#日本代表の墨絵アーティスト
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シール横町様Xアカウントで販売制限R18シールにセンシティブフィルタついてなかった件
自分のnoteのコピペです。
Xは常時シャドウバンでシール横町様の弊サークルのシール告知記事にリプをつけましたが、おそらく表示されない方が多数なのでこちらに記載します。
ビックリマンのソシャゲきっかけで子供の頃ビックリマン好きだったなと二次創作絵を描いておりました。その関係で自作シール作家さん数名とmixi2で交流の機会に恵まれ、自作シールをいただけることになりました。
シールは貰う一方で申し訳無いと言った時に、二次創作絵シールにしたらいいのにと言われ、オマージュ、リスペクト系のオリジナルだけでなく、二次創作シールもあるのかと。
ビックリマンシールが好きだからこそ、ビックリマンのようなバシッと正方形にロゴもキャラも収めるディフォルメが上手く描けない自分には敷居が高くてつくるのは無理だと思っていましたが、同人グッズでポストカードを作るぐらいの気軽さでもいいのかなと。数名との交換なので、最低部数でもかなり余ってしまうが交換用につくることにしました。
その時、配るだけじゃなくてシール横町さんで委託したら良いのに。夜紫蛇の二次創作なら大丈夫じゃない?と数名の作家さんにアドバイスをいただきました。好きで描いてるとはいえビックリマンは二次創作への反応も薄かった事から新たなチャレンジをしてみたいと委託を試してみることにしました。
それぞれ委託前にキャプションや絵柄からこれは委託可能なのか相談した上で委託をしていました。以前一度新刊同人誌でお世話になったきりでしたが古書やサブカルレトログッズ系が多いとはいえ、R18二次創作同人誌もとりあつかっているまんだらけならばさすがに委託可能だろうと。
大量発注真に受けて、返本の山だった以外、委託登録時や委託中、新刊同人誌ではまんだらけさんに悪い印象はなかったです。
無料配布をぼったくり値段で転売さ��売れ残ったりしてるのは、かなりモヤッとしてましたが。こればかりは中古も扱うショップはしかたない。
R18シール2種委託したので、センシティブフィルタがついているのは当然として。「Xによりラベル付け」されているって。まさかセンシティブなメディアとして投稿していないのか……?
R18同人系はセンシティブにならないようにセンシティブな要素をがっつり伏せた全年齢向け修正サンプルか、若しくはセンシティブフィルタはつけるものだったので、正直サブカル系はそうなの?と戸惑っておりました。
3/8 二度目の委託で悪い予感は的中しました。R18で申請したシールにセンシティブフィルタがついていなかったのです。 ttps://x.com/sanchimatsuri/status/1898340532432318486
肌色系なら自動でセンシティブフィルタはつきますが、判別しづらいホログラムレインボーでは自動でフィルタはつかない。
さすがにこれはマズいのでは?と思いました。R18を取り扱う同人書店だったら今のご時世、胸部モロだしでSNSで紹介はまずありえない。
数日静観しておりましたが、R18画像そのまま掲載はありえないは、それはシール界隈も同じだったようです。

R18を全年齢と偽って申請しそれが通っていたらもっともな苦情です。
『弊サークル濃縮還元帝国!は、成人向け二次創作シールをシール横町様に委託の際、「販売規制18禁」で申請しており、私のXアカウントで成人向け画像投稿の際はセンシティブフィルタはつけております。 その手の苦言は私に言われてもどうすることもできません。悪しからずご了承下さい』
2025/3/11 X@nouskjp
なお状況は変わらず批判は殺到していました。 R18販売規制がありながらセンシティブフィルタをつけないシール横町にではなく、私を含めたR18カテゴリあろうがR18で申請するエロ作家排除の方向でした。
後から気付きましたが、シール横町関連でR18系の苦情を検索していた際、R18カテゴリで申請してたらありえない叩き方をされていました。



私の横町への作品からの引用に繋がるR18作品への苦情の流れはこうです。
(1)R18作品を扱うシール横町は子供に見せられない。 (2)(上品な)色気と下品(なエロ)の線引きができていない作品は自作シールとして委託するべきではない。それを取り扱うシール横町は無法地帯だ。 (3)下品(エロ)なエロと自分の作品を並べたくない。 (4)リスペクトのないパクリと並び美意識のない下品なエロはシール界の二大害虫
(1)については私がR18でシール横町に申請したと知らなければお怒りごもっともです。Xもまんだらけも18禁についてはセンシティブな設定があるのですからゾーニングすべきです。 (2)〜(4)については、18禁作品はゾーニングすべきだという苦言やいかりだけでなく、性表現の中でも上品なアートなら存在を許すが下品なエロは嫌悪だけでなく排除したいエロへの見下しや排除、好みによっての検閲に繋がる思想も混ざっています。
私は性表現がメインです。ゾーニングはすべきだし、規約やガイドラインは守るべきだが、好き嫌いで性表現を検閲する価値観にはありません。多くのエロ描きはそうではないでしょうか。文化が違うシール界隈はそうなのだろうと。
下品なエロは排除する。界隈の害虫だとまで嫌悪する方々とわかり合えるとはおもいませんし、例え誤解があろうとこういう叩き方はしないでしょう。価値観違うし好きな表現ではないが最低限創作者どうしの敬意を払おうという態度でなく一方的な罵倒やレッテル貼りです。
本件私に対する謝罪や撤回は受け入れません。個人情報を伏せても広められて困るのならば、単に該当のつぶやきを消せばいいだけと思います。正しいと思うならつぶやきをこれからも残せば良いです。それぐらいないなという言動でした。
私が語るまでもなく今では美術品として価値の高い「春画」は当時は現代でいうところの、エロ本やエロ漫画、エロパロでした。私は性表現をアートとするか低俗なポ〇ノとするかは鑑賞する側がそれぞれで決めることだとおもってます。
違法なものは擁護できませんが、美術的価値のあるモノも、淘汰された現在に残ってない低俗で意味のない多くの人にとって価値の薄いエロもあって当然なのです。性的なことは必ずしも罪や軽蔑されることではなかった。そこに経緯や愛がある表現も多い。愛や敬意の形は表現者によってそれぞれです。必ずしも万人に伝わらないが、あっていい。排除はされにくい。日本の性表現の大らかさ、寛容さが私は好きです。
見る側、買う側、その価値を高めたい仲介業者や界隈がアートだのポル〇だの高尚低俗ジャッジしたがるのはいつの時代も変わらないでしょう。描く側までそれをいうのはなんなのかという考えですし、私の周りの創作者さんは自分では性表現をしなくてもそういう方にかこまれていたのでシール横町界隈の反応はショックでした。
これはR18作品が少ないゆえに、ゾーニングをしない作品への怒りか、苦手な性表現を排除したいという嫌悪感なのかきっとつぶやいた側も切り分けができていないのだろうと思いました。
私は金や数字が欲しくてエロを描いている類いのエロ描きではありません。 好きなキャラのR18創作をせずにはいられないキャラ萌え拗らせ系です。 キャラ萌え拗らせ・ガチ恋好きによべばいいのですが、惚れたキャラの性表現を描かずにおれない衝動があるのは、私がフィクトセクシャルの傾向が極めて強い自分向けのエロを追求したいレズビアンだからという側面もあります。金や数字にならないけど、それは生理的欲求に近い。描かずにおれない衝動を絵や漫画という形にするのが私にとっては創作活動です。オリジナルも描きますが、二次創作も描かずにおれないのです。
エロパロは確かにグレーゾーンです。全年齢のオリジナル作品の様にどこでも委託や販売できるわけではありません。ですからR18二次創作を委託できる同人に理解のあるショップに当然ゾーニングしたうえで委託しているつもりでした。過去成人向け二次創作同人を委託した「まんだらけ」なら問題無いと思ったのです。
愛や敬意があれば許されるとは私は思ってません。愛もあったし敬意もあった��の作品が大好きだからこそ、節度を持って創作していたつもりだったジャンルである日やらかした奴の登場により成人向け二次創作が禁止になったことがあります。某お色気格ゲーです。界隈の意識が高くてもあれは災害のようなもの防ぎきれません。グレーゾーンで描いている以上、どんなに愛と敬意があろうとある日突然終了になることもある。それは分かった上で二次創作をしています。それがいやならオリジナルだけ描いていれば良い。惚れたキャラのエロ描かずにおれないのだからこればかりはしかたがないことです。グレーゾーンとわかっていながら公式にエロ同人描いて良いですか!と聞く人ぐらい、グレーゾーンとわかりきっているのにお墨付きをほしがりすぎるSNSの風潮はないなあと個人的に思ってます。
また、二次創作と関係なく刑法175条絡みで、以前お世話になっていた方が逮捕された経験があります。そこで折れないアーティストは格好いいですが、生活がかかっているから折れてしまった恩人を私は嗤えませんでした。正当な手続きで撤廃されるまでいかに現代にそぐわぬ悪法と思っていても、私はアダルト系の規約違反は遵守し創作活動をしています。
そういう価値観で25年以上エロ創作をしてきた者として、いくら無名サークルとは言え、R18設定もできないような迷惑行為をしていると風評ばら撒かれるのは大変遺憾でした。

弊サークルのシール「ノアカアサンA01」は委託申請の際、「販売規制:18禁」で申請しておりますが、Xでご紹介の際「センシティブなメディア」と設定されてないため、こちらの引用にもありますとおり、18禁作品が苦手な方から苦情が見受けられます。 (苦情の具体例を含むため中略) 弊サークルが「18禁」で申請したシールをまるで全年齢で申請したような非常識なサークルと広められますと、シールは新参で、Xはあまり活用できていないのですが、20年以上成人向け二次創作を扱ってるサークルであり、成人向け作品のゾーニングを意識してきたサークルですので、大変遺憾です。 沢山センシティブな画像を投稿すると、アカウントが「シャドウバン」になる恐れがあるという噂があるため強制はできないのですが、X運営の米国基準で性的な画像は性器の露出がなくてもセンシティブなメディアとして設定するガイドラインもございます。 可能でしたら、弊サークルが「販売規制:18禁」で申請したシールご紹介につきましては「センシティブなメディア」としてご投稿いただけないでしょうか。 センシティブなメディアを含む個々のツイートをマークする方法はXヘルプセンターにも案内がございます。 https://help.x.com/ja/rules-and-policies/media-settings
3/13 7:14 送付したメールフォーム控え

