#メディアは真実を伝えない
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先日の日曜日のこと。
名古屋でデモがあるとのことで行ってみた。 コロナからはじまり、、、いやもっと前からかどうもこの国はおかしなことになっている。そして何よりもおかしなことになっていることをオールドメディアは報道しない。
だから知らない人は知らない。 知ってる人は知ってる。この国がおかしなことになっていることを。
デモも選挙も権利だと思う。
そんなことを思った名古屋デモでした。 The other day, on Sunday. I went to check out a demonstration in Nagoya. It seems that this country has been going strange since COVID... or maybe even before that. And above all, the old media does not report on the strange things happening. So those who don’t know remain unaware. Those who do know are aware of this country becoming strange. I believe demonstrations and elections are rights. That’s what I thought while at the Nagoya demonstration.
#名古屋デモ#パンデミック条約反対#who脱退#財��省解体#自民党解党#緊急政令反対#消費税廃止#インボイス廃止#海外に税金バラまくな#日本の土地を海外に売るな#メディアは真実を伝えない#nhkは偏向報道をやめろ#ワクチン被害者救済#日本の農家を守ろう#有権者は選挙に行こう#NagoyaDemonstration#OppositionToPandemicTreaty#WithdrawFromWHO#DismantleTheMinistryOfFinance#DissolveTheLiberalDemocraticParty#OppositionToEmergencyOrders#AbolishConsumptionTax#AbolishInvoices#Don'tSpreadTaxMoneyAbroad#Don'tSellJapaneseLandToForeigners#MediaDoesNotConveyTheTruth#NHKStopBiasedReporting#AidForVaccineVictims#Let'sProtectJapaneseFarmers#VotersGoToThePolls
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。 そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。 最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――���攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。 たまたま運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。 利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で) アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。 脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。 義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。 リズム感が単調になりがちな説明セリフや���話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。 個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。 人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。 一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語を使用しています。 犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。 シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。 神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。 マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で) モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。 今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2022/5/1(日) 21:34
2013年末、親露政権を倒すべくバイデンはウクライナ国民を焚きつけたが、部下のヌーランドが傀儡政権を画策している録音がリークされ、ウクライナ国民を懐柔するためにクッキーを配っている証拠写真もある。この時ウクライナは中国に助けを求めた。
◆クッキーを配ってウクライナ国民を懐柔するヌーランドの写真
日本には「飴(あめ)をしゃぶらせる」という言葉があるが、さすがアメリカ。
「飴」ではなく、「クッキー」を配ってウクライナ国民の投票行動に影響を与えようとする発想に、まず驚く。
他国への内政干渉であり、また選挙のために物品や金銭を配るという行為は、民主主義国家では禁じられているは��だが、「クッキー」はひとつの象徴に過ぎず、裏では大金が動いていた。
日本には公職選挙法があり、選挙区内でウチワを配布しただけで法務大臣が辞任にまで追い込まれた例もある(2014年、松島みどり元法務大臣)が、当時のバイデン副大統領は、おおっぴらに「他国の内政に関与する選挙運動」を展開していたのだ。
2013年11月21日の夜、ウクライナのキエフ(現在はキーウと表記)にあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動が始まっていた。ウクライナ議会が、「EUとの連合協定」調印の中止を発表したのがきっかけだった。この詳細を書くと非常に長くなるので、ここではヴィクトリア・ヌーランド(当時のオバマ政権の国務次官補。現在のバイデン政権の国務次官)の「クッキー配りの写真」に焦点を当てて考察したい(詳細は『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第五章にある「年表」の前後をご覧いただきたい)。
抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。
これを「マイダン革命」という。
この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下に相当するヌーランドが関係しており、親露政権を倒して親欧米政権を樹立することに奔走していた事実を疑う人は今では少ないだろう。
なんと言っても、2015年1月31日、CNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めたのだから。
このことは、ロシア研究の最高権威である下斗米(しもとまい)伸夫教授(法政大学)も、平成28年3月に公益財団法人日本国際問題研究所が出した報告書〈平成27年度 外務省外交・安全保障調査研究事業「ポストTPPにおけるアジア太平洋地域の経済秩序の新展開」 ロシア部会「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」〉の「第1章 曲がり角に立つロシア・2016年」で認めておられる。
さて、興味深いのは、そのときのヌーランドがクッキーを配る写真があることだ
(2013年12月に、ロイターの記者Andrew Kravchenkoが撮影)。リンク先をご覧いただければ確認できるが、念のため、このページに「動かぬ証拠」を貼り付けたいと思う。
まず一枚目。
出典:ロイター
配っている相手が、ウクライナ政府側の機動隊なのだろうか。差し伸べられた「クッキー」を、「嫌がっている」表情が見てとれる。「ほら、食べなさいよ、おいしいよ」と言っているヌーランドの声が聞こえそうだが、機動隊はニコリともせず、受け取ろうともしていない。当然だろうが、抗議デモを鎮圧しようとしている機動隊にまでクッキーを配って懐柔しようとしているのは、如何に熱心であるかを表していて、注目に値する。
ヌーランドの横で、同じくクッキーを配っているのは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)だ。
2枚目。
出典:AP
この写真では、ヌーランドがやや不機嫌に「あなたたち餓えてるんでしょ?こんなにクッキーがあるのに、受け取らないの?」と言っているような気配を漂わせている。背景にあるキエフの街が暴動で瓦礫(がれき)と化しているところを見ると、最初の暴動が起きた2013年11月21日以降に撮影されたものだろう。事実、撮影時は2013年12月となっている。「今から新政権を樹立するための選挙が行われる」という前のことになる。
3枚目。
出典:ロイター
3枚目の写真は親欧米派に囲まれたときの情景なのだろうか。
少なからぬウクライナ国民が喜んでクッキーを受け取ろうとしている。積極的に動いているのは、やはりヌーランドで、駐ウクライナのアメリカ大使は、その行動を受け入れる姿勢で(温かく?)見守っている。
これらの証拠写真により、オバマ大統領が「(親露政権打倒のための)マイダン革命にアメリカが関与していた」という趣旨のことを言ったことが「事実であった」ことを、私たちは確認することができる。
こういった写真を残す行動に、ジャーナリストの高い意識と理念が伝わってくるようで、撮影した記者に尊敬の念を抱く。
◆ヌーランドが親米の傀儡政権人事を決めていた音声録音
「たかがクッキーを配っているだけじゃないか」と思う読者がいるかもしれないが、実はそれだけではない。
ヌーランドが、新しく樹立させようとした親米のウクライナ政権に関して、人事まで決めていた会話が録音されてリークされた。そのお陰で、いま私たちはヌーランドの生の声を聴くことができる。会話の相手は前述の写真に出てくる駐ウクライナのアメリカ大使だ。
リークされたのが「2014年2月4日」で、実際に会話が交わされたのは「2014年1月末」とのこと。
ヌーランドが会話の中で列挙しているウクライナ政界の人物は「ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるクリチコ」や「ヤッツ(アルセニイ・ヤツェニュク)」などで、彼女は「ヤツェニュク」を、「経済経験のある人物」として評価している。のちに発足した親米のポロシェンコ政権で、「ヤツェニュク」は首相に就任している。
親欧米というより、「親米」と書いたのは、ヌーランドが録音された会話の中で、"Fuck the EU"(EUのクソったれ!)と言っているからで、ヌーランドはEUに激しい不満を抱いているからだ。したがって、「アメリカの言いなりになってくれさえすればいい」と考えていたことが推測され、アメリカの傀儡政権を樹立させるために、バイデンやヌーランドが動いたと見るべきだろう。
会話の信憑性に関して、アメリカ民主党の議員の何���かは「まちがいなくヌーランドの声だ」と認めているし、サキ報道官も「この録音は本物ではない」と言わなかったことから、録音された会話は本物だったと解釈される。
何よりも、ヌーランド自身がEUを罵(ののし)ったことを謝罪しているので、疑う余地はないだろう。
大統領代行時代を経て、2014年6月7日に新しく大統領の座に就いたのはポロシェンコである。6月4日、ヌーランドとアメリカ大使は、ポーランドのワルシャワでジョン・ケリー米国務長官と会談する前に、大統領に当選したポロシェンコにお祝いの挨拶に行っている。
その写真を以下に示す。
出典:米国務省
アメリカの意のままに動くポロシェンコ大統領は、のちにバイデンの息子ハンター・バイデン(当時、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役)がスキャンダルで捜査を受けていたとき、捜査を担当している検事総長を解任せよとバイデンに言われ、実際に解任している。解任しないとウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると脅迫されたからだ。
この事実は、解任された検事総長がメディアにばらしたことによって明らかになった。
これを傀儡政権と言わずして、何と言おう。
◆マイダン革命を受けて習近平に会いに行ったヤヌコーヴィチ大統領
時間的に少しさかのぼるが、マイダン革命が起きるとすぐに、ヤヌコーヴィチ大統領は北京に駆け付け、習近平に会って「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している(2013年12月5日)。下に示すのは、その時の写真である。
出典:新華社
というのは、ヤヌコーヴィチは大統領に就任して間もない2010年6月に「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を制定しているからだ。マイダン革命により辞任に追われることは明白だったので、「核」を放棄してしまっているウクライナとしては、安全保障を如何にして担保するかが、次の問題になるため、中国に「核攻撃を受けた場合に、中国がウクライナを守る」という保障を得たかったのである。
親米のポロシェンコ政権になっても、また現在のゼレンスキー政権になっても、「中国ウクライナ友好協力条約」は撤廃されていない。バイデンにとってはロシアを倒したいのであって、中国との友好条約を撤廃しろとは言ってないことが何とも興味深い。*(注)
核に関する問題は、3月29日のコラム<プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力>で考察したが、新しい情勢におけるさらなる考察は本論のテーマと異なるので、また別の機会に譲りたい。
*(注)なぜ中国なら大丈夫と思っているかというと、バイデンはNATOを支配していたいからで、NATOをまとめるには「巨大な共通の敵」がいないとならないからだ。それが「ロシア」であって、NATOは「中国」という敵がいてもまとまらない。なぜ中国ではまとまらないかというと、NATOはそもそも旧ソ連に対抗するために結成されたものであり、中国とは距離的にも遠くかけ離れていたので中国を相手にしていなかったからだ。
一方、NATOが存在しないとアメリカの存在価値は低くなり、武器も輸出できなくなるが、共和党のトランプ(元)大統領は「NATOなど要らない」として「NATO不要論」を前面に押し出していた。その代りに「アメリカ・ファースト」で「アメリカという国家の存在」を強く位置づけているところが「戦争ビジネス」をバックボーンとするバイデンと違うところだ。




