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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合���オタクがたまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセックス中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが常時ストックされている。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。潔癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっ��いる他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺麗にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね」と答えている。
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.159 (2025/5/7 + 5/14)
2025 7th + 14th may
M1 les jours s'allongent (Austine)
M2 HOME (おおたか静流) M3 I'll be back (Shawn Colvin)
M4 ツバメ (山崎まさよし) M5 greenwaves (Secret Garden feat. Karen Matheson) M6 green (Edie Brickell) M7 vegetable car (Joshua Radin) M8 Willie Stewart / Molly Rankin (Eddi Reader)
[好日の素…被災した家の片付けをすること、再び。]

5月に入り、大型連休も過ぎました…。 みなさんはどんなお休みを 過ごされたでしょうか。 テレビのニュースなど拝見していますと、 被災地のボランティアに出向いた方も いらっしゃるようですね。 (おつかれさまです+ありがとうございます!) わたしの方は 連休に入る少し前に�� 今年に入ってはじめて 能登の祖父母宅を訪れました。 雪や風で建物がどうなっているか 心配もあって出かけたのですが、 中に入ってみると 台所の窓が割れていたり 勝手口の扉に 穴が開いていたり… 割れた窓から 猫たちが侵入した形跡も(苦笑。 そんなことがありながらも、 ひとまず建物そのものは なんとか無事建っており、安堵。 同行してくれた友人と共に 物置の中の片付けや 持ち帰って手入れする品々の選別、 割れた窓の養生などをしました。 わたしにとっては 祖父母の家なので ボランティアではないのですが 同行してくれる友人たちは ボランティア。 処分品の運び出しなど、 ひとりでするにはちょっと大変なところを 手伝ってもらえるのは 本当にありがたいです。 また、町に現在も暮らしているみなさんも 普段からあちこちを確認して下さっていたり、 今後のことについて「何か聞いとるけ?」と 声をかけて下さったり。 これも本当に頭が下がります。 現地にいられない間も 町の方々と ボランティアで 現地に入っておられるみなさんとが一緒に さまざまな取り組みをされて、 かつての町に戻そうと 奮闘していらっしゃる姿を SNSなどで拝見していて、 わたしもいつか 加われるといいな、と思っています。 ともあれ、まだまだ復興の道半ば。 少しずつ出かけられる場所も 増えてきていますし、これからも 引き続きさまざまなかたちでの 応援を続けたい、そして 続けていただきたいと願っています。
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[日々是食べたい!… コールスローサラダ]

もうずいぶんと前になるかと思いますが このコーナーで サラダ特集をやったことがありまして。 そういえばもう初夏です�� さっぱりとサラダが食べたいかも…と サラダ特集第2弾をやることにしました! (とはいえ月に2回程度の更新なので 特集と言えるかどうかわかりませんが・笑) で、今回ピックアップしたのは コールスローサラダ。 細かく刻んだキャベツに あまじょっぱ酸っぱいドレッシングがなじんで おいしいこのサラダ、聞けば 古代ローマの時代から食べられていたそうです。 初めて食べたのは 学生時代。 確かファストフード店のサイドメニューだったと 思います。 じぶんでつくるよう��なってから しばらくは、 市販のドレッシングをつかっていたんですが、 イベントでドレッシングも手作りの コールスローサラダをいただいてからは ドレッシングも手前でつくるようになりました。 合宿レコーディング中に キャベツに含まれるビタミンUの話で 笑ったことも思い出します。 一時期はとても高価になっていて 手が出ませんでしたが、 ようやく少し価格も落ち着いてきたでしょうか。 キャベツをたっぷり食べられる さわやかなおいしさの一品です。
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(高校時代の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。そんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びた���ルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを��かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いた。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているのでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。わたし、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与え��いといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句���果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも���されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これから��うしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまう。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほど悪口を書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた自転車の車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に��く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなと���もうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする���大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょ��タピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたここ���がぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに���こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげ��りする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠���に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が���ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻��分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえる���何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれが��んかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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ビートたけし率いる「たけし軍団」の一員として、また、漫才コンビ「浅草キッド」としてテレビ・ラジオで活躍してきた玉袋筋太郎(57)。50歳を境に、順調だった芸能活動に大きな変化が起こった。