「センシティブなメディア」としての投稿仕様があること存じていなかったのですが、お調べしまして、今後は気をつけたいと思います。 また濃縮還元帝国!様が「販売規制」で申請されていたこと、 改めてフォローのポストをさせて頂きます。
3/13 12:12 シール横町からの回答抜粋
偶然かもしれませんが、横町様からのご回答、異例の速さでした。 R18作品を取り扱ってる同人ショップ的に誠意あるご回答だなと思いました。Xのセンシティブ設定をご存じ無い方は多いのでこれが嘘や言い逃れとは思いませんでした。
3/15日の更新で R18作品は「センシティブなメディア」設定をし、弊サークル「濃縮還元帝国!」が「R18販売規制」で申請していた事へのフォローは有ると 思っていました。
3/15のシール横町様弊サークル告知ポストです ttps://x.com/sanchimatsuri/status/1900881358186311707
フォローが、ない。他サークル様だけど、センシティブ系の方にセンシティブなメディア設定も、ない。
これはさすがに予想して��かった……。
R18作品を見たい人だけ見る、シール横町告知が今週からはじまるかとおもってました。大変遺憾です。
長年エロ創作してきましたが、R18扱うショップ側がここまでエロにいい加減は初めてでした。新刊同人ではそう感じなかったんですけどね。部門の問題なんだろうか。
あと1作、既に納品しているシールがあります。そちらは全年齢向けです。昔初めて同人グッズを作った鉄拳3のケンカシマイです。
そちらの作成を持って、シール横町に委託するシールの作成は休止します。
XのR18作品の告知にセンシティブ画像設定をするようになればまた委託するかもしれませんが、本日のやりとりを見て、横町側も利用者もそのつもりはないということがわかりました。
エロは棲み分け共存するのではなく、R18作品にR18設定する手間すら惜しむ、下品なエロは許さない風潮を作りエロを排除する声の方が大きい。
性表現に理解があったりエロ創作者が多いところではこういう雑なエロの扱いはしません。委託先への怒りはR18カテゴリあるならセンシティブ設定ぐらいしろ!R18で申請したエロ描き舐めてんのか!という怒り。アダルト系の法律違反に抵触しない性表現を自分の好き嫌いだけで排除するな!という怒り。そういう怒り方をしている人を目にすることは少なくてもXを見た限りでは、ありませんでした。
作家も委託先も買い手も性表現を舐め過ぎてる。そういう界隈とは私は交流する気はありません。こういう方々のサンドバッグになるために、私は長年エロ創作をつづけてきたのではありません。 本件とは別の事情で自家通販や個別対応、boothをシールの委託に使うつもりもありません。
ただシール横町さんに委託して良い事もありました。私の描いた二次創作絵が好き、シールを買ってでもほしいと思って下さった方ありがとうございます。感想下さったかたもありがとうございます。シールを作らなければその反応、殆どありませんでした。
名刺シールや同人グッズの交換でまた無配をつくることもあるかもしれませんが新規に交換する方を増やす予定はありません。3/15までに名刺シール交換を申し出て下さった方にはお送り致します。以後休止します。
短い間でしたが、ありがとうございました。
*本件コメント等いただきましても返信はしません。
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‼️‼️もうすぐ‼️‼️ 来る3月に紀伊國屋全店に SHU墨絵作品『朱雀乱舞』と『桃源の馬』を 載せた書籍『Q Art Catalog』が発売‼️ 全国です✨ ⭐️A4版オールカラー⭐️ そして、5月にはオンライン上でも購入が可能になります✨ オンライン上は幅広い展開で、日本だけでなく 海外へも配信✨こちらは全世界 アマゾン、dマーケット、U next、楽天、 セブンネットショッピング、ひかりテレビbook、 e book、COCORO book と かなり広範囲に渡って配信されます⭐️ (*)📘イギリスの国際日本文化研究 教授タイモンスクリーチ様がSHU Arakawaの作品を評論 「全体に広がる力強い墨の��沫によって、壮大な鳥が描かれている。羽と火の輪が紙の上を反時計回りにダイナミックに回転する。鳥の羽は右上に上がり、開いた嘴は左下に向かって鳴き声を上げる。これは南を守る見事な朱雀である。その輝かしさが墨の黒色から伝わってくる。」 (タイモン スクリーチ評論) In a vast and power splash of ink creaters a magnificient bird. A circle of feathers and fire turns dynamicaliy in an anti-clockwise movement across the paper. The bird's wings rise to the top right, while its open beak cries downwards to the bottom left. This is the great Scarlet Bird that guards the south. Its brightness is transmitted in the black of ink. ( by Timon Screech) ご存知のように、作品『朱雀乱舞』は 高評価かつ有名な作品で、スペイン世界遺産常設、国連ユネスコ展示、日光東照宮展示、 他受賞多数の作品 作品価値も上がっているとても重要な作品です✨その作品が書籍として入手可能になります✨ 書籍もオンラインも両方から、SHU墨絵作品が 見れるようになりますので、 是非皆さまご高覧ください🙇♂️ 今後もSHU墨絵アートを宜しくお願いします #墨絵 #墨絵師 #墨絵アーティスト #墨アート #書籍全国展開 #Qアートカタログ #紀伊國屋書店へ書籍展開 #日本代表の墨絵アーティスト 💫筆を使わない墨絵アーティスト💫 荒川颼 / SHU Arakawa 【颼墨絵作品 常設展示場所】 ✨常設作品を増設‼️‼️✨ 栃木県栃木市河合町4-16 tel: 050-5359-7563 Eat Me Sandwich 2F ギャラリー結 (*)是非ご来場ください 【ギャラリー営業日/営業時間】 水、木、金 11:00am〜16:00pm 日 11:00am〜13:30pm 定休日 月、火、土 (*)但し、営業日・定休日は都合により変わります ✨✨✨✨✨✨✨✨ 筆を使わない墨絵アーティスト 荒川颼/SHU Arakawa www.shusumie.com Googleで『墨絵』または『ハンド墨絵』でトップ表示 #筆を使わない墨絵師 #墨絵師 #墨絵 #sumie #ハンドドローイング #handdrawing #日本を代表する墨絵師 #墨絵アーティスト #書道好きな人と繋がりたい #画家さんと繋がりたい #飛墨 #hisumi #唯一無二の墨絵師 #唯一無二の墨絵アーティスト #しゅう墨絵 #shusumie #生きる墨絵 #UNESCO #世界遺産 #ライブパフォーマンス #墨ノ祭 #ギャラリー結 #栃木 #tochigi (eat me sandwich) https://www.instagram.com/p/CoDsikhyhoe/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後���アンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた���会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後��を歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子���、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に���えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないか��思っています。
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スミワン12 グランドチャンピオン大会審査結果発表
5/30-31に、スミワン12 グランドチャンピオン大会が開催されました。 審査の結果、グランドチャンピオン及び審査員特別賞が決定しましたので、発表いたします。 受賞された皆様、大変おめでとうございました!
○スミワングランプリ 2019-2020 グランドチャンピオン
森本順子(獲得点数:116点(126点満点中))

○審査員特別賞
※並び順は、審査員の名前の50音順です。順位はありません。
・グウナカヤマ 賞 湯上久雄
・菅原晋 賞 桐洋生
・中嶋敏生 賞 セキマリエ
・ハシグチリンタロウ 賞 南岳杲雲
・Haru Yamaguchi 賞 木原光威
・山本尚志 賞 高濱渉
・渡部大語 賞 Yoko Morishige
○グランドチャンピオンへの審査員コメント
・グウナカヤマ 森本さんは昔から変わらないスタイルを貫いているところが良いと思います。 自分の中から溢れるモノをそのまま直球で表現されていて誰が見ても森本作品とわかるところがポイントで良いと思います。
・菅原晋 森本順子の作品はその文字の佇まいや言葉の選び方から世界に対しての優しさが感じられるのと共にユーモアも共存している。その味わいが鑑賞者の気持も優しくさせてくれる。
・中嶋敏生 森本さんは、生きるということと、作品が生み出されるということが完全に一体になっていて、すごいと思います。全てタイトルも画面も違うのに、どれも根底には共通した作家の想いが感じ取れます。自然体の絵と、確かな技術の書に、魅力が詰まっています。”この中から1枚選びたい。家に飾ってみたい”と思わせる力があります。純粋性と画面の魅力、そして、ファンの多さ。グランプリにふさわしい存在だと思います。
・ハシグチリンタロウ 絵と文という点では、とっくの昔に「詩書画」として成立していた形式ではあるが、それでもなお2020年代にみずみずしく映る。「詩書画三絶」のようなハイカルチャー志向ではなく、本人���「詩書画悶絶」の生活の中にあって、今ではただただ軽やかに森本さん自身が一枚一枚の上で遊んでいる。生きとし生けるものに心を寄せながら、めちゃめちゃうまそうに焼肉を頬張るような人間の矛盾そのものをこれからも素のまんまでGOだぜ。
・Haru Yamaguchi 「台所と海」これは文句なしの満点。毎日の日常生活の中で、食器洗いをしていると洗剤容器は途端に大きな海へと変容し、「洗剤は地球に優しいものなのか?」と自ら問いかける。それは単純に環境破壊を危惧しているということではなく、森本順子作品の全てに共通するテーマ「心から優しくなれるか?」という問いかけであると私は思っている。作品を直視しながら、私はこの作家の純真さと表象力にただただ感服するしかない。
・山本尚志 作品を作る能力が素晴らしく、次から次へと新しいものが出てくる柔軟性が最近出てきました。テーマも海外に出しても通用するユーモアがあり、しっかりブランディングが出来ていて、これが森本順子だというのがヒシヒシと伝わって来ます。今でもファンが多いし、いつプロになってもおかしくないアーティストだと思います。売れますよ、この人。
・渡部大語 森本ワールドそのもので、日頃の生活から生まれた言葉を、なんのケレン味もなく紙面に落とし込む伎倆は他の追随を許さない。この人がさらに一念発起して、大作にも取り組んだら面白いことになりそうな予感がする。
○審査員特別賞への各審査員からのコメント
・グウナカヤマ 賞:湯上久雄 湯上さんは線自体が湯上さんそのものの様に感じます。日々研究を重ね紙や墨に拘り、生活の隙間に硯をすり己自身の書と向かう、吸い込まれる様な空気感がとても良いと思います。
・菅原晋 賞:桐洋生 桐洋生の素晴らしいところは常に新鮮に紙と向き合い筆を持っているライブ感が伝わって来るところだ。良い意味で常に初舞台に立っているような覚悟もたたえている。
・中嶋敏生 賞:セキマリエ 漢字を通して自然を見つめているのだと思いました。漢字の象形に踏み入ろうとしているのではなく、抽象化された漢字の形はそのまま受け入れた上で、景色と一体で見つめていることに面白さを感じました。形が決まっている山と、刻々と変化する雲を同時に眺めることで、山が動いて見えたり、雲が止まって見えたりして、非常に面白い感覚を味合わえます。 海外に評価されるにはもう一つユーモアが必要なのかもしれませんが、純粋で魅力ある画面に、とても惹かれました。
・ハシグチリンタロウ 賞:南岳杲雲 文字というのはしゃべることがある。活字を黙読しながら音声を立ち上げていくのとは違い、書いた文字そのものが紙の上に実体として呼吸をしていて、呟いたり、わめいたり、語りかけたりする。 南岳さんはこうして一文字ひと文字に息を吹き込むできる人なんだな、というのが第一印象で、書くことに対する愛情がある。作品の中には抽象的なかたちが共存していて、おそらくこの喋る文字の主であろうが、具象的ではないそれは「わたしであり誰かである」という自他一体のなかに人が「在る」ということのように感じられる。
・Haru Yamaguchi 賞:木原光威 本来であれば読者が作者の主張・心情を美しく読み取るはずの「白い行間」を、読者の「勝手な想像から成る大きな塊」と解釈し、その重みを「黒い行間」として表象・転換する手法はお見事。素晴らしい作品。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」も秀逸。シリーズ作品としてのバリエーションも豊富で、観る者を飽きさせない作家としての底力も大きい。今後は、そのコンセプトを基盤に現代性・社会性を盛り込んだ作品を大いに期待しています。
・山本尚志 賞:高濱渉 大きな作品が作れるのが魅力。インパクトも空間処理もできる人。プロとして十分通用する1人だと思っています。この一年間苦労して頑張った印象がありますね。困難を乗り越えた凄みを感じます。テーマがシンプルなのも決して悪くない。ただ、もっともっとコンセプトワークをガチガチに固めないと。その辺の思考の量がまだまだ不足しています。将来性のある、スケールの大きな作家。まだまだ伸びる要素に満ちています。
・渡部大語 賞:Yoko Morishige この一年間で最も進化を遂げたのがYoko Morishigeであろう。広島会場でこのシリーズの初期作品を観たときは、「モノになるのか?」と些か疑問��抱いたものだが、見事な作品へと昇華させた。


