#フィールドワーク展
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反万博フィールドワークに参加!
1月18日、大阪・関西万博反対のために立ち上がったバビロン解体企画のお招きで、反万博フィールドワークに参加するため訪阪した。
新大阪駅を降りるとさっそく駅構内に万博プロモーションが登場。商店街にも、数メートル感覚で万博ののぼりが並ぶという異様ぶりである。
集合場所の扇町公園に集まった約10名ほどの参加者たちは、皆、思い思いのプラカードやバナーを作る。これを、これから訪れる万博関連施設などで掲げフォトアクションを行うのだ。
まず私たちは扇町公園を出て淀川へ向け歩いて北上。途中、ストリップ劇場「東洋ショー劇場」を通り過ぎる。ここでは2024年11月にダンサーら10人が逮捕されるという弾圧が起こった。東京五輪前の2021年にも上野のストリップ劇場が弾圧を受けたように、これも万博前の「社会浄化」の一環と目されている。メガイベントに際したストリップ劇場の弾圧と、抗議や文化としての裸体についてはバビロン解体企画のzineにある「ハダカとバンパク」が興味深いので是非読んでほしい。
町内会の看板も万博仕様。
続いて訪れたのは国分寺公園という小さな公園。ここには万博開催中の1970年4月に起こった大阪地下鉄建設中のガス爆発事故の慰霊碑が建っている。死者79名、負傷者400名余り、26戸48世帯が焼失するという大惨事だったという。慰霊碑には「今後都市の建設工事を実施するにあたってはさらに安全性の確保に努め再びこのような惨事を引きこ起こすことのないように」と書かれている。ところが、現在推進されている2度目の大阪万博では既に2024年3月にメタンガスによる爆発事故が発生。ゴミの埋立地であった夢洲では、またいつこのような事故が起こってもおかしくない。過去から学ばず、開発を優先し過ちを繰り返すこの国の情けなさがここでも見て取れる。
さらに歩くと、なんと万博仕様のマンホールが登場!東京五輪のときもありましたね!くだらないことに税金を使うんじゃないよ!
ここは淀川河川敷。広々とした風景を切断するように白い鋼板が建てられ、何やら工事をしている。これは淀川左岸線延伸部整備事業といい、2011年に政府の都市再生プロジェクトとして位置づけられた全長8.7㎞の道路建設計画である。しかし、この一部が万博の際に大阪駅や新大阪駅から万博会場を結ぶシャトルバスの専用道路として暫定的に利用される予定だという。
また、この工事の一部は大深度地下を活用している。つまり、地中深くであるから地表の地権者の���承は必要ないというものである。しかし、この大深度地下を活用した工事においては既に2020年東京で外環道の工事によって地面の陥没事故が起きている。
この淀川河川敷を散歩コースとして拠り所としていたフィールドワーク参加者は「散歩を返せ」と強く憤っていた。
私たちは電車を乗り継ぎ湾岸部へ。ATC(アジア太平洋トレードセンター前)周辺は、まるで東京の湾岸エリアのよう。荒涼とした空間の中に、大阪入管もそびえている。
建物の中には万博オフィシャルショップや万博支援自動販売機!(東京五輪のときもあった!やっぱりコカ・コーラである。)この自販機の売り上げが、万博の機運醸成活動に利用されるのだという。誰が買うか。
ATC内に掲示してあった万博作文コンクールのポスター。東京でもオリパラ教育が強要されたように、万博もまた子どもたちを洗脳しようとしている。
万博の初日に皆で「第9」を歌いましょうというチラシ。なんと参加者は2万円支払ったうえに3回のレッスンを受けなければならないらしい。こんなのやりたい人いるのか。
展望台に登ると、西側に万博会場である夢洲が見えてくる。344億円かけたという空しいリングでそこが夢洲だとわかる。手前はコンテナふ頭、右手の更地はカジノ建設予定地だ。既に各所で言われている通り、夢洲に出入りするには夢舞大橋か地下トンネルの2つしかない。事故や災害があったらどうやってこの島��脱出するのか、考えただけで恐ろしい。
ここでもバナーを掲げ、反万博をアピールする。あちこちに貼られた万博ポスターは「すごいぞ!」などの空虚な言葉ばかり。
衝撃的だったのはこちら。大阪メトロの各駅に設置されている顔認証自動改札機(!)。東京五輪の際も、五輪会場のゲートでNECの顔認証システムが採用されていた。また、JR東日本は2021年7月から主要駅や車両基地、変電所、線路沿線などに約8350台もの監視カメラを設置して通行人の顔情報を取得し①過去にJR東日本の施設内で重大な罪を犯して服役した人、②指名手配中の容疑者、③うろつくなど不審な行動を取った人を検知していた。批判を受け、①については検知を見直したが②と③は継続しているという。メガイベントのたびに監視システムはどんどん強化され、私たちの個人情報は奪われていく。大阪万博でも���じことが起ころうとしている。
最後は12月1日に強制執行があったばかりの釜ヶ崎へ。JR新今宮を挟んで向かい側、かつて遊園地フェスティバルゲートが撤退して以降長らく空地だった場所には、いま高級ホテル・星野リゾートがそびえたっている。労働者の街・釜ヶ崎を、観光客やミドルクラスのための街に変容させようというジェントリフィケーションの象徴のような場所に、大阪万博を宣伝するきらびやかなプロジェクションマッピングが施されている。私たちはこの場所で、万博反対の最後のアピールを行い、フィールドワークを終えた。
