついに4作目の情報が解禁されつつありますね。新キャストとして「マッハ!」のトニー・ジャー、そして「ザ・イレド」の……いや、ここでは「スカイライン 奪還」の、と言うべきでしょうか、イコ・ウワイスも参戦!さらにアンディ・ガルシアまで登場するらしく、さらなる「続編」に期待が止まりません!
teppeiさん:『エクソシスト2』
お疲れ様です。いつも番組楽しみにしてます。『面白かった“2”(続編)映画』ですが、自分は、『エクソシスト2』です。自分は中学生の時に初めてこの映画をDVDで見て、あの超面白かった『エクソシスト』の続編がこんなつまらんクソ映画だったのかと衝撃を受けました。それから繰り返し繰り返し、この映画を見たら、なんと今では、面白い映画だと思うようになりました。モリコーネのメインスコアも耳から離れません。ただ、未だにどんなお話なのか、さっぱり理解できていませんし、人に説明もできませんし、周りで見たと言う人に出会った事がありません。隠れた名作『エクソシスト2』よろしくおねがいします。なお、大量の可愛いイナゴちゃんが出てきますので、虫が苦手な人や瀬田さんにはオススメできません。
randさん:『マトリックス・リローデッド』
私はあえて、マトリックス・リローデッドを挙げます。わけわからん、結局ネオは救世主じゃなかったの?、という感想があるのは承知していますが、でも大好きな作品です。メタ現実の哲学的な世界設定で、かつ同時にアクションをやりきる姿勢、その両立がかっこいいと思いました。高速道路のシーンなど、あれが実は仮想現実なんだというのを踏まえて見ると鳥肌が立ちます。そして一般論としての、三部作の二部目は好きなだけ、はっちゃけられる(伏線回収は後回しで良い��を体現していると思います。
REMさん:『機動警察パトレイバー2 the Movie』
「『2』映画」で思い出すのは、『エイリアン2』(原題ALIENS)公開時にリリースされた『エイリアンズ』(原題ALIEN2)だったりしますが、そんなプチ情報はおいといて。オススメしたいのは『機動警察パトレイバー2 the Movie』です。前作がレイバーのOSに仕掛けられた悪意を巡るテクノミステリーだったのに対し、今作は理想に燃える男がどこかで歪んでしまったテロリズムスリラーとなっています。そのテーマの違いゆえか、本作では(本来真ん中にいるはずの)レイバーの存在が邪魔に思えることさえあったりします。それはそれだけ緻密にリアルを追求した結果であり、素晴らしさを減ずるものではありません。題材上幾らでも萌えに出来るのに(実際OVAではそうしてる)敢えて擬似イベントを追求した本作は、押井守のひとつの到達点であると思います。まあ、とにかく面白いんですよ。中でも竹中直人がステキです。
NORI“アレックス”65tさん:『マッドマックス2』
僕が子供の頃は、映画の2作目はダメだというのが定番だった気がしますが、いつの間にか2作目も傑作という作品も増えましたね。その分、今回は何を取り上げれば良いのか悩みどころ。あと、007シリーズみたいだとPart2と言って良いのやら...そこで今回選んだのは、ベタですが、『マッドマックス2』1作目も大好きですが、2作目は違う次元に行きましたね。元警官と暴走族のガソリンを巡る抗争が、ほどんどコナン・ザ・グレートの世界に。僕があの世界に行ったら、瞬殺される自信がありますが、ただ見る分には魅力的です。出てくるキャラがみな濃くて、とにかく映像が素晴らしい。無駄なシーンがなく、98%は完璧。事故ったタンクローリーからこぼれ落ちたガソリンを布で吸わせてポリ容器に入れたり、襲って来た敵に向けたショットガンが実は弾切れだったり、車の底に爆弾が仕掛けてあったりと、ディテールの一つ一つがたまりません。数多くの後発の作品に影響を与えながら、未だにこれを越えるものは出て来ない特別な1作。
ぜんぞうさん:『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』
僕の『面白かった続編映画』は『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』です。ギレルモ・デル・トロ監督が、地獄生まれの乱暴で優しくて不器用な絶対無敵の哀愁深き赤鬼ヒーロー、ヘルボーイの活躍を描いた傑作続編映画です。前作で1作目が故に描ききれなかったであろう、メルヘンでファンタジックでバイオレントな世界観を思う存分に描ききり、ヘルボーイと愉快な仲間たち(ブチ切れ炎使いで恋人のリズ、半魚人エイブ、幽体離脱ブリキロボットヨハン等)の活躍、エルフの王子と王女の悲しき運命、クライマックスのスチームパンク魂が炸裂したゴールデン・アーミーと、デル・トロ印が盛り沢山!異形の怪物が故の悲しさ、種族を超えた愛、迫害された者の怒りも丁寧に描かれた普遍的な物語も胸に来ます。デル・トロの異形のものへの愛に満ちた『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』、お薦めです。
孔明(MOVIE TOUCH)さん:『トランスフォーマー/リベンジ』
個人的にトランスフォーマーの実写映画の大事なツボは「5歳の子供のブンドド(※人形遊び)をどこまで現実世界に落とし込めるか」だと思うのですが、本作はその点を1作目以上にしっかりやってくれたなと感じています。冒頭の上海やラストのエジプトの戦闘シーンでは前作以上にトランスフォーマー達が大量の乗り物や人をひっくり返し、建造物を破壊しながら大暴れ!その様はまさにブンドドそのもの。ロボットのおもちゃで遊ぶなら秘密基地が欲しいところですが、ちゃんと正義と悪側それぞれに秘密基地が登場するのも気が効いています。そしてロボットといえば合体!大スクリーンで見たデバステーター、ジェット・パワー・オプティマス ・プライムの合体シーンは圧巻で、何よりも日本のロボットアニメを意識したような細部に魂のこもった描写に感動しました。まさかハリウッド映画でグレート合体が見られる日が来るなんて...と涙を流したものです。またストーリー的にも王道の子供向け映画のノリを恥ずかしがらずに貫き、メガトロンに叱られるスタースクリームといった原作アニメの要素が増えるなど、「アニメを見た後の子供のごっこ遊び感」が増したのがとても気に入っています。
ゐーくらさん:『インシディアス2』
私の面白かった続編映画は『インシディアス2』です。死霊館ではウォーレン夫妻の旦那を演じたパトリック・ウィルソンですが、本シリーズでは襲われる家族のお父さん役で、これがとんでもなく頼りなく、ほとんど全部お前のせいじゃねえか!とさえ言いたくなります。さてこの続編の凄い所は何といっても脚本です。後半の怒涛の伏線回収、「あの時のアレはコレだったのか!」が1作目まで遡って行われる展開は、やっぱジェームズ・ワン上手いなあと唸らされました。それとどうしても言及したいのが、先週同時視聴した『来る』の続編の小説『ずうのめ人形』です。今度は「読むと4日後に人形が殺しに来る原稿」の話で、比嘉姉妹と野崎が再登場します。『リング』をはじめとするあらゆる呪いに関する研究、絶望するしかない展開、意外な真犯人、最後は『来る』のラストを凌駕する圧巻のクライマックスです。ある仕掛けから映像化が困難なので、ぜひ小説で読んでみてください!
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スパイク・リー監督・主演『ドゥ・ザ・ライト・シング』 (その1:物語の現場はどうなっていたか) 原題:Do The Right Thing 制作:アメリカ. 1989年. スパイク・リー監督自身が主役のムーキーを演じて1989年に制作した本作は、ほぼ完全に31年後の2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで起きた、「黒人男性拘束死事件」を再現した内容になっている。31年前の映画が現在を再現するのは通常ではありえない話だが、ここに本作の重要なポイントがある。
映画はパブリック・エネミーの”Fight The Power"をBGMに、ティナ役のロージー・ペレスがボクシング・グローブをつけて踊りまくるシーンからはじまる。"Fight The Power"は本作のために作られたヒップホップ曲で、文字通り権力(The power)と闘おうとアジるものだ。 また、歌詞の冒頭にある「Another summer」は、人種問題に関係する事件がしばしば夏に起こることに関連づけたものだ。1) BGMが終わり本編がはじまるとすぐに、街の「ウィ・ラブ・ラジオ」DJダディが、「Hot!」「最高気温は37℃」「溶けるヘアスプレーは止めておけ」などと繰り返すのも、人種問題の多くが真夏に繰り返されてきたからだろう。開始からの数分に込められたこうしたメッセージは、これから同種の問題が起こることを強く示唆するものだ。 映画の進行を詳細に記録した理由 本稿を書くにあたり、はじめは物語を簡略に記述しようとした。しかし、書き進めるうちに、スパイク・リー監督がこの映画に込めたメッセージを理解するには、作品に描かれた現場をで��るだけ詳しく知る必要があると思うようになった。 なぜなら、この映画の主人公は街の住民たちであり、その地域で暴動が起き一人の黒人が死に至る理由を理解するには、だれか一人の心情や行動を知るだけでは無理があると思ったからだ。本作に主人公がいないわけではない。スパイク・リー監督自身が演じるピザ配達員ムーキーが中心人物として重要な役回りを果たしている。殺害されるのは黒人ラジオ・ラヒームだ。彼を殺害したのは白人警官たちである。 しかし、暴動による人の死は、手の込んだ偽装殺人ではない。殺人の意図を持った犯人が暴動を偽装して目的人物を殺すのとは異なり、環境の変化が起点となって被害者が出る。その意味ではカミュの『異邦人』の世界に近い。主人公ムルソーは「太陽が眩しかったから」という理由でアラビア人を射殺した。 だが、『ドゥ・ザ・ライト・シング』に『異邦人』のような不条理さはない。黒人が死に至る背景には合理的な理由がある。ただし、その背景は文化や歴史のように深くて複雑だ。この不合理ではないが複雑な歴史的背景を少しでも理解するには、事件の発生にかかわる「環境の変化」、つまり刻々と変化する事件の現場を知る必要があると思った。 以上が、本稿で長々と映画の進行に沿って概要を書き留めた理由である。できるだけ現場を書き留めようとしたが、割愛した部分もある。それでも、かなり長い記述になった。 もし、すでに『ドゥ・ザ・ライト・シング』をご覧になった方は、以下の記述は読み飛ばしていただき「その2:事件の背景と本作に込めらたメッセージ」をご参照いただければ幸いである。 なお、文中で引用した会話の部分は括弧に入れ、原則として太字で示した。 はじまりを告げる真夏の微妙な平衡感覚 物語は黒人、イタリアン、ヒスパニック、コリアンなどが暮らす1989年当時のブルックリン、通称ベッドスタイを舞台に描かれる。 早朝のベッドスタイの一角に、白のリンカーン・コンチネンタルらしいクルマが横付けになる。サル親子が開店準備にやってきたのだ。店の前はゴミだらけだ。長男のピノが空き缶を蹴り上げる。彼らは街の外の人々だと思わせる。現在は治安も良くなったようだが、映画は当時のベッドスタイを、クーラーの修理にもパトカーの警備が必要な場所として描いている。背景に映る建物の外壁には "BED-STUY DO-OR-DIE" の壁画が見える。文字通り、当時のベッドスタイは生きる覚悟がいる場所だった。 映画の主人公はこの場所で生活するさまざまな人々だが、主にピザ屋「Sal's Famous Pizzeria」を経営するイタリア系アメリカ人のサルと息子二人、店の配達員ムーキー、大型ラジカ��で”Fight The Power"を響かせながら歩くラジオ・ラヒーム、ムーキーの友人でサルの店に通い詰めのバギン・アウト、どもりの路上写真売りスマイリー、市長というあだ名の酔っ払いダー・メイヤー らを中心に描かれる。 住民たちは「クソ暑い!」「ゴロツキ!」「平和を!」「酔っ払いじいさん!」「愛だって?」「ママなんか、くたばれ!」などと口汚い言葉を飛ばし合う。言い合いは日常茶飯事だ。ピザ屋ではピノとビト、ムーキーが口論をはじめる。長男のピノは、ムーキーと仲がいい弟のビトが気に食わない。ビトをムーキーの前でたしなめる。 「お前は、ビト・フランゴーネだ。ビト・モハメッドじゃねえ」 「モハメッドはよしてくれ」 「悪いか」 「オレはカゲキ派じゃねえ」 白人警官が乗ったパトカーがベッドスタイの街を巡回する。行き交う白人警官と黒人の目線が、互いの薄目に憎しみを込めて描かれる。目線で結ばれた映像がスローモーションで流れる。サングラスをした警官が「クソったれ」ともらす。イタリア系、アメリカ系、アフリカ系、そして韓国系それぞれのアメリカ人が互いを罵り合う日常。しかし、ときに警官は白人と黒人のケンカを仲裁し、新品のスニーカーを踏まれた黒人は、誤って踏んだ街の白人と、なんとか折り合いを付けて生きる様子も描かれている。 その微妙なバランスを象徴するのが、ラヒームの4本の指をつなぐ指輪だ。ラヒームは右手に ”LOVE”、左手に ”HATE"のナックルリングを嵌めている。ムーキーはピザの配達途中にラヒームの指輪を褒めたことでその意味を聞かされる。 「左拳の "HATE"、これが原因で人間は殺し合う。」 「右拳の "LOVE"、この5本の指が人の魂に触れる。」 続けてラヒームは、両方の拳はいつも戦い、最後は「愛の右手のKO勝ち!」と右手を振り上げる。そして、「ムーキー、おれはお前を愛している」と言って話を終える。ラヒームのTシャツには "BED-STUY DO-OR-DIE" の文字が見える。ラヒームは真夏の陽炎に揺れながらも炎上に耐えるベッドスタイの象徴のようだ。 平衡を揺さぶる生活の疲れ 街並みを背景に、DJダディがミュージシャンの名前を読み上げる。ブルックリン出身のラッパー、ダディ・ケイン、R&Bのルーサー・ヴァンドロス、戦後ブルックリンでも活躍したジャズピアニスト、セロニアス・モンク・・・読み上げられる名前の数は60を下らない。DJは「あんたたちのおかげで、我々は毎日の暮らしに耐えている」と語りかける。偉大なミュージシャンへのリスペクトが街の人々をクールダウンに誘う。 ピザ屋でサルが長男のピノに「おれは疲れた」と漏らすシーンがある。ピノは店を売り払って引っ越そう、黒人はイヤだ、ここは猿の惑星だ。友達が笑うんだと言う。 しかしサルは、おれはここで25年やってきた。なぜそんなに憎む、おれはビザを食べた子供らが大人になるのを見てきた。お前の友達は食わしてくれるか、家賃を払ってくれるか、本当の友達がお前を笑うか、この窓から子供たちが育っていくのを見てきた、俺はそれを誇りに思うと諭す。二人が語り合うピザ屋の通り向こうには、コリアン系アメリカ人夫婦が営む雑貨店が見える。 話が終わりかけたころ、ガラス窓の向こうから写真売りのスマイリーが、キング牧師とマルコムXの写真を買ってくれと言い寄ってくる。穏健な改革派だったキング牧師、暴力は時に改革につながるというマルコムX、その二人が手を取る写真が「正しいこと」の立ち位置の難しさを象徴している。 サルは、スマイリーに向かって「働け! 仕事を探せ、消えやがれ!」と罵るピノを制し、スマイリーに2ドルを渡しその場を取り持つ。開店直後にもサルは息子らの反感のなかで、掃除を申し出たメイヤーにお金を渡していた。店が破壊された翌朝にも、サルはムーキーに、投げつけるようにだが給料を渡す。サルはこの街で唯一、お金を提供する側の人物として描かれている。だが、登場人物の多くは無職だ。 出口のない「正しいこと」 この街の人々はみなピザ屋の常連客だ。バギンは日に三回もサルの店にやってくる。しかし、「月賦で支払うか?」とからかわれたバギンはサルと言い争いをはじめる。 「壁の写真に黒人がいない、白人だらけだ」 「黒人の写真なら自分の部屋に飾れ。オレの店にはイタリア系の写真を貼る」 「客は黒人だけだ。黒人から金を取っているくせに!」 こうして罵り合ったあげく、バギンは「こんな店、ボイコットだ!」と叫んで店を出る。このときはムーキーが「お前はイカレたのか? オレが迷惑だ。」