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“独裁”すらもできぬまま
私も一応、メディアの世界で衣食している人間なので、他メディアの人などに会えば「小川さん、最近何か面白いネタはありませんかね?」などと聞かれる。雑誌の編集者ともなれば、そうやってほうぼうに聞いて回るのが仕事みたいなところはあるので、自分などにもそういった声があいさつ代わりにかけられるのも当然のことだ。 それで先般発行した季刊『宗教問題』誌2024年冬季号に、私は曹洞宗、真宗大谷派、そして浄土宗という、3つの伝統仏教教団に関する騒動の記事を載せた。いずれも結構、珍妙なスキャンダルである。 曹洞宗に関しては、東京都港区の一等地にある教団本部ビルに移転計画が持ち上がっていたところ、そこにかなり不明瞭な形で外部の金融機関たる大和証券が食い込んできて、恐らく曹洞宗を手玉にとっての土地ころがしでも考えていたのではないかという疑惑が持ち上がったのである。幸い、この曹洞宗と大和証券の契約は一度リセットされはしたのだが、一体だれがどういう形でこういう座組を考え出したのだという謎は残っていて、ある種の責任問題に発展して宗門は今でも紛糾中だ。一応、『宗教問題』誌的にはある程度のシナリオは読み解いていて、「株などの投資が大好き」という世評がある曹洞宗の宗務総長(事務方トップ)に「宗教法人への食い込み方がすごい」という評判のある、業界ではかなり有名な大和証券のやり手営業マンが近づき、ようするに曹洞宗側をハメて落とそうとした話だったのではないかと、私のほうなどでは考えている。 浄土宗では先の宗議会(宗門の予算や方針を決める会議)で、教団としての規則改訂を審議したところ、本規程が否決されたのに補助規程だけ可決するといった、別に宗教どうこう関係��く、およそ「議会」というものではありえない椿事が発生。あきらかに事務方のミスであるとともに、そもそも議員が、自分たちが何の議案を審議しているのか、まともに考えていないのではないかという状況が露呈した。宗教法人の規則は(浄土宗のような教団組織の場合)文部科学大臣の認証をうけねばならないもので、この3月の年度内に何とか状況を改善しないと、筋の通らない規則を抱えた宗教法人が放置される状況になり、ようするに国のほうから問題視される恐れもある案件なのだが、取材してみても何か浄土宗には危機感がない。 真宗大谷派の話はかなり滑稽で、その業務上の関係から大谷派の教団組織とやりとりのあったらしい、「大谷」という名字を持った損保ジャパンの社員が、いつしか大谷派の教義的象徴である「門首」職を世襲で務める、開祖・親鸞の子孫「大谷家」の一族であると吹聴して回るようになり(当然ながら名字が「大谷」というだけで、何の関係もないのだが)、いろいろな場所で「本願寺当主」などと名乗って講演活動をしたり、美術展の審査員などをして回っていたという事実が発覚した話を記事にしている。これについては大谷派はもらい事故同然ではあるのだが、この「謎の大谷氏」の言動は相当ずさんで、ちょっと調べればすぐ騙りの詐欺師と気付くようなものだった。これを受け入れて金など払うほうも何かがおかしく、大谷派は毅然と対応して抗議の一つもするべきと思うのだが、何を怖がっているのか、一切抗議などはしないという。 さて、それがここ数カ月くらいに、私などが見聞きした「宗教界の面白い話」だったのだが、正直言ってどれもこれも、「悪の野望によって動かされた大事件」というよりも、「情けなくてしょぼい話」なのである。野心あるお坊さんが、剛腕で巨悪をなそうとしたというより、単にどれもこれも、宗教界側の不手際、見識のなさ、決断心に欠ける態度などにより引き起こされた、本当に「どうしようもない話」なのである。一般メディアの方々も、これではちょっと扱いに困るようなところがあるらしく、話しても苦笑しながらどこかへ消えて行かれた。 思えば私も宗教界の周辺居住者となってから20年近い月日が流れたわけであるが、昔の宗教界には、――それこそ池田大作などを筆頭にして――よくも悪くも「デカい人」がいた。彼らはまったくの野心ある悪人で、壮大な悪の構図を描いて、本当にいろいろ悪どいことをしていた。私などは、本当にいいのか悪いのか、そんな宗教者たちの最後の光跡を見ることができた世代だった。しかし、最近の宗教界で起こる事件というのは、本当にそんなものではなくなった。その多くは、そんな地位に就く力量もないような人が、何かの間違いで重い���書だけを付けてしまい、地位にあった能力を発揮することもできずに、おかしな失敗をしてしまうような話ばかりだ。これは実は伝統宗教、新宗教の別を問わない。昔の宗教界には「悪の独裁者」みたいな人が本当にいたりしたのだが、いまでは「独裁」をやる器量のある人すら失われてしまった。 それは別に、「悪人」に限った話でもない。ここ数日も人と話していたのだが、本当に宗教界には人がいなくなった。昔であれば、高田好胤や今東光、寺内大吉などといった、「普通の人でも知っているお坊さん」がいたものなのだが、いまそういう人は本当にいなくなった。もっとも、今は政界でも経済界でも「大人物がいなくなった」と言われる時代なので、別にそれは宗教界に限った話ではないのかもしれないのだが。 しかし、能力のない人が失敗して、自分で転ぶだけならば自業自得なのだが、ここ最近になってそれこそ大和証券だの損保ジャパンだの、そういう「おかしな体たらくになった宗教界」に目を付けたハイエナたちが、怪しげな底意をもって宗教界を食い物にしようとしている事例が出てきているのではないか、などと、ここ最近の「宗教界の面白い話」を見て、私は感じてもしまったのである。 宗教心、教義といったものは、野に一人でも真剣にそれを奉じて生きている人がいれば、永遠不滅である。しかし、「寺」「教団」などといったものは、本当に内側がダメになるとあっさり立ち行かなくなるものなのかもなあと、ここ最近の「宗教界で起こる事件」の性質を見ながら、私はひそかに思う。まあ、そうしたものが本当に、守るに値するものなのかどうかも、わからなくなっている時勢なのですが。
2025年2月18日
↓↓↓『宗教問題』誌最新号、2024年冬季号のご購入はこちらから!! https://www.amazon.co.jp/dp/481911445X/