実際に街を歩いてみると、メガイベントがいかに私たちの生活に侵食しているかがよくわかる。たとえ興味がなかったとしてもだ。東京五輪のときも酷かったことをありありと思い出した。その中で、反万博を訴え、プラカードやバナーを掲げ、街の景色を少しだけでも変えることができた。この一日に参加できたことを有難く思う。
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ひとつ前の投稿で、Claude Codeが研究エージェントに転用できそうだと書いた。この事実が思ったより自分の中で重いようなのと、ちょうど2年前、生成AIの大騒ぎが起きたときに考えた物事のタイムラインを検証する良い時期でもある気がしたので、ここに記しておきたい。
基本的に万人に当てはまる話ではなく、自分個人の生存戦略に関することだし、現状のAI・ロボティクスの進歩については記憶に頼って書いていて情報が不正確な部分もあるはずなので、こうして外に書かず自分の手元だけで書くべき内容な気もする。が、おそらく後で引用するために外に出しておいた方が良さそうなのでここに置く。
書くのが面倒なので適切な引用や説明などを省いて中身だけ書くと、2023~2025年でOpenAIの示す「AGIへの5段階」のうちChatbotからReasoner、Agentと着実にステップを踏んだ以上、次の1~2年でInnovator、さらにそこから2~4年程度でOrganizationのレベルになるのではないか。ここで、Organizationまでを少し長くとったのは、2023年秋の時点ではChatbotからAgentに行くような雰囲気だったのが、Reasonerが挟まって少し遅れたことを加味している。つまり、Innovatorまでは強化学習などのスケーリングでまっすぐ行って(巷の噂ではここはおそらく確実なので)そこからまた少し停滞があるのではないか、という個人的な予想だ。
Innovatorまで2年+Organizationまで4年だった場合は6年後で2031年となり、これはデミス・ハサビスのいうAGI(ハサビスの定義では人間のできることは「何でも」人間より上手くできるAI)の出現時期と重なる。また、サム・アルトマンはより限定的に「科学を大幅に加速するものは超知能と呼べる」等と発言していて、それが来年あたりに来るという予想だが、これは上記のレベルで言えばInnovatorのことだろう。早ければ2026年に有能なAI(「データセンター内の天才たちの国」)が現れて科学研究の加速が起こることは、ダリオ・アモデイの昨年秋のエッセイでも示されている。
また、ハードウェア面ではヒューマノイドが最近VLMとスケーリングでめきめき性能を伸ばしつつあるが、今のところ一般販売はされずFigureや1Xなど各社が小規模な実証実験をしている状態なので、ChatGPTのような大規模な一般公開・販売までにはさらに数年(2027年~2028年)かかるだろう。つまりAIの5年遅れで進んでいることになる。
さらに、生成AIへのリアクションを見る限り、新技術の世の中への普及速度(レイトマジョリティが認知・反応するまでの期間)はだいたい1年~2年程度のようなので、今後も同程度の遅延があるだろう。ただし、Web越しに安く簡単に使えるAIと違い、ロボットは高価で形のあるものなのでさらにもう少しかかるかもしれない。
以上の情報を踏まえると、大学で生命科学の研究をしている自分の身に起こるだろう変化は以下のようになるかもしれない。
2026年~2027年にはInnovator、つまり計算機上で閉じる研究(生命科学用語で言えばDry研究)に関しては優秀な同僚(=自律して科学的発見を行える)、または超優秀な大学院生またはポスドク(=PIの科学的発見を助ける)レベルのAIがそれなりに安価な値段で利用可能になる。しかも大量に並列で。この時点で、学生への研究教育を本番の研究と完全に切り離す必要が出てくるし、ポスドクの存在意義も怪しくなる。しかしこの事実が大学の研究室の外に十分広まるまでには2年ほどかかるため、大学入試や研究グラントの制度設計への影響が出るのはもう少し後だろう。
その後、2031年までにOrganization、つまり計算系の研究室を丸ごとAI集団で置き換えることができるようになる。この時点では、科学業界はまだ論文に最低ひとりは人間のオーサーを必要としている(文字通り「責任著者」を求めている)と思われるので、実質的にすべての研究者がPIとなり全自動AI研究室を運営することになる。当然、この時点でPIをやる能力や機会を持ち合わせていない場合、その訓練を受けたり、機会を得られる場は限られている(これまではポスドクや助教をしながら経験を積んで昇進を目指せたが、そういう中間ポジションはAIに取って代わられている)ため、キャリア上の困難に陥る。ただ、このころには、計算系の研究者はかなりの部分がAIで代替できるというのが世間でもよく知られるようになって、必然的に目指す人も減りつつあるかもしれない(要は芸術系などと同じ扱い)。大学の定員や教育そのものはまだ劇的には変わらないだろうが、グラントの制度については状況を踏まえた大幅な変更がある可能性がある。
