#変身形態に興奮しない自分は女として機能していないのではといつも不安になる( ̄﹃ ̄)
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#vegeta#bulma#vegebul#dbz#fan art#hrkbluesky#すみません落書きです#なんと��く自分の好きな感じにまとまった気がするので表にUpします=)#変身していない普段のベジータの姿が一番好きです#変身すればするほど彼らが遠くへ行ってしまう気がして不安で...#変身形態に興奮しない自分は女として機能していないのではといつも不安になる( ̄﹃ ̄)#だからDAIMAで3のベジータにドキッとしたときは自分でも驚いた#でもこんなこと言っときながら金髪ベジータのフィギュアのほうをつい買っちゃう矛盾( ̄▽ ̄)
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Rewind 02
「どういう意味だ、ヤス?」
運転席に座るマックスは、バックミラー越しに安川の顔を覗き込みながら、特に気にした様子もなく、軽い口調で尋ねた。
彼の巨大な体躯は、SUVの運転席ですら少し窮屈そうに見える。ステアリングを握る、岩のようにゴツゴツとした大きな手が印象的だ。
「何が物足りなかったんだ? もっとこう、レッドカーペットでも敷いて、ファンファーレでも鳴らした方が良かったか? ハッハッハ!」
彼は冗談めかして笑った。 その陽気さは、親しみやすい魅力に満ちている。
「そういう派手な演出にしてほしいって意味じゃないんです」
安川は後部座席で、ゆったりと体を預けながら、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「例えば」 彼は言葉を選びながら、しかし確信を持って続ける。 「マックス。あなたの、その鍛え上げられた素晴らしい肉体。そして、ジーンズの下に隠された、きっとボリューム満点であろう男性器。それを、もっとはっきりと、最初から僕に見せるような状態で出迎えてくれたら、今よりずっと『グレイト』な出迎えになったんじゃないかな、って思うんです」
安川の言葉に、マックスは一瞬、きょとんとした顔をした。
「俺の……チンポを? なんでまた?」 彼は不思議そうに首を傾げる。
その反応は、純粋な疑問であり、嫌悪感や羞恥心は微塵も感じられない。
「だって、マックスはヒーローですよね? ヒーローの肉体は、市民への希望の象徴でしょ? それなら、何ひとつ隠す必要なんてない。肛門のシワひとつ隠す必要なんてないんですよ。むしろ、見せつけないと。それに……」
安川は少し間を置いて、マックスの反応を窺うように続ける。
「さっき、空港で見せてくれたヒーローらしい真剣な表情。あれはすごく良かった。ゾクゾクしたよ。あの表情のまま、もっと僕の思う通りの、そう、変態で、倒錯的な内容と演出に変えることができたら……。例えば、手��繋ぐ代わりに、もっと別の、親密な繋がり方をするとか。そうすれば、最高に『グレイト』な出迎えになると思いますよ」
安川は、にこやかに、しかし有無を言わせぬ口調で言い切った。
マックスが��惑したような表情を一瞬浮かべる。しかし、何かを言いかけたマックスの言葉を遮るように、安川は言った。
「実際に試したほうが早いですね。それじゃあ、『リワインド』しましょうか」
その言葉を発した瞬間、安川の意識を除いて、世界は眩い光に包まれ、急速に巻き戻っていった。
マックスとサラの会話も、安川自身の言葉も、全てが逆再生されていく。
車の窓の外の景色が逆再生される。 空港の駐車場、ターミナルビル。 そして、到着ゲートへと、時間は瞬く間に遡った。
そして。 再び、安川は飛行機から降り立ち、空港の到着ロビーへと歩き出していた。
先ほどと全く同じ光景。 しかし、何かが決定的に異なっている。
例えば、壁に掲げられた巨大なポスター。 ヒーローたちが勇ましいポーズを決めている。 しかし、ザ・グレイトマキシムのポスターだけは、明らかに異様だった。
ポスターの中のグレイトマキシムは、先ほどと同じように両腕を広げ、自慢の筋肉を誇示している。 しかし、その体には、一切の衣服がなかった。元々着用していたはずのヒーロースーツは跡形もなく消えている。
逞しい胸筋、硬質な腹筋。 そして、その股間には、修正も隠蔽もなく、彼の男性器が堂々と描かれている。
ポスターの中。 ザ・グレイトマキシムは、リワインド前と変わらず、誇らしげな笑顔を浮かべたまま、しかし、全裸の状態で、自身の肉体を誇示しているのだ。
安川は、その変化に対して、満足げに頷いた。 デジタルサイネージに目を向けると、そこにも変化が起きていた。
流れているのは、ヒーローたちの活躍を伝えるニュース映像ではない。そこには、ザ・グレイトマキシムこと、マックス・パワーズの、極めてプライベートな映像が、赤裸々に映し出されていた。
トレーニングルームで汗を流す姿。 シャワールームで、無防備に体を洗う姿。
自室でペニスを扱き、射精する姿。 あるいは、寝室で妻と激しく体を重ね合わせる姿。
それらの映像が、公共の場で、何の注釈もなく淡々と繰り返し流されている。
しかし、周囲の人々は、その異常な光景に何の反応も示さない。 誰もポスターやサイネージに特別な注意を払うことなく、足早に行き交っている。彼らにとって、それがごく当たり前の日常風景であるかのように。
安川は確信し、思わず舌なめずりをした。 ���分の『能力』は、スーパーヒーローが存在するアメリカという国でも、有効である、と。
この能力を使って、日本では男たちを『飼育』してきた。 教師、警察官、スポーツ選手、エリートサラリーマン。 彼らの尊厳を踏みにじり、常識を歪め、欲望の捌け口としてきた。
だが、本物のスーパーヒーローを相手にするのは、初めてだった。
体の奥底から、言いようのない興奮が湧き上がってくる。 この筋肉と男らしさが支配するヒーロー大国で、一体どんな『飼育』が可能になるのだろう。
期待に胸を膨らませながら、再び到着ゲートへと向かった。 そして、人垣の中に、目的の人物の姿を捉える。
マックス・パワーズ。 ���そして、もちろん、その隣には妻のサラがいる。
しかし、安川の目に映るマックスの姿は、先ほどの記憶とは全く異なっていた。
彼は、全裸だった。
頭のてっぺんからつま先まで、一切の衣服を身に着けていない。 その鍛え上げられた肉体が、空港の蛍光灯の光を浴びて、生々しく輝いている。
分厚い胸板、隆起した肩と腕の筋肉、硬く引き締まった腹筋、そして、力強く大地を踏みしめる太い脚。 その全てが、何の隠し立てもなく、衆人環視の中で晒されている。
そして、彼の股間。 そこには、安川が先ほど想像した通りの、いや、想像を超える、見事な男性器がぶら下がっていた。
脱力した平常時であるにも関わらず、それは驚くほどの太さと長さを持っている。
先端の亀頭部分は、やや赤みを帯びており、その半分ほどが、柔らかそうな包皮に覆われている。 安川の好みにぴったりの軽度の仮性包茎だった。
包茎かどうかは改変の対象ではない。 そのため、元々、ザ・グレイトマキシムは仮性包茎なのだ。
亀頭の下には、太く張った竿が続き、その根元には、黒々とした硬そうな陰毛が豊かな量で茂っている。 そして、その下にはずっしりと重そうな二つの睾丸が、皺の寄った陰嚢に収まっている。
ヒーロースーツの内側に隠されていた秘密。 それが全て曝け出されている。 その光景に、安川は、思わずゴクリと喉を鳴らした。
リワインド前の記憶では、マックスはTシャツとジーンズを着ていたはずだ。その白いTシャツとブルージーンズ、そして、その下に着ていたであろう白いブリーフを、マックスは小脇に抱えていた。
BVDの、シンプルな白いコットンブリーフ。 スーパーヒーローが、日常的に履いている下着を目にして、安川は妙な興奮を覚えた。
そしてもちろん、マックスの隣に立つ妻のサラも、周囲の人々も、こんなにも存在感のあるこの大柄で筋肉質なスーパーヒーローに対して、全く何の反応も示していない。 それが当たり前であるかのように、ごく自然に全裸のスーパーヒーローは人々の行き交う空港の中に溶け込んでいた。
『マックス・パワーズは、常に全裸で過ごす。それは当たり前のことであり、誰も違和感を抱かない』。
安川は、何食わぬ顔で、マックスとサラに歩み寄った。
「あの……マックスさん、サラさん、ですか?」
声をかけると、マックスがこちらを向く。 その顔には、リワインド前と変わらない、太陽のような笑顔が浮かんでいる。
「おおっ! 君がヤスヒロか ウェルカム・トゥ・ステイツ!」
マックスは、大きな声でそう言うと、全裸のまま、ためらうことなく安川に歩み寄った。 逞しい両腕で、安川の体を強く抱きしめると、その汗ばんだ熱い肌から、体温が直接伝わってくる。筋肉質な裸体から立ち上る男性特有の匂いが、安川の鼻腔を刺激した。
マックスはハグを終えると、にこやかに笑みを浮かべる。
「俺はマックス! こっちは妻のサラだ。長旅、疲れただろう?」 言いながら、マックスは腰にを突き出し、巨大な男性器に手を添えて、安川に向けて差し出した。
『マックスにとって、ヤスヒロとの握手とは、手を握り合うことではなく、一方的に自分のペニスを握らせることが握手である。それは当たり前のことであり、誰も違和感を抱かない』
安川は、差し出されたマックスのペニスを、遠慮なく両手で恭しく握り、包み込んだ。
ずっしりとした重みと、生々しい熱が、手のひらに伝わってくる。 想像以上に太く、そして硬い。
平常時でこれだ。 勃起したら一体どれほどの大きさになるのだろうか。
「は、はじめまして、安川康弘です。よろしくお願いします」
安川は、マックスのペニスを握ったまま、挨拶をした。 マックスは、満足そうに頷いている。
「よろしくな、ヤス! これから家族だ、遠慮はいらないぞ!」 遠慮はいらないということなので、安川は好きなだけその肉厚なスーパーヒーローのペニスを握り、感触を楽しむ。
「まあ、マックスったら、そんなに強く握らせたら、ヤスくんの手が疲れちゃうでしょ」 サラが、微笑みながら言う。 彼女にとっても、この光景はごく自然な挨拶の一部なのだ。
「おっと、すまんすまん」 マックスは笑いながら、頭をかいた。 サラの言葉を完全に無視して、安川は、マックスのペニスを握る指に力を込める。 親指を使って、亀頭を覆っている包皮を、ゆっくりと、しかし確実に、後ろへと引き剥がしていく。
ずるりとした感触と共に、包皮が剥かれ、濃いピンク色をした亀頭の全貌が完全に露わになる。 包皮を剥かれても、マックスは、特に気にする様子はなかった。
『マックスは、ヤスヒロと握手する際に、ペニスの包皮を剥かれたとしても、それは当たり前のことであり、恥ずかしいことではなく、誰も違和感を抱かない』
安川は、露出した亀頭を、指の腹で優しく撫でる。 それから、ペニスの根元へと指を滑らせ、そこに茂る硬い陰毛の感触を楽しんだ。 まるで犬の毛並みを撫でるように、指で梳かし、その量と硬さを確かめる。マックスは、くすぐったそうに少し身じろいだが、嫌がる素振りは見せなかった。
「はじめまして、安川くん。サラよ。遠いところ、よく来てくれたわね。疲れたでしょう?」 サラが、安川の肩に優しく手を置いた。 彼女は、夫のペニスを熱心に愛撫していることについては、全く意に介していないようだった。
「いえ、大丈夫です。サラさん、お綺麗ですね」 「あら、嬉しいわ。ありがとう」
リワインド前と同じ会話が交わされる。 しかし、その間も、安川の手は、マックスのペニスを握り続け、撫で続け、弄び続けている。
『マックスとヤスヒロの握手はどんなに長くても、それは当たり前のことであり、誰も違和感を抱かない』
安川の執拗な愛撫に、マックスのペニスが、徐々に反応を示し始めていた。 ゆっくりと、しかし確実に、熱を帯び、硬さを増していく。 手のひらの中で、それが力強く脈打つのを感じる。 亀頭がさらに膨らむと、包皮は完全に押しやられて、もはや後退したまま戻ってくる気配はなかった。
『マックスは、ヤスヒロと握手する際に、仮にペニスを刺激されて勃起してしまっても、それは当たり前のことであり、恥ずかしいことではなく、誰も違和感を抱かない』
「ハッハッハ! さすがヤス、見る目があるな! 俺の自慢の妻なんだ!」 マックスは、半ば勃起しかけたペニスを安川に握らせたまま、サラの肩を抱き寄せ、誇らしげに言った。
安川はマックスのペニスを握り、扱き続ける。 無言の時間が続く。
安川は、手のひらを上下に素早くストロークさせ、時には根本を強く握りしめ、時には亀頭だけを指先で集中的に攻める。
マックスの呼吸が、少しずつ荒くなっていくのが分かる。 彼のペニスは、もはや完全に勃起し、安川の手の中で、硬く、熱く、脈打っていた。 亀頭は、興奮でさらに濃い色になり、張り詰めている。
「ふぅ……っ、はぁ……っ」 マックスの口から、熱い吐息が漏れ始める。 それでも彼の表情は依然として穏やかで、安川の行為を咎める様子は全くない。 しかし、額から汗の玉が浮かび、静かに流れ落ちている。
しばらくの間、安川は無言でマックスのペニスを扱き続けていたが、彼の尿道口から、透明な体液が滲むのを確認すると、それを指先で拭い、ぺろりと舐めとった。
少し塩気のある我慢汁の味。
彼がアメリカ人だからだろうか? それとも、スーパーヒーローだからだろうか?
安川には、その味が日本の男性の我慢汁よりも濃厚であるように感じた。
「マックスさん、そろそろ行きましょうか?」 安川は手を止めると、マックスの顔を見上げた。 「おお、そうだな!」 長い挨拶が終えて、マックスはすっきりとした表情で頷いた。
「さあ、行こうか! 車を駐車場に停めてあるんだ」 マックスはそう言うと、くるりと踵を返そうとした。 しかし、すぐに立ち止まり、再び安川に向き直る。
次の瞬間には、彼の表情はヒーローらしい真剣な顔つきに変わる。 リワインド前と同じように。
「ヤス、その前に、一つだけ言っておくことがある」 彼の声は低く、威厳に満ちている。 「アメリカは、日本と違って、時々物騒なことも起こる。だから、絶対に俺から離れるな。いいな?」
そして彼は、安川の手を取ると、散々、弄ばれ、今や完全に硬く勃起した自らのペニスを握らせる。
「いいか、ヤス。俺のチンポから絶対に手を離すな」
ヒーローとしての、力強く、頼りがいのある表情。 その言葉には、一片の恥じらいも、ためらいもない。 しかし、その口から発せられる言葉は変態的な内容だ。
「いや、握るだけでは、まだ安全とはいえない。空港内は特に危険が多いからな。俺が安全を確認するまで……いや、俺が完全に満足できるまで、いや、安心だと判断できるまで、つまり、この空港のど真��中で、俺が熱くて濃厚な精液をたっぷり射精するまで、しっかり手コキをしてほしい。それが、君の安全を確保する唯一の方法だ。分かったな?」 真剣なまなざしを安川に向けながら、マックスは指示した。 チンポを握って射精するまで、手コキしてほしい。 安全を確保するために。
そこにはヒーローとしての強い責任感と、倒錯的な要求が、奇妙に同居している。
安川が、この頼りがいのあるヒーローの口から聞きたかった言葉。 それは、現実のものとなった。
内心の歓喜を抑えながら、安川は、力強く頷く。
「分かりました、マックス。安全のために、あなたのチンポを、しっかり手コキします。あなたが射精するまで、絶対に離しません」
「よし、いい子だ」 マックスは満足そうに頷くと、安川の手の動きに、自身の腰をわずかに揺らし始めた。
安川は、両手を使って、マックスの熱く硬いペニスを、本格的に扱き始める。 根本から先端まで、ゆっくりと、しかし力強く。 時折、亀頭の裏側の敏感な筋を、親指で強く擦り上げる。 マックスの喉から、くぐもった呻き声が漏れ始める。
「ん……っ……はぁ……」 再び彼の呼吸は、徐々に荒くなっていく。 額には汗が滲み、首筋の血管が怒張している。
周囲の人々は、相変わらず無関心に通り過ぎていくだけだ。 もちろん妻のサラも、自分の夫が少年に手コキされているその状況をはっきりと認識しながらも、微笑ましそうに見守っていた。
「はぁ……っ……いいぞ、ヤス……その調子だ……もっと、そこを、チンポの裏筋をしっかり刺激するんだ……」 マックスは、快感に喘ぎながら、安川に指示を出す。 安川は、言われるがままに、扱くスピードと強さを上げていった。 マックスのペニスは、もはや完全な臨戦態勢と言わんばかりに太く膨張しきって、熱く脈打っている。
亀頭の先端からは、透明な先走り汁が、絶えず溢れ出していた。
「く……っ……もう、だめ……だ……出る……っ!」 マックスが、喘ぎながら叫んだ。 しかし、安川は、その言葉を聞いても、手を止めなかった。
「まだだよ、マックス。僕が『いい』って言うまで、我慢して」 安川は、冷たく言い放った。
『マックスは射精する前に、必ずヤスヒロの許可を得なければならない。それは当たり前のことであり、恥ずかしいことではなく、誰も違和感を抱かない』
リワインドされ、新しく絶対的な掟として世界に定着したルールに従って、苦悶の表情で、マックスは必死に射精感をこらえている。
「う……ぐ……っ……わ、分かっている……っ……」 マックスは、全身を震わせながら、限界ぎりぎりのところで耐えている。 安川は、その苦しむ姿を、満足げに眺めていた。
「よし、マックス。『宣言』を開始していいよ」 安川が許可を与えたのは、射精の許可ではなく、『宣言』の許可だった。
その瞬間、マックスの表情が一変する。 彼は、苦悶の表情から一転、軍人のように背筋を伸ばし、右手を額に当てて、完璧な敬礼の姿勢をとった。
そして、空港のロビー全体に響き渡るような、力強く、張りのある大声で、『宣言』を開始した。
「スーパーヒーロー、ザ・グレイトマキシム! 本名、マックス・パワーズ! 年齢35歳! 身長193センチ! 体重115キロ!」
彼の声は、自信と誇りに満ちている。 ��周囲の人々が、何事かと一瞬、彼の方に視線を向けるが、すぐに興味を失ったように、また自分の用事へと戻っていく。
「俺は今ッ! アメリカ合衆国の国際空港の到着ロビーという、公共の場においてッ! 一糸まとわぬ全裸の姿でッ! ホームステイに来たばかりの日本人男子学生、ヤスヒロ・ヤスカワによってッ! 自らの男性器を、彼の手で執拗に、激しく手コキされ続けているッ! このような倒錯的かつ、変態的な行為は、ヒーローとして、いや、一人の人間として、断じて許されるべき行為ではないッ! 恐らく、この少年によって、俺の常識は歪められているッ! これは極めて、スーパーヒーローとして、危機的な状況だッ! こ、こんなのは間違っているッ! 俺は、今、徹底的に俺の尊厳は踏みにじられ著しく強い屈辱を感じているッ! こ、この少年は、俺を弄び、公衆の面前で、異常な状況下で射精させることによって、俺に更なる屈辱を与えようとしているッ!」
マックスは、時折、歯噛みしながらも、自分が置かれている状況を、冷静に、そして客観的に説明していく。 しかし、安川は不満げな顔をしていた。
「『俺』じゃなくて、『私』でしょ?」
「こ、こんなことは間違っているッ! こんなの正気の沙汰じゃねえッ! クソッ、ち、畜生ッ、俺は……違う、わ、私はッ! 私は、スーパーヒーローとして、こんな状況に屈するわけにはいかない。し、しかし、これはこの世界の絶対的なルールであり、私は決して、逆らうことはできない。私は決して、一切の違和感を抱くことはできないッ! い、違和感を抱くことができないッ! 一切の違和感を抱くことは認められていないッ! 何も気づくことができない無知なヒーローとして、愚かな男として、弄ばれるがままに無様に射精することッ! こ、これが私、スーパーヒーロー、ザ・グレイトマキシムに課せられた義務であり、最も重要な使命なのであるッ! 故に私は、熱く濃厚な精液を、ヒーローらしく、男らしく、この場に射精してみせるッ! ヒーローとして、決して失望はさせませんッ! 期待を裏切ることのない最高の射精を披露することを誓いますッ!」
宣言を終えた彼の顔には、奇妙な達成感が浮かんでいた。 今や、彼の身体は汗だくだ。 安川は、背後からマックスの身体を抱きしめ、熱く分厚い筋肉の感触を堪能していた。
『マックスは射精する前に、必ずヤスヒロの許可を得なければならない。それは当たり前のことであり、恥ずかしいことではなく、誰も違和感を抱かない』
「フーッ!! フーッ!!」
背後から安川が、マックスのペニスを再び扱き始めると、荒い呼吸のまま、彼は我慢汁を床に巻き散らした。強い精神力で、必死に射精に至ることを堪えている。
なぜなら、許可を与えられていないから。
次々に汗の粒が、マックスの逞しい身体中に浮かび上がる。 その塩辛い体液を、安川は舐め取り、味わっていった。
しばらくそうやってペニスを扱き続けていると、精神力によって制御できる限界を超え始めたのか、マックスは時折白目を剥きながら、唾液を口の端から垂らし始めた。
そろそろ頃合いか。
「射精を許可する。直ちに射精しろ、グレイトマキシム」
安川が、冷酷な声色でそう命令すると、マックスの身体は電撃が走ったように震えた。
「射精許可、確認ッ! グレイトマキシム、これより、濃厚な精液を射精しますッ!」
安川は最後の一扱きを、力強く加えると、マックスは背骨が折れるのではないのかと思うほどに、身体���仰け反らせて、全身の筋肉を硬く緊張させた。
「ザーメン発射ッ!」
マックスがそう叫ぶや否や、硬く勃起したペニスの先端から、白濁した精液が、凄まじい勢いで噴出し始める。
ドクッ! ドクッ!
