#墨絵アーティスト
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アメリカに、銃を解体して硫酸に漬けて化学反応で生成される顔料を元にインクを作り販売もしているアーティストがいる。最近は印刷用インキの方へもトライアルしている様子。
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銃を原材料にインクを作り販売して最終的にアート作品になる、という変換の強さよ。初めて知った時めっちゃ衝撃を受けた。銃社会であるところのアメリカで、殺人用の道具である銃の存在を批判するだけにとどまらず銃の実物を物理的に無害化していく、個人レベルではあるが商売だっていう提示なのが強い。インクは文章や絵の、各種の書く・描く思想の表現に使われるわけですごい変換の力だなと思う。
私は昨年からハンドメイド絵の具のほか画材の製造の方に興味があっていろんな人やメーカーをインスタでフォローしてみているのですが、その中でも突出して強さを感じるというかこんなにばちばちに思想があってインク作りやってるの「すごい」しか感想が出ない。
インク自体はアメリカと、カナダぐらいが販売圏っぽいので私が実物を見ることはなさそうだけど、いろんなアクションの取り方がありうるんだなと思った。
話は変わってインクの四方山話をするけど、酸性インクは酸が紙を焼いているので文書の長期保存が可能になる。これは経年で染料や顔料が変退色してもインクの酸によって紙が変質しているので文字が黒く残っているということであり、古い文書などを見る時、書かれた当時のインクの色がそのまま残っているとは限らない。20世紀以降、インクの開発が発達して今は酸性インクは少ないけど万年筆用のインクなんかで古典インク、伝統色として出しているメーカーもある。
紙自体も酸性だと経年で黄ばんできますよね。酸の効果はそれです。書かれた字は残っても紙自体が先にだめになったりするんだよな。
これはつけペンや万年筆用のインクの話で、印刷用とか染め関連とかはまた全然色々あると思う。和紙と墨なんかが長期保存に向いているのは「安定した物質でできてるから」で違う機序なんだよね。
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シール横町様Xアカウントで販売制限R18シールにセンシティブフィルタついてなかった件
自分のnoteのコピペです。
Xは常時シャドウバンでシール横町様の弊サークルのシール告知記事にリプをつけましたが、おそらく表示されない方が多数なのでこちらに記載します。
ビックリマンのソシャゲきっかけで子供の頃ビックリマン好きだったなと二次創作絵を描いておりました。その関係で自作シール作家さん数名とmixi2で交流の機会に恵まれ、自作シールをいただけること��なりました。
シールは貰う一方で申し訳無いと言った時に、二次創作絵シールにしたらいいのにと言われ、オマージュ、リスペクト系のオリジナルだけでなく、二次創作シールもあるのかと。
ビックリマンシールが好きだからこそ、ビックリマンのようなバシッと正方形にロゴもキャラも収めるディフォルメが上手く描けない自分には敷居が高くてつくるのは無理だと思っていましたが、同人グッズでポストカードを作るぐらいの気軽さでもいいのかなと。数名との交換なので、最低部数でもかなり余ってしまうが交換用につくることにしました。
その時、配るだけじゃなくてシール横町さんで委託したら良いのに。夜紫蛇の二次創作なら大丈夫じゃない?と数名の作家さんにアドバイスをいただきました。好きで描いてるとはいえビックリマンは二次創作への反応も薄かった事から新たなチャレンジをしてみたいと委託を試してみることにしました。
それぞれ委託前にキャプションや絵柄からこれは委託可能なのか相談した上で委託をしていました。以前一度新刊同人誌でお世話になったきりでしたが古書やサブカルレトログッズ系が多いとはいえ、R18二次創作同人誌もとりあつかっているまんだらけならばさすがに委託可能だろうと。
大量発注真に受けて、返本の山だった以外、委託登録時や委託中、新刊同人誌ではまんだらけさんに悪い印象はなかったです。
無料配布をぼったくり値段で転売され売れ残ったりしてるのは、かなりモヤッとしてましたが。こればかりは中古も扱うショップはしかたない。
R18シール2種委託したので、センシティブフィルタがついているのは当然として。「Xによりラベル付け」されているって。まさかセンシティブなメディアとして投稿していないのか……?
R18同人系はセンシティブにならないようにセンシティブな要素をがっつり伏せた全年齢向け修正サンプルか、若しくはセンシティブフィルタはつけるものだったので、正直サブカル系はそうなの?と戸惑っておりました。
3/8 二度目の委託で悪い予感は的中しました。R18で申請したシールにセンシティブフィルタがついていなかったのです。 ttps://x.com/sanchimatsuri/status/1898340532432318486
肌色系なら自動でセンシティブフィルタはつきますが、判別しづらいホログラムレインボーでは自動でフィルタはつかない。
さすがにこれはマズいのでは?と思いました。R18を取り扱う同人書店だったら今のご時世、胸部モロだしでSNSで紹介はまずありえない。
数日静観しておりましたが、R18画像そのまま掲載はありえないは、それはシール界隈も同じだったようです。

R18を全年齢と偽って申請しそれが通っていたらもっともな苦情です。
『弊サークル濃縮還元帝国!は、成人向け二次創作シールをシール横町様に委託の際、「販売規制18禁」で申請しており、私のXアカウントで成人向け画像投稿の際はセンシティブフィルタはつけております。 その手の苦言は私に言われてもどうすることもできません。悪しからずご了承下さい』
2025/3/11 X@nouskjp
なお状況は変わらず批判は殺到していました。 R18販売規制がありながらセンシティブフィルタをつけないシール横町にではなく、私を含めたR18カテゴリあろうがR18で申請するエロ作家排除の方向でした。
後から気付きましたが、シール横町関連でR18系の苦情を検索していた際、R18カテゴリで申請してたらありえない叩き方をされていました。



私の横町への作品からの引用に繋がるR18作品への苦情の流れはこうです。
(1)R18作品を扱うシール横町は子供に見せられない。 (2)(上品な)色気と下品(なエロ)の線引きができていない作品は自作シールとして委託するべきではない。それを取り扱うシール横町は無法地帯だ。 (3)下品(エロ)なエロと自分の作品を並べたくない。 (4)リスペクトのないパクリと並び美意識のない下品なエロはシール界の二大害虫
(1)については私がR18でシール横町に申請したと知らなければお怒りごもっともです。Xもまんだらけも18禁についてはセンシティブな設定があるのですからゾーニングすべきです。 (2)〜(4)については、18禁作品はゾーニングすべきだという苦言やいかりだけでなく、性表現の中でも上品なアートなら存在を許すが下品なエロは嫌悪だけでなく排除したいエロへの見下しや排除、好みによっての検閲に繋がる思想も混ざっています。