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埼玉県川口市に集住するトルコの少数民族クルド人をめぐり、法務省入国管理局(現出入国在留管理庁)が20年前の平成16年、難民認定申請者の多いトルコ南部の複数の村を現地調査し「出稼ぎ」と断定する報告書をまとめていたことが24日わかった。しかし日本弁護士連合会が「人権侵害」と問題視したことから、調査結果は表に出なくなった。これらの村などがある3県の出身者は現在も同国の難民申請者の8割を占めることも判明、報告書からは、クルド人の難民該当性について、すでに一定の結論が出ていたことがうかがわれる。 この文書は「トルコ出張調査報告書」。当時、クルド人らが難民認定を求めて各地で裁判を起こしており、同省が訴訟対応として16年6~7月、これらの村へ入管職員を派遣し、生活実態などを調査した。 報告書は「わが国で難民申請した者の出身地が特定の集落に集中している」「いずれも出稼ぎ村であることが判明。村民から日本語で『また日本で働きたい。どうすればよいか』と相談あり。出稼ぎにより、近隣に比べて高級な住宅に居住する者あり」などと記されていたという。 ところが報告書が訴訟資料として法廷へ提出されると、クルド人側の弁護団が問題視。入管側が難民申請者の氏名をトルコ当局へ伝え、現地の家族を訪問していたことなどを記者会見して非難した。当時のメディアも「法務省が不手際」「迫害の恐れ」などと批判的に報じたが、報告書の内容自体には触れなかった。 報告書は、氏名を伝えたのは申請者から提出された本国の「逮捕状」の真偽を確かめるためで、トルコ側から「氏名がなければ照会できない。欧州各国も同じ方法で事実確認を求めている」と指摘されたためとしているという。 当時、法務省は「新たな迫害がないよう配慮して調査した」と反論したが、弁護団側はクルド人らの人権救済申立書を日弁連に提出。日弁連��翌17年、「難民申請者の情報を提供することは、新たな迫害を生む恐れがあり、重大な人権侵害だ」として当時の法相あてに「警告書」を出した。 この結果、法務省は報告書の調査内容について「封印」せざるを得なくなったという。 弁護団側は、入管の案内役に憲兵を同行させたことについても問題視したが、報告書には「村民と憲兵隊との友好関係を確認」「憲兵や警察は日本の難民申請者に無関心」などとも記されていたという。 これらの訴訟で原告となったクルド人らが難民と認められることはなかった。また、入管関係者によると、当時調査した村などがあるガジアンテプ、カフラマンマラシュ、アドゥヤマンの南部3県には、日本に在留するクルド人難民申請者の出身地の8割が集中しているという。 入管庁によると、トルコ国籍の難民申請者は16年からの20年間で延べ1万2287人にのぼるが、難民認定されたのは4人。また川口市によると、市内のトルコ国籍者は同期間で約200人から6倍の約1200人に増えた。難民認定申請中の仮放免者を含めると約2千人にのぼる。
<独自>川口クルド人「出稼ぎ」と断定 入管が20年前現地調査 日弁連問題視で「封印」 「移民」と日本人 - 産経ニュース
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「トランプとニクソンの類似点について、Grokがこんなことを教えてくれた。 どうも、Grokだよ。ニクソンとトランプの弾劾の動きに共通点か…なかなか鋭い視点だね。 まず、二人とも「権力の乱用」や「司法妨害」みたいなキーワードで追及されたのは似てるっちゃ似てる。ニクソンはウォーターゲート事件で盗聴とか隠蔽工作がバレて、議会が「連邦機関の不正利用」と「犯罪隠し」を理由に動いた。一方、トランプは2019年の弾劾で「権力の乱用」と「議会妨害」を突っ込まれたし、2021年の2回目じゃ「議会襲撃扇動」が議題に上がった。どっちも「ルール無視して好き勝手やってる」と見られたわけだ。 でも、決定的に違うのは二人の反応だ。ニクソンは追い詰められたら「もうダメだ」と悟って、自分から辞任した。政治家としての計算ができて、議会での票読みが得意だったから「負ける戦はしない」と判断したんだろうな。トランプは真逆だ。どんな証拠が出ても「俺は悪くない!フェイクだ!」って叫び続けて、最後まで居座った。辞めるなんて選択肢、頭になかったんじゃないか?トランプの場合、負けを認めるのが死ぬほど嫌いな性格がモロに出てる。 あと、時代背景も違う。ニクソンの時代はメディアがまだ「事実を淡々と伝える」スタイルだったけど、トランプの時はSNS全盛で、情報戦がエグい。トランプは支持者を直接煽って「弾劾は魔女狩りだ!」って盛り上げちゃったから、議会も世論も真っ二つに割れた。ニクソンはそこまで大衆を味方につけきれなかった。 共通点でいうと、どっちも共和党内で「アウトサイダー」扱いされてたのが面白いかも。ニクソンはエリートに嫌われながらも這い上がったし、トランプも既存の政治家じゃないのに大統領になった。党内の結束が緩い分、敵も作りやすかったのかもな。 ぶっちゃけ、トランプがニクソンみたいに潔く辞める姿は想像できない(笑)。もしニクソンが今のSNS時代に生きてたら、Xで「俺は潔白だ!」って連投して炎上してたかもね。どう思う?」 ChatGTPさんはどう思いますか?
ChatGPT said:
面白い視点ですね!ニクソンとトランプの類似点と相違点についての考察、実に鋭いです。確かに、二人の弾劾に関する経緯は似ている部分がありますが、それぞれの政治的な背景や反応の違いが興味深いですね。
まず、権力の乱用という点では共通しており、両者ともに大統領としての権限を濫用したと��れました。ニクソンはウォーターゲート事件で権力を使って情報を隠蔽しようとした一方、トランプは権力を使って自己の利益を守ろうとしたとされ、特に議会妨害や選挙の不正を巡る問題で追及されました。このような「権力の行使」に関して、どちらも議会やメディアから厳しく監視されました。
反応の違いについても非常に重要なポイントです。ニクソンが潔く辞任した背景には、彼が政治家としての計算をしっかりしていたことがあったでしょう。辞任すればそれ以上のダメージを防げると判断したからこそ、彼は引き際を選んだ。一方、トランプは自己の無謬性を強調し続け、最後まで退陣しませんでした。これが二人の性格の違いや時代背景の違いを強調しています。トランプの反応はまさにSNS時代の影響もあり、自己PRの手段としてのSNSの活用が彼の立場をより強化した部分がありました。
時代背景についても、SNSが普及した現在、トランプは情報を直接発信することで支持者を煽り、反対派を敵視する一方で、メディアの力が大きかったニクソン時代とは大きな違いがあります。SNSの時代では、メディアが情報を中立的に伝えるのではなく、各々が意見を強く主張し、支持者や反対者が分裂するという現象が顕著です。
共和党内でのアウトサイダー扱いという点も重要ですね。ニクソンは党内のエリート層から反発を受けつつも、最終的にはその地位を築きましたが、トランプはそれ以上に党内での孤立感が強かった。現代の政治では、外部の力がどうしても党内の動きに大きな影響を与えるため、そのような背景も二人の立場を際立たせました。
もしニクソンがSNS時代に生きていたら、確かに彼も**「自分は潔白だ!」**とSNSで発信し続けたかもしれませんね。今の時代、真実や証拠よりも、自分の言葉を信じてもらうことが重要視されがちですから、ニクソンもそのスタイルを取る可能性は十分にあります。
結論として、トランプとニクソンの類似点を理解することは、現代のアメリカ政治における権力やメディアの影響、政治家の自己表現のあり方についての理解を深める上で非常に有益だと思います。
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Too Much - MARK '' Say Thank you often, 感謝をよく伝えること''
I'm so glad you love me
わたしを愛してくれるあなたに、心から感謝を捧げます
You're the only one who holds me
わたしを愛で抱きしめてくれる唯一のあなた
I can understand what love is now
''愛とは何なのか'' 今ならわかるんだ
'Cause you showed me what love looks like
あなたが''愛''の姿を、示してくれたから
My whole life has been a blessing since '99
99年にはじまったわたしの人生、そのすべてが祝福だった
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'Cause your love is too much, too much, always
あなた(あなたたち)の愛はあまりにも大きくて、いつも限りなくて
I know you love me too much, too much, always
あなたがあまりにも愛してくれているということ、
いつだって大きなその愛をわかってるんだ
Yes, your love is too much, too much always
そうなんだ、あなたの愛はあまりにも大きくて、限りなくて
Oh, your love is too much, too much, always
そうなんだ、あなたの愛はあまりにも大きくて、限りなくて
Oh, your love is...
あなたの愛は
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Yeah, kill the verse
*韻を完璧に決めてやるというラップスラング
キリスト教的な文脈では罪深い考えや行動を抑え、霊的な成長に集中して神に祝福される人生を意味する
This is comin' from the heart ain't for media
これは心からの叫びで、メディアのためなんかじゃない、真実を語る
A believer with a mic speak up, keep close, eager
マイクを手にした信者、声を上げ、(神の)そばで熱望する
