#世界樹の迷宮5
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世界樹の迷宮、うちの冒険者たち!
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Necromancer
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It’s about Hell Slash
It’s about Hell Slash
It’s about Hell Slash
It’s about Hell Slash
It’s about Hell Slash (oops, that was my Pug…)
It’s about-
i've been playing a ton of etrian odyssey 5 lately and unlocking master classes has put me in an impasse with what to do with my masurao
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ニーチェ的「末人(おしまいの人間)」の特徴と、現代的類似形態の詳細
1. 適応過剰性と主体性の喪失
権威(国家、企業、上司など)に従順で、自発性に乏しい。
社会制度や通念に対して疑問を持たず、内面化して生きる。
安全・安定を最優先にし、挑戦や創造には消極的。
自己決定を恐れ、他者の評価やルールに依存。
2. 上下関係の内面化
上には媚び、下には高圧的になる傾向(権威主義的性格、アドルノらが論じた)。
上下関係を自然なものとみなし、抑圧を再生産。
弱者に対して連帯せず、むしろ攻撃する(スケープゴートを求める)。
3. 形骸化した美意識
形式や規範に固執し、本質を見失う。
個性や創造性よりも、既存の「正しさ」「整い」に価値を置く。
「美」はファッションやマナー、インテリアなどの型に還元されがち。
4. 表面的なポリコレ(政治的正しさ)の遵守
内発的な倫理観ではなく、外的規範に合わせるためのポリコレ実践。
その遵守自体が自己肯定感や優越感の源となる(道徳的ナルシシズム)。
他者にもその規範を強制し、逸脱者を排除する傾向。
5. 希望の喪失と抑圧的自己認識
世界を変える可能性や自己変容の可能性を信じない。
自虐的・自己卑下的な語り��するが、そこに妙な誇りがある。
抑圧された自我を正当化する言説(「これが現実」「大人になるってそういうこと」)を反復。
6. 不自由なプライドと支配欲
無内容な「正しさ」や「常識」を盾にプライドを保つ。
自身の狭い経験や価値観を普遍化し、他者に押し付ける。
教訓・説教・忠告の形式で他人を支配しようとする。
7. 快楽の均質化と怠惰な幸福
「心地よさ」「無難さ」「便利さ」が幸福の基準。
不快や混乱、対話や変化を避ける。
消費社会的な快楽(娯楽、買い物、SNS)に閉じこもる。
8. 過剰な自己保存本能
生命や社会的立場の維持が最優先で、「生の昂揚」は軽視される。
ニーチェがいう「生の意志(Wille zum Leben)」に従っているが、「力への意志(Wille zur Macht)」を欠く。
9. 規範の内面化による監視社会的性格
自分の内に「監視者」を住まわせて、自己検閲・自己管理を行う。
他者の逸脱に敏感で、それを咎めることで自我を保つ。
「世間的正しさ」を無自覚に武器化する。
10. 意味の貧困と深みの喪失
深い問いや形而上学的関心を「非生産的」として切り捨てる。
宗教・哲学・芸術が、単なる趣味や装飾に矮小化される。
内的対話が失われ、自己の深みに潜る能力が減退する。
近代批判の系譜との関連
フロムの「自由からの逃走」:自由を恐れ、権威に服従する性格傾向。
マルクーゼの「一元的思考」:技術的合理性が全てを覆い尽くし、対抗的想像力を失う。
アドルノの「権威主義的パーソナリティ」:ナチズムを可能にした心理的傾向として分析。
ライヒの「性の抑圧とファシズム」:リビドーの抑圧が支配構造に適応的性格を生む。
現代の「末人」的傾向を加速する社会的要因
SNSによる承認欲求の制度化(「いいね」による快楽回路)
教育における標準化と評価主義(偏差値、就職偏重)
経済的不安定さと過剰労働(自発性・余白の欠如)
文化の商業化と表層化(深層的意味への関心の喪失)
規範の過剰供給と自己���任論の蔓延
このような人間像は、ニーチェが超人(Übermensch)という概念で対比的に語るように、**「生の肯定」「創造的価値の創出」「自己変容」**という方向性とは真逆の位置にあります。
必要であれば、こうした「末人」状態からの脱出のヒント(例:生成変化、アセンブリックな生のあり方、東洋思想との接続など)についても整理できます。ご希望があればお知らせください。
4o
You said:
ニーチェの「末人」と同様の分析を行った思想家・学者など、できるだけ多数教えてください。
ChatGPT said:
ニーチェの「末人(der letzte Mensch)」という概念に類する人間像の分析や批判を行った思想家・学者は、20世紀以降の哲学、社会思想、精神分析、文化批評において多数存在します。以下に代表的な人物をジャンルごとに整理し、簡単な解説を添えてリスト化します。
◆ ニーチェの「末人」的主題を引き継ぐ思想家・学者リスト
1. 実存主義・ニヒリズム批判の系譜
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
マルティン・ハイデガー『存在と時間』「ダス・マン(世人)」=平均化された匿名的存在としての人間像。自己を生きる代わりに他者の視線や世間に流される。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』『存在と無』「実存は本質に先立つ」:自由から逃れ、役割や肩書きに安住する人間への批判。
アルベール・カミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』不条理を直視せず、習慣の中に逃げる人間の姿(=末人的)を描く。
2. フランクフルト学派・社会心理の批判
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
テオドール・アドルノ『権威主義的パーソナリティ』『否定弁証法』権威に従順で他者に攻撃的な性格構造=ファシズムを支える「末人的」性格。
マックス・ホルクハイマー『道具的理性の批判』理性が自己保存と効率だけを目的とするようになった現代人=末人。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』『生きるということ』自由に耐えきれず権威に逃げ込む「逃走する人間」=末人の心理。
ハーバート・マルクーゼ『一次元的人間』消費社会が人間の欲望や想像力を均質化し、批判精神を失わせる。
3. ポスト構造主義・現代思想系
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』実体なき「イメージの支配」に取り込まれる人間像=自己喪失型の末人。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』『シミュラークルとシミュレーション』現実よりもコピー(シミュラークル)を消費する人間=意味喪失の末人。
ジル・ドゥルーズ & フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』など欲望をコード化され、定型的な役割を演じる主体=脱創造的「末人」。
スラヴォイ・ジジェクポストマルクス主義・ラカン理論消費社会における「空虚な欲望」と「享楽の命令」に従う主体=「末人」的存在。
4. 宗教・倫理・東洋思想との関連
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』形式的信仰や制度に埋没し、本質的な魂の渇望を見失った人間への批判。
梅原猛『仏教大学講義』など経済的合理性や制度に埋没する現代人=仏教的な意味での「迷い」の極致。
中村雄二郎『術語集』『共通感覚論』技術的合理性に染まる現代人が、感性・共感を失う危険性を示唆。
5. 精神分析・文化批判・社会理論系
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
ヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの心理構造』性の抑圧が支配体制に順応する性格を生み出す=「末人」的心理の構造分析。
アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』科学文明の発達と人間性の崩壊の乖離を批判。
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』マスメディアによる認識の管理に無自覚な現代人=末人型の大衆。
6. 日本の思想家・文化批評家
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』『探求』資本制の内部に無自覚に同一化する主体の批判。
宮台真司『14歳からの社会学』など「終末的社会」の中で思考停止する大衆=末人化した現代人の診断。
中沢新一『野生の科学』『芸術人類学』近代的合理主義に押しつぶされた、野生的感性や創造性の喪失=末人的。
栗本慎一郎『意味と生命』『パンツをはいたサル』「意味への感受性」の衰退を嘆く。脳の変容と社会構造との関係を指摘。
補足:文学・芸術における「末人」的表現者
フョードル・ドストエフスキー(『地下室の手記』の主人公)
カフカ(『変身』『審判』などの不条理で抑圧的な主人公像)
三島由紀夫(『豊饒の海』など、戦後日本人の精神的空洞化への批判)
村上春樹(空虚で自閉的な語り手たち)
必要であれば、特定の思想家の議論を掘り下げたり、比較表にしたり、また「末人」から脱却する思想や実践(生成変化・スピノザ・仏教思想など)との接続も可能です。お知らせください。
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世界樹の迷宮の二次創作の設定集
設定ばっかりたまっていくけど、今日のうちに投げとくよ
・世界樹の迷宮とは?
2007年に第1作が発売された3DダンジョンRPGで、ダンジョン探索に全振りしたゲームだよ
5人で1パーティとなるキャラクターを設定し、あとは5階ごとにフロアの装飾が変わる過酷な地下迷宮をひたすら探索するゲームで、町の人や先輩冒険者との会話以外特にストーリーもないゲームだからパーティー間の会話や関係性は妄想し放題だよ
今年6月にSwitchでリメイク版が出たから購入したけど、過酷すぎて全然進まないよ
特徴はマップを自分で描く作業があることなんだけど、Switch版だとオートマッピングができるので少しハードルが低いよ
でも扉とか階段とかは自分でアイコン置かなくちゃ記録できないよ
・キャラクターの設定って?
1個の職業ごとに5種類の立ち絵が用意されていて、立ち絵に職業制限はないから、名前と職業と立ち絵を決めればいいよ
・元ネタがわかりやすすぎる
それはごめんやで
そのものずばりの名前つけてた人フォロワーにいたから私もやってみようと思って
・本文
クソ長いので次のリンクの下から行ってね

