#墨塗り教科書
Explore tagged Tumblr posts
Text
27CLUB - FIRSTMADEは滋賀県を拠点にホームページ制作やデザインを主な業務としています。
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて���彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
1 note
·
View note
Text
新人ロスです。
新人公演は真面目に役者紹介書かなきゃなって思いました。かきます。
最後になにか付け足すやつ、私もやりたいなと思いました。かきます。おすすめのお菓子ね。
【役者】
縦縞コリー
何度も電チャリを貸してくれてありがとうございます。もう元に戻れません。
密かに憧れていたのがこりちゃんの発する鼻濁音なんですよね。いいなと思って今公演では真似して鼻濁音をしっかり発するようにしています。
35期のピュアな部分を一身に背負って可愛いです。主役輝いてる。
きなこもちチョコ
あろハム権左衛門
宣美柄この芸名を入力したりレタリングしたりするのですが、もう何してもおもろい。ほんま。そんなあろハムは前からずっと発声が綺麗だと思っておりました。今回はそれを思い切り発揮しており嬉しいです。あとマイムがめちゃくちゃ上手いと発見しました。こりちゃんと喧嘩するシーンなんかも迫力あるよね。でも私の一番のお気に入りは最後の笑顔です。
雪の宿
海泥波波美
35期の頼れるお兄さん。麻雀と競馬と紅茶を添えて。今回はなんと大道具のデザインのお手伝いを私にさせてくれました。嬉しかったです。作りやすい規格とかもね、教えてくれました。授業で習ったCADを実践できて楽しかったです。ありがとう大道具チーフ。夜勤とかすごい忙しそう。ゆっくり休んでください。今公演の海泥波波美はとってもキュートです。たまに某相原町の住人がでちゃうけどね。
ファミマのバタービスケットサンド紅茶
苔丸
いつもお世話になっております。数少ない大阪モノレール同級生。山田までいっぱい話せるから、柴原が過疎ってても寂しくないもんね。何かしら物を貸してもら��ことが多いです。大変ありがとうございます。苔丸のきちんとした暮らしが眩しく、目が潰れそうですが、最近は頑張って彼女の生活を見習おうとしています。近づきたいよね。聞き上手だから色んなことをペラペラ喋ってしまいます。
阿闍梨餅
ミル鍋
わたし。寝坊。大罪人。
12月24日午前5:30現在、ジャンカラで夜を明かしたのち、らびと漫喫で堕落の時間を過ごしています。
大福小餅
たびたびお家に泊まらせて頂きました。諸事情でもうそれは難しそうですが、思い出は永遠です。
彼女が話す時、なんかぴょこぴょこしてたり腕が上下に動いたりしています。可愛いですね。あと相槌が異様に可愛いです。何?
こふくが舞監であったことは、35期にとってかなりの幸運であると思います。いつもありがとう。ベトナムでグルメを楽しんでね。
ミニストップの塩豆大福
中森ダリア
オムニであまり話せなかったぶん、今公演でたくさんいっしょにいられて嬉しいです。一緒にお菓子とか買いに行ってくれてね、ありがとうございました。新しい髪色バチバチに似合ってるよ。焼肉食べ放題美味かったね、東京見物楽しんでください。今これを書いている時、ひらりが東京に着いたストーリーを見ました。フッ軽すぎ。
ビスコ︎ ☺︎
冊まいむ
女児ピンめちゃくちゃ似合ってた。芸名に違わぬマイムで毎回楽しませてもらいました。パソコン壊れたりチケットの配送がトラブったりととことん災難に見舞われていたので、その分この後はめちゃくちゃ良い事ばかり続いて欲しいです。稽古期間中においもフェスタ行ってたやん、あれ私もマジで行きたかった。再チャレンジを狙います。
生協コンビニの柔らかほしいも
衿君
演技ができて映像つくれて照明仕込めてフィジカルエリートでギャグがつよい。逆に何ができない?教えて欲しい。愚かな私には分からない。遠藤圭一のキャラはえりっくにしかあんなに面白く出来なかったでしょう。記憶に爪痕残すよね。さっき一緒にカラオケで徹夜したけど、惨憺たる状況の面子の中で最初から最後まで平静を保っていて、これがフィジカルエリートかと戦慄しました。
バリボリラムネぶどう味
しょこら
ルロイ修道士はマジでハマり役だった。こらしょのずっと口角上がってそうな話し方、結構好きなのですが、それがルロイの役柄にぴったり合わさっていた気がします。あとみーらのアドリブと相性が良い。千秋楽ではまさかと思ったけれど本当に無量空処をやりやが���た。ちなみに厳かな修道士服の下に着ているボトムスはOsaka Universityのスウェット。もうおもろい。
ブラックサンダー 至福のバター味
帝京魂
芸名を変える変えると聞いていたので楽しみに待っていたら、とんでもないのがきました。入力する側も大変愉快です。作業服とヘルメットが異様に似合うことに定評のあるこの男。最初に衣装着た時なんかあまりに似合いすぎて笑いしか出ませんでした。その姿でパンチの掃除とかするともう役作り通り越して憑依。才能ですね。おでこ出すの似合う。男梅グミを好いている、センスがいい。
小梅ちゃんキャンディ
黒井白子
以前からずっと思ってたけど新人公演で更に思いました。並の人間には出来ないくらい演劇に真摯な人ですね。35期の皆のトレーナーとなって実力の底上げをしてくれました。指導者の才能があると思う。彼の凄いところは、辛辣な指摘や注意喚起をせねばならない場面でも、上手く全体のテンションを高く保ちつつ座組を引き締める言葉選びをするところです。白子に窘められたら反省するし、白子に褒められたらめちゃくちゃ嬉しい。これは凄い事だと思います。
ローソンのどらもっち抹茶味
鴨兎春
いま漫画喫茶の狭いフラット個室に私と2人ですし詰めになり、漫画と惰眠とインターネットを満喫している。ときどき図学の悪口をいっている。一緒にファンズワース邸、完成させような。サッシ窓に負けるな。最強舞美チーフ兼宣美のエース。タテカン全人類に見せびらかしたいよね。今公園の奥パネはびの並々ならぬ努力の末、マステの上から水墨画風グラデ塗装がなされるという超職人技仕様となりました。演技で大大大成長を遂げ、横の道化師にすら負けない素敵な存在感を放っていた。
ふたりはチソキュア、シェアハウスが出来なくとも事実婚しようね。
さくさくぱんだピスタチオ味
【オペ】
園堂香莉
おぺのなぽりことおぺり。照明職人。キャスパの照明がバチくそかっこよく、神業であることは言うまでもないです。ちなみにトラシュでだいたいトラブルがない。優秀すぎる。棒人間のキャスパも作ってくれた。棒人間、キャスパつくるの難しすぎやろと思ってたら、エモくてしんみりしてでもかっこよいハイセンスな振り付けが送られてきました。なんと体育館の一室を借りて熟考してくれた。すんごい。
マロッシュみかんソーダ味
テキストを入力
PV、何?????????
脳が理解を拒むハイセンスな構成���見てパッと推測しただけで白目剥きそうになるレイヤー数、後々判明する随所に散りばめられた脚本からの小ネタ。どうしてそんなに芸達者なんですか?そのうち考察厨が湧きますよ、あなたのPVにね。ちなみに多分ですが、もう湧いている。最近ね、ちゃうかが楽しくなってきてくれたみたいでとても嬉しいです。そのボケの投球頻度と質、只者じゃない。
ヤングドーナツ
まろん
音響オペ。公演中、ときどきこっそりオペ席から舞台を見てたのですが、そういう時はだいたいまろんの背後に控えておりました。今公演で初めて公演中のオペさんの仕事風景を目にしたわけですが、めたくそ格好良かったです。まさに職人。ビオラ弾けるの、カッコよすぎる。ティッシュ1枚くらいの軽さで私にもビオらを触らせてくれ、少し弾き方を教えてもらいました(←?!?!)
瀬戸塩アソートせんべい ゆず塩味
【+α】
紫仏瑠唯
漢字合ってるか合ってないかわかんなくなっちゃった。間違ってたらごめんね。当制での参加だったけど、結構仕込み週とかにも顔を出してくれました。久しぶりに沢山話せて嬉しかったですね。突然カメラを回しても笑顔で対応してくれてありがとうでした。今度は一緒に役者として共演とかしてみたいですね。
千寿せんべい
近未来ミイラ
あんたが大将〜!!沢山悩みながらこの脚本を完成させてくれました。正直、同世代にこんなに面白い創作物を作れる人間が存在することが信じられません。今公演では、みーらの教養やかつて習った国語の教科書の題材への掘り下げが惜しみなく発揮されており、とってもなんか、好きです。演出お疲れ様でした、年末はゆっくりお休みください。お友達の唯端楽生さんにもよろしくね。
ポッキー 冬の塩キャラメル味
1 note
·
View note
Text