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エリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか』
この本を読んで、このところ急激に進むテクノロジーの抽象化が、脳科学で説明できることを知った。それだけではない。本書には、抽象絵画の理解と日本文化との親近感を示唆する記述も多い。非常に読み応えのある本だったので、要点を整理しておきたい。
中心概念となる「ボトムアップ処理」と「トップダウン処理」
本書は、脳がアートをどのように知覚するかを、脳科学の知見から論じたものだ。その中心概念は、脳の機能として生得的に備わっている「ボトムアップ処理」と、認知、想像、学習といった高次の心的機能の総合作用である「トップダウン処理」の二つに置かれている。この機能とアートの関係をひとことでいえば、具象画はボトムアップ処理によって理解され、抽象画はトップダウン処理によって理解される。
本書の面白さは、脳によるアートの理解を、単に脳の構造と関連付けるだけでなく、J・M・W・ターナーが初期に制作した風景画から、光と空間を作品化したジェームズ・タレルの現代アートまで、脳が対象を自然から抽象へと還元していくプロセスとして示したところにある。これによりわたしたち読者は、抽象画への理解をあたかも脳の進化のように体験できるのである。
本書によれば、進化のプロセスは時間軸に沿って一方向的であり、このため「脳の進化の体験」は目に見える具体的な情報の除去とつながっている。
しかし、カンデルは、情報の除去そのものが進化だとは言っていない。除去された情報を埋め合わせるように脳内で起こる、目には見えない新たな情報の生起が脳の進化の鍵を握っているという。その脳科学的な表現が「トップダウン処理」であり、芸術表現の「抽象画」が処理のスイッチとして機能する。
脳の進化は、第一義的には抽象画を制作する作家の脳内現象だが、それが作品として残されるため、結果的にわたしたちは抽象作品に接することで具象画に含まれていた要素を除去し、脳内にトップダウン処理を引き起こす媒体として作品を活用することになる。
抽象化が進むテクノロジー社会
このカンデルの指摘が興味深いのは、このような抽象化が芸術表現の世界だけではなく、科学やテクノロジー、さらには社会全般にも広く当てはまるように思えることだ。
最近ではあまり耳にしなくなったが、Industry 4.0に代表されるように、産業革命を起点に技術は電気、電子、情報、そしてサイバーシステムへと段階的に高度化の道を歩んできた。このことは製造技術もまた、具象から抽象へと進化していきたことを意味��ている。黒塗りのT型フォードよりAIのアルゴリズムの方が抽象度が高いのは明らかだ。
技術だけではない、これは身近なビジネス社会にも当てはまる。グーグル、アップル、アマゾン、トヨタは世界を代表する特徴的な企業だが、それぞれに検索、デザイン、情報、モノを通じて消費者や社会と関係づけられている。
ところがこのところ、アップルはサブスクリプション、アマゾンはAWS、トヨタはMaaSといったように、そのどれもがグーグルに象徴されるサイバー空間に向けて大きく舵を切りはじめた。
これはたんにモノからコトへといった変化ではない。いまなおアップル、アマゾン、トヨタはそのビジネスの中核をiPhone、書籍、クルマなどのモノに置いているからだ。しかし、それらはすでに物理的な役割からサイバー空間に接続するための媒体へと、実質的な機能を変貌させている。
このように、具象から抽象への変化はアートだけではなく、テクノロジー社会の隅々で起きている大きな流れだと考えられる。
還元主義がテクノロジーの高度化をもたらす
それでは、テクノロジーがアートと同様に抽象化に向けて進化している現実は、わたしたちにどのような影響や恩恵をもたらすのだろうか? これはカンデルが「アーティストは、この対話からいかなる恩恵をうけられるのだろうか?」(p.204)と自問したのと同じ問いだ。
カンデルは本書の目的を、「科学の文化と人文文化の二つの領���に接点を見出し、二文化間の溝を埋めるための方法を提示すること」(p.11)に置いた。そして結末の一節で次のように結論づけている。
科学もアートも還元主義を適用することができる。結論をいうと、新たな心の科学は、知性や文化の歴史において新たな次元を開くことのできる、脳科学と芸術の間の対話を今や実現しようとしているのだ。(p.205)
この結論にテクノロジーを当てはめることもできるだろう。そうであれば、アートと同様にテクノロジーを還元することでも「トップダウン処理」が強化されるはずだ。例えば、内燃機関の設計よりもAIのアルゴリズムを表現する方が、クルマを作るよりもクルマを利用したコネクティビティを強化する方が、モノに密着した具象性が還元され「トップダウン処理」が強く働くことになる。そう、サイバーシステムはビジネス世界の抽象作品なのだ。
つまり、わたしたちがテクノロジーの高度化を目指すなら、アーティストが脳科学の知見を活かして内省の方法を強化するのと同様に、より積極的にテクノロジーを抽象化したり、抽象度の高いテクノロジーとの関係を増やすことが効果的ということになる。むやみにテクノロジーに没頭するのではなく、テクノロジーをドライブする際の脳内の反応を意識し、テクノロジーの抽象化をはかる必要がある。
経営を左右するトップダウン処理
こうした抽象化は、ビジネスの世界でも意識されはじめている。なかでもとりわけ見事な対応といえるのが、経営におけるアートの重要性を説く山口周氏の考え方だろう。
山口氏は、時代の先端はすでに「役に立つ」から「意味がある」へと移行しつつあり、「『役に立つ』の軸に沿って目盛りを高めるのはサイエンスの仕事であり、『意味がある』の軸に沿って目盛りを高めるの��アートの仕事」だと述べている。1)
これをカンデルの考え方に当てはめれば、山口氏のいう経済成長に役立ってきた世界は具象画に、意味がある世界は抽象画に対応することになるだろう。また山口氏は、小林秀雄の『美を求める心』を引き合いに次のように述べている。2)
(花に出会うと)その美しい花は一瞬で十把ひとからげに「菫=すみれ」という抽象概念に置き換わって認識され、処理されてしまう。その過程で「花の姿や色の美しい感じ」を受け止める感性は駆動されません。
これは一見、カンデルが着目する還元主義とは正反対の主張のように思える。しかし、「十把ひとからげの菫」は自動装置よって想起された情報であり、「花の姿や色の美しい感じ」こそが、ステレオタイプな菫から自由になった脳がトップダウン処理によって生起した、創造的な情報に対応づけられるはずだ。
いまやわたしたちは、具象を自動装置を介して受け入れる受動的な鑑賞者ではなく、抽象表現を媒体として脳内に創造性を発動する参加者の立場にいる。山口氏はその立場の活用こそが、これからの経営に欠くことのできない能力であり方向性だというのである。
このことは、ビジネスの手段であるテクノロジーにわたしたちが関わる態度への、重要な指摘になっている。技術者は感性という抽象能力を磨くことなしに、テクノロジーの高度化を進めることはできなくなりつつある。
トップダウン処理と日本文化の親近性
もうひとつ、本書で興味深かったことがある。それは抽象化を通じて脳にトップダウン処理をもたらす多くの事例が、日本文化の特徴を思わせることだ。本書には随所にそうした記述があるが、以下に典型的な三つを引用した。最初のはジェームズ・タレル、後の二つはカンデル自身の言葉である。
私の作品には、物体もイメージも焦点もない。では、物体もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのか? あなたは、見ているあなたを見ているのだ。私にとって重要なのは、言葉のない思考という経験を生むことである。(p.173)
遠近法や、対象を全体としてとらえるような描画を除去することでボトムアップ視覚処理の多くの基本構成要素を解体するばかりか、ボトムアップ処理が依拠している前提のいくつかを無効化する。(p.194)
抽象的であるとは、物質世界からある程度距離をとることである。それは局地的な高揚の一形態だが、それと同時に見当識の喪失、さらには混乱の一形態でもある。(p.201)
タレルの言葉に禅の無心や不立文字を思い出す日本人は少なくないだろう。二つ目のカンデルの言葉からは、モノクロ写真の意味や減算の美学、あるいは水墨画や空気遠近法を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。そして三つ目は、それらの全体を覆う色即是空的な仏教観を思わせる。千利休の「一輪の朝顔」も、対象の除去による構成要素の解体と言えるかもしれない。
本書には、抽象化の意味や働きと日本文化の関連を示唆する記述はないが、幸い日本にはタレルの作品が体験できる多くの場所がある。カンデル、タレル、日本のアーティスト、そして禅僧が集い語り合う機会があれば、どんなにすばらしいことだろう。
テクノロジーと抽象の行方
『なぜ脳はアートがわかるのか』は科学と芸術のつながりを両方の言葉で解明してみせた、実に興味深い一冊である。このことは、カンデル自身が本書の結語で述べているとおり、科学と人文学の新たな次元の対話のはじまりに期待を抱かせる。
しかし、それと同時にわたしは、さまざまな分野で起こりつつある対象の抽象化が、実は脳が好む快楽に導かれている現実に、茫漠とした不安を覚えた。脳は無邪気にトップダウン処理を働かせ、快楽を貪っているのではないだろうか?
本書はその疑問に答えてはくれない。妄想と承知の上で、トップダウン処理の果てに脳が行き着く『アキラ』の世界が脳裏に浮かぶ。アキラもまた、一切の疑問に答えることなく、テクノロジーの象徴である近未来都市を破壊した。あれは、抽象が具象を破壊する未来への予言ではなかったのか。
テクノロジーは間違いなく抽象性を高めている。しかし、脳が抽象を悦ぶのは、アートやテクノロジーの進化だけからではないはずだ。倫理の追求と高度化がなければ、快楽を求める脳の暴走を止める術はない。倫理こそがトップダウン処理の頂上になくてはならないと思う。アートがテクノロジーの進化をもたらし、その全体を倫理が統御する抽象の極みこそが、脳に仕組まれた最後の快楽であってほしい。
1)山口周『ニュータイプの時代』ダイヤモンド社, 2019, 位置No.3417.
2)山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』光文社新書, 2017, p.229.
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🌟アーティ���トのみなさま!🌟 。 #のねたま #APGやねうら雑貨てん のメンバーのTaigaさんがメンバーのxipetotec で 。 即興の音楽と絵の感性が爆発するパフォーマンスの参加者様を募集中! . ペインター参加費4000円(2ドリンク) . 以下Twitter @ PsioCAT より引用 。 2019/1/29(火)両国サンライズにてXipe Totec主催 ART MELEE(芸術迷麗)第0回開催! 音楽と絵の即興イベント。ペインター募集! 募集フォームより受付ています。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSesXcipmnvQRUqPlXEs9D47p_bCNKECZEKR_HeGrLYd2JMgZg/viewform 。 詳細はこちら http://www.xipetotec.psiocat.com/2018art-melee0_1/ 質問は応募フォームよりお願いいたします! 以下もっと詳しい詳細 。 「ART MELEE~芸術迷麗~零 (プレ)」 。 ■要項 。 絵と音が文字通り「MELEE(乱闘)」するイベントを開催します。 複数のペインターと演奏者(ノイジャン)たちが25分の枠で音と絵を表現。 。 即興バンド(ノイジャン)+10名ほどのペインターで同時に描き、1ステージ25分となります。 3ステージ行う予定です。 。 基本、演者たち(ペインターとノイジャン)は即興とし、 絵と音が絡み合うような空間を目指します。 ペインターは1m×1m以内の床に紙等のペイント対象物を設置し描いて頂きます。 また、毎回、演者・観客の投票によりベストバウト賞を決めたいと思っています。 。 ■場所 。 両国SUNRIZE http://livehousesunrize.jp/ 〒130-0026 東京都墨田区両国4-36-6ガラス会館B1F 03-5600-7337 [email protected] 。 ペインター参加費 4,000円(2ドリンク含む)(+1,000円で23:30まで飲み放題) ※お客様一人目から500円のキャッシュバック 。 ■日程及びチケット 。 2019/1/29 (火) 顔合わせ 18:30/Open 19:00/Start 19:30 。 前売2,000円(800円+2ドリンク1,200円) 当日2,500円(1,300円+2ドリンク1,200円) ※2ドリンク1,200円の代わりに+2,000円で飲み放題に変更可 。 ペインター参加申し込みフォーム(1月中旬締切) https://goo.gl/forms/xJBPOVVMiO6yidb42 。 詳細ページにさらに詳しく書いてあります。 https://wp.me/P9NRMS-g2 。 よろしくお願いします! 。 #art #artist #artwork #ivent #募集 #告知 #ペインター募集 #参加者募集 #xipetotec #Taiga #両国 #墨田区 #両国サンライズ #ライブパフォーマンス #アート #爆発 #芸術 #芸術は爆発だ #絵 #初めてOK #ペインター募集 #ライブペイント #ライブ #ペインター #パフォーマンス #パフォーマー https://www.instagram.com/p/BrzxqR1nzsg/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=qvn4c51hexv5
#のねたま#apgやねうら雑貨てん#art#artist#artwork#ivent#募集#告知#ペインター募集#参加者募集#xipetotec#taiga#両国#墨田区#両国サンライズ#ライブパフォーマンス#アート#爆発#芸術#芸術は爆発だ#絵#初めてok#ライブペイント#ライブ#ペインター#パフォーマンス#パフォーマー
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202205
観劇予定が吹き飛んでしょんぼりしていたところに、仕事で大きめのミスを2回ほどやらかし(2回目のはたぶんお客さん側の方が…とは思うし、他の人もそう言ってくれたけど、言った言わないになると弱い立場…)くさくさしていたところ、誘ってもらって薔薇を見に行ったり、お肉を食べたりして救ってもらった5月は美しい季節。旧古河庭園に実は初めて行きました。雨が降った後の緑のにおいが濃いのはいい。薔薇の香りも良いし水も滴る肉厚な薔薇の花びらは宝石でも載せてんのかいってくらい美しい(美しさをぶち壊す語彙)、お茶室で抹茶と茶菓子の菓子には薄荷が使われていて甘さと爽やかさが絶妙で好きな味だった。お肉はメンタルに効く。
篠田桃紅展、墨を使った作品は湿度の多い日に見ると、乾いているはずなのにどこか筆のしっとりとっぷりした感じが蘇ってくるようでいいなと思う。桃紅という名前が美しくて好き。書については全然詳しくない。素人もいいところなんだけど、まぁだいたいのものを気持ちがいいなとか雰囲気で見ているのでいつもと変わらない。
ジャム・セッション石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策。長い!展覧会名が長い!お前はブリジストン美術館!というのは全然時代について行けてないひとみたいだから、そろそろやめた方がいい。でもなんでアーティゾン美術館…前はブリ美って言ってたけど、いまはゾン美なんだって。実はゾン美になってから始めて行ったので、ずいぶんと綺麗なラグジュアリーな空間になってちょっと落ち着かなかった。エレベーターとかに係の人がいると、いつもいや自分でやるから…の気持ちになるので一生庶民…エレベーターで上に上がる展示室の美術館、親切設計で係の人がいるのは分かっているんだけど。展覧会の内容、 鈴木理策×ジャコメッティのが一番面白かった。写真は 柴田敏雄のエモーショナルの排除、ごくシンプルに見えてダイナミックなものが普段見ている写真とは違って新鮮だけど、絵画における抽象画といわれると、何となくわかるようなそうでもないような。その後の Transformation 越境から生まれるアートはふ~んで終わってしまった。正直なところ、ルノワールがそんなに好きではない。幸村精市が好きだったから、好きになりたかった。昔はそう思わなかったけど、年を取るにつれて、腐っていく肉の塊だという表現について納得せざるを得ない気になってくる。常設にザオ・ウーキーの青い絵画があってほっとした。あれを見ていると、じわっと溶けていくみたいで心地よい。でもソファは前のほうが特別感があってよかった気がする。記憶のかなた。
スコットランド国立美術館美の巨匠たち、言い過ぎでは?と思った。確かに ラファエロ、エル・グレコ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、ヴァトー、ブーシェ、コロー、スーラ、ルノワール(HPからコピペ)あったけど。ベラスケスは確かに良かったし、レンブラントもまぁまぁだけど、巨匠の中に ヴァトー、ブーシェ、コロー、スーラ、ルノワールは入るのか?ラスキンの聖母とか、あと個人的にはヴァザーリの習作が見れて嬉しい。普通に上手だな~と思う。イングランドとスコットランドの画家だけだと弱いんだろうな、とは思うんだけども。でもそっちメインでまとめた方が面白かったよ、きっと。章立ても…
ボテロ展、思ったより楽しかったな。丸くて太った造形にしか興味がないのは、潔くてさっぱりしていい。静物画は特にそう。
泉屋博古館の光陰礼賛もいい。わたしはキャプションに女流画家と書かれるのが嫌なのですが、女性画家と書いてくれてよかった。記憶違いだったら恥。よく言われるのは、男性画家とは言わないのにというのはそうなんだけど、ここになるといろいろ面倒なので、割愛。昔の金持ちはセンスがいい。斎藤豊作は印象派、点描という���ードがあったのだけど、画面の印象はナビ派っぽくて面白かった。
イケムラレイコ展は何年か前に行ったのがいつだったか調べてみたら2019年で記憶では3年も前ではなかったのに。そうか3年も…3年しか…?絵画よりもアルカイックな顔の半透明なガラスがライトに照らされてぼんやりそこにあるのが綺麗でよかった。人がいない方がしんとしていて、作品をぼんやり見ることができる。撫でてみたいな、冷たいのかな、凹凸はどんなだろうと想像しながら見てみると、そのまま引き込まれていくような、そうでもないような。「限りなく透明な」。そのまま パウロ・モンテイロ展「場所のない色」に入って、それまでの暗い中の光から一変して、明るい中の色に途方に暮れてしまった。ブラジルの現代アーティストらしい。よく見ると可愛いなって思えてきて、面白かった。




