#ドイツの木のおもちゃ
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◆ドイツ・ヴィンテージ クリスマス飾り



◆ドイツ・ヴィンテージ 白樺丸太細工のクリッペ ¥3.300 幅19cm、厚み約2cm 木の皮や年輪の木目をそのまま生かした丸太の木工細工です。キリストの生誕場面を切り出してパズルのように作ってあります。ドイツ語で【クリッペ】と呼ばれるクリスマスシーズンの飾り物です。パーツを少しずつずらして飾ると陰影が出て素敵です。こんなナチュラルな雰囲気のクリスマスも良いですね♪こちらに詳細をアップしています→★
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京都でよかったデートの記録 0412 6歳下の学生起業家と梅田でランチデート。なんでわたしと会おうと思ったんだろう?と思っていたら前の彼女が10歳以上年上だったとのことで合点、そしてとても好感度があがった。目が切れ長で歯並びが綺麗なところがとても好みだった。若いのに色気あるね、と言おうかと思ったけどわたしが言うと褒めているというより恫喝めく気がしないでもなくてやめた。起業してる人って頭よくてほれぼれするし、わたしの奇天烈な行動にも笑顔で聞き流してくれて、話が早くて助かる。 梅田から西梅田まで送ってもらった。 0414 清水五条の工房に行き、清水焼の器を買った。本当はマグカップだけでよかったのだけれど、どうしてもパスタ皿にひとめぼれして、すこし思い切った価格だったけれどこれも出会いだからと思って2つセットで買った。そしたら職人さんにとても感動されて「工房まで買いに来てくれたひと初めてなんです。嬉しいので一つなにかプレゼントします、なんでも」と言われ、恐縮して、追加で2つ茶碗をえらんで一つプレゼントにしてもらった。不恰好に膨らんだ厚い手が、さまざまな色に灼けていてとてもセクシーだった。蕎麦屋さんをいろいろ紹介してくれたが(一緒に行ってくれたらいいのに)と思っていた。 日が空いたけどやっぱり焼き物の職人さんかつ同世代の方と知り合う機会ないと思うから、蕎麦屋に誘ってみよう。蕎麦食べたらすぐ帰るから、って。 0418 「アンゼルム・キーファー:ソラリス展」を高橋君にとても勧められたので、絵を描く趣味があるという起業家を誘って2回目のデートをした。 わずかな隙間の窓から漏れる昼間の陽射しの力だけで照らされてぎしぎし鳴る木の廊下を歩く。暗く翳った部屋の中で、彫刻や巨大なアクリル画をゆっくり見て回った。 暑い日だったのでそのあとジェラートを食べた。地下鉄の階段を下りながら彼が振り返って「楽しかったです」と恥ずかしそうに告げてきたのが印象的だった。 0418夜 吉田寮のKG+の展示を見に行った際、別なイベントが食堂でやっており、たまたま話しかけられて親しくなった人が哲学専攻の博士5年生だった。東京が地元で、高校時代から生粋のドラマーらしい。小説の話をしたら「仕事しながらものつくりも並行してる人って本当にすごい」と言ってくれた。 院に進んだ時点で自分の人生は王道の、まっとうな人生からはずれている、と零していて、わずかに劣等感と矜持の両方を感じ��。「自転車のサドル高すぎたから、今度直してあげるよ また寮来て」とLINEが来て、なんてかわいいデートの誘い方なんだろう、とそれだけでめろめろになった。 0421 シェアハウスを介して2度会った26歳の学部3年生から「もっと話してみたかったのでお茶しませんか」と直球のデートの誘いがあったのでよろこんで承諾してコーヒーショップヤマモトへ行った。 わたしのこと好きってコト⁉と思ったけどそういうことではなくて、単純に人間としてわたしに好奇心を寄せてくれたみたいでそっちの方がうれしいかもしれない。 とても綺麗な顔をしていて、わたしは好きじゃないけどめちゃ女の子からモテそうだなあと思ったらやはりそうだった。モテの弊害の話聞いて面白がる。波長があって、サンドイッチと1杯だけで3時間粘った。 3カ月後から東京へ引っ越すらしいので次は東京で会おうね、と言って別れた。 0421夜 桂離宮へ予約を取っていたのだが同行者飛んじゃったんだよねと熊野寮で船橋さんに愚痴った。「俺建築好きだし行きたいな」と言われたが、食堂で、本を読みながらごはんを食べているめがねの男の人がとてもセクシーで、どうしても目がいってしまい、彼が読んでいた本は「辞書で読むドイツ語」(何それ)で、好ましくてどうしようもなかった。 「彼は建築の学生だよ。学年は知らないな」と船橋さんが教えてくれた。「わたしあの人と桂離宮行こうと思う。ごはん食べながら本読むなんて、ありえないくらい貪欲だからわたしと気が合うよ」と宣言して、食べ終わった後彼の部屋に案内してもらった。「24日の16時に桂離宮に同行してくれませんか」とドアから出てきた途端いきなり要求した。とても緊張した。彼は突然の闖入者に戸惑いながらも面白がってくれて、「ゼミあるけど行きましょう」と言ってくれた。M1で、博士はヨーロッパで取る予定だそうだ。 「きみのコミュニケーションは気さくなんじゃなくてごり押しだよ」と高橋君に指摘されたが、本当にその通りだと思う。
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トレッキング後の仕打ち

週末のトレッキングは、我が家+息子同級生家族で行ってきました。スポーツバギーが同行してたので難易度の低いコース。よって、全体に特に面白みがなく、ハイライトもなし。子供たちがお腹が空いてもうだめとわめきながらも楽しんでいたことが、幸せでしたね。また次に、レベルアップしたコースを共にする楽しみもできました。
家族以外の仲間と歩くと、自分たちの何気ない写真を撮っていてくれたりするのも、とっても嬉しい! わたしたち家族3人、何を見上げているのでしょう。かわいい春の��の声を追っているところかな。
ところで、この日ダメージが最大だったのは、およそ14kmひたすらそれを目指して歩いたクナイペ(ビール居酒屋)に赴いたものの、店主もキッチンも飲んだくれてしまったため食べ物メニューが無効というカーニバル(※)的な余波にて、店を移りファストフードに取って代わってしまったこと。補給食を食べてもなお収まらぬ、子供たちのハングリーコールに耐え切ったのに!
※カーニバル――「5つ目の季節」は 11月11日に始まり、灰の水曜日に終わります。この伝統の起源は冬を追い払う古い風習です。お祭りの騒ぎがハイライトを迎えるのはいわゆる「汚れた木曜日」から灰の水曜日(Aschermittwoch)までの週です。バラの月曜日(Rosenmontag)には大規模なパレードが行われ、愉快な仮装をしたり、伝統的な民族衣装や仮面をつけてパーティーやパレードを楽しみます。――ドイツ連邦共和国大使館ウェブサイト「地方色豊かなカーニバル」より

