#トイレに行ったおかげでたまたま車のそばにいたので雨に打たれなかった
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kennak · 8 months ago
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やあ! みなさんこんにちは。 クソバイス男こと増田です。 何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。 と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。 さあLet'sクソバイス ストレス解消方法について ストレス解消はルーチンにして日常に入れ込むことが大切。 水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。 例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。 そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。 また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。 自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。 そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。 そうじゃないと自分が持ちません。 なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねてい��す。 緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。 災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。 増田で愚痴れ それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。 𝕏?とかああいうアカウントがあるのはオススメしない。 増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。 そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。 技術的な話 まぁこれはやってんだろうと思いますけど一応通り一辺倒だけ。 まさにクソバイス 地域包括支援センターに言って、ケアマネを付けてもらってみっちり話をしよう(まぁ付けてると思っていますが) 他に相談出来る窓口をざっと揚げておくと 地元の社会福祉協議会 病院の患者相談窓口(ソーシャルワーカー・ただ忙しすぎて駄目な事も多い) 都道府県の国民保険連合会(電話・法的な窓口) 市区町村の福祉関係窓口 大会社の場合、会社が介護離職予防のために相談窓口を持っている場合があるとか。 どこの窓口がよいとかは当たり外れが大きすぎて厳しいことも。数を打とう。 病院などで介護向けの家族会みたいな組織がありますが、ワイは入ってません。参加者の年齢が上すぎて流石に合わなかった。 介護は親の金でやれ。自分の金は使うな(入れるなら生活費だな) 介護離職だめ、絶対。 介護者の都合>本人の希望>行政・施設の都合 と言う優先度でプランを組み上げろ まぁ実際には逆になるんだけど、最初はこうするつもりで挑まないとつらい。 介護は情報戦。繰り返す。介護は情報戦。 要介護者のことを一番良く知ってるのは自分だ、というスタンスを決してぶらさないこと。プロのアドバイスはプロのアドバイスで客観視できて貴重でちゃんと耳を貸すべきだけど、丸呑みはしないこと。プロはずっと介護しているワイらほど長く過ごしていないから。 さらに細かい話 状況がハマったら活用してね 長期になりそうなら、介護保険の点数はできる限りサービスに振るべし。ものは借りた後に買取するつもりで 介護保険は物品の貸与と、サービスが同等になっているが、貸与は長期になるとコスパが悪い。できるだけその分をサービスに割り振る方向で。 確かに介護期間が2年以内とかならレンタルの方がコスパがいい。短期間で症状が変わっていく場合にはどんどん変えられるメリットもあるので、最初の1年ぐらいはレンタルするのがよい。しかし、その後、状況が安定して、なおかつ必需品で、メンテがいらないものは買い取って介護保険から外し、その分をサービスに回すべし。中古の購入は簿価になっているので十万円とかする器具が数千円で買えたりします。 置き手すりやトイレ用の肘掛けなど ベッドの本体(マットレスは汚れると交換なので) スロープ 以下のものは貸与のほうがいい 車椅子や介護ロボットなど  定期メンテナンスが必要で消耗品 マットレス  使っているとへたってくるのと、完全に粗相して汚したといった理由でも交換出来る デイサービスに必要なものはとにかくクリアメッシュ袋(ファスナーがついているやつ)に入れて準備して整理。 便で汚染された衣服はドラム式ではなくて、操作してたっぷりの水を入れた縦型洗濯機でやれば手洗いをせずに落ちる コインランドリーは恋人。雨の日や寒い日でも暖めてくれる(乾燥機) テプラ君は頼れるひと。 3Dプリンタとレーザーカッターは神器。フルオーダーの本人に合わせた道具が2千円とかで出せちゃう。レーザーカッター+ポリエチレンフォームの可能性も無限台。 しまむらは神。 介護ショップで購入すると凄い高い介護用の下着が、なんとしまむら価格で売ってる。やばい。 それに比べて靴屋の渋いことよ…。足下見すぎ(靴だけに) 車椅子を乗せられる自動車は、諦めて新車で買うべし。中古で4年探し続けたが毎日送り迎えに使われて30万kmとかとんでもなく走ったようなものしか回ってこないので貯金をはたいて買った。今では欠かせない相棒。 親の金で解決できる範囲のことは金で解決する。 だるいとき用に冷凍弁当を用意しておく。そのために冷凍庫を追加で買っとく とろみがついた状態で売っているペットボトル飲料とかあるんやで 柔らかレトルトご飯とかもあるんやで 親はテレビっ子世代なので、異様に安い中華テレビを買って放置、後はテレビがお守りをしてくれる。 報連相大事。 通っているデイの連絡ノートとか大事や。 最後に頼るべき所には必ず報連相 自分の兄弟、叔父伯母など、遠くに住んでいていつもは介護に参画してもらえない人でも、とにかく報連相はしておく。今どんな状態だとか、入院したとか退院したとか。 ワイの場合、介護すると言う共通の目的が出来たことで、前よりも親類と仲良くなった気がする。 万が一親を残して自分が死んだ場合のことを考えておく。親がワイがいないときに死ぬより、ワイが先に死ぬほうが悲惨なことになるので。 デイサービスにしておくことのメリットはこれ。自然と毎日来てくれるので、最大でも48時間以内には発見される 通院2回方式どうよ。検査と診察を2回にわける 検査科が独立しているような病院だと、検査科は診療時間関係なく稼働していて検査OKになっていることが多い。そこで、検査は診察日の一週間前以内の診察がある日のどこかで行く。 検査の攻略法 採尿は自宅で採尿して持ち込みたいと相談すると採尿キットをくれるので、それで当日朝とって冷蔵庫に入れておき、持ち込む。 すると、スムーズに進むと、採血だけで到着してから最短10分で終わったりする。通常診察があると結果が出るまで待つことになるが、待つ必要は無いので速効で帰れる 診察は、朝一番の一番最初の予約に入れてもらう 朝一番は開いていることが多い。通常採血から検査結果が出るまで1時間かかるため、この時間帯の予約は検査が不要な患者しか入れられないのだ。 しかし、事前検査をしておくと検査の待ち時間がないため、入れてもらえる。すると待ち時間がほとんどなく診察を終えることができる。 ワイの場合は、検査はデイサービスに迎えに行って車に乗せ、その足で病院に行って検査する。また診察日は、診察を終えたら、その足でデイサービスに送り届けて預けてしまう。こうすることでデイサービスを休む日も最短に出来る。 そのほか よくある質問と回答 仕事はどうしたらいいですか? 介護離職だめ、絶対。ソースはワイ まず今の職場で働く事を考える。無理なら今の会社で働けることを考える。 プライバシーとかかなぐり捨てて、上司や同僚には状況をいつも話しておくことが大事。 ワイの場合、結果論だが、2ヶ月介護休暇取って環境を整えてやれば離職しなくても時短勤務でいけたと思われるんで、マジ早まらない方がいい。一度離職すると介護持ちが新たな就職口探すのは困難。 どうしても介護離職に追い込まれたら、介護者向けの求職なども存在はするので、労基の窓口に相談してみる。 介護施設とトラブルになったんですが 介護保険での事業の場合は、介護保険の保険者、つまり都道府県の健保連が窓口になった苦情申し立て相談窓口があるので、ここに相談するのが正規ルート。他に相談してもぬるっとしか対応してくれない。 行政の相談窓口はクソ せやな。ワイもそう思うわ。行政は相談するところと言うより情報を引き出すところと、手続きの窓口だと思って対応した方が上手いこと動いてくれる。  てか、なんで施設に預けずにお前見てんの? 金がないから。 人間そんなに簡単に割り切れる生き物ではありません。 なんでそんなにがんばって���の? しょうがねえだろうっせえよ 老人は生産性がないから若者のためにうんぬんかんぬん 安楽死うんぬんかんぬん うるせえ黙れ かわいそう だから黙ってろって 俺は見捨てるわ ワイにもそうやってイキってる時期がありました。ちゃんと現実を見つめて備えとけよマジで。 真面目な話、医療費とか使い過ぎていて気が引けるんですが 親が払った社会保険料や税金をざっくり計算してみるといいよ。生涯で家が建つぐらいの金は平気で払っている。ほとんどの人は、払った分を使ってるだけ。 統計学の心得があるなら年金・社会保障の構造を計算してみると実によく出来ていて、惚れ惚れするから。 特に公的保険てのはミクロではなくてマクロで社会的コスト(≠費用)を最小化し経済効果(≠金銭的利益)を最大化する仕組みなので、個人であの人は多くもらいすぎているなんてのは間違った議論です。理解できずに言う輩には「うるせえ黙れ」でよい。 終わったら俺も介護される側じゃん 先輩を見てると、介護をしっかりやってた人はあんまり要介護者にはならずにぽっくりいってる感じがする(終末期は別) 介護をやってると自然と介護予防の知識も付くから、地道にやっていこう 介護に巻き込まれた時点で人生終わりでは? まぁ、終わったということを受け入れるとそれなりに楽になるよ。
介護に関するクソバイス (増田編)
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sueharukazu · 5 months ago
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阿比留さんとの4日間
(平成29年10月1日)
この日誌は9月26日より9月29日までの阿比留さんの行動を記述したものであり、その言動はボクが見聞きした限り(還元するならば、ボクの主観に基づく)において間違いはありません。
後藤崇之
【 9月26日(火)】 この日は阿比留さん(以下、阿比留)の申し出により、ロータリー担当は阿比留、バース担当は後藤。と言うよりも、阿比留がロータリーやりたかったみたいで、後藤はバースへ行くみたいな感じだった。
AM
1. 最初に搬送車を見逃した。バースから見ても、阿比留はロータリーの定位置(ロータリーが終わりバースへ至る通路の口)に立ってることが目視で確認できなかった。 2. KRS(バース搬入の常連)の運転手が後藤に言うには「あの人(阿比留)何も言わんなぁ」(「通す時、何もしない」だったか?)だった。 3. 実際、全ての搬送車の入場時において、後藤に無線してない。(日が進むにつれてやりだしたけど。) 4. わらび屋のお客様とナカノのお客様の駐車位置を(ナカノよりいただいた駐車場案内を見せながら)阿比留へ2度説明した。にもかかわらず全然理解していない送り方をしてた。阿比留の立ち位置へ行き「聞いてたのか?」と問い質したら、「臨機応変にやればいい。」と言い訳してた。
【当日(9/26)のナカノよりの指示事項】 わらべ屋客は左側P「社員専用」の⑨⑩(満車なら同場所青色部分+「愛知」P ナカノ客は「愛知」Pのみ ナカノ現場事務所前までokは弁当屋+真栄(備品サプライ)のみ その他の突発的な駐車を伴う訪問は、その都度壷井氏へ電話
5. 当日午前中に、お客様をナカノ現場事務所へ引き入れたなかに、阿比留が事務所前に案内した車両が(現場事務所あたりが手狭なので不安になり)戻ってきた。後藤、阿比留に所定の場所(この場合は「愛知」Pが該当)へ案内するように無線発報したが、阿比留はロータリーに駐車させた。
【村端さんへメールした件】 ロータリーでは;
1)率先して「ここに置いてください」とは言わない。 2)黙って停める車には「善意の第三者的な対象物」として無言。 3)「停めていい?」と聞かれたら、所定の場所への移動を促す。
6.結局、阿比留は11amでロータリーを自発的にgiveupした。後藤とチェンジ。
PM(AMよりもヒマ、これより阿比留はバース)
1. 阿比留は指定された立ち位置にいない。何も伝えることなくゲート内(我々の車両が停めてある)へ行く。タバコか? 2. 鉄板搬入の大型ユニック3台が前後してゲートとロータリー間を移動。その度に、後藤がバック誘導をする状況。後藤がその中の一台のユニックのバック誘導をしてたものの、全然バックしない。よく見ると(いつの間にか立ち位置を離れてゲート付近に来ていた)阿比留が、そのユニックのタイヤをウォーターガンで洗っていた。(側面を洗ったり後部を洗ったりしてユニックたら周りをウロチョロしてたら、運転手も怖くてバックできない。) 3. その後、(ロータリーへ立ち位置を変えた)後藤が出入りする車の運転手と話してる最中に、搬入車両が来たので阿比留へ発報。無反応。立ち位置(バース)に戻らずゲート付近にいたから。 4. ゲートより搬入車両が出る際、阿比留はタイヤやゲート前の鉄板を洗いたがる。「余計な事をしなくてもいい。それをやることにより本来の立ち位置が疎かになり、危険につながる。」と注意しても阿比留はそれをやってる。それに対して後藤、阿比留に「持ち場を離れないで。」と一声掛け��が、阿比留は無反応で戻っていった。 5. 阿比留、午後3回目のゲート接近(持ち場放棄)「喉が渇いたから水分を採りたい」とのこと。立ち位置近くに水分を置いてないみたい。(無くなったらゲート内に停めてある我々の車まで取りに行く)
※昭和建設で阿比留がサークルKの駐車場で出入りの車を監視してた時、無線で一言も言わずにトイレへ行ってた。永濱君に注意されたが、無断で持ち場を離れる癖は改善されていない。
【 9月27日(水)】 PM
1.現在、ロータリーとバースの間の通路は(車道部分と分けられて)歩道が設置されている。午後の終盤、阿比留、車道部分のほぼ中央部分を歩行。その際、わらべ屋の小型送迎バスとすれ違う。わらべ屋のバスだし、チクられるとヤバイ。 9/26 の日誌に書き忘れたが、これに類似したことがあった。午前の初め頃、ウォータージェットの調子が悪いという事で、阿比留はバース付近に置いてあったと思われるホースをネコに積んでゲートの方角へ運んでいた。(呼ばれたかどうかは今では分からないが)ゲート内へ行く用事が急に生じたのでネコを車道中央に置きっぱなしでゲート入りした。搬入車両が交わして通過した。 2.持ち場を離れる際の発報はこの日も無く、それ故ゲート内に入っていった理由も不明。物置の開き戸を触っていた。
【 9月28日(木)】
1. 開始前、阿比留に「(無線の)電池はあるか?」と聞く。阿比留「車の中にある」と回答。それにより「ある」と判断して仕事開始。ほどなくして阿比留、後藤の方へと歩いてくる。後藤の立ち位置まで来ずに何かしてる。ここまで、それに関する発報なし。見兼ねて近寄って聞くと「無線のツマミ無くした。電池残量もわずか。」との回答。仕事開始前に「電池あります?」と聞いた時、どうしてその旨を言わなかったのか?と正したら、阿比留「電池ある?と聞かれたので「車の中にある」と回答した」との弁解。それに加えて、どうせ自力で直せないのに後藤の方へ歩いて来た時、どうして途中で止まってまた直し始めようとしたのか?後藤に聞くのがイヤなのか?後藤に事情を説明するのが面倒くさいのか? 2. 電池を渡した後でも、ゲート内の物置の開き戸を開けようとしている。見兼ねて近づいてみると「ツマミ無くして無線の調整ができないので、ラジオペンチを探している」との事。やがて近くにいた協力会社の作業員にも聞いてくる。 3. 何とか落着したものの、阿比留は使用済電池は「はい、これ。」と後藤に手渡した。あそこまで場を混乱させ、結果として「本来なすべき仕事を疎かにした」にもかかわらず、後藤に「処分しとけ」と言わんばかりの態度で手渡した。 4. 阿比留の礼儀知らずな発言はこれに始まった事ではなく、ナカノの室谷さんを呼ぶときも「ちょっとちょっと」と手招きしてた。 5. 無線で阿比留より「トイレ」と発報あり。10amあたりだったので「そのまま休憩を取るだろうと思っていた。トイレより戻ってきて立ち位置(バース)を通過してゲートへ向かうので、理由を聞いたら「車の中にタバコ忘れた」の事。
上記とは関係ない事と思うが、昼頃、ナカノの壷井さんより「あの人(阿比留)今日、調子悪いの?」と聞かれた。確かにふくらはぎが痛いとは言ってた。 雨が上がり後、急に寒くなったので、阿比留のトイレの回数増える。(おそらく、加齢による前立腺肥大も起因しているのだろう)
【 9月29日(金)】
1. 到着後、車のドアを開けたまま車から離れる。そのために協力会社の車が奥へ入れなかった。その後、阿比留と後藤、休憩室へ行き、朝礼開始が近づいてゲート内へ戻る。またドアが開いていた。 2. 朝礼時、ナカノから泥洗いの協力を依頼されたので従う。ゲート前の鉄板が汚れてたので、立ち位置から離れることを発報することなく、阿比留が率先して(誰より頼まれることも無く)持ち場を離れてゲート近くまでやって来る。阿比留、ウォーターガン・ユニットのモーター起動ワイヤを引いてたら伸びてしまった。その直後から修理のためのペンチを借りるために、作業中の作業員の基へ借りに行く。
その現場は大型トレーラーで搬入した大型打ち込み機で鉄柱を埋めてる現場で、危険が十分予測されコーンで囲われている。作業員さんも危険予知しながら仕事をしてるはずなので忙しいのに、阿比留はペンチを借りに行った。それに対して後藤も「阿比留さん、危ないよ。」「作業員さんも忙しいからやめなよ。」と無線で二度警告したが無視された。
「(ワイヤ部分が)壊れたら壊れたで仕方がないから、ナカノへ報告して(本来の仕事に戻るべく)切り上げるべき。」と阿比留に言ったけど阿比留無反応。結果として、ウォーターガン・ユニットの故障→修理(できなかったけど)の過程を阿比留がムダに作り上げた事により、阿比留本来の業務が疎かになった。
その後、当該協力会社の番頭さん(現場責任者の意)と少しお話をする時間があったので「(その件について)すみませんでした。」と後藤より謝りました。(阿比留は知らん。) 番頭さんは「びっくりした。」と言いました。
3. 阿比留休憩後、壷井さんと一緒にゲートへ。壷井さんは協力会社の人と修理に取り掛かる。阿比留はそれらの人々にアドバイスを出すわけでもなく、相談されるでもなくそこに居た。 4. 後藤、休憩終わって、その間、阿比留にやってもらってるロータリーに戻る。阿比留ロータリーにいない。ゲートの中に入っていた。くい打ちを見てた。当然、ロータリーの様子は分からない。後藤「阿比留さん、ボク等は工程管理任されてないよ。安全管理だよ。」と言う。「分かっとる」と回答。
あとがき
これ等4日間の記述は阿比留さんの言動のに対する現状把握に役立つと思います。先日、村端さんがおっしゃってた「対策が伴わない、報告は雑談と同じ。」との見解に従い、ボクなりの対策(みたいなもの)を述べるならば、「阿比留さんと一緒にする仕事の際は、阿比留さんに対して多少の大声、多少のキツメの語調があったとしても、それはやむを得ない。」という事です。この4日間、ボクは阿比留さんと楽しく仕事をやる事も念頭に置き、年長者である阿比留さんにもそれに見合った言動をしようと思いました。しかし、これほどまでに阿比留さんがお互いのコミュニケーションを取ることに非協力的で、阿比留さんが勝手かつ事前予測不可能な言動を取り続けるのであればそうも言ってられません。実際、ボクも徐々に声が高くなり、語調が変化してきました。それでも阿比留さんの言動は改善されてるようには見えませんでした。本件に関して、村端さんもいいお知恵があるならば、一度ご相談をと思っています。
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fuzukiii · 6 months ago
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5月27日(火)
夜中に病院から電話がかかってきて、「すぐに病院に来てください」と呼ばれたので、おばあちゃん、母、妹、私で車に乗って深夜の病院へ向かった。
インターホンを押すと夜勤の看護婦さんが案内してくれて、裏口から業務用のエレベーターに乗る。病室に入ると、おじいちゃんは酸素マスクを付けたまま苦しそうに息をしていて、目はもう開かない。「文月だよ、会いに来たよ!」と大きな声で呼びかけると、液晶に映し出された心拍数が急に上がって、赤色の線が画面の中で波を打った。おじいちゃんの手を握ると、もう骨と皮だけのからだなのに、信じられないくらいぎゅって強く握り返されて、何かがたしかに伝わっているのだと思った。その瞬間に、私は破水したみたいに膣から水が大量に出て、急にお腹が痛くなった。
トイレに行って、また病室に戻ると、おじいちゃんの周りをみんなが囲んでいて、私はこの繋がれてきた遺伝子の末端にいるのだと感じた。これまで一度もそんなことを考えたことがなかったのに、「もしも妊娠したら、子どもを産もう」と自然に思った。
数日前に内臓が破裂したというおじいちゃんの呼気からは、僅かな腐臭がした。ずっと病魔に侵されながら生き続けるのは、どれだけ苦しかっただろう。心の中で「もう大丈夫だよ、ありがとう」と言うと、血圧がみるみる急降下して、液晶の中で動いていた線はまばらな感覚になった。最後にゲートが開かれるみたいに目がゆっくりと開いて、数秒間おじいちゃんと目が合った。魂だけの存在になる直前のおじいちゃんの目のあちら側には、私がまだ行くことができない世界が広がっていた。
それから、またゆっくりと目を閉じて、ピーッという電子音が鳴るのと同時に息を引き取った。目の前にはさっきまで生きていたおじいちゃんの肉体があって、これまでの苦痛がやわらかく取り除かれたように安らかな表情でそこに横たわっていた。
私は悲しさよりも先に、目の前の大切な人が苦しさからやっと解放されたことに安堵する気持ちがあって、隣で泣いている母と妹と、まだ現実を受け止めきれていない祖母を交互に見ていた。
しばらくすると葬儀屋さんがやってきて、これからの段取りをてきぱきと進めていく。
祖母の家に戻ると深夜の2時を過ぎていて、ひどい空腹を感じたのでカップヌードルを食べた。胃のあたりが急にあたたかくなって、私は明日からもまだ生きるのだと思った。
5月29日(水)
おじいちゃんの死を悼んで数年ぶりに煙草を吸った。夜中の丘に寝転んで空を見ていたら、プラネタリウムで見るような満天の星が見えた。青く光りながら星がふたつ流れて落ちていくところを見た。
5月30日(木)
できれば木を切らないで欲しかった。おじいちゃんとの思い出が詰まった大きな胡桃の木をおばあちゃんは少し前に業者に依頼して切ってしまった。
「地主に返すときにみっともないから……」と、おじいちゃんの畑の象徴だった胡桃の木は、ただの太い切り株になっていて、まるで最初からそこには何もなかったみたいだった。
私はそれを見たら、たまらなく悲しくなって涙が止まらなくなった。
田んぼや畑、千曲川の河川敷をぐるぐると歩く。当たり前だけど、どこにもおじいちゃんは居ない。人はこんな風にして、突然居なくなってしまうのだなあって、いつか呆然としながら思った記憶がまた蘇ってきた。
弔辞を書いて欲しいって頼まれているのだけど、何を書けばいいのかわからないから、頭の中でおじいちゃんとの思い出をなぞってみる。思い出されるのは、一緒に楽しく過ごした記憶ばかりで、きれいじゃない感情だって何度も抱いたはずなのに、こうやって都合のいいように誰かとの記憶は改ざんされて、心の引き出しに仕舞われてしまう。別にそれが悪いことだとは思わないけど、私はどこまでも自分の都合で生きていて、身勝手な存在であることを忘れたくない。というか忘れてはいけないって思っている。
5月31日(金)
雨の日。お通夜の前の時間、親戚たちが集まってきて、昔のアルバムを見たりしながらわいわい話をしている。私は偏頭痛がひどくてその輪の中には入らなかった。
私の父は通夜に来られない。母方の親戚と関係がよくないことに加えて、持病の精神疾患が悪化していて、まともに人と話すことができないので、明日の葬儀だけ来られたら来るということになっている。「どうして⚪︎⚪︎さん(父の名前)は居ないの?」と聞かれるたびに、母は困ったように笑いながら曖昧な返事をしている。
それを見ているのが居た堪れなくなり「ちょっと散歩してくる」と言って、喪服のまま小雨が降る屋外へ逃げるように飛び出す。
雨に打たれた植物の緑が濃くなって、空気には青い匂いが混じっている。
息を大きく吸い込んで、吐き出して、人間が中心の世界の中で生きていくのはしんどいなあって思った。
6月1日(土)
火葬と葬儀の日。昨日からの雨は上がって、よく晴れていた。棺桶の中のおじいちゃんにお別れを告げて、遺体を焼いている一時間半で任されている弔辞を書こうとノートとペンだけ持って、火葬場の裏にある山を登った。見晴らしがよい場所を見つけて、木陰に座ってペンを走らせる。
弔辞の例文をネットで探してみる。形式ばかりのつまらない文章の中に、内田也哉子が父・内田裕也に送った弔辞を見つけて、それがかっこよくてしびれた。
「Fuckin’ Yuya Uchida,Don’t rest in peace. Just Rock’n Roll!!」
こんなイカしたこと言ってみたいなあ、と思ったけど私のおじいちゃんの性格にはそぐわないので、自分の言葉で気持ちを綴ってみる。頭の中で思い出を再生して、それを言葉に変換していく作業をしているとまた涙が零れた。
気持ちの良い風が頬を撫でて、目を閉じてじっとしていると妹から「そろそろ戻ってきてくださいー」と連絡がくる。私は今こんな風に生きていられていて、なんだかとても幸せだと思った。
焼きたての骨を拾いあげて、骨壺に入れる。骨をまじまじと見てみると珊瑚みたいに、白くてうすい層が重なっている。「こんなに骨がちゃんと残っているのはめずらしいことです」と火葬場の人が言う。たしかに、おじいちゃんの頭蓋骨はほとんどそのまま残っていた。
そのまま葬儀場に移動して、あっという間に葬儀がはじまった。名前を呼ばれて、さっき書き上げたばかりの弔辞をいざ読もうとすると、すぐに感情が込み上げてきてしまって、涙で原稿が見えなくなる。声が震えて、少し読むだけで止まってしまい、息を吸い込んでからまた少しずつ言葉を放つ。ぜんぜん思ったようには読むことができなかったけれど、今この場所で伝えたい言葉をちゃんと自分の声で言うことができたからよかった。
弔辞を述べ終えて、後ろを振り向くと親戚のみんなが泣きながら私の方を見ていたから、それを見て私は思わず笑ってしまった。
夕方になって外に出ると、山の上の方に橙色のとてもきれいな夕焼けがひろがっているのを見た。
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tsuntsun1221ts · 8 months ago
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2024.08 モンゴル(ウンドゥルシレット)
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海外旅行がしたいと思っていた頃、欧米は円安&物価高で高いためアジアにしぼり、せっかくならあまり人が選択しないであろうモンゴルへ。
ツアー会社
大手旅行会社でもモンゴルツアーは扱っておらず、またネット上でも情報はかなり少ない。いろいろ探したところ「ファイブスタークラブ」というツアー会社がモンゴルツアーを取り扱っていたので今回はそこにお世話になることに。
ちなみに現地では英語がほぼ通じない。また現地空港ではCIMカードやPocket WiFiの貸出が見当たらずネットも通じない。したがってガイド同伴のツアー旅行を強くオススメする。
4泊5日のツアーを申し込み、全てコミコミで一人当たり19万円-24万円(時期による)。今回の旅の目的のひとつでもある、遮るものがなにもない大草原の星空を満喫するためには満月は絶対NG。日程調整で最優先したのは、月齢や月の出が星空観賞に影響を与えないこと。
移動(飛行機)
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成田や大阪からウランバートル空港へ毎日直行便が出ている。成田からだと搭乗時間は5-6時間。韓国でトランジットした方が安い場合がある(モンゴル旅行は特に韓国人に人気だとか、実際ウランバートルでは韓国人をよく見かけた)。ツアーで用意された航空会社はMIAT Mongolian Airlines。エコノミーではコンセントやUSB充電なし、モニターなし。飛行機のWi-Fiに接続すれば現在位置などは確認できるが、自分の携帯はなぜか繋がらなかった。まずおやつに何かの種(美味しい)が配られ、その後機内食でビーフorチキンが1回、ビールやワインの提供も可能。ビールはモンゴルのもので、サッポロ黒ラベルみたいな味で美味しかった。
飛行ルートは韓国→北朝鮮を避けるように国境すれすれを通過→中国→内モンゴル自治区→モンゴルという順。上空から北朝鮮の領土が見えたが、韓国・中国では当たり前のようにある建物が、全く何も無いさら地で興味深い。また内モンゴル自治区からモンゴルにかけても同様に何も無い草原が広がっていた。延々と同じ平らな大地が広がるのみ。
入国審査は顔写真と指紋登録(両親指・左手指)と宿泊場所確認くらいで、笑顔で「サンバエノー(こんにちは)」て言えば温かく対応してくれる。日本への入国よりかなりザルで、入国カードも書かなかったし荷物検査もされなかった。モンゴルは犯罪の温床になりにくいのか?