役職:ソードマン(マンって言い方気に食わねえな、ソードマスターとか言えないのか?)
名前:メイユイ
別名:ハオラン(旧名)
年齢:18歳
GI:トランス女性
身長:170cm
体重:62kg
性格 非常に好奇心が強く突拍子もないことをしたり言ったりしがちだが、基本的には泰然自若としていて、パーティーのリーダーにふさわしい器をしている。わりと平気な顔をして死地��突っ込んでいくところがあるので、旧知の仲であるクリストフとアーリフの心労は絶えない。シエロから一方的に「主人」としてみなされており、ビャッコからも「将来が楽しみネ」と言われている
個性 ごくゆるいオムニロマンティック/オムニセクシャルで男性とみなした人に恋愛/性愛的な関心を抱くことが多かったが、勇敢だが落ち着いてさわやかな人物なので、男装時代は女性との交際経験が多く、男性とはまだ交際したことがない。
特技 パーティー一の怪力でクリストフをもしのぐ火力がある。
能力・スキル 得物は斧や剣を使うことが多く、斧による高火力の攻撃が決め手となることが多い
見た目 茶色いロングヘアを後ろで三つ編みにしていて、額をすっきりと出している。細身で筋肉質。この世界で言うアジア系のルックスをしている。
生い立ち 古い武家の次男の「ハオラン」として生まれたメイユイは、武芸の稽古こそ楽しんではいたが、自分が「男」であることには強い違和感を感じていた。幼い日のこと、「君が女子だからと言って僕が手加減したらそれこそ君に失礼だろう」と神学校の同級生のアーリフに勝負を挑まれた際に言われたこの言葉で、「彼女」は自分のアイデンティティがやっとわかった。それから「彼女」の本当の自分を手にするための冒険が始まる。
背景 兄より武芸に秀でていたので家督を継げないことを惜しまれてはいたが、性別違和を形にできた後は本人は兄には悪いが安堵を覚えている。見抜いたアーリフの次に相談したのは担任であったクリストフ。クリストフに相談しながら周囲や家族に性別違和を伝え、今回の旅立ちの許可に至った。
その他 「本当の自分を取り戻す秘術」は現実世界で言う性別適合手術を魔法でやるというもの。現実の手術と同様に負担が大きいのでやはり健康な人にしかできず、費用も高額である。保険がない世界なので。