尊敬する師匠との別れ、「浅草キッド」の活動休止、長く連れ添った妻から三下り半を突きつけられて……。還暦が見える年齢になった今、家族同然だった仲間、自身を支えてくれた家族との関係を問い直す日々を��っている。(取材・文:元永知宏/撮影:倉増崇史/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 今の俺って正体不明でしょ? 高校卒業後すぐビートたけしに弟子入りし、師匠から「玉袋筋太郎」という芸名をもらった。相方の水道橋博士とのお笑いコンビ「浅草キッド」を結成したのが1987年のこと。今年の6月で58歳になる玉袋は言う。 「昔は、師匠からもらったこの玉袋筋太郎という名前に恥じないような型破りな芸人にならなきゃと思っていたけど、そういう力みみたいなもんはもうないね」 40年近い芸歴を誇るが、玉袋が過去を振り返ることは少ない。 「よく考えてみれば、芸人としてまだ一回もブレークしてないんだよね。俺なんか、これから。まだ全然アクセル踏んでないんだから(笑)。今の俺って、正体不明でしょ? 町中華食って、競輪やって、スナックで飲んだくれて。テレビとか見てる人は『なんだ! あいつ』と思うだろうね。 この年齢になって人生の目標なんか立てないんだけど、あえて言えば『職業・玉袋筋太郎』になれればいいね。『やっぱり玉袋だからな』とか『どうせ玉袋だろ!』と言われてもいいから」 玉袋はそう言って、紫煙をくゆらせた。 昭和のテレビ界のトップランナーだった“殿”に率いられた軍団の若手、玉袋が師匠や先輩たちと離れたのが2020年のことだ。彼らとは別の道を進むことに決めた。 「はじめに、殿が『オフィス北野』から出ていったからね(笑)。そのあと、弟子たちでどうするかという話になったんだけど、俺はひとりでやることに決めたんだよ。個人事務所の社長をカミさんにして、フリーになった」 同時に、10代の頃から生活をともにしてきた相方とも別れることになった(水道橋博士は2022年7月に参議院議員になり、翌年辞職)。ひとりっきりのリスタートだ。 「師弟関係って切っても切れないもの。今でもずっとつながってるわけですよ、ハートでは。『ビートたけしの味』を知る俺たち弟子が、それぞれの道を進みながら、いろいろなところでそれを広げていく。離れ離れにはなったけど、みんな、そういうことができているんじゃないかなと思うよ」 現在は東京・赤坂に開いた「スナック玉ちゃん」の経営者として、またタレントとして活動している。 「師匠と離れ、軍団とも別れてひとりになったときはさびしくて、心細くて、不安で仕方がなかった。だけど、自分で『やる!』と決めたこと。 レギュラーのラジオ番組スタッフは『玉さんと仕事してきたんだから、これからも変わらずやりたい』と言ってくれて、そのまま続けられた。独立する前後で『町中華で飲(や)ろうぜ』(BS-TBS)みたいな企画も生��れた。本当にいろいろな人に助けてもらって、もう感謝しかない。そういう気持ちを持った人と一緒にやってきてよかったなと思う」 妻との別居の原因は俺 50歳を過ぎてからの独立に苦闘する日々、私生活で嵐が吹いた。 「おふくろが認知症になっちゃって……施設に入れなくちゃいけなくなったときはつらかったね。年をとれば誰だってそうなるとはわかってはいるんだけど、自分が思うよりも早くそのときが来てしまった。 離れて暮らしていると、夢で見ちゃうんだよね。昔の、元気な頃のおふくろが出てきて、うわーっとなって夜中に目覚めることがあるよ」 会うたびに、母の変化を目の当たりにする。 「施設に行くたんび、行くたんび、ますます“天才芸人”になっていく。こっちが考えつかないような面白いことばかり言うんだよ。あるとき、俺が最近出した本を持っていったんだよね。そうしたら、ものすごく喜んでくれた。俺が表紙になっているのを見て、『ああ、いい本だね』なんて言いながらパラパラパラパラとめくって、『で、誰の本なんだい?』って言う。会うたびに、ボケの天才になってるんだよね」 もうひとつが妻との別れだ。 「携帯電話もLINEもブロックされてるから、俺から直接連絡する手段がない。どこでどんなふうに暮らしているかはわからない」 別居の原因は玉袋本人にあるという。 「緊急の場合は息子の嫁に連絡して用件を伝えてもらってるんだよね。人を介してでないとコミュニケーションが取れない状態がずっと続いている。 さびしくないかって? そりゃあ、さびしいよ。この件に関しては俺が100%悪い。俺に原因があるから、多くは語れないな。やっぱり、女々しいんだよね、俺は」 直接的なコミュニケーションはないものの、つながってはいる。 「個人事務所の社長であることに変わりはないし、俺がいないときに我が家の掃除や洗濯なんかはしてくれる。用事があるときには俺が置き手紙をして、それをカミさんが回収する形だね。 もっと優しくしておけばよかったと思う。それを教えてくれたということでは、カミさんはある意味で師匠になっちゃったね。俺が気づくのが遅かった」 戸籍はそのまま。ふたりの現在の関係を“スプリット婚”だと玉袋は表現する。 「そういうのもありでしょ。子育てが終わって夫婦ふたりで仲良くしようといったって、煮詰まる人は煮詰まるわけだし。無理に我慢する必要はないんじゃないかな。添い遂げる美しさもあるけど、スプリットする美しさだってあるんだから。 たまにカミさんの姿を見るとき、以前よりもイキイキしているように感じるよ。だから、今の状態も悪くないのかもしれない」 血縁関係ない息子を一生懸命に育てた 玉袋は実の姉と絶縁状態にある。家族がいれば心強いが、それを断ち切らなければいけないこともある。 玉袋は続ける。 「俺は、うちの親父が死んだときに姉と縁を切ったからね。姉の金銭問題のせいで親父が自分で死を選んだことで家族がバラバラになっちゃった……だけど、家族として過ごした時間とか経験は、自分の中に、もうずっと入り込んでいるからね。 たとえ縁を切らなきゃいけないほどのことが起こっても、二度と顔を見ることがない関係になっても、俺にとって家族はものすごく大切なものだね。かけがえのない時間、かけがえのない経験だったと思う」 玉袋は、妻の連れ子だった息子を育てあげ、孫をかわいがる“おじいちゃん”だ。50歳を過ぎて、さまざまな別れを経験した今だからこそ言えることがある。 「息子とも孫とも血のつながりはない。だけど一生懸命に育ててきた。血のつながりは大事なものだけど、それがすべてでもないと俺は思うよ。 日に日に老いていくおふくろを見るのはつらい。生きること、老いることってなんだろうというモヤモヤは俺の中にあるよね。でも、まだまだ無垢な2歳の孫を見ると心が洗われるような気がする。モヤモヤを吹き飛ばしてくれるんだよ。会うたびに、『こんなにピュアな生き物があるんだなあ』と思う」 血のつながりを背負いこむこともない 職場や学校、家庭での人間関係に悩む人が多いことも、心に傷を負いながらも懸命に生きようとする人がいることも玉袋はよく知っている。 「俺は自分でもスナックをやっているし、全日本スナック連盟の会長もしている。取材でお邪魔する町中華の大将とかスナックのママは本当にタフだよね。たくましく生きている」 傷ついた経験があるからわかることがあると玉袋は思う。 「そこを切ればどのくらい血が出るか、どれだけ痛いかがママさんたちにはわかるわけ。人に優しくなれるし、人を支えるときには、上っつらの言葉だけじゃなくて、全力でやってやろうと思うんじゃないかな」 玉袋にも人間関係で悩んだ経験がある。 「人のことを考えすぎて、いろいろ世話を焼いたのに相手は俺のことを何とも思わないということもあるよな。若い頃はガックリきたもんだよ。姉貴の金銭問題もそうだった。今の俺は、見返りは求めない。孫には異常な愛情を注ぐけどね。 こんなことを言うと、『冷たいやつだ』とか『人間味がない』と言われるかもしれないけど、そういうこ���じゃない。ギャンブルと一緒だよ。戻ってこないと思っているものが返ってきたら、こんなうれしいことはないじゃない?」 還暦まであと2年。「自分が60歳になることなんか子どもの頃には想像できなかった」と玉袋は笑う。 「俺は断捨離という言葉は好きじゃねえけど、血のつながりがあるからとか、世話になったからといって余計なものを背負いこむこともないと思う。それは優しさとはちょっと違うかもしれない。 自分というトラックの荷台にはいろいろなものが載っているよね。長く生きていれば『こんなのもあったか?』というのもある。自分でうまく整理して、いらないものは産廃業者に預けちゃっていいんじゃねえかと思うよ。シールを貼って粗大ごみで出すとかね(笑)」 この先どれだけ芸人として活動できるかはわからないが、今、玉袋はこう考えている。 「88歳の先輩芸人、毒蝮三太夫さんに俺の本を見せたら『美しく枯れるなんて、言ってるんじゃないよ!』と怒られたよ。毒蝮さんからすれば、俺なんか、まだまだひよっこ。これからの目標は、人に迷惑をかけないで、自分勝手に生きることだね」 昨年10月、お笑いファンがざわめく出来事があった。長く活動を休止していた「浅草キッド」のふたりが同じ舞台に立ったからだ。 だが、復活までにはまだ時間が必要だ。 「ふたりは別の方向に行っちゃったから、まだ漫才できるような状況じゃない。