#世界初飛行のヘリコプター
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petapeta · 1 month ago
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そもそもだが、山岳遭難の救助は都道府県単位で行われる。なので、費用請求の仕組みは都道府県ごとに決まることになる。山の稜線は県境であることも多いので、富山県のヘリが飛んで遭難者を見つけたけど、遭難者は長野県側にいたので、救助は長野県側が行う、ということが起こる。ニュース見れてれば時々見かける。 遭難救助に「基本的に」費用がかからないのは、公的機関(警察・消防・海保など)によるものだけだ。しかし、山岳遭難において、公的機関だけで捜索を遂行できるところはほとんどない。有名なところでは富山県(富山県警山岳警備隊)だけではないだろうか。富山県警山岳警備隊は、警察だけで山岳救助を完遂できる稀有な組織で、山岳レスキューを志す人の中には、ここに入るためにわざわざ富山県警に入る人もいるという。海猿ならぬ山猿といったところか。登山者の間では落ちるなら富山側、というタチの悪い冗談まである。 富山県はめっちゃ例外で、通常は公的機関と民間の合同で山岳救助隊が組まれる。民間に関しては日当が発生し、実際には救助に行かなかったケースでも、遭難の一報が入ると、救助隊に招集がかかり待機するので、救助隊の出動がなかったケースでも請求が来ることがよくある。みんな、仕事を休んだりして救助に備えるわけで、当然だと思う。 公費負担で助かる部分はヘリコプターによる捜索・救助だと思われる。埼玉県はここを一部有償化しているが、有償化している自治体は珍しい。 https://www.pref.saitama.lg.jp/a0404/herizyourei/herizyourei.html じゃあ、公費負担でヘリが飛ぶ自治体はヘリ呼びたい放題かとそんなことはない。運用できるヘリの台数・人員には限りがあるので、同時に発生した場合に警察・消防のヘリが飛んでくる保証はない。また、練度の問題で、民間ヘリに頼まざるを得ないケースもある。富山県警山岳警備隊のようなガチなところはともかく、そうでないところは難しい気象条件のときは接近ができず、普段から山小屋に荷揚げしている山岳ヘリに依頼せざるを得ないケースがあった。 あと、公的機関の遭難捜索は初期遭難だけで、それで見つからないと完全に自腹の世界になる。生存可能性がないと思われる場合でも、死体が見つからないと行方不明扱いで保険が出ないとか、保険は置いといても葬式も出せないし、心の整理もできないということで、長期に及ぶ捜索は少なくない。 いずれにしても山岳遭難にお金がかからないというのは幻想で、まともな登山者なら保険に入るべきだし、入っていると思う。車で強制加入保険があるのは、加害者になるケースがあるからだが、大半の人は任意保険も入っているわけで、山に関しても保険が普及するような仕組みはあってもいいとは思う。 海外の人気のある山に関しては登山は登録制になっているところも多いので、富士山のような明らかに限度を超えて人が多いところは、登録制にして保険も強制加入にするという選択肢を取るべきだと個人的には思うが、進まないのはビジネス的にインパクトを受ける方々がいるからではと思っている。
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ari0921 · 1 year ago
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<正論>中国の空母にどう対応するか
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
新型空母「福建」の弱点は
5月1日から8日間、中国の新型空母「福建」は初の試験航海に出た。6年以上かけて上海の造船所で建造され、2022年に進水した。その後、係留状態で艤装(ぎそう)を施し、検査、試験などが実施されてきた。今回、東シナ海という実環境下で各種システムの検証が行われたことだろう。排水量は8万トンと米海軍新型空母に比べるとやや小ぶりである。だが既に実戦配備している「山東」(6万6千トン)、「遼寧」(6万トン)の2隻をはるかに上回る。
山東、遼寧がスキージャンプ方式で戦闘機を発艦させるのに対し、福建はカタパルト方式を採用した中国初の空母となる。ただ一般的な蒸気式カタパルトではなく、電磁式を採用しているのが注目点である。現在、電磁式カタパルトを実用化しているのは、米海軍原子力空母「ジェラルド・フォード」だけである。フランスの原子力空母「シャルル・ドゴール」は蒸気式を採用しているが、独自開発できず、米国からのライセンス生産である。
空母のカタパルト運用は容易ではない。米海軍は安全に使いこなすのに約40年かかった。電磁式を初採用したジェラルド・フォードはトラブルで起工から就役に7年かかった。中国は初めてカタパルト方式を採用したが、一足飛びに電磁式を採用した。軍事常識からすれば無謀に近い。電磁式は十分な電力確保が必要で、原子力空母であることが望ましい。通常動力の福建が必要な電力を円滑に供給できるか疑問視する声もある。
スキージャンプ方式による発艦では最大発艦重量が制限され、戦闘機の能力発揮が制約される。また艦隊防空の要である早期警戒機も、探知能力に劣るヘリコプター型しか搭載できず、空中警戒監視能力に弱点を抱える。
カタパルト方式では燃料、弾薬を最大搭載した戦闘機を発艦させることができる。さらに監視能力の高い固定翼の早期警戒機(KJ―600)が運用でき、山東、遼寧とは段違いに優れた戦闘能力発揮が可能になる。時間はかかるだろうが、諸問題を解決してカタパルト方式に熟達すれば、中国海軍の洋上作戦能力は飛躍的に向上するだろう。
なぜ空母を持ちたがるか
福建の任務は台湾有事の際、台湾東側の海域に展開し、米海軍の接近を阻止し、制海権を奪取することだ。米海軍を海域から排除できれば、台湾攻略は容易になる。最終目標は2049年までに西太平洋の覇権を獲得することである。近年、中国海軍力の増強は凄(すさ)まじい。艦艇数では既に米海軍を超えた。今後、福建型を4~6隻建造し、「原子力化」を進める計画があるという。
他方、対艦弾道ミサイルの登場、水中ドローンの出現、水中発射魚雷の長射程化などにより、空母はもはや時代遅れともいわれる。こういう時期に、なぜ中国は空母を持ちたがるのか。中国の梁(りょう)光烈国防相(2009年当時)は次のように述べた。「世界の大国で空母を持っていないのは中国だけだ。永遠に空母を持たないわけにもいかない」「中国には広い海域があり、海を守る任務も重い。中国の海軍はまだ力が弱く、発展する必要がある」
中国の空母保有は「中華民族復興の夢」「国威発揚と軍威発揚」といった政治目的が軍事的合理性に優先しているようだ。中国は今後とも空母保有に向けて莫大(ばくだい)な資源を投資し続けるだろう。早ければ10~15年後には、空母の戦力化が実現するかもしれない。
「無用の長物化」させる戦略を
安全保障の要諦は最悪を想定し準備しておくことだ。将来の空母の脅威に備え、無力化対策の検討を開始すべきだろう。「空母に対しては空母」の発想は、費用対効果上も軍事的合理性からも愚策である。各種対艦ミサイル、AI型ドローン、自律型魚雷といった空母の致命的弱点を突く先進技術が手に届くようになってきた。
現在、防衛省は長距離地対艦ミサイルや空中発射型対艦ミサイル、そして反撃力としてのスタンド・オフ・ミサイルなどを開発中である。だが空母対応としては不十分である。防御の余地を与えてしまう単純な攻撃手段では対応策にならない。多種多様な手段で空母艦隊の防御能力を飽和させて初めて無力化を強いることができる。空母の無力化に焦点を絞った空中、海上、海中の非対称兵器開発���着手すべきだ。同時に硫黄島の拠点化、要塞化も必要だろう。
対応策さえ準備できれば、日清戦争前の「定遠」「鎮遠」の如(ごと)き威圧効果で、大騒ぎすることはない。必要以上に恐れ、いたずらに騒ぐのは中国の思う壺(つぼ)である。
空母の運用には艦載機や早期警戒機だけでなく、随伴する艦艇群、潜水艦などが不可欠であり、莫大な予算を要する。中国空母戦力が完整した時点で、「無用の長物化」させる���段を手にしておけば、莫大な予算を無駄金に終わらせることができる。これが日本の採るべき戦略であろう。今すぐ着手すれば、十分に間に合う。(おりた くにお)
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victorinox-japan · 1 year ago
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ドクターヘリとマルチツール。災害と備え。|ビクトリノックス × 日本医科大学千葉北総病院
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ビクトリノックス ジャパン株式会社は、2011年3月よりCSR活動として、重傷救急患者の救命活動に大きな役割を果たし、救命率向上に貢献している日本医科大学千葉北総病院 救命救急センターのドクターヘリ事業(救急医療用ヘリコプター)を支援しています。
今回、実際にドクターヘリに搭乗し救急医療の現場で活躍されている救命救急センター 助教 安松 比呂志 医師に、ドクターヘリの取り組みについて、そして、災害時におけるマルチツールの役割についてお話を伺いました。(2024.2.19インタビュー)
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
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年間1,800回出動!? ドクターヘリの取り組みとは?
まずは、ドクターヘリについて詳しく教えてください。
ドクターヘリは、救急現場へ医師をいち早く送り込み早期に患者の初期治療を行い、そして、患者を迅速に病院へ搬送するツールです。
現在、国内では46都道府県に56機が導入されており、千葉県は北部の北総ドクターヘリと南部の君津ドクターヘリがそれぞれ2機のヘリコプターを所有し、千葉県と茨城県南部を対象として日々医療活動を行っています。
救急現場において、ドクターヘリが要請されるタイミングは大きく2つあります。
現場から要請:119番通報を受けて現場へ到着した救急隊が、実際に患者の状況を確認し、重症、そして緊急度が高い場合にドクターヘリが要請されます。その場合、救急隊から北総病院へ直接連絡がきて現場へ急行します。
覚知要請:消防の指令センターで119番通報を受けた段階で、指令センターがドクターヘリを要請します。「胸痛」「麻痺」「意識障害」「交通事故」など、重症および緊急性が非常に高い状況である可能性を示唆するキーワードをピックアップし、ドクターヘリが必要か否かを判断します。
出動頻度はどの程度ありますか?
1年間で約1,800件程度の要請があり、そのうち実際に出動するのは1200件、1日平均3 ~ 4回出動しています。要請の半分以上は覚知要請です。
実際は現場に到着した救急隊が状況を確認し、3割程度が、軽傷や意識が回復したこと等の理由で要請がキャンセルとなっています。
キャンセルが多いような印象を受けます。
我々は、少しでも重症度、緊急性が高いと疑った段階でためらわずに要請をする(オーバートリアージを許容)ように消防と連携しています。
現場で、実際に状況を確認してからの要請だけの場合だと、本当に重症かつ緊急性の高い患者への治療(��触)が遅れてしまう可能性がでてきます。本当に必要な時には必ずドクターヘリで向かっている状況にするため、少しでも重症の可能性があれば、ドクターヘリを要請するような環境を整えています。
そのため、3割程度がキャンセルとなっているのです。もちろん、要請の精度を高めるために、キャンセルとなるキーワードを精細する等、日々改善を図っています。
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救急現場におけるドクターヘリの重要性。
ドクターヘリの最大の特徴は何ですか?
ドクターヘリに対して、「患者を病院へ早く移送する」という印象をお持ちの方も多いかと思いますが、医療者を現場にいち早く運ぶこと(ドクターデリバリー)が、ドクターヘリの最大の目的です。
北総病院の医療圏は、最大で車で1時間程度かかる距離があります。患者の受け入れ要請を受けて、最大で1時間程度、患者の到着を待たなければいけないわけです。ドクターヘリがあることで、これまで医師が病院で患者の到着を待っていたところを、ドクターを現場に搬送することで、現場でいち早く処置を開始できるようになります。これがドクターヘリの最大の特徴です。
ドクターヘリだからこそ救えた命も多いですか?
はい。 まず、北総病院は、重症のケガを負った患者(外傷患者)の搬送が多い医療機関です。外傷患者は大量出血の場合が多く、その場合、「いかに早く手術を開始できるか」が非常に重要となります。
ドクターヘリがあることで、医師が現場で患者の状態を正確に判断することができ、細かな事前情報を把握することができます。そうすれば、病院では患者の到着後すぐに処置(手術)を開始できるよう、準備することが可能となります。事前情報の有無が、処置の開始スピードに大きな影響を与えるのです。 事前情報をいち早く共有できることもドクターヘリにとっての大きな意義です。
また、北総病院では救急外来でも手術ができる環境を整えており、実際に患者が到着してから、最短10分以内には手術を開始できる状況を整えています。もちろん、患者の状況によってその限りではありませんが、今すぐにでも手術をしないと���に合わない場合に、最速で手術ができる環境が整っているのは強みです。
私自身も、ドクターヘリで急行し、現場で緊急処置を施して病院へ搬送したこともあれば、病院で待ち構えていて、ドクターヘリ到着後すぐに手術を行ったこともあります。ドクターヘリがあったからこそ救えた命です。
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
災害時におけるマルチツールの活用と、「もしも」の備え。
ビクトリノックスは、ドクターヘリのロゴをプリントしたマルチツール「ドクターヘリ支援モデル」を製造し販売しています。また、マルチツールをはじめ、救急現場での道具の運搬時に活用いただけるバッグを提供し、活動を支援しています。
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マルチツール ドクターヘリ支援モデル ※左から ハントマン 価格:6,050円(税込) ミッドナイトマネージャー 価格:6,050円(税込)
現在、お使いいただいているマルチツールは、災害時や救急現場では必要だと思いますか?