とバギンに不快感を示す。ムーキーは「黒人でいろ」というバギンの声を背に店に戻るが、サルには「二度とバギンを店に入れるな」と言われる。ムーキーはいう。 「ここは自由の国だ」 「自由だと? 自由などない、ここはオレの店だ」 サルになじられたムーキーは諦め顔で配達に向かう。その道すがら、通りでメイヤーに呼び止められ「正しいことをしろ」と声を掛けられる。アパートの階段ではスマイリーに出会い、「給料もらったら、写真を買うよ」と約束する。ムーキーの正しさは自由の行使と抑圧に挟まれたままだ。 愛と憎しみはいつも同居して戦っているというラヒーム。黒人の写真がないことに腹を立て、サルの店のボイコットに動くバギン。キング牧師とマルコムXの写真をアピールするスマイリー、黒人でいろというバギン。正しいことをしろというメイヤー。働いた分の金は渡すが自由はないというサル。この街は猿の惑星だ、街を出ようというピノ。黒人ミュージシャンを敬愛するDJダディ。そして、働く気も乏しく、働き口があったとしても収入はわずかだ。 さまざまな事情と生活の疲れに覆われた真夏の黒人街・・・こうして、陽炎に揺れるベッドスタイの街に、事件への伏線が張られていく。ここまでが『ドゥ・ザ・ライト・シング』の前半��ある。 平衡点をさまよう人々の熱気 ボイコットを決意したバギンは街の仲間を誘う。しかし、「なんでだ、サルが何をした? あのウマいピザをか? 頭がイカレタか、ノーだ!」「わたしたち、あのピザで育ったの」と、誰も取り合おうとしない。ムーキーにも「バカなマネはよしな」と窘められる。妹のジェイドにも、「くだらない、別のことにエネルギーを使ったら! 街のためになることをやって」と言われる始末だ。バギンの不満もまた、出口を求めてさまよいはじめる。 一方で、サルの店ではムーキーが「お前は給料に見合った働きをしていない。このままじゃクビだ」とサルから罵声をあびせられる。妹のジェイドと店で食事をしようとしていた気持ちを挫かれたムーキーは、ジェイドに妙に親切なサルに下心を感じとる。ムーキーはジェイドを店から連れ出し忠告するが、すぐに反論に会う。 「二度と店にくるな、サルはお前とヤリたがっている」 「いらぬお世話よ、私は大人。家賃も払えない兄貴のくせに!」 「いいかげんに独り立ちして!」 言い争う二人の後ろの壁には、"TAWANA TOLD THE TRUTH(タワナは真実を語った)"の落書きがある。タワナ(タワナ・ブロウリー)は本作が制作される二年前、警官を含む6人の白人男性に輪姦されたと告発した黒人女性の名前だ。だが、その後陪審院は申し立ては虚偽だと結論づけた事件として知られている。 この落書きはムーキーの気持ちにも、サルの潔白を表すようにも見え、人々の平衡が崩れはじめたことを暗示するかのようだ。ここを乗り切れば陽は陰っていく。だが、こうしてベッドスタイの午後はさらに熱を帯びていく。 このあと、配達先のティナのアパートでじゃれ合う恋人のティナとムーキーの姿は、街と人々の熱気の行方を巧みに表現している。抱きたくてたまらないというムーキーに、ティナは「暑い日にセックスはイヤ! ここは37℃あるのよ」という。それでも服を脱がせるムーキー。だが、ムーキーは冷蔵庫から氷を取ると、裸のティナに氷を滑らせてティナの身体を冷やすのだ。ここにDJの「愛する二人に冷風を届けよう」の声とともに、スローな曲が被さる。愛こそが過剰な熱気を冷やすと思わせる描写だ。 ボイコットが街と人の平衡を破る 街には、サルが気に食わない者もいる。黒人の写真がないことに不満を漏らすバギンと、ラジオの音に文句を言われたラヒームの二人だ。 夜になり二人が出会う。「あいつは、ドン・コルレオーネ気取りだ。キザったタレ目のシルベスター・スタローン。ボイコットだ!」「賛成だね。その通りだ。兄弟!」と、バギンとラヒームは意気投合する。スマイリーが通りかかり「ま、ま、まま・・・マルコムX」とからむ。キング牧師ではなくマルコムXなのは、穏健が暴力へと転じたことの暗示だろう。こうして、まず三人が真夏の平衡点を超えていく。 サルの店は閉店時刻を迎え、給料が渡されようとしていた。そのとき、常連の若者たちが店を訪れる。サルはいったん閉めた店を、ピザ4切れまでだと客を通す。給料を手にアパートに帰り、ティナとのセックスを楽しみにしていたムーキーは落胆する。���こへ、ラジオで “Fight The Power" を鳴らしながらラヒーム、バギン、スマイリーの三人がやってくる。 「音を切れ!」 「写真を掛けろ!」 「ジャングル音楽を切れ!」 「バカヤロー!」 「閉店だ、出て行け!」 「くたばれ!」 「イタリア野郎!」 あらん限りの罵声が飛び交うなか、ついにサルが護身用のバッドを握り締める。ムーキーが叫ぶ。 「サル! バットはよせ!」 「黒のチンポ吸い! くたばれ!」 その瞬間、サルのバットがラジオ目掛けて振り下ろされる。熱気はついに平衡点を超えた。爆発だ。カウンター越しにラヒームがサルに襲いかかり、居合わせた者たちの乱闘が始まる。サルとラヒームは縺れ合ったまま通りに転がり出る。 警棒で首を絞められ窒息死するラヒーム 間も無くパトカーで駆けつけた警官たちが二人を分けに入る。バギンは手錠を掛けられ、パトカーに押し込まれる。一方では、三人の警官がラヒームを羽交い締めにしてサルから引き離す。だが、警官たちは背後からラヒームの首を警棒で絞め上げたたまま緩めようとしない。 「放せ! 死んじまう!」 「やりすぎだ!」 もがきながら警官の腕を振り解こうとするラヒームの左拳に、 "HATE" のナックルリングが光る。ラヒームの足は宙に浮いたままだ。悲鳴が上がる。 「ラヒーム! ノー!」 警察に首を吊るされたラヒームの動きが止まる。息絶えたラヒームの右手に "LOVE" のリングが見える。人々が口々に怒りの声を上げはじめる。 「殺人だ。あいつらまた、黒人を殺しやがった!」 「黒人の街で、黒人が殺された」 「黒人を皆殺しにする気か?」 「もうガマンできねえ」 「ポリ公ななんか、おっ死ね」 残骸とゴミが散乱するベッドスタイの夜の街から、ラジオ・ラヒームの巨体を乗せたパトカーが走り去る。 ピザ屋に投げられた憎しみのゴミ缶 警官が去った店の前で茫然と立ち尽くすムーキー、サル、ビト、ピノ。そこへ群衆が詰め寄る。抗議の声が上がる。ラヒームの死への怒りがサルらへと向けられたのだ。一触即発の状況だ。 「ここまでにして帰れ、後悔することになるぞ」 「サル父子に責任はない」 メイヤーが懸命にとりなすが収まらない。サルらに向けて人々が叫ぶ。 「また黒人を殺しやがった」 「お前らをぶち込んでやる」 「ラジオがいけないのか」 「それで殺されたのか?」 「"写真をかけろ"と言ったから?」 その喧騒のなかサルらの表情を見入りながら、もう限界だというように頭を抱えるムーキーの姿があった。両手で顔を覆い祈るような表情を見せたあと、ムーキーはゴミ缶に向かって歩き、ゆっくりとゴミ缶を手にする。両手にゴミ缶を抱えたムーキーが店に歩み寄る。そして、 「憎しみだ!」 の叫び声とともに、ムーキーは店の���窓目掛けてゴミ缶を投げつけた。 「ガシャーン!!」 崩れ落ちるガラス。この瞬間を境に、破壊、叫び、暴力、悲鳴へが爆発する。人々が店になだれ込み、椅子、テーブル、食材、店のすべてが破壊し尽くされ、レジからは金貨が盗まれる。「何てことしやがる」「オレの店に手を出すな!」とサルが叫ぶが、破壊行為は止まらない。 怒声と破壊音が飛び交う混乱のなか、おろおろとスマイリーが店に火を放つ。燃え上がるサルの店。壁に飾られた白人たちの写真フレームが割れ、写真が燃えていく。冷静だったはずの住民も拳を振り上げ、「燃やせ! 燃やせ!」と叫び声を上げる。 やがて、群衆の一部が次はお前らだと、サルの店の向かいにあるコリアン雑貨店に向かう。しかし、「俺、白人。違う、オレ黒人。みんなと同じだ」という店主の窮余の叫びが笑いを誘い難を逃れる。その様子を茫然とながめる、イタリア系のビト、ピノ、サル。 パトカーと消防車が駆けつける。警官が家に帰れというと、ムーキーは「ここが家だ!」と叫ぶ。警官に捕まりそうな群衆の一人が、「放せ、アラバマのバーミンガムじゃねえぞ」と抗議の声を上げる。消防の高圧放水を浴びた黒人の住民たちが、次々と吹き飛ばされる。 この情景は、かつて公民権運動の中心となったバーミングハムでの運動家と警官の衝突になぞらえたものだろう。2) このときも子どもや聴衆に向けて激しい放水が行われた。「やめて! やめて!」と叫ぶ住民をメイヤーが抱きしめる。そのそばには、道路に座り込むムーキーの姿があった。燃え盛る炎に ��Fight the power!(権力と戦おう)」とナレーションが被さる。微笑みを浮かべたスマイリーが、焼け残った壁に売り物のキング牧師とマルコムXの写真をピン留めする。 翌朝に訪れる「涼しい」日常 ベッドスタイの街に翌朝が訪れ、DJダディの ”愛の言葉” が流れる。 「こちらは、"ウィ・ラブ・ラジオ"局」 「しゃべってるオレは"愛のダディ"」 「君らは仲良く暮らして行きたくないのか?」 「まぎれもない真実だよ、ルース」 そして、ラジオから「今日も猛暑だ! 起きろ」の音声が流れる。ティナの部屋の同じベッドで目を覚ますムーキーに、「父親らしくして」とティナが文句をいう。別のアパートの一室ではメイヤーが「街は無事だったか」と尋ね、「私たちもね」と答える声がする。 給料をもらいにアパートを出たムーキーが、丸焼けになった店跡で力なくたたずむサルの元へと歩みを進める。 「何だ」 「給料を払ってくれ」 「クビだ」 「ラヒームが死んだんだぜ」 「知ってる。あの野郎がボイコットを叫び。お前は黙って見てた」 「ラヒームが殺されるのもね。店には保険が下りるさ」 「これは金の問題じゃない」 「オレがこの腕で作り上げた店だ!」 「給料は給料だろ? 払ってくれ」 週給の250ドルを要求するムーキーにサルは、罵りながら100ドル紙幣を丸めては500ドルを投げつける。2枚を投げつけて返すムーキー。だが、最後にムーキーは地面に落ちた200ドルを手に子どものいるアパートに帰って行く。 ラジオからニューヨーク市長の談話を伝えるDJの音声が流れる。昨晩の騒動に関するものだ。 「原因を調査し、同様の事件の発生防止に全力を注ぐ」 「市長の我々の市長(メイヤー)からビールをおごらせよう」 「選挙が近づいているよ。選挙名簿に早く登録を」 「暑さは当分続くよ。今日の言葉は"涼しさ"」 「"涼しさ"だよ」 「愛のダディが補償する真実だよ」 「では、我らの兄弟ラヒームにこの曲をーーー」 カメラが捉える風景は焼け落ちたサルの店から、通りを歩むムーキーの姿へ、そしてゴミが散乱したままの通りを横切る白人の夫人と紳士を捉え、遠景に"BED-STY DO-OR-DIE"と記された壁面を映し出す。 このあと、穏健な改革を目指したキング牧師と、暴力は時に改革のために必要だとするマルコムXの言葉が流れ、最後に「(本作を)無意味に警官に殺された6人の黒人の家族に捧げる」との字幕が映されて映画は終わる。その筆頭に掲げられたEleanor Bumpursの殺害事件について、Wikipediaには次のように書かれている。3)
1984年10月29日、ニューヨーク市警によるエレノア・バンパーズ銃撃事件が発生した。ニューヨーク市警は市の命令を受け、ブロンクスの公営住宅からの立ち退きを執行しようとしていた。バンパーズは高齢者であるうえに、障害のあるアフリカ系アメリカ人だった。警察の援助を要請する際、住宅局の職員は、バンパーズが感情的に乱れていたこと、沸騰した煮汁を投げると脅したこと、立ち退きに抵抗してナイフを使用していたことを警察に伝えた。バンパーズがドアを開けるのを拒否したことで、警察が押し入る格闘のなか、警官の一人が警官ンパーズに発砲した12ゲージのショットガン2発が致命傷になった。 この銃撃事件は、1980年代のニューヨークで人種的緊張を煽ったいくつかの黒人の死亡事件の一つで、障害者や感情的に不安定な人への対応のまずさにより、警察内部に変化をもたらした。バンパーズを撃ったスティーブン・サリバン巡査は、第二級過失致死罪で起訴されたが、最終的には無罪となった。バンパーズの家族は市を1000万ドルの損害賠償を求めて訴え、20万ドルで和解した。
他の5人はいずれも黒人で、このうち4人は警官による発砲、あるいは逮捕後の暴力による犠牲者である。Michael Griffithは白人の暴徒により殺された。Edmund Perryは17歳の少年だった。 (その2:事件の背景と本作に込められたメッセージ)
1)例えば、1919年の夏から初秋にかけて発生した人種暴動事件を指す「赤い夏」や、1965年8月にかけてアメリカ合衆国のワッツ市(現在はロサンゼルス市に吸収)で発生した暴動事件など。 2)Wikipedia「バーミングハム運動」 https://ja.wikipedia.org/wiki/バーミングハム運動 3)Wikipedia「エレノア・バンパーズ銃撃事件」 https://en.wikipedia.org/wiki/Shooting_of_Eleanor_Bumpurs
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メンバーや関係者の証言で綴る、ジョイ・ディヴィジョン結成秘話
Rolling Stone |2019/06/16 17:00
Bowdon Vale Youth Clubで演奏するバーナード・サムナーとイアン・カーティス1979年 イギリス(Martin O’Neill/Redferns/Getty Images)
全ての画像を見る ジョン・サヴェージが新たに発表したジョイ・ディヴィジョンのオーラル・ヒストリー本、『This Searing Light, The Sun and Everything Else』の一部を抜粋掲載する。バンドの起源からセックス・ピストルズの伝説のライブまで、ピータ・フックやバーナード・サムナー等がその歴史を振り返る。
ジョイ・ディヴィジョンについての物語は幾度となく語られてきたが、その内容はあまりに奇妙で信憑性に欠ける感さえある。パンクの歴史本の決定版とされる『England’s Dreaming』で知られるジョン・サヴェージは、1970年代からバンドを追い続けた人物の1人だが、彼が新たに発表する『This Searing Light, The Sun and Everything Else』では、これまでとは異なる切り口でバンドの歴史を描いている。バンドのメンバーのみならず、その仲間や敵、関係者たちの証言を収めた本書は、ロック史上最も謎めいたバンドのひとつであるジョイ・ディヴィジョンの真実に肉薄するオーラル・ヒストリー本だ。同書でサヴェージは、ジョイ・ディヴィジョン結成直後の日々について深く掘り下げている。マンチェスターから世界に羽ばたこうとした悪ガキたちが、ボウイに憧れるフロントマンのイアン・カーティスと共に描いたはずの夢は、バンドにとって初のアメリカ公演前夜にもたらされたシンガーの死という知らせと共に砕け散った。同書からの抜粋となる本記事では、当時ワルシャワと名乗っていた(ほどなくしてジョイ・ディヴィジョンに改名する)みすぼらしい4人組が初ライブを行うまでの経緯を描いている。セックス・ピストルズと名乗る若手バンドが彼らの街にやってきた時、彼らだけでなく、マンチェスターに生きる全てのバンドマンの人生は一変した。才能の有無にかかわらず、そのライブを目撃した人間はもれなくバンドを結成することとなった。? Rob Sheffield (Rolling Stone)
ピーター・フック(ジョイ・ディヴィジョンのベーシスト): 当時俺は市役所に勤めてた。その仕事が向いてないことは自覚してたから、勤務中に気を紛らわせるためのものをたくさん持ち込んでた。その大半は本だったんだけど、俺は音楽雑誌を隅々まで読んでたから、新しいのが出る水曜の朝を毎週楽しみにしてた。ヘヴィメタルのバンドばかり追っかけてた俺にとって、セックス・ピストルズは突拍子もない存在としか言いようがなかった。
とにかく奇妙で、もはや異文化だった。がさつなところにすごく共感を覚えて、俺は即ハマった。昔ツレの2?3人と一緒に、俺のMark 10 Jag 420Gでデヴォンまで出かけて、3週間くらい車中生活をしたことがあった。朝になると車から這い出て、朝飯と体を洗えるところを求めて周囲を彷徨い歩いた。
