#世界樹の迷宮4
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nishikikyosuke · 1 year ago
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世界樹の迷宮、うちの冒険者たち!
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goeppe · 3 months ago
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世界樹の迷宮Ⅳ12さい
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ragnar0c · 1 year ago
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🌺Alope 🌺
New Image for Chapter 2! Haven’t read it yet? Worry not! I got you.
Premonition II (AO3)/ Premonition II (Toyhouse)
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The version used in the chapter bc canonically Alope does not get the first shirt till at least chapter 15 💀
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moko1590m · 1 month ago
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ニーチェ的「末人(おしまいの人間)」の特徴と、現代的類似形態の詳細
1. 適応過剰性と主体性の喪失
権威(国家、企業、上司など)に従順で、自発性に乏しい。
社会制度や通念に対して疑問を持たず、内面化して生きる。
安全・安定を最優先にし、挑戦や創造には消極的。
自己決定を恐れ、他者の評価やルールに依存。
2. 上下関係の内面化
上には媚び、下には高圧的になる傾向(権威主義的性格、アドルノらが論じた)。
上下関係を自然なものとみなし、抑圧を再生産。
弱者に対して連帯せず、むしろ攻撃する(スケープゴートを求める)。
3. 形骸化した美意識
形式や規範に固執し、本質を見失う。
個性や創造性よりも、既存の「正しさ」「整い」に価値を置く。
「美」はファッションやマナー、インテリアなどの型に還元されがち。
4. 表面的なポリコレ(政治的正しさ)の遵守
内発的な倫理観ではなく、外的規範に合わせるためのポリコレ実践。
その遵守自体が自己肯定感や優越感の源となる(道徳的ナルシシズム)。
他者にもその規範を強制し、逸脱者を排除する傾向。
5. 希望の喪失と抑圧的自己認識
世界を変える可能性や自己変容の可能性を信じない。
自虐的・自己卑下的な語りをするが、そこに妙な誇りがある。
抑圧された自我を正当化する言説(「これが現実」「大人になるってそういうこと」)を反復。
6. 不自由なプライドと支配欲
無内容な「正しさ」や「常識」を盾にプライドを保つ。
自身の狭い経験や価値観を普遍化し、他者に押し付ける。
教訓・説教・忠告の形式で他人を支配しようとする。
7. 快楽の均質化と怠惰な幸福
「心地よさ」「無難さ」「便利さ」が幸福の基準。
不快や混乱、対話や変化を避ける。
消費社会的な快楽(娯楽、買い物、SNS)に閉じこもる。
8. 過剰な自己保存本能
生命や社会的立場の維持が最優先で、「生の昂揚」は軽視される。
ニーチェがいう「生の意志(Wille zum Leben)」に従っているが、「力への意志(Wille zur Macht)」を欠く。
9. 規範の内面化による監視社会的性格
自分の内に「監視者」を住まわせて、自己検閲・自己管理を行う。
他者の逸脱に敏感で、それを咎めることで自我を保つ。
「世間的正しさ」を無自覚に武器化する。
10. 意味の貧困と深みの喪失
深い問いや形而上学的関心を「非生産的」として切り捨てる。
宗教・哲学・芸術が、単なる趣味や装飾に矮小化される。
内的対話が失われ、自己の深みに潜る能力が減退する。
近代批判の系譜との関連
フロムの「自由からの逃走」:自由を恐れ、権威に服従する性格傾向。
マルクーゼの「一元的思考」:技術的合理性が全てを覆い尽くし、対抗的想像力を失う。
アドルノの「権威主義的パーソナリティ」:ナチズムを可能にした心理的傾向として分析。
ライヒの「性の抑圧とファシズム」:リビドーの抑圧が支配構造に適応的性格を生む。
現代の「末人」的傾向を加速する社会的要因
SNSによる承認欲求の制度化(「いいね」による快楽回路)
教育における標準化と評価主義(偏差値、就職偏重)
経済的不安定さと過剰労働(自発性・余白の欠如)
文化の商業化と表層化(深層的意味への関心の喪失)
規範の過剰供給と自己責任論の蔓延
このような人間像は、ニーチェが超人(Übermensch)という概念で対比的に語るように、**「生の肯定」「創造的価値の創出」「自己変容」**という方向性とは真逆の位置にあります。
必要であれば、こうした「末人」状態からの脱出のヒント(例:生成変化、アセンブリックな生のあり方、東洋思想との接続など)についても整理できます。ご希望があればお知らせください。
4o
You said:
ニーチェの「末人」と同様の分析を行った思想家・学者など、できるだけ多数教えてください。
ChatGPT said:
ニーチェの「末人(der letzte Mensch)」という概念に類する人間像の分析や批判を行った思想家・学者は、20世紀以降の哲学、社会思想、精神分析、文化批評において多数存在します。以下に代表的な人物をジャンルごとに整理し、簡単な解説を添えてリスト化します。
◆ ニーチェの「末人」的主題を引き継ぐ思想家・学者リスト
1. 実存主義・ニヒリズム批判の系譜
思想家   主な概念・著作   関連する「末人」的分析
マルティン・ハイデガー『存在と時間』「ダス・マン(世人)」=平均化された匿名的存在としての人間像。自己を生きる代わりに他者の視線や世間に流される。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』『存在と無』「実存は本質に先立つ」:自由から逃れ、役割や肩書きに安住する人間への批判。
アルベール・カミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』不条理を直視せず、習慣の中に逃げる人間の姿(=末人的)を描く。
2. フランクフルト学派・社会心理の批判
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
テオドール・アドルノ『権威主義的パーソナリティ』『否定弁証法』権威に従順で他者に攻撃的な性格構造=ファシズムを支える「末人的」性格。
マックス・ホルクハイマー『道具的理性の批判』理性が自己保存と効率だけを目的とするようになった現代人=末人。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』『生きるということ』自由に耐えきれず権威に逃げ込む「逃走する人間」=末人の心理。
ハーバート・マルクーゼ『一次元的人間』消費社会が人間の欲望や想像力を均質化し、批判精神を失わせる。
3. ポスト構造主義・現代思想系
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』実体なき「イメージの支配」に取り込まれる人間像=自己喪失型の末人。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』『シミュラークルとシミュレーション』現実よりもコピー(シミュラークル)を消費する人間=意味喪失の末人。
ジル・ドゥルーズ & フェリックス・ガタリ『アンチ・��イディプス』など欲望をコード化され、定型的な役割を演じる主体=脱創造的「末人」。
スラヴォイ・ジジェクポストマルクス主義・ラカン理論消費社会における「空虚な欲望」と「享楽の命令」に従う主体=「末人」的存在。
4. 宗教・倫理・東洋思想との関連
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』形式的信仰や制度に埋没し、本質的な魂の渇望を見失った人間への批判。 
梅原猛『仏教大学講義』など経済的合理性や制度に埋没する現代人=仏教的な意味での「迷い」の極致。
中村雄二郎『術語集』『共通感覚論』技術的合理性に染まる現代人が、感性・共感を失う危険性を示唆。
5. 精神分析・文化批判・社会理論系
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
ヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの心理構造』性の抑圧が支配体制に順応する性格を生み出す=「末人」的心理の構造分析。
アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』科学文明の発達と人間性の崩壊の乖離を批判。
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』マスメディアによる認識の管理に無自覚な現代人=末人型の大衆。
6. 日本の思想家・文化批評家
思想家    主な概念・著作    関連する「末人」的分析
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』『探求』資本制の内部に無自覚に同一化する主体の批判。
宮台真司『14歳からの社会学』など「終末的社会」の中で思考停止する大衆=末人化した現代人の診断。
中沢新一『野生の科学』『芸術人類学』近代的合理主義に押しつぶされた、野生的感性や創造性の喪失=末人的。
栗本慎一郎『意味と生命』『パンツをはいたサル』「意味への感受性」の衰退を嘆く。脳の変容と社会構造との関係を指摘。
補足:文学・芸術における「末人」的表現者
フョードル・ドストエフスキー(『地下室の手記』の主人公)
カフカ(『変身』『審判』などの不条理で抑圧的な主人公像)
三島由紀夫(『豊饒の海』など、戦後日本人の精神的空洞化への批判)
村上春樹(空虚で自閉的な語り手たち)
必要であれば、特定の思想家の議論を掘り下げたり、比較表にしたり、また「末人」から脱却する思想や実践(生成変化・スピノザ・仏教思想など)との接続も可能です。お知らせください。
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maiamaiden · 1 year ago
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日本語 Goals
日本語で読みたい本とマンガ
遊☆戯☆王
ギャルズ!