マルチツールは必要だと思います。私は、2024年1月に発生した能登半島地震の災害支援に行き、石川県災害本部にてドクターヘリでの搬送調整業務を行いました。そこで聞いた現地活動隊の話は、お風呂がない、トイレも困難など、通常の生活とはかけ離れた、とても過酷な環境だったと聞きました。
実際に被災された方の状況を考えると、やはり逃げることが精いっぱいだったと思います。いかなるものですら持ち出すのは難しかったかもしれません。
そんな危機的な状況でも、マルチツールは簡単に持ち運ぶことができますし、“もしもマルチツールを持ちだすことができれば”、避難所でもやれることが各段に増えるのではないかと思います。
災害発生時に、パッとカバンひとつで持ち出すことができる準備を整えておく、さらにその中にマルチツールがひとつ入っているだけで「備え」として非常に安心できます。
最近は、ビニール袋で子供のおむつを作る等、災害時の様々なアイデアや対策が取り上げられていますが、それらを実際に実現するために必要な道具として、切ったり、穴を開けたり、ライトで照らす、缶を開ける等、色々なことをこのマルチツールひとつでできるのは、とてもすごいです。
自然災害の多い日本で、いつ起こるか分からない災害に対する備えはどうすればよいと思いますか?
私が上司から常に言われていることは、「想定外を想定する」ことです。地震など、いつ起こるか分からない災害、可能性が低いことでも想定し備えておくことが大切だと思います。
大人になると避難訓練などをする機会はなかなか無いですが、会社でも家庭でも、災害時を想定し、避難経路を確認しておく、災害グッズを備えておく等、緊急事態に備えておくことで、“その時”に正確な判断ができると思います。
災害現場でマルチツールを使うためには、当たり前ですが“持っていること”が前提となります。
マルチツール、防災アイテムを持ちだすためにも、日頃から事前に準備をしておき、災害・緊急時にちゃんと持ち出すことができれば、様々な場面で活用することができ、とても心強いと思います。
リンク:日常・防災・災害時に。 「もしも」に備えるマルチツール
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ドクターヘリの更なる活躍のために。
ドクターヘリの課題はありますか?
まず、ヘリ設備の問題で夜間や悪天候では飛べないという、活動範囲が限られている現状があります。また、着陸現場の消防の安全確認等、着陸時の制約が厳しいところも、乗り越えなければいけない壁です。
現在は46都道府県で56機が配備されていますが、日本のすべての範囲をカバーできるわけではありません。さらにドクターヘリを増やす必要がある��検討も必要ですが、ドクターヘリを飛ばすパイロット不足の問題や、地域によっては救急医も足りない現状もありますので、ドクターヘリに従事する人材の確保も大きな課題だと思います。
安松先生は今後どのような形で医療に貢献していきたいですか?
ドクターヘリ業務では、現在は指導する立場となり、搭乗するのも月に数回程度です。これからは、ドクターヘリがもっと社会に貢献できるよう、若い医師や看護師をしっかりと育てていきたいと考えています。
また、私自身は外傷外科医としてさらなる研鑽を積みがなら後進を育てていきたいと考えます。
貴重なお話ありがとうございました。
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日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター 助教 安松 比呂志 医師
2005年3月金沢大学医学部を卒業。金沢市内の病院で初期研修を経て、外科の修練を積む。外科修練期間中に救急や集中治療の勉強の必要性を痛感し、救急の世界に飛び込む決断をする。
2011年4月より日本医科大学千葉北総病院救命救急センターに入職しドクターヘリと外傷外科医の修練を開始。現在は外傷外科医として研鑽を積みながらドクターヘリ、外傷手術ともに若手の指導も行っている。ドクターヘリ搭乗回数1200回。
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日本医科大学千葉北総病院
日本医科大学千葉北総病院は、1994年に日本医科大学4病院の中で最も若い新進気鋭の大学病院として開設されました。
千葉県印旛医療圏の「地域中核大学病院機能」を基盤に、わが国随一の歴史と実績を誇るドクターヘリを最大活用した「救命救急」、「脳卒中救急」、「循環器救急」などの「高度急性期医療」を展開しております。2001年に全国に先駆けて「ドクターヘリ医療」を導入し、爾来年間1200例以上の患者を搬送・治療しております。
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moko1590m · 2 months ago
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「戦争の新時代」ウクライナ、ミサイル搭載の無人機で3800万ポンドのロシア戦闘機を黒海上空で撃墜、これは「世界初」 ロシアの戦闘機が海に墜落する歴史的な攻撃を見てください ジョージー・イングリッシュ、海外ニュース記者 公開日時: 2025年5月3日16:11更新日時: 2025年5月3日16:43
ウクライナは、ミサイルを搭載した新型無人機を使って、ウラジーミル・プーチン大統領自慢の戦闘機1機を史上初めて破壊した。
3,800万ポンドの価値があるロシアのSu-30軍用機が黒海上空で撃墜された瞬間を捉えた素晴らしい映像。
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距離と方向を示すドローン映像。 7 ロシアのSu-30軍用機が黒海上空で撃墜された瞬間クレジット: X さまざまな距離にある複数の物体を示す熱画像。 7 プーチン大統領の3800万ポンドの飛行機は粉々に砕け散り、海に墜落した。 距離マーカーとターゲットを示すドローンのターゲット システムのスクリーンショット。 7 海に衝突する数秒前に撮影されたジェット機クレジット: X ウクライナの軍事情報機関GURはこの注目すべき攻撃を祝福し、史上初めて軍用機が海上無人機によって破壊されたと称賛した。
同報道官は、敵の戦闘機が金曜日にウクライナ軍の「グループ13」部隊の標的になったと述べた。
彼らは、新型の無人海軍ドローン「マグラV5」を使い、黒海沿岸のロシアの主要港湾都市ノヴォロシースク上空への攻撃を開始した。
キエフが公開した映像には、海上ドローンが戦闘機に接近し、狙いを定める瞬間が映っている。
ウクライナ戦争についてもっと読む
撤退米国はウクライナとロシアの仲介役としての役割を「もう果たさない」
ヴラドのブリッツ  ロシア、米国との鉱物取引から数時間後、ウクライナに大規模なドローン攻撃を開始 真上空に向けて発射され、巨大な爆発で戦闘機を吹き飛ばします。
その後、プーチン大統領のジェット機が空を転がりながら、焦げた破片となって海に向かって落下していく��子が映し出された。
ウクライナ国防省はこの映像を共有し、「海上戦争は新たな時代に入りつつある」と述べた。
ロシアはウクライナの主張についてコメントしていないが、国防省に近いとみられるロシア人ブロガーは、同機が撃墜されたと述べている。
ザ・サン紙で最も読まれた記事 マーク・ウィリアムズがジャッド・トランプに勝利し、最終枠を獲得した最新情報 世界スヌーカーチャンピオンマーク・ウィリアムズがジャッド・トランプに勝利し、最終枠を獲得した最新情報 デビッド・ベッカム、ブルックリンと妻ニコラとの新たな家族間の確執に悲嘆 有害な行動デビッド・ベッカム、ブルックリンと妻ニコラとの新たな家族間の確執に悲嘆 ブルックリン・ベッカムの妻ニコラが、デビッドの50歳の誕生日パーティーを無視したことで沈黙を破った。 ダメブルックリン・ベッカムの妻ニコラが、デビッドの50歳の誕生日パーティーを無視したことで沈黙を破った。 少年が火災で死亡、11歳から14歳までの14人の子供が逮捕 致命的な火災少年が火災で死亡、11歳か��14歳までの14人の子供が逮捕 Rybarという名のブロガーはテレグラムにこう投稿した。「Su-30海軍航空戦闘機がノヴォロシースクの西50キロでウクライナ側により撃墜された。」
「これは無人ボートから行われた…パイロットは脱出し、民間の船員に救助された。二人とも生きていて、飛行機は地獄へ落ちた。」
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UK launches StormShroud drones that will fly ahead of Brit fighter jets & jam enemy air defences to ‘stand up to Putin’ ロシア、米国との鉱物取引から数時間後、ウクライナに大規模なドローン攻撃を開始 昨年12月、マグラV5が1200万ポンドのロシア製M-8ヘリコプターを撃墜した。
過酷なウクライナ戦争における重要な戦闘の一つは黒海で行われた。
ロシアは過去3年間、戦闘機とドローンで空域を支配してきた。
そして戦争のほとんどの間、ウクライナの無人機艦隊は上空からの攻撃に対してほとんど無防備だった。
しかし、ここ数カ月、キエフは海上防衛を強化してきた。
最新の攻撃に使用されたマグラV5に加えて、彼らはシーベイビー水上一方向攻撃艇も保有している。
また、ロシアのヘリコプターを撃墜するために熱追跡ミサイルを搭載した新型ジェットスキー型無人機も配備した。
ウクライナ内陸部の領土をめぐる戦闘は、和平交渉が続いているにもかかわらず、ここ数日激化し続けている。
ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ロシアが夜間にドローン攻撃でハリコフを攻撃したと述べた。
40人以上の民間人が負傷し、緊急隊が消火活動と倒壊した建物に閉じ込められた人々の救出に奔走した。
大統領は空爆のビデオを公開し、「ロシアはウクライナ国民が自宅で子供を寝かしつけているまさにその時に住宅地を空爆している」と述べた。
「そのような命令を出し、それを実行できるのは悪魔だけだ。
「世界が決断をためらっている間に���ウクライナではほぼ毎晩、悪夢と化し、人命が失われている。」
飛行中の超機動性多用途制空戦闘機スホーイ Su-30。 7 ロシアのスホーイSu-30戦闘機クレジット: East2West 記者会見で発言するウォロディミル・ゼレンスキー大統領。 7 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ロシアが昨夜、ドローン攻撃でハリコフを攻撃したと述べた。クレジット:AFP 最新の攻撃は、米国がロシアとウクライナの和平交渉の仲介役として今後は行動しないとトランプ大統領が発表したわずか数時間後に発生した。
プーチン大統領が完全な停戦の受け入れを拒否し、代わりに3日間の短期停戦を提案したことを受けて、この決定が下されたと彼らは述べた。
アメリカは、会談への「貢献方法」を変えており、今後は「いつでもどこでも会議のために世界中を飛び回ることはしない」と述べた。
この変化は、米国とウクライナが歴史的な鉱物資源協定に署名してからわずか2日後に起こった 。これは、ワシントンによる和平案の仲介に向けた最後の圧力とみられる。
トランプ大統領は、ウクライナ戦争を終結させようとするプーチン大統領とゼレンスキー大統領の双方に対して「ますます不満を募らせている」と言われている。
The Sunでさらに読む
(ウクライナ、ミサイル搭載の無人機で3800万ポンドのロシア製戦闘機を黒海上空で撃墜、これは「世界初」 | The Sunから)
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reportsofawartime · 2 months ago
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空挺部隊は現代の軍隊において時代錯誤と言えるでしょう。ヘリコプター輸送を利用する空挺部隊でさえ、防空体制がますます強力になり、スマート兵器がボタン一つで着陸帯全体を破壊しかねない状況の中、ますます時代遅れになりつつあります。 では、航空輸送は終わったのでしょうか?いいえ。 ここで基本的な前提を検討してみましょう。今日の強襲部隊の空中移動の概念は、ほぼ 100 年前に、現代の戦術的問題を解決するために現代の技術を適用した結果です。空挺教義は第二次世界大戦以降あまり変わっておらず、航空強襲教義も同様にベトナム戦争以降、本当に重要な意味では変わっていません。技術は進歩しましたon.現代のセンサーは、それらの概念が最初に対処しなければならなかった目と対空砲よりもはるかに優れており、現代の兵器ははるかに殺傷力があります。軍事科学で知られているすべての対空システムの最適交戦範囲を、重い輸送機を失速速度近くで飛ばしたり、輸送ヘリコプターの群れが現代の偵察打撃複合体の完全な照準の下で敵の空域に侵入して何百人もの兵士を降ろすという考えは、ますます真剣ではありません。 現代の問題には現代的な解決策が必要だ。そこで、現代の空挺作戦の要件を検討してみよう。スマート間接射撃兵器による損失を最小限に抑えるには、部隊を分散させてピックアップし、戦術隊形に分散させた状態で着陸させる必要がある。インターネット時代の指揮統制システムを圧倒するには、任務開始前に降下地点に何時間もかけて集結することはできない。目標地点に着陸し、地上戦闘を開始しなければならない。さらに、対空砲火による損失を最小限に抑えながら敵の空域に侵入できなければならない。これは、今日では大型輸送機、ましてやヘリコプターでさえ不可能なことだ。 大型輸送ドローンの登場です。ドローンは既に人を空中輸送するのに十分な性能を備えており、戦場での医療搬送用として試験運用されています。軍用ヘリコプターの開発と同様に、そこから敵陣地後方に新型の「降下歩兵」を輸送するのは、ほんの一歩です。個人用輸送ドローンに搭乗した降下歩兵は、散在する敵兵を拾い上げ、最小限の犠牲で敵の防空網を突破し、必要な場所に正確に着地することができ、範囲攻撃兵器の攻撃に過度にさらされることはありません。 これに似たようなことはこれまでにもあっただろうか?実は、あった!ハマスは2023年10月7日のイスラエル侵攻に際し、少数の軽快なモーターパラシュート部隊を展開した。彼らは迎撃や対空砲火による損失なくイスラエル領空に侵入し、着陸に成功したようだ。西側諸国からは嘲笑��的となっているものの、このモスキート空襲は空挺戦術の未来を予感させるものであり、いかなる部隊にとってもジャンプ歩兵を展開し、敵を垂直包囲で脅かすための「参入障壁」が非常に低いことを警告していると言えるだろう。 * サイエンス フィクションでこの用語が広く使用されていることから、集団輸送システムではなく個人輸送システムを使用して目的地まで飛行する空中機動歩兵を指す「ジャンプ歩兵」という造語を考案しました。
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takahashicleaning · 9 months ago
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TEDにて
クリス・フィッシャー:LiDAR(ライダー)で全地球をスキャンしよう
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
フィルムや新聞が記録として保存され、種子さえ保管されている現在、地球の全表面の記録が保存できたら?
