#二つの名前に対処している可哀想なバンド
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Hide in Fiction's Hands (second recording): 「It is a bop, and relatable. Very Tumblr song really.」
All of the faces: 「Caden wrote it, we’re so Proud」
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空みたい海みたい
陰日向の多肉植物の葉が茶けてぶよぶよに腐っているのを見たとき、ああこれでやっと自分の中に衣吹くんと別れる明確な理由を見つけられたと思った。
「水を遣るのは月に一、二回でいいの。それ以上では腐ってしまうから」
何度説明しても、衣吹くんはそれに対して「なんか可哀想な気がする」との言葉を返した。あのね、衣吹くん。衣吹くんのそのピントのずれた愛情こそが、この植物を水中毒で殺しちゃった要因なんだよ。そうやってはっきりと言ってやったなら、彼は一体どれぐらい盛大に顔をしかめて、どれぐらい私への言い訳を重ねるのだろう。
結局私は衣吹くんのそういう言い訳がましいところをどうしても好きになれなくて、きっと衣吹くんだって私のこういう言葉尻の冷たいところをどうしても好きになれなかったのだと思う。大学のサークル内で知り合い、就職を機に一緒に暮らし始めて一年と六ヶ月。好きな音楽も、好みのファッションも、味覚も性格も笑うポイントも、何もかもが相容れない私たちの唯一の共通点は「異常なほどに青色が好き」ただその一点で、本当に、それだけを理由として恋愛関係を貫いてきた私たちはよくここまで続いたものだと自分でも感心してしまう。
晩御飯を食べながら同棲の解消を申し出たとき、衣吹くんは間の抜けた声を上げて驚いていた。けれどそれもわずかな時間だけのことで、しばらくすると彼は、
「あー……、となると俺も引っ越さなきゃだ。ふたりだからここの家賃も払えていたわけだし、ひとりになるならこの広さは要らないもんなあ」
そうして食べ終わった食器をシンクに置き去りに、通帳を見ながらかったるそうに電卓を弾き出す。ずっと前から私の心持ちがそうであったように、衣吹くんの中でも私はとっくの昔にただの“同居人”へと成り下がっていたのだろう。友人などの部外者からどう見えていたのかは知らないけれど、少なくとも私たちの認識が共通して「愛しの恋人」などという甘ったるいものであった時期なんて暮らし始めてから最初の数ヵ月そこらが精々だったはずで、それに関して私自身「私たちなんてそんなものだろうな」としか思えない。それでもこの事実はどうしても私の心にある何らかのしこりの輪郭を明らかにする。
衣吹くんがブツブツ数字と格闘する声を背に、私はふたり分の食器を洗う。冷しゃぶを載せていた、掌を広げたよりも大きな紺色の平皿。モヤシと韮のナムルは空色の小皿に、取り皿に使ったコバルトブルーの豆皿は駅前の雑貨店で四枚ずつ買ったものだ。衣吹くん用のお茶碗はネイビーブルー、私のお茶碗は茄子紺。ふたつ揃いのマグカップはそれぞれ浅葱色と白群、お互い気分によって好きなほうを選んでいた。
家にある全ての食器が青いだなんて、この街じゃきっと私たちだけだよね、と顔を見合わせて笑った一年六ヶ月前の私たちが今の私たちを見たら、一体どんな顔をするのだろう。訳もなくスポンジを繰り返し握り締める。肌理の粗い泡が立つ。
「なあー、未波はいつごろ出て行きたいとかあるの? 特にないんだったらさ、悪いんだけど二ヶ月ぐらい待ってもらえない? せっかくならじっくり家探ししたいけど、俺いま仕事死ぬほど立て込んでてしばらく内見だ荷造りだってできそうにないんだよな。となるとまあ先延ばしにはなっちゃうけど、お互い三月の引っ越しシーズン辺りに新居探しに行ったほうがむしろ得な気がするんだよね。そっちのほうが絶対、いま慌てて決めるよりいい部屋見つけられるだろうし。あ、それとも未波は実家戻る予定だとか?」
蛇口をひねる。スポンジごと右手を水道にかざす。白い泡が排水溝へと吸い込まれていく。
「……んーん、私もまたひとり暮らしする予定。確かに三月くらいのほうが空き部屋の数も多いだろうし、そっちのがいいかもね。じゃ、お互い目標はその辺りってことで」
