#同じタイミングでデビューしただけの仲
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beforedawnwitch · 2 years ago
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最高だった、本当に。
【心に残った名言】
4年間つらいときも色々あったけど、そばにいたのは夜王国じゃなかった…✨(エモ演出
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gdmtblr · 2 years ago
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縁あって、ジャックラッセルテリアの仔犬を新しく家族に迎えました。現在生後5ヶ月の女の子で名前はニコラと言いますが「ニコ」と呼んでもらえたらうれしいです♫ 実は1ヶ月ほど前からニコは我��家におりまして、ワクチンプログラムが終わり、先日ようやく散歩デビューを果たしたところ。現在社会化トレーニングをさせながらイヌの義務教育をほどこしている最中です。チョロチョロと活発に暴れ回る小さな怪獣に少々(いやかなり?😅)辟易しつつ、ハグもニコの教育係をしっかりと頑張ってくれています🐶❤️🐶
また、やはり多頭飼いを検討していた近所���イヌともさんが、ウチと同じタイミングでニコと同じ犬舎からきょうだいの仔犬を迎えたので、2頭はこれからも仲良く戯れながらすくすく成長していってくれることと思います。数ヶ月後、涼しくなる頃にはハグとニコが一緒にグリーン・ロードを軽快に歩けるようになってるんじゃないかなーと期待しつつ(いまはまだニコがワチャワチャしすぎているため、散歩はしばらく別々デスw)、僕にとっては実に12年ぶりの仔犬育て(遠い目…笑)、色々と大変ですけども(いやマジでw)楽しみながらがんばりまーす!
https://m.youtube.com/watch?v=W6THd4bUGgY
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jinsei-pika-pika · 5 months ago
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TWICEのMOMOにインタビュー
10年後、どんな自分でいたい?
01 Dec 2024
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しなやかなダンスとチャーミングな人柄で世界中を虜にしているTWICEのMOMO。 2025年にはデビュー10周年を迎える彼女が、常に新しいことに挑戦したいと思う原動力は?
ソウル市内のスタジオに、愛犬ブーを伴って現れたMOMO。〈ミュウミュウ〉の日本アンバサダーを務める彼女だが、聞けば以前から同ブランドのファンでもあるそう。よく見ればブーの首元に輝くのは、〈ミュウミュウ〉のロゴが刻印された首輪。毎日の散歩にも必ず身につけているほどお気に入りなんだとか。
「私にとって〈ミュウミュウ〉はクールでシック、モダンなイメージだけれど、着る人によって印象が違って見えるところが魅力ですね。さらりとシンプルに着こなす人もいれば、ふんわりやわらかいコーディネートを好む人もいて。逆に、何をどう着るかでその人自身の見え方も変えてくれる。〈ミュウミュウ〉にはそんな力があると思います」
──今回の撮影で着用した衣装はMOMOさん自身が新作ホリデーコレクションよりセレクトした、「ミュウミュウ セレクト コレクション」ですが、これらのルックを選んだ理由は?
「私が好きなネイビーに、ホリデーを意識した緑と赤を組み合わせて、全体的にクラシカルにまとめてみました。もこもこのニット帽は見た瞬間にときめいて、実際にかぶってみたら想像以上に可愛かったです!ニット素材のジャケットとセーターに重ねたネイビーのポロシャツが一番しっくりきました。身につける前からきっと似合うだろうなと思っていたんですけど、着てみたら私の顔色をより綺麗に引き立ててくれて、もっと好きになりました」
みんなの喜ぶ顔が見たくて メンバーにパジャマをプレゼント!
──撮影では、さまざまなルックを素敵に着こなしていましたが、普段はどんなファッションを選ぶことが多いですか?
「ステージではピッタリした衣装を身につけることが多いので、仕事の行き帰りはオーバーサイズの服を選びます。ラクだし、終わった後の開放感が味わえるから(笑)。最近は、今日私服で着てきた〈ミュウミュウ〉のボーダーTシャツにハマっていてよく手に取りますね。プライベートで出かける時は場所と雰囲気に合わせてコーディネートを考えます。例えば先日、家族でタイに行った時は南国っぽさを意識しつつ、リラッ��スした服をたくさん持っていきました。私のクローゼットの中は本当にジャンルレスですよ。パンツスタイルからワンピース、ボーイッシュなものまでそろっていて。お店を覗く時はメンズも欠かさずチェックします」
──大人になるにつれて、服の好みやスタイルは変わりましたか?
「ネイビーをはじめ青系の色と黒は昔から好きでしたが、少し前からバーガンディーが気になりだして、去年は〈ミュウミュウ〉のジャケットを一着購入しました。それに合わせてネイルも同じ色にしてみたり……。最近、金髪にしたのですが、黒の服を合わせると印象が強くなりすぎてしまうので、あえて白など明るい色を選ぶようになりました。年齢もそうですが、髪色などヘアスタイルによって似合うものはこんなにも変わるんだ、ということを実感しています」
──最近、お買い物したものは?
「〈ミュウミュウ〉のハイネックのジップアップ!グレーのもこもこ素材(ウール)で、オーバーサイズなジャケットなのですが、欲しくなって買ってしまいました」
──TWICEのメンバーと一緒に、買い物に出かけることはありますか?
「ワールドツアーで海外に行くと、SANAちゃんやNAYEONちゃんとショッピングによく出かけます。メンバーとはセレクトショップを訪れることが多いです。みんな好みがバラバラだから、お店に入った瞬間、別行動になるけど(笑)。でも気に入ったアイテムを見つけたら似合うかどうかメンバーに聞いてみたり、逆に好きそうなものを見つけたら教えてあげたりもします。3人で買い物した後、火鍋を食べに行くのがお決まりのコース。今年訪れたラスベガスは、街全体が遊園地みたいで、歩いているだけで楽しかったです」
──メンバーにホリデーギフトをあげたことはありますか?
「たまたまよさそうなパジャマを見つけて、全員でそろえたら可愛いだろうなと思ってみんなに贈ったことがあります。その時は箱も手作りしたんですよ。顔写真やシールを貼ったボックスにセットアップのパジャマを入れて。みんな、いまだに箱ごと大事にしてくれているみたいです。私はショッピングをする時、デザインや色違いもそろえたいタイプ。でも全てを着ることはできないから、そういう時はメンバーに代わりに着てもらうんです(笑)。そんな感じで、普段から思いついたら、家族やメンバーにプレゼントしていますね。みんなの喜ぶ顔を見るのがうれしいんです」
──最近、ハマっているものはありますか?
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TWICEの存在がいつまでも たくさんの人々の心に残りますように……
MOMOさんが所属するTWICEは、来年デビュー10周年を迎える。それだけ長く活動してきた中で、彼女自身に訪れた変化について尋ねてみた。
──デビューから今までTWICEとして活動してきた中で、一番の原動力はなんですか?
「それはやっぱりこのメンバーがいてくれたからだと思います。メンバーとは家族みたいに何でも相談できる仲ですし、この9人だったからこそ今のTWICEがあると確信しています。そして私たちがいつも新しいことに挑戦し続けてこられたのは私たちのファン、ONCEのみなさんのおかげです。みなさんがいるから毎回よりよいものを届けたいと考えるし、期待に応えたいとも思う。だから次はどんな新しいことをしようかと考えてワクワクするんです」
──TWICEとして活動してきたこの9年の間に、MOMOさん自身が一番変わったと感じる部分はなんですか?
「自分の意見をはっきり言えるようになったことですね。以前の私は、自分の考えを表明するのが苦手だったんです。でも他のメンバーたちは会社の提案に対しても違うと思ったことには違うと言うし、自分を出すのを恐れない。これってすごく大事なことなんですよね。私もメンバーのそういうところを見習って、この9年で徐々にできるようになりました。それに、自分の意見を言うようになったら、みんなちゃんと私のことを受け止めてくれるんだということがわかったんです。そういう環境に感謝していて、それ以降、より自分らしさを出せるようになった気がします」
──どんな作品にMOMOさんの意見が反映されていますか?
「MISAMOの2ndアルバムのジャケットで3人そろいの髪型にしているのも私たちの意見ですし、衣装も私がいろんな資料を集めて事務所に提案したんです。3人の衣装を00年代、10年代、20年代というふうに分けたら、その時代ごとの雰囲気が出て面白いのではと。実は、昨日もツアーの打ち合わせをしていて、ステージの演出をどうするか話し合いました」
──ブロンドのボブヘアもお似合いです。
「ここしばらく黒髪だったので、年内に金髪にしたかったんですよ。それでMISAMOのティーザー撮影のタイミングでひとまず色を抜いて、長い髪をくるんと巻いてショート風にしてみたんです。意外に好評ではあったんですが、その時は切ろうとまでは��っていなかったんですよね。なのにミュージックビデオ撮影の3日目に急にバッサリいきたくなって、スペインのホテルでヘアメイクさんにお願いして、ほとんどノリで切ってもらったという(笑)。ずっと黒髪だったから、せっかく変えるなら思いっきりやりたかったし、いい気分転換になりましたね」
──今年はTWICEとして日本でスタジアムツアーも実現しました。大きな目標を成し遂げた今、次のステップはなんですか?
「スタジアムのステージに立つのは私たち9人にとっても大きな夢だったので叶えることができて幸せでしたし、コンサート中は感動しっぱなしでした。ここまでがんばってきてよかったなと思えたツアーでしたね。次はMISAMOのツアーを成功させることが当面の目標です。私たち3人でのコンサートはこれが初めてなので、まずはMISAMOらしいステージをお届けしたいという気持ちでいっぱいです。たぶんセットリストの半分くらいはみなさんが初めて聴く曲になると思います。その分、準備も大変ですし、正直に言うと心配でもありますが、初めてだからこそステージを観た時のみなさんの反応も楽しみなんですよね」
──韓国をはじめ日本など多くの国々で大きなステージに立ちグローバルに活躍しているMOMOさん。夢を叶える秘訣はなんですか?
「私は子どもの頃からアーティストになりたい、人前に立ちたいと思い続けてきました。本当に幼い時からそれだけを願ってきたし、挫けそうになることも数え切れないくらいあったけど、それでもとにかく思い続けてきました。夢を叶えた今になって感じるのは、自分が望んだことを願い続けて行動したら、いつかは絶対に叶うということ。だから、まずは自分がやりたいことを見つけてください」
──MISAMOで安室奈美恵さんの「NEW LOOK」をカバーしました。安室さんのファンであることを公言しているMOMOさんとしては感慨深かったのでは?
「私は安室奈美恵さんに憧れてアーティストを目指すようになったんですよ。安室さんのコンサートを観に行っていましたし、今も大好きです。だからこそプレッシャーはとても大きくて……。安室さんの素晴らしさは身にしみて知っているし、こんなに素敵な曲を私たちが台無しにするわけにはいかないから。でも、私たちなりの『NEW LOOK』をお見せしたいという気持ちでカバーさせていただきました」
──10年後、どんな自分でいたいですか?
「その頃、何がどうなっているかわからないから具体的に考えたことはないんですけど……。ただ、TWICE全員が幸せであってほしいですね。正直に言うと、今まで大変だったことも辛かったこともたくさん経験してきました。いろんなことを乗り越えてきた私たちだから、10年後にはみんながやりたいことをやっていてほしいし、自分もそうなっていたいです。アーティストとしての未来は本当に想像がつかないというか……。(じっくり考えてから)ただ、今の私たちを多くの人たちがずっと心の中に留めておいてくれたらうれしいです。TWICEの曲を聴いたらその当時のことが浮かぶような、この時代を思い出せるきっかけになったらい��なと。最近、TWICEが日本の教科書に載ったという話を聞いて驚いたんですよ。ファンの方が『今日、学校の教科書にTWICEが出てきた』って教えてくれたんです。それがすごくうれしくて!私たちが歴史に残る存在になったら、こんなに幸せなことはありませんし、そうなることを心から願っています」
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MOMO
モモ>> 1996年11月9日生まれ。京都府出身。2015年にTWICEとしてデビュー。日本人メンバーで結成したユニット、MISAMOとして2024年11月に2ndミニアルバム『HAUTE COUTURE』をリリース、日本での単独ドーム公演も決定している。
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mpwebmag-interview · 2 years ago
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2022年10月29日。新宿アンチノックで、THE POGOのライヴが行われた。 93年の解散以降、突発的な再結成ライヴはあったが、その数は29年間でわずか4本。メンバー全員が揃ってのライヴは2本しかなかった。その彼らが、2022年、解散から29年というタイミングで再始動したのだ。 前編となる前回では、彼らがなぜ再びバンドを組んだのかを語ってもらった。後編となる今回は、始動1発目となった10月29日のライヴの模様と、ライヴをやった事で起こったバンドの変化。そして2023年2月18日に予定されている復活2回目のライヴについてと、もちろん気になる今後のTHE POGOの活動についてを、小河原良太、春日弘、塚本研、塚本純の全員に聞きます! <THE POGO interview PART.1「解散ライヴがやりたかっただけで、別に解散したいわけじゃなかった」はこちらから>
text 中込智子
ライヴって客が主役なんだよ
ー復活1発目となる10月29日、対バンはSPROCKET WHEELとDAIEI SPRAY。世代も異なる、意外性あるラインナップになりました。
純:SPROCKET WHEELは前回のライヴも俺の企画だったんだ。その時にTHE POGOのファンだって言ってくれたことがあって、そっから仲良くなったんだよね。DAIEI SPRAYは元々俺ドラム叩いてたし、THE POGO好きだって言ってくれてたしね。繋がりもあるし、新鮮でもあり、面白いと思った。でさ、企画ってバランスじゃん。この3バンドでアンチノックっていうのがいいバランスでいい感じだなって思ったんだ。
良太:だな。いいバランスだと思う。大事。
ーライヴの直前はどんな感じでした?
良太:とにかくスタジオ練習増やしてくれって言ってたんだけど、スケジュールがなかなか合わなくて、仕方ないから俺、カラオケ通いまくってた!(笑)。THE POGOの曲とかもあったしね。”Search out”とかは昔カラオケ用にって自分らで録音したそのまんまの音だったし。でもさ、それ歌ってもさ、80点とかしか出ないんだよ!