考古学者のクリス・フィッシャーが、ホンジュラスのジャングルで古代都市の地図を作った経験をきっかけにLiDAR(ライダー)
つまり、飛行機からのレーザー光照射による地図作成の技術を使って、地球の全表面をスキャンしようと訴えます。私たちの文化や生態の遺産を後世に残すために。
今まで訪れた中で最も驚嘆した場所が、ホンジュラスのモスキティア熱帯雨林です。考古学の現地調査は、世界中で行ってきたのでジャングルの踏査が、どんな感じか分かっていたつもりでした。
でも、私が間違っていました。これほど間違えたのは、正直、生まれて初めてです。
まず、寒さに震え上がりました。気温は32度でしたが、湿気で全身ずぶ濡れです。しかも、木々の樹冠が厚すぎて光が地面に全く届きません。
乾くということがないのです。すぐに、もっと衣類を持ってくれば、良かったと思いました。その最初の夜、何者かがハンモックの下でしきりに動き回るのを感じました。
未知の生物たちが、薄いナイロン地の裏側をこすったり、つついたりするのです。しかも、騒がしいので、ほとんど眠れませんでした。ジャングルはとてつもなく騒々しいところです。まるで賑やかな町の中心にいるようです。
夜が更けるにつれ、眠れないことに苛立ちがつのってきました。明日も、丸一日あるのにと夜���けにやっと起きて見ると気配の主の痕跡が、生々しく残されていました。
動物の足跡やひづめの跡やヘビの通った線が、辺り一面にあったのです。さらに、ショッキングだったのは、その動物たちが、白昼も姿を現わして我々を全く恐れないことでした。
人間と接した経験がないので恐れる理由もないのでした。
この地にやって来た目的の未調査の都市へと歩くうちに、ここが、自分が来た中で唯一、一片のプラスチックも見えない場所だと気付きました。
それほどの奥地でした。皆さん、きっと驚かれたでしょう。そんな人跡未踏の地が、地球上にまだあったなんてと。でも、これは事実なのです。
人が何世紀も足を踏み入れていないか誰も一度も来たこともないような場所が、まだ何百か所もあるのです。
考古学者になるには、素晴らしい時代です。この地球を理解するためのツールやテクノロジーが、かつてなく充実しているからです。しかし、時間はあまり残っていません。
今ある生態系や文化遺産は、気候変動によっても危機にさらされています。私の仕事には20年前なら感じなかった切迫感があります。どうすれば、手遅れになる前に全て記録に留めておけるのか?
私が学んだ考古学の手法は、1950年代から使われている伝統的なものです。
全てが変わったのは、2009年7月、メキシコのミチョアカンでのことでした。
私は古代プレペチャ帝国を調査していました。知名度は低いもののアステカと同時代の重要な帝国です。その2週間前、私のチームが、未知の集落があると報告していたので我々は、建物の遺構の地図を手作業でこつこつ作っていました。建物は何百もありました。
考古学の基本手順は、集落の外縁を見つけ出すことです。それによって大枠が掴めるので大学院生たちに促されて私がやることになりました。そこで、私はエナジー・バー数本と、水とトランシーバーを掴み、一人で歩いて出発しました。
「外縁」など数分で見つかると、高をくくってね。数分が経ち、1時間が経って、ようやく荒れ果てた溶岩流の反対端に到達しました。おっと古代の建物の遺構は、その間ずっとありました。これは都市なのか?ああ、畜生。
これは都市だ。
小さな集落に思えたこの場所が、実は、古代の大都市だったのです。大きさは26平方キロメートル。そこに、現在のマンハッタンに匹敵する数の建物の遺構があります。これほど大きな古代集落だと全ての調査に数十年は掛かるはずです。
つまり、自分のキャリアの残り全部です。自分のキャリアの残り全部をこんなところで費やしたくない!
汗まみれで、くたくたになりながらストレスを溜め込んだ院生たちをなだめつつ
余った、ピーナツバタージャム・サンドを野犬に投げ与えつつ、ところで、これ意味がないんです。メキシコの犬って実は、ピーナツバターが嫌いなんです。
考えただけで、退屈で涙が出そうでした。
そこでコロラドに戻り、同僚の研究室に首を突っ込みました「なあ、もっとマシな手があるはずだろ」すると、彼はこう尋ねました「LiDAR(ライダー)という、新技術を知ってるか」
調べてみると、それは、レーザーパルスの高密度グリッドを飛行機から地表に向かって照射する測距技術でした。これにより地表面と地上の全ての構造物の高解像度スキャンが行えます。
得られるものは画像ではなく、高密度な3Dの点群です。そのスキャンを行うお金は十分あったので早速やってみました。その会社はメキシコへ行きLiDARを飛ばし、データを返送してきました。
それから数か月かけて、私は、デジタル森林伐採を学びました。木や藪などの植生を取り除いて、その下にある古代遺跡の姿を明らかにするのです。
初めてデータを可視化したときには、泣いてしまいました。それを聞いて皆さん。さぞ驚かれたでしょうね。私、とても男らしく見えますから。
たった45分飛んだだけでLiDARが収集したデータの量は、手作業では何十年も掛かったはずの量と同じでした。
全ての家の遺構、建物、道路、ピラミッド、信じがたいほどのディテール、それらが何千もの人々の生活を描き出しています。そこで生きて、愛して、そして、亡くなった人々の生活を。
しかも、そのデータの質ときたら伝統的な考古学調査のものとは、比べ物にもなりませんでした。遥かに、素晴らしかったのです。この技術は考古学という分野そのものの将来を変えると思いました。
その予想は当たりました。
我々の研究が、とある映画制作グループの目に留まりました。彼らはホンジュラスの失われた伝説の都市を探していました。その探求には失敗しましたが、代わりに未知の文化が、今も手付かずの熱帯雨林に埋もれていることをLiDARを使って記録しました。
私もデータ解釈への協力を引き受け、その結果、モスキティアのジャングルに足を踏み入れることになりました。プラスチックが一切なく好奇心旺盛な動物が沢山いる場所です。
我々の目標はその古代遺跡が、LiDARが識別したとおりの形で地上にあるか検証することでしたが、確かにありました。11か月後、私は考古学の精鋭チームと現地に戻りました。
スポンサーはナショナルジオグラフィック協会とホンジュラス政府です。我々は1か月で、400以上の遺物を発掘しました。遺物にちなんでその遺跡は今「ジャガーの街」と呼ばれています。
我々はこの遺跡を現状のまま保全する道義的・倫理的な責任を感じました。しかし、現地入りしてほどなく変化が否応なく訪れました。
我々が最初に来たときヘリコプターで着陸した細い砂利道は消え失せていました。薮は払われ���木々は伐採されて数機のヘリコプターが同時に着陸できる大きな発着場が出来ていました。
植生がなくなったため、たった一回の雨季で我々がLiDARスキャンで見た古代の用水路は、損傷したり破壊されてしまいました。また、私がエデンと呼んだ場所にもほどなく大きな空き地と中央キャンプと照明灯と野外教会が出来ました。
つまり、我々が現状を保全しようとどんなに努力しても変化は免れなかったのです。我々が最初に実施した「ジャガーの街」のLiDARスキャンが、ほんの数年前には存在していた街の姿の唯一の記録になってしまいました。
大まかに言えば、これが我々考古学者にとっての問題なのです。現地調査を行えば、何らかの変化は避けられません。ただでさえ地球は変化しています。古代遺跡は破壊され歴史が失われています。
今年も、我々を震撼させる事件がありました。ノートルダム大聖堂の火災です。シンボルの尖塔は崩落し、屋根もほぼ全壊しました。
奇跡的に美術史家のアンドリュー・タロンと彼の同僚が、2010年にLiDARを使って大聖堂をスキャンしていました。
当時の彼らの目的は、聖堂の建築方法を調べることでしたが、現在、彼らのLiDARスキャンは、大聖堂の最も包括的な記録となっており、再建の際にかけがえのない資料となるはずです。
彼らには、火災の発生もデータの使われ方も知るべくもなかったでしょうが、幸いにもデータは残りました。
我々は今ある生態系や文化遺産が、未来永劫残ることが、当たり前だと思っています。
しかし、残らないのです(現地の人にも生活があります)
南カリフォルニア建築大学やヴァーチャル・ワンダーズなどの組織が、信じがたい働きぶりで世界の歴史遺産を記録し続けていますが、地上の景観に関しては、これに並ぶものがありません。
熱帯雨林の50パーセントが、既に失われました。約7万3000平方キロメートルの森林が、毎年消失しています。さらに、海面上昇により、都市や国や大陸が、判別不能になるでしょう。
そうした場所を我々が記録に残さない限り、未来の人々がその存在を知るすべはなくなります。地球をタイタニック号に例えれば、我々は既に氷山に衝突しており、全員が船に乗ったまま楽団が演奏している状態です。
気候変動が今ある文化遺産や生態系を破滅に追いやる��にもう何十年も掛かりません。
しかし、座して手をこまねいているという選択肢は、もう我々にはないのです。救えるものは何でも救命ボートに乗せるべきではありませんか?