衣吹くんとの生活もあと二ヶ月だけなのだと思うと、自然と嫌味は出てこなかった。
最後ぐらいは常に笑顔で、冷たい言葉を慎んでいよう。たとえ、衣吹くんがどれほどの言い訳を重ねたとしても。
そこからの二ヶ月間を衣吹くんがどう感じていたのか私にはこれっぽっちもわからないけれど、少なくとも私にとってこの二ヶ月は彼と同棲した一年八ヶ月で最も幸福な時間だったと言い切ることができた。当たり前のことだ、私たちはもう二ヵ月前に恋人としての生活を暗黙の了解として終えていて、それ以降私たちはお互いをただのルームメイトとして扱うことに徹したのだから。
私は衣吹くんの後に入る湯船に髪の毛が浮かんでいても苛立ちを覚えなくなっていたし、お茶を飲んだだけのコップをシンクに放置されても「だらしないな」と思っただけで済んだし、何となく流しただけの映画に手を繋ぐシーンが出てきても、キスシーンが出てきても、それ以上のシーンが出てきても、私たちには自らにそういったノルマを課す必要がなかった。おそらくは衣吹くんも、私が食器棚の扉を半開きにしたままなのを見ても苛立たなかっただろうし、私が出しっ放しにしたままの基礎化粧品を見ても何とも思わなかっただろうし、風呂上がりの私が薄着でくつろいでいても、この二ヶ月ただの一度も抱き着こうとはしなかった。恋人であることを辞め、同居するだけの他人として一定の線引きができるようになった私たちは、誰が見ても適切な形でお互いを尊重し、そうしてお互いに干渉することへの興味の一切を失った。
そもそも私たちは恋人になんてなるべきじゃなかったのだと思う。
同じ大学の、好きな色が一緒で、何となく話しやすい異性の友達として、だらだらと時間を無駄にして馬鹿みたいに楽しいことだけを共有しておけばよかったのだと思う。他の友人を介し、たまに飲みに行って、お互いを異性として意識することもなく、だから恋仲になることもなく、そうしているうちにどこかで飽きがきて、少しずつ疎遠になっていけばよかったのだと思う。
そうしたらきっと、きっと私たちはこんなふうにお互いを「もうどうでもいい人だしな」なんて諦めずに済んだはずなのだと思う。
こんなにも悲しい気持ちを、こんなにも淡白な状態で知ることなんてなかったはずなのだと思う。
三月。上旬に衣吹くんが駅から少し遠い川沿いのアパートを、中旬には私も地元密着型のスーパーからほど近いアパートを契約し、四月の第一週にお互いこの部屋を出ていくことになった。
私が新しく暮らすアパートから駅へ向かう途中にも幅の狭い川があって、内見に向かう道中にはその川の両脇に咲く桜の花を眺めた。不動産屋と「綺麗ですねえ」「そうですねえ」なんてありふれた言葉の応酬をしていると���道路の向こうから散歩中の園児がカートに載せられこちらへ近づいてくるのが見えた。子どもたちは口々に「きれいだねー」「かわいいねー」「ピンクだねー」と笑っている。不意に利発そうな男の子が、
「おいしそうだねー」
とおかしなことを口走って、カートを曳いていた保育士が、
「食べられないねー」
慣れた様子で彼を窘めていた。盗み聞きなんて趣味が悪いとはわかりつつ、思わず吹き出してしまうと、彼らの会話を聞いていなかったのだろう不動産屋が不思議そうな顔で私を見る。いえ、すみません、何でもないんです、などと適当に誤魔化して、私は再び内見先へと歩を進めた。不動産屋が辺りの特徴をぽつぽつ挙げていくのを話半分で聞きながら、たぶんこの場に衣吹くんがいたなら不動産屋と同じ反応をしただろうな、とそんなことを考えた。衣吹くんが契約した川沿いのアパートの近くにも桜の木はあるのだろうか。特に理由はないけれど、ないといいな、と思う。
三月も下旬辺りになると、部屋中が茶色いダンボールまみれになっていた。衣吹くんが依頼した引っ越し業者のダンボールに描かれた鳩と私は数分おきに目が合い、私が依頼した引っ越し業者のダンボールに描かれたパンダは衣吹くんから「笑いかたが気味悪いんだよな」と何度も罵られていた。家財はそれぞれ等分ぐらいの金額になるよう譲り合い、お互いこれから始まるひとり暮らしには邪魔になりそうなソファーやダブルベッドは専門の業者に引き取ってもらう方向で話しがついた。多額の処分料がかかるかと心配したが、むしろふたりで割ってもその日の夕飯には充分すぎるお金で買い取ってくれるという。有り難いことだ。