ヴァンガード
ミニヴァン
Cray Lore Novels
ペルソナ4
Miracle Girls
東京ミュウミュウ
日本語でしたいゲーム
ペルソナシリーズ
世界樹の迷宮 (Etrian Odyssey)
どうぶつの森
Kingdom Hearts
逆転裁判 (Ace Attorney)
ダンガンロンパ
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tamanine · 2 years ago
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予���編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、���れは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
小説では、��上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救���れたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判���を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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ophelia333k · 2 years ago
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2023年7月4日 どこでもない場所、超越愛(Vaporwave)
 楽天カードから督促状が届く。「楽天カードより大切なお知らせです。内容をご確認ください」という文章が中央にあって、背景は一面にびっしりと「Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten…」と同じ文字列が繰り返し印刷されている。この督促状を持って三月ウサギの庭園に赴いたのなら、お茶会に参加できるのかな? と考えてみる。
***
 Vaporwave。何年も前から漠然と聴くことはあっても、詳しいことはほとんど何も知らないという状態が続いていて、たとえば2019年12月号のユリイカ〈Vaporwave特集〉を買ったものの、ほとんど読まないまま放置する、というような状態だった。つまり、強い興味を持ってはいなかったわけだけど、今になって「Vaporwave」に対する興味が湧いてきたというか、自分とVaporwaveを接続する文脈が少しだけ見えた。
 元々、四流色夜空さん主宰の合同誌「ムジーク!ムジーク!ムジーク!」に寄稿した『枝がスルスルと伸びていく』という小説の元ネタとしてtelepath テレパシー能力者の「思い出」という曲およびPVを使っていたということがあり、それは感覚的な選択なので、書いているときはvaporwaveという文脈にほとんど意識的ではなかったのだけど、今にして思えばVaporwaveという文脈は自分にとって重要なのかもしれない。
 とりあえず、一から文章を書くのが億劫なので今日の自分のTwitterを引用すると、
〈自分��ラブホテルの清掃をやりながらときどき感じていた空間の無-場所性(どこでもない場所〈nowhere〉の感覚、いま自分のいる場所がどこなのか分からなくなる感覚)は、Vaporwave的な反-場所性にも重なるはずで、それは村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が描く高度消費社会の迷宮性にも似ている〉(2023.07.04)
 という感覚がある。
 ***
 Vaporwaveに分類される音楽を聴くときに自分が強く感じるのは、第一に非-時間性であり、第二に、非-空間性(非-場所性と言った方がいいのかもしれない)。
 まず、時間に関して言うのなら、Vaporwaveが主に1980年代から1990年代にかけての大衆音楽のサンプリングと加工を基本としている以上、方向は過去を向いているはずなのだけれど、(木澤佐登志の言葉を借りるなら)同時に「失われた未来、ロストフューチャー」の幻影を見せるものでもあり、「もうひとつの世界(alternative world)」を幻視させるものでもある。
 そして、そこには奇妙な懐かしさ(実在しないはずのノスタルジー)と、対象の曖昧な喪失感(それはあらかじめ失われているものの喪失感)がある。
 空間に関しては、よくVaporwaveにおいて描かれるイメージの一つでもある、どこまでも続いていく平坦なショッピングモールに代表されるように、グローバル資本によって均質化された、〈どこでもない〉空間という性質。
 しかも、そのとき重要なのは、むしろ本来はそれが〈どこにでもある〉ということで、平坦な資本主義的空間(たとえばショッピングモール)が「どこにでも遍在している」からこそ、むしろ〈どこにもない場所〉として表象される。
 ボードリヤールの言うように、もはや私たちの周りには「オリジナル(=モデル)」そのものがどこにも存在しておらず、存在するのはコピーの更なるコピーとしてのシミュラクル(イメージ)だけであり、そのような高度消費社会におけるシミュラクルとしての世界の加速の先に、Vaporwaveの反-空間性はあるのかもしれない。
 ***
 第三に、ニューエイジという文脈ももちろんあって、Vaporwave(たとえばtelepath テレパシー能力者とVAPERRORの「超越愛・テレヴァぺ」)を聴く時に、ある種の神秘的な空間が自分には見える。時間や空間を超越した、この宇宙の本源的な波のような力が自分の中へと入り込んでくる。というのは半分は嘘で半分はほんとうであり、Vaporwaveがニューエイジの文脈をサンプリングするのは、パロディであり風刺でしかないから。