2023焦点・論点 大阪カジノ 世界一危険
静岡大学教授 鳥畑与一さん
2023年9月23日【3面】#しんぶん赤旗
大甘審査で事業者引きとめ 国民被害はふくらむばかり
大阪府・市のIR(カジノを中核とする統合型リゾート)計画は、府・市が事業主体である大阪IR株式会社(米カジノ企業MGM、オリックスなど)と結ぶ実施協定案を国土交通相に認可申請(9月8日)し、新たな局面を迎えました。スロットマシンなど電子賭博機6400台を集積させる世界一危険なカジノ計画について、静岡大学の鳥畑与一教授に聞きました。(竹腰将弘)
―大阪府・市のカジノ実施協定案をどうみますか。
今回の協定案は、4月の区域整備計画(カジノ計画)認定を受けて、事業者にたいして確実な計画の実施に向け、かなり強い拘束をかけるものです。
ところが26年9月まで3年間の「解除規定」を設けました。
この規定はIR事業者にとって非常に有利で、実施の七つの前提条件が充足されていないと事業者側が判断すれば、一方的な通知で解除できると定めたわけです。
当然、3年後といえば土地の整備をはじめとして工事が進んでいる段階です。それでもこうした規定を入れなければ事業者を引きとめられないというのは、日本でIRを開業するという制度設計がかなり崩壊しているということだと思います。
開業時期はいまの段階で1年延びました。初期の建設投資額が1900億円増えました。この原因はインフレ、人件費、資材の高騰といわれますが、地盤沈下対策を含め、工事費が膨れ上がり、上限を1兆2700億円と決めた以上、追加分は府・市がもつしかない。かなり底なしで府・市が負担する仕組みになっているのではないか。
事業者が「前提条件」が充足していないといっているのに、国が計画の審査で実施条件はみたしているというお墨付きを与えました。
そうするといかに国の審査が甘かったかということになります。現実の厳しさをふまえずにゴーサインを出したものの、事業者側は「これでは前に進めませんよ」と判断せざるをえなかった。
本来はここで引き返すべきだったのに、3年先延ばしすることで、���走への歯止めをかける機会を逸することになったのではないでしょうか。
―IRカジノをめぐる世界の環境も激変しています。
日本のIRのモデルはシンガポールです。それとの比較で「世界最高水準」と考えていて、マカオとの比較はあまり考えていなかった。逆にマカオであふれたVIP(富裕)客が日本に流れて、おこぼれにあずかれるという期待がありました。
ところが中国の賭博規制が非常に強まり、マカオでもVIP客の水準は30%に落ち込んでいます。中国のVIP客が日本に来るという想定が成り立たなくなっている。
さらに、マカオはこれまでのカジノ一辺倒からシンガポール的なIRへの変貌をめざして2兆円規模の巨額の投資をしています。とても大阪IRが太刀打ちできるものではなくなるのです。
この段階で「前提条件」を満たしていないという事業者側は、本当はもう大阪から逃げ出そうとしたのだと思います。ところが大阪府・市や国が一生懸命引きとめたわけです。
26年9月まで引き延ばせば、土地対策などの工事もかなりすすんでいて、府・市の負担は相当積み重なっている。その負担がどうなるのか。インフラ整備や土地整備はかなり進んでいて、それが中ぶらりんになるでしょう。
―国の「区域整備計画」の認定プロセスを示す資料が公開されました。
区域整備計画の認定にあたって、専門家委員による厳正な審査が行われると期待されていました。審査はすべて非公開とされ、認定後、すみやかに審査の過程や内容が公開されるとされましたが、情報開示が遅れ、開示された資料も多くが黒塗りで、審査委員会がしっかり機能したのか疑念が残ります。
まず、評価基準が甘い。合格させようと、事業者からみても無理だと判断せざるをえない計画に「優れている」という判断を出した。審査委員会が機能していない証拠です。
事業者側が出したデータに基づくやりとりに限定されていて、予定地・夢洲の地盤沈下問題では、事業者側が出したデータが正しいのかという検証が客観的におこなわれた形跡がない。
特に審査の甘さが象徴的なのが、ギャンブル依存症問題です。
スロットマシンが6400台もあって、世界でも突出して多い。スロットに収益依存するカジノになっているのではないかという懸念、指摘にたいして、事業者側は「そういう事実はない」「事実はないが指摘をふまえて気をつけていく」というふざけた答え方をしています。
中国のVIP客はもう来てくれない、何でかせぐかといったら、パチンコになじんだ日本人客を目当てにした巨大なスロット場をつくる。そうしないと収益の見込みがたたない。
公開された資料をみると、MGM側の非常にふざけた答えに、それはまちがいだという指摘がされていない。これは審査が機能していないということになります。
―ひどいですね。
海外ではスロットマシンが危険だという前提で規制がすすんでいます。賭け金に上限設定するとか、休み時間を入れるとか。ところが日本では���ういう規制なしに、野放しで、スロットマシンをやらせる形になる。世界一危険なカジノになります。そのターゲットは日本人客です。
―今後の見通しは。
IRカジノは成長戦略になりえない、逆に成長戦略の障害物になるということがはっきりしています。
国際会議場や展示場などのMICE(マイス)は、カジノのもうけに頼るために、需要にみあったりっぱな施設がつくれない構想になっている。
世界の観光は個人客にシフトしており、日本の観光資源、魅力で勝負する観光政策が必要なのに、大阪IRでは非常に貧相なものしかつくれなくなっている。
IRの「経済効果」で雇用が増えるとさかんにアピールしていますが、もはや時代錯誤です。
大都市部で、カジノの稼ぎで少しいい条件で人をかき集めるとすると、いちばん影響をうけるのは地元の中小企業、サービス業になる。人手不足に拍車をかけ、成長戦略とは真逆の結果になります。
本来、地域経済を支えるはずの働き手がギャンブル産業に吸い込まれて、大阪の地場の中小企業にとってはいいことはなにもない。地域経済の発展、持続可能な経済の基盤をくずしていく。
大阪IRは日本の成長戦略、大阪の地域経済の発展の起爆剤どころか、破壊する毒薬になってしまいます。
ある政党の政治判断の誤り、党利党略で、破たん済みのものを、ただ隠し続けようとしている。それによって、府・市が負担する被害は大きく増えていくことになりかねません。
■大阪府・市と大阪IR株式会社(日本MGMリゾーツ、オリックスなど)の実施協定(案)のポイント
1)カジノ開業時期
2029年秋~冬ごろ(区域整備計画)→30年秋ごろに延期
2)初期投資額
1兆800億円(区域整備計画)→1900億円増の1兆2700億円
3)協定解除条項
大阪IR側が2026年9月末の期限までに、事業前提条件(税務上の取扱い、カジノ管理委員会規則、資金調達、開発、新型コロナウイルス感染症、財務、重大な悪影響に関する条件)のいずれかが成就していないと判断する場合には協定を解除できる
(9月5日公表、同8日国に認可申請)
とりはた・よいち 1958年、石川県生まれ。静岡大学人文社会科学部経済学科教授(国際金融論)。著書に『略奪的金融の暴走』『カジノ幻想』など。
0 notes
Photo

. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 9月20日(火) #友引(丙子) 旧暦 8/25 #彼岸入(秋) 月齢 23.8 月齢 13.1 年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . シルバーウィーク4日目、昨日は敬老の日。 皆さん、如何お過ごしでしたか❓ 私は、このシルバーウィークの後半全てに イベント盛り沢山なので、月曜は仕事 と決めて居たのですが、お迎えの 相方に、その旨をメールしたのですが 「休みで良いのでは...」の返信で それきり音沙汰がないのいで来ない と思ってたら「もう、家の前です」 のメッセと携帯に催促の電話が来た😅 . もう、休みで何してよ❓なんて決め 込んでたのに不意を突かれた感じで 「それじゃあ仕方あるまい」🤣😆🤣 お仕事に出かけました✋いつもの 「お弁当のヒライ」は10時オープンなので 家でご飯炊いて自炊して食べたから まぁ~とりあえず朝飯は喰ったなぁ で一安心(´ー`*)ウンウンですが昼は 「どうすんのよ❓」って行く途中に コンビニも何も閉店状態GSですら閉店。 . でっ現場のお弁当屋さんの臨時メニュー があって配達してくれると云うので また、一安心かなって思いきや😅💦 臨時休業ですと連絡が入り愕然⤵️⤵️⤵️ じゃあ昼抜きかって覚悟決めてたが 近くコンビニが開いたと情報が入った ので、仲間が買い出しに行ってくれ たのですが、弁当やおにぎりの類は なくて、菓子パンとかカップ麺をドッサリ 買って来たが手が出ませんでした✋ . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #墨塗り教科書(スミヌリキョウカショ). 1945(昭和20)年9月20日(木)仏滅.第二次世界大戦後、大東亜戦争に敗戦した占領下の日本にで 当時の国民学校(現・小学校・中学校)で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の一環で日本国民 に対する再教育計画で終戦に伴ふ教科書図書取扱方に関する件」に基づき、連合国軍最高司令 官総司令部(GHQ)が不適切と判断したものは墨塗りす様に命令が下ったのだ。 国家主義や戦意を鼓舞する内容だったり、戦意高揚をうたった文章の箇所を抹消する事を主で あった。教科によっては、ほぼ全行に抹消線が引かれるものもあったそうだ。 それを、授業中の子供達に墨汁を使って筆で塗り潰すように学校の教師に云われやらされたと。 当時の児童達は何を思い教師の指示に従ったのだろうと不憫でなりませんよね✋ 何だか、この記事を編集してる内に何故だか永ちゃんの「黒く塗り潰せ」という歌が思い浮か びました😅💦もしや、この事について遠回しに唄った歌なんだろうかと後で歌詞を確認してみ ようかと思います🤣😆🤣。 . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。 つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。 . #彼岸入(秋). 秋のお彼岸は、秋分の日を中日(ちゅうにち)とし、その前後7日間がお彼岸の期間となります。 2022(令和4)年の秋分の日は9月23日(金・祝)で、お彼岸の期間は9月20日(火)~26日(月)となります。 . #おニャン子クラブ解散.#空の日(運輸省).Empty day.#バスの日(日本バス協会). #信州ワインブレッドの日.#心・血管病予防デー.#子どもの成長啓発デー . #コンタクトセンターの日.#キャッシュレスの日(ゼロが付く日). . . #ワインの日(毎月20日).#シチューライスの日(毎月20日). #発芽野菜の日(毎月20日). . . ●9月20日を含む期間を設定している運動など. 歯ヂカラ探究月間(9月1日~9月30日). . . #タイ若者の日. . . ■本日の語句■. #暑さ寒さも彼岸まで(アツササムサモヒガンマテ). 【解説】 残暑は秋の彼岸までに治まり、余寒は春の彼岸までに和らぐので、それ以後は過ごしやすくなるという言い慣わし。 . . 1996(平成8)年9月20日(金)先負. #島ゆいか (#しまゆいか) 【女優、歌手/可憐Girl'sの元メンバー】 〔熊本県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cis5TcKvyvDwOT_ZOwqn7ZrHEeRqCydwUQl7Fg0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#友引#彼岸入#墨塗り教科書#おニャン子クラブ解散#空の日#バスの日#信州ワインブレッドの日#心#子どもの成長啓発デー#コンタクトセンターの日#キャッシュレスの日#ワインの日#シチューライスの日#発芽野菜の日#タイ若者の日#暑さ寒さも彼岸まで#島ゆいか#しまゆいか
0 notes
Text
星辰選集
花鳥誌 令和3年10月号