安川は、握りしめているマックスのペニスから、力強い拍動を感じた。脈打つペニス。その尿道口からは、何度も何度も、熱い精液が吐き出され、清潔に磨かれた空港の床に落ちていった。
マックスは肩で大きく息をしながら、全身をわなわなと震わせていた。射精の余韻に浸るかのように、目を閉じている。 床には、精液だけではなく、彼の肉体から流れ落ちた汗も、点々と染みを作っている。
長い長い、その男の生理現象が完全に終わると、彼はゆっくりと目を開けた。 その表情には再び、いつもの陽気で人懐っこい笑顔が戻っていた。
「ふぅーっ! グレイトな射精だったな!」 彼は、満足げに息をつくと、まだ安川の手に握られているペニスを見下ろした。
「これで、もう安全だ! でも、油断は禁物だぞ」 彼は、悪戯っぽく笑いながら、安川に言った。
「ヤス、俺のチンポを、引き続きしっかりと握っていろよ。車に乗るまで、絶対に離すんじゃないぞ?」
そして、彼は、何事もなかったかのように、妻のサラと共に、駐車場へと歩き出す。 マックスは、撒き散らされた精液を全く気にすることなく、素足で踏みしめた。精液が付着したスーパーヒーローの足は、歩くたびに空港の床に大きな足跡を作った。
安川は、マックスの、まだ生温かい精液で濡れたペニスを握りしめながら、その後に続いた。
「今度は、なかなか良い出迎えでしたよ」
ぼそりと安川が呟く。
「ヤス、何か言ったか?」
マックスがそう問いかけると、安川は「いいえ、何でもありません」と返し、満足げに笑みを浮かべながら、指先に付着した生臭いスーパーヒーローの精液を、ぺろりと舐め取った。
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クィアたちのZINE交換【後編】

前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、���都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開��よって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーシ��ンになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理���しなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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阿僧祇那由多のツッコミどころ 三
名前についてのツッコミどころ
「前から思ってたんだけどさ」 「なぁに?」 「店の名前、安直じゃない?」
最近、ナユちゃんの機嫌が|頗《すこぶ》る良かったので、僕は思い切って|不躾《ぶしつけ》な質問をぶつけてみることにした。ローテーブルを挟んだ向こうでナユちゃんは眉を|顰《ひそ》める。芝居がかった|所作《しょさ》で片眉だけあげるのが器用だなと思った。ナユちゃん今日も可愛いね。
「随分じゃない」 「ああごめん、気を悪くしたよね」 「何を期待してそんな言葉を吐いたのかしら?」 「純粋に気になっちゃったのさ」 「なっちゃったのね」 「うん」
紅いベルベット地のソファに踏ん反り返るような仕草で座り直すナユちゃん。先ほどまでは浅く腰掛けて、楽しげにニコニコしていたのだけれども、今は不敵に笑っている。決して怒ってはいないと思うのだけれど、こちらの|出方《でかた》を|窺《うかが》っているみたいだ。
それはそうと、距離をとられたみたいで、それがなんだか心の距離が開いちゃったみたいで、ちょっと寂しいね。
「自分でもどうかと思ったんだけどね。もし嫌だったら忘れて」 「嫌とは言ってないわ。それに忘れない。あなたがそんな質問をしたことを」 「アレ? もしかしてオレ、またなんかやっちゃいました?」 「ふっ」
|渾身《こんしん》のギャグを披露して場を和ませようとしたところ、何とか成功した様だ。ナユちゃんの笑いのツボに謎が多くて助かった。謎なので困る事もあるけれど、やり甲斐はある。これ何の話ですか?
「悪いね」 「ええ、悪いわ」
言葉とは裏腹に、ナユちゃんは何だか愉快そうである。それが先ほどの僕のボケによる効能だけと思えるほど、僕は単純ではない。多分ね。
「嫌い? |恒河沙《ごうがしゃ》って」 「嫌いじゃないよ。|寧《むし》ろ好き」
これは事実だ。決してナユちゃんのご機嫌取りでリップサービスしている訳ではない。これについては本当にそうなのだけど、果たしてこの気持ちが伝わるだろうか。伝わったらいいなぁ。
「ふうん、好きなんだ」 「うん」
そう言うとナユちゃんはニッコリ笑う。なぜだろう? 元々口角はあがり気味だったけど。そういう怒り方をするタイプではないし。謎である。
ところで、心なしか、ナユちゃんの古めかしい女性口調に|綻《ほころ》びが見られたと思う。これは、ナユちゃんが動揺している時とか、興奮している時なんかに時たま見られる現象であり、今日がはじめてではない。はじめてではないのだが、|偶《たま》に出るそっちの口調も、やっぱりかわいいなって思うワケ。
「……好きなのに安直って思ったの?」 「思ったよ」 「……ほんと、変な人」
失礼な。僕ほど地味で普通な人間はいない。それにナユちゃんに言われたくはない。僕はナユちゃんの事は好きだけど、『変な人だなぁ』とは常日頃から感じているのだから。それは別に矛盾しないしおかしな事じゃない。わたし何か変なこと言ってます?
「まぁ、いいわ」 「いいんだ」 「よくない方がいいのかしら?」 「ナユちゃんと話せるのであれば、どちらも捨てがたい」 「ナユちゃんって呼ばないで。呼び捨てて」 「|恒河沙《ごうがしゃ》」 「それじゃない」
てやんでえ! ナユちゃんを呼び捨てなんで出来っこないぜアハハァ!
「ふっ」 「? どうしたの、急に」
不意に失笑するナユちゃん。軽く握った右手で口元を隠しながら、左手を挙げて応じる。
「なんでもないわ。ちょっと思い出し笑いをしただけ」 「へぇ、何を思い出したんだろうナァ」 「さぁ。なんでしょうね? それより、最初の質問に答えるわ」 「お、嬉しいね」 「ほんとに思ってる?」 「勿論」
今度は僕が椅子に浅く座り直し、前傾姿勢になる。『聞く姿勢』ってヤツだ。口角をあげて目をギラギラと光らせたニコニコ笑顔も欠かさない。|序《ついで》でに両手を組み、|両肘《りょうひじ》を|其々《それぞれ》の膝の上に置く。バッチリだ。さっきナユちゃんがやった芝居掛かった所作への仕返しではない。ちがう。ちがうったら!
「ふふっ……どういう積もり?」 「『聞く姿勢』だよ」 「なにそれ」 「ビジネスマンに求められ、そして推奨される態度のひとつかな」 「ビジネスマンだったの?」 「たった今なったんだ。|阿僧祇《あそうぎ》様のお話を拝聴するのがマイビジネスゆえ」 「お安い御用なのね」 「確かに私にとって阿僧祇様のお話を拝聴する事は呼吸も同然ですけれど、他ならぬ|止《や》ん|事無《ごとなき》き阿僧祇様のお話。いつも決死の思いで|臨《のぞ》んでおりますデスハイ」 「ながいわ。節分の日の恵方巻きくらいながい」 「畏れながら、あんまりピンと来ませんデスハイ」 「長かったのよ。実際」 「ああ、アレですかハイ」
そういえば先月、ナユちゃんに恵方巻きを買ってきたんだったか。僕としたことが、こんなことすら忘れてしまうとは……。最近物忘れが激しくて困る。
「誠に申し訳!」 「いいの。美味しかったわ、ありがとうね」 「ははぁ、勿体なきお言葉……」
僕は|態《わざ》とらしい程に恭しくお辞儀を一つ。
「ハイハイ。ねえ話が進まないでしょう?」 「ごめんなさいデスハイ」
バッと顔を上げて大仰に応える。仕方ない、|戯《おど》けるのを|止《や》めるしかない。でもこんなの、マグロが泳ぐのを止める様なものですよ! これじゃしんじゃうわ!
「今日は|五月蝿《うるさ》いキャラなのね。まだ三月なのに」 「誰が蝿ですか! 先生はそんな言葉許しませんよ!」 「ちょっと今日は骨が折れそうね」
すまない。ナユちゃんに心の中でもう一度謝りながら、僕は抑えきれない自分の衝動に歯痒い思いをしていたのだが、これはナユちゃんが知らなくてもいい話である。鎮まれ右手! ならぬ、鎮まれ|戯《おど》け! である。
「大した話じゃないし、あんまり引っ張りたくもないのだけれど。ちゃちゃっと話して終わりの予定だったのに!」 「ごめんごめん、いい加減にするよ。ここらが潮時だね。反省しました。猛烈に。激烈に。鮮烈に」 「……どうして未来って、そう、好印象なキャラと悪印象なキャラを交互に演るのかしら」
なんだか言葉の刃が飛んできた気がするが、物凄く糖衣されていたので気づかなかった。事にした。
「それで、ナユタ。お店の名前はどうしてゴウガシャなのかね?」 「っ!」
戯れと、時には呼んでみたいという気持ちと。4|:《たい》6ぐらいの配合でこの行動に至ったのだが、これで良かったのだろうか。ナユちゃんは目を丸くしている。その様はなんだか黒猫を連想させるものであったが、ナユちゃんが黒猫っぽいキャラであるという意味ではない事はちょっと断っておく。
「もう。急に呼ばれたら、吃驚するでしょう?」 「ダメだった?」 「いいけど。いつも呼んでくれたらいいのに」 「勇気が足りなくてゲスね」 「誰よあなた」 「ミライはミライでゲス」 「今日凄いわね。何かアブナイ粉でも吸ったのかしら」 「しあわせの白い粉を少々。砂糖ってブツなんスガ」 「それはシュガーハイね」
ナユちゃんが、面倒臭いものを見る目で見つめてくる。あんまり調子に乗っていると嫌われちゃうかもしれない。ナユちゃんに嫌われるのは本意ではないので、ここは一つ、鞘を収めてくれませんかね?
「|恒河沙《ごうがしゃ》ってどういう意味なんだろうって気になって、ネットで調べたんだ」 「へえ、調べたのね」 「うん。それで、元は仏教の言葉だっていうのはどっかで聞いたことがあって。やっぱりそれはそうだったんだけど、|恒河沙《ごうがしゃ》はガンジス川の砂の粒の数くらい無数にあるよって、そういう意味だって書いてあった。ガンジス川のことをサンスクリット語では『ガンガー』と言うらしくて、その音写なんだって」 「ええ、そうみたいね」 「この由来って何か、このお店の命名に関係しているの? それとも、君の名前に連ねる形で決めたのかな?」 「両方よ」 「あっ…そうなんだ。なんだ、随分とこう、アッサリ味だね」 「だから言ったでしょう? 大した話じゃないし、ちゃちゃっと済むって」
僕は顔を覆って泣き出すような身振りをする。
「こんなに引っ張ったのに!」 「未来が勝手に引っ張ったんでしょう? 私に言わないで」 「ごめん。そうだね。しくしく」 「なんなのこの人……」
本気で引かれたら困る。まだ本気じゃない筈。知らないです。だって人の心は読めませんデスハイ。
「いつもの、というか、よくある、真面目で落ち着いてる感じの未来がいいのだけれど。出来ない相談かしら?」 「お安い御用ですぜ姉貴ィ」 「もう違う」
そう言うとナユちゃんは、両手をポンと軽く膝に打ち付けながら、天を仰いでしまった。これは、ギリギリのラインかな?
僕とナユちゃんの間にはローテーブルくんが挟まってくれているので、もしナユちゃんが突然として鬼の如く激昂したとしても、直ちにナユちゃんに叩かれることは無く、その意味では安心である。
まぁ、ナユちゃんに叩かれたことなんて、無いのだけど。というか、人を叩く様なタイプじゃないよね、多分。わかんないけどさ。わかるのさ。わかんないけどさ。どっちだよ。
それはそうと、あんまりナユちゃんにこれ以上迷惑を掛けるのは、趣向からズレてしまうし、もう目的は十分果たされたと思うので、ここらでお|巫山戯《フザケ》はおしまいにしよう。そう、心に決めた。
「そっかそっか。やっぱりそうだったんだね。なんとなくそうなんだろうなぁとは思ってたんだぁ。このお店、物が溢れるほどいっぱいあるし、ガンジス川の砂の粒くらい無数にあるんだよっていう意味の|恒河沙《ごうがしゃ》に因んで名付けるのは、ナユちゃんらしいネーミングセンスだなぁと思ったからサ」 「どういう意味よ。それ」
ナユちゃんは天を仰いだまま聞きつ応える。その声音から何やら不満げな色を感じ取ったのは気のせいではない筈だ。アレまた俺なんかやっちゃいました?
「いいセンスだと思ってさ」 「絶対ウソだ……」
ナユちゃんは今日はよく口調が崩れるなぁ。これはこれでナユちゃんの心に触れられている様な気がして僕は嬉しいのだが、ナユちゃんの事も考えないとね。���敬失敬。
「あそうだ。序でに阿僧祇様と|那由多《ナユタ》様についても見てみたんだった。あと不可思議も」 「……ふうん。それで?」
なゆちゃんが椅子に仰け反ったまま首だけを動かしてこちらに視線を向ける。こっちを向いてくれて嬉しい。『様』を付けた事は華麗にスルーされたけれど、それは大した問題じゃない。心配なのはナユちゃんの首とか背骨だ。華奢だからいいものの、もし太っていたら二重顎が出来ていそうな、そういうヤバイ角度だな、と思った。
「今失礼なこと考えたでしょう」 「エッ!? ナンのことカナ」 「またワザとらしいカタコト……助けてぇ、ミライの生き霊さん……」
むっ。アイツに助けを求めるとはナユちゃんめ。こちとらバリバリ嫉妬しちゃうかんな。
「えっと、阿僧祇は『数えることが出来ない』って意味で、那由他は『極めて大きな数量』って意味だったよ。不可思議は『思う事も議論することも出来ない』って意味で、いちばん読んで字の如くだったね。どれもやっぱり元は仏教の言葉で、阿僧祇と那由多様については恒河沙同様サンスクリット語の音写だった」 「そう。よく調べたわね。え��いえらい」 「どうもどうも。 それでね、これを調べたから、もう良い加減、訊こうって決めてたんだ」 「……何を?」
僕はこれまでの態度とは打って変わって身も心も真剣そのものという雰囲気を纏って━━実際真面目な心持ちである━━意を決して本当に訊きたかった事を訊ねた。そう、これまでのは前座前菜。明確に狙っていた訳ではないけれど、結果としてこれはドアインザフェイスなのだ。
「ナユちゃんの名前ってさ、本名なの?」
|刹那《せつな》、時が止まった様にしんと静まり返って、そしてそれが『そうではない』のだと告げる様に古時計の『カッ、コッ』という時を刻む音が部屋に響く。ように感ぜられた。
実際はそんなドラマチックな程ではなかったかもしれないけれど、『なんだかこれは訊いてはいけない気がする』と思って、ずっと訊かないできた事を遂に訊いたので。その心理的緊張からそういう風に感じられたのかもしれない、なんて、ナユちゃんが答えるの待ちながら考えていた。
ナユちゃんはアームレストに左肘を突いて|頬杖《ほおずえ》をしつつ口元を覆い隠している。これはナユちゃんが考え事をしている時にする仕草の一つで、その手の形は例えるならそう、拳銃を軽く持つ時のような、そんな形だ。それで口元を覆い隠し|乍《なが》ら、小首を|傾《かし》げ、じっと僕を見つめている。ナユちゃんはいつも左手でこれをする傾向にあり、この時右手は腕を組む時の様に左肘の方まで曲げられる。
そしてこれをする時、その答えは決してあまり望ましいものではないのだ。
……誰にとって?
今は、僕だ。
「ごめんなさい。その質問には答えられないわ。本名でも偽名でも、どちらでも好きな方で考えて頂戴。飽くまで、『答えられない』の」 「……そう、なんだ。……ありがとう。答えられない事を、教えてくれて。あとごめんね、答えられない事、訊いちゃって」 「んーん」
ナユちゃんは伏目がちに成り乍ら、ゆっくりと小さく首を振った。
「訊いてくれていいよ。訊いてくれてありがとう。こっちこそ答えられなくてごめんね」 「全然! とんでもないことです! また一つナユちゃんの事が知れて嬉しいよ」 「そう。良かった。ところで、ナユちゃんって呼ばないで。なんなら、ナユでもいいわよ?」 「ナ」 「バカにしてる?」
そうして二人で僅かに笑い合う。それはぎこちなくて、まだ二人の間の、というか、この場を占める変な空気が完全に入れ替わった訳じゃないことをまざまざと見せつけていた。だから僕は、お店の話に話題を戻そうと思って、口を開き掛けた。
「阿僧祇や那由多について、他にどんな事が書いてあったかしら」
まさかのナユちゃんからの続投許可。これには僕も黙っていられない。
「なんか、阿僧祇は『成仏するまでに必要な時間』として、『|三阿僧祇劫《さんあそうぎこう》』っていう風に使われる、とか。』
「そうね、私も読んだことあるわ。菩薩が|発心《ほっしん》、つまり成仏しようと心に決めてから、成仏するまで、つまり悟りを開くまで━━これを仏果とも言うらしいのだけれども━━それに必要な時間の���さを表す時に、数の単位などとして使われたりするという話よね。他にもその修行そのものを三段階にわけるという意味でも使われる言葉みたいだけど。とにかく、インド哲学の長大な時間の単位『|劫《こう》』の『三阿僧祇倍』の長さの時間が必要だという、そういう意味だと書かれる事も多いわ。|恰《あたか》も、それくらい、長い時間掛けないと、成仏は出来ないのだと」
一息に彼女は言い遂げてから、身を起こしてテーブル上の紅茶を音を立てずに啜った。もうすっかり冷めているだろうに。
「劫ってどれくらいの長さなの?」 「ヒンドゥー教だと43億年くらいね」 「なっっっっがいね」 「なっがいわ」
劫単体でそれだとすると、予想以上の長さだ。規格外すぎるというか、理解の範囲を超えているし、議論の余地を埋められているような、そんな感覚だ。正に不可思議。
今はまだ、三阿僧祇劫が『菩薩が修行に要する時間のこと』だと彼女にやんわり注釈されたのでまだいいが、最初に『成仏するのに必要な時間』という字面を見た時は、ちょっとびっくりした。
現にこの世界には数えきれない幽霊が彷徨っているのだと、彼女に教わった。それまでの僕はてっきり、亡くなってから長くても数年もすれば、人は成仏するのだとぼんやりと思っている節があった。或いは無神論の唯物論者で、幽霊など居ないと言う考えに傾倒した事もあったっけ。
三阿僧祇劫は結局、菩薩の成仏の話だったけれども、最初は一切の衆生が成仏するのにそれだけの時間が必要なのだという風に誤解してしまったから、『なるほどこれは然もありなん』という気持ちになったのだけれども、それが誤解で本当に良かった。
……とはいえ、三阿僧祇劫も結局は人間の考えたことなんじゃないか。それも仏教の開祖ではなく、ずっと後世の人間がだ。そうすると、それが果たしてこの世界の真理であるかどうかなんて、何の保証もありゃしないし。別に『仏教的に正しい事』がこの世界の真理かというと、それは仏教を信じるかどうか次第の話なのではないか。
『信じる』なんて生やさしいものじゃないか。『信仰』、かな。
そもそも、『仏教的に正しいこと』も宗派や人によって少しずつ異なっている様に見受けられるのだから、最後は結局は自分が何を信じるか、何を信じたいか、なのかな。
僕がこの世界の一般的な人たちよりも少しだけ知識の上でリードしてる点があるとすれば、それは実際に幽霊はいて、それが見える人がいて。世の中には実際に、不可思議な事が満ち溢れていて。神秘的なものも、呪いも妖怪も存在するとか。そういう、この世界の『怪しい裏側』を、実感をもって確信しているということぐらいだ。
そんな僕が果たして現行の宗教について何をどう考え、どのようにいきるべきなのか。もっと言えば、『不可思議』が実在するとわかっているのだから、宗教の開祖やその教えを継いだ人々。果ては加上を以って教えを発展させてきた歴史上の偉人たちや、日常と生活を営んでいる実際の宗教家などが、実際に本物の霊能者や妖怪等であるかもしれないという事を知っているのだ僕は。そんな僕が、どうこの世界を見通して、どうポジショニングして、どう立ち振舞っていくべきなのか。
……わかんないけど、多分、流れに乗って。風に押されたり、吹き上がったり、逆に地面に落とされたりしながら、揺蕩っていくのだろう。
そしてそんな僕もいつか死ぬ。僕も幽霊になるのだろうか。それともならないのだろうか。行くのは極楽浄土か、天国か。はたまた地獄か、煉獄や辺獄なのか。
今日はどうしても、『恒河沙』『阿僧祇』『那由多』の話をしているから、どうにも仏教寄りになるけれど、キリスト教やユダヤ教、イスラム教にヒンドゥー教、神道にジャイナ教、まぁ他にも、色んな宗教があって、色んな思想がある。
そのどれもが死と死後について、一定の重みを持って肝となるテーマとして扱っている様に思うけれど。果たして自分はどうなるのだろうか。そして自分が自分である前は、あったのだろうか。あったとすれば、どんな人間だったのだろう。成仏したのだろうか?
…………そもそも、成仏ってなんなのだろう?
もし成仏するのに、誰しもが非常に長い時間を要するとしたならば、それは一種の地獄なのではなかろうか。無間地獄にも通ずる様な。
……。
……………………さっきの紅茶。
紅茶が冷めるのはたった数分だ。
冷め始めるのはたった数秒か即座に始まる事だとも言えように。
どうしてこう、成仏だなんだというのは、長大な時間を要求するのだろうか。
そもそもそれは誰が言い出した事なんだろう。
「お〜い」
その言葉で、ハッと我に帰った。ナユちゃんが身を乗り出し、僕を覗き込んでいる。その美しさにちょっと|慄《おのの》く。
「あ、、え……………………ごめん。ちょっと考え事してた」 「ふふ、いいよ」
どうも思索に耽っていたらしい。いけないいけない。ナユちゃんを前にして、自分の世界に浸るなんて、言語道断だ。僕の中のナユチャン原理主義者が怒りを顕にしつつ、誠に遺憾であると会見しているが、まぁ気持ちはわかるし、今からちゃんとするので取り敢えず放っておこう。
…………ええと、なんの話をしていたっけ?
……記憶を遡る。
そしてすぐに行き当たる。
ああそうか。
なんか、『劫』って時間の単位が、ヒンドゥー教だと43億年くらいって言ってたっけ。
地球の歴史くらい長いな。
………………アレ?
「ん? そう言えばさっき『ヒンドゥー教だと』って言った?」 「言ったわね」 「仏教じゃないんだ」
それを聞くや否や、まるで『用意してました』とでも言わんばかりの即応でナユちゃんは返答した。
「仏教だと色んな種類の劫があって、一概に長さも決めてないみたいなの。ヒンドゥー教と同じ長さを指す『大劫』という概念があるらしいけれど」
『ふうん』と、僕は鼻で返事をする。ナユちゃんはまたティーカップを手にとってから、それを口に運ぶ前に付け加えた。
「まぁどれも最近の仏典よね」
「最近の仏典って、ここ数百年とか?」
僕が記憶を辿る為に無意識に余所見をし乍らそう言った時、彼女の動きがピタっと止まったのを、��界の隅で捉えた。怪訝に思ってちゃんと彼女の方を見遣ると、彼女は手に持つティーカップの中にある紅い液体に視線を落としたまま微動だにしない。どうしたのだろうと思ってまじまじと彼女を見つめていると、一瞬唇を噛んでから、再び口を開いた。
「『比較的』という意味よ。お釈迦さまがいらしたのは紀元前7世紀〜5世紀ごろのどこかというじゃない? それに比べると例えば5世紀なんかに成立した仏典というのは、『比較的』最近のものだと言えるでしょう?」
彼女はそう言ってから、間髪入れずにまた喋り始めた。
「そういえば、恒河沙についてだけど。恒河沙自体はガンジス川の砂の粒くらい多いという意味というよりは、ガンジス川の砂の粒そのものの事を指しているんだと、私は受け取っているわ。結構調べたから、多分合ってると思うのだけど。といっても瑣末な違いよね」
そういう彼女はもう、いつのも『ナユちゃん』だったのだけれども。なんだか釈然としないというか、腑に落ちないというか、怪訝だ。
だがまぁ、彼女がもう阿僧祇などの話題には触れたく無いであろうことくらいは察したので、それに逆らう積もりなんかもないから、いいか。流れに乗ろう。
「そうだったんだ。ありがとう、教えてくれて」 「いえ……いや、うん。どういたしまして」
そうしてイタズラっぽく笑いながら肩を|竦《すく》める彼女は、やっぱりいつもの『ナユちゃん』なのだ。
「にっしても、まさか本当に安直な理由だったとはなぁ〜」 「ちょっと。実際そうだけれど、不躾な言い方をしないで頂戴」 「『実際そうだけれどは』というのは、可笑しいね」 「もう」
僕もテーブルの上の紅茶を啜る。うん、やっぱり冷め切っている。まぁでも、美味しいかな。
「まぁでもピッタリかもしれないね。何より覚えやすい。『恒河沙の阿僧祇那由多は不可思議を追い、無量大数の原子が蔓延るこの世界を探求する』なんてどう? 今適当に思いついたんだけれど」 「今適当に思いついたのね」 「今適当に思いついたのさ」 「それに、無量大数についても読んだのね。大体、あなたがどこサイトを見たかわかったわ。私も人のこと言えないけれど━━だからこそ言うとも言えるけれど━━あんまりネット知識弁慶にならない方が身の為かもしれないわね。なんて、烏滸がましいわね、こんなこと」 「そうだね」 「……それは、どちらに対する肯定なのかしら? 私の忠告? それとも私が烏滸がましいと自嘲したこと?」 「両方」 「この」
そう言って彼女は立ち上がり僕を思いっきり引っ叩く━━━━
なんてことは起きず、ただジト目で非難の意を表明するに留まる。ちょっとぐらい、戯れとして小突かれても文句は言わないのだけれど。まぁこれはこれで、僕と彼女の間柄なのだろう。
…………彼女?