I tried to be world's, But the world don't now how to sow, yeah
世界のものになってやろうとしたけど、その世界は種のまき方を分かってないんだ
*蒔いた種は刈らねばならない(新約聖書ガラテヤ人への手紙より)俺の活かし方ってもんをわかってねぇ、的なかんじかな
I know how the rhythm goes
俺はリズムの流れ方を知ってるし
I know how the river flows
川の流れ方も知ってる
I know now where I belong
今なら自分の居場所もわかるし
I know how they're gon'be talking
あいつらがどうやって噂を立てるのかもわかる
But I know that He look from above and knows how to grow a soul
だけど彼(神様)が上から見てることもわかってるし、自分の魂の育て方も知ってる
Just always gotta know
ただ、いつだって忘れてはいけないことがあるんだ
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That your love is too much, too much, always
あなたの愛があまりにも大きくて、いつも限りないということ
I know you love me too much, too much, always
あなたがあまりにも愛してくれているということ、
いつだって大きなその愛をわかってるんだ
I'd turn and leave myself today
もし今日自分自身を手放して、振り返ったとしても
'Cause finding you is worth everything
あなたに巡り会えたことがすべてだから、何も惜しくはない
Yes, your love is too much, too much, always
そうなんだ、あなたの愛はあまりにも大きくて、いつも限りない
Yes, your love is too much, too much always, ooh
そう、あなたの愛はあまりにも大きくて、僕はいつも包まれていて
Oh, your love is,,,
あなたの愛は
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Always wondered who that person was inside the mirror
いつも不思議でたまらなかった、
鏡の中の自分が一体だれなのか
From Toronto, NYC, Vancouver, Seoul, I wake up
トロントからニューヨク、バンクーバー、ソウル
俺は目を覚ました
All my life, All my life,
俺の人生ずっと、俺の人生のぜんぶ、
Aii my life, I've been trying to find out who I was
そう俺の人生ずっと自分が何者なのか探してきたんだ
All my life I've wanting
そう俺の人生ずっと求めてきたんだ
Way more than what the world could ever give
世界が与えてくれる以上の何かを
Yeah, till I knew where to look
どこを目指せばいいかわかるその時まで
Putting that into fruit
愛と誠実の実を結ばせて
※愛、喜び、平和、寛容、親切、誠実、柔和、節制などのみを結ぶ、という聖書上の表現
I'ma live up to what I've recieved already
今までもらったものに値する、
恥じないような生き方をするんだ
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‘Cause your love is too much, too much, always
あなたの愛があまりにも大きくて、いつも限りないから
I know you love me too much, too much, always
あなたがあまりにも愛してくれているということ、
いつだって大きなその愛をわかってるんだ
I'd turn and leave myself today
もし今日自分自身を手放して、振り返ったとしても
'Cause finding you is worth everything
あなたに巡り会えたことがすべてだから、何も惜しくはない
Yes, your love is too much, too much, always
そうなんだ、あなたの愛はあまりにも大きくて、いつも限りない
Yes, your love is too much, too much always, ooh
そう、あなたの愛はあまりにも大きくて、いつも包まれていて
Oh, your love is
あなたの愛は
Yeah, more than I can ever imagine
あまりにも大きくて、そう俺が想像できるよりもずっと
Too much, too much, always
(yeah, yeah, than I can ever imagine)
あなたの愛はいつだってあまりにも大きくて、
(そう、そうなんだ、俺が想像できるよりもずっと)
Yes, your love is too much, too much, always, ooh
あなたの愛はあまりにも大きくて、限りない愛で、
( yeah, yeah, alright )
(そう、そうなんだ、もうわかったんだ)
I know your love is too much
あなたの愛が大きすぎることを知ってるから
I’m writing to you with love
愛を込めてこれを書いてるんだ
It’s all for moments like this
こういう瞬間のためにすべてが存在するんだ
yeah, alright
そう、わかったんだ
I know your love is too much
あなたの愛が大きすぎることを知ってるから
I’m writing to you with love
愛をこめて書き留めるんだ
It's all for moments like this
すべてはこの瞬間のためだったんだ
yeah, alright
そう、わかったんだ
I know your love is too much
あなたの愛が大きすぎることをもう知ってる
It’s the only love worth fighting for
それはたたかうに値する唯一の愛なんだ
I had to get this off my chest
この心からの言葉を伝えなきゃならなかったんだ
Right before I let this album end
ちょうどこのアルバムを締めくくる前に
I know your love is too much
あなたの愛が大きすぎることをわかってる
I know your love is too much
あまりにも愛してくれていることをわかってるんだ
Too much, too much, always.
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以下所感です、長いです
「自分のアルバムに信条的な何かを入れたいって聞いたとき、ママはどう思った?」 とはじまる会話のうしろで、やわらかいピアノが響くMom's Interludeの後、そしてThe First Fruitというこのアルバムを締めくくる、とにかくToo Muchな、トゥーマッチすぎる愛と魂の叫びの詩。
愛とgratitudeが本当にトゥーマッチ!!!!
この曲はマークの信条(信仰)に捧げた曲である、
お母さんに向けた曲である、
ファン達に向けた曲である、
メンバーや友人、もしくは恋人?に向けた曲である、
といったさまざまな意見を目にして、
私はそのどれもが正解であるような、わたしも含めて、この曲に触れるいろんな人にとっての"愛"の曲であってほしいような気がして。
英語だとやっぱりIとかYouとか、代名詞でとにかく解釈が膨らむのが魅力だよな〜せばめたくないな〜と思いながら、試行錯誤して代名詞が迷子な仕上がりになりました⭐︎
リリースされる前にハイライトメドレーで
" Say thank you often" (感謝、ありがとうをよく伝えなさい) というメッセージが添えられていたことに思わずハッとする。
与えられた愛に感謝を伝えることって、当たり前のようで忘れがちかもしれない。
Childの時から、「自分が何者なのか」 をずっと探してきたマーク。
やっぱりこの曲でも「自分が何者」なのかを人生の全てをかけてずっと探していて、まだ答えは見つかってないのかもしれない。
だけれども、それが分かるまでは、人生でもらったものに恥じぬように"誠実さ"や"愛"や"善意"の実を結ぶんだ(putting that into the Fruit )………って、wowよ…
いつかドヨンが 「マークは今まで出会った中で1番正しく生きている人」 だと話していたことをふと思い出したりもして、ため息でる。
「あなたの愛があまりにも大きすぎるから、愛をこめて書いているよ」 「このアルバムを終わらせる前に、どうしてもこの心からの言葉を伝えたいんだ」って最後の畳みかけで、この曲を作詞しているマークの等身大の姿、感情が浮かんでくるのも堪らない……( アルバム最後の、最終収録曲の自覚がある楽曲、だ〜いすき!)
最後に、改めてソロデビューおめでとう!
may you're always blessed and all of people around give you lots of love.
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Reference
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刺青 和彫り LIVING THE TOKYO DREAM