その時、偶然目にとまったMelody Maker誌を退屈しのぎのつもりで買った。表紙はセックス・ピストルズで、ジョニー・ロットンが客と喧嘩してる写真だった。興味を持った俺は、それを他の奴らにも見せてやった。仕事に戻ったある日、面白そ��なイベントを探してEvening Newsのクラシファイド欄に目を通してた俺は、「セックス・ピストルズ Lesser Free Trade Hall チケット50ペンス」っていう広告を見つけた。
俺はバーナード・サムナーとテリー・メイソンを誘って、3人でそのライブに行くこと��なった。50ペンスのチケットは今でも持ってるよ。それはもうひどい内容で、まるで車の衝突事故を目撃したかのようだった。あんなライブはそれまでに経験したことがなかった。ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを含め、俺は無数のバンドのショーに足を運んでたけど、あんなにもカオティックで刺激と怒りに満ちたライブは初めてだった。彼らを観てると、何もかもぶっ壊したくなる衝動が湧いてくるのを感じた。ひどいライブだったけど、ばかげたことに俺はこう感じたんだ。これなら俺にもできるかもしれない、ってね。
ピート・シェリー(バズコックスのフロントマン): そこにいたのは全部で42人か43人だったと思う。その数字には俺とハワード、それにピストルズのメンバーも含まれてたかもしれない。俺はキャッシャーをやってて、受付で客の相手をしてた。俺もハワードも、マンチェスターには何のツテもなかった。俺たちはシーンの一部でもなかったし、遊び仲間も数えるほどしかいなかった。俺たちにとってあの街は、単なる大都市でしかなかったんだ。会場にはいろんなやつらが来たけど、誰もがよその世界の住人みたいに見えたし、それは向こうにしても同じだったと思う。人が少なかった上に、イベント自体がなんとなくそういう雰囲気だったこともあって、終演後には客同士の間で自然に会話が生まれてた。「やぁ、君はあのイベントにも来てたよね」みたいな感じでさ。ああいう形で交流が生まれるのは、当時じゃ極めて珍しいことだった。イエスみたいなバンドやポップに興味がないやつらは、みんな肩身の狭い思いをしてたからな。
バーナード・サムナー(ジョイ・デヴィジョンのギタリスト): セックス・ピストルズの伝説めいたFree Trade Hallでのライブ、俺たちはあの場にいたんだ。演奏自体は大したことなかったんだけど、「俺も彼らみたいになりたい」と思わせてくれるライブだった。テクニックがなくてもバンドはやれる、そう気付いたんだ。ミュージシャンは誰もが崇めるような存在でなくちゃいけないっていうポップスター神話を、彼らは木っ端微塵に破壊した。一緒に行った友達にはこう言われたよ。「何てこった、あの程度のギターならお前にだって弾けるぜ」
70年代の音楽はテクニックこそすべてって感じだった。リック・ウェイクマンのソロなんて、1秒間のうちに1000音くらい出してた。アメリカ西海岸のプログレバンドの大半は生ぬるくて女々しかったけど、ミュージシャンは神様のように崇められる存在で、リスナーは彼らの前にひれ伏してた。「なんてテクニックだ、すげぇ」みたいな、ジャズに似たメンタリティだったんだ。でもセックス・ピストルズのライブが始まった瞬間、これはまったくの別物だって悟った。「テクニックなんてくだらねぇ、3コードさえ知ってりゃバンドはできる」そう宣言してるみたいだった。コードを3つ覚えて曲を書いたらバンドを始める、そういうことなんだよ。
その後、俺とフッキーはその通りにした。俺はギターの教則本を、やつはベースの本を買った。俺たちは楽器を持って、アーウェ���川を渡ってすぐのところにあった祖母の家に行った。アンプは持ってなかったから、祖母が持ってた40年代の蓄音機の針を外して、そこにギターとベースのアウトプットを無理やり繋いだ。古い蓄音機だったけど、いい音だったよ。俺たちは文無しだったから、他に使えるものもなかったしな。それから俺たちは、2人で曲を書き始めたんだ。
ピーター・フック: その夜のうちに、俺たちはバンドを組んだ。「バンドやろうぜ」の一言で始まったけど、その後の道のりは楽じゃなかった。バーナードは以前に母親からギターを買ってもらってたから、それを使うことにした。ジョイ・ディヴィジョンにおけるテリーの役割は決まっていなくて、ヴォーカルだったりギタリストだったりドラマーだったり、かと思えばマネージャーや照明係、ローディーだったこともあった。俺はピカデリーにあるMazel’sに行って、こういう感じのベースが欲しいって伝えた。俺の希望に見合うのはひとつしかなくて、35ポンドのSGのコピーだった。母親から金を借りないといけなかったけど、後でちゃんと返したよ。それが俺たちのバンドの始まりさ。
サンプル Bowdon Vale Youth Clubに出演時のピーター・フック、イアン・カーティス、バーナード・サムナー 1979年 Photo credit: Martin O’Neill/Redferns/Getty Images
テリー・メイソン(ジョイ・ディヴィジョンのツアーマネージャー): 俺がやつらを無理やり連れて行ったんだ。当時はフッキーもバーニーも音楽雑誌を読んでなかったし、(ジョン・)ピールの番組も聴いてなかった。2人とも彼女がいたし、日常に特に不満は持ってなかったはずさ。そんな状況が突如一変したわけだ。それまでバンドっていうのは敷居が高くて、人生の大部分を費やさないといけなかったのに対して、パンクに必要だったのはアティテュードと、ほんの少しのコードだけだった。ものすごいスピードと爆音で弾いてりゃ、ミスっても誰も気づかないからな。
バーナード・サムナー: テリーはギャングの一味みたいなもんだった。すごくエキセントリックなやつでね。セックス・ピストルズのことを俺たちに教えてくれたのもあいつだった。メンバーがステージ上で喧嘩するっていうのをNMEで読んで、俺たちに声をかけてきたんだ。「このバンドを観に行こうぜ。ステージ上でメンバーたちが殴り合うらしいんだ、笑えるかもよ」
Iain Gray(証言者): 俺はボウイとヴェルヴェッツ、それにイギー・ポップとも話したことがあったけど、特に刺激を受けたりはしなかった。でもセックス・ピストルズを見た時は、かつてないカタルシスを感じた。「これなら俺にもできる」そう思ったんだよ。イアンもそこにいたのを覚えてる。フッキーとバーニーもね。やつらはミック・ハックネルもいたって言ってるけど、チャーリー・ドレイクそっくりのあの顔を俺が見落とすはずがないんだ。俺は当時、ウィゼンショウ出身のラムってバンドにいたんだ。絶対成功できるって思ってたけど、現実はそう甘くなかった。それで俺はバンドを抜けたんだ。
Alan Hempsall: 当日のショーは早めで、7時30分開演ってことになってた。会場はFree Trade Hallっていうコンサートホールだったから、普通のクラブみたいにはいかなかったんだ。その日の昼にVirgin Recordsに行ったんだけど、店内には古いNMEのページをコピーしたやつが積んであった。喧嘩騒ぎになったナッシュヴィルでのライブについての記事で、客にパンチを浴びせたジョニー・ロットンは気狂いだって書かれてた。チケットはたった50ペンスだったし、俺たちは興味津々で遊びに行った。会場に着いてバンドの出演時間を知った時はびっくりしたけどね。当時俺は15歳で、帰宅したのは22時半?23時頃だった。
前座はSolsticeっていうヒッピーのバンドだったんだけど、マウンテンのナンタケット・スレイライドのカヴァーを演ってて、嫌な予感がし始めてた。でもセックス・ピストルズがステージに出てきた時、その見た目だけで前座のやつらとは完全に別物だって悟った。俺の隣には男友達が座ってて、そいつはあろうことかセックス・ピストルズって名乗ってたんだけど、バンドが登場するやいなやステージにむかってこう言った。「あーあ、あんたあんまセクシーじゃないね」ジョニー・ロットンはすぐさま反応して、そいつを睨みつけてこう言った。「だから何だ?セックスしてぇのか?」すると俺の友達はこう返した。「50ペンスでそこまでしてくれるとは思わなかったな」
演奏が始まると、やつらが腕利きのミュージシャンだってことがはっきりした。噂を信じるもんじゃないぜ、セックス・ピストルズの連中は楽器が弾ける。かなりの腕前さ。客は45人くらいで、50人以上ってことは絶対になかった。ボウイのクローンみたいなやつらやヒッピーが多くて、すぐ仲間意識を覚えたよ。アンコール前にバンドがチューニングやら何やらで準備してた数分間、最前列にいた俺たちはジョニー・ロットンと話すことができたんだ。
Paul Morley (NME記者): ずっと閉じこもってたベッドルームから思い切って飛び出した音楽ジャンキーたち、彼らのことを僕はそう認識してる。ポップグループの一員になるっていうのは、社会不適合者の彼らが他人と接するための唯一の手段だったんだ。マンチェスターの面白いところは、中心地っていうのが存在しないところだ。そこにいる人々の大半は、ストックポートとかチョーリー、オールダム、マックルズフィールド、サルフォード、そういう周辺の町から来ていた。そのせいか、街には小さな集落みたいな雰囲気があった。
初めてライブを観た時のことはよく覚えてるよ。客はあまりいなかったけど、本当に衝撃的だった。未知の何かを突きつけられて困惑し、誰もが言葉を失っていた。もちろん、当時の映像を今観てもそんな風には思えない。服装も地味だし、髪型も特に奇抜ってわけじゃない。最初のライブの時はもう少し短かったけどね。まだヒッピー予備軍だった僕らは、そのまったく新しい世界に足を踏み入れる準備ができてなかったんだ。
メンバーがステージに現れた途端、会場に異様な空気が立ち込めた。その4人は見るからに、何か不穏なものを感じさせた。彼ら自身というよりも、30年代のカルトホラー映画『Freaks』に出てきたボンデージ姿の��人たちを思わせる彼らの取り巻きが、ステージ脇でうろうろしてたことが原因かもしれない。とにかくエキゾチックに思えた。
正直なところ、彼らの見た目はフェイセズと大差なかった。しかし演奏はまったく別で、バンドの背景について知っていたことも関係しているかもしれないが、彼らのショーはまるで舞台演劇であり、ロックとはかけ離れたものに感じられた。従来の文脈では語れない、まったく別の何かだった。弾いているパターンやコードは使い古されたものであるにもかかわらず、どこか非現実的で違和感に満ちていた。古典的なのに、そのサウンドには奇妙なアヴァンギャルド感があった。
僕はひとりで来ていた。ファウストやビーフハートがそうだったように、噂は南部の方から流れてきていて、ストゥージズみたいな予想不可能な何かを目撃できるんじゃないかという期待を抱かせた。小さな劇場のステージに立った、奇妙であどけなさを残した若者たちから目を離せずにいた僕は、周囲の誰にも話しかけようとしなかった。その日の前座はボルトン出身のヒッピーバンドSolsticeで、彼らがマウンテンのカバーなんかをやってたせいで、僕たちに革命を目の当たりにしているっていう感覚はなかったかもしれない。それが起きたのは、それから6週間後のことだった。
ony Wilson (Granada Televisionプレゼンター、Factory Records共同設立者): 彼らのライブを初めて観た夜、最初は戸惑ったけれど、「ステッピング・ストーン」が始まった瞬間に悟った。こいつらは只者じゃない、とんでもない逸材だってね。その後僕はGranadaでの番組に彼らを出演させようと提案し、リサーチャーのMalcolm Starkを連れてWalthamstow Assembly Hallで行われたライブに足を運んだ。この日もやっぱり客は少なくて、全部で80人程度だったと思うけど、そのうちの半分くらいは飛んでくる唾がかからない程度にステージから離れて、半円型をなす形で集まってた。
ピーター・フック: セックス・ピストルズのショーの後、人があんまり入ってなかったこともあって、客同士の間で自然と会話が生まれてた。何かひどいことが起きた時に、隣に立ってる赤の他人と言葉を交わすのと同じさ。車の衝突事故を目の当たりにしたら、「まぁなんてこと、酷いわねぇ」なんて言うだろ? ライブ会場で他人に話しかけることなんて滅多にないけど、セックス・ピストルズのライブは文字通り「事故」だったから、会話が自然と生まれたんだよ。みんな興奮してたってことさ。
サンプル ロッテルダムでのイベントに出演したジョイ・ディヴィジョンのバーナード・サムナー(左)とイアン・カーティス 写真:Rob Verhorst/Redferns/Getty Images
リチャード・ブーン: マンチェスターはまるで、空っぽの撮影スタジオのようだった。中性子爆弾か何かが落とされて、廃墟と化した街みたいな雰囲気だった。自然と人が集まってくる中心部ってものがなくて、芽生えた資本主義が急速に死に絶えつつある、そんな感じだった。シーンがなかったから、バンドを組む人間もいなかった。当時僕はNew Manchester Reviewっていう、ごく少数が隔週で発刊されてた雑誌の音楽イベント欄を担当してた。枠を埋めるために、Stalybridgeみたいなロクでもないハコのイベントまで掲載しなくちゃいけなかった。シーンと呼べるようなものは皆無だったんだ。
ビート・ジェネレー��ョンの頃、マンチェスターとリヴァプールは優れたバンドを幾つも生んだけど、その後状況は変わっていった。ビートルズがロンドンに移り、リヴァプールは事実上終わった。マンチェスターのシーンは警察によって封鎖され、遊び場のほとんどが奪われてしまった。大学や職業訓練校なんかはあったけど、当時そういう場所は学生以外には開かれていなかった。他に思いつく場所といえば、プログレの残党の受け皿になってたFree Trade Hallくらいしかなかった。
どこもかしこも寂れていて、社交場と呼べるような場所はほとんどなく、観るべきバンドも皆無だった。中規模のハコを満員にできるようなバンドがことごとく消滅し、誰でも見境なく出演させてたロクでもないパブでは、目も当てられないような模倣バンドがライブをしてた。マンチェスターという街とそこに生きる人々が宿したスピリットは、今や風前の灯火だった。
ピート・シェリー: (ピストルズの)2度めのショーをやった7月20日の時点で、俺たちのバンドにはベーシストとドラマーが加わってた。実を言うと、セックス・ピストルズの最初のライブの時に、マルコム・マクラーレンが手引きしてくれたんだ。当日会場の外で誰かを待ってた無防備な様子の男に、マルコムが「お前がベーシストか?」って声をかけると、そいつはイエスと答えた。するとマルコムは「奴らは中にいるよ」と言って、俺がいたチケット受付のところまでそいつを連れてくると、窓越しに「彼がお前のバンドのベーシストだ」って言うんだ。それがスティーヴ・ディグルだったんだけど、やつは明らかに困惑してたよ。
「じゃあ、ハワードが上にいるから紹介するよ」そう言って俺がやつを連れてこうとすると、スティーヴは会場でもうひとり別の人間と会うことになってたらしくて、「セックス・ピストルズのライブがもう始まるし、とりあえず観ないか?」って言った。俺たちはそんなやりとりを交わしつつ、翌日には一緒にリハーサルしてた。その後、1ヶ月位前にドラムキットを買ったばかりだった16歳のJohn Maherがバンドに加入した。俺とハワードは1975年末くらいから曲を書いてたから、ライブの準備はできてたんだ。
スローター・アンド・ザ・ドッグスのやつらは、自分たちがバズコックスよりも多くの客を連れてこれるってマルコムに訴えてた。それは本当だったけど、やつらのいう客っていうのにはスローター・アンド・ザ・ドッグスのファンだけじゃなくて、ピストルズの最初のライブに来てた客や、そいつらから噂を聞いて興味をもったやつらのことも含まれてた。それにセックス・ピストルズ自体が話題になり始めてたから、次のライブにより多くの客が来たのは当然だった。
