#ジュニア強化指定選手
Explore tagged Tumblr posts
5tora · 4 months ago
Text
〖50〗滋賀国体強化指定選手の選考
【大会当日まであと110日】  2025.02.25
いよいよ50号です。何気ない思い付きを毎日綴ってきました。あっと言う間の出来事でした。またこれから��、気になることや大会関係情報など、気ままに自由に綴っていきます。改めてよろしくお願いします。
今日は、以前の県協会からの連絡事項の続きです。県協会の先輩からの連絡をお知らせします。ひと足先に、五島トライアスロン協会の公式HPでは公開しているものです。「国体強化指定選手選考・ジュニア強化指定選手選考」についてです。
Tumblr media Tumblr media
滋賀国民スポーツ大会強化指定選手の選考、同長崎県代表選手の選考、及び、2025年度ジュニア強化指定選手の選考について(選考基準) 1.強化指定選手選考について 2025年度滋賀国民スポーツ大会に向けて選手強化をおこなうため、強化育成委員会で県スポーツ協会指定の国スポ強化選手、及び長崎県トライアスロン協会指定の強化選手を選出する。選考は、優先順位①~②で、以下の基準で行う。 ①NTTトライアスロンジャパンランキング(2025年3月31日時点) ②2025年JTU認定記録会の記録(2025年3月31日時点) 1~3位までは県スポーツ協会指定の国スポ強化選手、4~6位は長崎県トライアスロン協会指定の強化選手とする。 ※国スポ予選(5月25日に天草で行われる九州ブロック選手権)にエントリーしている選手またはNTTトライアスロンジャパンランキングを持つ選手であること。 ※認定記録会は、スイム400mおよびラン3000mのタイムトライアル。記録は、スイム記録+ラン記録の合計を正式記録とする。
Tumblr media
2.滋賀国民スポーツ大会 長崎県代表選手選考について 2025年度滋賀国民スポーツ大会の長崎県代表選手選考は、優先順位①~③で、以下の基準で行なう。 ①2025年NTTトライアスロンジャパンランキング(2025年7月31日時点。ただし県スポーツ協会の国スポエントリーの締切が早まった場合は前倒しする場合もある) ②5月25日に天草で行われる九州ブロック選手権 ③九州ブロック選手権が中止の場合、または決定できなかった場合、2024年11月~2025年6月の認定記録会記録の順位により決定する。選手の希望があれば、6月に認定記録会を開催する。 ※基準①(ジャパンランキング)を満たしている選手も国スポ県予選参加申請を行うこと。 ※荒天等で競技がデュアスロンまたはアクアスロンに変更になっても、その結果を選考の資料とする。 《スケジュール》
国スポ県予選(九州ブロック選手権)にエントリーする~ただしNTTジャパンランキングを持っている選手は必須ではない。
国スポ県予選参加申請を県トライアスロン協会に行う。(4月15日締切)
国スポ県代表選手選考大会(九州ブロック選手権)に出場する。
NTTジャパンランキング、国スポ県代表選手選考大会に基づき上位2名が県代表となる。男女各3位は予備登録選手となる。
Tumblr media
3. 2025年度ジュニア強化指定選手の選考について 以下の認定基準をもとに選考する。 ①JTUジュニア強化指定選手(2025年4月1日以降の認定期間) ②JTU認定記録会で、以下の長崎県ジュニア強化指定基準タイムを突破した選手 U18(16歳~18歳)スイム・ラン合計で23級以上 U15(13歳~15歳)スイム・ラン合計で10級以上 U12、U10、U8(12歳以下)スイム・ラン合計で8級以上 ※上記は、2025年12月31日現在の年齢に基づく。強化指定選手は、県外大会出場に一部補助を行う。 ジュニア選手の強化活動は以下のとおり行う。 ア、定期的な練習会 ・現在、毎週日曜日10時~12時、長与,神ノ島、諫早干拓地などで練習を行なっている。 イ、国スポ強化練習会への参加 ・中高生で実力のある選手は、国スポ強化練習会へ参加する。 ウ、U19日本選手権、全国高校選手権、全国中学大会、その他大会への出場 ・県ジュニア強化指定選手または、その基準に準ずる競技力を持つ選手で、出場希望選手に対してコーチの帯同など出場をサポートする。 エ、ジュニア合宿 ・1~2泊の合宿を実施する。
Tumblr media Tumblr media
強化指定選手に選ばれるのは、とても名誉なことです。今までの練習の積み重ねを認めてもらったような気分になると思います。また改めてもっとがんばろうというやる気に繋がることでしょう。ジュニアの育成は、長崎県の選手層を厚くするひとつの方法です。私たち大人が、もっとトライアスロンの魅力や素晴らしさを次の世代にしっかりと伝えていきたいですね。
五島トライアスロン協会は、国体強化選手に選ばれたアスリートやジュニアでがんばっている若年層、そしてそれを支えている家族をはじめとする周囲の皆さんを、心から応援しています。
0 notes
ari0921 · 4 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)3月4日(火曜日)弐
     通巻第8680号 
 トランプの長期的な世界戦略が見えた
  優先順位から言って「敵はモスクワに非ず、敵は北京だ」
*************************
 予想されたことだけれど、ゼレンスキーのホワイ��ハウスにおける無礼に悪評嘖々(さくさく)、罵詈雑言の嵐、ところが翌日から左翼メデイアの論調はがらりと変わって、会談を蹴飛ばしたのは「トランプ、ヴァンスなどアメリカ側が悪い」と言い出した。
 ワシントンポストもニューヨークタイムズも、強い論調でトランプを非難し、おどろ��ことにゼレンスキーのやらかした無礼を不問にふしている。共和党のマコースキー上院議員は「嘔吐をはきたい」との非難の談話。彼女はヘグセス、カシェ・パテル、ギャバードの指名にことごとく反対し、RINO(名前だけ共和党)を代表した。トランプはアラスカ州の次期上院選にかならず別の候補を立てて彼女を潰すだろう。
 戦争はどちらが正義で、どちらが悪いとは言い切れない。双方に正義があり、お互いが正義のために闘っていると信じている。
戦争の最中に「義」は行方不明となって、残りは復讐、血の報復である。どちらかが完全に降伏するか、でなければ納得できる停戦か、さもなくば泥沼は長引く。ブカレスト合意、ミンスク合意はお互いが破った。戦争を続ければ裨益する勢力が背後にいる。
「ウクライナが正しくロシアが間違いという議論は成り立たない」(ミアシャイマー)
 トランプの目的は停戦の早期実現にある。理由は簡単で、この愚かな殺し合いはオバマとバイデンが始めた戦争、その前に歴代政権が展開した「民主化」という看板の美名に隠してのグローバリゼーションだから、自由主義にたつ共和党の理念からは遠い。
トランプの長期的な世界戦略に於いて、窮極の戦略は中国との対決であり、優先順位から言えば、ウクライナは順番が低い。めざしているのは「ヤルタ3・0」である。筆者は先日まで「ヤルタ2・0」の続きと考えてきたが、新しいフェイズに突入した。
 
トランプの長期戦略は優先順位型思考で構成されており、「敵はモスクワに非ず、敵は北京にあり」。
そしてこの考え方は欧州には受け入れられないということである。
ウクライナ戦争「以後」の世界地図の改編は、米露首脳の電話会談でゼレンスキーを交えなかったようにスーパーパワー2強の話し合いとなった。トランプは「いずれウクライナは加えるが、NATO諸国をのぞく」と言い放ち、シビハ(ウクライナ外相)が「米露二国間。スーパーパワーだけでの���渉はまさに80年前のヤルタ会議(1945年2月)の再現だ」と懸念を表明した。
 ▼ヤルタの密約を彷彿させないか?
 ヤルタ会談はFDR、スターリン、そしてチャーチルの三者が第二次大戦後の世界地図を策定する密談だった。リバディア宮殿(ニコライ二世の別荘)で行われた。
 ルーズベルトは死にかけだった。スターリンは矍鑠(かくしゃく)としていた。ヤルタ会談ではポーランドとドイツの分割、バルト三国のソ連併合、飛び地カリニングラードをソ連が確保し、なかば主権をうしなったモンゴルはソ連支配下に、そのうえで東欧諸国もソ連圏に組み込まれた。 
 ソ連の対日戦線参戦をのぞんだFDRは大幅な譲歩をなした。このためソ連軍は満州へ雪崩れ込み、全千島、樺太を占領した。ルーズベルトは長い船旅につかれ、痴呆症的で病人だった。リバディア宮殿には台所にいたるまで盗聴器が仕掛けられていた。帰国してまもなくルーズベルトは死んだ。後継のハリー・トルーマン副大統領は、なにひとつ知らされておらず、金庫を開けるまでヤルタ密約も、原爆を開発していたことも知らなかったと回想記に書いた。
 それから60年、ブッシュ・ジュニア米大統領は、「あのヤルタ会談は愚かな取り決めであった」と総括した。東西冷戦が1991年にソ連崩壊でおわりをつげ、「ヤルタ2・0」のフェイズに入った。バルト三国と旧東欧諸国も主権を回復し、カフカス三ヶ国、中央アジア五ヶ国が独立を果たした。
ヤルタ体制はソ連の崩壊により「2・0」となったことは見たが、域内の大々的な改編が起こり、結果的にNATOの東方拡大がなされた。旧ソ連圏のバルト三国、旧東欧はNATOに組み込まれ、ジョージア、アルメニア、モルドバが加盟に近づいた。つまりスターリンの野望の実現だったヤルタ体制は、ここで終わった。
そこでロシアは巻き返しを謀り、ルーマニア、ジョージアに介入し、アルメニアにもまもなく介入し、勢力圏を堅持するだろう。
NATOの加盟国でもハンガリー、スロバキアは英仏主導のグローバル化には距離を置いている。戦争の泥沼化によってウクライナがロシア圏に戻るとは考えられないからプーチンとしては、ウクライナを緩衝地帯とし、NATO加盟は断固阻止する。
 ▼ウクライナはさっさと問題解決をしようぜ
さてワシントンでのトランプ v ゼレンスキー会談の決裂の翌日、欧州の16ヶ国はロンドンにあつまり、ゼレンスキーを暖かく迎えた。英仏はその席で「��上部隊の派遣」を呼びかけた。まるで事態を予測していたかのように、ロンドンの16ヶ国首脳会議にはカナダのトルードーも出席していた。
英仏は地上部隊派遣を提案したものの、「これは参戦ではなく「和平部隊」であって「有志連合」による平和維持軍の創設だ」とした。
英仏は積極的だが(つまり左翼政権は前向きだが)ほかの諸国は態度を鮮明にしなかった。
率直にいって平和維持部隊は実現しない。ロシア、ウクナイナ国境は長大であり、重装備の軍隊が15万人は必要である。交代制とすれば三倍、まず兵隊がいない。兵站をだれが保障し、いったいこの費用は誰が支払うのか?
ロンドンで決まったことは(1)ウクライナ支援はつづける(2)和平成立の交渉にウクライナの参加はMUSTである(3)「有志連合」を結成する。
この動きを観察しながら、トランプは「ウクライナへの軍事支援を打ち切る可能性がある」とブラフをかけ、「ゼレンスキーは第三次世界大戦に賭けている」と批判した。
かくして「ヤルタ3・0」の枠組みが見えた。
欧州の亀裂はいずれ分裂状態となり、いまよりも混乱するだろう。となればトランプが次に着手するのは中露同盟に亀裂を入れ、ロシアをなんとしてでも「アンチ・チャイナ」陣営に引き寄せる必要がある。つまり優先順位のトップは中国との覇権対峙であり、地殻変動の波が起こりそうだ。
ウクライナ支援一本槍の日本は、こうしたシナリオの発想もなければ、例によって平和惚け甚だしく、なんの準備もない。
19 notes · View notes
kennak · 2 years ago
Quote
経験と知識が豊富なシニアな存在として「組織の目標達成に向けて組織の成果を最大化」しようと考えると、持続可能性やスケーラビリティの観点から、委譲によって仕事の実行を手放していくことが最適解になる場面が増えていきます。また、組織の目標を志向する過程でそれをエンジニア個人の目標にブレークダウンする責任も同時に負うことになったり、より広い意味でのマネージャーとして人事評価や育成を任されたりもします。��うしたことを考えると、EMを手段によって定義しないと述べたものの、チームとメンバーを機能させ育成することは実質的に必須の仕事になると考えます。 「結局EMはピープルマネジメントをするロールじゃないか」という声もありそうですが、私はそれは芯を食わない指摘だと考えます。あくまで手札のひとつであることに変わりはないですし、そもそもどんな道を進もうが、経験と知識を備えて大きなことを達成しようと考えた時、人を育てて必要な仕事をやってもらうことは必須の技能であるはずです。マネージャーだから人を育てる仕事が求められるというよりは、そのロールに期待される規模の成果を出すには、自然と人を育てることが正攻法になってくるのだと理解しています。テックリードやICのキャリアを歩む人も同じ景色を見ることになるはずです。 以上の思考からチームやメンバーの育成に向き合うことに腹落ちしつつある私ですが、実際に取り組んでいくにあたって重要だと認識したことがふたつあります。 ひとつは対象の状態にあわせたアプローチを行うことです。何かひとつ固定の振る舞いをするのではなく、相手がジュニアなら手厚くティーチングを行い、相手がシニアなら自律性を引き出すコーチングを行うといったことです。こうしたやり方は、エンジニアリングマネージャーのしごと3章の委譲に関する議論や、エラスティックリーダーシップモデル、SL理論など様々なところに現れており、現代のベストプラクティスとして意識するに値するでしょう。また、対象の状態に合わせたアプローチを行うためには、対象の状態をよく把握しなければなりません。観察や傾聴といったメタスキルも同時に重要になってくるはずです。 もうひとつは、狙ったマイクロマネジメントを行うには強い意志が必要だということです。新米マネージャーが意図せずマイクロマネジメントを行い、メンバーの自律性をつぶしてしまうというのは良くある失敗談ですが、ひとたびマイクロマネジメントから離れると、今度は狙ってそれを行うのが非常に難しくなると感じます。理由はいくつか考えられます。丸投げしてしまった方がやることも考えることも少なくて楽ですし、その間に自分は自分で他の仕事ができるのでリソース効率が上がるように見えるし、理論的には手放している状態の方がハイレベルなので(機能していなければ全く意味がないのですが)そちらを目指したくなるという心理もあるでしょう。マネージャーをマイクロマネジメントから遠ざけるバイアスが様々あるという前提で、強い気持ちでマネジメントスタイルを選択していく必要があると考えます。
エンジニアリングマネージャーの最初の学び - このロールは何なのか - yigarashiのブログ
2 notes · View notes
yotchan-blog · 8 months ago
Text
2024/10/24 21:00:25現在のニュース
横須賀火力発電所の簡略化した環境アセスは「適法」 最高裁が上告棄却 神奈川・千葉両県住民側の敗訴確定(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/24 20:58:09) 「園児の声がうるさい」保育園を訴えた住民の敗訴確定 一審「受忍限度超えていない」…最高裁が上告棄却(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/24 20:58:09) 日本ハム新庄剛志監督が続投表明 3年目の今季2位躍進 「まぐれじゃないと証明したい」([B!]産経新聞, 2024/10/24 20:57:29) 警察の「不当な働きかけ」で目撃証言が形成された疑い指摘…38年前の福井・女子中学生殺人で再審決定([B!]読売新聞, 2024/10/24 20:57:27) 山下公園に「港の見える丘公園」も、横浜市管理のすべての公園が全面禁煙へ…違反者には5万円以下の過料([B!]読売新聞, 2024/10/24 20:57:27) 「実感ない」 阪神3位・KMGホールディングスの木下里都投手(毎日新聞, 2024/10/24 20:56:28) 阪神2位指名の報徳学園・今朝丸裕喜 「自分がプロで先に結果を」(毎日新聞, 2024/10/24 20:56:28) 「カープの色に合う選手に」 広島監督、青学大・佐々木泰選手に(毎日新聞, 2024/10/24 20:56:28) 「清原ジュニア」指名されず 父はプロ通算525本塁打の和博さん(毎日新聞, 2024/10/24 20:56:28) 無許可路上ライブ疑いのアイドルグループ、「深く反省」運営法人謝罪(朝日新聞, 2024/10/24 20:55:15) 「継続的な性加害」、社福法人前理事長らに賠償命令 東京地裁判決(朝日新聞, 2024/10/24 20:55:15) 「日本を任せるわけには…」石破首相、立民批判にかじ 政権選択選挙の様相強まる([B!]産経新聞, 2024/10/24 20:52:28) 不正入手したクレカ情報で新幹線チケット大量購入か 2容疑者を逮捕 同様の手口で8億7000万円もの被害(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/24 20:50:17) JR、冬の「青春18きっぷ」改定 1人での連続利用に限定 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 20:48:59) DeNA1位・竹田祐投手の父「泣いてしもうた」 指名を祝福(毎日新聞, 2024/10/24 20:48:44) もっと社会人野球:社会人捕手の指名は5年ぶり 日本生命・石伊雄太 ドラフト会議(毎日新聞, 2024/10/24 20:48:44) 無人システムの海上合同演習、日本がオブザーバー参加 米英豪と連携(朝日新聞, 2024/10/24 20:47:39) 「中野サンプラザ」区長も驚く工事費高騰で解体もできず 再開発計画見直し、2029年度内の完成困難に(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/24 20:42:20) 東京都心で26.3℃ 10月「夏日」14回目で最多更新 藤沢では9月上旬並みの28.7℃に(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/24 20:42:20) 「丸善北九州店」25日オープン 西日本初の「まなびのエリア」も(毎日新聞, 2024/10/24 20:41:36) 教員がクイズ番組優勝、賞金で校舎に映像投影 「合格勝ち取って」(毎日新聞, 2024/10/24 20:41:36) 広島市内の路面電車とバス、220円から240円へ 25年2月 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 20:40:48) 秋田内陸線が「秋田の酒蔵列車」 12月14日から9回 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 20:40:48) 新潟市内のJR新駅「上所駅」、高校生がデザイン 駅名標など - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/24 20:40:48) 愛知1区で保守河村氏が先行 静岡1区は自民上川氏リード 三重2区は自民立民の競り合い 衆院選2024 終盤情勢 東海([B!]産経新聞, 2024/10/24 20:38:39) 記者の目:ガザで失われ続ける命 私たちにできることは=和田浩明(川崎支局) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/24 20:38:16) 「侍ジャパンで中軸」が目標 楽天ドラフト1位 明治大・宗山塁内野手(毎日新聞, 2024/10/24 20:32:05) 京都国際高から6年連続ドラフト指名 今夏の甲子園優勝(毎日新聞, 2024/10/24 20:32:05) 「西洋美術史の顔」 最後まで見て、書いた 評論家・高階秀爾さん(毎日新聞, 2024/10/24 20:32:05) 寄稿:ハン・ガン氏のノーベル文学賞を受けて 痛みと食、生への回復=斎藤真理子(翻訳家) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/24 20:31:11) 想田監督の4年ぶり新作「五香宮の猫」 野良猫の姿から 人間社会を問う:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/24 20:30:43)
