#十字架になる影を見たくて
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い��れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up

海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄

今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス���
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。

Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡���磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。

1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感��。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏して���たい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になって���るんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークで��
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。

7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲���やることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#サラ#サラスタイル#violin#ヴァイオリン#sarah styling#multi instrumentalist#マルチプレイヤー#パイプオルガン#pipe organ#carol of the bells#shchedryk#Youtube
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ヨーロッパチームのポイントである使徒団でのカンファレンスが行われました🙌🏻
神様のことばの成就、本当に私たちの思いを超えた形で神様は成し遂げてくださるんだなと感動しました。
預言を中心とした賜物の働き。
私はまだ、預言者学校に通っているわけではないけど、主が導いてくださった時に踏み出して、
教会を土台とした多くの賜物の働きの表れを全世界で見れることが楽しみです✨✨✨
最後日本に到着するまで、とりなして神様の計画現れを見ていきたいと思います🙌🏻🥳
賛美
2025.1.26
(📸:十字架にしか見えなかった影。大学の帰り道にて、)

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金曜日になり、浅草では三社祭が始まった。ニュースでは雷門周辺で数多の観光客が一目見ようとあちこちから集まり、賑わっていた。一方、信也はこの日も仕事だったので帰りは通常通りだった。ところが、編集部に務める若い部下から飲みに行きましょうと誘われたのだ。行き先は銀座。大学進学を機に上京してきたが、信也はこれまで数えるくらいしか銀座には来たことがなかった。買い物だったら新宿、飲みに行くなら上野だった。裕美がたまに香織やその他のアシスタントを連れて訪れているが、夫婦としてはなかった。
最初に来店したのは有楽町の「Nビヤホール」だった。そこから銀座七丁目に繰り出し、最終的には「西五番街」の路地に入ったところにあるバー「R」だった。その頃には何人かはすでに解散していたが、信也と二人の部下が店に入った。昔、太宰治や坂口安吾などの文豪が出入りしていたバーとして名高く、いつか「銀座」を特集にしようと部下の一人が提案した。信也は「グレンフィ��ィック」と「ゴールデンフィズ」を注文したが、チャージ代だけで八百五十円と聞き、びっくりした。部下たちは、
「銀座で千円切るチャージなんて、未だ安いですよ」
と言った。いやいや、上野だったらたらふく飲めるし食べられるわと、信也は恐らく二度目はないだろうなと内心思った。
そもそも、背広だってようやく日本橋馬喰町の紳士洋品店「S」で買ったのに、たかが飲み食いの為に金は出せないと言うのが本音だった。たまに、今編集している雑誌「S」を眺めているとこんな、京都とか温泉とか、ただですら明日食べる食料すらない家庭もあるのにリッチな特集ばかり取り上げて意味があるのかなと疑問に思うことがある。銀座なんて、今ではインバウンドの波に乗り過ぎて昔の様な高級なイメージは皆無だ。そもそも、銀座の複合ビルに百円ショップができた時点で終わったと彼は思っていた。
時計台の針が午後十時を回っていた。部下とは銀座駅の入口で別れたが、信也は何か淋しさを感じた。嗚呼、そう言えば新橋の近くにゲイバーがあったなァ…。今日はちょうどスーツ着用が大歓迎だったなと、彼は再び複合ビル「G」の前を通り、新橋方面に向かって行った。
ゲイバー「T」は、銀座の並木通りを抜けて首都高速道路の高架橋を越えた路地にあった。タブレットでゲイ関係の総合サイトを見て知り、更に「ツイッター」でアカウントがありフォローしたのだ。
店の中に入ると、賑やかな雰囲気だった。カラオケがあり、テーブルには老いも若きも仲良く話をしている様だった。マスターと思しき店員に、
「あら、ウチのお店は初めて? 何飲む?」
と聞いてきた。信也はカンパリソーダを飲むことにした。スーツ着用大歓迎ではあるが、最近はスラックスにポロシャツも社内では可と言う企業もあり、キッチリ着こなしている者はいない。嗚呼、自分はおじさんになったのかなと、内心嘆いた。
そんな中、ネクタイを外した状態で周囲を見渡しながら信也の隣に一人座ってきた。よく見てみると真純だった。彼は満面の笑みで、
「あれぇ〜、もしかしたらあの時の!?」
と言った。信也も、
「あぁ、先日はどうも!」
と気付いた。
真純は信也の身体に密着し、時折片腕を背部に伸ばしながら内腿にも手指を忍ばせ、撫で回した。かなり上機嫌で、一緒にカラオケをやろうとも誘ってきた。信也は真純が見た目のわりにはミーハーな感じがあることに驚き、恐らく酔っているせいもあるのか、スキンシップが多かった。マスターは、
「あら、知り合いなの?」
と聞いた。真純は、
「ちょっとね…」
と、ニヤリと顔を緩ませながら言った。
結局、信也は完全に真純のペースに流されてしまった。クローズは午前一時だったが、とっくに終電はなくなっていた。それでも真純はスキップしながら信也の手を握り、はしゃいでいた。五十歳は過ぎているだろうが、もしヤングが見たら「変なおじさん」だろうな…。二人は中央通りをひたすら歩いて行った。
意外と、東京は電車や地下鉄が多いので距離がある様に見えるが、駅と駅との間隔は狭い。地方ではバス停の感覚である。上野駅まで来た時、真純は人気ない路地に信也を連れて行き、ビルとビルの影に隠れながら接吻した。頬を寄せ、信也のぬくもりを感じながら、
「偶然と偶然が重なって…離したくない」
とため息をついた。微かに柑橘系のオードトワレが匂い、信也は真純が愛おしくなった。彼の方から今度は接吻し、舌と舌を絡ませた。とめどなく唾液が噴き出し、なんてスケベなンだと信也は興奮した。下半身の奥底に潜む、所謂「Gスポット」がうずくのを感じ、彼は尻の筋肉をキュッと締めた。一物が硬くなり、勢いよくビキニとスラックスを突き出した。嗚呼、欲しい…。真純も同じ反応を示していた。あッ、近くにハッテンサウナのホテルがあるじゃないか。このままベッドインしてイッちゃいたい…。二人は身体を密着させながらハッテンサウナのホテルにチェックインし、部屋に入った。服を脱ぎ捨て、ビキニ姿でベッドに身を投げ、欲情のままに二人は抱��と接吻を繰り返した。時折、真純は信也の腋下に顔をうずめ、
「し、信ちゃぁぁぁぁん…」
と声を上げた。
ビキニが床の上に重なり合う。信也はいきり勃った己の肉棒を真純の下半身の穴に挿れた。ラヴオイルにまみれた彼の谷間が、とてつもなく卑猥に見えた。腰を突き上げ、また引きながら信也は真純を犯した。真純は、
「イイ、イイッ! もっと突いて!」
とすすり泣いた。彼も自分の一物を弄び、片手を先走り汁で汚した。
オルガズムは信也の方が早かった。真純の肉体の中に彼は愛液を「ぶち込んだ」。
「あッ、あん!」
一突きをすると、信也は両眼をつぶった。こんな感覚、恐らく裕美と寝た時以来だ。嗚呼、クセになりそう…。彼は何か達成感の様なものを感じた。一方、真純も充血した肉棒を信也の方に向け、愛液を跳ばした。
「あぁぁぁぁん!」
真純は顔を紅潮させながら声を上げた。もはや頭の中は空っぽな様だった。信也は真純をもっと歓ばせたい衝動に駆られた。下腹部に跳ばされた彼の愛液を片手で拭い、その手で彼の萎えた一物の先端を「こねくり回した」。
「いやッ! いやッ! 苛めないで!」
と声を上げつつも再び勃ち始めた。彼は包茎だからか、包皮が剥けた先端は敏感な様だった。腰をくねつかせ、時折上下させながら彼はすすり泣き、尿の様なものを出した。これが「潮吹き」かと、信也は思った。快感に酔い痴れた真純は彼に抱きつき、
「愛してる! 大好き! 一生離さない!」
と訴えた。
時計の針は午前二時を回っていた。信也は、両腕から離そうとしない真純に抱かれながら肉体の諸部分を弄られた。特に、乳房はシャツが触れるだけでピクッと反応するほど敏感になっていた。次第に、オトコの身体の方が繊細にできていると思う様になっていった。信也は接吻が好きだった。何度も真純と唇を重ね、その度にいったん萎えた一物が硬直した。真純は、
「す、すごい! 信ちゃん、元気!」
と、彼は信也の下半身を舌と唇で弄んだ。何かのサイトで見たことがあるが、オトコの下半身はオンナより敏感だという。恐らく、子孫を遺す為に生殖器がそうできているのだろう。もし雑誌の特集にできれば面白いだろうが、信也が編集を手掛けているものは定年を迎えて生活自体にゆとりがある世代に読者が多かった。「性生活」の性の字もないよなと、彼は思った。
結局、二人はようやく午前四時頃に疲れ果てて眠った。目覚めたのは午前八時だった。シャワーを浴び、床に散乱した下着や服を拾って着ながら、信也は三社祭を観に行くと話した。すると、真純は嬉しそうに、
「へぇ〜、じゃあ、明日の夕方に来てよ!」
とマッチの一���を渡した。そのマッチ箱には、
「浅草『Z』」
と書かれていた。ゲイバーらしかった。
信也は真純から詳細を聞き、
「解った。午後八時ね」
と承諾した。
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青に染まる (Stain Blue) ― Nina Yu: First Character Song
閉じ込めた記憶の果て 降り止まぬ雨の街 At the edge of my locked-up memories is a town that never stops raining 錆びついたナイフの日々 よごれたグローランプ Days filled with rusty knives and stained glow lamps
冬枯れの葉が落ちて 風に舞い棄てられていく Withered leaves fall in winter and are swept away by the wind 路地裏に届いた声と 明日を招くその手 A voice that called to me in an alley, the hand that led me into the future
青く染まっていく水と かけがえのない日々 いつまでも追いたい I want to keep chasing the water that stains blue and those irreplaceable days この空に終わりが来る日まで Until the day this sky falls