結局その公演で前座を務めた俺たちは、30分のセットの最後に客席に突っ込んだ。大切なのはギグがどういうものかっていう既成概念をぶっ壊すことだったから、そういう無茶もアリだと思���たんだ。リハーサルでは俺はハーフソーンのStarwayのギターを使ってたんだけど、ある日俺がかなり激しくそれを弾いてた時に、勢い余って床に投げると真っ二つに割れちまった。その時に、実はそのギターがハーフソーンじゃなかったってことが判明した。こんな安物ならまた買うかってことになって、俺はAudition GuitarのやつをWoolworthsで20ポンドくらいで買った。どうせ安物だから、俺とハワードはセットの最後にそのギターを思いっきりぶっ壊すことにした。やつは弦を次々に引きちぎり、俺はギターを床に叩きつけた。まさにカオスそのもので、すごく気持ち良かったよ。
セックス・ピストルズは明らかにレベルアップしてた。俺が「アナーキー・イン・ザ・UK」を生で聴いたのはあの日が初めてで、始まった瞬間にこれは時代を変えるって確信した。まるで開け放った扉の向こう側から、巨大な像の群れが突進してくるかのようだった。
Paul Morley: 数週間後に再び彼らのライブに行った時、フーリガンと化していた僕はスローター・アンド・ザ・ドッグスのヴォーカルのウェイン・バレットにピーナッツを投げつけたことで、危うく会場から放り出されるところだった。僕の目には、やつらはフェイクとして映った。ピストルズを初めて観た日から6週間、誰が本物で誰がそうでないかを見極めようとしていた僕らには、スローター・アンド・ザ・ドッグスはただブームに乗っかろうとしているだけのバンドに思えた。その一方で、その日のトップバッターだったバズコックスは本物だと感じたし、地元のバンドだってことにも希望を持てた。
ピート・シェリー: 会場には最初のライブにも来てたやつらがちらほらいて、自然と会話が生まれた。バンドを始めたい、あるいはファンジンを作りたいっていうやつらが大勢いたよ。パンクは来るものを拒まない。「これは俺たちのもので、お前らはおよびじゃないし、それは今後も変わらない」みたいな、それまでのアートフォームにありがちだった閉塞感がなかった。「お前にもできるさ、やってみろよ」、それがパンクのアティテュードだった。
ユーモアたっぷりなところも魅力だった。そのバンドがやらかすかもしれないことについて考えるだけで楽しかった、それがまずあり得ないとわかっていてもね。あのバンドならこんな無茶をしでかすかもしれない、そんな風に想像を巡らすことがリスナーの楽しみでもあったんだ。
ピーター・フック:俺たちは2回目のセックス・ピストルズのライブにも行った。バズコックスが前座をやってたけど、その頃には俺たち自身もシーンの一員だって感じてた。ハワード・ディヴォートとかに比べて労働者階級臭さが強すぎるとか、そんな理由で隅っこの方に追いやられてはいたけどな。俺たちは不良だとみなされてたし、実際その通りだった。俺らがつるんでた連中や、俺らが生まれ育った地域には、そういうイメージが染み付いてた。向こうはアートカレッジとかで自由を謳歌してたんだろうけど、俺たちはまだ自分たちの居場所を見つけられずにいた。
それでも素晴らしいシーンだった。パンクスがまだマイノリティだった頃、The Ranchは聖地みたいなものだった。コミュニティ的なムードの中で俺とバーニーは浮いてたけど、気にせず通ってたよ。
ピート・シェリー: Dale StreetのFoo Foo’s Palaceの隣にあったビルの地下に、The Ranchっていう小さなバーがあったんだ。Foo FooはLily Savegeみたいな、辛辣なウィットを持ったオネエだった。そこは未成年でも酒が飲める場として知られていて、見るからに15歳以下のやつにも酒を出してた。定番はカールスバーグのSpecial Brewで、ボトルにストローをさして飲むんだ。そこで2、3本ボトルを開ければもうご機嫌さ。
1976年の8月、Lesser Free Trade Hallでセックス・ピストルズの前座を務めた後、俺たちはFoo Fooがやってたマッサージパーラー兼サウナに行った。肩からタオルを下げてた彼はいかにも70年代のギャングスターって感じで、『ロンドン特捜隊スウィーニー』のワンシーンみたいだった。「あんたのクラブでギグをさせて欲しいんだ」俺たちのその申し出を、彼は訝しみながらも承諾してくれた。俺たちの考えは間違ってなかったってわけだ。
8月にそこで開催したライブには、The Ranchの常連客たちだけじゃなく、バズコックスの噂を耳にしてたやつらもたくさんやってきた。俺たちが数曲やったところで、盛装したFoo Fooが割り込んできてこう言った。「その忌々しい騒音を今すぐ止めてちょうだい」
当時のThe Ranchは、Pipsに立ち入れなそうなボウイやロキシー好きのキッズたちでいっぱいだった。最初のうちは金曜と土曜だけだったけど、そのうち日曜日にも人が入るようになって、そこは俺たちの社交場になった。後にザ・フォールを始めるやつらと初めて会ったのもそこで、やつらはカウンターのそばで飲んでた。すごく小さなバーで、50人も入ればパンパンって感じだったから、まさにちょうどいいサイズだった。どんな身なりをしていても誰も気に留めない、そういう場所だった。
当時ちょっとでも奇抜な格好をしたやつらは、ほとんどのバーで門前払いにされてた。The Ranchはドラァグの聖地だったし、文字通り地下にあったこともあってか、ドアポリシーは無いも同然だった。誰もが歓迎され、そこでしか聴けない音楽を楽しむことができる場所だったんだ。
Tony Wilson: 僕らは『So It Goes』にセックス・ピストルズを出演させた。それがSeries 1の最終回で、僕らは半ば使命感から3組の未契約バンドを出演させた。彼らの態度は横柄で、Clive Jamesに喧嘩を売ってたよ。かなり酔ってたからね。彼らの出演は3分半の予定で、事前にリハーサルしてたにもかかわらず、あと5分で撮影終了っていう状態から7分間演奏し続けた上に、スタジオの機材を蹴って破壊してしまった。2日後、ディレクターは映像を3分半に編集した。その翌日、僕はGranadaの上司から大目玉を食らうことになった。最初から嫌な予感はしてたがね。
ピート・シェリー: シャツにジーンズ姿のTVプレゼンターが、まさかパンクに興味を示すとは思いもしなかった。彼はGranadaで、地元のニュース番組の司会をやってた。パンクのギグに彼みたいな人物がやってきたのは意外だったけど、テレビの世界と繋がりが持てるってことにはやっぱり興奮し��。彼は『So It Goes』っていう番組をスタートさせ、セックス・ピストルズを出演させた。
Paul Morley: 7月に行われたセックス・ピストルズのライブ以降、シーンはしばらくの間沈黙していた。みんな態勢を整えようとしていたんだ。バズコックスはDeansgateで、チェルシーとの2マンライブをやった。ビリー・アイドルとトニー・ジェイムス、それにスティーヴ・ディグルと一緒に酒を飲んだのを覚えてるよ。変わり者の一匹狼だった自分が電話でハワード・ディヴォートと話してるっていう状況に、僕はすごく興奮していた。好きな言葉を5つ挙げて欲しいと言うと、彼は「I like eating ice cream」と答えた。その時彼はアイスクリームを食べてたんだ。
ライブ会場では誰もが同じような格好をしてた。僕自身髪を短く切っていたし、他に着るものがないと言わんばかりに、祖父の衣装棚から引っ張り出してきたかのような服を着てるやつが多かった。シーンが沈黙していたその間、ワルシャワやバズコックスみたいなバンドは自分なりの回答を示すべく水面下で格闘していた。言うまでもなく、その引き金になったのはピストルズのライブだった。彼らと同じように、奇妙な音楽に夢中になっていたマンチェスターの同世代の若者たちがバンドを組み、優れた音楽を生み出していった。
Richard Boon(バスコックスのマネージャー): 1976年の11月10日、俺はElectric Circusで初めてイアン・カーティスと会った。当時バズコックスは自分たちでイベントを企画していて、その日はロンドンからチェルシーを呼んでた。俺はキャッシャーをやっていて、そこにイアン・カーティスが来たんだ。その夏にすごく話題になってたフランスのMont-de-Marsan Festivalがいかに退屈だったかということを、彼は延々とグチってた。熱っぽく話す様子を見ながら、こいつも自分たちと同種の人間なんだって思った。
ピート・シェリー: Electric Circusは元々ヘヴィメタ専門のハコだった。大きさも手頃で、端に作られたステージはかなり立派だった。壁が一面真っ黒に塗られてたから中は暗くて、入り口のとことホールの脇と後方にバーがあった。盛り上がりつつあったパンクのオーディエンスを積極的に取りこもうとしていたElectric Circusは、マンチェスターにおけるパンクとニュー・ウェーヴの中心地になっていった。場所は寂れた市営住宅が立ち並ぶCollyhurstってとこで、中心部からは歩いて40分くらいかかった。いつもその辺をうろうろしてたいかつい野良犬を追っ払えるよう、みんな何人かで一緒に来てた。
Richard Boon: ライブハウスは数えるほどしかなかった。Electric Circusは空襲に遭ったかのようだったOldham Streetの端にあった。Pipsはディスコをはじめ、ボウイやグラムロック以降のものはなんでもござれって感じだった。Band on the Wallは伝統的なジャズが多かったけど、それ以外のイベントも時々やってて、交渉次第では月曜の夜なんかは安く借りられた。以前はクラシックのコンサートが開かれてたHoldsworth Hallとか、そういう借り手がなくなってるハコが狙い目だった。
ピーター・フック: セックス・ピストルズがElectric Circusでやった最初のライブはすごく良かった。Anarchy in The UKツアー���一環だったから、宣伝もしっかりしてた。その時のポスターはずっと持ってたよ、母親が勝手に捨てちまうまではね。例の『Bill Grundy Show』に出た後、他の公演が次々にキャンセルになってたこともあって、彼らはそこでもう1回ライブをやった。会場の外にはフーリガンや変人が行列を作ってて、向かいの建物からはボトルが大量に飛んできた。もはや暴動って感じで、悪夢のような夜だった。
Richard Boon: 自主企画してた一連のギグが『スパイラル・スクラッチ』を作るきっかけになったのは間違いないけど、Anarchy in The UKツアーのあまりの成功ぶりに、パンクのピュアな部分が失われつつあるっていう危機感を抱いたことも関係していたと思う。タブロイド紙にも取り上げられ、パンクはクリシェと化しつつあったけど、それは俺たちの感覚とはかけ離れていたから、俺たちは自分たちのパンクを形にする必要があった。一刻も早く実行に移すため、俺たちはちょっとしたリサーチをやって、仲間やピートの家族に資金集めを手伝ってもらった。おかげで1000枚刷ることができたけど、それをどうするかはまるで考えてなかった。
9 Lever StreetにあったVirginのレコード店のマネージャーだったJohn Websterは、そのうちの何百枚かを買い取ってくれた上に、近隣のストアマネージャーたちにも声をかけてくれた。Virginは本部が仕入れを一括管理してたから、同僚たちを説得するのは容易じゃなかったはずだ。その後ラフ・トレードのGeoff Travisが電話をかけてきて、気づけば俺たちは初期パンクムーヴメントの一端を担う存在として見なされるようになってた。アルバムは再プレスを重ねて、約1万6000枚を売り上げた。
Martin Hannett (Factory Records プロデューサー兼ディレクター): 俺は7月にFree Trade Hallで行われた、ピストルズの2度目のライブに行った。リズムセクションはタイトだったし、いいバンドだと思った。大いに楽しんだよ。バズコックスも良かった。俺はスローター・アンド・ザ・ドッグスと仕事をしてたけど、場違いな感じは否めなかったね。やつらがやってたのはグラムロックだったからさ。ピストルズのファーストアルバムがますます楽しみになったけど、家に帰ってから俺はこんな風に考えてた。「リズムギターは180本くらい重ねられるんだろうな。クズってわけじゃないだろうけど、ありきたりなレコードになっちまうんだろうな」
俺が初めてプロデュースしたパンクのレコード、それがバズコックスの『スパイラル・スクラッチ』だった。「俺たちはライブもやったし、雑誌にも取り上げられた。次にやるべきことは何だ?」そう話すリチャードに、俺はこう返した。「レコードを出すのさ」ピートの親父のMcNeish氏が金の目処をつけてくれて、俺たちは16トラックのマルチコレコーダーが置いてあったIndigoに入った。その時も俺は色々試そうとしてたんだけど、スタジオのエンジニアはこんな風に怒鳴り散らしてた。「だからスネアにそんなエコーかけちゃいけないんだよ!」そんな感じだったから、結局4トラックレコーダーで録ったみたいな音になった。
あのレコードは未完成のままだ。できることならマスターを奪ってミックスをやり直した���ったけど、そのエンジニアがレコードをとにかく嫌ってて、勝手に全部消しちまってたんだ。今聴くとモニターミックスかと思うだろうね。極端に明るいギターの音なんか特にさ。コンプレッサーをかけた上に、俺が高音を足したんだ。俺はあのギターが大好きだったからさ。それが彼らのサウンドだったし、あのレコードはその記録なんだよ。
Paul Morley: 76年の末頃、ピストルズはElectric Circusで2回ライブをやったと思う。ザ・クラッシュやバズコックスが前座を務め、ローカルのキッズで満員になった会場の光景には興奮したね。僕がワルシャワのことを知ったのは、彼らが実際に活動を始めてからだったと思う。その頃から風変わりなワインセラーやストリップクラブ、大学の隅っこのスペースなんかで色んなイベントが開催されるようになり、僕が彼らと出会ったのもそういう場だった。
Iain Gray: 新しいバンドを組もうとしていた俺は、Virgin Reocrdsの店内に「パワフルで情熱的なヴォーカリスト求む」っていう貼り紙を出してた。誰かが「条件: 10000ボルトの電流に耐えられること」って落書きしてあったよ、マンチェスターならではのユーモアさ。唯一連絡してきたのがイアン・カーティスで、俺たちはセールにあったVine Innていうパブで会うことにした。イアンは背中に「hate」ってプリントされたジャケットを着てた。1976年当時のマンチェスターじゃ、それはかなり危険な行為だった。ドンキージャケットを着たやつが店に入ってきた瞬間、周りにいた地元の奴らが「何だあいつ?どういうつもりだ?」って色めき立つのがわかった。
話してみると、イアンはすごくいいやつだった。まともなやつなら、関わらない方が良さそうだって思っただろうけどね。レザーパンツに「hate」プリントのコンバットジャケット、まるで『タクシードライバー』のデ・ニーロみたいだと思ったけど、彼は実際あの映画が好きだったんだよ。彼はすごく落ち着いていて、実際の年齢よりも大人びてた。俺は当時18歳で、彼は20歳か21歳だったと思う。「パンクこそが理想だ。結婚なんて退屈の極みさ」俺がそう言うと、彼は手にはめた指輪を見せてこう言った。「俺は結婚してるけどね」
イアンとデビーはヒュームのStamford Streetにあった彼の祖母の家に住んでいて、俺も何度か行ったよ。クリスマスシーズンで部屋の中には風船が浮かんでたんだけど、棒状のやつが丸いの2つに挟まれててチンコの形になってた。彼の祖母はまったく気づいてない様子だったけど、イアンは笑ってたよ。彼は本当にいいやつで、デビーに花やチャコレートをプレゼントしてた。あんな絵に描いたようなカップルには会ったことがなかったから、正直妬けたよ。