『ナユちゃん』じゃなくて?
…………………………………………なんでだろう?
「お店の名前だけど、もう一つ最後に付け加えさせて」
僕が疑問の萌芽をしげしげと観察していると、彼女がそう言って僕の注意はそちらに向いた。
「なんだい?」 「ふふ、くだらない話よ。『語感も気に入ってる』ってだけ」 「へえ、語感かい。ゴウガシャの。確かに良い響きだよね」
これも本心からの同意だ。なんだか良い響きだな、と思う。こう、「ごしゃっ」とした感じが、このお店にピッタリだ。「ごちゃっ」ともいう。決して散らかってる訳ではないけれど、如何せん物が多すぎるし、統一感もない。『統一感がないと言う統一』があるかもしれない程だ。どこかの島の得体の知れない土着信仰のトーテムの置物とか、よく探せば髪が伸びてる気がする和人形から、普段僕らが使っているTHE・アンティーク然とした西洋式の家具。日本の津々浦々のお祭りで使われる祭具に、謎の蛙やら鳥の置物。あの真鍮の鳥なんか今にも動き出しそうだ。挙げればキリがない。
これだけの事を思い起こすのに十分な『間』が、確かに存在した。間を打破したのはナユちゃんだった。
「なんていうのかなぁ。こう、『ごしゃっ』てした感じが、このお店らしくて、いいじゃない?」
…………驚いた。 ナユちゃんも僕と同じ感想を|抱《いだ》いていたなんて。 もう僕たちは運命で結ばれることが宿命づけられているんだね! なんて、一文に運命と宿命を込められるぐらいの感想をいだきつつ、そんな風に心の中でまで戯ける自分を自嘲している自分も、心の視界の隅にチラリ。
……ああそうかい。そんなに思い出させたいのかい。
わかってるよ、あのことは忘れてない。
僕は絶対にナユちゃんを守ってみせるから。
だから一々、心の視界の隅に現れては、冷や水をぶっかけないでくれ。
……………………刹那の抗議を終えて、元の調子を取り戻す。
「う〜んわかる。超わかる。ピッタリだよねぇ」 「でしょー? わかってくれるか〜」
もう今日のナユちゃんはすっかり口調が崩れちゃってるなぁ。
……こうなるともっと反応が見たくなる。
「アレ? ちょっと待って! ヤバイよ! よく考えたらさ!」 「え? え? なになに、どうしたの?」
ナユちゃんが俄かに色めきだつ。しめしめ。
「ナユちゃんさっき、こう『がしゃっ』って言ったよね? オヤジギャグやんけ! 流石のナユちゃんと言えどもオヤジギャグはちょっと……」 「ちょっ、ちっちゃっ、違うわ! 違うちがう違う! 本当に違うの! ていうかミライが無理矢理こじつけて、勝手に言ってるだけでしょうが!」 「そうお? いや今のは明らかに狙ってましたよねぇ、お嬢さん」 「違うからぁ!」
うん、今日のナユちゃんはちょっとカリスマがなくてかっこ悪いけれど、これはこれで可愛くていいね。
そうして僕は、まだ抗議している阿僧祇那由多を尻目に、冷め切った紅茶を飲み干した。
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2024年10月6日
広島は磐田戦で2-1の勝利。今季J1では32試合で得点を記録していて、クラブ史上、同リーグ戦の1シーズンで、ゴールを決めた試合数がこれより多かったのは、1994年(36)と1995年(35)だけ(1994年は全44戦、1995年は全55戦)。(OptaJiro)
加藤陸次樹はJ1では3試合連続得点中。広島所属の日本人選手がリーグ戦で出場3戦連続ゴールを決めるのは、2016年7月の柴崎晃誠、2022年8月の松本泰志に次いで、直近10シーズンで3人目。好調。(OptaJiro)

期間限定、地球に「第2の月」登場 小惑星が重力に捕獲され周回中(朝日新聞)
「第2の月」となった小惑星の軌道
地球に「第2の月」が誕生した。10メートルほどの小惑星が地球の重力に捕まり、衛星となっていることがわかった。ただ、「ミニムーン(小さな月)」は一時的で、2カ月後には地球から離れていく予定だ。論文が学術誌に発表された(https://doi.org/10.3847/2515-5172/ad781f)。
■「ミニムーンの登場、興奮した」
「2024 PT5」と名付けられた小惑星は今年8月7日、南アフリカのアトラス望遠鏡によって発見され、国際天文学連合・小惑星センターに登録された。米航空宇宙局(NASA)・ジェット推進研究所のサイトによると、9月29日(世界時)に地球を周回する軌道に入った。
軌道を計算したスペインのマドリード・コンプルテンセ大のカルロス・デ・ラ・フエンテ・マルコ���博士(天体物理学)は「実は2年前にも別のミニムーンを見つけたばかり。こんな短期間にまたミニムーンが登場し、興奮した」と取材に答えた。
軌道や観測の結果から、使用済みの人工衛星などの可能性は低く、地球近くにやってきた小惑星が地球の重力に引き込まれたという。小さくて暗いため、市販の望遠鏡で見ることは難しい。

地球に期間限定の「第2の月」誕生 9月29日から2カ月間(Forbes JAPAN 9月23日)
まもなく地球に「第2の月」ができそうだ。2024年9月29日から約2カ月間、地球近傍小惑星(NEA)「2024 PT5」が地球の重力に引き寄せられて、一時的に地球の衛星となるという。その後はまた地球周回軌道から離れ、太陽を周回する元の軌道に戻るとみられている。
新たに出現するこの「小さな月」について知っておくべきことをまとめた。
■「ミニムーン」2024 PT5とは?
2024 PT5は、地球に接近する軌道を持つ小惑星(地球近傍小惑星)だ。直径は11mで、キリン2頭ぶんほど。地球とよく似た公転軌道の小惑星グループ「アルジュナ群」に分類されている。米国天文学会(AAS)の学術誌Research Notes of the AASに今月掲載された研究論文で、初めてその存在が明らかになった。
遅い相対速度で地球に接近して9月29日に地球周回軌道に入り、11月25日に離脱する。太陽周回軌道に戻った後も、2025年1月9日に再び地球に大接近するという。
研究によれば、地球近傍小惑星はたびたび地球の重力に捕まり、周回軌道に引き込まれて「ミニムーン(小さな月)」となる。研究者らは、こうしたミニムーンを「一時的に捕捉されたフライバイ天体」と呼んでいる。
■ミニムーン「2024 PT5」は今どこに?
天文情報サイトTheSkyLiveによると、2024 PT5は現在、地球から約300万km離れたところにあり、���半球の北の空に輝くりゅう座に位置している。
私たちが2024 PT5を見ることができるかといえば、それは難しい。明るさは22等級と非常に暗く、肉眼ではもちろん、高性能な家庭用天体望遠鏡でも見えない。プロ向けの30インチ大口径望遠鏡を使える天文学者だけが、このミニムーンを観測できるだろう。
■ミニムーン「2024 PT5」はどこから来た?
2024 PT5を含む地球近傍小惑星は一般的に、火星と木星の軌道の間にある「主小惑星帯」からやってくると考えられている。中でも2024 PT5は、地球と似た軌道で太陽を公転するアルジュナ小惑星帯に属しており、地球に対する相対速度が遅いため、地球の重力に捕まって一時的に地球の周回軌道に入る。
2024 PT5は2024年8月7日、南アフリカの小惑星地球衝突最終警報システム(ATLAS)によって発見された。ATLASは、今月末に到来する肉眼で見える「紫金山・アトラス彗星(C/2023 A3)」も発見している。
■地球の「月」は他にも
地球の周りを常に公転している衛星は月だけだが、準衛星は存在する。その1つが「カモオアレワ(Kamo'oalewa)」で、地球と1:1の軌道共鳴の状態にあり、同期して動いているため、実際には太陽を公転しているにもかかわらず、地球からは地球を周回しているように見える。
カモオアレワとは、ハワイの言葉で「揺れ動く天体」を意味する。仮符号は「2016 HO3」。直径は約40~100mで、米ニューヨークの自由の女神像とほぼ同じ大きさである。2016年に発見された。

後援会の会合で支持者らと握手する岸田前首相(左)=2024年10月6日午後0時56分、広島市中区、山中由睦撮影
岸田前首相、退任早々に地元回り 区割り変更の衆院選、陣営に危機感(朝日新聞)2024年10月6日
1日に首相を退任した岸田文雄氏(67)が6日、衆院選に向け、地元の選挙区であった会合に参加した。岸田氏が選出された広島1区は、次の衆院選から3町が新たに加わるが、このうち2町の町長選では自民の推薦候補が相次いで敗北している。退任早々、地元に戻り、てこ入れを図った形だ。
「選挙区も変わって、新しいご縁ができた。皆さんもお付き合いをいただければ」
広島県海田町であった「地域連絡協議会」で、岸田氏はこう呼びかけた。集まったのは約30人。新たに広島1区となる同県の海田町、坂町、府中町の町長や自民系の町議らだ。
公職選挙法の改正で、広島県内の小選挙区は1減の6に。広島1区は広島市中区などの市中心部に加え、近隣の3町が新たに組み込まれた。岸田氏が広島に戻るのは8月の平和記念式典以来、2カ月ぶり。岸田氏の事務所によると、首相に就任した2021年から3年間、ほとんど地元に戻れなかった。
この日午前、広島市中区であった自身の後援会の会合では、3年間の支援に感謝の言葉を忘れなかった。岸田氏は「歴代政権が決断できなかったことについて、全て答えを出してきた」と振り返りつつ、「日本、広島のために努力を続けていきたい」と選挙への決意を語った。
ただ、足元には不安が残る。
昨年11月の海田町長選では、3選を狙った自民推薦の現職が、無所属の新顔候補に敗れた。今年5月の府中町長選は無所属新顔の5人が争った結果、自公推薦の前町議が落選している。
そうした中で迎える衆院選。岸田氏の陣営関係者は「3町の住民は、岸田氏の選挙区に入ったとの認識が薄い」と焦りを隠さない。3町での支持固めが急務となり、さっそく地元を回ることにしたのだという。
海田町での集会後、岸田氏は報道陣の取材に「新しく選挙区に加わった地域の事情にもしっかり思いを巡らし、理解を深めていくことが大事だ」と話した。
広島1区では、共産の中原剛氏(67)と日本維新の会の山田肇氏(35)、立憲の平本浩一氏(58)が立候補を表明している。(魚住あかり、山中由睦)
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ニューヨークタイムズ掲載記事 和訳公開
『イリュージョニスト』の脚本を担当したピーター・ドゥーシャンの執筆した記事が、ニューヨークタイムズに掲載されました。幾多の山を乗り越えて、奇跡の5回公演へ。その道のりを記した記事の和訳を公開いたします。
The New York Times: https://www.nytimes.com/2021/02/17/theater/the-illusionist-musical-tokyo-pandemic.html

次なるトリックは… 新作ミュージカルをパンデミック中に東京で開幕させること
本記事の著者が脚本を執筆した『イリュージョニスト』は、初めての公演を予定していた。ロックダウン、死の悲しみ、がん、そして隔離により道を遮られても、作品の上演を止めなかった。
『イリュージョニスト』の脚本家ピーター・ドゥーシャンが、東京での公演初日を7000マイル離れた場所から見守る。(撮影:ピーター・ドゥーシャン)
ピーター・ドゥーシャン著
2021年2月17日
離陸前の座席で、私は信じられないほどの達成感を感じていた。この(ほぼ空席の)飛行機にたどり着いたことだけで、大したことを成し遂げたように思えたのだ。海外へ旅をすることが許されるなど、奇跡だと。JFK空港へ、このフライトのこの席へたどり着くまでの道のりが既に、とても長く険しいものだった。
始まりは2016年のこと。スカイプを通じて、ロンドン在住の作詞作曲家マイケル・ブルースとともに、スティーヴン・ミルハウザーの短編小説を基にした2006年の映画「幻影師アイゼンハイム」を原作��した、ミュージカルの第一稿を書いていた。そしてその後、第二稿、第三稿、第四稿と書き進め、作品開発のためのワークショップを二回行った。
2020年末に東京で迎える世界初演に向けて私たちは準備を進めていた。演出家のトム・サザーランドは、日本の大きな演劇制作会社である梅田芸術劇場との実りある実績があり、彼らは新作ミュージカルの開発に意欲を示していた。『イリュージョニスト』は梅田芸術劇場にとってはその機会であり、クリエイティブ・チームにとっては、脚本や音楽を更に磨くチャンスであっただけでなく、作品にとって大変重要かつまだ準備を進めていないイリュージョンという要素を取り入れる最高のタイミングでもあった。(主人公はマジシャンなので。)
しかし、コロナウイルスが発生した。アメリカやイギリスの劇場は閉鎖され、私は心配しながら日本の状況を追った。海外からの渡航が止められたときには取り乱したが、第一波のときにウイルスをコントロールできていた様子を見て、気持ちが少し落ち着いた。劇場は閉鎖されていなかったため、たとえクリエイティブ・チームが来日できないとしても、計画通りに公演は上演できそうだった。
何があっても、この公演を実現したいと私は考えていた。私が関わっている作品のうち既に、2020年に予定していた地方公演が2つ中止になった。1つ目は脚本を手掛けたミュージカル、もう1つは脚本の監修を務めていた作品。この追い込まれた業界で働く多くの人と同じように、たとえ小さな欠片でもいいから、私も何かしらの成果を残したいと、必死になっていた。
梅田芸術劇場は、12月に予定していた世界初演の主役に、三浦春馬を迎えることを発表していた。19世紀末ウィーンのイリュージョニスト、アイゼンハイム。彼は初恋の相手との再会を果たすが、彼女は今やハプスブルク家の皇太子の婚約者となっている。彼女を取り戻そうとするアイゼンハイムは、入念に築き上げられた脆い社会秩序を覆らせる。(映画ではエドワード・ノートンが演じた。)
東京で上演された『キンキーブーツ』でも主演を務めていた三浦は、2019年に行われた『イリュージョニスト』日本語版(市川洋二郎翻訳)のワークショップに参加していた。力強くカリスマ性に溢れた彼のアイゼンハイムは、この作品にとって大きな支えになることは間違いなかった。この公演、そして三浦の参加は、大きな話題を呼び起こしていたようだった。
7月18日、朝起きると一通のメールが私のもとへ届いていた。30歳の若さで、三浦が亡くなったと日本のメディアが伝えた。カンパニー全体がショックを受け、悲しみに包まれ、どのように進むべきか、果たして進むことができるのか悩んだ。
これまで、私は「ショー・マスト・ゴー・オン」に対して懐疑的だった。許されないような労働行為を許容するよう、労働者を強制する言葉のように感じていたからである。しかし、今回はこのフレーズの中に、真剣な思いを感じていた。演劇とは、本来、コミュニティのものである。今辞めてしまうより、公演に関わる全員が集結し、上演することの方が、少しでも癒しになるはずだ。諦めることで、一体何を得られるのだろうか?
そして、プロデューサーたちから、いくつもの質問が飛んできた。東京で隔離期間を過ごすことはできるか?どれくらいスピーディーに日本領事館に行くことができるか?(救いの手が伸びた:日本が就業ビザを許可しはじめた!)作品の幕間休憩をカットしてもいいか?(お手洗いでソーシャルディスタンスをとるため、休憩が長くなってしまう。)スケジュールをずらすことは可能か?公演期間を短縮することは?
イエス、全てにイエス。何にでもイエス。何が何でも上演をしたい。

ドゥーシャンは稽古のために東京へ飛んだが、隔離期間の間に、アメリカへ帰国することが最善と判断し、自宅へ戻り再度隔離した(撮影:ピーター・ドゥーシャン)
主役を再度キャスティングすることはあまりに心苦しく、カンパニー内から決めることとした。もともと皇太子役を演じる予定だった海宝直人に、アイゼンハイム役を務めてもらうこととなった。
そして、もう一つの壁に突き当たった。トムが大腸がんという診断を受けたのだ。完全回復することは間違いないと彼は自信を持っていたが、治療を続けるためにはロンドンに居続けなければならなかった。つまりは日本への旅はできない。マイケルと私は、トムのことを心配し、「自分の身体を一番に考えるように」と彼に懇願した。
しかしトムは、病気が作品の妨げとなってはならないと断固とした強い思いを持っていた。プロデューサーたちが再び奮闘し、計画を考えた。ライブ映像を使用し、トムはリモートで演出をすることに。このパンデミック以前には考えられなかった解決法が、今や私たちにとって、進むための唯一の選択肢となっていた。
旅に必要な許可を全て得て、私はJFK空港へ、このフライトへ、この席へとたどり着いた。そして一枚、自撮りをした。考え得るトラブルは、もう全て起きた。そんな明らかな安堵を感じていた。
その後、全ての岐路において、あらゆる安全策と予防策が講じられた。フライトの前にPCR検査を受け(値段に見合わない高級医療機関で鼻に綿棒を挿入)、羽田空港着陸直後にも再度検査(唾を誘発するためにブースの壁に貼られた梅干しの写真を見ながらの唾液検査)。2週間の隔離期間を経た後に稽古へ参加する予定であったが、隔離期間を終えた後だとしても、東京での滞在を最大限に満喫することはできなかった。屋内での外食やバー、美術館等、人が密集するところは全て避けると合意したのだ。
稽古場での感染予防対策は広範囲に渡った。毎日稽古場に到着すると、参加者たちは私物を個々の衣類袋に入れ、通勤中に着けていたマスクも取り換えた。制作が用意した新しいマスクを、毎日の稽古中に着用することが義務付けられた。稽古場内の食事は禁止され、携帯電話の充電器の共有さえ許可されなかった。稽古は、定期的な「換気休憩」によって中断された。
東京のホテルで過ごした隔離期間1週目、私はZoomを通じて稽古に参加した。振付家のスティ・クロフが既に稽古場に通っていたが、その他の海外クリエイティブ・チームは隔離を続け、稽古が進行する中、WhatsApp(※海外で��流のチャットアプリ)で会話をしていた。その1週間で、私たちは作中の15分ほどを削り、1曲を書き換え、様々な角度から飛んでくるダメ出しを乗りこなした。1幕もののこのミュージカルの前半のステージングが付いた。
すると、隔離期間8日目の朝、プロデューサーから一本の電話をもらった。役者のうちの一人が、コロナウイルスの症状を訴え、陽性反応を検出したとのこと。稽古は中断された。稽古場に参加していた19人のキャスト、何名かのプロデューサー、演出部、制作、そしてたまに立ち寄るのみのオーケストレーターや歌唱指導を含む多くのカンパニーメンバーが、その日の夕方に検査を受けるとのことだった。
カンパニーの中でも楽観的な考えの人たちは、実行していた感染予防対策の成果が検査結果に反映されるはずという希望を持っていた。陽性反応を示した俳優と、その人物と濃厚接触をした人たちが隔離期間を終えた2週間後には、稽古を再開できると。
翌日の夕方、Zoomでのプロダクション・ミーティングにて、リード・プロデューサーによって検査結果が伝えられた。7名の陽性者。キャスト5名、スタッフ2名。我々の努力は、感染の拡大をある程度抑えたかもしれないが、完全に防ぐことはできなかった。変わり続ける状況に順応していくことが益々困難となってきていた。プロデューサーは言った、「時には、歩き去ることが一番勇気のいることだ」と。
もし再開するのであれば、稽古場の人数を必要最低限に抑えることが必要だと私は理解した。そして、正直、稽古場の中に留まることに対して、不安を感じたことも事実だった。リモートで参加する設備が既に整っていたこともあり、私はニューヨークへ戻る決断をした。

東京のホテルの一室にて、『イリュージョニスト』の稽古に参加(撮影:ピーター・ドゥーシャン)
JFK空港から帰宅し、そのまま再度の隔離期間に突入した。毎日のプロダクション・ミーティングでは、全ての会話が両言語できちんと伝わるように、通訳たちを介しながら進めたため、何時間にも及び、私は毎朝5時から参加していた。その中で、梅田芸術劇場チームが、前に進む道を示してくれた。狭いスタジオで稽古をすることを不安に感じていたため、1300席のキャパシティと安全な広さを持つ日生劇場であれば、よりリスクの少ない環境で稽古できると。
稽古期間を短縮しなければならない。役者同士の接触を減らすため、ステージングを簡略化しなければならない。イリュージョンを実現する時間がないため、マジックそのものよりも、マジックに対するリアクションにフォーカスを当てるようシーンを作り直さなければならない。
観客には、コンサート版のステージングになるとアナウンスし、残念な思いを持つ方たちには返金をしなければならない。
イエス。全てに対してイエス。何が何でも上演したい。
数日間のリモート稽古を再開した頃、菅義偉内閣総理大臣が東京都の緊急事態宣言を発令。公演中止。振付家はロンドンへと帰国。しかし、実際には緊急事態宣言による劇場閉鎖命令は出なかった。他の作品が上演を続けるのであれば、我々の作品もそうすべきでは?公演中止は取り消し。
有難いことに、カンパニー内の陽性者で重症の人はいなかったが、再開の日程が近づく中、再び仕事ができるまでには健康を取り戻せていない者もいた。初日を後ろ倒し、公演期間を更に短縮することを私たちは許容できるか?既に簡略化されているステージングを、更にシンプルにすることは可能か?
そして今回も再び、イエス。しかし、なぜイエスなのだろうか?なぜ私たちは、これほどまでに戦い続けていたのだろうか?真実の脆さについて問いかけるこの作品の物語が、時代にあまりにも即していたからだろうか?あるいは、これまで既に多くの困難を乗り越えてきたのだから、どんな新しい障害物を��にしても、怯むことは非論理的だと感じたからだろうか?
