#古民家カフェ計画
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ゴールデンウィーク概論
ゴールデンウィークに入る前に考えたんです。どうやって過ごそうかな?って。
今年も差し当たって外出予定は立てられなかったから。 それでも直前のひらめきで登山ハイキングとか楽しんで。 ついでに古民家カフェにも立ち寄って。
まぁ、それはいいとして
書き残した日記帳の右側の空白が気になったり(ボク��日記帳はビジネスダイアリー使ってて左側が空白なんです) 思い付いたブログネタをある程度は書留めたり そろそろ週明け更新ネタの読み直し(書き足しとかしたくなる)しといたり
いろいろやりたくなります。
でも進みません。なんかしっくりしないんです。
でもこのブログ書き始める約30分前に気が付きました。
それでいいんだ。だってゴールデンウィークなんだもん。 休みは休む期間と覚えたり。休みだから、仕事しないから、趣味で文書化してたら、文書化に束縛されてしまう。それって忙しい日常じゃないですか。
ゴールデンウィークは趣味さえもペースダウンでいいんじゃないかな。ゆっくりやっても時間は確保できる。平日は(仕事並みに)計画立ててやってるから休みの日はエエやん。
と言いながら、冷蔵庫の中から最後のバナナを取り出して食べる夕食後。明日はゴミ出しの日、すでに袋詰めして封はしてある。普段なら「バナナの皮も入れたかったなぁ。」とか思うけど。
まぁいいか。前述の理由で。
バナナもその方がおいしいしねw
#仕事#ブログ#趣味#登山#更新#計画#ゴールデンウィーク#ネタ#おいしい#バナナ#ハイキング#外出#ひらめき#日記帳#古民家カフェ#ゴミ出し#過ごす#ペースダウン#文書化#読み直し#ビジネスダイアリー
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スイスで見た博物館・美術館 備忘録
栄華で罪深い過去と共に。
いろんなヨーロッパ絵画や歴史的史料を見るなかで、少しだけヨーロッパやスイスのイメージが具体的になってよかったな。
ぜんぶ素人の適当な感想なので、気軽な旅行気分で流し読みしていただければ幸いです。
ラ・ショー・ドゥ・フォン
時計博物館
Lorelei and the Laser Eyesに出てきそうな大きく複雑で謎めいた時計がたくさん見られて楽しかった。歴史的な展示もされていて、最初は日時計・砂時計から始まるのだけれど、最後正確性を求めるうちに、メカメカしい原子時計までいくのが面白かった。
時を、航路を、労働を、計り刻む合理性の象徴としての時計。
写真は複雑なアナログ時計と精密な原子時計。


ヌーシャテル
美術・歴史博物館
地域のちょっとした歴史資料館見るのが好きなので。トラベルパスという共通観光チケットがあれば無料で見られるのも気軽でよい。(多くの博物館・美術館も同様)
小規模だけれど、全体的にまじめに作られていて好印象。精巧な自動人形が見られたのも楽しかった。緻密な絵を描いてくれる!
建物も立派。スイスは町中に豪華で立派で石造りの重い建物がずっとのこっている。


「植民地主義者の銅像をどうしますか?私たちは公共の場で何を、どのように覚えておきたいのでしょうか?」
印象的だったのは、地域の名士の銅像をどうすべきかという展示。ヌーシャテル中心部に立っている町の発展に寄与した名士は、実は奴隷貿易や三角貿易で富を得た人物であり、現代において彼を称える銅像が町にあるのは是か非か、市民はどう考えるのかという展示。地域の歴史紹介や美術家や歴史家など専門家のオピニオンビデオ、市民への公開アンケートなどを用いて多角的に議論の素材を提供する。正解はないけど、とりあえずみんなで過去を踏まえて考えて議論して、今後決めていこうというスタンス。
過去の他地域への搾取とそこから得た富・美を現在どう扱うべきかというテーマは、このちいさな地域の郷土資料館をはじめ、後述するようにほかの美術館当でも見られて、スイスやヨーロッパ全体での時流でもあるのかもしれない。
ベルン
パウル・クレー・センター
クレーの作品は今まで散発的に見たことあるだけでそ��なに興味なかったのだけれど、作品をまとめて見られて、なんとなくよさがわかってよかった。作品保護の観点から、展示点数は規模のわりに少なめ。
限られた二次元の色と線という手法でいかに現実を描きうるかという自由で多様な実験みたいな作品が楽しい。絵単体というより、そのいろんな試みが自分には興味深かった。

晩年の、勢いを増すナチス・ドイツの勢力から逃れて故郷ベルンに戻ったのち、なぜか線と色に迷いが消え、寡黙で内省的で象徴性を増していくなぞめいた作品群が個人的には好みだった。
ローザンヌ
リュミエーヌ宮・自然博物館
たまたま休憩に立ち寄った立派な旧宮殿内に、無料で市民開放されている博物館があったので。
おおきなマンモスの化石があった!ほかにもたくさんの剥製(絶滅種も含む)や鉱物・化石が展示されていて、時間なくてゆっくり見て回れなかったけれど、思いがけず充実した展示があり楽しかった。ここも建物が古くて立派。

チューリッヒ
チューリッヒ美術館
中世から現代美術までいろいろなヨーロッパの美術作品がたくさん集まっている。自分の精神は近代で止まったままなので、いろいろな近代絵画が間近で見られてうれしかった。ほかの美術館等と違いトラベルパスは対象外で、別途入館料が必要なので要注意。
マグリットやキリコやフランシス・ベーコンの作品が近くで見られる!やった!!



ムンクのこの絵も、線と色合いの構成がしっかりしたふつうの風景画だけれど、見てるとつらくなってくるような感じがあってよかった。

現代美術
バングラデシュ・ダッカ出身の非営利コレクティブが作ったインスタレーションがよかった。少しだけダッカという地域と縁があったので。


急速な経済発展と社会の変化、押し寄せるたくさんの海外資本・商品・文化と市場社会、そのなかで抱える戸惑いや経済発展への期待や先進国への不信感。作品で表された、現地産業であるニットで編まれたキャンベル缶や粗末な屋台に並ぶたくさんの商品≒危険物のなかに、わずかに知っていたバングラデシュに住む彼らの思いを、芸術作品を通して改めて知れたようでよかったと思う。
デモによる政権交代後、みんなどうなるのかな。無事であるといいのだけれど。
ジャコメッティ作品
スイス出身の作家ということで、こち���も今まであまりよくわからなかった人なのだけれど、この機会にまとめて作品を見ることができてすごくよかった。人間性の衰弱と危機のなかでの抗い、というモダニズムなテーマよかったな。フランシス・ベーコンや河原温とかもそうだけど、モダニズムのなかで人体の徹底的な解体と再構成を描こうとする作品が好きなのかもしれない。