伽藍堂の砂漠の果て 孤独(ひとり)には慣れていた I was used to being alone at the edge of the barren desert にわか雨 咲いた傘に Under a sudden shower of rain, an umbrella opened up 足跡並んだ Footsteps aligned
ビルの間に陽(ひ)が落ちて Sunlight falls between the buildings 十字架の影が伸びる The shadow of the cross stretches out 不図よぎる 赤い約束 Completely unexpected, a red promise 砂時計は進む The hourglass empties
青く翳っていく空と 輝き増やす星 いつまでも見ていたい I want to keep watching the sky that darkens to blue and the star that grows in brilliance 真実が明日を閉ざす日まで Until the truth brings my tomorrow to an end
繰り返す夜を抜けて辿り着くその日 口に出す言葉をいつまでも決められないままで On that day that I reach after emerging from the endless nights, without ever working out what to say
青く染まっていく水と かけがえのない日々 いつまでも追いたい I want to keep chasing the water that stains blue and those irreplaceable days この空に別れを告ぐ日まで Until the day I bid farewell to this sky
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十字架降架 (ファン・デル・ウェイデンの絵画) - Wikipedia
『十字架降架』あるいは『十字架降下』(じゅうじかこうか、蘭: Kruisafneming、西: Descendimiento de la cruz)は、初期フランドル派の画家ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが1435年ごろに描いた絵画。 オーク板に油彩で描かれた板絵で、現在はマドリードのプラド美術館が所蔵している。磔刑に処せられたキリストを描いた作品で、十字架から降ろされたキリストの遺体を抱えている二人の男性はアリマタヤのヨセフとニコデモであると考えられている。
美術史家たちはこの作品について、キリスト磔刑を描いたフランドル絵画の中でもっとも影響力があったことはまず間違いなく、完成後200年の間に何度も模写され、大規模な絵画の模範と見なされていたと高く評価している。キリストの死を深く嘆き悲しむ人々の、衝撃的ともいえる感情表現と精緻な空間表現がさまざまな評価となって表れた作品でもある。
ファン・デル・ウェイデンの初期の絵画で、師と考えられているロベルト・カンピンのもとでの徒弟期間を終えて間もなくの作品である。この作品にはカンピンの影響が如実に見られ、とくに彫刻のような硬い表質感と、赤、白、青を多用して鮮やかに彩られた写実的な人物の顔の表現に顕著となって表れている

泣いている聖母マリアの異父妹クロパの妻マリア
2009年1月にGoogle Earthとプラド美術館の協同プロジェクトによって、インターネット上で『十字架降架』を含む12点の傑作が14,000メガピクセルという高解像度画像で鑑賞することが可能となった[30]。
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プラド美術館
Rogier van der Weyden (ca.1399-1464) - Exhibition - Museo Nacional del Prado
30,000 × 23,277 pixels. (約207mb)
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影のつきかたで、なんとなく人物が凸型の箱に入ってるように見える。トロンプルイユ的な意識なのかも。
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編集者注:ナショナル・フットボール・リーグのカンザスシティ・チーフスのプレースキッカーであるハリソン・バトカー氏(28歳)は、 2024年5月11日土曜日、カンザス州アチソンのベネディクト大学で卒業式の演説 を行った。彼の発言の転写は以下の通りである。 2024 年卒業生の皆様:まず、皆さんが本日無事にこの成果を達成できたことを祝福したいと思います。 あなたの高校卒業は想像していたものではなかったと思いますし、おそらく大学の最初の数年間も想像していたものではなかったでしょう。 新型コロナウイルスによるあらゆる逆境を乗り越えてこの瞬間に辿り着いたことで、この人生の苦しみは一時的なものに過ぎないという重要な教訓を学んだことを願っています。 あなたはグループとして、自分たちのレーンに留まらない悪いリーダーがいかに社会に悪影響���与えるかを目の当たりにしました。 このレンズを通して、私たちがどのようにして今の場所にたどり着いたのか、そして国民として、そしてカトリック教徒としてどこに行きたいのかを考えてみたいと思います。 始める前に最後に、講演への招待をいただいたミニス会長と理事会に必ず感謝したいと思います。 数か月前、ミニス学長が最初に連絡を取ったとき、私は最初は「ノー」と答えていました。ご存知のように、昨年、私は母校であるジョージア工科大学で卒業式のスピーチをしましたが、特に卒業式のスピーチは 1 回で十分だと感じていました。プロのスピーカーではない人。 しかしもちろん、ミニス大統領は説得力を発揮した。 [ 笑い ] この曲は、新型コロナウイルスの大惨事の中で皆さんが直面した多くの課題と、私たち高齢者が当たり前だと思っていた多くのマイルストーンを皆さんがいかに逃したかを物語っていました。 新型コロナウイルスはあなたの形成期を通じて大きな役割を果たしたかもしれませんが、それは特別なものではありません。 間違った政策と不十分なリーダーシップは、生活の主要な問題に悪影響を及ぼしています。 中絶、体外受精、代理出産、安楽死、そしてメディアにおける退廃的な文化的価値観への支持の高まりなどは、すべて無秩序の蔓延に起因しています。 私たちの国は、カトリック信仰を公に誇らしげに宣言しながらも、同時に中絶推進集会で十字架のサインをするほど妄想的な人物によって指導されています。 彼は罪のない赤ん坊の殺害に対する支持を非常に声高に主張してきたので、多くの人にとって、あなたはカトリック教徒であると同時に選択を支持する人でもあるように見えるはずです。 彼は一人ではありません。 新型コロナウイルスのロックダウンを主導した人物から、アメリカの若者に危険なジェンダーイデオロギーを押し付けている人々まで、彼らには明らかな共通点がある。 彼らはカトリック教徒です。 これは、カトリック教徒であるだけでは役に立たないということを思い出させる重要なものです。 こうしたことは、礼儀正しい社会では持ち出さないようにと言われている類のものです。 わかります、困難なこと、不快なこと。 しかし、私たちが歴史のこの時期に男性と女性でありたいのであれば、「ニース教会」が勝利の提案であるかのように振る舞うのをやめなければなりません。 私たちは常に慈善活動に基づいて話し、行動しなければなりませんが、決して慈善活動を卑劣なものと取り違えてはなりません。 ここ数年で、私は自分の考えを話すことでかなりの評判を得てきたと言っても過言ではありません。 私は自分自身がこのようなプラットフォームを持つことを想像したことも、望ん���こともありませんでしたが、神がそれを私に与えてくれたので、私にはそれを受け入れ、自分のレーンを受け入れ、そこにとどまることについてのより厳しい真実を説く以外に選択肢はありません。 イエス・キリストによって設立された教会の会員として、真に、そして悪びれることなくカトリック教徒であることは、私たちの義務であり、最終的には特権です。 誤解しないでください。教会内であっても、礼儀正しいカトリックサークルの人々はあなたに沈黙するよう説得しようとします。 という受賞歴のある映画さえあったが 同じカトリック信者が製作した『沈黙』 、その映画では、主人公の一人であるイエズス会の司祭が教会を捨て、背教者として死んだとき、静かに誰にも知られずに十字架を握っている姿が描かれている。しかし神。 ベネディクト会大学の友人であるロバート・バロン司教閣下がこの映画の批評で述べたように、それはまさに文化的エリートがキリスト教において見たいもの、つまりプライベートで、隠れていて、無害なものだった。 私たちのカトリック信仰は常にカウンターカルチャーでした。 私たちの主と数え切れないほどの信奉者たちは皆、彼女の教えを忠実に守ったために処刑されました。 私たちの周りの世界は、私たちの信念が多様性、公平性、包括性の圧政に反する場合は常に自分の信念を内に秘めておくべきだと主張します。 私たちが真実を話すことを恐れるのは、残念ながら現在では真実は少数派だからです。 議会は、誰がイエスを殺したかという聖書の教えのような基本的なことを述べると、刑務所に入れられる可能性があるという法案を可決したばかりだ。 しかし、誤解しないでください。社会を悩ませている問題を解決しようとする前に、まず自分自身の家庭を整えなければなりません。それはリーダーから始まります。 神によって私たちの霊的父として任命された司教と司祭は、正しく命令されなければなりません。 今日、司祭や司教が群れを誤解させた話をすべて列挙するには時間がありませんが、私たちの誰ももう無知を責めて、ただ盲目的に「お父様がおっしゃったことです」と宣言することはできません。 なぜなら、悲しいことに、私たちがリーダーとして期待している司祭の多くは、自分の趣味を優先したり、教区名簿に掲載する犬との写真やおそろいの服装を優先したりする司祭たちと同じだからです。 私たち信徒も女性も、聖なるためには小教区で積極的に活動し、問題を解決しようと努めなければならないと考えがちです。 はい、私たちは小教区の支援に絶対に関与すべきですが、私たちが小教区の司祭たちが問題を解決するために頼れる拠り所になることはできません。 父親と息子の関係に目を向けるのと同じように、司祭とその民との関係にも目を向けるべきです。 父親として息子を導くのが私の仕事であるにもかかわらず、常に息子に助けを求める��は適切ではありません。 聖ホセマリア・エスクリバは、司祭は奉仕するように任命されており、信徒を模倣する誘惑に負けず、徹底的に司祭であり続けるべきであると述べています。 悲劇的なことに、非常に多くの司祭は幸福の多くを教区民から受ける賞賛に依存しており、それを求めるうちに警戒を緩め、過剰に馴れ馴れしくなってしまうのです。 私のチームメイトのガールフレンドが言うように、馴れ合いは軽蔑を生むので、この過度の馴れ合いは毎回問題になることがわかります。 [ 笑い ] 聖ホセマリアは、司祭を単なる一人の人間として見たい人もいると続けます。 そうではありません。 彼らは司祭の中に、すべてのキリスト教徒、そして実際すべての名誉ある人にふさわしい美徳、すなわち理解力、正義、仕事生活(この場合は司祭の仕事)、そして良いマナーを見つけたいと思っている。 私たちが信徒として、あれこれの神学の教えを解読できるようにアマチュア神学者になることに身を投じるのは賢明ではありません――もちろん、あなたが神学を専攻している場合は別ですが。 私たちは、人生における自分の状態と自分自身の使命に意図的に焦点を当てなければなりません。 そして私たちのほとんどにとって、それは既婚男性と女性としてのことです。 それでも、私たちはすぐに使える素晴らしいリソースをたくさん持っているので、現代に合わせて曖昧に言い換えられていない、伝統的で時代を超越した教えを見つけるのにそれほど時間はかかりません。 