イアンは本当に幸せそうだった。子供こそいなかったけど、まさにバラ色の人生って感じだった。彼はよくタバコを吸ってて、マルボロがお気に入りだった。好きな酒はColt 45だったけど、彼はあまり飲む方じゃなかった。デビーを膝の上に座らせて、2人はテレビを観ながら一緒に紅茶を飲んでた。若くして公務員になってた彼は、上流階級の出身だった。当時はサッチャー政権が始まる前で、まだそういうのがあったんだ。彼は保守党を支持して��て、とにかく野心に満ちてた。何があっても成功してみせるっていう、ギラギラしたものを内に秘めてた。
デビーは家にいることが多かったけど、俺たちはElectric Circusや初期のバズコックスのライブによく遊びに行った。1976年にElectric Circusでやったダムドのライブにも行ったし、Anarchy in the UKツアーの2公演も観た。レコードもよく貸しあったよ。彼も俺と同じくイギー・ポップが好きで、あとヘヴィーなダブやジャマイカのレゲエにも詳しかった。リー・ペリーやU・ロイ、I・ロイとかね。俺がそうだったように、彼もセックス・ピストルズのライブを観て感化されてた。彼はデビーと一緒にフランスのパンクのフェスに行ってたけど、俺は当時その存在さえ知らなかった。
出会ってから2週間後くらいに、俺たちは一緒にロンドンに行くことにした。シーンがどんな感じなのか知りたくてね。King’s Roadにあったピストルズとマルコム・マクラーレンがやってたショップや、The Roebuckに行った。どこかで遭遇するかもって期待してたピストルズのメンバーとは会えなかったけど、チェルシーのジーン・オクトーバーには会えたよ。ロンドンのバンドをマンチェスターに呼んで俺たちが前座をやる、そういうプランだったんだ。
ドン・レッツと話した時のことはよく覚えてるよ。当時ドレッドロックは珍しくて、すごく目立ってた。自分たちが前座をやる前提で、マンチェスターにロンドンのバンドを呼ぼうとしてるって伝えると、彼はこう言った。「いいバンドがいるんだけど、まだ時期尚早だ」多分ザ・クラッシュのことを言ってたんだと思う。イアンは彼にこう言った。「ロンドンのいいバンドを知らないかい?あんたってすごくクールだからさ」シャイだった俺と違って、イアンは積極的に人に話しかけた。彼もシャイではあったけど、人と話すのは苦じゃないみたいだった。
その時点で、俺たちはまだ一度もリハーサルをしてなかったけど、やがて誰かの家の庭にあった物置やパブなんかでやるようになった。俺がギターで彼がヴォーカルだったんだけど、彼が持ち歩いてたちいさなスーツケースにはリリックノートが大量に入ってた。それから1ヶ月くらいして、俺はそれを読み始めたんだけど、そこには「デイ・オブ・ザ・ローズ」や「リーダーズ・オブ・メン」、下書き段階だった「キャンディデイト」の歌詞が書いてあった。1976年当時、彼はナチスの戦車隊の指揮官たちのことなんかをテーマにしたSven Hasselのフィクションをよく読んでて、『Wheels of Terror』を特に気に入ってた。「リーダーズ・オブ・メン」の歌詞を読んだ時は笑ったよ、Sven Hasselの本のまんまだったからさ。79年か80年頃には2人ともすっかりリベラル派になってたから、そういう本を読んでたことは口にさえできなくなってたけどね。
ある日のリハーサルで、彼は死んだ蝿のダンスを初めて披露した。ロクでもない曲だったけど、俺は無我夢中でギターを弾き、彼はこんな風に白目をむいたまま大きく仰け反ってた。俺が知る限り、彼はまだてんかんを患っていなかった。もしなってたんだとしたら、かなり上手にそのことを隠してたってことになる。俺はその兆候を目にしたことはなかったけど、時々心ここに在らずって感じになることがあって、そういう時の彼は近づきがたかった。普段は思いやりのある優しいやつだったからこそ、その落差は不気味だった。
その頃ベーシストが加わって、俺たちは��ス・サイドにあったGreat Westernっていうパブでいつもジャムってた。電話で「おたくでリハさせてくれないか?」って交渉してオーケーをもらったんだ。そこはいかつい労働者階級のやつらのたまり場になってて、みんな俺たちのことをじろじろ見てた。ジャケット姿のイアンがマイクに向かってシャウトし始めると、「うるせぇ!」って怒鳴られて放り出されたよ。当時、イアンはまだ自分の歌声を確立できていなかった。みんなが知る前の彼は、猫背でボソボソと歌詞を読み上げるっていうスタイルだった。
そうこうしてるうちにクリスマスが過ぎた。結局ドラマーは見つからなかった。バンド名の候補は幾つかあったけど、ワルシャワっていう案を出したのはイアンだった。彼は当時、ボウイの同名のアルバムにハマってたんだ。俺たちは優れたアイディアをたくさん持ってたけど、結局芽が出ないまま翌年の2月頃に自然消滅した。
バーナード・サムナー: バンドを組んだ俺たちが次にすべきこと、それは言うまでもなくドラマーとシンガーを見つけることだった。祖母の家はドラムを入れるには小さすぎたから、リハーサル場所も見つけないといけなかった。俺たちは当時ピカデリーにあったVirgin Recordsに行って、ドラマーとヴォーカル募集の貼り紙をした。いかにもパンクっぽいだろ。実際俺たちは、当時毎晩のようにパンクのギグに行ってた。The Ranchではちょっとしたシーンが出来上がりつつあって、そこに行けばいろんなやつと知り合うことができた。
電話を持ってたのは俺だけだったから、その貼り紙にはウチの番号を書かないといけなかった。いたずら電話が山ほどかかってきたよ。俺とテリーは彼が持ってたVauxhall Vivaでディズベリーまで行き、筋金入りのヒッピーの男と会った。俺たちはパンクスだったから自然な流れだろ? その男とは前にも一緒に飲んでて、そいつの家に行ったこともあった。そいつん家には椅子がひとつもなくて、彼がクッションを床に置いてあぐらを組んでたから、俺たちもその向かいにクッションを置いて座った。俺とテリーはお互いをちらちら見ながら、「ここは一体何なんだ?」っていう無言のメッセージを発し続けてた。
テリー・メイソン: バーニーは既にギターとアンプを持ってたから、すぐにでもバンドを始められる状態だった。ベーシストになるつもりだった俺は、フッキーがベースを買ったことに落胆した。俺はやつよりも背が高かったし、ベーシストは長身って決まってるからな。仕方なく俺はギターをやることにしたんだが、まずは金を貯めなくちゃいけなかった。その後俺たちはイアンと意気投合し、彼がバンドに入るとほぼ同時に、俺は自分のギターを買った。
シンガーを仲間内で見つけようとしていた俺たちは、まずフッキーの友達だったDanny Leeに声をかけた。ビリー・アイドル顔負けの冷笑を浮かべた彼はすごくクールで、ヤル気もありそうだったのに、結局バンドには入らなかった。仕方なく、俺たちは仲間内以外のところでヴォーカリストを探すことにした。俺らはみんな無口でシャイだったから気が重かったけど、Virginのレコード店に貼り紙をしたところ、何人かが連絡してきたんだ。
そのうちの1人は文字通りの狂人で、見た目が今のミック・ハックネルそっくりだった。赤毛の長髪をポニーテイルにしてて、Catweazleみたいなあごひげを蓄え、首と手を出すために穴を開けたクッションカバーみたいな��をジャンパーがわりに着てた。家を訪ねた俺たちを前に、そいつは3弦のバラライカを引っ張り出してきた。そいつが歌い始めると、俺たちは逃げ出すようにそこを後にした。先が思いやられるなって2人で話してた矢先に、イアンが連絡してきたんだ。
バーナード・サムナー: イアンとはElectric Circusで会った。Anarchy in the UKツアーか、ザ・クラッシュのギグのどっちかだったと思う。彼はIainっていうやつと一緒に来てて、2人ともドンキージャケットを着てたけど、イアンのやつは背中に「hate」って書いてあった。いいやつそうだったし、すごく好感を持ったよ。その日はあまり話せなかったけど、やたら印象に残った。それから1ヶ月後くらいに、俺たちはVirgin Recordsの店内にヴォーカリスト募集の貼り紙をした。パンクの時代はそれが一般的なやり方だったんだ。
募集をかけて以来、気違いじみたやつらが大勢電話してきた。マジでロクでもないやつばかりだったけど、ある日イアンが連絡してきた。「ザ・クラッシュのギグで会わなかったかい?Iainってやつと一緒に来てただろ?」って俺が言うと、彼はその通りだと答えた。俺はその場でこう言ったよ、「じゃあヴォーカルはあんたで決まりだ」ってね。オーディションもやらなかった。どういう音楽が好きかって聞くと、名前の挙がったのが俺たちの好きなバンドばっかだったから、彼でいこうってことになった。当時イアンはデビーと一緒に、モス・サイドのAyres Roadにあった彼の祖母の家に住んでた。俺とフッキーは2人でそこを訪れ、その場で彼を正式にメンバーとして迎えた。
ピーター・フック: イアンとはElectric Circusの階段のところで知り合った。俺たちの前にいた、背中にマスキングテープで「hate」って書いた服を着た男、それがやつだった。そのテープは毎朝仕事に向かう前に剥がしてたらしいけどね、あの世にいても覚えてるといいんだけどな。やつが背を向けるのを見て、俺たちは「『hate』とはね、気合い入ってんな」なんて軽口を叩きながらも、イカしてると思ってた。やつのことはいろんなギグで見かけてて、ちょっとガキっぽい熱さがやけに気になってた。
やつは友達とバンドを組んでて、そいつはギターをやってた。当時はパンクバンドにツインギターはご法度みたいな暗黙の了解があったから、やつがそいつと一緒に俺たちのバンドに加わることはできなかった。後に状況が変わるわけだけど、バーナードと俺はずっとヴォーカルを探してた。その頃の俺たちがどれだけ本気だったかは覚えてないけど、イアンが加わってトリオになった時、欠けてたパズルのピースが見つかったって感じた。ある日どっかのギグでまた顔を合わせた時、相方だったギタリストはもういなくなってたから、やつはヴォーカリストとして俺たちのバンドに入ることになった。
テリー・メイソン: やつがクッションカバーを着てないってだけで、俺たちは心底ホッとしてた。イアンのことはそれとなく知ってたよ、同世代のネットワークってやつでね。マンチェスターでパンクのライブに来るのはいつも同じやつらだったから、名前は知らなくても顔は覚えるんだ。やつのことは印象に残ってたよ。話しかけたこともあって、歌詞を書いたノートやアイディアを走り書きしたインデックスカードを見せてもらった。やつがコラムスピーカー2本と小さなアンプを持ってるってことも知ってた。
やつは見るからに真剣だった。使えると思ったし、俺たちがドン引きするようなところもなかったけど、人柄については知っておく必要があった。ある日曜の午後、俺たちはロッチデールのアッシュワース・バレーで会うことにした。一応オーディションってことになってたけど、実際には川に投げ込んだ木の枝を飛び越えたりしてして、何時間か一緒に遊んだだけだった。今思えば、オーディションとして悪くないやり方だったと思う。イアンがいいやつだってわかったからね。家で待ってたデビーに、やつが何て話したかは知らないけどな。
イアンはIain Grayと会って、バンドを抜ける意思を伝えた。それだけじゃなく、彼が持ってたアンプとスピーカーを俺に売ってくれるよう頼んでくれた。そういう経緯で俺は彼の持ってた機材を譲り受けたんだけど、俺はギターがまるで弾けなかった。どれだけ練習しても上達しなかった。俺がその時点で既に出遅れてたってことも大きかったと思う。バーニーは何年も前にギターを買ってたし、コードもいくつか弾けた。フッキーもベースを買って、徐々に腕を上げてた。俺がフッキーから2ヶ月遅れでギターを手にした時、バーニーとは既に2年の差がついてたってことだ。
ドラマー探しにも苦労してた。いいドラマーはそう簡単には見つからないからな。いろんなやつを片っ端からあたった。しばらくして、俺は持ってたギターとアンプをドラムキットと交換したんだけど、他のメンバーとの差はさらに開いてたから、苦労することは目に見えてた。
ピーター・フック: イアンは俺たちよりもずっと詳しくて、カンやクラフトワーク、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなんかが好きだった。俺はというと、当時はジョン・ケイルに夢中だった。Manchester Ship Canal Companyの食堂で働いてた頃の同僚が彼の大ファンで、レコードを全部譲ってくれたんだ。ポップやレゲエ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなんかを聞いてた俺とバーナードに、イアンはイギー(・ポップ)とかのことを教えてくれた。少しも押し付けがましくないのがやつのいいところだった。ただ一緒にいて楽しかったから、俺たちは自然とやつから色々学んだんだ。
バーナード・サムナー: 彼は俺たちのバンドにヴィジョンを持ち込んだ。過激なものに惹かれてたイアンは過激な音楽を作ろうとしていたし、ステージでは完全に振り切れたパフォーマーであろうとした。曲を作ってると、彼はいつもこんな風に言った。「もっと冒険しようぜ。これじゃ普通すぎる、もっと狂ったやつがいい」
Tony Wilson: イアンにイギーのことを教えたのはデビーだった。見ず知らずのやつらがそう教えてくれたんだ。彼女はイギー・ポップの大ファンだった。イアンはデビーと恋に落ち、彼女は彼にイギーのアルバムを聴かせた。バンドの音楽性にはメンバーそれぞれの趣味が反映されるわけだけど、そういう意味じゃその出会いはイビサと同じくらい重要だったことになる。イアンはバンドにイギーのスピリットを持ち込んだんだ。
Kevin Cummins (フォトグラファー): 1977年3月にApolloで行われたイギーのライブ、ボウイがキーボードを弾いた時のやつだけど、あれはLesser Free Trade Hallでのセックス・ピストルズのライブと同じくらい重要なイベントだったと思う。数え切れないほどの人間があのライブに感化されたはずさ。あのツアーの時のイギーは神がかってた。あんなライブは過去に見たことがなかった。
バーナード・サムナー: 俺たちはウェイストにあったSwanってパブでリハーサルをしてた。フリーメイソンだかバッファローだか知らないけど、あそこは何かしらの組織の一部だったと思う。あそこの2階にあった会議室を使わせてもらってたんだけど、ソファの下に怪しげな引き出しがたくさんついてて、中にはバッファローの皮なんかが入ってた。あそこは秘密のミーティング場で、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵のまんまだった。バッファローのやつらのミーティングがない時に、俺たちはあそこでリハーサルしてたんだ。なかなか気に入ってたよ、結局大家に追い出されたけどな。
当時の俺たちは初めてセックスする童貞みたいなもんだった。どうしていいかわからず何をやってもうまくいかない、まさにそういう感じさ。音源として残されてる初期の曲よりも古いやつ、あれはマジで聴いてられないほど酷かった。音楽も他と一緒で、上達したければ自分自身で学ぶか、あるいは誰かから教わらなくちゃいけないんだよ。当時は文字通り修行の日々だった。
最初期の俺たちのオリジナル曲は、完全にパンクの猿まねだった。まるで真似しきれてなかったけどね。音楽的素養でいえば俺たちのレベルは9歳くらいだったけど、何とか7曲を書き上げた。バズコックスと親しくなれたのは大きかったよ、彼らには色々と世話になった。ライブのブッキングも含めてね。ピート・シェリーがRichard Boonをライブに連れて来てくれた時、俺たちは「イェーイェーイェーイェー、ファックオフファックオフ、イェーイェーイェー、クソクソクソ」なんて感じの、マジでどうしようもない曲を演ってた。
彼にはこう言われた。「ライブは俺が探してやるから、お前らは曲を書け」曲がクソだってことは自覚してたから、そのライブに向けて俺たちは新曲をいくつか書いた。あれはElectric Circusでバズコックスの前座をやった時だったと思う。用意した6つの新曲は随分マシだったけど、まだまだ未熟だった。でも6週間かそこらで書いたにしては、飛躍的に成長してたはずさ。そのうちの1曲か2曲は、『アンノウン・プレジャーズ』に収録されてると思う。