令和3年7月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
駄菓子屋や故郷の夏の出入り口 粟倉 健二 陽炎の伊良湖に在す幾みたま 馬場 省吾 曳く網の形に光るや蛍烏賊 岩原 磁利 卒業しどこのものでもない私 村山 弥生 湖の黄砂に籠むる島一つ 高木 朱星 同胞の眠るわだつみ鰆東��� 鈴木 経彦 ひたすらに鶴は鶴とし凍つるのみ 村上 雪 踏切に佳人佇む虚子忌かな 佐藤 ゆう子 水盤に千古湛へて青楓 緒方 愛 壁に馴染みし蒼き絵の春埃 渡辺 彰子
万愚節月の後ろに月の影 田丸 千種 古き良きジャケットに花びらつけて 栗原 和子 人柱伝説の城花万朶 牧野 絹子 小面の朱唇開きし朧かな 比嘉 幸子 椿落つその紅色に倦みたれば 増田 さなえ 白き指触れれば老いてゆく桜 岡田 順子 菊御紋光り濡れゆく花の雨 田辺 て津子 鞦韆に二人腰掛け黙の刻 中山 昭子 しばらくはシテの桜でありにけり 古賀 睦子 遠洋の無線切れ切れ沖霞む 池松 伸子
春灯絹の端切れの捨てきれず 大村 八重子 春惜しむやうに各駅停車かな 斉藤 いづみ 迷ひこむ���年老いし冬木立 永野 佐和 金泥の胸の大きな寝釈迦かな 四本木 ただし 椿寿忌の眼鏡しつかりと磨く 河野 公世 花の下少女のやうに髪を梳き 松井 秋尚 杖の音を行人坂の朧にて 渡辺 光子 手をのばす夢のいくつや飛花落花 葛生 みもざ 天空の道化とされて揚雲雀 松雪 耿子 いつの間に少女は乙女初蝶来 後藤田 晶子
山笑ふ両腕のばし人里に 早川 笑子 春泥にとらはれてゐる思ひあり 久保 光子 さくらさくら朽ちゆく門の語るもの 樋口 千代 春闌けて日毎に変はる人との間 伊藤 ひとみ 手の平にかくも重たき落椿 野田 勝利 立子忌や玉藻俳話を書棚から 渡部 一馬 坂の上の桜その上白き雲 津野 おさむ 街朧百鬼夜行の人の群れ 横田 美佐子 仏壇の中照らしをり春障子 久米 令子 這へば立て立てば歩めと春が呼ぶ 神谷 幸子
地に還るまで風船の旅続く 小川 笙力 男らは石談議して花人に 須川 久 教科書に墨塗りの文字春埃 髙橋 晁史 風光る父のミットへひたすらに 近藤 欣子 鯥五郎を見て集合に遅れし子 剣持 せつ子 耕人に従く日輪の傾きぬ 吉田 美智子 訳知りの真砂女の恋や紫木蓮 草刈 幸風 残りしか残されゐしか帰る鳥 永井 清晴 地吹雪が隠せし津軽十三湊 赤川 誓城 公園の演説途切れ春の雷 小林 含香
慰めを背中に聞きつ石鹸玉 藤野 和魚 蒲公英やローマの下にローマあり 有馬 幸月 荷風忌や口の閉まらぬ古鞄 加納 佑天 バレンタインチョコに始まる腐れ縁 稲垣 祐司 山笑ふ牛舎とび出す牛の声 山口 三四郎 うららかやオカピくるりと舌を見せ 飯嶋 山紫 花の頃どですかでんと都電行く 藤森 荘吉 花は葉に一山の木となり紛れ 岡本 希代子
1 note
·
View note
Text
あなたは皮膚のカワを千切り、食べる。異食症だった。私はそれをジッと見つめている。 土曜日のまどろみ。贅沢時間。 それはまるで、いつものホカホカ白米プラス納豆に、卵の黄身だけを乗せちゃう、みたいな。そんな……。
恥
私は美大生になった。絵を描くのが好きだった。おしゃれもちょっぴり好きだった。 美大生になったら、もしかしたら私は大好きな大好きな絵のことを大嫌いになってしまうかもしれない、と思った。もしかしたら、私はここに来ることで自身の才能のな��を自覚してしまうのでは、と思っていた。 でも、別にそんなことはなかった。というか、私は、ここへ来ても”浮いていた”。 その理由はあんまりよくわからなかった。でも、私はここに馴染めないことだけはすぐにわかった。 ショックだった。 高校生のとき、ずっと”このとき”を想像して勉強し絵を描き続けた。けれど、”このとき”は”このとき”になっても未だ”このとき”になりゃしない。 なんなんだ”このとき”って!! “KONOTOKI”!!!!
「あの〜」 「アッ、はい」
それは、静寂の中で行われたやりとりでした。 みんなでこの涅槃地獄のような中で絵のデッサンをしていて。私はパンを丸めたやつで絵の一部分をぼかそうとしてたんです。 したら、横にいた真っ白な男の子が、私に声をかけてきたんです。
「不思議ですよね。ここにいる連中は。美しさを渇望しているのに、自身はちっとも美しくないじゃないですか」
かなりとても美しい美少年が、私に話しかけてきたんです。 そのとき、私はとても浅ましい目をしてしまいました。彼の言葉を聞き、私は脳でそれを反芻しながら、彼の四肢と、それを繋ぎ止めている肉体を、絶え間なく目をギョロつかせながら見つめてしまいました。
墨みたいな黒。そこらへんのバカ女よりもずっと綺麗な髪質。 『不思議ですよね。ここにいる連中は。美しさを渇望しているのに、自身はちっとも美しくないじゃないですか』 ホールケーキにクリームを塗ったときみたいな、滑らかな肌。ここにいる誰よりも白、白、白。 『不思議ですよね。ここにいる連中は。美しさを渇望しているのに、自身はちっとも美しくないじゃないですか』 でも、ヒョロヒョロじゃないの。無骨なて、大きなあし、しっかりしたむないた……。 『不思議ですよね。ここにいる連中は。美しさを渇望しているのに、自身はちっとも美しくないじゃないですか』
「……すみません、変なことを言いました」 「お洋服、かわいいですね」
彼はそれだけ言うと、くるりと頭を90度回転させ、おえかきに戻ってしまった。 ……おえかきなんてどうでもいい。 もう、どうでもよくなってしまった。今は。また、描きたくなるかもだけど。 私は今、一分一秒でも多く、この人と話したい。
あん。理由がわかっちゃったんです。 ここに馴染めない理由。 みんな”ずきゅん”しない。それは美しい骨董品や絵画、音楽、文章を刮目したときに感じる事象ですた。 あと、美少年とか。 でも、ずきゅんしませんでした。ここにいる人たちは。
あん。わかっちゃいました。 私、ここの人たちに、全然まるっと興味が持てなかったのです。 絵は上手なんだろうけど、私の心にはまるっと響かなかったのです。 だって、美しくないから。 チーズ牛丼みたいな顔をしていたから、みんな。 それに、その人たちはみんな、私にもまるっと興味がないんだもの。 だって、私のお気に入りのお洋服を褒めてくれたのはあなただけなのよ、美少年。
私はこの恐ろしい事実を、百円均一ショップで購入した、犬のイラストが描かれている、明らか��対象年齢5歳くらいのノートに書いて、静かにぷるぷる震えていた。 サイゼリヤで。 真夜中の。 んで、ミートドリア。たっぷりタバスコかけて。 店員さんはまつげが長くて、穿った目で私を見つめながら変な汗をかいていた。私がいるから。私は完全に迷惑なイカれた客だった。
ああ、私はあの人と仲良くならなきゃいけない。 私はミートドリアを頬張りながら、あのぎゅるぎゅるした感覚を思い出した。 『不思議ですよね。ここにいる連中は。美しさを渇望しているのに、自身はちっとも美しくないじゃないですか』 恥ずかしかった。あのとき、私の脳内では彼の肉体の美しさばかり語られていた。 彼のセンター分けの髪型がとてもとても似合っていたことや、着ていた黒いニットとジーンズが美しい彼を再現するのに最適だったこと、淀んだドブのような瞳が至極美しかったことなどは、一切、考えている暇がなかった。 彼には褒めるところがいっぱいあって、でも、だから、そんな余裕がなかった。 ……。 私はとんだ淫乱になってしまったぞ! とおぞましかった。 きゃあ!
……。 自分でツナサンドを作る。パン(ふわふわの生地のやつ)にね、ツナときゅうりを入れる。あと、ピクルス。私は酸味を敬愛しているので、カラフルなツナサンドになる。 そして死んだ顔をしながら、大学のキャンパスにあるベンチで食べる。目の前には悪趣味な噴水があり、でも、水の音は好きだから。 私の唯一の楽しみは食事だった。もはや絵画も小説も音楽も映画も、アートは私を助けてくれなかったという怒りがあった。だから、食事という舌を踊らせる行為だけを生きがいにしていた。 悪趣味な噴水を見ながら、歴史の間で作られてきた彫刻のことを考えていた。 女を模った彫刻はどれもこれも個性がある。一般の男性にウケがいいような、細身だけれどきちんと締まりのある体をしているもの、かなり痩身なもの、ふくよかなもの……。 対して男性は、がっしりとした、筋肉質なものしかない。 それにちんちんも剥けている。 男の「イケている」は、一種類しかないっぽい。 マッチョで筋肉質でズルムケじゃないと、イケていないのだ。 (いや、でもあの美少年は筋肉質じゃなかったよ。ヒョロヒョロでもなかったけど。ちんちんも剥けてるかわかんないけど。) ちんちん……。 はっ!
私はちんちんに思いを馳せながらツナサンドを頬張っていた、そのときだった。(女はみな淫乱なので、陰茎のことを考えながら食事を嗜むことなどお安い御用なのである) バチリと目があう、私とあなた。 私は最悪だった。私、またあなたの手や足や胸板にしか頭が回らなかったの。 あと、タイミングも最悪だった。だから、あなたのちんちんのことも、本当に一瞬だけれど想像してしまったのね。 結構ズルムケのデカチンだった。
彼は無言で私の横に座ってきた。私は喉がからっからになるのを感じながら、ツナサンドをハムスターみたいにして食べた。目の前では噴水が歓喜しているというのに、私は��がパサパサで、奇妙だった。 なぜか私から啖呵を切れた。 「あの」 「この大学、キモい人ばっかですけど。なんかアートがどうとか、教科書とか歴史の本で習ったことを反芻する馬鹿ばっかで。0から1をできない連中ばかりで。かなり嫌いなんですけど。顔もチーズ牛丼だし。 でも、あなたは多分そうじゃないし、イケてるんですよね?」 まるで罪という名の墨を頭からどっぷり被ったようだった。私はこんなに口汚く、人を裁いて、絶対に天国へゆけない。 私は彼の顔を見るのがひどく怖く、でも終わってしまう予感は全くなかったから、彼のほうを向いた。 そしたら、静かにキスをされたのです。
ああ、それは「イエス」でした。 私の泥みたいな思想も、私自身の肉体も、何もかもに彼は応えてくれました。 私は歓喜でぶるりと震えました。静かに彼の手を握ると、彼も握り返してくれました。 地獄、ああ地獄、と思いました。なぜなら、 ここが絶頂で、あとは堕ちるだけだと、すぐに悟ったからです。
3 notes
·
View notes
Text
昨日まで軍部に迎合していた、いわゆる文化人も官僚も、たちまち豹変して、占領政策を謳歌し、軍部の悪口を並べ立てました。日本の伝統や権威までも抹殺して、占領政策の片棒を担ぎ始めました。日本の教育は根底から覆され、歴史や道徳は教えることさえ禁じられました。国語や理科の教科書までが、墨で塗りつぶされ、教育制度そのものまでが改変させられてしまいました。 そんな影響が、今日までなお尾を引いているのは、むしろ当然ではないでしょうか?
3 notes
·
View notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場��食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友���曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准��循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟���僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝ��џѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
9 notes
·
View notes
Text
エリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか』
この本を読んで、このところ急激に進むテクノロジーの��象化が、脳科学で説明できることを知った。それだけではない。本書には、抽象絵画の理解と日本文化との親近感を示唆する記述も多い。非常に読み応えのある本だったので、要点を整理しておきたい。
中心概念となる「ボトムアップ処理」と「トップダウン処理」
本書は、脳がアートをどのように知覚するかを、脳科学の知見から論じたものだ。その中心概念は、脳の機能として生得的に備わっている「ボトムアップ処理」と、認知、想像、学習といった高次の心的機能の総合作用である「トップダウン処理」の二つに置かれている。この機能とアートの関係をひとことでいえば、具象画はボトムアップ処理によって理解され、抽象画はトップダウン処理によって理解される。
本書の面白さは、脳によるアートの理解を、単に脳の構造と関連付けるだけでなく、J・M・W・ターナーが初期に制作した風景画から、光と空間を作品化したジェームズ・タレルの現代アートまで、脳が対象を自然から抽象へと還元していくプロセスとして示したところにある。これによりわたしたち読者は、抽象画への理解をあたかも脳の進化のように体験できるのである。
本書によれば、進化のプロセスは時間軸に沿って一方向的であり、このため「脳の進化の体験」は目に見える具体的な情報の除去とつながっている。
しかし、カンデルは、情報の除去そのものが進化だとは言っていない。除去された情報を埋め合わせるように脳内で起こる、目には見えない新たな情報の生起が脳の進化の鍵を握っているという。その脳科学的な表現が「トップダウン処理」であり、芸術表現の「抽象画」が処理のスイッチとして機能する。
脳の進化は、第一義的には抽象画を制作する作家の脳内現象だが、それが作品として残されるため、結果的にわたしたちは抽象作品に接することで具象画に含まれていた要素を除去し、脳内にトップダウン処理を引き起こす媒体として作品を活用することになる。
抽象化が進むテクノロジー社会
このカンデルの指摘が興味深いのは、このような抽象化が芸術表現の世界だけではなく、科学やテクノロジー、さらには社会全般にも広く当てはまるように思えることだ。
最近ではあまり耳にしなくなったが、Industry 4.0に代表されるように、産業革命を起点に技術は電気、電子、情報、そしてサイバーシステムへと段階的に高度化の道を歩んできた。このことは製造技術もまた、具象から抽象へと進化していきたことを意味している。黒塗りのT型フォードよりAIのアルゴリズムの方が抽象度が高いのは明らかだ。
技術だけではない、これは身近なビジネス社会にも当てはまる。グーグル、アップル、アマゾン、トヨタは世界を代表する特徴的な企業だが、それぞれに検索、デザイン、情報、モノを���じて消費者や社会と関係づけられている。
ところがこのところ、アップルはサブスクリプション、アマゾンはAWS、トヨタはMaaSといったように、そのどれもがグーグルに象徴されるサイバー空間に向けて大きく舵を切りはじめた。
これはたんにモノからコトへといった変化ではない。いまなおアップル、アマゾン、トヨタはそのビジネスの中核をiPhone、書籍、クルマなどのモノに置いているからだ。しかし、それらはすでに物理的な役割からサイバー空間に接続するための媒体へと、実質的な機能を変貌させている。
このように、具象から抽象への変化はアートだけではなく、テクノロジー社会の隅々で起きている大きな流れだと考えられる。
還元主義がテクノロジーの高度化をもたらす