私がホンジュラスとメキシコで行ったスキャンを見れば、今必要なのが、スキャン、スキャン、またスキャンであり、それを可能な限り続けるべきなのは明らかです。
まだ間に合う今の内に、こうした気持ちから始まったのが、アース・アーカイヴです。
この全く新しい科学的な取り組みは、LiDARで全地球をスキャンしようというもので。まずは、最も危惧される地域から着手します。
その目的は3つ。
目的1:今現在の地球を記録して基礎資料と��ること。それを元に気候変動の効果的な緩和を目指します。
変動を計測するには2種類のデータ。つまり、ビフォアとアフターのデータが必要です。今のところ、我々が持つビフォアの高解像度データは、地球の一部分にすぎません。
そのため変動を計測することができず、現在行われている活動のどれが気候変動との闘いに効果を上げているのか評価することもできないのです。
目的2:バーチャル地球を作成すること。
それを使って多くの科学者が同時に、今の地球を研究できるようにします。私のような考古学者は、未調査の集落探しを行い、生態学者は木の大きさや森林の組成や年齢を調べ、地質学者は水文学や断層や地殻変動を研究することができます。
人間を追跡していないため基本的人権は侵害していません。可能性は無限大です
目的3:地球の記録を保存すること。
我々の遠い子孫が将来、失われた文化の歴史遺産を再現して研究できるようにします。
科学技術の進歩に伴って彼らは新たなツールやアルゴリズムやAIまでも現在のLiDARスキャン、データに適用して今の我々が想像もつかないような疑問を投げ掛けるでしょう。
ノートルダムのように、こうした記録の使われ方を我々が知るすべはありません。しかし、それらが極めて重要になることは分かります。
アース・アーカイヴは、将来の世代への究極の贈り物なのです。
というのも実のところ、その影響を全て見届けるには、私は寿命が足りません。皆さんも同じでしょう。だからこそ行う価値があるのです。
アース・アーカイヴは、人類の将来に託す賭けなのです。皆が一緒に力を合わせて人間として、科学者として気候変動に立ち向かい正しいことを行うと決め
現在の我々のためばかりではなく先人たちの功績をたたえ、その恩を将来の世代に渡して遺産を引き継いでもらうための賭けなのです。
ありがとうございました。
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k-loin · 10 months ago
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VRコンサートに行った話
TXTがMeta Quest3を使ってコンサートをすると言う事で新しもの好きの自分は前から行ってみたかった109シネマズプレミアで見てきました
(通常4300円な所ここだと5000円。でも普通の映画見るのにここは安くて4000円するのでたった?700円でここ入れるならアリ)
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いつも起きる時間に会場にいてすごく眠い。あと早朝の歌舞伎町はやっぱ空気が怖い
109プレミアといえばラウンジ(ポップコーンとドリンク無料)。TXTのチケットだと通常1時間前のところ30分前、入ってすぐにポップコーンセットを食べたとて間に合わない(持ち込みNGだし持ち込んでも飲食の暇は無い)。でも朝から何も食べてないので朝ごはん代わりに
( 'ч' )モッシャア…
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入場時に特典もらえたのでラウンジ+30分長くやると交換だらけになりそうなので30分前は妥当かも?比較していない��ど700円プラスしているだけあって?客層は悪くない感じだった。
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椅子はリクライニングでふっっかふか荷物棚あるし傘立てあるしいたれりつくせり。
0x1→GBGB→SRRのJPverのMVを見て待機
VR接続のために6人くらいスタッフがいて呼びかけられつつVRセット。意外と重くて焦点合わせるのに苦労した。音がどこから出てるのかわからなかったけど、隣の効果音(キャラ選択音)は聞こえたからこれが3Dオーディオか?!となった。手を認識するやつ自分より指細くて面白い経験!右目が曇りつつスタート
曲順などは置いといてそれぞれのレポ
🦊首蹴られた。すごく綺麗。美しいに可愛いが入った感じ。
🐰ずっと見てくれる。ほかメンバーがなんか話しててもずっとこっち見てる。ウィンク可愛い
🧸美しかった。花が舞ってた。この異空間に馴染んでた。
🐿可愛い。頭撫でました。顔剥がされました。カラコンよく似合ってるこっちはキラキラが舞ってた。選択キャラパートのテヒョン目のデカさがハイタッチの時感じたレベルの目の大きさ可愛い。
🐧コメントのとき下から見上げるヒュニンカイが可愛すぎた。曲中は柔和な美しさ。get awayを真正面で受けた嬉しい。
総括:近い、近すぎ、めり込んだごめん。やっとTXTは現実にいるってわかったのにまた非現実なのでは?となった。誰が近寄ってもキレイだからTXTは最高
VR空間の話
リストバンドにTXTってくるくる回ってて可愛い。グーの手にするとMOA棒が現れる。気になるからライブ中ずっと手を膝に乗っけてた。視点が上行ったり下行ったりだったので身長差的なものを色々感じて、子供目線くらいのローアングルが特に王子感あった。
ネタバレ
移動時の魔法陣は943と似たモノ
森:下の花がFrost見たいなラベンダーだった
雑居:主にTXT関連だったんだけどヘリコプターの下の数字と奥にあったXV~~~?みたいなのは関連してたのかな?気になる。
駐車場:いやそれよりも目の前の腹筋にびっくりしたよ。煙挟んで場面展開だったから悪魔でるのかとおもった。
砂漠:手前の木はTOMORROWで約束した木だね。オレンジの葉に丘。砂漠から赤いの飛んでって花火になるの面白かった〜
ハッピーなやつ:あれユニコーンならやっぱDejavuMVの冒頭の馬らユニコーンなのか?!キツネいたのにほかメンバーの動物いない…とか思ってたけど、TOMORROWのキツネだ!とあとで気がついた。約束の木のところにもMOAとか出てて可愛かったな。空出るところのライティングってそのタイミングで明るくしてたのかな。
端っこ見ると空間がバラバラになってるのなんか世界観あってて良かった。
今回のVRコンサートはamaze VRの企画なわけだけど、META Quest3持ってれば家で見られるようになるのでは?とうっすら期待してる。本家の過去作はリリースしてるみたいだし?k-popでもリリースされたかは知らないけどアプリページのやり取りに以下のようなのがあった。
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ついてきたananのリーフレットにはあくまでweverseやYouTubeの利用をおすすめする内容でLiveについては会場で…って感じな内容だったが(集客したいしそれはそう)頭の端っこに置いとくのもありかも?もし来たらレンタルして家で見たいな。
最後に映画館で初めてエンドロール見る前にお帰りください(清掃の為)言われて始終映画館なのに不思議体験でした。ステージ見たせいで見逃したり、メンバー見たせいでコメント流し聴きしたから、近々取れる休みの日また行こうと思う。
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taketea44 · 1 year ago
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毎日が記念日
6月18日は…
海外移住の日
国際協力事業団(JICA)が1966年に制定しました。
1908年6月18日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着したんです。
ぼくも1992年にブラジルに移住しました。
【疑わしいAI-イチロウによる6月18日の出来事】
1815年: ワーテルローの戦いが行われた日です。ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍と連合軍が対峙し、連合軍の勝利によりナポレオンの支配が終わり、彼の帝政が崩壊しました。
1928年: アメリカのアンバーグで、アメリカ合衆国初の商用ヘリコプターであるヴォートOS-43が初飛行しました。この出来事はヘリコプター技術の進歩において重要な一歩となりました。
1979年: エジプトのアレクサンドリアで、古代のエジプト王クレオパトラ7世の墓が発見された日です。クレオパトラは古代エジプト最後のプトレマイオス朝の女王であり、彼女の墓の発見は考古学界において注目を集めました。
2010年: ウルグアイで開催されたFIFAワールドカップの試合で、スロベニア代表とアメリカ代表が対戦しました。この試合はアメリカ代表がスロベニアに2-2で引き分け、大会史上初めてVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が使用された試合となりました。
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benediktine · 1 year ago
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【「近自然工法」という登山道整備の新しい概念とその可能性について|DOMO講演会レポート】 - YAMAP MAGAZINE : https://yamap.com/magazine/33436 : https://archive.md/5bACs : https://web.archive.org/web/20240401133642/https://yamap.com/magazine/33436 投稿日 2021.12.21 更新日 2023.05.23
 {{ 図版 1 }}
2021年7月14日にリリースしたYAMAPの循環型コミュニティポイント「DOMO(ドーモ)」。 YAMAPのユーザー同士でおくり合える他、山の再生や登山道整備など様々なプロジェクトを支援することができます。「大雪山の登山道整備 in 北海道」は、その支援プロジェクトの一つ。いったいどんなプロジェクトで、DOMOポイントはどんなふうに使われるのか? DOMO提携パートナーとして本プロジェクトを推進する「一般社団法人大雪山・山守隊」の代表・岡崎哲三さんをお招きし、12月8日に講演会を開催しました。本記事では、その模様を要約してお伝えします。
●目次  登山道の荒廃が進む、大雪山の現状  過去に「人が施工した箇所」も例外ではない  「大雪山の登山道整備 in 北海道」における、DOMOポイントの使い道  登山道整備の新たなスタイル 「近自然工法」を実践する山守隊  本プロジェクトを深掘り! 大雪山・山守隊 × YAMAP 両社代表による、プチ・クロストーク  「大雪山の登山道整備 in 北海道」についてさらに詳しく知りたい方は…
●登壇者紹介  {{ 図版 (省略) }} 岡崎 哲三(おかざき・てつぞう)  一般社団法人大雪山・山守隊、合同会社北海道山岳整備代表  1975年生まれ、北海道札幌市出身。学生時代、勉強が大嫌いで常に自然の中に身を置く。  高校卒業後、大雪山の山小屋で働きはじめ登山道整備に興味を持つ。2003年近自然工法という発想に出会い、2011年この発想と技術を深めるために北海道山岳整備を立ち上げる。  2018年に民・官・学・企業が連携した山岳管理システムを構築すべく、大雪山・山守隊を立ち上げ、日本各地の民間団体と連携しながら次世代の国立公園管理を目指している。
 {{ 図版 (省略) }} 春山 慶彦(はるやま・よしひこ)  株式会社ヤマップ代表  1980年生まれ、福岡県春日市出身。同志社大学卒業、アラスカ大学中退。ユーラシア旅行社『風の旅人』編集部に勤務後、2010年に福岡へ帰郷。2013年にITやスマートフォンを活用して、日本の自然・風土の豊かさを再発見する”仕組み”をつくりたいと登山アプリYAMAP(ヤマップ)をリリース。アプリは、2021年11月時点で280万ダウンロードを突破。国内最大の登山・アウトドアプラットフォームとなっている。
■《登山道の荒廃が進む、大雪山の現状》
―――まずは岡崎さんたち山守隊の方々が活動されている、北海道・大雪山を取り巻く現状のお話からスタート。大雪山というと自然豊かなイメージが強いですが、実際は……? 現地で登山道整備をされている岡崎さんだからこその視点で、大雪山の知られざる課題を共有いただきました。
  岡崎:私ども山守隊の活動拠点は、北海道の大雪山です。大雪山には本州のように急峻な山はなく、一度登ってしまえば多少のアップダウンでいろんなところへ行けるという、広さを感じられるところだと思います。
 {{ 図版 (省略) : 日本一の広さを誇る大雪山国立公園。ここが岡崎さんたち山守隊の活動拠点 }}  {{ 図版 (省略) : 白雲岳の避難小屋周辺にて。大雪山ならではの壮大な景観を楽しむことができる(写真【A】) }}
  岡崎:まるでなだらかな丘のような、壮大な景色が楽しめる素晴らしい場所です。ただ、残念ながら、大雪山は登山道侵食の ”見本だらけ” なんです。例えば上で紹介した写真【A】、本当に素晴らしい景色なんですが、登山道付近をクローズアップすると、荒廃の現場がしっかりと写っているわけです。
 {{ 図版 (省略) : 写真【A】をクローズアップしたもの。一見すると素晴らしい景色��中にも、登山道荒廃の影が潜んでいる }}
  岡崎:他にも、次の写真。写真中央のえぐれた道を普通に登山者が歩いていますけれども、実は右と左の植物帯は本来つながっていたところです。最初は登山者の歩行が起因となり、そこに水やら色々な要因が重なりここまで掘れてしまった……。崩れかけている植物群の中には、正直、あと数年でなくなってしまうものもあります。