だから、2、3年くらい経ってから漫才をやれるようになればいいと俺から言ったんだよね。俺が60歳で、あっちが65歳くらいかな。そのときまでに、お互いがいい男になれたらいいなと思っているよ」 撮影:倉増崇史 ------------------------------- 玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう) 1967年6月22日生まれ、東京都出身。高校卒業後、ビートたけしに弟子入り。1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。以来、テレビやラジオなどで活躍。一般社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。『美しく枯れる。』(KADOKAWA)、『玉袋筋太郎の#昭和あるある』(双葉社)ほか著書多数。 「#家族とわたし」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。ひとり暮らしの単身世帯が過去最多となり、生涯未婚率も上昇するなか、家族のかたちは多様化しています。また、介護や育児、親子関係など、現代の家族が直面する問題も多岐にわたります。旧来の家族観が変化するなか、「家族」とは何なのか、どうあるべきなのか。さまざまなエピソードや課題をもとに、ユーザーと考えます。
LINEもブロックされてるから妻との連絡は置き手紙──玉袋筋太郎57歳、家族を問い直す日々 #家族とわたし(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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目次
子供たちが怖い���放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行っ��ようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じま��た。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生

【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。

【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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(生成AIと35年間培ってみたものの夕暮れ|山本一郎(やまもといちろう)から)
16歳からパソコン通信的なものに(利用者として)携わり、ずっとキーボードで文字を書いてきて51歳になり、ちょうど満35年になります。
いかれたパソコン少年から4児を抱える小太りのおっさんに変貌する間も、ずっと趣味や仕事で何かモノを書いてきたんですが… 振り返ると、雑文も時事記事も証券レポートもコンサル向けペーパーも論文もソシャゲシナリオも企画書も全部合わせると何百万字出力してきたのでしょう。
んでまあ、関係先が大量の札束をバックに生成AIを含めた人工知能界隈のサービスに乗り出したり、お世話になっている国内ICTサービス大手が世界的ビッグテックと業務提携していたり、投資先が台湾企業に買われてまた上場準備していたりいろいろあるわけですけど、どうしても「生データが欲しい」のでお前のいままで書いてきた原稿のデータを売ってくれという依頼まで来るようになるのです。
裏を返すと、いままでワイがネットで公開している文章も含めて、勝手に教師データにして界隈が成長してきたことの反動として、お前らはどんなデータを鯖に喰わせてロジック回してたのか開示しろって話に流れていく可能性がとても高いので、オリジナルを手掛けられる人間に対して「お前の実績をいま一度、カネに換えませんか」という話になるのです。
思い返すに、以前NewsPicksが画像の無断使用をやって騒ぎになっていたのも、いま生成AI関係が直面しつつある問題と根っこは一緒のもので、公開されている素材やテキストなのだから、クロールして確保してしまえば検索でも生成AIでも別途利用でも使って構わないだろうみたいなノリからいかに脱却するかがカギになってくるのです。
他方で、じゃあ山本一郎は本当にオリジナルなのかと言われると、まあ確かにこの両手と長い時間をかけて35年間書き溜めたテキストは私のものだと言えるんだろうけど、しかしこの文体が手癖として染みついているまでにやったことと言えば筒井康隆『旅のラゴス』とナンシー関『テレビ消灯時間』とを原稿用紙に10回以上全編写経して文体模写を始めたのがきっかけなわけです。古い本読みから「山本一郎の文体は筒井康隆のパクリだな」と言われれば、それは私にとって侮辱ではなく誉め言葉で、遠くから東浩紀を見ているのも、東浩紀を通して筒井康隆の影をカネ払って見てるのだろうとすら思うわけですよ。
そんなネットや証券会社で記事を書いている私でさえ、単に35年間書いてきたという「実績」の裏側には巨人の肩に乗る「コンテクスト」があり、これが広く見れば文化のひとつの態様であって、いにしえから現代に繋がる営々たる日本人の歴史からすれば、山本一郎の書いているものなどオリジナルとは到底言えず、所詮は誰か古来の日本人が日々語り合ってきた言葉の詰め替えであり微分に過ぎないと思うわけですよ。
でも、生成AIの興隆においては、皆さんご存知の通り、膨大な出力を行ってきていて、いまや「オリジナルの」テキストが「コンテクストとは無関係に」吐き出されて、有史以来人類が書き綴り続けてきた総テキスト量(推定)を超えるバイト数になってしまったのは生成AIの終わりを意味するのか、新たなる創世記が始まるのかってところで興味も関心もあるんです。
裏を返せば、これからも生成AIがどうであるか無関係にテキストを生み出し続ける人生を送っていくのでしょうが、先日、案外よくできているっぽいLLMを少し大きめのマシンにブチ込んで、何十万字かのワイ「オリジナル」のテキストを突っ込みテーマ決めてAI山本一郎を作ってみたんですが…。まあ、確かにこれはワイの文章だなという気持ちにはなるんですよ。ただ、なんというか、これは60点だぞ。
推敲したくなるし、そうじゃないと言いたくなる。これでは面白くならんのだ。違うんだ、こうだ。ええい、ここは全文書き直しだ。構成はいいけど話が詰まらん。口語を使え、もっと。リズムも異なる。あってるのはワイらしい単語の運びだけだ。ええい、使えない。
ということで、やはり生成AIはツールとして、執筆の補助で何とかいけるかな、そこから先の地平線に向かおうとするならば、出力されたテキストをきちんと吟味し、品評して、書き直させた理修正したり、そういう「ひと手間かかる何か」をやらないといけないんでしょう。
品質にこだわりなく、面白くなくていいから無機質に量産するんだってときには生成AIはいいと思うんですけどね。
そして、話は最初に戻る。過去から書き続けてきたテキストを売るのか売らないのか、どっちなんだい。
ということで、研究用という利用目的を限定したうえで、日本語文章を売ることにいたしました。某大手により出力される日本語がなんか山本一郎くさかったら、それはコンテクストから切り離された私の文章の残骸であり、ナンシー関であり、筒井康隆です。
なんという、テセウスの舟。
画像はAIが考えた『誰かひとりの書き記したものは、その後ろに脈々と伝わる霊がその人の目と両手を使って書かせたものに過ぎない構造』です。
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
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Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
・
九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話��基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
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7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間で、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
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12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子の味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。

14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては心地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