さらに、善良で聖なる司祭はまだたくさんいますので、彼らを探し出すのは私たち次第です。 世界の混乱は残念ながら私たちの小教区の混乱に反映されており、悲しいことに大聖堂にも反映されています。 パンデミック中に見られたように、あまりにも多くの司教がまったくリーダーではありませんでした。 彼らの動機は、恐怖、訴えられることへの恐怖、排除されることへの恐怖、嫌われることへの恐怖でした。 彼らは、意図的か非意図的かにかかわらず、秘跡は実際には重要ではないことを行動によって示しました。 このため、秘跡も受けられずに孤独死した人が数え切れないほどおり、決して忘れてはいけない悲劇です。 カトリック教徒として、私たちは民、そして最終的には教会のために命を捧げた英雄的な羊飼いたちの例を数多く挙げることができます。 コロナ禍で経験したことが適切だったという嘘を信じることはできません。 何世紀にもわたって、大戦争、大飢餓、そしてそうです、大病気さえもあり、それらはすべてある程度の致死性と危険性を伴いました。 しかし、これらの例のいずれにおいても、教会指導者は自らの召命に力を注ぎ、民が秘跡を受けられるようにした。 モロカイ島の聖ダミアンのような偉大な聖人たちは、自らの宣教の危険性を承知しており、精神的指導者としてハワイのハンセン病植民地に11年間滞在しました。 彼の英雄的行為は、理想的にはまったくユニークであるべきではない��もかかわらず、今日では何か特別でユニークなものとして見なされています。 なぜなら、父親が自分の子供を愛するように、羊飼いも自分の霊的な子供たちを愛すべきだからです。 それは、現代の使徒である司教たちにとってはさらに当てはまります。 私たちの司教たちはかつて、指輪にキスをし、彼らの言葉をすべて受け止める崇拝の群衆を持っていましたが、今では取るに足らない存在の地位に追いやられています。 さて、教区の司教や司教協議会全体が、この問題やあれこれに関する重要な文書を発表しても、誰もそれを読むどころか、一刻も読もうともしない。 いいえ、今日、私たちの羊飼いたちは、難しいことを大声で言うことよりも、公会議への扉を常に開いておくことにはるかに関心を持っています。 司教たちから連絡を受けるのは、毎年恒例のアピールの時だけのようですが、私たちは司教たちに、個人的な慰めを脇に置き、十字架を抱きながら教会の教えについて声を上げる必要があります。 私たちの司教たちは政治家ではなく羊飼いなので、仲良くしようとして世界に溶け込むのではなく、彼らも自分たちの道に留まり、先頭に立たなければなりません。 私がこのすべてを怒りから言っているわけではありません。私たちはふさわしい指導者を獲得しているからです。 しかし、これは私が自分の車線にとどまり、自分の使命に集中すること、そしてより良い父親、夫になり、世界で生きながらも世界に属さないようにするにはどうすればよいかを考えさせます。 これらの人々のために祈り、断食しながら自分の召命に集中することは、私が教会の指導者たちに不平を言うよりも、教会のためにもっと役に立ちます。 私たちの指導者たちからは非常に多くの混乱が生じているように見えるため、ミズーリ川の上流の断崖絶壁に建てられたカンザス州の小さな大学ベネディクト校のような場所で人々が参考になる具体例が必要であり、秩序ある政策がどのように世界に示されているかを示している。 , キリストを中心とした存在が成功の秘訣です。 過去 20 年間で入学者数が 2 倍に増加し、建設と活性化が常に生活の一部となっており、人々、学生、教職員が繁栄しています。このキャンパスのいたるところにある例を見る必要はありません。 これは偶然に起こったわけではありません。 伝統的なカトリックの価値観を受け入れる意図的な運動の中で、ベネディクト会は、他と区別するものが何もない単なるリベラルアーツ学校から、繁栄する光の灯台となり、伝統を受け入れると、世俗的な、精神的な成功が得られるということを私たち全員に思い出させてくれます。フォローする。 AP通信の記者たちは、ここベネディクト会のような場所や人々を叱責し当惑させようとする試みが、怒りを持たれず、むしろ興奮と誇りを持って迎えられるとは想像できなかったに違いない。 それは、一か月をそれに費やす大罪のような誇りではなく、聖霊と協力して神の栄光を現わす、神を中心とした真の誇りです。 現在世界中で共有されているその記事を読むと、自己を完全に明け渡し、キリストに向かうことで幸福��得られることがわかります。 ここカンザス州の小さな町で、私たちは自分の才能を活かしてインスピレーションを与える多くの信徒を見つけます。 ミニス学長、[アンドリュー] スワフォード博士、[ジャレッド] ジメラー博士は、まさにこのキャンパスで、キリストの光を今後何世代にもわたって明るく照らし続ける素晴らしい例です。 自分の使命にしっかりと向き合い、自分のレーンにとどまることが、この人生で真の幸福と平安を見つける最も確実な方法となるでしょう。 信徒であれ、司祭��あれ、修道者であれ、私たちは人生における自分自身の状態に焦点を当てることが不可欠です。 2024 年卒業生の皆さん、皆さんは残りの人生の瀬戸際に座っています。 皆さん一人ひとりは、自分自身とこの人類存在の時代を超える遺産を残す可能性を持っています。 小さなことではありますが、自分の召命を全うすることで、神の教会が存続し、世界があなたの模範によって啓発されることを保証するでしょう。 本日ご出席の女性の皆様、素晴らしい成果をおめでとうございます。 あなたは、若い人生でこれまでに達成してきたすべてのことを誇りに思うべきです。 私があなたたちに直接話したいのは、最も悪魔的な嘘をついたのはあなたたち女性たちだと思うからです。 今ここに座って、この段階を通過しようとしていて、自分のキャリアで獲得するすべての昇進やタイトルについて考えている人は何人いますか? 皆さんの中には、世界で成功したキャリアを送り続ける人もいるかもしれませんが、あえて推測すると、皆さんの大多数は、自分の結婚と、この世に産む子供たちに最も興奮しているのではないかと思います。 私の美しい妻、イザベルは、妻として、そして母親としての使命を果たし始めたときから彼女の人生が本当に始まったと最初に言うでしょう。 私が今日ステージに立って、今の私でいられるのは、天職に身を寄せる妻がいるからです。 私は神が私に与えてくださった多くの才能に恵まれていますが、私のすべての成功は、中学校時代にバンドのクラスで出会った女の子が信仰に改宗し、私の妻となり、すべての中で最も重要な肩書きの 1 つである主婦を受け入れましょう。 [ 18 秒間の拍手 ] 彼女は私たちの子供たちの主な教育者です。 彼女は、私が夫や父親の仕事からフットボールや私の仕事を決して邪魔にならないようにしてくれた人です。 彼女は私の根幹を最もよく知っている人であり、私たちの結婚を通して、主の御心によって私たちは二人とも救いを得ることができます。 私がこのようなことを皆さんに言うのは、外の騒音を無視して人生において神のご意志にどんどん近づいたときに、人がどれほど幸せになれるかをこの目で見てきたからです。 キャリアを持つというイザベルの夢は叶わなかったかもしれませんが、もし今、彼女に自分の決断に後悔があるかと尋ねたら、ためらうことなく大声で笑って、「いや、違う」と答えるでしょう。 多くの賞賛を受け、今日このような聴衆に向けて話す機会を与えられた男として、私は自分の声を自分のためではなく、常に神のために使うように祈ります。 私が皆さんに話していることはすべて、知恵の場からのものではなく、むしろ経験の場からのものです。 私は、この言葉があなたとそれほど年上ではない、この階級、この世代、そしてこの社会において、私たちの周りに見ているものが本物であるかのように振る舞うことをやめなければならないと感じている男性の言葉として受け取ってもらえることを願っています。普通。 カトリックのサークル内にも異端的な考えが溢れています。 しかし、正直に言うと、子供を産むことで神ごっこをすることは、それが理想的な数であれ、妊娠に最適な時期であれ、何も良いことはありません。 どう解釈しても、カトリックの避妊には自然なことは何もありません。 私がより大胆かつ率直に話すようになったのはここ数年のことです。なぜなら、先に述べたように、私は夫として、父親として、そして男性としての使命に傾倒してきたからです。 今日ここにいる紳士の皆様へ:私たちの社会を悩ませているものの一部は、家庭や地域社会に男性は必要ないという、あなた方に伝えられてきたこの嘘です。 私たちは男性として、文化の雰囲気を決めますが、それが欠けると、無秩序、機能不全、混乱が始まります。この家庭に男性がいないことが、全国各地で見られる暴力に大きな役割を果たしています。 他の国では、父親の不在率がここ米国とほぼ同じではなく、暴力率が大幅に低いことにも相関関係がある可能性があります。 男性の文化的骨抜きと闘いながら、自分の男らしさを悪びることなく行動してください。 難しいことをやってください。 決して簡単なことだけに妥協しないでください。 あなたには、必ずしも楽しんでいるとは限らない才能があるかもしれませんが、それが神を讃えるものであれば、自分にもっと適していると思われるものよりも、その才能に頼るべきかもしれません。 私は内向的で、今ではアマチュアの講演者や起業家になっているという経験に基づいて話しますが、産業工学の学位を取得したときには、自分がそうなるとは思っていませんでした。 前途は明るいです。 状況は変わりつつあります。 社会は変化しています。 そして、老若男女が伝統を受け入れています。 私と私に最も近い人々を助けてきたのは私の使命であるだけでなく、伝統的なラテン語のミサを率直に支持することは多くの人にとって驚くべきことではありません。私は TLM への愛と献身を非常に声高に主張してきました。そしてそれは私たちの生活にとって必要なものです。 しかし誤解されていると思うのは、TLM に参加する人はプライドや好みから参加しているということです。 私は自分自身の経験について話すことができますが、これらのコミュニティ内で出会ったほとんどの人にとって、これはまったく真実ではありません。 私が TLM に参加しないのは、自分が他の人よりも優れていると思っているため、または匂いや鐘のため、さらにはラテン語への愛のためでもありません。 私が TLM に参加しているのは、旧約聖書の神がどのように崇拝されることを望んでいたかについて非常にこだわりがあったのと同じように、同じことが今日の私たちにも当てはまると信じているからです。 私が秩序に出会い、自分の人生の中でそれを追求し始めたのは、TLM を通じてでした。 TLM自体は別として、私たちの神聖な伝統の多くは過去のものに追いやられていますが、私の教区では、残り火の日、断食をして召命と司祭のために祈る日などが今も守られています。 TLM は非常に不可欠なので、��ぐに利用できる場所に移動する場所を選ぶよう皆さんにお願いしたいと思います。 多くの人が教区や共同体について不満を持っていますが、私たちは共同体のためにミサを犠牲にするべきではありません。 たとえ教区が美しくなくても、司祭が素晴らしくなくても、コミュニティが素晴らしくなくても、私はTLMを優先します。 私が今でもTLMに通っているのは、ミサの聖なる犠牲が何よりも大切だと信じているからです。 私は、あなた方一人一人が教会の偉大な伝統の多くについての知識と遵守を再燃させたとき、自分の人生がどれほどカラフルで生き生きとしたものになることができるか、そしてそうあるべきであることがわかるだろうということを十分に承知してこのように述べています。 あなたがこの場所から進んで世界に飛び出すとき、多くの課題に直面することを知ってください。 悲しいことに、このコミュニティの善良で活発なメンバーが、卒業してベネディクト会のバブルから離れた後、結婚前にボーイフレンドまたはガールフレンドと同棲することになった無数の話をご存知の方も多いと思います。 教会を離れて神を捨てる人さえいます。 