#和風きのこパスタ
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momokuri-sannen · 6 months ago
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麺ばっかり食ってる
もう恐ろしくて体重計に乗れないが、相変わらず麺類が多い。
和風きのこパスタ。
また旨いんだよなァ、これが。
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晩飯は昨日名古屋に行ったのに名古屋らしいものを食わなかったので、それじゃあということで「和食麺処サガミ」に。
ここは名古屋あたりではたくさんあるチェーン店だが、こちらではあまり見かけない。
名古屋の店なので味噌煮込みうどんをはじめ、みそを使ったメニューが豊富にある。
今日は「そば屋に行くとカツ丼が食いたくなる病」が発症したので「みそカツ鍋定食」
その他もろもろ。
ごちそうさん。
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mensgohan · 3 months ago
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2025.3.15
◯メニュー
きのこスパ
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cliffburton1120 · 2 years ago
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【nippn】オーマイ 具の衝撃 和風きのこ醤油【1袋358円前後】
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スーパーで見つけたニップン「オーマイ 具の衝撃 和風きのこ醤油」を電子レンジでチンしてみました。
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※価格は購入したスーパーの値段になります。
ニップン オフィシャルサイト商品紹介
オーマイ 具の衝撃 和風きのこ醤油
最後の一口まで楽しめる圧倒的な具材 調理方法:電子レンジ
株式会社ニップン
© NIPPN CORPORATION
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utagejp · 14 days ago
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そら豆のペペロンチーノ🌶️
〜風の谷農苑にて〜
イタリア語でアーリオはニンニク、オリオは油、ペペロンチーノは鷹の爪を意味し、この3つを使ったパスタをアーリオ・オリオ・ペペロンチーノ(通称ペペロンチーノ)と言います。
今朝はニンニク・鷹の爪をオリーブ油で炒め、軽く茹で皮をむいたそら豆、白だし、コショウ、パスタと和え、盛り付けて刻みミョウガ〰️😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#ペペロンチーノ #そら豆 #風の谷農苑 #イチビキ #大地の宴 #peperoncino #favabean #japaneseginger #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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ellie-lili · 10 months ago
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滋賀 大津 コルクさんへはじめて行ってきました。
どうしてもこの日はパスタが食べたくて。平日限定のランチが気になったものの、パスタに。
和風クリームパスタなので���が、かなり好みでした。小エビもしっかりしたエビでした。
ソースがたっぷりで、もはやスープパスタ⁉︎
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ランチサラダのレベルがすごくて驚き。かなりボリューミーで、ドレッシングもおいしかったです。カニカマとかミートボールがのってるのが何だかかわいい(笑)
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morethansalad · 4 months ago
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Vegan Japanese-Style Mushroom Pasta | 和風きのこパスタ
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chuck-snowbug · 8 months ago
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ローストビーフ、きのこの炒めもの、自家栽培小松菜とパスタのバジルソース和え、人参のグラッセ、茄子のチーズ焼き。
Roast Beef Dinner - February 2024
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kaoriof · 10 months ago
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。好きな男の子と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、世界中では何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎる��。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしよう��歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたし��ちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい。山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して勝手にどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレン��を外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもう。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける。だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、���弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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takaki2 · 2 months ago