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16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。


最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を流していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらな��飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
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その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消��団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- 鷹取愛 40 山ト波 @opantoc
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安倍政治は若者世代を元気づけた
櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人はこれを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。安倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、インドをはじめアジア諸国に大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天皇、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以���から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテレビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました😚♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くものの純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てくるのは、日本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいます。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見て��なかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシストと最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにしており、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑ったり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知��ことができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽と当たり前に生きる中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるのって辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンディング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大盛り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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今年6月、子どもの貧困対策“改正法”が成立した。子どもの貧困対策に取り組む民間団体が実施した昨年末の調査によると、「食費と光熱費の高騰」という物価高が困窮家庭を直撃したことが明らかに。貧困状態に陥ったのは「3年以内」との回答が36.4%を占めた。また「塾や習いごとを諦めた経験がある」が68.6%と、教育や体験の格差が広がる実態も見えた。完全失業率は2.5%前後と雇用動向は悪くないが、困窮家庭の子どもを取り巻く環境は依然として厳しい。その実情を取材した。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 6000人の調査で中学生の2分の1が朝食なし 公益財団法人「あすのば」代表理事の小河光治さん 「子どもの貧困対策の推進に関す��法律」が成立したのは2013年。今年6月に改正法が成立し、法律名が改称されて「こどもの貧困の解消」という文言が明記された。 厚生労働省「国民生活基礎調査」によると、子どもの貧困率は2018年の14.0%から2021年には11.5%と改善している。それでも、今回の法改正の共同提言を行った5団体の一つである公益財団法人「あすのば」代表理事の小河光治さんは、楽観しているわけではない。 「今回の法改正でようやくスタートラインに立ったところ。むしろ困窮世帯の子どもたちを取り巻く環境は、後退しているのが現状なんです」 根拠として示したのが直近の調査結果だ。それは、物価高の影響が顕著になった2023年11月から12月にかけて実施された「あすのば全国調査」だ。 同調査は、あすのばからの給付金を受給した生活保護受給世帯・住民税非課税世帯などの子ども・若者と保護者約6000人が回答した。昨年まで続いたコロナ禍による親の「失業・休業などで減収」が53.0%。物価・光熱費の高騰により「家計がさらに苦しくなった」が85.4%で、貧困状態に陥ったのは「3年以内」との回答が36.4%を占めた。特に「食費と光熱費の高騰」、つまり物価高が困窮家庭を直撃したことが見て取れる。 生活状況を見ると、朝食を「毎日食べる」小学生が63.4%、中学生が50.5%と小学生の約3分の1、中学生の約2分の1が朝食を毎日食べておらず、給食がなくなる長期休みに昼食を「毎日食べる」と回答した中学生は54.7%と約2分の1にとどまる。入浴頻度でも「週4日以下」の小学生が13.8%、そのうち「週1~2日、ほとんど入らない」が5.7%に上る。 アンケートの個別回答には、こんな声もあった。 「お風呂は1週間に1回お湯を替えている。おなかが空いてもご飯がないときがある。お母さんはほとんど夜ご飯を食べていない」(北海道、中学2年、女性) 生活が切迫している様子がアンケートから浮かび上がってくる。 子ども自身はどんなところに苦しさを感じているのか。7月中旬、あすのばのアンケートにも協力してくれた高校1年生の男子生徒に話を聞いてみた。 「グローブが高く遠征費もかかるので野球を諦めた」 高校生の野球用具代は価格が上がっている(写真:アフロ) 「最近部活はやめて、キックボクシング教室に週1回通っています。道具代がかからないんですよ」 そう近況を語るのは、東京在住の陽稀さん(16・仮名)だ。 両親は8年前に離婚。現在、母親と小学3年生の妹の3人で暮らす。昨年まで事務職のパートタイムで働いていた母親の月収は15万円以下。「所得税非課税世帯」に該当する。妹がまだ小さいため、母親は9時から16時までの時間内で非正規の仕事を続けてきた。母親は生活を切り詰め、2人が大学に行くための貯蓄にも回している。 高1の陽稀さんが校外活動に選んだのは比較的出費の少ないスポーツ。母親へ負担をかけないためだ(写真:maruco/イメージマート) 陽稀さんの悩みは「諦める経験の多さ」だ。 中学生の時には野球部に所属。チームのポジション替えがあり、他の部員は専用のグローブに買い替えていたが、陽稀さんは母親にグローブの新調を言い出せなかったという。 「やっぱ母に言うと頑張って買ってくれちゃうと思うから。母に負担をかけたくなかった」 グローブは軟式野球の内野手用で数万円。総務省の調査では、大人用のグローブ(中級品)の全国平均価格は9年前に比べて5000円近く上昇した。牛革や輸送費の上昇が影響した。また遠征費なども高くなり、さまざまな活動経費がかかり続けるため、高校では野球部に入るのを諦めた。 「野球の全国大会に出場した同級生が大舞台で活躍している姿をテレビで見て、やっぱりすごいな、かっこいいなと思った。うらやましいという気持ちは、正直ありますね」 物価高と「児童扶養手当」の減額が重なり、母親は昨年から正社員の事務職に就いた。時短勤務から始めたが、生活費に余裕はなく、近々フルタイムに切り替えようと検討しているところだという。 「母は勤務後、妹の学童に18時にお迎えに行く。帰宅後は夜中の2時ごろまでかけて炊事・洗濯・片付けを一気にこなす。最近、母は全身にじんましんが出ていて、疲れきっている。