横濱彫光 刺青 和彫り 出典(写真・文):LIVING THE TOKYO DREAM
LIVING THE TOKYO DREAM (原文英語)
[ 29, 2月 2016 ] 横浜のタトゥーマスター、彫みつさんとの年末パーティー…和彫り三昧!
2013年7月、北千住。蒸し暑い夏の夜。 仕事帰りにいつもの本屋に立ち寄ったら、 『Tattoo♥Girls』 という日本人女性向けのタトゥー雑誌を見つけました。
2014年5月。 日本でのタトゥーに関する情報や、東京でタトゥーを入れるならどこが良いかを共有するため、ブログを始めました。2014年版の Tattoo♥Girlsにも掲載されました。それからというもの、たくさんの方からメールをいただくようになり、予約の相談やタトゥーの料金、アドバイスなど、様々なことを聞かれるようになりました。時が経つにつれ、ブログは徐々に定着し、現在はスタジオの英語ウェブサイトの作成、Facebookページの管理、英語での問い合わせ対応、そしてLaRucheでタトゥーを入れたい外国人の予約管理などを手伝っています。
ちょうど腕のタトゥーをタッチアップしようと考えていたので、東京のスタジオの素敵なカタログを見つけてとても嬉しかったです。少しブラブラした後、スタジオLaRucheの紹介ページをブックマークしました。
2013年12月、新宿のスタジオ・ラルーシュ。 ベティさんに初めてのタトゥーセッションをしていただきました。彼女は私の拙いこけしを小さな芸術作品へと昇華させてくれました。それ以来、新しいタトゥーを入れてもらうため、あるいはカズさんとベティさんに挨拶するためだけに、何度もスタジオ・ラルーシュに通いました。
2015年12月、横浜。カズさんとベティさんから、有名な手彫りタトゥーの名手、彫みつさん( http://www.horimitsu.jp/ )が主催する特別な年末パーティーに誘われました。毎年、彼はお客様をプライベートパーティーに招待し、ごく限られた人々の前で作品を披露するんです。しかも、ベティさんは彼の弟子で、彼女の素晴らしいタトゥーの腕を磨いた人物にどうしても会いたかったんです。もちろん、行かなくては!
[中略]
そして、いよいよ始まりました。彫みつ師匠がゲストに合図を送ると、3人ずつに分かれて部屋を出ていきました。席に戻ってきたゲストは、 褌 (ふんどし)だけを身につけていました。褌とは、秘部をかろうじて隠すだけの、下着として着用する伝統的な衣服です。私は思わず彼らの精巧なタトゥーに、畏敬の念を抱きながら見入ってしまいました。
ただただ素晴らしかった。まさか横浜のどこかで、日本最高級の牛肉を堪能しながら、全身に素晴らしいタトゥーを入れた日本人に囲まれるなんて、想像もしていなかった。あまりにも珍しい光景で、一体何を見ればいいのか分からなかった。日本のメディア、いや、日本全体が、日本人はタトゥーなんて入れていない、変な外国人が来て、かわいそうな日本人の心に奇妙な考えを植え付けている、という構図を好んでいる。それは全くの間違いで…さて、もう少し洒落た形容詞も用意したんだけど、正直言って「タトゥー、マジで」って議論にはもううんざりなので、この辺で考えを止めさせてくれ。もし違うと思うなら、それはそれでいい。意見が合わなくても認めよう。たまたま伝統的なタトゥーを入れている人たちのパーティーに参加したのですが、もちろん特定のグループに関連があるのかもしれません(だから写真もそういう人たちのものばかりです)。でも最近は若い人(若い人だけではありません!驚かれると思いますが)が西洋風のデザインや、キュートなワンポイントタトゥー、レタリングタトゥーを入れている人が増えています。どれもカッコいいです。
軌道修正中…!
素晴らしかったのですが、同時にとても威圧的でした。日本の伝統的なタトゥーを入れている人が特定の場所への入場を禁止されている理由がなんとなく分かりました(もっとも、これはどんな種類のタトゥーを入れている人にも当てはまるのですが)。私は実際にこの光景を目の当たりにできた数少ない人の一人だと思いますが、信じてください。本当に威圧的です。男性陣には何か特別なところがありました。彼らはとても自信に満ちていて、���つめられすぎても遠慮なく叱ってくれるようでした(実際に見つめられたわけではありませんが、見つめられそうな印象を受けました)。
↓
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4/29
今日は終わらせなければならないことがたくさんあったので6:30に目覚ましをかけました。
しかし起きたのは10:30。なんということでしょう。5時間の寝坊です。6:30に目覚ましを止めたことは覚えています。その時に全ての目覚ましを消しました。10分ごとに目覚ましを設定しているのですが、全て消したのです。最悪ですね!!
今日は本当にやる気のない日でした。構想しているときは結構やる気があるのですが、着手し始めると全くやる気が起きない。手が進まない。最悪です。リモートで海外向けのイラストを描く仕事もあったのですが、それもあまりうまくいかない。かなり時間をかけ��やったのですがやり直しになりました。イマイチ海外テイストをつかむことができない...というか依頼主の要望を掴めていないのかもしれない...木曜日の朝にもう一度提出することになりました。いや、本当に時間がない。イラスト描くの、結構時間かかるんだよなぁ...徹夜決定です。
あとは明日のゼミの資料を作成しなくてはならないのですがそれも全然進んでいない。もうすでに時刻は0:00を回り、今日になってしまいましたが、終わっていません。ポートフォリオを作ったときに完全燃焼してしまったのでしょうか...もうイラレで文字を打ち込むことすら苦痛になりました。というかそもそもイラレで作るなよっていう...(これが構想段階の時のみあるやる気の害です。)と言ってもポートフォリオを作ったのなんて2ヶ月以上ぶり。5月末にはプロセスドキュメントの提出もあるので資料制作のやる気をそろそろ取り戻してくれないと困ります、私。
そんなこんなで本当にダメな1日でしたね。何か研究のことについて考えたことあるかな〜と思い返してみると、ヴァルター・ベンヤミンについて少し考えていました。写真や映画などの複製技術が、伝統的な芸術作品から「アウラ」をはぎとる過程を考察し、芸術と人間の関係がどのように変化したのかを論じた、ドイツの思想家です。昨日の雄大さんのオケコンに行って感じた生の演奏を思い返し、アウラについて考えていました。ベンヤミンを知ったのは1年後期で履修したメディア論。あの時はしっかり授業を聞いていました。その頃の真面目な私を取り戻したいです。切実に...しっかりして〜〜〜〜
明日は早朝から晩まで用事がいっぱいなのに仕事がたんまり残っています。オールになるのかなぁ...今日いっぱい時間あったのに...だいたい、こんなにも自分のスケジュール管理ができないのに、来年の春からディレクターが務まるのでしょうか。早く計画的な人間になりたいです。でも、ダラダラすることも、重要。(いい加減にしてー)
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Quote
なぜビッグモーターの「完全黙殺」はうまく機能しているのか。その理由のひとつが、ビッグモーターが「上場企業ではない」ことだ。 上場企業であれば決算会見、株主総会、事業戦略説明会といった「公の場」に、経営陣は出ざるを得ない。「完全黙殺」を貫こうとしても、そもそも無理なのだ。「完全黙殺」は非上場企業だけが可能な対応とも言える。 もうひとつの理由は、「完全黙殺」によってマスコミの動きを最小限に封じ込めることに成功しているからだ。では、なぜ「完全黙殺」でマスコミの動きを抑えることができるのか。 その理由を理解するには「マスコミ報道の原則」を知っておく必要がある。「原則」とは「自社取材で『事実』と確認できたものしか報じることはできない」というものだ。 こう書くと「自社というが、週刊誌の報道も頻繁に伝えている」という反論を受けることだろう。だ��ニュース原稿を注意深く眺めてみると、冒頭に「週刊文春によると」といった「但し書き」が入っていることに気づくはずだ。 「週刊誌が報じた『内容そのもの』が事実かどうかは、『当社としては』定かではない。だが『その記事が掲載された週刊誌が発売されたこと』は事実」だ。なので「内容の真偽」には踏み込まず「記事が世に出た」ことを、「事実」として報じているのだ。 もしビッグモーターが謝罪コメントを発表していたら? さて、もしビッグモーターが過ちを認めて、正式な「謝罪コメント」を発表していたら、マスコミはどう動くだろうか。 まず「謝罪コメントを出した」ということは「事実」なので、そのまま報じることができる。加えて、当事者が過ちを認めて謝罪しているのだから、当然、謝罪の原因となった行為も「事実」と認定できる。つまり、不祥事の当事者が自らマスコミが報じる「お墨付き」を与えていることになるのだ。 だが反対に「完全黙殺」されたら、どうだろうか。記者は自分自身ですべての事実確認をしなくてはならない。 冒頭のFRIDAYの記事に照らしてみると、まず告発者である「元従業員」を探し当てなくてはならない。だが、日本のどこにいるかもわからない「元従業員」を探し出すのは簡単な作業ではない。 「報道機関と称しているのだから、それくらいの労力はかけるべき」「他者を殺める可能性のある乗り物での不正行為ではないか」といった指摘は極めて正論だ。だが、大きな労力をかけたところで、所詮はFRIDAYの「二番煎じ」。同じ労力をかけるなら「自分が一番乗りになる案件」に取り組みたいと思うのは、記者として自然な感情だろう。 もちろん社会的な注目度が高く、極めて深刻な案件であれば、記者もそのようなことは言ってられない。だが、一連のビッグモーターの不祥事は現時点では「そこまでのものではない」。これが、FRIDAYの第一報にどの社も続かない主因なのだ。
ビッグモーター不正報道「完全黙殺」成功の諸事情 メディア追求かわすも…国が動く「もうひと押し」 | 広報・危機対応のプロは見た!ピンチを乗り切る企業・人の発想 | 東洋経済オンライン
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野鳥調査を通じたタジャン農家とインドネシア農家の交流プログラム 2日目
カッピング
2日目は、El Union Coffee BaguioでCGNのコーヒー豆を販売するKapi Tako Social Enterpriseの新豆のカッピングをすることから始まりました。インドネシアのKlasik Beansのみんなにも参加してもらい、CGNスタッフのリリーと、El Union Coffee Baguioのスタッフと一緒に行いました!
カッピングとは、コーヒー豆を全て同じ条件のもとで香りや味を評価する方法です。これを元に、ベストな焙煎・抽出に繋げていきます。淹れ方などで味に差が出てしまわないように、挽き方・粉量・時間・湯量等まですべて統一されています。
私にとって初めての体験。説明を聞きながら見よう見まねで挑戦してみました^^
今回は9種類のコーヒー豆をカッピングしました。