まぁ、山歩きをしていて開いているはずのレストランが開いてないということは、ままあります。山の中や上の、小さくて大抵は美味しいレストランほど、経営者個人の事情や地域の事由が直に影響しちゃうでしょうから。わたしたちが経験したワースト1は、凍えるような寒さの中を上りきって入った山小屋レストランで、「パーティー予約で満席」と追い払われたこと。道路が通じているためクルマで上がってこられて、雪があればスキー場にもなる人気の場所ですが、各方面から登りつめたトレッキング及びバイクルートの先にあるレストランでの話です。死にゃあしませんでしたが、大変苦労したのは忘れませぬ。
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元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 松本サリン事件に結びつく“異臭騒ぎ” 「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」 三沢明彦さん(68)はそう振り返る。当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めていた。このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。 1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ) 事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。 有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。 事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。 「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団施設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」 東京・世田谷区にあるその「会社」は古いアパートの一室だった。警部が階段で2階に上ってみると、玄関ののぞき窓から見張られていることに気づいた。異様な雰囲気に驚き、その場を離れた。ところが別の場所でも、カメラをもった若い男が警部らを尾行し、撮影していた。長野に戻ってから警部らが警視庁に問い合わせた結果、その「会社」は「オウム真理教の信者が集団生活している」という拠点だとわかった──。そうした捜査状況を取材で得るなか、三沢さんは報じる側も注意が必要だと気を引き締めたという。 「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。と同時に、オウムについて言えば、1989年に起きた坂本弁護士一家失踪事件(のちに殺害事件)でも、オウムのバッジが現場に落とされていて、一家の失踪は教団の関与が疑われていた。これは大変だな……というのは、取材を始めながら考えていたことでした」 サティアンのヘッドギア姿の若者たち 1994年当時、オウム真理教は異様な宗教団体という理解は世間にあったものの、犯罪組織と捉えられていたわけではなかった。同教団は教祖・麻原彰晃のもと、前身団体を経て1987年に設立。ヒンドゥー教やチベット仏教的な要素をにおわせながら、空中浮揚ができる、悟りを開くなど超常能力や神秘体験を謳い、若者を勧誘していった。テレビや雑誌などにも積極的に登場し、宗教学者や著名タレントなどと語り、信用を得ていった。 そうした裏で、教団は異常な活動に及んでいた。強制的な信者勧誘、薬物による修行、異常なルールでの集団生活。こうした活動のなか、坂本堤弁護士によって「オウム真理教被害者の会」が1989年に発足。同年、「サンデー毎日」によるオウム問題の連載報道が始まり、坂本弁護士も登場した。すると、麻原は坂本弁護士を敵と認識。麻原の指示によって、坂本家の3人(坂本弁護士、妻、子)は殺害された。だが、事件当時、坂本家の3人は「失踪」とみなされ、教団の捜査までは至らなかった。 教団はその後、ハルマゲドン(世界の終末)などを掲げ、日本の国家中枢を破壊することを計画。ロシアから軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器などの開発に乗り出した。1994年にそれらの試作品がつくられだし、ジャーナリストの江川紹子氏や弁護士の滝本太郎氏などが殺害対象として化学兵器で襲われた。松本サリン事件は当時教団による土地売買で訴訟が行われていた長野地裁松本支部の官舎を狙ったものだったが、大量殺害計画の最初の試みだった。 ただ、そうしたことが明らかになったのは、すべての事件が終わった後のことだった。 11月11日、科学警察研究所の鑑定の結果で、上九一色村で採取された土壌からメチルホスホン酸が検出された(正式な鑑定書は16日)。それはサリンを合成する際にできる副生成物だった。 12月初旬、三沢さんは上九一色村の現地まで車で出向いた。粉雪が舞う寒い日。牧草地の向こうに異様な建物群が現れた。その日のことは、後年、自著でこう記している。 <教団のサティアンは広い敷地に点在していた。そして、その周辺��は不気味なヘッドギア姿の若者たちが突っ立っている。見張りなのだろうか。途中ですれ違う白い修行服姿の女性の顔は青白く、表情がない。ダクトやパイプが複雑に交錯する目の前の白い建物が、サリン工場の第七サティアンとはその時、わかるはずもなかった>(『捜査一課秘録』) 1995年、山梨県上九一色村(当時)にあった化学プラント・第7サティアン(写真:ロイター/アフロ) まもなく教団の関連会社が大量のサリン原料物質を購入していることも判明。オウムを扱っていた長野県警、神奈川県警、山梨県警、宮崎県警、静岡県警などの県警が警察庁に集められた。静岡県警は教団がロシアから購入したヘリのプロペラを回している様子を上空から撮影していた。サリンを空から撒く可能性があるのではないか──。そんな指摘がされ、いよいよ緊張が増してきた。 だが、この段階でもまだ警察庁はどう教団と対峙するかを考えあぐねていたと三沢さんは言う。 「いくつか理由がありました。一つは、どの県警も一斉捜索のための人員が十分ではなかった。その体制で踏み込んで中途半端な結果となると、『宗教弾圧』と批判されかねない。そして、もう一つ恐れていたのは教団側の暴発です」 1993年、米国であるカルト集団がFBIと銃撃戦を行い、1994年秋は別のカルト団体がスイスやカナダで集団焼身自殺をしていた。そんなケースが頭にあり、もし下手に踏み込んで教団側がサリンを撒き散らしたらどうなるか。信者や警察官はもちろん、住民にも被害が出たら……。警察も恐れていた。そして、そんなリスクに対する恐れは、記者である三沢さんにもあったという。 「特ダネです。でも、書くのか書かないのかといえば、私もまた迷っていました。彼らがもっていた薬品の量から、数十トンという大量のサリンがつくれることが推察された。もし記事を出したことで、反発してサリンを撒かれたら……? 一方で、出さないことで、国民が事実を知らないままでいいのか。そのせめぎ合いの中にいました」 記事を出すときは「ガサ(家宅捜索)に入るときだろう」とぼんやり考えていたが、出すタイミングは思わぬときにやってきた。 オウムとは書かなかった元日報道 12月20日過ぎ、会社にいると社会部の先輩デスクに声をかけられた。アレの件、正月どうだ? 「そうか、正月報道という手があるかと。じゃあ、どこまで書くか。オウム真理教であることはほぼ間違いないが、この時点でどの程度関わっているかがわからず、名指しまではできない。でも、上九一色村の施設で異臭騒ぎはあり、検出された物質が松本サリン事件と同じくサリンの副生成物であることも確定している。それも同事件の直後だったと。だから、オウムの名前を出さず、その事実だけでいこうと決まったわけです」 この頃、脱会した信者から内部資料も入手していた。そこには「小銃製造、生物・化学兵器、細菌兵器、���経ガス、レーザー開発」といった教団の計画が4枚のレポートに記されていた。国家を破壊するテロ計画。三塩化リンなどサリンの原材料が4つの会社からトン単位で大量に購入されていたのもそのせいだった。だが、この時点ではまだその大量購入を非難できない悩ましさもあった。それら大量の化学薬品の購入自体は違法ではなかったためだ。それでも、三沢さんが最終的に記事を出すと決めたのには別の理由があった。 1995年3月20日、地下鉄車内でサリンが撒かれ、現場に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊の隊員(写真:毎日新聞社/アフロ) 「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」 原稿を書きあげたあとの大みそか、三沢さんは警察幹部の自宅を訪ねた。翌日の朝刊で発表することを通告するためだった。怒られることも覚悟したが、幹部は意外な言葉を返してきた。 「わかった。一緒に戦おう」 そして1995年の元日、新聞が配られた。 元日、メディア関係者には衝撃が走った。少なからぬ報道関係者がすぐに集められ、正月休みを返上してオウム取材に動かされることになった。当の読売でも三沢さんのもとに十数人の記者が集められ、本格的な取材が始められることになった。 ただ、順調には進まなかった。1月17日、阪神・淡路大震災が発生。多くの記者が震災報道にとられた。同様に、各県の県警によるオウム捜査もはかばかしく進んだわけでもなかった。 そうした状況を見透かしたかのように、オウム側は大胆な行動に出た。 2月28日、東京・品川区で目黒公証役場の事務長、仮谷清志氏を拉致して殺害。そして3月20日���は地下鉄サリン事件を引き起こした。朝の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンの袋に穴を開け、中から気体が拡散。14人が死亡、6300人以上が負傷した。化学兵器による無差別テロだった。 警視庁は機敏に動いた。事件2日後の3月22日、目黒公証役場事務長拉致事件の逮捕監禁容疑で3都県の25カ所に一斉に家宅捜索に入った。上九一色村には、機動隊を含む捜査員2500人という大所帯で乗り込んだ。ガスマスクを装着し、カナリアのカゴをもってサティアンに入っていく中継映像は日本に衝撃を与えた。 この事態に三沢さんも驚きつつ、ついに本格的な捜査に入ったことにホッとしたという。その後、三沢さんは1年近くありとあらゆるオウムの取材に関わっていった。 最初に報じた元日の一報に大きな意味があったことがわかったのは半年ほどしてからだった。 1日2トン、計70トン製造のサリン計画を防いだ 1995年10月から始まった各種オウム裁判で、さまざまなことが明らかになった。たとえば、読売の元日報道直前の1994年12月下旬、上九一色村ではサリンの5つめの工程(最終工程)のプ��ントが完成目前だったと公判で明かされた。 「サリン合成には5つの製造工程があるのですが、化学工場である第7サティアンでは第4工程まで進んでいた。その最後となる第5工程を麻原は『マホウプラント』と呼んでいた。それができれば、1日に2トンという大量のサリンがつくれる。それだけの量があれば、100万人単位で“ポア(殺害)”できる。そんな状況だったんです」 ところが、1995年1月1日、読売新聞が上九一色村の施設でサリン残留物が検出されたと報じた。 裁判での検察側の冒頭陳述によると、麻原はこの報道に驚き、強制捜査を恐れたという。そして「証拠を消せ」と早川紀代秀(オウム内の建設省大臣)や村井秀夫(オウム内の科学技術省大臣)に命じた。のちの捜査で、第7サティアンでは1月3日付で除染用シャワー室に「使用禁止」という通達が貼られたこともわかった。 麻原の命令のもと、廃棄を担当したのは土谷正実や中川智正だった。その際、中川は第4工程でできた中間生成物のメチルホスホン酸ジフロライド1.4キロは捨てずに隠したという。この廃棄されなかった物質が、後に地下鉄サリン事件に使われることになったと三沢さんは言う。 「あそこで使われたのは純度の低いものだった。もし純度が高ければ、もっと多くの人の命が奪われていたでしょう」 だが、元日の読売報道が出ていなかったら、サリンは1日2トン、計70トンが製造される体制にあった。もし第5工程が実施されていれば、おびただしい数の人たちが犠牲になった可能性があった。読売報道から事態が変わったことは、裁判での検察側の冒頭陳述でも読み上げられていた。 あれから30年、三沢さんは特ダネばかり追ってきただけと照れるが、元日報道ができたことはよかったと振り返る。 「地下鉄サリン事件から半年くらいして、ある検事が『読売報道がなければ、100万人死んでいた可能性がある』と発言していました。地下鉄サリン事件は起きてしまったので、すべて防げたわけではありません。でも、100万人、少なくとも数十万人という無差別テロを止めることはできたのではないか。それに貢献できたことはよかったと思いますね」 三沢明彦 1956年生まれ。1979年読売新聞社入社、横浜支局を経て、東京本社社会部で警視庁、警察庁キャップ、宮内庁を担当。編集局次長など歴任し、福岡放送、静岡第一テレビ常務取締役など。著書に『捜査一課秘録』『刑事眼』など。 森健(もり・けん) ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。1968年、東京都生まれ。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。2023年、「安倍元首相暗殺と統一教会」で第84回文藝春秋読者賞受賞。
「数十万人の被害を防げた」1995年元日報道「サリン」一報を出すまでの記者の葛藤 #災害に備える(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月8日(月曜日)
通巻第8084号
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した浅はかな日本
移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか
佐々木類『移民侵略 死に急ぐ日本』(ハート出版)
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中国の「静かなる日本侵略」の現場に飛んで、積極的な取材を重ねる『突撃隊長』の佐々木類(前産経新聞論説副委員長)がシリーズの第六弾に挑んだ。
日本支配を狙う中国共産党の尖兵が在日中国人、あるいは既に帰化した中国人工作員。その数、帰化人をのぞき76万人!
すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。もちろん、全員がスパイではなく、ごく少数だが日本に溶け込もうと汗を流す中国人も、佐々木氏はちゃんとインタビューして公平を期している。
偏見をもって中国人を見ているのではなく客観的に彼らを観察し、その背後にある中国の対日戦略を読み取ろうとする。
沖縄の離島を購入した中国人女性がいた。
国家の研究機関に巣くう学術スパイがいる。日本国内に中国公安の闇警察がある。栃木県小山市には「中国農場」があって、横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、埼玉県川口にチャイナ団地、列挙すればキリがないが、いまどうなっているか。スパイ中国人らはいま、いかなる陰謀を展開しているのか。
また日本政府が推進してきた移民政策の間違い、外国人土地所有法改正、改正入管法の問題点などホットな問題のすべてを簡潔に要領よく解説される。
それにしても、中国の資本、土地買収、爆買いを歓迎した日本人、中国からの移民を促進する日本政府は頭がおかしくないのか?
いま日本が相手にしているのは「共産党の意向がすべてに優先する国家レベルの反社会勢力」なのである。
そうだ、かれらは「反社」である。
賃金が安いからと行って深く考えることもなく中国と合弁を組んだら、当てが外れ、撤退しようにも税金だとか、労働条件とかの難癖をつけられ、「官僚主義的な小役人に窓口レベルで小突き回され、賄賂を要求された挙げ句に『身ぐるみ脱いで全部置いていけ』となる」のが落ち。
無国籍におちいり、国家利益は顧みないメディアがグローバ��ズムを煽り、それを真に受けた軽佻浮薄の政治家は、なんと中国企業系列にパーティ券を買って貰っていた。チャイナの買弁政治家が目立つのは、こうしたカラクリがあった。
外国人の土地所有規制は、大正時代に制定された「外国人土地法」の活用で切り抜けられる筈だったのだ。
しかし結果は「仏作って魂入れず」。
実効性を高める政令を制定せずに戦後のドサクサで廃止された。
「ところがどっこい。これを補うかのような法律が戦後日本に存在している。昭和二十四年に制定された「外国人の財産取得に関する政令51号」では「外国人や外国資本による財産取得に関して制限をかけることが出来たのである」(65p)
当該財産とは「土地、建物、工場、事業所、財産の賃借権、使用貸借の基づく借り主の権利、地上権、著作権」だった。
ところが、これも国会で審議されないまま昭和五十四年に廃止されていた。
移民については欧米の悲鳴を聞いた方が良い。
人道的見地から無制限に受け入れた結果、ドイツではゲルマン精神は破却され、婦女子が強姦されてもメディアは報道しない。フランスはフランス語の国ではなくなろうとしており、米国は犯罪が急増し、治安が極度に悪化した。移民反対が多数派の聲となった。
移民促進派がリベラル、人道主義であり、移民に反対もしくは規制強化けを唱えると、排外主義、レイシストと批判されてきた。脳幹が左翼ウィルスの侵された結果である
「客人を自宅に招くとする。土足で家に上がるのを許すのか。冷蔵庫を勝手に開けて中の食べ物を食べるのを許すのか。家のルールを守って貰うのは当たり前のことだ」(222p)
しかし「中国系移民は、移住先で出身地や宗族単位で強い絆で結ばれた共同体をつくる。自分たちが住んだ場所が「中国である」とばかりに受けいれ国の慣習に関心を持たず、聞く耳を持とうとしない例もある」
このまま日本は自死するのか、目覚めるのか、日本はその瀬戸際にあると佐々木氏は訴えるのである。
そろそろトランプのように、あるいはオルバンのように、「移民を追い返せ」と主張する政治家がでてきてもよいのではないか。
日本の深刻な状況をえぐったルポである。