でも、生活がよくなるなら、母がフルタイムで働くのは賛成です。僕が妹のお迎えや家での手伝いを増やせばいいのかな」 3年間上がり続ける物価高が母子世帯に負担 (図版制作:Yahoo!ニュース オリジナル 特集) 国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、2022年の給与所得者の平均給与は458万円。正社員だけで言えば、523万円だ。だが、厚労省の「2021年度全国ひとり親世帯等調査」によれば、「パート・アルバイト等」のシングルマザーの75%が就労年収200万円未満の世帯だという。一般的にこの世帯は「相対的貧困」の層と言われる。「相対的貧困」とは、生きるか死ぬかといったレベルではないものの、「同じ国・地域の人とくらべて収入・資産が少なく、生活も厳しく不安定な状態」であることを言う。 物価高で食費の負担は重くなっている(写真:アフロ) 厚労省「国民生活基礎調査」によると、「相対的貧困」に該当する世帯の手取り収入(世帯可処分所得)の目安は、母親と子ども2人の3人世帯ならば220万円未満(2021年時点)。世帯の人数により金額に幅はあるが、月収換算で約18万円未満というのが相対的貧困の目安だ。前出の陽稀さんの家庭もそうした相対的貧困に属する家庭の一つと言える。 そうした家庭にとって近年重くのしかかっているのが物価高だ。総務省の「家計調査」に基づき、みずほリサーチ&テクノロジーズが行った試算では、食料品や光熱費などの支出割合が高い低所得世帯(年収300万円未満)の場合、1年分の家計の負担増は2022年度に6万9475円、2023年度が6万1230円、2024年度は5万529円に上ると見られている(いずれも前年度比)。この3年間はずっと家計負担が増えていることになる。食事や入浴の回数を減らして日々節約をしている家庭にとっては打撃が大きい。 文部科学省の「子供の学習費調査」によると、子どもの教育にかける出費のピークが公立校の場合は中3だとわかる。各家庭が公立の中3の子に出費する学習塾費の平均は年間38万9861円(2021年度)。他の学年よりも突出して高かった。 だが、相対的貧困に該当し、生活費に余裕がないシングルマザーの家庭では、この学習塾費を出すところに難しさがある。 塾の費用を出し始め、光熱費が払えず 中学生がいる家庭の多くにとって、高校受験のための塾費用の負担は重い 中国地方に住む女性、菜々子さん(37・仮名)には3人の子がいる。現在高3と高2の女子と中1の男子。菜々子さんは10年前に離婚して以来、「子どもが小さいうちは、なるべくそばにいるもの」と考え、おもに事務のパートタイムで働いてきた。派遣のアルバイトと掛け持ちしていた時期もある。平均の就労年収は130万円強、支給される児童扶養手当は3人分で月額6万2700円。自治体から支払われる各種手当を入れて手取り年収は200万円前後だという。 3人の子どもは育ち盛りで食欲は「マックス」。食費の増加も家計を圧迫するが、この数年重くなってきているのが教育費だ。 子どもの食事を制限しないため、母親が食事を控えがちという調査結果もある 長女が中3だった3年前、高校受験のため市内最安値の塾を探し、月2万円を塾代に出した。当時、元夫からの養育費はゼロ。児童扶養手当も受給できる年限が過ぎて、減額されていた。それでも、夏休みから高校入試までの半年間、他の出費を切り詰めても塾代は払い続けた。高校受験の時期は「田舎でも塾通いが当たり前」なのだと菜々子さんは言う。 「長女と次女は当初は無料の学習支援を利用していました。でも、公民館で週1回だけ。私自身が中卒なので勉強は教えられないし、働いていて教える時間もない。無料の学習支援だけでは高校進学は難しいと思いました」 菜々子さんの家では3年前から塾費用を出し始め、徐々に光熱費の支払いが滞り、毎月督促状が届き始めた。次女の高校受験も続いた。この時期、調停手続きにより元夫からの養育費を月額3万円受け取れるようになったが、その多くが次女の塾代に消えた。しかもその頃から、米、加工食品、菓子などの食材費が高騰。食材は複数のフードバンクから提供してもらうようにした。成長期の子どもたち3人で食材があっという間に減ってしまうためだ。菜々子さんは言う。 「昨年末のクリスマスは出前のピザを取ろうとも言えないほど困窮していました。仕方なく298円のチルドのピザを2枚買って、子どもたちで分けた。でも子どもから『食べたら』って差し出されたので、私も1ピース食べました」 そんな厳しい昨冬だったが、現在は生活が安定していると菜々子さんは言う。今年4月から保険の営業職として正社員に採用されたためだ。そのため、中学生の長男の塾代まで出せるようになったと明るい表情で言う。 「今、仕事でお金のことを勉強していますが、前から私に知識があれば、もっと早く正社員になってもよかったかなって。ピザ1枚買うのがやっとだった家計が一転。収入だけでなく、母子ともに心が安定したと感じます」 児童扶養手当にあまり頼らず正社員を目指すべき 「シングルマザー世帯が困窮している根本の原因は、一つは母親の雇用の問題。もう一つはひとり親家庭に給付される助成金の所得制限の問題。そこに昨今は物価高の強烈なパンチも加わった」 一般社団法人「日本シングルマザー支援協会」代表理事の江成道子さんはシングルマザーが抱える問題についてこう語る。 江成さんが言う雇用の問題とは、シングルマザーの大半が非正規雇用者で給与所得が低いこと。また、助成金の問題とは、所得制限の範囲内で働くようになりがちだという、給与の壁のことだ。 ひとり親家庭に支給される「児童扶養手当」の満額は、子ども1人なら月額4万5500円。2人なら月額5万6250円。この額を受け取るには、所得制限の縛りがあり、たとえば子どもが2人いる世帯なら就労収入が年間「160万円未満」。今年の11月分から「190万円未満」となるが、それでも縛りはきつい。受け取れる額が十分とは言い難い。 では、そもそもなぜシングルマザーがずっと非正規でいるのか。それは、幼いときなどは子どもを長時間預けられない保育の事情もあるという。だが、2012年には3歳未満の子を養育する労働者は1日原則6時間勤務にする短時間勤務制度(育児・介護休業法)ができるなど法整備もされてきた。だとすれば、むしろ長い目で収益を増やすことを考えれば、児童扶養手当にあまり頼らず、正社員を目指したほうがよいのではと、江成さんは提案する。 「手当や給付金をもらうために制限の枠内で働かないと損だという雰囲気がある。でも、それは思い込みです。今はさまざまな職場が正規雇用で求人を出していますから、働ける環境にあればぜひ、制限枠を取り払って正規で働く道も探っていただければと思います」 ただ、現状として、まだ多くのシングルマザーは非正規で働いている。その少ない所得でしわ寄せがいくのが子どもの部活や塾だ。陽稀さんが高校で入りたい部活を諦めたり、菜々子さんが娘たちを塾に通わせるため、クリスマスにピザを気持ちよく味わえなかったりしたように、部活や塾に余裕をもって行かせられないのがこうした苦しい世帯の実情にある。 塾や部活の「隠れ教育費」に苦しみ 「子供の学習費調査」(文部科学省)によると、「学校外活動費」は公立中では2018年度の30万6491円から2021年度の36万8780円へと、わずか3年間で年間約6.2万円上昇した。塾代や部活動費などのこうした費用は、「隠れ教育費」と呼ばれている。冒頭のあすのばの調査でも「塾や習いごとを諦めた経験がある」と回答した子どもたちが68.6%に上った。 近年の物価高が子どもたちに大きく影響しているのは、こうした「隠れ教育費」のようだ。 認定NPO法人「さいたまユースサポートネット」(さいたま市)代表の青砥恭さんは、困窮する子どもたちに、学習支援や校外で体験の機会をつくる取り組みがもっと必要だと語る。 「市場化された競争教育の中で、子どもたちの教育への格差は広がる一方です。通塾を前提とした公教育はおかしな話ですが、塾に行きたいけれど行けない子どもたちはたくさんいます。困窮層を対象とする学習支援を実施している自治体は、全国で600自治体です。1718ある自治体の3割にすぎません。困窮層対象の学習支援は学習だけでなく、生活支援、体験、相談もやっています。学習支援を地方にまで行き渡らせることで、格差を縮小させることは可能です」 ただ、当事者の子どもたちにとっては、自分の望む塾や部活に行けないという事実は単純な経済の話ではない。前出の高1の陽稀さんは、まっすぐなまなざしを向け、特別な子というような色眼鏡で見られるのがつらいと話した。 「僕みたいな、生活保護受給世帯ではないけど非課税世帯の子どもって、今はどの学校にもたくさんいると思う。僕としては『ああ、本当は部活とか参加したいんだね』ってカジュアルな感じで『隣にいる子』の悩みに耳を傾けてもらえたらと思うんです」 今回の改正法には、「貧困によって適切な養育・教育・医療・多様な体験の機会を得られないことのないようにする」旨が明記された。改正法を文字通り「絵に描いた餅」にしないために、地域では周囲の人の想像力が、国や自治体では取り組みの本気度が問われている。 古川雅子(ふるかわ・まさこ) ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「AERA」のスタッフライターを経て独立。同誌の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。2024年、Yahoo!ニュース オリジナル 特集「経口中絶薬に関する3回連載」で「科学ジャーナリスト賞2024」優秀賞受賞。