存在だけ再構成されたよろよろしてる犬。かわいいね。

企画展
チューリッヒ美術館のコレクションに多大な貢献をした武器商人「Sammlung Emil Bührle氏」の所蔵コレクションの今後の在り方について問うもの。
戦争という場を利用し、武器の販売で得た多額の富により築かれたコレクション。ここに飾られる絵画の額のすべてには「Sammlung E.G. Bührle」と刻印がされている。モネのきれいな睡蓮などもこの額に囲われ、周辺情報が気になって作品単体の鑑賞が難しい展示。




なお、ほんの一部にナチス・ドイツがユダヤ人から押収した作品も含まれており、こちらについては返還手続きを進めており、展示不可となっているとのこと。
だから作品すべての来歴を明らかにし、それはQRコードで開示されている。展示自体がこれらの周辺情報含めて、たくさんの犠牲とそこから得た利益という過去のうえに築かれたコレクションをどう維持し、どういう文脈とともに展示していくか問題提起し、議論するための場となっている。

非常に難しい問いかけであり、自分にはどういう方向性に進むのがいいのかわからないし、作品鑑賞の場としては周辺情報が多すぎるし、けれど無視できない・そうすべきでない問題なのもわかる。過去からは逃れられないけれど、いつか作品そのものをちゃんと鑑賞できる環境が整えられる日が来るんだろうか。
日本では、国立近代博物館の戦争画展示や藤井光氏の展示などが、自分が知っている中では社会的・歴史的経緯に取りまかれる芸術と展示の問題を取り扱っていて、たまに気になって見に行く。
(チューリッヒ美術館まとめ)
いろんなお金と美術と考えが集まる場所なので、ものすごく駆け足に1時間半で見たら大変でした!
ジュネーブ
ルソーの像・ルソーと文学の家
ルソーの諧謔と矛盾に満ちた「孤独な散歩者の夢想」が好きなので、ルソー詣でをしてきた。
家のほうはふつうに1Fでカフェ���営業していたのが意外。テーマごとにおしゃれでコンパクトな展示となっていて、日本語ガイドのレンタルもありで見やすい。「孤独な散歩者の夢想」展示が見られたので満足!



国際宗教改革博物館
小ぶりな建物ながら、展示はきれいで整理され、非常に充実・意欲的な内容でよかったな。特設Wi-Fiで接続できるホームページから多言語対応されていて、しっかり翻訳された日本語で見やすく展示解説が読めるのも、ちゃんと説明しようというやる気を感じた。
当然プロテスタントの視点からの展示だけれど、あまり宗派に偏らず、比較的フラットに解説されている印象(自分がキリスト教に不明のためわからないだけかもしれないけれど)
聖書がラテン語からドイツ語・フランス語・英語に翻訳されることで、書物が権力関係を変え、そして社会が変わっていったことを、当時の書物を通して少しだけ思いを馳せることができるようでよかった。
写真はラテン語から英語やドイツ語など様々な言語に翻訳された、宗教改革当時の聖書。




ジュネーブに滞在し、宗教改革で大きな役割を果たしたカルヴァンについては、偶像崇拝を厳しく禁じていたため、彼が使ったといわれてるコップしか遺物が残ってなくて、それが展示されているのがおもしろかった。
宗教改革でよりモダンな形に切り替わったキリスト教が商業主義・物質主義に取り込まれていくこと、女性や疎外された人々がプロテスタントの教義について議論する演劇をもとにした映像作品、そして今日的な��プロテスト」の在り方など、意欲的な展示構成も見ていて楽しかった。時間の都合上、駆け足でしか見られなくて残念。


ざっくりまとめ
海外でもGoogle翻訳のカメラ機能で展示解説をおおむね読むことができるので本当に助かる。ホームページやガイド端末で日本語含めた多言語対応しているところも意外とあった。
自分が行った場所はどこに行っても古く重い石造りの建物が残っていて、重く逃れられない過去のなかにずっといるようで印象的だった。
小さいけれど、伝えたいことがちゃんとあって、資料の保存や展示の意義を問い続けるような博物館・資料館は、国内外問わず見ごたえあっていいなと思う。大きな美術館や公設の資料館とかもそれぞれ姿勢に違いがあって、いろいろ見られて勉強になった。
最後にいい感じの湖の写真で終わります。湖は最高。