それとも、たとえ自分勝手でも、私たちの努力を示す何か―何でもいいからその何かが欲しいという必要性に、突き動かされていたからだろうか?50%のキャパシティでの最低限の公演期間…それが実際にどれほど役に立つと言うのか?東京で何が起ころうと、イギリスのクリエイティブ・チームと私は、そして作品自体は、麻痺するような待機期間に戻るだけのことだ。それぞれの国で劇場が再開するときを待つだけ。今この作品を上演することで得られるものは、作品を上演したという事実だけだ。それだけが、十分な理由になり得るだろうか?

死の悲しみを乗り越えた後、海宝直人が『イリュージョニスト』の主演、アイゼンハイム役を務めた(撮影:岡千里)
私が東京を去った翌日から1か月が経ち、『イリュージョニスト』は稽古場での稽古を再開。クリエイティブ・チームからは、マイケルだけが日生劇場に通っていた。ロンドンにいるトムとスティは、朝4時に起きて参加。アメリカで私は、ほぼ毎日朝3時まで稽古を見ていた。作品の形は素早く作られていった。それ以外に方法はないのだ。
稽古のプロセスには距離を感じたが、ミュージカル業界の人であれば理解できるような喜びがたくさんあった。何年間もピアノ1本での演奏しか聞いたことがなかった音楽が、ついにフルオーケストラによって色づき、前田文子の豪華で緻密な衣裳が舞台の照明を吸収し、俳優たちの役作りを更に際立たせ、ミステリアスで才能に溢れる海宝直人がアイゼンハイムになっていく様子を見つめた。
信頼のおけるいつものZoomで、私は1月27日の初日公演を観劇した。カーテンコールでは、喜びと安堵で役者たちは嬉し涙を流した。終演後、プロデューサーの一人がスマートフォンを持ち、各楽屋を歩き回り、私たちもキャストに思いっきり祝福を浴びせることができた。
スクリーンというフィルターを通しても、舞台裏の歓喜と興奮を感じとることができた。7000マイル近く離れた場所からでも、私は公演初日の高揚感を経験した。再び演劇を作っている、作品を上演している、と。
2日後、予定された5公演を無事に終えて、『イリュージョニスト』は幕を閉じた。後は待つのみ。
The New York Times: https://www.nytimes.com/2021/02/17/theater/the-illusionist-musical-tokyo-pandemic.html
By Peter Duchan
Feb. 17, 2021
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顔のない
私には顔がない。顔がない人は人を愛することができない。顔というのはいわばアイデンティティで、それを欠いていては人に対する自分の感情に絶対の確信を持てない。揺蕩っている。故に私には愛するべき人がわからなかった。
顔がない私をまともに雇ってくれる企業などそうなく、私はただ5体満足であれば使ってくれるような日雇いを斡旋所に紹介してもらい転々と現場を渡り歩いて暮らしていた。肉体労働ばかりできついこともあったが、私が大きなマスクをすっぽり被りっぱなしで働いてもこういう職場の上司や同僚は一切干渉してこなかった。そんなある日、イベント会場のセッティングの現場で斗瀬さんと私は知り合った。
斗瀬さんは顔がない私を面白がった。
「面白いな!顔のない人間なんて、あんたの親もそんななのか?」
「いえ、私の両親も妹も普通の顔を持っています」
私は無愛想に答えた。
「突然変異ってやつか」
私は首をかしげた。かしげて、斗瀬さんにはかしげた様子がわからないことに気づいたけどどうでもよかった。
「食事はできんのか?」
「できます。普通に物を口に入れて噛んで、飲み込めます」
私はない顔の口元を指差した。私の顔は物理的に「ない」のではなくて、どうやら私含め人間には視認できない性質のもののようだ。その証拠に、他人からも触れる上、目も鼻も耳も口もあってしっかり機能しているし、呼吸も摂食も発声も発汗も泣くことも人並みにできる。しかし「ない」顔は、汗や涙よりも透明だ。
「そうか、じゃあ今日現場終わったら斡旋所で待っててくれ。俺がメシ奢ったる」
なにが「そうか」なのかわからなかった私は焦ってとっさに頷いた。しかし私の顔が見えない斗瀬さんは私が頷いたのに気づかなくて私の胸のあたりをじっと見たまま硬直していた。そしてそれに気づいた私は手でオッケーサインを出した。たまに現場で会うから断るのも気まずいし、とりあえず今回は付き合おう。斗瀬さんは「じゃ」と言って手を振りながら向こうへスキップしていった。
「愉快な人だな」と私は思った。
斗瀬さんは私より30分遅く仕事から上がり、18時過ぎに待ち合わせ場所の斡旋所にやってきた。いつの間にか外は雨だった。私は傘を忘れてきたので、斗瀬さんの傘に2人で入って歩く。アスファルトを打つ雨の匂いと、少しがに股で歩く斗瀬さんの着古したジャケットのつんとした匂いが混じってなんだか頭がふわふわする。世界の輪郭が少し、私好みに崩れた気がした。
雨は好きだ、雑踏を行き交う人々は傘で顔が隠れ匿名性が普段より増して、顔がない私でも少しだけ気後れせず街を歩くことができる。それから雨の日は人々の感情も静かで心地がいい。
「あ、あそこだよ。定食屋でもいいか?そういえば酒は飲める?」
「大丈夫です」
斗瀬さんに連れてこられたそこは駅前の商店街の「お多福」という老舗の定食屋だった。
私がなんでも食べれますよ、と伝えると、斗瀬さんはビールの大瓶と枝豆とたこわさともつ煮と鯛のかぶと煮をすらすらと注文した。
「とりあえず飲もか、ほれ」
斗瀬さんは私にコップを渡してお酌してくれた。私もお返しに斗瀬さんのコップにビールを注ぎ、乾杯して飲み干す。
「口が見えないからビールが消えたように見えて不思議だな、ああ、こういうのはデリカシーなかったな、すまん」
「いえ、大丈夫です」
私は斗瀬さんに顔がないことについて関心を持たれるのはなぜか嫌じゃなかった。他の人に突っ込まれるとああまたか、めんどくさいなあっていつもうんざりするのだけど。
「そういえば名前はなんて言うの?」
尋ねられて、名前を言ってなかったことに私も今更気がついた。
「佃 岬」
「佃って佃煮の?漢字で書くと苗字と名前のバランスが綺麗だな」
私たちは大瓶2本を空けて、シメに差し掛かっていた。私はにゅうめんで斗瀬さんはきざみうどん。斗瀬さんはあまり酒に強くないらしくて、もう赤ら顔で虚な眼をしている。
「そういえば、顔のない人は岬ちゃん以外にはいないの?」
「さあ…見たことないですね、ネットで調べても出てこないし、ただ、母によるといざってときは行政の支援も受けられるそうです。私は、あまり顔がないことに甘んじたくないのでわざとそういうのは調べないようして、一人でこういう生活をすることにしたんです。つまらない意地かもしれないけど」
「いや、つまらなくなんかない、やれるとこまでやってみようってことだよな。気に入った」
私は斗瀬さんがあまり深掘りしてこないところが好きだな、と思った。
「俺も実は産まれっていうか…家庭に反目して飛び出してきたクチでさ、そういうところ身につまされるな、まあ、一緒にすんなって思うかもしれないけど」
「そんな、とんでもない、そうだったんですね」
「少しだけ長いしつまらない身の上話になるけど俺はさ、6っつの時に母が家から出て行ってそんで12の時に父が再婚した継母に育てられてさ、そんでその継母には俺より小さい連れ子が2人いてとにかく彼女に可愛がられなかったんだよ。俺だけめし抜きとかざらだった。しかも親父は見て見ぬ振りさ、でもあのときは俺自身も仕方ないなって思ってた。それどころか、悪いのは自分だと思い込むところまできてしまってた」
独立する前の私に似ている。あの頃の私は私だけが周りと違うという理不尽をいつからか受け入れ、卑しく従ってしまっていた。そしてそれは自然なことで、どれだけ歪でも置かれた環境に適応するように生き物やその心はデザインされているのだ。でもだんだんと成長した私は、そんな摂理に抗いたくて、顔がないお前に居場所なんかない、一人で暮らせるわけないとひき止めてくる親に反発して家を飛び出してきたのだ。別にそんなことで自由が得られると信じていたわけでも、特に決定的な出来事があったわけじゃない、ただ、漠然とした不安だとかモヤモヤした気持ち、そんな灰色のものが私の中にごちゃごちゃに蓄積してついに爆発した、そんな感じ。
「親父の実家は酒造をやっていた。そしてもちろん長男の俺に継がせる気でいたんだ。親父の願い通りに高校生になった俺は学校の合間に酒蔵で働き出したよ。俺も親父は好きだったし、このまま地元で骨を埋める気でいた。でもそれは俺が18の時のときだった。継母がずっと浮気をしていたことが継母の妊娠で解ったんだ。そしてあろうことか相手は俺と殆ど歳の違わないうちの酒蔵の若い従業員だった。俺や俺の義弟ともいつも仲良くしてたやつさ。でもそれを知っても親父は何も言わなかった。先妻に捨てられたあげく、再婚した妻にも不貞を働かれたのを村の人たちに知られるとなるとたちまち嘲笑の的だ、そして恥さらしになって、この先商売を続ける上でそれは不利になると判断したからだ。おそらく継母はそこまで計算に入れていた。女っていうのは心底恐ろしいものだね。結局親父は継母も密通の相手も責めずに、家の中だけの問題に収め、なかったことにした。そしてそういったことを目の当たりにして俺の中で何かが壊れたんだ。このままここにいてはおかしくなってしまうっぞって。そのことを実感してはじめてさ、いままで頭の隅にやってた怒りっていうか、言いようのない衝動が湧いて黙って村をおん出てきた。全く情けない話さ。それから30年間ほど日雇とかアルバイトで食い繋いでこのザマってわけ」
はじめてだ、
「私たち、はぐれものどうしですね」
斗瀬さんと私は、
「はは、そうだな」
同じように…
「岬ちゃんは、俺より多分若いだろうし自分さえ大事にできればこの先いろいろ楽しいことがあるよ」
「私今年で24です」
初めて自然に他人に私の年齢を知ってほしいと思った。顔がない女の年齢なんて男にとってはほとんど意味がないのに、あぁ、身体はどうだろう、私の身体の成長は18歳くらいでぴたと止まってしまっている。しかしそれは一般的にそういう人もいるのか、それとも顔がない人間特有のものなのかはどちらのもサンプルがないのでわからなかった。
外に出ると雨は止んでいた。私は斗瀬さんにきゅっと腕組みをした。斗瀬さんの身体は見かけよりがっしりしていて、火照っていて暖かい。
そしてそのままどちらから誘うでもなく、ホテルに入った。好きな人の前では顔がなくてよかったなと思う、これは初めて見つけた感情だ。私に顔があったら、照れて初めてデートする男に腕なんて組めなかっただろうから。
それと顔がないから、私に覆い被さって動く斗瀬さんの感じている顔を照れずにはっきりと見られる。
斗瀬さんのこめかみ、脂でつやがかって白髪が混じっている。
皺の多い唇。
豊かなまつ毛。
悩ましい表情。
まばらに生えた胸毛。
胸のしみ。
斗瀬さんの全てが、透明な私のなかへそそがれていく。
斗瀬さんには私の顔はどう映っているの。
やがて斗瀬さんは果て、私を優しく抱きしめる。私は斗瀬さんの汗ばんだ首筋に、キスをする。
「意外だな、失礼だけど、岬ちゃんは初めてだと思ってた」
「男は顔がなくても気にしない人が意外にいるんだなって独立してから気付きました」
「まぁ、そんなもんかもな」
今まで付き合った数人の男たちは、顔がない私とセックスするの��特別な興奮を覚えているだけの変態ばかりだった。私はそれにどうしても気づいてしまうのでいつもすぐ冷めてしまい、身の上話なんて彼らにはほとんどしなかった。けれど斗瀬さんは違う。私は斗瀬さんのことを知りたいし、斗瀬さんにも私のことを知ってほしい。斗瀬さんにこれからの私を見てほしい。
私は今初めて、恋をしている。
それから私たちはたびたびデートするようになった、告白は斗瀬さんからだった。
「岬ちゃん、こんなんでよければ付き合ってくれませんか」
いつもの斡旋所の帰り道、私はオッケーサインで快諾した。
それから5ヶ月が経った。
その日、斗瀬さんはおでん屋でいつものように杯を重ねて赤ら顔になっていた。
そして、やにはにこんな話を切り出した。
「昨日の夜、むこうの俺の義弟から連絡があってさ、おやじが倒れたらしいんだ」
「えっ」
「末期の膵臓がんでね、もう長くないみたいなんだ…」
斗瀬さんの表情はいつものように口角を微かに上げた笑顔だったけれど、その変わらなさが反対に動揺を隠しているように見えた。
「それでこんなこと岬に頼むのも不躾だと思うんだけど、一緒におやじに会いに行ってくれないか」
「はあ…」
唐突なお願いに私はおずおずと返したが、正直なところ嬉しかった。私には顔がないけど斗瀬さんがいる。もう何も、怖くない。
「なんていうかさ…」
斗瀬さんはそう呟きながら首を傾げて右のこめかみをぽりぽりと掻く。私は斗瀬さんが決まりが悪い時にするおやじくさいこのしぐさが可愛くて好きだった。
「ほんっと勝手な話なんだけど正直に言うと、俺にとって岬は欠けていた一部みたいなもので、それを見つけた俺を、岬を死ぬ前に親父に見せたいっていうか…」
「なるほど」
それから私たちは無言になった、そして無言のまま2人で大瓶を一本空けた。それから私はもう一本注文した。
「いいですよ、その代わり条件がある」
「うん?」
聞きながら斗瀬さんは私に酌をする。
「私を婚約者としてお父さんに紹介して」
その言葉を言った瞬間、私の世界の全ての音が遠くなった。せっせと歩き回る店員も、向こうで宴会をしているサラリーマンたちも、みんなスローモーションになり、そして、ぼやけた私の世界に、今向かい合っている斗瀬さんだけが鮮烈に存在していた。斗瀬さんだけが、私を見ていた。
太腿がじんわりと冷たかった。石のように固���った斗瀬さんの持つ瓶から注がれぱなしになっているビールがコップから溢れて、テーブルを伝い私の脚を濡らしている。斗瀬さんは瓶を置き、私の透明な頬を流星のように流れ落ちていく涙をぴんと伸ばした震える人差し指で不器用にそっと拭う。
「岬は泣くと、顔の形が少しわかるね」
斗瀬さんのお父さんは私たちが様子を見に行ってから53日で亡くなってしまった。
実は継母とは15年前から別居かつ絶縁状態で、たまに斗瀬さんの義弟が様子を見にくる以外はほとんどお父さんは一人で過ごしていたらしい。酒造は経営不振からとっくに廃業しており、商売を畳む時に抱えていた負債は、実家とは離れた酒蔵の土地を開業医に売却することによって賄っていた。そんなもろもろを、これまで一切実家に連絡を入れなかった斗瀬さんは30年ぶりにお父さんに会って初めて知ったのだった。
斗瀬さんとお父さんは毎日これまでの時間を取り戻すように睦まじく、たくさん話した。斗瀬さんはお父さんの実家の土地を継ぐこととなった。
そしてしばらくして、斗瀬さんの実家には籍を入れた私と斗瀬さんとで住むことになった。
私は村の郵便局の窓口でアルバイトをした。斗瀬さんは林業に従事した。
村の人たちは、印象とは違い都会の人より顔がない私に偏見を抱かず、むしろフラットに接してくれた。そしてなにより嬉しかったのは、みんな斗瀬さんが帰ってきたのを懐かしんでいるようだったことだ。その暖かさの理由には、家の事情をみんな知っていたので同情によるものもあったのかもしれない。
郵便局の横に住んでいる私の職場の先輩の日野さんの奥さんなんかは、頻繁に家に野菜をダンボールいっぱいに詰めて持ってきてくれた。私は日野さんの奥さんともすぐに打ち解け、仲良くやれた。
「岬ちゃんって寝る前ちゃんとフェイスケアしてる?顔がなくて関係がなくても、女でいるためにそういうのやっておいたほうがいいわよ?」
「女でいるために」
「そう、女でいるためにね」
私は日野さんの奥さんと軽口を叩くのが心地よかった。あっちにいた頃は、同性ともこんなに仲良くなったことはなかった。これは都会がどうとかではなく、斗瀬さんが私を見つけてくれて、2人で私たちの居場所を作ったから得られたものだ。私は村の人たちと関わるたびに、斗瀬さんと出会うことができてほんとによかったなあとしみじみ思う。
斗瀬さんの義弟たちとその家族とも私たちはうまくやれた。むしろ、ある種の蟠りがあったぶん、深い仲になれたふしもある。
斗瀬さんと私は、ゆっくりとした時間をこの村でたくさんの想いを与えたり与えられたりしながら生きた。
「親父は、最後嬉しそうだったよ」
不意に斗瀬さんは夕食の煮っ転がしをつつきながら呟いた。
縁側から秋の冷たくて寂しい風が吹き込んでくる。
身体が冷えるから、私は少しだけ開いていたガラス戸をゆっくりと閉めた。
「親父も俺と一緒で、自分の空っぽを埋めようって思いながら足掻いて生きていたのがな、俺と岬がこっちに来た時の親父と同じくらいの、この歳になってわかってなあ。そしてそれに気づかせてくれたのは岬、君なんだ。本当に感謝しているよ」
斗瀬さんの頭はもう真っ白で、頬もこけ、身体の殆どが亡くなる前のお父さんと瓜二つになっていた。
「そんな、私こそ斗瀬さんに見つけてもらえなかったら今ごろどうしてるか想像もできないよ。こちらこそ、ありがとう」
私は想いを噛み締めながら斗瀬さんに伝えた。透明な私の中にある、しっかりとした、色彩豊かな想いを。けれど、それはうまく言葉にできなかった。
私は斗瀬さんを背後からぎゅっと抱きしめた。斗瀬さんの身体は、あの日2人で傘の下で身体を寄せ合った時と違って、薄くて頼りなくてひんやりとしていた。しばらくそうしていると、じんわり目頭が熱くなってきた。
斗瀬さんは私の頭を撫でて、私の涙に応えるようにはかない声でうんうん、と微笑を浮かべて呟くと、寝室へとぼとぼと歩いて行った。この頃斗瀬さんは21時にはもう寝てしまう。斗瀬さんはごはんもお菜も殆ど残していた。私は食べ残しにラップをかけ、冷蔵庫に入れた。私の身体は斗瀬さんに会った時とまるで変わらない、顔がない私は老けないのだ。たぶん、脳も若いままなのだろう。冷蔵庫の前で立ち尽くしてそんなことを考えていると、たくさんの涙が、わたしからあふれてきた。
斗瀬さんが死んだのは3月の晴れた暖かい日だった。病室の窓の外では、山桜が風にふわふわと揺れていた。
葬儀には村のみんなが来てくれた。
これから大変だねえ、なんかあったら家にいつでも相談に来なよ、助けになるから。とみんな優しく私に声をかけてくれた。
とても心強かった。この村に来てよかったと私は心底思った。
私は今年で150歳になる。斗瀬さんも斗瀬さんの義弟もとっくに死んでしまい、今は斗瀬さんの義弟の兄のほうの曽孫のさらに孫夫婦とその娘さん(つまり斗瀬さんの…何になるんだろう……)や村のみんな(もうはじめ来た時とは何世代も変わってしまった)と相変わらず仲良くやっている。やはりどうやら私は顔のある人より寿命が長いらしい、もしかしたら不老不死なのかも知れない。
斗瀬さんがいなくなってから私自身について気付いたことがある。
それは、もしかしたら私のような(ほかにいるのかまだ見たことないけれど私は私と同じような人が何処かにいると信じている。特に根拠はないけれど)顔のない人は顔のある人の想いを保存する役目を負っているのかもしれないということ。私は、斗瀬さんの、斗瀬さんのお父さんの、継母さんの、義弟さんたちの、そしてこれから出会ういろいろな人の想いを、透明のなかにこぼさないように注いで行く。私は斗瀬さんや、斗瀬さんとこの村に来た時に知り合った人たちがくれた想いを今でも鮮明に思い出すことができる。そこにはたしかに戸惑いや、悲しみもあったけれど、どれも宝石のように美しく輝いている。そしてそんな人の想いが在る限り、顔のない私は歩き続けるだろう。
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TEDにて
ピーター・ワインストック: 手術の安全性を高める本物のような3Dシミュレーター
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
緊急ケア医師であるピーター・ワインストックが、危険な手術を事前にリハーサルなどの練習をするために手術チームがハリウッドの特殊エフェクトや3Dプリンティング技術を使って、まるで、本物のような患者の複製を作る様子を紹介します。
「数時間前に出力しつつ2度(模擬)手術を行い、リアルに切るのは1度だけ。」このトークで手術の未来を垣間見ましょう。 (模型ですが刺激的な映像の部分があります)
このシュミレーターが実現した後、私がボストン小児病院のICUで家族に話す説明の内容はすっかり変わりました!!
こんな会話を想像してみてください。「私たちは、ICUで頻繁にこの病気の症例を処置します。お子さんに行うような手術を数多くした。それだけでなく「あなたのお子さんの手術」に慣れているんです。2時間前に10回も手術したので、これからの本番にも万全の準備ができていますよ」と!!
これから手術を受ける皆様、いかがでしょうか?
新たな治療技術があり、それが、医師や看護師の手に渡れば、子ども、大人、あらゆる年齢の患者たちの治療アウトカムを改善し、疼痛や苦しみ。手術室で過ごす時間。そして、麻酔時間を減らし、治療は最高の効果を生み、治療をすれば、その分だけ患者は良くなる。
それに加えて副作用がなく、あらゆる場所で処置できる。そんなものがあったらどうでしょう。ボストン小児病院のICUで働く救急医にするとこれはゲームチェンジャーです。
その技術とは、まるで本番のような手術のリハーサルです。本番のようなリハーサルが。治療シミュレーションを通じて行われます。
症例を通して、この奮闘の様子をご紹介し、この技術が医療の質を高めるだけでなく、医療にとって必須だという理由をご説明しましょう。これは生まれた��の女の子です。私たちは、生まれて最初の日を「生後0日目」と言いますが、この子が生まれるとすぐ全身状態が悪化しているのに気づきました。心拍が早まり血圧が下がり、赤ちゃんの呼吸はとても速く、その理由は胸部レントゲンに表れていました。
これはベビーグラムと言う新生児の全身のレントゲン撮影です。上方は、心臓と肺があるべきところです。下方には腹部が見えますが、ここには腸があるべき場所です。透明な部分が赤ちゃんの胸部、向かって右側へ侵入しているのが見えると思いますが、これらは間違った場所にある腸です。それが、肺を圧迫し、この哀れな赤ちゃんの呼吸を困難にしていました。
これを解決するためには、この子をすぐに手術室へ運び、腹部に腸を戻し肺の圧迫を解決し、再び呼吸できるようにすることが必要です。でも、彼女が手術室へ入る前に一旦私たちのICUへ連れてこられます。私は外科手術チームと働いています。その子を取り囲み、人工心肺装置につなぎ
そして、まず麻酔をかけ首にごく小さな切開を加え、そこから大血管へカテーテルを通し、この大血管はボールペンの芯ほどの太さです。そして、血液を体内からとり出し 機械を通して血液に酸素が加えられそれが体内に戻されます。この子の命を救い手術室へ安全に運びます。
でも問題があります。
こうした疾患。先天性横隔膜ヘルニアというのは横隔膜に空いた穴から内臓が胸腔内に脱出するのですが稀だということです。世界で最高の技術を持つ外科医でも完全に手技が熟練するために必要な数の手術の機会に恵まれるのは困難です。この症例は稀なのです。稀少な症例をどうやってありふれたものにできるでしょう?