部活を諦め、光熱費を滞らせて塾に――物価高で苦しむ困窮家庭の子どもに対策は #生活危機(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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忘れられないドラマとか作品ってあるよね、って話 ーバナナマンの「喫茶Turquoise」に寄せてー
こんばんは、藤原です。ガチャの締め切り日、2日見間違えてました。なんだか最近こういう空目とか勘違いが多いんですよねぇ。買った配信もいくつか飛ばしちゃったし。見ろよ!って感じだし引けよ!って感じでもあるんですが、個人的に配信があったという事実だけ知っていて課金すらできなかった時代もあって、そのことが今の人生で結構な後悔なので、お金使わせていただけるだけありがたいというか。ほとんど無料で楽しんでるものが多いので、長くコンテンツ続けていただくためにも課金できるタイミングやお金払っても良いと思う商品については遠慮なく払いたいと思ってるんです。なので、見逃しを見逃したのは私のせい!!お金を払わせてくれてありがとう!できれば次回もよろしくやで〜!の精神で、生きていきたいと思っています。
さて、今日は音楽の話ではなく、別のエンタメの話です。私の学生時代の思い出のエンタメの話です。 世代的にはバナナマンは実はちょっとズレてまして。中学生や高校生のときに、私が見ていたときは全然下っ端というか、テレビ��出る芸人さんとかMCさんというより、リンカーンでちょっとやばいこと(鉄板カラオケやってましたね)やらされてた人だ!とかみなおかで買い物させられていたりプールの上をすごい勢いで走ってたりなどと、今の若手が見るとびっくりな企画をいくらかやってましたね。冠番組でいうと、バナナ炎を見ていて、全然お話も面白いじゃん!と謎の上から目線で見ていました。あとは、ゴッドタン見ていたので、マジ歌もですが何よりもキモンスターの印象とか強かったですね。特にバナナマン・日村さんとオードリー・春日(敬称略)のキモンスターはしばらく夢に見るくらい悪夢でした。怖すぎた。
そんな印象から、進学を機に一人暮らしをすることになって、お笑いを見るときは単なるテレビ番組から当時の深夜お笑いの録画と過去のレンタルDVDが完全に主軸に移りつつあったのもこの頃でした。以前もエンタメ話をした東京03さんをはじめとして、バナナマンさん・NON STYLEさん・サンドウィッチマン(敬称略)・ナイツ(敬称略)などのライブDVDを見て、おぎやはぎとバナナマンの合同DVD見たり、毎年のM-1を見返したり大晦日の笑ってはいけない見てみたり。そして、それで寝落ちしていました。そんな中、1、2を争うくらいよく借りていたのは東京03さんとバナナマンさんでした。その理由はめちゃくちゃ面白かったんですよね、素直に。特にあまりテレビではネタを見ないという目新しさもあったかもしれません。ネタという点において東京03はまだエンタの神様などで見ていた分、バナナマンは単独コントしか見たことなく、より衝撃で濃密な世界観だったってことなんだろうなと、今更ながら理解できます。特に好きだったのは赤えんぴつの後の15分近い尺のあるラストコントと、2人で何人ものキャラクタ(4〜6人)を演じ分ける2人多役コント(というかこれはもはやコメディかも)。初期の「ルスデン」「日本順番」などの会話の掛け合いが中心などちらかというとシュールめの世界観のコントも好きなんですけど、特にこの2人多役コントについては、私はバナナマン独自のシステムだと思っていて、なかでも「Fraud in Phuket」と「喫茶Turquoise」は名作だと思います。とりあえず、Netflixで見れるライブのさわりと、お勧めする「喫茶Turquoise」が収録されているDVD「TURQUOISE MANIA」のスポット動画貼っておきます。
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この多役コント、本当に視聴後の満足感がすごいんですよ。映画を良い感じで見て、ポップコーン食べる感じ。これを実現させる2人の演技力もすごいんですけど、設定が現実から少し離れている架空の国や不思議なしきたりみたいなものがキーになってきたりするんですが、それが無理がない感じで回収されちゃうのがまたエンタメ。はじめは「え〜!そんなことある?」みたいな笑いだったりするんですが、最後には「あれ?これって…!」みたいなざわつきと「まさか…!本当に…?」みたいな笑いを引き起こすんですよね。キャラクタもお二人が自然に演じていて違和感がない。なんか癖のある人だなあと思っても、コントの中でその人の過去とかウィークポイントみたいな部分が明らかになって結果それが生かされることも多く、まさに適材適所というか、収まる所に収まるというか。 これは多役コントに限った話ではないですが、誰か1人だけが悪者になることもほぼなくて、どっちかっていうとちょっとした悲哀とか、悲しいんだけどその人的には『オイシイ』オチが多いのも特徴かなと思います。多少大げさにいうのであれば、「どの人間でも生きてることの肯定感」とか「悪い時もあれば良い時もある、山あり谷ありの生涯の一部」のような感じを印象として受けることの方が多く励まされるので、実はバナナマンさんは落ち込んだときに見るとおすすめです。
あとこれもポイントなんですけど、コントライブを通してみたときに本番でどうなるか分からないような設定のコントがあったり、アドリブがある箇所もうまくフォローしている部分があったりと、舞台自体がすごく生き生きとしていて、バナナマンお二人がとても楽しそうなのも印象的です。幕間のくだらない男子中学生のようなやりとりも含めて「これ素の反応じゃないのかな…?」と思うこともあるのですが、そういう部分にこそ感情が乗っていてダイレクトに気持ちが伝わることも多く、見てる方もワクワクしちゃいます。 そういう感情が伝わってくるので、コントの最後の部分が仮に絵に描いたような大団円だったとしても、教訓や説教っぽい感じとか既定路線だなという感じや、ともすれば感動でもなく、ただの満足しか残らないんだなぁと実感します。さらにいうのであれば、「絵に描いたような」大団円ではないので、余計に満足感が強くなるかもしれませんね。 未聴の方いましたら、ぜひレンタルかNetflixでもご覧ください!今は別のサブスクに登録しているので、ネトフリは切っちゃいましたが、当時は日常生活内のバナナマン濃度が充実してたな〜と改めて思います。
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今回の『M-1グランプリ2023』は、本選決勝で優勝した令和ロマンも面白かったけど実際には敗者復活戦がハイライトだったと思うんですよ。トム・ブラウンが良い意味で異常な狂ったネタをやって今大会最大のざわめきを起こした後で、続く正統派しゃべくり漫才のエバースが最高に面白い漫才をやって、あ、これは漫才の大会だったんだと正気に返った観客により20対80でエバース勝利になったあたりは最高でした。 で、一連の松本人志さんと彼に対する週刊文春の報道に関して騒動が拡大していますが、一部では内々で着地を目指した話し合いが進んでいるとされる一方、松本人志さんからの性暴力、被害を受けたとする女性たちからの新たな告発も続いております。これによって、著名人としての松本人志さんは表舞台から去らなければならない状況になっているとも言えます。 先般、パオロ・マッツァリーノさんがブログで「松本人志さんの罪についての考察と提案」という記事を書かれ、非常に整理されていたので興味を持って読みました。たぶん、この問題に関する記述という意味ではとてもよく書けているのでご関心のある方は賛否はともかくご一読ください。 他方、このブログが書いている問題で決定的に欠けている視点があり、私はそこがこの松本人志さんの事案の本丸ではないかと思っています。おそらく今後起きるかもしれない松本人志さん・吉本興業と、文藝春秋社の間で行われる民事裁判と、松本さんが提起した刑事告訴の焦点になるのは間違いないので、問題を理解されたい方の補助線として記事を書きたいと思います。 現段階では「ただちに違法」とは言い切れない なお、本稿執筆にあたっては、私・山本一郎自身が2002年から2009年まで吉本興業とKDDIが出資する旧ファンダンゴ社(のち、吉本興業が完全子会社化し「よしもとファンダンゴ」に社名変更)と、吉本興業と東京電力が共同出資したキャスティ社とは深い取引があり、現在も、テレビ局やサブスクリプション放送での番組制作で継続的な取引がある一方、文藝春秋では文春オンラインなどで記事執筆しているという双方に関係のある立場であることはご承知おきください。 