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PERFECT DAYS
ヴィム・ヴェンダース監督
2023年日本・ドイツ合作ドラマ映画
綺麗で真面目で完璧な��掃員。
日々、同じルーティンをきちんとこなす。
カセットテープから流れる曲は1曲も知らなかったけれど、
静かにかっこよくシンプルだけど
日々の同じ繰り返しの中で大事な部分であって、
その曲で空や風、街路樹の木洩れ日を気持ち良いと感じたり、
その曲自身に身を置いたり、彩りとしてとても大切なものに見えた。
清掃員は毎日古本屋で購入した本を読んでいる。
きっと読書も違う世界を生きてみたり、現実世界を彩ってみたりするのだろう。
観終わって何も調べていないので、清掃員の過去など検討もついていない。
映画のラストシーンでかかる曲では確か「feeling good」と歌われていた。
気分がいいととても悲しい声で歌っている。
清掃員の表情も同様に絶望を経て、悲しくも清々しい、
何かしら静かな強さと弱さが入り混じっているようにみえた。
俳優って凄いと感じられる映画でもある。
だから、役所広司さんなんだ、石川さゆりさんが三浦友和さんが
一瞬の陰影にとても必要だと思えた。
後、カセットテープの中古1万2000円なんだとか、
フィルムで現像したなとか、
大きな木の根元から生えた赤ちゃんの木を
湯呑に植え替えてるのも素敵だなとか、
清掃の勉強もう少ししなきゃとか、
つうか東京のトイレおしゃれじゃね?とか
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ヘッダ・ガーブレル Hedda Gabler
じゃ、私にできることは、何もないのね。
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彼女はなぜ原稿を燃やし、銃の引き金に指をかけたのか——。
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている価値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間として必要な承認をめぐる、生が自己を求める切実さを描く物語。
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開演日時: 2024年8月31日(土) 14:00・18:00 / 9月1日(日)14:00 ※各回終演後に演出家によるトークセッションを実施予定 ※受付開始は開演の45分前、開場は30分前 ※上演時間は100分を予定
託児サービスあり(先着順・有料) 9月1日の回が対象。公演2週間前までに要申込。 (三重県文化会館 TEL059-233-1122)
英字プログラムあり
会場: 三重県文化会館 小ホール(三重県津市一身田上津部田1234) ※三重県文化会館へのアクセス
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原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
出演: 木母千尋、三浦真樹 諏訪七海、桑折 現 山形龍平、梨香
舞台監督:北方こだち 照明デザイン:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(有限会社 現場サイド) 照明操作:前田遥音 衣装:小野花弥 肖像画製作:永村清華 フライヤービジュアル撮影:松原豊 フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 アダプテーション:鳴海康平
フライヤー撮影協力:Bon Vivant(三重県伊勢市本町20-24)
※原千代海訳、毛利三彌訳、福田恆存訳、 Deborah Dawkin and Erik Skuggevik 英訳、 Terje Sinding 仏訳を参考にさせていただき、上演台本を作成しています。
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料金:(全席指定) 一般前売 2,500円(当日 3,000円) 22歳以下 1,000円(前売・当日とも)
チケット取り扱い(チケット発売日:6月29日10:00)
▋三重県文化会館 チケットカウンター(窓口・電話) tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) WEBチケットサービス「エムズネット」 https://p-ticket.jp/center-mie/
▋第七劇場(予約のみ) https://www.quartet-online.net/ticket/hedda24
※未就学児の入場不可 ※22歳以下チケットでご入場の際は、年齢の確認できる証明書のご提示をお願いいたします。
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三重県文化会館 公演情報ページ https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/48724
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関連企画
「ヘッダ・ガーブレル」を読んでみよう
演出家・鳴海のナビゲートで、実際の上演台本を使った読み会を開催します。みなさんで声に出して読みすすめながら、作品を紐解いてみましょう。
日時:8月12日(月・祝)14:00〜16:00 会場:三重県総合文化センター 生涯学習センター棟 2階 まなびラボ 参加料:1,000円
事前申込制(先着)
参加料は当日精算
定員 15名
申し込み受付は6/29(土)〜8/3(土)※必着
お申し込み・お問い合わせ
tel: 059-233-1122 窓口:三重県文化会館 チケットカウンター 10:00〜17:00/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館) 申込URL: https://www.center-mie.or.jp/bunka/
※未就学児のご参加はご遠慮ください。 ※筆記用具をご持参ください。 ※定員に達し次第、受付終了となります。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしまう。