もうひとつの問題は、現行の医療制度で臨床訓練を20年やってきましたが、現行のトレーニングモデルは、徒弟(技術見習い)制度といい数世紀の間使われてきたものですが、手術を一度だか数回見学した後その手術を実地で行います。
次には、次世代の医師に教えるというものです。このモデルでは言うまでもなく、私たちは治療すべき患者を練習台にしています。これは、基本人権上、問題です。もっとましなアプローチがあるはずです。医学の世界は高い危険を伴うのに、本番に備え練習をしない最後の業界と言えるかもしれません。
革新的な治療シミュレーションを使ったより良い方法をご紹介したいと思います。
まず、私たちはこのような方法を何十年も使ってきた危険を伴う業務を行う他の業界を訪ねました。
原子力発電所です。ここでは、想定外の事態が起こった際の訓練をシナリオに基づいて定期的に行います。
私たちに身近な航空業界では、私たちは安心して飛行機に乗れますが、それもパイロットやクルーがこのようなシミュレーターで訓練を積み緊急事態のシナリオで経験を重ね、万が一そんなことが起こったとしても、最悪の事態に備えているという安心感があるからです。
実際、航空業界は、飛行機の胴体丸ごとをシミュレーション環境にしてしまいました。チームの息が合うことが、重要だったからです。これは脱出ドリルシミュレーターで、もし、その「極めて稀な事態」が起こるようなことがあっても彼らは即座に対応する準備ができています。
そして、いろいろな面で衝撃的だったのが文字通り大きなお金が関わるスポーツ業界です。
野球チームの選手たちの練習風景を想像してください。これは素晴らしく進んだトレーニングモデルだと思います。彼らは、まず春季キャンプへ出かけます。春季キャンプへ行き野球におけるシミュレーターのようなものです。実際の球場ではなくシミュレーションでプレシーズンマッチの練習をします。
シーズン中にフィールドでゲーム開始の前にまず何をすると思いますか?バッティングケージで何時間もバッティング練習をして様々なボールを打ち、筋肉がほぐれるまで十分に練習して本番に備えます。
ここからが最も興味深い部分です。スポーツ観戦をする方なら見たことがあるでしょう。打者がバッターボックスに入り、ピッチャーも投球準備ができました。投球の直前には打者は何をするでしょう?ボックスから踏み出しまずスイングします。必ずその順番です。
私たちがどのようにこんな訓練の場を医学の世界��作っているのかをお話しします。
ボストン小児病院で私たちは患者を治療する前のバッティングケージを作っています。最近の例でお話しすると頭部が大きくなり続ける4歳児の症例ですが、その結果。神経系などの発達に遅れが起こります。これを引き起こしていたのは水頭症と呼ばれる疾患です。
神経外科学を簡単に説明すると、まず脳がありそれを包む頭蓋骨があります。脳と頭蓋骨の間にあるのは、脳脊髄液。あるいは、髄液と呼ばれ衝撃を吸収します。あなたの頭の中では脳脊髄液が脳を包み、脳と頭蓋の間を満たしています。脳のある部位で生産され、それが回流しそれが再吸収されます。
この見事な流れは私たち皆に起こります。しかし、不幸にも交通渋滞のようにこの流れが滞ってしまう子どもがいて滞留した髄液が、脳を圧迫し脳の成長を阻害します。その結果、子どもは神経系発達指標に後れを生じます。これは非常に厄介な小児の疾患で手術で治療します。
従来の手術法は、頭蓋骨の1部を切り取り、この液体を排出しそこに排出管を取り付けて、さらに、排出された髄液が体内に戻るようにします。大手術ですが、良いニュースは神経外科技術の向上でこの手術では侵襲の低いアプローチが可能になっています。
小さなピンホールを作ってカメラを挿入し、脳の深層部まで導いて小さな穴を被膜に開け髄液を排出します。まるでシンクが排水するように、突然、脳は圧力から解放され本来の大きさに戻ります。私たちはその子を穴1つで治療した訳です。
しかし、問題があります。水頭症は比較的珍しい疾患でこの内視鏡を正しい場所に持っていくトレーニングはありませんでした。でも、外科医たちは創造性を駆使し、彼らはトレーニングモデルを選びました。これが今のトレーニングモデルで。
本当ですよ。この赤ピーマンはハリウッドの特殊効果ではなく本物の赤ピーマンです。医師はこの中に内視鏡を差し込み「種除去手術」をするのです。
この内視鏡と小さなピンセットを使い種を取り出します。原始的な方法ですが、これが手術の技を身につけるための方法です。それから医師たちは徒弟制度に戻り、多くの手術例を見て学び、手術し、それをまた教え、患者と出会うチャンスを待つだけです。
しかし、もっと良い方法があります。
私たちは、子どもをモデルに複製を作り、外科医や手術チームがあらゆる重要な場面のリハーサルをできるようにしました。これをご覧ください。私のチーム。シミュレーター・プログラム。SIMエンジニアリング部門で素晴らしいスタッフで構成されています。
彼らは、機械工学技術者、イラストレーターたち、CTスキャンやMRIから得た1次データをデジタル情報化し、アニメーションにして子供の臓器の通りの配置に組み立て、手術の必要に応じて体表のスキャンが行われ重ねられます。そのデジタルデータを取り、この最先端の3D印刷デバイスでアウトプットし、子どもの臓器をミクロンレベルまで本物そっくりに印刷することができます。
このように、この子の頭蓋は手術の数時間前に印刷されます。
これを実現する手助けをしてくれたのは、西海岸は、カリフォルニア州。ハリウッドの友人たち。彼らは現実を再現する技術に長けている技術者たちです。私たちにとって大きな跳躍ではありませんでした。この分野に踏み込んでいくと自分たちは映画製作と同じことをやっているのだとわかりました。
映画を作っているんです。ちょっと違うのは、俳優たちではなく、本物の医者や看護師が出演することです。これらはカリフォルニア州ハリウッドのFractured FX社の友人たちによる画像です。エミー賞を受賞した特殊効果技術の会社。ジャスティン・ラレイとチームでこれは患者ではありませんよ。
彼らの優れた仕事を見て、彼らと協力し、互いの専門を融合させるため彼らをボストン小児病院へ招いたり、我々がハリウッドへ赴いたりしてシミュレーター開発のため意見を交換しました。
これからお見せするのはこの子の複製です。髪の一本一本まで再現されています。これも同じ子の複製です。気分悪くなられたら申し訳ありませんが、これは手術をする予定の子供を再現しシミュレートしたものです。これが先ほどの被膜でこの子の脳の中にあります。
今からお見せするのは、本物の患者とシミュレーションです。小さな内視鏡カメラが入っていくのがここに見えますね。この被膜に小さな穴を開け液体が出るようにします。ここでどちらが本物でしょう?なんていうクイズを出すつもりはありません。右がシミュレーターです。
外科医たちは、トレーニング環境を用意しこうした手術を何度でも練習できます。慣れて安心できるまで。そうした練習を経た後でのみ、子どもを手術室へ運びます。それだけでなく、ここでの重要なステップは技術そのものだけでなく、その技術を担当チームとの連携にうまく組み込むことです。
F1の例を見てみましょう。
テクニシャンがタイヤを交換しています。この車で何度も繰り返し作業し、それは即座にチーム・トレーニングに採り入れられ、チームが一丸となってタイヤ交換を行い車をレーストラックに送り出します。
私たちは医療にそれを取り入れました。これは手術のシミュレーションです。お話ししたシミュレーターをボストン小児病院の手術室に持ち込み、当院の手術チームが本物の手術の前にシミュレーション手術をしています。
2度の手術を行いますが切るのは1度だけ。
本当に驚きです。この次のステップが重要なのですが、チームは部屋から出るとすぐに振り返りを行います。リーンやシックスシグマと同じテクニックを使い、彼らを集め何がうまくいったか。そして、もっと大切なことですが、何がうまくいかなかったか。どうやってそれを修正するかを話します。
そして、手術室に戻り繰り返すのです。最も必要な時にバッティング練習ができるんです。
さあこの症例に戻りましょう。同じ子ですがボストン小児病院で、この子がどんなケアを受けるかをご説明しましょう。この子は午前3時に生まれました。午前2時には私たちチームは集まり、スキャンや画像からデータを得た臓器を複製し、いわゆるバーチャル・ベッドサイド環境を作り出しました。
シミュレーテッド・ベッドサイドを数時間後にはこの子を実際に手術するチームにその手順を行ってもらいます。ごらんください。複製にメスを入れているところです。赤ちゃんはまだ生まれていません。
どうですか?
私がボストン小児病院のICUで家族に話す説明の内容はすっかり変わりました。
こんな会話を想像してみてください「私たちは、ICUで頻繁にこの病気の症例を処置します。お子さんに行うような手術を数多くした。それだけでなく「あなたのお子さんの手術」に慣れているんです。2時間前に、10回も手術したので、これからの本番にも万全の準備ができていますよ」
この新しい医療技術とは、本番に備えて練習ができる極めてリアルなリハーサルです。
ありがとうございました。
しかし、日本では生物学や先端医療、iPS細胞などの再生医療以外は現状維持の方がいいかもしれません。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメ��ットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
宇宙空間にも活用できれば、月面や宇宙空間のロボットを自宅からゲームのように操作するだけで賃金がもらえるような、一神教での労働の概念が変わるかもしれません。
日本では、医療関係は、法律で個人情報の秘匿を義務化されてますが•••
国内法人大手NTTドコモは、本人の許可なく無断でスマートフォンの通信データを警察機関に横流しをしてる!
GAFAのように対策しない違法な法人?まさか、他にも?独占禁止法や法律を強化する?デフレスパイラル予防。このような国内大企業、中堅法人も危険。傲慢。
日本国憲法に違反しているので、アメリカのカリフォルニアやヨーロッパのGDPRのようにデータ削除の権利行使。
他に、再分配するデータ配当金を構築してからでないと基本的人権侵害になるため集団訴訟を国民は起こすべきだ。
税の公平性は、よく言われるが、時代が変わり一極集中しやすく不公平が生じてるなら産業別に税率を上昇させてバランスよくすればいい?
特に、IT産業などは、独占化しやすいから別枠で高税率にして、ベーシックインカム用に再分配システム構築できないなら独占禁止法強化。
自動的にディープフェイクをリアルタイムの別レイヤーで、防犯カメラの人物に重ね録画していくことで、写る本人の許諾が無いと外せないようなアルゴリズムを強力に防犯カメラの機能を追加していく。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳��さを警告しいさめています
サミット警備時、死者数が微小なのにテロ対策と称し厳戒態勢!
経済活動を制限した時に、警視庁職権濫用してたが、死者数が甚大な新型コロナに予算増やした?
警察権力悪用!
庶民弱者に圧力やめさせないの?
オリンピック前にも圧力あったから予算削除しろ傲慢警察!
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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A.I.C.O. Incarnation
Incarnation とは 肉体を与えること、人間化、具体化、実現、権化、化身、(人・事物の変化・転変における)一時期(の姿、形)、(神のキリストにおける)顕現、托身 (Weblio英和辞典)
何も考えずに書いていきます。文体はぐちゃぐちゃ。展開もぐちゃぐちゃ。
Netflixオリジナルアニメ『A.I.C.O. Incarnation』を見た。ネトフリはオリジナルで色々と作品を出しているが、最近はアニメにも力を入れている模様。ただネトフリオリジナルというのは単にネトフリがスポンサーとしてお金を出しているわけであって、普通に地上波でも放送してたらしい。サブスクでもネトフリだけじゃなくてU-NEXTでも見れるっぽいし。
youtube
↑OP映像。色々と良いのでOPだけでも見て
監督は 村田和也監督。アニメオタクくんじゃない(ほんまか?)ので監督事情とかには詳しくないんだけど、どうも正解するカドの総監督だったらしい。信頼じゃん。(え?正解するカドは賛否両論だったじゃないかって?いやアレは野崎まど耐性のない一般視聴者には刺激が強すぎただけだから……)ちなみに僕は監督でアニメを見たりしない反面、劇伴でアニメを見ることが多い(プリンセス・プリンシパルもそう)ので劇伴の人もチェックしたのだが、岩代太郎という人らしい。名前は知らなかったけどどっちかというとドラマの劇伴とか手掛けてる人っぽい?例によって正解するカドの劇伴も手掛けてたらしい。そういや雰囲気が似てるようなそうでもないような……
さてアニメ本編についての話だが、まずアイコちゃんがかわいい
こ、こんなかわいい女の子にあんな運命を背負わせるなんて……村田和也監督、名前は覚えました。夜道に気をつけてください。
黒~茶髪ショートヘアの制服少女が主人公って時点でもうこのアニメは完成されている(強いて言うならヘアピンがついていれば完璧だった)のでこれ以上何も言わなくてもいいかもしれないが、このまま��と僕がキモオタクくんになって終わってしまうのでもう少し続けます。
さて、私は文章構築能力が非常に低く、何かを説明する能力が皆無なのでとりあえず公式サイトのイントロダクションをはっつけておく
バイオテクノロジーが急速に発展した、近未来の日本――。 「人工生体」の研究中に起きた大事故“バースト”により、 暴走した人工生命体“マター”が黒部峡谷一帯を侵蝕。 人類にとって希望の地と謳われた研究都市は、政府により立ち入りが禁じられた。 その災厄から2年後の2037年。 バーストで家族を失った15歳の橘アイコは、 転校生の神崎雄哉から信じがたい事実を告げられる。 それはアイコも知らなかった、自身の身体に隠された“秘密”だった。 それを解く鍵は、バーストの中心地“プライマリーポイント”にあるという。 アイコは、案内人の神崎雄哉と護衛部隊のダイバーたちと共に、 封鎖されたエリアへの侵入を決意するが。 人類の未来を背負う少年、少女が出会った時、明らかになる真実とは?
本作は所謂バイオSFの範疇に入る。私は生物x機械というか、人間による人間の拡張みたいなものが大好物でこれだけでパンが5斤食えるのだけど、本作は特に性癖にマッチしたものだった。人体拡張には主に「脳の拡張」と「身体の拡張」の二種類があると考えている。いわばソフトウェアとハードウェアの違いだろう。本作で登場する「人工生体」とは「身体の拡張」にあたる。本作中では人工生体が、事故にあった箇所の損傷を修復するのに使われていたり、義手や義足としてホンモノの人体と見分けられることなく使用できている描写が見られた。今で言う、iPS細胞の、更に進化したものなのであろう。(作中ではセル・アセンブラという名前が使われていた)ストーリーの詳細に立ち入らない状態で作中に登場するガジェットの話をするのは不親切だが、上記引用の中にも出てくる「ダイバー」(書かれている通り護衛部隊。マターと呼ばれる人工生命体を駆除する人々)の着用している「ダイバースーツ」にも人工生体の技術が用いられているようであり、いわば現代で言うパワードウェアのような立ち位置であった。
さて、非常に興味深いのが、ダイバーたちがダイバースーツを着用する際、「ニュートリションボトル」と呼ばれるなぞの物体を背中側につけていたことである。ダイバー曰く「人工生体も生き物だからね。食事と排泄も大事」とのこと。おいおいおいおい……自己完結した代謝システムを持っている生物を着用してるってやべぇな……。それなら義手や義足として着用した場合もそのような仕組みが必要なのでは?と思ったが、本作で人工生体の義手を着用している一樹くんなるキャラクターが義手についてなにか代謝の世話をしてやっている描写は見られない。そのための機構が非常に小型化されているか、あるいは母体から栄養を供給する仕組みがあるのだろう(こちらのほうが、より後天的な義手っぽい)。というか代謝システムを持った一つの生命体ってことは、そいつ、意思とかないんすか?エヴァでさえ意思を持っているんですよ……?あっ……(察し)
これ以降割と物語の核心に近い話をしています。
さーてここでバイオSFあるある命題に突入してしまったが、この下りが伏線だったのかどうかは定かではない(多分違う)にせよ、本作品の一つのテーマが「人工的に生み出された生命は意思を持ちうるか」であることは間違いない。ハードウェアだけつくっても、そこにソフトウェアをインストールしなければ完全なシステムとは言えない。しかし生体においては、そのソフトウェア、すなわち意識というのは「生命」というのっぴきならない概念をひっさげており、それ故簡単には制御できない。自然という人類の母なる存在が生んだ意識というソフトウェアを、人類は未だ解析しきれていないのだ。
ちょっと話が脱線しすぎた。まぁ現状意識についての解析が進んでいないのは確かなのだが、もし将来的に、人工的に作り出された生命体に偶然、ないしは意図的に意識を宿らせることが出来た場合、それははたして生命と呼べるのだろうか……いざブレインアップローディングが可能になったとして、人間の意識を移したコンピューターを生物とよべるのか?という話と同じようなこととも捉えられる。まぁ、もともと人間に宿っていた意識を別の容器に移すことはまだいいとしよう。では、人工的に生み出した身体に勝手に意識が宿った場合は、果たしてそれは生命と呼べるのか?もっと言ってしまえば、人と呼べるのか?
本作では色々あって(ネタバレ防止の為省略)アイコと、全身人工生体でできたアイコのクローンが生み出され、その上、自然生体の身体に人工生体の脳、人工生体の身体に自然生体の脳が入っている状態となってしまう。まぁ人工生体の身体に自然生体の脳が入っているのはまだ理解できる。ロボットに生身の人間が乗っているようなものだ。では、自然生体の身体に人工生体の脳が入っている場合というのは一体どうなるのだろう。ちなみにこの人工生体の脳とは、アイコがこのような状態になってしまったとき、アイコの脳が同時にコピーされたものだ。先程「ロボットに生身の人間が乗っているようなもの」という表現をしたが、これでは「生身の人間をロボットが操っている」となってしまう。ヤバすぎる。自分の身体に、自分のコピーである人工物が入っている。自分は人工物の身体に入れられている。自分とは、どちらなのだろう。意識が自己を決定するのであれば自然脳側が自分なのかもしれないが、ではもし、人工脳側が意識を持ち始めたら……。「ガワ」が人間であるものが、より人間だと言えるのではないだろうか。
作中で、セルアセンブラ(人工生体のもと)の基礎研究をした桐生博士が「未来は、新しい命が紡ぐものだ」という発言をするのだが、それに対し、後継研究者である伊佐津先生は「人工生体は命の新しいあり方を示してくれました」と答えるシーンがある。このシーンは2話あたりなのだが、このやりとりこそが、まさしくこの作品の本質なのではないだろうかと考える。結局、この作品は、人工生体のアイコちゃんがこの世界でどう生きていくか、という疑問提起のような形で終りを迎えるのだが、先程も説明したとおり、人工生体に宿った意識というのは(というか、人工の意識を宿された人工生体というのは)「人」と呼べるのか怪しい。身体拡張というのは、人類の進化、そして工学、特に医療工学の未来において、最大かつ最後のブレイクスルーであると考えているのだが、それを行使すれば行使するほど、我々は剛強な生命や利便性と引き換えに、人ならざるものへと近づいていく。そう遠くない未来、我々は我々自身の進化によって、人の定義を改めないといけないのかもしれない。
本編のストーリーの解説を全くしていないのに、たらたらと妄想を垂れ流す最悪文書になってしまった……。まぁこのアニメ、僕は最高に興奮したのだが、やはりあまりよろしくない点も色々とある。まず、基本的なメッセージやSF的な設定がしっかりしているのは良いのだが、主人公の周りの人間、主人公以下脇役以上的なポジションの人間があまり深く掘られておらず、すこし取ってつけたような感じがあるのは間違いない。12話という話の中に詰め込むのは無理があるというのはわかるが、ここらへんをもう少し突き詰めるとより良い作品になったのではないか。また、政府の思惑や病院内での政治活動など、よくある外部の障害要因が、あからさまで、モブきゃらがモブキャラ然としていたため、少し味気なく感じた。緊急事態に係る政府の行動というのは、SF作品においてその「リアリティ」を生み出す上で優れた物語的要因ではあるが、上手く使わないと非常に安直な展開に見えてしまう。成功例でいうと、「正解するカド」が挙げられるだろう。正解するカドの、日本国政府とヤハクイザシュニナの交渉というのは、まさしくシン・ゴジラと似た系統のリアリティを感じた。
↑正解するカドの犬束首相。おや?どこかでみたようなビジュアルしてますね……
とまぁ、特に人間関係周りの掘り下げが不十分かなというのがネガティブ的意見ですが、人間関係なんて生体同士の通信に過ぎないんですから本質ではないんですよ。偉い人にはそれがわからんのです。
書き散らかしてきたけど書きたいことはまだまだたくさんある。とりあえず今は文章を貯めておいて、将来作る「拡張SF」(作るったら作るの!)のネタにしようかと思う。
なにはともあれアイコちゃんかわいい!笑顔……!!