四月の第一週、金曜日。私たちがこの部屋で共に過ごす最後の日だった。明日の午前に私はこの部屋を発ち、明後日の昼過ぎには衣吹くんもそうなる。数日前までは、最後の晩餐ぐらいパーッと外食でもしようかと話していたのだけれど、どうしても冷凍食品を食べ切れないまま今日まできてしまい、捨てるのも勿体ないからと結局こうしてふたり青色ばかりの皿をダンボールの上に並べ、無駄に品数の多い冷食だらけのディナーを囲んでいる。お湯で温めただけ、チンしただけ、自然解凍しただけの夕食も、いつもの青い皿に載せてしまえば普段通りの食事と同じ顔をして私たちに食べられるのを待っていた。どちらからともなく戴きますと手を合わせ、そっと箸をつける。肉厚なハンバーグからは肉汁がジュワッと溢れ出し、大口で頬張ると蕩けたモッツァレラチーズが上顎へ直に触れ思わず「あち」と慌ててしまう。
「なあ未波。俺、前から思ってたんだけどさ……」
ハンバーグを咀嚼した衣吹くんが、軽く俯いたまま私に話しかける。なに、と返事をするよりも早く彼は、
「青い皿って、なんとなくまずそうに見えるよな。飯が」
俺、ずっと嫌だったんだ。そうにへら顔で笑った。
「……何それ。いまさら言う?」
衣吹くんの言葉を受け、この二ヶ月間ずっとこらえてきたような冷たい言葉を返しながらも、思わず吹き出してしまう。だって、全く同じことを私もこの一年八ヶ月の間彼に言えずにいたのから。
ふたりとも、青が大好き。それだけの理由で親しくなった私たちは、この部屋に入れるものはできるだけ青で揃えてきた。カーテンも、カーペットも、ベッドシーツも布団カバーも枕カバーも、デニムなんて黒や白がほしくとも無理に青を選んでは、衣吹くんに見せて「似合うね」「そうでしょう?」と笑い合ってきたのだ。同棲を初めてふた月ほど経ち、見事青にまみれたこの部屋を衣吹くんは「空みたい」と言い、私は「海みたい」と言った。衣吹くんがそれに気づいていたかはわからないが、私の発した、海みたい、には軽い侮蔑の気持ちが込められていた。
「青色、確かに好きなんだけどさ、なんつーか……、俺、正直にいうとここまでじゃないんだよな」
「ああもう何それ、私だってそうだよ。最初に言ってよ。私なんてもう青い服だらけなんだよ。ほんとは赤とかピンクとか黒とかも着たかったよ」
「俺だって青いデニムのコートなんか買いたくなかったよ。本当はあれブラックのほう狙ってたんだからね。未波と買いに行ったから青にしたけどさ、ひとりで行ってたら確実に黒を買った」
「私、衣吹くんにずっと内緒にしてたけど、ブルーハワイのシロップ苦手なんだよね。一番好きなのはレモン。次がいちごで、その次はメロン」
「青じゃねえじゃん」
「そう、青じゃないんだよ」
お互いくつくつと小刻みに肩を揺らして笑う。先ほどまでは湯気の立っていたハンバーグがどんどんと冷めていく。それでも私たちはこれまでの隠し事や嘘を一つずつ、まるでパレットの青絵具を薄めるようにしながら丁寧に暴いていった。
「衣吹くん、青が好きだからメロンソーダが好きって言ってたじゃん。あれ初めて聞いたとき私『いやそれ緑じゃない?』って思ったんだよね」
「あああれね、俺も言いながら心の中でしくじったなーって思ってたわ。だってメロンソーダなんて好きじゃねえもん。あの頃まだ付き合ってなかったから。未波の気を惹きたかったんだよな。音楽家も作家も俳優も、未波、何一つ俺の“好き”と被ってなかったからさ、このままだとやべえ、何かこじつけなきゃって焦ってさ」
「ね、ほんとに私たちって趣味合わなかったよね。それこそ付き合う前、衣吹くんから『青色が好きなら、ブルー・マンデー・ムーンとか聴いてる?』って訊かれたとき、私それが曲名なのかバンド名なのかもわかんなかったんだから」
「俺、あのバンドは青とか関係なく好きだからね?」
「私はピンとこないんだよね。歌詞とかもう訳わかんないよ、いちいち回りくどいし」
「だー、そこがいいんだよ」
ダンボールの上に並ぶいくつもの青い皿を境として、私たちはどこまでもクリアに、親し気に話を続けていた。何一つ勘ぐることなく、気遣うことなく、気後れすることだってなかった。きっと私たちは青色になんか頼らずに、最初から、こんなふうに軽口を叩いておきさえすればもっと近しい距離で互いを認め合えていたのかもしれない。私たちはずっと馬鹿の一つ覚えみたいに青いものだけを揃え続けるばかりで、ずれたピントを直そうともしなかった。