今月の映画は刀剣乱舞の花丸だけ。正直なところ、さほど期待はしていなかったから、逆に面白いと思った。一部の刀の描かれ方について、もともと花丸って不平等に描き方が特化している刀とそうでない刀がいるので、あらゆる派生の中で一番我々の描く同人誌っぽいので、ハイハイと流してしまう。推しさえよければいいのか(花丸の中で推しというか旦那である大般若長光の描かれ方はパーフェクトだった)と言われた黙るしかないけれど、このコンテンツにいちいち何かを言っていたらキリがないので、2.5にしろ何にしろ、もう好きな時に好きなように摂取します。
読んだ本『犬の心臓・運命の卵』高校の教科書に載っていたら、女子たちがドクター・ボルメンタール×フィリップ・フィリーパヴィチで盛り上がっただろうなという最低な感想。犬は悪くない、いつだって人間が悪いよ。運命の卵、ちょっと笑った。ルシア・ベルリンの新しい作品集『すべての月、すべての年』の表題の作品が一番好き。海の中で海の生きものみたいに回転しながらまぐあう男女と離れた瞬間にタコ墨みたいに漂う白い精子、馬鹿みたいに美しいのに馬鹿みたいにシモの話で、でも健全なふうに書かれるし、ラストはそんな情緒から落とすみたいな別に落としてはいなくて、予想の範囲内なんだけど、それまでの寄り添いから付き離れるので、さらっと終わるので、情感に余韻がないのがまた乾いてい���最高。京極夏彦『書楼弔堂』は最後の章タイトル未完がほんとうにずるい、こういう終わり方をする、これはずるいとなる…出来事なんてたいしてなくて、ただキャラが本屋で話をするだけでこんなに面白いのはさすがだなぁと思う。北村紗衣『批評の教室』を読んで特に批評がしたいわけではないけど、何となく確認したほうがいいような気がして。関係ないし、特に調べようと思ったこともないからぼんやり、クリストファーノーランの作品て見てて息苦しいなと思っていたのだけど、やっぱりそういう特徴があることが分かって、すっきりした。いつかテネットも見ようと思う。
追記:何か忘れていると思って、読んだ本にアンナ・カヴァンの『鷲の巣』があったのを思い出した。得意の不安と不条理の話。語り手である「わたし」の精神状態が最初から最悪の状態なので、「わたし」に共感できるものも何もなく、ただ嫌な男であって、圧倒的自然への畏怖以外に共感できることはなく、ただひたすら不条理への不安を共に肌で感じ、また読者は「わたし」の気持ちや他者への態度に対して不快な気持ちになり、ずっと快楽とは程遠い読書になる。カタルシスもなく、不条理は不条理として淡々と処理させる。でも結末を見届けなくてはいけない気持ちになって、ページを繰っていく。
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奈良県立大学 現代アート展「船/橋 わたす2021」(開催のお知らせ)