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クィアたちのZINE交換【前編】

発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」���自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉��。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺���によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐし��緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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桜林美佐の「美佐日記」(232)
「捨てないと買えない」自衛隊装備の現実
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、232回目となりま
す。
前回の毎日新聞デビュー経験に対し感想を頂戴しま
した。
「右翼論壇の大物という記事。毎日新聞でも拝見し
ました。まあ、古くからのプロパです。同じ手口で
やり続けることに興味をもちました。読者中心と思
っているのでしょうが、憲法擁護やら何やら、古典
的なやりくちに感心します。自衛隊や防衛大などで
講話をしていることなどで危機感をあおり、自衛隊
と民間との離間をねらっているところなど頭古いで
すね。」
A様ありがとうございます!
それにしても、6月にコロナにかかり、計画されてい
たアポイントを先延ばしにしたことで、今それらが
一気に入ることになり、慌ただしい今日この頃です。
美容院も今年はなんと1回しか行っていないので、
そろそろマズイ状態になっております。先週は講演
とラジオ出演で1週間のうちに2度も神戸に行きま
したが、いつものように両方ともトンボがえりで、
滞在時間は3時間ほど。
そういえば、神戸には造船所や関連企業があり、
かなりの回数来たことがありますが、飲み過ぎてグ
タグタの海上自衛官とかの記憶ばかリで、おしゃれ
なカフェなどは行ったことはありません。番組収録
で「神戸の印象」を聞かれ、答えに窮してしまいま
した。
さて、そんな中、巷では退役した陸上自衛隊の高
機動車が解体されずに海外に流出していたというニ
ュースが話題になっているようです。
同様の話は昔からありましたよね。それで自衛隊
としては製造企業が廃棄も担う仕組みにしようとし
ているのですが、これも競争入札になっていて、私
はかねてからそんなバカな「お願い」はないと各所
で書いてきました。
頼まれたメーカーはまさに「ゆりかごから墓場ま
で」のつもりで、そこで生まれた装備品が故郷に帰
って最後を迎えるための秘匿性に十分配慮された設
備を整備することになりますが、いざ受注する段に
なり競争入札となってしまいます。
安値で札を入れてきた他社に渡すわけにもいかず、
結局、投資分など回収できるような金額ではない安
値で引き受けざるを得ません。
そんなことをしていればこの仕組みはうまくいくは
ずはなく、製造メーカーも引き受けられなくなりま
す。
このように競争入札制度で信頼に足らない業者に受
注させる状況がある限り、こうした流出はあっても
当然なのです。
話は飛ぶようですが、2001年9月11日の米同
時多発テロで任務にあたり絵本にもなった「消防艇
ハーヴィ」をご存じでしょうか。
同艇は1931年から1994年まで数々の海上火
災に対処して活躍しました。退役後、廃棄される予
定でしたが、あるレストランの常連たちによって買
い取られることになりました。
鉄くずになるはずだったハーヴィは、ハドソン川沿
いに係留・展示され余生を送ることになります。
しかし、9.11にテロが起こり、再び現場に出る
ことになります。
ハーヴィは何かできることはないかと救助に赴き、
火災消火のために水を汲み上げ続けたのだそうです。
よく自衛隊を応援したいという方々から、クラウド
ファンディングやふるさと納税のような方法で支援
できないのかと尋ねられることがあるのですが、分
かりやすい方法として、自衛隊装備をハーヴィのよ
うな形で保存することはできないのだろうかと感じ
ます。
そもそも用途廃止は「使えなくなったから」という
より、損耗更新してはじめて新たな予算が付く仕組
みになっているがゆえの制度です。「捨てないと買
えない」のです。
中古を輸出すべきという話はかねてよりありますが、
それをすると「使えるなら買う必要はない」とみな
され、新規調達の予算が取れないため、わざわざお
金をかけて壊し、捨てる、ということになります。
今、日本は国難と言っていい時代になっていると私
は思いますので、このような予算制度に縛られた従
来のやり方を抜本的に見直すべき時なのではないで
しょうか。
装備の温存や、政府主導での海外移転など有効活用、
そんなことを考え始める良いタイミングのように思
います。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
今週が皆さまにとって素敵な1週間となりますよう
に!
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2025/4/28 7:00:17現在のニュース
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改装した古民家で食事と宿泊を カフェ シカジカ 八幡
改装した古民家で食事と宿泊を カフェ シカジカ 八幡 八幡にある築125年の古民家を改装した「カフェ シカジカ」が3月10日にオープンした。店主の村瀬朋子さんは東京在住で千曲市出身。明治33年に移築されたという住宅が空き家となり、敷地内にある土蔵と一緒に売りに出されていた母屋をカフェに改装した。一方、隣接している蔵は古い梁や柱を残して宿泊施設とする計画で1階がリビング、中2階を増設してベッドルームにした。まだ一部工事中だが屋外にはサウナも設置している。料理は野菜、豆類、海藻を中心にした「マクロビ」系のほか、カレーのプレートというメニュー。現在はまだカフェ部分のみの営業で夜間はバーとして酒類を提供。■営業時間・カフェ11時~16時。バー18時~22時。定休日は水曜と木曜日。 (写真上)食事スペース (写真下)日替わりメニュー
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一面の銀世界
遅ればせながら、、、 あけましておめでとうございます。 アイシンク建築設計事務所の池田です。 毎年体調崩し��ちの年末年始ですが、今年はすこぶる健康で 年末恒例のふるまいお餅つき・お家の改修・初詣などなど 楽しむ事が出来ました。 普段よりもよく動いて、疲れは・・・とれていないかも(笑) 6日から仕事始めをし、古民家の用途変更(カフェ)&改修を計画中の 猪名川町柏原で申請を出す「農地法第5条転用」の書類準備に没頭。 接道を確保する為には、現場手前にある農地の一部を取得&掘削する必要 があり、その工事の為にはまず”農地”を”農地以外のもの”にする手続きを 先行して進めていきます。 5条転用後の利用計画図(カフェの駐車場になります)なんかも添付する 事を求められていますので、そういった図面の作成も進めています。 この後にも、 ・敷地内に取り込んでしまっている”里道(法定外公共物)”の払下げの申…