それでは、テクノロジーがアートと同様に抽象化に向けて進化している現実は、わたしたちにどのような影響や恩恵をもたらすのだろうか? これはカンデルが「アーティストは、この対話からいかなる恩恵をうけられるのだろうか?」(p.204)と自問したのと同じ問いだ。
カンデルは本書の目的を、「科学の文化と人文文化の二つの領域に接点を見出し、二文化間の溝を埋めるための方法を提示すること」(p.11)に置いた。そして結末の一節で次のように結論づけている。
科学もアートも還元主義を適用することができる。結論をいうと、新たな心の科学は、知性や文化の歴史において新たな次元を開くことのできる、脳科学と芸術の間の対話を今や実現しようとしているのだ。(p.205)
この結論にテクノロジーを当てはめることもできるだろう。そうであれば、アートと同様にテクノロジーを還元することでも「トップダウン処理」が強化されるはずだ。例えば、内燃機関の設計よりもAIのアルゴリズムを表現する方が、クルマを作るよりもクルマを利用したコネクティビティを強化する方が、モノに密着した具象性が還元され「トップダウン処理」が強く働くことになる。そう、サイバーシステムはビジネス世界の抽象作品なのだ。
つまり、わたしたちがテクノロジーの高度化を目指すなら、アーティストが脳科学の知見を活かして内省の方法を強化するのと同様に、より積極的にテクノロジーを抽象化したり、抽象度の高いテクノロジーとの関係を増やすことが効果的ということになる。むやみにテクノロジーに没頭するのではなく、テクノロジーをドライブする際の脳内の反応を意識し、テクノロジーの抽象化をはかる必要がある。
経営を左右するトップダウン処理
こうした抽象化は、ビジネスの世界でも意識されはじめている。なかでもとりわけ見事な対応といえるのが、経営におけるアートの重要性を説く山口周氏の考え方だろう。
山口氏は、時代の先端はすでに「役に立つ」から「意味がある」へと移行しつつあり、「『役に立つ』の軸に沿って目盛りを高めるのはサイエンスの仕事であり、『意味がある』の軸に沿って目盛りを高めるのがアートの仕事」だと述べている。1)
これをカンデルの考え方に当てはめれば、山口氏のいう経済成長��役立ってきた世界は具象画に、意味がある世界は抽象画に対応することになるだろう。また山口氏は、小林秀雄の『美を求める心』を引き合いに次のように述べている。2)
(花に出会うと)その美しい花は一瞬で十把ひとからげに「菫=すみれ」という抽象概念に置き換わって認識され、処理されてしまう。その過程で「花の姿や色の美しい感じ」を受け止める感性は駆動されません。
これは一見、カンデルが着目する還元主義とは正反対の主張のように思える。しかし、「十把ひとからげの菫」は自動装置よって想起された情報であり、「花の姿や色の美しい感じ」こそが、ステレオタイプな菫から自由になった脳がトップダウン処理によって生起した、創造的な情報に対応づけられるはずだ。
いまやわたしたちは、具象を自動装置を介して受け入れる受動的な鑑賞者ではなく、抽象表現を媒体として脳内に創造性を発動する参加者の立場にいる。山口氏はその立場の活用こそが、これからの経営に欠くことのできない能力であり方向性だというのである。
このことは、ビジネスの手段であるテクノロジーにわたしたちが関わる態度への、重要な指摘になっている。技術者は感性という抽象能力を磨くことなしに、テクノロジーの高度化を進めることはできなくなりつつある。
トップダウン処理と日本文化の親近性
もうひとつ、本書で興味深かったことがある。それは抽象化を通じて脳にトップダウン処理をもたらす多くの事例が、日本文化の特徴を思わせることだ。本書には随所にそうした記述があるが、以下に典型的な三つを引用した。最初のはジェームズ・タレル、後の二つはカンデル自身の言葉である。
私の作品には、物体��イメージも焦点もない。では、物体もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのか? あなたは、見ているあなたを見ているのだ。私にとって重要なのは、言葉のない思考という経験を生むことである。(p.173)
遠近法や、対象を全体としてとらえるような描画を除去することでボトムアップ視覚処理の多くの基本構成要素を解体するばかりか、ボトムアップ処理が依拠している前提のいくつかを無効化する。(p.194)
抽象的であるとは、物質世界からある程度距離をとることである。それは局地的な高揚の一形態だが、それと同時に見当識の喪失、さらには混乱の一形態でもある。(p.201)
タレルの言葉に禅の無心や不立文字を思い出す日本人は少なくないだろう。二つ目のカンデルの言葉からは、モノクロ写真の意味や減算の美学、あるいは水墨画や空気遠近法を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。そして三つ目は、それらの全体を覆う色即是空的な仏教観を思わせる。千利休の「一輪の朝顔」も、対象の除去による構成要素の解体と言えるかもしれない。
本書には、抽象化の意味や働きと日本文化の関連を示唆する記述はないが、幸い日本にはタレルの作品が体験できる多くの場所がある。カンデル、タレル、日本のアーティスト、そして禅僧が集い語り合う機会があれば、どんなにすばらしいことだろう。
テクノロジーと抽象の行方
『なぜ脳はアートがわかるのか』は科学と芸術のつながりを両方の言葉で解明してみせた、実に興味深い一冊である。このことは、カンデル自身が本書の結語で述べているとおり、科学と人文学の新たな次元の対話のはじまりに期待を抱かせる。
しかし、それと同時にわたしは、さまざまな分野で起こりつつある対象の抽象化が、実は脳が好む快楽に導かれている現実に、茫漠とした不安を覚えた。脳は無邪気にトップダウン処理を働かせ、快楽を貪っているのではないだろうか?
本書はその疑問に答えてはくれない。妄想と承知の上で、トップダウン処理の果てに脳が行き着く『アキラ』の世界が脳裏に浮かぶ。アキラもまた、一切の疑問に答えることなく、テクノロジーの象徴である近未来都市を破壊した。あれは、抽象が具象を破壊する未来への予言ではなかったのか。
テクノロジーは間違いなく抽象性を高めている。しかし、脳が抽象を悦ぶのは、アートやテクノロジーの進化だけからではないはずだ。倫理の追求と高度化がなければ、快楽を求める脳の暴走を止める術はない。倫理こそがトップダウン処理の頂上になくてはならないと思う。アートがテクノロジーの進化をもたらし、その全体を倫理が統御する抽象の極みこそが、脳に仕組まれた最後の快楽であってほしい。
1)山口周『ニュータイプの時代』ダイヤモンド社, 2019, 位置No.3417.
2)山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』光文社新書, 2017, p.229.
3 notes
·
View notes
Link
覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた 「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。(全2回・前編/JBpress) (※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。 ■ 多くの美術品が現存する幸運な国、日本 日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。 隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵略のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどること��できる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。 明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。 ■ 「日本美術の特質」への問いかけ このような日本美術史を通覧し、現存する作品群を見ると、中国や西洋などさまざまな外来の美術に影響され、目まぐるしく変化してきたことがわかるが、同時にその底に流れる一貫した日本美術の特質というものが浮かび上がってくる。 たとえば和と漢、あるいは雅と俗という二面性が併存したかのよう見えるが、両者は複雑に融合していた。そして、中国や西洋の美術という外来文化の影響やそれに対する古来の様式という二項対立だけでは説明できない日本美術の独自性があると思われるのだ。 1925年、大著『サンドロ・ボッティチェルリ』をロンドンで出版して評価され、東西の美術について高い見識をもっていた美術史家の矢代幸雄(やしろ・ゆきお)氏は、著書『日本美術の特質』(1943年)において、日本美術の特質は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の4つにあるとした。また、日本美術史の碩学、源豊宗(みなもと・とよむね)氏は、『日本美術の流れ』(1976年)で、西洋美術、中国美術、日本美術を象徴するモティーフをそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」であるとした。日本美術を貫くのは、繊細な秋草の美学だというのである。 日本における中国美術の影響について先駆的な研究を遺した戸田禎佑(とだ・ていすけ)氏は、『日本美術の見方 中国美術との比戦による』(1997年)において、日本美術のもっとも重要な特質は「平面性」にあるとしている。 近年、『日本美術の歴史』(2005年)を書き下ろした辻惟雄(つじ・のぶお)氏は、日本美術の特質を、「かざり」「遊び」「アニミズム」という3つのキーワードで説明しようとした。日本美術にはつねに装飾性が見られ、遊戯性があり、自然崇拝の系譜があるというのである。また、東京大学で辻惟雄氏の後任であり、旺盛な活動を続けている美術史家、河野元昭(こうの・もとあき)氏は論文「日本美術の素性」(2010年)でこうした先学の見解を検証しつつ、日本美術の最大の特質は「シンプリシティー」にあると論じている。いずれの見解も傾聴に値するものであり、的を射ているように思われる。 ■ 縮小する「日本美術の独自性」 18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。 また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。 12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。 明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。 さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。 たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を反映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。 近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。 つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。 宮下 規久朗 JBPRESS 7/8(月) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=2 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=3 >「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、 日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。 笑www この文章読んでいて、宮下 規久朗とかいう美術史の大センセーの、 自虐的なシナ事大主義的な独自性のないアホぶりがわかった。 この程度で大学教授なら、私にでもできそうな簡単なお仕事だなw この時代になっても相も変わらず、日本文化はシナ朝鮮より劣る的な、 或いは独創性はない的な、みたいなシナチョンスタンスの屁理屈を 大学のエラいセンセーがまことしやかに語っているのに笑った。 そもそも、世界のどの時代のどの文化においても、 完全無欠の民族の文化的オリジナルなどというものはない。 シナ文明も大陸の雑多な民族の文化的要素の集合体ではないか。 それを総称してシナ文明だの、エジプト文明だのと称しているだけである。 そしてその文化もまた他の様々な文化的要素と融合して発展し、 同時にまた、他の民族や地域の文化にも影響を与えるのである。 いわば文化文明は相互に影響しあって発展するものである。 それにこの宮下 規久朗とかいう神戸大学のセンセーって、 美術史が専門だそうだが、シナチョンに何か思い入れがあるのか? ちなみにこの宮下 規久朗センセーのツイッターはこんなの・・・ https://twitter.com/kikuroma 現在の大学にはこの手の人士が多いみたいですな・・・ この論評の■ 「日本美術の特質」への問いかけまでは、 いろいろな学者の日本美術の特質の紹介で、それぞれの説にも整合性があり、 またこれらの説のすべてがまた日本美術の特色ともいえるだろう。 問題はその次である・・・ ■ 縮小する「日本美術の独自性」って何なんだ? 宮下センセーの論文に通底しているのは・・・ 日本美術など所詮シナの物真似、 日本美術のオリジナリティなんて、 元々からないも同然なのだから、 特筆評価などする価値すらない、 ・・・ということらしい。
果たしてそうだろうか? >皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を 継承することはほとんどなかったのである。 そうだろうか? 私は浮世絵に代表される日本美術はその後の日本人も立派に受け継ぎ、 欧米の美術界に対しても少なからぬ重要な影響を与えつつ、 その後の日本美術にもまた、それを逆輸入してきた経緯があると思う。 「浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性」は現代日本画の世界においても、 日本のサブカルチュアを代表する漫画やアニメーションの表現においても、 グラフィックデザインの表現にも立派に受け継がれているではないか。 一応宮下センセーは明治以降の日本美術がジャポニズムと呼ばれ、 西欧の美術工芸界に大きな影響を与えた事は認めていらっしゃるが、 このことだけでも美術史における日本美術の価値は特筆に値する。 浮世絵に代表される日本美術がフランス・パリ万博からジャポニズムとして 全欧州に発信され、印象派(新印象派、後期印象派)やアールヌーヴォーが生まれ、 それがさらに発展してアメリカ現代美術に発展した経緯が美術史の流れである。 ジャポニズムがイズム=主義として表されている思想は無視できない。 それはシノワズリーという東洋趣味の流行とは大きく一線が引かれるべき、 いわば西欧美術思潮の一つのコンセプトでもあったからだ。

