#三浦しをん
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alen09blog · 12 days ago
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《多田便利軒》三部曲:日常性的溫存慰藉
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在失業期間完食《多田便利軒》三部曲,少了一點普通讀者的觀感距離,意識到這份心情,不免��味雜陳。
三浦紫苑善寫落寞男子間的患難情誼,這種創造果真是女性視角的美化敘事;其中溫情及其撫慰之感,無論BL與否,作為消費主題,今人或稱「情緒價值」——早十年前身處二十代尚青春的我,或許會完全買單。
街燈的光芒射入深夜時分的事務所,讓整個空間宛如悠遊著詭異深海魚的藍色海底。大街上徹夜毫不停歇的喧鬧聲,自敞開的窗戶外頭乘著暖風緩緩飄進來。 穿梭在事務所前方道路上的一盞盞車頭燈也照進事務所內,彷彿一次又一次舔舐著牆壁與天花板。多田的視線自然而然追隨著那一條條白光。為了盡可能提升通風性,分隔會客區與居住空間的掛簾並沒有拉上。在光線的引導下,多田的視線落在沙發上,這才察覺行天並沒有躺著。 三浦紫苑《真幌站前多田便利軒》頁154(李彥樺譯)
當然,除卻曖昧情愫,男性之間可以存在同情,道義那些說辭也是所在多有。究其實,自然法則仍是太初基底,身分地位之確立與分別,終歸按捕獲獵物等級回推;如此真相前提,野蠻難堪,勝敗雙方寧願聯手粉飾——稱兄道弟,大抵就是你既不說我亦不說的太平境地——上下交相賊,順理成章一套禮教文化,構造為全部體制社會。一切有為法,易言之,壓迫/奴役正名為領導,投降/輸誠乃景仰而服膺,崇拜體系撫今追昔,輒抱團取暖,衣食足能知榮辱,各方人馬甚至編造出所謂信念意涵——師出遂有名,爭執殺伐迭代不衰。
《多田便利軒》探討在這個歷程中被淘汰/放逐的男子。雙男主以彼此為救贖讓日子得過且過下去,並且希冀走出分別的人生陰���。這樣的故事價值全繫於日劇美好的關鍵品質:日常性,即其角色「溫存」互動,有效地抵禦/抗衡,在於月分季節年歲夙夜匪懈的流逝消磨中,仍能感受到一分生之喜悅���
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seymourmusicclub · 9 months ago
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ishiiruka0421 · 1 year ago
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takmiblog · 2 years ago
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鬼海弘雄とダイアン・アーバス
平田 最初は映画を志してらしたと書かれてますよね。 鬼海 映画は興味があったんですけど、金がかかるでしょ。制作費を集めて当たるかどうか考えてなんて、とても無理でしょ。小説も能力ないし。 平田 でも写真だって最初は自分に才能があるかわからないでしょ。 鬼海 最初にダイアン・アーバスの写真見て、写真がこんなふう���人間を表すことができるのかってびっくりしたんですよね。写真てのは、一過性の通り過ぎる事象を記録するだけだと思ってたんです。でもアーバスのには人が写ってた。ただし、内面は写ってないけどね。 三浦 人が写ってることと内面が写ってることは違うんですか? 鬼海 彼女の場合は、変わった服装とか変わった化粧とかであって、その人の変わっていることの本質はその顔から出ていないよね。
(https://www.webchikuma.jp/articles/-/2244)
ここに人がいる 鬼海弘雄インタビュー(後編)  2020年夏
 鬼海 弘雄 , 平田 俊子 , 三浦 しをん
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55megami · 2 years ago
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✍女子漂流/中村うさぎ 三浦しをん
めちゃくちゃで我夢者羅な中村うさぎも、ただひたすらに好きな事をして漂っている三浦しをんも、私はどちらの生き方も好きだよ。
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chikuri · 10 months ago
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選択的夫婦別姓を推し進めようとしている人達が言う『女性が輝ける社会』だの『選択肢が増える』だのは上辺を綺麗に取り繕っているだけの詭弁。各種不便はすでに解消されていてそれを周知させ拡充させるだけで済むのに、どうしても法律を変えなければと躍起になっているのは他に狙いがあると考えた方が自然だ。 仕掛けている人たちの真の狙いは『戸籍制度の廃止』で間違いない。 『戸籍なんてものは外国にはないのに!』 という人がいるが、まさ��その通り。『他国に類を見ない素晴らしい制度』である。 私は自分の家系図を作るため、両親の実家を遡り、お嫁に来た人の実家まで含め、直系で辿れるだけ戸籍を取り寄せたことがある。(郵送だけで申し込み可能) 何の名家でもない、庶民だった父方、母方の先祖双方とも江戸後期まで遡れた。 明治に入ると先祖やその兄弟姉妹が産まれた時間、婚姻日、死亡日、死亡時間まで詳細に書かれていて、存在も知らなかった先祖の息吹を感じることが出来た。 父方の先祖に戦没者がいることもこの時初めて知り、靖󠄁國神社に問い合わせたら御祭神としてお祀りされていることも分かった。 『自分は一人で生まれてきたんじゃない。ここに書かれている人々やそれ以前の何百年、何千年の命のリレーの末に自分が存在しているんだ』 と心の底から感動した覚えがある。 自分の命は自分だけのものではない。ちゃんと大切に生きなければ、と思ったし、そうして繋がった命のバトンを自分が切ってしまったことに心底申し訳ないと思った。 200年近いこうした記録をしっかり残している日本の戸籍制度は本当にすごいと思ったし、子供の夏休みの自由研究で家系図づくりをやらせたら、直接的に命の大切さを説くよりよっぽど心に響くんじゃないかと思う。 今は専門業者もいるようだが、自分で出来るし大してお金もかからないのでこれを読んでいる皆さんには心からおすすめする。
三浦崇子 / X
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yoga-onion · 6 months ago
