#人が喜ぶ姿を見るのが大好きな美容師がいる美容室
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未来への希望~成田東小学校へ出前かふぇ
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先生方にクリスマスプレゼントをしたい、という校長先生の希望があってクリスマスイブに成田東小学校へ「出前かふぇ」に行ってきました。
家からクリスマス飾りも持っていき、校長室は「まさにクリスマス!」。


マスター席にもステンドグラスのランプ。

米粉パンの「モナモナ」さんの「ガレット」。

このガレットとコーヒーの組み合わせは本当に最高なんです。いつもありがとうございます!
そして、先生がたへのプレゼントに可愛いチョコも用意しました。

今回はなんと「カフェ・マージー」のマスターがいらしてくださって自らそれはそれは美味しいプロの珈琲をふるまってくださいました。

いつもはお砂糖やミルクをいれて飲む先生が「ストレートで飲みました。とっても美味しくてびっくりしました!」と。それはそうでしょうとも。今回用意したブレンドは「ゼロ」。初心者の人でもストレートで飲めるようにとマージーさんが考案したブレンド。「ゼロからのスタート」という意味も込められています。
お代わりしてくださる先生がたも。喜んでいただけて良かった!
実は学校でインフルエンザがはやっているとのことで、先生がたの間でも体調が悪い方が増えていて、冬休みに入ったということもあり本当は全員の先生がそろうはずだったのが、人数が少ない上に、校長室で一緒におしゃべりしながら、とはいかず、職員室にもっていって飲んでいただく形式に。
それは残念だったのですが、その代わり阿部校長先生とたくさんたくさんおしゃべりをしました。はさみを忘れてしまい校長先生からお借りしたのですが、一目見てそのはさみが「ただものではない」と気が付いたスタッフが。「盛岡の光源社で買いました」とのこと。みなさん、光源社をご存知ですか?私も訪れたことがありますが、宮沢賢治とも関連が深いとっても素敵なお店です。「こういう道具が大好きなんです」とのこと。息子さんが美容師のマージーさんも「これは手作りですね!」とすぐに見抜いていました。
また、校長先生は年に2回ほど京都まで足を運び、書の師匠にお会いしてくるのだそうです。この年末にも行かれる、とのこと。マージーさんは剣道に取り組まれ、わがNaritaマルシェのマスターも書道の先生、そんなわけで「道」と名のつくものの素晴らしさについての話題で盛り上がりました。
ああ、でもなんと素晴らしいのでしょう!ご自分の好きな世界のために京都まで足を運ぶ、好きなことにわくわくと夢中になる、というその姿勢に私たちはすっかり魅了され、自分たちの生き方についても考える機会となりました。
小学校の卒業生である若者も手伝いにかけつけてくれたのですが、そういう話をお聞きすることができたことは何という希望だろう!と思いました。
すっかり話に魅了され、わが身を振り返り、これからの生き方に想いを馳せていたので写真を撮ることをすっかり忘れていました。ごめんなさい!とっても良い光景だったのに・・・
でも、また次回、ということがありますものね。校長先生、またぜひ声をかけていただけたら嬉しいです。
こちらは学校のクリスマス飾り。

そうそう、特別支援クラスの子どもたちが毎月描く絵をとっておいてカレンダーにしたものも見せていただきました。それがすごく素敵で心打たれるものがありました。子どもたちは素晴らしい!
今年最後のイベントとなった「出前かふぇ」、先生がたに感謝や応援の気持ちを伝えるつも���で出かけたのに、私たちがたくさんのご褒美や贈り物をいただいた時間となりました。
マージーさん、「モナモナ」さん、コーヒーやガレットをありがとうございました。
成田東小学校の校長先生はじめ、先生みなさま、素敵な時間をありがとうございました。またお会いできる時を楽しみにしています!これからも子どもたちのことを、よろしくお願いいたします。
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一端だけ書いては放り投げてた日記を完成させる もう8月も中旬なんですけど!
7〜8月上旬
7/9
ない器官が漏れ出して、ない気道が錆びていて、ない頭がパンクしている 喉が膨れ上がっている 上半身の中身がゴロゴロとしている
要するに、頭痛
空腹なのか気圧なのかわからない
ギリギリまで頭痛薬を出し渋っていたので効くまでずっと体が傾いている 薬を飲む痛みに気づくまで遅い どうもできない
帰り道 波も風もなく、川がただ静かに橋上の様子を映していた
7/11
用事が終わった後ソフトクリームのアフォガード
店頭にベンチで食べる まだ猛暑日と言うほど暑くもなく、風がたまに吹いてくる室内から出ても快適な天気だ
一口目はスプーンで掬うと反対側にこぼしてしまいそうなので口を持ってくる さくっとつまめた 固めのソフトクリームで積もった粉雪のように食べる瞬間にギチギチする しかし二段ほど食べるとぬるい空気に触れた外側はやわらかさをもつようになってしまった 普通のソフトクリームだ…… 美味しさは変わりないが、触感が楽しかったので残念
コーヒーが溢れてきた! おいし〜…… バニラと混じってしゃくしゃくするコーヒーの氷がたまに当たる それを舌で押しつぶし食べる
7/16
昼ご飯後、なるべく静かな場所に置かれたベンチを選び腰を落ち着かせる
次の講義まで数時間余裕があるので何もしないことが可能 やった〜
集中もなにもできないので耳に何か流そ〜と思ったが、思っていたより頭がぼやぼやしており、ひなたぼっこのみを行う 10数分ほど続けた ずっと考えが浮かんでは飛び散るを繰り返し無心になることすらできない 計画を黙って立て続けることもできない 落ち着きたいとき、体が外に触れている感覚と呼吸と音だけを追いかける擬似座禅をよくするのですがそれでも居心地の悪さが下らない
どうしようもないので移動する 図書館 体が熱を帯びていることに気づいた 内側がどくどくしている 汗をかくまではいかずとも、体温に蒸されている たまにあたる冷房の風が心地よいと感じてしまうほどには暑い
課題に手をつけられない ひとつでも完成させれば少しは上向きになるとそれすらできない うお〜 諦めて課題と全く関係のない本を読む 時間をただ流すだけで終わらせたくない謎の意地 文学作品のある2階にまで昇るのが億劫で雑誌類を手に取る 自身が基礎的な部分だけ知ってる分野を選んだので度々既知の知識と出会ってわ〜と手を振る気分になる 特に意味はない ちゃんと段階を見据えた構成があり、補足で隙が埋められたように感じる文章を読むと、その伝わりやすさですげ〜かっけ〜となる ミチミチに詰まった情報を飲み込む満足感
課題に手を出すのを渋ってるときにしか生まれない熱量と集中で、結局空き時間は雑誌を読むのに使ってしまった なんとも………… 時間に中身はあったが……
日時不明
あっっっつ 暑というか“湿度” 湿気のせいで匂いが苦しい
行きの時間がちょうど雨だったので歩いて帰る え? この中を? 日差しが強くて体が東側に傾きそう きつい
nakano4 聴く保冷剤 キューと締まる音 イヤホンの外から蝉の鳴き声が聞こえるのも良い その後アイオバーの陰陽師×unwelcomeが流れてきて汗だくになった アツすぎ
【今朝の夢】
血が繋がってるらしい人から右足を弓矢で刺される、増える複数人からの怒号、とにかく逃げる、部屋で落ち着いているときに家戸を強く叩く音にビビる、ひたすら隠れる
でも全部何事もなく過ぎていく
おい! わかりやすすぎ……
7/26
かび掃除
本棚の片側面にかびが薄ら付いてる 嫌…… 嫌………… 放っておくと広がるので拭く 乾いたシートをちょうど切らしてきたので、キッチンペーパーを使う アルコールで濡らした面が茶なり緑なりに染まり、あぁついてますね〜となる ついてますね〜……
床一帯も拭き、壁に近い本を避難させて終わる
元気になった
やはり運動が一番身体にいい
卯月の六周年雑談を聞きながら爪を塗る
元気なので
体が震える 心当たりのどれが当ってるのかわからない たぶんねむい ねた じとじとする
7/27
コンサート��〜〜〜〜
予定があると特に何も考えずに動ける 今後ばんばん立てなさい
冷凍していた酢鶏を二本解凍し、味噌汁を飲む 意欲がある こんなにはやく生活の渦に入れるなんて
会場まで三十分足らずで行けるらしいので呑気にする
呑気にする
呑気にする
そろそろでないといけない
そろそろ
家を出て、途中昼食をとりながら会場を目指す
モスバーガー
落ち着いて考えたら全然余裕で間に合うことに気づく 開場時間だけを頭にいれていたので余裕しかない 開演を目安にするとダメなことはわかっていたので何分後の間があるのかも覚えていなかった 過去私、感謝
思っていたよりスムーズに公共機関まで移動ができる場所だったので苦しくなることなく腰をおろす
駅〜 でっかいガラス張りで眩しい なかなか見れない量の木々が生え盛っており視界の情報量が凄まじい ひぐらしの音も凄まじ 開放感のある風景で嬉しくなる
ホールに入る 時間が迫る感覚と会場の見慣れなさで思考が縮む 頭と体で優先する動きがめちゃめちゃになり、めちゃめちゃになった かむかむレモンと水 落ち着き
物販に寄ってから席につく
思っていたよりも前の方で嬉しい 演奏者の表情まで視認できる近さ ホールはよくわからん吊るし板がない造りでシンプルな印象 良 しかし上によくわからん長方形の箱が幾つも吊るしてありよくわからない 照明というわけではなさそうで、でも反響に役立つような見た目でもなくよくわからない
開演までパンフレットを読み潰す
山場の音圧が強くなる箇所で、外から音の壁を投げられたり一点で刺してきたり、内から這って響く音にえずきそうになったりと盛り上がりに種類があった すご…… 情緒がメロディーにしかなく音自体は単調な曲が、すべて情動的に組み立てられていて感情がグチャグチャ 揺れ揺れ揺れ動く 楽器との距離が近いので楽譜上の音だけでなく、鳴らしたことで出る木の音まで聞こえてきてコンサートだ〜〜〜〜〜となった ピアノの打撃音や弾かれた弦の音が場内に響いている
コンサート、考えることが多すぎる 音感がないのでこの音はこうで〜調がこれで〜などは全く推測などできないけど、それでも多いのだから音楽を専門としてる人の頭の構造って未知すぎと演奏を目の当たりにする度に思う ただ単に情報と情緒に気圧されている 耳で聞いたものを追ったり、今流れているものを振り分けたり どんどん厚みが追加されていく 全身が水に浸かり呼吸も手足も忙しく回ってるような状態 どんな姿勢で自分が聞いていたのか覚えていない
また、指揮者が愉快な方でところどころコミカルに動いていてよかった
アンケートをロビーのソファ上で書く もらった演奏を自分のなかでまだ落ち着かせられておらず、また内容を覚えるのに一杯一杯で「〇〇が〇〇でよかった」等をズラズラと続ける中身の薄い感想しか書けなく悔しい 感謝と称賛の筋肉がない
帰って物販で購入した品を開けて眺める 良い 良い…… 期待の何倍も素晴らしくキャッキャと喜ぶ
なぜか明日も予定があるのでさっさと寝るよう努める
7/31
ズッタズッタと飛び歩く子供 ぎこちないスキップのような動き
限りなく現実的な感情の夢 見たものは朧な光景すぎて全く記憶に残ってないが、自分らしき人が唸ってたものは自分のように思っていた
最後の講義だしな〜と気合いを入れて向かったが特に何も起こらず終わる それはそう あまり馴染まない構成の授業形態だったので、まあ終われてよかったんじゃないか? はあ……そう…………
疲れたのでお弁当を買って帰った 夜だし夏だし定休日だしで、好きなごはん屋にまで行くことができない 【求】はやめの秋
8/3
ひ、一筋の光〜〜
まあそんなわけでなんとなく将来とやらを描けたわけですが、就活ね…… 就活………… 誰か、わたくしに1から説明と型をつくってくれませんの? 就活の相談室にいこう
私ってまだ
8/8
本当は火曜日に終わらせるはずだった予定どもを終わらす マイナスの状態から動かないといけないので常に腰が重い ゼロになってくれ 善処します
まあいくら夏休みシーズンとはいえ、二・三日の間のどっか一席くらいは空いてるでしょ〜〜とたかをくくっていたら来週近くまで満席だった 本当なら数週間前に予約をとれるような人間だったんです、信じてくれ ギリギリでも大丈夫いけるいけるなんとかなるに甘んじて生きている 店長でなく森様をみて共感できるようになってください 来週はミチミチの質量のある夏休みにしてやるよ
本を買ってウキウキで帰る 夏がはじまる〜
きれいに月が弓状になっていて良い しかし撮るとふとったり、潰れたりする 写真より目で見たろうがきれいだが、後にアルバムを眺める等したら写真をきれいに思ってしまうんだろうな〜と両方の月を消さずに残した
8/10
荷造りをしよう
荷造りをしてない
最最最最最低限の家事だけ消化した
なんかまた眼鏡フレームが痛くなってきた フレームが原因なのか、他の心当たりで痛く思うのかわからない とりあえず荷造りをしよう
「そら、なるがちゃうんだろ」 ���大好き ロウアイキューさんの新作が見れて最高にHAPPY たくさん詰まっててHAPPYなクッキー缶だ 動画はもちろん、流れるコメントの雰囲気が好き かゆいところに手が届く
「卒業しましょう、先輩」 ←大好き よう言った これを真っ直ぐに伝えられるフォロー上手はあんたしかいないし、隣が別の人でいいわけない これが音頭ってことね…… デフォルト顔のこのシーン見て〜切り取ってくれ〜
雑記
最近プレイリストへの飽きが来ている 3つくらいのアプリでお気に入りの曲を詰める作業をしており、そのどれもに飽きを感じている 飽きというよりも強く聴きたいと思う曲を『次に再生』にピックアップできない
普段はシャッフル再生をかけて、2曲目以降に気分の曲をじゃかじゃか放り込み、あとはランダムに好きな曲が流れてくるのを聴いている この二番目の意欲があまり湧かなくなり、ただ順番待ちの曲を消去している
まだ追加していない好きな曲を大量に詰め入れるしかない
が、目も気も疲れるのでいいか〜となっている状態 なので、お気に入りの曲をつくっている好きな方のお気に入りの曲とそれをつくっている方のお気に入りのプレイリストを探すやつをします
そのうち
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『マーヴィンズ ルーム』感想
スコット・マクファーソン作『マーヴィンズ ルーム』の劇団昴による上演を見てきた。1996年にメリル・ストリープやレオナルド・ディカプリオ、ダイアン・キートンといった布陣で映画化されている。映画は未見&舞台上演も未見、今回の上演が初見だった。
卒中で寝たきりとなり認知症が進行中の父マーヴィンと背骨や足に損傷を抱える叔母ルースを20年に渡って介護してきたベッシーは、ある時、白血病を宣告される。骨髄移植に向けた適性検査のため、絶縁状態だった妹リーが息子のハンクとチャーリーを連れてベッシーらの暮らすフロリダを訪ねてくる。ベッシーとリーは再会を喜びあうが、どこかよそよそしい。ベッシーは、息子たちに対するリーの高圧的な態度に驚きを隠せない。ハンクはリーの恋人への反発から結果的に自宅に放火し、現在は精神病院に入院している。リーとハンクは一触即発で、心を閉ざしたハンクは移植にも消極的である。しかし、ほぼ初対面だったことが幸いし、ベッシーはハンクをただの甥として接する。次第にハンクの態度は軟化し、適性検査を決意する。若い頃はベッシーの献身を理解できなかったリーだが、生活を共にする中でベッシーへの理解を深めていく。美容師の資格取得を目指すリーは、姉のウィッグを整えることを約束する。一家は連れ立ってディズニーランドへ遊びに行き、ベッシーはリーにセットしてもらったウィッグを装着している。しかしベッシーは体調を崩し、倒れてしまう。帰宅したベッシーの元に、適性検査の結果が届く。リーたち母子のうち、マッチする者は誰もいなかった。沈むベッシーに追い討ちをかけるように、チャーリーがハンクの書き置きを渡してくる。ベッシー宛に家出の意思が綴られていた。ショックを受けるも、マーヴィンの世話をするためベッシーは部屋に入る。リーが書き置きを見つけ、怒りとともに破り捨てる。その直後、ハンクが戻ってくる。リーはただ「勝手にいなくならないで」と釘を刺し、ハンクは黙ってルースの世話をしに行く。マーヴィンの部屋では、ベッシーが光の反射を天井に映してみせており、二人の楽しげな笑い声が響く。
本作はエイズ・クライシス真っ只中の1990年に初演を迎えた。フロリダ在住の老いた親戚やエイズを発症したパートナーの介護や看護といったマクファーソン自身の経験が踏まえられている。
「家族はツラいよ」はアメリカ台詞劇の大きな流れをなすテーマであり、本作もその系譜に連なっている。ただ、不器用であるがゆえにすれ違ったり勘違いしたり、怒りと苛立ちを募らせて、真正面から衝突しあい傷つけあう家族像はもっぱらリーとハンクに託されている。むしろ本作で重視されているのは、家族の間でのケアの互恵的なあり方だと感じた。
ベッシーとマーヴィン、ルースの家族は、介護や看病が生活の核に据えられているためか、家族のニーズを��たすことが最優先であり、がっぷり四つで衝突し合う姿は前面に押し出されていない。ベッシーを中心に、家族のニーズを把握し、応えようと心を傾ける姿が基本的に描かれている。忘れっぽいルースは、ベッシーが留守の間にマーヴィンに薬を飲ませる役目を託されてもすっぽかしてしまうが、ベッシーは呆れるだけで怒りはしない。怒ったところでマーヴィンが薬を飲んだ状態にはならないからである。食べ物を分け合い、同じテレビ番組を楽しみ、ガラスの反射光を天井にぶつけて笑い合ったり、密着した関係がベッシーとマーヴィン、ルースの間には見出される。
劇の始まりの時点では、未婚の中年の娘が親や叔母の介護に時間と労力を搾取されているのではないかと常に疑いながら観客はこの作品に対峙する。この観客の認識は、リーとベッシーの断絶の背景を形作っているものと同じであり、つまり、観客はベッシーに対してはリーと重なる疑いの視線を投げかけている。
しかし、ベッシーのケア労働はただ自己犠牲的かというと、そのようには描かれていない。まず、ベッシーはマーヴィンの呼び声全てに忠実に応えているわけではない。悪夢にうなされて一瞬目が覚めて不安になって呼ぶマーヴィンの声に、リーは不安になるが、ベッシーは「すぐに眠るから」と判断し、あえて応えない。マーヴィンがどのような状態にあり、何を求め、何を必要としているかを総合的に思いやり、判断できていることが窺える。
また、ベッシーとリーが接近するにつれて、ケア労働にうまく従事することはベッシーにとってのある種の贖罪であり救済であることが明らかになっていく。ベッシーは、リーに初めての恋人との思い出を打ち明ける。夏の間だけ町にやってきていた移動遊園地のスタッフで、大口を開けて声を出さずに笑うという特徴的な笑顔をもつ男がベッシーの初恋の相手である。ある時、ベッシーは移動遊園地の面々と川辺で遊び、その日は寒かったのにベッシーの恋人はおどけて川に飛び込み、潜ったり浮かんだりしていた。大口を開けて笑う恋人は、そのうち、川から姿が見えなくなった。実は、恋人が川から向けていた顔は笑顔ではなく溺れかけて焦る顔だったのである。誰も危機に瀕していると判断できず、恋人は溺死してしまったのである。
この思い出話が挟まることで、ベッシーが介護や看護にひたむきになる理由がくっきりと浮かび上がる。助けを呼ぶ声を聞き取ることができず、歪む顔を笑顔として読み違えてしまったがために死なせてしまった経験から、ベッシーは、マーヴィンやルースの頼る声をしっかり聞き取り、ニーズに応えようとするのである。しかも、愛する人のためにできて幸せだと力強く言い切るのである。ケアをするという行為自体が、ベッシーの傷ついた経験を慰めていたのである。そしてそのようなベッシーと接するうちに、自暴自棄になっていたハンクは得意の配線作業で一家を助けるようになり、チャーリーはディズニーランドでルースの車椅子を��々として押し、リーはベッシーのウィッグの調整を申し出るようになるのである。
このように、『マーヴィンズ ルーム』ではベッシーを巡って「ケア」が肯定的に捉えられており、また、「ケア」を通じた家族の再構築が行われようとする作品としての側面を有している。本作の面白さはさらに、「ケア」を大上段に構えず、ドライな世話のあり方も笑いを交えながら提示していることである。
たとえば、ベッシーを診るウィーリー医師は、患者の名前を再三間違えて全く気にしないし、ベッシーと話が噛み合うようで噛み合わず漫才のようなやり取りに帰結する。また、ハンクが入所している精神病院に勤務するシャーロット医師は、リーには応接室での喫煙を咎める癖に、一人になったら自分もタバコを取り出し、リーのキャラクターを面白がるコメントを口走る。家族関係から外れた立場からケア労働に関わるキャラクターたちは、ケアすることを通じてケアを受けるという循環の中には組み込まれず、また家族関係の再構築に深くコミットメントしておらず、業務として一線を画している。
また、家族の中でもルースは「変わり者」として描かれているためか、自分が受けるケアも人に対するケアもぶっ飛んでいて笑える。ルースは長年背骨や足の激痛に悩まされていたが、ある時脳の信号をコントロールする装置を身につけることで痛みを格段に軽減させる措置を受ける。ただし、装置のスイッチを押すとガレージのドアも連動して開いてしまうという弊害も生じているが、ルース始め家族はそういうものと受け入れている。極め付けは、訪問看護師に対するルースの反応である。ベッシーが入院していることを悟らせないために、ルースは訪問看護師をマーヴィンにだけ見えている存在であるかのように振る舞ってしまったとベッシーに告白するのだが(これにはベッシーも愕然とする)、これも突然の環境の変化がマーヴィンに悪影響を及ぼさないか考えたがゆえの行動であることが語られる。ワイルドカード的な存在であるルースは、摩訶不思議なものとしてケアをなんだか愉快にしてしまうキャラクターとなっている。
介護・看護する存在が介護・看護される側となり、疎遠だった家族と再開し…と、いかにも重々しい家族ドラマが繰り広げられそうな題材で、意外にも笑いに包まれていたのは、ドライな第三者の視点が巧妙に配置されていたからだといえる。
このタイプの作品は、スター的な存在が牽引するというものではなく、俳優全員の化学反応が肝心といつも思っているが、その点今回のプロダクションは安定していた。個人的に好きだったのは、佐藤しのぶのルースである。とにかくチャーミングで、忘れっぽ��て困った行動を時々するのに憎めないキャラクターに仕上がっていた。すりガラス越しの部屋からマーヴィンの言葉にならない声だけが聞こえてくるという演出も、岡田吉弘の的確な演技によってマーヴィンの機微が窺えてよかった。
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ある画家の手記if.99 雪村絢視点 告白
粉々に砕け散って剥き出しの切先を露わに突きつけてくる、無色透明なガラス細工 それでも香澄が関わりたいと願うなら
