#叶えたい理由を深く掘り下げてみる
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一日出勤してまた大型連休と、秀一は新しく引っ越してきたアパートの荷物整理をしていた。この四日間で終わらそうと段ボールに入ったものを確認しながら、
「果たして終わるだろうか?」
と、一度は取っておこうとしたものをゴミ袋に入れたりと骨折った。
秀一は、黒いカットソーにジーンズという格好で片付けをし、昼食は最寄りのコンビニで弁当を買って済ませた。ベランダの物干しには昨日着た白いワイシャツやビキニブリーフなどが風になびき、天気も良かった。嗚呼、こんな時は近くのT天満宮にでもお詣りを兼ねて周辺を散策したいなァと、内心は思いつつ、未だ解体していない段ボールを見ると溜息をついた。
部屋は「二LDK」だった。つまり、八畳の洋室が二室、その一室に隣接する様に台所があり、トイレと浴室は別である。ようやく寝室として使う部屋が片付き、彼はストレッチをしようとベランダに出た。すると、フェンス越しに何処かで見たことがある青年だなと、彼は声をかけた。相手も、嗚呼、益子先生だなと気付いて振り向いた。黄色いTシャツに、長袖の青が主のマドラスチェックのシャツを羽織り、ベージュのチノパンツを穿いていた彼は、翔だった。彼は何故か洗濯物の方に視線が向き、白いビキニブリーフを見るとこう言った。
「先生、ブリーフなンすね」
秀一は何故そっちに目が向くンだよとツッコミを入れたくなったが、敢えて聞き流したのを装い、
「何、散歩?」
と聞いた。
「はい、ちょっと買い物でも行こうかと思って」
「ちょうど引っ越しの合間で休んでいたンだけど、上がる?」
「え、イイんですか?」
「コーヒー淹れてあげるよ」
翔は上がり框で靴を脱ぎながら、教壇から見て一番奥の右側に座っていたのによく顔を憶えたな、��怖くなった。これまで塾の講師に横恋慕はしたが叶わなかったこと以外は、一度も父親を除く男にはほぼ関わりがなかった彼にとって、秀一の部屋に入ることにドキドキ���ていた。昨日、初めての射精を経験したのに股間が熱くなるのを感じた。嗚呼、あのブリーフでオ◯ニーしたい…。秀一がペーパーフィルターをドリッパーにセットしている間、彼はその後ろ姿を見詰めながら、カットソーからうっすらと浮き出ているタンクトップの線に男らしさを感じていた。どんなスポーツをやっていたのだろう?と、彼は思った。
マグカップにコーヒーを淹れて秀一がテーブルに置くと、彼は自分のものを口に付けた。彼は聞いた。
「確か、一年二組にいたよね?」
「はい、諸井翔と言います」
「ふ〜ん、今時の名前だね」
「父が『薫』って言うンです」
「お父さんは何やってるの?」
「システムエンジニアです。海外出張が多くて…」
「じゃあ、大変だね〜」
翔の父親は、今はインドの方に長期滞在している様だった。三ヶ月に一度は帰って来るが、一週間以内にはすぐ戻ってしまう。ずっと父親がいない日々を送っていたからか、思春期の頃に色々話したいことはあったができずにいた。たまたま話す機会があっても、
「お母さんに話しなさい」
と応じてくれなかった。
彼は、母親がいない時には父親のクローゼットを開けては背広やトランクスなどの「匂い」を嗅ぎ、淋しさを紛らわせていた。未だ性衝動が起きない頃である。ともかく男のいない周辺がつまらなかった。小、中学生の時は女性の教師がずっと担任だったし、優しい言葉かけもあまりなかった。色々と昔を振り返りながら、彼は秀一と話をし、次第に好意を持つ様になっていた。オレに何故、こんなにも優しいのだろうと。翔は、
「早くゴールデンウィーク、終わらないかなァ…」
と言った。
「早く皆と仲良くしたいよ」
「先生も、寮の宿直、やるンでしょ?」
「うん、するしかないよねぇ〜」
すっかり二人は打ち解けた様だった。
昨夜、「別荘」で一夜を過ごした貢は朝食を作って亮司と一緒に食べた後、K高校と単科大学の間にある自宅に戻って行った。一応、養子に迎えた甥の夫婦と同居しているのだが、孫と一緒に出掛ける約束をしていると亮司に話した。彼は、
「親父は『バイ』だったけどオレは『ゲイ』だから」
と話した。世間体で結婚はしたが「インポテンツ」を理由に子作りが��きなかったと、女房には話していると言った。亮司は、
「全然『インポテンツ』じゃねぇだろうよ!? オレのケツの穴、バッコンバッコン掘ってたじゃん!」
と言った。
「そんな下品な言い方すンなよ!」
と、流石にオレにもデリカシーはあるンだと、貢は口調を強くした。それでも別れる時には接吻を求め、
「今のオレには亮ちゃんが必要なンだ」
と怒っている様子はなかった。
再び一人になった亮司は、休みだが刈払いでもやるかと作業服に着替え、麦茶を淹れた水筒を片手に土手の方へ歩いて行く。未だ五月になったばかりなのに長袖では日差しが強く、少し動くと汗ばむ陽気だった。グランドではサッカー部が練習に励み、陸上部もトラックを走っていた。嗚呼、懐かしい風景だなと亮司は思った。彼は、トラックを走る一人の生徒を秀一と重ねた。
当時、都立A高校に赴任していた亮司は、その年の四月に秀一と出会った。中学校の頃から陸上部に所属し、総体でも優秀な成績を残していたが母子家庭だった彼は所謂「鍵っ子」だった。姉がいたが大学へは行かずに看護師をしていた。入部して早々、
「先生。オレ、頑張ります」
と誓った。もしかしたらあの頃から彼はオレを好いていたのかもと、亮司は振り返った。
まさか、その秀一がこの私立K高校に入職するとは…。できれば深々と帽子を被ってコソコソと仕事をするしかないなと、亮司は思った。あとは、昨日寝た翔にも「口止め」をしておく必要がある。彼は土手の刈払いをしながら、何とか秀一に知られずに済む方法を探っていた。
寮では、正美が自分の部屋でオ◯ニーをしていた。カーテンを閉め、密かに自宅から持って来た『薔薇族』のグラビアを眺めながら、スエットパンツの片方を脚に絡ませたまま、赤と青のラインが施されたセミビキニブリーフ越しに股間を弄っていた。すでにチ◯ポは硬くなり先走り汁も滴っていた。時折、包皮の先端から覗かせる口先を手指で「こねくり回し」ながら、
「あッ、あん、気持ちイイ…」
と漏らした。乳房も「勃ち」、次第に血の流れが激しくなっているのを実感していた。
正美は精通が遅かった。中学二年の終わり頃、たまたま更衣室で着替えていた男性教師の姿をドアの隙間からたまたま見え、興味を持って覗いてしまったのがきっかけだった。その教師は、当時は四十代前半で社会を教えていたが、剣道部の顧問をしていた。髪を七三分けにし、若干白髪もみられていた。正美の母親の幼馴染でもあり、たまに自宅にも来ていた。謂わば「近所のおじさん」でもあったが、この日ばかりは一人の男として見ていた。ジョギング型のチェック柄のトランクスから縦縞のビキニブリーフに穿き替える時に、シルエットではあったものの剥き出しになったチ◯ポが見え、ビキニブリーフを穿く時に一瞬持ち上がる様子に正美は興奮し、初めて性衝動を覚えたのだ。
実は、正美が同性に興味を持った要因がもう一つあった。母親と姉が、所謂「やおい系」の漫画が好きだったことである。時折、幼馴染であるその男性教師にも母親は見せていた様で、
「京子ちゃん、そんな漫画を正美君に見せるなよ。影響しちゃうから」
と注意していたのを密かに見ていた。正美の母は、
「たかが漫画でしょ? 絶対にないわよ。周ちゃんだって女の子のスカートめくり、再三してたでしょうよ。中学校の先生になったと聞いてびっくりしたわ」
その男性教師は、八坂周二と言った。八坂は、
「あれは、年頃の男の子なら誰にでも起こり得るンだよ」
と言った。
「あらあら、そうやって正当化するンだから…。まァ、正美が万一『ホモ』に目覚めてもアタシは構わないけどね〜」
その母親の言葉通りに、正美は同性に目覚めてしまったのだ。しかも、八坂という父親の次に身近だった男に対して。彼は、八坂が更衣室に入る時間を見計らっては覗き見、トイレの個室でオ◯ニーをした。
そんな日々に終止符を打つ出来事が起こった。いつもの様に正美が八坂の着替えている様子を覗いていた背後に、一人の女性教師が声をかけた。彼は慌ててその場から立ち去ったが、翌日になり八坂が呼び出したのだ。相談室に導かれた正美は血の気が引いた様子で、
「…先生! オ、オレ…先生が好きになっちゃったンです!」
と、いっそのこと「告って」しまった方がイイと思い、言った。その言葉に対し、八坂は両腕を組みながら困った表情を見せた。しばらく沈黙していたが、
「…正美君が好きなのは、おじさんではなくてオレの肉体だろ? 部活の時はトランクスじゃ袴付けた時に落ち着かないからビキニブリーフに取り替えてるだけだけど…。君の様な齢の男の子は肉体も変わっていくから興味を持つのは仕方ない。でも… 」
と言葉に詰まった。正美は嗚咽を上げながら、
「…だ、だって、おじさんのチ◯ポ見たら、何かドキドキしちゃって、アソコ勃っちゃったンだもん」
と本音を言った。八坂が溜息をついた。まさか、京子ちゃんに注意した言葉が現実になるとは…。彼は考え込んでしまった。オレには妻子もいるし、一度も男をそんな目で見たことがない。どうしたら良いかと、この日は結論を出せずに終わった。
次の日、八坂は正美が塾で遅くなるのを見計らって京子に話をしたいと、学校帰りに寄った。これまでの経緯を話したが、彼女は爆笑しながら言った。
「う、嘘でしょ!? 周ちゃんの何処が、正美が好きになったのよ? まァ、チ◯コは貞子さんにしか解らないだろうけど…そんなに��イもン持ってるの?」
「京子ちゃん! 笑いごとじゃねぇよ! オレ、困ってるンだよ! 正美君がオレの肉体に欲情してオ◯ニーしてるンだよ!? どうしたらイイんだよ!?」
「いっそのこと、抱いちゃったら?」
「バ、バカ言うな! オレは教師だぞ!? そんなことしたら…」
「だって、正美が周ちゃんを好きになっちゃったンでしょ? 応えてあげてよ〜。あぁ見えてあの子、意外と寂しがり���なのよ。旦那も連日仕事で忙しくて構ってあげられないしさァ…。大丈夫、教育委員会に告発することはしないよ」
「だ、抱くって…」
「いくらでもあるじゃない? 車の中とか」
コイツ、正気でそんなことを考えているのか? まァ、昔からズレてるところはあったけど…。八坂は深く溜息をついた。
色々考えた挙げ句、一度くらいだったらと八坂は授業の後に正美に声をかけた。ちょうど塾へ行く日ではなかったので了承し、学校が終わると人気のないところに停めた八坂の黒いセダンに乗った。車を走らせながら、とんでもない過ちを犯したらどうしようと不安になりながら八坂は山林の中にあるモーテルに向かった。
正美は、まさか八坂が所謂「ラヴホ」に連れて行くとは想像もしなかったが、部屋に入ると彼は家にあった「やおい系」の漫画の通りに、
「…おじさん、抱いて」
と接吻した。唇が重なると、自分の女房以外とは「キス」をしたことがなかった八坂は徐々に溶ける様な感触に理性が失せていくのを感じた。気付くと、正美をベッドの上で学生服を脱がしていた。彼もTシャツとトランクスだけになり、卑猥なテントの先端が先走り汁で濡れているのを認めた。オレもその気があったのか…!? そう疑いつつも勢いで、教え子で京子の子どもでもある正美の開いた内腿に下半身をうずめた。白地に黒くブランド名が施されたウエストゴムの、正美のセミビキニブリーフもいやらしいほどに真ん中が隆起していた。正美は、
「おじさん! 欲しい、欲しいの!」
と、離さじと八坂の背中に両腕を回しながら訴えた。
その後、無我夢中に肉体を弄んだ挙げ句、二人は絶頂に達した。八坂は、
「ま、正美君! おじさん、イクぞ!」
と、黄色い声を上げながら正美の身体に愛液をぶちまけた。これまで経験したことのないエクスタシーを感じた一方で、
『オレの人生は、終わった』
と呟いた。嗚呼、教師失格だと空虚感も込み上げてきた。一方、正美は八坂と自分の愛液にまみれた身体を見ながら、
「お、おじさん…。スゴい」
と至福の様子だった。これで良かったのか? 正美君があんなに喜んでいる。オレは彼を抱いて正解だったのか? 未だに萎えることのない肉棒を両手で覆いながら、
「正美君…。御免、御免よ…」
と罪責感の故に号泣した。
そんな、八坂にとっては情けないと悔やんだ情事だったが、正美は勉強に集中できる様になったと喜んだ。彼の母である京子も、八坂は一緒に寝たと自白はしておいたが、
「勉強を教えるよりセッ◯スする方が才能あるンじゃない?」
と高笑いされ、
「オレは教師だぞ!? 男娼じゃねぇよ!」
と突っ込んだが、定期的に正美と寝る様になった。その時ばかりは、時折部活動の時にしか穿かないビキニブリーフを選び、正美を欲情させた。いつしか「イク」時の切迫感が彼にはエクスタシーとなり、
「…ま、正美君。おじさんと気持ち良くなろう」
と、すっかりただの「エッチなおじさん」と化していた。
正美は、高校に入学してから、八坂も密かに『薔薇族』を愛読していたのを知った。道理で手慣れているなと、情事を重ねる度に疑ってはいたが…。彼は、八坂の接吻する時にタバコの「匂い」が漂う柔らかくて分厚い唇と、うっすらと胸元に生えた体毛、そして血管が脈々と浮き出る勃起したチ◯ポを思い出しながら、
「…おじさァ〜ん、もっと欲しいのォ〜」
と声を上げた。
オルガズムは、ブリーフの中に淫液を漏らした。生温かくねっとりとした感触が股間全体を覆い、正美は背徳感を覚えた。このシチュエーションも、実は八坂の性癖だった。受験シーズンが終わろうとしていた時に、執拗に彼自身も穿いていたトランクスに「中出し」をし、
「…お漏らししちゃった」
と赤面していたのだ。この頃にはすっかり正美を教え子でも幼馴染の子どもでもなく、自分の「慰めもの」の様になっていた。
「…セッ◯スしてぇ」
彼は、淫液で汚れたブリーフを脱いで洗面台のシンクで冷水に浸し、黄ばまない様に衣類用ハイターを加えながらシャワーを浴びに行った。
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雪白さんのバースデーイベントを夢で見ていた(初稿:2022年1月23日)
こんにちは、藤原です。本日は早めの投稿ですよ〜。なんでかって?遊んでるソシャゲでの担当祭りがやばいからですわよ!!こんなまとめて来ないでもいいじゃん!というくらい今あっちゃこっちゃで、やれ周年やら担当ガチャやら担当イベやらが忙しいです。でも、手を抜きたくないのでね。どれもこれも頑張りますよ〜!
さてさて、そんなわけで投稿が滞らないように準備してたうちの1本を投稿します。以前から話していた誕生日企画の投稿できていなかったやつですね。本日のターゲットはこちら!
雪白東さん、お誕生日おめでとうございます〜!あなたの家族になれたらと思ったときもあったけど、今はもうもっと素敵な家族がいますね。幸せでいてくれ。
A3!という役者育成ソシャゲの冬組という組み分けの中の役者のひとりです。涼やかな全身のスタイルと、何事にも動じない夜うのある大人な対応、前職の「添い寝やさん」の不思議さも相まって、なんだか浮世離れと世間離れした人物ですね。本編で彼のことが掘り下げられるのはだいぶ先ですが、ゲーム上では新生冬組第三回公演「真夜中の住人」にて彼にフォーカスが当たるストーリーが展開されますね。いやあ懐かしい。当時必死にイベント走ってましたよ〜。デッキも弱く辛かったな〜。イベントのフライヤーが商業BLと騒がれていたのも良い思い出です……。まあ、吸血鬼の題材も多いですからね。 ともかく、そのイベントストーリー内で明かされた、意外なほどに人に踏み込めなかったり、本心が読めなかったり、あやふやな言い方をしたりする原体験みたいなものが明らかになるんですけど。「やっぱり大人にもいろいろあるよね、弱みとか」という印象のイベントストーリーで個人的にはギャップを感じるしキャラクタの深掘りとして良いストーリーだったのでは?と思います。 そんな完璧じゃないけど大人然として見えちゃう東さんがバースデーイベントするならこんな感じで人生の奇跡辿ると良いんじゃないかな〜と思った妄想を書き記します。
Scarlet Lips(原曲:刀剣男士 team新撰組 with蜂須賀虎徹)
わかれうた(原曲:中島みゆき)
familie(原曲:Mrs.GREEN APPLE)
ダンスはうまく踊れない(原曲:石川セリ)
ノンフィクション(原曲:平井堅)
EN.けもの道(原曲:スピッツ)
心なしか懐メロ多めですけど、多めに見てほしいです。というか、東さんはアイドルではなくて役者さんなので、ストーリー性のある歌のほうがあってるんじゃないかな〜と思っていたら、2.5次元舞台からポップス、ロックまで入り混じる選曲になってしまいました。中の人の声質的には難しいそうなものもありますけど、東さん自体が雰囲気のある人でもあるので、その辺はうまくフォローできるんじゃないかなと思います。
本人の雰囲気に近い感じでいうと、1曲目と4曲目かなと思います。どっちも大人っぽいアダルティな感じ。特に1曲目は本領発揮!って感じでしょうね〜。妄想ですけど。艶っぽくよりジャジーでちょっとレビュー感もあり、合ってるんじゃないかな〜と思います。パブリックな本人のイメージにも近そうで、普通ならここで最高潮にもなりそうですけど、敢えての1曲目で。4曲目はどっちかというと、艶っぽい感じよりはどっちかっていうとちょっとメランコリーな感じ。ふわふわとしたゆったりめなメロディも相まって、ちょっと幼さも見えてアンバランスな魅力があるかなと。でもこの歌自体は過去の回想から��来への期待・希望に向かう内容なので、終盤へのステップ的にもよきかな〜。と思ってます。
2曲目は本人自体が持ってるなんとなくの寂しさみたいなものの表現といいますか。寂寞感みたいなものを雪白東に感じる人が多いと思うんですけど、その感じを表現するのはこういうアプローチかなとも思うんですよね。一ヶ所にも止まらないし留まれないといった流れる感じが後半への布石につながれば。 3曲目はちょっと酷かなとも思ったんですけど。彼の原体験のひとつの車の曲ですね。現実でも車のCMソングでしたが。それでもこの曲は全体通して家族の曲だと認識しているので、今の彼にぜひふさわしいのではと思うんです。家族、もしくはそれに類するものがちゃんとできた彼なら。過去の自分に見せたい景色も語れる想い出も向き合えることができるんじゃなかろうか。始まりも終わりも自分で決められる、そしてそれを否定されないあたたかい「帰っても良い」場所なんだよと思えた彼ならきっと、そんな幾ばくかの希望を込めた選曲で。
5曲目は新生冬組と分かり合う前の、もしくは心の奥底に眠る彼の願望じゃないかと思うんですが。こんなどうしようもなく叶わない願いが彼をより儚く見せていそうだと思うんですけど、これが東さんが相対した舞台を通して相手も同じ組のチームメイトも同じように思ってるんだよと気づいてほしいと思っちゃいます。贅沢な願いじゃないよって、思い上がりじゃないよって、誰か言ってあげて。彼自身がもともと役者志望でなかったことも相まって、生きてきた全てでこの曲に応える彼が見たい。 アンコールは盛り上がりそうなこの曲。盛り上がりそうだけど、比較的激しくないのも魅力的です。普段、感情(というか本心)が読みにくい彼ですけど、こういう風に感情を抱いていくんじゃないかなとも思いまして。でも1番の理由はここですね。「すべての意味を作り始める あまりに青い空の下」という部分。なんとなく彼に重なる気がして。きっと経験したことすべて、歩んできた道すべてに意味があるよと実感できる日がくることでしょう。
やっぱりこの曲のセレクトを語ると、誰目線なんだろうとか、どこに向けて伝えたい意見なんだろうかとか、いろいろ考えちゃいますね。無駄語りもきっと多いし、感情が重苦しいとも感じちゃいますけど。ずっと携帯にメモしていたし、Spotifyのプレイリストにずっと登録していて流れていたので、発表できてよかった〜!少しでも共感やキャラ解釈の補助の補助くらいになれれば幸いです。 最後にもう半年近く前ですが、雪白東さん、誕生日おめでとうございます。もうずっとお祝いできていなかったことが本当に心苦しかった。これで気持ちが少しでも伝われば。あなたの周りにあたたかい人がいつま���もいてくれますように。愛に溢れた日々を過ごしたあなたが、再び愛を舞台で返してくれる日を楽しみにしてます。
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横浜駅徒歩6分、海と都市を味わう免震タワーマンション「パークタワー横濱ポートサイド」の魅力とは
横浜駅から徒歩6分という圧倒的な立地にありながら、免震構造を採用し、海辺の開放感と都市機能を併せ持つ「パークタワー横濱ポートサイド」。この記事では、実際に住むことで得られる快適性や安心感、そして将来の資産価値について、複数の観点から掘り下げてご紹介します。横浜駅東口の再開発エリアに位置するこのタワーマンションが、なぜ多くの人に支持されるのか。その理由を知ることで、自分の理想の暮らしに一歩近づけるかもしれません。
都会の利便性と自然の調和が叶う立地
パークタワー横濱ポートサイドの立地は、まさに“都市と自然が交差する場所”です。徒歩圏内には横浜ベイクォーターやそごう横浜店といった大型商業施設が並び、生活に必要なすべてが揃います。一方で、川沿いの遊歩道やポートサイド公園、高島中央公園といった緑豊かなスポットも近く、休日には散歩やジョギングを楽しめます。
また、JRや東急、京急、相鉄、横浜市営地下鉄など、複数の路線が利用可能な横浜駅から徒歩6分という距離は、通勤・通学・買い物において大きなアドバンテージ。駅近でありながら騒音の少ないエリアに位置している点も、快適な暮らしを支える重要な要素です。
免震構造による「安心」と「静けさ」
大成建設が手掛けた「ハイブリッドTASS構法」による免震構造を採用している点も、パークタワー横濱ポートサイドの大きな��長です。この技術は、地盤と建物の間に免震装置を設けることで、地震の揺れを建物に直接伝えにくくし、被害を最小限に抑える構造です。特に高層マンションでは、地震による揺れの増幅が大きな問題となるため、免震構造がもたらす安心感は計り知れません。
さらに、窓には二重サッシを採用し、壁や床の遮音性にも優れているため、外の騒音はもちろん、隣接住戸や上下階からの生活音も気にならないという住民の声も多く聞かれます。
再開発エリアだからこそ期待できる資産価値
横浜駅東口周辺では再開発が進行中で、インフラ整備や歩道のバリアフリー化、商業施設の誘致などが計画的に進められています。これにより、エリア全体のブランド価値が上昇し、周辺物件の資産価値の底上げにもつながっています。再開発エリアに位置する物件は、中古市場でも評価されやすく、将来的な売却や賃貸時にも優位性を保ちやすいといえます。
また、パークタワー横濱ポートサイドのように、駅近かつ免震構造という希少性を持った物件は供給数が限られるため、今後も一定のニーズが見込まれるでしょう。
住民の声が物語る「本当の住み心地」
「夜でも静かで安心して眠れる」「在宅ワークでも集中できる」など、実際に住んでいる方からは高い評価の声が多く聞かれます。特に高層階からは、みなとみらいや横浜港を一望できる眺望が広がり、「毎日がホテル暮らしのよう」といった感想もあるほどです。
また、共用部のスカイラウンジやゲストルーム、パーティールームといった施設も充実しており、生活に潤いと利便性を加えています。来客時の対応や、日々の気分転換に活用��きるこうした設備は、タワーマンションならではの魅力といえるでしょう。
情報収集に役立つ外部サイトも活用を
物件を深く知るためには、信頼できる外部情報も欠かせません。下記のサイトでは、パークタワー横濱ポートサイドの過去の取引情報や管理体制、住民の声などが確認できます。
成約価格を知りたいなら「レインズマーケットインフォメーション」 https://www.reins.or.jp/
住民の口コミなら「マンションノート」 https://www.mansion-note.com/
再開発情報なら「横浜市 都市整備局」 https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/
まとめ
パークタワー横濱ポートサイドは、横浜駅徒歩6分という好立地に加え、再開発エリアに位���する資産性の高い免震タワーマンションです。都市の利便性と自然の潤いを同時に味わえる点や、住民からの高い評価も、その魅力を裏付けるものとなっています。
「都心の便利さと、静かで安心できる暮らしを両立したい」「��来の資産価値もしっかり考えたい」そんな方にこそ、検討いただきたい物件です。
詳細情報・販売状況については、以下のリンクをご確認ください。
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君が示すもの
メタファー、とうとうクリアしました!裏ボスに挑みたいので二周目確定になり、一個別ゲーを挟んだらやりたい……と思う通り、百時間たっぷり使って楽しみ切る、良いゲームでした。
当初二十時間くらいは、「普通だな……???」だったんですが、だいぶ肩慣らしされた中盤以降からが一挙に面白くなってゆくので報われた心地です。
何を見ても何かを思い出す、とはヘミングウェイですが、本ゲームは何を見てもアトラスという会社が生み出した一連のゲームを思い起こさせ、同時に『メタファー(暗喩)』というゲームの本質に思いを馳せさせる作品です。アトラス〜〜〜35周年、おめでとう!!!
*以下は感想です。ネタバレ部分は最後の予告後に書いています。
世界観は世界樹とペルソナの融合、価値観はメガテンシリーズ、キャラクターたちもひょっとしてルーツは過去作品の??と思いを馳せさせてくれるので、終始ワクワクしていました。
と、同時に少し不安もありました。そもそも『Metaphor』(暗喩/隠喩)がタイトルに冠されている時点で、表面的に物語をなぞるものではないことが示されています。隠喩ありきの物語とは、独立した物語になり得るのか?