役職:メディック
名前:アーリフ
年齢:18歳
GI:シス男性
身長:173cm
体重:65kg
性格 パーティーの中で一二を争う高い倫理観を持つストイックな人物で、困っている人を見ると放っておけない青年。それは彼が移民の女性カップルの養子であり、ゲイであることもだいぶ関係していると考えられる。けがや病気の治療にあたるメディックで腕を磨いている最中だが、治療の途中に「自分を大事にするように」と説教をしてしまいがち。
個性 自分の民族的ルーツはわからず、生まれたばかりで教会に預けられたところを移民の女性同士のカップルに育てられたシス男性のゲイで、ママたちからは無理しないでいいと言われていたが成長期の終わりとともにヴィーガンを始めた。
特技 特技は料理。ヴィーガンを達成するのに必須のスキル。得意料理はダール(豆)カレー。ってか動物性食品のコクにかわってスパイスで味に変化をつけるので大体料理が香りが強く辛い。シエロが辛いのが苦手なので料理をあまり食べてくれないのが悩み。
能力・スキル けがや病気の治療が職業で、けがをしたときは彼に頼めば回復薬を使うより効率が良い。ただ命は大事に!と説教はされる。食材探しも兼ねているので、ダンジョン内の採集も得意。
見た目 イメージは南米ルーツの白人とアフリカ系黒人のミックス。肌は薄めの褐色で髪がカーリーヘアではない。これは立ち絵の都合。これまた立ち絵の都合で重装備になっているが、「回復役が倒れてはならない」という責任感で重装備をしていることにした。実際努力家でトレーニングもしていて力も結構強いほう。
生い立ち 所得に余裕はなかったが息子にちゃんとした教育を施してやりたいと思ったママたちは彼を比較的学費の安い神学校に入れる。幼い日に神学校に入ったばかりのころにメイユイ(その頃は「ハオラン」と名乗らされていたが)にライバル宣言をしたが、その流れで「彼女」が女性であると見抜く。以降二人は親友兼ライバルになり、メイユイの「本当の自分を取り戻す」旅にまで一緒に出ることになるわけだが。
背景 この世界は結婚にかんしてあまり手続きがちゃんとしていないので同性カップルが肩身の狭い思いをすることはないが、みんな平等に過酷な環境で生きているので、結婚のメリット自体が二人で所得を得られることと家事や育児を分担できること以外あんまりない

役職:パラディン
名前:クリストフ
別名:神父様
年齢:40歳
GI:シス男性
身長:190cm
体重:80kg
性格 やや潔癖なきらいのある高潔な人物。もともと神父をしていた関係で神学校の教師をしていたが、教会の教義にずっと疑問を持っていたのが耐えられなくなり、聖騎士の資格を取り教会をやめた。年下からモテが��で、若い女性から迫られたら非常に慎重に対応するが、男性および男性に見える者に迫られてしまうとガードが緩くなってしまう。
個性 博識かつ逞しい偉丈夫で凛々しく堂々とした人物。教会にはずっと隠していたが、バイセクシャル/バイロマンティックで、10代のころに男性の恋人がいた。しかし教会に入るために別れることを選んでしまい、それをずっと悔やんでいる。その後女性と結婚はしたが、その時の後悔が漏れ出てしまい、長期間の話し合いの末婚姻は解消した。子供はいないが子どもの未来を守りたい気持ちがあったので神学校の教師になった。が教義を教えるのが辛くなり、クィアの生徒たちも何かを感じ取ったのか自分を頼って相談してくれるようになり、やはり教会の教義に従うことはできないと思い、今度は聖騎士としてクィアの生徒たちと旅に出ることにした。
特技 アーリフほどは凝らないが料理ができる。シエロは好き嫌いが非常に多いが、クリストフの作った料理は食べられるものが比較的多い。料理を教えるのももともと教師だったのでうまい。しかしメイユイは素晴らしい生徒だったが料理だけは教えても全然うまくならない。クリストフによると、たぶん力の加減ができていないとのこと。ゆうてクリストフも自分一人分の飯を作るときはキャベツ引き裂いたり骨を素手で砕いたりはする。
能力・スキル パーティーメンバーをかばうのが本職。立派な体格であり鍛錬も欠かさない��で力もかなり強い(クリストフよりメイユイが火力があるのは彼女がとんでもない怪力だから)。簡単な回復の術も使える。
見た目 多くの人がイメージがしやすい白人の偉丈夫。背が高くがっしりとしていて、着やせしているが特に上半身が立派。髪は色が薄めの栗毛で、鼻が大きい。それゆえシエロからは「あのツラとガタイだろ?神父様はきっとアソコも立派だぜ」とド失礼なことを言われている。
生い立ち 彼自身はごく普通の家庭の出身と思ってはいるが、彼の家より苦しい状況の人はかなりいるという感じ。教会の運営に入り、教会を訪れる人と教会で働く者たちの状況があまりにも違うことに気が付きまずそこから教会への違和感を感じた。実は少年のころ今と変わらない姿のビャッコと出会っていて、世話も多少焼かれているが、本人はうっすらとしか覚えていない。
背景 この世界の教会は現実のカトリック教会に近い教義であり、やはり同性愛や妊娠中絶には厳しい。現実のカトリック教会ほど力を持っていないが、葬儀などは行うし、現実社会で言う公的機関の機能の一部も担っていて、学校などを運営していたりする。もちろん他の経営母体の学校もある。

