#世界の片隅
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Summer's Whisper in the Dark: A Lyric Story
夏の夜、闇の中、 ひとつひとつの写真が囁く、見えない何か。 Green tomatoes, ripe with potential, 赤くなってゆくその姿、思い出のカプセル。
花開く夜の中、stars unseen, 咲かせた夢がそこに在る、youth's serene. Petals unfold like whispered secrets, 青春の静けさに包まれた未来への願い、つながる息吹。
A single blade of grass sways gently, 風の音、memories entangled, silently. It dances in the summer’s warm breath, 青春の影が残る、草の音の中、優しさがひとつまみ。
In the tangled web of life, a tiny bug rests, 世界の片隅で、silently tests, The boundaries of existence in the night, ひとときの夢、夜の中で輝く、その光。
葉の影、緑の海、 心の奥、深く広がる世界の広がり。 そして、最後に残る虫の殻、 生命の循環、夜が迎える物語の終わり。
写真に込められた無数の感情、 ひとつひとつの瞬間が語る、青春のカノン。 In the gentle whisper of the night, 若さの記憶、写真の中で息を潜めて、静かに輝く。
#photo#photography#japan#art#original photography#black and white#green#abstract#white#flower#夏の夜#Green tomatoes#web of life#葉の影#写真に込められた無数の感情#世界の片隅#風の音#思い出のカプセル#ひとときの夢
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Mt.Fuji,Yamanashi pref,Japan
camera : Panasonic DMC-L10
lens : Panasonic LEICA D Vario-Elmar 14-50mm
Aperture : F8.0
Focal length : 50mm
ISO : 250
Exposure : 1/30sec
#japan#photography#landscape#original photographers on tumblr#photooftheday#original photographers#photographers on tumblr#日本#panasonic#mount fuji#sunset#カワイイ#キレイ#キリトリセカイ#この世界はイロドリで満ちている#写真の奏でる私の世界#撮るを楽しむ#何気ない瞬間を残したい#誰かの記憶の片隅に#写真が好きな人と繋がりたい#富士山#赤富士
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2時間47分の長さを感じさせない、とても、とてもいい作品でした。
いつまでも後世に、残したい、伝えていきたい、と感じる人が多いんじゃないでしょうか。
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この世界の片隅に
История о девушке, которая жила обычной жизнью, но столкнулась с войной. За счет правильно поставленной драмы, зритель начинает жить в этом мире и соперживать героям, именно поэтому это аниме на столько хорошее. Это пример того, как из простой истории сделать шедевр. Итог: если вы хотите посмотреть дейсвительно хорошее аниме, то смотрите менно его.
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SparQlew - 今日も世界の片隅で (Kyou mo Sekai no Katasumi de) Translation
youtube
note: this is my first ever translation, so if I made any mistakes, do let me know so I can make better translations in the future ! Vocals: SparQlew Mixing Engineer: Naoya Tsuruta Lyricist, Composer, Arranger: nanou English Translation by a-sparqly-owl/fuufukuro_(twt/bsky) Kanji:
眠気がずっと治まらない 休み明け憂鬱月曜日 ふと目をやったスマホの中 呟きが溢れてる
「今日も朝からしんどいな」 「ずっと夏休みが良いのにな」 叶わない願いが流れてく
すべてが完璧な人にはなれないから どうしようもないこと愚痴ったら そろそろ出かけようか
今日も世界の片隅で 頑張っている君が居るなら (Wow Oh Wow Oh) 一緒に手を挙げよう
きっと僕らはいつもこうやって 一喜一憂泣き笑いして (Wow Oh Wow Oh) 毎日を生きて行く だからさ
(123) 勢いでいいから (123) 数えたらドアを開けよう そしたら何となくさ いける気がしたんだ