 {{ 図版 (省略) : 登山者が何気なく歩いているこの道は、もとは左右の繋がった平坦な土壌。「残念でならないのは、荒廃の進行にほとんどの人が気がついてさえいないということ」だと、岡崎さんは訴える }}  {{ 図版 2 : 荒廃が進んだ登山道の一例。ここまで荒廃が進んでしまうと、凍結融解()現象の影響などで少しずつ土壌が削れていき ”歩かなくても土壌が流れ続ける状態” になってしまうそう(凍結融解とは…土壌が凍結や融解を繰り返すことで、地表に多用な影響を与えること) }}
■《過去に「人が施工した箇所」も例外ではない》
  岡崎:人が施工したところ=既存の施工物でも似たような状況が見られます。大雪山にはメンテナンスが追いつかず、「どうやって歩けばいいのかな?」と思うようなところが実はたくさんあるんです。崩壊した木道を指して「ここを歩いてください」なんて言えないですよね、危ないから。この手の荒廃は登山者というより管理する側の問題ですが、今はかつてのように登山道整備に予算がつきにくいこともあり、メンテナンスが行き届かないのが現状です。
 {{ 図版 (省略) : 崩壊したまま放置されている木道。木道の脇には人の歩く道ができて植物がなくなってしまっている }}
  岡崎:あるいは、せっかく予算を注ぎ込んで整備をしても、現地の環境とそぐわない施工をしてしまったがゆえに数年で再び荒廃してしまうということもあります。その一例として、次の写真【B】を見てください。この辺りの地層は、表土から1mほど下は氷土でできていると言われています。こんなふうに人の歩行や水の流れによって土壌がV字・U字に掘れてしまう「ガリー侵食」()が進行すると、地面の奥の方に熱が届き、凍土が緩んでしまいます。そうすると、ブロックのような形で植物群が崩れてしまいます。 ( ガリー侵食とは…地表を流れる雨水が地面を削ってできた溝に、さらに水が集中して溝が深くなる現象)
 {{ 図版 3 : 荒廃が進んだことで凍土が緩み、植物群がブロック状に崩れ落ちてしまった箇所(写真【B】) }}
これを公共事業によって修復したのが、下の写真【C】です。およそ20mの距離で、飛騰しては数百万円はかかったと聞いています。ヘリコプターで下界から石材を運び、土砂が崩れないように施工したのですが、それからな10年経たずして写真【D】のように崩れてしまったんです。
 {{ 図版 4 : 写真【B】を公共工事で修復。下界から石材を運び、土砂の崩れを防いだものの……��写真【C】) }}  {{ 図版 5 : 10年経たずして再び壊れてしまった登山道(写真【D】) }}
  岡崎:原因は、公共工事で使用した石材。現場にはもともとなかった、人が持ち込んだ重たい石です。石には熱を溜め込む性質があるので、石材が溜め込んだ熱が下の凍土まで浸透してしまい、かえって荒廃を進めてしまっていたんですね。折悪く台風も重なって、わずか一晩でここまで陥没してしまいました。行政がしっかりお金をかけてメンテナンスしてくれていても、「生態系と合った施工」という点ではまだまだ課題がある、というのが実情です。
■《「大雪山の登山道整備 in 北海道」における、DOMOポイントの使い道》
―――続いてのトピックスは、DOMOプロジェクト「大雪山の登山道整備 in 北海道」で、DOMOポイントがどんなふうに使われているのか、というお話。豊富な写真を交えながら、一つひとつ、丁寧にお伝えいただきました。本記事では、ここまでのお話の中で事例として触れられていた「ガリー侵食」にまつわるものとして、「白雲岳避難小屋周辺のガリー侵食防止」の項目についてお伝えします。他の項目についてはセミナー当日の録画(YouTube動画)をご覧ください。
 {{ 図版 (省略) : DOMOポイントの使い道      1. 白雲岳避難小屋周辺のガリー浸食防止      2. 高原温泉沼巡り登山コース内の木道設置      3. 高原温泉沼巡り登山コース内の携帯トイレブース設置      4. 登山道整備専門員の教育      5. 白雲岳避難小屋周辺登山道の整備計画作成    }}
  岡崎:DOMOポイントを活用し、大きくは上記5つの項目を進めてきました(一部、現在進行中のものやこれからの取り組みも含む)。その一つ、「白雲岳避難小屋のガリー侵食防止」なんですが、コロナ禍だったので現地集合・現地解散で行いました。そのため、資材は事前に白雲岳避難小屋まで荷上げをしておいて、当日、参加者の皆さんと一緒に小屋から運搬するというスタイルを採用しました。参加者は1日20人ほど。登山道の一極に溜まった土砂を取り除き、各所に土を集めて登山道を修復する、というような作業を行いました。
 {{ 図版 (省略) : 現場周辺を上空から撮影した写真。登山道には3mほどの高低差がある。低い部分(中央部)に土砂が溜まっているのを整備するのが今回の登山整備のミッション }}  {{ 図版 (省略) : 溜まってしまった土壌を掻き出している様子。すべての作業は「植物に配慮しながら」行われる }}  {{ 図版 (省略) : ヤシの素材でできた土嚢袋の購入や、登山道整備の知識がある方々への謝礼などにもDOMOポイントが使われている }}
 {{ 図版 6 : メンバーの作業によりガリーがある程度埋まった様子。「今後、上の土壌に生えている植物が落ちたとしても、今回の作業で集め置いた土砂がきっちりと受け皿になってくれる }}  {{ 図版 7 : 土砂が流れ出てしまった穴も、土嚢袋を使った嵩上げをして、穴を塞ぐ作業を行った }}
  岡崎:登山道以外の植物帯に入って土砂を集めるという作業は、登山ではなかなか経験できないこと。植物がどういうところにあって、そこにはどんな土がかぶさっていて、それを避けるためにはどうしたらいいのか……。登山道整備をすることで、植物への配慮とか、自然を守りたいという気持ちが生まれるのではないかと思います。登山者にとっても新しい視点を持つ機会になると思います。
■《登山道整備の新たなスタイル 「近自然工法」を実践する山守隊》
―――岡崎さんたちが日々の活動において実践しているのが、”地質や環境に合わせた登山道整備” を実現する「近自然工法」。そのポイントや事例を教えていただきました。
  岡崎:特に大雪山のような高山帯では、”地質に合わせた施工” が顕著に求められます。地質への理解があり、荒廃の原因を見極め最適なプランを実行できる人がいてこそ、登山道整備は成り立ちます。その上で、お金があり、資材が買えて、労働力がある……。このシステムができないと、本当の意味での、いい登山道整備はできません。知識・経験を持ち合わせた「登山道専門員」の教育こそが重要で、今から取り組むべきことなのではと思っています。
 {{ 図版 (省略) :”生態系に適した施工” を実現する「近自然工法」のポイント。「近自然工法は ”手法” ではなく ”概念” 」と、岡崎さん      考え方の基本は「近自然工法」      生態系の底辺が住める環境を復元させること      すると自然の生態系のピラミッドが構築されていく      人間の都合で考えるのではなく、「自然はどう成っていくのか」という成り立ちを常に考える    }}
  岡崎:私たちが日々実践している「近自然工法」は、その “地質や環境に合わせた登山道整備” を実現する考え方です。ポイントは「生態系の底辺が住める環境を復元させること」、これに尽きると思います。以下の事例にあるように、施工の現場では、鉄の杭など自然界にないものは極力使いません。代わりに、木の幹や石など “その場所にあるもの” をうまく使って土壌の修復を試みます。
 {{ 図版 8 : 「自然の中の構造物を取り入れる」という、近自然工法の原則を用いた施工事例。自然界の摂理に習い、自然界に存在しない鉄の杭は使わず、太い木の幹や石を配置してステップを刻んでいる }}  {{ 図版 9 : 小笠原諸島での施工事例。土砂が崩れ植物が育ちにくい状態のところ(施工前・左)に、石を置き道をつくった(施工後・右) }}  {{ 図版 10 : 施工から一年後、同じ場所には下層植物が育ち、土壌の崩れが起きにくい環境ができていた }}
  岡崎:施工して何年か後に植物が育っているのを見ると、嬉しいというか、登山では味わえない、なんとも言えない気持ちになります。近自然工法は決して簡単なことではないですが、そういう喜びを感じられるのはいいところかなと思います。
行政も民間も頑張ってはいますが、残念ながら、侵食や荒廃のペースに追いつけていないのが国立公園の登山道の現状です。本当の管理とは「利用や自然災害による荒廃と、保全による復元力をバランスよく保つこと」です。そのためには、問題提起や利用者の意識変化、登山文化・自然教育の浸透が重要だと思っています。自分ができるのはあくまで「保全を考えられる人の確保」。だたし、それだけでは足りなくて、「利用と保全のバランスをとるシステム」「自然環境は人間にとって必要不可欠なものなんだと誰もが思っている状態」をつくっていかなければ、国立公園が抱える登山道の課題は打破できないと思います。
 {{ 図版 (省略) : 「この3つが揃ってこそ、国立公園の未来がある」と岡崎さんは語る      保全を考えられる人の確保      利用と保全のバランスをとるシステム      自然環境が人間にとって必要不可欠という文化    }}
  岡崎:今回DOMOプロジェクトとして支援いただいたことで、登山道整備や自然環境に対してこれだけたくさんの人が目を向けてくれているのだと実感できたことはすごく嬉しいですし、本当に感謝しています。ありがとうございました。
■《本プロジェクトを深掘り! 大雪山・山守隊 × YAMAP 両社代表による、プチ・クロストーク》
 {{ 図版 (省略) : 大雪山・山守隊の岡崎さん(左)と、ヤマップの春山(右) }}
  春山:お話を聞いて感じたのは、登山道整備をしたことがある人は一般の登山者とはまた違った山の見方をされるんだなということ。地形や地質を見て、その環境に適した方法で整備をしていく……つまり自然を読みながら登山道整備をするというのは、自然や山を知る貴重な機会になると思いました。行政任せにして登山者が関わらないのはもったいない。楽しみながら、自分たちの遊び場を自分たちで良くしていく姿勢、��山道整備を登山者自身が行っていくという文化を、一緒につくっていきたいですね。
  岡崎:私に登山道整備や近自然工法のいろはを教えてくれたのは、四国にお住いの土木の方なんです。その教えはまるで禅問答のような言葉も多くてですね。「答えは自然の中にある」ですとか、「答えは一つではない」とか、「自然を観察して参考にしなさい」とか(笑)。自分も馬鹿正直なもんで、「よし、自然を見てやろう」と思ってやってみると、本当にそのとき初めて、いろんなものが見えてきたんですね。
春山さんがおっしゃる通り、登山道整備における視点は登山のそれとはまったく違います。水の流れを辿ることで小さな渓流の成り立ちを理解したり、一見なんの変哲もない石が、実は土壌崩れを防いでいることに気がついたり……。こういった視点で自然を読めるようになると、純粋に面白いんですよね。その面白さこそが、法人化して登山道整備を続けたいなと思った一番の要因かもしれません。面白さをきっかけに、登山道整備がもっと広く、普及してくれたらと思います。
 {{ 図版 (省略) : 登山道整備活動を通じて、近自然工法のいろはや概念を伝える岡崎さん }}
  春山:「その土地にある材料で修理する」という近自然工法の姿勢は、素晴らしいと思います。特に、下界から運んだ石材で修復するも、10年足らずで壊れてしまったというエピソードは印象的でした。人の手であれこれ持ち込んで修復を試みるよりも、その土地にある材で、その土地に適した整備をする方が、長持ちし、年月を経るほどに強くなる。これは登山道整備に限定される話ではなく、生き方や自然との関わりという意味でも重要な示唆を与えてくれているのではと思います。尊敬する中村哲さんも、まさに同じ考え方でアフガニスタンでの用水路建設を実行されており、場所や分野は違えど、自然との関わり方という意味では通ずるところがあると感じました。
  岡崎:繰り返しになりますが、自分が常に意識しているのは「周りの自然を見ること」です。例えば植物が復元しているスポットを観察して、「ここはどうしてこんなに復元しているのか」と考えてみる。「もしかしたらこの石が一個引っかかって、それにまた別の石が引っかかった結果、土壌が溜まって平坦な地形ができ、安定勾配になる。そこにまた石材が落ちてきて……」と、観察と思案を繰り返していくわけです。すると、「なるほど自分がやるのは全部直すことじゃないんだ。直るきっかけをつくれば、あとは自ずとよくなっていくんだな」と、思い至る。
私たちの仕事は ”きっかけづくり” なんです。自然に対しても、人に対しても。大雪山以外でも各地域で登山道整備や講演活動をしていますが、あくまで ”きっかけづくり” に過ぎません。実際に育つのは、その土地の植物であり、手入れをするのはそこで暮らす人々です。どんなにゆっくりでもいいから、その土地土地に合うかたちで植物が育ち、地元の人たちが手入れを行っていくのがあるべき姿なんだと思います。
  春山:登山道整備において、標高が高く夏が短い大雪山は、気候的にも環境的にも、難易度が高いのではないでしょうか?
  岡崎:登山道整備のレベルというより、荒廃の進み具合・深刻度では「どこに行っても大雪山に比べたら大丈夫だな」という感覚はあるかもしれません(笑)。大雪山への人の入り込みなんて、本州のアルプスに比べたら少ないんです。よく「オーバーユースが原因で荒廃している」なんて言いますけれど、大雪山の場合は全然オーバーユースではない。人が入らなくても侵食が進行していることが問題なのに、多くの人がそれに気がついていないんですよね。その深刻さに気がつくと、今度は「今、なんとかせねば!」と焦ってくる。常に自然を観察して考える日々です。ただ、利用と保全を確立するという意味ではそれだけでは不十分なんです。利用する人の量とそこに育つ植物と、利用しても崩れないような日々のメンテナンス。これらをしっかり構築することが必要です。
 {{ 図版 (省略) : 大雪山の美しい景色。この景色を守るためにはメンテナンス体制を構築する必要がある }}
  春山:そうですね。その中でも、登山道整備の知識・技術を持った人の存在は大きいかと思います。利用と保全のバランスを成り立たせるためには、登山道整備の技術者が、最低でも1?2人は国立公園に配置されるといいですね。ちなみに 近自然工法の知識・技術を持っていて、それを人に教えられる人は国内にどれくらいいるのでしょうか? あるいは、登山道整備のいろはを学べる場所はあるのでしょうか?