香澄があの人の家に訪ねてって怪我したって聞いて、家に行ってみたけど香澄は元気そうだった。 香澄が重傷でも元気そうなのは今に限ったことじゃないから、香澄より直にぃの様子を見たほうが香澄の容体の深刻さは推し量れる。…と、踏んだんだけど、 …直にぃが微妙に読みづらくなってる。というか以前は読むまでもない、完全に見たまんまの人だったんだけど。香澄とこれからも一緒に暮らすならこの変化は喜ぶべきか。それでもなんかダダ漏れる体質みたいのは変わってないっぽいからある意味助かる。 そこから察するに、香澄の今回の怪我は事件性は一切なし、悪意や害意もおそらくなし、憂慮すべき人物の影もなし、…とみていいかな、どうかな。 俺は直にぃと香澄はお別れして別々��生きるってのもそれはそれでアリかと思ってたけど、泊まってる間に香澄に軽く聞いてみたら正月に旅行いっただけじゃなくて、直にぃはこれから講師の仕事やめて画家に復帰するらしい。 …どうして画家だったのか、その画家を辞めたのか、本人から(日本語無茶苦茶だったけど)聞いたから、たぶん画家に「復帰」するってのは適切な言葉じゃない。やめてた同じのを再開するってよりは、以前とはかなり違うなにかなんだろうけど、直にぃの場合は素直になればなるほど生き方のレトリックが絵に集約する…そうなるように人生積み重ねたってことかな。
香澄の怪我にひとまず事件性はないとしても、問題はある。壊す意図じゃなく香澄がただ倒れ込んだだけで大破全壊した棚はガラス製だったらしい。 …俺も一度あの部屋入ってるんだけど、あの時は考えるべきこと多すぎたり突然ひっぱりこまれたりで、言われたこととか音声情報のほうが優位なまま残ってて、部屋の様子は正直ほとんど覚えてない。 あの人が、ガラスにこだわる理由。ややこしい理由なんてなくても「好きだから」ってだけも十分理由にはなるけど…例えば透明感のある部屋にしたいならアクリル板でも代替は効くし、安全だ。 …一度会ったかんじ、他者への危険性には思い至れる普通の人だった。嗜好だけで機能性や生活面や安全性を度外視して家具を選ぶほど耽美的な人柄にも思えなかった。まあ見た目だけなら耽美の塊みたいな人だったけど。 もし、誰かが入ることを一切想定されてない部屋なんだとしたら あの人は今回の香澄が負ったような怪我の危険と常に隣り合わせの状況に、好んで身を置いてる。もしくはそうせざるを得ない何かがあるなら、香澄より先に俺がそれを知れたらベストだ。香澄はあの人と今後も向き合おうとしてる。 手っ取り早く直にぃにあの人のこと聞いてみようかと思って、やめた。よくも悪くも直にぃは対象者のよくない面をよくないように受け取ることができない、多分。
次の日、香澄と一緒に菓子折選んで買って、あの人の家まで向かう。 渡して実際食べられるのかよりもこういうときの菓子折は形だけでもあったほうがいいらしい。 「香澄はあの人のこと慧先生て呼んでんの?」 「うん。直人が先生のことそう呼ぶから…」 「じゃ俺も同じにしよかな」 誠人さんにはあれこれバレてるけど、冷泉って苗字を俺が発するのはしばらく避けときたい気がする。 以前と同じマンションのエントランスで、部屋番号押したらすぐ応答がきた。 「突然すみません… 昨日のお詫びにきました」 スピーカーに向かって声を抑えめに話す香澄に向こうから返事がきた。 『あー…急ぎの仕事が入ってな。悪いが今日は出直してくれるか、その件なら俺から日を改めてそっちに出向くよ』 …声は普通だな 仕事を理由に人を追い返せるほど図太くは見えなかったけど 「すみません、ここ来るまで外の風が強くて香澄が熱出してて。タクシー呼んで帰るから少し休んでったらダメですか?」 香澄が隣でもごもごするのを目線でおさえてたら、きた返事はこうだった。 『…わかった。ただし靴のまま上がれよ』 ガラス片付けてないのか。香澄もそれに気づいたのか、エレベーターの中でも心配そうに眉下げてた。 部屋に行ったらインターホン押す前に内側からドアが開いた。 「…よう。今日は雪村くんも一緒か」 フツーに愛想よく微笑まれて聞かれたから「絢でいいです」って言いながら香澄の服の裾引っぱって部屋に上がる、言われたとおり靴履いたまま。この人自分はスリッパ履いてるだけなのに俺らが土足でいいのか。 「香澄は熱があるって? 怪我に響く前に寝室で少し横になるか?」 「えと… いえ、…大丈夫です」 廊下を歩きながら俺の後ろでやりとりしてる二人を半分放置してリビングまで入っていく。 ひらけたリビングに出て最初に目に飛び込んできたのは、足の踏み場もないほどにリビングの床全面に散った、ガラス片だった。 午前の陽を照り返して粉々に砕けた小さな破片の一粒までが眩しく光ってた。 奥の壁にあるほとんど原型とどめてない大破したガラスの棚には今にも落ちそうな危ういバランスで本が崩れて乗ってて、これは香澄が壊してからおそらくまったく手つけずだ。 「二人とも破片に気をつけろよ」 呆然とリビングの入り口のとこで、このやや非現実的な光景を見てたら、後ろから当たり前みたいにからんとした声かけられた。 「先生… 」俺の後ろでリビングの惨状を見た香澄がおそるおそる何か聞こうとしてる。 「業者を呼ぶ時間がなくてな」…察しのいい人だな。つっこんだ質問する前にこっちを安心させるていで先に返された。 「近々ここも越す予定だったし、どうせならそのタイミングで一緒に処分しようかと思ってそのままにしてんだ」 何かをごまかすふうでもない、普通に愛想のいい笑みで、一度も突っかからずに滑らかに喋る。 他人がもっとも受け入れ易いストーリーを受け入れ易い切り口で提供する語り手だ。…先生、美術講師、か。直にぃと深い関係なのに画家とかじゃなくて講師って少し意外なかんじがしてたけど、この人個人と接してる限りじゃ納得しかないな。 リビングに靴で踏み入ると靴の裏から小さなガラス片の悲鳴が上がる。 リビングの棚から一番遠くて棚のまっすぐ真正面に位置する床が、一部だけ少しガラス片がよけられていた。 「香澄の怪我は悪化してねえか? 寝室が三つと応接間があるから、とりあえずそっちに移るぞ」 「ここに居ましたよね」 唐突な質問、っていうか断定口調にしちゃった。じゃないとさっさとここから移動させられるし、うまく方便で躱されて再度話題にしにくくされそう。 「絢…?」 「他の部屋で過ごしてこのリビングだけ放置してたんじゃない、昨日からずっとここにいましたよね」 「……どうしてそう思うんだ?」 俺はやや詰問に寄ったニュアンスで話してるのに、この人は深刻な空気にならないようにかずっと親しげな笑みを浮かべてる。俺の質問の意図に気づいてたとしても、香澄を戸惑わせないようにか。 「…なんとなく。」 この場では無責任な返答しかできない。香澄も聞いてるしな。
パソコンの中にある真澄さんから受け取ったデータ。 本人に会う前にチェックするのは危険度とか直にぃとの関係とか俺が最低限気をつけなきゃいけないこととかだけで、詳細は誰のもすぐはあんまり読まないようにしてた。 事前に情報を頭に入れてたら、会った時の第一印象や直感にそれらが介入してくる。 でも香澄からこの人の部屋で怪我したってメールきて、そろそろ詳しく知っといていいかもと思って読み返してきた。 「………。」
***
冷泉慧鶴。 現在39歳。独身。1976年9月6日生まれ。���女座。O型。身長約170センチ。体重約50キロ。 冷泉美遊が海外滞在中に妊娠した子供。 「………。」 …無計画な子ども。冷泉の家の人でも、俺も会ったことある誠人さんの友達っていうじーちゃんとは、距離感どれくらいなんだろ。慧清じーちゃん。 父親、Ігор Апостол。読み全然わかんねー…イゴール・アポーストル…? ウクライナ人。 結婚後に日本で美遊と夫婦生活を始める。慧鶴が10歳の時に蒸発するまで、父親は日本語が喋れず、読み書きもほぼできなかったため日本語能力が問題になり日本国籍を得られなかった。地域にも冷泉家にもなじめず、職にもつけず、家の中は美遊がとり仕切っており、ほぼ家で美遊の収入だけを頼りに引きこもりに近い生活を送っていた。 現在も父親の行方は不明。それらしき人物の病院受診歴なども今日まで無し、遺体も見つかっていない。 …個人特定が不可能なほど損傷した遺体はおいといて、もし死んでないなら誰かに匿われてんのかな、情報のままなら不法滞在中ってことかな。 あの人の外見、色素から骨格までほぼ完全に日本人じゃなかったけど、半分はウクライナか…美男美女大国じゃん。多民族国家だから色素も容姿も幅広いけど、その中でも父親は色素薄いほうだったのかな… あ、画質悪いけど写真ある、父親の…劇団員でモデルだったのか…だから写真も多く残ってんのか。母親の写真もある。すんごい美男美女夫婦…確かに足して割ったらあの人かも。 今だからあの人のあの色素ってこの国でそんなに珍しくもないけど、俺みたいに染めまくってるやつとかもいるし、…でもあの人が子どもの頃ってまだ2000年にもなってない。成長過程で何か人格形成に影響する程度には目立ったのかもしれない。 父親の蒸発後、母親は慧鶴に異様に執着するようになった。歩いて通えるような距離への場所でも車で送迎したり、慧鶴にGPSを所持させて常に居場所を把握しようとする行為など。のちに母親は心療内科を受診、現在も定期的な通院やカウンセリングを継続、入退院をしている。 …ここまででもその母親ってのがあの人に他にどういうこともしてたか、かなり現実的な想像ができる。それでも想像の域は出ないけど…。 高校入学直後にクラスメイトから集団暴行を受けたとの報告が学校側に一度だけ有った痕跡。しかしその後、いっさいの情報なし。加害者も被害当事者の慧鶴も暴行を否定している。 …否定。受け入れられない、脅されていた、面倒ごとを嫌った、狂言、事実なにもなかった、…可能性も���情も多岐にわたりすぎる、どうともいえないな。 大学在学中にクラスメイトの名廊直人と短期間の交際と同棲。名廊直人は慧鶴の実家で母親の美遊に暴力を振い、軽傷だが昏倒させる怪我を負わせている。 …直にぃ…。やっぱここでもやらかしてた。 名廊直人以外の他の人間との交際歴は無し。…なし? あれだけイケメンでコミュ強でモテそうなのに。美形すぎると近寄りがたくなるとか? そうじゃないなら告られたの全部断り通してるのか? 院を卒業後、美術講師として働くが、どこか特定の大学に腰を据えて所属したことはない。美術雑誌への寄稿文や、美術指南役のような立場でのテレビ出演、美術館併設時にアドバイザーとして参加、知人の芸術家たちの個展やパーティなどの企画の手伝い、海外のディーラーとのやりとりを引き受けるなど、広い人脈を使って多くの仕事を常に兼任している。 極度の潔癖症と強迫性障害を本人が公言している。公私にわたって手袋を着用しての行動が多い。昨年までは常に黒い細身のハイネックを着込んだ姿で目撃されていた。昨年以後、装いに若干の変化あり。 …去年になにかあったかな、香澄に聞いたら知ってるかな。 他人と食事を共にしたり触れ合ったり体液を直視することが困難である。単独の時間になにがどこまで可能なのかは不明。 趣味、乗馬。…潔癖症の荒療治か? 愛馬の名はベルモント。引退した元競走馬で、数頭の馬と馬場を持つ友人の所有する馬。 食事や他人との接触もやむを得ない場合はそつなく可能。あとから体調を崩している目撃例あり。 リウマチにやや似た疼痛で幼少期から複数の病院を受診しているが、原因も病名も未だ不明。 ネットでの風評被害多数。盗撮画像や過去の卒業アルバムの写真などがSNSや匿名掲示板でこれまでに繰り返し拡散され、便乗した真偽不明の噂や加工画像が出回り、身元や職の特定、住居へのつきまといや嫌がらせなどに至っている。事件化されたことはない。 定住を嫌い、定期的にかなりの頻度で引越している。
…こんくらいか。 情報あっても、いろいろと、分かんないといえば分かんない、けど、フツーに考えたらこれは、屈折するんじゃないの。
***
と、一昨日の夜に読んだときは思った。
ぱっと見ではどこも屈折してる風には見えない、なら、より根深い。 前に会ったときはここに直にぃも居た。この人はあのとき、直にぃにはつっけんどんで無遠慮でちょっと仕草も横柄で乱暴で、直にぃには一度も、笑いかけなかった。 直にぃとそれなりに遠慮のない関係を築けててあれがこの人の自然体なのか、それともこの人も情香さんみたいに直にぃに対して世間的な外面が通用しないし無意味だとわかっててああしてるのか。どっちにしたって俺たちへのにこやかな態度がまったくの嘘偽りの演技ってことになるわけでもない、んだけど…
香澄がこの人に菓子折渡して、 全然怒ってないしガラス片ぶちまけられた異様な部屋と乖離するレベルで機嫌も愛想もいいその人にどう探りをいれるか迷ってたら、隣で香澄がふらつきだした。 俺が熱あるって咄嗟に嘘ついたらマジで熱出てきちゃった… 「香澄? 具合悪い?」 額に手を当ててみる。37.5度くらいか。香澄の平熱いくつだっけ…なんにしても普段から体温高い方ではないな。 「平気だよ、あともう帰るだけで予定ないし…」 にこにこしてなんとか普通っぽく立ってる香澄に頭突きでも食らわそうかと思ってやめる。病人に頭突きはないな。 これから急いでタクシーで香澄を直にぃのとこに送り届けて…いや、病院…まだ微熱だし…うーん… 俺が自分が巻いてたマフラー外して、ストールだけの香澄の肩と首にぐるぐる巻いてあったかくしてたら、突然���澄の背後から香澄の体にふかふかの毛布がかけられた。 頭からかぶってオバケみたいになってるのを香澄が隙間からぴょこっと頭のてっぺんを出して後ろを振り返る。 「熱が下がるまで寝室で寝てろ」 当然のことみたいに提案されて俺も香澄もちょっとフリーズする。その人は俺たちの反応に穏やかに笑いながら続けた。 「寝室三つあるからしばらく泊まってってもいいぞ、俺が寝る場所に困るってこたぁねえから」 香澄と顔を見合わせる。…これって潔癖症なのにめっちゃ気を遣わせてる感じ? でもすぐ帰るって流れをこの人の提案がわざわざぶった切ってるし…? 二人で目線だけで会話してたらその人はさっさと寝室整え始めた。整えるほど散らかってもなさそうだけど… 「嫌ならそう言えよ、その時は病院か直人の家まで車出すからな」 香澄はその人と俺を散々交互に見てから、泊まるかどうかはともかく、しばらくここで休ませてもらうことに決めた。
俺も少し脚が痛かったから、香澄についてないでおとなしく家に帰ることにする。 昨日、俺が拗ねてラインのアイコンを絢ちゃんから経口補水液に変えたら親バカ二人が動揺してたから …てのはまぁいつものうちのネタだけど。 俺個人にとってのこの人の脅威がどの程度かはなんとなく把握した。あとは香澄と、ついでに直にぃ。 多分、香澄に危害を加えられることはない。香澄への感情だけがイマイチ読めないけど、無駄なリスクを犯さない人ではあると思う。
タクシーで帰りながら考える。 きっと誰も一生招き入れられることを想定されてなかった生活���間。そこに踏み込んだ香澄と、それを許したあの人。潔癖症の枠から完全に逸脱した香澄への咄嗟の態度。 ここまで予想通りで、完全な不慮の事故なら、自分に対する否定的な感情に呑まれて、今日来た俺たちに応対もできないほどネガティブになっててもおかしくない、でもそうじゃなかった、無理もしてないようにみえた。 データの中で特に考慮に困った一文… ”胎内では双生児だったが、多胎の妊娠・出産に母胎が耐えられず、養育も困難であるなど多くの点から、片方の胎児を胎内で間引くことが検討されていたが、その期間にストレスから母親が心身の調子を崩し、結果的に片方の胎児が胎内で死亡した、生存した方の胎児が慧鶴である” …気にしない人ならこんなの忘れて生きてる。産まれたのは自分一人だから。あの人はどうかな。 生まれる前に死んで自分に吸収された片割れの存在が、あの人に絶対的な自己肯定感を保ち続ける責務を負わせてるのかもしれない。 ーーー自分を苛む常態と、誰からも苛まれてはならない義務感が、あの人を単純に病んだ人格にさせることを拒み続けたなら、 自己の外側のものであって同時に自分だけに常に向く「自室」が、あの状態なのはーーー自然だ。
…直にぃ。前に話しついでにあの人を、ガラス細工のようだって言ってた。 ”無色透明なガラス細工と似てる。…色がないみたいだけど、外からのものを歪めて身に宿して輝く、眩しいほどの美しさは本人の中の精巧で繊細な屈折率で光を内側で反射し合ってるから” 残酷な例えだな。 関係が深いだけあっておそらく結構的を得てそうだし。 壊れやすいものを前にいつまでもその脆さに美しいなんて魅入ってたら、次の瞬間には簡単に壊れて終わりかもしれないのに。 …さすがに香澄に対してはそういうとこは改善されてきてるみたいだけど。顔の傷痕を消してるから。
壊れたガラスはただのガラクタでもある、ゴミでもある、同時に周囲を無差別に傷つけるむき出しの凶器そのものでもある。 香澄が今夜あの人の部屋に泊まってってどうなるのかは、俺にもわからない。
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シネマランキング2021
早い物で、2021年も終わりを迎えつつありますね。
コロナ禍2年目の今年は割と仕事でバタバタしていたのですが、一年通して結構頑張ってちょいちょい映画を観ることができたので、この一年の映画を振り返って、2020年に観た映画の中からベスト10を選んでみました。こうやって一年間を振り返るの、楽しいですよね。
2021年は97本の映画を鑑賞して、そのうち95本が初めて観る映画でした。
その一覧がこちらです(★は2021年日本公開作品、△は再見した作品)
昨年は2020年の1年間で観た旧作も含めた全ての作品からランキングを決めました(昨年のランキングはこちら)。
今年は新作を比較的多く見ることができたこともあり、2021年日本公開作品に限定してベスト10を選びたいと思います。
いやー毎度のことですが、これを書きながらもかなり悩みました。選んだ10個はどれも甲乙つけがたいのですが、最終的に年末の時点での自分の気持でランキングをつけてみましたのでご紹介します。
2021年もっくんシネマランキング
第01位『ミッチェル家とマシンの反乱』 第02位『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』 第03位『すばらしき世界』 第04位『街の上で』 第05位『ファーザー』 第06位『ドント・ルック・アップ』 第07位『楽園の夜』 第08位『同級生マイナス』 第09位『パワー・オブ・ザ・ドッグ』 第10位『サイダーのように言葉が湧き上がる』
第1位『ミッチェル家とマシンの反乱』
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(引用元)
ほとんど文句のつけようがない満足度の高いアニメ映画でした。脚本はよくできているし、非常にテンポよい、映像演出がSNS動画っぽいスタイルになっているなどアニメーションとしても面白くかつ斬新な部分があり、誰でも楽しめるストレートなエンタメ作品に仕上げっているにも関わらず、ジェンダーや家族の問題や、社会問題をさり気なく取り入れたり、過去の映画パロディー・オマージュが散りばめられていたりなど、かなり作り込まれていて映画好きの満足感も高い。全方位的に良くできている映画なので、いろいろ考えましたがやっぱりこれが今年ベスト1です。
正直日本ではそんなに盛り上がっていないので、もっとたくさんの人に見てほしい!
第2位『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』
→僕の感想
→予告編

(引用元)
トランプ批判を行ったらトランプ支持者に過去の不適切tweetを掘り起こされ、ディズニーからMCU新作の監督を解雇されたジェームズ・ガン監督。そんな彼を、MCUのライバルであるDCが拾い上げて作られた本作。そんなキャンセルから復活の流れも含めてとても思い入れた映画です。そしてキャンセルされた後の復活作なのでもっと守りに入ってもおかしくないのに、全く手を緩めず、むしろ彼の持ち味全開!おバカで、バオレンス全開で、それでいてとっても胸が熱くなる最高な映画が作られたことに驚くとともに感動しました。いきなり予想もしないとこで人が死んだり、ぎょっとするような暴力描写は彼の過去作『スーパー!』にも通じる気がしました(この映画も最高に大好きなやつ、お勧めです)。特に底辺の人間たちの底力や、権力の抑圧より人間の良心が勝ることを示してくれる展開は素晴らしかったです。
ジェームズ・ガン、本当に復活してよかったです。
第3位『すばらしき世界』
→僕の感想
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(引用元)
毎度毎度、すごい作品を送り出し続ける西川美和監督。日本映画の監督で特に注目している一人ですし、広島出身なので勝手に親近感を持っています。そんな西川美和監督の新作です。これも年間ベスト1といっても良いレベルの印象的な映画でした。出所後、社会復帰しようとする元ヤクザの姿を通して、この社会の不寛容、不条理、生きづらさをあぶり出しています。また「周囲はこうだと思っていた人が、本当はそんな人じゃなかった」的要素が毎回西川監督の映画の特徴とも言えますが、今回はそれが登場人物だけでなく視聴者も地続きのものとして感じれるような内容でした。決してハッピーエンドではないけど絶望もしない、なんとも言えない後味を残す味わいも素晴らしい。
今年公開された『ヤクザと家族』なども、テーマは違いますが極道としてしか生きられない人々やヤクザたちの終焉を描いており同時代性を感じました。
第4位『街の上で』
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(引用元)
オール下北沢で撮影された、一人の男性が身も蓋もないフラレ方をしてから始まる群像劇。何度も見返すことができる、素晴らしい映画でした。固定カメラと長回しを多用して、役者のナチュラルな演技により、本当にリアルにそんなシーンを覗き見してしまったかのような気分にさせられました。恋愛とも言えない、男女のなんとも言えぬ関係性を捉えている点も他の映画にはあまり見られない特徴で見事。役者陣素晴らしいです!若葉竜也は、大活躍だし、いろんな役ができる素晴らしい若手俳優ですねー!そして本作は今泉力哉監督のオリジナル脚本ですが、この人も昨今の日本映画で大活躍ですね。今後も楽しみです。
第5位『ファーザー』
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(引用元)
大傑作です。これが一位でも良かった・・・。認知症の主観視点を入れることで、こんなにスリリングでサスペンス性を生み出すことができることに驚きましたし、精巧に作り込まれた映像と、役者たちの素晴らしい演技は見事!アンソニー・ホプキンスすごすぎですよー!普段このような患者さんとも接する機会がある医師としても非常に印象に残る一作でした。
ちなみに先日のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」で小室敬幸さんがこの映画の音楽について解説していたのですが、驚愕する内容だったので、映画をご覧になった方はぜひ聴いてみてください。
第6位『ドント・ルック・アップ』
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つい最近観た映画なのですが、年末最後にドカンと喰らいましたよ。これはまさに今現在の社会を描いた映画です。特にコロナ禍を経た今だからこそ観て面白い映画。しかもそれを超豪華キャストを使って、痛烈に皮肉って、最後まで揶揄し続けるという、ゲラゲラ笑える、だけど結構身にしみて怖くなるし悲しくなる映画です。それにしてもここまでアメリカを馬鹿にした映画もすごいですね。
人類が滅びるときってこんな感じなのかもなって思える映画。素晴らしい!