 ここで、正直言ってVaporwaveがニューエイジの文脈に対してどの程度まで批判的なのかというのは図りかねるのだけど、そもそも文脈を辿るのなら、1960年代(言うまでもなく1968年には五月革命があり、日本ではたとえば佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争があったし、アメリカでは反ベトナム戦争の流れもありつつ、ヒッピーたちが誕生する)のカウンターカル��ャーに起源を発していて、しかし、結果として自己啓発や健康食品やマルチ商法という形で資本へと回収されたり、あるいはオウム真理教のように新宗教という形を取ることになる。
 と、必然的にニューエイジは堕落(つまり、消費社会という内部へと回収される)することになり、ここに俗流アンビエントの話もあるわけだけど、そう思うと、消費社会をパロディし風刺することと、ニューエイジ的文脈をパロディすることの間に連続性が見えてくる。
 ***
 ここで、telepath テレパシー能力者の話にまた戻ると、自分はある時期、たとえば「超越愛・テレヴァぺ」のようなアルバムを、眠剤を飲んで曖昧で脳みその奥に訳の分からないものが見えるような状態で聴き続けていて、だからこそ、当時はtelepath テレパシー能力者のアルバムの、深いエコーのかかった重低音が脳みその奥に響き、浮遊感の中、布団の中で見えているのか見えていないのかも分からない幻覚のようなもやばかりを見ていた。宇宙そのものと接続されているような、しかし深い孤独感もしくは海の底を回遊するような感覚もあって、そこで夢を見ていた。
 ***
 最後に、冒頭で引用したツイートにも感じることだけど、(高度消費社会を背景とした)Vaporwaveにおける非-場所性は、ある時期の村上春樹にも共通していると感じていて、その一つの例が『ダンス・ダンス・ダンス』およびそこに登場する「いるかホテル」であり、自分が何年も働いているいくつかのラブホテルの、窓のない内部でもある。    村上春樹について言うのなら、村上春樹が1968年に早稲田大学に入学している以上、(彼が学生運動とは一定の距離を取っていたとはいえ)、70年代以降の間での転向の問題というのはあると思っていて、『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公が広告業か何かをこなしながら、消費社会の中で(外面的にはそれなりに順調に)生きていながらもそこにはある種の罪責感があり、それゆえに「羊男」という影の存在が現れるのかもしれない。
 ***
 あと、村上龍の『MISSING 失われているもの』も、(直接的ではないけれど)「非-場所性」と「非-時間性」を感じるという意味で、近いものがあると思う。
 ***
 かなり長くなってしまっているし、明日は朝から夜まで授業なので早起きなのだけど、もう少しだけ書いてしまいたい。2019年12月に買ったユリイカの「vaporwave特集」を初めてまともに読んだ感想として、まず目についたのは木澤佐登志と、河南瑠莉だった。木澤佐登志については今更言うこともあまりないけれど、冒頭からtelepath テレパシー能力者の曲のタイトル(「あなたの愛は私の救世主です」、「永遠に夢」、「心と魂の核変換/私たちの感情は一緒になって」、「ほとんど幸せ」……)を引いていて、それを「その空疎さと無意味さゆえにほとんど泣きそうになるくらい甘美だ」と評価する。   〈それはどこまでも具体的な「意味」をすり抜けていく、蒸気のように霞消えていく「イメージ」を、彼岸の幻影(ヴィジョン)を追い求めていく……〉(p85)
 河南瑠莉はマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』の翻訳者で、加速主義とvaporwaveの深い繋がりを認めながらも、むしろVaporwaveに内在する「減速的な」美学について論じる。
 あとは、柴崎裕二の「Vaporwaveと俗流アンビエント ニューエイジの消費主義的異形をめぐって」も、興味関心には近かった。
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honyakusho · 1 year ago
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2024年2月29日に発売予定の翻訳書
2月29日(木)には『平家物語』『陰翳礼讃』の英訳を含めると13点の翻訳書が発売予定です。
神話、聖書、文学と西洋の政治思想
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陳美卿/著 桂川智子/翻訳
博英社
朝鮮時代ソウル都市史
高東煥/著 野崎充彦/翻訳 金子祐樹/翻訳
勉誠社
書いたら燃やせ
シャロン・ジョーンズ/著 白浦灯/翻訳
海と月社
The Heike Story
Eiji Yoshikawa/著 Fuki Wooyenaka Uramatsu/翻訳
チャールズ・イー・タトル出版
In Praise of Shadows
Junichiro Tanizaki/著 Thomas J. Harper/翻訳 Edward G. Seidensticker/翻訳
チャールズ・イー・タトル出版
世界標準MIT教科書 アルゴリズムイントロダクション第4版 第2巻
T. コルメン/著 C. ライザーソン/著 R. リベスト/著 C. シュタイン/著 浅野哲夫/翻訳 岩野和生/翻訳 梅尾博司/翻訳 小山透/翻訳 山下雅史/著 和田幸一/翻訳
近代科学社
失敗のクィアアート
ジャック・ハルバースタム/著 藤本一勇/翻訳
岩波書店
グローバリスト
クィン・スロボディアン/著 原田太津男/翻訳 尹春志/翻訳
白水社
老人ホーム 一夜の出来事
B・S・ジョンソン/著 青木純子/翻訳
東京創元社
有名すぎて尾行ができない
クイーム・マクドネル/著 青木悦子/翻訳
東京創元社
最上階の殺人
アントニイ・バークリー/著 藤村裕美/翻訳
東京創元社
あなたの迷宮のなかへ
マリ=フィリップ・ジョンシュレー/著 村松潔/翻訳
新潮社
回復人 体中の細胞が疲れにつよくなる
アリ・ウィッテン/著 アレックス・リーフ/著 加藤輝美/翻訳
サンマーク出版
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ortemn · 1 year ago