ヘンリック・イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
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第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 https://dainanagekijo.org
写真「三人姉妹」2023・三重県文化会館 ©松原豊
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」によるドラマを舞台作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真 ©松原豊
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主催:三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団] 共催:レディオキューブFM三重 助成:公益財団法人岡田文化財団 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業(地域の中核劇場・音楽堂等活性化事業)) 独立行政法人日本芸術文化振興会 特別協力:名古屋芸術大学
製作:合同会社 第七劇場
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お問い合わせ: 三重県文化会館 tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) 第七劇場 [email protected]
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なんだか忙しなく、慌ただしく日々が過ぎ去っていく。ハンブルグ大学の二週間毎に開催されるAI研究会に出たのが、ついこの間のように思われるのに。。。気付いたら、5月ももう月末が近づきつつある。イザベルの娘、Noaと餃子を作ったり、Isabelの3日間に渡るコモンズの研究会に出たり、シグナル社の社長の講演会に出たりと、なんだかんだと忙しかった。
来週の月曜は公休日ということで三連休である。だいぶん走ってきたので、ここいらで一息。木曜から月曜までの5日間で、ポーランドに行く事にする。大体、ワシは明るい世界が好きなので、ドイツにでも住んでいない限り、アウシュヴィッツにまでわざわざ日本から行くなんて事はありえない。ワシントンのユダヤ人虐殺博物館で半日過ごしただけでゲッソリしたワシ。でも、人間って何だろうと悩んでいるワシは、人間のダークサイドも見ておかないとね。。。とも思い、覚悟を決める。ドイツ人達が、ロング・ウィークエンドどうするのと聞いて来るので、ダークツーリズムをするんだと言っても、ワシのジョークだと思って、何がダークなんだい?と聞いてくる。うん。アウシュヴィッツ行くって言うと、100%間違いなく、みんな顔が曇る。
ハンブルグ郊外の一次収容所も良いけど、行くなら、アウシュビッツに行っておかないと、とも思う。社会システムが作り出す恐怖を、ハンナアーレントは論じたが、現在も社会システムの中では公然と罪なき人々を平然と殺し合う社会だ。私達は、第二次大戦から何も学んでいないし、既に忘却している。平和が如何に、人為なのか。理性的判断によって保たれているものなのか、再確認しに行こう。
などと思いつつ、6月末はイギリスのケンブリッジへと行くし、8月はローマへ行く。百年企業の論文をめちゃくちゃ気に入ったらしいウィーン大学の先生は、6月末のトルコでの国際会議で話してくれないかとお誘いしてくれる。もし日程が合えば、トルコへも行ってこようと思う。ハンブルグも良いけれど、まぁ、皆さんの文句を聞いているのも精神衛生上良くない。常にジョークを飛ばし、笑っているワシも、自分の精神の健康を守らなくてはならないし、それができるのは自分だけ。ヒトサマの勝手な悩みや悲しみを聞いていると、つまらない人生をドラマティックに生きたい人々の苦肉の策としての悩みや嘆きのようにも聞こえる。

Ninaの家族みたいに、朝から料理しまくって、友人や親戚を招いてEurovision にかこつけてパーティしているのが、一番である。今年のEurovisionの決勝はスイスのLGBTQ,ネモが勝った。ドイツはイスラエルに票を入れるし、song unite usがかけ言葉の割に、とても政治的である。
感情への同調はできても、結局、問題解決したり、見方を変えて了解し納得して生きるのは、その人自身の問題。ワシは友人として、そばで励まし、励ましてもらうという互恵関係以上のものを、友人に求めるのはおかしいと思うのだ。と言うことで、朝5時半起床、7時の電車でダムトアからベルリン乗り継ぎで8時間の電車の旅に出ています。
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。

(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。

(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。

(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)

(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。

(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。

(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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西大畑、西海岸公園エリア
「御林稲荷神社」



細長い敷地にそびえる小さな神社です。鳥居をくぐるだけで異空間に迷い込んだ雰囲気になれます。
祠の奥にはかわいいキツネの置き物がありました。上手く写真撮れなかったので気になる方は参拝しに行ってみてください。
「どっぺり坂」


名前の由来(砂丘館ホームページより引用)
『あまり上り降りする(町に遊びに行く)と落第すると旧制新潟高校生の間で言われたどっぺり坂(ドイツ語のverdoppeln(フェルドッペルン)=ダブる → 落第する、からつけられたらしい)』
写真だと分かりにくいですが、かなり急な角度です。赤レンガと植物の緑の対比が良いですね。アニメのワンシーンにありそうです。
坂を上ったすぐに砂丘館があります。
「砂丘館」





日本銀行新潟支店の支店長役宅として、平成11年まで使われていた場所です。現在は芸術・文化施設となり、企画展や一般の方への貸し出し等を行っています。
書院造り(応接室は洋室)の部屋と庭を入館無料でご覧いただけます。
立派な和室を至近距離で見る機会はあまり無いので、良い経験、作画資料になります。写真撮影可能です。
初めて訪れたのですが、和室だからかどこか懐かしいような、おばあちゃん家に遊びに行ったような温もりがありました。
ホームページ
https://www.sakyukan.jp/
「西海岸公園」


公園というよりは林です。林の奥に海が見えます。自然豊かです。イノシシが出るらしいのでお気をつけ下さい。
「ドン山」


昔時計が無かった時代に大砲(空砲)で正午を知らせていました。その音が由来でドン山と呼ばれ親しまれていました。当時の大砲のイメージが復元されています。
「寄居浜」



日本海!学校から20分ほど歩けば海です。かなり近い。程よい運動になりました。取材時は天気が良く、穏やかな波の音に癒されてきました。小魚の群れがいくつか見え、釣りをしている人が多くいらっしゃいました。
「Pitu


小さなお菓子屋さんです。坂道の多い住宅街にあります。赤い旗が出てたら営業中らしいです。
左が山椒のサブレ、林檎のファールです。ファール初めて聞きましたが、もちもちしていて美味しかったです。
お店が火、水、木曜の11時~16時のみの開店なのですが、珍しいメニューが食べられます。
ホームページ
https://pitu.jp/
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23年10月4週目
10年以上ぶりに高校・大学が一緒だった友達と会った。とは言ってもクラスが一緒になったことはなく、高校はほとんど交流がないまま、大学時代に数回高校が一緒だった女の子たちと集まっただけの間柄なのだけれど、SNSで私の写真が好きだと言ってくれたことあたりからずっと相互フォローをしており、相手の状況がなんとなく見える状態だった。彼女は一度結婚したようだけど、今はフリーなようで、私と同じようにそこそこ仕事を頑張りつつもそんなに仕事が好きなわけでもなく、好きな勉強や興味あることをやっているという感じで、お互いに話をしながら共感の嵐だった。お互いに自分の持っていない性質に良い影響を受けられた感じがした。興味あることを習ったり学んだりしに行きたいな。
東京国際映画祭に久しぶりに参戦。チリ映画『魔術』を鑑賞。ドイツ人入植者が羊が大量死したことを発端に現地の使用人を殺し、その娘がその地に伝わる魔術を頼り復讐と能力の開発をする話。あらすじの説明が下手くそなのもあるけど、なんのこっちゃという感じだな。でも2時間がまだ終わらないでほしいなと思いながら観られる映画だった。数年前から開催場所が六本木から日比谷に移されたけど、なんとなく六本木で開催されていた時の方が華やかさと非日常感があり良かったな。
読書は『教団X』を読んでいる。周回遅れで観ているドラマ、ハヤブサ消防団もそうだけど、新興宗教の物語の求心力ってなんなんだろう。怖いもの見たさみたいな感じがする。あちらから近づいてくると怖いもの。
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【イベントレポート】『ジョン・ウィック』伝説のマラソン上映開催記念トークショー
9月22日(金)の全国公開に先駆け、復讐を復習せよ!と題した『ジョン・ウィック』シリーズ一気見マラソン上映を開催! 最新作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』で大阪コンチネンタルの用心棒役として出演した田代良徳さんと、ファイトコレオグラファーを務めた川本耕史さんが登壇する撮影秘話トークショーを実施し、JW製作の裏側を知る二人しか語れない、アクションレジェンドとの共演エピソードや大迫力のアクションシーン撮影の裏話を出し惜しみなく語りつくしました!
■日時:9月9日(土) ■場所:TOHO シネマズ六本木ヒルズ ■登壇者:田代良徳(力士俳優)、川本耕史(ファイトコレオグラファー)