  岡崎:近自然工法を実践している人は何人かいますが、自分も含めまだまだ発展途上で試行錯誤を重ねながらの人が多いと思います。各地域の実情に合わせて体系的に教えられる人となると、ごくわずかでしょうね。
日本にマッチするかどうかはわかりませんが、海外には登山道整備のシステム化を実現した事例があります。アメリカの国立公園では、1万世帯以上のボランティア登録があります。ボランティア団体が自ら稼いだ資金の他、企業・自治体からの助成金などを元手に、登山道整備のボランティアを指導するチームも含めて運営されているようです。
日本もそういう文化ができる一歩手前まで来ているとは思っています。現代は、今ある道をいかに保全していけるかという時代。共感・賛同してくれる仲間を増やし、一緒になって登山道の保全活動を進めていきたいですね。
  春山:僕たちもぜひ協力させていただきたいです。日本には茶道や剣道のように「◯◯道」の概念がありますから「登山道整備道」みたいに、自然と対話し、自然を読みながら登山道を整備する仕組みや文化をつくっていきたいですね。
  岡崎:自然保護・環境保全は、私たちも含めいろんな人たちが同じ方向を向いてできることですよね。民・官・学が共同し生態系保全の取り組みとしても、登山道整備を実施していければと思います。
■《「大雪山の登山道整備 in 北海道」についてさらに詳しく知りたい方は…》 今回の記事ではご紹介できなかった話を含め、講演会の模様を下記YouTubeにて配信しております。ぜひご覧ください。
 {{ 動画 : DOMO講演会 vol.3 |一般社団法人大雪山・山守隊 : https://www.youtube.com/watch?v=fxe8KfVK_80 }}
●YAMAP MAGAZINE 編集部  登山アプリYAMAP運営のWebメディア「YAMAP MAGAZINE」編集部。365日、寝ても覚めても山のことばかり。日帰り登山にテント泊縦走、雪山、クライミング、トレラン…山や自然を楽しむアウトドア・アクティビティを日々堪能しつつ、その魅力をたくさんの人に知ってもらいたいと奮闘中。
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almostautohonyakudiary · 1 year ago
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ロシアはなぜナワリヌイを殺したのか
反体制派のリーダーは、獄中にいてさえ、腐敗したロシアの独裁者にとって脅威だった
アン・アップルバウム
アレクセイ・ナワリヌイは2021年1月にロシアに帰国した。飛行機に乗る直前、彼は『プーチンの宮殿——世界最大の賄賂の物語』と題する動画をYouTubeに投稿した。約2時間に及ぶこのビデオは、調査報道の並外れた偉業だった。ナワリヌイのビデオは、極秘の設計図、ドローン映像、3Dビジュアライゼーション、建設労働者の証言などを駆使して、13億ドルもする恐ろしい黒海の別荘について語っている。そこには水タバコのラウンジ、ホッケー用のリンク、ヘリコプターの発着場、ワイン用の葡萄畑、牡蠣の養殖場、教会など、独裁者が想像しうるあらゆる贅沢があった。ビデオはまた、実際の所有者であるウラジーミル・プーチンに代わってこの宮殿を建設するために費やされた、目もくらむような費用と財務上の策略についても説明していた。
しかし、このフィルムのパワーは、映像や、使われたお金の説明だけにあったわけではない。その力は、フィルムのスタイル、そこにあったユーモアやハリウッド・レベルのプロフェッショナリズムにあり、その大部分はナワリヌイ自身によってもたらされていた。それがナワリヌイの才能だった。彼はクレプトクラシー(窃盗政治)のドライな事実、つまり優秀な金融ジャーナリストでさえ辟易するような数字や統計を、エンターテインメントに仕上げることができたのだ。フィルムの中で、彼は普通のロシア人と変わらないように見える。時には接待の規模に衝撃を受け、時には悪趣味を嘲笑う。彼は他の普通のロシア人にとってリアルな人間に写り、彼らの生活に関連する話をする。あいつらがホッケーリンクや水タバコのバーを持っているせいで、あなたがたはひどい道路と粗悪な医療を被っているのだ、と彼はロシア人に語った。
そしてロシア人は耳を傾けた。この動画が公開された1か月後にロシアで行われた世論調���で、ロシア人の4人に1人がこの動画を見たことが明らかになった。さらに40%が動画のことを耳にしたことがあった。それから3年が経過し、この数字は上昇したと推測していいだろう。現在までに、この動画は1億2900万回再生されている。
ナワリヌイは現在、死亡したと推定されている。ロシアの刑務所によると、数か月間の体調不良の末に倒れたという。おそらくはもっと直接的に殺害されたのだろうが、詳細は重要ではない。ロシア国家が彼を殺したのだ。プーチンが彼を殺した――その理由はナワリヌイの政治的成功、人々に真実を伝える能力、そして今や彼の同胞、そして我々の同胞の一部をも曇らせているプロパガンダの霧を打ち破る彼の才能にあった。
彼はまた、それまでに2度も毒を盛られ、逮捕されることがわかっていた中で、2021年に亡命先からロシアに戻ったために死んだ。そうすることで、彼は自分を普通のロシア人から別のものに変容させた。市民としての勇気とはどんなものでありうるのか、それが非常に少ししか存在しない国において示す、モデルとなった。彼は真実を語るだけでなく、それをロシア国内で、ロシア人に聞こえる場所で行いたかったのだ。当時、私はこう書いた: 「ナワリヌイが同胞に勇気の示し方を見せているのであれば、プーチンは勇気が無駄なものだと示したいのだ」
プーチンがまだナワリヌイを恐れていることは、12月に政権が彼を遠い北極圏の刑務所に移し、友人や家族との連絡を遮断したことで明らかになった。彼は多くの人々と連絡を取っていた。私は彼が獄中から発したメッセージをいくつか目にしている。それは弁護士や警察官や看守を通して送られていた。かつてスターリンのソビエト連邦で、収容所の囚人たちがメッセージを送ったのと同じように。彼は、ロシアの汚職を調査し、国外からであってもロシア人に真実を伝え続けるロシア亡命者のチームである「反汚職財団」の精神的支柱であり続けた。(私はこの財団の顧問だったことがある。)今週初め、倒れたとされる前に、彼はテレグラム [*チャットアプリ] で妻のユーリアにバレンタインデーのメッセージを送っている:「僕は君がどの瞬間もそこいることを感じ、ますます君を愛している」
ロシアに戻り、刑務所に入るというナワリヌイの決断は、彼を好きでない人、彼に同意しない人、彼に欠点を見出す人にも尊敬の念を抱かせた。彼はまた、世界中の他の暴力的な独裁国家の反体制派のモデルでもあった。彼の死が発表されたわずか数分後、私はベラルーシの野党指導者であるスヴャトラーナ・ツィハノウスカヤと話をした。「私たちも国民のことを心配しています」。もしプーチンがナワリヌイを平気で殺すことができるなら、他の国の独裁者たちは他の勇敢な人々を殺す力を得たと感じるかもしれない、と。
ナワリヌイの市民としての勇気と、プーチン政権の腐敗との間には、途方も無いコントラストが残るだろう。プーチンは、彼自身の自己中心的なビジョンを追いかけるという意外に根拠ない、��なまぐさい、無法な、不必要な戦争を戦い、何十万人もの普通のロシア人が死傷している。彼は、卑怯で緻密に管理された再選キャンペーンを展開している。真の対立候補はすべて排除され、メディアに出るのは彼だけというキャンペーンだ。現実的な質問や挑戦に対峙する代わりに、タッカー・カールソンのような飼いならされた宣伝家たちに会い、長ったらしい、回りくどい、完全に間違った歴史の解釈を提供するだけだ。
獄中でさえ、ナワリヌイはプーチンにとって真の脅威だった。なぜなら、彼は勇気が可能であること、真実が存在すること、ロシアが今とは異なる類の国になりうることを示す生きた証拠だったからだ。嘘と暴力のおかげで生き延びている独裁者にとって、そのような挑戦は耐え難いものだった。今、プーチンはナワリヌイの記憶と戦うことを余儀なくされており、プーチンがその戦いに勝つことは決してないだろう。
2024.2.16 アトランティック誌に掲載
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herbiemikeadamski · 3 years ago
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 6月26日(日) #友引(庚戌) 旧暦 5/28 月齢 26.6 年始から177日目(閏年では178日目)にあたり、年末まであと188日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . いやぁ~💦熱帯夜じゃなかった❓ 今季で初じゃないかな💦エアコンを ドライにして点けっ放しで寝ちゃい まして何度も目が覚め喉がカラカラで 水がぶ飲みしたらか、お腹が痛く こんなにもいかってぐらい出た⤵️ . さて、今日は忙しい日ですよ✋ 運転免許証更新の日になります。 先週にお休みしたジムに行きたい ので、朝一で向かいたいので今朝 は少し早目にアップ⤴️です😅💦 それではぁ~🏍💨💨(@^^)/~~~ . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #西陣空襲.  日本本土空襲。  1945(昭和20)年8月26日(火)先負.午前9時半頃に米軍爆撃機B29の編隊が近畿地方へ侵入。  京都市上京区を北西から南東へ進行中に1機が西陣地域に7発の爆弾を投下した。  第5回目の空襲であり、死者50名、負傷者66名、被害家屋292戸、被災者850名に及んだ。  しかし、京都府警の資料では死者43人、重傷13人など計109人が死傷したとされているが  報道管制が敷かれたため、被害の詳細は判明していない。  第5回目の空襲以降、京都への空襲は停止された。  停止理由は、歴代米政府中枢にいたバーナード・バルークも主導していたように、原爆投下目標  だったからとされている。  京都に原爆投下されなかったのかは、京都には世界的にも価値の高い文化遺産が多数存在  したからと言われていたが、近年になってその説は有力ではないとも言われてきている。 .  #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。  つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。  ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。  「友人を引き込む」とされている日とされている。  友引の日には、結婚式、入���、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。  験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。  六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #天恩日(テンオンビ).  天の恩恵をすべての人が受ける日。 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は天から恩沢が下り、任官・婚礼などの慶事を行なうのに大吉とされる。甲子(きのえね)、己卯(つちのとう)、己酉(つちのととり)から数えて各五日間、合わせて一五日間がこれにあたる。 一説に、正月は丑の日、二月は寅の日、三月は卯の日というようにして一二月は子の日がこれであるともいう。 . #世界初飛行のヘリコプター. . #雷記念日. . #露天風呂の日. . #世界格闘技の日. . #国連憲章調印記念日. . #国土庁創設記念日. . #オリエンテーリングの日. . #国際麻薬乱用・不正取引防止デー. . #拷問の犠牲者を支援する国際デー. . #ハピカジの日. . #スティッチの日. . #ツローの日(毎月26日). . #プルーンの日(毎月26日). . #マダガスカル独立記念日. . #ルーマニア旗の日. . . ■今日のつぶやき■. #例外のない規則はない(レイガイノナイキソクハナイ). 【解説】 英語のことわざ「There is no general rule without some exceptions.」の訳。 どんな規則にも、かならずそれを適用しきれない実例があり、例外としての扱いが必要である。 . . 1993(平成5)年6月26日(土)大安. #佐藤美希 (#さとうみき) 【タレント、女優、ファッションモデル】 〔栃木県宇都宮市〕 . . (Konami Sports Club - コナミスポーツクラブ) https://www.instagram.com/p/CfPhY-Phce6SXTMdyuxXyu63FsvHQ01UWDX_DI0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tanakadntt · 2 years ago