楽しくなって笑う朝 泣き腫らして瞼擦る夜 そりゃ生きてれば色々あって 付いてくので精一杯
だからほんの些細なことでいい 昨日より上手に出来たこと 「よくやった」って 自分を褒めてみよう
案外単純で素直な僕等だから ほんの少しの言葉で 未来は色を変える
今日も何処かの街角で 泣き出しそうな君が居るなら (Wow Oh Wow Oh) 一緒に笑い飛ばそう
きっと僕らはいつもこうやって 感情ばっか浮き沈みして (Wow Oh Wow Oh) 毎日を生きて行く だからさ
(123) 心の中で (123)数えたら前を向こう 独りじゃないってことをさ 君に伝えたいんだ
気まぐれな天気みたいに 僕らの心は変わる 突然雨が降ったり 時には嵐だったり
誰かに打ち明けたり 思い切り褒めてあげたり 胸の中の自分自身 大事にしながら行こう
今日も世界の片隅で 頑張っている君が居るなら (Wow Oh Wow Oh) 一緒に手を挙げよう
きっと僕らはいつもこうやって 一喜一憂泣き笑いして (Wow Oh Wow Oh) 毎日を生きて行く だからさ
(123) 勢いでいいから (123) 数えたらドアを開けよう そしたら何となくさ 大丈夫な気がしたんだ
Romaji:
Nemuke ga zutto osamaranai Yasumi ake yuuutsu getsu youbi Futome wo yatta sumaho no naka Tsubuyaki ga afureteru
“Kyou mo asa kara shindoina” “Zutto natsu yasumi ga ii noni na” Kanawanai negai ga nagareteku
Subete ga kanpekina hito ni hanarenai kara Doushiyou mo nai koto guchittara Sorosoro dekakeyou ka
Kyou mo sekai no katasumi de Ganbatteiru kimi ga iru nara (Wow oh Wow oh) Issho ni te wo ageyou Kitto bokura wa itsumo kou yatte Ikkiichiyuu naki warai shite (Wow oh Wow oh) Mainichi wo ikite iku dakara sa
(123) Ikioide ii kara (123) Kazoetara doa wo akeyou Soshitara nantonaku sa Ikeru ki ga shitanda
Tanoshiku natte warau asa Naki harashite mabuta kusuru yoru Sorya ikitereba iroiro atte Tsuiteku no de seippai
Dakara hon no sasai koto de ii Kinou yori jouzu ni dekita koto “yoku yatta” tte Jibun wo homete miyou
Angai tanjun de sunao na bokura dakara Honno sukoshi no kotoba de Mirai wa iro wo kaeru
Kyou mo doko ka no machi kado de Naki dashi souna kimi ga iru nara (Wow Oh Wow Oh) Issho ni warai tobasou Kitto bokura wa itsumo kou yatte Kanjou bakka uki shizumi shite (Wow Oh Wow Oh) Mainichi wo ikite iku dakara sa
(123) Kokoro no naka de (123) Kazoetara mae wo mukou Hitori janai tte koto wo sa Kimi ni tsutaetainda
Kimagure na tenki mitai ni Bokura no kokoro wa kawaru Totsuzen ame ga futtari Toki ni wa arashi dattari
Dareka ni michi aketari Omoikiri homete agetari Mune no naka no jibun jishin Daiji ni shinagara ikou
Kyou mo sekai no katasumi de Ganbatteiru kimi ga iru kara (Wow Oh Wow Oh) Issho ni te wo ageyou Kitto bokura wa itsumo kou yatte Ikkiichiyu nakiwaraishite (Wow Oh Wow Oh) Mainichi wo ikite iku dakara sa
(123) ikioi de ii kara (123) kazoetara doa wo akeyou Soshitara nantonaku sa Daijoubu na ki ga shitanda
English Translation:
A gloomy monday, back from holiday When the drowsiness never goes away I look at my smartphone Overflowing with tweets
“It’s been tiring all day” “I wish everyday was summer holiday” Their unfulfilled wishes keep on flowing