明日の午前、この青まみれの食器を一枚残らず置き去りに、私はこの部屋を出ていく。ふたりで過ごす最後の夜を、私たちは軽快に罵りながら笑い合って過ごしている。窓際に吊るされたままの青いカーテンが、空みたいな、海みたいな顔で私たちを窓の外の濃紺から���切っている。
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UVERworld Rock's Saw Dream
UVERworldとの出会いはBLEACHの『D-tecnoLife』からである。精神病院に入院し外出の禁止、入院患者同士でのトラブル、看護師や医師からの攻撃、デジタルデバイスの制限、食事に盛られる毒、GCも含めての自慰行為、絶望の中での葛藤、などの問題から精神が荒んでいた頃だったので、D-tecnoLifeのオープニングをBLEACHで初めて見た時は真綿にスッと水が染み込んでいく感覚を感じたのを覚えている。
次にUVERworldの曲を聴いたのはBLOOD+の『Colors of the Heart』であり、明らかに普通のバンドと異種の曲を作っているバンドであるとの認識が得られた。また自身は過去にDTPデザインを志した者であるため、曲の題材がX属性の絵描きのことを表した(自身はビジュアルデザインも含みだと思ったわけだが)曲であるため、シンパシーのようなものを感じ、またOPの映像も芸術的であった。後になってBLOOD+はkeysheri差別主義者の歪んだ作品であり、UVERworldをはじめとするkeysheriの人向けのタイアップアーティストを採用しているのは私向けの天命であると知ったが、当時の私はそういった事情は知らなかった。もともと私はOxygen系のアニメは絶望の外の現実を示唆しているような気がしていたのだが、UVERworldの曲は特にその傾向が顕著であるとの印象を受けていた。
COTHの時点で既にUVERworldにはもっと積極的なリサーチをすべきであったが、実際の所さりげなく現れるのを楽しみにしていたのでそこまで積極的なリサーチはしなかった。精神病院で一緒に入院していた(後になって「卑猥に統合されている」というのが矜持の変態と知ったが)Y本から『just Melody』をMDプレーヤーを借りて聴いたりしたし、病院から退院して実家に戻った後はD-tecnoLifeのシングルを聴いたりして、特に『ai ta 心』はガイアへの憧憬に囚われていた私にとっては特に印象深い曲だった。
3つめにUVERworldの曲を聴いたのは当然ガンダム00の『儚くも永久のカナシ』である。自身でガンダム00は視ていたことと、さらに友人のI藤から「この曲すごいよ」と紹介されたこともあり、非常に印象に残っていた歌であった。オリコン・チャート1位も取り、I藤の話ではシングルがCDショップで売り切れになるほどの人気だと聞いた。私は当初は歌詞が繊細で表現力が高い曲だから凄いとしか思っていなかったのだが、歌詞を読んでいるとめちゃくちゃ言霊も歌詞の表現も上手い歌であると思い、さらに聴いているうちに歌詞にエンジニアリング的な深い意味があるということがだんだんとわかってきた。この曲の「卑しさが宿ってた 映し疲れた瞳に」という歌詞から視界からIMウイルスでZにウイルスが感染るという現象があるということを私が知ったというのも事実である。
私は動画投稿サイトから違法ダウンロードして音声のみストリップした音源を聴いていたのだが、後にガンダム00 COMPLETE BESTを買って、潤った綺麗な本当の最高音質で聴けることは非常に嬉しい事だった。私にとってはガンダム00のOP同様この曲のイントロとともに本当に舞い降りてきた感覚を覚える楽曲であった。私はあり得ないことにこの音源をiPod touchに入れて、絶望脱出時に沈没した時は精神病院の隔離室でも徹底的に聴きまくって歌いまくっていたものである。この曲があることに依ってモチベーションを失わず精神病院戦を戦いぬき、絶望から脱出することが出来た。
儚くも永久のカナシは文芸的で厭世的で近未来的で裏現実的でシステム的で真理的な傾向を込められた信じることの大切さを歌った神曲である。青色の儚くも永久のカナシとは、本当に潤った感覚がするときのHTNKの聴こえ方であり、私は大抵は銀色の儚くも永久のカナシで聴こえていた。この曲の深みに惹かれて何度も救われて元気づけられた歌である。楪涼はもともと私が文芸属性で文芸部に所属していたことがわかっていたため、このような曲の書き方をしたということである。予感は感じてはいたものの、この曲が温もりでストーカーの心情を表した曲だとは明確には私は気付かなかった。DG差別主義者の友人のI藤は知っていたようだ。