表面的な暗喩をなぞれば、現代社会が抱える問題点(富の集中、差別、腐敗などなど)を描いた御伽話に見えます。当初は「そうだね、よくあるね……」という王道ファンタジーをただ歩んでゆくものでした。呪われた王子様を救い、王様にし、王国を救う!やるだけ不安になってくるじゃないか……!
しかも冒頭部分はトンチキシュールコメディと、グロテスクブラックジョークのオンパレードなのでひょっとして社会風刺なのか?という不安も滲み出てきた。どういうことなんだ?街の作り込みが良い、戦闘システムも良い、音楽も良ければビジュアルも良い、だがここに物語はあるんだろうか?
隠喩としては、例えば
・王様になるためには、『国民が一番支持した人間』というランキングをのしあがる必要がある=民主政治の善悪
・他宗教の排除と権力掌握を狙う一神教vs.力こそ全ての思考=メガテンEDのロウvs.カオス
・ニンゲンなどの造形=ヒエロニムス・ボスの宗教絵画
・主人公が持っている本の幻想小説世界=��レイヤーの現実世界
などが顕著に押し出されていて、アトラス節だな……を感じてはいました。
ゲームの当初、主人公は何者でもなく、ただミッションをこなすことだけが目的の人間で、与えられたミッション含めた行動の全てが他者によって定められています。ゴールさえも明確で、ここまでおさだまりで良いのか!?と危ぶまれたのですが……
主人公が『自分の物語を進めてゆく主人公』になったことで全てが変わりました。
どうして他人の夢を叶えるのか、必死にならなければならないのか、一緒にいる仲間たちと虚妄を抱くことに意味はあるのか、ずっと不安のタネになっていたことを自分で解決できるようになる、だけでなくその理由もこれまでの伏線も全てが繋がります。
このゲーム、やってて良かったな、最初のポイントでした。長い。ここまでくるのが個人的には長い。でも良かったし、当たり前のようですが仲良くなるキャラはどれも良し悪しあって味わい深い。(意地悪を言えば善性が強いので心配ではある)
背景が違う”個人”が手と手を取り合って”集団”として、より良い希望を掲げて叶えてゆこう、理想郷を追い求めていこう、というスローガンは薄っぺらく聞こえがちであるところを、仲間たちとコミュニケーションを深めてゆくことで実感を持たせていくところも良い。旅ってこういうものであってほしい。知らないものを知って、一緒に楽しんで、驚いて、怖いことを乗り越えて冒険して欲しい。それを主体的に楽しめるようになった瞬間、このゲームの世界はぐんと広がります。
ずっと隠喩されるものの影ばかり追いかけてきて、物語そのものが見えなくなりかけた頃、物語の方から顔を出してくる。そんな構造が好きでした。このゲームやってて良かったな、それを最後の最後まで噛み締めてゆけます。そして幻想を超えてゆくとは何か、が身に染みる。いい作品でした。
以下はネタバレありの感想です。
***ネタバレ有りの感想
エトルリア!!!!!!失われた古代王国〜〜〜含めて各地のモチーフに現実世界がちらついているのが好き。世界樹の迷宮シリーズをずっと遊んできたので、凱旋車含めてめちゃくちゃ嬉しくてテンションが上がりました。ありがとう……主人公の最初の友達が妖精になりがちなメガテンを踏襲してくれたのも嬉しい。
各人が己と向き合って能力を引き出す瞬間、ちょっとだけモーションがダサいな……と思わないでもないですが、ベタでいいじゃないか!というかっこよさがある。キャラクター造形がまた良いんだ……。
キャラクターといえば、造形と人間性で一番好きなのはバジリオですが、最後にトドメを刺したのはモアでした。もう疲れ切った大人であることと、小説を書いているせいで妙に共感する部分が辛い〜〜し、最後の方の畳み掛けは胸熱ですよ……��こまで一緒に頑張ってきて良かった。ガリカと同じくらい長く一緒にいて、思想としてはそれより前からずっと一緒にいたのだから、繋がりが重たいのも当然なんだ……途中からモアの正体について考察していたこともあり、ドンピシャだったので泣きました。好きだ……ハイヒールなのも良い。顔が歪んだ絶望からの救ってゆく過程にカタルシスがあるよ〜〜〜ありがとう。
メタファーは、ゲームのために用意された物語であり、物語世界の中の物語でもあります。プレイヤーが遊ばなければ始まらず、終わることもできない”物語”という”幻想”に如何に存在意義を、重みを持たせられるのかという挑戦を最後に感じることもできたのは幸せでした。
そして、このゲームはエンディングを迎えた時点が本当の世界の始まりになり、進んでゆく様を見られたという意味でも稀有な体験で嬉しかったです。本当に主人公で、生きているんだ!綺麗事でなくやっていこうという世界を見られるのは、明日の自分にも希望を持てるようで心が暖かくなりました。良かったな〜〜服が可愛いから二周目にも着せてくれないかね……
***以下は不満というか、勿体無い気持ち
アトラスは王道が好きなのかな、というのは薄々感じ取っているからわかる、わかるけれども主人公に対する『悪』のあり方の薄っぺらさが今回はもったいなく感じられました。
過去作品では、主人公に対しての掘り下げはここまでなく、物語の中ではこの人でなければ、がちょっと弱いと思うことの方が多かったように思います。それを踏み込み、さらには周辺の仲間たちまで社会的な問題を孕んだ”生き方”を深掘りされて肉付けされたことで重厚感が生まれました。ゲームという枠を超えた世界が生き生きとして感じられて、こういう話もできるんだな、と嬉しかったです。
一方で悪役というか、主人公が乗り越えるべき相手は『権力を持っている』『実力を持っている』『他者を虐げる、希望を失わせる思想がある』などの条件を持っているだけで、あまり深く掘り下げがされません。フォーデン猊下はテンプレだけれどもきちんと悪役ムーブができていたからよしとして、ルイは終始”強い”オーラだけで終わった感が、弱い!!勿体無いよ!!!
強い思いを抱いていることは訴えられても、妙に薄っぺらい。ついていった部下も完璧に理想を把握していることはなく、ゾルバ一人に集約されたのも弱い。どうせなら国の一部にニンゲン牧場を作って試験的に運用するくらいの地道さが欲しかった。王笏という究極魔具を手に入れるためだけに他者を取り込んできたわけなのだけれども、ついていく人をどこまで本気で取り込もうとしたのか、魅力を惹きつけてきたのかが実感できません。
悪役の描写に力を入れすぎると、倒すことに罪悪感を抱いたり、別の感情を抱かせるので忌避しがちですが、ここまで主人公サイドを濃く深く掘り下げてるんだから釣り合いが取れない。直接的な接触ができないのであれば周辺の人間との接触で間接的に描��でもよし、この際モアの世界で本を通じて出会っても良かったんじゃないのか?惜しいよ……でもベタな悪役に深い理由をあんまり持たせたくないならば仕方がないのだ。実力主義者の女性幹部や他種族ももうちょっと欲しかったな(要求が尽きない)
理想を絶望に変え、諦めの形で引きこもったのがモアならば、全てを白紙に変えようと心に決めたのがルイという分岐点、もう少したどりたかったよ〜〜〜!!
それと、この国は連合王国であって”外国”が存在するんですが、そこのところは結局どうなったんじゃろうか。冒頭部分でサラッと流されたけれども、あんまり書き込んでも……になったんだろうなとは思う。一方で、世界の在り方が一国だけで決まったらまずいのでは?と思うんだな……いつもトーキョーで決まる世界でしたね……世界観が結構しっかりしてるので、ふわふわしてるところがかえって目立っているのかもしれない。でも好きだよ、この世界。特産品も人のノリも特色があって良いんだ。
それと、なんでニン��ンの描写がボスの絵画モチーフなのかがわからない。アクマだと過去作品モロ出しだからというのはわかる、が、ピンポイントじゃなくても良かったのだし、意味があって欲しかった……どこかに意味が出ていたら、誰かこっそり教えてください。
特に続編などはなくて良いものの、世界樹の王国のように、こうしたファンタジー路線でのペルソナじみたシステムの作品はまた出て欲しい。遊んで良かった……
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【能動的一言|フールー兄弟(完)】
余談|🎶チーンカンーコーンカンー*
(*「ひょうたん童子」テーマソングの歌詞の1句の日本語釈義)
1️⃣イェイェ🙆🏻♀️?ナイナイ🙅🏻♀️?
〖ヒョ〗で、七兄弟に育った人は瓢箪山の爺さん👴🏻だが、
〖ポル〗で、爺さんじゃなくて、婆さん👵🏻だ。
そして、プランテーションの女将で
名前は「イェイェ」だ。
中国語バージョンには「🍃叶叶奶奶」と書いて、「yè ye nǎi nai(イェイェナイナイ)」と読んだ。
「奶奶」は「婆さん」の意味があるげと、
中国語の爺さんは、なんと!「爷爷(yé ye,イェイェ)」とも読まれてた!
が、「叶叶」との音調がちょっと違う。
それでは質問があった。
イェイェか。ナイナイか。どっちなのか?!🤯🤯🤯
ダジャレは、どこにでもいますね~😂😂😂
2️⃣フール・オフ・フールー
ひょうたんとは、中漢字で「葫芦」と書いて、「hú lu(フールー)」と読んで、
中国語バージョンで「フールー兄弟」は「呼噜兄弟」と書いだ。
「呼噜」はいびき💤の音を形容する擬音語であって、「hū lu(フールー)」と読んだ。
ゲームの中で、フールー兄弟に関するミッション���1つも地震のようなびきを治療についた。
そのほか、中漢字の「福」と「禄」の読音も近いだから、
(福禄→fú lù,フールー)
中国でひょうたんはいつも吉祥の象徴とされてきた。
——そう、「葫芦」と「呼噜」と「福禄」とは、
また音調がちょっと違う。
さぁもう一度——
ダジャレは、どこにでもいますね~🤣🤣🤣
3️⃣ヒョウタン・イン・サンドロック
勝手にこの話題を砂岩に戻したのは、
本当に「ファン推し」の理由ではない。
しょせん、ひょうたんと言えば、
サンドロには大きなひょうたんがある。
そうよ!診療所の屋根だよ!!
なぜなら、ひょうたんは吉祥の意味を持つだけでなく、医者の象徴でもあった。
中国の神話では、食べたら百病を治し、さらに不老不死になる「仙丹」という万能薬は、
ひょうたんの中で入れる。
この象徴は、ファンさんもきっと知っている。
そして、ひょうたん兄弟にもうフールー兄弟にも、きっと興味津々と感じるに間違い無い。
ひょうたんについて物語はともかく、
どうすれば七つ子を無事に出産できるか、
医者にとって掘り下げてみる価値のある課題だ😅😅😅
——————————
【能動的一言|呼噜兄弟(完)】
题外话|🎶叮叮当当咚咚当当
1️⃣Yeah yeah🙆🏻♀️?Nai nai🙅🏻♀️?
在〖葫〗中,将七兄弟养大的人是葫芦山的老爷爷👴🏻,
但在波西亚,就不是爷爷,而是奶奶👵🏻了。
而且,她还是波西亚南驿站的老板娘,
名字叫“叶叶”。
中文版里写作“叶叶奶奶”🍃,
读作yè ye nǎi nai(イェイェナイナイ)。
“奶奶”就是日语“婆さん”的意思,
但是,中文里的“爺さん”,竟然!也读作yé ye(イェイェ)!
只是音调与“叶叶”稍有不同。
那么问题来了。
是爷爷?还是奶奶?到底是哪个啊?!🤯🤯🤯
(日语语境下还有“是或不是”的意思)
谐音梗真的是无处不在呀~😂😂😂
2️⃣Full of Hulu
ひょうたん这个词,用中文汉字写作“葫芦”,读作“hú lu(フールー)”,
在中文版里,“フールー兄弟”写作“呼噜兄弟”。
“呼噜”是用来形容鼾声💤的拟声词,读作“hū lu(フールー)”
在游戏中,和呼噜兄弟有关的其中一个任务,就是关于治疗他们那地震般的鼾声。
除此之外,“葫芦”和中文汉字中的“福”与“䘵”读音相近(福禄→fú lù,フールー)
在中国,葫芦一直被用来象征直祥。
——没错,“葫芦”“呼噜”“福禄”,
又是音调稍有不同。
所以我们再来一次——
谐音梗真的是无处不在呀~🤣🤣🤣
3️⃣HYOUTAN in Sandrock
硬要把话题拉回沙石镇,
还真不是因为“我是房推”这样的理由
毕竟,说到葫芦的话,
沙石镇上就有那么大的一个葫芦。
对嘛!就是诊所的屋顶嘛!!
究其原因,葫芦不仅仅有吉祥的意思,也是医生的象征。
在中国的神话里,吃下去包治百病,
甚至长生不老的名叫“仙丹”的万能药,
就是装进葫芦里的。
这个象征,小房一定是知道的。
而且,不管是对葫芦兄弟还是呼噜兄弟,
毫无疑问,他都会相当有兴趣。
关于葫芦的故事暂且不提,
光是如何平安无事地娩出七胞胎,
对医生而言,就已经是一个很值得深究的课题了😅😅😅
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じゃれ本 2卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:特になし ページ数:8P
『数奇なチョコレート』
どうしてこうなってしまったんだ? 私が早朝にこっそり彼の机の中に仕込んだはずのチョコレートが、どうしてあんな場所から出てきたんだ。 朝チョコレートを入れてからずっと監視してたんだぞ。おかしいだろ。
朝からずっと監視していたが、彼は机の中のそれに気付く気配すらなかった。疑問に思いながら注視していると、教室移動の時間になった。今日はアルコールランプを使った実験の日だ。
もしかしたらあれは元々彼の持ち物だったのかもしれない。アルコールランプのオレンジ色の光を見ながら考えを整理す��。監視したところで……それに注意を促すような筋合いもこちらにはないのだ。
揺らめく灯を眺めていると、それに炙られる何か、まで想像してしまうのは悪い癖だろうか、職業病か。黒褐色に燻された「それ」は――まるでカカオ豆、とは悪趣味かと頭を振ったとき、ランプが消えた。煙が、甘い。
香りが部屋に充満していく。煙がゆらゆらと揺らめき次第に形を成し始める。何が起こったのか分からず呆然と見つめていると、それは小さな人の形になった。つやつやとした濃い茶色の、まるでチョコレートのような
教室がざわつく。もしかして、と冷たい汗が背筋をつたったのを感じる。 私が今朝入れたチョコレートに、何か関係のあるものなんじゃないか。すると、その小さな人型のチョコレートは、驚くべきことに言葉を発した。
「つくえ」「こども」「かばん」と目に止まったものの名前が読み上げられる中、「とみこ」という知らない名前が挟まる。人型チョコレートから発された言葉に、びくりと大きな反応を示したのは私ではなかった。
「何故、その名前を…?」 隣���というほどでもない距離で小刻みに震える声。振りほどいたはずの赤い糸が、いつの間にか小指を締め上げていた、というような。人型チョコレートの顔部分に、ぱきんと割れ目ができる。
『コンビニで買ったねこ』
今日びのコンビニには何でもあるから、猫をバーコード決済でお買い上げすることぐらいお手の物だ。だけど道義的躊躇を捨てきれなくて、私はいつもパッケージの前を素通りする。嫌味かのようにスナック売り場の隣だ。
お菓子を選ぼうとするとどうしてもチラチラと目に入ってしまう。かわいい猫たちのパッケージ…三毛、サビ、ハチワレにトラ。無視しようとしても暴力的なかわいさが私を誘惑する。棚前で吟味していた客が黒猫を手に
レジへ向かっていった。その客を注意深く見守っていると、レジの店員はまるで何事も無いかのようにパッケージのバーコードを読み取り、こう言った。 「この場で開封して行かれますか?」 「いや、家で開けます。」
「ノワァ」変な声で鳴くなあれ。電子決済されていった「ねこ(?)」を見送り、棚を見ればまだいくつかの在庫があった。真四角のパッケージの中で思い思いに伸びたり縮んだり捻れたりしている。呑気なもんだ。
彼らの何割が、自分が実は玉ねぎが食べられなかったりd払いのキャンペーン対象だったりすると理解しているのだろう。来月の請求書では「国民健康保険料」と同列に並んだりするのだ。……ちょっと見たいかも、いや、
猫だって同じ命なんだからこんなふうに扱うのはやっぱり良くない。しかし猫が国民の健康に寄与しているというのは厳然たる事実だ。間違いない。私が若干不健康な日々を過ごしているのはもしやねこが居ないからでは?
そう思った私は、吸い寄せられるようにひとつのパッケージに手を伸ばした。 レジに持っていくと、店員はやはりこう聞いてきた。 「この場で開けて行きますか?」 私もやはりこう答える。 「家で開けます。」
家に帰りそっとパッケージの蓋を開けると「ノワァ」という鳴き声とともに、ねこは消えた。空になったパッケージからはゴロゴロと小さな音が響く。どちらでも良いのだ。本当にねこでも、本当はねこでなくても。
『どこにでも現れるメガネ』
異変に気付いたのは、弐萬圓堂で眼鏡を新調してから三日目のことだった。週一の楽しみ、サウナ通い。オレンジ色の明かりと蒸しに蒸された空間で、俺は目元に違和感を感じた。 熱い! なんとそこには、
…ない。何もない。熱いのは蒸気を直に受けたからで、俺の虚弱な目を守るべく新調した眼鏡がどこにもない。嘘だろ、もう無くした? あの店主、「こいつは絶対に無くなりませんよ」なんて吹きやがって! そもそも���
眼鏡の紛失防止に眼鏡チェーン以上のものがあると思った俺が馬鹿だったんだ。何が「合図一つでどこでもお供! あなたのお眼鏡に叶います!」だ。俺は蒸気で濡れた顔を拭い、0.2の裸眼でレンズの光を探す。
うすらぼやけた視界で必死に探せど一向に見つかる気配はなかった。もう諦めて新しいメガネを買いに眼鏡屋へ行った方がいいのではないか…そんな考えが脳裏を過ったときだった。
ふいに、胸ポケットに違和感を覚えた。恐る恐るまさぐると、『あった』。無くしたはずの眼鏡が、そこにあったのだ。なんて便利な眼鏡なんだ、と思うかもしれない。でも俺は、うっすらと気味の悪さを覚えていた。
無くして見付かる。眼鏡はその繰り返しだ。眼鏡が見付かるのは決まって、ニュースでとある地名を見かける時だった。幼い頃だけ住んでいた田舎。何故今更ニュースで名前が上がるのか不明なほど辺鄙な場所だ。
便宜上故郷であるその地は、ちと難解な名がついている。何も見ずに書けと言われたら俺でも無理だ。 …もしかすると眼鏡のやつ、テロップに映るその込み入った字画を解らせたいために、毎度戻ってくるのだろうか?
つまり、この字を覚えれば晴れてこの眼鏡は役目を終えるというわけだ。なるほどね。俺はこれからもこの地名を覚えることはないだろう。いや、いつか死ぬ前くらいには覚えてやってもいいかな。
『おまかせ木綿豆腐』
絹のやつとは作りが違うんでね。多少の荒事ならこっちに任せるのが正解ってもんだ。名前? 『モメン』じゃない、『ユウ』だ。大体あいつがキヌなんて名乗るからセットで豆腐なんて言われることになってんだ。
キヌのやつは今日も得意のスムーストークであんたを誑かしたんだろう。依頼料は高くつくぜ、財布の紐をどれだけ締めても、あいつには湯葉も同然だ。 まあ、任せておきな――それで、あの「高野」と何で揉めたって?
…なるほど。あの土鍋は上物だからな。どちらの取り分かで揉めたってわけだ。で、その土鍋を自分のものにしたいと、そういう話だな?なあに、俺にとっては湯豆腐みたいなもんさ。安心して吉報を待っておけ。
そう言って男はすっくと立ちあがると、土鍋を求めて夜闇に消えて行った。 なぜならそう、この男こそもめ事の仲裁のプロ。ネゴシエーターなんてお洒落な肩書はいらない。『おまかせ木綿豆腐』その人だったのだ。
─というのが、前回君たちに講義した内容だ。きちんと覚えているかね。『おまかせ木綿豆腐』に関連する記述には実はいくつかの相似点が見られてね。同一人物とする説も複数人とする説もあるが共通しているのは、
その「変幻自在性」。まさに豆腐、ないし大豆だ。柔らかく相手を受け止め、誰かの色に染まるかと思えば、ときに肉食獣のごとき強靭さも見せる。変異性の遺伝子が組み込まれている、と言われても疑うまいよ。
豆乳の満たされたプールで悠々と寛ぐ高野とその取り巻きたちを尻目に、私は屋敷へと忍び込んだ。
そこにあったのは黄金の土鍋。黄金でできているが、確かに土鍋である。私は難なくそれを手にすると、豆腐を味噌汁に滑り入れる速さで屋敷を後にした。 こうして事件は解決した。おまかせ木綿豆腐におまかせさぁ!
お題:おまかせ縛り ページ数:8P
『お父さんが作るヒンズー教』
「そうだ、ヒンズー教を作ろう」 ある日、父の口から出た言葉だ。 定年退職を迎えた父親が始めるものといえば蕎麦打ちと相場が決まっているが、なぜか父は宗教に目覚めてしまったようだ。
「ヒンズー教はもうあるじゃん。作る前にもうこの世に存在してるから諦めなよ」至極冷静なツッコミも父は意に介さないようだった。「まずは合言葉を考えるか」「よくわかんないけどもっと先にやることあると思う」
「じゃあまずお父さんがヒンズーとして」「お父さんヒンズー教知らないよね?」 まったく分からないまま父の熱意だけが空回りをしている。理由を尋ねるのも嫌だが、掘り下げてくれと父の顔が言っていた。
「…うん、じゃあお母さんは?」 そういう自分だって女神転生シリーズの知識しかないけれど、お父さんに至ってはこうだ。 「母さんには、ラーマをやってもらおうと思う」 マーガリンで覚えたなさては。
「母さんにカーリーをやってもらうわけにはいかないからな」 「そこはヴィシュヌとラクシュミじゃなくて良いんだ」 最早女神転生オタクの会話である。お父さんは黙ってメガテン5をセールで買った方が良い。
「タマにも我がヒンズー教の一柱として重要な役割を与えよう」「タマ…巻き込まれてかわいそうに」何も知らないタマは父に撫でられて満足げにゴロゴロと喉を鳴らしている。「名はタママーンに改名す」「やめて」
タマを膝に抱いてああだこうだと話す父は、それはそれとしてまあ楽しそうではある。もともとこの手の与太話を作るのが好きなヒトなのだ。
この一連の流れだって、先週配信サイトで「RRR」か「バーフバリ」を観たせいに決まっている。些細な愉快をくれたのならまあ良いじゃないか。女神転生シリーズでの知識しかない僕が、文句を言っても仕方ないのだ。
『健全な肉体に宿るユンケル』
健全な精神は健全な肉体に宿る、なんてのは全きウソであり、少なくとも俺の健全な肉体には恐らくユンケルとかが宿っている。しじみの味噌汁とプロテインバーも。筋肉は全てを解決するなんてウソだ。解決してみろ、
なかやまきんに君。筋トレは正義かもしれないが、そもそも現代社会人に残される可処分時間なんてたかが知れている。その貴重な時間をど��やって筋トレに費やすことができようか。かといって、
このままでは肉体は不健全になるばかりだ。もやしまっしぐらだ。いや、それだけならいいが代謝が落ちた体はいずれ摂取した栄養を消費しきれず蓄え始めてしまう。そうなったらもうおしまいだ。
ともあれ対策は早急に行うべきだろう。何故なら健全な肉体でなければ意味がないからだ。精神はこの際置いておく。ユンケル的にはそっちはあんまり役に立てない。自分で頑張ってほしい。そうと決まれば早速、
行きつけの薬局へ―向かうつもりだったが、深夜営業のはずのそこは閉まっていた。シャッターに「本日棚卸」の文字。期限切れになるだろうアプリクーポンを惜しみ、否、惜しむより先に鉄剤だ。イオンなら、いけるか。
その一縷の望みは、すぐさま砕かれることになった。 しまった!深夜営業の薬局が閉まっている時間帯に、イオンが開いてるはずないじゃないか!! 赤と白の看板の下、俺は絶望する。鉄剤。なんとしても鉄剤を。
「ヤーッ!」それは突然のことだった。窮地に陥った俺の耳にあの聞き慣れた声が飛び込んできた。「き、きんに君!!」そう、紛れもなくなかやまきんに君だった。自信に満ちた仁王立ちでそこにいた。「ハッ(笑顔)」
なんて眩い笑顔なんだ。失われていた力が蘇るのが分かる。何が敵かも分からんがとりあえず殴っとけば良いか。やはり筋肉。健全な肉体、頑強な筋肉、それこそがすべてを解決する。
『我が家UFO』
ホログラムで出来た夕暮れの町並み、伸びていく影。少し湿った柔らかい土の上を走りながら、僕らは家に向かっている。僕らの家は、頭上にある色とりどりのUFOだ。
姉ちゃんとその彼氏(現:元カレ)の些細なLINEスタンプ会話が、うっかり「母星」との通信に混線してしまったせいで、呑気な地方都市は太陽系いち愉快な避暑地に変わった。葉巻型の家も金星人からの贈り物だ。
アダムスキー型のホテルは木星人が建てたもので、海王星人にたいへんウケが良く、県外からの観光客にも人気になっている。おまけに日清グループの焼きそば工場まで進出してきたものだから、町はとても賑やかになった
しかし後に大きな問題が発生した。建てられた数々のUFO建築物が人々をアブダクションし始めたのだ。幸いなことに内臓を抜かれキャトられるところまではいかなかったが
普通に改造はされたし記憶も改ざんされた。お父さんが二人いるご家庭も出来れば、長女が増えたご家庭もある。UFOは「家族は複数人」ということしか理解していない。その関係性や成り立ちは二の次だ。
「どうする、姉ちゃん」と僕は言う。「このままいくと元カ���が僕らの新しい兄ちゃんだ」 「無理絶対無理、あんな伸びたカップ焼きそばみたいな男。お湯と一緒に流しに捨て――」 瞬間、僕らは同時にはっとした。
僕らの葉巻型ハウスの前に、新たな葉巻型UFOがフォンフォンと音を立てて降りて来たのだ。硬直している僕らの前に、光が射す。この家をプレゼントしてくれた金星人だ! 金星人は優しく微笑んだ。
「このたびはUFO型ハウスのモニターになっていただきありがとうございます」僕たちモニターだったんだ。しらなかった…「住心地はどうでしたか?」アンケート用紙を渡された。とてもよかったに◯をつけた。
『キャンプファイヤーをするスリ』
目の前にはごうごうと燃え盛る火柱がある。いわゆるキャンプファイヤーというやつだ。ぱちぱちと爆ぜる音と顔を焼く熱を浴びながら今までのことを思い返していた。いつものようにスリの獲物を物色していた俺は、
おあつらえ向きな男を見つけていた。取ってくださいと言わんばかりにチラ見えする財布。しかも厚い。おどおどとした雰囲気も丁度いい。財布はあっさり俺の手中におさまり、今日の仕事は完遂だ。そう思っていた。
なのに今、俺は何故こうして積まれた薪の前に立ち尽くしているんだ? 五分じゃ審査が下りないだろうカードや角の折れてない札が詰まった革財布を、まるで炎に投じたがっているかのように。否、焼かれるのは財布か?