春日:本物なのに(笑)。
良太:まあそんな感じでカラオケで点数出すのにハマっちゃってさ、悔しいから通って通って、朝から1日中カラオケ行っていろんな曲歌って……唯一90点台出たのが甲斐バンドと”横須賀ストーリー”のクレイジーケンバンド・ヴァージョン。
ー(笑)。そうこうするうちに声も出るようになってきて?
良太:いや、出ない。だからもう開き直ったね。いや、『俺もうダメなのかな?』って本気で思ったりもしてたんだけど、ライヴ前の最後のスタジオ練習の時には『もう今の自分でしかない』って。俺はグチグチ考えちゃうタイプだけど『考えても仕方ねえ』と。
研:俺はでも良太くんちゃんと間に合わせてくれたって思った。そんで俺も、スタジオで正直あんまり弾けてなかったんだけど、俺は気にしてなかった。2人がうまいから、俺、弾いてなくても大丈夫かなって。
一同:はははははは。
ーいや、ライヴがっつり弾けてましたよ、良太さんも声出てましたし。純さん、春日さんはもちろんバッチリ。というわけで、本番はどうでした?
研:俺、昔やってた頃からライヴで緊張するっていうことが無かったんだけど、久しぶりにちょっと緊張して。それがね、ちょっと嬉しかった。いや、スゲー嬉しかった(笑)。
良太:俺は、久々っていうのはあったけど、別に懐かしさとかそういうのもなく、普通っていうのも変だけど……それこそ小滝橋の新宿LOFTでやってた頃が昨日みたいな、そのまま繋がってる今の俺たちっていう感じ。
春日:うん。そんで、お客さんもそんな感じだったんじゃないかと思うよ。
良太:ああ、あと俺は客の前でやったっていうのが有難いなって思った。やっぱさ、ライヴって客が主役なんだよ。全ての世の中のバンドで、カッコいいなって思うバンドって、大抵客がカッコいいんだよ。それが最近なんか、海外のフェスの映像とか観ても凄い感じるんだよな。主役は客だって。
春日:しかもこのコロナ禍で蓋を開けてみるまでこっちもどうなるか分かんなかった。
純:そう、みんなじーっと立って観てたらどうする?って。
良太:うん、客も俺たちと一緒な感じで良かったよな。まあ俺たちもセットリストで煽ったけど(笑)。
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1回ライヴやったことによって変わった
ーその選曲に関しては、どういう感じで決めたんでしょう?
純:とりあえず俺がたたき台作って、それをみんなでああしようこうしようって言いながら決めた。
春日:最初はもう、ありとあらゆる曲が挙がって、それも面白かったよね。当時ですらあんまりやってない曲とか。あと、対バンからリクエストされた曲もあったね、”不幸な星の下で”とか。
ーあれ対バンリクエストだったんですか⁉ マジでびっくりしたんですよ。
純:あれはスプロケのドラムのスエからリクエストがあって。
良太:リストに“不幸”(編注:“不幸な星の下で”のこと)って書いてあんの見たときは『“不幸”ってなんだったっけ?』って思ったよ、それぐらい忘れてた。
春日:俺だって多分、メジャーデビューしてから弾いたことないもん。多分デビュー前の日本青年館でやったのが最後だと思う。
ー青年館は88年でしたっけ。宝島VOSからビデオ出てましたよね、あれ以来か。
良太:俺さ、実はTHE POGOの音源、ベストくらいしか持ってなくてさ。あわててYOUTUBEとかで“不幸”探したらあるにはあったんだけど、音悪くてよくわかんないんだよ。そしたら春日が練習して弾いて送ってくれて。
春日:“不幸”はキャプテンレコード時代の曲で、俺が弾いてる音源って実はないんだけどね(笑)。あと、他の曲に関してもなんだけど、俺は一応全部の音源持ってるから改めて聴いてみたら、曲によっていろんなヴァージョンが残ってるんだよ。スタジオヴァージョンだけでも3テイクある曲があったり。
ー曲選びだけじゃなくヴァージョン選びも必要に。
春日:さらに当時は良太くんもライヴでギター弾いてたから、ギター2本���ァージョンと1本ヴァージョンがあったりもしたんだけど。
良太:そうそう、それもあって練習の初日には一応俺も自分のギター持ってったんだけど、弾いてたら春日から『うるさいからいらないよ』って言われて!
一同:はははははははははは。
春日:だって良太くんコードも覚えてないし(笑)。
良太:というわけで今回は俺のギターは無しで。まあその方が俺もボーカル集中できるしね!
ー(笑)。曲順に関してはどうでしょう? ライヴの冒頭1曲目が“Such is Life”だったことにも驚きましたよ。
春日:研のリードボーカルから始まるからね。研くん最初嫌がってた(笑)。
研:1曲目でやったことない曲だし。でもまあ、斬新だったよね。
春日:うん。そりゃお客さんもビックリだよね、『え、まさかコレ⁉』って。メンバーすら予想できてなかったし(笑)。
純:あれはね、ラジオでレイ・チャールズが流れてたの聴いてた時に、終わった直後に頭の中で“Such is Life”が流れて、『これスゲーかっこいい!』と思って。それでSEではないんだけど、BGMの音量でレイ・チャールズを流してもらって、そこから“Such is Life”に入ったんだ。だから選曲にしても曲順にしても別に驚かせようとしたわけじゃなくて、『こうしたら単純にカッコいいかな?』っていうところで決めて行った感じ。もちろんメンバーLINEでみんなで曲挙げていってね。
春日:王道で“待ちわび”(編注:“待ちわびた時”のこと)とかね。あとまさかだったのは“Kill the Pigs”、マジすかー!っていう。でもこの曲もいろいろヴァージョンあるんだよね、シングル・ヴァージョンとか。
良太:あったあった、デモ・ヴァージョンとか。確か純がバイクで事故った時あたりに録った覚えがあるな。
ーそんな感じで本編10曲、アンコール3曲、ダブルアンコール1曲の計14曲が披露されたわけなのですが、確かキャプテンの1枚を除くほぼ全てのアルバムからの選曲にもなっていたと思います。
純:それはたまたまだよ。
良太:うん、全然関係ないよ。全部から選んだとかチョイスしたとかは全くない。
春日:ただサプライズありの、王道もありのっていうね。次も凄いよ(笑)!
ー次回は2月18日新代田フィーバーですね。
良太:さっきも純と話してたんだけど、やっぱりさ、1回ライヴやったことによって変わったんだ。今日の練習とかでも、ライヴ前とは明らかに変わってるんだよ。やっぱバンドはライヴやんないとダメだな、何十回の練習よりも1回のライヴ。それをやったことによって、俺たちの経験値もちょっと上がったと思う。俺の声も、ちょっと出るようになったよ(笑)。
純:今日の練習終わって、確かにちょっとスケールアップした感触はあったなあ。
良太:そうそうそう。前はもういっぱいいっぱいだったもんね。それが全体的に。
春日:グルーヴ感とかね。
良太:そう。あと、今日の練習でまだやってなかった曲をやったんだけど。
春日:まだまだネタはいっぱいありまっせ!っていうね。
良太:うん。それがまた刺激的だったりしてさ。
ーTHE POGOの形が、現在進行形でどんどん進化していきそうですね。それが観られる次回も非常に楽しみなのですが、次回は2��ンですね。
純:うん。結構いろんなバンドを候補に挙げて考えてて、大阪にツアー行くことがあったらDouble Bogysに声かけようかなって思ってたんだけど、敢えて東京に呼んでも面白いなあと思ったというか、フィーバーという場所で2バンドでやるっていう点でもしっくりきたんだ。Double Bogysもあんまりライヴやってなかったみたいだけど、好きなバンドだしね。
ーすごく楽しみです。ただこれ、Twitterでの告知から僅か3分で売り切れちゃったという。ちなみに3本目ももう決まっているし、キャパも少し増えるんですよね?
良太:うん、あったかくなったぐらいにやるよ。
純:フィーバーの後に告知するよ。
ーそして、こうなってくると当然、ライヴに誘われ始めてもいる。
春日:あっちゃこっちゃから声かかってるね(笑)。
純:でもとりあえずはこの3本をしっかりやってからだね!
ーはい。また、気の早い話ではあると思うんですが、新曲や新譜もそのうち期待したいです。
純:それは、自然と出てくるんじゃないかな。
春日:曲は作ろうと思えばいくらでも作れると思うんだけど、歌詞がね(笑)。やっぱり小河原良太の歌詞じゃないと!。
良太:だーってさ、正直さ、例えば“ヒステリックジェネレーション”とかだったら、若いガキが書いてた歌詞じゃん。それが今さ、58才になって『俺が今欲しいものは愛でも金でもなくて』って、今一番欲しいよ俺は!って自分で思うことにギャップを感じるわけでさ(笑)。
春日:今、還暦を前にして、どんな歌詞ができるか?っていうのが面白いと思うよ。
良太:歌詞できねーんだよな(笑)。ただまあ、時代時代の歌詞ってあると思うから、自然に無理せずやってくよ!
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『ANOTHER WORLD』 2023年2月18日(土)livehouse_fever 17:00-OPEN/18:00-START ADV.-¥3300(+1DRINK) / DOOR-¥3800(+1DRINK) DOUBLE BOGYS(from Osaka) THE POGO
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tiffany0222 · 5 years ago
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沢山のお祝いを頂いて、胸がいっぱいで。何回この日を迎えても同じ喜びじゃなくて、年々嬉しさは増すばかりです。動画でお祝いしてくれた皆さんに俺は何が出来るかなって考えて、皆さんの魅力を沢山紹介しようと思いました。俺はこんな魅力に溢れた皆に囲まれてるって…自己満足かもしれないけどお付き合いくださいね。
薮とはまだまだ全然話せていないんだけど、今俺から見る薮は凄く距離感を考えてくれているなって。詰めすぎる事無く、でも離れているわけでもなく、これから沢山の可能性を感じてます。デビューお前の方が早いんだし、そんなに後輩後輩しなくていいよ?っていうくらい礼儀正しいいい子なんです。
ごっち
ごっちと出逢ったのはここじゃなくて、なんならゲームの中で。繋がってもいないのに可愛がってくれて、俺の求めてたごっちが居るって思って繋がることを持ちかけました。落ち着いて少し離れたところで見ていてくれる、そんなお兄ちゃんみたいな人。まだまだ知らないことばかりなので、とりあえずご飯行ってお互いのこと語り合いたいね。
すばるくん
ぜんっぜん話せてないんですけど、毎度俺の声を褒めてくれてめちゃくちゃ照れます。相変わらずメッセージに癖があって、いや、癖が強すぎてメッセージ入ってこないんですけど(笑)そこがすばるくんらしさ全開で。本当にもっと話したいんで、今年は距離詰め作戦頑張ろうと思います。もっと謎のベールに包まれたすばるくんを暴きたいのでこれからもよろしくお願いしますね。
佐久間
佐久間は本当にテンションが高いです。しかもずっと変わらない。デビューして落ち着いたかな?って思ったけどそんなことも無かったです(笑)よく飯に行ってカラオケ行ったり、カニのビュッフェに行ったのも懐かしいな。一時期凄く目をかけてたヤツですね。たまの鋭いツッコミは本当にお前後輩…?って思うくらいです。
みっちゃん
みっちゃんは出逢った時から凄くしっかりしていて、落ち着いていて…でも意外と電話したら天然だったりいい意味でイメージを覆してくれたね。最近はなかなか話せていないんだけど、みっちゃんと話している時間は凄く楽しくて癒されます。北山さんが旦那さんって呼ばれててちょっと羨ましく感じたのはここだけの話(笑)これからももっとまだ知らないみっちゃんの事を教えてね。
とりあえず元気。でも凄く繊細だと思ってて。おバカですぐ真っ直ぐに突き進むから激突した時のダメージ大きいんじゃないかってちょっと心配だったりもするけど。恐れないで、思った方に進んでいける樹を少し羨ましくも思っていて。なかなかできる事じゃないからそれは凄く大事にして欲しいし、樹のいい所。でも少し落ち着きなさいよ、とも思ってます(笑)
まちゃさん
まちゃさんと電話した時のこと、今でも覚えてて。めちゃくちゃ楽しかったんですよね、当たり前なんですけど、凄く大人で落ち着いていて。だけど凄く面白い人なんですよね。話すこともそうなんですけど、話しているテンポも心地よくて。あんまり知らなかったまちゃさんのこと、今は少し知れてるなって実感してます。早く大倉くんと3人でご飯実現しましょうね!