0 notes
omiznewsviews · 2 years ago
Quote
九州場所の序ノ口は13日目の24日、安青錦が序二段の二十城と対戦し、得意の右四つに組んで一気に寄り切って勝ち、7戦全勝で優勝しました。 安青錦は7歳から相撲を始めて4年前の世界ジュニア選手権で3位となり、その後、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から逃れて相撲を続けるため、2022年4月に来日しました。 友人がいる関西大の相撲部で稽古を積んだあと、2022年12月に安治川部屋に入門し、ことしの秋場所の前相撲で初土俵を踏みました。 今場所は西の序ノ口14枚目で初めてしこ名が番付に載り、師匠で元関脇 安美錦の安治川親方から指導を受けている前まわしを取っての出し投げや、押し相撲で白星を重ねました。 24日は関西大の友人が観戦に訪れていたということで、「『頑張って優勝しろよ』と言われてプレッシャーになった」と笑顔で話しました。 取組後には安治川親方とがっちり握手を交わし、「『おかげさまで優勝できました』と報告したい。師匠みたいな相撲を取りたい」とした上で、目指す番付は「横綱です」と力強く話しました。
序ノ口 ウクライナ出身19歳 安青錦が全勝優勝 大相撲九州場所 | NHK | 大相撲
これで横綱になったら映画化決定ですわ。今後が楽しみ。
0 notes
touchdownnetwork · 2 years ago
Text
2023年NCAAカレッジフットボール シーズン開幕
2023年カレッジ・フットボール・シーズンが開幕した。APランク・トップ10の上位チームはシーズン序盤に予定される調整ゲームを消化したが、第8��フロリダ州立大が第5位LSUに大勝したのが印象に残った。フロリダ州立大はESPNのランク���は第2位まで急上昇したが、本当にトップ・ファイブの実力があるのか、あるいはLSUがシーズン前に過大評価されていたのかは、今後を見極める必要がある。また、「ウィ・アー・カミング」と狼煙を挙げていたコーチ・プライムこと、HCディオン・サンダースが率いるコロラド大が昨シーズンのCFPナショナル・チャンピオンシップ・ゲームの出場チームである第17位TCUとの接戦を45対42で制し、50人を超えるトランスファー選手を中心とした新チームの門出を飾った。5日間連続してカレッジ・フットボール・ゲームが開催された第1週の最後のゲームでは、再びトップ・ファイブ入りを目指すはずだった第9位クレムソン大が昨年9勝4敗ながらランク外だった伏兵デューク大に7対28で足元を掬われる波乱があった。第2週のトップ10チームは以下の通りである。
第1位 ジョージア大 
ジョージア大はナショナル・チャンピオンシップ3連覇を目指すシーズンを、テネシー大マーティン校に48対7で大勝して開始した。3連覇は1934年、1935年、1936年に連覇したミネソタ大以来の快挙になるが、ジョージア大のSEC以外との対戦相手はボール州立大、アラバマ大バーミングハム校など調整ゲームとも言えるソフトなスケジュールのため、当面は勝利を重ねそうだ。
2連覇したQBステットソン・ベネットがNFL・LAラムズに入団し、ジュニアQBカーソン・ベックが新スターターに就任し、開幕ゲームでは31回投げて21回成功、294ヤード獲得、1回のTDとまずまずだった。WRはミズーリ大からの転校生ドミニック・ロベット、ミシシッピ州立大からの転校生ララ・トーマスなどが加わり、全米でもトップ・クラスと目されている。ジョージア大はフィジカルに他のチームを大きく上回るチームであり、ケンドル・ミルトン、ロデリック・ロビンソンなどのRBを中心に1回ラン平均5.3ヤード獲得、159ヤード獲得で底力を示した。
守備は、大量に選手が抜けたが、スマエル・モンドンとジェイモン・デュマス-ジョンソンのLBコンビ、マラキ・スタークスとジェイボン・バラードのDBコンビに、新しい実力派選手が加わって問題はないだろう。今シーズンも王者ジョージア大を頂点にどのチームが迫るかが軸となる。第2週はボール州立大との対戦だが、主力以外にも多くの選手に経験を積ませて大勝するだろう。
第2位 ミシガン大 
ミシガン大は過去2シーズンにわたり、ビッグ10で優勝しCFPプレーオフに出場し、低迷期を完全に脱した。しかし、過去2シーズンはCFP決勝まで駒を進めることはできず、今シーズンの目標はずばりCFPチャンピオンシップ獲得だ。昨シーズンのチームからQB・J.J.マッカーシー、RBブレイク・コウラム、RBドノバン・エドワーズなどのプレー・メーカーが残っており、第1週はマッカーシーが280ヤード投げてWRロウマン・ウィルソンに3回のTD、コウラムが10回走って73ヤード獲得。イースト・カロライナ大との調整ゲームに30対3で圧勝した。ミシガン大の序盤のスケジュールは、第2週がUNLV、第3週がボウリング・グリーン、第4週がラトガース大、第5週がネブラスカ大と連勝が続きそうだ。
第3位 アラバマ大 
アラバマ大が全米トップ・クラスの実力派チームであることに異論の余地はない。エースQBだったブライス・ヤングはNFLカロライナのスターターになり、QBはソフモアのジェイレン・ミルローが、ノートルダム大からの転校生タイラー・バックナー、フレッシュマンのタイ・シンプソンを抑えて、スターターに指名された。アラバマ大は第2週に第11位テキサス大との対戦があり、アラバマ大が大幅に有利と目されているが、両チームの現時点での実力が試されることになる。
第4位 フロリダ州立大
フロリダ州立大は第5位LSUと対戦し、前半はほぼ互角で折り返したが、フロリダ州立大は31点を連取して45対24でLSUに大勝した。フロリダ州立大は4QにはLSUを21対7で圧倒し、LSUの選手の戦闘意欲が折れたように感じられる力強さだった。フロリダ州立大の鍵を握るQBジョーダン・トラビスは前半はもたついたが、後半はランで1回、パスで4回のTDを奪い、ミシガン州立大からの転校生WRキーオン・コールマンは122ヤード獲得、3回のTDで、今シーズンのフロリダ州立大の最大の武器であることを印象付けた。開幕戦の強豪LSUに対する大勝でフロリダ州立大の株は第8位から第4位に急上昇したが、長いシーズンを安定して戦えるかは現時点では未知である。第2週のサザン・ミシシッピ大、第4週のボストン・カレッジとの対戦の後、第3週には第25位で雌伏しているクレムソン大との大一番が控えている。
第5位 オハイオ州立大
昨シーズンのオハイオ州立大はレギュラー・シーズンに11連勝の後、ビッグ10チャンピオンシップ・ゲームでミシガン大に23対45、CFP準決勝でジョージア大に41対42で連敗してシーズンを終えた。全米のトップレベルの対戦であり、勝負は時の運という面もあるが、フィジカルにトップレベルのチームに優位に立てるという状況でなくなったことは明らかだ。守備は昨シーズンに安定性を欠く場面があったので改善が必要であり、攻撃はエースQB・C.J.ストラウドがNFLカロライナのスターターになり、新しくジュニアQBカイル・マコードがスターターに起用された。第1週はビッグ10のインディアナ大と敵地で開幕し、23対3で圧倒的とは言えなかったが、危なげなく勝利した。第2週はヤングスタウン大、第3週はウェスタン・ケンタッキー大と調整ゲームの後、第4週は第10位ノートルダム大との好カードが予定されている。
第6位USC
USCは昨シーズンのハイズマン賞を受賞したQBケイレブ・ウィリアムズが、昨シーズンより充実した攻撃ユニットを率いている。守備は強化の必要があるが、第1戦のサンノゼ州立大との対戦は56対28、第2戦のネバダ大との対戦は66対14で、調整ゲームとは言えそれ��れ大勝した。スタンフォード大、アリゾナ州立大を経て、第22位に浮上したコロラド大との対戦がある。その後、アイゾナ大を経て、10月14日にインディアナ州サウスベンドでノートルダム大とのテストが待っている。
第7位 ペン州立大
ペン州立大は昨シーズン11勝2敗だったが、同じビッグ10のミシガン大とオハイオ州立大に敗れて、プレーオフ出場は果たせなかった。今シーズンも構図は同じで、ペン・ステートがプレーオフ出場を確保するためには、連勝を続けた上でミシガン大かオハイオ州立大との少なくともどちらかに勝利する必要がありそうだ。第1週は新スターティングQBに指名されたソフモアのドゥリュー・アラーが29回投げて21回成功、325ヤード獲得、3回のTDと期待通りの活躍で、38対15で快勝した。ビッグ10はフィジカルな強豪校が多数加盟しており、第2週にデラウエア大との対戦を経てランク外とは言え、イリノイ大、アイオワ大との連戦が待ち受けている。
第8位 ワシントン大
ワシントン大は昨シーズン11勝2敗。UCLAとアリゾナ州立大にシーズン中盤で連敗し、USCとユタ大との対戦がなかったのが響いたが、プレーオフ出場が視野に入ったチームだった。QBは2021年にインディアナ大から転校したマイケル・ピニックスが健在で、第1週にはマウンテン・ウェスト・カンファレンスの強豪ボイジ州立大と対戦し56対19と寄せ付けなかった。
第9位 テネシー大
テネシー大は昨シーズン2年目のHCジョッシュ・ハイペルのチーム再建が成功、第6週には第3位にランクされていたアラバマ大に52対49で勝利した。その後、第9週には第3位だったジョージア大に13対27で惜敗したが、9勝1敗でプレーオフ出場の可能性を秘めていた。ところが第11週にランク外だったサウス・カロライナ大に38対63で大敗し、プレーオフ出場の夢が潰えた。今シーズンはハイペルがリクルートした選手が主力に育っておりロスターは充実しているが、2年間にわたりスターターQBを務めたヘンドン・フッカーがNFLデトロイトと契約し、2年前にミシガン大から転校したジョー・ミルトンが新スターターに就任した。ミルトンは開幕では201ヤードを投げ、3回のTDを奪い、バージニア大に49対13で快勝した。第2週はオースティン・ピーと調整ゲームを経て、第3週にはフロリダ大と対戦する。
第10位 ノートルダム大
ノートルダム大は昨シーズン、QBポジションが確立せず、9勝4敗。HCブライアン・ケリーがLSUに移動したことに伴い、守備コーディネーターから昇格した新HCマーカス・フリーマンには厳しいデビューになった。今シーズンはウェイク・フォレスト大でスターターを5年間務めたQBサム・ハートマンが転校し、不動のスターティングQBとして定着した。第1戦はアイルランドで海軍兵学校に42対3、第2戦はテネシー州立大に56対3で快勝し、フリーマンが期待した通りに新シーズンが滑り出した。
トップ10以外のチームの話題は以下の通りである。
第13位オレゴン大
オレゴン大は第1週にポートランド州立大と対戦し81対7で大勝した。FBSのチームが80点以上を得点したのは2015年以来で、オレゴン大にとって調整ゲームとは言え得点力があることは明らかだ。QBボウ・ニックスはオーバーン大でスターティング・ポジションを失って、昨年転校した1年目に10勝3敗。オレゴン大は攻守にタレントが揃っており、USCやユタ大が注目を集める中で��ダークホースとしてプレーオフに駒を進める可能性がある。
第14位ルイジアナ州立大
第8位だったフロリダ州立大に24対45で敗れ、第5位から9段階降下した。このゲームでは攻撃ではQBジェイデン・ダニエルズがビッグ・プレー能力を示すと同時に安定度を核プレーであり、守備ではフロリダ州立大に359ヤード、4回のTDを許したパス守備が大きな懸念だ。第2週はグランブリング州立大と調整ゲームだが、第3週からはミシシッピ州立大、アーカンソー大、第20位ミシシッピ大とSECのドッグファイトが始まる。
第21位デューク大
デューク大は第1週に第9位だったクレムソン大に28対7で、開幕ゲームとして同大の歴史に残る大勝利を収めた。クレムソン大が自滅という面もあったが、レッドシャート・ジュニアQBライリー・レオナードはパスで153ヤード獲得、ランで98ヤード獲得と、全米注目の月曜日のナイト・ゲームでその名を全米のカレッジ・フットボール界に轟かせた。昨年HCに就任したマイク・エルコの強化策が奏功している。
第22位コロラド大
コロラド大は大方の予想を覆して第17位だったTCUに45対42で競り勝ち、新HCディオン・サンダースが半分以上の選手を転校で入れ替えるチーム改革が本物であることを印象付けた。コロラド大は昨シーズン1勝11敗で、このロスターでは戦えないと判断した、サンダースの荒療治によりチーム力は急上昇している。言ってみれば、寄集めの急造チームであることから、これからもチーム力が伸びる余地が大きそうだ。TCUはコロラド大に敗れてランク外に転落した。
第25位クレムソン大
クレムソン大は過去2年間出場できなかったプレーオフ進出を目指すシーズンだが、第1週にディーク大にミスを連発して不覚をとってしまった。レッドゾーンでのファンブル、お手玉しての被インターセプト、2回のFG失敗、タックルミスなどを目の当たりにして、HCダボ・スウィニーは「長いコーチ生活でこんなゲームをしたことはない」と嘆息したが、スウィニーは開幕前に今シーズンのチームをこれまでのクレムソン大で最強クラスと述べており、デューク大への敗戦は忘れて出直し勝ち星を重ねるほかない。
Tumblr media
0 notes
super-keipin · 8 years ago
Photo
Tumblr media
息子がジュニア強化指定選手に選ばれた。 中一からトレーニングに参加できるなら、楽しみながら成長してほしいなぁ。 応援するから頑張れよ。勉強も(笑) ・ #kei備忘録 #ジュニア強化指定選手
5 notes · View notes
cookingarden · 5 years ago
Photo
Tumblr media
ジェイ・ローチ監督『オールザウェイ JFKを継いだ男』 (その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで) 原題:All The Way 制作:HBO Films, アメリカ, 2016. いまから56年前の1964年7月、アメリカ国内で人種差別を禁止する公民権法が制定された。独立宣言で「すべての人間は平等」とうたいながらも、いまなお激しい人種差別がつづくアメリカにとって、人種差別を法律で禁じた公民権法の存在は特別な意味を持っている。 映画『オールザウェイ』は、「昇格」大統領と言われたリンドン・ジョンソンが、公民権法制定の大義のもと、大統領の座を勝ち取るまでの政治闘争の内幕を描いた伝記である。アメリカの歴史に深く刻まれる公民権法はどのように成立したのか、本作はその真実を伝える貴重な映像資料と言えそうだ。本稿では史実を参考に、映画がどのように当時の実態を描いているかを辿った。 なお、今回取り上げる『オールザウェイ』はHBO films制作の劇場未公開のもので、ロブ・ライナー監督の『LBJ ケネディの意志を継いだ男』とは別物である。アマゾンのPrime videoで観ることができる。主演のリンドン・ジョンソンをブライアン・クランストンが素晴らしい演技で熱演している。
CONTENTS その1:ケネディ暗殺から1964年公民権法成立まで
昇格した大統領が抱いた大志
ジョンソンが公民権法成立を目指した背景
法案通過の鍵となった投票権
議事妨害に対抗するジョンソン
ジョンソンが行った「特別な接待」
映画には描かれなかった上院通過の様子
取り下げられた投票権の行方
その2:民主党全国大会から大統領選挙まで
大統領選挙に立ち塞がる二つの難題
公民権活動家殺害事件が生んだ新党
寝室で行われた民主党全国大会の舞台裏
大統領選を有利にしたジョンソンのメディア戦略
悲劇を招いた北ベトナム空爆
圧倒的な勝利となった大統領選挙
プライバシーに見るジョンソンの現実主義と映画のスタンス
映画『オールザウェイ』を振り返って
昇格した大統領が抱いた大志 この映画は、第36代大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンがアメリカ大統領に就任してからの、およそ一年間の出来事を描いている。中心となる話題は、公民権法の成立とジョンソンが自らの実力で大統領の座に着くまでの二つの過程である。 映画は、凶弾に倒れたケネディ大統領の血痕が残るリンカーン・コンチネンタルの描写からはじまる。事件は1963年11月22日、テキサス州ダラスで起きた。凶弾はケネディの頭部を貫通、大統領は即死だった。こうして、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領の座に着き、ケネディの政策を引き継ぐことになる。 「昇格大統領、それが肩書きだ」というジョンソンに、妻のバード・ジョンソン1)が「そうね。でも来年の11月に変えましょう」と励ます場面がある。ジョンソンにとって大統領就任は、実力で大統領になるための戦いのはじまりでもあった。 ジョンソンは就任演説の際、その日がリンカンが奴隷解放宣言を出してちょうど100年目にあたることを念頭に、上下両院合同会議で次のように宣言する。
ジョン・F・ケネディの遺志であった公民権法の実現に向け、歩みを継続しましょう。100年以上にもおよぶ議論をさらに進め、前大統領が提出した公民権法に新たな章を付け加える時です。人種によるいかなる差別も、我が国から排除しようではありませんか。
演説でキング牧師が実現を訴えた公民権法は、ケネディ大統領によって法案作成が指示され、すでに議会で審議が行われていた。ジョンソンはその遺志を引き継ぎ、より確かな公民権法を制定しようと呼びかけたのである。