そうだ。財布ではなく俺自身を焼けば財布は無事だ。俺が罪に問われることもない。――いや、何を考えているんだ、俺は!困惑する俺の意思を無視するように、俺の手が勝手にチャッカマンを薪の隙間に差し込んだ。
一気に薪が燃え上がる…かと思ったが、一向に炎は上がらない。チャッカマンの小さな火は薪の表面を焦がすだけでなかなか燃え移らない。薪を燃やすにはもっと燃えやすいものを先に入れるんだったか。何か手頃なものは
とポケットをまさぐり、結局スッた財布にいきつく。レシートくらいなら燃やしても良いだろう。財布の中には幾重にも折りたたまれた…異様といえるような長さのレシートが入れられていた。何だこれはと手に取り、
中程の印字に目を剥いた。「割引 50%」と付記された項目。みな人名だ。中には、俺の名も。 何が引かれてるんだ? 人間的価値? 確かに俺はスリだが半額になるほどか? それとも、…命、寿命。その領収書。
気付くと俺は、木組みの中にいた。燃える炎が、全身に纏わりついて行く。たすけてくれ、と声を��げそうになるが、呼吸すらできない。 目の前に男が立っている。 「ええ、その通りですよ」 男の目に、炎の橙が輝く
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#A Merry Motive#楽しい動機#オラクルカード#スピリチュアル#願い事#jma・アソシエイツ発行#今週の一枚#オラクルセブンエナジー#コレット・バロンリード著#自分の動機を見つめる#叶えたい理由を深く掘り下げてみる
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私の家族の奴隷 My Family’s Slave/Alex Tizon
遺灰は、トースターくらいの大きさの箱に収まった。プラスチック製の黒い箱で、重さは1kg半。それをトートバッグに入れてスーツケースにしまい、マニラ行きの飛行機に乗って太平洋を横断したのは2016年7月のことだ。
マニラに降り立つと、車で田舎の村へと向かう。到着したら、私の家で奴隷として56年間を過ごした女性の遺灰を受け渡すことになっている。
彼女の名前は、エウドシア・トマス・プリド。私たちは、彼女を「ロラ」と呼んでいた。背は150cmで、肌はチョコレート色だった。アーモンドの形をしたロラの目が、私の目をのぞきこんでいるのが人生最初の記憶だ。
祖父が私の母にロラを“贈り物”として与えたとき、ロラは18歳だった。そして、家族が米国に移住したとき、彼女も一緒に連れていった。
ロラが送った人生を言い表すのに、「奴隷」という言葉以外には見つからない。彼女の1日は、ほかのみんなが起きる前に始まり、誰もが寝静まったあとに終わった。1日3食を用意し、家を掃除し、私の両親に仕え、私を含め5人の兄妹の世話をした。
両親が彼女に給料を与えることは1度もなく、常に叱りつけていた。鉄の鎖につながれていたわけではないけれど、そうされていたのも同然だった。夜中、トイレに行きたくなって目が覚めて、彼女が家の片隅で眠り込んでいるのを見つけたのは1度や2度の話ではない。洗濯物の山にもたれかかり、畳んでいる途中の服をしっかり握りながら──。
米国では、私たちは模範的な移民家族だった。みんなにそう言われた。父は法律の学位を持っていたし、母は医者になろうとしていた。それに私たち兄妹は成績が良く、礼儀正しい子供たちだった。
だが、家の外でロラの話をすることはなかった。それは、私たちが「どういう��在であるか」という根幹の部分に関わる秘密だったからだ。さらに、少なくとも子供たちにとって��、「どういう存在になりたいか」という問題に深く関係していた。
娘に「奴隷」をプレゼント
マニラに到着して預けた荷物を引き取ると、スーツケースを開き、ちゃんとロラの遺灰があることを確認した。外へ出ると、懐かしい匂いがした。排気ガスやゴミ、海や甘い果物、そして人間の汗が入り混じった濃い匂いだ。
翌朝早く、私は愛想の良い中年の運転手を見つけて出発した。「ドゥーズ」というニックネームだった。彼のトラックは、車のあいだをすいすいと通り抜けていく。
何度見ても衝撃を受ける光景が広がっていた。おびただしい数の車やバイク、そして乗り合いタクシー。まるで雄大な茶色い川のように、そのあいだをすり抜け、歩道を進む人々。車の横を小走りする裸足の物売りたちが、タバコや咳止めドロップの袋を売り歩く。物乞いの子供たちが、窓に顔を押しつける。
ドゥーズと私が向かっていたのは、ロラの物語が始まったタルラック州だ。また、そこは私の祖父トマス・アスンシオンという陸軍中尉の故郷でもある。家族によれば、土地をたくさん所有していたのにお金はなく、所有地の別々の家に愛人たちをそれぞれ住まわせていた。妻は、初めてのお産で命を落とした。そのときに生まれたのが私の母だ。母は「ウトゥサン」たちに育てられた。要するに、「命令される人々」だ。
フィリピン諸島における奴隷の歴史は長い。スペインに征服される前、島民たちはほかの島から連れてきた人々を奴隷にした。主に戦争の捕虜や犯罪人、債務者などだ。奴隷にはさまざまな形態があった。手柄を挙げれば自由を勝ち取ることができる戦士もいれば、財産として売り買いされたり交換されたりする召使いもいたという。
地位の高い奴隷は地位の低い奴隷を所有することができたし、地位の低い奴隷は最底辺の奴隷を所有することができた。生き延びるために自ら奴隷となる人もいた。労働の対価に食料や寝床が与えられるし、保護してもらえるからだ。
16世紀にスペイン人が到来すると、彼らは島民を奴隷にし、のちにアフリカやインドの奴隷を連れてきた。その後、スペイン王室は自国や植民地で奴隷を段階的に廃止していったが、フィリピンはあまりに遠く離れていたので、監視の目が行き届かなかったという。
1898年に米国がフィリピンを獲得してからも、隠れた形で伝統は残った。現在でも、貧困層でさえ「ウトゥサン」や「カトゥロング(ヘルパー)」、「カサンバハイ(メイド)」を持つことができる。自分より貧しい人がいる限りはそれが可能であり、下には下がいるものなのだ。
祖父は、多いときで3家族のウトゥサンを自分の土地に住まわせていた。フィリピンが日本の占領下にあった1943年春、彼は近くの村に住む少女を連れて帰ってきた。
彼のいとこで、米農家の娘だった。祖父は狡猾だった。この少女は一文無しで、教育を受けていなかったし、従順に見えた。さらに彼女の両親は、2倍も年の離れた養豚家と結婚させようとしていた。彼女はどうしようもなく不幸だったが、ほかに行くあてがなかった。そこで、祖父は彼女にある提案をした。 12歳になったばかりの娘の世話をしてくれるなら、食料と住まいを与えよう──。
彼女、つまりロラは承諾した。ただ、死ぬまでずっとだとは思っていなかった。
「彼女はおまえへのプレゼントだ」と、祖父は私の母に告げた。
「いらない」と母は答えた。だが、受け入れるしかないのはわかっていた。やがて陸軍中尉だった祖父は日本との戦いへ赴き、田舎の老朽化した家で、母はロラと2人きりになった。ロラは母に食べさせ、身づくろいをしてやった。市場へ出かけるときは、傘をさして母を太陽から守った。犬にエサをやり、床掃除をして、川で手洗いした洗濯物を畳んだ。そして、夜になると母のベッドの端に座り、眠りにつくまでうちわで扇いだ。
戦争中のある日、帰宅した祖父が、母のついた嘘を問い詰めた。絶対に言葉を交わしてはいけない男の子について、何らかの嘘をついたらしい。激高した祖父は、「テーブルのところに立て」と母に命じた。
母はロラと一緒に、部屋の隅で縮こまった。そして震える声で、「ロラが代わりに罰を受ける」と父に告げたのだ。ロラはすがるような目で母を見ると、何も言わずにダイニングテーブルへ向かい、その端を握った。祖父はベルトを振り上げ、12発ロラを打った。打ち下ろすたびに、「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」「俺に」「決して」「嘘を」「つくな」と吠えた。ロラはひとことも発さなかった。
のちに母がこの話をしたとき、あまりの理不尽さを面白がっているようだった。「ねえ、私がそんなことしたなんて信じられる?」とでも言っているようだった。これについてロラに訊くと、彼女は母がどのように語ったのか知りたがった。彼女は目を伏せながらじっと聞き入り、話が終わると悲しそうに私を見てこう言った。
「はい。そういうこともありました」
彼女が「奴隷」だと気づいた日
ロラと出会ってから7年後の1950年、母は父と結婚し、マニラへ引っ越した。その際、ロラも連れていった。祖父は長年のあいだ「悪魔に取り憑かれて」いて、1951年、それを黙らせるために自分のこめかみへ弾丸を打ち込んだ。母がその話をすることはほとんどなかった。
彼女は父親と同じく気分屋で、尊大で、内側には弱さを抱えていた。父の教えはどれも肝に銘じていて、その1つが、田舎の女主人にふさわしい振る舞い方だった。つまり、自分より地位の低い者に対しては、常に上に立つ者として行動する、ということだ。
それは、彼ら自身のためでもあり、家庭のためでもある。彼らは泣いて文句を言うか��しれないが、心の底では感謝しているはずだ。神の御心のままに生きられるよう助けてくれた、と。
1951年に、私の兄アーサーが生まれた。その次が私で、さらに3人が立て続けに生まれた。ロラは、両親に尽くしてきたのと同じように、私たち兄妹にも尽くすことを求められた。ロラが私たちの世話をしているあいだ、両親は学校に通い、「立派な学位はあるけれど仕事がない大勢の人々」の仲間入りをした。
だが、そこへ大きなチャンスが訪れた。父が、外務省でアナリストとして雇ってもらえることになったのだ。給料はわずかだったが、職場は米国だった。米国は、両親が子供の頃から憧れていた国だ。彼らにとって、願っていたことすべてが叶うかもしれない、夢の場所だった。
父は、家族とメイドを1人連れていくことを許された。おそらく共働きになると考えていたので、子供の世話や家事をしてくれるロラが必要だった。母がロラにそのことを告げると、母にとって腹立たしいことに、ロラはすぐには承諾しなかった。
それから何年も経ったあとにロラが当時のことを話してくれたのだが、実は恐ろしかったのだという。
「あまりに遠くて。あなたのお母さんとお父さんが私を帰らせてくれないんじゃないかと思ったんです」
結局、ロラが納得したのは、米国に行けばいろんなことが変わると、父が約束したからだった。米国でやっていけるようになったら、「おこづかい」をやると父は言った。そうすれば、ロラは両親や村に住む親戚に仕送りができる。
彼女の両親は、地面がむき出しの掘っ立て小屋に暮らしていた。ロラは彼らのためにコンクリートの家を建ててやれるし、そうすれば人生が変わる。ほら、考えてもごらんよ。
1964年5月12日、私たちはロサンゼルスに降り立った。ロラが母のところへ来てからすでに21年が経っていた。いろいろな意味で、自分にとっては父や母よりも、ロラのほうが親という感じがしていた。毎朝最初に見るのは彼女の顔だったし、寝る前に最後に見るのも彼女だった。
赤ちゃんの頃、「ママ」や「パパ」と言えるようになるよりずっと前に、ロラの名前を呼んでいた。幼児の頃は、ロラに抱っこしてもらうか、少なくともロラが近くにいないと絶対に眠れなかった。
家族が渡米したとき、私は4歳だった。まだ幼かったので、ロラが我が家でどういう立場なのかを問うことはできなかった。だが、太平洋のこちら側で育った兄妹や私は、世界を違った目で見るようになっていた。海を越えたことで、意識が変わったのだ。一方で、母と父は意識を変えることができなかった。いや、変えることを拒んでいた。
結局、ロラがおこづかいをもらうことはなかった。米国へ来て数年が経った頃、それとなく両親に訊いてみたことがあるという。当時、ロラの母親は病気で、必要な薬を買うお金がなかった。
「可能でしょうか?」
母はため息をついた。「よくそんなことを言えたもんだ」と父はタガログ語で答えた。
「カネに困っているのはわかってるだろ。恥ずかしいと思わないのか」
両親は、米国へ移住するために借金をしていて、米国に残るためにさらに借金していた。父は、ロサンゼルスの総領事館からシアトルのフィリピン領事館��異動した。年収5600ドルの仕事だった。収入を補うためにトレーラーの清掃の仕事を始め、それに加えて、借金の取り立てを請け負うようになった。
母は、いくつかの医療研究所で助手の仕事を見つけた。私たちが両親に会えることはほとんどなく、会えたとしても彼らはたいてい疲れ切っていて不機嫌だった。
母は帰宅すると、家がきちんと掃除されていないとか、郵便受けを確認していないなどと言っては、ロラを叱責した。「帰るまでに、ここに郵便を置いておけって言ったでしょ?」と、敵意をむき出しにタガログ語で母は言う。
「難しいことじゃないし、バカでも覚えられるでしょ」
そして父が帰宅すると、今度は彼の番だった。父が声を荒らげると、家中の誰もが縮こまった。ときには、ロラが泣き出すまで2人がかりで怒鳴りつけた。まるで、ロラを泣かせることが目的だったかのように。
私にはよくわからなかった。両親は子供たちによくしてくれたし、私たちは両親が大好きだった。だが、子供たちに優しくしていたかと思うと、次の瞬間にはロラに悪態をつくのだ。
ようやくロラの立場をはっきりと理解するようになったのは、11歳か12歳の頃だった。8歳年上の兄アーサーは、ロラの扱いに怒りを覚えるようになってから何年も経っていた。ロラの存在を理解するために「奴隷」という言葉を教えてくれたのはアーサーだった。その言葉を知る前は、ただ不運な家庭の一員だとしか思っていなかった。
両親が彼女を怒鳴りつけるのは嫌だったが、それがモラルに反することであり、彼女の立場そのものがモラルに反することだとは考えてみたこともなかった。
「彼女みたいに扱われてる人を、1人でも知ってるか?」とアーサーは私に聞いた。そして、ロラの境遇を次のようにまとめた。
無給。毎日働きっぱなし。長く座ったままだったり早く就寝したりすると、こっぴどく叱られる。口答えをすると殴られる。着ているのはおさがりばかり。キッチンで残り物を独りで食べる。ほとんど外出しない。家族のほかに友人はいないし、趣味もない。自分の部屋もない(彼女はどこか空いた場所に寝るのが普通だった。ソファかクローゼットか、妹たちの寝室の片隅か。よく洗濯物に囲まれて寝ていた)。
ロラと似たような立場の人を探しても、見つかるとしたらテレビや映画に出てくる奴隷だった。
奴隷の存在を隠し続けるしかなかった
ある晩、当時9歳だった妹のリングが夕食をとっていないと知った父が、ロラの怠慢を叱った。父は、ロラを見下ろしてにらみつけた。「食べさせようとしたんです」とロラは訴えた。だが彼女の返答は説得力がなく、さらに父をいら立たせるだけだった。そして、彼はロラの腕を殴った。ロラは部屋を飛び出した。動物のように泣き叫ぶ彼女の声が聞こえてきた。
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」と私は言った。
両親が振り返って私を見た。驚いた様子だった。いつも涙がこぼれる前にそうなるように、自分の顔がピクピクしているのを感じた。でも、絶対に泣くまいと思った。母の目には、これまで見たことのないものが浮かんでいた。もしかして、���みだろうか?
「ロラを守ろうとしているのか」と父は訊いた���「そうなのか?」
「リングはお腹がすいてないって言ったんだ」
私はすすり泣くように、そう繰り返した。
私は13歳だった。私の世話に日々を費やしていたロラを弁護しようとしたのは、初めてのことだった。いつもタガログ語の子守唄を歌ってくれたし、私が学校に行くようになると、朝には服を着せて朝食を食べさせ、送り迎えをしてくれた。あるときは、長いあいだ病気で弱りきって何も喉を通らなかった私のために食べ物を噛み砕き、小さなかけらにして食べさせてくれたこともあった。
私が両脚にギプスをしていたときは、彼女は手ぬぐいで体を洗ってくれたし、夜中に薬を持ってきてくれたりして、数ヵ月におよぶリハビリを支えてくれた。そのあいだずっと私は不機嫌だった。それでもロラが文句を言ったり、怒ったりすることは1度たりともなかった。
そんな彼女が泣き叫ぶ声を聞いて、頭がおかしくなりそうだったのだ。
祖国フィリピンでは、両親はロラの扱いを隠す必要性を感じなかった。米国では、さらにひどい扱い方をしたが、それを隠すために苦心した。家に客が来れば、彼女を無視するか、何か訊かれたら嘘をついてすぐに話題を変えた。
シアトル北部で暮らしていた5年間、私たちはミスラー家の向かいに住んでいた。ミスラー家は賑やかな8人家族で、サケ釣りやアメリカン・フットボールのテレビ観戦の楽しみを教えてくれた。
テレビ中継を観て応援する私たちのところへ、ロラが食べ物や飲み物を持ってくる。すると両親はほほ笑んで「ありがとう」と言い、ロラはすぐに姿を消す。あるとき、ミスラー家の父が、「キッチンにいるあの小柄な女性は誰?」と尋ねた。「フィリピンの親戚だよ」と父は答えた。「とてもシャイでね」と。
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だが、私の親友だったビリー・ミスラーは、そんな話を信じなかった。よくうちに遊びに来ていたし、週末に泊まることもあったので、我が家の秘密を垣間見ていた。
彼は一度、私の母親がキッチンで叫んでいるのを聞き、何事かとその場を覗き、顔を真っ赤にした私の母とキッチンの隅で震えていたローラを見た。私はその数秒後にその場を目撃した。ビリーはきまり悪さと混乱が混ざったような表情をしていた。"あれはなんだ?" 私はそれを無視して忘れるように彼に言った。
ビリーはおそらくローラをかわいそうだと思ったことだろう。彼はローラの料理を誉め、彼女をよく笑わせた、私が見たことがないような笑顔をローラは見せていた。お泊り会の時にはローラはビリーの好きなフィリピン料理、白米の上に牛肉のタパを乗せた料理を作った。(beef tapa:薄切りの牛肉を魚醤・ニンニク・砂糖・塩・コショウなどで炒めたフィリピンの家庭料理)
料理はローラ唯一の自己主張の方法であり、それは雄弁だった。少なくとも私たちは彼女の作る料理に愛情というものがこもっていたことをはっきりと認識していた。
そしてある日、私がローラを遠い親戚だと言及したとき、ビリーは私と最初に会った時に私が彼女を祖母だと言っていたことを思い出した。
「なんていうかまあ、彼女はそのどちらでもあるというか...」と私は言葉を濁した。
「なぜ彼女はいつも働いているのんだ?」
「彼女は仕事が好きなんだよ」私は答えた。
「君のお父さんとお母さん、彼らはなぜ彼女を怒鳴りつけるんだ?」
「彼女は耳があまり良くないんだ...」
真実を認めてしまうことは、私たち家族の秘密を暴露することを意味していた。 アメリカに来て最初の10年、私たちはこの新しい土地になじむ努力をした。だが奴隷を持つという事実だけはこの国ではなじみようがなかった。奴隷を持つことは、私たち家族に対する、私たちのこれまですべてに対する強い疑問を私にもたらした。
私たちはこの国に受け入れられるに足るべき存在なのか?
私はそれらをすべて恥じていた、私自身もまた共犯者であることを含めて。彼女が調理した料理を食べ、彼女が洗濯しアイロンをかけクローゼットに掛けた服を着たのは誰だ? しかしそれでも、仮に彼女を失うことになっていたとしたらそれは耐えがたいことだっただろう。
そして奴隷を持つということ以外にもう一つ、私たち家族には秘密があった。私たちが米国に到着してから5年後、ローラの滞在許可は1969年に失効していたのだ。彼女は私の父の仕事に関連付けられた特殊なパスポートで渡米した。
父は上司との度重なる仲たがいの後に勤めていた領事館を辞め、その後も米国に滞在するため家族の永住権を手配したが、ローラにはその資格がなかった。父はローラを国に返すべきだったのにそうしなかった。
51歳当時のローラ。彼女の母親はこの写真が撮影される数年前に亡くなった。彼女の父親はその数年後に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。
All photos courtesy of Alex Tizon and his family ローラの母、フェルミナは1973年に亡くなった。彼女の父、ヒラリオは1979年に亡くなった。いずれの時も、ローラは家に帰ることを必死に望んでいた。 そのいずれの時も、私の両親は "すまない" "金銭的な余裕がないんだ" "時間を作れない" "子供たちは君を必要としている" と答えた。
私の両親は後に私に告白したが、そこには彼女を返すことのできない別な理由もあったという。当局がローラの存在を知れば、そして彼女が望む通りアメリカを離れようとすれば当然知られることになる、そんな事態になれば私の両親は大きな問題を抱えることになり、国外追放される可能性も十分にあったのだ。
彼らはそのような危険を犯すことはできなかった。ローラの法的地位は「逃亡者」となっていた。彼女はほぼ20年間 "逃亡者" としてこの国に滞在したのだ。
彼女の両親がそれぞれ亡くなった後、ローラは何ヶ月も陰鬱に、寡黙になった。私の両親がしつこく言っても彼女はほとんど答えなかった。だがしつこく言うことが終わるわけでもなく、ローラは顔を下げたまま仕事をした。
そして父が仕事を辞めたことで私たち家族にとって波乱となる時期が始まった。金銭的に苦しくなり、両親は次第に仲たがいするようになった。シアトルからホノルルへ、そしてまたシアトルへと戻り今度はブロンクスへ、転々と住む場所を変え、最終的にはオレゴン州の人口750人の小さな町、ウマティラに移った。
その間、母は医療インターンとして、その後に研修医として24時間シフトで働き、父は何日も姿を消すようになっていた。父はよくわからない仕事をしており、それとは別に私たちは後に浮気やらなにやらしていたことを知った。突然家に帰り、ブラックジャックで新しく買ったステーションワゴンを失ったと言い出したこともあった。
家では、ローラが唯一の大人になる日が何日も続くようになった。彼女は家族の中で最も私たち子供の生活を知る人となっていた、私の両親にはそのような精神的な余裕がなかったがゆえに。
私たち兄弟はよく友人を家に連れてきた。彼女は私たちが学校の事や女の子の事、男の子の事、私たちが話す様々な事を聞いていた。彼女は私たちの会話をただ立ち聞きしていただけで、私が6年生から高校までフラれたすべての女の子の名前を挙げることができたのにはまいった。
そして私が15歳の時、父は家族から去っていった。私は当時それを信じたくなかったが、父が私たち子供を捨てて、25年の結婚生活の後に母を捨てたという事実だけがそこにあった。
母はその時点で正式な医師になるまであと1年を要しており、また彼女の専門分野である内科医は特に儲かる仕事ではなく、さらに父は養育費を払わなかったので、お金のやりくりはいつも大変だった。
母は仕事に行ける程度には気持ちをしっかり保っていたが、夜は自己憐憫と絶望で崩壊した。この時期の母の慰めとなったのはローラだった。
母が小さなことで彼女にきつく言う度に、ローラはより かいがいしく母の世話をした。母の好きな料理を作り、母のベッドルームをより丁寧に掃除した。夜遅くにキッチンカウンターで母がローラに愚痴をこぼしたり、父のことについて話したり、時には意地悪く笑ったり、父の非道にを怒ったりしていたのを何度も目撃した。
ある夜、母は泣きながらローラを探しリビングルームに駆け入り、彼女の腕の中で崩れ落ちた。ローラは、私たちが子供の頃にそうしてくれたように母に穏やかに話しかけていた。私はそんな彼女に畏敬の念を抱いた。
"母と私は一晩中言い争った。お互い泣きじゃくっていたが、私たちはそれぞれ全く違った理由で泣いた。"
私の両親が離婚してから数年後、私の母親は友人を通して知り会ったクロアチアの移民イワンという男性と再婚し母はローラに対し新しい夫にも忠誠を誓うことを要求した。イワンは高校を中退し過去4回結婚しているような男で、私の母の金を使いギャンブルに興じる常習的なギャンブラーだった。
だがそんなイワンは、私が見たことのないローラの一面を引き出した。 彼との結婚生活は当初から不安定であり、特に彼が母の稼いだお金を使い込むことが問題となっていた。
ある日、言い争いの末に母が泣きイワンが怒鳴り散らしていると、ローラは歩いて両者の間に立ちふさがった。彼は250ポンド(約113kg)の大柄な男でその怒鳴り声は家の壁を揺らすような大きさだった。だがローラはそんなイワンの正面を向き、毅然とした態度で彼の名前を呼んだ。彼は面食らったような顔でローラの顔を見た後、何か言いたそうにしながらも側の椅子に座った。
そんな光景を何度も目撃したが、ローラはそんほとんどにおいて母が望んだとおりイワンに粛々と仕えていた。私は彼女のそのような様を、特にイワンのような男に隷属する様を見るのがとても辛かった。だがそれ以上に私の感情を高ぶらせ、最終的に母と間で大喧嘩に発展させたのはもっと"日常的"なことだった。
母はローラが病気になるといつも怒っていた。ローラが動けないことで生じる混乱とその治療にかかる費用に対処することを望んでいなかった母は、ローラに対し嘘を言っているのだろうと、自分自身のケアを怠った結果だと非難した。
そして1970年代後半にローラの歯が病気によって抜け落ちた時も母は適切な対処を拒んだ。ローラは何ヶ月も前から歯が痛いと言っていた。
「きちんと歯を磨かないからそうなるんでしょ」母は彼女にそう言った。私は彼女を歯医者に連れていかなければならないと何度も言った。もう50代になる彼女はこれまで一度として歯医者に行ったことがなかった。当時私は1時間ほど離れた大学に通っており家に帰るたびにそのことを母に言った。
ローラは毎日痛み止めのためのアスピリンを服用し、彼女の歯はまるで崩れかけたストーンヘンジのようになっていた。そしてある晩、ローラがかろうじてまともな状態で残っていた奥歯でパンを必死に噛んでいる様を見て、私は怒りのあまり我を失った。
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母と私は、夜通し口げんかした。2人とも泣きじゃくった。
母は、みんなを支えるために身を粉にして働くのに疲れ切っているし、いつも子供たちがロラに味方するのにうんざりしているし、ロラなんてどこかへやってしまえばいいじゃないか、そもそも欲しくなんかなかったし、私のような傲慢で聖人ぶった偽善者なんか産まなければよかった──とまくし立てた。
彼女の言葉を反芻して、私は反撃に出た。
偽善者ならそっちだ。ずっと見せかけの人生を生きているじゃないか。自己憐憫に浸ってばかりだから、ロラの歯が腐ってほとんど食べられないことに気づかないんだろ。1度でいいから、自分に仕えるために生きている奴隷ではなく、1人の人間として見てあげたらどうなんだ?