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「ナポリタン」の歴史
ナポリにはケチャップ炒めスパゲッティはない。米国生まれのトマトケチャップを味付けの主役に使用することはまずなく、ピーマンやハムが入ることもない。辛さを足すタバスコソースを入れることもない。そもそもパスタとはソースを絡めるものであり、イタリアにはパスタを炒めるという概念はあまり無いようだ。ではなぜ日本でスパゲティと具材をケチャップで炒めるナポリタンという料理が誕生したかを追って行こう。
〇18世紀ナポリのトマトソースの屋台料理
18世紀ごろのナポリでは「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」あるいは「ア・トリーエ(三つ)のヴェルミチェッリ」と呼ばれたトマトとチーズのパスタが屋台料理として庶民の間で食べられていた。塩も油も使われていない軽食の部類の料理だ。 チェンテジモはイタリアの通貨単位で1リラの1/100となり当時の1チェンテジモは40円くらいの価値である。 「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」は茹でた細いパスタ(ヴェルミチェッリ)にチーズとトマトソースをかけた料理で3チェンジデモ��食べられた。ちなみに2チェンジデモではチーズのみでトマトソースはかけてくれなかった。
このナポリのトマトソースを使用した調理法がフランスに伝わり、トマトソースを使った料理を「ナポリテーヌ」と呼んだ。 フランス流にトマトソースのパスタは「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」と呼んだようだ。
〇一度作られた日本のケチャップスパゲティ
東京・銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものだという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、1923年(大正12年)の関東大震災の後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話がある。 煉瓦亭は日本の元祖洋食屋という存在でありオムライスやカキフライなどの発祥として知られている。日本の洋食の基礎を作った店である。煉瓦亭で一度ケチャップを使ったナポリタンと同じ形式のスパゲティが現れている。ただトマトピューレに戻したようで一般市民へのケチャップを使ったナポリタンの浸透は無かったと思われる。
〇横浜ニューグランドホテルの「ナポリテーイン」
日本の料理の歴史にナポリタンの名前が登場するのは1934年(昭和9年)の横浜である。横浜市教育委員会が発行した『横浜の食文化』p. 79には、1934年(昭和9年)1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこに「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの1935年(昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだった。考案者は横浜ホテルニューグランド第2代総料理長の入江茂忠である。しかしここで使用しているのはケチャップではなくやはりトマトソースである。ただ一度茹でて、冷蔵庫で取り置きしたもっちりとした麺を使うというところはここで確立されている。「ナポリテーイン」の名前は横浜ホテルニューグランド初代総料理長サリー・ワイルがトマトソースを使ったフランス料理を「ナポリテーヌ」と呼ぶことを知っていたからだと推測されている。
〇「ナポリテーイン」のさらなる進化
横浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」では、1946年(昭和21年)の開業時から提供された料理「ナポリタン」にケチャップが使用されていたとされる。高価で加工に手間もかかるトマトを使わずケチャップを用いるのは町の洋食店ならではの工夫だとして、センターグリルが「ケチャップナポリタン」の発祥とみられている。同店の創業者の石橋豊吉は、横浜ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイルの経営していたセンターホテルで修業をしていて、横浜ホテルニューグランド第2代総料理長の入江茂忠とも親交があり、開業後にも入江からアドバイス���受けていたという。ただし横浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」は米国風洋食レストランを名乗っている。これは「ナポリタン」が「センターグリル」創業者の石橋豊吉にとってアメリカ料理と認識されていることを意味する。アメリカの大衆料理でパスタと言えば「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」(スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせたもの)である。これが石橋豊吉の作ったケチャップで炒めたスパゲティである「ナポリタン」の発想の最初のイメージにあると思われる。「センターグリル」の「ナポリタン」はピーマン、ロースハム、玉ねぎと太麺をケチャップで炒めておりビジュアルからもっちりとした感じが伝わってくる。ポテトサラダが付け合わせで横に乗せられていてワンプレートで提供されている。
〇日本の「ナポリタン」の源流
以上の話をまとめると横浜ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイル、第2代総料理長の入江茂忠、センターグリル創業者の石橋豊吉、この三人とナポリの「トゥレ・チェンテジミ」、フランスの「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」、アメリカの「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」が日本のナポリタンの源流となるのである。
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myonbl · 8 months ago
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2024年11月7日(木)
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今朝はよく冷え込んだ。お昼のニュースでは東京と近畿で<木枯らし1号>が観測され、去年より東京で6日、近畿で4日早いとか。さすがに<立冬>だけのことはある。あわててリビングに出しっぱなしになっていた扇風機を仕舞い、石油ストーブを出して試運転、昨日灯油を買っておいて大正解。しかし、夏が長く秋が短い、高齢者には生きづらい世の中になってきたことだ。