この演説にひときわに大きな期待を寄せる者がいた。マーティン・L・キング・ジュニア牧師である。キング牧師はちょうど三ヶ月前、「仕事と自由のためのワシントン行進」で演説を行ったばかりだった。「私には夢がある」と題された演説2) の反響は大きく、名演説として歴史に刻まれただけでなく、その後の公民権運動の支えとなった。映画には、そのキング牧師がジョンソンの考えに深く共感する様子が描かれている。 一方、ジョンソンの演説に万雷の拍手が鳴り響くなか、憮然とした表情の議員たちもいた。ジョンソンが師と仰ぐ南部出身のリチャード・ラッセル上院議員3) もその一人だ。ラッセルはかねてから人種差別主義と隔離政策を支持しており、公民権運動反対の陣頭指揮をとってきた。彼にとって朋友ジョンソンの考えは受け入れがたいものだった。ラッセルはその後、リベラルな姿勢を強めるジョンソンと対立を深めていく。 こうしてジョンソンは大統領就任と同時に、公民権法の制定を胸に民主党内部の右派議員の説得にあたり、さらには黒人層に気を配りながら自力で大統領の座に着くという、複雑で難しい道を歩みはじめることになる。次の大統領選までに残された猶予は1年間だった。 ジョンソンが公民権法成立を目指した背景 就任演説の翌日、黒人を読者層とする新聞が「2000万人の黒人が安堵した」と伝えるなか、あれは選挙対策の口上だろうとジョンソンの本心に期待する議員も多くいた。古参議員ラッセルも最初はそうだった。映画には、ジョンソンに疑問をぶつける右派議員を相手にラッセルが、「合衆国憲法の重大な危機だ。しかし彼にも事情がある。時がくれば公民権法を骨抜きにするはずだ。」と説得する様子が描かれている。ラッセルはラッセルで、南部出身の大統領を議会掌握に利用するねらいがあった。
共和党ではすでに、バリー・ゴールドウォーター上院議員が大統領候補者の指名を受けていた。彼は小さな政府と強硬な反共路線を打ち出していた。一方、大統領が交代したばかりの民主党には大統領候補を選ぶだけの余裕はなかった。「ゴールドウォーターなら楽勝ですよ」という上院議員のヒューバート・ハンフリーにジョンソンは、「手強いぞ。だが、自分が党候補になるのが先だな」と応じている。 翌年11月にジョンソンが大統領になるには、まず党の候補者指名を受ける必要がある。ケネディの弟、ロバート・ケネディが立候補する可能性もあった。ラッセルはそうなれば党内分裂だという。一方、ケネディが残した公民権法案は重荷になる。あるいはジョンソンは、大統領の権限で法案の審議を先延ばしにすることができたのかもしれない。しかし彼は、ケネディが死亡してすぐに法案と向き合うことを決意する。それは選挙戦を勝ち抜くための手段というより、大統領としての大義であり、困難をバネに選挙戦を乗り切ろうとする闘志の現れだっただろう。 ジョンソンのこの判断の背景には、公民権闘争の高まりがあった。その抗し難い機運がジョンソンに、公民権法の成立に掛ける決意をもたらした。映画のなかで彼は、「罪を犯してきた南部を救えるのは、南部出身の大統領だけだ」と心情を吐露している。しかしこれは、共和党の攻撃材料になるばかりか、下手をすれば党内右派との分断を招きかねない諸刃の��だった。ジョンソンはラッセルから、リベラルの連中を付け上がらせるなと忠告を受けている。 法案通過の鍵となった投票権 ジョンソンに託された公民権法案は、1960年ごろケネディによって構想された。具体的には、「投票権の保護、行政的な対応、南部白人票の確保」を盛り込んだものだ。白人票の確保にケネディの政治姿勢が現れているが、投票権の保護は当時から人種差別対策の重要な柱だった。4) しかし黒人の投票権は、南部の保守的な人々には受け入れがたい、非常にリベラルな考え方だった。それだけに、このまま法案を通そうとすれば共和党からはもちろん、民主党内の反発も強くなる可能性があった。このころジョンソンは、「通らないような法案を全力で推進することは自分の政治的立場に大きな打撃を与える」5) と恐れていたという。 そこでジョンソンは、法案から投票権を除外することを考える。映画では、就任演説の翌日に行われたキング牧師との電話のやりとりに、その腹の内が描かれている。彼は投票権の重要性を訴えるキング牧師に「まさか私に説教かね」と疎ましがる。そして、H.R.1752(法案第7152号)と題された条文冊子から、投票権が記されたページを引きちぎるジョンソンの姿が描かれている。 投票権の除外というジョンソンの提案は、キング牧師には受け入れがたいものだった。側近のハンフリーも投票権を外そうとするジョンソンに、リベラル派も裏切りだと受け止めるだろうと反対する。しかし、ジョンソンは「お前が説得しろ。リベラル派の代表だろう」とハンフリーに詰め寄り、さらには副大統領候補の甘言を浴びせる。 ジョンソンはキング牧師に、「黒人を貧困から救う必要がある、保険や教育にも取り組みたい、この国を根本から変えたい、法案成立後には必ず投票権条項を追加する」と熱心に語りかける。それにたいしキング牧師は、「わたしは仲間に約束する必要がある。実現しなければ暴動も起こりかねない」とほのめかし食い下がる。これに対しジョンソンは、下院で確実に法案を通すためには君の協力が必要だと票の取りまとめを依頼する。結果的にキング牧師はジョンソンの提案を受け入れ、黒人指導者として黒人活動家を説得する協力的な姿が描かれている。 こうしたジョンソンの説得と活動が効いたのだろう。公民権法案は1964年2月、賛成290票、反対130票で下院を通過する。これによりジョンソンは当初の目的を達成するが、保守派のラッセルは落胆する。これまでラッセルに懐柔されてきた右派議員は、「これでもジョンソンを信じろというのか」と詰め寄る。これにたいしラッセルは、上院では議事妨害で食い止めてみせると応じている。一方、キング牧師はかろうじて仲間への体裁を保った格好だ。キング牧師には、選挙戦になればジョンソンは黒人票を欲しがるという読みがあった。 以上が映画に描かれた、公民権法案が下院を通過するまでの様子である。この一連のやりとりには、法案の通過を最優先に、人を選び報いることで自分の思いを達成していくジョンソンの姿が、実に丁重かつリアル描かれている。 議事妨害に対抗するジョンソン 法案の成立に危機感を抱いたラッセルは会見を開く。公民権法案は悪質で過激な憲法��害に他ならないと訴え、我々有志は上院伝統のフィリバスター(議事妨害のための長時間演説)で戦うと宣言する。これを知ったジョンソンの妻バードは、「ディック(ラッセル)が語る愛国心には説得力があるわ。あなたは何のために闘うのか、国民に話すべきよ。」とジョンソンを鼓舞する。 妻の言葉に動かされたジョンソンは公邸の庭に記者団を集め、ラッセル上院議員の残念な決断に反応を示しておきたいと、小学校の教師だったころの思い出を語りはじめる。
テキサス州コチュラの古びた学校だった。コチュラは荒野の真ん中にある国境の町で、極貧のメキシコ移民であふれていた。教え子はかわいかった。毎日、朝飯抜きだから腹ペコで登校してくる。だが、みんな勉強が大好きなんだ。心が温まった。
しかし、子供たちはやがて変わる。キラキラ輝いていた瞳から光が消えてしまう。嫌われていることに気づくからだ。肌の色のせいで・・・
「慌てるな」と忠告されることもある。「政治生命が危険だ」と。だが私は言いたい。正しいと信ずることを行えないなら、大統領とは何だとね。
ジョンソンはテキサス州の貧しい農家に生まれ、苦学の末に教員養成大学を卒業した経歴を持つ。コチュラでの思い出は、その在学中に一年間休学して行った教員見習いの時のものである。6) こうした体験こそが、彼を公民権法の実現へと突き動かす原点になっている。ジョンソンという人物を考える上で重要なエピソードといえるだろう。 自身の苦しい過去を振り返るジョンソンに、メモを取る手を止めて話に聞き入る記者たちの姿があった。ジョンソンが打ち出すこうした親密で率直なメッセージは新聞に掲載され、人々の心を打ち、公民権法の善良なイメージを伝える広報活動として大きな効果を発揮したと考えられる。 ジョンソンが行った「特別な接待」 そうした努力にもかかわらず、議事妨害がはじまってすでに67日が経過していた。映画は荒び疲れた議場の様子を映し出す。そこではラッセルが、南部には黒人が集中しすぎている、黒人が全米で均等な比率になるように全州に振り分けるべきだ、と前代未聞の提案をしている。他にも、1500 ページのスピーチ原稿を持参した議員もいた7) というから、反対派の抵抗は相当なものだったのだろう。 長期化する議会妨害を利用し、公共施設での差別撤廃条項を骨抜きにしようとする共和党議員も現れる。譲歩しなければ妨害は続くというのだ。しかし、ジョンソンは要求をはねつけ、次のように説得する。
共和党は公民権法に反対するか、人種差別主義者に投票するかだ。われわれ��歴史を作る、その歴史にどのように名を残すか考えるべきだ。アメリカの流れを変えた偉大な人物となるか、単なるおしゃべり男になるかだ。
コチュラのエピソードもそうだが、こうした会話の端々にジョンソンが人々を説得する巧みさが現れている。彼は自分に言い聞かせる形を取りながら、実際には相手が自分のこととして受け止めるように導いている。主張の正しさを押し付けるのではなく、相手がそう考えるように誘う巧みな話術だ。 そうこうするうちに、議会妨害は69日目に入る。この時点ではジョンソンはまだ劣勢だった。このままでは勝てない。彼は党派を超えて票の獲得に奔走する。あるときは、脳腫瘍で手術のため入院した議員向けに、「意識さえあれば投票はできる」と首席補佐官ウォルター・ジェンキンスにハッパをかけたりもする。さらに、法案通過に協力すると見た者には、大統領章が記された自分のカフスボタンを「世界にひとつしかないものだ」と言いながら押し付けたりする。 ジョンソンは別の場面で票の取りまとめについて、「大勢の女性を誘うようなものだ。遊ばないかと声をかけるといったんは断られる。ビンタを食らうこともある。しかし、大抵はイエスなんだ」と述べている。ジョンソンは、女性に声を掛けるのと同じ思いで、多くの議員を法案賛成へと引き込��だのだろう。映画のなかでジョンソンが「またカフスを頼む」と側近に伝える場面がある。彼はいったい、カフスボタンを幾つ作らせたのだろうか。 こうしたジョンソンの姿は、周りの人々に驚きをもたらしたようだ。ジョンソンのもとでホワイトハウス特別研究員を務めた歴史家のドリス・カーンズ・グッドウィンは、そうしたジョンソン特有のやり方を「特別な接待」と呼ぶようになったという。7) 熱心に説得を繰り返す彼のこうした姿勢はやがて、労働、宗教、公民権団体など、多くの団体のロビー活動に力を与えていく。 映画には描かれなかった上院通過の様子 議会妨害は74日目を迎え、法案はついに討論終結決議に持ち込まれる。映画にはこの最終局面の様子は描かれていない。しかし、本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史 新版』8) によれば、この日の状況は次のようなものだった。
結局は討論打ち切り動議を採択するといった異例の白熱した審議をへて、6月19日──この日は、奇しくもケネディ大統領が政府原案を議会に提出してから、ちょうど満一年目にあたる──ついに賛成73票、反対27票で上院も通過し、それから十数日後の7月2日、ジョンソン大統領の署名を得て正式に連邦の法律として成立した。上院における反対27票は、その年の11月の大統領選挙で、共和党候補となって民主党候補のジョンソンに惨敗した、超保守主義者のバリー・ゴールドウォーターをはじめとする共和党議員6名と、南部民主党議員21名が投じた票である。(Kindle の位置No.2548-2554).
こうして「1964年公民権法」は苦難のうえ上院を通過する。ジョンソンの懸命の努力が難局を乗り切る原動力だったことは間違いない。まさ��ジョンソンは彼の信念に従い、アメリカの歴史に名を残す仕事をはたしたのである。 7月2日の法案署名の場面でジョンソンは、キング牧師に署名に使ったペンを贈呈している。一方、署名を前に退室するラッセルは「選挙に影響が出なければいいが」と言い残し、ジョンソンと袂を分つ様子が描かれている。去りゆくラッセルを見送るジョンソンは、「おめでとうございます」と声を掛けるハンフリーに、「私がいる限り南部は民主党を支持しないだろう。法案成立がそんなにめでたいか」とつぶやく。ジョンソンの気持ちはすでに大統領選挙にあった。 取り下げられた投票権の行方 ところで、こうして成立した「1964年公民権法」には別の正式名称がある。それは、「憲法上の投票権を実施し、公共施設における差別にたいする差止救済を与えるため、合衆国地方裁判所に裁判権を付与し、公共機関、公教育における憲法上の権利を保護するため、訴訟を提起する権限を司法長官に授権し、公民権委員会を拡大し、連邦援助計画における差別を防止し、平等雇用機会委員会を設置する等の目的のための法律」というものだ。9) この異様に長い名称を見て奇異に思う人もいるだろう。長すぎる名称のことではない。投票権の実施がうたわれているからである。ジョンソンは法案の成立を優先し、キング牧師に投票権の放棄を提案していた。この食い違いの詳細はWikipediaの「投票権法(1965年)」の記述で知ることができる。そこには、例えば次のように書いてある。
同法(1964年公民権法)には投票権の保護も幾つか入っている。登録官は、各投票者に書くことの識字試験を平等に管理することと、小さな誤りのある申請書を受領するように求めている。また6年生の教育を受けた者なら十分に投票できるだけの識字能力があるという「反証を許す推定」を創造した。しかし、公民権運動指導者からのロビー活動があったにも拘わらず、この法は投票時の差別の大半の形態を禁じることはなかった。10)
ジョンソンが1964年7月2日に署名した公民権法には、確かに投票権の保護が定められている。しかし、法案を通すことを優先し修正が加えられたことで、投票の際の差別を完全には排除できない不十分なものになっていたのである。しかしジョンソンは、前述のようにキング牧師との交渉のなかで「公民権法の成立後には必ず投票権条項を追加する」と述べている。はたしてこれは、法案の成立後履行されたのだろうか。 映画にはこの約束がどうなったかの具体的な描写はない。しかし、エンドロールに次の説明が加えられている。
(1964年11月の大統領選挙でジョンソンが当選した)翌年ジョンソンはキング牧師らと協力し、投票権法を制定。さらに「偉大な社会」を提唱し、福祉・教育・雇用などの分野で抜本的な改革を行った。
このとき制定された投票権法は「投票権法(1965年)」と記されるように、1965年8月6日にジョンソンの署名により法制化された。実はこの署名の際にもジョンソンは、国民に向けた次のようなメッセージを発している。11)
米国の文明の主流をな��基本的事実は、(中略)自由と正義と人間の尊厳はわたしたちにとって単なる言葉ではない、ということである。わたしたちはそうした概念を強く信じている。大きな発展や混乱、そして豊かさを体験しながらも、わたしたちはそれを信じている。従って、わたしたちの中に抑圧された人々がいる限り、わたしたちはその抑圧に加担しているのであり、それはわたしたちの信念を弱め、気高い目的の力を弱めるものである。
それ故に、これは米国のニグロの自由の勝利であるだけでなく、米国の国民の自由の勝利でもある。そして、皆さんが可決し、今日わたしが署名をするこの法律によって、探求を続けるこの偉大な国家に住むすべての家庭が、さらに力強く自由の中で暮らし、さらに素晴らしい希望を持ち、米国民であることをさらに誇りとすることができる。
こうして、法案の通過を優先して投票権が除外もしくは骨抜きにされた1964年の公民権法は、ジョンソンが約束した通り法案通過からおよそ1年後に正しく履行されたのである。これにより1964年の公民権法では限定的だった黒人の投票権の確保が拡大された。その効果は下記のように、まことに劇的なものだった。12)
1965 年末までに、深南部5州だけで新たに 16 万人のアフリカ系米国人が有権者登録をした。そして 2000 年までには、アフリカ系米国人の有権者登録率は、白人に比べわずか2%低いだけとなった。1965 年には、南部では連邦議会または州議会議員に選出されたアフリカ系米国人は2人にすぎなかったが、今日ではその数が 160 人に達している。
(その2へつづく)
(その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで)
(その2:民主党全国大会から大統領選挙まで)
引用文献 1) バードは通称。本名はクローディア・アルタ・テーラー・ジョンソン。 Wikipedia「レディ・バード・ジョンソン」 https://bit.ly/2Z90Ekb 2) マーティン・L・キング・ジュニア「私には夢がある」American Center Japan, 米国国務省出版物, 1963. https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/ 3) Wikipedia「リチャード・ラッセル・ジュニア」 https://bit.ly/2QTRp2Z 4) 安東次男「ケネディと1963年公民権法案」立命館国際研究, 14-3, 2001.11. http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/14-3_02ando.pdf 5) 安東次男「1964 年公民権法と大統領政治」立命館国際研究, 13-3, 2001.3. http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/13-3_13ando.pdf 6) Wikipedia 「リンドン・ジョンソン」 https://bit.ly/2Dg4Map 7) アメリカンセンター Japan「ついに我らに自由を 米国の公民権運動」 https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/11/wwwf-pub-freeatlast.pdf 8) 本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波書店, 1991. 9) 本田創造, 上掲書, Kindle の位置No.2554-2558. 10) Wikipediaの「投票権法(1965年)」 https://bit.ly/2EGUxwF 11) アメリカンセンター Japan「ついに我らに自由を 米国の公民権運動」p.61. https://bit.ly/3h2L1Rr 12) アメリカンセンター Japan, 上掲資料, p.61. https://bit.ly/3h2L1Rr
1 note · View note
cuttercourier · 5 years ago
Text
[翻訳] ブラック・ライヴズ・マター運動から考えるインドのマイノリティ問題(2)
ブラック・ライヴズ・マター運動と連帯している(つもりの)インド人への5つの質問
2020年6月14日
アパルナー・ゴーパーラン(ハーバード大学人類学部博士課程)
ジョージ・フロイド、ブレオナ・テイラー、アーモード・アーバリー他、米国における数え切れないほどの非武装黒人市民の死は、伝染性の怒りに火をつけました。ロンドン、ベルリン、メルボルン、東京などの都市では、米国で拡大するブラック・ライヴズ・マター蜂起に連帯して大規模なデモが行われています。一方、私たちインド人は未だどのように反応すべきか模索しているところです。
エリート層の間で広がっている反応の一つは、ジャーナリストのラーナー・アイユーブが「#BlackLivesMatterハッシュタグをファッションアクセサリーとして身につける」と呼ぶもの、つまり、日和見的に運動の道徳的・文化的資本を利用するために運動について投稿やツイートをすることです。そんなことはやめましょう。もっとよい反応があるはずです。以下の5つの質問を自分自身に投げかけることで、あなたが本当にこの運動の信条を支持しているかどうかを見極め、もし支持するならそれを実践できるようになってください。
1. 自分個人は反黒人、または人種差別主義者ではないか?