Because people can’t be perfect at everything So they complain about things that can’t be helped Maybe it’s about time i go out
Today, in a corner of the world again If you’re there, trying your best (Wow Oh Wow Oh) Let’s raise our hands together
We’ll always be this way Through joy and sorrow, we laugh and cry (Wow Oh Wow Oh) We keep on living through everyday, so
(123) No need to worry (123) Let’s open the doors One way or another I feel like it’ll go well
Mornings where we laugh and have fun Nights where we rub our eyes and cry As long as We keep on living, there are many things to see, so let’s give it our all
See, even the little things are okay Let’s try and praise ourselves “Good job!” for the things we do better than yesterday
Our surprisingly naive, honest selves Can change the color of the future with just a few words
Today, at a street corner somewhere If you’re there, feeling like crying (Wow Oh Wow Oh) Together we’ll laugh it off
We’ll always be this way Emotions all over the place (Wow Oh Wow Oh) We go and live through everyday, so
(123) Within our hearts (123) Let’s face forward I want to tell you that you’re not alone
Our hearts are changing like a moody weather Like sudden rain falls and the occasional storm
Opening our hearts to someone Praising ourselves to our heart’s content Let’s go and treasure ourselves inside our hearts
Today, in a corner of the world If you’re there, trying your best (Wow Oh Wow Oh) Let’s raise our hands together
We’ll always be this way Through joy and sorrow, we laugh and cry (Wow Oh Wow Oh) We keep on living through everyday, so
(123) No need to worry (123) Let’s open the doors One way or another I feel like it’ll be alright
#SparQlew#SparQlew Translation#今日も世界の片隅で#my first translation!!#Owl's SparQlew Translations#kiramune#I kinda got a tad bit too addicted to this song whoops#Youtube
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ミュージカル『この世界の片隅に』感想
最近初めて御園座に足を運んだ。赤で統一された内装はゴージャスで気分が高揚した。劇場内に売店が複数あって賑わっているって、いいですよね。
そこで上演されていたのは、ミュージカル版『この世界の片隅に』である。こうの史代の同名漫画を原作に、脚本・演出は上田一豪で、音楽はアンジェラ・アキが手がけた。主人公すずと夫���周作、両者と因縁ある女性・白木リンはダブルキャストで、私が見た時は昆夏美・村井良太・平野綾という布陣だった。
『この世界の片隅に』は、2016年に公開されたアニメ映画の印象が強いだろう。私自身は、二度製作されたドラマ版は未見で、アニメ映画を見てから原作漫画を読んだ口である。
そこに今回製作されたミュージカル版であるが、正直に書くと、大きな問題をいくつも抱えていると感じた。
まず、ミュージカル版は時系列に沿って進んでいた漫画から大胆にエピソードを組み替えているのだが、少女期・成長後の結婚前・結婚後の戦況がまだ過酷でない時期・過酷になっていった時期が、頻繁に行ったり来たりするため、原作なり翻案なりにあらかじめ接していないと置いていかれるのではという懸念が生じた。
上田一豪が手がけたオリジナル・ミュージカル『フリーダ・カーロ』では、カーロの死後から彼女の人生をプライベートとキャリアの両側面から辿り直すという構成で、時系列が行ったり来たりと錯綜としていた。また、元が漫画で、絵を描く人物が主人公で、主人公にとって衝撃的な出来事がすでに起きてしまった状態から振り返られるという構成のミュージカルというと、忘れてはならないのは『ファン・ホーム』である。『ファン・ホーム』も、40代の中年の漫画家アリソンが、クローゼッテッド・ゲイだった父との関係を辿り直すべく、10歳の幼少期と19歳の青年期���交互に回想していった。