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5時起床。
日誌書く。
ツレアイが起きて、洗濯開始。
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朝食は、奥川ファームの最後のそば。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
彼女は昼までの勤務、弁当はなし。
プラごみ、30L*1。
彼女の職場経由で出勤。
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順調に到着する。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
木曜日1限は<共生社会と人権>、前回の<障がい者>の復習で<発達障がい>について補足の映像を見て貰う。今回のテーマは<同和問題を考える>。近年は大阪の子でも部落問題を知らなくて当たり前、<士農工商>も教えなくなったので、<ケガレ>の概念を中心に解説する。
水曜日の入力課題をチェックする。
早めに退���。
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何とか昼前に帰宅。
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次男は既にランチを済ませていたので、三男にレタス炒飯。
彼女が帰宅したので、残りものパスタ+🍷。
BSシネマを録画モードで鑑賞する。
「駅 STATION」
高倉健の代表作の一つ。脚本・倉本聰、監督・降旗康男。北海道を舞台に、ある刑事の人生と、宿命的に出会うさまざまな女性たちを描く重厚なドラマ。刑事の三上は、過酷な日々と、射撃のオリンピック代表選手としての重責に耐えかね、妻と幼い子どもに別れを告げる。犯人の妹や、飲み屋を営むおかみ、女性たちの悲しい人生と孤独な三上の人生が交錯し10余年にわたる歳月が過ぎていく…。劇中を流れる八代��紀の『舟唄』も印象的。 放送日時:11月7日(木)午後1:00~午後3:13 内容時間:2時間13分 〔製作〕田中壽一 〔監督〕降旗康男 〔脚本〕倉本聰 〔撮影〕木村大作 〔音楽〕宇崎竜童 〔出演〕高倉健、倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ、古手川祐子、根津甚八 ほか(1981年・日本)〔日本語/カラー/レターボックス・サイズ〕
夢中になって観てしまった。
彼女はあちこち買物、私は扇風機を片付けてストーブを出す。
夕飯前にココに点滴。
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昆布締めポーク、厚切りなのでやはり3日は必要。今夜から、サバ缶とタマネギスライスの和え物をみなでいただくことにした。
録画番組視聴。
春風亭一之輔の江戸落語入門 (5)今も昔も変わらない親子の噺
初回放送日:2024年11月5日 春風亭一之輔さんが、ディープな落語の世界にあなたをご招待。落語をぜんぜん知らない人も楽しめる!さらに、NHKに残る名人たちの名演VTRにはマニアも垂ぜん。今回は今も昔も変わらない親子の話。「初天神」は子供が駄々をこねる様子が見どころ。こまっしゃくれたオチに爆笑。「やぶ入り」はじんわりほろり、子を思う親の気持ちに共感する。
久しぶりに米朝のDVDから、「骨つり」「まめだ」。
今夜も風呂前にダウン、布団に吸い込まれる。
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買い物に出なかったので、こんな数字。
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momokuri-sannen · 9 months ago
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朝飯はハムやらたまごやらトマトやらのサンドイッチ。
まあサンドイッチに挟むのはなんだっていいのである。
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昼飯には和風きのこパスタ。
これまたパスタはなんでも来い的な食材。
味付け次第でどうとでもなる。
さて晩飯はなんにしよ。
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ひき肉があったのでハンバーグに。
もう今日はなんも冒険なしで。
ソースはケチャップとウスターソース、赤ワインに練り辛子の土井善晴先生レシピ。
ごちそうさん。
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tomoshiha · 8 months ago
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俵山おやさい録
山口県は長門市俵山にて営農している姉夫婦よりいただいたもろもろを使って作ったあれこれの記録。随時編集。
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・天ぷら(穂しそ、たまごなす、伏見甘長、ひもとうがらし、なす)
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・天ぷら(しそ、ししとう、なす、オクラ)
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・オクラのフライ(ケイジャン風味。大きくなって固いオクラは揚げるのがいいっぽい)
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・オクラのピクルス(アンダーソン夏代『アメリカ南部の家庭料理』を参考に。ポリポリなんぼでも食べれる)
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・たまごなすのピクルス(この色合いを作りたかっただけ)
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・伏見甘長のピクルス(荻野恭子『家庭で作れるトルコ料理』のトゥルシュのレシピを参考に。レモンはゆずきちで代用)
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・ピーマンの肉詰め(焼くのは失敗しそうなので蒸して作った。のっかってる赤いのは伏見甘長の熟したやつ)
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・伏見甘長入りの蒸し餃子(ピーマンの肉詰めがうまいんなら餃子の餡に伏見甘長入れてもうまいやろうという魂胆)