これは簡単な質問ではありません。個人的人種差別とは、単に黒人やマイノリティ(もちろん宗教的、カースト的マイノリティも含む)に対する直接的な嫌悪感だけを意味しません。そこにはステレオタイプ化、暗黙の偏見、ホワイトウォッシング、エキゾティシズム、政治的純血主義、内婚制などなど、私たちの社会化過程に深く埋め込まれている多くのものが含まれています。
この種の人種差別に個人の心の中だけで取り組むことはできません。これを覆すためには、若い頃から学校や家庭での反人種差別教育を制度化する必要があります。米国の黒人活動家たちは、毎年2月の学校における黒人歴史月間を義務化したり、差異について教えるための教材を作成したりするキャンペーンを行ってきました。
しかし、インドでは、周知��ようにインド人の成人の大半が人種差別主義者である以上、親や教師が子どもたちに差異の受容について教えることはありそうに思われません。インド人のクリケット選手は黒人の同僚を侮蔑的に「カールー〔黒んぼ〕」と呼びますし、インド人の芸能人は美白クリームのセールスパーソンですし、デリーでアフリカ人住民を追い回す群衆はインド人の政治家が指揮しているようです。
在外インド人は、カースト的特権に守られつつ反人種差別闘争の恩恵を受けてきましたが、今ではドナルド・トランプ米大統領のような白人優越主義的指導者の側につくことが多くなってきています。実際、この世界的な蜂起のさなか、多くの人は、インドで最も明瞭な正義のアイコンであるガンディーが反黒人的人種差別について間違った側に立っていると見ています。抗議者たちが奴隷所有者の像と並んでガンディーの像を標的としていることは、あらゆる種類の個人的人種差別を取り調べ、取り消すことが、黒人の命は大事だと言うためのシンプルな前提条件であることを私たちに思い起こさせるはずです。
2. 自国での反マイノリティの暴力に見て見ぬふりをしていないか?
自らに問うべき第二の質問は、自分の国のマイノリティの命を大事だと思うか? です。インドでこの問いが今ほど緊急性を帯びている時期は過去ほとんどありませんでした。交戦殺害から拘禁下の死亡と拷問まで、極端な過剰警備から裁判なき逮捕まで、日常的な嫌がらせから失踪に至るまで、インドにおける警察の暴力という重荷はマイノリティに真っ向から降りかかっています。
2019年のある調査はインドの警察官の50%がムスリムは犯罪を犯す可能性がより高いと考えていることを示しましたが、それはおのずから明らかです。
ほんの数ヶ月前、デリー警察はヒンドゥトヴァ〔ヒンドゥー・ナショナリズム〕支持者に加わって市内のムスリムを攻撃しましたが、これは警察が法よりもむしろ多数派権力の執行者として働くという数十年来のパターンを踏襲しています。実際、ジョージ・フロイドのリンチ動画が拡散していたちょうどそのころ、道端で警察に猛烈に殴られ、国歌を歌わせられた若いムスリム男性フェーザーンの動画も拡散していました。このようにしてフェーザーンや他の多くのムスリムが殺害されてきましたが、これまでのところ抗議も逮捕も告発も免職もなければ、怒りの広がりもありません。
ダリットやアーディヴァーシーも同様に、警察が主として上位カーストによる暴力の協力者であることを知っています。警察は、カースト・ヒンドゥーを被疑者とする事件を取り上げるよりも、自らがマイノリティを拘留し、陵虐し、恐喝し、強姦し、大量殺害する傾向が強いのです。"ダリット リンチされた"でグーグル検索すれば、"アフリカ系アメリカ人 リンチされた "と同じくらい恐ろしいヘッドラインが出てくるでしょう。
だから、もしあなたがジートゥー・カティーク(2月にラージャスターン警察の拘留中に死亡した26歳のダリット男性)のことを気にかけないのであれば、ジョージ・フロイドの名前を唱えてはいけないですし、もしパンデミックの間に恣意的に逮捕されている何十人ものムスリムに言及しないのならば、黒人の刑事施設収容について話してはいけません。
3. 警察、刑務所、軍、その他の国家の暴力装置の存在に疑問を抱けるか?
黒人の命は大事だと言いたいのに、インドの警察、軍、刑務所、反テロ法を「愛国的に」支持しつづけているすべての人たちにとって悪いニュースがあります。急速に主流になりつつあるブラック・ライヴズ・マター運動の流れは、マイノリティの市民権のために、あるいは人種差別的な警察に反対して闘っているのでもなく、罪を犯した警官の逮捕だけを要求しているのでもなく、警察の再教育や法制度改革も全く要求していません。その代わりに、彼らは警察活動と刑事施設への収容の完全な廃止を求めているのです。
奴隷制廃止論者たちが「奴隷制を修整したり改革したりすることはできず、廃止する必要があると考えていた」ように、今日の警察廃止論者たちも、制度化された刑罰によって私たちがより安全になることはないと理解しているので、警察や刑務所(それ自体が奴隷制の副産物)を改革するのではなく「消滅に至るまで(それらを)縮小」しようとしています。彼らは、貧困、ホームレス、精神疾患、依存症の問題を「犯罪」としてパッケージしなおすことは「病気の代わりに症状を治療している」に等しく、また、その治療法(拘留や国家の暴力)はしばしば病気そのものよりも悪いと主張します。
以上が、(フロイドが殺害された)ミネアポリスの街頭や数え切れないほどの他のアメリカの都市からの要求が、警察の予算を打ち切って解散させ、コミュニティに基礎を置く治安対策に置き換えるというものになった理由です。
インドでは、国民の半数が裁判を経ない警察の暴力を容認しているため、警察の廃止はばかげたアイデアのように映ります。残りの半数でさえ、警察活動の範囲を縮小しようとは主張していません。善意のNGOは、法の支配を強化するためにはインド警察の能力を高める必要があると主張する報告書を発表しています。ジャーナリストたちは、インドの警察官の数が人口10万人当たりたった144人しかおらず、国連が推奨する222人に届かないありさまを嘆いています。ヒューマン・ライツ・ウォッチでさえ、警察予算の増額を求めています。議論全体の焦点はインドの警察への投資をどうやって増やすかということなのです。
しかし、これでは警察活動とはただ警察の話というだけではなく、既存の秩序を強制するための実力行使の話であるという事実を見逃してしまいます。定義上、準軍事組織、軍事組織、刑務官、そして認可を受けた自警団を担い手とするインドにおける警察活動は、教育���福祉制度、公衆衛生が得ているよりも大きな予算を既に享受しているのです。ゆえに、今のところインドでの警察廃止は想像もつきませんが、もしあなたにそれを想像する勇気がないならば、この運動を自分の主張とすることはできません。
4. 貧困を道徳の問題とか、自然なことだとか、あるいは当たり前のことだと考えていないか?
警察廃止は、ただ警察活動を終わらせるだけでなく、そもそも警察活動を必要とする不平等な社会を終わらせようとしています。街頭のアメリカ人が、インドで我々も目にするようなことを単なる「人権的」要求というより「経済的」要求となし、刑罰制度の予算を打ち切って、代わりに学校、病院、住宅、社会保障、そしてすべての人、とりわけ疎外された市民のための仕事に公的資金を投入するように呼びかけているのは、このためです。
抗議者たちは、米国の多くの都市の予算の最大40%が警察活動に使われていることを指摘していますが、これは暴力や薬物乱用の予防、精神衛生、手頃な価格の住宅、学校に支出される金額を合わせたよりも大きいものです。もしこの資金が武装した警邏隊ではなく、住民に投資されていたら、コミュニティはどれほど安全になるでしょうか?
一方、インドでは、ムスリム、ダリット、アーディヴァーシーは、貧困層の中で最も貧しく、警察や群衆が彼らを捕える前から既に「息ができない」のです。ゆえに、9人の人々が国の半分と同じだけの富を所有していることにあなたが腹を立てている場合に限り、また、インドが国家予算の9%を軍事費に使いながら保健には3%しか使っていないことに怒っている場合に限り、どうぞ黒人の命は大事だと言ってください。しかし、もしも貧困が世襲され、マイノリティが投資対象から排除されるインドのシステムを倫理的におぞましいと思わないのであれば、あなたは運動の同盟者たりえません。
5. 革命的な要求や対立を招く行動を恐れていないか?
米国における現下の抗議活動は、インドにおける市民権修正法に対する抗議行動と比較されてきました。どちらも抗議者の大部分が若年層で、大都市から小さな町まで異議申し立てが広がり、多数派グループが結束して押し出してきて、警察や政治家から暴力的な対応を受けました。しかし、外見的には似ているものの、2つの抗議活動は本質的に異なります。
何よりもまず要求が守勢的(この法律を取り消して既存の秩序に戻ろう)であった市民権修正法に対する抗議行動とは異なり、ブラック・ライヴズ・マター運動の要求は攻勢的(警察活動を廃止して既存の秩序を変えよう)でした。運動の一部の派閥が改革を求めても、他の派閥から大衆が直接責任を負うための革命的な代替案がすぐさま提案されます。
ブラック・ライヴズ・マター運動は戦術もまた革命的であり、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの市民的不服従とブラック・パンサーズの戦闘性の両方を生かしています。だからこそ、今日の運動の最も力強いシンボルは、ミネアポリス警察第3分署の炎上であれ、イングランドの港に奴隷所有者エドワード・コルス��ンの像が投げ込まれたことであれ、ホワイトハウスの外で抗議者が州軍に催涙ガスを投げ返したことであれ、すべて集団的に法を破った瞬間なのです。
これらのイメージは、シャーヒーン・バーグ〔デリー南部の街区〕での平和的な座り込みをシンボルとする市民権修正法反対運動とはまったく対照的であり、その戦術は、政府によるメディア報道支配と運動支援の輪の解体をゆるす一方で、抗議者を守勢的立場に置いてしまいました。これらのことから、今ではあまりにも当たり前になってしまった縮小版サティヤーグラハ(敵愾心や影響力を欠いた座り込み)を再考することが早急に必要であることがわかります。
しかし、もしもあなたが異議と正義よりも法と秩序が好きで、一人前の役割とリスクを引き受けることなく革命家を装いたいというのならば、黒人の命が大事とは言わないでください。
1 note · View note
sorairono-neko · 6 years ago
Text
最愛の貴方
 試合が済み、クロージングバンケットも終了し、あとは帰国するばかりとなったころ、ヴィクトルはひとりホテルの庭園に出、そこをそぞろ歩いた。本当は勇利と来たかったのだけれど、彼はまだ部屋で寝ていた。たいした庭ではなかったのですぐに飽きて、彼は近くの森林公園に足を運んだ。こちらは緑が多く、大気も澄んで、早朝のさわやかな風が吹いていた。 「あれっ、ヴィクトル?」  水鳥がぽつぽつ浮かんでとりすましているちいさな池に出たとき、知った声がしてヴィクトルは振り返った。 「やあ」 「おはようございます! 勇利は一緒じゃないの?」  ピチットは携帯電話を片手に笑顔で駆けてきた。どうやらあちこちで写真を撮っていたようだ。もちろん、風景写真ではない。 「まあね。まだ寝てるんだ」 「わかった! ヴィクトルが遅くまでかわいがってたんでしょ!」  ピチットは恥ずかしげもなく元気に言った。ヴィクトルは苦笑を浮かべた。 「だったらいいんだけどね」 「ああ、まあ、試合が終わってすぐにそういうことするのも疲れそうかも。バンケットだったし」  ピチットは池を背景に、一緒に写真を撮っていいかと身ぶりで示した。ヴィクトルはうなずいてピチットと並んだ。 「それはそうだけど、あまり関係がないな」  ヴィクトルは言った。 「え?」  シャッターを切ったピチットが、意外そうにヴィクトルを見る。ヴィクトルは肩をすくめ、それからおどけて笑い、「忘れて」とつぶやいた。 「待って、じゃあ……」 「忘れてくれ。余計なことを言った」 「ヴィクトルと勇利って、まだ……」 「しゃべったことがばれたら勇利に怒られる」 「…………」  ピチットはぱちぱちと瞬いてヴィクトルをみつめた。 「……勇利がいやがってるの?」 「そうじゃない」 「だったらヴィクトルがしたくないの? ──そんなわけないよね」  ピチットは考え深そうな目をした。 「勇利が踏み切れないんだね」 「俺が頼りなくて至らないからだろう」 「…………」 「あるいは、俺にそういうことを望んでいないかだな。俺は彼の神様らしいから」  ヴィクトルは苦笑いを浮かべた。 「……ヴィクトルはそれで平気?」 「平気じゃない。いずれはきちんと愛しあいたいと思っているよ。でも、無理にそうしても意味がないからね。勇利にそういう気持ちが生まれるまでは待つつもりだ。努力は怠らないけれど……」  そこでヴィクトルは言葉を切った。申し訳なさそうにピチットを見る。 「本当に余計なことを言った。君は勇利の友人だから油断してしまう。なかったことにしてくれ」  ピチットはにっこり笑った。 「ヴィクトル、もうすこし一緒に写ってくれない? ヴィクトルがいるといいねの数がちがうんだよね」 「構わないが……」  ヴィクトルはそれからしばらく、ピチットに付き合って何枚か写真を撮った。ピチットは撮影するそばからインターネットにアップロードしている。精が出るな、とヴィクトルは感心した。彼もそういうことには活発なほうだけれど、ピチットほどではない。勇利もこの半分でも熱心にやればいいのに、とすこし可笑しかった。 「今回は勇利とも一緒に写真いっぱい撮れたし、収穫が多いよ」 「それはよかった」 「ヴィクトルも勇利との写真たくさん上げてるよね」 「あの子はあまり写りたがらないんだ。俺がしつこく誘うから、もうあきらめてるみたいだけどね」 「わかる。デトロイトにいたころは、勇利を撮るのを使命みたいに感じてたよ。よく勇利のファンからお礼を言われたなあ」 「勇利は君にひみつをたくさん握られていそうだ」  ヴィクトルは冗談を言って笑った。するとピチットがじっとヴィクトルをみつめた。 「なんだい?」 「ヴィクトル……」  ピチットが急に声をひそめた。 「勇利のひみつ……、知りたい?」 「え?」 「僕がどんな勇利を撮影したか、知りたい?」 「…………」  ヴィクトルはわずかに緊張した。ピチットがほほえむ。 「大丈夫。変なことはないよ。勇利は本当に健全で、こんなに純粋でいいのかなって心配したくらいなんだから」 「そう……」 「でも、たまに変わるね」 「たまにって?」 「ヴィクトル」  ピチットは笑顔になった。 「たくさん写真に応じてくれてありがとう」 「いや……」 「勇利がよく、『ヴィクトルは優しい』ってのろけてくるんだけど、本当だったね」 「そんなことを言ってるのか、勇利」 「ヴィクトル、お礼にこれあげる」  ピチットが携帯電話を操作した。 「僕、ヴィクトルってもっと絶対無敵の完全無欠って感じだと思ってたんだ。もちろんスケートではそうなんだけど……、勇利のことになると変わるんだね。ほっとしちゃった。──あ、そうそう、最後のはちゃんと止めたからね。『ヴィクトルは?』なんて騒がれちゃったけど、それはそれとして……、安心して!」  帰国するまで、ヴィクトルはそのデータをひらくことはなかった。動画だったので、ひとりでゆっくり見たいと思ったのだ。ホテルでは勇利と同室だから、自然と彼の目に入ってしまう。  自宅へ戻り、荷物を片づけ、このたびの試合に関する取材に応じ、数日後にようやくひと息ついた。ヴィクトルはそのころには、ピチットから受け取ったデータのことをすっかり忘れていた。勇利が入浴しているとき、旅先で新しく撮った写真を整理しようとして、それでようやく思い出したのだ。 「そうだ。ピチットからもらったものがあったな……」  いったい何だろう? そういえばあのときは勇利の話をしていたのだった。もしかしたら勇利に関するものかもしれない。ヴィクトルは急に好奇心がわき、急いでそのデータを呼び出した。ベッドにごろりと寝転がり、マッカチンを撫でながら、ディスプレイに集中する。生活感のある、いかにも学生風の部屋が映った。デトロイトでの勇利の住まいかな、と思ったとき、カメラが動いて、ソファベッドに正座をしている勇利が映った。 「勇利」  ヴィクトルは目を輝かせた。いつごろだろう? いまとちっとも変わらない。もっとも、いまでも学校通いの少年みたいな風貌をしているから当たり前かもしれない。 「ねえ、勇利」  ピチットの声が聞こえた。撮影しているのが彼なのだろう。 「んー、なにー?」  勇利が間延びした声で答える。ヴィクトルはおやと思った。この声音。このしゃべり方は……。 「大丈夫?」 「んー?」  勇利はヴィクトルをじっと見た。正確には撮影者を見たのだろうが、ヴィクトルは勇利と目が合ったような気がした。 「大丈夫ってー、なーにがー?」  勇利はまっかな顔で、とろんとした目つきをしていた。口ぶりもとろけている。ヴィクトルは溜息をついた。酔っている……。 「だって、結構飲んだでしょ?」 「いーんですー!」  勇利がふくれた。かわいい。かわいいけれど、ヴィクトルは頭痛がした。俺のいないところで飲むなんて……いや、このときは知り合いじゃないんだけど……でも……。 「こぉれは、やけ酒なんですぅ!」  勇利が何かの瓶を引き寄せ、抱きしめるようにした。あの中にまだ酒が入っているのだろう。 「飲まんとやってられんとよ」 「勇利、英語。英語でしゃべって」 「んー」  勇利はへらっと笑った。うっ、かわいい……。ヴィクトルは一瞬目を閉じた。 「勇利、自己紹介してよ」 「えー、なんで?」 「記録に残してるからさ。今日という日の勇利を大事にしないとね」 「なんでー」 「だって記念日でしょ? いや、記念日は数日前だけど……試合中はそんなの祝ってられないからね」 「なんで記念日?」 「いいからいいから」 「うん、はーい」  勇利は素直にうなずいた。かわいいな、とヴィクトルはまた思い、まるでプログラムの構成を考えているときのような思慮深い顔つきになった。勝生勇利は人生の真理だ。 「お名前は?」 「かつきゆうりでーす。どこにでもいる日本の特別強化選手で、二十歳、でーす」  二十歳! ヴィクトルは目をまるくした。結構前なんだな、とびっくりした。本当に変わらない。勇利は「二十歳でーす」とまた言い、左右の指を二本ずつ立てて、カニのように動かした。ヴィクトルは手で口元を覆った。かわいい。キスしたい。 「勇利は試合から帰ってきたところなんだよね」 「そうでーす」 「結果は?」 「よ、四位……」  勇利はしょぼんとしてうつむいた。ヴィクトルの胸が痛んだ。大丈夫。俺が金メダル獲らせてあげるからね! 「それで、グランプリファイナルは?」 「うう……」  勇利がおもてを上げた。彼はうるんだ瞳を近づけてき、赤い頬をしてささやくように言った。 「の、逃してしまいました……」 「元気出して!」 「ううーっ」  勇利は目元に手を押し当て、洟をすすった。 「だからこれはやけ酒なのです……」 「チャオチャオに知られたら怒られるね!」 「怒られる……」  うんうんと勇利はうなずいた。 「カツ丼食べたい……」  食べさせてあげたい、とヴィクトルは思った。 「でも待って、勇利」  ピチットが明るい声で言う。 「試合の結果はよくなかった。でも、それは置いといて……、今回は、勇利の人生において画期的なことが起こったんでしょ?」 「え?」 「ほら、言ってごらんよ!」 「え……えぇ~……」  勇利が気恥ずかしそうに頬を押さえ、うつむいて、ちらと���目遣いでヴィクトルを見た。 「でもぉ……」 「いいじゃん。言いなよ、ほら」 「いやぁ……」 「そのための記録なんだからさ。記念だよ、記念。