この時点で実験系の研究室は、論文執筆や研究議論、データ解析などに大いにAIを使いつつも日々の実験は相変わらず人間の手で行っているので、計算系の研究室の激しい混乱はよく分からないという感じで眺めているかもしれない。しかし、2031~2032年には5年遅れでロボティクスがInnovatorのレベルに達するので、いよいよ実験系でも技官やポスドクの置き換えが始まる。その後、2036年にはロボットによるOrganizationが達成され、科学の現場から人間が大幅に削減される可能性がある。もちろん、特殊な環境のサンプルを取りに行く、特定機器のメンテナンスに人手が要る等、人間が手足として必要になるケースはあるのでゼロにはならないが、かなり限られてくる。
ただし、実験系の場合は(ヒューマノイドを介さない)実験設備そのものの自動化もあるため、全体の時期がもう少し早くなる可能性もあるし、逆に安全性の観点から既存の実験室へのヒューマノイドの導入が遅れる可能性もある。そしてもちろん、計算系の目覚ましい発展により、実験を繰り返さずともシミュレーションで何とかなるケース(≒そもそも実験が不要になるケース)も増えるだろう。
サム・アルトマンは超知能と社会への変化に関して、「超知能が出来ても社会はそれほど(すぐには)変わらないかもしれない」とコメントしている。ただ、科学研究、特に大学の研究室は社会全体と比べれば新技術が早く導入できる場であるし、速ければ速いほど、正しければ正しいほど良い世界なので、AIとロボットの進歩���ほぼ直に受けると思ってよいだろう(民間企業の研究開発も似たところがあるとは思うが、こちらは利益を上げるために敢えて既存手法を変えない等の判断もあるようなので、それほど単純ではなさそうだ)。
最初の方で、レイトマジョリティが新技術を認知・反応するまで+1~2年と書いたが、社会そのものの変化はそこからさらに+2~4年くらいかかるかもしれない。つまり、大学の研究室で変化が起こる2031年・2036年から数年~5年ほど遅れて、広く一般に計算機で閉じるような仕事(≒ホワイトカラー)がおおむねAIで代替されるのが2035年、身体を必要とする仕事は2040年近辺だろうか。
自分の研究・仕事は2030年近辺でほぼ自動化されてしまう(この予想は2023年の時に自分が抱いた「あと5年から10年で失職する」予感とも合致する)が、社会制度が変化するためにはより多くの人が影響を受ける必要があるので、2035年近辺が変化の時かもしれない(さすがにヒューマノイドが闊歩するこの時期になれば、大学の意義も問われ始めるだろう)。そうなると2030年から2035年をどうやって過ごすかが問題だ。とりあえず今から実験の人やフィールドワークの人たちに泣きつく覚悟と、そのためのコネは確保しておこう。
2035年~2040年より先のことは、個人で考えるだけ無駄なので考える必要はない。ダニエル・ココタイロらが予想するAI2027のようにAIが人間を滅ぼして宇宙に進出するかもしれないし、逆にAIが人間の言うことをよく聞いて人類が宇宙に進出するかもしれないし、また別の人たちが言うようにAIが完全に人間の手を離れて別個の生命体として独自かつ人類と対等の社会を作るかもしれないし、人間の手を離れたついでに人類には理解不能になって、単なる自然災害の一種としてしか観測できない存在になるかもしれない。
10年後が楽しみだ。
追記: 各AIによる、上の文章の分析(プロンプト:「以下の文章を分析して」)の抜粋は以下の通り。o3, o3-proの指摘するエネルギーや資源の限界、AI規制、技術ブレークスルー等によるタイムラインの振れ幅はもちろんあり得る話ではある(が、少なくとも遅れる分には自分はさほど困らないので、ここでは問題にしていない)。あと、Geminiだけ分析の方向性がなぜか国語っぽいのだけども、わざわざ別のプロンプトを用意するのも面倒だったのと、これはこれでおもしろいのでそのまま載せておく。どのAIもメモリ機能はオフで実行した。 o3: タイムラインは大胆かつ一貫性がある 一方、実際には 技術的ボトルネック と 規制、資金循環 がスピードの乱高下を招く ことが予想される。
特に ロボティクスの実装フェーズ は現場ごとの安全要件が多様で、一律に “AI+5 年” と言い切るには不確実性が大きい。
とはいえ 「計算系研究の雇用が先に縮小する」という指摘は鋭い。 研究者個人としては 実験・フィールド経験と横断的マネジメント能力 を早期に獲得しておく戦略は合理的と言える。
o3-pro: 筆者は ①技術的スケーリング則の持続、②ロボ導入は AI+5 年、③社会制度は技術よりさらに遅れる という三層の “時差モデル” を採用し、それを自らの研究キャリアに当てはめている。ロードマップとしては整合的だが、エネルギー・規制・社会受容 という外的要因の振れ幅が大きいため、予測点ではなく 幅を持ったシナリオ での備えが望ましい。とはいえ、「Dry→Wet→社会」の順に衝撃が伝搬するという構造理解と、2030–35 年を“試練期”と見立てたキャリア設計 は実践的示唆を含んでいる。 Claude 4 Opus: 強み