ピート・シェリー: バンドを始めたいからアドバイスが欲しいって言われて、ある金曜の夜にやつらと会うことになった。来るものは拒まずっていうのがパンクのアティテュードだったし、俺たちとしても一緒にシーンを盛り上げていく仲間を必要としてた。ミーティング場所はサルフォードのFrederick Roadにあったパブだ。飲みながらやつらの話に耳を傾け、形にするにはどうすればいいかを一緒に考えた。
ある日バーナードの家に行ったんだけど、エフェクターが内蔵されたギターを使ってたのを覚えてるよ。当時にしてもかなり変わったモデルだった。学校でバンドを組むような子供たちが最初に買うような、初心者向けのギターさ。アイディアを交換し合い、それをどう実現するかについてあれこれ議論する、やつらにもそういう高校生みたいな純粋さがあった。
Richard Boon: やつらのバンドはまだ模索段階にあった。俺たちはウェイストのバスステーションの近くにあったやつらのリハーサルスペースに顔を出し、練習後はみんなで飲みながら今後の展望について話し合った。やつらはただバンドがやりたいだけで、たちの悪い野心なんかは持ってなかった。
イアンは若さという情熱に取り憑かれているようだった。アルチュール・ランボーのようとまでは言わないが、やつのストゥージズとヴェルヴェッツへの入れ込みようは半端じゃなかったし、どこか近づきがたい何かを持ってた。他のメンバーと同じように無邪気な一面を見せることもあったけど、やつはいつも生き急いでいるように見えた。他のメンバーよりも内気��、その分思慮深いところがあった。それがカリスマ性に繋がってたんだろうけど、やつだって聖人じゃなかったってことさ。
バーナード・サムナー: イアンはかなりボリューミーなヘアスタイルにしてた時期があって、ロクでもない床屋に行って「ローマ皇帝みたいな髪型にしてくれ」なんて言ってた。俺たちみんな古代ローマにはまってたんだ。彼はニーチェの作品もよく読んでた。俺自身は読んだことないんだけど、制服や建造物がかっこよくて好きだった。俺は昔から古典様式に惹かれてたけど、イアンはニーチェを通してそういうのに興味を持ってた。
ピータ・フック: Electric Circusでのバズコックスのライブに、俺たちは前座として出演した。それが俺たちの初ライブだった。バンド名はまだ決まってなかったけど、Richard Boonは俺たちの名前をポスターに載せようとしてた。俺らが決めかねてると、彼が「Stiff Kittens (怯えた子猫たち)ってのはどうだ?」って言った。ピート・シェリーが思いついた名前らしかったけど、俺たちは断固反対した。彼はわかったって言ったくせに、結局ポスターにその名前を載せちまったたんだ。ライブ当日、俺たちはWarsawだってことにした。Stiff Kittensじゃなくてな。
死ぬほど緊張したよ。ステージに立った瞬間のことは覚えてるのに、それ以降のことは何ひとつ覚えてないんだ。ライブ後に楽屋で「緊張でぶっ倒れちまうかと思った」なんて話したよ。その時の写真が残ってるんだ。俺とテリーはドイツ戦車隊の指揮官の格好をすることに決めてて、そういう服をたくさん買っといた。変でもいいんだよ。馬鹿げたステージ衣装、クソダサい髪型、唖然とするような発言、そういうのってバンドマンの特権だからな。
テリー・メイソン: マンチェスターのパンクシーンにおいて、俺たちは典型的なルートを辿ってるはずだった。ザ・フォールやザ・ワーストはバズコックスの前座をやって、その後あちこちに出るようになってた。でも俺たちは最初のライブの後、どこからも声がかからなかった。しばらくして俺らのことを探してたらしいMusic Forceから連絡があって、Raftersで何度か前座として出演させてもらった。
Stiff Kittensっていう、ピート・シェリーが決めた仮のバンド名は却下された。俺自身はキュートでいいと思ってたんだけどな。怯えた子猫たちって、パンクバンドの名前としてバッチリだろ? 肉球を振りかざす段ボール箱いっぱいの子猫たち、これ以上にパンクなイメージはないと思ったね。でも他のメンバーたちは気に入ってなかったから、結局ボウイの「ワルシャワ」って曲にちなんだWarsawで落ち着いた。駆け出しの頃はその名前でギグをやってたしな。
Iain Gray: 彼らがPenetrationの前座として出演した時、イアンは後に確立するスタイルの片鱗を見せてた。バンドはまだ発展途上って感じで、ライブはまぁまぁだった。イアンは昔からとにかく服のセンスが良くて、すごくスマートなTonikのパンツと空軍のオーバーコートをよく着てた。1935年頃にベルリンで実際に使われてたような実用的なやつさ。バーニーは口ひげを生やしてた。フッキーはゲイのダンサーみたいな格好をしてて、ヴィレッジ・ピープルのメンバーかと思った。つばの長いキャップは当時じゃ珍しくて、Pipsで見かけた時も同じやつを被ってた���鋲を打ったレザーの首輪なんかもしてて、とにかくごちゃまぜだった。
Kevin Cummins: 演奏は決して上手くなかったけど、サウンドは当時のど真ん中だった。あの頃出てきたバンドの大半に言えたことかもしれないけどね。僕らリスナーは批評家ぶったりせず、次々に新しいバンドが生まれる状況を歓迎してた。写真も6?7枚撮ったはずなんだけど、ネガはとっくの昔に失くした。すごくエネルギッシュなライブだったけど、当時はどのバンドもエネルギーが有り余ってるって感じだったからね。チェルシーやCortinas、Eaterなんかもそうだった。でもWarsawの曲はありきたりだったな。彼らは最初から特別な存在だったわけじゃないと思う。
僕は前座のバンドも撮影するようにしていて、いつも3?4枚は撮ってた。何かが起きようとしていて、その過程を記録しているっていう実感はあったね。彼らに限らず、あらゆるバンドを撮影した。自分が何かしらの形でそれに関わるかもしれないと感じてたから、できる限りのことをしようと思った。ボウイやロキシー・ミュージックなんかのグラムが好きだった僕は、パンクスファッションには手を出さなかった。あくまで傍観者のつもりだったけど、自分がシーンの一部だっていう実感はあった。来るものを拒まず、当時のシーンにはそういう寛容なムードがあった。ロンドンは派閥争いがすごかったけど、マンチェスターはそういうのと無縁だったんだ。
サンプル 1977年5月31日: Rafters マンチェスター
1977年6月18日 NMEに掲載されたPaul Morleyのレビュー
長い間ドラマーを探し続けているWarsawだが、当日スティックを握ったその人物と出会ったのは前日の夜だった。メンバーたちはどこか高慢な印象で、時折覗かせる悪魔めいた魅力はフェイセズを思い起こさせる。やや仰々しい感はあるが、恵まれた環境で技術をじっくりと磨くことで退屈というステレオタイプに陥りがちな大多数の若手バンドとは決定的に異なる何かを感じさせる。ベーシストは口ひげを蓄えていた。筆者はこのバンドに好感を持ったが、6ヶ月後にはさらにのめり込んでいるだろう。
Paul Morley: Raftersでのライブの時、バーナードは口ひげを蓄えていて、どちらかというとPipsの住人という印象だった。ロキシー・ミュージックを真似たミリタリー系のファッションからも、まだ完全に卒業できていなかった。スマートかつ謎めいていて魅力的ではあったけど、やや過剰な感は否めなかった。本気なのかただの衣装なのか、観ている側には判断がつかなかった。その必死の形相から、彼らが真剣だってことはわかったけどね。
当時はまだ何も確立されていなかった。Factory Recordsのようなレーベルが生まれる気配もなければ、そのシーンが音楽史に名を残すなんて誰も考えもしなかった。人々はただ、目の前で起きていることに興奮していたんだ。バズコックスやザ・フォール、他にもたくさんのバンドがマンチェスターで生まれているっていう状況にね。個人的にはWarsawっていう名前は好みじゃなかったし、曲もはっきり言って月並みだった。未熟でもがいてるロックバンドっていう印象だったけど、そのもがき方に何かしらユニークなものを感じたのは��かだ。
■ 1977年6月3日: マンチェスター The Squat
■ 1977年6月6日: ニューカッスル Guildhall
■ 1977年6月16日: マンチェスター The Squat
■ 1977年6月25日: マンチェスター The Squat
■ 1977年6月30日: マンチェスター Rafters
Richard Boon: やつらは未熟もいいとこだったが、バンドに不可欠なエネルギーと情熱だけは備わってた。パンクムーヴメントの初期に結成されたバンドの大半はロクでもなかったけど、Warsawにはスピリットがあった。ただ楽しんでるフッキーとバーニーとは違い、イアンは若さゆえの情熱に満ちていて、何かを発散せずにはいられないっていう逼迫感があった。
バーナード・サムナー: 初ライブの時は死ぬほど緊張したよ。自分がステージに立つなんて、小さい頃には考えたこともなかったからね。緊張してはいたけど、同時にものすごく興奮してた。世界中を飛び回っていろんな人と出会う、そんな生活を想像するだけで胸が躍った。あのライブを境に、俺の人生は大きく変わったんだ。
ピーター・フック: 初ライブの日からメンバーが固まった週の最終日までの間に、俺たちは5つのギグをやった。6ヶ月間の充電期間を挟んだ後、Electric Circusでバズコックスの前座をやって、数日後にSquatでThe Worstと競演した。その日は確かThe Dronesも一緒だったと思う。翌日にはニューカッスルでThe AdvertsとPenetrationと対バンし、火曜日にはまた地元のRaftersでジョニー・サンダースと一緒にやった。とにかく楽しくて、夢を見てるみたいだったよ。「明日パンクのイベントがあるんだけど、ライブやってくれないか? ガソリン代くらいは出せるよう頑張るからさ」なんて風に声をかけられたら、俺たちはどこにでも行った。果てしなく自由で、どこまでも気ままな日々だった。
本記事はJon Savage著『THIS SEARING LIGHT, THE SUN AND EVERYTHING ELSE: Joy Division: The Oral History』から抜粋されたものです。 Copyright c 2019 by Jon Savage. Published by Faber & Faber.
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ここ何日がずっとそわそわが収まらなかったぜ! トム・クルーズ主演の新作『バリー・シール アメリカをはめた男』を観てきました! トムの主演作は、夏に公開された『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』ぶりですね。 彼はここ数年は毎年何かしらの主演映画があるけど、ちゃんと休んでるんだろうか・・・
バリー・シール アメリカをはめた男(American Made)
監督 ダグ・リーマン 脚本 ゲイリー・スピネッリ 出演者 トム・クルーズ サラ・ナイト ドーナル・グリーソン ジェイマ・メイズ 公開 2017年 製作国 アメリカ合衆国
あらすじ
天才的な操縦技術を誇り、民間航空会社のパイロットとして何不自由ない暮しを送っていたバリー・シールの元に、ある日CIAのエージェントがスカウトに現れる。 CIAの極秘作戦に偵察機のパイロットとして加わる事となったバリーは、その過程で伝説的な麻薬王パブロ・エスコバルらと接触し、麻薬の運び屋としてもその才能を見せ始める。 ホワイトハウスやCIAの命令に従いながら、同時に違法な麻薬密輸ビジネスで数十億円の荒稼ぎをするバリー。 しかしそんな彼の背後には、とんでもない危険が迫っていた・・・(公式サイトより)
実在した男、バリー・シールの半生を描いた伝記物語。 監督は『ボーン・アイデンティティ』や『ジャンパー』のダグ・リーマン。 ダグ・リーマンというとばりばりアクション監督のイメージですが、今回は珍しくドラマ映画を製作しています。 主演はトム・クルーズ。2人は『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で共演していますね。 トムが実在する人物を演じたのは、2008年に公開された『ワルキューレ』ぶり。珍しくアクションがメインの映画ではないので、じっくり彼の演技を堪能できそうです。
やっぱアメリカはやることが違うよな!
アメリカのスキャンダルってほんと日本じゃ考えられないくらいぶっ飛んでますね! やっぱアメリカはやることが違うな、スケールでかすぎ! 金やら麻薬やらが絡んだスキャンダル映画って、何回観ても最終的にその感想に落ち着きます(笑) ストーリーは実話のスキャンダル映画として、まさに王道な内容。 なんというか、バリー・シールのやってきたことが地味なのか、脚本が良くないのか、いまいち盛り上がりに欠けるのが残念。 テンポが良くて展開がころころ変わっていくのは面白いですが、淡々としているのでちょっと飽きちゃうときもありました。 もっとキャラクターに貪欲さがあったらよかったな〜 バリーは意外と普通の男なんです。 家族を大切にしていて、あまり金とか権力に固執していないのが、今までみてきたスキャンダラスな男たちと違って新鮮でした。 ストーリー展開よりも、小型飛行機があっちこっち飛び回っているシーンが多かったのも印象に残ってます。 トムらしい演出だな〜と思いました。 飛行機やっぱかっこいいね! 肝心のトムですが、なんともまあお茶目なこと! 調子いいことは言うし、笑顔全開だし、お尻は出すし・・・ 『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』のときも謎の全裸サービスがありましたが、今度は半ケツ。 ご機嫌じゃないですか〜 予告でみたチャリンコを奪うシーン最高でした。
優秀なパイロットから、アメリカ1の密輸王へ
実在したパイロットのバリー・シールという男��半生と、彼がしてきた悪事をド派手にコミカルに描いています。 事実を基にしたストーリーで、わりとドラマチックな演出は控えめ。 腕利きのパイロットだったバリーは、CIAにその腕を買われて密偵の仕事をするようになります。 それと同時に、パナマの独裁者からの麻薬の密輸という仕事も受けるようになります。 アメリカとパナマそれぞれで仕事をこなし、金を巻き上げていく彼の半生を、私たちは彼の独白とともに淡々と追体験します。 やっぱり金と麻薬が絡むので、ラストは今までのツケを払うような終わり方。 はっきりとしたネタバレは避けますが、トムがあの終わり方した作品ってすごく珍しい気がします! まあバリーも悪いやつなのですが、CIAや密売組織に利用されていた部分もあって、誰が悪いってのはな言い切れない。 誰しもが悪くて、みんなどうしようもないやつら! この世の中には金と権力が渦巻いていて、そこに浸かり続けるためにお互いにうまく取引して成り立っている危ない世界ってのがあるんでしょう。 これは80年代の物語だけど、もしかしたら今だってこういうことやってるかもしれませんよね。 私はやっぱり国がクズだなと思いました(笑) あんなに金やら情報やらばらまいて、ソ連への恨みつらみは相当なものだったのでしょう・・・ 製作陣は、あえて今80年代の人物を取り上げることで、クリーンでオープンな政治活動を求めるための警鐘を鳴らしたかったのかもしれません。今アメリカ大変ですからね〜 80年代がいかにスキャンダルまみれで荒れ狂った時代だったのかはよくわかりました(笑) ささっと調べてみたら、冷戦やレーガンの経済政策の影響で景気は落ち込んで、経済的にはあまり良い時代ではなかったんですね。 アメリカ史きちんと勉強しないと、こういう映画を観たとき拾えない小ネタがあるので困っちゃいます。
実は普通の男?