「奴隷って言ったわね」
母はその言葉をかみしめた。
「奴隷ですって?」
母は、ロラとの関係は私には絶対に理解できないと言い放ち、その晩はそれで終わった。
何年も経ったいまでも、痛みをこらえるような、あのうめき声を思い返すだけで腹を殴られたような気分になる。自分の母親を憎むのは最悪だが、その晩は母を憎んだ。彼女の目を見る限り、母も私を憎んでいるのは明らかだった。
けんかの結果、ロラが自分から子供たちを奪ったという母の恐怖は強まり、ロラ本人にそのつけが回った。母はよりいっそうつらく当たった。
「���があなたの子供たちに嫌われてさぞかしうれしいでしょうね」などと言って苦しめた。私たちがロラの家事を手伝うと、母は憤った。「ロラ、もう寝たほうがいいんじゃないの」と皮肉たっぷりに言��のだ。
「働きすぎよ。あなたの子供たちが心配してるわよ」
そのあとで、寝室へロラを呼び出し、ロラは目をパンパンに腫らせて戻ってくるのだった。
ついにロラは、自分を助けようとするのはやめてくれと訴えた。
「なぜ逃げないの?」と私たちは訊いた。
「誰が料理をするんですか?」と彼女は答えた。誰が仕事を全部やるのか、と言いたかったのだろう。誰が子供たちの世話をするのか? 誰が母の世話をするのか?
別のときには、「逃げるところなんてどこにあるんですか?」と言った。この返事のほうが真実味があった。米国へ来るときは大慌てだったし、息をつく間もなく10年が経った。振り返ると、さらに10年が経とうとしていた。ロラは白髪が増えていた。
噂によれば、故郷の親戚たちは、約束された仕送りが届かないので、何が起きたのかといぶかしんでいたという。彼女はもはや恥ずかしくて帰れなかったのだ。
ロラには米国に知り合いもいなかったし、移動手段もなかった。電話に戸惑ったし、ATMやインターホン、自動販売機、キーボードのついているもの全般など、機械を見るとパニックに陥った。早口な人の前では言葉を失い、逆に彼女のたどたどしい英語を聞くと相手が言葉を失った。予約をしたり、旅行を企画したり、用紙に記入したり、自分で食事を注文したりすることができなかった。
あるとき、私の銀行口座からお金を下ろせるキャッシュカードをロラに与え、使い方を教えてやったことがある。1度は成功したが、2度目は動揺してしまい、それっきり試そうともしなかった。でも、私からの贈り物だと思ってカードは大切にしてくれていた。
また、車の運転を教えようとしたこともある。彼女は手を振って拒否したが、私はロラを抱き上げて車のところへ連れていき、運転席に座らせた。お互い笑い転げていた。
20分かけて、ギアやメーターなどをひと通り説明してあげた。初めは楽しそうにしていた彼女の目が、恐怖におびえはじめた。エンジンをかけてダッシュボードが点灯すると、あっという間に彼女は車を飛び出して家のなかへ駆け込んでしまった。あと数回やってみたが、結果は同じだった。
私は、運転ができるようになれば、彼女の人生が変わると思ったのだ。自分でいろんなところへ行ける。母との生活が耐えられなくなったら、どこかへ逃げて、2度と戻らなければいい。
高まる緊張
4車線が2車線になり、舗装道路が砂利道になった。竹を大量に載せた水牛や車が行き交うなか、三輪車が通り抜ける。ときおり私たちのトラックの前を犬やヤギが走り抜け、バンパーをかすめそうになる。でもマニラで雇った中年の運転手、ドゥーズはスピードを落とさない。
私は地図を取り出し、目的地のマヤントクという村までの道のりをたどった。窓の外には、遠くのほうで大量の折れた釘のように腰を曲げている人々がかすかに見えた。数千年前からずっと変わらないやり方で、米を収穫しているのだ。到着まであと少しだ。
自分の膝の上に置いた安っぽいプラスチックの箱をトントンと叩き、磁器や紫檀で作られた本物の骨壷を買わなかったことを後悔した。ロラの親族はどう思うだろう?
もちろん、そんなに大勢いるわけではなかった。唯一残った兄妹が妹のグレゴリアで、年齢は98歳を数え、物忘れが激しくなっているとのことだった。親戚によると、ロラの名前を聞くとわっと泣き出し、次の瞬間にはなぜ泣いているのかわからなくなるという。
私は、ロラの姪と連絡をとっていた。彼女は次のように1日を計画していた。私が到着したら、ささやかな追悼式をおこない、祈りを捧げ、マヤントクの共同墓地の一画に遺灰を埋葬する──。
ロラが亡くなってから5年が経っていたが、まだ最後のさようならを言っていなかった。間もなくそのときが訪れようとしていた。
朝からずっと、激しい悲しみを抑え込もうと必死だった。ドゥーズの前で泣いたりしたくなかった。自分の家族のロラに対する扱いを恥じるよりも、マヤントクの親族が私にどんな態度をとるだろうかという不安よりも、彼女を失ったことの重さのほうが強かった。まるで前の日に亡くなったばかりのようだった。
ドゥーズは、ロムロ・ハイウェイを北西へと進み、カミリングで急カーブを左に曲がった。母と祖父の出身地だ。2車線が1車線になり、砂利道が泥道になった。道は、カミリング川沿いを走っていた。竹でできた家々が並び、前方には緑の丘が見えた。いよいよ大詰めだ。
物語の脇役であり続けたロラ
母の葬儀で述べた私の弔辞は、すべて本当のことだった。母は、勇敢で、活発だったこと、貧乏くじを引くこともあったけれど、彼女にできる限りのことをしたこと。幸せなときはキラキラしていたし、子供たちを溺愛していて、オレゴン州セイラムに正真正銘の「我が家」を作ってくれたこと。
1980年代と90年代を通して、その家は私たちがそれまで持ち得なかった「定住地」となった。もう1度ありがとうと言えたらいいのに。
私たちみんなが母を愛していた。
だが、ロラの話はしなかった。母が晩年になると、私は彼女といるときにはロラのことを考えないようにしていた。自分の脳にそういう細工をしないと、母を愛することができなかった。それが、親子関係を続ける唯一の方法だったのだ。
とくに、90年代半ばから母が病気がちになってからは、良い関係を保ちたかった。糖尿病、乳がん、そして、血液と骨髄の癌である急性骨髄性白血病。まるで1晩のうちに健常から虚弱へと転落したようだった。
あの大げんかのあと、私は家を避けるようになり、23歳でシアトルに移り住んだ。ただ、実家を訪れると、変化が見られるようになった。母はいつもの母だったが、前のように容赦ない人間ではなかった。
ロラに立派な入れ歯と寝室を与えた。ロナルド・レーガンによる画期的な1986年の移民法で、何百万人という不法移民に合法的な滞在が認められたとき、ロラのTNT(フィリピン人が言う「タゴ・ナング・タゴ」の略。「逃亡中という意味)としての立場を変えようと尽力した兄妹と私に母も協力した。
手続きは長引いたが、1998年10月にロラは米国籍を取得した。母が白血病と診断されてから4ヵ月後のことであり、母はそれから1年間しか生きられなかった。
そのあいだ、母と後夫のアイヴァンはよくオレゴン州の海岸にあるリンカーンシティへ出かけた。ロラを連れていくこともあった。ロラは海が大好きだった。海の向こう側には、いつの日か戻れることを夢見る島々があった。
それに、母がくつろいでいるとロラは幸せだった。海辺で過ごす午後や、田舎で暮らした日々の思い出話をするキッチンでの15分間だけで、ロラは長年の苦悩を忘れてしまうようだった。
だが、私はそんな簡単に忘れることはできなかった。でも、母の違う面が見えるようにもなってきた。亡くなる前に、母はトランク2つにぎっしり詰められた日記を見せてくれた。彼女が寝ているすぐそばで日記に目を通していると、長年私が目を向けようともしなかった母の人生が垣間見えた。
彼女は、女性が医者になることが珍しかった時代に医学部へ通った。米国へ来て、女性として、また移民の医者として、尊敬を勝ち取るために闘った。セイラムにある「フェアビュー・トレーニングセンター」で20年働いた。そこは、発達障害者のための公共機関だった。
皮肉なことに、母はキャリアを通じて弱者を助け続けていたのだ。彼らは母を崇拝した。女性の同僚たちと仲良くなり、一緒にたわいのない女子っぽいことをして遊んだ。靴を買いに行ったり、お互いの家でおめかしパーティーをしたり、冗談で男性器の形をした石けんや半裸の男性たちのカレンダーを贈り合ったりした。そのあいだずっと、彼女たちは笑い転げていた。
当時のパーティーの写真を見ていると、母は家族とロラに見せるのとは別の自分を持っていたことがわかった。それは当然のことだろう。
母は子供たち一人ひとりについて詳しく書いていた。誇りに思ったり、愛しく感じたり、憤慨したり、その日に感じたことを綴っていた。さらに、夫たちについての記述は膨大な量におよんだ。彼らは、母の物語に登場する複雑な性格の人物として描かれていた。
ただし、私たちはみんな重要な登場人物だったのに、ロラは付随的な存在だった。登場するとすれば、別の誰かの物語における端役としてだった。
「最愛のアレックスをロラが新しい学校へ連れていった。新しい友だちが早くできるといいな。引っ越ししたことの寂しさがまぎれるように……」
それから私について2ページ書かれ、ロラはもう登場しない。そんな調子だった。
母が亡くなる前日、カトリックの神父が臨終の秘跡をおこなうために訪れた。ロラはベッドの脇に座り、ストローを差したカップをいつでも母の口元へ持っていけるように備えていた。これまで以上に母を気づかい、これまで以上に優しくしていた。弱りきった母につけ込むこともできたし、復讐をすることもできたのに、ロラの態度は真逆だった。
神父は母に、赦したいこと、または赦しを請いたいことはないかと尋ねた。
彼女はまぶたが半ば閉じたまま部屋を見回したが、何も言わなかった。そして、ロラを直接見ることなく、伸ばした手を彼女の頭に乗せた。一言も発さずに。
「奴隷」から抜けきれない日々
ロラを私のところへ呼び寄せたのは、彼女が75歳のときだった。私はすでに結婚して2人の娘がいて、周りに木が生い茂る居心地の良い家に住んでいた。2階からはピュージェット湾を見渡せた。
ロラには寝室を与え、何をしてもいいよと伝えた。朝寝するなり、テレビドラマを観るなり、1日中ゆっくりするなりすればいい。人生で初めて、思いっきりリラックスして、自由になればいい、と。でも、そう簡単にはいかないと覚悟しておくべきだった。
私は、ロラの厄介なところをすっかり忘れてしまっていた。風邪をひくからセーターを着ろとしつこいこと(すでに私は40歳を超えているというのに)。常に父とアイヴァンの不平を言うこと(父は「怠け者」で、アイヴァンは「ヒル」だった)。
私は次第に彼女を無視する方法を身につけた。でも、異常なまでの倹約ぶりは無視しにくかった。ロラは何も捨てたがらなかったのだ。しかも、私たちがまだ使えるものを捨てていないか、ゴミを漁って確認していた頃もあった。紙タオルがもったいないと、何度も洗って使い回し、しまいには手のひらでボロボロになるほどだった(誰もそれを触ろうとしなかった)。
キッチンはレジ袋やヨーグルト容器、空の瓶でいっぱいになり、家の一部はゴミ置き場になった。そう、ゴミだ。それ以外に言いようがない。
朝はみんな時間がなくて、バナナかグラノーラ・バーをかじりながら家を飛び出すというのに、ロラは朝食を作った。ベッドメイクをして、洗濯物をした。家の掃除をした。最初は辛抱強く、私はこう言い続けた。
「ロラ、そんなことはしなくていいんだよ」「ロラ、自分たちでやるからね」「ロラ、それは娘たちの仕事だよ」
だが、「オーケー」と彼女は言ってそのまま続けるのだった。
ロラがキッチンで立ったまま食事をとっていたり、私が部屋に入ってくると体をこわばらせて掃除を始めたりするのを目にすると、イライラさせられた。数ヵ月経ったある日、話がある、と彼女を呼んだ。
「私は父じゃない。あなたは奴隷じゃないんだ」
そう言って、ロラの奴隷のような行動を一つひとつ挙げていった。彼女が驚いた様子なのに気づいたので、ゆっくり深呼吸してロラの顔を手のひらで包んだ。エルフのような顔のロラが、探るような目で私を見つめ返す。私はその額にキスをした。
「ここはあなたの家だ。私たちに仕えるために来たわけじゃない。リラックスしていいんだ。オーケー?」
「オーケー」と彼女は言った。そして、掃除に戻った。
彼女は、それ以外どうしていいかがわからなかったのだ。次第に、リラックスするべきなのは自分だ、と気づいた。夕食を作りたがるなら、やらせてあげよう。ありがとうと言って、自分たちは皿洗いをすればいい。何度も自分に言い聞かせなければならなかった。やりたいようにやらせてあげろ、と。
ある晩、帰宅するとロラがソファでパズルをしているところを見つけた。脚を伸ばして、テレビをつけ、隣にはお茶を用意して。彼女は私をチラッと見て、きまり悪そうに真っ白な入れ歯を見せて笑い、パズルを続けた。良い調子だ、と私は思った。
さらに彼女は、裏庭��ガーデニングを始めた。バラやチューリップや、あらゆる種類の蘭を植えて、それにかかりっきりになる日もあった。また、近所を散歩するようにもなった。
80歳くらいになると関節炎がひどくなり、杖をつくようになった。キッチンでは、かつては下働きの料理人のようだったのが、その気になったときだけ創作する職人肌のシェフのようになった。ときに豪華な食事を作っては、ガツガツ食べる私たちを見てにっこり笑うのだった。
ロラの寝室の前を通ると、よくフィリピンのフォークソングのカセットが聞こえてきた。彼女は同じテープを何度も繰り返し聴いていた。私と妻は週に200ドルを彼女に渡していたが、ほぼ全額を故郷の親戚に送金していることを知っていた。そしてある日、裏のベランダに座り込んだ彼女が、誰かから送られてきた村の写真をじっと眺めているのを発見した。
「ロラ、帰りたいの?」
彼女は写真を裏返しにして、そこに書かれた文字を指でなぞった。それから再び表に返し、1点を食い入るように見つめた。
「はい」と彼女は答えた。
83歳の誕生日のすぐあとに、彼女が帰国するための飛行機代を出してあげた。1ヵ月後に私もそこへ行き、米国に戻る意志があるなら連れて帰ることになっていた。はっきり口にしていたわけではないが、旅の目的は、長年のあいだ戻りたいと切望していた場所が、今なお故郷のように感じられるかどうかを見極めることだった。
彼女は答えを見つけた。
「何もかも違っていた」と、故郷のマヤントクを私と散歩しながら彼女は言った。昔の畑はなくなっていた。家もなかった。両親も、兄妹のほとんども亡くなっていた。まだ生きていた子供時代の友人は、他人のようだった。再会できてうれしかったけれど、昔と同じではなかった。ここで死にたいけれど、まだその心構えができていない。
「じゃあ庭の世話に戻る?」と私は訊いた。すると、ロラはこう答えた。
「はい。帰りましょう」
奴隷としての一生
ロラは、幼い頃の私や兄妹たちと同じように、私の娘たちの世話をしてくれた。学校が終わると、話を聞いてあげて、おやつを与えた。妻や私と違って(主に私だが)、学校の行事や発表会を最初から最後まで楽しんだ。もっと見たくて仕方がないようだった。いつも前のほうに座り、プログラムは記念にとっておいた。
ロラを喜ばせるのは簡単だった。家族旅行にはいつも連れていったが、家から丘を降りたところのファーマーズ・マーケットに行くだけで興奮した。遠足に来た子供のように目を丸くして、「見て、あのズッキーニ!」と言うのだ。
毎朝、起きると必ずやることと言えば、家中のブラインドを開けることだった。そして、どの窓でも一瞬立ち止まって外の景色を眺めるのだ。
さらに、自力で字を読めるようになった。驚くべき進歩だった。長年かけて、彼女は文字をどう発音するかを解明したようだった。たくさん並べられた文字のなかから、単語を見つけてマルで囲むパズルをよくやっていた。
部屋にはワードパズルの冊子が積み上げられていて、鉛筆で何千という単語がマルで囲まれていた。毎日ニュースを見て、聞き覚えのある単語を拾った。それから、新聞で同じ単語を見つけ、意味を推測した。そのうち、新聞を最初から最後まで毎日読むようになった。
父は、彼女のことを「無知だ」と言っていた。でも、8歳から田んぼで働くのではなく、読み書きを学習していたら、どんな人になっていただろうかと考えずにいられなかった。
一緒に暮らしていた12年のあいだずっと、私は彼女の人生についていろいろ質問をした。私が彼女の身の上話の全容を明らかにしようとするのを、彼女は不思議がった。私が質問すると、たいていまずは「なぜ?」と返すのだった。
なぜ彼女の幼少期のことを知りたがるのか? どうやってあなたの祖父と出会ったのかなんて、なぜ知りたがるのか?
妹のリングに、ロラの過去の恋愛について訊いてもらおうとしたことがある。妹のほうが話しやすいと思ったからだ。リングにそう頼むと、彼女はケラケラ笑った。その笑い方は、要するに協力する気がないということだ。
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ある日ローラと私がスーパーで買った食料品をしまっている時に、私はついこんな質問をしてしまった。
「ローラ、君は誰かとロマンチックな経験をしたことはあるかい?」
彼女は微笑んで、彼女が唯一持つ異性との話を私に語った。
彼女が15歳くらいの頃、近くの農場にペドロというハンサムな男の子がおり数ヶ月間彼らは一緒に米を収穫したという。そして一度、彼女はその作業に使っていたボロという農具を手から落としてしまったことがあり、彼はすぐにそれを拾い上げ手渡してくれた。
「私は彼が好きでした。」ローラはそう言った。
しばらく、お互い黙ったままで
「それから?」
「彼はその後すぐに立ち去ってしまいました。」
「それから?」
「それだけです。」
「ローラ、君はセックスをしたことがある?」私は、まるで誰か他人が言ったのを聞いたように、そう質問する自分の声を聞いた。
「いいえ。」彼女はそう答えた。
彼女は個人的な質問に慣れていなかった。彼女は私の質問に1つまたは2つの単語で答えることが多く、単純な物語でさえも引き出すには何十もの質問が必要だった。私はそれらの質問を通してそれまで知り得なかった彼女の一面を知った。
ローラは母の残酷な仕打ちにはらわたが煮えたぎる思いをしたが、それにもかかわらず母が亡くなったことを悲しく思っていたことを知った。彼女がまだ若かった頃、時々どうしようもなく寂しさを感じ泣くことしかできなかった日が何度もあったことを知った。
何年も異性と付き合うことを夢見ていたことを知った、私は彼女が夜に大きな枕で抱かれるように包まれた状態で寝ている光景を目撃したことがある。だが老後の今、私に語ってくれた話によると、母の夫たちと一緒に暮らすうちに独り身でいることはそれほど悪くないと思ったという。彼女はその二人、父とイワンについては全く懐旧の情に駆られないそうだ。
もしかしたら、彼女が私の家族に迎えられることなく故郷マヤントクで暮らしていたら、結婚し、彼女の兄妹のように家族を持っていたら、彼女の人生はより良いものになっていたかもしれない。だがもしかしたら、それはもっと悪いものになっていたかもしれない。ローラの2人の妹、フランシスカとゼプリャナは病気で亡くなり、兄弟であるクラウディオは殺されたと後に聞かされた。
そんな話をしているとローラは、今そんな "もし" の話をして何になるのかと言った。"Bahala na" が彼女の基本理念だった。
bahalaの本来の意味は「責任」。フィリピン人の性格を表現する時によく使われる「Bahala na(バハーラ ナ)」:何とかなるさは、「Bahala na ang Diyos(バハーラ ナ アン(グ) ジョス)」:神の責任である→神の思し召しのままに→運を天にまかせよう、というところから来ている。「Bahala」自体はそんないい加減な意味の表現ではないので注意が必要。 フィリピン語(タガログ語) Lesson 1より http://www.admars.co.jp/tgs/lesson01.htm
ローラは彼女が送ってきた人生は、家族の別の形のようなものだったと語った。その家族には8人の子供がいた、私の母と、私とその4人の兄弟、そして今共に過ごす2人の私の娘だ。その8人の子供たちが、自分の人生に生きた価値を作ってくれたと、彼女はそう言った。
私たちの誰もが彼女の突然の死に準備ができていなかった。
"彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。"
ローラは夕食を作っている最中に台所で心臓発作を起こし、その時私は頼まれた使いに出ていた。家に戻り倒れている彼女を見つけた私はすぐさま病院に運んだ。数時間後の午後10時56分、病院で、何が起きているのか把握する前に彼女は去ってしまった。すぐに全ての子供たちと孫たちがその知らせを受け取ったが、どう受け止めていいかわからない様子だった。ローラは11月7日、12年前に母が亡くなった日と同じ日に永眠した。86歳だった。
私は今でも車輪付き担架で運ばれる彼女の姿を、その光景を鮮明に思い出せる。ローラの横に立った医師は この褐色の子供くらいの身長の女性がどんな人生を歩んできたか想像もつかないだろうと思ったのを覚えている。
彼女は私たち誰もが持つ利己的な野心を持たず、持てなかった。彼女の周りの人々のためにすべてをあきらめる様は、私たちに彼女に対する愛と絆と尊敬をもたらした。彼女は私の大家族の中で崇敬すべき神聖な人となっていた。
屋根裏部屋にしまわれた彼女の荷物を解く作業には数ヶ月かかった。そこで私は、彼女がいつか字を読むことができるようになった時のために保管しておいた1970年代の雑誌のレシピの切り抜きを見つけた。私の母の写真が詰まったアルバムを見つけた。 私の兄弟姉妹が小学校以降獲得した賞の記念品も見つけた、そのほとんどは私たち自身が捨たもので彼女はそれらを "救いあげて" くれていた。
そしてある日、そこに黄色く変色した新聞の切り抜きが、私がジャーナリストとして書いた記事が大切に保管されているのを見つけ、泣き崩れそうになった。彼女は当時字を読めなかったが、とにかくそれを取っておこうとしたのだ。
竹と板でできた家々が並ぶ村の中央にある小さなコンクリートの家に私を乗せたトラックが止まる。村の周囲には田んぼと緑が無限に広がっているようだった。 私がトラックから出る前に人々が家の外に出てきた。運転手は座席をリクライニングにして昼寝を取りはじめた。私はトートバッグを肩に掛け、息を呑み、ドアを開けた。
「こちらです」
柔らかい声で、私はそのコンクリート製の家へ続く短い道に案内された。私の後を20人ほどの人が続く。若者もいたがその多くが老人だった。
家に入ると、私以外の人たちは壁に沿って並べられた椅子とベンチに座った。部屋の中央には何もなく私だけが立っていた。私はそのまま立ちながら私のホストを待った。それは小さな部屋で暗かった。人々は待ち望んだ様子で私を見ていた。
「ローラはどこですか?」
隣の部屋から声が聞こえ、次の瞬間には中年の女性が笑顔を浮かべこちらに向かってきた。ローラの姪、エビアだった。ここは彼女の家だった。彼女は私を抱きしめて、「ローラはどこですか?」と言った。
私はトートバッグを肩から降ろし彼女に渡した。彼女は笑顔を浮かべたままそのバッグを丁寧に受け取り、木製のベンチに向かって歩みそこに座った。彼女はバッグから箱を取り出しじっくりと眺めた。
「ローラはどこですか?」
と彼女は柔らかく言った。この地域の人々は愛する人を火葬する習慣がなかった。彼女は、ローラがそのような形で帰ってくることを予想していなかった。
彼女は膝の上に箱を置き、その額を箱の上に置くように折れ曲がった。彼女はローラの帰還を喜ぶのではなく、泣き始めた。
彼女の肩が震え始め、泣き叫び始める。それは私がかつて聴いたローラの嘆き悲しむ声と同様の悲痛な叫び声だった。
私はローラの遺灰をすぐに彼女の故郷に返さなかった、これほど彼女を気にしていた人がいたことを、このような悲しみの嵐が待ち受けていることを想像していなかったのだ。私がエビアを慰めようとする前に、台所から女性が歩み寄り彼女を抱きしめ共に泣き始めた。
そして部屋が嘆き声の轟音で包まれた。目の見えなくなった人、歯が抜け落��た人、皆がその感情をむき出しにすることをはばからず泣いた。それは約10分続いた。気づけば私も涙を流していた。むせび泣く声が止み始め、再び静寂が部屋を包んだ。
エビアは鼻をすすりながら、食事の時間だと言った。誰もが列を成してキッチンに入る。誰もが目を腫らしていた。そして急に顔を明るくして、故人について語り合い、故人を偲ぶ準備を始めた。
私はベンチの上に置かれた空のトートバッグをチラリと見て、ローラが生まれた場所に彼女を戻すことが正しいことだったと実感した。
原典
『My Family’s Slave』By Alex Tizon(The Atlantic)
She lived with us for 56 years. She raised me and my siblings without pay. I was 11, a typical American kid, before I realized who she was.