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」 様々な角度から描いたヴィクトワール山の連作は、 北斎の富岳三十六景からインスパイアされたらしい。
ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア」 この平面的な色面構成的な表現は浮世絵からの影響だ。

クリムト「接吻」
金箔を多用した大きな空間をとり単純化されたフォルム、 これも明らかに障壁画などの影響がうかがえる作品だ。
中でも西欧美術に影響を与えたのは江戸の町人文化だろう。 しかし宮下センセーはこれとてもシナ文化の影響にあるというが、 一部にそれらしきものがあっても、それがすべてではないと思う。 仮にシナの影響があったからといって、それが何だというのだ? シナの各王朝文化だって周辺の民族の様々な影響があったのだ。 先に述べたように、元来何の影響もなく発展した文化文明など皆無である。 北斎、広重、歌麿などの浮世絵師はもちろんのこと、尾形光琳の琳派系絵師、 伊藤若冲や丸山応挙などは現代美術を先取りしたコンセプトが確立していた。 立体造形でいえば安土桃山時代の織部好み陶器などはまさに現代美術だ。 以下に掲載した当時の巨匠たちの作品には、 現代美術の概念を先取りしたような先進性を感じるが、 宮下センセーのいうようなシナの影響下にあったがゆえに、 日本美術の独自性は縮小(ない)しているのだろうか?

尾形光琳「紅白梅図屏風」 川や梅の木を特徴を残して単純化させる意匠概念は、 のちに日本のデザインにも多大な影響を与えている。



伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」 この絵は升目描きという、升目ごとに色をいれてモザイク画のように表現した。 現代風にいえばドット画像みたいなもので、このような手法は同時代にはない。 あえていえば新印象派のスーラの点描が近いが、概念が全く違う。

伊藤若冲「鶴図屏風」
墨をつかった白線描の作品。鶴の様々な姿態が単純化されたフォルムと
勢いある線の筆勢がいかされた、ある意味現代の漫画にも通じる作風だ。

丸山応挙「大瀑布図」 この絵は円満院というお寺の住職に贈られたものだが、この寺の庭に滝がなかったので、応挙はこの絵を庭木の枝に掛けて垂らし、下三分の一は地面に寝かせて滝つぼを表した。このような平面絵画を立体的に鑑賞するインスタレーション的手法はこの時代になかった。