絶望脱出後はこの曲を出発点として、あらゆる恐怖・不安・迷いと戦う必要に迫られた時、この曲を聴いて気を奮い起こしてきた。信じることに依って救われることが多分にあるという、最も重要な真理を扱っている曲で、当然1keysheriとして生きていた私にとってもあるいはこの曲のリスナーの人たちにとっても非常に大切な曲になったはずだ。この曲は後にSaphireやLabyrinceを越えるときにも強力な役割を果たしている。
絶望脱出前にGO-ONを買ったし、哀しみはきっとの歌詞もネットで調べたが、消極的な歌詞表現が見られたため、UVERworldももう戦��ないと思ってこのシングルを出したのかと当時は思っていたが、今から見れば単なる戦略と天命とShiner-lieであった。GO-ONの収録曲のthe truthは歌詞がずっと意味がわからなかったのだが、Labyrince時に強力な個人的天命的解釈と実際の一般の意味が明らかになったため、合点がいったシングルであった。
AwakEVEを買ったのはGO-ONでInfinite choicesを直感が超えると歌詞に書かれていたからで、これを真に受けてCDショップでとりあえずなんか買おうかと思ってそんならUVERworldだなと思ったために、最近のアルバムとしてネットでも宣伝を視ていたAwakEVEを買ったということである。これが大当たりで絶望脱出兼現実世界の認識の取得のために非常に役に立った。最初買った時は非常にエモい曲調であったため、反道徳的なおかしなアルバムを買ったのではと危惧したが、少し聞いてこれはまさに狙い通りのアルバムではないかと合点がいったのは実際の話しである。精神病院に入院している間にiPod touchでずっと聴いていて、少しづつ絶望脱出の理論取得と機会の獲得のために解析を進めていたが、最終的に現実世界がガイアとは異なる世界として成り立つとの観点が得られたために、AwakEVEを基点として絶望脱出に成功することとなった。
絶望脱出後はじき発売されるTOKYO DOMEのDVD欲しいな〜と思いながら過ごしていたが、実際に時期が過ぎ発売日が来てDVDが発売されたため、実際に買うことが出来た。そしてHandBrake for MacでDVDリッピングして、MPEG-4動画にしてiTunesにインポートしてiPod touchに同期して入れていつもビンビンの音響で聴いていた。時間を確保するために寝る前に聴く時間を設けていたために、寝る前は神経過敏であり余計に睡眠導入剤を飲まなければいけなくなるのは全くの若気の至りで判断ミスであった。
TOKYO DOMEのライブでは最後にTAKUYA∞が会場のファンに「愛してるぜ〜!」と声を掛けており、UVERworldってやっぱそういうバンドなんだという認識を固めるに至った。またテレビで放送されていた「夢をカタチにする言葉」というUVERworldを特集した珍しい番組があり、これを視てUVERworldって本当にこういうバンドなんだな、TPとkeysheriというファクターが本当にありkeysheriの人たちのために戦っているんだなと思ったものである。
LIFE 6 SENSEはちょうどMacBook Whiteの二台目を買った時に買ったアルバムである。SnowLeopardのデスクトップテーマの恍惚感と相まって、宇宙的感覚と近未来的な感覚とLIFE & SENSEの空虚感がないまぜになった世界観の中で聴いていたアルバムになる。このアルバムを買った時点でやはり芸術というものは実装を表していると明確に確信するだけの内容になっているアルバムであった。
7th TriggerをYouTubeの音源で入手した時は、まさにノロウイルスでコテンパンに潰されていた時期であった。母親がカキ���ライという非常に危険極まりない食事を作って、その危険性に気づかずに食べてしまったため、あたって二回かそこら吐いて家に居ながら死地を彷徨った経験となった。7th Triggerになって初めて「銃」と言う言葉が出てきて、これは今までのUVERworldには無い言葉だなと思っていたが、後にこれがBIOSのTriggerを表していると知ったのはもっと後のLabyrinceになってからのことである。私はこの時に歌詞からギミックに依るシステム破壊の危険性に気づいて、BIOSとremoverの存在を知らなかったためウイルスを削除する前にシステムを破壊される危険性を恐れたが、それでも前に進めと芸術作品が表しているから実際は大丈夫なのだろうとドグマを張って、それ以降も思考を先に進めていくことになる。