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・空芯菜のおかず(炒め物のつもりで作ったのでだいぶ思てたんと違うが、うまい)
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・オクラのごま和え(ごますりをサボった)
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・冷や汁
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・きゅうりの直煮
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・き��うりのカニカマあんかけ(でかいきゅうりを冬瓜として扱った例)
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・きゅうりとカニカマのサラダ(塩もみした細切りきゅうりと割いたカニカマを、マヨ+ごま油+醬油+白ごまで和える。おろしニンニクが少し入るとなおよし)
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・なすの揚げ浸し
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・焼き味噌(めちゃく���ゃごはんがすすむのにこれ作った頃米なかった)
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・なすの皮の柴漬け(高山なおみ『自炊。何にしようか』を参考に。なすの皮を刻んで塩で揉み、崩した梅と一緒に混ぜて置くだけの簡単なもの)
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・なすの皮の柴漬けとツナの冷製パスタ
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・なすとトマトのパスタ
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・イマーム気絶なす(素揚げしたなすに具を詰めて煮たもの。料理名は、うますぎてイマームさえも卒倒してしまうことからきているとのことだけれども、このあまりの手数の多さにはさすがのイマームさまも……という含みもある気がする。中の具はパスタのソースを転用)
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・ジャジュック(刻んだきゅうりとヨーグルトのサラダ。萩野恭子『家庭で作れるトルコ料理』を参考に)
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・サバのフライのサンド(マヨネーズに刻んだらっきょう漬けを混ぜた)
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・ポテトサラダ(刻んだらっきょう漬けが入っている)
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elle-p · 2 years ago
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P3 Club Book Shinjiro Aragaki short story scan and transcription.
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料理天国、食べたら地獄
······ったく、 何で俺がこんなこと······」
「す、すいません荒垣先輩······っくしゅん!う~げほげほっ」
「ゆ、ゆかりちゃん、大丈夫?」
ここは、寮のゆかりの私室。ピンクのパジャマにカーディ���ンを羽織り、つらそうに咳き込むゆかりの背を、優しく風花がさすっている。体調不良を押してタルタロスに出撃し、ゆかりはすっかり風邪をこじらせていた。そんなゆかりのベッドの横には、同じく心配そうにたたずむ美鶴と、やや所在なげに立つ荒垣の姿があった。そして荒垣の手には、彼が言った “こんなこと” の成果である、温かそうな料理がトレイに乗って湯気を立てていた。どうやら、ゆかりを心配する美鶴に頼まれ、病人食の定番となる粥を作っきてくれたらしい。
「荒垣先輩って、優しいですよね」
「んな······っ!?ま、まあ、ただの気まぐれだ。気にすんな。さっさと食っちまえ」
風花の素直な言葉に、荒垣はそれだけ言ってぶっきらぼうにトレイを差し出す。
「 うう、ありがとうございます。はふ······」
ゆかりが、一見普通の粥に見えるその料理をスプーンですくい、ぱくりと口に入れた。
「どうだ?岳羽?」
熱くないか、ちゃんと飲み込めるかと、美鶴が母親のように心配げに声をかけるが、その目の前でゆかりの表情がみるみる蕩けた。
「ぅ美味しい~っ!何これ、どうやって作ったんですか? 信じらんないー!」
先ほどまでの苦しそうな様子はどこへやら、あっという間に元気を取り戻したゆかりが、凄い勢いで手と口を動かし、器の中身はさほど間を置かずに空になってしまっていた。
「どうやってつーか、ま······適当だな。普通の粥じゃ栄養が足りねえかと思って、中華風のミルク粥にしてみた」
あっさりと荒垣は言うが、じつはけっこう手間がかかったもの。ニンニク、生姜、ネギのみじん切りをゴマ油でじっくり炒め、米と具---拍子木に切ったニンジンと大根を投入して鶏ガラスープを注ぎ入れる。あとはフタをし、沸騰したら吹きこぼれないよう弱火でことこと30~40分。米が十分柔らかくなったところで、牛乳を入れて塩で味をととのえ、できあがったものがこちらにございます、という感じ。体の免疫力を高める、炭水化物や蛋白質、ビタミンA・B・Cに β カロチンを含む、まさに完璧なる病人食なのだ。
以前から、荒垣の料理はプロ並だと真田あたりが言っていたが、その現物を実際に口にしたゆかりは、想像以上の感動を味わっていた。ゆかりは素直に、その賞賛を口にする。
「適当なんてとんでもない!荒垣先輩、もう最高ですよ!尊敬します!」
「バカ野郎······なに恥ずかしいことを······」
「���ーに謙遜してるんですか?食事は人間の基本ですよ。大切なことです。それをしっかりできる荒垣先輩は立派です!もう、他の男連中にも見習わせたいぐらいですよ。人として、料理のひとつもできなきゃ駄目だって、ね」
興奮気味で止まらないゆかりの演説に、そこで突然ストップがかかった。
「ちょーっと待ったぁ!」
「!?じゅ、順平?それに皆も?」
ゆかりの部屋の入り口に、順平を先頭にして寮生の面々、すなわちこの部屋にいなかった全員が集まっていた。順平の足元からはコロマルまでが顔を出している。
「何ごとよ、いったい?」
「いや、あんまりいい匂いなんでな、つい······」
正直に真田が言いかけるが、それを体ごと遮って順平がびしっと指を突きつける。
「ゆかりッチ······貴様はオレを怒らせた!」
「は、はぁ?」
「料理ができなきゃ人として駄目?料理がお上手な岳羽サマは、オレたちが人間じゃないとおっしゃるわけだよな?」