第7位『楽園の夜』
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(引用元)
完全に自分好みの映画です!こういう行き場のない、先が見えない人間が、自分の尊厳をかけてギリギリの戦いを繰り広げる話に弱いんですよ。『楽園の夜』は韓国ノワール映画で、日本の北野武作品や香港のジョニー・トー作品の影響が強いですが、済州島の美しさと韓国映画らしいバイオレンス描写が相まって素晴らしかったです。ラストの展開は悲しくもとても胸に残りました。水刺身を食べてみたい!パク・フンジョン監督の作品は今後も楽しみです!
第8位『同級生マイナス』
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(引用元)
日本ではNetflixのみで公開の台湾映画で、そんなに話題にはなってないですが、中年クライシス的なものを描いており、今の僕にはとても刺さる映画でした。見終わった後の余韻は今も尾を引いています。コミカルで笑えて、各キャラクターたちの愛おしさをしっかり描く優しい眼差しの映画です。この監督の他の作品も是非みてみたい!30代以降の大人には是非見てほしい映画です。日本のあの人も登場します。
第9位『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
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(引用元)
これも味わい深い映画でした。映画としての映像の拡張高さとクオリティは第5位の『ファーザー』と負けず劣らずの出来栄えです。馬や牛による対比的な表現や、壮大な牧場風景、自然光、音楽、いろんな部分にこだわりを感じる豊かな映画でした。役者陣の演技も光りまくっていて、ベネディクト・カンバーバッチはこれで各映画賞で主演男優賞ノミネートは間違いないでしょう。社会が決める「らしさ」にとらわれている人たちという題材も良かったです。
第10位『サイダーのように言葉が湧き上がる』
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(引用元)
これまでも作られてきたストレートなボーイ・ミーツ・ガールものではありますが、配信で音楽を聴くようになった現在に置いて、失われた音楽を探したり、音楽を所有する喜び、記憶と音楽の結びつきなどを強く意識させるストーリーで、忘れかけていた音楽との向き合い方を呼び覚ましてくれるような映画でした。絵のタッチも含めてシティ・ポップ的だし、実はレコードジャケットなどかなり細かい設定まで書き込まれていて、サウンドトラックや挿入歌の素晴らしさも含め、非常に気に入ったアニメ作品でした。
いかがでしたか?
ぶっちゃけまだまだ印象に残った素晴らしい映画はたくさんありました。『ビーチ・バム まじめに不真面目』もとても好きな映画ですし、『ザ・ホワイトタイガー』もインドならではの題材を扱った非常に印象的かつ面白い映画でした。子供の頃からエヴァを追ってきた身としては『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』だって思い入れがありますし、『ブルー BLUE』も『くれなずめ』も『フィンチ』もみんなとても心に残る映画でした。もちろん『サウンド・オブ・メタル〜聞こえるということ〜』も。
ここで紹介した作品はどれも本当に素晴らしいので、興味を持った方、普段映画をあまり見ない方も是非お勧めしまーす!
来年はちょっと忙しくなりそうなので、どのくらい映画を見ることができるかわかりませんが、2022年もいろんな作品を楽しんでいきます!
それではみなさん、良いお年をー!
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1月17日応用演習(CD)第15回
今回の授業ではおもちゃに対する講評とグループでの振り返りを行いました!
これまでのプロセスを振り返ったり、今までの写真がたくさん詰まったムービーを見ると、この4ヶ月間はとてもあっという間に感じたのに中身の詰まった特別な時間だったなと改めて思います。全ての授業を終えてみても、他の授業と同じ回数だったはずなのに時間の重みが違うというか、なんだか不思議な気持ちです。
途中から面倒に感じてサボってしまった時期もあったけど、このタンブラーを描く習慣もこの授業に真剣に向き合うきっかけになった要素の一つだったのではないかと思います。
それぞれのグループに対する講評は、同じ教室で頑張ってきたのを知っているからこそ他のグループのものでも聞いていて納得したり、改めてみんなが楽しく学べるおもちゃ作りの難しさを学んだりしました。実際に高い評価をもらっていたグループの体験の様子は、ユーザテストや発表当日に見ていても子供たちが楽しそうで賑わっていたように感じたので、人を惹きつけるおもちゃがどんなものなのかまたひとつ学んだように思います。自分たちのグループの評価もまだまだ伸ばせる部分はあったけど、ずっとそばで見守ってくれたり、親身になってアドバイスや意見をくれた先生方に頑張った部分を褒めてもらえたのが嬉しかったです。
普段のグループを離れて行った一つ目の振り返りもいつもとは違った環境とメンバーだったので新鮮だったし、それぞれ違う内容のおもちゃを作っていたけど目指すところは同じだったせいか考えることが似ていたり共感できる部分が多かったように思います。
そして普段のグループに戻って二つ目の振り返りを行いました。私自身はあまり伝えたいことが上手くまとまらなくて何が言いたいのかよく分からなかったと思うし、記事にもしにくいような感じだったと思うので、終わってから少し反省というか申し訳なさを感じていたのですが、他のみんなは言葉にするのがすごく上手だったのでそれぞれの話を聞いていて改めてこのグループで良かったなと思えたし、最後に振り返りを通してみんなの考えを知れて嬉しかったです!
グループでのおもちゃ作りが始まってから振り返ってみると、企画案がまとまっていざ試してみたら飛ぶはずの袋が全然飛ばなかったり、この体験を通して子供たちに学んでもらうにはどうしたらいいか悩んだり、子供たちが能動的に体験できるような仕組みや工夫を考えたり、毎週同じ日に集まって長時間作業したり、発表当日にメンバーが3人になってしまったり、全てが思い通りに上手く行ったわけではないけれど、考えたり悩んだり失敗した時間��全部含めて良かったと思えるような、濃くて中身の詰まった時間だったと感じます。
発表当日は人数が減ってしまったことで不安に思う部分もあったけれど、その場にいなかったメンバーの気持ちや今までの頑張りも背負って、自信を持って子供たちを迎えることができました。思った以上に忙しくて休憩が取れなかったり、荷物が重くて筋肉痛になったり、今まで見たことないくらいに気球が飛びすぎてしまったりもしたけど、体験を通して子供たちが気球が飛んで喜んでくれたり、親御さんと一緒になぜ袋が飛ぶのか考えて学んでくれている姿を見たり、撮ってくださった素敵な写真を見ると達成感を感じると共に、色んな感情で胸がいっぱいになりました!
Dグループのみんなはもちろん、先生方や同じ教室にいた他のグループのみんなも含めてこのメンバーでコンテンツデザインの応用演習を無事終えることができて良かったです!プログラム説明会でも言われたように決して楽ではなかったけど、とても楽しくてCDを選んで良かったなと思います。今までありがとうございました!

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【座談会テーマ】
演習を通して自分はどう変わったか?何に気がつけるようになったか?
他者とのインタラクションやコミュニケーションにどのような変化があったか?
自分たちの成果を振り返って想定していた目標を達成できたか?
上山
まずみなさんお疲れ様でした。自分自身の変化は自分で気づくのは難しいから詳しくはわからないけど、何が優れているのかを図る物差しが増えたと感じた。今までは、デザインのルールや教科書や本に書かれているような、いろんなルールで美しいものや正しいものは知っていたけど、子供達の前にすると、それが通じなくなったり、それがベストではないことがあるなと思った。
CDだからっていうかネ学だからっていうもあると思うんだけど、高校生の時はリーダーとかになると、自分の意見がそのまま通ってそれで決まっちゃうってことが多くて、だけどネ学の人は芯があって、今回のグループワークでも話したことに対して打ち返してくれるから、ラリーが生まれて良い意味ですんなりいかない話し合いができてすごいいい経験になった。
具体的な目標を設定していなかったので、想定していた目標を達成するとかは無かったんだけど、最終日、休む暇もなく人が来てくれたということですごい安心しました。それと成果物として、作ったものは、本当によく出来ていたので、頑張った時間は無駄では無かったと感じました。
薬師神
自分自身の変化を見つけるのは難しいんだけど、グループワークがとても好きになったなって思う!去年のグループワークは開始数秒で喧嘩が始まったりとか、前期のグループワークもみんな周り女の子だったりして、グループワークだけど一人で頑張るっていう意識が強かったけど、今回はグループワークを通して協力するってこういうことなんだなっていう、努力する時間を共有するってこういうことなんだなぁって気付くことが多かった。それと提出する作品も自分のためじゃなくて、単位とかのためじゃなくて、グループのためにやるっていう責任感を持ってできた気がする。イラレのレイヤーもまとめられるようになったし!そういう技術面での進化もあったと思います。
てった��も言ってたけど打ち返したくさんあったから楽しかったな。自分の意見だけが採用され続けると、いい気もするけどつまらなくて、今回はラリーがあったり反応があったからそれもその反応はポジティブなもので、すごい喋りやすい空間だった。それと、口だけのレ��ポンスだけじゃなくて、行動でのレスポンスも多かったのでそれも楽しかった。
自分も目標を明確に立ててなかったんだけど、最初CD始まった時は単位取れればいいやとかやってれば身につくでしょとか受け身の姿勢だったのが、自分達で何かを成し遂げようという姿勢になれたのが目標ではないけど、今振り返ると達成感があるね。でもこの達成は自分だけの達成じゃなくて、周りのメンバーに促進されてできたことだから個人の目標ではない気がするけど最初飛ばなかったものが頑張って飛ぶようになって、それが評価されるっていうのはすごい嬉しかった。最後までやり切れたのも達成的な面で見てもよかったなって思います。あと何より楽しかった。能動的に学習した!って感じがする。
上山
俺は話さなかったけど、技術的な面での成長はあったと思うみんな。当たり前かもしれないけど大事なことだよね、自分を褒めるためにも気付くべきだね。
山本
なんか結構自分は指示待ち人間なんだけど、ここのメンバーはそれぞれずば抜けてできるところがあるから、役割が分かりやすくて、進んでできたっていうのはあるね。それは一番なんか変われたところな気もする。
さっき二人が言ってたみたいにいろんな角度からの意見があって、前期の時は一人が言ったことがそのまま採用されるとかが全然あったけど今回の班になって、こういうたくさんの意見が出てくることが新鮮だったし、こういう意見があるんだって思った。みんなそれぞれ違う方向から意見が出てくるから多種多様ですごい勉強になった。
俺も目標はなかったんだけど想定していた目標というよりも、袋が飛ぶようになるとかの一つ一つの目標が達成できてきて、ステップアップしていって、発表会でユーザーが喜んでいる姿を実際に見て、最終的な制作物としての目標は達成できたのかなって思う。子供が遊んでくれてるのも見るとああいうことあったなとか色々蘇ってきてって感じかな。
沼田
今までのグループワークは結構人見知りしちゃって、全然喋れないしあんまりグループの役に立てなかったけど、今のグループはみんな褒め上手だし、褒めて伸ばしてくれる感じだからイラストもあんまり得意じゃないけど自分のやるべきことが明確だったからすごくやりやすかった。
みんなやるときは真面目にやるけど、雑談もあってそのバランスがとってもよかったって感じる。
思っていたよりも毎週みんなで集まってしっかりやってたから達成感もあるし、みんな頑張ってた。目標達成とかはないけど、みんな自分のやるべきことを理解して頑張ってたと思う。
菅谷
私が今回1番大きく変わったことは、指摘し合うということです。悪いところを指摘するということだけでなく、いいところもちゃんと伝えるということが大事だと気づいて、今まで意見出せなかったのが積極的に話せるようになりました。誰のアイデアであっても、そこのどこがいいのかどこをどう改善したらいいのかを指摘し合う。また、それらをすることでどこを直したらいいのか改善するべき点に気づけるようになりました。
1でも話したように、良いところも悪いところ��ちゃんと意見を話せるということができるようになりました。また、発表当日は練習をしっかりとしてから行ったわけではないので心配なことが多かった。でも、その場で考えて話して説明するということで相手も自分に合わせたコミュニケーションだからより楽しんでもらえたように感じた。なので、台本通りに行うのより、今回の授業からその場での会話というのが相手にも影響を与えると知れました。
私も目標を達成してなかったからちょっと微妙なところがあるけど、グループみんなで納得のいくものを作れたと思ってます。途中、アイデアがうまく成功しなかったり「こうしたい」ということができなかったり難航することが多くて、でも最後「すごいぞ!」って自信持ったものを作れたので大成功だと思ってます!
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東��や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
<個人的なアイデア>
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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01/21 ヤクザと家族 The Family 試写会に参加しました
*ネタバレどころか全編通しての感想なので一定期間が経過したら本記事は非公開に移行いたします🙆♀️
*記事全体でお名前や役名などを敬称略にて記載させていただいている部分が多数あります。ご不快に感じられる方がいらっしゃいましたらブラウザバックしていただけますと幸いです。
2021年1月21日(木)、映画「ヤクザと家族 The Family」試写会に参加させていただきました。年末年始は「1月29日を迎える」ことを目標に繁忙期を生き抜いたため、当選通知のメールを見た瞬間私の2021年は終わったような気持ちでした。(誇張表現)
今回も初見時の気持ちをフレッシュに残しておくべく、鑑賞しつつこんな感じでメモっていました。 黒い文字が上映中のメモ、緑の文字は帰宅後に補足で書き足したメモです。

これまでは人に見せることを前提とせず目と耳に入ったことや感想を自由にメモっていたのですが、今回を機にメモを見返しつつ(時に載せつつ)感想ブログなどもしたため始めてみようと思い、画像と文字を投稿しやすそうなTumblrを開設してみました。普段芸術と程遠い業務にいそしむ会社員の感想を眺めて「わかる〜」「いやわからね〜」みたいな楽しみ方をしていただけたら幸いです。
今回はB6ノートに見開き10ページ分ひたすら悶絶しているメモとなりました。
映画開始から終了までの時系列順で書いています。ちょこちょこ下記のようにスクショで掲載します。
水中から始まる…… フレッシュなダイイングメッセージみたいな文字で書き始めているのですが映画冒頭、あぶくに包まれながら沈んでいく推定・綾野剛さんの映像がとても綺麗でした。今思い出すと「ああ〜Familia……」という感じです…… 一緒に見に行った方が観賞後、「この映画は山本賢治の走馬灯なんじゃないか」という話をされていて打ちのめされました。
そう言われてみると最後の沈むシーンでは刺された血液か返り血かで体の周りにもやのような赤が浮いていますが、冒頭の沈む映像ではそれがなかった気がするので山本さんの自己認識的な映像なのかな〜とも考えていました。 確か右手を伸ばすようなカットがあり、写っている手がなんだか小さく見えたので「19歳の前に胎児からスタートなのかな?」と斜め上なことを考えていたのですが、上方に伸ばした手を自分で見上げているので確かに小さい感じに見えるんだな〜とも考えていました。
1999���
小さい原チャリの山本賢治くん(19)が着席するまでの一連、白い上着で葬儀場に入って行く俯き気味の後頭部が愛しかったです……読み間違いかもなのですが喪主が山本賢治に読めて、あ〜頼れる親族いなかったんだ……とすでに泣きそうになっていました。
少し後のシーンで山本宅が映る時、お父さんの名前で賞状も雑多に積まれていたのが何だったのかな〜と思いながら観賞後にサイトを読んだら証券マンだったとのことで、優秀な社員さんだったのかな……と思いつつ母親も離婚などではなく亡くなっているという記載からかつての山本家に思いを馳せて切なくなっていました。
いちはらはやとかわいい 市原隼人さんをドラマ版『ROOKIES』で知り、『猿ロック』『ボックス!』くらいしか見たことがないながらにくしゃっと笑う顔が好き^〜〜〜と思っていた高校生時代を思い出しました。原チャに足乗せて数珠をいじってるの大変かわいかったです。数珠は手作りなのでしょうか🤔2019年で大原の墓前にも赤マルと一緒にお供えされてるのを見ると三人でお揃いで作ったのかしら……と深読みして涙する私でした。
おかねにはしゃぐのかわいい 夜の堤防で強奪してきたクラッチバッグを開けるシーン。大原を演じる二ノ宮隆太郎さん、お顔は存じていたのですがお名前が出てこず、さらに事前にあまり情報を入れないようにして映画に没入しに行ったので「大原」「細野」の名前が最後までわからず迷走したメモになっています(言い訳) バッグの中から20万円くらいが出てきて堤防でめっちゃはしゃぐ大原が大変かわいかった……1999年でも2005年でも大原が笑ったり喜んだりすると見ているこっちもニコ……☺️と笑顔になるのが不思議でした。
このシーンで月におシャブさんをかざして「きれェ」って言う細野もやばいけど投げ捨てちゃう賢治くんの衝動性も心配な感じでした。この衝動性が2005年の川山を瓶でゴン事件に繋がるんだろうな〜と思いつつ……
あかちゃんあやすいちはらはやときゃわ オモニ食堂で赤ちゃんの翼くんをせっせとあやす細野の笑顔がほんと〜〜に好きで…… 山本・細野・大原の三人でいっぱい食べてるのめちゃめちゃかわいい空間でした。
くみちょうかっこいい 帰宅してから追記したメモもだいぶ頓珍漢なのですが「激シブ」と書きたかったんだと思います。
この食堂乱闘事件の最後、大原が出口手前の机に綺麗にぶつかって気持ちよくひっくり返して走って出て行くのも爽快でした。(どんな感想?)