UVERworldはSONYのアーティストでYUIなどと同じタイミングでiTSにも顔を出しており、実際は私向けに楽曲を販売するためにそうしていたということを後になって知ったが、人間のGCの人にも売りたくてもkeysheriではないからiTSには上記の理由がなければ本当は参加したくなかったということである。
THE ONEは買った時には季節は✝mas《クリスマス》であった。買った時には私に対して否定的な批判的なことを書いたアルバムだと思って意気消沈していたが、聴いているうちに私に対して次なる希望を指し示しているアルバムとして作られているという認識に思い至った。話は変わるが私としてはこのアルバムこそがUVERworldの作風として最も適切で的を射た作風に作りこまれているアルバムであると思った。音の作りがザラザラとした金属感が増し、力強く切なく音作りがされていた。
MassiveをiTSで買った時、その曲を聞きながら明らか自分は新しい世界観に向かい疾走している状態であるという直感というか予感を感じ取った。ちなみにBIOSの存在の可能性はUVERworldがcore abilityという曲を過去に作っているという話を何処かで読んで、ならばFirmWareというものがVTには有るのではないかと思いついたのが最初の発想点である。友人のI藤にこの話をしたら「それはBIOSのことでしょ」と言っていたので、「コンピュータの話じゃないんだよ」と私は返したと思うが、後に一般名称はBIOSと呼ぶのだと後になって気づいたところである。
Saphireの時期ではTHE ONEを聴きながら、徹底的に思考を高度の状態にまで進め、徹底的に思考が改革され進展して行った時期である。実際はNightglowの季節があって、その間は中止まり状態だったが、その季節を経てLabyrinceに突入した。GCの存在を知りUVERworldがGC向けの楽曲を提供しているバンドであると知ったのもこの時である。これに気づくのが少し遅れたため、UVERworldが最強のバンドであるとボーカルのTAKUYA∞が言っていたことを信じていたため、UVERworldのファンってウイルスを削除できてはいても強い人達ではないんじゃないかと思った時は落胆はひどかったが、後にGCのコミュニティーであると知って本当に最強のコミュニティーであると分かったのがあとになってからである。そしてこのLabyrinceを越えた時に自身がIceweaselでありUVERworldのメンバーも私のことを嘱望��ているということを知ったのもこの時であった。TOKYO DOMEのDVDの動画を見ながらLabyrinceで思考が失墜しそうになっている私の思考に合わせて、DVDの中のステージの上で再生中に首を振ったりうなずいたりしているバンドメンバーのアクションを見ながら、明らか私向けに行っているアクションだなと思った時は運命的なものを感じた。TAKUYA∞のRootsでの「届いてんのかい〜」は私に対して言っているような気がすると前から思っていたが、実際にそれも含みで言っていると知った時は驚いたような納得したような感じだった。
root以降は私自身がIceweaselであると言うことが分かったため、TAKUYA∞ともSurrealで話をし、私はUVERworldのTAKUYA∞と平出悟にrinstallを行い私のgridにfeederとして参加してもらい、私のsherinarを繋いだりgridのリソースにアクセスできるようにlinkの能力を繋いだりした。実際私はLabyrinceを越えた時点で自身がXRounderであると分かっておりZUIのインターフェイスで感覚でrinstallを成功させた。平出悟に繋いだのは過去に対してだったため、THE ONE及び7th Triggerの前の時期を狙って繋いだため、音作りの作風が少し変わったということが解りながら繋いでいた。