私は性表現がメインです。ゾーニングはすべきだし、規約やガイドラインは守るべきだが、好き嫌いで性表現を検閲する価値観にはありません。多くのエロ描きはそうではないでしょうか。文化が違うシール界隈はそうなのだろうと。
下品なエロは排除する。界隈の害虫だとまで嫌悪する方々とわかり合えるとはおもいませんし、例え誤解があろうとこういう叩き方はしないでしょう。価値観違うし好きな表現ではないが最低限創作者どうしの敬意を払おうという態度でなく一方的な罵倒やレッテル貼りです。
本件私に対する謝罪や撤回は受け入れません。個人情報を伏せても広められて困るのならば、単に該当のつぶやきを消せばいいだけと思います。正しいと思うならつぶやきをこれからも残せば良いです。それぐらいないなという言動でした。
私が語るまでもなく今では美術品として価値の高い「春画」は当時は現代でいうところの、エロ本やエロ漫画、エロパロでした。私は性表現をアートとするか低俗なポ〇ノとするかは鑑賞する側がそれぞれで決めることだとおもってます。
違法なものは擁護できませんが、美術的価値のあるモ��も、淘汰された現在に残ってない低俗で意味のない多くの人にとって価値の薄いエロもあって当然なのです。性的なことは必ずしも罪や軽蔑されることではなかった。そこに経緯や愛がある表現も多い。愛や敬意の形は表現者によってそれぞれです。必ずしも万人に伝わらないが、あっていい。排除はされにくい。日本の性表現の大らかさ、寛容さが私は好きです。
見る側、買う側、その価値を高めたい仲介業者や界隈がアートだのポル〇だの高尚低俗ジャッジしたがるのはいつの時代も変わらないでしょう。描く側までそれをいうのはなんなのかという考えですし、私の周りの創作者さんは自分では性表現をしなくてもそういう方にかこまれていたのでシール横町界隈の反応はショックでした。
これはR18作品が少ないゆえに、ゾーニングをしない作品への怒りか、苦手な性表現を排除したいという嫌悪感なのかきっとつぶやいた側も切り分けができていないのだろうと思いました。
私は金や数字が欲しくてエロを描いている類いのエロ描きではありません。 好きなキャラのR18創作をせずにはいられないキャラ萌え拗らせ系です。 キャラ萌え拗らせ・ガチ恋好きによべばいいのですが、惚れたキャラの性表現を描かずにおれない衝動があるのは、私がフィクトセクシャルの傾向が極めて強い自分向けのエロを追求したいレズビアンだからという側面もあります。金や数字にならないけど、それは生理的欲求に近い。描かずにおれない衝動を絵や漫画という形にするのが私にとっては創作活動です。オリジナルも描きますが、二次創作も描かずにおれないのです。
エロパロは確かにグレーゾーンです。全年齢のオリジナル作品の様にどこでも委託や販売できるわけではありません。ですからR18二次創作を委託できる同人に理解のあるショップに当然ゾーニングしたうえで委託しているつもりでした。過去成人向け二次創作同人を委託した「まんだらけ」なら問題無いと思ったのです。
愛や敬意があれば許されるとは私は思ってません。愛もあったし敬意もあったその作品が大好きだからこそ、節度を持って創作していたつもりだったジャンルである日やらかした奴の登場により成人向け二次創作が禁止になったことがあります。某お色気格ゲーです。界隈の意識が高くてもあれは災害のようなもの防ぎきれません。グレーゾーンで描いている以上、どんなに愛と敬意があろうとある日突然終了になることもある。それは分かった上で二次創作をしています。それがいやならオリジナルだけ描いていれば良い。惚れたキャラのエロ描かずにおれないのだからこればかりはしかたがないことです。グレーゾーンとわかっていながら公式にエロ同人描いて良いですか!と聞く人ぐらい、グレーゾーンとわかりきっているのにお墨付きをほしがりすぎるSNSの風潮はないなあと個人的に思ってます。
また、二次創作と関係なく刑法175条絡みで、以前お世話になっていた方が逮捕された経験があります。そこで折れないアーティスト��格好いいですが、生活がかかっているから折れてしまった恩人を私は嗤えませんでした。正当な手続きで撤廃されるまでいかに現代にそぐわぬ悪法と思っていても、私はアダルト系の規約違反は遵守し創作活動をしています。
そういう価値観で25年以上エロ創作をしてきた者として、いくら無名サークルとは言え、R18設定もできないような迷惑行為をしていると風評ばら撒かれるのは大変遺憾でした。

弊サークルのシール「ノアカアサンA01」は委託申請の際、「販売規制:18禁」で申請しておりますが、Xでご紹介の際「センシティブなメディア」と設定されてないため、こちらの引用にもありますとおり、18禁作品が苦手な方から苦情が見受けられます。 (苦情の具体例を含むため中略) 弊サークルが「18禁」で申請したシールをまるで全年齢で申請したような非常識なサークルと広められますと、シールは新参で、Xはあまり活用できていないのですが、20年以上成人向け二次創作を扱ってるサークルであり、成人向け作品のゾーニングを意識してきたサークルですので、大変遺憾です。 沢山センシティブな画像を投稿すると、アカウントが「シャドウバン」になる恐れがあるという噂があるため強制はできないのですが、X運営の米国基準で性的な画像は性器の露出がなくてもセンシティブなメディアとして設定するガイドラインもございます。 可能でしたら、弊サークルが「販売規制:18禁」で申請したシールご紹介につきましては「センシティブなメディア」としてご投稿いただけないでしょうか。 センシティブなメディアを含む個々のツイートをマークする方法はXヘルプセンターにも案内がございます。 https://help.x.com/ja/rules-and-policies/media-settings
3/13 7:14 送付したメールフォーム控え

「センシティブなメディア」としての投稿仕様があること存じていなかったのですが、お調べしまして、今後は気をつけたいと思います。 また濃縮還元帝国!様が「販売規制」で申請されていたこと、 改めてフォローのポストをさせて頂きます。
3/13 12:12 シール横町からの回答抜粋
偶然かもしれませんが、横町様からのご回答、異例の速さでした。 R18作品を取り扱ってる同人ショップ的に誠意あるご回答だなと思いました。Xのセンシティブ設定をご存じ無い方は多いのでこれが嘘や言い逃れとは思いませんでした。
3/15日の更新で R18作品は「センシティブなメディア」設定をし、弊サークル「濃縮還元帝国!」が「R18販売規制」で申請していた事へのフォローは有ると 思っていました。
3/15のシール横町様弊サークル告知ポストです ttps://x.com/sanchimatsuri/status/1900881358186311707
フォローが、ない。他サークル様だけど、センシティブ系の方にセンシティブなメディア設定も、ない。