取引上のリスクがあっても私がこの記事執筆をして多くの人に知ってもらいたいと思っている理由は、演芸の歴史を鑑みたときに松本人志さん浜田雅功さんのダウンタウンの持つ価値は大きく、また、文春の報道も私たちが生きるこの時代の断片を理解する上では深い意味を持つとも思っているからです。 存分に予防線を張ったところで、まず、松本人志さんに関する報道で文春の記事の中身を精査すればよく分かることがあります。実際には、松本さんがしたことは女性への「性暴力」や、後輩芸人を使った「上納システム」と扱われて大きな批判を呼びましたが、本来の意味での違法な暴行を意味しません。女性から刑事告訴はされておらず、被害の申し立てもないと見られます(24年1月31日現在)。性行為に不同意の女性を強引にレイプしたという類いの話ではないのです。 文春も、このあたりの記述では松本さんや周辺芸人の皆さんの不適切性は強調しつつも、これが「違法である」という断定的な記述は巧妙に避けています。 「違法ではない」が「大御所がやることとしては不適切」ではないか、という不道徳が、本件問題の本質になります。 話は簡単で、松本さんにかかっている嫌疑の中身としては単なる有名人の合コンに過ぎず、これ単体が違法だとするならば世の中にあるすべてのギャラ飲みや合コン、ガールズバー、相席居酒屋などは適法とは言えない行為とされてしまいます。一般人が日常的に行っている合コンがいちいち本人同意だ、同意内容の明示だとやるはずもなく、社会通俗的に違法となるのは例えば異性に対し性的行為を強要し、明確な了承がないのに性行為に及ぼうとするケースのみです。 松本人志さんにブチ切れている人たちは、たいてい、松本さんが女性らに対し違法なレイプをしたと踏み込んで誤読していることになります。 未成年少年に対する性暴力を長年続けていたジャニー喜多川さんの件と決定的に異なるのは、松本人志さんは行為が認定されればただちに違法となるものではないという点です。後輩芸人との合コンですから。 また、大手ラウンジほか著名人が集まるVIPルームなどでは、一般人の来客は特に、ごく当然のようにスマートフォンなどはクロークで預けないといけません。場合によってはボディチェックまでされます。芸能人に限らず、政治家や学者、官僚が集まるサロンなどでも機密に関わる重要な話し合いがされる場ではスマホの持ち込みは禁じられることも多くありますし、紳士協定ベースで口外禁止のチャタムハウスルールが敷かれることがあります。情報漏洩が問題になりセンシティブになっているのは、SNSの利用が一般的になったり、週刊誌に問題のありそうなネタを持ち込まれたりして、著名人が一般人と付き合うリスクを考えたときには当然に行うことであることは理解しておく必要があります。 ナンパや合コンを「すべて違法」と言えるのか たかが合コンで、というのはありますが、著名人と写真を撮りたがる一般人はもちろんいるでしょうし、そういう遊び方をしていること自体を知られたくない立場の人はたくさんいます。妻帯者とか、育てている子どもが年頃だとか、それでもどうしても遊びたかったとか、他の大事だけど面倒くさい宴席を断って銀座に来ちゃったとか。 パオロ・マッツァリーノさんの記事で決定的に間違っているのはこれらがすべて違法であるという前提で記述されていることであって、後輩が一般人女性をナンパし、合コンに連れてきて一定の合意の下で「お持ち帰り」をすることは犯罪行為とは言い切れません。 その合意内容について、消費者契約法的に「合意の有無でなく、合意の中身こそが重要」と判断することは、述べた通りあまり賛同できません。一般的に、普通に暮らしていて人々が出会ったり交際したりするときにいちいち合意内容を書面に落としたり中身(内容)の確認をすることなんてあり得ませんし、誘った側と誘われた側の「期待」の中身(内容)に差があって当然であるからです。「やれたかも委員会」のようなもので、やりたかったけどやらなかった男性と、あまり良くないかなと思ってやらずに帰った女性との間で「中身(内容)の合意があったからついていったのだ」なんて話は法的にも成立しないわけです。 合コンに行くのにいちいち書面にするんですかという話で。 当初に事実関係を認めていれば、展開は違ったはず 問題があるとするならば、間違いなく松本人志さんは著名人であり、実力者であるということです。その人が、後輩芸人を使い、一般人の女性を合コンに連れてきて、お持ち帰りをねだるという時点で面白過ぎます。いや、不適切と言えます。それだけの人が、より安全な遊び方をしなければこのようにして刺されてしまうことがあるので、分かっている女性だけを相手にするべきだ、という議論になるでしょうか。 文春での告発内容や、他媒体での記事の流れを見る限りでは、「違法ではないが、実力ある著名人として遊び方が不適切」という公序良俗のラインでしか報道を行っていない前提で見る必要があります。この時点で、松本人志さんが吉本興業の顧問弁護士筋との協議で初動を間違えて「(報道内容はすべて)事実無根」と言ってしまったことと、文春に対して行う刑事告訴と一部の民事訴訟では松本さん側にあまり勝ち目がないこととは同根と言えます。あるとすれば、文春が完全な誤報を流した可能性を突くことでしょうが、記事の信憑性そのものについては私には分かりません。 その点で、松本人志さんの自己救済手法での正解はホリシン先生(弁護士の堀新さん)が主張するこのポストがすべてであることは言うまでもありません。 今思うと松本側にとってベスト(最悪の中の最善)の対応は 「同意してくれてると思ってたけど傷ついた女の子もおったんやな。俺が気づかんのが悪かった。他にもいるかも知れん。しばらく謹慎して反省したい。皆さん、こんな俺にいろいろ教えて」 みたいな言い方して初期段階で頭下げることだったのかも 諸所の情報から見ても、松本人志さんが一般人女性を目当てに後輩芸人に声を掛けてもらって合コンを繰り返していたことは間違いないため、特段の違法性のない合コンであったことを示したうえで事実関係を認め釈明し自主的に謹慎していれば、違った展開があったはずです。 記者会見で騒動を収められる性質のものではない で、松本人志さんは記者会見をやるべきだという話が出るわけですが、もうすでに書かれ放題になっている松本人志さん個人に関して言うならば、記者会見で騒動を収められる性質のものではありません。 記者会見によって「疑惑」が晴れ、公的なメディアに復帰する可能性がミリも存在しない以上、メディアからの質問で吊し上げられる映像や画像を押さえられ報じられる可能性があります。燃料を与えないためにも、記者会見など絶対にやらないでしょう。仮に松本人志さんが「俺の意見を言う場を作ってくれ」という意志を持っていたとしても、弁護士も関係者も羽交い絞めにしてでも止めるほかありません。 残念ながら、その違法性はともかく性暴力を日常的に行っていた松本人志というイメージがついてしまった以上は、どんな記者会見を開いたとしても、再び地上波編成や広告クライアントに認められて大手を振って復帰というのは考えにくいと言えます。 松本さんのビデオレターや手記のようなもので反論する方法もあるでしょうが、報道が過熱し、いまも収まらない状態では、松本さんが願うような騒動の収拾を図ることはむつかしいでしょう。 吉本興業が抱えているガバナンス上の問題点 また、記者会見に絡めてジャニーズ事務所において、事務所創業当時から繰り返されてきた少年に対する性暴力と対比する流れがあります。しかしながら、ジャニー喜多川さんの件は99年文春との最高裁で司法が認めた性犯罪であるにもかかわらず、テレビ局や出版社などメディアの利益共同体的側面から長年にわたって見て見ぬフリをされてきた犯罪事案と、一般人なら異性との出会いや交際相手を求めて行うこともある違法とは言えない合コンやギャラ飲みでのお持ち帰りとを並べても中身が違い過ぎる側面があります。 要は、ジャニー喜多川さんにせよ松本人志さんにせよ著名人がやらかして墜落していくさまを見て手を叩いて喜びたい層もいる一方で、実際には、不適切な女性との関係についてどのような線引きをしていくのかは今後の課題となってきます。繰り返しになりますが、演芸で成功したのだから、人に後ろ指を指されないようなきれいな遊び方をしなさいという意味以上の何かを、記者会見で導き出すことはできないでしょう。なので、松本人志さんと文藝春秋社の間での民事裁判が帰着するまでは表舞台に出ない以外の選択肢が無くなってしまうのです。 もしも吉本興業が「松本人志」という商品を守りたいと考えるのであれば、社として声明を出したうえで、自社の持つメディアなどで、好きな人はおカネを払って観てくださいというスタイルでサブスクリプションをやる、という手も考えられます。吉本興業に関して残念なのは、そのあたりを整理し問題処理できる仕組みが機能しておらず、大事な商品の名誉が毀損きそんされているのに適切な対応ができていない、ガバナンス上の問題がある点です。 「松本人志」の芸を愛する人たちに活動する手はある そもそも吉本興業は松本人志さんと本件でちゃんとコミュニケーションが取れているとは思えません。