#二宮尊徳
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二宮神社の二宮金次郎像は昭和三年、昭和天皇の即位御大礼記念として寄進された。これと同じ像は全国の小学校などに向けて約一千体制作されたが、戦時中すべて供出に遇い現在残っているのはこの一体だけ。メートル法普及の意図を反映して丁度一メートルの高さに作られている。

二宮神社のきんじろうカフェの横に金色の金次郎像が。どうやら八重洲ブックセンター本店入口に置かれていた像が、本店閉店に伴って、ここに移設された模様。「勤勉にして片時も本を離さなかった二宮金次郎こそは真に理想の読書人である」という会長(平成3年当時)河相全次郎氏の言葉が刻まれている。
posągi Ninomiya Kinjirō w świątyni Ninomiya
statues of Ninomiya Kinjirō at Ninomiya Shrine
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月27日(月曜日)弐
通巻第8623号
中国軍は習近平への愛想が尽きた
皇帝専制より集団指導体制を、と軍の機関紙
*************************
習近平が寝言を言う度に多くの中国人は心の奥底で「あのバカが」と捨て台詞を吐いているそうな。
台湾を統一するという空文は呪術ののろい、だれもがそれが可能だとは思っていない。中国の脅威? たしかにあるが、CIAの過大評価やペンタゴンの空騒ぎは、かれらのルーティンワークであって、組織と予算を維持するにはロシア、イラン、北朝鮮、そして中国という軍事的脅威が必要なのだ。
アメリカの場合は世界一の軍事力を詠いながらも政治指導部の戦略的誤断が影響し、イラクではサダムを排斥した結果、無秩序な、しかもスンニ派政権からシーが派跋扈の、不安定を生み出した。チュニジア、リビア、シリアはアメリカの思惑とは逆の趨勢となり、アフガニスタンからは無様な撤退、くわえてオバマ、バイデンの悪政によりDEIキャンペーンで米軍は機能不全の一歩手前という悲惨な状態になった。
だから中国はつけいり、ロシアに近づき、ウクライナでの西側の疲弊をじっと、にやにやしながら待っていた。
世界的なチャイナ���ォッチャーとして知られるウィリー・ラム(中国名=林和立)が米国シンクタンク「ジェイムスタウン財団」の『チャイナ・ブリーフ』(2025年1月17日号)に書いた「習近平に挑戦する四つの集団」が注目を集めている。評者、かれとは十五年ほど会っていないので、この最新論文を知らなかった。
習近平に対して批判的な四つの集団は、前述ウィリー・ラムに拠れば、第一に李瑞環や温家宝などの引退した党の長老たち、第二に海外に拠点を置く太子党の人脈、その子弟や孫たち。第三が張又峡ら軍指導部の高層に陣取る守旧派たち。第四が経済政策に不満表明している起業家たちである。
かといって軍がクーデターを起こす可能性は低い。どこかの国の軍隊のようにクーデターを起こす気力は希薄であり、気概などわすれて現在の特権を享受し、習近平の介入を排除し、自らの権力の範囲内でいつまでも特権にあまえる。
派手な軍事演習を見せびらかすのはかれらの存在証明であり、習近平に対する威圧なのである。
▼軍の中はしっちゃかめっちゃか
苗華の失脚、李尚福国防相の解任、新国防相になったはずの董軍の所在不明などが何を物語っているのか。
すなわち習近平は軍を掌握できていないという実態である。
人民解放軍の『解放日報』では驚くべし、これまでの習礼賛の記事は消えて、「集団指導」が強調され、そのシステムの美徳を擁護しはじめている。
これは、習近平主席が2012年に権力の座に就いて以来、すべての決定は「権威の単一の声(定于一尊)に依拠すべきである」と主張してきたことに対する侮辱になる。
これを敏感に感じ取って外交部は対米接近で、突如、猫なで声の融和的なアプローチをとった。「戦狼外交」を放棄せざるを得なくなったようだ。
また外交部は世界のあちこちで一帯一路プロジェクトが頓挫し、現地の���判がすこぶる悪いという事実を認識している。
無謀なプロジェクトのツケけは巨額の赤字、銀行融資は停まり、現場はさび付き、中国人を���ったテロが多発している。
多くの太子党幹部、特に海外に拠点を置く太子党幹部は、習近平の最も厳しい批判者となった。中国国内での優れた政財界のコネクションを活用して富を築き、その後、北米や欧州に数十億ドルの富を蓄え、家族とともに中国を出国した。居住国で嫌がらせを受けないようにするため、これらの元幹部の多くは、現地の情報機関に協力することを選んだ。
中国では社会敵不満が高まり、反習近平の活動が目には見えないが増えている。こうした活動は、民間資本を犠牲にして国有企業を優先する政策、高校や大学の卒業生の大量失業につながる経済無策、習近平の政策の犠牲者が大部分を占めているのだ。
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2023.11.04(sat)
若狭路をぶらりドライブ。
「海のある奈良」「小京都」と呼ばれている小浜市。紅葉にはまだ少し早かったけれども、初めて訪れる寺院は見ごたえがあってよかった。
昼食は「うなぎ料理 徳右ェ門」さん。
他でもちょこちょこ食べたいものがあるかもっていうことで、ほどほどの量の「うな丼」を食す。肝吸いもついてます。三方五湖で獲れる鰻は、薄皮で身はふっくら絶品です。
家のお土産は、敦賀の「天清酒万寿店(てんせさかまんじゅうてん)」さんで酒饅頭、自分用に「小浜酒造」さんの「純米吟醸わかさ」を購入。
〇高野山真言宗 石照山 多田寺(御本尊:薬師如来)
この御本尊は眼病に効き目があるらしい。
〇比叡山天台宗 霊応山 神宮寺(御本尊:薬師如来)
3月2日に神宮寺の境内にある「閼伽井戸(あかいど)」で汲まれた水を、1.8km先にある「鵜の瀬」から流し(お水送り)、3月12日に奈良東大寺二月堂で「お水取り」が行われる。1300年以上続いている。
神仏習合のお寺でもある。
〇高野山真言宗 延宝山 萬徳寺(本尊 阿弥陀如来坐像)
高齢の名誉住職 田中寛孝(かんこう)さんが説明をして下さいました。
埋石式枯山水庭園が有名。庭園横の座敷の欄間には、小浜藩藩主 酒井忠貫(ただつら)公の水墨画が残されている。また高野山関連で有名な吉祥宝来の切り絵が3点ほど掲げられていた。写真は今年の干支の「兎」
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二宮尊徳の名言「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」をたまに思い返すべきだろう。 福祉関連の事業所の経営陣は、大きく分けると以下の2つ。 ・障がい者の支援がしたいから事業を始めた ・福祉関連の事業が儲かりそうだから他業界から参入した 経営がうまくいっているのは、圧倒的に後者ではないかと思う(私見)。支援がしたいからといって事業を始めても、経営のイロハが分かっていなければ事業は立ちゆかなくなる。結局はスタッフも障がい者の方々の雇用も維持できなくなる。 いっぽう他業界から参入した事業主は経営を理解しているので、意外とうまくやっていく。その中には、単に「儲けたい」と思っていただけの社長が、障がい者の方々と仕事をしているうちに、「もっと支援したい」という気持ちが目覚めるケースも多い。優しくなるためには強くなければならないのだ。
障害者5000人が解雇や退職 事業所報酬下げで329カ所閉鎖(共同通信)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし。売りて喜び、買いて喜ばざるは、道にあらず。貸借の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。#二宮尊徳
Xユーザーの名言さん
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等��鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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ある武士が近江国を旅していたときの話。大切な金を馬の鞍につけたまま馬を返してしまった武士は金が戻らずがっかりしていたが、そのときの馬子が金をそっくり渡すため武士のもとに戻ってきた。感謝した武士はせめて礼金を渡そうとするが馬子は受け取らない[3]。仔細をきくと、馬子の村に住む中江藤樹の教えに導かれてのことという。そこで武士は迷わず、藤樹の弟子となった。この武士こそのちに岡山藩の家老となった熊沢蕃山であるという
中江藤樹 - Wikipedia
落語みたいな逸話。
文七元結 - Wikipedia
- - - - - - - - - - - - - - - -
代表的日本人 - Wikipedia
『代表的日本人』(だいひょうてきにほんじん、原題:Representative Men of Japan/Japan and the Japanese)は、内村鑑三による英語の著作である[1]。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の生涯が紹介されている[2]。
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中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災��とつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(中井久夫「日本人がダメなのは成功のときである」初出1994年『精神科医がものを書くとき』所収)
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〈お元気ですか?今日は、何の日・〉
https://sunnyhomewor.thebase.in/
ドライりんご 発売中です。
おはようございます。
「政事は 豆腐の箱の如しである。
箱が歪めば 豆腐も歪む」
曇り時々雨 最高気温17℃の予報です。
今日は、豆腐の日です。日本豆腐協会が
1993年に 語呂合わせから制定します。
二宮尊徳、いいね!豆腐、いいね!
If were the last day of my life,
I want to do what I am about
to do today?
今日もいろいろ頑張ります。
よろしくお願い申し上げます。
http://www.sunny-deli-secco.com/
#ドライりんご #ドライアップル
#乾きリンゴ #driedapple
#granola #driedfruits
#小樽市 #otaru #ワインのおとも
#北海道 #子どものおやつ
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#말린사과