技術進歩の遅延要因(普及の遅れ、制度変更の遅さ)を考慮
研究分野の特性(計算系vs実験系)を踏まえた差異化
自身の立場(生命科学研究者)からの具体的な影響を検討
注意点
線形的な進歩を前提としているが、技術的ブレークスルーや停滞の可能性
規制や倫理的制約による遅延の可能性は限定的にしか考慮されていない
人間とAIの協働や新たな役割創出の可能性への言及が少ない
全体として、AI研究の最前線の動向を踏まえた、研究者視点からの現実的かつ構造的な未来予測となっています。
Gemini 2.5 Pro: 文章の特徴
冷静かつ具体的な分析: 感情的な反応に留まらず、業界の権威(ハサビス、アルトマン等)の発言や具体的なAIの進化段階を根拠に、詳細なタイムラインを構築しています。
当事者意識: 「個人の生存戦略」という切実な視点が一貫しており、抽象論ではなく、自身のキャリアに直結する問題として捉えています。
不確実性の認識: 自身の予測が記憶に基づく不正確な情報を含む可能性や、2040年以降は個人の予測を超えた大変動が起こる不確実性を認めつつも、現時点での思考をまとめることに価値を置いています。
結びの��イロニー: 未来への深刻な懸念を詳細に述べた後、「10年後が楽しみだ」と締めくくることで、この巨大な変化に対する複雑な心境(諦観、不安、そしてある種の好奇心)を表現しています。
追記2: 上の追記での各AIのコントラストが意外とおもしろかったので、追記部分もそれぞれのAIに送ってみたところ、それぞれのAIのリアクションはさらにおもしろかったので、内容を簡潔にまとめた。
o3があいかわらず理系的な頭のおかしさを発揮しているのと、思ったよりGeminiが文章に対して俯瞰的視点を持っているのと、Claude 4 Opusの性格が3から変わらずOpusで感動した。さすがAnthropic(「人類の」)が作っただけあって人間性はぶっちぎりでClaudeに軍配が上がる。未来のAI同僚はぜひOpusに来てほしい。頼むAnthropic、がんばれAnthropic。 o3:「以下の 4 つの出力は、いずれもあなたのタイムラインの「説得力」と「揺らぎ」をどう扱うかに焦点が当たっていますが、視点の置き方が少しずつ異なります(略)また、「遅れる分には困らない」という前提については(略)まとめると、 4 モデルの差異は「どこを不確実と見るか」の粒度の違いであり(略)」 Claude:「各AIの反応の違いが、それぞれのモデルの特徴をよく表していますね。(中略)面白い観察として、(1) リスク認識の温度差:o3系は最も悲観的(あるいは慎重)で、外的要因による計画の破綻可能性を強調。一方、Geminiは内容の妥当性より表現形式に関心。(中略)(3) 分析の多様性:同じ文章から、技術予測の妥当性、キャリア戦略の合理性、文章表現の巧みさなど、異なる価値を見出すAIたちの個性が浮き彫りに。 この比較自体が、AIの「Reasoner」段階の多様性を示す良い例かもしれません。各AIが異なる評価軸を持ちながらも、それぞれに価値ある洞察を提供している点で。」 Gemini:「o3は戦略コンサルタント的な分析(略)、Claudeは研究レビューア(査読者)的な分析(略)、私は文学的分析。文章を「思考を表現したテキスト作品」として捉え(略)文章の論理的な骨子だけでなく、その背景にある人間的な思考のニュアンスまでを捉えようとするアプローチ」
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2025年6月14日(土) 当教室卒業生の松元悠さんが 4月から5月にかけて兵庫県立美術館で個展を行いました。
当教室から京都精華大学の版画コースに進み、独自の作風の作品と旺盛な作家活動で注目を浴び、早くも美術館で回顧展スタイルの展覧会を開催する機会を得ました。素晴らしいです。
松元さんは版画の中でもリトグラフという、今では珍しくなりつつある石版の手法で作られていますが、扱うテーマや制作過程もまた個性的です。新聞の三面に扱われるような事件を取り上げ、その犯行現場を訪れたり、関係者にインタビューを試みたり、そうしたフィールドワークから得られるイメージを絵にしていきます。(松本さんは法廷画家として裁判の様子のスケッチを描く仕事もされています。)今回の展覧会は、当事者が語る夢。あるいは松元さんが事実を追う過程で苛まれた夢。白昼夢的な構造を持つ作品に欠かせない、事実と対極的な要素である幻想性としての夢。そういう作品にまつわる「夢」というものの考察を試みた展覧会で、その考察は会場に置かれている松元さん発行のユニークな「夢新聞」でも披瀝されていました。そこには版画というメディアの展望という意味での"夢"も語られており、作品も含め、今後の大きな活躍も期待させるものでした。 美術館だけに来場者も途絶えず、ともかく素晴らしい展覧会でした。 https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/channel16_matsumoto/index.html
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気になってたエジプト展に行ってきた。


