#ゾルゲ事件獄中記
Explore tagged Tumblr posts
anamon-book · 8 months ago
Text
Tumblr media
ゾルゲ事件獄中記 川合貞吉 新人物往来社
24 notes · View notes
monqu1y · 4 years ago
Text
近衛人脈  1914年04月_近衛文麿は、東京帝国大学哲学科から京都帝国大学法学部に転校した。近衛文麿が河上肇を心から尊敬する様子を、1937年6月3日付報知新聞が次のように伝えている 大正三年の春、桜花爛漫と咲き乱れる京都帝国大学玄関先で痩身��帝国大学生が学生監と言い争っている… 「どうしても駄目だ、願書の締切日から三日も経っているじゃないか」 「何度お願いしても?」 「勿論」 「じゃ私も河上肇博士の社会科学が聞きたくて遥々東京帝国大学から転校して来たんだ、それを無情に追い帰すならヨシ私も男だ、死んでもここから動かないから」と玄関先へデッカと据えた信玄袋! その上へ腰を下して学生監をグッとにらんだ 「まあ、待て、待て、君!」とスッカリあわてた学生監 信玄袋戦術が功を奏して東京帝国大学哲学科から京都帝国大学法学部へ転校を許されたが、その青年が文麿公だった それからの大学生文麿は河上博士の講義にばかり出席し、 「主義と目的のため放逐される位人間と生れてむしろ痛快ではないか」と博士がクロポトキンを讚えれば、 「そこだ、先生!」と青年文麿は卓子を叩いて叫んだ…
Tumblr media
 -----------------------近衛人脈-----------------------  堀江邑一:マルクス経済学者河上肇の一番弟子、『中央公論』『改造』に中国関連論文を多数発表「昭和研究会」嘱託、戦後日本共産党入党、日ソ協会顧問、日ソ図書館長や日ソ学園理事長歴任  尾崎秀実:朝日新聞記者、第1次~3次近衛内閣内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員、近衛主催の政治勉強会「朝飯会」参加、ゾルゲ・ソ連スパイ事件の犯人、コミンテルン公認共産スパイ、1944年11月07日、巣鴨拘置所で獄中記を執筆。死刑執行  中野正剛:日報社、朝日新聞記者、東方時論社社長兼主筆、元衆議院議員、初代東方会総裁、憲政会・立憲民政党と政党を渡り歩く。1939年には議会政治否定・政党解消を主張して衆議院議員を辞職、後の選挙で当選復帰。南進論・日独伊三国同盟を支持し、撃栄東亜民族会議を主催  1940年、大政翼賛会総務に就任  1943年10月27日、自宅にて割腹自決  風見章:第1次近衛内閣書記官長就任。国際通信、朝日新聞記者、戦後の左派社会党顧問、日ソ協会副会長、日中国交回復国民会議理事長、ゾルゲ事件逮捕近衛元総理に既成政党を全て抹消するよう進言し、近衛から賛同を得ている。立憲政友会・立憲民政党の2大政党に内紛を起こさせて同党を解散に追い込む政治工作を行い、後の大政翼賛会の結成に至った  赤松克麿:「大政翼賛会」初代企画部長、衆議院議員、東洋経済新報社の雑誌「解放」の編集、日本産業協力連盟理事長、日本革新党党務長、左翼活動家・国家社会主義運動家に転じた  牛場友彦:内閣総理大臣秘書官を務め、朝飯会を発足、尾崎秀実を近衛文麿に紹介、日本経済復興協会の理事、日本輸出入銀行幹事、日本不動産銀行顧問  三木清:大谷大学、龍谷大学で教鞭。哲学者。日本共産党に資金提供し被逮捕  佐々弘雄:朝日新聞論説委員、参議院議員、九州帝国大学法文学部教授、『九州日報』『改造』『中央公論』で執筆。熊本日日新聞社社長兼主筆、ゾルゲ事件発覚時に尾崎秀実関連記録隠滅  藤隆之助:大政翼賛会の組織局長大日本連合青年団主事。「(1)現行憲法の範囲内で国内改革をする、(2)既成政党を排撃する、(3)ファシズムに反対する」の3点を根本方針とする昭和研究会設立趣意書を発表。蝋山政道、高橋亀吉、笠信太郎、尾崎秀実、三木清らを集めて、政治・経済・外交・文化等各方面に亘る国策研究を進めた。第1次近衛内閣発足時に、ブレーンとして組閣参謀を務め、戦後、昭和研究会の関係者を集めて「昭和同人会」を作った  笠信太郎:朝日新聞論説主幹。東京商科大学本科を卒業。同研究科退学。1936年01月朝日新聞入社、同年09月論説委員。近衛文麿のブレーン組織「昭和研究会」、朝飯会参加。1940年10月ヨーロッパ特派員としてドイツ駐在を発令され渡欧、戦後1948年02月に帰社後14年10か月間、論説主幹を勤めた。安保条約改定に反対し、1958年の朝日新聞には「世界連邦を日本の国是とせよ」という社説を書いた  益田豊彦:1900年05月22日~1974年07月11日。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高松高等商業学校教授就任。1926年、労働農民党結成に参加し調査部長に就任。1934年、東京朝日新聞入社、東亜問題調査会に配属され尾崎秀実と出会う。1936年、昭和研究会に参加し、外交問題研究会委員となった。戦後は朝日新聞の大阪本社代表取締役、東京本社代表取締役を歴任。1965年に取締役を退任  蝋山政道:1895年11月21日生。民主社会主義の提唱者。東京帝国大学法学部教授。1930年代、軍部台頭のなかで政党政治の行き詰まりを打破するため「立憲独裁」を提唱し、昭和研究会設立構想に参加。1942年、衆議院議員、大政翼賛会推薦で衆議院議員に当選。占領期に公職追放。中央公論社副社長、日本政治学会理事、民主社会主義研究会議議長に就任。日米安保肯定論で民社党の外交防衛政策を理論づけた。1980年05月15日、急性心不全で死去  -----------------------近衛人脈-----------------------以上
0 notes
heiwamaru · 4 years ago
Text
№294  学ぶこと真実をきざむこと。
2021年4月16日(金) 新基地建設強行の現場から
 4月16日(金) ヘリ基地反対協主催の学習会を開催しました。コロナ過のなかでしたが、21世紀森体育館会議室に43人参加しました。講師は北上田毅さんでした。90分辺野古の現状と課題についてお話ししてくださいました。コロナ過の中で新基地建設をすすめる日本政府の異常さに怒り心頭ですが、その埋め立てに国策によって殺された人々の遺骨と血がが混じった土砂を使用するとは人の道に反する行為です。絶対に許せないと思います。
Tumblr media Tumblr media
ゾルゲ事件に連座して獄死した名護出身の画家 宮城與徳 
Tumblr media
そのそばに、徳田球一 戦後の日本共産党書記長 名護市出身
Tumblr media
0 notes
kazuyoshi1000 · 8 years ago
Photo
Tumblr media
書籍:「ゾルゲ事件 獄中手記」 - この本も図書館で借りました。この本は「ゾルゲ事件」について特に偏った書き方もないので教科書のような本だと思います。「ゾルゲ事件」の概要を読み物として読んで知りたい人にはいいと思います。 この事件は古い事件なので、これを取り上げたTV番組や映画など動画でアップされています。 ...