こうした話を聞くのはいつも心が痛むもので、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを知りたいという欲求があります。 覚えておかなければならないのは、人生とは、小さなことをうまくやり遂げ、成功に向けて準備を整え、最高の自分になるよう絶えずプッシュしてくれる人々に囲まれることだということです。 私はいつも言っていますが、鉄は鉄を研ぎます。 これは、私たちに最も近い人たちが私たちをより良くしてくれるはずだということを思い出させてくれます。 もしあなたが自分の信仰を共有していない人と付き合っているとしたら、その人があなたを聖人になれるようどのように助けてくれると期待しますか? もしあなたの友人グループが、あなたが次の週末に何をするかだけを考えていて、難しい会話をしたくない人たちでいっぱいなら、どうやって彼らがあなたを研ぎ澄ますのに役立つでしょうか? 就職の準備をする際には、転職先について実際に考えることが非常に重要です。 司教は誰ですか? どのような教区がありますか? 彼らはTLMを提供しており、司祭としての使命を受け入れる司祭を抱えていますか? 生活費だけがあなたの選択の決め手であってはなりません。神のいない人生はまったく人生ではなく、救いのコストはどんなキャリアよりも価値があるからです。 私は将来に興奮しています。そして、あなたが人生の次の章に進む際に、私の言ったことが心に響くことを祈っています。 唯一の聖なるカトリック使徒教会を告白することを決して恐れてはなりません。なぜなら、これはイエス・キリストが設立された教会であり、それを通して私たちは聖化の恵みを受けるからです。 今日の私のメッセージは、これらのスピーチで期待されているよりも少し綿毛が少なかったことは承知していますが、この聴衆とこの会場は、私たちが何者であるか、そして私たち全員がどこに行きたいのかについてオープンかつ正直に話すのに最適な場所であると信じています。天国。 ベネディクト会大学と、それが世界に模範を与えてくれたことを神に感謝します。 ミニス大統領のような王国のために自らの役割を果たしている人々のことを神に感謝します。 本格的なカトリック大学 と 盛んなフットボール プログラムがあることを知り��来てください。 [ 笑いと拍手 ] 誤解しないでください。あなたは神の後の世界で宣教領域に入ろうとしていますが、あなたはそのために造られました。 そして、神がそばにいて、自分の使命の中で美徳を求めて絶えず努力していれば、あなたも聖人になれるのです。 キリストは王です。 ハイツへ。
全文: カンザスシティ・チーフス卒業式スピーチのハリソン・バトカー| 全国カトリック登録簿
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詩集『人生と演劇』

詩集『人生と演劇』
1.「夜と演劇」 2.「あなたと演劇」 3.「ドレスと演劇」 4.「旅と演劇」 5.「僕と演劇」 6.「秋と演劇」 7.「演劇と風」 8.「演劇とマス」 9.「演劇とはかない」 10.「演劇とあきない」 11.「演劇と街」
1.「夜と演劇」
終演後の街はもう暗く、 車内も人はまばら。 言葉にならない余韻の中で、 私は台詞を反復する。
カーテンコールが終わる頃、 ひとりの眼を見つめて、 一瞬に涙を認めた。
この劇団はもう終わる。 明日はここにいない。 サヨナラも言えぬまま。 キャラバンは街へ消える。
風の中へみんなの宴は、 静かに溶けていく。 誰の声も聞かぬまま、 明日は別の場所で。
サヨナラも言わぬまま。 キャラバンは夜へ消える。
ありがとうも言えぬまま。 キャラバンは時に消える。
2.「あなたと演劇」
私の憧れた先輩、 ずっと追いかけてた先輩、 彼が「部活を辞めたい」と言った日、 未だに忘れもしない。
誰に聞かれても、 部長が問い詰めても、 虚ろな目のまま、 どこかを見つめていた。
もう数ヶ月が経って、 誰も先輩の話はしない。 でも、私は覚えてる。 数日後に転校していった先輩の噂、 もう聞かないけれども。
あのアイドルのオーディション、 親にも友達にも内緒で、 初めて応募した。
テレビに出るような人になれば、 先輩は帰ってくるんじゃないかって。 詩的でも激情でも、 なんでもなくたって、 私はアイドルになる。
やりたいことはこれから見つければいい。
広告を見た日に浮かんだ疑問、 やっとわかった。
生きる意味。 生きる価値。 生きる……
3.「ドレスと演劇」
ふだんの私にはなれない、 あなたになりきって。
大きな声で叫んだり、 普段言えないことを伝えたり、 そんな非日常感に憧れ、 私は役者になりたいと思った。
あの娘が着ている、 ドレスには手が届かなくたって、 あなたへのラブレター、 最初に渡された日、 ここで生きてくことを決めた。
憧れた私じゃなくても、 夢は無数に分岐して、 いつか描いた道のりが、 突然目の前に現れる。
世界はいつも残酷で、 言うことなんか聞かないけど、 それでも私は素直に、 愛のままに。
咲かせろ、リアリズム。
4.「旅と演劇」
あの頃は旅をするたびに、 街に劇団があって、 夜になると素敵な劇を観られたものだ。
名もなき役者と、 天才作家たちの宴。 次もまた観られるかと劇場を訪れると、 もう別の劇団が構えてた。
たとえば海の見える街で、 かつて映画館だった劇場。 たとえば昔栄えた町で、 かつて盛場だった劇場。
アングラの名を借りて、 誰もが明日の光を求めてた。
埃を被ったマネキンに何かを問うても、 誰も何も答えないと私は知っている。 それでも世界は今日も回り続けて、 誰かの夢を無作為に拾い集めようとする。
さらば役者たちよ、 さらば素敵な劇団よ。 あなたたちの描いた虹は、 私が忘れない。
一度きりのロマンスは 愛の名を借りた幻想。
5.「僕と演劇」
学校へ行きたくない日は 女優志願の姉に連れられ、 劇団の稽古を静かに眺めてた。
朝から深夜まで 僕の知らない世界が、 目の前に広がる様を観るのは 楽しかった。
でも本番を観るのは嫌いで、 大人と呼ばれる年齢になってからも 一度も観劇したことがない。
未完成なものが好きなのは、 保育園だった頃からの癖。 完成したら後は壊れるだけ、 ちょっぴり可哀想な気がした。
スーツをしっかり着る男も、 ドレスをきちんと着こなす女も、 どこで生まれたのかわからない生物も、 自然の中に佇む擬人化された君も、 そして、それを見つめる僕も。
9時から6時まで今日も僕は、 上司に怒られながら仕事をする。 後輩にゃ出世で先を越されたが、 世の中には上司になるよりも大事なことがある。
誰かの上に立つよりも、 僕は僕の人生の方が大事で、 とっくに亡くなった姉の後を追い、 週末はこのステージに立つ。
髪を切れと言われても 僕はこのステージのために髪を伸ばす。
6.「秋と演劇」
雨上がりの舗道に ぽつんと取り残された水溜りが、 まるでクラスメイトのAのようだと 友人の誰かが言う。
僕はそれを否定する言葉が出ず、 ひたすら唇を噛み締めるしかなかった。
秋が来る頃、 高校で文化祭があると聞いて、 僕はAにある役を演じないかと誘った。
ずっとAを見つめてきたから BにもCにもなれると知っていた。 誰かが決めつけなければ Aは誰にでもなれると知っていた。
人はほんの一言で変われる、 きっかけ��ある、 もしその一瞬が僕なら、 ありきたりな言葉でもいい、 僕だけの言葉で。
愛という名のシャワーで 君の心を融かそう。
AがAのままで居られるように 僕がこの手を握るから。
7.「演劇と風」
どんなに君が歴史になろうとも、 私が思い出させるから、 「老いた」なんて言わないで、 その手を握るから。
風に吹かれるように、 社会はゆっくり変わって、 たしかに君を、 過去のものにするけれども、 精神に埃を被らぬうちは、 きっと現在を投影したまま、 そうやって生きる。
ロマンティシズムの塊を、 人間と呼ぶのなら、 君が若かった頃の写真を切り取って、 目の前に貼り付けたい。
まだ死んでないじゃないか、 安いバーボンに溺れるくらいなら、 ラーデンシュタインに、 ローガン伯爵に、 君にしかなれないアイツを、 死ぬまでに再び演じてくれよ。
そうさせなきゃ、 ここで手を握っている意味などない、 私だって、 君に惚れ込んだんだから。
一度は憧れた人だから。
これ以上、 好きに筆を入れさせないでくれよ。
8.「演劇とマス」
最初はほんの気まぐれ、 人生はやさぐれ、 そんな私の戯れ、 あなたに明け暮れ。
いつしか劇も大きくなり、 髪はちょっと伸び、 メイクは綺麗になったけれど、 それでもふと微笑む瞳は、 あの頃とちっとも変わらない。
あなたの劇を見て、 あなたを好きになり、 私は大人に変わってった。
大きな仕事を任され、 しばらく行けなくなっても、 私はあなたが生き甲斐、 ずっとそうだと信じてた。
ある日、友達からのLINE。
彼の安寧を奪わないで。 ふつうに生きる権利を憎まないで。
9.「演劇とはかない」
この一瞬がすべてを台無しにしてしまう。
たった一音…… たった一秒…… いつかの夏の影。 踏みしめて。
「コメディエンヌ」と言われた同級生が 効果音を持ってきた。 いつも朗らかな少女の真剣な眼差し。
絶対に失敗は出来ないと 何度も練習して 僕のいない日は後輩にも委ねて もしもに備えた。
でも本番はまさかの影が付き纏う。
永遠に終わらぬ読み込み、 舞台はすぐそこまで進んでく。
君の落胆した表情が今も忘れられない。 プロになっても時折夢に現れるんだ。 ひと夏の努力を無駄にした十字架。
「君だけのせいじゃない」と皆は言うけれど、 それでも、 何か出来たはずだと、 心の中には消えないかさぶた。
君へのかさぶた。 青春という名前のかさぶた。
10.「演劇とあきない」
愛がはしゃぎだす、 この共鳴の中に、 ふたりは抱きしめ合う、 夜が明けるまで。
正解なんてない、 このエチュードが終わるまで、 悲しみに任せて、 抱きしめ合えばいい。
そんな芝居すら、 誰かが決めたもの、 私たちはドールハウスの中で、 夜明けまで、 愛を演じていく。
そうやって生きてきて、 ��うやって笑ってきて、 ああやって泣いてきて、 どうやって生きるのか。
11.「演劇と街」
私の街に、 新たな劇場ができた。
人が来る、 広場が生まれる、 愛を知る、 夢を感じる。
余分に木を切らず、 できるだけ循環させ、 後載せの言葉ではなく、 今ある言葉、 そして地域の声で。
奏でたいのは理想じゃなく、 そこにある現実を見つめ、 何もない土壌への幻想でもなく、 今の地域と共に歩きながら。
なんでもない物語を紡ごう。 言葉のない世界を生きよう。
あなたと、 わたしと、 この街と。
詩集『人生と演劇』Credit
Produced by Yuu Sakaoka
All Poetry Written by Yuu Sakaoka Dedicated to Kazumi Yasui(「女優志願」) Brain by TORIMOMO, Koharu Takamoto, Sakura Ogawa
Designed, Edited, A&R by Yuu Sakaoka Co-Produced by Koharu Takamoto
Management by G.Slope & Hill's Planet
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2024.9.1 坂岡 優
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The others / Glass steps
Track 6 of Gothika, I tried to translate it.
何故か 近頃の僕は
Why is it that lately
へんな感じなのだnoda
I have been experiencing such an odd feeling ?
後ろ手に締めた扉
From behind, the locked door
振り向いたら全開だわ
Suddently opened itself as soon as I turn around.
僕の歯ブラシが洗面所の鏡
My toothbrush crossed over the bathroom's mirror