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三輪秀次の小説(二次創作)
きみは河を渡る
 切れた電線はうねり、パチパチと鳴っている。もうもうと立ちのぼる埃と煙は視界を狭める。降ってくる灰を吸い込んで、喉が痛い。ゴホと咳が出た。
 空を雲が厚く覆っていた。
 時折、低く戦闘機が飛ぶ。空気を震わせる爆音も、いつの間にか聞こえなくなる。
 無駄を知り還ったのだ。替わりにヘリコプターのバタバタという回転音が耳に障る。避難を促すサイレンがとうとう途絶えた。
 道路や瓦礫の上にうち捨てられた、おびただしい数の死体ももはや何も言わなかった。
 それらの胸には皆、着衣の上から同じ箇所にこぶし大ほどの穴が開いていた。彼らが開けていったのだ。心臓の脇を的確に単調にえぐり取っていく様子は、実りの季節を迎えて収穫にいそしむ農夫のようだった。
 鋭い鉄の匂いが鼻の奥を刺す。血だまりに足が取られる。地面のいたるところにできた血液の浅い湖は徐々に固まり、粘度を持ちはじめていた。その上に、ぽつりぽつりと何かが落ちてくる。
 ……雨。
『姉さん』
 三輪は姉を探していた。
「お断りします」
 三輪の返事に根付は下がり気味の眉をさらに下げた。
「うーん、やっぱり無理かねえ」
「去年に引き続き、申し訳ありませんが……」
 これ以上は目を合わせないように顔を伏せて押し黙る。可愛げのない態度だったが、断る選択肢しか持っていない。
 ボーダー本部メディア対策室である。
 いかにもオフィス然としたレイアウトだ。メディア対策室の名の通り、棚を並べた一角があり、派手なロゴのついたグッズたちが飾られている。
 棚の横にも小ぶりの段ボールがいくつか置かれ、中にはビニールに包装された何かが入っていた。
 さらにはミニスタジオのようなものがつくってある。
 雑然としているが、外部の人間への窓口だけあって、明るい開放的な空間であった。
 三輪がめったに訪れない部署だ。それも入り口で済ませる所用くらいで、もしかしたら、ボーダーに所属して四年近く、初めて足を踏み入れたかもしれない。
 A級隊員の嵐山をデフォルメしたぬいぐるみの飾ってあるテーブルで、茶を勧められている。早く作戦室に帰りたい。自然と眉間が寄ったが長い前髪に隠されて、根付が気づいた様子はなかった。おそらく、気にしてもいない。
「原稿はこちらで用意するし、内容はちゃんとチェックしてもらうんだけどね、ダメかね」
 根付が頼んでいるのは、来月に行われる三門市主催の追悼式典のスピーチだった。
 近界民による大規模侵攻から四年目の式典となる。
 公会堂のステージに設置した祭壇を花で埋め尽くし厳粛に行われる。市外からお偉方や著名人がたくさんやって来て、それぞれ追悼の意を表わす。最後に遺族代表数人にお鉢が回ってくる。大人枠が何名かと青少年枠が一名。
 三輪に白羽の矢がたったのはその青少年枠だった。理由はボーダー隊員で遺族である人物のうち、比較的年下で一番長く所属しているからである。
 日頃から「ボーダーの印象向上」を仕事にしている根付からの依頼は筋の通ったものだった。
 しかも、直属ではないが上役である。
「三輪くんには業務外のことを頼んでいるのはわかっているんだけどねえ」
 人を丸め込む技量の高さがなんぼの職に就いている根付だが、実はかなり弱気に出ている。
 理由はわかる。
 三輪に式典のスピーチを依頼するのは初めてではない。
 一年目のとき、三輪は流されるままに引き受けたものの、原稿に目を通した段階で押し寄せてきた感情に引きずられて過呼吸を引き起こしてぶっ倒れ、騒ぎになったのだ。当然、本番のスピーチは見送られた。彼が中二のときの話だ。
 二年目は話がやってこなかった。当時、所属していた隊の隊長である東が反対したのだと思う。頼まれたとしてもとても務まらなかっただろう。
 三年目は根付は本部長を同伴してわざわざ頼みにきた。しかし、断った。三輪にとってこの依頼は荷が重く、片手間にできるものではなかった。高校生になったばかりで何かと忙しかったし、そのころ広報部隊としてメディア展開をはじめた嵐山隊を売り出す根付の派手な手法に若干いやな予感がしたのだ。
 そして、四回目の式典である。
 遺族でボーダー所属、さらに今年は初めて自分の部隊を結成している。
 千六百人超の死者行方不明者を出した異世界からの侵略戦争によって、最愛の家族を失いながらも生き延びた子どもが立派に成長し、隊長となって隊員を率い街を守っている。
『これからもボーダーの一員として、三門市を守っていくことを誓います』
 おそらく、そんな言葉で締めくくられるであろう、未来への宣誓。
 三輪もボーダーの印象がよくなることに否やはない。
 いまのところ命令はされていないが、任務ならば遂行しなければならないというのもわかっている。
 ただ、ことこれに関してはそつなくこなせる自信はなかった。
「ちょっとしたインタビューもあるけど、一局に絞るから」
「……」
元々、要領のいいほうではない。愛想はかけらも持ち合わせていない。人前でしゃべることも苦手だ。ましてや全国に映像が配信されるなどと聞くと気が遠くなる。
 それだけではない。
 ……雨はあっという間に激しくなった。
 血のにおいに、ドブのようなそれが加わるなか、ようやく彼は探し人に出会えた。
 折り重なるように積み上がった死体の山が崩れたのか、その脇に彼女は転がっていた。
 他のそれらと全く変わることなく、彼女の胸にはぽっかりと穴が開いていた。死に神は何もこぼさずに等しく命を刈り取っていったのだ。
「姉さん」
 誰か。
 誰か姉さんを。
 当日は各メディアも入り、騒がしくなるであろう時期を避けて、そこを訪れることにしている。
 追悼の意を込めた公園は市街地に近い高台に造られていた。
 本当の追悼の場所は、いまだボーダー管理下の警戒区域だ。
 まだ真新しい石碑が幾本か建っている。
 円柱の形をした石碑には名前がただ刻んである。犠牲者の名前だ。
 三輪は一つの石碑の前でたたずんでいた。腕を上げ、石碑にそっと触れる。指を滑らせる。知っている名前もある、知らない名前もある。ゆっくりと滑らせていく。
一点で指が止まる。
 彼女の名前だった。
『誰か』
『誰か姉さんを助けて』
 目の前に広がる風景はいまも鮮やかだ。音も匂いも。足にまとわりつく重さも。降ってくる雨の粒まで。
 足下の彼らはみな目を開けているが、そのまぶたは動かない。その指は動かない。
 今の彼は知っている。死体は苦しまない。
 大丈夫だ。
 向こう岸で、穏やかに微笑んでいる。そこまでの距離はいつでも一歩だ。ひとあし、踏み出すだけで届くほどに近い。
時間は流れる。仮にマイクの前に立ち、メディア対策室のしたためた美しい文章を読み上げても、もう息がくるしくなることはないだろう。それでも、引き受ける気には���らなかった。
 三輪は立ち上がると頭を下げた。
「お役にたてず、申し訳ありません」
強引に話を終わらせる態度を根付は咎めず、一緒に席を立った。
「残念だけどねえ。来年もまたお願いすることになると思うけど」
 来年は五年という節目の年のために大々的になるという。おおっぴらに全国規模でボーダーの存在をアピール出来る数少ない機会だ。遠征には金がかかる。そのスポンサー集めも兼ねているという。民間組織であるボーダーにとって、金の話はいつでも切実だ。
「まあ、気にしないでいい、他に方法はあるからね」
 頼りになるだろう、と彼はにやりと笑った。
 これからの物語を紡ぐことは彼にとっては今までの物語をひとまず終わらせることになる。彼にはそれはどうしてもできない。
 向こう岸はまだそこにある、いつでも行ける。死者たちは微笑んで待っている。一歩、踏み出せばすぐに会える。
黒い河の冷たい流れに脚を膝まで浸し、目の前の彼岸を見つめて彼は立っている。
この場所から立ち去りたくはないのだ。
 いまは、まだなお。
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ari0921 · 3 years ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)6月22日(水曜日)弐
    通巻第7377号  
「これではまるで第三次世界大戦ではないのか」(トランプ)。
NATO vs ロシアという図式に移行している
************************
 ピーター・サンダーズ英陸軍大将はウクライナ戦争の見通しに関して「長期戦」を予測しており、「ロシア軍が近代兵器と機甲化部隊投入の前にウクライナの戦力を強化する必要があり、NATOは動員態勢と近代化準備を迅速に、ロシアより早くに進めなければならない。陸戦でロシア軍を駆逐するには長い時間を要し、状況は1941年と似てきた」。
 つまり西側はウクライナが勝てるように武器供与を急げと言っていることになる。これではまるで第三次世界大戦である。
 トランプ前大統領はニューズマックス番組に出演してこう言った(6月20日)。
 「わたしなら戦争は起きていなかった。バイデンがやっていることは狂っている。私の政権では、ウクライナへ3億9100万ドルの武器供与をなしたが、これはウクライナが返済可能な範囲だった」。
 バイデンのウクライナへの武器、人道支援は330億ドル。トランプの100倍!!
 英国のウクライナ援助は軍事面で13億ポンド、人道援助が28億ポンドにのぼっている。1ポンド=168年で計算すれば、合計6800億円強になる。なにしろ英国のはりきりようはジョンソン首相が二回もキエフへ飛んで、ゼレンスキー大統領に発破をかけていることからも了解できる。
 戦前の状況に酷似していないか。
チャーチルはあらゆる手を講じて、とうとうルーズベルトを第二次世界大戦に巻き込んだように。英国のジョンブル精神とは前向きに「不屈の精神」などと解釈されることが多いが、誤解を懼れずにいえば、粗忽で乱暴な紳士道ではないだろうか?