奈良県立大学 現代アート展「船/橋 わたす 2021」 失うための対話 黒川岳 三枝愛 妖怪書家/書家 逢香 山本聖子 西尾美也 会期:2022年1月19日(水)~21日(金)・23日(日)~25日(火) 13:00~17:00 場所:奈良県立大学コモンズ棟2階オープンスペース・3階リフレッシュゾーン 入場:無料 主催:奈良県立大学 地域創造学部 西尾研究室 企画:佐藤利香(奈良県立大学コモンズゼミⅠ[西尾ゼミ]2年)
「船/橋 わたす」は奈良県立大学地域創造学部西尾研究室が、本学を舞台に2017年から開催している現代アート展です。地域資源を発掘し、様々な価値観や異質なもの同士を現代アートの力でつなぐことを目的としています。 今年度は、大学の今と向き合うための展覧会として、5名のアーティストをお招きします。現在本学では様々な変化が起こっています。キャンパスの再整備に伴う一部の校舎の取り壊しや新校舎の建設、教育カリキュラムの改変、コロナ禍で激変した生活……。失ってから悔いることのないように、大切なものを置き忘れたままにしないように、今一度本学を見つめ直す時空間が必要だと考えます。 また、変化の中で私たちが思うことはそれぞれに異なっているはずです。他者にとって異質と言えるかもしれない価値観を対話によって共有することが、大学の今を知るきっかけとなるかもしれません。様々な思いを抱える私たちが、ものと土地を見つめる力に長けたアーティストとの語らいを通して、変化によって失われるものとの向き合い方を学びます。
プロジェクト内容 1. 展覧会 黒川岳 三枝愛 妖怪書家/書家 逢香 日時:2022年1月19日(水)~21日(金)・23日(日)~25日(火) 13:00~17:00 3名のアーティストをそれぞれ本学にお招きし、構内をめぐっていただきました。そのときの対話の様子を編集した映像を展示します。
2.トークイベント 山本聖子 日時:2022年1月23日(日) 13:00~15:00 アーティストの山本聖子さんをお招きし、参加者と共に構内をめぐりながら、私たちの現在の大学生活について話し合います。
3. ワークショップ 西尾美也 日時:2022年1月25日(火) 13:00~15:00 自分たちの場所を獲得する行為を通して、大学という土地と私たちの関わりを見つめ直すワークショップを開催します。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、学外の方は事前に予約が必要です。鑑賞・参加をご希望の方は、問い合わせ先のメールアドレスよりお申し込みください。 ※今後の新型コロナウイルス感染症やその他の状況��よっては、イベントを中止、または内容を変更する場合があります。 ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、感染予防対策を徹底して開催します。
アーティスト紹介 黒川岳 Gaku Kurokawa 1994年島根県生まれ、京都府在住。音を奏でることや聴くこと、あるいは様々な対象に「触れる」という行為についての考察を出発点に、彫刻やパフォーマンス・映像・音楽などの手法を用いて作品を制作している。奈良県立大には「船/橋 わたす 2019」への参加をきっかけに初めて訪れ、当時の在学生たちに工事中の大学を案内してもらいながら作品を制作・展示した。
三枝愛 Ai MIEDA 1991年埼玉県生まれ、京都府在住。2018年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修士課程修了。近年の主な活動に、2021年「ab-sence/ac-ceptance 不在の観測」(岐阜県美術館)、「A Step Away From Them 一歩離れて」(ギャラリー無量/富山)、 個展「尺寸の地」(Bambinart Gallery/東京)、「沈黙のカテゴリー | Silent Category」(Creative Center OSAKA)などがある。また、アートコレクティブ「禹歩」として、HAPSスタジオを拠点に活動。
妖怪書家/書家 逢香 ouka 1994年大阪府生まれ、奈良県在住。奈良墨と奈良筆を使い、書道を専門に水墨画や妖怪画作品を制作。妖怪ウォッチシリーズ「黒い妖怪ウォッチ」のキャラクター・タイトルデザインを担当。「橿原神宮 御鎮座百三十年記念大祭」揮毫。世界遺産 元興寺の新絵馬の書・画・印デザイン担当。2020年には世界遺産 金峯山寺にて個展開催。NHK奈良「逢香の華やぐ大和」出演・美術担当。奈良市観光大使。
山本聖子 Seiko Yamamoto 1981年京都府生まれ、福岡県在住。2006年京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術表現専攻 修了。「気配の色」をテーマに自身の身体をとりまく状況を映像インスタレーションなど様々な手法で表現する。2013年ポーラ美術振興財団在外研修員としてメキシコシティに滞在。主な展覧会に、2021年VOCA2021(上野の森美術館)、 2020年個展「黒の先に落ちた赤」(駁二大義區漾藝廊/台湾)、奈良町家の芸術祭はならぁと(橿原市今井町)など。
西尾美也 Yoshinari Nishio 1982年奈良県生まれ、同在住。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。文化庁芸術家在外研修員等を経て、現在、奈良県立大学地域創造学部准教授。装いの行為とコミュニケーションの関係性に着目したプロジェクトを国内外で展開���代表理事を務める一般社団法人CHISOUの運営で、2022年1月に奈良のまちなかにアート・ファッション・学び合いの拠点「DATSUEBA」をオープンする。
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グラフィックデザイナー4人展「SHARE」が終わった。 大まかな感想はInstagramに書いた通り。
会場選びしてた頃、みんな会社勤めだったから平日の在廊厳しいな…って話になり、お店の方が常駐されてるところを探して決めたのだけど、アルバスさんはそもそも写真館なのでグラフィックだけの展示は今回が初めてとのことだった。2Fのスペースを利用させていただくのは初期の10zine依頼だったけど、規模的にもお客さん層もよくて、ここにして本当に良かった。会場の雰囲気があたたかい…。
そういえば、自分の作品のことを個展のときほどあんまり文字で解説してなくて、見に来てくれた人に口頭でロボのように繰り返し説明してたのだけどうまく伝わっただろうか。見てくださったお客さんからお聞きした感想のなかで「生き物みたい」とか「なにかのようで、なにものでもない」と言われた時は、やりたかったことが伝わってるかもって思ったけど。 メンバーとのzoom会議で、「生姿画」というワードとラフを元に簡単に説明した時に「千里イズムですね~」みたいなことを舞花さんから言われた。半笑いでありがとうございますって微妙なリアクションしてしまったけど、これも嬉しかったやつ。「いつもこういう感じのを作ってる人」みたいなわかりやすさが自分に無いのがちょっとした悩みだったから。 他の3人も、わたしが以前見た作品とか「こういうの作ってくれそう」っていう予想とは違うものが出てきたのも良かったし、今回の展示で3人がちゃんと自分と向き合ってくれたから、知らなかった一面を知ることができたのも良かったと思う。
さてさて、ここからは自分の作品について文章にしてみよう。
…
生姿画-せいしが- なにを描くか、よりも どのように描くか、を意識しながら 〈生物〉と〈静物〉の間のような 架空の存在を形作りました。
…
この文章は会場に設置してたキャプションに書いてたもの。 もうちょっと詳しく説明しよう。
生姿画を作ろうと思ったきっかけ
以前、花をモチーフに人間味を表すような絵面でなんかできないかとぼんやり思ったことがあったのだけど、形にできる気がしなくて結局作らなかった。アイデア段階でお蔵入りしたやつ。今回、ずっと前から自分のなかにあるギャップを埋めるための作品をつくるという目的ができてから、そのお蔵入りしたやつに似たイメージが湧いてきたような感じだったと思う。こういった、別の時期に考えてた何かと何かが結びついた瞬間って説明しようがないから気のせいかもしれないけど。 ギャップっていうのは、「かっこいいグラフィック作ってるぜ感を出したいのに絵っぽくなる」みたいな、作風を自分の憧れに意図的に近づけることができない感じのこと。今回こそはかっこいいグラフィック作品として見せたくて、でも反対に「デザイナーが作るものって全部“デザイナーが作ったほにゃほにゃ”として見られるやん」というジレンマもあって、「デザイナーのつくった作品」からの脱却も目指した。「アーティスト」とか「イラストレーター」とかいう肩書きを付けられるほどやってないし、ていうかしたくないし…みたいなことを考えながら、正直上手くいくかわからんなーと思いながら実験のような感覚で作った。
形のこと、印刷のこと
グラフィックと絵の違いってどの辺から生まれるんだろう?っていう疑問があって、今回は「グラフィックを作る」という目的はありつつ、アナログ要素を入れてみたり、いつもしないような手順を踏んで足し算気味で形を作っていった。もしかしたら途中やってた作業は無駄だったかもしれないけれど、紙の上や画面上で、粘土みたいに形をこねて作ってた感じ。アナログとデジタルを行ったり来たりしながらも最終的に印刷物として展示することが目的だったので、原画の作り方や道具には特にこだわらず、コピー取ったりスキャンしたり、日頃の慣れたやり方で進めてた。 ただ、印刷は今回失敗したなーと思った。ベタ面が多すぎて「絵より脆い印刷物」みたいになってしまった。軽い段ボール板みたいなので挟もうとするとその跡がうっすらついてしまうくらい繊細だった。フレームに入れた状態で販売するなら別に良いけど、一旦取り出したり、ひと手間加えてフレーム無しで渡すならそれなりの表面加工が必要だったみたい。次は失敗しない。
グッズのこと
販売用のグッズ的なものを考えるとき、最初は生姿画をまとめた図録的なZINEを作ろうと思ってた(だから16図案作った)。けど、もう時間も残されてないし、ニューグラフィー直後で冊子を作ることに若干飽きてしまったし、なにより「アートボードに画像を配置して、入稿して、ひたすら製本して、袋詰めする作業」をしてる自分の姿しか見えてこなくて、つ、つまんねぇ〜って気持ちになってしまった。あと、今の時代誰でもグッズを作れるようになったことで、ただ業者に発注して印刷しただけのものを販売するのも楽しくなくて、今回初めて印刷物に一筆入れて仕上げたやつを販売してみた。意外と好評だった。リソでプリントした紙に白い墨汁で書き入れただけなんだけど、やってる自分も楽しかったし、ペラ紙を売ってる自分もなんか思い切りが良かったな。
…
自主制作って、仕事でのデザインしかしなくなったら酷いものになっていく一方だと思ってたし「こどもの描く絵には敵わない」と同じで、学生が作ったものの方が面白かったりするのだろうなーとか思ってたけど、無知で自由に作れてた筈のあの頃よりも今回の展示は自由だったというか、楽しくやれた自信がある。 デザイナーという自分の立場と、どう��られたいか?これをやる意味とは?みたいなところを意識してやれたのも一皮剥けた感あった。自画自賛。来年もちょこちょこ何かしら参加する予定だけど、次もきっと大丈夫だと思えた。
仕事以外では「デザイナーからの脱却」を目指したいけど、たぶんデザイナーとして何か作ってよ的なことにも参加するんだろうな。その時は、松本ブレてるな〜と思わずにやさしい目で見るか、見なかったことにしてほしい…。
来年か再来年かわからないけど、自分から声かけてまた何かやってみたいし、小規模で良いから場所借りて発表したいな。
良い年越しができそうでほっとした。
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居酒屋たつみオーナー 前田喜朗さんインタビュー