「い、いや、別にそこまでは······。そ、それに順平がまともに料理できないのは事実じゃん」
と、そこで順平は、ちっちっと指を横に振る。
「料理が “できない” と “やらない” は違うんだぜ、ゆかりッチ。それに、オレだけじゃねえぞ、お前が傷吻つけたのはな······」
くくっと、芝居の気まんまんで順平が涙をこらえるように両目を手で押さえた。その言葉に、ゆかりが周囲をあらためて見ると。 「あ」
ベッドの脇で美鶴と風花が、顔を伏せてどんよりと暗い空気をまとっていた。
「い、いや、あの。私······別にそういうつもりじゃ······せ、先輩?風花?」
「ゆえにっ!!」
ぐわっと伏せていた顔を上げ、順平は大いに 盛り上がって高らかに宣言した。
「貴様に料理勝負を挑むっ!!」
「はぁ?」
かくて、第一回巌戸台分寮クッキング王決定戦の開催が決定したのであった (どどーん)
「という訳で、本日の司会はわたくし、アイギスがお送りするであります。いかがでしょう、解説の天 田さん」
「······みなさん、ヒマですね」
「なるほど。では、審査委員長の荒垣さん」
「······ったく、 何で俺がこんなこと······」
順平が宣言した翌々日。ゆかりがすっかり体調を取り戻し、ちょうど日曜ということもあって、ついに料理対決が開催される運びとなった。おそらく仲間内でもっとも鋭敏な味覚を持つであろう荒垣を審査委員長とし、味覚がないアイギスは司会を勤めることになっている。天田も参加をうながされていたが、「なんで僕が料理なんか······小学生に何を期待してるんです?」と一蹴し、解説者の席についている。そして、残る全員が参加者兼審査員というわけだ。
当初、美鶴と風花は徹底的に拒��の構えを見せていたのだが、「お祭りみたいなもんだし」とか、「何ごとも経験だし」とかいう順平の甘言で徐々に態度を軟化させ、ついには「······にイイとこ見せるチャンスなんだけどなー」という、とある個人名を出しての決定的なひと言で、料理対決に参加するよう洗脳、もとい説得されてしまったのであった。
「では、いよいよ競技を開始するであります。最初はゆかりさんからお願いします」
「オッケー!見てなさいよ、順平!」
意気揚々とゆかりが持ってきた料理、それは本人の自信を裏切らない見事なできばえ。見た目からして美味しそうな、幕の内弁当である。卵焼き、焼き魚、かまぼこといった幕の内弁当定番のおかずに加え、小さなハンバーグやチーズチキンカツなど洋風のおかずも入っている。もちろんご飯は俵型に成型され、上にはパラパラと黒ゴマが振りかけられている。
「うん、なかなかやるじゃねえか」
卵焼きをひと口かじった荒垣の評価に、ゆかりがガッツポーズを決め、それに続いて他のメンバ ーも横から次々に箸を伸ばす。
「焼き魚は西京味噌漬けか······いい仕事だ」
「うわあ、このかまぼこの切り方、凝ってる」
「もう、優勝は岳羽で確定か?」
立て続けに上がる賞賛の声に、ちょっと照れたような誇らしいような顔でゆかりが言う。
「あ、でもね。今回は意外なライバルがいたっつーか······私も食べてみたいんだよね、 彼の」
そのゆかりの視線の先にいるのは、自己主張が足りない気味の現場リーダーの姿。だが、前髪で隠され半分しか見えない顔に、常にはない自信がかすかに滲んでいるような気もする。
「では、続いてお願いしましょう」
アイギスに促され、2番手の料理が運ばれる。
「おお······!」
それは、ちょっとしたレストランで出してもおかしくないアサリとトマトのパスタ、ボンゴレ・ロッソであった。さっそく審査委員長の荒垣が、フォーク一本で器用にパスタを巻きつけて、ぱくりと口に入れる。
「ちょっとパスタが柔らかいが、合格点だな」
「どれどれオレにも······おおっ、美味ぇ!」
「アサリとトマトって合うのねー」
意外といえば意外だが、幼い頃に両親を亡くしてひとり暮らし歴も長い彼は、料理の腕は決して悪くないのである。ただ、あっさりした性格ゆえか、パスタや丼ものなど簡単に作れるものに限られるというのが弱点といえなくもない。
「で、次は誰だ?」
連続して出される美味い料理に、最初は苦い顔をしていた荒垣も、上機嫌になってきたようだ。やはり、楽しい食事は人を和ませる。もしかすると順平は単に、荒垣と他のメンバーとの間の距離を、少しでも縮めようとして料理対決を企画したのかもしれない。もし、そうだとしたら、その意図は十分に果たされつつあった。
だが。
そんな楽しい雰囲気は、あまり続かなかった。
「······なんだこりゃ?」
「え、えーっと、ラーメンっす」
「カップ麺じゃねえか」
荒垣の前にあるのは、お湯を入れて3分でできるカップ麺だった。ちなみにシーフード味。
「い���いやカップなんすけど!ちゃーんとオレなりの工夫があってですね。荒垣先輩のミルク粥にヒントを得て、牛乳で作ってますっ!」
荒垣がうげっという顔をする。残りの連中も、一様に嫌そうな顔を浮かべている。 「え?え?みんな何だよ?いや、マジ美味い
んだって!」
「たとえ美味くても······料理じゃねえだろ」
「順平さん、失格であります」
どこに置いていたか、アイギスが横にあった鐘をカーンと1回鳴らす。
「いいっ!?そ、そんなぁ······」
がっくりと肩を落とす順平。ただひとり、そのカップ麺をひと口すすった現場リーダーが、うんまあ不味くないよ、といった感じで順平の肩をぽんぽんと叩いていた。
「では、続いて美鶴さん、お願いします」
事態は、破滅に向かって加速していた。
「鴨肉のコンフェ、フォアグラとトリュフ添えだ。素材はすべてフランスから空輸させた」
胸を張って、 豪華な銀の皿を突き出す美鶴の顔には、しかしだらだらと汗が流れていた。皿の上の料理を凝視しつつ、荒垣が尋ねる。
「······鴨は、どれだ?」
「こ、これに決まってるだろう」
「この黒いのは?」
「と、トリュフだ」
「こっちの黒いのは?」
「フォアグラ······だと思う」
「んじゃ、こっちの黒いのは?」
「ええと······付け合せのポロ葱、か?」
聞かれても困る。
下を向いていた荒垣は、凶悪な光を目に宿らせつつ、美鶴に向かってぽつりと言った。
「全部、炭じゃねえか」
「ま、まあ多少火加減を間違えたかもしれないが、素材はいいんだ。食ってないと······」
「食えるかぁ!次だ次!」
世界の終わりのような顔をする美鶴を尻目に、アイギスが鳴らす鐘がかーんと響いた。
「俺は料理などあまりやったことがないからな。変なものを出すのも申し訳ないから、シンジの料理を真似させてもらうことにした」
続く真田の料理は、白濁したスープのようなものだった。どうやら、 荒垣が一昨日作ったミルク粥を参考に作ったらしい。
「順平も、どうせシンジの料理を参考にするならこうするべきだったな。まあ、俺も多少は自己流にアレンジさせてもらっているが」
既に勝ち誇った様子の真田に、荒垣も苦笑しつつ答える。
「くくっ、アキの料理か······そう簡単に俺の味が盗めるもんかよ」
「食べてみなければわからんだろ?」
「わかったわかった。じゃ、いただくぜ」
スプーンで粥をすくい、軽く冷ましてから口へと運ぶ。そして、刹那の間を置いて。
ぶぴゅる。
変な音と同時に、荒垣の鼻と口から白濁液が吹き出した。