言ったでしょ?」 「ぼくぅ……」  勇利はもう一度ヴィクトルを見た。彼はまっかになり、吐息混じりのささやき声で言った。 「は、恥ずかしかぁ……」  ヴィクトルは思わず股間を押さえた。 「ほら! 勇気出して!」 「う、うん……」 「ゆーうーり! ゆーうーり!」 「ん……」 「ダバーイ!」 「はい!」  勇利は突然おとがいを振り上げ、両手を胸のあたりで組み合わせて、乙女の誓いのような姿勢になった。彼はけなげにヴィクトルをみつめると、可憐なくちびるをひらき、瞳をうるうるとうるおわせて、思いきったように言った。 「ぼくは先日、う、生まれて初めて……、初めて、最愛のヴィクトルに会いました!」  ヴィクトルは動画を止めた。とりあえず携帯電話を手からすべり落とし、身体を横にして脱力した。死んでしまう。  マッカチンが心配したのか、ヴィクトルの頬を舐めた。ヴィクトルは「大丈夫だよ……」とよわよわしい声で言った。 「ちょっと破壊力が強すぎてね……」  続きを再生する。 「わーおめでとー!」  ピチットが歓声を上げた。勇利は赤く染まった頬を押さえながら、「あ、ありがと」ととろとろした物言いで礼を述べた。 「どうだった? ヴィクトルどうだった?」 「う、うん……かっこよかった……」 「近くで見た? 何かしゃべった?」 「しゃべったりしないよ……そんなのこわいもん」 「だめだよー。ちゃんと売りこまなきゃ。貴方を愛してる者ですって!」 「えええー! そんなこと、言えないよぉ!」  勇利ははしゃいでかぶりを振った。 「ばかだと思われるよぉ」 「そんなことないよ。勇利かわいいからヴィクトルもいちころだよ」 「だめ!」  勇利はとがめるようにヴィクトルを見た。 「ぼくにまいっちゃうヴィクトルとか……だめ!」  腰に手を当てているその姿勢のなんとかわいいことか。 「なんで?」 「だーって、ヴィクトルは……すっごいひとなんだよぉー……」  勇利はまたへらっと笑った。 「そっか、すごいひとなのかー」  心得ているらしいピチットはそれ以上は言わず、話を別のほうへ向けた。 「ヴィクトル、どんな人だった? かっこよくて、それから?」 「えー、うんと、綺麗でー……」 「うんうん」 「ファンのスケーターが群がったら、ちゃんと対応してあげててー……」 「勇利も行けばよかったのに」 「そうだぞ、なんで来ない」  ヴィクトルは思わず文句を言った。 「すっごく優しく笑うひとなの!」  勇利は、まるでそこで自分が笑いかけられたかのようにうっとりした。 「それから、声がとってもセクシーで……」 「ああ、インタビューなんかで耳にするといい声だよね。勇利、あれ間近で聞いたんだ」 「ぼくがストレッチしてるとき、急になんかいい匂いするなーって思って、ふっと顔上げたら、ちょうどヴィクトルがそばを通り抜けて歩いていくところだったのー!」  勇利は両頬をてのひらで挟み、少女のようにはしゃいだ。 「すっごくすっごくいい匂いなの! ぼく、思わずマットに倒れこんで、チェレスティーノに『どうした!』って心配されちゃった」 「正直に『ヴィクトルがいい匂いだったので���って言った?」 「えー、言えないよぉ……」  勇利がまた上目遣いをする。ヴィクトルは鼻を押さえた。鼻血が出そうだ。 「それから? それから?」 「ホテルのロビーで見かけたんだ���ど……」 「わあ、いいね! 君かわいいね、デートしないって誘われたりした?」 「するわけないじゃん!」  勇利がじたばたと動いた。最初は正座をしていたのに、もう脚は崩れて、なぜだかゆらゆらと身体が前後左右に揺れている。 「それチェックアウトのときで……。ぼく、トランクが何かの段差の溝にはまって動かせなくなっちゃったんだけど」 「え! もしかしてそこに!」 「そこに、最愛のヴィクトルが通りかかって!」 「きゃー!」 「『どうしたの? きみ』」  勇利が急に声を低くした。酔っているので相変わらずかわいいし、舌足らずだが、どうやらヴィクトルのまねらしい。 「『ああ、動かせないの? そっちから押して。ひっぱってあげる。倒さないように気をつけてね』」 「きゃーきゃーきゃー!」 「『ほら、できた。よかったね。ひとりで旅行してるのかな? しっかりしてるね。気をつけるんだよ』」 「きゃー! ……ん?」  そこでピチットは騒ぐのをやめた。 「……ヴィクトル、勇利のこと認識してなくない?」 「うん、してない!」  勇利が元気に答えた。 「そのときジャージ着てなかったから……いや、あんまり関係ないか……」 「関係はあると思う。でも……」 「ぼく、たぶんヴィクトルに中学生くらいに思われてたー!」  勇利は言って楽しそうに笑った。ピチットも「わー!」と声を上げた。 「まあ気持ちはわかるけど! ロシアって、ジュニアの選手ですでに僕らより年上に見えるよね!」 「うん! ヴィクトル完全にぼくを子ども扱いしてた! でもかっこよかった! やっぱりいい匂いした!」 「よかったね、勇利!」 「ぼくうれしくて、そのとき泣き出しちゃったんだけど」 「さらっと言うな。そんなことだろうと思った」 「ヴィクトルが『どうしたの?』って背中を撫でてくれて」 「いやらしい!」 「ちがう! ヴィクトルはそんなんじゃない!」  勇利が頬をふくらませてヴィクトルをにらんだ。ヴィクトルはめまいを起こした。 「うんうん、ごめん。わかってるよ。冗談冗談。それで勇利はどうしたの?」 「そのまま一緒にいたら死ぬって思ったから、お礼言って思わずホテルから飛び出しちゃった」 「えっ、チェックアウトは?」 「あとでヴィクトルがいなくなったのを確かめてから戻ってしたよ」 「勇利なにやってんのー!」  画面が揺れる。ピチットが相当に笑っているらしい。 「はあ、ヴィクトル……」  勇利は頬に手を当て、溜息をついた。 「本当に綺麗だった……かっこよかった……スケートも最高にすてきだった……大好き……」 「うんうん」 「一緒にファイナル行きたかった……向こうはぼくのことなんかわかってないけど……」 「でも勇利、しあわせそうだね」 「ヴィクトル……すっごく紳士だったの……」 「そっかあ」 「また会いたいな……」 「会えるよ」 「同じ氷の上に立ちたい……」 「立てるよ」  ピチットが優しく言った。ヴィクトルは、うん、とうなずいた。同じ氷の上に立つどころじゃないぞ。俺はきみのコーチになって……きみをロシアへ連れて去って……ひとつ屋根の下で住み暮らして……、俺は、俺は……きみのことを……。 「ね、勇利。ヴィクトルに伝えたいことがあるなら言ったら?」  ピチットが提案した。 「え?」 「もしかしたらさ、何年かしたら勇利はヴィクトルと友達になって、いろいろ話す機会があるかもしれないじゃない」 「えぇ……ないよぉ、そんなの……」  勇利はうれしそうに否定した。 「あるよ。あるある。そのときにさ、この動画見せて、初めて会ったときこんな気持ちだったんだよって言えるように」 「えぇー……」 「勇利の愛のひとつのかたちを見てもらうんだよ」  勇利は清楚な感じでためらった。 「やだ、そんなの、ヴィクトル迷惑だよ……」 「そんなことない。うれしいにきまってるよ」 「そうかなぁ……」 「そうだよ。そもそも、勇利はヴィクトルのこと愛してるんでしょ?」 「うん」  勇利は素直にこっくりうなずいた。ヴィクトルは胸を押さえた。 「だったらさ、その愛をここで告白しておくのも大事なことなんじゃない?」 「そうかな……」 「そうだよ。だってヴィクトルへの愛だよ? 愛してるって言ってもらえないヴィクトルなんて考えられる?」 「考えられない」  勇利はふるふるとかぶりを振った。 「じゃ、言わなきゃ」 「そっかー……」 「そうそう」 「ん……」  勇利はもぞもぞと身じろぎ、脚をまた折り曲げて正座をした。彼はそばにあったおむすびのぬいぐるみを子どものようにぎゅうっと抱きしめると、ひどく切実な表情になった。 「……ヴィクトル」  せつない声で呼びかけられ、ヴィクトルは「なんだい」と思わず返事をした。 「あ、あの……、ぼく、勝生勇利っていいます……」 「うん」 「どこにでもいる日本のフィギュアスケーターで、十九歳……」 「え?」 「勇利、勇利、まちがってるよ」 「あ、えーっと……二十歳……」 「そうそう」 「かわいい……」 「ヴィクトル」 「なに?」 「最愛のヴィクトル」 「…………」 「貴方はぼくのことなんか知らないだろうけど、ぼくは、ぼくは貴方のこと……」  ヴィクトルは目のふちを赤くした。どきどきと鼓動が打つ。 「あ、愛してます……」 「……うん」 「もう、ずっと、ずっと前からなんです……」  勇利がまつげを伏せ、あえかな吐息をついた。ヴィクトルはたまらない気持ちになった。 「スケートをするときはいつもヴィクトルのことを考えています」 「……うん」 「家に帰っても、ヴィクトルのことを考えています」 「うん……」 「食事をしていても、勉強をしていても、ヴィクトルのことを考えています」 「…………」 「夜寝るときも、寝てからだって、夢の中で……」  勇利は泣き出しそうな表情で訴えかけると、すぐにおもてをさしうつむけ、ほのかに赤いくちびるをふるわせた。 「……大好きなんです……」  ヴィクトルはなぜだか泣きたくなった。勇利。勇利……。 「俺もきみを愛してる」 「最愛のヴィクトル……」 「勇利」 「ぼく……、ぼく……」  おもてを上げた勇利の瞳はうるみきっている。その目がはらむ甘美ではかりしれぬ熱情は、ヴィクトルの胸に猛威をふるった。 「ぼく……」  勇利のけなげな目つきがたまらない。何をしてでも守ってあげたいし、生涯愛し抜くと誓いたくなる。勇利のおさなげなくちびるに、すぐにでもくちづけしたい……。 「ぼく、あの、迷惑かもしれないけど……」  勇利の腕から、ぽろりとおむすびのぬいぐるみがこぼれ落ちた。彼は眼鏡を外し、楚々としたしぐさでわきに置く。 「え?」  ヴィクトルはぽかんとした。勇利は服の裾をつかみ、一気に引き上げて、それをすっぽりと頭から抜いたのだ。一瞬だけ、ぎゅっとまぶたを閉じた彼の子どもっぽい顔が見えた。 「ヴィクトル、ぼく、ぼく、貴方になら──」 「ゆ、勇利」 「貴方になら、ぜんぶあげてもいいと思ってるんです!」 「勇利!」  勇利がヴィクトルのほうへ迫ってきた。視界が揺れる。いや、画面が揺れたのか。ヴィクトルは激しく動揺して、思わず携帯電話を取り落としたが、それと同時に動画も途切れた。 「…………」  ヴィクトルの頬は紅潮していた。どうしよう。よくわからないけれどそう思った。どうしよう……。 「あー、気持ちよかったー」  寝室の扉がひらいた。勇利がにこにこしながら入ってくると、マッカチンが喜んで彼にまとわりつく。 「実家から送ってもらった温泉のもと入れちゃったー。あれ、いいよね。うちの温泉にはかなわないけど、でもじゅうぶん……、ヴィクトル?」  勇利がヴィクトルを見て不思議そうな顔をした。 「どうしたの? なんだか様子がおかしいけど」 「…………」 「え、温泉のもと入れたかった? ごめん、ぼくが使ったので最後なんだ。また送ってって言っておくから……ヴィクトル?」  ヴィクトルはベッドから降り、ふらふらと勇利に近づいていった。勇利の左右の二の腕をつかんで、黒い目をのぞきこむ。 「勇利……」 「ど、どうしたのヴィクトル……」  勇利がまっかになった。視線が合っただけでこんなふうになるなんて、俺のまなざしはいまいったいどれほど欲情の色を帯びているんだろうと思った。 「痛いよ……離して……」 「勇利、きみを愛してる」  勇利が耳まで赤くなった。そのうぶな表情ときたら! 二十歳の勇利と変わらぬ、いかにも若ざかりといったあどけなさに、ヴィクトルはもう戻れないものを感じた。 「は、恥ずかしいよ、ヴィクトル……」 「きみは?」 「あの……」 「きみはどう? 俺を愛してる?」 「…………」  勇利はまつげを伏せた。それから、うすくれないに染まったとろんとしたまぶた越しに、ヴィクトルのことをちらと見る。くちびるはさくらんぼのようなみずみずしさだった。勇利は、ほんのかすかに──ヴィクトルにわかるかわからないかといった具合に、こくんとちいさくうなずいた。 「きみが欲しい」  ヴィクトルは熱心に言った。勇利が気恥ずかしそうにうつむいた。でもすぐにヴィクトルを見た。いまは酔っていないはずなのに、まるで酩酊したように、夢見るような目つきをしていた。 「きみのすべてが欲しいんだ」  勇利がちいさくあえいだ。彼は涙でうるみきった瞳で純真にヴィクトルをみつめると、きわだってあまったるい声で、慎ましやかに返事をした。 「ええ、差し上げます。もらってください……」  背後からあたたかく勇利を抱きしめたまま、ヴィクトルはあの動画を見せてあげた。最初はただ見るのをいやがっていただけの勇利も、最後には悲鳴を上げ、両手で顔を隠して、「止めて! 止めて!」と叫んだ。 「どうした? なんで恥ずかしがる?」  ヴィクトルは機嫌よく言った。 「逆になんで恥ずかしくないと思うの!? ヴィクトル頭おかしいの!?」 「ワーオ……初めて愛を交わした直後に『頭がおかしい』なんて言われたの、きっと世界で俺が初めてだろうね」 「ピチットくん何してくれてるの!? もう、ひどい! 抗議しなきゃ……」 「抗議? お礼のまちがいだろう」 「ヴィクトル、英語の能力低下してるんじゃないの!」 「勇利はさっき下がりきってたよね。英語で話せなくなって、なんだか日本語で……」 「わー!」 「ね、『イッチャウ』ってどういう意味?」 「わー!」 「『ダメ』はわかるよ。知ってる」 「わーわーわー!」 「『キモチー』とか……」 「わあああああ!」  勇利は何も言わなくなってしまった。刺激が強すぎたかな、とヴィクトルはくすくす笑う。勇利は顔から手を離してそっと振り返り、ヴィクトルのことをにらみつけた。かわいいだけでちっともこわくない。ヴィクトルは彼の身体をくるっと自分のほうへ向け、くちびるをちゅっとついばんで「愛してるよ」とささやいた。勇利がうつむいてヴィクトルの胸に額を当てた。 「そんなのあったんだ……」 「おぼえてないの?」 「うん……」 「俺への愛の告白なのに」 「……ヴィクトルは、ぼくがトランクで困ってたこと、おぼえてるの?」  ヴィクトルはにっこりした。 「おぼえてないよ」 「やっぱり」 「でも……、俺が通り過ぎた瞬間、ぱっと顔を上げて、俺にぼうっと見蕩れて、柔軟マットの上に死んだように転がって、コーチに心配されてたかわいい日本の選手��ことはおぼえてるよ」 「うそ!」 「本当」  ヴィクトルはまぶたをほそめた。 「コーチに、『どうした! また精神的な何かか! 精神的なあれか! 例のあれか!』って言われてた」  勇利が目をみひらいた。ヴィクトルは彼のくりっとした大きな瞳をのぞきこんだ。 「……ね?」  勇利の双眸がしっとりとうるおった。彼はヴィクトルに抱きつくと、「好き」と聞こえるか聞こえないかの声でささやいた。ヴィクトルは愛情いっぱいのしぐさで力強く彼を抱きしめた。 「でもね、最愛の勇利……、もう俺がいないところでは酔っ払っちゃだめだよ。次は俺が勇利の愛を記録してあげるし、その場合……、『ぜんぶあげる』って言いながら迫ってきても、止めないから」  ヴィクトルはいたずらっぽく言って片目をつぶった。 「ばか!」  勇利は怒った。 「そんなこと言うなら、『イッチャウ』の意味教えてあげない!」
2 notes · View notes
goridesince2014 · 6 years ago
Text
"Momentum x knowledge"
Tumblr media
Photo by wataru takei 前回、昨年の未来会議の話しを書いたと思ったらもう今年の話(汗)続きはアイザックくんが音信不通なこともあり、なんか書かけなかったな…斬新なんだけどな(汗)
で、そんな代わりというわけでもないですが、今回はピチピチの若者。半島マウンテンバイカーの平均年齢を一人で下げる(笑)、半島エリートさんことXCエリートのショーヤくんのお話しを聞きました。何せ二十歳にして15年以上のキャリアなんですからね!日中のキソテクでも遺憾なくセンスを発揮してましたよ。
Tumblr media
スタイリッシュ風なヲタクライダーですよ。つまりクソ(え) そんな彼ですが、レースの世界の「目標を設定して、それをクリアしていく生活」に自信を持てなくなり、自転車に乗ることが嫌いになりそうになったそうです。そんなこともあって一時競技の世界から離れることにしました。そこに気がつけるだけでも、しっかりしてますよね、
まあYANS先生から次は若者がいいねーと言われてたもので、ショーヤくんの話しを聞いて、それならずっと続けてきたことの振り返りが必要なんじゃない?と思って持ちかけてみたです。これもある意味ミラクルな流れですね。今年もメイクしてしまったw
ミラクルという部分ではオーディエンスの幅もミラクル、キソテク最多参加のJUNさんとwa+くん、怪しい自転車メーカーゴンゾーさん、スマイルの管理人になったFJさん、白馬のディガーでダートジャンパーのカナヲくん、自転車屋さんのヤスダ店長、マウンテンバイク始めたばかりのNSZKさんにKNYさん、そしてインストラクターのYANS先生に半島プロジェクトメンバー、と、人数は少ないですけどなかなか多様なメンツが集まりました。
Tumblr media
辺鄙なとこですが毎度そこそこな人数に参加していただいております♡ ショーヤくんとは3年くらい前にお父さんからヤフオクでカセットを買ったのがきっかけで、あれ地元なんですねとやりとりしてホムトレで会ったとこから付き合いが始まりました。後から横須賀市から表彰されたりしてるのを知って、俄然応援したくなったですよ。
Tumblr media
YANS先生、寝てるわけじゃないですよ(汗)
一緒に遠出したりホムトレ走ったり、全日本の会場でステッカー貼り付けたりw親子より離れたオッサンに粘着されてカワイソウですがw応援したくなるライダーなのです。
Tumblr media
ダリフラ風ロゴ、いたく気に入ってました そんな彼がずっと過ごしてきたレースの世界での話しをしてくれました。自我が芽生える前から自転車レースに出ていたので、ここは大人になってから始めた選手とは感覚が違い、レース会場は遊び場であり、レースでしか会えない遠くの友達と一緒になって走る場であったと言ってました。
そんな中にいるので、憧れの先輩選手に話しを聞きに行って、よし、走り行こうか!とレース後に近くの山を走ったり、仲間と一緒に遊びながらスキルを身につけたようです。この「いろいろあるけど何はともあれ走ろう」ってスタンスはローカルのオッサンたちにも通じるとこがあって、マウンテンバイクのカルチャーとして競技の世界にもあるんだなと感心した次第です。
Tumblr media
まあいいところもあればそうでもない面もあり、3つ挙げてもらってそれをネタにディスカッションに入っていきます。
同じ人、場所、運営で代わり映えしない上に、まったくホスピタリティのない会場なこと
コースが毎回同じで、スキルのある人が有利にならないこと
オッサンばっかりて若い人が少ない逆ピラミッドな状況なこと
1つ目の競技者以外の人、いやワークスライダー以外の人にとってのレース会場は、ぜんぜん楽しい場ではないそうです。「パドックは入っちゃいけない場所だと思った」てエリート選手が言うくらいですからねw全日本観戦の時に思ったけど、まあコンセントレーションを高めているので仕方ないなと感じたけど、せっかく遠くに来たわりに居場所がない感じですかね。
日本では競技だけで食っていけるプロがごく少なく、「プロ意識というより趣味意識」の人がほとんどなので仕方ないのでは、という話もあるけど、海外のレースではブース前にレースバイクと説明員がいて、選手が出��ない代わりに対応してくれるとゴンゾーさん。これはブースがオーガナイズされていればできることだけど、それを当てれるほどの収益がないってことが問題。前から観戦料取ればいいのにと思ってました。それだけのコンテンツではある。