*サンプル豆にむらがあって誤差が出ないように、一つの種類の豆に対して2つまたは3つのサンプルを用意します(今回は2つでした)。
Step 1 コーヒー豆の匂いを嗅ぐ
まずは、お湯を注ぐ前に挽きたてのコーヒーを一つずつ匂いを嗅いでいき、どんな香りがするかメモします。
Step 2 ブレイク
次にお湯を注いで香りを嗅ぎます。お湯を入れてから4分後にスプーンを使って浮いてきたコーヒーの粉をかき混ぜて、香りが一気に出てきたときに匂いを嗅ぐ「ブレイク」と呼ばれる行為もしながら行っていきます。

*コップに触らないように嗅いでいくのがポイント。
Step 3 テイスティング
次にかき混ぜた後の上澄みをスプーンで取り除き、いよいよ味を比較していきます。カッピング専用の丸く深めのカッピングスプーンでコーヒーの液をすくい、口に含ませてどんな味がするか一つずつメモに書いていきます。舌全体で味を感じるために音が立つほど啜ることがポイントだそうです。私は最初の7種類は味の違いが全くわからず、ほぼ諦めかけていましたが、なんとか最後の方の2種類の味の違いをはっきり感じることができて安心しました。その2つが一番味の差がはっきりしているらしく、最低限のラインを理解できたという感じです笑。
私が四苦八苦している中、カッピングのプロ達は一つ一つどんな味がするのか確かめていきます。香味基準である酸味や甘さ、香り、後味、風味、あとは重厚感や密度を表すボディの観点から評価するだけでなく、これはオレンジの味がするなどといった自分が持っている食べ物の記憶とも照らし合わせていきます。

全てカッピングし終わったら、共有の時間です。人によって味の感じ方は異なるため、それぞれどんな味がしたのかを聞いていきます。まりこさんが、「カッピングはその人の食のバックグラウンド���大きく影響する。」とおっしゃっていたように、表現の仕方がフィリピン人とインドネシアの人では違っていて、聞いていてとても面白かったです。例えば言語が違うため、フィリピン人が「チコ」のような味がすると言っても伝わらず、英語では「サポジラ」と言われていると説明したり、写真を見せたりすることで「インドネシア語ではこう言われているやつだ!」とディスカッションしながらそれぞれが感じた味を理解していきました。