役職:ダークハンター
名前:シエロ
別名:自称「悪魔」
年齢:非公開
性別:人間の定義で言うとノンバイナリー(本人曰く、「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」)
身長:180cm
体重:65kg
性格 冒険者ギルドに来たメイユイ・アーリフ・クリストフにビャッコとともに声をかけてきた。彼女たちに声をかけ、旅の動機を聞くと、メイユイを「勇者サマ」と呼び、気に入ったから一方的についていくと宣言する。下品で乱暴で欲望に正直、人を小バカにした態度を取りがちで、この世界の常識と規範を常にバカにしくさっているが、常識を疑い規範に抗う人間への協力は惜しまないと公言��ている。クリストフのことをメイユイたちに倣い「神父サマ」と呼んでいて、よく「誘惑」している。
個性 「悪魔」を名乗っていて、常識や規範をかなり厳しく罵倒するが、それは人間が自分以外の生物を搾取するようなものに対してである。本当に悪魔かどうかはわからないが、人を誘惑して重要情報を聞いたり、差別的な輩をだましてひどい目に遭わせたりするのはよくやる。「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」とパンセクシュアル/パンロマンティックを公言していて、自分の性別もバイナリーな表現をされると激昂する。性的に奔放だが、「器がデカい奴としか本気で寝ない」「性別気にしない奴がみんな俺みたいにすぐ誘ってくる奴ばかりじゃないのは知ってるぜ」などと言っている。器がデカい人物に惹かれると公言する通り、大物になりそうなメイユイとすでに立派な人物のクリストフが大好きなことを隠さず、愛でたり誘惑したりしている。しかし、アーリフもちょっかいをかけられており、純朴な彼はいちいちこいつの挙動に悩まされている。
特技 戦闘上では搦手を得意としており、得物は鞭が基本、剣も使える。鞭により対象の動きを制限したり状態異常にしたりといった搦手でじわじわといたぶるのを好む。実は鞭の必殺技が設定上すべてのスキルの中で最も火力が高く、その名も「エクスタシー」。
能力・スキル 戦闘以外では情報集めが得意で、町で単独行動した後に情報を持ち帰ってくるが、どうやらワンナイトでの「遊び」も兼ねている様子。ただ、基本的にその時にターゲットにしているのは一流の冒険者や組織で権力がある者である。「器がデカい奴としか寝ない」と言っているが、大人に寛容な対応をしてもらうとそういう形で「お礼」をしてしまおうとしがちであり、過去の厳しい経験があるだろうと推測されている。
見た目 ボサボサの銀髪にアーリフよりだいぶ濃い褐色の肌で、瞳は黄色っぽい。悪魔の力を使うときに瞳孔が横になりヤギっぽい目になる。普段は男性表象寄りで素肌にファーのついた上着を着ているという暑いんだか寒いんだかわからない格好をしている。腹筋が割れているのは痩せ気味のせい。外見年齢は20代半ば。悪魔の力で少し見た目を変えることができるらしいが、「続きはベッドで教えてやるよ♡」とのこと。
生い立ち 「悪魔」を名乗るまでの経歴は秘匿されているが、最初は人間として生まれ、幼いころはかなり厳しい環境で育ったらしい。絶望に沈みすべてを呪っていたらある日「悪魔」が現れて契約をして力を手に入れたとのこと。「悪魔」としての考え方はそいつから学んだらしく、「悪魔ってのは人間の欲望を肯定することで生まれた存在だから、基本的には人間の味方なんだぜ、だから悪魔はルールを押し付けて罰したりしないだろ?だから俺も悪魔らしく『人間』の誇りを取り戻そうとしてる勇者サマについていくわけだ」と言っている。自身の性別に関しては悪魔と契約する前からもともと男女二極でとらえてほしくないと感じていた。
背景 舞台となるエトリアは小さい街で迷宮探索目的の冒険者でにぎわっていて今は景気がいいが、エトリア以外の集落は規模や治安も様々で、格差の状況も様々。シエロは大きい城塞都市の非常に治安の悪い地区の生まれで特に格差が目立つところの浮浪児だった。過去の王の失政により大量の失職者、家を失った者、親に捨てられた子供たちが生まれていて、シエロは親も知らずそこで育った。シエロがエトリアの話を聞いたのは、悪魔と契約した後に誘惑したエトリア帰りの冒険者の寝物語が初めてだった。エトリアの情報を集めていくうちに、シエロの中で「悪魔がこんなところでくすぶっていてはいけない」という思いが大きくなり、拠点をエトリアに移し、自分が従うにふさわしい人間を狙うことにしたのだった。
その他 パーティーで一番の小食なので、メイユイと外食(ってかデート)した際にお互いに大盛と小盛を頼んであとで交換しましょうかと言われたが、「いや、そのままで行こうぜ、人目なんか気にするのは俺達らしくないだろ」とそのままメイユイは大盛を頼み、シエロは小盛を頼んだ。