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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精��工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつ��も変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、��たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)6月24日(月曜日)弐
通巻第8303号
「韜光養晦」路線から野心ぎらぎら満艦飾の「戦狼路線」へ
ど派手の武威、領海領空侵犯の裏に何かが隠されているのではないか
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韜光養晦とは1990年代に「最高実力者』(肩書きがないのにトップだった)、トウ小平が強調したスローガンで、「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保政策の基本方針だった。出典は三国志、劉備玄徳の言葉で、この四字熟語にこめられていた意思は臥薪嘗胆、立志報復だった。
中国は89年の天安門事件で国際的に孤立し、西側から厳格に経済制裁を突きつけられて、経済が頓挫したため、爪を隠して国際社会における存在空間を広げながら、基本的には、経済力もつける必要があった。他方で西側の中国制裁を「われわれの政権転覆を狙う『和平演変』だ」と言っていた。
日本が真っ先に西側の掟を破り中国に助け船をだした。
北京五輪を契機に、中国はすっかり自信をつけたばかり、2010年頃にGDPで日本を超えて世界第二位となると、米国以外の指導者すら見下ろすような態度を取り始め、胡錦濤政権後期に「韜光養晦」路線をすてた。日本に対しては傲岸不遜、上から目線で「教えてやろうか」という態度に変わった。やっぱり、臥薪嘗胆、立志報復のしっかりとして意思を含んでいたのだった。
習近平となるとトウ小平���線などきれいさっぱりと忘れ去り、というより習はトウ小平やエリツィン、ゴルバチョフを嫌っており、改革など眼中にはない。尊敬するのは毛沢東だから始末がわるい。
韜光養晦は中国共産党指導部の記憶細胞から消えた。
南シナ海に人工島を造成し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、インドネシアと領海をめぐる諍いがエスカレートした。
台湾海峡には連日、脅迫の武威、戦闘機から空母、巡洋艦に潜水艦、台湾侵攻は尖閣諸島占拠がセットになるから尖閣海域への海警艦船は武装して領海侵犯をくり返し、恫喝を継続させている。6月22日から23日の48時間で台湾上空に出現した中国の戦闘機は未曾有の77機に達した。
米国の有力シンクタンクCSISは「軍事力の衝突によらずとも海警の陣容を見れば、海上封鎖で台湾を日干しにする能力がある」と報告書を出している。
フィリピン沖合の珊瑚礁をうめたて、「ここは中国領だ、文句あるか」と白昼堂々の侵略行為を見せつけた。
さらに過去数年来、南太平洋の島嶼国家群への大規模に進出し、これら一連の中国の軍事的膨張にアメリカはすっかりつむじを曲げた。しかしそのアメリカとて、もはや単独での防衛は難しくなり日本のほかにインド、豪州とのシェアを重視している。
▼それでも中国を擁護しつづけたキッシンジャーはいなくなった
中国の軍事的威嚇、恫喝の武威デモンストレーションは、米国、印度、日本、台湾、豪州を十分すぎるほどに刺激した。痴呆老人さえ習近平を独裁者と言い出した。強力なチャイナ・ロビィ、中国の代理人だったヘンリー・キッシンジャー元国務長官は視界から消えた。
日本をも刺激した。なにしろ平和憲法、非武装中立の虚言を吐き続けてきた日本がGDP1%の防衛費枠を突破しても国民の反対はごく少数だった。バイデン政権は台湾にかれこれ十五回にわたって高性能武器を供与し、米海兵隊は台湾兵の訓練にあたっている。
さらにはアメリカでスパイ気球、スパイクレーンに技術スパイ、スパイ根城の孔子学院と、あらかたの最新技術を盗み出し、ハッカーを大々的に仕掛け、TIKTOKなどを使ってフェイク情報をおくり続けた。これほど無神経な行為はないだろう。アメリカを怒らせるにフルセットだった。
ちょっと考えて見ても、中国の立ち居振る舞いは愚かではないか。
自らの野心を相手に邪推させることは戦略的思考から言えば愚昧きわまりなく、孫子が生きていたら「おまえ、何をやっているんだ」と怒り出すだろう。
しかし、もう一度よく考えて見ると、中国伝来の方式とは、外に向かって何かを喧伝しているとき、内部での矛盾を隠蔽している可能性が高い。
おそらく共産党高層部と軍のなかで、熾烈な権力闘争が起きているに違いなく、そうした脆弱性を糊塗するためにも、外部に向かって威張りちらす、居丈高に横暴に振る舞って国内矛盾をすり替えているように思えてならない。
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ゴールデンウイークも過ぎ、新緑が美しい季節ですね。我が家のバラも次々に咲き、頃合いを見計らって花瓶へ移し替える作業に追われています。できればずっと切らずにいたいのですが、何しろ花びらの枚数が多いので、散った後の掃除が大変なのです。移し替えといえば、ホテイソウに絡みついたメダカの卵もすぐに別容器に入れないと親魚が食べてしまうので、こちらも朝のうちに済ませます。この季節ならではの忙しいベランダでの作業は、私にとって大切なグラウンディングタイムです。
先日、初めて秩父三社巡りをしてまいりました。東京からはちょっと交通の便が悪いですが、関東有数の聖地と呼ばれる秩父には一生に一度は行きたいと思っていました。
小雨の中、思ったより空いている三峯神社までの道を走ってゆくと、前方にお猿さんたちが現れました。背中に赤ちゃんを背負っているお母さんや寄り道をしようとする子、堂々と道の真ん中を歩いている子もいます。温泉近くの道だったので、入浴帰りなのかもしれません。西武秩父駅を発って山道を登ること約1時間、ようやく三峯神社の駐車場に到着しました。雨もだいぶ止み、霧が立ち込める幻想的な景色に迎えられます。