これはさすがに予想してなかった……。
R18作品を見たい人だけ見る、シール横町告知が今週からはじまるかとおもってました。大変遺憾です。
長年エロ創作してきましたが、R18扱うショップ側がここまでエロにいい加減は初めてでした。新刊同人ではそう感じなかったんですけどね。部門の問題なんだろうか。
あと1作、既に納品しているシールがあります。そちらは全年齢向けです。昔初めて同人グッズを作った鉄拳3のケンカシマイです。
そちらの作成を持って、シール横町に委託するシールの作成は休止します。
XのR18作品の告知にセンシティブ画像設定をするようになればまた委託するかもしれませんが、本日のやりとりを見て、横町側も利用者もそのつもりはないということがわかりました。
エロは棲み分け共存するのではなく、R18作品にR18設定する手間すら惜しむ、下品なエロは許さない風潮を作りエロを排除する声の方が大きい。
性表現に理解があったりエロ創作者が多いところではこういう雑なエロの扱いはしません。委託先への怒りはR18カテゴリあるならセンシティブ設定ぐらいしろ!R18で申請したエロ描き舐めてんのか!という怒り。アダルト系の法律違反に抵触しない性表現を自分の好き嫌いだけで排除するな!という怒り。そういう怒り方をしている人を目にすることは少なくてもXを見た限りでは、ありませんでした。
作家も委託先も買い手も性表現を舐め過ぎてる。そういう界隈とは私は交流する気はありません。こういう方々のサンドバッグになるために、私は長年エロ創作をつづけてきたのではありません。 本件とは別の事情で自家通販や個別対応、boothをシールの委託に使うつもりもありません。
ただシール横町さんに委託して良い事もありました。私の描いた二次創作絵が好き、シールを買ってでもほしいと思って下さった方ありがとうございます。感想下さったかたもありがとうございます。シールを作らなければその反応、殆どありませんでした。
名刺シールや同人グッズの交換でまた無配をつくることもあるかもしれませんが新規に交換する方を増やす予定はありません。3/15までに名刺シール交換を申し出て下さった方にはお送り致します。以後休止します。
短い間でしたが、ありがとうございました。
*本件コメント等いただきましても返信はしません。
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「かに革命2022」〜大そうめん流し〜レビュー

9月24日(土)MEDIA CAFE 無事終了しました。ご参加いただいたみなさんありがとうございました。「かに革命」のレビューを中野先生に執筆いただきました。ぜひ読んでください!
「かに革命2022/大そうめん流し」―アートか革命か悪ふざけか?ー
先日9月24日に、山口市下市にあるLife and Eat ClubのMEDICAFE2022の一環として「かに革命2022/大そうめん流し」と名打たれたアート・イヴェントが美術家の中崎透氏の企画で行われた。「ナデガタ・インスタント・パーティー」でアートコレクティブとして活動している中崎氏だが近年ではソロワークでの活躍も顕著である。昨年は宇部市のときわ遊園地で行われた「TOKIWAファンタジア2021」でも夜間のイルミネーションをメインにしたアートイベントで多数のコミカルな作品を展示して、多くの子どもたちのファンを増やしたのではないかと思う。
さて、彼の今回の「かに革命2022」についてである。そもそもこの「かに革命」というイベント/作品については、山口市を拠点にしている山口現代芸術研究所(YICA)[現代アートの分野で活動しており、国際的な内容を地域の文化活動に取り込んで20年以上経つ研究所。近年はNPO法人から一般法人として活動している。]で、2005年のアーティスト・イン・レジデンスのアーティストとして彼を招聘した時に始まったプロジェクトである。
その頃YICAの事務局は山口市の瑠璃光寺の裏手の木町地区の古民家を使った「木町ハウス」というところ行われていた。彼はその時、大学の博士課程を終わったところで「看板屋・中崎」という触れ込みで現れた。ライトボックスを使ったあたかも飲屋街で使われそうな文字フォントを駆使した看板作品を作っていた。その時、てっきりそのような看板を木町ハウスで作ってくれるのかと思いきや、然にあらず。滞在の途中、気がつくと「かに」の「革命」をやるから来てね〜というお誘いを受けた。指定の時間に木町ハウスに行ってみると、ハウスの裏手で行うという。木町ハウスのある木町は古い家並みが続く地区で、鬱蒼とした木々や竹、朽ちそうな建物があり、その頃の木町は昭和の風情を醸し出す家々が残っていた。ハウスの奥は山口市でも有名な一ノ坂川につながる浅い川があり、そこでこのイベントが行われた。二、三畳の川床をその川に一時的に作り、その場所でパーティーを行うというものだった。
清流と言えるその川にはサワガニが結構いるのだが、あえてその場所まで行かないと、普段は目にもしない場所である。川床をアートとして設置することで、普段あまり行かない場所での環境の豊かさに気づき、自然の恵みを感じる企画でもあった。
その後、「かに革命」は山口市前町の前町アートセンター(MAC)や椹野川の河川敷のバーベキュー大会の時など、数年ごとに彼が山口に来るたびに行われた。
上述のような流れがあり、Life and Eat Clubの津田さんから中崎氏の「かに革命」を今回もやるということだったので、期待して指定の時間に行ってみた。Life and Eat Clubの前にも小川が通っているので、今回も川床を作るのだと思っていたが、行ってみたら今回は革命の旗を作ってそうめん流しをするという企画だった。現地ではボランティアスタッフや親子の参加者、Life and Eat Clubの関係者ら多数がいた。建物の入口のブルーシートの上に旗になる布がたくさん置かれ、子どもたちが、墨やアクリル絵の具でカニの絵を描いていた。中崎風のキャラクターのカニや子供達ののびのびとしたカラフルなカニ、保護者のお母さんたちのカニ、みんなめいめいバラバラ���カニを描いていた。僕もカニを描いて欲しいということで何十年かぶりにカニを描いた。結構適当に描いたが、「ヤバイ、カニってかなり自由に描いてもカニらしさは、ブレない、、、、」なんて思った。そうこうするうち��、建物の中で、そうめん流しの準備をするという流れになり、中崎氏のアイデアで雨樋と机やイーゼルを使い、青竹を使わない簡易そうめん流し装置の全貌が見えて来た。実験として水を流してみたら一箇所ちょっと水が溢れた場所があったが、概ね大丈夫(NHK Eテレのピタゴラスイッチの要領である)。水が流れるということはそうめんも大丈夫だろうという感じに仕上がった。最後にみんなで描いた「カニ革命」の旗をそうめん流しの装置の各所に飾り付けたが、なかなかの出来だった。(この「カニ革命」の旗は後日エプロンになって参加者に配られた。)
昼の部が終わり、夜の部になってこの装置に、実際にそうめんが流され、様々な薬味を入れた汁でいただいた。どうなることかと思ったが意外と美味しくて楽しい。マスタードシードの薬味なんかもあったりしてとても美味しくいただけた。