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自転車
自転車を買った! 2024年11月4日、自転車を買った。Claigslistというアメリカの、メルカリのようなやつで。自転車を買ってから今(11/9)までいろんな出来事があって、全部楽し愛おしい。
11月4日はNY生活の5日目。1日目にアパートからセントラルパークまで歩いて、セントラルパークの大きさに参り、半分くらい歩き回っただけで、帰宅したら4,5時間歩き回っていたことになり、とにかく自転車が欲しいと思った。Citi Bikeがどこにでもあるから!と行く前に職場の元ニューヨーカーが教えてくれていたけれど、地元民たちからはあんな高いの無駄すぎる、と言われた。元々ニューヨーク計画が立った頃は自転車を持って行こうかと思っていたのだけれど、ヨセミテの話が出てきて登山グッズを持っていくことになったので諦めたのだった。そしてシアトルの乗り換えの時に荷物を一回全部受け取って、入国審査があって、それから国内線への乗り換え、しかも1時間以内、という状況に立ち会った時、“あぁ、自転車なんてとても運べなかったな”と、持ってくることは不可能だった、と諦めがついた。ついたはずだったのに、1日目にしてもう悔しかった、自転車がないここでの生活は勿体無すぎる!と。地下鉄は1回2.9ドルでとてもお得なので乗りまくれるんだけど、気づけば日本円のレートで冷静に考えたら500円弱なので、乗りまくっていると結構嵩む。かといって歩きまくっているのも時間がねぇ。
そんなわけで、中古自転車を買おう、と毎日思うようになった。Claigslistというところでただ同然でボロバイクが出されているのを見始める。 過去に自転車盗難に遭い、あらゆる転売サイトで検索した経験があるので、安すぎて盗難車を捌いている売人に当たるのが嫌だなぁと思いながらも、この切り詰め生活では安いものにばかり目が行く。一件、もうすぐ引っ越すので自転車が不要になった、という良さげな投稿を見つけてとりあえずメッセージを送って返事が来ないので寝た。
翌朝、まだメッセージの返事が来ていなかったので、もう2件ほど気になる投稿にメッセージを送って朝ごはんを食べていたら、1件からすぐに返事が来た。良いよ、何時にする?と。過去にClaigslistで車を買ったことのある大家(友達)によれば、Claigslistには本物もいれば、危険もある、という恐ろしい例を聞く。変なところに呼び出されて銃出されてお金だけ取っていかれるという例がたくさんあるそうだ。大家の友達はそれで大変な目にあっただとか。 ビクビクしはじめる。でも待ち合わせ場所は人通りの多い場所だし、昼間だし、きっと大丈夫だろうと大家が言う。地図を見て、もしやばくなったらマクドナルドか地下鉄に逃げ込もう。シューズはランシュを履いて逃げれる準備万端にして出かける。メッセージが来てから1時間と経たずに出かけた。 住んでるアパートはアッパーウェストサイドで、待ち合わせはマンハッタンの結構下の方で、40,50分かかる。その間中ドキドキしながら向かった。Delancey St-Essex Stという駅に待ち合わせの15分前くらいに到着し、対岸の銀行で80ドルを下ろす。
待ち合わせの角に行く。こちらが先に待ち合わせ場所にいるのはちょっと怖かったので、歩道の反対側に立って待った。あの人かな、この人かな、と対岸の角を行き交う人間を観察するのは、アクション映画に入り込んだみたいな気がしてちょっと楽しい。反対側からでもマクドナルドのWi-Fiが入ったのでネットもあってグッド。11時の待ち合わせ時間になっても現れず、「自転車持ってくるんだよね?」とメッセージを送ったら直後に、おじさんが自転車に乗ってきた。中華系の大きなおじさんが自転車を待ち合わせ場所に停めたので後ろから声をかけるとにこやかであまり危険オーラは感じない。待て待て、とジェスチャーしながら携帯電話で電話をかけ、突き出してくる。電話を取ると陽気な男の声が聞こえて、「どう?気に入った?」と。「おう、はい、やー」的な返事をして、ま��は乗らせてくれ、と言おうと思っていたら間髪入れずに「まぁまずは乗ってみてよ」と言われる。「そう言おうと思ってたんだサンクス、乗ってみる」と言って電話をリン(林)という男に戻して乗ってみる。
座高が高すぎる。座れない。買っちゃいけないかなとも思うけど、とりあえず動作に問題はなさそうだし、写真で見ていた以上に見た目が気に入った。座高は高くても乗れなくはないし、3ヶ月だけだし、とにかくこの売買の状況がおっかないし、ということで戻って、「買うわ」と言っておじさんに80ドルを手渡した。サンキューサンキューと言い合ってとっとと別れた。
さて、マップが自転車用ルートを示してくれるあたりで既に予感があったのだが、マンハッタンあるいはニューヨークは、ものすごい自転車大国だと思う。自転車用の道が古くから整備されていて、車より自転車が優先されている。道の整備のされ方は本当に自転車乗りにとって理想的な幅と道筋だし、車にとっても歩行者にとっても自転車道と自転車の存在が当たり前のこととして存在している。自転車マークの信号もある。座高高くてずっと立ち漕ぎであっという間に汗だくだけれど、気分は高揚していた。セントラルパークを走る際に降り坂で何もせずに自転車が進んで行き、これまで乗っていたどんな自転車よりも大きくてタイヤ幅もあるため安定感抜群で両手離しができる、もう最高の気分だった。 結局1時間以上かけて帰宅し、アパート前の何台か括り付けられている木の囲いの鉄格子に括り付けて部屋に戻った。
その日の午後は大家がカフェワークということで私も一緒にカフェに。嬉しくて子供みたいにとりあえず自転車をひいていく。カフェの中からも見える位置のバス停のポールに自転車を括り付け、美味しく大きなチャイラテでカフェワークタイム@Plowshares Coffee Roasters.
カフェからの帰り道の出来事である。ハーレムをチャリで走って、大きな交差点で信号待ちをしている時、黒人さんから写真撮っても良い?ときかれる。「私の写真?」と驚いた感じで答えると、そう、と言ってカメラを指差していた。もちろん、と答えて何枚か撮られる。ハーレムでチャリにまたがるアジア人、という構図だろうか?振り返ると確かに背景はニューヨークのそれで、黄昏時刻のトラフィックを背景に私が映った写真だった。貰えばよかった、あの直後からずっとそれを後悔している。この悔しさが胸に艶やかに残っていることそのものも楽しんでいる。
そうやって自転車を買った1日がいろんな感情を味わわせてくれて終わった。
翌日、day6 of NY life。この日はPublic Libraryで仕事やいろんな片付けをすることにした。もちろん自転車でBryant Parkに向かう。走り出して間も無く、タイヤが���む。昨日は必死に漕いで帰って気にしなかったけれどまぁまぁ凹んでいた。でも今朝になって一段と凹んだ気がする。気分も凹んでくる。やっぱり咬まされたか〜。これ以上ない安物買いの銭失い過ぎる〜と、大層気持ちの良いハドソン川沿いの自転車道を走りながら大汗かいて悲しみながらもただただ気持ちよくて、気分がごちゃ混ぜ。とりあえず図書館行って自転車屋調べて持っていこう、と漕いでいった。6日目になるまで一度もタイムズスクエアに行こうとよぎりもしなかったけれど、ガッツリ通過した。昨日も通過したけど中央道ではなかったので、今日は本当にガッツリ通過した。自転車で通過するくらいがちょうど良いのではないかなとか変な感想を抱いた。竹下通りを通る時のあの感覚だね。