しばらく歩くと三ツ鳥居と呼ばれるちょっと変わった形の鳥居が見えてきました。以前に参拝した奈良の大神神社やその摂社の檜原神社にもこれと同じ形の鳥居があります。狛犬の代わりに狼が出迎えてくれますが、大神神社(おおみわじんじゃ)の大神を普通はオオカミと読むのも何か関係があるかもしれません。
参道の両脇には高くそびえる杉の木が連なり、その梢は霧に覆われてぼんやりとしています。そんな幽玄な神域を進んでゆくと、やがて立派な隋神門が現れます。神仏混淆期には仁王門という名で、仁王像が鎮座していたとのことです。なるほど正面の文字といい、ここだけ見ると神社というよりもお寺っぽいです。


そこから再び杉並木の参道をしばらく歩き、階段を登って青銅鳥居を抜けると、樹齢800年と言われる立派な二本の御神木の奥に鎮座する拝殿が現れます。三峯神社は日本武尊が創建したといわれ、日本武尊が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりだと伝えられているそうです。

拝殿は総漆塗りで、正面の極彩色に彩られた見事な七福神の彫刻が出迎えてくれます。ほとんど人気もなく、静かで清浄な空間に身が引き締まります。

拝殿同様、手水舎も色鮮やかです。中でも龍の彫刻が数多く施され、天井からも龍が見下ろしています。身を清めて拝殿に進み参拝を終えると、左脇の石畳の床に囲いが見えます。そこに「2012年辰年に龍の姿が突然浮かび上がった」との説明文があり、赤い目をした龍の頭に見える図柄がありました。

1661年に建立され1961年に修復された拝殿ですが、60年以上経っているとは思えない美しさです。

復路の秩父湖は深い緑が印象的でした。

山を降りたら、次はご鎮座2111年という長い歴史を持つ秩父地方の総鎮守、秩父神社を目指します。レトロな街並みの参道を眺めながら歩いて行くと、目の前に鳥居が現れます。

ここでも正面の極彩色の彫刻が出迎えてくれます。この社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康��が寄進したものだそうです。

手水舎で身を清め、拝殿でお参りを済ませて裏側(北側)に周ってみると、後ろを振り返った『北辰の梟』と目が合います。体は正面の本殿に向き、頭は正反対の真北を向きながら24時間ご祭神をお守りしているとのこと。そのまま西側に周ると『お元気三猿』の彫刻があります。有名な日光東照宮の三猿が「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対して、秩父神社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」を表しているそうです。そういえば、山道で出会った秩父の猿たちもすこぶる元気そうでした。


こちらの御神木は銀杏です。鯉の餌が売っていたので、餌やりもしました。境内の一番奥には全国の一之宮を中心とした75座の神々がお祀りされている天神地祇社があります。



お参りを済ませたら花盛りの参道に戻って散策。昭和初期の雰囲気がたまりません。秩父34観音霊場13番目の札所である慈眼寺と、秩父七福神の札所である惣円寺の弁天堂にも立ち寄りました。


お次は20分ほど秩父鉄道に揺られて長瀞まで。目的地は秩父三社最後のお参り、寳登山神社です。レトロ感満載な駅舎を出ると、すぐに参道が始まっています。二つ目の鳥居を抜け、手水舎で身を清めて小川を渡ると、極彩色豊かな拝殿が鎮座しています。建立は今から1915年前の西暦110年、日本武尊がこの土地の美しさに惹かれ、道中で山火事に遭ったところ山犬たちに助けられたので山の名を「火を止める山」とした「火止山=ほどさん」と定めたことが始まりだそうです。ちなみに、2011年��『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』の一つ星「興味深い観光地」として認定されています。