ちょっと待って。ここでこのリポートは終わってもいいとは思うが、何かざわざわする。うまく行き過ぎているのである。もしかしてこれでいいのかもしれないが、なんか物足りないかも。
後日考えてみる。もしかして世界的に長引くコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、地球温暖化問題、このご時世、世界的に革命の文字は物騒であり、カニと革命の取り合わせはのんびりとした“悪ふざけ”とも言える。しかし「革命」をキーワードに改めてネット検索すると、人類の歴史における○○革命は数知れず。もしかしてどこかに「カニ革命」なるものもあるかも、、と少し穿って考えてみたくなる。昨今のAIの発達、ネット上の偽情報の氾濫、捏造されたプロパガンダ写真などファクトチェックが不可欠な日常になる毎に、自明だと思われたフィクションとしての「カニ革命」も10年以上の歳月を経てあらぬ意味合いを帯びていることに気づいた。
美術家 N3ART Lab代表 山口大学教授
中野良寿
2022年10月31日
















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【東京】曳舟「海野貴彦商店NANZO」
【有吉くんの正直さんぽ】大正時代の布団店を改装したギャラリー&雑器店『海野貴彦商店NANZO』#有吉弘行 #なえなの #河北麻友子 #シソンヌ長谷川 曳舟周辺 2024/11/30放送 〒131-0046 東京都墨田区京島3丁目20−5 #正直さんぽ 詳しく見る↓
海野貴彦商店NANZO 大正時代の布団店を改装したお店で、現代アーティストの海野貴彦氏が手がけるアートと器のセレクトショップ 住所 〒131-0046 東京都墨田区京島3丁目20−5 行く前に!見どころ&口コミをチェック 風情残す墨田にギャラリー 築100年の建物に「海野貴彦商店」 陶器や絵画など展示、販売:東京新聞デジタルXで共有するFacebookで共有するXで共有するFacebookで共有するLINEで共有するはてなブックマークで共有するXで共有するFacebookで共有するXで共有するFacebookで共有するLINEで共有するはてなブックマークで共有する検索 かつて営業していたふとん店の看板を掲げるギャラリーが、東京都墨田区京島のキラキラ橘商店街にある。愛媛県を拠点に活動する画家・海野(かい…… 行く前にcheck! Instagramをチェック
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アーティストの頭の中展
会期:2023.11.01~ 2023.11.30
個展会場:https://nihonbashiart.jp/group/20231102/
作品名:悪戯心
作品説明:幼稚に復讐を果たす様をかきました。
素材:豆色紙・墨・顔彩
制作年:2023年
技法:水墨画
サイズ詳細:12×13.6×0.2cm
税込価格:25,000円(送料・税込)
額装:あり
サイン:あり
#水墨画
#WEBグループ展
#美術ネットワーク #芸術の輪
#絵描きさんと繋がりたい #現代作家の環
#artilljp #gallery #Japaneseart #ArtistOnTwitter #アーティストの頭の中展 #日本橋アート




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百年の九月を前に
福岡ア��ア美術館で開催されている特別展「水のアジア」(9月3日まで)に出品されている八名のアーティストの作品はいずれも強い印象を残したが、なかでも比佐水音の日本画は胸に沁みた。絵の具や墨の幾重もの層によって水の流れを繊細に織り上げた画面は、豊かな運動を感じさせると同時に静けさによって貫かれている。それゆえ、水の音が流れの輝きのなかから響いてくる。それを取り巻く風のそよぎとともに。とりわけ滝を描いた《響》と題された最近の二作(2021/22年)は魅力的だった。その一つでは、力強く流れ落ちる動きと、水煙が立ち上る動きが溶け合うなかに、虹が浮かび上がる。 縦長の五つの画面によって構成される《いきてはいたる》(2019年)も感銘深い。それは、雲間に出た月の光の下に、五面を貫く水の流れを優しく浮かび上がらせる。その流れは、ところどころ月明かりを反射するように輝いている。同じように月明かりを受ける…

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#Art Gallery Eureka#Fukuoka Asian Art Museum#Hanzomon Museum#Miwo Hisa#Nanpu Katayama#Naoki Kato#Osamu Eba
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✨現在ギャラリー結様は常設展示作品されているSHU墨絵作品を紹介✨ ( @gallery.yui.tochigi ) 個展『零之楼〜ゼロのやぐら〜』で大好評につき、少しでもSHU墨絵を身近に感じて頂きたい想いから、常設展示作品を増設しました✨ 【ページ1】 富嶽三十六景 現代墨絵版 【ページ2】 龍光 老舗人形店 人形のわたや×墨絵師荒川颼コラボ提灯 【ページ3】 A knight's tale 【ページ4】 来る4/28(金)国指定重要文化財 大阪市中央公会堂にて クラシック音楽×墨絵のコラボコンサート 『冥加』を開催‼️ 音楽・墨絵史上としても初 アートは一つに楽しんだっていい 見て、聞いて、感じる (*)席に限りがございますので、 お早めにご予約下さい🙇♂️ DMにてご予約受付致します✨ 最高の思い出をこのイベントにて❗️ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 💫筆を使わない墨絵アーティスト💫 荒川颼 / SHU Arakawa 【颼墨絵作品 常設展示場所】 栃木県栃木市河合町4-16 tel: 050-5359-7563 Eat Me Sandwich 2F ギャラリー結 ✨✨✨✨✨✨✨✨ 筆を使わない墨絵アーティスト 荒川颼/SHU Arakawa www.shusumie.com Googleで『墨絵』または『ハンド墨絵』でトップ表示 #津波墨絵 #葛飾北斎 #富嶽三十六景 #大阪市中央公会堂 #音楽墨絵コラボライブ #筆を使わない墨絵師 #墨絵師 #墨絵 #sumie #ハンドドローイング #handdrawing #日本を代表する墨絵師 #墨絵アーティスト #書道好きな人と繋がりたい #画家さんと繋がりたい #飛墨 #hisumi #唯一無二の墨絵師 #唯一無二の墨絵アーティスト #しゅう墨絵 #shusumie #生きる墨絵 #UNESCO #世界遺産 #ライブパフォーマンス #墨ノ祭 #ギャラリー結 #栃木 #tochigi (大阪中央公会堂) https://www.instagram.com/p/CnSp3scygqw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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. . . 