今回、居酒屋たつみグッズ制作にあたって、寛大なご協力をいただきましたオーナー前田喜朗さんに一人のたつみファンとして色々とご質問させていただきました。
――本日はお忙しい中ありがとうございます。
前田 いえ、よろしくお願いします。
――色々ご質問を考えてきたのですが、前段でちょっと気になっていたことがありまして。店内で70年代や80年代の海外の音楽がいつもかかっているのですがあれって前田さんのご趣味なのかな?と思いまして。
前田 そうですね、私が好きでして
――なるほど、洋楽チャンネルみたいな放送ですか?
前田 いいえ、私がパソコンで編集したりそのままベスト盤的なものを流したりしています。もちろん邦楽も聴きますが、中学の頃から洋楽を聴いてましたね。あの頃の音楽に既に今ある音楽のアイデアみたいなのは全部出ていた様な気がしますね。店で流れている音楽は地域も関係なく気持ちよければOKみたいな感覚です。
――おお!やはり。特にこれ!というアーティストさんなんかはいらっしゃいますか?
前田 みんな好きなんだけどね。中学の頃にビリージョエルの武道館、行きましたよ。イノセント・マンのアルバムの頃。ビリージョエルはイノセント・マンくらいまでのアルバムはレコードからCDにも買い替えて持ってますね。
――現体験的ルーツだったんですね!
前田 ソウルやディスコ系の音楽なんかも好きで流してますよ。
――音楽を好きな友人がみんな、たつみファンなのできっと前田さんの音楽愛が何か引き寄せているのかもしれないですね!
頭から話題がそれましてすみませんでした! 気を取り直して、ベーシックなご質問から。まず創業は?
前田 居酒屋としての創業は1980年。店としては前身があって、最初はうちのじいちゃんが甘味処をやってたんですよね。それが昭和43年(1968年)創業になりますね。鯛焼き屋も一緒にスタートしてます。
――たつみやさんですね。
前田 鯛焼き屋はもう53年ですね。甘味処をやめて鯛焼き屋を残して、うちの親父が居酒屋にしたのが41年前ですね。
――次に鯛焼きのたつみやさんとの関係性を伺おうと思ってました(笑) 正にこれですね。たつみさんって、手作り料理の印象がすごくあるのですが、例えば餃子も皮からとか、ドレッシングまでも。そのスタイルは創業からなのでしょうか。
前田 もう僕が引き継いだ時には既に手作りでやってました。社員として22~3の頃に入社したのですが、その頃から既にですね。
うちの親父がサラリーマン辞めてじいちゃんに呼び戻されて、甘味処を継いで、甘味処から居酒屋にしたのですが、脱サラなんで料理は素人なわけですよ。
それで下北沢にある雷やという居酒屋があって、そこに給与なしで1年ほど修行に行って覚えてきたんですけど、修行元が手作りだったんでしょうね。
そのままそのスタイルが今でも引き継がれて、どんどんメニューも増えていって。ほとんど90%くらいは手作りですかね。
――メニュー見てるだけでも楽しいですよ! 壁のお品書きや張り紙には八戸直送とかやっぱりワクワクする言葉が躍っているのですが現地とのコネクションみたいなのがやっぱりあるんですか?
前田 うちの親父は旅行が好きだったり、後は商店街のお手伝いをやってたりで優良商業地の視察なんかで色々な土地を回ってた時代があったんですよ。
その頃に青森の陸奥湊(八戸市)の市場に行ったりすると、そこでオイランガレイとかスケソウダラ、塩漬けのうにを売ってるんですけど、そういった先々で親父が現地から送ってもらえるよう話付けて来てといった感じですかね。和歌山太地町の鯨なんかもね。
八戸は現地のおばあちゃんがずっと送ってくれてたんだけど、一時急に連絡取れなくなっちゃって僕が現地に急遽行って話を聞いたらお亡くなりになっててそれで今度は僕が同じ様に新たに別の所から送ってもらえるように話してきたりしました。今は品切れしてますが、河口湖の方から馬刺しを送ってもらったりなどあります。
――そんな豊富なメニューにもたくさんおすすめありますが、ずばり今の前田さんおすすめは何でしょうか?
前田 今力を入れてるのはお刺身ですかね、週3回は豊洲に行ってます。1日置きですね。常にいいネタが揃った状態なので是非色々な方に食べていただきたいですね。
――ちなみに本日ですとおすすめは(11/5)
前田 今日は福岡のアジが入ってたり相模湾のメジマグロだったり、白子が出始めてますね。後は青森の鯛ですかね。 日によって変わりますね、これはあくまで今日のおすすめですので。
――毎日要チェックですね! さて、今グッズ作るので色々と素材をお借りしていおりますが、居酒屋たつみのマスコットのキャラの猫ちゃんですが彼?はどこから現れたのでしょうか?
前田 猫ねえ、昔からあるんだけど、酔っぱらってる猫のやつはね
――ビール持ってる方ですか?
前田 そうそう、あれはそういうの好きなお客さんがデザインしたって話だけど、それをうちでそのままもらって。後、横向いてる方は
――升持ってる方ですね。
前田 あれは僕のいとこがデザイン系の仕事しててそれで描いてくれて。店内にある版画なんかも全部いとこが作ってる。
――ああ、階段のYES! TATSUMIとかですね。
前田 そうそう。
――他にも店内に水墨画風の猫とか居ますけど、あれは
前田 あれはねえ、大昔のお客さんが書道家さんらしくて、金が払えないからって理由で絵を持って来るらしいよ(笑)結構ちゃんとした書道家らしいけど
――(爆笑)でもお金がない。それで猫を描いて、、
前田 その頃にはうちのキャラクターが猫になってたから水墨で描いて来たんじゃないかな(笑)
――あの水墨画、��になってたんです(笑) あと、もう一つ。世田谷区からの賞状が飾ってあったのですがあれは何の賞なんですか?
前田 あれは「個店グランプリ※」って言って世田谷区の商店街連合会がやってる個人店舗を様々な角度で評価してグランプリを決めるやつで、推薦は誰かがしてくれてて知らぬ間にエントリーされてたんですけど。それがグランプリを取っちゃったと。誰かの推薦があって150店舗ぐらいが取り上げられて、覆面調査員みたいな人が入るらしいんですけど。今度10店舗ぐらいに絞られた時に審査員みたいな人がお食事に来て、その後にグランプリの報告があって。
京王プラザホテルに呼ばれて区長から表彰されました。それで喜んでたんですけど、2020年1月に表彰されて2月にコロナが広がって、、
※世田谷キラリ輝く個店グランプリhttp://ukiuki-setagaya.com/grandprix/index.html
――中々の良い宣伝になりそうなんですけどね。もったいないですね。僕はこれを機に改めてこの事伝えたいです!
前田 ありがとうございます(笑)
――お忙しい中ありがとうございました!
この後、店内の版画や絵の写真を撮ったのですが、たつみ店内に飾られている前田さんのいとこ、TAKESHI UCHIUMIさん作の版画はポストカードセットで販売していた時期があり、それをいただきましたのでこちらに掲載させていただきます。
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📺とちぎHOTSTATION取材シーン📺 先日7/9開催のしもつかれビスコッティイベントのテレビ映像キャプチャだけ致しました☺️ ✨しもつかれブランド会議 ( @shimotsukarebrand )×SHU Arakawaコラボ✨ かねふくストア様開催 ( @sanaekumakura ) ご予約の皆様へもうそろそろビスコッティお手元に届くと思います😊 是非食してみてください🙇♂️ このビスコッティには、麻炭(またん)が入っていて、身体の老廃物を取る作用があり、美・健康を考えたお菓子です。 しもつかれとは、栃木県の郷土料理。国から100年フードに認定されています。 伝統同士のコラボ企画が現代のスタイルで実現‼️ 映像は後で少しだけストーリーズ入れておきます✨ このビスコッティパッケージのデザイン ■七尾の狐 ■妖狐 下津家令絵巻のストーリーに基づいて描いた墨絵です 妖狐は、七尾の狐が人間の姿に変化した絶世の美女✨ しもつかれビスコッティコラボへご尽力くださいました @toru_aoyagi 様 @sanaekumakura 様 @rakia.0725 様 @tochigikobushi2018 様 ありがとうございます🙇♂️ また、SHU墨絵作品販売についてご協力頂いた @watayaningyo 様 @cha_marukyou 様 @lavieenrose100mc003 様 ありがとうございました🙇♂️ また、ここには載せてませんが、 影ながら応援くださいました方々購入くださいました方々にも心から感謝申し上げます🙇♂️ タグ、メンションの方省略しています🙇♂️ しもつかれビスコッティ アートと共に是非お楽しみください🙇♂️ #しもつかれ #しもつかれビスコッティ #七尾の狐 #妖狐 #玉藻前 #しもつかれブランド会議 #筆を使わない墨絵師 #ハンドドローイング #handdrawing #唯一無二の墨絵師 #墨絵 #墨絵師 #墨絵アーティスト #栃木県郷土料理 #栃木 #sumie #biscotti #生きる墨絵 #日本を代表する墨絵師 #日本代表の墨絵アーティスト #inkwash #inkwashart #indianink https://www.instagram.com/p/Cf7fEA_P82w/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#しもつかれ#しもつかれビスコッティ#七尾の狐#妖狐#玉藻前#しもつかれブランド会議#筆を使わない墨絵師#ハンドドローイング#handdrawing#唯一無二の墨絵師#墨絵#墨絵師#墨絵アーティスト#栃木県郷土料理#栃木#sumie#biscotti#生きる墨絵#日本を代表する墨絵師#日本代表の墨絵アーティスト#inkwash#inkwashart#indianink
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パール貝やエレガントなダークブラックラッカーの輝いていると
ベルベット・キャビアの腕時計は、古典的なプラチナを備え、ビロードまたは俳優シリーズのバラの金の挿入の場合、女性は彼らの時代の気分を表現するか、彼らの独特の性格の特徴をハイライトするのを可能にするためには非常に魅力的な多様性とダイヤルストラップオプションを提供します。これらの衝撃的な対比色、パール貝やエレガントなダークブラックラッカーの輝いていると、女性の優雅さと豊かさの多様性を与えます。輝くバンドを作った小さい黒いまたは白い結晶大理石のキャビアの視覚効果を模倣すると独特の「カスタム」の特徴を形成する。このユニークで革新的な材料で最もエレガントで正確な方法で輝くことができる、かすかなかすかな光のかけらもない。 エルメス財布スーパーコピー ロジェ・デュブイロバート・デュオの脚本は、彼の巧みな技術と専門知識についての「破壊的な材料」として、高分子ポリマーゴムライニング材に変換するブランドの新たに開発したレース経験を結合し、少量の「シンチレーションダスト」による反射効果。完全に新しい21世紀の材料の溶融固化する。そのテクスチャー織りの極端な優雅さに似ています。それは息をのむようです。
完全な黒いベルベットのキャビアを見て強い職場における文字と意志を与え、完全な白と銀の色合いと華やかな時間を夜のロマンチックな夢を届け、エレガントな黒のストラップと白いダイヤル機知と鮮やかな朝で示しながら、文字の組み合わせffee時間や昼食日付。……。多くの選択は、現代の俳優の様々な魅力を作ります! ために、素晴らしいハイライトエナメル質へとカービングクラフト、トウゾクカモメルコールターワークショップは、スイスのスイスの谷での転倒腕時計裏面フリップシェルの原型は、職人のマスターズの驚異的な傑作である。腕時計の正面の上の腕時計の絶妙なツイストコードで手彫りと半透明の明るい火のエナメル質に覆われ、調和と一貫性のある文字の後ろに装飾を実現する。 ボッテガヴェネタ財布スーパーコピー ケースの裏の絶妙なエナメル��微小描画技術で古典的な絵画のスタイルを反映する:フランスの点の絵画、中国の水墨画と日本の浮いている世界の絵。トウゾクカモメルコールターに使われることのないエナメル塗装技術の3つの種類を示すために、各ブランドの最高の絵のスタイルを反映していることを3つのマスターの傑作を選んで選択される。3つのマスターズは、フランスの画家ジョージshola(ジョージズスーラ)は、中国の画家徐beihongと日本画家葛飾北斎。
トウゾクカモメル・クールター、裏面のトリビュートエナメルフリッピングエナメル装飾的な芸術スタイルの完全な腕時計で絵画の傑作を表示するのに選びました、そしてより多くの特別なエナメル装飾のためのプラチナケースを作りました。
腕時計の正面の上の美しい装飾を表示するには、トウゾクカモメル・クールターの捩り身悶えマスターを使用して1世紀古い旋盤、旋盤を操作する高度な技術を必要とする。ダイヤルのねじり模様状の小さいダイヤモンドのパターンからなり、ダークグリーンの半透明のエナメル質の下で印象的な立体感を示した。 プラダ財布スーパーコピー トーン・ダイヤルの裏には、エナメル質微小の絵を仕上げるために、職人を研究するためにいくつかの時間がかかります。
日曜日の午後グランド・ジャット島)には有名な画家のジョージsholaから作製した(1859年−1891年年)明治17年(1884年から1886年(明治19年)。美しい塗装色の絵画学校の傑作である。新しいフランスの印象派の画家として、彼女は19世紀の最も優れたアーティストの一人である。当初、油絵としては、高2メートル、幅3メートル、彼は最終仕上げ作業の前に60以上のスケッチをするのに2年を費やしました。絵画のセナのリバーサイドパリ郊外のmarn川の美しい風景を描いて、自然と遊びにおいて快適であると感じるのをパリ居住者のための素晴らしい場所である。点色は絵画の伝統的な色の塗装方法を放棄したが、異なる色の小さな点を通して一緒に画像を形成し、視聴者の目が自然に色を混合していた。
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【NEWS】
上野の森美術館で行われる展覧会の音楽を手掛けております。
2019年に行われた『立体浮世絵展』の続編となる今回は、浮世絵の貴重な木番実物作品と現代アーティストの作品が融合する展示になります。
会期は4/25-26と短いのですが、入場無料、一歩外に出れば上野公園なので、密にならないようにご覧いただけるかと思います。
お近��の方、お散歩がてらどうぞお越しください。
----以下詳細----
【 THE WORLD OF UKIYO-E 】
2019年にKIRIEプロデュース、版三企画で行われた「立体浮世絵展」待望の続編を開催!
浮世絵に命を吹き込む現代アート展を今回も東京・上野の森美術館にて行います。