翻訳
https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2017/06/lolas-story/524490/
https://kaikore.blogspot.com/2018/01/lolas-story.html
https://courrier.jp/news/archives/89516/?utm_source=article_link&utm_medium=longread-lower-button&utm_campaign=articleid_89495
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2021.10.3
①昨日の新しい関係の中で、わたしが学ぶことはなんですか
2. Isis : The High Priestess
この前は、「無邪気に見つめなさい」で出てきた気がする。 もとは「広い視野から見る」みたいな意味に感じることがあるけど、今日はそうじゃない。「自分の内側を見つめる」という感じ。ちょうど胸のところが隠れていて、その裏、胸のうち、心の内側を見る、という感じ。
わたしって、なんでこういうふうに考えているんだろう?というのを見つめ直すことを、この関係の中でやっていくことができる。そもそもを考え直せる。読んだものや友人の意見を批判的に受け止めるのが難しいなと思っていて、自然に共感したものを深く考えずに自分の意見にしていることも多いので、そういうものを深く掘り下げていく。どこまでが、とか、どこからが、とか、色々の、自分の中で曖昧になったままでいる倫理の基準を、その線を、見て、引き直せるならそうする。その営み。 「混沌の中に秩序を見出すのも、秩序の中に混沌を見出すのも美しい」。朝、タオルで身体を吹きながら思っていた謎の言葉が、ここで繋がった。
②相手に何を与えられていますか?
23. Maya : How She Spins 35. As Above / So Below 49. Cutting Through 18. Soma
相手のこと聞いてもそうなのかはわかんないのにねえ。軽く。
18は人智を超えた直観、49は思い込みからの解放、35は似ているけど違う。23はなんで繰り返し?とかデタッチメント?とか思ったけど違くて、斜めだってことが気になった。これは③でわかる。
③その関係性の中で、何が循環しますか?与えあい、循環しますか?
24. Solar Return 60. Taking Up Arms
24は原点に帰ること。さっきの、自分を見つめ直すみたいなものと似ているね。
64、絵からとったらものすごくてびっっっっくりした!!!!四本の腕が、「色んな可能性」、乗っている亀が「よって立つ基盤」という感じ。亀は、重くて硬くて堅固で動きそうにもないことだけど、岩じゃなくて、亀なの。動くことができるものなの。自分の乗っている基盤を、岩だと思い込まない、亀であって動くのだということを見て、そこに色んな可能性を見出していく。岩だと思ってるうちは見えないけど、見方を帰ると亀だってわかるの、それには思い込まないで、「本当にそうなの?」が大事。 それが「斜めから見る」ってことなのかもしれない、その斜めは客観的には斜めかもしれないけど(地球という球体の上では、遠くから見たらきっと誰もが斜めに立っている)、主観的には、中心に向かって真っ直ぐに立っている態度だから。これが23のときのことか。 うちらが話しながら、というか生きながらやっていることって多分それで、それを共有したり伝えあったりできたからすごく楽しかったんだと思う。当たり前を疑って色んな可能性を見たい、それなのよ。
あと、60の背景のオレンジのやつが、バレエの発表会のときの記念撮影のときの撮影ブースみたいだなって思って、そしたら24もめちゃくちゃカメラのレンズだって気づいた。同時に、レンズは目だ、ということも感じた。めちゃわかる、わたしは忘れたくない風景に出会うと、ああ、この目で、まぶたでシャッターを切れたらいいのに、って思うから。わたしがそのひととなぜ関係したいかって、まなざしに理由があるので、これはすごくよくわかる。循環してるんだったら嬉しいけどね。わたしは相手のまなざしや目の感じをとどめておきたいと感じているから、相手にとっても自分のありようがもしそうなら嬉しいなと思う。
④新しい人間関係をつくっていくために大事なことは
20. Transformation
性、第1チャクラのエネルギーは、抑圧せずに、正しい(魂の観点から)方向に向けようね。蛇の身体に通すみたいに、方向を向ければ、さらに圧力も高まる。あと、変わりたい先も、今も、同じだよ。これこの前も、「与えるなら」みたいなので出てきたな?
今日は、上の宝石が、真正面から見た蛇の顔に見えた。「真正面から見なさい」だ。「目を曇らせるな」だ、この緑の目に見えるやつ、宝石で輝いている。真正面から、その人を見て、見えたものだけだよ。あらかじめある予見や思い込み、自分の希望などで、目の前にいる人を見誤らない。そして、そこで生まれてくるものの邪魔をしない。こうなってほしいとかこうなりたいとかで、相手を変に見たりコントロールしようとしないで、目の前に見えるものを受け取って、それに反応していく。自分の中だけでつくりあげない。
その人が持っている蛇が「a」に見えて、「はじまり」と思った。
⑤その関係性によって、自分がどう変容するか
過去:49. Cutting Through 現在:63. Centering / The Present 未来:58. Chameleon
49は、きっとずっと心の中、魂の中心にあったものに対しての、思い込みからの解放だろうな。ひもの先についている金具が、人魚に見えて、人魚姫だ、と思った。(読めなかった)
63は、最近よく出てきてくれる。現在のところに現在のカードが出てくるのすごすぎる。確かに今、「今」に集中して、受け取れるものを受け取りたいという気持ちが強い。そして、背景の月のクレーターみたいなやつが今回はなぜか「泡」だと思って、人魚姫と繋がってた。この泡は、宇宙の泡構造のことだな、と思って、並行世界の自分、違う選択肢を選んでいた自分、ああだったかもしれない、こうなるかもしれない自分、というものではなくて、他でもない「今・ここ」なんだよ、という感じだ。
58は、自分であるからこそ、周りに順応していけるカード。生命の樹で引いたときに中心に出てきて、えーこんなの一番向いてないしやりたくないことだよ、と思っていたが、今やろうとしてることって思い切りこれなんだよね。素直でいよう、自分自身でいよう、そして、その状態で周りと関係していきたい、って思っている。そしてそうなりつつあると思う。カメレオンが、色は変えてもカメレオンであることに変わりがないということと同じ。わたしはわたしだよ。この58は、顔の影が、石の中にあらわれるスターみたいに見えた。願望が叶うこと、だね。そういう自分になれるよって。 それから、その影の下の部分は、また49と似て両手を広げるひとに見えて、タイタニックだ、と思った。タイタニックは、他のものは置いても、大事なものだけは手元に持っている、という感じ。それから、自分が生きているから、相手がいなくなっても、相手とはぐくんだ愛は自分の中にある、という感じ。
49と58のこと、読めなくて母に後で聞いた。49の人魚姫のやり方は、人魚姫の方だけで勝手に盛り上がって、(彼女は好きだからと王子に気持ちを伝えるための声を失った!)コミュニケーションをとりながら相手と一緒に関係性をつくっていく、ということはしなかった。何も伝えないままで、ただ自分の中だけで王子を好きだからと、声を犠牲にしたり、自分の世界を捨てたり、色んなものを犠牲にした。でも、それってどれだけ王子に伝わってる?って言ったら多分マジで何にも伝わってない。ただただ、人魚姫の厚意だけで、人魚姫が進んで犠牲になっていた。王子はそれを頼んですらいない。そういう愛のあり方や、関係のあり方、やり方、作り方って、本当に本当に「二人のもの」なのか?独り相撲ではないのか?それって虚しいし、ある意味で押し付けがましいのかもしれない。最後にはそれで自滅してしまう。58の影を見て、「投げかける」というワードが浮かんだのだけど、それって、相手に自分を投げかけて関わっていくことだったり、言葉やそのほかを投げかけて、相互関係の中でコミュニケーションをとっていきことだなって。すごいなあああ。
一人で相手像を作り上げて解釈して進んでいくのではなく、相手とのやりとりの中でやっていく、そういうふうになるのね。いつも、自分の中で空想するのが好き(相手から返答が来たら、自分の空想より味気なくて幻滅するし、想像の余地がなくなって狭まってつまんない、わたしは空想の中でこねくり回すのが好き!)と思っていたが、そろそろやっとそういうかんじじゃなく真っ直ぐに相手を見て受け止めてそこからやっていくことができるのかもしれないな。
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僕の中で艦これが一旦終わった話
2013年10月の着任以来、6年以上続けてきた艦これ。イベントは道中海域含め全て甲で突破し、2015年12月5日に初風を入手して図鑑コンプリート状態となってからは常にこれを維持してきた当鎮守府ですが、ついに終わりを受け入れることにしました。
順を追って考えをまとめます。
乙攻略を決定した
現在開催中のイベントE-5海域は乙で攻略することにしました。甲で挑んで突破できないことはありません。しかしながらE-5で秋霜と平戸の掘りが残っていること、甲と報酬に差異が殆どないこと、艦これに割ける時間が多くないこと、E-6は甲で挑む予定であることなどの理由から、乙で攻略することにしました。
秋霜と平戸掘りで沼りに沼って釣果ゼロであることは先稿の通りです。しかし掘るのを諦めたわけではありません。友軍が実���されましたけどE5-2で難関なのは道中であり、周回速度を高めたければ海域全体の難易度を下げる必要があると判断しました。
甲と乙の突破報酬の差異は、緊急修理資材1と新型航空兵装資材2だけです。装備報酬については全く同じものが貰えるため、艦隊戦力の観点から取りこぼしはありません。
艦これに割ける時間が多くないのは、イベント開催時期の中でも今が特別です。当社の決算確定申告が迫っています。年末までに株主総会や決算関連作業を完了しなければなりません。イベントは早朝と深夜で攻略しており、体力がもう限界です。
E-5を乙で攻略するからといって、最終海域E-6の甲種突破を諦めたわけではありません。E-5の難易度を落とすにしても、次海域を甲で挑める乙に留めることにしました。
僕の艦これはずっと前に終わっていた
今までイベント海域をオール甲で突破してきたのは事実��すが、詳細に表現するならば「今までオール甲で突破できてしまっていた」が精確です。
先行勢の情報を集め、最適な編成や装備を組み、手順通りに攻略を進めていたのですから、そりゃ甲で突破できるよねと。長くやってるのだから練度や装備もそれなりに高水準だし、そりゃ当然だよねと。情報がないままに挑んでいたら果たして丙だって完走できるかどうか怪しいです。
攻略に関してはそんな感じで難しくともなんとか突破できるのですが、掘りに関してはそういきません。掘りだけは運否天賦、リアルラックが全てです。熟練者だろうが初心者だろうが一様に平等です。今回はその波に飲まれましたね。
今は清々しくも思っている
このような経緯でE-5を乙種攻略することにして、全海域オール甲が途絶えるのを受け入れることにしたわけですが、悔しさより清々しさを感じています。いつか甲を取れなくなる日が来るとは思っていたけど、それが今回のE-5で良かったなと。
初めて難易度を落とすのが最終海域で甲種勲章のかかっている場面だったら、たぶん艦これを辞めてしまった思います。僕の中で艦これに対する感情は好き/嫌いではなく、嫌い/嫌いではないのせめぎ合いです。今回の決定で艦これを嫌いにならなくて済んだと、割と前向きな気持ちでいます。
今後の方針など
今回のE-5乙攻略決定によって、もう艦これで生涯オール甲は叶わなくなりました。一方で以下の項目については今後も維持していく方針です。
イベント完走
甲種勲章の継続
新規実装艦の確保
嫌いにならない
これも艦これを続けていくのに必要なことだったと思っています。艦これ辞めたくないですからね。
攻略再開の進捗状況
E-5を乙で攻略することにしたところで、既にE5-1は再突破しました。乙で攻略すると言いましたが、再攻略の1本目については甲で割りました。

出撃6回、S勝利5回で、ほぼストレートで終わりました。1本目を甲で割ったのは平戸掘りを兼ねていたからなのですが、まあ出ないよね。
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昨日、昼寝で見た夢
倉庫で作業してドアが開かない。スピ系の工事の人がドアの前で座っている。どいてくれるように言うと、ドアに穴を開けて壊して、そこから出られるかと言う。出られるわけないじゃん。遠回りして、別の場所から倉庫を出る。壊したドアをちゃんと直してもらわないと困る。
花火が真上に。きれい。月と重なっている。
写真を撮ろうとカメラを向けたら終わっちゃった。
爆発みたいな煙の写真になっちゃった。
夢占いで倉庫の夢があらわす意味には、およそ次のようなものがあります。 収納スペースである倉庫。 夢占いでは、過去をあらわす場所です。 夢の中の倉庫に詰められている物は、あなたの過去の記憶、体験、感情などを象徴しているでしょう。
過去の経験の中に現状を打開するヒントがある、という暗示です。 おそらく、今抱えている問題には、過去に遭遇した問題と同じ共通点があるはずです。
そこに着目することで、勝機が見えてくるでしょう。
また、取り出した物は一体なんでしたか? おそらく、そこにも大事な意味が示されているはずですよ。
(え? 忘れた。コップぐらいの大きさのものが多数)
ドア・扉を開けようとしても開けられない夢は、今の状況では現状を打破することが難しいことを暗示しています。
まだ努力のときです。変わらぬ努力を積み重ねることで、目標や願いが達成して新たな世界に踏み出すことができます。諦めずに今できるベストを尽くしましょう。この努力が身になって飛び立つ日が訪れることをあなたに伝えようとしています。
ドア・扉のどこかが壊れている状態なら、急な体調不良が訪れることを暗示している可能性があります。今現在、何らかの不調を感じているのであればすぐに病院を受診しましょう。今は何も症状がないとしても、急な体調変化に注意してください。
また、恋愛に関しては失恋を予期する可能性もあります。片思い・両想いに関係なく、近い未来に恋愛関係が突然破綻するかもしれません。今ならまだ間に合います。駆け引きなどせずに、あなたの気持ちを素直に相手に伝えるようにしてくださいね。
倉庫に閉じ込められてしまって、出たくても出れない… そんな夢を見てしまったら要注意です。
この夢は、あなたの心が何かに縛られ、自由を奪われた状態にいることを示しています。 おそらく固定観念、思い込みなどが邪魔をしているのでしょう。
そのせいで、なかなか心が前向きに慣れずにいるようです。 あるいは、自分を強く否定する気持ちが拭えないのかもしれません。
つまり、あなたを縛っているのは、あなた自身だということ。
まずは、何があなたを縛っているのか、その正体を突き止めること。 その上で自分を解放していくステップを進めていくようにしましょう。
夢に現れた友人や知人が、あなたの悩みや問題を解決する手助けをしてくれる可能性が高いです。
ドアが閉じていた場合、あなたは対人関係のトラブルや人を拒む気持ちで心身ともに疲労しています。友人や知人に相談することで、苦手な相手とうまく距離を置くことができるようになるでしょう。
花火の夢の意味/心理を解説 花火はあなたの現在の目標を象徴しています。 夢の中であなたが見た花火がとてもキレイで、印象深ければ深いほど、あなたの目標が大きいために不満を感じ、ストレスを抱えている状態とされます。 夢占いでは、あなたが 周囲への見栄を張るために、散財してしまう可能性 を暗示しています。
突然花火が上がる夢を見たあなた��は、チャンスは突然にやってくると夢は暗示しています。
チャンスはいつどこで起きるか分かりません。
チャンスを上手く掴み取ることが出来ればあなたの願望は叶うと夢は教えてくれています。
チャンスがいつきても大丈夫なように気を抜かずにいつもの力を発揮できるように準備万端の体勢でいつもいられるようにしてくださいね。
きれいな花火の夢を見たあなたは、日常に飽きてしまっていると夢は暗示しています。
あなたは変わり映えのない、いつも同じような日常に退屈をしていて刺激を求めていると夢は教えてくれています。
この機会にいつもとは違うことをしてみたりするのもいいかもしれませんね。
少しいつもとは違うことをするだけで日常に変化が起こります。
あなたもいつもと違うことをすることで気分転換になったり新しい発見をすることでしょう。
月が夢に出てくるのは、愛情や家庭運、良好な人間関係を言います。 また、その月の雰囲気から、女性自身、ロマンスや幸福、創造性を表します。 月は、形、状態によっても意味が異なります。出てきた月の状態を覚えておくと、掘り下げた解釈が可能となります。 月が輝く夢は、人間関係が華やかに、対人運が上昇する暗示です。 月は女性を表すことから、夢を見ているのが、女性なら、貴方自身に結婚をするチャンスが巡ってくる兆しです。 男性なら、結婚を望む女性と巡り合う前兆です。
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ほとんど息継ぎなしで書いてみる
今日もなんとなく考えていることを書く。でも、今日はそういうのは無理かもしれない。
そういうのは無理というのは要するに、何かを深めていくような考え方はできないかもしれないということ。昨日は、ひとつの問いからどんどん沈んでいくような書き方だった。本当に沈んでいくという言い方がふさわしいと思う。深まっているかというと、それは分からない。でも、高度的にどんどん低くなっていっていたし、ただ低くなるだけじゃなくて、地面の下に潜り込んでいくような趣があった。その地面はぬかるんでいる。どろどろしている。深まれば深まるほど、なんとなく自分が気持ち悪くなった。
「深まっているかというとそれは分からない」と書いておきながら結局「深まれば」と書いたということは、自分は昨日の文章に対して深めている感覚があったというか、もしくは自分は言語の使い分けに対してかなり雑にしか考えていないか、そのどちらかなのだけれど、多分前者だと思うし、書きたいこともそっちだから前者として考える。自分は昨日の文章に対して、深めている感覚があった。ここから、今日、ていうかさっきぼんやりと考えていたことに入る。それは、一つの考えを深めていくのはなんとなくキモいということである。いや、前言撤回。ひとつの考えを深めるのは別にキモくない。でも、なんていうんだろう。プールの水をかき混ぜるのとコップ一杯の水をかき混ぜえるのは違って、自分がやっていたのは後者で、それでいていい気になっていたのではないかということが言いたい。
多分、文章がかなり読みにくい感じになっている。でもそれでいい。今日は文章の乱れを気にしないようにする。それはある本を読んだからである。その本の話もちょっとしたいけれどしていたらあまりにも脱線しすぎるから今はしない。話を戻すと、自分は自分の内面を掘り下げることで悦に浸っているところがあるのではないかということ。内面を掘り下げるのは、かなり私的な行為だと思う。だからそれを、ひとりでノートに書き留めているならいい。誰にも読まれない前提で、ネットの端っこで細々と書き続けているならいい。でも自分はそうじゃない。自分は、それを誰かに読まれたいと思っている。いや、それは正確じゃない。もっと言えば、誰かに評価されたいと思っている。内面を掘り下げた文章を、誰かに評価されたいと思っている。
図らずも、今日も内面についての文章になった。もしかしたら測っていたのかもしれない。そんなことはどうでもいい。また話を戻す。内面について語る、自分自身について語るその行為は、本来とても私的なものであると思う。他の誰でもない自分について語るのだから、そうなるのは当然だと思う。でも、そうなっていない。自分は何かしらの基準を元に、内面を掘り下げている。どこかにたどり着くべきゴールがあるという前提で、内面を掘り下げている。ここで、内面が可視化できたとしたらそれはどんな姿をしているかについて考えてみる。えらく勿体ぶった言い方をしてみたけれど、要するに内面ってどういうイメージだろう、っていうことだ。内面は、深海とか暗闇とか、暗くて深くて色彩に乏しいイメージがある。「深海」と書いたイメージで「樹海」も書いてみようかと思ったけれど、樹海にはならない。樹海には色の違いも明度の違いも、深海よりはっきりしている(と思う)。樹海は内面のイメージではない。深くて誰もいなかったとしても、内面のイメージは樹海にはならない。内面にはダイレクトに太陽が差していないイメージがある。でも、本当にそうなのか。意外と人の内面って、深海とか井戸の底とかそういうものではなくて、クラブみたいな金髪ギャルとグラサンムキムキ男たちが踊り狂っている場所である(イメージが貧困)可能性だってあるんじゃないか。いやクラブでもないな。なんだかんだ言ってクラブも暗いし、自分のイメージではちょっと隠れた場所のイメージだから、まだ深海のイメージを脱し切れてない。もっとシンプルに海辺だ。海の側じゃなくて砂浜の側が内面かもしれない。それもしゃがみ込んで砂を掬って手を広げて指の隙間から砂がこぼれ落ちていくのを見ているような、そういう孤独なイメージでもなく、もっとパリピな、それこそ色黒金髪タトゥー、意外とポテ腹、みたいな人が屯しているビーチバレー場が、人間の内面世界に近いのかもしれない。
逆張りが目的になって本題から逸れた。少し冷静になりつつ話を戻すと、要するに内面を掘り下げていくことは暗い海の底に潜っていくこととは実は違うのではないかということだ。深い海の底に潜っていけば自分の本心に出会えるというのはどこから得てきたイメージだ? ということだ。多分、ここのイメージはぶっちゃけなんだっていいんだと思う。大事なのは、それが自分で掴んだ手触りのある実感かということだ。高校生の頃、「アオハライド」という漫画を読んだ。去年わざわざAmazonで買ったくらい、なんか分からないけどけっこう好きな漫画だ。そのアオハライドの中で、一人の女子生徒が進路面談で教師に「卒業したら自分探しの旅に出ます」と言うシーンがある。教師はその言葉に対して「自分探しって言うけど、じゃあおれの目の前にいるあなたはいったい誰なの? ちゃんとあなたでしょ?」みたいなことを言う(雑)。それをきっかけに女子生徒は教師のことを好きになる。こんなこと実際にあるのかというのは置いといて、このセリフはけっこう印象的だった。それは多分、よく語られることとは逆のことを言っていたからだ。こういう漫画(青春系の漫画、高校生とか、いわゆる「思春期(オエッ)」が読むことを想定されている漫画は、あんまりこういうことを言わないと思う。少なくとも、自分探しの旅に出ることを奨励しない教師に対して反抗的な態度をとって、その後、友達とカラオケとかに行って、カラオケでも教師の言葉が頭から離れなくて、隣ではしゃいでいた友達に曲間で「浮かない顔してんじゃん。なんか悩んでんの?」みたいなことを言われて、二人は部屋を出て屋上とかそれに近い場所で話をして、その女子生徒は友達から何か心に刺さ��言葉を言われる。要するに僕が言いたいのは、教師の言葉に対して一発で素直に魅了されるのはあんまり高校生が読者であることを想定した漫画っぽくないと当時の僕が思ったということだ。
青臭い言葉が嘘臭く感じられるとき、それと対極にある言葉に活路を見出すのはそんなに珍しいことじゃない。物分かりが良いふりをするというか、ある種の諦念を持って、抗ったって仕方ないものに対して抗わない「ポーズ」を取ることはそんなに珍しくないと思う。でもそれはどっちが上とか下とかそういうことではなくて、どちらも借り物の考えである時点で同じだということだ。ヨルシカの「ずっと叶えたかった夢があなたを縛っていないだろうか」という「チノカテ」の歌詞も同じ。あれも別に叶いそうもない夢にそれでも食らいつき続けることが良いとか、距離をとって自由になった方がいいとか、そういうことではない。どちらも同じ。変わりない。あれ、さっきすごい大事なことを思った気がするんだけどなんだっただろう。
その言葉は常に自分が骨身を削って得た言葉じゃないと意味がないということかもしれない。おっとまた意味とか言っている。こういう排他的な言葉は良くない。でも排他的な言葉が良くないと思うのはそれによって排される人がいるからではなく、一つの考えしか認められない自分の偏狭さが嫌になるからだ。最近つくづく思う。自分が納得できない、理解できない感覚に対して否定の言葉を発しないのは、9割5分自分のためだ。でもこれに関しては誰のためでもいい。理解できない、感じ取れない感覚に対して即座に否定的な言葉を発さない方がいいとある程度冷静な状態で思うから、理由はなんであれその姿勢は崩さない方がいいと思う。結局、その姿勢を崩そうとするのも、自分は他の人間たちとは違うという選民意識(?)の表れで、他の人たちが良心が邪魔してできないことをやろうとするのは、自分が他の人に見えないものが見えているからだという思い込みから生まれていると思う。だめだ。こういうことを考えようとすると過剰に社会的なものの目が気になる。社会的なものっていう言葉はキモい。でもなんか「誰かを傷つける」ということについて、もっと自由に、ありのままに、自分の感覚を総動員して考える機会を作った方がいいのかもしれないとは思う。こういう場所じゃなくて。ノートとか、自分以外絶対に誰も見ない場所で一回考えた方が良いのかもしれない。いやだめだ。それだったらきっと自分は書かない。今、自分は、誰かに見られているという意識の元に書いている。だからその感覚が完全に抜け落ちた状態では、この勢いでもって文章を書けるか分からない。本当に勢いだけは良い。
また割とどうでも良いことを書いてしまった。この文章の勢いについて言及する必要はなかった。でも多分、この「自分が納得できない、もっと言えば排除したいと反射的に思ってしまうような人がいたときにどうするか」と「内面を掘り下げようと思ったときに邪魔をしてくるどこから得たかも分からないイメージのうざさ」は、「自分の頭で考えていない」という点で共通しているのかもしれない。そういえば、夏休みインターンに行った会社の社長が、しきりに考え続けることの大切さ、思���を止めないことの重要さについて言っていた(多分)。←こういうときは「おっしゃっていた」って書くんだよ/ それで、その時自分は「なんで考え続けることが絶対善みたいに言われているんだろう」と思った。実際にグループワークのときに言ったりもした。でもその言葉は「考え続けることが辛い状況の人もいる」という言葉で違う話にえられた。「考え続けることが辛い状況の人もいる」という視点はとても大切なものだと思うけれど、でもここでそれ以上深められなかった自分の考えのことを思う。(深められなかったとか言ってる、きもっ)考え続けることは絶対善か。普遍的な話ではない。自分個人においてだ。いや、別にこんなこと考えてもどうにもならんか。多分脱線したかっただけだな。要するに言いたかったのは、「本当に自分の頭で考えることが重要だと思う」ということ。でもこの言葉もなんか、「内面に潜っていく」とかと同じ匂いがするんだよなあ。
自分はこの匂いを嫌っている。なんていうんだろう、正そうな言葉、ただ正しいだけじゃなくて、教科書的な正解からは離れたうえでそれでも強く機能する言葉。めっちゃどうでも良いことを言う。パソコンで「きのう」とタイプしたら昨日の日付が出てきた。パソコンて賢いんだね。よしよし。(こんなこと言ってたら将来AIに殺されるような気がする)話を戻すと、教科書から離れたうえでそれでも「正しさ」として強く機能する言葉。自分はここに気持ちの悪さを感じる。画一的な正解を否定したうえで正解を固定せず考え続けることを押しつけるみたいなそういうこと。なんかもうそういう全部から自由になりたい。そういう全部から自由になるのにわりと最適なのが、さっき書いた「パソコンて賢いんだね」みたいな言葉だと思う。なんでもない。正しも間違ってもない。ただふざけている。別にそこにおかしみがあることが必要だと言っているわけじゃない(この言葉におかしみを感じるかは人それぞれだと思います)。そういうなんでもない言葉。言葉と言葉のつながり合いの中でふっと差し込まれる言葉。それまでの繋がりの中から自由になっている言葉。そういうものがあると良いよねと言っているのかもしれない。
とここまで書いたところで疲れてきた。ちなみに自分は、その「なんでもない言葉」が小説によって実現できると思っている。思っているだけで、実現できるかは分からない。そもそも考え方が色々間違ってるかもしれないし、ていうかさっき差し込んだ「パソコンて賢いんだね」が本当に「なんでもない言葉」として機能しているのであれば、自分はもうすでにそれを実現していることになる。だったら、わざわざ小説で実現しようとする必要がない。前にも書いた(かもしれない)けれど、自分は最近、小説という言葉を使いたくないと思っている。小説と書く度にテンションが下がる。「小説」という言葉は、和服きて卓上机の前に座っている(低めの机の呼び方って卓上机で合ってますか?)いわゆる「文豪」のイメージを内包している。(最近、自分はよく「内包」という言葉を使っている。よくではないか。バイト先で使っただけかもしれない)そのイメージは良くない。理想を言うなら、文章は走りながら書くものだと思う。ちょっとよく分からない。走りながら書くは嘘だけれど、身体性のある文章を書きたいなと思う。それは、読んだときに「美味しそうっ!」って思う文章じゃなくて、体のままならなさが流れとして表れている文章だということ。
「体のままならなさ」という言葉について考える。自分は(少なくとも身体的には確実に)男性である。(本当に確実にだろうか)男性である自分が持っている薄い知識によると、女性の方が自分の意思とは関係のない体の動きに翻弄されることが多い。だから男性である自分が「体のままならなさ」という言葉を使うのは、ふさわしくないんじゃないだろうか、と思う。でも本当にそうか。それはふさわしくないのか。というか、なんでふさわしくないのか。そこで「ふさわしくない」と思うようなものの考え方が何よりふさわしくないのではないかと思ったので、自分個人の感覚について書いてみる。「体のままならなさ」について。まず自分は、じっと座ってられない。自分が机の前に座って何か書こうとしたとき、絶対に一文字目を書くより先に「今日の座りはどうか」ということについて考える(ことについて邪魔だな)。座りの良さ、それは骨盤の立ち方、骨盤の立ち方、それは腹の力の入り方、腹の力の入り方、それは背中の力の入り方、背中の力の入り方、それはふくらはぎの感覚、今書いた順番で意識が向かうわけではないけれど、主に自分は、このあたりの感覚が座っているときに気になる(あと肩と首も気になる。ほとんど全部かもしれない)。別に自分は、たとえば冨樫先生のように椅子に座っている状態じゃとても作業できないくらいの痛みを感じるわけではない。というか気になっているだけで、そもそも痛みは感じていない。自分が能動的に感じているだけだ。能動的に感じようとした結果、今となっては標準装備になっているだけだ。それはサッカーをやっていた頃の産物だけれど、原因の話をすると本当に話したいことが話せないので今はしない。
と、ここまで書いたところでLINEが気になり確認すると、お久しぶりな人からLINEが来ていた。今開くか帰ってから開くか悩んだ結果誘惑に負けると、それがただの業務連絡であることが分かった。自分がやるべき作業をできていなかった結果届いた業務連絡だから完全に自分のせいだけれど、悲しい。そんなのどうでも良いじゃねえかと言いたくなってしまう。
というところで本題に戻ろうと思います。えーっと、体のままならなさについての話でしたね。だから僕は(ヨルシカっぽい)、小説を書くとき、いや小説を書くとき以外でも、何か書いているときはその書いている内容とあまり変わらない割合で、体の状態についても考えているのだと思う。いや、「考える」という言葉を使うほどには考えていない。というか、感じたものについて突っ込んではいないから、多分、考えてない。でも感じたことをそのままにもせず、ある程度言葉にはしようとしている。言葉にすると言っても「今の腹の力の入り具合は小学生のときに腹痛でトイレから出られなくなったときに似ている」とかではなく、純粋に「なんか腰の調子良くないな〜」程度だ。あーなんかどうでも良くなってきた。要するに(困ったときはとりあえず要する)、小説を書いているとき、僕は小説の内容と同じくらい、自分の体の状態とも向き合っているのではないか、ということです。言い過ぎのようにも思えるけれど、多分、そんなに言い過ぎてもない。何か書こうと思ったとき、その時の座りの良さはわりと切実な問題。何か書くとき僕は大抵外に出るのですが、それは家の中だと座っていられないからです。三十分も経たず、床に寝転びたくなります。寝転ぶのを我慢できても、絶対、足を椅子の上に乗せたくなります。足を椅子の上に乗せてもデスノートのLみたいに思考が巡るなら良いですが、僕はそうではありません。膝を立てたら、しっかり立てた膝のこと、膝を曲げたことによって角度が変わった腰のことが気になります。なんか文字数を埋めるために書いてる気がしてきましたというところでもめげずに書き続けてみましょう。
やっぱりマジで疲れたのでここまでにします。「身体性と小説」については明日続きを書きたいです。(身体性と小説について書きたいんだろうか)
また次回!!