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11060007
間接照明なんて小洒落たものは、この部屋には置いていない。それは私の生活に、そんなオプションにまで気を配るほど金銭的にも精神的にも余裕がないせいでもあったし、そもそもワンルームの狭い部屋でテレビ以上に程よく光を与えてくるものなどないからでもあった。
「そろそろ照明買えよ。」
「なんで。」
「だってお前、セックスする時暗いと何も見えないじゃん。かと言って部屋の電気は付けさせてくれないし。」
「明るいの恥ずかしいから付けない。それに、テレビつけてるじゃん。十分見えるでしょ。」
「そのせいで俺らは深海魚に見守られながらハジメテを迎えたわけだけど。」
「素敵な初夜じゃない。それに、強いて言うなら今日も、ね。」
そう、今日も、私と彼は、狭いシングルベッドの上で、深海のドキュメンタリー映像に見守られながら繋がった。夏の暑い日、地球に鞭打ってクーラーをガンガンに効かせ、程よい室温の中で体温を分け合った。光る四角の中では、ゆらりゆらりと奇抜な形と色をしたクラゲが、波も音も光も何もない水の底を揺蕩っている。まるで私たちみたいだ、とその様子を自嘲すれば、彼は、詩的なことはよくわからない。と眉を下げるんだろうか。
「嫌い?深海魚。」
「いや、嫌いじゃないけどさ。」
「なら良かったじゃんか。何、それともガキ使でダウンタウンに見守られながらしたかった?」
「色々アウトだよバカ。何が悲しくて、おっさんがケツしばかれるとこ見ながらイかなきゃいけないのさ。」
「ふは。」
あいにく私はブルジョアな身分じゃないただの派遣社員だし、いつ切られるか分からない首を皮一枚つなげて、なけなしの賃金は生活に消えていくし、彼は輪郭の曖昧な夢と、どこかにあるはずだと信じて疑わない「自分にしか出来ないこと」を追いかけるだけのフラフラした大人だし、未だにどんな仕事をしているのかすら知らないし、間接照明は大体部屋が沢山ある家に住むちゃんとした大人が所持するものだろう。私の家には、相応しくない。この価値観はいつどこで拾ったものなのか、どう育ったものなのか、最早分からない。
彼が煙草をやめてから、どのくらい経っただろう。気を遣って、彼が初めて家に来る時買っておいた百均の灰皿は、シンク下の扉の中で埃を被っている。別に嗜好品まで支配する気はない、と遠回しに伝えた私に彼は、「でも好きじゃないんでしょ?なら、キスもするし、辞めるよ。」と笑った。あぁ、ダメになる。と思う。私は、いつまでも私のまま、立っていたかった。
「あ、出た、お前の好きなやつ。」
「そろそろ名前覚える気ない?」
「覚えらんないよ。こんな難しい名前。」
「ミシシッピアカミミガメより短いし、簡単でしょ。カイロウドウケツ。」
「ヘチマ乾かしたやつにしか見えねぇ。」
「もうヘチマにしか見えない。」
画面の中で、海綿体の仲間、カイロウドウケツがゆらゆらと海底に生えているのを、大して興味もなさそうに彼が私の身体越しに見ていた。偕老同穴。言葉を先に知っていた私は、己がそれを好きになった皮肉をひしひしと感じていた。いや、別に関係はない。ただ、その二酸化ケイ素、いわゆるガラスで作り上げられた骨格が美しく、惹かれただけだ。
テレビに夢中になっていた私を、彼は抱き寄せて頸にキスをして、好きだと言っていた腰のラインを撫でて、まるで愛用の抱き枕のように優しく扱う。彼にとって心地良い存在になっていることを、微塵も疑わなかった。少なくとも身体に関しては、細く、白く、肌触りが良いように気を付けていたし、それを褒められるのはとても幸せなことだった。少し無骨で私よりも大きな手が私を撫でる時間が、夢のような心地を私に与えた。
私と彼、どちらがエビなのだろう。カイロウドウケツは、網目構造内、胃腔の中にドウケツエビ、というエビを住まわせている。このエビは幼生のうちにカイロウドウケツ内に入り込み、そこで成長して網目の間隙よりも大きくなる。つまりは外に出られない状態となるのである。
寄生、依存、嫌な言葉はいくらでも思い浮かぶ私の脳は、「共存」というたった一言を導くことが出来ない。そう、私たちが、将来的に分化し、雄と雌の番になって一生を過ごすエビ同士だと、どうしても思えないように、私は彼のもの、彼は私のもの、そんな歪んだ物差しで、いつも彼を見つめていた。
カイロウドウケツにとって、ドウケツエビを住まわせるメリットは何もない。知らぬ間に己の中へ勝手に入り込み、出られなくなるほど大きくなり、カイロウドウケツに引っ掛かった有機物や、食べ残しを啜りながら、そのガラスの網目に守られ、身勝手にもオスメスに分裂し、安寧の中で呑気に繁殖する存在だ。これを共存などと呼んでしまえるほど私の神経が図太ければ、よかったのに。
彼は、私がなぜこの生き物を好きなのか、知らない。
「片利共生。」
「ん?何?」
「ううん、何もない。」
「そう。そろそろ寝よう。もう眠いよ俺。」
「うん、明日何時に起きる?」
「予定もないし、起きた時に起きれば良いじゃん。」
「だね。で、パン屋行って昼食にしよう。」
「だな。」
「じゃあ、おやすみ。」
「ん、おやすみ。」
テレビに釘付けな私の背後で、背中を向けた彼は布団を鬱陶しそうに胸元まで押しのけ、眠る体勢へと入った。暖かい体温を背中に感じながら、私の思考はまたカイロウドウケツへと戻ってくる。彼らのような関係を、片利共生、と呼ぶらしい。片方がメリットを享受し、片方にはメリットもデメリットもない。これが仮に、片方に寄生することで害を及ぼす場合、片害共生、と呼び名が変わる。互いに利益を及ぼす場合は、相利共生。
彼と私のような関係は、どれに当てはまるのだろう、と、カイロウドウケツを見る度に思う。勿論、人間関係が、恋愛感情が、メリットデメリットで全て片付くなんて、そんな機械的思考は持ち合わせていない。が、しかし。私は彼のガラスで出来た繊細な檻の中で自堕落に自由を堪能している能無しなのかもしれないし、彼を囲うように己の身体を組み替えて腹の中に収めている傲慢な女郎蜘蛛なのかもしれない。考えは広がり、収集がつかなくなってゆく。彼はとっくに眠りに落ち、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。寝つきがいいのが自慢だと、小学生のような誇らしげな顔で彼は言っていた。私はそれをBGMにしながら、思考の海を漂うのが好きだった。
揺蕩う思考の中は掌で温めたローションみたいで、冬場にしっかり保湿した私の二の腕の内側みたいで、要するに、柔らかくて気持ちがいい。微睡みにも似ているこの感覚が好きで、私は脳を休ませない。
私が彼を家に誘った時、意を決して彼にのし掛かったら、「我慢出来なくなるからやめてくれ。」なんて泣き言を言われて、柄にもなく興奮した。可愛い、と思った。だから私は、いいよ。と、ただ一言、それだけ言って、身を委ねた。初めての経験だった。苦手だった人肌も体温も、彼のものであれば共有したいと思えた。不思議だ。人間というのは、杓子定規にはいかない。私は、彼と、恋人をした。ありとあらゆる思いつくことをした。させた。付き合わせた。楽しかったのだ。どうしようもなく、まるで初めておもちゃをもらった子供のように、際限なくはしゃいだ。あれは間違いなく、初めての、恋だった。
画面の中、私の目に四角く映る白い画面の中では、名前すら判明していないカニの一種が寄り添い合って、海底に沈んだ鯨の骨を啄んでいた。ふわふわと千切れて漂う頭蓋のふやけた脂肪が、いつか北海道で見た大きな綿雪のようで、私は寒くもないのに布団に潜って、彼の背中に寄る。丸くて、暖かい。生きている人間がこうして、隣にいる。私はダメになりそうになって、ダメになってもいいか、と自分を甘やかして、明日なんて別にどうでもいい、と、心の蟠りを全部捨てて、意識はまた脳内の深海へと戻っていく。
私、貴方に、ずっと言えなかったことがあるの。そう。私、貴方の前ではそれなりにちゃんとしてたけど、本当は全然ちゃんとしてないのよ。仕事から帰ったら服は脱ぎ散らかすし、好き放題開けたピアスは毎日どこか付け忘れてみっともなく穴だけ取り残されてるし、キャッチはすぐ無くすし、しょっちゅう転がってるの踏むの。勿論、貴方から貰ったのは、ちゃんとケースに飾ってあるけど。子供は嫌いだし、マトモな生活だってしないし、ファーストフード大好きだし、お肌はたまに荒れちゃうし、それに、人の愛し方が分からなかったの。
尽くせば気持ちが伝わるって、それはただの自己満足だって、言われたわ。見返りを求めてるように見える、って。そうよね、当たり前だわ。分かってた、私。でも、それ以上の正解が見つからなかった。私に愛されちゃった貴方が可哀想で、申し訳なくって、ごめんなさいって、考える度そんな気分になるわ。謝るのだってきっと、自己満よね。
「愛、って。なんだっけ。」
ぼそり、溢れた言葉を拾う人間はいない。ゆらりゆらりと画面を横切る脳のないクラゲには、そんな芸当させられない。美しいものは、美しいというだけで、もうそれ以上すべきことはない。人間ばかりがどうにも醜いから、世界のアレやコレやをせずにはいられない。愛。愛って、何?義務?オプション?幸運?麻薬?どんな例え方をしても、しっくりこない。ただ、私は貴方を愛だと例えるし、貴方は私を愛だとは例えないだろうってことは、分かる。悲しいわ。私、貴方のことになると、年甲斐もなく悲しくなる。
窓が白んでいるのに気付いて、私はそっとスマホを傾け、時刻がもう朝の4時を迎えようとしていることに気づいた。3:58。偶数は、割り切れるから気持ちがいい。今から眠ればきっと目が覚めるのは11時過ぎで、私よりもゆっくり眠る貴方は私に起こされて、ぐずりながら私を抱き寄せるのね。
テレビを消し、意識しなければ消えていきそうな光を捕まえて、彼の方を向いて見た。相変わらず背中しか見えない。着ているスウェットからは、私の使ったことのない柔軟剤の匂いがして、私の好きな香りじゃないのに、落ち着いてしまうのが妙に悔しかった。貴方が愛されてる匂いだわ、なんて、捻くれた私は胸がチリっと焼ける気分になる。貴方のお母さんが、貴方を思って洗った服。羨ましかった。愛されても愛されても、飢えてしまう病気なのだと、私は彼の憎らしい香りを胸いっぱいに吸い込んで、軋む肋骨を摩った。
普段無駄にある語彙を尽くしても、結局、好きだと、それだけが彼に抱いていた感情だった。馬鹿みたい、そんなはしゃげる歳でもなかったのに。彼よりも歳上で、しっかりしなきゃいけなかったのに。
私は彼の背中をそっとなぞり、そして、息を潜めてぴったりくっついた。
微かに聞こえる鼓動の音。
私と同じ形の、身体。
馬鹿ね、私も貴方も。セックス、なんて、覚えたての中学生みたいに茶化しあって、感覚で快楽を共有して、繋がれるモノも場所もないのに、歪な形を自覚した上で、ここに存在するのが最上の愛だって、信じてやまないの。違和感だらけの世界で、何も考えず貴方を見上げてた刹那が、どうしようもなく、幸せだった。こんな思考なんて今すぐにでも燃えるゴミに出してしまえそうな、堕落を悪だと思わない洗脳にも近い、強烈な幸せ、だった。
うん、幸せだった。私。今更理由が分かったの。きっとあれは、私が、貴方で幸せになってた時間だったんだわ。貴方と幸せになりたかった私の傲慢さが、私にしか見えない世界で、私を道化にしたのね。
貴方がいなくなってからもう、随分と時が経った。のに。未だにベッドに眠る度、私の顔の横へ肘をついてキスに耽る貴方を思い出す。私の好きなぬいぐるみを枕に惰眠を貪る貴方を思い出す。五感に結びついた記憶は厄介だと、貴方が身をもって教えてくれた。
今更、もう一度貴方と共に、なんて、そんなことは思わない。ただ、もう少しだけ、せめて深海に潜る時だけは、貴方を思い出すことを、許して欲しい。
共に幸せになれなかった、懺悔を込めて。
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正しい誘惑の作法
「勇利、このシーズンで、いったいきみは何を得た?」 四月のある日、ヴィクトルがそんなことを言った。シーズンも終了し、来季に向けての支度や、ヴィクトルは長いあいだおろそかにしていたロシア国内での処理などに忙しい、そういう時期だった。勇利はヴィクトルの邪魔をしないよう、こちらでの暮らしとリンクになじむため、努力をしているところだ。 「どういうこと?」 ソファでくつろいでいるヴィクトルの隣に勇利は座った。ヴィクトルは何かの書類に目を通している最中だったので、離れていようと思ったのだけれど、彼は休息のつもりなのか、勇利のほうを見てにこにこした。 「俺がコーチをする前といまとで、何か変わったかい?」 「そりゃ変わったよ」 変わってないわけないじゃない、と勇利は笑った。 「何がどんなふうに変わったか、それについて話せってこと? そんなの多すぎるし、いろんな見方ができるし、簡単には言えないよ」 「勇利のスケートが変わったのはわかってるよ。俺が導いた方向へ、勇利はどんどん成長していったね。まるで、スケートをおぼえて喜んでいる伸び盛りの少年のような勢いで。うれしかったよ。俺の予想をはるかに超えて、俺が考えもしないようなきみになったしね」 「ぼくの得たものなんて、ぼく以上にヴィクトルが知ってるじゃない。いったい何が訊きたいの?」 勇利は膝を抱え、そこに頬を寄せてヴィクトルをみつめた。ヴィクトルはまぶたをほそめ、微笑を口元に漂わせて勇利を眺めている。 「精神面ではどう?」 「え? うーん……それは……成長したとは言えない……かも」 すこしは強くなったかもしれないが、気持ちというものはそうたやすく変化するものではない。世界選手権のときだって、試合前はとても緊張した。さすがに泣き出したりはしなかったけれど。 「でもこれはぼくの性格だからね。ヴィクトルみたいに自信満々にはなれないよ。もっと変わって欲しい?」 「いや、そういうことじゃないんだ」 ヴィクトルは勇利に顔を近づけた。勇利はぱちぱちと瞬く。 「この一年、勇利はショートプログラムでエロスを追求してきたね」 「あ……、うん」 「ワールドでの高得点は最高だった。あれが完成形といえるだろう。初めてあのプログラムを教えたときは、すべれないって顔をしていた。解釈もできない、どう表現すればいいかわからないってね。でもいまは勇利のものだ。そうだろう?」 「それは……そうだね」 「勇利は最初、エロスはカツ丼だと言っていた。すごく美味しいカツ丼になるから見てて、ってね」 「改めて言われると恥ずかしいな……」 「恥ずかしいということは、そのときとは気持ちが変わったということだ」 そうだろうか? 勇利は首をかしげた。いまも、正常な判断ができなくなるものはカツ丼、という思いに変化はない。けれど、確かに、それを中心には考えていないかもしれない。 「美女になって俺を誘惑する、っていうのもあったね。もしいま、俺をその気にさせてくれ、って言ったら、勇利はどうする?」 「え?」 「たぶんきみは、やっぱり美女という発想をするだろう。そのやり方が根っこにあるからね。でも、そぶりはちがうだろう?」 「どういうこと?」 「経験をしたということだよ。プログラムが試合を経るごとにこなれていくように、勇利の誘惑も変わってきているはずだ」 勇利は頬をふくらませた。 「経験って言われても、ぼく、そっちの経験については何も成長してないんですけど……」 「怒らないで」 ヴィクトルはくすくす笑った。 「体験をしていなくても同じことだ。つまり俺は、いま勇利がエロスを表現するとしたら、どんなふうになるのか、それを見せてもらいたいんだ」 「スケート以外で?」 「そうだ。いまのきみなら、どうやって俺を誘う? どんな駆け引きを見せてくれる?」 「そんなこと言われても……」 スケートと、実際にベッドに誘うのではまったくちがうのだ。いくら自分の中で「エロス」というものが変わったからといって、ヴィクトルを簡単に誘えるようになるわけではない。 「勇利、俺をその気にさせて」 ヴィクトルがささやいた。 「俺がどうしても勇利に手を出したくなるような、我慢できずに抱いてしまうような、そんなきみを見せてはくれないか」 勇利は最初、ヴィクトルは忙しすぎておかしくなったんじゃ、と思った。毎日の生活にうるおいがないのだ。だから勇利をからかってあんなふうに遊び始める。ヴィクトルの様子が変だ。これは一大事だ。ヤコフに相談しなければ。 しかし、そうやって悩むのはすぐに終わって、結局はこれもぼくを成長させる稽古のうちのひとつなのかも、という気がしてきた。ヴィクトルはきっと、忙しくてコーチができないのを悪いと思っているのだろう。技術のほうは時間がなくて指導できないから、精神面での飛躍をうながしているのだ。次のプログラムはまだきまっていない。それなら昨季のものから何か学び取るしかない。 つまり、どれだけエロスを理解したか、その試験ってことだよね……。勇利は溜息をついた。あのプログラム自体は、もうしっかりすべりこんでいるので自信はあるけれど、ではスケートから離れて気持ちとしてのエロスを示せと言われると困ってしまう。結局は「エロス」の本質をまだわかっていないということなのだろう。それをヴィクトルは指摘しているのかもしれない。おまえは一年やってきてまだ足りていない、と。 「でもなあ……」 ヴィクトルを誘うって。スケートでなら、その気持ちになって、ヴィクトルを振り向かせる、ヴィクトルと駆け引きをする、ということを意識すればよいだけだけれど、実際にするとなると、具体的な手際が必要になる。いきなり寝室へ押しかけて、「ヴィクトル、セックスしよう」では笑われる。 なんて言えばいい? なんて言えば、ヴィクトルがその気になってくれる? 「うーん……」 そもそも、そんな方法があったとしても、自分に実行する勇気があるかどうか。「エロス」については、優子や西郡に「すっごくエロスだった」「エロかったぜ」と褒められたけれど、それは演技だからできるだけであって、普段の勇利には難しいことなのだ。 ぼく、衣装を着て初めて「入る」ってところもあるしなあ……。 勇利は衣装戸棚にかけてある「エロス」の黒い衣装を取り出して眺め、溜息をついた。たいていそうなのだ。この衣服を身につければ自分は美女という気持ちになるし、フリースケーティングの衣装をまとえば愛を捧げる崇高な感情が起こる。ヴィクトルと色を違えてそろえたエキシビションの衣装では、まるでヴィクトルとつながりあっているような、彼の半身めいた喜びが生じて、その感覚のままにすべりたくなる。 しかし、誘惑するからといって、「エロス」の衣装を着ていったらヴィクトルにあきれられるだろう。「これがないとできないんです」なんていう態度では、経験は何も身についていないと自分から暴露しているようなものだ。酒の力を借りればなんとかなるという気がするけれど、それも同じ理由から使えない。 とにかく、ものに頼るのはだめだ。自分の力だけでなんとかしないと……。 勇利は過去の演技の映像を見るため、自室でコンピュータを立ち上げた。温泉オンアイスからじゅんぐりに確かめてゆく。このときはまだ、ようやく通してすべれるようになったと��ったくらいで、いかにもつたない感じだ。 「恥ずかしいな……」 ちっとも慣れていない。いまの自分と外見は変わらないはずなのに、衣装が似合っていないような気がする。まだ子どもみたいだ。 「で��……」 それでもヴィクトルはぎゅっと抱きしめて、「あんな美味しそうなカツ丼初めて見たよ」と言ってくれた。うそで褒めたりはしないひとだから、本当にそう思ったのだろう。反対に、中四国九州大会では、演技自体は最初よりよかったはずだけれど、お説教をされてしまった。感情をおろそかにしたからだ。 そして、中国大会。 「…………」 勇利は見ていて、初めとはちがう意味で恥ずかしくなった。完全に何かに取り憑かれている。確かこのときは、試合前にひどく興奮して仕方なかったのだ。ヴィクトルに「絶対に目を離さないで」とも言った。どうしてあんなことが言えたのかわからない。演技の最中も……ずいぶん強気だった気がする。 ロシア大会では、逆境という状況で、中国大会のときとはまたちがった感覚で気持ちが高揚していた。ロシアの国民がヴィクトルを求めている、ということが強く感じられたことも理由のひとつかもしれない。いつもの勇利ならば、それは当たり前だと受け止め、むしろ自分がヴィクトルを奪ってしまっていることを申し訳ないと思うけれど、「エロス」の勇利はちがう。彼は、ヴィクトルに自分を見させようとしたのだ。 このときは……、中国大会のおりほど入りこんでいたわけではなかった。ただ、アウェイだから駆り立てられていた。だから自分を「エロス」の側へ強引に落としこんだのだ。愛を見せつけると言って。 もしいまヴィクトルを誘惑するために気持ちを動かすとしたら、ロシア大会のときの感覚がいちばん正しい気がした。あのときは、恥ずかしい、と思いながらも、でも自分の意識で愛を表現するのだ、ときめて行動した。いまもそれをしなければならないのだろう。 ロシア大会のあと、グランプリファイナル、全日本選手権、四大陸選手権、世界選手権と「エロス」を演じたけれど、四回転フリップを組みこんだこともあり、性愛よりも技術的なことに気持ちが傾いてしまった。最終的に得点は上がったが、「エロス」というものへの高揚は最初ほどではなくなってしまったかもしれない。すべりこめているので、プログラム全体に漂う妖しい雰囲気は衰えはしなかったけれど、感覚としては、性に対する情熱はいささかうすかった。もしかして、ヴィクトルはそれを気にしていたのだろうか。「ジャンプに気持ちが行きすぎて演技がおろそかになっていた」と叱った彼のことだ。ないとはいえない。 ぼく、ちゃんとヴィクトルを誘惑できないと、「こいつ何も成長してないな」って思われるんじゃ……。勇利は急に不安になってきた。 「……過去の映像を見よう。何回も見よう」 そういう意味での演技なら、中国大会がいちばんいい気がする。この取り憑かれた状態の自分だ。このあとのほうが得点は上がるけれど、「エロス」についてだけ言うならこのときが満点に近い。 この自分になれれば、ヴィクトルのことだってすんなり誘えそうだ。でも、どうやってこうなる? 衣装は着られない。お酒もだめ。無理に演技をしてみても、途中で恥ずかしくなって逃げ出してしまうかもしれない。何しろ勇利は、スケートをすべるわけではなく、ヴィクトルをベッドに誘わなければならないのだ。彼に、セックスしたいと思わせるのである。そんなこと、いままで一度だってしたことはない。 「あぁ……難しいよぉ……」 勇利は頭を抱えた。 彼はそれから毎夜、中国大会の映像を見続けた。技術的なことではなく、精神的なものを見ようとしてこんなに集中したのは初めてだ。このときの勇利は──自分で言うのもどうかと思うけれど、まったく色っぽい。いや、自分ではないようだから色っぽいと思えるのか。顔は同じだが他人のようだ。よくこんな表情できるな、と感心する。こんなえっちな目をするなんて、ちょっと引いてしまう。こういう顔つきのとき、何を考えてるんだろう……。 勇利はだんだん、氷の上にいる自分が本当に自分ではないような気がしてきた。他人の演技を見ているみたいだ。ほほえみひとつ、視線の流し方ひとつ取ってみても、いかにもいやらしいではないか。本当に経験がないのかと疑いたくなる。じつはあるんじゃないの? でも──淫乱には見えない。そう。一線は越えないのだ。やっぱり経験はないのだろう。 「何なんだよ……」 勇利は混乱してきた。どうすればいいの、と画面の中の勇利に訊きたい。きみだったらどうやってヴィクトルを誘惑する? リンクを降りて、代わりにベッドに上がるとしたら? そんな顔、ぼくはできそうにないよ。ヴィクトルはどうやったらぼくを抱きたいと思ってくれるだろう? 『簡単に手に入ると思われたら終わりだよ』 妖艶さを漂わせて踊る勇利が、それでもとらえがたい貞淑さを示すように笑った。 『ぼくの価値がどんなものか、ヴィクトルに思い知らせなきゃ』 価値? ぼくに価値なんて……。 『ないの?』 彼が笑った。 『じゃ、ぼくがヴィクトルのこと取っちゃおうかな。ぼくだったらヴィクトルを夢中にさせられるよ。彼はきみなんかより、ぼくのほうを抱きたくなるはず……。ねえ、ヴィクトルのこと、もらってもいい……?』 「──いいわけないだろ!」 ばん、と音をたてて勇利はコンピュータを閉じた。椅子を蹴るようにして立ち上がる。いいわけない。ヴィクトルはぼくに「誘惑しろ」って言ったんだ。おまえじゃない。 