0 notes
michitani · 8 years ago
Text
「みすず」(2017年1・2月合併号)読書アンケート特集で、岡田温司さんと細川周平さんが小社の書籍を挙げられています。
「みすず」(2017年1・2月合併号)読書アンケート特集で、 岡田温司さんが『偉大なる時のモザイク』(カルミネ・アバーテ)、 細川周平さんは『ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』(山崎淑子編著)と『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』(山崎洋編著)を挙げられています。
岡田温司さん:『偉大なる時のモザイク』(カルミネ・アバーテ、栗原俊秀訳)
「南イタリアに住み着いたアルバニア系住人の優しくも悲しい物語。この本が出るまで恥ずかしながらわたしは、こうした移民がイタリア史上に存在することを知らなかった。加えて、新進気鋭の訳者の最近の発掘的な翻訳の数々には目を見張るものがある。またこのご時勢、それを端正な本に仕上げて世に送り届けてくれる出版社、未知谷にもエールを送りたい」
細川周平さん:『ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』(山崎淑子編著)、『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』(山崎洋編著)
「ゾルゲ事件に連座したうえ、網走刑務所にて獄死したユーゴスラヴィア人ジャーナリストの記事と手紙。昭和十年代の軍事化する日本を冷静に捉えた自身の記事と、留置場から新妻に宛てた愛情深い手紙。特派員として報じる大日本帝国をめぐる政治情勢が、今日の軍国化に重なる暗さに不快を覚える一方、来日数年にして倉田百三や仏教典を読み、漢字混じりの文章を書くたぐいまれな知性に驚く」
1 note · View note
xf-2 · 6 years ago
Link
『機動戦士ガンダム』の生みの親の一人である安彦良和氏は、40年前に「ガンダム」のキャラクターを作り上げた。近年では『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で登場人物たちの過去、すなわ���「歴史」を描いてきた。
71歳の安彦氏は、実際の「歴史」とも向き合っている。目下のライフワークは近現代史をテーマにした作品。『虹色のトロツキー』では中国東北部に存在した日本の傀儡国家「満州国」を描いた。連載中の『乾と巽』では「シベリア出兵」に取り組んでる。
複雑な背景を持つ近現代史をなぜ描き続けるのか。安彦氏は「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ない」と、歴史との向き合いかたに警鐘を鳴らす。
日本が歩んできた道を問い続ける安彦氏に、歴史と向き合う作法と意義を聞いた。
人間は、トラウマで心にかさぶたを作る
インタビューに応じる安彦良和氏
――安彦さんは『虹色のトロツキー』で、「満洲国」にいた人々に取材を重ねています。戦後74年を迎えた今、近い将来に戦争経験者がいなくなることが現実になろうとしています。
あの戦争で、生きるか死ぬかの経験した人がいなくなる。そういう時代が来る。平和だからこそですが、一方では大変恐ろしいことだなと思います。
僕は1947年生まれで、タッチの差で戦争を経験していない。「戦争は絶対いけない」「どんな戦争もやっちゃいけない」と、生死の境をさまよってきた人たちの言うことを厳かに聞かなきゃいけないという思いがある。
しかし、そこで「お説ごもっとも」と、思考停止をしてもいけない。
「戦争」や「戦い」を一般論化して、何が肯定されるか、また否定されるかというのは、なかなか難しい。ただ、戦争を経験した人が「とにかく戦争はダメだ」と語る証言は、とても貴重だと思うんです。
もっといえば、本当に生死の一線を越えてきた人たちの中には、そのことを語り残さなかった人もいるでしょう。
――過酷な体験は振り返りたくないという人を、私たちが責めることはできない。
「思い出してどうなるのか」「悪いことを思い出すだけ」と、あえて語らなかった人もいたと思うんです。
人間というのは、トラウマで心にかさぶたを作る。それを剥がすのは、残酷なことじゃないかと。それを語らせるのは、非常に微妙な作業でもあります。
そのかさぶたが、ある日突然破れて、感情が噴出することもある。本当に深刻なトラウマっていうのは、必死にかさぶたでふさごうとするけど、癒えないわけ���すよね。
我々の親の世代は、一種の自己防衛で語らなかったという気もします。語られていない歴史、そこに思いを致すことも必要かもしれません。
『虹色のトロツキー』で描いた「リアルな目線からの満洲国」
『虹色のトロツキー』単行本
――『虹色のトロツキー』の主人公は、ウムボルトという青年学生でした。なぜ旧満洲を描こうと思ったのですか。
そもそもは、ある時期に当時の旧満洲を撮影した写真を見たことがきっかけでした。多くはいわゆる宣伝写真でしょうが、そこからは人々の生活の匂いを感じた。
いわゆる「満洲モノ」と言われるものには2パターンがありました。一つは、加害者として、あるいは被害者の立場から「満洲国」を告発するもの。もう一つは「馬賊」モノのような娯楽作品です。
そのどちらでもなく、「満洲国」という存在を正当化はしないまでも、そこに生きた人たちを描きたい。
なので、等身大のウムボルトという、日本人とモンゴル人との間に生まれた青年学生のリアルな目線で旧満洲を描こうと思いました。
――主人公は無名のキャラクターで、その周りに関東軍の石原莞爾や辻政信、満映理事長の甘粕正彦、女優の李香蘭など実在の人物が出てくる。無名の人の目線からあえて物語を描いたのはなぜですか。