辰巳
言わずもながら俺の大親友。ここで出逢った4年、泣き笑いバカ騒ぎを1番したやつ。何でここまで仲良くなれたのかは未だに不明です。俺はお前が居たから頑張れたし、折れないでここまで来れたって思ってる。俺の全部を認めてくれてるのはお前だなっていつも思う。早く飯行くぞ!今年も変わらず俺のそばに居てください。そして、一緒に笑っててね。
しめちゃん
最近1番目をかけている後輩です。可愛くて可愛くて、おバカで仕方ないんです。あれ、なんか間違った…かな、気のせいだね。でもこう見えてガラスのハートだし、グイグイは来ないんだよな。ちゃんと俺の事見てタイミング見計らって藤ヶ谷くーん!って来てくれる躾のできたワンコです。俺が他の後輩に取られそうになると必死でヤダヤダしてくるんだけど、またそこも可愛くて(笑)よく弄ってるけど、実は藤ヶ谷くんはしめちゃんが大好きで仕方ないです。
美優紀
全然顔出さないなー。今年は美優紀と太輔の仲になるんだろ?(笑)美優紀は俺の繋がっている女の子nrさんで1番長い付き合いになるんじゃないかな。とりあえず人狼での占いの的中率ハンパないです。占い師美優紀。ふわふわした雰囲気だけど、男を墜す術ちゃんと分かってる永遠のアイドルです。こんなこと言ったら絶対怒られるな(笑)
ハニー
ハニーはハニーです。因みに俺はダーリンです。あくまでも呼び名の話です。ずっとずっと昔の話。それこそまだフラフラしてた時に出逢ったね。女の子では1番長い付き合いだし、実は君に認めて貰えるのはこの姿でいる上でめちゃくちゃ嬉しかったりする。いつでも笑ってて、頑張りすぎるくらい頑張る女の子。だからたまに心配になるけど絶対弱いところは見せないね。最近になってやっとブラックなところ見せてくれるようになったけど、そんな所も大好きだよ。
はるちゃん
はるちゃんとは色んな人のCASで会ってて。CASで会う度に俺の事ちゃんと覚えててくれて。今でもセブンの肉まんで盛り上がったのを覚えてます(笑)まだ繋がったばかりで深い話まではなかなか出来ていないんだけど、凄くセンスに溢れた素敵女子です。これからもっとはるちゃんのこと教えてね。
にっしー
にっしーはね、もう見つけた時からマジで西島隆��だった。文章も、雰囲気も、全てがNissy。凄く真面目で俺には絶対真似出来ない。作り上げるものの全ては完璧だし。でも完璧すぎてたまに疲れちゃわないか心配になるからね(笑)沢山色んな話をしてるけど、最近お互い忙しくてなかなか話せてないね。約束してた電話、近いうちしようね。
大毅
俺の中の永遠の後輩。語り継がれるエピソードを持つくらいには後輩の鏡。…とかいうとイメージと全然違うからやめて!か凄え調子乗るかのどっちかだから程々にしておきます(笑)とりあえず大毅は歯が多い、うるさい、可愛い、です。よく飯に行ってたんだけど、なんか最近全然予定が合わなくて行けてません。そろそろ飯行くぞ。予定空けとけよ?
田中さん
田中さんと繋がったのは急でしたね(笑)まだまだあまり知らないことが多いですが、お酒が大好きでノリが良くて。俺を落ち着いた抱擁力のある青年だなんて言ってくれるとても優しい方です。いつか俺もゴチにお邪魔したいです。そして飲みにも行きたいです!沢山お話してお互いのことを知っていきましょうね。
奈緒
奈緒の魅力語り出したら多分収まらなくなりそうだから簡潔にします。奈緒はとても静かなイメージだったんだけど、でも実は喜怒哀楽がとてもハッキリしてて、そして凄く優しい女の子。ドラマで共演していたのもあって、仲良くなるのはあっという間で、凄く早かった。たまに素直じゃないし、意地悪なところもあるけど、それも可愛いなってなるくらいには魅力的です。
春くん
春くんは一時期お互いによく相談だったり、話し合ったりしてた心の友。めちゃくちゃハッキリ言うから嘘がないというか。そんな所が好きなところ。酔っ払うと何言ってるか分からないけど、とりあえず俺のことが大好きなのは知ってるよって言っておきます。男らしいとか、格好いい、とかじゃないけど自然体で、格好つけずに人を大事にできる人。だからそんな春くんのフォロワーでいられる俺は幸せだなって思います。
みぃ
みぃは繊細でとても女の子らしい。悩んでる姿をよく見かけるけど、でもその度にきっとちゃんと自分の力でちゃんと立ち直れるそんな強さがある女の子。可愛いだけじゃなくて、そんな姿勢は凄く格好よくて尊敬してる部分でもあります。まあでも、あんまり溜め込まないようにね(笑)今年もお祝いしてくれてありがとう。
光とは少しずつ会話を重ねてゆっくりゆっくり距離を縮めているんだけど、そのペースが心地よくて。俺が話題に出したことにスマートに格好つけずに答えてくれて、なんだかそんなところに男らしさなんかを感じて。でもまだまだ謎だらけ。もっと深いところまで話したいね。とりあえず美味しそうなその料理のレシピ教えてね。
翔太
翔太も一時期よく飯行ったりカラオケ行ったりしたな。最近は忙しそうで遠くから応援してますよ。クールで、大人で、媚びない。そんなお前だから俺を頼ってきてくれた時は凄く嬉しかったのを覚えてるよ。他とは違うしっかりした目線で、いい意味で後輩だけど後輩っぽ��ない。そんな所が翔太の好きなところです。
亀梨くん
亀梨くんは格好いいけど、可愛い人だと思っていて。なんだろう、包み込む雰囲気が優しくて柔らかい。でもいざと言う時の抱擁力というか、強さというか、そういうのは格好よくて。美味しいものを沢山知っていて、いつか連れてって欲しいなとも思うしショッピングにも行きたいなって。渉だけじゃなくて俺のことも構ってくださいね。
チョコビ
言わずもながら俺の嫁です。なぜ嫁になったのかは忘れました。でも気づいたら嫁でした。とにかく考える事、感じる事が一緒。ノリも一緒。好き嫌いが激しいけど懐いたらとことん。でも人間が嫌い。なのに俺の事好きだって言ってくれるそんな子です。歌は上手いし、センスはあるし、流石です。近々また濃厚な話をしましょうね。
潤くん
潤くんは俺が繋がりたくてタグアカウントにアピールしまくって繋がって頂いた大先輩。なにがって、もう見るからに、話すからに松本潤なんです。俺と仲良くなるのはマストだって最初から言ってくれて、繋がれただけで嬉しかったのにそんなこと言われたら天にも登る思いですよ。落ち着いた声をしていて、聞いていてとても心地がいいです。二宮くんと話してる時のちょっと弄られる潤くんが個人的に大好きなのでまたCASしてくださいね(笑)
大野くん
まさか大野くんにお祝いしてもらえるなんて思ってなくて、凄く嬉しくてメッセージを見た瞬間大声を出して北山に笑われたくらいです(笑)大野くんの雰囲気は俺が求める大野智くんそのままなんです。おっとりしてるけど、芯があって、そして笑いのセンスにも溢れてて。まだまだ沢山話したいことがいっぱいで何から話そうかなってワクワクしています。
二宮くん
俺、フォロワーの嵐さんにめちゃくちゃ恵まれてるなって思うんですけど、二宮くんもその1人です。よくCASに遊びに来てくれて、声を掛けてくれて。なかなか俺が返事を返せてないのであまり話せていないのですが、優しいだけじゃなくて凄く人を見ている人なんだなって。誕生日に書いてくれたTumblrを見てそう思いました。本当にありがとうございます。
すーちゃん
俺の永遠のお姫様。とにかく美人でお姫様って言葉が似合う。でも結構大食いでよく食べる。よく食べてくれるからご馳走しがいがあるというか、美味しいお店に連れていきたくなる。頑張り屋さんで弱音は吐かないそんな強い子だからたまに心配になるけど、何かあったら気晴らしにデートしよう。姫のことは俺がお迎えに上がりますからね。なんて。
遥亮
最近なかなか顔を見せてくれませんが元気にしていますか?よくヒロとゲームしたり電話したりしたね。実は俺も遥亮の笑った声が好きです(笑)本当に遥亮は人の中に溶け込むのが上手くて、俺もすぐ仲良くなったのを覚えています。お酒が好きだって言っていたからいつか一緒に飲みに行こうね。お祝いしてくれてありがとう。
亮とも一時期凄えよく遊んだな。色んな話をして、色んなものを見て、色んなものを食べて。とにかく毎回手土産で持ってくるものが俺のドツボで、センスに溢れてて俺の脳みそ見えてます?ってくらいなんだよね。やっぱり顔面が国宝級だと劣るところがないというか、完璧なんですよ。もちろん亮の作り上げる世界も完璧なんだよね。君のその「01」の世界に少しでも入れた事は俺の誇りです。またご飯いこう。うどんがいい?(笑)
テテ
テテはとにかく末っ子って感じ。甘え上手で可愛いを知り尽くしてる。でも凄く遠慮しいで時々我慢してないか心配になる。俺と好きな曲が似ていて、可愛い顔してド変態です。絶対。俺の返事が遅くてもめげずに送ってきてくれるところとか、オケCASしたら必ず褒めてくれるところとか、凄く嬉しいです。ちょっと照れるんだけどね。いつかご飯行こうねって約束果たそうな。楽しみにしてるから。
タマくん
俺らのグループの絶対的エース。そして俺の玉森裕太。俺はこいつ以外に玉森裕太って存在を考えられない。面白さとかもそうなんだけど、ふざけてる様で真面目にちゃんと向き合うところとか、隠れたところで凄く努力家なところとか、俺が思う玉森裕太はお前以外にありえなくて。これまでもこれからも、玉森裕太はタマくんでいい。タマくんがいい。そう思わせてくれたのは君だけです。
たっくん
たっくんこと佐藤健、めちゃくちゃ真面目です。俺のフォロワーさん真面目な人が多いんだけど、フォロワーが多い中でここまでの事をこのクオリティでよく出来るなって本当に尊敬しかなくて。そして愛情深い人。彼の愛を一心に受けて過すあの人は多分相当幸せものですよ。ちょっと俺と似たところがある様で、いや、ごめんなさい、たっくんには到底及びません。でも結構ゲラなことも知っています(笑)また近々、あの4人で話しませんか?なんて。お祝いしてくれてありがとう。
大倉くん
大倉くんはとにかくイケボ。そしてやることなすことスマート。あんまり大倉くんが外しているところを見たことないんですけど、それは俺が後輩だからですか?なんかちょっとあれなんで、今度は是非弱点も見せてください(笑)寒空の初対面があんなんで本当にすいません。今度はもっとちゃんとした格好していきますね、なんていうのは置いといて、そろそろご飯行きましょう。大衆居酒屋でもオシャレなレストランでも、多分大倉くんと食べるご飯はなんでも美味しい気がします。また俺が迷った時は夜な夜な相談に付き合ってくださいね。なんて。今年もお祝いしてくれてありがとうございます。
兄貴
兄貴はイカついけど優しくて、可愛らしい人です。見た目は怖いけど実際そんなことないです。ジブリが似合うそんな方です。一言、そろそろ遊ぶ?ってそれだけメッセージをくれたんですけどね、そこに兄貴らしさが詰まってて。俺と兄貴だからこそのその一言っていうか。ご飯もいいけど、ちょっとゆっくり語り合いたいです。色んな兄貴の顔をもっと見てみたいです。
斗真くん
斗真くんは通常時はイケメンなんですけど、お酒が入ってONになるとめちゃくちゃ面白いです。オネエになるともう誰も止められません、変態ですし、大変です。でもその暴走具合が面白くて、大好きで。でも凄く根は真面目で、俺のモノマネをCASでしてくれた時も全然似てなかったよね?ごめん!って謝ってきたりとか、いや、めちゃくちゃ嬉しかったからそんなの全然良くて、とても俺としては美味しかったのでまたやってくださいね(笑)またゲームしたいですね、今度は俺もON、させていただきます!本日もおつまるでーす!