刺さってる
And stayed stuck there.
女なんか特に
This woman I brought home
最近持ち帰った記憶もない
No matter what I do, I simply can't remember her
割れた破片
Around all these broken pieces
赤い血が滲む十字架を描く
I draw a red cross stained in blood
午前2時のholy nightmare
It is 2 : am : Holy nightmare hour !
A labyrinth continue which opens
In the mirror
目を疑うようなscene
An unbelievable scene plays before my eyes
古びたオルゴールはcrying
The old music box is crying
何処へ逃げればいい
Where can I run away ?
Oh no begin to cry help me
何時の頃からか
When exactly has my room
部屋が男臭いの何故naze
Started to have this masculine fragrance ? and why ?
影のような気配
This shadow like presence
吸わないはずのタバコの煙
is smoking tabacoo, it should not be here
見知らぬ歯ブラシ
I found this unknown toothbrush
全力で鏡に投げつける
And I thrown it into the mirror with all my strengh
恐怖で痛みを感じない
I am so scared I can't even
指先の切り傷
feel the pain of my injuried fingers
割れた破片
Around these broken pieces
赤い血が滲んだハートを書く
I draw a big heart stained with red blood
午前2時のholy nightmare
It is 2 : am : Holy nightmare hour !
A labyrinth eternally which opens
In the fear
研ぎ澄まされるsixth sense
My sixth sense sharpened
叫んでもあたしはcutie
Even screaming out of fear, I am a cutie
誰にあたればいいの
Who can I can call out for help ?
Begin to cry help me
夜が永遠に続いている感覚
It feels like this night will never end
何かを忘れている様な不安
Anxiously, as if I had forgotten something
ボンヤリとした残像から
There is no way to escape from
抜け出せずにいるのさ
this fuzzy afterimage
君はどうだい
How do you feel about all of this?
こっちへ おいで
Come, I am right here.
A labyrinth continue which opens
In the mirror
誰もいない old room
Into the empty old room
揺らめく二つのshadow
There is 2 flickering shadows
永久に繰り返す
Repeating it over and over againt
Oh yeah where is the heaven
A labyrinth eternally which opens
In the fear
闇に響くcry of the fear
The cry of the fear echoes in the darkness
振り向く僕は so deadly
I turn around and I am so deadly
千切れた足がうずく
My torned up leg is hurting me
Begin to cry help me
Y-Yandere mister wolf ?!
So following my theories of all of Gothika's song being from the pov of the villagers who found Akazukin, Kurozukin and Okami san dead, this one would also be the villagers thinking Okami san killed the sister but unlike for Okami no ketsuzoku, in this one it would be that Okami san killed Akazukin who tried to escape after they spend the night together but got himself killed by Kurozukin before she died herself since the other songs indicate they believe Kurozukin died because she tripped on her shoes.
Anyway, the male character seems to be refering to the doing of the female character
1, 2, 3 Take one
1, 2, 3 Take two
1, 2, 3 Take three
1, 2, 3 Prologue
「I miss you so much.」真っ黒なドレスで光を唱えた 私は何色に染まってる?
"I miss you so much" dressed in picth black, I chant for the light
Can you tell me : what is my true color ?
愛し焦がれた Hey!Mr HUMAN.定めのその灯火よ 幾千の旋律を奏でて 貴方のもとへ
You are yearning for love, aren't you ? hey ! Mr Human. I can see the light of fatality playing thousands of melodies just to please you
三日月に one step 午前0時 魔法が解けるまで 孤独だけな two steps 刻み続けるの ガラスの靴で 黄昏た three steps 2つの想い 胸に縛りこみ 涙の last steps 叩き割るの 滲んだ夢
Leading to the moon, one step
Until midnights rings, until the spell is broken
(Please stay with me... take one)
Only loneliness remains, two steps
I keep engraving them with my shoes of glass
(please hold me ... take two)
Twilight arrives, three steps
There is 2 feelings I'd like to get off my chest
(please listen to my story... take three)
Leading to tears, the last steps
Is smashing all the blurred dreams
(please break the music)
「美味しいワインはいかがかしら?」真紅に混じっている ちょっとスパイツーな隠し味…ポイズン 「私のことをお嫌いかしら?」 そう 永遠が欲しい ゆらゆらゆらぐ記憶を踊り 私のもとへ
"Would you like some of this tasty wine ?" Delicious crimson red
that I mixed with a special spice and a secret flavour of .. poison
"Now I wonder : do you hate me ?" That's right, I yearn for eternity
Swaying, swaying all these memories are dancing for me
逃がさないnever step. 隣の隣で微笑んだ Fate trap.I just can't stop! 見つめて欲しい 私の影 似合わないdress up. モノクロの雫 頬に流れる 願いはdream step. 塗りつぶしてよ 七色に
You can't escape. It's never step.
I am next to you, next you, giving you a great smile.
(Dancing you and me... take one)
Fate trap. I just can't stop !
I just want you to look at my shadow
(dancing melancholic waltz ... take two)
Unsuitable dress up
Monochrome drops are running down my cheeks
(dancing I see my ghost... take three)
The wish of dream step
I want to be filled with the colors of the rainbow
(But nothing my nothing)
one steps
two steps
three steps
1 2 3
one steps
two steps
three steps 1 2 3
三日月に one step. 午前0時 魔法が解けるまで 孤独だけな two steps 刻み続けるの, ガラスの靴で 「I miss you so much.」さよなら 午前0時 私は崩れてく おとぎの世界で
Leading to the moon, one step
Until midnights rings, until the spell is broken
(Please stay with me... take one)
Only loneliness remains, two steps
I keep engraving them with my shoes of glass
(Next, take a final)
"I miss you so much" Goodbye (I miss you so much Goodbye)
Midnight is ringing and I am crumbling
Living in fairyland
キラキラ 黒いシンデレラ…
I am the sparkling Black Cinderella
(do you know my story ?)
one two three
take one
one two three
take two
one two three
take three
one two three
one two three
take one
one two three
take two
one two three
take three
one two three
one two three
take one
one two three
take two
one two three
one two……
Track 3, from Kurozukin's pov.