2014 . . Drawing & Painting . •• Materials / Japanese ink pen, Acrylic gouache, Japanese paper(墨の筆ペン、和紙、アクリルガッシュ) . . . . . . #contemporaryart #raywatanabe #artist #art #painter #painting #drawing #freely #intuition #free #abstractart #abstractpainting #inkdrawing #modernart #墨 #モダンアート #現代アート #アーティスト #墨絵 #抽象画 #inkdrawing #artwork #直感 https://www.instagram.com/p/CGKyRR2D17w/?igshid=gj13ltocnioo
#contemporaryart#raywatanabe#artist#art#painter#painting#drawing#freely#intuition#free#abstractart#abstractpainting#inkdrawing#modernart#墨#モダンアート#現代アート#アーティスト#墨絵#抽象画#artwork#直感
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I asked my wife to buy water color set for my birthday gift. I'm gonna be 34 in 10 days :) Time flies. I can't believe that I was in NZ almost 10 years ago and it was my turning point to start drawing during my travel. I must celebrate for this 10 years because I'm still keep drawing lol あと10日後に34歳になります。 誕生日プレゼントは何がいいかとずっと妻に言われてたけど、物欲のない自分はずっと「何もいらない」と答えてました。 でも、思い起こせば大学を卒業して就職をせずに向かったニュージーランドで絵を描き始めたのが丁度10年前の24歳の時。 絵を描き始めて10年になる節目の年だから、やっぱりちょっとお祝いをしようと「ホルベインの水彩絵の具」を誕生日プレゼントにお願いしました。 この羊もぶっつけ本番だけど、水彩のテイストも入れていく予定です。今年の課題は「色」 アナログでもカラフルな作品を見せられるように練習します。 #inkart #wip #pencilart #creative_movement #ink #inklover #iblackwork #blackworkers #blackworknow #blackandwhite #dotwork #dotsart #monochrome #instadraw #fineliner #finelines #fineline #finelinework #illustrate #drawing #drawstagram #artistry #artist #brush #indianink #inklouvre #inkfeature #細密画 #墨 #黒 #筆 #絵描き #アーティスト #画家
#筆#dotsart#ink#finelines#artistry#inkfeature#blackworkers#inklouvre#blackworknow#brush#絵描き#アーティスト#墨#iblackwork#artist#illustrate#indianink#inklover#dotwork#finelinework#blackandwhite#drawstagram#creative_movement#inkart#instadraw#drawing#画家#fineline#黒#wip
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音楽が少し遠くなってしまった今の日常へ響かせる生演奏の時報。 ヴァイオリン弾きの小畑亮吾が、オリジナル、即興、クラシック、 フィドル、織り交ぜながら贈るサウンドインスタレーション。
—公演詳細————————————————————————
期間 2021.10.1(金)-10.28(木) ※荒天中止
時間 18:00-18:05
場所 herb stand サテライトキッチン 〜二階の窓辺より〜 (墨田区京島3-48-3)
観覧 無料
さんかく長屋の窓辺から毎日決まった時間に聴こえてくるヴァイオリンの音色。 一日一度、長屋の二階から街へ向けて、生演奏で時間をお知らせします。住民や来訪者は路地から眺めることができます。
※本企画は【すみだ向島EXPO】の企画の一つとなっております。
すみだ向島EXPOのサイトへ行く
【音楽家プロフィール】
小畑亮吾(こばたりょうご)アーティスト特設ページ→https://rygk.tumblr.com/yukoku
音楽家/作曲家/ヴァイオリニスト。
ヴァイオリン一梃弾き語り。リアルタイムサンプリングを用いたプレイを得意とするストリングストロニカ音楽家。
映像や絵画、舞台、植物といった様々な分野とのコラボレーションやインプロビゼーションなど全環境型パフォーマンスを行う。
映像への楽曲提供も多く、平野絢士監督のファッションフィルム【LEPUS CORNUTUS】【JE TE VEUX】【CONTRACT】では音楽やサウンドデザイン、TV番組【北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~(BS11開局10周年特別番組)】【遠くへ行きたい ~木村多江・鳥取の旅】ではBGM提供をしている。また、カナダのニューメディアアーティストAliison Mooreの【向島ジオラマ】では即興演奏を、上野の森美術館で行われた【立体浮世絵展】では��間のサウンドデザインなども手がける。
<
p> 2015年、初のソロ作【music is waiting to be discovered by you】をリリース。 2018年、弾き語りやラップ的リーディング等様々なスタイルで物語るボーカル楽曲集【冒険音楽】と、ヴァイオリンだけでなくヴィオラや箏を用いたインスト楽曲集【home sessions】の二枚を同時リリース。 2019年、【morinna】【一日で忘れられてしまうヴァイオリン弾きの歌】2つの即興作品をリリース 近年では国内に留まらず、フランスや台湾などにも演奏の場を広げている。