権現造りの本殿は江戸時代末から明治初頭に造り替えられ、16年前に改修工事が行われました。

日本武尊を祀るお宮と、遠征の途中で禊をされたと言われる『みそぎの泉』もありました。

境内を散策したあと、参道を駅の方に戻ってゆき、そのまま道なりに駅の裏側へと歩いてゆくと…。

隆起した美しい岩畳と荒川上流のゆったりとした流れが織りなす壮大な景観が楽しめます。
今回はあまり情報も集めずに急ぎ足で三社を巡ったので、ご縁があればいつか三峰神社と寳登山神社の奥宮も訪れたいと思っています。
クラスの詳細及びお申し込みはこちらのページからどうぞ。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
このクラスは、2025年春学期以前のベーシック前期クラスを受講された方のみ、ご受講いただけます。
土曜日:19:00~21:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:5/14
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:5/27、6/10、6/24、7/8、7/22
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
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アウェアネス・マスターZoom クラス
月曜日:19:00〜21:00 日程:5/19、6/2、6/16、6/30、7/14
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/23、6/6、6/20、7/4、7/18
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:5/25、6/8、6/22、7/6、7/20
水曜日:16:00~18:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
木曜日:19:00~20:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
土曜日:13:00~14:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
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マントラ入門 Zoomクラス
金曜日:10:00~12:00 日程:5/30、6/13、6/27、7/11、7/25
土曜日:13:00~15:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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トランスZoomクラス
木曜日:10:00~12:00 日程:5/29、6/12、6/26、7/10、7/24
土曜日:19:00~21:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
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��ンスクリット・般若心経 Zoomクラス
水曜日:19:00~21:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
金曜日:10:00~12:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
ドロップイン・ナイト
5月29日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
7月24日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
内容:指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月25日(日)12:30〜14:00 担当:森+神塔ミディアム
6月15日(日)12:30〜14:00 担当:森+松山ミディアム
7月13日(日)12:30〜14:00 担当:森+恵子ミディアム
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
5月〜7月へのご参加は全て以下のリンクよりどうぞ。
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2025/03/30 全体主義の起源と人間の複数性
ハンナ・アーレントは1906年、ドイツのハノーバーでユダヤ系の中産階級の家庭に生まれた。マーブルク大学でマルティン・ハイデガー、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースに師事して哲学を学び、博士論文『アウグスティヌスにおける愛の観念』を執筆したのち、19世紀初頭のベルリンでロマン派の文人などを集めたサロンを主宰したユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲンの評伝を書いている。
1933年に政権を掌握したナチスの迫害を怖れてアーレントは母親とともに出国し、プラハからジュネーブを経てパリへ逃亡する。パリでは中東パレスチナにユダヤ人の故国を建設しようとする「シオニズム」の運動に協力している。ユダヤ人としての自己の存在の意味について本格的に考え始めたのもこの頃からである。
第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍がパリに迫ってくる1940年5月、フランス政府は亡命したユダヤ人を敵国人として収容所に収容する。アーレントはピレネー山脈近くのギュルス収容所に移された。6月にフランスが降伏するとドイツ軍のパリ占領の混乱を機に収容所を脱出してスペイン国境を越えてアメリカ合衆国に渡航する。
1941年5月にニューヨークに着いてから1951年にアメリカ国籍を取得するまでの間、亡命ユダヤ人として執筆活動を始め、ユダヤ系の新聞『アウフバウ』や『パルチザン・レビュー』などの雑誌に投稿する一方で、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビアなどの大学で教鞭を執っている。その一連の活動と思索の成果が1951年に公刊された『全体主義の起源』である。
*
同書の第一部「反ユダヤ主義」では18世紀末から19世紀末にかけてのプロイセン、オーストリア、フランスのユダヤ人の動向とナチ・イデオロギーの根幹となった反ユダヤ主義に関連する歴史的事象との関わりが描かれる。宗教的なユダヤ人憎悪とは異なる反ユダヤ主義(反セム主義、アンティセミティズム)は社会や政治の同時代的な問題状況と並行して現れた。
ヨーロッパの君主国を財政的に支えていた御用銀行家としての宮廷ユダヤ人は社会的には隔絶して存在していたが「例外ユダヤ人」としての特権を享受し、国家と直接結びつく政治的機能を果たしていた。しかしブルジョワジーが台頭し、政治と連携する時期になるとユダヤ人の富の意味は急速に失われていった。そうした中で曖昧で余分な存在に対する憎悪の風潮が生まれ、他方で右派から左派までのさまざまな政党において民衆の支持を獲得するための道具として反ユダヤ主義が利用されていく。
政治的道具としての反ユダヤ主義の危険性はユダヤ人が抽象化され、ユダヤ人一般として見做されることにある。具体的にユダヤ人と接触したことのない群衆(モッブ)が個人的経験ぬきでイデオロギーとしての反ユダヤ主義に染まり、そこに人種主義的要素が加わり、抽象化された存在に対する無責任で過激な「イデオロギー的狂信」の土壌が出来上がる。
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第二部「帝国主義」では南アフリカで帝国主義政策を推進したイギリスの政治家シル・ローズの「できることなら私は星々を併合しようものを」という言葉に見られるような、ヨーロッパの富の無限の膨張のプロセスとその政治的意味が描き出される。
帝国主義は人種主義を政治的武器として、人類を支配人種と奴隷人種に分ける。アーレントによれば、余剰となった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種としてみなすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人々をさらに余計者とみなすという構図が生じたのである。
また帝国主義時代の官僚制支配では政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていった。アーレントは官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響を検証した。
アーレントは膨張のための膨張という思考様式の中で人種主義と官僚制が結びつくことの危険性を強調している。膨張が真理であるというそのプロセス崇拝と「誰でもない者」による支配においては、すべてが宿命的・必然的なものと見做されていく。ひとつひとつの行為や判断が無意味なものになるのである。さらに植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り。合法的な支配をなし崩しに無限の暴力のための基盤を作っていく。
アーレントはこの部の最後で国民国家体制の崩壊の結果生まれた人権の喪失状態を分析している。第一次世界大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難民と無国籍者が生まれた。共同体の政治的・法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利をもつ権利」を奪われている。アーレントは政治的に属さないことによる無権利状態の危険性、意見や行為が意味をもつ前提としての人間世界における足場を失うことの深刻さ、無国籍の人間の抽象性が孕む危険性を指摘した。