ドアちゃんとしめるけんじくん 寿司パに呼ばれた賢治くんがビルの入り口ドアを後ろ手ながらちゃんと閉めるのが偉いな〜と思って見ていました。(今思うと金文字の「柴咲組」を見せるためかな〜とも思いつつ) この後商店街を走る時も「どけどけ!」だったのが「どいてどいて!」になって、後に続く言葉の方が優しい感じになる辺りに人柄を感じてグッときました……
はねられたあとはしるけんじくん 雑誌の『キネマ旬報』だったかで綾野さんがスタント無しで挑んだというのは読んでおり、事前公開された映像も見たので心の準備はできているつもりだったのですが劇場で見ると迫力が凄まじかったです……は、はねられている……あと確か長回しがはねられた後も続いていてハラハラしていました。
そしてこのあと盃交わす場面までほとんどメモ取ってませんでした。SNSの完成披露会を見られなかったので一緒に行った方に教えていただいたのですが、あのシーン本当に蹴られているということで……よくぞご無事で……😭 香港までの密輸(入国)船のサイズが意外と小さくて、時々ニュースで見る国境近辺の船ってそういえばこんな感じだったな〜と思い出していました。 あと加藤こと豊原功補さん、『のだめカンタービレ』の江藤しか知らなかったので「なんか見たことあるような…」とは思いつつ一瞬気づきませんでした……!江藤塾の指導が「ヤクザのとりたてみたいな指導しやがって!」と千秋に言われるのですが江藤と加藤全然違う人間ですごかったです……
ところでこの臓器くん三人が密輸されかけるくだりの辺り、賢治くんが柴咲組との関係を否定したのに中村の兄貴が迎えに来てくれて三人とも助かってる描写の理由が1回目だとわからなかったので今後わかるまで見に行きます(ムビチケを追加で積んだ顔)
盃交わすシーンで縦書きのクレジット入るのめちゃめちゃテンション上がりました。かっこいい……ここのシーンの背景や人の配置とお顔など、後��出てくる方いらっしゃるのかな〜と思いながら見ていて白文字を読んでいなかったので結局エンドロールまで気づかなかったのですが今回岩代太郎さんが音楽だったそうで、初めて映画のサントラ買ったのが『武士の献立』だったのでエンドロールでもテンション上がる事態になっていました。
2005年
おしりまで入ってるの 銭湯で山本さんが湯船に向かう後ろ姿のシーンで刺青が背中通り越しておしりと太ももにまで入っていた衝撃のメモ。 そういえば私も小学生くらいの頃、近所の銭湯にどうしても行ってみたかったのですが連れて行ってもらえなかったことを思い出しました。(誰彼構わず話しかけては走り回って物を壊す子供だったのでいろいろな意味で人生変わるところでした)
大原と細野の背中にも線彫りでごっついでかい刺青が一面に入っているのですが、山本賢治さん(25)の気合の入り様がエグいかっこよかった……何年かけて彫ったのか…… 米国にいた時スナック感覚で一緒に刺青入れよ〜と誘われた際、断りつつ色々調べて知ったのですが、線ではなく面の刺青は痛さも尋常じゃない上にグラデーションは彫り師さんの技術も問われるところとのことでお尻やふとももとか脇の肋骨のあたりみたいな皮膚の薄そうなところにまで見事に入っているのを見て山本さんの六年間に思いを馳せたりしていました。あと全然関係ないですがお風呂めっちゃ気持ちよさそうで私も帰宅してお風呂沸かしました。
中村「てれるな」かわいい 安易に「かわいい」という形容詞を使いがちなのですが魅力を感じた時にさくっとメモする時やっぱり「かわいい」とか「かわ」って書くのがラクという。 若頭襲名?就任?のお祝いをされてぽつっと一言中村の兄貴が「照れるな」と言うのがかわいかったです。立ってるだけでめちゃめちゃ怖いし1999年の方でも怖かった中村さんが口を開くと思ったよりフランクで端々にポップさが垣間見えて「あっ好き」と引き込まれた瞬間のひとつでもありました。ドラマ『アンナチュラル』の宍戸だ!!と思って警戒しながら見ていたのですがここで警戒を解いて仲間だ〜🌼と思いながら見ていたので2019年の方で落ち込みました……(鑑賞中に落ち込む視聴者とは)
このシーンで細野が「これ山本の兄貴からです」のような文言で中村さんにプレゼント(とは言わないのかしら……)を渡す時、言い方や間の取り方があまりにも自然なモブっぽくて一瞬細野だと思いませんでした。山本さんから中村さんにお祝いの品を渡すだけの舎弟の役割を果たしている細野aka市原隼人にグッときていました……
せんえんくれる オモニ食堂で小学生の翼くんに千円札をくれる山本さんのシーン。一万円とかではなく、でも小学生には大金の千円札をお小遣いにくれる山本さんのバランス感覚がとても好きでした。愛子さんが止めるでもなく受け取っときなと言う様子になぜか嬉しくなってました。そして翼くんがンマ〜〜〜かわいい……その翼くんと会話してる時の山本さんと細野がこれまたンマ〜〜〜かわいい……あの笑顔は無形文化遺産認定の日も近いです。
「子供と会話すると笑顔になるよな〜」と思いつつ見ていたのですが今思うと大原くんと亡くなった翼くんのお父さんが似ていたというところから、自然と人を笑顔にさせる特性みたいなものを翼くんもお父さんから受け継いでたのかなぁとか、いろんな人の居場所になってたオモニ食堂を切り盛りしてるお母さんから学んだりしてたのかなぁとか色々考えていました。
ジッポのチーンかわいい この「かわいい」も魅力的だったな〜の「かわいい」です。2005年の山本さん喫煙シーンで印象的なジッポライターの開閉音、薄い金属音がおしゃれで好きでした……小中学生の時分、ジッポに憧れて百均やらドンキやらで安いのを買ってはガチッとかバチッみたいな音を立てて開閉させていた勢なので「かっこいい……」と痺れていました。あと山本さんの手が綺麗で二倍痺れました……
2019年、山本さんの出所後に「柴咲組一同、盛大に」のシーンで煙草に火をつける時は百円ライター的なジッという音になっていて泣きそうになりました。対比がエグい……
くうきのかわりかた 2秒前まで翼くんと近所のお兄ちゃんみたいな会話をしていた細野が山本の電話の様子を見て一瞬で空気を切り替えるのがビリッと来ました。オモニ食堂の壁際に飾られた七五三か��午の節句かの人形を挟んで会話していたのも何故か記憶に残っています。
この画面大原があまり映ってなくて若干寂しかったりしました。三人でご飯食べにくるの可愛かった……ビールの乾杯の時にグラス合わせる位置が特に山本さんが上という感じもなく三人でかんぱ〜いってなってたのが本当に好きでした。(見間違いだったらどうしよう…)山本さんの貴重な笑顔……
あめちゃんなげるのかわいい この「かわいい」は「かっこいい」と「かわいい」が半々くらいのかわいいです。去り際に細野が翼くんに2つか3つか何か投げるので「小銭?にしては雑…?」と思っていたらキャラメルなのかラムネなのかアメなのかオレンジ色の細長いのを翼くんが両手で受け取ってて可愛くて死にました。 お菓子を持ち歩く細野……
続くクラブ C'est la vie で敵対勢力が煽りに煽るシーン、細野が身を乗り出してゴリゴリに睨んでる中、山本さんが微動だにせず立ってるのがめ〜ちゃ怖かったです……まじで身じろぎひとつせず川山のことをじっと見ている様子が、あまりにも静かなのに絶対静かな訳がない嵐の前の大気そのものでひたすらぞわぞわしました……
川山が立ち去った後でママが気を取り直して女の子たちに���をかけるのがまた好きでした。ママの肝の据わり方よ……
そしてここで登場するみゆきちゃんこと工藤由香。青いドレスが似合ってて素敵でした。今思い出すと冒頭や最後の海を思い出すような深い青なのですが、由香ちゃんの明るい人柄と真逆な色かつ尾野真千子さんの雰囲気にぴったりの綺麗な深さだったな〜と思いました。(小並感)
自己紹介もなく隣に座り山本さんの親指の付け根部分にガラス片が入っているのをそっと取ってくれる由香ちゃんを見つめる山本さんの目元がサングラスと前髪でわかりづらかったのもエモでした。わかりづらいけれど、川山と話していた時とは完全に異質の静けさ……
さっきまで流血沙汰の事件起こしてた男が、自分で気にもしていない(蔑ろにしている)傷に気づいて手当てをする由香ちゃん、彼女の来歴が映画の中ではほとんど見えないのも「山本の走馬灯」と考えると納得でした。
ついでにこの後ホテルに呼び出される由香ちゃんのシーンがめちゃめちゃ可愛くてニコニコしながら見ていました…… 由香ちゃんの到着で、画面には映らないジッポの音が「山本さん緊張してるのかな…」という感じでかわいかったです。そして由香ちゃんの私服(チェックのシャツワンピースとフードつきダウン)が青いドレスとこれまた180°正反対とは言わずとも90°くらいの位置にある感じでとてもかわいかったです。◯まむらかパ◯オスか……
ぺちぺちたたかれてる かわいい 抵抗する由香ちゃんのぺちぺちパンチが大変かわいかったというメモでした。
そういえば山本さんの背中におわしますは修羅でしたね
抵抗している由香ちゃんに動揺しまくる山本さん、さっきまで貫禄凄かったのに急に中学生男子になってニコニコしちゃいました。川山とか加藤にこんな態度を取ったら親族もいない由香ちゃんは臓器ちゃんコースでもおかしくないのに、運転しておうちまで送ってくれる…… ここで携帯渡して「入れろ」だけ言われて、一回でちゃんと正しい情報を打ち込んで渡してくれる由香ちゃんの律儀さもかわいかったです。ラブコメ映画ならここで一回ギャグ挟んでから山本さんが「あいつ…!」って思ってるときに携帯に由香ちゃんから連絡入るパターン……🤔💭と思考が逸れるくらいかわいいシーンでした。
セーターのおじちゃんかわいいね… この「かわいい」も「かっこいい」と「魅力的」の混ざった感情でした。川山の件で加藤との会談に中村の兄貴を連れて行く柴崎さんにスルッと流されてしまって立ち尽くす山本さんに肩ポンしながら「たまには兄貴に花持たせたれや」のようなことを言うおじちゃんがその場面で一人だけスーツではなくセーター着用だったのがかわいいな〜と思った感想。
ビリビリに張り詰めた空気の中で元凶とも言える山本さんに声をかけようにもかけられない(かける勇気が出なさそうな)雰囲気の中、かる〜い感じで声をかけてくれるおじちゃんが大変好きでした。何かあったときに気持ち的にラクにしてくれる方が職場とかに一人いてくださると心理的安全ダンチだなぁなどと今打ちながらしみじみ考えます。みんな頼ってひっそり相談に行く感じ……
あとこの「たまには」という一言、最初はおじちゃんが気を遣ってくれてる感じかと思っていたのですが、2019年の方で中村の兄貴と乱闘になる場面で出所したての山本さんに兄貴が「いつもいいとこどりしやがって」みたいなことを言っていたのを考えると、1999年〜2005年の6年で相当派手に活躍していたんでしょうね山本さん……
出待ちしてるのかわいい これは紛れもなく「かわいい」でした。クラブの前で車で由香ちゃんを待ってる山本さんのシーン。この直前の事務所でソファで仰向けで煙草吸いながら起き上がって天井見上げてまた吸って……というシーンの山本さんは手首や体の動かし方から漢と色気の混ざり合った匂いを画面越しに感じるほどかっこいいのに、由香ちゃん呼び出して「無理なんで……」とわりと年単位で寝込みそうな断り方をされて無言クラクションパーーーーーで強制的に呼び止めるあたりの流れまじでラブコメでかわいかったです。
みゆきちゃんにオラつけてないのかわいい まさしく。別に山本さんが「オラついている」訳ではなく「ペースを乱されまくっている」と書きたかったのですが勢いでメモっていたのでこんな書き方になってしまいました。語彙力……
このシーンではまだ「ゆか」という名前が出てこなかったので鑑賞中のメモが「みゆきちゃん」記載。
ドライブ(きょうせい)かわいい 由香ちゃん青いドレスのまま上着だけ持ってきてドライブしてたような気がします。白い上着に青が映えるな〜と思いながら見ていた気がするのですが見間違いかな……次見る時確認します。
そして今気づきましたが「(強制)」と言うと常田大希さんが年末にSNSで公開していた綾野剛さんとのメッセージを思い出します。どんなおせちだったんだろう……ちょろぎ入ってたのかな……🤤
顔が良いあやのごう 夜明けの海岸で由香ちゃんに「どうやって儲けてんの」「なんでヤクザやってんの」のような質問攻めにされるシーン。今回のメモぶっちゃけ6割くらい綾野剛の顔が良い(または諸々が「かわいい」)で埋まっていたのですが、この辺りから各俳優さんの様々な「美しさ」に魂が震える映像になっていった気がしてメモ内容が圧倒的に表情のことや空気感についての言及になっていたので我ながら記述が曖昧で頭抱えました。咄嗟の語彙力 増強 方法 検索👆ポチ
夜通しドライブした二人が由香ちゃんの気軽な質問からほんの一瞬だけお互いの深いところに触れる描写が夜明け前の一瞬の空を思わせてエモでした。
まじすか!? かわいい ここからしんどかった…釣りに出かけた柴咲さん・山本さん・運転手の大原くんの三人が車内で会話しているシーン。 電話で呼び出された時山本さんが着てたセーターかわいかったな〜というのも記憶に残っています。そういえば山本さんが住んでるところって柴咲組の寮的なところなのかしら🤔最初に由香ちゃんが呼び出された時、ドアに避難経路が貼ってあったのでホテルかと思ったのですがそういえばこの場面でも同じベッドな気がするのでホテルじゃなくて家なのかな……?
運転手の大原くんが嬉しそうに相槌を打つのが可愛すぎて劇場でニマニマしてました。「こいついっつもお前の話するんだよ」みたいなことを柴咲さんに言われて山本さんが呆れてるのに「すみません!」ってお返事しながらニコニコしてるの本当にかわいかったです。
気を張ったり気が立ったりがデフォルトの中で大原くんみたいな人がそばにいるとホッとして笑顔になったり少し安心したりするんだろうなぁ、愛されてるんだなぁと思って(由香ちゃんとのラブコメからのエモの流れで完全に油断していたこともあり)完全にリラックスしてたところで二人乗りバイク………………………………
ずるい……………………… 大原くんの魅力にフォーカスした直後のこれはずるい……………………
今思い返すとこのシーンも多分長回しでした。どこからどこまでだったんだろう……完全に頭から世界観に浸って「釣りか〜何が釣れる時期かな〜」とか考えてたのでめちゃめちゃ衝撃でした…… そしてここで山本さんが車を振り返って呆然とする流れが辛いのにめちゃめちゃ綺麗でした。昼前の太陽の明るさ……
ないてるいちはらはやと 翼くんを撫でて笑おうとする細野がぼろぼろ泣いてしまうシーン。シンプルにつらすぎて胸にきました。トレーラー映像で主題歌が入る前あたりに映る煙、煙草かなぁと思ったらこの大原の葬儀のシーンだったんですね……ずるい……
この時の翼くん6〜7歳でしょうか。物心ついてから初めて参加したお葬式だったのかな、と思うと普段と様子の違う知ってる人たちの中で細野ならいつもみたいに笑ってくれる!と思ってたりしたのかなぁみたいなことも考えて辛み増してました。ちょっと戸惑うような様子が辛かった…… 細野の翼くんと接する時のあの笑顔が印象的に描かれていたからこそ辛さが倍増(どころの問題じゃない)でした。
そういえばこの後から細野の笑顔がちょっと変わったような。🥲 2005年ではもう笑うシーンがなく、2019年の方でも相当苦労したんだろうなぁという感じで笑顔の雰囲気が変わっていて辛かったです……パパしてる時ももう翼くんに笑いかけたみたいな笑顔じゃなくて……無形文化遺産儚い メタい感想だと「笑顔」ってそんなに種類分けられるものなの……?と市原隼人さんの表現ぢからにタコ殴りにされていました。安仁屋……
けいさつとヤクザの髪型 ちがうのすごい 柴咲さんと大迫が会話するシーン。画面右側に柴咲さんと中村の兄貴、左側に大迫と若い警官?が映るのですが、中村の兄貴も警官も「髪が短く襟足は刈り上げに近い感じ」「スーツ」「姿勢良く立ってる」とほぼ同じ条件のはずなのに、どう見ても右側がヤクザで左側が警官だったのがすごかったです。さらに場面的に逆光でほぼシルエットだったにも関わらず明らかな差異があったので痺れました。
ケン坊なのかわいいな…… 入院している山本さんのお見舞い兼報告?で柴咲さんと細野が病室を訪れる���ーン。もうすでに嫌な予感はしていたので感想がかわいいポイントだけフォーカスして書いてありました。柴咲さんが「ケン坊」って呼ぶの本当に愛が深くてなんでか泣きそうになります…… 花籠を置きながらずっと泣きそうな顔をしている細野の私が代わりに泣きました。(なんで?)
えっ えっ顔が良い あやのごう…… だいぶ動揺しています。ベッドで横になった山本さんの思考をなぞるように俯瞰でゆっくり回る画面のシーン。天井視点というべきか何と言うか…… 1999年に侠葉会から逃げる賢治くんのシーンでも画面がぎゅん!と回って大混乱なところがあってすごく好きでした。
あの静かな表情が怖いのか美しいのか、ぞっとするのか狂おしいほど愛しいのか、全部詰まっていて文字通り息が止まりました。二重幅の目元がずっと脳裏に残っています。
そしてこの後クラブの中で山本さんに紙袋を手渡す細野、サイトのキャスト紹介の写真もしかしてこの場面では……?と気づいて地に倒れ伏しました。苦しい……
な…中村さん…… 1999年でおシャブさんを扱わない柴咲組に「じゃあ何をやってるんだよ」みたいなことを聞いた賢治くん19歳に、凛と張りのある声で答えていた中村さんを思い出しました。山本さんとはまた別の理由で耐えきれなかったのかな中村さん…… 屋上でゴルフしてる柴咲さんと山本さんを見てる時の中村さんの目線がなんとなく不穏だった気がしたのですが、中村さんは任侠の人でした……😭
刺殺する時は刃物を縦ではなく肋骨に沿うように横にして差し込むと致命傷になるみたいな話を思い出して現実逃避しながら見ていたのですが銃を選んだ山本さんと刃物を選んだ中村さんの違いみたいなところにも思いを馳せていました。 (そういえばサイト読むとドス的なものではなく包丁だったんですね)
そぼくなゆかちゃんハウスかわいい 質素倹約大学生の一人暮らしアパートとてもかわいかったです。調べたら2005年といえばファーが流行したりエスニック柄が流行した時期らしいのですがそんなものの影もない本棚やキッチンの生活用品のカゴに生活を感じてグッときました。そこに転がり込んでくる血まみれの山本賢治……
震えてる山本さんに動揺しながらも少しずつ落ち着いて癒してくれる由香ちゃんと、最初触れるだけのキスをするのがすごくグッときました。
みあげるとき 19さいだ… 翌朝、事務所に帰ってきた山本さんがソファに座ったままぼんやり柴咲さんを見上げて立ち上がるシーン。1999年、加藤の元から助け出された後を思い出しました。ESSE のインタビューで綾野剛さんが語られていた内容もふと思い出し、朝陽の入る光景に胸が痛くなりました。 その後で柴咲さんが山本さんが怪我をしている左肩を大切にして首元を引き寄せて、自分の白い上着を気にするそぶりも見せずにガッと抱き寄せるのがまた辛かったです……(あまりにも当たり前のように深く抱き寄せてたのでしばらく柴咲さんの上着が白いことにも気づきませんでした) 大迫が入ってきて手錠をかけているあたりのシーンで柴咲さんの上着に血がついててウグ……となっていました。
よりにもよって連行される時のニュースを翼くんがガッツリ見ているというのも辛かった……来なくなった大原、逮捕された山本さん、細野は一人でオモニ食堂にご飯食べに行ったりしたんでしょうか……2019年の方だと細野と翼くんのコンタクトが一切なかった気がしてまた辛いです……
怪我が治ってないのに歩かされて収監されてる山本さんが辛すぎると同時に、真っ暗な中から明るいところに出る流れの表情に鳥肌バキバキでした。
2019年
2019年の方が青いの…?(色)がめんの 早朝出所する場面から始まることもあってか映像が青くて「あれ…?」と思うなどしていました。初めて見る丸メガネの若い子と中村の兄貴が迎えにきてくれて、「細野くん来ないんだ…」とざわざわしていました。
そして事務所に到着すると剥がされている金の「柴咲組」。剥がされた後のスプレー跡が残ってるのが傷跡みたいでまた辛い…(この後ほぼ「つらい」「しんどい」しか形容詞が出てこない)
19才の鼻のキズのこっちゃうんだなぁ 出所後にすっかり様変わりした街並みを見上げながら事務所に戻り、多分14年ぶりに柴咲さんにも会うシーン。和装の柴咲さんに嬉しそうにしてる山本さんの鼻に傷跡が残ってるのがなんとなく印象的でした。
20年経ってるんだなぁと思いつつ、2005年の加藤との会談での「俺のたまでも取ってみるか」はもちろん何気ない会話の一言でも声の厚みがめちゃめちゃかっこよかった柴咲さんの声が弱くなっててめちゃめちゃ不安になりました。
あとこの事務所が映る時に「がらんどうだ………」と思った覚えがあります。置いてある小物の数が著しく減ったとかではなかったと思うのですが、何が違ったんだろう……2005年の時から人が減ったのに様子が変わらないから寂しく見えたのかしら……次見に行った時確認します……
そういえば美術の部谷京子さんが『容疑者Xの献身』の方と後で調べて知って唸り倒しました。寂寥感とあたたかさが混在する空間大好きです……
SEKISUI HOUSE 山本さんの新居のアパートの壁にSEKISUI HOUSEのロゴがありましたという。なぜこれメモったんだろう。しんどさが限界点突破して何か関係ないものメモりたかったのかな……
このシーンの前でたぶん大原くんのお墓参りをしているんですが、そこで赤マルお供えしてるのと、あと多分ほどけてる数珠がお供えしてあったのも印象的でした。お揃いで作ってたのか、それとも細野が趣味で作ってたのを置いてったのか、ちょっと次見る時に三人が1999年と2005年でおそろっちしてるか確認します……
丸メガネの子がしょんぼり辛そうに条例の話をシンプルにしてくれるのを聞いてから山本さんがまず由香ちゃんに連絡取ろうとしてるのがかわいかったです……しかし繋がらない…… ここのスマホ使い慣れてなさそうなところがまた紛れもないかわいさでかわいかったです。通信機器って差し入れできないんですね……
そしてこの後の出所祝いが😭ひ、ひたすら辛かった……… 「柴咲組一同、盛大に」という文言はきっと昔から使われてきたもので、山本さんも何度も聞いたことのあるような乾杯の掛け声なんだろうなと思いつつ、どうしてもかつての賑やかさを思い出してしまって辛かったです……煙草に火をつける音が百円ライター……ビールは瓶のプレモル……(これも現実逃避メモ)
追い討ちをかけるようにシラスの密漁シーンが入り、大変な寒さに違いないだろうに「これで食わせてもらってんだよなぁ」的なことを言いながらはしゃぐようにしてるオジキたちがしんどかったです……
そして現存していたオモニ食堂😭よかった……!あった……!変わらず待っててくれる愛子さん、久しぶりの細野……!でもやっぱり笑い方が変わってるというか、なんかあんまり山本さんの方を見てなかったような……この辺りメモがくちゃくちゃ(文字が重なってて)になってて己の動揺を見ました🥲
配偶者を「ヨメ」って呼ぶ細野かわいいな〜と思いつつ、丸めた千円札をぎゅっと押し付けて出て行くまでの流れが辛すぎました。慰めるでもなく何か言うわけでもなく一緒に時間を共有してくれる愛子さんの存在に私も救われていた沈黙のシーンからの翼くん帰宅。上着こそ赤ですがまんま1999年の山本賢治(19)でかわいい〜!となるやら翼くん〜😭となるやら、感情のジェットコースターでした…… あとで加藤と会話してる時にも思ったのですが、翼くんの敬語の使い方が大変最近の若者感で好きでした。何が違うんだろう…🤔何が最近の若者感なんだろう……
ふうとうにフッてするんだね… 親父の入院費を中村さんが徴収するシーン。細かい仕草なのですが気になりました。確かに新しい封筒を開いて紙の端を指で支えて、こう、中の空間を広げて……みたいなのをモタモタやるより一発でガッと開くので効率的ですね。完全に現実逃避の着眼点的メモです。
ここで出所祝金を封筒ごと出して全額出す山本さんもしんどみでした😭お守りみたいに持ってる…… (この部分、あとで由香ちゃんが14年間300万円に手をつけなかった部分と重なるなぁと思っていました)
な…中村さん… おシャブ………………でもいろんな作品見てても「覚醒剤や大麻って儲かるのか〜」と思うので組を守るために背に腹だったのか……と思いつつ、本当に困窮するまで手を出さなかったであろう中村さんの葛藤を思って泣きそうでした🥲
ひかりのかげんすごいすき 車のライトの前で取っ組み合いする中村さんと山本さんのシーン。足が長い二人がこういう画面で喧嘩すると足しか映らないんだな〜と辛さから逃げる思考をしつつ、画面の中央に車を置かない、全部見えない、どっちがどっちかわからなくなりながら怒鳴って掴んで引っ張って引きずり倒して、という二人の感情の発露を息を呑んで見入っていました。この時どこかのタイミングで月も映ってたと思うのですが、1999年に細野がシャブをすかしてた半月と同じだったりしたのかな……早くもう一回見に行きたい……
中村さんよかった…やってない… 「そこまで落ちてねぇよ」的なことを言いながら自分のハンチング帽?で山本さんをぺしってする中村さんの仕草に「照れるな」の時と同じホッとする気持ちで気が緩んで泣きそうでした。ちょっと嬉しそうな山本さんの表情に私も嬉しくて…😭
(そういえばFitbitの記録見たら多分大原くんの死から2019年中盤あたりにかけてめちゃめちゃ落ちててすごい落ち込みながら見てたんだなぁと思いました)
出待ちしがち山本けんじ 韻を踏んでいる😄煙崎市の市役所職員入り口前で由香ちゃんを出待ちしているシーン。最後自宅前でも出待ちしてましたね。 私個人「来るかわからない」「いるかわからない」「会えたところでめちゃくちゃ嫌な顔をされるかもしれない」状態で待つのが辛すぎて無理の民なので、山本さんの忍耐力や相手を想う気持ちの強さに泣きそうになった場面でした。(よくわからないところで泣く系)
月の出ている夕方の海、かつて隣で見た明け方とは異なりこれから暗くなる空の下で会話して、送ってもらってからあの時の血のついたままのお金を持ってくる由香ちゃんのいろいろな気持ちを思うと辛すぎてダメでした………
キムチチャーハン(うまそう) 現実逃避メモ。お夕飯作ってる娘・あやちゃんが可愛くて可愛くて……😭😭そしてたぶんこれはキムチチャーハンではなくてケチャップライスでした。笑
昨年の『ドクター・デスの遺産 THE BLACK FILE』でも父だった綾野剛さん、今回は「父」としてあやちゃんに接する場面がありませんでしたが、先日公開された主題歌FamiliaのMVでおずおず近づいて抱きしめてくれるあやちゃんに腕を回して抱き返す姿になぜだか救われた気持ちがしました。(歌詞と学生服のあやちゃんが映った瞬間から涙が止まらなくて1日あけてからもう一回見ました)
オヤジからぬけろって言われるの… 入院した柴咲さんを見舞った山本さんに優しく柴咲さんが「お前はまだやり直せる」と言うシーン。辛かった…
ドラマ『アンナチュラル』5話で鈴木さんがミコトに「何が間に合うの」「果歩はもう死んだ」と返して刃物を握りなおすシーンを思い出しました。 山本さんにとっては何も間違えていなかった、やり直すことはなかったんじゃないかな、と思う反面、妻と自分の子供と静かに暮らすためには「やり直す」必要があったのか……と思うといろいろな感情で諸々ぐるぐるしました🌀
な…中村さん…… 除籍後、密漁するオジキたちのカットの後で車中で細い注射器で………………おシャブを打つ中村さんのシーン………………………だったと思います……
ハンドルに寄りかかって乱れた髪を手でさらにくしゃっと握りながらメガネがズレるのも構わない様子にめちゃくちゃ……落ち込みました……中村さん……
謎に上から(笑) 加藤宅でお話ししてるシーンで翼くんがタメ語になる瞬間。この場面でも翼くんはずっと敬語でお話ししていて無用な軋轢を産まないというか禍根を残さないと言うか、処世術的にというか極端に悪い言い方をするなら日和見寄りな部分で現代っ子っぽいな〜という印象でした。あっ最近の若者感ってこれかしら…?