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⭐️画家・アーティストの恒星が画集刊行のため描く【万画越境】プロジェクト。2018年12月から10,000点を目指して絵を描く。 現在トータル数:約6000点⭐️ 今日の恒星作品制作過程 Today's Kohsei Works 画家 Painter, Artist: 恒星 Kohsei 題名 title:「利根川橋風景」 画材 Material : 不透明水彩絵の具ガッシュ Gouache 制作日 Date: 27/Oct/2021 寸法 Size:14.8x10cm 今年の作品数: total 1626Works/2021year 水彩1304 鉛筆164 パステル4 混合技法5 際を見立てる 建築/宇宙船6 木版画9 色鉛筆3 概念芸術1 写真1 水墨画15 文章3 ぺん10 音1 自由律俳句6 クレヨン1 放送18 融合6 ※一部アップ公開しない作品もカウントされています。 試み Projects: 画集刊行のための【万画越境】for Art Book 10000Art works プロジェクト:【万画越境】画家、芸術家の恒星が10,000点の作品を描き上げて、クラウドファンテ��ィングで画集刊行するプロジェクト。 ぜひ皆さまご支援よろしくお願い申し上げます。また継続のために作品をぜひご購入頂ければ幸いです。気になる作品があれば、メッセージくださいませ。 コンセプト:【接ぎ木と実生】【空隙振動】 【生きる=描く、作る】 ⭐︎サポーター募集⭐︎ 世界を描ききる、恒星の【万画越境】サポーターを募集致します。 《目標》今までの総数1万点描いたら、初の恒星画集を、クラウドファンディングで出版希望。1万点を描くための水彩紙、画仙紙、キャンバスなど、支持体を提供して頂けるサポーターを募集しております。 御礼リターンは、提供数などによって決めさせて頂きます。 Kohsei's 10000Paintings Project: 【10000 Paintings Across the border】 this project for : I'd like to make a collection of pictures book with crowd funding. #恒星 #日本 #美術 #画家 #絵画 #芸術 #具象画 #人物画 #抽象画 #水彩画 #アート #アーティスト #コンセプチュアルアート #越境 #千画越境 #万画越境 #星座を歩く #星座を歩くアートクラスプラスアルファ #japan #Kohsei #artist #painter #watercolor #watercolorpainting #contemporaryart #painting #WalkingtheConstellations #ariARuCreationz #ariARurecords #crossingborders https://www.instagram.com/p/CViFwoMh924/?utm_medium=tumblr
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけで��ない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」��ようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落���るのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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スミワン12 グランドチャンピオン大会審査結果発表
5/30-31に、スミワン12 グランドチャンピオン大会が開催されました。 審査の結果、グランドチャンピオン及び審査員特別賞が決定しましたので、発表いたします。 受賞された皆様、大変おめでとうございました!
○スミワングランプリ 2019-2020 グランドチャンピオン
森本順子(獲得点数:116点(126点満点中))

○審査員特別賞
※並び順は、審査員の名前の50音順です。順位はありません。
・グウナカヤマ 賞 湯上久雄
・菅原晋 賞 桐洋生
・中嶋敏生 賞 セキマリエ
・ハシグチリンタロウ 賞 南岳杲雲
・Haru Yamaguchi 賞 木原光威
・山本尚志 賞 高濱渉
・渡部大語 賞 Yoko Morishige
○グランドチャンピオンへの審査員コメント
・グウナカヤマ 森本さんは昔から変わらないスタイルを貫いているところが良いと思います。 自分の中から溢れるモノをそのまま直球で表現されていて誰が見ても森本作品とわかるところがポイントで良いと思います。
・菅原晋 森本順子の作品はその文字の佇まいや言葉の選び方から世界に対しての優しさが感じられるのと共にユーモアも共存している。その味わいが鑑賞者の気持も優しくさせてくれる。
・中嶋敏生 森本さんは、生きるということと、作品が生み出されるということが完全に一体になっていて、すごいと思います。全てタイトルも画面も違うのに、どれも根底には共通した作家の想いが感じ取れます。自然体の絵と、確かな技術の書に、魅力が詰まっています。”この中から1枚選びたい。家に飾ってみたい”と思わせる力があります。純粋性と画面の魅力、そ��て、ファンの多さ。グランプリにふさわしい存在だと思います。
・ハシグチリンタロウ 絵と文という点では、とっくの昔に「詩書画」として成立していた形式ではあるが、それでもなお2020年代にみずみずしく映る。「詩書画三絶」のようなハイカルチャー志向ではなく、本人の「詩書画悶絶」の生活の中にあって、今ではただただ軽やかに森本さん自身が一枚一枚の上で遊んでいる。生きとし生けるものに心を寄せながら、めちゃめちゃうまそうに焼肉を頬張るような人間の矛盾そのものをこれからも素のまんまでGOだぜ。
・Haru Yamaguchi 「台所と海」これは文句なしの満点。毎日の日常生活の中で、食器洗いをしていると洗剤容器は途端に大きな海へと変容し、「洗剤は地球に優しいものなのか?」と自ら問いかける。それは単純に環境破壊を危惧しているということではなく、森本順子作品の全てに共通するテーマ「心から優しくなれるか?」という問いかけであると私は思っている。作品を直視しながら、私はこの作家の純真さと表象力にただただ感服するしかない。
・山本尚志 作品を作る能力が素晴らしく、次から次へと新しいものが出てくる柔軟性が最近出てきました。テーマも海外に出しても通用するユーモアがあり、しっかりブランディングが出来ていて、これが森本順子だというのがヒシヒシと伝わって来ます。今でもファンが多いし、いつプロになってもおかしくないアーティストだと思います。売れますよ、この人。