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最近、子供が死ぬ夢をよく見る。
大体、死因ははっきりとしない。突然死んでいることになっている。死んでしまってもう居ないところから夢が始まる。
これがきつい。
あるはずの物がなくなって初めて死を知るという感じだ。「居るはずの人」ではなくて「あるはずの物」という感覚が強い。
なぜ人ではなくて物と感じるのかははっきりと説明できないのだけど、赤ちゃんのころから家の中に子供というのは存在し、それを保護して育てていくので親としては「宝物」という感じに近いのかもしれない。「人」であるからには立場が対等でなくてはならないという暗黙の前提を置いてしまっているからかもしれない。親子関係は親が子供の教育責任と保護監督責任を負う。子供に対してはその責任を親が肩代わりしているのであるから、子供は親に従うべきであるというこれもまた暗黙の前提を置く。しかし当の子供本人には当然ながらそんな意識は無く、この世は基本的に自由であって、それに制限を課す親や先生、要するに大人は口うるさいものだという認識でいる。おそらくそれが健全な状態なのだろう。
夢の中で私はあるはずのものが存在しないことに気づいて空虚な気持ちになる。今まであることが当たり前だったものが失われて初めて自分が思っていた以上に大事であったことがわかった。そういった夢を見ることを繰り返す。
子どもたちは大体は存在していないが、たまに幽霊として会いに来ることもあった。幽霊だから、下半身はなかった。「パパ、今まで一緒に遊んでくれてありがとう」そう言っていつものように笑う。天国に行くでもなく、ただそこに居て笑うだけだ。しかし触れることはできない。幽霊だから。そのうちに喋ることもできなくなる。
非科学的なことではあるが、夢は常に暗示めいていて不安になる。
私の友人の一人が16歳の時に死んでしまった。本当に仲の良い友達であった。彼が死んでしまう1ヶ月ほど前から、彼は死後のことについてよく語っていた。まだ16歳、高校生だというのに「俺、生命保険をかけておいたほうが良いような気がするんだよね」とか、「俺が死んだらライブハウスに行って無料でライブ見るし、ラブホに侵入して生活するわ」などと。その後に死んでしまったことによって、その直前にあった関連しそうな記憶を恣意的に抽出しているのかもしれないが、それでもなお頭の中では何か神秘的と言うか、現状の科学では説明できない何かがあったのかと思ってしまう。
であるから、子供が死んでしまう夢というのは非常に気味が悪い。
今回の夢もそうだった。曖昧な記憶になってしまっているが、夢の中で私は子供を救うために何度か人生をやり直していた。
ある日。私は嫁さんと喧嘩して離婚に至った。それも繰り返した人生のうちで何度か発生したことだった。その時は、嫁さんが夕飯を作っている最中に突然怒り始めたのがきっかけだった。何故怒ったのかわからないが、しかし口論になっている。記憶をたどると怒り始めたきっかけは私が嫁さんに何か日常の一言を話しただけだ(セロハンテープはどこにしまった?とか、外出するけど買ってくるものはある?とかそんなものだ)。それだけで嫁さんは激怒した。料理中に話しかけるな、か何か言っていたと思う。
またある時は私が車を運転していて道を間違ったから激怒した。そのくらいで離婚に至るのは不条理だと思うが、しかし離婚に向けての話し合いはどんどん進んでいく。「猫はあなたにあげる」「でも子供は二人共連れて行く」「面会の権利はあるんだからそれで文句ないでしょう」などと言っている。なんとか離婚を避けようとするが、あまりにも怒っていて話が通じない。
結局、離婚に至る。
ある時は離婚に至ってから、私はタイで暮らしていた。大きな会社のブリッジSEみたいな仕事で現地の若いプログラマを指揮していた。宿舎はあまり綺麗ではなかったが小ぢんまりとしていて掃除も一軒家に比べれば楽だった。日差しが強いがそれが作られる木陰が部屋の中にも入ってきて暮らしやすかった。
ある時は浮間舟渡駅の近くに住んでいた。浮間舟渡は東京都北区にあって、埼玉との県境に位置する。現実では浮間舟渡駅近くには地元の友達が住んでいた事があって、何度か遊びに行ったことがある。駅を降りると駅前は暗くしずかで、まさにベッドタウンといった表現が近いように思う。ただ、私が行ったことがあるのは数えてみるともう10年前にもなるので、今はどうなっているのかわからない。
ある時は東京都府中市近辺を自転車で走っていた。細くてどこまでも続く街路を縫うように走り、どこかの家で夕飯を作るために食器や鍋の類をカチャカチャとやる音が聞こえる。その時住んでいるアパートも小さくて暗くて古いものだった。もう家族は居ないのだから、安いアパートで何も問題ない。浮いたお金を余暇を過ごす楽しみに使えば良い。
そんな時にいつも電話が入ってくる。元妻からで、曰く、「子供が二人共死んだ」という。
死因はいつも共通していた。私の実家の二階の窓付近で遊んでいて、そのまま地面に落ちてしまった。(なぜ離婚した妻が私の実家に住んでいるのか、合理的な理由はない)実家の二階の窓は危険だと私は子供の頃から思っていた。天井から床付近まで高さがあるような、開けるとベランダに通づるようなよくある大きさの窓が設置されていた。しかし実家にはベランダがなく、その下はコンクリートで固められた地面だ。落下防止の柵が据え付けられているが、それも老朽化して体重を支えられるかどうかは怪しかった。
子どもたち二人はもう居ない。もう既にこの世に居ないのならば経緯や仔細はあまり気にならなかった。それまでに見てきた夢と等しく、ある日突然、そこにあるはずのものが無くなったという空虚な感想を持つ。離婚して会う機会が減ったとしてもそれは同じだ。我々は家族であれ友達であれ、離して暮らしている大切な人は皆、それぞれが何も問題なく幸せに暮らしていると思い込んでいる。記憶の中には病気にかかって床に臥している状態ではなくて、一緒に遊んでいたとき、一緒に笑っていた時が記憶として残る。けれども実際は事故に遭う危険は常に存在するし、生活が幸せかどうかもわからない。
目を閉じると子供が二階から落ちていくシーンが見える。私は幽霊のようにそこに存在して、子どもたちが落ちていくその瞬間には干渉できない。遠くに妻や私の母が居るのが見えるが、気づいていない。あるいは、気づいていたとしてももう間に合わない。下で二人を受け止めようとする試みは失敗する。受け止め損なうか、そもそも間に合わないか。パターンは違えど二階では人間だった我が子が地面の上では生々しい人形のように寝転がっているのを見ることになる。
それを見るたびに、なんとか助かってほしいと思うが、しかしそれはただ願うだけだ。それ以上のことは何もできない。だから、そういう未来に至らないように、何度も夢の中で人生を遡ってやり直している。
あるとき私は戦争に行った。私は空挺部隊の一員となって狭い輸送機に乗り込んでい��。皆、第二次世界大戦当時の装備を身につけて所狭しと輸送機の中に詰め込まれており、重くて大きいバックパックの群れに人間が挟まっているかのようだった。私が所属する小隊のメンバーの顔ぶれはとても懐かしいものだった。私が新入社員の時に配属された原子力計算機システム課のメンバー。皆、もう50代になっているはずだが、ほうれい線が深く刻み込まれた笑顔のまま、軍服と装備に身を包んでいる。これから戦争を始めるが、なぜかこの小隊ならば生き残れるという漠然とした安心感があった。
しかし、敵地に落下傘降下して小隊が集合するまでに半数の人が行方不明になった。秋、収穫が終わった小麦畑に降り立ち、畑に囲まれた教会を目指す。その教会のてっぺんには機関銃が一艇据え付けられており、弾が無限に存在するかのような水平射撃を浴びせてくる。それを迫撃砲で排除するまでにまた何人かが斃れた。
朝になって敵が潜む森を掃討するまでにまた何人かを失った。未熟な補充兵は片っ端から死んでいった。半分崩れ落ちたレンガの塀に身を隠す仲間のところに砲弾が飛んできて生き埋めになった。それを助け出そうと掘り進めていた別の仲間も砲弾の餌食になった。昔から知っている顔はもう一人か二人になった。それでも原発チームのメンバーはいつも笑っていた。
野営地で寝転んでいる時に手紙が届けられた。妻からだった。手紙を読んだ瞬間に妻は元妻になった。4人居た子供のうち、二人は連れて行く。もう二人は養子に出すと書いてあった。猫は飼う人が居ないので捨てるともあった。せめて養子に出す子供と猫を引き取りたいが、しかし戦地からではどうしようもない。戦中の混乱期に養子としてもらわれていった子供を見つけることはもはや叶わないだろう。その時点で子供は失われたようなものだった。
あるとき我々は大隊全員が集められ、大隊付きの士官に混じって師団長が出てきた。師団長が持ってきた紙を読み上げ、それでようやく戦争が終わったことを知った。それを知ってもあまり喜びはなかった。
そしてまた、電話がかかってくる。子どもたち二人が死んだと。
そしてまた、私は幽霊になって実家の二階に漂うことになる。窓際で子どもたち二人が遊んでいる。妹が窓を開けて身を乗り出してスリルを楽しんでいる。姉はそれを咎めているが妹は言うことを聞かない。そして姉が考えていることが頭に伝わってくる。ほんの少しだけ脅かして怖がらせてやろうと。そうすれば危ないことをしたことを公開するだろうと。その試みは失敗することが私にはわかっている。でもそれを伝える方法はない。姉は妹を脅かすが、そうしたときに妹が足を滑らせ窓枠にしがみつく。瞬間、姉は「妹が落ちたら私は怒られるだろう」と判断する。怒られるのが怖いから助けようとする。しかしそれも無理だ。バランスを崩した姉はそのまま前のめりに落ちる。妹もそのまま。
もはや何度も見た光景であったが、見るまでは忘れてしまっている。そして出来ることはもう何もないと諦める。
が、その時は違っていた。下に居た近所の大人ら数人が脚立や布団などで子供をキャッチする体制をすでに整えてあって、落ちた二人の子供は大人に抱えられたり布団に軟着陸するなどして、無傷であった。
ふと気づくと私はテレビの前のソファに座って戦争映画を見ている。その映画の終わりはハッピーエンドと言えるだろう。たくさんの人命が失われたが、今後は失われることは無い。祖国を守りきった軍隊が凱旋するのを人々は両手と旗を振って歓迎した。色とりどりの紙吹雪が舞い、従軍した兵士はいつものように微笑んで手を振り返していた。そのいくつかは知った顔だった。
「パパ、戦争で何人の人が死んだの」
横に座っている娘がそう尋ねた。
「日本だけで数百万人が死んだから、全世界では数千万人が死んだんじゃないかな」
と言うと、ふーん、と言って、それだけだった。
目が覚めてから少しずつ現実世界のことを思い出す。私はまだ離婚していないし二人の子供は横で寝ている。夢の中で何度人生を繰り返しても上手く行かなかったことが、現実世界では全て問題なくうまく行っている。
だからそれで良かったね、ということで落ち着くのだが、それと同時に不思議な気分にもなる。
もしかしたらああしてタイでブリッジSEをやっていた自分とか、浮間舟渡に住んでいる自分とか、あるいは可能性は低いけど戦争に駆り出された自分という状態もあり得たはずだ。
それぞれの人生において、それなりに自分は生活できていて、満足感があった。
子供が死んでしまった件は辛くて苦しいが、そもそも結婚をしなくて子供がいない人生だってあり得たはずだ。そうしたら世間一般の子供の死に際してわき上がる感情もだいぶ違ったものになっていただろうと思う。
別にこれらは特殊なことでは無い。戦争に駆り出される人たちは現代でも沢山居るし、独身で子供がいない人たちも沢山居る。海外で暮らしている人もいれば都市部の狭いアパートで暮らしてる人もいる。
どれもこれも考えてみれば当たり前であるが、人生は漫然と生きていくだけでも特殊化が進んでいく気がする。ある職業を長く続ければ別の仕事のことは疎くなっていく。独身で居れば既婚者の気持ちはいつまで経っても分からない。一方で既婚者も独身だった時の記憶はいつか薄れて想像できなくなる。
それぞれ違った人生で違った幸せがあるはずなのに、私は夢から覚めたときに夢で良かったと思う。もちろん、その理由の一つは子供が死んだことが中心に据えられた夢であったからだ。
ただ、別の人生を歩んでいれば今の人生では出会えなかった子供たちが沢山居たはずだ。なぜ私はその子供たちと出会えなかったことを悔やまないのだろうか。
そんなもん、知らない子供なんだから情も湧くわけないだろうも言われればそれで終わりな気もするんだけど、ああいう夢を見た後では何故か、不思議な気分になる。
このブログにも何度か書いているが、私は時々「偽の記憶」を思い出す。見たことが無い友達、見たことが無い部屋、住んだことの無い街を何かのきっかけで唐突に思い出して、とても懐かしい気分に陥る。
もしかしたら別世界の私が体験した記憶が流れこんでるのだろか?「量子宇宙干渉機」のように。そんなわけは無いのだが、やはりどうしても想像を広げてしまう。
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ゼミの活動方針|About Us
辺見ゼミのコンセプト
”意味あるモノのつくり手になろう”
学生の時期にしかできないこととは何でしょうか?
僕はひとつのことにじっくりと向き合い,考えることだと思います.
高校までの勉強は,誰かがつくった問題に答えることが主な目的でした.一方で,大学(研究)やビジネスでは,絶対的な正解はありません. 辺見ゼミでは,様々な活動を通して,〈意味〉を徹底的に考え,設計します.意味づけとは,生産者や顧客が何に関心を持ち,〈なぜ〉その商品が必要で,〈どのように〉相手に商品の魅力を伝えていくのかを明確にすることです. 現代の企業は���合理性を追求し,短時間で多くのモノをつくることを可能にしました.しかしながら,顧客は,大量生産された商品に魅力を感じにくくなっています. そこで,モノやサービスに対して,新たな〈意味〉を設計していく必要があります.例えば,多くの観光客は,旅行の際に,価格の安さだけではなく,そこにしかない体験やお土産にお金を使おうと思います.つまり,観光客は希少性を買っているといえます.このように,つくり手がモノやサービスの意味を考えることで,自分自身への納得につながり,相手の感情や行動を変える可能性があります. 意味づけの実践的方法として,辺見ゼミでは問いのつくり方を学びます.辺見ゼミでは、自分たちが解決したいと思える問いをつくり,意味を設計し続けます.
問いのつくり方について
辺見ゼミでは「問いのつくり方」について学びます.本稿では「そもそも(良い)問いとは何なのか」「なぜ問いをつくることが大事なのか」という疑問に答えていこうと思います. まず,研究における問いの形は,どのようなものがあるのかについて説明します.研究の世界では問いはリサーチ・クエスチョンや調査課題,トピックといった様々な呼ばれ方があります.ここでは,シンプルに「問い」という表現を使います.問いの形はいわゆるオープン・クエスチョンが一般的です.つまり,「はい」か「いいえ」で答えられるような問いではなく,答え(仮説)を想定できるものです.具体的には,「なぜ (Why)」「どのように (How)」といった形の問いがあります.「なぜ,人は毎日同じような仕事をし続けているにもかかわらず,やる気が失われないのか?」「どのように,人はやる気を高めてくれるのか?」といった文で書かれます(これらの問いが良い問いかどうかは後ほど考えていきます).「なぜ」の問いは原因やメカニズムの解明のために用いられる一方で,「どのように」の問いは改善策やアイデアの模索につながるような問いの形といえます. さらに,良い問いをつくる上で重要なポイントになるのは,問うべき問いかどうかという点です.先ほど具体例で示した「なぜ,人は毎日同じような仕事をし続けているにもかかわらず,やる気が失われないのか?」という問いを例に考えていきます.問うべき問いとは,言い換えると,問う必要性や価値や意味がある問いといえます.問いを提示するときに,受け手(読者)に対して,その問いは解く価値や意味がありそうだと思ってもらう必要があります.つまり,「その問いは確かに気になる」「その問いの答えが分かればメリットがありそうだ」「その問いは解くのが面白そうだ」と思ってもらう必要があります.そのためには,問いを立てたプレゼンターの思いや状況を説明する必要があります. 例えば,プレゼンターはチームリーダーであり,1年間を通して,あるプロジェクトを動かしていく役割を担っていたとします.そんな役割を担うプレゼンターはプロジェクトを進めていくうちにどういうわけか,他のメンバーがどんどんやる気を失っていく状況に気づきました.具体的には,ミーティングでメンバーの発言数が少なくなったり,ミーティングの出席者が減ったり,ポジティブなアイデアの提案がなくなっていきました.このような行動を目の当たりにして,プレゼンターは「なぜ?」と思いました.この問いが生まれた背景には「メンバーにやる気をもっと出してほしい」「自分はやる気があるから,メンバーにやる気を伝染させたい」「自分自身,これから何をすべきなのか分からない」といった本音がありそうな気がします.プレゼンターのおかれている状況が理解できると,問いが確かにプレゼンターにとって解きたい問いであり,問う必要があるのだと受け手に伝わります. 加えて,問うべき問いだと受け手に思ってもらうためには,誰からみた問いなのか,という視点を意識することがコツになります.例えば,メンバーのやる気がないようにみえるのはリーダーの視点です.一方で,メンバーの視点に立つと,全く異なる問いを持っている可能性があります.例えば,「リーダーはなぜこんなにたくさん命令するのだろう」というように,です.このように,視点を変えると全く異なる問いが出てくる可能性があります.自分やチームだけでなく,他者の視点に立つことで生まれる問いもあり,複数の視点を考慮することでプロジェクト自体の価値や意味が付加されていきます. 具体的に,プロジェクトでは視点が大きく4つ考えられます.1つめは自分自身や所属チームの視点です.自分たちが何を気になっているのか,問題だと思っているのかを伝えるためにはこの視点が必要不可欠です.この視点は主観的です.つまり,自分にはこうみえる,自分はこれが楽しいと思うといった内容になります. 2つめの視点は,事業者(クライアント)の視点です.事業者が抱える課題(例えば,地域の課題)に基づく問いを把握する必要があります.例えば,外部から人を呼ぶことを望んでいるのか,地元の人たちに参加してもらいたいのか,その思いは様々です. 3つめの視点は,顧客の視点です.例えば,新しいイベントを企画したとして,そのイベントはお客さんにとってどんな問いになるのかを考える必要があります.お客さんにどうなってほしいのか,何が魅力で参加(購入)してくれるのかを予測したり分析したりすることでこの視点を明確にできます. 4つめは,社会の視点です.この視点は地域や日本や全世界といったエリアの広さを問わず,第三者のステークホルダーへの影響を考慮することが挙げられます.例えば新たな観光事業を提案することはその地域の持続可能性に対してどのような影響を与えるかを考えることに関連します. 最後に,問いは仮説を立てるためにあり,問いと仮説をセットとして捉えるということを意識しましょう.Whyの問いならば,「なぜ→なぜならば」,Howの問いならば「どのように→具体的なアイデア」という仮説が想定されます.研究やプロジェクトでは,問いに対応するのは,答えではなく「仮説」と言います.その理由は,調査や行為をする前には答えを出す必要はなく,あくまでも予測の範疇としての仮の答えでいいという意味です.例えば,「どのようにメンバーのやる気を高めるのか?」という問いに対する仮説は人によって無数に考えられます.だから,仮説を立証するために調査をします.あるいはプロジェクトならば,調査だけでなくアクションとしてイベントを開催したり,顧客とコミュニケーションをとったりします.頭のなかの妄想から,具体的な行為をすることによって,答えらしきものをみつけていきます. 加えて,問いと仮説をセットとして捉え,繰り返す(回す)ことも大事になります.「なぜ,やる気が起きないのか?→なぜならば,リーダーばかりが意見を言うからだ→なぜ,リーダーが主に意見を言うのか?→なぜならば,メンバー同士が話し合う場がないからだ」というように,問いを掘り下げてより具体的な現象や理由を明確にしていくことで優れたアイデアに近づいていきます.トヨタ自動車では問いを5回繰り返すよう指導されるといいますが,問いを2回繰り返しただけでも,例に挙げたようにメンバー同士が話し合う「場」に課題があることに限定できます.そうやって,問いの焦点を絞ればその後にやるべき行動やアイデアがみえてくるはずです.
プロジェクトにおいてどのようなボトルネックがあるのか?