「な、な、な、なんだこりゃあっ!!」
「牛乳よりも高蛋白で低カロリーなプロテイン粥だが······筋肉にはいいぞ?」
「食えるかあああああっ!!」
「最後に風花さん、どうぞ」
鐘を鳴らしつつ、 アイギスが淡々と言った。
---それから、5分後。この世のものとは思えない絶叫が、月光館学園巌戸台分寮から響き渡った。付近の住民の通報で、パトカーや救急車が出動したが、とくに事件性はないとのことで早々に引き上げたらしい。ただ、目撃者の証言によると、捜査員や救急救命士たちは一様に、口や腹を押さえていまにも嘔吐しそうな表情を浮かべていたとか。その日、どんな恐ろしいことがあったのか、口を開くものはいない。
「いいかお前らっ!料理の命は火加減!それと塩加減だ!いいな、順平!」
「う、ういっすっ!」
「あと常識だが、プロテインは料理に入れるなよ!わかったか、アキっ!!」
「あ、ああ、わかった」
「つか、山岸!なんでそこでタバスコとか入れるんだ!色を基準にして調味料足すんじゃねえ!味見しろ味見っ!」
「は、はいっ!」
料理対決の翌日。寮のキッチンでは突発料理教室が行なわれていた。こいつらの料理の腕を放置していたら、いずれ人死にが出る。事実、俺は死にかけたという荒垣の命令で、順平、真田、美鶴、風花に対し、マンツーマンで料理を教えることになったのだ。
「······ったく、何で俺がこんなこと······」
そうボヤきつつも、手取り足取り指導する荒垣の頑張りもあり、徐々に全員の料理は “食えなくはない” レベルへと上がっているようだ。
「おら、待て美鶴。焦げそうになったら、一度フライパンを火から降ろして······そうそう。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ」
「りょ、了解した」
そんな荒垣の様子を横目で見て、風花はくすりと笑って言った。
「やっぱり、荒垣先輩って優しいですよね?」
その言葉が届いたかどうか定かではないが、荒垣は黙々と料理指導を続けていく。ただ、その横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるような気がする。やがて、料理のいい匂いを嗅ぎつけてか、ゆかりたちが同じく笑顔でキッチンへと歩いてくるのが見えた。やはり、楽しい食事は人を和ませる。どうやら、今日の夕食も楽しいものになりそうだった。
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utagejp · 5 months ago
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うまい菜とタマネギのパスタ🍝
ハムとじゃこも入れました
〜風の谷農苑にて〜
緑黄色野菜うまい菜は、年中収���できることから不断草とも呼ばれるほうれん草の仲間で、豊富なβ-カロテンは、抗ガン作用や免疫を高めるとしてで 知られており、体内でビタミン Aに変換され、髪の健康維持や、視力維持、粘膜 や皮膚の健康維持、そして、喉や肺など呼吸器系 統を守る働きがあるといわれています。
今朝はオリーブ油でニンニクを炒め、香りが出たらタマネギ、うまい菜、ハム、ちりめんじゃこを炒め、白だし、薄口醤油、茹でたスパゲッティと和え、盛り付けて黒コショウ。優しいお味ですね〰😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#パスタ #うまい菜 #風の谷農苑 #イチビキ #築地しらす屋 #大地の宴 #pasta #umaispinach #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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moai084 · 10 months ago
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おちついての歌 -2024.8.19
夫と喧嘩した。元気がない。
物事には、コンテンツとして昇華しても良いタイミングというものがあると思っている。それに、そもそも私の身に起こるできごとを何でもかんでも書いてエピソードにするという行為自体、一歩間違えるととても下品な行為だと学んできたので、そこらへんは、こんな日記を書いている人間として、それなりに気をつけているつもりだ。
だからいま書こうとしている内容が、エピソードにして昇華して良いものかまだ自分で分かっていないのに、こうして日記に書いて、人に読んでもらう場に公開するのは、若干悩ましい。
でも、言葉にしないと、今の私はにっちもさっちも動けなくなってしまった。それに本当はストックしているふざけた日記があるのだが、それを世に放つテンションとはほど遠いので、ひとまずこうして、いまの自分をしたためようとしている。
うーん。
夫と喧嘩した。悲しい気持ちになった。あまりに悲しくて、私はその夜、寝室の家具たちを別室へ大移動してしまった。
昔の私は、悲しくて仕方がないとき、息ができなくなるくらい泣くことでしか発散できなかった。今でも、「過呼吸したいな」とふと思う時がある。息ができなくなるのは苦しいけど、自己憐憫に浸っていると、可哀想な自分ならこの世に存在しても良いような気がして、楽になれるのである。
今はもう大人になったので、過呼吸しない。でも、その晩私はしずかに泣いていた。夫を困らせたいわけでも、悲しませたいわけでもないが、だからと言って私の悲しみも無視できない。だから、家具を移動した。誰にも迷惑かけないで、悲しみに、悲しかったねと言うだけの、深夜3時である。
翌朝、夫は「えっ…?!」と言って(なんせ家具たちが大移動しているので)、帰りにミスドを買って帰ってきた。ミスドはすばらしい。さすが「ミスター」の称号を得たドーナツは面構えが違うね。仲直りするときはミスドだし、こわい人に謝りに行くときはとらやの羊羹だよね。とらやの羊羹持っていけば間違いないからね。「景品の化粧品」だった場合は湘南乃風だね。美味しいパスタ作ったお前ね。いやはや、オールドファッションは、この世のすべての夫の謝意を、包んで渡せる魔法のドーナツです。
だから、夫とはドーナツ条約によって仲直りをしたのだけど、根本的な解決には至らず、まだ私の自尊心は地の底で小さくうずくまっている。
今日、友達が家に来てくれて、オリジナルの赤��ゃん寝かしつけソングを披露したら、とても良い曲だねと褒めてもらえて嬉しかった。赤ちゃんと生活していると、オリジナルソングがよく生まれる。しゃっくりを止める歌、抱っこの歌、おちついての歌。この「おちついての歌」は、赤ちゃんが興奮しすぎてしまったときや、寝かしつけるときに歌っているのだけど、我ながらとても良い曲だと思う。
♪おちついての歌
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて
おちついたら、良いことたくさんある
たとえば、
今日が一日楽しかったことに気づける
だから
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついて、おちついて、