まずは世界中に熱狂的なファンを持つ『ジョン・ウィック』シリーズへの気になる参加経緯について、「チャド監督からアクション監督の谷垣健治さんに、刀や日本の武術の立ち回りを作れる人いないか?と連絡があったようで僕を紹介してくださいました」と川本さんが話す一方、変わった経緯で作品に参加したという田代さんは「2020年の年末にフランスのキャスティングの方からInstagramでDMが来まして、ヨーロッパでお相撲さんを探していると。ただ作品のことについてはドイツの映画としか教えてくれない中、やり取りを続けていくと突然『JW4』というタイトルが明したという流れです」と話すと会場からは驚きの声が漏れた。
続いて主演キアヌ・リーブスの現場での姿について、「練習を常にされています。撮影の空き時間でもひたすら練習をする方ですね」と川本さん。大阪パートで一緒にアクションをした田代さんは「僕たちがスタミナ切れで疲れている中、一番最後までやってるのがキアヌさんと真田さんでした。キアヌさんは10人以上連続で敵を捌くシーンの後にさらに練習をしていて、世界のトップの方��こんなに努力されていてすごいと思いましたし、「ジョン・ウィック」って作りものじゃなく、本物なんだなと。キアヌさん本人がジョンウィックになりきってるんだなと感心しました」と率直な感想を語った。

『ジョン・ウィック』といえばなアイテムの一つでもある銃弾を弾いて通さない防弾スーツについて川本さんは「あのスーツは銃弾は効かないですけど刃物は通ってしまうので、刃物での戦闘シーンも数多くあります」とファンでも知らない豆知識を披露、さらに今作で登場する防弾着物について田代さんは「着物の寸法を合わせている時に冗談で防弾ですか?と聞いたら、もちろん防弾です。と返されました(笑)」すかさず川本さんが「相撲の方が出るよと聞いた時に、衣装はまさか褌じゃないですよね?とチャド監督に聞きました。褌だったらすぐにやられてしまうのでどうしようかなと」とファイトコレオグラファーならではの悩みを語り会場の笑いを誘った。
そして話はキアヌ・リーブスのいい人伝説へと移り、8か月の間一緒の時間を過ごしたという川本さんは「先日バンドの来日公演に招待していただいた時の話なのですが、怪我で撮影に参加できなくなった日本人スタッフのことをしっかりと覚えていて「彼は大丈夫か?」と気遣いの言葉をくださりました。あとは撮影リハーサル期間のお昼のケータリングを毎日用意してくださったりなど、本当に優しくて気配りのできる方でした」と絶賛した。さらに映画に参加したスタッフ全員にプレゼントを渡すというキアヌ・リーブス伝説について、柔術着とキアヌに殺された回数を刻んだキルカウント入りのTシャツ、さらにはiPadまでもらったという川本に続けて田代さんは「僕は何ももらっていないのですが、キアヌさんと写真撮っていただいたり作品に参加できたことすべてがプレゼントだと思ってます」と漫勉の笑みで話した。

本編で実現したキアヌ・リーブスVSドニー・イェンのレジェン���対決に関して、川本さん「もちろん本番前に二人で一緒に練習する機会もあるんですが、いざ本番始まるぞという時にキアヌさんがドニーさんへ「これからあなたと対峙するのがすごく怖いです」と言っていましたね」と現場のリアルな緊張感の中でのレジェンドたちの逸話を語った。続けて大阪パートで共演した真田さんについて田代さんは「撮影前に僕の着物を引っ張って直してくれた際に、小さい声で僕に「せっかく映画に出るんだからね。綺麗にしようね」とおっしゃってくださいました。とても柔らかい雰囲気でファミリーみたいな感じでした」と話した。
最後に本作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』の見どころをそれぞれ、田代さん「僕は少ししか出ていないんですがコンチネンタルホテルの中の人間になれたのがとても嬉しいです。頭から尻尾まで餡がぎっしり詰まったたい焼きみたいで盛りだくさんなので最後まで見ていただけたらなと思います」、川本さん「いろんなロケーションでのいろんなシチュエーションの中ファイトがあり見ていて飽きないアクション映画になっていると思うので、皆さん楽しんでください」と話し、マスコミ向けフォトセッションでは『ジョン・ウィック』ぽさ全開のファイティングポーズを披露し大盛況の中トークショーは終了した。

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いのち、ばんざい。

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いのち、ばんざい。
作家名:和田聡文 会期:2023年7月27日(木)~8月20日(日) 時間:16:00-22:00 休廊日:7月31日(月)、8月7日(月)、12日(土)~16日(水) 料金:入場無料 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
=================== 本展に関する4つの動画がyoutubeにて公開されています。
いのち、ばんざい。 https://www.youtube.com/watch?v=A6Nv8syTENs
プランクトンダンス https://www.youtube.com/watch?v=ZyDdtBkHNnk
よるのかんだた うっすらと排除される「おっさん」という属性について https://www.youtube.com/watch?v=V5GnpN0LLtU
louper digger looper https://www.youtube.com/watch?v=lFFif7LwFtw ===================

色々、五月蠅いね。
だけど、あたしは、
ポリネシアの血族。海に浮かぶ島々の者。
8人産んでも2子しか生きて残せなかった祖霊の末の子。
だけど、あたしは、
一度は魔法使いになり、
高校卒業13年目にして、
やっとこさ同級生の妻と再会し、
今は青年の一人の息子の親になった、
「うっすら嫌われる中高年のおっさん」。
だからこそ、あたしはブリジット・バルドーの側に立つよ。
あたしは、どうせ「色々分かっていないおっさん」だから、
おっさん臭いことしか思い付かないし。
ならば、いっそ、「おっさん臭さ」を引き受けて、
すごくベタに「天」と「人」と「地」のお話しをする。
「いのち、ばんざい。」

■ 天(伴��連さんの話):
「挑戦」って言葉を知ってるかい?
この島国と伴天連(バテレン)の話だよ。
最初の「挑戦」は戦国時代。「第一次挑戦」ってやつさ。
大海原を渡ってやって来たんだ。揉み手、摺り足、赤ら顔で。
でも、銃器の販売やら、人身売買やら、
伴天連同士のもめ事やら、色々あって、
お前ら、帰れって、叩き返しちゃった。
次の「挑戦」は幕末から維新。「第二次挑戦」ってやつさ。
真っ黒い船に乗って、煙モクモク、やって来たんだ。
漢字やめれ、アップデートしろ、神社、仏像打ち壊せとか、
色々やり過ぎて、嫌われて。案外、不人気。
パァとはしなかったね。
「俺らも案外とすげえ」とか逆に調子に乗られちゃうし。
近々の「挑戦」は大戦直後。「第三次挑戦」ってやつさ。
美しい、大きな銀色の飛行機でやって来た彼は、
コーンパイプをぷかぷか。
欧米様にはかなわねぇ。マッカーサー格好良いとか。
伴天連さん達、大チャンス。
天皇さんに聖書の講義したり、農業国に変えちゃうぞ、とか、
亜米利加さん、大盛り上がり。
でも、まあ、隣の半島やら、東の側やら、
ゴタゴタ、ピカピカ、どかんどかんで、
余裕無くなって、締め付け中途半端。
で、この島国のアップデート人口は1%程度。
しょぼいかぎり。
で、今。
「次にファシズムがやってくるとき、
彼らは、「反ファシズム」を掲げてやってくるだろう。」
と、「ディミトロフなんとか」が言ったとか何とか言うけど、
四回目の「挑戦」は、どんな顔をして来るのかな?
もう来てるのかしらん?
「ソドムの街を火と硫黄で焼き払う」の、逆で来るのかな?
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」の、逆で来るのかな?
「天父神」、「長兄たる救世主」の、逆で来るのかな?
虹の橋を渡って来るのかな?「第四次挑戦」ってやつが。
ブロガー納言と、レディコミ式部と、
元祖バ美肉おじさん紀貫之と、古典BL信玄公と、
カルーセルと、明宏と、ピーターと、
おすぎとピーコと、デラックスと、マングローブと、
天宇受賣命と、阿国と、弥次喜多と、
全裸監督、村西とおると、
エロ屋/小説家/ニュースアンカー、紗倉まなと、
オスカルと、ジルベールと、
バンコランとひばりくんのこの島に。
また、来るのかな?
生まれて、まぐわって、子らにつなげる
我らの原罪を問うために。
でも、また来ても言い返すよ。あたしは。
あたしは、人間だし、生きてるし、おっさんだから。
「いのち、ばんざい。」