加藤の「時代遅れ」な助言の裏にしっかり見えてる支配欲に笑っちゃいそうな雰囲気が、絶えず続けられる撮影にも現れてるような気がしつつ、意外なところで動揺している様子が意外なようなちょっと安心するような気持ちで見ていました。お父さんのことが気になっていた翼くん……
く…くまさんカップ……! 工藤宅で朝ごはんを一緒に囲む山本さんがくまさんカップでスープなのかココアなのかをいただくシーン。この穏やかな朝ご飯の空気と山本さんの柔らかい表情をトレーラーで死ぬほど見てはいたので、これ多分後で崩れ去るんだろうな〜のような予想をしつつ色々気持ちの準備とか覚悟とかしていたのですが、まさかくまさんカップとは思っておらず「かわいい」という気持ちで脳がパンクするかと思いました。と言うよりもパンクしまして準備していた覚悟的なものも全部粉砕したのでこの後のシーンのしんどさ全部真正面から浴びてしまって「もうやめて…やめて…」と泣いてました……(好き)
山本さんにくまさんカップを使わせるに至るまでのあやちゃんと由香ちゃんと山本さんのやりとりも考え始めると辛すぎました。かわいい。辛い。かわいい…………ゆるして…もうやめて………(好き)
空色の車で市役所と学校に二人を送るシーン、学校までのちょっとの時間をあやちゃんと二人で過ごす山本さんが愛しくて泣いてました。この辺りずっと泣いてる…… 「最近ママ楽しそうだよ」��て言うあやちゃんに穏やかに笑ってる山本さんがもう無理でした。愛しい空気のままここで見終わりたい……と大号泣している自分と、ここからの展開に期待全開で姿勢を正してアドレナリン分泌の大号令を出す自分が同時に存在したので多分このシーンで私の副腎は副腎皮質も副腎髄質も絶賛大稼働していました。
ありがとうほそのくん… 社長に無理を言って産廃処理工場に勤めさせてくれる細野くん。本当にありがとう……「初めてこいつに感謝したよ」みたいなことを山本さんが笑いながら言うのですがそんなところまで含めてかわいいシーン……………と思っていたら、二人の正面に座る若いの(かみやくん?)が口を開いた瞬間から不安でたまりませんでした。翼くんともまた違う若者口調……
そして場面が変わって翼くんがけつもち?しているお店に大迫が来るシーン。しかし一枚上手の翼くん💪いやここで頼もしい写真の証拠と、さっきのシーンでの記念写真の対比がエグい……
翼くんに一枚取られたのが悔しかったのか、八つ当たりみたいに産廃工場に来る大迫さん。シーンが繋がってたせいか余計そう見えてしまいました。大迫さんへいい感じに負の感情が向いた鑑賞中でした。
そういえば大迫さんもざっくり20年以上刑事を務めているんですよね。ドラマ『MIU404』のガマさんに一瞬思いを馳せていました。ふと思い出すと米ドラマ『The Mentalist』や『NCIS』だと現場に出てくる定年後の刑事ってあんまり出てこない印象があるなぁとも考えていました。『The Mentalist』に至っては『MIU404』の陣馬さんポジションのレギュラーいなかったような🤔ミネリはマメジかな……
「全部終わりだよ」とくずおれる細野、にやつく大迫と山本さんのやりとり、続く由香ちゃんとのシーンはただ呆然と見ていました。目も合わせてもらえないまま「お願いです、出ていってください」と泣かれて土下座されて、敷居を挟んで立ち尽くす山本さん……
ここで気づいたのですが、どのあたりからか山本さんのセリフがどんどん少なくなってってる気がしました。元々しゃべる立ち回りはしない山本さんでしたがますます口を開かなくなって……いたような……
まばたきもしないでないてるの… 病院にかけつけた山本さんが危篤状態の柴咲さんに「まだ親父って呼んでくれるんだなぁ」と言われてまばたきもせずぽろぽろ涙をこぼすシーン。微笑んで「俺の父親は親父だけです」のように返す声で心臓がぎゅっとしました…
このシーン、不謹慎ですが見入ってしまいました。綺麗だった……
6組「彩」ってしんどさよ… 転校?の挨拶をするあやちゃんの左奥、教室の壁に大きく貼られたクラスの標語が皮肉すぎました。名前の漢字、あやちゃん「彩」じゃなかったっけ……
このシーン山本さんが事務所から由香ちゃんの携帯に留守電を残すモノローグが入っていて嫌な予感しかしなくてずっと心臓ばくばくしていました。 そして帰宅すると家がからっぽの細野………土砂降り……
そして半グレの仲間達と金属バット持参で傘もささず父の仇のもとへ向かう翼くんと、その時にはもう着手している山本さん。返り血を浴びた表情がまさに背中の修羅そのものでした……担架で運び出されていた大迫はまだ息があったのか否か……
血まみれのまま朝方の堤防でぽやっと煙草を吸って2、3回軽く咳き込む山本さん、バイクの音が3人分聞こえてたような…… そして泣いてる細野……
このカットがチラシなの!? 心の底から思いました。「ただ、愛した」という短いコピーと薄い空の色にどんな場面なんだろうと思っていたので、ここかぁと胸が熱くなりました。
刺されながら抱きしめて「ごめんな」と返事をする山本さんの体からどんどん力が抜けて、それでも溢れるほどの愛情がそこにあったような気がして息を呑みました。 細野の右頬にべったりと血が残っているのが脳裏に焼き付いています。
そして冒頭の沈む山本さん。海水の中で目を開けて、海面に手を伸ばそうとするような動作をしていたと思うのですが正直泣いててあんまり見えてませんでした。早く次見に行きたい……
後日、大きな白い花束を持って堤防に来てくれる翼くん。山本が吸っていたセッターを一口吸ってから箱ごと供えて立ち去ろうとするとあやちゃんが入れ違いでやってくるシーンがまた最高に好きでした。
お母さんゆずりのグイグイ…… 翼くんに「あんたヤクザ?」とどストレートな質問を投げかけ、「お父さんってどんな人だったの」と質問を重ねるあやちゃんに、夜明けの海岸で山本さんにグイグイ質問していた由香ちゃんを垣間見て涙腺にきました。その後の翼くんの表情の変遷がまためちゃめちゃ好きでした……
血を分けた家族、血や肉の繋がりを超えた家族、いろいろな家族が描かれる中で、ただ愛した人たちと一緒にいたかった山本さんの人生を時系列で見せてもらえてしばらく放心していました。 幸せは人によって異なり、一緒にいたい人と築く家族の形も世帯の数だけ存在すると改めて思いつつ、山本さんが幸せだった時間も一緒に見せてもらえたことが私にとって幸せでした。
感想何かちょっといい感じの感想で〆たかったのですが全然なにもまとまっていないので月間シナリオ2月号で掲載されているという台本を読みつつ1月29日を待ちます。あと円盤にインタビューやオーコメや未公開映像があったらいいな〜と思いつつ円盤も待ちます。あと今後藤井監督や綾野剛さん・舘ひろしさんをはじめとしたみなさんが今後いろんな媒体でまた『ヤクザと家族 The Family』について言及される機会があるだろうと願いつつ各種媒体おっかけながら生き延びます。生きます。
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#リハビリ|入力と出力の間(5)
医療セラピストによるわたしの身体障害に対する「評価」は、回復の6つのステージのうち、「上肢 3」、「手指 5」、「下肢 3」(6が健常者に近いレベル)だったが、わたし自身が感じている回復の程度とはだいぶ違っていた。
グーチョキパーができるようになった「手指」が「5」というのは「なるほど」と納得できる。だが、肘から先を持ち上げるのも難しい「上肢」は、上半身を引っ張り上げるようにしてなんとか持ち上げても左右に水平移動させることは至難の技。ご飯茶碗ひとつ持つこともできない。肩も回らないので、着替えの時にはこの固まっている左上肢に対して、まるでリカちゃん人形に服を着せてやるように衣類を着せてから、残りの頭と右上肢を服に突っ込む、という工夫が必要だった。健常だった時の感覚からすると、まだまだ使い物にならないステージと感じられた。
左下肢はさらに言うことを聞かない。左上肢が「固まっている」感じだとすると、左下肢は目でみなければ存在してるのか不安になるほど。手術後にも大きな変化を感じられず、まるで皮膚の下にコンクリートでも詰まっているような感じで(とはいえ、そうした「重い」という「感覚」が「存在」を感じている証拠なのかもしれなかったが)、セラピストに足を掴まれても「触られている」と言う感覚がなく、自分の意志で動かすことは全くできなかった。これで上肢と同じ回復ステージというのは、何やら不思議な評価に感じられた。
さて、これらの「評価」を基礎情報としたカンファランス(治療チームでの話し合い)で、わたしが真っ先に短期目標にあげたのは「一人でトイレに行けるようになること」だったが、この目標を達成するためには上記の状態で車椅子に自分で乗り移ることが前提だった。
この点、圧倒されたのは同室になった患者さんがベッドから車椅子に自分で乗り移る、その動作の滑らかさだった。入院初日に挨拶をした時には、金髪ヤンキーか?!と思ったワンレングスボブは、実はよく見ると淡いベージュカラーで「白髪染めに見えないでしょ。入院してからも、馴染みの美容室にタクシーで通ってるの」と、彼女は言った。「え? 入院中に、車椅子で外の美容院に行ってるんですか?」と驚くと、「そうよー、車椅子O Kのタクシーで行けば問題ないわよ。娘も同じ美容室だから、付き添ってもらってるの」と、ケラケラと明るい声を上げて笑う。
彼女が着ているのは、わたしも含めた他の患者が身につけているお仕着せのピンクのリハビリ・ウェアではなく、ブランド物らしき花柄のコットン・ニットと水色のソフト・パンツである��「そうそう、これ」と言って手渡されたのは、お洒落な焼き菓子の小さなパッケージ。「今日、娘と一緒にフレンチに行ってきたのよ。お土産よ。よかったらどうぞ」。ビビリのわたしには、入院中に車椅子で美容院やフレンチに出歩くなど、とても想像できない。「だって、何ヶ月も入院しているんだもの、飽きちゃうわよ。アッハハハ」。なんとも行動力のある女性と同室になったものだと思った。
「脳出血後の片麻痺なの? 私もなの。左右は違うけど」。なるほど、彼女の場合は、利き手である右手が固まっている様子である。同じ脳出血の片麻痺で車椅子の移乗を一人でこんなにスムーズにできている、そのことに希望が湧いた。「どのくらい入院されているんですか?」と聞くと、「3ヶ月以上になるわねえ。あなたも、すぐに自分で車椅子への移乗ができるようになるわよ」と励まされた。キッコさん(としておく。1970年代テレビドラマで活躍していた当時の松岡きっこ似のパッチリ眼で、小学生のお孫さんがいるとは思えない若々しさ)は、おしゃべりやジョークが大好きで、周囲にはいつも笑い声が響いていた。
転院から数週間後、後から入院してきたわたしが先に車椅子を卒業して歩行器に移行した時も、キッコさんは「よかったね〜」と喜んでくれた。障害やリハビリは千差万別、回復の度合いや速度を気にするのはナンセンスだということは理性では分かっている。それでも、もしわたしが彼女の立場だったら、置いていかれるような心細さや焦りを感じたのではないかと思う。自分のリハビリが思うように進まず辛い時に、他人のリハビリの順調さを喜べるのは、実のところ、そう簡単なことではないと思う。外見のオシャレに気を遣うだけじゃない、心根もカッコよくあろうとする人なんだ、と敬服した。
そんなキッコさんが、不安げな様子で鬱々とし始めたのは、朝夕秋を感じる季節に移り、退院が間近に迫った頃だ。「まだリハビリを続けたいのに、日数制限でもう退院しなくちゃいけなくて。しかも「要介護」じゃないから、通所リハビリも利用できないって言うのよ」。その頃、キッコさんも短い装具で歩く練習に移っていたが、歩行姿勢が安定せず、長く歩くのは難しかった。そのため、レストランや美容室に外出する時には、出会った頃と同じく車椅子を利用していた。利き手である右手に麻痺があるため、字を書いたり、お箸をもったりする日常の動作にも苦労していた。傍目から見ても、まだまだリハビリが必要な状態に思われた。
だが、公的な医療保険で受けられるリハビリには日数制限がある。厚労省は「効果が明らかでないリハを長期に行っている」との理由で、発症から、呼吸器疾患90日、心大血管疾患と運動器疾患150日、脳血管疾患180日などの制限を設けている(注1)。転院当初に病院から手渡された資料にも「回復期リハビリテーションを要する状態及び上限日数」として脳血管疾患は「発症からの入院」が「2ヶ月以内」、「入院上限」は「150日」と記されていた(厚労省のいう上限日数は急性期を含めたものと考えられる)。しかも、今回確認して気付いたことだが、病気の発症や手術から2ヶ月をすぎると「ご入院はできません」とある。いったん退院して、やはりリハビリが必要と思っても、期間を過ぎていたら入院できない、ということだ。回復期リハビリ専門病院が受け入れるのはリハビリの効果が上がる「ボーナス期間」の患者のみということになる。こんなところにまで、費用対効果の考え方が入り込んでいるのか、と戦慄する。
もちろん、厚労省の側にも言い分はあって、「切り捨ててはいない。除外規定を活用したり、介護保険のリハに移行させればよい」(同前注)ということらしい。このうち、「除外規定」とは、「定められた対象疾患で、医師が「改善可能」と判断した患者の場合、日数制限しないというもの。しかし実際は、対象疾患が少なく、判断基準もあいまい」(同前注)。後者の「介護保険」は、65歳以上の高齢者または40〜64歳の特定疾病患者のうち、介護が必要になった人を社会全体で支える仕組みで、その利用に際しては申請する市町村で「介護認定」を受ける必要がある。キッコさんは、この制度を利用しようとして「要介護」ではないと判断されてしまったのだ。
市町村が認定する「要支援1~2」、「要介護1~5」(数字が大きいほど支援・介護の必要度が高く、受けられるサービスも多い)のうち、キッコさんは「日常生活で支援が必要な状態」の「要支援2」。「要介護1」であれば週に2回の通所リハビリが使えるが、「要支援2」では生活支援のサービスが利用できるだけで、リハビリは使えない。彼女の外出に欠かせない車椅子も貸与されない(車椅子の貸与は「要介護3」以上)。しかも、仮に「要介護」認定を受けられたとしても「介護保険施設のリハには、医療ほど専門スタッフや設備が整っておらず、受け入れに余裕がない」ともいう(同前注)。実際に、維持期のリハビリを続けられなくて機能が悪化し、そのために転倒して再入院したり、呼吸器リハを打ち切られて夜間に痰をつまらせ死にかけたりするケースさえあると言う(同前注)。
貴重な税金を使う相互扶助のシステムである医療保険制度や介護保険制度に無駄遣いは許されないという考え方があり、そのために対象を見極める「評価」が必要なことはわかる。だが、「要支援1、2」の人が維持期のリハビリを受けられずに症状を悪化させて「要介護」になってしまうとしたら、介護保険制度でリハビリを利用できる対象を広げることは、利用者のニーズに答えるだけでなく、結果的に将来の国庫負担を軽減することにもつながるのではないだろうか(介護保険制度の利用についても、収入に応じた自己負担は以前より増えている)。そもそも日数制限でリハビリを打ち切ることの是非について、もう少し議論が必要なのではないか。「この状態で退院させられて、リハビリが続けられないなんて…。どうしたらいいのかしら」。気丈で明るいキッコさんが目を潤ませるようにして俯くのを見て、たまらない気持ちになった。
転院当初「可能な限り入院していたいか、可能な限り早く退院したいか」を問われた。ほとんどの人は躊躇なく後者を選ぶだろう。わたしもそうした。だが、キッコさんのような例が少なくないことを知った後、この問いには実は残酷なものが含まれていることに気づかされたのだった。
注1)「リハビリ打ち切りで悪化多数 日数制限やめ維持期の評価を」(2006/12/04)https://www.min-iren.gr.jp/?p=13659
参考)厚生労働省「介護保険制度について」https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/2gou_leaflet.pdf
森 裕司「要支援・要介護の違い|要介護認定前に知っておきたい知識」https://kaigo.homes.co.jp/manual/insurance/youshienyoukaigo/
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神ノ如キ妹
天才の妹を持つ兄の話。ボツにはしませんが、取り敢えずここまで書いて寝かせます。
俺の妹は化け物だ。あいつは生まれた時から天才だった。話し掛ければ返事をする、文字を教えれば覚えてしまう、パズルを渡せば解いてしまう、―――分娩室に居る時から、あいつの知能は小学生並みだった。
三歳違いの俺は良くあいつと比較されながら育てられた。俺ははっきり言って馬鹿の方だ。周りの子供が字を書き始める頃になっても一向に文字が読めず、三語文でしか会話が出来無い上に、数字が苦手でどうしても数が数えられ無かった。一緒に勉強をする妹が、円周率を使った計算をしている最中(さなか)、俺は仮名の書き方から覚えなければなら無かった。
「お母しゃん、兄しゃんはいつまで『あいうえお』を書いてるの?」
「あの子はあなたとは違って、物覚えが悪いのよ」
「ふぅん、そうなんだ、………」
妹は一歳と半年で、小学校の過程を修了した。
中学校へ入学したのは二歳の頃だった。入学試験は圧倒の全問正解で以て式辞を読み、他の生徒の度肝を抜いた。先生方は、あいつがどこまで未知の問題を解けるか、一度詳しく調べた事があるそうだが、二歳のあいつは、これまでの人類の努力を嘲笑うかの如く、次々に難題を解いて行く。
「白崎さんのお子さんは怪物です。あの子は我々人類とは別種の生き物です。新しい世の中は彼女に依って作られるでしょう」
教師はあいつをそう評した。
二年後、あいつは高校生になった。正確には高等部に転入した。
そして、高校を出て、大学に入ったのは五歳の時だった。それまで中学校の教科書位しか置いて無かったあいつの机の上には、俄に大学のテキストが増えて行き、あいつの勉強した後には訳の分から無い数式が並ぶ様になった。Quantum Mechanics, Group Theory, Group Representation, QFT, Relativity, Differential Geometry, String, AdS/CFT correspondence,………初めて書いた論文は、そう言った物理学に関する物であった。あいつから論文の草稿を手渡された時、俺は俄には信じられ無かった。信じられずに、表紙に印刷された妹の名を見つめて、同じ兄妹なのにどうしてこうも違うのだろうかと思った。
そんな俺の日常は凄惨たる物だった。妹がたった一年で大学を出て、教授職を得て居る中、俺はと言えば未だ小学校の内容に苦心して居る途中で、勉強のために家族旅行にも置いて行かれる始末だった。
―――俺はやっぱり馬鹿だ。掛け算割り算の計算も出来ずに落ちこぼれ、家では会話について行けずに厄介物扱いされる。
馬鹿と言えば未だある。………俺は、妹に恋をしてしまった。
それをはっきりと自覚したのは、あいつが未だ大学に通って居る時だったろうか。あの頃の俺は、小学校の宿題も満足に出来無かったから、見かねたあいつに勉強を教わっていた。
「兄さん、今日は分数の足し算をしましょう。出来たらご褒美がありますよ」
あいつは優しかった。どんなに俺が不出来でも懇切丁寧に教えてくれた。ある時は三角形の面積で躓く俺に、面積とは何かから教えてくれた。ある時は単位を蔑ろにする俺に、単位の重要性を教えてくれた。もう立派な先生だった。五歳とは雖も、俺にはあいつが妹の様には見え無かった。
あいつは化け物だ。五歳で弦理論を理解し、非可換幾何を使ってプランクスケール下の物理に最も貢献した人物。そして、数年後には、地球上のあらゆる生き物を支配する絶対的強者。
妹の様には見えなかった? ―――違う。俺は、あいつが妹である事とか、三歳年下の幼女であるとか、そういう当たり前な事を忘れてしまっ���のだ。
「あっ、ダメですよ兄さん。これは突き詰めると座標系って何? って言うとっても難しい問題になっちゃいますから、深く考えない事。相対性理論って中学校で習うんでしたよね? その時になったら教えてあげますから、今は取り敢えず受け入れちゃいましょう」―――
同時に、俺は妹に勉強を教えられると欲情するようになった。
「は、はい。分かりました。すると、ここのグラフの読み方はこうで、速さは、………」
と言いながらも、内心では妹が欲しくて堪ら無い。俺は馬鹿だ。妹と目が合うだけでも、馬鹿みたいに恥ずかしくなる。次いで地に足が着かなくなる。あいつの一挙一動が気になって仕様が無くなる。そしてそれを隠そうとして、余計な行動に出てしまう。
「兄さん今日はどうしたんですか? 熱でもおありになっていらっしゃる?」
クスッと笑ったあいつに額に手を当てられると、俺は死にたくなった。そのままズルズルと後ろへ引き下がろうとして、壁に打つかって、さぞ可笑しそうに笑うあいつに、今度はおでこを突(つっつ)き合わされて頭が真っ白になる。―――俺の体は一ミリも言う事を聞いてくれ無い。まともに、あいつの瞳を射抜いてしまう。
「兄さん? お顔が真っ赤ですよ? もしかして、私に興奮していらっしゃるんですか?」
そう言われて、ハッとなる。だが、あいつの髪の毛の匂いを嗅いで居る内に、またしても俺の心は挫けそうになる。
目の前に居るのは確かに妹だ。妹だのに、俺には年上の女性の様に見えて仕様が無い。どうして兄妹なのにこんなになってしまったんだろう。どうして妹だけ異常に頭が良く生まれたんだろう。何かもう訳が分から無くって、俺は泣いた。情け無かった。だけど俺のアレはおっ勃って仕様が無かった。
「兄さんのえっち」
あいつはそう言って、俺の陰部を踏み躙った。
五年後、即ち十歳の時、あいつは学問を追求するのを辞めた。代わりに会社を起こして世の研究者を奨励すると言って、次の週には本当に会社が出来た。
が、当の研究者らは、先ずあいつのした事が理解出来ずに居る。あいつが研究者として活動した五年間で影響を与えた分野は、何も物理学だけでは無い。物理数学化学生物工学社会経済、………凡そこの世にある学問の全てに於いて、あいつは輝かしい業績を残した。
しかし、矢張り数理科学の分野は目覚ましかった。人類が千年掛かって到達出来るレベルを、あいつはたったの五年で超えてしまったのだから。
会社はあっという間に成長して行った。一年も経つ頃には、あいつが世界を支配して居ると言っても過言では無い程の大企業になった。
あいつが指を一本動かすと、国も企業も動く。
俺はせめて妹を守れるようにと、体を鍛え始めた。あいつは応援してくれた。彼女は昔から体だけは細くて脆かったから、代わりに体を鍛えてもらう事に、嬉しさを感じて居る様だった。
俺が抱え上げたりなんかすると、あいつは無邪気に笑って褒めちぎった。
だが、俺は心の内では完全に妹に屈して居た。もう身長は完璧に追い抜かれ、毎日出会う度に、俺はあいつに見下ろされて居る。高い所の物を取るのも、電灯を変えるのも、あいつに取って代わられた。どこへ行っても弟扱いで、あいつが訂正する度に、俺はバツの悪い思いをした。
そんなある日の事だった。
俺は、あいつの秘密を覗いてしまった。
尤も、それは覗こうとして覗いたのでは無かった。その日の夕刻時、あいつの部屋を通り掛かると、ドアが少しだけ開いて居たのだった。俺はそのまま通り過ぎようとして、一旦は目を離したけれども、真っ暗な部屋の中で、一人パソコンの前に向かって居る妹が気になって様子を伺って見た。
―――途端に俺の目はあいつに釘付けになった。
ベッドの上に脱ぎ散らかされた服、聞こえるピチャピチャと水の跳ねる音、そしてあいつの甲高い声、………妹は、パソコンに向かって自慰をして居たのである。
しばらく見惚れて居た。
だが自慰をして居るなら、パソコンにはあいつの好きな物が映し出されて居るのでは? そう思って俺は少し扉を押し開けた。ちょっと中にも入った。
そして後悔した。あいつは、人であった物をおかずに、自慰をして居た。
映し出される画像の数々、それらは全て、切断、又は何かで手足をねじ切られた男である。男だと分かったのは、それがどれも屈強な体つきをして居たからであって、恐らく普通の体つきの人だったら分から無かったはずだ。それくらい、あいつのおかずはグチャグチャになった人間だった。
俺はそれから数日間、悪夢にうなされた。
が、同時に、あの時の妹がどうしても頭から離れ無かった。エロかった。妹のあんな姿が見られるなんて、思いもして無かった。
―――俺もあいつにああしてくれたら、………
何故か、俺はその時こう思ったのであった。
そしてあれから一週間後、俺は妹の部屋に忍び込んだ。目当てはあいつのパソコン、いや、その中にあるあいつの性癖。
パソコンは電源が点いて居た。それどころか、ログインされたままになって居た。あいつがあの時見て居た画像が見つかるまでに、五分と掛から無かった。
ついでに、動画も見つかった。
そこに映し出されたのは、真っ黒にモザイク処理された人物が、人を潰して居る場面、………
大の男達がモザイク処理された人から逃げ回り、絶叫を上げながら殺され、殺される。
不思議と吐き気は催さ無かった。これを見て、妹が自慰をして居るのだと思うと、寧ろ興奮した。
俺はいくつかの動画を見てから、パソコンを閉じた。そして静かに部屋を後にした。
バレる心配なんて無かったはずだ。
翌日、俺はいつも通りあいつに勉強を教えてもらって居た。
「兄さん、今日は証明問題の書き方を勉強しましょう」
初めの方は、普段と何も変わら無かった。しかし、勉強を教えてもらって居る内に、俺はあいつが顔を赤くして居る事に気が付いた。
俺は、
「美希にならいい」
と言った。
あいつは、
「いいの? 兄さん」
と言った。
俺は、その時まで普通のセックスが始まるのだと思って居た。
「では、失礼します」
あいつがそう言うと、俺の体はベッドの中央に投げ飛ばされて居た。俺は座って居たはずだった。あいつも座って居たはずだった。なのに、俺は今度は、宙に浮く感覚を感じて、
「ひっ、」
と言う声を上げた。
「兄さん、兄さんがいけないんですよ? 妹の秘密を覗くなんて、許されません」
―――あいつは知っていた。下を見ると、俺はあいつに脇の下に手を入れられて、それで浮いて居る。
「ふふ、私ね、力も普通の人よりあったの」
―――ちょっと試してみますか?