バリーはお茶目で、機転が利いて、頭の回転が早い。 まさにヤバい仕事をこなすのにうってつけの逸材だったのでしょう。 でもなんか淡々と仕事をしすぎて、彼が一体何の目的で運び屋をやっているのかがいまいち伝わりにくかったです。 アメリカ最高!フゥー!ってのしかわからなかった(笑) 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とか『ゴールド 金塊の行方』の主人公たちって、すごく貪欲で野心家なんですよね。 金が欲しい!どんどん稼ぎたい!アメリカンドリームを実現したい!そういった気持ちが全身から溢れ出しているんです。 こいつはとんでもないクズなのに何だか心が惹かれる・・・そんなカリスマ性を彼らからは感じられて、みていて引き込まれました。 ところが、バリーは何のためにあんな危険な任務をして金を稼いでいるのかよくわからない。 CIAの言葉に乗せられてやったと言う感じもない。かつての悪事をダシに脅されている描写も弱い。家族のためにもっと稼いで楽をさせたいなら、金で黙らせるんじゃなくて奥さんをもっと情熱的に説得させるべき。 バカみたいに金を使っているってワケでもない。冷戦の勝利に貢献したいという正義感(?)もない。 なんで?なんで運び屋やってるの? 金があれだけ入っても変わらない性格と、家族への一途な愛を感じるシーンをみるたびに、こんなまともな運び屋っているのか?と逆に驚きました。 ほら、運び屋って大体頭のネジ飛んでるから・・・ もうちょっとバリーがどんな人間なのか掘り下げて欲しかったです。 ドラマチックな要素と、リアルな描写のさじ加減って難しいですね〜
お茶目なトム最高!
ここ数年の中では一番お茶目なトムなのでは!? アクションシーンがないので、今回はじっくりトムの演技を堪能できました。 やっぱりオーラがすごいよね!ちょっとニッコリするだけで全員イチコロですよ。 立ってるだけでカリスマ性を感じる・・・憎めない・・・ 今回は喋るときの「タメ」が3割増しくらいあって、すごく気になりました(笑) そして珍しいベッドシーン。あっそんなにハッスルするんだ!?と、なんかよくわからない感動に満ちあふれる私。 画面にうつってるのはほぼ奥さんだったけど(笑) 無重力状態でハッスルしてるシーンなんか、盛り上がりすぎだろ!とさすがにツッコミを入れたくなりました。 正直見た目に関しては、トムって実在の人物を演じるの向いてないですよね(笑) 顔に特徴がありすぎるのか、本人がモデルになる人物に寄せる気がないのか・・・ 本物のバリー・シールをみたら全然違うじゃん!と(当たり前)笑っちゃいました。 バリーの持つ茶目っ気や愛嬌なんかは、ちゃんと似せてるんだろうと思うんですけどね。 見た目まで似せるって相当難しいけど、マシュー・マコノヒーのように体重増やしたり毛を抜いたりするガッツは欲しいですよね。 また実在人物を演じるときは、『コラテラル』のように衝撃的な姿を期待してます。
小型飛行機が世界各地を巡る
本編で多かったのが、小型飛行機が飛び回るシーン。 飛行機からみえるパナマの大自然や、大海原の美しい映像をみれます。 そして大方の予想通り、トムは劇中の飛行シーン全てを自分で操縦しています。 劇中で何度もみた低空飛行や、急降下の操縦もトム自身でやっているんだとか。 いやーすごいね。トム飛行機大好きだもんね。 単純に飛行機が好きな人がみても面白い映画なのではないでしょうか。
良かった点
・テンポがいい ・お茶目なトム コミカルでテンポよくストーリーは進んでいきます。 重苦しい内容の物語はちょっと・・・という方にオススメ��� トムはとってもキュートでした!
悪かった点
・人物描写が弱い バリーがどういう考えでそれまでの仕事をこなしてきたのか、彼の心情をもう少し描いて欲しかったです。
まとめ
アメリカの闇を覗ける映画シリーズに、新たな作品が誕生しました。 こんなこと本当にあったのか?と目を疑いたくなる衝撃的な内容は、アメリカのスケールのでかさに驚かされます。 やってることはかなりぶっ飛んでますが、主人公はわりとまともな男で、キャラクターのぶっ飛び要素は物足りなかったです。 ・・・完全に『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に侵されてますね(笑) トムのお茶目な演技や、小型飛行機の操縦シーンも楽しんでください!
バリー・シール アメリカをはめた男
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【共感シアターナビ】たくさんの投稿頂きました!「おすすめしたい日本のアニメ映画」投稿全部ご紹介!

先日13日火曜日の21時より放送された共感シアターナビの中で、視聴者の皆さんの声を紹介するコーナー「俺たち共感族!」のお題は「おすすめしたい日本のアニメ映画」でした。 募集をかけたところ、多くの視聴者から熱いコメントをたくさん頂きました!ただ、番組内では放送時間の都合上、全部を紹介することは出来ませんでした。 そこでこの度、放送内ではご紹介できなかった投稿を含めて、視聴者の皆様から頂いた全投稿をこちらに掲載させて頂きます! 視聴者の皆様から寄せられた熱い投稿、ぜひご覧ください!!
番組アーカイブはこちら!
きょたさん
■作品:劇場版シティーハンター<新宿プライベートアイズ> ■おすすめ理由 2019年に公開されたシティーハンター最新作。前作から20年ぶりに作られた新作(パラレルワールドのエンジェル・ハートは除く)シティーハンターは好きだが昔のコンテンツというイメージだったので、正直期待しないで観に行ったが面白すぎて度肝を抜かれた。感想としてはとにかく完璧にシティーハンターをしてるシティーハンターだった。無駄な要素を一切入れていない。 作品のノリや雰囲気、キャラの性格が当時と変わってないから安心して観れる。何より監督や声優が当時のままなのが一番嬉しい!平成最後に神谷明主役のアニメをぶちこんでくれたのは最高でした。山寺宏一、山崎たくみ、茶風林など当時エキストラで出演してた声優が今回メインキャラになったのは感慨深いものがある。 ギャグシーンも多めで、獠は5分に一回くらいはもっこり言ってたイメージ。もちろん戦闘もバッチリ決める!ゲスト芸能人声優が邪魔してないのもGOOD。話題性ばかりで演技がド下手な「大物ゲスト俳優(笑)」を使う作品が多いが、今回のゲストヒロイン役の飯豊まりえが上手くて物語に集中できた。 そしてシティーハンターはあくまで獠と香が主役だからシナリオ的にもでしゃばってない他にも往年のファンのテンションが上がる要素が多くて飽きさせない。特に音楽。シティーハンターシリーズの歴代主題歌が随所で流れるが、タイミングも曲のチョイスもバッチリ過ぎて聴いた瞬間目頭が熱くなった。 原作を知ってるならあっとなる小ネタも多くて探すのが楽しい。劇場公開時よく言われてた感想で「昔馴染みのラーメン屋に入ってラーメンを頼んだらラーメンが出てきた」というのが秀逸。確かに最近はラーメンを頼んだら冷し中華が出てくる作品が多い。そんななかこの作品が完成したのはまさに奇跡としか言いようがない。 一見するとファン向けな作品のイメージだが内容は「いつものシティーハンター」なので入門書としてもオススメ。映像面もシナリオも完璧で、まさにシティーハンターの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品だった。 ■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム! ■おすすめ理由 デジモンアニメの中で一番好きな作品。40分という短��尺の中に恋愛、戦争、生活、友情、勝利など様々な要素が詰まってる映画。最初はいたずらメールを送るくらいのコンピューターウィルスがどんどん進化していき、レジの代金をバグらせてとんでもない代金にしたり、交通機関を乗っ取って電車を暴走させたり少しずつ世界を混乱させていく…… それを阻止するため主人公達が立ち向かうというストーリー最終的には核ミサイルまで発射されてしまい、日本を壊滅させようとするスケールのデカさにビックリしたこの映画に「島根にパソコンあるわけないじゃん」という台詞があるが島根県出身の身として言わせてもらうと、一応パソコンは当時から島根にもあったぞ~~!!
鶴岡亮さん
■作品:クラッシャー・ジョウ ■おすすめ理由 僕がオススメしたいアニメ映画は「クラッシャー・ジョー」です。本作の舞台は2160年の宇宙で、主人公ジョウ率いる宇宙の何でも屋の「クラッシャー」がある依頼を受け、壮大な戦いと陰謀の渦に巻き込まれていくというスペースオペラものです。 このアニメの見所は何と言っても監督のみならず、作画監督も務めた安彦良和さんを始めとするアニメーター陣による圧倒的な作画力です。河森正治(かわもりしょうじ)さんデザインのスターファイターが宇宙空間で繰り広げる激しいドッグファイトシーンや、カーチェイスやクリーチャーを相手にした豊富なアクションシーン、人間の身体の動きを滑らかに描いたガンファイトシーン等が、80年代アニメブーム時代の高クオリティな作画で楽しめます。ストーリーも若干フィルムノワールを思わせる敗者の哀愁を漂わせる面があり、一見スタンダードなスペースオペラという体制をとりつつも、そういう所を取り入れてくるのが学生運動経験者の安彦良和監督らしく面白い所です。 後、一部の人にしか判らないでしょうが、安彦良和さん作画の「ダーティペア」が一瞬見れる所も今作の見所です! 高クオリティな作画を楽しみたい方には楽しめる作品だと思いますので、未見の方が居たら是非ともご覧下さい! ■作品: 機動警察パトレイバー2 the Movie ■おすすめ理由 この作品は言わずと知れた押井守監督作品のアニメ映画。 本作は90年代に作られた作品で、当時日本で問題になっていた自衛隊の海外派兵問題や、それを是とする日本国の情勢に対して、押井監督の鋭い指摘が冴えまくった作品です。 横浜ベイブリッジにミサイル発射テロが行われるシーケンスに代表される印象深いカットワークてんこ盛りの本作ですが、中でもテロに対して東京に非常事態宣言が発行され、新宿、渋谷、池袋に自衛隊が駐留し、「日常から非日常」へと転換していくシーケンスは非常にインパクトがあり一見の価値があります。 奇しくも、この映画が公開された1993年の2年後の1995年にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生し、「このアニメに影響されたテロでは無いか?」と物議を醸し出しだす事になりました。 社会、こと日本について描いた作品というと、庵野秀明監督の2016年の「シンゴジラ」が挙げられますが、本作「機動警察パトレイバー2 the Movie」は押井守監督が90年代の日本の状況を克明に描き出し、予言とも言える快作を作り上げました。 ポリティカルサスペンスとして非常に完成度が高く、90年代という日本の時代性を語る上で外せない作品だと思うので、未見の方は是非ともご覧下さい。
バッファロー・ビルさん
■作品:今敏監督作品「パーフェクトブルー」 ■おすすめ理由 アイドルを卒業し、女優への転身を決意した主人公。彼女は事務所の要望となりたい自分との狭間で思い悩むようになります。現実と虚構が曖昧になっていく中、彼女にストーカの影が・・・最近では実写でもあまり見かけなくなったサイコホラーという題材。 90年代はセブンとか羊たちの沈黙とかやたら多かったですが、人間というものの気持ち悪さをここまで、それもアニメで本格的に描いた作品はあまりないでしょう。 98年の作品ですが、インターネット、芸能界の思惑、ストーカー等、現代でも十分通じる物語です。この作品がダーレン・アロノフスキー監督の「レクイエム・フォー・ドリーム」「ブラックスワン」に影響を与えたことは有名です。2010年にお亡くなりになった今敏監督。訃報を聞いた時はとてもショックでした。本当に残念でなりません。
肴はサラダチキンでいいさん
■作品: OVA版ブラックジャック カルテX しずむ女 ■おすすめ理由 皆さんに見てもらいたいアニメで考えた結果これしか思いつきませんでした。また変化球気味で映画ではなくVシネマアニメですが、ギリOKという事で。 今作は手塚治虫先生の原作話で週刊チャンピオンで連載される訳でしたが、当時の公害描写などの理由でお蔵入りとなった話がOVAでアニメ化された物です。 ブラックジャックは医療アニメである前にヒューマンドラマだという事が分かる素晴らしい作品です。共感族の皆さんにも機会があれば是非見てもらいたいですね!^_^
nksさん
■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム! ■おすすめ理由 本作は知る人ぞ知る細田守監督の出世作で、東映アニメ祭りで上映された、40分の短編映画です。 アニメーションの革新性、主要登場人物8人の手際良い配置、適度なギャグ、魅力的なアクション、どれを取っても20年前とは思えない出来の良さです。 スピルバーグが〈映画うま男〉なら、細田守は〈アニメうま男〉といったところだと思います。 細田監督がメジャー化してからの作品である「サマーウォーズ」は、実質本作のリメイクですが、個人的にはラスト10分でミサイルが着弾するスリルが現実の上映時間10分とぴったりリンクする所など、完成度において「ぼくらのウォーゲーム」の方が優れていたと思います。
■作品: 海獣の子ども ■おすすめ理由 本作は、主人公の少女(cv.芦田愛菜)が魚と会話できる不思議な力を持った少年と出会い、ひと夏の冒険を通じて海/地球/宇宙の神秘と生命の起源を知るという、ジュブナイルものかと思ったら「2001年宇宙の旅」だった、という映画です(なに言ってるか分からなかったらスミマセン。)。 ストーリーが難解でつまらないといった評価が多いですが、2001年やプロメテウス、エヴァが好きな私にとっては、大好物の作品でした。 しかしなんといっても本作最大の特徴は、一枚一枚が水彩画であるかのような、圧倒的な画力です。日本で同時期に公開された「スパイダーバース」と比較しても、勝るとも劣らない画の密度で、ハリウッドからの挑戦状に日本から回答を示すなら本作「海獣の子ども」だと思います。 2019年10月、制作会社のスタジオ4℃でアニメーターの残業代未払い問題が報道されました。そもそも本作は企画から完成まで6年を要した労作であり、そりゃ作り手が何人か倒れててもおかしくないよなと思いました。が、一観客として、「その成果はちゃんと届いてるよ!!」と、改めてアニメーターさん達に拍手を送りたいと思います。
甘えん坊将軍ユウスケさん
■作品:クレヨンしんちゃん~嵐を呼ぶジャングル~ ■おすすめ理由