移動(車)
まず空港で出迎えてくれたのが、英語が話せる通訳(日本語は☓)と運転手の2名。本来なら日本語話せるスタッフが来る予定だったのだが、あとからきいていろいろトラブルがあったらしく、この日だけの代打。空港からウランバートル市内まで車で1時間(空いていれば40分だが渋滞のため)。空港の周囲は大草原。
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ウランバートルが前方に見えたときは、まるで砂漠の中のオアシスのように突然と大都市が現れる。1日目はウランバートル市内のホテルに宿泊し、移動のみで終了。
2日目以降は日本語が話せる本来のガイドさんが案内してくれた。ウンドゥルシレットへは当初の予定だとウランバートルから4時間(200km)とのことだった。実際は幹線道路を2-3時間、そこから外れて不整地の道を2-3時間。ガイドさんも初めて訪れる場所とのことで、特に不整地の道で迷い6時間以上かかったような。
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幹線道路。ウランバートルからまだ近いため道路脇にポツポツと建物が建っている。離れると草原しかなくなる。ちゃんと舗装されている真っ直ぐな一本道で、80-120km/hと高速道路並みにスピードを出している。
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幹線道路とはいえ周辺には当たり前のように家畜が放牧されている。もちろん道路と草原を隔てる柵のようなものは無い。ご覧の通り道を塞がれることも(対向車が)。
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不整地の道は大草原のど真ん中を突っ切る。周囲には何も目印など無いのに、どうして行きたい方角がわかるのか不思議に思うが、初めて通る道でも勘でなんとなくわかるらしい・・・マジで理解不能。
ガイドは見ていなかったようだけど、こんな道でもGoogleマップにはちゃんと登録されているのがまた面白い。
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不整地でもマシになるとこんな感じで平坦な箇所あり60km/hほど出せるが、基本的には凸凹が激しく20-40km/hがやっとのノロノロ運転である。このため不整地の道は幹線道路よりも距離が短かったにもかかわらず通過にかなりの時間を要した。
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周辺に家畜は当たり前のように存在する、慣れて全然めずらしく亡くなった。
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牛に道を塞がれた。牛は車を認識しているがびくとも動こうとしない。だけど車から人が降りて追い払うと動いてどっかへ行く。
ウンドゥルシレット
モンゴルの草原への旅先として最も有名なのがテレルジ。大体の観光客はそこへ行く。一方ウンドゥルシレットは旅行客の中でも日本人しか知らないとのこと。クボタのCMや、椎名誠監督の白い馬という映画のロケ地になったことから日本人の間でのみ知られうようになったらしい。このことからキャンプ場を管理しているのもここで10年以上暮らす日本人で(経営はモンゴルの会社)、食事も日本人の好みに合ったようなものが出てくる。ただし案内してくれたガイドはいろいろ気に食わないところあるみたいで、例えば本来ならもう少し気をかけてくれるはずだとか(日本人特有の、他人との適切な距離感によるもの?)、食事も高すぎるとか(一食あたり1500-2000円、市内の2-3倍、まあ辺境の地だし)
延々と広がる草原を車で駆け抜け、ウランバートルから6時間ほどかけて到着し、まずは遅い昼食。自分たちがシーズン最後の客とのことで貸し切りだった。自分たちの滞在中、ガイドさんも同様にゲルで過ごし、食事も一緒に。
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宿泊者様のゲルは14棟。これとは別にスタッフ用のゲル、トイレ・シャワー棟、食事棟がある。トイレは水洗、シャワーの水流は極めて弱いがお湯はちゃんと出る(夕方の指定時間のみ)。
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周囲は山(というより丘?)
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キャンプ場のすぐ近くにはトーラ川が流れる。離れてみるとキレイだが、近くまで寄ると薄茶色に濁った濁流。流れは意外と早く、日本の大きな河川と同じくらいだった。数日前に大雨が降って増水しているらしい。この川は遠くウランバートル市内を経由しロシアの方まで流れているらしい。
山と川に囲まれキレイだが、このような地はモンゴル内であれば他にいくらでもあるような?もっと市内に近いところとか。なぜこんな僻地がロケ地になったのか。でもこんな広大な大地で良く見つけたな。ウンドゥルシレットには2泊3日の滞在だったが、雨・晴れ・快晴と異なる気候で光景は異なる。登山時の景色のように、ずっと見ていても飽きない、とても美しい場所。
乗馬
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2日目ウンドゥルシレットに到着した日と、3日目は一日中乗馬。モンゴルですることと言えば、乗馬しかない。キャンプが近くの遊牧民から馬を借りてきて、遊牧民が乗る馬に先導され後ろをついていく。ヘルメットとゲイターは貸出あり。ゲイターをはめるため底が平べったい靴は☓。
馬の後ろには絶対に立たないこと。乗馬中に草を食べようとしたら手綱を強く引っ張り阻止し、上下関係を叩き込む必要あり(馬が歩かなくなる)。
アブミは足のつま先と中央の間くらいで踏むとちょうど良い。鞍の前の方に座ることを意識。少し空気椅子みたいにすればおしりは痛くならない。
基本は常歩で、速歩を通り越して駈歩は慣れた頃にすこしだけ(人間の方が疲れるので初心者は1分くらいが限界か)。大草原を馬で自由に駆けれたらすごく気持ちいいのだが、それができるのは一瞬。
往復2時間でくらいでゲルから2-3km歩いたか。往路よりも復路の方が1.2倍ほど速度が早くなる(馬が早く帰りたくなるため、とのこと)
乗馬中、バイクに乗って馬を探している遊牧民と出会う。よくどこかへ行ってしまうらしい。人にも夜が、遊牧民は馬を100頭とか多く飼っていても、顔を見れば自分の馬か判別がつくんだとか。一応焼きごてで体に印はつけている。遊牧民でもお金持ち多いみたい、車やバイクは当たり前に持っている、むしろゲルを移動させるために今は必須アイテム?家畜の迷子以外でも草原で出会った遊牧民とは必ずと言っていいほどおしゃべりする(おそらく初対面でも)登山で挨拶するみたいなものか。
最初はゲルも家畜も珍しかったが、ここで1日過ごせばそれが当たりまえの生活だと気がつく。
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どこからか犬が湧いて現れた(牧羊犬?)。だいぶ人懐こく遊んでほしそうにちょっかい出されるのだが、病気など持っている可能性もあるので残念ながら触れ合ってはいけないとのこと。自分たちと遊んでもらえない代わりに、馬の行く先に先回りして自分たちが来るのを待っている。
1kmくらい離れたところのゲルに遊牧民訪問、ミルクティーとお菓子、酸っぱい何か(現地の食べ物、ホエイを固めたもの?)でおもてなし。水はどこでも掘れば地下水が湧くらしい。ここのお父さんは30年前日本の仙台で2年間ジョッキーやっており、ごく僅かな日本語なら話せた。日本の写真も何枚か飾ってあった。多い人は年4回とかゲルを移動させる人もいれば、まったく移動しない人などそれぞれ。モンゴルでは役所が今どこに誰がいるか一応把握しているとのこと。これから移動をするため場所を予めとっておくこともするらしい。
ゲルを出るとき頭をぶつけた、いいことが起きるという言い伝えがあるらしい(やはり昔からみんなよくぶつけるということか)。
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気球
0600集合し気球の準備。トラックからバスケットを下ろし、バルーンと接続→バルーン広げる→風を送る→燃焼でさらに広げて立ち上げる。4人乗りでも気球自体は20数mの高さ、ビル6-7階の高さと大きい。8人乗りバスケットもありその場合はバルーンの体積も3倍(高さ1.5倍)の大きさとなる。スタッフが準備している間は周囲のモルゲンロートを眺めている。
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3人で乗り込み、とてつもない高度感、今年最高高度1500mまで上昇したが、言われるまで気が付かなかった。知らない間にそこまで上がっていた。
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トール川の蛇行、もともと川が流れていたであろう地形跡、丘、ゲルなどを一望。ゲルは周囲より少し高い場所に建てているのがわかった(遊牧民も初めて来る場所はどこが浸水するなどわからないため)。遠くには途中で通過したウンドゥルシレットの小さな村、朝日などなど。
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風に乗って移動するためどれだけ速い風でも相対速度ゼロで無風。高度差による気温変化はあるが風は感じないため、そこまで寒さを感じない。
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車で気球や人間を回収するため、地上では運搬トラックが追尾している。
上昇下降も気球が反応するまで一定の時間差あり、強制ベントでも同じ。高度によって風の向きや速さ異なり、それを読みながら運転する。今回の気球のパイロットは女性、旦那さんと一緒に競技気球をやってるとのこと(決められたゴール地点にいかに早く精度良く着陸できるか競う)
着陸時が最も危ない。地面と接地する際「想像の5倍は衝撃が来るからとにかく注意」とのこと、実際ドカンと何度もバウンドして、地上スタッフ総掛かりで気球を抑え込んでようやく停止。落ち着くまではバスケット内にしゃがんで固定器具をしっかりと掴む。横転する車の中にいるかのような感じ(実際横転して止まった)。
気球をトラックに収納し、自分たちも同じトラックに乗ってゲルへ戻る。気球はオプションでひとり3万円と最初は高いと感じたが、終わってみれば十分に3万円の価値あり、係留気球とは全く異なる世界。滞空時間40分くらいだったか?ただしめちゃくちゃ怖い。バスケット内で人が移動すると高高度でグラグラ揺れる。
星空
モンゴル旅行の大きな目的のひとつ、周囲にひとつも光源なく、遮るものがない草原で真の満点の星空を見る。気象に恵まれ雲ひとつもない快晴、新月ではないものの、月はまだ出ていない時刻。360度の地平線まで星が見えるのはモンゴルならでは。流星が3-5分に1つ流れる。ゆっくり移動する人工衛星は5つほど発見した。1時間くらい眺めていた。重要なのは月光で、満月の有り無しで見える景色はだいぶ違うかも。満月でなくても月の明かりの影響は多少あるため、月齢や月の出の時刻を確認して日程調整するのが良い。ゲルより銀マットの貸出あり。草原は冷えやすく時期によってはひざ掛けなど持っていったほうがいい。
ウランバートル観光へつづく
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unikeni · 1 year ago
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台湾1周サイクリング
2024/06/05 - 2024/06/14 @台北~台北:約920km
登山の"ついで"、にしては相当ヘビーだし、なんならこっちの方がメインなんじゃないか、という感じもするけど…せっかくの機会だし、台湾1周サイクリングをすることにした。さすがに玉山登頂翌日の朝出発は乱暴だったかもしれない笑。睡眠時間足りてないし、足の疲労もある、その上自転車も組み立ててない。そんな状況でも、玉山から戻った夜は、やけにテンションが高かった。サイクリングが楽しみだったからだと思う。そんな風に感じたことは普段全くないから、なおさらそのままの勢いで出発してしまおう、と思ってしまった。
全部終わって振り返ってみると、やっぱりやってよかったと思う。1回目の退職記念にはキリマンジャロに登り、今回、2回目の退職を前に台湾1周のソロライド、10日間。5年近く勤めた仕事を振り返ったり、労ったり、次のステップに進む英期を養ったり、という意味で僕にはこれが必要だったんだと思う。贅沢ではあるけれど、(仕事を一切しない)長めの休みを取るのも久しぶりだし、職業柄、日常を離れて未知の風景を楽しむ、というのは大事なことだと感じる。幸い、体力とか装備、お金、といった大きなところの心配が不要だったことがハードルを大幅に下げてくれた。一見無謀とも思えるこのチャレンジも、実はそこまで大変なことではなかった。
真ん中に紐みたいな短い赤い軌跡が登山で歩いた距離・場所だから、台湾をかなり堪能したことが分かるな…。
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1日目 (台北から新竹) 86km
6月4日、玉山下山後、夕方6時に台北着。そこから翌朝出発の準備を始める。自転車の組み立ては当然すんなりとはいかず、シンガポールからの移送中に前輪のシーラントがケース内で漏れまくっていた。慌ててシャワー室でスペアチューブを足して、なんとかタイヤが機能するように。結局、前輪はチューブあり、後輪はチューブなしの状態でスタートすることに。加えて、急遽買ったミニ空気入れが上手く使えず、40psiぐらいが限度だった。もうそれで手を打った。
泊まったホテル(Brother Hotel)が親切で、登山グッズの詰まったバイクケースを10日近くただで預かってくれるところだった (引き換えに計4泊滞在)。ホテルの部屋でバイクを組み立て、朝食、荷物を預けて、チェックアウトし、台湾でのライドスタート。ラッシュアワーを避けて、早めに出ようと思ったんだけど、いろいろもたついて、結局8時になってしまう。モロに交通量が多い時間帯。それでも幸い曇りだったし、バイクに異常もなく、無難にスタートできた。河原で記念写真を撮ろうにも、全然笑えない自分がいた。不安要素が多すぎたから、顔がひきつっちゃったんだと思う。台湾政府公認の1周路を辿るにしろ、道に迷わないかとか、事故の心配、荷物が気になったり、天気が心配だったり、ペース配分が分からなかったり、言葉が思った以上に通じなかったり、と最初の2日ぐらいは実はライドを心から楽しめていなかったかもしれない。とにかく細かいことで気が散っていた。
例えば、新しく買ったサドルバッグはこの時初めて取り付けて、僕のバイクと仕様が合わないことに気づく。がっちり固定できないうえに、たぶん荷物が重すぎた(か多すぎた)せいもあって、途中から徐々にずり落ちる事態に。つまり後輪にバッグが当たる最悪の状況。その上、台北出発から1時間も走らないうちに雨が降り始める…。雨対策も万全ではなかった。振り返ってみても、9日間のライドの中で、初日が本当にハードな日だった。右も左も分からないのに加え、結局、昼ぐらいから新竹のホテルに着くまでの数時間、ずっと強い雨に打たれながらの走行で、本当にやる気をくじかれた。ずっと濡れたままだったから、寒さにも襲われて、到着間際は顔が真っ白になっていた。夕方ホテルに着いたあとは、体を洗って、服類を乾燥へ。この先のライドが不安になる…。でも、長いマラソンなんだと理解して、気持ちを切り替えた。その日の失敗から学べばいい、ということでポジティブに捉える。サンダルが壊れ、急遽モールに買いに行ったことと、夕飯を食べただけの夜。
2日目 (新竹から鹿港) 131km
雨のライドがややトラウマになったけど、まあ進むしかない、ということで朝早くから準備開始。なるべくサドルバッグへの負荷を減らすように荷物を分散させて、濡れてもいいものはポケットに収納。レインコートは昨日に引き続き着てスタート。かなり改善。ただ、自転車をストレージにずっと放置したのは良くなかった。朝行くとチェーンにサビがつき始めてた。昨日のライド後に乾拭きせず、相当汚れていたのに、何もしなかったから。結局洗う術もないまま、とりあえず油をさして出発へ。2日目は長い海沿いのコース。事前情報では強い追い風、のはずだったのだけど、あまり風は強くない。途中からパラパラと雨が降り始め、また嫌な予感がよぎったけど、幸い快方へ。苑里で排骨酥麵の昼食後、午後には台湾で初めての太陽を見て、一気にテンションが上がった。晴れるだけで、こんなに嬉しくなれるとは…。ちなみにライド中は1時間半おきにコンビニ休憩・ランチ休憩を取ってた。イートインのできるコンビニはすごい重宝。お店に入る前にTシャツと短パンを重ね着して、それにサンダルに履き替えて、一応きれいさをアピール。おにぎり・パン、バナナ、ジュース類を補給して、ごみ捨て、トイレもさせてもらう。クレジットカードが使えるのも強い。自転車をガラス越しにチェックできるのもいい。台中を過ぎて、彰化市のバイクショップでクリーナーを購入、そして空気も入れてもらう。帰りがけにショップオーナーがエネルギージェルをサービスしてくれた。優しい。この日のライド���全日程中、一番長く、7時間ぐらい。さすがに集中力を維持するのは至難。鹿港という歴史のある街に到着。この宿はb&bスタイルのオシャレなところ(a day in Lukang)で、庭付き。そこでバイクの水洗いをして、チェーン諸々の洗浄ができたのはすごく良かった。ただその最中、蚊にものすごく刺されたのがのちのちまで辛いことに。
3日目 (鹿港から嘉義) 77km
この日はスーパーで買ったパンを食べてスタート。晴れ。正規のコースに合流するまで運河沿いを走行。最高に走りやすい道。お昼は斗南駅近くのバーガー屋さん。この日は一番短い距離を移動。雨の降る気配はほぼなく、この頃には天気予報のあてのならなさに気づく。梅雨の時期でもあり、雨とか雷雨が24時間・1週間連続で予想はされてはいたものの、結局晴れや曇りの場合もすごく多かった。この日以降は、レインジャケットはバイクのフレームに括り付けて、結局最後まで使わなかった。
ホテルには3時ぐらいには到着。お腹がすいて街の方まで歩いていくことに。その途上で再認識する台湾のスクーター・原付文化。これらのためのインフラがあるからこそ、自転車ロードの整備がさほど無理なくできるんだろうなと思った。車とは別の自転車専用レーンがほぼずっとあるから、危険性をほとんど感じずに走行できる。サイクリストにとっては最高な環境でしょう。"環島"の標識や、所々ブルーの線がひかれていて、道しるべとしてもかなり助かる。その反面、台湾は歩行者にはそこまで優しくない気がした。歩道がなかったり、物で塞がってたりという感じで、歩くのには向いてないように思った。
嘉義の街の中心に移動して、現金をおろして(鹿港ではカードがあまり使えなかったから…)、あとは、焼肉丼大盛り定食をぺろり。この旅中、カロリーの高いものをいっぱい飲み食いしてた。と同時に、清涼飲料水からの糖分の摂りすぎも若干気になって、途中麦茶に切り替えたりもしてた。ジェル類は一日に一つか二つの消費量。
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4・5日目 (嘉義から高雄 + 休息日) 123km
台湾西側は平地の中の街や田園地帯を抜けたり、大きな川をこえたり、日本と同じアジアモンスーンの風景が展開されていく。シンガポールにいると分からない、農のある風景;特に稲のある風景というのは日本人の心象風景として心地よい。6月なのに穂が大きいのは亜熱帯地域ならではの特徴だと思った。2期作なのかな。あと、南部に行けば行くほど、果物の作付けも多く、ちょうど今はマンゴーの季節だった。ランチスポットでうまく止まれず、台南新幹線駅までいっきに行く。駅ビルの中に一風堂を見つけ、つい入ってしまった。自転車持ち込みは難しいかな、と思いきやちゃんと預かってくれた。
その後も新幹線と並走しながら、高雄に近づく。晴れた土曜の午後は交通量が多く、市内はやはりちょっと怖い。高雄中央公園の近くの宿で2泊。さすがに休憩日を設けたのは正解だった。足を休めたり、服を洗ったり、バイクメンテしたり、公園でボケーっとしたりする時間は必要だった。翌日曜日は港近くで、ドラゴンボートでのレースを見たり、あと港湾部の再開発地域を見て回っていた。古い倉庫群跡地をカフェやショップにリノベーションしているエリアは特に面白い。建築デザインも多様。大きな再開発エリアを巡るのにも、いろいろなモビリティがあるのも今風でとても参考になった。
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6日目 (高雄から車城) 88km
朝は高雄にちょうど帰省中の元同僚と会って、朝食を一緒にした。一緒に写真を撮ると自分の日焼けが突出する。曇りや雨の日でも日焼け止めが大事なことを思い知る。ソロライドの中において���久々に長々と話ができたのは良かった笑。それにローカルの人が食べそうなものを大量に注文してくれて、しかも奢ってくれたからもう感謝しかない。スタートが10時過ぎ、ということで、ランチをスキップ。真っ直ぐで平な道をひたすら南下。走りやすいところはDHポジションで自転車をこいでた。断然楽。やはりトライバイクの強みはそこなんだけれども、でも出番は正直あまり無かった。今旅もロードバイクやグラベルバイクを勧められたけど、実際トライバイクでも全く問題なかった。ただ、トライアスロンバイクを旅仕様に使ったのは、むしろ罰当たりな感じがした。唯一良かったことは、池上という東部の街で突然少年が話しかけてくれて、「僕もトライアスロンやってます。同じスポーツをやる者同士、応援してます」、と言って、お菓子を1袋くれたこと。些細なことだけど、そんなことが一生の思い出になった。