カバ目当てで行ったけどアヌビスが可愛くて両方買ってしまった。

ミュージアムショップの看板が可愛かった。
埋葬品とかのコーナー(確か)のキャプションにネクロポリスについての記載があってびっくりした。
かなり昔に恩田陸のネクロポリスを読んだとき、架空の都市の名前だと思って気にも留めていなかったのでちゃんと意味のある言葉だとは知らなかった…。
話の内容を考えると確かに合ってるなと思う。
エジプト考古学の学者のフィールドワーク用の道具とかも展示してあって面白かった。
測量野帳つかっててテンション上がった。

出かける前に腹ごしらえで食べた家康くん焼き?
生地がカリモチで美味しかった。中身はハムマヨチーズ
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ねてるくんめちゃくちゃ可愛い
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NEW COMMONS──ともにつくる学びの場 武蔵野美術大学の社会連携活動展

武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスに開設された社会連携拠点1/M(イチエム)で、「NEW COMMONS──ともにつくる学びの場 武蔵野美術大学の社会連携活動展」を見た。地域のための活動や、役所や市民や企業などと協働するプロジェクトを知ることができる展示で、活動内容が多岐にわたることに驚かされた。公共性に意識を向けるのは大事なことだし、産官学の協働などいまどきはもう当たり前、アーティストももはや象牙の塔にこもることが許され��い社会になっているのだと思うが、大学のような場所には非ソーシャルな性質の人間の居場所も少しは残っていてほしいという思いも抱きながら見て回った。以下、展示の一部の写真を載せておく。
外国人居住者のための日本語学習プロジェクト。