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2023年好きになった曲ベスト10
風邪をひいていてやれることが少ないなと思ったけれどこれをやってなかったのでやります。閲覧注意。
10位 Exercise the Right(キングヘイロー(CV:佐伯伊織)) ★★★★
9位 トリミングアイランド(島村シャルロット) ★★★★      
8位 Tribeca(eufonius) ★★★★  
7位 クロスカラーズ(緋翼のクロスピース) ★★★★☆    
Bメロが好き。
6位 Anagram of Coda(彩音) ★★★★☆
この曲とは関係ないんだけれど、アニメイトに行ったら最近の全然知らないアーティストの中に(ひぐらし最新作で歌っているから)彩音がいて、安心感を覚えるのと同時に自嘲した。
5位 刹那ティ��クコード(SorAZ) ★★★★☆
いい曲なんだけれど、今はもうこの曲がピークであることがわかりつつあり悲しい。
4位 D-ark L-ily's Grin (速水奏(CV:飯田友子)、北条加蓮(CV:渕上舞)) ★★★★☆
デレマス初期に出てたらもっと感動したんだろうけれど、2023年にもなると普通の歌詞かなと……。
3位 君と未来(宗谷いちか) ★★★★☆
キャリア初期にいい感じの曲を出して期待させるのやめませんか。
2位 戦場 高揚(世界樹の迷宮X) ★★★★☆ 
個人的な戦闘曲不足が深刻。こんな高い順位になるほどの曲ではないので戦闘曲欠乏症の影響を受けた結果だと思う。/同作品収録の世界樹Ⅲアレンジ戦闘曲の方が評価高いらしいが、元曲の評価に引き摺られすぎだろと個人的には思う。
1位 Call the shots(Roselia) ★★★★★
2023年発売で、2023年に一番聴いた曲。文句なしの1位です。
総評:最近の曲を本当に全然聴かなくなった。いいのかなこれで。昔の曲を改めて聴いてばかりなんだけれど。
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shunsukessk · 2 years ago
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、���本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社��2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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81044home-note · 2 years ago
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全種類購入するのyouTuberがやりそうな企画っぽい。
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とうとう連休が終わってしまった。ほぼ家でお絵描きしたりゲームやってた連休なのにいつもと変わらん。
世界樹の迷宮ⅠⅡⅢのキャラクターのアクリルスタンドが発売することになったらしい合計216種類もありまさに選り取り見取り。全種類購入すると軽く35万超えるみたいギャグのような数字でちょっと笑ってしまったというか全種類購入された方がいらしたら尊敬してしまう。
原神ついにファンテーヌに行けるようになった。大型アプデ当日、アプデ完了までに4時間以上も掛かったのでその日は連休中で助かった。(仕事だったら何もしないで終わってたと思う)今回のストーリーも面白かったので最後まで進めちゃった。フリーナまさかあんな可愛らしいキャラだとは思わなかった元々ガチャでお迎えする予定だったけどますますお迎えしたくなった笑あとフォンテーヌの戦闘曲めちゃくちゃカッコイイ‼原神の中で一番好きなBGMかもしれない。
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nishikikyosuke · 1 year ago
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世界樹の迷宮4 自宅設定の��ードマン
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goeppe · 9 months ago
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某珈琲のモーニング
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scyanako · 3 years ago
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"Seeing his tranquil smile, you feel renewed hope for tomorrow..."
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art-of-azalea · 5 years ago
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I tried to make the Etrian IV medic into a 3D model, I hope to paint her another day! Made with Zbrush Core :)
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kumorimo · 7 years ago
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☼ ☾
You can purchase this as a sticker set as well!
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