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車城まで来ると、山と海に囲まれたのどかな田舎、という感じが強くなって、宿もかなり広い。部屋の目の前には畑と山。何人か同じくサイクリストを見かけたのはこの辺りが多かったと思う。最南端まで行くルートもあるのだけど、僕は公式ルートを選択したことで、若干のショートカット。翌朝のヒルクライムに備えて、その晩はガッツリ羊鍋を食べて就寝。
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7日目 (車城から台東) 117km
この日は序盤にヒルクライムがあってからの東海岸沿い(太平洋側)を北上するルート。”来てよかった”、と初めて思ったのはこの辺かもしれない。ここでしか味わえない景色を堪能できたから。
ヒルクライムは500mぐらいのアップのようで、実はそれがどれほどのものなのか想像ができず、当初はかなりびくびくしてた。雨もパラパラと降る中だったから、かなり慎重で遅い登りだったけど、そこまで大変なものじゃなかった。むしろそのあとの長い下り坂が天国に感じられて、幅広な道路を一人占めしながら風をきって下れたことが最高だった。山エリアを抜けると、海岸沿いの道をずんずん北上。海を右手に、山を左手に見ながら、最高の景色を楽しむ。太平洋側は向かい風がきつい、という事前情報もあったけれど、そんなことはなかった。一部エリアで、進む道の先に、海と空が繋がってるように錯覚できる場所があって、まさに空に登っているような感覚をあじわえた。だけど、風をきって気持ちよく走っていた矢先に石(か何か)を後輪が踏んずけてしまい、大きな鈍い音がする。マーフィーの法則、じゃないけど、気分の良いときに限って、そういうアンラッキーなことが起きる。その直後は大丈夫そうだったけど、台東に着いて調べたら、やはりタイヤに穴が空いていた。シーラントのおかげで、全部の空気が抜けるところまでいかなかったよう。台東のホテルでは持っていた最後のスペアチューブを入れて修復。その後、ジャイアントのお店にタイヤを持って行って空気を満杯に入れる。空気入れは結局、台中、高雄、台東の3箇所で借りて補充したことになる。ジャイアントのお店を多用したけれど、どこもみんな親切。お昼は原住民の人たちが住んでいる地域のおしゃれなカフェで食べて(双亭院)、ホテルは台東の旧駅舎の目の前で、アートによる再開発エリア内だった。ここのホテルが唯一部屋に自転車を持ち込んでいいところで、ちょうどタイヤの修理をする必要があったから本当に助かった。
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8日目 (台東から瑞穂) 100km
この日も快晴の中、景色を楽しむ最高のライドができた。米どころ、の池上ではご当地の池上弁当を食べて、のどかな田園地帯をゆっくり北上していく。夜は瑞穂という温泉街で、少し奮発して高い宿に泊まる。プライベート露天風呂で足の疲れを癒す。
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9日目 (瑞穂から礁渓) 87km
瑞穂の宿で朝食をとってからさらに北の花蓮駅まで急ぐことに。というのも花蓮と宜蘭の間は、急峻で道路も狭く、トラックも多い、ということで公式ルートでも列車での輪行を勧めている区間。そのため、1時間に1本弱、という自転車をそのまま乗せられる列車に乗るために、ひとまず駅に向かう。この地域を襲った地震が起きてから1か月半ぐらいの時期だったけど、その爪痕を感じさせないくらいに日常を取り戻している印象。駅で1時間ぐらい待つ間にお弁当を食べて、その後、スムーズに乗車。僕以外にも数人自転車を載せている人たちがいたけど、みんな結構適当な感じで乗せてた。1時間ぐらいの乗車区間だったけど、窓からの景色は絶景だった。僕は羅東という駅で降りて、そこから礁渓という温泉町まで20kmぐらいさらに自転車で進むことに。山の近くの活気ある観光地、という印象かな。おしゃれな宿に泊まって、2日連続でプライベート温泉を楽しむ。ローシーズンということもあって、お客さんの数はまばら。でも質はすごく高いし、値段もそこまで高くない。
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10日目 (礁渓から台北) 100km
ようやく最終日。この日まで無事に走行できたことに感謝。朝、礁渓の街をぶらぶらして、蘭陽博物館に立ち寄ってからのライドスタート。強いて言えば、この日はわりかし辛かった。トラックがとにかく多く通る海岸線の道はものすごく走りづらかったし、1時間ぐらいは雨に降られたこと、それから、台北近くのルートは自転車レーンがなかったり、交通量がとにかく多かったり、ルートが紛らわしかったりと、イライラすることが非常に多かった。疲れと焦りとゴールへの期待が全部混ざって、複雑な気分だった。それに2ヶ所トンネルを通るところがあったけど、(事前情報とは異なって)普通に車道の脇を走らされて、結構怖い思いもした。それでも、台北に近づくにつれて、旅の終わりに向けた高揚感が高まってきて、松山駅に着く頃はかなりの喜びだった。本来は0kmのモニュメントは出発時に立ち寄るべきなんだけど笑。その後、Brother Hotelに向かって3駅分、大通りをさらに進むことに。ホテルに着いた時もかなり感動した。行きはホテルを西に向かったのに、今回は東からたどり着いたわけだから。とにかく10日は長かったー。でも無事に帰ってこれたことが素直に嬉しかった。その日は、友人の友人の旦那さん、という方がご飯をご馳走してくれて、なおかつ車で市内をプチ観光案内してくれた。感謝。翌日はホテルの一角を借りてバイクパッキングをして、その翌日の早朝にシンガポールへの飛行機に乗ったとさ。
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まとめ
たぶん台湾1周サイクリングは誰でもできると思う。(ある程度普段からサイクリングしている人は)体力的な心配はそこまでない気がした。走りやすいし、コンビニもたくさんある。むしろ、それだけの時間を確保できて、なおかつ、その時間をこういう体験に費やしたいか、の問題な気がする。事前にこのアイディアを思いついたときに、面白そう、と思ってしまったことがそもそもの発端で、取り憑かれたら最後、やるしかない。これをフィーチャーしたYouTuberさんの動画に触発された部分も大きい。以下2つ、すごく参考にした情報元を載せておく。
https://www.bikeexpress.com.tw/ja/2024/the-classic-9-day-cycling-around-taiwan-along-cycling-route-no-1-or-alternative-routes-jp/
https://discover-ride.com/taiwan1000km/
プラクティカルなことを言えば、僕の場合、荷物を長期間預かってくれるホテルを探すこと、サイクリストにフレンドリーなホテルを探すことが当初心配だった。今回の旅の経験からいえば、1泊1万円ぐらい(あるいはそれ以上)のところはかなりその辺の融通がきいたように思う。一般化はできないけど。一応、予約の際に、その旨を伝えておいた。全般的にホテルスタッフは優しくて、サービスも良かった。予約に失敗して、Refundできないだろうなー、という場合でも優しく対応してくれた。あとは、空気入れをどうするか問題に関しても、立ち寄った町の自転車屋さんで借りれば、問題なく走れる。
あと細かいことでいえば、中国語が少し話せたなら、もう少し楽しかったのかもしれない。英語と日本語が思いのほか通じず、例えば、同じサイクリストに話しかけられても、全く会話ができなかったり、おすすめの料理が分からなかったり、という場面も結構あった。次にまた台湾へ行く楽しみを取っておくことが出来た、と思えばいいのかなと。
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2024.3.7thu_kanagawa
日記書くの小学校の夏休みの宿題ぶりかもなーとか思いながら、2024/3/7の記憶を掘り起こしている。
昼頃目が覚める。 最近進行中の仕事を午前中に進めているはずだったのに。予定狂った。といつもと同じことを布団の中で考えながら起床。 昨日の卒業祝賀会から終電で帰り、夜遅いのに最寄りのコンビニでカレーうどんとか食ったりするから睡眠の質が悪いんだろうか。良い感じに酔った後はついついカップ麺食べたくなっちゃう。美味くて。
祝賀会でコートを忘れた人が一人。明らかに女性ものなのに幹事だから自分が持ち帰る羽目に。 帰宅中幹事のグループLINEでコート忘れた誰か知らない?の連絡。あんたかい。 翌日の打ち上げ前に学校寄ろうと思ってたから置いてくる旨を伝えると取りに行く、と。寒いもんね。昨日よく気付かず帰ったね。
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16時半に行く予定と伝えておきながら結局16:50着になりました。すいません、と謝るのもなんだかなーとか思いながら、結局打ち上げ会場に近い下北まで取りに来てもらうことに。こういう図々しさは大事にしていきたい。
17時半打ち上げ開始のところ、仕事の話するから17時に集合って話どうなったんだっけ、間に合わないなこれ、無しであってくれ、と願いながら代田まで一駅電車に乗って会場へ向かう。酒飲むと細かい記憶が曖昧になるのなんとかならないんですかね。聞き直せばいいだけなんだけども。
17:15頃到着。17時集合の話は無しになってたっぽい空気を感じ取り、賭けに勝ったなとか思いながらも、髙谷さんとよっしーさんしか来てなかったので仕事の話に。 集合時間を過ぎてからぽつぽつとクラスメイトが到着する。良いことではないからこそ、遅刻する人たちに囲まれてると安心感がある。社会人経験あるくせに、なぜか一向に時間の管理が上手くならないことについてはもう半分、いや八割くらいそういうもんだと諦めている。
人が集まってきて、買い出し行ったりしてから一旦乾杯。2階のソファの沈み込み具合に驚き思わず声が出る。みんなそうなるらしい。 よっしーさんが硴(かき)プレートを出してくれた。アリクに行ってから硴の美味しさに気づいたのはお世辞でもなんでもなく事実。この日の料理も美味かった〜。
一月末、BONUS TRACKで開催したアリク祭に遊び来てくれた友達が、その日の終わりに「飲みきれなかったから」とプレゼントしてくれたクラフトビールを開ける。 その時期は他の最終課題もあり、寝不足が続き疲れまくっていて、イベント当日はあまり正常な判断ができてなかったなーと思う。イベント終わりの講評でコメントするときなんか泣いちゃったし(28歳・男性)。まあ(47歳・教員)も泣いてたけど。 あれだけ時間と労力をかけてきたことも、終われば一瞬なのはこの世のバグっぽさありますよね。なんとかまとめようと思ってたから無事(?)終わってほんとによかった。こうして打ち上げもできてる。
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宴が進み、クラスメイトも集まったところで2階に全員集合。よっしーさんと髙谷さんがイベントの総括とアリクの今後の話をした。きれいな着地すぎて、新店舗予定地も見てるのにまだあまり現実味はない。すごいなーというふわっとした感想が雲のように頭の中を占めている。
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その後はクラスメイトの上司のデザイナーさんも遊びに来て、焼き上がった髙谷肉(美味い)を食べたり色んな人と話したりした。よっしーさんがあんなに酔ってるの初めて見た。 そんな中、前期のパッケージの制作で使った一合瓶の日本酒を持ってきていたことを思い出し、近くにいた人たちと飲むことに。やっすい居酒屋で出される日本酒の味がした。申し訳ないので自分が引き取り、終わりの時間も近いので全部飲んだ。
↓ここから記憶が曖昧に
解散しつつ自分含め5人で下北まで歩く。よく行く居酒屋に入り、席に着いたところらへんからやばそうだな、と思いトイレに。その後コンビニでポカリを買って道端にしゃがみ込む。吐く。(すいません) 雨が降ってて寒い。 小松ちゃんから電話があり、店に戻る。 顔面蒼白じゃん!と髙谷さんに言われる。 そのまま解散の流れになり、自分は終電も(金も)ないからネカフェに泊まると言って店を出る。 そういえば明大前に友達住んでるわ、と思い、ダメ元で電話する。 OKが出たので急ぎ目で向かう。 詳細は省くが転倒。右手の小指球、左手の甲と指、顎を擦りむき血だらけに。 Googleマップを見ながらのはずがなぜか全然着かない。(あとから調べたら若林らへんにいた。) タクシーに乗って明大前まで行く。(1,800円) スマホの充電が残り1%のところで無事友達の家に着く。 シャワーを浴びながら風呂場で1時間寝る。(友達談) 布団に血をつけないように気をつけながら変な体勢で眠りにつく。
以上が自分の人生の中でも5本の指に入る酒の失敗をした日のこと。28歳にもなって恥ずかしいけど、自戒の意を込めて晒します。不味い日本酒は飲んじゃいかん。 酔ってる中、翌日のデザイン提出日をリスケしてもらえててよかったね(その記憶も曖昧)。
-プロフィール- 丸山廉太郎 28歳 神奈川 グラフィックデザイナー / 学生(卒業) デザイン学校の夜間部をこの春卒業。ニートになってしまう恐怖と日々戦っている。 @maruyama_re
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picnicism · 1 year ago
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 年初来、能登半島を襲った大地震で身の回りも騒がしくしております。被災された方々や亡くなられた方、ご遺族の皆さまには深くご同情申し上げます。  また、激甚災害への対応につき、救難や復興に努力されている政府関係者や公務員の皆さま、消防・警察・自衛隊や海保の皆さま、道路や電気関係、通信関係など民間事業者の皆さまにも深く御礼申し上げます。  私の関係する大学や施設が甲信越に集中していることから、年始早々から慌ただしく私もあれこれ対応しておりました。通学していた大学生が帰省中に被災し残念なことになってしまったのはさすがにショックで、居ても立っても居られない学友の皆さんが大学の手配で現地の復興ボランティアに登録することになったのは、凄惨な災害に対する人々の心のつながりが再確認できたところではあります。  現在、被災地各地ではボランティアの募集をしている自治体もありますが、ボランティアなどが現地入りして問題ない状況であるかは受け入れ先の自治体によって状況が異なりますので、検討されている方はまず自治体サイトなどでチェックしてみていただければと存じます。  で、今回能登地震といっても被災地の「石川県」は能登と加賀では状況が異なり、金沢では震源地よりやや遠く普段通りの生活となっている一方、逆に震源地に近い富山県氷見市などでは一部の生活インフラに影響が出たと見られます。  経済的な復興支援をお考えであれば、被害はなかったけど客足の途絶えた石川県の金沢周辺や富山県、福井県あたりを訪れて飲めや歌えとおカネを落とすのが最適ではないかなと思いますのでご一考ください。 過酷な状況に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子たち 「まずはできることから」ということで、大学や関係先に集まってきたボランティア希望者のうち40名ほどが避難所での物資輸送や割れた道路にはみ出たがれき撤去などの作業をするというので送り出したのですが…現地に行って、数日ほどで過酷な現状に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子が複数出ております。  この記事を書いている間にも、メンタルやられ気味の子からのSOSが舞い込んできたので「世話になったお礼だけ頭下げてしてきて、すぐ帰っておいで」と促したりしております。  送り出した側からすれば「え、もう帰ってくるの」と言いたくなるところではありますが、オンラインとはいえ窓口をしている私としては彼らが直面した被災地の状況に思いを致すと「確かに非日常すぎて、単に善意で現地に行ってもなかなか大変なんだろうな」と思う部分はあります。  ボランティアとして入れる避難所は割と震源地より遠く、道路も復旧して二次避難も要らない(かもしれない)という状況だったようなのですが、その避難状況というのは声もかけられないぐらい悲惨で、職員も被災者も疲労困憊の状態のため口数も少なく、報告を聞く限りでは、ボランティアの若い人に対して「動きが遅い」とか「こんなこともできないのか」などと非常に攻撃的な口調で命令されたり批難されたりされるケースもあったようです。  人間、長く生きていても想定外に辛いことが起きるとギスギスしてしまうことは往々にしてあり、ましてや突然の被災で住み慣れた我が家を追われて不自由な避難所生活を送ったり、身近な家族・親族の不幸もあって心に傷を抱いたりしながら、はっきりしない未来に不安を抱いて暮らしている人たちのことを考えれば、恨み言のひとつも言いたくなって当然です。  福島で復興庁の作業も多少は経験している私からすれば、そういう彼らの「ボランティアで行ったのに召使のように使われた」というのは定番の愚痴ですが、それを乗り越えて被災した人たちや、日々現地で奔走する地方公務員の皆さんに寄り添えるかどうかはかなり人格の深さを持った子か、黙々と物事に取り組めるタイプの子しか順応できないように思います。 後悔ばかり抱いて何とか戻ってきた  また、状況が分からず所属したNPO団体の仕立てたワゴン車に乗ったまま能登半島奥地まで行ってしまった子が精神的にも肉体的にも大変衰弱した状態で帰ってきていました。  さながら現地は戦場みたいなもので、被災者を差し置いて勝手に水洗トイレを使うことはできないが軽装備でNPO団体が現地入りしたため手持ちのトイレットペーパーもすぐに底をついただけでなく、食糧も水も不足しているばかりか帰りのガソリンも心許ない状況だったことで、何のために現地に行ったのかという疑問と調べず安易に来るんじゃなかったという後悔ばかりを抱いて何とか戻ってきたとのことでした。  さらに、野外活動中に割と強めの冷たい雨が降ったことで、これはもう居られない、助けに来たのに自分がどうにかなってしまいそうだと感じたそうです。  人生、勉強の連続であります。  そういう非常時もあるのだといういい経験をしたのだと声を掛けてあげたいけど、人間、若くても数日飯が喰えず先が見えない環境に放り込まれると途端に衰弱してしまうのだ、というのは大事な知見だろうと思うのです。とはいえ、いい経験したじゃないかと肩を叩いて激励できるような状況に戻るまでどのくらいかかるのかよく分かりません。  通信が回復した被災地の避難所からは、一日何回か、まだ現地で頑張っている子たちから連絡を頂戴します。現地で盗難があるという噂でピリピリする中で変な疑いをかけられそうになって参ったとか、普段運動していなかったので被災地では朝から晩まで荷物を運ぶことになり身体が辛いとか、そういう話はたくさん来ます。  何事もない日常が、こんなにありがたいものなのだと思えたというのは共通した意見で、靴底の薄いスニーカーを履いて現地に行った子が倒壊した家屋のがれきに刺さっていた釘を踏み抜いてしまい帰ってきたのを見ると、学びというのはそういうところにあるのだと思わずにはいられません。  地方の大学は特に、地方公務員を目指す子たちが一定数いることもあって、公的な仕事で頑張るに当たって、こういう天災が起きたときに率先して住民のために働く使命を負っていることを体験できるのは大事なことだろうと思います。他方で、普段見ていて人格円満で、褒められて育った自信満々の子たちが、現地入りした割と早期からストレスを溜めた被災地の皆さんとのコミュニケーションに行き詰まり、帰ってきてしまう現象が今回特に多いような気がしています。 同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられない  落ち着いたところで全員に話を聞きたいところなのですが、少し話を聞いた限りでは、やはり大変な経験をされた被災地の人たちへの同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられるだけの覚悟や準備ができていなかった、ということのようです。 キラキラした瞳で「被災地を助けたい」と両手に同情と善意とを抱えて悲惨な現地に行った若者が、理不尽で不合理な現実に打ちのめされて死んだ魚の目になって帰ってくるわけですよ。  そもそも天災なんてものは理不尽の塊で、その理不尽な事態で苦労している人たちは疲れ切っており、剥き出しの人格がストレスで表出してしまうのは仕方のないことなのです。  そして、いまの若い人たちの普段の家庭や学生生活において、存在自体をいきなり否定されたり、身に覚えのないことで叱責されたり、本人なりに頑張っているのに感謝されないどころかまったく認めてもらえず、新たなしんどいタスクをどんどん要求されたりするような過酷な状況は昨今そこまでないんじゃないかと思うんですよね。  意味のない変な校則に縛られたり、不思議な教師からブチ切れられる程度の経験しかないと、なかなかこの辺の理不尽を捌くコントロールはむつかしいのかなあとも感じます。  何かしてあげて、素直に「ありがとう」と返してくれる人が少数であったとしても、あるいは、挨拶をしても無視してくる人たちが仮に過半だったとしても、気持ちの続く限り何かをしてあげ続けなければならないし、皆さんに挨拶やお声がけを繰り返す必要があります。  かといって、女の子が現地入りして気さくに対応していたら性被害を受けかねない状況になったという話もある以上、なるだけ妙齢の女性は単独で現地入りしないことはやっぱりマストなのかなと思ったりもします。ジェンダー問題というのはある程度状況が落ち着いている環境でしか成立しない面もあるのかなと強く感じるところです。  被災した人たちに対して必要なことは圧倒的な物資とそれに伴う安心感に尽きるのかなあと思うところがあって、あなた方の生活は当面大丈夫ですよと一刻も早く言ってあげられる状況にすることが政治に期待されることなのでしょう。 被災した方々の生活をどこまで復興させるか  他方で、災害復興に関しては東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故の影響で15兆円以上の国富が復興庁などを通じて被災地に注ぎ込まれ、また、熊本地震や北海道胆振東部地震でも激甚災害の指定と共に被災した人たちの生活をどこまで復興させるのかという議論が繰り返し行われてきました。  おそらく、今回被災した奥能登の集落などは高齢者の極めて多い人口構成から、復興で「元の生活に戻す」選択は政策的に採用し得ないことも踏まえて地域や住む人たちにとって何が最善かは考えていく必要があります。  元旦の災害対応としては総理の岸田文雄さんの対応はほぼ完璧だった一方で、限られたリソースの中で、どこまで現地に寄り添って能登半島の復興に力を注ぐべきなのかという程度問題について、きちんと議論していかないとなあと感じる次第です。  …と、ここまで書いたところで、学校でボランティア部なるものに入っている長男が被災地に行くかどうか悩んでいたので、いやせめてちゃんと大学入って超身体鍛えてからにしろよと、親として思いました。