海外の話しが出たのですが、ショーヤくんはジュニア時代にアジア大会に参加したのと、昨年ポルトガルで開催された国際大学選手権に行き、国際大会を経験しています。そこで彼が感じたことは、ボランティアの大学��が自信を持ってエスコートしてくれてることに驚いたそうです。彼らは地元に役立つこととメジャーなスポーツの国際大会に関われることを誇りに思っていたようですね。
Tumblr media Tumblr media
国を代表して世界に行ったライダーが身近にいることに、仲良くしてるヤスダ店長も改めて驚いた次第 ここで海外での破天荒な生活経験豊富なゴンゾーさんが、海外のボランティア実情についてケアンズの世界戦などの体験をベースに話しをしてくれました。海外のボランティア活動は必ず何かのリワードを求めて行うものだし、それを受け手も出し手も双方が理解している。だからボランティアはたくさん集まるし、またやろうという気になる。求める側も、必ずそこを考えてアイテムやメリットを提供するようです。一番はボランティアが一番現場の先端に入れるということです。そういういい体験をした人は、また戻ってくる。いいリレーションが生まれると。
Tumblr media
ポルトガルの大学世界戦、ツイキャスで生中継を見てました。順位チェックのボランティアスタッフ?がコース上にわらわら出てきてどうなってるのかわからなかった。 ちょっと外れた話しのようですが、日本人は名誉だけでボランティア活動をする世界一の人種、そこにこういうことが加わることで、今ボランティア活動が抱えている問題がもっと片付くような気がしますね。それにはレースイベント自体がきちんとプロデュースされていないと…YANS先生は「今までのパドックはシェフと厨房の関係」と言ってました。配膳係やお客の関係を含め、イメージする必要があるようです。
ちなみにYANS先生がNORBAに出ていた頃にその場にいたゴンゾーさん、「あの赤い速いヤツは誰だ!ファッキンシット○○○!」的なこと観客に言われたそうです…
#赤い速いヤツ 爆誕しましたw
Tumblr media
サドルのないトラ車で座ってるように走る赤い速いヤツ(白目) 2つ目のコースの話しは結構ぶっちゃけさせましたw最近のCJは世界の影響を受けてコースが一部ジャンプセクションなどあるのですが、できない人もいるのでエスケープルートが設定されています。で、エスケープを走ってもジャンプをした人とタイムが変わらないとwヘタするとエスケープの方が速い場合もあるそうで…これではチャレンジする人はいないし、技術も育たない。
ちなみに国内のコースでクソなのはどこ?という質問がありw北陸の方とでっかい湖のそばの方だそうです。で、一番よいのはパノラマ。どちらもスキー場なのは変わらない。愛媛なんかも楽しいそうです。
Tumblr media
どこのスキー場ででもある風景ですよね。違いを生み出すには… クソって大変失礼ですが(汗)正直なにも変わらないんだそうな。長く一回上って下ってまた繰り返し。ゲレンデの芝生を降りてくるとか80年代黎明期からですよね?構造物をちょっと工夫して置くとか、それだけでも少し変わるのになー。現状の構造物の量や配置は正直貧乏臭いという声も(滝汗) で、選手側からも改善の声が上がったそうですが、難しくしてケガしたらどうするんだという管理側の返答があった模様で…やれやれな日本的対応ですね()このように運営側にも管理側にも難しいのと危ないのの違いを語れる人がいない、というキソテク的本質的なコメントをYANS先生からいただけました。
逆に難しいコースを作ると安全になるんじゃないか?という意見も出ました。クリアできそうにないセクションはスピード落として走行しますからね。無謀な勇気だけでバーンと行っちゃうのとは違う。スキルの積み上げでコースが形成されるようになると、かなり変わってきそうです。
Tumblr media
先輩ライダーの影響を受けてスタイリッシュ路線を歩んだショーヤくん
3つ目の若手への門戸を広げる件については、これはもう一般の人に向けてのことと同じですね。とにかく見てもらえる機会を増やす。未来会議の参加者は国内でレースをやってると思ってなかったという声もありました。長い間マウンテンバイクの楽しみの延長にレースがあるよと言ってきたメディアは、もう役に立ってないですね()エアレースやクラッシュアイスなど、見たことないイベントも盛り上げるのが得意なレッドブルのイベントについて話題が上がりました。もちろんホーリーライドも…それならもうレッドブルに全部頼んじゃえばいいかと。
山の中でなく身近にイベントがやってきたとしても、そこでいい体験ができ、お店に繋がっていかないとダメですね。SBPなんかでも試乗会を盛んにやられてますが、車体の値段を聞くとドン引きされたりしてるそうです…まあこれは機材スポーツなので仕方ない側面はありますが、子どもや女性には体に合った操りやすい自転車でいい体験をして欲しいと切に思います。ブレーキリーチやクランク長さなど、ほんとそのあたりはまともにフィットする自転車が少ないです。
が、世の中は動いてるもので、昨年白馬でガールズライドを企画したところ、100人以上が参加したんだそうな。ゴンゾーさんもカナヲくんもビックリしたそうで、フリフリの服にプロテクターを付けて下る姿に、時代が変わったと…wシンクライドの際にゲレンデに女子を求める男共の希望を聞きましたけど、なんかハードルに思ってたことがすべてぶっ飛んでて(笑)女性の方がたくましかったってヤツですね。
Tumblr media
写真はEBIさん撮影の白馬岩岳裏ルートからお借りしました(汗)
キソテクでも単身飛び込んでくる方も多いですし、今回も諦めずに集中して取り組む姿勢には感銘を受けたです。女性の方が伸び率も高かったりするし、願わくば体に合ったバイクに巡り会って、いい体験して欲しいですねー。
Tumblr media
女性のある意味周りを気にしない集中力は向上の武器になります そんなもので、もうオッサン相手にしてる場合じゃないね!男女可処分機会も均等化?これからは女性向けや!と9%の女性率のgorideが言っても説得力は皆無ですが(汗)男性達は機材でマウント取るのでなく、おだてて伸ばすスキルを身に付けた方がよいですよ!
ここまでで2時間たっぷり話しました。レースの世界からマウンテンバイクを見るとどーなるか、と流れを考えてましたけど、集まってくれた皆さんのおかげで、若者のぶっちゃけた勢いある投げかけに、オッサンの経験と知識を持って受け答えたおかげで、深い部分に刺さる指針が見えた気がします。ショーヤくんは競技から離れるけど、一歩引いて見れる所からこのような提言をしていって欲しいですし、またそのお手伝いができればいいなと思います。オッサン達からは、いつでも戻って来れるし、その方が強くなれるかもよ!と優しい言葉をいただきました。個人的には予想を上回る、とてもよい会でした!
さて、そんな流れでこの後さらなる未来…「2030年のマウンテンバイカー」を妄想したです。続きます!
Tumblr media
photo by wataru takei
5 notes · View notes
5tora · 2 months ago
Text
〖115〗ロードレーサー
【大会当日まであと 45日】  2025.05.01
午後から怪しい天気でしたね。木曜日の雨です。短い時間でしたが、少しまとまった雨量になりましたね。
Tumblr media Tumblr media
今日のブログは、JTUの公式ルールブックから、解説をしたいと思います。今回は、「バイク編」の続きです。
Tumblr media
(バイクの基本構造) 第90条 競技に用いるバイクは、ロードレーサーを基本とする。 2 UCI 規則(該当年の1 月1 日時点)に適合するバイクを競技、試走及び公式トレーニングにおいて使用しなければならない。 (1)UCI ロードレース規則を、トライアスロンやデュアスロンのドラフティング許可レースで適用する。 (2)UCI タイムトライアル競技規則を、トライアスロンやデュアスロンのドラフティング禁止レースで適用する。 (3)UCI マウンテンバイク競技規則を、ウィンタートライアスロン、クロストライアスロン、クロスデュアスロンで適用する。 3 自転車は、2 つの同径ホイールからなる人的駆動の車両であって、前輪はハンドル操作が可能であり、後輪はペダルとチェーンでの駆動システムとする。自転車は、バイシクル、サイクル、一般にはバイクと表現し、次項の特性を備えていなければならない。 4 ドラフティイング許可レース用(対象:エリート、U23、ジュニア、ユース) (1)バイクのフレームは、メイン三角形を中心とする伝統的なパターンで次を満たすものでなければならない。 ・直管又はテーパー付きチューブ(断面形状が、円、楕円、偏平、涙滴形状等)で構成され、各構成材の中心線は、常に直線であること。 ・フレームの構成材は、次のパターンに適合した接合部をもって配置されていること。 ・トップチューブは、ヘッドチューブの上端とシートチューブの上端を接続すること。 ・シートチューブ(シートポストに連結する)は、ボトムブラケットシェルに接続すること。 ・ダウンチューブは、ボトムブラケット、シェルとヘッドチューブの下端に接続すること。 ・リアトライアングル(後ろ三角)は、チェーンステイ、シートステイ及びシートチューブで構成され、シートステイはトップチューブの傾斜に許される範囲内でシートチューブに固定すること。 ・各チューブの最大径は、8cm、最小径は2.5cm でチェーンステイとシートステイは、最小幅が1cm であること。 ・フロントフォークは、最小幅を1cm とし、直線状又は曲線状であること。 (2)バイクは全長185cm 以内、幅50cm 以内であること。 (3)チェーンホイール軸の中心は、地面から24cm 以上30cm 以内であること。 (4)チェーンホイール軸を通る垂直線と前輪軸の中心を通る垂直線の間隔は、54cm 以上65cm 以内であること。 (5)空気抵抗を低減する効果を有するもの、人工的加速を目的とした保護スクリーンや胴体状のフェアリング、あるいは同様の機能を有する部品をバイク本体に組み込んでいないこと。 (6)UCI 承認ラベル(コード RD)が付いたバイクは、ドラフティング許可レースでの使用を認める。 (7)UCI タイムトライアル承認ラベル(コードTT)が付いたバイクは、上記リストに明示された条件を満たさなければ禁止する。 (8)U23 とエリート大会におけるサドルポジションは次のとおりとする。 ・サドルの最先端部に触れる垂直線は、チェーンホイール軸の中心を通る垂直線の後方、男子は5cm 以上、女子は2cm 以上とし、競技中にこれらのラインを超えてサドルを調整してはならない。 ・大腿骨(だいたいこつ)から脛骨(けいこつ)の割合は56%から44%程度であるが、この割合が50 対50 に近い場合は、特例措置を受けることができる。このための申請は、大会の30 日以上前にJTU から次の委員宛に行う。 − ITU 技術委員会指名の1人 − ITU コーチ委員会指名の1人 − ITU メディカル・アンチドーピング委員会指名の1人 (9)非伝統的、一般的でないバイクや機材は、大会の30日以上前にITU 技術委員会に詳細を提出し、承認を受けなければならない。この手続では、ITU 競技規則の基準が満たされていることが前提であり、画像を含む機材の全詳細をITU 技術委員会に提出しなければなれない。申請された機材のカタログ(一覧)は、承認か非承認かが明示されITU ウェブサイトに掲載される。承認申請フォームはITU ウェブサイトで入手できる。 (10)バイクに表示できるバイク製作メーカーのロゴの配置は、バイクフレームへのレースナンバーのさまたげとなってはならない。 (11)選手の姓名又はイニシャルは、トップチューブあるいはシートチューブの1 カ所に10㎠以内で表示することができる。 (12)ITU 又は大会が提供するバイクナンバーステッカー(シール)は、変造することなく指示どおりに付けなければならない。
Tumblr media
5 「ドラフティング禁止レース」及び「エイジグループのドラフティング許可レース」のバイク構造は次の各号に掲げる規定を満たすものでなければならない。 (1)全長185cm 以内、幅50cm 以内であること。 (2)ボトムブランケット(クランク軸)の中心と地面の間隔は24cm 以上30cm 以内であること。 (3)ボトムブランケットの中心を通る垂線と前車軸との間隔は54cm 以上65cm 以下であること。 (4)ボトムブランケットの中心を通る垂線とサドル先端の間隔は、後ろに15cm 以内、前5cm 以内とし、競技中にサドル位置を変更することができるシートピラーは、この範囲内において使用できる。 6 前2項の規定にかかわらず、マウンテンバイクトライアスロンのバイクは大会規程によるものとする。 7 リカンベント並びに選手本人の力以外で推進する動力又はアシスト機能を有するバイクの使用は禁止する。 8 バイクのフレームは伝統的型式、すなわち直管又はテーパー付チューブ(断面形状が円、楕円、偏平、涙滴形状等)が構成材でなければならない。ダウンチューブのないダイヤモンド形状又はトップチューブとダウンチューブの先端部分で接続されていないリアトライアングル(後三角)で構成されたバイクは、これを認める。 9 UCI 承認ラベル(コードTT)が付いたバイクは、第90条第5項の規定にかかわらず、ITU ドラフティング禁止レースにおいて使用できる。
Tumblr media
バイクには、とても細かい規定があります。バラモンキング大会では、以前は大会前日に文化会館で車検を実施していました。その際には、私から見たらどれも同じバイクにしか見えないのですが、ベテランのTOの方々から見たら、ルール違反をしているところや許容範囲のものなどが、次々に指摘されているのをよく見かけました。私自身がバイクには乗らないので、事前知識が全くありません。たまには勉強しないといけませんね。つい数年前には、車体のフレームにバッテリーが内蔵されている「電動アシストバイク」の話を聞きました。ロードレーサータイプのバイクにも、アシスト機能がついているものがあるそうです。すごいですね。
Tumblr media
五島トライアスロン協会は、バイクを愛しトライアスロンを愛しているアスリートの皆さんを、心から応援しています。
0 notes
ari0921 · 7 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月17日(日曜日)
     通巻第8507号
 「まっしぐらに走る人々」(トランプ次期政権はタカ派閣僚勢揃い)
   米国が驚いた。世界は震撼した。いや、共和党内部も動揺した
*************************
 トランプ政権前期(2017=2021)のキッチンキャビネットの主役は長女イバンカと夫君のクシュナーだった。クシュナーはサウジに何回も飛んで中東特使的な役割を果たした。彼自身はユダヤ教徒、イバンカもユダヤ教に改宗した。トランプ政権後半では、クシュナー・イバンカ夫妻は「閣外協力」となる。
 トランプ次期政権(2025~)のキッチンキャビネットを率いるのは長男のドナルド・トランプ・ジュニアと次男の夫人ララだろう。
とりわけ副大統領を、想定外だったJD・バンス上院議員の起用を進言したのも、ジュニアである。当選直後から衝撃が連続する閣僚人事はトランプファミリーと、イーロン・マスクら取り巻きが決めている。
 顔ぶれを見て、共通するのは「まっしぐらに走る人々」だ。このタカ派強硬派勢揃いには   米国が驚いた。世界は震撼した。いや、共和党内部も動揺した。そしてメディアの攻撃目標になった。
 ニューヨークタイムズなど米国左翼メディアはトランプ次期政権の罵倒、罵詈雑言を並べはじめた。
指名された閣僚人事の多くが不適切であり、友人、知人、取り巻きの中から「有能であるより忠誠度」で選抜したエゴイズムと批判した。つぎは各人の攻撃材料探しだ。誰それはいかに無能かというキャンペーンの開幕だ。
 
 ���ット・ゲーツ次期司法長官は議会下院で議長選出をめぐり、15回も投票することになって議会を混乱させたが、「司法省が標的とした人物がこんどは司法省を標的にしている」と罵声。共和党���院もすんなりと指名承認に踏み切る雰囲気ではないようだ。
 「暴れん坊」「無謀な人事」と批判されるゲーツ次期司法長官をめぐって、「議会の破壊主義者は三権分立を破壊する」、「共和党内にも強い反対がある」と批判した。
 トランプ次期政権の国防長官に指名されたのはヘグリス(海兵隊OB)で、「FOXニュース」の司会者だった。ヘグセスは2017年に女性への性的暴行の疑いで警察の調べを受けていたと報じた。これは訴追に至らなかった案件で、ワシントンポストは「かれでは国防そのものが危機に瀕する」と書いた。
 RJK(ロバート・ケネディ・ジュニア)は反ワクチンで知られるが、彼の厚生福祉長官は「不適切きわまりなく、そもそも13の枝機関と8万人もの職員を抱えている官庁を医学薬学知識に乏しい人間が牽引するなんて(できっこない)」
 矛先はディープステートへの挑戦だが、メディアはその基本姿勢には目をつむっている。
 FBI長官に指名されそうなカシュ・バテル(元国防長官代行)には「解体屋」のレッテル貼り。トゥルシー・ギャバード国家情報長官指名には『インテリジェンスの知識に欠ける人材』
 こうなるともっともタカ派のルビオ次期国務長官が『穏健派』に見える。
 トランプ次期大統領は、ホワイトハウス報道官に若干27歳の才媛カロライン・レビットを選んだ。驚くほどの若さだが、下院議員に挑んだ経験があり、議会スタッフ歴もそこそこあって、そのうえトランプ選挙でもスポークスウーマンを勤め上げた。
 内務長官にはノウスダゴダ州知事のダグ・バーガム。ダグは国家エネルギー会議の議長を兼ねる。バイデン政権下で停滞した国内エネルギー開発推進が急がれることになるだろう。
▼「いまの根強い人気がある」という欺瞞の前置詞
 他方、民主党贔屓のメディアは「いまも根強い人気のある」という前置詞を必ずつけてオバマ元大統領を比喩し、その無能を批判しない。オバマに人気があるなどとは作為的であり、かれは院政を敷いて、カマラ・ハリスをパペットにするつもりだったのだ。
 FOXニュースにでた政治風刺漫画には笑った。ハリス選対本部で電話も鳴らずしょげかえる民主党幹部のうしろの壁にべたべた貼られたプラカードの標語には「大きな政府」「犯罪にやさしく」「規制強化」「極左」「重税」「国境を開こう」「WOKEへ投票を」
 これら総てをトランプはぶちこわそうとしているのだ。
左翼メディアは執拗にレトリックによる情報操作を凝りもしないで続ける。
執行部が辞任に追い込まれた民主党全国委員長にエマニエル駐日大使が立候補する。日本で歓迎されなかった同大使だが、日本の新聞は言論が封殺されているのか、岸田政権にLBGBT法を押しつけて日本の主権を侵害した傲慢エマニエルを批判しなかった。
トランプは『20歳以下の性転換手術を禁止する』とするイーロン・マスクの進言を聞き入れ、民主党に仕掛けられた裁判を葬り、不法移民を追い返すと公言している。
ついでにトランプ嫌いで固まるEU首脳部をトランプは「社会主義者」と断言し、防衛分担で徹底的な要求をつきつける構えである。
波瀾万丈の世界。政治は十倍愉しくなる(?)