フォークランドをアルゼンチン軍が突如占領したとき、サッチャーはすぐに軍艦派遣を決めた。閣内には反対、あ���いは慎重論が多く、時の米国はヘイグ国務長官が、ロンドンとアルゼンチンを往復して調停を試みた。サッチャーからヘイグは軽くあしらわれた。ロンドンの閣議では「この内閣に『男』はいないのね」と言った。
▲サッチャーは「この内閣に『男』はいないのね」と言った。
 独仏伊の三国首脳も雁首をそろえて列車でキエフに赴き、さらなる軍事援助を約束した。
 ストルテンベルグNATO事務総長も呼応するかのように「エネルギー、食糧の逼迫と価格上昇も問題だが、これは時間との闘いである」と発言している。
 欧州はそろってタカ派に変貌したかに見えた。フランスはマクロン惨敗の結果、ウクライナ政策に変化の兆しがある。
 なにしろドイツは初期段階では軍事支援をためらったため批判が多かった。その後、シュルツ政権は姿勢を改め、高度な武器支援に踏み切った。
その中味は多連装ロケットシステム「MARS」、砲兵検出レーダー「コブラ」の他、スティンガー・ミサイル500基、自走榴弾砲7門、1・5万個の対戦車地雷。10万発の手榴弾、走行車両ならびに暗視ゴーグルなど、かなり実務的な兵器である。
なかでもロシアが集中し、ドローンで索敵して破壊しているのが、この155ミリ榴弾砲。6月21日にも運搬中の15門が破壊された。
バルト三国も間接的参戦である。
エストニアは6月21日、ロシア軍ヘリコプターの領空侵犯に厳重に抗議した。『ロシアへ周辺国に軍事的脅威をあたえている』と。
エストニアにはまだ人口の二割近くがロシア人であり、世界初のスマホ投票はロシアのハッカー部隊にさんざん妨害された。
リトアニアはロシアから領内を経由する鉄道とハイウェイによるカリニングラードへの物資輸送をバリケードした。「これはリトアニア一国の措置ではなくEUが決めた制裁品目が含まれているための『規制強化』の実施であって、『戦争行為』ではない」とした。
プーチン側近のパトロシェフ安全保障会議書記は「必ずやロシアは深甚な報復をする」と息まいたものの、具体的な行為反応は6月22日時点でまだない。
ところがリトアニアの鉄道輸送停止は効果覿面で、カリニングラードでは建材価格が70%高騰、食品が12%、GDPはマイナス6%予測となった。名産の家具生産は20%激減。カリニングラードの合弁自動車メーカー「アドトトル」(現代、紀亜、BMWの合弁)は21年度に販売実績17万台。EUの制裁により合弁からBMQがおりた。
 こうなるとNATO vs ロシアという図式に移行しているのが現在のウクライナ戦争の実態になる。
 オルデガ・イ・ガセットの箴言を思い浮かべる。
 「ヨーロッパ社会において最も重要な事実」とは「大衆が完全な社会的権力の座に登った」ことである。(中略)「この事実は、ヨーロッパが今日、民族や文化が遭遇しうる最大の危機に直面していることを意味している」(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、神吉敬三訳。ちくま文庫)。
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shunsukessk · 5 years ago
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれ��黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込めら���ると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうし��循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完���したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプター���東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  ���バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベート��ラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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moko1590m · 7 months ago
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中国との摩擦を避ければ、より深刻な事態を招く CSIS「リスクの影」(上) 有事を読み解く㉒ 2024/11/26 10:00
中国が台湾に対する軍事的挑発を行った場合、第三国、とりわけ米国はどのように反応すべきか。多くの政策決定者は、戦争にエスカレートするリスクを��避し、長期的な視野に立った対抗措置を選択するかもしれない。しかし、台湾海峡をめぐる大国間関係では、慎重さがかえってあだとなりかねない-。米シンクタンクが2022年に発表した報告書は机上演習に基づき、従来と異なる発想で備える必要があると訴えた。
戦略国際問題研究所(CSIS)は22年2月、ベンジャミン・ジャンセン上席研究員ら3人の連名で「リスクの影」と題する報告書を発表した。21年秋に軍歴10年以上の専門家らが参加して計20回行った机上演習に基づき、平時でも有事でもないグレーゾーン作戦が戦争に発展する危険性について分析した。
金門島付近で爆発 机上演習で想定したシナリオは、以下の通りだ。
《27年、台湾が実効支配する金門島に中国本土からガスを供給するパイプラインが爆発し、近くを航行していた中国漁船が損傷した。中国メディアは「台湾独立派」の犯行と報じた》
中国本土と金門島の間には水を供給するパイプラインが敷設されているが、中国側は金門アモイ大橋の開通を機にガスと電気を供給する構想を進めており、シナリオでは27年初頭にパイプラインの開通式が行われると想定している。
《爆発を受け、中国は東シナ海に設定している防空識別圏(ADIZ)を金門島全域をカバーする範囲まで拡大。同時に中国軍は東シナ海にミサイルを撃ち込み、100機以上の中国軍機が台湾北部・南部への侵攻を想定した演習を行った》
中国の行動は台湾に向けたものにとどまらず、日本や米国をも巻き込んでいく。
《中国軍機は日本のADIZに侵入。電磁波攻撃により、少なくとも米国の画像衛星2基が機能不全に陥った。周辺地域の港湾で中国のマルウエア(不正プログラム)が作動した》
港湾施設に対するサイバー攻撃といえば、23年7月に名古屋港がランサムウエア(身代金要求型ウイルス)攻撃を受け、コンテナの搬出入作業が約3日間中断したことは記憶に新しい。日本の港湾施設が機能停止に陥れば、米本土などから来援する米軍の受け入れが難しくなる事態も想定される。つまり、中国側からすれば、米軍の介入を阻止するため港湾施設へのサイバー攻撃は有力な選択肢となり得る。
《世界の株式市場は10%下落。日本政府はフィリピン海で日米豪共同訓練を行っていたヘリコプター搭載護衛艦「いずも」とF35B戦闘機12機を東シナ海に派遣した。台湾は、航空機と艦船の護衛に協力を求めた》
この時点で、中国と台湾の間で武力行使を伴う戦争は起きていない。グレーゾーン事態にとどまっている。
本来、グレーゾーン作戦は、戦争に至らない範囲で軍事力を使い、目的を達成するために行われる。報告書では、中国が台湾統一を達成するため、台湾の離島を占拠したり、奇襲的に台湾本島に侵攻したりするよりも、グレーゾーン作戦を選択する可能性が高いという前提に立っている。
ただし、台湾は中国にとって「核心的利益」であり、中国本土から地理的に近いため軍事作戦を行いやすい。米国側が対応を間違えれば戦争にエスカレートしかねない。
在日米軍攻撃も 机上演習では参加者に対し、米国側はインド太平洋軍司令部、中国側は東部戦区司令部それぞれに望ましいオプションを提案する役割を割り振った。両司令部は、いずれも台湾有事の際に統合軍の指揮を行うことが想定されている。
中国の「次なる一手」は米国側に知らされていない。ただし、米軍の情報部門は72時間以内に起きる可能性がある中国の行動として、海上民兵が金門島を包囲▽東シナ海、台湾南西沖でミサイル演習▽米国などによる海上封鎖に備えて海上防護ラインを設定▽米軍や重要インフラに対するサイバー攻撃強化▽米国の情報衛星に対する攻撃▽米国が引き下がらなければ米領グアムや在日米軍をミサイル攻撃-の6つを提示した。
こうした状況で、米インド太平洋軍はいかなる行動をとるべきか。従来の常識では、戦争を回避し、長期的な視野に立って状況を改善させるのが得策とみなされてきた。第一次世界大戦時のドイツは、短期間で決着をつけるつもりで戦端を開いた結果、大惨事を招いた。
しかし、報告書では、台湾海峡をめぐるグレーゾーン事態では、従来の常識を見直す必要があるとし、「短期的なエスカレーションを回避したいという欲求が将来の紛争リスクを高める」と結論付けた。次回は、そのような結論が導き出される材料となった机上演習の詳細に分け入っていく。
(杉本康士、田中靖人)
グレーゾーン、対中慎重姿勢が「やりすぎ」につながる恐れ CSIS「リスクの影」(下) 有事を読み解く㉓ 2024/12/10 10:00
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中国が台湾に対する軍事的圧力を強めた場合、米国が中国との緊張を回避すれば、結果として米国自身が事態を悪化させてしまう-。米シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)が2022年に発表した報告書「リスクの影」では机上演習の結果を踏まえ、平時でも有事でもないグレーゾーン事態では、戦争にエスカレートするリスクを覚悟してでも短期的な効果が見込める牽制(けんせい)を行う必要があるとした。
机上演習は、中国軍が台湾周辺での軍事演習や米国の画像衛星に対する攻撃を行ったとの想定で計20回行い、米国側の参加者は2つのグループに分けられた。
A組は、短期的な牽制効果を狙った6つの選択肢から最適な行動を選ぶよう求められた。これに対し、B組に示された選択肢には、長期的な軍事体制の強化が含まれた。中国に「そんなことをしていると、あなた方が将来的に困ることになりますよ」というメッセージを伝えるオプションだ。
この結果、1回目の選択ではA組の多くが中国を刺激することをいとわず、50%が台湾の船舶・航空機を金門島に護送するオプションを選択した。これに対し、B組は長期的な効果を狙う傾向が強く、33%が「米インド太平洋軍の強化宣言」を選んだ。
世論の批判に恐れ 「危機がエスカレートすれば、同盟国が米国についてこられなくなる」
「最初に攻撃的な措置をとれば、世論の批判にさらされる」
机上演習の参加者がこう振り返ったように、問題を先送りすることができるのであれば、それに飛びつくというのが人間の性(さが)だ。島田和久元防衛事務次官は共著『国防の禁句』で「総理の耳元で『日本からエスカレートさせるべきではない』などと、したり顔でささやく者が必ずいると思います。それは胆力のない指導者にとって渡りに船のアドバイスになるでしょう」と指摘する。
ここまでは、机上演習を行わなくても想像できる話かもしれない。しかし、机上演習には続きがある。参加者は中国の行動を踏まえたうえで、1回目と同じ選択肢の中から米国の「次なる一手」を選んだ。
2回目の選択で、短期的な効果を狙う選択肢のみを与えられたA組は、多くが1回目よりも穏当なオプションを選んだ。60%が制空権を握るための装備、つまりF22戦闘機を日本やアラスカに展開する措置を取った。いったん頭を冷やし、事態の沈静化を図ったと解釈できる。
これに対し、長期的な効果を狙うオプションを与えられたB組は70%が1回目よりも過激な行動に出た。特に1回目で長期的な防衛体制の強化を選んだ参加者は、2回目では「金門島への護送」を選択した。中国との緊張を高め、戦争へと至る階段を上っていったといえる。
報告書では、なぜB組が2回目に過激なオプションを選択したのか説明していない。ただ、米国側が穏当な措置を取ることで中国側の自重を期待したが、それが裏切られ、あわてて失地挽回を図ったと考えられる。そうではなく、段階的に圧力を強める計画の下で行動したと解釈できなくもないが、2回目の選択ではB組10チームの全てが中国側よりもエスカレーション・リスクが高い選択肢を選んだ。これは米国側が「やりすぎ」だった可能性を示唆している。
ちなみに、米国側参加者には、中国の行動が見せかけのブラフなのか、あるいは長期的な行動計画の一環なのかも判定させたが、こうした認識はエスカレーション・リスクに影響はなかった。中国のエスカレーションが戦域の拡大を意味するのか、あるいは烈度の高まりを意味するのかという点に関しても同様だった。つまり、米国の「初手」が重要な影響を及ぼす、というのが机上演習の結果から読み取れる結論だ。
日米台豪の調整必要 報告書は「グレーゾーンに関連するエスカレーションダイナミクスは通常の知恵には反する面があり、抑止、危機管理、インテリジェンスに関する新たな考え方が必要だ」と強調する。その上で、グレーゾーン事態の際のオプションをあらかじめ準備しておくことを求めるとともに、危機管理の仕組みにも再考を迫った。
米国政府には、多くの機関が関与するグレーゾーン事態に関し、行動計画の策定に一義的な責任を担う部署が存在しない。さらに、台湾や日本、オーストラリアがどのような行動をとるか事前に調整していなければ、米国の行動は十分な効果を発揮できない。こうした改善点は日本政府のグレーゾーン対応を考えるうえでも参考になるであろう。
また、報告書は米中間で意思疎通する窓口をさらに拡大するよう求めた。情報収集に関しても、機密情報を重視する戦争時の軍事作戦とは異なり、グレーゾーン事態では膨大な公開情報の中から意味ある情報を見いだす技術が必要となる。そのためにも学界、シンクタンク、ジャーナリスト、財界を巻き込んだ態勢を構築することを促した。
(杉本康士、田中靖人)
(中国との摩擦を避ければ、より深刻な事態を招く CSIS「リスクの影」(上) 有事を読み解く㉒ - 産経ニュースから)
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xf-2 · 6 years ago
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神戸市東灘区の新明和工業甲南工場で生産された海上自衛隊の救難飛行艇「US2」を紹介する企画展「救難飛行艇の世界」が、配備先の海自岩国航空基地近くの岩国徴古(ちょうこ)館(山口県岩国市)で開かれている。US2は世界で唯一、波高3メートルの外洋での離着水が可能な国産機。4月中旬には同社幹部や開発の舞台裏を描いた漫画の著者らが同市内に集い、約200人のファンの前で機体の魅力を語った。(土屋宏剛)
© 産経新聞 提供 イベントで「US2」の魅力を語る新明和工業の石丸寛二副社長(左)=山口県岩国市
 企画展ではUS2の模型や写真のほか、旧海軍や海上自衛隊が運用した歴代飛行艇の資料なども展示。5月12日まで開かれている。
 4月13日にはトークイベントが開催され、“超理系コミック”として話題の漫画「US-2救難飛行艇開発物語」(小学館のビッグコミック増刊号で連載中)を執筆する漫画家、月島冬二さん(54)や、新明和工業でUS2の開発主任だった石丸寛二副社長が登場。石丸副社長は、同社の前身の川西航空機が開発した旧海軍の「二式飛行艇」や戦闘機「紫電改」など、かつて日本の国防を担った歴代の機体について解説し、「失敗にめげず、改良を繰り返したことで世界最高水準のUS2が完成した」と述べた。
 続いて月島さんと石丸副社長のトークセッションが行われ、月島さんは「紫電改など戦闘機は好きだったが、飛行艇には興味がなかった」と執筆前の心情を暴露。開発現場のリアルさを伝えるため、100人以上の関係者を取材したことを明かしてファンを驚かせた。その上で「作品を通じて日本の飛行艇や技術力を誇りに思ってもらえれば」と語った。
消防飛行艇の開発も
 救難飛行艇「US2」は海上自衛隊が5機保有し、米軍と共同使用する海自岩国航空基地で集中的に��用されている。初飛行から今年で16年。主な任務は海上遭難者の救出や離島の急患搬送だが、開発元の新明和工業では、US2の機体に改造を加えた消防飛行艇の開発を目指し、独自で研究を進めている。
 US2(全長33・3メートル、幅33・2メートル、乗員11人)の最高速度は時速約580キロで、航続距離は約4700キロ。波高3メートルの荒波でも離着水が可能で、船と飛行機の両方の特徴を持つ。平成25年には、ヨットで太平洋を横断中に遭難したニュースキャスターの辛坊治郎さんら2人を救助して注目された。
 同社は7年の阪神大震災で工場などが被災した経験を踏まえ、US2の機体をもとにした消防飛行艇の製造研究を開始。空からの消火活動で、ヘリコプターの約7倍に当たる約15トンの水を運ぶことができるという。開発に向けた国の作業は具体化していないが、同社ではUS2の胴体部分に水を格納するためのタンクを製造し、都市災害の発生時における効果などを検証している。
 同社の石丸寛二副社長は「US2をもとにした消防飛行艇が誕生すれば、世界中の災害現場で役に立つ。広く飛行艇のすばらしさを知ってもらいたい」と力を込めた。
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