褒められて育った子が災害ボランティアをすぐにやめる理由…綺麗事ではない理不尽な世界を生き抜く知恵の不足 | 文春オンライン
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namanikki · 2 years ago
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ろんぶり
2023/5/4~5/8の3泊5日ででロンドンとブリュッセルに行った記録。マジで弾丸。関東に住んでる妹とふたり。
2023/5/3 蒲田に前乗り
新大阪から東京へ新幹線。一番前のちょっとだけ足元広い席が取れたのでスーツケース置けたけどこれ以上乗車時間長いと足伸ばせなくてしんどいわ。上に乗せるパワーはないし。あと東京駅バカ混みのタイミングでした。私は全然GW初日じゃなかったので考えてなかった。
京急で羽田にサッといけるので蒲田にホテルとりました。JR寄りより京急寄りのほうがいいんだね。
蒲田はファストフードと飲み屋の街。近寄りたくはないけどファーストキッチン美味しかった。ファッキンないんだもん。
セミダブルの部屋、クソ狭かった。史上最狭だった。枕低くて持参したタオル引いて寝た。持参のタオル使ったのここだけ。
2023/5/4 ロンドンへ高飛び
朝っぱらから京急乗って羽田第3ターミナルへ。モバイルwifiを二個とポケトークを一個借りました。出国はさっくりいけました。オンラインチェックインもしてたしコンビニで搭乗券も出してた。24時間前からしか無料で出来ないから帰りの搭乗券はまた今度にした。
空港内で両替。持ち物検査前にもおっきなカウンターあるけど私は検査全部済んでからにした。トラべレックスはインターネットに聞いてた通りレート高いのでおすすめしない。やっぱみずほ銀行よ。地図右側はATMだけだしポンドがでない。左側の有人カウンターでユーロとポンド、1万円ずつした。しかし最低が10£10€。
飛行機14時間、3列×3のど真ん中の席。全然揺れなかったのは席か天候か。行きはご飯の説明が日本語であったので食べたいもの食べれたけど、飲み物は何か飲み物いりますか、しかきかれなくて選択肢謎で水飲んでた。水、ビール、コーヒー、紅茶、コーラ、オレンジ/りんご/クランベリージュース、などなど。出発30分でPENNSTATEのプレッツェル、サワークリームとChive味。1時間半で機内食。そのあとスヤピー、3時間前くらいにもっかいお菓子出てきたかも。1時間半前に2回め機内食。イヤホン刺さるとこどこかわからなくてスマホに落としてたインセプション観て美少年ネス読んでた。隣の人が左利きで永遠に肘ぶつかってた。あとノートパソコン落とした男の人に大丈夫!?て声かけた数分後連絡先交換しててひっくり返った。
あのパスポートの写真のページ伏せておく機械全然反応しないんだけど!後述のユーロスターでも反応しなかった。してくれないと口頭弁論になるから困る。でもひっかかった妹は無言で顔と写真のページ見比べられてニコってされて終わったらしい。
15時半くらいには飛行機降りた気がするけどなんだかんだして、メトロ乗ったのが18時前だと思う。空港とメトロのつなぎめらへんに自販機があるのでオイスターカードを買った。25£入れたかったのに20£の次が30£だったから30にした。ダダあまりした。バス乗りたかったのに乗らなかったせい。ていうかなんかスマホアプリあるらしいじゃん……?あとメトロに降りるエレベーター、上下ボタンの反応がなくて、呼べてるのかどうなのかわからなくていきなり海外の洗礼を食らった気がした。
ピカデリーライン乗ってどんぶら。繁華街は地下だったからわからないけど田舎の方は地上だった。あの煙突いっぱいのお家がいっぱいたっててびっくりした。ラッセルスクエアで降りる。この駅なんとエスカレーターがない。絶対に階段を使ってはいけない!ノー荷物でも死ぬレベルの長さの階段が待ってる。エレベーターでかいのが3機あったと思うから絶対乗った方がいい。グーグルマップの口コミでもそう言われてる。
音楽につられてホテルと逆方向に歩いたりしつつプレジデントホテル着。受付のお兄さんいいひとだった。チェックインさっくりして部屋の前で撮った写真が18:30。クローゼット汗臭かったらしいけどあとなんも文句なかった。
だらだらしてから歩いてホルボーンへ。一日目の晩御飯はマクドナルドと決めてたので。注文全部機械なんだねえ!適当に詰められた紙袋をポイと渡された。ヨーロッパに手提げ袋とかない。
ホルボーンのSainsbury's Localで水買って帰る。多分全部軟水。spring waterを選んでおけば多分いける。ここだったか忘れたけど袋の購入をキャンセルしたいのに自力じゃ出来なくて、店員のおばちゃん呼んだ。ピッてしてなんか秘密コマンド入力してもらわないとキャンセルできない仕様だった。私はあきらめて0.3£払おうって言ったよ。おばちゃん自由だった。海外の店員さんて皆こんな自由なんだな。
あと風呂入って寝た。妹が風呂場水浸しにしてて笑ったけどホテル慣れしてる人がなぜ?もしかしたらどっか壊れてたのかも。2,3日目なんともなかったから濡れ衣かも。結構風呂釜が深くて何処も持たず跨ぐと滑って危なかった。妹は結構な痣作ってた。海外のホテルなのかこのホテルなのかわかんないけど枕が3つもあった。結構しっかりした枕。歓喜。
2023/5/5 ブリュッセル日帰り
なんで昨日ロンドンついたところでいきなりブリュッセル行くの、しかも3泊しかないのに、と思うかもしれませんけど、ユーロスター乗車実績を解除しないといけなかったんですよね。8:16くらいの電車に乗るために7時にはセント・パンクラス駅へ。スーツケースもないし徒歩圏内。
改札前で紙の王冠を配ってた、戴冠式記念。いや今いらんのよ、帰りほしいのよ。帰りは配ってませんでした。6日も行った先では配ってませんでした。かなしい
空港と同じような出国検査。でもこっちは飲食物持ち込みok。一応入った先でサンドイッチ買った。コーヒー一緒にどう?て絶対聞かれるけどNoていってごめん。
念願のユーロスター。行きは進行方向むきの座席だった。一番安い席だからか博打っぽくて、帰りは逆向きだった。机のある席に当たる可能性もあるのかなあ。多分一番安いとこは全部2列シート。ど田舎とトンネルを走る。フリーWi-Fiは激弱。車内販売車両があるけど行かなかった。Brussel-Zuid/Midi(ブリュッセル南)駅到着。
歩くつもりだったけど嫌だって言うからBruxelles-Central(ブリュッセル中央)駅まで電車。日本語インターネット曰くユーロスターの乗車券あればここまで無料でいけるらしいのでチャレンジした。なんとブリュッセルの駅、改札がない……!地下鉄じゃなくて地上のやつ。Luxembourg行きに乗ったけど全部Bruxelles-Central駅には止まるっぽい。ユーロスター降りる時前の人がドア開けるボタン押してたけど、この駅でも若い男性が押してた。でもこの人はアナウンスしてたから多分乗務員さんとかそんなん。あまりに服装がラフでわからん。普通に乗ってたらこの人が車内切符チェックに回ってくるのかなあ。
Bruxelles-Central駅の中で私が行ったトイレは人にお金払う方式だからお釣りが出るよ!それはそうと近くにあったRelayてコンビニみたいなやつ…ベルギーのチェーン店なのかな?に行ってお金崩すためにNutellaのチョコはさみクッキー3枚入りを買った。ヨーロッパと日本で売ってるNutella違うらしくて気になってたので、偶然でお菓子だけど味わえてよかった。違いわからんかったけど美味しかったよ。1枚だけで満足する重さ。後で駅構内に宣伝がいっぱいあったLionてチョコバーも買ってる。これネチョネチョのチョコのやつ。
改札がないない言いながら地上に出たら芸術の丘についた。予習したところだ!ベンチが空いてたのでお花を見ながらお菓子を食べて今後の計画を練る(ここで?)。とりあえず午前のうちにジュドバル広場に行くことに。歩いた。南駅の近くなのにどうして電車に乗ったかというと、南駅あたりは治安が悪いというので…明るいから大丈夫だって、と思ったけど……
ジュドバル広場で写真とか撮るの忘れたんだよね。服、骨董品中心。値段書いてないし今から観光だしで何も買わず雰囲気楽しんで一周して元の道戻った笑
中央駅でまたトイレ行って、グランプラスを目指すことに。あんま地図見ながら歩いてないからうろうろうろ、なんかいつのまにか行きたかったギャルリ・サンテュベールにもついてたし(まさかそうと思わなくて綺麗だな~と思いながら素通りした、雨もドバドバ降ってたのに)
ベルギーワッフルを食べに来たので適当に呼ばれたとこに入る。Aux Gaufres De Bruxellesていう、テイクアウトもあるしそこで食べることも出来るとこ。これひろしが旅番組で行ってたとこ、多分。外の机で食べた。店員さん親しげで英語で色々話しかけてくれたり日本人?英語のメニューで良い?とか言ってくれるんだけどごめんわからん;; メニューの裏表紙にあったワッフル+トッピングセットを頼む。ここブリュッセル式もリエージュ式も両方ある。トッピング鬼のように高い。二人で33€とか払った。セットいくらかわからんかったからぼったくられてる可能性もあるんだけど、まあいいかって。店員さんはいい人そうで、道側に無防備にカバン置いてる人とかに注意してたりとかした。結構道端ギヴミーマネーの人とかうろうろしてたし。食事中紙コップ差し出されたりした。サッと通り過ぎてくれるけどね。女の人とすれ違いざまにバラ1輪差し出されたのも一瞬だった。貰ってないよ。
母に頼まれてたセロリソルトをスーパーで探すんだけど、ない。スーパーもそんなないし。あまりに雨も酷いからって偶然入ったのがサン・ミッシェル大聖堂。思わぬ収穫、めっちゃ綺麗。おすすめ。建物もすごいし、ステンドグラスとか像とかもすごい。トイレはない。
教会出たら雨止んでたのでグランプラスで写真だけ撮ってまたうろうろ。芸術の丘戻ってその向こうの美術館とかエリアへ。それも超えて大きな道路のもっと東、チェーン店とか集まってるようなごちゃごちゃしたエリアへ。NEUHAUSのチョコは高いから店すら入らなくて、Leonidasで日本じゃ買わないような大きさの箱を買った。ユニクロも冷やかした、やっぱ基本レディースはお腹が出るデザインだね。そのまま東に向かってうろうろしたけど治安も悪くなってきたので引き返し、そんなこんなで帰りの電車の時間が迫ってきてたので歩いて南駅まで戻ることに。切符の買い方とかなんもわからんからね。
歩いてるうちに大きな道路沿いなのに人が全然いなくなってきて、向こうに男性ひとりなんか立ってる。あ、これ話しかけられるやつだわ、とおもったら案の定。Do you have any time?だって。初めて英語聞き取れた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!無視して早歩きしたら追いかけてこなくて助かった。感謝まである。
ドキドキしながらも無事駅着いたし時間余裕あったしで駅内のチョコまとめストアへ。CorneとNEUHAUSのちっこいチョコを買った。ここのスーパーにもセロリソルトはなかった。
トラウマ出国検査。持ち物検査は相変わらずガバなんだけどロンドン出るときより出国検査が厳しかった。行きのスタンプがないけどどうやってきたの?的なことをおばちゃんに聞かれた、アワワしてたらもう1回見返して見つけてsorryで事なきを得た。ビビるよ。そしてあのパスポート伏せておく機械に今度は私が阻まれ口頭弁論列へ。列抜かされたりしてイライラしてるところに普通に質問が来た。全然聞き取れない。スマホ出そうとしたところで別の係員さんを呼ばれて横にはけることに。おーこわ!are you no englishて聞かれたのかな?no english!!!て答えたら子供にするよりゆっくり喋ってくれた。何日いるの、イギリスからいつ帰るの、OK、航空券はある?て聞かれたのでコピーしといたeチケットが火を吹いたわ。パスポートにやっと判子押してもらえた。もう泣いた(泣いてはないけどがっつり落ち込んだしトラウマ)。
ロンドン帰ってきてスーパーで晩ごはん(サンドイッチとマカロニサラダ)買って帰る。戴冠式記念クッキー缶とかあったけど高いなーてスルーしちゃった。10£くらいだったから買えばよかったのに!!!
ホテル帰って晩ごはん食べてシャワー浴びて寝る。このマカロニサラダがクッッッッソ不味くて、マカロニってこんな不味くなるんだ、調味料を全部はねのけてるよ、ていうやつ。エビだけ美味しかった。妹なんかクタクタで電車内から半分寝てた。明日の打ち合わせは……?昨日の晩休足シートの足裏使っちゃったけど今日に置いとけばよかったなあ、と思いながら寝た。
2023/5/6 ロンドン観光
ここから2023/10/14入力。ふと思い返したくなって、でも最後まで書いた記憶が全然なくて、恐る恐る見てみたらまるっと1日分まだだった。明日より今日の方が覚えてるので頑張って書く…自分のために……
この日は1日ロンドンぐーるぐるの予定だったんだけど、なんとチャールズ3世の戴冠式なので、折角だからパレードを見に行くことに。隙間からチラッと見えるとか何かしらの音聞こえるとかないかなって一縷の望みをね。折角なんだからさあ。
朝から戴冠式関連のテレビをながら見して、昨日も来たKing's Cross駅からNorthern lineでLondon Bridge駅。9時にBorough Market。店開いてないし人もパラパラ。散々写真は見てきたけど、こんな空いてるのはなかったよ。ベーグル食べてフルーツジュース飲んでセロリソルトを買って2周くらいしておしまい。ここまで来たならなんでついでにロンドン橋を見なかったんだろう?今地図見たらすぐそこじゃん。駅名がそうじゃん。サザーク大聖堂もあるじゃん。泣いてる。
London Bridge駅からJubilee lineでGreen Park駅へ。乗る人みんな戴冠式仕様。浮かれポンチてこと。紙の王冠かぶってたりユニオンジャック身につけてたりさ。いいなああれって思いながら見てたよ。Green Park駅は出場規制がされてた。とりあえずトイレ、ここ1ポンドだったかなあ。無いしBruxelles-Central駅みたいに人がいるタイプじゃないので(あれがかなりレアなんだろうね)余分に払う羽目に。欧米人もトイレお金いるの!?て慌てたり入場のバーをガンガンしたりしてた。これオーソドックスじゃないの?
頑張って出たらそこそこガッツリ雨。人の流れに沿って、ていうか規制されてるからその通りに歩く。子供以外全員デカいし傘さしてるしデカいユニオンジャック帽被ってるし国旗刺さってるし。戴冠式仕様の偽札(ていうかなんていうか)とかチープな旗とかfree~ていいながら配ってる人結構いたけどどういう文化?貰ってないよ。結局途中で引き返したの。
まさしくここ。向こうに木が見えるしなんか謎の歓声が上がってたから期待度も上がってたんだけど…絶対なんもなかったよね。進めないから傘畳んで向かい来る人々に反抗するしかなかった。流れに沿って歩いてただけだしスマホとか取り出す勇気なしで自分たちが何処にいたのかその時分からなかったんだけど、GPSによると駅から北西にいたみたい。これパレードのルート。あのとき一緒に歩いた皆さんは何処にたどり着いたのかしら。
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そのまま駅には戻らずBerkeley Square方面へ、Oxford Circus駅に向かって…こっからの足取りがわからん。
多分Bakerloo lineに乗って行きたかったPiccadilly Circus駅で降りてる。1駅。オイスターカードがあるんじゃあ。あのSHERLOCKのOPでもみた有名なとこ!噴水!ワー!人多すぎ!北東への道路を適当に歩く。タッパも声もみんなでかいし酔っ払ってるんか?傘さしてるし妹ビビってるし、大きめの道入ってすぐ出た笑 中華街とは逆の方。
Palace Theatreでハリー・ポッターと呪いの子やってるー!て写真撮って、南下してLeicester Square駅へ。それまでは高級そうな店とかならんでたのに、なんか急にこの辺汚かったな。
これもNorthern line?で1駅、Tottenham Court Road駅へ。改札の外でお昼に軽くと思ってまたサンドイッチ買って、歩いて大英博物館の場所を確認しながらホテルに帰る。一風堂とかあった。
ホテルの部屋で戴冠式の中継観ながらサンドイッチ食べて、適当なところで大英博物館へ。Coco Fresh Tea & Juiceで崩壊3rdのコラボやってた。知らないから入ってない。
13時に入場予約してたんだったかなあ。コロナあったから一応予約システムみたいなんが出来てたから日本で予めしといた。入場にはめっちゃ簡単な手荷物検査があった。カバン開けて列に並んでね、みたいな。チラ見で通れた。昨日のトラウマがあるからビビってたよ。予約の確認はされなかった。
わかってはいたけど、やっぱり回りきれなかった。すごい雑に歩いて、地図の1階の左の方。古代エジプト・ギリシャ・ローマを見ただけ。
帰って会社のお姉様(61)に何見たの、て聞かれたから肩に穴あけられた像みました!て答えたらええ…?て言われた。その30分後くらいに答え合わせされてワロタ、検索させてごめーん、ラムセス2世の胸像です。
15時からThe Great Court Restaurantでアフタヌーンティーの予約してたので行く。なにげに初めてちゃんと店に入ってご飯を食べるのである。なんて言ったんだろう、画面見せてI have a Reservationとか言ったのかなあ。店員さんにGive me a secondて言われた。妹と二人で感動しちゃったね、ちょっとまってねの新たな言い方だ…!つって。
大英博物館のついでに入れるし、ドレスコード気にしなくていいし、他より断然安いし、でここ選んだ。質は気にしない、イギリスでよくあるアフタヌーンティーをした、という実績を解除することがまず目標なので。サンドイッチモサモサ、スコーンモサモサ、ケーキモサモサ、紅茶グビグビ、で食べきれず。美味しくないことはなかったよ。お茶何個か選択肢あったけど何選んだか忘れた。初めてのクリームティーは大満足です。なんのクリームかわかんなかったけど自分とこで作ってんのかもな。ジャムはWilkin & Sonsのチップトリーのちっこいやつ。ストロベリーだったんじゃないかね。ネットに持ち帰りの箱貰えるよって書いてたから妹がトイレ言ってる間にcan i have a box?とかなんか言った。つけ忘れたけどケツにpleaseてつけると辛うじて丁寧になるみたいですね。もう会計でいいか、みたいなことを言われたのでオケつって。妹によく一人の状況で頼んだね、て言われた。ほんとにな。店員さんの手のタトゥーが濃いめの色の肌に映える黒いやつでめっちゃかっこよかったんだわ。かっこよかったの。
出て閉館時間まで日本のところ見たりお土産屋さん見たり。日本では見ないのにね。刀だ鎧だ、着物やら古墳から出てきそうなものやらなんやら、結構ちゃんと揃ってる。英語わからんけど勉強になってしまった。流石だ。お土産屋さんの天井からぶら下がってるエジプト猫ちゃんが可愛かったのにあの絵のグッズはなかった。わかってないなあ。展示物と戴冠式記念仕様のポストカードだけ買った。
お腹いっぱいなので晩ごはんいらない、ホテルでごろごろ荷物整理したりなんだり。そういや枕元に置いといたチップのつもりの1ポンドがそのままだったんだよね、メモとかつけないと置き忘れと思われたのかしら。これはそのまま置いて帰った。
お土産買いに近所のスーパー、Waitroseへ。思ってた以上にデカかった。1時間位うろうろしてお菓子をそこそこ買った。いっぱい買ったつもりだったけど、私のいっぱいて別に普通の量なんだよな。しかもここまでもここからも何も買ってないので、いっそ少量。
帰って持って帰ったアフタヌーンティーの残りをつまんで寝る!