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第三部「全体主義」では、歴史的に知られた独裁や専制とは異なる全体主義運動と全体的支配の特徴が描かれる。そして大衆運動から強制収容所とガス室という「人間の無用化」に至るまでの全体的支配のさまざまな要素が分析される。その際アーレントは強制収容所という極限状態における人間の経験と現代大衆社会での孤立した人間の関連性を指摘した。
全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分が行ったことと自分の身に降りかかることとの間には何の関係がなく、すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われ、自分が行ったことと身に起こることとの間には何の関連性もなく、発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。
法的人格が破壊された後には道徳的人格が虐殺されることになる。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味な者となる。また全体主義的犯罪による善悪の区別の崩壊は、犠牲者をも巻き込む体制であった。アーレントは自分の子供のうち誰が殺されるかを決めるように命じられた女性や収容所運営を委ねられた被収容者の例をあげている。
さらには肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊され、人間は交換可能な塊となるとアーレントはいう。自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障害となる。全てが可能であると自負する全体的支配とは人間そのものに対する全体的支配に他ならない。
政治は市民たちが法律に守られながら公の場で語り行為するということであり、人々が複数で共存することを意味している。こうしたことからアーレントは全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の複数性にたいする犯罪であると見なし、ナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる「全体主義的な解決法(複数性の抹消)」に対して警告を発するのである。
そして、その後もアーレントは複数としての人間のあり方に関わる政治はなぜこのような破局に至ったのか、大衆社会はなぜ人間の多様性を実現できなかったのか、人間の尊厳を保証するためにはどのような共生のかたちが模索されうるのかといった問いを持ち続けることになった。同時にそこには現代世界の状況と近代科学の発展の関係についての考察から、近代科学は人間の思考にどのような影響を及ぼし、それが世界の「砂漠化」とどのように関わっているのかという問いが加わった。こうした問題意識は1958年に公刊されたアーレントの代名詞ともいうべき著作『人間の条件』へと結実するのであった。
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エピソード11 Episode11 - 東洋のカルマと西洋の自我は一身同体のエネルギー?(その1)「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。
一冊目の「パワーか、フォースか」では、世界人口の圧倒的大多数が占める意識レベル500台より下の世界に重点が置かれています。
紹介している書籍「わたし」は、700〜1000「悟り」の領域の内容です。
キッカケは、2025年の年末年始に、たまたまストリーミング配信で見た「火の鳥」を懐かしくもあるためカルマについて書きました。
「火の鳥」は子供の頃に漫画で見て記憶しています。答えがなく問題提起をしたままエンディングになる話です。
エヴァンゲリオンのアニメより前に��時の最先端を漫画に詰め込んでました。
そう言えば、「火の鳥」2004の当時アニメのオープニング映像は、皆既日食で表現してるが・・・
現在は、観測データからブラックホールに生命エネルギーが記録される仮説が、カルマと自我に関しては最も現実的で有力な説です。
でも現時点では、長い時間が必要で検証はできません。何かシンクロニシティがある?別の可能性もあります。一緒にみんなで探求しましょう。
カルマ?についても?「火の鳥」異形編は、2024年のスターウォーズの「アソーカ」や「反乱者たち」のエズラが迷い込む「時空のはざま」に似ている?けど名作リスペクトの意味から参考にしたかもしれません。
カルマとは関係ないけど「火の鳥」太陽編のテーマは、宮崎駿の「もののけ姫」にも取り入れられています。
カルマに関しては、テーラワーダ仏教にも大乗仏教にも数千年にも及ぶ大量のケーススタディーが、経典として記録されていますので・・・
自身のパワーレベルによって最適なケーススタディーを選べると思います。詳しくは、そちらを自身で探求、発見されたほうが、納得すると思うのでここでは書きません。
ブッダによると・・・女性はカルマが深いから悟りへ向かいにくい特性があると伝承から統計的に言い伝えられています。
「TED アンジャン・チャタジー:脳はどのように美しさを判定するか?」によると・・・
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで透明化することも正当化できそうだ。
美人は飽きるではなく悪女の素養がある。この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。
実は、プロセスがあって、まず君主制の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。つまり「無意識にバカな男達ね」とせせら笑っているのに悪女の戦略に踊らされて悪女を批判できなくなり君主が暴走する。
立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため回避できるメカニズムがある。
これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です。
そのうち気が向いたら「その2」を書くかもしれません。
このエピソードでは、「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」の書籍の内容の一部を「カルマ」に絞って抜粋だけします。
一神教では、「カルマ」をどのように観ているのか?ここでは、仏教とは、異なる現代の科学的視点をまじえて説明してます!!
ブッダの言う死後の世界と輪廻転生を含めた広義のカルマは、できる限り避けています。
この書籍では、仏教では「マーラ(邪悪なもの)」のみだけど、一神教からみるとルシファー的、サタン的なエネルギーと別々に分けて定義している?
ルシファー的なエネルギーの定義は、政治的イデオロギーの歪曲(ファクトチェックのない事実を伝えること)を行い、権力、支配、名声、利益を求めること。
これは、愛国心、平和運動、政治的理想主義といった「羊の皮」の下に隠れています。
サタン的なエネルギーの定義は、死と破壊の放出(破壊神とも多神教では呼ばれる。カイヨワも違う言葉で言ってます)
これは、ルシファー的なエネルギーのすぐ後に隠されます。厳しく指摘をして透明性を究極にして暴露することで予防できます。
一神教は、歴史的に分裂のカルマに囚われる傾向があるのかもしれません。
まずは、こちらからご覧下さい。
カルマは何も悪いカルマばかりではありません。私たちのカルマのパターンの中には蓄積した良いカルマもあり、テーラワーダ仏教では、「善徳」や「徳分」という概念です。
そのおかげでこの世に生を受けているからブッダは、人として生きているだけでも多大な幸運で、その機会を無にしてはならないと説きました。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.156)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から
自我はカルマの中心であり、貯蔵庫でもあります。自我とカルマは、実は、同一の現象であると知ることが極めて重要です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.159)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から
神の意思は、宇宙全体のカルマの設計図です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.289)「第三部 障害」の「第十二章 感情」から
後になって、これはブッダを「攻撃」した「悪魔(マーラ)」の類だったことがわかりました。
量子力学の言葉で表現すると・・・
悪魔(マーラ)は、悠久の時の中で意識に蓄積された、低い自我の集合的なエネルギーを象徴していました。
それはあたかも、基盤の大元を揺るがされた自我が猛烈に抵抗しているかのようで、生存が脅かされるとますます抵抗の手を強めます。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.351)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
これに対する気づきとして・・・
この一部分は、不確定性原理?に似ている。
次は
キネシオロジーテストの際立った価値とは、それが今のところ、線形から非線形をまたぐことのできる唯一の目に見える媒体だということです。
というのも、この媒体は「生命」という、目に見えない本質的な現象を基盤に記録したり、反応したりするからです。