山下くん
山下くんと俺、すぐ繋がれなかったの未だに後悔していて。���っと早く仲良くなってたら良かったなって思ってるんですけど、でも仲良くなり始めた日から俺の理想の山下智久は山下くんでしかなくて、格好良いとかそんな在り来りな言葉で表せられない魅力で溢れているんですよね。とんでもなく歌声がえっちです。セクシーとか通り越して、えっち。こんな締め方したら怒られちゃうので、真面目な話。俺が迷った時はとことん話に付き合ってくれて、受け止めて慰めてくれて、背中を押してくれたそんな強くて優しいお兄ちゃんです。これからもきっと頼ってしまうかもしれませんが、これからもよろしくお願いします。
仁くん
仁くんは赤西仁以外のなにものでもありません。逆に仁くん以上の赤西仁って居るんですか?っていうレベルです。熱くて、真っ直ぐで、時にジャイアンだけど友達思いで愛情深いです。お酒飲むとめちゃくちゃ楽しそうに話すのでずっと見てられます(笑)仁くんには沢山叱られました。次はねえぞともまで言われました。でも、それでも、何度もめげずに俺と向き合ってくれたのは仁くんだけでした。どんな時も正しい道に導いてくれる俺の強い味方です。いつまでも俺はその背中を追い続けたいなと思っています。これからも沢山ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。今年もお祝いしてくれてありがとうございます。
安田くん
安田くんは、俺の師匠です。歌、文章、発想、俺の中でこの3つ全ての頂点に立つ安田くん。もう開いた口が塞がらないとかそんなレベルじゃなくて。安田くんと出会えて、自分には見えな���った世界とか、逆に意外と同じだって思えるダークな部分を見せられる相手だったことも、全てが出会えて良かったと思えるところで。何回褒めても、何回紹介しても足りないくらいには魅力的です。言い過ぎやってーって言われてもこれからも容赦なく褒めますからね?(笑)今年の俺の目標は安田くんに褒められる1曲を持つことです!きっと今年で達成できるようなものじゃないと思いますが…(笑)またいつか、カラオケ行きましょうね。
錦戸くん
なにから紹介しましょうか?錦戸くんはめちゃくちゃ格好いいです。4年間ずっとその背中を追いかけて、ずっと見てきたからこそ後輩から見た錦戸くんは全て引っ括めて格好いいんです。多分分かってくれるのは大毅だけだと思いますが(笑)天然なところもありますが、チャラくてちょっとテキトーな気分屋なところもありますが、そんな全てさえ錦戸亮。ここ何年かは声までも錦戸亮になっているので多分あれは本物です。錦戸くんにはこれまで色んなところで助けていただきました。多分錦戸くんが居なかったら俺はここに立てていないんじゃないかなって。前とは少し違う距離で今年は支えて頂けたら、嬉しいです。無力ではありますが俺なりに錦戸くんの力になれたら嬉しく思います。今年もお祝いしてくれてありがとうございます。
北山さん
こんな風に貴方にお祝いされるなんて、数年前は思って無かった。不思議だし、人生どこでどうなるかなんて分からないね。まず繋がるとすら思って無かったし、何回も言うけど嫌いだったからね(笑)今はまあ、それですよ。はい。何から書こう、貴方を紹介するって難しくて。頑張り屋で凝り性、人の懐に入るのが上手くて、コミュ力オバケ、最年長なのに俺にはワガママ、しかも俺にしか聞けないようなワガママしか言わない、グルメで美味しいものを凄く知ってて、アイディアマン、抱擁力をなめてたら丸ごと包まれる、箇条書きにしたらこんな感じ。でも、それを全部纏めてひと言で言わせてください。俺の隣はこいつ以外に務まらない。色んな道を歩んで、色んな世界を見て、思ったことは俺の1番の北山宏光は彼です。これからも、メンバーとして、シンメとして、ライバルとして、よろしくお願いします。お祝いしてくれて、素敵な動画を作ってくれて、ありがとう。
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tearplus · 4 years ago
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narrative
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------------------------------------------------------ メイドさんに恋するお嬢様の話 ------------------------------------------------------ ※百合
「今日の紅茶もすごくおいしいわ。あなたが淹れてくれる紅茶はいつも私好みの味ね」 「身に余るお言葉ありがとうございます」  主人から褒められても表情ひとつ動かさず、ロボットのように定型文じみた礼を述べる。そんなメイドの反応を見て、主人はわずかに表情をくもらせたものの何も言わなかった。しばしの沈黙。宝石のように美しいお菓子たちが並ぶ皿を見るともなしに眺めつつ、主人はかすかに嘆息する。物憂げに紅茶をひと口飲み、ちらりとメイドを見る。メイドは主人の視線には無反応だった。気付いてはいるはずだが、そのそぶりは見せない。何か反応を欲している視線であればすぐに反応するはずだ。彼女はとても優秀で、だからこそ主人の一挙一動に対して無駄な反応をすることはないのだった。そんな完璧さを前にして、再び主人は吐息する。 「紅茶の淹れ方を習おうかしら。隣町のリーザ嬢は先月パンケーキを習ったそうよ」 「それは私の仕事です。私が不要になりましたら、いつでも習ってください」 「いじわるを言わないで」  主人は拗ねて、それきり口をつぐんでしまった。メイドはいつになく迷ったように、唇を何度か開きかけたが、結局は元の姿勢に戻った。背筋をピンと伸ばし、主人の邪魔にならないようそっと控えて、命令を待ち続ける姿勢に。彼女の所作はどこか機械じみた隙の無さがあったが、それゆえに気品があった。  主人はティーカップにある琥珀色の鏡面にメイドの姿を映し、ひそかにそれを見つめる。家柄も、財力も、権力も、教養も、全てにおいて恵まれた立場にある主人ですら、メイドのこととなると悩まずにはいられなかった。彼女のメイドは、それほどまでに魅力的だった。
* * *
 彼女がメイドと出会ったのは、十年ほど昔。家庭教師によ��授業が始まるより少し前のことだった。家柄や自分の立場をきちんと理解するためにも従者が必要である、という父親の教育方針によりそのタイミングで専属の従者が与えられた。それまで身の回りの世話は、屋敷にいるメイドが持ち回りで行っていた。彼女は生まれ持っての天真爛漫さで、たいそう周囲から可愛がられていたため専属の世話役ができるとあって悲しんだ者も少なくなかった。彼女は屋敷で働くすべての人々を愛していたし、屋敷で働くすべての人々も彼女のことを愛していた。  ただ、彼女の専属となったメイドだけは違っていた。  彼女が違和感を抱いたのは半年ほど前の事だった。あるお茶会の最中、一番仲の良い友人であるリーザ嬢から、恋愛相談を持ち掛けられたのだ。 「先日お庭をお散歩していたら、お兄様がご友人と狩りに出かけるところへお会いしたの。そのご友人の乗馬姿はとても凛々しくて、私ひと目で恋に落ちてしまったの。お夕飯もうちで一緒に召し上がられてね。私の知る誰より紳士的で、とても素敵な方だったわ」  リーザ嬢のうっとりした表情に、彼女は少なからず羨望を覚えた。彼女たちはまだ社交界にデビューしておらず、素敵な男性に出会える機会などほとんどない。恋愛の話ができるのは大人の証拠であるかのように見えるのだった。 「あのお方と出会って以来、気分が沈みがちになってしまったの。女から恋心を打ち明けるなんてはしたないことはできないし、お兄様にご友人のことを尋ねたらきっと変に勘繰られてしまうし……なかなかお会いできなくてつらいわ」 「それは大変ね」と彼女はかろうじて言うことができた。リーザ嬢の表情は本当に苦し気だったからだ。 「またあのお方に会うにはどうしたら良いのかしら。ほんの数秒でもいいの。またお会いすることができたら……」  そうしてしばらく、彼女はリーザ嬢が再び恋の相手に会う方法について話し合った。なかなか良い案は出なかったものの、友人は満足したらしく、話題は恋愛そのものの話へと移って行った。 「恋とは楽しいものだって、歌にはあるけれど。それだけではないのね」 「ええ、そうなの。私も知らなかったわ。あのお方のことを考えるだけで、胸がぎゅっと締め付けられるの。どきどきと鼓動が早くなって、全身が熱くなって……すっかりあのお方のことしか考えられなくなって、眠れない夜もあるのよ」  リーザ嬢は、苦しみを語るにはどこか恍惚とした表情をしていた。 「あなたにもそのうち、そういう相手が現れるわ」 「そうかしら」  彼女はそう応じつつ、ある予感を覚えていた。
 部屋を出て、控えていたメイドに帰宅を告げる。メイドはうやうやしく頭を下げ「承知いたしました」と言う。その声を聞いた瞬間、彼女は電流が走ったような感覚を覚えた。彼女がこれまでメイドに対して抱いていた感覚は全て、恋心だったのではないかと気付いた瞬間だった。  彼女は幼い頃から自分の世話をしていたメイドに、恋をしていたのだ。
* * *
 恋心を自覚してからというもの、彼女は大いに悩んだ。自分が持って生まれた地位や立場、期待されうる行動や生き方、それからごく単純に、相手の感情の所在について。 ――私にとっての『あのお方』は、私のことをどう思っているのか?  彼女が頭を悩ませながら屋敷の庭を散歩していると、執事長に出会った。どうやら客人を招く際の動線を確認しているらしく、庭師と真剣な表情で相談をしている。執事長は彼女に気付くと、うやうやしく頭を下げた。 「誰かいらっしゃるの? お父様のお客様?」 「左様でございます。当日はお嬢様が主役ですから、素敵なドレスをご用意しなければなりませんね」 「今持っているドレスで十分よ。それより、どんなお料理が出るのかしら」  無邪気な彼女に、執事長と庭師はどこか寂し気な笑みを浮かべた。 「お嬢様」  メイドが慌てた様子で彼女の側まで来る。執事長に頭を下げ、彼女をその場から連れ去った。 「執事長はお忙しい方ですから、邪魔をしてはいけませんよ」 「そんなつもりはなかったの。ただ……」 「紅茶の淹れ方を聞いていたのですか?」  メイドはどこか切羽詰まった様子でそう尋ねた。彼女はその表情の意味がくみ取れず、首をかしげるばかりだ。まるで悪い行いをたしなめるような口調だった。 「そうだとして、いけないこと? 執事長に聞きなさいと言ったのはあなたよ」 「それは、そうですが……」  普段感情を見せないメイドが、多少なりともうろたえた様子を見せる。彼女はそのことに驚き、不思議と達成感を覚えた。長い間一緒にいる専属のメイドにも関わらず、表情の変化を見た記憶はほとんど無い。彼女は好きな相手の表情の変化を見ることが、こんなにも嬉しいことだとは想像したこともなかった。それがたとえ、狼狽の表情だったとしても。
 その日以来、彼女はメイドの表情を変化させる方法を一生懸命に探った。子供が親の気を引く方法を探る際のような無邪気さはみじんもなかった。その分、彼女は懸命に頭を絞っ���。  作戦はなかなかうまくいかなかった。体調が悪いふりをした時はさすがに胸が痛み、数時間で計画を取りやめた。危険な遊びをするには彼女自身が臆病過ぎた。ヤキモチを妬かせようにも、メイドが彼女へどれほどの感情を持っているのか計りかねて計画倒れだ。初めての恋ということもあって、彼女はから回ってばかりだった。  とうとう彼女の作戦は「他の使用人たちの仕事を学ぶ」ことに落ち着いた。メイドの表情の変化に気付いたきっかけも執事長との会話によるものだったし、使用人たちの仕事を覚えることでメイドを手伝えるようになるのも都合が良かった。メイドの仕事を手助けすることで、両親や兄姉との違いをアピールすることもできるし、家事を覚えること自体も新鮮で面白かった。そのうえメイドはいつもハラハラとした顔をしたり、眉根を寄せたりと表情の変化をあからさまに見せてきた。どんなに仕事を手伝ってもネガティブな表情しか見せないのは問題だったが、表情の変化を見られるという数少ない機会なので仕方がない。それよりも、メイドの仕事を減らすことでゆったりとした時間を二人で過ごせるだろう、という思惑が外れたことの方が問題だった。 「今日は私が紅茶を淹れるわ」  午後の穏やかなティータイムに、彼女はメイドにそう申し出た。まだ練習中ではあったが、彼女の努力の過程をメイドにも知ってほしかったのだ。しかし、メイドは渋い顔をした。 「そんなに心配しなくてもいいのよ。執事長ほどじゃないけど、だいぶ上手くなったんだから」  メイドの渋い顔を、味への心配だと決めつけて彼女は紅茶を淹れ始めた。茶葉の量からお湯の量に至るまで真剣に、丁寧に、執事長からの教えをたどっていく。彼女の一挙一動を、メイドはなんとも言えない表情で見守っていた。 「ほら、できたわ」  彼女はメイドの分をテーブルの向かい側に置いて、椅子に座った。紅茶は今までで一番良い出来で、琥珀色の水面には濁りがひとつもなかった。 「飲んで感想を聞かせて」  ドキドキしながら彼女は着席を促した。しかしメイドは、彼女のそばから少しも動こうとしない。口をぎゅっと閉じたままうつむいている。 「どうしたの?」  不安になって彼女が問いかけると、メイドの表情は徐々にくしゃりと歪んでいった。そしてついには、目じりから涙がぽろりと落ちる。 「えっ!?」  彼女は焦って、メイドに駆け寄った。涙が幾筋も落ちていく頬をぺたぺたと触る。 「泣くほど嫌だったの? 私の紅茶を飲むのは」 「嫌です……」  ぽつりとメイドが言った。 「そ、そう……」  まさかの返答に、彼女は少なからず怯んだ。「そんなにまずそうだったかしら……」 「おいしそうだから、嫌なんです」  メイドは涙で震える声で、そうつぶやく。 「どうして私の仕事を取ってしまわれるんですか」 「どうしてって……」 「もう、私は必要ありませんか?」  メイドはやっと彼女の顔を見た。涙にぬれた瞳は美しく、宝石のようだった。場合に似合わず、彼女は見惚れてしまった。 「このごろ、使用人たちから色々と身の回りのことを教わっていますよね。調理場にもよく足を運んでいると聞きました」 「そうだけど……それがどうして、あなたが必要ないってことになるの?」 「近頃、私は何もしなくていいとおっしゃることが多いですし……他の使用人とばかり話して、お忙しそうで……」  彼女はメイドが険しい顔ばかりする理由にやっと思い至った。 「私がみんなに色々と教わってたのは、理由があって……。あなたが必要なくなるなんてこと、絶対にないわ」  真剣な表情で、彼女はメイドを見つめた。自分の気持ちを真逆に捉えられたままでは我慢ができなかった。 「でも……」  メイドは不安げに彼女を見た。鼻頭まで赤くして、幼い子どものような泣き顔を無防備に向けられて、彼女は動揺した。メイドは可愛らしかったし、泣き顔も新鮮だったけれど、見たいと願っていた表情ではなかった。 「それでは、なぜ急に他の使用人たちに仕事を教わったりなんて……」 「う……それは……」  彼女は言葉に詰まった。正直に答えることは告白とほとんど同義だったが、今がその適切なタイミングとは思えなかった。 「……あなたの仕事を楽にしたかったの」 「楽に、とは?」 「あなたの仕事が減ったら、私と遊んでくれる時間が増えると思って……だから……」  彼女がもそもそと答えると、メイドはその言葉の真偽を判断しようとするかのようにじっと見つめた。 「……あなたともっと一緒にいたかったの。だから、私には、あなたの事が必要なのは今もこれからも、ずっと変わらないわ」  彼女のその言葉を聞いて、メイドはやっと表情を和らげた。 「一緒に遊びたかった、なんて……子供みたいなことを言いますね」  メイドは目じりを赤くしたままで、優しく微笑む。彼女はその表情に見とれて、しばらく思考も停止してしまった。ただメイドの美しさに見とれて――自分の恋心を、さらに自覚したのだった。
//おわり
>写真をお借りしています。
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k-div · 5 years ago
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まだ見ぬ世界へ委員会
会社でわりと信頼されてる性格診断で、ストレングスファインダーというのがある。ざっくりいうと、色々質問に答えたら自分の性格が34個のうちどれかわかるというものだ。 去年夏にやったところ、未来志向という性格の結果がでた。内容は今より未来にわくわくするという感じだった。 それはそうだと思う。 遠足は行く前が楽しいという言い回しがあるくらいだから、みんなどこかではそう思っていると思う。 そんな血液型占いみたいなもの、知ってどうすんねんという意見もありそうだが、ハンターハンターのオーラ診断みたいで私は好きだ。 あと去年秋に上長が変わったタイミングで、ずっと怖くてとっつきずらい人だな〜と思っていた上長に、自己紹介で、ちなみに〜と補足で性格診断の話をしたら「へーそうなんだ、俺もだよ」と笑ってくれた。今は仲良くなれたが最初の一歩だった気がする。 未来。 まだ見ぬ世界。 朝起きたら何年か前の少女と入れ替わってたり、突然でかい怪物が出現して吸い込まれたら1000年後のザナルカンドだったり… そんなファンタジーが起こらない中でどうするか、というのが難題である。 それを思えば、上記の物語は、受け身で巻き込まれて物語に進んでいる時点でヌルゲーだ。 ティーダは物語を始めるために工夫してはいなかった。シンに吸い込まれやすい場所を考えていたわけではなく、たまたまシンが巻き込んでくれただけだ。 物語の中での問題、シンを倒す事よりも、本当はその物語を始めることが難しい…物語を本気で起こしにいってるのはハルヒちゃんくらいだ。 物語を起こしにいく。 “計画された偶発性理論”というのを、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授という方が提唱しているそうだ。 ��のテーマは学問になってるんですね。てか一番大事な教科やん… ちなみに私なり物語の定義は “自分が好きな人達との繋がりの中で予期せぬ非日常展開が起こって夢中になっていること。それに他者からも色んなリアクションがあること。”そんなイメージです。 それぞれの物語。 最近ネットで読んだ話で、篠山紀信さんというカメラマンが、“いいカメラマンの条件は、写真の腕じゃない”と言ってたという話で、本当にすごいカメラマンの条件は、その時代に一番面白い人間がいる場所に“いる”こと。偶然でもいいからそこに“いる”こと。それでバチーン!と一発シャッターを押すのがすごいカメラマン。という話があった。 なるほど。一番面白い人間がいる場所。腕より被写体か。 会社で、みんなが一目置いてて目立っている先輩がいる。 ばりばり仕事ができて人気のある先輩だ。その人も、3月頃までそっけなくてまじ怖いな〜と思っていたが、きっかけはわからないが最近気にかけてくれるようになって、チームのチャットで私にメッセージをくれるようになった。 そこまではいいのだが、その内容が、 「お疲れ様ですー!Oさんは先週から今週にかけて何ができるようになりましたか?お手すきで教えてください!」 ってなんなんだその質問は…… 今日昼何食べた?的なカジュアルさで、先週との差分を聞いてくる。普通に考えて詰められてる。 でも先輩は多忙な中 & メリット0な中、わざわざ連絡いただいてるので、都度丁寧に返信をしている。 すると、いいっすね!!こうすればもっと…とめちゃノリノリなリアクションをくれる。 成長への意識が高すぎて、いつかついていけなくなるんじゃ、とびびったが、もしかすると、根本は同じかもしれないと思う。 先週と差分のない今週の先に何があるのか? 先輩ももしかすると、成長がどうこうとかじゃなくて、彼のまだ見ぬ世界に行きたいのではないか… まだ見ぬ世界。 一応、そんな世界を見るつもりで、良いメロないかなと鍵盤を弾いている。やりたいことによっていろんなアプローチがあると思うが、メロから始めたいと思っている。 一方で、何人か有名な作曲家が、辞めたり、これからはマネジメント側に移っていきたいと言ったり、音楽はコミュニケーションツールだと思うので、と話していたりする。無限に見えて無限じゃないのかなと思う。 信じるものが ただひとつある 今の時代に 十分さ と歌うめちゃかっこいい曲を作っていた天才も、もう曲はつくってないと言っているのを数年前にみた。最初は残念だったが、テッペンをとった人のことは誰も咎められないかとも思う。   そんな中…     そんな難しすぎる世の中で、 まだ見ぬ世界を探し続けているおじさんがいた…
 
     
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コモリタミノルおじさんです! コモリタさんは、沢山ありますが有名なのはSMAPのダイナマイト/らいおんハート/SHAKE等々。現役の大御所です! https://www.nicovideo.jp/watch/sm20546706 SMAP ダイナマイト 83年デビューなので40年くらい曲を作っています。 長い間第一線で活躍して、もう100周くらいしてそうなコモリタおじさんですが、去年くらいのインタビューで、今後やりたいことはありますかと聞かれて、答えたのが、 「色々考えたのですが、圧倒的なメロディをつくるしかないな、と思います。」 「ちょっといい曲できました、コンペで神頼みではなく…。以前よりも強くそう思います。」 まだ見ぬ世界へ賞を贈呈したいと思います。 色んな作曲家のもういいか感を目にしていた中、ミノリンの言葉に元気がでました。 結局目的は自分で決めるものだし、何を信じたいかという話だと思う。思った。 ということでそんなミノリンおじさんが今年の5月頃に、提供でなく自らの歌唱で出した新作がこちらです!