2023/5/7 帰宅
結局最後まで目覚めたら知らない天井だった。起きた瞬間ここ何処?てなるのよね。夢見心地か?
ホテルで最初で最後のブレックファストをいただく。イングリッシュブレックファストてやつよ。素材の味~美味しかったよ。
荷造りしてちょっと散歩。というのもオイスターカードの自販機での返金が5£まで?とかで、無駄に使っちゃおうってことで。Holborn駅まで1駅乗って歩いてホテルまで帰ったりとかした気がする。GPSに記録されて無くてわからん。
ピカデリーライン乗ってどんぶらヒースロー空港へ。行きも見た景色にさよなら。煙突が3本セットだなあ…オイスターカードの返金場所は結局わからなかった。最悪。有効期限が2年とかなんですけど、誰か近々行く予定あったらあげます。流石に2年以内には行かないと思うので。え、アプリ…?
荷物預け入れのとこで機械がエラー出て係員の人に対応を依頼しないといけなくなった。あれは空港の人だっけなあ。英語通じないし機械エラー起こして止まってるし預け入れの処理も途中だから一回処理全部消去して…てイライラされたが、しらんわw。あとは無事出国審査も済んでお土産漁りの時間。会社用のお菓子を買いましたが勿論足りなかったよん。妹はロンドン市警帽被ったアヒルとか買ってた気がする。そういう無駄なもん買わないといかんよな。チョコバーとHuelのバナナ味買ってのんびり待ち。空港アナウンスが日本語でもされている。感動。ありがとう。
座席番号がなぜだか妹と隣り合って無くて謎だったんだけど、実際隣り合ってた。確かIが飛んでたんだよね。1と紛らわしいからかなあ。帰りの機内食も2回。英語が聞き取れずなんか適当にもらったけど美味しかったです。イヤホンの差し方を覚えたので機内サービスでメン・イン・ブラックを見ていた。イヤホン何処に差したんだろ?ググったらひじ掛けの先て書いてあるわ。行きは日本から東へ、太平洋・アメリカ・カナダ・大西洋の上を14時間飛んだけど、帰りはユーラシア大陸横断13時間だった。少し前ならロシアの上を通ってたんだよなあ。
私達の使ったブリティッシュ・エアウェイズ、少し前にヒースロー空港で乗客の荷物勝手に売ってたってツイートが回ってきていて不安だったのでAirTag的なのを荷物に仕込んでいましたが、iOSの妹はちゃんとAirTag反応してたけどAndroidの私が買ったAnkerのEufyてやつは全然でしたね。荷物がベルトコンベアに流れてきてやっと日本に��ってきた。使い方も適当すぎたかも。
無事羽田についたのでwifiとポケトーク返して電車。余裕目で見ていたつもりの帰りの新幹線が結構ギリギリで焦っているのに、トイレに会社用のお菓子を忘れるという失態。妹とさよならして取りに戻ってもらった笑 無事に新幹線には間に合ったけど隣がまた英語を話す人だった。思わずexcuse meが出た。恥ずかしい。
あとはもう、帰宅して荷物とにかく出してスーツケース梱包して返却に出しておしまい。次の日から仕事だったけど時差ボケで一週間終わってた。終わってるのにお土産はない。かなり後になってからの提出になった。ワロタ
今はまた行きたいけど準備も何もかもしんどいな~て気持ち。ロンドンに居る間はあっという間で何も考えてなかったけどロンドン滞在時間が少なすぎるなとはヒシヒシ。帰宅直後は次行くなら英語勉強してからだな…だったと思う。日本でイヤホン無しで歩いてるとすれ違った人から悪口が聞こえるんだけど、ロンドンでもそれは変わらずだった。英語でなんか笑われてるんだろうな、みたいなのがストレスだった。おわり。
おみやげ
・JaffaCakes(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→おいしい!
・Leonidasのチョコ→おいしい!
・Corneのチョコ→ひとにあげちゃったけどひと粒だけ貰った、おいしかった
・NEUHAUSのチョコ→さんかく!日本で買ったら税込3000円でワロタ。いくらだったかなあ
・PickUP!(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→クッキーの間に板チョコ挟まってる。おいしい?
・TWININGSのWELL-BEINGな紅茶セット(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→いいにおい!
・LEIBNIZの動物ビスケット(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→ひとにあげちゃった。こないだ成城石井に売ってた!
・TyrrellsのSalt&Vinegarチップス(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→すっぺえ!
持ってってよかったもの
・首枕→乗り物に乗ってる時間が長すぎた。あと椅子に付いてる枕の位置全部高くて座高が自慢の私でも届かないぜ
・エコバッグ→スーパーのBag高い。買い物するたび絶対にBagいるか聞かれた。
・うつるんです→スマホあんま出したくないし、デジカメ怖いじゃん(ただし現像が手間だしお金もかかる)
・eチケット(紙)→When do you leave UK?てブリュッセルからユーロスター乗る時に聞かれたもののテンパって全く聞き取れなくて、証拠に出せたので……(このタイミングで聞かれると思わんじゃん)
・ホテル予約票(紙)→スムーズにチェックイン出来ましたわよね
・タオル→日本のホテルで枕が低くて腹が立ってるときに使える
いらなかったもの
・足の台→機内でエコノミー対策に置こうと思ったんだけど、なくても生きれた。機内持ち込み荷物が重いだけだな。あと置いていいか微妙。机に引っ掛けるタイプは前の人から殺意向けられたくなかったらやめとこ。
・ポケトーク→グーグル翻訳で全部できる。スマホを出したくない場面では借り物のポケトークも出したくない。
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from0287 · 6 years ago
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2019年6月3日4日。 初の奄美大島。その6。 シュノーケリングが終わった途端に雨が続いて、雨が少し止んだ時にアヤマル岬って所に行って、もっとしっかり景色を見ようと思ったら、 とてもとても小便ではない方がしたくなり、トイレに行きスッキリして、また景色を見に行こうと思った瞬間にどしゃ降り。 #トイレに行ったおかげでたまたま車のそばにいたので雨に打たれなかった #動画に映ってた外国人の夫婦はそのごどうなったのかめちゃ気になっていた #たかちん#1人シリーズ#アヤマル岬#島の天気#急な大雨と雷#奄美大島 #次の投稿が今回の奄美大島を行く事になった理由 #月曜日の昼15時に到着して火曜日15時の飛行機の滞在時間まるまる24時間の弾丸 #美容室のお客さんに勧められて数日後にはチケット手配 #翌週には初奄美大島 #即決断即行動 (アヤマル岬) https://www.instagram.com/p/ByY65Usjv-q/?igshid=19r7cxnqoawd9
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amanayu · 4 years ago
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2023年5月分の予約受付を4/4より開始します。
※トレーラーのリーズナブルプラン継続します。本プランをご希望であれば予約時にお申し出ください。お申し出のない場合は通常プランとなります。
※4月も引き続き受付中です。
【休業日】
4/11〜13
5/9〜12
※他は適宜。
【全体的なコンセプト】
キャンプ場はキャンパーさん次第。同じ日に同じ空間を共有する仲間として、お互いにほんの少しの気遣いを。
【料金】
<テントサイト>
◆ラージサイト ¥12,000
(※2組利用の場合は¥16,000)
◆ラージサイト(電源付き)¥12,500
(※2組利用で2組とも電源を使う場合は¥17,000)
◆ミデ���アムサイト ¥10,000
◆ミディアムサイト(電源付) ¥10,500
◆レギュラーサイト ¥8,000
◆レギュラーサイト(電源付) ¥8,500
◆スモールサイト(ソロ用) ¥5,000
◆スモールサイト(2名用) ¥7,000
※1サイト6名、車1台、テント1張りまで。人数、車、テントの追加はご相談ください。
※ラージサイトは2組までご利用可能ですが別途追加料金(¥4,000)をいただきます。グループ利用は騒がしくならないようご注意お願いします。目に余る場合は迷惑料の請求やご退場いただく場合があります。
※原則として各週末のグループ利用は最大3組までとさせていただきます。
※2020年10月以降、無料の薪は廃止します。
<エアストリー��>
1973年式、1969年式の2台のビンテージエアストリームに泊まれます。アメリカではテント泊は少数。エアストリームなどのトレーラー、自走式のキャンピングカーが主流です。この機会にぜひ、リアルなアメリカンキャンプを。
◆1号機(1973年式) ¥30,000
ーシングルベッド2、セミダブルソファベッド1、ソファベッド1
※1号機前は直火はNGなので、ご希望の方には焚き火台をお貸しします。(事前予約制、無料)
➡リーズナブルプラン
寝袋持参で寝具やストーブ不要、トイレとシャワーは共有で良いという方は¥18,000〜でご利用いただけます。(2名利用の基本料金。人数やストーブは使いたいなどの場合は個別見積りします。)
◆2号機(1969年式) ¥35,000
-シングルベッド2、セミダブルソファベッド1、(別途エキストラベッド1を入れることができますが、トイレとシャワーへの通路に置きますので使い勝手は悪くなります。事前オーダーください。)
➡リーズナブルプラン
寝袋持参で寝具やストーブは不要、トイレとシャワーは共有で良いという方は¥21,000〜でご利用いただけます。 (2名利用の基本料金。人数やストーブは使いたいなどの場合には個別見積りします。)
※トレーラーの連泊の場合は、10%割引させていただきます。
※シンク、トイレ、シャワー、冷蔵庫・冷凍庫、寝具付き(ガスコンロ、オーブンは使えません)
※冬季はトレーラー内に石油ストーブを入れます。
※調理器具、食器類はありませんのでお持ちください。
※天候にもよりますがタープはお持ちいただいた方が良いと思います。
※トレーラー内での煮炊き、喫煙はご遠慮ください。湯沸かし程度はOKです。
※トレーラー内外に電源あり
※大人2名、子供2名が標準です。それ以上の場合はご相談ください。
※ペットOKです。ただしベッドやソファの上にはあげず、退出時には簡易清掃をお願いします。
※通常利用では発生しない汚れや破損が判明した場合は、清掃費、修繕費を請求させていただきます。
※車は1台まで。2台目以降は別途追加料金が発生します。
※トレーラー前にテントを張る場合は¥5,000プラスとなります。(タープは無料)
【チェックイン・アウト、レイトインプラン】
◆チェックイン 14時以降
◆チェックアウト 12時まで
※アーリーチェックインは11時からプラス1500円(トレーラーは3,000円)。ただし前日の状況によりますので、前々日にお問い合わせください。早めに着いてしまった場合でも14時前は自動的に全てアーリーチェックイン扱いとさせていただきます。(サイトには入れません。)
※レイトチェックアウトは15時までプラス1500円(トレーラーは3,000円)。ただしその時の状況によりますのでお受けできない場合があります。12時を超えた場合はお会計時に自動的に1500円の加算をさせていただきます。
※12時から14時はチェックアウト後の清掃、メンテナンスの時間です。レイトアウトをご利用のお客様以外は時間厳守でお願い致します。
【薪について】
◆薪は全て有料(1束¥500)となります。無料の薪はありません。
◆薪の持ち込みはOKです。(使いきれなかった分はお持ち帰りいただいて結構です。販売もします。)
◆薪は燃やし残しが出ないよう白い灰になるまで燃やし尽くしましょう。黒い灰や炭は自然には還らないのです。
◆芝生のサイト、1号機を除き直火OKです。直火のマナーを守って後片付けをお願いします。心配な方は焚火台のご使用をお奨めします。
◆消火する際は、地面に水をかけるのではなく、水を入れたバケツ(備え付け有り)に薪を浸すようにお願いします。地面に水をまくとぐちゃぐちゃになり、次の方が使えなくなってしまいます。
【トイレ】
◆24時間利用可能。男女ともウォッシュレット、温便座完備。
◆洗面所はお湯が出ます。ハンドソープも備え付けてあります。
◆ドライヤーは1機のみ使用可能です。複数を同時に使うとブレーカーが落ちますのでご注意お願いします。(貸し出し、備え付けはありません)
◆トイレはきれいに使いましょう。トイレットペーパーがびろーんと出ているとか洗面がびしょびしょとか他のお客さんにとっては気持ち良くありませんよね。なので、できるだけ大人がお子さんのトイレにも付き添ってください。
◆使用後、便座のフタは閉めてください。(虫の混入、汚れの防止、節電のため)
【シャワー】
※冬季(11/1〜4月中旬頃まで)はシャワーは使えません。
無料です。
利用時間 16:00~21:00
※近隣の温泉(尾白の湯、むかわの湯)の割引券もありますので、当日お申し付けください。
※温泉は新型コロナウイルスの影響で閉鎖または営業時間の変更をしている場合があります。最新の状況はご自身でお調べくださいますようお願いいたします。
※凍結してしまうため、冬季(11月頃から4月中旬頃)はシャワーは使えません。
【炊事場】
◆地下50mからくみ上げている本物の天然水です。
◆屋根はないので雨の日はご注意ください。
◆通年、お湯が出ます。
◆洗剤は備え付けの天然由来のものを使用し、量は控えめにお願いします。
◆焚き火台、バーベキューコンロ、靴、靴下、頭などは洗わないでください。(灰や炭、泥のついたものは別の場所に洗い場があります。頭はシャワーブースで。)
◆利用時間:朝7時から夜21時まで
※炊事場近くのサイトの方のご迷惑となるため利用時間を限らせていただいています。
【川】
◆キャンプ場の横を石空川(いしうとろがわ)が流れています。深いところ、流れが早いところもありますが、ほとんど大人のくるぶしくらいと小さなお子様でも遊べる川です。じゅうぶんお気をつけて遊んでください。
◆環境保護、安全のため、石投げ、河原での焚火、花火、魚釣り、野草の採取や持ち込み等は禁止とさせていただきます。
◆絶対にこどもだけで川に行かないようお願いします。こどもだけで行けないように、あえて水路に蓋をしていません。必ず大人が付き添い、また、できればライフジャケットなどあると良いと思います。川は本当に危険です。
◆早朝、夜間は川へは行かないようにしましょう。ケモノが来ている場合があります。
【ゴミ】
◆ゴミはお持ち帰りをお願いします。何も持ち込まず、持ち出さずの精神を。
※灰、炭は所定の場所に捨てていただけます。
【その他】
◆場内外の環境保護にご協力お願いします。ゴミを捨てない、苔のついた岩に登らない、木を折らない、草を踏まない、など。特にお子様へのご指導をお願いします。気づいた時には管理人からもお願いをしますが、せっかく自然の中で遊ぶ機会ですので、自然を大切にする心が育まれるよう、皆様の方でもご指導、ご配慮いただけると嬉しいです。
◆場内は徐行運転をお願いします。夜21時から翌朝7時まで間は車の移動はご遠慮ください。また、車のドアの開閉も最小限にしてください。
◆変に盛り上がってしまうので花火、キャンプファイヤーは禁止とさせていただきます。
◆消灯時間は定めませんが、20時以降は静かに(音響機器、車のドアの開閉、話し声、薪割り、バトニング、ペグ打ち等々)しましょう。
◆音響機器の使用は、昼間でも隣のサイトに音が聞こえないように。(夜間は静かな森では微かな音でも気になりますので特にご配慮お願いします。)
◆場内での事件、事故、けが等に関しては一切の責任は負いません。ケガ等のないように楽しんでください。
◆火災、ボヤ、設備、機器の破損等の際は実損害を賠償いただきます。
◆宴会、その他周りの方へのご迷惑となる一切の行為は禁止します。騒ぎたい方は他のキャンプ場へ。
◆お客様同士のトラブル、騒がしいなどの場合は必ず管理人にお知らせください。24時間、全て管理人が対応します。
◆他のサイト、森の奥や崖等の危険な場所に立ち入らないようお願いします。
◆夜間の虫捕りの際は他のサイトに入らない、ライトが他のサイトに向かないように十分ご注意ください。
◆獣(猿、猪、熊、狸、狐、鹿、烏、猫その他)、虫(蜂、虻、蚊、ブヨ、蠅その他)にはじゅうぶんご注意ください。
◆食材等はテントや車の中等に入れ、ケモノに荒らされないようにご注意ください。
◆レンタルや販売物品はありませんので事前にご準備をお願いします。
◆近くの道の駅白州にスーパーが併設されています。食材購入などはそちらがおすすめですが、道の駅と併設されているため、ゴールデンウィークや夏休み期間は大変混雑します。ご自宅近くで購入されることをおすすめします。
【キャンセル、天候による閉鎖】
5日前 10%
4日前 20%
3日前 30%
2日前 50%
前日、当日 100%
※台風、大雪、その他災害などにより安全確保ができないとこちらが判断した場合は閉鎖させていただきます。その場合はもちろんキャンセル料は不要です。森の中、南アルプスの麓という地域特性のため、天気予報が外れ平地よりも荒天となる場合があり、直前のご連絡となる場合がありますが、ご容赦ください。
【場所】
ほとんどばれてますが、一応、非公開です。住所検索しても通常は出てきません。中央自動車道 須玉I.Cから車で約15分。日本最古の神代桜、サントリー白州工場などからほど近い森です。道案内の看板等は一切ありませんが、ご予約時に詳しい場所をお知らせしますし、迷ってしまったらお迎えにあがりますので、どうぞご安心ください。
【ご予約方法】
◆ご予約はEメールにてお願いいたします。
・件名は「●/●~●(●泊) 氏名」と記載をお願いします。
・代表者さまのお名前��フルネーム)
・ 郵便番号 、ご住所、電話番号
・インスタアカウント
・ご利用日(●/●~● ●泊)※第二希望まで記載可能
・希望サイト(レギュラー、ミディアム、ラージ、スモールなど。レギュラーは早くにうまってしまうため可能なら第一希望、第二希望をお知らせいただけると助かります。)
・電源の有無(必須の方のみ明記してください)
・ご利用人数(大人、子供、ペット)
・車種、色(レンタカーの場合等、未定の場合は未定で結構です)
上記内容をメールにて送信お願いします。
送信先: [email protected]
※メールチェックは基本的に夜しか行えませんので返信は遅くなりますがご容赦ください。48時間待って返事がない場合は受信できていない場合、迷惑メールに振り分けられている場合がありますので、お手数ですが再度お問い合わせください。
※空き状況はインスタのDMでお気軽にお問い合わせください。
※混乱してしまうので、くれぐれも日付等の間違いがないようにお願いします。
それでは、ご予約お待ちしてます!
よろしくお願いします。
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yuupsychedelic · 3 years ago
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詩集「時喰う人たち」
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詩集『時喰う人たち』
1.「Dépaysement -ルネ・マグリットによろしく-」 2.「Paranoiac Critic -DALIsm-」 3.「THINKING-MAN」 4.「Lonely Boy -ゴッホの丘-」 5.「ヒプノシス叙事詩」 6.「青年空想画家」 7.「WALKING-MAN」 8.「Never Ending Journey -まだ見ぬ君に逢うために-」 9.「Postwar -逃亡者たち-」 10.「恋愛依存症」 11.「契約社会」 12.「付箋 -初恋-」
1.「Dépaysement -ルネ・マグリットによろしく-」
シュルレアリスムな夢を見た 気まぐれな魔術師に逢った レディ・メイドに裏切られた 水平線に惑わされた
海沿いのカフェでどんなに カフェ・ド・ベルジグを口に運ぼうとも 取り止めもないカオスの海へ 身を投げたまま - 孵れない!
リアルで生きるのを諦めて 逃亡者になると決めた時 まさかキミに出逢うとは思わず 懐かしい気持ちになったよ 今もウィンクが悩ましい
ブルトンの狂気に脅かされて ダダイズムの街で泣いてしまった 火薬庫を水に染めたヴァルタン 愛を忘れたままのジャミラのように 気づけば僕も銀河女(スペース・ウーマン)
都会の狂騒に怯えた 裏切られたままのイメージ 飼い慣らしていたはずのダルメシアン 聴こえるのはリンゴの呼吸だけ
英雄 厭人 厭世者 花が泣かぬよう 満面の笑みで 大好きな人を惑わせてしまおう
甘い恋よりカオスを愛す者として さあ誇りを忘れずに……
2.「Paranoiac Critic -DALIsm-」
私は旅に出るの 港の黒舟で 愛を取り戻すために 夢幻の宇宙へ
荷物はパンがあればいい そして明日への羨望 瑠璃色の怪獣や魔性の女も 微笑みに囚われたまま
今の私ならできるよ 昨日の私と違うんだ 当たり前のことを当たり前にやる たったそれだけなんだよ
後悔の渦が私を強くしたんだ 今に見てろよ 罵りの声も好奇の視線も すべてエネルギー
モーターなんかいらない スチームもいらないよ 永遠を知らぬ人類だから 永遠を知るための旅へ出よう
私は旅に出るの 港の黒舟で 夢を描くために 現実の世界へ
おもしろいと自称する人ほど いざ喋ってみるとつまらないよ
そして……何も知らないジーニアス 革命に気付かないペシミストのように いつしか胸に浮かばなくなった 愛の言葉さえ
この旅が終わる時に私は 生きる意味を知るだろう 風は時を語らずに 今を教えてくれる
現世のその先へ 幻想旅行へ 私あれ!