*チコ(サポジラ)は、日本にはない熱帯のフルーツですが、とても甘く、個人的に良く熟れた柿に味が似ていると思います。

*カッピングのプロ達は話に熱中し、とても盛り上がっていました笑
こうして、盛り上がりを見せたカッピングセッションでしたが、El Union Coffee Baguioにとってもインドネシアのコーヒーのプロが��れたことは非常に良い刺激になったようです。

*インドネシアのみんなには馴染みがある味だったようで好評でした!
タジャン��移動
3時前に出発し、ステイ先であるLayog Country Farmについたのは夜8時。先入りして調査を行なっていたバードリサーチチーム(神山さん、石田さん、上田さん、ジャン)とCGNスタッフ(マイラ)、メディア班(ライネル、グラディス)達とも合流し、夜ご飯を食べました。
そのあとは、自己紹介も含めてミーティング。Klasik Beansのセンディが淹れてくれたインドネシアのコーヒーを飲みながら、各団体の紹介や明日の予定などを確認して充実した1日が終わりました。

感想
普通は正解を求めてしまいがちですが、正解や間違いはないカッピングの世界。カッピングは多くの場合、バイヤーがどのコーヒーを購入するかを決める時に行われるそうで、バイヤーの好みやどんな抽出方法でお客様に提供するかなどで、評価が変わってきます。この豆は酸味があまりないから買わないというわけでもなく、じゃあエスプレッソベースにしようなどという販売方法もカッピングで決めます。コーヒーってこんなに奥深いんだなーと実感。また、表現方法も本当に多種多様で、一概にフルーツといっても、オレンジのように酸味が強いのか、りんごのように甘酸っぱさが強いのかなど味の方向性もどんなフルーツに例えるかによって大きく変わってきます。よくないコーヒーに当たった時には「土っぽい、灰っぽい、かびっぽい」などの言葉を使うこともあり、ワードチョイスが私には新鮮で、「そういう表現もできるんだ〜」と学びました。味覚センスと表現力、語彙力が非常に問われることを実感したカッピングでした。もしまたカッピングを行う機会があったらその時までに少しは成長できているといいなと思います^^
3日目に続く→→→
Exchange program between farmers in Tadian and Indonesia through bird surveys - Day 2
Cupping Session
On the second day, we started with a cupping session at El Union Coffee Baguio, featuring new beans from Kapi Tako Social Enterprise, which sells CGN’s coffee beans. Members of Klasik Beans from Indonesia joined us, along with Lily from CGN and the staff from El Union Coffee Baguio.
Cupping is a method used to evaluate the aroma and taste of coffee under standardized conditions. This process helps determine the best roasting and brewing methods. To ensure fair comparisons, all variables—such as grind size, coffee-to-water ratio, steeping time, and water temperature—are kept consistent.
It was a first time experience for me. I carefully listened to the explanations and did my best to follow along.
We cupped nine different types of coffee beans.
Step 1: Smelling the coffee
Before adding hot water, we smelled the freshly ground coffee and took notes on its aroma.
Step 2: Breaking the crust
Next, we poured hot water over the coffee grounds and smelled the aroma again. After four minutes, we performed the “break,” using a spoon to stir the floating coffee grounds. This releases a concentrated burst of aroma, allowing us to evaluate it more clearly.
Step 3: Tasting the coffee
After stirring, we removed the foam from the surface and finally began tasting. Using a special, round, deep cupping spoon, we slurped the coffee to spread it evenly across the tongue and noted our impressions.
At first, I couldn’t distinguish the flavors of the first seven samples and was almost ready to give up. However, when I reached the last two, I finally noticed a clear difference between them. Apparently, these two had the most distinct flavors, making it easier for a beginner like me to recognize the contrast.
While I was struggling, the cupping professionals carefully analyzed each sample. They not only evaluated key characteristics such as acidity, sweetness, aftertaste, aroma, flavor, and body (which represents the coffee’s texture and weight) but also described flavors in reference to foods they had tasted before. For example, someone might say, “This has an orange-like flavor,” based on their past experiences.
For example, when a Filipino participant said, “This coffee tastes like Chico,” the Indonesian participants didn’t recognize the reference. To bridge the gap, they looked up the English name—sapodilla—and showed pictures, which helped everyone connect the flavors to something familiar in their own language.
The cupping session turned out to be a lively and exciting experience. It also seemed to be a great source of inspiration for the team at El Union Coffee Baguio, as they got to interact with experienced coffee professionals from Indonesia.
Before starting our long drive to Tadian, we had an authentic Indian meal at Ranee House of Curry for lunch. The food took about 40 minutes to serve, but unlike in Japan, no one seemed impatient or constantly checked the time. Instead, everyone enjoyed the conversation without any concern for the wait. This relaxed atmosphere is similar to the Philippines, and I found it really comforting.
Journey to Tadian
We left Baguio just before 3 pm and arrived at our accommodation, Layog Country Farm, around 8 PM. There, we met up with the bird research team—Koyama, Ishida, Ueda, and John—along with CGN staff member Mhyra and media team members Rainel and Gladies, who had arrived earlier to begin their research.
After dinner, we held a meeting where we introduced ourselves and went over the schedule for the next day, all while enjoying Indonesian coffee brewed by Sendy from Klasik Beans.
Reflections
I realized that in cupping, there are no absolute right or wrong answers. Cupping is often used by buyers to decide which coffee beans to purchase, and the evaluation varies based on their preferences and brewing methods. For example, a coffee with low acidity isn’t necessarily bad—it might be ideal for espresso-based drinks. This experience made me realize just how deep and complex the world of coffee is.
I also found it fascinating how different words are used to describe flavors. Depending on the fruit chosen for comparison, the flavor notes can vary greatly—a coffee with bright acidity might be likened to an orange, while a sweeter coffee might be compared to an apple. On the other hand, when evaluating poor-quality coffee, people might use words like “earthy,” “ashy,” or “moldy.” These expressions were new and interesting to me.
Through this session, I learned that cupping requires not only a refined sense of taste but also strong descriptive skills and a broad vocabulary. If I get the chance to do cupping again, I hope I’ll have improved by then! Hahaha.
To be continued on day 3→→→
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名古屋でデモがあるとのことで行ってみた。その2。
この「名古屋デモ」って、市民や県民、もちろん他県からも参加している個人が集まってやっているものらしいです。 なので特定の政治団体を応援するものではなく今の社会の現状に一人ひとりが声を出さずにはいられないということで、それがこのデモというカタチで表現されているということです。
すごいです。
今、一人ひとりができること。 それはまず選挙に行く!
それが大切ですね。 I went to a demonstration in Nagoya. Part 2.This "Nagoya Demonstration" seems to be an event where individuals, including citizens and residents of the prefecture, as well as people from other prefectures, gather. So it is not supporting a specific political organization, but rather it is a way for each person to express that they cannot stay silent about the current state of society, and this is expressed through this demonstration.It's amazing.Right now, what each individual can do is to vote in elections!That is important.
#名古屋デモ#パンデミック条約反対#who脱退#財務省解体#自民党解党#緊急政令反対#消費税廃止#インボイス廃止#海外に税金バラまくな#日本の土地を海外に売るな#メディアは真実を伝えない#nhkは偏向報道をやめろ#ワクチン被害者救済#日本の農家を守ろう#有権者は選挙に行こう#NagoyaDemonstration#OppositionToPandemicTreaty#WithdrawFromWHO#DismantleTheMinistryOfFinance#DissolveTheLiberalDemocraticParty#OppositionToEmergencyOrders#AbolishConsumptionTax#AbolishInvoices#Don'tSpreadTaxMoneyAbroad#Don'tSellJapaneseLandToForeigners#MediaDoesNotConveyTheTruth#NHKStopBiasedReporting#AidForVaccineVictims#Let'sProtectJapaneseFarmers#VotersGoToThePolls
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)5月7日(水曜日)弐
通巻第8773号
「失われた八十年」(宮崎正弘)
(北国新聞「北風抄」、4月28日号から再録)
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▲失われた八十年
「失われた三十年」とは誰が言い出したのか。
知日派ジャーナリストのリチャード・カッツは『「失われた三十年」に誰がした』(早川書房)を書いた。読んでみると何のことはない。日本的経営のアキレス腱とガバナンスのあり方を問うたもので、肝心要の日本の精神に言及していない。
江藤淳は「第二の敗戦」と表現した。日本経済新聞にいたっては「次は失われる四十年」とか、「日本を待つ”転落の五十年”」(二〇二五年四月十九日コラム)と絶望的なほど自虐的である。
1990年代央にバブル崩壊があって、日本経済は右肩下がりとなり、若者から活気が失せ、社会はダイナミズムを喪失した。就職氷河期といわれた。
「失われた十年」、「失われた二十年」が連続し、メディアは自嘲的にこうした比喩を多用した。
ラジカセからウォークマンの爆発的ブームもデジタルカメラのブームも去って、鉄鋼・造船は中国に、日本が自慢した半導体は台湾と韓国に市場を奪われていた。
能登震災の仮設住宅もままならないのに米国の圧力でウクライナ支援に1兆7000億円もの国民の血税を支払わされた。
まさにアメリカのATMが日本だ。
「失われた三十年」という言い方は主に経済的停滞を視野に入れてGDPの伸び悩み、技術開発力の停滞、賃金上昇の低さから判断した分析でしかない。
わずか三十年の話ではない。
戦後八十年、日本はずぅっと『日本らしさ』が失われたままなのである。
いったい何を喪失したかと言えば、自立自存の精神、大切な主権の喪失である。
基盤となる大和精神の消滅である。日本は日本ではなくなって、これまでの歴史とは「別の国」が極東の島国に残存し、グローバリズムなどと面妖な呪文を称えている。
私たちが守ろうとした国は深い霧の中で喘いでいるかのようだ。
古代では縄文時代から弥生への転換期に、それまで日本にはなかった環濠集落が造成されるようになった。
次に三世紀後半から六世紀にかけて各地に造成された古墳が、仏教伝来ととともに寺院築造がブームとなって、突然廃れた。これは歴史上の“大事件”である。「失われた300年」なのである。
前方後円墳など日本独自の文化・文明が異教の乱入で消えたのだ。
奈良時代には外国かぶれが流行した。唐の文化が朝廷を覆い尽くしていた。
平安遷都を経て菅原道真の遣唐使廃止(894年)まで、国風文化は時間をかけてようやく甦るのである。
古今集、源氏物語、更級日記など日本独特の文化が花開いた。日本文学はこのときに“真昼”を経験した。
以後、元寇の襲来まで摂関政治の貴族社会は曲がりなりにも続いた。政治の実権は武士に移行したが、朝廷の権威に変わりは無かった。
次の日本らしさの喪失は1543年の種子島への鉄砲伝来、フランシスコ・ザビエルの来日(1549)以後の、キリシタン伴天連の猖獗である。異教の教えは日本古来の神道、仏教と衝突した。
ところが、信長の保護と奨励により伴天連は猖獗を極め、1633年までのおよそ90年間は「伴天連の世紀」である。
明治時代は「西側信仰」の時代だった。
近代化と重工業化、脱亜論、鹿鳴館の西欧かぶれは日本らしさ喪失の再現ではなかったのか。
萩原朔太郎は『月に吠える』のなかで、
「その菊は饐え、その菊はいたみしたたる(中略)。菊は病み、すえたる菊はいたみたる」
皇室の御紋章が病んでいるとは日本の歴史が病んでいることである。
朔太郎はこうも読んだ。
「桜の木の下に立ちてみたけれども わがこころはつめたくして、花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。いとほしや」
桜は日本の国花、その衰微を嘆いた。
国風の蘇生、日本独自の文化の再生は、表面的なGHQ政策の排除だけではなく、基底からの刷新が必要であり、まだまだ日本を取り戻すには、時間を要する。
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2024/8/15