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東京カテドラル聖マリア大聖堂。数年前、近くまで来たので、ということで寄ってみた。とはいえ、駅からは結構歩く。スマートフォンで撮影。当時は今ほど、スマートフォンで広角レンズが一般的ではなかったので、縦構図で横に少しずつずらしながら5枚撮影し、それらを合成したものだ。今なら、広角でもっと容易にに撮影できるかもしれない。
この大聖堂は、丹下健三設計による代表建築の一つとして知られる。丹下健三建築として都内では、東京都庁、代々木競技場とともに身近な存在である。もっとも、最近では某元タレントの影響で有名になってきたのがフジテレビ本社である。テレビで頻繁に見かけるようになったが、丹下健三にとっては不本意なことに違いない。
さてこの東京カテドラル聖マリア大聖堂、外観・内観ともにシンプルで、本場である欧州の教会や大聖堂とは一線を画すデザインとなっている。もはや西洋建築の模倣はしないという強い意志を感じさせてくれる。元来仏教徒である日本人が考える教会・大聖堂はこうであるということを示し、かつ未来はこうあるべきという一つの形を具現化して提示したものではないだろうか。

外観・内観ともに、直線と曲線をうまく組み合わせたデザインとなっており、屋根に相当する部分は十字架の形状になるように側面が絞り込まれている。この十字架の屋根部分は、大聖堂の周囲を巡って想像するしかない。。天に召した人が容易に探せるように意図したデザインだったのだろうか。だがそれは今、Google Earthなどで、地上にいながらも容易に俯瞰することができるようになった。丹下健三も、これほどまでに容易に十字架の屋根画を見ることができるようになるとは思いもよらなかったのではないだろうか。これも、時代とテクノロジーの進化の功罪とも言える。
また、来日した2人のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世教皇とフランシスコ教皇も、東京滞在中は、この聖マリア大聖堂を拠点として活動していたとされる。そして、広島と長崎を訪れているところも2人に共通している。おそらく、来日の目的の一つだったのだろう。
フランシスコ教皇の後任としてレオ14世が選出された。これで思い出すのが、映画「ゴッドファーザー PART III」だ。ローマ教皇が暗殺され、新たな教皇を選出するシーンが盛り込まれている。この映画で、ローマ教皇が選ばれる過程を簡単だが知ることができた。他の映画でも教皇選出シーンを見た記憶があるが、それがなんの映画だったかは失念した。

初めてイタリアに旅行した時にはツアーだったので、バチカンも見学。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂を見学した。個人では行きづらいところではあるので、見る機会がありよかった。
そういえば、Facebookに参加していた頃にも聖マリア大聖堂に行く機会があり、写真を投稿したことがある。その時には、そこで挙式したという某公務員の方がいて驚いた。かなり特別なことではないかと考えるのだが、思ったより身近にいるものだ。その時には気づかなかったが、その後訪れた時に正面の向かい側、パイプオルガンの下方にドアがあることに気がついた。通常は解放されていないが、その位置から���するに、直接外部へつながっているようだ。外側からも確認した。ひょっとしてこのドアは、新郎新婦が入場する際に使用されるのではないだろうか。某公務員の方のコメントがなければ、気がつかなかっただろう。
新教皇、レオ14世も東京カテドラル世マリア大聖堂を訪れる日が来るだろうか。ローマ教皇来日の目的の一つは広島・長崎の訪問にあるとすれば、米国系のレオ14世の来日は叶わないかもしれない。
そういえば、イタリアといえば先日、妻が所用のついでに大阪・関西万博を見学。何かと話題のイタリア館の展示。いずれも貴重で、本邦初公開の作品もある。



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グーテンベルクの活版印刷術(1440年代)の発明は、ヨーロッパの社会に革命的な影響を与えましたが、それは単なる知識の普及や啓蒙にとどまらず、混乱、迷信、恐怖、偽情報の大量流布といった現象も同時に引き起こしました。以下では、活字印刷物が引き起こした社会的混乱と迷信の蔓延の実例や背景を、歴史的に詳しく解説します。
◉ 活版印刷後に起こった主な「迷信・混乱」現象
① 魔女狩りの激化(16〜17世紀)
背景:活版印刷によって、魔術や悪魔に関する文献が爆発的に増えた。
代表的書物:
『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』(1487年):
ドミニコ会のインクイジターたちが執筆。活字で大量に印刷され、数十年間にわたり魔女狩りの正当性を説いた「バイブル」として機能。
「悪魔と性交する女たち」「天候を操る魔女」などの記述が、迷信を制度化。
影響:
ドイツ、スイス、フランスなどで数万人が告発され、拷問・火刑に。
活字による「恐怖の正当化」が、知的権威を持って広まり、群衆のヒステリーを後押しした。
② 終末予言・天変地異へのパニック
背景:宗教改革・戦争・疫病といった不安定な時代に、印刷物による「終末思想」が流布。
例:
「天体の大異変(例:彗星や日食)」を記録した印刷物や木版画が大量に流通し、庶民の間で**「世界の終わり」が近いという恐怖**が広がった。
『プロディジーブック(Prodigy books)』:空に現れた不思議な現象、怪物、流星雨などの絵と解釈を掲載。
影響:
多くの民衆が教会に殺到し、巡礼や贖罪行為に走った。
一部では都市からの逃避や略奪、カルト的運動の勃興なども起こった。
③ 偽書・偽知識の流通による知的混乱
問題点:
誰でも印刷が可能になったため、内容の真偽が確認されないまま多くの偽情報が出回るようになった。
例:
占星術書、錬金術書、疑似医学書などが爆発的に増加。
架空の発見や旅行記(例:架空の地図、アジアの神秘都市)なども「事実」として受け入れられた。
結果:
医療や自然科学の分野でも誤情報が氾濫し、「学問的真理」と「幻想」が未分化に。
例:イエズス会士の間でも「アジアにはキリストの失われた部族がいる」と信じられた書物があった。
④ 宗教的分裂��暴力的扇動の加速
宗教改革(1517年〜)との関係:
ルターの95箇条の印刷以降、パンフレットや風刺画、説教本が民衆の間で急速に拡散。
印刷技術が「言説の武器化」を可能にし、相手宗派へのヘイトや排斥運動が過熱。
実例:
カトリックとプロテスタントの間で「反キリストはあちらの教皇(あるいは改革者)」という内容のビラが大量に出回る。
フランスではユグノー戦争(宗教戦争)のきっかけとして印刷物の煽動が大きな役割を果たした。
⑤ 出版をめぐる陰謀論・検閲・国家介入の強化
「情報が武器になる」という事実が可視化された時代
王権や教会は、活字を用いた扇動に敏感になり、印刷業者へのライセンス制を導入。
例えば:
1559年:カトリック教会が「禁書目録(Index Librorum Prohibitorum)」を制定。
フランスやイギリスでは「国家反逆罪にあたる印刷」が刑罰対象に。
◉ なぜ活字は迷信や混乱を招いたのか?
要因内容情報の急速な拡散識字率はまだ低かったが、「図像入りのパンフレット」は読み書きができなくても直感的に理解でき、恐怖を煽った。真偽の判断力の未発達検証可能な知識体系が十分に広まる前に、大量の「事実らしきもの」が流通した。権威の転換期教会・国王の権威が揺らぐ中で、印刷物が新たな「知の権威」として受け取られ、混乱が生じた。印刷費用の低下商業的動機で「扇情的・恐怖的」な内容のほうが売れるため、センセーショナルな印刷物が大量生産された。
◉ 結論:印刷革命は「啓蒙」だけでなく「混乱」も革命的だった
印刷技術の普及は、ルネサンスや宗教改革、近代科学の成立などポジティブな知の進展をもたらしました。しかしその一方で、
恐怖と幻想の再生産、
階級的差別のイデオロギー的流布、
国家と民衆の間の暴力的対立の煽動
などの形で、社会的不安と暴力の媒介装置にもなったというのが歴史的事実です。
ご希望であれば、現代のSNSやAIが再び「活版印刷のような作用」を持つという視点から、現代の偽情報・陰謀論・迷信拡散との比較もご提供できます。どう展開しましょうか?