・渡部大語 森本ワールドそのもので、日頃の生活から生まれた言葉を、なんのケレン味もなく紙面に落とし込む伎倆は他の追随を許さない。この人がさらに一念発起して、大作にも取り組んだら面白いことになりそうな予感がする。
○審査員特別賞への各審査員からのコメント
・グウナカヤマ 賞:湯上久雄 湯上さんは線自体が湯上さんそのものの様に感じます。日々研究を重ね紙や墨に拘り、生活の隙間に硯をすり己自身の書と向かう、吸い込まれる様な空気感がとても良いと思います。
・菅原晋 賞:桐洋生 桐洋生の素晴らしいところは常に新鮮に紙と向き合い筆を持っているライブ感が伝わって来るところだ。良い意味で常に初舞台に立っているような覚悟もたたえている。
・中嶋敏生 賞:セキマリエ 漢字を通して自然を見つめているのだと思いました。漢字の象形に踏み入ろうとしているのではなく、抽象化された漢字の形はそのまま受け入れた上で、景色と一体で見つめていることに面白さを感じました。形が決まっている山と、刻々と変化する雲を同時に眺めることで、山が動いて見えたり、雲が止まって見えたりして、非常に面白い感覚を味合わえます。 海外に評価されるにはもう一つユーモアが必要なのかもしれませんが、純粋で魅力ある画面に、とても惹かれました。
・ハシグチリンタロウ 賞:南岳杲雲 文字というのはしゃべることがある。活字を黙読しながら音声を立ち上げていくのとは違い、書いた文字そのものが紙の上に実体として呼吸をしていて、呟いたり、わめいたり、語りかけたりする。 南岳さんはこうして一文字ひと文字に息を吹き込むできる人なんだな、というのが第一印象で、書くことに対する愛情がある。作品の中には抽象的なかたちが共存していて、おそらくこの喋る文字の主であろうが、具象的ではないそれは「わたしであり誰かである」という自他一体のなかに人が「在る」ということのように感じられる。
・Haru Yamaguchi 賞:木原光威 本来であれば読者が作者の主張・心情を美しく読み取るはずの「白い行間」を、読者の「勝手な想像から成る大きな塊」と解釈し、その重みを「黒い行間」として表象・転換する手法はお見事。素晴らしい作品。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」も秀逸。シリーズ作品としてのバリエーションも豊富で、観る者を飽きさせない作家としての底力も大きい。今後は、そのコンセプトを基盤に現代性・社会性を盛り込んだ作品を大いに期待しています。
・山本尚志 賞:高濱渉 大きな作品が作れるのが魅力。インパクトも空間処理もできる人。プロとして十分通用する1人だと思っています。この一年間苦労して頑張った印象がありますね。困難を乗り越えた凄みを感じます。テーマがシンプルなのも決して悪くない。ただ、もっともっとコンセプトワークをガチガチに固めないと。その辺の思考の量がまだまだ不足しています。将来性のある、スケールの大きな作家。まだまだ伸びる要素に満ちています。
・渡部大語 賞:Yoko Morishige この一年間で最も進化を遂げたのがYoko Morishigeであろう。広島会場でこのシリーズの初期作品を観たときは���「モノになるのか?」と些か疑問を抱いたものだが、見事な作品へと昇華させた。


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墨絵アーティスト・西元祐貴 × 映像作家・猪口大樹 スペシャルコラボ「龍のキセキ」
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エリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか』
この本を読んで、このところ急激に進むテクノロジーの抽象化が、脳科学で説明できることを知った。それだけではない。本書には、抽象絵画の理解と日本文化との親近感を示唆する記述も多い。非常に読み応えのある本だったので、要点を整理しておきたい。
中心概念となる「ボトムアップ処理」と「トップダウン処理」
本書は、脳がアートをどのように知覚するかを、脳科学の知見から論じたものだ。その中心概念は、脳の機能として生得的に備わっている「ボトムアップ処理」と、認知、想像、学習といった高次の心的機能の総合作用である「トップダウン処理」の二つに置かれている。この機能とアートの関係をひとことでいえば、具象画はボトムアップ処理によって理解され、抽象画はトップダウン処理によって理解��れる。
本書の面白さは、脳によるアートの理解を、単に脳の構造と関連付けるだけでなく、J・M・W・ターナーが初期に制作した風景画から、光と空間を作品化したジェームズ・タレルの現代アートまで、脳が対象を自然から抽象へと還元していくプロセスとして示したところにある。これによりわたしたち読者は、抽象画への理解をあたかも脳の進化のように体験できるのである。
本書によれば、進化のプロセスは時間軸に沿って一方向的であり、このため「脳の進化の体験」は目に見える具体的な情報の除去とつながっている。
しかし、カンデルは、情報の除去そのものが進化だとは言っていない。除去された情報を埋め合わせるように脳内で起こる、目には見えない新たな情報の生起が脳の進化の鍵を握っているという。その脳科学的な表現が「トップダウン処理」であり、芸術表現の「抽象画」が処理のスイッチとして機能する。
脳の進化は、第一義的には抽象画を制作する作家の脳内現象だが、それが作品として残されるため、結果的にわたしたちは抽象作品に接することで具象画に含まれていた要素を除去し、脳内にトップダウン処理を引き起こす媒体として作品を活用することになる。
抽象化が進むテクノロジー社会
このカンデルの指摘が興味深いのは、このような抽象化が芸術表現の世界だけではなく、科学やテクノロジー、さらには社会全般にも広く当てはまるように思えることだ。
最近ではあまり耳にしなくなったが、Industry 4.0に代表されるように、産業革命を起点に技術は電気、電子、情報、そしてサイバーシステムへと段階的に高度化の道を歩んできた。このことは製造技術もまた、具象から抽象へと進化していきたことを意味している。黒塗りのT型フォードよりAIのアルゴリズムの方が抽象度が高いのは明らかだ。
技術だけではない、これは身近なビジネス社会にも当てはまる。グーグル、アップル、アマゾン、トヨタは世界を代表する特徴的な企業だが、それぞれに検索、デザイン、情報、モノを通じて消費者や社会と関係づけられている。
ところがこのところ、アップルはサブスクリプション、アマゾンはAWS、トヨタはMaaSといったように、そのどれもがグーグルに象徴されるサイバー空間に向けて大きく舵を切りはじめた。
これはたんにモノからコトへといった変化ではない。いまなおアップル、アマゾン、トヨタはそのビジネスの中核をiPhone、書籍、クルマなどのモノに置いているからだ。しかし、それらはすでに物理的な役割からサイバー空間に接続するための媒体へと、実質的な機能を変貌させている。
このように、具象から抽象への変化はアートだけではなく、テクノロジー社会の隅々で起きている大きな流れだと考えられる。