ウムボルトは混血の青年、いわばマイノリティです。その意識は僕の中にもあった。
マイノリティの意識が自分にもあるからですかね。馬の骨の話もそうだし、北海道っていうのはある意味で外地ですからね。北海道は今でも本州を「内地」と言っているくらいですから。
メインストリートではない、辺境の目線から見えてくるものがあると思うんです。
左から李香蘭、甘粕正彦、辻政信、石原莞爾
――「満洲国」は「帝国日本の脆い理想が現実と渡り合った成れの果て」だったと。そこにいた青年たちは、理想と現実が複雑に交錯した時代を生きた。その舞台となったのが満洲建国大学でした。
満洲建国大学は、石原莞爾が唱えた「五族協和」の理想に基づき、石原の支持者だった辻政信が開学させた。新国家に有用な人物を生み出すための国策大学でした。
しかし、その実態はとても多様だった。門戸は様々な民族に拓かれ、中国やモンゴルの人も入学していました。
印象的だったのは、中国や旧満洲の人たちが建国大学に入りたがっていたということことでした。もう日本の敗戦が目の前に迫っているようなときでも、喜んで入学した人がいた。そういう夢があったのかもしれない。
『虹色のトロツキー』2巻(中央公論新社、2000年)、248-249頁
「五族協和」「王道楽土」というのは、単なる空虚なスローガンではなく、彼らなりにあくまで一つのリアリティを求めた言葉だった。実際に、そこを本気で目指していた学生もいたわけです。
建国大学の同窓会の雰囲気や結束の固さを見ていると「この人たちは真面目だったんだ。本気だったんだ」という気がしました。
それらも含めて、全ては世界史の過酷な現実に押し流されてしまった。それが歴史の恐ろしさだとも思うわけです。
善悪だけでは語れない。それが「歴史」だ
「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います」
――つまり、善と悪だけでは語り得ないっていうところを表現したいっていうのがあった。
「満洲国」は、軍国主義や日本の大陸侵略を象徴する国家ではありますが、それだけでは語り得ないのではないか。
確かに、旧満洲をめぐる陰謀めいたものが挫折し、否定され、大きな悲劇が起きた。あの国はどうしたってつぶれる運命だった。
しかし、実はそんな単純な話ではなかったのではないかという思いもあるんです。善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います。
――作品では、独断専行でノモンハン事件の犠牲者を増大させた陸軍参謀・辻政信が登場します。辻はガダルカナル島攻防戦を指導するなど「作戦の神様」と呼ばれましたが、戦後は旧軍の精神主義を体現していた人物とみなされた。そんな「絶対悪」とも評される人を、安彦さんはコミカルに描きました。
『虹色のトロツキー』で困ったのは、取材で当時の話を聞くと「みんないい人だった」という話になることでした。
連載していた頃、辻政信は世間ではそれほど扱われていなかったと思います。もちろん「悪」とされても仕方がない人ですが、実際に関係があった人から話を聞くと、みなが「魅力的だった」と言うんです。
「神出鬼没な人だった」「声がでかかった」とか、懐かしい目で語るんですね。
人間というのは「こいつは超悪い人だった」「こいつは善人だった」と単純に割り切ることはむずかしい。直接会ったりすると意外と魅力的で、コロっと好きになるようなことがあると思うんです。
なので、無条件に悪と断じたりするのではなく、面白いキャラだが基本的にダメだよと。そういうリアリティを反映した描き方をしたほうがいいんじゃないかなと思ったんです。
尾崎秀実(左)とリヒャルト・ゾルゲ
―― 一方で、戦時中のスパイ事件(ゾルゲ事件)に絡んで処刑されたジャーナリストの尾崎秀実については、少し不気味な描き方だなと感じました。尾崎は戦後に平和主義者として語られがちでしたが…。
尾崎については中途半端な描き方しました。家族を愛した平和主義者として語られますが、単に平和を愛した人物ではありません。
尾崎は近衛文麿首相のブレーンで、そのための言論活動もしていました。講演では「資源を得るために日中戦争をどんどんやれ」というようなことを言っています。
そして日本の情報をソ連のスパイ、ゾルゲに売っていた。娘たちには「いずれ戦争は終わります。日本が勝ちます。頑張りなさい、堪えなさい」って言うんですが、彼が売った情報で、日本は戦略的に負けたわけです。
それなのに戦後の僕らは、尾崎が獄中で妻と娘に書いたメッセージ「愛情はふる星のごとく」に涙するわけです。「平和主義者なのにこんな目にあって、家族も可愛そうだ」と。この本はベストセラーになりました。
尾崎を戦争の犠牲者として、無条件に平和主義者と定義するのは、戦後的な美化だと思います。
戦後の「マルクス主義」的な歴史観の是非について
幼少期から漫画家になるのが夢だった安彦氏だが、かつては学生運動の闘士だった。1966年、故郷の北海道を離れて青森県の弘前大学に入学。学生運動に身を投じた。 後に弘前大全共闘のリーダーとなったが、大学本部占拠事件の責任を負わされ1969年9月に逮捕、翌年に除籍された。その���、安彦氏は上京。たまたま目にした手塚治虫の「虫プロ」の求人広告をみて応募。採用された。 当時の学生運動を描いた山本直樹の漫画『レッド』の登場人物・安田は安彦氏がモデルとされている。
――戦前は『古事記』の神話さえも史実として教えられましたが、戦後は批判的に読まれるようになった。戦後、歴史の教科書は大きく変わりました。
戦前期は基本的に「悪」の時代。戦後は「善」の時代とされますよね。
民主主義の下、過去を悔い改めない人たちを少数派にし、「善の戦後史」を作れば、日本は世界に輝く平和国家になる。それが戦後の民主主義教育の考え方でした。
でも、なかなかそうはならないわけで、いくら経っても悔い改めない人たちがいるわけです。そして、その色合いはむしろ強まってく。そこに大いなる「なぜ」があるわけです。