●余滴●ヘグセスの入れ墨は宗教的な意味合いを持つ。胸に十字軍。そして米国憲法冒頭の「われら人民」、アメリカ独立戦争の「参加せよ、さもなくば死す」という蛇、国旗、所属していた第187歩兵連隊のワッペンなどが刻まれている。
とくにエルサレム十字架の入れ墨が問題視されるのも、十字軍が建国したエルサレム王国を表すからだ。イスラム教徒やユダヤ教徒に対するキリスト教徒の戦争を意味し、たとえば、2019年にニュージーランドのモスクで起きた銃乱射事件の犯人は十字軍のシンボルをつけていた。2021年1月6日の米国議会議事堂暴動、2017年にバージニア州シャーロッツビルで行われた集会にも、こうした入れ墨組が登場した。
 また上腕に「デウス・ヴルト」というラテン語の入れ墨。「神の意志」を意味する。ヘグゼス次期国防長官はパレスチナ問題で二国共存案に反対している。そのうえで聖地におけるイスラエルの独占的主権を支持している。それゆえヘグセスはオバマ政権時代のイラン核合意をつよく批判した。ヘグセスの個人的な見解はかならずしもアメリカ外交に反映されないが、強烈なイスラエル支持者なのである。
7 notes · View notes
tohoku-youth-orchestra · 6 years ago
Photo
Tumblr media
福島事務局の大塚真理さん、大いに語る。
東北ユースオーケストラ結成のきっかけは、スイスの世界的に高名な音楽祭、ルツェルン・フェスティバルから東日本大震災のための復興イベントを行いたいとの相談を受けたことからはじまります。
大震災直後から被災三県の学校の楽器を点検、修理し、音楽活動を支援してきた「こどもの音楽再生基金」では、発起人である坂本龍一さんから「子供たちによるオーケストラができないか」というアイデアが出ていました。
2013年のルツェルン主催の宮城県松島での音楽イベントに「東北ユースオーケストラ」という混成オーケストラを編成して指揮者グスターボ・ドゥダメルさんや坂本龍一さんと共演する機会があれば、日本のみならず世界に復興途上の現地の子供たちの姿が発信されるのではないか。
この大きな構想を受け止めてくださったのが、当時福島市のテレビ局、福島テレビが運営されているFTVジュニアオーケストラで事務局を担当されていた大塚真理さんでした。大塚さん無しには、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013」で「東北ユースオーケストラ」が生まれることはあり得なかったでしょう。そういう意味でも、大塚真理さんはTYOの母であります。
Tumblr media
以来、2015年の団員募集ではチラシを抱えて地元を駆け回ることから、合宿での急病人の対応から、福島市での毎月の合同練習会で団員が出したゴミの後始末から、何から何まで気の効くサポートを受け続けて来ています。時に原発事故の話題になると、国や東電の対応や深刻な影響について声を荒げて話されることがあり、折に触れお話を伺ってきました。しかし、これまで一度もいわゆる「インタビュー」をしたことがなかったと気づきました。そこで、今年も311が近づく2月の1泊2日の合同練習会で二日に渡ってお話を聞いてみたのです。
ー 今日はあらためてお話を伺いたいと思います。まずは福島テレビ(FTV)に入社された頃の話からでいいですか?
FTVには1977年、昭和52年に入社しました。最初は営業管理部で、スポットデスクに配属されました。
(注:「スポットデスク」とは番組と番組の間に入るスポットCMの管理を行うセクションです)
その後は、制作部でサブディレクターになりました。県庁担当で「市政たより」やお母さんのための幼児教育番組「小さな世界」などの制作をしていました。弁当やお花の手配ばかりしていたので、自分のことを「弁当ディレクター」と言っていました。
鼓笛隊パレードとか、当時はジュニアオケの番組もありました。毎年土曜日午後の1時間半番組でスポンサーもついていたんです。昔は自社制作番組が結構ありました。
ー 今では地方局は東京のキー局の番組ばかりになってますからね。福島テレビは当時からフジテレビのネットワーク局だったんですか?
その頃はフジテレビとTBSの2局のネット局だったんです。最強だったですよ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」も「花王名人劇場」も「ザ・ベストテン」も「夜のヒットスタジオ」も金八先生のドラマも「なるほど!ザ・ワールド」も同じ局で放送していたんですよ。
ー それはすごい!わたしが子供の頃に見ていた番組ばかりです。きっと仕事も面白くてしょうがなかったでしょうね。
はい、楽しかったですから結局結婚まで10年勤めました。当時の福島だと30過ぎると結婚が遅いほうなので周りに心配されました(笑)
ー ということは今や珍しい寿退社ですね。一旦お辞めになってからまた復職されたのですね。
わたしの主人が亡くなった時に戻ってこないかと声をかけてもらいました。15年ほど前、いまとにかく困っているから事務を手伝ってくれと言われたんです。
ー 困った時には大塚さんですね(笑)
平成15年、2003年に福島テレビの事業部一年間、契約社員で働きました。そうしたら翌年の2004年からFTVジュニアオーケストラの事務局をやってくれとなりました。その頃には福島テレビの女性社員はほとんどいなくなってたんです。
ー オーケストラとは昔からつながりがあったんですか?
制作部時代、ジュニアオケの番組収録の時にタイムキーパーとして何度か手手伝ったくらいでした。だから頼むれた時も「え、オーケストラ? 音楽は知りませんよ、でも事務はできますよ、予算管理ならできますよ」と言いました。
社内の人たちはよく知ってるし、社内交渉はできる。それに営業と制作で鍛えられたので、段取りはよくわかっている。人生何事も経験で無駄なことは無いとつくづく思います。若い頃の経験が役立ちました。
ー それは大塚さん、適任ですね。でもオーケストラの運営には専門知識も必要ですよね。どうされたんですか?
そもそもトランペットとトロンボーンの違いもわからないくらいだったんです。だから必死で本を読みました。「音楽の友」など音楽雑誌を毎月読んで、フルトヴェングラー、カラヤン、ウイーンフィルなどについての本を気の向くままに読みました。特にNHK交響楽団のオーボエ奏者茂木大輔さんの本は役立ったと思います。
指導していただく先生方の話もチンプンカンプンだったので、楽譜を読めるようにドイツ語とイタリア語の対照表も自分でつくりました。「やさしいクラシック」のような入門向けのCDも片っ端から聴きましたね。
— オーケストラの運営となると、この世界ならではの業務もありますよね。
まずは一所懸命に楽譜の整理をしました。もうそれはそれは楽譜がバラバラだったんです。東京から指導に来ていただいていたパーカッションの先生、大塚敬子先生に教えていただいて、パートごとの並べ方や番号の方を教わったり、それはとても助かりました。
3年やってようやく慣れたかな。予算のこと、楽器のこと、テクニカルタームもわかるようになってきました。だんだん実務が楽しくなってきて、自分から企画が出せるようになってきたんです。
— 大塚さんにとってジュニアオケでの転機となるようなことはありましたか?
6、7年目かな。福島県文化センターでクリスマスコンサートとして竹内ひとみバレエ団とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕をやりました。この企画を出した時は、子供たちがオーケストラピットに入って演奏するから脇役になると、先生方は反対でした。でも子供たちはやりたいと言うんです。だから押し切った(笑)。前半と後半に分けて負担を減らすようにしてね。
Tumblr media
— 一番思い出深いコンサートとなると、どうですか?
ベートーヴェンの第九ですね。わたしがFTVジュニアオーケストラの事務局を辞める年、2013年12月30日でした。会場が福島県文化センターという県の公共施設ですから、年末は通常28日で仕事納めなんです。それを「開けてください」とお願いして、ホールの歴史で初めてのことでした。 この時も大人は反対でした。「忙しいから駄目だへ、無理だべ」とさんざん言われました。でも、子供たちに聞くと「やってみたい」と言うんです。実際やれるんです。子供は「やるよ」と言ったら、やるんです。大人が決めてはいけないんです。
このことは、子どもたちに教えられたことです。子供たちってすごいんですよ。わたしは若い人たちにパワーをもらって生きてきた、助けられて生きてきたんです。大震災から2年経って、福島の復興への想いもありました。
わたしはジュニアオケの仕事も10年で辞めるからと言っていました。わたしの子供も大学を卒業するし、60歳から先は自由に生きるのだと決めていた。だから「歓喜の歌」である、第九をやって締めくくりたいと思ったんです。第九の合唱団も公募で大変だろうと言われたけど、好きなことだから頑張れるんです。そしてサポートしてくれる、先生や周りの人に恵まれていました。
おかげさまで演奏会は大成功となりました。
Tumblr media
— いつも団員インタビューで聞いている質問です。311の時、どこで何をしていましたか?
福島テレビの旧館5階の事務局に一人でいました。いつも2時40分が仕事のひと区切りがつく時間だったんです。だからその日もコーヒーを淹れようと立ち上がったら、携帯の地震警報が鳴りました。もう激しく揺れだしてびっくりしました。逃げようと廊下を走ったけど思うように前に進めないんです。すると壁が部分的に崩れてきた。譜面台は一斉にバタバタと音を立てて倒れ、階段を降りることもできず、エレベーターの角の柱につかまっていました。すると、わたしの背後でコピー機が左へ右へと走ったんです。もうびっくりして、あの時はこのまま一人で死ぬんだと思いましたね。
2回目のほうが揺れが大きくて、長く感じました。そうこうしていると、4階の秘書室の部長が上がってきた。バタンバタン大きな音を立てて動いていた防火扉を止めるためにです。
それで揺れもおさまって3階の事業部に戻ったところ、危ないので外に出ろと言われた。外に出たら、こんどは雷と吹雪になりました。 報道と制作が入っていた新館は、それほどの被害は無かったのですが、旧館が酷かった。あらゆるガラス、窓ガラスがほとんど割れたから、そのあとずーっとベニヤ板で覆うような状態が続きました。よく怪我人が一人も出なかった、奇跡に近いと言われましたね。もう壁もひび割れて「メロンハウスだね」と言って笑うしかなかった。
— 外にしばらくいたのですか?
いったん家に帰れと言われました。家族の安否を確認するために連絡を取りました。そしていったん5階の事務局に戻ったら、テレビもファックスも吹っ飛んでいましたね。ようやく鞄と靴を探して、コートを持って車に乗りました。車内のラジオで津波が発生と聞きました。被害が出てると言うけども、よくわからなかったです。車を運転しても、信号が止まっているので、渋滞はしてなかったけど、道路を渡ることすら思うままにできなくて、交差する車同士で「ごめんなさい」と道を譲ってもらったり譲ったりで、踏切の無い道を選んで車を走らせました。 水道管が破裂したところは、もう道路がわからない状態で、運転しながら足が震えました。もう自分の家が無いのではと思いながら、運転するのに必死でした。道路が陥没して軽自動車が落ちてる脇を通って抜けた時の恐怖。あの時のことを思うといまだに怖いです。 おかげさまで家はあったし、屋根も損傷受けずでしたが、電気ガス水道が止まりました。
— ご家族はみなさんご無事だったのですか?
当時23才だった上の娘が勤めていた銀行がたまたま仕事休みで、いつもはぼーっとしてる娘がセブンイレブンに買いに走ったけど、ほとんど何も無かったと報告してくれました。 78才の父は犬が飛び出さないよう抱えて、いったん家を出たそうです。 80才の母は玄関で動けないでいた。あまりにびっくりして、記憶が無いと言っていますね。もう、ぼーっとしてるしか無かったと。 家族と家は大丈夫だと実際に安否確認でき、会社に報告したらしばらく出社しなくていいと言われました。ちょうど金曜日だったので、それからしばらく家にいましたね。
— 津波のことは後から知ったのですか?
ラジオだけの情報でした。だから津波の悲惨な状況を聞いても想像できなかったですね。電気が戻ってから、テレビの映像で津波を見てショックを受けました。まるで映画のワンシーン。こんなことが起きるんだと思いましたね。家族でみんな生きているに感謝しました。
— 避難所には行かれました?
結局、避難所には一度も行かずでした。2000年問題の時に電気が止まると言われていたので、ストーブがあって、灯油もあったので寒さはしのげました。あと近所の飲めない井戸から水をもらって、ストーブでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、その水を利用してトイレも使えました。 近所の井戸水で飲める水があるとの情報を聞きつけ、ガソリンあるうちは車を走らせてもらっていました。 やはり困ったのは水、電気でした。夜は庭の太陽光で発電する照明を家に持ち込んだり、ロウソクの生活が続きました。テレビも見れなかった。 ガスが最初に復帰して、1週間もかからなかったですね。水道は1週間かかりました。そしてうちは電気が一番最後に復旧しました。道路の反対側まで電気が来てるのに、あともう少しなの��とせつない思いになりましたね。街の中は電気ガス水道ともに全然大丈夫だったんですが。
— 原発の事故はいつ知られましたか?
大震災の週明け火曜日に会社に行って、はじめて原発がたいへんなことになっていると知りました。それまで、そんな重大なことと思わなかったです。家に帰って「どこに逃げようか、どっち方向だろう、貴重品を持ち出せるように、いつでも避難できるようにしよう」としましたね。 水をもらうために外で2時間とか平気で並んでました。原発が深刻だと思わなかった。学校行ってないから子供が外で並んでたんですよ。もうちょっと教えてくれたらと今になって思いますね。もっと広報の仕方とか方法が無かったのかと。確かにそれどころでは無かったかもとは思います。誰も経験したことの無いことだったから。福島は災害が無かったから、災害の無い県と思い込んでましたね。それに「原発は安全だ」と思い込んでいました。地震はともかく、津波の恐ろしさ。あの津波さえなければと思いますね。
— 福島市から逃げようとはされなかった?
逃げて行っても、生活の場が無いですしね。できるだけ外には出ない、窓は締める。ガソリンがあるうちは車で移動。必要以外は外に出ないとしました。 それでもしばらく余震が続きました。地震警報におびえる生活が続きました。家の中でも寝る時もジャージで、一階の和室で生活をしすぐに外に出られるようにしていました。 いつから普通の生活に戻ったんだろう。記憶はあいまいになっていくものですね。
— これもいつも団員インタビューで聞いている質問なのですが、311で変わったことは何ですか?
日々何事も無く過ごしている有り難さを感じるようになりましたね。電気ガス水道の有り難さ。そして、なにごとにも感謝です。
平凡が一番、普通が一番。
なにごとにも「ありがとう」感謝の気持ちを持てるようになり、気持ちが穏やかになったと思います。
それから、普段からの災害への備えをするようになりました。それでも、またあったらうろたえるのだろうなとも思いますけど。
— FTVジュニアオーケストラの団員の子供たちに変化はありましたか?