あらゆる科学機器や装置、概念は、どうしても生命そのものの本質とは無関係であり続けるほかありません。
科学は、生命の結果や形を対象とするからです。そこに「生命」が存在すると、心臓は脈打ち脳波が発生します。
逆に「生命」が不在であれば、こうした現象は停止します。
鼓動も脳波も、単に生命が存在することの結果にすぎません。それは生命そのものではないのです。
生命は、触れることも見ることもできません。
「生命」が肉体から去っても、生命エネルギーの生命は、途切れることなく、そのまま続くということを明確に示すことができます。
生命そのものが、死ぬことはありません。
肉体を去った後の生命エネルギーを追跡してみると、それが生前と同じ意識レベルを持っていることがわかります。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (pp.360-361) 「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
死後も自我が支配的な場合は、魂は自らの意識レベルに合った特定の領域を「場所」だと思うでしょう。
魂は、独自のカルマの「浮力」を持っています。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.361)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」
これに対する気づきとして・・・
ブッダが言っている生前のカルマや行い。つまり、意識レベルによって死後に天国に行ったり地獄に行くということ?
一神教の表現で語っているけど。とても似ている。
「魔境」の危険性も警告している。
次は
悠久の時間を通じて、意識は「魂」として進化してきました。
魂は、数多くの生と肉体、あるいは別の表現をもって生まれ変わり、それらは、すべてカルマとして、意識の気づきのレベルに記録されています。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.369)「第三部 障害」の「第十六章 最後の戸口」
これに対する気づきとして・・・
やっぱり、大質量ブラックホールに記録されている?かもしれない。
次は
献身的な人ならば、無条件の愛に到達するために努力すればするほど、自らが目指している目的地とは、全く異なる要素を引き寄せることに驚かされます。
愛と平和は、自我にとって、最大の脅威であることを忘れてはなりません。
自我が無意識の奥に刻まれた立ち位置を持ち出し、すり替えることによって自らを防衛しようとします。
このような愛の要素は、人間の脳が受け継いだ生存の事だけを考える本能的な動物脳に由来します。
仏教では「マーラ」とも呼ばれます。
動物脳は、幼少期には活発ですが親や社会システムの圧力によって、無意識の奥に押し込まれます。
ここで働くのがよく知られている。抑圧、抑制、否認、反動形成、投影、合理化などの心理的な自我のメカニズムです。
このような利己的なメカニズムは、様々な副人格を形成すると同時に主要な自己のアイデンティティーになります。
そして、次に信念と感情が、社会システムや歴史、文化、仲間、教会。
そして、なんといっても、マスメディアの情報入力によってプログラミングされます。
他にもたくさんの要素がありますが、これ以上に広範囲に影響力を持っているのが、カルマの遺産ではないでしょうか?
自我を持った人間として生まれたこと自体が、既にカルマ的な出来事に他なりません。霊的なカルマはカルマが現前したものとして見ることができます。
したがって、自我の効力を最小化し、なくすことが、カルマをなくすことに等しいのです。
なぜなら、自我とカルマは、1つになって働いているからです。カルマという言葉に抵抗のある人は、これを無意識と置き換えても良いでしょう。
克服すべき課題は変わらないとしてもカルマ、あるいは、無意識の観点を持つ人とは、次の点で、それを持たない人とは異なってきます。
つまり、カルマの経緯をよく吟味する。
人間は、自己憐憫や嫌悪感、怒りから自由になり、人生の不公平さを嘆くことが最小化。もしくは、なくなります。
ブッダはヴィパッサナー瞑想法で克服できる方法を世界で初めて開発した最初の人物です。
デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.433-435)「第四部 超越」の「第十九章 ハートの道」
その他に
(あなたは「思考��、感情の段階的変化である」というのをご存じでしょうか?」)
意識レベル850を超えると、エゴは消滅します。
すなわち、エゴの属性であるマインド/メンタル/エモーション/カルマ/サイケもまた同時に消滅し、この世界でのコミュニケーションを必要とするなら、ボディ(身体)のみ生命の維持が図られることに。
そして、700レベルを超えると、個人のパーソナリティではなく叡智から情報は、発信されます。
これは、ホーキンズ博士の複数の著作で述べられています。「思考は、感情の段階的変化である」
これは、1984年にアメリカの研究者により、人類史上初めて明らかにされた事実。
このエゴの消滅について、あたかも意識そのものも、また消滅してしまうが如く「空/無/void」という概念は、大乗仏教を通じて広がってゆきました。
テーラワーダ仏教のアビダンマによると1000近いブッダなどの人達だけが、細かいカルマを解明して正確に説明できるようです。
われわれが、考えて悩むべき領域ではありません。
なのでブッダは、邪心が産まれるため、テーラワーダ仏教では、そのように考えることは禁止されています。
この本の内容で補足すると200未満の人は、カルマを理解するパワーがないためかもしれません。
(今、見ているものは幻)
今、この瞬間に認識している視覚からくる情報は身体の五感で直接的に感じていない限り・・・
すべて幻覚を強制的に見せられている!と言うことと同じ意味。顚倒夢想とも仏教では言われている。
だから、常にTV画面に対して否定的、悪意を込めて批判しつつTVやマスメディアを視聴すること。
プロパガンダ装置のTVやマスメディアは鵜呑みにせず具体的なファクトチェックが必要。
テクノロジーの進歩の負の面で、これがないTVの一方的な情報は完全に偽の情報の可能性は大です。
(どのような時に神を思う?)
これによるとブッダは、ヴェーダに記されてる古代インドの神々を敢えて語らずに・・・
しかも、十分理解していたにも関わらず極端に避けたそうです。
非線形の現象を数式も確立していない時代に言葉で表現するのは不可能だから。
現代で学校入学前の子供に話しても概念が理解できないのはこれが理由。
なお、神と仏(ほとけ)は違います。
ブッダの身分は、この時代、王族で現代でいう超裕福層でした。
(人類による神の証明は不可能)
2023年時点では、人類による神の証明は不可能ですが21世紀のテクノロジーが可能にできる兆しはあります。
非線形を数値化できる理論のため、ゲーデル、トポロジー
そして、量子コンピューター、量子重力理論、スーパーストリング理論は可能性があります。
西洋占星術の言う「風の時代」では慎重に定義を設計しないと人類を滅亡させる諸刃の剣にもなり得る。
昔からある議論をTED ニックボストロムも「黒い球」の例えで話してます。
中部経典から
ある時、ブッダがサヴァッティの東園に滞在していたときのこと。ガナカ・モツガラーナと言うバラモンの来訪を受けたことがある。
この男は理論家らしく、ブッダに向かってその教えが納得いくように説明を求めた。ブッダは懇切丁寧に教えを説いたところ。
「では、あなたの弟子は、皆それによって究極の目的である悟りの境地に至るのであろうかと尋ねた」
ブッダは「バラモンよ。私の弟子のあるものは至り、あるものは至らないこともある」と答えたところ。
「それはまたどうしたわけで」と問い返した。
そこでブッダは「バラモンよ。そなたはラジャーガハに行く道を知っているであろう。もし、そなたにある人がラジャーガハに行く道を尋ねたとする」
「そなたが、これがそこへ行く道であると言って道順をよく説明したとして、その人が確実にラジャーガハにたどりつくであろうか」
「同様に悟りの境地は確実に存在していて、私が弟子たちにその目的地を示したとしても。あるものはそれに到達し、あるものは到達しないかもしれない」
「バラモンよ。私はただ道を教えるだけなのである」
後は、その人の精進次第である(哲学や倫理限定で押し付けるものでなく自由です)
ブッダ生存当時の意識レベルは200未満であった時代に対して、現代では、世界中の精進の努力により200以上になっています。
(人生の幸も不幸もコンテクスト次第)
これによると意識レベル200、500、600と言う大きな臨界点で同じ言葉や表現でも人間が受け入れる認識が異なるそうです。
言葉を慎重に選んで相手とコミュニケーションを取らないと憎しみの連鎖に?
日本でも仏教の「五色(ごしき)」から「十人十色」とも呼ばれてます。
人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。
これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。
レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。
(完璧?罪や恥の意識)
これによると、この世に完璧な人間は存在できない根拠は、もし、あなたが、完璧で完全なら・・・
輪廻転生のカルマから外れて人間として再生する道理はないからです。
あの世の人になって、この世からの旅立ちをしてしまいます。つまり、何らかの形で死をむかえます!
ので完璧で完全は無意味なので自分以外には押し付けず自己責任でどうぞ。
仏教では、解脱とも言われます。
ブッダも「ほどほど」を説いているのが何よりの証拠でほどほどに。
詳しくはアビダンマに書いてあります。
近代になると完璧で完全な死を迎えない機械が登場したため操る法人、国家が人間を滅亡、死に追いやるカイヨワも言うナショナリズムが出現します。