これら二作品に加えると、『この世界の片隅に』は時系列のシャッフルが作品のためにさほど寄与しているようには思われなかった。それは、『フリーダ・カーロ』にしても『ファン・ホーム』にしても時系列が錯綜させなければ描き得ないという説得力ある問題意識が的確に掲げられ、常にそれによってドライブされていたのに対して、『この世界の片隅に』はそうでなかったからだと考えられる。『フリーダ・カーロ』の場合は「人物として、アーティストとして、フリーダ・カーロは何者だったのか?」という問いが掲げられ、一貫していた。『ファン・ホーム』は、「父の自殺の原因はなんだったのか?父の自殺はレズビアンだと自分がカミングアウトしたことと関わっているのでは?」という切実な問いに突き動かされていた。
『この世界の片隅に』は、オープニング・ナンバーが終わった瞬間にすずが姪の晴美と自身の右手を失った昭和20年7月の空襲まで一気に飛躍し、すずが心身共に参っている状態が描かれる。広島から見舞いにきた妹すみの発言がすずに回想を促すという展開を有している。ここから、『この世界の片隅に』の回想は、「なぜこうなってしまったのか?」という強烈な問いに促されている訳ではなく、他者とのふとした邂逅やそこでの些細な一言がきっかけとなるものであり、思わずといった風に生じる考えの飛躍が時系列の錯綜に結びついていると言える。あっちこっちに飛ぶ思考に観客も振り回されることがポジティブに作用する場合も少なからずあるだろうが、『この世界の片隅に』の場合はあっちこっちに振り回すこと自体が目的化しているように見えてしまった。もう少し高次の統括する位相、たとえば、右手を失ったすずの療養の場面へと回帰があるだけで、印象が大きく異なるだろうと思われた。
二つ目の問題は、時間と空間の射程がぼやけていることである。
そもそも、二幕仕立て三時間は長いし、周作を巡る「女の争い」がすずとリンの間で起こることが予感される形で一幕が終わったことは大問題だと感じている。前半を終わらせるにあたって、二幕以降に起こる大騒動の始まりを予感させて終わるというのは作劇のセオリーである。だがそれは、『この世界の片隅に』では、すずとリンの関係に走る緊張だったのだろうか???それだったら、一幕仕立てにして連綿と場面を続けていく方が、『この世界の片隅に』の主旨に合っていそうなのに…と感じた。なお二幕の幕開けで、すずとリンは対峙するフォーメーションのまま立ち尽くしていたのを見た時には、「幕間の間、ずっと二人は睨み続けていたんだろうか…」と想像して不覚にも笑ってしまった。
時間の長さは、音楽が基本的に間のびしていることにも起因しているだろう。音楽については後述するとして、とにかく長く、長く感じた。
他方空間については、はっ��りいって御園座だと広すぎると感じた。東京公演で使用された日生劇場でも広く感じただろう。空襲場面など、空間の広さが活きる場面も多少あるが、基本的に本作は少人数でのやり取りが中心であり、広い空間に対して狭くまとまり過ぎている。とはいえシアター・クリエくらいの規模での上演だとしたら、私はおそらく劇場が狭いと感じであろう。
『この世界の片隅に』は、すずを中心に繰り広げられる家庭やご近所、学区、街角レベルのミクロな人間関係の機微が描かれる一方、生活すること自体が戦争というマクロな暴力の応酬への避けがたい加担であることも同時に提示される。こじんまりとした人間関係を描きながらも背後に聳える巨大な事態を描かなければならず、空襲や原爆投下、降伏といった甚大な出来事の足元には日々の営みがあることを描かねればならない点で、ミュージカルとしてどのようなスケールで描き出すか、その調整はかなり難しいことは想像に難くない。今回の初演では、小さすぎると同時に大きすぎるという、あまりよろしくない地点に帰着していたように感じた。
三つ目の問題は、音楽が間のびしていたことである。すずのキャラクター性を考えると、キビキビとした音作りにはなり得ないことは理解できるが、オープニング・ナンバーがフィナーレかのような壮大さとゆったりとした音で作られていたのは、個人的には好みではなかった。また、すずのまったりしたキャラクターを音の伸びでもっぱら表現されており、かといってモティーフという程には統一性はなく、中途半端だと感じた。
四つ目の問題、そして最大の問題は、戦争の描き方が「被害者」の側面のみを強調していた点である。原作の漫画では、終戦の詔勅を聞いて激しい怒りを覚えるすずは、近所に太極旗が掲げられているのを見たことで「正義だと信じていたけれど暴力にすぎず、また別の暴力が自分達を支配する」ことを自覚し、泣き崩れるという非常に印象的な場面がある。
空襲や原爆投下、食糧不足に物資不足などの苦難に日常の穏やかさが徐々に食い破られていき、それでも健気に生きるすずの姿を見ていた読者こと私は、ここで初めて、激しい怒りと共に露わになったすずの思想的基盤や、見えないものとして扱われてきた植民地支配に事後的に触れ、ひどく動揺すると同時に加害者・支配者としの側面も描かれていることに安堵したのを覚えている。しかしミュージカル版では太極旗は掲げられることはなく、すずはそれを見ることもなく、一連のすずの動揺は全て「玉音放送を聞いた直後の反応」にまとめられてしまっている。ミュージカル版の描き方には失望した。
ミュージカル版『この世界の片隅に』は、基本的に「ご近所同士お互い様の助け合い」として、隣組は微笑ましくコミカルに描かれており、それもあって監視共同体であることは後景に退いているし、「犠牲者ナショナリズム」が色濃く現れる危うさを常に帯びた状態で作品は展開していく。だからこそ、すずの怒りが何を表しているか、日和らずに真正面から描いて欲しかった。
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Experiment - Automatic Random_Reblog - Ask me !