まだまだ慣れない路駐という常識。ちなみにアパートの前に路駐して一晩明けたら鍵にガッツリ切ろうとした形跡が残っていた。怖過ぎるでしょ。一晩目なのにもう切り跡が!でも道路の至る所に自転車停めのポールがある。凄いよなぁ。日本には無いなぁ。というか日本は道が狭過ぎるか。とまぁポールに行こうと横着をして階段を数段、持ち上げないで自転車をガタガタと降ろしたら早速チェーンが外れた。横着な自分が嫌になりながら、仕方あるまいと手を汚す覚悟でチェーンを嵌めようとしたら、どうにもこうにもハマらない。これまでにない大きな自転車で、スタンドがなくて、基本的にオンボロで。格闘していたら、「Yo!」と黒人のお兄ちゃんがやってきて、あっさりと助けてくれた。通りかかったら何や大変そうじゃん、と思ってさ、ということだった。ありがとうが過ぎるっす!と固い握手をお互いチェーン触った汚れた手で交わして別れた。あったけぇなぁと思った。自転車じゃなかったら出会わなかった暖かな兄さんに出会えたのか、とか思いながらPublic Libraryに入っていってテンション爆上がりした。何じゃこりゃ。もう毎日ここで仕事しよう、そう思った。でもちょっと寒い、天井がやたらと高いので。明日から暖かいもの持って来よう。
調べた近所の自転車屋さんに持っていき、きっとチューブがダメだと思うんだ、と言ったら、そう?問題なさそうだけど?とちょっと強面なヒスパニック兄さんがシュパシュパと力強く空気を入れてくれて万事休す。 最高の気分で帰宅した。何と言ってもやはりセントラルパークの坂を駆け抜けるのは最高に気分がよくて、もうこのライドだけで80ドルの元は回収できたわ〜などという気分。
そしてday7、今日も今日とて図書館へ。と思いきや今度はチェーンが噛み合わない。経験したことのない噛み合わなさで、日本語ですら説明できない状況に陥った。図書館など行っている場合ではなく、昨日空気を入れてくれた自転車屋さんに駆け込んだ。昨日と同じ強面な兄さんは、これはお手上げだわ、ということでうちじゃなんもでき��ぇ、こっち行ってみて、と別店舗を案内してくれた。やっぱりダメだったか〜ポンコツ車、そんな気分で案内された別店舗に行ったら、なるほど本格的な自転車屋さんだった。置いてある備品全てなかなかの高級品がズラリ。やってくる客も結構ちゃんとしたロードバイクばかり。日本語でも説明できない状況を英語で話したってなんら伝わらない。タチの悪いことに、一見なんの問題もないのだ。でも漕ぐと、なぜかチェーンがハマらない。受付のお相撲さんみたいに大きなおじさんが、なんやこの子、言ってること分からん、って感じで立ち上がり、「マエストロォ!」と奥に向かって叫ぶ。ついてこいというのでついて行ったら、マエストロと呼ばれる髪の毛はペっっっとりとポマードで撫で付けられた小柄なおじさんがむしゃむしゃとサンドウィッチを食べているところだった。お相撲さんが私の言ったことをスペイン語で繰り返し、サンドウィッチを咀嚼しながらうむうむと頷いたマエストロは、「食い終わったら見るからちょい待て」と合図してくる。どうなることやら、という気持ちで、ゆっくり食べてくだされ、と言って店内物色。
一通り自転車を点検したマエストロは、何が問題なの?と。色々がたついているところ微調整したから乗ってきてみて、ということで、おそらく問題解決していないだろうと思いながらちょいと乗り回し、やはり解決していないので戻った。熱心に台に乗せて再度チェックしていたマエストロは、「一体何年乗っているんだね?この自転車は」と聞いてきたので、「んー、1日」とつまらんジョークのような返事になった。「一昨日見知らぬ男から買ったんだ」「いくらで?」「80ドル」「80ドルか」 マエストロの目から見て80ドルが高いのか安いのかは分からなかったけど、マエストロは私が貧乏人であることはちゃんと分かったのだと思う。 ここもここもあれもこれも、もう変えなきゃダメなんだよね、ルーズなんだ全部、そう言う。「ルーズ?」「ルーズ、緩んでいるんだよ全部」「あぁlooseね」まぁ驚かないね。「でも全部変えたら、もうすごい値段になっちまう」「だろうねぇ」いくらになる?とは聞かないし、マエストロもいくらくらい、なんてことは言ってこない。10年以上ロードバイクに乗っているからよーく分かる。備品ひとつ変えるだけだって偉い出費なのに、この為替で、そんなに何箇所も変えるなんてできっこない。「どうにもならんかねぇ」と言っても仕方のないコメントをした。
良いなぁ、と思ったのは、日本の自転車屋さんだったらこんなオンボロ車鼻から相手にしてくれない状況で、マエストロはしっかり向き合ってくれていると言うこと。良いなぁ、と思った。日本だったら、こんなにまで古くなる前にオーバーホールか買い替え、とすぐ言われちゃう。だから、無理に交換を進めてくるわけでもなく、油差したりネジ締めたり調整してくれる姿が良いなと思った。 「よし、ちょっと俺に試させてくれ。どうにかならんか試してくる。」マエストはそう言って���自転車を持って消えた。と言うか道路に出て漕いでどこかに行った。しばらく帰ってこなかった。その間にも立派な自転車を持ち込んでくる今にでもレースに出れそうなガチな格好の男たちがよく店にきた。マエストロは忙しいだろうに、こんなオンボロ車に時間使ってくれて〜と言う気持ち。 戻ってきたマエストロが吉報を告げる。「この段とこの段のギアチェンジはするな。こことここはまだ使える。でもこっちの段にしちゃううと飛んじゃってダメだ。分かったか?この段とこの段だ」と。 アンティーク車のギアチェンジは怖すぎてしてこなかった。1回でも試みて2度と戻らないなんてことが容易に想像できたので、ギアは触ってこなかった。マエストロは前後の全段試してきてくれたという。ありがとうマエストロ!!! まだなんとか乗れそうで、とってもありがたい。結局たったの8ドルと言うお会計だった。
良いなぁ良いなぁ、と言う気分でこの日は走った。こんなオンボロ車でもまだ乗れる策を考え出してくれる、自転車屋さん自体が。そんな自転車カルチャーがとても良いなぁと思いながら、まだ2日しか付き合っていないのに早くも愛着が湧き出していることに気がついた。
翌朝アパートのエレベーターから自転車を出すところを手助けしてくれたお父さんが、「なんだってそんな大きな自転車乗っているんだい?世の中にはもっと小さくて良い自転車がたくさんあるよ!俺は自転車屋で働いているんだ。」と話しかけてきた。良いの良いの、あたいはとりあえずこいつで良いのです。
マエストロに見てもらってからはなんの問題もない。問題ないどころか、コーニーアイランドにも行ったし、フェリーにも乗った。買い出しもピクニックもカフェも本屋も、それからイーストに住んでいる友達の家にも、全部全部自転車で走り回っている。もう地図を確かめることも無くなった。片道20km超えのブッシュウィックまでも、マンハッタン中を走り続けてブルックリンブリッジ渡って漕いで行った。自転車のないNY生活はやっぱり全然考えられないし自転車だから出会えたあれこれが全部楽しい。嬉しい。