「吉本興業がメディア支配している」というより、現場にいるマネージャーが優秀で、各メディアに営業できていたり劇場や地方営業をやって芸人を育成したりするシステムが完成しているだけの話とも言えます。タレントの営業はできても、タレントの管理までは行っておらず、ましてや松本人志さんのような大御所とはこのような問題が起きてもきちんと善後策に関して相談もできていない、というのが現実です。 もしも、松本人志さんが捲土けんど重来を早期に目指すのであれば、地上波テレビ番組やナショナルクライアントのCMキャラクター起用などの表舞台よりも、「松本人志」の芸を愛する人たちに向けて、俺を助けてくれ的な活動に入るほうが着地としては適切ではないかと思います。 芸能とIP、オンラインコンテンツの関係は非常に複雑です。たとえば「とんねるず」は、芸風がイジメを助長すると指弾されて不評になり、地上波での出演が激減しましたが、オンラインでの動画配信に活路を見出してファンを再獲得しています。 批判に晒されたり旬が過ぎたりしてスポンサーや編成から見放され、地上波で見かけなくなった著名人がネットなど新しいメディアに進出して成功する事例は少なくなく、批判報道の減少や一定の冷却期間が置かれれば、サブスクリプションの世界で改めて面白さを視聴者に発見されてファンを増やし、新たなメディア創出の旗手になることもあり得ます。 なぜ「芸人のコメンテーター」が増えたのか 一方、テレビ局も、ワイドショーやニュース解説番組のMCやコメンテーターに、特に社会的事象に知見のない芸人や著名人を据えてしまう問題を抱えています。雛段芸人のトーク番組ならともかく、政治経済や事件事故を扱う番組で、専門知に乏しいタレントに語らせることの意味を、考え直すべき時期ではないかとも思います。 特に医療や貧困、社会問題といった複数の利害関係者がいる複雑で込み入った情報を放送しているのに、この問題では何の教養もない芸能人が的外れな個人の感想を述べて結論づけてしまう問題は多くの視聴者に誤解を与えるとして、かねて批判が集まっていました。松本人志さんもまた、本人は芸事げいごととして多大な功績を打ち立てている著名人ではありますが、社会問題については完全に素人であって、学術的な然るべき知見に裏付けられたものではもちろんありません。 松本さんに限らず、ビートたけし(北野武)さんや爆笑問題などが時事を扱う番組のMCとして長らく起用され、お茶の間の人気を博すのも「視聴者のレベルに合わせた物言いや司会ができるから」という話に過ぎず、報道としての情報や見解の正しさまでは担保しません。言い方を変えれば、芸人が著名であるからテレビ局もその知名度に頼って数字を取るための番組作り、キャスティングをしていることになります。 「テレビに出るなら品行方正であれ」という批判 すべての事象において、正しいことを言い続けられる識者などいません。番組内で50対50の対立になっているのはまだいいほうで、5対95の意見でも、実際には少数意見のほうが学術的に、または社会・政策的に正しいということもあり得るのであって、大多数の意見を代弁するような庶民的見解を示す芸能人をコメンテーターに使うな、という話になります。そして、テレビに出ているのだから品行方正であれ、不適切な遊び方をするなという批判にもつながっていきます。 2012年、母親の生活保護受給で問題とされた次長課長・河本準一さんの件も、10年かけてなおいまだ地上波ではほとんど起用されないのも、違法ではないけど不適切の典型と言えます。芸人がメディアに出る、ということは、本来芸人に求められていたわけではない清廉潔白さや社会的正しさを世の中の仕組みが押し付けざるを得ないことで起きる悲劇になっています。 芸人に、社会的正しさをいつから求めるようになったのでしょう。そもそも普通の生き方ができない、モテたいから芸人になった、という割とどこにでもいるたくさんの普通の若者の中から、才能を発揮して時代を象徴する実力者になった松本人志さんに、そういう知見や教養をそもそも求めていたのでしょうか。他の人と違うことを言っていて、抜群に面白いから売れた人ですよね。 記者会見を開いても、疑惑が晴れるわけではない 2019年、週刊誌「FRIDAY」(講談社)に、事務所を通さない闇営業事件を報じられ、吉本興業の代表取締役岡本昭彦さんが5時間にわたる吊し上げ的な記者会見を打ち込まれたことがありました。騒動の渦中で、組織の代表者が悪意はないけど敵意はある記者やジャーナリストに攻撃的な質問を多数、連続してぶつけられ、大変なことになるケースはままあります。ましてや、反社会的勢力と目される人々の前で隠れてギャラをもらい芸を披露したり酒席に同席していたとなれば、マネジメントをする側としては厳しいのは当然です。 報じる側も、記者会見という「絵」が欲しいのは、商品としての報道の側面はございますから、意地悪な質問を長時間ぶつけられ吊し上げられる松本人志を見たいという意味がある以上、前述の通り疑惑を晴らすために記者会見をやるというよりは「禊みそぎ」の問題であろうと思います。 また、その際に浮き彫りになったのは「メディアに出る、または出ようとする人間は、叩かれないよう清廉潔白であったほうがよい」という、割と過剰なコンプライアンス意識が出る一方で、これらのマネジメント会社があたかも所属芸人一人ひとりの私生活や副業まで踏み込んで管理するべきという強烈な社会規範を求められるようになっている、という点です。ある意味で、シェイクスピアの時代における不道徳批判で劇場が閉鎖されるようなもので、 所属するすべての人の私生活は管理できない 今回は吉本興業と松本人志さん側にきちんとした対応を協議することなく初動を間違えて大炎上してしまうという事態になりましたが、いまなお、吉本興業の現場にはあまりきちんと松本さんの事件に関する概要や会社としての考えが伝えられてきていません。これは吉本興業のガバナンスの問題なのであって、松本さんの私生活どころか社業においても組織を現経営陣がどこまで掌握できているのかという別の問題を露呈させています。芸人という、もともと社会的正しさとか品行方正とは縁の遠かった人種を扱う組織のマネジメントや、社会が芸人に何を求めてよいのかは、いま一度、問われることなのです。 最近では、Vtuber会社がイラストキャラの中の人の私生活が理由で叩かれたり、情報漏洩で契約解除されたりすることもありますが、基本的に、事務所がすべての所属する人の私生活まで管理をすることなどできないという大原則に話が戻ってきます。芸能界が上下関係に厳しいのも契約に縛られて活動に制約されるのも「彼らが何かやらかすと関係先に盛大な迷惑がかかる」からに他なりません。 そして、吉本興業に限らず芸能事務所はまだ売れていない子も抱えていれば、旬を過ぎて数字が取れなくなった大御所まで、さまざまな人たちを雇っています。業界を支えるために、これらの稼げない人たちにどのくらい稼いでいる人たちの上前をハネて回してあげるのか、というのは産業として非常に大事なテーマであり、劇場であれサブスクリプションであれ「支持してくれるお客様とどれだけ多くの接点を持つか」はマネジメントの腕の見せ所であるとも言えます。 だれかを「土下座」させればいいわけではない 本来であれば、一番稼げる商品は必然的に社会では権威になっていてブランド力があるものだという話になりますから、芸能事務所としてはスキャンダルをさばくにあたって「着地点をどこにするか」と「本当に悪かったことはちゃんと見極め、徹底的にお詫びし、再発防止を宣言しそれを忠実に守ること」とにあるでしょう。その点では、たびたび大きなスキャンダルに見舞われた吉本興業の「謝罪マスター」竹中功さんの名著『謝罪力』は、いまなおバイブルのひとつと言えますが、残念なことにこの知見が十全に生かされてきているとは言えません。 俺は何も悪いことをしていないと感じていても、違法ではないが不適切で、お詫びしなければならない事態になることは、社会人になれば幾らでもあります。私は何でこんなことで責任を押し付けられ菓子折りもってお詫びしに行って土下座しているのか。そんな経験はたくさんありますよね。 そういう土下座を、権威ある人物や会社、政治家、国家にやらせることが読者や社会のカタルシスになることはたくさんあります。堕ちていく権威に対して、ざまあみろという見世物を鑑賞する感覚です。もちろん、悪かったことは是正しなければなりませんし、何より大事なことは、真摯しんしに対話し、再発防止も含めた枠組みを作り着地を目指して地道に取り組んでいくことで社会が少しでも良くなるのを目指すことでしょう。 松本人志さんの件も、松本人志さんの理解と共に、被害を訴え出ている女性の方たちも含めた話し合いや救済の仕組みが必要なのだろうと思いますし、吉本興業も松本さんを守る仕組みをきちんと考えたうえでお笑いファンにとっても損のない、あるべき着地点を目指してほしいと心から願っています。
松本人志はテレビから消えるべきだったのか…「ただちに違法ではないが不適切」という事案で考えたい論点 再発防止に必要なことは、本当に「記者会見」なのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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