ジュニアの子どもたちのうち、自主避難でいなくなった子が3人いました。逆に浪江町から避難してきた子が一人入団しました。福島テレビの社員でも小さなお子さんのいる方は3人は辞めました。
福島県でも飯館村とか、伊達市とか、思わぬところで放射線の線量が高いです。出て行った若い人は戻らないでしょうね。もう年寄りばかりです。避難した地域は生活ができないですから。店や病院もありません。
— 今の福島についてどのように思われていますか?
福島県に中高一貫校を新設するとか言っていますが、世間の目を欺くためではないかと思ってしまいますね。政府などへの不信感もあります。東京にオリピックを呼ぶために安倍総理がいくら「原発事故はコントロールできている」とプレゼンしても、「嘘つけ!」と思ってしまいました。
除染したと言っても限界があると思います。イノシシ、豚とか、山の中を動き回って、汚染された餌を食べている訳ですから。
— つい最近、除染が来たとおっしゃっていましたね。
ようやく去年の暮れに家の近所の側溝の除染に来ました。いまだに除染土が家の庭にありますよ。大きい袋ですからね、目に入ると気が重いです。なかなか持って行ってくれないんですよ。
Tumblr media
(大塚さんご自宅の庭に置かれたままの除染土の写真です)
Tumblr media
線量が高いところからはじめて、一年くらい後にうちの家に来て、「今ごろやっても無意味なんじゃない」と、みんなそう言ってますよ。気休めのような気がする。
— 実際のところはどうなんでしょうね。
噂では癌患者が増えてると聞きますが、あまり表には出て来ないですね。最近の国の「不正統計問題」を見ても、情報に対する信頼度が落ちてると思います。都合がいいことだけ発表して、情報統制しているのではと思ってしまいますね。
沖縄の人に「福島の人はおとなしいね」と言われました。沖縄なら毎日デモだよって(笑)
— 政府や国の行政にこれだけはお願いしたいということはありますか?
本当のことをしっかり発表して欲しい。今、現在どうなってるかを知りたい。福島の街にいくら線量計があっても気休めなんだと思うんですね。
それにこれだけの事故を起こしながら、原発を、海外に売ろうとしたでしょ。いったい福島のことをどう思ってるのかと。
国ってなにを考えているのかなと悲しくなります。
ヒロシマ、ナガサキ、唯一の被爆国ですよ。
今の日本が悲しいですね。
— そんな状況の中で東北ユースオーケストラの活動はあります。どのようにお考えですか?
主役は子どもたちのことだから、大人は政治的なことを押し付けはいけないと思いますね。
でも代表・監督の坂本龍一さんは、はっきりものをおっしゃいます。偉い。勇気があると思います。影響力のある人が発信することが大事なんです。
坂本さん、凄いなって、いつも尊敬してます。
— 震災のあともFTVジュニアオーケストラの活動が続いてきたからこそ東北ユースオーケストラが生まれましたね。
震災の後、ジュニアオケは活動をやめたらどうかという話になりました。でも子どもたちはやりたい。しかし、毎週練習に使っていた福島テレビの旧館の社屋は、使えない。2011年の5月の連休明けからしばらくして練習を再開しました。もうあちこち転々と1週間ごとに楽器を運んで練習を続けました。時には関連会社の会議室で練習しました。そして、7月に定期演奏会ができたんです。よくできましたね。子どもたちが絶対やりたいて言うからね。親御さんのサポートもありました。おかげさまで福島市音楽堂が再開してすぐのコンサートを開くことができました。
— 2013年のルツェルン音楽祭の復興イベントから東北ユースオーケストラは始まりました。その立役者が大塚さんだったわけですが。
2013年のルツェルンのイベントは、無我夢中でした。自分でもよくできたと思う。子供たちのために今やらなきゃというエネルギーですね。何かをやっていたほうが、自分も楽な時期でした。止まっちゃうと駄目なんです。
わたしとしては、機会があれば子どもたちをどこかに福島の外に連れて行きたかった。そして、世界に眼を向けさせる。いろんな人を知る。ルツェルンの復興イベントは、そんな絶好の機会だと思ったんです。
しかし、FTVジュニアの先生方からも反対されました。子供たちの負担になると言うんです。大人はいつも安全パイを選んでしまう。こんな、世界とつながれる機会はないですよ。行ける子どもだけでもと、FTVジュニア以外にも近隣の高校の吹奏楽部などにも声をかけました。
ドゥダメルや坂本龍一という世界に通じる人と、松島の特別な場所で、いい経験が積めたと思いますね。
子供たちが坂本さんにサインをもらってうれしそうに笑っているのを見て、うれしかったです。
— そのルツェルン音楽祭で好評だったため、東北ユースオーケストラは一般社団法人化しました。
組織がしっかりすることはいいことです。続いていくことは、有難いことだと思ったし、何より親御さんからの信用、社会的信用が生まれます。
最初はゼロから募集をかけて人数を集めるとなった時に、集まるか不安でした。140通を超える応募の数には正直びっくりしました。
— かれこれ組織としては、東北ユースオーケストラは5年が経ちましたね。感慨深いです。
何しろ最初の夏合宿が沖縄県の宮古島だったでしょ。行動力がすごい。いろんなことを1つづつ叶えていく、その実行力には頭が下がります。最初は運営も危なっかしくってね、どうなることかと思いました。ただ夢中で子どもが演奏だけに集中できる環境をつくろうとしていました。もう大丈夫ですよ(笑)
— 最後に、これもいつも団員インタビューで聞いている質問です。今後、東北ユースオーケストラでどんな活動をしたいですか?
卒団した子どもが練習や演奏会にやってくるじゃないですか。そういう場があることが素晴らしいと思いますね。だから長く続けて欲しい。
海外公演も実現して欲しいです。よちよち歩きから始まった東北ユースオーケストラが、ルツェルン音楽祭で凱旋公演できるといいですね。あの2013年の松島のルツェルンのイベントの時のオーケストラがこんなに立派になって、と言われたら最高じゃないですか。
いち早く多額の支援をしてくれた、親日家の多い台湾公演もできたらいいですね。
東京オリンピック・パラリンピックでは何かしないんですか?
Tumblr media
このインタビューを行なったのが先月の1泊2日の合同練習会だったもので、土曜日の練習を終え、JA共済さんにご手配いただいた宿泊組の宿へと向かうバスを見送る団員、大塚さん、そして同じく福島事務局で団員の演奏指導もお願いしている竹田学さんです。
あらためて大塚真理さんのお話を伺って考えさせられたのは、強い使命感と子供たちへの無償の愛です。通奏低音として「大人は子供のことを、子供の可能性をわからないのだ」という姿勢があって、だから大塚さんの子供へのまなざしには上から目線が微塵もありません。とてもふらっとです。だから子供たちも大塚さんのスタンスを動物的に嗅ぎ取って自然と寄って来るんだと思うのです。
「大人の都合で子供のことを考えるなよ」は、肝に命じたいフォームです。とと同時に「子供も大人の事情を考えろよな」と言いたくなってしまうのは、大人気ないことなのでしょう。反省反省。
実際にお聞きした内容にはとても刺激的なことも含まれていて、本当はノーカット無編集で「大塚さん大いに語る」を掲載したかったのですが、それはそれで品位に悖るような気がしまして、細かな配慮ができたかどうかは別として編集をいたしました。
311から8年です。大震災は続いています。そのことを知って欲しいと思います。それが東北ユースオーケストラの存在意義の一つであるからです。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をお願いいたします。
3 notes · View notes
ysformen · 2 years ago
Text
ジャニー喜多川の性的児童虐待について 3
他者の訃報であれば、「光と影」、「成功の裏で・・・」などと、故人の両面の部分、功罪が報じられたりもするが、普段「権力に立ち向かい真実を伝えるのがメディアでありジャーナリズムである」などと言ってるマスコミは、ジャニーの性的児童虐待問題については一切触れることはなかった。 一方、イギリスの放送局「BBC」、イギリスの通信社「ロイター通信」、アメリカの音楽メディア「ビルボード」、アメリカの芸能系ネットメディア「ハリウッド・リポーター」、英字のオンラインジャーナル「Japan Focus」、日本拠点とする英字ネットメディア「JAPAN TODAY」など、海外メディアでは是々非々で性的児童虐待問題にもしっかりと言及。 Japan Focusでは「絶対強者。タレント業界の大物である故ジャニー喜多川氏。日本で彼を最高の成功者へと押し上げたのは、彼の子どもたちに対する絶え間ない性的虐待を見て見ぬふりしてきた芸能界だった」と、2019年7月15日にジャーナリストのデビッド・マクニールが言及 [1]。 そしてBBCのニュース記事では、日本の主要メディアで闇の部分が一切報道されない不自然で異常な状況について、 「ジャニーズ事務所は業界であまりに圧倒的な存在だったため、ジャニー喜多川氏を批判することはほとんど不可能だった 強大なジャニーズ事務所を脅かそうと挑む人は、日本の主要メディアには皆無だった」 と論じた。[2] 。 酷いことに、日本の主要メディアはこのBBCによる記事を報じる時でさえも、ジャニーに対する賛辞の部分だけを抜粋。 日本のメディアの弱腰で不公平な姿勢や、性的児童虐待問題について述べている部分は、全てカットされた。 こうした、たった一社の企業に飼い慣らされ、腐敗しきった日本の業界の中で、ジャニーズの暗部に斬り込んでまともな記事を書いたり意見を述べたのは、ジャーナリストの元木昌彦と本多圭、LITERAの編集部、そして村西とおるだけであった。 ジャニー喜多川という人間は、趣味と実益を兼ねた上で、巨万の富と名声ばかりか、自分好みの美少年たちを無限に選びたい放題の酒池肉林の中、数千人に及ぶ少年たちと関係を持つという性的な幸福も含めて、およそ人類史上、ほかに例のないほどの享楽の生涯を送った。 しかしその実、決して人として優れた人物という訳ではなく、「少年愛」という趣味・性癖、生まれ落ちた時代、育ってきた環境がたまたま上手く重なってバズっただけである。 己の性欲の赴くまま、「芸能界デビュー」というこれ以上ない甘いエサを用いて少年たちを誘惑。 実際にアイドルタレントとして成功させれば莫大な利益が自分にも舞い込み、タレント本人やそのファンたちからも感謝されるという完璧なWinWinシステムが結果的に構築された。 そして獲得した権力と財力を使いながら、好き放題やりたい放題の独裁政治で、個人的な趣味をこれでもかと謳歌しながら生きていただけの、究極の道楽者に過ぎない。 ジャニーの成功の影には、切っても切り離せない膨大な数の、悔し涙を呑んだ少年、体と人生をもてあそばれた少年、将棋の駒のように安易に使い捨てられた少年が居り、ジャニーはそうした少年たちの屍の上に成り立っていた。
「ジャニー喜多川礼賛の中で元ジュニアの「性的虐待」告白・・・誘いに抵抗したらステージの隅っこ」 
「ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪 少年たちへの“性的虐待”という事実 ジャニー喜多川はそんなにすごい人だったのか?」 
「ジャニー喜多川氏に人生を弄ばれたジャニーズ創成期メンバー メディアは美化報道を自重すべし!」 
「ジャニー喜多川社長の美談を垂れ流し、性的虐待問題を一切報じないマスコミ! 元ジュニアが法廷で証言、最高裁でも確定してるのに」 
村西とおる談 「病院に駆けつけるジャニーズのタレントによってもはや神格化されつつあるが、その本性は忌まわしき未成年ア〇ル暴行魔。 毒牙にかかった少年がどれほどいたことか。 その素顔は希代の変態少年姦」 [1] 「批評は文化なのだがメディアはバター犬のごとく尾っぽを振って美談一色。 灰になるまで忌まわしい少年ア〇ル姦であったけれど日本の故人を称える美学にならい、黙して語らず。 とまれあの世での北公次さまとの再会を祝したい」 [2]
その他、弁護士・穂積剛による記事 「裁判所が認定したジャニー喜多川による少年への「淫行行為」」 (2020年2月)
嵐の活動休止に際して松本潤がアメリカの雑誌『Variety』のニュースサイト(2020年11月2日付)でインタビューに応じた際、記事内ではインタビュー内容と併せて、ジャニーが性的児童虐待に関する報道をされていることや、事務所の持つ強大な力によってそのことが日本国内のメディアでは報じられていないことも指摘した。
海外向けに日本のエンタメ情報を提供するWebニュースサイト「ARAMA JAPAN (あらま!ジャパン)」が、元「7 MEN 侍」のメンバー・前田航気のインタビューを掲載 (2021年1月2日付)。 ジャニー喜多川の性的児童虐待問題について、「ジャニーズのタレントや社内の他の誰かから、アイドルの虐待について聞いたり見たりしたことがありますか?」と問われた前田は、ジャニー喜多川とジャニーズJr.の何人かが性的な関係を持っていたことを告白。 自ら望んでジャニーと肉体関係を持つJr.も居たことを明かした。 そうした状況の背景には、ジャニーがタレントのデビューに関して強い決定権を持っていた権力構造があると証言した。 (しかし記事掲載後、何らかの横やりが入ったのか、ジャニーに関する部分のみ削除された) [1] 前田がジャニーズ事務所に所属していた期間は、2011年から2018年秋まで。 つまり、ジャニーは週刊文春との裁判で2004年に敗訴してもなお、晩年までずっとJr.への性的虐待を続けていたことになる。
2022年11月13日には元ジャニーズJr.の岡本カウアン(2012年2月入所)も、自身のYouTubeチャンネルで“ガーシー”こと東谷義和と「GaaSyy × KAUAN OKAMOTO 緊急生配信」を行い、Jr.たちに対するジャニーの性加害を暴露した。 [1]
2023年3月7日、イギリスの公共放送局「BBC」の知的・教養チャンネル「BBC Two」が、ジャニーの性的児童虐待について特集した50分間のドキュメンタリー番組『Predator:The Secret Scandal of J-Pop (J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル)』をゴールデンタイムに放送 (BBCワールドニュースでも3月18日~20日に計4回放送)。
0 notes
touchdownnetwork · 2 years ago
Text
タッチダウンネットワークのお仲間の皆様  
「タッチダウンネットワークは、アメリカンフットボールに関する様々な情報を提供することで、多くの人々にアメリカンフットボールの魅力を伝え、アメリカンフットボールの普及・認知に貢献します」
いつもタッチダウンネットワークをご覧頂き有難うございます。米国のフットボールの魅力、フットボールを支える文化、日本人選手の米国への挑戦と日米フットボール交流などを日本のフットボールファンの皆様に簡潔そしてタイムリーにお届けすることを念頭に、タッチダウンネットワークを開始して以来、約6年が経過しました。ご愛��頂いていることに心よりお礼申し上げます。
タッチダウンネットワークで情報発信をして最も強く感じることは、日本にはフットボールを心から愛している方々が、数多くいらっしゃることです。多くの方々から建設的なご意見、ご指導、ご支援を賜り学ばせて頂いていることに心よりお礼申し上げます。これからもフットボールで結ばれた人々が、世代、立場、出身校、性別などを超えて歓談できる、バーチャルラウンジを提供することに努力してまいります。タッチダウンネットワークの活動を通じて日本におけるフットボールの人気を拡大する一助になれば、嬉しく存じます。
さて何を行うにしても資金が必要ですがタッチダウンネットワークの継続にも様々なコストが発生します。ご愛読頂いている方々には、毎年サマーキャンプの頃に献金をお考え頂き度お願い申しげます。購読制にして限られた方のみを対象とするのではなく、可能なご支援を頂くことを通じて多くの方に開かれたバーチャル・ラウンジとして、フットボールを一緒に楽しんでまいりたいと願っています。
こうしたタッチダウンネットワークの主旨にご賛同いだけれる方には、1年に1度、サマーキャンプ時に以下のように、ご負担にならない範囲の「選手心」で献金額を選んでお願いできれば有難く存じます。なお、タッチダウンネットワークを少しでもお楽しみの方には、レッドシャート1,200円の献金をぜひお願いいたします。
レッドシャート 1,200円
フレッシュマン 2,000円
ソフモア 3,000円
ジュニア 4,000円
シニア 5,000円
プロルーキー 7,500円
プロロスタープレーヤー 10,000円
プロボウルプレーヤー 20,000円
リングオブオーナープレーヤー 50,000円
ホールオブフェーマー 100,0000円
振込先 
口座名:タッチダウンネットワーク
銀行名:三菱UFJ銀行 西荻窪支店
口座番号:普通 0204921
漢字:一般社団法人 タッチダウンネットワーク
カナ:シャ)タッチダウンネットワーク
恐縮ですが振り込みに際して発生する手数料の負担をお願いします。なお、タッチダウンネットワークは一般社団法人ですので、個人の献金に関して税控除の対象にはなりません。また、金融機関の振り込み証明を受領書に代えさせて頂きます。
新しいシーズンへ向けたタッチダウンネットワークのお仲間の皆様のご活躍とご健康をお祈り申し上げます。
タッチダウンネットワーク
注:寄付金取扱規定をご参照お願い申し上げます。
一般社団法人 タッチダウンネットワーク 寄付金取扱規定
目的
この規定は一般社団法人タッチダウンネットワーク)(以下、「当法人」という)が受領する寄付金に関し、必要な事項を定めるものとする。
当法人の目的は、アメリカンフットボールに関する様々な情報を提供することで、多くの人々にアメリカンフットボールの魅力を伝え、アメリカンフットボールの普及・認知に貢献することである。
定義
この規定において、寄付金とは個人または法人が使途を特定せず寄付した寄付金と定める。
受入基準
当法人は寄付金が次の各号に掲げる基準のいずれかに該当するときは、その寄付金を受け入れることができないものとする。
寄付者に寄付の対価として何等かの利益または利宣を供与すること
寄付者が寄付の経理について会計監査を行うこと
寄付者が寄付後に寄付の全部または一部を取り消すことができること
寄付金を受け入れることにより当法人に財政負担を伴わせること
代表理事が当法人の運営上支障があると認めること
受入手続き
寄付者は当法人の銀行口座に寄付金を振り込むに際して、本規定の内容を理解した上で振り込みを行う。寄付金は使途を特定しない寄付として受け入れるものとする。
受領書は金融機関の振り込み証明を受領書に代替するものとする。
その他
本規定に定めるもののほか、寄付金の取扱いに関しては、代表理事が必要に応じて定めることとする。
改廃
この規定の改廃は社員総会の決議を経て行うものとする。
附則 
この規定は令和4年8月1日より施行する。
問い合わせ: [email protected]
0 notes