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Heart Sutra ~ A sutra that describes “The Heart of the Perfection of Wisdom" (9) 
Hoichi the Earless – A Japanese tale about spiritual merit of the Heart Surtra
When Xuanzang crossed the Silk Road to India, recited the heart Sutra and protected himself from evil demons through its spiritual power. (Ref). There is a folk tale in Japan that tells its spiritual merit.
A young Biwa-hōshi (lute monks) named Hoichi lived at Amida-dera Temple in Akamaseki. Hoichi was a master storyteller of the Tale of the Heike, especially the Dannoura battle, which is said to ‘make even the demons shed tears’.
The Battle of Dannoura was a historical fact, once a decisive battle between the Genji and Heike clans, with many Heike warriors and court nobles sinking to their deaths in the sea, and perished. The temple was built on the coast overlooking Dannoura to commemorate the Heike family.
One night, when the abbot is away, a warrior suddenly appears out of nowhere. Hoichi is begged by the warrior to go to the palace of the ‘nobleman’ to play his biwa. Although the blind Hoichi could not understand them, many noblemen seemed gathering. They requested a piece about the battle of Dannoura. Everyone is sobbing aloud and looking intensely moved. Hoichi is asked to play a whole week, and starts going out every night.
The abbot became suspicious and had temple men follow him one night. It was raining heavily, and Hoichi was alone in the empty cemetery of the Heike clan, playing his biwa in front of the grave of Emperor Antoku, who had died an untimely death as a child, surrounded by a frighteningly large number of demon firebrands. The astonished temple men forcefully bring Hoichi back home. The abbot then, knowing the nature of the grudge spirits that the body parts on which the sutras are written are transparently reflected and invisible, copied the Heart Sutra on Hoichi's whole body together with the temple men, so that the grudge spirits could not recognise Hoichi. However, they did not realise at the time that they had forgotten to copy the sutra on his ears (auricularia). 
That night, as Hoichi sat alone, the warrior came for him as usual. However, Hoichi's body, on which a scripture is written, is invisible to the grudge spirit. Puzzled, the grudge spirit looked around for Hoichi, and found only his ears in the darkness, which were forgotten to copy the sutra. The grudge spirit used its monstrous power to tear the ear off Hoichi's head. The spirit left, silently. When the abbot returned at dawn, he realised that when he had written the Heart Sutra on Hoichi's body, he had forgotten to write the sutra only on his ears, and apologised to the bloodied Hoichi for his oversight.
After that, the Heike ghost never appeared before Hoichi again, and the wound in Hoichi's ear was soon healed by the good doctor. This strange event spread throughout the world, and he came to be known as ‘Hoichi the Earless’.
(There is also a version where Hoichi dies.)