――その「なぜ」とは。
戦後の支配的革新思想「マルクス主義」、もっと言えば「社会主義」の敗北につながる問題です。
世界では18世紀ごろから「人権を大事にしよう」という思想が、啓蒙思想として出てきます。そして「世の中は時代が進むにつれて、より人権が尊重されるようになり、必ずよくなる」という考え方あった。それは今でもあります。
でも、ヒューマニズムだけでは力が足りない。それを科学的に立証しなければいけない。歴史には停滞する時期や逆行する時期もありますから。
それを冷徹に分析し、まあ世の中はおおむね「進歩」している。そう捉えたのが「マルクス主義」でした。
この思想は「科学的」であることを売り物にしていた。世の中の「進歩」を信じていた人々は、それにすがった。
やがて「科学的」であるはずの思想を盲信する人が生まれ、「党派」をつくり、それを教団化し、宗教的なものになってしまった。
ただ、それにも終わりがやってきます。1989年にベルリンの壁が崩壊し、90年に冷戦が終結し、91年にはソ連が崩壊した。社会主義の実験は失敗に終わり、「あれあれ、善玉が負けちゃった」となる。
「社会主義は善」「悪は滅び、善は勝つ」という思想が、逆に不幸を招いたような気もするわけです。
撤去されるレーニン像(ソ連・リトアニア共和国・ビリニュス)=1991年8月23日 
――社会主義は、自らが否定した宗教的なものになってしまった。内ゲバもあったし、それこそヒューマニズムが欠如していた。
おっしゃるとおり「科学」という名の神を信仰する宗教になってしまった。
結論を言えば、やはりヒューマニズムを安易に「卒業」してはいけなかった。それが社会主義、史的唯物論的な考え方に置き換えられた時点で失敗したと思うんですよね。
歴史への科学的な姿勢こそ、思想の進化だと我々はずっと思ってきたわけです。ヒューマニズムなんて甘っちょろい。現実に負けてしまうとね。そういう考え方の中で人間的な目線を置いてきちゃったんです。
「ニュータイプ」に憧れを抱くのは危うい
インタビュー場所は安彦氏の自宅の一室。壁には安彦氏が描いた作品が飾られていた。
――安彦さんがおっしゃるように、今を生きる私たちがヒューマニズムを取り戻すためにはどうすれば良いのでしょうか。
ヒューマニズムを、ひたすら素朴に追求することじゃないですかね。
簡単に言えば、階級格差や貧富の差を見すえて、もっと人権が尊重される社会にする。もっと多くの人が幸せだなと思える社会を地道につくっていく。そういうことだと思うんです。
前衛党を作って、戦略的に練り上げた革命を達成して、究極の理想社会に向かって指導されていくべきだ……みたいな部分を否定すればいい。
ヒューマニズムの社会をつくるには、もっとたどたどしくていいんですよ。みんなが「他人の痛みを知ること」「他人の気持ちになること」を意識する。そういう社会を目指そうということです。
――一方で、私たちは心のどこかで「よき指導者」を求めているような気もします。マスコミでも「新たなリーダーが必要」みたいなことが言われます。ともすれば、『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビのような、強いリーダーシップを求めてしまいがちです。
リーダーを求めること自体は良いと思います。ただ、リーダーに全権委任するのがいけない。リーダーだって人間で、限界があるわけです。「いい人だと思ったけど案外ダメだな」と思ったら、さっさと見限る分別を持っていればいい。
宗教的なカリスマや、『ガンダム』でいう「ニュータイプ」的なものに憧れを抱くのは危うい。常に権力者を疑いながら、くよくよと迷いつつ、道を探し求め続けるしかない。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。12巻��表紙にはジオン公国の総帥、ギレン・ザビが描かれている。
――それは、古代ギリシャのオストラシズム(陶片追放)からずっと続いている。
それで何がいけないんでしょうか。やはり、指導者はほしいですよ。もちろん個々人の能力差は当然ありますし、権力欲で成り上がろうとする者も絶えずいる。
だからこそ、僕らは目を肥やす必要もある。「あいつはろくでもねえ」「この人がいいな」と、ずっと観察し続ける。
「ナショナリズム」と「パトリオティズム」の違い
『虹色のトロツキー』の原画。描かれているのは主人公ウムボルト
――『虹色のトロツキー』の主人公ウムボルトは「五族協和」にこだわっていました。自分は「満洲国人でありたい」と。一方で、民族主義の発露は、時として自民族が優れているという選民思想、偏った愛国心の萌芽となる危険性もあります。
かつて親しくさせていただいていた松本健一さんという思想家がいました。彼は意識的に「ナショナリズム」と「パトリオティズム」を分けていました。「ナショナリズムには乗れないけど、パトリオティズムならいい」と。
「よき愛国心」という定義は難しいけど、愛国心というよりは「愛郷心」というのかな。「国」となると色々な要素が入ってくるんだけど、ふるさとを愛する心みたいなニュアンスをこめておられたと思います。
――「故郷」と書いて「くに」と読ませることもありますね。
パトリオティズムは、同郷心に近いかなと感じます。ウムボルトは、パトリオティズムとしての「満洲国」の可能性を探っていたのだと思います。
もしかしたら「満洲国」というエスニック国家が存在し得たんじゃないかと、僕も思うわけです。無論、それを存在できなくしたのは、当の日本だったわけですが。
「五族協和」という標語の是非は別として、石原莞爾などは「満洲国民になる」みたいなことを一時言ったりしていました。
――作中で、李香蘭が「日本人が中国人になったり、中国人が日本人になったりするって間違っている」「目的が、国が違う同士が仲よくするためにお役に立てるならいいことなんじゃないか」と話すシーンが印象的でした。