役職:アルケミスト
名前:ビャッコ
別名:彼女の出身国での表記は「白狐」
年齢:???
性別:シス女性(人間ではない)
身長:172cm
体重:非公開
性格 シエロとペアを組んでメイユイたちに声をかけてきたアルケミスト。メイユイのことを気に入り「勇者ちゃん」と呼び、シエロと同時に彼女たちについていくことを表明する。大柄な中年男性のクリストフのことをなぜか「クリスくん」と呼ぶ。シエロと結構長いこと組んでいて、頻回に寝てもいるが、全然特別な感情はなく、大体の人間を変なあだ名で呼ぶ彼女だがシエロのことは「シエロ君」と変なあだ名もつけずに呼ぶ。
個性 はるか昔に遠い島国から移り住んできた「妖(あやかし)」で、狐の姿を持っている。アロロマンティック/アロセクシュアルのレズビアンで、メイユイがこれから施術を受けようとしているトランス女性であることも理解したうえでメイユイのことを愛しているが、年の差がありすぎるので一歩引いている。先に書いたように人外となったシエロとは冒険上のバディ兼欲望をぶつけ合うパートナーだが、回復ができる仲間がおらず、痛みを伴う激しいプレイができずにいた。
特技 博覧強記であり、速読でありながら読んだ内容も人間とはかけ離れたレベルで記憶できる。クリストフも人間としてはインテリではあるがそれとはレベルが違う。また食べる量が自由にコントロールでき、食料に困ったときは食べなくても生きられる。しかし本当はたくさん食べるのが好き。
能力・スキル この世界には錬金術があり、それを活用して属性攻撃を行うのがアルケミストであるが、妖術を得意としていたビャッコの能力が解析された結果もそれに等しいものである。特に火属性の妖術に長けている。
見た目 金色のストレートヘアと涼やかな一重の目元の妙齢の女性の姿をしている。とんでもない長い時間生きていて見た目が変わらないので住むところを転々としていたが、冒険者はその状況にあっていてやりやすいようだ。エトリアでよくみられるアルケミストの服装に合わせて、両手に仰々しい籠手を付けている。
生い立ち はるか昔から人の営みを見守ってきていて、実は世界樹の成立を知って興味を惹かれてエトリアの近辺に移り住み、世界樹についてずっと調査を続けている。世界樹が広がるときに多くの人間が犠牲になったのを悼み、その弔いのつもりで何回も世界樹の迷宮に挑んだが、そのたびに人間の仲間を失ってきた。やっと出会えた人間ではない仲間はずいぶん変な奴だが、そいつと今も一緒にいる理由は、そいつの信念に沿った人間こそがこの状況を打破してくれると信じられたから。
背景 ビャッコは途方もない長い時間世界樹の研究を続けているのだが、何せ彼女も社会的な状況もあって正体を明かすことができないので、せめて何世代も続けて書いてきたというていで世界樹の秘密を書物にしたいと考えている。実は幼いころのクリストフに勉学の楽しさを教えたのはビャッコ。姿を変えてないのがバレるとまずいのでクリストフの記憶をいじってその辺をあいまいにしている。
役職:レンジャー
名前:シータ
年齢:35歳
性別:シス女性
身長:158cm
体重:「なんで聞くのよ…」
性格 シータはエトリアから離れた川のそばの大きな国で夫とともに戦士として国に仕えていた。しかし、夫は獣討伐の任務��際に命を落としてしまう。夫に先立たれた際にその国の風習により夫を火葬する火の中に飛び込むことを強制されたが、幼い娘を連れて逃げてエトリアまでやってきた。普段は戦士としての冷徹さがありながらも男尊女卑が厳しい国で抑圧されてきたため遠慮がちであるが、いざとなったら上記のことをやり遂げるほどの胆力がある。
個性 夫のことは当時は好きなはずと思っていたが、国を出たことでその国に凝り固まった価値観を知り、それゆえに夫すらも視野が狭かったと思っている。実は誰にも言っていないが夫の前に交際していた男性が何人かいる。国の法律でばれたら拷問されるからずっと隠してはいたが。冒険者になったのは娘の養育費用のためで、自分が夫の後を追えば娘の生活を保障してやると国に言われてはいたが、自分に対してそのような扱いをする国のことが信用できなかった。娘には自分のように強制された職業ではなく好きなことをやらせてやりたいと思っている。
特技 非常に高い視力を持っている弓の名手。弓の名手であることが知られたがゆえに王宮に連れてこられ、そこで夫となる若い兵士と出会った。我慢強く育てられていて、食事にこだわりもないので長期間の野営もお手の物。こだわりがないゆえに別に料理上手というわけではないが、毎日毎日毎日毎日食事を作ることに苦痛を感じない。こだわりがなく自分と家族の生存に必要な作業としかとらえていないので。
能力・スキル 弓は命中率が相当高く、とどめの他足止めにも使える。また野営が得意なので迷宮内での素材集めも得意。
見た目 あまりカールしていない黒髪と褐色肌で割と肌が出た衣服をまとっている。エトリアではバード(吟遊詩人)のような衣服ととられやすい。肌が出た衣服は国の戦士だった頃から来ていた。任務に出ていない時は国でつけていた金属製の飾りをよく装着している。
生い立ち 河のそばの国の小さい村の出身で、その村出身の革命家となる父の指導で戦闘訓練が行われていた。その中で弓の才能が見いだされたのがシータである。父らの激しい戦いで祖国は植民地化を免れたが、父はその戦いで犠牲になってしまった。父が守ってくれた祖国に尽くすことこそが自分の生きる道と思ったが、子を迎え、夫の死後の自分や子供に対する国の扱いのひどさを知り、これからは自分と娘のために生きようと思った。それから彼女の人生が新たに始まったのだった。
背景 元ネタはRRRが入っていてそこは大丈夫なのか心配になる。
今いるキャラはこのくらいで、今のところシータさん以外で旅しています。シータさんは採集パにしたほうがいいかもしれませんが、彼女は戦士なので、戦いたいかもしれません。
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽し���ず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない��画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみている���で驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』���って勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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世界樹の迷宮Ⅲ HDリマスター感想

きつきが世界樹の迷宮Ⅲ HDリマスターをプレイした感想を雑にまとめた軽めの記事です。
【注意】 ・全3ルートのネタバレあり ・ 自ギルド紹介とか脳内設定垂れ流しとかもある ・まだ第六層やってる途中、大航海は暗黒の森あたりで止まってる ・世界樹シリーズは過去にⅣのみプレイした(けど引退マラソンし��たら飽きてクリアしなかった)
大丈夫な方のみどうぞ
久しぶりの世界樹の迷宮、しかも以前にⅣをやったときは私の計画性のなさにより途中で放り投げてクリアしなかったというアレだったのでとても楽しみにしていました!ⅠとⅡはなんだかやる気が起きなかったのでⅢ単品だけ購入しましたが満足です。ちなみに難易度はEXPERTでやりました。
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・グラフィック
まずHDリマスターされたグラフィックが美しくて驚きました。元がDSのゲームとは思えないくらい。HDリマスターってすごいなあ! 戦闘時の敵モンスターのグラも綺麗で良かったですね~Ⅳ以降の世界樹の迷宮はモンスターのグラフィックが3Dですが個人的には2Dグラフィックもとても好きです。 FOEも3Dグラではなくモヤモヤでしたが、いい感じに不気味でこれもまた良いですね。何が出てくるかわからない緊張感があるというか。 樹海は特に第二層や第五層の雰囲気が好きです。 でも白亜ノ森のギミックは嫌い 海中を冒険できるのロマンありますよね。
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・マッピング
先行プレイできた人の感想とか見てると、「switch版はタッチペンを使わない場合マッピングに少し苦労する」みたいなのがよく見受けられたんですが、個人的には初日でもうだいぶ慣れてしまいました(switchのTVモード+プロコンでずっと遊んでいました)。
ただ、ゲーム内ヘルプみたいなのは無かったと思うので、最後まで何に使うかよくわからないアイコンがありました。(下図参照) 説明あったっけ? オートマッピングも第二層でようやく使い方に気が付きました…便利ですね