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ちょっと見たことがない映像に昇華されていて理解が追いつかないのですが、最近へびろてしています。ぱらっぱっぽっぱ〜いん 死ぬまでまだ見ぬメロを探すおじちゃん。 老若男女の中で、目を輝かせてるおじちゃん&おばちゃんが一番かっこいい。
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oreshiokouji · 5 years ago
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どうも〜!みんなの万能調味料こと、塩麹よりも向井康二です!わざわざここまで見に来てくれてありがとうな?結構面倒くさいやん、Tumblrまで覗くのって。そんな貴方に感謝の印としてスーを差し上げます!返品不可で!はよ自己紹介せえってな。やりますやります、そんな急かさんでええやんか!そんな俺の事知りたいん?!…すいません。やります。
向井康二。1994年6月21日生まれの26歳。タイ生まれ奈良育ち。A型。ちっちゃい頃はずっとムエタイの衣装着せられてました。最近デビューした9人組のオレンジ!唯一の関西人!みんなに関西弁移りまくり。あとはGoogle大先生に聞いてもらえればなと。名前打ったらばーっといっぱい出てくるんで!よろしく!
文字打ちはシンプルイズベスト。基本的にDMやけど、ツイートにぽんってリプ送ったりもします。逆にぽんってリプ来たらめっちゃ嬉しい!テンションも打ち方も使う記号も相手に合わせがちやねんけど、!と(笑)の登場頻度は割と高め。
それとー、あ、外部とか?外部はカカオとBANDがあるねんけど、ほぼ通話用って感じやね。Twitterとカカオを行ったり来たりするのが面倒くさいタイプやから、DMの方が返信は早い。たぶん。配信は自分はせえへんけど、タイミングが合えば君のには遊びに行きたい。通話は時間さえ合えば抵抗ないから気軽に誘ってください。自分から誘うことは慣れるまであんまり無いかも、こう見えてシャイボーイやねん。なんて。
健全不健全に拘るつもりはないけど、そういう事にしか興味ないです!みたいな人はごめんなさい。でも普通に楽しく会話できたら誰でもいい。ちなみにオンリー制は前はやってたねんけど辞めました。ひとりひとり、大切にします。でも同じ顔ばっかりにならへんようにはするつもりやで。仲良くなったら同じ顔は増やさへんし、この顔は君だけ!っていうのも全然あると思う。
予め伝えとくべき事は全部書いたつもりやねんけど、繋がってみて合わへんかった時はしれっとブロックしてくれて大丈夫、俺もそうします。話してみな分からへんこともあるし、明らかに浮上してんのに返信来おへんなーって言うのも寂しくなっちゃうからお別れの対象。後腐れない感じで!じゃあな!って。そんな感じで。気になったらハートください!
2020/09/07 向井康二
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emilylikestennis · 5 years ago
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えて��?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
 ●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
 ●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりするんですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな���もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
 ●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
 橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
 ●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
  今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わかんないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキング��今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四人になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形��!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
  仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこ���ところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
 ●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてるとか一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
 ●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
  記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」 
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQR��ードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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goodskywalker · 5 years ago
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カッコつけないで、何度も観ちゃった好きな映画を包み隠さず正直に👍🏻 しばらくサボりましたが今日から後半戦!投稿再開させていただきます😊 書くのに4日費やした渾身のイッポン! 今日もバトンは「どうぞご自由にお持ちください」ですw 自薦他薦は問いませんのでバトンタッチ希望者及び推薦者は挙手🙋🏻‍♂️プリーズ🙏🏻 さて、5日目は🦈よん。 先ず、この映画のおかげで、僕はだいぶ色んな事を拗らせてしまったという事😌 ずっとテニスウェアで生活していた様なかなりの鈍臭大学生だった僕は、当時大学院も卒業しアルバイトも出来る様になってチョットお小遣いも使えるようになりました。 ファッションとかカルチャーとかなーんも分からずトンチンカンでしたが、漠然とカッコよくなりたいって憧れはありました。 今も昔も素人ですけど、志だけはずっとあるのですよw まだ当時嫁が働いていたUAに沢山授業料をお支払いして、アパレル関係のお友達も出来てそりゃもう有頂天。 オレってイケてんじゃね?と大分勘違い。 発展途上の裸の大将は、純粋なだけにもっとカッコよくなりたいともがいていたのでした。 そんな頃ですね、この映画を観たのは。 先ずオープニングがね、一気にテンションあがっちゃうんですよ。 Dr.StrangeLoveのサントラも👍🏻 音楽をはじめようとは思わなかったけれど、なんだかクリエイターって人種に無茶苦茶憧れました。 当時relaxで確かiMovieで映画を撮れるかみたいな特集があって、感化されて映像編集し始めちゃったんですよね🤷🏻‍♂️ カメラマン気取りで写真も撮ったなぁ。 とにかくお声がかかればどこでも行って、撮って、編集して、納めてました。 今考えるとなんであんなに時間があったんだろうと思うんですけど、本当に没頭してました。 そして凄い楽しかった。 歳とって時間ができたらまたやろうと思うのですが、死ぬまで働かないとローン返せないんだったw でもまたやりたい! 先ずは娘の結婚式で出しゃばりたいと密かに企んでいます。 ファッションも感化されました。 鶴見慎吾が着てた衣装真似してワッペンだらけのダウンジャケット作ってもらったり、髪の毛脱色したり、まあ普通は高校までに済ませとけってやつです。 大学デビューどころか超遅咲き社会人デビュー。 ピアスして金髪で外来やってたんですから、ホント。 僕なら診てもらいたくないw でもその頃から仲良いお婆ちゃんには、先生��た金髪にしないのって言われるくらいなかなかの好評でした(マジで)。 箭内道彦が弱い自分を隠すために金髪にしていたって話してましたけど、あの気持ち分かるなぁ。 若い頃、ブランド物身につける感覚に近いと思う。 とにかくチンピラがガニ股で歩くのと同じ思考。 今でも自信無いですけど、あの頃よりはちょっと成長したハズ(当社比)。 裸の大将はドンキホーテの如くこの後10年くらいは暴走する訳ですが、その起爆剤と言うか憧れみたいな原動力が石井克人作品にはあって、特にこの1本で勢いがついてしまったんですよね。 時代だなぁ。 時代だよなぁ。 自戒の念を込めて観なおそうと思っても、毎回そんな事忘れて楽しんじゃうんですけどねw 好きなモンはしょうがないっつー事で、最近諸々原点回帰傾向にあるということも自ら容認してます。 映画語りながら自分を客観的に深掘り出来るのは、このタイミングで良い経験。 いかん、あと2本で終わりだw ミナサマオヤスミナサイマセ。 #映画バトン #鮫肌男と桃尻女 #浅野忠信 #石井克人 https://www.instagram.com/p/B_pdQAMDhTh/?igshid=19y0b80pumw3g
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hkrnrn · 5 years ago
Text
- Last day
まず何をどこからどう言ったらいいか分からないけど、今日でひとまず長いようで短く、短いようで長かった一段階目に区切りがつきます。入所して13年。6人になって7年とちょっと。ほぼ8年って言ってもいいかもしれないけれど。そして、9人になって1年。ここまで来るのに本当に色々な出来事があったし、色んな思いがあったなあって少しだけ自分なりに振り返りたいなと。
今の名前で活動し始める2年前、前身ユニットが結成されてよく一緒に活動してるメンバーで集まることになった。もちろん、その頃から俺を含め新加入メンバー以外の6人は一緒だった。正直、一緒のグループになって「あ、やべ。俺終わった。」って思うくらい怖いと思ってたメンバーがいたり、たくさんの同期のデビューを見送ってきた先輩がいたり。初めはでこぼこというか、ちぐはぐというか。そんな9人でステージに立ったり映画に出たり。
途中でその中から他にユニット組んでテレビに出て知名度をあげるメンバーが出て。退所しちゃったメンバーがいて。
それとメンバーからの反対押し退けて大学進学のために活動休止する奴がいて。まあこれに関しては今の俺らに凄くいい意味で繋がってるからあの時に戻れるなら「その選択は間違ってないよ。頑張れ。」って全員で背中押してやりたいな。あ、俺は唯一休止中のこいつに会いに行ってた側だから別に大反対ってわけじゃなかったよ。ほら、心配じゃん。先輩だけど同い年だし。そのおかげで今の俺らの関係があるって言っても過言じゃねえよな。
色んな変動の中色んな感情抱えて時を経て、今から7年ちょっと前の2012年5月3日に原型となる俺ら6人が6人として。今の名前で、改めて成り立って。
ドラマや映画に出ては「ヤンキージャニーズ、ヤンキー俳優」なんて記事に書かれたっけ。確かにあの頃はやたらと不良の役が多かったなあ。バチバチの強面高校生だったり、ヤンキーだけど心暖かい広島人だったり。たとえ主役じゃなくても、ヤンキー顔だって言われても、どんな形でも。俺の、俺らの名前が徐々に知られていくのは嬉しかったな。
細かく話せば本当にキリがないくらいたくさんのことがあったな。例えば、本人たちもファンも公認の不仲メンバーが俺らの中にも居て。とある公演中に現社長である彼からの助言を受けて二人で飯行って5時間も語った、なんて報告を聞いた時には会場にいるファン達よりも俺らの方が驚いちゃって「え、俺聞いてないんだけど!」ってリアルな反応したよなー。中には軽く腰抜かしてる奴もいたな…。今となっちゃ「雪解け事件」なんて懐かしい笑い話になってるけど。他にも不仲とまではいかないけどギクシャクしてるコンビが何個か俺らの中にはあって。今の俺らからしたら考えらんないよな、ほんと。そういう時期があっての、今の俺たちなんだなって、それこそ今だからそう思えるけど。
大きな転機の一つ目はYouTubeチャンネルで週に一回、動画配信が始まったこと。たくさんの企画に挑戦しながら6人で色んなとこ行って。日の出全員で見るはずが二人しか見に行けなかったり。遅刻する奴がいたり。あー、Mr.お化け屋敷ってあだ名もYouTube企画で貰ったな。俺のお化け屋敷もそうだけど、YouTubeはほんとに俺らの色を伝えられた機会だった。
俺の筋トレレクチャー、3年J組クイズやなぞなぞ、シナモロールと友達になって、クレーンゲームのコツも教わった。ロイヤルな料理教室に、人狼ゲームやらパルクールにも挑戦して。俺らだからこそ出来るような企画をいっぱいやらせてもらった。そのおかげで名前覚えてもらったり、知ってくれる人が増えたりして本当に嬉しかった。「お化け屋敷の人」って言われるのは…まあ複雑っちゃ複雑だったけどな…。
二つ目の転機は、先輩の舞台を引き継いで「座長」として舞台をさせてもらったこと。そして、3人の加入。