■ 人(カンダタさんの話):
「カンダタ」のお話って、知ってる?
お馬ぱかぱか、愛馬の「カンタカ」君じゃないよ。
芥川龍之介くん初めての児童文学
「蜘蛛の糸」のあいつだよ。
地獄と極楽の間で宙ぶらりんのお友達。
でもさあ、この話、なんか変。
違和感マシマシ。
この話の「釈迦さん」、なんか上から目線。
切羽詰まって、焦って、失敗しちゃったカンダタさんに対し、
「浅ましい」とか「ヤレヤレ愚民は。。。」感、丸出し。
しょうがないじゃん。カンダタさんは。
生まれからして元々余裕なんかないんだし。
「糸切れちゃう!登ってこないでー!」とか、
そりゃー、言いたくなるよ。安全問題だし。
なのに、何、その、ちょっと一本釣りうまく行かなかったら、
飽きちゃって、テキトーに放り出しちゃう、投げやり感。
お腹空かせた虎さんに、我が身ぽーんと投げ出す、
釈迦牟尼本来のキャラじゃないよね。。。
大体、自分は涼しい顔して、快適な場所に居て、
面白そうな奴だけ、一本釣りとか、
衆生を救おうって気概が無いよね。
福祉事業をなめてんの?
現場に飛び込んで行って、問題解決せんのかーい!
我が身ポーンと行かんかーい!!
大体、カンダタ以外の奴らはみんな、
亡者、すなわち、アウトオブ眼中。
目覚めて、アップデートした奴にだけ、
極楽から「救済」の手を差しのべるとか、
キリスト教終末論の「携挙(けいきょ)」かよ。
救ってやるのは伴天連だけで、
ハルマゲドンで亡者/異教徒は一掃かよ。
「選民思想」臭え。
手に似合わない「水掻き」なんかを付けてでも、
なんとかして、なんとかして、漏らさず衆生を救おうってな、
大乗レスキュー「阿弥陀如来」の気概はどこ行った?
で、さあ。
このへんちくりんな違和感の話を妻にしたら、
理系にして日本文学オタクの我が妻も、
「あたしもヘンだと思ってた」とのこと。
でね。。。調べてみたの。ちょっとググって、wikiにて。
そしたらさぁー。パクリだって。
ドイツ生まれアメリカ籍の作家ポール・ケーラスの著作
『カルマ』収録の「The Spider-Web」が元ネタだって。
タイトルまんまじゃん。。。。しかも、この『カルマ』、
「本場モンの仏教説話を紹介」ってな本なんだけど、
「The Spider-Web」については「創作」だって。
本物に創作混ぜ混ぜ、仏教説話の捏造じゃん。
パクリとか知らんかったわー。龍之介やらかすなー。
バチモンの仏教説話とか知らんかったわー。
ポール、やらかしおったなー。
そりゃー。「ヘン」だわな。釈迦のキャラじゃないわなー。
仏じゃないじゃん。偽仏じゃん。仏罰モンだわー。
「自分ばかり地獄からぬけ出そうとするとか、
無慈悲だわー。浅間しいわー。」とか、
「蓮の華の何とも云えない好い匂い」の
爽やかな極楽の風に吹かれて、のほほんしてる
偽仏のてめぇこそ、文句言える立場??
「どうでも良いわー。平等に地獄に落ちればー。」
とか、なにその「タワマン文学」。
「瞑想」じゃなくて、「マインドフルネス」、
「ヨガ」じゃなくて、「ピラティス」とか、
言い出すんじゃないの?
あらまー!「カッコイイ消費者」ですことっ!!
「丁寧な暮らし」ねっっ!!!
美しい、大きな銀色の摩天楼から見下ろしてる
虚業の小金持ちみたい。
カンダタ君もさあ、
タワマン野郎に「いいね!」とか声かけられて、
「一歩抜け出すチャンス!!」とか
調子に乗るの止めようよ。。
良いことないって。。
あいつらさあ、ペットか番犬探しているだけだから。
カワイソウな順か、カワイイ順に声掛けてるだけだから。
カワイソウな奴に餌やると「徳」を積めるし。
「徳」=「信用」=「クレジット」=「通貨」だから、
儲かんのよ。「カワイソウなペット」を飼うと。
大体、地獄って、年季を勤め上げると、
生前よりちょっとは良いステージに行けるし、
学校みたいなもんじゃん。
周りにいる奴らもカンダタ君と似たようなもんで、
みんな生前、色々苦労してるし、
タワマン野郎よりずっと共感できるじゃん。
鬼だって学校の先生みたいなもんで、
死なないように注意して、君を鍛えてくれてるだけで、
ちゃんと良く見てくれてんじゃん、君のこと。
ウエメセのタワマン野郎よりずっと。
ヘンな上昇志向に捕らわれて、痛い目見るより、
実直に自分の手で、地に足付いたコトをしようよ。
そうだ。友達を作りなよ。愛する人を作りな。
出来たら家族になって、子供を育て���よ。
老いて子供がもう無理なら、若い者を応援しなよ。
虚業で浮いてるタワマンの偽仏よりずっと良いよ。
地に足を付けて生きるってことだよ。
だから、「ぢごく」で結構。大「地」の「極」み。
だから、おっちゃんは叫ぶよ。
「いのち、ばんざい。」