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#8 イズミルガイド
こんにちは、カサダニアンです。
エフェソス遺跡はいかがでしたか。
古代遺跡の次はエーゲ海に面するイズミルへ向かいましょう。
この記事では、イズミルについて紹介します。
〇セルチュク駅
セルチュク駅からはイズミルへは電車で向かいます。
Selcuk駅からTepeköy駅で乗り換え、Hilai駅まで電車で向かいます。
Hilal駅で地下鉄に乗り換え、Konak駅に着くと目の前はコナック広場です。
【電車】
▲写真の左側が国鉄、右がIZBANです。実際は手前が国鉄、奥がIZBANです。
Izbanの方が国鉄よりも本数が多くて便利ですが、途中Tepeköyで乗換をする必要があります。
Tepeköyからセルチュクまでは電車の本数が少ないので乗継時間を確認しておくと安心です。
〇コナック広場
辺に広がるコナック広場にはイズミルのランドマークの時計塔があり、広場の隅にはコナックモスクという小さな可愛らしいモスクがあります。
広場周辺には様々な雑貨を取り扱う土産物店が集まっているケメルアルトゥと呼ばれる一角やお洒落なレストランやカフェが並んでいる海沿いの通りがあります。
イズミル観光の拠点として観光客や買い物や食事を楽しむ地元の人々でいつも賑わっています。
時計塔はイズミルの中心地コナック広場にあり、町のシンボルになっています。
時計塔は1901年にオスマン帝国第34代皇帝アブドゥルハミト2世の即位25年を記念して、イズミル出身のフランス人建築家Raymond Charles Pereによって建設されました。高さは25mで、塔の時計はドイツ皇帝ウィルヘルム2世から贈られたものです。
この時計は1974年のイズミル地震で塔が破損してから修復されるまでの2年間は地震が発生した時間の2:04で止まったままでしたが、その後はずっと時を刻み続けています。
〇ケメルアルトゥ(バザール)
ケメルアルトゥはコナック広場からアゴラ遺跡方面へ広がる古き良き活気ある下町の雰囲気が味わえる巨大なバザールです。
17世紀から始まったこのバザールは、観光客はもちろん、地元の人々も行き交う活気ある場所です。
雑貨や宝石などのお土産品から衣類などの日用品、
ナッツやドライフルーツにトルコ菓子、野菜や肉、魚など生鮮食品のお店も多く並んでいます。
〇アサンソル
「アサンソル」はトルコ語で「エレベーター」を意味します。
イズミルは坂が多い町のため、急な坂道を楽に行き来できるよう1907年にユダヤ人実業家の男性ネスィム・レヴィにより建てられました。
岸にあるミトゥハトパシャ通りと高台の上のシェヒット・ニハットベイ通りを結んでいます。
完成当時は蒸気で動いていたそうですが、現在は市が経営し電動で動かされ市民の足となっています。
最上部はイズミルを一望できる絶景スポットです。
〇聖ポリカルプ教会
聖ポリカルプ教会は、トルコのイズミル近代都市であるスミルナのキリスト教司教聖であるポリカルプに捧げるため、彼の弟子が2世紀に建立したものです。
数ある世界中の教会の中でも最古の教会に属します。
また、ヨハネの黙示録に記載されている7つの教会の内の一つです。
現在ある建物は1690年に再建されたものとなっています。
フランス人建築家によって、教会内の壁画が修復されました。
現在の聖ポリカルプ教会はカトリック派の日常の礼拝や信者の巡礼地として使用されています。
〇ヒサールモスク
ヒサールモスクは、イズミルで最大かつ最古のモスクとして有名です。
イズミルの中心部に位置し、連日多くの観光客が訪れます。
16世紀に建てられましたが、19世紀に修復され現在の姿になりました。建物内は細かな内装が随所に施されていて、厳かな中にも華やかな雰囲気です。
特に見応えがあるのがミムベールと呼ばれる演壇やミヒラブと呼ばれる祭壇で、細かく作りこまれた美しさは一見の価値があります。
〇イズミル空港(ホテル)
イズミル空港までは地下鉄と電車を乗り継いで向かいましょう。
Adnanmenderes Havaalanı駅が空港の目の前になります。
【電車】
ホテルに着いたら、明日のオンラインチェックインを済ませておいてください。
以上、イズミルの見どころまとめでした。
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日曜オフ日 朝から次男坊の高校の演奏会へ 日曜ぐらい のんびりしたらよいのに お店の改装のつづきがしたくてウズウズが止まらない。 2時から5時までのわずか3時間でしたが 青い壁にガチャ棚設置に店に来てしまいました。 私は自分のこの台所土間の空間が好きで 何かしら改善したくてザワザワしているのです。 棚板に使った木は 産巣日の古民家に最初から残っていた 古い本棚です。 木の杭だけで組み立てられた 昔ながらの本棚なので解体して 棚板に使ってみました。 ジョイント部はカットしなかったので また元の本棚に戻すこともできます。 今あるものを 出来るだけ使おう。 できるだけ 元の形を活かしてみよう。 来週からは いよいよ間仕切りに入ります。 日曜日しかリノベーションできないので なかなか亀の歩みになりますが 楽しみにしてくださいね。 みちを #ままめぞん #交野 #古民家カフェ #セルフリノベーション #青い壁 #高い天井 #台所土間 #おくどさん #改装計画 (大阪交野古民家のてぬぐい屋カフェ まま・めぞん) https://www.instagram.com/p/B8V_J4SlKdB/?igshid=17e2b0w7v3jmn
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めまぐるしく