あと全体的なマッピングにはそんな苦労しなかったんですが、白亜ノ森のワープ地獄はどう描けばいいんだ………………と途方に暮れて半ば諦めていました。もういやだあの迷宮……
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・BGM
BGMは、先にⅣの生演奏に慣れていてそちらのクオリティがとても素晴らしかったので、FM音源のBGMは合うかな?と少し不安だったのですが、古��祐三さんの楽曲、どれもとても良かったですね…(サントラ買いました) 【戦乱 剣を掲げ誇りを胸に】とか 【戦場 討ち果て倒れる者】とか、新規に追加されたという 【戦場 露と消えよ】が特に好きです。かっこいいですね。 【戦乱 荒れ狂う波浪の果て】は「これが【戦乱 吹き荒ぶ熱風の果て】のアレンジ元曲か!」とテンションが上がりました。デデッデデッデデッ
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・大航海
大航海はあんまり面白くなかったかな…´`;
「次どこ行けばいいかわからん…」ってなったときの閉塞感というか手詰まり感+そういう時ただただ航海費用が嵩むのがなんか辛い。いやファーマー軍団いるからお金にはあんまり困らなかったのですけども 戦闘しながら迷宮探索したりマップ描いたりするのは結構好きなんですが…もっと進めれば面白く感じるんでしょうか。
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・シナリオ(※ネタバレ有り)
シナリオは、 海都ルート(ただただショーグンが欲しかった) →深都ルート →真ルート の順でクリアしました。ショーグン欲しさに最初に海都ルートを選びましたが結果的に正解だったと思います。ショーグン便利すぎる🥺
海都ルートは、

~BAD END~
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気を取り直して深都ルートは…

~BAD END~
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じゃ、じゃあ真ルートは…………

投 げ る な
結局どれもあんまりすっきりしないんですけどアトラスのゲームはみんなこんな感じらしいです(伝聞) 私アトラスのゲームあんまりやったことないので詳しくないんですが…
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・海都ルート
グートルーネにあんま共感できなくてブラコン姫に振り回されてるだけだし何も解決していない…みたいな残念な印象を受けます。

知らんがな!
ばあちゃんもクジュラも嫌いじゃないんですけどね。クジュラがあそこまで姫に入れ込む理由ちょっと知りたい

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・深都ルート

こっちの方がかわいいよグートルーネ
深王の言い分の方が納得できるのでこっちのルートの方がまだいいかなあと思いつつ、後味が…悪いです…。
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・真ルート

自分で矛盾に苦しむ真祖は人間臭くて割と好き

でも姫と深王が和解できたからって早々にどっか行くのはちょっと… このまま留まっても何もできないから…みたいな感想も見ましたが、せめてもうちょい裏ボスに命懸けで挑む冒険者をフォローする姿勢見せてほしいんですが…
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・キャラメイク
私自身が一次創作好きな人間なので、こういったキャラメイクゲームは脳内設定を作って楽しむ派なんですが、世界樹はそういった遊び方がとてもしやすくて良いですね。外見は職業に囚われずに選べる、という新要素も助かりました。
という訳で、私のギルドの紹介画像を置��て感想を終わりたいと思います。最初の5人がラスボス撃破時の最終的な一軍メンツです。 この10人のほかにファーマー軍団もいますがめんどくさい多いので割愛。
5人だけで組むとかそういうのは考えなかったです。こういうのは色々試して模索してるときが一番楽しいと思うので…










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Switchで世界樹新シリーズ出ないかなあ~
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2023年好きになった曲ベスト10
風邪をひいていてやれることが少ないなと思ったけれどこれをやってなかったのでやります。閲覧注意。
10位 Exercise the Right(キングヘイロー(CV:佐伯伊織)) ★★★★
9位 トリミングアイランド(島村シャルロット) ★★★★
8位 Tribeca(eufonius) ★★★★
7位 クロスカラーズ(緋翼のクロスピース) ★★★★☆
Bメロが好き。
6位 Anagram of Coda(彩音) ★★★★☆
この曲とは関係ないんだけれど、アニメイトに行ったら最近の全然知らないアーティストの中に(ひぐらし最新作で歌っているから)彩音がいて、安心感を覚えるのと同時に自嘲した。
5位 刹那ティックコード(SorAZ) ★★★★☆
いい曲なんだけれど、今はもうこの曲がピークであることがわかりつつあり悲しい。
4位 D-ark L-ily's Grin (速水奏(CV:飯田友子)、北条加蓮(CV:渕上舞)) ★★★★☆
デレマス初期に出てたらもっと感動したんだろうけれど、2023年にもなると普通の歌詞かなと……。
3位 君と未来(宗谷いちか) ★★★★☆
キャリア初期にいい感じの曲を出して期待させるのやめませんか。
2位 戦場 高揚(世界樹の迷宮X) ★★★★☆
個人的な戦闘曲不足が深刻。こんな高い順位になるほどの曲ではないので戦闘曲欠乏症の影響を受けた結果だと思う。/同作品収録の世界樹Ⅲアレンジ戦闘曲の方が評価高いらしいが、元曲の評価に引き摺られすぎだろと個人的には思う。
1位 Call the shots(Roselia) ★★★★★
2023年発売で、2023年に一番聴いた曲。文句なしの1位です。
総評:最近の曲を本当に全然聴かなくなった。いいのかなこれで。昔の曲を改めて聴いてばかりなんだけれど。
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
島
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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【 終了しました 】 マツモトダイスケ × 加藤淳也(PARK GALLERY) 『 POST PARK 』. 2023.10.18 WED - 10.29 SUN