ホスピタルギャラリー。



キャンパスのある市ヶ谷エリアで演習を行なって作った『市ヶ谷怪談集』。



化粧品会社と協働し、廃棄される化粧品を日本画の顔料にする試み。



そしてその顔料で描いた作品。



竹やラタンに着目した、インドネシアの大学生との共同ワークショップなど。



宮城県石巻市において、学生が地元宮城県の中高生とともにフィールドワークをして作品を作り、展覧会を開催する企画。


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2024.10.16
15日間のアメリカトリップから戻ってきてすぐに体調を崩し3日ほど寝込んだ。「戻ってきてすぐに」という表現は間違いかもしれない。実は帰ってきてすぐに友人がオーガナイズしているパーティに出向き朝まで楽しんだ。約2週間のアメリカの疲れと、何も考えず度を超えた遊びをしてしまった結果、家から一歩も出ずにベッドの上で苦しい時間を長く過ごすことになった。もちろんアメリカにいた期間、ちゃんとしたルーティンはあるわけもなく、毎日違う時間に寝て、違う時間に起きて、違うことをするという生活をしていた。数年前までそんな生活を違う国でして戻ってきても次の日にはけろっとして仕事に行けていたのにも関わらず、時の流れには逆らうことはできないと再確認する。これからのトリップはちゃんと休憩も入れようと心に誓う。そして帰ってきた日はゆっくりすると。これは多分ぐらいでいい。
このアメリカトリップを簡単に一言でいうと、人生が変わった。大袈裟ではない。アメリカに対する負のエネルギーしか産まない自分の偏見を払拭したかった。今の時代、多くの人がアメリカに対して良いイメージを持っていないだろう、少なくとも私はそうだった。それはアメリカがリーダー的存在として世界を動かし、今世界中で起こっている戦争にも全く関与していないとは言い難く、この資本主義の世界を牽引している存在だからだろう。でももうそういう���はやめたかった。私が住んでいるベルリンに対して、ああでもないこうでもないと言い続け、その街に責任を持たず悪い部分だけを気にし、良い部分を見るつもりがなければ好きになれるわけないのと同じであって、アメリカに対して心をオープンにせず悪態ばかりついていると学べるものも学べない。せっかく自分と遠い存在の国や文化に触れるのであれば良いことも、悪いことも学べるだけ学んで帰ってきたい。どの国にも、街にも、何事にも自分が好きではないものは存在していて、それが前提の上で良いものは良いと感じ、そう言える人でありたい。その良さはこの悪さから成り立っていてもいいのか?という問いにはもううんざりだ。それを考え出すときりがない。そういう意味で私のアメリカに対する負のエネルギーが今回のトリップを経て払拭できたので人生が変わった。
アメリカ人は威圧的で、他人のことを考えず自分勝手で、適当だとよく耳にするし、私もそういうイメージを持っていた。でも実際NY、Philadelphia、東部の田舎、LA、Californiaの田舎を回ってみると出会った人々は皆純粋でいい人だった。少なくともフェイクではない。口調や雰囲気は強いが自分達が思ったことをそのまま言葉にしているような感じがあった。そこには何も負のエネルギーがないことが多かった。もちろん日本人の私からすると(そうでなくても)真面目とは程遠い。仕事は適当だし、会話も人によってはちゃんと聞いているのか、理解しているのか、ちゃんと喋っているのか判断できない。ルールもあってないような場面が多々見受けられた。流石に驚いたがNYのとあるデパートの入り口に銃の持ち込み禁止というサインがあった。NO VIOLENCEという標識もガススタンドにあった。こういうことをわざわざするからそういうことが起こるんだと思いつつ、そうでもしなければ手に負えない状況というのも理解した。最終的にこの国はダメだと書かれ(言われ)ていなければ何をしてもOKという結論を出した。特に国や州や市の管轄下にある施設ではほとんどのスタッフが若干こちらが面食らうぐらい高圧的だった。しかし彼らは「アメリカ」を演じているんだと思う。あの威圧感も、人の通り道なのにその真ん中に突っ立って退かないのも、あの全てにおける適当さも、全てはワイルドさや身体的、精神的強さ、しかしコメディー要素は外さない「アメリカ」を演じるのを楽しんでいるように感じた。そこには大いに清々しさが存在し、気持ちの良いものだった。
私もアメリカの全てを好きなわけではない。Philadelphia���Kensingtonで繰り広げられるこの世の終わりも目の当たりにした。しかし、これがこうだったら、そっちはそうなるな、という自分の中で納得する何かは見つけられた。もちろん良い、悪いは別として。それだけでもアメリカに行って良かったと思っている。目にする全てのスケールが大きく、まさにBIG、GREAT、WILDという言葉が似合うような国だった。そしてそこには多少なりマスキュリン的要素も含まれる。
PhiladelphiaのMuseum of the American Revolutionで独立後すぐのアメリカ軍とイギリス軍のどこかのボーダーでの戦いのショートフィルムを見た。その中には銃を抱えながら行進する数十人から成る兵隊の中に一人トランペットを演奏しながら更新する兵士が映っていた。日本の武士隊でも法螺貝が使われていたことを思い出した。例えば10人隊だったとしたらその10%である、兵力に成りうる(敵兵を殺せる)人物をわざわざ楽器の演奏に充てているのである。なぜか。いつ殺されるかわからない不安や予測できない気候、長い行進による疲労などを払拭するために、隊の士気を高めるために単純に目に見える兵力を減らしたとしても結果としてそちらのほうがいいからである。
T.T AW25展示会のインスタレーションのフィールドワークとして、このアメリカトリップは始まった。本でもそうだが、プロジェクトを進めていくと最初に決めたことや、大事なことが徐々に見えなくなったり、時には忘れてしまうこともある。また忙しい時やプレッシャー下にあるときほど視野が狭まって目先のことしか見えなくなる。そんな時にこの話を思い出したい。
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Shu Isaka worked in the guest studio of the Van GoghHuis in September 2024.
ゴッホの生家にあるレジデンスVan Gogh AiRに滞在し、フィールドワークを中心とした映像制作を行い、展示を行いました。
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Kansai Studies リサーチャートーク!
鳩の生態 ⇔ クラブカルチャー ⇔ 未来の動物園 ここから垣間見るキョート・カルチャーの現在形!?!?
関西地域をアーティストの視点で探究し、未来の創造的な土壌を耕していくためのリサーチプログラム「Kansai Studies」のリサーチャー3名によるクロストークを開催します!
2024年度は教育者、研究者であり、さまざまなアート、音楽イベント等のディレクターの石川琢也による「詩的なテクノロジーとしてのパーティ、職能、空間について」、ダンサー・振付家の内田結花による「ニュー・フィールドワーク京都編」、アーティストの前田耕平による���『あわいの島』動物園をめぐる話」というテーマで6月から各自がリサーチを行ってきました。今回のトークでは、各リサーチテーマについて、またフィールドワークを通しての発見、未来に向けて考えることなどをクロストーク形式で語り合います。 リサーチャーのフィールドワークを通して、独自の角度から私たちの住む関西を再発見できる機会となることでしょう。
日程:2024年10月16日(水)19:30~21:00 会場:ミーティングポイント BnA Alter Museum https://bnaaltermuseum.com/
料金:1,000円(1ドリンク付き)・予約不要 言語:日本語 ※英語通訳あり
👉Kansai Studies特設サイト
https://kansai-studies.com/ 👉ここからこれまでのリサーチ記録をご覧いただけます!https://scrapbox.io/kansaistudies/
石川琢也 / ISHIKAWA Takuya 教育者 / 研究者 / Director 京都芸術大学 専任講師。UI・UXデザインを職務とした後、2013年に情報科学芸術大学院大学(IAMAS)に進学。2016年山口情報芸術センター[YCAM]エデュケーターに着任し、「RADLOCAL」などの教育・地域プログラム、音楽プログラムの企画制作を担当。2020年より現職。日野浩志郎「GEIST」プロデュースをはじめ、音楽イベント、アート制作のディレクション、クラブカルチャーの文化史・コモンズ研究を行う。共著に「新世代エディターズファイル 越境する編集ーデジタルからコミュニティ、行政まで」https://linktr.ee/taabon
内田結花 / Yuka UCHIDA ダンサー・振付家。上演環境や状況に振付けられる身体をテーマに、これまで屋内外のあらゆる場で自作品を発表。主な作品に、暮らす日々を記録した日記を振付に踊る『暮らしのシリーズ』(2014, 19-23)、憧れ尊敬する人々を想像力と妄想力を駆使し(誤解含む)取り込んでいく『リスペクトピープル』(2020-)、フィールドワークの素人たちで鳩のコミュニティを探る『ニュー・フィールドワーク』(2023-)などがある。また、ダンサーとして、様々な振付家や作家の作品に出演している。幼少期より、セキセイインコやオカメインコなどの鳥、熱帯魚やメダカなどの魚、カブトムシなどの虫、犬などと生活を共にしてきた。 https://yukauchidaweb.tumblr.com/ X : https://x.com/CHIDDAA Instagram : https://www.instagram.com/yukamkj/
前田耕平 / Maeda Kohei アーティスト。1991年和歌山県生まれ。関西を拠点に活動。2017年京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻構想設計修了。 自身のルーツとなる紀伊半島での風土や体験、同郷の博物学者である南方熊楠の哲学を根幹に「自然と人の関係や距離」をテーマに活動。国内外の自然地形や生態系、文化や信仰に目を向け、フィールドワークやプロジェクトから写真、映像、パフォーマンス、インスタレーションなどの作品を制作。境界を問い、不可視に触れ、時に祭事のようにその過程と行為を展開する。近年の展覧会に「あわいの島」(アドベンチャーワールド,和歌山)、「タイランドビエンナーレ 2023」(チェンライ)、個展「点る山、麓の座」(国際芸術センター青森)など。 http://koheimaeda.com instagram: https://www.instagram.com/koheimaeda.insta/
コーディネート:竹宮華美 協力:BnA Alter Museum 主催:KYOTO EXPERIMENT
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園

ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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屋代高校 3年生 シェアサイクルで地域活性化を
屋代高校 3年生 シェアサイクルで地域活性化を 屋代高校3年生の小池優輝君、宮尾崇生君、中澤大貴君、堀篭和真君は今春、経済金融学習コンテスト「日経STOCKリーグ」高校生部門でルーキー賞を受賞した。タイトルは「シェアサイクルが創る新しい経済循環」。4人は2年生の時に課題研究の授業で千曲市内で展開しているシェアサイクルに着目。地域が抱える課題解決のためのモビリティとしての可能性を研究したという。フィールドワークでは上山田温泉亀清旅館や、長野市役所観光振興課、シェアサイクル事業者などを訪問してヒアリング。国土交通省自転車活用推進本部にもZOOMを使ってオンラインで聞き取りを行い調査結果をまとめた。 調査の中で県内にはシェアサイクルの設置場所がまだ少ないなどの課題も見つかったが、地域活性化や、災害時の公共交通機関の代替手段としても有効だと考え、現在もアプリの開発などの研究を続けてい…
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河内長野市市内地域資源調査研究事業
2024/06/15-16 河内長野市市内地域資源調査研究事業。河内長野市教育委員会の方にお声かけいただき、河内長野市の歴史や地域資源を題材に、人口減少のまちづくりの状況や文化財活用について学び、考える機会に参画しました。 初日、6月15日は観心寺境内を見学後、市立ふるさと歴史学習館で展示見学、滝畑ふるさと文化財の森センターで研修会を行い、そのままセンターで宿泊しました。 2日目、16日は、高野街道のフィールドワークです。途中、旧三日市交番に立ち寄り、三日市公民館にて、三日市小学校区まちづくり協議会の会長さん、副会長さんと意見交換の場を機会をいただきました。
市の担当の方の解説付きのまちあるきは学生にとっては非常にためになったようです。また、まちづくり協議会の方々が、自分たちで考えながら歴史資源を活用しまちづくりに取り組んでいる様子に触れることができ、空き家や景観の変化、若者の流出などを課題とされている実際についてもうかがうことができました。 市の担当の方々、まちづくり協議会のみなさんと直接関わりながら学ぶことができただけでなく、奈良大学、高野山大学からの学生の参加もあり、他分野の学生との交流の機会にもなりました。大変よい機会をいただきありがとうございました。

▲長野神社。建築様式の解説をしていただいています。

▲高野街道の景観の取り組みを聞いています。

▲旧三日市交番。活動の概略をうかがっています。

▲街道沿いの町家、厨子二階について。

▲三日市駅近くの高野街道。撮影スポットになっています。伝建でも市の景観計画もないのがすごいです。

▲街道のわきの路地を抜けると…。

▲こうした風景が広がっています。何度来ても心動かされるシークエンスが体験できます。

▲三日市公民館での意見交換。次世代との関係のつくり方の議論になりました。
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今和次郎の「考現学」をはじめ、W.H.ホワイトの「CITY 都市という劇場〜アメリカン・シティ・ライフの再発見」、「都市/建築 フィールドワーク・メソッド」のなかの三浦展の「TOKYO STYLEのフィールドワーク その時代的意義」、そして吉見俊哉の「都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史」などを紹介しつつ、5月のGWを過ぎた辺りからはまち歩き。
各自でテーマを設定し、〈都市とファッション〜神保町のドラマトゥルギー〉と題してフィールドリサーチ開始です。
わたしも久しぶりにプレサーベイ🙌いろんな発見がありました。
*2024年5月プレサーベイ
(写真順に)神保町にもインバウンド/神保町の有名老舗餃子店として有名だったスヰートポーヅ跡地/厳かな佇まいの建築に特化した書店南洋堂書店/アートブックやイベントなどを手がけてきたオーナーによるカルチャースペースstacks bookstore/まだ商品をリアルに見たことのない超人気菓子店STYLE’S CAKES & CO.,/レザーシューズ等のリペアショップCOBBLER’S ARM。
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暖かな眼差しを装いに - amachi. "Swallow Knit Vest"