そう言って、あいつは俺を抱きしめる。たったそれだけで、俺は激痛に藻掻いてしまった。
「どうです? 今のでも、全然力入れて無いんですけど、苦しいでしょ? じゃあ兄さん、まずは手からさよならしましょうか」
と、言うと、あいつは俺の手を握った。そして、そのまま握り潰した。
右手が血の塊となった時、俺は漸く悟ったのである。
―――ああ、あいつには何一つ勝て無かったんだ。
と。
それからあいつは、俺の四肢の一本一本を、ゆっくりと潰して行った。それは、俺があいつの部屋に忍び込んで見た光景と、何一つ変わる事は無かった。ただ、俺の場合、あいつに潰されて喜んで居た様に思える。何故なら、………良くは知らないが。
最終的に、俺は胴体と、それにくっついている頭だけになってしまった。今俺は、あいつにその頭を掴まれて、陰部を擦り付けられて居る。
ああ、骨の折れる音が聞こえる。………
「ふふ、ダメな兄さん。妹に欲情する上に、妹にオナニーの種にされちゃって、―――でも、もう最後なんですね。私、兄さんの事はずっと好きだったのになぁ、………」
声が霞んだ。俺はもうダメだった。最後まであいつの声が聞きたかったが、目も見え無くなった。
あいつの手に力が入った。
頭蓋骨が窪んだ。
あいつの腕に力入った。
胴体が無くなった。
唇に熱いものが触れた。
俺の最後が床に落ちた。
それを悟った時、俺は死―――
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3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人というか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた(寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生たちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒業生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
���して先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下す高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に矛盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてことないぜ。
そんなこんなで、私は紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活を送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言いながら彼女たちは駆け足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。ああそうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お別れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだろうと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら���進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではないか。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよならするぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の就活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが人生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛いと思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至ったと。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???ってなった。
私としては、突然相手が目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
なんか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっ��いるし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出てくるわ出てくるわ…

ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)

なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えたはずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに「ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。もっとディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気がした。

そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。

この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれで免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
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ひとたびにして永遠
聞き分けよく、申し分のない態度で送り出したはずだった。これはまちがいではない、ほかにやりようはないし、お互いに必要なことだとわきまえてもいた。けれど、やはり──怒っていたのかもしれない。だからヴィクトルは、ひと月という長いあいだ、勇利に連絡を取らなかった。 ひと月! よくもそんなに耐えられたものだと、勇利からのメールを受け取ったとき、ヴィクトルは自分自身、驚いた。勇利の言葉を目にしてしまうと苦しくなった。しかしその「ひと月をなにごともないように過ごし抜いた」という英雄的事実は、やはり愛情を反対側から見た結果だったのかもしれない。いとおしかったからこそ、腹が立ち、感情がみだれ、そんなに言うなら勝手にしろとなげやりになって、そしらぬふりをしたのだ。 ヴィクトルのそんな反抗的態度とはまったく異なり、勇利のメールは、きわめて愛情深く、優しいものだった。ヴィクトルはマッカチンを抱きしめながら、それをむさぼるように読んだ。 最愛のヴィクトル こちらは今日は雨です。ヴィクトルが好きだと言った、ぼくの部屋のすぐ外の木が、しずくを打ちつけられてうなだれています。ヴィクトルに会えなくてぼくもしおれそうです。 お元気ですか? このひと月のご無沙汰は申し訳ないのひとことです。とても忙しかったのです。でも、ぼくがこれだけ忙しいのだから、貴方はもっとそうなのでしょうね? もしかしたらぼくのことなどもう忘れているかもしれません。そのときのことを考えて、自己紹介しておきましょう。お久しぶりです。勝生勇利です。貴方が大事にして、いろいろ教えてくださった生徒ですよ。思い出しましたか? 日本ではどれをどんなふうにどうしようと考えていたのですが、考えるまでもなく、ぼくの予定は管理されてしまいました。誰にでしょう。よくわかりません。ぼくは先日まで、スケート連盟の人に会ったり、これまでのスポンサーに挨拶したり、これからもよろしくお願いしますと言われたり、何かの番組でしゃべったり、こういうことに興味はないですかと声をかけられたり、とにかく、人と会っていました。正直なところ、誰と何を話したのかおぼえていません。すぐになんでも忘れるヴィクトルを思い出し、こういうところも先生に似たのだと思いましたが、ヴィクトルは人を楽しませたり喜ばせたりすることは好きなので、こんなことは忘れたりしないのかもしれません。実際、オフシーズンに愉快なことに精を出す貴方を見ているから、やっぱりここは先生に似たのではなく、ぼくの身勝手な一面だと納得しました。 つまらない話はやめておきましょう。 といって、おもしろい話もないのです。とにかく昨日までそういうことをしていて、あまり長谷津にもいられませんでした。ホテル暮らしが続いて、退屈でした。夜にはいつも貴方を思い出しました。早くゆっくりメールを書きたいと思っていました。 さて、ぼくは昨日長谷津へ戻ってきて、もう我慢できなくなったので貴方にこうして文章を綴っています。でも、そんな日々だったものだから、何も報告できることがありません。ヴィクトルこそ、ぼくが東京で退屈していたように、いまぼくのこのメールを読んで退屈しているかもしれませんね。でも、これからさきは楽しいメールを送りますと約束もできません。なにしろぼくはおもしろみのない人間なのです。貴方ならわかっているでしょうけど。 あれ? でも、よく、「勇利はおもしろいなあ」と言われた記憶があるな。なぜかな? それでは、このあたりで。 そちらはまだ寒いでしょうね。マッカチンと抱きあって眠っていることでしょう。風邪をひかないようにね。 貴方の勝生勇利 灰色の空を背景にした、濡れた木の写真がくっついていた。勇利の部屋の窓からの風景だった。それを見た瞬間、ヴィクトルの胸は引き絞られた。勇利に会いたい。そう思った。 ヴィクトルは、勇利が競技生活を終えようがどうしようが、ふたりのあいだにある絆は不変で、離れることはないと信じていた。だから勇利が日本へ一度帰ると言ったとき、「ああ、とりあえずのんびりするのがいいかもね」と簡単な挨拶をした。 「勇利が帰るなら俺も帰るよ。いつにする?」 勇利はまじめに言った。 「ぼくひとりで帰るよ」 「なぜ? あ、俺の予定を気にしているのかい? べつにいいよ。用事があればこっちへ来ればいいんだし、いますぐしなくちゃいけない仕事もないし。まあ、いろいろ──苦情は言われるかもしれないけど、深刻なものじゃない。俺が好き勝手にするのなんて、みんな慣れてるからね。生涯関わらないでくれと言えばちょっと待てと引き止められるだろうけど、すこし休暇が欲しいと要求するくらいなんでもないさ」 「ちがうんだヴィクトル。ぼくは考えてみたいんだ」 「何を?」 「今後のぼくたちのことを」 そのとき、ヴィクトルは直感的におののき、めまいを起こしそうになった。勇利がまたいやなことを言い出すのではないかとおびえた。しかし勇利は「離れたい」と言ったわけではなかった。「考えたい」──そう言ったのだ。 「ぼくたちは近づきすぎていると思う。お互いのことしか見えない」 「それで何か問題があるのかい?」 「問題はないよ。でも、もっといろんなヴィクトルを見たいし、ぼくはヴィクトルのことを改めて考える時間が必要なんだ」 「それってつまり、俺はもういらないということ?」 「なんで?」 勇利は笑い出した。 「ヴィクトルのこと考えたいのに、なんでいらないなんて思うの? 反対じゃない?」 「別れることを考えたいんじゃないのか?」 「ヴィクトルのことを考えたいんだよ」 その「ヴィクトルのこと」の中に「別れ」もふくまれるのではないかと気が気ではなかった。勇利はヴィクトルを愛している。これはいつも感じていることだ。しかし、愛されているからといって油断できないのが勝生勇利なのである。 勇利は一度きめたらこころを動かさない頑固さを持っている。ここで「だめだ。日本へは帰さない」とヴィクトルが譲らなかったとしても、なんとしても自分の思い通りにしてしまうという予感があった。ヴィクトルはあきらめた。そのことをクリストフにこぼしたら、彼は笑って気楽に言った。 「いいんじゃない。確かに君たちはひとつになりすぎだよ。いまは完全にとけあっちゃってるからね。離れないとわからないこともある。スケートと同じさ。自分ですべっていたら、いいのか悪いのか、判断がつかないことがあるだろう。あとで映像を見て、ああ、こんなふうだったか、って理解できる。たまには風を入れることも必要だよ」 「そんな理屈はくそくらえだ」 「ずいぶん上品な言葉遣いをするじゃないか。けど、ゆるしたんでしょ?」 「ああ。好きなだけ羽を伸ばしてくるといいと言った。でもすぐに勇利は泣くぞ。俺がいなくてさびしくて、やっぱり一緒にいたいから貴方も日本へ来て、あるいはロシアに戻ります、そんなふうに泣きついてくる。一週間もしないうちにね」 「つまり勇利は、自分がそうなるかどうかためしたくて離れたんだ」 「……ならなかったらどうなると思う?」 「なるんでしょ」 クリストフは楽しそうだった。 「自信があるんだろ、ヴィクトル」 勇利はひと月、連絡をよこさなかった。 勇利は、俺がいなくても生きていけるかどうか、それをためしているのでは? ヴィクトルはそんな思いがぬぐえなかった。しかしそれなら、メールなんて送ってこないはずである。完全にヴィクトルを切り捨てにかかるにちがいない。けれど勇利は、最初のメールのあと、しばしば連絡を入れてきた。それも、運命をこころみているとは思えない、愛情深い様子だった。 最愛で最愛の最愛なヴィクトル 今日はすこしリンクですべってきました。大変です。東京でも、時間があれば知っているリンクへ足を運んですべっていたのですが、改めて時間をかけて滑走してみたら……、驚かないでください。 トリプルアクセルが跳べなくなっているのです! クワド? 訊かないで。 冗談ではありません。トリプルアクセルといえば、ぼくの代名詞ですよ。勝生勇利ほどトリプルアクセルをうつくしく跳べる者はいないと、世界じゅうで評判なのです。毎回かならずGOEプラス3の加点、ヴィクトル・ニキフォロフよりもすばらしいジャンプ、プリンスオブトリプルアクセル。そんな勝生勇利です。もう跳べません、なんてとても口にはできません。 ……ごめんなさい。だいぶおおげさに言いました。こういうのを日本語で「盛る」と言います。ヴィクトルは日本語がだいぶ上手になりましたよね。この表現は知っていましたか? ともあれ、ぼくがトリプルアクセルを得意にしていることと、トリプルアクセルが跳べなかったことは本当です。これはやばい。今日から猛練習を始めることにします。まず筋肉量が落ちているのをどうにかしなければいけません。ああ、こんなとき、優秀なコーチがいてくれたらなあ……。 なんて。 ヴィクトルは、マッカチンと仲よくしていますか? それでは、また。 貴方だけの勝生勇利 写真は、なつかしい、アイスキャッスルはせつの玄関口だった。ヴィクトルはいますぐ勇利のところへ行って、トリプルアクセルの見本を跳んであげたくなった。 いや、待て。いまの自分のトリプルアクセルはうつくしいだろうか? このところ忙しくてリンクに顔を出していない。明日は行かなければ。 愛するヴィクトル 今日は地元のちいさな地方誌の取材を受けました。昔の話をしました。スケートを始めたころのことです。いえ──バレエを始めたころのことかな。ヴィクトルにいつからあこがれているのか、という話もしましたよ。ぼくが貴方に夢中になったのは何歳のときだったか、そのことを貴方に語ったことはありましたっけ? もし知りたかったら、この地方誌を取り寄せればいいかもしれません。取材をしてくれた人は、「いつもはたいていあまるけど、このインタビューが載る号は瞬く間になくなるに���がいない」と言っていました。まさかそんなことはないと思いますから、簡単に手に入るでしょう。 いろんな人が、ぼくに会うたび褒めてくれます。女性はいつも「肌がお綺麗ですね」と言います。冗談だと思っていましたが、今日会った人にも言われたので、もしかして本当では、という気がしています。ヴィクトル、貴方もよくそう言ってくれましたね。 みんな、ほかにもいろいろ褒めてくれるのですが、差し引いて聞いています。おもしろいのが、どれも、ヴィクトルが一度は言ってくれたことのあることばかりなのです。でも──、そう、ひとつだけ、初めて聞いた言葉があります。それはこんなのです。 「勝生さん。勝生さんがニキフォロフさんを見るときの目がとてもすてきです。最高にかわいらしいです。いつもそんな目で見ていらしたのですか?」 どうですか? 貴方は、ぼくが貴方を見るとき、かわいい目つきをしていたことに気づいていましたか? 貴方は「かわいい」とか「綺麗だ」とかは言ってくれましたが、「俺を見るきみのまなざしが最高にかわいい」と言ってくれたことはありません。かわいいそうですよ。知らなかったならおぼえてください。知っていたら──、どうして言ってくれなかったのですか? ひみつだったの? ぼくからも貴方に言うことがあります。ヴィクトル、貴方の目は──ぼくを見るとき、みんなが知るヴィクトル・ニキフォロフじゃなくなりますよ。ぼくはその瞳がとても好きなのです。ご存じでしたか? 貴方の従順な 勝生勇利 ヴィクトルはリンクへかよい、まるでシーズン中であるかのように熱心に練習をして、トリプルアクセルも、四回転のジャンプも、すべてうつくしく仕上げた。機嫌よく帰宅し、食事をしているところへ、勇利からメールが届いた。見ると今日は文章がほとんどない。その代わり、動画がくっついていた。 ヴィクトルコーチ ぼくのトリプルアクセル、いかが? 貴方の忠実なる生徒 ヴィクトルは勇利のジャンプをじっくりと眺め、ここがいい、ここがよくない、プラス3はつけられない、と判断した。 愛するヴィクトル 今日は用事があって福岡へ行ったのですが、リンクで南健次郎くんに会いました。おぼえていますか? 試合で顔を合わせたことが何度もありますよ。日本の選手です。ぼくを見ると口が利けなくなったようです。でもすぐに立ち直っていました。ぼくはすこしすべりました。動画撮影の許可を求められたのでいいよと答えました。 今日使ったリンクは氷がやわらかかったです。ヴィクトルは固い氷が好きなんだよなあ、と思いました。 ぼくがどういう氷が好きか、貴方はおぼえてくれていますか? 貴方の勇利 ヴィクトルはすぐさま調査をし、南健次郎のSNSを探し当てた。いちばん新しい投稿に動画があって、「尊敬する勇利くん!!」と興奮ぎみに言葉が添えられていた。勇利はジャンプをすることもステップを踏むこともなく、まるで一般的な人のようにすいすいとすべっているだけだった。こちらを見ようともしない。相変わらず不親切である。しかしヴィクトルは食い入るように勇利の姿をみつめた。 右手を見た。 きらっ、と光るものがあった。 ヴィクトルは驚くほど安堵し、やすらかな気持ちでマッカチンを抱きしめ、眠りについた。 最愛の貴方 ヴィクトル、大切な話があります。 じつは……。 太ってしまいました……。 なんということでしょう……。 いえ、愛するヴィクトル、安心してください。貴方が長谷津へ来たときほど肥えてはいません。ぼくはいま、甘やかされているのです。ヴィクトルもずいぶんぼくに甘いひとですが、ゆるしてくれないこともたくさんあります。貴方がいなければぼくはこうなってしまうのです。知っていましたか? ぼくがダイエットが得意なことはご存じでしょう。明日からがんばります。走りますし、食事制限もしますし、筋力ももっとつけます。そのためにいちばん効くのが何か、ぼくはわかっています。 「そんな身体じゃ、何を教えても無駄だね、こぶたちゃん」 貴方の、こちらのこころを凍らせるようなすてきな笑顔を思い浮かべて励みたいと思います。 痩せるまで連絡しません。そうしたら一日でも早く痩せられるのでは、と思います。 ヴィクトルはどうして太らないの? ずるいよ。 おやすみなさい、ヴィクトル。 貴方の夢を見る 勝生勇利 いとしいヴィクトル 痩せました! 驚きましたか? わりとすぐだったでしょう? ぼくはやればできる子なのです。知っていましたか? これでも、コーチによく「勇利はやればできる子なんだよ」と褒められたものです。 そして思い出しました。ぼくはちびっこスケート教室なるものの講師を任命されていたのです。すっかり忘れていました。痩せてよかった……。 というわけで、スケート教室の先生をしてきました。 あ、なんですか? おまえなんかに講師が務まるのかって? ばかにしないでください。 ええ、ぼくもそう考えました。自分の資質のなさに気づいていないとお思いでしたか? 大丈夫です。ぼくはグランプリファイナルで選手を優勝させるという大きな目標もありませんから、それほど重大な役割ではありません。どこかのレジェンドコーチほどよくわからない宇宙語も使わないし、とめどのないお説教もしません。「なんで自信が持てないんだ?」と不思議そうにしたりもしません。いいですか。ぼくのコーチングはこうです。 「みんな、いまからジャンプをするからよく見ておいてください。見ておぼえるんですよ。わかりましたか? おぼえたら各自やってみるように」 ……冗談です。もうすこし言葉は尽くしました。でも、ごまかしの上にごまかしを重ねた感じです。ぼくの指導で優秀な選手が出るとはとても思えません。でも、本当に幼い子たちなのでそれでいいのです。スケートをする楽しさが伝わればいいなと思いました。スケートは楽しいものなのです。世界一のあこがれの選手に片想いをして、その選手と同じ氷の上に立ちたいとねがいながらするスケートは最高です。 みんな転んでばかりです。教える時間より、助け起こす時間のほうが長かったくらい。でもどの子も笑っていました。ぼくは自分がスケートを始めたときのことを思い出しました。ヴィクトル、貴方も最初はあんなふうに転んだのでしょうか? とても想像がつきません。ぼくの中のヴィクトルは、いつも最高にかっこうよくて、すてきで、超越していて、崇高で、きわだった皇帝なのです。 ぼくがそう思っていること、知っていましたか? 勝生勇利 追伸 でも、家ではちょっと子どもっぽいところもありますよね。 勇利はいま、日本ではいちばん有名な男子のスケート選手なので、インターネット上にもいろいろな記事が出ていた。また、南健次郎のように、動画をアップロードする者も少なくなかった。加えて、ウェブ上の番組に呼ばれることもあり、そうした姿もときおり見られた。ヴィクトルは最近の勇利を目にするたび、彼の右手に黄金のリングが輝いているのを確かめた。時に、「それはヴィクトル・ニキフォロフさんとおそろいの……」と尋ねられると、彼はほほえみ、「ええ、そうです」と落ち着いて答えた。ヴィクトルのひとりよがりかもしれないが──外すつもりはないという意思が感じられた。勇利からの恋文──ただのメールだとヴィクトルは受け取っていなかった。あれは恋文だ──も途切れることはない。たわいないことでも、彼は熱心に書き送ってくれる。ともに住んでいるときにはなかったことだ。ふたりでいたころは、必要なことを、そっけない文句で、飾らずに連絡してくるだけだった。いまは愛情のこもった文章を綴り続けている。 しかし、それでいて勇利は、「そろそろロシアに戻りたい」とか、「ヴィクトルは日本へ来る気はない?」とか、そういったことは言い出さなかった。ヴィクトルは、もしや勇利は、このへだたりを保って今後付き合いたいのでは、とそんなことを考え、そわそわした。 