(最近、教えてもらった古民家カフェ)
今日はプログラミング教室がありました!
講師のTくんがとてもハキハキしてて
しかも話が面白いです😁
最終的に自分でwebページを作るのが
課題だそうです。
何を作ろうかな〜🤔
コーヒーとカフェのサイトとかいいな😁
まあ、神さまの計画がなんかあるでしょう〜
今月は勉強に使っていたところが
閉まってしまうので
新しい場所を探さなければ💦
御心の場所に行けますように🙌
なんだかいろんなことが
変わっているのを感じます。
落ち着くのはいつ頃なんだろう……
まだまだ序の口だったりして😂
2021.11.17
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フィリップ・ドゥ・ショーヴロン監督『最高の花婿 アンコール』
原題:Qu'est-ce qu'on a encore fait au Bon Dieu ? 制作:フランス, 2019年.
フランスに悪態を突き、異文化どうしが非難し合いながら、最後には全員がフランス愛に至るコメディ映画。多国籍な花婿たちの言葉の応酬と、義母の受け答えに大いに笑わされた。しかしそんな笑いからも、フランスならではの国の成り立ちが見える興味深い映画だった。
フランス嫌いの多国籍な婿たち
余生を迎えたヴェルヌイユ夫妻には4人の娘がいる。彼女らが選んだ結婚相手は、アラブ人弁護士、ユダヤ人実業家、中国人金融マン、コートジボワール人俳優の多様多国籍な婿たち。しかし、裕福に暮らすフランス人夫妻と娘たちとは裏腹に、婿たちはいつもフランス人とソリが合わない。
ユダヤ人の婿は兄弟に「ハラルニック」への投資を持ちかけるが、身内さえも信用しない。中国人の婿は、中国人は狙われるからと手裏剣を持ち歩く。アラブ人の婿は、コートを着れば爆弾犯扱いされると、コートの前ボタンを掛けない。おまけにコートジボワール人の婿の妹は結婚相手に女性を選ぶ。彼らにとってフランス社会は排外的だ。
婿たちもまたフランス社会を嫌っている。冴えないカフェの従業員、ひどい交通事情やTVドラマ。外国人を差別し、成功者を嫌う生粋のフランス人。頻発するストライキ、拡大する一方の貧富の差。そこへ覆いかぶさる税金や官僚主義・・・もうウンザリだと。そして、「フランスは坂道を転がり落ちている、中国は違う! アルジェリアも違う!」と叫び声を上げる。
フランス暮らしに愛想を尽かした4人の婿は、国外脱出を願うようになる。それぞれに、イスラエル、アルジェリア、上海、インドへの移住を企てた婿らは、アパートを売り払い、希望の地での仕事の段取りをはじめる。婿たちは互いの思惑を語り合い、「やっと平和がやってくる!」と有頂天に盛り上がる。
ヴェルヌイユ夫妻の作戦
そんな婿たちに義父は諦め顔だ。余生を地元の歴史家として過ごすつもりだった彼は、「仕方がない、引き止めることはできない」と、歴史書の執筆に没頭しようとする。そんな夫に妻が一念発起、移住阻止へと立ち上がる。彼女が思い立ったのは、彼らのフランスへの思いを丸ごと入れ替えることだった。
「解決策を思いついたわ!」 「婿たちを、フランス好きにするの!」
こうして老夫妻の花婿奪還作戦がはじまる。婿たちの心変わりを画策する二人は、男4人をフランス再発見のツアーに招待する。用意したのはTGVの1等席、ドイツ車並みの高級車(ルノー「エスパス」?)、田舎の古城、高級ワインに世界一の田舎の風景。どれも選りすぐりのフランスのお宝ばかりだ。ハンドルを握り助手席に座った夫妻は、ツアーガイドさながらにフランスを褒めちぎる。
「平原も山も海も全てある。ブラボォ!」 「そう、フランスは地獄を信ずる人が住む国よ。」 「クルマも家も鍵をかけたことがない。」
訪問先はどこも、夫妻が仕組んだ仕掛けだらけだ。事業家のユダヤ人の婿には、1ユーロで売りに出た工場の見学が用意されている。コートジボワール人の婿は、黒人将軍オセロの役を競うオーディションに遭遇する。案内担当の女性は、有色人種専属のキャスティング係という役回りだ。ためらう婿に義母は、「行って、カフェで待ってる」と背中を押す。
ワイナリーではガイドが「フランス女性は最高さ、昼もいいが夜もいい」と軽口を叩きながら、「フランスの真似をする外国勢は外敵だ。戦うには弁護士が必要だ」と、アラブ人の婿に仕事をほのめかす。間髪入れず「ワインはフランスの文化だ。守るには弁護士がいる。」とフォローする義父。計画に失敗は許されない。コートジボワール人の「オセロ」が不人気なら客席を買い取るという念の入り用だ。
フランスこそ我が祖国
贅を尽くした夫妻の奮闘が功を奏し、仕掛けは着々と婿たちの心を捉えていく。ユダヤ人の婿は工場を買い取り、コートジボワール人の婿はオーディションに合格する。家を売り払った中国人の婿は、「お前はチベットの活動家だ」とビザの発給を留められ海外脱出が阻まれる。活動家の証拠写真は、フォトショップによる義母のお手製だ。レズビアン の妹の結婚式もすんでのところで父親が駆けつけ、二人はめでたく結ばれる。
こうして、ヴェルヌイユ夫妻の婿奪還作戦は大成功に終わる。ツアーを終えた4人の花婿はフランスこそが祖国だと、義父への感謝の印にドゴール大統領の帽子をプレゼントする。義父は贈られた帽子を被って叫ぶ。
「愛国者と家長の務めを果たしただけだ。」 「フランス万歳!」
以上の経緯からわかるように、この映画には、6人(夫婦と4人の婿)もの主人公がいる。その溢れ返る口上で観る者を辟易させず、ユーモアあふれる94分の作品に仕立て上げたショーヴロン監督の力量は並みのものではない。どこかの国の「トモダチ」映画とは大違いだ。
日本と隔絶したフランスの国際結婚
それにしても、この映画に登場する家族は、日本の家族からは相当にかけ離れている。日本に四姉妹がいないわけではない。しかし、その娘たちが全員、国籍の異なる外国人を婿に持つというケースは稀だろう。娘や息子が外国人と結婚している例は、日本よりフランスの方が圧倒的に多いはずだ。
実際、フランス国立人口研究所(INED)によれば、2019年時点でフランス人の7人に1人が国際結婚をしている。 1)しかもこの10年、フランス人の国際結婚は増加傾向にある。一方、日本での人口動態調査によれば、2017年における婚姻総数は約70万件で、夫婦のどちらかが外国人の数は21,000件ほどとなっている。2) これは、2006年の約45,000組から5割以上も減少した上での数字だ。これらの統計を見ただけでも、フランスと日本では国際結婚の規模も傾向もまるで異なることがわかる。
しかし、その特異性がユーモアにつながっていると言いたわけではない。確かに「違い」や「間違い」は笑いを誘うが、この映画に描かれているポイントはもっと別なところにある。それは、ヴェルヌイユ夫妻を通じて描かれる4人の外国人が、フランス人へと変わっていくことだ。
おそらく日本人の多くは、娘と結婚した外国人の婿に、これほど強力に日本への帰属を求めないだろう。ましてや娘婿を相手に、自分には「愛国者と家長の務め」があると、日本人化を企てる親などいないはずだ。私自身が同じ立場でもきっとそうだ。「君は〇〇人らしくあっていい。でも、少しは日本のやり方に従ってね。」というのが関の山だろう。
花婿奪還作戦に込めたフランスの国家観
映画を見終えて、あらためてエマニュエル・トッドが示した家族類型を調べてみた。3) トッドはフランスの家族形態を、平等主義核家族に分類している。その特徴は、兄弟が平等に扱われるというものだ。確かに映画でも4人の娘は対等に扱われている。さらに、4人の婿のなかに中心的な役回りをする者もいない。
平等主義核家族にはもうひとつの特徴がある。それは、平等主義核家族は文化の違いを超えて統合する方向に向かうというものだ。この点についてフランス文学者の鹿島茂氏は、『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』4)のなかで次のように述べている。
「現在、フランスではイスラム系の住民は遺物扱いされて、社会問題になっていますが、しかし、平等主義核家族は最終的に統合の方向に働きますから、イスラム移民でも第三世代、第四世代となるに従って全員フランス人となっていくことでしょう。というわけで、将来においてフランスでは移民問題は深化しないというのがトッドの予測ですし、私もそう思います。」(p.208)
映画に描かれた「花婿奪還作戦」は、ここでいう「全員フランス人になっていく」そのものだ。そうであれば、4人の婿をフランス好きに変えた義父が「愛国者と家長の務めを果たした」と叫ぶのも納得できる。トッドの指摘に従えば、夫婦が行ったことはまさに、フランスの家族形態の規範的行為であり、フランスがフランスであり続けるための役務だからだ。
ショーヴロン監督が『最高の花婿 アンコール』で描いてみせたのは、結局のところ、フランスを支える国家観そのものだと言っていい。国家の生き方はとかく硬く猛々しく描かれがちだ。その難物を、本質を歪めずコメディで描いた本作は、フランスが深く成熟した文化を備えていることの証でもあるのだろう。
1)フランス国立人口研究所 "How many mixed marriages are there in France?" 2019.