おちついてね
***
この「たとえば」に続く、落ち着いたらある良いことというのは、その時々で思いついて即興で歌っている。「夕焼けがきれいだってことに気づける」とか、「朝もやがしずかだってことに気づける」というのもある(私が令和の清少納言や)。ほかにも、「悲しいこと悲しかったことに気づける」とか、「暗闇が味方だってことに気づける」みたいな、0歳児にはやや哲学的すぎる歌詞になることもある。
だからこの歌は、赤ちゃんに歌って聴かせているというよりは、自分に歌って聴かせているのだと思う。
悲しい気持ちが赴くままにとりあえず沈むところまで沈んで、地の底で落ち着いてみた結果、私は、友達が家に遊びに来てくれて、今日とても楽しかったなということに気がついた。すげえ。この歌のとおりじゃん、と思った。自分で歌っておきながら、気づいていなかった。けど、そうじゃん。私、今日一日、楽しかった。楽しかったって、すばらしい。
どうすれば前に進めるのか、もがきすぎて分からなくなっていた。状況を改善するために、「交渉」とか、「常識」とか、そういう言葉ばかり頭に浮かべて、うまくいかなくて辛かった。でも、考えてみたら、ちゃんと私の人生にはこうして楽しいことがあって、私も赤ちゃんも、ひとつずつ、できることが増えている。これまで優しかった友達は、変わらず優しくてくれる。すげえ。落ち着いたら、良いことたくさんあるって、ほんとじゃん…(今ここ)
というわけで、この話もオチついて良いことになりましたねと、クソ親父ギャグみたいな終わり方でしめる。せっかく良い雰囲気だったのに、通りすがりの親父が台無しにしていくスタイル。でも大丈夫。明日は檜になりましょう。
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itocaci · 11 months ago
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short trip to Inujima and styling for island trip
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こんばんは。
昨日は、久しぶりに1日お休みを頂き、日帰りの小旅行に行ってきた。
行くと決めたのも2日前とかで、どこに行こうかなんて考えていた時、最初は豊島美術館にでも行こうかなぁなんて思って調べてみると生憎14日は休館日。
そんな時、ふと思い出したのが犬島だ。
瀬戸内海を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」(以下「瀬戸芸」)。
数ある芸術祭の中でも知名度・作品数やその質は国内でもトップクラスだと思っている。
そんな「瀬戸芸」には、2010年、記念すべき第1回の時に、3泊4日で訪れた。
その当時は、現在ほど会場となる島が少なかったため、3泊4日の日程でもかなりの作品を見てこれた。
今でも家に保管されている当時の美術手帖。
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この当時、大学5年目の僕は、めちゃくちゃ金が無くて、でもどうしても行きたくて、本当に申し訳ないことに、会場に並んでいたこの本を連日さりげなく立ち読みをさせてもらって、日々向かう島の情報とマップを頭に叩き込み、スケジュールを組んでアートを見て回った。
なので、この本は後日、当時は滋賀に住んでいたけど、滋賀に帰ってからバイト代が振り込まれた後に書店に購入に行った。
そんな2010年の「瀬戸芸」第一回から会場の一つになっている犬島。
2010年の時は、島へのアクセスや時間の都合から島への訪問を見送ってしまった島になる。
まあ、関西からも近いし、また改めて行けばいいかなんて思っていたら、気がつけば14年。
そんな訳で、今回は14年前の忘れ物を取りに行くような。そんな思いを抱いて行ってきた。
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そんな犬島に2010年からずっと展開されている美術館。
「犬島精錬所美術館」
犬島は明治初期、銅の精錬所があり、その精錬所跡地を利用した美術館になる。
第一次世界大戦によって銅価格が暴落し、1909年に開業した精錬所は僅か10年で閉鎖されたそうだ。
その精錬所跡地は、忘れ去られたまま放棄されていたのだけど、現代アーティストの柳幸典と建築家の三分一博志によって美術館として再生されている。
美術館には、精錬所跡地が当時のまま保存されており、近代化産業遺産としても認定されている。
この美術館には、エアコンなどは無くて、自然の風の力を使って空気の循環が行われているそうだ。
犬島自体が、東からの風の影響を受けやすく、その風を取り込んで銅の精錬が行われていたそうだ。
なので、この美術館もそんな自然の風などを利用して空気の循環や室内の気温を保っているそうだ。
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美術館のエントランスまで続くアプローチは、黒色のレンガが積み上がっている。
これは、当時、銅の精錬をする工程で生まれた不純物を含んだものをレンガに固めていたそうで、それがそのまま放棄されていたものを活用したそうだ。
鉄を多く含む素材となり、夏は表面温度が60度から80度に。
冬は反対に非常に冷たくなるそうで、これもこの美術館が自然の力で気温調整をするのに役立っているそうだ。
実際に触ると、確かにめちゃくちゃ熱かった。
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館内には、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫の邸宅から出た廃材などを使った作品が並んでいて、空間もとても見応えがある。
さて、美術館で鑑賞中にめっちゃ驚いたことに、先日西脇のコットン畑に行った際に、一緒に作業をしていた知人の足立くんとバッタリであった。笑
土曜日の段階では、犬島に来ることを決めていなかったので、まさかここで会うとは。
足立くんはどうやら家族で遊びに来ていたみたいで、めちゃくちゃびっくりした。笑
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足立くん。
また来月、西脇で。
その後は、もう一つ、犬島に行ったら見たい「家プロジェクト」。
2010年よりも施設数も増えた「犬島 家プロジェクト」。
島内を散策しながら、作品を見て回る。
ちなみに、「犬島 家プロジェクト」のチーフキュレーターは、現在「金沢21世紀美術館」の館長も務める長谷川祐子。そして、設計は同じく「金沢21世紀美術館」の設計に携わっている建築家の妹島和世。
作品も定期的な入れ替えなどもあったりするみたいで。
一番新しいものだと2019年に設置されているそうだ。
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犬島 家プロジェクト F邸 名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」