「満洲国」というビジョンを示しておきながら、「満洲国」というアイデンティティを形成するのを結局最も強力に妨げたのが日本だった。そこに大きな問題があるんじゃないのかな。
「五族協和」を掲げながら、本当の意味で「満洲人のための国家建設」をしなかったわけですからね。結局は日本のためだったわけですから。
「人と人は、わかり合えない」 だからこそ…
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。表紙にはガンダムとララア(17巻)、シャアとララア、ララアが搭乗する機体「エルメス」(21巻)が描かれている。
――『機動戦士ガンダム』でも、ジオン公国の選民思想的な「ジオニズム」という言葉が登場しました。
『ガンダム』の舞台は宇宙ですが、そこには地球上で繰り返されてきた争いの構造が埋め込まれています。地球を出て宇宙に移住した彼らは、民族としての結束を保つために「ジオニズム」というイデオロギーを形作るわけです。
ユダヤ教の選民思想や、ナチス・ドイツのゲルマン民族の優越思想、そして戦前日本の純血思想、これらは古代からずっと続いてきた構造です。
自分たちを選民と考えれば、それ以外の人々への差別が生まれ、ルサンチマン(被害者意識)がまた生み出される。
人はルサンチマンを再生産し、他者と争い、それを繰り返してきた。それぞれの時代を生きた人間たちが、何千年にもわたって積み重ねてきた葛藤。それが「歴史」であり、『ガンダム』が提示したメッセージでもありました。
つまりは、「人と人はわかり合えない」ということです。
「シベリア出兵」を扱った連載中の漫画『乾と巽』。安彦氏は、いまも歴史と向き合っている。
――歴史と向き合うということは、わかり合えない他者と向き合うことでもある。
中には「人はわかり合えるはずだ」と信じる人もいるでしょう。人間にとって平和に暮らことが何よりの希望なのに、なぜ戦争をしてしまうのかと問い続ける人もいる。
しかし、実のところ逆だと思うんです。人と人は、わかりあえなくて当たり前なんです。この「人と人」は、「国と国」と言い換えることもできます。
「きっと自分のことをわかってもらえる」という考えは危険です。其処から反感や絶望が生まれる。「ニュータイプ」なんてものも幻想です。「だったらいいな」ということを究極的な夢として表現している。だからアムロとララアの関係は悲劇的に終わる。
もちろん、だからといって、「わかり合えないなら何をしても良い」ということでもありません。
安彦氏のアトリエ
「わかり合えない」という前提を認めた上で「でも、わかりあえたらどんなにいいだろう」と考えること。そうすれば、相手の良いところが見えてきたりもする。私たちの身近な人間関係もそうですよね。
人は、歴史を巻き戻すことはできません。でも、似たようなことが繰り返されるのだったら、「なぜあの時失敗したのか」「あの時、もしもこうしていたら…」と考える。それが、同じ轍を踏まないために必要だと思うのです
【インタビュー後編はこちら】
<安彦良和 やすひこ・よしかず>1947年北海道生まれ。70年弘前大学中退後上京し、手塚治虫の「虫プロダクション」でアニメーターになる。73年にフリーとなり、以後『機動戦士ガンダム』など大ヒットアニメの主要スタッフとして参加。キャラクターデザイン、作画監督、監督などアニメ界でマルチに活躍。79年『アリオン』でマンガ家としてデビュー。90年『ナムジ 大國主』で第19回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2000年『王道の狗』で第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。12年『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で第43回星雲賞を受賞。マンガ作品は『ヴイナス戦記』『神武』『虹色のトロツキー』『イエス』『天の血脈』『ヤマトタケル』など多数、著作は『原点 THE ORIGIN』などがある。
3 notes · View notes
monqu1y · 5 years ago
Text
敗戦革命史
1909年10月26日 安重根が伊藤博文を暗殺
1909年12月04日 大韓帝国民間結社・一進会が「韓日合邦を要求する声明書」を上奏
1910年08月29日 「韓国併合ニ関スル条約」に基づき日韓併合.京城に朝鮮総督府設置
1912年01月 中華民国( 南京政府 .フィリピンに続くアジアで2番目の共和国)成立
1912年03月 中華民国が首都を南京から北京に移す( 北京政府 )
1914年04月 近衛文麿が東京帝大哲学科から京都帝大法学部に転校
1914年08月04日 ドイツ軍ベルギー侵攻を理由に,イギリスが対独宣戦布告
1914年08月07日 対独仮装巡洋艦攻撃をイギリス外相が日本に要求
1914年11月07日 日英連合軍がドイツ要塞(青島 膠州湾)を攻略
1916年09月 河上肇 著「 貧乏物語 」大阪 朝日新聞 連載開始
1917年02月23日 ロシア革命,勃発
1918年07月17日 ロマノフ王家全員殺害
1919年01月18日 ~ 第一次世界大戦講和の国際会議 をパリで開催 パリ講和会議で日本が人種的差別撤廃を提案
米加豪等で黄禍論や対日警戒論が高まる
1919年03月01日 李朝旧支配層の扇動による 三一万歳騒擾
1919年10月 中国国民党 (上海,党総理=孫文)結成
1921年07月 中国共産党創立大会 を上海で開催
1921年12月13日 日米英仏4ヵ国太平洋平和維持条約締結.日英同盟解消
1924年01月 中国共産党員が個人として国民党に加入( 第一次国共合作 )