イノベーションには,研究・開発と社会実装の間に深い溝として「死の谷」があります (鷲田, 2021).アイデアを出したとしても,それを実現させるのは,一筋縄ではいきません.本稿では,典型的な障壁を3つ紹介します. 1つめは経営資源の壁です.経営資源とは人,モノ,金,情報を一般に指しますが,特にお金に関してはなかなか学生によって解決できない問題でしょう.原則的には本学から出資をすることはできないので,学生はお金をどのように稼ぐのかを考える必要があります.そもそも,ビジネスとは経営資源をやりくりする(組み合わせる)ことで付加価値をつくる取り組みです.まず,お金(資金)を調達することからビジネスは始まります.とはいえ,資金は他者に何かの行動を促したり,モノを調達したりする手段でしかありません.つまり,資金によって何をしたいのかを明確にする必要があります.例えば,原材料を手に入れることが目的ならば,資金を顧客から得ることを考えるよりも,原材料を持っている企業組織や人に直接交渉をした方がコストを削減できる可能性があるかもしれません.このように柔軟に資源調達手段を検討していくことが資源の壁を乗り越える鍵となるでしょう. 2つめは,テクノロジーの壁が挙げられます.技術的な壁です.例えば,デザインのスキルが不足していれば魅力的な広告をつくることができないかもしれません.あるいは,プログラミングの知識がなければウェブサイトを作成することは叶わないかもしれません.この壁を乗り越えるためには,専門スキルを持つ協力者をみつけるか,自分で勉強していく必要があります. 3つめは,チームワークの壁です.メンバーの誰がどのような役割を持って,責任を持つのかが不明瞭だと,チームワークに問題が生じてプロジェクトがうまく進まなくなります.辺見ゼミでは,ゼミ生1人ひとりが参加する(主人公になる)状態を目指しています.そのためには1人ひとりが何らかの役割を担う必要があると考えます.また,チームワークの壁は,上記の2つの壁よりも解決できる可能性があります.例えば,チーム内のコミュニケーションやルールのつくり方次第で解決に向けてメンバーの行動を変えることができるかもしれません.ポイントは,チームワークの壁を回避するよりも,メンバーがチームや他のメンバーに向き合うことです. 以上3つの壁は,直面すること自体はネガティブなことではなく,むしろ自然に起こりうる事態です.お金もスキルもあって,チームの問題解決もできる人は少ないでしょう.ゆえに重要なのは,プロジェクトの進行を妨げている壁がどんなものなのか,どのようにこれらの壁を乗り越えればいいのかを考え続けることです.
なぜプロジェクトにおける意味づけおよびストーリーが必要なのか?
辺見ゼミでは,顧客にとっての商品の魅力を価値と意味の2つに分けて考えます.まず,価値とは客観的なものであり,合理的な性質を持ちます.例えば,企業における売上個数��価格のように,数値的に測ることができるものです.また,安い・早いといった機能的な要素も価値として捉えられます. 一方で,意味とは主観的なものであり,特定のターゲットの感情を揺さぶるものです.アイドルのライブに行きたいと思うのは,アイドルたちへ感情移入したり,アイドルたちが伝えるストーリーに共感していたりするからだと考えられます.つまり,歌やダンスの巧さといったスキル(価値)だけでは評価できない魅力が意味をつくります. ゼミのプロジェクトは価値よりも意味を持たせたモノやサービスをつくることに適しています.もちろん価値を追求して,大量生産をして単価を下げることや,高い売上利益を確保するといった目標を立てることも重要です.しかし,ゼミのプロジェクトは,上記のボト���ネックの話にもあるようにチームで資金やテクノロジーが十分にあるとは限りません.ゆえに,顧客に意味をどのように伝えるかを考える必要があります.すなわち,顧客に何を伝えたいのか(売りたいのか),どのような顧客の変化を望むのか,どのような商品やサービスであれば魅力的だと思ってもらえるのかという顧客視点のストーリーが必要になります. 顧客視点のストーリーはカスタマージャーニーとして,マーケティング論,とりわけ消費者行動論の分野で扱われます.具体的には,まず「消費者がモノを買うきっかけは何か?」「どのような目的で,どんな思考で買うのか」を考えます.さらに,消費者はモノを買うときに,何をどのように調べ,どういう計画を立てて購入に至るのかを考えます.最後に,消費者はどのような便益を受け取るのかまで言語化します.このようにして,消費者の購買行動を一連のジャーニー(旅)の様子として描くことができるようになります.
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溜息は夜更けに目を覚ます
「丸井さん、幸せが逃げるよ」と笑われたとき、ああ、私は溜息を吐くことすら許されないのだな、と悟った。
いっそ痛いくらいの鼓動を飲み込むために、「はあ」と、呼吸と返答の中間のような音を出した。
それ以上に発するべき言葉が見つからず、無意味に靴の先端を観察し、無意味に口を開閉するしかない。模範解答を知らない私はもう二度と、彼の前で、肺に淀んだ悲鳴をこっそりと逃がしてやることさえできない。
彼は不出来な生徒を見逃すように、「最近、寒くなったよね」と、骨ばった指の先で、自身が抱えた鞄をリズミカルに叩く。
間延びした語尾で天井を仰いだ彼につられて、視線を持ち上げる。やけに煌々とした照明に向かって、「そうですね」などと、私も会話らしきものを試みる。
返事はなかった。二人を乗せたこの狭い箱が、私の声だけを地面に置き忘れたまま、ぐんぐん昇っていく。そんな想像をする。
エレベーター内のかすかな揺れが音もなく止まり、ドアはいやに億劫そうな速度で開いた。彼は無言で足を踏み出して、間もなく廊下の角を曲がっていく。
「そうだ、確か彼は開発部の人だ」と思い出したのと、彼が落とした溜息を私の耳が拾い上げたのは、ほとんど同時の出来事だった。
そうか、あの人は、溜息を吐くことを許された側の人間だから。
ふと、そういえば私は、彼に朝のあいさつをしただろうか、と疑問に思う。しかし、彼が私に「おはよう」と声をかけたかどうかすら記憶になかったので、再び顔を合わせないよう願うだけに留めた。
どうせ、次に会ったときには、「丸井奈々子は暗くて絡みにくい」という印象を除いて、今日のことは彼の記憶から綺麗に消えているに違いない。
ようやく、といった気持ちで、全身を使って息を吐く。
楽に呼吸がしたい、というだけの望みを叶えることが、ひどく、難しい。
■
「おはようございます」
開け放してあるドアを手のひらで押さえて、室内に声を投げ込んだ。誰かの反応があったかどうかを確認する余裕もなく、入り口から一番近い席に腰を下ろす。
ここが私の席、と胸の内で繰り返した。くたびれたキャンバス地のトートバッグを胸元に抱えて、小さく深呼吸をする。
たかだか事務のアルバイトである私に席が用意されている、というのは、ありがたくもあり、恐ろしくもある。
視界の端に誰かの手が侵入してきたので、私は慌てて顔を上げた。
「そんなにビビらなくても」と苦笑していたのは、二つ年上の安曇さんだった。数枚の書類でひらひらと首元を仰ぐ指の爪は、柔らかい彩度のスカイブルーに染まっている。
自身の鎖骨あたりでくるりと丸まった毛先を熱心に気にかけながら、彼女は「丸井さんさあ」と高らかに、楽器でも奏でるような優雅さで私を見下ろす。
「伊東商事さんの伝票ってやったことある?」
「あ、伊東商事さんですか」
いとうしょうじ、イトウショウジ。聞き覚えのある名前が耳に触れ、私は先週の金曜日の記憶を必死に掘り起こす。
「あの、えっと、この前、教えてもらって、少し」
「この前っていつ?」
「あ、先週の」
「少しってどのくらいかなあ」
私の言葉を遮り、書類に素早く目を落とした安曇さんの語尾は、ほとんど独り言のようでもあった。
どのくらい習ったのかなあ。どこまで理解できたのかなあ。ああもう、どうしていつもこうなのかなあ、丸井さんは。と、彼女の語尾からは、いつも私にだけ幻聴が聞こえる。
「あの、何か、間違ってましたか」
「いやあ?」
べつに、と難しい顔をしながらふむふむと頷き、安曇さんは自分の席に戻っていく。私とほぼ反���側、部屋の奥に位置する場所だ。
今にも左側の胸だけが裂けて、暴れ狂う心臓が転がり落ちてくるのではないか、と思う。薄汚れた床の上をのたうち回り、綿埃が絡まることも厭わない姿を見つめながら、私はゆっくりと目を閉じて、そのまま息を止める。
その様子を見ていた周囲の人間がどんな反応をするのか想像してみるが、目に浮かぶのはいつだって、ミュージカルの幕引きのようなわざとらしい嘆きなのであった。
足りない想像力と、私が他人に惜しまれる人間でない、というところが大きい。
私の人生において、特筆すべきほど大きな事件はなかった。運動も勉強も人並みで、奥歯を噛み締めるような苦労をしたこともなければ、仲間と涙を流して祝うような成功を収めたこともない。
しかし、それはあくまで世界中の人間を比較対象にした場合の話であって、当事者の私にとっては、道端で転んで擦りむいたあの日の羞恥も痛みも、勘が当たって順位が上がった期末テストの喜びも、自分史に刻むべき出来事である。
その中であえて大事件として扱うのであれば、就職活動の他にない。
何があったわけではない。何もなかった。ただ、郵送した履歴書が、一枚たりとも採用通知として返ってこなかっただけの話だ。
不幸と言えば不幸なのだろうし、よくある話だとすればそうなのだろう。アルバイトとはいえ、母の知人経由でこの会社に雇ってもらっているだけ、むしろ運が良い。
だから、と息を吐く。だから、大したことじゃない。
はす向かいに座る彼女、峰岸さんは、実母の介護で私よりはるかに大変だろうし、さっそくキーボードを叩いている安曇さんだって、私より多くの仕事を任されている。
もう一度だけ息を吐いて、ああ、私は今日も多大な労力を消費して、無意味に二酸化炭素を排出することしかできないんだろうな、と思う。
自虐要素の多い冗談のつもりであったが、存外冗談ではないのかも、と気付いてしまった時点で、ひどい後悔に襲われた。
なるほど、価値のない人間には、ブラックジョークを楽しむ権利もないのだ。
ならば願うことは一つしかない。誰にも咎められないよう、周囲の顔色を窺いながら。ただ、一日が無風のまま過ぎていきますようにと。強い向かい風が吹いたら、余計に呼吸ができなくなってしまうから。
■
私の目と鼻の先でスマートフォンを握りしめる男子高校生を見て、真っ先に抱いた感想は「根性があるなあ」の一言だった。
満員電車の中でつり革を握りしめ、画面から目を離さない様は、単なる痴漢冤罪対策なのかもしれないが、自分の領土を守ろう、という気迫すら感じられた。長方形にくり抜かれたページがニュースサイトらしき部分も含めて、本当に頭が下がる思いだ。有名な女性歌手が大病を、というような字面がはっきりと見えたところで、罪悪感を覚えて視線を外す。
行き、帰りに限ることなく、私が通勤に使う地下鉄はいつ���もおおむね満員であった。各ラッシュの時間を回避しない限り、その混雑は平日休日を問わない。
「――をご利用のお客様は、次の駅でお降りください」
柔らかな女性の声が、周辺施設の紹介を伴って、次の駅を教えてくれる。滑らかな口調とともに挙げられた場所は、どれもこれも自宅から近く、よく利用するものばかりだ。
徐々に速度を落とした電車がひどく勿体ぶって停止し、車内にこもった空気が慌てて逃げだしたように、ぷしゅ、という音が鳴る。目にせずとも私には、それが扉の開く音だとわかる。
人の塊が動く気配はない。厳密には、出入り口付近で気を遣った数人の頭が消えたが、後に続く者がないとわかると、また人の隙間にひょっこりと帰ってくる。
わかりきっていたはずなのに、未練がましく目を向けてしまったことが恥ずかしくなって、私は自分の爪先を睨みつけた。
視界に映るのは他人の胸元や肩ばかりであったが、見えるはずもない足元を脳裏に描き、凝視し続けることだけを考える。
熱を持った二酸化炭素がゆるゆると浮んでいくから、汚れた水面から救いを求めて口を出す魚のように、息をしようと上を見ることは叶わない。カーブのたびに車体は揺れ、力を込めた足元を簡単に崩してしまう。
そうして二、三分も待っていれば、あっという間に次の駅だ。前に隙間ができれば、後ろから押されるまま、それを埋めるように足を進める。
進行方向は目視しない。流されるまま改札を出て、義務のように最寄りのコンビニへ入り、ぼんやりと飲み物のコーナーを眺め、欲しくもない水を買って、再び改札を通ればいい。あとは一駅分、反対方向の電車に乗るだけ。いつものことだ。
友達と雑談する女子高生や、猫背気味なサラリーマン、高いヒールを鳴らすオシャレな女性が、次々と私を追い越していく。
ふと、「ほら、諦めなさい」と煩わしそうな声で幼児の手を引く女性が視界に映りこんだ。「落としちゃった、ないの、ママ」とぐずる女の子をぼんやりと眺め、漠然と「偉いなあ」と思う。
ついには泣き出した我が子を抱き上げ、仕方ないといったふうに柔らかく微笑む母親の姿は、この世界上において何よりも尊く、惜しまれるべき存在であるはずだ。
そうであってほしかった。そうでなければ、私は生まれた瞬間から死ぬそのときまで、本当に無価値なままではないか。
■
例えるならば、汚れた酸素を吸って一日を過ごしたせいで、胸の奥が重たく淀んだような感覚。やむなく喫煙者に囲まれて生活する人間とは、いつもこんな気持ちなのだろうか。
仮にそんな知人がいたとして、私には本当のところを問う愛嬌も話術もないのだけれど。
は、と小さく吐いた息は、階段を上るのに疲れたからか、あるいは単純に、先に続く景色に期待しているのかもしれない。
私が自身の住むマンションに着いて真っ先にすることといえば、いつまでも履き慣れないヒールを脱ぎ捨てることでも、化粧を落とす手間すら惜しんでベッドに倒れることでもない。
そもそも向かう先は自室ではなく、本来は立ち入り禁止になっている屋上だ。進路を阻む荷物が置かれているだけで鍵もかかっていないそこは、まるでむず痒い学園恋愛コメディの漫画のようだ。
意外にも、以前は住人が集まってバーベキューなどを楽しんでいたらしいが、高齢化による顔ぶれの変化と、時代に合わせた窮屈な規則のせいで、今では「ただ、建物の上にあるスペース」というだけのものだ。
中身も不明なダンボールたちの隙間を縫うように進み、錆びきった蝶番が軋む音を聞いているだけで、口から流れ出す空気が透明になっていくようだった。眼前に広がる夜景に瞬きすればもう、世界中に私一人しかいない気分になれる。
用途のわからない機械や、取り繕うように設置されたフェンスのおかげで、存外広いわけではない。周辺にはこのマンションより高い建物も多く、お世辞にも褒められた見晴らしでもない。
駆け寄った先のフェンスに体当たりするようにして、遥か遠い地面を見下ろす。道行く人の性別や服の色が判別できてしまう程度の距離だったが、十分だ。
何に? 簡単なことだ。私が死ぬために。
指を絡めた金属製のそれに、ぐっと力をこめる。想像していたほどの振動はなかった。人の力で押して壊れるようなら、とっくに修理されているだろう。その事実が、冷風が胸の奥を叩いたような、恐ろしいほどの虚しさをもたらす。
しかし、思わず零れた吐息は柔らかく、いっそ愛おしささえ含んでいた。二酸化炭素ですらないのでは、と錯覚するほどだった。
想像する。
古びたフェンスが折れ、私の体を乗せたまま落下していく。
鈍い音を伴って潰れる体。
辺りは静まり返り、一拍の間をかき消すように悲鳴がひしめき合う。
実家の母は、父は、泣くだろうか。
いつも視線を合わせない安曇さんは、私以外の人とは饒舌に話す峰岸さんは、顔をしかめながら仕事を教えてくれる田代さんは、溜息を吐く権利のある岩本さんは、中学生時代に仲違いした同級生は、私ばかり居残りさせたピアノ教室の先生は、いったいどんな顔をするのだろう。
そのときを、私はどうあっても目にすることができないのだ。
考え至った瞬間に、わずかながら腰が引けた。
鼻の奥が絞られるように痛み、心臓が耳元まで跳ね上がってきたように鼓動が大きく聞こえて、むしろ煩わしい。
ほんの数秒前、自らの死を夢見ていたときは、あんなに幸福な心地であったのに。
ぬるい湯に浸かったまま眠りにつけるような穏やかさが、あるいはこの夜空に大声で感謝したくなるような清々しさすらあったというのに。
虚しくて、恐ろしかった。自らの死を想像することでしか、自分の心を慰められない。私という生き物の存在価値を信じることができない。いったい誰がどれだけ、どんな顔で悲しんでくれるのかしら、と空想することでしか。
不意に、心音��隙間から悲鳴が聞こえる。自分のものではなかった。耳慣れた、寿命寸前の金属の泣き声だ。
背後の足音に、全身が急速に温度を下げ、反して四肢は俊敏に動き、気配の主を視認せんと目を見開いた。
「あれ、先客じゃん。マジか」
扉の影から半身を出したまま、暗い色のブレザーを着た女の子がこちらを凝視していた。中学生、には、見えない。
「お姉さん、寒くないの?」
肝が冷えた感覚を指摘されたのかと、思わず肩が跳ねる。へら、と力なく笑う彼女は無遠慮に、いや、遠慮する必要もないのだが、そう形容するしかない足取りでこちらに近づいてきた。
「まあ、死んじゃったら一緒だよねえ。あ、お先にどーぞ」
彼女は私の足元にしゃがむなり、にんまりと笑みを深めて気だるげに言い放つ。
風にはためくスカートを気にかける様子がないので、私は居心地悪く視線を逸らし、間抜けにも「あなたも、その、寒そうだけど」などと口にした。
不思議なのだけれど、その瞬間に初めて、「ああ、今日って寒かったんだなあ」と自覚したし、何なら「今って冬だったのか」なんて思ったりもしたのだった。
「いいよ。厚着して、ダッサイ格好のまま死にたくないし」
変わらず愉快そうな口調に気圧されて、私は思わずフェンスから身を引く。さっぱりとしたショートカットの彼女が、あまりにも自分と違う生き物のように感じられて、つい怖気づいた、というのも、ある。
「なに、やめちゃうの」
ぱちぱちと上下するまつ毛を眺めながら、こんなにぱっちりした瞳では、どれほどまつ毛が長くても足りないだろうなあ、などと呑気なことを考える。
「やめる、っていうか……そんな、死ぬなんて、してない」
「えーじゃあ、私先に死んでもいい?」
「えっ、あ、はい」
どうぞ、なんて、軽く会釈して、手のひらでフェンスの向こうを示した。
彼女は不満そうに眉根を寄せ、「お姉さん、それでいいわけ」と唸った。苛立ちを隠すことなく全身で表現できる様は、精神的な面も含めて、彼女が史上最強の生き物なのではないかと錯覚させた。
ほとんど大人に完成しかけた顔立ちの中にほんの少しだけ残る幼さは、むしろ九対一の割合をもって、人間としての完成なのかもしれない。
「よくは、ないと思う」と返したのは、私の人生上に、一度たりとも「完成した」瞬間がなかったのでは、と気付いてしまったからだった。
絶対に通ってきた道であるはずなのに、そこだけ違う記憶を縫い付けられたかのような。目隠しをしたまま、ここまで無理やり手を引かれて来てしまったような。視界が開けたと思えば、花咲く春が終わってしまっていたような。
「でしょう? よくないよ、絶対。言いたいことがあるなら、きちんと言わなくちゃ」
胸を張って微笑んだ彼女は、下品で雑多な街灯のきらめきを背負って、ゆるりと立ち上がった。
美しさに見惚れる、といったことはなかったのだけれど、凛とした立ち姿があまりに拙くて、私は今にも叫びだしそうな口を戒めるのに精一杯だった。それが歓喜だったのか、羨望だったのか、あるいは後悔だったのかはわからない。
ただ、「じゃあ、どうしたいの」と問う彼女に、「地下鉄を……家の最寄り駅で、降りられなくて、だから」と答えた私は、傍から見ればひどく滑稽であると同時に、同じくらい、自身では呼吸がしやすいとも感じている。
そのとき、温度のなかった空が澄んだ冷気をまとい、肌を撫でる風が、私の体の形を、声の硬さを、存在の有無を教えてくれた。
■
「ナナさんは、いい人だね」
彼女は美澄と名乗った。このマンションで母親と二人暮らし、というだけで、フロアも苗字も知りえないブレザーの女子高生は、私を「ナナさん」と呼ぶ。
初めて会った日、名を問われて返した「丸井」という苗字がお気に召さなかったのか。はたまた、この年頃特有の、年上に対する無遠慮さを勲章のように愛する性だったのかもしれない。
「奈々子」という本名から、よもや安直に「ナナさん」などというあだ名を付けられようとは。一人暮らしを始めてから久しく下の名前など呼ばれておらず、妙に気恥しい。
そのくせ、仕事が終わるなり、毎日屋上へ足を運ぶ私も大概だ。することといったら他愛のない世間話や、脈絡も実りもなく、唐突に意味のないことをぼやくことくらいだというのに。
こんなことを続けてもう、一か月にもなる。幻のようであった冬の気配も、自覚したとたん、骨同士の隙間に潜り込んで、全身の熱を奪っていく日々だ。
「私は、いい人っていうか、要領が悪いだけだよ」
彼女の隣で、倣うように膝を抱えて座り、靴の先端に付いた泥汚れを観察する。誤魔化すための苦笑が我ながらあまりにも弱々しくて、今さら落ち込む気分にもなれない。
そっけない風のせいで体が震えて、かちかち、と奥歯がぶつかり合う音がした。胸を潰すように背中を丸めて、口元を膝に埋める。
「降りたい駅を乗り過ごしちゃうのは、人込みをかき分けていくのが申し訳ないからでしょ」
「いや、邪魔だと思われたくないだけで……ずっと出入り口付近に立ってればいいだけなんだけど、あの、アナウンスが」
「アナウンス?」
「奥に詰めてくださいって言うから」
首を傾げてこちらを窺う彼女にどきりとしたのは、私の声が小さすぎて聞こえなかったか、と申し訳なくなったからだ。
だが、そんな心配は杞憂だったようで、彼女は「やっぱりいい人じゃん」と、空へ向かって大声を放り投げた。むしろ、血液が流れる音すら知られてしまうかも、という近さで乱暴に寝転がった。
投げ出した足がざらついたコンクリートにこすれることも厭わず、彼女は組んだ腕で目元を覆い、あー、と意味のない唸りを断続的に吐き続けている。
寒そうだな、と思わず顔をしかめるが、彼女は変わらず���相応に、利便性よりも外見の好みを重視しているようだ。
「美澄ちゃんも、いい人だよ。だって、私の話、つまんないでしょ」
毎日聞いてくれてるよね、と付け加えるが、彼女は起き上がる気配もない。ぞわ、と背筋に不快な感覚が這うが、それもまた、「そんなことないよ」と笑顔を見せた彼女のおかげで思い過ごしに終わる。
「ナナさんって、いじめられっ子タイプでしょ」
「え」
「しかも、何もしてないのにターゲットにされるパターン」
タイプだとかパターンだとか、どこか機械的な語感は、「いじめ」という生々しくも軽快な言葉には、とてもちぐはぐなように思える。
不思議と嫌悪感はなく、かえって自分が第三者であるような、奇妙な距離を持って頷くことができた。
「わかりやすいかな、やっぱり」
「どうだろ、そうかも。でも、私の兄に似てるって思って」
砕けた口調に、兄、という簡素な呼称は不釣り合いだった。四肢を大の字に転がしたまま、彼女は私と、その背景にある曇り空に向かってぼそぼそと続ける。
「いじめられっ子だったんだよね、兄。ナナさんとパターンは違ったけど」
タイプは一致だよ、いじめられっ子タイプ、と、語尾に笑みこそ垣間見られるが、瞳はぼんやりと虚空を見つめたままだ。
「万引きした同級生を注意したのが原因で、『生意気だ』って、いじめられたの」
主張が正しくあればあるほど、正しくない者たちの声が大きくなる。おかしな話ではあるが、珍しい話ではない。
立派なことだ。パターンという概念以前に、私と、彼女の兄とでは何もかもが違う。「いじめられた」という人生におけるマイナス点も、「万引きを咎めた」という正しさの下では、プラマイゼロどころか追加点を貰っても手に余る。
唇を噛んでしまったことを隠すために、私はわざと「それは、美澄ちゃんも大変だったね」と、不安定に浮遊した思考のまま口を開く。
「やっぱ、ナナさんっていい人だあ」と、まるで大切なものを体の内側へ隠すように、顔をくしゃくしゃにして笑う彼女に救われる。
私には、他人の万引きを指摘する勇気もなければ、実にならない、くだらない話を延々と聞き続けられるほどの大らかさもない。
そうか、私は許されたいのだ、とそこで初めて気が付いた。人間としてマイナスの最低値にいる自分が善行を積んで、誰かに「いいよ、普通に生きていても」と言ってもらえるのを待っているのだ、と。
私は、何をしたら、いつになったら、許されるのだろう。
いったい誰に許されたら、背筋を伸ばして歩けるようになるのだろう。
試しに、「丸井さん」と呼びかけられた背中がしゃんとしているところを想像するが、上手くいかない。
■
朝がくれば、私は「どんくさいアルバイトの丸井さん」という名前の生き物になる。
与えられた仕事をどうやって処理するか、どうすればみんなと同じように、マニュアルからはみ出さず、普通の人間ができるのかを考える。
でも、夜にさえなれば。
夜だけは、私はあの屋上で「ナナさん」になって、好きに生きることができる。
「ナナさん」であることにルールもマニュアルもない。現実から切り離されたような、不安定な存在だ。性別にも年齢にも職業にも決まりはない。ありのままで過ごすことを許される、呼吸ができる。ただそこに存在しているだけで、善人になれる。
「丸井奈々子」として生きていくためには、許されるためには、圧倒的にいろんなものが足りない。たぶん私は、人間として生きるための「空気の読み方」だとか「要領のいいやり方」だとか、そういったマニュアルを配られずに産まれ、ここまで生きてきてしまったのだ���
だから今も、普段は不愛想な峰岸さんが饒舌に、「ああいうのって、ちょっとアレだよね」と口角を上げる理由がわからない。
「ああいうの」がどういったもののことで、「アレ」が何を指しているのか、まったく見当もつかない。
控えめな黒目がさらに細められる様子をちらちらと窺いながら、私はどうにか「アレですか」と呟く。
独り言なのか、私に話しかけているのかも不明だが、安曇さんがついさっき席を外した室内にはほかに人もなく、無反応でいるわけにもいかなかった。
「それに、いつも、なんでわざわざ閉めるんだか」
ああ、安曇さんのことを言っているのか、と気付いたのは、呆れた笑みの峰岸さんが立ち上がり、閉められたばかりの部屋のドアを乱暴に開けたときだった。