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東京・末広町のパークギャラリーでは、7周年を記念したエキシビジョンとして 2023年10月18日(水)より写真家・マツモトダイスケと、パークディレクター加藤淳也による共同企画展『POST PARK』を開催します。
「次の公園」を意味するこの企画展は、マツモトと加藤の友人・知人から寄せられたテキストと、公園をテーマに撮り下ろしたマツモトダイスケの写真をガイドに、公共空間としての公園の意味や、公園的な存在の大切さ、居心地のよい場所の必要性について考えていくためのインスタレーションです。
あなたが想う、公園的な何かとは。
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様々なジャンル、視点で活動する個性豊かな “13人” による寄稿文と、170枚の中から厳選した70枚におよぶ公園的な写真を展示。公園をテーマにした1冊の雑誌の中に入り込むような感覚の “読む” エキシビジョンです。
まずは公園を散歩でもする感覚で、ぜひ、パークギャラリーへと遊びに来てください。そして、たくさん並んだ言葉と景色の中から、あなたにとっての大切な居場所や、公園的ななにかを、見つけてもらえたら幸いです。
そしてそれを次の公園に向けて、みなさんも投げかけてみてください。
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【 寄稿者 】 大橋裕之 小田佑二 カワイハルナ 熊井晃史 田窪直樹(Pulp / POL) なかおみちお ネグラ(妄想インドカレーと越境庶民料理店) 細野晃太朗(37) 増田薫(思い出野郎Aチーム) 宮口龍生 宮崎知恵(STOMACHACHE.) 山下敦弘 山田大介
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PARK GALLERY 7th Anniversary Exhibition マツモトダイスケ × 加藤淳也 特別展示 『 POST PARK 』 2023年10月18日(水)〜 10月29日(日) 場所:PARK GALLERY(東京・末広町 / 湯島) 東京都千代田区外神田3-5-20 13時〜20時 | 入場無料 定休日:月・火曜(祝日は営業) 最寄駅:東京メトロ 銀座線・末広町駅(徒歩約5分)千代田線・湯島駅(徒歩約7分) JR 秋葉原駅 / 電気街口(徒歩約10分) JR 御茶ノ水駅 / 聖橋口(徒歩約12分)
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【 展示に寄せて 】
「雑誌みたいな展示がしたい」という淳也くんとの会話からはじまった『POST PARK』。
展示に合わせて都内のたくさんの公園を撮って回った。電車で行くこともあったけど、基本的にはチャリンコで。なんでかと言うと公園って大それたものではなく身近な物だったから、少し遠くても “あえて” チャリンコ漕いでバシャバシャ写真撮りながら向かった。
どの公園に到着してもとりあえず缶コーヒーを買ってタバコを吹かしながらベンチに腰掛けてあたりを見渡す。あの頃と何ら変わらず(マナーは守ろう)。
数年前、家の近所を散歩してた時、小学生のチャリンコ爆走族がすれ違いざまに叫んでいた言葉が、通り過ぎたあともずっと耳に残っていた。
「新しい公園探しに行こうぜっ!」
なんて魅力的でカッコイイ台詞だろうと思った。
思い出してみると確かに行動範囲が広くなるたびに新しい公園をみつけてワクワクしていた。新しいベンチ、ジュース、遊具、そしてそこにいる人たち、そのすべてが新鮮で、まるで違う国に来たような感覚だった。
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大人になった僕たちは公園へ行く機会が減っていった様に思う。
公園だった「アソコ」は形を変え、ライブハウスやナイトクラブ、居酒屋やバーなどに変わっていった。「ソレラ」へいく理由は「アソコ」の時とあまり変わっていない。友達がいるから、1人で家にいても退屈だから、そして新しいワクワクが待っている「カモシレナイ」から。
この展示のタイミングで38歳になる僕は、今この文章を読んでくれた貴方に大きな声で言いたい。
「新しい公園探しに行こうぜっ!」
想像していた大人にはなれてないのかもしれないけど、夜な夜な集まって秘密を共有していたあの頃みたいに、新しく見つけた遊び場で僕は貴方と待ち合わせがしたいんです。
マツモトダイスケ / 写真家
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ダンプちゃんこと写真家マツモトダイスケと会うと、仕事で忙しい時も、疲れている時も、気持ちが乱れている時も、変わらずに「あの頃」に戻れる感じがする。それは10年前もつ焼き屋で出会った時のようでもあるし、学生時代のようでもあるし、それぞれの町を時代を駆け抜けた子どもの頃のようでもある。目的なく集まって、雑誌を広げて、これがカッコいいとか、あの子がかわいいとか、あれが欲しいとか言っていたあの頃、その横にダンプちゃん、もしくはダンプ的(ポストダンプ)な誰かがいた記憶。
彼が今回撮影してきた150枚を超える写真群は、まるで船を安全に導く灯台のようだなと感じた。「だいじょうぶ」と言われているような気さえする。夜に灯る公園のあかり、海原のような草むら、禁止とされながらも自由に楽しむ子どもたち、空き地を失い社会からはみ出てしまいそうな人たちまでも、灯台だ。
そうなると、みんなから集まった言葉たちはどこか「公園」という名の居心地の良い場所を探している船のような感じがしてくる。マツモトダイスケの写真が灯台のあかりとなってそれぞれと交信するイメージがこの展示にはある。そしてそれはきっとこの展示に触れたあなたの灯台にもなりうる。
だからぼくは、みんながいつ迷ってもいいように、灯台守のような気持ちで、この先の数年も、この「公園」という名のギャラリーで過ごそうと思う。
理由がなくたって集まっていたあの頃のような気分で、今回の展示も、思い切り楽しもうと思う。
加藤淳也 / パークギャラリー / 編集者
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- マツモトダイスケ 写真家 1985年 鳥取県出身 世の中に溢れる様々なテーマを用いて夢で見るような世界観を現実世界からサンプリングした事象や事柄、ありふれたイメージを使って写真に落とし込む。2012年にZEN FOTO GALLERYで初個展【SEKAINOHEIWA】を開催と同時に1st写真集を発表。2014年には同ギャラリーでの個展【TSUMITOBATSU/AKARUIMIRAI】と2冊の写真集を出版。その後も東京を拠点に国内外で個展、グループ展、芸術祭に参加。2020年から自身の企画『SOULS』を開始。2022年、ペインターのgeeekmanとの共同作品『未来原人サンド』をUNDERCOVERとのコラボレーションを発表。 https://www.tumblr.com/daisukematsumoto-damp https://instagram.com/daisukematsumoto_damp https://twitter.cohttps://twitter.com/da_____mp ー 加藤淳也(PARK GALLERY) 1982年山形出身。東京・末広町の PARK GALLERY のオーナー兼ディレクター。写真家を中心としたクリエイターのエージェント業や制作会社でのディレクター業を経て2012年に独立。現在はギャラリー運営の傍らアートディレクターや編集者として、東京を拠点にさまざまな地域の魅力を発信する活動を行なっている。主な仕事に、佐賀の観光ガイドブック「さがごこち」、宮城県石巻の総合芸術祭「Reborn-Art Festival 公式ウェブサイト(2019〜)」、東京新聞「STAND UP STUDENTS」など。 ヒップホップユニット WEEKEND(〜2012年)として Fishmans のベーシスト柏原譲氏や tofubeats 氏らとのコラボレーションによって制作したアルバムをリリース。 ポッドキャストラジオ『耕耕』のパーソナリティも務める。 https://www.instagram.com/junyakato_parkgallery https://lit.link/radiokoukou