1925年01月20日 日ソ基本条約締結
1925年03月 東京放送局 (初代総裁: 後藤新平 (注1) ,理事長: 岩原謙三 )ラジオ放送開始
1926年08月06日 社団法人日本放送協会設立.東京放送局総裁 後藤新平は,新協会の定款に納得せず辞任し,総裁職は空席となる.初代会長には岩原謙三が就任
1926年08月20日 大阪・名古屋放送局を日本放送協会に統合
1927年04月06日 張作霖が李大釗らを内乱罪容疑で逮捕 .3週間後に李大釗らが処刑され,共産党は張作霖を恨んだ
1927年07月 国共内戦 開始
1928年02月 普通選挙実施 .天皇敵視政党躍進
1928年03月15日 日本共産党関係者等千余名を一斉検挙 (治安維持法違反容疑)
1928年06月04日 中華民国奉天近郊で,奉天軍閥の指導者 張作霖が暗殺される( 張作霖爆殺事件 )
1928年07月 トロツキーとの後継者争いに勝ったスターリンが「敗戦革命論」を提起( コミンテルン第6回世界大会 )
1929年10月24日 世界恐慌(Black Thursday) .米国共和党支持率低下.日本でも 「ソ連型計画経済」神話が流布
1931年09月18日 南満州鉄道の線路爆破( 柳条湖事件 )
1931年09月18日 ~1932年02月18日. 満洲事変
1932年 河上肇が日本共産党に入党
1932年03月 満洲国の建国
1932年05月15日 五一五事件 (大川周明の国家社会主義思想を信奉する青年将校らが首相殺害等テロ実行)
1932年07月10日 「 日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書 」を,共産党機関紙「赤旗」が掲載
1932年11月08日 米国大統領職を民主党が奪還(フランクリン・ルーズベルトが就任) .日米の指導層がマルキスト達によって占められる
1933年03月27日 国際連盟脱退通告
1933年12月27日 近衛文麿 の政策研究団体= 昭和研究会 (新聞記者・共産主義者の巣窟)設立.主宰者は近衛のブレーン後藤隆之助
1935年07月25日 「 砕氷船理論 」に基づきスターリンが演説(第7回コミンテルン世界大会)
1936年02月26日 ~29日. 陸軍青年将校らが下士官兵を率���て起こしたクーデター未遂 ( 二二六事件 )
1936年09月 日本放送協会総裁(会長の上役)に近衛文麿が就任
1936年11月 昭和研究会 の正式組織化
1937年06月04日 第1次近衛内閣発足(~1939年01月05日. 朝日新聞 記者風見章 内閣書記官長就任.近衛首相は,国内融和を図る為という口実で,治安維持法違反者,共産党員,二二六事件関係者等に係る大赦を主張)
1937年07月07日 北京近くの盧溝橋で起きた日本軍と中国国民党軍の衝突( 盧溝橋事件 )
1937年07月29日 冀東防共中国自治政府配下の保安隊が日本軍部隊・特務機関を襲撃し,日本人居留民223名を強姦等の上殺害( 通州事件 )
1937年11月20日 大本営 設置
1937年12月04日 南京攻略 (~12月13日.後々,大虐殺プロパガンダに利用される)
1937年12月17日 岡田嘉子 らソ連に逃避行(スパイ容疑でソ連に逮捕される)
1938年04月01日 国家総動員��� 発布
1939年01月05日 ~1939年08月30日.平沼騏一郎内閣.近衛文麿は,内閣は総辞職したものの,日本放送協会総裁の座に座り続け,敗戦後もラジオ放送の実権を握り続けた
1939年 朝日新聞 記者 中野正剛(衆議院議員)南進論及び日独伊三国同盟を支持し,撃栄東亜民族会議を主催
1939年05月 ~9月.満州国・モンゴル人民共和国間の国境線をめぐって発生した紛争( ノモンハン事件 )
1939年08月30日 ~1940年01月16日.阿部信行内閣
1940年01月16日 ~7月22日.米内光政内閣
1940年03月30日 汪兆銘 中華民国 南京政府 樹立
1940年07月22日 ~1941年07月18日.第2次近衛内閣
1940年09月27日 日独伊三国同盟成立
1940年10月03日 杉山元 陸軍大将 参謀総長就任 大本営の責任者となる
1940年10月12日 大政翼賛会設置(~1945年06月13日. 朝日新聞 記者 中野正剛が総務に就任.国家社会主義運動家 赤松克麿が初代企画部長に就任)
1941年04月13日 日ソ中立条約締結
1941年07月18日 ~1941年10月18日.第3次近衛内閣
1941年07月28日 南部仏印進駐
1941年08月 アメリカが日本に対し石油完全禁輸
1941年09月 ~1942年04月. ゾルゲ事件 ( 朝日新聞 論説委員 佐々弘雄が 尾崎秀実 関連記録隠滅)
1941年10月18日 近衛第三次内閣総辞職,東條内閣誕生
1941年11月26日 アメリカの最後通牒(ハルノート)
1941年12月08日 (米時刻9日)真珠湾攻撃開始. 対米戦意高揚NHK放送 (大川周明)
1942年03月07日 ポートモレスビー激戦
1942年08月07日 ガダルカナル島激戦
1944年03月01日 アサヒグラフ 「撃て!この鬼畜米国!」発刊
1944年03月 インパール作戦
1944年07月 米内光政 海軍大臣就任
1944年11月 朝日新聞 記者 尾崎秀実 が巣鴨拘置所内で「獄中記」を執筆
1945年02月14日 近衛文麿 が昭和天皇に上奏文 (注2) を提出し,アリバイ作り (注3) をした
1945年04月07日 鈴木貫太郎 内閣総理大臣就任
1945年04月末 イタリア帝國ムッソリーニ大元帥処刑死.ドイツ総統ヒトラー総統自殺
1945年05月初 イタリア全軍降伏.ドイツ全軍降伏
1945年08月06日 原爆広島投下
1945年08月08日 原爆長崎投下→ ソ連対日宣戦布告