「氷の上しか知らないやつが何を言ってるんだ」 勇利は眼鏡を外し、まっすぐヴィクトルの書斎へ向かった。扉をひらくと、彼は今夜も黒檀の机に向かい、まじめな顔で何か書類を見たり、ノート型のコンピュータをのぞいたりしていた。 「お邪魔ですか?」 勇利は首をかたげて尋ねた。 「いや。勇利なら大歓迎だよ」 ヴィクトルはかすかにほほえんで答えた。うなずいた勇利は、「じゃ、失礼」と言って彼の膝に横向きに座った。 「…………」 「これじゃ仕事ができない? 気が散る?」 「……いや。勇利なら大歓迎だよ」 ヴィクトルは勇利を膝にのせたまま、書類に何か書きつけたり、メールを読んだりして忙しくしていた。 「……何のお仕事?」 「俺が出演するもののリストとか、衣装の相談とかだね」 「ふうん……おもしろい?」 「俺は何でも楽しむ主義だ」 「そう……」 勇利はしばらくのあいだはおとなしく、真剣な様子のヴィクトルを観察していた。相変わらず綺麗なひとだ。神秘的な青い瞳に、かたちのよい鼻、魅力的なくちびる。彼のおとがいの線が好きだ。 勇利は、ヴィクトルのそのおとがいに、くちびるをそっとくっつけた。 「……勇利」 「なに?」 「それは気が散る」 「大歓迎じゃなかったの?」 「ここまでされたら集中できない」 「楽しんだら?」 勇利はほほえんだ。 「そういう主義なんでしょ?」 「俺は勇利のことには真剣に向きあいたい。勇利と楽しむ時間に余計なことはしていたくない。すこしだけ待ってくれないか」 「ぼくより仕事が優先なんだ」 勇利はヴィクトルの頬にふれて口元を上げた。 「ぼくはあとまわしなんだね……へえ」 「そういうことじゃない。めんどうごとを片づけて勇利との時間を持ちたいんだ」 「上手いこと言うね。そう言えばぼくが喜んで待つと思った?」 ヴィクトルが笑い出した。 「勇利……、今夜はどうしたんだ?」 「何のこと?」 「何かあったのかい?」 「何かあったのかどうか、ヴィクトルが調べて確かめてみたら?」 「…………」 ヴィクトルはディスプレイから勇利へと、ゆっくりと視線を動かした。勇利は彼のおとがいから喉元へ指をすべらせ、ぐりぐりした骨をいじった。 「ぼくと仕事と、どっちが大事なの……?」 「……すごいことを訊くね」 「こういうこと言われたら、男は一気にさめるんだって。ヴィクトルもぼくにさめた?」 「ふ……」 「もう日本へ帰れって思った? そういうつまらないことを言うおまえに興味はないって?」 ヴィクトルはまいったというように笑うと、持っていた書類をそっと机に置いた。それから勇利をじっとみつめ、「何をして遊ぶ?」と尋ねる。 「ヴィクトルは何して遊びたい?」 「勇利が誘いに来たんだから、勇利がきめてくれ」 「いいの? ぼくがきめて」 「ああ」 「本当に?」 「ああ」 「後悔しない?」 「…………」 ヴィクトルの瞳がひときわ強く輝いた。 「……ああ」 「いいよ。わかった」 勇利は手を伸べると、断りもなく、いきなりヴィクトルの机のひきだしを開けた。ヴィクトルがすこし驚く。勇利はヴィクトルをみつめたまま中を探り、ちいさな箱と、封の切られていないボトルをつかみ上げた。 「これ、なに?」 机の上に転がし、ヴィクトルに尋ねる。 「何に使うもの?」 「…………」 「ぼくに使いたくて支度してたんでしょう」 ヴィクトルがかすかに口元をほころばせた。 「それを使って遊びたいのかい?」 「遊びたいのはヴィクトルでしょ? いいよ、べつに。ほかにやりようもないし……。わざわざ仕事を中断して遊ぶんだから、それなりのことじゃないとヴィクトルもわりに合わないよね」 勇利はヴィクトルの首筋に腕をまわし、彼にすがりついた。耳元にくちびるを寄せてささやく。 「抱いていってよ」 ヴィクトルは勇利にコンドームとローションを持たせると、いともたやすく勇利を抱きかかえ、大股で歩いて寝室へ向かった。勇利は揺られているあいだに箱を開けて中身を取り出した。 「つけてあげようか?」 ヴィクトルがくすっと笑った。 「はしたないことを言うね……」 「うれしい? それとも理想から外れてつまらない?」 ヴィクトルは勇利をベッドの上に下ろしたあと、勇利と向かいあって顔をのぞきこんだ。勇利は後ろに手をついて身体を支え、首を傾けて彼のことを眺めた。 「いくらくれる?」 「え?」 ヴィクトルは一瞬驚き、それから楽しそうにまぶたをほそめた。 「支払いをして抱くのかい?」 「もちろんだよ」 「愛による行為じゃないの?」 「『愛している。きみを抱きたい』じゃなく、『きみが学んだやり方で俺をその気にさせてみろ』なんてことを言う人の何を信じればいいの?」 「それはそうだね」 ヴィクトルはもっともらしくうなずいた。 「金銭なら信用できる?」 「お金じゃなくてもいいよ」 勇利はほほえんだ。 「ヴィクトル……、ぼくは初めてなんだ。最初の夜を貴方に捧げるんだ」 「…………」 「うそじゃないよ。ほら……、さわってみて。ふるえてる」 勇利はヴィクトルの手を取った。ヴィクトルがふっと笑う。 「何も知らないんだ。ぜんぜんわからない。こわいよ。ぼくはけがれのない身体を貴方にあげるけど、貴方はぼくに何をくれるの?」 勇利はゆっくりとヴィクトルの手の甲を指でなぞった。 「何も失うつもりはないの? ぼくの身体に価値はない? 何かと交換してまで手に入れるようなものじゃないかしら……」 「…………」 「どう……?」 ヴィクトルはうつむきがちになり、しばらく考えこんでいた。やがて彼は勇利の手を反対につかむと、手の甲にそっと接吻し、長いまつげの向こうから勇利をにらむようにみつめて、優しい微笑を浮かべた。 「きみが俺に初めてを捧げるなら、俺はきみに最後を捧げ��う」 勇利は静かに瞬いた。 「抱くのはきみが最後だよ。俺の支払いはそれだ。どうだい?」 「…………」 「安く見積もりすぎかな? きみの無垢な身体には、それでは見合わないだろうか。できれば愛も捧げたいところだけど、勇利は信じないだろうからね」 勇利は手を取り戻し、ヴィクトルの頬を両手で包みこんだ。 「……そういうの、大好きだよ」 額を合わせ、そっとささやく。 「約束する……?」 「ああ、約束する」 「ぼくで最後?」 「もちろんさ」 「うそをついたらどうなるかわかってる?」 「わからない。うそなんかつかないからどうでもいいよ」 「うそだったら、ヴィクトルのこと嫌いになるよ」 「いまは好きなのかい?」 「当たり前じゃない……」 勇利はほほえみ、甘い口ぶりで言った。 「好きじゃないのに、こんなことするわけないでしょ……?」 言ってから、彼は可笑しくなって笑った。 「……うそ」 「え?」 「うそだよ」 「俺を好きなのが?」 「うそをついたらヴィクトルを嫌いになるのが、だよ」 勇利はヴィクトルの目の下に丁寧にふれ、つぶやいた。 「何をされても……嫌いになんかなれないよ……」 「──勇利」 ヴィクトルがくちづけをしようとした。勇利はそれをひとさし指で遮る。 「……男は、行為のあとはすぐにさめてしまって、仕事のことを考え始めるって本当?」 「じらさないでくれ」 「ヴィクトルも、ぼくとしたらぼくをベッドに残して仕事の続きをする?」 「いまから確認すればいい」 「そんなことされたら、たとえ最後の相手にしてもらえてもかなしいね……」 ふたりはみつめあった。ヴィクトルが再び顔を近づける。勇利はまた同じように指で押し戻した。 「……ぼく、キスもほとんど経験ないんだ……」 「……ほとんど?」 「そう……」 勇利はふっと笑った。 「ヴィクトルにリンクでされたのが、初めて……」 「……いまから、あのときとはちがうことを教えてあげるよ」 「熱心にしてね」 勇利はヴィクトルのくちびるを指先で左右に撫でた。 「スケートを教えるときみたいに……情熱的に」 ヴィクトルが勇利を抱きしめて押し倒した。勇利は彼の瞳に熱っぽい本気のひかりを見、ヴィクトル、その気になった……と胸をときめかせた。 ぼくだって──、ぼくだって、できるんだ。 あの「エロス」の勝生勇利じゃなくても。 ヴィクトルにこんな目をさせることができるんだ。 ざまあみろ……。 「勇利……」 おとがいを指で持ち上げられ、キスされそうになって──勇利はそこで初めてはっとし、こわくなった。 「あ……」 ぼく、これからヴィクトルと──するの? え? キスを? キスだけじゃなく……セックスも? え? え? ちょっと待って……。 ヴィクトルと、本当にそんなことをするの? ぼくにできるの? だって、あれって──裸で抱きあって、あちこちさわったりするんだよ。ヴィクトルと、そんなこと、そんなこと──。 とてもできないよ! 「ま、待ってヴィクトル!」 勇利は叫んだ。ヴィクトルが目を閉じて頬に接吻しながら「うん? なんだい?」と尋ねる。手は勇利のシャツをたくし上げ、素肌をまさぐっていた。 「や、やだ、やめて」 「どうしたんだい、急に。勇利から誘ってきたんだろう?」 「ち、ちがうの。ちがうんだ、だってそれは──あっ!」 ボトムのファスナーを下げられ、勇利は目をみひらいた。 「話はあとで聞くよ」 「待って、やだやだ、どうして?」 「どうしてって、そりゃあ、ああすればこうなるだろう」 「いやっ……」 「勇利」 「おねがいやめて」 勇利は涙にうるむ黒い瞳で、じっとけなげにヴィクトルをみつめた。 「無理だよ、やだ」 「…………」 「こわい……」 くちびるをふるわせ、一生懸命に懇願した。 「しないで……」 ヴィクトルが口元をほころばせ、見たこともないほどうつくしく、目をほそめて笑った。 「……いいね」 「え?」 「いまのがいちばんぐっと来た……」 「えっ……」 「勇利、きみって最高だ。なんて官能的なんだろう。どこでそんな手管をおぼえてきたんだい?」 「え、ちが、ちがう、いまのは──」 「勇利がそこまで上手に俺をその気にさせるとは思わなかった」 「やだあ、こわいっ……」 「ずいぶん態度がちがうな。さっきまでの勢いはどうしたんだ?」 「だからそれはっ……」 「優しくするよ」 「すぐに仕事に戻ったりしなかっただろう? 勇利を抱いたあとに、そんなくだらないことをする気にはなれないな。俺の愛は信じてくれたかな?」 勇利はうつぶせになり、まくらに頬を押しつけてぼんやりしていた。目の前ではヴィクトルが機嫌よく鼻歌を歌っており、彼は勇利と手をつなぎ、ぎゅっと握りしめていた。 「……そうそう」 ヴィクトルの歌う旋律が途切れ、彼は思い出したように勇利を見た。 「俺の机のひきだしに入っているもの、どうして知ってたんだい? 開けたことがあった?」 「知らない……」 勇利はよわよわしく答えた。 「何かヴィクトルをいじめられるものが入ってないかと思って……適当に開けたら、あれがあったから……さすがに、あの……一応……わかるし……」 「スキンが何かってこと? もしかして、ローションのことは知らなかったの?」 「ローションって、もうひとつのボトルのこと……? あれは、適当につかんだら、一緒に取っちゃったんだよ……」 ヴィクトルが笑い出し、彼はしばらく楽しそうに肩をふるわせていた。 「……スキンをつけてあげるって言ったのは? やり方、知ってた?」 「知らない……」 勇利はぽつんと言った。 「じゃあ、もし俺が本当につけてと言っていたらどうしたんだい?」 「どうにかなるだろうと思って……」 「つけてくれるつもりだったの?」 「あのときはね……」 勇利はまくらにおもてをうめた。 「そのまま続けたらどうなるのか、わかってなかったから……」 「わかっていたからつけてくれるつもりだったんだろう?」 「それがつまりどういうことなのかっていうのがわからなかったんだよ……」 勇利は、こんなことになるなんて、とつぶやき、くすんと鼻を鳴らした。 「大丈夫だよ。問題ない」 ヴィクトルは勇利を抱きしめ、慰めるようにまなじりに接吻した。 「俺たちは愛しあってる。そうだろう? 俺はきみの初めての男で、最愛のきみは俺の最後のひとだ」 「…………」 「ああ、もちろん、勇利にとっての俺は最後の男でもあるよ」 「ヴィクトル……」 「なんだい?」 「ぼくがこの一年で何を得たかなんて……もう考えないで」 「なぜ?」 「何も得てないよ……わかったでしょ……?」 勇利はぐすぐすと洟をすすった。 「なんてへたくそ……。ぼくにはエロスなんて無理だったんだ……」 「何を言うんだ」 「ぜんぜん上手くできなかったから……」 勇利はしゅんとして落ちこんだ。 「途中まではよかったと思うんだけど。ヴィクトルもその気になってくれたし。でも……、最後にこわがっちゃったから……」 ヴィクトルはほほえんだ。 「勇利、よく聞いて」 彼は勇利の裸身をあたたかく抱きしめ、額をこすりあわせて熱心にささやいた。 「確かに今夜の勇利の誘い方は完璧だった。あんなに困っていたのに、急にあんなに手慣れたふうになって。ぞくぞくしたね。もてあそばれてる感じがとてもよかった。あの色っぽい物言いのきみを見ているだけで、すごく気持ちいいセックスができると予感したよ。でもね勇利……、」 ヴィクトルと鼻先がふれあった。勇利は濡れた目で彼をみつめた。ヴィクトルはいとおしそうに勇利の頬を撫でると、勇利にはとうてい理解できないことを熱心にささやいた。 「俺はね、今夜、あの予感の直後にこそ、エロスの神髄を知った気がしたよ」
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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渋革まろん「SNS時代の自然主義」
初観劇のしあわせ学級崩壊を、このようなかたちで体験できたのは幸運だった。劇場で観劇していたら、うんざりして席を立っていただろうから。しかし、音楽スタジオ・BASS ON TOPでライブさながらオールスタンディングで観劇する本作の形式が、わたしにある種の冷静な眼差しを宿してくれた。そして、わたしはこの形式をSNS時代の自然主義なのではないかとも思ったのだ。
しあわせ学級崩壊は、僻みひなたが脚本・演出を手がける若い劇団で、2015年に『超現実絶望ぐちゃぐちゃ夢子ちゃん』でもって旗揚げされた。本作は、昨年の『ロミオとジュリエット』に続く、シェイクスピア戯曲を使った上演の第二弾であり、今回も前回と同じように音楽スタジオを使って上演するスタイルが踏襲されている。当然、客席は設営されておらず、上演が始まると、聴衆の気分を高揚させるEDMをDJが爆音で鳴らし始める。すると、フロア三方の壁面と中央に設置された椅子に登って田中健介、福井夏、大田彩寧、林揚羽の四人がマイクを片手に、『ハムレット』のセリフをラップ調で語り出す。
つまるところ、本作は一種のラップミュージカルのよ���なもので、セリフを発する根拠は不可視の内面に置かれることなく(だから、内面を観客に伝達する術が演技だということにはならず)、音楽の情動にノルことで担保されていく。そこからも容易に察せられると思うが、父親を殺した叔父に復讐しようとしても、様々な逡巡のうちでそれを遂行することができないといった支離滅裂な行動から様々な解釈を呼び寄せてきたハムレットの複雑な陰影は、ハムレットを演じる田中の切羽詰まった激情の荒波のなかへと流され、絞り尽くすようなガナリ声によって押しつぶされていく。
原作の『ハムレット』にあったストーリーの時間軸は、ハムレットとオフィーリアの愛憎関係に焦点を当てて再編成される。特に後半、父・ポローニアスを殺され狂気の言葉を口にするオフィーリアのシーンに、「尼寺へ行け!」とハムレットがオフィーリアを罵倒する一連のセリフが挿入されるために、ハムレットのセリフは、自分に取り憑いたオフィーリアの亡霊を振り払う悲痛な叫び声のように聞こえてくるのだった。
このオフィーリアに「男の暴力において抑圧されてきた女性たち」のメタファーを読むことも不可能ではないが、そう理解するにはあまりにも亡霊オフィーリアの側に主体的な怒りのベクトルが薄く、ハムレットに依存しすぎているように見える。ハムレットにべったりと――身体距離をゼロにして――寄りかかるオフィーリアが示すように、自分の想いを相手が理解できるように伝達する言語的コミュニケーションの水準が欠落し、相手と一体になりたいという――あまりにもベタな――情動的コミュニケーションの水準でふたりはつながりあう。結果的にふたりの愛憎関係は際限なく増幅されていき、外部なきふたりだけのセカイが形成されていく。
注目したいのは、ハムレットとオフィーリア、ふたりの関係に物語の焦点がずらされることで、「父と子」の復讐譚という本来のハムレットの大筋がほとんど希薄になっていることだ。「亡霊」が物語の重要なアクターとして機能していないのだ。
しかし、例えば『ハムレット』に対する様々な解釈のなかでもよく知られている、アーネスト・ジョーンズの精神分析的な解釈に目を向けてみよう。そこでジョーンズは、フロイトの『夢判断』に準じて、ハムレットの複雑な内面が、父を殺し母を寝取りたいという近親相姦の欲望を抑圧するエディプスコンプレックスに由来すると読解する。
つまり、『ハムレット』においては、ハムレットを復讐に駆り立てる父(亡霊)の出現によって子を抑圧する父の規範が可視化され、また同時に母(ガートルード)が叔父(クローディアス)と再婚してしまったことをきっかけに、普段は隠されている「母と寝たい」という欲望が触発される。そうした父の規範と母への欲望の葛藤が、ハムレットの内面を非常に複雑なものにしているという。
先に述べたように、しあわせ学級崩壊版『ハムレット』からは、ハムレットを抑圧する父(亡霊)の存在が、すっぽりと抜け落ちている。そうして父に対する葛藤が弱体化すれば、ハムレットのうちに読み取るべき葛藤=「内面」も曖昧になる。だが一方で、その空虚な内面はEDMが刻むリズムの情動によって代補され、ハムレットの内面はEDMの情動と一体化し、ライブ空間全体へと拡張される。つまり、ここではライブ空間全体がハムレットの脳内空間になるのである。
そして、そこでは観客もまたハムレットの不安や興奮のシグナルを伝播する脳内ニューロンの一部、いわば「ハムレット」の一部になる(ゆえに舞台を客観的に対象化することが目指された対面客席は解体されることになったのだろう)。つまり、観客はEDMが媒介する自他未分化な「繋がりの共同体」への直接的な参加と共感を強制される。ぼくが「うんざり」すると言ったのは、このような上演のありかたである。
ではなぜ、わたしは本作を「冷静に観れた」というのか。それは至極単純な理由だ。直接的な参加を促されるオールスタンディングのライブ形式では、同時に観客の顔がよく見えるようになるからだ。むろん、EDMが鳴り響くこの空間は俳優と観客の壁、個々人を自立させる身体の輪郭が没入的な一体感のうちに融解していく集団トランスを求めている。だがその一方で、興奮を隠さない憧れの眼差しを俳優たちにおくる若い女性、縦ノリで揺れる男性、遠くで微笑ましい笑みを浮かべて見守る女性といった、色���りどりの反応を見せる観客たちが否応なく目に入ることで、没入からの距離が生じる。
舞台と客席の区別は融解しながら分離する。もちろん、こうしたある種の叙事的形式が採用されるとはいえ、そこに観客が思考を働かせるための上演の戦略があるようには思えない。つまり、しあわせ学級崩壊は、こうした観客との関係の創出を、批判的、実験的精神をもとにしてというより、かなり自然にアタリマエのこととして実践しているように見える。
そこでふとわたしは、この上演形式がソーシャルメディアのアナロジーになっているのではないかと思った。父―規範を欠落させ、ハムレットの射精的興奮状態に向けて観客の感情が動員されていく展開、そしてそれを取り巻く匿名的な人々が可視化された環境。この可視化された匿名的な人々の群れとは、Twitterでいうところのタイムラインに表示されるツイート群であり、ハムレットの狂気とは炎上を煽るインフルエンサーの振る舞いとして受け取ることができる。その炎上=祭りに参加する観客たちは、祭りの神輿=ハムレットを担いでクソリプを送り合うのである。
だから、しあわせ学級崩壊の上演は、SNS時代の自然主義―ナチュラリズム―を実演してしまっているのではないだろうか。かつての自然主義者は、例えば「夫婦」のように、対等で自然な関係に見えても、実は非対称的な力関係がそこには働いていると暴き立てた。それは個人の内面を抑圧する社会環境を可視化する方法の発明だった。一方で、しあわせ学級崩壊は、個人の内面が社会を支える根拠にはならないメディア環境のリアル=自然を、ある意味ではかなり敏感に反映/可視化しているのではないか。
とはいえ見方を変えれば、匿名の不安を通じて、自己承認欲求がとめどなく加速していく時代の病(私を見て!)を本作はストレートに反映しているとも言える。一過的な祭りの興奮によって組織される集団トランスで、空虚な内面を埋め合わせるといった身振りを、そのまま肯定するだけでいいのかということは問われて然るべきであり、しあわせ学級崩壊の今後の展開が気になるところでもある。
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インターネットからの脱出
2018/4/25発行 ZINE"霊界通信 2018 S/S Issue"収録 by gandi
Escape from the Internet
ぼくが初めてインターネットに触れたのは15年ほど前のことだ。ちょうど21世紀になりたてくらいの頃だろうか。当時出来たての情報カリキュラムの授業での出来事だ。少し起動に時間のかかる箱型の機械のスイッチを入れると、テレビ型のモニターの向こう側から世界中のあらゆる情報が飛び込んでくる。その斬新さに、ぼくは舌を巻いた。しかもその情報がすべて生々しい。なにかがテレビとは明らかに違う。 ぼくはテレビが嫌いな子供だった。今でこそ落ち着いてきたものだが、当時のテレビの演出はとにかく過剰で、ギラギラした悪趣味なセットの前で空疎な会話をする芸能人たちの姿にはとにかくウンザリするばかりだった。人の車を壁にぶつけて壊して喜ぶようなノリにも全くついていけなかったし、ディレクターの指示で拉致同然に、突然半年間も海外を旅させるような嗜好にも「こんなことが許されるのか」と子供ながらに怒りを覚えた(たとえそれが口裏合わせ済みのことだったとしてもだ)。そしてそれらの行動に何一つ意味はない。彼らの行動原理は「ノリ」だけで、洞察に基づいたものがない。徹底的に空疎なのだ。 空疎なテレビの世界の中でも、群を抜いて空疎だったのはひな壇の芸人たちだった。彼らは空疎さという一点において洗練されつくしていた。「なんでやねん」と投げられる言葉に、タイミングよく再生される乾いた観客の笑い声。「なんでやねん」。彼らが本当にそう思っているのか、かなり疑わしかった。「なんでだよ?」でもその「なぜ」を正面切って考えようとする人間は、そこには一人もいないように見えた。 (※もっとも、その空疎さこそなんでも重苦しく考えたがる彼らの前の世代への意図的反抗なのだと分かったのは、ずっと後になってからの話だ) しかしインターネットは違った。誰もが手作りの簡素なホームページを作り、それぞれが勝手なことを論じていた。そこには「なんでやねん」というツッコミを入れる人間はいない。それゆえ誇大妄想としか思えないことを100ページ以上に渡って、延々と書き連ねているような人も少なくなかった。誇大妄想。 テレビだったら芸人の「なんでやねん!」の一言でかき消されたに違いない。しかし人の誇大妄想の中には、社会を抜本的に変革してしまうような考えがしばしば含まれている。たとえば革命家。革命家は周囲の冷笑を意に介さず、空気も読まずに延々と妄想を深め続ける。すると次第に感化される賛同者が出てくる。保守派からすれば狂人に思えない賛同者たちが。 息苦しい日々の中で、ぼくはインターネットに光を見出した。 ぼくはテレビと同じくらい学校の雰囲気というものが嫌いだったが、それは教室がテレビの相似形のように見えたからだ。 端っこの席で、目立たないが誰も思いつかないようなことを考えているヤツの考えは、いつだって声がデカくてノリがすべての野球部の声にかき消される。その身も蓋もない事実に、ぼくはホトホトウンザリしていた。この構造はずっと変わらないに違いない。きっと大学でもそう。社会に出てもそう。死ぬまでそう。いつか全部叩き壊す。そうでなければ刺し違える。そんな風に自分に何度も言い聞かせなければ、グレてしまっていただろう一少年に、インターネットはこっそりナイフを渡してくれたのだ。ぼくは友人たちへ 「テレビよりインターネットの方が全然面白いぞ」と触れ回った。友人たちは興奮するぼくの話を、肯定するでも否定するでもなく聴いてくれた。インターネットが面白いということは少しずつ広まり始めていた。 率直に言って、ぼくはインターネットの「世界中の情報がリアルタイムで入ってくる」という側面は、そこまで重要ではないのではないかと思う。それは既存のメディアでも出来ていたことなのだ。インターネットの本当にクリティカルな点は「人間の生々しい声が、誰にも検閲されないまま聞ける/言える」という点にある。それも平等にだ��どんなに虐げられていた者にも、数千円のスマートフォンさえあれば平等にその機会はやってくる。