3.「THINKING-MAN」
Who are you Thinking-Man?? Who are you Thinking-Man?? T・H・I・N・K
誰も知らない謎がある 誰も解けない事件がある そんな時はアイツの出番だ ひとふき笛を鳴らせば 一瞬で飛んでくるよ
悲しい時こそ上を向こう 嬉しい時こそ下を向こう 忘れないで 今のキミを 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな光もどんな影も 背中合わせさ
世界を揺るがす謎がある 世界を脅かす事件がある いつだってアイツの出番だ 百万馬力のボディで 必ず闇を振り払うよ
つらい時こそ上を向こう おいしい時こそ下を向こう 離さないで 愛する人を 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな愛もどんな夢も 背中合わせさ
いつかアイツを忘れる日が 僕らの願う平穏な日々 キミはどこから来てどこへ向かうのか?
悲しい時こそ上を向こう 嬉しい時こそ下を向こう 忘れないで 今のキミを 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな光もどんな影も 背中合わせさ
Who are you Thinking-Man?? Who are you Thinking-Man?? T・H・I・N・K
4.「Lonely Boy -ゴッホの丘-」
愛する人には裏切られ 描いた絵画は認められず 失くした夢の欠片を 今も闇雲に拾い続ける
Ah 孤独な闇よ そのまま包み込んでおくれ ヒマワリの種を形見に
抱きしめたいのは君だった 信じてみたいのも君だった 最期は君とさえ拗れてった 僕はいつだって独りだった
涙さえも枯れ果て どうだってなればいい ただ忘れないで 僕のような男が居たことを
生まれた時には信じてた まっすぐな夢ってやつを もう一度信じようとした あの日の僕を殴りたい
Ah さよなら夢よ 夢のままであり続ければいい 揺れ動く星月夜
愛したいのは君だった 嫌いたいのも君だった 時は素直に過ぎてった 僕も君達を信じていた
真夜中の果てに どうだってなればいい ただ泣きじゃくる 赤ん坊のように
求めていたものと 捜してたものが 傾斜して交錯する
数十億分の一の生命 決して届かぬ使命
Ah アイリスに願う 歪んだままの藍よもう一度 やり直せるなら……
抱きしめたいのは君だった 信じてみたいのも君だった 最期は君とさえ拗れてった 僕はいつだって独りだった
涙さえも枯れ果て どうだってなればいい ただ忘れないで 僕のような男が居たことを
さよなら ある男此処にありき
5.「ヒプノシス叙事詩」
【A】 神秘の港で 新世代のブルースを奏でる少女 想像は現実を越え さらなる超絶技巧を求める
走るウマグマ 心臓をすげ替えた男 虹色の牛が街をたむろし 不気味に帽子が笑う
その名は誰も知らず その顔も知らず いくつもの噂の果てに 虚構の素顔が生み出される
打ち棄てられたエシクス 解れたままのイデア
【B】 電気の武者が やさしく老人の世話をする おせっかいなほど丁寧に 不似合いな言葉を並べる
電子・光・管弦楽団 聖地巡礼 土曜・早朝・写真
百眼の巨人アーガス この世のすべてを飲み込む 未だ序章 トリロジー
自動車の群れ ハイウェイは狂騒に包まれる 突然雲の影 Crying Laughing Loving Lying
ロマニーの愛 オリビアの嫉妬 狂気が誘う 殺戮のハイタッチ Pair! Pair! Pair!
第三世界の曙に さらなる深��へ……
【C】 聖なる館 灰は燃ゆる 四枚目のウィッシュボーン バンドよ駆け抜けろ
ブロードウェイ 眩惑される 競獅子 不安は募る 悪に染まる会社 運命のカード
見つからない……エルドラド 精神の波……いつかのトイレ あなたがここにいてほしい
アラビアンナイト 火星の女神 荒廃した街角で
アメリカを越えてゆけ 己に酔いしれてもいい 悪戯電話プレゼンス 愛ゆえに泣き叫んだ後の 突然やって来た静寂よ
空が燃えている 生き物たちは笑ってる
【D】 究極 顔を合わさなくとも 大都会の孤独 乗り越えられる スリリントンはロンドンで唄う デイヴ・ギルモアのギターが唸る傍で
薄濡れの夢 トマトを食べろ そして残ったのは三人の勇者 Never Say Die…… 神に誓おう 宇宙を取り戻すまで 終わらない Resistance!!
血塗れの旅人 滅亡したインカ帝国
銀河のヒッチハイカー ようこそ愛のドライブへ
【E】
やけに乾いた愛 - Yes, Sir!! やけに吼える狼 - Yes, Sir!!
昨日逢えませんか? 夕闇をひとり 彷徨う少女
共同戦線 闇からの一撃!
【F】 銀河船VOYAGER ダイヤモンドは粗く深く 君を見つめるだろう 恋の炎のままに
銀河船VOYAGER ダイヤモンドは粗く深く 君を見つめるだろう 恋の炎のままに
銀河船VOYAGER 原子力で駆動する棲家
銀河船VOYAGER 狂気の先へ行こう ヒプノシス 永遠に
6.「青年空想画家」
涙が止まる前に その涙を書き留めよう 世界を忘れる前に この世界を形にしてしまおう
こんな時代に夢は見れない そう思い込んでた 時を止めてカンバスに向かう時だけ 私は私になれる
色なんかいらないよ 言葉もいらないから この世界を創ろう 街も空も星だって描けるさ
涙 流れっぱなしの涙 未来を紡ぐ涙
虹が消えないうちに その虹の向こうへ行こう 雨が止まないうちに この雨で舞踏会しよう
こんな世代と分かり合えない そう思い込んでた 時を抱いてカンバスに向かう時だけ 私は私になれる
躊躇はいらないよ 憂いもいらないから 新たな星を創ろう 街も空も星だって描けるさ
光 照らすのは光 未来を紡ぐ光
ひとつのいいねが変えた 私の今を変えた ひとりのスキが変えた 私は少しだけ強くなった
昨日には帰れない 明日にも飛べないよ だから今を照らそう 私だけの翼で
瞳 大切な瞳 世界を映す瞳
明日を生きるために 今を描くよ
7.「WALKING-MAN」
砂漠を舞うライオンのように 僕らは明日を探してた 夢にまで見た未来の瞬間 それは愛車(クルマ)との出逢い
今まで行けなかった場所や 気付けなかった自然に気付いた 時は流れ 歳を重ね いつしかあの頃の時めきを忘れてしまった
最初に一歩を踏み出した時の 感覚が忘れられない どうしてこれが動くのだろう 疑問と称賛が胸に轟く
時を越え キミに伝えたい 人が歩んだ記憶を……
空を舞う三つ星のように 僕らは愛を捜してた 僕が紡いだ夢を継ぐのは そこにいる私かもしれない
思い込みで決めつけてた幻想 投げつけられた偏見 明日を切り拓く者の傍に 一輪の花を僕は贈りたい
最初に一歩を踏み出す前の 恐怖が忘れられない どんなに大粒の雨が降っても 挫け諦めそうになっても
続けるよ キミに伝えたいから 僕が選んだ夢を…… 叶えるまで
夢を見れなくなったり 現実に打ちのめされたり いろんなことがあった人生 その先も誰かに名前を呼ばれたい すべてのエンジンになる
最初に一歩を踏み出した時の 感覚が忘れられない 最初に一歩を踏み出す前の 恐怖が忘れられない
今を越え 夢のつづきを キミが描くんだ Full Throttle!!
8.「Never Ending Journey -まだ見ぬ君に逢うために-」
トンネルを抜けたら そこは不思議の国 小さな人間が手と手を取り合い 静かに暮らしておりました
毒牙を持つ巨大なバッタや 一突きで怪獣を殺るトカゲがいる森で 巨木の天頂に住居を構え 生活を営んでいたのであります
君と初めて逢った日に 口に運んだレベンドの味 とっても苦かったのですが 気付けば珍味と呼ばれる御馳走に……
僕が忘れたくないのは 君のまっすぐな瞳 それだけさ
出逢った人の数だけ 別れもあった 伊達に長く生きてませんから 色んなことがありました
交差点の真ん中で振られたこと イモリをサソリと間違えそうになったこと 露店の牡蠣に当たったこと 忘れられない思い出達よ
君が大人になったとしても 忘れてほしくないレベンドの味 僕らが生きた青春に 君も幸あれ……と願う大人心
誰も知らない旅へ 消えない情熱 いつまでも
君に出逢った日の時めき 君と食べたアカシアの皮 君のルージュに惑わされ 君がくれた夏を憶いだす
僕が忘れたくないのは 君のまっすぐな瞳 それだけさ
誰も知らない旅へ 消えない情熱 いつまでも 新しい一日をまた明日も始めよう
Postwar -逃亡者たち-
なぜ兄弟で殺し合わねばならないのか? なぜ夢を捨てなければならないのか? 青春時代を通り過ぎた先は 終わりのない最終戦争(Final Wars)
アルザス・ロレーヌの誇りにかけて 己のエゴとエゴをぶつけ合う国々 だけどそこにはかつて血を分け合った兄弟も 有無を言わさず戦禍の中心へ
Vive La France!! 消えない憎悪の記憶 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 癒えない屈辱の記憶 僕らに明日などないのさ そこにあるのは憎しみと悲しみだけ
遺体の山の中に知り合いを見つけた 恩師が面影なく息絶えていた 虹彩迷走の歴史の果てに 血に染まる民族たち
クリスマスまでには終わると信じてた でも闘いは終わらなかった 幾多の裏切りと熱狂の兄弟よ そこにあるのは運命か宿命か?
Vive La France!! 懺悔は今はいらない 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 薄汚れた愛国心よ 僕らに明日などないのさ 願いは未来の平穏だけ
繰り返される歴史(Last War!!) 裏切られた約束(Last War!!) 消耗する民族(Last War!!) 二度と繰り返してはならない(Last War!!)
Première Guerre mondiale!! 勝者なき闘いの先に 歴史の火薬庫 ベルサイユ宮殿 火種は未だ消えぬ
Vive La France!! 消えない憎悪の記憶 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 癒えない屈辱の記憶 僕らに明日などないのさ そこにあるのは憎しみと悲しみだけ
Vive La France!! 懺悔は今はいらない 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 薄汚れた愛国心よ 僕らに明日などないのさ 願いは未来の平穏だけ
Postwar…… 束の間の平穏に 現実を見ない逃亡者たちが唄う 虚飾と虚構の歴史 彼らはなんのために今を生きているのか
10.「恋愛依存症」
通い慣れた駅 事を済ませたホテル 吹き抜ける風の冷たさに 私の終焉を悟る
今夜で終わりと きっぱり約束したけど また明日を何度も繰返し 昨夜も愛のまま
One Night Dreamで終わらぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 星空より暗闇がよく似合う 所詮 使い捨ての大恋愛
Kissも飽きたしSexも疲れた Virtualな恋の結末は Realへの羨望
One Night Dreamの忘られぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 太陽よりも物陰がよく似合う 所詮 使い捨ての青春
告白の言葉も何度聞いた? 口説かれすぎて聞き飽きたの もう一度くらいはトキメキたいけど 褪めた恋心が邪魔をする
One Night Dreamで終わらぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 星空より暗闇がよく似合う 所詮 恋も青春も使い捨て
夜の静寂(しじま)に 愛を誓った あの日に戻りたい いつの日か……
11.「契約社会」
今日の仕事が終わったら 明日は何もしなくて良いんだ 紙切れ一枚で決まる世界 僕らは何故生きるんだろう?
太陽が昇る時 街へ繰り出す人々 詰め込まれた Aluminium Jail そしてアスファルトを染めあげる箱達
いつか終わるなら 今日から始めてみたい でもそんな勇気すらなくて いつも誰かを批判してばかり
誰かのせいにする前に自分を顧みて 新たな一日のために駆け出してみたい 自分の足元を見つめ直せば きっと明日への希望が見えるはずさ
だから…… 舟を出すんだ
今日の続きはまた明日 明日の続きはその先へ 代わりはナンボでもいる 癒えない言葉の傷
太陽が沈む時 色づく街並み 家族団欒 Stay Home 今日は涙が隠せなくて
あなたを守るために 今日まで頑張ってきたよ でも僕は疲れたんだ 頑張ることに疲れたんだ
勇気を出して打ち明けた時 あなたはぎゅっと抱きしめてくれた その温もりが僕に勇気を 与えてくれたのさ
だから…… 僕を生きるんだ
絶対などない人生 誰もが思い悩む あなたと育んだ愛 これからも温めたいから
辞表を出した瞬間 上司は驚きを隠さずに なぜ『今なのか』と声を荒げて 剥き出しの怒りをぶつけてきた
太陽が昇り切る時に 僕はいつもの電車に揺られてた 人生の意味にやっと気付けたんだ それはあなたに出逢えたこと
だから…… 家族で行くんだ あなたと私とキミを守るために
付箋 -初恋-
教室で目を合わせるだけで胸がときめいた ふと気づいてしまったんだ ― 「これが片想いなの?」って 届かないとわかってても「好き」という気持ちは募るばかりで ある晴れの日に貴方を呼び出して終わらせようとしたの その日が恋の始まりでした
貴方が顔をくしゃっとして笑うとことか 私が作ったお弁当をいつもめっちゃ美味しそうに食べてくれるとことか いつもは素直なくせに肝心な時にカッコつけようとするとことか こんなに好きになれる人に出逢えるなんて思わなかった 貴方を好きになるまでは
付き合って一週間が経って名前で呼び合うようになり 一ヶ月の頃には手を繋ぐようになった 距離が縮まるほど好きがもっと強くなって デートをするたびにちょっとずつ垢抜けていく気がした 貴方も貴方のペースで頑張ってるんだよね
学校の誰も使わない物置が私たちの定位置でした そこでお弁当を食べたり動画を撮ったり とにかく「青春!」ってことを何もかもやったよね いつかは終わりが来るのは薄々感じてたけど 今は貴方の傍にいることが最高の幸せ
高校三年の夏に私の進路が決まった 貴方は悩み抜いた末にふたつの未来を目指した 私はどちらの未来も応援したかったけど もうひとつの道だけは応援できなかったの 遠距離恋愛なんて無理だよ
卒業式の夜に貴方と一夜を明かした 淋しさを紛らわすために身体に刻もうとした 私の想いを聞いた貴方は少し戸惑って 「やっぱ出来ないよ」と私に服を押し付け 無言で部屋を出てった
別れの朝に私は貴方を見送らなかった 貴方と言葉を交わすことが一番怖かった 私の青春のすべてに貴方が笑っていた でもすべて私が壊してしまったの 貴方との信頼も温もりも
あの時素直に謝ってたら未来は変わったのかな LINEも電話も出来なくてこの恋は上の空 何度も何度も手紙にしたためようとして埃を被った手紙未満 涙の嵐が私を襲う度に死にたくなったよ まだ本当は終わってないのに
ある夏の朝 貴方に会いに行った 結局連絡も出来ぬまま正門の隅に立ってた ここで何もしないと本当に終わってしまう気がして 何かに突き動かされるように身体が動いてた
永遠を信じた私たちの恋を 続けるのか終わらせるのか貴方に委ねたい 私はもう決める資格がないと思ってた 貴方を苦しめてばかりと本当はわかってるのに また貴方に委ねるしかなかった
数時間後の夕方 貴方は帰り道にこちらに気付いた 一瞬固まってたけど 数秒後に私と目を合わせた 第一声は「やっと来てくれたんだね」
「僕は貴女のことをわかってるつもりだった」 「貴女を世界でいちばん愛してると信じたかった」 「でも実際に夜を過ごすと緊張の方が勝ってしまって」 「いつかは通る道だと知ってたんだけど」 「貴女を傷つけたくなくて逃げてしまったんだ」
あんな縋るような瞳の貴方を私ははじめて見た それだけ誠実に考えてくれてたんだと私の鈍感さを憎んだ ふたりの数ヶ月の距離感がいきなり縮んでいった ひとりだけを信じて生きてきて本当に良かった モノクロームの日々に再び色が生まれた
見知らぬ街を貴方はいろいろと紹介してくれた それから私たちは数ヶ月に一度会うようになった 前よりも距離が縮まった気がした 今なら私は自信を持ってこう言えるよ 「あなたのどんなところも愛しくてたまらない」って
最初のデートで貴方と約束したよね 『お互いがお互いの幸せを願える関係でいよう』と 歳を重ねるごとに戸惑うこともいっぱいあった でも戸惑いがふたりをもっと強くした 最強の恋人になった
青春がセピア色になる前に また新しく始めるため とっておきのプレゼントをふたりで買いに行った ふたりが二十五になる年の四月十一日に婚姻届を一緒に出しに行った それは数年前ふたりが出逢った日だった
梅雨の朝 ベッドで微笑む貴方に手招きされ ふたりで抱き合った瞬間 あの日の答え合わせだと気付き 激しいほどの情熱がぬくもりに変わった
これから健やかな家族をふたりで築いていこう どんなに冷たい海もふたりなら渡っていけるはず 私に気付いてくれて本当にありがとう 好きになってくれて本当にありがとう 私も貴方と出逢えて本当に良かったよ
左手薬指に光る指輪は私たちが愛を育んできた証 友の祝福を照れ笑いしつつも受ける貴方は 私の世界でいちばん大切な人 今日は貴方と愛を誓いあう日…… ウェディング・ベルが高らかに鳴り響く
詩集「時喰う人たち」Credits
詩・デザイン:坂岡 ユウ Respect to:ルネ・マグリット, サルバドール・ダリ, オーギュスト・ロダン, フィンセント・ファン・��ッホ, ヒプノシス(=ストーム・トーガソン, オーブリー・パウエル, ピーター・クリストファーソン), すべての画家を夢見る人, アルベルト・ジャコメッティ, ウィリー・ウォンカ, サンプラザ中野くん, モーリス・ルブラン, アルセーヌ・ルパン, ある女性, 高見沢俊彦, サラリーマン金太郎, ポストイット
2022.1.29 坂岡 ユウ
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yunarinofficial · 4 years ago
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自己紹介
こんちゃ!おはようございます。ゆなりんです。
YouTubeやTwitterなどからお越しの皆様、いつも有難うございます。
そして初めましての貴方、まずははじめまして。ゆなりんという名前で活動しているものです。主にYouTubeでゲーム実況や歌ってみたなどを載せていますのでもし良かったらリンクから飛んで動画観てみてください!
ということで告知はこれくらいにして、早速本題の自己紹介を書きたいと思います。
ゆなりん(♀)
好き
オカルト
映画
ゲーム
料理/お酒
動物
黒色
サントラ
苦手
ブロッコリー、カリフラワー、ししゃも
ピンク色
日光
運動
ということでまずは好きなものと苦手なものを箇条書きにしたので、次により詳しく書いていきたいと思います。
ここから長くなるのでお時間ある時に是非読んでみて下さい。
好きなもの1つ目
オカルト!
何を隠そう、私は小さい頃から心霊映像やホラー映画をこよなく愛するオカルトオタクです。
オカルトと一括りに言ってもジャンルなどが様々で結構ホラー好きの間でも「このジャンルはいけるけど、このジャンルは苦手…」みたいな会話をしたりします。
そんな中で私はかなり色々なジャンルに触れてきて、耐性もあるので基本的にはオールオッケー。
…と言いたいところですが、唯一虫だけはNGです。NGと言っても虫が出ている映画を観たらトイレに行けなくなる!とか、虫の画像を見るだけでも無理!とかではないです…ただ好みじゃないです(笑)
唯一と言いましたが、後のジャンルは基本いけます。心霊、悪魔、怪談、サイコホラー、ゾンビ、スプラッタから都市伝説まで!夢のハッピーセットですね。
なぜオカルトが好きになったのかはまた後々話したいと思いますのでとりあえずオカルトの話はここら辺で。ビビりな皆さんはここで目を開けて次の文を読んでください。
好きなもの2つ目
映画!
これもまた、小さい頃から慣れ親しんだものです。
そしてこれもまた、一括りに全ジャンルが好き!というわけではなく…恋愛映画だけはあまり好まない傾向にあります。
何故恋愛映画が好みじゃないのか!理由はただ1つ!振られる側を想うとしんどくなるから!
何故か恋愛映画って2番手の方が優しくて、感情豊かで、面白くて、かっこいい/可愛い気がする。
映画は起承転結を練り込まなきゃいけないので、やっぱり "最初は苦手だったけどだんだん好きに…" みたいなストーリーになっちゃうんでしょうね。
しかし私は騙されない!主役の子が悲しい時慰めてくれたのは2番手だったぞ!主役の子を笑わせてくれたのは2番手だったぞ!
…はい、ちょっと話が逸れましたね。要するに恋愛映画以外は観ます。
特に好きなのはやはりホラー、そしてコメディ。SFなんかも結構観ているのでその辺は後々映画紹介などをしていきたいと思います。
はい、次!
好きなもの3つ目
ゲーム!
いやぁ、この世にゲームを生み出してくれた方有難うございます。
小学生の夏休み。私を楽しませてくれたのは牧場物語とボクの夏休みでした。ぼくぼく。
基本的に外に出ることが苦手だったので(理由は後で)、家で遊ぶしかなかったんですよね。折り紙とか、読書とか、お絵描きとか…。
その中でも特に楽しかったのがゲーム!
今でも時間がある時は基本ゲームをしています。YouTubeでもゲーム実況を上げるほどです。
今となってはホラーゲームばかりやっている私ですが、一応プロセカやマイクラ、APEXなどのゲームもやっています。
そんな私が初めて触れたホラーゲーム。それがドリームキャストのBIOHAZARD CODE:Veronica。襲ってくるゾンビが本当に怖くて、最初に火の中から出てくるゾンビ見ただけで電源切りましたね。普通に元々は怖がりだったので。
次に触れたのがDSのナナシノゲエム。これ、あまり有名じゃないみたいなのですが結構怖いホラーゲーム。プレイすると7日後に死ぬゲームがテーマです。
ゲーム紹介はブログで紹介するというよりは、YouTubeで実際に実況していくつもりなので是非登録してね!
好きなもの4つ目
料理!お酒!
この2つは私のTwitterを見てくれている人はわかると思いますが、料理をするのとお酒を飲むのがすこぶる好きです。
結構その日の気分によって食べたいものを作る、という感じなのであまり得意料理みたいなものはないと思うのですが、強いて言うならイタリアンが得意かな?