1945年08月14日 日本がポツダム宣言を受諾 → 敗戦革命論 実践者達による終戦引き延ばし工作( 宮城事件 )
1945年08月15日 昭和天皇玉音放送「敗戦受諾の詔書」→蒋介石,抗日勝利演説
1945年08月20日 ソ連軍樺太住民数十万人虐殺
1945年08月25日 ソ連軍樺太全土占領
1945年10月 国共双十協定締結
1945年10月22日 大阿仁村事件
1945年11月30日 海軍省廃止(海軍大臣 米内光政),陸軍省廃止(陸軍大臣 下村定)
1945年12月16日 近衛文麿服毒自殺
1945年12月24日 生田警察署襲撃事件
1946年01月 国共停戦協定成立 政治協商会議開催
1946年07月 国共内戦 再開
1947年03月 毛沢東軍が延安から敗退
1947年10月 毛沢東軍が「中国土地法大綱」公布
1948年11月 毛沢東軍が東北地方制圧
1949年01月 毛沢東軍が長江北岸・北京・天津制圧
1949年05月 毛沢東軍が上海制圧
1949年08月 吉田茂首相がマカーサに在日朝鮮人全員送還を嘆願
1949年09月 毛沢東が中央人民政府主席に就任
1949年10月01日 中華人民共和国成立を宣言
1949年12月 中華民国台北遷都
1950年 辻政信 著「 潜行三千里 」出版,慰安婦軍属を主張
1950年03月01日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ クラウス・フックスに懲役40年の判決 .アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き,米国民主党支持率低下
1950年06月 朝鮮戦争
1951年01月 在日朝鮮統一民主戦線 結成
1953年06月19日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ ローゼンバーグ夫妻に対する死刑執行 .アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き,米国民主党支持率低下拍車
1954年09月 毛沢東軍が金門島・馬祖島を砲撃
1956年11月06日 米国大統領職を共和党が奪還(ドワイト・アイゼンハワーが就任)
(注1)後藤新平は,日ソ国交回復に尽力して「赤い男爵」との異名をとった.1928年訪ソした際スターリンと会見して国賓待遇を受けた
(注2)近衛上奏文要旨=現状は敗戦必至.米英世論が天皇制廃止に至らぬうちに米英と講和すべき.敗戦の混乱に乗じた共産革命を恐れるべき.軍人にも共産主義に染まった者達が居る…思えば,満州事変,支那事変及び大東亜戦争を引き起こしたのは,日本の革新を企む軍関係者の陰謀だった.それを官僚,民間有志らが支援していた…戦争終結には,これら軍関係者を取り除き共産主義者を抑える必要がある
(注3)近衛は,敗戦後マカーサにいち早く接近して戦後政治の主導権を握ろうとし,責任を総て軍部に押し付け,元凶である 昭和研究会 のメンバーは咎めようとしなかった
0 notes
michitani · 8 years ago
Text
新聞・雑誌掲載情報(2017年)
2016年は(→*)
<1月> ・ 本の雑誌(2月号) 評者=江南亜美子さん  『東京まで、セルビア』
「視点の自在さは、安定的な語りを求める読者をおそらくは不安に陥れる。固定的でない語りのゆらめき。しかしなんとも言えず魅力的でもある」
・ 図書新聞(1月21日号) 評者=伊藤章さん  『満ちみてる生』
「斬新な比喩表現によって鮮烈なイメージを喚起することがあり、読者を飽きさせない。さらにファンテならではのユーモアも相まって、読後いい作品だったなあと感慨にふけること間違いのない作品が生まれた」
・ 日刊ゲンダイ(1月24日号)   『上海物語』
「自らの上海体験をもとに、史実と虚構が入り交じりながら描かれるハイパースパイ小説」
・週刊新潮(1月26日号) 『上海物語』
「 著者が幼年期を過ごした戦時中の上海を舞台に、ゾルゲのいた時代を描いた最新長編だ。主人公の須磨雄が著者自身の投影であるだけでなく、『太陽の帝国』のJ・G・バラードから四方田犬彦までが実名で登場。情報戦をめぐる、虚実皮膜の自伝的実録小説でもある」
<2月>
・みすず(1・2月合併号)読書アンケート特集  選者=岡田温司さん 『偉大なる時のモザイク』
「南イタリアに住み着いたアルバニア系住人の優しくも悲しい物語。この本が出るまで恥ずかしながらわたしは、こうした移民がイタリア史上に存在することを知らなかった。加えて、新進気鋭の訳者の最近の発掘的な翻訳の数々には目を見張るものがある」
・みすず(1・2月合併号)読書アンケート特集  選者=細川周平さん 『ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』 『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙』
「ゾルゲ事件に連座したうえ、網走刑務所にて獄死したユーゴスラヴィア人ジャーナリストの記事と手紙。昭和十年代の軍事化する日本を冷静に捉えた自身の記事と、留置場から新妻に宛てた愛情深い手紙。特派員として報じる大日本帝国をめぐる政治情勢が、今日の軍国化に重なる暗さに不快を覚える一方、来日数年にして倉田百三や仏教典を読み、漢字混じりの文章を書くたぐいまれな知性に驚く」
・出版ニュース(2月上旬号)  評者=中川隆介さん    『上海物語』
「社会情勢や登場人物は事実を骨格とし、人物たちの言動やディティールには創作を加えるスタイルである。(……) よく情報を集め、かつ自分の生きた軌跡を強く意識して、大胆に虚実取り混ぜて書いた読み物である。著者の情報力と人脈の強さ、広さには感嘆する」
・岩手日報(2月5日)   『増補新版 海の蠍』