♪腹立ちまぎれ蹴飛ばして 眺めていたのさ 街を見下ろす公園の 手すりにもたたれて♪ エレファントカシマシ「かけだす男」
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location 東京都練馬区
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童心にかえる(あとがき)
2024年12月22日(日)
足元には黄色から土色に染まる枯れ葉が散り、冬の寒さは感じるものの見上げれば常緑樹が多いのか緑の清涼感がそこにはあった。歩みを進めるにつれ滝音が聞こえてくる。さて、目を閉じて自然の空気を肺いっぱいに巡らせ、頭の中の車を運転する部屋に施錠し、写真を撮る部屋の鍵を開ける。
リュックを下ろして、滝を色んな角度から眺めて構図をイメージしていく。画家ならばとカンバスを前に筆を立てている様子を思い浮かべる。自分の想像に応じたレンズに付け替える。カメラを三脚に取付け、センターポールを外すのに少しまごつく。三脚の3本の足を1番低くできるよう角度を変える。思った構図の位置へ設置し雲台の3点を操作し調整する。フィルターの有無を決め、木や岩のてかりを確認し調整していくが、ある程度残す事にした。ディスプレイと、にらめっこ。頭の片隅で急に言葉が踊りだす(カメラから生み出される絵から言葉へ変換する作業)。・・・童心、無邪気、笑み、公園の遊具、泥遊び、絵本、神話の世界、グングニル、巨人の腰掛け、枯れ葉踏み、苔苔、孤独、侘しさ、キリが無いのでetc・・・。色んな思いを詰め込んでいると、滝の飛沫が何滴か顔を叩き、我に返る。僕自身はあまりお喋りな方ではないが、頭は反してよく喋る。一旦、変換を止めて景色と向き合うことに集中する。水の流れの強さを目で確認する。水量はさほど多く無い。流れは規則正しく動いているようで、同じ動きはしてくれない、一度きり。だからこそ丁寧に撮りたいと思う。シャッタースピードを軸に感度と絞りを再調整を数回繰り返しシャッターを切る(2秒タイマーで)・・・よしよしまずまずだ。
グリップ付きの長靴を履いてきていたため、滝から駐車場まで水の流れを追っていくことにする。自分の動きと同時に小気味よく熊鈴が凛と鳴り、歩くことを楽しくさせる反面、水面の光の照り返しが眩しく、水深を確認しながら用心深く進む。人とすれ違う度、あいさつを交わす(確か6名だった)。相手側は木陰の遊歩道、僕は渓流の凹凸道で妙なコントラストだ。目的が違えば辿る道も違う。曇り空の中から晴れ間が差し、水面が青くなったり白くなったりする。水中には木の葉や木の実が落ちていて、幼い頃のどんぐり拾いを思い出す。形の丸い木の実や、どんぐりの帽子ばかり探す子どもだったような気がする。相変わらず頭の中で踊り続ける言葉たちを手懐けながら写真を撮ったり、休憩したり、のんびりと過ごす。
結果的に駐車場から滝までは数分なのに2時間も滞在していた。それだけ雰囲気が心地良かったのだ。身体中に目に見えない青や緑を纏わせて帰る。思考し続けたせいか、運転は車間距離だけ取りほぼオートパイロットモードだった。帰宅後、キッチンで湯を沸かし3種類ある豆から深煎のを選びじっくり挽いて、熱いコーヒーを淹れる。あったかい。
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ちまちまうごく!LINE FRIENDS minini
今日もニンゲン世界の片隅で、懸命に生きる小さないのちたち。
#line stickers#line#stickers#line stamps#transparent#png#gif#line friends#line friends minini#conini#selini#lenini#chonini#bnini#minini in motion
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世界大恐慌は、1929年の株価急落が口火を切ったが、恐慌を深くしたのは1930年の米関税引き上げだったという見方が一般的。 今回の米高関税が世界恐慌につながるのか分からないが、みんなが頭の片隅に置き始めている。 もはやテールリスクを超えて、ある程度の可能性を見込むリスクシナリオかも知れない。
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。蝉と、夏の太陽。波立つ海、燃え盛る炎。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていくもの」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。大好きなみんなへ 怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかった。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太��にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。カメラのレンズを見つめると、まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢おうね。
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