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世界樹の迷宮Ⅱリマスター、裏ボスまでクリアしました! ハイ・ラガードとこの5人が大好きだ……
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2023/09/03
BGM: Wes Montgomery - Tequila
今日は休みだった。市の防災センターに行きそこで市の国際交流協会が催しているイベントである「お茶ットルーム」に参加する。市に住む外国人の方と日本人であるぼくたちが親睦を深める、定期的に行われるこのイベントをぼくはいつも心待ちにしているのだけれど今回も楽しむことができた。今回は琴の演奏を楽しむ(日本人の講師の方が英語で話しておられて、そのプロ意識に感服した)。そしてベトナムから来られている方がベトナムの観光名所や食文化について話して下さった。その後、実際に琴を演奏させてもらったりして琴の音の深みに触れられて、有意義に過ごした。次回の英会話教室が10月から行われるということも知り、スケジュール面で行けるようならグループホームの施設長の方にも話してお金のことを相談したいと思った。その後、片付けをしたのだけれどそこはそれ、発達障害者の悲しき性で椅子や机をどこに片付けていいかわからずトンチンカンなことをしてしまい、帰り道で自己嫌悪に陥る。そういうこともある、とわかってはいるけれど……その後イオンに行ってメモを書く。「自分とは何だろう」「どうしてこんなトンチンカンなことをしてしまうのだろう」とあれこれ考え込んでしまう。そうして傷口をいじるようなことをしても余計に治りが遅くなるだけとわかっていてもいじってしまう。それもまた悲しき性なのだった。
図書館に行く。きたやまおさむか鷲田清一の本を借りるか迷ったのだけれど、結局そうした自己嫌悪が尾を引いていたので大庭健『私はどうして私なのか』を借りる。読み進めて、あらためて「言葉でこのぼく自身を捉えること」の難しさについて考える。「ぼくとは何なのだろう」と考えても「端的にここにいるのがぼくだ」「今こうやって考えているのがぼくだ」としか答えようがない。それでも「そんなぼく」をどうリアルに捉えるか、認識するかは永遠の課題だ……ぼくがそうして自己嫌悪に陥るのは単純に「自分がイメージしているぼく」と「他人が語るぼく」の間の「ズレ」「乖離」に苦しむからなのだけれど(その「他人が語るぼく」にしたって、職場では「使えない人」「よくわからない人」だけれどプライベートでは「英語が達者」「本好き」と思われていたりしてここでも「ズレ」がある)、そうした「ズレ」を「どう思われようが自分」と居直るのも気が引ける。その昔「頭がおかしい」「ひねくれ者」とさんざっぱら罵られた日々を思い出してしまい、ぼく自身も「こんなぼくをまるごと変えたい」「理想のぼくでありたい」と思ってあれこれ頑張ったことを思い出した。いま思えば、ぼくに必要なのは「ほどほど」の自己愛と自尊感情だったのだと思う。そうした「自分を誇れる心理」があればおのずと「人の言葉」にも耳を傾けられると信じる。
夜、本来の締め切りを一週間も(!)破っていたミーティングの資料の整理と清書を行う。その後、友だちであるロシアのビクトリアさんにもメッセージを送る。この2つのタスクをぼくはここ最近ずっと先延ばしにしてしまっていた。なのでようやくそうした締め切りから解放されてホッとする。その後、荒川洋治『世に出ないことば』を読む。考えてみれば荒川洋治の書いたものをまとめて読むのも久しぶりのことだ。荒川洋治は「稀代の読書家」「読み巧者」であるとぼくなんかは思うのだけれど、そうした安直な形容をこの書き手は嫌うかもしれない。読み進めて、荒川があらためて「こだわり」を大事にする書き手であることを学ぶ。俗にいう「何でも読む」「無節操」な「懐の深い」人(高橋源一郎を思い出す)ではなく、いろいろな本を精読・多読しながらその本の選択眼もスジを通しており書くものにも「こだわり」「美学」を貫きたいと思う、そうしたいぶし銀の「職人芸」が感じ取れるのだ。それでいて堅苦しさも押し付けがましさもない。読んでいて肩が凝らない……とは言い過ぎかもしれないが、文を書くというか「つむぐ」人の「プロ意識」が感じ取れる清々しい文に触れられたと思った。
と書いて……多読なのはこのぼく自身であるとも思い至る。思えば子どもの頃から「生身の人間は言うことがあれこれ変わるけれど、本は変わらない」と思ったことがそうした「読書癖」(池澤夏樹)を作り上げたのだ……本はぼくの言いたいことを笑わないで聞いてくれたし、何を投影してもサンドバッグになってくれた。もし可能なら、いまでもぼくはそんなふうに本だけを相手にして引きこもって生きることを選んでいたのかもしれない。人間は信用できないデタラメな存在だ……実を言うといまでもそんな風な、あえて大づかみに言ってしまえば「世界の不確かさ」に触れて苦しむことがあるのだった。「人が何を考えているか『確かなこと』がわからない」「いやぼくだって、ぼくが明日(それどころか、5分後でさえ)何を考えているか『確かなこと』がわからない」「そんなことを言い出せば、またコロナ禍みたいなことが起こるのかだって『確かなこと』がわからない」、とあれこれ思い悩んでしまう。世界はカオスで豊かなものであるということ、そしてその「不確かさ」に耐えることが大事だということは宮台真司やウィトゲンシュタインなどを読んで学んだつもりなのだけれど、まだまだ修行が足りないのかなとも思ったのだった。
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