「明石海人と島比呂志、2人の作家の共通点はハンセン病。2人が全身全霊で伝えた言葉と壮絶な人生を紹介している。明石の時代、ハンセン病は「不治の病」であった。失明と気管切開を経た明石は「空中に腕を回して文字を書き、あるいは呼吸管の穴をすりこぎのような手でふさぎ、その息を声帯に回して、辛うじて声を発し」、言葉を紡いだ。一方、島の時代、ハンセン病は治療薬で治癒する病気となった。それにもかかわらず療養所で囚人のような生活を強いられた島の作品を「囚われの文学」と捉え、読み解いている」
・ 新潟日報(2月12日) 評者=平山征夫さん   『夢と戦争』
「 「大変な詩評論が詩壇に投げ込まれたな!」と言うのが正直な本書の読後感である。(……) 伊藤比呂美以降、別れてしまったと言われる「詩と評論」を詩人側に取り戻したい、戦後詩人の様に批判精神を持っていたいという著者の思いがあるようだ。(……)  「ゼロ年代詩」への批判的評論が主題ながら、著者自身それに続く10年代詩人として「詩とは何か? 詩的主体とは誰なのか? それはいずこに、どう存在するのか?」という自らへの問いへの答えでもあるようだが、私にはそれは時代への普遍的問いのように思えた」
・ 週刊読書人(2月17日) 評者=沼野充義さん   『チェーホフさん、ごめんなさい!』
「著者の特別な資質が生かされた特別な本になっていて、数多あるチェーホフ本からはっきり一線を画している。(……) 一貫しているのは、チェーホフを生きている人間のように、まるで師か、友人か、それとも恋人のように扱って、つねに彼に話しかけるように書いているのだ。 (……)  ここには、著者が「チェーホフさん」と知り合い、その作品を読んだり訳したりしながら考えたことが、いかにも著者らしく素直に書き留められている (……)  児島さんにしか書けない、ユニークな本です」
・ しんぶん赤旗(2月26日号) 評者=麻生直子さん  『増補新版 海の蠍』
「熾烈な運命と対峙し、歌集『白猫』を残した歌人・明石海人と、小説『海の沙』『奇妙な国』など人間の極限の実存を刻んだ作家・島比呂志の生涯を通して文学を論じた得難い書である」
<3月>
・ レコード・コレクターズ(4月号) 評者=ヒロ宗和さん  『愛歌 ロックの半世紀』
「愛したロックの名曲がどういう状況で生まれ何を歌ってきたのかを音羽自身が問い直し丹念に読み解いていった記録だ。ロックがそれまでのポピュラー音楽と決定的に異なるのは、自分たちで演奏し歌うことを当たり前にしたこと。自分の言葉で歌う以上は社会や時代を含めた自分が生きる場所や自分自身と正面から向かいあわざるを得なくなる。音羽が選んだ69曲は、歌詞とともに歌が生まれた背景も語られ、まさに時代に立ち向かったアーティストの姿勢や意識のあり方が伝わってくる。単なる名曲紹介ではない。あらかじめ評価の定まった曲を享受する、そんなロックの聴き方に警鐘を鳴らす一冊だ 」
・ 週刊読書人(3月17日号) 評者=奥彩子さん   『東京まで、セルビア』
「ユーゴスラヴィアをめぐる思索のほぼすべてが戦争へと収斂していた90年代、それに意義を唱えたのは文学だった。(……) 豊かな発想、繊細な抒情、あるいは激しい自己批判をもって、歴史、宗教、政治に翻弄される人間の生のあり方を探求した作品たちである。軽やかなユーモアと温かな人間観察によって織りなされる本作は、その流れに連なるといえるだろう。(……) 世界文学という言葉が頭をよぎるところだが、そこにあるのは不定形であいまいな「世界」ではない。著者のなかに広がる、セルビアから東京までの確かな空間によって育まれた、彼女だけの文学である」
<4月>
・新潟日報(4月9日) 評者=吉田和比古さん 『増補新版 海の蠍』
「かつて不治の病とも称されたらい病(現在はハンセン病と呼称している)の宣告を受けた二人の生命の燃焼の軌跡ともいえる作品群を手がかりとしながら、内面世界に強い共感をもって立ち入り、丹念にふ分けした成果を味わい深い筆致で読者に分かりやすく開示してみせる。(……) 言葉の軽さ、そして生命の軽さが目につく今の時代だからこそ手にしたい一書である」
・ 読売新聞(4月30日号) 評者=土方正志さん  『処女たち』
「これがいずれもハズレなしのおもしろさなのである。スリルありサスペンスあり、家族の物語あり熱烈にして悲劇的な恋愛あり、戦争に革命、犯罪に暗殺に民族問題もありながら、アイロニカルなユーモアもほの見える、なんとも豊かな物語ばかり。 (……) 苛烈な日々に彼女は何を思ってこの物語を綴ったのか。物語とはなにか、��物語る」とはいかなる行為なのかを思わせられる一冊である」
<5月>
・しんぶん赤旗(5月14日号) 評者=横溝幸子さん 『歌舞伎勝手三昧』
「歌舞伎ファンのミーハー本とは異なり『名作歌舞伎全集』を引用、筋立てや役柄を紹介し、芝居の全体像を見通した上で多くの参考文献を駆使しながら倫理学者の立場から時代背景を考証し、歌舞伎を論理的にとらえている。 (……) 『源平布引滝』『六歌仙』など全体を通して着眼点や発想が面白い」 
・岩手日報(5月14日号) 『朝の随想 あふれる』
「宮澤賢治、森鴎外、太宰治ら文学者を巡るエピソードも。多彩な話題から、筆者のしなやかな感性と温かな人柄が感じられる 」
・日伊文化研究(第55号)  評者=堤康徳さん 『偉大なる時のモザイク』『帰郷の祭り』
「移民の流入によってマルチエスニック化の進むイタリア社会全体が、まさにホラのように、多文化・他言語の日常を生きつつあることに、私たちはアバーテの作品を読み終えてあらためて気づかされる (……)  栗原俊秀氏は、アルジェリア出身ながらイタリア語で執筆活動をするアマーラ・ラクースや、イタリア系アメリカ人の作家ジョン・ファンテの翻訳者としても知られる。イタリア語を母語としないイタリア語表現作家 (……) の存在によって、イタリア文学の境界線が揺らぎ、新たな地図が生まれつつある」
0 notes