丸山応挙「氷図」 湖面に張った氷のヒビを線一本のみで見事にあらわした傑作である。 無駄な要素を一切排除した究極の単純化で凍てつく寒さを表現している。


織部好み茶器 武将古田織部のプロデュースとでもいう「織部好み」の陶器は、「へうげもの」と称され、わざと歪めたフォルムや幾何学模様をあしらった伝統や形式にとらわれない実に現代的な表現だ。 ↑ これら一連の様式もすべて、 シナの模倣だというのか!? 以下はほとんど日本美術を腐すだけの屁理屈。 >これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら 影響を与えたことはまったくなかった。 当たり前じゃないか(笑) そもそも・・・ 日本は江戸時代に265年も鎖国をしていた国なのだから、 明治以前に日本の文物そのものが諸外国に輸出されることもないし、 あってもごくわずか、だから影響も与えるものではなかった。 こんな事日本の歴史をみれば高校生でもわかる話だ。 しかしだからそれ何だというのだ? いったい宮下センセーは何が言いたいのだ? この人は文化は影響を与えれば、 「エライ」と思っているようである。 だから明治以前の日本美術はシナ朝鮮に影響を与えていないから、 シナ美術の物真似レベルの評価に値しないものといいたいのだ。 宮下センセーの「影響を与える、与えない」にこだわる意図は何なんだ? じゃあ、明治以降の日本美術は先進国の西欧に大いに影響を与えたから、 すご~く特筆大書すべき価値があって、西欧より優れているということか? そうではあるまい。上述したように「文化は相互の影響で発展するものだ。 どちらの文化は優秀とか劣っているという問題ではないのだ。 宮下センセーの御説はまるで朝鮮人が 「これはウリジナルニ��~♪」というのを思い出す。 ルネサンス期の西洋美術も西域のイスラム教文化や遠くは、 インドやシナの様式にも影響を受けてきたことは近年の研究、 特に田中英道東北大学名誉教授の研究で明らかになっている。 しかしルネサンス絵画がその後のシナ絵画に影響を与えなかった事は、 西欧絵画が明朝や清朝の絵画より劣っているという事なのだろうか? 宮下流のコンセプトで見れば、こういう事ではないのか? さらに首をかしげたくなるのはシナと朝鮮を同列に置いて語っている事だ。 朝鮮など千年以上も歴代シナ帝国の属国属領に過ぎなかった植民地だ。 こんな国にオリジナルがあろうはずがなく、自ら小中華と誇った事大主義国だ。 なぜ宮下センセーはシナと朝鮮を同等に置きたがるのだろうか? 所詮は事大主義のシナの劣化コピー版が朝鮮に過ぎないのである。 まさか小中華思想が日本より優れている?というのではあるまいな?
5 notes
·
View notes
Text
27クラブ - Wikipedia
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】 A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】 【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
27クラブ ②
【27歳で亡くなった有名ミュージシャンたちです。】
ちなみに、アルファベットの数字って「26」までしかないのは、皆さんご存知ですか?つまり、27歳に申し合わせたように何故か?亡くなる有名ミュージシャンたちの「死」と関係しているのです。A〜Z=「26」つまり、アルファベットの「Z」が26歳にあたるのです。アルファベットが26までであって、27が存在しないのは、アルファベットが死んだから「無」すなわち「死」と等しいのです。【27=無=死】そして、昨今、「Z世代」という若者が誕生しました。これは、
何を意味しているかと申しますと、つまり、「Z世代」=「地球の年齢が26歳」という意味をあらわしています。そして、アルファベットの「Z」の次がないということは、そうです。もう、頭の良い方はお気づきかと思いますが、地球が26歳ということはアルファベットで言うところの「Z」【26歳】の状態をあらわしているのです。そして、「Z」の次のアルファベット【27番目のアルファベットが存在しないということは】が存在しないということは、かつて、有名ミュージシャンが申し合わせたように27歳で亡くなっているのと同じように、地球は27歳で亡くなるのです。つまり、今、地球が「Z」=「26歳」もうすぐ地球の寿命がおとずれるつまり、消滅するのです。それ故、今の若者、つまり「Z世代」=「地球、最期の世代」なのです。
【2023-11-27】 A〜Zのタトゥー
【zshingoの日記】【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過去の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
0 notes
Text
(株)LooCo新社屋見学会&懇親会を開催
快晴の5月28日(土)、一般社団法人ファブデザインアソシエーション(FDA)のひさしぶりの対面でのイベントが行われ、会員をはじめ関係者11名が参加されました。 今回のイベントは、FDA正会員である王偉忠さんの会社・(株)LooCoの新社屋完成を記念して、会社見学会と会合が実施されました。

▲八王子にこの春落成された(株)LooCOの新社屋ビル。

▲社長自らの案内で新社屋を見学した後、社内にて今後のFDA活動についての意見交換がおこなれました。 会議のなか、ものづくりを行うクリエイターのためのイベント開催やネット販売のサポートについての提案が参加者からあり、今後検討していくことに。


▲(株)LooCo新社屋落成記念としてFDAから「だるま」およびお祝いの「書」が王さんに贈呈され、その場で、王さんによりだるまに目が入りました。

▲王さんにとって大学の恩師でもある竹末理事長による書「業精於勤」。唐の時代の「韓愈」という学者の言葉で「学業は勤めれば勤めるほど精通する」という意味で、仕事にも置き換えらます。
この木製のプレートは、半紙に墨で書かれた書をスキャンして、adobe illustratorでトレースしてデータ化したものをレーザー加工機で桜の板にマスキングテープを貼って彫刻。その後、カシュ―を塗り、黒色の油性アクリルでスプレーをしてマスキングをはがした後、透明のニスを塗っています。

▲FDA顧問のアルバレスハイメ教授(拓大工学部デザイン学科)には、今年4月の教授就任のお祝いとして、(株)LDFからスタンプ収納ペンを贈呈。


▲見学会および会議が終了後、高尾の「ごん助」に場所を移動して懇親会。コロナ以降ひさびさとなった対面での会員の交流の場に、参加者一同盛り上がりました。

▲参加者数名はオープンしたばかりの高尾山口のホテル「タカオネ」に宿泊し、高尾のさわやかな朝を満喫しました。
次回のFDAは、ものづくりに興味のある学生を交えてBBQ懇親会を行う予定です。FDA活動に興味のある方・入会希望の方は、ぜひご連絡ください。一般社団法人ファブデザインアソシエーション(FDA)非常勤プロデューサー・U-suke [email protected]
0 notes
Photo

#遺品整理 #remains 貴重な資料、いや史料を消してしまう話。叫びたくなる。 自分が知らない分野のものであっても、それが大量生産品ならともかく、少量しか作られなかった品なら価値があることは想像できないか? 自分が、知らない分野でそれをやってしまっていないか、心配になる。 絵画は、作者に応じて収蔵品がある美術館に問い合わせてみたが、現有品以上に受け入れる余裕はなさそう。しかし、捨てるのには抵抗がある。 戦前戦後 1935-1955 のものは、昭和館に収められたものが多い。 http://www.showakan.go.jp/information/insearch/index.html 「昭和館では、戦中・戦後(昭和10年から30年ころ)の国民生活上の労苦を伝える資料の収集・保存・展示を行っています。これまでに全国の団体・個人の 方から多くの実物資料をご寄贈いただいてまいりましたが、ホームページをご覧の方でもこれらの資料をご所蔵されている方がおられましたら、ぜひご協力をお 願いいたします。 」 求められている墨塗り教科書は、みつけていないのだけれど。 #rail #history #infrastructure #鴻雁来る #寒露 #長月 #october https://www.instagram.com/p/BoyWn9VBPc9/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=rgxiql865vxu
1 note
·
View note
Photo

【かいわいの時】天平八年(736)八月八日:インド僧菩提僊那・林邑僧仏徹ら摂津に至る(大阪市史編纂所「今日は何の日」) インド人が最初に日本を訪れたのは何時であるかについては、様々な伝承があります。 BC3世紀からAD7世紀までのベンガル湾はインドの内海で、タイやインドネシアなど東南アジアに沢山のインド人が移民するとともに仏教、ヒンドゥー教が伝播されました。この海洋ルートを辿って黒潮にのってインド人が日本にたどり着いていたとしても不思議ではありません。646年(孝徳天皇、大化元年)に日本に到着し、播州に祇園社を創ったと伝えられる法道上人もその一人です。 但し、歴史的事実として裏付けられているインド人来日となると、東大寺大仏開眼供養の導師を司ったバラモン僧正・菩提僊那を嚆矢とすると言ってよいでしょう。菩提僊那はヒマラヤを越えて入唐し、中国五台山に滞在していましたが、日本で本格的に仏教をひろめるべく授律伝戒の僧を求める聖武天皇の招きにより、第9次遣唐使一行と共に渡日することとなり、736年太宰府に到着しました。彼は704年生まれと伝えられていますので、当時32才の青年僧侶であったわけです。菩提僊那は弟子のヴェトナム人僧侶・仏哲等とともに日本で仏典を伝授するとともに、梵語を伝え、また、舞楽、伎楽などインドを始めとするシルクロードの文物を伝えました。但し、菩提僊那の名前を歴史に刻んだのは、752年、聖武天皇の命により東大寺大仏開眼供養の導師を勤めたことです。こうした功績から菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁とともに東大寺「四聖」としてその功を称えられている(榎泰邦「日印を結ぶ文化・地下水脈」2006)。
(写真)上牛甘「木造伎楽面」700代(京都国立博物館) 迦楼羅はガルダというインドの聖なる鳥で、かの地ではヴィシュヌ神の乗り物とされる。それが仏教に取り入れられ守護神となった。本来は毒蛇を食べて退治するのだが、伎楽の中ではみみずをついばむ、やや滑稽な役を演じる。本面は面裏に「上牛甘」か、とよめる墨書がある。正倉院伝来の面袋にも、同人の名前が記されており、本面も東大寺の大仏開眼会で用いられた仮面とみられる。上牛甘は上牛養とも書き、奈良時代中ごろに活躍した画工。東大寺大仏殿の天井の彩色にもたずさわったことでしられる。なお、大仏開眼会は仏誕会の四月八日ではなく、なぜかその翌日の九日に行われているが、巷説では雨天のため順延したと伝える。本面裏には「綱封蔵/華厳□」という墨書もあり、大仏開眼会に用いられたあとは綱封蔵に移され、華厳会のための仮面として転用されたことがわかる。奈良時代の彩色彫刻は、彩色を施したあとに荏胡麻などの油を塗ったものがあることが、近年の科学調査の成果で指摘されている。本面も科学調査の結果、その可能性があることがわかっている(e国宝=画像も)。
0 notes
Text
「流れる雲のように」 第18話 末井昭