対策は、カントの書籍「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮すること。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
(仏教の解説)
これによると、800の数値を超えている真言宗の開祖、空海。700くらいの数値を示している禅宗の開祖、達磨大師だそうです。
大乗仏教経典の基盤を構築したシャンカラも近い値を示している。
当時、ブッダの根本的な教えは1000近くの数値を示していたが・・・
達磨大師、空海の時代にはこの数値になり、お寺の皆様の精進でありがたいことに日本では現在も維持され続けています。
アビダンマも高い数値を示します。
神仏習合により、日本全体が400近くの数値を示していることと無関係ではなさそうです。
そして
モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から
モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら
それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?
つまり、銀河系の中心にある大質量ブラックホールに?
しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?
ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて
自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?終わらない?
(不道徳と道徳)
これによると、意識レベル700以上の人達が語られる内容はすべて普遍真理に関すること。
意識レベル600を超えると「エゴを取り上げて脳内でおしゃべりするマインド」は最小化して停止に近づいていきます。
その代わりに仏教で言う「無心」が機能し始めてくるそうですが・・・個人的にはアビダンマに書いてある「阿羅漢」の領域に近い感じです。
多神教である仏教はヴィパッサナー瞑想法で最下層レベルからでも到達できる方法をブッダが発見しています。
詳しくはアビダンマに書いてあります。しかし、実践は歴史あるお寺で聞いて学んで精進して下さい。
200未満の数値は、多神教では地獄の様々なレベル。一神教では低次元のアストラル領域。
200から240未満の数値は、多神教では人間界。一神教ではくつろげるアストラル領域(天国の入り口)
240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)
話は変わりますが、これによるとヨーロッパは紀元前2000年頃、同じシュメール文明と比較して小麦の収穫高が数十倍足らなくなる地政学的な不毛地帯。
つまり、世界の地域で唯一最も過酷な場所なため、その日暮らしの生活を強いられ、自らの心と向き合う時間もない状態。
人類でスピリチュアルに一番目覚めにくい地域がヨーロッパで「神学」という一神教の形でしか学ぶ余裕がない背景があるそうです。
個人的には、人間(じんかん)万事塞翁が馬?
自国の環境が過酷だからこそ、銀行や金融、貿易に頼り発展した可能性も?
何が幸福で、何が不幸か?この瞬間にはわかりませんが、ブッダも言うように善行為を貫けば人生何があるかわからないのも真実。
(クリシュナのヒンズー教、サッカーの数値について)
これによると、おおよそ一万年前、クリシュナの教えによって生まれたのがヒンズー教。バラモン教は前身。
ヴェーダ聖典群は、970の数値で計測されて、それは、ホーキンズ博士の著作群が登場する��で人類最高峰のレベルにありました。
個人的には、ホーキンズ博士の著作群が一つ増えたことで多神教圏だけでなく一神教圏からも悟りの道に到達できるようになりました。
これによると黄檗(おうばく)禅師は、晩年980の数値レベルに達しますが、著作は850の数値です。
スポーツの分野では・・・
サッカーそのものは、あらゆるスポーツの中で最高の450の数値を示し、サッカーワールドカップは490の数値を示します。
まさに、人類の理性の結晶です。
個人的には、サッカーワールドカップが開催すると世界中がオープンマインドな良い感覚に包まれるのも腑に落ちます。
良い感覚以外にもこのように深い理由があるのかもしれませんね。
(何もかも手放す? - エピソード8でも一部書いてます)
これによると、日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示している。
神社から引き上げていただいた領域を離れると本人が本来持っている数値に落ちてしまうそうです。
日本の国会議事堂がパワーの高い場所にあるのは偶然ではない可能性は高いし、離れると不祥事を起こすのも偶然では無いのかもしれません。
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
また、ホーキンズ博士は、人類全員を救うことは不可能と・・・
なぜなら、200未満(199以下)に埋没されている人達にはインスピレーションもイントゥイションも降りてこないから!
個人的には、自ら自立的に判断できないため社会システムのサポートに頼らざるを得なくなる?
ジョンロックも当時、似たような啓蒙思想を提案しています。
200 未満(199以下)の数値の人々は、無知で悪性な傾向に陥りやすいため、資本主義システムと言う目覚めさせる手段としての荒々しい教育的指導が必要?とも見える。
200以上の数値の人たちのように自らできれば良いが、人間は弱いもので・・・
カイヨワのいうようにシステム内で弱者に対する生贄を生み出す欠点もあるが・・・第二次大戦後は基本的人権も創設されて
自堕落な傾向を株式法人に属することで競争原理な仕事という形で善性に荒々しくも戦争を回避しつつ
ゆるやかに強制転換させる人類が考えだした知恵かもしれない。
200以上の数値の個人たちに関しては、国家や行政府が、もう一段上の特別な保護をし、年収保障も特別に保障することも含めてエピソード8へ。
(争いの無くならない理由、自分自身のインスピレーションのコントロール)
これによると、人類から争いのなくならない理由は意識レベルの違いで、意識マップの底辺からトップに至るまでの人々が同時に生きているためとホーキンズ博士は述べています。
200と500と600のアトラクターなエネルギーフィールドの数値の壁は、言い換えると、日々の常識は完全に違います。
常識は、意識レベルに応じて解釈が異なるため、争いは起きるといえます(法律で基準や定義を明文化すれば良い)
200 未満(199以下)に埋没している方々は、自分の利益を守るために言葉による誤魔化しは、日常的です。だから法律が創設されました。
200以上の方々は、嘘をつくと地獄界へ落ちることにうすうす気づいているため、200未満の方々とは、完全に常識の違う人生を送ります。
しかし、ジョンロックから人間は自然の中では一人では生きていけないので社会システム内でコミュニケーション対応する必要があります。
200 未満(199以下)の方々は、インスピレーションを受け取れないため、言葉による誤魔化しを平気で行えるし正当化するということ。
ゆえに、200 未満(199以下)の方々は、200以上の方々を疎んじ、その行動は「逃げる」か「争う」かのいずれかになり、仲睦まじく親交を温めるということは困難が伴います。
科学的なデータで共通言語の数値化ができるようになる1600年代まで、有史以来、人類はごく「わずかな期間」を除いて戦争で人を殺し続けてきました。
その「わずかな期間」とは、ホーキンズ博士によると、なんと飢餓や伝染病が地球全体に蔓延していたためだとか・・・。
そういう訳で、人は元気になると争う傾向に傾きやすくなります!だから、アダムスミスの資本主義システムで競争してもらい善性に転換させます。
人類の使命は、生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存であるにもかかわらず、争いが絶えないのは、その「常識」の違いにより相互不信に陥るためということ。
世界三大宗教は、必ずそのスピリチュアルのベースとして共栄共存を説いているにもかかわらず、何故か、その反対の争いの種になっています。
あなたは、その理由をご存知でしょうか?
人類は、基本的に瞬間的にでも600の数値を超えなければ真偽を自ら見分けることが出来ないためです。
法律でサポートするも刑罰を与える一時的な解決で根源的な解決にはならないが、解決する場合も多々ある。
そのため、例えば1,000の数値に達したクリシュナ、ブッダ、イエス・キリストと、ゾロアスターの教えを、正確に理解出来ず、年月を重ねれば重ねるほど、次第に真実レベルを下げる結果となったためです。
特にゾロアスターの教えは、完全に失われています。
そのような人類の限界のある理性においても、ヴェーダ聖典など、一部のものはオリジナルのレベルを保ち今日まで受け継がれていることは、驚異的なことと言えるでしょう。
インドのカースト制度は、現代にそのオリジナルの教えを伝承するために必要不可欠なものであったと言わざるを得ないかと。
ブッダはカースト制度への反論として仏教を創始し、サンガで現在まで維持しています。詳しくは歴史あるお寺で聞いて下さい。
その後、バラモン教は、ヒンズー教になり仏教とも融合しています。
それから、瞬間的にでも500の数値以上で、人は初めてイントゥイション(直観)するパワーを持ちえます。
それはすなわち、物事の本質をデータや散漫な思考を用いずに・・・
先に直観で把握するパワーです(むやみに発言すると、バカにされる現実がありますのでご注意下さい。ロジカルシンキングでプロトコルを整理できる訓練が必要)
現代では、後からデータで直観の正しさを理解できます。
しかしながら、そのレベルに達している方々は、人類のわずか4パーセント。