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犬島 家プロジェクト A邸 ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」
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犬島 家プロジェクト S邸 荒神明香 「コンタクトレンズ」
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犬島 家プロジェクト I邸 オラファー・エリアソン 「Self-loop」
お馴染みのアーティストも多いなぁなんて思いながらも、それでもやっぱり普通に楽しめたりして。
ライブにめっちゃツアーする人に似ていて、セトリが変われば別物というか。
同じアーティストでも、そもそも作品が異なればそれは別物だし、空間も変われば感じるものであったり見え方も変わる。
オラファー・エリアソンに関して言えば、大阪・前橋・犬島と今年だけで3箇所も見ているし。
それでも、やっぱりそれぞれ良かったりして。
陽射しが降り注ぐ島内を散策しながら楽しんで作品巡りを行った。
さて、正直そんなにお腹も減ってはいないのだけど、せっかくなら何か食べようということで、島内のカフェへ。
ここが最近、僕が成長したところ。
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これまでの僕は、本当に旅の途中の食というものに無頓着で、平気で食事を抜くとか、手っ取り早くコンビニで済ませるとか。
せっかく旅に出ているのに、その土地のお店に寄らないとか平気でしていた。
最近、ちょっとそれを改めるようにして、その土地のものやその土地のお店に入るということを意識してやるようにしている。
ちなみに、2010年の「瀬戸内国際芸術祭」に訪れた際は、朝と晩はコンビニのパン。昼はコーラ。
マジで終わっている。
高松を拠点にしていたのに、讃岐うどんすら食べていないという。
逆に、その徹底ぶりを褒めてほしいくらいだ。
まあ、今回は、パスタとビール。
休みだし、昼間から酒飲むのもOKでしょと。
食事をとったら残り船の出港まで1時間ちょっと。
大宮エリーの作品を見て、そのままひたすら海岸に沿って散歩を。
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海が本当に綺麗だ。
以前、夏が好きだという知人に、なんで好きなのかと聞いたことがある。「夏の瀬戸内の海が綺麗だから」という話を聞いた。
その方は、瀬戸内海に面した街の出身なんだけど、マジでそれがめちゃくちゃ分かった。
マジで海が綺麗だった。
青のグラデーション。島々の陰影。
太平洋や日本海のように、水平線が続く風景とはまた違った世界がある。
なんか、夏もいいかもなんて本当に思ってしまった。
(まあ、今日、早速大阪の夏を目の前にして、夏が嫌いだと思い出しました。笑)
多分、きっと夏の瀬戸内が一番綺麗なんだろうなぁ。
それは僕が冬が好きだという感覚に近くて、僕は長野の松本が地元だけど、確かに冷え込みは半端ないのだけど、北アルプスが雪化粧している姿がとても綺麗で、ピリッとした冬の冷気すら気持ちよく感じてしまうからだ。
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さて、僕は様々な芸術祭に足を運んできたけど、初めて行った芸術祭が「瀬戸内国際芸術祭」だった。
その2年後に越後妻有「大地の芸術祭」へ。
この2つ、エリアは違うけど、とにかくランドスケープが素晴らしい。
都市型芸術祭にはない、風景美も楽しめる。
来年は「瀬戸内国際芸術祭」。
現在僕にとって夏旅の最有力候補だ。
犬島の風景とまた違った風景を楽しめるのだろうか。
今からちょっとワクワクしてしまう。
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さて、そんな旅に何を着て行ったのか。
まあ、僕は結構旅のコーデを考える時間も楽しかったりする。
今回、この小旅行の旅を決めた瞬間に絶対に着ていこうと決めた服が"osakentaro"の"mesh tops"だ。
船が海を行き交う柄が、まさに島旅にはぴったりだ。
僕自身も島の風景にとまでは行かないけど、そんな気持ちでピックしてみた。
そしてボトムスは"rihei"の"Denim Pants"
"rihei"のデニムは、普段皆さんが街で目にするデニムや、保有のデニムと比べるとライトオンスデニム(厚みが薄いデニム)を採用しているので、軽やかで夏に着用しても気持ち良いのだ。
全身を淡いブルーで。
海に媚びたコーデで楽しんできた。
コーデの写真。
オラファーの作品で撮らせてもらうという、超贅沢なことをしてしまったけど、そんな旅コーデも楽しんでもらえると。
ちなみに、僕の着用しているアイテムとは少し異なるかもだけど、一応"osakentaro"の"mesh"シリーズと"rihei"のデニムをそれぞれ掲載しておく。
まあ、もし気になる方がいらしたら問い合わせください。
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osakentaro : rib mesh tops (sea) ¥52,800 (tax in)
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osakentaro : mesh tops (bougainvillea) ¥29,700 (tax in)
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osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (people) ¥41,800 (tax in)
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osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (bougainvillea) ¥41,800 (tax in)
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rihei : Denim Skirt (navy) ¥30,800 (tax in)
こんな感じで"osakentaro"のメッシュ素材を使ったアイテムと"rihei"のデニムシリーズをピックしてみました。
気になる方はお問い合わせください。
それでは今日はかなり長々と、ほぼ、旅のお話でしたが、結果、何を着て行ったのか。
そんなコーデを考えるのも旅の一部であると。
特別な瞬間に特別なコーデを。
そうなると、また楽しみが一つ増すかなぁなんて思ってます。
それでは次回もお楽しみに。
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