■ 地(生き物の話):
やあ、こんにちわ。僕らの名前は「オピストコンタ」。
「尻尾が後ろ」って意味だよ。
人間の精子みたいな形なんだ。
キノコとか、ツボカビとかの菌類と、
人間とか、魚やミミズ、トンボなんかの多細胞の動物を
ザックリ含んだフレンズさ。
襟鞭毛虫なんかのちっこい奴らも僕らの仲間さ。
世の中、僕ら「オピストコンタ」だけじゃなくって、
色んなフレンズがいるよ。
土の中にも、蓮のお池の中にも、地べたの上にも。
「真核生物」に限っても色々いるよ。
「オピストコンタ」の兄弟分「アメーバ動物」
草花や樹木とかを含むフレンズの「アーケプラスチダ」
昆布とか珪藻とかのフレンズの「ストラメノパイル」
ゾウリムシとかのお友達「アルベオラータ」
有孔虫、放散虫のフレンズ「リザリア」
ミドリムシとか光合成する奴もいる「エクスカバータ」
「クリプト植物」とか「ハプト植物」とか「太陽虫」
「真核」じゃなくて、「原核」だけど、細菌も色々。
シアノバクテリア(藍藻)とかを含むフレンズ。
美しい、大きな銀色の鏡胴を持つ顕微鏡で、
小さな水滴に閉じ込められた彼らを、上から覗き込むと、
色んなフレンズが、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、してて、
本当に、本当に、面白いよ。例えば、
放置しちゃった植木鉢の雑草の中。
劣化したプランターの壁面。
ジメジメ湿った苔の上。
蓮のお池の水の中。
只の水溜まり。
蟻の行列。
蝸牛。
藻。
蝶や蛾。
ダンゴ虫。
マルトビムシ。
苔の子実体の森の中。
くるくる回るミズヒラタムシ。
慌てて席取りをするクラミドモナス。
巨大なミジンコの屍骸を喰らう原生動物。
ほとんどが単細胞で、小さくて、単純なはずの生き物が、
くるくる踊ったり、パクパク食べたり、
ぶつかってビックリしたり、キョロキョロあちこち覗き込んだり、
居場所を見つけたり、喧嘩したり、慌てて逃げまどったり。
多細胞生物ではなく、ただの「群体」に過ぎないのに、
喧嘩せずにお互いしっかり体をつないで、
くるくるくるくる泳ぐ、ヒゲマワリ(ボルボックス)やシヌラ。
動物じゃないと思っていたら、
意外とクネクネ、クルクル、活発に動く、シアノバクテリア。
小舟みたいに、スイスイ走り回る、小さな小さな珪藻たち。
独立した多細胞生物のはずなのに、
まるで一個の生き物のように合体してしまうイトヒメウズムシ。
それに、なにより面白いのは、
ご先祖の「古細菌」から、ずっと昔に枝分かれして、
お互い全然違う見た目や、違う生き方をしている
遠く離れたフレンズたちのはずなのに、
みんな、みんな、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、身を寄せ合ったり、協力したり、
まぐわり、接合して、次世代を作ったりすること。
知ってる?生物の世界において、
「成体(アダルト)」とは、「生殖可能となった個体」という意味。
子供を作るのが「おとな」なのさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと違う話をするよ。「シン・ウルトラマン」って映画の話。
その映画の中で、ウルトラマンは、頭の先からつま先まで、
均質な物体で出来た、微細構造を持たない完全体とされる。
「一にして全、全にして一」な完全な個体。ほぼ神。
当然、マンガ「はたらく細胞」みたいに
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、協力し合う、
たくさんの細胞を持つ「多細胞生物」ではない。
理念、思想の固まり、孤高で単一の「思念体」。
外宇宙から来た、美しい、大きな銀色の飛行体。
よって、本質的に「個と個の(細胞)間の協力」は、
その身体自身に内在せず、
「バディー(仲間)」の意味がまったく分からない。
(映画では、��郷は「光の星」。国家は無い。)
(彼は人類と同種のものから進化した存在。)
彼は弥勒菩薩の様に完全な美(統一感)の化身だが、
無関係の子供を助けて死んだ男のことが分からない。
進化の最果てに居る彼には、「仲間」の意味が思い出せない。
遠い未来に来迎する弥勒菩薩の様なポーズをとって、
死んだ男の姿を掌に、森の中で悩み続ける。
覚えていたが、今は忘却した何かを思い出そうとして。
強くて、全知で、大きくて、けれど孤高のウルトラマンには、
起動してしまったゼットンを止める術が分からない。
なのに、弱くて、無知で、小さくて、愚かな人間たちは、
ぶつかり合ったり、協力したり、怒ったり、信じあったり、
ドキドキしたり、お尻パンパン気合を入れたり、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ゼットンを止める解決策を見つけ出す。
上から目線の外星人たちには出来なかったことを、
小さな「はたらく細胞」みたいな人間たちが成し遂げる。
VRゴーグルを付けての独り言、虚空に手をブンブン、
滑稽で、とっても格好悪いけれど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ずっとずっと昔に進化の枝分かれをする前から、その後も、
地べたに這いつくばって生きる「いのち」の本質は、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、食べ合ったり、
身を寄せ合ったり、協力したり、
まぐわって、子供を作ったり、育てたりしながら、
「なんとか必死に次につなげ続けること」なんだろう。
人間も明確に動物だし、生き物だし、「いのち」。
だから、おっさんは、勇気を出して、ベタなこと言うよ。
わたしは、一人の息子の父親だから。
ショーペンハウアーとか、シオランとか、ベネターとか、
そんな馬鹿どもの言うこと知るか。五月蠅い。
「いのち、ばんざい。」
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まいにちドイツ語「フェリックスの日記帳」のおさらい01
Baustein 1
何やら手紙発見! いったい誰が誰にあてた、どんな用件の手紙でしょうか。
Schweinfurt, den 30. März 2008 Sehr geehrter Herr Engelbach,
ich schreibe Ihnen auf Empfehlung eines Freundes. Nach seinen Worten sind Sie ein aufgezeichneter Spielzeugmacher. Außerdem habe ich gehört, dass Sie auch historisches Spielzeug reparieren. Daher möchte ich Sie beauftragen, einige Holzfiguren aus unserem Familienbesitz zu reparieren. Das Spielzeug ist äußerst wertvoll. Näheres erfahren Sie nach Ihrer Zusage.
Mit freundlichen Grüßen Adalbert von Stein
【Alles klar?】 e Empfehlung 薦め r Spielzeugmacher おもちゃ職人 außerdem それに加えて daher それゆえ beauftragen ~4に依頼する e Holzfigur, -en r Familienbesitz 私蔵品 äußerst きわめて wertvoll 貴重な、高価な Näheres もっと詳しいこと(nahの比較級näherを中性名詞化したもの) erfahren 知る e Zusage 受諾
シュヴァインフルト、2008年3月30日 エンゲルバッハ様 友人の薦めで、一筆書かせていただきました。友人の話では、貴殿は大変優秀なおもちゃ職人とのこと。加えて、年代物のおもちゃの修理もなさっていると伺っております。 そこで貴殿にお願いしたいのですが、我が家の木製のミニチュアを数点修理していただけないでしょうか。きわめて高価な品であります。詳しいことについては、ご承諾をいただいたのちにお知らせしたいと存じます。 敬具 アーダルベルト・フォン・シュタイン
※日付は右揃えで書く
【文法工房】語順(1) ■動詞・助動詞の定形の位置 定形とは動詞が主語に合わせて人称変化した形のことで定動詞ともいう。一方、動詞や助動詞の原形のことは不定形と呼ぶことにする。 定形の位置には3つのパターンがある。
(1)平叙文及び補足疑問文:定形は2番目 Ich schreibe Ihnen auf Empfehlung eines Freundes. (友人の薦めで、一筆書かせていただきました。) ⇒定形schreibeが2番目に来ている。
Näheres erfahren Sie nach Ihrer Zusage. (詳しいことについては、ご承諾をいただいたのちにお知らせしたいと存じます。) ⇒目的語が文頭。ドイツ語では主語が文頭とは限らない。
Um wie viel Uhr kommt der Gast? (お客さんは何時に来ますか?) ⇒補足疑問文とは疑問詞のある疑問文のことで、wasとかwie langeで始まるような疑問文。ここではum wie viel Uhrは一塊で「何時に」ということ。これが文頭に来ていて、kommtは文の要素としては2番目に置かれている。
(2)命令文および決定疑問文:定形は文頭 Schicken Sie mir bitte einen Prospekt! (パンフレットをお送りください。)
Reparieren Sie auch Puppen? (人形の修理もやっていらっしゃいますか?) ⇒決定疑問文とは疑問詞のない疑問文で、jaやneinでこたえられるような疑問文。
(3)副文中:定形は最後 Außerdem habe ich gehört, dass Sie auch historisches Spielzeug reparieren. (加えて、年代物のおもちゃの修理もなさっていると伺っております。) ⇒reparierenという定形が文の最後に置かれている。副文を導く接続詞dassと副文中の定形reparierenがワクを形成するような構造になっている。
■ワク構造 ドイツ語の大きな特徴であるワク構造についての確認。
Ich kann auch Puppen reparieren. (私は人形も修理できます。) ⇒助動詞kannと文末の不定形reparierenがワクを作っている。
Das habe ich erst gestern erfahren. (そのことは昨日初めて知りました。) ⇒現在完了形の文だが、habeと文末の過去分詞でワクを作っている。
Er kommt um 3 Uhr zurück. (彼は3時に戻ります。) ⇒いわゆる分離動詞の文も、基礎動詞部分の定形と前つづりでワクをつくる。
ドイツ語の語順を考えるとき、定形の位置とこのワク構造というのは一番基本的なルールとなる。さらに詳しいルールについては次回以降見ていくことにする。
【道具箱】「~を受けて」「~によると」 auf Empfehlung ~2 ~2の薦めで nach js. Worten ~の話では auf Anweisung ~2 ~2の指示で nach js. Information ~の情報によると auf js. Wunsch hin ~の希望を受けて Berichten zufolge 報道によると
(メモ)
Schweinfurt, den 30. März 2008 ・・・(1) Sehr geehrter Herr Engelbach, ・・・(2)
ich schreibe Ihnen auf Empfehlung eines Freundes. Nach seinen Worten sind Sie ein ausgezeichneter Spielzeugmacher. Außserdem habe ich gehört, dass Sie auch historisches Spielzeug reparieren. Daher möchte ich Sie beauftragen, einige Holzfiguren aus unserem Familienbesitz zu reparieren. Das Spielzeug ist äußerst wertvoll. Näheres erfahren Sie nach Ihrer Zusage. ・・・(3)
Mit freundlichen Grüßen ・・・(4) Adalbert von Stein ・・・(5)
__________ 手紙の書き方 (1)発信地と日付 発信地は都市名がふつうである。 日付は当然「日+月+年」の順番。 月は、Märzなどの月の名前ではなく数字を書くこともできる。 日付の前にdenをつけて書くのは現在では少し古めかしいと感じられている。なお、友人に対する手紙や、Eメールでは、省略するのがふつうである。
(2)呼びかけ 男性に対するSehr geehrter … , 女性に対するSehr geehrte … は公式の手紙や事務的な手紙で使われる表現で、主に相手と面識がない場合に用いられる。 相手とsiezenする間柄でも、親しく言葉を交わしたことのある相手には、Lieber Herr … , Liebe Frau … を用いる。 duzenする友だちには、Lieber Max, Liebe Karenのように、Liebe(r) + Vornameを使う。
(3)本文 ここでは呼びかけのあとに、コンマを打ってあるので、小文字で書き始める。 呼びかけをSehr geehrter Herr Engelbach! と感嘆符で終わらせる場合は、本文は大文字で書き始める。 ドイツ語では余計なことはあまり書かないので、くどく書きすぎないようにすること。