ヴィクトルのことは愛してる。でも一緒にいなくても万事上手くいくんだということがわかったよ。──いつそう言い出すかわからない。 そんなのはだめだ、と思った。��れは無責任というものだ。勇利は、一度ヴィクトルを殺し、生まれ変わらせたのだ。新しく誕生したヴィクトルは前よりも傷つきやすく、勇利の愛情を欲している。勇利はよく「わかっていますか?」「知っていましたか?」「気づいていましたか?」と尋ねるけれど、彼こそわかっているのだろうか。 おまえが俺を変えたんだ。 愛するヴィクトル 貴方がウミネコをカモメと言った海へ行ってきました。ひとりで行きました。貴方が隣にいなくてつまらなかったです。 写真は、夏にヴィクトルがはしゃぎまくっていたシャワーです。楽しかったですね。 勝生勇利 ヴィクトルは、勇利の撮ったなつかしい海を後ろにした写真に見蕩れた。勇利のこころに初めてふれたときのことがありありと思い出された。 いとしのヴィクトル 今日は、いつかふたりで出かけた長谷津城を訪れました。みんな誰かと一緒でした。ひとりなのはぼくだけでした。 写真をつけておきます。 ぼくがいま、誰に会いたいかおわかりになりますか? 勇利 いとしいヴィクトル ヴィクトルといつだったかお酒を飲んだお店に行きました。あのとき飲んだのは何だったでしょう? おぼえていないので、ヴィクトルが好きな焼酎を頼みました。美味しかったです。ヴィクトルがいればいいのになあと思いました。 写真をつけておきます。なみなみと注がれているから、ぼくがまた酔っ払って余計なことをしたのではないかと心配でしょう。大丈夫です。この一杯きりにしました。 帰ってきて、ぼくはいまひとりで自室にいます。さっき、ふと思い立って、ヴィクトルが使っていた部屋に行ってみました。そこはがらんとしていました。ベッドに寝転がってみると、ヴィクトルの匂いがしました。不思議ですね。もう長いあいだヴィクトルはこれを使っていないのに。そのままうとうとしたら、ヴィクトルの夢を見ました。内容は忘れてしまいました。目がさめて、「ヴィクトル?」と呼びかけてしまいました。そうか、夢か、と思いました。ここにはぼくひとりしかいません。 この自室にいると、いまにもヴィクトルが扉を開けて、「勇利!」と飛びこんできそうな気がします。 ヴィクトル、知っていましたか? ぼくは貴方が来るまで、部屋の壁一面に貴方のポスターを貼っていたのです。現在? どうでしょう。知りたいですか? 壁の写真を送ろうかと思いましたが、送ってあげません。 ヴィクトルはいま何をしていますか? ぼくはいま、ヴィクトルのことを考えています。 明日から東京です。何かの番組の収録だったと思います。何だったかな……。 おやすみなさい。 今夜ヴィクトルの夢を見られたら、今度こそおぼえていたいです。 ヴィクトルはぼくの夢を見ますか? 貴方の勝生勇利 勇利。俺を変えたのはおまえなんだ。おまえが俺を殺して生かした。なのにそんなことも知らないで、よくもこんな恋文を送ってくるな。ヴィクトルはせつなさを感じながら部屋の中を歩きまわった。いますぐ勇利のところへ行きたい。しかし彼は考えているのだ。──いったい何を考えているのだろう? こんなに愛を語っていても、明日には「もう考えるのはよすことにします。メールを送るのもやめます」と言い出しそうでこわい。 おまえが俺を新しくしたのに。おまえが……。そんなことをずっと考えていたら、ふと思い出すことがあった。 「──ねえヴィクトル」 あのとき勇利は、自分の金メダルを眺めていた。ヴィクトルに寄りかかり、すこし酔ってとろんとした目をしていた。 「ぼくには誕生日がふたつあるんだよ」 「え?」 生まれるときに時刻が変わった、という意味かと思った。しかしそれなら、変わったあとの日付が誕生日になるはずだろう。 「ぼくが生まれたのは、十一月二十九日」 勇利はほのかに笑った。 「でも、ソチでのグランプリファイナルのとき、全部が終わったと思ったんだ」 ヴィクトルは、あのとき、帰る人々でごった返すロビーで傷ついた顔をした勇利を思い出した。 「ああ、おしまいだって。おおげさかもしれないけど、そう思った。本当だよ」 「うん」 「でも」 夢見るように勇利は目をほそめた。 「雪の降る春の日、ヴィクトルがぼくの前にあらわれて、ぼくは新しくなったんだ」 彼はヴィクトルにことさらにもたれかかり、甘えるようにささやいた。 「あの日がぼくのふたつめの誕生日……」 勇利はヴィクトルの手を握りしめ、耳元に口を寄せて、熱心な言いぶりで礼を述べた。 「どうもありがとう、ヴィクトル。ぼくを変えてくれて」 ──勇利。 ヴィクトルは勇利の私室へ入った。勇利のナショナルジャージが、壁際にかかったままになっていた。これを着た彼が幾度ヴィクトルに飛びつき、笑ったかしれない。ヴィクトルは手を伸ばした。そしてジャージを荒々しくつかみ、胸に抱きしめた。 「勇利……」 勇利は指輪を外さない。しかし、彼はここにはいなかった。 それからふっつりと恋文が届かなくなった。ヴィクトルは、そうか、東京だと言っていたな、と思ったけれど、べつに東京からでもメールは送れるだろうと不機嫌になった。しかし、心配はしていなかった。仕事をしているのだろうと受け取っていた。ところが、三日経っても四日経っても音沙汰がない。いったい幾日の仕事なのだろうとそわそわした。まだやっているのか。それとも、別の仕事が入ったのか。まさか何か事故が起こったわけじゃないだろうな。ヴィクトルはニュース記事を丁寧に調べた。何も問題はなさそうだった。 そわそわしていたのが、いらいらに変わってきた。一週間が過ぎた。もう我慢できない、日本へ行ってやる、と思ったとき、勇利からなにごともなかったかのようにメールが届いた。 恋しいヴィクトル こんにちは。いまぼくがどこにいるかおわかりになりますか? じつは日本にはいません。 バルセロナです! うそだと思う? 写真をくっつけておきますね。 今日着きました。 わかると思うけど……、時差ボケです……。 ごめんなさい、もう寝ますね。 死にそう……。 おやすみなさい。 眠りのとりこ 勝生勇利 追伸 いまでもぼくをスリーピングビューティと呼んでくださる? バルセロナ! ヴィクトルはあぜんとした。 どうしてバルセロナなのだろう? これも仕事だろうか? ただの旅行か。勇利は旅に興味があるたちではない。誰かに会いに行ったのか。バルセロナに友人はいないはずだ。ヴィクトルはなんだか落ち着かなかった。 バルセロナ。バルセロナ……。 親愛なる貴方 こんばんは。そちらはいま何時かな。今日は、ぼくたちの初めてのグランプリファイナルの会場となったところへ行ってきました。中には入っていないよ。何か催しがおこなわれていたみたい。あのとき、ロビーに飾ってあったぼくのパネルを、ヴィクトルがしみじみと眺めていたことを思い出しました。 じつはまだ本調子ではないので(眠いだけ)今日の活動はこれで終わり。明日はいろいろできるといいな。 おやすみなさい。 夢の住人 勝生勇利 厳しいヴィクトル先生 雨だったので、一日ホテルにいました。もったいないかな……。 夜には雨が上がったので、屋上のプールに行ってみました。ヴィクトルが入ったあそこだよ。 あそこ……、いいね。のんびり泳ぐことができて。星空が綺麗でした。 ヴィクトルとは海にもプールにも行ったけど、本気で泳いだところは見せたことがないかもしれません。ぼく、泳ぎはわりと得意なんだよ。スケートの選手になっていなかったら、水泳選手になっていたと思います。……冗談です。でも、得意なのは本当。ヴィクトルと本気で勝負すればよかったな。 いまは部屋に帰ってきて、ぼんやりしています。プールの写真を一緒に送るね。なつかしい? 明日は晴れると思います。 ここへ来てからもずっとヴィクトルのことを考えてるよ。 言うことを聞かない生徒 勝生勇利 ヴィクトルはだんだん不安になってきた。勇利は何のためにバルセロナにいるのだろう。あのプールに入ったということは、つまりあのときのホテルに泊まっているのだ。それでどうするつもりなのだろう? 勇利は──。 勇利は、いったい……。 愛する貴方 晴れたのであちこち出歩いてきました。おぼえていますか? あのとき、ぼくはヴィクトルに観光に連れていってとねだり、貴方はぼくをいろいろなところに案内してくれましたね。あのとき行った場所、ほとんど全部、ひとりで行ってみました。変わってなかったよ。入ったお店も同じ。どれも、ちゃんといまもありました。ごはんもね、そこで食べた。たまたまテーブルが空いてたので、席も同じ。ヴィクトルがスーツを買ってくれたお店、ひとりで入るのは勇気が必要だったけど、思いきって足を踏み入れました。驚いたことに、あのときの店員さんがいて、ぼくをおぼえてくれていました。正確にはヴィクトルをおぼえていたんだと思う。貴方は有名人ですからね。すこしだけ話しました。 ナッツ屋さん。行きました。思い出すと可笑しくなる。ナッツで喧嘩するぼくたちって何なのでしょう。でもたぶん、いま同じことになってもやっぱり喧嘩するのでしょうね。あのナッツ、結局どこへ行ったんでしょう? 誰が食べたのかな? あのあと、ぼくがロシアへ渡ってから、ヴィクトルがおみやげだと言ってナッツを買ってき、いたずらっぽい顔をしたことを思い出しました。 あのときは、ヴィクトルについていろんなところへ行って、とても疲れたけど、ひとりで行くとちっとも疲れなかったです。淡々と目的地を目指すだけだからでしょうか。 こちらにはもう一日います。明日行くところもきまっています。 おやすみなさい。 貴方の勇利 今日の写真は、勇利が休憩していたベンチだった。本当にあそこに勇利は行っているのだ、とヴィクトルは思った。そしておそろしいほどの焦燥にかられた。 勇利はなぜ、ふたりの思い出の場所に、ひとりで足を運んでいるのだろう? いったい何のために? まるで……。 まるで、過去を清算しているようではないか……。 ふたりで過ごした長谷津でヴィクトルのことを考え、ふたりが絆を結んだバルセロナでもヴィクトルのことを考えている。 ヴィクトルとの、どんなことを? 思い出をたどって……、終わりにするためでは? 勇利はヴィクトルに、別れを告げているのではないか? 彼はあのとき、普段にはしたがらない観光をしたがった。別れるにあたり、思い出をつくろうとしたのだ。最後のデートだと。 それを、いま、たどって……。 勇利は……。 「うそだろう」 ヴィクトルは低く言った。 「うそだろう、勇利」 最愛のヴィクトル バルセロナは今日で最後です。明日、ここを発ちます。 今日は大聖堂に行ってきました。 おぼえていますか? ぼくはここで貴方に指輪を渡しました。 貴方は優しくぼくにもはめてくれましたね。 とてもうれしかった。 ただのおまもりです。 でも、ものすごいききめのおまもりです。 一生の宝物だと思いました。 ぼくはこれを外しません。 階段に座って、あのときのことを思い出していました。 なつかしかった。 勝生勇利 俺はどうしておとなしく待っているのだろう。 ヴィクトルは自分に猛烈に腹が立った。 勇利がいないのに、どうして何もしないのだ? 勇利のすることを見ているだけ。なぜ、恋文が届くというだけで満足しているのだ? 考えたい、と言われたからといって何なのだ。そんなことは知ったことではない。こんなの、ぜんぜん俺らしくない。 ヴィクトルはヴィクトルでいて欲しい。 俺は俺なのだ。 「ヤコフ」 ヴィクトルは、深夜だというのにヤコフに電話をかけた。 「頼みがあるんだ」 勇利は明日、日本へ帰るのだろうか。そして──どうするのだろう? もう満足しました。貴方との思い出を訪ね歩いてみちたりました。これ以上は望みません。終わりにしましょう。さようなら。──そんな言葉を送りつけてくるつもりか。 ヴィクトルは誰もいないリンクに立った。勇利のことを考える。勇利のことだけを。 繊細な旋律が流れ始めた。ヴィクトルは両手いっぱいに愛をみたし、勇利のことを想った。なめらかに踊り、すべった。これまで、こんなに複雑な感情をともなってスケートをしたことがあっただろうか? それは祈りのようだった。そして、情熱でもあった。情愛でもあった。つまるところ──愛だった。勇利が織り上げた愛を、ヴィクトルは思い出していた。 勇利のスケートを初めてじっくりと目にしたのは、ヴィクトルの「離れずにそばにいて」をすべったときだった。映像ではあったけれど、ヴィクトルは視線を外せない思いで熱心にみつめた。勇利は、ヴィクトルのまねをし続けた昔を思い出すためにあれをすべったという。難しいプログラムだ。試合でそのまま使うものである。しかし勇利は、うわべだけではなく、ほとんど自分のものにしていた。相当すべりこんだにちがいない。勇利はあの曲を通して自分をみつめ──そしてヴィクトルをみつめていたのだ。 勇利は自分の愛を表現するとき、何を考えていただろう? ヴィクトルは、勇利の振りをすっかりなぞりながら、あのときの勇利を思った。この曲を振り付けしたのはヴィクトルだ。勇利を理解し、彼の深い想いがあらわれるようにした。しかし、ヴィクトルの思うそれと勇利の本物のこころはまったく同じではない。勇利は……ヴィクトルのことを、どんなふうに……。 勇利がヴィクトルをみつめたように、ヴィクトルもいま、勇利をみつめていた。 あのころ、愛のようなものに気づき始めた勇利。彼はどんな気持ちでいただろう。そして──グランプリファイナルで最後だときめたとき、何を思ったのか。 ヴィクトルは、「終わりにしよう」と言った勇利を責め立て、激怒した。あのときはそれが精いっぱいだった。勇利を求めていたのだ。「もっと俺を必要としているのかと思った」──そうも言った。しかし、勇利がヴィクトルを求めていなかったとはけっして言えない。彼には決断する勇気があっただけだ。そのあと、勇利と過ごした日々を思えばわかるではないか。彼はヴィクトルをこころから熱愛し、楚々とした、はかりしれぬ愛を捧げ続けた。おぼつかない気持ちで「終わりにしよう」なんて言ったはずはない。彼は苦しんだ。じゅうぶんに……。 自分よりも、ヴィクトルを取ったのだ。 それはヴィクトルの望むところではなかった。勇利はヴィクトルの気持ちを考えていなかった。そうかもしれない。彼のひとりよがりではある。でも、ヴィクトルを愛していなかったという証拠にはならない。むしろ正反対ではないか。勇利は、自分のことよりもヴィクトルを……。 勇利……。 またそうやって俺を愛するあまり、俺の手を離そうというのか。 きみの紡ぐ愛は繊細に過ぎる。 そして──身勝手だ。あまりにも……。 ヴィクトルは微笑を浮かべた。そうだ。勇利はそういう子なのだ。そんな勇利だから、ヴィクトルは愛してしまった……。 でも──。 勇利。 俺もね……。 身勝手さでは、おまえに引けを取らないんだよ。 知ってたかい? この曲……。 いい曲だね。 一緒に、何度も何度もすべった。あのときは勇利のお手本だったけど……。 いまは、俺の愛を織りこめるよ。 俺だけの、きみにだけそそぐ、愛を……。 ヴィクトルは、最後に、手を、差し伸べた。 いつも勇利がヴィクトルに向かってそうしていたように。 このときはヴィクトルが、勇利に向かって……。 それで初めて気がついた。 この手のさきに愛するひとがいるというのは、どんなに胸のあたたかくなることだろう。 ──勇利。 いつもこんな気持ちで俺を見ていたの? 「どうもありがとう、ヤコフ」 ヴィクトルはリンクサイドに上がると礼を述べ、物穏やかにほほえんだ。ヤコフはなんともいえぬ奇妙な表情をしていた。 「おまえが人のプログラムをすべるのを初めて見た」 「そうだっけ」 「いい演技だ」 ヴィクトルはちょっと目をみひらいた。 「ヤコフが率直に褒めてくれるのは珍しい。初めてじゃないか?」 「いい演技だ」 ヤコフはもう一度言った。 「本当に……」 「…………」 こころからのその賛辞に、ヴィクトルはかすかな笑みを浮かべた。 「俺……、彼を見ていたんだ……」 その夜、一本の動画がインターネット上にアップロードされた。 【Victor NIKIFOROV】I tried skating.【YURI ON ICE】──。 ヴィクトルは食事の支度をしていた。まったく自分は料理の腕が上がったと彼は考えた。勇利と暮らすようになってから、格段にそれは進歩したのだ。しかしヴィクトルは、自分のつくるものより、勇利の用意する食事のほうが好きだった。でもそれと同じくらい、自分のつくったものを食べた勇利が喜ぶのが好きだった。 「マッカチン、そろそろごはんにしようか?」 マッカチンが返事をした。マッカチンのごはん、ごはん、と戸棚のほうへ行ったら、玄関の呼び鈴が鳴り渡った。何かが届く予定も、訪問の約束もなかったのでヴィクトルは首をかしげた。しかし、誰だろう、と思う間もなく、開錠の音がし、続いて扉がひらいたので、はっとして息をのんだ。一目散にマッカチンが玄関へと走っていった。ヴィクトルは動転しながらあとを追った。 「わっ。元気だな……。はいはい、ただいま。いい子にしてた?」 マッカチンが喜んで吠えた。ヴィクトルは廊下で立ち止まり、戸口に視線を注いだ。 「ん」 マッカチンを撫でていた勇利が顔を上げた。彼はぱっと立ち上がると顔を輝かせ、両手をひろげた。 「ヴィクトル!」 なつかしい、おさなげな笑顔にヴィクトルは見蕩れた。勇利は気持ちよさそうに叫んだ。 「ぼくは貴方と結婚する! そして、貴方の人生をしあわせにするぞっ」 ヴィクトルは目をみひらいた。勇利は靴を脱ぎ散らかし、ヴィクトルに駆け寄った。そして飛びつくようにして抱きついた。ヴィクトルはふらついた。しかし、しっかりと受け止めた。 「ただいま! ね、太ってないでしょ!」 「勇利……」 ヴィクトルはぼうぜんとした。勇利は��ィクトルの胸に頬をすり寄せ、しあわせそうにほほえみながら、仔猫のようなしぐさをした。 「ヴィクトル、いい匂いがする! ごはんつくってた?」 「あ、ああ……」 「ぼくのぶん、ある?」 「あるよ……」 「食べる!」 勇利が元気に言った。ヴィクトルはうなずき、「じゃ、支度するから」と答えた。 「荷物を片づけておいで」 「はーい」 勇利は、さほどのものは持っていなかった。手まわりの品だけ、といった印象だ。遠征のおり、ジャージやスケートシューズ、衣装、着替え、と持ち歩いていたことを思えば、かなり身軽な様子である。ヴィクトルは上の空で食卓をととのえた。 「いただきます!」 ふたりは向かいあって食事を始めた。マッカチンも食べ出した。ヴィクトルはそっと勇利のそぶりをうかがった。勇利は「ヴィクトルのこれ、久しぶり」と言いながら炊き込みごはんをたべている。まるで、ちょっと数日仕事で留守にしたけれど、何の問題もなく帰ってきた、といった具合だ。 「バルセロナからそのままこっちへ来たの?」 「うん、そうだよ。出国しようとしてちょっと足止めされたけどね」 「何かあったのかい?」 「とくに予定をきめてなかったから、いろいろ狂っちゃって。飛行機に乗れなかっただけ」 「そう……」 「おいしいなー。ヴィクトル、おかわり」 「また太るぞ」 そう言いながらもヴィクトルはおかわりのぶんを与えた。勇利は終始にこにこしており、普段通りだった。ヴィクトルは、何のためにバルセロナへ行ったのか、ということを訊けないままだった。いやなことを言われるかもしれない。いや、しかし──勇利はここへ帰ってきたとき、なんと言っただろう? 「もうくたくただよ。いまあるのはね、食欲と睡眠欲。できればお風呂も入りたいけど、眠気に勝てるかなあ」 「旅行、楽しかった?」 「写真見た? なつかしかったでしょ?」 「……ああ」 勇利は食事のあと、目をこすりこすり風呂へ入った。そして上がるなり「むり」とつぶやいて寝室へ直行して寝てしまった。ヴィクトルは、夢ではないのか、勇利は本当に帰ってきたのか、と思いながら片づけをした。幾度も寝室をのぞきに行って、勇利の寝息を確かめた。マッカチンが勇利にくっついて眠っていた。 ヴィクトルは寝支度を済ませると、そっと勇利の隣にすべりこみ、彼の寝顔をみつめた。ずっと見ていた。眠れなかった。勇利の頬にふれようとして、手をひっこめた。 勇利……。 それでもいつの間にか寝入ったらしい。夜半、ふっと目ざめると、勇利の目がぽっかりと開いていた。彼の瞳は、暗闇の中で、濡れたようにひかっていた。 「……勇利」 「体内時計がめちゃくちゃなんだよね」 「……そうだろうね」 「眠れなくなっちゃった……」 ヴィクトルは手を差し伸べた。このほどは、慎重に、そっと勇利の頬にふれた。勇利は天井からヴィクトルのほうへ視線をまわし、まぶたをほそめてにっこりした。 「あれ……、見た。すごいね……」 勇利はささやいた。 「うれしかった。ありがとう」 「……あれをすべって、勇利のいろいろなことがわかったよ」 「ぼくもあれを見て、ヴィクトルのことがわかったよ」 「どんなこと?」 「わかるでしょ?」 「…………」 「わかるはずだよ。ぼくはもう、胸がいっぱいなんだ」 「勇利……」 「ん?」 「帰ってきたとき言ったことは、本当?」 「うん」 勇利は熱意のこもったまなざしをヴィクトルに向け、こっくりうなずいた。 「もうきめたから」 「…………」 「で、指輪を買おうと思ったんだけど」 「えっ」 ヴィクトルは仰天した。 「買ったのか!?」 「時間がなくて……」 「…………」 勇利は照れたように笑った。 「なんだか、ヴィクトルにすぐ会いたくなっちゃって、でも飛行機が取れなくて、いらいらして、ホテルでふてくされてたら、時間が経っちゃったんだよね。そのあいだに店に行けばよかったんだけど、すっかり動転してて」 ヴィクトルは息をついた。 「……指輪なら、もうもらったよ」 「それはお礼だよ」 「金メダルを獲ってくれたから、それでいい」 「そっか」 ヴィクトルはせつなくなって口をつぐんだ。 「ヴィクトルはやっぱりかっこいいね」 勇利はつぶやいた。 「あんなスケート、見たことないよ……」 しばらくふたりとも黙っていた。勇利はもぞもぞと身じろぎすると、ヴィクトルのほうへ寄ってき、ぎゅっと抱きついて首元に額をくっつけた。 「……ヴィクトルだ」 「うん」 「ヴィクトルの匂い……」 「うん」 「いつぶりかな?」 「さあ……」 ヴィクトルは額に落ちかかる勇利の髪をそっと払ってやった。 「おぼえてないな……」 「ヴィクトルはすぐ忘れるもんね」 「勇利と会えない時間なんてまじめにはかっていたら、気が狂う」 「…………」 「勇利はそんなふうに���うこと、ない?」 「……ヴィクトル、ぼくね」 勇利は低くささやいた。 「ずっと、貴方だけ見てたんだ」 「……うん」 「ヴィクトルのスケートを見て、夢中になってから、もうずっと。脇目もふらずに、ヴィクトルだけを」 「……ああ」 「ぼくはヴィクトルのスケートが好きで好きで……、」 勇利はほのかにほほえんだ。 「スケートから離れても、ヴィクトルが好きなんだろうと思った」 「…………」 「ヴィクトルをどうしようもないほど愛していて、おぼれていて、どっぷりで、離れられないんじゃないかって」 「…………」 「そうじゃないかと予感してたんだ」 勇利が何かを探すように手をさまよわせた。ヴィクトルは彼の手を握った。強く……。 「その疑いは濃厚だった」 勇利の声は、青くかすむ神秘的な夜の中にしみこんでゆくようだった。しかし、けっして消えない。ヴィクトルのこころにとけて、じわっとそこをあたためる。 「それを、確かめたかったのです」 カーテンの隙間から、わずかばかり入ってくるおぼろなひかりが、勇利の頬を白く照らした。真珠のような純潔さに、ヴィクトルは陶然となった。 