同時に、そうか、暗に「丸井さんが開けてよ」と言われていたのか、と思い至った瞬間、全身の体温が一気に下降する。
普段からドアを開け放していた自分に安堵したいような、気の回らなさを叱咤したくなるような。感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、胸の肉を突き破りそうなほど叩く心臓が痛い。
どちらが正しいのだろう? 単純に言えば安曇さんのほうが先輩で、でも峰岸さんのほうが年齢は上で、人当たりが良くて、上司にも気に入られている。「出入りが激しいんだからさ、効率を考えてさあ」と続ける彼女の理屈も、理解できる。
――ああ、ダメだ、バカバカしい。呼吸がしづらい。
この部屋はどうしてこんなに暑いのか。そうか、暖房が効いているんだ。
早くあの屋上へ行きたい。美澄ちゃんに会いたい。身震いするほど凍りついた夜空の下で、現実をすべて置き去りにしたあの場所で、私を殺して、丸井奈々子ではないものになりたい。
ばくばく、と反響すら感じられる鼓動の合間、峰岸さんが「そういえばさあ」と高い声で天井を仰いだ。
「この前の帰り、丸井さん見かけたよ、駅で」
どこの駅ですか、という問いは、はたして声になっていただろうか。訊かずとも、きっと彼女は駅名を口にしたに違いない。
「駅近くのお店に用があってさ。あれ、丸井さんこっちのほうだっけ、って思いながら降りたの。で、お店が臨時休業で閉まってたからすぐ反対の線に乗ったんだけど、また丸井さん見つけて。一駅で降りちゃったから、あーそうそう、確かこの駅が最寄りだったよなあって」
呼吸が止まる。
悪寒が思考と行動を支配する。頭が熱い。喉が痛い。声が出ない。ああどうか、指先が震えているのがバレませんように。
気付けば私はトートバッグだけをどうにか抱えて、事務所を飛び出し、改札を通って、地下鉄へと転がるように乗り込んでいた。
「駆け込み乗車はご遠慮ください」と強調したアナウンスや、向けられる奇異の目にひどい罪悪感を覚える。
しかし、孤独なまま騒ぎ立てる心臓は、これ以上激しさを増すことはない。まだ明るい時間だからか、こんなときばかりガラガラな車内が吐き気を強要してくる。
乗りなおすことなく家の最寄り駅で降りられたのは、ずいぶんと久しぶりだった。年に一度くるか、という繁忙期の、ごくわずかな期間に残業したとききりだ。
使えない私すら遅くまで仕事をしなければいけないほど、相当切羽詰まっているときの、というところまで考えて、いよいよ視界がぐらりと歪みはじめる。
風が堂々と闊歩するようなガラ空きのホームから、うつむいたまま改札を目指す。どこに向かっているのか、どこへ行きたいのかさえわからない。ただ、何者の視線にも捉えられることのない場所は自分の部屋しかない、という思考だけが体を動かしている。
反対側の電車から雪崩れた人の波に流されているうちにふと、何かを踏みつけた足元がぐらついた。
思わず顔を上げて振り返る。少し先に、クマのマスコットが転がっていくのが見えた。
当然ながら声を上げることもなく、クマは蹴られ、小さく弾みながら、通路の端から端へと忙しなく追いやられていく。
「落としちゃった」と泣くいつかの女の子の記憶が、私の肺を突き刺した。ありえないとわかっていても、もしかして、と湧く思いに体は伴わず、立ち止まることも、踵を返すこともできない。
電光掲示板には、短い闘病を終えて亡くなった女性歌手のニュースが淡々と流れている。それを見上げる三人組の青年が、年配の男女が、残念そうな声で彼女の思い出を語っている。
ごめんなさい、と吐き出したはずの謝罪は、舌先に触れることなく、焼け爛れた喉に染み込んでいった。
最悪な気分だ。
美澄ちゃんに会いたいと思っていないわけではなかったが、それ以上に、私の頭の中は「死にたい」という気持ちでいっぱいだ。
今すぐあの屋上から跳んで、硬いコンクリートの地面に向かって落ちていきたい。何の跡形もなく、産まれたことすら嘘みたいに、消えてしまいたい。
■
雨が降りはじめたのは、曇り空の隙間から自分のマンションが確認できるようになったころだった。
駅から駆けるように進んでいた脚は、普段の運動不足が祟って、すでにすっかり感覚がなくなってしまっている。
体から切り離されたかのように冷えていく爪先と、満身創痍で濡れ鼠、という状況が、私の足取りをより重くさせた。傘の下からこちらを覗く目の群れが、動かすので精いっぱいな足を、より厳しく急かす。
ようやく屋上への階段を上るころには息も絶え絶えで、およそまともな思考などできるはずもない。
それがいけなかったのかもしれない。
眼前の景色に、疲弊しきった体と精神は静かに姿を消した。
くすんでぼやけた夜空も、瞳の奥まで染み込んでくるような街灯たちも、「ナナさん」と気だるげに私を呼ぶブレザー姿も、そこにはなかった。
帰り道にいつも目にする、背の高いビルがはっきりと見える。解体中の建物を覆うグレーのシートが、雨風に煽られて揺れているのがわかる。
古びた蝶番を何度軋ませたところで、夢見るような異世界への道が開けるわけでも、特別な存在になれるわけでも、唯一無二の、奇跡のような巡り合いがあるわけでもない。
ドアに背を預けると、硝子が落ちて砕けたような派手さをもって、いよいよ何者かの悲鳴のような音がする。
錆が服についたかもしれない、とぼんやり心配する自分が、水たまりに浸からないようにとスカートをたくし上げてしゃがむ自分が、滑稽で、憐れで、悲しくてたまらなかった。
初めて心の底から「死んでやる」と思えたのに、フェンスに近づくことすらなく、職場や、明日からの生活のことを考えている。
今ごろみんなどうしているかな。峰岸さんは、安曇さんは、ほかの先輩や上司は、どんな顔をしているのだろう。今、私がここから飛び降りたとして、彼女たちが少しでも心動かされることはあるのだろうか。
どんなに自分が死ぬところを想像してみても、もう上手くはいかなかった。
わずかながらに抱いていた、「後味悪くは思ってもらえるだろう」という希望から、ついさっき逃げ出してしまったのだから。
「ああ、丸井さん? あの、仕事中にどっか行っちゃった人ね。死んだんだ」と、頭の中で、無機質な何かが溜息を吐く。
ぞわ、と背筋を這う寒気に、思わず両腕をさすった。
置き忘れてきた書類で軽くなったはずのトートバッグが、私の全身を地中へと沈めていくようだ。いつかエレベーターから放り出された声と同じように。ここは屋上なんかじゃない、お前がいるべき場所ではない、と。
誰もいないはずなのに、世界中の人の目に晒されているような心地だった。地球上にあるすべての素晴らしいものに囲まれて、たった一人、自分だけが何の価値もない物体であるかのような。
生ぬるい涙が、枯れた喉が、震える唇が、私という人間の価値を引き下げていく。
どうか誰も、私の肩を叩かないで。君、もういいよ、なんて。もうやめていいよ、人間としてここにいなくてもいいよ。マニュアルが配られていないっていうのは、そういうことなんだよ、と。早く誰か、誰でもいいから、私に人間としての正しい生き方を教えて��しい。これさえ守っていればクビにならないよ、人間でいても許されるんだよって言ってほしい。立派な人になれなくてもいいから、誰かに言いたいことなんて、やりたいことなんて何一つとしてないから、ただの人間として、平均的な人生を、何の心配もなく過ごしたいだけだ。
「ナナさん?」
自分が顔を持ち上げたことにすら気付かなかった。それほど、私は「ナナさん」と呼ばれることを待ち望んでいた。
「今日はナナさんが一番乗りだね、珍しい」
膝を抱えて、同じ目線まで下りてきた彼女が微笑む。「いつも私が先だもんね。待たされる気持ち、わかった?」という軽快な語尾に、胸が痛むことはない。
「美澄ちゃん、私、」
「どうしたの、ナナさん。え、泣いてるの?」
日はとっくに暮れて、雨も止んでいた。時間すらあいまいにしてしまった曇天は風に流れて、墨染めの紙がかすれたような、そっけない夜が広がっている。
出会ったあの日と同じように、彼女はきらめく多色の光を背にして「ね、見てよ」とフェンスに向かって歩いていく。
爪先が、巨大な水たまりに波紋を作る。逆さまの景色が歪み、やがて鏡のような煌めきを取り戻したとき、彼女が人工的な屋上から、満点の星空へ連れ去られてしまったようだった。
「いいでしょ、星空の上を歩いてる、みたいな」
一度やってみたくて、あ、写真撮ってよ、と照れくさそうに続ける彼女に、私は無意識のうち「ごめん」と口にした。
長いまつ毛を数回上下させたのち、むしろ彼女のほうが申し訳なさそうな表情で首を傾げる。
「いつも待ってることなら、気にしなくていいよ。冗談だって」
「そうじゃなくて、ちがくて」
溢れる感情がかえって喉に蓋をして、せり上がる言葉を押し戻す。
彼女はしばらく眉を八の字にして視線を泳がせていたが、やがて「ナナさん、海へ行こうよ」と明朗な声色で言い放った。
「うみ?」
「そう、海! ここからだと、どうやって行ったらいいのかなあ。私、高校近辺しか詳しくなくて。反対方向なんだよね」
わざとらしく間延びした口調で私の手を引き、彼女は足早に階段を下りていく。
点々と続く小さな水たまりを追い越しながら、彼女に合わせて切符を買い、地下鉄に乗って、未知の駅を目指す。
タイミングを外していたのか、もともと乗客が少ない方面なのか、車内に人影はほとんどなかった。
窓を背にして、無人の長椅子に悠々と腰掛ける。三人分のスペースを使ってど真ん中に座れることが、とんでもない贅沢のように思えた。
不意に隣の彼女が立ち上がり、私を見下ろしながら両手で二つのつり革を掴む。いいでしょ、とばかりに膨らんだ頬の中には、ほんの少しだけ、気恥ずかしさがしまわれている。
「どうして、海なの」
大した意図はなかった。絶対に答えが欲しいわけでもない。ただ、年中無休で働き続けた家電が事切れるような突然さで、いきなり現実世界へ連れ出されたことがやや不服ではあった。
彼女と屋上以外の場所に来るのは初めてだ。何度も会っているはずなのに、見慣れた景色の中に立っているだけで、絵本の中から飛び出してきたような、奇妙なリアリティが絡みつく。
実在する人物だったのか、とこっそり驚く自分がなんだか愉快に感じられて、彼女の瞳を見据えたまま、私は静かに目を細めた。
張り合うように澄んだ視線が返ってくるが、やがて根負けしたのか、苦い笑みを浮かべて、彼女は元の場所に腰を下ろした。
再び座れる場所がある、というのもまた、贅沢なことだな、とゆっくり目を閉じて、同じ速度でまぶたを持ち上げる。
「なんだろ。なんか、こういうときは海が定番かな、って思っただけ」
「ドラマとか、漫画とか?」
「ううん。私の個人的なアレ」
アレ、とはまた頼りない。何を指しているのかもわからない。
けれど、峰岸さんのときより不安を忘れているのは、なぜなのだろう。ほんの数時間前の出来事なのに、すでに何十年も経ってしまったかのような懐かしさと、胸のすくような心地があるのはどうしてなのか。
目的の駅名がアナウンスされて、私たちは恐る恐る電車を降りる。構内図を見ても何が何やらわからず、とりあえず最寄りの出口から地上へと昇った。
探るように辺りを見回すが、当然、見つかるものなどない。初めて訪れる場所でも、いや、だからこそ、あるはずもない、慣れ親しんだ何かを探さずにはいられない。
地図を表示したスマートフォンを二人で覗き込み、見知らぬ街並みの中を歩いた。
自分たち以外に人の気配はない。大げさに道路を照らす街灯や、わずかな客を待つコンビニの照明が、穏やかに研いだ空間をかえって際立たせる。
歩道に濃く染みつく影が、私たちが歩く速さ合わせてゆっくりと成長し、また緩やかに縮んでいった。
老いてはまた幼くなる黒を眺めているうちに、ふわ、と頬を撫でる風が、潮の匂いを増していく。
あ、と明るい声と共に駆け出した彼女に続いて、私も歩幅を広げた。
こちらとあちらを区切るチェーンをあっさりと跨ぎ、波の音だけを頼りに、ようやっと地面が途切れる場所に出た。このあたりは倉庫群のようで、人の気配はなく、錆びた水が垂れた跡の筋が、異様な不気味さを煽る。
「ここ、入ってよかったのかなあ」なんて、彼女は沈んだ声でこちらを振り返った。
「たぶん、ダメだと思うけど。そもそも、想像してた海と、ちょっと違うっていうか……」
「ね。普通こういうときって、砂浜じゃん。ワンチャン、防波堤のあるとこ」
そうだよね、と二人で笑って、水平線があるだろうあたりを見つめる。漁港はないよねえ、と同時に苦笑してしまったのが、より可笑しかった。
「まあいいや。そういうのもアリでしょ。べつに、ルールとかあるわけじゃないし」
自分でも驚くほど自然に、私は「うん」と頷いていた。喉を震わせた音が、残酷なほど冷え切った酸素の中で、頼りなくもしっかりと、唯一の熱を持って運ばれていくような。
「ナナさん、悲しいのもう平気?」
何でもないふうを装って転がり落ちた疑問は、本人が気遣っているほどさりげなくはないだろう。彼女もわかっているはずだ。
今度は意図して力強く、「うん」と再び顎を引く。百パーセント本当のことではないが、焦って取り繕うほど嘘でもない。少なくとも、「今すぐ死んでしまいたい」という気持ちはもう、息をひそめて眠っている。
「私ねえ」
彼女はどうやら、自分の話をするのが苦手らしい。裏返る勢いで語尾を高く持ち上げて、不自然に海面を凝視する。
「ナナさんと初めて会った日、本当に死のうと思ってたんだよ」
「べつに、疑ってはなかったよ」
「でも、信じてもなかったでしょ」
信じる信じない、の次元ではなく、私はどちらでもよかった。それは、私自身がどういうつもりで屋上へ通っていたのかがわからなかったから。
自分が死んで悲しむ人の想像がしたいだけなのか、勢いのまま、本当に死んでしまっても構わなかったからなのか。
「兄がね、一人暮らしをしてるんだよね。今年の春から」
「お兄さん、今大学生だったよね」
「うん。ペットショップでバイトしててさあ。頑張ってるみたい」
「そうなんだ。行ったことあるの?」
「あはは、あるわけないじゃん」
彼女は、何言ってるの、とでも言わんばかりに笑う。
それでも私の胸中が静かで穏やかだったのは、その笑みがあまりにも弱々しく、ひどく傷ついているように思えたからだった。
「昔さ、兄がいじめられてるってわかったときにさ、言ったことがあるの。『カッコ悪い』とか、『いじめられてるほうにも原因があるよ』とか」
弁解させてもらうと、なんて、さらに声のトーンを上げて、彼女は唐突に空を仰ぐ。
「そのとき、家の空気最悪で、お母さんもイライラしてて、居心地悪くて。『ああ、これが原因だったんだ』って、思っちゃったんだよね」
うん、と相づちを打つことしかできない自分が歯がゆい。
だが同時に、こうして話を聞いてあげることができる、と思えた。こんなふうに胸が高鳴るのは、いったいいつ以来だろう。
「だって、自分より辛い人が隣にいるから黙ってなきゃいけないって、そんなの。私は、私よりちょっとマシな人のところでしか、しんどいって言っちゃいけないってこと? 私もしんどかったんだけどって、言いたかった。私にだって、それなりに辛いことがあったよって。でも、それが最低なことだって、わかってる。謝って、兄は『俺のほうこそ悪かった』って、許してくれたけど、兄は悪くないし。私が酷いってことに変わりはないじゃん。だから、」
だから、に続いたのは、ひどく震えた、長い溜息だった。
いつか、彼女をいい人だと断言する私に、「そんなことないよ」と笑った彼女の「そんなこと」とは、一体何に対する言葉だったのだろう。
つまらない話だ、と卑怯にも否定を待った私への優しさか、あるいは、善人をやり直す自身の浅ましさを嘆いたからなのか。
それでね、と、渦巻く潮風に巻き込まれながら、彼女の弾んだ声が私の耳まで届く。
「『美澄ちゃんも大変だったね』って言ってくれたの、すごく嬉しくて、安心した。近くに私よりしんどい人がいたって、私が辛いことを隠さなくていいんだって、思ったって、いうか」
そっか、と、声と吐息の間の空気が揺れる。
手作りの無表情で、見えるはずのない水平線を眺める彼女の横顔に、私はようやく気が付いた。
そうか、私は、私に許されたかったんだ。
事実と違う記憶を縫い付けたのは、目隠しをしたのは、過ぎ去る春を素通りしたのは、私だ。
溜息を、呼吸を、人間として胸を張って生きることを許してくれないのは、ほかの誰でもない、私だった。
安曇さんの言葉に続く声は、本当にただの幻聴だ。どうしていつも、どうしてこうなるの、と「丸井奈々子」を咎めていたのは、私。
助けられるかもしれない誰かの役に立てないこと、惜しまれるべき誰かが死んでいるのに、自分が生きていること。
どれだけ罪悪感を覚えても、誰も咎めはしないし、だからこそ許してもくれない。それは冷たくて、寂しいことだけれど。
どれだけ美澄ちゃんに受け入れられても、受け入れられなくても、私が「いいよ」と言わない限り、私は簡単に自分を責める。
私が自分で、「丸井奈々子」を許してあげるしかない。
ああ、もう十分だ。こんな、ありふれた物語のような一瞬が、自分の人生上に現れるなんて。
「丸井奈々子」が生きていく上で、過去もこれからも許していけるだけの、たった一つを手に入れた。
そして、それと同じだけのものを、彼女に与えることができた。
誰かの救いになった、ほんのささいなことだけれど。その、溜息一つで吹き飛んでしまうような頼りない誇りだけで、自分が産まれたときから死ぬ瞬間までを、永遠に尊いものだと思える気がした。
誰かに肩を叩かれても、その自信だけを持って、図々しくも人間を続けられるんじゃないか、なんて。
港で明日を出迎えた後、私たちは二人で終発電車に乗って帰った。
駅までの道中、危うく警察に声をかけられるところだったが、制服の上から私の上着を被せてどうにか逃れることができた。
ガラガラの席に寄り添って座り、思うんだけど、と前置きして、彼女は不満そうに唇を尖らせる。
「未成年の夜歩きを取り締まる前に、怪しい大人を片っ端から捕まえればいいのに。やめさせるべきは子供じゃなくて、大人のほうじゃない? 犯罪を、悪いことをさ、やる人を止めるほう��正しいよ」
念入りに頭を撫でてあげたい衝動に駆られる。辛うじて、「やっぱり、美澄ちゃんはいい人だよ」と言うのは堪えたつもりだったが、思い過ごしだったかもしれない。
何の取り繕いもない���直な口調は、緩やかに私の心を勇気づけた。
■
翌日私は普通に職場へ行き、いや、本当は大いに暴れる心臓をなだめながら、一時間も早く出勤した。
寝坊しないように、と徹夜したかいなく、地下鉄は普段通りの混雑具合であった。
ただ、時間帯が変われば乗客が変わる。
職場の最寄りから二つ手前の駅に近づいてきたとき、頭一つ分飛びぬけた金髪に気が付いた。
微笑ましくたどたどしい発音で、「すみません、降ります」と片手を挙げた外国人。いかにも観光客、といった風貌の青年を咎めるように見つめる人間は、意外にも少なかった。
なんでこんな、平日のラッシュ時に、という瞳がゼロではなかったことがまた不安で、同時に、慰められたような心強さもあった。
まさか、さすがに誰もいないと思っていた部屋に安曇さんの姿を見つけたときには、ようやっと押さえつけたものが口からすべて零れ落ちてしまうかと身を強張らせた。
彼女はぼんやりとした表情で花瓶の水を替えていたが、私の姿に気が付くなり、目をまん丸く見開いて駆け寄ってきた。
ああ、安曇さんってこんな顔してたんだなあ、と、間の抜けたことをしみじみ思う。爪の色には詳しいのに、鼻筋がすっと通っていることだとか、右の目尻にほくろがあることだとか、今の今まで知らなかった。
きっと単純に、私が知ろうとしていなかっただけだ。
「丸井さん、昨日、大丈夫だった?」
「あ、はい。あの」
「体調はもう平気?」
どうやら、急な体調不良で早退したことにしてくれたらしかった。誰が、と問われれば、峰岸さんしか思い当らない。
クビを覚悟して出勤したにも関わらず、予想外の労わりを貰って困惑するばかりだ。
「あの、えっとその、すみません、急に」
「うん。まあ、できれば私に直接言ってほしかったけど」
ですよね、すみません、と安曇さんの視線から逃れるために、私は意味もなく部屋中の机を一つずつ観察していく。
「正直、峰岸さんと何かあったのかと思って、心配してたんだよ」
「え、あ、峰岸さん」
「あの人気分屋だから。いろいろ言うけど、アレとかソレとか、なんだかよくわからないんだよね。悪気はないんだろうけど」
「え、っと」
始業前だからなのか、心なしか重たいまぶたの彼女は、いつもより表情が柔らかいように思えた。
しかし、次の瞬間、「あ、ドアはちゃんと閉めてね。この間情報漏えいがどうのって通達来てたから」といつも通りの硬い声で目を逸らすものだから、またもよくわからなくなってくる。
もしかしたら、マニュアルなんて、最初から誰にも配られていないのかもしれない。多数派の人間が胸を張っているだけで、初めから、こうしなければいけない、なんてルールはなかったのではないか。
なんて、思ってはみるけれど。
はあ、と大きく息を吐き出すことを、一度だけ自分に許す。咎める声はない。
これは溜息ではなく、深呼吸だから、と言い聞かせた。
2018.02/白川ノベルズ Vol.5 掲載
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「2021年おしまい、2022年はじまり。」
毎年恒例の振り返りブログ。 ブログの更新頻度はすっかり減ってしまったけれども、 この振り返りをせずして年越しができないようになってしまったみたい。
まずは、仕事のハイライトから。
働く環境が大きく変化したわけではないけれども、 7月から9月末にかけて東京オリンピック・パラリンピックに関わる仕事に従事していた。 仕事先は、英国公共放送のBBCという放送局。
大阪G20でご縁が始まり、たまにお仕事をいただいていた。 そして、2020年の延期を経て、無事に開催、そして仕事となった。
書ききれないくらいにたくさん出来事があったけれども、 BBCの持っている「人権ありきで仕事をすすめる姿勢」というものに触れた。
なかなか伝わり辛いと思うので、言い換えるとすれば、 「報道はもちろん大切だけれども、それ以上に個人の尊厳を大切にする」ということ。
一方で、自分の仕事の課題が見えた。 イギリス英語ということもあったけれども、自分の英語能力不足を痛感した。 今までなんとなく英語を使って海外と仕事をしてきたけれども、 これじゃプロフェッショナルとして英語を使って仕事ができない。
五輪が終わって、海外でのキャリアを考え始めている。 同時に、英語の勉強を日々のルーティンとして進めている。

(中継場所のデックス東京ビーチ。photo taken by BBC staff )
次に、パートナーとのことについて。
今年も懲りずにたくさん喧嘩をした。お互い、もういいよ、というくらいに。 大抵は、自分に責任があることはわかっている。 僕はいつからこんなにご機嫌じゃない人になったんだろうかと思うくらいに。
ある時、私の姉が「あんた昔はもっと、ひょうきんやったのにな。」と言った。 そうだ、いつからこんなにつまらない人間になったんだろう、と。
私のパートナーは基本的にひょうきんで、明るい。 彼女にたくさん救われている。けれども、悲しませてばかりだなと思うこともある。 となると、もうこれは僕自身の問題になってくる。
幼少期のことなのか、起業したときのことなのか。原因はわからない。 だけれども、やっぱりパートナーと笑っていたい。 だから、新年に自分を掘り下げる作業をはじめてみようと思う、専門家の力を借りて。
パートナーとは、たくさん旅をした。 「旅」というのは、非日常と言われるけれども、 仕事とプライベートの境界が曖昧な僕にとっては非常に重要なものが旅。
コロナ禍なので海外渡航は叶わなかったけれども、 約9日間を使って、神戸、広島、別府、大阪、鳥羽を巡った。 その中で、僕が今まで勘違いしていたこと、気づいていなかったパートナーの一面に触れた。 そのほとんどがポジティブな文脈において。
今までは自由気ままに生活をして、す��ての時間が自分のものだった。 そして、今はそれを二分割でなくとも、 前提として「パートナー」の存在があり、生活を紡ぐ。
今過ごしているこの時間は、「自分のもの」なのか、 それとも「パートナーとのもの」なのか。
そのあたりの定義づけをしっかりすれば、 自ずと自分がとるべき言動は決まってくるんじゃないかなと考えたり。
パートナーとの生活ありきで新年の目標を考えたとき、 「ご機嫌になれる選択はどちらか」という言葉が舞い降りた。 瞬時に、新年を迎えて大切にしたい言葉になった。

(鳥羽の旅館からみた伊勢湾)
続いて、自分をめぐることについて。
うまく言語化できるかわからないけれども、書いてみよう。
別に「在日」を隠しているわけでもなかったし、 それを忌避するような仕事やプライベートではない。
けれども、ふと思った。 民族としての「在日朝鮮・韓国人」という人たちは、今後いなくなる(だろう)。 だとしたら、生きている間の残すべきことがあるだろうと。
今まで意識して在日同胞の先輩と会っていなかった。 けれども、彼らが汗水垂らして獲得したものを学びたい。 そして、それはかなり近いところにいる。 じゃあ、もっと動けばいい。それだけだ。
はっきり言って、これ以上日本に住みたいと思わない。 ヘイトを撒き散らす輩、そしてそれを批判するでもなく傍観する人々。 どっちもどっちだろうと思う。
「個人の尊厳」なんてものはなくて、基本がマイナスから。 マイナスをずっと変えようとするけれども、できないことが続くと、疲れる。
家族はいるけれども、しんどい気持ちを持ったまま日本にいる必要って何? 僕が今日本にいる理由は、大切な仲間や先輩がたくさんいるから。 でも、彼らがいなくなったとして、僕はこの国にいることを選ぶだろうか。
来年一年を通して、住む場所についても改めて考えてみたい。
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来年は、キャリア変更のための準備、住む場所の再検討、パートナーとの関係性深化。 これを軸に動いていきたいと思っています。
命も時間も極めて有限である、そして生まれたときに死ぬことは決まっている。 だから、僕は何を選んでいくのか。改めて考えて生きていこう。
今年も本当にたくさんの人にお世話になりました。 ご縁をいただいた皆様、ありがとうございました。
新年もどうぞよろしくお願いします。

(9月に登頂した日光・男体山頂から)
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