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各地句会報
花鳥誌 令和7年5月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和7年2月1日 色鳥句会
おのづから一幅の絵に冬木立 成子 すれ違ふ白秋の歌水の春 朝子 切り口は春へ向きたる粉砂糖 かおり 春隣夫あしらひに慣れもして 光子 春場所や塩撒く胸の真つ赤なり 睦子 ランドセルに入れては出して春を待つ 修二 豪快で情ある人の初便り 孝子 春の日を包みくるりと鉋屑 成子 個室へと移りし看取り寒に入る 朝子 背ナを向け手を振る別れ春の人 久美子 体温の抜けて重たき裘 かおり 雪降り込む家に育ちてつつましく 光子
………………………………………………………………
令和7年2月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
愛憎のかたちにねぢれゐて盆梅 和子 冬菫ボクシングジムある街に 美紀 春を呼ぶものにナショナルマーケット はるか うかれ猫仙台坂を駆け上る 六甲 十字架に最も遠き冬すみれ 和子 ポケットにテディベアちよこん春を待つ 美紀 春待つとカットモデルを募集中 はるか 少年の英語四温の池すべる 慶月 六階の麻布の蒲団干されをり 三郎 梅の香の白き流れとすれ違ふ 同 極楽を麻布で迎へ鳴雪忌 佑天
岡田順子選 特選句
十字架に最も遠き冬すみれ 和子 滿つること散りぬることもあたたかく 光子 三味線の糸道深しはん女の忌 佑天 水鏡のなかに春待つ木と空と 光子 ブランコの声讃美歌の声包む 俊樹 蝋梅の香を置きざりにこぼれゐて 季凜 野の起伏あたたかに飛び越ゆるなり 光子 ひかりとは蝋梅ふふみゆくことと 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
うす紅をちらり零して梅の花 笑子 風花の舞ひて揺蕩ふ思案橋 同 もてなしの干菓子の薄紙女正月 希子 白梅のふふめる蕾覚めやらず 同 水子観音野路に御立ちて鬼は外 数幸 青空を暫し塗り替へ春時雨 千加江 握手する手を手袋に温めて 雪 今はただ凍つる他なき蝶一つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
風よ波尖るふるさと雪ごもり 百合子 頰なでる潮香近しき島の春 多美女 若布拾ふ旅の途中の相模湾 亜栄子 枡形は青春の地よ春間近 教子 鐘響く二月礼者の読経漏れ 亜栄子 観音の背ナ汚れなき白椿 三無 寒明けの陽射し従へ野を歩せり 和代 笹鳴きの途切れ途切れに囁き来 秋尚 潮の香の雫を砂へ若布干す 同 早春の軽き足音追ひ越され 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
蕗の薹摘み来て���酒封を切る 三無 やはらかな色に膨らむ蕗の��� 秋尚 海苔干し場幾重に並び磯の風 ます江 引き締まる水に色濃き海苔を摘む 聰 景一変黄沙を喰らふ春一番 同 船べりに海苔の色付け戻りけり 秋尚 往診の医者にふるまふ海苔むすび 美貴 隠沼の水面の騒ぐ春一番 秋尚 海苔粗朶を育てる人に朝日さす ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月10日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
節分の夜も護摩火は衰へず あけみ 滑稽な鬼のお面へ豆撒かれ 実加 自転車の小さく見えて浅き春 裕子 過疎町に子等の声あり草青む 紀子 春の風邪流行の服を選りてをり 裕子 雪原を駆けづる犬の尾の黒き あけみ 生きること教へてくれる葱坊主 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月11日 萩花鳥会(二月十一日)
迷ひつつ卵焼く子や春隣 吉之 小春日や豆の蔓伸び膝の上 俊文 豪雪の屋根は死の渕雪をんな 健雄 枯れて見ゆ老木なれど梅ひらく 恒雄 恙無い日々願ひ食む恵方巻 綾子 父は言ふ運動後には梅干しを 健児 一点前終へれば消ゆる春の雪 美恵子
………………………………………………………………
令和7年2月13日 うづら三日の月句会(二月十三日) 坊城俊樹選 特選句
春立ちて夫生き生きと畑に出る 喜代子 艶話榾燃え尽きて夜も更けて 都 如月の老舗のポスター江戸火消し 同 寒戻る木々の梢の震へたり 同 窓辺にて春待つ唄を繰り返し 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月14日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
万両の姿万両外連なく 宇太郎 記憶より小さな橋よ蕗の薹 都 ポストにも小さな庇雪解風 美智子 浅利汁一人なれども音立てて 悦子 上京や春セーターと乗る列車 美紀
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
小流れの淵に盛られし春の泥 久子 篁を音なく撫でる春の風 秋尚 暗渠より出づるまぶしさ春の川 千種 薄紅梅枝垂れて空を深くせり 三無 星あまた大地に散らし犬ふぐり 芙佐子 園児らを森に攫ひし蜆蝶 経彦 石仏の陰から影へ猫の恋 月惑 閼伽桶を飛び出し春の水となり 三無 下萌や蹴上げしボール子に逸れて 久子 陽の中の砦の武士の春愁ひ 軽象
栗林圭魚選 特選句
輪になつて体操の声草青む ます江 句碑の辺に師の気配満ち梅開く 三無 記念樹の梅香拡げて年尾句碑 亜栄子 春の川翡翠の色映したる 久 蒲公英の黄の輝きて母の塔 文英 土ほこと梅見の客を迎へ入れ 千種 園児らを森に攫ひし蜆蝶 経彦 励めよと句碑の真白きしだれ梅 千種 富嶽より枡形山へ雪解風 月惑 鳥寄せて何処か揺れをり藪椿 芙佐子 句碑裏の蕗の薹三つ初々し 文英 梅林の香りの仄と径険し 斉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
数多なる柚子も生家も売られけり 世詩明 此の路地に名も無く老いて冬籠 雪 それなりに良き事ありし古暦 同 水仙やかつて柏翠町春草 同 猫の恋北斗七星輝けり かづを しろがねの波砕け散る冬怒濤 笑子 ほうほうと訪ひ来る黒衣寒修行 同 大地より膨らむ兆し蕗の薹 希子 天空の霞流れて城遥か 同 紅椿あの人の地に咲いたろか 令子 早春の風やふんはり髪を梳く 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月21日 さきたま花鳥句会 紀元選 特選句
畑打や夕日に長き鍬の翳 八草 冴返る秒針のなき外時計 紀花 春泥を跨ぐに足らぬ我が歩幅 久絵 揉みほぐし叩きほぐして春の土 順子 馬の目が笑つてゐたり春の蝶 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年2月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
胸中に温石と言ふ石一つ 雪 力瘤これ見よがしの冬木立 同 父の膝覚えて居りしお年玉 同 雪に生れ雪に老い行くだけの事 同 己が色使ひ果して枯るる草 同 口髭に豆撒く父の男振り 同 不器用を父の所為にしちやんちやんこ 同 初雀話はづんでゐるらしき 同 浅き春乗せ九頭竜は流るのみ かづを 風と来て風花風と去りゆけり 同 神の森三日三晩の大焚火 洋子 土の面ひたすら見たく雪を掻く 同 日脚伸ぶ硯の海に気を満す 真喜栄 樹には樹の忍ぶ月日や春の雪 同 野仏のやはらぐ笑みや水温む 同 道の辺の一花一仏風花す ただし 雑巾の縫目千鳥に針供養 嘉和 雪解水堰音荒き橋の下 英美子 ちらちらと降りて重たき雪の嵩 みす枝 雪地獄なる山からも海からも 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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バートランド・ラッセルの言葉366_画像版 n3018 (Feb. 4, 2025)
ほとんどの人は、幼少時代の迷信を表面的に捨て去ると、それ以上なすべきことはないと考える。彼らは、そうした迷信が依然として心の奥底に潜んでいることに気づかない。 Most men, when they have thrown off superficially the superstitions of their childhood, think that there is no more to be done. They do not realise that these superstitions are still lurking underground. Source: Bertrand Russell: he Conquest of Happiness, 1930, chap.7: the sense of sin More info.: https://russell-j.com/beginner/HA17-070.HTM
<寸言> 古今東西、多くの迷信が信じられてきました。現在では科学が発達したおかげで、多くの迷信が捨て去られましたが、捨て去ったのは表面的でいまだに生き続けている迷信がそこそこあります。また、もう信じていない迷信でも、まだかすかに心の奥底に潜んで生き続けている迷信があり、馬鹿馬鹿しい迷信に影響を受けて時間を無駄に使っている人がけっこういます。たとえば、日本人で言えば、「血液型による性格診断」や「厄年」など、科学的根拠がなくても、TVや雑誌などでさかんにとりあげられ、無駄に時間を消費しています。アメリ人で言えばいまだ「13という数字は不吉」「黒猫が横切ると不吉」と考え、「聖書や十字架をもっていれば不幸から守られる」と信じている人が少なくありません。また、世界中に見られる共通の迷信としては「鏡が割れると不吉(不吉の前兆)というものがあります。もっと現実的な心配に時間を使ったほうがよさそうです。まず、手始めに「血液型による性格診断」に関する番組などは見ないようにしましょう。
Superstitions have been believed in across different cultures and eras. Thanks to the advancement of science, many superstitions have been discarded, but in many cases, this abandonment is only superficial, and quite a few still persist. Even superstitions that people no longer consciously believe in may still linger deep in their minds, subtly influencing them. As a result, many people waste time being affected by absurd superstitions.
For example, in Japan, personality traits based on blood type and the concept of yakudoshi (unlucky years) have no scientific basis, yet they are frequently featured on TV and in magazines, leading people to spend time on them unnecessarily. In the United States, a significant number of people still consider the number 13 to be unlucky, believe that a black cat crossing their path is a bad omen, or think that carrying a Bible or a crucifix can protect them from misfortune. One common superstition found worldwide is the belief that breaking a mirror brings bad luck. It would be far better to focus on more practical concerns. As a starting point, perhaps we should stop watching TV programs that promote personality analysis based on blood type.