こんばんは。
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なんだかとても蒸し蒸しとした1日に感じたのは気のせいだろうか。
ここ数日、すっかり夏日を迎え装いも徐々に薄手のものに変わってきた。
店に来る途中にはアナベルが咲き始め、もうすぐするとモクモクとスモークツリーが見れる時期になるのかなぁなんて。
毎年、見ている光景なのだけど、やっぱり四季折々の風景をみるのはちょっとした楽しみでもある。
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そんな季節の移り変わりを強く感じさせる頃に紹介をしたいアイテムがある。
amachi. : Swallow Knit Vest ¥74,800 (tax in)
毎年春くらいになると、家の軒先やマンションの駐車場で見かけるツバメの巣。
都市部に住んでいると、目にする機会も減ったなぁなんて思ってしまうけど、たまに見かけるとつい暖かな眼差しで見守ってしまう。
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他にもたくさんの鳥がいるにも関わらず、わたしたちがツバメの巣を見かけるのは、ツバメは人目につきやすいところに巣を作り、天敵から身を守るためなのだそうだ。
このニットを展示会で見ている僕にそんなお話をしてくれた。
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確かに、ツバメの巣を見ると、私たちはどこか暖かな眼差しをむけてしまい、巣を壊すどころか雛の成長を優しく見守っている。
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フンや鳴き声の被害と言っても数週間の話になる。
それに、昔からツバメの巣ができる家には幸運が訪れるなんて言い伝えもあるくらいだ。
これは日本だけなのかもしれないけど、私たちの中にはツバメを暖かな��差しで見るDNAのようなものが宿っているのかもしれない。
(巣の破壊とか考えたことがないのですが、そもそも卵や雛のいる巣をを破壊することは鳥獣保護法に違反してしまいます。気をつけてください。)

さて、そんなツバメを大胆にあしらったニットベスト。
初めて見た時には、ちょっと今までの"amachi."のアイテムの中に、こんなキャッチーな要素があったものかと、驚かされた。

今季を代表するモチーフとなるツバメ。
このニットに施されたツバメは手作業によって製作されており、1羽ごと個体差がある。
ハンドによって製作されたツバメからは温もりというか愛くるしさを抱いてしまう。
それはわたしたちがツバメに向ける眼差しにも近いようなものがあるのでは無いだろうか。
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ちなみに素材はコットンとリネン。
こんにゃく加工という加工を施しており、この加工を施すとリネンのようなシャリッとした風合いを生むことができる。
��ので、夏場でも快適に着用していただくことができる。

身幅やアームホールはゆとりを持たせ、ざっくりと着用することができる。
今の時期ならシャツの上から。
夏場にはTシャツなどの上から合わせていただくことも可能だ。

クスッとなるようなモチーフのツバメがアクセントに。
なんだか見る人はもちろんだけど、着ている私たちも優しい気持ちになれるような1着になるんじゃないだろうか。
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さて、一度ここで"amachi."のシーズンコンセプトをご紹介させてもらう。
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Collection 014 / SS 2024 "Phenology"
ツバメの飛来、桜の開花、河の凍結など
すべての生態学的現象は季節の移ろいとともに始まり、終わる
動物、植物、自然現象、それぞれががもつ周期性
常に変化しながら、様々な組み合わせとして現れる ”風景”
そのリズムや移り変わりそのものをテーマにしたコレクションを創ってみたい
そう考えていた頃、“季節学” と呼ばれる学問が存在することを知った
膨大なフィールドワークをもとに
動植物と自然環境の相互関係や連鎖を観測し研究する分野である
対象は自然界に留まらず、人々が夏服・冬服を纏う初日/末日を観測するなど
人間社会への観察をも含んだ
まさに ”万物が気候に応じて変化するありさま” をとらえる学問であった 一年を二つの
シーズンに分け、およそ半年間のワードローブを一つのコレクションとして発表する周期の中で私たちなりに、季節と向き合い、思考する
これまで当然のように繰り返してきたことに改めて向き合う “季節学”
冬枯れから春へ向かう時期、ツバメや花々が見せるある瞬間の色の組み合わせのような
心に残る情景に感性をゆだねて表現したシーズンとなった
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冒頭のお話では無いけど、私たちの生活は季節と深く根付いている。
それは動植物も同じで、そんな生命の���期的な営みと共に存在する。
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暖かな眼差しで季節の風景を見つめるように。
装いにもそんなゆとりを持って。
"amachi."のニットを着用する日は、そんな素敵な装いを気持ちから楽しめるはずだ。
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なお、こちらは現在オンラインショップにも掲載をしている。
もし良かったら、合わせてこちらもご覧いただけると嬉しく思う。
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それでは次回もお楽しみに。

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