[Image below: The tragedy of the young Emperor Antoku drowning in the arms of his grandmother, Taira no Tokiko]
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般若心経 〜「智慧の完成」の精髄を述べる経典 (9)
耳なし芳一 〜『般若心経』の霊験にまつわる日本の物語
玄奘三蔵がシルクロードを越えインドに渡るとき、『般若心経』の霊験を信じ口誦���悪鬼どもから身を守ったことは先にも述べた(参照)。その霊験を物語る日本の民話がある。
赤間関の阿弥陀寺に芳一という若い琵琶法師が住んでいた。芳一は盲目だったが、平家物語、特に「鬼も涙を流す」といわれる壇ノ浦の合戦を語る名手だった。(琵琶法師とは、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した僧侶の姿をした琵琶の弾き語りで、ほとんどが盲目だった。)
壇ノ浦の戦いは、かつて源平の決戦となり、多くの平家の武士や公家が海に沈んで没した、という史実である。壇ノ浦を見下ろす海岸に、平家を弔うために阿弥陀寺が建てられた。
ある夜、住職の留守の時に、突然どこからともなく一人の武者が現われる。芳一はその武者に請われて「高貴なお方」の御殿に琵琶を弾きに行く。
盲目の芳一にはよく分からなかったが、そこには多くの貴人が集っているようであった。彼らは壇ノ浦の戦いについての曲を所望した。皆、声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を依頼され、毎晩出かけるようになる。
不審に思った住職は、ある夜、寺の者たちに尾行させた。大雨の降る中、誰もいない平家の墓地で、幼くして非業の死を遂げた安徳天皇の墓の前で琵琶を弾いていた芳一は、おびただしい数の鬼火に囲まれていた。驚いた寺男たちは、強引に芳一を連れ帰る。
そこで住職は、怨霊の「お経が書かれた体の部分は透明に反射して見えない」という性質を知っていたので、寺男たちと一緒に芳一の全身に般若心経を写し、怨霊が芳一を認識できないようにした。しかし、その時、耳(耳介)にお経を写すのを忘れていたことには気づかなかった。
その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武者が迎えにきた。しかし、経文の書かれた芳一の体は怨霊である武者には見えない。怨霊は当惑し、芳一の姿を探し回った挙句、写経し忘れた耳のみを暗闇の中に見つけ出した。怨霊は怪力でもって芳一の頭から耳をもぎ取った。怨霊はそのまま去っていった。 夜明けに戻ってきた住職は、芳一の���身に般若心経を書いたとき、耳だけにお経を書くのを忘れていたことに気づき、血まみれの芳一に自分の見落としを詫びた。
その後、平家の亡霊は二度と芳一の前に現れることはなく、芳一の耳の傷はすぐに良医によって癒やされた。この不思議な出来事は世間に広まり、彼は「耳なし芳一」として知られるようになった。
(芳一が死亡してしまうバージョンもある)
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koch-snowflake-blog · 7 months ago
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安藤 笑は、日本の女性アイドル、モデル。 愛知県豊田市出身。アクアルナ・エンターテイメント所属。Ange☆Reveのメンバー。キャレス ボーカル&ダンススクール名古屋校出身。NEXT GENERATION、PENTY'Sモデル、CUTE×BEAT、Star☆T、愛乙女☆DOLL、Jewel☆Cielの元メンバー。 ウィキペディア
生まれ: 1995年8月7日 (年齢 29歳), 愛知県
身長: 164 cm
事務所: アクアルナ・エンターテイメント
所属グループ: Ange☆Reve
現年齢: 29歳
血液型: O型
愛知県豊田市出身。アクアルナ・エンターテイメント所属。Ange☆Reveのメンバー。キャレス ボーカル&ダンススクール名古屋校出身。NEXT GENERATION、PENTY'Sモデル、CUTE×BEAT、Star☆T、愛乙女☆DOLL、Jewel☆Cielの元メンバー。血液型O型、愛知教育大学教育学部卒業。韓国ハーフ。
幼稚園教諭二種、小学校教諭一種、��学校教諭一種免許を持っている
座右の銘は「心構えこそが全て」
得意なスポーツはダーツ、ビリヤード
趣味はギター、カフェ巡り
特技は弟の耳掃除
水着撮影会でドアラをオマージュしたコスチュームで登場するほどの中日ドラゴンズファン。
好きな色は白
好きな動物は犬 (実家では愛犬「キャンディ」を飼っている)
好きな漬物はたくあんと柴漬け
好きな本は推理小説とファッション雑誌
好きなお笑い芸人はぺこぱ、チョコプラ、四千頭身、パンサー
好きな芸能人はaiko、少女時代、SHINee、安室奈美恵、佐々木希、三浦春馬
カラオケ十八番はaiko『二人』
合言葉は、エモーレ、スイーツ部活動中
Star☆T、愛乙女☆DOLL時代での担当カラーは紫。自身にとっても紫は愛着のある色である
弟が3人いる
捨てられない物はパジャマ
 
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fuminaga · 8 months ago
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「もみじ狩りはもともと平安時代の貴族の間で始まりました。色づいた葉を見物しながら宴を開き、その美しさを和歌に詠んで勝負する『紅葉合』が流行したそうです。江戸時代には庶民にも広がり、季節行事として定着しました」(三浦さん) 「狩り」と呼ぶ理由は何なのでしょうか? 「平安貴族の体裁を保つためのカモフラージュです。当時、貴族は寺社仏閣へのお参拝やお祭りの見物、鷹狩りなど特別な理由以外で平安京の外を出歩くことができませんでした。貴族社会では、無闇に外出して歩くことは“野蛮”なこととされていたからです。とはいえ秋になれば紅葉が見たい……しかし外に出なければいけない……。そこで、面目を保つために紅葉を見に野山へ出かける行為を『狩り』と表現したのです。当時、鷹などの猛禽類を扱った狩猟の『鷹狩り』は天皇や貴族のための娯楽であり、“狩り=高尚な遊戯”だったのです」(三浦さん)
「もみじ狩り」は平安貴族の“苦しい言い訳”? 紅葉見るのに“狩り”という理由とは? 有識者に聞く(ラジトピ ラジオ関西トピックス) - Yahoo!ニュース
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psyetz · 7 months ago
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もういい加減、愛されている自分を信じてあげてはどうですか?「お前なんか愛されるはずがない。きっと見捨てられる」と自分に毒を盛り続け、大切な人を傷つけて、何かいいことはありましたか?