還元主義がテクノロジーの高度化をもたらす
それでは、テクノロジーがアートと同様に抽象化に向けて進化している現実は、わたしたちにどのような影響や恩恵をもたらすのだろうか? これはカンデルが「アーティストは、この対話からいかなる恩恵をうけられるのだろうか?」(p.204)と自問したのと同じ問いだ。
カンデルは本書の目的を、「科学の文化と人文文化の二つの領域に接点を見出し、二文化間の溝を埋めるための方法を提示すること」(p.11)に置いた。そして結末の一節で次のように結論づけている。
科学もアートも還元主義を適用することができる。結論をいうと、新たな心の科学は、知性や文化の歴史において新たな次元を開くことのできる、脳科学と芸術の間の対話を今や実現しようとしているのだ。(p.205)
この結論にテクノロジーを当てはめることもできるだろう。そうであれば、アートと同様にテクノロジーを還元することでも「トップダウン処理」が強化されるはずだ。例えば、内燃機関の設計よりもAIのアルゴリズムを表現する方が、クルマを作るよりもクルマを利用したコネクティビティを強化する方が、モノに密着した具象性が還元され「トップダウン処理」が強く働くことになる。そう、サイバーシステムはビジネス世界の抽象作品なのだ。
つまり、わたしたちがテクノロジーの高度化を目指すなら、アーティストが脳科学の知見を活かして内省の方法を強化するのと同様に、より積極的にテクノロジーを抽象化したり、抽象度の高いテクノロジーとの関係を増やすことが効果的ということになる。むやみにテクノロジーに没頭するのではなく、テクノロジーをドライブする際の脳内の反応を意識し、テクノロジーの抽象化をはかる必要がある。
経営を左右するトップダウン処理
こうした抽象化は、ビジネスの世界でも意識されはじめている。なかでもとりわけ見事な対応といえるのが、経営におけるアートの重要性を説く山口周氏の考え方だろう。
山口氏は、時代の先端はすでに「役に立つ」から「意味がある」へと移行しつつあり、「『役に立つ』の軸に沿って目盛りを高めるのはサイエンスの仕事であり、『意味がある』の軸に沿って目盛りを高めるのがアートの仕事」だと述べている。1)
これをカンデルの考え方に当てはめれば、山口氏のいう経済成長に役立ってきた世界は具象画に、意味がある世界は抽象画に対応することになるだろう。また山口氏は、小林秀雄の『美を求める心』を引き合いに次のように述べている。2)
(花に出会うと)その美しい花は一瞬で十把ひとからげに「菫=すみれ」という抽象概念に置き換わって認識され、処理されてしまう。その過程で「花の姿や色の美しい感じ」を受け止める感性は駆動されません。
これは一見、カンデルが着目する還元主義とは正反対の主張のように思える。しかし、「十把ひとからげの菫」は自動装置よって想起された情報であり、「花の姿や色の美しい感じ」こそが、ステレオタイプな菫から自由になった脳がトップダウン処理によって生起した、創造的な情報に対応づけられるはずだ。
いまやわたしたちは、具象を自動装置を介して受け入れる受動的な鑑賞者ではなく、抽象表現を媒体として脳内に創造性を発動する参加者の立場にいる。山口氏はその立場の活用こそが、これからの経営に欠くことのできない能力であり方向性だというのである。
このことは、ビジネスの手段であるテクノロジーにわたしたちが関わる態度への、重要な指摘になっている。技術者は感性という抽象能力を磨くことなしに、テクノロジーの高度化を進めることはできなくなりつつある。
トップダウン処理と日本文化の親近性
もうひとつ、本書で興味深かったことがある。それは抽象化を通じて脳にトップダウン処理をもたらす多くの事例が、日本文化の特徴を思わせることだ。本書には随所にそうした記述があるが、以下に典型的な三つを引用した。最初のはジェームズ・タレル、後の二つはカンデル自身の言葉である。
私の作品には、物体もイメージも焦点もない。では、物体もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのか? あなたは、見ているあなたを見ているのだ。私にとって重要なのは、言葉のない思考という経験を生むことである。(p.173)
遠近法や、対象を全体としてとらえるような描画を除去することでボトムアップ視覚処理の多くの基本構成要素を解体するばかりか、ボトムアップ処理が依拠している前提のいくつかを無効化する。(p.194)
抽象的であるとは、物質世界からある程度距離をとることである。それは局地的な高揚の一形態だが、それと同時に見当識の喪失、さらには混乱の一形態でもある。(p.201)
タレルの言葉に禅の無心や不立文字を思い出す日本人は少なくないだろう。二つ目のカンデルの言葉からは、モノクロ写真の意味や減算の美学、あるいは水墨画や空気遠近法を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。そして三つ目は、それらの全体を覆う色即是空的な仏教観を思わせる。千利休の「一輪の朝顔」も、対象の除去による構成要素の解体と言えるかもしれない。
本書には、抽象化の意味や働きと日本文化の関連を示唆する記述はないが、幸い日本にはタレルの作品が体験できる多くの場所がある。カンデル、タレル、日本のアーティスト、そして禅僧が集い語り合う機会があれば、どんなにすばらしいことだろう。
テクノロジーと抽象の行方
『なぜ脳はアートがわかるのか』は科学と芸術のつながりを両方の言葉で解明してみせた、実に興味深い一冊である。このことは、カンデル自身が本書の結語で述べているとおり、科学と人文学の新たな次元の対話のはじまりに期待を抱かせる。
しかし、それと同時にわたしは、さまざまな分野で起こりつつある対象の抽象化が、実は脳が好む快楽に導かれている現実に、茫漠とした不安を覚えた。脳は無邪気にトップダウン処理を働かせ、快楽を貪っているのではないだろうか?
本書はその疑問に答えてはくれない。妄想と承知の上で、トップダウン処理の果てに脳が行き着く『アキラ』の世界が脳裏に浮かぶ。アキラもまた、一切の疑問に答えることなく、テクノロジーの象徴である近未来都市を破壊した。あれは、抽象が具象を破壊する未来への予言ではなかったのか。
テクノロジーは間違いなく抽象性を高めている。しかし、脳が抽象を悦ぶのは、アートやテクノロジーの進化だけからではないはずだ。倫理の追求と高度化がなければ、快楽を求める脳の暴走を止める術はない。倫理こそがトップダウン処理の頂上になくてはならないと思う。アートがテクノロジーの進化をもたらし、その全体を倫理が統御する抽象の極みこそが、脳に仕組まれた最後の快楽であってほしい。
1)山口周『ニュータイプの時代』ダイヤモンド社, 2019, 位置No.3417.
2)山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』光文社新書, 2017, p.229.
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