(4)結びの挨拶の言葉 mit freundlichen Grüßenは公式の手紙や事務的な手紙で最もよく用いられる表現。 さらに、公式にはHochachtungsvollという表現もある。 siezenしていても親しい人には、mit herzlichen Grüßenを使う。 仲の良い人には、Viele Grüße, Liebe Grüßeなどを使う。
(5)署名 Eメールを除いて、常に自署する。「あなたの」を表すIhr(e)やDein(e)は必ずしも必要ではない。
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先日NHK・BSプレミアムで、 『スイーツ紀行”オリエント急行ライン お菓子秘話 イギリス~ドイツ”』 を見ていました。 ドイツで紹介されたお菓子はバウムクーヘンでした。 ドイツに来て以来10年・・・、 実は美味しいバウムクーヘンなど食べたことがありませんでした。 バウムクーヘン専門店も私の街や行く先々でもなかったし、 スーパーで買うバウムクーヘンなどパサパサしてるわ硬いわで、 日本のコンビニで売ってるバウムクーヘンのほうが柔らかくてしっとりしてて何10倍もおいしい。 滋賀県にあるクラブハリエのバウムクーヘンなんてもう神の域であると思っていました。 でもドイツって言えばバウムクーヘンだよね!みたいになってて、 両親がドイツに来たときもスーパーで売ってるバウムクーヘンを見つけては、 「お! これが本場のバウムクーヘンか!」 と言ってお土産に買って帰るので、 (いやいや日本のほうがおいしいって。。。)と心の中で思っていました。 今回のテレビ番組、 旅の案内人は高島礼子でしたが、 下車した街はザルツヴェーデルという街でした。 ドイツ生活の長い主人もその街がどこにあるか知らないようでした。 調べてみるとザクセン・アンハルト州にある街で、 ベルリンの北西に位置していました。 日本に劣るバウムクーヘンを味わってどんな反応をするのかなと思ったら、 私の予想に反して大変感激している様子。 テレビ撮影だしな・・・とまだまだ半信半疑の私でしたが、 お店で働くご婦人のお話にどんどん引き込まれていました。 このザルツヴェーデルはバウムクーヘン発祥の地でした。 第二次世界大戦後、 ドイツは東西に分断され、 東ドイツとなったザルツヴェーデル。 このバウムクーヘンのお店はとても繁盛していましたが、 ある日お店のおばさんは、 ふと窓から覗いている国家警察の姿に気が付きました。 東ドイツでは儲かっているお店は国営にして、 その売り上げを国の物にしたのです。 このバウムクーヘンのお店も当然そのターゲットにされました。 且つ国家警察は、 今までのレシピを国家が考えたレシピに変えるよう命じました。 もっと安い材料を使って作り、 外国へとたくさん輸出して、 外貨を稼ぐのが目的だったのです。 お店のおじさんとおばさんはもちろん反対しました。 そしておばさんは逮捕されてしまったのです。 これが共産主義なのです。 数年後おばさんは釈放されましたが、 レシピを国家のものに変えざるを得ませんでした。 バターはマーガリンに、 チョコレートはオイルとココアに・・・。 自分たちが昔から作ってきたバウムクーヘンの味とは全く違うものでした。 ベルリンの壁が崩落し、 1990年ドイツは再び統一。 バウムクーヘンのレシピは伝統のある昔ながらのレシピに戻りました。 国家警察と闘ったおじさんとおばさんはそれを知ることなく、 統一の3年前に亡くなったそうです。 この番組を見終わって、 私はこのバウムクーヘンが食べたくてたまらなくなりました。 夫に相談すると「じゃ、夏行く?」と言ってくれたのですが、 私の脳内は夏を待たずしてすっかりバウムクーヘン一色。 夫がいろいろと調べてくれた結果、 ザルツヴェーデルにはいくつかバウムクーヘン店があり、 お店によってはオンライン注文が出来るとのこと、 早速頼んでもらいました。 待つこと数日。 届きました! リボンも付けてラッピングしてもらってます。 ザルツヴェーデルのものだよ!という意味の、 SALZWEDELERと書いてあります。 でこぼこしてて本物の木っぽいのが、 機械ではなくちゃんと職人の手で作りあげられているのが分かります! 3段注文しました。 すっごく大きいです。 バウムクーヘンそのものの味を楽しみたかったので、 プレーンを選びました。 さぁ実食! お店のおばさんが横に薄く切って食べるのがバウムクーヘンの食べ方と言ってたのでその方法で。 なーにーこーれー!! こんな美味しいバウムクーヘン生まれて初めて食べたー!! ヤバすぎる美味しさ! いいバターの香りがするし、 食べた時の舌触りもふわふわ。 これが本当のドイツのバウムクーヘンなのだー! 日本のほうが美味しいとか言ってごめん。 この3段バウムクーヘン・プレーン味。 送料込みで42ユーロ(日本円で約5600円)。 お値段もお味と一緒で高級です。 あっという間に1段目食べ終わって、 あと2段残ってます。 全部なくなるのも時間の問題。 もうこれからはスーパーのは食べられないので、 頑張ってバウムクーヘン貯金します!
ドイツの歴史とバウムクーヘン | Life of Ballet Pianist ~バレエピアニストの生活~
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冬真っ盛り。
Winter is in full swing.
二月最後の三連休を襲った寒気団。いや〜。さみいすね。寒くないすか?うちがボロいせいじゃないすよね?寒いすよね。
A cold air mass hit the last three-day weekend in February. Oh no. It's so cold. Isn't it cold? It's not because my house is shabby, is it? It's cold, isn't it?
本日の依頼人。今日も日本に加え、ドイツ、オーストラリア、イギリス、カナダと国際色豊かなメンバーです。でも、海外のお客さんのピークはもう超えた感があります。
テールガイドはゴウオンダリヴァ。
Today's client. In addition to Japan, we have an international group today, with members from Germany, Australia, England, and Canada. However, I feel that we have already passed the peak of our international clientele.
The tail guide is goontheriver.
先日、先輩から譲り受けたこのキャップを堂々と被り、メインラインのツアーに参加したという彼。なかなかいい度胸してやがりますね。
The other day, he proudly wore this cap, which was given to him by a senior colleague, on a tour of the main line. He has some guts, doesn't he?
さて、今日のルートはハイクなしでいきなり滑れますよー!
昨日までの雪は程よく沈降しいい滑り心地です。
Well, today's route can be skied without hiking!
The snow up to yesterday has settled moderately and is nice to ski.
朝イチからさいこぉぉぉぉ!!!
Sai-ko from the first thing in the morning!
スプレーもよく上がります。
The spray goes up well.
なんて調子に乗っていると…
うおっ!!
How He is on a roll…
Whoa!
あぶねえ〜〜!!!
あわや木と衝突するとこでした。いかんいかん。調子いい雪だからこそ、調子乗り過ぎると危ないですよー!
Oh no!
He almost collided with a tree. Oh no, no, no. It's because the snow is going well that it's dangerous to get carried away!
よっしゃ!今日は短いハイクで何本も滑りますよ!
Yup! We'll be skiing a lot of short hikes today!
スプリット初体験の彼。背中の軽さと、足の沈まなさに感動。
His first experience with splitboards. He was impressed by the lightness of his back and the fact that his legs did not sink.
さて、今日はいいコンデションが続いているので南斜面に行ってみましょう。
Well, today's conditions continue to be good, so let's go to the south slope.
ちょっと木の間隔は狭いけど、ボコボコした地形が楽しいです。
The tree spacing is a bit tight, but the bumpy terrain is fun.
最高だコノヤロー!!
Saiko!! you son of a b1tch!
登り返しの最中に大軍に遭遇。おうおう!てめえらどこのもんだ!?
あ、なんだよ Snowsurf Hakuba の布施君かよ。
なになに、secca ツアーだと?女子に囲まれてデレデレしてんじゃねえよ!許せねえ!俺ら先に登っていいとこ滑ってやる!
We encountered a large group during the climb back up. Oh, oh, oh! Where the hell are you guys from?
Oh, it's Fuse from Snowsurf Hakuba, isn't it?
What's this, a secca tour? Don't get all flirty with a bunch of girls! That's unforgivable! We'll go up first and ski the good part!
あ、この前コラボツアーしたニッシーもいるじゃねえか。3/7(金)にも平日コラボやるんでヨロピコです!
Oh, and there's Nissy, who did a collaborative tour the other day.
We'll be doing another weekday collaboration tour on Friday, March 7!
高速道路が出来ていたのでハイクは快適です。
The hike is comfortable because the highway was built.
よっしゃ!いいとこ滑っちゃうぞー!!
All right! We are going to ski in a good lines!
イェ〜。豪君!
Yeah!! Go!!
スプレー爆裂です。
It is a spray explosion.
最高だー!!寒いけど雪は最高だー!!
It's great! It's cold but the snow is great!
本日3回目の登りかえし。
The third climb back up today.
そして四本目の滑り。全方位いい雪です。
And the fourth run. Good snow in all directions.
バックカントリー初体験の彼も満喫しています。
He is also enjoying his first experience in the backcountry.
ああ、どこまでもいい雪。幸せ〜。と同時に雪も強くなり気温も低くなってきてます。さみい〜〜!
Oh, nice snow everywhere. Happiness~. At the same time, the snow is getting stronger and the temperature is getting colder. It's so cold!
辿り着いた先は大きく開けたデザート斜面😍
The destination is a large open dessert slope😍.
テンション上がったお客さんは思わ���トゥイーク!!
The excited guests couldn't help but tweak!
林もいいけどオープンもサイコー!!
The tree are nice, but the open is also awesome!
気持ちよす〜〜〜〜〜〜〜。
It feels good.
そのまま下まで降りたけど、標高下がってもずっといい雪でした。
皆様、無事に昇天したようです。
We went straight down to the bottom, but it was still nice snow all the way down to the lower elevations.
Everyone seems to have ascended safely.
寒くて最後の写真撮るの忘れたぜー!!
結局五本のランを楽しむ事ができました!
鼻水ちょちょぎれそうだったけど、最高にいい雪滑れました!!!
ありがとう寒気様ー!!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!!
It was so cold I forgot to take the last picture!
In the end we were able to enjoy five runs!
I was almost snotty, but I had a great time skiing the snow!
Thank you cold weather!
Thank you for your hard work today!
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