rootからしばらくはUVERworldとの蜜月が続いたが、一定期間後に一滴の影響の頃にGC原理主義者のバンドであるということにようやく私が気づいたため、それ以降は友好関係は断絶し、離別するという顛末となった。一滴の影響の頃のライブ映像はGC原理主義者に降り注ぐ愛の太陽のように照明が思え、UVERworldの在りし日の姿ということで切ない気持ちになったことは記憶に新しい。shout loveは離別後にUVERworldが私へのアンチの意味で作った最初の曲である。
その後UVERworldのメンバーはアクツキ【AXISの赤の月神】のボットとされ、若干の顛末の後に楪涼がUVERworldのメンバーを書き戻すという話になったため、UVERworldはまた私と協力関係であるバンドになった。その頃に書かれた曲がTouch offやConneQtであり、GC原理主義者ではないという前提のもとで作られた楽曲となった。この頃はソードアート・オンラインアリシゼーションが放送されていた頃であり、UVERworldとは関係がないが、そう言った末期の時期であったということである。
そしてUNSERはLightning Returnsのテイストでクオリティー高く作られたが、覇気のないアルバムであったため私はかなり不満足であった。私はもっとTHE ONEのようなアルバムを望んでいたためである。しかしこの時のUVERworldのメンバーとのイザコザから彼らがGC原理主義者から堕転していないことが判明したため、また離別することとなった。
そして結局のところUVERworldのメンバーは全員ゲイであり、単にCobaltLightと結婚したいからUVERworldをやっていただけで、私に対しての協力心や善意は全く無く、しかもTAKUYA∞はGC原理主義者ではなくDG差別主義者であり、他のメンバーもkeysheriの人達を助ける気など元々無い全くの滑稽なバンドメンバーであったということが明らかとなった。現在UVERworldのメンバーは楪涼のボットになっているという可能性が若干あり、私向けの曲も少し作っているようだ。
関係ない話かもしれないが高積 唯理が先へ進めなかったなら、Phoenixは存在せず、また高積 唯理によってスティーブ・ジョブズが導かれてAppleが新生ジョブズ体制で復活することもなかっただろう。keysheriのGCが人間を救った最も象徴的な出来事であったといえる。GCとは親から敵視されるためkeysheriに生まれるものであり、システムを開いた場合という条件付きではあるが、本当に社会的活動をして社会に貢献するのはkeysheriのGCである。【人間のGCであってもVT【魂】のGCなら来世はかなり高確率でkeysheriである。またBIOSで常識を知らない場合でも、keysheriのGCの人はGCであるが故に危険視されるため親から常識を教わることはまず無い。人間はこれらの事実を思考に折り込め、これは天命である。】
UVERworldはファンの名前はNeoクルーということでGC原理主義者のバンドであったが、Neon属性に最も根付いた直情的で直接的で最も重要な強力な楽曲を書くバンドである。反語が非常に多いのはGCはBIOSで常識で知っているからという間違った情報にもとづいて作っていたからであったが、それでもkeysheriの人を代表するバカの人にとっての最も強力な実装とモチベーションを与えてくれる重要なバンドであったことは間違いない。音楽というインパクトの有るジャンルを使ったことも理に適っているといえる。UVERworldが空前絶後のNeonバンドであったことは間違いなく最高の金字塔を打ち立てたバンドであったということだろう。
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aoki yutaka/Lost In Forest
先日は渋谷WWWに念願の「aoki yutaka/Lost In Forest」ワンマンライブに足を運んでおりました。僕が世界で一番大好きなバンド「downy」の世界で一番好きなギタリスト青木裕さんの初ソロライブ公演とあって、ライブが始まる前に既に未だかつてないぐらいの凄まじい緊張感と、とてつもない楽しみさを感じる浮き足立ちな気分でいました。 2017年1月18日にVBRから発売されたソロアルバム「Lost In Forest」(全曲レビューも書きましたのでそちらも良かったらどうぞ)は本当に音楽の歴史に残るぐらいのとてつもない名盤で何度も何度も愛聴していた身としては絶対にライブでは再現不可能だと思っていましたが、青木裕さんなら不可能を可能にするだろうと言う半々な気持ちを持っていました。