しんちゃん映画だときっとオトナ帝国と戦国が挙げられるでしょうが、あの二作はアニメ映画としては最高ですが、しんちゃん映画としては言いたいことがあるので敢えてあの二作の直前の本作をピックしました。 擬似的な親離れ家族離れ体験としていつもの五人でジャングル探���してギャグシーンを満載にした前半(原恵一監督は結構このシチュエーションやってる気がするのですが、このテーマ好きなんですかね?)。一人の兄としてひまわりちゃんを守って頑張る中盤。徹底的にまたギャグに振ったみさえ&ひろしの救出シーン。で、本作最大の見処であるしんちゃんの憧れのヒーローであるアクション仮面のくだりです。 単純な強さで言えば、悪役のパラダイスキングに劣ってしまうアクション仮面ですが、皆の応援、特にどんな時でも憧れのヒーローとして慕ってくれるしんちゃんの声援と、悪役にはない優しさがあるからこそ勝つと言うちゃんと「正義は勝つ!!」のロジックを下手なアメコミ映画よりちゃんとやっている点。 また、ハリボテの城に住み、「力」は手に入れたが、また本当の意味で声援を送ってくれる者の居ない文字通り「猿山の大将」である、ある意味でヒーロー俳優としてあり得たかもしれない別視点の自分が最大の悪役として立ちはだかる点。 これら昨今のアメコミ映画に有りそうな題材をアメコミブームの10年近く前に既に、ちゃんとやっていると言う点ではヒーロー映画としての完成度は抜群に高いとと言いたいです。また、最後はバッチリお下劣ギャグやナンセンスギャグで締めてくれるのも最高ですね。 オトナ帝国や戦国、ロボとーちゃんばかりが、もてはやされがちですが、ギャグとアツい展開のバランスが取れてるクレしん映画としておすすめしたい一本です(特に特撮ヒーロー好きなら大西さんにもおすすめです。既にご覧になられてるかもしれませんが…笑)。
nikiさん
■作品: 時空の旅人 ■おすすめ理由 『火の鳥・鳳凰編』と同時上映の80年代角川アニメです。子供のころ、戦国時代が好きだったこともあり、劇場で見ました。こういったガキの時に見て面白かった作品が今見ても面白いのか?という疑問は昔の作品にはつきまとうと思うのですが、『時空の旅人』は大人になってから見ても面白かったです。 萩尾望都のキャラクターデザインの作画、竹内まりやの曲もいい感じです。ただ、ストーリーが原作ほど緻密ではない点、唐突に挟まれる角川春樹の俳句には目をつぶってください。
きゃわぐちさん
■作品:第5位 「帰ってきたドラえもん」と「サマーウォーズ」をセットで挙げます! ■おすすめ理由 13年前、まだ映画で涙した経験のない、鉄仮面だった高校生の私を大号泣させたのが、アメトークのドラえもん芸人で見た「帰ってきたドラえもん」でした。以来、涙腺がブッ壊れ、ついに映画館でも初めて泣いてしまったのが「サマーウォーズ」の花札のシーンです。 当時はセカチューや「1リットルの涙」から続いていた闘病モノブームもあって、そういう“お涙頂戴”がことさら多かった気がするのですが、“悲しさ”ではない感動で泣く、という経験ができるのもこの2本のいいところですね。
■作品: 第4位 「この世界の片隅に」 ■おすすめ理由 第4位は一転して底無しの“悲しさ”に泣けてしまう「この世界の片隅に」です。戦争モノのアニメ映画といえば、「はだしのゲン」や「火垂るの墓」や、いわゆるグロくて強烈な作品は数あれど、こんなにも穏やかな、それでいて辛い作品があったでしょうか!? 全編にわたりほぼほぼ戦闘シーンがなく、主人公・すずさんのおっとりした性格も相まって、日常系のアニメを観ているかのような気分になりそうな本作。しかし確実に戦時中である、というギャップが、どうしようもなく悲しい。去年の終戦記念日に初めて観たのですが、すずさんの穏やかな暮らし、健気な性格を見ていると「戦争さえなければ、平和に幸せに暮らせていたはずなのに」という思いが込み上げてきて、クライマックスでも何でもないシーンで涙が止まらなくなりました。 そして、当時の日本には何万人、何十万人という“すずさん”がいたのだという事実が現実味を帯びて感じられます。紛れもなく、映画史に残る名作です。 ■作品:第3位 「 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 ■おすすめ理由 これは「クレヨンしんちゃん」という子供向けコンテンツを、大人の視聴にも耐えられる、むしろ大人こそ感動できる作品へと昇華させた金字塔的作品です。クレヨンしんちゃんの映画として必須な“お下品な笑い”はふんだんに盛り込んでおきながら、成長して見返すと泣かずにはいられない感動もある。 見る年齢によって、泣き所が変わってくるのもポイント。いつ観ても笑って泣ける、最高に楽しい映画です!こっちは何回も観るからブルーレイ化してくれ! ■作品:第2位 「 ルパン三世 カリオストロの城」 ■おすすめ理由 挙げるまでもない名作ですが「ルパン三世 カリオストロの城」! ・言わずもがな抜群の完成度。 ・テレビで流れていればつい観てしまう ・何度も観ているから安心感があるのに、何度観ても飽きのこない面白さまさにアニメ映画界の「ターミネーター2」! 今さら観てない人はいないと思いますが、「クラリスって誰?」という人がいないとも限らないので、念のため第2位にランクインです。 ■作品:第1位 「 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」 ■おすすめ理由 そして第1位は、完全に私の趣味「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」で決まりです!もちろん世代ではなく、小学生のころケーブルテレビで父に見せられたのがきっかけ。テレビ版も見たことがなく、最初に触れたヤマトが劇場版2作目の“さらば”。 まだアニメといえばドラえもんやクレヨンしんちゃんやコナン、あるいは少年漫画の単純な勧善懲悪しか知らなかった私に、いきなりの“さらば”はまさに世界がひっくり返るような衝撃でした。見終わったあとテレビの前で呆然としていたことは、20年以上経った今でも覚えています。ボロボロになっても戦い続ける、ヤマトの不屈のカッコよさ、白色彗星帝国の圧倒的な強さと絶望感、クライマックスの激闘、そしてきゃわぐち少年を衝撃の渦に呑み込んだラスト。最高と言うほかありません! ただ、ヤマトに限りませんが、大人になってから初めて触れると、どうしても奥にいる製作者や、話の辻褄ばかりに目がいってしまって、純粋に作品の世界に没頭することが難しくなるもの。でも子供の頃に観たものなら、大人になってもずっと“あの頃”のまま楽しむことができます。 共感シアターをご覧の皆さんで小さなお子さんを持つ方がいたら、早いうちに「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見せることをオススメします。あと「あしたのジョー」。 余談ですが、共感シアターではだ〜れも観てない「鬼滅の刃」、僕は初日に行ったしブルーレイも予約したし、結構感動しました(笑)
アレスさん
■作品:「 マジンガーZ対暗黒大将軍」 ■おすすめ理由 無敵のスーパーロボットと思ってたマジンガーZが新たに現れたミケーネ帝国の戦闘獣軍団にボロボロにされるのは幼心にそれはもうショッキングでしたが、そのピンチを救うべく飛んできたグレートマジンガーの無双ぶりはそれを上回るインパクトでした。 「マジンガーZの兄弟さ」とだけ言い残し飛び去って行くラストシーンの格好良さはアニメ映画の括りだけじゃなく、映画のマイオールタイム・ベストシーンです。
ぜんぞう
■作品:「 餓狼伝説/劇場版」 ■おすすめ理由 さて、おすすめしたい日本のアニメ映画ですが、僕のおすすめ日本アニメ映画は、「餓狼伝説/劇場版」です。「AKIRA」や「オネアミスの翼」等、大好きなアニメ映画は沢山ありますが、他の皆様のおすすめにあがりそうなので、あまり語られることのないであろう、「餓狼伝説/劇場版」をおすすめしたいと思います。 制作当時、隆盛を極めたSNK製のビデオゲーム「餓狼伝説」シリーズを基にした、劇場版ならではのスケールの大きいオリジナルストーリーがとにかく魅力的。ゲームでお馴染みのキャラクター達が、伝説の闘神の鎧を巡ってインディ・ジョーンズよろしく遺跡を巡り、謎を解き、鎧を狙う敵対勢力と超人バトルを繰り広げる展開は圧巻の一言。 ダイナミックなアクションとミステリアスなストーリーは、これぞ日本アニメ!「ヘルボーイ/ゴールデンアーミー」にも影響を与えた(と勝手に推測している)クライマックスも含め、見所満載のスペクタクルアニメ映画です。ぜひぜひ、ご鑑賞ください。
ヱキストラさん
■作品:クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ(2004年) ■おすすめ理由 クレヨンしんちゃん界隈の映画秘宝こと「クレヨンしんちゃん研究所」で絶賛された本作品。往年のマカロニ・ウェスタン/アウトロー作品への愛を異常なほど感じさせる本作は、これまでの明るい雰囲気を出さないためか、オカマキャラを一切登場させない徹底ぶり。 「荒野の七人」「夕陽のガンマン」「マッドマックス」「ローン・レンジャー」など自分がわかるだけでも数作品のオマージュ/パロディが随所に散りばめられていて、その上、元ネタを知らなくても楽しめるクオリティの高さでした。加えて最後のオチは、"映画"というギミックを笑っちゃうぐらい見事に活用! 上映時間は95分で、Netflixにも公開されているので、映画好きな共感族の皆さんにも、是非一度ご覧いただきたい作品です( ´-`)
リノス屋さん
■作品: バンパイアハンターD (英題:Vampire Hunter D: Bloodlust) ■おすすめ理由 古典的なモンスターホラー要素に、SFファンタジーや西部劇の要素も併せ持つ作品です。 舞台設定は、遥か未来。“貴族”と呼ばれる吸血鬼に支配された世界で、人類は家畜同然な存在に。貴族達に怯えながらも、なんとか生活を保っている人類に味方をするのが、人間と吸血鬼の混血で、吸血鬼ハンターを生業にしている、主人公“D”。全身黒ずくめで、大きな旅行帽を被り、背中に長い刀を背負い、左手には人面瘡(じんめんそう)を宿し、顔立ちは美形という、一見地味に見えてカリスマ性のあるこのキャラクターがまず魅力的です。 映画の内容は、名門と云われるエルバーン家の少女が、貴族に誘拐される所から物語が始まり、それを知ったエルバーン家の者が、主人公Dや人間の吸血鬼ハンターいち味を雇い、少女救出へと向かわせます。後に、『マトリックス』のオムニバスアニメ『アニマトリックス』の一作品を手掛ける事になる、監督の川尻善昭(かわじりよしあき)さんが描く、道中でのアクション等見所が随所にあり、混血な故に貴族からも人間からも毛嫌いされ、しかしながらも奮闘する主人公Dの孤独な戦いもドラマに絡んできて、終盤には思わず涙を誘われます。 又、この作品の公開時は、英語版での上映のみでしたが、ソフト化の際には、日本語版も発売され、声優ファンには堪らない錚々たるメンバーがキャスティングされております。特に、主人公の左手に宿る人面瘡(じんめんそう)の声を、永井一郎(ながいいちろう)さんがアテられていて、無口な主人公とは対照的に、ユーモアや皮肉に溢れるキャラクターを演じられていたのが印象的でした。『バンパイアハンターD』は、映画以前にもOVAやオーディオドラマ、プレステ用ゲーム等のメディア展開も多くあります。 何より、菊地秀行(きくちひでゆき)さん原作の小説には、キャラクターデザイン兼挿絵をファイナルファンタジーシリーズのイラストでも有名な、天野喜孝(あまのよしたか)さんが手掛けられていて、天野さん自身の個展でも度々、同作品のイラストも出展している為、おそらく共感シアターの皆様も、どこかで一度は“D”を目にしたことがあるかもしれません。
孔明(MOVIE TOUCH)さん
■作品: トランスフォーマー ザ・ムービー 1986年公開作品 ■おすすめ理由 1984年にアメリカでトランスフォーマーの玩具が発売され、テレビアニメ放送もあって大ヒット。それを受けて製作されました。テレビアニメ同様に日米合作で、作画は主に日本の東映動画(現:東映アニメーション)が担当。最初のテレビアニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(通称:初代)」の続編ですが、本作は当時の子供達に深い傷痕を残しました。 開始30分以内に玩具の在庫処分のために初代に登場したトランスフォーマーの殆どが無惨にも殺されていき、同時に新商品の宣伝のために新しいトランスフォーマー達が主役の物語が容赦なく始まるという衝撃���な内容。総製作費40億円(尚、半分しか使い切れなかった)をかけた本作はCGと見間違える程の神作画が終始続き、日本のアニメーター達の底力を見られます。特に星帝ユニクロンの変形シーンはロボットアニメ史に残る神シーンです。ジャド・ネルソン、レナード・ニモイ、エリック・アイドル、オーソン・ウェルズらが声優として出演。 また本作はオーソン・ウェルズの遺作でもあります。勢いある80年代を象徴するような本作のアルバムは映画アルバムでもベストに入れたいほどの名盤で、特に主題歌「The Transformers Theme」と挿入歌「The Touch」は海外アニソン屈指の名曲。因みに劇伴は「ロッキー4/炎の友情」のヴィンス・ディコーラ。日本は玩具発売元であるタカラ(現:タカラトミー)の大人の事情で劇場公開に至らなかったものの、後にチャリティ上映やソフト販売が一応行われました。 現在国内で合法的に見る方法は北米版ブルーレイ(勿論日本語音声も字幕も無し)を海外から取り寄せる以外ほぼ皆無で、他はネットに違法アップされた物を見るしか方法がありません。しかしタカラトミーもブルーレイ発売や配信をする気が無いのにも関わらず本作の玩具を出しまくっているので事実上黙認状態(因みに今月も発売予定あり)。実写映画版シリーズで本作から引用されているシーンや台詞、設定がかなり多いので是非見てください。 ■作品: ガールズアンドパンツァー 劇場版 ■おすすめ理由 ある意味戦車アニメ版ワイルドスピード。その熱さは実際に鑑賞した多くの映画ファンから同年公開の「マッドマックス 怒りのデスロード」に匹敵すると言われた程。 砲撃戦のみならず戦車で戦車を投げ飛ばして攻撃、戦車同士で格闘戦、ジェットコースターのレール上で戦車チェイス、窮地を救う観覧車先輩などなど、「戦車でそんな使い方アリ?!」のオンパレード!仲間はファミリー同然に面倒を見る!一度戦った相手はマブダチ!応援大使は蝶野正洋!一見あり得ない戦車戦の裏には膨大なリサーチに裏付けられた世界トップクラスの再現度を誇る戦車描写があり、リアリティとファンタジーが見事に融合した戦車映画になっているのです。 特攻野郎Aチーム的な「どんな奇策でその場を乗り切るか」という展開も見どころです。オーケストラで収録された劇伴も作品を盛り上げる良い仕事ぶりを発揮し、オリジナル楽曲以外にもリパブリック賛歌やフニクリ・フニクラなど様々な国の曲が使われるので大変勉強になります。共感族なら一度は聞いた事があるであろう、あの映画にも出てきたあの楽曲も使われます。また劇中歌「おいらボコだぜ!」は人生何度ボコボコにされても立ち上がる力をくれる素晴らしい歌です。 現在劇場用OVA最新作「ガールズアンドパンツァー最終章 第3話」が公開中。それに合わせてNetflix、dアニメストア、Huluなどの各配信サービスにて本作ほかシリーズ作品が見放題配信中、更にシネマサンシャイン系列劇場などでリバイバル上映中です。以前アニメ業界にいたのですが、業界人として見ても手描きアニメと3DCGを組み合わせる現代のアニメの中でもトップクラスの作品と言える程クオリティは高いと思います。また、私が業界にいた頃にお世話になった方々が関わっていますので、是非ご覧いただければと思います。 因みにガルパンのムック本「不肖・秋山優花里の戦車映画講座」は監修/執筆が青井邦夫さん、執筆協力の1人が高橋ターヤンさん!ガルパンは実質共感シアター案件では?! 以上になります! 今回は「日本のアニメ映画」というように限定しましたが、アニメ映画はまだまだたくさんありますので、また皆様からのお声を募集したいと思います! お楽しみに!!
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