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TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun

この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔を持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。そのエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一貫して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであって���、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
ー
いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル。夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素子の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。っていう見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈のパターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分、自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘

安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD 個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY 個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
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TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
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まえがき
相打ち / 合言葉 / 合図 / 愛想づかし / アイデンティティ / 赤ん坊 / 赤ん坊(天界の) / 赤ん坊がしゃべる / 悪魔 / 悪魔との契約 / 痣 / 足 / 足が弱い / 足跡 / 足跡からわかること / 足音 / 仇討ち(兄の) / 仇討ち(夫の) / 仇討ち(主君の) / 仇討ち(父の) / 仇討ち(妻の) / 仇討ち(動物の) / 仇討ち(友人の) / 仇討ちせず / あだ名 / 頭 / 後追い心中 / 穴 / 兄嫁 / 姉弟 / 尼 / 雨音 / 雨乞い / 天の川 / あまのじゃく / 雨宿り / 雨 / 蟻 / あり得ぬこと / アリバイ / 泡 / 合わせ鏡 / 暗号 / 暗殺 / 安楽死 / 言い間違い / 息 / 息が生命を与える / 息が生命を奪う / 生き肝 / 異郷訪問 / 異郷再訪 / 異郷の時間 / 異郷の食物 / 生霊 / 生贄 / 遺産 / 石 / 石に化す / 石の誓約 / 石の売買 / 石つぶて / 椅子 / 泉 / 板 / 一妻多夫 / 一夫多妻 / 糸 / 糸と生死 / 糸と男女 / 井戸 / 井戸と男女 / 井戸に落ちる / 従兄弟・従姉妹 / 犬 / 犬に転生 / 犬の教え / 犬婿 / 猪 / 命乞い / 衣服 / 入れ替わり / 入れ子構造 / いれずみ / 入れ目 / 因果応報 / 隕石 / 隠蔽 / 飢え / 魚 / 魚女房 / 魚の腹 / 誓約 / 動かぬ死体 / 動く首 / 動く死体 / 兎 / 牛 / 後ろ / 嘘 / 嘘対嘘 / 嘘対演技 / 嘘も方便 / 歌 / 歌の力 / 歌合戦 / 歌問答 / うちまき / 宇宙 / 宇宙人 / 宇宙生物 / うつお舟 / 馬 / 馬に化す / 海 / 海に沈む宝 / 海の底 / 裏切り / 占い / 占い師 / 瓜二つ / ウロボロス / 運命 / 運命の受容 / 絵 / 絵から抜け出る / 絵の中に入る / 映画 / 映画の中の時間 / エイプリル・フール / ABC / エレベーター / 円環構造 / 演技 / 縁切り / 宴席 / 尾 / 尾ある人 / 王 / 扇 / 狼 / 狼男 / 大晦日 / 伯父(叔父) / 教え子 / 教え子たち / 夫 / 夫の弱点 / 夫の秘密 / 夫殺し / 落とし穴 / 踊り / 鬼 / 鬼に化す / 斧 / 伯母(叔母) / 親孝行 / 親捨て / 泳ぎ / 恩返し / 恩知らず / 温泉 / 蚊 / 貝 / 開眼 / 開眼手術 / 外国語 / 改心 / 怪物退治 / 蛙 / 蛙女房 / 蛙婿 / 顔 / 画家 / 鏡 / 鏡が割れる / 鏡に映らない / 鏡に映る遠方 / 鏡に映る自己 / 鏡に映る真実 / 鏡に映る未来 / 鍵 / 書き換え / 書き間違い / 架空の人物 / 核戦争 / 隠れ身 / 影 / 影のない人 / 駆け落ち / 賭け事 / 影武者 / 過去 / 笠(傘) / 重ね着 / 仮死 / 火事 / 貸し借り / 風 / 風邪 / 風の神 / 火葬 / 仮想世界 / 片足 / 片腕 / 片目 / 語り手 / 河童 / かつら / 蟹 / 金 / 金が人手を巡る / 金を拾う / 鐘 / 金貸し / 金貸し殺し / 壁 / 釜 / 鎌 / 神 / 神に仕える女 / 神になった人 / 神の訴え / 神の名前 / 神を見る / 髪 / 髪(女の) / 髪が伸びる / 髪を切る・剃る / 神がかり / 神隠し / 雷 / 亀 / 仮面 / 蚊帳 / 烏(鴉) / 烏(鴉)の教え / ガラス / 川 / 川の流れ / 厠 / 厠の怪 / 癌 / 漢字 / 観相 / 観法 / 木 / 木に化す / 木の上 / 木の下 / 木の精 / 木の股 / 記憶 / 帰還 / 聞き違い / 偽死 / 貴種流離 / 傷あと / 犠牲 / 狐 / 狐つき / 狐女房 / 切符 / きのこ / 木登り / 器物霊 / 偽名 / 肝だめし / 吸血鬼 / 九十九 / 九百九十九 / 経 / 狂気 / 競走 / 兄弟 / 兄弟と一人の女 / 兄弟殺し / 兄妹 / 兄妹婚 / 凶兆 / 凶兆にあらず / 恐怖症 / 共謀 / 巨人 / 去勢 / 切れぬ木 / 金 / 金貨 / 禁忌(言うな) / 禁忌(聞くな) / 禁忌(見るな) / 禁忌を恐れず / 銀行 / 禁制 / 空間 / 空間と時間 / 空間移動 / 空襲 / 偶然 / 空想 / 盟神探湯 / 釘 / 草 / くじ / 薬 / 薬と毒 / 口から出る / 口と魂 / 口に入る / 口二つ / 唇 / 口封じ / 靴(履・沓・鞋) / 国見 / 首 / 首くくり / 首のない人 / 熊 / 熊女房 / 雲 / 蜘蛛 / 繰り返し / クリスマス / 車 / 系図 / 契約 / けがれ / 毛皮 / 下宿 / 結核 / 結婚 / 結婚の策略 / 結婚の障害 / 月食 / 決闘 / 仮病 / 剣 / 剣を失う / 剣を得る / 幻視 / 原水爆 / 碁 / 恋文 / 恋わずらい / 硬貨 / 交換 / 洪水 / こうもり / 高齢出産 / 声 / 氷 / 古歌 / 誤解による殺害 / 誤解による自死 / 五月 / 子食い / 極楽 / 心 / 子殺し / 誤射 / 子捨て / こだま / 琴 / 言挙げ / 言忌み / 言霊 / 五人兄弟 / 五人姉妹 / 小人 / 殺し屋 / 再会(夫婦) / 再会(父子) / 再会(母子) / 再会(盲人との) / 再会拒否 / 最期の言葉 / さいころ / 妻妾同居 / 最初の人 / 最初の物 / 裁判 / 財布 / 催眠術 / 坂 / 逆さまの世界 / 逆立ち / 作中人物 / 桜 / 酒 / 酒と水 / さすらい / さそり / 悟り / 猿 / 猿神退治 / 猿女房 / 猿婿 / 三者択一 / 山椒魚 / 残像・残存 / 三題噺 / 三度目 / 三人兄弟 / 三人姉妹 / 三人の魔女・魔物 / 三人目 / 死 / 死の起源 / 死の知らせ / 死因 / 塩 / 鹿 / 仕返し / 時間 / 時間が止まる / 時間旅行 / 死期 / 四季の部屋 / 識別力 / 地獄 / 自己視 / 自己との対話 / 自殺願望 / 自傷行為 / 自縄自縛 / 地震 / 紙銭 / 死相 / 地蔵 / 舌 / 死体 / 死体から食物 / 死体消失 / 死体処理 / 死体変相 / 七人・七匹 / 歯痛 / 自転車 / 死神 / 芝居 / 紙幣 / 島 / 姉妹 / 姉妹と一人の男 / 姉妹と二人の男 / 死夢 / 指紋 / 弱点 / 写真 / 写真と生死 / シャム双生児 / 銃 / 周回 / 十五歳 / 十三歳 / 十字架 / 醜女 / 醜貌 / 手術 / 入水 / 出産 / 出生 / 呪的逃走 / 寿命 / 呪文 / 順送り / 殉死 / 乗客 / 肖像画 / 昇天 / 娼婦 / 成仏 / 食物 / 処刑 / 処女 / 処女懐胎 / 処女妻 / 女装 / 女中 / 初夜 / 虱 / 心中 / 心臓 / 人造人間 / 人肉食 / 神仏援助 / 人面瘡(人面疽) / 心霊写真 / 水死 / 彗星 / 水没 / 水浴 / 頭痛 / 鼈 / すばる / 相撲 / すりかえ / すれ違い / 寸断 / 精液 / 性器(男) / 性器(女) / 性交 / 性交せず / 性交と死 / 生死不明 / 成長 / 成長せず / 性転換 / 生命 / 生命指標 / 切腹 / 接吻 / 背中 / 背中の女 / 背中の死体 / 背中の仏 / 蝉 / 千 / 前世 / 前世を語る / 前世を知る / 戦争 / 洗濯 / 千里眼 / 僧 / 象 / 像 / ���儀 / 装身具 / 底なし / 蘇生 / 蘇生者の言葉 / 空飛ぶ円盤 / 体外の魂 / 体外離脱 / 太鼓 / 第二の夫 / 太陽 / 太陽を射る / 太陽を止める / 太陽と月 / 太陽と月の夢 / 太陽と月の別れ / 鷹 / 宝 / 宝が人手を巡る / 宝を失う / 宝を知らず / 宝くじ / 宝さがし / 竹 / 多元宇宙 / 蛸 / 堕胎 / 畳 / たたり / 立往生 / 立ち聞き(盗み聞き) / 脱走 / 狸 / 旅 / 旅立ち / 玉(珠) / 卵 / 魂 / 魂と鏡 / 魂の数 / 魂呼ばい / 樽 / 俵 / 弾丸 / 誕生 / 誕生(鉱物から) / 誕生(植物から) / 誕生(卵から) / 誕生(血から) / 誕生(動物から) / 誕生(母体から) / 男性遍歴 / 男装 / 血 / 血の味 / 血の力 / 知恵比べ / 誓い / 地下鉄 / 力くらべ / 地球 / 稚児 / 地図 / 父子関係 / 父と息子 / 父と娘 / 父の霊 / 父娘婚 / 父殺し / 父さがし / 乳房 / チフス / 地名 / 血文字 / 茶 / 仲介者 / 蝶 / 長者 / 長者没落 / 長寿 / 追放 / 通訳 / 杖 / 月 / 月の光 / 月の満ち欠け / 月の模様 / 月旅行 / 辻占 / 土 / 唾 / 壺 �� 妻 / 妻争い / 妻食い / 妻殺し / 爪 / 釣り / 鶴女房 / 手 / デウス・エクス・マキナ / 手紙 / 手ざわり / 手相 / 鉄 / 掌 / 手毬唄 / 天 / 天狗 / 転校生 / 天国 / 天使 / 転生 / 転生(動物への) / 転生する男女 / 転生と性転換 / 転生と天皇 / 転生先 / 天井 / 電信柱 / 天地 / 天人降下 / 天人女房 / 天人の衣 / 電話 / 同一人物 / 同音異義 / 盗作・代作 / 同日の死 / 同日の誕生 / 投身自殺 / 同性愛 / 逃走 / 童貞 / 動物援助 / 動物音声 / 動物教導 / 動物犯行 /
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