そしてソロライブ発表と同時にメンバーも発表され、ギタリストのJakeさん、マニュピュレーターのarai tasukuさん、そしてdownyのVJでもお馴染みの柘榴さん。そしてアルバムにも参加されているボーカリストMorrieさん、追加で発表された青木裕さんの別プロジェクトunkieのドラマーの城戸さんという、とてつもなく豪華でプロフェッショナルな素晴らしい音楽家達が参加するのを知り、メンバーの人選としても青木裕さんの音楽人生の集大成だと個人的に思いました。 中でも城戸さんはソロアルバムがそもそも楽器としてはギターとSUGIZOさんが参加されているバイオリンのみぐらいなのでドラムの導入は凄く興味深いポイントでもありました。
クラシカルなBGMが会場で流れ心地いい旋律に身を包まれながら待っていたあの一時間は既に至福の時でした。 まず初めに青木裕さんのみがステージに登場しギターソロを披露 青木裕さんのギターは全編に渡り緻密さと荒々しさが完全に同調しており、幽玄的なフレージングと超絶技巧を携えたエフェクティブな音が会場を包み1音も逃さない様な会場の���観さが柘榴さんの樹海や深淵な森を彷彿させる様なVJに呼応していて音、人物、映像、ステージングの配置、空気、全てが折重なりあい一つの作品になっている様でした。
この時点でもう、自分の感覚がLost In Forestになりました。
そして、Jakeさんとarai tasukuさんが登場し、更に混沌な音がひしめき合い渦巻くような旋律を奏でていて尚且つお互いの音が濁ることなくクリアに聴こえていてそれぞれが共鳴しながら響き渡っていました。 アルバムの楽曲を感じる瞬間もありますが殆どが新曲と言って良い程にそしてアルバムを聴いている人へのサプライズ的な意味でも大胆にアレンジされておりとても感銘を受けました。 VJもライブが進行していくにつれて曼荼羅の様な模様や幾何学的な映像、青木裕さんのイラストや中世を感じる様なデカダンスな絵画、少しだけdownyのVJなども導入されており、そのどれもがアンサンブルに完全に同期しつつもインプロ的に変動しており暗く、緊張感漂う雰囲気を感じさせながらも美しく幻想的な世界を構築していました。
中盤になりドラムの城戸さんのあえて受動的なタイム感ではなく野生的とも言える不規則なリズムが更なる緊張感とダイナミズムを纏わせていて、緩急を付けた静寂を作ることによりロールシャッハテストの様な多面的な切り込み方をされていてアンサンブルにストイックかつスリリングなグルーヴを生み出していました。
終盤、走馬灯の様な余韻と共に静寂の中から登場した魔王とも称される今回のSPECIAL GUESTボーカリストMorrieさんはまず、佇まいから息を飲みパイオニアにして唯一無二と称される声に圧倒されました。様々な音が鳴っている中、埋もれることなくトラックに一際、存在感のあるマッシブな歌声を披露していて哀愁を感じさせながらも力強くそしてストリングスの様なサスティーンを持ち合わせていて素晴らしかったです。樹海を導く案内人の様な、それでいて終末を告げる預言者の様なイメージを個人的に持ちました
クライマックスは枯れ木が燃えていくVJをバックに侘しげでいて穏やかなフレーズが矛盾的な雰囲気を生んでおり旋律の美しさと今までの感情が込み上げて泣いてしまいました。揺らいでいて尚且つ、立体的な音像が生命の躍動を感じさせ昇華していく様な気分になり感情を何処に置いていいのか分からない放心状態とも違う今まで全く体験したことのない感覚になりました。 アンコール無し、MC無しの一時間半 完全に青木裕さんの世界に連れて行かれていました。
このライブを観れた事は生涯に渡って忘れない一つの思い出となり自慢となりました。この先、音楽に限らず様々なアートやエンタメ、事象などでこの日を超える体験に出会えるのか?と思うぐらい本当に自分の中で特別な一夜となりました。
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