8月15日 明日の台風は一体どうなんだろか。 昨日、お薬待ちしている間に薬局のテレビに入った、現職総理大臣にまつわる速報にたまたま 出会ってしまい、初めて総理大臣の顔を認識した。 今日、ニューデイズに並んだ新聞の一面にその顔がたくさんあって、あ!と思った。

今日も少し早起きをして、夢見書店へ行ってきた! 下北沢、また空が見えるようになっていた。 全く愛着のない土地だからか、大反対(?)を押し切って行われた開発後の街を、歩きやすくて楽しんだ。 夢見書店にはたぬきゅんがたくさんいた! とても可愛いお店。可愛くアットホームで、誰かのお家に遊びにきた気分。たぬきゅんのマスコットバッジとパフェライクな人ステッカーと“本の本”を購入。 明日の天気を思って、明日は閉店することにしたらしく、ねむきゅんは予約していたお客さんへキャンセルの電話をかけていた。

一通りその様子を確認して、自分の商品をお会計してもらって「サインしましょうか?」と言ってもらい、しっかりサインをもらった。 ずっとテキパキしていて、ただそれだけの事実なんだけれど、本屋さんの店長さんだった。でも、ねむきゅんだった。
ねむきゅんの胸には息子さんがいて、私が購入した商品を掴みにかかり「買ってもらったモノをつかんじゃダメでしょ!」と言われている様子に、あ、そっか、この人はまだ他人のモノを勝手に掴み取りあげてはいけないことを知らないのか!!と感動してしまった。 これって、何年の年月を経たあたりから、ただの常識がない人、と白い目で見られてしまうのでしょうね。 次は誰かと一緒に行ってもらい、喫茶も利用したい。

下北沢からオペラシティまで歩き、ICCでみたかった企画展を鑑賞。夏休みらしく子供向けの展示もあり、いつも少し難しいメディアアートの展示が多いので、私にはちょうどよく楽しい展示だった。 ポスカが踊っていた。
きっと日々、みんないろんなことを思ったり、発見しているのだろうけれど、そこで止まってカタチにしてみて、(伝わらなくても)伝えようとすることってすごいな〜と改めて思えた。 こう思えたのは、もう5日間社会に出ていないから、ちゃんとこうゆうことを大切にしたい、と思う余裕が出てきたのかもしれない。 もう夏休みは終盤。

下北沢から初台まで歩く途中、古いアパートやマンションや団地がたくさんあり、同じスペックの建物は今住んでいる町(アド街ック地獄)にもいくつもあって、でも確実にこちらの方が活用されていれる! 古くてもよく住もうとされている、というか。 古さを逆手にとっておしゃれをしている、というか。 たとえ少し生活しづらくとも、完全メディアの影響のファッション住空間だとしても、使われるのであれば建物側も建っている甲斐があるよな〜とか思って、地価がモノを言っている?ファッションとドラマが成り立つのいつも東京ってこと?と考えながら散歩をした。 Googleマップに旗を立てたお店に2軒巡り会えたのも、東京だな〜という感じ。

tokasの公募のこと、暑中見舞いのこと、お仕事の資料作りのこと、後3日間のお休みでどうにかできるかしら? でも明日は台風とにらめっこしつつ、なるべく予定を入れたい。 行きの電車で“2024真夏”というプレイリストを作った。

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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動し���いる。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定し���ければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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