○葛飾北斎や喜多川歌麿らの代表的な名作の 貴重な木版実物作品の展示
●現在のアニメ、マンガ文化のルーツとされる「北斎漫画」の展示
○正統な技術を受け継ぐ職人による浮世絵の製作工程の実演、実物版木の展示
●浮世絵作品をモチーフとした和紙、墨、光、映像等を用いたインスタレーション
○令和の浮世を描く現代アーティスト達による作品展示
浮世絵に描かれた世界と、私たちの生きる現代とを繋ぐ空間を創造します。
………………………………………
「THE WORLD OF UKIYO-E」
2021.4.24(土)・25(日)
10:00〜17:00
上野の森美術館本館1階
http://www.japanpromotion.org/exhibition/theworldofukiyoe/
主催:一般社団法人ジャパンプロモーション
企画/制作:株式会社版三
空間演出:KIRIE
映像演出:青柳亮
CG製作:佐藤哲也
レーザー演出:MIU
音楽:小畑亮吾
参加アーティスト(五十音順)
EIJI/etsutsu/Eroca word/斎藤亮輔/サカクラ カツミ/塩崎顕/Stephan Leroux/時田美鈴/丸山純奈/Mónica/yosuké/渡邊直仁
本展覧会は、文化庁beyond2020のプログラムより認証を受けています。
………………………………………
#theworldofukiyoe #浮世絵 #一般社団法人ジャパンプロモーション #版三 #KIRIE
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★【中止】��宿眼科画廊にてグループ展 「MALE ART 2020 男のフェチズム展」を開催
2020年5月1日(金)~6日(水)にて開催を予定しておりました「MALE ART 2020 男のフェチズム展」ですが、 新型コロナウイルスに関する政府の方針に伴い、ギャラリーとも話し合いをいたしまして、開催を延期することとなりました。楽しみにされていた皆様、申し訳ございません。 皆様や社会の安全を鑑みまして決定いたしました。
日程が決まり次第、再びこちらでご案内させていただきます。 何卒ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。
引き続きのご声援どうぞよろしくお願い申し上げます!
2019年開催UNKNOWN ASIAで出会った、LGBTを意識するメンバー中心に4名が揃いグループ展を開催!ホットなガイがあなたの心を温めます 。
【開廊時間】2020年5月1日(金)~6日(水) 12:00~20:00(水曜日~17:00) ※木曜日休廊 【場所】新宿眼科画廊 https://www.gankagarou.com/ 〒160-0022 東京都新宿区新宿5-18-11 【入場料】無料
★TORAJIRO
現代アーティスト
【EDUCATION】 2000.3 武蔵野美術大学造形学部日本画学科
【EXHIBITION】 1998 グループ展「ゆかいな仲間たち展」(日本画) 1999 個展「昨日と今日」(日本画)
【BIOGRAPHY】 大学時代から男性や、男性の日常を題材にした絵の制作を開始。 卒業後、ニューヨークへ留学。 留学後、日本でグラフィックデザイナーとして働く傍ら、日本画・アクリル画をメインとした制作を開始。 2016年から、デジタルでの制作を開始し、デジタル作品をまとめたZINEをイベント等で販売。 2019年から、油絵の制作を開始。
【STATEMENT】 少年や青年をモチーフに絵を描いている。絵を通して彼ら(少年や青年たち)が言おうとしていること、社会や大人への不信感、彼らの秘密や猜疑心を見る人へ伝えようとしている。
【HP】 https://twitter.com/torajiro_art
★Shinji horimura
現代アーティスト
【BIOGRAPHY】 大阪市出身のアーティスト。男性人物画が専門。ルールが多く右へならえ的な日本を嫌い、25歳で単身ニューヨークへ。ディスプレイデザイナーとして生活しながら独学でアートを始める。世界のエスニック文化が好きで、当時は東南アジアや中南米の影響を強く受けた作品を描いていた。
【STATEMENT】 11年間のニューヨーク暮らしを終えて帰国すると、忘れられつつある地域の祭りや風習といった民俗文化に斬新さを感じ、祭りや神事で褌姿で奮闘する雄臭い男たちに土着的な力強さと神聖さ、エロスを感じた。嫌いだったこの国が実はインスピレーションの宝庫だということに気づき、「エスニックな日本」を追求するようになる。
画材もアクリルや油性色鉛筆など西洋のものから和紙、墨、水干絵具といった日本独自のものに一転。古神道や密教の神秘的な世界観の中に無骨で逞しい男性美を置き、自然が生み出す荒々しいパワーと漢の色気を重ねながら、日本画ではなくグラフィックデザインやストリートアートの要素を生かした独自の現代アートを展開している。
【HP】 https://www.truepath33.com/
★FUM
アウトサイダーアーティスト イラストレーター
【EDUCATION】 2018 甲秀樹 絵楽塾
【EXHIBITION】 2015 個展 「標本箱」 2016 グループ展 「lolol party」(ボルダリングジムとのコラボ展) 2016 グループ展 「art祭」(茅葺き屋根古民家を貸し切り数名の色々なアーティストとコラボ) 2017 イベント 「フラッグアート展」(宇都宮の商店街のアーケードにて飾られる)
【BIOGRAPHY】 自身がLGBTであり、男性ヌードをモチーフに独学でイラストを学ぶ。 ペン画にてアナログ画を中心に活動し、友人のアーティストらとともにコラボ商品などを販売。カフェやケーキ屋にてオリジナルキャラクターや看板デザインなどにも携わる。2018年から本格的に水彩画にて制作を開始。
【STATEMENT】 男性のヌードをモチーフにエロスをポップに描きあげる。 リアリティのある肉付きや身体付き、エロス、フェチズムな部分を、80年代、90年代ポップやファンシーに表現して描いている。
【HP】 https://twitter.com/FUM_art
★成瀬ノンノウ
腐女子の現代美術家
【EXHIBITION】 2019 アートフェア (UNKNOWN ASIA Art Exchange Osaka) 2018 個展「成瀬ノンノウ個展」(gallery UG,Tokyo) 2017 個展「美生物」(gallery UG,Tokyo) グループ展 先従隗始(gallery UG,Tokyo) アートフェア Expo Malaysia Plus( Malaysia ) 2016 グループ展 Haert of japan- マリーナベイサンズ(Singapore) アートフェア Art Expo Malaysia Plus(Malaysia) 個展「美生物」(gallery UG,Tokyo) グループ展「神宮前二丁目猥談」(ペーターズギャラリー) グループ展「The EMA Show」(America)
【PRIZE】 ペーターズギャラリーコンペ2011 鈴木成一賞次点 HB GALLERY FILE COMPETITION 2014 1次審査通過 AOMORI PRINT トリエンナーレ2014 1次審査通過
【BIOGRAPHY】 IT系企業で働きながら制作をおこなう。近年は日本画材などを使用し、男性を描いた平面作品を制作。関東中心に発表している。
【STATEMENT】 私は男性の絵を描く女性である。 平等で自由であるべき美術界にも“見る男性、見られる女性”という社会通念がそのまま反映されている。日本において例を一つあげるならば、女性が男性を描く事例が少ないという事実。あなたは容易にその背景について想像できるはずである。しかし、その流れは変化しつつある。 私は変化の狭間に居る人間として、男性の絵を描き、思考している。
【HP】 https://narusenonnow.tumblr.com/
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セルルックスタイルと印象派的カラー設計
日曜日に『ハリウッドアニメーション映画のアートディレクターによるライティングとカラーデザイン/伊藤 頼子 氏』(http://shop.cgworld.jp/shopdetail/000000000369/)のセミナーに行ってきたのだが、中で非常に興味深いことを言っていた。曰く、
・ハリウッド映画のカラー設計はアニメを含めて、印象派のそれであり、日本のアニメはカラーは多いが写実派である。
これは主に影における黒の使い方にあって、印象派の絵画では基本トゥルーブラックは使用せず、影にも様々なカラーを用いる、一方の日本の背景美術は、ジブリのそれであっても結構影に黒が含まれているとのこと。
こういう視点から今まで意識したことはなかったが、確かにその傾向はあると思う。ちなみに影の中にどのようなカラーを含めるかに関しては、CG的な知識としてはGI(グローバルイルミネーション)の範囲にあたる。つまり環境からのバウンス光によって引き起こされるカラーブリーディング現象が、具体的に影部分に含まれるカラーを決定する。
ここでさらに下のような興味深いツィートを読んだ。
https://twitter.com/Jun_Awazu/status/930102812683333632 https://twitter.com/Jun_Awazu/status/930103494047973376
上で書かれていることが正しいかどうかは、横に置いておいて、ここで考えてみたいのは、上の「黒」、そしてより広く捉えての「グレー」の扱いである。ちなみに映画全体のカラーキーを作ってみると、実写の多くはグレー系の画面が多く、アニメーションのほうがよりカラフルになる。むしろ通常だと実写はグレーっぽい画面が多くなってしまうので、むしろカラーグレーディングをすることで、キーカラーを目立たせるという演出をするのが普通である。
さて印象派という画風がどのように確立をしたかということを振り返ってみると、そこには日本の浮世絵が影響を与えているということが、美術史ではしばしば言われている。この浮世絵というのは、日本人が産み出したものでも代表的な大衆文化であり、ある意味初めてカラー絵画を大衆のための商品にしたものと言ってもよいだろう。その画題で重要なのは、風景画もあるが特にヒットしたのは役者絵や芸者絵だったと言われている。ちなみに浮世絵の多くは多色刷り木版画として作られており、その木版の中でも最後に墨を入れるための墨版を作る職人は、髪や目元などのキャラクターのポイントとなる部分を作る職人ということで、大変な高給取りであったという。
一方、印象派は、西洋絵画史でいうと初めて王侯貴族や教会のために絵を描くのではなく、裕福な市民のために絵を描き、さらにヨーロッパからアメリカに渡ることで現代のビジュアルアートへと繋がっていく系譜をつくったものとされる。つまり西洋絵画史における印象派とは、カラー絵画を大衆に解放したものと言えるだろう。
次に日本におけるセルルックスタイルだが、これは間違いなくディズニー経由で入ってきたものだろう。この��ルルックスタイルがディズニーで確立されていく流れは、『生命を吹き込む魔法』に詳しいが、ここで彼らが目指しているのは、「ただの絵の連続にすぎないものが、ある瞬間に生命を感じさせるその原理を解き明かすこと」である。彼らにとってはセルルックというのは、大量の絵をカラーで動かすための手法にすぎず、最終的には印象派的なものをずっと目指していたということは、想像に難くない。だからこそ、3DCGが高度な表現力を持ってくるにつれて、ディズニーメソッドはセルルックを捨てて、よりGIなどに対応しやすい現在のPBR的キャラクターを産み出したのだと思う。
それに対して、元々浮世絵という版画によるキャラクター文化を持っていた日本においては、セルルックスタイルはどのように受け入れられたのだろうか? これは想像だが、多く���大衆は動く版画として受け入れた可能性があるのではなかろうか?日本人にとって、キャラが黒の主線によってぱっきりと別けられており、そこに面を強調するカラーが配置されるセルルックは、浮世絵の伝統からみるとなじみの深いものであり、ディズニーにおける印象派絵画のエコノミー版とは違った意味をもっていた可能性が高い。
このことは、最近トゥーンシェーダーやNPR的表現をUnityの海外エンジニアやアーティストに見せた時の反応を見ると、改めて感じることがある。彼らは日本的なセルルックスタイルが嫌いな訳ではない。むしろセルルックで絵をまとめるという発想になかなか至らないだけのような印象がある。だから、よいセルルック作品は彼らに言わせれば「Cool」だし、同じように素晴らしいものなのだ。
おそらく日本のセルルックスタイルの3DCGは、より艶やかなキャラクターを表現する時に最大の効果を発揮すると思われる。それは浮世絵の伝統でもある。そのように表現の得意不得意を活かしながら、作っていくと今後も面白いように思う。
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【銀座店限定】注目アーティストとの限定コラボTシャツプレゼント!
創業50周年を迎えるこの秋、Gapは今最も注目すべき気鋭アーティストとの限定コラボレーションを続々開催しています。10組のアーティストが、Gap50周年のためにオリジナルでデザインした限定コラボレーションTシャツを制作。このTシャツを、期間中Gapフラッグシップ銀座で、Gapのこだわりをすべて詰め込んだ「1969プレミアムコレクション」をお買い上げのお客様に毎日先着でプレゼント!
■開催期間 2019年9月13日(金)~9月23日(月) ■開催店舗 Gapフラッグシップ銀座 ■イベント内容 期間中、「1969プレミアムコレクション」を含む15,000円(税込)以上をお買い上げで、アーティスト10組による限定コラボレーションTシャツ(10種類)のうち1枚を、毎日先着10名様にプレゼント。 ※プレゼントは各日先着10名様限定となります。 ※プレゼントのTシャツはなくなり次第終了となります。 ※本キャンペーンはGapフラッグシップ銀座のみでの実施となります。他店舗で1969プレミアムコレクションをご購入いただいた場合は、Tシャツプレゼント対象外となりますのでご注意ください。 ※本キャンペーンでご購入いただいた商品を返品、もしくは対象外商品に交換いただく場合、本キャンペーン特典である50周年限定コラボレーションTシャツもご返却いただきますのでご了承ください。 ※上記キャンペーンの期間/内容は、予告なく変更・終了する場合があります。予めご了承ください。 ※他の割引含む特典との併用はできない場合があります。詳しくはストアスタッフにお問い合わせください。 ■参加アーティスト