高校卒業し出版界に入るまでの苦悩と葛藤を描いた連載小説! 挿画/東陽片岡
「流れる雲のように」 第18話 末井昭
18. 描くテロリズム
清風書房でイラストの仕事を始めてから、憂うつな日々が訪れるようになりました。
描きたいもののイメージはあるのですが、具体的に何を描くかが決まりません。いつものようにノートを持って喫茶店に行き、考えていることをメモします。しばらくご無沙汰していた「情念」だ「死」だ「闇」だといった言葉が、再び頭の中で飛び交うようになりました。
俺が「死のイメージ」と言うと、人は多少の軽蔑を込めて「好きだねぇ」と言う。そこで会話は止まってしまう。俺が生まれた山奥の村。死霊が村を覆っているときがある。人が死ぬ。雨が降る。そしてまた誰かが死ぬ。「あの人に呼ばれたんだなあ」と誰かがいう。死のイメージなんか誰も好みはしない。が、しかし、死のイメージは厳然としてある。
死のイメージもそうだが、不吉なもの、醜悪なもの、おどろおどろしいものなど、誰も見たくはないだろう。しかし、いま東京で生活していて、人間の醜悪さに蓋をして、表面的な人間付き合いをしている自分に不安がある。それは自分をどんどん孤独にしてゆく。
毎日意味のない会話に明け暮れ、どうしようもない虚無感の中で生活している。これは絶望ではないだろうか。絶望を感じた者にとって生きる為の手段は、その日常を打ち壊していくこと、己の内に闇を抱えその中に潜むこと。俺は闇の中に潜むのだ。
いま読むと、わかったような、わからないような文章ですが、内向的で、コンプレックスが強く、人とうまくコミュニケーションが取れない自分の居場所を、「闇」と呼んでいたのではないかと思います。
その「闇」をひっくり返して「宮」にして、宮五郎と名乗ることにしました。五郎は、藤田五郎原作の映画「無頼 人斬り五郎」から取りました。闇の中に潜み、イラストレーションという表現で人斬り五郎のように見る者を斬る、といったイメージがあったのだと思います。
(これは余談ですが、宮五郎という名前にしてから1年ぐらい経ったころ、ぴんからトリオが「女のみち」という歌でデビューし、一躍有名になりました。そのメンバーの中に、うしろで突っ立ってギターを弾くマネをしている人がいるのですが、その人の名前が宮五郎といいました。ボケーッとした顔で、ギターのネックの同じところを押さえている姿をテレビで見るのが恥ずかしくて、宮五郎という名前はそれから使わなくなりました)
描くものはみんな暗くてドロドロしたものばかりでした。そのころ読んでいた夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」の最初に出てくる、「胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか」という詩のような文章にドキッとして、その文章を元にイラストを描いたりしていました。
こんな日記もあります。
いま描きたい絵は、ダイナマイトを腰に巻き付けたロングコートの男、相手が来るのをじっと待つ日本刀を背にした男、スパッと斬った田中角栄の首が空を飛ぶところ、そんなテロルのイメージがある絵だ。凝縮した情念、恐ろしいまでの孤独、そういうものがテロリストと重なるからだ。
絵が完成するまでは闘いだ。白い紙との闘い。白い紙に己の怨念を染み込ませる闘いだ。白い紙はいつでも白け切って己の前にある。それを闇で塗り潰すことが絵を描くことだ。出来上がった絵は己の分身だ。その分身と誰かの対話が始まる。それもまったく通じ合わない対話が。
そのころ学生運動は武装闘争が過激になっていたので、その影響もあって、絵を描くことが、自分にとってのテロリズムのように思っていたのかもしれません。
「通じ合わない対話」とは、自分が描いたイラストがまったく評価されないということです。評価されないことが最初からわかっているのです。それは、自分で評価していないということでもあるのです。そういう出口の見えないモヤモヤで、いつも憂うつな気持ちになっていたのでした。
イラストの仕事だけでは生活できないので、クラウンの看板描きも続けていました。忙しいときには、あの「黒い太陽」の近松さんに手伝ってもらっていました。
クリスマスが近付くと、看板の注文が多くなります。クリスマス前後はピンクサロンの書き入れどきです。値段も通常時の1.5倍から2倍になります。看板も、メニューも書き換えなければなりません。
クリスマスイブの12月24日も、クラウンの地下室で看板を描いていました。店は満員の様子で、上からバカ騒ぎの声が聞こえてきます。かじかんだ手に息を吹きかけながら看板を描いていると、何もかもぶっ壊れてしまえ! といった気分になってきます。
その日の午後7時15分に、新宿伊勢丹横の追分交番でクリスマスツリーに模した時限爆弾が爆発しました。クリスマスというキリスト教の行事を、商業主義が消費のためのお祭りに仕立て上げ、バカどもは浮かれ騒いでいる。クリスマスなんてぶっ壊れてしまえ! と思っていた僕には、この爆弾事件には感慨深いものがありました。そしてこの爆弾を仕掛けたであろうテロリストに、強いシンパシーを感じたのでした。
堂々巡りばかり続く自己表現の束縛から解放されるきっかけは、東京三世社の仕事をするようになったことです。清風書房を紹介してくれたカメラマンの山崎さんと同じパターンで、クインビーの宣伝課にいた阿部くんというカメラマンが、東京三世社というエロ雑誌を出している出版社にヌードカメラマンとして入り、仕事を紹介してくれたのでした。
東京三世社は老舗の出版社で、『実話雑誌』『SMセレクト』『MEN』『PINKY』といったエロ雑誌を出していました。同じエロ雑誌でも、清風書房のものに比べてクオリティーが高いと思いました。
編集部はクインビー宣伝課のあるビルから御徒町に少し行ったところにある、古いビルの1階にありました。
編集者が出てくるのはたいがい夕方からで、午後7時ごろから12時ごろまでがみんながいる時間帯です。校了のときなんかは朝までいる人もいて、完全に昼夜逆転していました。
僕が頼まれた仕事は、捨てカットや書き文字です。仕事を貰ってきて家でするのではなく、現場に行くのです。電話が来るのはたいてい入校日の前日で、ペンや筆や定規や墨汁やケント紙などを持って編集部に行き、空いている机を借りて待機します。
隣ではベレー帽を被った人が、原稿用紙に向って『実話雑誌』の原稿を書いています。明日入校だというのに、まだ原稿を書いている状態です。
「実話」というのは、ノンフィクションということだと思っていました。下着泥棒を捕まえてみたら元警察署長だったとか、主婦が産婦人科の先生に診てもらいに行ったら犯されてしまったとか、そういう事実を取材したり、当事者から聞いたりして書いているものが実話だと思っていたのですが、実際は隣にいるベレー帽の人のような実話作家たちが、さもあったかのようにサラサラ書いているのです。職人の仕事のようです。その原稿を編集者が割付して、空いたスペースに入れるカットを僕が描くのです。
「宮さん、それが終わったらこれをお願いします」と、次から次に仕事を頼まれます。まるで突貫工事のように、みんな忙しそうに仕事をしています。次の日に入校しないといけないので、みんなテンションが高くなっていて活気があります。「飯でも食べに行こうか」と言って、連れ立って外に出ていく人がいたり、仕事が終わったのか、「よ~し、トルコ(ソープランド)に行くぞ」と言っている人もいます。そういう声を聞きながら、僕は黙々と仕事をしていました。
もう表現がどうのとか、死のイメージがどうしたとか言ってる場合じゃありません。とにかく早く描かないといけないのです。それに捨てカットやレタリングに表現もクソもありません。
朝の3時か4時に終わって、タクシー代を貰って帰るのですが、タクシーに乗るのはもったいないので、上野まで行って日比谷線の始発電車を待って帰っていました。眠りこけてしまい、中目黒の車庫に入った電車に一人取り残されていたこともあります。
東京三世社の仕事をするようになって、自己表現にはこだわらなくなりました。編集者が求めているものを早く仕上げる、そのことだけを心がけるようになりました。
(続く)
5 notes
·
View notes