舞台の引き継ぎは、座長として立てる嬉しさもありながら、責任感やプレッシャー、緊張の連続。今まで何年もこなしてきたものを全てリニューアルしたものを過去の半分以下の稽古期間でマスターして。衣装や構成にも積極的に関わらせて貰って。練習中に怪我もしたし、9人体制への挑戦も簡単なものじゃなかったけど一生の宝物になる経験だったし、これからに繋がる第一歩も踏み出せた。
3人の加入は番組や至る所で言った通り「グループを守るため」「他から頭ひとつ抜けるための最終手段」だったんだけど、今となっては守られただけじゃなくこれをきっかけに羽ばたけたと思うんだけど皆はどう思ってんだろ。正直加入に反対したファンも少なからずいて、俺らのそばから離れてしまった人達がいるのも俺は知ってる。けど、この場を借りて伝えさせて欲しいのは3人もそれなりの覚悟を持って加入を受け止めてくれて、俺らが作ってきたものを壊さないように、早く認めて貰えるように、新しい環境に慣れるように精一杯努力ばかり積み重ねてきたんだってこと。俺らも関西でトップ張ってた奴やら他のグループにいた奴らやらと一緒に活動していくなんて、数年前は想像もしてなかったけど。人生何が起こるか分からないよな。今じゃみんな大事なメンバーの一人だから。
そして、もう一つのグループとの同時デビュー決定。正直2年前にまた、後輩のデビューが決まった時「次はどっちだろう」って考えが僅かによぎったのは嘘じゃない。向こうも向こうでついたり離れたり、仲間がやめたり苦労したグループだったし、一緒にドラマや映画、番組なんかでも共演してきたから。もちろんデビューがゴールでは無いけれど、どちらが先にデビューしても嬉しくて悔しくて複雑だったに違いないからこのタイミングで同じ日にデビューが決まったことに俺は本当に心から「良かったな」と思ってるし、この先もずっと「15人で一緒にデビュー出来て良かった」って思うよ。
後輩や同期のデビューを見送り、辞めていく仲間たちの背中を見送り。それでも諦めず進んできた13年間と、7年間。今日でジュニアと言うのも呼ばれるのも最後で、明日からはまた一歩上の段階へと俺らは駒を進めることになります。
グループ結成当時は末っ子としてめちゃくちゃ甘やかされてた自覚がある俺。今もまあ、年上のメンバーからは「あ、甘やかされてんな」って思う時も多々あるし、妹と同い年のメンバーからは「守ります」なんて言われてる俺だけど皆に貰った「リーダー」の肩書きをしっかりと背負って、改めてもう一度言いたいことがあります。
ここまで着いてきてくれたファンの方そして、これから出会うファンの方へ。
「メンバー8人、そして俺自身合わせて9人と、ファンの方達は俺が守ります。守っていきます。なのでどうか、繋いだ手を離さないでいてください。」
この先も9人+ファン=10人で、どこまでも。
淘汰の先に、ある未来へ。
- 2020.01.21 iwmt hkr
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supertvkidharaso · 2 years ago
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2023/6/9
この日は仕事が終わって会社から帰ろうとしたところ、同期の女の子がこの夏着るワンピースを見に新宿のルミネに行きたいと言っていたので、それについて行った。
この前の日にブログで書いたように、「今度会社の同期か、友達と会社帰りにコスメを見るっていうことをしてみたい」(そんな感じのOLみたいなことがしたい)ってちょうど思ってたからなんか嬉しくなっちゃった。コスメじゃないけど。
ていうか、今この文章はパソコンから書いてるんだけど、なんとなくケータイのメモに打ってる時とリズム感違くてちょっと変な感じするかも。
パソコンから書いてるときの方が、文章っぽい文章になってる気がする。ケータイのメモに打ってる時はしゃべってるリズムに近い感じで書ける気がする。人から見たらそんな変わんないのかも知んないけどそんなかんじ。
そんでその子についてって、みんなで新宿までガタンゴトンした。電車の中で、会社の人の話とかした。社員旅行でやらかした人の話とか。
会社にセックスが好きすぎるらしい年上の女の人がいて、その人はざっくり言うといわゆる「社会人デビュー」っぽい?というか、飲みサーの大学生がよくやってるようなことを会社でやりまくっているらしい。そのせいで、「そういうの大学生までじゃない?」と他の人に言われていた。けど、私はこういう「そういうの〇〇歳までじゃない?」みたいな悪口を聞くたびに、「ゾウの時間 ネズミの時間」という本のタイトルを思い出す。読んだことないけど、それぞれの動物のサイズの違いによって、流れてる体感時間が違ってくるという話らしい。 だから、これやるのは何歳までとかなくて、その人はその人の時間軸で生きてて、その人のタイミングでそういうことをしてるんだなっていう。だから、「ゾウの時間 ネズミの時間 会社のセックスが好きすぎるらしい年上の女の人の時間」と思います。 私は同年代と比べて精神年齢が低い方だと思うから、「そういうの〇〇歳までじゃない?」という悪口は決して言わないようにしている。というかそもそもそういうことをあんまり思わない。
新宿に着いて、服を見ていた。
4人で服を見ていたのだが、そのうちの二人がジャニオタで、この前その二人が、「例えば同じクラスで、同じグループを推している子がいたとして、担当(推しているメンバー)が被るのは、仲良い子だったらまだ許せるけど、そんなに仲良くない子だったら許せない」という話をしていて、まだそれやってんだ?!と思った。
人の買い物を見るのってなんで楽しいんだろ。服を買わない三人で、「この白買うってことは、さっきのお店の黒も買えばいいんじゃない?」とか、「これ背中開きすぎかなー?」と聞かれて「開けてこー(^。^)」と言ったりして楽しかった。
そのあとは飲み屋に行って、みんなで両ひじをついてわざとキャピキャピしながら恋バナをしたりした。
この金曜日は楽しかったし、人間関係は大きな問題なく、仕事も今んとこほぼストレスない。でも、会社のこと、会社の人のこと、嫌いになろうと思えば全然嫌いになることもできる。
今はそんな感じ。
おわり。
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xf-2 · 7 years ago
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8月4日、俳優の津川雅彦さんが心不全で78歳の人生の幕を閉じた。約3か月前の4月27日、妻で女優の朝丘雪路さん(本名・加藤雪江)がこの世を去ったばかりだった。朝丘さんはアルツハイマー型認知症を患い、2009年から別居していた夫の津川雅彦さん(78)が3年ほど前から同居し、介護をしていた。津川さんは、45年間連れ添った朝丘さんに対し、生前「娘を産んでくれたことを含め、すべてに感謝です」と語っていた。女優の道に進んだ長女の真由子さん(44)が、家族3人で過ごした日々を語る。 (出典:文藝春秋2018年7月号 インタビューは2018年5月23日に行われました)
◆ ◆ ◆
「眠れる美女」のように
 母の死がこれほど突然に訪れるとは思ってもみませんでした。
 母を看てくれているお手伝いさんから「少し様子がおかしい」と電話をもらったのは、お昼頃、仕事先へ向かおうと自宅で準備しているときでした。心配ですぐに車で5分ほどの実家へ駆けつけました。
 母はベッドのなかで、すやすや眠っているように見えました。寝息のようにスースーと息が聞こえ、いまにも目を開きそうです。私は「ママ! ママ!」と何度も呼びかけました。
 お手伝いさんの話では、朝はいつもの様子でしたが、しばらくして声をかけると反応がなかったそうで、あわてて仕事で外出していた父と私に連絡したとのことでした。
 父から、とにかくお医者さんに連絡をとるように言われましたので、主治医に連絡をとりました。
 あまりに急なことで私は気が動転し、「本当にこのまま亡くなってしまうのかな」と不安でいっぱいでした。父も初めは驚いた様子でしたが、今思うともう覚悟していたのでしょう。母の様子を見て安らかに逝かせてあげようと思っているようでした。母を心配しながらも私のことも気づかい支えてくれた父はすごいなと思いました。
 私たちの声や思いは母の意識にきっと届いていたと思います。母はおとぎ話の「眠れる森の美女」のように目を覚ますことなく眠ったまま、夕方に静かに息をひきとりました。
 自宅で家族に看取られたのは理想的な最期だったのかもしれません。私たちに苦しむ姿を見せなかった母は、本当に家族孝行だと思います。
母との最後の会話
 最後に母と話したのは、その1週間前でした。部屋に入って「ママ元気? 真由子だよ」と言ったら、初めは「ん?」という顔でこちらを見ていましたが、私だとわかったら「頑張ってる?」といつも通りの会話になりました。
「うん、一生懸命頑張ってるよ」
「そう、ありがとうね」
「ありがとうって、何もしてないよ(笑)」
 そんな会話を交わしながら、母の部屋で30分ほど一緒に過ごしたのが最後でした。
 家族と近親者だけで葬儀を済ませ、納骨を終えたら、ようやく落ち着き、これから母の居ない世の中を父と2人で力を合わせて生きていかなきゃと思えるようになりました。父の意向でみなさんにお知らせしたのはその頃です。すると、母のことを知る方々からたくさんの電話やメールをいただき、母が亡くなった日のことを伝えるたびに、「ママは死んだんだよ、ママは死んだんだよ」と自分に言い聞かせるようで悲しみがあふれてきました。
仕事が命だった
 母と私は、親子というより姉妹のような関係でした。私がまだ小さい頃から、母は家にいることが少なく、長期の舞台公演などがあれば、1カ月ほど留守にすることも当たり前でした。幼い私がお母さんは通いで来る人なんだと思い、玄関で「ママ、また遊びに来てね」と見送った話は、母から何度も聞かされました。たまのお休みで自宅にいるときには、母は悲しそうな顔をしていました。「ママ、どうしたの?」と尋ねたら、「ママ、お休みになっちゃった。何したらいいのかわからないの」と言われました。母はそれぐらい仕事が命でした。
 反対に父のほうは、休みになると「真由子、どこ行きたい?」といろいろなところへ遊びに連れて行ってくれました。授業参観や運動会などの学校行事もすべて父が来てくれて、いまでも旅行に行くと、父と一緒にお風呂に入るほど、私はパパっ子に育ちました。
 私��子供の頃、将来の夢を依かれると「3食昼寝つきのお母さん!」と答えていました。学校帰りに友だちの家へ行くと、お母さんがおやつを作って待っていてくれるのが羨ましくて、「こういうお母さんになりたい」と思ったからです。それからしばらくして私は「お手伝いさんになりたい」と思っていました。家では、お手伝いさんといつも一緒でしたから、自分も大人になったら、お料理やアイロンがけをして、誰かのお世話をしたいと思っていたからです。
 高校生になるころには、私の夢はスチュワーデスに変わっていました。アメリカンスクールに通っていた私は英語が得意だったので、英語を活かせて誰かのお世話が出来る仕事に就きたかったからです。20代に入ると、父が経営していたおもちゃを販売する会社「グランパパ」を手伝いながら、スチュワーデスになりたいという夢を膨らませていました。ところが、父に相談すると「万が一、事故が起きたら確実に死ぬような仕事はダメだ」と反対されてしまいました。
「女優をやってみない?」
 ガックリきて、自分には何もやることがないと悩んでいたとき、母に突然「ちょっと、女優をやってみない?」と言われました。女優なんて、1度も考えたことがなかったから「それはイヤ」と答えたら、「食わず嫌いはダメよ」という言葉が返ってきました。「パパとママの仕事を頭ごなしに嫌いって言うのは良くないわ。1回やって味見してみなきゃ。嫌ならやめればいいんだから」。
 そういわれて、私は25歳で母が座長を務める舞台に出演することになりました。自分で舞台に立ってみると、父と母はこんなに素晴らしい仕事をずっとつづけてきたんだと初めて実感しました。自分の演技で客席から笑い声やすすり泣きが聞こえ拍手が起こる。これはすごい仕事だと、母のいうことがわかった気がしました。
 ただ、あとになって「あれはママの策略だったのかな」とも思います。お客様の反応が直接見えない映画やテレビの仕事が最初だったら、芝居の面白さをすぐに実感できなかったかもしれないからです。
父、津川雅彦が舞台で母を起用した理由
 母自身も舞台を愛していました。私が子どもの頃は、父が演出、母が主演、伯父の長門裕之さんが相手役という舞台をよく観ました。感動の涙を流した場面は、いまでも思い出すと鳥肌が立つほど鮮明に覚えています。舞台に立っているときの母は本当にすごかった。父は同じ役者として、母を尊敬していました。父は私が女優の道に進んでから、よくこう話していました。
「舞台の花道で芝居をするのは本当に難しい。普通の役者は間が持たないから、一発決めて、さっと引っ込む。でも、(二代目)中村鴈治郎さんと雪江だけは花道で30分も客席を沸かせられるんだ」
 父が自分の演出する舞台に必ず主演女優として母を起用したのは単純に身内だからではないと思います。
「台本を渡して、最初に稽古で立ったときの兄貴(長門裕之)と雪江の芝居はすごいんだ。あの2人は天才だよ」
 そう言って、伯父と母を絶賛していました。私も両親と同じ道に進んで、その感覚がわかるようになりました。舞台の上で大先輩の女優として母に接し、そのすごさを体感するようになったからです。
家でも浮世離れしていた
 そのような舞台での顔とは別に、母はテレビの世界では、“浮世離れしたお嬢様”“天然ボケ”のキャラでした。例えば、家事が一切できないとか、結婚するまでお金を払って買い物をしたことがないとか。私がデビュー後に母と料理番組に出たときは、結婚後、初めて包丁を握ったと話題になりました。