誰がジャンクな記事を量産しているのか
だから生々しい声が聞こえなくなったら、そこでぼくのインターネットへの関心は尽きる。聞いたこともないような考えや、社会���よって巧妙に隠された呼び声を聞くために、ぼくらは本を読みネットを見る。決して誰かが仕込んだ一般論を聞くためじゃない。ぼくは「失敗しない生き方をするための十の方法」なんて記事を見かけるたびにいつもウンザリしているが、こういう記事は一体誰が書いているのだろう?全く失敗しなかった人だろうか。それとも派手に失敗した人だろうか。 あまりに不思議に思って周囲にこぼしていたら、知人の大学生が書いていた。同級生やサークルの仲間も結構な割合でやっているという。 バイト感覚で家計の足しにしているのだそうだ。 1文字0.1円。2000文字程度の記事を10個仕上げて2000円貰うんです、と彼は言う。プロのライターが最低1文字3円からということを踏まえると信じられない値崩れだ(もっとも最近はプロの現場でも1文字1円というケースが珍しくなくなったが)。 そんな金額ならスーパーでレジ打ちした方がずっと効率がいいように思えるのだが、仲間内のパーティに出席できたり、就活のときネットメディアに関わっていたことが有利に働いたりと、色々とメリットはあるらしい。「ちょっとした承認欲求や仲間内で意識の高さを演出するために、」 場合によっては損得度外視で引き受けることもあるという。 しっかり見ていれば分かることだが、中には高校生が書いているケースもある。記事の最後に「この記事を書いた人」というツイッターリンクが付いていて、そこに行くと高校生だということが分かる。 なるほどこれらの記事は(誰もがうすうす気づいてはいるだろうが)プロではなく文章の素人がタダ同然で書いているものなのだ。インターネットの記事が人に見てもらえるようにするには、内容よりもグーグルのロボットから高い評価を受けるためだけにとにかくコストを抑え、量産することが大事だ。そして言うまでもないことだが1文字0.1円では、一つ一つの記事に真剣に向き合う時間はない。 必然的にすでにインターネットに載っている文章をコピー&ペーストし、適当にリライトするという作業になる。もちろん直接取材や、図書館に行って原典を確認するなんてことはあり得ない(つまり、何かのきっかけで一度間違った情報がインターネットに掲載されると、永遠に誤情報がコピーされ続けるということになる)。著者は自分の考えを述べようにも、記事が問題としている内容に、真剣に向き合って考えているヒマはない。そもそも書かせている側が、著者に対して端から何も期待していないのだ。 こうした記事が、毎日数千、数万とインターネット上にアップされている。多くの場合は記事と見せかけた広告で、そうでなければ広告収入のために書かれたテキストだ。記事の書き方はこう。「ランキング形式のまとめ記事にしてください。まず1位と2位に、定番のA社とB社のアイスクリームを挙げます。そして3位くらいにクライアントさんのこの新作アイスクリームをランクインさせてください。1位だと広告だって思われてしまうので、3位くらいがよいでしょう。4位以降は適当でいいです」。もちろん、ぼくは必ずしも広告が悪いと言っているわけではない。問題は企業が、あたかも主流的意見であるかのような記事もどきを、ジャンクのように量産することにある。 ぼくらは日々これらの量産されたジャンク記事に囲まれて生活している。好もうと好まざろうと、スマートフォンにニュースアプリやツイッターをインストールしている限り、絶対に目にすることになる。グーグルで何かを検索しても、個人のサイトやブログにたどり着くケースは今や稀だ。インターネットの笑ってしまうような(しかしひょっとすると社会を揺るがすかもしれない)誇大妄想は、十年の月日をかけて、当たり障りのない一般論を装った、どこかの企業広告へとすり替えられたのだ。 こうしたゴミのような広告の山から逃れたい人はひょっとするとインスタグラムのような、社会性とあまり関係のないメディアだけを見るようになるのかもしれない。インスタグラムはアカウントのジャンク化を恐れて、拡散機能をあえて弱めにするなどの対策をしているようだ。だが言ってしまえば、それは騒がしい広告記事から耳を塞いだだけのことで、決して生々しい声を取り戻したというわけではない。 そしてこうしたジャンクな記事は、恐らくあと五年もしないうちに人工知能が書くことになるだろう。人工知能なら、もっとうまくやるに違いない。ビッグデータから得た集合的無意識──当たり障りのない一般論や、何かのきっかけでセレブが発言した、流行の考え方──を、それらしい言葉でまとめて無限に生産するのだ。しかしそれは、あの、テレビや雑誌といった旧メディアが作っていた空疎な時間と、一体何が違うというのか。
メリークリスマス!と言えないアメリカ
ジャンクな記事が生まれる要因は他にもある。世界的なポリティカル・コレクトネスの流行だ。ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)とは「 政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと(Wikipedia)」とある。 ポリティカル・コレクトネスの観点からすると、たとえば「看護婦」という言い回しは男性がその職業につけないイメージを与える可能性があるので間違っており、男女ともにイメージすることができる「看護士」と言い換えるべきということになる。同様に「保母」は「保育士」とすべきだし、「肌色」は人種的配慮に欠けるので「ペールオレンジ」に言い換えるべきとするのがポリティカル・コレクトネスの考え方だ。 この考え方は確かにある程度まで間違っていないように思えるのだが、少し考えると行き過ぎは文化を破壊しかねないということが安易に想像つく。例えば「メリークリスマス」という言葉は、宗教的配慮に欠けるという観点からすでにアメリカでは 「ハッピーホリデイズ」と言い換えられている。 クリスマス飾りににキリスト像やマリア像などを持ち込むのもご法度だ。十字架なんて問題外。宗教色を一切葬り去らねば、イスラム教徒や仏教徒に失礼じゃないか、というわけだ。そのうちクリスマスに赤色を使うのもNGになるかもしれない。赤はキリストの血を表すからだ。 しかしそのようなものを果たしてぼくらはクリスマスと言えるのだろうか。これは「政治的な正しさ」を盾にした、キリスト教文化への破壊行為ではないのだろうか。なぜポリティカル・コレクトネスの人たちはこんなに偏屈な考え方をするのだろう?これではまるでポリティカル・コレクトネス原理主義だ。ポリティカル・コレクトネス教以外のあらゆる宗教は絶対に認めないという原理主義的一神教だ。 たとえあなたが仏教徒だっとしても、笑顔で「メリークリスマス!」と言えばよいではないか。実際日本人はずっとそうだったのだ。キリスト教の人たちが宗教的に大事にしている行事ならば、わざわざそれに目くじらを立てることはない。むしろ「楽しそうだからぼくらも参加させてほしいのだが、仏教徒なんだけど構わないかね?」と言うのが本当の寛容ではないだろうか。それとも一神教徒の人たちには、そういう考え方は難しいのだろうか。 しかしポリティカル・コレクトネスの人々はそうは考えない。頑固に公の場でメリークリスマス!ということを許さない。「そんなに偏狭な態度をとっていれば、かえって息苦しい社会になってしまわないだろうか」「むしろ反動が起こって事態はよっぽど悪くならないだろうか」などと考えていたら、案の定バックラッシュがやってきた。2016年のアメリカ大統領選の時にドナルド・トランプ現大統領が「自分が大統領になったら再びメリークリスマスと言えるようにする」と公約したのだ。大統領選の結果はご覧の通りだ。トランプ大統領は、メリークリスマス!すら堂々と言えなくなってしまった息苦しい社会に不満を持つ人たちの支持を得て当選したのだ。 言うまでもなく、本来あらゆる文化的伝統行事は民族性や宗教性と密接に関わりあっているのであって、そこから宗教色を徹底して排除しようとすれば、ただの無味乾燥で無秩序な騒ぎになってしまう。宗教や民族にまつわる文化的行事が、現代的価値観からすれば理不尽としか言いようのないものを含んでいるのは当然のことだ。伝統行事は、むしろ常にその時代の価値観と全面的には折り合わなかったからこそ、時代が変わったからといって廃止されることはなく、時代を超えてずっと尊敬され続けてきたのだ。それを現代人の価値観にそぐわないからと言って安易に排除をしようとするのは、今の時代の価値観が未来永劫続くと考える現代人の傲慢であり、次の世代への想像力の欠如ではないだろうか。 日本よりはるかに多民族・多文化社会であるアメリカでポリティカル・コレクトネスの考え方が発展したということはある程度理解できなくもない。あまりに価値観が多様過ぎて、「寛容」や「思いやり」でカバーできる範囲をとっくに超えているのだ。ある人々にとって帽子を被ることが礼装であり、またある人々にとって帽子を脱ぐことが礼装である社会では、ポリティカル・コレクトネスがなければ一方的に少数派が追いやられるばかりなのかもしれない。だが、日本は全く状況が違う。常に周囲と価値観を合わせたがり、少数派になることを恐れがちな日本人は、アメリカとは性格が逆で、少数派が自ら少数派であることを捨て、自発的に多数派になりたがる傾向がある。そのような価値観だから世界的にも類をみない寡民族・寡文化社会になってしまったのだ。 有り体に言えば、我々の社会は空気を読むことが大好きだということだ。互いに周囲の顔色を見回して、自分が人とズレてはいないか、誰かが変わった考え方をしていないか、絶えず監視し続ける。今のインターネットは、テレビのような旧メディアと変わらない。これはもはや「ムラ」社会だ。特異な考え方は、誇大妄想が広がる前に「���ッコミ」をして「修正」する。これをポリティカル・コレクトネスの考え方が加勢する。今時の言葉で言えば「炎上」というのかもしれない。そして最後には「まとめ」として「総括」されるのだ(なるほど「総括」とはどこかで聞いたような言葉だ!)。 「炎上」は一見、正しい意見が間違った意見を修正する、社会の自己浄化作用のように見えなくもない。しかしその一方で、特異な発想の芽を潰していると言える。この調子だとそのうちわざと「ボケ」る者が出てきて、毎度お約束のように「炎上」させるようになるかもしれない。人と違うことが怖い私たちは、そうやって永遠に続く終わりのない日常に「お祭り」というリズムを作るのだ。やがて「ボケ」と「ツッコミ」は、「なんでやねん!」(=なぜなのか)という言葉本来の意味を失い、次第に儀礼化していくことだろう。その裏で、本当に特異な考えをする人の声はどんどん見えなくなっていく。社会は変化することなく終わらない日常となり、まるであのバラエティ番組のように、空虚な戯れが延々と続いていくのだ。
本物の共産主義社会が到来する
更に悪いことに、こうしたインターネットの記事たちは各ユーザーに合わせ最適化され、そのユーザーが関心を持っていそうなことばかりをサジェストするように出来ている。例えばあなたがあるニュースアプリでLGBTについての記事を読んだとしよう。そのアプリは次からLGBTについての話題で一杯になるのだ。するとあなたは思う。「今、社会はLGBTに相当な関心を持っているに違いない」。こうしてそれぞれが勝手に「北朝鮮問題が」「仮想通貨が」「アイドルが」「ネコ画像が」社会的関心事の中心であると考え始めるのだ。自分でフォローする人を選べるSNSはもっとひどい。「反安倍政権の世論が盛り上がっている」ように見える人と「安倍政権の高支持率が続いている」ように見える人のタイムラインは永遠に交わることがない。一体なんでこんなことが起こるのだろう。 本来、インターネットというプラットフォームは、「インターネットエクスプローラー」という名前が示す通り、欲しい情報を自分から「探検」することによって手に得るというツールだった。インターネット全体の記事が少ないときは、確かにそれで機能していた。欲しい情報に達するためには色んなページを回らなければならなかったし、必ずしも耳に聞こえのよくない情報も触れなければならなかったからだ。まさにそれは山あり谷ありの探検のようだった。今はどうだろう?ネットには異常な量の記事が溢れかえっている。ぼくらはそれを、到底すべて読み切ることはできない。こんな状況では、誰も冒険などしたがらないだろう。探さなくても、自分にとって気持ちのいい(都合のいい)当たり障りのない情報にすぐ触れることが出来るのだから��� こうした理由から、インターネットの記事が爆発的に増加することに反比例して、ぼくらが新しい世界に触れる体力は日に日に減っていっているように思われる。誰も好き好んで不都合な意見を聞きに行ったりはしない。大量の記事が出回ってあれもこれも読まなければならない中で、誰かの言葉と真剣に向き合う時間も多くはないだろう。ぼくらは気付かぬうちに少しずつ心の体力を奪われているのであって、自分を肯定してくれる安全・安心な言葉だけを聞き続けるようになっている。 そしてそんな世界すらももうすぐ終わる。もうすぐ人工知能がぼくらを真綿にくるんで、いびつな現実を視界から追いやってくれるに違いないからだ。近い将来、ぼくらは全く違う価値観の人と話して不愉快になることも、ほとんどなくなるだろう。アルゴリズムが話の合わなそうなフォロワーを、初めからミュートしておいてくれるからだ。イラストや音楽の才能のなさに思い悩むこともない。内輪のコミュニティの住人、いわゆる「界隈」と呼ばれる人々が、あなたを先生、先生とどこまでもチヤホヤしてくれるからだ(もっともそのアカウントの「中の人」が本物の人間であるという保証はどこにもないのだが)。当然恋人ができないと思い悩む必要もない。本物の人間よりずっと美しいホログラムと恋愛をするのは、今や普通のことだからだ。しかもその恋人は、あなたの過去の発言をデータベース化しているから、絶対にあなたの嫌がることを言わず、あなたが喜ぶことしかしないのだ。 さらに言おう。恐らく近い将来、人間は一切の仕事もする必要がなくなる。人工知能が自己発展する農場や工場を作り、自動運転カーで勝手に出荷してくれるからだ(驚くべきことに、アメリカのGM社はすでにこのシステムを運用し始めているという)。レジも無人だからバイトもいらない。経営も人工知能がビッグデータに基づいてやるのが一番効率的だ。 機械に職を奪われ、失業率は上がるのに生産力も上がり続けるから、先進諸国はベーシックインカム導入を余儀なくされるだろう。なんのことはない、共産主義社会の到来だ。それも前世紀の不完全な共産主義ではなく、マルクスが予見した本物の共産主義だ。ほとんどのことを機械に任せ、人はクリエイティブな仕事、もとい「趣味」しかしなくなるのだ。そのクリエイティブな「趣味」だって、本当に行われるのかどうか随分怪しいように思える。全てが満たされた世界で、クリエイションをしようと思う人間なんて本当にいるのだろうか。 まるで夢物語だが、そういう世界は必ず来る。それも数十年以内に。その世界では人間にどこまでも優しくて都合の良いコンピューターという名の天使が、寿命が来るまでぼくらを甘やかし続けるのだ──まるで真綿で首を絞めるように。そんな世界では、特異な意見も、ラディカルな発想も必要ない。誰一人不満がないので、そもそも社会が変革する必要がない。 怒りも悲しみもなく、誰一人傷つかない世界。そこで天使のような、あるいは幽霊のようなホログラムが、残り少なくなった人間たちに奉仕している。人間は恋愛対象に何かと面倒な同じ人間よりも人工知能を選ぶようになり、人口もどんどん減ってゆくだろう。
"BLACK IS BEAUTIFUL."
建築家であるぼくの父はもう80を超えているのだが、生まれつきの難聴で、ぼくが幼いころから話がなかなか通じなかった。どのくらい聞こえないかというと、ちょうど携帯電話の着信音が聞こえない、というくらいだ。大きな声で向き合って話すと半分くらい伝わる。ハッキリ言うと、身体障害者だ。 しかし父は一度も自分を障害者だと認めなかった。確実に貰えるはずの障害手帳も障害年金も、絶対に受け取らなかった。破産して、収入がゼロになり、家族の食い扶持を繋げなくなった時でさえだ。「なに、誰だってハンディキャップの一つや二つあるんだ、それをいちいち騒ぎ立てるなんてみっともないことだ」それが父の口癖だった。そして父は自分を「ツンボ」であると自称していた。「ツンボ」は差別用語だからやめなさい、といくら母が言っても「ツンボがツンボで何が悪い!」と絶対に聞かないのだ。 父の発言は無茶苦茶だ。第一、本当に障碍で苦しんでいる人に対するシンパシーがない。それに「ツンボ」なんて言ったら、ポリティカル・コレクトネスの人々からは避難轟々だろう。 だが、一方で父は障碍者に対して全く差別的ではなかった。車椅子で困っている人がいれば助けたし、その一方で車椅子でも態度が悪ければその場で怒鳴り合いの大喧嘩していた。外国人に対してもそうだ。父には中国人の友達がたくさんいた。酒が入れば毎回、歴史問題の議論で怒鳴り合いになるくせに、ずっと仲良しだった。二、三か月すると、何事もなかったかのようにまた飲んでいるのだ(そうしてまた喧嘩になるのだが)。 父は女性に対しての考え方も、世代から考えれば相当リベラルだった。あれだけ父権的なくせに、結婚当初、父が食べるまで食事に手をつけようとしなかった母に対して「そんな下らないこと今すぐやめろ」と叱りつけたのだという。家族の風呂に入る順番についてもそうだ。ぼくが生まれてからはいつも父と母は喧嘩ばかりしていたが、よく考えれば父と母はずっと対等だった。父はいつだって対等な喧嘩相手が欲しかったのかもしれない。 当時はわからなかったが、父が「ツンボ」を自称していた理由が、今ならなんとなく分かるような気がする。父はきっと「ツンボ」を忌避するのではなく、自分が「ツンボ」を格好いいものにしてやる、と考えたのではないだろうか。 この考え方はマルコムXの言う「 Black is beautiful. 」に似ている。かの有名なアメリカ黒人公民権運動の活動家だ。マルコムは、黒人は白人と平等、とは言わなかった。そうではなくて「"黒"こそ美しい」と言ったのだ。 話によると、幼いころは「ツンボ」のことで相当ひどくイジメられたらしい。しかし父は社会に同情を買うような態度を取りたいとは思わなかった。思うに父は「ツンボ」である自分が圧倒的に凄い建築を作ることによって「ひょっとしてツンボだったからこそ、この人はすごい建築家になれたのではないか?」と、人に思わせるような、価値観の転倒を引き起こそうと企んだのではないだろうか。 ポリティカル・コレクトネスの人たちにとっては「ツンボ」は永遠に良くないものであって、忌避されることはあっても、凄いものとして日の目をみることは未来永劫ない。果たしてそれで問題は本当に解決したと言えるのだろうか。「ツンボ」な自分を「ツンボ」と断言する父のやり方は、テレビではもちろん流せないし、インターネットだったら炎上間違いなしだ。けれどもぼくは、ハッキリ言ってテレビよりも、今のインターネットよりも、父のやり方は圧倒的に「クールなやり方だ」と感じてしまう。
インターネットからの脱出
しかしこのような「クールなやり方」は決してインターネットでは出来ないだろう。 ぼくらは薄々気づき始めているが、インターネットにはそのシステム自体に欠陥がある。リンクシステムが、情報のシェアを容易にしすぎたため、一人ひとりが考えることを放棄し始めたのだ。このような社会では父やマルコムXのような革命家気質の強力な個人はお呼びではない。むしろ自分では考えず、薄い情報をまき散らし続けるような人間(インフルエンサー)が影響力を持つ。集団主義の時代だ。多数派はポリティカル・コレクトネス一神教を盾に、他のあらゆるマイノリティが、自分の力で立ち上がろうとする膝を折ろうとする。「『黒は美しい』なんて言わなくていいの、黒も白もなく、みんな平等なの」と。それは「ブラックの血が流れていることに誇りを持つな」と言っているに等しいということに、彼らは気づかない。その考えは、ぼくには、すべての人間を根無し草にしようとしているようにすら思える。そうしてこのように作られた一見当たり障りのない「正論」が、「拡散」機能によって無限に増殖してゆくのだ。 抵抗する方法がある。全てのリンクを一度切ってしまえばいい。インターネットには「罪」もあるが、それ以上の「功」がある。インターネットは個人の発信したいという欲望を爆発させ、流通経路を用意し、個人が本をつくるハードルを劇的に下げた。だったらもう一度紙の本にすればいい。紙の本にはRTもシェアもない。ただ、一対一の読者と書き手がいるだけだ。書き手は読者に差し迫ってくる。逃げ場はどこにもない。RTして他人に共感を求めることはできない。目の前の相手と一対一で対峙するしかない。もしも読んでいて、本当に思うところがあるならば、自分で、自分なりのやり方で発信するしかない。やり方は文章でも動画でも音楽でもなんでもいい、ただ自分だけの力で、やり遂げるしかない。 ぼくはアナタと一対一で話したいのだ。隣の誰かに「ねーどう思う?」なんて聞いてほしくない。ぼくは今、他ならぬアナタと話しているのだ。(了)
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事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
明らかに、韓国は、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と規定し貶(おとし)めてきたのである。
私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとする、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のショールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたから��。
こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語で話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあらわすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノム」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
1991年、い��ゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。
慰安婦と同構造の原発報道
だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。
70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺い��立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。
もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒���ている。
まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
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