「……それで?」 ヴィクトルはちいさく言った。勇利はあえかな息をつき、微笑を浮かべた。 「思った通りでした」 「…………」 勇利……。 いま? いま……、それを知ったのかい? いまごろ……。 俺は……。 俺はもう、とっくに……。 「……変わった子だね」 「そうかな」 「そういうの、好きだけど」 「そう?」 「ああ」 「そっかぁ……」 勇利は夢見るように笑った。 「……楽しかった?」 「何が?」 「長谷津とか……バルセロナとか……」 「何度もメールに書いたけど」 勇利はヴィクトルの耳元にくちびるを近づけ、優しく言った。 「貴方がいないから、つまらなかったよ」 ヴィクトルは胸が痛くなり、ものが言えなかった。 「ヴィクトル……」 「…………」 「ぼくのこと……、最後まで……、」 勇利の愛情深い声が可憐な懇願をした。 「……おねがいします……」 勇利は寝息をたて始めた。ヴィクトルは起き上がり、まくらべの棚のひきだしを開けて、そこからちいさな箱を取り出した。そして、もうずいぶん前に支度していた指輪を、勇利の薬指にそっとはめた。自分の指にも通した。勇利が何かをつぶやいた。すてきな夢を見ているように、彼は口元に微笑を漂わせていた。 そこでヴィクトルは、棚に携帯電話を置き忘れていたことに気がついた。近頃は仕事の用事が多いので、電話をふたつにわけているのだ。こちらは私的なものである。深夜にヤコフにかけてから、そのままだったのだと思い出した。電池が切れてしまっている。なにげなくコードにつなぎ、メールが入っていることに気がついた。ヴィクトルははっとした。急いで開封し、視線を走らせる。そしてすやすやといい気持ちそうに眠っている勇利を見た。 「勇利……」 あのヴィクトルのすべりを目にして、勇利はこころをきめたのだと思っていた。しかし……。 「勇利」 ヴィクトルはたまらないという表情になった。我慢できず、身をかがめ、勇利のくちびるにおごそかに接吻した。 「勇利……、俺もだよ」 最愛なるヴィクトル 眠れません。 明日……ううん、今日発つというのに、これでは寝坊してしまいそうです。でも、いくら寝ようとしても眠れないので、こうしてヴィクトルのことを思い出しています。 ヴィクトル。 ぼくは貴方と離れてから、たくさん貴方にメールを書きました。メールを書いていないときでも、貴方のことを考えていました。何をしていても、ヴィクトルのことで頭がいっぱいでした。一緒にいるときより、いっそう、そうでした。そうだろうと思っていました。でも、実際体験すると、「そうだろう」と想像していたのとずいぶんちがいました。 さびしく、せつなく、つらかったです。 思ったより、ずっと……。 何を見ても、何をしても、ヴィクトルがそばにいないことが不思議でした。貴方がいたらなんと言うだろうと考えました。どんなふうに笑うだろうと思い浮かべました。 ヴィクトル……、ぼくは、貴方のスケートをひと目見たときから夢中でした。でも……。 いつからぼくはこんなふうになってしまったのでしょう? 貴方はいつ、ぼくをこんなふうにしたのですか? いつだったか、ぼくには誕生日がふたつあると言ったのをおぼえていますか? ぼくは、苦しいくらい貴方が好きです。 その気配はずっとしていたし、予感もありましたが、それに、今日、気がつきました。 新しいぼくになったのです。 ぼくのみっつめの誕生日です。 ヴィクトルはいつもぼくを新しくしてくれますね。どうして? どうしてぼくはこんなに貴方が好きなのでしょうか? そのひみつを、貴方は説明できますか? ぼくにもいつか解き明かせるでしょうか? これが最後の便りになります。もう、メールなんかでは満足できません。ぼくはヴィクトルに会って、ヴィクトルにみつめられ、ヴィクトルの声を聞いて、ヴィクトルの匂いを感じたい。 ヴィクトルに抱きしめられたいです。 貴方はこんなぼくをどう思うでしょう? 度を超した愛情だとひるむでしょうか? おかしな子だと笑うでしょうか? 貴方の気持ちがわかればいいのですけれど。でも、わからなくても構いません。ぼくはまっすぐ貴方の胸に飛びこみます。 貴方はぼくのすべてです。 もう、ずっと前からそうだったのです。 ようやくはっきりとわかりました。 貴方は知っていましたか? ぼくの愛は貴方のものだと。 永遠に貴方の 勝生勇利
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事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
明らかに、韓国は、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と規定し貶(おとし)めてきたのである。
私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとす���、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のショールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたからだ。
こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語で話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあらわすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノ��」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を���れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。
慰安婦と同構造の原発報道
だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。
70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。
もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。
まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日���を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。���スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
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Fate stay night [Réalta Nua] Heaven's feel 感想
HF
2017/9/17 アニメUBWを初見で見始める 9/29 レアルタセイバールート初見プレイ開始 2017/12/24 レアルタUBW初見プレイ開始 2018/1/24 レアルタHF初見プレイ開始 2/24 レアルタヌア初見プレイ終了
HFは1日につきゲーム内の1日分ずつ進めた。
レアルタヌアの感想をブログにまとめてみて思ったけど、めっちゃ感想書いてるな僕wあとで見返すのが楽しいけどまとめるのに時間かかったw
・1日目
眠れないから1日分だけ進めた。
1日目の内容は9割ほどは他ルートと同じだったけど、他ルートでは出なかった「桜を送る(上級編)」が出た。その内容は、慎二の事だったり凛の家の噂の話だったり。
あと、他ルートに比べて士郎が桜を異性として意識してる描写が目立った。
・2日目
他のルートでは序盤の序盤にしか出てこなかった桜がバンバンピックアップされてて少し驚く。
放課後の教室での一枚絵の桜が可愛いかった。
ゾウケンさん初登場。まだ普通のお爺さんって感じ。
・3日目
ゾウケンさんがなんか企んでるっぽい。意味深な台詞ばっかり言ってる。
レアルタヌアのHFのムービーを見たら、なんか皆カッコよかった。HFでは特にライダーが活躍するらしいからそれを見るのが今から楽しみ。
・4日目
セイバーの暴露からの教会での御三家についての説明。
なんというか、言峰が親切すぎてびびる。士郎に助言までしてるしなんだこいつ。
言峰は人と同じ幸福を感じることが出来ない人間なのか。 切嗣と言峰の類似点や相違点も気になる所だ。
ゾウケンに出来損ない扱いされてる慎二が少し哀れに思えてきた。 Fateルートでは死ぬしUBWでは道化だし、両親を蔑んでるみたいだしゾウケンには罵倒されるしで慎二はとことん不遇なキャラクターだなぁ。 HFで彼は一体どうなるのやら。
・5日目
日常が多めだった。
遂に真アサシンとあの影が出てきた模様。でも映画と展開が少し違って戸惑った。やっぱり映画はだいぶ展開を詰めに詰めてるんだろうなぁ…それでもあのクオリティなんだから凄い。
凛が放課後に士郎を呼び出す手紙で「殺す」の文字が消されてるところがプリヤのそれと同じで笑った。 プリヤ一期で凛がイリヤに送った手紙も原作のオマージュだったんだなぁ。
最後の凛が士郎の血を吸う夢?はなんだったんだろう。そういや映画でもなんか色っぽいシーンがあったような気がする。もううろ覚えだけど。
ここってPC版だと直接的なエロ描写だったんだろうか?などと想像してみる。
桜のおっぱいはEカップ
・6日目
ひたすら「桜みたいな奥さんがほしい」と思う1日だった。 もしラジで「もし私が悪いことをしたら~」は結構重要な台詞だと言ってたから覚えておこう。
ランサーvs真アサシンは思いの外地味で映画とのギャップを感じた。映画ではめちゃくちゃ派手に演出してたんだなぁ。
・7日目
桜のソウルジェムが少しずつ曇っていくのを感じて辛くなってきた。
言峰が麻婆豆腐を食べてる所は面白かったw中田譲治さんの演技が最高w
HF初のタイガースタンプを回収。桜と土蔵で話をしないとここでバットエンドになるのか…これ、明らかにあの影は桜と関係があるって事を示唆してるなぁ。
映画を見たときもアーチャーの「私怨を気にしてる余裕がなくなった」発言は気になったけどそのあとの「悲観したものじゃない」って台詞を聞いてアーチャーを応援したくなった。
アーチャーは、まだ災厄を止められるし、まだ後始末をすると決まった訳じゃない!と思ってるんだな。 どうなるのやら。 体は朽ちるがほぼ永遠に生きてるってゾウケンはまるでMOTHER3のポーキーみたいだ。
アーチャーはUBWでは「サーヴァントは所詮道具」って言ってたけど、あれは自虐だったんだろうか。だってゾウケンに似たような事を言われたときに表情が怒ってたし。
凛が学校で「人は本当の事を言われると怒る」って言ってたけど、それはこういう事だったのかも。
・8日目
映画のHF一章の分の内容が終わった。
イリヤとの会話はHFがイリヤルートも兼ねている事を実感 させられたし、復讐の相手だった切嗣がもう居ないと知ったときや、当たり前の日常を渇望するイリヤの心境を考えると悲しくなった。 だからこそ、あの一枚絵とあのBGMはとても印象に残った。
セイバーの「桜は過ちを未来で正すのではなく自分に刻み込むきらいがある」でらっきょでの橙子さんの「私たちは罪で道を選ぶのではなく選んだ道で罪を背負うべき」を思い出した。
桜が士郎の安全を想うが余りヤンデレ的な思考になって行ってるのが不穏だ。その内士郎の四肢がもがれてもおかしくない。
ギルガメッシュが「人が人を頃すのは我慢ならない」って言った事が意外だった。しかも要約すると「札人は人の手に余る」って理由だったのがさらに驚き。 ギルガメッシュはとことん傲慢だけど、それは一本筋が通った傲慢さなんだなぁ。 ギルガメッシュが人気な理由がなんとなく分かった気がする。
・9日目
遂にこの選択肢が出てきた。(鉄心に分岐する選択肢のこと) 正義の味方を貫き通す選択した後がとて��辛かったし、タイガー道場でさらに凹まされた。心を鉄にした士郎も桜を頃す凛もイリヤの一言ももちろんそうだったけど、「藤ねえが士郎のこの選択を受け入れる」っていうのが一番辛かった。
もう劣等感しか残ってないし、それを拭おうとして空回りしてる慎二の心境を考えると凄く悲しくなる。これからどうなるんだろうか。
桜は好きな人を騙し続けてる罪悪感に苛まれてる所が月姫の秋葉様に似てる気がする。桜も秋葉様も自分の気持ちに素直になれないし。
桜は士郎に対する想いを内に仕舞い込み、秋葉様は志貴に素直になれない。好きな人に対して素直になれないって所は二人とも同じだけど、その出力先が違う。
桜の懺悔で『灰羽連盟』の罪の輪を思い出した。 自力で罪の輪から抜け出せないのなら誰かに罪を許してもらえば、罪を知りながらも罪人では無くなる。士郎は桜を罪の輪から救出した。
つい最近まで士郎に復讐心を抱いていたイリヤが士郎にここまで優しくするのか…と思わず泣いた。でも士郎が聖杯を求めるのならイリヤはマスターとして立ち塞がるんだろうか?もしそうなったら辛いな。 士郎は正義の味方を貫いてもそうしなくても結局辛い思いをするんだろうなぁ。
桜が士郎の血を吸う場面はPC版だとセックスする場合なんだろうか。もしそうなら「HFはエロ無しでは成り立たない」って言葉の意味が理解できる。
桜はレアルタヌアで「好きな人の血を吸う」という、アルクェイドがしなかった事をしたんだなと思うと少し感慨深い。
・10日目
士郎と桜の状況がどん詰まり過ぎてて読んでてあんまり楽しくなかった。
何故イリヤは桜を嫌うんだろう?言峰の求める答えって何?あの影と桜の関係は?疑問は増える。
セイバーが反転したのを士郎が割りとさらっと受け入れてて驚いた。もっと狼狽すると思ったけど。
言峰の人間性の開示によって「言峰と切嗣は正反対の人間だが印象は似てた」って言葉の意味がやっと分かった。
正しいものを正しいと理解していながらそれに価値を見いだせず、それを求めても得られない言峰と、綺麗な理想を抱きながらも冷徹な行動をとる切嗣。 確かにぱっと見は似てるけど全く違う。
最後の幕間が不穏すぎる。「虫を潰した」って、一体誰が?
・11日目
ひたすら桜と凛が微笑ましい1日だった。この不器用さん共め!w
慎二がまたなんかやらかしそうな雰囲気を出してるなぁ…
凛に「士郎の前だけでは桜は笑う」と言われて、士郎は「今の桜は自分に依存してる」と気がついたっぽい。 姉妹のやりとりは和んだけど、状況が詰んでるのは変わってないんだよなぁ…読んでて少し辛い。
・12日目
感想を一言に纏めると「とにかく読むのが辛い」
桜が助かる為に士郎も凛も行動してるけど、それが桜を傷つけてしまう事が辛い。
本当は士郎と一緒に住みたいイリヤは、切嗣への憎しみを無視出来ないし、士郎が聖杯を手に���れるということは士郎がアーチャーの腕を使い傷つくということ。
士郎も凛もイリヤもそうなんだろうけど、桜も辛いだろうな。
日常生活がまともに送れないほどに体は消耗してるだろうし、士郎は戦うし「自分自身を救おうとしてくれてる人」だと分かってはいるけど凛への不信感は募るし毎晩悪夢を見るし。
滋養である筈の士郎からの吸血でさえ自己嫌悪が付きまとう。
士郎がもし氏ねば衛宮低にイリヤの居場所はなく(凛とは魔術師同士だし桜とは何故かそりが合わないらしい)、イリヤは依り所を無くす。 だけど士郎は戦いを止めない。
凛は魔術師然とはしてるけど骨の髄まで魔術師って訳ではないから、桜に厳しく接するのは辛いだろうなー。 救う対象であるはずの桜を遠ざけないといけないってのはなんとも皮肉な話だ。
日に日にすり減っていく桜の心身。悪夢と士郎が感じた「影」と桜の関係。 ゾウケンの意味深な言葉、ギルの謎の行動。 ちょっと辛すぎw読んでると僕のMPがゴリゴリ削られていくwでも光明は見えた。士郎が凛の宝石剣を投影出来れば状況をひっくり返せるかもしれない。 まぁ、光明が見えた分だけ事態が悪化してる気がするけどw どうなるんだこれ...読んでて凄く面白いけど辛い。
「奈須きのこって本当に凄いな」と改めて実感した。 ここまで複数の出来事や登場人物達の心情が絡み合ってる創作物を読むのは本当に久しぶりかもしれない。このぐちゃぐちゃに絡まった諸々がどんな風にほどけていくのかが楽しみ。
・13日目
今まで明言はされなかったけど散々仄めかされてきた桜と影の真実が分かった。桜を道具として扱っておきながら士郎に「桜を頃せ」なんて言うゾウケンは真性のクズだな。
「なんで桜からあの影が出るんだろう?イリヤからは出ないのか?」と疑問に思ったけど、「イリヤはサーヴァントを回収するたびに人としての機能をカットするから影が出ないんだ」と自己解決した。
桜と士郎が花見の約束をするばめんでアルクェイドの「私はifって好きよ。その時だけは希望がある気がするもの」を思い出して涙が出た。
かつての信念を捨てた士郎にひたすら謝ってる桜にちょっとだけもやっとした。 桜自身には影をどうすることも出来ないんだろうけど、だからってあそこまでして自分を守ろうとしてくれる士郎に対してただただ謝るだけで「ありがとう」の一言も言わないのか、と。
13日目のフローチャートに不自然な空白があるから、たぶん今進んでるルートはその内バットエンドの一つに通じるんだろうし、この不自然な空白の先が正規ルートなんだろうな。 とりあえず今は放置して読み進めよう。
・14日目
桜が反転したけど、まだ完全には反転してないっぽい。
桜と聖杯の関係がややこしい。ちょっと整理してみる。 〈桜には聖杯の欠片を元に作られた刻印虫が埋め込まれている。故に桜は聖杯の機能を持つ。〉 〈聖杯の力は本来無色だが汚染されたため「人を頃す」という方向性を持った力に変わってる〉 〈桜は聖杯の門を閉じられない〉 〈桜の性格と汚染された聖杯が適合して「影」が産まれた〉
「何かが産まれ出てくる事を阻止する事は罪だが、産まれてきた者にもし罪があるのならそれは償うべき」って言峰の考えは凄く厳しいし、桜の影の事に対してそう言ってるから凄く歪んでる。
15日目はまだ終わってないけど、情報が多すぎて頭が痛いから今日の所はセイバーエンドを見て終了。 そして土蔵でのライダーとのやりとりの選択肢から再開する。
セイバーを下したがとどめを刺す前に廃人になってしまった士郎はなんとも無念だ…
言峰は本当に複雑な人間なんだなぁー。 言峰と言峰が愛した女の事を知って、愛とはなんなのかを考えさせられた。 愛した側の心の在り方がどうであれ「愛された」と感じたのならそれは愛なのか?愛する心が無くても「愛するという行為」があればそれは愛するという事なのか?
天の杯と根源の渦の関係がよく分からなくて何回か読み返した。アインツベルンの目的は別に根源の渦に到達する事ではなく、あくまで根源の渦に至る道に溢れてる手付かずの魔力だって事が理解できた。 …この解釈で果たして合ってるのか?合ってると思いたい。
「魔法」や「魔法使い」が型月世界では超重要だって知ってはいたけど、物語の中でそれを体感するのは初めてかもしれない。 でも士郎が言ってたように、士郎達にとってはそんなのは関係無い。彼らにあるのは自分と大切な人の時間だけ。
桜がどんどん反転して行ってるけど、正直、「やっと反転したか~」と思った。メタ的視点から言うと桜が反転しないと話がつまらないし、その過程とそれを受けてどういう風に物語が帰結するかが見たい。
VSバーサーカーでの士郎はとんでもなくかっこよかった。これは間違いなくSN名バトルの一つだろう。 「ついてこれるか」からの「ついてこれるかじゃねえ。おまえがついてこい!」は最高にイカしてる。
タイガースタンプが残り3つ......長かったSNももうすぐ終わってしまう......最初は「これ全部埋められるんか?」と思ってたのに残り3つ......あー寂しい。
終わった。色々言いたいことはあるけど、とりあえず今真っ先に言いたいことは…桜、めっっっっっちゃ美人になってませんかあああああああああ!!!?!!!?!!?!?!
しかも凛に「幸せ?」って聞かれて「はい」って満面の笑みで言ってるしなんなのもおおおおおお!!!良かったああああああ!!! この文章(Twitterのヘッダー画像にしてたあの文章)でもう「あ、士郎達の物語はもう終わりなんだな」って……… いやだあああああああ!!!!!いかないでええええええ!!!!虚無感ヤバイんじゃあああああー!!!!でも「終わり」が大好きなんだよオオオオオオオオオンン!!!! ちなみにタイガースタンプもコンプ。全部埋まった。埋まっちゃった。 SPも見た。綺麗に総括してて最高の締め括りだった。 残るはラストエピソードのみ。これを見たら本当に本当に終わってしまうから、見たいけど見たくない。でも見る。
・ラストエピソード
セイバールートの最後で士郎は結局アーチャーになってしまったのか。でも、この再会があったから二人はきっと報われたんだろうな。 そして「Link」がめっちゃ晴れやかで良い曲だった。 一回だけBGMだけを纏めた動画で聴いたことがあったけど、てっきりHAの曲だとばかり思ってた。 「あの���を登り終えたらそれぞれの道を行こう」と「笑顔で手を振ろう。いつかきっと会える」って歌詞が凄く晴れやかで切ない。
・HFを振り返る
HFのトゥルーエンドで月姫の「まひるの月」や「温かな牛睡」を思い出した。こういう切ないエンドもたまらない。
桜が琥珀さんの系譜のキャラだって聞いたことがあるけど、確かにそうだった。 桜も琥珀さんも、救うことはかなり難しい人だけど、救った時の喜びと感動は物凄く大きい。 まぁ、琥珀さんを救ったのは志貴で、桜を救ったのは士郎だけどね! そこを勘違いしちゃいけないと思う。読者はあくまで傍観者。
桜はアンリマユに憑かれて初めて凛に対して鬱憤を吐く事ができたから、そういう意味ではアンリマユに憑かれた事は良かった。姉妹喧嘩も出来た事だし。 というか、お互いに魔法に近い力を振るう姉妹喧嘩って凄いなwスケールが大きいw
桜がアンリマユに取り付かれてる姿はおっぱいがとても強調されてるから、シリアスな場面でも(おっぱい大きいな)ってしょっちゅう思ってたw イリヤが大聖杯の門を閉じる時の杉山さんの演技が印象に残ってる。 イリヤの名を思い出してから連れ戻そうと名前を呼ぶ。その感情が演技で凄く伝わってきた。
天の杯の服装のイリヤは外見は幼いのにとても大人びて見えた。特にあの一枚絵は。
桜の体は清いとは言い難いし、桜の好意は良くも悪くもとても重たい。それでも桜が好き。 桜は士郎にとって日常の象徴でもあると思うし。
サーヴァントや魔術がある世界だからこそ、士郎と言峰の殴りあいは熱かった。この戦いは正義と正義のぶつかり合いでしかもお互いの力がやや拮抗してるのが熱さに拍車をかけていた。
言峰にとってアンリマユは「自らが出せなかった答えを出すかもしれない希望」だったんだなー。
それまで徹底して冷たい態度を取ってたのにここぞという所で桜への好意を自覚してとどめを刺せないし、凛の境遇を想像もせずにひたすら自分を罵倒する桜を抱き締めてやれる凛が凄く好き。 「うっか凛め…」って思いながら涙を流したし、ここを映画でもし見たらきっととんでもないことになるだろうなーw
終盤の桜の声には凄く気迫があるというか、ドスが効いていて下屋さんの演技力の凄さを実感したし、桜は「ただおしとやかで可愛いだけのヒロイン」じゃないんだなって思った。
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