 そんな“世間知らず”になったのは、母の父・日本画家の伊東深水が母を溺愛して、深窓の令嬢として育てたからです。父はよく「雪江が何もできないのは伊東深水のせい」だと文句を言いましたが、結婚する時に「雪江は何もしなくていい、女優だけをやってくれていればいいんだよ」と言ったそうです。
 母と私で「クイズ$ミリオネア」に出場したときには、こんなことがありました。第1問は「都道府県の都はいくつ?」。私は「1つ」と答えを言いました。直後、ファイナルアンサーと言われると、母が絶妙なタイミングで「でも、京都もあるわよ」と耳元でささやきました。そういわれると、私も急に自信がなくなり、2人であたふたと相談するうちに再度司会のみのもんたさんにファイナルアンサーを求められました。思い切って「1つ!」と答え、「正解」の一言が返ってきた瞬間、母は大はしゃぎ、私は感極まってうれし涙を流してしまいました。みのさんからは「第1問でここまで盛り上がったのは、あなたたちぐらいですよ」と言われました。帰宅すると、番組を観ていた父から「みっともないから、もうクイズ番組には出るな」と2人で叱られましたが、いまとなってはいい思い出です。
「卒婚」と報じられた別居の真相
 父と母が別々の家に住むようになったのは2009年のことです。当時の芸能ニュースでは、熟年夫婦が円満に別れる「卒婚」だといわれましたが、父と母は不仲になったから別居したわけではありません。
 きっかけは父が経営する「グランパパ」が経営難に陥り、6億円以上の負債を返すために私が生まれ育ち、父と母が住んでいた家を売却せざるをえなくなったことです。その家は母の持ち物でしたから、父はそのことを今でも悔やんでいます。そのとき私はすでに実家を出て1人暮らしをしていましたが、父と母は新たに住まいを探さなければならなくなりました。しかし、父と母は物持ちなので、2人が同居し、快適に過ごせるような一軒家を探すのは容易ではありませんでした。そこで別々の家を借りて、別居することにしたのです。長年住んだ家と別れることになり、悲しんでいるかと思ったら、母は「雪江、1人暮らし初めて。ちょっと大人になれるかしら」とウキウキしていました。以前から父と母の生活スタイルは仕事上別々でしたから、部屋の住所が変更されただけのようなもので、実質的な変化はありませんでした。
コンビニをホテルのクロークと勘違い
 1人暮らしをしている時、スーパーやコンビニに1度も行ったことのない母は、マンションの1階にあるスーパーに行きたくなると「真由子、今日うちにご飯食べに来る?」と電話をかけてきました。「うちね、1階に24時間の大きな冷蔵庫があるの」といって、とても楽しそうでした。
 一緒にコンビニに行く際には、まず2つあるレジの片方のカウンターにコートを預けます。ホテルなどのクロークと勘違いしているのです。それから売り場を回って、「あの、すいません、これちょうだい」と商品を指さすと店員さんが母に気づき、カゴを持って来てくれたので、私が「コンビニではカゴは自分で持って買い物をするんだよ」と注意しました。すると「重たくて、ママ、あんなの自分で持てない」。万事がこんな調子でした。
 母が「もっと遊びなさいよ」と父に言った話や父が合コンしていることは、よく知られていますが、父と母は若い俳優さんや女優さんたちとよくご飯を食べに行っていました。両親とも私が不勉強に思えるほど、最新の情報をキャッチしていて「いま、これが流行ってるんだぞ」「あんた、そんなことも知らないの?」と言われることがたびたびありました。そのような刺激があって、父も母もずっと若々しく、格好よくいられたのだと思います。それで元気でいてくれるなら、むしろ心配が減って、いいことだと私は思っていました。父も母もお互いがイキイキしていることを誇らしく思っていたことでしょう。
「私のことも忘れちゃうのかも」
 母が認知症の診断を受けたのは2013年のことです。そのことは本人には知らせませんでした。
 母が若い頃から話し相手の名前を間違えるのは日常茶飯事で、娘の私と話しているのに「ねぇ、ヤマちゃん」と運転手さんの名前で呼んだり、外出先で仕事関係の方に出会って、ひとしきり話して別れてから「いま���誰?」と尋ねてきたりすることは、しょっちゅうでした。そのようなキャラクターですから、いつから認知症になったのか、家族にもわからないところがありました。
 私は身近に認知症の人がいなかったので、映画などで観た知識で「そのうち私のことも忘れちゃうのかも」と不安になりました。ですから、元気なうちにできるだけのことをしてあげたいと、私が母のところへ通って、なるべく一緒に過ごすようにしました。近所へ散歩がてらショッピングをしたり、食事や温泉に出かけたり。いま振り返っても、母との思い出は最後の5年間が一番多いような気がします。
家族でつくった最後の舞台
 母にとって最後の舞台になったのは、2014年の時代劇ミュージカル「花や…蝶や…」でした。これは私がプロデュースした舞台です。
 認知症になって、母が大好きな仕事をもうできなくなるかもしれない、と思ったら、胸が締めつけられました。娘として何かしてあげたくなり、もう1度だけ舞台に立たせてあげたいと思ったのです。
 父に相談すると「気持ちはわかる。でも、雪江が舞台に立つなら座長になるからね。万が一、何かあったら他人様に迷惑をかける。家族の思いだけで、やらせるのは役者として無責任すぎる」と反対されました。そのとおりだと思ったとき、妙案が浮かびました。「じゃあ、私がプロデュースをすればできるんじゃないか」と考えたのです。その提案には父も賛成してくれました。
 私は脚本の脚色、演出、振り付け、出演とすべてを担当し、深水流の家元でもある母の日本舞踊を活かして「ウエスト・サイド・ストーリー」の時代劇版にしようと決めました。そして父に「私が演出、ママが主演だから、ナレーションで出ていただけないでしょうか?」とお願いしました。こうして家族3人で1つの舞台を作ることになったのです。
母から来たクレーム
 私も母に万が一のことがあってはいけないと、演出には細心の注意を払いました。しかし舞台に立った母は、病気の影響も78歳の年齢も感じさせないどころか、女優のプライドを最後まで持ちつづけていました。芝居の冒頭で、母が花魁道中を演じる場面があり、転んで骨折でもされたら大変だからと高下駄はやめて、小道具さんに厚めの草履をお願いしました。すると、母から直接クレームがきました。
「先生、わたし女優です。草履ではなく高下駄でお願いします」
「朝丘さん、大変失礼しました。すぐに高下駄をご用意します」
 そう言って高下駄を用意すると、母は難なく履いて、凜とした姿で花魁道中をこなしました。帰りの車でも「あんたね、馬鹿にするんじゃないわよ」と怒っているので、「ほら、年齢も年齢だから、娘としては心配でしょ」となだめると、「そんなおばあちゃんじゃないから」とぷりぷりしていました。体に負担がかからないような振り付けにしていたら、目一杯に踊る振り付けに変更させられ、演出家としてはタジタジでした。
 セリフのほうも、途中で「あら?」と思うことはありましたが、ベテランらしく自分なりの言い方でうまくごまかしていました。80歳近くになれば、セリフ覚えが悪くなるのは誰にでもあることです。
 不思議なもので、日常生活で、もの忘れが目立つようになっても、母は芝居や歌になると驚くほど記憶は、はっきりしていました。昔覚えたジャズの英語の歌は、一言一句漏らさず覚えていました。
「花や…蝶や…」は結果として母の最後の舞台になりましたが、母は亡くなるまで再び舞台に上がる日を楽しみにしていたと思います。「花や…蝶や…」の公演が終わった後も「先生、次はいつ?」と尋ねられましたから。
病状が進んで、母は「姉」から「妹」になった
 別居していた父と母が3年ほど前からまた一緒に暮らすようになったのは、母の病状が進んだためです。父が心配して「すぐ会えるように、お前の近くに引っ越そう」と広い家を見つけて、母と一緒に住むことになりました。
 わが家には昔から「おはよう」や「おかえり」の挨拶でキスをする習慣があって、父と母の間にはまたその習慣が復活しました。父と暮らすようになって母は明るくなり、新婚時代に戻ったような初々しさまで感じられました。
 母の場合は病状が進んだといっても、大きく変わったのは、恥ずかしがり屋さんになったことくらいでしょうか。食欲は旺盛で、特にあんこの和菓子などはよく食べていました。甘いものを買ってきて一緒に食べようとすると、私の前にある同じお菓子���じっと見つめているので「これが食べたいの?」と差し出すとパクパクッと食べて、さらに自分のも食べてしまう。「それ私にくれないの?」と言うと、「これはおいしいからダメ」と返してくる。子どもに戻った感じでした。私にとって以前の母は姉のようでしたが、病気になってからは妹のようでした。母の現役時代に比べたら、本当に多くの時間を過ごすことができて幸せでした。最後にしっかりと母親をやってくれました(笑)。
「また女優になりたい」
 母は病気が進んでからも、不意に「明日のスケジュールはどうなってるの?」と尋ねることがありました。「明日もお休みよ」と答えると、「えー、休み多すぎよ」と不満そうでした。ふと見ると、踊りの手ぶりを工夫していることもありました。母は最後まで女優として、女優人生の千穐楽の幕を下ろすことができたんだと思います。
「ママ死んでもね、生まれ変わったらまた女優になりたいの」
 母は昔からよくそう話していました。いまごろは、新しい女優人生の初日を迎えるための準備をしていると思います。
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team-ginga · 2 years ago
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映画『イエスタデイ』
 ロブ=グリエの『不滅の女』を見るつもりが、先にダニー・ボイル監督の映画『イエスタデイ』(2019)を見てしまいました。
 売れないロックシンガーの主人公がビートルズが存在しなかった世界に入り込み、ビートルズの曲を自分の曲として発表してスーパースターになるという設定のコメディと聞いて、前から少し興味があったのですが、それがたまたまNHK. BSの「お昼の洋画劇場」で放映されていたのです。
 イギリス・サフォーク州に住む主人公のジャックはスーパーでバイトをしながら歌を歌っています。幼馴染で学校で数学の先生をしているエリーという女性が彼のマネージャーをしています。
 エリーが音楽フェス出場の話を持ってきて、ジャックは喜び勇んで演奏に行きますが、彼のテントに客はほとんど来ません。
 うんうん、悲しいことだけれど、そんなもんだね。その気持ちわかるよ。
 ジャックはもう音楽をやめると言って、エリーの車を降り、自転車で帰って行きます。
 するとその時……全世界が12秒間停電します。そのためバスに衝突して吹っ飛ばされたジャックは意識を失い入院することになります。
 退院の日、エリーや友人たちが集まってジャックに新しいギターをプレゼントします。前のギターは事故の際壊れてしまったのです。
 「じゃあこのギターにふさわしい曲を弾こう」と言って、ジャックは「イエスタデイ」を演奏します。友人たちは「素晴らしい曲だ」と言い、「ジャック、あなたが作曲したの?」と言います。
 ジャックが「何を言ってんるんだ。ビートルズの曲じゃないか」と言っても、誰もビートルズを知りません。
 家に帰ったジャックはパソコンでビートルズを検索しますが、出てくるのはビートル、つまりカブトムシだけ。12秒の停電の間に何があったかはわかりませんが、ビートルズが存在しなかった世界になっているのです。
 ジャックはビートルズの曲を自分の曲として歌います。最初は全く受けません。でも、ギャビンという男が録音スタジオを提供すると言い出し、線路脇の小さなスタジオでジャックとエリーとギャビンはCDを作ります。
 そのCDを聴いたと言って、ある男がジャックのところにやってきます。エド・シーランその人です(「エド・シーランその人です」と書きましたが、私は音楽に疎いのでエド・シーランを知りません。有名なミュージシャンだそうで、もちろん本人が演じています)。
 ジャックはエド・シーランの前座としてヨーロッパツアーに出かけます。彼はエリーにマネージャーとしてついてきて欲しいと言いますが、エリーは教師の仕事は辞められないと言って断ります。
 ジャックはそこからとんとん拍子にスターの階段を駆け上がり、LAの大きな音楽スタジオと契約します。スタジオの責任者の女性はジャックのルックスが悪いので、マーケッティングの戦略を練ると言います。
 デビュー直前、ジャックはイギリスに戻り、リバプールに行ってペニーレインやストリベリー・フィールズを訪れます。ビートルズ詣でというか聖地巡礼ですね。
 それを知ったエリーはジャックに会うためリバプールにやってきます。2人は久しぶりの再会を喜び、楽しい夜を過ごします。やがてベッドイン……となりそうな雰囲気ですが、エリーは「やっぱりダメ。私は一夜きりの恋なんて嫌なの」と言って自分の部屋へ帰って行きます(2人は同じホテルに泊まっているのです)。
 翌朝、ジャックはホテルを出て行ったエリーを追いかけます。なぜ追いかけるんでしょう。いや追いかけるのはわかります。でもそれならもっと早く追いかけるべきじゃないですか。最後の最後まで待って間に合いそうにないタイミングで追いかけるのはおかしくありませんか。
 ジャックはエリーを追いかけて駅まで行きますが、間一髪エリーが乗ったと思われる列車は出発してしまいます。このシーンを撮りたいがためにジャックは最後の最後まで待ったわけですか。なるほど……
 ジャックは仕方なく携帯でエリーに電話をかけます。
 え?