YOSHIROTTEN 「暑い熱い東京砂漠をテーマに、サイケデリックな夏を味わってほしくてデザイン。初のダブルネームワーク。(下)」

グラフィック、映像、立体、インスタレーション、音楽など、ジャンルの垣根を超えたさまざまな表現方法を用いる東京発のグラフィックアーティスト。国内外のブランドへのグラフィック提供や2018年に行った大規模な展覧会が記憶に新しい。 Instagram:@yoshirotten
永戸鉄也 「YOSHIROTTENから届いた東京砂漠。そこでずっと光ってたネオンサイン。熱で歪んだ脳内へアフロビートと阿波踊り、ポンチャックディスコが同時に流れ出す。(上)」

1970年生まれ、東京都出身。まるで絵画のような精密なデジタルコラージュ作品のみならず、パッケージデザイン、MV/ドキュメンタリー映像、展覧会のキュレーションなど、ファッションから音楽/アートまで幅広い領域でディレクションを行うクリエイター。 Instagram:@tetsuyanagato

「新しいロゴマークを作るような気持ちでイラストを制作しました。馴染みのある〈Gap〉マークは直球なので、今回私が作るロゴマークはよく見ないと気づかないくらいの感じに。50周年おめでとうございますって耳元で囁くイメージで。」

たなかみさき 1992年生まれ。お酒、歌謡、哀愁をこよなく愛する若手イラストレーター。その同氏の趣味嗜好はアート作品にも散りばめられ、昔懐かしの甘酸っぱいラブストーリーを題材にした“ちょっとえっち”な作風で人気を博している。 Instagram: @misakinodon

「背伸びのないデニムにTシャツのスタイル、デニムを脱いで、部屋でリラックスしているシーン。植物は成長の意味もあるので、今後の〈Gap〉の成長も願って。」

オートモアイ 可視化されにくくあるストリートで暗黙に繋がる人と人との関係性を、“顔のないヒト”によって描き出す正体不明の作家。“アノニマス=匿名性”をコンセプトに掲げる同氏は、さまざまなアーティストのグッズやイベントフライヤーなども手掛けている。 Instagram:@auto_moat

「小さい頃から馴染みのある“GAPロゴ”を自分なりに変化させたかったのでロゴ生かし、無心でコラージュしてみました。コンセプトはIBUKIです。自分っぽい感じに仕上げました。」

酒井いぶき 東京都出身、職業モデル、アーティスト。雑誌、ランウェイ、広告などで活躍するほか、テプラやシール、証明写真を使用したアートワークでも注目を集める。水原希子や細野晴臣といったファッション感度の高い著名人からもお墨付きを得るミレニアル世代のアイコン。 Instagram:@iibbuukkii_

「30周年記念で制作された、とぼけ顔がチャーミングな主人公の〈Gap〉のRPGゲームをテーマに制作しました。」

ancco 1989年生まれ、2011年より活動しているペインター/イラストレーター。ペインティングをはじめ、国内外のミュージシャンやブランドのマーチャンダイズへの作品提供など、イラストレーションや、グラフィックの制作も精力的におこなっている。 Instagram:@ancccoo

「ジャパニーズパリピ。彼らには、日光で肌が焼け焦げても、海風でベタついても、焼きそばが砂まみれになっても、持ち前のノリと友情と音楽で、森羅万象をエンタメに変える不思議なパワーがあります。夏の猛暑に負けて、活動が収縮されてしまう現代人に彼らのスピリッツを注入!」

渡邉直 1985年生まれ、山形県出身。CM制作会社勤務を経て独立し、以後フリーランスとしてCM/MVなどの演出を手掛けるフィルムディレクター。中毒性のある映像表現やユニークなストーリーテリングで見る者の心に爪痕を残す気鋭アーティスト。 Web:https://watanabenao.com

「戦前の子供たちが愛読した雑誌『少年倶楽部』をコラージュした作品を今回使用しました。題名は“魔術”です。」

ユアサエボシ 1983年、千葉県生まれ。大正生まれの架空の画家としてアート作品を制作するイラストレーター。今回は“魔術”というテーマをもとに、戦前の子どもたちが愛読した児童文学雑誌『少年倶楽部』をコラージュし、未来への希望溢れる作品を提供。 Instagram:@ebosi_yuasa

「飛行機の窓の外を飛んでいる蜂が機内から外へ伸びたストローで花の蜜を吸うがごとく悠々とコーラを飲む。壁の外側と内側で、〈Gap〉を超えた世界を表現。」

skydiving magazine 東京を拠点とする村田実莉と平野正子によって2016年に結成されたアートユニット。また、その名を冠して年2回発行されるヒューマンビジュアルマガジン。アートディレクションのみならず、グラフィックデザイン、衣類製作、撮影まで一環して2人で担う。 Instagram:@skydiving_magazine

「飯喰って元気出るみたいに、これ着たらパワーが漲ってくるイメージで作りました。胸ポケットに入れたアイテムもいつも以上のパワーが発揮できるようにエネルギーが注入されていく感じを意識しました。」

KASENO JONES 1986年生まれ、岡山県在住。エネルギーに満ちた独創的かつ繊細なコラージュで表現するアップカミングな映像造形作家。今回は幼き頃によく見たモチーフや時折見せるエロティシズムではなく、同氏が持つパワー漲るコラージュを存分に作品へと注いだ。 Instagram:@kaseno_jones

「50周年を祝うため大慌てで道化師が駆けつけました。」

NANOOK 東京都生まれ、アーティスト名の由来は父親がアラスカで出会った犬の名前。浮遊感のあるドローイングを武器に、一度見たら忘れられない作品を描くペインター。今回は、〈GAP〉の50周年を祝福する道化師をテーマに、シンプルながらも謎めいた世界観を表現。 Instagram:@nanoooook
この他、Gapフラッグシップ銀座では、今回コラボレーションしたアーティストのうち5組がオリジナルでデザインした刺繍を、お買い上げのメンズまたはウィメンズのデニムにカスタマイズで入れられる刺繍サービスも9月30日(月)まで開催中!詳しくはこちら>>
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