2)データの時間「データで見る国際結婚の動向。日本初の国際結婚はいつ?そして国際結婚の闇に見え隠れする人権問題とは?」2020.
3)エマニュエル・トッド『世界の多様性』藤原書店, 2008.
4)鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』ベスト新書, 2017.
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(栗原康『サボる哲学――労働の未来から逃避せよ』)
[...]もうすこし掘り下げてみよう。こうしたことを考えるのに、いつも参考になると思っているのが人類学者のティム・インゴルド『ラインズ』だ。かれは人間の移動には二つのタイプがあるといっている。
1)輸送 2)徒歩旅行
わかりやすい。まず「輸送」の特徴はその目的指向性にある。経済をまわすという目的だ。運搬するヒトやモノがダメにならないように、できるかぎり速やかに目的地まで移動する。だいじなのはスピードと効率性。風景も気候も音も匂いも関係ない。陸でも海でも、はじめから抽象的な地図が設計されていて、その最適ルートをわたっていく。これが文明の、資本主義の要だといってもいいだろうか。だからこそ、権力者は「輸送」を阻むものたちに一切容赦しない。ヒョッコリハンよろしく道路の秩序をおびやかすものがいれば即逮捕だし、空港建設に反対する者がいれば徹底的にたたき潰されるのだ。 もうひとつの「徒歩旅行」とは「生活の道に沿って成長する」ことだ。インゴルドによれば、それをもっともよく体現しているのが狩猟採集民だという。かれらが森にはいるとき、はじめから地図なんて存在しない。どの方角にいくのかはわからない。予測不可能だ。どこに果実があるのか木の実があるのか幼虫がいるのか、森に入るまでわからない。でもなにもないわけではない。道標はある。そのつど注意深く森を歩きながら、どこにいいものがあって、どこになかったのかその足跡をのこすのだ。次にきたときはその痕跡をたどって、またあたらしい足跡をのこしていく。
[...]わたしはきたろうに出会うまで、この与野で「輸送」の世界に支配されていた。あるのは道路。コンビニにいくため、スーパーにいくため、駅にいくため。どれも経済のため、消費のため、労働のためだ。深夜、アパートの駐車場でタバコを吸っていたら、それだけで不審者あつかい。アパートの掲示板に「通報します」との張り紙をはられ、なにかわるいことをしたかのように思わされる。それもこれも「輸送」のせいだ。わたしがたっているこの場所はすべて物流のために、ヒトやモノを迅速に運ぶために設計されたものだ。なのに、そこでムダにダラダラとタバコを吸っているのがおかしいのだ。駐車場の秩序をみだす「犯罪者」。とりしまりだ。
❁
(パティ・スミス(管啓次郎・訳)『Mトレイン』)
私は母のポットでコーヒーを淹れて、台所のスクリーンドアのそばのカードテーブルにすわり、書いた。灯りのスイッチの隣に、アルベール・カミュの写真がある。若きボガードといった感じで厚手のコートを着て煙草をくわえている有名な写真で、私の息子ジャクソンが作った粘土の額縁に入れてある。緑色の釉薬がかけてあり、内側の縁には攻撃的なロボットの開いた口のように尖った歯が並んでいる。額にはガラスが入っていなくて、写真は年とともに色褪せていた。この顔を毎日見ていた息子は、カミュというのは遠くに住んでいる伯父さんなのだと思いこんでしまった。私は、書きながら、ときどき彼を見上げることがあった。私は旅をしない旅人について書いた。私は一枚のお皿の上のふたつの目のイメージによって象徴される、聖ルーシーの名をもった、逃亡中の女の子について書いた。卵ふたつの目玉焼きを作るたびに、私は彼女のことを考えた。 私たちはセントクレア湖に注ぎこむ運河沿いの、古い石造りのカントリーハウスに住んでいた。歩いて行けるカフェはなかった。たったひとつの息抜きは、セブンイレブンのコーヒー機。土曜日の朝になると私は早起きして、セブンイレブンまで4分の1マイル歩き、ブラックコーヒーのラージとグレイズドのドーナツひとつ買った。それから釣り具屋、といっても簡単な、色の抜けたセメント造りの小屋の裏の駐車場で立ち止まるのだった。私にはここはタンジェのように見えた。タンジェに行ったことはないけれど。低い白い塀に囲まれた区画の隅っこの地面にすわり、現実の時間をやりすごしなから、過去と現在をつなぐスムースな橋を気ままにうろついた。私のモロッコだ。私はどれでも好きな列車を追っていった。書くことなく書いていた――精霊たち、ハスラーたち、神秘的な旅人たち、私の放浪生活(バガボンディア)について。それからみちたりた幸福な気持ちで歩いて家に戻り、日々のやるべきことを再開するのだ。少なくともタンジェに実際に行ってきた現在でも、あの釣り具屋の裏手の私の場所こそ、記憶の中では本当のモロッコのように思える。
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2020.12.5sat_kyoto
3:40 今日は寝坊ができない日。
目覚ましを3時50分にセットして布団に入ると、心地よい熟睡感とともに暗闇の中で目が覚めた。目覚ましはまだ鳴っていない。
「いま何時だろう?」
すでに目覚ましは鳴っていて、気づかなかっただけなのか? 少し不安になって起き上がった。
時計に目をやると時計の針は3時40分。 3時間半ほどしか寝ていないのに、スッキリと頭が冴えている。 寝坊ができない緊張感からか、予定よりも早く目覚めてしまったみたいだ。笑
今日は、いま携わっている「かめおか霧の芸術祭」の動画撮影の日。
「かめおか霧の芸術祭」とは京都府亀岡市が行っている芸術祭なのだけど、他都市が行っているような芸術祭とは少し趣が違っていて、著名な芸術家を招いたり、象徴的なアート作品やオブジェを展示したり、いわゆる『芸術祭』と言われてイメージするようなことはあまりしていなかったりする。
どちらかというと日常生活の中に見え隠れする「生きる術」だったり「豊かに暮らす智慧」だったり、“生命を一層輝かせる技術や智慧”を芸術と呼んで表現するようなそんな芸術祭だ。
言葉にすると分かりにくいし、掴みどころのないように感じられるこの芸術祭が、いま全国から注目を集め始めている。
今年の7月には、「かめおか霧の芸術祭 × X(かけるエックス)」と題した政策が、内閣府から「SDGs未来都市」+「自治体SDGsモデル事業」に選ばれて、芸術祭をハブとした持続可能なまちづくりも始まっている。
今日はそんな「かめおか霧の芸術祭 × SDGs」企画として行う、“市民によるてつがく対話”の撮影日。きっと何かが起きそうなワクワク感もあって、早く起きてしまったんだと思う。
6:00 主要スタッフは朝6時にキリカフェ(芸術祭の拠点となる古民家カフェ)に集合。映像チームは前日からキリカフェに泊まり込みで準備をしてくれていた。
早朝からまかないでおにぎりとお味噌汁をいただき、皆の英気が高まってくる。
7:30 今日の最初の撮影現場に到着。場所は亀岡市稗田野町にある千手寺。
目の前には雄大な「雲海」が広がる。
亀岡では寒暖差が大きくなる秋〜冬にかけて「霧」が発生する日が多くなる。こうした霧の日には、例えば小高い山などに上がると雲海が見渡せる。この千手寺も雲海が望めることで知られる場所。この秋冬の亀岡を象徴する「雲海」をバックに、本日最初の“てつがく対話”が行われた。
13:00 再びキリカフェへと戻り、撮影場所をキリカフェ横の森の中へと移す。ここで本日2つめのシーン撮り。小学生、大学生、50代、60代と世代を超えて語り合う。例えば「どうして男の人と女の人の体は違うの?」という小学生の問いにそれぞれが思い感じる答えを出し合いながら対話を深めていく。答えはなくてもいい。自分も考えるし、他の人の考えにも耳を傾ける。そうすることで新しい発見があるかもしれないし、他の人と自分の違いに気がつくかもしれない。そこで初めて他の人の考えを受け入れる多様性が生まれたりする。
15:00 続いては亀岡市の桂川市長も加わり、3つめの対話が始まった。「どうして人間はもっともっと欲しがるのか?」「どうして人は自然を美しいと感じるのか?」「人はどうして感情をいだくのか?」など、さまざまな問いが生まれていた。最後は焚き火を囲み、20代〜60代まで幅広い世代が語り合う夜の対話シーン。
23:00 撮影と片付けも終わり無事に帰宅し、長い1日がようやく終わりを告げた。
今回行ったのは、市民が職業や立場を超えて話し合う“てつがく対話”というものだったのだけれど、小学生も市長も女子大生も道の駅のおばちゃんも、みんなが1人の人間として、自分の思いや考えを出し合い語り合った。
うまく言葉には表せられないのだけれど、ここから新しい何かが生まれたような、始まったような、そんな感覚が胸の片隅にあるのを感じている。
-プロフィール- 持田博行(もちだひろゆき) 東京生まれ、京都在住 「自然に寄り添う暮らし」をテーマに活動中。アースコンシャス代表、アースデイin京都主宰、かめおか霧の芸術祭プロジェクトマネージャー、鹿谷ワンダービレッジ運営責任者等。 @mochida__hiroyuki
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