 電話できるならどうしてもっと早くかけないのですか。このあたり納得できないことが多すぎます。
 エリーはもちろん(というわけではありませんが、まあ映画のストーリーから考えると「もちろん」ですね)列車には乗っていません。ジャックの背後にある駅のカフェで食事をしています。
 ジャックは彼女の元へ行き話をします。飛行機に乗るためには遅くとも4分後に空港に向かわねばなりません。
 4分で思いの丈を語らねばならないという設定は個人的にはとても面白いと思います。また、そんな緊迫した状況でジャックの友人であるマネージャー(ヤク中でアル中でどうしようもない男という設定ですが、憎めない男です)が「これもらっていくよ」と言ってエリーのポテトチップスを取り、エリーが「取らないでよ」と言うというのも個人的には好きです。
 でも……結局ジャックは何も言えず、その場を去りLAに戻ります。
 その後スターになったジャックにエリーが電話をかけてきます。曰く「私、恋人ができたの」。恋人はかつて一緒にCDを作った仲間のギャビンです。
 あるコンサートの前に黄色い潜水艦(イエローサブマリンですね)のおもちゃを持った2人の男女がジャックの元を訪れます。
 彼らはなぜかジャック同様ビートルズのことを知っている……というか覚えています。てっきりビートルズの曲を自分の曲として発表するとはけしからんと言うと思っていたら、そうではありません。彼らはビートルズの曲を世界に伝えてくれてありがとうと言います。
 なるほど、その発想はありませんでした。ものは考えようですね。
 彼らはジャックにあるメモを残して行きます。そのメモに書かれた住所に行ってみると、そこにはジョン・レノンが住んでいます。
 ビートルズが存在しないのだから、ジョンはただの人ーー彼はずっと漁師をしてきたと言い、いろいろあったが愛する女と一緒になることができた、幸せな人生を送ったと言います。
 歳を尋ねられたジョンは78歳だと答えます。ビートルズが存在しなかった以上、ジョンが49歳で暗殺されることもなかったわけです。
 ジョンの言葉に感化されたのでしょうか、ジャックはエンブリースタジアムで大観衆を前に歌い、その場でエリーをスクリーンに写し、彼女に求愛し、自分が歌った曲は全て他人がーージョンとポールとジョージとリンゴという4人がーー作ったものだと告白します。
 え? いやいや、いくらなんでもこれはダメでしょ。
 エリーの気持ちはどうなるんですか。ギャビンの気持ちはどうなるんですか。エリーは今でも自分を愛しているはずだとなぜ信じられるんですか。
 絶対に断れない状況を一方的に作ってエリーに迫るって、あまりにずるくないですか。
 でもエリーはギャビンを捨ててジャックを選びます。ギャビンも全く怒ることなくエリーを送り出します。
 これはひどい! ご都合主義もいいところです。
 で、ジャックは音楽をやめてエリーと結婚して「オブラディ・オブラダ」を歌って、めでたしめでたし。
 いやいやいや、私はそんなもの認めませんよ。スーパースターになるよりも愛する人と暮らす小さな幸せの方が大事などという小市民的な教訓は、私は認めません。
 百歩譲ってそういう結末にしたいなら、駅のカフェで4分間で思いの丈を語って欲しかったと思います。それなら一応「劇的な4分間」を味わえたでしょうし、そこで勝負するならそれでいいと思います。
 でもこれじゃあダメです。
 まあこういう設定からはそういう結末しかありえないと言われれば、その通りなのかも知れませんが、それならそういう設定にするのが間違いだったということになりませんか。
 つまらぬものを見てしまいました。
追記:  監督のダニー・ボイルって何者だと思って調べてみると、『トレイン・スポッティング』(1996)の監督なんですね。ある界隈では有名な映画で、私も見たことはありますが、ほとんど記憶にありません。  『ザ・ビーチ』(2000)も見たことがありますが、こちらも全く覚えていません。  他に『28日後』(2002)、『28週後』(2007)というこれまたある界隈では有名なゾンビ映画も撮っているようです。  そうなんだ……結構多彩な監督なんですね。
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kconasu · 2 years ago
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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(字幕版)
2022年(日本公開は2023年)/アメリカ/139分/カラー
 今年のアカデミー賞を席巻した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を劇場に見に行ってきました。日本サイドは「エブエブ」と略しようとしていますが、確かにタイトルが長い(苦笑)。なので以下からは「エブエブ」で通して行きます。
 エヴリン・ワン・クワン(ミシェル・ヨー)とウェイモンド・ワン(キー・ホイ・クワン)はアメリカでコインランドリー店��経営する中国系の夫婦。香港(注1)で出会いエヴリンの父親の反対を押し切って駆け落ちでアメリカにやってきた。娘が一人生まれたが、しかし夫婦仲は上手く行っているとは言えず離婚届の準備はされている状態だった。エヴリンは多くのことを抱えており、離婚の問題にIRS(アメリカの国税庁)に提出する領収書の準備、香港からやってきた車椅子で広東語しか話せない父親のゴンゴン(ジェームズ・ホン 注2)の世話、さらに娘のジョイ(ステファニー・スー)はレズビアンでガールフレンドのベッキー(タリー・メデル)を連れてきているがゴンゴンにどう説明しようか迷っている。さらにコインランドリー店の旧正月イベントも企画していて大変な事になっていた。
(注1:香港と明言はされていませんが主人公達が使っている中国語が広東語だったために香港にしました)
(注2:ゴンゴンは広東語でおじいちゃんの意味)
 IRSの審査を受けるために家族で役所に向かう。そこでディアドラ(ジェレミー・リー・カーティス)による厳しい査定を受けるが、そんな中ウェイモンドから唐突に「この世界はいくつもの平行世界があり『アルファ・バース』という世界での君が開発した『バース・ジャンプ』をすることで別の世界に飛べる。今すべての世界はジョブ・トゥパギという存在によって脅かされている。」と告げられる。普段やるはずの無いおバカな行為をすることで別の世界にワープ出来るようになっていて、その世界の自分の能力を得ることが出来る。そうやって色んなバースに移動していくのだが、次第にジョブ・トゥパギと対峙せざるを得なくなる、というお話でした。
 製作陣の誰かが話していたのかな?「おばさんのマトリックス」という表現をしていたのですが、それがピッタリくる映画でした。もしそれに少し修正を加えるなら「母と娘のマトリックス」かな?
 出だしから驚いたのはアメリカ映画を見に来たはずなのに冒頭は広東語による会話劇が繰り広げられること。字幕を避けがちと言われているアメリカ人がよくこれを見に行って、さらにアカデミー賞取れたな、と思いました。ただそれが言語を超えたもの、香港仕込みのアクションであり、先の「母と娘のマトリックス」がどの人種でも共有出来ることが上手く働いたのかな、と思います。 それとミシェル・ヨー自身がマルチバースを生きてきたようなキャリアを積んでおり、マレーシア出身で香港映画デビュー、ボンドガールからハリウッドへ、その後ジャン・トッドと結婚しフェラーリCEO&FIA会長夫人、トッドが第一線を引いてから再び俳優活動を再開している姿はそれこそ今作のような色んな可能性を肯定させる効果を生み出しているんじゃないかな。
 元々、主演にはジャッキー・チェンを想定していたそうなのですが、ジャッキーうんぬんではなく、父親が主人公だったらここまで上手く行かなかった気がします。おそらく「マトリックス」のパクリだ!と言われていたでしょうし、男性主人公では新鮮味に欠けたと思います。
 ネタバレになっちゃいますが「母親と娘の親子げんかというワンポイントを描くために壮大なバトルを繰り広げる」という映画だったんですが、僕の好きな映画評論にホイチョイプロダクションズによる黒澤明作品の「何か見せてやろう」系と「何か言ってやろう」系に別けるのがあるんですが、前者がエンタメとして優れていて、後者が芸術系もしくはエンタメとのバランス取りに失敗して説教臭くなってしまった作品となります。エブエブは間違いなく「何かを見せてやろう」というのを最優先に考えていたと思います。でも「何かを言ってやろう」もキチンと用意されていて、でも説教臭くない作りになっていた事に好感。考えてみれば「マトリックス」の第一作はエブエブに近いバランスを取れていたのに、期待が大きすぎたのか、風呂敷を広げすぎたのか第二作・第三作は「何かを言ってやろう」の方が目に付くようになってしまい、面白く無くなったような気がします。この「何かを見せてやろう」が無ければ上映時間139分はそこそこキツいと思うんですよね。
 あと面白かったのが肩車アクションがあったこと。インド映画の「RRR」でも見られた肩車アクションがほぼ同じタイミングで上映され、同じアカデミー賞の舞台に立つというのは興味深かったです。「RRR」は撮影に時間を掛け、コロナによる中断もあったそうなのでこのシーンの撮影はこっちの方が早そうですが。
 あと字幕版で見たのですが、英語、広東語、中国に行った人によると北京語も入り交じった作品が評価された事を体感するためにも字幕版がオススメしたいと思います。吹き替え版でも面白さは減らないと思いますが、大切な物は少し抜け落ちると思うんですよ。
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mari8log · 2 years ago
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2023/02/12 SAYAKA×Q MANZAI×TALK
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キュウのファンだし話題のさや香もいるのなら行くっきゃない!で行きました。
○以下出順とネタのあらまし
さや香…クライミングは移動。マラソンはスポーツ。短距離はスポーツ。野球はスポーツ。漫才はスポーツではない。スキージャンプは移動。移動>スポーツ。
キュウ…変冬
間奏…お互いのコレが見たい!/ 新山「めっちゃいい!」石井「いいでしょう!」 / ぴろ「(大声で)アリーナ!」清水「それはアリーナでしょう!」
さや香…五則演算
キュウ…マリーモノ
トーク
「ここ(TTホール)デカすぎて空いているように見える。」 ※1000人キャパ会場でおそらく200人くらいしか入っていなかった
「「キュウさん、時間空いてるから使おう」ってことでキュウさん借りた。」
座り順 左から新山・石井・ぴろ・清水
【エゴサーチしにくくない?】
キュウ「昔はQという名前だったがそっちもエゴサしづらく、絵文字の涎垂れのようなものまで引っかかって困った。(@ ̄ρ ̄@) 今でもキュウレンジャーやキュウべぇがかかる。」
新山「ミス日本のファイナリストになった「さや香さん」は活動初期からエゴサのたびに見ていたので、大きくなったなぁと勝手にしみじみしている。エゴサしづらさからの出会いもある。」
【あの時の1万円は?】石井→清水
M-1終わりの撮影で、石井・清水・兎さん、出井、畠中の五人でお寿司屋に飲みに行き、5人で3、4万円を使った。お会計の際に清水さんが1万円を儲けて帰って行った。
※正確に聞き取れず悔しいのですが、誰かが万札しか手元に無くまとめ支払後にお釣りを返してもらうはずが清水さんがお釣りまで持って帰ってしまった、的な話だと思います。
清水「1.5万円受け取ってからそこから記憶が無い」「出すタイミングがなかった」「清水軍団」「「次食べに行った時は多く出そう!」という心持ちで預かった」「飲み仲間をTwitterでフォローしたのに兎だけフォローが返ってこなかった(嫌われたかもしれない)」「子どものアンパンマンのキーボードに」
新山「僕らからのクリスマスプレゼントだと言い聞かせておいてくださいよ」
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【東京進出は?】清水→さや香
清水「喫煙所で喋った時にオンラインサロンの儲けを訊かれたので未来を見据えているのでは?と」「東京に来たらまた飲み会できる!」
石井「儲けれる手段と思ってないですか?」
マユリカも来るし、東京は芸人が増える一方!
新山「キュウさんはライブは月何本出られているんですか?」
清水「今オフシーズン。」 オフ?
ぴろ「ネタを蓄えるシーズン。タイタン芸人は劇場から出番を用意してくれるわけではなく、Kプロからのオファーによるので自分達で舞台を減らすこともできる。今作っている最中だから最低限の月4本。」
新山「さや香は稼働が多すぎて仕事を減らしてもらわないとネタが書けないとこの間も苦情を言った。今日(2/12)もマンゲキ出てツーステ出てM-1ツアーまである。」
石井「その後飲みに行く?一万円チャンス!」清水「(物凄く言葉を濁しながら)新幹線乗れなくなる…」
清水「多くてライブは月15本」
ぴろ「喫茶店で僕がネタを考えている目の前に清水さんがソファに座っていて、コーヒー飲んで、清水さんを起こして、ネタチェックしてもらってる。清水さんに何もさせずに座らせている、というプレッシャーが無いと書けない。なにかをネタでやりたいという土台は自分で膨らます時は清水さんにお願いする。」「なんぼコーヒー代を浮かしてる?」
さや香は新山さんが作る。
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【ミスチルのどこが好き?】新山→キュウ
ミスチル最高傑作とも問題作とも言えるQから取ったコンビ名。
新山「キュウとミスチル、イメージ違うくない?バンドのイメージがある。吉田拓郎や椎名林檎イメージ。」
ぴろ「ミスチルのクリエイティブなところが好き。ミスチルには会いたいは会いたいが距離を置いてみていたい。完成されたものをきくのが好きなのでCD派。俺の人生のテーマソングはAny。今僕のいる場所が探してたのと違っても間違いじゃない きっと答えは一つじゃない の歌詞が好き。」
※テーテーテーと歌い出す清水さん。
清水さんもAnyが好き。新山「清水さんが言うと一万円肯定ソングになる?悪意なしの真の悪」
Everything is made from a dreamも好きなキュウ。人を殺すダイナマイト(核爆弾)もその人の純粋な夢から始まっているのでは?という歌詞がいい。
ぴろさんはじわじわアツい人。
【10年後どうなっていたい?】ぴろ→さや香
質問も熱い!
ぴろ「M-1当日の控え室でもみんながゲラを見ている中、さや香は芸人ではなく主催者の顔をしと集中していたので、「別のところを見ているのかな?」と思った。僕も決勝は次のゴールの通過点と思っていたので、同じ目をさや香もしていて気になった。」
新山「動物園の園長や独立リーグの設立とか」ぴろ「その目だったのか」新山「人生お笑いにこだわっていない。」「動物に会いに行くのではなく一緒に街中で住む感じ。自分がホモサピエンスとわかるように生きる。」
※その後キュウが「動物園の中にペットショップを開くのか?」等と、なんかよくわからん角度から新山さんを攻めていてよく聞き取れなかった。
ぴろ「漫才が好きでずっとやっていきたいしそれで生きていけたらいいなと思っている。TVは名前を売るためで、そのためにM-1が近道だと頑張っている。新山の動物園に近いものが漫才。あと歌手デビューもしたい。」
新山「俺ギター。」清水「俺伴奏。」新山「いらんいらん。」
※にーやんが清水さんをいじっていて和みました。
会場に乗り込む前、大阪城方面ではなく駐車場方面から歩いてきたのですが、13:10ごろに新山さんがタクシーで裏口から駆け込んでいるのを見ました。その後予定がびっしり詰まっていて他会場でもネタをやっているのに疲れを見せずにツーマンをやりとげてるにーやんを知りファンになりました。
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