白ワインが好きなので、カルボナーラとかカプレーゼとかチキンソテーとか結構な頻度で作っちゃいます。
日本酒も好きなのですが、日本酒は結構料理する必要のないもの(刺身とか)が合うのであまり料理しないかも。最近カツオのユッケが異常に美味��いということに気付いたので作っています。
ビール以外は基本飲みます。こう、改めて自分のこと紹介していると「好きなものの中で〇〇以外なら基本いける」みたいなのが多いですね、私。全部を好んでいけたら楽しさ倍増なんだろうけど、なーんかダメ…。苦いですよね。焼酎はいけます。
もしお酒と料理が好きな人がいたら、是非私のTwitterまでお越しください。色んな飯テロしてます。
好きなもの5つ目
動物!
特に猫。ねこちゃんは何であんなに可愛いのでしょう…。まぁどちらかと言えば猫派、というだけで犬も好きだしウサギもハムスターもチンチラも鳥も馬も羊も動物は基本好きです。嫌いな動物いないです。狼とかかっこいいですよね。
察しているかもしれませんが、お家では猫ちゃんと暮らしています。茶トラのオスでめる。めるたんって呼んでます。
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茶トラのオスは結構ヤンチャで甘えたがりの子が多いのですが、めるたんも本当に甘えたがりで夜は一緒に寝るし、出かける時は玄関までお見送り、帰ってきたら玄関まで駆けてきてくれます。可愛い。
Twitterでもよくめるたんの画像を投稿していますが、こちらのブログでもたまにめるたんの近況報告なんかをしていく予定です。
最近はYouTubeでチンチラのASMR聴いたりしてます。あの、ご飯をカリカリ食べてる動画です。もうめちゃくちゃ可愛い。もっふもふ。両手で掴んで食べてるのがまた愛くるしいんです…。
皆さんは動物お好きですか?苦手な動物とかいますか?
好きなもの6つ目
黒色!
はい、唐突の色です。好きな色は黒です。結構黄色とかそういう蛍光色が苦手なので(電気とかも苦手)、黒色みたいな暗めの色落ち着きますね〜。
スマホのホーム画面とかも結構暗めの画像にしてます。ちなみに今はバイオハザード8の画像を使ってます。
深海とかも好きなので暗めの青とかも好み。女の子っぽい色が逆にあまり得意じゃないかもしれません。
ただ、メイクする時は赤とか結構ぱっきりした色を使います。
好きなもの7つ目
サントラ!
私元々音フェチと言っていいのか分かりませんが、音が好きな方で雨音とか雪を踏む音とか電車の音とか…環境音が好きなんですよ。
ただ、あまりガヤガヤした人混みの音とかは得意じゃなくて、そういうところに行く時はイヤホンで音楽を聴くんです。
で、そういう時に聴く音楽がサントラです。
ゲームのサントラとか、映画のサントラとか、大好きです。サントラって、その音楽が流れていたシーンやその瞬間の自分の気持ちだったりを思い出せるから好き。
ゲームのサントラで言うと、有名なUNDERTALEというゲームのサントラが大好きで結構聴いてます。
UNDERTALE自体が良い作品なんですが、そのボス戦の音楽から日常の音楽まで全部脳に馴染む。テンション上げたいとき、落ちつきたいとき、その場にあった音楽が全部詰まってて私は好きです。
このシーンはこのキャラがこんなセリフを言って…って浸るのも好き。
そんなこんなで私がイヤホンをしている時は大体サントラを聴いています。
と、ここまで長々と好きなものを語らせていただきました。まだまだ語り足りないですが、この後苦手なものも紹介するつもりなのでこの辺で終わらせておきましょう。
質問があったら是非コメントしてください!
苦手なもの
苦手なものを語るってのもよく分からないのでここからはテンポ良く紹介していきます。
まず虫。女性で虫をわざわざ好きって言ってる人あんまりいないと思いますけど、普通に苦手です。
アリと蝶々とハエが特に苦手です。アリは噛むし、蝶々は近付いてくる。ハエは羽音がうるさすぎる。
ブロッコリー(以下略)
食感がモシャモシャしてるものが苦手です。子持ちししゃもは勿論、子持ちエビも苦手。数の子も苦手。
いくらはモシャモシャしないので好きです。
私、趣味で苦手を克服するのが好きなのですが、このモシャモシャ系の食べ物は何回トライしてもダメです…ごめんなさい…。
むしろ食べやすい食べ方があったら教えてください。
ピンク色
黒色が好きって書いたところで既に書きましたが、女の子らしい色が苦手なのでピンク色のものとかバッグとか持ってないです。
可愛いな〜とは思いますが、私に似合うと思えなくて…黒色の方が引き締まってて好きですね。
可愛い子がピンク色のワンピースとか着てるのを見るのは好きです。似合ってます。
日光
紫外線アレルギーってご存知でしょうか?
小さい頃に日焼けしたら湿疹が出てしまい、診察したところ「紫外線アレルギーですね〜」と…
根っからの引きこもりじゃん!と言われたりもしますが、日焼け止めを塗っていたり、日傘をさしていれば日光に当たることはないので 別に引きこもりではないです(笑)
ただ、そのアレルギーがあるのであまり小さい頃は外に出ることはなく、そのままそれが染み付いてしまったので、今の歳でも積極的に「海に行きたい!」とか「山に行きたい!」とかは思わなくなりました。虫もいるし
屋内で過ごすのが好きなので、休日に外出しても水族館とかゲーセンとかに行くことが多いです。
運動
これはもう苦手!というか運動音痴!
小さい頃から50m10秒台だったり、普通に運動出来ない方だったのに何を血迷ったか中学はバスケ部に入ってしまいました。
小学校の体育の授業でやったバスケが楽しかったんです…ただそれだけの理由で舐めて入ってしまいました…
貧血も相まって、毎回走り込みをした後はトイレに駆け込んで戻す私…何故バスケ部に入った!(笑)
でもこんな私にも唯一得意なことが。それはフリースロー!何故なら "10本打って外した数×10周走り込み" という罰ゲームを課されていたから。
「走り込みだけは避けたい…!」というので10本中9本入れることが出来ました。罰は人を突き動かしますねぇ…。
この経験が功を奏して(?)アメリカの高校に通っていた時フリースロー対決で学年1位になったこともあります。訳が分からん。
と、いうことでここまで好きなものと苦手なものを紹介させていただきました。同じ!という人も、逆だ!という人もいると思います。
自己紹介ってこんなじっくりと文字にして書く機会がないので結構楽しく書けたかなと思います。
…ここまで読んでる人います??凄い。
では、最後に今現状で抱えている悩みを少し書きたいと思います。
唐突に悩み相談。
喉について
半年ほど前、人と話すと急に咳が出るようになり、それがどんどん悪化して話せなくなりました。声を出そうとすると掠れて喉が締まってしまうんです。
呪怨の声みたいな、あんな感じのアアアア゛って声しか出ない状態から何とかリハビリをして小声で話せるように…そこから更に薬とリハビリで何とか少しは話せるようにまで回復しました。
ただ、前のように普通に話せるわけではなく、たまに吃音のような感じでクッと喉が締まって言葉が止まってしまう時があります。
以前は歌を歌うことも大好きだったのですが、すぐ喉が詰まってしまうので上手く歌えなくなってしまい、今歌うことはお休みしています。
そんなこんなで、話せるようにはなったけど聴いてると少し喉が詰まっているような感じの声になってしまいました。
正直ショックですが、話せなかった期間が長かったのでそれに比べたらマシ!と思うようにしています。
乱視みたいな感じで調子良い日と悪い日があるので調子が良い日はお風呂で歌ったりもしてます。嬉しい。
もし同じような症状で悩んでいる人がいたら、気持ち分かってあげられると思います。周りはあまり気にしていなくても自分では気になってしまう…だってどう頑張っても詰まるんだもん!
YouTubeの実況中も聞き苦しい声になっていたらすみません。頑張ります!
まとめ
拙く長い文章を読んでいただき有難うございました。自己紹介でした。もしこのブログを読んで私に興味持ってくれる人がいたら嬉しいです。
オカルト好きな方や、ゲーム好きな方と語り合いたいのでもし良ければコメントお願いします!
YouTubeでも実況や配信しているのでそちらも宜しくお願いします!
これからブログで色々なことを発信していきたいと思っているので是非ファンになってください!(笑)
有難うございました〜!
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haruhara-san · 4 years ago
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7/26(月)
朝の8時くらいに起床。この日も天気がよくて、窓外の向こうの丘の上の教会を眺める。iPhoneを開くとたくさんのメッセージが届いてる。LINEの中に世田谷美術館の映画講座を一緒にやってきた講師人のグループがあって、大学の時から一緒だった脚本家の保坂大輔さんが我がことのように喜んでくれてた。私が寝てる間もずっと一人で祝杯を上げてたみたい。それを見たら泣いた。ツイッターを開いたらたくさんの反響が届いてた。一つ一つのメッセージにお返しはできなかったけれど、ありがとう、ありがとうございますと心の中で思った。しばらくベッドに座ってた。お腹が空いた。シャワーを浴びて2階のビュッフェへ。3回も壇上に上がって挨拶したし、ほとんど見かけないアジア人でもあるし、すれ違う人がみんなすぐに誰か分かるみたいで笑顔で挨拶や会釈をしてくれる。トレイにコーヒーとフルーツとクロワッサンとハムとチーズとゆで卵とヨーグルトを載せる。いつもの席は他の誰かが座ってたのでちがうテーブルに。食べてたら一人の男性が声をかけてきて、見覚えがある人で、フレンチ・コンペティションの審査員の方だった。これからバイクに乗って遠くにある家に帰るから眠気覚ましのコーヒーを最後に飲みにきたとのことだった。テーブルの向かいに座った。受賞を讃えてくれた。
部屋に戻ってiPhoneを確認したら、送ったメッセージが既読になってなくて、荒木さんも槻舘さんも川村さんもまだ寝てるのがわかった。みなさんの荷造りを心配しつつ、自分も動けない。部屋のあちこちにある荷物を眺めるまま時間が過ぎていく。それでも立ち上がって少しずつ物の整理を始めた。額に入った賞状3枚はどうしようと思ってたけれど、割れませんようにと願いながら何とかトランクに押し込んだ。チェックアウトの時間は11時。パリに向かう電車は12時発。ロビーが混む前にと思って早めに部屋を出る。受付が空いててすぐにチェックアウトの支払いもできた。映画祭の車両が迎えに来てくれると聞いてたから表に確認に行く。車体に「FID」と書かれた一台があったので、声をかける。申し訳なさそうに、これは別の人を乗せる車だと教えてくれる。ロビーに戻ったところで川村さん、槻舘さん、荒木さんが順々に降りてきた。みなさんも無事に荷造りもできたようでほっとした。賞状を押し込むスペースを作るために出した荷物があって、それを槻舘さんが受け取ってくれた。槻舘さんから頼まれてたムシューダなどの生活品が入った袋。フランスでは手に入らないものたち。槻舘さんはカンヌからの長旅だし、パリに戻ってから渡すつもりだったけれどこのタイミングで受け取ってくれた。川村さんのチェックアウトも済んでみんなで表に出た。一緒に写真撮ってもらいますかと槻舘さんが小声で尋ねてくる。見ると縁石に『KIDS』のラリー・クラーク監督が杖に手を置きながら腰掛けてる。雰囲気がすごくて、大丈夫ですと伝える。10人乗りの車がドア前に停車した。どうやら私たちと、他の映画祭関係の人たちも同乗するみたいだった。その一人は私たちに賞をくれた審査員の一人だった。実は、サイトを見ても今回の審査員がどなたなのかいまだにわからなくて、お名前を書けない。滞在中にお世話になる人たちがきっとたくさんいるだろうと思って、小さなお土産をたくさん用意してた。タイミングが難しくて誰にも渡せないままだったけれど、その一つを審査員の方に渡せた。千代柄の手鏡と小さな便箋セット。運転手の方に相談したらまとめて映画祭スタッフのみなさんに渡してくれることになったので、残りを全部託した。車に乗り込んでホテルを後にした。
マルセイユ駅に到着。アジア料理のお店で昼食用のお弁当を買うことに。私と槻舘さんはバインミー、荒木さんはサラダと何か(サンドイッチ?)、川村さんは何かの丼。川村さんは急きょのマルセイユ参加だったので、同じ電車のチケットは取れたけれど別の車両。一旦お別れする。槻舘さんと荒木さんと私は通路を挟んで一列の席。行きと同じく棚に置いたトランクを常時チェックできる位置だった。電車が発車してから少ししてグループのメッセンジャーに川村さんから丼の写真が届く。海鮮丼だった。刺身のほかにフルーツが載ってる。びみょうと書かれてる。バインミーはおいしかった。荒木さんは食後にチョコレートも食べてた。槻舘さんと荒木さんのおかげで行きの電車では色々試しても使用できなかったWi-Fiを使えるようになった。行きは窓外の景色をずっと見てたけれど、帰りはiPhoneの画面ばかり見てた。本当にいろんな方が受賞を喜んでくれてたり、反応してくれてる。途中トイレに行った。流すためのボタンやレバーがどこにも見当たらず、ぐるぐる回ったりしゃがんだり隈なく全部を見るけれど分からず途方に暮れる。ようやく足でペダルを踏むタイプだと気づいて踏んだ。ほっとした。
パリのリヨン駅に到着。改札を出たところで川村さんと再会。トランクを引きながらみんなで槻舘さんに付いていく。地下鉄の券売機で回数券を購入して3人で分けた。パリの電車の改札は細身の人用に作られたみたいに狭い。ここから地下鉄を乗り継いで移動。フランスを知ってる人たちからスリに気をつけるように言われてたのと、やっぱり槻舘さんからも念押しされたのもあって、かなり注意深く荷物を持った。無事に何事もなく目的の駅に到着。地上に出ると整備されたとても綺麗な街並み。雰囲気も穏やか。このエリアはそれぞれの道に監視カメラがあるからだと槻舘さんが指差しながら教えてくれる。槻舘さんのお住まいに到着。この日から2泊お世話になることに。寝床のある部屋が3つあって、振り分け。川村さんは僕はここでいいですと言って一番布団が硬い部屋、荒木さんは小さくてかわいい部屋、私はソファベッドのあるリビング。テラスに出るとセーヌ川がすぐ下に見えた。見晴らしもよくて気持ちいい。槻舘さんがおもむろにココナッツの殻に入ったココナッツミルクのアイスを出してくれた。きっと荒木さんに食べさせたくなったのだと思う。スプーンですくって食べるとこれがまたおいしい。川村さんはこのあと私と荒木さんが行く予定だった病院に電話して追加の予約。槻舘さんはカンヌ国際映画祭の批評家週間スタッフの打ち上げパーティーがあるとのことで、支度を始める。鍵を受け取り、特殊な開け方を入念に教わる。いってきますを伝えてマンションを出る。歩いて15分くらいと言われてた病院の住所をGoogleマップに入力したけれど、方角に不具合が起きる。川村さんが代わりに地図を見てくれることに。少し歩いたところで突然の土砂降り。雨宿り。槻舘さんから「だ、大丈夫?」とメッセージ。川村さんが淡々とiPhoneでウーバーを起動してタクシーを呼んでくれる。川村さんは動揺しない。少し離れたところに表示される一台が一向にこっちに来てくれる様子を見せない。雨も少し弱まり、やっぱり歩いて向かうことに。川村さんが病院に電話して状況を伝えてくれる。少々濡れつつひたすら歩く。大きな病院に到着。入口に黒服の人たちや警備員の人たちがいて物々しい。病院のどこに行けばいいのか分からず、受付で自分たちが日本人であることを伝えるとすぐに了解して的確に道順を教えてくれた。廊下を曲がったり進んだりして予約をした先生の部屋に到着。17:00の予約で20分の遅れだった。となりのトトロやドラえもんや妖怪ウォッチなど日本のアニメ作品のポスターやおもちゃなどがきれいに飾られてる部屋。日本人の先生。まずは荒木さんと私がPCR検査を受けることに。先生、少し焦ってる。17時30分きっかりにPCRテストの検体を受け取る部署が閉まるらしく、急いで質問や書類の記入などを進めてくれる。焦ってるように思えるけれど、冷静で感情が顔に出ない先生。それだけでなんだかすごさが分かる方。無事に検査終了。じゃあ提出してくるので待っててくださいと言いながら先生が足早に出ていく。PCRテストは(多分保険が効かないから)現金払いで、155ユーロきっかりをそれぞれ用意してほしいと言われる。日本へ帰国するためには国から指定された陰性証明書を用意する必要があって、この病院に来たのはそのためだった。書類の用意などもあるので値段も高い。ほとんどカードで済ませるつもりで310ユーロも現金を持ってなかったので、ディスペンサーで下ろしてくることに。来たときの廊下の途中にあった。310ユーロを下ろす。5ユーロ札は出てこなかったから、みんなが持ってる小銭をかき集めるしかないと思う。財布にお札を入れて顔を上げたところで俳優のジャン・レノと目が合った。通り過ぎていった。待合スペースに戻って荒木さんにジャン・レノがいたよと伝える。だれ? という顔をしている。CMのドラえもんの人だと伝えたらわかってくれた。それぞれの5ユーロ分は無事にコインでなんとか集まり、先生に渡す。よ���ったですと少しだけ微笑んで小銭を受け取ってくれる。表情はあまり動かないから感情は読み取れなかったけれど最後までやさしい先生だった。無事に全員診察を終えて病院を出る。
夕飯をどうするかを3人で話す。疲れてた川村さんと私は帰り道の適当な店でいいんじゃないかと言う。荒木さんは槻舘さんが薦めてくれたステーキがおいしい店にやっぱり行ってみたいと提案してくれる。こういう時にちゃんと踏ん張れる人を尊敬する。タクシーに乗って移動。途中、凱旋門を通過してああこれが凱旋門と思う。工事中だった。予約はしてなかったけれど、目的のお店にすぐに入れた。入り口近くのテラス席。食事のメニューはなくて内容は一択。前菜のサラダとステーキとポテト。焼き具合だけ聞かれたので荒木さんと私はレア、川村さんはミディアムレアと伝える。やっぱりレアがいいかもと川村さんが迷ってたので代わりに伝えにいく。サラダもステーキもポテトもすこぶるおいしい。フライドポテトはこれまで食べたものの中で一番おいしかった。ステーキをあっという間に食べ終わる。検査も終えたし、ビールも飲んでようやく気持ちがほっとする。荒木さんが、あれエッフェル塔じゃないですかと気づく。確かに通りの向こうに先っちょだけ見えるのがエッフェル塔かもしれない。生まれて初めて見るエッフェル塔。記念に写真を撮る。お店の人がトレイを持って回ってきて、食べ終わったお皿にステーキを追加していった。お代わり自由のお店だった。ポテトが山盛りに載せられたトレイも持ってきて追加してくれる。炭水化物の取りすぎを心配しながらおいしいからとみんなどんどん食べてしまう。小さなメニューを渡される。筆記体のフランス語で何がなんだかわからないけれど、きっとデザートのメニュー。川村さんはデザートはいらないと言う。荒木さんと私で、勘だけで二つを選んでお店の人に伝える。英語も話せる人で、どんなデザートか説明する? それともサプライズにする? と聞いてくれる。サプライズでお願いしますと伝える。二人ともベストチョイスをしたよと言って去っていった。出されたデザートもまたおいしかった。名前は今もわからない。
食事を終えてまたタクシーに乗った。日本語が達者な人。五反田とか旗の台の話をしてくる。遠くの凱旋門の向こうに夕日が見えた。槻舘さんの部屋に着いて休憩。荒木さんが槻舘さんにお風呂に入ってもいいですかと確認のメッセージを送る。いいですよと返ってくる。荒木さんは湯をためて早速入る。荒木さんがお風呂から出てきた後もしばらくみんなでリビングでぼんやり過ごしてると槻舘さんからメッセージが届く。そろそろ終わって帰りますとのこと。続けて、私が帰るまでにどんどんお風呂を済ませてくださいとメッセージ。慌てて私から入って川村さんも済ませる。槻舘さんも無事に帰宅。色々と済んで、洗濯物をまとめて洗濯機で回してくれた。すぐれものの干し機があって、リビングの真ん中に置いてそれぞれの洗濯物を干す。この夜は川村さんと荒木さんと3人でずいぶん長く話したと思う。ワインも飲んでまぶたも閉じてきたところでおやすみなさいを言って就寝。
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gohan-morimori · 4 years ago
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アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンイチガツニジュウゴニチカラサンジュウイチニチマデノニッキ
1月25日(月)
 大前粟生『私と鰐と妹の部屋』読み終える。この本はたしか去年の2月だったか3月だったか(たしか2月)の本屋博で、toi booksのブースで買ったものだ。特典の『全身が青春』を読む。読んでいたら、やっぱり日記なんじゃないか、という気分になる。日記、いいな、となる。やったほうがきっといい。っていうかやりたい。という気分がどんどん高まっていって、でももうわたしは笹塚には住んでいないからタイトルを笹塚日記からなにか違うものに変えたほうがきっといい。変えないとテンションが上がらない。ということで、ぐるぐる考えて、アジャラカモクレンにしようと思った。3年前だったか4年前だったか(たしか3年前)(いや4年前か、もう)、そのころはまだ京都に住んでいて、でも東京へ行くことがほぼほぼ決まっている段階で、そういう状態で日々を過ごしている中で、なにか書きたい、小説ではないなにか、というようなことを思って、Tumblrでブログっぽい文章をいくつか書いていた時期があった。そのTumblrの名前をアジャラカモクレンにしていた。死神っぽいなにがしかから身を守りたかったのか。それが、そのTumblrがまだ残っていて、それも使おう、と思った。noteを使っていく上で、noteとかcakesとかに対するモヤッとした感情を解決するための策として、すこし前から、ショート・スパン・コールの更新/公開はnoteとg.o.a.tとTumblr(と、時間差でInstagram)を並行して使う、ということをしていた。「noteを使う」から「noteも使う」にすることで、自分の中でのnoteの重要性というか、一箇所性(一箇所性?)というか、ここだけ感というか、そういう価値を下げて、均す。わたしの文章を読む(読みたい)人に対しては「読みたい場所、モヤッとしない場所を選んで読んでね」という態度でいることができるし、ひとつの文章を更新/公開する場所を増やすことで、予期せぬ出会い、みたいな可能性も増やせたら、みたいな。いまのところそれはなんだかうまくいっているような気がしていて、というかわたしはとても気が楽で、こりゃいいやと思っている。しばらくはこの方法でいくのだと思う。そもそもいままで、なんで一箇所でしか更新/公開していなかったのだろう。なにはともあれそれでアジャラカモクレンのロゴを作った。なにはともあれまずはロゴ、ということで、バージョンの古いイラレを嬉々としていじり、ロゴを作った。アジャラカモクレンこれは日記です。アジャラカモクレンコレハニッキデス。死神よ消えろ!