この人達を現在の社会システム内に補助的に加えて・・・世間中央値の年収を生涯保障して
正当性がなくても権力トップへ特権的に優遇し自動的に引き上げる国家システムを創り上げた方がいい根拠にもなります。
自然の産み出した天然の選挙システムみたいなこと。弱者に対して尽力してくれる可能性は高い。
「(アトラクターなエネルギーフィールドによる)天網恢恢。疎にして漏らさず」とも言う。
ゆえに、残りの96パーセントの方々は、例えば、聖書を読み、仏教経典を読み、どこが間違いか、どこが嘘かにデータなしではすぐ気づけません。
ゆえに、熱心な信者は、聖書などは、政治的思惑で加えられたプロパガンダな箇所を鵜呑みに信じてしまうなら、当然意識レベルを上げられない状態に陥るということ。
愚民化政策の根拠?まさに、宗教の多くが、人々の救済に役立てなくなった理由は、そこにあります。だから、政教分離なのです。
まして、個人が、真偽を見極める能力は、瞬間的にでも600の数値を超えねば基本的に手に入りません。
現在はTEDボブサーマンの言うように善性情報のみを検索で抽出整理されたインターネットでサポートされ底上げされます。
Googleの初期の理念ですが2023年の現在では歪んでます。
さてキネシオロジーの真実レベルは、安定して605であることこそ、そのことを証明しています。
ゆえに、人類から争いはなくならないのであり、あなたは、常に謙虚であるべきなのです。
日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示しているのも関係がありそうです。
最後に
現実との違いに戸惑い、子供の頃から理由も分からず毎日降ってくるインスピレーションのコントロールに苦労してましたが・・・
これらは社会に出て働き学び、己を磨いて苦心の末に自己流で編み出した独自の方法でコントロールが可能になりました。
(答えを即答?)
これによると検証されたノーベル賞級サイエンスの理性や論理の真髄は400付近の数値を示すそうです。
400の数値の壁を越え500の数値に至るには、ノーベル賞級を通じて基礎や土台にはするけど、真髄に固執しないようにすることも大切らしいです。
古代ギリシャや古代中国の諸子百家などの知の集積は400から600の数値の間にあるそうです。
小さい古典力学の真髄に固執せず量子力学の黎明期の物理学の巨人達も東洋哲学に注目していたし、ここに何かの糸口がありそうです。
数値を測定している再現性のあるキネシオロジーテストの真実レベルは、安定して605の数値になります。
(このユニバースで起きてること - エピソード10でも一部書いてます)
奇跡や偶然や突発的に見える出来事のように見えるすべての出来事は、アトラクターフィールドのエネルギーパターンの通りに展開します。
あなたがどのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせるかで、すべてその先の出来事が展開していきます。
あなたの周囲の生物も瞬間ごとにいずれかのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせていて
あらゆるレベルのカルマにも影響を与えているためだそうです。
カルマはあなた個人のみならず家族、親族、一族、友人、同僚、地域、仲間、親族、国家、民族、信仰など、あらゆる人間関係があるレベルに存在します。
例えば、あなたの目の前に偶然、腹の立てている人間が見えているなら、それはあなたそのもの。無意識に共感しています。
つまり、あなたを怒らせる人は存在せず、あなた自身が怒りのアトラクターフィールドと無意識に繋がり、怒りのエネルギーパターンと同調しているだけという普遍真理が目の前に存在するだけ。
ブッダによると、あなたがその人を引きつけているだけです。
エピソード10でも言ってるように「人間(じんかん)万事塞翁が馬」のたとえから・・・
現在のあなたの状況は「���なたの属している国家や人間のレベルが全てちょうど良い。死ぬ日もあなたにちょうど良い。全てがあなたにちょうど良い。」
ともブッダは優しく言い表しています。大蔵経の一部で観自在菩薩とも日本では言われています。
人間(じんかん)を通して仏(ほとけ)が目の前に瞬間、存在し具現化しただけ!です。
現代では、人間(じんかん)つまり、公助の国家システムが足りないのか?企む業である法人が企んで生じてるのか?個々の言動からくる自助なのか?
「人の悪口ばかり言っている人は、悪口ばかり言うちょうど良い友人が集まってきます。嬉しい、楽しい、幸せと言う人はそう言う人が集まってきます」
人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。
これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。
レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。
(意識はあなたの身体の中にはない?)
これによると・・・
ディラック方程式は455の数値。
アインシュタインの物質とエネルギーは等価は455の数値。
ハイゼンベルグの不確定性原理は460の数値。
量子力学は460の数値。
シュレーディンガー方程式は455の数値。
シェルドレイクの形態形成場は455の数値。
ストリング理論は460の数値。
量子重力理論は460の数値。
を示しています。
個人的には
「この世」での定義で「あの世」と呼ばれている何かは数値化できないため
老子は「言葉で表現されてるタオは、普遍のタオではない!天と地が出現したのは、名づけ得ぬ何かだからだ!」
と言っていますし、創造的起源と言うべきか?存在しない「何か」はなんなのか?現代では科学的に定義が必要。
240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)
500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。
600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)
あの世までは数値化できないが、手前のサンスクリット語でいうパーラミター(彼岸領域)までだけど・・・
「パーラミター」は「波羅蜜多(はらみた)」とも言います。般若心経です。
アビダンマにも書いてあるように・・・
社会システム内では、良いカルマに導くため、警察が取り締まるのは、ある程度は良いカルマに繋がれば良い。医者も良いカルマに繋がれば良い。
しかし、地獄道や畜生道など不幸なところに入り生まれた生命が早く死ぬのは「良いカルマが入って早く死なせてしまう」とブッダは言います。
「天命が尽きる」「天に間引かれる」とも言われます。すべてを救うことは難しいけど、社会システムで生活を底上げすることは善性に沿います。
カイヨワも言うように、テロや無差別殺傷事件犯を差別的に生贄にする監視社会システムに問題があります。
それは警察が、隠蔽しない前提で、いくら合理的に科学的にアプローチしても説明のつかない事象は良いカルマが入り死なせてしまうから。
医者が、意図的な医療ミスをしない前提でいくら治療しても回復せず亡くなる事象もそうで「寿命」と古来から概念が多神教では確立しています。
ジョンロック?社会システムが無い状態での寿命を基準にして長い短いを判別すれば、現代人は長い方です。
子供を授かるのは悪いカルマ?警察が勝手な思い込みで判断する余計な介入の方が悪いカルマかもしれません。
あらゆる人々の過去のカルマは無量です。常識的に言えば、200未満(199以下)のパワー。つまり、悪いカルマの方が大半と観た方が良いのです。
人々は、やむなく不注意に生きてしまうことで、過去の悪いカルマを他人と共感したがる脳の思考プロセス上の構造も拍車をかける要素になりやすいことも原因の一つです。
もちろんワザと悪いカルマを自らけしかけて他人にもちかけても無駄と諌めています。ブッダの言うように「八正道」を根拠にした「中道」をどんな状況でも貫くことです。
因果応報。ブッダが解明した「本当の幸せ」にも関係して来ます。詳しくは、お寺のお坊さんに聞いて下さい、
アビダンマでは、「阿羅漢」が個人の最高段階なため、不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげれば、あなたに与えられる公徳(善業のエネルギーの強さ)が大きくなると語られています。
この書籍で言う「パワーレベルの高い人達を不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげる」とも解釈できます。
大乗仏教でも「徳の高い人にお布施をすると徳が高くなる」と言う表現をしています。
一神教中心の外国の世界では、ミレニアム以降の社会実験により、税金も社会システムへのお布施など・・・テーラワーダ仏教のお布施の概念に近づきつつあります。
また、お布施はお金だけでもありません。
「阿羅漢」「ブッダ」「正覚者」はすべて同じ意味です。
当然、二元論のフォースはびこる現代では・・・
逆に、「パワーレベルの高い人達を不善心で悪い思いのエネルギーで助けてあげない」とどうなるのか?気になりますよね。
それは「瞬間瞬間に悪いカルマが積み重なるだけ!」になります。
一神教では、地獄へ!多神教では、現世では人間界でも畜生界や地獄界に落ちてしまいますよ。
「天罰がくだる」とも。古今東西から伝承されてることです。
宗教くさいなら科学的に場の量子論で事象を説明すると・・・
良いカルマも悪いカルマも発信した波長や行動が、地球内で反響して時間をかけて発信者自らに跳ね返ってくるだけ!です。
たとえ他人にも発信せずだれも見てなくても自分が見てるから脳を経由して梵天に生命エネルギーや時空間単位で瞬間瞬間にアーカイブされていきます。
ここまで不善心なく良い思いのエネルギーで読んで頂いた読者には簡単にわかるたやすいことかと思います。
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