Xユーザーの心理カウンセラー 三浦望さん: 「もういい加減、愛されている自分を信じてあげてはどうですか?「お前なんか愛されるはずがない。きっと見捨てられる」と自分に毒を盛り続け、大切な人を傷つけて、何かいいことはありましたか?」 / X
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hachikenyakaiwai · 1 month ago
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【かいわいの時】治承四年(1180)五月二十六日:渡辺勧ら、宇治川合戦で源頼政と共に討死(大阪市史編纂所)
「其日を最期」と覚悟を決めていた頼政は、門の内(「扇の芝」がその場所と伝えられる)に退いて自害し、 仲綱はじめ一族も力尽きて自害あるいは討ち死にして果てたが、
 埋木の花咲くこともなかりしにみのなる果ぞかなしかりける
というのが頼政の辞世である。七○年に余る生涯を終始脇役で過ごさねばならなかった頼政の哀れにも悲しい感懐の伝わる思いがする。 以上の宇治川合戦の様子は『平家物語』が描くところであるが、中山忠親の日記『山槐記』は、官軍に頸を取られた者として頼政・兼綱ら一族および渡辺氏の勧(すすむ)・唱・副・加ら一六名をあげている。これによると頼政は自害したのではなく、渡辺党の武者とともに最後まで戦って討ち死にしたのかもしれない。渡辺党が一六名の中に四名もいることは、彼らが壮烈に戦い、頼政に殉じたことを示している。平氏は反乱を一挙に鎮圧し、その政権はなお磐石であるかにみえた。摂津渡辺党でも渡辺及は一貫して平氏の家人であったし、後に壇の浦合戦で源義経を助けて活躍する渡辺昵(むつる)・番(つがう)父子なども、この時点では平氏方として摂津渡辺にとどまっていたものと思われる。『新修大阪市史 第二巻』「第一章 平安時代の大阪 第四節院政期における渡辺党の活動」より。ママ、「親」とも。
(写真)月岡芳年「芳年武者无類 源三位頼政」1886(大英博物館蔵)。平等院の戦いで敗北した後、源頼政は切腹を前に辞世の歌を詠んでいる(解説)。
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kennak · 5 months ago
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カネを抱いたまま死んでも意味がないので、頭が回る60代のうちに余生のために使っておけは納得できる。できるが、超金持ちだけの選択肢を紹介されても読者は困るぞ…
[B! 不動産] 「60歳からの人生を楽しみたい」元とらばーゆ編集長が60代で新築住宅を建てた理由 東京&神奈川県三浦市で二拠点生活
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nait0u · 1 year ago
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Xユーザーのみずち@skeb依頼停止中さん: 「ブルアカふぇす最高でしたね・・・ 現地行かれた方、風邪引かないように気を付けて帰宅してください。 体調不良で姿が見られなかったノノミの中の人三浦さんが元気になってまたこういうイベントで見られることを祈っております。 ノノミ「先生、お帰りなさい!」 #ブルアカふぇす  #ブルアカ https://t.co/NmS1SVfZeT」 / Twitter
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ishiiruka0421 · 2 years ago
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kaoriof · 8 months ago
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。蝉と、夏の太陽。波立つ海、燃え盛る炎。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が���怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。大好きなみんなへ 怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかった。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。カメラのレンズを見つめると、まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢おうね。
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chikuri · 2 years ago
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不法滞在を軽く捉えている人が多すぎる。 海外に長期滞在している人は皆、滞在許可がいつまでかキリキリする。 不法滞在になった瞬間、その国で何があろうと守って貰う資格などないからだ。 本来その国に居てはいけないのだから、文句を言う権利もない。ましてや人権侵害だと騒ぎ居座りその国を提訴するなど、世界のルールをぶっちぎり過ぎていて社会に適合できるとは思えない。 そんな危険思想の持ち主を日本で面倒見るなんて馬鹿げている。
三浦崇子 / X
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