1月26日(火)
 休日。去年の12月からは職場のシフトを固定にしてもらっていて、だから毎週火水はおやすみ。確定申告とか、皮膚科とか、耳鼻科とか(もう花粉が暴れだしている)、新宿の某クリニック(ホルモン注射)とか、やったほうがいいこと、やらなきゃいけないこと、行かなきゃいけないとこ、行ったほうがいいとこ、が溜まっているのだけど最近の火水はなんだかんだでずっと家に居てしまう。ショート・スパン・コールをぐんぐん書く。佳境、というか、自分の中でここは特に大事に慎重に書きたい、みたいなところにもうすこしで差し掛かりそうで、どきどきしている。なんだかんだで100篇はゆうゆう越えるもんだな、とも思っている。本読んで、書いて、トイレ行って、コーヒー飲んで、ビタミン剤飲んで、本読んで、書いて、トイレ行って、部屋うろうろして、コーヒー飲んで、煙草吸って吸って吸って本読んで書いて、みたいな感じで夜になってゲラ2本チェック。それぞれに戻す。
1月27日(水)
 休日。昨日から、というか一昨日の夜からずっと同じ寝間着を着ている。着替えていない。火水はこうなる。読んで書いて書いて読んでコーヒー煙草トイレコーヒー煙草スパゲッティ読んで書いてコーヒー煙草煙草煙草吸い過ぎだなコーヒートイレ煙草読んで書いて書いて書いて部屋うろうろ。リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』読み終える。高木美佑『きっと誰も好きじゃない』読み終える。リディア・デイヴィスの本を読むと勇気と恐怖が同時にやってくる。ここまでやってくれている人が既にいる、という勇気と、それと同じだけの恐怖(ここまでやってくれている人が既にいる……)。先週だったか、toi booksのYouTube配信で、大滝瓶太×滝口悠生のトークを聴いていたら、滝口さんが「連載って大変」みたいなことを言っていて、わたしは『灯台より』で自分が連載している小説「どこに行ってもたどり着く場所」のことを思いながら、勇気と恐怖が同時にやってきたのを思い出す。滝口さんでもそんなこと思うんだな、という勇気と、滝口さんでもそんなこと思うんだな、という恐怖。もしかしたらわたしはまだ到底持ち上げられない重さのダンベルに手をかけている状態なんじゃないか、みたいな。それを本屋Lighthouseの関口さんにSkypeで話して、そのSkypeは関口さんによるアナログなのかハイテクなのかわからない手法でライブ配信されていて、ほぼ機材チェックみたいな謎の時間を視聴者には提供していたこととは思うが、なんだか久々に、自分の生活圏外の人(関口さん)と交流、というか井戸端会議っぽい駄弁りができた感じがして、いい息抜きになった気がしている。関口さんとのSkypeを切ってから阿久津さんのZOOMにアクセスして、会議、というかこれもまた駄弁りのような、わちゃわちゃした会話をしていたら野口さんもZOOMに入ってきて、それで3人でわちゃわちゃと話してなんだか楽しかった。仕事と遊びがまぜこぜになる感じ。いまだにわりと新鮮に「オトナだ」となる。今年で29歳なんだから、オトナだろうよ。阿久津さんと野口さんはスタバの話でずいぶんとハッスルしていて、スタバになんのメモリアルもないわたしは途中からスマホをいじったりぼや〜っとZOOMの画面を眺めたりしていた。通話終わり。ゲラに関するメールを打って送る。なんだかどっと眠たくなって、歯を磨いて寝る。
1月28日(木)
 11時過ぎだか12時過ぎだかに起きる。14時には下北沢に着いていないといけない、というのを、忘れていたわけではないのだけれど「それってつまり」と考えることができなくて部屋をうろうろしたりぼやぼやしたりしているうちにちゃんとしたご飯を食べる時間がなくなっていて着替えてざっくり化粧をしてチキンラーメンを啜って家を出る。小雨。聞いてないなあ、知らないよ、雨、と思いながら自転車に乗った。雨粒がぽろぽろとマスカラに当たるのを感じていたけれど雨が降るなんて知らなかったから知らなかった。雨なんて無視無視。下北沢についた。阿久津さんと話す。話している間、雨が雪に変わっていくのが阿久津さんの後ろ、ガラス戸越しに見えて、話している途中で、あ、雪、と言った。言ったらわたしの斜め前、阿久津さんの横に座っていた桜木さんが反応して、あ、雪、となって、よかった。いい瞬間だった。雪。穂村弘の〈体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ〉という短歌を思い出したり、いしいしんじ『よはひ』の「二歳五ヶ月のピッピ」を思い出したり。職場で働く。静かな日。なにかチームで動くとき、チームに所属するとき、その中に居るとき、わたしはわりと「元気印」みたいなレッテル(レッテル?)を貼られたり、ムードメーカー的な立ち回りを演じたり(演じたり?)、ピエロっぽい役割を割り当てられたり、それらを自覚的に(あるいは無自覚的に)率先して引き受けたり、結果的にそういう立場になっていたり、することがあるのだけど、そしてそれはたぶんわたし自身が望んでそうなっている側面もあるのだろうけれど。いつだって元気なわけではないし、人一倍暗い瞬間だってきっとあるし、汚く醜い感情でひたひたになっている期間だってあるし。そういうとき。元気印が元気じゃないとき。いったい誰がわたしを元気にしてくれるのだろう。みたいな、行き場のないモヤモヤ、憤り、やるせなさ、みたいなものを感じることがちょいちょいあって、いままでは、そういうときはそのモヤモヤや憤りややるせなさに任せて、誰かに怒られたりするまで奔放に破壊的な行動をしてきたのだけど、いまは、いまの職場では、というかいまの自分は、そういうときも、そういうときであっても、仮面であっても演技であってもポーズであってもいいから、「元気」を全うしようという気持ちでいる。すきな人たち、信頼している人たち、素敵な人たちを自分の不調や不機嫌や元気のなさによっていたずらに不安にさせたり傷つけたりしたくない。それもきっと仕事のうちだ、と、思いはじめている。それがいつだってできるわけではまだないし、じゃあわたしの元気がないときは誰がわたしを元気にすんだい、みたいな気持ちへの落とし前はぜんぜんつけられないけれど(そしてその問いへの答えは結局「自分自身」でしかないのだけど)、でも、死ぬまで独り身で生きていくかもしれない現実に向き合って覚悟を決めて朗らかに独り身を生き抜くリズムを作るために去年の10月から一人暮らしをはじめたのだから、だから……なんだっけ?閉店時間になって、帰り支度をして、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読んで、帰って、コーヒーを淹れて煙草を吸ってこの日記を一昨日昨日の分まで書いて洗濯ものを干して(めちゃくちゃさむい)、湯たんぽをあっためてパソコンデスクの下に置いて足を乗っけてあったまりながら今日の分を書いて、ピラカンサのシュトーレンを切って食べて(しみしみになっていておいしい)、これからお風呂に入る。湯船に浸かりながら吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』の続きを読む。いろいろ重ねて読んでしまうからしんどい本だけど読んでおきたい本でもある。気圧ひくい。頭いたい。かなしい気持ちになっている。奔放に、抱きしめられたいな〜、人に。最後にだれかと手をつないだのっていったいいつだ。
1月29日(金)
 寒い。晴れている。出勤。せわしなく働く。閉店後、
https://soundcloud.com/yunovation/virtual-luv20190314-1
を一曲リピートで延々流しながら、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない -とり残された者のためのトランスジェンダー史』を読む。読み終える。終わりの文章でちょっと泣きそうになる。死にたくないな。生きなきゃな。とか思う。家に帰る途中で西友に寄って牛乳とオレンジジュースと豚バラとキムチを買って帰る。中橋さんに電話してだらだらしゃべる。途中からGoogle Mapで京都のあちこちを見回るのがやめられなくなって、電話を切ってからもだらだらと地図上で京都のあれこれを見ていた。それからなぜかYouTubeで予備校講師の動画を見漁りはじめて、止まらなくなって空が明るくなってから危機感に襲われて入浴。湯船に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読み始める。去年はこの時期に佐伯一麦『ノルゲ』を読み始めた気がする。2月だったかな。同じ時期にノルウェーの本を読んでいるのがなんだか不思議とうれしいきもちになる。眠る。
1月30日(土)
 起きたり寝たり起きたりを行ったり来たりして13時50分くらいに起きる。慌てて準備をして出勤。煙草を忘れたことに家を出てしばらくしてから気がついて途方に暮れる。働く。せわしなく働く。いそがしいそがし、あわあわあわあわ、としているうちに閉店の時間になって身体がやたら重たくて怖くなった。ごはんを食べながらiPhoneで呪術廻戦の最新話を観る。ほんとTikTokみたいなアニメ/漫画だなと思う(いいとかわるいとかではなく)。ハンターハンター、ソウルイーター、BLEACHの気配をむんむん感じる。そのまましばらく身体が重くて動けなくなって、お腹が痛くなってきて、こわいこわい、と思いながら身体を椅子からひっぺがして帰り支度をして職場を出た。家に帰っ���可燃ごみをゴミステーションにぶちこんで今日一本目の煙草を吸って、腹痛に耐えかねてトイレに籠もってお腹をさすりながら『京都町中華倶楽部』創刊号を読む。おもしろい。この本を面白がれるのはわたしがいま京都にいないからなのかもな、と思う。キッチンとトイレを何度か往復しているうちにだんだん腹痛がおさまってきて、ビールを飲みながらまた煙草を吸う。京都。京都にいつか戻りたい。「戻る」という言葉がやはりしっくりくるな、と思う。戻りたいな、と思う。いつか。それがいつなのかはわからないけれど、いつかほどほどに自由に居住地を選べるような身分になったら、また京都に住みたい。でも東京が嫌だとか嫌いだとか、ここにいたくないとか自分の居場所はここじゃないとか思っているわけではなくてむしろ逆で、東京は東京で好きだし、ここは自分のいまの居場所だと思っている。でも、これは去年の4月ごろ、緊急事態宣言で家に籠もりっきりになって、あちこちの団体やお店なんかでクラウドファンディングが立ち上がったりしていたころ気づいたことなのだけど、わたしがこういう状況下で「助けたい」とか「助かって欲しい」とか「生き延びてほしい」とか「なくならないでほしい」とか思うような場所、モノ、人、コトのほとんどは京都のあれこれで、京都の書店で京都の映画館で京都のライブハウスで京都の酒場で、それはわたしが東京に住み始めてからまだ2年半ほどしか経っていないのもあるし、東京に来てから1年以上は手術費を稼ぐために娯楽的なあれこれを極端に切り詰めてきたからで、そもそもわたしはまだ自分が住んでいる土地のことをぜんぜん知らない。知らない土地に対して「助けたい」と思うのはむずかしい。というか、まずは京都が助かって欲しい。話はそれからだ、感がある。ここ半年ほどは、本を買うときは大抵京都もしくは大阪の書店のオンラインストアで注文しているし、たぶんこれからもそうしていくだろう。みたいなことを考えたり昨夜に引き続き予備校講師の動画を見漁っていたら日付が変わっている。今日こそは早く寝たい。喉に違和感がある気がする。こわ〜。
 自分にとって京都ってなんだったんだろう。みたいなことをよく考える。考えるというか、ぼやぼやと思ったりする。カンタンに最強になれる場所だったな。カンタンに、井の中の蛙になれる。よく晴れた日に、紫明通を自転車で走っているとき、ここが世界だと思っていたフシはあった。井の中の蛙は大海を知らないが、大海の鯨は井の中を知らない。井の中でしか存在し得ない世界を知らない。
1月31日(日)
 とか書いたけど嫌なことも悲しいこともむかつくことも、孤独も寂しさもどこにも行けないもどかしさも、京都にいた約7年間で味わい尽くしたはずで、だからわたしの京都観には著しい美化が伴っていて、それをちゃんと自覚しておかないといけない、たぶん。トランスジェンダー、という自分のいち側面だけを考えると明らかに京都より東京のほうが日常で被るストレスや暴力、差別や排除はすくなくて、すくない気がいまは気がしていて、それはやっぱり人間の多さに依るところが大きいし、京都の狭さ、人の(土着的な人の)少なさはやっぱりトランスジェンダーといういち側面において無視できないしんどさをわたしの日々に与えていたはずで、出ていきたい、ここを出ていきたい、という気持ちと、出ていけない、一生この場所で時給労働に従事し尽くした結果疲れてすり減って独りで何も成し遂げられないまま手術も満足にできないまま貧困状態のまま死んでいくんだ、クソが、みたいな気持ちで粉微塵になりそうだったはずで。そこから愉快な奇跡が重なっていまわたしは東京にいる。11時なのか12時なのか、みたいな時間に起きた。起きたけど起き上がることはできなくて、貪欲を抱きしめたり貪欲と添い寝みたいな格好になりながら、『京都町中華倶楽部』創刊号を貪欲の顔に乗っけて布団にくるまりながら読んでいった。龍門なつかしいな。行きたいな。知らない店がたくさんある。とか思っているうちに13時前になって慌てて布団を出てお風呂に入れない。家を出る。買い出しをして出勤。忙しくて慌ただしくてちょくちょく恐慌状態になったりしながら踏ん張って働く。忙しい。疲れた。ごはんを食べてビールを飲んで煙草を吸って身体が動かない。動かす。職場を出て、家へ。帰宅。「どこへ行ってもたどり着く場所」連載第3回の原稿について考えたり、『ショート・スパン・コール』94篇目〜103篇目あたりまでの展開や構想を練ったりしながら自転車を漕いでいると自分がどこにいるのかわからなくなりそうで怖い。いつか事故りそう。やっぱり日記を書きはじめるとそれ以外が書けなくなる。不器用。わたしはむずかしいことをしていて、それはひとりごとの言えなさに似ている。2冊目の歌集を出したい。というか出す。モノはあるから、自費でやろうか、BASEで、みたいな気持ちにかなり傾いていて、今年の上半期中に組版をやって見積もりをしよう。「どこへ行ってもたどり着く場所」も、『ショート・スパン・コール』も、大切に書きたい。疲れた。疲れた。今日こそお風呂に入ろう。2月は「どこに行ってもたどり着く場所」の原稿を書く前に読まないといけない(と、自分に言い聞かせている)本が何冊もあるから、ヘビーな月になりそう。がんば〜〜りまっしょ〜〜。タフネスを俺にくれ!!!!!!!!!
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guragura000 · 5 years ago
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだ��ャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくな��。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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mepapa388 · 5 years ago
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「3密」を避けようがない福祉分野
コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。
高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。
不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。
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GWはベランダキャンプを決行予定
もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。
さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前、3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。
名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場
3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。
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大人1人300円、予約不要、入退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。
キャンプ場基本情報
住所 〒437-0626 静岡県浜松市天竜区春野町領家345 料金 大人1人 300円・小学生未満 無料 事前予約・キャンセル料 必要なし・キャンセル料なし 入退場時間 制限なし 薪・焚き火 薪400円・直火OK トイレ 水洗トイレ完備
何と言っても利用料の安さ。無料キャンプ場ではありませんが300円を払うことで何となく安心感が生まれるのは何故でしょう?受付なども特になく、夕方頃になるとキャンプ場入口にある「門前屋」さんが各テントを回って料金を徴収していかれます。
名古屋から1時間30分ほどと好立地
名古屋と言っても広いのですが、名古屋の中心部に近い我が家からは高速道路経由で1時間30分ほどで到着します。 東名高速「浜松北インターチェンジ」を降りてから30分ほどで到着します。
初の動画撮影に挑戦
稚拙ではありますが、初の動画撮影に挑戦してみました。
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直前に購入したGoProで撮影。この夏は登山でもと思っていましたが残念です。冬山ではバッテリーが死んでしまいそうなので、使えるのは来年かな??
河川敷の雨キャンプスタート
この日は夕方前まで強めの雨が降り続く予報。ということで、出発はゆっくり。大体こういう時は他の方もスロースタートなので大丈夫でしょう。途中「道の駅 いっぷく処横川」で途中休憩。採れたてのシイタケを購入しました。
写真は翌日撮ったものですが、シイタケの原木も格安で売っていて、買ってくれば良かったと後悔しています。
降りしきる雨の中、今シーズン初のオープンタープ
入口と言っても特にゲートなどはなく、河原に降りていくだけ。結構な雨が降っており、案の定テントは疎らでした。適当な場所を見つけてタープをパッと設営。今シーズン初のオープンタープです。
話は変わ��ますが、タープを張る際、1人がポールを持ってもう1人がガイロープのペグを打つ姿をよく見かけます。もちろんそれでも張れるのですが、まずメインポールを支える4本のガイロープを地面に打ち、それからメインポールを立ち上げるのが基本です。こうすればタープは1人で簡単に張れます。
まだ少し肌寒い季節でしたが、翌日の天候も微妙だったのでこの時期定番のアトラスはやめて、雨でも焚き火を楽しめるようにオープンタープに。テンマクの焚火タープならばタープ下で焚き火が出来ますからね。
写真だと分かりづらいですが結構降ってます。風もあったので半分を地面に直打ちして風除けと目隠しに。
シンプルに設営完了です。
道の駅で買ってきたシイタケをフジカで炙って食べました。ジューシーで香りも強くて美味しかった!みぃ君はシイタケではなくチョコパイ食べてます(笑)。
雨のキャンプだとなかなかやることはないのですが、2人でストーブにあたりながらお喋りしたり、イカを炙って食べたり。火器を組み立てもらったりとノンビリとその時間をただただ楽しみました。
落ちている石を温めだす人。少しでも空間を温めようと一生懸命考えた結果です。私自身も子どもの頃にやっていたことなので血は争えません。
ゆるキャン△ファンのみぃ君ですから、四尾連湖キャンプ場編で食べていた焼き鳥をいただくことに。遅ればせながらスキレット購入しましたが、とても便利です。
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そうこうしているうちに雨もようやく上がってくれました。
夕闇迫る
夕ご飯は「キャンプ」と言えばのカレーです。クッカー類の片付けに少し手こずるのであまり作ることがなかったのですが、GSIのスクレーパーを使うようになってから片付けのストレスが激減したこともあって、よく作ります。簡単だしよく食べてくれますしね。
外で食べるカレーは何倍も美味しい。
あっという間に日は暮れて。
昼の疲れが出たんでしょうね。19時過ぎには椅子寝でグッスリ。この春から小学校1年生となったみぃ君。この時はまだ保育園卒園式前でしたが、まだ小学校に通ったのは入学式の1日だけ。最近は「がっこういきたいなー」とよく言っています。友達出来るかな~と不安と楽しみで揺れていたと思いますが、これだけ待つと、とにかく早くスタート切りたいでしょうね。
今はキャンプに連れて行って気分転換も出来ない時だけに、休みのたびに家の近所でキャッチボールやら自転車三。おかげで自転車には乗れるようになりました(笑)。オヤスミなさい。
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その後はストーブとランプの明かりに照らされながらしばし読書タイム。霧が発生して星は期待出来そうにないので私も早々にシュラフに潜り込みました。
霧の朝、待望の青空
3年前も目を覚まして外に出ると真っ白でした。
ここは地形的に霧が出やすいのでしょうか?キャンプや登山の楽しさって、同じ所に同じように行っても季節によっても景色が違いったりするところだと思っているのですが、今回はデジャブみたいでした。
おはよう、寝起きの焚き火。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、クーラーボックスに入れていたお茶が凍りました。災害時対応用にも想定して購入したポータブル冷蔵庫をキャンプのクーラーボックスとして使っていますが、夏場でもビールがキンキン!春先ぐらいまでは入れているものが簡単に凍ります。CB缶1本で約20時間動きます。よくそこまで冷えないという声を聞きますが、必ず水平を維持することがコツです。
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しかし、この夏は使えるか・・・どうか終息して欲しいですね。
朝食は手を抜いて前夜のカレーの残りにうどんを投入してカレーうどんです。
待望の青空。予想外の好天で無事に乾燥撤収も出来そうです。光がとっても綺麗な時間でした。
どこに張っても大丈夫というフリーサイト。一段下がった河原にも張れますが、大きな石が多めでちょっと苦労しそう。雨も怖いですしね。張ろうと思えば物凄い広大な敷地だとは思います。
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ちなみに地面は下の方まで石混じりで超硬いですから、アルミペグなどではご覧のとおり。鍛造ペグ一択です。
早くまた一緒に焚き火がしたい。
気田川。清流として名高い川ですが、前回来たときは豪雨の後だったのでかなり濁っていました。今回も雨の後だったのですが、それでもこれだけの青さ。川の流れは速く、深さもありそうなので子どもの水遊びというわけにはいかないのかもしれませんが、とても綺麗な川でした。みぃ君は対岸まで石を飛ばしたくて一生懸命投げ続けていました。
ということで帰りの車に乗った瞬間に爆睡。
コロナウイルス外出自粛要請前の最後のキャンプ。今は1週間先がどうなっているか分からない時だけに、この先がどうなるのか何とも見通せない不安はありますが、いつか必ず山にもキャンプにも家族みんなで出かけられたらとそう願っています。各地の山やキャンプに関係する方々の生活がとても心配ですが、何とか持ちこたえて欲しい・・・。
【キャンプ】秋葉神社前キャンプ場 ー コロナウイルス自粛前、最後のキャンプは静かな雨キャンプ 「3密」を避けようがない福祉分野 コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。 高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。 不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。 GWはベランダキャンプを決行予定 もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。 さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前、3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。 名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場 3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。 大人1人300円、予約不要、入退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。 キャンプ場基本情報 住所
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